隅の響き音
序、黄昏時
川辺を歩く。
少し前に洪水があったばかりで、辺りは雑然としていて。たくさんのゴミが漂着し、中には目を背けたくなるような汚物も珍しくは無い。
給金で買ったばかりの新しい靴だけれど。
これは、帰りに洗わなければならないだろう。
大変に面倒くさいけれど。
これも、仕事だ。
この辺りは、護岸工事もされていない、生のままの川がそのまま流れている。だからこそ、洪水があると、周辺では大わらわだ。
かといって、珍しい動植物がいるため、護岸工事も行えない。
色々と腫れ物なのだ。
その結果、違法業者が塵を捨てていくという、本末転倒な事態が起きている。この辺りの稀少動物も、減る一方だという。
そして、自治体は。
それを歓迎さえしている。
いずれ罰が当たるという声もあるようだが。まあ、このまま行くと、稀少動物は絶滅。自治体は大手を振って護岸工事をして、工事業者からのリベートを懐に入れるというわけだ。
自転車が捨てられていた。
この辺りだろうか。
腰をかがめると、目を閉じて、周囲の気配を探りに掛かる。
私は、今。
ここに仕事に来ている。
この辺りで、怪異が頻発していると聞いているからだ。怪異の解決が、私の所属している部署の仕事。
そして私は。
荒事を専門に解決する。
現在、私の部署は、平野という警視がいて、彼がトップ。彼の下に、三人の警部補がいる。
一人は諏訪あかね。
警視庁の上層部からも覚えが良い、優等生だ。本人の能力が著しく高いだけでは無く、周囲に対する細かい気配りで、非常に評判が良い。
もう一人は金毛木津音。
他の誰もが知っているが。
警視庁が飼っている怪異。本物の九尾のきつねである。もっとも、元々伝承が誇大に伝わっている上に、今ではその実力は四半減も良い所。怪異事件の解決率は、極めて高いけれど。それは経験則から来るもので、いわば火消し屋である。
もう一人の警部補が、私。
安城二郎。
怪異事件解決の中でも、荒事専門の人員だけを部下に集めた、文字通りの実働部隊である。
独立して問題事件にだけかり出される金毛や、オーソドックスに問題を解決していく諏訪とは違う。
この私は、五十少し前の今も。
腕力と呪術で、急いで解決しなければならない怪異事件に立ち向かう、暴力専門のスイーパーなのだ。
実は前、警部補達の上に警部がいたのだけれど。彼は労働災害で引退。今では、荒事がない上仕事量が少ない会社に移って、ゆっくりと余生を送っている。温厚で誰にも好かれる人だったのだけれど、それも報われなかった。ただ今は孫達と静かに暮らしているという話だし、貧しくともその方が良いのかも知れない。
今回、掃除する対象は。
此処に数百年前から住み着いている怪異、小豆研ぎ。
いわゆる音の怪である。
本来、小豆研ぎとは、夜中に不審な音がする、という事から産み出された怪異だ。小豆を研ぐような謎の音が夜闇にあり、人々を脅かす、と言うのである。
似たような音の怪は日本中に多数ある。
有名な鵺などもその一種。
沖縄には、マーという、そのまま名前が存在を示している音の怪もいるほどだ。
怪異は人。
人は怪異。
この世界の、怪異に関わるものの間での鉄則だが。
だからこそ、この仕事は心身のストレスが大きい。私のように何処か壊れているものや、元々適正がある人間しか、スイーパーは任せられない。
元人間を殺すのだから。
程なく、周囲に気配が充満しはじめる。
私を敵だと、小豆研ぎが認識したのだろう。
無意味に歩き回っていたのでは無い。小豆研ぎのかんに障るように、わざと縄張りを荒らしていたのだから。
此処の小豆研ぎは。
音を聞かせるだけではなく、縄張りに入ってくる人間に対して、攻撃を加えるのだ。無害な音の怪が多い中、例外的に攻撃的なのである。今までも、不法投棄業者のトラックが大破炎上した件が二回。
入り込んで遊んでいたクソガキ共が、大けがをさせられた事が七回。
死者は出ていないが。
少し前に、大企業重役の馬鹿息子が、止せば良いのにこの近くでバーベキューをして、夜中に襲撃を喰らった。
左足に大きな石での一撃を食らい、多分一生まともに歩けないだろうという事になったのである。
激怒した重役が、警察にこの一件を持ち込み。
今まで自業自得の問題しか起きていなかったため、後回しにしていた此処の小豆研ぎにも、ついに排除命令が下ったというわけだ。
しょきしょき。
じょきじょき。
音がする。
これが、小豆を研ぐ音。
妖怪にとっての、威嚇音だ。
これ以上此処にいると、怪異による恐怖を味合わせる。その後、攻撃する。動物と同じように、そう警告しているのである。
怪異は元人間だが。
その知能は様々。
うちにいるきつねのように、人間以上に人間くさい奴もいるけれど、此処の奴みたいに、動物レベルにまで知能が低下している奴もいる。
ましてや此奴は、少なくとも200年生きている怪異だ。
知能は極限まで低下してしまっていてもおかしくない。
「小豆研ぎ。 姿を見せろ」
研ぐ音が、近づいてくる。
私は、指を鳴らす。
同時に、後ろで、爆発が起きた。
吹っ飛んだ小さな塊が、中空に放り出される。
その姿は、小柄な老人。
粗末な着物を身につけていて。手には、不釣り合いなほどに大きな石。あれで殴りつけてくるつもりだったのだろう。
あいにくだが。此方は怪異と日夜やり合っている武闘派だ。
地面に叩き付けられた小豆研ぎが、威嚇する猫のような声を上げて、四つん這いになる。私はゆっくり振り返ると。
手にしている札を見せつけた。
来る途中、彼方此方に巻いておいた。怪異にだけ物理的打撃を加える、陰陽師の武器である。
そのまま、起爆符という。
「私は現役の陰陽師でな。 怪異を殺すための武器はいくらでも持ってきている。 今、降伏するのであれば。 消去するのは勘弁してやる」
返答は、殺意と怒りが籠もった絶叫。
躍りかかってくる
小さな体とは思えない身体能力。
だが、私は避けることさえしない。中空から飛びかかってきた小豆研ぎの首筋を掴むと、そのまま地面に叩き付けた。
そして、踏みつける。
戦闘タイプと言っても、此奴は元々それほど凶悪な力があるわけではない。人間を襲ったり喰ったりする妖怪が、退治を優先されるから、今まで放置されていただけ。
「お前も運がなかったな」
悲鳴を上げながらもがく小豆研ぎに。
私は符を多数放ると。
そのまま、起爆した。
大爆発。
勿論、私は影響を受けない。
木っ端みじんに消し飛んだ小豆研ぎ。周囲から、異様な気配が消えていく。
通信用の無線装置を取り出すと、本部に連絡を入れた。
「平野警視。 此方安城」
「連絡を入れてきたと言うことは、片付いたか」
「粉みじんにしました。 後は経過観察ですかね。 一応念のために、掃除班を廻してください。 この河原は以降立ち入り禁止措置を」
「分かった」
妖怪は死ぬ。
しかし、その概念は残る。
これが厄介なのだ。
他の人間が、また同じ妖怪になる事がある。特に、社会からはじき出されているような偏屈ものや、何かしらの理由で居場所を失ったようなものは、妖怪へと傾きやすい。うちにいるきつねの過去の話を聞いたことがあるが、とにかく気が滅入るような悲惨さだった。最初は些細な事からどんどん路からはじき出され、最後には妖怪になってしまう。その結果生じた怪異を、殺さなければならない。
しばらく、周囲に特殊な処置をした塩を撒いて置く。
人が死んだのだ。
小豆研ぎが、どのような人生を送って。最終的に妖怪になったのかは分からない。
躊躇なく殺しておいておかしな話だが。
私だって、その事をいたましいとは思う。
処置が完了。
少し、気配が残っている。
ひょっとすると、他にも此処には、妖怪がいるのかも知れない。ある程度しっかり調査する必要があるだろう。
妖怪はコロニーを為す事が多い。
乗って来たセダンに入ると、冷房を付ける。しばらく此処から、河原の様子見だ。怪異がいれば、どうしても気配を漏らす。
此方だって本職である。
それに、怪異の気配を探りやすくするための処置もしてきた。
肌に感じる。
やはり、いる。
小豆研ぎのように、人間に対して攻撃的な怪異では無いが。何かしらの怪異が、近くに潜んでいる。
河原というと、やはり河童だろうか。
日本で最も有名なこの妖怪は、派生種が星の数ほどおり、専門の本を出す事が出来るほどである。
性質は、意外に攻撃的で。
川遊びをしている人間を、深みへ引きずり込むことも多い。
人間の死骸を喰うこともある。
水死した人間の尻児玉を抜くというのは有名な伝承だが。あれは、水死体の肛門が広がっている事が多いからできたものだ。
ただ、水死体を喰う場合は、やはり柔らかい目玉や唇、それに尻を囓る。
伝承は、伝承。だが、あながち嘘でも無いのである。
他にも、川辺には、意外に凶暴な怪異が出やすい。
掃除班が到着。
彼らも一応警官だが、殆どの場合は特殊な訓練を受けた僧や、同じく陰陽師である。警官としての任務にはほぼ無縁で、怪異に対する仕事だけを請け負う。掃除班をしている内は下っ端という認識もあるけれど。
何名かは凄腕の本職で、彼らに関しては、誰もが尊敬していた。
今日来た三人は、若手ばかりだ。
セダンを出ると、敬礼をかわす。
状況を説明した後、私は念のために、他の怪異がいるか調査しろと付け加えた。妖怪がコロニーを作ることが多いのは、本職の間では常識だ。彼らも本職だし、それは分かっているようだった。
しばらく、セダンの中で様子を見る。
掃除班が攻撃される様子は無い。
ただ気配は、確実にある。
じっと、見つめている。
ふと、背中に鳥肌。
後部座席に、気配。
おかっぱの、着物の女の子が、いつの間にか後部座席に座っていた。
この車、特殊な処置をしていて、生半可な怪異には入り込むことさえ出来ないのに。これは、予想より面倒な相手かも知れない。
「どうしておじじ殺した」
「人を襲ったからだ」
「最初におじじを虐めたのは人間だ」
「そうだな。 だが、人間の理屈では、自分たちを襲う相手は排除しなければならないんだよ」
許さない。
そう言い残すと、女の子は姿を消す。
残留した気配を解析。
座敷童では無い。やはり、河童の一種だろうか。
データベースから確認していく。
女性の河童も、様々な報告例がある。ねねこ河童などはその例だ。このねねこは河童の女親分で、特に獰猛で知られていたが。江戸時代に、当時の怪異対策班によって抹殺された。
河童は、様々な歴史的背景がある存在だ。
あの子供は、それほど古い妖怪には見えなかった。
そうなると。
自分にとりついた可能性もある。一応念のために、諏訪あかねに連絡を入れることにした。
そして私は、充分に周囲を確認してから、車を出そうとして。
本能的に車から飛び出す。
セダンが爆発四散したのは。私が土手に転がり込んだ直後のこと。舌打ちすると、私はちりちりになった残り少ない髪を撫でつつ。本職の祓い屋をしている六郎にも、連絡を入れた。
この仕事をしていると、恨みを買うのは慣れっこだ。
理不尽だとも思わない。
だが、降りかかる火の粉は。
払わなければならない。
1、自堕落きつねの憂鬱
どんなに綺麗な女性でも。
万年床の上で、シャツにトランクスで。おなかを出してごろごろしていたら、台無しである。
私、諏訪あかねが。
昔は神のように尊敬していた師匠、金毛九尾のきつねにげんなりしたのも、それが理由。幼い頃は、欠点は見えなかった。しかし高校の頃に再会したときには、そのあまりのだらしなさに、本当にがっかりした。
そして思い出したのだ。
お姉ちゃんは、ずっと昔から、こうだったと。
優秀なのは事実。
幼い頃、怪異に襲われた私を助けてくれたのは、間違いなくこの人で。その怪異を殺さず人間に戻して。保護してくれたのも、この人だ。
人では無いけれど。
師匠は、悪い怪異では無い。
今でも、そう思っている。
「んあー? あかね?」
起きたらしい師匠が、健康的なふとももをむき出しにしたまま、ごろんと転がり直す。色気なんか皆無。目を覆いたくなる醜態。実際私は、本当に悲しくなって、涙を拭ってしまった。
寝よだれを拭っている様子が、本当にいらだたしい。
綺麗な黒髪は腰近くまであって、流れるように艶やか。
手足だって、とても十一人も産んでいるとは思えない艶がある。胸だって大きすぎず適切なサイズで。
顔立ちだって、生半可なモデルでは勝てないほどに整っているのに。
全てを台無しにしているこの自堕落ぶり。
同じく妖怪である団さんが呆れるわけである。
どんなに綺麗な人でも、格好と態度次第では、色気はゼロになる。この人は、体を使って、それを証明してしまっている。
「なにー? この間から、四件も事件解決したでしょ? 休んで良いって言ったじゃんよー?」
「差し入れです」
「んあー」
だらしない声とともに、寝ぼけ眼で振り返る。
長身のこの人は、本当に普通にしているだけで、芸能スカウトから声が掛かるほどなのだけれど。
私は、知っている。
この人が、綺麗と言われる事を、本気で嫌っていることを。
理由はあまり詳しくは知らないけれど。想像はつく。
五回結婚したらしいけれど、そのいずれもが悲惨な末路をたどった。全ての時に、綺麗である事は、悲劇の防止になんら寄与しなかった。
だから、綺麗はこの人にとって禁句だ。
多分今も、昔のことを思い出してつらいから、こんな情けない格好をしているのだろう。でも、女を捨てるのは、私としては我慢できない。
持ってきたのはビールとおつまみ。
ただし、まだ昼だ。
いきなり食べさせる気は無い。
まず、安アパートを掃除する。
どういうわけか、この人は事件の旅に引っ越す。毎回よく分からないほどに危険で狭苦しい底辺のアパートを利用して、其処でゴロゴロする。
ただ、部屋は驚くほど静かだ。
多分空気を操作する能力を利用して、隣の部屋からの音をシャットアウトしているのだろう。
便利な力である。
この人の力は、汎用性が高い。
ただ、今は昔とは比較にならないほど衰えているようだし、自分で制限も掛けている様子だ。
多分、多くの人を殺したから。
そして、自分もそれを良く想っていないのだろう。
台所を掃除し終えると、料理を軽く作る。
焼きそばを作ると、むくりと師匠は起き出した。だらしなく目を擦る様子は、むしろ動物的だ。
きつねの耳と尻尾が出ていても不思議では無い。
いや、尻尾は現に出ている。四本も。
それだけ、油断しまくっているという事だ。気を抜かなければ、この人の尻尾は、能力がある人間にも見えないのだから。
「あかねー。 食べさせてー」
「子供じゃないんですから、自分で食べなさい」
「んー」
本格的にグダグダだ。
まあ、散々使い倒したのは私である。
上層部から、彼奴を使って難事件を解決しろと言われて。実際に迷宮入りしていた何件かの怪異事件を、ここしばらくで全て潰した。
これで、また実績が上がったのだけれど。
本人は昇進人事には興味が一切ないらしい。
私はいずれ、対怪異部署の長にと言う声が上がっているけれど。実績も、私のモノにしてくれとさえ言っていた。
ただ、それは私のプライドが許さない。
実績は自分で、実力で稼いできたし。
恵んで貰うのはごめんだ。
結局、師匠の給料だけが上がる。普段自堕落な師匠が、かなり高額な給料を貰っていることを、良く想っていない上層部の人間は珍しくない。事実、あの自堕落狐と文句を言っている平野警視を、何度か見た事がある。
いずれも、良い気分はしなかった。
汚いテーブルを囲んで、食事にする。
けっこう良く出来た。しばらくもくもくと焼きそばを食べるけれど。師匠が食べ終えてから、私は切り出す。
「そろそろ、本格的に復帰しませんか」
「仕事はしてるじゃんよ」
「その自堕落な生活から、です。 師匠、江戸時代の組織に所属していた頃は、敏腕で知られていたって資料にありましたよ」
「ちっ。 誰だか知らないが、余計な事書き残して」
下品な舌打ちをする師匠。
にらむと、口をつぐんだ。
「私にもデリカシーの概念はありますから、あまり貴方の過去に踏み込むつもりはありませんけれど。 自堕落にしても何の意味もないことは、師匠が一番良く知っているはずでは」
「うっさい。 確かにそうだけれどさ」
「仕事が来たら、また足を運びます。 しばらくはよく働いてくれましたし、ゆっくり休んでください」
「んー」
机に突っ伏して、師匠はだらしなくしている。
もう、どうしたらこの人を。
私が本当に尊敬していた、素敵な女性に戻せるのだろう。
アパートを出る。
この辺りは治安も最悪だが。私は警官の格好のままだし、周囲に対して油断もしていない。
車に乗り込むと、移動。
今日は任務の途中に寄ったけれど。
普段はオフくらいしか、ここには来られない。もっとも、警察でも、師匠は要監視対象だ。
今でこそ、人間の側に立ってくれているが。
それも、もし本気で敵に回られたら。
勿論、妖怪は伝承ほど力を持っていない。事実この国の対怪異対策者は、大妖怪と呼ばれる者も含めて、悉くを調伏してきた。
人間の側に立っているという事は。師匠も一種の調伏を受けているという事である。ただ、師匠は人間以上に人間くさい。
時々、私も露骨に言われるのだ。
監視を怠るなと。
無線が入る。
別口で仕事をしている安城警部補からだ。
「諏訪君か」
「どういたしました」
「どうも妙な怪異の気配があってな。 ひょっとすると、とりつかれたかも知れない」
「貴方ほどのベテランが?」
安城は武闘派の警部補で、三人いる対怪異部署の中でも、荒事を専門に担当している男である。
頭がはげ上がった中年男性だが。
その戦闘力は圧倒的で、本気でやり合ったら多分私でも一歩及ばない。陰陽師としての力量は、日本でも屈指らしい。
ただし、人間には向き不向き、得意分野というものがある。
安城警部補はどちらかというと、襲ってくる怪異との戦闘がメインの仕事で。とりついた怪異を払うようなことは、専門外なのだ。
「六郎さんを向かわせます」
「うむ」
直後。
信号停止している私の元に、今度は安城警部補の所に仕事で出ている掃除班の若手から連絡があった。
緊急事態だと言う。
「安城警部補のセダンが爆破されました!」
「安城警部補は」
「無事ですが、しかし相当に苛立っています。 出来れば、急いで六郎さんを廻して欲しいのですが」
情けないことを言う若手。
とはいっても、私と同年代なのだけれど。
まあ、気持ちは良く分かる。
「すぐに六郎さんに行くよう伝えます。 貴方たちは結界を張って、怪異の襲撃に備えなさい」
「分かりました」
カーナビを設定して、進路を変える。
私も向かった方が良いだろう。
そして、場合によっては。
やっと休暇を満喫している師匠も、アパートから引きずり出さなければならない。
現場に到着。
セダンはすっかり燃やし尽くされてしまっていて。だが、さすがは武闘派の安城警部補。怪我一つなく、団扇で顔に風を当てていた。まあ、この野外では、クーラーもない。他に涼む方法もないのだから、仕方が無い。
殺され掛けても平然としている辺りは、歴戦の猛者の貫禄があるのだけれど。
ただ、折りたたみ椅子に座って、結界の中で退屈そうにしている様子は、褒められたものではなかった。
六郎さんは、既に来ている。
辺りを見て廻ると言って、確認作業をしている様子だった。
「何だ、君も来たのか」
「ご無事なようで何よりです」
「無事なものか」
セダンは消火が済んでいるが。
あの中には、貴重な道具類も積まれていたはずだ。勿論取り返しが効かない品ではないだろうけれど。
「相手の特徴は」
「おかっぱの、着物の子供だ。 赤い服だったな」
「子供の妖怪はかなり種類がありますが、川辺だと言う事は、最も考えられそうなのは河童の一種ですね」
「そうだな」
誰もが、その結論に辿り着く。
他にも色々話を聞くが。
安城警部補には責任はないけれど。その子供の妖怪にも、退治されるほどの理由は無いなと言うのが、素直な感想だった。
私も、周囲を確認。掃除班は着々と仕事をしているが、念のためにスリーマンセルで行動させている。
これはひょっとすると。
弱めの妖怪を叩いたら、とんでも無い化け物が起きてしまった、と言う所かも知れない。妖怪の世界では、見かけと実力が一致しない。
大妖怪である師匠が、あの自堕落おねえさんぶりなのだ。
子供の妖怪が、強豪の武闘派であっても不思議ではない。
もっとも、妖怪よりも人間の方が、昔から遙かに悪辣である。人間から上手に身を隠せる妖怪なんて、まずいない。
しかもとりついたのが致命的だ。
昔から人間は、とりつく妖怪をどう払うかの対策は、散々練ってきた。専門家も、警視庁にたくさんいる。
ただ、私は思うのだ。
何とか救える妖怪は、救いたいと。
六郎さんが戻ってくる。
気むずかしそうな老人である六郎さんは、安城警部補の先輩だ。階級こそ既に安城警部補の方が上だが、部署の皆が尊敬している。
周囲に他の人間がいないからか。
六郎さんは、最初から昔からの口調で、安城警部補に話しかけた。
「安城、お前、こりゃあ恨まれて当然だな」
「面目もありません」
「諏訪。 あの自堕落きつねに声を掛けろ。 これは多分、むしろ彼奴の仕事だろうよ」
「何か分かったんですか?」
六郎さんが見せてくれたのは。
まだ新しい、ビニールのサンダル。
つまり、あの子供の妖怪は。
致命的に傾いていないと言う事か。
「休暇になったばかりで災難だがな。 他はみんな休暇もなしで働いているんだし、あいつだけ特別扱いも出きん。 呼び出せ」
情けも容赦もなく。
六郎さんは、そう言った。
2、川の中の子供
あかねがやっと帰ったけれど。
私、金毛九尾は知っている。
彼奴は今回、厄を運んできた。此処で言う厄というのは、呪いの類では無い。仕事の前兆だ。
何か起きる。
それが分かっていたから、私はビールに手を付けず。
泥のようなまどろみの中、横になって、尻尾をぱたぱたする。死んでいった夫達の事を思い出して、無念に歯がみすることは減ってきたけれど。
それでも、やはり時々、とても気だるくなる。
長く長く生きてきた。
それで、幸せだったかと言われると、ノーだ。
勿論、短期的には幸せだった時期もある。
でも、それは、後のさらなる不幸で、いずれも上書きされてしまった。子供達が、おおむね育ったのだけは救いだけれど。
みんな肩身が狭い思いをして。
中には、一生迫害を受け続けた子だっていた。
側にいてあげたくても。
どうにもできなかった。
口惜しいと思う気持ちは、今でも強い。どうして私は、人間という存在から、はじき出されてしまったのだろう。
何度か寝返りを打つ。
時に、このアパートには、怪異がいる。
向こうも此方に気付いているが。
今のところ、手は出してこない。
まあ、無害な妖怪のようだから、どうでもいい。いずれ、何かしらの理由があれば、接触する。
それだけで、充分だ。
支給されているスマホが鳴る。
あかねからだ。
やはり来たか。わかりきっていたから。私は別に困ることもなく、自堕落な体勢のまま、スマホを操作した。
「んー。 あかねか」
「休暇の所、申し訳ありませんが、来ていただけますか」
「分かった」
起き出すと、私は。
すぐに引っ越しの業者に手配する。更に、大家にも。
この辺りは慣れたものだ。引っ越しの業者は、以前からなじみにしている所で、私が毎回引っ越しする変人だと知っている。
そして、次に引っ越すアパートも決めている。
手配が終わると、私はレンタカーを手配。
近場のレンタカーショップに、ハイエースを受け取りに行く。
シャツとトランクスで出かけると、あかねが五月蠅いので。一応体を洗って、警官の制服に着替えてからだ。
指定されたのは、かなり遠くの河原。
此処からだと、到着は夕方になる。
ハイエースで移動しながら、時々あかねからの連絡を受ける。どうやら安城のひよっこが、藪を突いて大蛇を出したらしい。
もっとも、安城はバリバリの戦闘タイプ。
とりついてくるような怪異には、対応が下手なのも仕方が無い。
現地近くのビジネスホテルの予約を、途中のコンビニで済ませると。後は、一直線に現地に。
現地到着は、夕方だった。
ハイエースから降りると、結界が既に張られていた。
おでこをぶつけそうになるが、それはどうにか凌ぐ。あかねが此方に気付いて、来た。
「師匠、すみません。 休日に」
「寂しい河原だな」
周りを見回す。
確かに、妖怪が出ても不思議では無さそうな、雰囲気がある場所だ。この雰囲気というのも、怪異の発生には重要な場所なのだが。今は、それはどうでもよい。
安城は。
いた。
多分六郎が張った結界の中に、折りたたみ椅子を使って座り込んでいる。
まだ微弱に残る怪異の気配。
燃え残ったセダン。
なるほど、怪異にとりつかれて。セダンを爆破されたのか。安城でなければ、死んでいたかも知れない。
妖怪の特徴は、事前に聞いている。
子供の妖怪はかなり例があり、報告も多い。伝承としても、かなりの数が残っている。これは、何故かというと。
昔は、子供を間引くことが、珍しくもなかったからだ。
今の豊かな時代では考えられないかも知れないが。当時は、子供は消耗品だった。産んで駄目なら、また次を産む。
戦乱。疫病。栄養事情。
七五三の風習ができたのも、それが故。
だが、子供だって生きている。
無念は残るし。
捨てられれば、そうだとも分かる。そして、世界からも、傾きやすい。妖怪にも、なりやすいのだ。
掃除班は既に帰らせたという。
周囲は、六郎が張り巡らせた、対妖怪のトラップで満載だ。彼奴はこういうので、とても良い仕事をする。
問題は、それに私も引っかかること。
つまり、結界の外で。
妖怪を探し出さなければならないのだ。
あかねにゴムのサンダルを渡される。まだ幼い女の子のものと見て良いだろう。しかも見た所、まだそれほど古いものではない。
妖怪の気配も残っている。
この近辺での誘拐事件、死体遺棄事件なども探して貰ったが。報告例は無し。
意外な話だが。
この辺りに寄りつくのは不良ばかりと現地では良く知られていて。一種の怪談マニアくらいしか、来なかったそうだ。
事実、遠くから、地元の不良らしいのが、此方をうかがっている。
普通の警官も動員した方が良いかもしれないと、私は思った。
「あれ、確保して事情を聞くか? 叩けばいくらでも埃が出るだろ」
「そんな乱暴な」
「へ?」
あかねが呆れたように言ったので、私がむしろびっくりした。
まあ、確かに乱暴かも知れない。私は咳払いすると、まだもやが掛かっている頭で、辺りを徘徊しはじめた。
どうにも、あの不良共気になる。
この辺りで人の一人や二人、殺していないだろうか。で、埋めたりとか。子供に悪戯をして埋めて、それが発見されていないとか。
しかし、不良と言えば、私も同じか。
苦笑いすると、妄想を追い払って、辺りを調べる。
川の方に出ると。
かなり、妖怪の気配が強くなった。
不法投棄されたゴミがたくさんある。わずかに飛んでいる蛍。美しい輝きだけれど。人間に踏みにじられて、その生息域ももはや限界が近い。
他にも珍しい動物がいるという話だけれど。
これでは、絶滅までそう時間も掛からないだろう。
ふと、気付く。
見られている。
どうやら、お出ましらしい。咳払いすると、後ろに足音。気配は、川の方にある。つまり、川に誘っているという事だ。
振り返るが、誰もいない。
そして、すぐ足下に。
小さな足が見えた。サンダルを履いていない。素足である。
「おばちゃん、あの人間達の仲間?」
袖を掴まれ、見上げてくる。
おかっぱ頭の、小柄な女の子だ。ただし、可愛いというと。その憎悪に染まった目が、全てを台無しにしている。
声も、敵意が強く含まれていて。
下手な受け答えをすると、すぐに攻撃を仕掛けてくるだろう。
縄張りに侵入してきた相手を攻撃してくるような妖怪は、むしろ対処が楽だ。問題は、此奴のように、とりついて攻撃をしてくる奴。
見た感じ、水の気配が薄い。
そうなると、河童の線は薄いか。
しかし、川辺にこだわっているのが気になる。
「これ、お前のか?」
「そうだよ。 でも、履けないの」
「そうか。 災難だったな」
腰を下ろして、視線の高さを合わせる。そうすると、ようやく子供の妖怪は、多少は警戒を解いてくれたようだった。
更に、尻尾も出してみせる。
「ほら、私も同類だ」
「尻尾だ」
「そうだ、尻尾だ。 私は九尾のきつねという妖怪でな。 お前は」
「知らない。 多分人間じゃないけど、分からない」
なるほど、そうか。
妖怪は、自分が何になっているのか、自覚がない場合も多い。此奴の場合は、典型的なそれというわけだ。
まあ、何の妖怪かは分からなくても良い。
見た瞬間判断できたが。
この子供は、まだ生きているし。傾ききっていない。それならば、人間に戻す事も出来る。
車を爆破したことくらいは、まあ良い。
補導はされるだろうけれど。
それに、妖怪になってから、まだ日も浅いとみた。そもそも、小豆研ぎがどうして他の妖怪を縄張りに入れたかはよく分からないけれど。ただ、妖怪のコミュニティが所々にあるのも事実。
子供の妖怪の場合。
居場所がなくて、彼方此方を放浪する事もある。
サンダルが落ちていたからと言って、この子供が近辺で死んだとは限らない。
スルメを見せる。
「喰うか?」
「いらない」
「じゃあ何が良い。 金だけはたんまりあるからな。 何でもオーダーしてくれて構わないぞ」
「……ママのハンバーグ」
やっぱり、そう来たか。
困った話だが、やはり子供が傾く場合。何かしらの形で、家庭に問題を抱えている事が多いのだ。
この間対処した一つ目小僧にしてからがそうだった。
恐らくは、この子も、だろう。
そしてこの子は、まだ殺してはいないにしても、人を襲っている。急がないと、退治という形で処分されてしまう。
文字通り、妖怪として殺されるのだ。
それだけは、避けなければならない。
「それは、ママが何処にいるか分からないと、作れないな」
「知らない。 ママ、知らないおじさんと、何処か行っちゃった。 パパも、もう死んじゃった」
「……ちょっと待っていろ」
妖怪の容姿は。
生前とはあまり関係しないことが多い。スマホを使って、あかねに連絡。接触に成功したことと、状況を伝える。
「子供を置いて失踪した親を探れ。 孤児院辺りにいた子供が失踪した例もだ」
「分かりました。 すぐに」
問題は、見つけても、どうにもならない可能性が高いという事である。
愛人だかヒモだか知らないが、子供を放って蒸発するような親である。ろくでもない輩である可能性が高い。
この子が親を見つけたとしても。
きっと、幸福にはなれないだろう。
だが、子供には親が必要なのだ。
幸いにも。
この子は妖怪になってから、あまり年月が経っていないはず。つまり、容姿と実際の年齢にギャップが出ていない。
私とは違う。
復帰も、出来る筈だ。
六郎と安城に連絡。
妖怪との接触成功と伝えると、二人とも流石だなと言ってくれた。それは嬉しいのだけれど。
問題は、ここからなのだ。
「安城、セダンは悪いが、しばらく退治は保留で頼むぞ」
「それは分かったが、その妖怪は一体何者だ」
「新種と言う事は無さそうだな」
「面倒だな」
舌打ちする安城。
妖怪には、アーキタイプというものが存在している。有名な妖怪研究家なども提唱しているのだが、世界各地には、名前が違うが似たような妖怪が多数存在しているのである。これは勿論、人間の脳が起こしている共通現象というのもあるのだが。それ以上に、何かしらの形での、原型。
それが、妖怪になるとき、人間に影響を及ぼしているのである。
余程のことがない限り、新種など生まれない。
近代の妖怪にしても。たとえばトイレの花子さんやくねくねといった者達だが。彼らにしても、原型となる妖怪は存在している。
もう一度。
側でぺたんと座っているおかっぱの女の子を見やる。
この子にしても、新種と言う事はないだろう。私にしても、文字通りやおろずの神々に勝とも劣らない数が存在する妖怪を、全て把握している訳では無い。顔役をしていたのだから、生半可な人間の専門家より詳しいけれど、それでも全国にいる妖怪を、全て把握している訳でもないのだ。
「しばらくは遊ぶか。 何が良い」
「ゲーム」
そういって、子供があげたのは、二世代前のゲーム機だった。
私はゲームそのものは殆どやらないけれど。これで、この子が普通の家庭では無くて。中流以下か、或いは孤児院で育ったことが、よく分かった。
あかねに追加で連絡。
中古屋を調べて、このゲーム機とソフトがないかも、ついでに調べて貰った。警官の仕事ではないようにも思えるけれど。
こういう細かい事が。
妖怪を人間を戻す役に立つ。
そして私の場合。
膨大な実績が、その発言に重みを加えている。これでも、安倍晴明の野郎に飼われるようになってから、かなり長い。
戦争も、その間に含まれている。
しばらく、簡単な遊びをする。
手まりは私の得意分野だ。尻尾を出して、それで手まりをしてみると、子供の表情は少しずつ緩んできた。
「やってみるか?」
「ううん、見ているだけで良い」
「不思議な事をいうな」
「私、ずっと見ているだけだったから。 ゲームも、自分でやりたいと思わない。 おばちゃんがやって」
少しずつ、心を許してくれているのか。
子供が、自分のいたろくでもない環境を。無邪気な笑顔とともに、吐露しはじめていた。これは、ひょっとすると。
何でもない。
今は、少しずつでも、この子の闇に肉薄するのが先だ。
あかねが連絡を入れてくる。
スマホにメール。すぐに目を通すが。近隣の孤児院に、幼い子供の失踪例はないという。そうなると、中学生以上までも、調べて見る必要がありそうだ。
妖怪になると、獣になってしまう事もあるし。
幼児退行する例も見た事がある。
子泣き爺などは、その典型例だ。
あれは居場所がない老人が、幼児の頃に戻りたいと願った末に傾いた存在。特に、山に姥捨てされた老人が、変じることが多い。
私のいた妖怪のコミュニティにも、数名の子泣き爺がいたが。
彼らは普段悲惨なほど幼児退行していて。それでいながら、日常の生活はそのまま出来るのだった。
この子も、似た事例かも知れない。
六郎は一度様子を見に来た。
子供は夢中になって、私が三本出した尻尾で、毬をついているのを見ている。それを一瞥だけする、小柄な中年男性。
「なあ、九尾の」
「何だ」
「出来るだけ、早くその子を助けてやってくれ。 丁度孫がそのくらいの年でな。 退治するのは、いたたまれん」
「分かっているさ。 私だって、子供をたくさん産んで育てたんだ。 子供はみんな可愛いさ」
手まりについても、ベテランだ。
これでも、昔から。
妖怪化した子供をあやすのに使っている内に上達したのだ。尻尾を使って十個以上の手まりをジャグリングする。
これを見ていて、私より上手になった子もいた。妖怪でも人間でも、代わりは無かった。娯楽が少なかった昔の子供はこの手の単純な遊びが大好きだったし。今の子供だって、教え方次第でははまる。
私が知っている一番上手な子は。
手まり歌を謳いながら、それこそ十数個を綺麗に操って見せたものである。
ちなみに、あかねのことだ。
妖怪の子供もたくさん面倒を見てきたが。
此奴より上手になった子はいなかった。
子供は、親や、好きな相手に褒めて貰いたいと、凄まじい勢いで上達する。あかねはこの頃から、神童的な側面があった。
高校の頃には、県内でもトップクラスの優等生になっていたが。
それも、この側面が、良く伸びたから、なのだろう。
あかねが戻ってきた。
子供は、もう人間は完全に無視している。ただし、この子が慕っていた小豆研ぎを殺した安城を見せるのは危険だ。
今は、人間を無視している、だけである。
下手をすると、無差別虐殺をしかねない。車を爆破する程度の能力は有している、危険な妖怪なのだ。
「此方、ご注文のゲーム機です。 指定のゲームも」
「ん。 手まりが飽きたら、これでつなぐ。 調査を急いでくれ。 私もヤブ蚊には刺されるんだ」
「分かっています」
敬礼すると、一瞬だけあかねは、私の尻尾の妙技を見た。
私は今も、婦警の制服だから。
きつねの尻尾が生えた婦警が。その尻尾で手まりをしているという、奇妙きてれつな光景である事に代わりは無い。
「私もそれ、昔は大好きでした」
「ああ、目を輝かせて、もっと増やしてくれと言ってくれたな。 私も十個以上は難しくて、それで私よりも上達したっけ。 今でも出来るのか」
「一応。 子供が生まれたら、知育に使う予定です」
「そうか」
人間達が、側を離れる。
ヤブ蚊が増えてきた。
空気を操作しながら、手まりをするのは大変だ。どうしても気を抜いた隙に、ヤブ蚊の接近を許してしまう。
「自分でもやってみるか?」
「ううん、やって」
「んー、そうか」
スルメをポケットから出して、もむもむし始める。
ビールを口にしたいが。
私だって、流石にこれだけ危険な妖怪を側に、酒盛りをする勇気はない。私は妖怪が如何に怖いか、自分がそうだから良く知っている。
勿論人間には勝てないけれど。
それは猛獣が、人間には勝てないのと同じ理屈だ。
力を大幅に失っている私では。勝てない妖怪だって多い。特にこの子は、まだ能力の得体が知れない。
油断したら、一瞬でボンとやられる可能性もある。
「名前、聞かせてくれるか」
「分からない」
「お前自身の名前も、だぞ」
「思い出せないの。 いつの間にか此処にいて、おじじだけが私が見えて。 それで、優しくしてくれたから」
ふむ、それはつまり。
この子、或いは。
自分の名前に、執着がなかったという事か。
外堀が、確実に埋まっていく。
手まりに、子供が飽き始めた。
あらゆる技を見せていたのだけれど。流石に見るだけでは無理がある。これで、自分でもやりたいというと、話は別なのだけれど。
あかねからの中間報告。
周囲の事件を洗っているが。
どうにも、関連性がありそうなものが見つからないという。孤児院は総洗いしているが。それでも、だ。
そうなると、近隣では無いのか。
いや、ありえない。
しかもこの子は、あのゴムサンダルに強い興味を示した。
多分無関係では無い。
まさかとは思うが。この子、或いは。
あかねにメールを入れておく。そうすると、頷いて、すぐに捜査に掛かってくれた。相変わらず有能だ。
もっとも、本人が足で稼いでいるのでは無くて。
警部補として、部下に指示を出しているのだが。近々警部になるという噂もあるらしいけれど、さもありなん。
「おばちゃん、ゲーム」
「分かった分かった。 ただ、私下手だぞ」
「いいのー」
四苦八苦しながら、ロムをゲーム機に刺す。
かなり古い携帯ゲームだが、きちんと動いた。動く奴を買ってきてくれたあかねには感謝だ。
ゲーム自体はシンプル。
おっさんのキャラクターを操作して、様々な障害を乗り越えていく。問題は、私は覚えがあまり良くないこと。
操作するのも四苦八苦。
だが、へたっぴな私を見ていて、子供はとても楽しそうだ。
「いいのか、見ているだけで。 遊んでみるか」
「いいの。 見ていたい」
「……」
操作を続けながら、聞いてみる。
このゲームの、何が好きなのか。
誰か、好きな人が遊んでいたのか。
少しずつ、私に気を許しはじめている妖怪は、口が若干だけれど、滑りやすくなっていた。
「ののちゃんが、これ好きだったの」
「友達か?」
「ののちゃんは、ののちゃん」
「そうか、ののちゃんだな」
それは、分かった。
友達かと聞いて、この子は否定も肯定もしなかった。そうなると。
あかねが中間連絡を入れてくる。
スマホを尻尾で操作する。これが難しくて、空気を操作できなくなる。ヤブ蚊に刺されてしまう。
この場を動けないし。
何より、もう周囲は真夜中だ。
そして妖怪にとっては、むしろ夜の方が本番。
子供は、元気になる一方。
私も、それは同じなのだけれど。ただ、文明になれている以上、明かりがない河原で、携帯ゲームをしながらマルチタスクをこなすのは、正直しんどい。
「ののちゃんは、どんな子だ」
「私より少し背が高くて、たくさん食べる」
「そうかそうか。 人間か」
「そうだよ」
中間報告の結論。
誘拐および失踪事件は起きていない。つまり、事件として発覚していないか。そもそも、本当に事件が起きていないか、だ。
この子は、何者だ。
素性がまだ見えない。
仮説はあるけれど。
多分、それに踏み込むと、クリティカルになる。
尻尾を使って、スマホでメールを返す。あかねは多分驚いただろう。だが、この方向で調べていけば大丈夫だ。
この子は、おそらく。
見かけ通りの存在では無い。
3、暴露
二日目に突入。
途中でバッテリーを交換して、ゲームを続行。思った以上にボリュームがあるゲームで、かなり難しい。
私が下手なこともあって。
まだまだ、全クリには遠かった。
子供はすっかり私に気を許して、側にもたれかかるようにして、ゲームを覗き込んでいる。
それでいい。
後は地雷を踏まないようにして。
少しずつ、心を解きほぐしていく。
「だが、そろそろ限界も近いんだよなあ」
ぼやいてしまう。
子供の妖怪だけあって、この子は体力もある。そして、眠ることが全く無い。妖怪だって眠る。
私が何よりの例だ。しかし、この子はそうしない。
ピースが揃ってきている。
この子は、尋常な生活をしていなかったことは確かだけれど。そのかみあうピースが、際限なく邪悪だ。
「ちょ、ちょっと休憩してもいいか?」
「んー」
不満そうな子供。
だが、私が限界だ。
尻尾を出して、色々な形に曲げたり動かしたりしてみせると、流石に目を輝かせる。私は横になると、少し前に六郎が買ってきた弁当をつまみはじめた。勿論コンビニの奴である。
美味しくないけれど、背に腹は代えられない。
無心にもくもくする私に。
子供が、不意に言い始めた。
「おばちゃん、子供産んだことある?」
「あるぞ。 十一人な。 全員今でも覚えているよ」
「凄いね」
「お前も、子供を産んだことがあるな」
ぴたりと。
子供が、動きを止めた。
やはりそうか。
少し前に、産婦人科からデータを取り寄せる事が出来た。最近、死産した例。その後、死産した妊婦の、行方が分からなくなっている例。
一つ、見事に適中した。
言い出すのを、待っていた。私が言い出したら、多分この子は激烈な反応を示していただろう。
弁当をゆっくり食べながら。
自分から出した襤褸に、踏み込んでいく。
確実に、此処で仕留める。
これ以上、ヤブ蚊に刺されるのは、ごめんだ。
「赤沢由音。 お前の名前だな」
「そんな名前、知らない」
「良いんだ。 私も妖怪で、お前の事はよく分かる。 私の子供はな、殆ど自分の手で育てることが出来なかった」
身を起こす。
子供は、完全に固まっていた。
違う。
存在が、揺らぎはじめている。
自分が子供では無いと、認識してしまったからだ。子供を産むものが、子供である筈がない。
それが、中学生であったとしても、だ。
やはり、全て図星だ。
この妖怪の正体を。私は看破した。
少し前から、正体については分かっていた。様々なデータを照合するに、河童では無いことは確定していた。
しかし、童子の妖怪にしては、性質がおかしい。
様々な証拠品も、そのいびつさを後押ししていた。
私が正体を確信したのは、幾つかの受け答えからだけれども。今では、正体については確信できる。
産女。
子供をさらう鳥の妖怪。
類例が多数あり、その性質も様々。妊婦のまま死んだものが産女になるとも言われている。また、その逆に、死産した子供の成れの果てとも言われる。
私は何名か産女になったものを知っているが。
共通しているのは、お産に関する無念が形を為したものだと言う事だ。子供を死産してしまったり、あるいは母子もろともに命を落としたり。
絶望の果てに、子供を堕ろしたり。
産女は、母親になりきれなかったものが、なる恐怖の塊。
怨念は形になり、周囲に災厄をもたらす。他のものの子供をさらおうとしたり、或いは喰おうとしたりするものが、災厄以外の何だというのか。
この娘も、そうなりつつある。
だが、まだ産女になりきっていない。今なら、まだ間に合う。
「六郎!」
飛び出してきた六郎。
何名かの、結界展開を得意とする対怪異部署の警官が、続けてくる。
周囲に結界が展開された。
文字通り、隔離する光の壁だ。
私は其処に。
産女と一緒に、閉じ込められた。
「わ、私……」
「不幸な事故だったな。 男は逃げ出して、その行方も知らないんだろう? しかも孕んだことを伝えた途端、お前に暴力でも振るったんじゃないのか」
完全に産女が固まる。
図星か。
裏街道を生きている人間には、よくあることだ。
最近では、小学生が妊娠するような例さえあると聞いている。性教育をきちんとせず、性を汚いものとして扱うからこういうことになる。
それに、何より。
私が人間だった頃は、十代前半で妊娠出産なんて当たり前だった。それで耐えられない妊婦も、珍しくなかった。
産後の肥立ちが悪くて、命を落とす事が、当時は珍しくなかった。
勿論それも原因だが。
無理な若年出産が、どうしても母胎に大きな負担を掛けていたのが、事実だったのだ。今でも、負担が大きいのには、代わりは無い。
ばちんと、大きな音。
子供がはじけたのだ。
存在が。
輪郭が。
見る間に曖昧になって行く。
あのおかっぱの子供は、おそらく妖怪化する前の、赤沢の昔の姿。
若年妊娠、それに出産。
調べて貰って、分かった。
赤沢の家庭環境は最悪。赤沢自身が言っていたように、父は死に、母は赤沢を置いて蒸発。
それだけでは済まなかった。
孤児院には、必ずしも良心的な場所ばかりではない。
赤沢には孤児院でも居場所がなかった。
周囲の子供も、親がいないことで、ひねくれている者達ばかり。赤沢に出来るのは、隅で膝を抱えて、周囲の歓心を買わないようにすることだけ。だから、自分では一切ゲームもしなかった。
周囲の人間を。
友達とも、呼ばなかった。
欲望を完全に抑え込むことで、自分で何をしたいかも、表現できなかった。子供の遊びに強い興味を示したのも。
自分が、一切加わる事が出来なかったからだ。
全てが、絶望的に報われない。
そして、孤児院でもつまはじきにされていた赤沢は。
外で、母親同様に、ろくでもない男に引っかかった。死産した子供の父の経歴までは調べられていないが、どうせろくでもない輩だろう。いわゆる半グレか、其処まで行かなくても不良か。
或いは、援助交際を趣味にしているような、腐れサラリーマンかも知れない。
いずれにしても、赤沢は、自分を受け入れてくれたと思ったその男に入れ込んでしまい。そして、妊娠した。
途端、男は態度を豹変。
女子中学生って事くらいしか、赤沢に魅力を感じていなかったのか。それとも、女子中学生を孕ませたという重さに耐えきれなかったのか。
逃げた。
助けを求める相手もおらず。
孤児院にも戻れず。
赤沢は、倒れているところを発見された。もう少し早ければ、子供は助けられたかも知れない。
だが、遅かった。
子供は、死んだ。
あのサンダルは。
本当にわずかしか持っていない赤沢の所持金で。そして、子育ての知識もない赤沢が。必死に見繕った。
子供のための、ものだったのだ。
乳幼児に、サンダルなんていらないことさえ。赤沢には、思い立っていなかった。
残ったのは、子供を死なせてしまった事。
もはや、生きていく未来さえ見えない絶望。
かわらに来たのは、何故かは分からない。
或いは、自棄になって死ぬつもりだったのかも知れない。入院費だって払えなかっただろう。
そして、赤沢は。
此処で、おそらく。
遊びに来ていた不良達に、暴行を加えられたのだ。
だが、其処に、縄張りを荒らされたと考えた、小豆研ぎが現れた。
そして、不良共が逃げ散った後。
赤沢は、妖怪に変じた。
あの不良共は、或いは。
妖怪に変わっていく赤沢を、見ていたのかも知れない。だから、遠巻きに、此方をうかがっていたのだ。
絶叫が上がる。
そこにいたのは、鳥のような姿をした人間。
しかし、いわゆる天使のようなと形容するには、その姿は禍々しすぎる。翼はねじくれていて、顔は醜悪に歪み。
腹は膨らみ。
手入れされていない髪は垂れ下がり。目はぎょろりと、まるで梟のように大きい。
「AAAAAAAAAAAAAAAGAAAAAAAAA!」
絶叫。
耳を塞ぎたくなるような、悲惨なそれは。
赤沢の、悲鳴にも思えた。
小豆研ぎと上手く行っていたのも、今では何となく理由が分かる。小豆研ぎも、おそらく排斥されて、此処で命を落とした存在だったのだろう。
何となく、シンパシーを感じたのだ。
だから、縄張りにいることを許した。
赤沢には。
産女には、それで充分だったのだ。
危険な妖怪になるわけだ。この子には、絶望と恐怖と、罪悪感しか残っていなかったのだから。
車を破壊したのも、その力の一旦。
野放しにしたら、この子は。
手当たり次第に乳幼児をさらい。そして、喰らう文字通りの化け物と化すだろう。
立ち上がる。
両手を広げて、空気を操作する力を全開に。
此奴の事は把握した。
眷属がいる稲荷神社だったら、強制的に妖怪化を抑えることも出来るけれど。此処では、そうもいかない。
だから、呼びかけるしかない。
「私の時代はな。 七歳までは神の内って言って、子供は神様だと思うようにしていたんだ。 何故だと思う、赤沢。 そうしないと、命を落としてしまったときに耐えられないからだ。 それくらい、子供は簡単に死んだんだ」
帰ってくるのは、絶叫。
ばちゅんと音がした。体の何処かが、はじけたらしい。とんでも無い力が、叩き付けられている。
今までの抑圧。
鬱屈。
放置していたら、最悪レベルの怪異になる。
此処で、対処を終えなければならない。
手を伸ばしてくる産女。
それが、私の肉を、制服の上から挽きむしった。
痛いけれど。
私は、妖怪だ。
そのまま、語りかけ続ける。
「死んだ子供は可哀想だった。 きちんと供養してやれ。 その後、その子供の分まで生きろ。 生きる場所に関しては、私達が、きちんと用意してやる」
わめき声。
振るわれた爪が、私の肩口から腹へと抜けて、盛大に血をぶちまけた。
飛び立とうとする産女。
結界に、何度も体をぶつける。
だが。結界は耐え抜く。
妖怪の力は限定的だ。産女として完全覚醒したら、或いは破れるのかも知れないけれど。今は、まだ。
「お前は生きていい。 生きて良いんだ」
一瞬だけ、動きが止まる。
空気を介して、自分の力を送り込む。
この子が求めているのは。
救いだ。
だから、救われるのだと、教えるだけでよい。
手応えが、確かにある。
だけれど、次の瞬間。
私は吹っ飛ばされ、結界に叩き付けられて、意識を失っていた。
気がつくと、私はあかねに膝枕されていた。
痛い。
全身が、引き裂かれるようだ。今は修復を開始しているが、尻尾がダダ漏れになっている。
力が弱まると。
尻尾を隠せなくなるのだ。
此処は何処だろうと思い、周囲をゆっくり確認していく。
眷属がいる稲荷だ。
なるほど、多分完全覚醒した産女に、コテンパンにされて、結界に叩き付けられたか。情けない話だ。
産女程度に、遅れを取るなんて。
昔だったら、力尽くで押さえ込むことだって、出来たのだろうけれど。今ではこのざまである。
あの産女は、それほど他に比べて強い存在では無かった。それでも、私は遅れを取ったのだ。
かといって、今更強くなろうとは思わないけれど。
体を起こす。
眷属の影響から、動くには問題ないくらいには回復している。
それに、あの産女には、くさびを打ち込んだ。
多分近いうちに崩壊する。
後は、人間に危害を加える前に、確保する。そして、この稲荷にでも連れ込めば、元に戻せる。
問題は、その後だ。
クズ男に孕まされて、元々帰る場所もない中学生。
親もおらず。
友人もいない。
「救われん話だが」
「師匠。 既に産女は捕捉しています。 対怪異部署の七名が、包囲しています」
「何処にいる」
「この近くのビルです。 周辺からの住民の退去は終わっています」
これは、仕方が無いか。
面倒だけれど。
やるしかない。
完全崩壊したら、多分産女は更に凶暴化する。妖怪でさえなくなる。その時残るのは、多分、何も無い。
どかんと一発爆発して、それで終わりだ。
ただ、まだ時間はあるし。
私は、彼奴を把握した。
ならば、助けられる。
「師匠、行くんですか?」
「まあ、私は妖怪だから平気だ。 ただちょっと力を使ったから、ビールとおつまみを差し入れてくれな」
「分かっていますよ」
呆れながらも、あかねは肩を貸してくれる。
私は口の血を拭うと、ダメージを再確認。大きいのを何発か貰っているけれど、動くには問題は無い。
あるとすれば、時間。
それも、産女が籠城しているのがこの近くであるならば。
どうにでもなる。
ハイエースで移動。
検問が作られていた。警察の方でも、せっかく住民退去させるんだから、他にも検挙できるものがあるならしておこうというのだろう。
ハイエースで移動中、あかねと色々と話しておく。
「赤沢の経歴は、お前の方でも把握したな」
「はい。 悲惨な、文字通りこの国の闇ですね」
「そうだな。 だが、赤沢だけが不幸なわけじゃない。 他にも不幸な奴がいるという理由で、赤沢を叩くわけにはいかないが。 立ち直れないわけでもない」
私とは、違う。
自分が人間だと認識して。
救われると思えば。
赤沢は、人間に戻る事が出来る。少なくとも、子供をさらって喰らう怪物には、ならずに済むのだ。
「赤沢の、確保後の居場所は」
「用意してあります。 田舎の養護施設で、しばらく心身を休めて貰う予定です。 その後は、就職先も準備します」
妖怪化した後の人間は、何かしらの能力が上がることが多い。
それを確認さえ出来れば、有能な人材として確保できる。これは、長年の研究の成果、らしい。
実は。対怪異部署にも、妖怪化したものがいるという。
まあ、私のような、現役バリバリの妖怪が警官になっている位なのだ。妖怪になった事がある者がいても、不思議では無いだろう。
現場に到着。
周囲は既に、包囲が完了していた。
先ほど破られたのとは比較にならない強力な結界も展開されている。これなら、もう産女が逃げる事はない。
ビルは朽ちかけたおんぼろだけれど。
中からは、強い気配がある。
産女が、あの中にいるのは、確実だ。
対怪異部署の連中が、私の尻尾を見てぎょっとしたようだった。普段は隠しているので、知らないものもいる。
私が九尾のきつねだということも、実感が無い奴もいるのだ。
「私も行きます」
あかねが銃を確認。
警官に支給されている通常のニューナンブでは無い。対怪異部署に支給されているのは、特殊なチューンを施されたAAニューナンブと呼ばれるモデルだ。
これは対人殺傷力が低く抑えられていると同時に、怪異に対して命中したら確実に動きを止められるようになっている。
弾丸が特別製で、それを打ち出せる仕組みなのである。
普段だったら一人で行くけれど。
消耗した今は、あかねに来て貰った方が良いだろう。此奴は射撃の腕前でも、本庁の上位に食い込んでくるのだ。
ビルに入る。
まだ電気は生きている。産女がいるのは、四階。
小さな保育園が入っていたらしい場所。
本能からか。
それとも、子供に戻りたいからか。それは、会ってみないと分からない。力を展開して、辺りを確認。
確かに、四階に、産女はいる。
保育園の中。
いや、元々保育園だった場所。
中で、鳥のような姿をした妖怪が、囓っているのは、熊のぬいぐるみ。影からうかがう限り、幼児の甘噛みと同じだ。
精神の混沌が、極限まで達している。
このままだと、放置していれば、すぐにでも爆発するだろう。
勿論、くさびを打ち込んだ後だ。
遠くまでは逃げられないことは分かった上での行動である。
「行くぞ。 もしも私が失敗するようなら、撃て」
「分かりました。 武運を」
「ああ」
あかねに答えると、私は進み出る。
もう、此方には気付いていたのだろう。産女は、ゆっくりと振り返る。口元には、凄惨に食いちぎられた熊のぬいぐるみ。
「あ、うあ、ああああああ、うう」
「酷い人生を送ってきたな。 だが、まだ間に合う。 私のように、間に合わなくなる前に、引き返せ」
「まに、あう」
「私は、もう完全に妖怪になってしまったんだよ。 お前と同じように、人間社会からはじき出されてな。 今、人間に生かされているのは、利用価値があるからに過ぎない、そんなもんなんだ」
産女は、全身が、殆ど鳥になっていた。
頭部だけが異常に大きく。そして体中に、たくさんの目がついている。異形としても、不格好だ。
精神が、崩壊寸前と見て良い。
妖怪の姿は、その精神に大きな影響を受ける。
産女として覚醒する前、此奴が子供だったのも。子供に戻りたいと、強く強く念じていたからだろう。
社会に対してあまりに大きな負担を受けた結果、子供に戻りたいと願う例はある。
私がぴんと来たのも、以前に同例を見た事があるからだ。
ただ、今回は私も、なかなか気付けなかった。あまりにも特殊な事例で、複雑に色々なものが噛んでいたからだ。
悲痛な声を、赤沢が上げる。
「私の、あかちゃん、助けて」
「子供の分も生きろ。 それが、償いになる」
「私の! あかちゃんなの! 返して! 捨てたりしないで!」
力が、爆発する。
舌打ち。空気を操作してガードするが、防ぎきれない。
地面に叩き付けられる。
そして、産女は、馬乗りになってきた。だが、とどめを刺そうとはしない。この状態でも、あかねはヘッドショットを余裕で決めてみせるだろう。それでも動かないという事は、彼奴も分かっているという事だ。
「あかちゃん、どこ……?」
「目を覚ませ。 もう、悪夢は終わりだ」
絶叫をあげる赤沢。
その全身が、溶けるように、崩壊していった。
私は、もろにその崩壊の余波を浴びたけれど。それでも、何とか耐え抜く。これでも、いにしえから生きる大妖怪なのだから。
弱体化しきっていても、である。
膨大な怨念がばらまかれて。
辺りの空気を汚染しきって。
そして、ようやく、全てが収まった。
私の全身はズタボロ。
煙を吐くと、私は。
私に抱きつくようにして倒れ込んでいる赤沢を見下ろして、嘆息した。
気の毒なほど、痩せている。小学生と言っても驚かないほどに小柄で、体つきも貧弱だ。全裸になっている赤沢は、こんな体で妊娠させられて、更には死産まで味わったのか。怒りがこみ上げてくる。
私に掛かった崩壊の余波は、若干弱かった。
見ると、私に向けて、あかねが手を伸ばしている。
何かしらの、神道式の術を展開したか。此奴は神職で、しかもしっかりした訓練を受けていることを、私は今更ながらに思い知らされる。
「無事ですか、師匠」
「ああ、何とかな」
手際よく、あかねがコートを赤沢に掛ける。
私はと言うと、立ち上がろうとして失敗。
全身から、血液が漏れているのが分かる。今回は、戦うのが苦手だというのに、散々攻撃を食らってしまった。
リスクの高い仕事だというのは分かっているけれど、流石にしんどい。
大きく嘆息すると、私は。上半身を起こしたまま、てきぱきと赤沢のバイタルを確認しているあかねに言う。
「痛いよ−。 ビールくれー」
「後にしてください、師匠」
「酷い−。 いたいー」
「処置完了。 すぐに救急班来てください」
ばたばたもがいてみせる可哀想な私を、あかねはすげなく無視。
まもなく部屋に入り込んできた救急班が、倒れたままの赤沢を担架に乗せて、運び出していった。
彼奴は、どうなるんだろう。
今後の人生を、中学生で悲観するほどの目に遭ったのだ。勿論、もっと悲惨な運命をたどった子供は珍しくも無いけれど。それで、あの子を否定することだけは、してはならないだろう。
私も担架に乗せてくれと頼むけれど、駄目と言われたので。
何とか壁まで這っていって、其処で立ち上がった。
呼吸を整えると、額を拭う。
べっとり血がついていた。まあ、当然だろう。
ただ、私も妖怪である。
内臓をやられたくらいなら、安静にしていれば治る。問題は、妖怪にとっての致命打は、人間にとってのそれとは違うと言う事だ。
それを突かれてしまうと、私もひとたまりもない。
もっとも、治ると言っても、此処まで酷いと、一月は安静にしていないと駄目だが。
あかねは部下達を忙しそうに指揮していた。私が階段を下りて、ビルを出ると。一瞬だけ此方を見たけれど。
しかし、指揮の方が重要だと判断したのだろう。
妖怪がらみの事件の場合、後処理も色々面倒なのだ。
ましてや、今回の産女は、決して少なくない損害を周囲にばらまいていった。飛び込んだのが廃ビルだったから良かったけれど。安城のセダンを破壊したし、対怪異部署の若いのを数名、結界を破壊する時に負傷させた。それらの損害賠償は、いずれ自立した後の、赤沢に背負って貰う事になるだろう。
何とかハイエースに乗り込むと、あかねが借りてくれたビジネスホテルに。
辿り着くだけで、精一杯。
ホテルのフロントは、血だらけの私を見て仰天もせず、淡々と鍵を渡した。そのくらいは、まだ空気を操作する余力も残っている。
部屋に入ると。
冷蔵庫をまさぐって、ビールを出す。
スルメを噛みながら、私は、床にそのまま、転がっていた。
呼吸を整えながら、回復に専念。
結構きつい。
あかねは巫山戯ていると判断したのだろうけれど。私はあの時、結構深刻な打撃を受けていたのである。
まあ、消滅には到らないが。
ただ、苦しい。
しばらく地獄の痛みが、全身を覆うことになるだろう。憂鬱だけれども。こればかりは、どうしようもなかった。
しばらく無心にスルメを噛んでいると、あかねからメールが来た。
赤沢は容体が安定。
ただ、意識が戻るまで、しばらく掛かるかも知れないと言う。後処理を任せて良いかと聞くと。後でおごってくださいと、返事が来た。
馬鹿野郎。
師匠が死ぬ思いをしてるって言うのに。
それだけぼやくと、私はビールを床に零さないように一気に呷って。ベッドを使わず、その場で目を閉じて、意識を失った。
4、光見える時
四日ほど、ゴロゴロして、体力を回復して。
どうにか歩けるようになった私は、ホテルをチェックアウト。眷属がいる近くの稲荷神社に向かった。
本当はすぐに引っ越して、新しいアパートに移りたかったのだけれど。
今回ばかりは、その前にしっかり回復しておきたかったのである。
赤沢は、あれからどうなっただろう。
心配なら、当然する。
空気を使って、その存在を知ったのだ。そうで無ければ、元に戻す事なんて出来なかった。
その過程で、あの娘がどんな地獄を味わってきたかも、よく分かった。
だからこそに、少しはマシになって欲しいとも思う。
ハイエースは流石に使わず、電車と徒歩で稲荷神社に向かう。比較的大きな稲荷で、神主もいる。
もっとも、私が時々中でゴロゴロしていることには、気付いていないが。
鳥居から堂々と入り、境内を掃除している神主の娘の横を通り過ぎる。こちとら此処で祀られているご本尊と同一存在である。だから、わざわざ挨拶なんぞする必要もない。何度かあくびが出た。
これはそれだけ、体の中がズタズタという事だ。
体が栄養も欲しがっている。
奧にある小さな納屋に入り込むと、眷属が待っていた。此処の眷属は、銀色のきつねだ。非常に神々しい見かけだが、此処の神主一族は、随分長い間、彼女の姿を見る者が生まれていない。
神主の娘も、幼い頃は少しだけ気配を感じていたようだが。
今では足下でじゃれついても気付かないと、この間訪れたときに、げんなりした口調で言われた。
「これは、手酷く痛めつけられましたね」
「私はステゴロが苦手でーす」
「はいはい、分かっていますよ」
銀毛のきつねは、すぐに奧からビールの缶をくわえて持ってくる。
しばしビールを堪能した私だけれど。
心地よい酩酊の中横になり。
頭を銀のきつねの腹に預けると。どうしても、愚痴が出てしまった。
「この仕事、きつい」
「そうですね。 そうでしょうね」
「今回も、本当にろくでもない人生を送ってきている子供が、悲惨な運命をたどるところを見せられた。 なんであんな気の毒な子供を、あんな目に遭わせるのか。 人間って生き物は鬼畜か」
げふりと、ビール混じりの息を吐き出す。
空気を操作しているから、納屋の外には漏れない。
ビールは元々私が持ち込んだ奴だし、問題は無い。
銀色は、私の話を黙って聞いている。それで、私としても、話しやすくなると、知っているのだ。
「でも、仕事しないと生きていけないからな。 人間にとって利用価値が無ければ、妖怪なんて皆殺しにされるだけ。 ましてや私みたいな、もう人間には戻りようがない奴はなおさらだ」
「そうですね」
「なあ、私は。 どうして妖怪になってしまったんだろう。 きつねと仲良くしていたことが、そんなに悪い事なのか。 村社会ではじき出されたら、どうして此処まで体がおかしくなるんだ。 普通に子供産んで、年老いて、一生を送りたいと思っていたのは、それほど悪い事だったのか」
何度か、涙を拭う。
もう、私の愚痴を聞かせる相手は。
事実上私の一部である、眷属しかいない。
色々な時代に、合計五人いた夫は、全員非業の死を遂げた。
それで、こりた。
もう子供は産まない。誰かの妻にもならない。だけれど、死ぬ勇気もない。私は、情けない奴だ。
気がつくと、眠ってしまっていた。
銀色が、毛布を掛けてくれていた。それが有り難い。本当に弱らないとこんな風に、墜落するように眠ることはない。
スマホが鳴る。
あかねからだ。
「赤沢さんが目覚めました。 妖怪になっていた間の記憶は綺麗になくなっています」
「そうか」
「ただ、何度も病院で自殺未遂をしているそうで、精神も不安定。 しばらくは病院から出せないそうです」
無理もない。
世の中には、子供を平気な顔をして堕ろす親もいるけれど。あの子は、そこまで冷酷にはなれなかったのだ。
勿論、自分が子供にも戻れないし、死んだ赤ん坊は帰ってこないことは認識したから、人間に戻れたのだけれど。
やりきれないことに、代わりは無い。
「しばらく、だらだらしていてもいいか」
「回復のためだというのなら」
「……そういうことにしておく」
通話を切る。
ため息ばかりが漏れてしまう。
ずっとこの仕事をしているけれど。やはり、それでもやりきれない。人間の方が、妖怪なんかよりずっと邪悪だ。
新しいビールの缶を開ける。
また、スマホが鳴る。
あかねかと思って、苛立ちながら電話を取るけれど、違った。見た事もない番号で、しかも外線である。
「誰だ?」
「あの、金毛警部補、ですか」
小さな声。
なんと無しに分かった。赤沢だろう。
ただ、私の電話番号を、誰から聞いたのか。それは気になる。
或いは、安城辺りかも知れない。
彼奴は最初、赤沢にとりつかれていた。それに、無害だった産女幼体を、凶暴化させるきっかけを作ったのも安城だ。
勿論安城に責任はないけれど。
奴なりの、責任の取り方なのかも知れない。
「あの、助けていただいたと聞いて。 有り難うございました」
「何、大した事はしていない」
「……うっすらとですけれど。 思い出してきました。 私、貴方にたくさん遊んで貰って、それだけじゃなくて、助けてまでくれて。 遊んでくれた人も、助けてくれた人も、貴方が……初めてでした」
感謝してくれるのは嬉しいけれど。
本当だったらこんな事、社会で解決するべき問題だ。私みたいないにしえから生きるレアケースが、しゃしゃり出るような問題では無い。
だが、この世界に起きる怪異は、実在していて。
過去には、それで大きな被害が出た事件もある。
だから私のような者がいる。
しかし、それは、誇ることでは無いし。人間が本来は解決するべき問題でもあるはずだ。私は、このように不幸な子供を見ていて気分が悪いと思うし。人間がそう思わないことを悲しいとも感じる。
「私は、仕事をしただけだよ」
「それでも、お礼をいわせてください」
「物好きだな」
それにしても。
弱者は死ねという結論を持つ人間は、やはり邪悪な生物なのでは無いかと、私は思う。実際、赤沢は、人間では無い存在になるまで、追い込まれたのだから。
だが、私には。
残念ながら、人と戦うような力はない。
軽く話した後、通話を切る。
問題は、その後だった。
連絡を入れてみるのだが。安城も六郎も。それにあかねも、赤沢に連絡先を教えていないというのだ。
ならば、誰だ。
新米警官が誰か、馬鹿な事をしたのか。
何だか嫌な予感がする。
一応、あかねに、赤沢の警護を増やすように頼んだ後。
私は半身を起こして、銀色に言う。
「外でたらふく食べてくる」
「どうしたんですか、急に」
「出来るだけ急いで回復する。 面倒極まりない事だが、どうにも嫌な予感がするものでな……」
幸いと言うべきか。
金なら有り余っている。
だから、金のことは心配しなくてもよい。
そもそも、今回の件も。それに、少し前に解決した一つ目小僧の件も。どうにも、妙な力の存在を感じるのだ。
ひょっとして、誰か。妖怪の中の反動派が、仲間を増やそうとでもしているのか。
いきなり突飛すぎる結論だけれど。私は1000年を生きてきた。力は衰えていても、勘は働く。
外に出ると、私は、安くてたくさん食べられるチェーンに入り、注文。
味は二の次だ。
たくさん食べられれば、それでいい。
店の人が驚くほどに、たくさん注文して。時間を掛けながらだけれど、黙々と食べ始めた。
力は、付けておいた方が良いかもしれない。
昔の力を取り戻す気は無いけれど。
少なくとも、自由に動けるだけの力は、今後必要になるかも知れなかった。
5、赤い角
日本でも最大級の宗教団体の長に収まっている酒呑童子は、多忙である。
何処でもそうだが、カルト教団というものは、社会に居場所がない人間を捕まえて、金を搾り取るものである。
そして、それは。
妖怪を生産するのに、極めて都合が良い。
信仰の自由を盾に、意志薄弱なものを。或いは、思考に柔軟性を欠くものを集めて。そして、資産を搾り取る。
最初にはじめたとき。
人間の作り上げた悪辣極まりない仕組みに、流石の悪鬼と呼ばれた酒呑童子も反吐が出たが。
結局、今では。
ボスとして、振る舞うことが板についていた。
妖怪を多数かくまうにも丁度良い。
警察も、既に酒呑童子の事には気付いているらしいのだが、宗教団体以上の事はしていないから、手を出しては来ない。
何処のカルトも、やっていることは同じだ。
そして信仰というものが潰れ果てた現在。結局、人間が都合良くすがるのは、原始的な宗教よりも更に即物的なカルトなのである。
それは何も、カルト教団だけではない。
仕事や学校、それに思想。趣味嗜好。
何もかもが、現在ではカルトになり得る。
酒呑童子はそれをコントロールして、同胞達が生きる場所を作っていけば良い。
表向きは、警察に協力さえしている。実際、手に余る凶悪な妖怪の退治に協力したこともあるし。妖怪から人間に戻れそうな奴を元に戻すのに、助力したことだってある。
だから、今の時点では気付かれていない。
酒呑童子の目的が、妖怪を増やして。最終的には、この国どころか、世界のコントロールを奪い取ることだと言う事は。
もっとも。酒呑童子のカルト組織にしても、幹部の七割は人間だ。
連中は幹部の三割が妖怪だと言う事は知っていても、黙っている。理由は簡単で、金が儲かるからである。
金が、人間の口を塞ぐには、一番効率的だ。
それも、ここ数十年で、酒呑童子が学んだことだ。
移動のマイクロバスの中で、スマホを操作して、情報を逐一入手。ニュースサイトへのアクセスも、今は早い。
ただ、スマホは、バッテリーが弱い。
これは特注で、バッテリーをかなり強化しているが。それでも、以前使っていたカスタムモデルのガラケーの方が、幾分マシだった。
「飛川」
「はい」
前の席の男が振り返る。
基本、マイクロバスの最前列には座らない。これは狙撃を避けるためだ。
人間相手の弾だったら即死はしないけれど。対怪異の弾頭となると、無事では済まない。今の時代、人間の進化は、妖怪を遙かに凌いでいる。
「N商事の株を買えるだけ買い込んでおけ。 近々値上がりする」
「承知しました。 予言者の助言ですか?」
「そうだ」
予言と言うよりは、一種の未来予知だが。
仲間の一人に、それが出来る妖怪がいる。ただし、自分の望み通りの未来は見る事が出来ない。
たまに、有用な未来予知が飛んでくるので、それを利用する。
あまり役に立つとは言いがたいけれど、此奴のおかげで今まで二百億以上の利潤をたたき出している。
だから、誰もが一目は置いていた。
しかしながら、当人はと言うと、子供以下の力しかない。色々と難儀な奴である。しかも、手づから食事をさせた相手の予言だけをするという、非常に厄介な特性付きなのである。
色々不便だが。
それでも、予言は的中するので。此奴に食事をさせたいと願う妖怪は、後を絶たない。
「茨城童子は」
「今、別支部のごたごたの処置を続けています」
「長引いているな。 彼奴らしくもない」
「どうやらアジア資本が入り込んできたらしく、幹部の一人が手先になっていたようなのです」
それは、面倒だ。
大陸の方にも妖怪はいるが、此方はもう殆ど駆除されてしまって、今ではごくわずかな数が、一目を避けて生きている。
大陸で厄介なのは、人間だ。
今も、一番酒呑童子の手を煩わせているのも。大陸の妖怪では無くて。大陸の人間なのだから。
「磯女はどうしている」
「実験を終えて、近々帰還します。 かなり強力な妖怪の生成に成功したという事なので、お披露目も出来るかと」
「うむ……」
最近、また成果物の一つが潰されたことを考えると、喜ばしい報告だ。この国の警察は無能ではない。九尾の奴も最近活発に動いているし、何より安倍晴明だ。あの化け物は、正直今の酒呑童子では太刀打ちできない。
だからこそ、手駒にする強い妖怪がいる。
昔、この国には、多数の強豪妖怪が溢れていたが。
今では、それも昔話。
殆どは人間に狩られてしまった。これ以上妖怪を減らしてはならない。人間による迫害を避けるためにも。
他にも報告を聞いていく。
人間のもの、妖怪のもの。
様々な成果が上がって来る中で。やはり、磯女が成功させた強力な妖怪の生成が、印象に残った。
マイクロバスが高速を降りる。
間もなく、目的地である支部に到着する。
支部に入ると、中はがらんとしていた。事務所ビルは中に誰もおらず。集会場はもぬけの殻。
文字通り、人っ子一人いない。
此処は潰れた遊園地を買い取って更地にし、宗教施設に変えた場所。東京近郊の振興拠点として、常に管理に力を入れてきた。
今日も、それが上手く行っているか、視察に来たのに。
妙だ。
此処には幹部が常駐していて、見張り役の妖怪もついている。強制捜査の類が行われたという話もない。
舌打ち。
部下達も、それを察して、周囲に展開。
常に護衛用の武闘派を連れている酒呑童子だけれど。今の人類が、本気で潰しに来たらかなわないことも知っている。
だから、最初にすることは。
退路の確保と、逃げる準備だ。
「酒呑童子様ですね」
不意に、声が掛かる。
そして、いつの間にか。私の目の前に、タキシード姿の女が立っていた。女なのに、いわゆる男装をしている。
しかも、妖怪だ。
「何者だ、貴様。 信者達を何処にやった」
「三番倉庫で眠って貰っています。 それよりも、質問にお答えください」
「……いかにも私が酒呑童子だ」
部下達が不満げに、周囲に人の壁を作る。
妖怪の武闘派も、人間のSPもいる。タキシードの女は、動じている様子は無い。
「私はクドラクの一人カルマ。 西洋の吸血鬼にございます」
「聞いたことがあるぞ。 確かクルースニクと呼ばれる組織と争い続けている吸血鬼組織だな」
大陸では珍しい、妖怪の大規模組織。
ただし近年では人間との宥和政策を進めて、商売をして成功しているものもいるという。そのクドラクが、何か。
「実は、耳寄りな話をお持ちしました」
「……内容次第だな。 いってみろ」
「今、酒呑童子様は、妖怪を増やすことに執着しているご様子。 此方に適切な技術があると言ったらどうでしょう」
不快な奴だ。
どこから、その情報を聞きつけた。
警戒する部下達を制止すると、私は咳払いする。眠らせた信者を元に戻した後で話を聞くと。
あれらは大事な金づるだ。
吸血鬼が吸血で同胞を増やすなどと言うのは迷信だが。それでも、余計な事をさせるわけにはいかない。
にやりと艶然とほほえむと。
長身の男装麗人は、おやすい御用ですと、芝居がかって言うのだった。
(続)
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