現在の両面鬼

 

序、暗闇の洞窟

 

北条は、現場に到着した時点で、これは大変な案件だなと一目で分かった。

いきなり佐倉さんが、不機嫌そうに腰を手に当ててその場にいるのである。更には、知らない人が二人いる。

北条と愛染、纐纈と新美のとくそう四人が訪れたのは、最近「重要な文化財」が発見された小さな洞窟だ。

此処に来るまでも色々大変だった。

まず本部長から連絡が来て、指定の地点に向かうようにと。

更には、指定の地点がヘリポートで。

其所には、なんと自衛隊のヘリと金髪の王子が待っていたのだった。

四人で金髪の王子と、武装した自衛隊員と一緒にヘリに乗り。

空気が最悪な中ここに来た。

なお、途中で愛染と金髪の王子がヒバゴンがどうのこうのという話をしていたのだが。

既にヒバゴンは捕まえたと金髪の王子がさらっと答えていたため。流石の愛染も絶句していた。

まあそれはそうだろう。

なお金髪の王子は、此処にとんでも無いものが封じられていて。それが解き放たれると大変な事になると言った。

此処は飛騨の近く。

G県の北部に当たる地域で、山深いG県でも特に山奥にある場所だ。この辺りは土地自体が要塞と言う事もあって、戦国大名姉小路氏が割拠した場所でもある。

この辺りには伝説があるという。

公的な伝承では邪悪な悪鬼とされ。

地元では朝廷に反抗した英雄として讃えられる存在。

通称、両面宿儺である。

愛染が軽く話をしてくれたが、人間を二人背中合わせにくっつけたような姿をしていた鬼で。

いずれにしても、朝廷に抵抗した昔の人。いわゆる山の民だったのかも知れない。そういった存在が、神格化されたのはほぼ間違いないそうだ。

元々はあからさまにオカルトではないこともあってか、むしろ歴史の授業に近い。だからか、新美も反発しなかった。

大和朝廷が日本を統一するまでには、様々な苦労があったのだが。

その戦いの痕跡は、国譲りの過程で、天津神と国津神が争うという形で古事記などにも記されている。更には、常陸国風土記などの書物では、いわゆる「まつろわぬ神々」というような、朝廷に逆らう神々の記載もある。

日本という国の形が固まった後も、各地では、山の民と呼ばれる不思議な人々が実在していた。

江戸末期には二十万人ほどが存在していたらしい。

これらの人々の正体には諸説あるが。はっきりしているのは、修験道などに強い影響を与え。

更には、河童や天狗、鬼などの妖怪のルーツにもなり。

忍者などにも関係が深い、と言う事だ。

いずれにしても、洞窟を見ると人が出入りしている跡がある。

人の良さそうな女性が出て来たので、話を聞く。

勿論手帳も見せる。

そうすると、女性は礼をして、丁寧に名乗ってくれた。

「相川紬です。 此処の遺跡の調査作業をしています。 貴方方は」

「警察の……」

とくそうの四人がそれぞれ名乗る。

その後、知らない人達も佐倉さんも名乗った。

「佐倉智子だ。 そこにいる三流記者の護衛役だ」

「はい、間宮ゆうかです」

聞き覚えがある名前だ。

ふふんと胸を張るゆうかという人。

ひょっとするとこの人が、あの。

時々大事件をすっぱ抜いてくる、警察でも噂になる人か。

見た感じ、北条より少し年上に見える女性だ。佐倉さん同様スポーティーな格好をしていて。動く事に特化している印象だ。

ふふんと自信満々の笑みを浮かべているが。

佐倉さんと比べると、雰囲気が女性っぽい。何となく、隣にいるむっつりと不機嫌そうな男性と関係が感じられる。或いは恋人かも知れない。

咳払いすると、佐倉さんが言う。

「間宮は新聞記者だ。 危険な仕事も多くて、護衛が必要でな。 私が護衛をしている」

「はあ……」

「霧崎水明だ。 民俗学者をしている」

黙り込んでいた男性が自己紹介をする。

学者か。

その名前を聞いて、ぱっと相川の顔が明るくなる。

「ああ、貴方が。 やっと来てくれましたか」

「ミイラの鑑定、それも年代物ときているからな。 警察なら科捜研も呼ぶべきだと思うのだが」

「よく分かりませんが、警察には通報しました」

「ああ、そういう……」

霧崎さんが此方を見る。北条は背筋が伸びる思いだったが。すぐに視線を外された。

佐倉さんが一緒にいる時点で、この二人はカタギではないだろう。

特に間宮ゆうか。

本人だとすると、近年凄いヤマをバンバン上げているという凄腕だ。三流新聞が潰れずにいるのも、この人が大手新聞でもすっぱ抜けないような記事を書いてくるからだという話もある。

それでいて潰しに掛かられないのも、何かコネがあるからという噂があるが。

いずれにしても、北条には分からない。

ともかく、洞窟の中に案内される。照明設備などが既にあるようで、ブルーシートも敷かれていた。

大学の研究チームがここに来て研究をしているらしい。

相川が声を掛けると、何人かが出て来た。

年配の男性。これが教授らしい。国木田瑞樹というそうだ。

霧崎が名乗ると、あああなたがと笑顔で握手を求め出る。強面の霧崎は、それを無言で受けていた。

若い女性がいる。多分この人がナンバーツーだろう。厳しい雰囲気の、何もかもに。自分にも他人にも容赦しないタイプに見えた。

「堤明香里よ」

後は若い男性と、中年の男性。若い男性は院生。中年の男性はボランティアという事らしい。

まず若い男性が名乗る。精悍で誠実そうな男性だ。

「八重樫郷だ。 よろしく頼む。 此処には研究チームの一人として参加している」

「島津文彦だ。 ボランティアでね。 遺跡マニアが高じて、こんな所で働いているんだよ」

そうして中年の男性も名乗る。どうも胡散臭い雰囲気だが。まあ、それはそれである。

自己紹介が済んだところで、それぞれが動く。

金髪の王子の言葉を信じる限り、此処ではろくでもない事が起きていると見て良いだろう。

愛染がぼやいた。

「それで一体こんな所で何を見つけたってんだ?」

「両面宿儺のミイラですよ」

「はあ!?」

流石にとくそうの全員が声を上げる。相川が苦笑いしていた。

元々この洞窟は何かあるらしいということで、前から大学の調査チームがいたらしいのだが。

まさか、先に話題に出る神代の存在が出てくるとは。

「ちょっと待ってください。 いくら何でも、もし本物が存在していたとしても、最低でも千年以上前の人物となりますよね」

「ええ、もしも朝廷に逆らった人物が妖怪化されたのだとすれば、そうなるでしょうね」

「そもそもどうして両面宿儺であると?」

「それは実物を見ていただければ分かるかと思います」

自信満々の相川。

何というか、嫌な予感しかしない。

それにだ。

何か、相川に対して、さっきから佐倉さんがじっと嫌疑の目を向けているのである。

ろくな事が起きる気がしないのだった。

霧崎先生は先に行ったっきり。

ゆうかさんは手慣れた雰囲気で取材を始めている。

警察としては警護以外にする事がない。

まずは相川さんに、地図を出して貰う。警護をするには、それがスタート地点になるからだ。

そうして、地図を見てうっと呻く。

此処はどうやら元々自然洞だったらしく。

複雑怪奇極まりない、文字通り何かの生物が巣穴として掘ったような有様になっているからだ。

しかも彼方此方立ち入り禁止と書かれ、以降の道が途絶えている。

これはほぼ、監視は無理と言って良い。

纐纈が渋面を作る。

そして、無言で此方を見た。

厳しい任務になるから覚悟するように。

そう無言で言われているのは分かったので、頷く他無い。

今回は佐倉さんが最初から来ている事からも分かるように、本当に何が起きるか分かったものではないのだろう。

金髪の王子にしても、ここに来るまでに敢えて話をはぐらかしていた事からも。

或いは、此処に何者がいるのか。

本当に両面宿儺がミイラ化して眠っていて、それで襲ってきたりするのかとか。

そういう事は分からないのかも知れなかった。

佐倉さんに耳打ちする。

「最悪の事態を想定したいんですが、もしも妖怪両面宿儺が出て来た場合は勝てますか?」

「本物の両面宿儺だったら普通に勝てる」

「はあ」

「神格化されてはいるものの、元はただの人間だ。 対抗する手段なんてそれこそ幾らでもある。 お前達が言う元部長だったら一撃で木っ端みじんにしているだろうし、私だってそれほど倒すのは難しく無い」

そうか、それはよかった。

胸をなで下ろす北条だが。

甘いと言わんばかりに、佐倉さんは続ける。

「問題は此処にいるのが両面宿儺では無い場合だな」

「そんな可能性があるんですか?」

「頭が複数存在する神は別に珍しくもない。 インド神話では幾らでもいるし、仏教でもしかり。 西欧圏でもローマ神話のヤヌスという神格が該当する。 他にも類例はいくらでもある」

なるほど。

インド神話系の神々なんかは確かにその通りだ。

それに仏像の中には顔が幾つもあるものも確かに多い。

そういった神格が、昔実在した人をモデルにしていたのかは分からない。ただ強そうだという理由で、顔を増やされた可能性も高い。

いずれにしてもはっきりしているのは。

まずは正体を確かめることが大事、というわけだ。

霧崎先生という民俗学の権威が来ていると言う事は、恐らくだが大学で研究するレベルのものであったのだろうという事は分かるのだが。

一方でとくそうに声が掛かってきていると言う事は。

つまりそういうことなのである。

今のうちに、何が出ても対応出来るようにしておかなければならない。

とりあえず現在いる人については、顔と名前を把握した。

見た感じ、ツートップの体勢になっていて。

国木田と堤が、年齢は離れているが互いにかなり厳しい目線で対立している様子だ。

早い内に人間関係も確認しておいた方が良いだろう。

それによると、色々と分かってくる。

まず相川だが、国木田とはかなり関係性が良いらしい。出来ているのでは無いかと言う噂すらある様子だ。

そしてその相川に対して、八重垣が基本的に静かに寄り添っている。

八重垣は基本的に相川に対して同情的で、話す際も悪くは一切いわない。

島津は、これは腹に一物あるというのが一目で分かる。

ボランティアらしいが、本当かどうか。

一応調べて貰うが、ボランティアを募集して発掘活動をする事は珍しくもないそうだ。

人間関係を軽くまとめてきて、皆で共有する。

ゆうかさんも混じるが。

それに対して、纐纈は何も言わなかった。この人が恐らくは元部長の関係者だと把握しているから、なのだろう。

「なるほど。 そうなると、堤さんは孤立していると見て良いでしょうか」

「そう見て良さそうだ。 学生である相川と八重垣は国木田派。 そうなると、相川に厳しく当たるのも当然かも知れないな」

「とりあえず全員、この関係性を記憶しておくように」

「はい」

島津には注意しろと、纐纈は指示。

それについては、全員が頷いていた。

まあ、この状況。

関係者が一番危険なのは馬鹿でも分かるが。

ボランティアを自称しているが、どうみても考古学については素人である島津が混じっていて。

平然としている様子からして。

何か目論んでいるのは、ほぼ確定と見て良さそうだった。

しばらくして、霧崎先生が呼びに来る。

期待に目を輝かせている国木田。しらけた様子だが、それでも一応興味がありそうな堤。二人が鑑定結果を期待している様子だ。

どれどれと、北条も覗かせて貰う。

そこには、ミイラが確かに存在していた。

ミイラと言っても、古代エジプトのもののような、包帯でぐるぐるまき、という奴では無い。

水分が足りない状態で人間が死に、虫などにも食われずに風化しない条件が整った場合。人間の死体がかなり良好な状態でそのまま残るケースがある。

これがミイラである。

多くの場合からだが死蝋という状態になっていて。

また古い時代には、薬として使われることもあったらしいという話は聞いたことがある。

いずれにしてもグロテスクなものではない。

見ると、胴体一つ。腕足四本ずつ。頭が二つ。

伝承にある妖怪両面宿儺と同じ条件は揃っている。

揃っているのだが。

霧崎先生は、期待に胸を膨らませる教授と助教授に、厳しい現実を突きつけていた。

「これはせいぜい百年も経っていない代物ですな」

「な、なんだって……!?」

「事実です。 見てください。 この辺りの状態などからそれが推察されます」

死体の一部を差して、状態が良すぎることを指摘。

もしも伝承にある両面宿儺なら、どんなに甘く見積もっても最低千年は前の代物の筈。

つまりこれは、明治くらいのミイラだという事である。

纐纈が咳払い。

霧崎先生が頷く。

「ということは、最近殺された誰かのものではない、ということにもなりますね」

「ああ、それは確定だ」

「分かりました。 それでは以降は警察にて現場を保存……」

「ま、待った!」

国木田教授が青ざめて、纐纈を制止する。

完全にパニックになっているのが分かった。

「も、もう少し調査をお願いします。 今回のこのプロジェクトは、教授としてずっと念願だったものなんだ。 そもそもどうしてこんなミイラがあるのか、自分としても確認したい! だから……」

「落ち着いてください国木田さん。 学者はその場にある現実を客観的に分析しなければならない。 それは民俗学でも同じです。 私は民俗学者として、これは少なくとも百年前後しか経過していないミイラだと断言します。 貴方は学者として、このミイラの正体を探るべきだ。 両面宿儺と呼ばれた人物のものではないにしても、この辺りにある出土品とともに見つかったのでしょう?」

みると、周囲には多数の出土品があるが。

はて。

剣だの矛だの弓矢だのがあるけれど。

どれもこれも真新しくないか。

相川さん、と霧崎が呼ぶ。

はいと答えて、背を伸ばす相川。

この人も研究室の学生だろうに。何というか、こんな場に居合わせてしまって大変だと思う。

「此処にある出土品は全て本物と言う事で間違いないですか?」

「ええと、本物というのは」

「此処で発見されたものか、ということです」

「はい、それは間違いありません……」

相川がしゅんとするが。

それに対して、霧崎先生は更に厳しい事実を突きつけた。

「よく見て欲しい。 最低でも千年前、場合によってはもっと更に前のものであろう武器が、こんなに綺麗な筈がある訳がない。 例えばこの巨大な弓矢だが、構造的に千年前のものではない」

弓矢というものについて、霧崎先生が知識を披露する。

弓矢でやはり一番有名なのはモンゴル軍だが。彼らが強力な弓矢を開発できた理由としては「膠」の改良があるという。

要するに強力な接着剤を作り出す事により、合板を強力にし。それにより、凄まじい破壊力と飛距離を持つ弓を作り出す事が出来た。

更に当時のモンゴル兵は平均視力が3とも4とも言われており。

それらの圧倒的視力から繰り出される上、縦横無尽に走り回る馬上からの凶悪なスナイプが、世界中を血に染めたのだ。

日本でも大弓というのは大体似たようなもので。

改良に改良が重ねられた結果、現在のような形式になっている。

これは近年作られた弓だと、霧崎先生は断言していた。

絞め殺された鶏のような声を上げる国木田教授。

視線をそれからそらす堤。

「これらは百年も経過していないかも知れない。 いずれにしても新しすぎる」

「わ、我々がこの現場をねつ造したと!?」

「そうは言いませんよ国木田さん。 ただ、このミイラがこの姿のまま見つかったのだとしたら……百年ほど前に、誰かが此処にこのミイラを運び込んだ挙げ句。 こういう滑稽な武器なども運び込んだという事になるでしょうな。 恐らくそうなると、大学の調査ではなく、警察の調査が必要になってくるでしょう」

「……」

国木田が膝から崩れ落ちる。それを相川が慌てて支える。

完全に視線が彷徨っている様子で、見ていて気の毒になってしまう。

ゆうかさんがメモをしているが。佐倉さんはずっと厳しい視線のままだ。もう何か怪異がいるなら、動き始めているのかも知れない。

一旦、戻って休止とする。

洞窟の途中には複数の部屋が存在していて、それらが休憩室になっている。四つくらいの部屋があるので、男女でそれぞれ別れて休む事にするが。

先に警告される。

「秒でも早く一旦この洞窟を出た方が良い」

「佐倉さん?」

「あれをみろ」

佐倉さんが指さした天井からは、ぱらぱらと砂が落ちている。

それを見て、国木田教授は顔色を変えた。

「天井が……!」

「ああ、いつ崩れてもおかしくない。 というか、良くこんな所で脳天気に調査なんかしてたな。 土木業者を呼んで補強するべきだ」

「!」

次の瞬間だった。

逃げろ。

誰かが叫ぶと同時に、天井が轟音と共に崩れる。

凄まじい崩落の音。

北条は頭をとっさに庇っていたが。

それ以降、何が起きたのかは分からなかった。

 

1、崩落した洞窟の中で

 

呼ばれている。

そういえば、昔。ある村で巡査だったころ。

兎に角酷い場所だった。

役にも立たない上司。あいつは本当に、ただいるだけの人物だった。そして荒事担当の相棒。あいつも、何かに勝てた試しが無かったし、錯乱してばかりだった。

そう、北条は昔の記憶の中にいた。

何度も何度も繰り返した悪夢の村。

時に誰かの性別が代わり。

時に誰かの立ち位置が完全に変わり。

ある時は善人になり。

ある時はシリアルキラーになった。

北条は繰り返す悪夢の中で、悪霊に襲われゾンビに襲われ、スナッフムービーの撮影に巻き込まれ。謎の寄生虫の大群に襲撃され。拷問を強要され。或いは発酵食品にされかけた。

そんな悪夢みたいな地獄の中、北条は部屋に閉じこもることに成功。

内側から鍵を掛けて、どうにか悪夢が去るのを待った。

悪夢は、死んでも逃れる事を許してくれなかった。

拷問されて殺された事は、今でも北条の身に染みついているし。

強要されて拷問を行った事もしかり。

今でも、時々こうして夢に見る。

そして悲鳴と共に飛び起きるのだ。

目が覚めて、飛び起きる。慌てて飛び退いたのは、愛染だった。

「無事か? 意識はあるか?」

「ええ、何とか……。 頭をうったりはしていない?」

「俺の方は大丈夫だ。 お前はとっさに頭を庇ったのが幸いしたな」

見ると、右腕に手当がしてある。石がぶつかったのだろう。そこで転んで、気絶したというわけだ。

他のメンバーを確認。

点呼をするが、今の時点では全員がいる。一人も、崩落に巻き込まれたものはいないという事だった。

ゆうかさんが、ひょいひょいと身軽に瓦礫の中を歩いて、状況を確認してくれている。

「こりゃ内側から掘り出すの無理ですね。 どうします、先生」

「他に出口は」

「……この洞窟の内部には河があります。 其所を降れば或いは」

焦燥しきった様子の国木田教授が言う。

まあ、それはそうだろう。

そもそも、である。

この人はライフワークだというような事を言っていた。

両面宿儺の研究が、だろう。

そして、それらしきものが見つかったのだ。

だからこそに、文字通り全てを賭けていたのだろうに。

それなのに、見つけたものは精々百年前のミイラだという話が出て来て。更には服飾品も偽物。

むしろこれは考古学案件では無く警察案件と、本職にはっきり言われたら。

それは口から魂が出てしまうのは無理も無い事だとは言えた。

昔、土器に関して神の手と呼ばれる人物がいた。

その人物は、自作した偽物の土器を彼方此方に埋め。

それを発掘して、自分で歴史をねつ造した。

今でもその行為のせいで、日本の縄文時代研究は足踏みを続けてしまっているのが実情である。

神の手とまで呼ばれる人物でさえ、そういうような行為に手を染めてしまうのが学問の世界だ。

この教授が、ミイラをねつ造したとはいわない。

だが、そもそもである。

百年程度前と言えば、明治時代か、或いは大正時代だ。

そんな時代に、ミイラになるような苦行をしたり。こんな所に原始的に見える武器だのをおいたりして。

何の意味があったのだろう。

思わず小首をかしげてしまう。

「ともかく此処からは行動をそれぞれ手分け……」

「いや待った」

纐纈の言葉を佐倉さんが遮る。

既にいつもの、怪異と争うときの鋭い声になっている。

要するに、今はかなり危険な状態だと言う事だ。

「今の天井の崩落、人為的に起こされたものだと私は思う」

「なんだって……」

「見た感じ、土木業者が入った形跡がある。 だが、あの天井だけはどうも様子がおかしかった。 後天的に誰かが仕掛けをしたんじゃあないのか」

「……」

纐纈が見る間に顔を険しくする。

意味は即座に理解したのだろう。

更に佐倉さんは言う。

「危険を知らせた声、あれ誰だ」

「誰って……」

「私は仕事柄その場の全員の声を把握している。 あの声は男の声だったが、この場にいた全員の誰とも違った。 つまりまだ誰かいると言う事だ」

「なるほど、それでは人員を分けるのは危険だな」

纐纈が頷く。

そして、一旦崩落が起きそうな所に、すぐに持ち込んでいたテープを貼って立ち入り禁止とする。

そして、まずは順番に国木田教授に話を聞き始めた。

「此処の調査について、大学はどれくらい把握していますか?」

「どういう意味です」

「連絡が途絶えれば様子を見に来ます。 救援が来るのはその後でしょう」

「ああ、そういう事ですか。 それであれば、一週間おきに定時連絡を入れていましたので。 最後に連絡を入れたのは……相川くん、いつだったかね」

大丈夫かちょっと不安になったが。

学生の方は、頭が若いからか案外しっかりしていた。

「三日前です」

「そうだそうだ、三日前だった」

「では、四日後ですね。 水と食糧の備蓄について新美、確認してくれ」

「分かりました」

すぐに新美が動く。

堤が口を出そうとするが、纐纈がぴしゃりという。

「今は此処を全員で生きて脱出するのが先決です。 それには指揮系統を一本に絞った方が良いでしょう。 余計な口出しはお控えください」

「あんた、何様の……」

「私は警官で、貴方たちの命を守る義務があります。 そして今は緊急事態だ。 だから指示には従ってください」

「……っ!」

元々非常に我が強そうな堤だ。

苛立ちをあからさまに顔に出したが。勿論纐纈は一歩も引かない。まあヒステリックにキャンキャン騒ぎ出すよりはマシか。

いずれにしても、纐纈に分があると判断したのか。

それで堤は黙ってくれた。有り難い話である。

「携帯の電波は通じないと。 警察無線も駄目だな……。 ひょっとするとLANケーブルが生きているかも知れない。 すぐにPCを確認してください」

「わ、分かりました」

八重垣が動くが。

バッテリー式のノートPCを操作するが、どうも電波は外に届かない様子だ。

まあそうだろうなと思う。

あの崩落では、ケーブルも潰れてお釈迦になっているのが普通だ。

纐纈はそれでも動じない。

「霧崎先生、間宮さん」

「はい」

「はーい」

「後で頼む事があります。 二人は後で来てください。 愛染、北条」

今度は呼ばれた。

頷くと、前に出る。

「愛染は男性陣、北条は女性陣と共にいろ」

「おう」

「分かりました」

頷いて、意味を悟る。

監視しろ、と言う事だ。

佐倉さんが言ったように、誰かがこの崩落を引き起こしたというのなら、それに関わっている可能性が一番高いのは今此処にいる人達だ。

ならば下手に動かれるわけにはいかない。

ただそれだけの話である。

新美が戻ってきた。

食糧は二日分程度しかないという。水に関しては四日分ほどあるそうだ。

「それは幸いだな」

「ええ」

理由は分かる。

人間が致命的な状況になるのは、水が不足したときである。

実の所、食糧の方は、動けなくはなるが食べなくてもちょっとやそっとでは死なない。しかし水がないのは非常に致命的で、無くなった場合死が即座に見えてくる。

今回、四日ほど耐えればレスキューが来る可能性が高いのだ。

ならば、その時間分耐えれば良い。

ただし、もしもさっきの崩落を起こした犯人がいるのであれば。

その犯人が次に狙うのは、確定で水と食糧の汚染だろう。

纐纈が新美には、水と食糧を定期的に確認するように指示。これについては堤が反発しようとしたが、纐纈が一睨みで黙らせる。

今は緊急時だ。

さっきの言葉を発したときと、同じ目つきだった。

流石にどんだけ気が強かろうと、修羅場を嫌と言うほどくぐってきた歴戦の警官が相手ではどうにもならない。

年も下の北条とかが相手だったら兎も角。

纐纈が相手では、どうにもならないだろう。

一旦その場を解散して、それぞれの持ち場に着く。さっそく堤が食ってかかってきた。

「後から来て仕切るってどういうつもり?」

「今は緊急時ですので」

「巫山戯るんじゃないわよ! そもそも私はこんな研究、最初っから嘘っぱちだと思ってたんだけど!」

それはまた随分な。

要するに国木田教授の研究に懐疑的だったと言う事か。

「両面宿儺の伝説にモデルがいるというのはまあいいわよ。 可能性はないとはいわないわ。 でもその遺物が丸々残っているわけないでしょうが。 馬鹿馬鹿しい」

「はあ……」

「まつろわぬ神々の一柱と言ったら、下手したら千数百年前よ。 あんなミイラ、偽物だって専門家でなくても一目で分かるでしょうに。 それがあの教授、自分の理論が証明されたと思って舞い上がって……!」

ふと気付く。

相川の視線が少しおかしかった。

堤に対して、凄まじい怒りが一瞬浮かんだのだ。

それだけではない。

相川を、じっと佐倉さんが見ていた事を思い出した。

何かこの人にはあると判断して良いだろう。

佐倉さんが来る。

耳打ちされた。

「これからゆうかと霧崎さんで、脱出口を探す。 此奴らにはその話はするなよ」

「あの二人、手練れなんですか」

「ゆうかのアホは昔はそうでもなくて、私が基本的にバディとして守ってたな。 あいつは昔はあんた以上の怪異ホイホイで、良く生きていたもんだというくらいの存在だったからな」

へえ、そうだったのか。

だけれども、何というかとても気安い関係に見える。

その辺りは、聞かない方が良いだろう。

「それで、そんな人を一人にして大丈夫ですか?」

「今彼奴が私と組むときは、余程の弩級怪異が出る場合だけだ。 はっきりいってアサルトライフル持った特殊部隊員でも数人なら制圧出来るよ。 霧崎先生の実力は更にそれより二枚上手だ」

「えっ……」

「修羅場をくぐった数と鍛錬が違う。 普通の新聞記者が、あれだけ色々すっぱ抜いたら、本来だったらもう何処かに沈められるか埋められてる。 そういう事だ」

ああ、なるほど。

それも確かにその通りだ。

あの間宮ゆうかという記者は何者なのかという話は、昔から確かに良くされていたのである。

言われて見れば納得出来る。

それに佐倉さんの様子から見て、あの元部長。大魔王とも関係があるのだろうし。色々とお察しだ。

「それと私が残った理由は分かるな」

「犯人に対抗するため、ですね」

「その通りだ。 さっき調べたが、天井に対して凄まじい力で岩を投げつけた跡があった」

「!」

そんな力業で、あの崩落を引き起こしたのか。

だとすれば、それが出来るという事は。

まあ、怪異が入っているということだろう。

もう一人が隠れている可能性もある。

いずれにしても、戦闘力がない人間は放置出来ない。佐倉さんが残るのは妥当な判断だと言える。

「とにかく、お前はこの二人から目を離すな。 私は怪異の正体を探る」

「分かりました」

ちなみに、愛染と纐纈、更に新美には情報は共有済だという。

なるほど、頼りになる。

この人も、修羅場のくぐり方が違うのだろう。北条も鍛えてはいるのだが、はっきりいって怪異がらみの現場では力の不足をいつも感じてしまう。

だからこういうレベルの人がいるのは本当に助かる。

堤助教授は恐らく毒気が抜かれたのか、完全に黙り込んでいる。

相川もバツが悪そうにしていたが。

堤助教授は言う。

「トイレ行ってくるわ」

「時間を指定します。 それまでに戻ってください」

「何よ、犯罪者として扱うつもり!?」

「さっきの話、此方での調査の内容です。 あの崩落、人為的に起こされたことがはっきりしました」

流石に絶句する堤。

更に、念押しする。

「要するに貴方方の中に犯人がいると言う事です。 計画的に崩落なんて、後から来た我々には無理ですので。 その犯人が何を意図しているかは分かりませんが、こんな閉鎖空間を作ったと言う事は、ジェノサイドを意図している可能性も低くありません。 警官が四人もいる状態で計画の実施を進めているという事は、警官がいても出来る自信がある可能性もあるかと」

「……」

「命に関わります。 生理反応は仕方がありませんが、出来るだけ急いですませてください」

「分かったわ。 確かに貴方の言う通り危険なようね」

堤という人は綺麗な人だが。

それにしても棘が強すぎるような気がする。

トイレにいく事を外に告げると、新美が立ち会う。外では新美がトイレなどの用事がある人に立ち会うことにしている。更に遊撃として纐纈が控えている。場合によっては佐倉も駆けつけてくる。

愛染も男性を見張っているが。愛染は元々かなり腕っ節が強く、素人数人だったら遅れを取らないだろう。

若い八重垣はかなり屈強そうに見えたが。

それでも無理は無理だ。

相川と二人きりになったので、聴取を進める。

「相川さん。 今回はどうしてこんな山奥に」

「元々国木田先生は、彼方此方をしらみつぶしに探しているんです。 特に飛騨の伝承には興味が昔からあったようで、両面宿儺を探すのはライフワークだと。 それで今回の洞窟に来て……」

「こんな自然洞に?」

「いえ、この洞窟は前から人の出入りがあって、何かあるらしいという噂はありました」

そうなのか。

相川は頷くと、話を進める。

自然洞というのは幾つもパターンがあるが、この洞窟は水に溶けやすい成分が長年かけて溶けて行って、出来たものらしい。

元から地元ではかなり奥まであるという事で知られていたらしく、危険もあるので本格的な調査が入るまでは立ち入りは控えるようにという話はされていたが。

何でも此処に何かあるという噂は、地元の間では有名だったという。

「アンコールワットも、地元の住民の間では幽霊宮殿として有名だったという噂があるのを知っていますか?」

「いや、初耳です」

「考古学者が地元で幽霊宮殿と呼ばれるものがあると聞いて、調査した結果発見されたのがアンコールワットです。 本当に幽霊が出るかは分かりませんが、地元の噂は案外馬鹿にならないものなんです」

そういうものなのか。

いずれにしても、国木田教授はそれに目をつけて、研究のために洞窟に入り。

副葬品を見つけて狂喜したという。

「あんなに嬉しそうな国木田先生、いつぶりに見たか分かりません」

「……随分と国木田先生と親しげですね」

「私はその……家の事情で色々あって。 結局国木田先生が支援してくれなければ、学生に何てなれませんでした。 ましてや大学に何て」

そういう事か。

それならば、何だか雰囲気が良いのも納得ができる。

それに対して堤が反発するのも、である。

堤としては、助教授としての仕事がある。それがこんなド田舎の山の中にかり出されて。舞い上がっている他の教授を見たらしらけるのも分かる。

「戻ったわよ」

「何もありませんでしたか?」

「何も」

「それは良かった。 とにかく気をつけてください」

堤は苛立った様子で北条を見たが。

こっちだって伊達に修羅場をくぐっていないのだ。別にこの人に睨まれたくらいで怖いとは思わないし。

その程度でびびっていたら警官なんてやれない。

「北条、交代だ」

「はい」

新美が来たので、見張りを交代する。

外には愛染がいた。情報の共有、と言う事か。纐纈は既に愛染と交代しているらしい。遊撃として佐倉さんが動いているはずなので、安心感はある。

軽く情報交換をする。

そうすると、愛染が色々ときな臭い事を言った。

「まず国木田っておっさんだが、すっかり意気消沈してやがる。 まああれは仕方が無いとは言えるな」

「ええ、ああきっぱり夢を否定されるとね」

「霧崎って先生の見立ては俺も正しいとは思ったけどな。 両面宿儺は俺としてはいて欲しいとも思ったけど、あのミイラは綺麗すぎるし」

意外とオカルトを丸呑みにしない愛染である。

自分で検証できる範囲では検証しているし。見たからと言ってすぐにオカルトに飛びつくわけでは無い。

ただしとくそうに来ている時点で、オカルト絡みの内容であることは確かだし。

そもそもあの金髪の王子がヘリまでチャーターして此処に大急ぎで運んできたのである。

何かがあるのは確定だろう。

「次に八重垣って兄ちゃんだが、アレはどうも相川って子にホの字だな」

「はあ。 まあ若い二人ですし」

「いや、堤という女いるだろ。 あれが色々五月蠅いって、相川に辛く当たるってひたすら愚痴っててな」

なるほど、そこからそう判断したのか。

まあ確かに相川は年相応の美貌の持ち主。年代的にも近そうで、ついでに真面目そうな八重垣が気にするならそっちではあるかも知れない。

それでもちょっと愛染の結論は少し性急に思えたが。

「最後に島津とかいうおっさんだが、あれは話通り怪しい。 幾つか考古学関係の質問をしてみたが、ロクに答えられなかったよ。 山師の類と見て良いだろうな」

「山師……」

「狙いが気になる。 いずれにしても、山師の場合は修羅場をくぐっている場合もあるから、油断するなよ。 いざという時は容赦なく撃て」

頷くと、愛染は戻る。北条は休憩と言う事で、見張りがてらに座って休む事にした。

やがて不機嫌そうな八重垣が出てくる。

トイレらしいのでつきそうが。愛染には話をされているはずだ。此処には大量殺人を目論んでいるかも知れない人間がいると。

だが、それを聞かされているはずなのに。

どうしてか、八重垣は妙に落ち着いているように見えた。

何だかぴりぴり来る。

犯人が一人とは限らないし。

協力者がいる可能性もある。

この人、ひょっとしてだが。犯人を知っているのではあるまいか。

まあ、この行動だけでそう決めつけるのはまだ早いか。今は見守って、尻尾を出すのを待つ。

トイレから戻る八重垣は、一言も発しなかったが。

途中で足を止めた。

「相川さんが気になりますか?」

「ええ。 同じゼミの仲間ですので」

「そうですか」

今の反応、これは愛染の読みは当たりだなと北条は判断した。同じゼミの仲間と言うときに、何か感情がこもったからである。

にぶちんで女が苦手な愛染だが、鋭いときは鋭い。どうやらこれは、予想以上に状況は複雑な様子だ。

見張りをしていると、佐倉さんが来る。

じっと相川さんのいる部屋の方を見ていた。

「気になりますか?」

「この洞窟全域に下手くそな結界が張られていやがってな。 今、念入りに調べているんだが……どうもその中心点にあいつがいる」

「オカルトは分からないんですが、相川さんが何か術を使っていると?」

「いや、そうは言っていない。 怪異には憑依する奴がいる。 幽霊なんかもそうだが、もっと強力な怪異でも人間に取り憑いて操る奴は珍しくない。 そうなると厄介だぞ……」

佐倉さんは、あの元部長と昔からのつきあいらしいのだけれども。

そういった憑依型の怪異だと、戦いが大変なのだという。

肉弾戦では人間を遙かに超えたパワーを発揮するし。

怪異に対して絶対的な力を持っていても、一発撃破とはいかない。

というか、その手の憑依型怪異は、元部長のように単独撃破出来る方がおかしい相手であって。

本来だったら特殊部隊の小隊を失う覚悟で戦いを挑まなければならない相手だという。

そういえば、北条も以前佐倉さんや元部長と、様子がおかしい双子の姉妹とやりあった事がある。

あいつらの戦闘力は、文字通り尋常なものではなかった。普通に警官を投入して取り押さえようとでもしていたら、どれだけの犠牲が出たか分からないだろう。今思い出してもぞっとする。

そしてあんなのを相手に佐倉さんや元部長は当たり前に戦っていた、ということでもあるのだろう。

「この中に、そんなヤバイのが……」

「いてもおかしくはないな。 両面宿儺だったらまだマシなんだが……」

ため息をつく佐倉さん。

要は、何がいるか知れたものではないから、なのだろう。

両面宿儺であればまだ対策が出来るが。

もしも似たような、別物であったのなら。

「いずれにしても、全員から目を絶対に離すな。 いつ何をやらかそうとしてもおかしくは無い。 特に錯乱したふりには気を付けろ」

「分かりました。 それと……気になっていたんですが」

「なんだ」

「佐倉さん、私より年上と聞きました」

少し視線をそらした後。

佐倉さんは嘆息した。

「私はゆうかと同じ学校の先輩だよ」

「え……」

「色々あってな、見た目もこんなだ。 多分今後何十年もこのままだろうさ」

「そう、ですか」

流石にそれ以上は聞けない。

怪異に対策する部署にいるのだ。色々非常識な存在が近場にいてもおかしくはないのであるけれど。

それでも、流石に驚かされた。

一旦監視に戻る。

相川さんに堤は鋭い視線を注ぎ続けている。余程気にくわないらしい。ただ。今は静かにして体力の消耗を抑えるようにと言う話はしてある。

食糧も水も限られている中、押さえ込まれている。

これは根比べである。

いつ音を上げるかの待ちだ。

崩落を起こさせた人間にしてみれば、救援が来るか、洞窟の抜け穴か何かが見つかればそれで終わりである。

それまでにどうにかしようと焦っているはずだ。

特に相川さんが怪しい。

北条は、根比べには自信があった。これでも拷問を受けて、それで殺された経験まであるのだから。

 

2、動き出す状況

 

霧崎先生がゆうかさんと戻ってくる。

佐倉さんの後輩だという話を聞くと、この明らかに北条より年上の凄腕記者が、色々不思議に思えてくる。

「作られた地図の確認と、その先の確認をしてきた。 此処に国木田教授の話通り河が流れているのを確認した。 流れもそれほど急では無い。 上手く行けばそれを降って洞窟を出られるはずだ」

幸い燃料は潤沢にあるので。

発電機を動かして、スマホを充電しつつ。霧崎先生はそう説明する。

なお、見張りに二人残して、残りのメンバーで先に渡されていたこの洞窟の地図を囲みながら、である。

纐纈が頷くと、皆の素性について分かっている事を話す。

霧崎先生は、頷くと言う。

「これから川下に向けて動いてみるが、その前に怪異を退治した方が良いかも知れないな」

「何か手段があると」

「まずこの怪異は両面宿儺ではない」

霧崎先生がずばりと断言。

ゆうかさんがえーと口を尖らせていた。

「現在に蘇った両面宿儺とかありませんか、先生」

「その可能性は一応検討したが、お前も見ての通りだ」

「?」

「ミイラ化した首がもう一つあってな。 ついでに胴もだ」

霧崎せんせいと口を尖らせているゆうか、それにこう言う事態になれているだろう佐倉さん以外の全員が絶句する。

それはそうだ。

そして、更に爆弾を霧崎先生が場に投下した。

「隠されたのはつい最近。 雑に隠したからミイラは痛みかけている始末だった」

「ちょ、それは」

「要するに都合が悪いものが出て来たから、隠したと言う事だろうな。 恐らく下手人は相川さんだろう」

「……」

咳払いすると、霧崎先生は言う。

ミイラの頭部は、二つはほぼ全くというほど同じであること。双子とも思えるが、それ以上に何かおかしいという。

更にミイラの胴体の内、最初から提示されていた一つは、首の様子がおかしいともいう。

それ以外は、特におかしいところはないそうだ。

「それと、これも見つけた」

「これは?」

「古いネームタグだな。 すくな、すくね……?」

「それよりもこの××会というのは……」

その名前を聞いて、ゆうかは知っていると答えた。

咳払いして、内容を話し始める。

大正から明治中期にかけて活動していた邪教集団だという。いわゆるカルトだ。

あんまりにも非人道的な活動をしていたため警察に潰されたが。規模が大きくなかった事もあって、あまり世間的には知られていないという。

ただ、残党が一部にいるという噂もあるとか。

「私の専門は現代オカルトではないからな。 そちらはゆうかに聞くといい」

「外と通信がつながるなら、警察のDBと接続できるんですが」

新美が悔しそうに言う。

いずれにしても、今は出来る範囲で出来る事をやるしかない。

更に言うと食糧の問題もある。

今、怪異に対して対応出来る人員が揃っている状況で。

全てを片付けるのが、最善手かも知れなかった。

纐纈が咳払い。

「愛染、島津氏を連れて来てくれるか」

「はあ、なんであのおっさんをピンポイントで」

「あれはどう見ても山師だ。 多分××会について知っているとしたら……」

なるほど、そういうことか。

新美と佐倉さんが、それぞれ男性陣女性陣の監視に戻る。そして、愛染が連れてきたのは。

もはや怯えを隠してもいない島津氏だった。

すっかり青ざめている島津氏は、いつ出られるんだと錯乱気味に言うが。

厳しい表情を四方八方から浴びて、それで口を閉ざす。

これは、知っている。

何かまずい事を知っている人間が。それを知られたかも知れないと悟った顔だ。

「島津さん。 あなたはプロでもないし考古学にも詳しくない。 ましてや考古学に対する知識も浅い。 好きでボランティアをしているというのは大嘘ですね。 どうしてこの場にいるのか教えていただきたい」

「そ、それは……ボランティアは……その……」

「××会」

絶句する島津。

大当たりか。

完全に真っ青になった島津が、どこでその名をと、顔に書いている。

ネームタグを見せると、思わずひっと声を上げていた。

「警察を舐めないでいただきたい」

纐纈がそうはったりを利かせる。勿論あまり知られていないカルトだから、専門部署の警官でないと真偽は分からないが、それでも此処は賭に出る必要がある。

しばし蒼白になっていた島津氏だが。

やがて口をつぐむと、話し始めた。

「金が貰えるんだ……」

「××会から?」

「いや、あんな会はとっくに傀儡化されてる。 俺の先祖があの会にいてな、警察に潰された後も細々と活動を続けていたんだ。 だけれども、最近になって、昔の知り合いが来てな……」

元々ギャンブルで身を崩すような生活をしていた島津は、それで乗ったという。

何でも飛騨の奥地に、昔教団が作り出した最高の兵器が眠っている。

それは恐らくミイラ化しているはずだ。

だが、ミイラ化しても生きている。

持ち帰るように、と。

「お、俺は教団なんか、先祖がいたことしかしらねえ。 それに兵器なんて、警察に目をつけられる。 だから最初は断ったんだ。 そうしたら、信じられない金を提示されて……」

「ほう」

「二億だぞ二億! それで……」

「ふむ、二億か」

纐纈さんがぼやく。

実の所、バックに強力な反社会勢力がついていたりとか、或いは政治家が票田にしていたりとか。そういった巨大カルトは例外。通常のカルトは、殆ど金なんか持っていないのが現実である。

一部のカルトは信者から膨大な金を巻き上げているのだけれども。

それはそれ。

少なくともその××会とやらに、そこまでの大金があったとは考えにくい。

ましてや警察に潰されて離散しているような連中だ。

そうなると、FOAF。

金髪の王子が、わざわざヘリを飛ばしたというのも納得出来るという訳だ。

「いずれにしても、何を取ってこいと言われたんですか? ミイラ全て?」

「いや、首が三つあるはずだから、その全てを隙を突いて持ち帰るようにって」

「……どうやらこれは、予想より面倒くさい状態のようですな」

霧崎の言葉に、纐纈は腕組みする。

北条は、今の言葉を誰にも話さないように。下手をすると殺されるという事を話した上で。島津を監視下に戻す。

今のところ、監視されている者達に動きは無い。

だが、ずっと佐倉さんは臨戦態勢だ。体力だって使うだろうし、本当に底なしなんだなと感心する。

それよりも、である。

まずは今得た情報を整理するしかない。

「怪異兵器というのはほぼ間違いなさそうだ。 新美が聞いたら怒るだろうが」

「カルトが単にご本尊を取り返そうとしていたというのなら分かるが、怪異兵器という言葉が出てくるとそう考えざるを得ないな」

纐纈と霧崎先生がそう言う。

佐倉さんが、顎をしゃくった。

「相川がそろそろ危ない」

「どうかしたんですか、佐倉さん」

「もう隠す気も無くなってきているな。 両面宿儺ではないにしても、何かがいるのはほぼ確定と見て良い。 放っておいたら暴れ出すだろうよ。 それもあの崩落を簡単に引き起こした力で、だ」

ゆうかさんも霧崎先生も、それを聞いて怖れる様子は無い。

怪異なんて慣れっこ、と言う事だ。

纐纈は拳銃の確認を開始。新美が見張りをしている女性陣の方に行く。相川は真っ青になっていた。

堤は多分何も知らないのだろう。

相川を、相変わらず使えない小娘くらいにしか見ていないようだが。

多分分かっていない。

自分が獅子の目の前にいるも同然だと言う事を。

「相川さん、少し良いですか?」

「……」

無表情のまま、相川さんが立ち上がる。

呼んで連れてくるだけでかなり冷や冷やした。佐倉さんが言うことが本当なのであれば。それは恐らくだが、開戦を意味するからだ。

そのまま連れていく。

大学の研究者達が巻き添えを食らわない位置まで、である。

背後を佐倉さんが固め。

前は霧崎先生とゆうかさんで。

北条と纐纈で左右を固める。

完全に護送の体勢だが、相川さんはそれで何かを言おうとする感じはしなかった。

というよりも、何か雰囲気がさっきまでと違う。

ぴりぴりした何かが感じ取れる。

少し広い場所に出た。

此処なら大丈夫だろうと判断したのか、霧崎先生とゆうかさんが振り返り、足を止める。

同時に北条と纐纈は打ち合わせ通り飛び退いていた。

「何のつもりですか?」

冷え切っている相川さんの声。

まず、順番に話をしていく。話をするのは、北条だ。

「相川さん。 貴方ですね、ミイラの首と胴体を一つずつ隠したのは」

「……」

「理由は、両面宿儺の夢を追っている先生の邪魔をしたくなかったから、ですね」

「……そうです」

短絡的な話だが。

この事自体は、すぐに見当がついた。

話を聞く限り、相川さんは本気で恩師に対して恩義を抱いている。

それが片思いだったのかどうなのかまでは分からない。

或いは理想的な父親に対するような情愛だったのかも知れない。

それは相川さんにしか分からない。

心の中で考えている事は、誰にも踏み入れないし。踏み行ってはいけないことだからだ。

いずれにしても、尊敬している恩師のためにならないと判断して。

相川さんは、両面宿儺ではない証拠を、隠したのだ。短絡的に。

「そもそも、ミイラ自体調べれば年代などで両面宿儺のモデルになった人物などではないとすぐに分かったでしょうに。 短絡的で馬鹿な事をしたものですね」

「貴方たちには分からない……」

口調が変わる。

やはり、何か取り憑かれているとしか思えない。

同時に、相川さんの体に異変が起きる。

めりめりと、凄まじい音がして。首が。首が、もう一つ。

そういえば。一人ずつ聴取しているときに聞いたのだ。

堤さんがいっていた。

相川さんは、時々個室で独り言を言っている。その独り言が、完全にもう一人いるようで気色が悪かった、と。

独り言では、なかったのだ。

いつの間にか、首が二つに増えていた。一つの相川さんの顔は虚脱していて。もう一つの顔は。

狂気に充ち満ちていた。

流石に絶句するが。

だが、既に霧崎先生もゆうかさんも、佐倉先生も戦闘態勢に入っている。

「その手練れを備えた様子、××会の事ももう知ってるんだろ。 そうだ、俺がすくなだ」

「……」

「残念だが、そこまで詳しくは分かっていない。 すくな、すくねという名前のついたプレートは見つけたがな」

「何だ、そうだったのか。 そういえば、入り口は塞がっちまってるしなあ。 流石の警察もそこまでじゃあないか」

狂気に満ちた表情の方の相川さんが頭をばりばりと掻く。

もとの頭は項垂れたまま。

これは、憑依型の怪異としてはトップクラスにタチが悪すぎるのではあるまいか。

纐纈が聞く。

「それで、すくなとすくねとは?」

「昔の話だ。 相川によると百年くらい前だったかな。 東京近郊を中心に、××会とかいうタチが悪い宗教団体が存在した。 何しろ戦前で色々アレだっただろ。 その宗教団体には、田舎から売り飛ばされた子供とかがたくさん集められて、宗教団体という隠れ蓑を使って非人道的な実験が繰り返されていた。 軍とか或いは国が絡んでいたのかもしれないな」

それとも、あの人。元部長が戦っていた、「奴ら」という組織かも知れない。「奴ら」はかなり古くから存在していて、政財界の大物とも関係があったという話だから。

元部長がぶっ潰したらしい「奴ら」という組織は、それほどに国際的で、強大極まりない存在だったのだ。

そして、信じられないほど邪悪だった。

その邪悪さは、北条も身を以て知っている。

「そんな中、俺と双子の弟のすくねも実験台にされた。 すくねは本当に良い奴でな、どれだけ痛めつけられても寂しく笑っていたし、鬼畜みてーな連中を恨むことも憎むこともしなかった。 俺にとっての誇りだったよ。 だから、守らなきゃいけねえって必死にない頭で考え続けた。 そうしている内に、何かが俺に宿った。 そして、この力が手に入ったというわけだ」

すくなは、人間に憑依し。

相手を乗っ取る事がいつの間にか可能になったと言う。

ただ、それが出来る時点で、すくなは度重なる人体実験で体を滅茶苦茶にされていたから。

死ぬと同時に、最悪レベルのタチが悪い怨霊になったのかも知れないが。

だが、此処までの変位を体に引き起こすというのは異常だ。

「俺は当時の××会の支部を全部ぶっ潰した。 体を壊されたら別に乗り換えて、じゃんじゃんブッ殺したよ。 恨み重なる連中は根こそぎな。 それで周囲を皆殺しにしてすくねを救出してから、身を隠しながら必死に東京を離れて山の中を彷徨った。 場合によっては動物に憑依して自殺させて、それを食いながら山の中をすくねの手を引いて山の中を逃げた。 いつの間にか辿りついたのがこの洞窟だったが。 その時には、俺とすくねは弱り切ってた。 まあそりゃあそうだよな。 知識もない人間が山の中を歩き回って、動物を無理な食い方してたんだ。 ヤバイ寄生虫とかも体の中に入ってただろうし、何よりすくねは体が弱かった。 無理がありすぎたんだ」

そして、洞窟の中で、二人は静かに息を引き取ったという。

すくねは死ぬ前にいったそうだ。

もう、誰も殺さないで、と。僕を助けるために、誰かを殺すのはもう止めてと。

すくなは誓ったそうだ。

分かった。お前を守るためだけに俺は殺した。お前のためにも、もう誰も殺しはしないと。

頭をまたばりばりと掻くすくな。

「それでこれからどうするつもりだ」

「……一つ、頼みがある」

「何か」

「俺をぶっ潰してくれ。 俺は能力的な問題で、殺した相手に憑依してしまう面倒な体質になっていてな。 多分すくねが洞窟の中で静かに死にたがったのは、それが理由だったんだろうよ。 普通の方法だったら、俺は彼方此方に憑依して回って、それで手がつけられなくなる。 だが、お前達を見る限り……出来る奴がいるんだろう?」

北条はため息をつく。

荒々しい人物だっただろうすくなだが。

それでも、聖人といって間違いないすくねのために。

それこそ命を捨てる覚悟はしているということだ。

命も惜しんでいない。

人間を恨んでいるだろうに。

それでも、誰よりも大事だった弟の言葉を、誓いとして守ろうとしているという訳だ。

だったら、答えないわけにはいかないだろう。

佐倉さんに視線を送る。

かなり難しいと表情に書いていたが。だったら、北条がやりやすいように隙を作るしかない。

纐纈に頷く。

ライアーアートを使って、怨霊としてのすくなの要素を少しだけ緩和する。

隙さえ作れば。

そして、そもそもなんで相川さんにとりついているのかも理解出来れば。

怪異は理解する事によって無害化する。

今まで散々実例を見て来て知っている事だ。だから、それらをどうにかすれば。相川さんも救う事が出来る。

そもそも怨霊を祓うには、未練を奪うのが第一。

怨霊に憑かれるのは、心が弱っていることが第一。

そんなことは、別にオカルトに詳しくなくても誰も分かっている事だ。

ならば今、北条がするべき事なんて。

それこそ一つしか無いのである。

ライアーアート。

呟くと、北条は前に出ていた。

すくなは、かなり自分を抑えるのが厳しい様子だ。本当なら殺戮本能に従って大暴れ、というところなのだろう。

だが、そうはならなかった。

とくそうの到着が早かったからだ。

もう少し遅れていたら、何人か殺されていた可能性は極めて高い。

だが、それもならなかったし。

今後だってさせない。

絶対にだ。

「相川さん。 貴方は誰かに殺意を抱いていましたね」

「!」

「分かっています。 堤さんですね。 堤さんは国木田先生の研究を馬鹿にして、なおかつもしも隙があれば奪い取ろうとまでしていた。 そうですか?」

「……そうよ」

ぼそりと呟く相川さん。

やはりな。

堤が本当にそんな事をしようとしていたかは分からない。だが、この人には少なくともそう見えていた。

此処ではそれが重要なのだ。

国木田教授という人は、両面宿儺伝説の解明に命を賭けていた人だ。文字通り、それは狂気と妄執の賜。

だが、それでも。

心にあるよりどころというものは、誰でも何よりも大事なもの。

それを汚すことはあってはならないのだ。

或いは、国木田先生が論文を酷評されて、一人泣いている姿でも見ていたのかも知れない。

自分の親のような。親というものが必ずしもいいものとは限らないが。

それでも、理想的な親のように見えていた相川さんにとって。

殺してやるとまで思わなくても。

怒りと敵意を抱くには充分な相手だったのだろう事は、北条にだって分かる。

「そしてあのミイラ。 三つの首に二つの胴体。 あらゆる意味で両面宿儺の伝説とは異なる。 だから一つの頭と胴体を隠した。 そういう事なんですね。 でもそれは、自分でも気付いていたんではないですか。 全く無意味である事を」

「う、うう……やめて……先生の夢を……!」

「両面宿儺が本当に存在しなかったかは分からない。 此処で急ぐ必要はなかったんではないですか?」

「だって、何年も、ずっとずっと探し続けて、それで……」

恐らくだが。

疲弊し、弱って行く国木田先生を見て、相川さんの方がより参っていたのだろう。

だから、邪心に身を任せてしまった。

その結果が、これだ。

「貴方は恐らく八重垣さんが、自分に好意を向けている事さえ利用した。 ミイラを隠し隠蔽するには、八重垣さんを利用もしたのではありませんか?」

「……そう。 だってそもそもミイラを見つけたのは私と八重垣くん。 その時点で三つある首を見て、おかしいと思うべきだった。 だけれども、これが最後のチャンスだって、私は……!」

「学問は客観的であるべきだ。 貴方は、学問の徒でありながら、客観性を忘れてしまったのよ」

「ぐ、うううっ……!」

相川さんが苦しみ続けている。

それを見るすくなの目は、どうしてか獰猛だが。もう少しだ、頑張れと告げているようにさえ思えた。

北条は呼吸を整えると、更に攻めこむ。

「貴方は若い。 そして今の時点では、ミイラを隠したと言う事しかしていない。 本当に国木田先生を尊敬しているのなら、本物の両面宿儺を見つけるべきよ。 もしも存在しないのなら、存在しないとその研究を確定させるべき。 それが、貴方が一番大事な人のために出来る事よ」

「私の、大事な人……」

「国木田先生の事を考えるなら!」

「……っ!」

相川さんの自我が強く出る。

その瞬間に、すくなが叫んでいた。

「よし、今だやれっ!」

佐倉さんが複雑な印を切ると同時に、相川さんの足下に光の星形の魔法陣が出現する。

確かセーマンだったか。

絶叫する相川さん。

洞窟の中全土に、その叫びが轟くほどの凄まじさだった。

いや、これはむしろすくなの雄叫びか。

もし戦っていたら、こんな雄叫びをあげる相手をやりあい。しかも倒した所で憑依されるという所だったのだろう。

だが、憑依先が心を取り戻し。

更に憑依しているすくなも殺しなんて事は望んでおらず。

そして怨霊である状態から解放されたいと願っているのだとしたら。

もの凄い光が迸る。

北条にも、それは見えた気がした。

小さくて、か弱い手が。さしのべられる。

太くて、逞しい手がそれを取る。

優しい表情の、頭を完全にそり上げきった少年が、笑顔を浮かべている。

荒々しく、いかにも獰猛そうな角刈りの少年が、その手を穏やかに握り返していた。

そして、光が収まると。

其所には、もうすくなの首は存在せず。

首が一つに戻った相川さんが、意識を失って倒れていたのだった。

 

3、脱出までの苦難

 

相川さんを連れて皆の所まで戻る。

相川さんは数日は意識が戻らないだろうと言う事だった。また、佐倉さんも疲弊が凄まじい。

先ほどの絶叫は当然皆にも聞こえていた様子だ。

何事だったのかと聞かれたが。

洞窟の奥に巨大な動物、多分熊だろうがいて。それを撃退した時の咆哮だと纐纈が説明し。

それで皆を無理矢理納得させた。

佐倉さんに隙を見て聞く。

「それで、どうなったんですか」

「これですくなはもうあの世に行ったよ。 誰かが取り憑かれる恐れはもうない」

「あんな術も使えるんですね」

「あんた達が言う元部長、あの人だったら一喝で消し飛ばしてたよ。 その程度の相手だった。 まあ私には全力で、隙を見せた瞬間に祓うのが精一杯だったが」

しばらく休むと言うので、佐倉さんには休んで貰う。

その間に、纐纈が皆に話をしていた。

「救助隊を待つのはかなり厳しいのが現状です。 しかしながら、洞窟の奥に脱出路を見つけました。 一旦は其所から脱出し、警察無線で救助を呼ぶ事にします」

「脱出路!」

「ただしかなり険しい道程になります。 皆お気をつけください」

霧崎先生を一瞥。

頷かれた。

本当は出来れば避けるべき事なのだが。今回はやむを得ない。

相川さんと佐倉さんの消耗が何とかなってから、出る事にするという。

その間に、霧崎先生がゆうかさんを連れて、洞窟の奥に。

脱出路の確保のためだろう。

川を下れば恐らく出られると言う事だが。それが本当かを確認しなければならないのである。

しばらく、無言の時が続くが。

先に、愛染と新美と交代して、何があったのかを話しておく。纐纈に説明は任せる。勿論新美が反発するからだ。

案の定新美は納得がいかなそうだったが。

それでも、何とか危機が去ったことは受け入れたようだった。

更に、だ。

国木田先生は、もう覚悟は決めたらしかった。

「何となく分かったと言うか、ようやく受け入れられたよ。 あのミイラは両面宿儺じゃあない」

「……」

「あの出土した武器なんかは、なんであるのかは分からないけれども。 少なくとも古墳時代や、平安時代や奈良時代、或いはもっと前の時代の武器じゃあない。 だからあれは両面宿儺じゃない。 今は相川くんや八重垣くんを守って、ボランティアで来ている島津さんや、堤助教授と一緒に脱出する事が先だ」

堤助教授も頷く。

この人も、非現実的な伝説に傾倒している国木田教授や。国木田教授を盲信する学生としての相川さんやその相川さんへの恋慕だけで動いている八重垣さんに厳しい目を向けていただけであって。

実際は学者としてまっとうな人なのかも知れない。

いずれにしても、見た目で人はわからない。

だから、今はただ、静かに脱出への準備を整えるだけだ。

PC等の電源を消して回る八重垣さんの作業を手伝う。

話を聞くと、寂しそうに八重垣さんはいう。

「相川さんが俺を相手にしていない事なんて分かっていましたよ。 それでも惚れた弱みって奴でね」

「以降は、全うに研究をお願いします」

「分かっています。 それに、実は最初の時点で分かっていたんです。 あんな形状の武器、つい最近のものなんですから。 いにしえにこの辺りで武勇を振るった両面宿儺のモデルが存在したとして、その伝説の武器である筈が無い。 ミイラだって、専門家を呼ぶまでも無く新品だって分かっていました。 状態が良すぎましたからね」

本当だったら大変な不祥事だが。

今回は、見なかったことにするしかないだろう。

いずれにしても、何もかもが終わった事だ。

これが論文として世に出ていたら、それこそ石器時代のねつ造事件並みのスキャンダルになるか。

或いは両面宿儺研究が一気に後退することになっていたかも知れないが。

それは起きなかった。

今は、それで納得するしかない。

しばしして、霧崎先生とゆうかさんが戻って来た。洞窟の外に出る事に成功したという。水浸しだったが。

「途中、かなり急な坂を行く必要がある。 最小限の荷物だけ持つように。 島津さんも!」

「……」

ミイラを隙あらば持ち帰ろうというそぶりを見せていた島津さんに、霧崎先生が一喝。

それにもうすくなはこの世にいないのである。

殺した相手に取り憑き。

徹底的に殺戮を繰り返した悪鬼は、疲れ果てていたのだ。

そして聖人であった弟に導かれて、この世から完全に去った。

今では、すくな、すくねという名前だけしかもうない。

あのミイラは完全にその遺物。

抜け殻に過ぎないものだ。それを持ち帰っても、文字通り一銭にもならないだろう。無縁墓地に葬る死体が増えるだけだ。

点呼をした後、皆で洞窟の奥に。

まだぐったりしている相川さんは、国木田先生と八重垣さんが支えた。

二人がしっかりしていれば。

相川さんも、もう道を踏み外すことは無いだろう。

洞窟の奥は荒々しく、懐中電灯が切れたら文字通り何も見えない状態だ。

既にレスキューに連絡は入れたらしいので、洞窟の入り口付近にまで救助ヘリが来ているだろう。

いや、或いはあの金髪の王子が出張ってきているかも知れないが。

それはそれである。

ともかく、洞窟を行く。

確かに凄い急斜面だ。愛染が四苦八苦しながら途中に陣取ると、ガタイを生かして皆を下に降ろしていく。

「気を付けろ!」

「分かってる!」

ぐっと手を握って、斜面を降りていく。愛染も全員を降ろし終えると、最後に降りて来た。

佐倉さんと霧崎先生、それにゆうかさんは最初にぽんぽんと降りてしまったので、愛染が手を貸すまでもなかった。

この様子だと、実の所両面宿儺を力尽くで押さえ込むのも可能だったかも知れないが。

その時は流石に佐倉さんもグロッキーになっていただろう。

北条があれだけ弱らせて、怨霊を祓うための準備をしてでさえ。消耗があんなにひどかったのだから。

河が轟々と流れている。

飛騨の近辺と言えば、戦国時代は天然の要塞だった地域だ。河だって当然荒々しいのである。

まだ光は見えないが、道は確実に下っている。途中で点呼をしっかりしながら、全員を連れて移動を続ける。

島津さんがもう駄目だと叫んで、その場にへたり込んでしまう。

だが、愛染が何も言わず、肩を貸した。

「ほら、これでまだ歩けるだろ。 それともおんぶの方が良いか?」

「……あんた、警官だろ。 俺みたいな山師のクズ、放っておけばいいじゃねえかよ」

「あいにくだが、俺が尊敬する警官は誰もそんな事はしないしいわねえよ」

「そうか。 そういう警官に、俺も出会えていたらなあ」

島津さんが呻く。

北条も体中擦り傷だらけ。かなり厳しい状況だ。

洞窟は何処まで続いているか分からない。こんな道を良く霧崎先生とゆうかさんは短時間で見つけたなあと思う。

まあ修羅場をくぐった数が違うと言う話だし。

そんなものなのだろうと思って納得する他無い。

強烈な崖に出た。この下まで行くと、後はまっすぐ行くだけだという。

下の方に光が見えている。

無理だ。

そう島津さんが叫ぶが。それでも愛染に支えられている事を思い出したのか。以降は弱音を吐かなかった。

残り少ないロープが既に垂らされている。

更に残り少ないロープを使って、ゆうかさんが自分と、それ以外の人を結ぶ。そして二人でロープを降りる。

最悪の場合も、ゆうかさんが支えると言うわけだ。

凄い体力だなと感心する。

「昔はどうしようもなかったが、彼奴に揉まれて随分とたくましくなったな」

「あいつとは?」

「俺の義妹だ。 血はつながっていないが、ゆうかとは天敵同士も良い所でな。 今後も頭が痛い」

霧崎先生が、一人目を降ろして上がって来たゆうかさんを見て、次行けと顎でしゃくる。

そのまま、全員が順番に降りていく。

八重垣さんが足を滑らせ掛けたが、余裕で支えているゆうかさんを見て。北条も流石にぞくりとした。

普通こういうのは連鎖で事故るものだが。どういう腕力をしているのか。

或いは怪異の助けなのか。

先に降りていた佐倉さんが、周囲をしっかり監視しているので、其方の方でも問題はない。

北条も降りる。

もう傷だらけで、入院したい気分だが。

今まで散々遭遇してきたおぞましい怪異事件に比べれば。今回は荒事もほぼなかったし、楽なものだ。

落盤に巻き込まれ掛けたくらいだが。別にそんなもん、どうでもいい。

感覚が麻痺してきているのかも知れないが。

もっと逞しくならなければならないと、昔はダメダメだったというゆうかさんの活躍を見て思う。

全員が崖を降りた。

新美がかなりしんどそうにしている。

だが、それでも警官だ。

必死に顔を上げる様子は、尊敬に値した。向こうには、もう光が見えている。レスキューもいる筈だ。

点呼。全員いる。相川さんも、弱々しくだが呼吸しているのを確認。意識は戻っていないが、これならきっと大丈夫だろう。

佐倉さんが念のためにと周囲をもう一度確認。怪異の類は存在しないと見て良さそうだ。

全員で、洞窟を出る。

呪われた洞窟を。

悲惨な運命に翻弄された双子の墓場を。

洞窟を出ると、丁度レスキューが来るところだった。ヘリもいる。金髪の王子がいるのを見て、げんなりしたが。もうそれはいい。

順番にレスキューの車両に運ばれて行く。

どうやら此処は山奥の道から少しずれた所にあったらしく。まだ解析がされていない洞窟とつながっていたらしい。

道に止めた車両に、次々と大学関係者が連れて行かれるが。魔女先生こと科捜研の如月先生もいる。

多分すくなが憑依していた影響を、相川さんの体を調べて調査するのだろう。

良い影響があるとは思えないから。これでいいのだ。恐らくは。

それに、佐倉さんが祓うのを失敗したようには見えなかった。

単純な健康診断で良いのだろう。

間違いない。

FOAFは、あのすくなを回収するつもりだったのだ。

だが、それにしては島津のような素人を送り込んだのはあまりにも不手際すぎる。

あのすくなの能力を見る限り、もしも全盛期ほどではないにしても、暗殺などには最高レベルでの適性がある。

もしも解き放ったら、同士討ちさせることで小規模の軍くらいなら壊滅させる事も可能では無いだろうか。

何か、まだ裏があるのではあるまいか。

島津さんが、一人だけ別の車両に乗せられる。救急車ではなかった。

「お、おい、俺はただの山師だよ! 毎日の生活に困るだけの……!」

文句は遮られて、連れて行かれた。

まあ、あれは仕方が無いか。

金髪の王子が来る。

傷だらけだし。げんなりしている北条を見て、ふっと笑う。愛染も新美も、明らかに不愉快そうにしているが。

前に出て遮ってくれたのは纐纈だ。

「詳しい話をむしろして貰えますか、県警部長どの」

「実際にはそのポジションにいるだけで、私は県警部長ではないのだが。 まあ話はしておくか。 すくなとすくねの情報は、私が所属していた頃から君達が「奴ら」と呼んでいた組織でも掴んでいた。 だが、その逃げ込んだ先がどうしても分からなくてね。 既に活動していないことだけはつかんでいたのだが」

この洞窟の事は、この間の大規模摘発で捕まった人間が吐いたのだという。

つまり、「奴ら」が潰れて「FOAF」になるまでの間に、此処が分かったのだろう。

島津というチンピラを先に出して偵察とさせ。

ミイラがあるという事が判明したので、これから本命の部隊を潜入させる予定だったそうだ。

そうでなくても、どっちみち目を覚ましたらすくなは誰かに憑依する。

それを回収する予定であったらしい。

闇市場で、ことごとく繰り出す怪異兵器が潰されている現状。

「奴ら」の残党は力を失うばかり。

更にFOAFという名前に変えて、G県に残党を結集させての作戦も上手く行っていない。事実元部長ならともかく、とくそう如きに好き勝手にされているのだから。佐倉さんという助っ人もいるけれど、あの人はどう見ても元部長に及ばない。かなりの凄腕でも、である。

元部長があまりにも異次元過ぎたのだ。

何もかも上手く行かない状況。

更にはとうとう脱落者や、造反者まで出始める有様。

だからこそに、どうしても高額で扱えるすくなは、回収したい相手であったらしい。

とはいっても、すくな自体がFOAFのような。

昔彼が所属していた組織を思わせる、邪悪な組織に荷担するとも思えず。

制御出来るとはとても思えないがと、金髪の王子は嗤っていた。

ましてや弱体化が著しい今ではなおさらだろうとも。

「ともかく、君達の活躍は見せてもらった。 ボーナスは期待しても良いだろう」

「見ていたんなら、レスキューをどうしてもっと早く出せなかった!」

「残念ながら、タイミング悪くレスキューを出していたら、すくなが外に出て大暴れする可能性があったのでね。 ミイラなどの遺物は此方で回収してしかるべき処置をしておく事にするよ。 幾らすくながもはや祓われたと言っても、どんな悪しき足跡を残していくか分からないからね」

言うだけ言って、金髪の王子は戻っていく。

やりきれない怒りに、纐纈が拳を固めているのが分かった。

新美が心配する。

「大丈夫ですか、纐纈さん」

「ああ、そこまで柔じゃないさ」

「それにしても、何処まで本当だったんだろうなあの王子野郎」

「その罵倒は斬新ね」

北条もちょっと面白いと思ったが。

ただ、愛染には同意だ。

金髪の王子が口にした言葉が、何もかも全て正しいとはとても思えない。

だが、奴にはガチガチに監視がついている筈だ。

悪巧みなんて、とてもではないが出来はしないだろう。

それに元部長は、本当にやるとなったら容赦ない人だった。

あの人がキレた時に、犯人がそれこそ死んだ方がマシな目にあう様子を、北条は何度も見ている。

流石に力を殆ど失い、弱体化した金髪の王子には。

あの大魔王に逆らうという選択肢は存在していないだろう。

佐倉さんが来る。

顎でしゃくった先には、ゆうかさんと霧崎先生がいた。

「私はあの二人を護衛して帰るよ。 少し休んで疲れも戻った。 護衛くらいなら、まあ何とかなるさ」

「今回も有難うございました」

「いや、あのライアーアートでのすくなの弱体化、見事だった。 今後もどんどん腕を磨いてくれ」

「……はい」

ライアーアート。

単なる話術に過ぎない。

心理学を専攻していたと言っても。これで出来る事なんて、たかがしれている。

そんな事は分かっているけれども。

それでも北条にはこれしか武器がないのだ。

戻るぞと纐纈に言われるが。

流石にこの山道に放り出されてもどうしようもない。ただ。レスキューの方で、軽傷者向けにタクシーを呼んでくれていたので。

それに分乗して戻る事にする。

事実擦り傷だらけだけれど、大した傷はないのである。

救急車はいつもスケジュールがぎちぎちの状態だ。こんな程度の傷で、お世話になっていてはいけない。

タクシーで戻りながら、本部長にメールを入れる。

本部長の方からは、すぐに返事があった。

「此方の方でも監視をしていたのだが、すぐに救援を出せなくてすまなかった。 事情については、金髪の彼が言った通りだ。 すくなは外に出してしまうには、あまりにも危険な怨霊だったのでな」

「気になる事があります。 その宗教団体というのは……」

「すくなが語ったとおりの存在だよ。 バックには政財界の大物がいて、勿論「奴ら」ともつながっていたようだ。 我々の三世代前くらいの、警察の特務部隊が動いて叩き潰したそうだが」

そうか。そんなろくでもない事があったのか。

本部長は付け加える。

「今回の件もあって、復活を目論んでいる事がはっきりしたから、此方で動いて残党も狩っておいたよ。 もう復活する事は永遠にないから安心してほしい」

「分かりました。 ありがとうございます」

「つらい思いをさせたな。 休暇は手配しておくから、出来るだけ心身を休めてほしい」

「ありがとうございます」

メールのやりとりを終える。

愛染はかなり疲れていたようで、隣でもう眠ってしまっていた。

前を行くタクシーでは、新美が動いている様子が無い。あれも眠っているとみて良さそうだ。

普段はあんなに仲が悪いのに。

こんな時だけ仲が良いというのも、面白い話だ。

纐纈からメールが来る。

「近々、大きな案件が来るかも知れない」

「!」

「愛染は眠っているようだから、其方には後でメールを送る。 多分FOAFにとっての最後の作戦になるんだろう。 既にあの元部長が動いているそうだ。 我々もかり出されるかも知れない」

纐纈によると、アサルトライフルで武装しているような民間軍事会社の兵隊が既に動いているそうだ。

武装が尋常ではないから、警察の通常の部隊では対応出来ないらしい。

纐纈の所に話が降りて来ているという事は。

貰えるという休暇は、中断される可能性も高いのだろう。

いずれにしても気が重い。

どうせFOAFが、ろくな事をする訳がないのは分かりきっているのだから。

それに、である。

怪異はいなくならない。

例えFOAFという存在が滅びたとしても。

どうせ怪異は彼方此方に現れては、何も対応策が分からない人々に対して牙を剥くことだろう。

北条達の仕事は終わらないのだ。

頻度は減るにしても、である。

「あの人も恐らく最大級の増援を出してくれると思うが、明日から出る休暇の間に、可能な限り体の調整をしておいてほしい。 ゆっくり休むと言うことは出来そうに無いから、それは先に謝っておく」

「いえ、悪いのはFOAFですので」

「……そうだな」

恐らく苦笑したのだろう。

それで、纐纈はメールでのやりとりを切った。

北条も疲れきった。

眠っていてもいいかなと思ったが、まだ愛染に比べれば余力がある。

やがてG県の市街地に入り、前のタクシーとは別れた。北条も途中で降りる。愛染はその時には起きていて、どこに行けば良いか指示していた。

そういえば。

町外れにとんでもないデカイお屋敷があると聞いた事はあったっけ。

まさかとは思うが、あれが愛染の屋敷か。

この間ぶちのめした高安とかいうシリアルキラーの屋敷も凄い規模だったが。愛染のがもしあの屋敷だとすると文字通り次元が違う。

タクシーは屋敷の方にいったし。

何だか凄い所に住んでいるなあとも思うし。

どうして国家一種を受けてキャリアにならなかったのかとか。

なんでヒラのままでずっとやっているのかとか。

色々疑問に思ってしまった。

或いは実家のパイプを使うつもりが無いのか。或いは金持ちに対する強い嫌悪感があるのか。

その両方なのかも知れない。

そういえば愛染は、金持ちである事をひけらかしたことは一度もない。

育ちが悪そうな見た目の割りにはやったらめったらグルメ関係に詳しかったり、時々妙に育ちが良い所が顔を出したりするが。

そうなると、やはり金を持っているだけの存在というのが嫌いなのだろう。

生活が出来るかどうかは関係無く。

自分がやりたくて警官をしている。

そういうことで間違いなさそうだ。

安アパートに戻る。

北条の小さな安アパートで、ゆっくり体を休める。これが嵐の前の静けさに過ぎないという事は分かった。

だが、それでも今は休みたい。

公式に休暇の辞令が来た。それで、今日はもう休む事にする。

洞窟に閉じ込められて散々だった。その後のすくなを封じ込めるためのライアーアートで頭をフル活用したし。

洞窟を出るためのサバイバルで、本当に体力を使い切った感がある。

風呂に入らず眠るのはあまり良い事ではないと思うが、ベッドに転がるともう全ての力を使い切ってしまったので。

そのまま眠ってしまう。

FOAFとの決戦になるかも知れない、か。

それならそれでも別にかまわない。

それに、どうせ怪異があるかぎり、それを扱う組織は幾らでも出現し続けるのだろう。規模の大小は関係無くだ。

もう、意識が定まらず。前に考えた事をぐるぐる考えているような気がする。

夢の中でさえも。

北条は既に、仕事から逃れられない体質になってしまっているようだった。

 

4、文字通りの地獄の釜

 

私風祭純は、それを見て呆れ果てていた。

本気でこれをFOAFはやろうとしていたのか。しかも、これはどちらかというと、もう制御出来ないだろう。

現地に投入した実戦部隊は全部使い捨てにして。

結果だけを金に換えて、何処かに売り込むつもりだったのだろうか。

それともまた、昔「奴ら」だったころによく計画していた、広域破壊用の戦略兵器として売り込むつもりだったのか。

いずれにしても、こんなもの。

実施させるわけには行かなかった。

印を切ると、起き始めていた遺跡を眠らせる。

本来なら手練れ十人がかりでやる事だけれども、今の私なら一人で余裕である。

振り返る。

その辺りには、FOAFが投入した民間軍事会社の兵隊が、縛り上げられて転がっていた。

私がやったのではない。

殆ど全部、小暮が叩き潰したのだ。

昔から非常識な格闘戦能力の持ち主だった小暮だが、最近は更に腕を上げていて。今ではライフルの狙撃に対応したり、アサルトライフルをぶっ放している兵隊相手に正面から突入して制圧したり出来るようになっている。

昔はお化けを見るたびにびびり倒していたし。

今もお化けは怖くて仕方が無い様子だが。

人間の兵隊相手だったら、文字通りの鬼神である。

「銃を持った兵隊は全て片付けておきました。 後は研究チームらしい人間ですが……」

「はいはい、きりきり歩いてくださいね」

「何なんだお前ら! 本当に人間か!」

きゃいきゃい喚いている何処かの大学の研究者らしい人間。それを小暮の部下が連れて行く。

日本の大学の惨状は今知られているが、実の所一部のやたらと羽振りが良い研究費を投入している大学以外は、どこも似たようなものである。

そういったところから、研究費がどうしてもほしい奴をFOAFはかき集めて、悪さの協力をさせている。

今連れて行かれたのも、そんな堕落した大学教授の一人だ。

とはいってもあの様子では。

FOAFに雇われなかったら。どこかの企業にでも雇われて、御用学者にでもなっていただろうが。

「この遺跡は片付いたな。 次に行くぞ」

「FOAFは本当に資金を出し尽くすつもりで兵をつぎ込んできているようですな」

「本丸は潰した。 もう頭を潰されたタコが、まだ触手を動かしているような状況というのが正しいな」

「はあ。 タコは美味しいのに。 タコへの立派な風評被害であります」

小暮も結構なグルメなのだが。

まあ、その独特な例えは、私も少し笑ってしまう。

連絡が来たので、応じる。

どうやら、奴らが最後の遺跡で、規模を縮小したものの。例の術式を発動しようとしているようだった。

もう本丸は潰して、残党だけになっているというのに。

それでも戦意が旺盛なことである。

それはそうだろう。

自分達が、人間としてやってはいけないことをしている事。

捕まったところで、全うに裁かれる筈が無い事。

更に言えば、もしも逃げおおせれば、信じられない大金を手にできる可能性が高いと言う事。

それらを知っているから、なのだろう。

それに此処でまだ末端が活動しているように。

超巨大組織だった「奴ら」の残党はまだまだたくさん世界中にいる。

大きめのはあらかた潰したけれども。

それでもまだ残っている奴らは決して少なくは無いのだ。

此処でFOAFを叩き潰したとしても。

それでもまだまだ、戦いは終わらないだろう。

「此方アルファチーム。 敵捕捉。 仕掛けますか」

「術式がまだ分からない。 監視に留めろ。 すぐに向かう」

「ラージャ」

先行していた部隊から連絡がある。

先に行くと言うと、小暮は瞬歩を駆使して、その場からかき消えた。

昔はあれも出来なかったんだが。

今ではすっかり使いこなしている。

本庁の地下で、本来なら存在しない部署で。私とバディを組んでいた頃の小暮は。恐らく怪異に対しての事件の中で、無力を実感したのだろう。

今ではすっかり異次元の格闘戦闘能力をものにしている。

私でも、格闘戦では小暮には絶対に勝てない。

少し遅れてから、私も続く。瞬歩一つ取っても多分世界最高の使い手だろう。そのまま先に行かせて。

途中で状況を確認。

今なら大丈夫と判断。

「よし、制圧しろ。 術式を展開しようとしている術者達は確実に押さえ込め」

「分かったのであります。 よし、アルファチームブラボーチーム、つづけ!」

小暮が動く。

通信を切る。

前ですぐに銃撃の音がし始めるが、相手が悪すぎる。それこそ豆鉄砲で重機関銃で武装した機甲師団を相手にするような戦力差だ。

確かに銃弾が当たれば流石に今の小暮でも効くだろうが。

銃口から弾が飛ぶ向きを全て見きり、気配だけで飛来するライフル弾をかわすような事が出来る様になった小暮に死角は無い。

アサルトライフルで武装した特殊部隊を黙らせるまで二十三秒。更に十五秒で、FOAFが雇った術者を全員黙らせたようだった。

「終わったのであります。 後は先輩が確認を」

「今到着する」

ひゅんと、瞬歩を駆使して皆の真ん中に出る。

非常識さに警察の特殊部隊も呆れるが。まあ小暮のには到底及ばないので、まだまだである。

すぐに周囲を見回して、術の発動について確認。

まだ発動は出来ていないが。地図を出して、今まで黙らせた遺跡などの関係を確認する。

あまりよろしくない。

広域に被害は出ないとは思うが。

これはひょっとするとだが。

限定的に、開いてしまうかも知れない。

きひひひひと、制圧されて地面に転がされている術者が笑った。FOAFに雇われている輩だろう。

「残念だったな! これで神代の扉は開く! G県は終わりだ!」

「そんなもんは私が一人で押さえ込んでやる」

「幾ら貴様が大魔王と言われる桁外れの術者でも、神代の扉だぞ! そんなもの、押さえ込める訳が……」

頭を蹴って気絶させ、黙らせる。

頭を掻きながら、対策を素早く頭の中で練る。

此奴が言った事は本当だ。

各地の遺跡での術式発動は阻止できた。

これでG県全域が地獄になるのは防ぐ事は出来るだろう。

しかしながら、「扉」が二日、いや三日後には完全に開いてしまうと判断して良いだろう。

そうなれば、地獄が限定的に出現するようなもので。

文字通り何が起きても不思議では無い。

小暮が悔しそうに言う。

「我々がもっと早く動いていれば……」

「なあに、かまわん。 実際問題、扉を閉じる方法なんていくらでもある。 一度扉が開くと厄介だが。 それも被害が出ない程度には押さえ込む事も出来る。 ただその間多分何もできなくなるから、守りは頼むぞ」

「それは命に替えてでも。 しかし、とくそうの者達にもやはり出て貰うのでありますか」

「ああ、もちろんだ。 或いは、最深部に突入して貰う事になるかもな」

くしし、と私が笑うと。

小暮は呆れたように嘆息した。

ともかく扉がある位置は分かっている。既にFOAFの残党も向かっている筈だ。

一日だけしかとくそうには休暇をやれなかったが、やむをえない。

此方も総力で対応に掛かる。

風祭で準備した戦力の全てに声を掛けて、各地に配置。

G県全域を使った巨大な結界を展開し。

扉の被害を押さえ込む。

そして扉そのものは、私が力を弱める。

上手く行かなかったら、文字通りの地獄が出現していただろうが。勿論うまく行かせる。

「奴ら」のボスが金髪の王子の前の時代には。

もっと酷い作戦を、「奴ら」は眉一つ動かさずにやっていた。その時代だけでも、「奴ら」による被害は全世界で最低でも数十万人にも達していたのだ。百万人を超えていたという説もある。しかも信憑性が高い。

その時代の「奴ら」のボスは、私が文字通りの無間地獄に叩き落としてやったし。

後継の金髪の王子は首輪をつけて飼い殺しである。

そして今は、私の周囲には頼れる仲間も幾らでもいるし。

後継者だって育ちつつある。

だから、私はいけるのだ。

どんな無謀な厳しい戦いにでも。

ましてや、今回の戦いはどうにでもなる代物だ。

怖れるものなど、何一つない。

移動中に連絡が来る。

警察の女王と言われている、昔の相棒。日本一の、いや世界でも有数のプロファイラーである、賀茂泉かごめだ。

今ではかごめは私の右腕として活躍してくれている。

公的な立場では、である。実際には実力が拮抗した相棒だ。

何かあって私が倒れた場合は、警視総監になってもらうだろうし。

その時は私とは違う方向から、厳しい統制を警察に敷いてくれるだろう。

「G県の状況はどうかしら」

「今、FOAFの最終作戦を押さえ込みに行っている所だ。 其方は」

「FOAFに協力している者、所属している者はあらかたリストアップできたわ」

「よし、捕まえろ」

OKというと、かごめは通話を切った。

猟犬をけしかけるのと同じ。

政財界の関係者もいるだろうが、関係無い。

全員血祭りだ。

文字通りの意味では無いが、社会的には死んで貰う事になるし。牢獄に入った後は、法で裁けない場合は。

文字通り、法で裁いて貰った方がマシだった目にあって貰うだけである。

さて、現地が見えてきた。

なるほど、神代の扉がある地だ。

これは生半可な能力者だったら、それこそ見ただけで全力で逃げ出してしまう程の代物だ。

しかも休眠状態で、である。

今、この扉は起き始めている。

だが、私は屈する事はない。

すぐに風祭本家から連れて来た手練れを展開すると、押さえ込みを開始する。私自身は、少し離れた場所から、押さえ込みを始める。

扉はとにかく開くのにも閉じるのにも時間が掛かる。

後は、兎に角被害が出ないように、此方で対応するしかない。

「来ました。 FOAFの残党部隊であります。二個小隊はいるようであります」

「潰せるか」

「オス!」

「よし、潰せ。 私には近寄らせるな」

頷くと、小暮が放たれた矢のように飛んで行く。後は蹂躙だ。

私は、とくそうに連絡をいれるようになと声を掛けると。

後は扉を閉じる作業に、集中すれば良かった。

 

(続)