最悪の輸入物

 

序、それは最低最悪の代物

 

北条紗希は朝から嫌なものを見てしまった。

米国の学校で「また」大量殺人事件が起きたのだ。銃が入手しやすい米国では、スクールカーストという邪悪な代物に虐げられた人間がしばしばスプリーキラーと貸す。

自由の国とは名ばかり。

その実体は、体育会系の人間が社会の上位を占め。

知識層やいわゆるオタクは社会の下層にいることを強要され。

上位は下位に何をしてもいい。

要するに、猿と同レベルの代物だ。

人間は何も進歩していない。

どれだけ色々なシステムを作り出し考案しても、悪用する人間がどんどんそれをねじ曲げていく。

結果として犠牲者が出る。

米国の学校でたびたび起きるスプリーキラーによる乱射事件は、はっきりいって起こさせた方が悪い。

日本の津山事件と同じで。

周囲が犯罪を発生させたのであって。スプリーキラーになった人間は、周囲を殺さなければ逆に殺されていただろう。

しかも最悪な事に。

このスクールカーストは、近年日本にも輸入されてきている。

いや、元々あったカーストが、単に可視化されて言葉が作られただけだろう。

だが、最悪なのは。

虐めはあって当然。

虐められる方が悪い。

そんな風潮まで、輸入されてきている、と言う事だ。

文字通り最悪の気分を味わって、北条はうんざりした。今日は、「とくそう」は暇だ。この怪異に対応する部署は、はっきりいって暇なときはとことんやる事がなく。警察の部署にもかかわらずなんと普段は定時で帰れる。昔は捜査一課に嫌みを言われた事もある。だが、それもなくなった。

何しろ、大魔王と渾名されていた元部長が、とくそうに入れ込んでいるという噂が流れたからだ。

馬鹿ほどこの手の行為には敏感である。

さらにとくそう絡みの事件が、危険なものばかりで。下手をすると捜査一課でも手に負えない内容ばかりだという事も知られると。

たまにとくそうが働いているのを見ると、捜査一課が緊張するなどと言う格言までで来たそうである。

むっつりと黙り込みながら、キーボードを叩いて作業をしている新美。少し前にとくそうに入ってきた警部補。

纐纈。同じく警視。

現在は纐纈の部下となっている北条は、四人しかいないこのとくそうの三番目になる。とはいっても、実質纐纈のワンマン体制で、此処に「本部長」なる謎の人物から連絡が来て、対応が始まる。

一応電話もおいてある。

だが、基本これは本部長からしか掛かってこない。

更に、定時以降は各自のスマホに連絡が来る。

このため、普段は定時で帰れるのが、この不思議な部署だった。

数日ほど暇だったのだが。同僚の愛染刹那が怪異の話を仕入れてきたとか言う話をしたので、新美がぴくりと反応する。

どう見ても好意的な反応では無い。

散々オカルトを見ているのに、未だにオカルト否定派の新美は。どうしてもオカルト大好きな昭和のヤンキーみたいな風貌の愛染とは犬猿の仲だ。細くて女性みたいな新美と、ごっつい愛染。見た目も性格も何もかも真逆。

一周回って仲良くなりそうなのだが。

不思議な話である。

「そんなもの、実在するわけないだろう!」

「いいや、怪異はいるね! 実際お前だった散々見てるだろう!」

「階級が幾つも上の人間に何を言うか! それに」

「心太郎、その辺りにしておけ」

纐纈が言うと、ぴたりと新美が黙り。そして愛染も纐纈の視線を受けて黙り込む。

こうしてまた気まずい沈黙が来るが。

どうやら、それも終わりらしい。

電話が鳴った。

この電話は、どういうわけか北条が取る事で決まっている。なんとなく、それがとくそうのルールとして根付いているのだ。

「とくそうです」

「北条くんかね。 私だ」

相変わらずの野太い声である。

この本部長という謎の人物は、誰も見た事がない。とくそうでもどんな人なのか分からないと話題だ。

そもそも部長がいる時点で、更に階級が上の人がいるとは考えにくい。現在でも本部長という肩書きを持つ人物は存在していないことが分かっている。だけれども、あの元部長は、明らかに本部長と連携して動いていた。

更には、この人からの電話は必ず取り、指示を受けるようにとも厳命されていた。

前に大魔王と渾名されていた元部長がいた頃は。本部長からの電話の後、その人が出て来て。一緒に捜査をしたものだが。

何でも此処でやるべき事が終わったとかで。その元部長はG県警を離れて、今では警視総監である。

警視総監としても大魔王と呼ばれているらしく、各地でわずかに残っている無能キャリアは名前を聞いただけで震え上がるらしい。

まああの無茶苦茶ぶりを間近で見ている北条としては、大魔王という渾名が定着するのも当然に思える。

それはそれとして、本当にこの本部長というのは誰なのだろう。

それだけが分からない。愛染はどうも知っている節があるのだけれども、教えてくれないので歯がゆい。

「事件だ、動いてほしい。 場所はこれから指定する公園だ。 現在はまだ事件が起きていないが、急いでほしいという事だ」

「? どういうことです?」

「とにかく急いでくれ。 死人が出る」

「はあ……分かりました」

まあ、死人が出るとなるとそうなのだろう。纐纈と新美は既に立ち上がっている。愛染もである。

この電話がなると言う事。

それは怪事件が発生すると言う事を意味しているからだ。

すぐに外に飛び出す。パトカー利用を申請している暇は無いので、愛染の車に乗る。後ろに纐纈と新美が乗るので、ちょっと後ろから圧があるが。それにしても良い車だ。走り出すときのスキール音も凄い。

詳細が遅れて全員のスマホに来る。

何でも、生きた人形が動き出した、という事である。

生きた人形。

なんだそれ。

普通だったら、本部長がおかしくなったとでも思うところだが。それより頭がおかしい代物を北条はなんぼでも見て来ているので今更驚かない。流石に困惑した様子で、新美が纐纈に問うている。

「生きた人形とは一体何のことでしょう」

「分からないが、危険があるというのならどうにかせざるを得ないだろう。 実際俺たちはよく分からない事件に今まで幾度も対応している。 事実とくそうが動いているときには、下手をすると大規模な連続殺人事件に発展しかねない事件すら起きていただろう」

「それはそうなのですが」

「怪異があるかどうかは今は重要では無い。 通報があって、それがほぼ間違いなく正しくて、そしてそれによって傷つこうとしている人がいる、と言う事だ。 それを考えれば、今急ぐのは判断としては間違っていない」

纐纈は流石だ。

あの元部長が見込んだだけあって、適応力も高い。もうとくそうでトップになっているし。

愛染だって新美には食ってかかっているが、警視である纐纈には一切文句を言わない。無能な上司にはあれほど辛辣なのに。

それだけ警官としての能力が高いことを認めていると言う事だ。

車が乱暴に公園に横付けして、全員が展開する。

既に、公園の見取り図は運転中の愛染以外全員で運転中に共有。愛染は北条と一緒に動く事を決めている。

公園はかなり広い自然公園だが。

近年の流行りに沿って、サッカー禁止とか、子供が騒ぐの禁止とか、残念な張り紙がされている駄目な公園だ。

この手の公園は近年増えてきている。確実に。

それでいながら子供が遊ぶ場所がないとかぎゃあぎゃあ騒いでいるのだから、何というか色々末期的である。

それはなくなると、こういう看板を見ていればわかるものを。

すぐに全員で彼方此方に散る。

絹を裂くような悲鳴が上がったのは、直後の事だった。愛染が猛然と飛び出す。北条も続くが。

元々二世代前のヤンキーみたいにリーゼントまでしている愛染は、身体能力が図抜けて高い。

猛然と躍りかかった先で、うわっと声が上がる。

北条も茂みを無理矢理突っ切って、それを見ていた。

そこにいたのは、倒れかかった人間の顔に覆い被さっている人形だった。その人形が振り向く。

手が、朱に染まっていた。

いや、それだけではない。何か肉片がぐっちゃりとくっついている。

それだけじゃあない。人形が空中に浮き上がると、かっと口を開いて威嚇してくる。邪魔をするな、という意思表示なのは確実だ。

痛い痛いと喚いている下の女。綺麗なブランドに身を固めた女だ。側にはスマホが落ちている。

そして、覆っているのは目。

大体どういう状況にされているのかは、北条にも分かった。

一瞬躊躇してしまう北条と違い、それでも愛染は猛然と人形に飛びかかる。

小さいが、精巧なビスクドールだ。それはふわりと空中を飛んで避けると、茂みに飛び込んで消えていく。

何だあれは。

文字通りの生きた人形だとは。

ゾンビくらいは出てくる事を覚悟していたのだが。あんなものが出てくるとは思わなかった。

「此方北条! 負傷者が出ています! すぐに来てください!」

「そちらか、分かった。 今行く」

纐纈に連絡を入れると、救急車を手配する。

ただ、普通の病院だとまた襲われる可能性がある。すぐに警察病院を手配して、本部長にも連絡する。

これは多分だが、護衛が必要だろう。

被害者の状況を確認する。

両目が、ごっそり抉られていた。

凄まじい力だ。あの小さな人形、そのままだと目を抉るどころか、脳を潰してこの人を殺していたに違いない。

「いたいいたい目が見えないなんでアタシがこんなめにあうのよ!」

ネイルにも化粧にも血が飛んで台無しだ。とにかく応急処置をと思ったが、眼球を抉られた人の応急処置なんてどうすればいいのか。すぐに纐纈が来て、これ以上目を触らせないように手を押さえさせろと指示してくる。

新美は凄惨な有様に口を押さえて、周囲を警戒。

あの人形が、まだこの辺りを見ていてもおかしくないのだから。

「何があった」

「俺が知りたいぜ……」

愛染がぼやく中、北条は告げる。

ビスクドールが人間を襲い、目を抉ったのだと。

はあと新美が声を上げるが。

纐纈は、それに対して何も言わなかった。

「ビスクドールというと、子供用の精巧な人形か。 最近は熱狂的なマニアもいるそうだが」

「ものによっては数百万の値段がつきますよ」

「……そうか」

救急車が来た。

すぐに看護師が来たので、怪我の状態を伝える。目を抉られた人の応急処置なんて出来なくて当然と言う事で、看護師はむしろこれ以上傷にダメージが入らなくて良かったと纐纈を褒めていた。

そのまま救急車で被害者が運ばれて行く。

すぐに現場保全をするが。

これはこのままで済むとは思えない。あのビスクドール、まるで妖怪だ。空を飛んで人を襲う。

このまま犠牲者が一人で済むのだろうか。

とてもそうだとは思えない。

「そういえば北条、お前聞いていたか」

「え、何を」

「ああ、人形が喋ったんだよ。 遠かったから聞こえなかったか」

「……」

そうか、愛染は猛然と人形に襲いかかったのだ。それは確かに、聞こえていても不思議ではないだろう。

「何を言ったのあの妖怪人形」

「思い知ったか。 こんなものではなかったんだぞ、ってな」

「確かか」

「はあ、まあ」

纐纈は考え込むと、すぐに指示を出してくる。

そもそも人形が人を襲ったなどと言うとんでも無い事件である。いずれにしても、このままでは右往左往するだけだ。あの元部長だったら何かすぐに方針を示してくれたかもしれないが。

少なくとも、これでは北条にも愛染にも動く事は難しい。

だが流石は纐纈である。

歴戦のデカは違った。

「その言葉が間違いないとすると、怨恨の可能性が高いな。 人形があの目を抉ったかどうかはまず置いておく。 あの被害者の身元と周辺の人間関係を調べろ。 恋人がいたのか、それともストーカーか、或いはもっと違う縁か。 いずれにしても、犯罪者は殆どの場合行きずりではなく知人に対して害を行う。 ましてや怨恨となると、その線を辿るのが一番早い」

「分かりました、すぐに」

「俺は今から警察病院に行ってくる。 警察病院へすぐに身元を調べるように指示を出しておくから、それが届き次第お前達は調査を開始しろ。 心太郎、お前は直近の被害者の人間関係を割り出せ。 職場の人間から恋人等までだ」

「はい、纐纈さん」

「北条、愛染、お前達は被害者の過去の人間関係を調査しろ。 見た所、二十代半ばという所だった。 学生時代に何かあった可能性もある。 怨恨が消えるには数年は早すぎるからな」

頷くと、すぐに分散して動く。

纐纈はタクシーを拾って警察病院に。愛染の車で、三人は一度とくそうに戻る。

汚い部屋だが、纐纈と新美が持ち込んだPCは捜査用の特注品だ。警察で近年整備した犯罪者のDBにもアクセスできるし、他にも色々情報を手早く検索できる。

十五分ほどで、被害者の名前が届いた。

被害者の名前は山本知美。24歳。近くの会社で働いているOLである。本人は既に痛みのために気絶したそうである。

なお目は絶望的な状況で、眼球を抉られてしまっているためにまず元に戻る可能性はないという事だった。

口をつぐむ。

警官として、何という酷い事件だと憤慨するのはちょっと早い。

まずこの被害者は怨恨を向けられている。

異常者が逆恨みしたという可能性もあるが。あんな異常な殺しを計画したとなると、そうとは考えにくい。

また怪異絡みだとしても。

怪異は通り魔的に無差別に相手を殺せるとは思えない。

それは怪異に散々酷い目に会わされた北条の経験則だ。

仮に山本という人が襲われたことに何か理由があっとして。其所には何かしらの法則性があるはず。

今は、何とも言えないのが実情だった。

車が県警に着く。

無言でとくそうにかけこむと、それぞれPCを操作し始める。新美は流石で、すぐに山本の職場に連絡を入れて、捜査に行ってくると言って飛び出していった。

北条と愛染だけが残される。

程なくして、北条が探し当てる。

被害者の学校を、である。ただ複数ある。転校を繰り返したらしい。その中で、一番長くいたものを当たる必要があるだろう。

愛染もそれを確認。どうやら間違いないらしい。

すぐに学校に向かう事にする。

また、とくそうはカラになるが。

まあ、それはどうでも良いことである。

ドアに鍵まで掛けて出ようとした時。不意に、声を掛けて来た者がいる。

あの、気にくわない金髪の王子だった。

「なんだてめえ」

「そう凄むな。 私も同行しよう」

「お前が?」

「君達を昔指導していた「元部長」は常に同行していたのだろう? 私はもうあの大魔王と競り合うほどの力はないが、一応権限だけはある。 権限をちらつかせれば喋りやすくなる人間は多い。 ……まあ全盛期の力でも、あの大魔王には勝てないだろうが」

舌打ちする愛染。

実際問題、北条も愛染も、ヒラに近い立場の警官だ。

そういう立場だと、足下を見てくる相手はいる。警官が階級社会で、色々と問題塗れであることは誰もが知っているのだ。

車で学校へ移動開始。

高校には、北条も良い思い出はない。

女子のグループにおける陰湿な虐めばかり思い出す。北条は加わる事も受ける事もなかったが。

半ば公然とスクールカーストという概念が蔓延し始めた近年の学校は、虐められる方が悪いという風潮まで広まって、生徒も教師も居心地が大変に悪い。

ただ昔は不良が堂々と暴力を振るって回っていたのを考えると、今が昔より悪いとは一概には言えないかも知れない。

愛染がこんな格好で何も言われないのも。

そんな時代の不良を、もう誰も知らないからと言うのが大きいのだから。

間もなく。学校に着く。

そこそこおしゃれな学校である。

だが、何だか北条には、この時点で嫌な予感がしていた。

 

1、絡まる糸の先に

 

山本知美に関する情報を一旦集めて、それから戻る。校長は金髪の王子が警視である事を知ると、すぐにへいこら頭を下げて、資料を出してきた。見かけもあるのだろう。ふっと鼻を鳴らす金髪の王子にはっきりいって北条も頭に来たが。確かにこの手の輩には丁度良い権力の使い方ではあるのかも知れない。

当時の担任の連絡先を確認。

その担任に連絡を取る。

実際に本人に会うことがで来たのは夕方だが。相手が男性教師と言う事で、其方は愛染に任せた。

北条は金髪の王子と一緒に学校で聞き込みを続ける。

また、アルバムも確認した。

遠目の視線をたくさん感じる。

不愉快だが、金髪の王子はその辺のタレントなんか比較にならない程の美貌の持ち主である。

多少目つきが悪いが、普通に芸能界に即座に入れるレベルのルックスだ。

そりゃあ、女子生徒が色めきだつのも当然だろう。

「これは失敗だったかしらね」

「いや、これで大丈夫だろう」

「どういう意味」

「私くらいルックスが常人離れしていると、逆に誰も近寄ってこない」

はあそうですかと呆れるが。

確かにその通りで、誰も近寄ってこないし。何より聴取をするとそれで話がすらすら出てくる。

まあ見られるだけで滅茶苦茶緊張するだろうし、何となく分かる。

そして、一つ重要な情報が得られた。

「何年か前に、自殺未遂騒動があったって噂があります」

「詳しくお願い出来るかしら」

「は、はいっ!」

金髪の王子に見つめられて、その地味そうな女子生徒はぴんと背筋を伸ばした。まあ気持ちは分かる。

分かりたくないけど。

オカルト研をやっているその子は、色々と学校の噂を調べているらしく。

数年前に自殺未遂があった事は事実であることを突き止めたらしい。

ど、どうですかと自慢げな女子生徒。

はっきりいって不愉快だ。

自殺未遂というのは、元々精神に何かしら問題が無かった場合を除けば、余程追い詰められない限り起こそうとはしない。

ましてや教師達からはそんな話は出てこなかった。

つまり学校側で隠蔽している、と言う事だ。

それを自慢げに探し当てたことを言われても、此方としては不愉快であるとしか返せないのが北条の本音である。

不愉快なことに気付いていないのだろう。

女子生徒は、更に言う。

「この自殺未遂、先生達に箝口令が敷かれているらしくて……古参の先生しか多分知らないと思います」

「……分かりました。 有難うございます」

一旦メモを取った後、戻る事を告げる。

金髪の王子は静かに笑う。

「いいのかね此処で詰めておかなくて」

「私が拾える情報は集めたわ。 また来るかも知れないけれど、それは捜査が進展した後よ」

「ふむ、そうか」

「現場百回といってね」

非効率なことだと、金髪の王子は笑う。

ため息をつきたくなるが、まあ此奴はこういう奴なのだろう。そもそもこの場で拳を顔面に叩き込みたいくらいなのだが。

あの元部長が寄越してきているのだ。

色々理由もあるのだろうし、それはやらない。

後は別々に戻る。金髪の王子は、それはそれで仕事があるらしい。まあ此方としてはどうでもいい。

とくそうに戻ると、客が来ていた。

珍しい事だ。

大人しそうな女性の新人監察医見習いらしい。あの如月先生が連れて来ていた。

「というわけで、この子はこれから躾けるからヨロシクねえ」

「はあ……」

如月先生が無駄な色気を周囲にばらまきながら、新人を連れて行く。

サイボーグにでもされなければいいけどと思っていたが。愛染が咳払い。なお、新美もほどなく戻ってきていた。

如月先生がとにかく苦手らしいので、或いは隠れていたのかも知れない。

だとしたら、如月先生にはバレバレだっただろうが。

「じゃあ、情報のすりあわせと行こうぜ」

「ええ、そうしましょう」

「まともな情報を集めてきているのだろうな」

如月先生がいなくなったからか、打って変わって強気の新美警部補どのである。

まあちょっと呆れてしまうが、それはそれこれはこれだ。

ともかく、順番に話を聞いていく事にする。

まず新美からだ。

「職場での被害者の評判だが、はっきりいって良くないな」

新美の言葉は、ずばりとして厳しいものだった。被害者だからといって、事実を曲げる気は無いのだろう。

山本という女性はいわゆるお局になりうる気質のある女性で。普段はSNS映えするような写真を撮ったり、派手なネイルをしたりして、承認欲求が人一倍強い印象だったという。

仕事はそこそこにできるようだったが。若い子が入ってくると粉を掛けて必ず手下にしようとし。気に入らない相手には嫌がらせが起きる様に仕向けると。職場で権力を確保しようと蠢動していたという。

「まだ入ったばかりなのに、お局候補という渾名まで付けられていたようだ。 陰湿な嫌がらせを受けて、部署を変わった社員もいるらしい」

「なるほど。 そういう社員のリストも作ってきている感じですか?」

「ああ。 聴取も済ませたが、山本は典型的なサイコパスだな。 基本的に他人が悲しむ事苦しむ事を何とも思っていないどころか、見て楽しむタイプだ。 陰湿な虐めをしているときに、一番楽しそうに笑っていたという証言が複数出ている。 男遊びも派手だったようだが、どれも長続きはしなかったらしい。 相手にしていた男も、どいつもこいつもいかにもな連中ばかりだったそうだ」

続けて愛染である。

愛染は、苦虫を噛み潰したようだった。

「俺の方は担任に話を聞いて来たが、あまり良くない情報がある」

「聞かせてくれないかしら」

「まずあの山本という奴は、四人グループにいたらしい。 女子の作るグループだ、陰湿なのは分かっているよな」

「ええ」

まあそうだろう。

更に、である。愛染は、さっき如月先生が行った方向に視線を向ける。

「グループにいた女子の名前は以下の通りだ。 山本、笹川優衣、岩田麗奈、金城沙織」

あれ。

なんか聞いたばかりの名前があるような。

咳払いすると、愛染は言う。

「このうち岩田麗奈は中途退学して、グループは三人になっている。 この岩田という子については、教師が口が重くてな」

「それで?」

「問い詰めたら、やっと吐きやがった。 虐めを受けて、退学にまで追い込まれた様子だ」

「!」

そうか。そういうことか。

そして、更に、である。

もっとろくでもない情報もあるという。

「あの気が弱そうな新人いただろ。 あれ、魔女先生が引っ張って来たらしいんだがな」

「ええ」

「あれが金城沙織。 写真で見たが間違いない。 本人だ」

「……っ!」

絶句。

これはいくら何でも、お膳立てが整いすぎている気がする。

更に、北条の方でも情報を提示。

自殺未遂騒動があった事を告げる。そしてその年代は、間違いなく山本らがいた世代である。

新美がぼやく。

「出来すぎているな」

「出来すぎているのは、あの金城の件だな。 多分如月先生の所に回されたのも、偶然じゃないだろうぜ」

「その口の利き方は……もういい。 とりあえず、情報の整理をしておこう。 纐纈さんが戻るまでに、此方でやれることはやっておくぞ」

今は新美が最高階級者だ。

頷くと、指示に従ってまとめを行っていく。

そうしている内に、纐纈が戻って来た。

纐纈は、山本が殆ど気絶していたので、状況を医師に確認するくらいしかできなかったそうだが。

それでも幾つかの情報を得てきたという。

なお、何人かこの手の事件で顔を見る人間が護衛に来ていたらしい。

それなら、多分元部長の部下とか、あの佐倉さんの同僚とかがもう動いているのだろう。心配には及ばないか。

「医師の話によると、凄まじい力で人形によって目を抉られたことは確定らしい。 傷が人形の手形くらいの人の手の形にぴったりだったそうだ。 また被害者も人形に襲われたとうわごとを呟いていて、それについては看護師が聞いている。 一致しているな」

纐纈も信じられない話だがと付け加えるが。

今更これは仕方が無い。

とにかく、どんな仕掛けかは分からないが、人形が人を襲ったと言う事だ。

更にまとめた内容を説明すると、纐纈は頷いていた。

「心太郎、お前は如月先生の所に行って新人に聴取だ。 場合によっては護衛が必要になる。 スケジュールも調べておいてくれ」

「分かりました」

「北条と愛染は、もう一人の笹川という重要参考人の居場所と安全を調べろ。 場合によっては即座に確保だ」

「はい」

どちらも優先度が高い。

怪異は休んではくれないし。夜の闇にも紛れるのだ。

纐纈は引き続き調査を続行するという。

類似の事件などが起きていないか、というような調査だ。また、何か分かったら出るが。スマホの電源は入れておくので、進展があったら連絡するようにとも言われた。

すぐにとくそうを出る。

もう夕方だが、こればかりは急がないと危ない。

あの人形がどれだけ危険な存在か分からない。もうこうしている間にも、更に犠牲者が出ているかも知れない。

勿論、通り魔的に山本が襲われた可能性もある。

だが今は、一番可能性が高い場所を潰して行くのが最優先である。

そういう意味で、纐纈の言葉は正しい。

これでもしもまともな指示が飛んでこなかったら、色々とぼやくところだが。正しい指示を飛ばしてきているので、従うだけだ。愛染も文句一つ言わない。纐纈が出来る事を、肌で感じているからだろう。

また、愛染の車で行く。

愛染が、法定速度をきちんと守りながら言う。

「もう話したっけ」

「何のこと?」

「俺の恩人は立派な警官でな」

そういえば、聞いた事があるようなないような。

黙っていると、愛染は続ける。

「おやっさんって呼べる、まっとうに年を取った尊敬できる人だったよ。 俺はあの人に憧れて警官になった。 元部長が来るまでは、G県警はカスみたいな場所で、纐纈のおっさんも無能なキャリアどもに目の敵にされてた。 今だと信じられないかも知れねえけどな」

「嘘でしょ……」

「本当だよ。 元部長がばっさばっさと馬鹿共を大掃除して、それからだ。 あのおっさんが、あれだけ自由に動けるようになったのはな。 そういう恩もあるから、多分あのおっさんも元部長には呆れながらも従ってたんだと思うぜ」

「……そういう事だったのね」

北条はまだヒラに近い立場と言う事もあって、纐纈の過去に詳しくないし、G県警の昔の事だって知らない。

昔は地方警察署の勤務で、あの惨劇に巻き込まれるまでは捕り物だってやった事がなかったくらいだ。

今でこそ仕事が来れば殺し合い、みたいな状況になっているが。

それも慣れてしまったのか、普通のことに思えてしまっている。

「悔しいが、纐纈のおっさんが出来る刑事だって事は認める。 おやっさんとかああいうおっさんとか、まともな警官ばかりになればこの国の警察もなあ」

「大魔王……じゃなくて元部長がだいぶ良くしてくれたでしょう」

「まあそうだがな。 確かに今はある程度居心地はいい」

「毎日新美警部補と喧嘩してるのにね」

苦笑する北条。

程なくして、小さなアパートに着いた。

此処が、笹川の住んでいる場所か。

住所を確認した後、アパートに出向く。びりりと、嫌な予感がした。

視線を感じる。

笹川の部屋を確認した後、チャイムを鳴らす。チャイムを二度鳴らしても、小さなアパートだろうに出無かった。

ノックもする。

隣の住民が、顔を出した。パジャマを着たおじさんだ。

まあこの時間だし、仕方が無いとはいえる。

「なんだこんな時間に」

「警察です。 笹川さんに用事があって」

「笹川? あの陰気な女か。 さっき部屋に入るのはコンビニ帰りにみたぞ。 それについさっきもドアが開く音したし、今も部屋にいるんじゃねえのかな」

「ありがとうございます」

一礼すると、もう一度チャイムを鳴らす。

嫌な予感が加速する中、愛染が思い切ってドアを開けて、中に踏み込んでみた。ドアは、開いていた。

というよりこれ。

ドアがねじ切られている。

そして内部では、想像を絶する光景が繰り広げられていた。

電気がついていない暗い部屋。シルエットでしか見えないが、床でばたばたもがいているのは、笹川に間違いない。その抵抗は、一秒ごとに弱くなっている様子だ。

電気をつける北条。猛然とダッシュする北条。

見える。

また、小さな人形だ。

あの人形に間違いない。美しいビスクドールである。

そして其奴は、笹川と思われる人物に覆い被さっていた。愛染が飛びかかるが、人形は凄まじい威嚇の声を上げて飛び退く。その時既に、足をぴんと伸ばして、笹川は動かなくなっていた。

「恨み忘れると思うな……っ!」

凄まじい声が、今度は北条にも聞こえた。

そして人形は、びゅんと飛んで部屋から出て行く。一瞬だけ、横を通り過ぎる人形を北条は見た。

愛染が、救急車、と絶叫。

人工呼吸を始めている様子から考えて、事態は明らかだ。すぐに救急車を呼ぶ。

救急車はすぐに来てくれる。大体数分で到着する。

被害者の様子を確認。

写真と照らし合わせるが、笹川で間違いない。

安アパートのドアは、これはどうなっている。やはり力尽くで、猛然とねじ切られたようである。

ドアをねじ切った。

だが、目玉を押し潰すパワーを発揮したあの人形だ。確かにそれをやってもおかしくはないだろう。

また目を抉られたのかと確認するが、違う。

笹川は首を絞められていた。

部屋を暗くしてどうしたのだろうと思ったら、どうやらアダルト系の動画を見ていたらしい。

男子は勘違いしがちだが、女子だって普通にアダルト動画は見る。

幸い音はイヤホンで聴いていたらしいことや、画面が時間で隠れたので、まあ尊厳は守られたか。

汚い部屋だ。

ざっと見るが、何というか最低限の生活である。

被害者も、服装から何から、若い女性として最低の生活をしていることが分かる。

白目を剥いている被害者が、げふっと息をした。

どうやら心臓マッサージが上手く行ったらしい。激しく咳き込む被害者だが、動きは酷く緩慢だった。

救急車が到着。被害者を連れて行く。

暴漢に襲われたという説明をして、警察手帳を見せ。指定の警察病院へと運んで貰う事とする。

バイタルなどを確認した後、てきぱきと運んでいく救急隊員。

あの人形が、救急車を襲撃する事を一瞬不安視したが、その辺りは多分大丈夫だろうとは思う。

というのも、救急車の側に、見知った顔があったからだ。

ともかく現場保全だ。

そして、纐纈に連絡を入れる。

纐纈はスマホの向こうでそうか、とだけ呟いていた。

「これで確定だな。 次に狙われるのは金城沙織と見て良いだろう」

「岩田家はどうしますか?」

「岩田麗奈については調べた。 現在も植物状態のまま、病院で寝かされているそうだ」

「……」

やはり、自殺未遂騒動の話は本当だったのだ。しかも被害者は岩田麗奈と来たか。自主退学では無く、自殺未遂で自動的に退学になったのだ。

それも、これはどうも裏がもっとあると見て良いだろう。

とりあえず、現状は金城を守る事を考えつつ。

岩田麗奈の家族を探る必要があるだろう。

だが、それほど手数は多く無い。

何より、根本的に勘違いをしている可能性もある。例えば、あの人形のターゲットには、岩田麗奈も含まれるとか。

ともかく、科捜研が来たので、現場保存は任せる。

一度戻りながら、相談をしておく。

「纐纈警視も言っていたけれど。 ほぼ確実に金城沙織も狙われると見て良いでしょうね」

「それよりもむかつくぜ」

「?」

「あの金城って女だ。 どうせ虐めに荷担していたのは確定だろう」

それはそうだろうが。

愛染に、軽く話をしておく。

「刹那。 貴方が思ってるほど女子のグループは単純な構造で出来ていないのよ」

「どういうこった」

「あのね。 男子が趣味嗜好とかがずっと子供のままって良く言うでしょ。 あれは確かにその通り。 一方で女子は女子で、それこそ小学生の頃からグループ作って、ひたすら地位確認を続けるの。 それこそ一生ね」

唖然とする愛染に説明をする。

古くから女子ばかりの学校とか尼寺とか修道院とか存在したが、そういう場所がいわゆる想像されるような乙女の園であったためしがない。

殆どの場合、この地位確認がひたすら繰り返される閉鎖空間で、閉じきった地獄絵図だったのだ。

何故か。

女子にとっては、殆どそれが本能だからである。

「男子はいつまでたっても子供だとかいう言葉があるけど、女子もそれはある意味では同じなのよ」

「はあ、良くわからねえが……」

「女子のグループってのは、基本的に序列が明確でね。 中にはとても感じが良いグループもあるけれど、それは例外中の例外。 基本的に気が強くて声が大きい人間がリーダーシップを取りたがる。 これは大人になっても同じよ。 地域でボスママなんてのがいたりするし、SNSで周囲を仕切ってる変な女子がいるでしょう? ああいうのが良い見本よ」

北条としては、勿論それがいいことだとは思わない。

幸い北条は学生時代、その手のアホとはあまり関わらなかったが。

今でも強大な力を持つボスママとかが地域で君臨していたりするケースがあることを見るに。

これは現状。改善しなければならない人間の悪しき習性の一つなのだろうとも考えている。

やっている事がニホンザルと同じなのである。

人間が知恵ある動物だというのなら。当たり前だが改善しなければならない。都合が良いときばかり人間も動物なのでとか抜かすやからは、それこそ死ねば良いのである。

「グループのリーダーが基本的に声と態度が大きい奴だって話はしたわよね。 そいつが良い奴ならグループはまだきちんとまとまるのだけれど。 だけれどね、そいつが良い奴ではなかったら……」

「虐めが始まるのか」

「ええ、男子が想像したことも無いような陰惨な虐めがね。 グループの序列が低い女子はそれに逆らう事は許されない。 逆らったら今度は自分がターゲットだからね」

こうして虐めはエスカレートし。

しばしば相手を死にまで追いやる。

虐めにはグループ内の全員が荷担する。

それは当然の話で、女子のグループというのはそういうものだからだ。異を唱える事は次の自分の死を意味する。

今はどんどん人間関係が希薄になっている。

だが、昔は違った。

昭和の頃は、こういう虐め死はもみ消されるのが常だった。今の時代でも、もみ消そうとして問題になる事も多いし。

挙げ句の果てに虐めで相手を死にまで追いやっておきながら。

賠償金数百万とか言う、信じられない命の値段をつける裁判官まで実在する。

要するに人間の命は安くなる一方というわけだ。

結論として、人間は虐めを内心で合法化したがっている。それによる殺戮もだ。理由は簡単。

見ていて面白いし。

地位確認としてもってこいだからである。

それがくだらない女子のグループ内での諍いを見て知っている北条の結論である。

「だからって、金城を……」

「勿論許せというつもりは無いわよ。 ただ、恐らくは弱い人間だという事だけは理解しておいて」

「……クソが」

「同意ね」

とくそうに急ぐ。

金城が殺されたら、拍手喝采だろうか。そうは思えない。

誰もそんな事になっても喜ばないし、得もしない。虐めを喜ぶ奴はこの世に幾らでもいるからだ。

この世から悪は消えるか。

悪は虐めを主導していた奴だ。多分最初に狙われたことから言っても山本だろうが。

まあ彼奴は、二度と目が元に戻ることは無いだろうし。

一生社会復帰は無理だ。

更にもしも虐めによる殺人未遂が発覚したら、病人だろうが関係無い。地獄の底まででも追い詰めてやる。

北条は、悪を許せないと思う。

理由は簡単。

あの繰り返す地獄の中で。自分すらもが、悪に荷担させられたことがあったからだ。

だからこそ、許せない。

警官としても。

それ以上に、人間として、だ。

 

2、顛末

 

金城は話によると、昨晩は泊まりと言う事で。如月先生もいる寮に泊まったと言う事だった。

ならば大丈夫だろう。

まあそれはそれとしてだ。

如月先生には、早めに連絡を入れて、事情を説明しておく。

やはり知っていたようで、魔女はくすくす電話の向こうで笑うのだった。

「あの子ねえ、周囲に凄まじい怨念を纏ってるの。 遠からず殺されるのが目に見えていたから、側においていたのだけれど。 私立ち会わなくても良いかしら?」

「いえ、多分大丈夫です……」

「一応、佐倉ちゃんはもう動いているから、それだけは安心してね」

「はあ……はい」

そうか。

佐倉智子。あの元部長が時々手伝いに呼んでいた凄腕だ。この間の事件でも、随分と北条達を助けてくれた。あの人がいなかったら、為す術無く隙間女に殺されていた可能性も低くはなかった。ライアーアートに持ち込む事も出来たかどうか。

いずれにしても、翌朝一番には金城を聴取のために連れていく。

聴取をする部屋は普通にあるので、其所を利用する。金城はなんでという顔をしていたが。

四人グループの名前を順番に挙げていくと、見る間に蒼白になっていった。

「昨日、山本が両目を抉られ。 笹川が首を絞められた。 山本は命さえ取り留めたが、両目は抉り取られて一生目は見えないだろうし、今は目を覚ましたが錯乱して発狂。 笹川はさっき連絡が来たが、脳の酸素が足りなかったらしくて、一生廃人確定だそうだ」

「……っ!」

纐纈が鋭い視線で金城を睨む。そして、怒鳴ることなく、圧を掛けていく。

何があったか話せ、と。

しばらく金城は真っ青になっていた。

研修医になって警察に来るほどの俊英だ。ボスをしていた山本よりも遙かにオツムの出来は良かったのだろう。

だが残念だが。

あの手のグループで主導権を握るのは有能な人間じゃない。

馬鹿だろうが容姿が劣っていようが関係無い。

暴力的で声が大きい人間だ。

それについては実例がいくらでもある。会社でも学校でも見る事が出来る。

勿論北条だって見た事はある。

愛染のような、女子に苦手意識がある人間や。或いは男子校出身者。もしくは女子に過大な夢を抱いている人間は話が別だろうが。

そうでなければ誰でも見る事だ。

時にそういった暴力の矛先は、家族にさえ向けられる。

嫁姑の争いなんて、古くから絶えた試しが無い。

人間なんて、今の時点ではそういう生き物だ。

「そ、その、私、私は……」

「話せ。 まずは、四人のグループはどういうグループだった」

「……」

「人が二人廃人になった! 一人は自殺未遂に追い込まれて病院にいる! そんな状況を作り出した一端を担っておいて、被害者を気取るつもりか! 金城、あんたは立派な殺人未遂の容疑者だ! ……話せ」

纐纈の圧に熱が籠もった。

ひっと小さな悲鳴を上げた後。

金城は観念して、話し始める。

それによると、大体の事情は以下のようなものであったらしい。

元々岩田、金城、笹川の三人のグループが存在したらしい。このグループは明確な序列関係がなく、強いていうならば岩田がお金持ちの令嬢と言う事で他の二人をいざという時は引っ張る関係だったそうだ。

ただ岩田は元々心優しい人物で、グループの雰囲気は悪くなかったという。

「岩田さん……麗奈は年の離れた両親がいて、とても雰囲気が穏やかな人でした。 グループも他とは別物で空気が良くて、気が弱くて他のグループで虐められていた笹川さん……優衣も優しく受け入れて、それで空気も良かったです。 私も、あまり周囲の悪口を言い合うようなグループは嫌だったので、ずっと一緒にいました。 何もかもがおかしくなったのは、山本さんが来てからです……」

他はわざわざ名前で言い直したのは、恐らく当時から山本はそういう相手だったのだろう。

力関係がこの時点で透けて見えてしまっている。

北条はため息をつきたくなる。

山本は会社でも同じような事をしていたようだが、その権力には制限が掛かっていた。お局候補なんて言われていたらしいが、それは要するにお局には権力が及ばなかったことを意味しているからだ。

会社では他にも偉い人間がいたし、逆らえない相手もいる。

だから、暴走することはなかった。

だが、学校では状況が違う。

教育制度が半ば崩壊している上、教師の質が落ちる一方の現在。部活制度などの迷走もあって、学校は不良が大暴れしていた時代以来の地獄になりつつあると聞いた事がある。

学校は良かった時代など一度もない。

この国の政府は情けない事に他に比べるとまだ腐敗も少ないらしいが。

無能なことは他の国の政府と同じだ。

それは要するに。

民主主義の欠点が露骨に出ることも意味している。

「他のグループを空中分解させて、転校者まで出させたらしい山本さんは当時から評判が最悪でした。 男子に見境なく手を出したり、社会人相手に援助交際をしているって噂もありました。 とにかく見かけが派手でしたし、何より声が大きかったので、誰も関わり合いになりたくなかったというのが事実で……」

「それで?」

「でも、麗奈は優しかったから。 山本さんが一人でいるのは可哀想だよって言って、仲間に誘ったんです」

ため息をつきたくなる。

聖人は社会では生きていけない。そういう言葉がある。

実際問題、人間が目指すべき究極点は聖人だろう。それについては北条も全くもって同意である。

だが残念ながら。実際に聖人がいても、野獣より凶悪な人間とか言うけだものに食い荒らされて殺されるのが世の常だ。

「最初は、山本さんも大人しくしていました。 ただ、いつだったか……麗奈に山本さんが聞いたんです。 家はどうやってお金を稼いでいるのって。 麗奈はそれを聞いて、人形を作っているって答えました」

「人形?」

「麗奈の家って、江戸時代から続くからくり人形の伝統的な家なんです。 最近ではビスクドールとかも作っているらしいんですけれど、一つ何百万も値がつくような、凄い人形をたくさん作っていて、愛好家もいるって話です」

実はそれについては知っている。

今回の問題になっている四人グループについては、素性を既に調べてあるからだ。

岩田麗奈はいわゆる令嬢だが、家は人形作りの名門。金城が今いったとおり、海外にも熱烈なファンが入るほどの人形作りの達人だ。

プラモデルなどでも、近年は百万に近い値段がつくものがあったりするが。人形は更に歴史が深くディープなジャンルで、その数倍の値段がつくものがザラにある。

ファンがそれだけ資産家だと言う事もあるが。

少しだけ調べて見た感じでは、人形を殆ど家族のように扱う人が多い様子だ。

プラモデルはまだ世間的には「子供の玩具」と考えている輩もいるようだが。

人形については、映画やバイオリンなどと同じく「世間的に認知された趣味」となっている。

なっているのだが。

「あの時の山本さんの目、忘れられません。 貰った、って目をしてました。 そして山本さんは言ったんです。 何それ気持ち悪いって」

思わず愛染が眉を跳ね上げたが、北条が視線を向けて抑える。

とくそうの部屋には連絡役として新美が残っているが。

それにしても、酷すぎる話だ。

名門校などでは、大人顔負けの権力闘争が行われるなんて話がある。だが、実際には違う。

子供でも集めれば大人と同じ事をする。

極端に立場が弱い子供は虐め殺される事も普通にある。

これに対して、良く鶏や魚も集めれば虐めをするという言説を持ち出して、虐めをする人間を擁護するケースがあるが。

そういう輩は。ようは人間は鶏や魚と同レベルと認めていると言う事だ。

北条は、そうはなりたくはない。

「虐めが始まりました。 いつの間にかグループを山本さんが乗っ取って、もう何も言えない空気が出来ました。 以降は麗奈から山本さんがお金を巻き上げるのは当たり前になって、私も優衣も麗奈に暴力を振るうことを強要されました。 どんどん暴力はエスカレートしましたけど、先生も何も言いませんでした」

そうか。何もしなかったのかあの担任。

だが、そこで強烈な言葉が出てくる。

「だって、山本さん、先生の弱み握ってたんです。 先生が不倫している事知っていて……」

「反吐が出るカスだな……助けるんじゃなかったぜ」

「愛染!」

「……ああ、すまねえ。 どんなカスでも法に沿って処置するのが警官だ」

纐纈の言葉に、愛染も非を認める。

それにしても、これはいくら何でも酷すぎる。

虐めは更にエスカレート。クラスの者も誰も見向きもしない中、授業中にさえ虐めが行われるようになった。

暴力も当然振るわれ、更には殺人さながらの事も行われるようになったという。

山本が心底楽しそうに笑っているのを見て、更に怖くて逆らえなくなったと金城は涙を流すが。

女は好きなときに泣けることを北条は知っている。

だから同情は一切出来ない。

「山本さんは、恐らく私達も共犯に仕立てるつもりだったんだと思います」

「実際共犯だろうが!」

「愛染!」

「……っ」

愛染はもう限界なようなので、外に出させる。北条が外で軽く話して、新美の支援に行かせた。

恐らくだが、愛染は聴取には向いていないタイプだ。

はっきりいって北条だってハラワタが煮えくりかえるかという気分だが。

女子グループの陰湿さを知っている身としては、現時点では人間という生き物そのものに欠陥があるとしか結論が出せない。

だから、金城の話に対してハラワタが煮えくりかえるが。

自分が違うとは言い切れないのだ。

だって、北条も。あの繰り返された惨劇の中で。

頭を振るう。

あれは、もう忘れる。そして、北条はもう償うと決めている。それにあのことは、誰に話しても信じてはくれないだろう。

一人だけ信じてくれた人が、あの賀茂泉さんだったが。

その人も、オカルトの部分になると首を振って怒っている様子だった。

大魔王こと元部長は知っていた節があるが。

それを北条に追求した事はない。

だが、北条は忘れない。自分がやった事を、だ。

聴取の部屋に戻る。

纐纈もこういう人間の腐れ切った部分は嫌になる程見てきたのだろう。何も口を開かず、レコーダーに時々視線を落としている。

「具体的にどういうことをやった。 包み隠さず言え」

「……優衣は、首を絞めるように強要されました」

「!」

「あくまで弄ってるだけだからと言って、山本さんは岩田さんに馬乗りになって、優衣に首を絞めろと強要したんです。 その間、優衣は足を蹴られて、殆ど暴力で強要もされました」

「それでか……」

人形による絞殺未遂。

人形は、そのまま、同じ事をして返したというわけだ。

「麗奈は気を失ってしまって、私と優衣が保健室に連れて行きました。 遊んでいたら気を失ってしまって、といって。 やる気のない保健室の先生は、それを鵜呑みにして……」

「それでお前は」

「私は……」

それでぴんと来た。

此奴が自殺未遂の現行犯だろう。

北条は、データを出す。学校屋上からの飛び降り。かろうじて命を取り留めるも、まだ目を覚ましていない岩田麗奈。

事件性はなしと判断された。何しろ学校が虐めはなかったと断言し。

周囲の生徒も口を合わせたからである。

だが、当時のG県警がもう少し調べて見れば。

山本が筋金入りのサイコだったことはすぐに分かっただろうに。

実際転校にまで追い込んだ相手までいたのである。

きちんと法治主義に沿って、処置をしないとこうなる。

少年法が適応されるべき相手では無い。これは殺人未遂として扱い、山本はきちんと実刑を下すべきだったのだ。

そうしなかった当時の警察と法曹が。

更に被害と犠牲を拡大させたのである。

頭を振る纐纈。流石に当時もいただろう纐纈に責任を負わせるのはいくら何でも酷だ。

捜査一課は殺人事件や傷害事件が担当。

仮に事件性が無いと判断された場合、纐纈はそれ以上捜査を続けられない。

ましてや当時は無能キャリアがまだ蔓延っていた時期だ。

文字通り、何もできなかっただろう。

「貴方ね、麗奈さんを突き落としたのは」

「だ、だって、だって……そうしないと私が突き落とされるって言われて……! 三階だから死なないって……勇気をつけるための遊びだって……!」

「証言が採れた。 金城沙織。 お前を岩田麗奈殺人未遂で逮捕する。 すぐに山本と笹川にも同様の逮捕状を出す。 もう目が見えなくて発狂していようが、意識が二度と戻らなかろうが関係などない」

頭を下げる金城。

涙を何度も拭っている。

「その後は、どうなったの」

「学校は、その……もみ消しをした後、山本さんを転校させました。 後の事は知りませんけど……余所の学校でもきっと、同じように滅茶苦茶していたんだと思います。 それからは私と優衣は喋らなくなって、それっきりです」

「罪状が凶悪だから少年法も適応されないだろう。 いずれにしても覚悟しておくんだな」

纐纈が立ち上がると、部屋にどんといきなり誰かが入ってくる。

佐倉だ。

周囲を鋭く見回している。

「佐倉さん?」

「……伏せろ!」

佐倉さんが飛びついてきたので、わっと北条は思わず驚いたが。その次の瞬間、驚くべきものを見せつけられる。

金城が、浮き上がる。

ちがう。何かに引っ張り上げられている。

唖然とする纐纈の前で、悲鳴を上げながら空中につり上げられた金城。その背後には、あのビスクドールが貼り付いていた。

「指示を受けて来てみれば……」

「た、たす、たすけ……!」

「お前が助けを求めた相手を助けた事があったのか?」

「……っ!」

人形の声に真っ青になる金城が、つり下げられ飛んで行く。まずい。階段の上の方に上がって行った。

凄まじい勢いで、弾丸のように飛んで行く佐倉さん。勿論走っていったのだが、人間の速度とは思えない。

纐纈も唖然としていた状態から立ち上がると、すぐに後を追う。北条も、すぐに走り出していた。

階段を二段飛ばしで上がる。途中でヒールは脱ぎ捨てた。

警官が何だという顔をしている。だが、呆然と突っ立っている警官もいた。多分金城がつり下げられたまま、連れて行かれたのを見たのだろう。

恐らくだが。

あの人形は、再現をしている。

金城沙織を、屋上から突き落とすつもりである。

岩田麗奈がそうされたように。

だが、それは止めなければならない。山本という獣以下の畜生をきちんと法で処置しなかったから、こんな事になっている。

誰かが、化け物を止めなければならなかったのだ。

そして人間はすべからず化け物だ。

だから法がある。

だから警官が必要だ。

例え悪用されるとしても、だ。

県警の屋上に出る。此処は六階。はっきりいって、学校の三階屋上とは比べものにならない高さである。

その隅で、金網をめりめりと音を立てて押し込んでいる金城。金網の向こうは当然虚空である。泡を吹いてぱたぱたと暴れているが。人形の力は凄まじい様子で、とてもではないが対抗できるようには見えない。佐倉さんが何か手を出して抵抗しているが。

冷や汗を流している状況からして、簡単に対応出来るとは思えない。

やがて、業を煮やしたのか。

人形が動く。

金城を逆さにすると、凄まじい勢いで屋上の床に叩き付けたのである。

人間は、二メートルの高さからでも、頭から、頭をかばえずに落ちると死ぬ。高さは一メートルほどだったが。あれはかばえたようには見えなかった。

人形は浮いている。

纐纈と、佐倉さんと、北条と。

それに何だ何だと屋上に来た数名の警官の前で。

「何故こんな人非人をかばう……!」

「警官だからよ! 金城は犯行を自白した! これから山本と笹川にも罪は償って貰うわ! 貴方が私刑をするべきじゃない!」

「私が私刑をしなければ、此奴らをいつまででも放置していたくせに! 山本という女は、あれから別の学校でも何人も虐めを行って、それを自慢げに周囲に話していた! 会社でも退職に何人も追い込んでいる! あんな化け物を放置した警察の責任だ!」

「そうだな。 警察が無能だったのは事実だ。 それで貴方は何者だ」

「……」

人形が消えて失せる。

警官達が呆然としている中、飛び出した纐纈が金城の状態を確認。医者をと叫ぶが、警官達の海をモーゼのように割って現れたのが、如月先生だった。

「どれ、代わりなさい」

「あんた、いつから……」

「残念だけれど、佐倉ちゃんもろとも大急ぎで今よ。 汗を掻いていないのは鍛錬のたまもの」

ぴくりとも動かない金城の状態を確認する如月先生。

佐倉の方を見る。

「頭に掛かった衝撃を緩和してくれたのね」

「とっさにそれだけしかできませんでした」

「いいえ、それで充分。 生きてるわ。 ただこの様子じゃ、もう二度と目は覚めないでしょうけど」

くつくつと如月先生が笑う。

部下が死んだも同然だというのに。

というか、この様子ではひょっとして。如月先生、金城が何をしでかしたのか知っていたのかもしれない。

いずれにしても、クズ三人はあの人形によってこれで私刑をうけ、二度と動く事も出来ない体になった訳だ。

北条は忸怩たる思いがある。

北条は虐めに荷担したことは無い。だが、あの繰り返す地獄の中で、強要されて拷問をさせられた事がある。

あの時の絶望の声と、自分の感覚が麻痺していく恐怖はよく覚えている。

死んだ筈なのに、体に染みついている。

あの時間は、そのままなくなった。村ごと、何もかも滅びてしまったからである。

だけれども、北条にはその記憶がしっかり染みついてしまっている。

きっと、だが。

それが北条の罪。

許される事はない。何しろ、もはや何もかもがなくなってしまったのだから。罪に問われることもないが。その代わり許されもしないのだ。

担架が来て、「人間だったもの」である金城が連れて行かれる。

纐纈に、行くぞと声を掛けられた。

もう、此方で出来る事はない。

それにあの人形をどうにかしないといけない。見ていると、空間転移までする様子である。

更に如月先生が仕掛けをしているだろうこの県警にまで入ってきている。

生半可な相手じゃあない。

北条は一度とくそうに戻る。

そして、騒ぎを聞いていたらしく、何事かと聞いてくる新美と愛染に。纐纈が説明しているのを、横で見ているしか無かった。

無力だなと思う。

元部長だったら、多分ワンパンであの人形を黙らせていただろう。

佐倉さんでもどうにもならなかった相手だけれども。それでもあの元部長の実力は異次元だったからだ。

「岩田麗奈の状態を確認しに行く。 更には、岩田家の様子も見に行く」

「分かりました」

纐纈が指示を出す。

これは、休んでいる暇などないだろう。

すぐに指示を出されて、言われた通りに動く。北条と愛染は岩田麗奈の病院に。

そして纐纈と新美は岩田家に、だ。

幸い病院はすぐ近く。佐倉さんが警察署の外で待っていた。

「岩田麗奈の所に行くんだろう。 連れていけ」

「分かりました」

「……あんたはどこまで知ってる?」

「来る途中に話は聞かされている。 あんた達に指示を出している人物からな」

先に纐纈の車が出るのを横目に、三人で愛染の車に乗る。

今回はちょっと話を聞きたいので、佐倉さんと二人で後部座席に乗った。

「あの人形は何なんですか?」

「具体的にはまだ分からない。 怪異ってのは、すぐに正体を特定出来る方が希なんだよ」

「そういうものなんですか」

「ああ。 お前達が知る大魔王でさえな」

えっと声が出たが、どうも真実らしい。

咳払いすると、佐倉さんは更に続ける。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花っていうだろ。 怪異ってのは、正体が分からない内は基本的に何をやっても勝てないんだよ。 逆に正体さえ分かってしまえば、その力は人間で十分対処できるものになる。 彼奴が使っていたのは何だか正直あまり分からなかったが、とにかく必死で式神を展開して力を抑えるので精一杯だった」

「……」

「金城って女は、一応罪を償おうとして医者を目指したらしい。 だがな、それならば警察に聴取されたときに全てを話すべきだったんだろうな。 山本とか言うカスの方が、役にも立たない教師なんかの大人を見ていた金城にとって怖かったんだろうが」

「もう言葉もねえ」

愛染が不愉快そうに言う。

そして、病院に到着した。

ちゃんとした、それなりに大きな病院だ。規模もしっかりしているし、内部もそこそこに大きい。

受付で手帳を見せて、面会の許可を貰う。

佐倉さんは周囲を見回していたが。物騒な事をぼそりといった。

「病院らしく霊はいるにはいるが、それほどヤバイのはいないな……」

多分それは本当なのだろうが。

別に言わなくても良いのにと。そんなやばくない霊にも対抗できない北条は思う他なかった。

 

3、不幸は今も静かに

 

岩田麗奈は、眠っていても綺麗な子だった。

心が綺麗だったから、ではないだろう。きちんと処置をしてくれていると言う事だ。

病院での看護には限界がある。

だけれども、恐らく両親がちまちまと来ては介護をしているのだろう。看護師が来る。少し太めの、貫禄がある看護師だ。

「岩田さんに何かあったのですか?」

「この人の自殺未遂に事件性が生じまして。 今様子を見に来ました」

「そうですか」

はて。

この看護師、何だか妙な違和感がある。佐倉さんがそういえば、目を細めて看護師を見ている。

「此処は岩田さん夫婦……お二人とももうお年ですからね。 かかりつけの病院で、二人も此処をたまり場にするような事もない良い患者さんだったんですよ。 この麗奈ちゃんも良い子で、本当に優しい子で……。 自殺未遂なんて、考えられないってみんな言っていたんです」

「……なるほど」

「もしも事件性があるというなら、犯人を必ず逮捕してください」

「分かりました。 それは必ず」

人工呼吸器をつけられた岩田麗奈。

北条はじっとその様子を見つめる。

加害されている様子は無い。

人形の言動がブラフだという可能性もあったのだけれども、やはりその可能性はなさそうである。

だが、復讐劇が直接イジメを行った三人で済むとも思えない。

例えば、役立たずだった教師や。

或いはクラスメイト全員。

虐めを隠蔽した連中全員に向いてもおかしくはないのである。

「今の看護師、気付いたか?」

「確かに妙でしたけど、何か決定的な事がありましたか?」

「ああ。 あれは多分中に別人が入っていたな。 それも多分……」

ひっと、声が漏れていた。

窓の外に、あのビスクドールが浮かんでいたからである。

ビスクドールは全く汚れていない。一人を血まみれで半殺しにし。一人を首を絞めて二度と目が覚めないようにし。一人を頭からコンクリに叩き付けたのに。

窓を勢いよく開ける愛染。

浮いているビスクドールにメンチを切る。

「何だコラ! 言いたいことがあったら言いやがれ!」

「病院で大声を出さないで、刹那」

「……っ」

「この様子を見てどう思う。 罪なきものがこのような目にあわされて、人生を無茶苦茶にされたのに、警察が動いたのはやっとか。 弱い者は死ねとでもいうのか」

人形の言葉は遠くから響いてくるようだ。

感情は感じることは出来ないが。

だが、強い怨念はやはりまだ感じ取ることが出来るようだった。

「これからまだ復讐をするつもり?」

「……」

「迷っているの?」

「全てをもみ消した無能教師、学校関係者、当時のクラスメイト。 皆殺しにしてやろうとも思っていた。 だが、麗奈の顔を見て、少し気分が変わった。 ひょっとしたら、麗奈は喜ばないかも知れない。 罪を償わせるべき相手は罪を償わせた。 麗奈を裏切ったクズ二人と、麗奈をこんなにした主犯。 だが、麗奈が虐められているのを見てみぬフリをした連中や、犯罪者に罪をきちんと償わせなかった連中。 復讐対象は文字通りきりが無いし、麗奈がそんな連中まで恨むとは思えなくなった」

ライアーアートの好機か。

いや、まだこの人物が何者かは分からない。

だが、それでもだ。

ライアーアートを仕掛けるべきだと判断した瞬間、人形は消えてしまった。溜息が零れる。

これではっきりしたが。あの人形は迷っている。

あの人形は間違いなく復讐者だ。そして、本来だったら法で裁かれるべきだった外道三匹はこの世から事実上消えた。

それについては警察の不手際であり。

此方としては私刑だと糾弾することは出来るが。犯罪者どものやったことを考えると、それ以上の事は言えない。

ため息をつくと、佐倉が言う。

「此処は私が見張ると言いたいところだが、知り合いを手配しておく。 まだ行く所があるんじゃないのか?」

「……」

「何だ、悩んでるのか?」

「ええ」

恐らくだが。

あらゆるピースが。あの人形を操作している、もしくは中にいるのが誰なのかは告げている。

間違いないだろう。

岩田麗奈の両親のどちらかだ。

そして恐らくだが、仮にそれが判明しても。娘を理不尽かつ非道な犯罪で失った両親を逮捕しなければならなくなる。

あの人形は怪異の類だろうが。

実際問題、警察がちゃんと動いていれば、あんなものは出無くて済んだはずなのだ。

大きくため息をつく。

側に岩田麗奈が静かに眠っている。植物状態になってずっと生きている人間は希だと聞く。

植物状態のまま岩田麗奈がずっといたら、きっとそのうち亡くなるだろう。数年と経たない内に。

同じように、発狂した山本が元に戻るとは思えないし。笹川や金城もあと数年もすれば死ぬという訳だ。

この結末は、あまりにも救いがないのではあるまいか。

だが、それでも外に向かう。その間、佐倉さんが連絡を入れていた。何人か手練れが此処を守ってくれるという。何人か掛かりなら、実力は佐倉さんを凌ぐそうだ。

愛染はずっと無言だった。

やりきれない怒りが、沸騰して体内から溢れそうになっているのだろう。

気持ちは大いに分かる。

だが、あの人形は迷っていた。

一刻も早く纐纈と新美と合流して、すぐに対応しなければならない。復讐を再開しようとでも決意されたら、それこそもはや手のつけられない事態になるからだ。

連絡を入れる。

纐纈が出ない。嫌な予感がする。新美にも連絡を入れるが、同じように電波が通じない。

「まずいな……」

佐倉さんがぼやくと、すぐに其方でも何処かに連絡を入れる。

程なくして、家が見えてくる。

それなりのお金持ちらしいが、質素な家だ。

この間の高安とか言うシリアルキラーとは偉い違いだなと北条は感じる。側に纐纈の車が止まっている。

ビンゴと見て良いだろう。

すぐに車を停めると、家に踏み込む。

だが、その瞬間声が上がった。

「伏せろっ!」

慌てて伏せると同時に、ひゅんと音がして。数本髪が持って行かれた。

見ると、ワイヤーが張られている。

なんだあれ。

あれが、髪を切ったのか。

纐纈と新美が、家の敷地の茂みで手招きしている。

這うようにしてそっちに行く。佐倉は何か印を切っているが、此方ではそれを聞いている余裕が無い。

「何があったんですか!」

「この家は要塞だ。 もう内部にいる岩田夫妻のどちらか……或いは両方だが、我々を敵と見なしているらしい。 家の彼方此方にあんな仕掛けがされていて、指が飛びそうになった」

それでも反応できたのは流石だなと思う。

ワイヤーが張られる仕掛けも、多分その一つだったのだろう。愛染が這って自分の車に行くと、高枝切りばさみを取りだして、ワイヤーを切る。なんでそんなものを積んでいるのかは分からない。

手を拡げて何か唱えていて佐倉さんだが、やがて頷く。

「玄関の仕掛けはもうない。 だが玄関を開けると、多分矢が飛んでくる」

「そんな事がどうして……」

「心太郎」

「纐纈さん、分かりました」

しぶしぶと、新美が立ち上がると、チャイムを鳴らす。

内部から、入れるものなら入ってこいと、老人の声がする。

明らかに歓迎されていないが。それでも行くしかない。警官隊を呼ぶべきかと思ったが、逮捕状もない。

何よりも、この状況ではそもそも逮捕状をどう出せば良いのか。

呪い人形を操って三人半殺しにしたとか、そんなので逮捕状はでない。

いや、あの大魔王が元部長だった頃は出たかも知れないが。流石に今は無理だろう。

金髪の王子の面を思い出す。

新しく元部長のポジションに収まった彼奴。

いざとなったら、あれに頭を下げなければならないのか。

イライラが募るが、今はともかく聴取をしなければならない。公務執行妨害の現行犯くらいしか、まだ相手には罪が確定していないのだ。

「開けますよ。 皆、ドアの斜角から離れて!」

「よし、いいぞ心太郎!」

「それっ!」

同時に、巨大な矢が数本、ドアの外の地面に突き刺さった。一本は愛染の車の窓硝子をぶち抜いていた。

ぎゃっと愛染が悲鳴を上げる。

見るからに高級車である。それに塀の死角に止めていたのに。

矢が明らかに凶悪すぎて、塀をも貫通したのだ。昔の攻城兵器か。北条は思わずぼやいてしまう。

矢を撃つ仕掛けはこれでおしまいだと、佐倉さんがいうが。まだまだ内部には色々仕掛けがあると言う。

佐倉さんを先頭に踏み込む。

多数の式神とかを展開しているのだろうけれど、北条には見えない。ただ、佐倉さんは少しいつもと雰囲気が違う。

神懸かりという奴だろうか。

それはちょっと、北条には分からなかったが。

ともかく、内部でも散々色々な仕掛けがお出迎えである。いきなりギロチンが落ちてきたときは流石にびっくりしたし。

刀を振り回す日本人形が突撃してきたときは更にびっくりした。

だが、それら全てを佐倉さんが処理するか警告するかして、回避に成功する。だが、生きた心地がしない。

「忍者屋敷ですか此処は……」

「心太郎、気を抜くな」

「分かっています!」

纐纈に対する返しが荒いなあと思いながら、北条は仲良し二人を見ている。

佐倉さんは更に印を切って、奥まで調べている様子だが。かなり汗を掻いているのも分かった。

「……見つけたぞ。 仕掛けを操作している老人だ。 恐らく岩田麗奈の父親だろう」

「岩田清巌だ。 世界的な腕利きの人形作りで知られている」

「どれ、見せてください。 ……間違いないですね。 本人です。 ……妻らしき人物も

発見。 これは……」

佐倉さんによると、二階の寝室にいるという。それにしても、佐倉さんでも纐纈には敬語なんだなと、北条は思った。まあ佐倉さんは実年齢不詳なので、実際の年齢が上の相手に敬語を使っているだけなのかも知れないが。

ただ岩田婦人は深く眠っているのか何なのか、動く気配がないそうだ。

死んではいないようだが。

そして、強い西洋魔術の気配がするという。

「まずい。 西洋魔術は悪魔の力を借りるものも多い。 急がないと、奥さんの方は死に関わる」

「西洋魔術だってえ……」

「心太郎。 彼女の力がなければ、俺たちは何度も死んでいる」

「分かっています! でもいくら何でも非科学的すぎる!」

空飛んでワープする人形が出て来ている時点で何を言っているのかとぼやきたくなるが、気持ちは分かる。

いずれにしても、佐倉さんによると、少し先の部屋にその岩田清巌がいるが。この先の廊下にある仕掛けがまだ幾つか残っているそうだ。

場所は分かるかと、愛染が聞く。

頷くと、場所を指定する佐倉さん。

愛染は外で拾ったらしい小石をピッチング。見事に仕掛けに命中、破損させることに成功した。

「よし、仕掛けはなくなった。 老人を守る仕掛けは……なさそうだな」

「愛染、お前やるな」

「ぼっちゃんには分からないか? 小石はその辺にあるもっとも強力な凶器なんだよ」

「知っているとも。 戦国時代には小石を武器に使う専門の部隊がいたほどだからな」

なんか愛染と新美が仲良くやっている。

話題が共通すれば意外に仲良しなのか此奴ら。

ともかく、纐纈が顎をしゃくる。そして、五人で一気に老人の部屋になだれ込む。

正座した老人は、手元にタブレットを置いていた。多分、これで要塞屋敷のからくりを操作していたのだろう。

あの人形は間違いなくオカルトの産物だったが。

このからくりは、明らかにテクノロジーの産物だった。

ちょっとばかりやりすぎな感はあったが。

ただ、現在でもロボットの技術は進歩が進んでいる。この家にあったテクノロジーは、多少過剰ではあったがあり得ないものではないと北条も思う。

「じいさん、俺の車に良くも矢をぶっ込んでくれたな!」

「お互い様だ。 それで?」

「警察です。 岩田麗奈さんに関する事で」

愛染を抑えると、纐纈が手帳を見せる。

鼻で笑う老人。明らかに、侮蔑が視線には籠もっている。

それはまあ当然だろう。北条にだって気持ちは良く分かる。

岩田麗奈に対する無能極まりない警察の有様を見ていれば、こんな風になるのは当然だとも言える。

むしろ、もっと苛烈な攻撃をして来ていてもおかしくは無かっただろう。

「虐め殺されたうちの娘の人権を無視して、犯罪者の人権ばかり守った外道が何を言うか」

法治主義は、きちんと機能していないと意味を成さない。

かの犯罪王アルカポネは、法廷を丸ごと買収することで、大量殺人を続けながら無罪放免になりつづけた。

結局法の外からでないと奴を屠ることは出来ず。

更に言えば、今でもアルカポネを擁護する馬鹿がいるのが現実である。

要するに法治主義はきちんと機能していないと意味を持たない。推定無罪の原理は理想論だが。

この理想を利用して悪事を働く邪悪がこの世の中にはわんさかいる。

また、単に警察が気にくわないと言うだけで極悪犯罪者を外に出すことを趣味にしている弁護士もいる。

そんな連中とも、警察は戦わなければならない。

嘆かわしい話で。

そういうくだらない争いで一番被害を受けるのが、犯罪の被害者達。

人権人権と声高に口にする連中は。

多くの場合、犯罪者の人権しか守らないか。

或いは人権屋のように人権を過剰に要求しメシの種にするか。

その二択でしかない。

嘆かわしい話だと、北条も思う。

「いずれにしてもそのタブレットで殺意のある攻撃を仕掛けてきたのは事実ですね」

「泥棒だと思ったのでな」

「警察手帳は出していた筈ですが」

「やかましい! そんなもの通販で買えるんだろう!」

纐纈に食ってかかる老人。

この人の昔の写真は調査の過程で見た。娘と一緒に優しく笑っている老夫婦。

人形作りだって好きなのだろう。

今まで仕掛けて来たトラップには人形を使ったものもあったけれど、どれも一点物ばかりだった。

そして、ここまで来るのに本当に苦労したのは疑いない。

それなのに。

サイコのせいでなにもかも滅茶苦茶にされ。最愛の娘は意識が今も戻らず。サイコは未だに好き勝手に野放しにされている。

そう思えば、この行動も無理はないと言える。

「清巌さん」

北条は前に出る。

このままだと、この老人は自死を選びかねない。この人の奥さんだって、西洋魔術とやらを使っているならどうなるか分からない。

今なら、公務執行妨害で誤魔化せる。

愛染は車をやられて頭に来ているようだが。

あの完全に人間ではなくなった三人は、はっきりいってそうされていなかった方がおかしいくらいの連中だった。

本当は法曹が刑務所に叩き込まなければならなかったのだ。

順番に告げる。

山本、笹川、それに金城の末路を。

静かに老人はそれを聞いていた。

いや、この人は少しばかり老け込みすぎている。ただでさえ遅くに出来た娘が、あんな事になったのだ。

当然かも知れない。

「今、更に復讐の対象は拡大しようとしています。 しかし、「人形」は悩んでいるようです。 貴方が声を掛ければ、無差別殺人に発展する可能性はなくなるかと思います」

「……」

ライアーアートを仕掛けるまでもない。

ただ、この人の。

本来悪人でも何でも無いこの人の、情に訴えかければ良い。

この屋敷の様子からして、奥さんとこの人は100%共犯だ。ならば、この人が全てを止めさせれば。

「実行犯三人は、もう何も出来ません。 山本に至っては両目を潰され、発狂して今も病院の中で果てることもない恐怖の中に暗闇に包まれています。 それでもう、充分ではありませんか?」

「……」

纐纈も新美も黙って見ている。

北条の説得技術については、ある程度信頼してくれているらしい。

佐倉さんは部屋の外で周囲を警戒。

機械は専門外なのだろう。何か魔術とかそういうのが仕掛けて来たときに備えてくれている、と言う事だ。

愛染は苦虫を噛み潰していたが。

それでもこの人の境遇は知っているのだ。一度怒りが収まると、もう怒る気にはなれない様子である。

「このまま行くと、ただ怖くて見ているだけしか出来なかった人間や、無能でどうしようもないだけの教師にまで無差別の暴力が向けられる事になりかねません。 それは、きっと岩田麗奈さんが望むことだとは思えません」

「麗奈の何が分かる……!」

「恐怖に打ち震えていた金城から聞き出しています。 山本が来るまでは良い感じのグループだったのだと。 グループの主導権を握る女子によって、女子のグループの雰囲気は全く違ってきます。 私も嫌になる程くだらない女子グループの内紛は見て来ていますし、陰湿さは知っています。 だからこそ、そんなグループを陰口大会にせず、余所で評判も悪い山本を受け入れた麗奈さんが良い人だったことも、そんな人がこれ以上の殺戮なんか望まないことだって分かります! 私だって、数年前までは学生だったんですから!」

それだけじゃない。

北条は繰り返されるあの悪夢の中で、同調圧力の真の恐怖を知った。

だからこそ言える。

そんな状況で、それでも両親に不安を掛けまいと頑張り続けた岩田麗奈さんのすごさが、である。

北条はじっと、清巌老人を見つめる。

清巌老人は射殺すような視線で北条をずっと見つめていたが。

やがて大きなため息をついた。

「……でておいで」

「!」

すっと、姿を見せる人形。

全員が一斉に飛び退く中。佐倉さんは動かない。

この様子だと、殺意とか戦意とかは無いと言う事なのだろう。

「どう思う」

「……この人が嘘をついているとは思えない。 ただ、まだ山本が生きている事は気にくわない」

不意に通話がある。

よりにもよって金髪の王子からだ。

おかしい。スマホの電源は切っていたはずだが。

「今、話が出来る状況では……」

「私に代わってほしい。 提案が出来る」

「……」

「何なら県警のボスとしての権限で指示を出そうか?」

舌打ちすると、スマホを差し出す。老人が汚物でも受け取るように手に取ると、人形に近づけた。

スピーカーモードにしている。

皆に聞こえるように、である。

「岩田麗奈を目覚めさせる方法がある」

「!」

「ただし交換条件として、まだ目覚める可能性がある山本が必要になる。 それに、その魔術の使用の停止もだ」

「……あんた、何者だ」

金髪の王子は、何かよく分からない事を言い。

老人は絶句すると、黙り込んで以降は何も言わず。人形を見た。

出来が良いビスクドールは、本当に人間そのものにさえ見える。

それに、である。

このビスクドールは、犯行で毎回血みどろになっていた筈なのに、毎回現れる度に綺麗になっていた。

それは要するに、である。

この人形のプロフェッショナルである老人が、毎回手入れを欠かさなかったという事である。

細かい部分まで、メンテナンスをして綺麗にしていたのだろう。

大きな、大きな溜息を老人はついた。

「分かった。 その条件で良いなら、わしは自首しよう。 公務執行妨害でもなんでも良いから、引っ張るがいい。 何なら殺人未遂で死刑にでもするか?」

「……現状貴方を立件できるとしたら公務執行妨害だけだ。 保釈金を払うだけで済むだろう」

纐纈が前に出ると、老人はタブレットを手放す。

そして、いつの間にか。

ビスクドールの人形は、いなくなっていた。

スマホを取ると、金髪の王子にむしろ食ってかかる纐纈。

「勝手に人質交換みたいな真似をしないでもらおうか」

「心配しなくても、実際に山本にどうこうはしないさ。 そもそもアレは放って置いても発狂したまま余生を牢獄の中で過ごすだけだ」

「それでも、警察に来たなら……」

「現状の法でオカルトは裁けない。 なぜなら、人類の科学がオカルトを解明できる所まで進んでいないからだ」

金髪の王子の冷静な指摘。

確かにオカルトが実際にあるなら、それはいずれ科学で証明できるものになるのだろう。

そして現在、科学は其所まで進歩していないのである。

ならば、確かにその通りだ。

スマホを乱暴に切ろうとする纐纈だが。金髪の王子は付け加えた。

「そちらの佐倉さんに伝えてくれ。 奥さんは二階にいる。 君なら魔術を解除して、目覚めさせることが出来るだろうとな」

 

二階の寝室は、凄惨な有様だった。

魔法陣が書かれ、何かの生け贄。多分ペットの動物だろう。それが捧げられていた形跡がある。

乱雑に積まれている魔術書だが。

人形作りをずっとやっていた人が、こんなもの読みこなせるとは思えない。老人になってからはなおさらだ。

誰かが教えたのだろう。

元部長、あの大魔王と一緒に仕事をしていた頃に戦ったような悪の組織か。

それとも。

ともかく、佐倉さんが何か処置をすると、確かに老婦人は目覚めた。ただ酷く衰弱していて。それこそ魂がずっと抜けていたようになっていたから。そのまま病院に運び込まれたが。

娘と同じ病院に、だ。

ただ、救急隊員は呆れていた。

家の中や、矢が突き刺さったままの愛染の車を見て、聞かれた。

「ここで合戦でもあったんですか?」

「ま、まあそんなところです」

「……」

ブロック塀を貫通している矢を見て、身震いはしていたが。それでも動くのがプロの救急隊員だ。

更に、清巌はそのまま警察に連行する。

悪質な公務執行妨害の現行犯だが、それについて以外は追求できない。

それに、これから忙しくなる。

自殺未遂で片付けられた岩田麗奈に関する事件を、やり直さなければならない。証言が出て来たので、裁判のやり直しだ。

植物状態のまま目覚めないと確定している笹川と金城は法廷に出られない。まあ山本も出られないだろう。

いずれにしても、発狂したまま目も見えない状態の山本は、病院にいるまま犯罪者になる。

更に余罪もボロボロ出てくるだろうから、無期は確定だ。

大きな溜息を愛染はつく。車をレッカーが運んでいく。此奴は結構なお坊ちゃんの筈だが、それでも愛車は大事に思っているのだろう。

矢が窓に突き刺さって粉砕するという前代未聞の事態には、言葉がないのも仕方が無い話である。

清巌老人の聴取を行うが、公務執行妨害については認めた。

後は、法曹に任せるだけだ。

まあ、それほど重い罪にはならないだろう。すぐに鑑識が向かった。

むしろ奥さんのやっていた動物虐待の方が罪が重くなるかも知れないが。それについては聴取は別の人間がやるそうである。

一通り作業が終わって、休めたのは翌日だった。一日休暇が出たので、ぐっすり眠らせて貰う。

こんな状態でも、纐纈は残って残務の処理をしていたが。

体を壊さないか心配になってしまう。

ただ、流石に翌日北条達が出勤すると、午後から半休を取っていた。

この辺りは、流石に無理があることが分かって少しだけ安心する。

残務の処理についても、それぞれに指示が出たので。分担してこなすことにする。そんな中、午後。金髪の王子からまた連絡が入った。

電話番号を教えた筈は無いのだが。

「岩田麗奈が目を覚ました。 見に行くと良いだろう」

「!」

「では、私に出来る事は此処までだ。 君達の元ボスは本当に有能だったんだな」

半分笑うように。

だがしかし、半分畏敬を込めて金髪の王子が言っているのが分かったので。北条は非常に複雑な気分だった。

おいと、愛染が言う。

「どうしたの?」

「これ見ろ」

「何かあったのか」

新美も来て、画面を覗き込む。

それはオンライン版の、ある雑誌のすっぱ抜き記事だった。

地獄のお局候補、学生時代に殺人未遂。凶悪な虐めによる被害は十人以上。社会人になってからも被害者多数。

記事名はそうセンセーショナルだったが、内容は極めて冷静かつ客観的なものだった。

記者の名前は間宮ゆうか。

また名前を見た。

近年では珍しいほど良い記事を書く記者だ。ざっと記事に目を通すが、山本知美の本名だけは出さずに、その邪悪すぎる経歴について徹底的に暴いていた。

どうも山本は、殺人未遂(というかたまたま死ななかっただけで事実上の殺人)をやる前にも、苛烈な虐めで四人を転校に追い込み、一人に至っては未だに心療内科に世話になっていると言う。

岩田麗奈さんを殺人未遂で殺し掛けた後も、「学生だから」「いじめっ子にも未来があるから」などの謎の擁護を受けながら凶行を繰り返した。転校先でも合計六人を転校に追い込み、当時から半グレやヤクザと関係を持って金を稼いでいたという。

更に社会人になってからも行動はエスカレート。

派手な金を稼ぐために、お局予備軍のような立場になると。会社内の醜聞を嗅ぎ廻り、弱みにつけ込んでは相手に金を出させるような事を平然と続けていたらしい。

この辺り一度証言が採れると警察は動く。

そして容赦なく潰す。

マル暴が既に動いており、以前虐めに荷担した半グレ四人が逮捕。暴力団員にも逮捕者が二人出ているという。

記事を見て、はあと溜息が着いた。

クズの末路に何一つ言葉がない。というか、「虐められる方が悪い」という理屈は、こんな邪悪を野放しにしたのか。

違う。

半ば公然化したスクールカーストと、虐められる方が悪いという今普遍的になりつつある理屈が。

山本という怪物をどんどん育てて凶暴化させ。更には一人事実上殺しても特に問題にもならなかったと言う事で、完全に箍が外れたのだ。

もはや言葉もないと言うのが、北条の本音だった。

「二人とも、見ろ」

新美が今度は情報を出してくる。

山本のSNSだった。

既に大炎上状態だが。やたらキラキラしている。ペットがどうとか食ったものの写真とかが挙げられているが。そのペット(トイプードル)は捜査の結果、実家で既に死んで庭に埋められているのが発覚したという。当然死因は餓死。更に虐待の痕も多数見つかったとか。

ネイルがどうだのこうだののSNSで写真を挙げているが。

まあいわゆるインフルエンサーなんてこんなものだ。

「このSNSは反ワクチンやネットフェミニストの巣窟として悪名高いが、また一つ悪名が加わる事になるだろうな……」

「もう言葉もねーよ」

愛染が半ば投げ槍気味に言う。

北条も同意だ。

いずれにしても、岩田麗奈さんには会いに行かなければならない。ぶん殴られることは、覚悟の上で、である。

警察として謝罪しなければならないからである。

たとえ北条が犯罪に関わっていなくても、だ。

気が重いが、やらなければならない。北条も、無関係とはとても言えないのだから。

 

4、希望は一筋

 

岩田麗奈さんの病室に出向くと、既に人工呼吸器は外されて、少しずつリハビリを開始している麗奈さんの姿があった。

静かに微笑む麗奈さんは、数年分の時間を奪われ、高校卒業さえも出来なかった事を悲しむ様子も無く。

まず、リハビリを出来る所からやろうと言う強い意思が感じられた。

植物状態になった人間が目覚めることは滅多にないという話を聞いたことがある。

北条は、リハビリが終わってベッドに戻った麗奈さんに、まずは頭を下げた。

纐纈も新美も、それに愛染も。

麗奈さんは、頭を上げてくださいと静かに言った。

「笹川さんと金城さんはどうなりましたか?」

「二人とも意識不明で植物状態です。 もう目覚めることは無いでしょう。 それでも、山本容疑者とともに殺人未遂で罪に問われて貰います。 意識がないまま罪人になることでしょう」

「そうですか……」

寂しそうな顔をする麗奈さん。

綺麗な人だ。

何よりも、恨みを殆ど感じ取ることが出来ない。

自分の人生を滅茶苦茶にして、その後もやりたい放題していた山本と。その手下に成り下がった裏切り者二人。

普通だったら飛んで行って喉を食い千切ってやりたいと思うだろうに。

本当に良い人なのだなと、分かってしまって逆にそれが口惜しい。

こんな人を、単に権力が欲しいという本能だけで滅茶苦茶にした猿同然の輩が。いわゆるアルファ個体として学校で好き勝手をしていたのだから。

「事件の経緯についてはよく分かっていないというので聞きません。 ただ、何となく分かる事があります」

「はい」

「この子を見てください」

すっとベッドの脇から持ち上げたそれを見て。

全員が絶句。

愛染に至っては、飛び下がったほどだった。

反応を見て、即座に悟ったのだろう。

麗奈さんは、寂しそうに笑っていた。

「この子は、私の両親が誕生日プレゼントに作ってくれたんです。 元々父は日本人形専門でしたが、西洋人形の需要もあるということで。 それで、第一号として作ってくれたのがこの子でした。 何となく分かります。 この子が、復讐をしたんですね」

何も答えられない。

実の所、よく分からないのだ。

あの人形は、かなり流ちょうに喋った。それはこの場の全員が目撃している。

そして人形は相当な怨恨をため込んでいたが。

同時に悩んでいた。

ひょっとすると、人形に岩田夫人の魂が入っていたのではなくて。

あの儀式は、人形が自由に行動できる力を、岩田夫人が与える魔術だったのではないのかと思ってしまう。

だが、魔術については分からない。

「山本さんは、あの後もたくさん悪い事をして、多くの人を不幸にしたという事ですが、本当ですか?」

「すみません。 警察がもっとしっかりしていれば」

「……その人達に、少しでも何か保証とかしてあげてください」

「申し訳ありません」

頭を下げる。

ぎゅっと大事に人形を握りしめている麗奈さん。あの様子では、もう人形が動き出すことは無いだろう。

病院を後にする。

また金髪の王子から連絡が来た。

「山本知美についてだが」

「……なんですか」

「岩田麗奈を目覚めさせるには、命の力が必要だった。 そこで山本の寿命を削ってそれに変換した。 まあ三十年ぽっちだ。 無期は確定だろうが、それでも発狂して更正の見込みもない輩が三十年ほど寿命を減らしても誰もこまらんだろう?」

「そうですか」

それの真偽は問わない。

事実だろうがどうでもいいからだ。

ただ、あの元部長だったら。

多分違う方法を採った気がする。あの人だったら、素の実力で岩田麗奈さんを目覚めさせられたと思う。

そう思った事を感じたのか。

金髪の王子は、スマホの向こうから言う。

「まあ私に出来るのは此処までだ。 後は法曹で、野に放たれた猿の妖怪山本知美をしっかり処理してくれたまえ。 そういえば日本の妖怪で、猿が化けたものを狒々と呼ぶのだったっけな。 あの山本知美はまさに狒々というのに相応しかろうな」

からからと笑うので、そのまま通話を切る。

はっきり言ってどうでもいい。

ただ、一つ良いことはあったかも知れない。

あのクズ三人が廃人になって、きちんと裁かれること。

何も悪くない岩田麗奈さんが、遅すぎるとは言え目を覚まし。また軽い罪で済む両親と、また一緒に暮らせること。

岩田夫妻はこの件で、十年以上はどちらも寿命を縮めてしまっただろう。

それに比べれば、あの下衆が三十年程度寿命を取られようが、それこそどうでも良いことである。

溜息が出た。

一警官の無力な事よ。

世の中には同調圧力で虐めを受けて、泣き寝入りをしている人が山のようにいる。

虐められる方が悪いという理屈が広まりはじめてから、それは更に加速しているように思える。

更に輸入されたスクールカーストという概念が拍車を掛けた。

文字通りどうしようもない。

人間は元からそういう生物なのだから、法が必要なのに。

それなのに、法は無力極まりない。

とくそうへ戻る。

しばらくは定時帰りが続くだろう。

元部長がいた頃は、連続で怪奇事件と闘うような事も珍しく無かったが。今回は明らかに敵の組織規模が小さく感じる。

恐らく、次の事件までは間があることだろう。

それまでは、せいぜい英気を養うとする。

どうせこの世の中では。

警察の仕事なんて、終わる事はないのだから。

 

(続)