無為の頭尾

 

序、山の中にて

 

頬を叩いたのは、ヤブ蚊に集られたから。

私は口をとがらせて、文句を言いながら、山の中を歩く。空気を操作する能力があっても。周囲に注意していると、どうしてもヤブ蚊の接近を許してしまう。面倒くさい。そう思ったけれど、こればかりは仕方が無い。

病み上がりの体で。

しかも休みなのに。

アパートを這い出してきて、しかも田舎の山中に来たのには、理由がある。古いなじみが、困っているというのである。

ようやく辿り着いた先は。

掘っ立て小屋である。

昔、この国にはサンカと呼ばれる民がいた。彼らは定住する農耕民とは別の生活をしていた。

この国の闇にも、多く関わっていた。

夜闇に浮かび上がる掘っ立て小屋は。木と藁で作られていて。わずかにトタンが壁にある程度。

人の気配は無いが。

妖怪の気配は、濃厚にある。

迫害されてきた妖怪を、受け入れることで力にしてきたのが、サンカだ。明治時代に帰農政策が進み、殆どは山の中からは去ったけれど。今でも、その時の人脈は、私の中に残っている。

曇っているから、月も出ていない夜闇。

私は、掘っ立て小屋の戸を叩いていた。

「来たぞー、山爺。 開けろ」

「開いている。 勝手に入れ」

「呼びつけておいて勝手な奴だな……」

中には、明かりなどは無い。

妖怪の中には、明かりを嫌う輩も結構いる。実は昔は、私もそうだったのだけれど。今では、もう慣れた。

単に気分的なものなのである。

一角にあるタンスをどかして、出てきた階段を下りていく。懐中電灯を付けなくても、私はきつねの妖怪だ。夜目くらいは利く。

曲がりくねった階段を下りていくと。

最下層に、広い空間があった。

此処が、本当の山爺の家である。山爺は、この狭い空洞の中に、二百五十年も生きているのだ。

ちなみにこの空洞、何度かあった大地震にも耐え抜いている。

「基本的に引きこもってるお前が、どうした」

「どうもこうもない。 山の様子は見てきただろう」

そうブチブチ言う山爺は、人間の老翁とは、姿が基本的に違う。

山に住む民をモデルにした妖怪は多い。その中には、昔農耕民族と対立した、鉄を生成する技術を持った民族を揶揄するものもいる。

山爺は、そんな妖怪の一種。

彼は片目で、足は一つしか無い。着込んでいるのはえんじ色の和服。ただし、いつ作られたものかもよく分からないほど古い。

食事は、山の霞を吸うことによって行う。

一応、人間と同じものも食べる事が出来るけれど。それは、あくまで補助的なもの。霞が失われることは、死活問題なのだ。

元々彼は、姥捨てされた老人の成れの果て。

無口ながら皆に良く尽くしていた優しい老人だったのだけれど。村人達は、役に立たなくなった彼を、容赦なく見捨てた。

彼が無口で、周囲に対して誤解され易かったというのが、その理由。

今も昔も。

人間は、自分の価値観で、容赦なく他人をゴミのように殺戮するものなのである。何をされようと、恩義など感じないのが、大半の人間だ。彼に良くして貰ったり、便宜を図って貰ったりした人間は多くいたのに。誰もが、それを自分に都合良く忘れた。

今まで尽くしてきた人にゴミのように捨てられた彼は、世界を恨み。

そして、妖怪になった。

家族でさえ、老人をもてあますのが現実なのである。

彼はその現実の生き証人なのだ。

生前とは真逆の、饒舌で偏屈極まりない老人に変わってしまった山爺だけれど。私にはある程度気を許してくれていて。今回は、頼ってくれた。

老人になってからする事がないと言うので、海外から珍しいゲームを持ち寄っては、遊んであげているのも私である。

彼はゲームがとても強くて、勝てたためしがない。

部屋の隅に積まれているのは、それらのゲーム。ちなみに埃は積もっていない。相当に遊びこんでいるという事である。

「確かに、開発が進んでいるな」

「土地の持ち主は儂だぞ」

憤慨して、山爺は言う。

確かに、この土地は、山爺の持ち物だ。二百三十年ほど前、地価が下がったのを良い事に、私が買ってきたのである。

金については、妖怪の集まりで準備した。

その後、山爺が保有していた様々な資材と引き替えて、譲渡した。

妖怪が住むための場所を、買い取ることはよくある。田舎では山の値段がとても安いので、かなりの数がこういう妖怪の住処として確保されているのだ。

この山にしても、十体以上の妖怪が住んでいる。

山爺はその長老格だが。

面倒くさいからか、それとも人間不信の延長線上か。

あまり、若い妖怪達に構うことはせず。

若い妖怪達も、山爺を顔役としては認識しているけれど、距離を置いて接しているようだった。

ただ、社交的な妖怪はあまり多くないのも事実。

それはそれで、上手く行ってはいる。

「だが、開発が進んでいるのは、山の外だ。 具体的には、小川の一つに護岸工事が進んでいて、霞の質が変わっているようだな」

「他者の家に平然と迷惑を掛けるのは、忌まわしい人間のいつもながらのやり方だ。 一体どうしてくれよう。 山崩れでも起こしてやろうか」

「少し待て。 お前も、人間に攻撃をした妖怪がどうなるかは分かっているだろう」

そう言うと、不満そうだが、山爺はそれでも黙った。

山爺は老人だけれど、それでも私よりずっと年下だ。二百と五十というと、妖怪としては中堅所の年齢である。

私のように1000年を超える妖怪となると、この国でも十といない。

一応、私は敬語を使うように要求したりはしないが。

山爺のような存在でも。一応の敬意を払ってはくれる。

もっとも、山爺の場合。

妖怪からも孤立していたところを、私に取りなして貰ったという過去があるから。私の言う事は、聞くように心がけているのだろう。

ため息をつくと、私は調査してみると言って、席を立った。

一旦外に出て、あかねに連絡。

外に出ると、スマホの電波も立つ。これは特別製だ。中継局なんか、遠くでも大丈夫なのである。

「ちょっといいか」

「どうしましたか。 休暇に掛けてくるのは珍しいですね」

「ある小川を調べて欲しい」

実のところ。

山爺の言っていた開発工事は、一応環境に配慮したものになっている。ひょっとすると、霞が出なくなっているのは、何か別の理由があるのかも知れない。

調査する必要がある。

そう私は判断した。

故に、連絡を入れるのだ。もし私がヘタを打って何かのトラブルに巻き込まれたときには、救出して貰うためである。

情けないけれど。

これも、いわゆるホウレンソウの一つだ。面倒くさいが、一応警官である以上、そういうルールは守らなければならない。

生きるためにも。

飯の種を失わないためにも。

もっとも、あのくされ安倍晴明が何か仕掛けてきたときには。どれだけ慎ましく生きていても、一瞬で蹂躙されてしまうだろうが。

一旦山爺の所に戻ってから、状況を説明。

彼は人間のやることだと言って、それで片付けてしまっている。嘆息すると、私が調べてくると告げた。

「何だ、使い走りになるというのか」

「これも仕事だ」

「……すまんな」

「いいんだ。 私はな、妖怪が不幸にならなければ、それでいいんだよ」

とは言っても。

妖怪は人であり、人が妖怪である以上。妖怪になる人間は増やしたくないし、元に戻せる妖怪はそうしたい。

この山には、私同様手遅れの妖怪が何体かいるけれど。

彼らも連れて行く。

何かの役に立つかも知れないからだ。

 

霧が出る山を下りていく。

確かに霞の質は落ちていた。前はもっと濃くて、そして何というか、妖怪が好む「味」があったのだ。

私も、霞を喰うことは出来る。

味気ないのであまりやらないけれど。此処の霞は何というか、味けないを通り越して、砂でも噛んでいるような感触だった。

とことこと歩いているのは山童。

山爺と似たような経緯で妖怪になった。ただし此方は子供である。彼は河童の一種でもある。

河童は渡りと言って、山と川を行き来する習慣を持っているのだけれど。山に居着いてしまっている例もあるのだ。

大陸の水虎が変じたのが河童だというのが有名な説だけれど。

それはあくまでアーキタイプの話。

時代国問わず、アーキタイプは妖怪に強い影響を与える。ましてやこの国では、サンカの民が河童の習性に強い影響を与えている。

山童は、山爺と同じように、口減らしで山に捨てられた。

そのまま山犬に喰われる運命をたどっていった他の子供達と違って。彼は生き延びて、世界を恨んだ。

上に停まっている鳥は、いつまてん。

死者を粗末にしていると現れると言う鳥である。

彼は腐れ坊主の所で、無縁仏の始末をさせられていたのだけれど。死体から着物や持ち物を剥ぎ取っては売り飛ばすように指示する坊主に、とことん嫌気が差していた。その事で口論になり、それで逆恨みされはめられた。

ヤクザものに全身を滅多刺しにされ。

山に捨てられて。気がついたら、こうなっていた。

多分生きようという本能と、世の無常への怒りが、彼を妖怪化させてしまったのだろう。その後、腐れ坊主の所に毎晩現れては、彼を狂死させた。

それ以降は、特に何も人に害を為してはいないけれど。

何しろ、幕末の混乱期だ。

その時期でなかったら、きっと処理されてしまっていただろう。

後ろからついてきているのは、送り狼である。

山に迷ったものを外界に連れ出してくれるが、転ぶと襲ってくると言うアレだ。実際には犬科の習性が、妖怪として認識されてしまったものである。彼は過去の話をあまり語りたがらないが。

多分サンカの民だったのだろう。

山の中で暮らしていれば、色々な病にも対処できない。

山の民として生きていただろう彼が、どんな恨みを抱いていったのか。それは、私も聞いたことはない。

いずれにしても、人を徹底的に避ける傾向があり、私以外にはほぼ姿さえも見せてくれない。

名前の通りの怪異も起こしたことがないし。

現状では、犬の姿をした妖怪以上でも以下でもない。

無害である以上、討伐の対象にはならない。そして彼は一度空気で包んで調べて見たのだけれど。

極めて強固に妖怪化していて、人間に戻る見込みは無さそうだった。

この三名だけを連れて、偵察に行く。

理由は勿論ある。

動物同様の強い感知能力を持ついつまてんと送り狼は、何かしらの危機があった場合、即座に察知することが出来る。

山童は、子供の妖怪らしくとても勘が鋭い。

私も直感には自信があるけれど。此奴も連れて行けば、更に死角が無くなる。

そろそろ、朝日が昇りはじめる頃。

霞も、徐々に薄れていく。

川に出た。

この辺りは、水源が近い事もあって、護岸工事も必要ない。急勾配に、ごくごく少量の水が流れている。

川海老やヘビトンボの幼虫など、都会では中々見かけない珍しい生物もいる。

鹿や熊もいるけれど。

とりあえず、今の時点では、姿を見せない。

「川はごく綺麗だな」

かがんで、水質を確認。

水は澄んでいるし、変な臭いもない。もし汚染されていたら、この清流に住んでいる生物は全滅だろう。

それくらいデリケートな生物が多いのだ。

送り狼が、近づいてきた。

疲れたらしい山童を背中に乗せる。幼い男の子は、送り狼の背中に乗せられると、少しだけ嬉しそうにした。

この子供も、妖怪化してから時間がかなり経っている。その上、妖怪化したのは、此処から三百キロも離れた場所。

明治維新の頃に妖怪化したらしいのだけれど。

今では、もう元に戻すすべも無い。

現在日本では考えられない話だが。当時は、子捨てなんて当たり前に行われていた。農家では、娘を売り飛ばすことも珍しくは無かった。富岡製糸場の悲劇は良く知られているけれど。

この国は、昔から皆が豊かだった訳では無かったのだ。

「工事現場は、もう少し上流だ」

促して、歩く。

朝日が出てきて、辺りを照らしはじめる。霞はその頃には、綺麗になくなっていた。

山頂近くに出ると、工事現場が見えてくる。

この近くを道路が通ると言う事で、山を削っている。しかし、貴重な天然記念物であるサンショウウオがいるとかで、入念に調べた上で作業をしている。実際、汚染された土砂も、川に入り込んでいない。

管理人がいたので、手帳を見せる。

「警察の方ですか?」

「ああ、少し話を聞かせてくれ」

プレハブから出てきた初老の管理人は、しどろもどろながらにも答えてくれる。行政指導が厳しくてやりづらいとか、工賃が掛かって仕方が無いとか。

ある程度話した後、切り上げて離れる。

妖怪達は、遠くからその様子をうかがっていた。

「どうだ、何か分かりそうか」

「九尾様は?」

聞き返してきたのは、いつまてんだ。

しばらく考え込んだ後、私は視線をそらした。

「いる。 何か。 だけれども、正体が分からない。 危険かどうか分からない限り、部下や仲間は連れてこられない」

管理人からは、はっきりとよく分からない気配がした。

妖怪がいる。

あれだけ厳しくやっている以上、多分霞の質が落ちたのは工事が原因では無くて、何かしら他にある。

川も念のためたどってみるけれど、違法投棄されているようなゴミは無い。

そうなると、疑うべきは妖怪だ。

しかし、環境を汚染する妖怪なんて、聞いたこともない。とにかく、もう少し色々調べる必要がある。

「お前達、この辺りを調べて、何かあったら山爺にいえ。 よそ者の妖怪を見た場合は、特にすぐにだ」

「分かりました」

いつまてんが飛んでいく。

山童を乗せたまま、送り狼も消えた。彼は終始無言で、今の言葉も理解していたのか、よく分からない。ただ山童を背中に乗せていたから、大丈夫ではあるだろう。

皆百年以上を経ている妖怪だ。何かトラブルがあっても、そんなに簡単に死ぬ事はないだろう。

せっかくの休暇も、これでパア。

だけれど、別に構わない。不幸な奴が出なければ、それでいい。それに、妖怪化したばかりだったら、人間に戻せるかも知れないでは無いか。

県道まで歩いて出ると、タクシーを使って駅まで行く。

後は電車を乗り継いで帰宅。

安倍晴明に廻された仕事は、ちまちまと進めているし。それさえ終われば、後はのんびり出来る。

この時は。

そう思っていた。

 

1、亀裂

 

ビールを飲みながら、スルメをもむもむしていると。不意にスマホが鳴る。電話番号は。

面倒な事に、あかねだ。

「おう、どうした−?」

「飲んでいるようですね。 体調は?」

「ほぼ回復したな」

それでは、少し早いのですけれどと、あかねが前置き。

つまり、仕事と言う事だ。

しかも、この間足を運んだ辺りである。

対怪異部署は、各県警にあるわけではない。というか、県警ごとに部署を作れるほど、適正な人材がいないのだ。

本庁にのみ、部署があり。

状況に応じて、事件が起きた場所へと出張していくことになる。この辺りは警察の組織としては極めて異質である事は、私も理解している。

酩酊した頭で、ゆっくりとあかねの言葉を聞いていく。

何でも、私がこの間足を運んだ山の辺りで、不可解な事故が続発しているという。トラックが二台、急発進して、プレハブを潰したり。いきなりエンストを起こして、立ち往生したり。

働いている者達の荷物が消えたり。

あっというまに、食物が腐ったり。

そのような、どうにも原因が特定できないことが、頻発しているというのだ。

しかも工事現場は、地元の行政指導が入って、環境に配慮しながら作業をしている。口うるさい環境保護団体も現地を視察して、文句を言わなかったほどである。専門家が調査した上で、丁寧に仕事をしている、という事だ。

工事に反対している住民もいない。

というよりも、前から路がないから不便だという声が多く、今回の工事に関しては、賛成意見が多数だという。

地元の住民ほど喜んでいる、と言う状況であるらしい。

つまり、反対している者がいないのだ。

妖怪については、山爺のように不快感を示しているものもいるけれど。それは霞の質が落ちた事によるもの。

霞さえ変にならなければ、頑固者の山爺でさえ、何も文句は言わなかっただろう。

つまり、妨害をする動機がないのである。

「工事をしている人間に、個人的な恨みがあるものの可能性は」

「それが、一度工事現場の人間を総入れ替えしているそうでして」

「そうなると、会社の上役や、管理職については」

「調べていますが、何とも。 比較的クリーンな企業による作業ですので、あまり考えられることでは無いかと思います」

まあ、普通の警察ではお手上げだから、此方に話が来たのである。

私の考える事くらい。本職は全部やっている、ということであろうか。まあ、それは別にどうでもいい。

問題は。

確かに妖怪の気配はあったけれど。私にも、どうにも動機が読めない、という事だろうか。

工事を邪魔することでは無いとしたら。あの場所にこだわっている意味がよく分からない。

仕方が無い。今回は長期戦になる可能性も高い。

ハイエースを借りると、あかねに人員を手配して欲しいと指示。私はそのまま、機材を積んで現地に向かう事にする。

「今回もハイエースなんですね」

「お気に入りなんだよ。 それはそれと、ビールをまた差し入れしてくれ。 後、引っ越しの手続きも頼めるか」

「分かりました。 やっておきます」

私はと言うと、残ったビールをさっさと飲み干すと、横になって眠る。

飲酒運転は最近罰則が厳しいし。私だって、酔った状態で完璧に運転がこなせると思っているほど頭の中がお花畑になっていない。

しばらく眠って、酒を脳から追い出すと。

やむを得ないから、起き出して、荷物をまとめた。

このアパートも、あまり長くは住んでいなかったけれど。それなりに愛着はあったし、離れるのは残念だ。

アパートを出て、レンタカーショップに向かう。

今日のは赤いハイエースだ。

ちょっと派手だけど、これくらいの方が、むしろ良いかもしれない。中に荷物を詰め込むと、すぐに出る。

カーナビを使って、目的地を表示。

電車を使って行く方が、自分としては楽なのだけれど。ハイエースを使うのは、個人的な趣味からだ。

それに、思い入れもある。

普段冗談めかして誰にも言わないけれど。

ハイエースが、私には良いのだ。

理由はあるし。その理由は、消滅するときまで、腹に抱えて持っていくつもりだけれど。

高速に乗った。

しばらく行ってから、パーキングに。あかねに連絡を入れる。あかねはというと、都内で起きたかなり面倒な怪異事件に今対処しているそうだ。安城も其方で対応をしているらしい。

かなり獰猛な妖怪らしく、既に死者も出ているとかで。

荒事が出来るメンバーはあらかた出払っていて、其方で交戦中だそうである。ちなみに、かなり追い詰めてはいるようだが。それでも、人間を食い殺した相手だとかで、油断は出来ないという。

まあ、それはそうだろう。

「此方に回せる人員は?」

「この間、補助人員になった子が一人」

補助人員か。

それは少しばかり、面倒かも知れない。

補助人員というのは、民間協力者である。というよりも、だ。具体的に言うと、部署内のメンバーの内、未成年のものを指している。

私のように、成人しているか。それに相当しているものに関しては、特殊措置として、対怪異部署の人員として認められる。問題は、それが未成年の場合。流石に未成年を警官とするわけにはいかない。

其処で、補助人員という言葉が用いられる。

荒事に対処する場合、むしろこの補助人員の方が、大きな役割を果たしたりもするのだけれど。

今回は、荒事以外の補助人員が廻されてくることになる。

そうなると、多分文字通りのひよっこだろう。

多分神道関係者か、或いは仏教関係者か。

どちらかの、特殊な場所で、修行を積んでいたものが、警官としてスカウトされている事になる。もしくは、キリスト教関係者か、或いはもっと違う宗教かも知れない。いずれにしても、年若いという事は、期待度もそれだけ下がると言う事を意味する。

残念ながら、それが現実だ。

私も永く生きてきているから、経験がどれだけ大きな力を持つか知っている。勿論腕力がものをいうような分野では若いほど良いけれど。頭を使うような分野になってくると、話が違うのだ。

経歴を聞いたけれど、何処かで戦闘用の訓練を受けた神職らしい。まあ、まだ神職としてはひよっこだそうだ。

本庁屈指の戦闘力を持つあかねと一緒に考えると、酷い目に遭いそうだなと、私は思った。

「そいつだけか?」

「もう一人は、もう現場に到着しています。 現地で師匠に挨拶するようにと言っておきましたので、すぐ分かると思います」

「そっか」

スマホに、二人分の経歴が送られてくる。

ちなみに最初のは女。もう一人は、普通の警官として着任したが、途中で適正を見いだされて此方に来たという。

だが、通常の警官からすれば、対怪異部署は、一種の窓際だ。

あまり良い認識はされていないらしいし、それでいながら危険は高い。ひょっとすると、感覚的には左遷と思っているかも知れない。

見たけれど、普通に刑事だから、階級は私の方が上。

まあ、面倒がなくて良いか。

私も一応、警部補として扱われている。まあ、階級は正直どうでも良くて、顎で使われず、給金が入って、飯が食えればそれでよい。

だからこの二人も、適当に使って。

適切に事件を解決する。

それだけだ。

何時間か掛けて、高速を乗り継いで。現場に到着。電車を使わなかったのは、荷物が多いからだ。

現場の近くにハイエースを停めると、山爺に連絡を入れる。

つながらない。

嫌な予感がする。

ハイエースからある程度の荷物を取り出すと、まず山爺の所に、私は出向くことにした。彼奴は偏屈だけれど。

私の友達の一人なのだ。

 

廃屋は、ぐしゃぐしゃに潰されていた。

あまり、良い事態には思えない。廃屋の瓦礫をどかすと、地下に。一番奥まで潜ると、山爺は、いた。

消滅寸前の打撃を受けている。

ひいひいと悲鳴を上げている山爺は。全身から力が流出して、息も絶え絶えと言う有様だ。

「何があった!」

「お、大きな声を、出さないでくれ」

「……襲撃されたのは、いつだ」

「ついさっきだ。 あんたの気配に気付いて、逃げていったみたいだ。 何だか、蛇みたいな姿をした奴だった」

山爺を、絞め殺そうとしたのだという。

その後、素早く逃げていったそうだ。

山爺を担いで、廃屋から出る。どういうことだ。蛇の妖怪は近所では報告例がないのだけれど。

すぐに、山の妖怪達を集める。

幸い、欠けているものはいない。

「見ての通り、山爺が何かに襲われた。 私は今から、近くの稲荷神社に行って、眷属に山爺を預けてくる。 そうすれば回復は出来る」

不安そうにしている妖怪達。

人間による攻撃を受けたのでは無いか。それが一番最初に思い立ったことなのだろう。だから、明確に否定しておく。

攻撃をしてきたのは、蛇のような姿をした妖怪だと。

しかし、どうにも解せない。

蛇妖の類は、気配が独特で分かり易い。彼らは待ち伏せ型の捕食者の性質を持っていて、針を突き出すような気配を放っているものなのだ。あの工事現場で感じた気配は、蛇妖のものだったか。

送り狼が、言う。

「俺たちも、神社に移りたいが、良いか」

他の妖怪達が、驚いたように送り狼を見た。多分喋るのを見たのは初めてなのだろう。それに、山爺の家の無惨な有様。

周囲にある、何かが通っていった跡。

平和な山は。

もはや、妖怪の楽園では無くなっていた。

鼻を鳴らす。

「まあ、それは構わない。 私の眷属の力を借りて結界を張っておく。 電話かスマホが使える奴は?」

おずおずと手を挙げたのは。

カラス天狗の一人だ。

カラス天狗はどちらかと言えば力のある妖怪だけれど、彼は結構最近人間から妖怪になった。というわけで、力もどうと言うことは無いし。何より、戦闘の類が極端に苦手である。

「電話使え、ます」

彼は、妖怪に変わるとき、長い酸欠状態にいた。このためか、喋るときに、かなり長い間があく。

だが、同じような症状のある妖怪は珍しくもない。

彼らを連れて、私は神社に急ぐ。眷属がいる稲荷は日本中彼方此方にある。山をかなり下りて、川の側に。

その途中で、あかねにも、連絡を入れておいた。

「待っている二人には、その旨を伝えておいてな」

「分かりました。 師匠も気をつけて」

「んー」

神社に到着。

川縁にある神社は、民家の敷地内にある。空気を操作して、皆を連れて神社の境内に。奧にある母屋に入ると、年老いた老婆が、位牌に手を合わせていた。

後ろを通って、奥の間に。

山爺を横たえると、眷属を呼び出す。

此処の眷属はかなり大きくて、背丈は三メートルほどもある。きつねと言うよりも、熊か虎かという迫力だ。

「これは九尾様。 如何なさいました」

「私の友人が得体が知れない妖怪に襲われてな。 背負ってきたところだ」

「それは災難でありましたな。 すぐに治療に取りかかりましょう」

「治療については初期処置をしておくから、途中から力を注入だけしてくれ。 判断は任せる。 偏屈老人だが、気が良い奴なんだ。 あまり酷い目には遭わせてくれるなよ」

普段だったら、偏屈は余計だとか、山爺が文句を言うところだけれど。ダメージが深刻らしく、何も言わなかった。

電話についても、場所を知っている。

田舎らしく、昔懐かしい黒電話だ。空気で壁を作って、使っていても平気なようにしておいた。

カラス天狗が不安そうに見比べていたが。まあ、私が実際に使って見せて、老婆が反応しないのを見て、ようやく安心した。

妖怪は、思われているほど、力が強くないのだ。

体が透け掛けている山爺を、私の力がこもった空気で覆い、回復を開始。

更に、神社の周囲にも、妖怪よけの結界を張った。これで此奴らも出られないし、外からも入れない。

もしも結界を破って入り込まれた場合には、眷属がいる。

緑色の毛並みを持つ此奴は、並の妖怪より強い。更に十体の妖怪がいるのだから、簡単に遅れは取らないだろう。

神社を出る。

これで、ようやくひよっこ共と合流できる。路沿いに歩いて行くと、しばらくして、ハイエースが見えてきた。

何だかぐったりしてしまう。

まだ、事件は。

解決の糸口さえ掴めていない。

 

2、赤い手

 

現場にいたのは、対照的な二人だった。

一人は屈強な体格の男。まだ若いという事だが、その風貌からして、三十代と勘違いされても不思議では無いだろう。

四角い顎に、愛嬌の欠片もない威圧的な目。

仕事にも、職場にも、不満があるのが目に見えていた。

「平尾です」

「金毛だ。 よろしく」

敬礼をかわす。

何だか、接しているだけで疲れてくる輩だ。此奴、あかねとは別の意味で最悪の堅物と見て良いだろう。

もう一人は、いわゆる千早を着た神職の娘。

非常に小柄で、あかねよりも小さい。

あかねの奴は全身凶器と言って良い戦闘力の持ち主だが。此奴はろくに運動もこなせないことが目に見えていた。

力の高さだけで、この業界に来たのだろう。

「牧島奈々です。 よろしくお願いします」

「よろしく」

敬礼も、様になっていなかった。

早速、近くのプレハブに入る。今は工事は中止してしまっている。度重なるトラブルに、会社の方が音を上げたのだ。

だからプレハブは、遠慮無く使わせて貰う事にする。

「それで、本官達は何をすれば良いので」

「あー、まあそうなるわな」

平尾が威圧的に視線を周囲に配るので、ずっと牧島はびくびくしているようだった。非常に小柄なこの娘は、身長百五十センチもないかも知れない。そうなると、あかねよりも更に十センチは小さいという事になる。

平尾は二メートル近いから。並ぶと、平尾、私、牧島で、階段みたいになる。ちょっと面白い。

「まず平尾。 お前の経歴は見たが、対怪異部署に来てから間が無いな」

「はい。 本当に怪異などと言うものがあるのかも、良く分からないと言うのが素直な所です」

「ほれ」

「な……!」

私が尻尾を出してみせると、平尾は目を剥いた。

勿論、ジョークでもトリックでもない。青ざめているのは牧島だ。まさか、こんな高位妖怪が側にいるとは思ってもいなかったのだろう。

拳銃に手を掛ける平尾だが。

呆れて、私は肩をすくめて見せた。

「聞いているはずだぞ。 私が本物の九尾のきつねだって話はな」

「も、勿論聞いてはいましたが、何かの冗談だとばかり思っていました。 或いは、暗号か何かだと」

「暗号ね。 だったらどれだけよかったか」

平尾は見たところ、怪異にも物理攻撃を適応できるタイプの人間だ。

巨大な奴なら兎も角、実際には怪異はそれほど強い力を持っていない事が多い。平尾みたいなタイプの人間なら、殴るだけでダメージを充分に与えられる。妖怪の力なんて、そんな程度なのだ。

一方の牧島は、多分やっと一人前として認められた程度。

基礎的な術が使えるかも知れない、という位の扱いが関の山だろうか。力があっても、使えなければ意味がないのだ。

「よし、まずは警察の基本という奴だ。 牧島、お前妖怪の気配は分かるか?」

「は、はい! 何とか」

まあ、それくらいはできて貰わなければ困る。此奴みたいな非戦闘タイプの仕事なのだから。

平尾はまだ混乱している様子だが。

此奴はガチガチの警官だ。上官の指示には逆らえない。

「実はこの工事現場には前も来たんだがな。 その時も妖怪の気配は感じたが、非常に微弱で、悪さをするとは思えなかった。 つまり妖怪として人間に害を為す存在に変わったか、或いは変えられたか。 もしくは別の妖怪が、ここに来たか。 それを確かめたい」

「調べて見ます」

「平尾は牧島の護衛」

「分かりました」

かっちりした敬礼をすると、平尾は牧島を一瞥した。

玉串を手にしている牧島は、どれだけの事が出来るのか、実際には見てみないと何とも言えない。

プレハブを出て行く二人。

私はデスクに腰掛けると、手で顔を仰いだ。ポケットからスルメを取り出すと、もむもむする。

おいしい。

しばらくぼんやりしていたが。

気付く。

プレハブのすぐ側に、誰かいる。どうやら、今までの連中とは違うのが来たと、気付いたのだろう。

窓の側。

どんと、いきなり鋭い音。

窓に、赤い手形がついた。

それも、幾つも。

どん。どん。

何度も、叩き付けるような大きな音。徐々に、大きくなっていく。赤い手形も、増えていく。

不意に、静かになる。

私は舌打ちすると。立ち上がって、外に出た。

誰もいない。

窓にも、赤い手形は残っていなかった。

窓を調べて見るが、妖怪の気配は確かにある。しかし、脅かしているようには思えないのである。

山爺を襲ったのとは、微妙に気配も違う。

一体何が起きている。

しばらくスルメを噛んでいると、二人が戻ってきた。焦燥している様子の牧島。ヤブ蚊が多くて、本当に苦労している様子だ。あの様子では、ひょっとすると。相当な箱入りなのかも知れない。

箱入りの娘っ子が、自分らしい生き方をと、特性がある分野で修行して。

しかし、現場に出てくると。かっこよく妖怪とアクションをするどころか。山の中で、ヤブ蚊に追い回されながら、地道に足で稼ぐ。

現実と理想の相違は、何処にでもある。

此処にもだ。

プレハブに入って貰った後、先ほど起きたことを言う。平尾は馬鹿馬鹿しいという顔をしていたが。

青ざめて、立ち上がる。

見ると、彼の視線の先には。

此方を明らかに不自然な角度で覗き込む、顔があった。

多分女のものだろう。窓を斜め上から、逆さに覗き込んでいる。どんな格好になれば、あんな真似が出来るのか。

ヤモリか。

「おのれ、何やつか!」

絶叫すると、平尾が飛び出していく。

私も遅れて外に出るけれど。勿論、そこには誰もいない。現役の大妖怪(著しく弱体化しているが)である私を、随分と舐めてくれたものである。

「疲れるからいやなんだけどなあ」

ぼやくと、私は。

周囲に空気の壁を展開。徹底的な調査を開始する。このコンテナは、少なくとも、もう使わない方が良いだろう。

ハイエースに移動。

中で、作戦会議をすることにした。

ハイエースには、空気で壁を作っておいた。妖怪が接近すれば、すぐにでも察知できるはずだ。

ただ、それも絶対では無い。

「さて、アレを何だと思う」

「見当もつきません」

平尾がそう言う。

まあ、元々此奴には、頭脳労働は期待していない。敵の正体を特定できたら、殴り合いをしてくれればそれで良い。

牧島は相当さっきのが怖かったらしい。

ハイエースの後部座席で頭を抱えて、ぶるぶる震えている。

此奴も駄目か。まあ、初陣では、みんなこんなものだ。

「蛇の妖怪の可能性は」

「ないと、思います」

即答したのは、牧島である。平尾が驚いたように、牧島の方を見た。まあ怯えきっているのに、其処までの返答が出来るとは思っていなかったのだろう。

牧島は私と視線を合わせないけれど。

しかし、はっきりと意見を述べた。

「蛇の妖怪だとすると、独特の妖気があります。 私の式神も、それはないと言っています……」

「式神ね」

此奴、式神使いか。

そうなると神道系ではなくて、見習い陰陽師かもしれない。まあ、どうでも良いことである。

ちなみに式神というのは、妖怪の一種ではない。

昔々の式神は、まんま身分が存在しないような下層民をさしていた。陰陽師が行使する、使い捨ての駒。

それこそが、山の民であったり。

農民でさえなくなった賤民であったり。

或いは、親に捨てられた子供であったり。

陰陽師というのは、いわゆる超自然的な能力を持つ集団と言うよりも。国のために情報を集めるための組織なのだ。

それが時とともに変遷。

怪異の脅威が大きくなってくるとともに、自分の力の一部を切り離して、擬似的な人格を与えて動かせるものがではじめた。

これが、現在主流になっている式神。

私も、陰陽師に追いかけ回された時には、随分とこれに苦しめられた。幸い今は、攻撃される恐れはないけれど。

「ではあれは何だ。 著しく気味が悪かったが」

「分かりません。 ただ、人では無いとしか……」

なるほど。新人は、そう言う認識なのか。

殺した相手が人間だと知ったら、それは流石にショックも受けるだろうから。敢えて、最初は人では無いと教えるのか。

怪異は人。

人は怪異。

これはこの業界の鉄則なのだけれど。

まあ、こんなひよっこにまで、その過酷な現実を教え込むことはないのかも知れない。

ばちんと、音がした。

ハイエースの外だ。

私が張った空気の壁に、何かがぶつかったのだ。この感触からすると、かなり硬い。石とか、鉄片とか、そういうもの。

舌打ちする私。

だが、平尾はもっと激烈な反応を示した。

「……本庁で警官をしていた頃に、噂は聞いていました。 妖怪は実在していて、その対処部署もあると。 対怪異部署に移ったときも、まだ半信半疑だったのですが。 貴方の尻尾といい、これは信じざるを得ないようですな」

「そう言うことだ。 さて、敵の正体を洗い出して。 目的を探る。 それに……」

今回、動いている妖怪は、一体では無いかも知れない。

どうにも、先ほどの逆さ女が、山爺を襲った「蛇」と同一だとは思えないのだ。山爺を襲った蛇にしても、良く正体が分からない。

それに、異常な気配の薄さも気になる。

何が起きているのか。

数限りない妖怪を見てきて、コミュニティの長にまで収まっていた私でさえ、どうにも見当がつかないのだ。

困った。

一旦ハイエースを出る。周囲は異様な気配が充満していて、私は思わず制服の袖で口を押さえていた。

妖怪でも、妖怪が怖いと感じる事はある。

流石に妖怪を専門的に喰うような奴は滅多にいなかったけれど。そうではなくて、人間が元になっている以上、妖怪を怖れてしまうことはあるのだ。

変わり果てた自分の姿にショックを受けて、心を閉ざしてしまう妖怪も、見た事が何度かある。

彼奴は。

あの逆さ女は、自分が妖怪である事を認識していない可能性さえある。

問題は、どうしてこの工事現場を再三襲撃しているか。しかも、人を殺さない程度に、である。

何が目的だ。

平尾に付き添われながら、牧島がハイエースの側面ドアから出てくる。

ぎゅっと玉串を握りこんでいるが。余程怖いのだろう。まあ、あれを見てしまうと、流石に平静ではいづらいか。

「とにかく、本体を見つけ出したい。 それには情報収集が必要不可欠だ」

「分かりました。 今いる式神、四体全てを飛ばして探らせます」

「頼むぞ」

「本官は何をすれば」

怪しい気配があれば、反撃しろ。

そう言い残すと、私はハイエースから離れる。空気のガードをハイエースに残しているから、必然的に私の守りは甘くなる。

要するに、隙が出来る。

さて、来るなら来い。

面倒だから、さっさと済ませたいんだよ。

出来れば痛くないようにな。

さて、妖怪は出てくるか。

しかし、である。

結局最後まで、妖怪は姿を見せない。舌打ちすると、私は。ハイエースの方にいる二人の所に、戻る事にした。

 

覗きをする妖怪。

それは別に珍しいものではない。

たとえば、最も有名なのがしょうけらだ。

これは一種の神が妖怪化したものであるという説がある。要するに、そう言うアーキタイプを持つ存在、という事だ。

しょうけらは家屋の天窓などから人間を監視。悪事をしていないかを調べ。しているようならば、罰する。

それだけではない。

昔、人間は多くの寄生虫を飼っているのが普通だった。だから死ぬと、体中から寄生虫がわき出して、逃げ出そうとするものだった。

これが、体の中には、人間が悪事を行うと、閻魔に報告しに行く虫がいる、という伝承につながっていく。

この伝承が変化したものの一つが、しょうけらである。

他にも、覗きをする妖怪は何種類かいる。

あの女の妖怪は、見たところ、しょうけらの可能性があるけれど、必ずしもそうだとは言い切れない部分も多い。

しょうけらは小柄な猿のような姿をしている。

実際、コミュニティにいたことがあるから知っているのだ。ただ私が知っているしょうけらは、むしろスケベ心が度を超して妖怪化した輩で、周囲からは白眼視されていたが。悲惨な生い立ちが多い妖怪化した人間の中で、スケベ心から変化したような奴が混じっていたら、それは白眼視もされる。

ちなみに私の入浴を除こうとしたこともあるので、お仕置きした。

他の妖怪も、ピックアップする。

ドアを開けたままのハイエースの中で、牧島がうんうん唸っている。平尾は相当に気を張っている様子だ。

不審者に監視されているという事に関しては、違いないのだから。

「一つ、よろしいですか」

「んあー? 何だ」

「金毛警部補は、いつもあのような、不気味な相手と戦っているのですか?」

スマホを操作する手を止める。

知らないのなら、そろそろ教えておくか。妖怪を気味が悪いと思うのは良いのだ。私だって、時々別の妖怪を気味が悪いと感じる事はあるのだから。

だが此奴の今の発言は。

妖怪が、それこそ霞から湧いて出た異形の存在、とでも思っているから出たものである。

それは、許しがたい。

「牧島も、いいか」

「は、はい」

「丁度良いから、聞かせておこうか。 妖怪というのは、人が変じたものだ。 これに関しては、一つの例外もない。 かくいう私も、1000年と少し前に、普通の農民の娘として生を受けたがな。 色々あってきつねの化け物に変わり果てた」

驚いたように、平尾が此方を見る。

牧島に到っては、今までの常識を全否定されたという顔をしていた。

「仕組みについては、まだ分かっていない部分も多いのだが、それに関しては間違いが無い所だ。 人は怪異、怪異は人というんだ。 まあ逆でも良いが、よく覚えておけ。 何かしらの大きな負荷があったり、心に闇が溜まりすぎると、人は傾いて、この世の法則から逸脱する。 それが、妖怪というものなんだよ」

「に、にわかには、信じられません」

「私という実例がいるのに、か」

そう言うと、平尾が口をつぐむ。

咳払いすると、最後に言っておくべき事を言った。

「これをお前達新人が知らされなかったのは、いざというときに手が鈍ることを怖れて、だろうな。 だが、これだけは覚えておいてくれ。 妖怪だからと言って、汚らわしい化け物では無い。 元は人間で、救う方法もある。 そう言うことだ」

二人とも、黙り込む。

私は大きく嘆息すると、再びハイエースから離れて、歩き出す。

霧が出始めてきた。

まだ霧が出る時間では無い。それよりも何よりも、この霧。味が薄くてまずい、朝のあの霞と同じだ。

「牧島」

「はいっ」

「霧の出所を、調べさせろ。 多分妖怪が、何か悪さをしていると見て良い」

すぐに式神を飛ばすという。

折りたたみ式の椅子を出すと、私はハイエースに背中を預けるようにして座る。隣で立ち尽くしている平尾は、まるで仁王像のようだった。

「何というか、言葉もありません。 今まで信じてきた事全てが、今日崩れてしまったような印象です」

「私も人間止めたときはそうだったな」

「その、警部補は、人には戻れないんですか?」

「私くらい妖怪化が進行するともう駄目だな。 それに私も、昔に比べればずっと弱体化していてか弱いんだ。 あんまり虐めてくれるなよ」

スルメを出すと、もむもむする。

今回の奴は、殆ど私に正体を探らせようとしない。接触してくれば、少しは相手のことが分かるのに。

人間に戻りたくないのか。

可能性はある。

あかねに連絡を入れる。其方はどうかと聞くと。無線の向こうから、戦闘音がしていた。かなり手強いとは聞いているが、まだ決着がついていないのか。

「師匠、今鉄火場です。 後でお願いします」

「ああ。 此方も実はそうなんだがな……」

爆発音。

まあ、あかねの奴は、本庁屈指の使い手だ。彼奴が遅れを取るような奴は、そうそうはいない。

ちなみに全盛期の私でも、多分勝てないだろう。

妖怪なんて、その程度の存在なのだ。

牧島が顔を上げる。

進展があったらしい。

「見つけました! 何だかとても長い妖怪がいます! その先端に、顔がついていて……二つ……頭とおしりに、顔が二つあります!」

それはまた、不気味な存在だ。

蛇かと聞くが、違うと言われる。二体一体の妖怪も、これはこれでかなりの数が存在している。

データベースを洗っておく。

どの妖怪でも、不思議では無いからだ。

「平尾、牧島、戦闘準備」

「妖怪をたたきのめすのでありますな」

「まあ、押さえ込んでくれれば良いや。 接触さえしてしまえば、こっちのもんだ」

スルメをもう一つ口に入れながら、私は折りたたみ式の椅子を畳んだ。

 

霧がおかしくなっている中心点は。

文字通り、地獄の混沌と化していた。

其処には、巨大なバネのようなものが存在していた。ねじくれてらせん状にからみ、そして先端後端に頭がある。

片方は男で、もう片方は女。

何だこの妖怪。

見たことが無い。

そもそも、二体一組の妖怪の場合、余程気があったもの同士が、妖怪化したときそうなる事が殆どなのだ。

逆に、無数の妖怪が合体しているタイプの場合は、一人の強力な統率者が、他を引きずっている場合が殆どである。

ぐじゅる。うじゅる。ずじゅる。

おぞましい音。生きたバネが、霧を啜っている。

特に女の方は、髪が長い上に、口が耳まで裂けていて。赤い唇の間から、のこぎりのような歯が覗いていて、人間を怖れさせるには充分な容姿をしていた。

だからこそ、逆に分からない。

何故此奴は、こんなにこそこそしている。

どうして此奴は、山爺を襲った。

「け、警部補」

「……」

卒倒寸前の牧島と、平尾の前で、手を横に伸ばす。

これ以上前に出るな、という事だ。

空気を向けて、少しずつ相手を探る。それで何となく、分かってきた。

此奴、己の気配を、この霧若しくは霞で緩和しているのだ。霧若しくは霞に籠もっている力を吸い取ることによって自分の力を増し、それによって様々な不可思議な力を発揮してきた、と言うわけである。

なるほど、気配を捕らえられないわけだ。

そして見て確信できたが。

此奴は蛇じゃあない。

体はどちらかというと、何というか。

進み出る。

いざというときは、遠慮無く彼奴を殴れと、私は平尾に目配せした。大きいけれど、妖怪は見かけほどパワーがない。

牧島も、がくがく震えながら、しかし式神を展開して。いつでも防御を行えるように、備えていた。

「おい」

私は進み出て、声を掛ける。

霧を喰らうのを止めて、ゆっくり此方に向き直る二体の頭。四つの目が、私を見据えるけれど。

別に怖いとは思わない。

見て分かったが、此奴は戦闘タイプの妖怪じゃない。

山爺のような、人間の老人と同じ程度にしか動けない妖怪を襲ったからと言って、戦えるとは限らない、という事だ。

「私も妖怪だ。 話を聞かせて貰えないか」

「話、何の話」

「ただ、食事したい、だけ。 この姿、誰にも見せたくないだけ」

意外に素直な奴だ。

私は尻尾を出してみせる。二体の頭が、小さく悲鳴を漏らして、少し下がった。動きは、ちょっとだけ蛇っぽい。

「私は金毛警部補。 いわゆる九尾のきつねだ。 お前達は?」

「分からない」

「気がつくと、こうなっていた」

ふむ。

鵜呑みには出来ないけれど、思ったよりは話が出来る。少しずつ、空気で奴を包み込んで、調べていく。

妖怪としては、これは完全体になっているとみて良いだろう。

だが、この会話が出来る様子や、それに触ってみて分かるのだけれど。多分此奴、まだ人間に戻れる。

というか。

妖怪になって間が無い。此処まで形状がおかしくなっているという事は。

ここしばらく、妙な妖怪と遭遇する事が多かったのだが。それに類する事例では無いだろうか。

折りたたみ椅子を出して、私が座る。

二人には、いざというときまでは動くなと指示を出している。

私が、怖れず、話を聞く気になったのを、相手も悟ったのだろう。とぐろを器用に巻いて、頭二つを、私の左右斜め上に並べた。

「まず、名前は分かるか?」

「分からない。 どっちも分からない」

「何故、ここに来た」

「怖くて逃げてきた」

答えてくるのは、男の方。

女の方は、たまにしか喋らない。多分、山爺を襲ったのは、この女の方だろうなと、結論。つまり此奴には気をつけた方が良いだろう。

此奴らは、らせん状の、蛇みたいに長い体でつながっているけれど。しかし、意識は別々だと判断してよい。

多分共通しているのは。

己の醜い姿を隠したい、という事だ。

「ここに来たのは偶然なのか」

「そうだ。 蛇みたいに這いずって、いつの間にか此処にいた」

「そうなのか?」

女の方に聞いてみる。

そうだと答えるけれど。空気で包んでいる今は分かる。此奴は違う。多分此奴は、最初からここに来ようとしていた。

問題は、目的。

そして、誰がそうさせたか。

多分此奴らの後ろには。

下手な操り手がいて。この不格好な二体の妖怪を。きっと、血まみれの赤い手で、操作している。

 

3、引きちぎれる罠

 

しばらく話した後、一旦休憩を入れた。

スルメを見せると、食べるという。男の方は旺盛にもくもく。女の方は、顔を背けてそれっきりだ。

逃げる様子は無い。

というか、逃げたとしても。此奴らの気配はもう察知した。これからは、今までと違って、見つけ出せる。

あかねに連絡。

あちらは、ようやく決着がついたようだった。

人間を喰らった妖怪は、始末しなければならない。これはこの業界の鉄則。あかねは、相手を殺した。

消滅させたのだ。

疲れ切った声のあかねから、事情を聞く。

そうかとしか、私は言えなかった。

私も、その条件は。喰ってはいないけれど、殺したという点では、確かに満たしているのだから。

「其方の妖怪のデータを確認しましたが、非常に珍しいですね。 何かしらの妖怪の変種では?」

「二体一組というと、手長足長なんかが有名だがな。 あれには手も足もない」

「蛇のようですが、蛇では無いと」

「ひょっとすると……」

いや、まだ結論は早い。

とにかく、男女が一緒に失踪した例がないか、調べて欲しいと頼む。向こうは大立ち回りの後だが、後方待機していた部隊に調べて貰う事は出来るだろう。

問題は、この辺りは。

何しろ田舎と言う事だ。

失踪の例は結構ある。都会ほどでは無いにしても、である。

しかも田舎の場合は、人間関係が非常に偏屈である事が多く。失踪者は、多くの問題を抱えている事が珍しくもないのだ。

田舎には良いこともあるけれど。

人間関係という点では、間違いなく邪悪な闇を秘めている。それが、田舎の悪い所なのだ。

しかし、私はどうもおかしいと感じている。

此奴らは、どうにも、この近辺の存在には思えないのだ。

折りたたみ椅子に戻る。

さっき平尾が買ってきたビーフジャーキーを、仲良く双頭の蛇は食べていた。そういえば、双頭の蛇という軍事用語があるけれど。流石に、それは此奴らとは関係がないだろうと、私は思った。

「美味い。 好きだ」

「お前達、夫婦か?」

「分からない」

「そうか、分からないか。 私は1000年生きてきてな。 五回結婚したが、夫は全員、今でもよく覚えているぞ」

忘れられる、わけがない。

私にとっては、束の間の幸せだった時間だ。

それにしても、夫婦で妖怪になって、互いが認識できないというのもおかしな話だ。こいつら、ひょっとして。

そもそも、二体一対の妖怪では無いのか。

雑談をしている内に、色々な事が分かってくる。ちょっとした言葉や返答からでも、人間というものは推理が出来るのだ。

たとえば男の方は、多分間違いなく元消防士だ。

時々、用語が出てくるのである。勿論私は其処まで公務員のスラングや用語には博識では無いので、出てきたものはスマホで確認しているのだが。

女の方は、多分OLである。

かなり警戒心が強い性格で、殆ど私に心を開いていないが。たまに心を開く話題があって、それが大体女性の雑誌。

それも、趣味を持つ人間を徹底的に蔑視して悦に入っているようなOLが喜ぶ話題がメインになっている、ゲスな週刊誌だ。

他にも、幾つも分かってきたことがある。

男の方は、方言というか、訛りが残っている。あかねに転送して調べて貰ったが、これはおそらく、広島の方の訛りだ。野球の話題も振ってみたが、カープが好きだと言い出す辺り、筋金入りだろう。

だんだん、分かってくる。

此奴の、正体が。

一度離れて。平尾に耳打ちする。

「女の方の首が、多分破壊工作の主導者だ。 しかも、彼奴らはおそらく、夫婦でもないだろうな」

「今までの雑談で、其処まで分かるんですか」

「年の功という奴だ。 これでもお前の五十倍生きてるからな」

からからと笑う。

妖怪達は、その間も、此方を見ていた。

勿論、あの男の方も。女と意識を共有していたり。口裏を合わせている可能性も否定出来ない。

だけれども。

私は空気を操作している。

ちょっとしたサインも見逃さない。

しかも彼奴らには、念入りに空気での調査を行うべく、周囲を何重にも覆った。つまり、嘘はつけない。

男の方は、少なくとも嘘はついていないと見て良い。

さて、そろそろだ。

詰めようか。そう思った、その時だった。

「危ない!」

牧島が叫ぶ。

緩慢に避けようとした私を抱えて、平尾が飛ぶ。巨体とは思えないとんでも無い素早さである。

爆裂。

小石が吹き散らされる中。

私は、平尾に抱えられて。その肩越しに、それを見た。

双頭の蛇の上に。

何かいる。

あれは、妖怪。それも、相当に古い妖怪だ。

タキシードを着込んだ女妖怪。男装の麗人というのは、独特の美貌を湛えているものだが。

どうひいき目に見ても彼奴は、多分私よりも上だ。

宝塚なんかで、プリマを出来るかも知れない。

「いってえ! 何するんだよ」

「戦闘向きでは無い上に、相当に衰えていると聞いていましたが。 どうやら本当のようですね」

女が、短く切りそろえている髪を、きざな動作で撫でた。

此奴。

ちょっとムカつく。

平尾が立ち上がる。牧島も、四体の式神を周囲に展開。何時でも戦える体制を整えていた。式神はどれも半透明で、動物の姿をしている。ただリアルな造形では無くて、どれもぬいぐるみみたいだ。

しかし、である。

周囲に充満する、無数の妖怪の気配。

困惑している相当の蛇の、男の方。女の方は、むしろ平然としていた。

「これで、ようございますか。 カルマ様」

「うむ。 この辺りの妖怪は既に排除も済んでいるのだろう? 後は、霧に紛れて静かに暮らせ」

「分かりました。 感謝します」

「ま、まて、話が見えない」

女の方が、ずるずると男を引きずっていく。

どうやらあの肉体。

女の方に、強い主導権があるようだ。

それはそうと、この状況、あまり好ましくない。平尾はかなり戦えそうだが、牧島は式神を加味しても戦闘に向いていない。それに対して周囲にいるのは確実に二十を超える妖怪。しかも、どれもが敵対意思を見せている。

この近隣は、私が妖怪達のために買い取ってコミュニティにしているから、援軍は呼べるけれど。

しかし、問題はこの場に、その援軍が来るかと言われたら、ノーと言う事だ。

「お前、大陸の妖怪だな」

「クドラクのカルマと申します」

「ああ、聞いたことがある。 吸血鬼ハンターと長年やり合ってるって組織か。 最近は穏健派が実権を握って、商売をしたり人間の妖怪調査に協力していると聞いていたが」

「此方にも派閥と事情があるんですよ」

冗談めかして言うカルマ。

クドラクというと、確か大陸の方では珍しい、数少ない巨大コミュニティだ。この手の妖怪コミュニティは、大陸では大体一神教の関係者に皆殺しにされてしまうので、殆ど残っていない。

吸血鬼は大陸ではメジャーな妖怪だが、勢力を伸ばしはじめたのはごく最近。それほど古い妖怪では無いので、実力も個々ではどうと言うことも無い。

彼らの強みは、組織力だ。

吸血鬼は最近の小説何かだと、むやみやたらに強くされていることが多いが、実際にはたいしたことがない。

事実今の爆発も。

カルマとやらの仕業では無い。

周囲にいる妖怪は、日本のものばかり。新参の妖怪が多いようだけれど、見覚えがある奴がいた。

「お前、そこにいるあまめはぎ」

あまめはぎは、農民の怠惰を戒める妖怪。どちらかというと、神に近い存在である。何体かを知っているが。

そいつは間違いなく、酒呑童子の所にいるあまめはぎだ。

「お前、酒呑童子の所から出奔したのか? それとも、その新人共と一緒に、其処の性悪に手を貸すように言われたのか?」

「問答無用」

「そーか、問答無用か」

これは後で、酒呑童子に問いたださないといけないだろう。彼奴とは昔色々あったし、同志だとは今も思っている。

このようなことに荷担しているとしたら残念だし。

そうでないとしたら、その力の衰えが感じられて、もっと残念だ。

日本三大妖怪の定義は幾つもあるが、酒呑童子は大体その一つに入ってくる大物なのに、である。

こんな事に荷担したと知れたら。

警察が、まず黙っていないのだが。

「おしゃべりはここまで。 貴方たちには消えていただきましょう」

「さては、東京の方で暴れた大物も、お前達の仕業だな」

「それはどうでしょうね」

カルマの表情は。

そうだと言っているも同然だった。

ならば、もう追い詰められたふりをするのも此処までだ。もう、充分に、データは取ることが出来たからだ。

「もう良いぞ、あかね」

無線に呼びかける。

同時に、空を威圧的なローター音が切り裂いた。

空に現れたのは、自衛隊の輸送ヘリだ。

流石に青ざめたカルマの前に、ロープも使わず降り立ったのは。あかねである。どうもきな臭いと思った私が、事後処理が終わったらすぐ来るようにと言っておいたのだ。

これで、形勢逆転である。

「さて、じゃ、後は頼むぞ」

「はいはい、師匠は戦闘が苦手、でしたね」

「そういうことだ」

対怪異部署の精鋭が、ヘリからばらばらと降りてくる。

多分あかねだけでも充分だろう。

私は足手まといになるだけなので、ささっと距離を取る。混乱して右往左往している牧島の手も引いた。

「平尾、ついてこい。 あの蛇妖怪の始末を付けるぞ」

「分かりました!」

後ろでは、既に掃討戦が開始されている。

あのカルマとか言う女と、あまめはぎを捕らえられるかが焦点だけれど。しかし、多分私がいても、結果には何も影響しまい。

蛇妖怪が行った場所は、大体予想がついている。

それに、私が一度、徹底的に空気で包んで調べ上げたのだ。もう、逃がすことはない。

 

山中。

小川の上流。

其処には清潔な泉があり。貴重な動植物が繁茂している。ここに来るときだけは、偏屈ものの山爺も、穏やかな表情をする。私だって、その気分が、安らぐ位なのだ。

そして、そこには。

とぐろを巻いて休む、双頭の蛇の姿があった。

「此処は、自然の宝だ。 独占して良い場所じゃあない」

言いながら、私が進み出る。

鎌首をもたげた、女の頭。

男の方は、申し訳なさそうに、距離を取って私を見ている。多分、女に聞かされていたのだろう。

今回の件は。

私を填めるための罠だったのだ。

此奴らは報酬として、穏やかに隠れ過ごすことが出来る此処を得ることが出来る。あのカルマという女と、おそらく背後にいる酒呑童子は。

私を無力化できる。

殺す気は無かったのだろうと、私は考えている。

というのも、武闘派の妖怪があまり多くは無かったからだ。多分適当に痛めつけるかした後に、捕縛して連れて行く気だったのだろう。

まあ、酒呑童子には、後で直接話を聞くことにする。

今は此奴らだ。

「静かに暮らしたいの。 見逃して」

「此処はな、この辺りに隠れ住んでいる妖怪十数体が、心の傷を癒やすのに用いている場所なんだよ。 お前らだけに独占はさせられないの」

「私達、どれだけ不幸な目に……」

「それは、妖怪みなが同じだ。 私の話を聞かせてやろうか? お前達の悲劇がどれほどかは分からないが、それに劣るものではないぞ」

絶叫。

女の方が、凄まじい高さまで、頭を持ち上げた。

だが、平尾が飛び出す。

胴体に拳を叩き込むと、悲鳴を上げて、女の方が地面に顔から落下。男は困惑するばかりで、どうして良いか分からないようだった。

平尾が、女を押さえ込む。

蛇体は今の一撃で致命打を受けたらしく、びくびくと痙攣するばかり。この男、確かによそ部署からスカウトされるだけのことはある。

牧島が、周囲に結界を展開。

これで、逃げられる恐れもなくなった。

女が、悲鳴を上げる。

「や、やっと、駆け落ちして、幸せになれたのに」

「詳しく聞かせて貰おうか」

「いやっ! 人間に何て、戻りたくない! 戻ったって、どうせ好きでも無い男と結婚させられるだけ! この人がいい! この人が良いの!」

「その割りには……」

そもそもひょっとして。

この男。

この女が誰かさえも知らないのでは無いのか。

いずれにしても、先とは状況が違う。女はすっかり弱気になって、心の防壁を解除してしまっている。

まあ、無理もない。

あの戦力を突破された上に、退路も塞がれたのだから。だから、時間さえ掛ければ。解析は難しくない。

あかねから連絡。

「終わりました。 相手の大半は捕縛。 ただし、女吸血鬼とあまめはぎには逃げられてしまいました」

「何だ、お前らしくもない」

「増援があったんですよ。 酒呑童子麾下の精鋭です。 攻撃をちょっとしたら、すぐに逃げてしまいましたが」

「!」

それは、流石に面倒だ。

だが、あかねも流石だ。手傷を負わせたという。

それにしても、日本の裏側である程度の勢力を保つ事に成功した酒呑童子が、どうして今更警察と事を構えるようなことをしたのか。

彼奴は計算が出来る奴だ。

何か、とんでも無い裏があるとしか思えない。

対怪異部署の戦力は圧倒的だ。酒呑童子が大妖怪でも、潰してしまうのは正直難しくない。

今回の件で、事を構えたのは。

奴にとっては、マイナスしかないはずなのだ。

「手配はしたか?」

「既に。 すぐに取り押さえに向かいます。 師匠はどうなさるので」

「私は最初の仕事を完遂する。 その件で、ちょっと、調べ物をしてほしい。 今、双頭の蛇を確保した。 此奴の素性さえ分かれば、後は人間に戻す事も可能だ」

「分かりました。 ただちに」

通信が切れる。

もがいている女の頭を押さえ込んだまま、平尾が言う。

「一時はどうなることかと思いました」

「何、今は昔に比べると楽なもんだ。 江戸時代の頃なんかは、お庭番が問答無用に殺しに来たからな」

「はあ……?」

「当時は大変だったぞ。 結局色々あって、安倍晴明にとっ捕まってな。 今ではこうして、警察の犬をしながら、私のような犠牲者をこれ以上増やさないように尽力しているんだよ。 妖怪になってしまう悲劇は止められないが、人間に追われることだけは防げるからな」

二時間ほど、待たされたが。

さすがはあかねだ。情報を仕入れてきた。

広島の方で、不意に行方を断った消防隊員がいる。その周囲に、ストーカーと化していた女性の影があったという。

一月ほど前に、二人揃って失踪。

ただ、気になる事がある。

此奴ら、妖怪に傾くほどの事をしたのか。どうにも、経歴を調べる限り、そうとはとても思えないのだ。

解せない。

そうとしか、つぶやけなかった。

いずれにしても、素性も何もかもが分かった。

蛇怪は縛り上げてある。牧島に言って、手押し車も運んで貰ってきている。手押し車に、蛇怪を平尾が乗せると。近くの稲荷神社に向かう。

いや。帰して。

そう叫ぶ女の妖怪は。

前に、私が尋問していたときとは裏腹に。

とても貧弱で、情けなくて。

そして、哀れにしか見えなかった。

 

神社で眷属の力を使って、二人を無理矢理人間へと戻していく。

作業自体は、それほど難しくも無いし。

何より、今まで豊富に経験がある。しばらくは喚いていた女も、私が空気から読み取った情報を開示していくと、観念していったようだった。

それに、男の方も。

話を聞く度に、少しずつ、自分を取り戻していくのが分かった。

情けなくて、ため息が出る。

静かに暮らしたい。それは切実な願望だ。

愛する人と一緒に、何処かで平穏に過ごしたい。私だって女だし、何より悲恋を散々経験してきたのだから、よく分かる。

だがこの女は。

それにしても、あまりにも勝手すぎる。

男の方も、迷惑していたのが分かった。

一方的な愛情は、向けられても迷惑なだけ。そういう言葉があるが、私は必ずしもそうだとは思わない。

というのも、色々な人間を見てきたが。

所詮愛情なんてものは一方通行であるからだ。

相思相愛なんてのは。それがたまたま相互作用して、動物で言う発情期と重なっているに過ぎない。

五回も結婚している私だが。

こんなドライな考えも出来るのである。

問題は、一方的な愛情に、一方的な行動が伴った場合だろう。

特に今回は。

愛情が、相手の拘束と拉致に等しい状態を引き起こしている。

あまり同情は出来なかった。

「思い出してきた。 俺はあの日、仕事帰りに、変な男達に囲まれたんだ。 思えばアレは、妖怪だったのかも知れない」

「思い出さないで!」

「五月蠅い! 俺は消防団員として誇りを持って仕事をしていたんだ!  それがお前のせいで、台無しじゃないか!」

「巫山戯んな唐変木! 三十過ぎても平隊員のくせに! あたしが養ってやるって言ってるんだから、素直に言うこと聞いていれば良いんだよ!」

いきなり、女の方も態度が豹変する。

妖怪から人間に戻りつつある過程で。

傾いていた心が、本来のものへと、戻りつつあるのだ。

蛇体はいつの間にか消失していて。

結界の中で、生首二つが凄まじい言い争いをしていた。これは、数さえ足りないが、正体がはっきりした。多分そうだろうとは思っていたのだが、確定である。

舞首。

三人の仲が悪かった侍が、互いに相打ちになり。

そして死んだ後も罵りあいながら、空を舞っているという妖怪である。なるほど、あの蛇体は、後から何かしらの方法で、とってつけたものか。

どんびきしている牧島。

まあ、恋に恋する年頃には、きついものだっただろう。

「大した妖怪では無いが、結界は緩めないようにな」

「わ、分かっています!」

「こんな奴らのために、我々は苦労したんですか」

「そういうな。 妖怪になる奴は大体悲惨な経歴を持っていることが多いんだがな、中にはこんなのもいるんだよ」

呆れた様子の平尾。私も同感である。

言い争いは、更に醜さを増している。

そもそもの切っ掛けは。

金持ちだが美人とは言えない女の方が、自分の金に興味を示さない男と、ひょんな事で知り合ったこと、だった様子だ。

火事場で助けて貰ったとか。

チンピラに絡まれたのをどうにかして貰ったとか。

そういう劇的な出会いでは無く。

最近風に、SNSで知り合ったようだ。

オフ会で顔を合わせて、自分の金に興味を示さない様子を見て、すっかり女は舞い上がってしまった。

だが、そこからが問題だった。

元々不美人だったのに、金持ちの両親が甘やかしすぎたせいで、自尊心ばかり肥大していた女は。

男に対して尊大に接し、養ってやるから仕事を辞めろとまで言ったそうである。

男はと言うと、逆に昔気質の職人肌。

火事場で人を助けることに何よりの誇りを持っていて、そもそも女にはあまり興味も無く。

何より、こんな性格の悪い女では、一方的な愛情と行動に、答えようとも思わなかったのだろう。

けんもほろろの扱いを受けた女は、自尊心をずたずたにされたと感じた。相手の心を先に踏みにじったことは、考えもしなかった。庶民に愛情を向けてやったのだから、感謝しろとさえ思った。

歪んだ愛情は。

暴走を開始。

やがてどういうわけか。

二人揃って妖怪化したいと思ったようだ。

つまり此奴、人が妖怪になると、知っていた。そして、妖怪になる方法を、何処かから入手した、と言うわけだ。

しかも男は、拉致されて、無理矢理妖怪にされている。

此処が解せない。

無理矢理妖怪にする方法なんて、どうにも思いつかないのだ。酒呑童子が関わっていることは間違いが無さそうなのだけれど。

あかねから連絡が来た。

聞き苦しい言い争いを聞き続けるのも、流石にうんざりしていたところだ。

「師匠、なんで痴話げんかが?」

「気にするな。 それで、何が起きた」

「酒呑童子の本拠地に今踏み込みましたが。 当人は知らぬ存ぜぬを決め込んでいますね」

顧問弁護士まで、準備していたという。

とりあえず拘束して話を聞くそうだが。くだんのあまめはぎは既に部下から除外されていたそうで、蜥蜴の尻尾切りは入念にされていた、とみて良さそうだ。もっとも、形式だけだろうが。

戦闘に介入してきた精鋭に関しては、姿が見えないという。

ましてや、酒呑童子には、複数の政治家の支援もある。よくある話だ。カルトが政治家の資金源になったりする。

酒呑童子は、それを積極的に利用しているのである。

あまり無理な逮捕でごり押しも出来ないだろう。

この辺りは、妖怪としては大変に狡猾だ。私とは違う方向で、人間世界に溶け込むことに、成功した例と言える。

「酒呑童子と話せるか」

「構いませんよ」

通話が少し途切れて。

懐かしい声が聞こえた。

「よう、金毛の」

「よう、じゃない。 良くもやってくれたな」

「何を言っている。 襲われたんだって? 大変だったな」

電話口で、酒呑童子がへらへらと笑っているだろう事が分かる。

彼奴とは昔、色々あった。

妖怪同士で争っている余裕なんか、この人間に支配された世界で、存在するわけもない。随分と様々な事で協力もしあった。

私が安倍晴明に屈してからも、様々な交流は続いていたけれど。

勿論、争うこともあった。

今回よりも、もっと酷い状態で、襲われた事もある。

だが不思議と、酒呑童子と私は、互いを不倶戴天とは思わずに来ていた。

「お前、どうして海外の勢力と手を組んだ」

「海外の勢力ぅ?」

「白を切るつもりか」

「知らんモノは知らんしなあ」

いけしゃあしゃあと良く言うものだ。

まあ此奴にしてみれば、あのクドラクの女吸血鬼や、あまめはぎから、情報が漏れないと確信しているのだろう。

「まあいい。 今回の例は、いずれ倍にして返す」

「そうかそうか。 それでな、一つ提案があるんだが」

「何だ、提案とは」

「さっさとこの警官達をどけてくれんかな。 肩身が狭くて困る」

好き勝手なことをほざくな。

言い捨てると、通話を切った。

あかねをまた呼び出す。多分、酒呑童子とつながりがある政治家から、そろそろ横やりが入るはずだ。

平野警視には面倒を掛けるが。

この様子だと、一度酒呑童子の組織には、大規模な調査が必要かも知れない。二十を超える妖怪を、一度にぶつけてこられるほどの実力を蓄えているとは、正直私も思っていなかった。

「其方は任せる。 私は此奴らを人間に戻した後、女の方はしょっぴいておく」

「分かりました。 お任せします」

「其方も気をつけろ。 お前ほどの使い手が、不覚を取るとは思えないがな」

さて、と。

腕まくりすると、結界の中で相変わらず凄まじい勢いで喧嘩している生首二つを、私は見やった。

そろそろ、本番だ。

一気に力を強める。

側に寝そべっている眷属を媒介に、空気を操作する能力を全開にまで上げて、舞首を一気に人間へと引き戻していく。

本来は力尽くではやりたくないし。

無理矢理やると、後遺症が残る事も多いのだが。

此奴らは、妖怪としてはかなり構造がいい加減。

力尽くで戻すのは。決して難しくないと、今までの調査ではっきり分かった。

悲鳴を上げる女の首。

男はもううんざりという風情で、目を背けていた。

ほどなく、其処には。

裸で転がる、中年の男女の情けない姿があった。

牧島が真っ赤になって顔を背ける。

無言で、平尾がコートを二人に掛ける。すぐに連絡を県警に入れた。行方不明者を二名確保と。

後は平尾に任せてしまって良いか。

対怪異部署の人間は、あくまで外部から来たため、警察としての任務には疎いことも多い。

私自身はと言うと、一応は知っているけれど、面倒くさいので、警察としての任務は、警官から部署移動してきた人間に任せたいのだ。

牧島が、平尾に言われて、色々と処置をしている。

疲れたので、木陰に移動。

もう夕方だから、日差しは大分緩んでいるけれど。それでも、仕事の後だから、疲れは出る。

スルメを口に入れてもむもむしていると。

側に、眷属が座った。

「もう、皆を帰しても良いでしょうか」

「山爺の容体は」

「ああ、あの者はまだ回復には遠いです。 しばらくは此処でかくまいますか?」

「そうしてくれ。 お前だけの空間を邪魔してしまうのは悪いが、な」

眷属も、私から分化した存在だ。

だから何となく、考えている事は分かる。此奴はこの神社を住処としているし、よその妖怪を入れるのは、内心ではあまり嬉しくないのだろう。

ほどなく、県警の車が来る。

二人を確保して、連れて行った。女の方は、ストーカー法の違反に加え、拉致監禁の容疑もある。

見ると、不細工とまでは行かないにしても、平凡な女だ。

ある意味、不幸な奴なのだろう。

親に甘やかされて、現実を見ることが無く。いざ社会に出てみれば、現実は女を拒絶した。

ようやく見つけた惚れた男にも、一方的に好意をぶつけて、下位につくようにとしか振る舞うことが出来ず。

滑稽を通り越して。その生き方は、哀れでさえあった。

男の方は、しばらく病院で養生して貰った後、事情聴取となるだろう。いずれにしても、罪は犯していないのだから、特に問題は生じないはずだ。

男女の引き渡しを済ませても、仕事はあるとかで。平尾は自分の所属部署を説明した後、県警の車両に乗って一緒に何処かへ行った。多分、県警本部で説明などをするのだろう。彼は元々バリバリの警官だ。その辺りは、対応もなれている筈だし、任せてしまって良いだろう。

あくびをしていると、側に牧島が来た。

結界を張ったり式神で探査したり、今回は新人としてはそこそこに役立った。ただ、怖い思いもさせたし、それはちょっと申し訳がない。

妖怪の関わる事件で怖い思いをさせるというのも、ちょっと変ではあるけれど。

それに今回の事件。

どうにも、酒呑童子が何を考えていたのか、クドラクの目的が何なのか、まだ読み切れていない。

この子を側に置いておくのは、少し危ないかも知れない。

「あの、金毛警部補」

「んー?」

「今日は有り難うございました。 その、とても貴重な経験が出来ました」

「そっか」

隣に座る牧島。

側で見ると、可愛い子だ。きっとあかねも、擦れる前はこんな風に、可愛かったに違いない。

というのも、幼い頃以降、高校生になって再会するまで、随分と時間が空いてしまったからである。

「時に、牧島。 お前さんの年は?」

「今年で十六になります」

「随分と童顔だな」

「はう! そ、そうですよね。 金毛警部補みたいに、大人っぽく見られたいですけれど、その……」

真っ赤になってうつむく。

初な反応もまた可愛いが。まあ、こういう子も、あっという間に大人になって、図太くなるのが現実だ。

私はもう、人間とは生きている時間が違っているから。

一緒に歩くことも出来ないし。

こういう子が成長していく様子を見守る事が出来ても。あかねの時と同じように、気がつくと先に行かれてしまう。

「とにかく、今後は仕事で役に立てるように、術の腕を磨いておくように。 どうにもきな臭いからな……」

言い残すと、私は眷属に後を任せて、神社を離れた。

平尾も牧島も、多分一時的な部下だろう。私は火消し屋として昔から扱われてきて、警部補という階級にもかかわらず、ずっと単独行動をしている。部下もいないけれど、これは私が、そもそも単独行動で力を発揮するタイプだからだ。

ハイエースの所に戻ると、アパートに帰ることにする。

その後は、当然引っ越しの準備だ。

一仕事終わったら、引っ越しをする。昔からずっと守っている習慣である。今回はろくでもないクズの為に、随分と迷惑を被ったけれど。それ以上に、酒呑童子の妙な動きが気になってならない。

彼奴が私を捕縛しようとするとしたら。

理由は、何だ。

彼奴とは随分と長いつきあいで、能力は互いに知り尽くしている。酒呑童子が人間社会に上手に溶け込むためにカルトの黒幕になっているのは知っているし、それを否定するつもりもない。

事実酒呑童子の組織は、行き場がなくなった妖怪を、かなりの数引き受けてくれているからだ。

私が田舎の山や離島を手に入れる度に、酒呑童子はあぶれものの妖怪を廻してきて。私が居場所を紹介する。

そんな風に、関係は上手に廻っていたのに。

帰り道、高速のパーキングで、あかねに連絡を入れる。

酒呑童子は、もう釈放されたという事だった。

「与党の大物議員が、複数で警察上層に圧力を掛けてきた模様です。 勿論理由はそれだけでは無いでしょうね」

「まあ、これ以上やりあっても、やぶ蛇なだけだ。 ただ彼奴は、今回かなりの強硬手段に出てきた。 油断するなよ」

「師匠も。 時に、牧島さんと平尾さんはどうでしたか?」

「磨けば光るんじゃないかな」

あかねが、とんでも無い事を言い放ったのは、次の瞬間だった。

私は思わず、天井に頭をぶつけるところだった。

「ならば、平野警視の指示を伝えておきますね。 あの二人を部下に付けます。 師匠が鍛えてあげてください」

「お、おい、ちょっと待て。 私はそもそもだな」

「これも首輪と鎖だと思って我慢してください。 上層部が今回の件で、師匠を単独のままにするのは問題が多いと判断したらしいんです」

舌打ち。

まあ、そう考えても無理はないか。ただ、部下などを付けられるのは、いつぶりだろう。江戸時代から政府の犬をやっているけれど。当時から私は、火消し屋として扱われる事が多くて。部下は着かない事の方が普通だった。

多分、警戒されていたからだろう。

だが今回は、ド新人を二人付けるという。

邪推してしまう。

ひょっとしてだが、上層部は。安倍晴明の指示とは別に、私を何かしらの形で、掣肘するつもりなのではあるまいか。

面倒くさい。

アパートに戻ると、私は引っ越しの手配だけ済ませて。

制服を脱ぎ散らかすと、横にごろんとなった。

チャイムが鳴る。

団である。

入るように言うと、小柄な昔なじみの老人妖怪は。だらしない格好の私を見て、咳払いした。

「何だ、せっかくドイツ製の良いビールを買ってきてやったのに」

「んー? あー、それは本当か。 だが何というか、疲れ果ててな」

「何だか面倒な事になっていると言うのは聞いている。 まあ、これでも飲んで、少しは疲れを癒やせ」

聞いたこともないメーカーのビールを渡される。

さっそく瓶を開けて口に入れてみると、確かに日本のメーカー品よりはかなり味が上だ。だが、値段を見て、それも納得。かなりお高い日本酒並みの値段である。

「また、随分と良いものを差し入れてきたな。 何かたくらんでるな?」

「たくらんではいないがな。 安倍晴明に言われて来たんだよ。 例の仕事の進捗を渡せってな」

「それなら、これだ。 持っていけ」

私は、尻尾に隠していた書類を渡す。隠していたと言っても、紙の書類では無くて、USBメモリだ。

現在の進捗についてのレポートである。

だらだらしているように見せかけても、実際にはこの程度の仕事はしている。もっとも、各地のつてを使って情報を集め。

全国のいなりにいる眷属を使って、検証をしている、程度だが。

早速ノートPCを出して、レポートに、目を通す団。老人の姿をしていても、最近の妖怪はこれくらい出来る。

あくびをする私に。団は、厳しい目を向けてきた。

「随分と詳細だなあ」

「まあ、安倍晴明が何故此奴を追っているのかは知らないけれどな。 色々な特徴が、此奴だって事を告げている。 多分間違いないだろう」

「居場所については突き止められていないのか」

「一ヶ月前の居場所は突き止めたが、それだけだ。 多分海外には逃げてはいないとは思うが」

此奴は、妖怪と言っても、かなりの上位者。

信仰を力に変える存在だ。

知名度で言うと、私や酒呑童子の奴ともそうそう変わらない。

だからこそ、信仰があるこの国からは離れられないだろう。離れた途端に、弱体化するからである。

袂に渡したレポートをしまうと。

団は自分も、ビールを一気に呷った。

しばらく無言で飲んだ後、団は切り出す。

「本庁に、何だか妙な動きがある」

「まさか、今回の襲撃は、それに関係があるのか?」

「さてな。 だが、気をつけておけ。 江戸時代に、安倍晴明に屈服してから、大規模な襲撃は受けていなかっただろうが、今後はそれも分からなくなる。 安倍晴明の奴が何を考えているのか、それとも奴の制御外で事が動いているのかは、よく分からんが」

「気は付ける」

最悪の場合。

今の地位を捨てて、地下に潜る必要も出てくるだろう。もっとも、今の警察の能力の高さは、私がその身で知っている。

そんな事になったら、多分逃げる事は出来ないだろうが。

幾つかつまみを置いていくと、団は帰った。

しばらく高級ビールに舌鼓を打つが。

何だか、最後の晩餐のようで。あまり、気分は良くならなかった。

 

4、闇の宴

 

警察から出てくると。

笑顔を作っていた酒呑童子は、一転して不快感に顔を歪ませていた。政治家と同じで、いくらでも感情なんて偽装できる。

待たせていた部下のワゴンに乗り込むと。

いつものように、後部座席に。

「出せ」

「直ちに」

警察の駐車場で待っていたワゴンが、非常に静かな発進をした。すぐに、通信を入れる。相手は、カルマだ。

「此方酒呑童子。 全ての行程クリア」

「流石です。 警察の対応能力を見る一連のミッションも、これで完了ですね」

「なーにがミッションだ。 勝手な事をほざいてくれるな……」

「そう怒らずに。 色男が台無しですよ」

明らかに舐め腐っているカルマ。流石の酒呑童子も、はらわたが煮えくりかえりそうだった。

今回、九尾を襲撃するのを勝手に決めたのは、カルマの奴だ。後から酒呑童子は知らされたのである。

古参部下の一人であるあまめはぎも、いつの間にか連れて行かれていた。

だから、露骨に警察にちょっかいを掛ける方向でカルマが動いたとき。酒呑童子は、仕事をしていたオフィスで、思わず跳び上がった。あの陰険吸血鬼、何をしてくれている。そう吼え猛って、困惑する部下達は右往左往するばかり。

元々、酒呑童子は、警察と事を構える気など無い。

九尾には利害関係さえない。

安倍晴明に降伏して、国の犬になっている事に関しては、幾らか思うところもあるけれど。別にだからどうしようとは思わない。彼奴が処理しているのは、あくまで人間に害を為す妖怪。そう言う妖怪には、酒呑童子でも困っていたのだから。それに、相互補助関係は昔から続いていたし、関係性に矛盾はなかった。それも、これで歪む。行き場のない妖怪を引き取るシステムが、軋んでしまう。

カルマは、いけしゃあしゃあと言ったのだ。

これはテストだと。

警察の対応能力確認。

そして、酒呑童子の方も。

案の定。警察はすぐに、酒呑童子の抑えているカルトに乗り込んできた。あらゆるコネを確保してどうにか逃げ切ったけれど、冗談じゃあない。

今回の件で、コネを作ってある政治家やキャリアの警察上層部には、かなりのリベートを払わなければならなくなる。

損害は、小さくない。

「分かっているんだろうなあ。 これだけのことをさせたんだ。 情報の提供は、即座にして貰うぞ」

「勿論そのつもりです。 ただ、貴方の所、かなり厳しく監視されているようですよ」

「隠し弾くらい用意していないとでも思っているのか」

「流石ですねえ」

くつくつと笑うと。

いけ好かない男装吸血鬼は、通信を切った。

思わずスマホを握りつぶしそうになる。鬼としての本性を現しそうになるが、運転をしている茨城童子が、咳払いした。

「酒呑童子様」

「分かっている。 分かってはいるがなあ」

「大陸の組織というと、あの見境がないことで知られる一神教とやり合ってきた百戦錬磨の連中です。 それはえぐい手を使ってくるなんて、わかりきっていた事じゃあないですかね」

「……」

実は、クドラクの本部とは、少し前に連絡を取った。

カルマはクドラクから離脱した訳では無く、まだ籍を置いているらしいのだが。本部でも動向を掴めておらず、何をもくろんでいるのか良く分からないと言うのだ。

それも本当かは分からない。

何だか、特大の地雷を踏んでしまった気分だ。

「とにかく、何をしでかすか分かりませんし、気をつけて行きましょう」

「ああ、そうだな」

不満だが、そうするしかない。

酒呑童子も、茨城童子は信頼している。正論は耳にいたいけれど、こればかりは聞き入れるほかなかった。

茨城童子は最古参からの部下で、同じ鬼系統の妖怪だ。

大陸の鬼とは随分違うが、それでも強力な妖怪である事には代わりは無い。酒呑童子の下で、かなり重要なプロジェクトも任せている。

それに、他の部下達の信頼も厚い。

今のように、酒呑童子に諌言できるからだ。

組織内で、酒呑童子に諌言できる妖怪は、茨城童子くらいしかいないのである。愛人だという噂も流れた事があるが。実は酒呑童子は、200年ほど前にある事件の結果性欲を喪失してしまったので、愛人は抱えていない。

スマホに着信。

九尾だ。

「何だ、まだ何か用があるのか?」

「一つ言い忘れていたが、お前が差し向けてきた舞首、もう人間に戻した」

「そうかそうか。 違うと言っても聞き入れまい」

「いや、その反応が聞きたかった。 あのいい加減な造り、まさかお前が作ったわけじゃあないだろうと思ってな」

通信を一方的に切られる。

憤怒が、一瞬で噴火した。

人間を妖怪化する技術は、百年掛けて育ててきたものだ。随分と苦労を重ねながら、作り上げてきたのに。

一瞬で全否定されれば、流石に不快感も小さくは無い。

なるほど、九尾の奴、全て分かっていた上で仕返しをしてきたのか。それが理解できていても、不快感は収まらなかった。

「茨城ぃ……!」

「はいはい、分かっていますよ」

「帰ったら、すぐに例の場所に向かうぞ。 あの性悪吸血鬼も連れてこい。 研究を進展させる。 二度とあの自堕落狐に、巫山戯た事は言わせん!」

茨城童子が呆れているのが分かったが。

これは意地の問題だ。

どうしても譲れない。

譲るわけには、いかなかった。

 

                              (続)