猟犬

 

序、迫る者

 

私風祭純が警視総監になってから、今の時点で日本は一応平和だ。国際情勢という観点では色々問題ばかり起きているが、それでも一応相対的には平和だと言える。

少し前に、「奴ら」と呼ばれる邪悪な国際組織を完全粉砕した。

その指導者は少し前に私自ら潰していたのだが。残念ながらその残党が暗躍を続けていて。

主に「怪異」を用いた生物兵器を使うことによって。世界の裏側にて紛争をコントロールし。怪異兵器によって多くの戦果を挙げ。世界の恐怖をコントロールしていたのである。

それらを粉砕して、しばしして。

私はなるべくして警視総監になり。

今はこうして、日々雑務をこなしている。

警察の浄化作業はすっかり終わり、無能なキャリアは悉く排除し終わった。今ではたたき上げでも高官になれるシステムと。難しい国家一種を突破して来たエリートはそれぞれ別方向で仕事をさせる仕組みをくみ上げ。

昔のようにたたき上げは警部補までにしか出世出来ないというシステムは終わらせた。

また公安とも現在ではそこそこの関係を構築している。

ただこれらの改革には流血が伴ったし。

何より私のいる名家、風祭の力がなければどうにもならなかっただろう事も事実だ。

私は自分のスマホの一つがなっているのを確認して、通話を受ける。

自分の右腕とも言える部下。

小暮宗一郎からのものだった。

「先輩、お久しぶりであります」

「うむ」

今、小暮は。

昔はバディを組んでいたこともある年上の後輩は。警察でも要職を転々としながら、次世代を担う若者を探すべく、転々と各地を回っている。

現在しばらく拠点として活躍していたG県からも離れて活動する事が増えている小暮は、文字通りの「鬼教官」と呼ばれているらしいが。

某軍曹のような暴力一辺倒のやり方は一切採用しておらず。

単純に相手の戦闘技能を見抜き、それを磨き抜く現実的な方法で人材発掘をしている。

ただあんまり頭が良くないのも事実なので。一緒に補助役をつける事も多い。

そんな小暮が連絡を入れてきた。

今でも私を先輩と呼ぶ小暮が、である。

「何か起きたのか」

「G県にて奴らの残党が動き出したと報告がありました」

「……そうか」

奴らの残党が主に動いていたG県では、危うく世界が滅びる寸前まで行った。

その際に、奴らの残党を率いていた「金髪の王子」は私が直接戦って撃ち倒し、確保し。それが切っ掛けになって、奴らはもはや大規模な実験など不可能なほどに落ちぶれた。今では各国の特務機関に狩られている状態で、残党も第三諸国に逃げ込んだのが山賊化している有様だという。

「北条と愛染のチームに対応させようと思っていますが、どういたしましょうか先輩」

「あの二人だけでは心細いな」

「まあ、確かにその通りではありますが……」

「試験運用を開始する」

うっと、小暮が呻く。

意味を理解したのだろう。

実の所、新しいG県の警察のボスには、うってつけの人材がいるのである。

そして、北条と愛染だけではない。

対怪異の特務部隊として、更にこれに腕利きの警部である纐纈とその右腕である新美を加えたチームを作り。

バックアップとして、強力な対怪異能力者であり、風祭家肝いりの凄腕である如月をつける。

これに怪異そのものに詳しいその人物を加えて。

更に私がこの世で最も苦手としているある人物を加える事で、恐らくG県の問題は解決できるだろう。

ただ、それでも若干ひよっこ共はまだまだ不安が色々残る。

「一応念のために一部隊率いて支援に回ってくれるか? 細かい支援は羽黒にでもさせる」

「はあ、分かりました。 しかし怪異が関係しているのは確実なので……」

「それはまあ対応を如月かゆうかに頼め。 ゆうかとは相変わらずうちの精鋭、佐倉智子がバディについているからな」

「うう……」

小暮が情けない声を漏らす。

小暮は一目で分かる「ごつい男」であり、多分近接戦闘能力だとこの国最強の人間である。主に柔道を得意としているが、近接戦闘の技量は群を抜いていて、実力に自信がある私でもはっきりいって小暮に正面から勝つのは無理だ。

まだ刑事として前線に立っていた頃、賀茂泉かごめという同僚がいた。このかごめは米国に留学して現地の犯罪者とガチンコで戦っていた精鋭中の精鋭で、私と格闘戦の実力もほとんど同レベルだった。

だが小暮は多分私とかごめが二人がかりでやっと、という次元の相手。

本場米国のガタイから違う犯罪者とやり合っていたかごめの戦闘力は尋常ではないので、それだけでも小暮の桁外れの強さがよく分かる。まあ私は、格闘戦そのものは人間の領域の力しかない、という事情もある。

いずれにしても、小暮は本当にこの気弱なところさえなければ、と思う。

こんな小暮は、刑事時代は馬鹿にされていたのだが。それを認めてくれた人もいたし。私の所に来てからは、怪事件を一緒にバッタバッタとなぎ倒していった。

私は中学生並みの背丈である事もあって、凸凹コンビとか昔は言われていたのだが。

元々キャリアの私と小暮では、本来ではバディを組む事はなかったのだろう。

色々な縁で世界は動いている。

ただ、荒事なら確定で最強の小暮は。気弱な上に弱点がある。お化けがとにかく苦手なのである。

しかも小暮は「見える体質」なので、いつも酷い目にあっていた。人間の犯罪者が相手だったら確定で勝てるのだが。

逆に私は怪異が相手だったら何でも勝てる。

小暮とのバディは、ある意味最強だったとも言えた。

とりあえず、もう小暮も警察のVIPとして色々作戦指導をしてもらわないと困る時期である。

自分からも、幾つか連絡を入れておく。

G県に潜入している私が一番苦手としている相手。間宮ゆうかに連絡。間もなく名字が変わるのだが。その理由が色々不愉快でならない。まあともかく、連絡は入れておく。

「久々だなゆうか」

「あらお姉ちゃん」

「その呼び方は止めろ……」

冗談抜きに全身に寒気が走った。

この世に怖れる者無き大魔王ですら怖れる相手。それこそがこの怪異ホイホイこと、間宮ゆうかである。

体質的に怪異を引きつける傾向があり、強運で様々な怪異から生き延びてきた此奴は。今でもその体質が変わっていない。

風祭家から手練れを出して身辺警護させているが。此奴は情報収集能力が凄まじく、はっきりいってブンヤなんかやらせているのが惜しい。

さっそく話を聞いてみると。案の定知っていた。

「ああ、あの連中。 FOAFとか名乗っているらしいね」

「……知っているなら早くいえ!」

「え、小暮さんには知ってからすぐ言ったよお姉ちゃん」

「それで小暮から連絡が来たのか……」

苦虫を噛み潰す。まあ此奴が私をお姉ちゃんと呼ぶのは簡単。まもなく私がもっともこの世で慕っている義兄と結婚するからである。

正直いって怪異なんて例えそれが神レベルの相手でも恐るるに足りない相手だが。それでもこの事態だけは来て欲しくなかった。

元々大学教授とその教え子という間柄だったのだが。

ゆうかの猛アタックに義兄が屈してしまったのである。

ただ、ゆうかは元からうちの実家、つまり風祭ととても縁が深かった。

怪異ホイホイの体質もあったし。放置しておくわけにもいかなかった。

本人も有能で、普段は記者として振る舞いながら、必要な情報はずばりと見つけてくるのである。

そこで本家でもゆうかは半ば公認の出入りを許されていて。

そういう意味でも、義兄の婚約者としても、本家では反対者が出なかった。

風祭家は外部からの血を入れることを殆ど躊躇わない。それだけが、色々問題を抱えた対怪異におけるこの国で古くから最強を誇ったこの家の、良い所であったのかも知れないし。

逆にその良い所が、ゆうかの件では徒になったとも言える。

「それで相手の規模は」

「んー、もう完全に残党がちょこっと、だけかな。 ああそうそう、面白いのが混じってるみたいだけど」

「面白いの?」

「ほら、あの北条って子を保護した例の大惨劇あったでしょ」

あった。

村一つが、「奴ら」の実験にて壊滅。村の警察も壊滅し、生き延びたのは北条だけという凄惨な事件だった。

その村で行われていたのは、最大級の能力を持つ「時間操作能力」。限定的に過去に時間を巻き戻せる能力を持つ魔女の子孫の能力実験。

結果として、村にはあり得ない数の怪異と死人が蠢きかえり。

自衛隊が対怪異の特殊部隊と一緒に怪異を掃除しなければならない事態にまで陥った。そんな事件である。

「あの事件のもう一人の生き残り」

「何だと……」

「具体的には、惨劇を繰り返す中で運良く生き残って、面白がった奴らが幹部候補に加えたみたいだね」

「……」

ぶちりと私の中で何か音がした。

それを悟ったか、ゆうかは慌てて電話を切り上げる。

「そ、そういうことだから。 それじゃね。 もう少し此方で、佐倉先輩と一緒に調べるから。 一つかなり危なそうなのもあるから、それは霧崎先生と一緒に、ね」

「はあ。 好きにしろ」

通話が切れる。

それにしても、婚約者をまだ先生と呼んでいるのか彼奴は。

まあいい。

ともかく、すぐにデータが送られてくるので、ざっと目を通す。

確かに大量殺人につながりかねないもの。既に死者が出ているもの。幾つか危険な事件があるな。

すぐに小暮に連絡をし直し、対応をさせる。

そして、現在私が掌握している、警察の最暗部に連絡を入れた。

「奴を今回の事件では用いる。 私の所に連れてくるように」

「しかし奴は……」

「既に奴の能力は全て取り除き済だ。 現時点では、いつでも暗殺できる程度の相手に過ぎない。 私が全力でやりあった時の彼奴とは完全に別物だ」

「警視総監がそう言うのであれば……」

落ち合う場所を指定し。

そして自身も移動する。リムジンなんか使わない。

昔の警視総監は、移動する時に信号をどんどん勝手に変えさせ、交通ルールを無視して「快適な」移動を行い。周囲の顰蹙を買いまくっていたそうだが。

今の警視総監である私は、公安も含めてそんな馬鹿な事は絶対にさせない。

堅物とか言われているらしいが、堅物で結構である。

社会の上層にいる人間がルールを守らない社会で、誰がルールなんか守るか。

手本になれない人間が社会の上層にいる時点で、その社会は色々終わっている。

だから私は見本になる。

それだけである。

一応対狙撃用の護衛はつけるが、これも形だけ。

私が展開した式神が周囲を見張っている。私の式神は物理干渉能力を奪ってあるのだが、それでも見る事は出来るし。スコープの類を阻害することも可能だ。

やがて、複雑なルートを通って警視庁の地下に。

知られていないエレベーターを使って、深い階層に降りると。

其奴は既に、手錠を掛けられたまま待っていた。

狭い部屋だ。

昔の軍隊もので出てくるような、文字通りの「独房」。

それもドアの厚さが尋常では無い。

其所にアサルトで武装した特殊な警備員と共に私が出向くと、顔を上げてそいつは凄惨に微笑む。

金髪の男だ。

窶れきっていても、充分に美しいほどの。

通称金髪の王子。

一時期、弱体化した奴らの組織で、事実上トップをしていた人物である。

此奴の前のボスが悪辣極まりない奴で、今でも無間地獄を彷徨っているのに対し。

此奴は自分と同じ立場の、実験動物としての能力者を守るために組織を回していた節がある。

勿論許される存在ではないのだが。

まあ、首輪がついている状態で、使えるなら使う。

それくらいの相手ではある。

要するに、もう何時でも消せる無害な相手だと言う事だ。

それに江戸時代の岡っ引きは、元犯罪者がなったという話もある。

これは犯罪者の手口は、犯罪者が一番良く知っているから、である。

「裁判の準備ができたのかな。 風祭の魔王」

「大魔王だ」

「……」

「まあ魔王大魔王はともかくとして、お前を使ってやる。 有り難く思え」

皆は無事か。

そう聞かれたので、無事だと教えてやる。

此奴はいわゆる魔女の一族の出だ。古くは、たまに特殊能力者が出るくらいの一族だったらしいのだが。

奴らに目をつけられたのが運の尽き。

一族は完全にモルモットにされ、海外の怪異や邪神などと無理矢理組み合わされた結果、大半が死滅。生き残りも異常な能力を持つようになっていった。

此奴自身の能力は、そんな能力持ち達のボス。いわゆる女王蜂のような存在であり。

逆に言うと、もう魔女の一族を保護し、既に能力も危険なものは除去した今。

此奴は多少頭が切れて、多少格闘戦が出来る普通の人間の領域を越えない存在にまでなっている。

手錠をしたまま別室に移す。

そして、奴らの残党について教えてやる。

ふっと、金髪の王子はいやみったらしく鼻を鳴らしていた。

「「FOAF」とはな。都市伝説そのものの事では無いか」

「都市伝説そのもの、という意味でもあるのだろう。 逆に言うと、その程度の存在にまで落ちぶれていることを、自分でも認めていると言う事だ」

「それで私は何をすればいいのだ魔王」

「大魔王だ。 ……此奴らを殲滅しろ。 部下は貸してやる」

ため息をつく金髪の王子。

実は利害は一致している。

魔女の一族のデータは、奴らの生き残りにとっては垂涎だからである。既に本部も壊滅し、データも散逸している奴らの生き残りである。「FOAF」だか何だか知らないが、兵器になるのなら何にでも見境なく手を出すだろう。

自分の大事なものを守るために。

此奴も動かなければならないのだ。

「数日間、リハビリの時間をやる。 その後、G県県警の主席補佐顧問の地位をくれてやる」

「そんな階級が日本の警察にあるのか?」

「特例の地位だ。 権限は警視と同レベル。 ただし常時監視がつくがな」

「まあいい。 利害は一致している。 いいだろうともやってやるさ」

疲れきった様子で、金髪の王子はまずは食べ物をといい。そして何だか難しい名前のメニューを告げた。

思い出す。

たしか此奴の故郷の料理だ。

豪華とは言えない一種のスープで、庶民の味である。

すぐに此奴の故郷の国の料理が作れる店を調べるように、デリバリーの手配をさせると。別室で打ち合わせを続ける。

支援者のリストに小暮があるのを見て、ふっと笑う金髪の王子。

「彼はまだこの国最強か?」

「世界でもトップ10に食い込む。 相変わらずお化けは駄目だがな」

「なんとまあもったいない。 あれほどの戦士、どこででもやっていけると思うが」

「その通りだ。 私も随分と彼奴と組んでいるときは苦労したが、一方で単純な荒事では彼奴以上に頼れる奴もいないのも事実だ」

金髪の王子の方からも情報を出して貰う。

ゆうかから上がって来た情報を確認すると、知らない幹部らしい。嘘をついている様子はない。

要するに、有象無象が幹部面をしているということだ。

それくらい、状況が危険だと言う事でもある。

組織が混乱し。統制もなにも残っていないのだろうから。

今までもぷちぷち残党は潰していたのだが。それでもまだ結構なのが残っていたと言う事で。

しかもその残党がG県にあつまりつつある。

放置しておけば、下手をすれば万人単位の死者が出るだろう。あの村の大惨劇のように、である。

「それにしてもどうしてG県に奴らは残党を結集させている」

「分からないが、一つだけ可能性があるとしたら……」

その可能性を聞いて、私は口をつぐんでいた。

もしそれが本当だとしたら大事だ。

頭を振る。

本当に人間は、何でもかんでも兵器にしたがるのだなと呆れたからである。

いずれにしても放置は出来ないし、そんなものに手出しだってさせない。

「よし。 では残党狩りを開始する。 もう一度言うが、お前には常時監視がついているのを忘れるな。 仮にロストしても、遠隔で爆破する事は簡単だ」

「ああ、分かっている。 体内に貴方が仕込んだ式神も複数いるしな」

「そういうことだ。 相互作用してどれかの存在が検知できなくなったら爆破する仕組みになっている。 せいぜい気を付けることだ」

金髪の王子を連れていかせる。

さて、G県はこれでまた戦場になるだろう。

だが、別にそれはいい。

もっと凄惨な戦場を私は幾つも見てきた。今更の問題だから、である。

私自身は一応念のため、かごめや羽黒にも連絡を入れておく。小暮と同じ、昔からの仲間である。

更に幾つかの部署に連絡を入れて、それで嘆息していた。

今回、私は直接出ない。

それでも、事件が発生した後は死人は出させない。

被害は最小限に抑え、悪党は全て叩き伏せる。

私の方針は、今も変わっていない。

ただ、新しい世代の人材を育てなければならない。色々と、迂遠な話だった。

 

1、隙間女の噂

 

小さくあくびをする北条紗希。

G県警にて、警官をしている。別にキャリアでも何でも無い。ちょっと特殊な心理学を囓っているだけの、普通の警官。

階級も巡査長。

巡査より一つ上なだけの、ほぼぺーぺーである。

少し前に、このG県警のボスをしていたとんでもない人になんでか見込まれて、「とくそう」とかいうこの狭くて汚い部署に放り込まれて。

それから相棒の愛染刹那というオカルトに詳しい男性警官と一緒に、怪異絡みの事件ばかりに関わっている。

散々怖い目にあってきた。

だけれども、一番怖い目に会ったのは、このとくそうに入る前。

もうあの時の事は思い出したくも無い。

狂気としか思えない世界の中に閉じ込められ。

何度も何度も死を経験した。

最後には、鍵を掛けた部屋に閉じこもって震えている所を救助されたらしいが、前後の記憶は曖昧でよく覚えていない。

それくらい、狂気の惨劇が凄まじく。

何が起きたか、自分でも思考するのを拒否するレベルだった、という事である。

そんなとくそうでは、普段は暇で定時で帰ることが出来るのだが。

ここ数日、にわかに忙しくなっている。

部屋の片付けをして。

更に二人のスペースを確保する事を指示されたからだ。

そして、掃除が終わったのがついさっきである。

力仕事は愛染に任せたが、それでも疲れた。元々格闘戦は苦手で、ほとんど愛染に任せっぱなしの北条である。

愛染も階級も経歴も上の北条に対してため口を利くし、威厳なんてものはかけらも無い。

強いていうならばライアーアートという人間の心理につけ込んで証言を引っ張り出す技術を持っているくらいだが。

それだって別に必ず効果があるわけでは無い。

前に、とにかくとんでもなかったG県の部長がたびたび色んな事件に引っ張り出してきたときは。

このライアーアートが最大限役立つように、お膳立てしてくれていた節がある。

今では、それも自分と愛染でどうにかしなければならない身だ。

それに、二人追加といっても。

オカルトを基本的に扱う部署に、誰を追加するというのか。

程なく、荷物が運び込まれてきたのを見て、うっと唸る。

誰が来るのか分かったからである。

PCなどの荷物が、開いている席に運び込まれ。そしてセッティングされていく。セッティングは若い警官がやっていたが、まあそれは相手が警部補と警視、つまりベテランだからだろう。

セッティング終わり。

やがて椅子が運ばれて来て、むすっとした強面の男性と。女性のように綺麗な顔をした細い男性が一緒に現れた。前者は絵に描いたような「警官」。後者はなんというか、その従者だ。

良くしたもので、お小姓という陰口があるらしい。

まあそれもそうだろうなと、北条は思った。

前者の男性は、纐纈将臣。

G県のエースであり、捜査一課のトップである。今回警視に昇格したらしいが、その代わりに捜査一課のトップを後輩に譲り、自分はこのとくそうのトップに移ってきたのだと、心底嫌そうにいうのだった。

後ろの綺麗な顔の男性は新美心太郎。

見た目同様に荒事はからっきしだが、非常に緻密な理論的な頭脳の持ち主だ。知識も豊富である。

なお纐纈にべったりであり、その懐刀を公言してはばからない。

この辺りが、昔本庁の捜査一課でエースだったらしい纐纈に影で憧れていたり嫉妬していたりする人間の反感を買い。

お小姓呼ばわりされる原因なのであろうと思うが。

そもそも最近聞いた話によると、新美はそもそも纐纈に憧れて警察になったらしい。経歴もいわゆるキャリアだから、本来だったら本庁で警部補から始まるだろうに。未だにG県でこんなポジションにいることからも、その熱愛ぶりは明らかだ。

敬礼をして、互いに挨拶を済ませる。

それがおわると、開口一番に纐纈が言った。

「現在進行中の事件のファイルは」

「今はもう進行中の事件はありません」

「なんだと。 では俺は暇な部署に回されたと言う事か」

「いいじゃないですか、たまにはゆっくりしたら。 まあ事件が起きるとうちは地獄になりますけど」

これは本当だ。

事件が発生すると、怪異が当たり前のように出現して、地獄になる。

下手をすると大量虐殺事件になりかねない事件だってあったのだ。それをあの人。元部長が、あらかた力業で解決していた。

どんな怪異も文字通り拳一発でおだぶつ。

あの有様は、まるで何かの世紀末格闘漫画のキャラクターを、学園物ラブコメか何かに連れてきたかのような光景だった。

いずれにしても、北条も愛染も、危ない場面には何度もであったが。

その度に、あの人に随分助けられた。

今回からは支援チームがつくと言うことだけれども。それでも危ない事件に関わる可能性があるという事は話しておく。

纐纈はうんざりした様子で、頷く。

この人も、あの破天荒な元部長には散々振り回されていたのだ。

あの元部長、今では警視総監らしいのだけれど。

警視総監になってからというもの、腐敗した無能キャリアを片っ端から粛正したらしくて。

今では鬼とか大魔王とか呼ばれているそうである。

大魔王か。

確かに何とであっても叩き潰していく様子は、軍神か大魔王か。

いずれにしても、あの人だけは敵に回してはいけない。

その意見だけは、北条も同意できる。

むすっとした様子で、纐纈が席に着く。キングファイルを取りだすと、中身を見始める新美。

新美と犬猿の仲である愛染が、それに食ってかかった。

「過去の事件になんか文句でもあるのかよ」

「……知っているかも知れないが、既に此処で扱った事件の顛末はDB化されていて、僕も目を通している。 君達がどれだけ事件を緻密に扱い、今後のために役立てられるようにしているか確認をしているだけだ」

「心太郎」

「はい、纐纈さん」

忠犬ぶりを早速発揮する新美。犬だったら尻尾を振ってお座りしているだろう。

纐纈は適当に切り上げるようにと言うと、自身はPCを起動して、様々なニュースを確認し始めた。

G県きっての資産家であり、有名な芸術家である高安という家の人間が、テレビの取材を受けている。

テレビなんかもう誰も見ない廃れたメディアだが。この高安という男はSNS等でも知られており。特に閉鎖性の高い会員制SNS等ではカルト的なファンクラブまで存在していると言う。

舌打ちする纐纈。

「そのイケメンが何か気に入らないんで?」

「お、おいっ! 貴様階級がずっと上の人間に何て口を!」

「いいんだ心太郎。 この高安、少し前から黒い噂があってな」

「黒い噂?」

今度は北条が聞き返す。

纐纈は恐らくだが、相当な情報網をG県内に張り巡らせている。

此処で言う情報というのは、刑事ドラマなどに出てくるような情報屋などから集めたものではない。

警察が関連する部署や公務員、更には警備会社などから集めた様々なデータを分析した結果のものだ。

情報屋が存在しない、とはいわない。

だが、現在では警察は、そんなものに頼らないでも捜査ができるほどの実力はあるという事だ。

とはいっても無能なキャリアに足を引っ張られて初動が遅れたり。

様々な不祥事があったりと、問題が絶えないのも事実。

これでも世界的に見ればかなりマシな方だというのだから、情けない話だ。

「黒い噂は現在高安の家の当主であるこのお前が言う所のイケメン……高安道房の先代、先々代の頃からあってな。 とにかく関係人が失踪するということで警察もマークはしていたらしい」

関係人、か。

いわゆる浮気相手の事である。正確には特殊関係人と言うが、まあだいたいの場合は関係人と短縮してしまう。

名家ともなればそれは浮き名を流すものだが。それにしても芸術家、特に彫刻家として有名な高安の家の周囲はおかしい。

そういう噂が、ずっと警察の内部からもあったそうだ。

「先代が死んでから、その手の噂は一旦途切れたんだがな。 最近このイケメン君がSNSで派手に露出し始めている。 まあ刑事の勘という奴だ」

「はあ……」

「!」

愛染が立ち上がる。殆ど同時に、とくそうに一つだけ置いてある電話が鳴った。此処には、県警の本部長(とされる人物)が電話を掛けてきて。

そして電話が来たときには、怪事件が始まる。

連続して怪事件が起きることも多く。そういうときは本当に大変だった。代わりにボーナスはどーんと出たのだが。

纐纈が出ようとしたが、北条が出ると言って、電話に応じる。

電話に出たのは。相変わらずの野太い声だった。

「とくそうです」

「悪いな、遅い時間に。 早速だが、事件だ。 すぐに出向いてほしい」

「はい。 具体的に何処に出向けば良いですか?」

すぐに名前と住所が告げられる。住所を見て、新美が調べているのを横目に、更に話を聞く。

本部長らしい、誰も顔を見たことが無いその人は、続ける。

「君は隙間女という都市伝説を知っているかね?」

「隙間女……ですか?」

「怖いので説明はしたくはないのだが、それに悩まされているという女性から通報があってな。 すぐに対応してほしい」

電話が切れる。

怖いので説明をしたくない。流石に唖然とする。元々怖いものが大嫌いという話は聞いていたが、それにターボが掛かっている様子だ。

いずれにしても、隙間女とはなんぞやと周囲に聞く北条。

案の定、オカルトマニアである愛染は知っていた。

「比較的最近流れ始めた都市伝説だな。 簡単に言うと、タンスの裏側とか間とかの隙間から、誰かが覗いている、と言うような内容だ」

「馬鹿馬鹿しい。 単なる視線を過敏に感じているだけだろう」

マニュアル通りに新美が答えるが。

愛染は食ってかかろうとする。

まあ、筋金入りのオカルトマニアの上に。今まで散々酷い目に会ってきている愛染である。オカルトを端から馬鹿にする事は許しがたいのだろう。

それに、新美にしても北条達と関わる過程で、訳が分からないものは散々見て来ている筈である。

そういう意味でも、その対応は我慢ならないのかもしれない。

いずれにしても、纐纈は咳払い。

「真相は兎も角、このとくそうが動いているときは基本的に危険な事件が起きていた事が多い。 何にしても即座に動いた方が良いだろうな」

「はい、纐纈さん」

「北条、愛染」

呼ばれたので、愛染と一緒に立ち上がる。

相手はずっと階級が上の相手だ。それに、これから上司になると言う事に対して、既に完全に馴染んでいる。

要するに、その発言には従うべき説得力が普通に生じていた。

「お前達二人が、隙間女とやらの証言をしている被害者の元に出向くように。 出来るだけ急げ」

「分かりました」

「オス」

更に、纐纈は新美にも指示を出す。

てきぱきと、やるべき事を即座にこなして行く印象だ。

こういう警官ばかりだったら、初動の遅れなどはなくなるだろうにと、北条は思った。

「お前はパトカーなどの書類の手配。 それが終わり次第、被害を訴えてきている人間の周辺関係をネットなどから洗え」

「はい、纐纈さん」

「俺は足で直接周辺を調べに行く。 変質者程度だったら良いんだがな」

すぐに全員が動き出す。

愛染が、ひそひそと北条に耳打ちしてきた。

「気にくわねえと思っていたが、警官としてはやっぱり無茶苦茶腕利きだな。 あの人が毎回頭を抱えてたあの元部長がいろいろおかしすぎるんだなやっぱ」

「あんな破天荒な人、何人もいたら困るわよ」

「そりゃそうだ」

本来、事件現場にはパトカーなどは使わないが、今回は敢えてパトカーで赴く。これは犯人などがいる場合に威圧になるからだ。

また、パトカーは私用では使えない。事件などで出動するときにも、後で書類を書かなければならない。

その辺りは新美警部補どのがやってくれると言うことだ。有り難い話である。

ただ、被害者は女性だ。

聞き込みは北条がやらなければならない。そして怪異絡みは、兎に角あらゆる事でリスクが高いのである。

運転は愛染に任せて、北条は隙間女について自分でも調べて見るが。

思わず小首をかしげてしまった。

「ねえ愛染くん」

「なんだよ」

「別に危険な怪異じゃないわよね、これ」

「そうだな。 ただ隙間から此方を見ている目と視線があったとか、そういう程度のものだ。 前に俺らがやりあってたらしい悪の組織なんかは、怪異を兵器化していたらしいけれど。 確かにそういうことが出来そうなやべえのが何度も出て来たよな」

だとすると、その組織はあの部長達にぶっ潰されて、もうすっかり弱体化して。そんな兵器化出来るような怪異なんて、手が出せなくなっているのだろうか。

いずれにしても隙間女というのを調べたが、これによる殺傷などの噂は存在していないようである。

続けて、新美から連絡。

メールが送られてきた。流石に調査が早い。

まず通報をしてきたのは、鷲見みわ子。

写真なども出てくるが、充分に綺麗で健康的な雰囲気の女性だ。

北条もそれなりに綺麗だと言われる事があるのだけれども。どうしても影があると言われる事もある。

それはそうだろう。

あの村の事件に巻き込まれ。当時の同僚が狂っていく様子を見たり。街全土が壊滅していく様子を見たり。あらゆる災厄を見せつけられ続けたのだから。

人間関係もそれほど問題があるようには見えない。

婚約者もいるようだ。婚約者がいるのなら、何故その相手に相談しないのかと思って、ふとデータを見て硬直する。

「どうしたあ?」

「これ……婚約者。 さっき話題に挙がった奴だわ」

「んだよそれ。 ええと……」

「高安という芸術家よ」

思わず閉口する愛染。

それはそうだろう。このタイミング、とても偶然とは思えない。

あの元部長は、色々破天荒だったが。なんだか独自の人脈があるとかで、実際の権限は県警部長程度では無いという話も聞いたことがある。まあその後とんとんと警視総監にまでなったのだから、それも納得は出来る話だ。

もしも、関わっているのなら。

死人が出ないように、手を回しているのかも知れない。

頬を手で叩く。

あの人は、乱暴だし、破天荒だし、無茶苦茶だったし、やることなすこと意味不明で見ていて真顔になる事も多かった。

中学生みたいな見かけで、スマホを日本一有名な猫のキャラでデコっていたりと、感性も独特にも程がありすぎた。

だが、警官としての力量は本物だったし。

何よりも、悪を憎む警官としての心はしっかり持っていた。

だったら、その期待があるのなら。

期待に応えていきたい。

それが北条の本音だ。

きっと、悪の組織がまだ暗躍しているのなら。あの人の率いる特殊部隊とかが鎮圧をしているはず。

北条達が任されているのは、きっと末端の掃除だ。

だったら、それにさえ手を借りてばかりでは警官としての矜恃がすたる。

現場近くまで到着。

すぐに北条と頷きあうと、周囲を警戒して貰う。そこそこいいアパートだ。

「此方纐纈」

「此方北条です。 現地に着きました」

「俺は丁度妙な訴えをしている人間が通っているというジムに来たところだがな、変な噂がある様子だ」

さっそく何か掴んだのか。

これは負けてはいられないな。そう北条は、また気合いを入れ直す。

「裏を取ったら、他にも情報を仕入れてみる。 其方も頼むぞ」

「分かりました」

確認をしてから、インターホンを押す。

しばしして、出て来たのは。

うっと思わず声が出るほど窶れた、鷲見みわ子だった。まだ生きてはいるのだが。信じられないほど焦燥しきっている。それに怯えきっている様子が明白だ。

警察だとなのると、ああとその場で崩れ落ちてしまう。

この様子だと、余程怖い目にあったのだろう。

ともかく、中に入れて貰う。

愛染は外で見張りをして貰うが。中に入れて貰った北条が見たのは、想像を絶する光景だった。

何だ、これは。

家の中が、完全に異界とかしている。勿論、幽霊が飛び交っているとか、怪異が其所に立っているとか、そういうのではない。

人工的に此処までの異界を作れるのかと、むしろ生唾を飲み込んでしまった。

それにジム通いが趣味だという話は聞いていたのに。

この痩せこけた様子。

完全に精神をやられてしまっているのが、一発で分かる程だ。

薬物検査が必要か、と一瞬思ったが。

まずは話を聞く事にする。

最初に聞くのは、このマンションの異界っぷりを作り出している状況。

そう。

ありとあらゆる隙間を、ガムテープが目張りしているという、意味不明すぎる状況についてである。

ライアーアートを使うまでもない。

こんな状況では、そもそもまずは何があったのかから聞かなければならないだろう。それに、場合によっては保護して連れていく必要もある。

レコーダーを入れると、順番に聞いていく。

「まず、このガムテープは貴方が?」

「は、はい、そうですっ」

「隙間女がという通報があったそうですが、それが原因ですか?」

こくこくと頷く鷲見みわ子。

いずれにしても、これは尋常な状況では無い。すぐに連れ出すべきだろうと、北条は判断していた。

だがそれでも、聞いておく事がある。

「その隙間女は、要するに都市伝説の隙間女のように、貴方を見ているんですか?」

「そんな、そんな生やさしいものじゃありません! 襲いかかってくるんです!」

暴れた痕跡もある。

それは、その隙間女とやらの仕業なのか。

順番に話を聞く。

まず、いつから被害が出始めたのか。

ぼんやりと思い出そうとしている焦燥しきった鷲見みわ子だが、やがて言う。

「私の婚約者と交際を始めた頃にはまだ出無かった気がします。 でも、それからしばらくして、時々視線を感じるようになって……最初は、あそこでした」

そう、気の毒なほどに痩せこけた指を向けたのはテレビの側の隙間。綺麗な液晶テレビなのに。ガムテでベタベタである。

きのせいだったのが、明らかに目を確認したのが彼処。

やがて、ありとあらゆるこの部屋の隙間に、その隙間女は現れるようになったと言う。

「昨晩は、ついに私が眠っている布団と私の間に現れました」

「!」

「隙間女が何を言っているかは良く分かりませんでしたが、凄まじい恨み事を述べているように聞こえました。 それで、私の首に手を掛けて……」

「失礼します」

首を確認。

確かに痣がある。すぐに写真を撮って確認。その後、連絡を入れた。

「此方北条」

「纐纈だ。 状況を知らせろ」

「今、通報者から聴取を取っていますが、明らかに何者かによる加害行為が行われています。 通報者の精神状態もよろしくありません。 即時の保護を申請します」

「それほどの状態か」

命の危険があると告げると、すぐに纐纈は連絡を取ってくれた。

セーフハウスがこう言うときは基本だが、今回は警察病院で24時間態勢で見張ることになる。

いずれにしても精神鑑定や、首の痣の調査などもしなければならない。

勿論、本人には知らせず薬物検査も行う。

更に纐纈警視には、鑑定班も手配して貰う。鑑定として来るのは、あの恐怖の如月さんである。

元部長とも関係が深いらしいあの人は、基本的に怪異をクシャポイするような人だし、多分隙間女なんか相手にもならないだろう。兵器化されていたとしても、である。

くすんくすんと泣いている鷲見みわ子にコートを掛けて、パトカーに連れていく。

愛染が鋭く周囲を見ているのが分かった。

「気を付けろ。 視線感じる。 一つじゃねえ」

「急いで出ましょう」

「ああ。 此処にもう一日いたら、命はなかったかもな」

流石に殺人事件が既に起きているわけではないし、通り魔などが目撃されている訳では無いので、捜査一課がいきなり来る訳にはいかないが。

あの電話がなったと言うことは。

多分、何かしらの部署が動いていると判断して良いだろう。

会社の話などを鷲見みわ子に聞くと、数日休暇を取っているという。ここ数日は隙間女の被害が酷くて、寝るどころではなかったそうなのだ。

それでいて、会社にいるとき、ジムにいるときは、出無かったという。

そうなると、あの家の方に問題があるのか、それとも。

何か出現条件が存在しているのか。

愛染に運転は任せる。ついてきている車はいないという。それは大変に有り難い話ではある。

仮に隙間女が兵器化されていて、この人を狙っているとしても。車についてこられるだけのパワーは無いと言う事だ。

程なくして、警察病院に到着。

久々に関係者らしい人に出会った。

以前、何度か部長が助っ人として呼んでいたらしい人だ。佐倉という名前らしいが、見た目は高校生くらいである。だけれどこの人が歴戦の対怪異系の猛者である事は北条も知っているし。

アクション映画もびっくりの動きをするところも見ている。

敬礼をすると、ラフなジーンズとシャツで動きやすい格好をして、ショートヘアの活動的な髪型にしている佐倉という女性は頷いていた。

「後は此方でこの人を預かる。 だが……」

「どうかしましたか?」

「いや、何でも無い。 絶対に守りきるから安心してほしい」

警察病院に、佐倉が警官と一緒に鷲見みわ子を連れていく。

とりあえず、現場の調査と、あの人の検査は如月さんの担当だ。

此処からは、周囲を調査していくことになる。

さて、隙間女とやらが出来るだけ危険では無い事を祈るしかない。交戦する場合は愛染が頼りだし。そもそもライアーアートが通じる状態に持って行くまでが、本当に大変なのだから。

 

2、ちらつく影

 

一度とくそうに戻って情報整理。かなり遅くなっていたが。こればかりは仕方が無い。ちなみに「とくそう」の本当の名前は「特別お客様相談係」であり、「特別捜査班」ではない。

新美はなんでひらがなでとくそうなのかと聞いてきたが、実際の名前を聞いて口をつぐみ。

しかもその名前をつけたのがあの元部長だと聞いて、以降は何も言わなくなった。

あの人の恐ろしさは、身に染みて知っているからだろう。

纐纈の忠犬みたいな新美だって、流石にあの人の事は口にしたがらない。

まず、データを集めてみるが。

やはり実際の現在の通報者と、写真などで出てくる通報者の様子があまりに違いすぎるので、それで驚かされる。

元は全体的に美しいプロポーションの女性で、そこそこの会社の受けつけ業務をしていたという。

適職だろう。

確かにこんな綺麗な人が受付に出て来たら、なんか変に拗らせている輩でなければ、それは気分だって良くする。

北条も同性だが、これくらい落ち着いた美貌の持ち主に案内されたら悪い気分はしないと断言する。

だが窶れ果てていた通報者は、本当に同一人物かと思える程悲惨な状態だった。

それよりも、である。

早速鑑識が入って調べたのだが。魔女としか言いようがない鑑識の如月さんから、恐ろしい話が上がって来ている。

あの部屋に。

明らかに誰かしらが、何度も何度も侵入しているのだという。

婚約者がいるという話だから、或いはその婚約者かとも思ったのだが明らかに違うという。

長い長い髪が。

風呂からも。

食器にも。

ベッドの隙間にも。

それどころか、色々な所からも。

それこそ、此処に私はいたぞと主張するように発見されているというのだ。隙間女の都市伝説を裏付けるように、あらゆる場所から。

明らかに通報者の髪ではない。

そして、女性の髪でもある。

文字通り、隙間女の髪、というわけだ。

纐纈が戻ってくる。資料をまとめていた新美が立ち上がると、敬礼し。資料をまとめたフォルダを説明する。

流石に捜査一課のエースとしてならした纐纈だ。疲れている様子も無く、さっと資料に目を通す。

「纐纈さんの方はどうでしたか?」

「まず怪しい人物が二人浮上してきている」

「……」

まあ、そうだろうなと思う。

一番怪しいのは婚約者だと北条は思う。何しろあの高安である。

先に話題に挙がっている、警察にも目をつけられている、周囲に失踪者が続出している人物。

このG県の県警は、昔は腐敗しきっていたらしく。

それこそ元部長が来るまでは、腐りきったキャリアがやりたいほうだいだったという話を聞いている。

そういう連中が、袖の下を渡されていた可能性は高い。

この県でも有名な芸術家であり。

その上金もたくさん持っていて、政財界にコネもあっただろう相手なのだから。

今の代になってからも、芸術家としては有名だが。

まだ黒い噂は流れていないらしい。

そしてもう一人怪しいのが、隙間女である。

これが怪異だか何だかはまだ保留しておくとして。いずれにしても、隙間女なのか、或いは人間のストーカーなのか。何が正体かは分からない。分からないにしても、通報者の家に土足で上がり込んで、やりたい放題していた奴がいるのは確定だ。

まだ如月さんの話では髪以外の痕跡は見つかっていないらしいが。

それも周囲に話をする限り、特定は時間の問題だろう。

纐纈の話によると、やはり怪しい人物は高安。高安とは既にアポを取り付けたという。

ここ最近婚約者の様子がおかしいことには気付いていた様子だが。

話をすると、驚いた様子だった、ということだ。

少なくとも表向きは。

確かに、隙間女の行動を、高安が直接やっていたとは思えない。実際に出ている痕跡は、女性の犯行である事を裏付けているのだ。

もう一人怪しい人物が目撃されているという。

髪の長い女性で、非常に痩せていて。目だけがぎらついていたという。

れっきとした人間の女性だ。

ジムなどで、時々通報者と同じ日に利用をしているが。それほど美容に気を遣っているようには見えなかったと、ジムの受付から報告を受けているという。

むしろ病的に痩せていて。

ジムよりもまず食べる事をアドバイスしたかったという言葉が聞かれたとか。

「拒食症でしょうか」

「何とも言えないが、いずれにしても異様に長い髪という点は侵入者と特徴が一致しているな」

「それよりも警察病院の方は大丈夫なのか?」

「そちらはぬかりなく」

北条が断言したので、新美はむっとするが。

咳払いすると、恐らく気付いたのだろう。

新美も、あの元部長が時々呼んでいた助っ人の強力さは知っている。そういう強力な助っ人が警護に就いている、という事を。

ああいう本職が警護について駄目なら。

北条や愛染では問題外だ。

「では一旦は此処までだな。 警察病院……いや護衛との連絡先は」

「此方です」

「佐倉智子、だな。 ああ、あの……」

「知っているんですか?」

纐纈は頷く。

やはり元部長と連携して動いていたから覚えがあるのか。高校生みたいな若々しい容姿だが、とにかく手練れも手練れ。動きとかを見る限り、明らかに本職の人間だった。愛染でも正面からやり合ったら勝てるか分からないとぼやいていたほどである。

「お前達絡みではないが、何度か一緒に仕事をした事がある。 あの元部長のコネで来てくれている協力者らしくて、犯人を取り押さえる手際はプロのものだったな。 もっとも捕り物が想定されるような仕事にしか姿を見せなかったが」

「あの人がついていますので」

「……分かった。 ちょっと後で俺の方でも話をしてみる。 新美、北条、愛染。 お前達は交代して仮眠しろ。 俺も仮眠を取っておく」

「分かりました」

これが警察の仕事だ。

忙しくなってくると、家に帰ることも出来なくなる。だから県警などには仮眠室もシャワーもある。

グルメである愛染が、不満タラタラの顔でコンビニ弁当を買い出しに行き。その間に新美が先に風呂に。

新美も愛染も、どっちも良い所のぼっちゃんであるらしい。

愛染は二昔前のヤンキーみたいな風貌だが、あれはあれで時々妙な育ちの良さが顔を見せる。

新美はもう隠している様子すらも無い。

あれはよっぽど良い所のおぼっちゃんだろう。警察学校を出てキャリアになって。そしてそれでいながら、たたき上げの纐纈の部下を嬉々としてやっている。

いいところの家が、内情はろくでもないという話は北条だって良く聞く。

或いは、本当の親のように纐纈を慕っているのかも知れない。

新美は体力もない。体力をつけるために色々努力しているが、基礎体力がないほうなのだろう。

とてもではないが荒事なんてやらせられない。

一応柔道で段位はとっているらしいが。

防弾チョッキや防刃チョッキを着ていても、とても捕り物をさせられる体ではない。

北条の方がまだそういうのをやれるくらいだ。

なんか良い匂いの新美が風呂から出てくる。

どんなシャンプー使っているのか着になったが、まあそれはそれだ。

風呂に入る。

隙間女、か。

色々な危険な怪異を見て来た。

元部長が嬉々として怪異とガチンコをしているのを見ているだけ、というのは嫌だった。元部長は、北条や愛染に経験を積ませつつ、自分でクリティカルな所は片付けていた節がある。

だから足手まといにならないように、必死に頑張って。

努力をずっと続けて。

少なくとも、物怖じはしないようになった。

頭を洗ってさっぱりすると、着替えて部屋に戻る。仮眠は新美が最初、次が私、愛染、纐纈の順番だ。

黙々と愛染が買ってきたコンビニ弁当をたべる。

愛染は不満そうだった。

「はあ。 良い店のメシとは言わないが、これはなあ」

「割と美味しいじゃない」

「じい……ゲフンゲフン、なんでもない。 これだったら手料理で俺がもっと美味く作れるぜ」

「そう……」

多分じいやだろうなと思ったが、その辺りは突っ込まない。

愛染はプライベートの話は一切しないからだ。

バディだった頃から、愛染はこの辺り一線を越えないように自分から努力をしている節があり。

何度か良い雰囲気になりそうだった事もあったのに、明らかに自分から身を引いている。

更に言えばいわゆるインセルというほどの極端なものではないだろうが、どうも女嫌いの節があるので。

北条もその辺りは相手を尊重して、踏み込まないようにはしていた。

「食事が終わったら二人とも寝ておけ。 俺はもう少し調べ事がある」

「いいんですか?」

「ああ。 鍛え方も違うから心配するな。 元部長みたいな化け物レベルじゃないが、これでも修羅場は散々くぐってるんでな」

「分かりました。 それではお言葉に甘えます」

うまくもないコンビニ弁当を食べると、早めに切り上げる。

そして、仮眠を取った。

きちんと寝ておかないと、いざという時に動けなくなる。

どうせとくそうは普段は定時で帰れるのだ。こう言うときには、しっかり働いておくのも悪くは無いし。

何より警官は人の命を守る仕事でもある。

文字通り弱き者の盾になる仕事だ。

こう言うときに必要だから、体を張るのである。

仮眠室でぼんやりとする。

もっと恐ろしい怪異は幾らでも見て来たが。それでも、やはり怪異と無縁に暮らしていた人が隙間女なんか見たら。

それは驚くだろうなと。

どこか他人事のように、北条は思っていた。

 

朝起きだすと、新美だけがいて、データの整理を続けていた。

愛染が少し遅れて起きだしてくる。やはり仮眠室のベッドは寝心地が良くないらしい。そういえば、あの元部長。でっかいサメの抱き枕を持ち込んでいるとかで話題になっていたっけ。

シロナントカザメだとか説明されたが、何故か誇らしげだった。

まあそれはいい。

北条自身も、何が起きても大丈夫なように、心身を整える。軽く部屋の隅で体を動かしてから、自席についた。

普段は小汚いないだけの部屋だが。

今はかなり空気もぴりついている。

まあそれはそうだろう。一歩間違えば殺人事件になっていて。犯人は野放しなのだから。

纐纈がかなり早めに起きてくる。

大丈夫なのか心配になったが、平気そうだ。

昔24時間戦えますかとか、栄養ドリンクのCMが流れていたと聞く。

実際に24時間戦っていたような世代は、今みんな体を壊しているのが当たり前。

それ以降の時代は、更に過酷なブラック労働の世代が来て。

そういうCMは流れなくなった。

たまにブラックな労働環境に直面するものの。

今の北条は、比較的マシな労働をしていると言える。

纐纈は自席に着くと、部下三人に指示を出した。

「今日の方針を伝える。 普通だったらホワイトボードを使うところだが、この少人数チームならかまわないだろう。 まず北条」

「はい」

「お前は愛染と組んで如月先生の所に向かい、昨日の結果について確認を取れ。 その後、通報者宅、仕事場周囲での聞き込みだ。 お前のスマホにメールは送っておいた。 それを参考に捜査を進めろ」

「分かりました」

纐纈は捜査一課にいたころは正直ちょっと苦手だったのだが、一緒に仕事をしてみると、非常に論理的に刑事の動きをしている。

精神論の類を口にすることもなく、淡々と最善手を打っている感じだ。

昔はいちいちキャリアが口を出してきて、捜査方針が滅茶苦茶になったり、初動が遅れるケースもあったらしいが。

そういうのを元部長。現警視総監が全部綺麗に取っ払ってくれた結果。

こういう出来る人が動きやすくなっている。

だから恐らくだが。

あの破天荒すぎる行動に振り回されまくった苦い記憶があるにしても。纐纈は多分元部長に感謝しているのだと思う。

「新美、お前は俺と一緒に高安の調査だ。 昨日のうちにアポを取った。 場合によっては現行犯逮捕の可能性もあるから油断はするな」

「纐纈さんの考えでは、高安が犯人なんですか?」

「今の時点では可能性が一番高いと言うだけだ。 可能性という点では、事件に関わっている可能性はほぼ100%だな」

なるほどね。

本命は自分がいくと言うわけだ。

新美は荒事はやらせられないにしても、本人の分析力や緻密な頭脳、知識なども警官としては充分。

足手まといにならない程度にも鍛えている。荒事は多分無理だけど。

だから、連れていくというわけだ。

新美一人を此処に残す手もあるが。恐らく纐纈は新美を後継者にしたがっているのではあるまいか。

いずれにしても、たたき上げの超ベテランのノウハウを全て取り込んだ新美が出世してくれれば、警察全体のためにもなる。

それは、北条も思うところだった。

実際問題、このG県警にも無能なキャリアはまだ何人もいるのである。

無害だからということで粛正されなかっただけの奴が。

本来だったら、エリート教育を受けてきているだろうに。その教育で学んだ事を、全て権力闘争につぎ込み。事件解決なんてどうでもいいという態度で行動し続けた結果、産業廃棄物になってしまったような連中だ。

新美がそうなることは多分無いだろうが。

いずれにしても、纐纈に思うところがあるのも分かる。

時計を見て、すぐに行動を開始。

何かあったら即座に連絡するようにと言い残すと、纐纈も「とくそう」の部屋を出る。

すぐに全員がこの場を離れる。

ちなみにとくそうの電話は、基本的にあの恐がりな本部長らしい人からしか掛かってこないので、放置でかまわない。

あの人、何処かで此方を見ているらしく。

基本的に部屋に誰もいないときは、電話はならないし。

緊急時はスマホに掛けてくるのだから。

まず科捜研の如月先生の所に。

うきうきの様子で、如月先生は隙間女の残留物らしいのを調べている。

つやっつやだが、この人実は三十路とも四十路とも言われている。

それでいながらこの若さ。

魔女と言われるのも納得だ。

「あら、早いわね。 今日は可愛い検死体が三つもあるから、朝からうきうきが止まらないわ」

「は、はあ……」

愛染は後ろで彫像とかしている。

元々女嫌いの節がある愛染だ。美人でもこんな素でイカレてる人とはあまり近付きたくないだろう。

もの凄く手際よく色々調べながら、如月先生は説明を続ける。

「まず第一に、この髪は若い女性のものよ。 ただ可哀想な事にあれているわねえ」

「髪があれている」

「シャンプーやらリンスーやらを神経質にやりすぎているのよ。 長い髪を大事にしているのでしょうけれど、大事にしようとして却って痛めつけてしまっているわね。 可哀想に、綺麗な髪なのに」

なんだかぞくっとしたが、気のせいだろうか。

如月先生が舌なめずりしている様子を見ていると、髪を食べ始めかねないと感じたのだろうか。

まさか。

如何にこの人が筋金入りの変人でも、それはないだろう。

ないと信じたい。

「他にも残留物を発見したけれど、多分これ、もう人間半分止めてるわね。 一種の呪術的な力も残留していたわ。 貴方たちだけにしか話さないけど」

「呪術……」

「今、貴方たちの言う元部長の派遣した部隊も動いているけれど、気を付けなさい。 恐らくこれ、呪術のトリガーは嫉妬よ。 この髪の毛があった部屋に住んでいた女の人が、警察に連れて行かれるのを多分この髪の主は見ていたでしょうね。 下手をすると貴方たちが襲われるかもね」

「……」

思わず口をつぐんでしまう。

うふふとおっそろしい笑い方をすると、如月先生は楽しい死体弄りをしたいと言い出す。

すぐに愛染を連れて科捜研を出る。多分、証拠として裁判に出せるだけの資料は、もう如月先生の中では揃ったのだろう。

このままでは、恐らく変死体の解剖ショーを見せられることになる。

それだけはごめんだ。

科捜研を出ると、愛染が真っ青になっていた。

「はあ。 あの先生だけは駄目だ。 怖すぎる」

「同感ね」

「何だ、お前も怖いのか」

「今度部屋に泊まりに来ないって何度か誘われたのよ。 あの先生、男も女もおいしそうなら関係無いみたい」

愛染が小便をちびりそうな顔をしたが。

北条だって怖い。

部屋になんか連れ込まれたら、文字通り何をされるか分からないからである。

一晩同衾くらいだったら良い方だろう。

下手をしたら、翌朝には人間ではなくなっているかも知れない。

多分だが、あの人魔女と噂されているけれど。噂では無く本当だと思う。そうでなければ、あのリアル大魔王の元部長が頼りにするとも思えない。

無言のまま愛染と一緒に、まずは通報者の職場に行く。

既に昨日のうちにアポを取って貰っていて、通報者の同僚、上司などと順番に聴取を受ける事が出来た。

話によると、婚約者が出来たと言う事は彼ら彼女らも聞いていたらしい。

最初は幸せそう、ということだった。

だが、それも最初だけだ。

どんどん窶れていくのが目に見えたという。

上司は理由が分からないと小首をかしげていたが。

同僚は聞いたという。隙間女の話を。

「最初はそんなのいるわけないじゃんと笑ってたんです。 でも、あの窶れ方、尋常ではなくて……」

「具体的にいつだったかは覚えていますか?」

「はい。 ええと……」

スマホでカレンダーを調べだし、そして日付を特定するその同僚。

何でも、通報者が窶れだした頃に、奮発していい買い物をしたので、覚えていたという。勿論他意はなく。窶れていく通報者を見て、何だか悪いなと感じてしまっていたそうである。

頷くと、隙間女について心当たりはあるか聞くが。

しばらく悩んだ末に、なんか奇妙な事件があった、という話はされた。

「奇妙な事件?」

「ガリガリに痩せた、髪の長い女性がいたことがありました。 あの子が受付から外れて、それで気付いたんです。 気配があんまりにも薄くって分からなかったんですけれど」

頷くと、詳しく話を聞く。

その女性は受付が見える地点の物陰に潜んで、じっと動かずに。それでまったく気付けなかったという。

通報者が一度休憩を取るために受付を離れて。それで其奴が身じろぎしたので、やっと分かって。

そして思わず声を上げそうになったとか。

だが、気付いたときにはそれはいなくなっていて。心臓がばくばく言ったのを止められなかったとか。

「あれは見間違いだと思いたかった……」

「大体分かりました。 ご協力有難うございます」

「いえ……」

青ざめている同僚。

この様子だと、相当にまずそうだ。

まず、纐纈に連絡を入れる。だが、連絡がつかない。嫌な予感がした直後、新美から連絡が入った。

「やられた! すぐに指定の地点に来て欲しい!」

まさか、纐纈ほどのベテランが不覚を取ったのか。

すぐに愛染とともに、後のスケジュールを飛ばしてパトカーで指定の地点に急ぐ。

怪異というのは、凶暴化すると際限なく危険な存在になる。

実際に北条も、散々恐ろしい怪異に殺され掛けたので、その辺りの事情は良く理解している。

だからこそ、すぐに動かなければならない。

ともかく現地に急ぐ。法定速度は守らなければならないのがもどかしいが。ともかく急ぐ。

程なくして、現地に到着。

カフェで高安とアポを取っていたらしいのだが。辺りには血の跡が転々としていて。捜査一課も来ていた。

纐纈は腕をざっくりやられている。高安の姿はない。

既に重要参考人候補と言う事で、写真は見ている。いかにも芸術家らしい、線の細い美形の青年だった。

あれに、まさか纐纈が遅れを取るとは思えないのだが。

「何があったんですか」

「纐纈さんが僕を庇ったんだ……」

「心太郎。 余計な事は言わなくて良い」

「……」

纐纈の後任である捜査一課の警部が来て、敬礼する。険しい顔をした、元纐纈の部下だった人だ。

北条とも面識がある。纐纈ほどの能力は無いが、堅実で誰にでも平等に接する。北条も、辛く当たられた記憶は無い。

「纐纈さんが不覚を取るとは珍しいですね」

「それについては後で話す。 いずれにしても高安道房はこれで黒確定だ。 更に協力者がいる」

応急処置だけして、すぐに現場に出ようとする纐纈だが、流石に周囲が止める。

首を横に振ると、纐纈は新美に言う。

「相手はあんな訳が分からない相手だ。 高安を追うときは気を付けろ」

「……分かりました」

頷くと、新美は着いてくるようにといって、カフェの捜査を始めた捜査一課から離れる。捜査一課には、纐纈が対応してくれる様子だ。

そして、何があったのかと確認すると。

まだ若干震えている女の子の様な綺麗な指先で、新美は眼鏡を直していた。

「高安を呼び出した。 奴は通報者について心配しているなどと言い出したが、やがて纐纈さんが証拠を一つずつ突きつけていくと、顔色を変えた。 彼奴はどうやら、通報者に対してストーカー同然の行為をしていたようなんだ」

「!」

それを短時間で調べたのか。

凄いなと素直に感心するが。問題はその先だった。

「詰問する纐纈さんだったが。 その時、いきなり何かが机の下の隙間からにゅっと出て来た。 女みたいに見えて、ナイフを持っていた。 でも、あんな隙間から、出てこられる筈が無いんだ。 僕を纐纈さんが突き飛ばして、其奴がナイフで……。 高安はその隙に逃げ出したんだ。 僕は聞いた。 女が道房さんに近付くな……ってね」

そうか、新美を女と勘違いしたのか。

だが、いずれにしても幾つか分かった。そして、高安は簡単には捕まえられない事も、である。

まず佐倉さんに連絡を入れる。

軽く話をした。そうすると、佐倉さんは向こうで分かったと言う。

「此方に隙間女は現れていない。 そうなるとほぼ確定だが、隙間女は高安というその男に近付く女を自動的に攻撃している、と見て良い。 過剰に近付いている相手はなおさら、な」

「恐らく怪異でしょうね。 助けを廻せますか?」

「此方の守りはがっちり固めたから私が行く。 此処は手練れを何人か残す。 だが、どうも嫌な予感がするから気を付けろ。 その反応からして、その高安とかいう芸術家、絶対に何かあるぞ」

頷くと、通話を切る。

佐倉さんが来るならかなり頼りになる。怪異を何でもかんでも地面にめり込ませたりお空の星にしていた元部長ほどの戦闘力はないが、それでも充分だ。普通の怪異だったら文字通りクシャポイするくらいの力はある。

新美も緊急事態だからか、文句は言わない。

一旦愛染の車に一緒に乗る。

まだ青ざめている。纐纈だったら、しっかりしろと活を入れていた所だろうが。北条がそれをやっても逆効果だ。

「行くぞ。 掴まってな」

高安の豪邸については場所も分かっている。

奴が重要参考人になった今。

踏み込むのに、躊躇はいらなかった。

 

3、地獄の館

 

そこはG県の外れにある豪邸だった。まあ外観は知っていたのだが。何千坪もあるような巨大邸宅である。

元々首都圏などと比べて土地が安いし、広い土地を確保しやすいという事もあるのだろうが。

それにしても、芸術で為した財で此処まで広い家に住めるとは。なんというか、凄いものだ。

近くのパーキングに止めると、愛染が山道を顎でしゃくる。

余程慌てたらしい車の轍が残っていた。

露骨過ぎるほどだ。

この先に高安がいると見て良い。

程なくして、音もなく現れる佐倉さん。高校生みたいに若々しい見た目で、だが目つきだけが違う。

何人か知っているが。

あれは地獄を見た人間の目だ。

ひょっとしたら、北条以上の地獄を見て来た人なのかも知れない。だとすると、悲しい話である。

「新美心太郎警部補だ。 君が協力者の佐倉さんだな。 この先は何があるか分からないから、気を付けてほしい」

「……いや、私はいい。 それより貴方の方が狙われているんじゃないのかな」

「! どうして分かる」

「そりゃあ、ね」

疾風のように動く佐倉さん。

飛び退けたのは愛染だけ。北条も、一瞬遅れて反応するのがやっとだった。

佐倉さんが拳を叩き込んだ先には、何か得体がしれない黒いものがいて。なんと新美の足の下。

靴と地面の間の隙間から現れて。ナイフで新美に襲いかかろうとしていたのだった。

その顔面に拳が叩き込まれると、凄まじい声を上げながら、そいつは霧散していく。

舌打ちする佐倉さん。

「やっぱり御当主みたいに一撃必殺とはいかないか。 あんな程度の三下怪異に」

「た、助かった。 あれは一体……」

「分からないけれど、あれは呪いだね。 それも今は貴方をターゲッティングしてる」

「呪いなんかある筈が無い!」

今のを見た上で、なおも新美が佐倉さんに食い下がるが。

佐倉さんはしらけた様子で返す。

「呪いってのは、何も変な呪術で起こすことの事じゃない。 例えば、まだ幼い子供にお前は出来損ないだって実の親が言う。 しつこくそういう風に否定の言葉を投げかけていく。 そうすると、その子供の心には傷が残るだろう。 それが呪いだ」

「……なるほど。 怪しい呪術の類だけではなく、そういう観点でなら呪いというものは確かに存在しうるな」

「今の怪異はそれが更に発展したものだ。 今は撃退しただけ。 元を断たないと何度でも出てくるぞ。 今度はあんたが、家中にガムテで目張りをしなければならなくなる」

「そ、そういえば通報者は」

佐倉さんは首を横に振った。

要するに、あの呪いは一体しかいない。しかも居場所が分かる相手にしかターゲッティング出来ない。

警察病院のどの部屋に通報者がいるか、あの呪いの主が知っていれば。今頃通報者は殺されていただろうが。

残念ながら、そうはいかないのだ。

愛染が声を掛けて来る。

どうやら、既に特定されていた高安の車の一台らしい。マフラーの辺りを調べて、使ったばかりだと愛染は特定。

間違いない。高安はこの無駄に広い豪邸にいる。

チャイムを鳴らすが無反応だ。

その間に、北条は連絡を入れる。

相手は本部長。

要するに、捜査令状を出して貰うのだ。罪状は殺人未遂及び公務執行妨害である。更に言えばこの屋敷。

元々、警察にとってもアンタッチャブルだった場所だ。

何が中に散らばっていてもおかしくない。

ふと、電話が来る。纐纈からだ。

「通報者に対してストーカーをしていた女性の目撃報告があっただろう。 本人の素性が確定した。 廣瀬奈緒美という人物だ。 これから写真を送る」

「休んでいなくて良いんですか?」

「腕を切られただけだ。 ナイフはかなり不衛生で、今消毒処置をしているが、毒が塗られていた形跡も無い。 捜査一課が出向いているし、共同で重要参考人を洗っている所だよ」

病院からか。

本当にねっからの刑事なんだなとちょっと呆れる。

味方になってくれると実に頼もしい。

それに前から、元部長があまりにも破天荒すぎるからか。別にこの人とは特に対立はしていなかったとも思う。

新美には目の敵にされていたが。

「それで、これが……」

送られてきた写真を見る。

髪の長い、だがどちらかというと陰気さが際立っている女性だ。一応何とか綺麗になろうと服装やメイクで努力はしているが、どうしても元からある陰気さが抜けている雰囲気がない。

どうやらこの人は、前に高安と交際していた経歴があるらしいのだが。

頭の中でシミュレーションしてみる。

この人から化粧を剥ぎ取って、服も無頓着にして。ガリガリにしたら。

ああ、なるほど。

どんな綺麗な人でも、醜くすることは可能だが。

この人の場合、醜くなった場合はそれこそ際限がないところまで行ってしまうだろう。

あの高安という人物がどんな奴なのかは分からないが。ふられたのは仕方が無いのかもしれない。

だが、どうしてガリガリに痩せた。

本部長から捜査令状が出た。逃がすのを避ける為にも、一刻が惜しい。

捜査一課から応援が来る前に、まずは周辺を確保する。この付近は山だらけだ。逃げ込まれたら、文字通り山狩りをする事になるし。

しかも今は都合が良い事に、あの隙間女らしい怪異が、新美をターゲッティングしてくれている。

此処で下手な動きをすると、恐らくだが犠牲者が大量に出る事になる。

これ以上の被害者を出させるわけにはいかない。

もう一度チャイムを鳴らす。インターホンに、愛染が怒鳴った。

「高安道房! 殺人未遂及び公務執行妨害で捜査令状が出た! 出てこないなら踏み込む!」

勿論反応は無し。

愛染が前に出ると、北条も頷いて前に出る。

そして、二人で手を組んで、トランポリンの態勢を取る。佐倉さんがひょいと身軽にそれを使って、塀の上に。そして上から手を伸ばして、順番に残り三人を引き揚げて行った。

それにしても、トランポリンいらなかったのではあるまいかこれ。佐倉さんの身軽さ、確かに実戦で鍛え抜かれたものだ。

屋敷の内部には警報装置などはあるらしいが、既に警備会社には通報が行っているはずである。

すぐに本館に。

ドアをノックするが、反応は無し。新美が前に出ようとした瞬間、佐倉さんが手を引いていた。

一瞬の隙で、ドアの隙間から出て来た何かが。

新美の首をナイフで抉ろうとしていた。刃物は空を切り。佐倉さんがその手を掴むと握りつぶす。

人間のものとは思えない悲鳴が上がり。ナイフが落ちた。

ナイフは錆びていて。確かにこれで抉られたら消毒がいるなと、一目で判断出来る代物だった。

ぞっとする様子の新美。

佐倉さんが、咳払いする。

「愛染だったよな。 息を合わせて行くぞ」

「ちょ、何をするつもりだ」

「今のを見ただろう。 もう秒の猶予もない」

「そうだな、いっちょやるか!」

体勢を低くする愛染と佐倉さん。何をするか理解した私も、それに並ぶ。呆れていた様子だが、新美も同じように並んだ。まあ、多少は役に立つだろう。

カウントダウンし、0になると同時に全員でドアに突貫。

一度で拉げる。佐倉さんの所が、一番ドアへのダメージが大きい様子だ。

二度目の突貫。更に拉げる。

新美が目を回しているようだが。軟弱だなあと思う。そういう北条も少しくらくらするけれど。

三度目の突貫。

ドアが内側に吹っ飛び、入り口が開放される。

入り口付近は、広大なホールになっている。上にはシャンデリアか。周囲にあるのは、なんだ。

人間の像か。

銅像とかはあんまり良いイメージがないのだが。どれもこれも裸の女性のものばかりである。

それも黒い。

あまりにもリアルに細部まで再現されているので、北条の方が恥ずかしくなった。愛染や新美には見せたくない。

入り口の階段を下りてくる高安。

表情を引きつらせているのが分かった。

「随分と乱暴な人達ですね。 日本の警察はいつからこんなに乱暴になったのか。 ドアの弁償はしてもらいますよ」

「高安道房。 公務執行妨害及び殺人未遂の現行犯で逮捕する。 既に捜査令状は発行済だ!」

「僕の知り合いには警察のキャリアもたくさんいる。 果たして僕を安易に捕まえられるかな? それに法曹の知り合いだって……!」

「簡単だろ。 北条。 男共に見せられないというなら。 お前その周囲の像よく見てみな」

不意に佐倉さんが言う。

嫌な予感しかしない。歩み寄ると、高安がヒステリックに近付くな、と叫んだ。芸術家だからか。いや、違う。

それを偏愛しているからだ。

そして、近付いて見て。私は一瞬で後悔していた。

このホールにある二十を超える像が全部、そうだというのか。いや、此処にあるのが完成品だとすると、実際は。

「こ、これ、これ……!」

「ど、どうしたんだよ!?」

「何か分かったのか北条!」

「銅像とかじゃない! 人間の死体っ!」

気が弱ければ、その場で失神していたかも知れない。

だけれども、北条は死体を散々見て来た。

あの地獄の村で。

何故か何度も何度も時間が巻き戻され、その度に北条が悲惨な死をを遂げていったあの村で。

あらゆる方法で殺された人達を、嫌になる程見てきた。

人間の尊厳を陵辱され。

徹底的に悲惨な死に追い込まれていった人を、だ。

普通の警官だったら吐き戻していただろう。だけれども、そんな絶望の記憶があるから耐えられた。

それに、だ。

あの元部長の所で、更に意味が分からないものを散々見て来ているのである。この程度で吐き戻す程柔じゃ無い。

すぐに立ち直り、拳銃を抜く。

「動かないで! 大量殺人の容疑で逮捕する! 抵抗するなら撃つ!」

「こ、これが全部死体だというのか!」

「死体などというな! これは、僕の祖父の代から脈々と受け継がれてきた至宝だ!」

今までの柔なイケメンぶりをかなぐり捨てて、修羅の形相になった高安が吠え猛る。誰でも心の奥には汚してはいけない領域があるものだが。

その領域が必ずしも善とは限らない。

こいつは、その見本のようなケースだった。

「最初は偶然知り合いの藪医者から手に入れた死体だった! あまりにもその美しさに魅入られた祖父が、その死体を美しく加工したんだ! そうしたら、見ろ、この美しさ、完璧さを! 手入れさえすれば醜く老いていくことだってない!」

いかれてる。

既に北条はレコーダーのスイッチを入れている。

興奮した高安は更に喚き散らす。

「祖父は生きている自分が老いていくのが許せなかった! 当時は人間の命が安かったからな! 寒村から連れてこられた人間や、タコ部屋に売られた人間、ホームレスがいなくなったって誰も気にしなかった! だから最初の傑作を作り上げてから、何年も掛けて汚らしい人間を美しく保存する方法を研究していったんだ! その成果は父にも受け継がれた! そして資産を利用して、主に海外から仕入れた素体を使って、この至高の宝を作り上げていったんだ!」

見ろ。

完全に陶酔しきった声を上げる高安。

完璧で、もはや美しすぎて、何もかもが言う事もないと。

ライアーアートを仕掛けようかと思ったが、この状況、もはや此奴に言い逃れする手などない。

だが、妙だ。

どうして此奴は、こんなにもぺらぺら喋る。

激高したとは言え、相手は四人。北条と新美は戦力にならないとしても、此奴は監視カメラか何かで見ている筈だ。

佐倉さんと愛染は、生半可な相手なら秒で畳むくらいの使い手だと言う事は。

新美だって華奢で柔だが、確か拳銃の方の腕前は相応だと聞いている。

北条だって拳銃を持ってきているし、はっきりいってそう簡単に警官三人とそれ以上の戦力を持つ能力者を相手に逃げ切れるとは思えない。

「!」

「醜い貴様に仕事をやる! 此奴らを殺せ!」

「……」

手が。

愛染の足下から生えて、足首を掴んでいた。

即座に何かを放つ佐倉さんだが、その手はすぐに消えていた。まずいと佐倉が呟くと、何か唱え始める。

その間に、高安はさっと逃げ出す。

警官隊だって此方に来ているのに、まだ逆転の手があると言うのか。いや、これは恐らく違う。

そもそも高安が絶対に勝てる自信があるから、不安要素の拳銃による狙撃から身を隠した。

それだけのことだ。

「仮に隙間から現れる事が出来るとすると、口の中から出て来て此方を引き裂きかねないな。 今、対抗する術式を展開する。 設地面積が大きくなるから、転ぶなよ」

「そんな非科学的な……!」

「口は閉じるな! 適当に開いていろ!」

佐倉が叫びながら、更に術式らしいのを展開。何か式神でも出しているのだろうか。

それとも、隙間女に対抗する何かを手持ちに持っているのだろうか。

次の瞬間、新美が上を見て、逃げろと叫ぶ。

シャンデリアが外れて落ちたのは、その瞬間。

ホールの真ん中にシャンデリアが直撃。

凄まじい轟音が、死体の館を揺らしていた。

何とか飛び退いた北条。新美は避けることは出来たが、当たり所が悪かったらしく気を失って伸びている。

そして潰れたシャンデリアの隙間から。

もう人間とは思えない、ガリガリにやせ細った手が。あの屈強な愛染に絡みつくようにして、シャンデリアに引きずり込もうとしていた。。

「く、くそっ!」

「道房さんに近寄る奴は許さない」

「彼奴はあんたをものとしか考えていない!」

「それでもいい。 醜い私を見てくれたのはあの人だけだったんだから」

違う。

北条は、此処でこそライアーアートを使うべきだと判断した。

どうせ高安はこの場所が見つかれば地球に居場所なんてなくなる。だったら、下手をしたら大量殺人兵器になりかねないこの隙間女を。明らかに高安に執着している此奴を黙らせるしかない。

一瞥するが、佐倉さんはシャンデリアの被害も受けておらず、まだ何か準備をしている。数秒で良いから、時間を稼がなければならない。

「ライアーアート……っ」

良く漫画で技名を呟くが。

あれは実際に、実技を身につけてみて、意外に役に立つ方法だと北条は知った。

精神を、これから技を出すという切り替えを行う事によって。

スイッチを入れるようにして、「技を出す」状態にする事が出来るのだ。

肉体だけで、何の問題も無く技を出せる人はいい。

だが、精神力で一割ほど挙がる人間の底力を利用して、その技の精度を上げる。

それが、技名を呟く理由だ。

「隙間女。 貴方が何者かは知らないわ。 でも、高安は貴方を醜い貴様と呼んでいたのを忘れた?」

「事実だから仕方が無いわ」

「違うわ。 貴方は醜くなんてなかった。 周囲に醜いと言われていたかも知れないけれど、そんなのは周囲の人間の心が醜いのよ」

あからさまに動揺する、愛染をシャンデリアの隙間に引きずり込もうとしている隙間女。あれに引きずり込まれたら、多分怪異によって惨死することは確定だ。そして愛染でも、対抗できないパワー。

だが、そのパワーが、明らかに緩む。

ライアーアートとは、嘘を基点に相手の精神を揺さぶる精神トリック。心理学を勉強した北条の必殺技とも言える特技。

勿論万能でも何でも無いが。

相手の足止めをする、相手から決定的な言葉を引き出すなど、幾つも使い路はあり。

事実コレを使って、北条は幾つもの死地を乗り切ってきた。

また、賀茂泉という腕利きの先輩と、あの元部長に鍛えられた結果。ライアーアートの精度は上がっている。

詐欺師も同じように、事実に嘘を混ぜて人間の心を揺さぶるが。

それと同じである。

「人間が醜いと思うのは主観よ。 どんな人間であっても関係無いわ。 美的感覚なんて人によって違う。 貴方が自分を醜いと思い込んだのはコンプレックスで、高安はそれを利用しているだけよ」

「だ、だって、私は、ずっと、親からだって、クラスメイトからだって、陰気だって、醜いって……」

「周囲に恵まれなかったのね。 自分より下の存在を作らないと耐えられない哀れで弱い人間は幾らでもいるわ。 貴方を醜いと罵った人間達の方が、余程醜いの。 貴方は本来は醜く何てなかった!」

明らかに手が緩む。

愛染が視線を送ってくる。これなら振り払えそうだ、というのである。

だが、佐倉さんの準備が整うまで、まだ時間が掛かる。

横目に、此方を伺っている高安の影を見た。

あの様子だと、介入して来かねない。これだけの金持ちだ。ライフルや散弾銃くらいは持っていても不思議では無い。

屋敷に何かしらの仕掛けをしている可能性もある。

まだだ。

もう少し時間を稼がなければならない。

「高安にはどうして惚れたの?」

「それは、高安さんが、どれだけメイクを頑張っても、色々な服をファッション誌にあわせて買ってみても、どれだけダイエットしても、綺麗になれない私を、きっと綺麗になれるって言ってくれたから」

「さっきの言動を思い出して。 最初から彼奴は、貴方を利用する気満々だったのよ」

「そんな、だって、あんなに優しくて、笑顔が……」

「高安が貴方に向けた言葉と声を思い出して!」

絶叫する隙間女。

明らかに、その全身が捻れ、うねり。そして隙間から飛び出してくる。

その姿は、兎に角凄惨だった。

極限まで絞った体。

そういえば、聞いた事がある。

一種の拒食症になるのだが。自分を太っていると勘違いして、極端なダイエットをしてしまう人がいるという。

この人は。正体はまだ特定出来ない。或いは、捜査の情報で浮上していたストーカーの女性かもしれない。

その行動を、高安が完全制御出来ていたとは思えない。

なぜなら、おそらくだが。

あの通報人を、高安は。

周囲のコレクションに加えようとしていたのだから。

或いは、高安の若さからして、殺人はまだしていないのかもしれない。だが、親も祖父も大量殺人鬼で。歪んだ教育を受けてきた人物だ。

親が殺しをして人間を像に変えるのは見てきている可能性も高いし、手伝っている可能性だって高い。

「オン!」

佐倉さんが印を切って、叫ぶ。

同時に、隙間女が絶叫。何かが縛り付けているのがうっすら見えた。巨大な蛇のような何かだろうか。

分からないけれども、ともかくそれが完全に隙間女を捕獲していた。

暴れる隙間女だが、パワーが違いすぎる。

そのまま、完全にぐったりした。そして、徐々に実体が見えてくる。

元ブランド品だったらしいボロを身に纏った女性だ。まだ、かろうじて人間の様子だ。

あの人間離れした能力については正体は分からないが。

だが、それでも、これ以上はしない方が良いだろう。

ぐえと呻く隙間女。

それを見て、高安が喚き散らしていた。

「何をやってる! お前みたいなブスに近付くのも嫌だったのに、手間暇掛けて金もくれてやって! 服だって買ってやったのは、あの人達からお前を最高の護衛として身を守るのに使えるようになるからってアドバイスを貰ったからだぞ! それなのにお前は、みわ子を襲おうとしたり、こんな大事な場所でも役に立たないのか! 少しは働いて見せろ、このブス!」

「黙れ外道っ!」

北条は叫んでいた。

人間の見かけと中身は本当に一致しないものだ。甘いマスクで普通にタレントでもモデルでもやれそうな高安なのに。その心の醜さと言ったらどうだ。

土壇場で本性が出る人間もいるが、此奴は違う。

正真正銘のクズだ。

拳銃を向ける。高安は、ライフルを持ち出していた。大きな、いわゆるベアバスターと呼ばれるものだろう。熊でも殺せる巨大なものだ。だが、その時既に佐倉さんが動いていた。

人間が残像を作るのを見たのは実は初めてではない。

あの元部長がたまにやっていたからだ。

だが、至近距離まで接近した佐倉さんに高安が気付くのと。佐倉さんが高安の足を踏みつけながら顎を掌底で跳ね上げたのは同時だった。

文字通りの必殺の技だ。

本気で繰り出していたら、多分高安は死んでいただろうが。

ぐるんと目を回して、高安は倒れる。そのままだと階段から落ちるだろうからか、高安の首根っこをひっつかむ佐倉さん。あの高校生みたいなガタイで、片手で大の男が落ちるのを防いでいる。

腕力も凄いんだな。

素直に感心した。

そのまま、愛染が高安に手錠を掛ける。徐々に全身から黒いオーラが抜けて行っている隙間女に、北条は同情の目を向けていた。くすんくすんと泣いている彼女は、どうやら怪異から人間に戻り始めている様子だから。

ただ、勿論殺人未遂をしたのは事実である。

あのナイフから、彼女の指紋などが出れば確定だ。

普通の裁判で裁けるかはよく分からない。

だが、それでももう当面、娑婆でやっていく事は出来ないだろう。

「や、やっと、やっと私を否定しない人に出会えたと思ったのに。 だから、あの人に相応しい存在になろうと思ったのに……」

新美が頭を振りながら立ち上がる。

新美が男であることを告げると、呆然としていた隙間女は、がっくりと肩を落とした。

多分、自分が冷静では無かった事を完全に理解したのだろう。

隙間女の、痩せこけきった手に新美が手錠を掛ける。

そして、北条は、纐纈に電話を入れていた。

「高安および、その関係者らしき女性を逮捕しました。 現場は凄惨な有様で、数えるだけでも二十以上の死体が存在しています。 先々代からずっと、時間を掛けて殺人を続けていたようです」

「分かった。 黒い噂が絶えない高安家だったが、そこまでだったとは」

「此処にあるだけでも二十以上です。 きっと実際は……」

「分かっている。 捜査一課がもうすぐ着く。 現場の保全をしてくれ」

佐倉さんが、愛染に高安を引き渡すと。さっとその場からいなくなる。

捜査一課とかち合うのは色々とまずいのだろうか。

いや、あの元部長の息が掛かった人だ。そんな事は関係無く動けるのだろうが。それでも此方の手間は減らしたかったのだろう。

隙間女を一瞥。

もう、逆らおうという気力は無さそうだ。

その代わり、高安を見つめている。恨みを込めた視線で。

サイレンが聞こえてくる。パトカーが近付いていると言う事だ。

これで、この大きな屋敷も終わりだな。

北条はため息をつくと、地獄だろうこの屋敷の内部のことを想像して、身震いしていたのだった。

 

4、再会

 

高安家の闇暴かれる。

翌日、大手新聞がどうしてかこぞって沈黙を続ける中。ある雑誌がそれを大々的に発表。

有名な芸術家である高安家にて、四十八体に達する死体が発見され。その大部分に非人道的な処置が行われていたという。

大半が海外から連れてこられた人間だったようだが。

地下には行方不明になっていたホームレスや、高安家の女性も存在していた。要するに子供が出来るやいなや、高安家では用済みとなった伴侶をああいう風に加工していたというわけだ。

勿論高安家のブランドは一瞬にして暴落。

彫刻として世界的に有名だった高安の名は、文字通り地に落ちた。

各地の美術館に展示されていた高安家の彫刻はすぐに片付けられたという報道がようやく後追いで入ったが、それは三日後のこと。

記事を書いたのは間宮ゆうかという、その筋では有名な記者らしく。

すっかり腑抜けた最近のブンヤには珍しく、様々なスクープをすっぱ抜くと話題の人物である。

とくそうで、ぼんやりと北条はその記事を見ていた。

とにかく記事の内容が客観的で、緻密極まりない。

近年のマスコミが書く記事は、まず「事実」を先に勝手に設定し。その「事実」に肉付けするために我田引水の取材をして情報を付け足していくのが普通だが。

この記事は、客観から入って、データによって事実を暴き出していくもの。

要するに真逆だ。

大手マスコミにはもうこう言う記事を書ける人材はいなくなった、という話だが。まだいる場所にはいるのだなあと感心する。

それはそうと、だ。

纐纈がいないことで、とくそうの部屋は空気が悪い。

新美と愛染が、ずっと火花を散らしているからである。

スマホがなる。三人分全員同時に、だ。

捜査一課の刑事からだった。概要がメールでざっと知らされたのである。

ちなみに警官用に配られているスマホで、セキュリティが尋常では無い。また、普通のSNSなどもこれから閲覧することはできないようになっている。

「高安は犯行を全て自供。 鷲見みわ子に近付いたのも、やはり剥製にすることが目的だったようだ。 幼い頃から父の剥製造りを手伝っており、殺人に荷担したことも自供した」

「あのサイコ野郎が良くはいたものだな」

呆れたように愛染が言うが。

多分元部長の部下が、と北条が言うと、それだけで口をつぐんだ。

あの元部長、色々な表には出せない部下を持っているらしくて。専門の部隊までいるらしい。

あの程度の柔な優男。

犯行を吐かせるなんて、簡単なのだろう。

拷問なんかしなくても、だ。

北条が教えを受けた賀茂泉さんも、今では警察の大幹部だが。あの人も確か、プロファイルにおける日本の第一人者で、実際に解決した問題は数知れないと聞いている。更にあの人が育て上げた一流のプロファイラーは二十人を越えているとか。

そして元部長と賀茂泉さんは同僚だった時期があるらしく、共同して犯人を逮捕していたという。

あの二人が組んで当たるなんて。

犯人が可哀想すぎる気がするが。

もっと可哀想なのは、そんな凶悪犯に害される被害者だ。それを思うと、あまり多くは言えなかった。

「高安が顎で使っていた人物の正体も分かった。 やはり鷲見みわ子のストーカーをしていた廣瀬奈緒美だ。 自身で自供した。 既に本人の家の家宅捜索もして、証拠品も抑えた。 纐纈警視を傷つけたナイフからも指紋が出た」

以上か。

以降の捜査は、捜査一課が引き継ぐという。

それはそうだ。

三代にわたったとは言え、五十人弱の命が失われた凶悪連続殺人事件である。捜査一課が引き継ぐのが同然だろう。

それに怪異はもう関係無いはず。

本部長から連絡が来ないと言うことは、もう元部長の部下達が、あの隙間女に廣瀬奈緒美を仕立て上げた組織とかを叩き潰しているのかも知れない。だとしても、何も同情は出来ないが。

「しっかしひでえ話だな。 天性の詐欺師だったんだろうな、あの高安とか言う野郎」

「同じお金持ちとして思うところがあるの?」

「あるわけないだろ!」

「絶対にない!」

何故か声がだぶる愛染と新美。二人とも立ち上がって叫んだので、何というか色々と面白い。

息ぴったりじゃないか。

案外お笑いコンビとか組んで、どつき漫才でもしたら一世を風靡するのではないのだろうか。

そう思っていると。

本部長からメールが来た。北条だけに、だ。

「今回は大変だったな。 お疲れ様だ。 君達の元部長だった人から、ボーナスを出すようにと言われている」

そっか、ボーナスか。

嬉しいには嬉しいのだが。

毎度死にかけるような仕事をしている状態だから、割に合うとは思えない。

流石に高給を貰えても、死んでしまっては意味がない。

前の村が壊滅した事件以降。

ずっと北条は、死の臭いが近い事件にばかり関わっている気がする。

それと、だ。

更にろくでもない情報が入っていた。

「今回の件で君達を評価した、新しい部長が其方に行くはずだ。 多分纐纈くんが戻り次第、顔を出すだろうな」

「……」

最大級に嫌な予感がする。

多分愛染は、それに気付いたようだった。

「どうした北条」

「いや、嫌な予感がしてね」

「いやな予感ねえ」

「戻ったぞ」

纐纈警視がとくそうの部屋に入ってくる。まだ手に包帯を巻いているが、それだけである。

そして、本人の渋面が。

いやな予感が当たったことを、雄弁に告げていた。

纐纈について部屋に入ってきたのは。

思わず腰にある拳銃に手をかけようとして。今はつけていないことに気づく愛染。北条も新美も、思わず立ち上がっていた。

そこにいたのは。

前に、G県に赴任してからと言うもの。何度か相対した邪悪な組織の幹部らしい奴。

ちらっと見るだけだったが。たまに顔を合わせると。事件に関与している事を臭わせていた男。

嫌みな程に美形な金髪の男性である。

通称金髪の王子。

事件現場に必ず現れ、ふらりと消える事から幽霊という渾名があったほどの存在である。なお、元部長がこっぴどくしばき倒したと聞いていたのだが。

「なんでテメーが此処にいる! 地獄に落ちたんじゃないのか!」

「粋な計らいという奴だ。 私はこの県で暗躍しようとしている組織に詳しい。 そして私は君達が良く知っている大魔王にはもう逆らえない。 家族をみんな人質に取られているからな。 君達が知っていた頃の能力ももう失ってしまっている」

「……」

「私の実績を買ったあの大魔王が、私を使い魔にした。 そういうことだ。 と言う訳で、これからG県の県警の事実上のボスを新しくさせて貰う。 幽霊とでも金髪の王子とでも、好きに呼んでくれたまえ」

慇懃に礼をすると、金髪の王子はとくそうの部屋を見回し。

犬小屋のようだなと鼻で笑って出ていった。

愛染がブチ切れそうになるのを抑える。

纐纈の様子からして、恐らくそれが本当なのは事実だろうからだ。

「気持ちは分かるが落ち着け。 俺の所にも、あいつがもうあの元部長には逆らえない事がメールで来ている。 それにあの隙間女、例の組織の残党が仕立て上げたらしい。 高安の野郎も似たような事を言っていたんだろう?」

「……はい」

「だったら、餅は餅屋という奴だ。 こちらでも彼奴を精々利用させて貰うさ」

むすっとする愛染。

北条は大きくため息をつき。

そして新美は、何か苦言を呈そうとしてやめた。

元部長が「奴ら」とよんでいた巨大シンジケートは滅び去った。だがその残党は、まだ生き延びてG県にいる。

そして恐らく、あの大魔王は自分が自ら出向くまでも無いと思ったのだろう。

それとも、此方の成長を期待しているのか。

いずれにしても、まだまだとくそうは平和になりそうもない。

ずっと平和にならないのが警察の仕事だと言う事は分かっていても。

それでも憂鬱極まりない話だった。

 

(続)