血塗られた手まり歌

 

序、黒の会合

 

日本にいる妖怪は。いや、世界にいる妖怪全てだけれども。基本的に人間に攻撃されると、ひとたまりもない戦力しか有していない。人間の方が、妖怪より遙かに強い。これは有史以来、一度も揺らいでいない戦力関係である。

古い時代は、妖怪化した人間が神々と呼ばれる事もあったようだけれど。

宗教というものが作られた頃には、既に力の差は逆転。

現在では、人間がその気になれば、一ひねりという程度の力しか、妖怪は持ち合わせていないのだ。

数がそもそも違う。

力だって、それほど人間より強いわけではない。

大妖怪と呼ばれる私だって。

全盛期の力があっても。多分人間で一番強い奴にはかなわない。それが、現実というものなのだ。

ただ、妖怪だって、黙ってやられているわけでは無い。

今日は会合の日。

持ち回りでリーダーを決めて、日本の有力な妖怪が集まるのだ。これに関してだけは、昔から人間は関与しないことが決まっている。必死の抵抗をした妖怪達が、長い年月を掛けて権利を勝ち取ったのである。

しかし、その必死の抵抗が、人間側の戦力を更に高めたのも事実で。

結局の所、皆の運命が風前の灯火である事には違いない。

会合の場所は、毎回変わる。

時には出雲で行われる事もあるけれど。

今回は東京の地下。

洪水などで、水害が起きたとき。水を受け入れる地下空洞がある。地下調節池と呼ばれるものだ。

この一つが、今回の会合場所。

勿論、天気は事前に確認しているし。急に水を流し込まれても逃げられるように、事前に対策はしてある。

最初に足を運んだのは私。

次に、護衛を伴って酒呑童子が来た。

私の周囲にも護衛はいるけれど、武闘派とは言いがたい。

更に、間を置かず各地の大物妖怪が来る。

とはいっても、此処にいる全員が束になっても、警察の対怪異部署の戦力には、とうてい及ばないのが現実だが。

酒呑童子と私は、一瞬だけ視線を合わせたが、それだけ。

この間の件は、それだけ大きな溝を、両者の間に作っていた。

酒呑童子がやったことについては、私の周囲の妖怪も知っている。半ば公然の秘密、と言う奴である。

私にその気は無いが、妖怪も派閥を作る。

酒呑童子による襲撃は、各地で隠棲している妖怪の中にも、少なくない亀裂を産んでいる状態だ。

一体何が目的で、あんな短絡的な行動に出たのか。

しっかり確認はしておきたいが、今はその時間がない。

咳払いすると、今回は司会である私が、周囲を見回す。

「これで全員か」

「鞍馬の大天狗がいない」

「ああ、またか。 あの爺さん、呆けたんじゃないだろうな」

「生憎まだ頭はしっかりしておるよ」

不意に、声が聞こえて。

列席者の中に、修験者の格好をした長身の老人が不意に姿を見せる。彼こそ、天狗の中の天狗。鞍馬の大天狗である。

各地に名高い天狗は数いるが、その中でも最強最古を誇る天狗。

咳払いすると、私は書類を取り出した。

「それでは、第899回の定例会議を始める」

この会議は。

昔、妖怪の代表者達が集まって、開催を決めたもの。例えどんな大妖怪でも、出席しなくてはならないと、義務化されているものだ。

最初に開催したときの代表者は、私では無かった。

当時に比べると、大妖怪と呼ばれるものも、相当数が減っている。いずれもが、人間によって討伐され、消滅してしまったのだ。

今とは比べものにならないほど、妖怪への攻撃が激しかった時代があり。相互に助け合うために作り上げられた仕組みだが。

しかし今となると。各地の妖怪の代表者が話し合うだけのものとなっていた。

人間を喰らうタイプの妖怪は、殆どが姿を消してしまっているし。

何より、食べるタイプであっても、人間を喰わずに済ましているのが現状なのだ。人間が圧倒的優位を構築している現在。そうしないと、妖怪は生きていけないのである。

議題を順番にこなしていく。

「奈良県の奥地に、また一つ山を確保した。 政府の承認も得ている。 飛騨の山中にいた妖怪を、七名ほど移そうと思っているが、どうだろう」

「反対する理由は無い」

妖怪は、比較的に数が安定してはいる。

しかしながら、やはり苦しい生活をしている者も多くて。私のように、稼いでいるものが中心となって、生活用の僻地の土地を確保している。最近の議題は、主にそれだ。

酒呑童子も挙手。

此奴も、私同様。僻地の土地を幾つも確保してきた経歴がある。

議題を廻す。

一瞬だけ視線が熱を帯びるが。

鬼の顔役は、むしろ淡々と、話し始めた。

「此方は、伊豆諸島の一つを確保した。 ごく小さな島だが、最低限のインフラは通っている。 比較的最近妖怪化したものを送る予定だ」

「順調だな」

勿論、コミュニティは政府に監視されている。

あまり大型化すると、政府から直接指摘が来るし。改善が見られない場合は、駆除されてしまう。

そうさせないためにも。

顔役達はこうして、努力を重ねているのだ。

「北海道の土地が、開発で買い占めの危機にあっている」

今回の、最大の議題はそれだ。

大きなリスの姿をしているのは、北海道の大物妖怪。害獣として認識されているリスは邪神の一種とされ。

その使いである妖怪は、かなりの上級として認識されているのだ。

「先ほど、確保したという話があった地に、最低でも七名の妖怪を移したい。 構わないだろうか」

「七名程度であれば、どうにかしよう。 ただし、北海道とはかなり気候が異なっているが、大丈夫か」

「出来れば、東北辺りにも、土地を確保して欲しい。 廃村を買い上げる計画があったと思うが、進展は」

東北の顔役をしている妖怪が、首を横に振る。

高速道路の計画が持ち上がってしまい、買い占めはほぼ不可能になってしまったというのだ。

何もかもが、上手く行くとは限らない。

咳払いした私が、挙手する。

「分かった。 私が代替案を準備する。 その間に、北海道での移住計画を進めて欲しい」

「いつも済まないな、九尾の」

「何、困ったときはお互い様だ。 最悪、今まで確保している土地に移って貰う手もある」

ただ、東北の僻地は、何処も過密気味だ。

妖怪はむしろ田舎の方が、密度高く済んでいるからである。

出来ればもう少し土地を多く確保したいのだけれど。

政府が目を光らせている以上、派手に土地を買いたたくわけにもいかない。あまり広い土地を確保することも出来ない。

苦しい中、だましだましやっていくしかないのだ。

何しろ、大物妖怪でさえ、政府に言われたら住処を出ていくしか無いのである。

妖怪の弱い立場では、そうしてやっていくしかないのだ。

議題が全て出そろう。

「他に何かあるか。 無いなら、解散としよう」

「一つだけ気になる事がある」

挙手したのは、遅れて来た鞍馬の大天狗だ。

咳払いすると、彼は。私と酒呑童子を、交互に見た。

「酒呑童子の。 お前さん、なにやら海外の勢力と手を組んだという話があるそうだが、身に覚えは?」

「知らん」

「ならば良いのだが。 ただなあ。 儂の配下のカラス天狗が、吸血鬼を最近見かけることが多くなったと報告してきているのだよ」

にわかに、場が色めきだつ。

吸血鬼は極めてメジャーな大陸の妖怪だ。

戦闘力はそれほどでもないが、その組織力がとにかく強い。資金力に関しても、この国の妖怪とは比較できない。

酒呑童子は不愉快そうに口を引き結んでいるが。

鞍馬の大天狗は、遠慮しない。

「今日遅れたのも、その確認のためでな。 確かに、吸血鬼がこの国に入り込んでいるのは確かなようだ。 見つけ次第、通報してしまっても構わないな?」

「好きにすると良いだろう」

「よし、ではそうしようか」

他の顔役達も頷くと、順番に消えていった。

最後に、私と護衛達。酒呑童子と、護衛達が残る。

酒呑童子は、咳払いした。

「何だか騒ぎが大きくなってきているようだな、九尾の」

「それはそうだろう。 私が襲撃を受けたのは事実なのだ。 妖怪同士で争っている余裕など、あるわけもないのにな」

「……」

「何をもくろんでいるかは分からんが、酒呑童子。 無茶をすれば、それだけ他の妖怪達も迷惑を被る。 それだけは忘れるなよ」

酒呑童子が、護衛達と一緒に消える。

私は嘆息すると、スマホであかねに連絡を入れた。

「今、会議が終わった」

「何か問題はありましたか?」

「特にないが。 妖怪の間でも、酒呑童子のきな臭い動きと、クドラクの暗躍は、話題になっているようだな。 鞍馬の大天狗が、酒呑童子に直接その話を振ったから、冷や冷やした」

実際にはおもしろがって見ていたのだけれど。

流石に不謹慎だから、表には出さない。

問題は、酒呑童子が具体的に何をもくろんでいるか、だが。それについては、まだ推測の域を出ない。

「とにかく、酒呑童子の動きは要警戒です。 今後は常時監視を付ける予定です」

「その辺りは、頼むぞ。 油断だけはするな」

「分かっています」

通話を着ると、巨大地下空間を出て、外に。

昔は、明かりが怖かった時期もあった。だが今は、日光を怖いとは思わない。

護衛達とは、此処で別れた。

流石に酒呑童子が何をもくろんでいるとしても。多数の人間が見ている中で、仕掛けてくるほど愚かでは無い。

大陸の妖怪に到っては、強い日光を苦手としている始末。

吸血鬼は特に顕著で、日光を浴びると極端に力が低下する。弱い奴になると、灰になってしまうほどだ。

駐車場で、借りておいたハイエースに乗り込む。

しばらく運転席でスルメを噛んでいると。

スマホに連絡があった。

意外なことに、鞍馬の大天狗からである。少し前にスマホを渡して、メールの使い方も教えておいたのだけれど。

あれ以来連絡がなかったので、使いこなせているか不安視していたのだが。

「九尾の。 先ほどの反応を見る限り、酒呑童子は何か馬鹿な事をしていると見て良さそうだな」

「最大限の警戒をしてくれるか」

「ああ、それは構わない。 ただ、な」

カラス天狗の中に。

現状の、人間には抵抗できない状況を良く想っていない一派がいるという。まあ、それについては分かる。

私だって、現状には良い気分はしない。

だがその一派に、妙な動きがあると言うのだ。

「大陸の吸血鬼が、鞍馬山の近辺で目撃されている。 何だか動きがきな臭いとは思わぬか」

「警戒するように、対怪異部署に通達しておく」

「うむ……」

通話を切る。

さて、これは面倒な事になった。

実のところ、私は吸血鬼はそれほど危惧していない。

問題は吸血鬼と対立している者達だ。

一神教の、いわゆるエクソシストと呼ばれる対怪異能力を持つ連中は、とにかく手段を選ばない事で有名だ。

連中の介入を許したら、おそらく相当に面倒な事になる。

それだけは、なんとしても避けなければならない。

酒呑童子が何をしようとしているかは分からないが。奴の抱えているカルト組織の内部にかくまわれている妖怪を、戦闘要員として動員したとしても。対怪異部署には全く歯が立たない。

軍まで出てきたら、その時点で完全にアウトだ。

数を多少増やしたところで、それに変わりは無い。

不平分子を集めたところで。

何が出来るわけでもない。それは、酒呑童子としても、分かっている筈なのに。どうして、こんな無為なことをしているのか。

分からない。

ハイエースを出して、帰路を急ぐ。

今日の会合も疲れたし。これから、忙しくなる予感がある。

引っ越したばかりのアパートに辿り着くと、私は。

この間団が持ってきたつまみを口に入れながら、ビールを探した。買い置きがない。舌打ちして、スルメだけでしばらくは過ごすことにする。

ごろんと横になって、色々と、今後の事について考えて行く。

1000年の時を経ても。

生きることに不安だらけな事には、代わりは無い。

 

1、手まり歌の郷

 

対怪異部署の抱えている案件の内、未解決のものがまた私の所に廻されてきた。現状、無害な怪異が発生し続けていて。

なおかつ、解決の糸口が見えないものは、幾つもある。

実際に人を食うような妖怪が、優先的な対処相手なこともあって。この手の難易度が高い上に危険度が低い怪異は、後回しにされがちだ。

私は、この間部下にした平尾と牧島を連れて、現地に急ぐ。

特に牧島は、通っている公立高校から、そのまま連れて行った。校門に横付けしたハイエースを見て、流石に生徒達は慌てたようだが。私と平尾が警察手帳を見せたので、安心した様子である。

まあ、この国が権威主義なのは、昔からだ。

「警部補、自分が運転を代わりましょうか」

「んー、そうだな」

高速のパーキングで、有り難い申し出があったので、言葉に甘えることにする。私の運転は若干雑なので、牧島が青ざめているのを見かねたのかも知れない。ちなみに車酔いである。

助手席に移った後、牧島に銀丹を渡して、酔いにくくなるアドバイスをする。牧島はこくこくと頷いて、とても小さな手で銀丹を受け取った。背丈だけではなく、手も小さい。この娘っ子は発育が少し心配だ。

「少し楽になりました」

「そーか。 それは良かった」

「時に警部補。 今回の案件は、一体何なのでしょう」

「七不思議という奴だな」

今向かっているのは、山間の学校。

生徒数が二十名という、僻地の学校だ。一応小中学校は別になっているが、規模から考えて、いつ統合になってもおかしくないだろう。

昔は二百名ほどの生徒がいたこともあるらしく。それなりに立派な校舎があるのだけれど。

今では完全にもてあましていて、教室の殆どは使っていないそうだ。

その教室の一つに。

出るのである。

「通称ドリブラーという奴だ」

「ドリブラー、でありますか」

「そうだ。 夜中に、ボールをドリブルしている子供の姿が目撃されている。 ちなみにサッカーでは無くバスケットボールな。 で、近づいてみると、子供の頭がない」

嫌な予感がしたらしく、牧島が青ざめる。

そして私は、淡々と、現象を告げた。

「近づいてみると、子供がドリブルしているバスケットボールは。 恨めしそうな目をした、生首なのさ。 子供のな」

「ひっ!」

「おいおい、対怪異部署の人間が、その程度にびびるな」

牧島が大げさに驚いたので、私は呆れた。

途中のパーキングで千早に着替えさせたから、もう仕事の体制に入っているはずなのに。何とも情けないことである。

「とにかく、今も怪異は収まっていない。 何度か出向いた対怪異部署の人間も、問題は解決できなかった」

「払うことは出来なかったのでありますか」

「どうにもとらえどころがないようでな。 報告書を見ると、妖怪を退治するための装備を持って出向くと、姿を消してしまうらしい。 しかも痕跡も残さずに、だ。 しかし、しばらくすると、また現れる。 痕跡を確認できず、姿も見せないのでは、退治のしようが無いというわけだ」

「や、厄介、ですね……」

牧島を一瞥。

一応、仕事をしようというつもりにはなっているらしい。まあ、それならば、良いだろうか。

高速を降りる。

山道に入った。これから曲がりくねった路を、しばらく行く事になる。路は狭い上に荒れているけれど、ハイエースはエンジンのパワーがあるから、多分大丈夫だ。

今日借りてきたのは、緑色のハイエース。

かなりインパクトのある見かけだけれど。私はハイエースが好きなのであって、色はどうでもいい。

高速から降りて、更に一時間。

現地に到着。

丁度、連休に入っていると言うことで、人気は少ない。都会の学校ならば、休日でも教師が連日詰めているものだけれど。流石に規模が小さい田舎の学校だ。宿直の教師しかいない。

しかも、ドリブラーが出る教室に関しては、近よりもしないと言う。

これらも、報告書にあった。

ハイエースを駐車場に止める。

山深いだけあって、自然の香りが濃厚だ。背伸びして、かぐわしい緑を堪能する。私は、都会よりこういう場所の方が好みだ。

「懐かしいです。 修行した場所を思い出します」

「牧島君は、こういう所でその不思議な力を身につけたのか」

「はい。 お父様とお母様に連れられて、出向いたところで2年ほど。 ずっと修行していたわけではなくて、その間も学校には行っていましたけれど」

本物のお嬢というわけだ。

この子は対怪異能力者としては、サラブレッドと言って良いのだろう。良い育ちに素晴らしい教育。

今はまだ経験が足りないが。

後何年かすれば、対怪異部署のエースになるのかも知れない。

事務所に出向く。

宿直の老教師が、出迎えてくれた。今までも何回か来た対怪異部署の事は覚えていて、話はスムーズに進んだ。問題の教室に向かいながら、説明をしてくれる。

教室は、校舎の三階。

一番奥にある。

コンクリではあるが、古い校舎だ。床などは木張りになっている。埃が積もった教室には、もう使う事も無いだろう机と椅子が並んでいる。

窓硝子にまで、埃が積もっている状態だ。

「最近は昼も出るようになりましてな。 この間は清掃の業者が目撃して、二度と掃除はしたくないとクレームを入れられましたよ」

「ふむ……」

腕組みして、考え込む。

確かに妖怪の痕跡がない。というか、本当に此処に怪異が出るのだろうか。

資料を見る限り、信頼出来る人間の目撃例もある。完全に知識がない第三者も見ている。しかし、である。

一応念のため、力を込めた空気を張り巡らせておく。

「何か感じますか、警部補」

「それがなあ。 本当に此処に出るのかと聞きたくなるくらいだ」

宿直の老教師を帰らせる。

交替で見張ることにする。二人一組で、一人ずつ休憩に行くようにするのだ。妖怪は明かりがあると出にくくなるものだが。此処に出るドリブラーは、昼間にも出るような輩だ。明かりは気にしなくても良いだろう。

「しばらく二人で見張っていてくれ。 私は近場の稲荷に行ってくる」

「はあ。 それはかまいませんが」

「何かあったら連絡しろ」

あくびをしながら、教室を出る。

ポッケを探って、出てきたスルメを口に。もむもむしながら、学校をじっくり見て廻る。特に、怪異らしい怪異はない。

途中、別の部屋でちょっとした妖怪の気配を感じたが。

それは、未知の存在では無い。

咳払いすると、姿を見せたのは。小柄な毛むくじゃらの妖怪である。大きさは小型犬程度だが、二足歩行で、毛むくじゃらの中に丸い目が二つある。

すねこすり。

歩いていると、足下に不可思議な感触がある。少し歩きにくくなるが、ただそれだけの無害な妖怪だ。

岡山の出身妖怪だが、近年は知名度が上がったこともあり、全国に類例が見られるようになっている。

つまり、アーキタイプが拡散し。

傾いて、すねこすりになる人間が増えた、という事だ。

「お前、かなり古い妖怪だな。 此処には何時からいる」

「あんたは、確か、九尾のきつね、だな」

「そうだ」

「おれ、80年くらい前から、この近所にいる。 何も出来ない、無力な妖怪だ。 いじめないで、くれ」

毛玉は、そうたどたどしく言う。

調べてみるが、かなり傾いていて、人間に戻るのは無理だ。妖怪としては、250年程度は生きていると見て良さそうである。

「大丈夫だ。 人間に悪さをしないようなら何もしない」

「しないしない」

「そうか、私も妖怪が不幸せになるのは見たくないんだ。 人間に手を出しても、妖怪では勝てないからな」

すねこすりを連れて、学校を出る。

学校が心地よいというわけではなくて、単に住んでいると言うだけらしい。話を一つずつ聞くが。

ドリブラーについては、分からないと言われた。

「何か出るのは知ってる。 でも、話した事は無い。 出るようになったの、結構最近の、話」

「もう少し詳しく教えてくれるか」

「分かった」

稲荷神社に着く。

奧の殿に上がる。ほこりっぽいけれど、このくらいの方が私には過ごしやすい。すねこすりも気にしなかった。

眷属はいるが、まだかなり若い。子狐の姿をしていて、力もごくごく弱い。媒体としてしか使えないだろう。

神体を背中に座ると、子狐を膝に乗せる。私の前に、すねこすりはちょこんと座った。

子狐をもふもふしながら、話を聞く。

すねこすりは元々あの学校が出来るかなり前から、地元に住み着いていたという。学校というものが産み出す負の気配が心地よくて、学校を居場所にしていたとかで、別に悪さはしていなかったそうである。

まあ、此処は田舎だ。

人間関係の醜悪さは、言語を絶するものがある。

確かに、闇を居場所とする妖怪には、住みやすい環境だろう。

人間が減ってきて、更に閉鎖的な環境になってきた最近。学校に、妙な気配が入り込んできた。

此処十数年のことだとか。

「姿を見たか?」

「見ていない。 ただ、人間が時々、大騒ぎしていた」

「そうだろうな。 昼間にも姿を見せる事があるという話だからな」

「でも、おれは、見ていない」

はて。

人間には姿を見せて、妖怪には姿を見せない妖怪。

どうにも妙な話だ。

すぐにあかねから貰った資料を確認する。

この辺りは典型的な閉鎖的集落で、人間関係は極めていびつ。イジメ殺された人間の話や、行方不明者の話は珍しくもない。

様々な資料がある。ドリブラーの目撃例がある60年ほど前から、妖怪化した候補とされる人間は三十五名ほど。

そのうち十五名ほどが、子供だ。

ただ、子供の幽霊の姿をしているからといって、正体が子供とは限らないのが、妖怪の難しい所。

その辺りはあかねも理解しているから、資料には抜かりがない。

写真がない関係者もいるけれど。

全員を順番にすねこすりに見てもらう。

だけれど、すねこすりは小首をかしげるばかり。

「此奴、知ってる。 他の人間達に虐められて、林の中で首をくくった。 でも、此奴の気配、学校には無い」

「そうか。 酷い話だな」

「おれも、人間世界に、居場所ない。 妖怪になってしまえば、良かったのに」

「それは……違うぞ」

すねこすりは良いかもしれない。

しかし、孤独に耐えられる奴は、それほど多くない。実際孤独に耐えられず、凶行に及んだ妖怪は散々見てきた。

妖怪になることは、幸運なことでは無い。

勿論問題なのは人間社会の歪みと矛盾だけれど。

必ずしも、妖怪になって逃げてしまうことが、問題を解決するとは限らないのだ。

「他の資料も見てくれ。 どうだ」

「多分、この中の気配、一致しない」

「そうか……」

子狐を膝から降ろすと、私は学校に戻ることにする。二人が、何か新しい情報を掴んでいるかも知れないからだ。

稲荷の鳥居で見送る子狐に手を振ると、すねこすりと連れだって学校に戻る。

「九尾、おれ、何かされるのか」

「大丈夫だ、何もさせない」

「そうか。 あの学校、住んでいて良いのか」

「人に悪ささえしなければな。 ただ、学校も古いし、その内取り壊されるかも知れないが」

スルメをポケットから取り出すと、口に放り込む。

物欲しそうにしていたので、少し分けてやった。スルメは好物だと言って、食べ始めるすねこすり。

無害な奴である。

学校に戻ってくると、二人が調査を進めていた。

牧島が最初に私を見つけて、小走りで来る。運動神経はお世辞にも良いとは言えないようで、転びそうだった。

そう思ったら、べしゃと転ぶ。

体が小さくて柔らかいからか、歯を折りそうな転び方はしなかった。ただ、千早が埃まみれである。

恥ずかしそうに埃を払う牧島。

咳払いすると、私はすねこすりを紹介する。すねこすりに丁寧に自己紹介する牧島を横目に、私は妙なことに気付いた。

「牧島、式神は飛ばしているのか?」

「はい。 今、学校中を探させています」

「例の教室は」

「一人張り付いていますけれど……」

すねこすりも変な気配があると言う。

多分、ドリブラーだ。あかねを促して、三階に。例の教室の前につくと、ドアに手を掛ける。

中の式神は、反応していない。

踏み込む。

何もいない。おかしい。確かに此処で、妙な気配があったのだけれど。牧島も遅れて入ってくるけれど、小首をかしげた。

「おかしいですね。 私もなんだか、背中がぞわぞわしたんですけれど」

「思った以上に手強そうだな」

聞き込みをしている平尾と、合流した方が良いかもしれない。

すねこすりには、いざというときにはすぐに頼るように言って。私は牧島と連れだって、一旦学校を出た。

 

ハイエースに戻ると、牧島と二人で情報を整理する。

まずは学校の見取り図。

前に提供されているものと代わりは無いけれど。式神が探査したところに寄ると、使われていない部屋があるという。

しかも、おあつらえ向きに、地下にだ。

ただし、こんなものくらい、以前の調査でも発見されている。報告書を見る限り、前の調査でもきちんと人の手が入っているようだ。

色々見てみるが、新しい情報はない。

ただ、正体が妖怪にさえ分からないドリブラーが、まだ存在していることだけは確か。救ってやるにしても退治するにしても。

そもそも正体が掴めない所か、対面さえ出来ないのでは、どうにもならない。

腕組みする私が、ポケットに入れていたスルメをかなり消耗した頃。

申し訳なさそうに、牧島が言う。

「今回は危険度が低い仕事だと聞いています。 どうして、わざわざ優先順位が上げられたんですか?」

「生意気なこと聞くようになったなあ」

「え……? そ、そんな。 すみません」

「ちょっとスルメ買ってきてくれるか? 後ビール」

ビールは駄目だと即答された。

何でも出る前にあかねに釘を刺されているそうで。私にビールを飲ませたら、百叩きの刑だとか。

面白いので、百叩きの刑を見てみたいけれど。

まあ、気の弱そうな牧島には、死活問題なのだろう。可哀想なので止めておくことにする。

近くの駄菓子屋にスルメを買いに行く牧島を見送ると。

入れ替わりに、平尾が戻ってきた。

かなり分厚い資料を手にしている。此奴、本当に根っからの警官だ。足で稼いで、しっかり情報を集めてくる。

ひょっとすると、今でも。

「こんな部署」でなくて。ちゃんとした警官として、人々を守りたいのかも知れない。

私としても、その気持ちは理解できるから、平尾にああだこうだ言うつもりは無い。

「聞き込みをしたところ、学校関係者のほぼ全員がドリブラーを見ています。 ただ妙なことがありまして」

「いってみろ」

「はい。 どうも、知っている子供では無いと、皆が口を揃えている、という事です」

平尾は、モンタージュまで作ってきた。

ごつい大男だというのに、かなり上手い。この辺り、必死に練習して、スキルを磨いたのだろう。

さて、ドリブラーの面相だが。

見たところ、ごく平凡な男の子だ。子供好きがよだれを流しそうな美少年でもないし、野性的な元気な子供でも無い。

丸顔でちょっときつね目の、何処にでもいそうな子である。

問題は、学校関係者の証言。

そうなると、この近辺の人間が妖怪化したのでは無くて、他から流れてきた、と言う可能性もある。

「モンタージュを見せたところ、この子に間違いないと、複数の証言が得られましたので、多分これで問題ないでしょう」

「うむ」

「そもそもバスケットボール部が、この学校にあったためしがないそうです」

平尾の調査は細かい。

こいつ、かなり有能だ。ただ、こんな使える奴を、私みたいな自堕落狐の部下にしておいて良いのだろうか。

対怪異部署には相当数がいるけれど。

それでも、警官は全体で見れば人手不足だ。

「この子のモンタージュを、廻しましょうか」

「そうだな、やってみて損は無いだろう。 頼むぞ」

「分かりました」

平尾が飛び出していく。

多分近くの県警に行くのだろう。いずれにしても、この事件、すぐには解決しそうにない。

あくびをすると、ビールを探して辺りをまさぐるが。当然無い。

実はこっそりハイエースに積み込んでいたのだけれど。牧島に隠されてしまったのである。

勿論口にはしない。気分の問題で、ビールを触りたいだけである。ただ、それも出来ないようにされてしまったので、ちょっと悲しい。

口をとがらせて、ごろごろしていると。

不意に、ハイエースを覗く気配。

さて、おいでなすったか。

そう思ったけれど。顔を上げても、子供が此方を覗き込んでいるような雰囲気は無い。一体何なんだ。

シャイというのとは、少し違う気がする。

スルメが尽きたこともあって、私はうんざりしながら、ハイエースを出た。すねこすりにはもう話も聞けそうにない。

さて、どうするか。

目を細めたのは。

霧が出始めたからだ。

学校の周囲が、ミルクに沈んだように。深い白の幕が、周囲を覆い始める。

出るかも知れない。

というよりも、いる事は確定なのだ。問題は、どうして今まで来た対怪異部署の面子にも、我々にも、姿が捉えられないか。

ずっとここに住んでいるすねこすりさえ、見たことが無いのか。

それらをクリアしないと、まず遭遇する事さえ出来ないだろう。

牧島が戻ってきた。

するめをたんまり抱えていた牧島だけれど。足下が危なっかしい。スルメをどばっと撒かれたら大変だ。

ひょいとするめの袋を取り上げると、早速少し口に入れる。

喰うかと差し出すが。

牧島は可愛らしく、首を横に振った。

「何だ、ちょことかがいいのか?」

「そうではなくて、今は仕事中なので」

「硬いこと言うなよー。 張り込みの最中とかも、あんパンとか食べるじゃないか」

「そうなんですか?」

此奴、面白いな。

真に受けて、色々面白い知識を仕込めそうだ。

それよりも、である。

この異常な霧が気になる。ただ、ドリブラーが出るときに、霧が出ていたというような話はない。

ひょっとして、別の妖怪か何かか。

宿直の教師は、嫌がって三階には行かないだろう。

平尾は今県警に行ったばかり。牧島を促して、二人で三階に行く。

周囲はかなり暗くなってきている。

山間の学校だし、無理もない。

校舎に入ると、外が真っ白だ。明かりはついているけれど、非常に幻想的。悪く言えば不気味である。

牧島は式神を呼び寄せて、既に件の教室に入れているけれど。

やはり、妙な反応はないという。

三階にまで上がって、奧の教室に向かう。

どすん。どすん。

音がする。

これは、いる。

気配もある。でも、牧島は首を横に振る。式神は、そんな存在を感知していないというのだ。

教室に踏み込む。

音が、ぴたりと止んだ。

式神が困惑した様子で此方を見た。積み上げた机の上にとまっている式神は、大きな鷲の姿をしている。ただ、牧島の好みを反映するような、丸っこくて可愛らしい鷲だが。

「今の音は」

「え、ええと」

牧島が、式神と意識を通じさせて、言葉を翻訳する。

それによると、やはりこの場には何ら気配も無し。音も、していなかったというのだ。

大きく唸ってしまう。

スルメを口に入れながら、もう少し辺りを探る。気配は今でも残っている。というか、この部屋は私の力を込めた空気で覆ってもいる。

それなのに、どうして姿を捉えることが出来ない。

妖怪の中には、姿を隠すことに特化した奴も確かにいる。だがそれにしても、これは異常だ。

困り果てた牧島の肩を叩くと、私は部屋を出るように促した。

「このままじゃあ駄目だな。 一旦対策を練る」

「はい」

牧島も、いい加減気味が悪くなっていたらしい。

式神を促すと、小走りで私について、部屋を出た。

 

2、赤い霧

 

平尾が戻ってきたので、ハイエースを移動させる。

学校の駐車場から、稲荷神社の側に、だ。

ちなみにこの稲荷神社、警察で管理している物件なので問題は無い。

ハイエースは内部空間が広いので、中でくつろいだり出来るのが良い。するめをもむもむしている私に、平尾は咳払いした。

「何か進展はありましたか?」

「それが全く無いんだよなあ。 とにかく霧を掴むようで、姿が捕らえられん」

「本当です。 その、部屋の外からは音が聞こえているのに。 中に入ると、誰もいなくって」

きつねに化かされたようですと牧島が言ったので。

私も流石にげんなりした。

なんで私があんな事をしなければならないのか。どうせやるなら、部屋の中にいきなり露出狂を出現させて、初な牧島を卒倒させたりとか楽しい事をする。あんな風に回りくどくて楽しくないことは、私はしない。

さらりとそう言ったので、牧島はどんびき。

その場でさめざめと泣き始めてしまった。

困り果てた平尾が、咳払い一つ。

流石に、小柄で可愛らしい女の子を泣かせるのは、気分が悪いのだろう。私だって、気分が悪い。

「悪かった。 冗談だ」

「それよりも、警部補。 モンタージュを検索してきた結果ですが」

「ん、どうだった」

「似た失踪者が三名います。 ただし時期が合わない二人を除外すると、該当は一人ですね」

でかした。

そういうと、該当データを見る。

ドリブラーが出現する少し前に、東北で失踪した男の子だ。年齢や背格好は似ているし、何より顔がそっくりである。

平尾に言って、すぐに聞き込みをさせる。

この子で正しいか、である。

牧島はようやく泣き止んだので、此方には此方で、別の事をさせる。二人で一緒に稲荷神社に。

眷属の子狐を見て、牧島は目を輝かせた。

本当は、野生の狐には寄生虫がいて危ないから触ってはいけないのだけれど。霊狐だから、別にその辺りは問題ない。

抱きしめて幸せそうにしている牧島を邪魔しては悪いと思ったので。

牧島の式神に声を掛けて、奧の殿に。

平尾が割り出してきた関係がありそうな失踪者の写真を床に置くと。眷属を媒介にして、空気を練る。

気配を抽出し。

より、敏感に察知できるようにするためだ。

「お前達に、私の力の一部を渡す。 これで、この子供の気配を察知できるようになった筈だ」

式神達が頷く。

これで、準備は整った。

平尾には警察らしい捜査をさせて。

私は妖怪らしい方法で、準備を整えて。

牧島に、式神を使った調査をさせ。相手を捕らえる。これが綺麗に連携できれば、流石にこの難事件も解決できるはず。

さて、今度こそどうだ。

学校の周囲は、霧が消え始めている。

ハイエースで移動。

学校に戻ると、もう夕方を過ぎていた。そろそろ、夜になる。宿直の教師も交代していた。

既に話は聞いているらしく、引き継ぎもスムーズに済む。

今度の宿直もかなり年老いた教師である。

というよりも、皆の老齢化が進んでいるのだろう。

平尾が話を聞いているが、どうやらドリブラーの人相は、モンタージュの子でまちがいなさそうだ。

牧島と一緒に、件の教室に。

変な気配は、相変わらずある。

真ん中に座り込むと、私はタオルケットを広げた。横になって、スルメを口に入れる。となりにちょこんと座る牧島。

部屋の四隅には、式神が待機。

「牧島、どうだ。 いそうか」

「分かりません。 ただ、何だかおかしな気配は、ずっとあるように思えます」

「そう、だな」

おかしいのは、ドリブラーがいるとして。

そいつが、此方を見ている雰囲気がない、という事なのだ。奴にしてみれば、此方は住処への侵入者。

許せる存在では無いはずなのに。

具体的に言うと、侵入者である筈の我々に、興味を見せている様子が無い。しかし、平然と此処に居座っているとしか思えない。

平尾が来る。

教室を見回すと、目を鋭く光らせた。

「なにやら面妖な気配がありますな」

「そうだ。 それが分からない。 どうして妖怪である私にさえ見えないのかな」

「本官には分かりかねます」

「ああ。 お前はいざというときに、相手を取り押さえてくれればそれでいい」

どっかと、側に平尾が座ると。威圧感で壁が出来たかのようだ。

元々大して広くもない教室。

空気はお世辞にも良くない。

タオルケットでくつろいでいる私が、スルメを差し出す。

「喰うか?」

「後にします」

「何だよお前もか−。 つれないなあ」

「あ、あの」

牧島の声が震えている。

弾かれたように飛び起きた私と、平尾が振り返る。

其処には。

もやのような何かがいた。

ようやく姿を見せたか。

だが、生首でドリブルをする子供の幽霊では無い。何というか、主体性が無い、霧のような姿だ。

即座に式神が四方を包囲。

私も埃を払って立ち上がると、慎重に近づいていく。

平尾はと言うと、構えを採ったまま、牧島を守る体制だ。私は守らなくても大丈夫だと考えているのだろう。

「あー。 ようやく会えたな」

返答はない。

というよりも、やはり此方には全く興味が無いとしか思えない。気配が希薄なのでは無い。

実際に対面して分かった。

此奴、周囲に対して、とんでも無いほど興味が無いのだ。

だから、気配を察知しづらい。

ただ、分からない事も多い。

「声は、聞こえているか?」

「あー。 うー」

「そうか、聞こえているか」

妖怪化したとき、意識が散漫になってしまう者は珍しくもない。此奴がそうであっても、何の不思議も無い。

妖怪の中には、決まった行動を繰り返す奴もいるけれど。

それはアーキタイプにしばられ、散漫になった意識では自主的な行動に出ることさえ出来ず。

後は、自動で動き続けるだけの存在になってしまった者だ。

「私は九尾の狐。 お前は?」

「あ、あ、ああ、あ」

「大丈夫だ。 怖れないで、ゆっくり喋れ」

腰を落として、視線を合わせようとして、気付く。

霧のようなものが。

形を変えていくことに。

それは、腐敗した肉の塊のような、何とも形容しがたい姿。此処で目撃されていたドリブラーなどでは断じてない。

一体これは、どういう妖怪だ。

ふと、気がつくと。

私の目の前には、何もいなかった。

あまりにも突然の消失。

驚いた平尾が、辺りを見回している。囲んでいたはずの式神達さえ、困惑している様子が、ダイレクトに伝わってくる。

「き、消えました、ね」

「最後に何に見えていた?」

二人に振り返る。

私の視線と表情で、ただ事では無いと判断したのだろう。二人とも、真面目に答えてくれた。

平尾が言うには。

最初は霧状の人影だったのが、無数の目玉の集合体に変わっていたという。

牧島の話によると、霧状の人影が、無数の毛を持つ良く分からない人型へと変じていったのだとか。

つまり、三者とも。

見えているものが違っていた、という事だ。

なるほど、これでようやく少しだけ糸口が見えてきた。此奴は思ったよりも、余程に面倒な相手かも知れない。

ただ、危険性は多分無い。

問題は、捕らえるのが、著しく難しい、という事だ。

住み着いているのは、この学校で問題ない。

問題があるとすれば。

「平尾。 学校の子供達の中で、ドリブラーを見た者達に聴取はしたか?」

「いえ、まずは大人だと思いましたので」

「すぐに聴取を開始してくれ。 今日はもう遅いから、明日からだな。 牧島、お前は私と一緒に近くのビジネスホテルに移動。 とは言っても、民宿だが」

普通仕事場の近くに、拠点となるビジネスホテルをとるのだけれど。

今回は現場と遠くなってしまうので、村の中の民宿をとっている。

すぐに移動開始。

この場には用が無い。というよりも、だ。恐らくはこの場にこのままいても、相手を捕らえることは無理だろう。

念のため、宿直には、例の教室には行かないように指示。

三人揃って、学校を出る。

牧島が、ハイエースに乗り込むと、聞いてくる。運転は平尾がしてくれることになった。

「あの、何の妖怪だと思いますか? 見る人によって姿が変わる妖怪なんて、見当もつかなくて」

「そうだろうな。 私もまだ仮説の段階だ」

「もう、仮説があるんですか?」

「ああ。 多分サトリだ」

サトリ。

人間の心を読む妖怪。

今のうちに、スマホでデータを調べておく。多分間違いないはずだ。

サトリになった人間だけれど。恐らくは平尾が探してきた子供で間違いないだろう。ただ、人間に戻せるかは分からない。

何しろ妖怪になってから、随分年月も経っている。

今更人間に戻っても。

家に帰って、迎え入れて貰えるかも分からない。

それに、傾いて妖怪になったという事は、悲しい出来事もあったのだろう。そうで無い可能性もあるけれど。

いずれにしても、覚悟は決めておいた方が良さそうだ。

あかねに、中間報告を入れておく。

その後は、民宿に到着。

本当に、少し大きいだけの民家だ。

これは或いは。

地元の伝承なんかも、聞く事が出来るかも知れない。

 

平尾と、私と牧島の部屋は別々。

少しばかり味付けが濃い夕食を食べた後、地元の古老に話を聞いてみる。民宿に来てくれた老翁は既に八十を超えていたが、足下はしっかりしていたし、呆けてもいないようだった。

「この辺りの妖怪話?」

「何か聞いたことはありませんか」

メモは、平尾に任せる。

それにしても、大妖怪である私が、人間から妖怪の話を聞くというのも変ではある。ただ、人間から見た妖怪と、妖怪から見た妖怪は全くの別物だ。

これはこれで、きちんと意味を持った行為である。

幾つかの話が出てくる。

山深い土地と言う事もあって、それに関係する妖怪が多い。カラス天狗の話もあるようだ。

猪や熊、猿などについても、面白い妖怪話があった。

ただ、この辺りのコミュニティについては知っているけれど、そう言う妖怪はいない。現在ではよそに移っているのだろう。私も、日本全土の妖怪を、全て管理しているわけではないのだから。

「サトリの怪については?」

「おお、人の心を読むというあれか」

「この辺りの伝承はありませんか」

「いや、聞いたことが無い」

やはりな。

そうなると、アレはよそ者と見て良いだろう。この近辺に住んでいる古老級の妖怪なら、流石に私も知っている。

サトリの怪としてはかなり若く。

そして、あのモンタージュの子供が、怪異になった姿と見て良さそうだ。

話を聞き終わった後、老人達は酒盛りをはじめたので、場を後にする。

意外そうに、牧島が私を見た。

「ビールあれほど欲しがっていたのに、飲んでいかないんですか?」

「ああ。 仕事中は飲まないことにしているんだよ。 まあ、本音を言うと飲みたくて仕方が無いから、席を離れたんだがな」

「公私混同はしないようにしているんですね」

「まあそんなところだ」

流石に民宿。

露天風呂なんて気が利いたものはなくて、小さな家庭用のものしかない。適当に一風呂浴びると、だらしなくてリラックスできる格好で、ごろんと横になる。

牧島が慌てたのは、何故だろう。

「あの、そんな格好、良くないと想いますっ!」

「んー? 女同士なんだし、別に良いだろ」

「よくありません! 何というか、慎みを持ってください! 1000年を生きる大妖怪だって言うのに!」

あかねみたいな事を言う奴。

仕方が無いので、適当にパジャマを着崩すと、それで寝ることにした。

子供と寝るのは、いつぶりだろう。

そうだ、あかねがまだ幼い頃。

いわゆる霊感体質だった彼奴は、妖怪の類が見えて、毎晩怖がっていた。だから私が側について、一緒に寝たものだ。

あの頃は、本当に可愛かったなあ。

でも、時間が過ぎるのは、早い。

今ではすっかりお小言マスターである。

気がつくと。

もう朝。

すっかり気持ちよく眠れていたらしい。平尾は既に、聴取のために出かけたそうだ。私も背伸びをすると。

まだ幸せそうに眠っている牧島を起こして。

現場に向かう事にした。

牧島は小さな手で目を擦っていたが。ハイエースを私が運転しはじめる頃には、もうしっかり目を覚ましていた。

この辺りは、未成年でも、もうしっかり働いているだけのことはある。

ちなみに彼女のような民間協力者は、成人するとそのまま警察に入る事が出来る上に、かなりの出世コースが期待出来る。

此奴は或いは、平野警視の後釜になれるかも知れない。

もっとも、最初にその席に座るのは、あかねだろうが。

「その、警部補」

「何だー?」

「どうして、サトリの怪だと思うんですか?」

「見た人間によって姿が変わったからだ。 それはおそらく、人間の思考を読んで、ダイレクトに嫌悪感を催す姿を造り出す事が出来る妖怪の仕業、だろう。 サトリの怪ではないにしても、間違いなく思考を読むタイプの妖怪だ。 厄介だぞ」

何しろ、包囲していた式神達さえ。

相手が逃げたことに、気付けなかったのだ。

脳の間隙に入り込んでくる相手ほど、面倒な存在は無い。

捕らえることが出来れば、後はそれほど苦労しないだろうが。相手の正体を掴まなければ、人間に戻す事も出来ないし、探ることだって無理。

色々と厄介なことに、代わりは無いのだ。

学校に到着。

すぐには、三階の教室にはいかない。

それよりも、聞いておくべき事がある。

最初にドリブラーを目撃した教師についてだ。アレを最初に目撃したのは、生徒では無いという確信があった。

そしてそれは。

適中した。

「確か先代の校長が、最初にあの首無しを見たって言っていましたよ」

「今は何処に?」

「引退して、山奥で農家をやっております。 地図は渡しますので、どうぞ」

宿直に例を言うと、すぐに学校を出る。

途中、平尾には、向かった先を伝達しておく。平尾も平尾で、自転車を借りてそれで周囲に聞き込みをしている状態だ。

捜査とは、地道で面倒なもの。

こればかりは。いつまで経っても真理だ。

 

3、肉薄

 

情報が揃って、学校に戻ったときには。

夕刻を少し廻っていた。

平尾は、学校の教師陣を連れてきている。合計七名。生徒の数に比べると少しばかり多いけれど。

これでいい。

此奴らは全員が、あの存在が、ドリブラーだと認識している。

其処に、私達三人が入る。

これで、出来る筈だ。

全員で連れ立って、例の教室に。式神達は既にスタンバイ。それだけではない。今度は逃がさないための工夫もしてある。

教師達は皆青ざめているが。

これで、例の首無し幽霊が出なくなる、と校長が説得した。というか、私がそういうように仕向けた。

実際に問題を解決できれば、それで終わりになるのだから、嘘は言っていない。それに、此奴らにも責任はある。

教室に到着。

間違いなくいる。

というよりも、だ。

教師達が、ドアを開けると、悲鳴を上げた。

彼らには見えているのだろう。生首でドリブルをして、中で遊び回る子供の姿が。だが、恐がりの牧島でさえ平然としている。

「牧島、中に入れ」

「はい、警部補」

牧島が中に入ると、事前に用意していた鏡を壁側に建てる。

平尾、私の順番に、中へ。

そして、私は。

事前に準備しておいた文句を、読み上げた。

「秋山孝夫!」

不意に、部屋の中の気配が濃くなる。

サトリの怪になっているのは、この秋山少年で間違いない。経歴を詳しく調べてきたが、かなり気の毒な子供だ。

学校で苛烈なイジメに晒されて。

家には居場所もなく。

結局、家出したまま、行方不明になっている。

ただ、彼の事は、これからじっくり知る必要があるだろう。それについては、今はどうでもいい。

彼は、此処に。

自分だけの結界を作り上げてしまっている。

妖怪さえ入り込むことが出来ない、自分だけの空間を。それは危険だ。今はまだ、人間の認識疎外を起こす程度で済んでいる。

だが、これが更に進行すると。中に入った人間が、出られないような結界になっていく可能性がある。

それは著しくまずい。

鏡を、更に牧島が増やす。

気配が、揺らぎはじめた。

徐々に、霧のような者が、ヒトの形を取り始める。教師達は、わいわいと騒いでいたが、多分誰かが最初に気付いたのだろう。

「あっ! あれ、首無しじゃないぞ!」

私が狙ったのは、これだ。

目撃人数が多すぎると、一定のイメージを操作できなくなる。脳に働きかけるというのは、そういうこと。

つまり、オーバーフローだ。

更に、壁にある鏡もそれを助長する。

ただでさえ脳に直接働きかけているのだ。

自分を見ているだけでは無く。鏡も見ていることを考慮しなければならない事を考えれば。

その負荷は、累乗的に加速する。

やがて、人影が崩れはじめる。

過負荷が、その存在に、大きすぎるダメージを与えたのだ。

悲鳴を上げながら身をよじる人影。

ほどなく、其処には。

おぞましいまでに形がない。肉の塊が、痙攣していた。

私がすぐに空気で覆い、平尾が持ってきた台車に乗せる。後は逃げられないようにして、稲荷神社で人間に戻せば良い。

うめき声を上げる肉塊。

教師達が、首を伸ばして。異形と化した幽霊の成れの果てを、覗き込んでいた。

台車を使って、運ぶ。

古い校舎だから、エレベーターなどと言う便利なものはない。だが、何しろ体格がすぐれている平尾だ。

私が手伝わなくても、ひょいひょいと古い校舎を、台車を抱えて降りていく。

「これで、解決でしょうか」

「いいや、そうはいかないだろうな」

階段の下。

すねこすりが、じっと此方を見上げていた。

丁度良い。

「おお、九尾。 解決したのか」

「いや、まだだ」

来るように促す。

小首をかしげると。

すねこすりは、無言でついてきた。小さくて可愛い毛玉であるすねこすりに、牧島は目を輝かせているが、咳払い一つ。

此奴も、多分。

この事件の関係者の一人だ。

学校を出る。

神社までは少し距離があるから、ハイエースに台車ごと、肉塊になったサトリの怪を積み込む。

念入りに牧島が結界を張っているが。

それでも、万一のこともある。私はスルメを口に入れながら、力を込めた空気で、更にサトリを覆った。

いや、これは。

本当にサトリなのだろうか。

まだ何とも言えないが、はっきりしている事はある。一応、もう解決までの筋道は、見えている。

ハイエースを出す。

最悪の事態に備えて、運転は平尾にさせた。

実は、平尾の方が、運転が丁寧だと言う事もある。牧島も、私の運転では気持ち悪そうにしているのだけれど。平尾の運転の時は平気そうだ。

すねこすりが可愛いらしく、ちらちらと視線を送る牧島を、何度か戒めておく。

まだ、サトリは無力化していないのだ。

「警部補、事件は、解決……ですか?」

「いや、まだ一波乱ある」

「何か、謎が残っているんですか?」

「まず第一に、どうしてドリブラーなどと言う悪霊に、サトリの怪が変じたかだ。 そもそもこの学校には、バスケットボール部さえなかったのにな」

類例の怪談は日本中にある。

バスケットボールの場合が多いが、希にサッカーボールの場合も。いずれにしても、非業の死を遂げた子供が、悪霊化した、というパターンの話を持つ。詰まるところ、都市伝説だ。

物語性の強い噂話のことを都市伝説と称するが。ドリブラーは典型例だろう。トイレの花子さんのような知名度はないが、比較的メジャーな悪霊で、ある意味妖怪化しているとも言える。

実際、私は。

他の学校で、ドリブラー化した人間を見た事もある。

ただし、彼はすぐに元に戻る事が出来たが。

問題は今回の例だ。

「そもそも、妖怪が別の妖怪になる例はあまり多くない。 姿を偽装して、正体を誤認させる例は多いが。 これの場合は、そもそもサトリの怪であることを、誤魔化す必要がないんだ」

「そういえば、そうですね」

「多分このサトリの怪は、知名度だけを必要としたんだろう。 ドリブラーはそこそこに歴史がある都市伝説で、多分この学校の教師に、噂を聞いた人間がいたんだろうな。 だから、丁度良いと、存在を借りた」

つまり、サトリの怪は。

単に、居場所を必要としたのだ。

しかし問題は、どうして人間を怖れさせたか、である。エサが必要だったとは、思えない。

人間を怖れさせれば、対怪異部署のような、専門の人間が出てくるのは明らか。

その程度の事は、最初の対怪異部署の捜査の時に、分かっていたはず。

だが、その後も方針を変更していない。

詰まるところ、此奴には。

明確な目的があったとみて良いだろう。

もぞもぞと動いている肉塊を、ぱんと叩く。そして私は、すねこすりの方も一瞥した。

此奴も、鍵の一つを握っているはずだ。

意図的にやったかどうかは分からないが。

神社に到着。

ハイエースを止めて、台車を降ろす。すねこすりは手伝いせずに肉塊を見つめていたので、私は咳払いする。

「なあ、すねこすり」

「なんだ」

「ドリブラーは分からなくても、この肉塊には、見覚えがあるんじゃないのか」

「確か、ずっと前に見た事がある。 学校の外、這いずってた。 でも、おれ、何もしていないぞ」

さて、それはどうだろう。

この木訥な様子の妖怪を疑うのは嫌だけれど。これでも仕事だ。何もかもを鵜呑みには出来ないのである。

台車を使って、田舎の道を行く。

途中、通行人が。

不思議そうな顔をして、稲荷神社の鳥居をくぐる我々を見ていた。

眷属が迎えに出たので、結界を張らせる。

これで、外に逃がすことはなくなった。

此奴がサトリの怪である以上、冷静さを取り戻し、ダメージから回復すれば。脳を誤魔化して、逃げる事は難しくない。

最初に私と式神の包囲から逃れたときのように、だ。

「平尾。 お前はちょっと席を外していてくれるか」

「了解であります。 何か危険があったら、すぐに大声を出してください」

「……?」

鳥居の外に出る平尾を、不思議そうに牧島が見送る。

彼奴は。

襲撃があった時用の対策だ。まさか今回も酒呑童子が絡んでいるとは思わないけれど。何かあった場合、手札を用意しておいた方が良いのは自明だ。

台車から、肉塊を降ろす。

本来、サトリの怪については、一定した正体がない。

猿の妖怪という説もあるが。凶暴な者が多い猿の妖怪にしては、やる事がせせこましく害も小さい。人を喰らうという伝承もあるが、実際に喰われた結末はない。

アーキタイプもはっきりしていない。

山神の零落した姿だとか、大陸の妖怪に原型があるとか言われるが。それらの全てに、決定的な説得力が存在しないのだ。

サトリの怪は、だから珍しい。

妖怪としても、遭遇したことはあまりない。

牧島が縄を取り出す。

今回のために持ってきたものだ。牧島が作ったのでは無く、対怪異部署で専門の人間に注文しているものである。

いわゆるしめ縄の一種で、怪異を捕縛するために用いる。

ただ使うのでは駄目で、専門の術者が使う必要がある。牧島は専門の術者として、訓練を受けているので、問題ない。

まだダメージが酷くて、身動きできないサトリを、此処で固定してしまう。

地面にアンカーを撃つ作業は、私がやった。牧島は小柄なだけあって力も弱くて、ハンマーを振るうのには一苦労していたからだ。

私はステゴロが全く駄目だが、一応背丈に沿った腕力はあるので、それくらいは問題なく出来る。

縦横に縄を張って、サトリを固定。

悲鳴を上げるサトリが、何度かもがくが。縄は強烈な力を放って、彼を徹底的に固定していた。

これで、もう逃げられない。

「さて、私の声は聞こえるな」

「あ、ああ。 あああああ。 ぼ、ぼくを、元に、戻そうと、する」

「そうだ。 お前はあの場所で、周囲の人間に大きな迷惑を掛ける所だった。 だからこれから、元に戻す」

「い、いやだ。 いえにかえっても、なにもない。 とうちゃんも、かあちゃんも、ぼくがきらいで、殴る。 がっこうでも、ぼくは、いじめられて、いばしょも、ない」

肉塊が蠢く。

気の毒な話だが。彼は典型的な、傾いて妖怪になったパターンだ。どうしてサトリになったのか。

それは、おそらく。

他人の不興を買いたくなかったから、だろう。

私の思考は、サトリにばんばん伝わっているはずだ。サトリが悲鳴を上げて、蠢く。心を暴かないでくれ。そう呻く。

髪の毛を掻き上げると。

私は、腰を落として、サトリを出来るだけ低い位置から見た。

「もしもお前が人間に戻れないようだったら、私が居場所を準備してやる。 お前が人間の時に酷い虐待を受けていたのなら、その後に警察で処置を考える。 これでも対怪異部署にはそれなりの実績があるからな。 心配しないで、人間に戻れ」

ばちんと、もの凄い音。

拘束用のしめ縄が、はじけそうになった。

悲鳴を上げてもがくサトリ。

余程、人間に戻りたくないのだろう。もの凄い力の奔流を感じる。今まで、人間に悪霊の姿を見せることにしか使わなかった力を、身を守るために全力で展開しているのだ。私は、流石に顔を庇う。

だが、それが限界。

すぐに、サトリは大人しくなった。

「牧島!」

「は、はいっ!」

「これから此奴を元に戻す。 手伝え」

「分かりましたっ!」

牧島が式神を四方に配置。私の力を増幅するための言葉を唱えはじめる。

気弱でまだまだ頼りないけれど。

前回の事件で少しだけ自信を付けたのか。前よりも、動きがスムーズになっている。良いことである。

力尽くで行くと、多分後遺症を残す。

じっくり空気で探っていくが、この子はおそらく、酒呑童子の関係者では無い。ゆっくり、語りかけていく。

人間に戻りたい。

そう思わせることで、ようやく。

この子は、人間に戻るための階段に、足を掛けることが出来るのだ。

儀式を進めながら、私は判断していた。多分三日くらいはまるまるかかるだろう。その間に、色々と、済ませておくことがある。

 

平尾に、失踪しサトリになった秋山少年の周囲関係を調べて貰う。

結果、色々とろくでもない事が分かってきた。

勿論彼は少年だった存在だが。それは、42年も前の事。両親は既に老境に入っていて、二人いた兄も既に実家を離れている。

秋山少年が見つかったと、県警の方から連絡を入れたとき。

両親は、露骨に迷惑そうな顔をしたという。

「あの出来損ないが、何処で遊んでいたのです」

そう母親は言った。

秋山少年の母親は、老婆になっても、失踪した息子が生きていた事を喜んではいなかった。老境に入ると、生き別れになった子供のことを心配したり悲しんだりするものなのだが。

父親に到っては、あっそうと一言。

話を聞くと。出来が良かった二人の兄に比べて、著しく出来が悪かったので。正直いらなかったというのだ。

「あれは一家の恥です。 のたれ死んでくれていればよかったのに、どうして生きていたというのか」

「どうせ、何処かのホームレスでしょうに。 此方には帰ってくるなといっておいてください。 戻ってきても追い出しますので。 うちには穀潰しは必要ありません」

呆れた反応だ。

世の中には、肉親の情をもてない奴がいることは知っている。私も人間を止めてから随分時が立つけれど。

その間、五人の夫と所帯を持ち。十一人の子を産んだ。

だから、人間の家族やその関係が、決して明るいものばかりではない事は知っている。胸くそが悪いゲスだって結婚するし、子供も作る。

そうして、不幸が量産される。

結局の所、学校で虐められなくても。秋山少年はネグレクトで死ぬか、或いは家を逃げ出すかの二択しかなかったのかも知れない。

何処かの廃屋に住み着かなかったのも納得だ。秋山少年にとって、家は安らげる場所では無かったのだろう。

山に逃げ込んできた妖怪にも、そう言う反応をする奴がいる。

何処かの家で虐待されて、傾いて妖怪になった者の中には。家に住むということ自体に、拒絶反応を示す者がいるのだ。

しかし、学校も、彼の居場所では無かった。

だから、作ろうとしたのだろう。

誰もいない学校を。

其処なら、くつろげると思っていたのだろうから。

田舎の学校に流れてきたのも、恐らくはそれが故だ。

「けしからん話です。 親になる資格が無い輩が、罪の無い子供を虐待するなど、あってはならないことです」

「全くだな」

私も、あまり他人に説教できる口では無いけれど。

平尾の怒りには同意である。

だが、私には。

多分、他人に説教する資格は無い。

私の子供の中には。

私を恨んで死んでいった者もいる。

狐なんかに生まれたから、私は生涯不幸になった。あんな親なんかがのうのうと山の中で生きていると思うと、吐き気がする。

私を殺しに来た陰陽師の一人が、そう言づてをして来た。

子供の一人に雇われての行動であったらしい。流石にそれは、飄々と生きてきた私にも、こたえる言葉だった。

陰陽師からはからくも逃げ切ったが。その子の様子を見に行くのは、以降しばらく止めた。30年ほど経ってから様子を見に行くと。

二人子供を残し、その子は死んでいた。

二人の子供はどちらも妖怪を殺す事を生業にして。今でもその血脈は続いている。私を狙う者の中には。

私の子孫も混じっているのだ。

サトリを一瞥。

本人が、人間に戻りたいと思っているなら兎も角。何処にも居場所がなく、妖怪になるしか生きる道がなかった存在を、無理矢理人間に戻すのは負荷が大きい。

以前人間に戻した飛頭蛮は、妖怪になったのが緊急避難措置の一種で。人工的な術式で妖怪になった部分も大きかったから、人間に戻す事は無理なく行えた。

今回は、そうはいかない。

そして、私としても。此奴はいっそ、妖怪のままのほうが幸せでは無いかとさえ思えていた。

まだ儀式には時間が掛かる。

やるせないと、平尾が言う。

牧島にはこの話は聞かせていない。流石に、まだ若い牧島に、こんな人間の業の塊みたいな話を聞かせるのは酷だろう。

作業進捗はある程度オートで出来るが。

それでも、私はしばらく眠ることも出来ない。小さくあくびをすると、平尾が買ってきてくれた栄養ドリンクを口にする。

飲み下した後、横になって。

ぼんやりとしながら、もがき続けている秋山少年を見つめた。

二時間ほど、そうしていただろうか。

少しずつ、秋山少年の形が、戻りはじめる。

どうやら彼は。

人間に戻る事が、出来るようだ。

側で膝を抱えていたすねこすり。丁度牧島が席を外したので、手招きする。

「少し良いか」

「どうした」

「この学校にサトリが居着く原因になったのが、お前だな」

平尾が、眉を跳ね上げる。

私は、サトリという妖怪を構成した最後の鍵であるそれを、今開けることにした。

「その反応、図星か」

「どうして、分かった」

「状況証拠だ」

そもそも、だ。狭い旧態依然とした校舎で、二体の妖怪が住み着いていて、それぞれ遭遇しないなどという事はあり得ない。

縄張り意識が弱いすねこすりでも。

様子を確認しに位は行くはずだ。

すねこすりは、おそらく。学校の外で、サトリに遭遇したのだろう。そして、言われるまでも無く、理解してしまった。

此奴は、人間社会からはじき出された存在なのだと。

だから、声を掛けたのだろう。

今、人間が少なくなっている、小さな学校がある。此方に来ないか。人と関わり合いたくないなら、良い案もある。

人間が最近噂している幽霊を真似れば良い。

頻繁に姿を見せてやれば。

最初は騒がれても、すぐに人は来なくなる。そうすれば、お前は。此処で、静かに暮らしていける。

すねこすりは。つぶらな瞳で、じっと私を見た。

この通りのことを言ったのかは分からないけれど。大体そうなのでは無いかと、私は予想しているが。

予想は当たった。

「そうだ。 おれは、寂しかった。 寂しい奴がいたから、一緒にいたいと思った」

「でも、孤独なことには代わりは無かった」

「ああ。 今はもう。 そいつを助けてやりたいと、思っている」

決まりだ。

閉鎖的な田舎の環境。

それ以上に悲惨な居場所のないもの。

全てが複合的に絡み合って。

ドリブラーの皮を被った、サトリの怪が誕生した。そして今まで、対怪異部署の網にさえ掛からず、こうして命脈を保ち続けた。

それは、とても薄い悪夢のようなもの。

私は、上半身を起こすと。

サトリの前に座る。

思考を読め、そう言う。サトリは嫌でも、此方の考える事が分かってしまう。だから、それだけでいい。

サトリの声は。

悲痛そのもの。

自分が薄くのばした悪夢の中にいることくらい、当然分かっていたのだろう。だが、それでもどうにも出来なかった。

彼の悲劇は。弱くて、誰も周囲に彼を救う事が出来る者がいなかったと言うこと。両親でさえ、彼の事をいらないと言ったのだ。

他の誰が、彼を救っただろうか。

怪異は人。

人は怪異。

そして怪異は。人の社会からはじき出された存在がなる。

妖怪化の崩壊が加速しはじめる。

これは予想よりも速く。

この子は、人に戻れるかも知れない。

 

4、小さな物語

 

出て行け。

両親に毎日そう言われた。

親はどちらも、お前のような出来損ないはいらないと言った。今までの投資を返せとさえ言われた。

兄は二人とも、自分をものと同じとして扱い。

殴られない日なんてなかった。

焼けたアイロンを顔に当てられて。悲鳴を上げても。両親は薄笑いを浮かべてみているだけ。

無能なのが悪い。

クズは死ね。

家族ぐるみでの暴力はずっと続いた。幼いままだったら、どれだけ良かっただろう。物心ついたときには。

もう自分には、居場所なんて無かった。

学校でも、それは同じ。

どれだけ勉強を頑張っても。小学校の成績なんてどれだけ良くても意味がないと、両親には暴力を振るわれた。

成績表に5がようやくついても。

こんなもの、何の意味があると。目の前で破り捨てられた。

食事は一緒に取ることを許されず。犬の餌を与えられたこともあった。出来が悪い子供を育てるために、躾をしている。

周囲に両親はそう説明して。

周りの全員が、それで納得した。

多分父親が、市議会議員だからかもしれない。田舎の議員は、凄く力を持っているものなのだ。

ある日。

これ以上馬鹿なままだったら、焼きごてで片目をえぐり出すと言われた。

本当にそうするのは、目に見えていた。

どれだけ努力しても、両親が望むような、賢い子にはなれなかった。学校でも、居場所なんてなかった。

両親が、公認で。

イジメを行わせていたのだから、当然だろう。

出来が悪いことを躾けるため。

そう称して。毎日のように、暴力を含むイジメが行われて。とうとう耐えきれなくなった。

目をえぐり出されたくない。

でも、死ぬのだって怖い。

必死に闇夜を逃げた。

何処を走っているかも分からない。

奇行を繰り返す議員の馬鹿息子。自分がそう言われているのは知っていた。誰かに見つかれば、目玉をえぐり出されるために連れ戻される。

暴力を振るわれるのは、自分が弱いから。

弱いのが悪い。

嗚呼。

だったら、弱くない存在になるしかない。誰にも見つからない存在に。

何処かの神社の軒下に逃げ込んだ。周囲には鼠だらけ。

怖かったけれど。

目玉をえぐり出されるよりマシだった。

そして、気がつくと。

誰にも見えない存在になっていた。

家に戻ってみる。

逃げ出したことに気付いた両親は。ぼくの私物を捨てた。ぼくは、両親に褒めて貰いたくて、頑張って来たけれど。

その全てを、目の前で否定していった。

何処かでのたれ死にしたんだろう。

死んだら無縁仏にでも葬るか。一族の墓にはいれてやらん。くたばって見つかってくれると嬉しいが。

生きて帰ってきたら、面倒極まりないな。

そう口々に言っている両親と兄達。

ぼくは、もう此処には居場所がないことを、はっきり悟った。だから、もう家を出ることにした。

そして、歩いて歩いて。

気がつくと、山の中にいた。

蚊さえ刺してこないし。

おなかだって空かない。

誰もぼくを見ないし、暴力も振るわない。それがどれだけ嬉しい事か。一人きりになって、やっと分かった。

一人きりは天国だとさえ思った。

いつのことだろう。

歩いていたぼくに、誰かが声を掛けてきた。それは毛玉の塊みたいな姿をしていて。つぶらな目が可愛かった。

それは、ぼくに、静かに過ごせる場所があると教えてくれて。ぼくは、言われるままについていった。

其処は、静かな学校。

相手の考えている事が分かるようになったぼくは。流行っていた幽霊の姿を見せるようにして。

居場所と決めた教室に近寄ってくる人間を、追い払った。

毛玉が時々来る。

アドバイスをくれる。

あまり姿を見せすぎると、退治されてしまう。力が強い人間と遭遇したら、出来るだけ自分を見えないようにしろ。

言われるままにする。

そうすると、怖い人間からも。的確に、姿を隠せるようになった。

何度か怖い人間は来たけれど。

ぼくは必死に見えないようにして。危ない場合は、少し距離もおいた。そうすると、不思議とみんな、小首をかしげながら帰って行くのだった。

やっとぼくは。

此処で、静かに暮らせる。

そう思うと、とても嬉しい。

だから毛玉のアドバイスに従いながら、来る人間を毎日追い払い続けた。その内、危険な人間も、すぐに分かるようになった。

ぼくの、小さな天国は。

此処だ。

 

意識のない、裸の子供。

とても痩せていて、十一歳だとは思えないほど小柄だった。

ネグレクトをもっとも積極的に行うのは、実の親。養母や養父の例が目立つが、実際には違うのだ。

優秀では無かった。

それが、この子に親が暴虐を振るった理由。

最悪だったのは、親が権力者だったこと。或いは昔であったら、座敷牢にでも監禁されていたか。

人知れず、殺されていたかも知れない。

もっとも、今回のケースでは。

手さえ下さなかったが。親が殺したようなものだったが。

コートを裸の子供に掛けて、バイタルを確認。丸二日の作業だったので、流石に私も消耗した。

あかねには連絡済み。

勿論この子は、もう親の所には戻さない。

養子縁組はしてある。

立派に血がつながらない子供を何人も育て上げた、実績のある老夫婦がいるのだ。この子は、彼らに預ける。

駄目な可能性もあるから、しっかり経過観察もしなければならないが。

平尾が子供を抱えて連れて行く。

牧島が来たので、後は引き継いだ。眷属もろとも激しく消耗したので、少し休みたいのである。

奧の殿に上がると、其処で横になる。

気を抜いたからか。

尻尾が数本、露出していた。

眷属に到っては、体が透け掛けている。タオルケットは既に敷いてあるのが有り難い。冷房がいらないほど此処は涼しいのも、助かることだ。

ぼんやりしていると、すぐに落ちる。

気がつくと、十時間ほどが経過していた。

まだ疲れは取れないが、眷属の方は回復したし、そろそろ動かないと行けないだろう。あくびをしながら、奧の殿を出る。

平尾が、ハイエースの中で、作業をしていた。

「警部補、お目覚めですか」

「ああ。 ちょっとばかり今回は疲れたな」

「警部補にしか出来ない事です。 お疲れ様であります」

牧島がいない。

聞いてみると、既に民宿に戻したという。それでいい。彼奴には、聞かせられない泥臭い話がある。

ハイエースには、まだすねこすりがいたので、話しておく。

「お前には直接的な責任はないが、今回の件で子供を闇に縛ったのは誰だかは、分かっているな」

「おれ、だな」

「そうだ。 一番悪いのはクズなあの子の親だが。 お前にも責任がある。 やはり、孤独に耐えられなかったんだろう?」

「……」

つぶらな瞳で、見上げられる。

此奴もずっと孤独で過ごしてきて、耐えがたいものがあったのだろう。時々サトリの怪と化した秋山少年にアドバイスするのは、とても嬉しかったに違いない。

考えて見れば、である。

意識ももうろうとしている子供が、ああも見事に身を守れたことが、妙だったのだ。誰かが手助けをしていた。

そして手助けできるのは、此奴しかいない。

単純な理屈である。

「おれを、処分、するのか」

「しない。 だが、もし寂しくなるようなら、早めに連絡してこい。 連絡する方法については、後で教えておく。 他の妖怪もいる場所に、案内してやるから」

「……そうか」

ハイエースを降りると、学校の方に戻っていくすねこすり。

彼奴は彼奴で。

孤独で、気の毒な奴なのだ。

無害だから退治されるようなことはないだろうけれど。いつか、頼ってきたら。どうにかしてやりたいものである。

平尾に、状況を確認。

「養子縁組の件は、既に問題なく進展しています。 四十年以上前から急に来た子供でもありますし、両親の側の環境が劣悪なのも事実。 既に縁切りの手続きも済ませました」

「ゲス親どもは、何かしらのペナルティをくれてやらんといかんな」

「一段落したら、ネグレクトで立件してやりましょう。 既に市会議員も引退していますし、実質上の権力も喪失しています。 この年になってから名誉を全て失う事がどういう意味を持つか、体で味わうと良いでしょうね。 ついでに今現役の市会議員をしている兄二人にも、スキャンダルで失脚することの意味を教えてやりましょう」

平尾が、そんな意地が悪い事を言ったので、私は苦笑い。

警官の鑑だと思っていたのだが。

こういうことも出来るのか。

まあ、それは平尾に任せることにする。私は、そういうのというか。警官がやるような事は、むしろ苦手だ。

雑作業を片付けてしまう。

あかねにも連絡。

事件が解決したと聞いて、あかねは流石ですねと言ったけれど。これでも私は、妖怪がらみの難事件解決における掃除屋だ。

これくらい片付けられなければ。居場所を失って、あの腐れ安倍晴明に消されていてもおかしくない。

スルメを口にする私に。

平尾が、ビールをクーラーボックスから出してきた。

「気が利くな」

「事件は解決しましたから。 帰りの運転は本官が」

「そうか。 じゃあ、一人で飲んでいるから、牧島を連れて来てくれ」

「了解であります」

平尾が、ハイエースを降りる。

霧が、また出始めていた。

いつものメーカーのビール。この様子だと、麓まで降りて、コンビニで買ってきてくれたのだろう。

有り難い話だ。

しばらく痛飲する。

スルメもたくさんあるし、飲むには困らなかった。

気がつくと、既にハイエースは高速に乗っていた。疲れたらしい牧島が、隣で寝息を立てている。

タオルケットを牧島に掛けてやる。

私ももう一眠りするか。そう思うと、まだ少し残っているビールの缶を傾けた。

帰り道が多少楽になるのは有り難い。

ふと、メールが来ているのに気付く。酔眼のままスマホを操作して、内容を確認。面倒な内容だ。

この間、団に渡したレポート。

それについて、安倍晴明が返答を寄越してきたのだ。

調査は充分。

ならば、もう少し踏み込んだ内容を確認しろ。

単純に内容をかみ砕くと、そういう文章だ。そして、安倍晴明の方で調査していたらしいデータが来る。

これを元に。

奴を追い詰めろ、と言うわけだ。

舌打ちする。

私は武闘派では無い。逆に、今安倍晴明に押しつけられている事件の犯人は、確実に武闘派だ。

もしもやり合うつもりなら。

状況を固めてから、あかね達に声を掛けて、総力戦を挑まなければならない。私は、ステゴロは苦手だ。

出来れば関わりたくないのだが。

そうも言ってはいられないか。対怪異部署に、排除対象の妖怪として認識されることがどういう意味を持つか。

私以上に知っている存在などいない。

資料をざっと吟味。現状で、奴はおそらく、一カ所に定住して力を蓄えている。勿論具体的な場所さえ発見できてしまえば、奴の命運は尽きる。問題は潜んでいる場所が、いずれも政治的に極めてデリケートなものばかり、ということだ。

一つは離島だが、内部で非常に面倒くさい派閥抗争があり、戦後に米軍がもういやだから自治権を渡すと早々に言ってきた曰く付きの島。

もう一つは、あろう事に首相官邸。

更に、近年隣国の利権が入り込んできて、権力闘争が極めて混沌を帯びてきている県。これらの隙間に入り込むようにして、奴は潜んでいる。

つまり、何処に潜んでいるか確定させないと、調査できないという事だ。

ビールを傾けながら、どうやって情報を特定するか吟味。

そうこうしているうちに、ハイエースは高速を降りて。解散場所に到着した。牧島は、実家に送ってくれるという。

ハイエースも、レンタカーショップに平尾が返してくれるそうだ。

私は荷物を抱えて降りると、新しく準備したアパートに向かう。

これは、当分ゴロゴロできないかも知れない。

秋山少年を救えた達成感はある。

だが、それを楽しむ余裕は、残念ながら無かった。

 

5、魍魎の声

 

数日間は、平穏が続いた。

私は掃除屋で、対怪異部署で手に負えなかった難解決事件の処理のため動く。今の時点で、迷宮入りしている事件が出ていない、という事だ。

部屋で静かにしている私の所に。

平尾が、連絡をしてきた。

秋山少年の続報だ。

どうやら秋山少年は、病院で意識を回復。現在、体調は回復に向かっている、ということだ。

問題は彼が四十年以上前の昔から、文字通り時間を飛び越えて現在に来てしまった、という事。

新しい養父母は信頼出来る人物だけれど。

彼らにだけは任せられないだろう。手厚いケアが必要なはずだ。

一方。人間のクズである実父母に対する告発も準備が進んでいるという。

この辺りは、対怪異部署の長い実績が生きてくる。私としても、人間に戻した甲斐があるというものだ。

昔だったら。

妖怪のまま、私が田舎にかくまうか。

それとも、何処か遠い田舎に連れて行くしかなかっただろう。それも、サンカの民に紛れて暮らすか、最下層民として生きるしかなかったに違いない。

そう言う意味で。今は色々と問題が多いけれど。

それでも、救いはあると言える。

平尾に幾つか指示を出すと、連絡を終える。

さて、しばらくはゴロゴロしようかと思ったけれど。いきなり連絡が来る。平尾が何か言い忘れたのかと思ってスマホを見ると。

なんと、酒呑童子からだ。

何だ彼奴。

この間拠点を潰されても、けろっとしていたくせに。今頃恨み言か何かか。私を暗殺しようとするなら、手はいくらでもあるはず。いちいち文句をいうのもおかしい。だとすると、何だろう。

簡単に暗殺なんてされてはやらないけれども。

「はいはい、どうした」

「お久しぶりですね、金毛九尾の狐」

「……確かその声。 あの時の男装吸血鬼か」

「ええ、そうですよ。 酒呑童子さんのスマホから掛けています」

自分ので掛けて来いよと言いたくなったが。

正直、もう面倒だからいい。

酒呑童子との関係性を見せびらかしつつ、挑発しているのが見え見えだ。此奴は多分、本来の意味での女狐だろうし。いちいち真面目に相手にしても仕方が無い。

「それで?」

「つれない返事ですね。 せっかく面白い情報を持ってきて差し上げたのに」

「何だよ、面白い情報ってのは」

カルマとか言う女吸血鬼は。

わざとためを入れてから、その名を口にした。

私が黙り込む。

その反応から、勝ち誇るカルマ。だが、私が黙り込んだのは。正直な話、がっかりしたからだった。

「どうでしょう。 取引をしてみては」

「そいつが潜んでいる場所を知っているとでも言うのだろう?」

「ええ、そうですが、何か」

「惜しいな。 一足先に私も掴んだんだよ」

今度は、カルマの方が黙り込む。

あの端正な顔が、スマホの向こうで凍ってると思うと、少しばかり気分が良い。

というか、私が探しているのは、今カルマが口に出した名前では無い。その名前。八岐大蛇は、実際には三回代替わりして、現在では政府が影で飼っている切り札になっているのだ。

政府と対立しているというのは、カルマのような奴が引っかかるフェイクの情報。

実際には、私も年に二三度会いに行っては、話を聞く。

最悪のアンダーグラウンドに属する妖怪を、排除するための闇の剣。それが、現状の八岐大蛇なのだ。

勿論今と昔では性質も違う。

この辺りも、フェイク情報に引っかかるアホが出やすい要因となっている。

「取引とやらは無しだ。 惜しかったな」

「……」

無言でカルマが電話を切る。

そして、この時点で。

カルマの能力は大体分かった。此方の反応を見る為に今の電話をしてきたという可能性もあるけれど。

実際にはその可能性は極めて低いと見て良いだろう。

酒呑童子さえ知らないのだ。八岐大蛇の真相は。

今、対怪異部署で八岐大蛇の真実を知っているのは三人だけ。私とあかねと、それに平野警視だけ。

首相さえ、八岐大蛇が最強の闇の剣である事は知らない。

今までも、歴史の闇に葬られた、存在が危険すぎる妖怪は何名かいるが。それらを成し遂げたのが八岐大蛇だということも。

あくびをした私は、あかねに電話を掛ける。

傍受されている恐れはない。

このスマホは特注品。暗号化も、まだ破られていない最新のものを使っている。その分重いのが面倒だが。

「クドラクが妙な動きを見せている。 気をつけてくれ」

「分かりました。 此方でも、そろそろ師匠に頼みたい案件があります。 近々情報を送りますので」

「えー。 めんどい」

「駄目です。 師匠は放っておくと、何年でもだらけるんですから」

分かったようなことを言うと、スマホを切るあかね。

嘆息すると、私は半身を起こして。

胡座を組むと、ノートPCを取り出す。

やっておくべき事がある。

幾つかの知り合いに連絡を取り、確認作業を進めて、レポートをまとめるのだ。私の連絡網には、安倍晴明も把握していないものがある。だから、例の奴を探し出すような仕事も廻してこられる。

もしも、例の奴の居場所が確定したら。

その時には、八岐大蛇を向かわせるのだろうか。

三代目は良い奴なのだ。見かけはあれだけれど、彼奴が幼い頃から知っている私としては、あまり良い気分はしない。

だが、これも仕事。

何度か頭を掻きながら、連絡を入れ続ける。その途中で、思わぬ重要情報が入った。すぐに釣られるわけにはいかないけれど。これは、或いは。

其処を基点にして、調査を続けていく。

この胸くそ悪い安倍晴明からの仕事も。

近いうちに、終わらせることが出来るかも知れない。

さっさと終わらせて。酒呑童子と妙な絡み方をしているクドラクをどうにかすれば。少しは平穏も戻るはずだ。

一段落したところで、あくびして横に転がる。

ビールの缶を開けると、一気に胃に流し込んで。

良い気分になったところで。

私は、昼寝をすることにした。

 

                               (続)