闇宵ろうそく立て

 

序、プロローグ

 

いつの頃からだろう。

妖怪と呼ばれるものが、見えるようになった。

それは特殊な生態を持つ生物では無い。

人の心に住む異物でもなければ。

幻になり果てた神々でもない。

妖怪は、現在にも存在している。いにしえにはいにしえの。そして今には今の。妖怪と呼ばれる存在は、確かにいる。

それは。

人間そのものの事だと。

私は、最初の十何年かの経験で思い知った。

それ以降の、長い生の中で、何度も何度も再確認させられてきた。

私自身がある意味で妖怪だ。だから、一カ所には留まることが出来ない。幸い、複数の支援者がいるので、仕事さえしていれば生活には困らないけれど。

今後も、一カ所で静かに暮らしていくことは出来ないだろう。

東京の街は。

私のような存在には、随分と過ごしやすくなった。

多少治安が心配だが、誰でも住めるようなアパートは、何処にでもごろごろしている。

隣に住んでいる人には誰も気を配らないから、住むには丁度良い。

だから今日も、私は。

早い段階から、酒をかっくらって、横になっていた。

酩酊の中、ぼんやりしていると。

ドアがノックされた。

1Kのこの安アパートに訪れる奴何て、大体訳ありだ。昔ながらの古き良き安アパートならともかく。今の東京の安アパートと言えば、魑魅魍魎があふれかえる魔窟。妖怪でさえ嫌がるような場所。

いや、違う。

こういう所こそ、妖怪の発生源とも言えるか。

「金毛さんや」

「ちっ……」

その呼び名。

つまり、私の正体を知っている奴と言う事になる。

何処かで、犬が狂ったように吼えていた。缶ビールを片手に、シャツとトランクスで玄関に出る。

ドアを開けずとも、そいつが何者かは分かった。

「団か」

「そうだ。 開けておくれ」

「入れ」

鍵だけ外して、中に客を招き入れる。

ベッドの上に腰掛けると、残ったビールを一気に飲み干した。どうせ金はあるし、これくらいの自堕落は良いだろう。

入ってきたのは。

目だけがぎょろりと大きい、やせ細った老人。

見かけは八十くらいだろうか。和服を着こなしてはいるのだが。それ以上に、衰えが酷すぎる。

普通だったら、老人ホームで静かにしているような容姿であるにも関わらず。

その老人は身軽にするすると歩き。

私の前に、用意された汚い座布団に。

私はと言うと、シャツとトランクスという、男でも来客時に用いないような格好で。ベッドの上で、更にビールを呷る。

「相変わらずの自堕落だな」

「伝承のように各国で要人を引っかけて、国を幾つも滅ぼすような大妖怪になるよりはましだろう?」

「伝承はあくまで伝承。 都合が悪いものを全て妖怪に押しつけているだけだというのは、そなたも知っておろうに」

「わーったわーった。 幼なじみに説教は、昔から変わらんな」

といいつつ、もう一つビールの缶を開ける。

北海道の酒造メーカーが作るこのブランドが好みで、ついついたくさん買ってきてしまう。

それに、自堕落にしているとき以外は。

とても体力を使うのだ。

普段は、自堕落にしていても良いではないか。

「で、来たという事は、仕事かい」

「そういうことだ」

資料を投げ寄越される。

酩酊した手で、資料を受け取ると。

其処には、面白い名前があった。

ろくろ首。

鼻を鳴らすと、手を振って団を追い払う。

しばらくは一人で、戦略を練りたいのだ。

この国におけるろくろ首には、主に二種類がある。一つは飛頭蛮。これは名前の通り、首が飛行して別行動すると信じられていた、大陸の異民族。これが、妖怪に変じたものだ。類型の存在は多数存在していて、色々な呼び名がある。

もちろんそんな種族がいるわけもないので、伝承が妖怪になった、というものである。ちなみに三国志とも関わりがある。呉の名将である朱桓の使用人はこの飛頭蛮だったそうで、とてもほほえましいエピソードが知られている。

もう一つは、首が伸びるタイプのろくろ首。

主に見世物小屋などで有名になったタイプで、日本の江戸時代以降に名が知られた妖怪だ。

怪談話の主体になった凶悪なタイプの妖怪は前者。

むしろ面白おかしく語り継がれたのが後者だと考えると、分かり易い。

私の仕事は。

妖怪をこれ以上増やさないこと。

妖怪は人。

人は妖怪。

垣根はあるが、存在はしない。

だが、その垣根をあまりにも酷く越えてしまうと、どちらでもない存在になってしまう。たとえば、私のように、だ。

団は私ほど酷くないから、普通の人よりもゆっくりでありながらも、年もきちんととる事が出来た。

だけれども、私は。

もう加齢などとは、縁がない。

ビールをこれだけ飲んで体をいじめ抜いても、だ。

自堕落に過ごしても、だ。

体が変わらない。

弛んで太ることもないし。目の下に隈ができて、美貌が崩れるようなこともない。まあ、元々大した美貌など持ち合わせてはいないのだけれど。昔は随分悩んだし、苦しみ抜くこともあった。

誰かに助けを求めたことも。

しかし、その行為が報われることは、ついになかった。

結局私はすっかりひねくれて自堕落になり。

こんな安アパートを点々としながら、酒をかっくらい。たまに団や他の奴が持ってくるお仕事をこなすことで、私のような奴が増える事を防いでいる。

もっとも、私は伝承ほどの力は持ち合わせていない。

昔は、ある程度今よりマシな力は持っていたこともあったけれど。それも、今よりはマシという程度にすぎなかった。

今は積極的に力なんて使う気も無いし。

そもそも使う事だって出来ないのだ。

だから、お仕事は、いつも命がけになる。

一見無害そうな伝承が、恐怖となって牙を剥く例は、実はいくらでもある。ましてや人間がその狂気と結びついた場合。

その危険度は、想像を絶する。

しばらくぼんやりと過ごして、酒を抜くと。

私は布団を片付けて、掃除を済ませる。

出かけるから、ではない。

いつ死んでも良いように、だ。

大きくもないアパートの掃除が済むと、着替える。とはいっても、よそ行きでも大した服を持っているわけではない。

巫女用の千早でも着込めば、或いは様になるのかも知れないが。

そんなものは、コスプレしているわけでもないし、持ち合わせがない。とはいっても、ぴっちりしたスーツでは動きにくい。

足を保護する意味もあるジーンズと。

動きやすさを重視したTシャツ。

ただそれだけだ。

酒は抜けたし、こういう仕事は急げば急ぐほどいい。

私は最小限の仕事道具だけを鞄に詰め込むと。

最寄りの地下鉄の駅に向かった。

幸い、今回の仕事場は、東京。それも、此処からかなり近い。

地下鉄に揺られながら、目的の駅を目指す。昔はこの複雑に入り組んだ地下鉄に辟易したが。

流石にもう慣れた。

 

昼前に、最寄り駅に到着。

駅から黙々と歩いて、十五分ほど。他の駅を使う方が歩く距離自体は短いのだけれど。乗り換えの便が悪いので、わざわざ歩いてきたのだ。

日差しがまぶしい。

昔はこれでさえ、致命的になるほど傾いていたことがあったけれど。今は平気だ。その分力も衰えたが。

渡されているスマホのGPS機能を使って、時々位置を確認。

あまり空間把握能力は高くないので、こうしないと迷ってしまうのだ。黙々と歩いている内に、現場に着いた。

学校。

それも女子校だ。

基本的に学校は閉鎖的な習慣が育ちやすいのだが。この女子校という奴は、その中でも閉鎖性が群を抜いている。

昔修道院というものがあった時代も、内部での閉鎖性は凄まじい陰湿さを秘めていていたという話だが。

今でも、人間は。

集団になると、その本性を剥き出しにする。

勿論、中に堂々と入る訳にもいかない。

周辺を確認後、資料をもう一度出す。

人間が喜びそうな、オフダとか玉串とか、そういうのは持ってきていない。私が行うのは、あくまで傾きを是正することだけ。

だから、その傾いている存在を、ある程度最初に特定しておかなければならないのだ。

近くの喫茶店に入ると、夕方まで時間を潰す。

そして、夕方。

出てきはじめた生徒達を観察。部活の内容次第で、出てくる時間は違うが。おおむね、育ちが良さそうで、その分性格が悪そうなのが、学校からわらわらと出始めた。その中には、かなりヤバイのが、二三匹いる。

これは、骨が折れるかも知れない。

もっとも、今までも。

楽な仕事だったことは、ただの一度もなかったが。

目星を付けた何人かをピックアップ。一人ずつ、順番に調べていくしかない。最悪の事態が起こると、死者が出る可能性もある。

他人が死のうが生きようがどうでもいいと考えるのが現代人。

そして、私のような怪物も同じ。

何処か似通っていて。

それが故に。私は、この世界で生きやすい。

最初の一人は、かなり大きな一戸建てに住んでいた。お嬢学校の生徒なのだし、当然だろう。

車庫にはフォルクスワーゲンが二台も停まっていて。

門には、性格が悪そうなドーベルマンが、周囲を睥睨している。まあ、犬くらいは、どうにでもなる。

近くの電柱に登ると、状態を観察。

家庭内で暴力が振るわれているような気配はないし。

異常は特に感じない。

そうなると、問題は家では無く学校か。

次に行く。

今度はいわゆる億ション。四十階建てを超える巨大な代物だ。勿論入り口には厳重なセキュリティ。

だけれど、そのようなものは。

案外簡単に突破出来る。

事前に渡されていたコードを用いて、入り口を突破。警備員が不審げに私を見たけれど実際入り口を突破出来ているのだ。

だから、何も言ってこない。

あのセキュリティを、簡単に突破出来るわけがない。

その油断が、侵入を許すのだ。

目星を付けておいた生徒の家を特定。

二十三階の隅にある。かなり巨大なマンションで、生半可な一戸建ての三軒分程度の面積はありそうだ。

此処も、ごく幸せな雰囲気。

金があると、人間には余裕が出来る。余裕が出来れば、ある程度裕福にもなる。

金を得て腐るのは。

それでも欲望を伸張させる輩。

人間の中には、際限ない欲望を持つ奴がいるが。

そう言う連中だ。

しばらく家を確認するが、此処も問題ないだろう。

目をつけた三人目の家に急ぐ。

これは少しばかり特殊だ。

学校からもかなり遠い。電車を乗り継いで到着した頃には、既に深夜になっていた。面倒だが、仕方が無い。

騒いでいる連中がいる。

お嬢学校に行っているにしては、治安が悪い場所に住んでいる。

何か理由があるのか。

あるのだろう。

家を見て、その推定は、確信に変わる。ごく普通の一戸建て。此奴は確か、相当な資産家の娘の筈だが。

しかも、家は会社を経営していて、確か学校の中でもトップクラスの金持ちだ。

それなのに、何故。

こんな治安の悪い場所に居を構え。

しかも、ごく普通の一戸建てに住んでいるのか。

会社社長、しかも一部上場ともなると、その権威を見せつけたいと考えるのが普通。余程の傑物なのかも知れないが。

それにしては、娘をお嬢学校に行かせたりと、俗っぽい。

近づいて確認。

途中、柄が悪いのが、此方を見たが。

すぐに小首をかしげて視線をそらす。

ああいうのに構われない程度の事は出来る。私は、もう人間から、かなり垣根を踏み越えてしまっているから。

家の近くで確認。

慎ましい家というのとは違う。

かなり荒れている。

内部からも剣呑とした空気がある。家の庭も、雑に手入れされているのが、一目で分かる。

私は。

此処こそが、問題の中心点。

つまり、怪異の発生源だと、見極めを付けた。

すぐに団に連絡を入れる。

「見つけたぞ。 指定の位置をマーキング」

「おう、流石だな」

「後は、処理だけだな」

通話を切ると、首をならす。

多分これは、かなり複雑で、面倒な問題の筈だ。一旦此処を離れて、学校の方も調べておくのが良いだろう。

一度距離を取る。

遠くで、誰かががなり立てている。

此処は東京でも、かなり治安が悪い地域。

誰も、他人の命運など気にしない。

不幸を喜び。

そして他人の悲しみを、力にさえする。

そんな地獄の一丁目が、此処だ。

さて、学校も調べておくか。

そう思い、私は近くのビジネスホテルに足を運ぶ。基本的に、仕事をしているときには、根城には帰らない。

仕事が終わった後は。

根城そのものを放棄して、引っ越しをする。

それが、私の流儀だ。

 

1、人と人ならぬもの

 

東京の一等地にあるお嬢様学校には、いかにもお金持ちで、大事に育てられたと分かる子供達が、朝粛々と通ってきている。

見るからに清潔そうな衣服に身を包み。

何を食べたらそうなるか分からない肌で。

それでいて。

内臓は真っ黒に腐りきっているのも、分かるのだ。

ポテチの袋を開けて、私は通学していく女生徒達を確認。昨日、確認しきれなかった奴がいるかも知れないからだ。

見ていると、やはり様子がおかしい。

和気藹々とした雰囲気は無い。

小さくあくびをすると、場所を変える。あまり一カ所に留まっていると、不審者と勘違いされやすいからだ。

もっとも、私は小娘共と同じ女。

あまり注意を引かない容姿。

何よりも、注意を引かない工夫も色々している。多分、勘違いして警察が出てくる事は、ないだろう。

しばらく状況を確認。

目をつけていた女が、登校してきた。

名前は田村沢和花。

上場企業である、田村沢建築の社長令嬢である。ちなみに典型的な同族企業で、ブラックとしても名高い会社だ。

建築業界は、一時期ブラックオブブラックとして名をはせたが。

近年はそれほど酷い状態には無い。あまりに悪評を撒きすぎたせいで人材が流出したこともあるし、何よりバブルによる打撃もあった。

今ではどれだけ給料を上げても人材が集まらないという事で話題になっていて。

それでいながら、一部上場にいて。しかもブラック企業として知られている田村沢建築は、非常に珍しい。

ゼネコンの徒花。

そんな評価まであるそうだ。

団に連絡を入れる。

奴も、仕事中だ。すぐに連絡には出た。

「どうだね、調査は」

「現在四人目星を付けた。 昨日の段階で三人。 今日もう一人。 多分田村沢が問題の中核になっている事は間違いが無さそうだね。 データは送っておくぞ」

「確保するかい」

「もう少し泳がせる。 結論を急ぐと、悪い結果になりやすい」

通話を切る。

あくびをして、ぱたぱたと首筋の辺りを仰ぐ。

一応長身の部類に入る私だが。

それが故に、直射日光がきついこの時期。しかもアスファルトの照り返しが酷いこの近辺は、過ごしやすいとは言いがたい。

もう少しすると、子供達は夏休みに入る。

それまでに決着は付けておきたい。

登校時間がほぼ終了。

近くの喫茶店に入ると、情報の整理。データをある程度まとめると、一度団の所に送る。

これは、団を信頼しているからではない。

この仕事は危険が大きくて。

自分がトラブルに巻き込まれた場合、何が起きるか分からないからだ。定期的にデータを送っておくことで、後続の作業を楽にすること。

何より、自分でも仕事を整理できるのである。

私のような仕事をしている奴が他にもいる。

そう言う連中が引き継ぎを行うときに、便利なのである。

もっとも、私はリタイアして、引き継ぎをした事はないけれど。大体時間は掛かっても、問題は解決している。

だからこそ、なのだろう。

政府に飼われている団が、時々私の所に、仕事を持ってくる。

二杯目の紅茶を飲み干した後、私は喫茶を出る。

丁度非常に暑い盛りだけれど。

いちいち気にしない。

ぱたぱたと手で首筋を仰ぎながら、学校の裏手に回る。お嬢学校らしく、高いフェンスと監視カメラ。

だけれども。

一カ所だけ、隙があるのだ。

この隙については、事前の調査データで得ていた。フェンスのしたに、一カ所だけ補修されていない場所がある。

勿論不法侵入だが。

此処での事件が大事になると、死者が十人では効かない可能性も出てくる。事実過去の事例では、村一つが全滅したり、離島が壊滅したりといった事が、起きているのだ。それらの事故の真相は表に出ないだけに、犠牲者の無念は如何ほどか。

私はいい加減な性格だけれども。

それで散々泣かされてきている以上、放置も出来ない。

学校の中に潜り込む。

今は授業中だ。あくびをしながら、監視カメラだらけの廊下を平然と歩く。カメラには写らない。

それだけ、私は。

傾き、外れてしまっているのだ。昔より、大分マシになっているとは言え。それでも、である。

目的の生徒達のいるクラスをマーク。

とりあえず、今日はこれだけでいい。意外にも問題視されている生徒達は、全員が別々のクラス。

二年生が三人、一年生が一人という内訳だ。

その内田村沢は二年生。

そうなると、部活か何かだろうか。

流石に職員室に潜入するのは問題が大きい。と言うのも、神棚が置かれていることが多いからだ。

私のように、人間を踏み外している存在にとって、ああいう場所は猛毒と同じ。

気分が悪くなるくらいで済めば良い方。

下手をすると、その場でぶっ倒れて。誰にも気付かれないまま、臨終というケースさえある。

一旦学校を出る。

そして、学校のクラブ棟などを確認。

色々な部活があるけれど。やはりお嬢学校。いわゆる雅な部活が多いようだ。茶道部や華道部などもある。

その一角に。

稲荷神社があった。

これは助かる。

私は、踏み外して、その先にあったものが、稲荷神社と関係が深い。殆どの場合、神社仏閣はただの建物である事が多いけれど。

人間では無い存在に大きく足を踏み外している今。

こういった場所は、あるだけで気分が落ち着くのだ。

鳥居をくぐって、中に。

見回すと、思ったより広い空間だ。カエデの木が植えられていて、香りも悪くない。それに、ちんまりとある神社も、よく手入れされている。

「少し邪魔をする」

神社の掃除をして、埃や葉を払っておく。

この神社は、ただの建造物。何かしらのものが宿っている雰囲気は無いけれど。まれに、私のように踏み外した存在が、住み着いているものもある。

そう言う場所にはいわゆる霊験が宿ることもあるけれど。

此処はむしろ。

チャイムが鳴った。顔を上げると、生徒達がわらわらと学校から出てくるところだった。あまり大勢の中に入り込むのはよろしくない。神社の裏手に入ると、木の陰に座り込んで、小さくあくびをした。

半数ほどが部活を開始。

スポーツ系の部活もあるようだ。

快音が響いている。

多分ソフトボール部だろう。女子ソフトは近年あまり活発では無いというけれど。此処ではしっかり活動が継続している、というわけだ。

部活そのものが、非常に問題だらけの現状。元々閉鎖的なお嬢向け女子校である。化石みたいな部活も、活動していてもおかしくない。

其処には、大きな問題が秘められていても、不思議では無いだろう。

神社に誰かが入ってくる。

口をつぐむと、気配を消して、行くのを待つ。

意外なことに。

神社を掃除している雰囲気だ。

木陰から除くと、背の低い女子生徒である。髪の毛を綺麗に手入れしていて、親から愛されているのがよく分かる。

問題は。

歩き方などから分かる。

他の女子生徒に、多分暴力を含むイジメを受けている。

お賽銭箱に小銭を入れると、女子生徒は稲荷を出て行った。小さくあくびをする。流石に、稲荷に賽銭を入れていく奴には、それなりに注意も向く。

もっとも、だからといって、どうしてやろうとも思わないが。

生徒が減ってきた。

目的の連中も、いるかも知れない。

学校を彼方此方探し回ることにして、腰を上げると。

私は、尻についていた葉っぱを払った。

 

意外に知られてない事だが。

学校は怪談の発生源として有名だけれど。一方で、学校に住み着いてしまうタイプの怪異は殆どいない。

というのも、である。

人間があまりに多すぎるからだ。怪異である私が言うのだから間違いない。これでも仕事で人間以外の存在と接することが多いけれど。

学校に住み着いているタイプの怪異とは、遭遇例が殆ど無い。

遭遇したところで。

こそこそ逃げ隠れしている小物である事が、ほぼその例の全てだ。

色々な部活を見て廻るが。

あまりこれといって、面白そうなのはない。もっとも、部活動に汗を流す女子生徒を視姦するために来ているのでは無い。

最初の一人、発見。

囲碁部だ。

あまり腕は良くない。遠目に見ても、正直どうと言うことの無い腕だ。プロはおろか、セミプロにもなれないだろう。

一年生の東沢流海。

これといった特徴のない女子生徒で、巨大な心の闇を抱え込んでいるような様子も無い。他の三人は見かけない。

そうなると、此処は外れか。

もしくは、部活以外。

たとえば、生徒会か何かが、問題の中心点か。或いは、学校の外が、そもそも問題の中心という可能性もある。

あくびをしながら、他の部活も見て廻る。

そろそろビールが欲しいけれど。

我慢だ。

仕事が終わってから、いくらでも飲めば良い。

吹奏楽部を見に行く。

特に問題なし。技量もへたっぴだし、教師にもやる気がない。彼奴らもいない。もっとも、コンクールを目指したりして、スパルタ式を教師が採用したりすると、吹奏楽部は地獄になる。

以前、そんな吹奏楽部で、発生した悪夢と対峙したことがあるので。

私は、要注意地点としてマークしていたのだけれど。

どうやら此処は外れらしかった。

まあ、この場合は、外れの方が良いのだが。

水泳部。

良く育った女子生徒共が、水遊びに興じている。タイムにはあまり興味が無さそうである。どうやらこの学校、強豪の部活とそうでないところに、激しい温度差があるようだ。

もっとも、部活なんてのは、学業の合間のレクリエーションを目的としているものであって。

心身に負担を掛けてしまうようでは、本末転倒なのだが。

バスケ部で、足を止める。

目的の女子生徒の内、二人を発見。

泉沢洋。

長身で、バスケ部でエースをしている様子だ。他の生徒達にも慕われているようで、特に問題行動を起こしている雰囲気は無い。

もう一人は、式沢長歌。

マネージャーをしている。

此方も控えめに周囲に接していて、中肉中背の目立たない容姿。これが何かの起点になっているとは考えがたい。

つまり、部活は関係無いのか。

だが、政府が団を介して私に仕事を寄越すほどの問題だ。今の時点ではそれほどの危険は感じないが。

歩いていて。

ふと、背中が総毛立つ。

近い。

この近くに、非常に危険な場所がある。

どうやら当たりを引いたらしい。

もし、私が、本物の。伝承に出てくるような化け物だったら。さぞや解決も楽なのだろうけれど。

怪異というものは、実際には人間なのだ。

逆に人間も、怪異なのである。

だから、限られた範囲内で、解決するしかない。

空き教室。

見ると、女子生徒がイジメに会っている。机に顔を押しつけられて、ろうそくを垂らされているようだった。

熱い熱いと悲鳴を上げているけれど。

醜い笑みを浮かべた周囲の女子数人は。止めようという気配はない。

「ほら、あんたのせいで今回もクラスの成績が下がったんだから。 これくらいのペナルティ、当然でしょう?」

イジメを主導しているのは。

見つけた。

田村沢だ。

まあ、イジメを主導するようなサイコだ。怪異の原因になってもおかしくないか。

イジメを受けているのは、小柄なあの女。そう、神社に来ていた奴だ。舌打ちする。これは、面倒くさい事になった。

殴る蹴るの暴行を加えていた数人だが。

足音がすると、舌打ちして顔を上げて。

小柄な女の座っている椅子を蹴ると、教室を出て行った。

まあ、これが乙女の花園とやらの真実である。閉鎖的な空間で行われる陰湿な行為の数々。

実情を知る人間ほど、絶対に女子校には行きたがらないと聞くが。

それも当然だろう。

ましてや、こういう場所では、大人の政治的駆け引きが、子供にまで波及する。取り巻きが作られ、それぞれでの陰湿な争いは激化する。

金持ちの娘だからこそ。

田村沢は、学校内で隠然たる権力を確保し。

そして、弱者を嬲る事で。残虐な本性の発露と、ストレス発散をしているというわけだ。

ああいやだいやだ。

人間を踏み外している自分でも、こういう人間の有様は大変に醜いと思う。机に突っ伏して泣いている女生徒に、面と向かって姿を現すわけにも行かないのが余計に面倒くさい。人間には出来ない事が出来ても。

人間には出来る事が出来ないのが、事実。

そして今、私には。

出来る事はない。

いずれにしても、メインのターゲットである田村沢がゴミクズだと言う事は良く理解できた。

問題は、ろくろ首が、どうあれとつながるか。

安易な推察は、結論への路を却って遠ざける。

もう少し、情報を探っていった方が良いだろう。

泣いていた女子生徒が、ぴたりと泣き止む。

無言のまま、辺りの整頓を終えると。教室を出て行った。ふと、気付く。此奴、もしかして。

いや、止めておこう。

今はその詮索をするよりも、先に片付けるべき事がある。

 

2、小さなすれ違い

 

ビジネスホテルに戻った後、商売道具であるノートPCを開く。最近のは性能が上がっていて、中々に使い出がある。

団から連絡。

頼んでいた情報の収集が、終わったらしかった。

「手こずっている様だなあ」

「なあに、まだ二日目だ。 それより、其方は」

「これといって怪しいことはないぞ」

それならば、何故私にわざわざ仕事が来る。これでも仕事を失敗したことがないのが、私なのだ。

団が持ってきた情報が、外れたことはない。

人間が外れる事があるこの世界。

外れた存在を、察知する専門家もいる。団が情報を持ってきていると言うことは、察知した専門家がいて。

それは政府のお抱えの優秀な奴で。

なおかつ、素人では手に負えないと判断したからだ。

今回は情報が少なすぎて、あらゆる面で最初から捜査しなければならないし。

何より、敵の姿が全く見えない。

何があって、ろくろ首なのか。

そもそもそれは、飛頭蛮なのか。それとも首が伸びる奴なのか。それさえも、分からないのでは、どうにもならない。

それでも仕事だ。

私は生きていくために、仕事をしなければならない。

国民的妖怪アニメならば、仕事も病気もなくて、妖怪は自由に生きていけるのかも知れないけれど。

少なくとも、私が生きているこの世界では。

妖怪は人間と同じ。

働かなければ喰っていけないし。

喰わなければ、いずれ死ぬのだ。

とにかく、貰ったデータを吟味。普段だらけた生活をしているから、こういう作業は本当にしんどい。

ビジネスホテルを借りているのも、普段とは頭を切り換えるため。

ビールを買わないのも同じ。

でも、アル中は容赦なく体を痛めつけてきて、酒を寄越せと脳みそを蹴り飛ばしてくるし。

怠けになれている自分は、ベッドの上でごろごろしながら、思春期の男子が見たら鼻血を噴きそうな格好のまま、資料に目を通していくのだ。

しばらく見て行くが。

やはり、どうにも不可解な事がある。

田村沢に、あまりにも情報が少なすぎるのだ。

元々この会社、一部上場に入ったにしてはきな臭い所が多い。政府が調べてきたにしては、あまりにも曖昧なことが多すぎるのだ。

社員数は八千五百名。

平均給与は年収440万円とそこそこに待遇は良さそうなのだけれど。

十年以上働いていても200万円台の給料しか貰っていない男性社員がいる反面、二年で年収一千万を超え、しかしながら何をしているのかよく分からない女性社員もいる。これは、不可解な話だ。

下劣なクズだと言う事がわかった田村沢和花についても、謎が多い。

此奴、本当に。

この会社の令嬢なのか。

というのも、親と不自然に年が離れている。

父親は現在73歳。

まあ、若い後妻を迎えたというのなら、話は分かるのだけれど。妻も66歳なのである。高齢出産にもほどがある。

愛人の子供という可能性もあるが。

病院が証明書と遺伝子の解析をしているらしく、子供で確定だそうだ。

しかし、年老いて出来た子供の割りには、どうにもかわいがっている様子も無い。親子仲が冷え切っているという評判が多くの場所から寄せられているようなのである。

あのイジメは、それが原因か。

しかし、どうにもそうとも言い切れない。

ベッドでゴロゴロしながら、私は買ってきたポテチを頬張る。ビールが飲めないときには、これに限る。

何度かうたた寝をして。

朝になると、むくりと起き出す。

下手をすると、既に。

田村沢は、人間から、踏み出している可能性が高い。そうなると、一刻の猶予もないのだけれど。

手がかりがない。

妖怪から人間に引き戻す引っかけも分からない。

今は、情報を集めるほか無い。

 

翌日も、学校に忍び込む。

今度はまず生徒会に。

生徒会のメンバーは、田村沢とは何ら関係がない。見ている限り、特に接点も持っていないようだ。

そうなると、教師か。

一人ずつ見て行くがこれもよく分からない。

裏サイトのような。アンダーグラウンドのつながりは。

今時、どの学校にもある裏サイト。

知り合いに調べて貰ったけれど。主催している人間も違うし。四人の内利用しているのは、泉沢だけ。

それもアクセスだけして、中を見ることも無いようだ。

困り果てる。

田村沢は、時々あの小柄な女子生徒を虐めている以外は、特にこれといった問題行動もしてない。

性根が腐っているとしても。

いきなり他人に暴力を振るい出す事もないし。暴れ出すようなこともない。

人を踏み外す時、人間は経験上。とんでも無いレベルの異常行動に出るものなのだ。ましてや、私が目をつけた他三人に到っては、ごく普通に学園生活を送っている有様である。

これでも、色々と思い当たる部分は調べてはいる。

勿論、私に依頼してきたものだって、下調べくらいはしているはずだ。そして如何に大企業の令嬢だからといって、田村沢が人間を踏み外すことについて詳しいとも思えない。すぐに政府関係者が飛んできて、抑えに掛かってくる事も。

腕組みして、考えてしまう。

田村沢。此奴は本当に、怪異の中心点にいるのか。

観測されているから、此方に仕事が来たのだろう。もしそうだとすると、ひょっとすると。

他に、何かまずい事があるのか。

急に、悲鳴が上がる。

近くのクラスだ。

ひょいと覗き込むと、なるほど。こういうことか。

何か得体が知れないものが、飛び回っている。教室中を飛び回るそれは、確かに人の頭のように見えた。

なるほど、飛頭蛮だ。

何名かの生徒は、平然としている。

教師に到っては、無視して授業を進めている有様だ。しかし、怖がって悲鳴を上げる生徒もいて。

教室は、すなわちカオスと化していた。

数学の授業中である。

教師が指名して、なにやら問題を解くように指示しているが。悲鳴を上げた生徒は、教室から逃げだそうとさえしている。

だが、何名かが、ドアを押さえた。

教師は、淡々と。

まるで、何も此処では起きていないかのように、言う。

「神聖な授業から逃走することはまかりなりません」

異常事態に。

教師が、更に異常な発言をしている。

何という地獄絵図か。

人間を踏み外している私でさえ、思わず舌を巻いていた。

怪異が起きる場所で、人間が異常行動をすることは珍しくもない。多くの人数が、怪異に沿った異常行動に出ることも、何度となく見てきた。一種のカルトが怪異のせいで出来てしまう例もあった。

しかしこれは。

それらとも、雰囲気が違う。

へたり込んで泣き出す生徒の腕をとって、無理矢理座らせる他の生徒。動いているのは、今まで目をつけてもいない者達だ。

びゅんびゅん音を立てて教室を飛び回っていた飛頭蛮は。

不意に、消えて失せる。

今まで、何も無かったかのように。

授業が続けられる。

時々視線が追っていたから、教師にさえ、あの飛頭蛮は見えていたはずだ。しかし、それでも授業は続けていた。

つまり、前々からあの怪異は起こり続けていたと言うことだ。

他の教室も覗いてみる。

別の教室では、飛頭蛮は出ていない様子だ。

あの生首が飛び回っていた時間を計測して、確認しておく。何か、出現条件があるのかも知れない。

それを割り出せれば。

問題解決は、近づく。

 

その日は、もう飛頭蛮は姿を見せなかった。

教室にいた女子生徒の名簿は抑えている。団に連絡。ようやく進展があったことに団は喜んだが。

私が見たものを告げると、眉をひそめたようだった。

「何だねそれは」

「怪異が起きているのは確実なのに、誰もそれを見ようとせず、逃げる事さえ許そうとしていない。 あの学校は異常だ。 何か、とんでも無い事が起きているとしか思えないのだが」

「……そう、だな」

団は少しスマホの向こうで黙り込んでいたけれど。

程なく、話し始める。

あまり信憑性はなかったのだがと、前置きしてからだ。

「実はあの学校では、前に何度か退学者が出ていてな。 その理由が、いずれも不可解だったんだよ」

「不可解とは?」

「表向きは、学校で問題を起こしたというのが退学の理由になっていたんだが。 退学させられた生徒が、皆口をつぐんで、何があったか話そうとしない。 それどころか、明るく社交的な性格だった子までが、異常に無口で内向的な性格に変わってしまった例まであってな」

それは確かに妙だ。

そうなると、怪異の類はもっとずっと前から起きていて。それが学校に、何かしらの異常をもたらしていたというのか。

しかし、妖怪が出るから警察を呼ぶ、と言うわけにも行かないだろう。

学校の対応は、いちいち不可解だ。

それにそもそも、そんな閉鎖的環境で、どうして今まで犠牲者が出ていない。飛頭蛮は比較的脅威度が低い怪異だけれども。それも放置し続ければ、いずれ必ず、被害者も出ることだろうに。

とにかく、である。

飛頭蛮が出たクラスの名簿は確保してある。

一人でも、生徒に直接話を聞いてみたい。

そう告げると、団は善処するから、一日待って欲しいと言って電話を切った。

さて、此処からだ。

嫌な予感はふくれあがる一方。

まさかとは思うが。

あの学校では、とんでもない異常事態が、今正にふくれあがり続けているのではないだろうか。

その予想は。翌日適中した。

朝の第一授業から、いきなり飛頭蛮が出現したのである。今度は、別のクラスだ。そして、昨日とは違う教師だが。反応は同じ。

時々飛頭蛮を見てはいるけれど。

生徒を外に出さないようにして、授業を黙々と続けている。飛び回る生首は燐光を纏っていて。

顔を見て、ぎょっとした。

知らない奴だ。

一応女子のようだが。目をつけていた誰とも違う。勿論田村沢でさえない。

無念そうに顔を歪めたその形相は凄まじく。年頃の女子生徒が見たら、トラウマになりそうな恐ろしさだ。

これで、どうして誰も対処しようとしないのか。

飛頭蛮が暴れていたのは。

十五分ほど。

その間、一応人には危害を加えなかったが。あの様子では、いつ人を襲っても、不思議では無いだろう。

そして飛頭蛮が現れたのは、一度だけではなかった。

午後に入ってからの最初の授業でも、また別のクラスにて、飛頭蛮が出現したのである。今までの二回は二年のクラスだったが。

今度は三年だ。

生徒達は悲鳴を上げて逃げようとするもの。

教室のドアを押さえるもの。

二手に綺麗に分かれる。そして、教師は、飛頭蛮がいないように振る舞って、授業を続けていた。

この異常な学校は。

やはり、あらゆる意味でおかしい。

クラスの外から様子を確認しながら、幾つかの疑問点を、私は頭の中でピックアップしていく。

ほどなく、飛頭蛮は消えて。

授業は、何事もなかったかのように再開された。

その日は、それ以降飛頭蛮は出なかったけれど。

空き教室では、また田村沢があの胸くそが悪いイジメを続けていた。犠牲者になっていたのは、やはり例の小柄な女子だ。

嘆息すると、学校を出る。

秘密の花園というのは、つまり蓋に隠された肥だめのことか。

此処はあらゆる意味で。腐りきっている。

そして異常さを隠すために。

二重三重に蓋をしている。

蓋を取り払ったとき、見えるのは。糞尿の山と。それに集っていた蛆虫たちが、慌てふためく姿。

滑稽である以上に。

あまりにも無惨すぎる姿でもある。

放課後。

やはり稲荷神社に足を運ぶ。

木陰でぼんやりとしながら、状況を整理。どうにも、この事件。思っているよりも、根が深いような気がしてならない。

学校側の異常行動も気になるのだが。

それ以上に、どうにも不可解でならないのだ。

誰かが飛頭蛮になっているのだとすれば。その生徒は、異常事態時に何処へ消えているのか。

それだけじゃない。

田村沢が異常の中心なのだとすれば。

むしろ彼奴が、もう少し事態に関わっていなければおかしいはず。あれには強い異様な力を感じるのだ。

それなのに。

人の気配。

身を隠すと、やはりあの小柄な女子生徒だ。酷いイジメを受けて、傷だらけだけれども。それでも、足取りはしっかりしている。

神社にお供えをしていくのをみて、感心だなと思ったけれど。

一瞬で、好意は凍り付いた。

口元から聞こえ来る音を、鋭敏になっている耳が拾ってしまったからである。

良くは聞き取れなかったけれど。

それは明らかに呪詛。

稲荷神社の元となっているダキニ天に、呪いの成就を願う言霊。

凄まじい負の気配をばらまきながら。神社を掃除して、小柄な女は、その場を離れた。木陰に隠れていた私は、大きく嘆息すると。

神社をよく観察する。

彼方此方に、細かい傷がある。

経年劣化で生じたものじゃあない。

これはおそらく。

糸が、一つずつつながってくる。これは本格的に、この学校は腐りきっていると見て良いだろう。

そして事態を暴くことは。

多分この学校そのものを、崩壊させることにもなる。

しかし、死者を出すよりはマシ。

いや、この様子では。

もう、死者は出ているかも知れない。

学校を一旦出ると、私は団に連絡を入れる。

「過去10年、学校関係者で行方不明者が出ていないか、確認できるか」

「10年も遡るのか」

「出ていなかったら15年」

「分かった。 すぐに調べて見る」

どうして、今更に浮上してきたのかは分からない。しかしながら、この件には、想像以上の深い怨念が絡んでいると見て良いだろう。

そして怨念がらみの怪異が、一番厄介なのだ。

人は妖怪。

妖怪こそが人。

その鉄則を知っている私でさえ。時々、背筋に悪寒を覚えるほどの邪悪を、人は持っている。

そして、その邪悪から産み出された妖怪は。

時に多数の人間の命を、容易に奪うのだ。

近くのビルに移動。

屋上から、学校を観察する。

外から見る分には、静かで穏やかなお嬢学校なのだけれど。

しかし、その実体が。

魔窟というも生やさしい悪魔の土地であることを。もう私は知っていた。だから、偏見を持つこともない。

彼処は、乙女の花園などではない。

パンデモニウムだ。

 

3、凍てつく真相

 

条件が揃った。

後は、本当の意味での起点を探すだけ。

まず最初に、確保するべきは。

激しいイジメを受けている、あの小柄な女子生徒。調べて見たところ、彼女の名前は、貴船一華。

学校帰りに待ち伏せする。

そして、レンタカーのハイエースを、無音のまま。見つけた彼女の後ろから、接近させた。

横に並ぶと、流石にぎょっとしたらしい一華は。

窓を開けた私を、まじまじと見た。

「貴船一華さんだね」

「は、はい。 そうですけれど」

「私はこういうものです」

名刺を見せる。

其処には、こう書かれている。

飛頭蛮についての真相は、既に掴んでいる。

青ざめた一華に、車に乗るよう促す。

しばし躊躇った一華だが。

程なく、観念したのだろう。開けた車の後部座席から、中に乗り込んできた。

しばらく、無言で車を走らせる。

今の時点で必要なのは、この娘を学校から遠ざけて、確保しておくことだ。何しろ、実際には。

「飛頭蛮が学校の中に出現するようになったのは、何時から?」

「1年ほど前です」

「嘘だね。 実際には、12年も前からでしょう?」

「……っ」

口をつぐむ娘。

団は流石だ。

すぐに調べ上げてくれた。この娘の姉。貴船暁美が、十二年前に学校で謎の失踪を遂げていることを。

そしておそらく。

彼女こそが、飛頭蛮の正体だ。

仮説を裏付けるように。周囲が騒ぎはじめる。何しろ、空に得体が知れない飛行物体が出現したからである。

恐怖の悲鳴が上がった。

「学校からは、出てこないはずなのに?」

茶化して言うと、一華が顔を背けた。

そう。

浮かんでいるのは、人の生首。

貴船暁美の、変わり果てた姿。

「隠蔽してきたんだねえ、12年も。 どうせ、あんたの姉も、おんなじようにイジメを受けて、殺されたんでしょう? で、無念のあまり、化けて出るようになった」

「違います」

「真相を知っているような口ぶりだね」

「……っ」

その通り。

真相はそんなに簡単じゃあない。

憎悪の形相のまま、ハイエースを追跡してくる飛頭蛮。私は無言のまま、近くの大きな稲荷神社へとハンドルを切る。

飛頭蛮の追跡速度は、それほど早くもない。

分かっているのだろう。

私がずっと学校に張り付いていた異物だと言う事を。

そして、一華に何かしようとしているということも。

許すわけにはいかない。

12年も離れると、妹と言うよりも娘のようなものだ。丁度母性が強くなる次期だと言うこともあって、さぞや可愛く感じていたのだろう。

親がどうして、姉が悲惨な目に会った学校に、妹も通わせたのか。

その辺りに、悲劇の鍵があると私はにらんでいる。

いずれにしても、まだ間に合う。

ただ、怪異に変じてから、12年。

今更という感はあるが。

死ぬよりは、なんぼかマシだ。

「お姉ちゃん、好き?」

「貴方に、そんな事」

「助けてあげられるかも知れないって言っているんだよ」

急にハンドルを切って、駐車場に滑り込む。

飛頭蛮の追撃速度が上がったからだ。稲荷神社に飛び込めば、対応策はあるけれど。車に乗ったままでは、私には大したことは出来ない。

伝承の通りの力でもあれば、それこそ指を弾くだけでも相手を蒸発くらいはさせられるのだろうけれど。

そんな力は元からないし。

更に、其処から弱体化しているのだ。

駐車場に乱暴にハイエースを止めると。

一華を引っ張り出して、鳥居へと駆け込む。

この稲荷は、私の眷属の居場所。

其処でなら。

私も怪異としての本領を発揮できる。

神社を見て、飛頭蛮は躊躇う。此処は神の座。流石に怪異の身で、安易には踏み込めないのだろう。

其処が狙い目でもある。

しばらく周囲を旋回している内に。

私は、もう準備を整えていた。

既に待っていた団の部下に、一華を引き渡す。困惑している一華を連れて、専任のエージェントが神社の奧に。

私はと言うと。

動きやすいシャツのまま、空を見上げる。

にこりとほほえんだことに。飛頭蛮も、気付いたようだった。

神社に飛び込んでくる飛頭蛮。

私は別に、怪しい術が使えるわけでもない。動物に変わる事が出来るわけでもない。ただ、その場の空気を操作する事が出来る。

空気を操作する事によって、自分の気配を薄くすることも出来るし。

相手のことを、より密接に知る事も出来る。

そしてこういう場所では。

飛頭蛮が、地面に落ちた。

もがいているが、浮かび上がる事はどうしても出来ない。私は歩み寄りながら、飛頭蛮に語りかける。

「元々怪異というものは、無理に無理をして、世界に姿を現しているものなんだよ。 今の時代は特にね」

うめき声が帰ってくる。

もはやそれは、言葉にはなっていない。

多分発している当人も。何かしらの意味がある言葉は、口にはしていないだろう。狂気に、首根っこを掴まれているからだ。

「だから、少し崩してやるだけでこの通り。 空を飛ぶ怪物体は、地面に落ちて、霧に帰る」

呪詛の声を、飛頭蛮があげるが。

もう遅い。

程なく、消えて無くなる生首。

勿論殺したわけではない。

この場にて、出現できないようにしただけだ。

呼吸を整えると、周囲を見回した。

本体が、おそらくそう遠くもない場所にいる。十二年前。行方不明になった貴船暁美は。おそらく、世界から足を踏み外すことで、生き延びた。

生き延びた先から、出す事が出来た端末が、あの生首。

それこそ、首を必死に伸ばして。

周囲を覗き見るかのように。

そして本体は。

世界からはじき出されたまま。まだ、世界の間で、静かに生きている。可能性は高いと言える。

人は怪異。

怪異は人。

妖怪、飛頭蛮がいる以上。

本人は、まだ生きている可能性が高いと言えるからだ。

団から連絡が来る。

「警察の準備は整った。 すぐにでも踏み込めるが」

「やってくれる?」

「分かった。 すぐに学校に向かってくれ」

一華にも、真相はしる権利があるが。

それは、全てが終わってからだ。

まずはこののろわしい事件を、全て片付けてからである。

 

今までこそこそ入り込んでいた学校に、正面から入る。

警察と一緒に。

流石に面食らったらしい校長は、初老の女性だった。とはいっても、私よりずっと年下の筈だが。

「何なんですか、騒々しい!」

「貴方に誘拐の嫌疑が掛かっています」

「何ですって……」

警官が手帳を見せると、流石に青ざめる校長。

後ろで見ていた私は。

やはり此奴は全て知っていると、確信した。

話は署で聞くと、警官が校長を連れて行く。既にその時には、人だかりが出来ていた。田村沢は、人だかりに加わっていない。

やはり彼奴も。

事に関わっている一人。

それも中心人物と見て良いだろう。

ちなみに私も、警官としての肩書きは持っている。こういうときに、動きやすくするためだ。

階級は警部補。

もっとも、普段は警官としての肩書きなんて、使う事もないけれど。仕事の時に、動きやすくするために使うのだ。

国から特別に支給されている階級である。

田村沢を探す。

着崩した格好の私を見て。

クラブ棟の影で、私が当初目をつけていた他の三人と話し込んでいた田村沢は、ぎょっとしたようだった。

「な、何ですか貴方は!」

「貴船一華は既に抑えてある」

「どういうことよっ!」

「お前達の姉や叔母が、貴船暁美をイジメ殺した事は、既に見当がついているんだよ」

全員が、その場で固まる。

自白したも、同然の行動だった。

全て話して貰おうか。

そう言うと、田村沢が逃げだそうとする。しかし、既にこの場は、警官達が抑えている。

退路を塞がれた田村沢は。

夜叉もかくやという凄まじい形相をした。

人は怪異。怪異は人。此奴も、足を踏み外した一族のものになっていても、おかしくはなかっただろう。

あの貴船一華に対するイジメは。

一種の儀式だったのだ。

だから誰もが黙認していた。

「証拠でもあるの!? 不当逮捕よ! お父様に言って……」

「今頃、自宅にも捜査の手が入っている。 収賄が多数密告されていてな。 田村沢グループの株価は既にだだ下がりだ。 会長はもう辞任を発表した。 もうお前はプリンセスでもなんでもない。 犯罪者一族の娘なんだよ」

絶句した田村沢から。

他の三人が無言で離れた。

此奴ら、さては田村沢のことが前から嫌いだったな。そして今、離反する理由も出来た状況で、躊躇うことは無くなったと。

「あ、あの」

挙手したのは、1年の東沢。

噛みつきそうな顔を田村沢がしたが、気にしない。

そういえば此奴の名字。田村沢とは何かしらの関係があるのか。そう思ったら、適中した。

「もううんざりなんです。 この人に仕える一族だか何だか知らないですけれど。 失踪事件の片棒担ぐなんて」

「テメエ、ふざけ……」

警官の一人が、飛びかかろうとした田村沢をその場で拘束した。

話を聞こうかと、私は。

校舎の地下倉庫へと、四人に移動するように指示した。

 

薄暗い空気。

掻き回されたことがないそれは。むわりと熱い外気と混ざり合って。埃を巻き上げながら、異常な空間を作り出していた。

地下倉庫なのに。

使われている形跡が無い。

それどころか、使う事がタブーとなっている様子さえある。

なるほど、やはりそう言うことか。

十二年前の失踪事件について調べて貰った。

貴船暁美は、此処から失踪した。

だが、違う。

漂う妖気が、全てを説明してくれた。

此処は人ならぬものの住処。

私にはすぐにそれが分かる。

何しろ私も、そうなのだから。

「お前達の馬鹿姉や叔母が、軽い感覚で貴船暁美を此処に閉じ込めたんだな。 しかも電気を消して、なおかつ閉じ込めたことさえ忘れた」

最悪なことに。

夏休みに入る前日のことだ。

助けに来る人間もいない。

しかも真っ暗闇だ。

気が弱い貴船暁美には、なすすべがなかった。

「ましてや、此処を出たら殺すと脅されていたならな」

「な、何を根拠に!」

「お前達の姉や叔母が自白したんだよ」

これについては、先ほど団が報告を入れてきた。一回線を見つけてしまえば、大体こんなものだ。

何処にでもよくある話。

人間は相手を弱者を見なすと、どのようなことでも平然と行う。ましてや子供は自制心が効かない。

イジメという言葉で緩和されたそれは。

虐待や暴行の塊だ。

楽しいのは、本人達だけ。

されているものにとっては地獄。命に関わるものだって、たくさんある。これなどは、その好例だろう。

明かりを付けてみると、よく分かってくる。

ドアの辺りに、ひっかいたような傷がたくさんある。これを探し出すだけで、どれだけ苦労したのだろう。

人間は完全な闇には耐えられない。

ましてや気の弱い貴船暁美である。一時間も保たなかっただろう。

残忍なイジメを行った連中は。

楽しくおかしく寄り道しながら帰路を急いでいたその頃。

貴船暁美は完全な闇に閉じ込められ。そして。

生きたいと願った。

救出されていれば、まだ救いはあったかも知れない。だが、いい加減な警備員は、地下倉庫など確認するはずもなかった。

そしてイジメを行った連中は。

誰かが助けてやっただろう。

面倒くさいから、わざわざ見に行かない。

そう考えて。地下倉庫のことなど、翌日には忘れてしまった。

脱水症状。

極度の空腹。

何より、闇への恐怖。

人が壊れるには充分だ。

そして翌日から。

学校には、飛頭蛮が出現するようになった。

古くからいる教師を連れて来て、証言を聞く。

やはり、夏休みには。

既に怪異は、その姿を見せていた。

飛頭蛮の正体は。

十二年前に失踪した、貴船暁美その人だ。

だからこそ、貴船暁美は探した。自分をいじめ抜いた連中を。多分、復讐するためではない。

此処から、出して欲しいと願ったからだ。

しかし、そうさせるわけには行かなかった。

貴船の家も、それなりの資産家である。

もしも事が明るみに出たりすれば、この学校そのものが潰される可能性がある。だからこそに。

ずっと、飛頭蛮は。

さまよい続けなければならなかったのである。

出して欲しいと、懇願するために。

既に狂気に落ちてしまった頭では。もはやまともに思考することさえ、できなくなっていたけれど。

それが怪異というもの。

人を踏み外した存在の特徴。

私のようなパターンの方が、むしろ珍しいのだ。

全ての線は、もうつながっていた。

だから私は、淡々と、現場で。何が起きたのかを説明していく。というよりも、もはやその必要さえない。

流れ込んでくる貴船暁美の意識を。

そのまま、解析して、語っていくだけで良かった。

怪異の力が強い此処では。私は、空気を「読む」ことで。何が起きたのか、手に取るように理解できる。

ましてや当事者である此奴らが現れる事で。

怪異の力は、極限まで高まっているのだ。

「最初は、お前らの姉や、叔母がそのまま、学校で儀式をしていたんだろう。 いや、儀式さえ必要なかった。 ただ、その辺りをうろついていれば、それで飛頭蛮は姿を見せただろうからな」

私の指摘に。

四人は青ざめている。

特に田村沢は。

家が潰された事なんて、どうでも良いようだった。

十二年前の失踪劇の真相が、この世に暴かれた。馬鹿な一族の者達による愚行が、結果として閉鎖的でろくでもない場所だった学校の真実を暴き出し。

そして自分は大企業のプリンセスから、犯罪者に転落。

これを理不尽と思っているのだろうか。

違う。性根が腐っていなければ、自力での解決を目指したはずだ。此奴は姉同様の性根が腐ったクズ。

だから貴船一華に対するイジメにも、まるで躊躇うことがなかった。

多分貴船一華を虐める前は。

取り巻きにしている三人に、同じようなイジメをしていたのだろう。だから今回、即座に離反されたのだ。

「やがて、貴船の妹が学校に来た。 どうしてよりにもよって、姉が失踪したこの学校に編入されたかはよく分からないが。 来た以上、もう先代達はお役ご免。 お前達が、飛頭蛮を引きつけなければならなかった」

誰もが知っていたのだ。

あの飛頭蛮は、無害な存在だと。

正体さえも。

だから、孤独にさまよわせなければならなかった。

そうしなければ。

全てが、表に晒されてしまうから。そしてその結果、この学校のイメージダウンにつながるからである。

人命よりも、自分の尊厳の方が大事。

いじめっ子一人をこの世から葬る方が。

学校を潰すよりも安上がり。

関係者全員が。生徒を守る事を誰よりも考えなければならない校長を筆頭に、学校に通う生徒達全員までもが。

揃いも揃って、貴船暁美の尊厳を、踏みにじったのである。

それが、この怪異の正体であり。

真相だ。

ふと、気付くと。

四人の後ろには、飛頭蛮が浮かんでいた。

凄まじい形相だ。

「がえりだい」

唸り声を上げる。

悲鳴を上げた東沢。

「いえにがえりだい」

飛頭蛮が、血を吐くような声を絞り出す。

近くで見ると、かなり巨大な頭だ。直径は一メートル以上ある。口も大きい。食いつかれたら、体くらい引きちぎられそうなのに。

今までの事で、完全に恐怖感は麻痺していたのだろう。

或いは、負け犬のクズ幽霊とでも、一族に教えられていたのかも知れない。

しかし、それも此処では話が別。

全ての起点となった此処で。飛頭蛮は、凶悪極まりない、怪異としての真の力を発揮する事が出来る。

他の二人も、逃げだそうとして。警官に取り押さえられていた。鼻で笑っている様子の田村沢だが。

私が動くよりも。

飛頭蛮が動く方が、早かった。

ぼんと音がした。

田村沢の左肩の辺りが、吹っ飛んだ。

骨が露出するほどの傷だった。

鮮血が噴き出す傷を見て、田村沢は、まだ笑顔を崩していなかった。虐めていた相手。それも、尊厳さえ消滅させていた相手に。

こんな反撃を受けるとは、思ってもいなかったのだろう。

音程が外れた悲鳴が上がる。

流石に警官の一人が、顔を強ばらせた。

「警部補!」

「黙れ。 これ以上になるようなら、私が介入する」

肩を押さえ、噴き出す血をばらまきながら、地面で転がっている田村沢。飛頭蛮は、くちゃくちゃと口を動かしていたけれど。

やがてまずそうに、肉塊をはき出した。

また、田村沢が悲鳴を上げる。

股の辺りの肉が、ごっそりなくなっていた。

「どうじて、いづもいづもいじめるの」

「あんたが弱いからに決まってるだろう! 弱い奴なんか、強い奴の餌食になる以外、この世での存在価値なんかないんだよ! それがこんなクソ迷惑な化け物になりやがって、さっさと餓死してミイラになってれば良かったのによ!」

まだ手前味噌で好き勝手な悪態をつく力が残っていることだけは、驚異的だなと、私は思ったけれど。

どうでもいい。

警官達は、血をばらまきながらのたうち回る田村沢と、凄まじい形相を浮かべたままの飛頭蛮を見比べて、困惑するばかり。

「せめてごごからだじでよ」

「勝手にすれば良いでしょう!」

ばちんと、凄い音がした。

辺りが滅茶苦茶になるほどの、突風が吹き荒れはじめる。

時間が止まったこの地下倉庫の。

十二年分の時間が、いきなり動き出したのだから当然だ。

膨大な埃がまき散らされ。

もう使われてもいない道具類から剥落して、辺りを蹂躙しはじめる。笑いはじめたのは東沢だ。

ぎゃあぎゃあ叫んでいた田村沢だけれど。

飛んできた何かの器具が、フルスイングするように顔面を直撃。

歯の全てを吹き飛ばされながら、吹っ飛んで、壁に叩き付けられた。

静かになる。

突風も、いつの間にか止んでいた。

嘆息すると、私は。警官達を促して、アホ共を外に連れ出すように指示。そして、ゆっくりと固まりつつあるそれに、コートが必要だなと思った。

 

一時間ほど後。

流石に誰もがぎょっとしただろう。

地下倉庫から、私が連れ出したのは。コートを掛けただけの。裸の貴船暁美。しかも、十二年前の姿のまま。

飛頭蛮の呪いは解かれたのだ。

それは、生物として備えられていた一種の緊急避難措置。このままでは確実に死ぬと判断した頭脳は。死を回避するために、存在そのものを空間から乖離させることを選択したのである。

普通飛頭蛮は体を発見されると無力化される。

この場合、飛頭蛮にとっての体は、倉庫の空間そのものだったのだ。

勿論、条件が幾つも重なって出来た事だったけれど。

とにかく、なされてしまったのだ。

それが、飛頭蛮への。

つまるところ、怪異への変化。

貴船暁美は、薄暗く、水も食糧もない倉庫から生き延びるために。怪異へと変じることで、かろうじてその生を保ち。

そして、出ても良いと言う言葉の鍵を得たことで。

どうにか、この世に戻ってくることが出来たのだ。

ただし何しろ12年である。

人生の12年分が、周囲では過ぎてしまっている。今更家に戻ったところで、どうなることか。

その上、本人はあまりにも凄まじい出来事の後だ。

廃人同然の状態になっている。自力で歩くことも難しく、コートを掛けて、支えて歩かせていた。

先ほどから声を掛けているけれど。

反応さえしない。

この様子では、元に戻るのに、数年はかかるだろう。

イジメの結果がこれだ。

弱者には何をしてもよい。そう言う理屈が如何に邪悪で、如何にどうしようもない結果をもたらすのか。

その好例だろう。

救急車に貴船暁美を押し込む。

法的には彼女は二十八歳だ。これから色々な検査を受けて、それに警察からの聴取も。それらが終わった後。貴船グループが、どうするか考える事になるだろう。親は喜ぶだろうか。

12年前に失踪した娘が、元のままの姿で帰ってきて。

化け物扱いする可能性も高い。

だが、其処までは、責任を持てない。後は家族の問題。

校長が、連れ出されていく。

事情聴取のためだ。

明らかに全ての事情を知っているにもかかわらず、隠蔽。一人の人間が誘拐されたも同然の事件を、完全に闇に葬ろうとした。

多分、誘拐罪が適応されるはずだ。

小さく私はあくびをする。

一応これで事件は解決したけれど。何だか一つだけ、しっくり来ないことがある。

どうしてこれが、外部に漏れた。

いや、漏れる要素はあったのだ。実際東沢などは、好機さえあれば田村沢から離反しようとしていたくらいである。

他の二人だって、何かあれば、すぐにそうしていただろう。

「金毛警部補」

「んー」

警官の一人が、読んでくる。

言われたままついていくと。

学校敷地内の稲荷神社だ。

「此処で、妙なものが見つかりまして」

「何だ」

此処には怪異の気配こそあるけれど、特に問題がありそうなものは、なかった筈なのだが。

しかし、それを見せられて。

私は全身が総毛立つのを感じた。

「しばらく貴船に暁美は引き渡すな」

「すぐに手配します」

そういう、事だったのか。

どうやらこれは。事件は、想像以上に、闇が深いのかも知れない。

 

4、ろうそく立ての火が消える

 

ビジネスホテルに戻った私の所に、団が直接来る。

シャツの襟首を引っ張って、手で首筋を仰いでいる私を見て、団は呆れたようにため息をついた。

「相変わらずだなあ」

「あー。 それで?」

「此方に来ているという事は、まだ事件は解決していないと認識しているようだな」

「稲荷で見つかったものを見る限りな」

既に学校は、休校状態。

誘拐事件の真相を暴くために、警官が徹底的に調べている。

この国は、怪異の解決には積極的だ。

昔から、怪異の発生によって、甚大な被害を被ってきた歴史があるから、である。民間でも怪異が実在するという噂は流れているが、これはおそらく政府が危機感を持たせるために、ある程度は情報の流通を促進しているから、だろう。

だから私のようなのを、雇ってまで。

怪異の解決には、力を注いでいるのだ。

今回も、五十名以上の警官が、捜査に当たっている。

彼らの中には、怪異対策の専門家もいる。私を良く想っていないものもいるが。幸い、事件の解決には、皆が積極的だ。

今更私の足を引っ張ろうとは考えないだろう。

稲荷で見つかったのは。

膨大な骨。

人間のものではない。

多分生け贄として用いられたものだ。殆どが鶏や兎などの家畜だったけれど。中には野良犬や野良猫も混じり込んでいたようだった。

神社の軒下から発見された。

たまたまカラスがその一つを引っ張り出すのを、警官が目撃。調べて見たところ、それが出てきた、というわけだ。

「報告は聞いたが、まだよく分からん。 何が起きていたのだ」

「これから、当人に聞きに行くとしようか」

「誰かね」

「貴船暁美だよ」

まだ外に停めているハイエースに乗り込む。

団も一緒に来る。

老人と長身のだらしない女の組み合わせは、ある意味非常に面白いが。残念ながら、私と団は祖父と孫では無いし、愛人関係にもない。

運転免許を取ったのは、随分昔。

そして団は。

私よりも、実はかなり年下なのだ。

警察病院に急ぐ。

ラジオを付けるが、今回の件については、殆ど報道がない。マスコミは遠ざけるように、上が指示したのだろう。

賢明な判断である。

警察病院に、一時間ほど掛けて到着。

学校の方は、現地の調査班に任せる。手帳を見せて中に入り、貴船暁美の病室に。案の定というかなんというか。

両親どころか。家族の一人も、来ていない。

ちなみに貴船一華はまだ警察にて保護中である。もし暁美の所に来るとしたら、一華くらいだろうなと、私は思った。

ベッドの上に横たえられ、白衣を着せられた暁美は。

意識がはっきりしていないようだった。

少なくとも目に光は無いし。

周囲に興味を示している様子も無い。

腕に付けられたのは点滴。まあ、このままでは、餓死するだろうし、当然か。呼吸器が付けられていないのは、脈拍も呼吸も安定しているから、だろう。

ベッドの横に腰掛ける。

「あー。 人間に戻った気分は?」

反応無し。

ビールが欲しい所だが。流石に病室だし。

何より、まだ事件は解決していない。

「校長と、お前を直接虐めていた四人、それに田村沢和花は、誘拐罪で逮捕されるだろうな。 良かったじゃないか」

やはり、返事はない。

病室の外で、団は待たせている。

私は、徐々に、核心に入っていく。

「なあ、一つ聞いて良いか。 お前、黒魔術か何かやっていなかったか?」

反応が、あった。

ゆっくり、暁美が此方を見る。

やはりそうだったか。

「人間は怪異、怪異は人間って言葉が、私達の業界じゃあある。 世の中で妖怪とされる存在の正体は、大半というかほぼ全てが人間なんだよ。 元々生物の範疇というものがあってな。 それを踏み外したとき、世界の理からも出てしまう。 その状態こそ、妖怪なんだ」

これに関しては。

洋の東西を問わない。

もっとも、西洋ではこの状態を魔女とか悪魔とかいうのだが。

長い間に研究が進んで、今は昔のように、妖怪化したら即抹殺、などと言うことは無くなっている。

私も正直、今に生まれていれば、どれだけ楽だった事か。

「だがな。 簡単に世の理からは、足を踏み外せるものじゃあない。 条件が幾つも重なって、ようやくできることなんだよ。 お前の場合は、あの倉庫に閉じ込められた絶望がキーになったのが確実だが。 まだ一つ足りないと感じていた」

そして、あの大量の骨。

それでぴんと来たのである。

「黒魔術じゃなければ、密教かそれとも印度系のダキニの秘法か? 何かしらの手段で、怨念をかき集めて、怪異を起こしやすくするやり口を、誰かがお前に吹き込んだな」

「……」

暁美が、ゆっくり首を横に振る。

まあ、喋ったら死ぬような脅しでもされているのだろう。無理も無い事か。

だが、私には。

大体、見当はついている。

「田村沢の馬鹿姉だろう」

ずばりと、核心を突いた。

そうすると、暁美は。

観念したように、じっと此方を見た。

やはり、そうだったか。

 

田村沢グループを調べているチームから、連絡が入る。

やはり私が指摘したとおり、彼らが所有している空き地の一つから、大量の骨が出たという。その中には、人骨も混じっていたという事だった。

人為的な怪異の生成。

恐らくは、あの学校は、その設備の一つだったのだ。

考えて見れば、あまりにも何もかもがおかしかった。

一つ一つの理屈は成立するのに。

全てで見ると、どうにもちぐはぐな様子が見え隠れする。

怪異を怖れる様子も無い田村沢和花。

あれも、いくら何でもおかしい。多分怪異と日常的に接してきていたのだろう。

世の中には、いるのだ。

超常的な力を手に入れることで、繁栄を手に入れようとする輩が。大体は上手く行かないのだが、希にある程度成功してしまう例がある。

田村沢グループは、その一つだったのだろう。

問題は、襤褸が出たと言うこと。

田村沢和花の姉。田村沢蓮香。

貴船暁美失踪事件の主犯は、おそらく全て分かった上でやっていたのだろう。家の秘法を何らかの形で知った奴は、まず暁美に対して、怪異の発生現象になり得るように、秘法を使わせた。

動物を使っての、生け贄の儀式。

田村沢グループ調査班からは、どうやらダキニの秘法らしいと連絡もあった。

面倒くさい。

私と同じ系列じゃないか。

多分、田村沢蓮香は、怪異を造り出してみたかったのだ。自分が好き勝手に出来る、超常的な力が欲しかったのかも知れない。

そのために、イジメを行っている相手を殺すことくらい。何とも思っていなかったのだろう。

ゲスだと言う事はわかっていたが。

実際は、その予想以上のゲスだった、というわけだ。

そして、散々条件を満たすようにした後。

地下倉庫に、暁美をわざと放置。

だが、結果は予想外のものとなった。

制御不能の怪異として、暁美は徘徊するようになってしまったのである。

蓮香は焦っただろう。エリートとして生きてきた奴にとって、初めての致命的な失敗だったかも知れない。

もっとも、すぐに親達には嗅ぎつけられてしまった。

田村沢グループの後継候補から蓮香が外されたのは、それが理由だったのだろう。故に、火消しも、執拗に行われるようになった。

調査資料が、次々出てくる。

田村沢グループが雇った払い屋の類が、学校を何度も訪れている。

しかし暁美を眠らせることは出来なかった。

つかみ所がなくて。

調伏も、退治も出来なかった様子である。

まあ、それはそうだろう。生存に重視を置いた怪異だ。無理矢理払おうとしても、多分無理だ。

蓮香は面倒くさくなって、和花に、全てを押しつけた。

或いは、制御が成功すれば。自分の好き勝手に出来る怪異が手に入るかも知れないとでも、吹き込んだのかも知れない。

いずれにしても。

人の命など、ゴミとも思っていない連中が。

人の命をゴミ同然に消費しようとして、失敗した。

それが、この事件の真相だったというわけだ。

今、団が拘束している田村沢グループの会長の所に直接聴取に向かっている。だが、多分生け贄の証拠を見せれば、吐くだろう。

後は、田村沢にこの技術を提供したのが誰かを、調べていけばよい。

それは私の仕事じゃあない。

私の仕事は、あくまで火消し。

調査は、他のチームの仕事だ。

貴船暁美は病院に任せて、一旦ビジネスホテルに戻る。ノートPCを開いてカタカタ叩いている内に、団から連絡。

田村沢会長が吐いたと言うことだった。

やはり、ダキニの秘法。

今までにホームレスや外国人就労者を用いて、怪異を人工的に造り出し。対立企業を貶めたり、業績強化のためにリストラをするのに用いていたらしかった。

人工的に造り出された怪異はいずれも寿命が短く。

すぐに元の人間になってしまうため、いずれも即座に処分していたらしい。

なるほど、それで骨の山。

娘っ子を使っての実験。

反吐が出る話だ。

いずれにしても、これで田村沢グループは壊滅。息が掛かっていたあの学校も、多分廃校に追い込まれるだろう。

一件落着と言いたいが。

正直、ダキニの秘法となると、いやな感じしかしない。

ダキニ。

インド神話の暴虐な女神。ジャッカルを神体とする存在で。日本に伝わるとき、姿が似ている狐に置き換えられた。様々な信仰転化が行われ、九尾の狐伝承の原型ともなった存在である。

密教などでは信仰が深い存在で、日本の各地でも、稲荷神社として祀られている。もっとも、日本では善神に転化しているが。

少なくとも、今は。

思い出したくも無い。

生まれ育った村で、何があったか。

どうして、私が金毛九尾の狐などと呼ばれる怪異となり。そして、人間に戻る事も許されなくなったか。

横に転がると、大あくびをする。

散々虐められたおかげで、すっかり弱体化。元々どうと言うことも無かった力は、今では更に弱まって、条件が整った場合に、空気を操作する程度しか振るえなくなっている。

気を抜くと、尻尾が出てしまうのは、今も変わらない。

もっとも、普通の人間には見えないし。

昔のように、九本も出す事なんてとても無理だが。

人間を踏み外す原因になった彼奴。

彼奴が産み出した全てのもの。

私は、許さない。

もっとも、普段はとにかくだるくて仕方が無いから、こうやって自堕落に過ごしているわけだが。

いずれにしても、もう事件は私の手を離れた。

この怠け者も、喰っていくに充分なお給金くらいは貰えるだろう。

さて、次の住処に移ろうか。

そう思った時。

電話が掛かってくる。

通知先を見て、驚いた。

すぐに出る。

眠気も怠惰も、吹っ飛んでしまった。

「やあ。 久しぶりだね」

「安倍……!」

声が、殺意を帯びるのが分かる。

それはそうだ。

因縁の相手。

自分も人から足を踏み外した存在ながら、巧妙に立ち回る事で身を守り。そればかりか、自分以外の怪異を殲滅して、身を守っている男。

安倍晴明。

今は違う名前を名乗っているが。

奴は今も、この国の政府中枢にいる。そして奴の考え次第で、様々なものが動くのだ。

奴が人間と折り合いを付けていられるのは、利害関係が一致しているから。人間共も、此奴が怪異を操作していないことだけは知っているのだ。

私は、悔しいけれど。

此奴に逆らうことは出来ない。

私と此奴では、怪異の格が違いすぎるからだ。それだけではない。此奴に逆らったら、即座に兵糧攻めを喰らう事になる。

そうなれば、早晩死ぬ。

現象化しているような怪異ならともかく。

私のような、人間から足を踏み外しても、食べなければ死ぬような存在は。社会からはじき出されるのは、死活問題なのだ。

「何用で、電話など……」

「まだ怒っているのかね。 しつこい女狐は嫌われるぞ」

「仕事はしているはずだ! 私の全てを奪い、故郷を焼き払い、このような姿にしておいて、まだ私を嬲るつもりか!」

呼吸を荒げる私に。

安倍晴明は、ただからからと笑った。

「今回の仕事が見事だったと聞いてね。 様子を見に行こうと思っただけだよ」

「来るな。 契約上、お前の顔を見なくても良いことが、仕事をうける条件だったはずだ!」

「この国で労働基準法など守られた試しがあるかい? なんなら、私に逆らって、素寒貧のまま、夜空に放り出されてみるかね」

何も、言い返せない。

この国では、労働者の権利など、ゴミクズも同然。

妖怪でもそれはおなじ。

つまり、私も、含まれるのだ。

「次の仕事がある。 早々に取りかかって貰おうか」

「資料を、寄越せ」

「すぐに転送する。 団君に詳しい事情は話してあるからね」

電話が切られる。

此方を嬲るためだけに、連絡をしてきたのは明らかだ。思わずスマホを床にたたきつけたくなるけれど、我慢。

これには貴重なビールの名店データが入っているのだ。

しばらくハンカチをがじがじして、ストレス発散。怪異に足を踏み外してからしばらく、動作が狐っぽくなって。その時についた癖だ。

ふてくされて、ベッドに転がって、あちこちをまさぐってビールを見つける。

でも空だ。

頭に来て、ぽいと投げたけれど。

ゴミ箱には入らなかった。

ドアがノックされる。

団かと思ったけれど。ドアを開けてみると、思わず私は、顔中に「嫌」を湛えてしまった。

「お久しぶりですね、お師匠様。 いいえ、人間名、金毛木津音警部補といえばよろしいでしょうか」

「げっ……。 あかね……」

小悪魔的な笑みを浮かべていたそいつは。

昔、組んで仕事をしたこともある人間。怪異対策の専門家。

現在は私と同じ警部補の階級を警察に貰って。別方面で、真面目に対怪異の仕事をしている奴。

諏訪あかね。

現役の神職でもある。

巫女では無い。神職だ。女性の神職は実のところ結構な数がいるのだが。その一人なのである。

昔はひよこのように、隣に引っ越してきた私の後ろをついてきて、怪異を見る度にキャーキャー泣いて、甘えてぐずって面倒くさい事この上なかったが。それでも私を神のごとく尊敬していて、卒業文集に書いてくれたくらいである。

しかし、子供は育つ。

夢は粉砕される。

高校くらいのときに再会したときはすっかり私への幻想は消え失せていたらしく、生意気この上ない奴になり。

社会人になってからは。

なんと私をこき使うという、とんでもない恐ろしい悪魔へと変わり果ててしまったのだ。

今も、ぴっちりと警官の制服に身を包んで。

何も隙が無い佇まいで、私を見上げている。

長身の私より十四センチほど背は低いけれど。

ステゴロが全く駄目な私と違って、此奴は柔道も合気道も並外れた実力で、確か格闘技の総合段位は二十代前半で十四段。剣道に到っては、本庁の女子警官中最強だとか。

素手で怪異と渡り合えるとかいう噂もある。

見かけは結構な美人さんなのだが。

私に対する容赦のない行動から、今ではすっかり苦手な相手となり果てていた。

本来警部補になれる年齢では無いのだが、本庁ではこういう特殊技能人材が何名かいて、いずれも年齢にあわない階級を与えられているのだ。

「何だお前。 何しに来た。 今忙しいんじゃないのか?」

「少し前に長期化していた西麻布の事件が解決しましてね。 貴方を監視するようにと、本庁から言われて、様子を見に来たんですよ」

ずけずけという奴だ。

監視と堂々という辺り、性格の悪さがよく分かる。それに本庁と此奴は言っているが、あの腐れ陰陽師から言われて来たのは間違いない。そういや、以前安倍晴明の奴の大ファンだとか抜かして、私をげんなりさせたこともあった。

ああ、小さい頃は、可愛かったのに。

おかっぱでどんぐりまなこで。走ろうとすると転んだりして。

それがどうしてこうなった。

「またこんなに汚して。 社会人たるもの、常に身辺を清潔に保のが重要だと、いつも言っているじゃ無いですか。 ましてやお師匠様や私は、いつ死んでもおかしくない仕事をしているんですよ。 こんな所で腐乱死体で発見されたら、恥ずかしくて先祖に顔向けが出来ません」

「あー、そうか」

「待ちなさい」

よれよれのシャツとトランクスのまま逃走しようとした私を、瞬時に捕獲するあかね。猫でもつまむように、部屋に戻す。

腕力も凄い。

此奴、ウェイトリフティングとかやらせても、かなりの記録を出すのではあるまいか。多分腹筋は割れているとみて良い。

「今回は、団さんが来る前に、打ち合わせをしておきましょう。 それと、掃除」

「勘弁して欲しいんだが。 私には、これくらいが、丁度……」

「身だしなみの乱れは心の乱れにつながります。 貴方ほどの経験値を積み重ねた妖怪ならば、生半可な相手に遅れを取らないとでも言い訳するつもりですか? 以前の戦いで……」

「あーもう、分かった分かった!」

ぶちぶち文句を言いながら、掃除をはじめることにする。まあ、どうせビジネスホテルの一室だ。掃除なんてすぐに終わる。

でも、私のこ汚い格好を見たあかねは。

嘆息すると、つきだしてきた。

警官の制服。

まさか、これを着ろというのか。

いやだ。こんなの、仕事の時だって着たくないのに。

「そんな痴女みたいな格好で、お客様をどうして迎えようと思えるんですか! 恥を知りなさい!」

「お前、なんでそんな小姑みたいになったんだよ」

「良いから! 着ないなら、私が無理に着せ……」

「着てきます」

げんなりした私は、シャワールームに足を踏み入れる。

いそいそと着替える私の後ろから、クソ面倒くさい声が飛んできた。

「急いでください。 団さん、時間通りに来ますよ。 急がないと、打ち合わせの時間もなくなります」

「あー、そうだな」

「ちゃんとしていれば綺麗なんですから。 普段からそうしていてください」

「……」

何が、綺麗なものか。

手が止まる。

それに、綺麗だったとしても。

あの時、それが何かの役に立っただろうか。真面目に生きてきて、世間は私に報いただろうか。

頭を振る。

そして、小うるさい後輩が発狂しないように。

私は、いそいそと着替えを済ませたのだった。

 

(続)