よもつひらさか

 

序、地獄の口が開く

 

とくそうの電話が鳴る。仕事か。近々大きな案件があると北条は聞いていた。だから、別に驚かない。

他のメンバー。纐纈、新美、愛染も既に情報共有が終わっている。

だから、電話を取るだけだった。

「此方とくそうです」

「私だ」

今、銃声みたいなのが聞こえなかったか。

或いは戦闘中だろうか。

いずれにしても、流石に絶句。大きな仕事があるとは聞いているが。それにしても、どういうことだ。

「これより、指定する遺跡に来て欲しい。 君達には、其所で悪さをする輩に対処してほしい」

「また随分と抽象的な指示ですね……」

「今回ばかりはそうとしかいえない。 ……纐纈くんにも関係がある話だとは伝えておいてくれ」

「……分かりました」

電話を切る前にも、なんか放り投げて地面でグシャとか音がしたような感じだった。

あの様子だと、戦闘中に電話をして来たのかも知れない。

渋面を作りながら、北条は話をする。

「戦闘中に電話……?」

「いや、あり得ない話じゃないぜ」

新美に、愛染が応じる。

本部長に直接会った事がある愛染は、本部長を知っている。話によると、とんでもなく強いそうだが。

まさかとは思うが。

銃火器で武装した敵戦力を正面から畳むほど強いのだろうか。

あまり考えたくない。

そして、纐纈も。

自分に関係があると聞かされて、無言で立ち上がっていた。

「遺跡の場所は」

「はい、出ました。 経路については……」

「パトカーを使うわけにはいかないな。 愛染、お前の車でいこう」

「ああ」

もう、纐纈にしゃらくさい口を利く愛染を、新美がたしなめることはなくなった。

それでいいと思っているのだろう。

荒事では愛染は役に立ってくれる。新美とは違う方向でちゃんと仕事ができる人材である。

それを認めた、と言う事だ。

それにしても、纐纈の不機嫌さはどうだ。

自分と関係がある、というのに露骨に反応した。

不愉快そうにしているが。だが、外に出ると。思わぬ人が待っていた。

如月先生である。ついでに佐倉さんもいる。

「あーら、揃ってお出かけかしら?」

「ああ。 急ぎでな」

「どうせ場所は……」

如月先生が遺跡の名前を言うので、纐纈が露骨に舌打ちした。

魔女先生は面白がるだけだが。この人の前で此処まで露骨に感情を見せる纐纈は初めて見たかも知れない。

「今回の案件は危険よ。 私達も行くわ」

「この間の洞窟から脱出して二日なんですが……」

「警察の仕事というのはそういうものよ。 それに、コレが終わったらしばらくは静かになるでしょうしね」

ウフとウィンクする如月先生。

何というか、かわいらしさはまるでなくて。肉食恐竜がこれから食うぞと笑ったような印象さえ受けた。笑顔は攻撃の合図という言葉があるが、まさにそれだ。

ともかく、如月先生がなんか凄そうな車に乗って先に行く。

愛染はひゅうと口笛を吹く。

多分、車がいいので感心したのだろう。

こいつはこう言う奴だ。

如月先生を怖がっているのは愛染も同じなのだけれども。それよりも車への感心が勝るのだろう。

咳払いすると、纐纈が指示を出す。

「愛染、車を出せ」

「分かってる。 すぐにするよ。 しっかしいい車に乗ってるなあの魔女……」

「此処からでも聞かれかねないからやめなさい」

「……」

北条の言葉に、ぞっとした様子で黙り込む愛染。

これが本当なのだから恐ろしすぎる。

ともかく、四人で愛染のなんか凄そうな高級車に乗る。後方に乗ったのは新美と纐纈なので、やはり圧が強い。

そのまま、くだんの遺跡に出向く。

それにしても、どうしてそんな遺跡でドンパチをやっているのだろう。

いや、その遺跡でドンパチを本部長がやっているとは限らないけれども。

ともかく急ぐ。何かぴりぴり嫌な感じがする。

不意に、耳元で何か囁かれた。

声は聞き取れなかったけれど、どうもぞくりとした。

北条を見て、新美が聞いてくる。

「どうした北条。 傷でも痛むのか」

「いや、特にそういう事はありません。 なんだか耳元で囁かれたような……」

「馬鹿馬鹿しい」

「……妙な霧が出て来たな」

愛染がぼやく。

霧は高山になればなる程出やすい。だけれども、今回向かう遺跡は、高山地帯にあるわけでは無い。

ただ、この辺りでは時々霧が出るのも事実だ。

問題は注意報などは出ていなかったことだが。

新美がスマホを操作して、天気予報を調べている。纐纈が速度を落とすように愛染に指示。

当然だが、愛染も従う。

この霧だと、速度を出すわけにはいかないだろう。

いきなり、窓硝子がバンと叩かれて、手形が着いた。真横のことだったから、流石に北条も黙り込む。

なんだこれ。

さっきの囁き声も嘘だったとは思えないし。これは何か起きていると判断して良さそうである。

新美が思わず引きつった声を上げていた。

「誰かぶつかったのか!?」

「止めろ」

愛染もすぐに止めて様子を見に行く。だが、どんどん濃くなる霧の中、誰かがいる気配はない。

ただ全身がひたすらぞわぞわする。

なんだこれ。

今まで散々訳が分からないものを見て来た北条だが、それらの最上級にヤバイ感触だ。すぐにすっ飛んで逃げろ。体がそう警告しているかのようだ。

生唾を飲み込んで、周囲に誰もいないことをつげに戻るが。

やはりひっきりなしに声が聞こえる。

何を言っているかは分からない。

ひょっとして、古代の言葉か何かだろうか。

実の所、昔の日本語はかなり現在のものと比べて発音が違ったという話がある。

いわゆる東京弁が標準語として根付く前は方言の差が酷く、東北と九州の人間は会話が成立しなかったという話もあるほどだ。

海外の言葉というよりは、何だかそんなものに思えたのだ。

急いで車に戻る。新美も車に戻っていた。

「特に何もありません。 誰かを轢いた形跡も」

「同じくです」

「……そうか、では急いでくれ」

それにしても、なんでこんなに纐纈は不機嫌そうなのか。

この辺りは人がほとんどいない山奥だ。一応何とか村という廃村が近くにあるが、誰も住まなくなって久しい。

何しろ行く意味がないので。

遺跡マニアくらいしか、足を運ばない山奥である。

やがてガードレールも消える。

霧は、文字通り目の前が見えなくなるというほどではないが。これでは危なすぎると判断したのだろう。

纐纈が降りるように指示。

全員に、武装するようにも指示していた。

一応本部長の様子からして、拳銃は持ってきているが。

そもそも日本では、拳銃は撃つと後始末がもの凄く大変なのである。弾一発でさえ、書類を書かなければならない。

この辺りは元部長。現在の警視総監がかなり緩和してくれたが。

緩和してくれたからと言って、気軽に撃てる、とはいかない。

勿論撃った場合には、全部まとめて定型の書類を書かなければならない。

キャリアに厳しいと良く言われているあの大魔王だが。

実際には、無能なくせに権力を握っている輩に厳しい、というのが正しい。

現場は出来るのに、上層部は無能。

何だかどこかの軍隊で聞いたような話だが。

あの大魔王が来るまでは、日本の警察はまさにそれだったことを考えると、色々複雑な気分になる。

ともかく車を路駐。流石にこんなガードレールもない道だが、幸いそれほど狭くは無いので。他の車が来ても通り過ぎることは出来るだろう。

一応カラーコーンもどこからか出してきて、車の前後に配置する愛染。

この辺りなんか用意が良い。

愛染の車は見かけが良いから、中もすっとしていると思いきや。

後ろのトランクを開けると、高枝切り鋏からカラーコーンまで、なんでそんなものがとぼやきたくなるものが入っているのだ。

いずれにしても、全員が拳銃の確認を完了。

此処からは何があるか分かったものではない。

四人で固まって、移動を開始する。

前列を纐纈、後列を愛染が固めたのは。それぞれ腕に覚えがあるから、だろう。

「何だかさっきから耳鳴りがしますね」

「気圧の問題かもしれないな」

「……」

新美と愛染が口々に言っているが。

纐纈は驚くほど無反応だ。

程なくして、纐纈が足を止めて、身を伏せるように指示。近くのものかげに隠れると、纐纈が木を調べて。そして手招きした。

銃撃の跡だ。

それも拳銃弾じゃない。

いわゆる7.62ミリである。機関銃やアサルトライフルなんかで使う銃弾の跡だ。

しかも真新しい。要するに、この辺りで戦闘が行われたと判断して良いだろう。それもアサルトライフルを持ってるような集団が、である。

ぞっとした。

そんなの、かち合ったら絶対勝てない。

装備が違いすぎる。

拳銃とアサルトライフルでは、同じ銃というカテゴリでも戦闘力があまりにも違いすぎるのだ。

警官が拳銃で武装しているのは強力な抑止力にはなるが。

アサルトライフルとなると、軍の武器である。

警官としては過剰武装だ。

一応県警の武器庫にはあるが、取りだすにはよほどの事態でないと無理である。

「此処からは何も見逃さず聞き落とすな。 この様子だと、近くで散発的に戦闘が起きている可能性がある」

全員が頷く。

出直してチョッキを。

いや、この霧だ。

多分だが、アサルトライフルを持っている奴が現れた場合。その時は遭遇戦になる。チョッキなんか多分役に立たないだろう。

怪異なんかよりもずっと冷や冷やする。

だが、怪異は怪異で怖いのも確かだ。

新美がすっころびかけて、纐纈が支える。

目を白黒させている新美。

「どうした」

「だ、誰かに足首を掴まれて」

「……誰もいないが」

「確かにあれは手の感触でした」

新美が真っ青になっている。

怪異に遭遇はしなれているはずだ。それでも怪異の存在を否定する新美である。だが、直接危害を加えられると、流石に平静ではいられないのだろう。北条はとてもではないが笑う気にはなれない。

他人事ではないからである。

さっきからひっきりなしに聞こえる声。

更に、霧の中で人影が見えるような気がする。

その度に拳銃に手を掛けてしまう。

愛染も相当ぴりついている様子だ。

側で愛染に言われる。

「見えてるか?」

「聞こえたり見えたり……ね」

「そうか、俺もだ。 多分これ、霊感とか関係無く誰にでも見えるレベルだろうな」

愛染の言う通りだ。

怪異は条件が整うと、どれだけ鈍い奴でも見えるようになる。

今、周囲中で変な声がしていて。

更に新美に至っては足首まで掴まれている。

怪異を否定する奴には、基本的に怪異は近寄ることをあまりしないのだが。それでもである。

此処は非常に危険だ。

そう思っていたら、どうやら目的地についたらしい。

周囲には激しい戦闘の跡。

銃弾の跡が、彼方此方に散らばって残っていた。これは、此処で何があったのだろうか。

ふっと、姿を見せる誰か。

全員が拳銃に手を掛けるが、違う。

人間だ。

それも知り合いである。

佐倉さんだった。

「来たか。 あまり大きな声を出すなよ」

「此処で何があった」

纐纈が聞く。

頭を掻くと、佐倉さんは答える。

警察の特務部隊と、民間軍事会社が戦闘を行ったと。民間軍事会社を雇ったのはFOAF。ただしFOAFは以前の戦いで殆ど指揮系統も何もかも寸断されている状態で、この最後の作戦でもその途中で幹部クラスが殆ど捕まっており。今は残党が散発的に仕掛けて来ている状態だという。

渋面を作る纐纈さん。

「俺たちがくる理由は? それはもうSWATなどの仕事だろう」

「残念ながらそうもいかないんですよ。 調査した結果、ここの奥にはとんでもない代物がある事が分かっていましてね」

「とんでもない代物?」

「……黄泉比良坂、と言えば分かりますか?」

「……はい?」

思わず声を上げたのは北条である。愛染は、そのまま唖然としている。

佐倉だって渋面を作っている状態だ。

新美はキレそうになっているが。

纐纈はむしろ冷静だった。

佐倉さんがいい加減な事をいう人物では無いと、今までの経験から悟っているから、なのだろう。

「心太郎、静かにしていろ。 それで黄泉比良坂がどうにかしたのか」

「FOAFは怪異を兵器として世界的に売る組織の残党です。 FOAFが今までやってきたのは、彼らが「奴ら」と呼ばれる組織だった頃の栄光を取り戻すための兵器探し。 今回は、広域殺戮兵器として、あの世そのものを利用しようとしているということでしてね」

「どうしてあの世が広域殺戮兵器になる」

「死人が蘇り、あふれかえった世界で生きた人間が無事でいられると思いますか?」

佐倉さんの言葉に、纐纈は無言を貫いた。

確かに、ちょっとした幽霊でも結構怪異としては脅威になるのだ。

佐倉さんの言葉はもっともである。

まるごとあの世が出て来たら。

それは文字通り地獄となる。

「今、貴方たちも良く知る元部長、現警視総監も出て周囲の抑えに掛かっています。 貴方たちはマークされていない。 中枢にある扉を押さえ込んでほしい」

「どうして専門家でもない俺たちがそんな事をしなければならない」

「当事者がいるからですよ」

「……」

皆が北条を見た。

北条が自分を指さすと、佐倉さんは頷く。

確かに、北条は地獄を経験したことがある。

だが、いくら何でもこれはどういうことか。

「三千人ほどいた小さな村が、一夜にして壊滅した事件は聞いていますね。 その事件の被害者の怨念が、今回扉を開くキーとなっています。 扉自体はもうこれ以上は開かず、怪異が跋扈する地域は拡大はしないでしょうが、一刻も早く押さえ込む必要がありますので」

「……大体分かった。 北条を護衛して、その扉とやらにいけばいいんだな」

「私も同行します。 FOAFも今回は総力を投入してきているようですので、ひょっとすると大魔王の警戒網をくぐってくる奴がいるかも知れない。 それが怪異か、人間か、或いは怪異を憑依させた人間かも分からない」

そういえば。

此処が、もう現世とは言い難い場所だから、なのかも知れないが。

佐倉さんの側に、ものすごく大きな犬のような影が見える。

これが、佐倉さんが使役している式神だろうか。

可能性は低くは無いだろう。

大きなため息をつく。

纐纈が相当苛立っているのは確実の様子だ。理由は聞かない方が良いだろう。

顎をしゃくる佐倉さん。

纐纈には話した。他の人間には敬語も使わない。

「多分北条、あんたは辛いものを見る事になると思う。 だが、これいじょう黄泉が拡がると実際の人的被害が出始めてもおかしくない。 だから、覚悟を決めてくれ。 他の皆も、何があっても……」

「待て。 佐倉智子」

「?」

「纐纈さんはこう言う場はまずい。 理由はいえないが、出来れば何とかならないか」

新美に余計な事を言うなと鋭い視線をぶつける纐纈だが。それでも新美は引こうとはしない。

これは余程の事があったのか。

「もしも必要なら俺が自分で話す。 心太郎、余計な気遣いは不要だ」

「しかし纐纈さん!」

「良いから黙っていろ!」

ため息をつく佐倉さん。

周囲でけらけらと笑う声がする。かなり露骨だ。

もう、この辺りは人外の土地。どうやら、北条が閉じ込められたあの村以来の地獄が、此処に顕現するのは間違いなさそうだった。

 

1、黄泉の先に

 

霧はこれ以上濃くなることはなく。

ただし、スマホはもう殆ど役に立たなくなった。

電波は通じないし。

つけて見ても、妙な画像ばっかり映るようになったのである。

時計を確認しようと思ってスマホを出したら。

いきなり入れた覚えもない大量のしゃれこうべ(それも生々しい)が映り込んで、北条は文字通り閉口していた。

ともかく、先に進むしかない。

此処が黄泉だというのなら、なおさらである。

「それにしても、黄泉を広域殺傷兵器として使うなんて、いくら何でも無茶だ……」

「「奴ら」はそれこそ、怪異どころか神話まで利用して兵器にしていた。 私はひよっこの頃からあの人の所で揉まれて来たが、酷い場合は街一つを死者の街にして、自分のために要塞にしていた。 数万人を平然と殺す連中だ。 奴らに無茶なんてものはない」

「……」

佐倉の話を聞いて、新美は黙り込む。

其所までやる輩だったら、文字通りの鬼畜と言う他無い。

しかも無差別殺戮で、文字通り皆殺しにするような代物を兵器扱いか。

それは確かに、駆除するしかない連中だ。

周囲が岩っぽくなってきた。

露骨な戦闘の跡が彼方此方に転々としているが。

死体の類はない。

つまりアサルトライフルを持った連中が、文字通り畳まれて、捕まったというわけか。

本部長が戦っていたのはそいつらなのだろうか。

いずれにしても、ちょっと想像ができない世界である。

佐倉さんに促されて、奥に。

遺跡らしい場所に出た。

というか、古墳かこれは。

大きな岩がたくさん並んでいる。普段だったら、多分ピクニック辺りに来るのに丁度良さそうな場所だが。

今は、秒で逃げ帰りたいほどに雰囲気がまずい。

この近くにいると、碌な事にならないと肌で分かる程である。

G県にある有名な遺跡の一つではあるのだが。

古墳と巨石が組み合わされていると言う事で、そこそこ有力な豪族の墓だったのではないかとか。

実は何かの古代の装置。日時計とかではなかったのかとか。

色々な説があるのだとか。

こういう巨石の古代遺跡は世界の各地に存在しているが。

これも、そういう巨石のある遺跡の一つというわけだ。

「……」

佐倉さんが足を止める。

普段だったらあり得ないものが、其所に見えていた。

この遺跡は、普段は交通の便がまずすぎることを除けば、観光資源として悪くはないものなのだが。

これはちょっとばかりまずいかも知れないと北条は思った。

何しろ、もう見えてしまっているのである。

橋が。

物理的な橋が、である。

纐纈が無言で歩いて行き、霧の遙か向こうまで続いている橋を確認する。踏むことも、触る事も出来る様だった。

「こんな巨大な橋、G県には存在しないぞ。 瀬戸大橋と同規模ではないのか」

「これが黄泉比良坂だ」

「……馬鹿馬鹿しくて言葉も出ませんよ」

「ああ、そうだな。 だがこんなものを一晩で作る方が馬鹿馬鹿しくて言葉も出ないと私は思うが」

新美に冷静に返す佐倉さん。

まあその通りなので、北条もこれ以上は何も言えなかった。

「黄泉比良坂の伝承というと、伊弉諾と伊弉冉のあれだろ?」

「ああ、そうなる」

周囲を調べる。

橋を渡るのは最後だ。

この辺りには、恐らく一個小隊くらいの武装戦力が駐屯していたらしい。辺りには食い散らかしたレーションとかが散らばっている。

同時に連中が見境無しに銃撃をして。制圧もされた跡も残っている。

お膳立てはしてくれている。

そしてここに入れないように、あの大魔王が体を張って周囲を固めてもくれている。

何でも良いから、兎に角調べていかなければならない。

それにしても、北条はさっきから呼ばれているような気がしてならないのだが。

気のせいだろうか。

ふと顔を上げる。

誰もいない。

だが、懐かしい視線を感じた気がした。

気のせい、ではない。きっと見られている。佐倉さんが舌打ち。余程強力な怪異が周囲に蠢いているらしい。

「式神達を総動員しても押さえ込めるか分からないな。 今回のために本家から強いのを何体も借りてきているのにな……」

「ともかく、どうすれば扉を閉められます? 我々は伊弉諾尊じゃないんですよ。 無理矢理閉じるわけにはいかないでしょう」

「それは此処を開けたFOAFも同じだ。 そもそも連中は、地獄を直に経験したことがある北条を核に、最初はG県全域を消滅させて、その実績で各国のテロリストに兵器として売り出すつもりだったらしい」

ぞっとしない話だが。

そんな数万規模での殺戮を行って、商売のデモンストレーションという考えは正直常軌を逸している。

確かにそんな事を考える連中は、あの大魔王に顔面を平らにされるべきだろう。

「核は北条だ。 中途半端に具現化している黄泉比良坂の中心部に、恐らく北条と呼応する何かがある。 それを壊せ。 多分行かないと分からない」

「あの橋を渡れと!?」

「おいおい、じょうだんじゃ……」

「いや、行くしか無いだろう」

尻込みする愛染に、新美が言う。

普段は、怪異に対しては全くという程に嫌悪感を示すのに。

今日はどうしたのか。

唇を引き結んでいる新美。

これは、余程の事があると見て良い。

「佐倉さん。 仮に我々の対応が遅れると、最悪の場合どうなります」

「この扉は、相当に開くまでに時間が掛かるもので、閉じるまでに時間も掛かるものなのだが。 もう開きはじめた時には、大魔王がそれを阻止。 ある程度まで開いたら、今度は閉じ始めるだろう。 だがその開く過程で、G県の市街地まで黄泉は拡がる。 既にこの山周辺は閉鎖命令を出しているが、それでも霧の中で散々ろくでもないものをみただろう?」

その通りだ。

そして更にああいう怪異が増えれば。恐らくだが、事故の一件や二件ではすまないだろう。

纐纈は黙り込んでいたが、顎をしゃくった。

行くぞ、というのである。

新美も頷く。

愛染は、少し遅れて、頭を掻いた。

「私は殿軍で此処を守る。 どうも相当に強い怪異が集まって来ている。 私が引きつけた方が良いだろう」

「分かりました。 ご武運を」

「ああ。 生きていたら、な」

敬礼をすると。佐倉さんも敬礼を返してくる。

後はもう、言う事もない。

橋に足を掛ける。確かにしっかりと手応えがある。石造りの重厚な橋だ。無言で、四人ひとかたまりになって渡る。

黄泉の世界になんて行って大丈夫なのかと思ったが。

愛染が言う。

「食い物を口にしなければ基本的に大丈夫だ」

「食物?」

「あの世の食べ物を口にすると、あの世の住人になる。 世界中に存在する神話のお約束でな」

愛染の言葉に、新美も反発しない。

そういえば、西欧でも似たような話があると聞いたような。

そうなると、原型は中東辺りにあって。

其所から神話の伝播とともに、世界中に拡がったのかも知れない。

「ともかく何があっても食い物だけは口にするなよ……」

愛染の警告が虚しい。

周囲を警戒しながら進む。佐倉さんは無事だろうか。

ふと、目の前から誰かが来るのが分かった。

それを見て、纐纈が顔色を変える。

纐纈の前に出る新美。

北条と愛染も、遅れて拳銃を構えていた。

歩き来るのは、親子連れのように見えた。

それは、どうみても。纐纈の関係者にしか見えなかった。

全身が崩れて、ゾンビ映画に出て来そうな姿なのに。明らかに、纐纈だけを見ていて。歩き来る母と、恐らくは娘。

ああ、会いたかった。

お父さん。

そんな声もする。

だが、偽物だ。

それは、すぐに分かった。隠しきれない悪意があるからである。

凄まじい憤怒の表情を浮かべた纐纈が前に出る。

そして、即座に二人の動く死体を掴むと、橋の外に放り投げた。けたけた。笑いながら、死者が落ちていく。

纐纈に声を掛ける新美。

纐纈は、じっと黙り込んでいた。

これは、聞けない。

きっとあれは。纐纈の家族を。失った家族を模したタチが悪い悪霊だ。そしてあんなのが、これからわんさか押し寄せてくる。

そして急がないと、ああいうのは。G県の全域に最悪の場合拡がって、市民に無差別に牙を剥く。

此処で食い止めなければならないのだ。

「急ぐぞ」

「纐纈さん!」

「心太郎、大丈夫だ。 あんなもの……本物と見分けられない俺じゃあない」

「……」

急ぐ。

橋は際限なく続いている。この巨大な石の橋。実際に存在していたら、作るのにどれだけ時間が掛かるか分からない。

コンクリでは無い事は、触ってみて分かる。ともかく全方位を警戒しながら、進むしかない。

いきなりケタケタ笑い声を上げながら、歩いて来る二人の影。

あれは、見覚えがある。

人間を発酵商品に変えていた、発酵商品を専門に扱う夫婦。おぞましいシリアルキラーで、人間を拉致しては地下の麹菌が満たされた部屋に放り込み。出来上がった発酵食品を全国に売りさばいていた。

そう。北条が閉じ込められたあの村で出会ったシリアルキラーの一人。

北条も彼奴らに殺されたのだ。

足が竦む。

だけれども、もう負けない。

「北条!」

「大丈夫! あんな奴ら、もう負けない!」

掴みかかってくる中年男性。

こいつも、繰り返す時の中でシリアルキラーだったことは一回だけ。他の世界では、いつも被害者だったっけ。

纐纈と愛染が、ぶん投げて、制圧する。

体が崩れかけているからか、妻の方はそれで腕が千切れて、地面で転がっていた。

それでもけたけた笑っている頭を、北条は思い切り蹴飛ばしていた。

蹴飛ばした頭が、石橋の下に飛んで行く。

それでもけたけた声がする。死体は愛染が担いで、石橋の下に放り捨てていた。

「なんなんだ彼奴ら……」

「私がいた村で見たシリアルキラーよ。 醤油屋をやっている裏で、麹菌で殺した人間を発酵食品にして、全国に売りさばいていたわ。 殺した相手の子供を自分の子供として飼育する事までしていた狂人よ」

「……そんな事が知れたら、大事件だろう」

「いや、確か何年か前に、発酵食品を全国的に回収する事件があった筈だ。 そうか、人肉入りだったのか」

纐纈が言うと、絶句する新美。

気が弱かったら吐くような話である。

さて、まだまだ来る筈だ。

羽音。

同時に、凶暴そうな大きな虫が、一斉に飛んでくるのが見えた。

伏せろ。そう纐纈が叫んで、伏せる。虫たちは、外に歓喜している様子で。此方に構いもせずに飛んでいく。

「何だアレは!」

「確か元部長はツツガムシとか呼んでいたわ」

「それは確かダニの一種だろう!」

「いや、妖怪にいるんだよ。 吸血する虫のツツガムシってのが!」

新美に愛染が答える中。

昆虫ではあり得ないサイズの、凶暴極まりない妖怪達が。群れになって飛んで行った。そして、遠くでぼおんと凄まじい炎が噴き上がるのが見える。

恐らくだが佐倉さんだ。

ツツガムシ程度、どれだけ数が揃ってもそれこそひとたまりもないのだろう。

あっちは佐倉さんに任せるしかない。

「怪我は無いか!」

「大丈夫です、指示が早かったから」

「そうか。 とにかく急ぐぞ」

立ち上がる。奥へ進む。

霧は深くなる一方だ。ライトを出してつけるが、それでもそれぞれの位置関係が不安なほどである。

そして、まただ。

誰かが見えてきた。

唸り声を上げながら歩いて来るのは。ああ、見覚えがある。

小太りの青年だが、見かけ通りの相手では無い。

あの地獄の村に存在していた、非常に危険な人物。

地元の有力者の馬鹿息子、といえば弱そうに聞こえるが。何故か凄まじい戦闘適性を持っていて、当時の相方であった荒事担当の警官ののど笛を食い千切ったり。あらゆる場面で圧倒的な暴悪を発揮していた輩だ。

「気を付けて、彼奴は手強いわよ!」

「……面白い。 来い!」

同時に、殆ど一瞬で間合いを詰めてくる小太りの影。

愛染はタックルを敢えて浴びながら、そのまま力で競り勝つ。ねじ伏せて、地面に叩き付ける。

流石だ。

ぶぎゃっと悲鳴を上げる其奴に、新美と纐纈が躍りかかり、両腕を後ろに捻り上げていた。

関節を極めてしまえば、後はもうどうにもならない。

凶暴に何かわめき散らしている其奴の首を、全力でサッカーボールのようにけり跳ばす。

一度では首は折れなかったが。

やはり痛んでいるから、だろう。

二度目で首は千切れて、橋の向こうまですっ飛んでいった。

まだ死体は暴れているが、三人がかりでそのまま橋の下に突き落とす。

ブリーフをはいた小太りの死体は、そのまま怨念の声を上げながら、橋の下に落ちていった。

ぞっとする。

彼奴は、恐らく北条がいた村の中でも、もっとも戦闘適性が高い怪物だっただろうと思う。

はっきりいって下手な怪異よりも、生きている時は脅威だった。

彼奴は世界によってはスナッフムービーを撮影して、それを流通さえさせていた。

運良く引きこもってくれていたから良かったものの。

もしもあの村から外に出してしまったら、犯罪王として君臨していたかも知れない。それほど危険な相手だった。

呼吸を整える。

「まだ来るぞ!」

纐纈が叫ぶ。

老婆が歩いて来る。

両目を抉り取られて、呻きながら。

無数の警官が来る。

いずれもゾンビに食い殺された人達だ。

発砲を許可する。

纐纈が言うのと同時に、発砲開始。相手の数は十人を超えていると見て良い。動きが危険そうな奴は、足を撃ってどうにか動きを止める。後ろから来ないことだけが幸いだろう。

足を止めた奴を、とにかく橋から突き落としていく。

あの子は。醤油屋の子か。

醤油屋がシリアルキラーの時は、悲惨な運命の中飼われていたし。

そうで無い時も、大体悲劇に巻き込まれていた。

あの子を救えなかった。

だが、何とかしなければならない。

襲いかかってくる以上、どうしようもない。北条は抱え上げると、橋の下に放り捨てる。

愛染と纐纈の戦闘力は凄まじく、襲いかかってくる死霊だか死人だかの群れを片っ端から薙ぎ払い。

全てを橋の下に新美と北条と連携して、捨てていった。

そういえば。

ツツガムシも含めて、「生きていた」ものはゾンビになったり形を変えて出てくるが。

あの村に存在していた、最初から死んでいた悪霊などの怪異は姿を見せないな。

どういうことだろう。

それに、終始まともだった監察医もいない。

いるだけだった上司もだ。

無言で、淡々と皆と一緒に怪異を処理し続ける。やがて、恐らく北条の関係者らしい怪異は、姿をようやく見せなくなった。

呼吸を整える。

纐纈はもう呼吸を整え終えている。流石である。

だが、悪意は止まらない。

「!」

思わず後ずさりする。

そこにいたのは、悪意に顔を歪ませた、中年男性だった。勿論死人だろうが、そんな事は関係無い。

彼奴は、時にカメラマン、時にスナッフムービーの販元、時に政府の汚れ仕事処理など。ろくでもない事ばかりしている奴だった。

彼奴に焼き殺された人を目の前で見た事もあるし。

彼奴にスナッフムービーの題材にされて殺された事もある。

戦闘適性はあの小太りほどでは無いが、手強い相手の筈だ。

一番怖いと感じるのは、間違いなく彼奴だろう。

もう、此方は拳銃の弾もない。

愛染が前に出るが。奴はいきなり間合いを詰めると、愛染をぶん投げていた。恐らく最悪の状態の奴なのだろう。

「うおっ!」

「ぬるいねえ……」

死体のくせに喋る。

それどころじゃない。即座に新美に当て身を浴びせて、北条ごと突き飛ばす。

纐纈と一対一で向かい合う。ナイフを取りだす奴。

構えは、多分特殊部隊か何か仕込みだろう。

「其奴は火炎放射器を持っている可能性もあります! 気を付けて!」

「余計な事をいうなよ北条さんよお。 あんたをスナッフムービーで面白おかしく弄くりまわしたのはいつだったっけ?」

あれ。

ちょっと待て。

違和感が浮かび上がってくる。

纐纈が前に出ると、ナイフを凄まじい勢いで繰り出す奴。

だが。纐纈はそのナイフを持った腕を一瞬で脇に挟み込むと、ねじり折り。更に頭から石橋に叩き付けていた。

それでも開いている手で受け身をとり、更に足で纐纈の首を挟み込もうとする奴だけれども。

そこに、北条が叫びながら突貫。

渾身の蹴りを叩き込んでいた。

奴が、生きている状態だったら鼻で笑われたかも知れないが。

もう既に奴は生きていない。

体は他に比べて新しいとは言え、崩れかかっている。

明らかにそれで、大きなダメージが入る。

更に、組み伏せた奴を、纐纈が一気に捻り、腕をちぎり取ると。

立ち直った新美が、ナイフごと腕を捨てる。更に。纐纈と一緒に、声を掛けて奴を橋の外に落としていた。

けたけた笑いながら落ちていく奴。

呼吸を整えながら、北条は言う。

「分かった事があります」

「どういうことだ」

「あれはやはり本物じゃありません」

「具体的な理由については後で聞く。 ともかく、この奥だな」

橋が降り始めている。

頷くと、北条は皆について歩く。

愛染も思い切り投げられたが、それでも何とか立ち上がる。結構なガッツだ。北条だったら、投げられたらもうダウンだっただろう。

「……やっぱり出るだろうと思ったぜ」

姿を見せる数人の影。

愛染がぼやいたのも何となく分かる。

周囲にいるのは、恐らくだが。愛染の「親族」だろう。

愛染が金持ちである事。

元部長に世話になった事があること。

親族にあやうく何もかも奪われる可能性があったこと。

それは聞いた事がある。

それ以上の詳しい話は聞いたことが無いが。それでもいずれにしても、はっきりした。

姿を見せているのは、それぞれにとっての因縁の相手。それも、死者ばかりだと言う事である。

そして恐らくだが、それは誰に対しても姿を見せる。

要するに、最悪の相手が、死人となって殺意満々で姿を見せると言う事だ。

確かにこんなものがG県全域に拡がったら、それこそ県全域が全滅しかねない。

途方もない死者が出るだろう。

絶対にそんな事を許してはならない。

ましてやクズ共の金儲けのためのデモンストレーション。信じられない連中である。元部長が絶対に容赦しなかったのもよく分かる。

そういえば、金髪の王子を飼い殺しにしているのは何故だ。

奴も似たようなことをしていただろうに。

アレは何かしらの理由があるのか。まあいい。ともかく、此処は突破するしかない。

多分アドレナリンが膨大に出ているからだろう。恐怖感は殆ど感じない。愛染の親族らしい下衆共を、皆で袋だたきにして、橋の下に叩き落とす。

誰も躊躇しない。

どうせ本物ではないし。

何よりこれ以上ない悪意の存在だ。

黄泉比良坂から落ちた存在がどうなるかは知らないが。

ろくな目にはあわないだろう。自業自得と言える。それに、纐纈の遺族はともかく。それ以外のは、地獄で今も苦しんでいるだろう面子だ。

あれくらいの目にあわせてやらなければ、色々と気だって収まらない。

橋の向こう側についた。

皆で息を整えながら、見上げる。

其所には、小さな光の球があった。霧の中だから、余計にそれは目立っているとも言えた。

おそらくアレが。

この黄泉比良坂を具現化させている要因だ。

もしも本当に、話通りの黄泉比良坂が具現化していたら、こんな程度ではすまないだろう。

地上は殺意全開状態の死者であふれかえり。

其奴らが引き起こす殺戮で、恐らくG県はFOAFのもくろみ通り消滅していたのは間違いない。

どうして元部長は、本人が来なかった。

あの人だったら、一発で鎮圧できたと思うのだが。

一応出て来ているらしいのに。

どうして北条のようなひよっこに任せた。

それは分からないが。

ともかく、黙らせられるのなら。黙らせなければならない。あれを放っておいたら、数限りない人が不幸になる。

深呼吸をする。

そして、霧の中歩き出す。

この黄泉比良坂での、最後の戦いだ。皆、ろくでもない幻影を見ているものだと考えて。

踏み出す。

北条紗希は地獄を見て来た人間だ。

だが、地獄を見ているのは。今の時代、誰もが同じ。

ブラック労働が蔓延し、富の格差が開く一方であるこの時代は、破綻に向かおうとしている。

強いものに逆らう事は悪とされ。

強いものは優秀だから強いと言う理屈が蔓延している。

実際にはそんな事はない。

金持ちを捕まえてみたら、タダのアホだったという事は一度や二度ではないし。

別にスペックが優秀な訳でもなんでもない。

この世界は変えなければならない。一人一人が、出来る事はしなければならない。

北条紗希は顔を上げる。

今、此処で。

自分に出来る最大限の事をしなければならなかった。

 

2、地獄の門との戦い

 

光の球に手をかざす。

後ろは皆が守ってくれるはずだ。そう信じる。とくそうの皆は、きっと北条がやりとげるまで守ってくれる。

それだけの熱い信頼がある。

今は、その信頼だけを盾に。こんな超級の怪奇現象を引き起こしているものへ、手を伸ばす。

やがて、光の中に。

何か、とんでもないものが見え始めていた。

それは、何というか。無数に連なった、絡み合った。大量の腐乱死体とでもいうのだろうか。

おぞましい量の死体が積み重なり、重なり合い。腐りきったそれらは、もはや生物ではないのに絡み合っている。

様々な怪異を見て来た。

それらの怪異は、どれもこれもがとてつもない邪悪さを一目で悟らせた。

正体が分からなければ絶対に倒せない。

佐倉さんの言葉だ。

元部長や佐倉さんのような、例外的な人間でも。

怪異の正体が分からない場合は、どうしようもないという。

だが、怪異は正体さえ分かってしまえば。

幽霊の正体見たり枯れ尾花となる。

今は、正体が分かる。

あれは、地獄そのもの。

いや、恐らくだが、穢れた魂の集合体そのもの。

死んで引きずり込まれた大量の悪霊。

それを浄化するシステムが、この光の球。

この光の球が機能不全を起こしているから、黄泉比良坂が開いてしまったのだろう。

黄泉比良坂という存在については、北条紗希はあまり詳しくは無い。

たださっき聞いた話によると。

扉は開くのも閉じるのも時間が掛かると言う。

そしてあの世への扉なんて、世界中に類話がある。

もしもあの世への扉を兵器化することがノウハウとして完成して。世界中で扉が開かれたら。

それこそ、本当の意味での地獄が顕現することになる。

相手は死霊だ。

銃火器なんて通用しないだろう。

更に言えば悪意の塊だ。

あらゆる方法で面白がって人間を殺すだろう。

ライアーアート。

北条は呟くと、光の球に呼びかける。

外からの干渉で、ゆっくり閉じるにしても。どれだけ掛かるか分からない。

だったら、一気にやるしかない。

「目を覚まして。 貴方がやるべき事は一つ。 穢れた死者達の浄化よ。 それがなせなければ、世界は……」

「……」

光の球に直接言葉をぶつける。

だが、言葉が届いていない。

いや、違う。

真空の中にいるようだ。周囲と切り離されたかのようである。

何となく、事情は分かった。光の球に認識されたのだ。生きた人間が来たと。

光の球がアクセスしてくる。

普通だったら発狂しかねないが。

一気になだれ込んできた大量の情報量に、それでも踏みとどまる。

これでも本物の地獄を見て来ていない。

地獄を見るのは二度目だ。

他の人間がこれを見ていたら、あっと言う間に発狂してしまった可能性も低くは無いのだろうが。

北条紗希は別である。

踏みとどまると、光の球に呼びかける。

「貴方はあの世そのものね」

「……正確には私はお前達があの世と呼ぶシステムの一端だ。 古い日本では黄泉といい、近年では地獄と呼ぶ。 穢れた魂を浄化し、少しずつ輪廻の輪に返していく。 近年は穢れた魂が増えすぎて、あふれかえりそうだが。 それでも元々人間は穢れた魂を持つものだ。 浄化し、輪廻の輪に返す。 それが私の仕事だ」

「今、貴方の制御が上手く行っていないことは自覚できているかしら」

「……そのようだ。 外からの力で、流出は押さえ込んではいるが、それもまだまだ押さえ込みきるには時間が掛かる。 せめて拡大は防がなければならない」

よし。

寝ぼけている黄泉比良坂を起こし、目的意識を与えた。

これで、少しはマシになる筈だ。

だが、世の中そう簡単にいくはずがない。

姿を見せた者がいる。

それは、あの高安だかいうシリアルキラー一族に殺された、無数の女性の亡骸。

彼女らは、真っ黒い彫刻の姿のまま。

いつのまにか、北条と光の球の周囲に立ち並んでいた。

隙間女はいない。

恐らくは、死んでいないから、なのだろう。

それに、隙間女に対しては恐怖を感じていない。

あの人は、罪を犯したが。

最初は恋が始まりだったし。

利用する気満々のカスに引っ掛かってしまった不運な人だったのだから。

とくそうの皆はいない。

恐らく今、北条は黄泉比良坂の末端とやらに取り込まれている。

更に制御が上手く行っていない黄泉比良坂の制御を更に乱そうとしている悪意が、北条を痛めつけようとしている。

そういうことだろう。

「私達を、どうして救ってくれなかった」

「警察が無能だから私達は死んだ」

「相手が資産家で、警察にコネを持っているから私達は死んだ。 高安の一族は高笑いを続けて、私達の尊厳を冒涜し続けた」

「貧乏人は死ねというのか。 貧乏人はどれだけ死んでもいいというのか」

口々に声がする。

北条は、小さく息を吸い込むと。

ライアーアートに入る。

もうその体勢には入っているから。

単にそのまま、言葉を相手に向けるだけだ。

「貴方たちは不運だった。 お金を稼ぐためだけに働きに行った人達の事よ。 でも、それは勉強不足もあった。 時代が時代だから仕方が無い、というのもあったかも知れない」

そう。

明治や大正の頃は、農村から人間が売られる事なんて当たり前だった。

当時は奉公とかいう名目がつけられていたし。

欧州で行われていたような奴隷によるプラント経営などよりはましではあったものの。それらの悲惨さは、プロレタリア文学で語られている。

当時の会社社長や金持ちは文字通り人権がない社会で。

人間をすり潰していた。

今のブラック企業と同じだ。

一時期は、そういった悪辣な企業は減っていたのに。

今はそれに戻ろうとしている。

「私達今の人間も同じよ。 ブラック企業にすり潰される不運な存在。 私も散々地獄を見て来たわ」

「それならば、どうしてこんな世界の存続に荷担する!」

「それは、今の私達のトップが、滅茶苦茶で、乱暴で、猫のグッズが大好きで、意味が分からない人だけれど、警察を改革してしっかりまともに働ける場所にしてくれたから!」

少なくとも北条は。

自分の意思で警察にいる。

怪異と戦っている。

この人達は、それさえ出来なかった。

時代が時代だったのだ。

そして今、時代はまた逆行しようとしている。

しかしながら、そもそもだ。

この剥製にされてしまった人達の中には。そんな時代さえ知らなかった人もいるはずだ。

農村で産まれたら売られるのが普通。

そんな風にして高安に売られて、哀れにも剥製にされてしまった人もいるのだろう。

そんな人が、今の時代にどうこうと口にするか。

あの世で怨霊同志で話をしたとでもいうのか。

違う。

此奴らはただのシャドウだ。

北条に攻撃するために作り出された、トラウマの塊。今まで出て来た連中と同じである。

だから、論破する。

「貴方たちはただの影よ。 貴方たちが本物で。 悪行をおかしていない存在だったら、此処にいるはずがない!」

「……」

無数の剥製にされた人達が消える。

だが、こんなもので終わる筈が無い。

次が来る。

次は、ふっと浮かび上がってくるビスクドール。

そう、あの呪いの復讐人形だ。

「どうしてあんな良い子が酷い目にあったの」

人形の言葉は悲しい。

それはそうだろう。

何一つ非が無いのに、殺人未遂は隠蔽され。娘は植物状態になり。加害者どもはみんな無罪放免。

「虐められる側が悪い」といういつの間にか拡がり始めた醜悪な理屈と。スクールカーストという邪悪な輸入物が。岩田麗奈という善良な子の人生を滅茶苦茶にしたのである。

イジメを行った側は、ニホンザルと殆ど同レベルの輩であり。

罪悪感の一つも感じていなかった。

文字通り、スクールカーストなどというものには百害あって一利もないと証明する事件だった。

あのようなものを持ち込んだ輩はそれこそ万死に値するし。

イジメを行い、反撃にあって殺されるような輩は内心ではざまあみろと思う。

むしろ虐めには厳罰を科し。

少年法など撤廃するべきだと北条も思う。

だが。

この人形は、そもそも此処にいるはずがない。

「岩田麗奈さんは、今は明日に向けて歩き始めている。 イジメを行ったクズ共はそろって地獄に落ちた。 家族だって、今は公務執行妨害に関する手続きはしているものの、二度と岩田麗奈さんと一緒にいられないわけではない。 虐めに対する司法は無能で、たびたびその惨禍を隠そうとさえする。 酷い場合には自治体ぐるみで隠蔽さえしようともする。 だけれども、今回は勝った! 勝ったの!」

「私が動かなければ、何もしなかったくせに!」

「貴方の存在は、とっくに把握していた! 私はむしろ後発で動かされたのよ。 いずれあの三人は、地獄に叩き落とされていたわ」

「……」

そうかもしれないと。

人形は動きを止める。穏やかに、ふっと目を伏せた。

「そうね、その通りだわ。 麗奈は助かり、あのカスどもは地獄に落ちた。 今は未来をみるべきね」

「少年法はいずれ必ず改正する。 弱い者だけが馬鹿を見る社会はいずれ必ず破綻するからよ。 幸い、今の私の世界にはそれが出来る人がいる。 私も出来るだけの事はするから」

「……頼むわ」

人形が消える。

だが、まだだ。

まだ、ラッシュは止まらない。

この地獄と言うシステムで、浄化され続けている悪霊共は。己が悪いと等欠片も思っていないのだろう。

だから地獄に落ちたのだ。

それなのに、それを不服と思っている。

だったら、永遠に地獄を彷徨っていればいいのに。

余程不満らしく、更に北条に悪意をぶつけてくる。

次は、グズグズに崩れた死体。

そう。受水槽にあった、あの人間シチューだ。

それが辺りにびちゃりと拡がった。

「俺は別に野心を抱いていた訳でもないし、何か分不相応に考えていた訳でも無い。 ただ静かに生きたかっただけだ。 だから周囲には自分がされたら嫌な事は絶対にしなかったし、仕事だって真面目にやった。 それなのに、どうしてささやかな幸福さえ得られなかったんだ。 教えてくれよ」

それは、今の世代の人達が。

誰もが抱えている怒りだろう。

分かりすぎるほどに分かる。

北条だって、あの人。元部長。大魔王がいなければ。

きっと警察の激務の中で、理不尽な仕事を続けさせられて。

最後にはすり切れて、壊れてしまっただろう。

人間シチューの人はそうだった。

善人だったことは、周囲の全員が証言している。

だが今の時代は、善人や聖人が生きていける世界ではない。それは人間シチューになってしまった人や、岩田麗奈さんの例が証明している。海の向こうで、学校でたびたび銃乱射事件が起きるのは何故か。

殺されるくらいなら殺してやる。

そうやって、爆発したからだ。

何故津山事件は起きたのか。

腐りきった村の閉鎖社会で、すり潰されるくらいなら、徹底的にやり返してやる。

そう三十人殺しを決意した男が考えたからだ。

スプリーキラーは多くの場合、発生させた周囲の人間の方が罪が重い。

それなのに、周囲の人間は一切反省せず。スプリーキラーを発生させた環境を是正しようとさえしない。

なぜなら、人間という生物が本質的にカスだからだ。

北条だって、分かっている。

「貴方は可哀想な人だわ」

「……」

「でも、貴方は善人で、此処にいるべきじゃない。 貴方は被害者よ。 そして、被害をクズ以外に拡大しなくてよかった。 貴方が殺した会社の役員達、どいつもこいつも余罪がボロボロ出てきたそうよ。 会社の社長に至っては、今は数人を自殺に追い込んだことも分かって、無期が確定しているわ」

「そうか……」

すすり泣く声が聞こえた。

ただ、小さくても良い。

幸せがほしかった。

真面目に働けば、幸せが得られると思っていた。

そう、その人は呟くと。

静かに消えていった。

抵抗が少しずつ弱くなっている。本質的な部分に訴えかけてきているが。しかし反撃するとすぐに消えている。

これは恐らくだが。黄泉比良坂の機能が、どんどん力を回復しているからだ。

それが、北条が行っているライアーアートが原因なのだとしたら。

言霊という奴なのだろうか。

ならば、奮起せざるを得ない。

いつも、怪異に対しては出来る事がすくなかった。

元部長が人外のパワーでぶん殴って黙らせたり。佐倉さんが叩き伏せたり。そういうのを見ているしかできなかった。

それなのにそれなのに。

北条が出来る事と言えば、ライアーアートで相手の動きを止め。相手を黙らせることくらい。

根本的な解決は出来なかった。荒事の処理は、いつも周囲がやっていた。

北条だって、強くなりたいのだ。

不意に姿を見せるのは、相川紬さん。そう、両面宿儺……ちがう。すくなに憑依されていた人だ。

当然のように頭が二つ生えている。

「どうして貴方が此処にいるの。 貴方は此処では無い場所に行ったはずよ」

「ああそうだろうな。 だが、俺はそもそもすくねと一緒に静かに暮らしたかっただけなんだけれどな。 それを思うと、今更ながらに腹が立ってな」

「それで私に何をするつもり? 今の貴方と話す事はないわ。 なぜなら貴方はすくねさんと一緒に、別の場所に旅だったんだから」

「そういうなよ。 頭にはこないか? 好き勝手に体を弄くり回されて、怪異兵器だかなんだかわからん代物にされて。 その挙げ句に、この異形と不便な体の形だぜ」

北条は無言で応じる。

静かに見つめる北条を見て、すくなは肩をすくめる。

「雑になって来ているわ貴方。 もう満足してこの世を去った存在を無理に引っ張り出してきても、私のトラウマなんて刺激できないわよ」

「ふっ、それもそうだな。 ……っ!」

何か言おうとした幻影だが。

四つの手が掴むと、引き裂いてしまう。

文字通り光の粉になって消えていく幻影。

二人の子供。屈強な角刈りの子供と。弱々しいけれど、優しい目の子供が見えた気がした。

そうか、すくなとすくねの本物。

助けに来てくれたのか。

ありがとう。

呟く。

或いはあれさえも幻影で。黄泉比良坂が力を増しているが故の存在だったのかもしれないが。

今は、すくなとすくねが助けに来てくれたのだと思う。

そう思うだけで、力が湧いてくる。

顔を上げる。

さあ、トラウマをつつくならやってみろ。北条紗希、もはや逃げも隠れもしない。

それは人間だから、人に見せたくないものなんていくらでもある。

どんな美人でも腹の中には糞便が詰まっているというが。

それは北条だって同じだ。

怪異は心の隙間に滑り込もうとしてくる。

それに負けてしまった人が、怪異になってしまったり。或いは怪異に操られてしまうのだ。

だが、北条はもはや地獄を見過ぎて鍛えられきっている。

だから、負けない。

「さあ、来なさい! 何でも出してきなさい! 私は負けないわよ! こんな怪異兵器なんか、上手く行かないって思い知らせてやるわ!」

「そう、それならこれでどうかしら」

一瞬だけ、絶息する。

それこそが、北条にとって最初の絶望。

歩み来たそれを見て、恐怖を一瞬でも感じたのは仕方が無いとは言える。

そいつの名前は、牧村早苗。

北条が最初にいた村。

そう、あの閉じ込められた地獄の村で。

最強最悪のシリアルキラーとして君臨していた、悪夢の女王だ。

看護師として存在した其奴は、数十人規模で養老ホームなどの人間を惨殺。

警察にも多大な被害を出し。

誰も彼もが彼奴に殺され。

北条自身も殺された。

北条は首を切りおとされ。

バラバラにされた体を、意識が薄れる中見せつけられた。

その後、北条は何度も何度も時間を遡らされ。

何度も何度も様々な方法で殺され。あの村で地獄を文字通り見たのだ。その最初の一人が、この牧村だ。

美しい人だったけれど。医療で身につけた人間解体の技術は文字通り天下一品。

かのゆうめいなジャックザリッパーなんて足下にも及ばない、最低最悪レベルのシリアルキラー。

ただ殺しが好きで、人間を殺して回ることだけが趣味だった最悪の悪魔。

たまに人間の中に産まれる最悪のバグ。

それが此奴だ。

「うふふ。 またバラバラに切り刻んで、体を見せつけてあげましょうか」

「貴方がそれを知っている筈が無い」

「……っ」

「貴方はあの後、地獄になった村で設定が切り替わったからよ」

そう。

あの村では、死んでいたのは北条だけではない。

文字通り皆殺しの憂き目にあってから、時間が引き戻されていたらしい。

それについては知っている。

恐らくだが、牧村もゾンビだかツツガムシだかに襲われて、ひとたまりもなく食い千切られていたはずだ。

だから、あの牧村は死んだ。

昔の北条の仲間のように。

だから、この場にいるのはただのシャドウだ。危険なシリアルキラーの姿を借りただけのシャドウである。

故に、恐怖はもう消えてしまっていた。

最初から、自分の正体を暴いてしまったのだから。

「滑稽ね。 もう貴方はただの影だと自分で話してしまったのも同じよ。 それに貴方のような穢れた魂、地獄の最深部で念入りに浄化されているでしょうしね」

「お、おのれっ……!」

手を伸ばしてくる牧村の姿をした奴。

拳銃はない。

だけれども、本物にはあらゆる意味で遠く及ばない。

それにだ。

北条は、無言で手を伸ばしてきた牧村をぶん投げていた。

確かに北条は弱いけれど。

此処まで相手が隙だらけなら。一応やっている柔道で、これくらいはできる。

地面に叩き付けられて、無様な絶叫を上げる牧村。

情けなくて言葉も出ない。

本物だったら、どれだけ恐ろしい手で殺しに掛かって来たか。こんな奴、全く恐怖の対象に値しない。

消えていく牧村の影。

顔を上げると、北条は次は、と叫んだ。

だが、その時には、既にあの霧の橋にはじき出されていた。

光の球が、直接話しかけてくる。

「ありがとう。 私に入り込んでいた邪悪な因子を予想よりも早く取り除く事ができたようだ」

「……」

「死んだ後も、此方に来るのでは無いぞ。 警官という仕事は何となく知っているが、最後まで誇り高くあれ。 道は照らそう。 急いで戻ると良いだろう」

周囲に叫ぶ。

纐纈警視。新美警部補。愛染巡査。

「そんな大声でなくても聞こえるぜ」

結構ボロボロの愛染が、足を引きずりながら来る。

纐纈が、新美に肩を貸しながら此方に来るのが見えた。

「片付いたのか」

「はい。 道を照らすから、戻るようにということです」

「振り返るなよ。 こう言うときは振り返ると引き戻されたり、塩の柱になったりするんだぜ」

「ああ、そういう神話が世界中にあるのね」

愛染の言葉ににっと笑い返す。

北条は険しい顔ばかりしていただろうけれど。

そういう風に笑う事も出来る。

確かに帰路らしいものが照らされている。

ボロボロの新美が、眼鏡を直す。

「大丈夫なんだろうな」

「大丈夫。 黄泉比良坂は間もなく閉じます。 だから、急がないと」

「……分かった、信じよう。 纐纈さん、僕は地力で歩きます」

「分かった。 心太郎、無理はするなよ」

纐纈から離れると、若干ふらつきながらも歩き始める新美。

振り返るな。その警告は本当らしい。

背後から泣きわめく声が聞こえてくる。

「こんな所いたくない! 出せ!」

「悪い事なんか誰だってやっているだろう! どいつもこいつも人間なんか同じだ! たった十人ぽっち殺したくらいで、なんでこんな所でずっと苦しめ続けられなければならないんだ!」

「お前らも死ね! 死ね! 死んじまえ!」

文字通りの負け犬の遠吠えばかりだ。

だが、それだけではなかった。

「頑張ったな。 情けなかった俺の分、いやそれ以上も。 これから、警官として頑張ってくれよ」

その声は。

そうか。

昔の相棒。荒事で何もできず、或いは錯乱してしまうことも多かったあの人。

此処にいたのか。

それはそうかも知れない。

だけれども、きっとそれほど重い罪ではなかったはずだ。

負け犬の遠吠えをかき消すほどに、その声は力強かった。きっと北条を本気で誇りに思ってくれているからだ。

さあ、いこう。

黄泉比良坂の出口が光となって見えている。もう、一日近く経過して、朝が来ているのかもしれなかった。

 

3、FOAFの壊滅

 

遺跡を出ると、其所には数人の武装兵が転がっていて。佐倉さんと、魔女先生こと如月先生がいた。

武装兵はアサルトライフルで武装しているようだったが。

交戦したはずの二人とも無傷だ。つまりアサルトライフルなんかこの二人には通じないと言う事である。

如月先生は、北条達が黄泉比良坂に入った後。佐倉さんと合流したのだろう。

やっと外に出たと思ったら、文字通りのげんなりである。

流石に纐纈も唖然としたようだった。

「まさか、素手で制圧?」

「あら、この程度の人数楽勝よ?」

「ここにいるのはほんの一部だ。 残りのほとんどは本部長がつぶして今はみんな警察に護送中だ。 まあそれほどやさしくは扱われないだろうな」

北条は顎が外れるかと思ったが。

まあこの二人なら、これくらいは出来て不思議では無いか。

すぐに黒塗りの護送車が来る。オフロード仕様のごっついやつだ。何だか胡散臭い人が出て来たが、佐倉は敬礼している。佐倉の上司に当たる人なのだろう。

「道明寺さん、これで恐らく武装兵は全てです。 周囲を確認しましたが、式神からの報告にもありません」

「予想より多かったけれども、ようやくか。 では運び込むのは此方でやっておくから、佐倉くんは皆を護衛して後に帰宅してくれ」

「イエッサ」

いつの間にか如月先生はいなくなっている。

まったく本当に魔女じみている人だ。

武装兵を黒塗りの護送車に放り込んでいく手慣れた感じの人達。警官のようだが、SATのような特殊部隊だろうか。

いずれにしても、もうこれでとくそうの仕事は終わりだ。

スマホに連絡が来る。

此処は多分電波なんか届かないはずなのだが。

「北条君、お見事だった。 元部長が、近々ボーナスを出すそうだ。 それととくそうのメンバーは全員一階級昇進で確定だそうだよ」

「それはありがとうございます」

ちらりと纐纈を見る。

今県警部長扱いの位置にいるのが金髪の王子で、彼奴は警視扱いだと聞いている。

そうなると、県警部長以上の地位になってしまうが良いのだろうか。

それとも彼奴も警視正に昇進するのだろうか。

どっちにしても嫌な光景である。

「あの、元部長……あの人も来ていたんですよね」

「ああ。 そもそも黄泉比良坂を無理矢理に閉じたのはあの人だ。 君達の活躍で、更に閉じる速度は上がったが」

「そう、ですか……」

「黄泉比良坂を力尽くで閉じるなんて、あの人くらいにしか出来ないよ」

まあそれもそうか。

神話でも、あの手のものは基本的に閉じないか。それとも主神クラスが閉じるのがやっとという代物である。

本当に化け物なんだなと思うが。

まあそれは良いだろう。

佐倉さんと一緒に歩く。

纐纈が、ぼそりと言った。

「お前達も見たのなら、話しておこう」

「! 良いんですか纐纈さん」

「ああ。 どうせ今後も長いつきあいになりそうだからな」

とくそうのボスは、タバコをほしそうに服の袖に手を突っ込んで。舌打ちをした。今は喫煙していない事は知っている。

それだけではない。

この人は妻帯者で。娘もいただろう事は、なんとなく今なら分かる。

「俺は元々本庁の捜査一課にいてな。 捜査一課でも次代のエースを期待されている人間だった。 優しい妻と娘にも恵まれた。 雑誌で取材も受けてな。 舞い上がっていたんだろうよ。 調子が良いことを抜かしていたよ」

その取材を見て、新美が憧れて警官になったと言う。

だが。

警官は万能ではない。

「俺の人生は順風満帆だった。 妻と娘が行きずりの犯人に殺されるまではな。 犯人が何者なのかも、まだ生きているのかさえも分からない。 いずれにしてもそれから俺はおかしくなった。 まともな成果も上げられないようになって、いつのまにかG県に左遷されていたよ」

ふっと笑う纐纈。

何もかもが、どうでもいいという感じだった。

「警官としてまともにやっていけるようになるまで何年もかかった。 そのうち心太郎が来て、憧れている何ていわれてな。 それでやっと警官としての魂を取り戻す事が出来た気がする。 後はお前達が知っての通りだ。 あの人が来て、無茶苦茶をやらかしまくるようになって。 振り回されているうちに、いつの間にかすっかりもとの調子に戻っていたよ」

「あんたも……大変だったんだな」

愛染が言う。

北条も同意だ。

佐倉に纐纈は頼む。時計は、黄泉比良坂に入った次の日の早朝を指していた。

「結局一日過ぎちまったが、俺は墓参りに行きたい。 皆を連れて一緒に帰宅してくれるか?」

「昨日が家族の命日だったので?」

「ああ」

「だったら僕も行きます」

愛染も、北条も頷く。

はあと嘆息すると。喪服も着ていない。ボロボロだと嘆く。だが、喪服なんてどうでもいいだろう。

家族にしてみれば、纐纈がきてくれた方が嬉しいはずだ。

喪服のデザインがどうのこうのとかぼやく方がおかしい。

変な作法に捕らわれて。

本来の目的である、死者を弔うことを後回しにする方が変なのだ。

愛染の車に到着。

佐倉さんは乗れないが、いつの間にかバイクを引いてきていた。そういえば魔女先生とは別行動していたようだが。これで此処にきたのだろうか。

なおごっついでかいバイクでは無く、普通のスクーターである。

てか、この山道をスクーターで上がって来たのか。

逆の意味で凄い。

無言で、墓場に行く。

警察に連絡は入れるが、本部長が手を回してくれたらしく、休みの申請が通っていると言う事だった。

更に言うと、昨晩事件は起きていない。

いや、それは窃盗とかそういうのは起きているが。

怪異絡みの事件とか、殺人事件とかは。少なくともG県では起きていないのが確定だった。

電話を切ろうと思ったが。

不意に金髪の王子が割り込んでくる。

最悪の気分になるが、そのまま話を聞く。

「黄泉比良坂に行ってきた気分はどうかね」

「最悪ですが何か」

「ふっ。 私もあの元部長にこの体にされてから最悪の気分が続いているが、同志が増えたようで何よりだ」

「はあ……」

何だかよく分からないシンパシィを感じられても困るのだが。

それに金髪の王子は、死刑も生ぬるい筈だ。本来だったら。

それが生きているだけでも感謝するべきだろうに。

「予想はしているかも知れないが、私は警視正扱いになって、引き続き県警部長の座に着くことが決まったよ。 まあこれからもよろしく頼む」

「……分かりました」

とことん嫌だが。

我慢するしかない。

それにしても、ずっと昔は。そう、学生時代にはイケメンとか大好きだった気がするのだけれども。金髪の王子はもはやモデルでも裸足で逃げ出すイケメンなのに。それでもはっきりいって嫌いだ。

イケメンに対する幻想を打ち砕いてくれたと言う事もあって、ある意味感謝すべき相手なのかも知れない。

白馬の王子様なんて幻想だという、いい見本だと示してくれたのだから。

最高の反面教師である。

いずれにしても今後、ツラで騙されて結婚詐欺に引っ掛かる事はないだろう。

墓に到着。花は早朝にも開いていた近くの花屋で購入した。

五人でそのまま墓参りをする。

東京の方から、此方に墓も移したらしい。

そのまま。黙祷をした。

纐纈は最後まで何も言わなかった。

だけれども、それで良いのかも知れない。愛情なんて、別に言葉を使わなくても伝わるのだから。

北条も黙祷する。

しばしして、纐纈が頷くと、解散をする。

解散した後は、それぞれ佐倉さんに護衛を受けて家まで送って貰い。

後は、睡眠をひたすら貪った。

恐らくだが、北条も自分が思った以上に疲れていたのだと思う。

まあ当たり前か。

あれほどの地獄を、また見せられた。

トラウマをまたほじくり返された。

だが、それでも眠る事が出来る。

人間は過度のストレスを受けると、壊れてしまう。

だけれども、北条の場合は、多分だけれども。

あのストレスから回復するための最高の処置を受けて。それからは、あの元部長の下で働くようになって。

少しずつ、ストレス耐性をつけていって。

それで今になって、過去のストレスを克服できたのかも知れない。

夢うつつの合間に、そんな事を思う。

もしそれが本当だとしたら。

それは良いことだったのかも知れなかった。

例えどれほどの惨劇の後の出来事だったとしても。

 

丸一日眠って。

そして翌日は、流石にすっきりした。

たった一日で、あれだけ激甚だったストレスが飛んだのだ。

体が若いと言うこともあるが。

それ以上に、やはり耐性がついてきているのだろう。

とくそうに顔を出す。普段は一番に来ている新美は、もう早速PCを叩いていた。

「北条が二番目か」

「そういえば纐纈さんより先に来ましたね」

「あの人は本当に疲れた時は僕より遅く来る。 ただそれでも遅刻は絶対にしないがな」

「……そうでしょうね」

あの人と秘密を共有した。

それでとくそうは、ますます強くなった気がする。

離れていた纐纈新美コンビと、北条愛染コンビは、チームとしての力が強くなった。

これで、ますます色々な事件に対応しやすくなるだろう。

纐纈は信頼してくれたのだ。

実績を出した北条を。

もしも、本部長が抑えてくれていたとはいえ。あの黄泉比良坂の中枢を、北条が押さえ込めなかったら。

被害が出ていたかも知れない。

あんな凶悪なトラウマを想起してくる怪異だらけの霧が広がっていたら。

それこそどんな事故が起きたか、分かったものではないからである。

ほどなく纐纈が来て。愛染も続く。

始業時間には勿論間に合っている。全員がそれぞれPCを起動し、業務を開始する中。纐纈が言う。

「どうやら一昨日の話は本当らしい。 近々辞令がくるそうだ」

「全員一階級昇進ですか?」

「ああ。 俺はたたき上げだから、警視正なんて昔だったら絶対なれない階級だったんだがな」

そう。

昔は、たたき上げの警官はどんなに頑張っても警部補どまりだった。

警察上層の階級は、昇進試験と権力闘争にうつつを抜かすキャリア達が独占していたものだった。

キャリア達だって、難しい国家一種を通って来ている人達だったのである。

本来だったら、頭が悪い筈が無かったのだ。

それが学閥だコネだで警察業務を疎かにし。

本来の仕事である犯罪の摘発よりも自分の事を優先し。

結果としてクズに成り下がっていった。

本当だったら、成果を出せていたキャリアもいたのかもしれない。

それなのに、現実と来たらどうだ。

末端の捜査能力は、この国の警官は世界でも屈指とまで言われていたのに。

上層部の無能さは目を覆うばかり。

これでは、旧軍と同じでは無いか。

それをあの人が。元部長がたたき直してくれた。感謝するしかないのかも知れない。いずれにしても、纐纈のような本当に出来る人が上層部に上がってくれた方が、警官はみんな動きやすくなる。

たたき上げ達だって、その方が良いはずだ。

一昨日の事件については、マスコミは一切報じていない。

多分百人以上の民間軍事会社の人間が、アサルトライフルを持って大暴れし。

下手をするとG県が全滅していたほどの危険な事態だった。

あの人の介入が遅れていたら、それだけで死人が街にあふれかえり。

数十人、もっと死人が出ていたかも知れない。

それほどの悲惨な状態だったのに。

あの人が介入して、粉砕した。

いずれ怪異は科学で解明される時が来るかも知れないが。現在ではまだ科学では怪異は解明できない。

だから闇に葬るしかないし。

とくそうのような部署が、命がけで対応するしかない。

苦々しい話だ。

そんな中、一つだけ目を引くニュースがあった。黒田邦雄という名前を見て、北条は思わずえっと呟いていた。

写真も出ている。間違いない。本人だ。

例の記者。この間顔を合わせた間宮ゆうかがまたしてもすっぱ抜いた、スクープ記事である。

連行されていく様子が、写真に撮られているが。

大手マスコミは当然黙りである。

「何だ、このオッサン知ってるのか」

「知ってるも何も……」

口を押さえる。

この人は。

そう、あの地獄の村で。北条の上司をしていた人物である。

いや、死ぬ所を何度も見た。

ゾンビが村になだれ込んできた時には、真っ先に噛まれてゾンビになったし。

他にも色々な方法で死んだ筈だ。

それなのに、どうして此奴は生きている。

いるだけで何の役にも立たなかった、典型的な無能上司で。纐纈とは完全に真逆の人種だった。

しばらく無言で写真を眺めていたが。

やがて気を持ち直した北条は、記事を確認していく。

「潜伏していた凶悪犯逮捕」。それが一面の記事だった。

それによると、この黒田容疑者は各地でテロ未遂を起こしていた凶悪犯で、警察を脱走してからは様々な大手企業とコネを持ち、悪事の限りを尽くしていたという。

最近では高安家に危険な薬物を多数納入。その際に、違法なルートをかなりの有名企業とつないで、高安の家に薬物を届けており。

また、複数人の個人情報をハッキングして盗み。

個人に流していたとか。

更に、である。

あるブラック企業に勤務していた人物に、自殺用の毒物を売りつけ。

それだけではない。

過去に壊滅したカルト教団の幹部達をまとめ上げ、復活に向けて動くように仕向けていた節もあるという。

これらで全てぴんと来た。

ここ最近の事件。

恐らくFOAFの幹部として動いていたのは、此奴だったのか。

いや、あの元部長の犯罪者となれば徹底的に叩き潰すやり口を思い出す。

此奴は他のFOAF幹部もろとも捕まった中で、もっとも露出をさせやすかった人間だったから。こうやって記事にさせたのでは無いのか。

いずれにしても、間宮ゆうかという名前は今ではそこそこに知名度が上がっており。

大手マスコミの新聞記事なんて見向きもされない今も。彼女が書いた記事はSNSなどですぐにトレンドになる程だ。

案の定、幾つかの企業が大炎上開始。

少し遅れて、謝罪会見が始まっていた。

同時に、警察による大規模家宅捜索も始まる様子で。

G県でも、かなりの捕り物が行われるようだった。

「我々は出なくて良いんですか?」

「もう手を離れた事件だからな。 声が掛からない限り良いんだろうよ」

若干投げ槍に、纐纈が北条に返してくる。

既にとくそうの皆が、この事件について確認していた。

「この会社、前から黒い噂がありましたが、ついに司法の手が入るんですね」

「……前は警察のキャリア複数と太いパイプがあった企業だ。 だがそれも、あの元部長が潰したからな。 必死にすり寄ろうとしていただろうが、まああの元部長にそんな手が通じるとは思えない」

「風祭が来るところ粛清の嵐が吹き荒れる、か。 元部長の大魔王伝説は更に加速しそうですね」

「別にかまわない。 あの人の改革で泣きをみるのは、外道悪党だ。 毎日を生きることに必死な人々はむしろそれで助かる。 警官としては犯罪者を捕まえるのが仕事だが、あの人の仕事はもっと上の所にある、ということだろうよ」

纐纈がコーヒーを淹れて飲み始める。

不意に、金髪の王子が部屋に来たので、全員が立ち上がるが。

ふっと奴は笑うのだった。

「鮮やかな手並みでの事件解決ご苦労だったな。 こんな汚い設備と最小限の人員で、まさか黄泉比良坂の最深部に仕掛けられた術式を潰すとは恐れ入った」

「何しに来やがったてめえ……」

「愛染」

纐纈がたしなめて。食ってかかろうとする愛染を抑える。

金髪の王子は嗤う。

それぞれのPCに映っているニュースを見ながら。

「私の所属していた組織が君達に「奴ら」と言われていた頃は、各地の大富豪や軍閥のボス、第三諸国の閣僚級や、国際マフィアのボスなどが幹部をしていたのだがな。 地方の作戦とは言え、その残党とはいえ。 まさかそんな小物が幹部扱いで指揮を執っていたとは、苦笑する他ない」

「あんたもこの作戦に噛んでいたんじゃないのか」

「残念ながら、そんな男は名前も聞いたことが無い。 だが北条。 君の関与した事件の時は失礼したな。 君は知らないだろうから教えておくが、あの時の事件は私の部下の失態だ」

思わず飛びかかろうとした北条を、今度は愛染が抑える。

金髪の王子は殴られようと顔色一つ変えないだろうが。

それでも此奴が関わっていた事が分かっていただけで充分。

拳銃を持ってきていたら、躊躇無く撃っていただろう。

それくらい、一瞬で頭が殺意に染まりきっていた。

「それでいい。 これからもそうやって、隙さえあれば私の頭を撃ち抜こうとするくらいの覚悟でいろ。 殺意と闘志を燃やせ。 君達がいるその部署は、怪異と戦うための場所なのだからな。 怪異を売り物にしていた私がいうのだから間違いない。 腑抜けていると死ぬぞ」

「好き勝手なことを……っ!」

「それでは失礼する。 私もあの大魔王には余計な事を言うとその場で消されてしまう身なのでね」

すっといなくなる金髪の王子。

荒い呼吸を整えながら、愛染の拘束を振り払う。

椅子に乱暴に座ると、頭をかきむしる。

あいつ。

そうか、あいつがあの村の事件に。

何度も何度も時間が巻き戻って、その度に様々な惨劇が起きた狂気の事件に関わっていたのか。

何となく分かってきた。

あの無能上司黒田は。ちょっとどの事件の時か分からないが。いずれにしても、いずれかの事件で死んだかのように見せて生き延びていたのだ。

それを奴らに拾われ。面白がって飼い慣らされ。

奴らが潰れて離散し、FOAFになっていく過程で。恐らくは末端の手下だったのが繰り上がり式に幹部になっていき。

最終的には地方で指揮を執るまでになっていたのだろう。

壊滅していく組織の中では、若い人間がやたら高位に着くことがあるらしいが。あのクズはそういうケースだったと言う事だ。

あの村での出来事でも、そういえば拷問を北条がさせられた時は。

あのクズが指揮を執っていた気がする。

元々サイコ野郎の気質があったのだろう。

あんな奴を被害者だと一時期でも考えていた自分をぶん殴りたい。北条はハラワタが煮えくりかえる思いだった。

電話が鳴る。

北条が促されたので、電話を取る。

手の震えを。怒りから来る震えを押し殺すので必死だった。

「北条君。 一昨日はお疲れだったね。 私だ」

「はい。 また事件ですか」

「いや、今回は事件では無いよ。 この間の大規模作戦で、FOAFは壊滅した。 黒田という男はあくまで前線に出ていただけの輩に過ぎないが、それでも壊滅は壊滅だ。 勿論奴らの残党はまだ世界中にいる。 そしてG県での実験実績が彼方此方に拡散している可能性もあるから、またG県で事件が起きるかも知れない。 今度奴らの残党がまたFOAFを名乗るか、別の名前で動くかは分からないがね」

そうか。

やはり、想像以上に闇が深い案件なんだな。

そう思って、北条は煮えたぎっていた怒りが静まっていくのを感じた。

「FOAFが潰れたとなると、我々は解散ですか?」

「いや、しばらくは隣の県も含めて、他でも起きる怪異事件を担当して貰う。 他の県警でもスペシャリストチームの育成はしているんだが、今後は相互連携が出来るように育成を進めて行きたいからね。 怪異の関わる事件は、君も分かっているとおり対処が遅れると途方もない被害が出る。 経験を積んだチームが絶対に必要なのだ」

「……分かりました」

「以降のことは追って沙汰する。 部下が更に入るかも知れないが、その時はその時で、また柔軟に対応してほしい」

通話が切れる。

北条は、電話の内容を皆に伝えるが。

誰も、怖れている事はないようだった。

「怪異というのは気にくわないですが、それでも警官として民間人の盾になるのは喜ばしい事です。 それに跳梁跋扈する悪党を叩き伏せるのは警官の役割だ。 今後もどうせうちには桁外れの悪党の捕り物の話が来るんでしょうし、対応するだけですよ」

「そうだな心太郎。 ならば、どうせ今日はもう時間は空く。 全員、少し体を鍛えるべく稽古をつけるか」

纐纈がにやりと笑うと、訓練室に移動するように全員に促す。

どうせ緊急事態が来れば、スマホで連絡が来る。

とくそうに常に貼り付いている必要はない。

柔道や剣道などの訓練が出来る部屋に移動すると。道着に着替えて、皆で柔道や剣道の練習を開始する。

纐纈は予想通り圧倒的に強い。

流石に男女で柔道はと思って困っていたら。

なんと特別講師で佐倉さんが来ていた。

出来すぎのレベルである。

だが、それでも稽古をつけて貰う事にする。

一応黒帯は北条も持っているのだが。それにしても、佐倉さんは向き合って見るだけで実力が次元違いなのが分かった。

確か柔道は、九段十段になると、赤帯という特殊称号が得られるらしいが。

それクラスではないだろうか。

文字通り、俊足で入り込まれて放り投げられる。駆け引きをする暇も無い。

受け身を取る余裕が出来るように投げられているのが分かる。

本来だったら、文字通り投げ殺す事も出来るはずである。

圧倒的過ぎる実力差があるとはいえ、これはちょっと頭に来る。

闘志が燃え上がる。

「それでいい。 もっと本気で掛かってこい」

「はい!」

この人は見た目と年齢が全く一致していないと聞いている。だから、ずっと年上の相手に胸を借りるつもりで挑む。

またぶん投げられる。そして、その日はぶん投げられ続けて終わった。

他の女性警官も、随分と揉まれたようだ。

そして徹底的に叩きのめした後、佐倉さんは一人ずつに、丁寧にアドバイスをしていた。

北条もアドバイスを貰った。

「挑んでいく度胸はいい。 後は目を鍛えろ。 柔道に限った話では無く、相手がどう動くかを見極めるんだ。 その後は目について行けるように反射神経を鍛えろ。 それが全てだ」

「分かりました!」

礼をして、それからとくそうに戻る。

愛染も新美も散々絞られた様子でくたくただった。あの体力お化けの愛染がへとへとになるのか。

世の中上には上がいると感心してしまう。

とくそうの部屋に戻ると、後は定時で解散する。

今日は定時で上がってかまわない。

他の部署でも、定時で上がる事が出来る部署が増えてきている。改革が進んでいる証拠である。

次の事件が起きるのはいつか分からない。

だが、それまでには。

少なくとも、生半可な犯人くらいは、一人で押さえ込めるようになりたい。

もっと強くなりたい。

そう北条は。

警官として、誰かを守るための力を欲していた。

 

4、後始末

 

案内されて、黒田の牢の前に出向く。

私、風祭純の顔くらいは知っているのだろう。

黒田は、私を見てひいっとわかり易すぎる声を出していた。まあそれもそうだろう。FOAFでは私以上に怖れられている人間などいない。

私が出て来たら逃げろ。

そう周知までされているらしい。

奴らの残党では、私の事を本物の高位悪魔か何かだと認識している者も多いらしい。

まあ人界の魔王たらんと思っているのは事実だし。

それでいい。

悪党に舐められるようではおしまいだ。

悪党には怖れられている方が良い。

地獄の獄卒が、どうして恐ろしい姿をしているのか。それは地獄に落とされるような鬼畜外道に舐められては意味がないからである。

地獄に落ちると、世にも恐ろしい存在に罰せられないと意味がないからである。

そういう意味では、ただの裁判官である閻魔大王が恐ろしげに描写されるのも、ある意味仕方が無いかも知れない。

警察の改革をほぼ終えた今。

次の改革は法曹だ。

まだ法曹の一部には、虐め殺された中学生の命に数百万とかあり得ない値段をつけるカスが巣くっている。

そういう連中を根こそぎ死刑台にジャーマンスープレックスする。

それが私の目標だ。

「あら純、遅かったわね」

「かごめか」

牢の前でさて黒田をどう締め上げようかと思っていると、聞き覚えのある声。長身でバタ臭い、昔からの仲間。

一応今では上司と部下だが、実際には盟友と言って良い相手。

賀茂泉かごめだ。

「こんな小物がFOAFの前線指揮官?」

「ああ。 ゆうかが捕まえてきた」

「ふふ、天敵が功績を挙げてどんな気分?」

「良い気分の訳がないだろう」

ため息をつく私と、くつくつと恐ろしい笑い方をするかごめ。

縮こまっている黒田に対して、部下をけしかけて、引っ張り出す。さて、どうするか。かごめが顎をしゃくる。

任せろと言うのだろう。

プロファイルの世界的権威であるかごめは、尋問のスペシャリストでもある。

まあここは任せるか。

「いざとなったら私がいつでも変わると伝えろ。 当然拷問のスペシャルコースつきだとな」

「分かっているわよ」

苦笑しながら、敢えて今の発言を聞かせた黒田についていくかごめ。

もう黒田は完全に失禁しているようだった。

実の所、私は勿論やろうと思えば出来るが、人間に対してはほぼ拷問の類はしない。怪異に対しては一切容赦しないが。それはそれである。

黒田はもういい。

他の幹部もあらかた捕獲したし、芋づるでまた相当に奴らの残党をしょっ引くことが出来るだろう。

大体はそのまま特殊な施設に護送して、永久に闇の中に葬る。

たまに使える奴は、逆らえないように措置をして、金髪の王子のように活用する。

それだけである。

自室に戻ると。羽黒と小暮がいた。

敬礼を受けるので、敬礼を返す。他の部下もいるからである。

ただし、他の部下がいなくなると、昔の皆に戻る。

「先輩、これで一段落つきましたな」

「ああ。 羽黒、法曹関係はどうなっている」

「今スキャンダルを引っ張り出しています。 何人かの最高裁関係者、それに弁護士を社会的に抹殺する準備を整えている状況です」

「人材は使えるなら使いたいが、膿を出すのも仕方が無い。 法曹の腐敗はこの機に一気に片付けてしまおう」

頷く羽黒。

小暮はそういうのは苦手だから、関わらせない。

小暮にはあくまでも、新人の抜擢をして貰う。

気が弱いがとにかく強い小暮は、人を見る目だけは誰よりも確かだ。多分私より優れていると思う。

観察力が高いのである。

今になって見ると、バディで組んでいた頃からそうだったかも知れない。

「後は法の改革だな。 適切な法が適切に運用されなければ、アルカポネが好き勝手をしていた時代と同じになる。 今の総理のケツを叩く準備をしておかなければならないが……」

「今の時点では、向こうに動きは見られませんね。 いずれにしても風祭に正面から喧嘩を売る勇気は無いでしょう」

「ふん、まあいい。 まずは法曹に注力しろ。 総理の尻を叩くのはそれからだ」

二年以内に。

奴らの残党を、この国から全部抹殺する。

その後は、奴らの残党が各国で蠢動するのを防ぐ。海外に人員を派遣して、各個撃破する。

奴らが一番暴れていた頃の被害を考えると、容赦は一切必要ない。

徹底的かつ、容赦なく叩き潰さなければならない。

そういう相手だ。

その時は、とくそうを出すかも知れない。

彼奴らは中々に有望だ。

「さて、仕事の話は終わりです。 賀茂泉警視監が戻ってきたら、皆でたまにいいものでも食べにいきましょう」

「ゆうかも来るのか……」

「それはそうです。 妹さんになるのですから、それくらいは我慢しましょう」

「はあ……」

気が重い。

彼奴だけは本当に苦手なのだが。

まあそれも仕方が無い。

出来る奴なのは事実だし。その上義妹にそろそろなるのだし。もう苦手苦手とは言っていられないか。

腰を上げると、食事に出向く。

いずれこの席に、とくそうのメンバーも呼びたい所だ。

この世に盗賊の類は尽きない。

だが、だからこそに。

警察は腐敗させてはいけないのだ。

魔王が必要なら魔王として君臨する。

それが風祭純が、大魔王と呼ばれようとかまわないと。決めている理由だった。

 

(終)