すれ違いのアイドル

 

序、刹那の出来事

 

G県はどちらかと言えば田舎になるが、それでも地方局はある。そして現在、地方局は必死だ。

テレビがどんどん求心力を失ってきている現状。

どうにかして必死にアイドルにしても芸能人にしても、人を集められる存在を育てようとしている。

というか、私が後ろから尻を蹴飛ばしたのだ。

ここ三年ほどで私が浄化作業を進めていた世界には、テレビ業界も含まれている。ヤクザと癒着しているような事務所や、フロント企業を片っ端から潰し。政治家とコネを作っていたり、色々悪さをしていたテレビ屋を悉くぶっ潰してきた。

というわけで、私が姿を見せると、テレビ局の人間は魔王が来た、と恐れおののくし。

それでようやく。

本当にようやく、少しだけ自浄作用も働き始めたのである。

やはり世界には恐怖が必要で。

闇がなくして光はあり得ないのだ。

というわけで、ここ三年で主要テレビ局のトップは総交代。私に目をつけられないように、必死に縮こまっている。

ただ、そういう空気でも、自浄が働き始めたことだけは良いことだ。

G県の放送局に招かれた私は、向こうで手を振っているはとりえりさに振り返す。久しぶりにテレビ局で会うえりさは、相変わらず若々しい。

今日、ちょっとした大きめのイベントがあるらしく、喚ばれたのだ。

勿論、ただイベントがあるだけで、私がテレビ局に出向くことは無い。

実は、組織の方で、ちょっとした妙なコネを発見したのである。

あの双子事件以降、二週間ほど奴らは大人しくしている。その間に、双子事件関係で調査を進めていた羽黒が、見つけてきたのだ。羽黒のチームはあの事件では情報提供までたどり着けなかったが。元々優秀なチームである。転んでも、ただでは起きない。

で、その話によると。このテレビ局に。妙な人脈が構成されているようだと言うのだ。

羽黒のチームは忙しく、それでもたまたま引っ掛かった情報を送ってくれたのはとても嬉しいし。

何より、原初の巨人に関する調査で私のチームはかかりっきり。

北条と愛染を育てるためにも。

複雑な人間関係と愛憎が交差するテレビ局に来る意味はある。私は、そう判断した。

特に魑魅魍魎蠢く芸能界で生きてきた人間を相手にするのは、まだ少しばかり北条には荷が重い。ライアーアートの技量を磨くにも、此処で少し「大物」と呼ばれる芸能人と接触するのは意味があるだろう。

「お久しぶりです、純さん」

「相変わらず若々しくて何よりだ」

「純さんも」

真っ青になっているのは、えりさのマネージャー。

此奴も私の話は知っているのだろう。

私が足を運ぶ度に。

芸能界から大物や。テレビ局の幹部が消し飛ぶ。

スポンサー企業も、一夜にして消えることがある。

そういう魔王が、実在していて。

川原ミユキ、つまりはとりえりさと個人的に交友があると。

地方局にしては、そこそこ人が来ている。今日何だか収録があるらしい。えりさが招かれるほどだ。

相当なイベントなのだろう。

私はマネージャーのびびりっぷりは無視して、えりさに聞く。

「で、何だこの人だかりは」

「G県で頭角を現した新人アイドルがいて、その子が大きめのイベントをやるんですよ」

「ほう」

どれどれと、調べて見る。

私のかっこよくデコったスマホを見て、一瞬真顔になるえりさだが。すぐに笑顔に戻る。どうしたのだろう。

この最先端ファッションは、どうしてか理解されづらい。

私としては珍しく気を遣っているファッションなのだが。

「ほう、加納ユキというのか」

「あの松岡るみさんの後輩なんですよ」

「ふむ……」

松岡るみ。

川原ミユキがバラドルの筆頭とすれば。松岡るみは正当派アイドルの筆頭とも言うべき存在だ。

ここ数年で頭角を伸ばした若手で、現時点で正統派アイドルのトップと言えば完全に松岡るみである。

二人は色々と対称的というか。

アイドルとしてのあり方が、かなり違う存在だ。

川原ミユキ、つまりえりさは私も関わった例の事件で一度大きな挫折を味わってから此処まで上り詰めているのに対し。

松岡るみは歌唱力とアイドルとしてのセンスで、今まで挫折らしい挫折もしないでここまで来ている。

ただし歌唱力と裏腹に演技力には問題があり、ドラマなどには出演を自粛しているという話も聞いている。

この辺りは、演技は俳優がやるべき、というだけの話。

アイドルを視聴率を稼ぐためだけに出して、ドラマの演技の質を下げては意味もない。この判断を自分で出来る辺り、松岡るみの影響力の大きさと、プロ意識がよく分かる。一応劇団などで練習もしているようだが、それでもドラマなどには出てこないという所を見ると、本人が演技は無理と判断しているのかも知れない。

この辺り、何でも出来る川原ミユキとは対照的な、一点特化型のアイドルとも言える。

さて、スマホで加納ユキとやらが出てきた。

確かに凄い美少女だ。アイドルが着るようなドレスが似合うし、何よりも全身からオーラが溢れている。

歌も上手い。アイドルで歌が上手い子は限られている、と言うのが悲しい現実だが。この子はアイドルとしての力量に単純に長けているのがすぐに分かる。なるほど、確かにこれは有望馬だ。

「ふむ、随分と整った容姿だな」

「ここ数年で最高の有望馬ですよ。 多分、後一二年で、私達と争う所にまで来ると思います」

「えりさが其処まで言うなら相当だな」

「はい。 こういう才能のある子がどんどん実力を評価されていくようになれば、もっと芸能界は元気になって、いつかテレビも元に戻ると思うんですけどね……」

えりさには、散々現実を聞かされている。

私が色々やっても、まだテレビ業界は「自浄作用が働き始めた」程度の状況でしか無い。

腐敗はまだ彼方此方にあるし。

利権から来る癒着。報道の偏向。それこそ問題は山積みだ。

北条と愛染が来る。

えりさを紹介すると、二人ともえっと声を上げていた。特に愛染は真っ青になっている。ひょっとすると此奴ら。

私と川原ミユキ、つまりえりさが友人だと言う事を、話半分に聞いていやがったか。

「前、純さんには随分と助けて貰って、それ以来の仲です。 色々良くして貰っています」

「ほ、本当だったのね……」

「本当ですよ?」

にこにことえりさが北条に応じる。

しばらく青ざめていた二人だが。

やがて、敬礼した。

それぞれ名乗る。えりさの方も、ぺこりと頭を下げて、二人に名乗り返した。

軽く話を聞く。

「三時間ほど後に、加納さんの撮影収録が始まります。 私と松岡さんは、その後にコメンテーターとして、どういう風なライブだったかコメントして、加納さんの全国進出をお祝いする、て感じですね。 もう大体リハーサルも済んでいるので、後は本番だけです」

「ちょっと本人にあわせてくれるか」

「分かりました」

側にいるえりさのマネージャーが真っ青になるが、えりさが笑顔を向けるだけで黙り込む。

今や、えりさがいないと。

彼女の事務所はやっていけない状態なのだ。

マネージャー程度で、えりさに逆らう権限はない。

ただし、えりさ自身も、権限を乱用したりする事はあまりしていない様子だと、貼り付けている式神から話を聞いている。

これは、あくまで。

私に目をつけられることを、怖れたのだろう。

カチンコチンになりながら、ついてくる北条と愛染。

時々ひそひそ話を後ろでしている。

「信じられねー」

「でも、どう見てもあれは本当よ。 県警部長程度の実力じゃなくて、実際に全国で相当な影響力を持ってるって噂は聞いていたけれど、事実みたいね」

「ああ、それは知っているんだが、な」

「なによ、だったらどうして驚いているのよ」

愛染がブチブチ言う。

川原ミユキは自分が一番最初にアイドルを意識した存在で、バラドルに転向した今も、やっぱり時々歌を聴いたりしている、思い入れのある存在だという。それがこういう形で会うのは想定外というかなんというか。

北条も、大きく嘆息した。

聞いている私も苦笑いである。

だが。

その苦笑いが、一瞬で硬直する。

これは、死の気配だ。

駆け出す。

えりさが、あっと声を上げて、ついてきた。

えりさは元々、正統派アイドルとしてやってきたのだ。ダンスやら何やらで鍛えているから、かろうじて私についてくる事も出来る。

慌てて愛染と北条も。

遅れているが、ついてきているならいい。

私は、階段を三段飛ばしで駆け上がると、廊下に飛び出し。

横滑りに見た。

扉が並んでいる。

その一つ。

多分何かの撮影をやるだろう部屋から、死の気配が充満している。というか、これから誰か死ぬ。

させるか。

全力で、猪のように突進。

スタッフが制止の声を上げるが、手帳を見せながら突撃。まずい。死の気配は、すぐ側まで迫っている。

閉じている扉。

だが、私は無理矢理突貫して、ぶち抜く。

結構痛いのは秘密だ。

本当は無理なく蹴破りたかったけれど。この間サリエルをぼっこぼこにして式神にして。その後解析して、死の気配の読み取り方に、更に習熟したのである。

今はその時間も惜しいと。習得した死の気配を読み取る力が、教えてくれている。

部屋に転がり込んだ私は。

何だろうと、此方を見ているアイドル。そう、加納ユキを見る。

天使を思わせる、美しい白い翼を着けた衣装で。部屋の真ん中で、イベントの催し物の練習をしていたようだ。

其処に、死の気配が。

濃厚に具現化している。

まずい。

私は、そのまま、多少無理をしながらも、全力で突貫。

ちょっと痛い思いをして貰うが。

助けるためには、他に方法が無い。

「純さん!」

うしろから、えりさの声。

だが、今は。

それこそコンマ1秒が惜しい。反応している余裕は無い。見る間に迫ってくる加納ユキの顔。

何が起きたのか分からず、硬直している。

バチンと、鋭い音がした。

これが、恐らく死の正体。

私はそのまま、勢いを殺さず。

全力で。

加納ユキに。

タックルを浴びせた。

何が起きたのか分からない。どうしてこんな目に。涙がきらきら宙を舞う。とにかく、私のフルパワー108式波動タックルを浴びた加納ユキは、わけがわからないと顔に書きながら思いっきり吹っ飛び、奥にあるステージに激突して、テレビ局そのものが揺動した。

ステージにクレーターが出来、その真ん中で加納ユキが焦点の合わない目でぐったりしているが。

私の頭上では。

それどころではない事態が起きていた。

ワイヤーがしなる。

さっきの音。

何かに固定していたワイヤーが、外れる音だったのだ。

それが、体を低くしている私のすぐ上を、ひゅんと凄まじい音を立てながら通り過ぎる。そして、ばちんばちんと、他の場所からも鋭い音。

ワイヤーの均衡が崩れたのだ。

結果、コンマ一秒ほどの間に、私のすぐ上の空間を刈り取るようにして、ワイヤーが束ねられ。

そして、一気に上空へと持ち上げる。

私が立ち上がり、見上げると。

其処には、まるで蜘蛛の巣のように絡み合った。

死のワイヤーの絞首台が、出来上がっていた。

私が秘技を加納ユキに喰らわせなければ。

今頃加納ユキは彼処につるし上げられて。

一瞬で首がへし折れ、即死していただろう。いや、それどころではない。首がもげていたかも知れない。

それほど、今のワイヤーの破壊力は凄まじかった。

「現場保存!」

呆然と様子を見ていた北条と愛染に叫ぶ。

二人が慌てて叫ぶ中、私は、真っ青になってクレーターの真ん中で死んで……いやいや、気絶している加納ユキに歩み寄る。

えりさも走り寄ってきた。

脈拍、問題なし。

呼吸有り。

意識はないか。

頭は打っていないし、命に別状はないと思う。さっと応急で調べるが、バイタルも乱れてはいない。

珍しく、えりさが私に、純粋な怒気を向けてくる。顔は笑っているが、眉毛は完全に跳ね上がっていた。

「純さん! なんでこんな無茶苦茶を!」

「最近私が身につけた技だ。 波動タックルと言う。 作ってみたら結構面白くて、108式までつい作ってしまった」

「そうじゃなくて、アイドルに何てことを!」

「こうしなければ助けられなかった。 悠長に押し倒したりしている時間さえなかったのは、見ていて分かっただろう」

実際、本当にコンマ一秒の差だった。

そして、1式から107式までのタックルでは、間に合わなかった。

アイドルは鍛えているし、何より人間だから、怪異に対して特攻がつくとはいえ人間に対しては普通の突進に過ぎない108式波動タックルでは多分死なないだろうと判断しての行動だ。

危ないところだったのだし。

えりさがどうして怒っているのかがよく分からない。

「私の時はまだ中に変な子が入っていたから良かったですけど! 何というか、手加減を覚えてください! 純さんゴリラより強いんですから!」

「いや、流石にゴリラには……」

「とにかく、加納さんには次からは優しくしてあげてください!」

「あ、ああ、すまん」

凄い剣幕で怒られてしまった。

どうして救命活動をして怒られるのか、正直よく分からない。

とりあえず、北条達が手配した救急隊員が来る。

彼らは上空で絡んでいるワイヤーと。

クレーターが出来ているステージを見て、愕然としたが。

とにかく真っ青になって、目を見開いたまま気絶している加納ユキを見て、すぐにバイタルを確認。

その後は担架で運んでいった。

そして、捜査一課の刑事達も来る。

こっちは、愛染が手配したらしい。

手帳を左右に見せながら、纐纈が部屋に入ってくる。その頃には既に、部屋の外は人だかり。

慌てて捜査一課の刑事達が、現場保存を始める。

纐纈が、私の側で聞いてくる。クレーターが出来ているステージを見ながら。

「何をやらかし……いや、何が起きたんですか」

「あのワイヤー装置な、多分大道具だろう。 あれが故意かそれとも事故かはわからんが、外れて、加納ユキの首を巻き取って、空中につり上げて絞殺する所だった。 それを一瞬早く気付いた私が、タックルを浴びせて助けた」

「……タックルですか。 あのクレーターが、タックルの結果ですか。 ロケットランチャーでも撃ち込んだように見えるんですが……」

「私の秘技、108式波動タックルだ」

ふふんと胸を張る私だが。

えりさがチョップを私の頭に炸裂させる。

まだ怒っているようだった。

しかも、結構本気のチョップだ。

「痛い! どうしたんだ、えりさ」

「純さんには何度も助けられていますけど、もうちょっと優しく助ける技とかも覚えてください! 普通のアイドルは純さんの攻撃を受けたら壊れちゃいます!」

「分かった分かった。 今度は少し改良を加えて、痛くなく死ぬように……」

「殺しちゃだめです!」

何だか遠い目でやりとりを見ている纐纈。

遅れて部屋に入ってきた新見も、どうしていいか分からないようで、口を開けて呆然と此方を見ているのだった。

まあ、兎に角だ。

まだ少し怒っているえりさをなだめると、私は頭をさすりながら、何事かと集まっているテレビ局の連中の前に出ていく。

そして、手を叩いて、宣言した。

「あー、おほんおほん。 私は県警の風祭だ。 今見ての通り、此処で殺人未遂と思われる事件が起きた。 間一髪加納ユキは私が救助したが、現場はこれから調査する。 当然今日のイベントは中止だ」

「そんな、生放送なんですよ!」

「殺人未遂が起きたんだぞ! 生放送も何もあるか!」

私が一喝すると、流石に黙り込むディレクター。私の恐ろしさは知っているのだろう。後は、一旦捜査一課に任せる。

部屋を外に出ると、北条と愛染が、死んだ魚のような目で、此方を見ていた。

「川原ミユキと、随分仲が良いんですね」

「まあ数年来のつきあいだからな。 もうちょっと優しく加納ユキを助けろと、二度も怒られてしまったが」

「あれ、救助活動だったんですか」

「当たり前だろう」

北条が真顔のままこっちを見ていたが、どういう意味だろう。まあ、今度はもっと手早く、あまり助けた相手がダメージを受けない救助活動を考える必要があるだろう

えりさはこの程度で絶交とか言い出す器が小さな奴では無いけれど。

後で小暮に教わった美味しい店にでも連れて行って、機嫌も取らなければならなかった。此奴とのコネを切るのは、ちょっともったいないからである。

 

1、スパゲッティコード

 

部屋の調査は捜査一課に任せて、私は北条と愛染に指示。

局内での聞き込みをさせる。

正直な話、今日の業務は全中止、とさせたいところだが。

そうもいかない。ただ、事件が起きた部屋には立ち入り禁止。加納ユキのイベントは中止。これは絶対だ。

二人が聞き込みに行くと。私は羽黒に連絡。そして、幾つか話を聞いた。

羽黒によると。

どうもこの地方局、妙な噂が流れているという。

「幽霊話が非常に多いんですよ。 それも、複数の目撃者が出ています。 しかも、です」

「例の、妙な関係か」

「はい。 この地方局の発展は妙に速くて、何処かしらのスポンサーが奮発しているのでは無いかと言う噂はありました。 しかしスポンサーを洗ってみても、何処も平凡な会社ばかりで……」

腕組みする。

なるほど、そういうことか。

テレビ局は、既に昔の力を失っているが。それでも奴らとしては、確保しておいて損が無い拠点だ。

誰かしらが此処にちょっかいを出しているとすれば。

この騒ぎで、尻尾を出す可能性が高い。

外に出ると、人だかりが出来ていた。

暴徒になりそうな有様である。

「さっき救急車でユキちゃんが運ばれて行ったぞ!」

「ワイヤーで首を斬られ掛けたとか聞いたぞ! 人殺しの大道具を出せ! ブッ殺してやる!」

「落ち着いて! 落ち着いて!」

ぎゃあぎゃあ騒いでいる暴徒ども。

一発くらい拳銃を空に向けて撃ったら、大人しくなるだろうか。そう思っていたら、すっと前に出た人間がいる。

えりさだ。

聴衆が一瞬で静まる。

えりさ、つまり川原ミユキを知らない日本人はむしろ少ない方だろう。現在の二大トップアイドルの片方だ。

地方局に来ているのである。

しかも、目の前にいて。あまり嬉しそうでは無い顔をしているのだ。

マイクを手にすると、えりさは言う。声は低く、非常に威圧感があった。

「少し聞いてください。 加納ユキさんが、何かしらの事故に巻き込まれ掛けて、怪我をしたのは事実です」

一瞬だけ、私を責めるような目をする。

まだ怒ってるのか。

もうしょうがないなあ。ちょっとエサを奮発しないとダメだなこれは。

「でも、此処で騒いでも何か事件が解決するわけではありません。 故意にしろ事故にしろ、今警察の人達が調べに来ています。 騒ぐと、解決が遅れるだけです」

「……」

流石にバツが悪そうな顔をする聴衆。

不意に、ふっと笑顔をえりさが作る。

それだけで空気が変わる。

流石に、色々な苦境を乗り越えて、トップに上り詰めたアイドルだ。場の空気を一瞬にして変えた。

「代わりになるかは分かりませんが、私が後で屋外ミニライブをします。 三十分ほど、待ってください。 準備をしますから」

驚きの顔をした聴衆が。

わっと湧く。

当然だろう。

バラドルに転向してから、色々な事をマルチにやっているえりさだが。逆に言えば、それは間近でライブをやってくれる事は滅多に無くなったことも意味している。それが、ライブをしてくれるというのである。

マネージャーは真っ青な顔をしていたが。

私が、マネージャーの袖を引いた。

「良いからそのままやらせろ。 生放送の代わりにしろ」

「し、しかし」

「そういえばお前の所の事務所、この間マネージャーの一人が不祥事起こしていたな」

ちなみに、どこのマスコミも報道していない事実だ。マネージャーは完全に沈黙すると、スタッフを集めて、ライブの準備を始めた。

スマホで電話しているのは、多分この地方局の長だろう。

生放送は潰れたが。

穴埋め番組としては充分だ。

えりさは、しばらく聴衆に手を振っていたが、私に振り向いたとき、一瞬だけ真顔になった。

「高級フレンチ一回で手を打ちますよ。 でも、次にあんなことアイドルにしたらそんな程度じゃ許しませんからね」

「分かった分かった。 もっと高速で優しく死なないように救助する技を身につけておく」

「そうしてください」

とりあえず、暴徒はすぐに収まった。

元々えりさは、ファンを大事にすることで有名なアイドルだ。単純なファンの好感度で言うと、松岡るみより上だろう。

ステージがすぐに準備され、ライブが始まった。

見ていきたいところだが、まあこればかりは仕方が無い。

ステージ上のえりさ。いや、今は川原ミユキというべきか、は。とても輝いていた。

 

テレビ局の中に戻る。

電話が来た。古橋からだ。

此奴にも、ちょっとメールで連絡を入れていたのである。ネットの方からも、情報を調べておきたいからである。

古橋は、電話の向こうでちょっと嬉しそうだった。

「テレビ局の裏側ッスか? 大好物っすよ。 醜聞と癒着と腐敗の温床で、何処の局もゴキブリでも逃げるような有様ですしね!」

「それはそうだがな。 今回はちょっと違う」

「ほい?」

「この局に、金髪の王子が出入りしているかどうか調べられるか」

電話の向こうで、古橋が黙り込む。

金髪の王子の事は、古橋にも話してある。この間、立て続けに大駒を使ってまで私を足止めしてきた彼奴だ。

ここのところやけに大人しいのが気になる。

「了解ッス。 ちょっと気合い入れて調べて見るッスよ」

「よろしくな」

電話を切ると、視線。

見ると、何かごつくてケバいおっさんが、私を見ていた。

「何か用か」

「あんたが、風祭さんかい。 魔王って噂の」

「ああ、そうだが」

「うちの加納を助けてくれた事には礼を言う。 本当に危ないところだったようだし、感謝の言葉も無い。 だけれど、次は怪我をしないように助けてくれ」

相当頭に来ているのか、おっさんは半ギレで言う。私に対してこんな事を言ってくる業界人は珍しい。

私はふふんと鼻を鳴らすと。

相手に、視線を向けた。

「で、貴方は?」

「加納のプロデューサーの玉出栄だ。 以降よろしく……」

「覚えておく。 ただし私を怒らせた場合どうなるかも知っているな」

「……それでも、言わざるを得ないんだよ」

良い度胸だ。

そう返すと、私は名前だけ覚えておく。軽薄そうで、いかにも半分ヤクザが入っているような見かけの業界関係者の割りには、面白い奴だ。見かけと中身が一致していないのかも知れない。加納を本当に大事に思っていたのだろうから。

さて、テレビ局の中を見て回る。

幽霊騒ぎが多いと言う割りには、見かけるのは普通の浮遊霊ばかりだ。外では、わっと騒ぎが起きている。

えりさがライブを始めたのだろう。

窓で、その様子を見ている長身の女性。

もの凄い美人だ。

此奴も知っている。

というか、知らない日本人は珍しいだろう。

此方を見た、その美人。松岡るみは、あまり好意的な視線を向けてはこなかった。

「貴方が風祭さんね」

「そうだ。 松岡るみさんだな。 さっきはあれ以外に助ける手札がなくてな。 それについては先にわびておく」

「……ユキはね、数年来の逸材よ。 殿様商売を続けてすっかり衰えたテレビ業界に、また光を取り戻せるかも知れない希望の子なの。 貴方には感謝してもしきれないけれど、ありがとうとは言えないわ」

「分かった分かった。 何だか皆に怒られるな……」

しかしながら、手札がなかったのもまた事実なのだ。

警察病院から連絡。

松岡との会話を遮って、軽く話す。

どうやら加納ユキは意識こそないものの、命に別状は無い様子だ。まあ、一週間くらい入院はしなければならないらしいが、その程度で済むらしい。CTなどもしたが、内臓や脳などに異常は出ていないそうである。

ふと、気付く。

松岡るみと玉出栄が視線で火花を散らしている。

妙だな。

同じ事務所で、しかもプロデューサーとアイドルだ。この二人、滅茶苦茶に仲が悪いように見えるが。

「貴方が殺そうとしたんじゃないでしょうね」

いきなり松岡の爆弾発言。

それに対して、玉出も応じる。

「お前こそ。 最近加納の人気に嫉妬していたんじゃないのか。 蹴落とされるんじゃないかって、あのトラップを仕込んだんじゃないんだろうな」

「巫山戯ないで。 現場を見たけれど、あんなの大道具でも簡単には作れないわ」

「お前なら、ファンを幾らでも……」

「ストップ!」

不意に声が割り込む。

北条だった。愛染も、後ろで苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くしている。

二人をねめつけると、北条は言う。

「二人とも何かを知っている様子ですね。 個別に聴取させていただきます」

「……好きになさい」

松岡るみも、収録までは時間があると言う。

実際問題、こんな騒ぎだ。今日は収録どころでは無い筈なのだが。

ただ、それでも、加納ユキは死ななかった。今日の目玉イベントは潰れたとは言え、死者は出なかったのだ。

だから、何かしらの形で、穴埋めをしなければならないのだろう。

そうなると、まずは収録がある松岡からだ。

先に、行こうとする北条の肩に手を置いて、北条にだけ聞こえるように告げておく。

「お前の手に負える相手じゃないぞ」

「分かっています。 どうにかします」

仮にも、悪鬼羅刹が蠢き、魑魅魍魎の住処となっている芸能界を渡り歩いて来たのが松岡るみだ。

特に彼女のような純粋アイドルとなると、周囲のファンも紳士的な人間ばかりでは無いし。

何よりも、業界内での足の引っ張り合いもある。

無言で立ち尽くしている玉出は、舌打ちすると、別の部屋に行ってしまう。

私にはこの時点で、何となく展開が読めた。

だが、敢えて口にはしない。

北条達に経験を積ませるのも良いと思ったからだ。

アネットがふわりと側に降り立つ。

「此処は綺麗なものがたくさんあるのに、人々の心は醜いの一言ですね」

「一時期、素人弄りというものが流行ったことがあってな」

「素人弄り?」

「ようするに、テレビ局に無関係の人間を呼び寄せて。 芸能人から見て劣っているその愚かな行動を笑いものにする、という悪趣味な企画だ」

それでも、最初の頃は。

呼ぶ素人に敬意を払っているのが。

客として呼んでいるのがよく分かった。

だが、である。

これが続く内に、テレビ局側が勘違いした。

自分は客より偉い。

その結果、番組の質は、あらゆるジャンルで底知らずの低下を続けていく事になったのである。

当然客は反発する。

ネットの普及もあって、昔のようにテレビだけが絶対的な存在、という時代は終わりつつあった。

それなのに、テレビ局だけが、それを理解できていなかった。

気がついたときには。

既に取り返しがつかない事にもなっていた。

「今のテレビ局は、どんどん死に向かっている重病人だ。 立て直すには、大胆な手術と投薬、抜本的な治療が必要になる。 新聞もそうだがな」

「此処も、客の到来で成り立つ商売でしょうに」

「それが分からない阿呆もいるんだよ。 どれだけ学歴があってもな」

さて、テレビ局の階は、一通りみて回った。

しかし、強烈な悪霊や怨霊はいない。

いるにはいるが、どれもこれも、私の一喝でまとめて消し飛ぶような小物ばかり。浮遊霊も少しはいるが、それだけ。

怨念の籠もっている部屋は、ある。

楽屋などがそうだ。

様々な醜悪な思念が渦巻いている。

勿論浄化して、溜まっていた浮遊霊を全部処理。

更にエレベーターで地下にも行ってみる。

おかしな所は、ない。

となると、此処で奴ら特有の、非人道的実験をしていた、という事は無さそうだ。それらしい設備もないし。

何よりも、出来る状況にない。

こういう所は、24時間フル稼働しているのが普通で。

特別な人物が出入りすれば、すぐに分かるものなのだ。

深夜でさえ、撮影と収録をしているくらいなのである。番組に、もはや誰も興味を持たないとしても。

荷物搬送用のエレベーターから、最下層へ。

かなりたくさんの小道具大道具類がある。

劇団だと、こういう所は悪霊のたまり場になっていたりするのだが。此処はちょっと退屈そうな浮遊霊がいるくらいだ。

印を切ると、結界を張る。

一応、一番下から浄化しておくか。

結界を稼働。

これで、問題は無いはずだ。

アネットが、何かに気付く。

そして、私を呼んだ。

「マスター、此方です」

「うん?」

床を調べて見ると。

魔法陣だ。

それもチョークで描いた後、何かしらの手段で固定している。触ってみるが、ガラスの下に埋め込まれているような感触だ。

撮影して、兄者に送る。

やはり此処にも。

複数の魔法陣がある。

兄者はすぐに電話に出た。

「純、これもまた、変な文字ばかりだな」

「分かる奴はあるか」

「いいや。 見た事も無いものばかりだ」

「奇遇だな……私もだ」

こんな文字、見た事も無い。一体何処の誰が使っている文字なのか。というよりも、本当に機能しているのか。

原初の巨人に関連しているのか。

それともただのブラフか。

周囲を見てまわり、彼方此方に巧妙に隠されている魔法陣を発見。いずれも全て撮影しておく。

溜息一つ。

一応、収穫はあった、ということか。

捜査一課の所に戻る事にする。

てきぱきと動いていた捜査一課。事件が起きた部屋は、綺麗に片付けられている。奥の方にあるステージは、まだクレーターが残っていたが。

少なくともワイヤーはもうない。

稼働させるための装置も。

全て取り払われていた。

纐纈がいたので、声を掛ける。状況をどうなっているか聞くと、どうもこうもと、面倒臭そうにいった。

何でも加納ユキは、非常な努力家で。

基本的にステージの前には、自主的にリハーサルを幾度も欠かさなかったのだという。

「口パクを絶対しないと評判でしてね」

「ほう?」

「スタッフの間でも、同じ証言しか出てきません」

口パクというのは、テレビの収録で、歌ったふりをすることだ。口だけ適当に動かして、歌っているように見せる事を言う。勿論、音声は後から合成することで、ライブっぽいものを作るのだ。

確かにステージに立って振り付けつきで踊るのは大変だ。

全身運動であるダンスをしながら、笑顔を保ち。

鍛えた声量を発揮して、歌い続けなければならない。振り付けも、同時にこなしていかなければならないのだ。

それも、動きにくいドレスを使って、である。

「大物」になってきたアイドルが。

やりたがらなくなるケースも珍しくは無いという話だが。

かなり売れてきているらしいのに。加納ユキは、それを一切やらなかった、という事か。珍しいほどのプロ意識の持ち主だ。

「故に、殺され掛ける直前にも、部屋に一人で入って、練習を続けていたそうです。 本来はあのワイヤー、ゆっくり動いて、天使の光臨を演出するものだったそうでして。 あんな激しい動きをすることは、考えられなかったとか」

「だが結果はあの通りだ」

「はい。 大道具に聴取は続けていますが、どうにも難しいですね」

新見が来て、敬礼。

報告をされる。

どうやら、大道具全員を当たったが。今のところ、不審な点が目立つ人物はいない、というのだ。

まあそうだろうな。

だって、そもそもだ。

今回の事件は、あの先ほどの二人の様子を見ている限り。

今の段階では憶測だが。

いずれにしても、面倒くさい話である。

この地方局の長が来る。既に初老の男性で、警察にもコネがあると普段は息巻いているらしいが。

わたしの顔を見て、ひっと小さな悲鳴を漏らした。

この業界にいて、私を知らない奴は潜りだ。

此奴は違うと言う事だろう。

「こ、これは風祭さん。 その、いつもお世話になっております」

「捜査は続けるぞ。 不要な番組は全て収録中止」

「そんな、殺生な」

「人が死にかけたのに、殺生もクソもあるか!」

一喝すると。

恐らく、警察をキャリアとのコネで脅して追い出そうと考えていたらしい局長は、悲鳴を上げながら自室に逃げ戻っていった。

さて、次だ。

科捜研も来ている。

如月が話を聞いているところに行くと。

彼女は此方に気付いて、妖艶な笑みを浮かべた。

「あら、部長」

「どうだ、進展は」

「何も。 ワイヤーを巻き取る装置の調子が悪かったようですけれど、ついているのは大道具の指紋だけね」

「何かヒントになりそうな事は」

如月はしばらく無駄な色気を周囲に振りまいた後。

周囲に声が届かないように。

小声で私に言う。

「大道具が、予算をけちって、納入業者を怪しげな業者に変えたようですね。 リハの際にも何度かトラブルが起きているようです」

「トラブってるのに、そのままの機械にしたのか」

「まあ、ねえ」

肩をすくめる如月。

嘆息すると、私は。

此奴らはまとめて一度仕置きしないとダメだと思った。予算を削って良い場所かどうか、少し考えれば分かるだろうに。

実際人が死にかけたのだ。

「そのまま調査を続けてくれ」

私はその場を離れながら、考えをまとめる。

というか、この件に関しては。

私の予想が正しければ、十中八九は事故だ。悪意が介在する要素がないし。加納ユキが死んで得する人物がいない。

松岡るみは、強烈な仮面を心に掛けていたが。

それでも私の目をごまかせるほどでは無かった。

本当にあれは、加納ユキのことを案じている目だったし、言葉だった。それに関しては、玉出に関しても同じだ。

業界で魔王と怖れられる私に、果敢に抗議してきたのである。

余程加納ユキを大事に思っていなかったら出来なかった事だ。

他のアイドルはどうか。

有象無象のアイドル達に、加納ユキを殺す動機は、或いはあるかも知れないが。

あの大がかりな仕掛けをする手段がない。

地方局のアイドルなんて、地下アイドルとさほど変わらない。

狂信的なファンがテレビ局内に出来るほどのものでもない。

そうなってくると、あの大道具達の中に、それに協力して殺人までしようと考えるものが出るだろうか。

まあ、まだ捜査一課の結論も出ていない。

北条と愛染は、恐らく相当苦戦するだろう。

私は、その間に。

出来る事を、全てやっておかなければならなかった。

 

2、五里霧中

 

先ほどの、局長がいる部屋の前に出ると。

不意に嫌な予感がした。

アネットも気付いたらしく、剣に手を掛ける。実体を現している怪異なら一刀両断だが。奴らもそう何度とお同じ手は食わないだろう。

私も、其処まで敵を過小評価はしていない。

「……いるな。 出てこい」

するりと、そこから出てきたのは。

手足の長い、黒髪の子供だった。

此奴は怪異じゃない。

人間だ。

「よく分かったね」

「お前、あの金髪王子と似た臭いがするな。 眷属か」

「ふふ、どうだろう」

「いずれにしても……」

不意に、気配が消える。

鼻を鳴らすと、目を細める。気配を探るためだ。こういう場合、攻撃に出るタイミングで、絶対に殺気が漏れる。

其処で反撃をするのが定石なのだが。

しかし、此奴の場合、それを察知していたのだろう。或いは、金髪の王子に言い含められていたのかも知れない。

逃げるためだけに、全力で能力を使ったようだった。

既に局の中にさえいないようだ。

剣を収めるアネット。

「今の気配、覚えておけ」

「分かりました」

「気配遮断特化か。 だが、あの様子だと恐らく自分だけの気配しか消せないな」

そう考えてみると、案外非力な存在だ。恐らく金髪王子が此処に出入りしている場合、そのサポートとして動いているのだろう。

しかも、あれだけの強力な気配遮断。

多分電子機器にも影響を与えるはずだ。

古橋から電話が来る。

「ちわッス。 どうにも妙ッスねえ、このテレビ局」

「早いな。 何か分かったのか」

「どうも何も、監視カメラがノイズだらけ何スよ。 ユーレイが映ってるわけでもないのに」

「ふむ……」

古橋には、前に色々調査させている。だから彼奴には怪異が映り込んだ画像なども見た経験があるのだが。

その様子だと、あの子供だろう。

「何か他には」

「音声もノイズだらけッスよ。 それも収録現場以外の所で」

「そうなると、黒だな。 此処で何をしているかを把握できれば良いんだが……。 ノイズの出ている機器に傾向は?」

「勝手口とか、後は倉庫とか。 人気がないところでしょっちゅうッスね。 これだと幽霊騒ぎになるのも無理ないっすよ」

幽霊騒ぎ、か。

テレビ番組中に幽霊が出た。

そういう都市伝説は結構ある。

ある歌手のテープに、不可思議な声が映り込んでいた、とか。

夏場恒例の心霊番組に、得体が知れない姿が映り込んでいた、とか。

有名なものだと、心霊番組で紹介された、生首を描いた掛け軸が瞬きした、というものもある。だがこれに関しては、見た人間によっては分からない、動いていないという声も出ている。

ちなみに私は現物を見たが。

掛け軸に宿っている霊は、うんざりしているようで、ずっとそっぽを向いていた。

電子機器と怪異は相性が良いのだけれど。

ただ、テレビ番組で、明確に誰にでも分かる怪異が映り込んだ、というケースはあまりないし。

私もテレビ番組に怪異が映ったのは何度か見たことがあるが。

いわゆる見える人間にしか見えないような奴ばかりだった。

地下の倉庫に降りてみる。

捜査一課が、大道具を急かして、色々調べている所だが。私が来ると、敬礼して状況を報告してくれる。

「どうも故意の線は薄いですね。 いい加減な機械を使った結果、誤動作をしたのでは無いか、というのが正しそうです」

「そうなると、過失致死だな」

「ひっ……」

「私が間に合わなければそうなっていたって事だ。 これからは、命に関わるような機材には金を惜しむなよ」

大道具の長がこくこく頷く。

まあそれはどうでもいい。というか、気になるのは、あの二人。

松岡と玉出。

北条と愛染に任せてきたが。多分この事件は、あの二人のせいでかなりややこしいことになるだろう。

道具類を調べている刑事達の間を縫って、奥の方を調べて見る。

見つけた。

魔法陣だ。

「やはりな。 此処にもあったか」

「ここのところ、大きな事件があった場所には必ずありますね」

「そうだな」

さっそく撮影。

見た事も無い文字だ。兄者にメールで送信。これで発見した魔法陣は、多分三十を超えたはずである。

腕組みして考える。

兄者から返信が来た。

今までに使われている文字が判明したのは、魔法陣の内半分ほど。いずれも極めてマニアックな言語だ。

だが、その中には、北欧で使われていた古い言語や。

バビロニアの一地方で生き残っていた古い言語などもある。

今回は、なんと古代中国文字ではないか、ということである。

漢字などが出来る前に、複数の古代言語があった、という説がある。というか、中華文明圏そのものが、複数の文明がミックスすることによって誕生した、という説もあるくらいなのだ。

中国の妖怪にショクインというものがいるが、これはあまりにも設定が強大すぎるため。こういった滅びていった古代文明の太陽神では無いか、という説さえある。まああくまで一説だが。

「此方にもあります」

「……」

ひょっとして、だが。

この魔法陣。

あの雨宮。狂った双子。そしてこのテレビ局。人の負の思念が渦巻き、集まるところに集中的に作られているのではないのか。

実際問題、消して廻ってはいるが、それまでに負の思念を蓄えて、何処かに送っているとすれば、充分役割は果たせていることになる。

だが、それでどうする。

ちょっとやそっとの負の思念程度では、原初の巨人は目覚めない。

そんな程度で目覚めていたら。

それこそ、先の二度の世界大戦で、目覚めていたことだろうから。

スマホが鳴る。

北条からだ。

「少しよろしいですか、部長」

「どうした」

「少し困っていまして」

「松岡と玉出が、互いに相手の仕業に違いないと言い合っていたな。 それから何か起きたのか」

さっきもそうだったのだ。

少し困ったように黙ると。

北条は言うのだ。

「事が大きくなっています。 どうやらこの件の裏に、二人の会社の内輪もめが絡んでいるようでして」

「む?」

「ライアーアートは確かに通じませんでした。 まるで手応えがなくて。 流石にこの辺りは、魑魅魍魎が蠢く世界に生きてきた二人で、力不足を痛感するばかりです。 しかし、話していて分かってきました。 どうやら会社の利権が割れているようなんです」

「詳しく」

メモを取り出すと、スピーカーモードにする。

そして、側の捜査一課の刑事を手招き。

其方にも聞かせる。

「松岡の話によると、加納ユキのブレイクを快く思っていない若手のプロデューサーが何人かいるそうです。 当然、枕営業を疑っているそうで、中にはどうやって蹴落とすか、つけ回して証拠の瞬間を押さえようと必死になっている者もいるとか」

「その一人が、玉出だと」

「いいえ。 玉出は加納ユキを叱責することが前から目立っています。 玉出はそれらの若手をまとめる事によって、会社内での権力を一気に握ろうと目論んでいる、と松岡は主張しています」

また随分と泥臭い話だ。

そして、玉出の主張はというと。

これまた正反対であるそうだ。

「会社内での内輪もめについては、まったく同意見が出ています。 引き離して、一人ずつ話を聞いているのに、です。 しかし玉出は、大事な未来の会社の稼ぎ頭に、今汚れ仕事なんか絶対させない、と息巻いています。 むしろ、将来ライバルになりかねない加納ユキを、若手のプロデューサー達を煽って殺させようとしたのが、松岡に違いないと鼻息を荒く叫んでいました」

「グチャグチャだな……」

「まったくです」

「芸能事務所の内幕のグダグダさは、何カ所か潰して知っているがな。 松岡も加納ユキも苦労しているんだな」

黙り込む北条。

気付いていないのなら、教えてやるべきか。

いや、まあいい。

「その調子で二人に喋らせろ。 何人かプロデューサーを逮捕することになるだろうな」

「はい、しかし本当なんでしょうか」

「嘘に本当を混ぜる。 常套手段だ」

「……」

通話を切る。

多分、二人が言っている、相手に関する事は憶測だ。

だが、複数のプロデューサーが、足の引っ張り合いをしていることは事実だろう。これに関しては、疑う余地もない。

芸能界での枕営業なんて周知の事実だ。

アイドルをしていても、人気がなくなれば汚れ仕事に落とされるし。

更に言えば、人気がない内は深夜番組で汚れ仕事をさせられる。

そういうものだ。

綺麗な経歴だけで構成されたアイドルなど実在しない。

この辺りは、芸能界の唾棄すべき恥部。

えりさにも細かい話は時々聞いているが。

当然のように、えりさもそういう仕事を、割り振られたことはあるという。挫折の前後は、特にそうだったらしい。

というよりも、業界関係者で。

汚れ仕事をさせられていないものはいないそうだ。

ひどい場合は、子役の頃からさせられるのが普通。

需要があるから、である。

私が介入して、ようやく自浄作用が少しは働き始めていると言っても、それもまだまだ、である。

今回、自浄作用を更に強めるためにも。

また業界の大物を数人潰しておくべきだろう。

ただ、である。

はっきり私の見解を述べると。

今回の件は、事故だ。

調べている如月のあの見解。あれは、誰かしらの悪意が介在していない、ということを意味している。

勿論必要な所で予算をけちった大道具と。この局の長には、飛んで貰う。

特にこの局の長は、あとできっちり絞っておくことにする。色々と情報が引っ張り出せるから、便利そうだ。

古橋に連絡。

「どうだ、何か見つかったか」

「どうにも……ただ、ノイズが起きている時間帯は、局長が妙な動きをしているようッスね」

「ふむ、それは直接私が聞く。 それと、もう一つ」

「はい、何ッスか」

松岡と玉出の事務所について調べろ。

恐らく内紛が起きている可能性が高い。

そう告げると、嬉々として、古橋は調査に取りかかった。

一旦電話を終えると、捜査一課の刑事に指示。

「纐纈に、さっき聞いた話を伝えておいてくれるか」

「分かりました」

「ただし、私の見解は、事件そのものは白だ。 事務所の内紛で、問題が大きくなっている可能性が大きい、とだけ告げておけ」

「はい」

刑事が走っていく。

さてと。

私は、コートを翻すと。

この魑魅魍魎が蠢くテレビ局の。

局長の所へ向かった。

 

テレビ局の局長は、私が見せた精緻なイラストに、真っ青になった。やはり此奴、金髪の王子と関係があったか。

「はっきりいう。 財政支援を受けていたな」

「……っ」

「私が風祭純だと言う事は知っているな。 それで、私に対して本当のことを言わないというのなら。 此方も相応の手を採るだけだが」

「ま、まって、まってください」

局長は哀れなほど狼狽する。

知っている筈だ。

金髪の王子が、世界的な犯罪組織のボスだと言う事くらいは。其処までは知らなくても、とんでもないVIPだという事くらいは。

「そ、そんなことを言ったら、殺され……」

「問題ない。 今この部屋にある盗聴器は全て無力化している。 監視カメラもな」

ちなみに、局長の部屋に来る前に。

道明寺に連絡して、局長の家族は押さえさせた。

この辺りは、私も油断はしない。

「どうせなにか尻尾を握られているんだろう。 正直な話、そのまま豚箱にぶち込んでやろうと思っているんだがな。 もしもあらかた全て話すなら、多少は減刑することを考えてやってもいいが」

「ひいっ!」

「話せ。 話せば、少しはマシになるかも知れないぞ。 話さないなら、お前が若手のアイドルをラブホテルに連れ込んで、やりたい放題やってた事をリークする。 押さえていないとでも思っているのか」

「ど、どうかそれだけはご勘弁を!」

クズが。

ちなみに今口にしたのは、氷山の一角。

この手のテレビ局重役は、それこそ自分を貴族か何かと勘違いしている。若手のアイドルを吐き気がするような汚れ仕事に平気で放り込むし、やりたい放題貪り放題だ。私の方でも、潰すリストに入れていたので、押さえてはいた。

現時点で押さえている情報だけでも、此奴をぶっ潰すのは難しくないのだが。

せっかくだ。

徹底的に、何もかもを吐かせておこう。

観念した様子の局長。

指を鳴らすと、渋い顔の纐纈が入ってくる。

そして新見と一緒に、局長を連行していった。

まあこれでこいつの社会的生命は終わりだ。

そして、私の魔王伝説は、更にテレビ業界で加速することになるだろう。私が来た時点で、大物が潰される。

何しろ風祭の当主だ。

逆らっても無駄。

もはや、彼らは震えるしか無い。

だが、私は不当な逮捕はしていないし。

まっとうな仕事をしている人間に拳を叩き込んでもいない。

まあ今回、加納ユキの救助活動がちょっと過激になったのは、私も反省はしているのだけれども。

それはそれだ。

さて、後はどう決着を付けるか、だが。

とりあえず、北条と愛染が、どうやって解決するか。

少し、手助けをしてやろうか。

それとも、解決できそうなら、見守るか。

考え始めたところで。

不意に、にょきっと壁からニセバートリーが顔を出す。

「大変よ!」

「何だ。 二人が脱走でもしたか」

「そうじゃないの! 怪奇現象よ怪奇現象!」

まだ夕方だぞ。

ぼやきながら外を見る。

ミニライブといいながら、えりさはまだまだ頑張って、聴衆を大人しくさせるべく、ステージで奮闘している。

あれはミニライブどころか、凄い規模のライブだ。

しかも、全然動きが落ちていない。

この辺り、苦境から一度這い上がっただけの事はある。大したものだ。

あれくらい頑丈だから、大丈夫だと思ったのだが。

うーむ、よく分からん。

とにかく、北条と愛染の所に急ぐ。

急ぎながら、ニセバートリーに話を聞く。

「で、なんだ怪奇現象って。 壁中に人間の顔でも現れたか?」

「何それ怖っ!? 違うわよ、松岡るみって子のドレスが、血だらけの手形だらけになってたの! いつの間にか!」

「で、何か怪異を見たか」

「え……」

ぽかんとした後、ニセバートリーは首をふるふると横に振る。

だろうな。

どうやら、玉出が実力行使に出たか。それとも、あのガキか。いずれにしても、霊の仕業では無いだろう。

アホらしい。

もう真相は見えているのだが、これでますます混乱が加速すると見て良いだろう。えりさが時間を稼いでくれている間に決着できるか。

少し怪しくなってきた。

 

3、骨肉相食む

 

青ざめている松岡るみ。

白いドレスには、真っ赤な手形が、びっちりついていた。それもペンキではなくて、血液である。

その辺りは、ぱっぱと如月が鑑定した。

「で、目を離した隙にこうなっていたと」

「すみません。 別々の部屋に隔離していて、悪戯をする隙なんて無かったはず、なんですが」

あのガキだな。

即座に私は判断した。

気配を消せる彼奴なら、このくらいの悪戯はお茶の子だろう。だが、それをやって、何かしらの意味があるのかどうか、私にはよう分からん。

そうすると、隣の部屋から、うおっとか、わっとか、そんな声が聞こえた。

ちなみにそっちには、玉出と一緒に愛染がいる。

はあ。仕方が無い。

あのガキには、ちょっとおしおきをするか。潰すつもりはなかったのだが、これ以上やりたい放題されると困る。

隣の部屋に入ると。

蛍光灯が、半分くらい割れていた。

じっと見つめるが。

霊的な要素は関わっているように見えない。これは単純に、隙を見て棒か何かで割ったのだろう。

じっと私が見ているのを見て。

玉出が、青ざめていた。

「こんな、幽霊が出ると噂には聞いていたが……」

「隣でも騒ぎになってますよ。 ドレスが血だらけだって」

「はあ!? いや、あんたたちに捕まってたんだぞ! まさか俺を疑ってるのか!?」

「……少し話を聞かせて貰いましょうか」

部屋に入ってきた捜査一課が、本格的に調べ始める。

私はどうするか少し悩んだが、問題はあのガキがどういう意図でこういうことをしているか、だ。

松岡るみの方も見に行く。

流石に彼女は、見かけは動じていなかった。

無数のファンが見ているステージに立つのだ。多少の度胸では、やっていけない。ましてやこの娘は、トップアイドルにまで上り詰めたのだ。

北条が咳払い。

「私も見ていましたけれど、本当に一瞬で」

「ふーん、でもこれ、血液パックの奴ね。 ほら」

いきなり、如月が取り出したのは。

その辺に落ちていた血液パック。

所詮ガキんちょか。

仕事が雑だ。

「まあ、どっかの馬鹿が悪戯をしているんだろう。 それよりも、北条」

「!」

耳打ちする。

恐らく、この件。犯人はいない。多分だが、十中八九ただの事故だ。だが、あの雨宮の事件や、サイコ双子の事件で見かけられた魔法陣が、地下に多数発見されている。もしも介入が始まったとしたら、今だ。

そうなると、松岡るみと玉出に何かあったら、面倒な事になるかも知れない。

「二人を見張れ。 どうやら相当に憎み合っている様子だし、このままだと面倒な事になる」

「面倒と言われても、具体的に何が起きるんですか」

「私だったら、どちらかが犯人だとでっち上げるな」

というよりも。

二人ともおかしいのだ。

加納ユキは芸能界の新星であり、業界の至宝たり得る人材だ。今衰え始めている芸能界に、新風を吹き込めるかもしれない逸材なのである。

外で、わっと騒ぎが起きているが。

昔のテレビ業界だったら、トップアイドルが野外のミニライブなんてやったら、それこそ万の聴衆が押し寄せてきただろう。

今外にいるのは、だいぶ増えているが、それに遙かに及ばない程度の数。

つまり、それだけ今、芸能界は衰え始めている。

「あの二人、何かある。 加納ユキがらみで、だ。 それを中心に聴取してみろ」

「分かりました。 しかし、相当に手強くて……」

「揺さぶりを掛けるチャンスが来るはずだ」

そう。この悪戯をしている奴、何かしらの意図があるはず。

部屋を出ると、真っ青になったディレクターが顔を集めて話をしていた。今日収録する番組は全部中止。穴埋めに何かやらなければならない。外でえりさがライブを頑張ってくれているが、それでもとても穴埋めは無理だろう。

事件は解決できないのか。だが、警察の現場検証には時間が掛かるし、あの魔王が来ている。つまり、事件性があるってことだ。

ひそひそ話が加速している。

私は聞こえないフリをして、遠ざかる。周囲でも、疑心暗鬼が飛び交っているようだった。

あくびをしながら歩く。

側に浮いているアネットが、小首をかしげた。

「何だか変な空気ですね」

「にているだろ。 この間の双子の時と」

「確かにそうなんですが、この程度の負の空気では、とても強力な怪異なんて喚び出せっこないですよ」

「そこだ、問題は」

あの魔法陣。危険を冒して、金髪王子が来ている位だ。しかも前には、二度も大駒を使い捨ててきている。

此処でも、何かしていた可能性が高い。それも重要な、だ。

警察病院に電話してみるが、加納ユキはまだ目を覚まさないという。まあこればっかりは仕方が無い。

外に出ると、既に暗くなりはじめていた。

三時間以上単独ライブを続けていたえりさが、流石に疲れた様子で降りてくる。衣装も、今回の加納ユキの全国デビューをお祝いする番組のために用意したものを使ったようだった。

「どうですか、状況は」

「確実に事故だな」

「それはよかった、ですけど。 それにしては浮かない顔ですね」

「事故を利用して何か目論んでる奴がいる」

えりさがさっと周囲を見回す。

私が来ていると言う事の意味。それをきっちり分かっているからだ。

「今日は早めに上がれ。 後は私がどうにかする」

「分かっています。 お願いしますね」

「ああ」

「そうそう、高級フレンチ一回分っての、私にじゃないですよ。 加納ユキさんに、奢ってあげてください」

一瞬だけ黙ると、私はなるほどと感心した。

えりさの機嫌を取るのじゃ無くて。

加納ユキのバックに、私がついているという風に見せろ、と言うわけだ。

私が行くような高級フレンチには、それこそ政財界の大物がゴロゴロ来る。そこに私が加納ユキを連れて一緒に晩飯にすれば、それだけで大きなアピールになる。

まあ、今回痛い思いをさせたのだ。

それくらいはしてやるのが筋だろうか。

ただ、私ももうちょっとスムーズに救助が出来る技を身につけなければなるまい。それは実感した。

「何ならお前も一緒に行くか」

「何度も助けて貰っているし良いですよ。 借り一つってのも、あくまで加納ユキさんに対してって話ですから」

「良いのか、将来のライバルにそんなに良くして」

「私は、実力がものをいう芸能界にしたいんです。 コネとスポンサーがものをいう芸能界だと、もう先が見えています。 実力がある子には、ガンガン上がって来て欲しいですから」

それで自分が落ちるなら、それも本望。えりさはそう言うのだった。

まあ、今は残念ながら、現実が違う。ある程度のコネがいる。だから、私という存在がバックにいると見せる事で。加納ユキという本物の新星を輝かせたい、というわけだ。

流石にしたたかだし、それに私の使い方を心得ている。

良いだろう。そういう利用の仕方は大歓迎だ。

「面白い奴だな、えりさは」

「私が面白いんじゃなくて。 今の業界が、腐りきり過ぎていて、嫌気が差しているだけですよ。 風祭さんのせいで少しは良くなりましたけれど。 私達の方からも、良くしていきたいだけです」

 

局内に戻る。

そうすると、纐纈が、玄関口で、連行途中の局長と揉めていた。

此奴はもう任意同行の後、時期を見て逮捕させるつもりだが。それでも、今の時点ではまだ局長だ。必死に、今はまだ仕事をしたいのだろうか。何だか妙な話である。

「頼むよ! 一時間だけで良いんだ! 警察監視の下でいい!」

「此方に言われても困りますね。 風祭部長に話してください」

「し、しかし」

「何の話だ」

ひっと、局長が情けない悲鳴を上げる。

纐纈が此方を見ると、大きなため息をついた。

「さっきまで外でやっていた川原ミユキのライブだけでは、生番組の穴を埋められないんだそうですよ。 何でも今回のイベント、局の命運を賭けているものだったらしくて、ですね」

「……すみません」

しらけた目の私である。

まあ、確かに、えりさと松岡るみを同時に呼んでいるのである。それだけでも、相当なギャラを払っているだろう。

特に松岡るみは、今回の事件もあって、まだギャラ分働いていない。

その分の損失を回収したい、という事らしい。

アホらしいとしか言いようが無い。

こんな、起きるべくして起きた事故を放置しておいて。

それで穴埋めがどうのとほざいているのか。

自業自得だ。

頭に来たので、本当にこの地方局そのものから潰してやろうかと思ったが、とりあえず我慢する。

加納ユキは此処がなくなったら、足がかりがなくなる。

えりさが彼処まで言っていた人材だ。

地方活性化のためにも、失うわけにはいかないし。

芸能界健全化のためにも。

アイドルとして死なせるわけにはいかないだろう。

「条件がある」

「は、はいっ!」

「まず、以降命に関わるような大道具には、絶対にコストをけちらないこと。 今回、それで人が死にかけたことを忘れて貰っては困る」

「……」

蒼白になる局長。

まあそうだろう。

大体見当はついているが。

コスト削減の分を、此奴は恐らく懐に入れているのだ。

しかも、今までに一度ならず、だろう。

「「後任の部下」にも引き継いでおけ。 もしも怠ったら、適当なタイミングで局ごとぶっ潰すからな」

真っ青になった局長が固まる。

此奴も、もう自分の命運は分かっている筈だ。だが、それでも怖がるくらいには脅した。それだけである。

そして、私は、青ざめて様子を見守っているディレクター達を手招きした。

「というわけで、一時間だけなら番組を作っても構わないぞ」

わいわいと、ディレクター達が行く。

使って良い部屋は此方で指定。

事故が起きたのとは別のスタジオだ。

松岡るみのステージ用に、準備を整え始めるスタッフ。

さて、と。

此処からだ。

纐纈が咳払いした。

「よくこの状況で許可しましたね」

「今回の件、あのワイヤーは事故だ。 それについては、ほぼ100%間違いないと見て良いだろう」

「はあ、それは確かにその通りです」

「問題は、それを利用して、何かしようとしている奴がいる。 それは恐らく、松岡るみでも玉出でもない。 見極め次第、ぶちのめす」

如月が来る。

そして、耳打ちしてきた。

「当主、間違いありません。 あれ、事故です」

「確定か」

「はい。 安物が安物として壊れただけです」

「ならば気を付けろ。 このスタジオを徹底的に洗え」

頷くと、如月が式神を撒きはじめる。

私も、アネットに見張りをさせる。そして私自身は、スタジオ全域をみて回った後、あるトラップを仕掛ける。

あの気配を消せる子供。

来た場合の対応策だ。

松岡るみと、玉出は一旦釈放。

二人は顔を合わせると、凄まじい火花を散らしたが。北条が咳払いする。

「喧嘩は後で」

「殺人犯を前にして、何を……」

「その事ですがね。 松岡さん、玉出さん」

「何だよ」

私の声のトーンが変わった事に、二人とも気付いたのだろう。

特に玉出は。

相手が猛獣に等しいことを、今更ながらに思い出したのか、完全に及び腰になっていた。

空気を一瞬で変えるのはアイドルだけの技じゃあない。

私にだって出来るのだ。

もっとも、私の場合は、恐怖の方向へ、だが。

「例のワイヤーね、事故で確定です。 単に安物を使った大道具が、安物にふさわしい事故を起こしただけです」

「……」

「恨むんなら、安物を使うように指示した局長を恨みなさい。 製作会社に払う金を削減するために、こんな所に口を出して、大事な加納ユキを死なせ掛けたのだからね」

「そ、それだって、其処の男が……!」

松岡るみが憤怒し掛けるが。

私が黙っていない。

さっきは負い目もあったが。

今は違う。

もう、状況は読めているのだ。

「くっだらない身内同士の争いを、大事な妹分の怪我をダシにして、正当化しようとするんじゃない!」

「っ!」

「玉出さん、あんたもだ。 どうせくだらない事が積み重なって、松岡さんを引きずり下ろしたくなっただけだろう? 命の次に大事な加納ユキの事をダシにして、殺人事件の容疑者をなすりつけようとするなんて、くだらない事をするなボケが!」

「ひっ!」

さっき、必死に私に食らいついてきた玉出だが。

本気でドラゴンが猛り狂えば。

所詮この二人程度の怒気など、戦車の前で振り上げたカマキリの斧に過ぎない。

真っ青になる二人。

北条は大きく嘆息すると、ライアーアートに入る。

私が準備をしたのだ。これで充分である。

一人ずつ、聞き出しに掛かった。

完全に動揺した松岡るみは、嘘のように口が軽くなった。私がズバンと核心を突いたからである。

やっぱり、加納ユキが死にかけたことは、ショックだったのだ。

芸能界にいると、親の葬式にさえ出られない。

そんな言葉があるが。

そういう覚悟を持って、松岡るみは必死に哀しみと動揺を押し殺していたのだろう。だが、それも此処までだ。

殺人未遂の犯人に違いないと考えていた玉出の容疑も、これで晴れた。

そうなれば。

今まで押さえていた感情が、決壊するのも当然と言えた。

「松岡るみさん。 貴方にとって、誰よりも大事な後輩だったんですね。 さっき、川原ミユキさんが言っていました。 実力がものをいう健全な芸能界を取り戻すためにも、加納ユキさんのような有望な人材には、是非頂点まで上がって来て欲しいと。 貴方も同じ思いなんじゃないですか?」

「……そうよ。 だ、だから」

「だから、芸能界の癌みたいな玉出さんにはさっさと消えて欲しかった、ですね」

「……」

図星を突かれた松岡るみは。

今までの鉄壁。

少なくとも、北条では崩せなかった心の穴をぶち抜かれて。完全に涙を流し始めていた。

口惜しくて、震えているようだった。

続いて、玉出にも、ライアーアートを仕掛け始める北条。

「玉出さん。 貴方にとって、松岡るみさんは、後輩の排除を目論む存在にしか見えていなかったんですね」

「じ、事実そうだろう!」

「違います。 さっきまで、外で川原ミユキさんがやっていたライブをみて、何とも思わなかったんですか?」

絶句する玉出。

そうだ。

あのライブ。

川原ミユキは、加納ユキの経歴に泥を塗るのを防ぐため。テレビ局との関係悪化を防ぐため。

文字通り体を張って、時間を稼いでくれたのだ。

しかも、芸能界でも魔王として怖れられている私に対して、加納ユキとのコネを作るべく、工作までしてくれた。

それが、トップアイドルのありかた。

そして双璧と言われるほどの松岡るみも。

それに反対はしていなかった。

実際問題。

少し前まで、トップアイドルをしていた人間。えりさ、つまり川原ミユキが蹴落とし。松岡るみがとどめを刺した人間は。

コネとスポンサーの金でのし上がった人物で。

アイドルとしての力量も何も無く。

ただ其処に居座っているだけの存在だった。

私が健全化を進めた結果、スポンサーの幾つかがブッ潰れて。トップではいられなくなっただけ。

其処に、二人が割り込んだ。

此処に、更に加納ユキが食い込めば。

芸能界は健全化が促進される。

素人いじりしか能がないような芸人もどきや、単に会社に太いパイプを持っているだけの「大物芸人」は淘汰が進み。

実力のある人間が、上がってくる。

殿様商売の時代は終わり。

芸能界も、客を相手にしているものだという認識を持つものへと変わっていくはずだ。

トップが腐ると組織は例外なく腐る。

少なくとも、アイドルのトップが腐っていなければ。

下のアイドルは、腐敗の頻度も下がっていく。

「加納ユキは、今後の芸能界を、少しでも……」

「この腐った芸能界を憂いていたのは、貴方も同じだったんでしょう。 だったら、どうして松岡さんもそうだって思えないんですか」

「……」

「昔は、違ったんじゃないですか」

バツが悪そうに玉出は、ぼそり、ぼそりと話し始める。

松岡るみのプロデューサーだった時代もあった。ここ数年で一気にトップに駆け上がった松岡るみだが。新人時代は、兎に角芽が出なかった。

二人で、頑張ろうと言い合って。

深夜番組のどうしようもない企画や。

経歴の染みにしかならないような仕事も、必死に引き受けた。

それでも、玉出は。

松岡るみに、枕営業だけはやらせなかった。

「ルックスがルックスだから、どうしても声を掛けてくる大物芸能人や、局のえらいさんはいたんだ。 今の時代、アイドルが枕営業やってる率知ってるか? 大物って言われている人間は、殆ど全員が経験者なんだぞ。 勿論好きで枕営業を受ける奴もいるが、松岡は明らかに嫌がっていた。 出世には、仕方が無いかも知れない。 それでも、松岡には、そんな目にはあって欲しく無くて……」

土下座して、勘弁して貰ったり。

頭を必死に下げたところを殴られたり。

歯が折れるほど、暴力を加えられたり。

でも、何とか松岡るみを守りきったのだ。

「だけれど、どうしてだろう。 トップになって俺の手を離れてから、松岡は俺への感謝を忘れたようだった。 加納にも、嫌にきつく当たって、何度も加納が楽屋裏で泣いているのを見て、それで」

「それは、ユキが、アイドルとしてトップに立つには必要な事だったから……! 今の実力だったら、貴方こそ、ユキにあんな仕事させなくても良かったはずでしょう! 私のしたような苦労を、ユキにさせなくても済んだはずなのに! くだらない仕事に苦しんでいるユキを見ていられなくて! 私がした無駄な苦労を、どうして味あわせるのかって、許せなかったから!」

はあ。

溜息が零れる。

こんなすれ違いで、双方ともに、互いを殺人犯だとまで思い込む程になっていたのか。分かってはいたが、言葉も無い。

北条の肩を叩く。後は任せる、という意味だ。

北条も、真顔で親子げんかを見ていたが。もうこれは、正直な話、誰の目にも結果は明らかだ。

どっちも白。

これは、単なる事故である。北条にもそれははっきり分かるはずだ。後は、親子げんかを吐き出させきればいい。

私は、違う事をする。

一つ、気になる事がある。

あの子供が何かを仕掛けるつもりなら良い。もしも、そうでなくて。何かしらの、もっと大きな罠があったとしたら。

それを潰さなければならないのだ。

 

4、暗がりに潜む者

 

番組が始まる。

松岡るみと玉出は北条に徹底的に絞られて、その後反省して二人で握手をした様子だ。私はその現場にはいなかったが、まあ北条はあれでもかごめに鍛えられているのである。怒ればきちんと相手をいてこませられる。

私は、その間に。

別の事をする。

スタジオは如月に任せているし、愛染もいる。例の子供が侵入したら、トラップで捕縛だ。まあ流石に私が来ているのに、これ以上の悪さをしようとは思わないだろう。問題は、そうではない。

今、私がいるのは。

いわゆる奈落。

そう。以前も劇団の舞台裏で起きた、人間関係の悪夢みたいな事件の舞台となった場所である。

上では今、松岡るみが歌っているが。

本当は加納ユキが歌うはずだった。

ただ、問題は。

歌うのは恐らく、誰でも良かった、という事だ。

何かしらの事件をあの子供は最初から起こすつもりだったはずだ。そうしないと、時間を掛けて此処に出入りしていた理由が説明できない。そして、あの子供は、間違いなく金髪の王子にとっては大駒。

三度目の大駒切り捨ては、流石に痛すぎるはず。

何か違う手を打ってくるだろう。

そこまでは分かった。

問題は、番組を放送させて。

負の思念を爆発させた後。

此処で何をするつもりだったか、だ。

魔法陣は既に消してある。

だが、どうにも嫌な予感が収まらない。私が周囲を見回っていると、スマホが不意に震えた。

上の歌声は凄まじいが。それでもバイブなら分かる。

電話に出ると、佐倉である。

「純さん、大変です」

「どうした」

「龍脈が凄い反応してます。 さっき、加納ユキが歌うはずだった生放送の番組が始まった途端です」

「……なるほど」

そういうことか。

床に手を触れる。下の方が、じんわりと温かい。

そうなると、あの魔法陣は、とっくに役割を果たしていて。そして、それは直接原初の巨人につながるものではなかった、という事か。

「全国の龍脈の状況を調べろ。 確かこの生放送、全国放送されているはずだ」

「分かりました」

すぐに私は、奈落の更に下。

裏口から、倉庫の奧。

非常口から、地下駐車場に入る。此処から、もっと下に降りる事が出来るのだ。下から、反応が強くなってくる。

つまり、こういうことだ。

最初に、何かしらの方法で、あのスタジオと此処を接続して。

そして、この作業の準備をしていた。

恐らく、歌うのは誰でも良かったのだ。負の思念が渦巻いていて、誰かが歌えばそれで良かった。

加納ユキの全国デビューは、どれくらいの人に祝福されたのだろう。

ファンには勿論祝福されたはずだ。だが、他のアイドル達はどうか。実際、すぐ側にいた松岡るみと玉出でさえ、加納ユキを巡って愚かしい憶測から争いをしていたのだ。地方局からの全国デビューは難しい。

ましてや、努力屋で、真面目に頑張ってデビューを掴み取るなんて。

この業界では、奇蹟に近い。

それを知っているアイドル達が、どれだけ加納ユキを祝福しただろう。

恐らく、むしろあの子供、加納ユキの事故が起きて焦ったのではあるまいか。だから、せめて負の思念を高めるために悪戯をしたし。

何よりも、時間を必死で稼いだ。

もう脱出しているだろうから、それはどうでもいい。私は、マンホールを開けて地下に降りると。

それを見つけた。

此奴が本命か。下水道の流れる音の中。捜査一課の警官達が照らすライトの先には。びっしりと呪文が書かれた壁。

そして、ライトを着けなくても、分かるほど。壁が、光っている。

漏斗のように、膨大な負の思念を集め。増幅し、龍脈に注ぎ込む。これは多分、実験に過ぎなかったのだろう。

だが、もし成功していたら。ひょっとしたら。

いや、失敗したとは限らない。もしも、彼方此方で同じ儀式が行われていたら。原初の巨人は、目覚め始めているかも知れない。

まずい。一刻の猶予もない。

「耳を塞いでいろ」

警官達に指示。

そして、私は印を切ると、一喝。

「喝!」

ドカンと、下水道が揺れる。

鼠がたくさんショック死したかも知れないが、残念ながら貴い犠牲だ。呪文が一気に消し飛ぶ。

更に、アネットに指示。

頷いたアネットが、今ので残った呪文を、悉く斬り伏せる。

流石の剣の冴え。見事に呪文は、吹き飛び、消し飛んだ。

その結果、バランスが崩れたのだろう。光っていた龍脈は、すぐに落ち着いて行った。

佐倉から電話が来る。

「龍脈の活性化、収まりました」

「だが、一度活性化した以上、何が起きるか分からん。 警戒を続けろ」

上では、松岡るみが。

ライブを続けている。

それ故か、周囲には負の思念が渦巻き続けている。

後輩をこうやって始末して。

自分の番組にしたんだろう。

全国区に上がるチャンスを少しでも削いで。

自分の身を安泰にしたいんだろう。

ついさっき、楽屋で枕営業でもして来たんじゃ無いのか。局長辺りと。

遮断されたとは言え、まだまだおぞましい嫉妬と嘲弄が渦巻く中。私はもう一度印を切ると。

更に一喝。

龍脈に流れ込んだ負の気を。

浄化するため。

更に、上にいる連中に、ちょっと仕置きをするためだ。

 

下水から出る。

生放送の番組を見ていたという古橋が、ちょっとした騒ぎになっていると、連絡を入れてきた。

そうだろう。

都市伝説を本物にしてやったのだから。

「いやー、すごいくっきり映ってるッスよ。 お祝いだとかで駆けつけたローカルアイドル達に、しがみついてる何か良く分からない人影! ホラー映画みたいだって、騒ぎになってるッス」

「それな、ユーレイじゃないんだ」

「へ?」

「逆流させたんだよ。 加納ユキや松岡るみにそいつらが抱いていた、理不尽な嫉妬心をな」

その結果、分かり易く現れたのは。

死者のごとくおぞましき姿をした負の思念の塊。

龍脈から引っ張り出されたそれは。

文字通りの呪詛返しにて。

本人達に襲いかかったのである。

まあ死ぬほどの事は無いだろうが。

当人達も、生放送を見てパニクってるだろう。自業自得だ。しばらくは不幸が続くだろうが、それも自業自得。

さて、この件は片付いた。

だが、全体的に今までの件が連動しているとなると。

恐らくは。

佐倉から続報。

どうやら、予想通りだ。

「この間の雨宮の精神病院。 それに双子の秘密基地でも、龍脈の活性化が確認されています。 他にも、全国に二十七カ所」

「二十七カ所は守りきれんな」

「……どうします」

つまり、だ。

敵は今まで、準備をずっと続けてきた。大駒を使い捨てているように見えて、実は有効活用していた。

敵の狙いは、こうだ。

くさびとして、機能する二十七カ所の呪いの土地。

それを作り上げる事。

そしてその二十七カ所は。

既に出来上がっている。

いずれも、ちょっとした準備をして。負の思念を流し込んでやれば。他を全て巻き込んで、一斉に起爆する。

そして、それが長時間続けば。

原初の巨人が。

この日本に姿を見せるかも知れない。

様々な神話にその存在を現す、始まりのもの。

世界を新しく支配した神々に座を譲り、或いは殺され、世界の材料となっていった存在。

真に世界を造りながらも。

その思いと願いは報われなかった、とされる存在。

無論そんなものは神話だ。

古き時代に、源流となる何かしらのオリジンはあったのだろう。

或いは、人間という生物の中に、アーキタイプとして存在している概念なのかも知れない。

近年、極めて近しい存在であるポールバニヤンが米国で都市伝説となっている事を考えると。

その線も濃厚だ。

「龍脈活性地点を図形化しろ。 恐らく、何かしらの陣になっている筈だ。 もしも奴らが原初の巨人を蘇らせるつもりなら。 その陣の中枢に、それはいる」

「分かりました。 判明した活性地点を、すぐにメールします」

「おう」

メールが届く。

流石に仕事が早い。

そして、地図を見て、なるほどと判断した。

いわゆる九頭竜だ。

龍脈そのものを巨大な複頭の龍に見立てる形式で。その一つの頭に、日本列島が乗っているのだが。

その日本に来ている九頭竜の頭に。

直接、超巨大な魔法陣を描く。

そして、九頭竜そのものを目覚めさせる。

九頭竜は、原初の巨人に近しい存在。

目覚めた九頭竜を、原初の巨人へと転化し。

恐らくは、何かしらの方法で操作しようと目論んでいるのだろう。

以前無力化した龍脈兵器とは、また一つ桁が違う兵器だ。それこそ、今までの軍事バランスが根底からひっくり返る。

この星そのものを兵器にする。

そう言い切っても構わないだろう。

これはまた。

随分と愚かしいものを考えたものだ。

こんなものを兵器として使いこなせるわけがない。今の人類には、核兵器でさえ手にあまるというのに。

此奴は、反物質兵器並の代物だ。

どうやったら、こんなものを制御出来るのか。

金髪の王子は、意外に阿呆だった、というべきか。

いや、違うな。

これは恐らく、何かしらの勝算があるか、それとも。

嫌な予感がする。

ひょっとして、あの金髪の王子。

状況を制御する気が、無いのかも知れない。

「龍脈の監視態勢を構築。 最悪の場合、私がすぐにでも駆けつけられるように準備を整えろ」

「分かりました。 風祭の各人員に伝えます」

「小暮とかごめ、羽黒にもだ」

「! そこまで厳しい状態っすか」

そうだと、佐倉に返す。

さて、どう出る金髪の王子。此方に手の内を見せた以上、此方だって相応の対応をするだけだ。

私の麾下のチームを任せている刑事から連絡が来る。

今回の件で、活性龍脈の中心点が大体特定出来たという。

富士山麓。

青木ヶ原樹海だ。

上では、番組が終わろうとしている。

殆ど誰も祝福しない番組。

加納ユキが出ていたら、もっとおぞましい怨念に包まれていただろう番組が、終わったのだ。

天を仰ぐ。

この国どころか、この星が滅ぶかも知れない。

それに、龍脈が集中しているのはこの国だけではない。

他の地域でも、似たような事をやろうと思えば出来る。

金髪の王子が、大駒を使い切った訳がよく分かった。

奴にして見れば。

ゴールに手を掛ける、寸前まで来ていたのだ。

テレビ局の外に、ヘリが来る。

龍脈の一カ所でも、活性化させたら終わりだ。これから、何チームかに別れて、潰して行くしか無い。

今まで見えていた魔法陣の更に奧。

地下や更に闇が濃い場所に、本命の漏斗状に闇を集める呪文がある筈だ。それを潰さなければ、ダメだ。

そして、私は、青木ヶ原の樹海に向かう。

もしも、敵が本命を隠しているのなら、そこだ。

今ならば、まだ間に合うかも知れない。

ヘリの中で、テレビ会議を起動。

皆が出る。

「これより、我等は総力戦態勢に入る。 奴らが今回、恐らく最大規模の作戦に出てくるはずだ。 全二十七カ所を伝える。 それを片端から潰して行って欲しい」

「急な話ね」

「三年前から奴らにして見れば準備していたんだろうな。 だが、一晩で叩き潰してくれる」

「そうこなくっちゃあ」

かごめが舌なめずり。

私も頷くと。

ヘリに急ぐよう、指示した。

 

雄叫びが聞こえる。

黄金に輝くそれが、目覚めようとしている。

世界中に原型を持つもの。

世界を造り。

世界に裏切られ。

その肥やしにされた存在。

原初の巨人。

金髪の王子ことファントムは、周囲に血族の子供達を従え、ほくそ笑む。

恐らく風祭は泡を食っているはずだが。しかし、これは実験に過ぎない。九頭竜の名の通り、世界には九カ所にも似たような龍脈集中点があるのだ。

それのいずれでも。

原初の巨人を蘇らせることは可能。

そして日本で出来るなら。

どこの国でだって出来る。

更に言えば、恐らくまだ風祭は、この原初の巨人の使い路を、把握していないはずだ。この原初の巨人は、核兵器の代わりに使うわけでも。戦略兵器として暴れさせるわけでもない。

「リセ。 前に出なさい」

「はい」

青木ヶ原の樹海。

日本でももっとも不名誉な、自殺者の森とされる場所。

道路には、迷惑だからよそで死ねという、非常に残虐な言葉が掛かった横断幕が張られている。

この国の人間だけではなく。世界中で、今人間の心がどんどん腐って行っているが。

これもその見本。

他人なんぞどうなろうと知った事では無い。

どれだけ苦悩して此処に来たかなんてどうでも良い。

死体の処理が面倒だから、よそで死ね。

そう書いている幕を見ると、失笑を禁じ得ない。

これを書いた人間がエゴの塊であり。

他人の苦悩も悲惨な人生も。

どうでもいいと嘲弄し。

そればかりか、尊厳さえ平然と踏みにじる事が出来る存在だとよく分かるからだ。

そして、それこそが、平均的な人間なのだとも。

他人などどうなろうと知った事では無い。

趣味が違えば相手は異常者。

異常者なら正義の棒で殴って良い。

殴り殺しても良い。

そう考えるのが平均的な人間だ。

だから人間は一切進歩しない。

故に闇に生きるファントム達は。

今後も、力を失うことなどないだろう。闇を管理するものが、この世界には絶対に必要で。

それは風祭では無い。

兵器を商い。人間の負を煽り。そしてそれを適切に動かしていく、我等だ。

リセの体に、力が流れ込んでいく。

苦々しげに見ているのは、ルナ。リセの次にファントムが目を掛けている能力者だ。極めて優れた戦闘タイプで、中東では既に四桁に達するテロリストを始末している。各国の顧客からの評価も高い。

だが、異常に嫉妬深い。

血族の団結こそが、これから大事になる。そう言い聞かせても、どうしても聞き入れない傾向が強くなってきている。故に、ファントムとしても、困り果てていた。

「よし、此処まで」

充分な力がリセに蓄えられた。

そう判断したファントムは、下がらせる。

原初の巨人は、今のタイミングでは蘇らせない。風祭に、思い知らせるだけでいい。

二十七カ所の龍脈の、どこでも。

その気になれば、いつでもスイッチを押せると。

そして、対応が遅れれば。

即座に、原初の巨人が目覚めると。

今回は此処までだ。

後は風祭が疲弊したところを見計らい、最終計画に移行する。

その時、世界の闇は。

ファントムの下に、跪くのだ。

風祭のヘリが接近していると連絡。すぐに撤退を指示。

今、交戦するつもりはない。

交戦するのは、原初の巨人が目覚め。そして、最後の力が、手に入った時だ。

 

5、一筋の光

 

私が時計を見ていると、その人物が来た。

加納ユキ。

私が人命救助した相手だ。

なお、真っ青になっていて。というか泣きそうになっていた。まだまだ図太さが足りないなと、私は思う。

「おう、来たか。 この間は災難だったな」

「……あの、私、これから何されるんですか?」

完全に死んだ魚の目である。

此処はフランス料理屋。それも小暮が太鼓判を押している店。味は保証すると言うと、加納ユキは、なんだか料理されることが決まった事を悟った仔牛みたいな目をする。まさか、自分がフランス料理にされるとでも思ってるのだろうか。

誤解を解いておかないといけないか。

「あー、この間はちょっと手札がなくてな。 我ながら激しい人命救助をしてしまったのだ。 それでえりさ、川原ミユキに怒られてな。 もっとアイドルは優しく扱わなければならないそうだ」

「そ、その、それで私は……」

「晩飯を奢る。 まあ、それでチャラにしてくれ」

しばらくフリーズしていた加納ユキだが。

ようやく、事態が分かったらしくて、泣き始める。

「そ、その、この間は助けて貰ったのは分かっているんです。 でも、突撃してくる魔王みたいな影が記憶の最後に残っていて、それが貴方だって事が一目で分かって、それで怖くて」

「まあ私は人界の魔王になるつもりではいるがな」

「……」

「入れ入れ。 此処の飯はうまいぞ」

完全に真顔になっている加納ユキをリードして店に入ると、この店でも一番偉い人物。店長……ではない。チェーン店全てのオーナー。つまり会長が、音速で飛んできた。

ジャンピング土下座でもしそうな勢いである。

「風祭様ッ! 今宵はお越しいただき、有り難き幸せにございますっ!」

「ひいっ!」

「ああ、大丈夫だ。 ちょっと前に此奴に灸を据えてやってな。 それからこんなに大げさに振る舞うようになっていてな」

どん引きしている加納ユキに、楽しい事実を教えてやる。ちなみに周囲は政財界の大物だらけ。

加納ユキを私が連れていると知れば、それだけで噂になる。

そして+にもなる。

私が加納ユキを支援しているとでも噂になれば、スポンサーはポンポンつくし。私が怖くて、枕営業させろとかほざくアホもいなくなる。メリットだらけだ。

今の芸能界はそういう場所。

実力が全ての世界にするには、こういう実力のある子がのし上がるしかない。

えりさはそう言っていたし。

私も同感だ。

いずれ、こんな事をしなくても、良い日が来ると良いのだが。

周囲がとんでもない大物だらけだと知って、生きた心地がしない様子らしい加納ユキに、マナーを適当に教えながら夕食にする。

勿論ノンアルコールにさせるし、帰りは迎えも手配している。

私は、完全に蒼白になって人形みたいに手を動かしている加納ユキと談笑しながら、考える。

さて、どうするか。

この間、二十七カ所の龍脈は一晩で清掃した。だが、それで分かったことがある。どうやらもはや、龍脈に対して、一カ所でも干渉を加えれば、即座に原初の巨人起動を開始できる、という事である。

流石に二十七カ所全てを見張るのは厳しい。勿論手は尽くすが、対応には手間が掛かりすぎる。

敵の手札が、予想以上に危険な事は分かった。

ならば、此方もそろそろ先手を打たないと危ない。

敵の手は分かっている。

それならば。

いっそのこと。

此方としては、奇策に出るのもありか。相手が想定しようがない手を打つというのも、ありだろう。

幾つか、作を考えながら、仔牛のローストを口に運ぶ。

それにしてもうまい。

小暮が絶賛するだけのことはある。

「うーむ、此処の料理は絶品だな。 シェフの腕は鈍っていない」

「そうなんですね……」

「何だ、もっと美味しいものを食べ慣れているか?」

「ごめんなさい、その……なんででしょうか、味がしません」

そうか、それは困った。

どう美味しいのか説明しながら、談笑する。

笑っているのは私だけのような気もするが。

まあいいや。

とりあえず、今だけは。

この絶品のフランス料理を楽しむ事にしよう。

たまには、魔王になろうとする者にも、休息が必要だ。

 

(続)