闇色神社

 

序、隠れ潜む者

 

少し前に、居場所を移したのは、念のため。

もっとも、居場所を移すのには、特殊な専属チームが付き添った。痕跡は全て抹消。国家ぐるみでの作業である。

当然の話だ。

歴史的に見れば、かなりの被害を出す怪異は今まで存在していた。

人間の方が圧倒的に強いといえども。怪異として、多く人を殺す奴はいて。それを迅速に処分出来る剣が必要になるのだ。

私は離れたところで、無線で移動の様子を確認。

百戦錬磨の特殊部隊が、周辺に展開している。勿論、その存在を見せないようにして。移送用に使っているトラックも、ごく普通の引っ越し用に偽装している。私は小高い丘から、時々チェックポイントを確認。

ちなみにトラックには、あかねが距離を置いてついて行っている。

多分世界最強の妖怪でも、この護送体制を崩すことは出来ないだろう。

「此方金毛。 どうぞ」

「此方諏訪。 現状は問題なし」

「退屈だが、忙しくなると大変だ」

「そうですね」

あかねも口数が少ない。

しばらく様子を見ているが。今の時点では問題なし。ほどなく、護送車は、ある大きめの神社に到着した。

三代目八岐大蛇が降ろされる。

厳重に拘束衣を掛けられて、何重にもしめ縄。過剰すぎるほどの封印だけれども、その伝承の大きさを考えると、無理もない。

三代目の彼奴は、まだ五百七十歳ほど。

二代目が錯乱して当時の対妖怪能力者に消滅させられてから、12年ほど八岐大蛇は存在しなかったけれど。

その後、アーキタイプに乗っかるようにして。

傾いた彼奴が、八岐大蛇になった。

神社の周囲には分厚い結界が張られていて、侵入は不可能。私だって、何もせずに足を踏み入れれば、其処で焼け死ぬ。

しばしして。

あかねから、連絡が来た。

「護送完了。 師匠は」

「こっちも問題は無いな。 それにしてもクドラクの連中、恐らくははったりだとは思うが、どうやって八岐大蛇の場所を見つけたのやら」

「あの無茶で知られる一神教の退魔組織とやりあってきた連中です。 何をしでかしても、不思議では無いでしょう」

「違いない」

通信を切ると、あかねと合流する。

周囲は一般人に偽装した、対怪異部署の精鋭がわんさか。もし敵意のある妖怪が紛れ込みでもしたら、即座に殺される。

そういう探知能力を持つ者も、少なからず混じっているのだ。

現場から引き上げる。

八岐大蛇にあうのは、今度で良いだろう。

彼奴が妖怪になってからは、あまり頻繁には会えなくなったけれど。それでも、大事に思っている事に代わりは無い。

二代目八岐大蛇の最後は、私が看取った。

おそらくこの国でも最古の妖怪だった彼は。

ずっと妖怪になったことを苦しんでいた。

どれだけ妖怪として強くても、人間には勝てない。それを悟ったのは、その時だったのかも知れない。

厳重に警護された神社を見下ろせる丘を離れる。

徒歩で電車に乗り。

其処から二時間ほど掛けて、今住み着いているアパートに戻るのだ。電車に揺られていると、疲れが溜まっているからか、すぐに落ちてしまう。勿論念のために、周囲には接近を感知する空気を張り巡らせているが。

二つ目の電車に乗り換え。

地下鉄の構内を歩いていると、ふと目にとまった妖怪がいる。勿論、行き交っている通行人達は気付いていない。

七人セットの妖怪。

通称七人岬。

昔、非常に怖れられた、突然死を司る妖怪だ。高い伝染力を持ち、殺傷力も高いので、人間に目の敵にされて。

危険な者は、完璧なまでに駆除された。

向こうも此方に気付く。

今残っている七人岬は、危険性が低い者達ばかり。誰にも気付かれないまま、日本中を廻っているだけの妖怪。実は七人でさえない。一人が、六人の幻覚を伴っているのだ。

しかも、力がない人間には見えないようにするという念の入れようである。

無害極まりない妖怪にまでなって、ようやく生き延びたのだ。

手招きして、場所を移す。

幻覚を伴って、七人岬はついてきた。

「これは九尾殿。 どうしました」

「仕事の帰りに見かけたのだ。 お前はどうした」

「筑波山に寄った帰りです。 関東近辺の霊地はあらかた廻ったので、これから東海地方に行こうと思っております」

「そうか」

編み笠を被った遍路僧の姿をしている七人岬は。

意外に若い。

この世界に絶望して、傾いた男の成れの果てだ。確か、六十年代の事であったような気がする。

あの時代は、学生運動が盛んなだけでは無く。

色々と、ろくでもない事件事故があった。

その中には、悲惨なこともたくさんあったのだ。

七人岬を見送ると、地下鉄に乗り換える。滅多に会わない奴だから、少し話すだけでも、気分転換に良かった。

地下鉄を乗り継いで、自宅へ。

アパートに着くと、ようやく人心地がついた。

ビールを開けて、つまみを口に入れる。この間通販で取り寄せた、少し高いからすみがあるのだ。

からすみを炙って、ビールで手酌をしていると。

スマホが鳴った。

仕事の話だ。

「ほいほい。 何だね」

「晩酌中でしたか、師匠」

「あー。 どうした」

「平野警視から、連絡です。 私を警部に昇進させるそうです。 それに伴って、師匠と安城警部補も」

それはそれは。

だが、私の地位なんて、ここ数十年変動していなかった。今更警部に変えて、どうするのだろう。

ちなみに私の給金は、かなりのもので。普通の警部補よりも高い。

これは対怪異部署でもお手上げの迷宮入り事件を解決してきた実績を評価されての事だ。

このお給金を蓄えて。

田舎の山や土地を買い上げ。

妖怪達の住処を作る一助にしているのである。

警視庁もこの使い道を知っているから、私を飼っているし。同時に、強く監視もしている。

ギブアンドテイクは、今の時点では成り立っているし。

警部にすることが、それを崩す事につながるようで、少し不安だ。

「詳しくは聞いていませんが、上からのお達しらしいです。 この人事に伴って、平野警視の上に、警視正が赴任してくるとか」

「よく分からんが、引き締めを計る気か」

「そうでしょうね」

ノンキャリアの警官は、出世できても警視までと言う暗黙の了解がある。

つまり実力主義だった対怪異部署に、キャリアが入ってくることになる。しかも、対怪異部署は確か、窓際として認識されているはずだ。入ってくるキャリアが何をもくろんでいるのか。

あまり良い予感はしない。

ついでにと、あかねが仕事を廻してくる。

「仕事の処理もお願いします」

「んー。 今度は何処だ」

「富山県です。 二年前に発生した怪異が、未だに解決していません。 無害な怪異なのですが、そろそろ対処が必要かと」

「データを廻しておいてくれ」

酔眼のまま私は一旦スマホを切ると。

時計を見て舌打ち。

平尾はいいにしても。牧島は今頃、高校で授業を受けている時間だ。平尾に、先に連絡を入れておく。

すぐに平尾は出た。

真面目な彼奴は、待機中とはいえ本庁に出て、仕事をしているのだ。書類の整理でも雑務でも、やる事はいくらでもあると言って。

私が対処しそうな迷宮入り対怪異事件についても、まとめているらしい。

「富山でありますね、了解しました。 そうなると、本官が運転して現地に行く形でよいでしょうか」

「そうだな。 ハイエースは私が借りておく」

「お願いいたします」

合流地点を決めると、通話を切る。

少し手酌をして、夕方六時を回ってから、牧島にも連絡。

その頃には相当にアルコールが廻っていて。ろれつも怪しくなっているのが、自分でも分かった。

「今度は富山県ですか?」

「おう。 準備の方は任せるぞ」

「はい。 対怪異用のお道具の在庫はいつも確認しています。 合流地点に持っていきますね」

通話を終えると。

私は、開けていたビールを全て飲み干して。つまみも全部食べ終えておく。ゴミも、すぐに出せるようにしておいた。

このアパートも、これで使うのはおしまいだからだ。

敷金礼金無しの格安アパートとは言え、また引き払うのは少し心苦しいけれど。

これも必要経費の一つ。

ごろんと横になると。

私は、時間まで、惰眠を貪ることにした。

 

1、喋る岩

 

関越自動車道を車で数時間。

長い長いトンネルを抜けると、新潟に出る。

此処から、西に向かって、国道を経由して更に数時間。電車を使ってしまった方が本来は楽なのだけれど。

今日は仕事で、持ち込まなければならない装備もある。

楽な方が良いと言っていられないのが、面倒なところだ。

此処に出現する怪異は、二年前から頻繁に姿を見せていて。今でも解決の糸口が見えない。

対怪異部署からも、人員が二回派遣されているけれど。

いずれも解決への糸口さえ見つけられず。

未だに、放置されているのが現状だ。

私がどれだけ未解決事件を処理しても。まだまだ。日本中には、未解決事件がたくさん残っている。

対怪異の事件の場合は、事実上時間制限が無いのが有り難い話だが。

地方の事件を処理して廻っていると、いつのまにか関東圏で事件が山積していたりするので。

この仕事は業が深い。

かといって、私がさぼれば。

強引な力尽くでの解決が行われる事になる。

その時は専門の業者が動員され。

妖怪は消される。

それだけは、避けなければならないのだ。

現地に到着した頃には、牧島は疲れ切っていて、私の隣の席で幸せそうに寝息を立てていた。

天使のような寝顔という奴である。

肌もとても綺麗。何を喰えばこんなになるのやら。

そういえば、話に聞いたが、学校でも相当もてるらしい。ただこの恐がりな性格だから、彼氏は出来た試しもないとか。

実にもったいない話である。

思わず鼻をつまんだりして悪戯したくなるが、我慢。

肩を揺すって、起こす。

「牧島。 ついたぞー」

「は、はい。 今、起きます」

まだはっきりしない頭で、それでもどうにか牧島は起き出す。私もあくびをしながら、クリーム色のハイエースを出た。

田んぼが拡がる、緑の野。

その一角にある、駐在の駐車場。

駐在には、既に平尾が、事情を説明に行っている。ただでさえ土地が余っている場所なので、車を停めることには何ら文句はないようだが。

非常に偏屈そうな老警官は。

私達を、あまり良くは見ていないようだった。

「前に来た役立たずと違って、今回は解決できるんでしょうね」

「尽力します」

刑事長らしい老警官に、平尾が敬礼している。

階級が上の相手だから、当然なのだろう。私は小さくあくびをすると、やりとりは平尾に任せて、辺りを見て廻った。

起きて来た牧島も、老警官に挨拶をしている。

私も周囲をみて回った後にそうしよう。

典型的な、農村の風景。

昔の農村よりも近代化が当然進んでいるけれど。それでも、この青々とした稲穂の群れは、変わっていない。

これがやがて黄金に色づき。

そして収穫の時が来る。

私も農民の出身だ。どうやって稲を植えて育てるかは、その体に叩き込まれている。しばらく目を細めて青い稲の群れを見ていると。

ふと、何か人影が。

視界の隅を通り過ぎたような気がした。

早速お出ましなら有り難いのだけれど、妖怪の気配はなかったように思える。そうなると、偏屈な人間関係に囚われたこの辺りの人間だろうか。

そう言う輩の方が。

得てして、妖怪よりも遙かに面倒くさいと、私はよくよく知っている。今回は、妖怪を探し出すよりも。人間の妨害の方が、面倒かも知れない。

一通り、周囲を見て廻ってから。

老警官の所に戻る。

胡散臭そうに私を見る警官に、手帳を見せる。相手が警部補である事を理解しても、不遜な態度を老警官は崩さなかった。

平尾と牧島を連れて、ハイエースに戻る。

ハイエースの周囲を、力を込めた空気で覆った。

「面倒だぞ、これは」

「もう妖怪の正体が分かったのでありますか」

「いや、違う。 あの偏屈老人の態度で分からなかったか? 多分今回は、妖怪よりも、人間関係で捜査が妨害されるだろうな」

「確かに偏屈な老人ではありましたが」

平尾が困ったように声のトーンを下げる。

咳払いすると、私は。

まずは、資料の確認をすることにした。

勿論、途上で目は通しているが。情報共有のためである。どんな職場でも、いわゆるホウレンソウは基本なのだ。

まず、妖怪の正体だが。

これは全く分かっていない。

現象については、時期を問わずに出現して。人を驚かす。証言によると、どうやら粗末な着物に身を包んだ子供のような姿をしているらしい。

童子の妖怪は、僧形などと並んで、極めてポピュラーだ。

姿から正体を特定するのは非常に困難である。

更に、だ。

正体特定を困難にしているものに、具体的な証言の少なさがある。どの証言も、何かを隠しているかのように、中途半端なのだ。

というよりも、基点となる情報は、大体観光客から来ている。勿論観光客はびっくりして、ちゃんとした証言など残せない。

だから、この辺りにいる村人達に話を聞くことになるのだが。

彼らの証言が、文字通りの曖昧模糊なのである。

これを指摘すると。

足で情報を稼ぐことを得意としている平尾は、困り果てたように頷いた。

「それは本官も感じていました。 ひょっとして周辺住民が、妖怪を庇っているのでは無いかと思ったほどです」

「ひょっとしてではない可能性も高いな」

「というと」

「たとえば、地元の守護神の場合だ」

遙かいにしえの時代。

妖怪化した人間が、神として崇拝された歴史もあった。いわゆる、神代、という奴である。

今でこそ、妖怪は駆除の対象としての認識が広まっているが。

田舎では、希に残っているのだ。

妖怪化した人間を本尊とした、一種のカルトが。

中には、人間を妖怪化させる秘法を保存している村落さえある。そういった場所では、生け贄の人間を人為的に妖怪化して、神に仕立てる場合さえあった。

根絶された悪習ではあるけれど。

信仰という形で、近辺に残っている場合、厄介だ。

二年前と極めて新しい出現報告から、洗い直さなければならないかも知れない。

「まずは、牧島」

「はい!」

難しい話が続いていて、どうしていいか分からず途方に暮れていた牧島に。最初の指示を出す。

ほっとした様子で、背筋を伸ばす牧島は、いじらしい。

「周囲に式神を飛ばして、妖怪そのものを探せ。 後、霊的な拠点になりそうな場所を探しておいてくれ」

「分かりました!」

妖怪が人間によってかくまわれているとしても。

普通の人間に見えない式神を使って探索することで、裏を掻く事が出来る。勿論、それさえ対策している可能性も、考慮する必要はあるだろう。

「平尾は情報の精査だ。 辺りの民家を廻って、聞き込みの開始」

「分かりました。 すぐに取りかかります」

二人が、ハイエースを出る。

私も続いて、ハイエースを出た。

胡散臭そうに此方を見ている老人警官に、できる限り笑顔で話しかける。猿のように小柄な老警官は。

此方がハイエース内で会議している間も。

ずっと此方を見続けていた。

「早速で悪いのですが、話を聞かせて貰えますかね」

「……何を話せばよろしいので?」

「この辺りの昔話について、詳しい人は?」

「何故昔話など。 つい最近現れた妖怪には、関係があるんですかね」

露骨な拒絶。

だが、その程度では、私はめげない。

「妖怪化する場合、地元の伝承が元になったりするケースが多いんですよ。 これでも私はねえ、三桁以上のこの手の事件を解決してきていましてね」

「その若さで?」

「嬉しい事を言ってくれますねえ。 でも、ほれ。 その若さで警部補だってのは、実績がないと無理でしょ?」

階級章を見せつける。

それでも、老警官は。

やはり、胡散臭そうな視線を崩さない。

そして結局、心を開いてはくれなかった。

「私はあくまでも警官でね。 うさんくさい田舎の伝承なんて、知りやしませんよ。 勿論詳しい人もね」

それは、嘘だ。

私は即座に見抜いたが、敢えて此処は引き下がる。というのも、わざわざ嘘をつくと言うことは。

駐在もグルになって、何かを隠しているのが明白だからだ。

それにしても、それほどになって隠すものは何か。村ぐるみで行った何かしらの犯罪か、或いは私が当初予想したとおり、何かしらのカルトか。

いずれにしても、下手をすると対怪異部署の応援が必要になるかも知れない。

カーナビを確認して、脱出路だけは調べておく。

此処は陸の孤島と言っても良い僻地。

もし、村ぐるみになって三人を殺しに来たら。逃げ出すのは、とても難しくなるのだから。

 

平尾が戻ってくる。

近隣で聞き込みを続けているが、著しく非協力的で困っているという。それに、明らかな尾行までついているのだとか。

外で虫が鳴いている。

夜空はとても綺麗だというのに。

この村の人間共は、まるで狭苦しい心に閉じこもっているかのようだ。

少し遅れて、牧島が戻ってくる。

地図にない神社を見つけたという。ただ、式神が見つけたその神社は、山の中にぽつんとあって。

今の時間から行くのは無理だとか。

「地図にない神社、ね」

「神社としては八幡様のようです」

「八幡とは何でありますか」

神仏の知識がない平尾に、牧島がかみ砕いて説明をする。

八幡とは、源氏の軍神で。全国の神社にて最も多く祀られている神である。しかしその正体はよく分かっていないのが現状だ。

現在では集合神として扱われ。

歴代天皇の内何名かも、この八幡の一部として扱われている。

九州の海神が原型にあると言う説もあり。正直な所、民俗学者達も、その正体は理解できていないという。

或いは、いにしえの時代の謎の海神、ダゴンと同系列の神かも知れないと言う噂もあるとか。

いずれにしても、私には関係がないことだ。

「なるほど。 源氏の軍神というのなら、全国で最も信仰されているというのも納得であります」

「ただなあ。 なんで地図にもない神社が、山の中で放置されているのか、というのも不思議だ」

「いや、放置はされていません。 かなり綺麗に手入れされています」

牧島は言う。式神を通して見たのだろうから、間違いは無いだろう。

霊的なものや、妖怪の気配はあるかとも聞くけれど。牧島は、近づかないと何ともと、若干頼りない。

まあ、明日行ってみるのも手だろう。

ハイエースを出して、近くのビジネスホテルに。

この村からは出るが、三十分ほど車を走らせると、小規模な街に出る。其処にビジネスホテルを確保してあるのだ。

今回は、三人分で、分けて部屋を取ってある。この間民宿で牧島と一緒の部屋にしたら、散々お小言を言われたので、別にしたのだ。

シャワーを浴びて人心地つく。

転がってスルメを噛んでいると、牧島がスマホにメールを入れてくる。まだ式神を飛ばしているらしいのだけれど。そいつらが妙なものを見つけたというのだ。

山中に、何かしらの石像が。

等間隔に置かれているという。

しかも、例の神社を中心に、放射状に、だそうだ。

すぐに平尾にも情報を共有。

これはひょっとすると、何かのカルトかも知れない。自分の方でも調べて見る。地元の妖怪と接触できると良いのだけれど。

とりあえず、今日はここまでだ。

今まで実害が出ていないという(少なくとも報告はない)以上、悪意がある妖怪かどうかは断言できない。

かといって、今までの調査を確認する限り。

村が極めて閉鎖的な環境で、何かしらの危険な妖怪を隠蔽している可能性は、どうしても否定出来ない。

流石に生け贄の儀式は、近年では影をひそめたが。

この国の外に出れば、残っている国はいくらでもあるし。

逆に、この国の内部でも。かなり近年まで、陰惨で非人道的な風習が残っている村落は、珍しくなかったのだ。

ある村落では、事実上の奴隷制度が、昭和になるまで残っていた。

これは一家の次男や三男などの跡継ぎ以外を、文字通り人間として扱わないという独自の制度で。

そうやって奴隷化されると、殆ど言葉というものを失い。人形のようにして、一生を過ごすのだという。

希望の全てを奪われるからだ。

勿論現在は、このような悪しき制度はなくなっている。

私としては、妖怪と人間の関係ももっと改善していきたいが。それは、長い時間を掛けて、やっていくしかない。

多分酒呑童子は、それを急ごうとしているのだろうという推察は出来るが。

それ以上は、何も分からない。

いずれにしても、まだ今回の事件は、調査途上。

何があっても不思議では無い。皆に油断しないように、念を押すことしか、今の時点では出来なかった。

翌朝までじっくり眠って。

起き出してから、三人ホテルのロビーに集まる。

このビジネスホテルは朝食を手作りで作ってくれる。田舎のビジネスホテルには、希にこういう良いサービスをしてくれる場所もあるのだ。その一方で部屋の管理そのものは劣悪で、雨漏りしている箇所もあったが。

ちなみに朝食は、とても美味しかった。

食べ終えてから、軽く話す。

「村の印象はどうだ」

「何だか狭苦しい場所でありますな」

強面の平尾は、素直にそう言った。

この男、多分裏表という概念がないのだろう。強面の割りにはそれほど性格もきつくない。

最初は怖がっていた牧島も、最近では多少話したりもするようになっている。

警官としては有能だし、正直私みたいな自堕落の下に付けてしまって良いのかと不安になる。

或いは、あかねが私が働くようにと、こんな出来る奴を付けてくれたのかも知れないが。それはそれでちょっと複雑だ。

彼は実際に、村人達に聴取をしているから、なおさらそう感じるのだろう。わからないでもない。

私は昨日のうちに、牧島が見つけた神社について軽く調べて見た。

少なくともネット上に情報はない。

古い民俗学の本などで触れているものがあるかも知れないが。そうでないとすると、独自の信仰の可能性が高い。

多分下手に触れると、村人が何をするか分からない。

最後の手段として、念入りに調べる方が良いだろう。

牧島はあれから、式神を四方八方に飛ばして、一生懸命彼方此方を調べてくれていた。この小さな巫女は、とても生真面目で、好感が持てる。

「山の中のおかしな神社以外は、特に不思議なものは見当たりませんでした」

「少し聞いてみたいが。 お前はあれに似た神社は見た事があるか?」

「鳥居の形も独特で、神社の内部も構造が……。 ちょっと分かりません。 神様の名前も八幡様になっていますけれど、実際は何か別の神様の可能性も。 でも、八幡様らしき神体は確認しています」

「八幡をわざわざ秘匿して崇拝する理由が分からんな。 あんなメジャーな神は、他にないのだがな」

いずれにしても、である。

まだまだ、調査が必要だろう。

二日目、開始である。

三人でハイエースに乗って、村の駐在に。妖怪は昨晩でたかと聞くが。出ていないと老駐在は文句を言う。

「あんたたち、仕事をしているのかね」

私では無く、平尾に文句を言う辺りが老獪だ。

多分階級を平尾が認識して行動しているのを、見抜いてのことだろう。あまり褒められたことでは無い。

私は平尾に偏屈老人を任せると。

牧島を連れて、無心に村の中を歩くことにした。

村人達の猜疑の視線が、刺さるように飛んでくる。これでは、平尾が苦労するわけである。

多分村の連中は、また調査の人員が来たという事は知っている筈だ。

それでこれだけ非寛容な視線を向けてくるという事は。前の調査が無礼を働いたというよりも。

何か、もっと別の意図が感じられる。

山に近づこうとすると。敵意の視線は、更に強くなった。露骨に監視している者までいる始末である。

牧島には一人では歩かないようにと、念を押す。

文字通り、何をされるか分からないからだ。ただでさえ小柄な牧島は舐められやすいし、人間は相手を格下とみると、何でも平然とする。

これだけでも、あの山に何かあるのは確実だ。

面倒だと思って、一度引き返す。

村の中を歩いているだけでこれだ。平尾はさぞ苦労しているだろう。

昼少し前に。

村の中に唯一ある、二十四時間営業では無いコンビニに出向いて、弁当を入手。ハイエースに戻って、三人で食べる。

最近のコンビニ弁当は前よりずっと美味しくはなっているけれど。

それでも、やはり味気ない。

しかし調査が長引く以上、弁当を手持ちで持参するわけにも行かない。この辺りは、もどかしい話だ。

「妖怪は、姿を見せませんね」

「平尾、何か情報はあったか」

「半分ほどの家を廻りましたが、それらしい情報は何も」

「そうか」

妖怪の気配がないのだ。

多分条件を満たすと出現するタイプだとは思うのだが。それにしても、一体どうすれば良いのか。

前の調査隊が匙を投げるわけである。

実際、対怪異部署は、危険な妖怪を優先して処理に当たる。こういう身を隠すのを得意とする妖怪は、むしろ苦手なのだ。

勿論、見境無しに殺そうとすれば、出来る。

だが、そうしないのは。妖怪が元人間だから。戻せるなら戻すという倫理が、ようやく近年働くようになったからである。

こればかりは、あの腐れ安倍晴明に感謝するしかない。

この国に巣くい、妖怪を管理しているのは彼奴だ。対怪異部署も、彼奴の意図で、ある程度方針を決めているのだから。

夕方近くまで、辺りを見回っても。

特にそれらしい気配は無し。

今までの目撃例にあった場所も当たってみるが。

それも、どうにも芳しくない。

勿論トラップも仕掛けていく。

私の力がこもった空気で辺りを覆い、周囲の気配を探る。牧島の式神も、怪異の目撃地点発生地点を重点的に探す。

しかし、見つからないのだ。

「やれやれ、困ったな」

「本当に怪異が出現するんでしょうか」

「昨日も言っただろう。 この村の連中じゃなくて、第三者なんだよ。 怪異に遭遇しているのはな。 村の連中は霧でも掴むような証言をしてるの」

「あ……」

牧島が口を覆う。

まだ、資料はよく目を通していなかったのか。というよりも、初日のミーティングを把握し切れていなかったという事か。

まあ、仕方が無い。

この子はそれほど頭が切れるわけでもないし、人間の能力なんて多寡が知れている。勿論妖怪はそれ以下だが、頭の出来には個人差もある。

それにしても、この状況。本当に妖怪が出るのか、疑いたくなるのは私だって同じである。

まあ、気配を隠すのが得意なタイプは、同種の妖怪でさえ見つけにくい。

自然界で、擬態に特化した生物が、探し出すだけで一苦労するのと同じだ。

こればかりは、腰を据えるしかない。

夕方で、一旦調査を切り上げる。

ハイエースに戻ると。平尾が既に戻っていて、支給されているノートPCを叩いていた。何か得られたかと聞くと、首を横に振る。

「村人達は著しく非協力的で、けんもほろろの対応を受ける事が珍しくありません」

「そうだろうな。 だが、調査を続けてくれ」

「はい。 そういえば、妖怪事件とは関係無いかも知れませんが、一つだけ、気になる事がありました」

「何だ、聞いておこう」

少し前の事だが。

医者がこの村にはいないと言うことで、有志で来てくれた老医が。

村人のイジメに耐えかねて、逃げ出したというのである。

まあ、此処に限らず。閉鎖的な農村ではよくあることだ。わざわざ有志で来てくれているのに。村にとって有益な存在を、気に入らないから、村のルールに従わないから、みたいな理由で、追い出す。

「今、この村には医師がいない状態です。 医療を受けるには、街まで降りるしかない状態ですね」

「何だか、自分の足を喰うタコも同然だな」

「……」

平尾は、その言葉にはコメントしなかった。

牧島は居心地が悪そうに、身を縮めている。

「どうした。 難しい話でもないだろう」

「え、ええと。 そうではなくて。 山の神社を監視に行かせている式神が、誰かに見られているような」

「釣れたか」

「わかりません。 人の視線なのか、それとも妖怪の視線なのかさえ」

いずれにしても、好機ではある。

アクションを起こしてくれたのだ。

少しは此方にとって有利になる可能性が高い。相互監視の体制を整えて、何かあったらすぐ動くよう指示。

牧島は頷くと、式神を一カ所に集めた。

さて、どう出る。

敢えて挑発的に、私は牧島を連れて、村を見て廻る。その間も平尾は別行動で、村の中で聴取を続けた。

二日目が終わる。

村の敵意は強まる一方。

ハイエースに戻ってから、あかねには連絡を入れておく。前回の聴取に当たった人員も、話をつなげてくれた。

別の事件の捜査に当たっていた彼は、ベテランで、今は安城の下についている。

話を聞いてみると、やはりである。

「あの村は非常に閉鎖的で、そもそも我々が来たことを喜んでいない節さえありましたね」

「やはりそうか。 外部観光客からの情報がなければ、怪異の存在さえ外に漏れなかった可能性が高そうだな」

「恐らくは。 何かしらのカルトが絡んでいても不思議では無いかと思います」

「分かった。 有り難う」

電話を切る。

きな臭いことになってきているが。まだまだ、捜査は続けなければならない。

応援を呼びたいところだが、具体的な危険がないのに、それは出来ない。警官は暇ではないのだから。

平尾にハイエースを運転させて、ビジネスホテルに向かう。

最初のアクションがあったのは。

村の境。

少し薄暗い林になっている。狭い路でのことだった。

 

2、牙を剥く薄闇

 

事態に気付いていない牧島を庇う。

がくんと、ハイエースが揺れた。これ、レンタルなんだけどな。内心でぼやくけれど、正直それどころではない。

路に、車止めが仕掛けられている。

多分前輪がパンクした。

横転しなかっただけでも、マシかも知れない。急ブレーキが功を奏したのだ。

「車から出るな!」

流石に、此処が途上国だったら、判断が代わるかも知れないが。この辺りの集落で、RPG7やらを装備しているとは思えない。

すぐに周囲に、力を込めた空気を張り巡らせる。

牧島はやっと事態に気付いたようだった。声も無いようで、諤々震えている。やっと知ったのだろう。

この世で一番恐ろしいのは。

妖怪なんかじゃあない。

人間の悪意だと言う事に。

もう既に周囲は闇。外の全てが敵だと判断しても間違いないだろう。だが、空気による探査では、周囲に人間はいない。

「平尾、外の確認を。 私の判断では、潜んでいる奴はいない」

「了解しました。 出来そうなら、タイヤも交換します」

「頼むぞ」

まあ、これについては、事件が終わった後に犯罪として調査することになるだろう。道交法になにか該当するはずだ。

しかしまた、極端な手に出てきたことだ。

嫌がらせにしても、もっと他に方法があるだろうに。

「こ、こわく、無いんですか?」

「んー? 私はなあ。 千年前から刃物持った鎧武者とやりあってきたし、殺すつもりで来る奴とは散々接してきたからな。 こんな程度は慣れっこだよ」

「……」

牧島が泣いているのが分かる。

まあ、少しずつでも慣れていけば良い。平尾はと言うと、かなり手慣れている。あのガタイである。

多分鉄火場にも、何度も連れて行かれたのだろう。

タイヤの交換が外で行われている。

襲撃者が狙うなら、このタイミングだ。窓を開けると、顔を出さないようにしながら、注意を促す。

勿論最大限の警戒はしているが。

それでも、何があるかは分からない。

タイヤ交換終了。

平尾は手際が良い。これでガタイと強面がなければ、女子には多分もてるのだろうけれど。世の中は上手く行かないものである。

「周囲には車止めが散乱していて、動けません。 どうします」

「迂回路を採ったら多分相手の思うつぼだな」

今の時点で、応援を呼ぶつもりはない。

車止めを外すしかないだろう。

地面に埋められている奴もかなりの数があるけれど。それらも、一つずつ取り除くしかない。

「ヤブ蚊に刺されないようにはしてやる。 周囲には気をつけろ」

「了解であります」

平尾が作業を始める。

私も外に出ると、慣れない肉体労働に、従事しはじめた。

しばらく、無言で車止めを外していく。

それにしても、この悪意の塊みたいなやり口。この辺りを通る人間がいないと知っているからこそ、出来る事だ。

よそ者に対する敵意だけではないだろう。

やはり、この村は、ぐるみで何かを隠している。

こういった嫌がらせからも、そんな事は分かる。あの老駐在も、別の人間と交代させた方が良いだろう。

夜半に、ようやく撤去が終わる。

車止めは全て回収。

ハイエースに詰め込んで、撤収した。

翌朝にでも、県警に提出させることにする。問題は傷つけてしまったレンタカーだが、それはこのくだらないことをしてくれた犯人に泣きを入れて貰えば良い。

さて、村の連中は。

一体何を隠している。

 

翌日。

県警のライトバンに切り替えて、村に向かう。流石に犯罪に会ったとは言え、傷つけてしまったハイエースを継続で乗り回すわけにも行かない。

それに、こればかりは借りた私の責任だ。

レンタカーの業者は、いい顔はしなかった。まあ、警察関係者に貸した時点で、傷つくのはある程度は織り込み済みだろう。

パトカーに乗るのは久しぶりだ。

駐在は、流石にごついライトバンのパトカーが来たので、びっくりしたようだった。流石に面食らっている老警官に。

県警から連れて来た二名の警官が、厳しい視線を向ける。

明らかな捜査妨害を受けたと申請したら、通ったのだ。

或いは県警も。

この村には、以前から目をつけていたのかも知れない。

「あんた、捜査妨害に荷担していないだろうな」

「し、知らん!」

知っていると顔に書いているも同然だ。

これは、意外に効果的かも知れない。何かしたのだから、報復を受けるのも当然だろう。駐在所で取り調べても良さそうだが、これは敢えて連れて行くのが良いとみた。

県警の警官一人に、老駐在を連れて行かせる。

村の連中は、当然見ているはずだ。

私も、雰囲気を変える。

自堕落狐として過ごしているのは私の本性だが、それとは別に、ある程度真面目に振る舞うことだって出来る。

妖怪のコミュニティの顔役として過ごしてきた期間だって長いし。

警官としても、もう随分やってきているのだ。

「平尾。 此処からは今までと違って高圧的に行け。 此方を舐めていた村の連中を、震え上がらせろ。 そうすれば、尻尾を出す奴が出てくる」

「分かりました。 白方さん、同行を願います」

「おう」

連れてきたもう一人の警官も、強面のガタイが良い男だ。二人並べば、その威圧感は尋常では無い。

平尾が行くのをみてから、私は牧島に、視線で山を指す。

「あの山の周囲を重点的に見て廻るぞ。 山に入るのは、もう少し増援が入ってからにするが」

「分かりました!」

「式神は山の中に入れろ。 多分、そろそろ敵も尻尾を出す」

さて、今回は。妖怪はどんな風に、この閉鎖的でろくでもない村の中に、絡んでいるのだろう。

私としては、どんな妖怪でも、救いたいと考えている。

人間から妖怪になることは、明らかな悲劇なのだ。

妖怪の第一人者である私がそれを知っているのである。よその誰にも、文句を言わせるつもりは無い。

ましてや、この人間関係が閉鎖的な村だ。

何が起きても、不思議では無い。

村の空気が、露骨に変わる。

私が牧島を連れて歩いていると。今までの敵意では無くて、恐怖の視線も、明らかに混じるようになった。

平尾が白方と一緒に、徹底的に高圧的に、聴取をはじめたのは、すぐに伝わったのだろう。

午後からは、更に三人が増員された。

彼らに聞いたのだが、老駐在が吐いたのだという。

村の連中が、我々に嫌がらせをすることを決めたと。しかし、自分には介入する権限がなくて、出来なかったそうだ。

村の中のヒエラルキーは絶対。

駐在さえ、それからは逃れられないというのである。

これは、駐在は機能していない。そう判断するには充分だ。

三人の警官に白方を加えて、聴取を開始させる。この様子では、村ぐるみで何かおかしな犯罪を隠していても不思議では無い。

戻ってきた平尾を加えて、私は山を見上げる。

いよいよ、踏み込むときが来た。

もう、村人の視線など、気にする必要はない。ベテラン警官が四人、村中に気を配っている状態だ。

私が堂々と山に入り込むと。

村の連中が、色めきだつのが分かった。

だが、警官達が彼らの前に、怒れる仁王像のように立ちふさがる。そうなると、老人ばかりの村人ではどうにでも出来ない。

さて、ここからが本番である。

山はそれほど大きなものでもない。

入って見るとよく分かるが、どうにも出自が見えない石像がたくさん並べられている。古いものばかりかと思うと、違う。

かなり新しいものもある。

コケがむしているものもあるし。

最近作ったとしか思えない石像も散見されるのだ。

「牧島、何か感じるか?」

「いえ……」

「そうだよなあ」

どうにも、これらの石像には何かしらの力が宿っているようには思えないのである。信仰の対象では無いとみるべきだろう。

そうなると、モニュメントか。

しかし、そんなものを、どうして村にとっての神聖な場所である山にこうたくさん並べているのか。

山道は狭く、殆ど獣道だ。

狸が通り過ぎたので、思わずにやける。

あまり動物が見られなかったので、心がくさくさしていたのだ。ちなみに、狸は食べるとあまりおいしくない。

ほどなく、神社に出る。

鳥居がそもそも不可思議な形状だ。手入れはかなりされているのだが、あまりメジャーなものではない。

形状的には、一般的な、いわゆる八幡鳥居に近いのだけれど。横の柱が一本多いのである。

それだけではない。

しめ縄が非常に厳重に張り巡らされている。

結界があるのかと思ったが、専門の術者はいないようだ。つまり、純粋な信仰だけで作られている神社であり。

何かしらの、本当に能力のある術者は、関与していないと言う事になる。

はてさて。

これはどう解釈するべきか。

神社に足を踏み入れる。玉石がかなり多く使われていて、雰囲気だけはとてもよい。神社の本殿の側には、樹齢数百年はあろうかという大木。落ち葉は丁寧に処理されていて、境内はとても清潔だ。

しかし、神はいない。

というよりも、妖怪の類も。私の眷属も。

神と呼ばれるような、古参の傾いた人間も。

此処にはいないし。そもそも、いた形跡が無いのだ。

一体此処は何だ。

奧を調べるが、八幡大菩薩という文字もあるが。もっと古い信仰を、八幡に変えたのだろうか。

いや、それは否。

八幡を古い信仰にかぶせて、元の信仰を秘匿するやり方は日本中にあるが。それはどうしても、無理が出てくるので、独自性として現れる。

此処には、それは無い。

そうなると、八幡という信仰だけを使って、神社を作ったことになる。

しかし何だろう。あの石像は。

「何か分かりますか、警部補」

「分からん」

分からない事が、分かった。

そういうと、平尾は小首をかしげるのだった。

まあ、混乱させてしまうのも、仕方が無いだろう。牧島も分からないと、何度も呟いている。

掃除は牧島にさせる。

神がいないにしても、此処は清浄な空間だ。土足で踏み行ったまま、帰るのは好ましい行動では無いだろう。

一旦山を下りる。

途中にあったモニュメントは、全て写真に収めた。

この途上で、妖怪に会うことは一度も無し。

村の謎は少しずつ分かってきたが、その構造が見えてこない。問題は、此処にいる妖怪が、何者か、だ。

いるのは、ほぼ間違いないと見て良いだろう。

「牧島」

「はいっ」

「村長の家に、式神を入れろ」

「出来ますけれど、大丈夫ですか? 違法捜査には、なりませんか?」

大丈夫と念を押して、行かせる。

まあ実際には違法捜査なのだけれど。普通の人間には見えないし、何よりこの村の連中は既に捜査妨害をしている。

令状が取れ次第、村長の家にはどうせ踏み込むのだ。

それなら、ゴミ箱を今漁ろうが後で漁ろうが同じだろう。勿論、表だって口に出せることでは無いが。

誰もいなくなった駐在に入る。

古いテレビが奧に一つ。

非常に陰鬱とした空間だ。

あの老警官。

此処で、村の人達と仲良くするために。偏屈な人間関係にずっと耐え続けていたのだろう。

そうする内に、善悪の概念がおかしくなって。

村ではびこっているおかしな理屈にも、殉ずるようになって行って。最終的には、村人共の手先になってしまった。

そう思うと、気の毒ではある。

だが、今は同情するよりも。

此処で何が起きてるかを暴く方が先だ。何かとんでも無い事が進行している可能性もあるし。

そうでないなら、それはそれで良いのだから。

夜中になると、警官達が戻ってきた。

周囲は厳戒態勢である。

県警から来た警官達を集めて、状況を話しておく。

「村の連中が一致団結して、此方に対しての妨害を企てているのは間違いない。 何か情報は掴めたか」

「古参の村人ほど口が硬くて、中々。 しかし、あの村にあなた方が入った事で、少なからず動揺していました」

「やはりな。 何か聞き慣れない単語は出てこなかったか」

「オタイラ様が、と口にしているのを聞きました」

挙手した警官が、そう言う。

オタイラ。

聞いたことが無い。そんな妖怪は、初耳だ。似た語感の妖怪は幾つか知っているが、しかしそれらとも何というか、一致感がない。

あの山は、河童とは無縁と見て良い。

つまり、この辺りは、サンカの民と関係するような事柄はなかったのだろう。しかし、である。

村の公民館から、平尾には昼の間に、郷土資料を集めて貰った。

ざっと目を通すが、見慣れた妖怪ばかりだ。

それも、もうこの辺りにはいない妖怪ばかりである。

「村長から直に聴取しましょうか」

「いや、まだ早いな。 それよりも、そのオタイラ様という言葉について、重点的に調べて見て欲しい。 この村で何かしらのカルトがあるとして、それに関係している可能性が高い」

「分かりました」

すぐに全員が散って、作業を始める。

県警への報告書も出来たので、私がハンコを押した。

牧島は、ずっと集中して村長宅を探っていたが。ほどなく、式神を戻す。彼女は式神と意識を共有している。だから、集中して探ると、疲れるらしい。

「何か分かったか」

「はい。 見慣れない神棚がありました」

「ほう。 どんな形状だ」

「ええと、ですね」

牧島が絵を描き始める。

驚くほどに上手い。この娘、ぶきっちょで恐がりだが、絵の方の才能はあるのかも知れない。

まあ、感覚型である事は間違いないのだろう。

八の字に近い形の神体。

鏡に剣。

かなり古い神棚だ。これはひょっとして。

何となくだが、見えてきたものがある。

これは、以外に早く。

決着が、見えるかも知れない。

問題は、此処に巣くっている妖怪だが。それについては、警官達の話を聞く内に、少しずつ正体が見えてきた。

雲を掴むような捜査だったが。

これは、糸口が見えてきたことで、一気に決着がつく可能性が高そうだ。

「各自、今日の捜査はこれまで。 勿論トチ狂った村人が馬鹿な事をしでかす可能性もあるから、念入りに警戒を」

これは、今日はこの駐在で過ごすしかないだろう。

奧にある小さな浴槽を交代で使う。

問題は部屋が一つしか無いことだが。男衆には雑魚寝して貰い。私と牧島は、パトカーを使う事にした。

さて、どうでる。

これだけ引っかき回されて、多分平穏ではいられないはず。

更に言えば、妖怪の正体と目的が此方にも分かってきた今。

村の連中も、手段を選んでいる余裕は無くなるだろう。

さて、どう仕掛けてくる。

念のため、あかねにも中間報告を入れておく。思った以上に大きな事になっている事を知って。

あかねも、増援を準備しているようだった。

 

一眠りして、側を見ると。

目の下に隈を作って、うつらうつらしている牧島の姿。

まあ、此処で平然と寝られる私ほど、図太くはなれないだろう。成人した頃には、図太くなっている事を祈るばかりだ。

大あくびしながら、駐在に。

汚い洗面で顔を洗って、髪を整えていると、平尾が来た。

「警部補、おはようございます」

「んー。 何かあったか?」

「それが」

警官の一人が、妙なものを見つけてきたらしい。

まだ寝こけている牧島を連れて、三人で現地に向かう。二人警官が張り付いていて、村人達を威嚇していた。

それは、丁度村の真ん中。

一種の道祖神だが。

その上に、子供が座っているのだ。

所在なさげにしているその子供は。此方を見ると、何だか申し訳なさそうに、恐縮した。

そうか、此奴は待っていたのか。

今までは、姿を見せても、村の連中に何かしらの形で調伏されていたのだろう。助けてくれる人が現れるまで、必死に潜んでいたのだ。

だから、外から着た人間にばかり、悪戯を仕掛けていた。

助けてくれる人間が来るのを、期待して。

村の連中は、その度に疑心暗鬼で、更に過酷な村内統制を敷いた。息が詰まる思いだっただろう。

この妖怪は、知っている。

「お前、見た事がある。 おんぶおばけだな」

こくりと、子供が頭を下げる。

子供といっても、着物を纏っていて、髪の毛もおかっぱ。顔立ちも幼くて、現在の子供とは、雰囲気が露骨に違う。

足下は草履。

肌も、健康的に焼けているとは言いがたい。

しかも、体が半透明に透けている。

「お前だったのか。 お前、夜が専門の出現範囲だろう」

呆れて言う私。

此奴は、以前私のコミュニティにいたことがある。北陸地方を縄張りにする妖怪で、ただ夜道で相手に覆い被さるという無害な存在である。

ちなみに鳴き声を上げるという話があり。その鳴き声から、オバリヨンと呼ばれる事もあるようだ。

また、伝承によると、宝物の守り手という説もある。

それでか。

村人達が、集まってきている。

ひょいと私が尻尾を出してみせると、村人達も。事前に話を聞かせていた警官達まで驚いた。

「見ての通り、私は妖怪の元締め九尾の狐」

「きゅ、九尾の狐!?」

「そうだ。 この私を九尾と知っての狼藉か。 貴様ら、妖怪の元締めたる我に働いた無礼の数々、無事に済むと思うなよ」

勿論、大げさにいっているのだが。

いきなり尻尾を見せられて、平静でいられるほど、此処の村人達は肝が太くは無いだろう。

露骨に逃げ腰になる村人ども。

狐火を出してやる。

勿論、空気を操作して作ったもので、大した殺傷力はない。だが、村人達が平常心を失うには、充分だった。

昨日のうちに思考をまとめていたが。

ほぼ間違いなく。

此奴らは、過去の。それも、私が大妖怪として現役だった頃の出来事に縛られていると見て良いだろう。

村長が来た。

偏屈そうな老婆で、他の村人とあまり区別が付かない。しわくちゃの、猿のような見かけだ。

だが、着ている服は高価そうで。

此奴だけ、他とは経済力が違う事が、見て取れた。

「おお、なんと! オタイラ様が!」

「オタイラ様とは、此奴の事か? 村長」

「ち、違う」

「だろうな。 オタイラ様ってのは、お前らが源平戦争の後、この地で殺戮した平家の落ち武者達の事だろう? で、見張りに此奴を連れて来た、と」

場が凍り付く。

警官達は、ぎょっとした様子で、村人を見ていた。

勿論、この村人達がしでかしたことでは無い。此奴らの先祖達が、落ち武者狩りとして、当時としては当然のことをしただけだ。

考えて見れば、幾つもおかしな事があったのだ。

異常な八幡への信仰。

しかし、信仰そのものは心が入っておらず。むしろ、何かに対する置き石のように、置かれている八幡神社。

あれは、源氏の軍神を置くことで。

平家の怨念を防ぐためのものだったのだろう。

更に、不可思議な神棚。

平家の旗印である揚羽蝶をかたどったものだったと見て良い。つまり、八幡で抑えつつ、神として信仰することで、怒りを抑え込もうとした。

普通、そんな信仰は忘れ去られてしまうものだが。

この村では、罪悪感と一緒に、ずっと引き継がれてきたのだろう。

声も出ない村長。

どうして分かってしまったのだと、その顔が雄弁に語っている。主体性のない祟り神では無い。

昔殺した、人達の怨念。

それが、この村を。ある意味で、縛り付けていたのだ。

昔々のことだ。

この村で、悪夢のような悲劇が起きた。

源義経が壇ノ浦で平家を壊滅させ、滅ぼし。逃れてきた平家の残党が、此処で地元の民に捕捉され、皆殺しにされたのだ。

その殺戮が、あまりにも酷いものだったのか。

或いは、殺した落ち武者の中に、相当な貴人がいたのか。

どちらかで、彼らは異常な恐怖に襲われた。

正しいのはどちらか。其処までは、状況証拠がなくて、私には分からない。はっきりしているのは、それによってこの村の連中は膨大な富を手に入れ。

それ以上の、復讐に対する恐怖に囚われた、という事だ。

其処で、この村は。

全てを隠蔽する路を選んだ。

八幡神社を建て。

その一方で、殺した武者達が怨念を抱かないように、彼らをかたどった石像を並べ立て。

そして、見張りを必要とした。

そうして連れてこられたのが。宝物を司ることもある。おんぶおばけだったのだ。

平家の怨念は。

隠しておかなければならない秘宝でもあったのだから、当然だろう。

もっとも、おんぶおばけであったのは意外だったが。

まあ、ここまでは良い。

別に、昔の事は昔の事。落ち武者狩りなんて、日本中何処でも行われていた。ましてや源平合戦など、八百年も前の事。

その時の殺人なんて、罪には問えないからだ。

問題は、その後である。

村を閉鎖的構造にし。

或いは、村の掟を破った人間に過剰な制裁を加え。

あまつさえ、それらを隠蔽。

調査に来た警官にまで、捜査妨害の数々を加えた。しかも、である。それだけで事が済むとは思えない。

「この近辺で行方不明事件が何件も起きている。 貴様らの仕業だな」

「な、何の証拠があって」

「山にある石像に、新しいものがある。 あの下に被害者を埋めたな。 昔から伝わる生け贄の一種だ」

完全に、青ざめた村長。

その通りだと、言っているも同然だった。

 

3、白日

 

すぐに、数十人体制で、調査隊が来た。

警官達が、山に入り込んで、石像を掘り返す。そうすると、出るわ出るわ、人骨が山のようにあふれ出てきた。

新しいものは、数年前のもの。

古いものは、数百年は経過しているようだった。一番古いものが。多分、平家の落ち武者達のものだろう。

なるほど、それでか。

多分平家の武者を鎮めるために。仲間を増やすという意味もあったのだろう。あまりにも、短絡的で。

そして、人の心を壊した場合。

子々孫々にまで、その影響が出ることが、よく分かる。

私の子孫にも、いる。未だに、私に対する憎悪を伝承し続けて。いつか私を殺そうともくろむ者達が。

村長の家に、捜査が入る。

此方も、色々と、出るわ出るわである。

従わない村人をリンチに掛けるための、拷問部屋まであった。最近使われたらしい拷問具は、血がしみこんでさえいた。

一方で、牧島の担当範囲のものもある。

一種の玉串のようなのだが。

私が触ると、びりりと来た。これはおそらく、あのおんぶおばけを打擲し、調伏するためのものなのだろう。

どっかの陰陽師か神職か、誰が作ったのかは分からないが。

まあ、重要な証拠だ。

村長の家には、行方不明者の所持品らしいものがごろごろあった。

換金して、村の財産に変えていたのだろう。

先祖代々。

逆らう者を、村ぐるみでリンチして。

場合によっては殺して、生け贄にし。

その財産を巻き上げて。

そして、村のコミュニティを強化するための素材にしてきた。反吐が出るやり口だ。閉鎖的な村落だったから、こんなやり方が、ずっと続いていたのだろう。

この村は終わりだな。

私はぼやく。

村長だけがやっていたとは思えない。周りの全員が荷担していたとみるべきだろう。もちろん、あの老駐在も。

だから、我々に敵意剥き出しだったのだ。

こんな環境で培われた同調圧力に、ずっと晒され続ければ、それはおかしくもなる。

此処の村が巧妙だったのは、近場の指定暴力団などと組まず、或いは田舎ヤクザの形態も取らず。

あくまで閉鎖的な村を装ってきたことだ。

だから警察の方でも此処はマークしておらず。

近隣の行方不明事件は、あくまで個別の事件として認識していたのだ。まあ、これは警察の失態とばかりは言えなかったが。

それに、医師さえいない状況で。

病死したと報告された人間が、実際には、というケースもあったようである。村長の家からは、隠し帳簿が出てきた。

其処には、粛正した人間のリストがあったのだ。

八百年にわたって粛正された人間が、合計で百十七人。

その中には、ここ三十年で殺された人間が、六人混ざっていた。

それにしても、叩けば埃とはこの事である。

県警は総動員体制で村を漁りはじめていて。平野警視から、もう引き上げて来いと言う命令まで来た。

正直、県警とぶつかり合うのは避けたいのだろう。

それに、此処で恩を売っておけば。

後々、県警を動かしやすくもなる。

平野は妖怪退治で実績を稼いできた人間では無く、こういう組織運営の政治力を買われて今の地位に座った男だ。

此奴がはな垂れの頃から知っている私としては、その判断力を信用もしているので、何も言わない。

県警の本部から、本部長が出向いてきた。現場を視察する本部長が、私を見かけて挨拶してくる。

ちなみに、私が九尾だと言う事は知っている。

本庁にはいないが、県警の本部長となると、当然キャリアだ。態度が尊大なおっさんだった。

やせこけていて、目の光だけがやたらと強い、印象的な顔立ちをしている。

「九尾の狐というのは君かね」

「金毛警部補であります」

「ふん。 難事件の解決、ご苦労だった。 後は我々に任せてくれたまえ」

「それで一つ。 この村に軟禁されていたおんぶおばけは、此方で引き取りますが、構いませんね?」

好きにしたまえと言い残すと、本部長は部下達の方へ行く。

胡散臭い狐と話すのは嫌なのだろう。

まあ、別にどうでも言い。

私としては、事件を解決できて。

そして、妖怪が不幸にならなければ良いのだから。

 

道祖神の所で。

膝を抱えて座っていたおんぶおばけ。昼間なので、体が透けかけているが、それは仕方が無い。

側には平尾と牧島がついていて。

連行されていく村人達が、此方を恨めしげに見ていた。

「勝手な連中だな」

「ずっと、怨念に縛られていたんですね」

「それもおかしな話だがな」

多分、最初は本当に、怨念が村人達を縛っていたのだろう。

だが、誰かが、気がついたのだ。

怨念を使えば、村を効率的に支配できると。

宗教を使って民を洗脳し、支配するのと、構図としては同じである。其処には、敬虔な信仰など存在しない

管理のためのシステム。

村長は、どうだったのだろう。それを分かっていて、使っていたのだろうか。正直、分からない。

或いは。村長ら支配体制の人間さえも。

いつのまにか、システムに飲み込まれてしまっていたのかも知れない。

はっきりしているのは、人間の方が、妖怪などより余程化け物じみている、ということだけだ。

「此処から動けるか?」

「ああ。 九尾様、今、人間の手先してるのか?」

「正確に言うと、妖怪化した人間を戻せるように。 妖怪化した奴を、不幸にならないようにしている」

「そうか。 九尾様は、昔と変わっていないんだな」

手を引いて、道祖神からおんぶおばけを動かす。

途中、近場の顔役妖怪に連絡。

電話を使える奴なのが有り難い。

おんぶおばけの話をすると。随分懐かしい名前が出てきたと、そいつも喜んでいた。まあ、そうだろう。

何百年も、行方不明だったのだから。

さて、どうするか。一旦あかねに連絡をして、それから。そう思った私だが。違和感が、急激に腹の奥にせり上がってくる。

おんぶおばけの手を握った瞬間。

何か、得体が知れないものを掴んだような感触があったのだ。

手を払って、跳び離れる。

不思議そうな顔をした牧島。

だが、牧島よりも。式神達は、先に異常に気づいていた。すぐに、全員が、牧島を守って方陣を組む。

へたり込むおんぶおばけ。

その全身から、とんでもなく真っ黒な力が、せり上がってくるのが分かった。

「怨念は、金になる。 支配できる力に変わる」

めりめりと、おんぶおばけの全身が、肉で内側からひび割れていく。

おぞましい何かが。

内側から、無理矢理おんぶおばけを変えていく。

「平家の武者なんてどうでもいい。 此処を我々の王国にするには、馬鹿な連中を洗脳して、恐怖を煽ってやれば良かった。 だから、俺は、連れてこられた。 見張りという題目で。 実際には、恐怖政治の道具として」

「下がれ!」

多分、珍しく本気で慌てていたはずだ。

おんぶおばけは。

今、村人達が此処を縛っていた妄執から解放された。そのフィードバックを、まとめて受け始めているのだ。

迂闊だった。

村の連中は。

おそらく知っていたのだ。

怨念なんて、実際には大した物では無くて。

それが、ものを効率よく支配するための。

馬鹿を黙らせるための。

権力者が、好き勝手にするための。

そして、考えるのが面倒な自分たちが。思考停止するための、都合がよい道具だと言う事を。

村の仕組みが崩壊した今。

今までたまりにたまった、本当の意味での怨念というか妄執というか。闇の力そのものが。

おんぶおばけに、とりつきつつある。

熱い風が吹き付けてくる。

何事かと、此方に来た警官に、平尾が来るなと叫んだ。

普通の警官には何も出来ない。

専門能力を持った、対応できるものが必要だ。人間に比べれば脆弱な妖怪だが。条件が整えば。

つまり、対応できる者がいない中で。

殺傷力が高い者が暴れたら。

それこそ、自然災害レベルの死傷者が出ることもある。

させるわけにはいかない。

今まで、どれだけ苦労して、妖怪の地位向上をしてきたか。此処で大規模災害なんて起こさせたら。

今までの苦労が、全て水の泡になってしまう。

もう、既に。

愛らしい童子の姿をしていたおんぶおばけは。元とは似ても似つかない、途方もない怪物に変わり果てていた。

全身は巨大にふくれあがり、手足らしきものさえない。

皮膚は弛緩していて、其処にあるのは無数の目。

薄緑色の皮膚は。ただ内部にある巨大な質量を支えるだけで精一杯。体を揺すっているが、身動きできるとは思えない。

牧島は完全に腰を抜かして、がたがた震えているし。

平尾は牧島を庇ってはいるが。

彼でさえ、恐怖に明らかな尻込みをしていた。

「な、何ですか、あれは! あのおぞましき姿は何という妖怪ですか!?」

「まずいぞ……」

あの形態は。というか、おんぶおばけが形態変化したあれは。

おそらく、百目。

そもそも実態がない妖怪で、伝承も残っていない。近年になって、ある著名な妖怪作家の活動が中心となって、知られるようになった存在だ。

原型となった妖怪には目々連やどどめ鬼と呼ばれるものがいるが。あの百目そのものには、ただイメージとしての姿しかない。

フィードバックした村人共の闇そのものが。

監視者として完全特化した存在に。強制的に、おんぶおばけを作り替えてしまったのだ。

平尾が、慌てて何度か失敗しながらも、あかねに連絡を入れる。

「避難急げ!」

私は、まだおろおろしている警官達に叫ぶ。

百目は、まだゆっくりと周囲を見ている状態だが。あれが本気で暴れはじめたら。

生唾を飲み込む。

感じる力は凄まじい。妖怪の力なんかの比では無い。

この村で、非人道的行為を続けてきた村人共の、自分勝手な妄執が作り上げた化け物の中の化け物。

放置していたら、文字通りどれだけの被害が出るか。

おんぶおばけは、良い奴なのに。

人間の都合でこんな所に連れてこられて。

そして、今まさに。

徹底的に、尊厳までもが踏みにじられようとしている。

これは、久々に全力で行くしか無いか。

全力を出しても、どうと言うことはできないけれど。それでも、出し切れずに何もかもが駄目になるより遙かにマシだ。

必死に警官達が、避難誘導をしているのが分かる。

そうしている間にも、おんぶおばけだった百目は更に巨大化して。その体は、爆発しそうなほどにふくれあがっていた。

否。

本当に、爆発するかも知れない。

そうなったら、多分この村は、全て消し飛ぶだろう。

「お前達、逃げろ」

「警部補は!?」

「何とかする。 知り合いなんだよこの子は。 放置して逃げられるか」

ありったけのスルメを口に入れると。

全力で、空気操作能力を展開。

一気に百目の元になっている妄執を、空に向けて逃がす。ジェット気流のように、凄まじい闇の力が、空へ奔流となって噴き出していく。

周囲の村々で、良くない事件が起きるかも知れないが。

此処が大爆発するよりはマシだ。

尻尾は。

ちらりと見るが、六本。

この程度しか、出せないか。

昔、九本出せたのに。必死の覚悟で六本だけというのは、何とも情けない。

式神四体が、不意に飛び出してくる。

爆発しそうになっている百目を東西南北から囲む。

「我四方の神に申し上げる。 穢れ多きこの存在を祓い清めたまえ。 汝らの大いなる力もて、哀れなる者に安らぎを」

詠唱が聞こえる。

これは、牧島か。

震えながらも、必死に印を組んで、玉串を払っている。

神道式か陰陽師のかは分からないが。

とにかく、式神を使って、私の手伝いをしてくれていると言う事だ。ふるべゆらゆらという言葉が聞こえてくる。

神の力を増幅する言葉。

百目が、周囲を完全に拘束され、絶叫する。

全身から、黒い力が溢れている。目玉が内側から吹き飛び。開いた穴からは、奔流のように、黒い力が噴き出す。

「逃げろと言っただろう!」

「避難誘導は、県警のメンバーだけで充分です。 本官は何をすれば」

「……っ」

最悪の場合。

爆破を最小限に押さえ込んで、私だけで此奴と心中するつもりだったが。それも出来なくなったか。

力が、押さえ込んでいる私も、容赦なく傷つけていく。囲んでいる式神達も、ダメージがどんどん大きくなっていく。

肌が破け。

服が切り裂かれ。

血が噴き出す中。

私は、視線だけで、崩壊しつつある百目を指した。

「あの目を、全部くりぬけ」

「目を、でありますか」

「そうだ。 あの目は、監視という言葉が具現化したものだ。 百目という妖怪と言うよりも、村人が行っていた怨念を出汁にした洗脳支配がそのまま形になったのが、あの百目なんだ。 だったら、存在そのものを壊すしかない。 危険だが、多分お前にしかできないだろう」

「分かりました! 警官としては本望であります!」

上着を脱ぎ捨てると、平尾が突進。

躊躇無く、ソフトボールほどもある百目の眼球に手を突っ込むと、引っこ抜いた。

栓を抜かれた風船のように、其処からどす黒い力が噴き出す。

噴き出す速度が上がれば。

内部でふくれあがっている黒い力が、周囲の全てを吹き飛ばすより早く。内部の力を、逃すことが出来るかも知れない。

だが、屈強な平尾も。

噴き出す力の奔流に吹っ飛ばされる。

私の浄化も、間に合わないかも知れない。

だが、平尾は立ち上がる。

牧島の詠唱も続く。

私は無理矢理スルメを飲み込むと、ありったけの力を、全て百目の押さえ込みに廻す。これで、少しは時間が稼げる。

その筈だ。

二つ目。平尾が、百目の眼球を引っこ抜く。

悲鳴を上げた百目が、絶叫しながら、体を揺する。その巨体は、既に全長十メートルを超えていた。

まるで薄緑の、目を無数に持つ肉の巨塔。

体を少し動かすだけで、辺りが激しく揺動する。

立っているのが精一杯だ。

牧島は怖いのだろう。目を閉じて、必死の詠唱を続行。既に全身は傷だらけだ。額からも、血が流れ続けている。

それだけ激しく力を使っているということだ。

私も、似たような状態。

平尾も。

七つ目の眼球を敵から引っこ抜いた平尾。

まるで海底の熱水噴出口のように。百目の全身から、黒い力が吹き上がり続けている。その凄まじさ。

私も、あまり見たことが無い。

妖怪の概念を超えている。

これは、人間が造り出す、大量破壊兵器なみだ。

十個目。

平尾が眼球を引き抜くと、百目の膨張がとまる。内部でふくれあがる力と、噴き出す力が、拮抗したのだ。

意識が飛びそうだが。

もう少し。

ばちんと凄い音がした。顔の横で、何かはじけた。左の耳が、丸ごと持って行かれたかも知れない。

だが、もう少しなのだ。

「平尾、もう何個か目玉を引っこ抜け! それで多分、勝負がつく!」

「応っ!」

荒々しい平尾のこたえ。

私は最後の力を振り絞って。

心優しい妖怪が変じてしまった、肉の巨塔を押さえ込む。左腕の感覚が、既に無い。血が、彼方此方から噴き出しているのが分かった。

百目が縮みはじめる。

ようやく、噴き出す力の方が、勝りはじめたのだ。

平尾が眼球を引き抜く速度も、上がり始めている。コツを掴んだのだろうか。だが、その巨体も、既に血まみれ。

膝をつく平尾。

肩を揺らして、息をしている。それだけ、怪我が深刻だという事だ。

私の力が、敵に勝り始める。

既に式神は消失。

牧島は意識を失い、血だまりの中に倒れている。

もう少しだ。

体の方は、出来るだけ見ないようにした。多分骨が出るような傷が、一カ所ならずついているはずだ。

見たら一気に集中力を持って行かれる。

崩壊していく百目。一つ、やたら禍々しい黒を持つ眼球が、上部についている。あれだ。あれさえ破壊すれば。

手を、目の前で合わせる。

指が何本か、あらぬ方向に曲がっていたような気がするが、どうでもいい。

空気を一気に圧搾。

まくろき目を、瞬時に押し潰した。

絶叫が轟く。

百目が、完全に、制御を失い。

その禍々しい全身を溶かしていった。

 

気がつくと、白い天井を見上げていた。

ぼんやりとしている内に、何となく何が起きたのか思い出せる。そうか。あの様子では、おんぶおばけは。

辺りに並んでいる、白いベッド。

四人部屋だ。他に患者はいない。私はと言うと、全身包帯でまきまきされていて、ミイラ男そのものだった。いや、ミイラ女か。

牧島や平尾も、多分似たような状態だろう。

点滴を見て、げんなり。

スルメが欲しい。

体を動かそうとして、激痛。

こんなにいたいのは、お庭番に追い詰められて、袋だたきにされたとき以来では無いだろうか。

苦笑いすると、体を起こそうとして失敗。

どうやら、身動きは出来そうになかった。カテーテルだけでも、ぬいてくれれば嬉しいのだけれど。

多分、私が起きたのに、気付いたのだろう。

看護師が部屋に入ってきて、色々聞かれる。処置を終えると、医師が来た。そして、状態を説明される。

「妖怪だと言う事でしたが、身体構造はあまり人間と変わりませんな。 そのまま処置が可能でした」

「本当に力を使い果たすと、何も残らず消えてしまうんだがな」

「そうですか」

一月は入院して貰う。

そう言われて、私はがっかりしたが。今更、何を言っても仕方が無い。これも仕事上での負傷だ。

あかねが入ってきた。

厳しい表情をしている。無茶をしたことを、怒っているのだろう。

「師匠、また随分と、酷い状態ですね」

「そうだろ? するめくれ。 ビールも」

「絶対駄目です」

「何だよ……あいたたたた!」

激痛。

あかねが何かしたのでは無い。

喋るだけで、傷に響いたらしい。

咳払いすると、あかねが、状況を説明してくれる。

牧島は少し前に意識が戻り、今はリハビリの最中。多分私より早く、退院できるという事だった。

それは良いことだ。

ただ、何しろ今回の事件で、本当に怖い思いをしただろう。警察で民間協力者として残ってくれるかは分からない。

平尾は意識がずっとしっかりしていて、もうすぐ退院できるそうである。

流石だ。

頑丈すぎて、本当に人間なのかさえ疑わしいが。

彼奴がいなければ、多分私が命を捨てて、百目を押さえ込むしかなかっただろう。助かった。

おんぶおばけは。

あかねが、首を横に振る。

おんぶおばけだったものは、小さな肉塊になってしまったそうだ。

後から来た、私が呼んでおいた飛騨の天狗が取りに来て、そのまま連れて行ったそうだけれど。

元に戻るかは分からない。

そうかと、私は嘆息する。

死ななかっただけでも、マシとするべきだったのだろうか。しかし、おんぶおばけが何をした。

夜道で相手に飛びついて脅かすだけの、無邪気な妖怪だ。

それがどうして、このような事に巻き込まれて。

そして、狂気を一身に浴びて、このような目に遭わなければならなかったのか。口惜しい。

苛立ちが、つのる。

「入院中、酒呑童子氏が来ましたよ」

「彼奴が?」

「言づてがあります。 大変だったな。 だが今回の件は、俺は関係無い、だそうです」

「……そうか」

本当かどうかは分からないが。

奴が置いていったらしいからすみは、冷蔵庫に入れてあるのだとか。それだけは、すこしばかり有り難い。

後は、幾つかの業務の話をすると。

あかねは病室を出て行った。

彼奴も多忙な身だ。私にばかり、構っているわけにも行かないだろう。大きく嘆息すると、私は目を閉じて、少しでも早く回復するように、眠ることにした。

白日の下に、狂気が晒されて。

結局、何か良いことがあったのだろうか。

これ以上犠牲者は出なくてもすむ。

それ以外の全ては。

文字通り、闇そのものに蹂躙されるところだった。きっと私は、後悔している。いや、そんなはずは。

私は、妖怪を不幸にしたくない。

それなのに。

気がつく。

いつの間にか、泣いていたらしい。手が少し動かせるようになっていたので、目をゆっくり擦る。

情けない。

千年を生きる大妖怪が、こんな事で動揺して、涙を流すなんて。

人間らしい感情が生きていると言えばかっこうよく見えるけれど。実際には、ただ脆くて弱いだけだ。

酒呑童子は、こんなぼろぼろな私を見て、笑って帰って行ったのだろう。

それもまた、悔しかった。

病室に誰か入ってくる。

松葉杖をついた、牧島だった。

「あ、警部補。 おきていらっしゃったんですか?」

「今な」

「随分うなされていたようでしたので、心配していました。 その、怖い夢でも、見たんですか?」

「自分の無力さを痛感してな。 情けないと泣いていたんだよ」

強がる余裕も無かった。

眉を八の字にした牧島は。

ベッドの隣に座ると、話してくれる。

「私、警察に残ります。 警部補のお手伝いがしたいです」

「そうか。 でも、今回ので分かっただろう。 危ないぞ」

「わかっています。 でも……」

何か言いかけたが、黙る。

そういえば、此奴。

いや、良い。此処でそれを指摘しても、やぶ蛇だろう。だから、それは此奴が話したくなってからで良い。

「あの百目が爆発していたら、戦術核並みの破壊が起きていたと聞いています。 それを止めた警部補は、やっぱり凄いです」

「私なんかに憧れるな。 どうせならあかねにしておけ」

「そんな事を言わないでください。 警部補は、立派です」

立派なものか。

ただの一人だって、子供をきちんと育てることが出来なかった駄目な親だ。

愛する男の死だって、殆ど見届けることが出来なかった。

妖怪のコミュニティだって、そうだ。

私がまとめていて、人間共から守れたか。守れなかったではないか。いまだって、妖怪の地位はとても低い。

人間の影に怯えながら。必死に、身をすくめて生きている。

私もそうだ。

利用価値が無くなれば、いつ消されるか。あの安倍晴明が、私がいらないと判断したら、今この瞬間にでも、殺される。

牧島を帰すと、私はやはり駄目だなと自嘲する。

私は。

無力だ。

 

4、昔なじみの

 

酒呑童子は、元々盗賊だった。

現在では、世界一安全で平穏なこの国も。昔は決してそうでは無く。社会の未成熟さもあって、泣かされる弱者は大勢いた。

酒呑童子も、その一人。

間引かれるところを逃げ出した子供。

山の中に分け入って。必死に動物たちと争いながら、生き延びて。

そして、人間を恨んでいる内に。

傾いて、妖怪になった。

同じような境遇の妖怪で集まって、大きな群れを作ったけれど。源頼光とやらに、一網打尽にされてしまった。

その頃には、西洋伝来の葡萄酒を手に入れる手段を得ていたり。

大陸にも顔が利く妖怪になっていて。

村を襲ったり。

人間を喰ったり。

勝てる相手はいないと思っていた。

だが、人間が本気になってしまうと、手も足も出ない。仲間も皆殺しにされて。かろうじて存在を保つ事が出来ただけ。

さまよっている内に。

彼奴と出会った。

九尾の狐。

そいつも、自分と同じように。

大妖怪でありながら。人間にはとても叶わないと、知ってしまった存在だった。

気がつく。

うたた寝をしていたらしい。

古くからのなじみである茨城童子が、車の運転をしている。九尾が入院した病院に、見舞いに行っていたのだ。

都内の大学病院で、九尾は。

酷いダメージを受けて、意識不明のまま、ベッドに転がされていた。

今なら簡単に殺せると思う反面。

忸怩たる思いもあった。

少し前から、九尾とは関係が完全に断絶している。だが、此奴とは似たもの同士。流石に今更愛も恋もないが。それでも、友情のような感覚はある。

何だか、古くからの友人が傷ついたようで、気分が悪かった。

どうせ殺すなら。

自分でそうしたい。

心底から、そう思う辺り。酒呑童子は、自分が歪んでいることは知っている。だが、それを悪いとは思わない。

「今回の一件、酒呑童子様は関係がないので?」

「俺が関係していたら、もっとスマートにやっていたさ」

「……そうですね」

茨城が、鼻で笑っているのがわかった。

酒呑童子は昔から失敗が多くて、初歩的な躓きも多い。大妖怪でありながら、その辺りが面白い。

茨城童子は、そう言う。

まあ、いわゆるドジッ子として愛されているらしい。

不快きわまりないが。茨城童子が有能なのは事実で、此奴を失ったら酒呑童子の周辺組織は瓦解してしまう。

「それにしても、百目か」

「有名な妖怪漫画家が知名度を上げた、創作妖怪ですね。 それがあれだけの力を持つようになると」

「今回は非常に特殊な条件が揃っていたとは言え、あまり面白くない事態が起きる可能性もあるな」

「……」

車が、酒呑童子の本拠に着く。

地下に作っている、麾下のカルト教団の本部だ。ちなみに此処が本部だという事は誰にも知らせていない。

見かけは、ただの古いビル。

エレベーターで特殊な操作をすると、地下二十階に行けるのだ。

茨城童子と一緒にエレベーターに乗り、地下へ。

地下は剥き出しのコンクリートが打たれたトンネルで。その左右に、幾つかのドアが並んでいる。

此処で、妖怪をかくまうのだ。

人間に追われている妖怪を、今まで十体以上、こうしてかくまってきた。三十年以上大人しくしていれば、平気という目算もある。

昔は確かにそうだった。

ただ今では、五十年はかくまわないと危ない。

ちなみに現状、かくまっている妖怪はいない。

九尾が大体どうにかしてしまうからである。

彼奴は、悔しいが、妖怪を人間に戻す手腕に関しては本物だ。多分火消し屋として、天性の才能があるのだろう。

トンネルの奧に、部屋がある。

最重要の案件を処理するときに使う場所だ。

このトンネルも、昔は土が剥き出しだった。今では、舗装までしてかなり頑強にしているが。

正直、失敗だったかも知れないと思っている。

土の洞窟の方が、雰囲気が出て良かった。

この辺りの些細な後悔も、茨城童子が笑いものにする、「ドジッ子」の部分なのだろう。あまり気分は良くないが。

「しばらく執務する。 誰も入れるなよ」

「了解」

茨城童子に外を任せて、執務に入る。

黙々と作業をしている内に。

殆ど誰にも教えていない内線が鳴った。

書類は一段落している。内線を取ると、あまり聞きたくない声があった。

「やあ。 久方ぶりだな」

「!」

ぞくりとくる。

その声は、同じ妖怪でありながら、人間世界の中枢に潜り込むことに成功した敵。安倍晴明。

最近は九尾をねちねち虐めていると聞いていたが。

まさか、今度は此方に狙いを定めたのか。

「な、何の用だ」

「そう怯えなくても良かろうて。 君に一つ、頼みたいことがあってな」

「何だ」

「ある妖怪が、潜んでいるのを確認している。 その場所を、この間九尾くんの活躍で、ほぼ特定できてね。 実際にいるのはほぼ確実だから、詳しい状態を君に見てきて欲しいんだよ」

わなわなと体が震えるのがわかる。

天下の酒呑童子が。

使い走りにされるというのか。

だが、断る選択肢はない。酒呑童子の組織は、今の時点で、とてもではないが対怪異部署とやり合える戦力を持っていない。

対怪異部署だけでも無理だ。

軍が保有しているような対怪異の道具類が出てきた場合には、もはやなすすべがないというのが実情。

つまり、逆らえないのである。

「一週間以内に頼むよ。 具体的な場所は……」

返事を聞かず、安倍晴明は電話を切る。

そもそも、内線で掛かって来たという事は、おそらく外部からこのビルに通話して、更に内線へ転送するという離れ業を使って来たことになる。

内線の番号も、知っていると見て良いだろう。

不快感を顔中に湛えたまま、部屋を出る。

茨城童子が腰を浮かせたが、視線でそのままでいいと告げて、話した。

「安倍晴明が掛けて来た」

「まさか。 此処の内線を把握されていた、ということですか」

「そうなるだろうな。 念のため、此処は引き払うぞ。 それと、俺は悔しいが、奴の言うまま調査に出なければならん」

「わかりました。 私が直衛に」

頷くと、すぐにエレベーターに向かう。

悔しいが。

妖怪は、人間に逆らえるだけの力を持っていない。

そして、人間の中に溶け込んで、好き勝手出来るようになっている安倍晴明は。おそらく世界一成功している怪異だ。

奴に逆らえないのは本当に口惜しくてならない。

部下達を守るためにも、今は動かなければならないのが、より腹立たしい。

すぐに飛行機を手配させる。

多分これは、酒呑童子がクドラクと手を組んだことに対する報復なのだろう。奴らしい陰険なやり口だ。

唾をコンクリの床に吐き捨てると、エレベーターに乗り込む。

「それにしても、あんなリアル修羅の国に、良くも潜む気になったものですね、彼奴も」

「そう、だな」

まあ、気持ちはわかる。

少し前に対怪異部署に分身を潰されて弱っていたと聞いている。力を蓄えるためにも、人間の負の力が必要なのだろう。

今回は、ひょっとして、八岐大蛇を使うつもりかも知れない。

彼奴が出てきたらもう最後だ。

妖怪では抵抗できない。

例え彼奴が、神代から存在している大妖怪中の大妖怪だとしても。

部下達に連絡して、留守中の事を任せると、茨城の運転する車で羽田に向かう。

結局の所、昔も今も。

自由など、得られたためしがない。

拳を車のドアに叩き付けたいが。

これがどれだけの値段をつぎ込んで作った防弾仕様かと思うと。出来なかった。

「車は、ひょうすべに回収させましょう」

「好きにさせろ」

本気で不機嫌なのを悟ったのだろう。

以降、茨城童子は。現地に到着するまで、何も言わなかった。

 

                              (続)