無数の暗影

 

序、薄ら暗い道

 

金髪の王子が、G県警に出入りしている。私がそれを聞かされたのは、就任してからしばらくの事。

まったくもって大胆な奴である。

G県警トップの席に着いて、テーブル上を大好きな猫のグッズで満たして。私の席に報告に来る警部や警部補達が全員毎回真顔になるのを楽しみながら。未解決だったり、迷宮入りしそうだった事件をあらかた潰していた時にその話を聞かされた。

そして、本人はまだ見ていないが。

しかしながら、県庁を歩き回って、その痕跡は何カ所かで発見した。

苦笑する。

私とかち合えば、次は問答無用で殺す。

そう私は告げているも同然なのだが。

彼奴はそのリスクさえ考慮して、私の膝元に足を運んできている、という事になる。

今の私は、小暮の護衛無しでも、格闘戦で彼奴に勝てるが。

勿論それは、彼奴も承知しているはずだ。

それなのに来ているという事は。

つまりそれだけ重要な案件がこの地にあり。私にブッ殺されるリスクを冒してでも、奴が直接監督しなくてはならない事を意味している。

龍脈兵器を潰された今。

奴らは目玉商品を失っている。

様々な怪異兵器を第三諸国で売りさばいているが、その度に私達組織の手の者が、潰して行っているのだ。

すぐに効果がなくなれば、兵器は売り物にならなくなる。

事実今では、編纂室時代に対応したタイプの怪異兵器は、殆どが対策を施されており。むしろ売りに出すと、対抗兵器を作っている此方の方が儲かる仕組みが確立されてしまっていて。

それが戦力差を逆転させた。

金髪の王子はむしろ良くやっている方で。

それを考えると、むしろあのクズ女は殺さないで組織のトップに置いておいた方が良かったも知れないと、私は今更に思ってしまう。殺してないけど。まあ半分殺したようなものだし。

敵組織の瓦解を、更に早める事が出来ただろうから。

もっとも、あの状況では。

あのクズは、どのみち内紛で消されていただろうが。

G県警内を見回った後、自席に。

田中課長が、必死に胡麻をすりながら、書類を持ってきた。

「県警部長、此方に……なります」

「ん」

書類を受け取り、目を通す。

ようやく準備が整ったか。

受け取ったのはは、着任の書類である。そして、着任するのは、北条紗希だ。

かごめが鍛えているという話で、レポートも受け取っていたのだが。どうやらようやく準備できたらしい。

書類に何カ所かの不備があったので、直すように指示。

すぐに突っ返す。

田中が必死に逃げていくのを。

窓際で退屈そうにあくびしている愛染刹那が、小気味よさそうに横目で見ていた。

この愛染刹那が、北条紗希と組ませる相方だ。

見た目はヤンキーそのもの。

なんと今時リーゼントという驚きの髪型で、警察に堂々と出入りしている肝の持ち主である。

ただし、小暮が直接鍛えただけあって、腕っ節の方は筋金入りに強い。

今の私と同等か、それよりちょっと劣るくらいだ。格闘戦でそれくらい出来れば、充分だろう。

小暮が太鼓判を押していたほどだ。

才能があると。

更に小暮が様々なエキスパートに鍛錬させた結果。

ドライビングテクニックもプロ級。

ついでに私が少し手ほどきをして。

怪異に対する知識も相応に身につけさせている。

実のところ、短期間だが、兄者の所に勉強に行かせたのだ。真綿が水を吸い込むように情報を吸収したと兄者が喜んでいて。怪異に関しては、多分G県警では私と、私が派遣した風祭関係者の監察医についで、三番目の知識を持っているだろう。分野においては、私より詳しいくらいだ。

つまり、小暮と兄者の直弟子という事になる。

この見かけで警察として締め上げられないのも、その知識と腕っ節が本物だと知られているからである。

なお、私が何度か事件に同行させて。警部や警部補達に、愛染の実力はしっかり見せているので。

今では、此奴がリーゼントである事に文句を言う奴はいないのだった。

それに、愛染は私が(正確には風祭、というか私の父が)以前家を救った事を知っている。

愛染の家は一度没落しかけた。

不意に愛染の両親が亡くなり、金持ちのドライな人間関係もあって、財産を根こそぎ略奪される所だったのだ。

其処に風祭が介入。

一気に全てをひっくり返し。愛染に手を出す奴は潰すと脅したところ、全員が震えあがって逃げていった。

愛染はこの時まだ子供だったのだが、周囲の友人だと思っていた人間全員に掌を返され。一時期人間不信に陥り、喧嘩ばかり繰り返していた時期がある。弱い者いじめだけは絶対にしなかったそうだが。

だが、今もベテランとしてG県警に勤めている郷田巡査長というベテランが粘り強く愛染と向き合い。その甲斐もあって、愛染は立派に更正して。熱い警官としての魂を持つ、警官を名乗るにふさわしい男に生まれ変わったのである。

表向きは無愛想でヤンキー時代の負の遺産を引きずっているが。

見た目反発しても、最終的には私が指示した事には逆らわない。

ただ。これは私が前々から、私に対して不必要にへりくだるなと言っておいた事もある。実のところ前々からの知り合いであり。以前はヤンキー特有の非常に厳格な上下関係で接してこようとしたのだけれども。

むしろそうすると、奴らに目をつけられる可能性がある。

精鋭とは言え、まだまだ経験値が足りない。

ステータスがあっても、それを生かせない状態なのだ。

だから私は、愛染にはむしろ無愛想くらいに振るまえと言っているし。

愛染もそれを受け入れている。

なお、他の奴が見ているところでは、会話もしないように指示してある。メール等は送りあっているが。

田中が戻ってきた。

がくがく震えながら、書類を提出してくる。私が何度かコテンパンにして上下関係を叩き込んだ事もある。

もはや田中は、誰から見ても、私が靴置き場に使う程度の存在でしか無く。

県警本部課長と言うよりも、課長(笑)という地位が正確なのだった。

「書類、直してきました」

「ん、これでいい。 例の部屋の準備は整っているか」

「はい、それはもう!」

「では、近日中に新部署を立ち上げる。 その準備を整えておけ」

敬礼すると、田中は自分の席にすっとんで戻っていく。

此奴に関しては、正直どーでもいい。あまりにも無能なので、いてもいなくても良いし。いた所で薬にならないし。いなくても害にもならない。むしろ何人かいる警部補を昇格させて、此奴をどっか僻地に飛ばしたいくらいだ。

私が着任してから、県警の仕事は効率化して、以前よりも無駄な残業を60パーセントも減らした。

夜番や非番出勤などのケースを除くと、今では定時で退勤出来るケースも増えている。それだけ、前は無駄な仕事をしていた、という事である。いずれにしても、警官達のモチベは上がっているし。

私もそれをよしとしている。

残業なんぞ無駄にしなくていいのなら、しないのが一番なのである。

もっとも、私がしっかり目を配って、解決できる問題は速攻で潰してしまっているのが大きいのだが。

ベテラン達も私の実力は認めていて。

迷宮入りしそうな事件や、難事件については、すぐに相談してくるようになって来ていた。

その一人。

県警一課を任せている、纐纈将臣警部が、書類を持ってくる。

「部長。 此方に目を通してくださいますか」

「ん」

私も把握している案件だ。通り魔が連続で起きているのだが。

どうにも妙なのだ。

現場で目撃されるトレンチコートの女。

それが、人間離れした身体能力を発揮して。

様々な事件を起こしていく。

いずれもが、普通の人間に起こせるとは思えない事件ばかりであり。警察でも、ただの通り魔ではないと判断。

巡回を増やしているのだが。

今回もまた、おかしな事が起きたというのだ。

「耳を食いちぎられかけた?」

「はい。 明らかに正気ではありません。 近所の心療内科や精神病院にも当たっているのですが、特徴が一致している通院者はいません。 しかし目撃証言から考えられる身体能力から考えて、とてもまともな人間だとは」

「分かった。 少し私の方で調べて見よう」

「よろしくお願いします」

頭を下げると、纐纈部長はその場を後にする。

私はざっと書類を見る。

今までに起きている事件が四件。

いずれも目撃されているのは、陰気な雰囲気の、髪が長いトレンチコートの女。鎌を手にしている事も多いと言う。

そして、である。

電話が来る。古橋からだ。

「どもす」

「ん、どうだ、調査結果は」

「G県近辺での都市伝説をネットで漁っていたら、出るわ出るわっすよ。 カシマレイコを筆頭に、ええと、ひきこさん、ベンチの下の女、カオルさん、こんな所っすねえ」

「そうかそうか」

いずれにしても、そこそこ知られた都市伝説だ。

カシマレイコは言うまでも無く、夢の中に出てくるとされる怪異。質問をされ、ちゃんと答えられないと殺されてしまうとされる。一方で、あの口裂け女の本名ともされている怪異だ。

ひきこさんはイジメを行う子供を徹底的に惨殺する怪異で、口裂け女のように醜い容姿で。肉塊になるまでいじめっ子を引きずり回して殺す。勿論実際に殺された例は確認されていない。

少し前から話題になっている怪異なので、凶悪化する前に潰しているからだ。

ちなみに私も二度ほど遭遇。いずれも潰して浄化している。

ベンチの下の女というのは、海外の都市伝説が輸入されたものである。

要するに自分の家に来た友人が、早く外に出ようと促す。慌てた様子の友人に話を聞くと、ベッドの下に包丁を持った犯罪者が潜んでいた、というものだ。似たようなケースで、不審者に追われていると警察に連絡したら、その部屋からすぐに出るようにと言われるものもある。その不審者の身元を調べて携帯電話の位置を調べて見た所、今自分がいる部屋から出ている。

つまり、不審者が既に部屋に潜んでいる、というものだ。

これと似たような感じで、ベンチの下に鎌を持った女やら怪異やらが潜んでいて。友人に言われて慌てて逃げ出す、というのが話の顛末だ。

カオルさんというのは、ちょっとそれらとは毛色が違う。

昔流行った、ピアスの穴を耳に開けると、其処から白い糸が出てきて。糸を切ると、失明してしまう、というものだ。

これらの怪異は、いずれもが出展、性質、そもそもの行動と、まったくといって良いほど統一感がない。

だが、古橋は言うのだ。

「何だか分からないけど、これら全部が同じ怪異にされてるみたいっすね。 こういうの、良くあるんすか?」

「怪異の統合は珍しいものではない。 実際問題、カシマレイコに至っては、もはや何が何だか分からない代物と化しているからな」

「へえ……」

「とりあえず、情報の出所を調べろ。 特定出来たら知らせてくれ」

ラジャっすと言うと、古橋は電話を切る。

時々稽古をつけてやって、昔はひどいモヤシぶりだったのが、今では自衛くらいなら可能なくらいにまで強くなっている。

学校でもイジメを受けていたらしいが。

それも今では、いじめっ子をみんな叩きのめして、平然と学校に通う事が出来ているそうだ。

実際問題、高いITスキルを持っている事もあって、将来は幹部待遇でIT企業に就職できる可能性も高い。警察に就職させて、IT犯罪対策部門に入れるのもありだろう。

此奴のスキルなら在宅の勤務も可能。

つまり既に勝ち組確定。

私としても後押ししてやるつもりなので、古橋も感謝しているのだ。

だから仕事に関するモチベもとても高い。

今ではすっかり、組織のメンバーでも、優秀な外部協力者として認識されているし。成人後は正式メンバーに、という声も上がっていた。

愛染が来る。

私は席を立つと、トイレに行くフリをして、廊下に。

愛染は自然に、それに着いてきた。

「純さん、いいんすか。 この事件、放置しておくと、凶悪化するんじゃ」

「実はな、この事件、怪異じゃないと見ている」

「!」

「今度来る北条とお前で、前線に立って情報を集めて欲しい。 まあ、今も私が式神と部下を使って、致命的な事件にならないようにはしているんだがな」

既に佐倉は動いていて、今まで二度。殺人事件に発展し掛けたところを、トレンチコートの女を叩きふせている。

だが、逃げ足が凄まじく速く。二度とも逃げられてしまったそうだ。

女からは怪異の気配があったが。

どうも妙なのだという。

つまり、怪異が操作しているタイプの強化人間の可能性が高い。今まで何度も遭遇してきたケースだ。

他にも、今まで起きた同例の事件で、全てにおいて殺人事件を防いでいるが。

これも式神による通報や、私自身がトレンチコートの女を叩きのめして、被害者を救助している。

だが分からない事も多いのだ。

トレンチコートの女には、身動きできなくなるくらいのダメージを、何度も入れている。頭に来たので、一度などは完全に肝臓にダメージを入れた。

確かに手応えがあった。

相手は人間だと、はっきり分かるほどだった。

それなのに、平然と逃げ去ったのだ。

それだけじゃあない。

同時多発的に、一度に二カ所で、同じような事件が起きているケースがある。

「厄介ですね……」

「というわけで、お前達の初陣だ。 北条はあのC村の地獄を生き延びた奴で、更に日本最高のプロファイラーの手ほどきを受けている。 お前は北条を物理的にガードしながら、事件を最前線で調査しろ」

「了解」

「頼りにしているぞ」

叔父様が私達に指示を出してくるときも、こんな感じだったのだろうか。

いずれにしても、私はバックアップに当たる。

金髪王子の動きが気になるし。

そもそも奴らが何を目論んでいるか、しっかり見極めなければならないからだ。

後、既に事件が発生している以上。

絶対に死者は出させない。

不意に、此方に妖艶な長身の女がやってくる。ばいんばいんの大変けしからん体型だが。此奴の実年齢は知らない方が良いだろう。この若々しい姿も、いわゆる長寿の術を身につけているため、である。

如月というこの女は。

風祭に所属する凄腕の術者だ。

所属はしているが、地元はこのG県。近くの神社の神主も兼ねている。

此処の科捜研は、この如月に任せているが。医者をやれるほどの知能も持ち合わせている、ということだ。

「あら、当主。 まだ例の下品なトレンチコート、潰していなかったんですの?」

「単品を潰すのは簡単なんだがな。 彼奴らに前線を任して、私は裏側から徹底的に潰したいんだよ」

「まあ、過激ですね」

「お前程じゃあない」

如月は何というか、その派手で蠱惑的で魔性としか言いようが無いルックスもそうなのだが。

やり口が恐ろしく過激なのだ。

私がやりすぎるなよと釘を刺さなければならないほど、といえば分かるだろうか。

強烈な式神と西洋呪術両方に通じていて。

やれと命じれば、相手の一族が滅ぶまで徹底的に攻撃を仕掛ける。

風祭でも、最前線で戦う術者の一人として長年重宝してきたが。ただし、それは風祭でも怖れられている事も意味していた。

「いずれにしても、しばらくは泳がせる。 死者だけは出さないように、佐倉と私で警戒はするがな。 お前は本庁の守りを頼むぞ」

「了解です。 しかし当主、そろそろ結婚為されては?」

「いきなりだな……」

「このままだと、オールドミスになりますよ。 ほら、例の筋肉ダルマとかどうです?」

頭を掻く。

小暮は背中を任せるには良いが、恋愛対象にはならない。

しかも、だ。

なんとゆうかと兄者の関係がどうにも怪しいらしいと佐倉から連絡が来ている。冗談抜きに、あのゆうかが兄者の嫁になりかねない。その辺り戦々恐々としている状態で、私としてはそれどころじゃない。

「余計なお世話だ」

「ま、そうでしたか」

「いずれにしても、今回の事件は奴らがほぼ確実に関わっている。 それも陽動でな」

こんなに派手に動いて、私が対処しろと促しているようなものだ。

そして奴らは、恐らく原初の巨人をこの地で蘇らせようとしている。それが本命だとすれば。

多少の陽動で戦力を消耗する事何て、何でもないだろう。

「相手は陽動のつもりだろうが、気を抜くなよ。 嫌な予感がする」

さて、どう出るか。

少しずつ、切り崩していくとするか。

 

1、赴任

 

いささか鯱張りすぎているかも知れない。

そう私は思った。

赴任してきた北条は、以前見た写真とは、人相からして違ってしまっていた。まあ無理もない。

C村の異常すぎる壊滅劇に巻き込まれたのだ。

精神崩壊を起こしていてもおかしくないほどの惨劇だったのである。其処から生還しただけでも、立派だろう。

かごめの手ほどきを受けて、一人前に成長した北条は。

びしっと敬礼を決めると。

大きすぎるほどの声で言った。

「北条巡査長です! 以降よろしくお願いいたします!」

「よろしく。 私が部長の風祭純だ」

北条は一瞬だけ眉を動かしたが。

それは私の席を見ての事のようだ。

何だ、私の自慢の猫のキャラクターグッズが気に入らないのだろうか。まあ、それはどうでもいい。

他人に趣味を強要するつもりは無い。

ただ、このグッズの良さが分からないのは可哀想だなとも思うが。

北条は前に見た時に比べ、少し髪も伸ばしている様子である。射撃の訓練も本格的に受け。体術の勉強もしたようだ。

動きが、そこそこに鍛えこまれているのが、一目で分かる。

ひょっとするとかごめは、プロファイルだけではなく、体術や銃撃についても、手ずから仕込んだのかも知れない。

かごめは銃撃に関しては相当な腕前で、普通に警視庁でも上位に食い込んでくる。なお、以前の事件で使ったベアバスターが大のお気に入りになったらしく、最近でも手放していないそうだ。あの大火力が大好きなのだろう。かごめらしいとても分かり易い趣味である。

北条に、来るように促し。

愛染にも同じように。

愛染は無愛想な態度を取っていたが。

これは事前に言い含めてある事だ。

まずは、見極めろ。

北条はいわゆる英才教育をかごめが施したが。それも実戦で使えなければ意味がないのである。

実際問題、C村壊滅事件では、北条はせっかく独自研究していたライアーアートなる話術を使いこなせず。かごめにも、使いこなせるようになりたいと、涙ながらに訴えていたと聞く。

今なら使いこなせるのだろうか。

正直、私にはまだ疑問が残る。

故に試させる。

私は人を見る目にはそれほど自信が無い。というか、一緒に仕事をしていけば分かるのだけれども。

一緒に仕事をするには、北条は地位が離れ過ぎている。

だから、愛染に見極めさせるのだ。

「愛染刹那巡査だ。 よろしくな」

「北条紗希巡査長です。 よろしく」

「ああ、これから頼むぜ」

リーゼントという、化石のような髪型に困惑しているのだろうか。それでも、一応北条は、これから一緒に働く愛染と敬礼をかわす。

愛染は少しスーツを着崩してもいるので。

野性味と言うよりも、何というか昔いた番長的な感じが強い。

今時警察にこういう人間がいるのも驚きだ。

北条が、真面目な顔で聞いてくる。

「あの、時に風祭部長」

「ん、どうした」

「その、机を埋め尽くしているどピンクな猫のグッズは……」

「私の趣味だが」

びしりと音を立てて北条が固まる。

何だ、すばらしさをようやく理解したのか。

ふふんと自慢に胸を張る私に。愛染が、どうしてか死んだ魚のような目をした。

いずれにしても、私は赴任させた警官を、必ず最初は自分で案内する事にしている。これは相手が巡査でも新人でも同じだ。愛染の時もそうした。だから愛染は、後でもの凄く困惑していた。

一階の奧に、強力な霊的防御を施した部屋がある。

常時私の式神のあくまかっこわらいが常駐している部屋で。何かあったらすぐに私に知らせが来るようにしている。

なお、此処の回線は小暮にも知らせていて。

私に連絡をした後。

此処に連絡をして、北条と愛染を動かす仕組みだ。

「此処が新設した部署、特殊お客様窓口。 略して特捜だ」

「特殊、お客様……」

「そうだ。 此処で言うお客様というのは、お茶を出す相手じゃ無いぞ。 要するに、我々で拳を叩き込んだり地面にねじ伏せたりするお客様の事だ。 普通の相手は一課がやるが、此処ではちょっとばかり特殊な相手を扱う」

「意味がよく分かりません」

北条が口を引き結んでいる。

不信感でも覚えたか。

私は終始笑顔なのだが。

「C村の惨劇で、北条巡査長。 君が相手をしていたようなお客様、といえば分かるかな」

「!」

「そういうことだ。 連絡は本部長から来るようになっている。 それまでは、其処にある資料を整理しておくようにな」

顎で指したのは。

昔、編纂室から持ってきた資料。

勿論コピーだ。

本物は、私の管理している部隊が、厳重に保管している。DBサーバも健在で、今も解決した事件のデータを収めている状況だ。此処に持ってきたのは、これから北条達が戦う事になるかも知れない怪異のデータ。

そして愛染も北条も怪異に対抗する力を持ち得ている。

まあ怪異そのものは私がぶっ潰すが。

此奴らには、其処までの路を作って欲しいのである。

リソースには限界がある。

今私のチームは、奴らが全力で注力している原初の巨人に対抗するために全戦力を使い込んでいるし。

私の周辺も、その関連で大わらわだ。

それに、だ。

本庁での編纂室が上手く行っているのと同時に、地方でも同じような部署を育てておきたいのである。

これは、将来を見越しての事だ。

「……分かりました」

「では頼むぞ」

後は、部屋に張り付かせているあくまかっこわらいが、逐一報告してくるだろう。式神としては無能な彼奴だけれど。こういうことをやらせると、案外うまくやる。

自席に戻ると、私は小暮に連絡。

小暮は、丁度部下達の鍛錬を見ているところのようだった。

「オス。 先輩、どうしました」

「いよいよ特捜発足だ。 早速お前から指示を出してやってくれ」

「分かりました。 緊張しますな」

「何、そう難しい事じゃあないさ」

さて、此処からだ。

幾つかの事務作業をこなしながら、まずは小暮が二人に声を掛け。二人が調査に出て行くのを見送る。

北条についての報告書は、既にかごめから来ている。

前は私がBーと判定したが。

今はAーにまで上がっている。

勘が鋭く、頭があまり良くないのを上手に補っているほか。

何よりも、危険を自分に引きつける力があるらしい。

ゆうかと似たような能力、というわけだ。

いずれ出世させて、一チームを任せたい所だけれども。

それはそれだ。

さて、私も動くか。

多分、北条に釣られて、奴らの陽動用怪異が出てくる筈だ。その状況を確認しつつ、先回りして敵の動きを引っかき回す。

陽動などに時間を取らせはしない。

可能な限り早く。

奴らの手札を、枯渇させなければならないからだ。

「少しばかり外出する。 何かあったら私の携帯に連絡するように」

そうそう。

スマホ全盛の今。私もスマホを使っているが。

どうしてか、携帯とどうしても呼んでしまう。なお、編纂室メンバーの中で、スマホに切り替えるのは、私が一番早かった。

 

現場調査を始める北条達。

あの時から更に追加で三件通り魔事件が起きて、合計七件。いずれも死者は出していないが、かなり危ない場面もあった。そろそろ本気で動かないといけないタイミングだ。

ちなみに、北条達には、常時ニセバートリーと天狗を貼り付けている。ニセバートリーは伝令役だ。天狗が護衛役。

致命的な怪異に遭遇した場合、天狗がガードを行い、私が助けに出るまでの時間を稼ぐのである。

なお、白蛇王だが。

今風祭に有望な子が育っていて、其方に譲渡した。

まだ四歳だが、かなりの有望馬だ。私とはちょっと血縁が遠いのだが、才覚は別に遺伝するわけでもない。

最悪の場合、この子を養子に引き取って、風祭の跡目を継がせる事になるだろう。白蛇王は、せっせと教育の真っ最中である。

猿王は、佐倉に譲った。

佐倉が現時点では、風祭の最前線に立つエースだ。オオイヌガミと何体かの式神を渡していたが、エース級の式神が欲しいだろうと思って譲渡した。佐倉は活躍が見込める。渡しておいて損は無い。

で、私自身の護衛だが。

小物を十数体周囲に常時展開しているほか。

護衛部隊六人が、常に定距離を守って周囲を確認している。これは狙撃などを防ぐ措置である。

奴らにして見れば、私は抹殺対象の最上位。

ただし、狙撃にしてもテロにしてもやらせはしない。

式神と特殊部隊で周囲をドーム状に常時警戒し。

何か異常があれば、即時対応。

そして、最悪の場合には、私自身が対応する。狙撃を避ける事も爆風を避ける事も出来ないけれど。

危険さえ察知できれば、どうにか致命傷を防ぐくらいの事は出来る。

対怪異全振りだったから今までは厳しかったが。

この日のために散々鍛えたのだ。

暴漢程度なら、ダース単位で畳める程度に鍛えている。爆風にしても銃撃にしても、地点さえ分かれば逃げるくらいは難しくない。

更に周囲に展開している護衛部隊は、いずれも筋金入りのプロ。

しかも常時連携を続けているので、簡単に崩されはしない。

徹底的な準備の末に。

私は動いているのである。

なお、私自身は、側に大物を今一体だけ置いている。

この間、欧州に行った時。部下が捕まえた式神が使えそうなので、使っているのである。ただ、これがまたややこしい手順を経て捕まえたのだが。

デュラハンという怪異がいる。

これは西欧で言う妖精の一種で、その中では非常に危険な存在だ。コシュタバワーというチャリオット(戦闘用馬車。 ただし、コシュタバワーが首無し馬の場合もある)に乗り、自分の首を抱えて現れる騎士の亡霊。

だがこれは、北欧神話の死神ワルキューレが零落したものとされており。

その伝承を利用して、ワルキューレに戻したのだ。

なお北欧神話は様々な混線の歴史を経たため神々の定義が非常にいい加減で、ワルキューレに関する伝承も一定していない。数についてもそうだし、実質上は有名なブリュンヒルデくらいしかいないと言っても良いほどだ。

今、私の上でふわふわ浮いている鎧姿の童女が、そのワルキューレ。

ちなみに名前はアネット。

腰に剣を帯びているが、童女の割りには相当な剣術の使い手で。今まで従えていたエース級の怪異に劣らない実力を持っている。これはワルキューレの知名度もあってのことだろう。

ちなみにヴァルキリーというのは英語読み。原語の発音ではワルキューレが正しい。

ただ白蛇王ほどの経験はないし。

天狗ほどのパワーもない。

猿王ほど力強く戦えるわけでもない。

強いだけの子供だ。

だから、この式神は育てがいがある。私はそう思った。

青い鎧は神々しくうっすら発光していて、亜麻色の髪の毛は腰まである。口はへの字に常に引き結んでいるが。

無口と言うよりも、口べたなのだと、私は少し接してみて悟ったので。

アネットにはあまり無理に喋らなくても良いと伝えてある。

実際アネットは喋るのが苦手なようで。

そう指示すると、むしろ嬉しそうにはにかんだのだった。普段は無茶苦茶無愛想そうな顔をしているので、誤解を受けやすいが。その辺りは、私がどうにかしてやればいい。

さて、早速だが。

ニセバートリーが飛んでくる。

「襲撃があったわよ」

「いきなりか」

北条が、事件が起きた公園に出向いて。足を斬られた(幸い、切断にまでは至らなかったが)被害者と同じように椅子に腰掛けたところ。今までいなかったそいつが、突然現れたという。

何度も見た例のトレンチコート女で。

早速北条と愛染が応戦。

愛染がドロップキックを叩き込むも。

トレンチコート女は、平然と立ち上がり、逃げていったという。

さて、ではやるとするか。

走る。

加速する。更に加速。

例のトレンチコート女が、人間離れした身体能力を持っている事は、既にわかりきっている事だ。

だから先に動く事で、先回りして押さえる。

ざっと十字路に滑り込むと。

時速七十キロは軽く出しながら、此方に迫ってくるトレンチコート女の姿。愛染の気配を追ってきて正解だった。やはり先回りできた。

「アネット!」

頷くと、アネットが剣を抜きながら、一刀両断。

上下真っ二つに、トレンチコート女を斬る。

目にもとまらぬ早業だが。

これは内部にいる怪異を斬るためだ。

更に、私が印を組み。

周囲を、蹂躙する一喝を放つ。

「喝!」

ドカンと、周囲が揺れる。

アネットの一閃と、私の一喝。どちらが効いたかは分からないが。トレンチコート女が、ぐらりと傾き。

そして倒れた。

うめき声を上げているところからして、やはりベースは人間か。

すぐに無線で指示。

来たのは、道明寺である。

「捕まえましたか。 ようやくですな」

「まずは一匹、だ」

「分かっていますよ。 回収して調査します」

護送車が来て、脱力している女を拘束すると、連れていく。道明寺も、護送車に乗って、一緒に行った。

アネットが剣を振るって血を落とす動作をすると。すんなり綺麗に鞘に収める。

剣の技術に関しては。

今まで見た何処の誰よりも上だ。

また、身の丈よりも遙かに長い剣を平気で振り回している。これもワルキューレが故だろう。

アネットは、不可思議そうに聞いてくる。

「マスター」

「うん?」

「これで一匹とは、どういうことなのでしょう」

「どうもこうも、彼奴何匹もいるんだよ」

口を引き結んだアネット。

まあその反応が自然か。此奴は怪異の割りには性格がまともで、良く言えば非常に大人しい。

戦士としての実力は確かだが。寡黙で良識的な所で言うと、生半可な自称「常識人」とは比較にならないだろう。面白い話だが。

悪く言えば猛々しさに欠けるが、実力から考えて、そんなものは別にいらない。

ともあれ、アネットに順番に説明していく。

まず、複数箇所同時に目撃例、出現例がある。それなのに、現れた奴は同じ。そして何よりも、実体がある。

例えば概念そのものの怪異の場合は、同時多数出現が可能なのだが。

彼奴の場合は、人間としての実体があって。

それでいながら、同時複数の出現が確認されているのだ。

つまり早い話をすると。

いっぱいいるのだ。

まるでゴキブリのように。

何故いっぱいいるのかは、まだ分からない。だが、今回サンプルを捕獲できたのは大きい。

これで調査が進むだろう。

「厄介ですね……」

「時に、斬ったときに手応えは」

「ありました。 恐らく内部にいた怪異は、私の聖剣で真っ二つになって、死んだ筈です」

「聖剣ね」

確かに聖剣だが。

少し前まで、邪悪なデュラハンだった事を考えると複雑な気分である。そもそも死神というのは、相手を殺しに来る存在では無くて、相手に死の運命を告げに来る存在。つまるところ、単純に命数を使い果たした者を、迎えに来るだけ。

悪魔でも悪霊でも無い。

だが、人は死を怖れる。

だから誇り高き神の使いであった筈のワルキューレは。やがて零落し、貶められていく事になった。

アネットはその辺りもあって、正直人間をあまり好いてはいないらしい。

ただ、私が事情を理解している事は知っているからか。

私には忠実だ。

ニセバートリーが戻ってくる。

多少負傷したが、北条はめげずに調査を再開したという。今度は、入院しているカシマレイコの被害者。つまり寝ている間に足を切り裂かれた女性に聞き込みに行くつもりのようだとか。

「ほう、ガッツがあるな」

「無理をすると死ぬのです」

「彼奴はその死を何度も経験しているからな。 そう無茶はしないだろう」

「?」

歩きながら、アネットに北条が味わった地獄について話をしておく。

そして、同時に。

被害者が入院中の病院に、今回もっとも目をつけている人物が来ている事を電話で聞いた。

先に動いていた佐倉からの連絡だ。

「ウス。 純さん、病院に例の奴が来ています。 被害者はどうも例の奴の婚約者だったようでして」

「ほう……」

目を細める。

これは北条達はひょっとして。

最短距離で、事件解決に動いているかも知れない。

或いは、父や叔父様も。こうやって私達の捜査を見ていたのかも知れないと思うと、不思議な気分だった。

そして確信する。

北条紗希は、使える。

 

2、醜悪な泥縄

 

病院で、佐倉と合流。ちなみに病院の屋上で、だ。

病院全域に、今結界を張っているのだが。

今の時点で、怪異の侵入は無い。少なくとも、現時点では、被害者の部屋の周囲には、危険な気配はない。

佐倉はまったく加齢していない。

まあ、私も見かけはあまり変わっていないらしいので、この辺はお互い様か。

「一匹捕まえたそうですね。 それで、どんな様子でしたか」

「どうやら憑依型だな。 怪異が中にいて操作しているタイプとみて間違いないだろう」

「分かりました。 以降はその方向で対処します」

「外を見張れ。 私は屋上から病院内を警戒する」

頷くと、佐倉はすっと消える。

ここ三年で、怪異に対する知識も術も。何よりも、体術も飛躍的に向上している。かなり強くなった佐倉は、頭一つ半以上大きい男が相手でも、比較的余裕を持って倒す事が出来るだろう。

さて、と。

連絡を待つ。

そして、連絡は、比較的早く来た。

捜査一課からだ。

「風祭部長、今どちらに」

「寝ている間に足を切り裂かれたという被害者のいる病院だ。 何か分かったのか」

「はい。 矢澤についてですが、やはり黒、それも真っ黒ですね」

「詳しく」

矢澤栄一。

警察病院からクレームがあって、浮上した男だ。被害者を特別扱いするように強要したり、ヤクザ者を連れてきて病院関係者を恫喝したり。無法の限りを尽くしているという。

金の羽振りも異常に良く。

どうしてか、婚約者である被害者を、ワンルームの病室に入れ。

しかも、ヤクザ者数人を同時に護衛につかせているという。

まあそんなの、正面から眠らせてもいいのだが。

面倒だから調べさせていたのだ。

で、勘は適中。

やはりか、という言葉しか無い。

「詐欺まがいの商売をして、相当あくどく儲けているようですね。 ざっと調べて見ただけでも、詐欺と名がつくようなものはあらかた網羅しています」

「逮捕できるか」

「もう少し証拠固めがいります。 二三日中には」

「リソースを増やせ。 他の部署からも動員して、全力で確保に動け」

通話を切る。

今、婚約者が怪我をしているとは言っても。あまりに過剰すぎる反応。しかも警察関連の病院にヤクザ者まで連れてきて、勝手に護衛をする有様。

何かあると言っているようなものだ。

下手をすると、トレンチコート女の正体を知っているのではあるまいか。

北条達が、病院に入る。

愛染と北条が言い争いをしているのが、遠くから聞こえた。

愛染は、アレは人間じゃないと言い張っていたし。

北条は絶対に人間だと言い張っている。

どっちも違うのだが、まあそれはいい。アネットが、喧しいのは苦手だと顔に書いている。

あの二人にアネットを着けておかなくて正解だったか。

天狗には、最悪の状況になるまでは、絶対に介入するなと告げている。我慢強い天狗なら、大丈夫だろう。

根気よく見守ってくれるはずだ。

アネットの場合は、多分途中で匙を投げる。

まあこれに関しては、どちらかと言えば一人でいる方が落ち着くのだろうし、分かるので何も言わない。

誰かと一緒にいないと寂しくて仕方が無い奴と。

一人でいる方が落ち着いて気分良く過ごせる奴。

この世には、それぞれに極端なタイプがいるのだ。

「!」

結界に侵入者だ。

それも、二体同時。佐倉に連絡。一体は任せる。

私はと言うと。すぐに非常口から飛び込むと、全力で敵を目指す。どうやら、侵入したのは、例のトレンチコート女。それも二人。一人は佐倉が捕捉。現在戦闘を開始している。多分勝てるだろう。

もう一人は、壁を蜘蛛男のように這い上がってきている。

だから私は、ベランダを飛び移って移動。

だが、敵の方が、病室に飛び込むのが早い。

凄まじい殺気。

これは、恐らく私怨だ。それも、痴情のもつれとみて間違いないだろう。

つまりカシマレイコの都市伝説は。

ブラフで流された、とみるべきか。

ベッドで眠っていた女性に、躍りかかるトレンチコート女。

間一髪。

私がドロップキックを側頭部に叩き込み、吹っ飛ばす。ドアを破壊しながら吹っ飛んだトレンチコート女は、すぐ外にて見張りをしていたヤクザ者二人を巻き込みながら、壁に叩き付けられ。

上半身が壁にめり込んで、面白い形の跡を残しながらずり落ちた。

「秘技、風祭空中三回転改、鬼帝!」

「ふえ……?」

かっこいい私の技名を聞いたからか。眠っていた女性は、むくりと起きた。寝ぼけた様子で、何が起きたのか分からないと言う様子で見ていたが。

多分夢だと思ったのだろう。

そのまままたこてんと寝てしまう。

それでいい。この世には知らない方が良い事が色々あるのだ。

また、ヤクザ者二人は、泡を吹いて失神していた。

呆然としているのは、目の前でいきなりドアが吹っ飛んで、内側からトレンチコート女が飛び出してきた上、壁にぶつかって人型のくぼみを作られた矢澤。

小悪党らしい貧相なツラの小男(とはいっても私よりは背が高いが)は。手をはたいている私を見て、ぱくぱくしていた。

ドアの入り口まで出る。ドアは私が秘技を喰らわしたショックで、破損してぷらんぷらんしていた。

「な、何だお前は!」

「それより、とっとと逃げろ。 その女、見覚えがあるんじゃ無いのか」

「!」

ゆらりと、頭からコンクリ片をぱらぱら降らせながら立ち上がるトレンチコート女。その目は、矢澤をはっきり捕らえていた。その目に、殺意と嫉妬、怒りと何より独占欲が満ちている事を、私は確認する。

ひっと、小さな悲鳴を上げる小悪党。

間違いない。知っているな。それさえ確認できれば充分。彼奴は後で押さえるつもりだったが、これで関係者確定だ。

其処に、北条と愛染が到着。

フリーズしていた。

まあそれはそうだろう。事態が理解できないだろうし。私も部屋の外に顔を出して、目があって、苦笑いである。

その一瞬を、逃さず逃げようとするトレンチコート女だが。

即座に襟首を捕まえると頭から床にたたきつけるように投げる。

もろに頸椎が折れるレベルで叩き付けてやったが。

トレンチコート女は、それでも立ち上がって、逃げようとする。

だがアネットが、見苦しいとばかりに一閃。

袈裟にトレンチコート女を、両断していた。

だが、肉体は人間。物理干渉をオミットしているアネットの剣では、怪異しか斬れない。

そして今回は、怪異の本体を斬れなかったのか。

トレンチコート女は一瞬だけ動きを止めただけ。

部屋に飛び込んできた北条と愛染の目の前で、十階から飛び降りて、そのまま姿を消した。

気配からすると、途中の階に掴まった。其処から横に逃げ、雨水管を伝って降りた様子だが。

残念ながら、そっちには佐倉が待ち構えている。

元々弱っている状態だ。

私が首を伸ばして、確認。佐倉が地面に降りてきたトレンチコート女に、完璧なタイミングで踵落としを叩き込み、今度こそ物理的に黙らせる所が見えた。

界面活性剤をぶっかけられたゴキブリのように。

トレンチコート女は流石に力尽き、地面に伸びた。

すぐ側には、もう一匹も転がっている。

流石に佐倉だ。

よくやったと後でケーキくらいは奢ってやらなければならないだろう。

そして、すぐに私はそれを見ると、道明寺に連絡を入れた。

「もう二匹追加だ。 すぐに取りに来てくれ」

「あいあい。 しかしまた大漁ですなあ。 ゴキブリのように湧いてくる」

「まあゴキブリ並みにしぶとかったな」

呆然としている北条と、肘で小突く愛染。

さっそく喧嘩しながらも、打ち解けているようだ。

「言ったろ。 これが人間の動きかよ。 ありゃあどう見てもバケモンだ」

「愛染、黙ってなさい! それよりも! どうして風祭部長が此処に! それに風祭部長も、あのトレンチコートに劣らない動きをしていたようですが!」

「ある線から私もこの事件を追っていた、という事だ。 私は私で動かなければならないからな。 今は色々あって手が足りないんだよ。 後、私の身体能力は、単に鍛えているからだ」

「……」

北条がむっとした様子で此方をにらむ。

私としても、見つかるつもりは無かったのだが。どうも父ほど上手にはやれない。まあこれは仕方が無いか。

「其方は情報を集め次第、此方に連絡してくれ。 アドレスは交換しておこう」

「それよりも、どうして県警の部長が単独捜査なんて」

「北条、今はそれよりも、まだ他の被害者への聞き込みが先だ。 耳を食い千切られた子がいるだろう」

「……分かったわよ!」

すぐにスマホを出す北条。

実は愛染とは交換済みなのだが、それは良い。

北条は、私が可愛く猫のキャラクターでデコったスマホを見ると、顎が外れそうな顔をしたが。

ぷるぷると震えながらも、きちんとアドレス交換をしてくる。

なんでだろう。

まあ良いか。人の感性はそれぞれなのだから。

「こ、ここ、個性的なスマホ、ですね……」

「流行の最先端だ」

「そんな流行があると初めて知りました」

「勉強が足らんな。 警察の事だけでは無く、様々な事象に目を向けなければならんぞ」

ふふんと胸を張る私に。

北条は完全に真顔で沈黙。

そして愛染に引っ張られていった。

さて、と。

いつの間にかいなくなっている矢澤はいい。多分この女性は、また狙われると見て良いだろうが。相手も学習しているはずだ。

この強力な結界と、佐倉というガーディアン。

簡単には手出しできないと。

気絶している矢澤の部下共は、連絡して来させた一課に連れて行かせる。そして、佐倉に、もうこの部屋の護衛は任せる事にする。

佐倉はダメージも受けていない。すぐに部屋に来た。

「ウス。 お任せを。 ただ、二体以上来ると多分手加減できないっすよ。 その場合は、潰してしまって構わない、すね?」

「構わん。 どうせ量産品だ。 後始末の方は道明寺にやらせる」

どういうわけか、奴らはクローン技術を完成させた、と見て良いだろう。

米軍も急ピッチで進めているらしいのだが。

それより先に行っているという訳か。

それにしても、クローンにしても、どうしてこんな面倒くさい事に。陽動だと言う事は分かっているのだが。

クローン技術ともなると、私が直接動かざるを得ない。

それだけのリソースを、此方から割かせたい、というわけだろうか。

佐倉は色々あったから(特にゆうか関連で)、生活力も抜群に向上している。ぶっ壊れたドアを見ると、せかせかと直し始めた。

頷くと、私は病院を出る。

此方での聞き込みは北条と愛染に任せる。

私は、矢澤の方を追う。

 

二時間ほどして。

北条から電話が掛かってきた。私はと言うと、矢澤の事務所の前にて、ハンバーガーをぱくつきながら、式神を中に忍び込ませている所だ。矢澤の部下共は案の定ヤクザ者ばかり。

というかこれは、完全にフロント企業だろう。

フロント企業とは、ヤクザが一般経営を装って部下や関係者にやらせている企業で、主に後ろ暗い業界に多い。

詐欺や何かに関与してくるケースも多いし。昔はいわゆる地上げ屋が大体はこれだった。表向きは零細企業のフリをして、裏ではヤクザの手先として動いていた、というわけだ。実体はヤクザの部下そのものなのだが。

ヤクザにして見れば、用済みになればトカゲの尻尾切りが出来るし。

フロント企業側にしてみれば、儲かる間はヤクザの支援が受けられる。

此処の場合は、恐らく矢澤の親が国会議員と言う事もあって、何処かのヤクザが矢澤に手を貸す意味もあって、部下を派遣していると見て良い。

まあどちらにしても、クズ同士の提携というわけだ。

風祭本家から圧力を掛けても良いのだが、それだと大騒ぎになる。リソースが無駄に食われる事になるし、しばらくは私が単独でやるしかない。

北条は少し躊躇った後。

耳を食いちぎられた気の毒な女子高生について、話し始めた。

「容体を確認しましたが、命に別状はありません。 ただ耳は四針も縫う大けがで、明らかに命を狙ったもののようでした。 幸い接合が上手く行って、耳が欠けた状態にはならないようです」

「ふむ……」

「どうかしましたか」

「いやな、何でもない」

ひょっとして、だが。

カオルさんの噂の方もブラフか。

「もう一人いただろう。 引きずられて、殺されそうになった小学生が」

「はい。 其方も調べていて、妙な点に気付きました」

「ふむ」

「私達が襲われた公園の近くで、妙なものを見ているんです。 二人とも」

これは新情報だ。

続きを促すと、しばらく口をつぐんだ後、北条は言う。

「恐らくはレイプです。 子供の方の証言から、間違いないと思います。 女子高生の方は、口封じをされていると見て良いかと」

「口を割らせられるか」

「その、それは任意同行をという事ですか」

「北条。 お前はプロファイルチームで何を身につけてきた」

黙り込む北条。こういう時のために、かごめの所で修行をしてきたはずだ。それに、矢澤の外道父については、圧力を掛けているのなら黙らせるだけだ。

私の「部下」達は、今リソースを原初の巨人探索で全振りしているから動かせない。わずかに道明寺本人やその部下は動かせるが、それ以上の介入は厳しいだろう。

私単独でこの事務所の制圧は難しい。

捜査一課は、まだ少し情報集めに時間が掛かる。

だが、もしも証言があるのなら。

「分かりました、やってみます」

「ライアーアートとやらの力、見せてもらおう。 私は私で、調査を進める」

「はい」

通話を切る。

戻ってきた式神達から、暗証番号などを全て聞き出す。メモを軽く取った後、県警捜査一課に連絡。

電話に出た纐纈に確認する。

「現在動員できるメンバーはどれくらいだ」

「捜査一課全員で、二十五名ほどです」

「出動の準備を整えろ。 矢澤栄一のフロント企業を押さえる。 矢澤栄一自身も、レイプ容疑で逮捕する。 私が声を掛け次第出動しろ」

「! 分かりました、直ちに」

さて、此処からはスピード勝負だ。

電話が来る。

古橋からだ。

「いやー、見つけたッスよ風祭さん! 決定的な証拠!」

「何だ」

「串を四本も途中に刺してて探すの手間取りましたけど、この辺りの都市伝説、噂を流しているのあるネットカフェからっすね。 掲示板の書き込みとか、SNSとか調べると、全部発信元が一致してたっスよ。 しかも、それも今風祭さんがいるG県にあるネットカフェ。 其処の監視カメラちょっと覗いてみたんすけど、どーみても筋者か、それに雇われた連中が、書き込んでいる時間に映ってるッス。 まあああいうアホがこんな知恵働くわけないし、中華か何処かのツール使ってるんだと思うスよ。 痕跡が残ってるから、すぐに分かると思うス」

「そうかそうか、やはりそうか」

其処までやってくれたのは嬉しいが、色々犯罪なのはもう乾いた笑いが漏れる。だが、このくらいしないと、この手の犯罪者は捕まえられない。

捜査二課に連絡。

指定の店を押さえさせる。証拠の画像と、履歴を押さえるためだ。

此方は即座に動かす。

私はこれでも、現時点で県警のトップだ。

続けて、連絡。

科捜研から。

道明寺が連行したトレンチコート女の正体が判明したようだ。

如月は、妙に艶っぽい声で、電話の向こうから言う。

「当主、DNAが一致しましたよ。 雨宮冬子。 五年前に婦女暴行事件を受けて、精神病院に今入っている人物です」

「DNA一致は、三人ともか」

「三人ともですねえ。 うふふ。 三つ子だとは聞いていませんですけれど。 それに病院から出たという話もありません。 四つ子かしらね」

「……さてと、此処からだな」

話によると、この事件。犯人不明で結局お流れになっているようだが。恐らく犯人は、あの矢澤に間違いない。

あの視線。

そして婚約者の存在。

考えられるのは、それ以外にあり得ない。

事務所に、人が集まり始めた。式神の話によると、矢澤が泡を食って何か指示をしているようだ。

好都合である。

全部まとめて一網打尽だ。

北条から電話。

耳を食いちぎられかけた女子高校生から、聞き出したという。

「吐きました。 矢澤の父から、大金を受け取って、口封じさせられていました。 しかも矢澤の父は、被害者の家族を恐喝もしていたようです」

「矢澤の父は国会議員だ。 そうなると、かなり大きな話になるな」

「はい。 前県警部長ともつながりがあったのでは?」

「……島流しにして正解だったな。 いや、もう島流しでは済まさずに、しっかり罪を償わせるか」

こういう腐ったキャリアが。

まともに働いている警官達の足を引っ張る。

ただ、全部やるにはリソースが足りない。私も分身の術は流石に身につけてはいないのだ。

私は、雨宮の名前と、入院している病院を北条に告げる。矢澤の方は私と捜査一課で押さえるとして。

雨宮の方は、北条と愛染に任せるべきだろう。

何かあったら、ニセバートリーが連絡を入れてくる。怪異が出ても、天狗が守っている。私に隙は無い。

捜査二課から連絡。

やはり、ブラフとして、情報を流していた事がはっきりした。ログもツールもしっかり残っていたという。

多分ツールを提供していたのは、後ろから糸を引いていた奴らだが。どうせ時間稼ぎ程度にしか考えていなかったのだろう。使い捨ての駒なんて、どうなろうと知った事では無いというわけだ。ひょっとして、敢えて後始末をしなかったのかも知れない。

更に言えば、これについては、古橋が捜査二課がやりやすいように、少し手を入れていたのだが、其処まで口にする必要はない。

これで充分だ。

捜査一課が到着。

パトカーが八台、路駐して。わらわらと捜査一課の刑事達が出てきた。

勿論矢澤も気付いたはずだ。

「四人、裏口を押さえろ! あっちだ。 残りは私に続け!」

「ちょ、部長っ!?」

「突入!」

コートを翻して、私がビルに突入する。受付に令状を叩き付けると、中に踊り込んだ。どっちみち、矢澤を逮捕する証拠は他にも山ほどある。まあ、開き直ったら、吐かせるだけだ。

方法はいくらでもあるのだから。

電子ロックを解除。

部屋に乗り込むと、いかにもな筋者どもが慌てて騒ぎ出すけれど。警察が突入してきたと知って、黙り込む。

矢澤は、私の顔を見ると、悲鳴を上げた。

「さ、さっきの化け物!」

「県警の風祭警視だ! 矢澤栄一! 雨宮冬子の強姦および、詐欺、恐喝、未成年略取、不法取引の容疑で逮捕する!」

雨宮の名前を出すと、矢澤は跳び上がった。

父に電話をさせろと叫ぶが、捜査一課の刑事達が両手を取って連れていく。国会議員など、風祭の名を出せばその瞬間に黙る。介入する余力が此方にあるかないかなんて、並の国会議員程度のコネでは分かるはずもない。そして介入する余力がないと分かる頃には、事件は終わっている。短時間黙らせるだけなら、それで充分。

悲鳴を上げている矢澤の耳元で囁く。

「馬鹿かお前。 感謝しろ。 このまま雨宮に殺されたいのか?」

真っ青になる矢澤。

雨宮の凄まじい身体能力は矢澤も見たのだろう。実際あんな攻撃を食らって平然と立ち上がってきたのだ。

いや、それだけとは思えない。

雨宮が、矢澤に復讐するつもりで動いているのだとすれば。

狙っているのは、事件を目撃しながら証言しなかった者達や。

それに矢澤自身。

実際、既に狙われた事がある筈だ。

小便を漏らしそうな顔で、矢澤が震え始める。

「ほ、ほほほ、保護してくれるのか! あの化け物から!」

「全部吐くならな」

こくこく頷く矢澤。

これは、余程の目にあったらしい。ふふんと鼻を鳴らすと、私は連れて行けと、それっぽくコートを翻しながら指示。

コートの裏側に、大好きな猫のキャラクターのバッチを幾つか着けていて。それを見た警官が数秒フリーズしたが。

しっかり彼らは、矢澤を連れて行った。

 

3、暗雲

 

部屋に結界を張り、更に如月を外で見張りに着ける。此奴は今風祭のエースになっている佐倉ほどでは無いが、相当の実力者だ。私が交戦した雨宮の分身程度なら、単独で退けられるだろう。

逆に、普通の警官を見張りに着けると危ないが。

まあそれは形だけ見張りをさせる。

「あ、彼奴とは、遊びだったんだ」

矢澤が吐き始めた。

どうして此奴の口が軽いのかは想像がつく。多分、矢澤の父がつけてくれたヤクザ者が、文字通りゴミのようにあの雨宮に蹴散らされたからだろう。

死者が出ているとは聞いていないが。

調べて見ると、少し前に十人以上のヤクザ者が、原因不明の裂傷やらで入院している。彼らは「転んだ」等と言っているようだが、多分雨宮に蹂躙されたのだ。銃火器やポン刀で応戦しただろうに。

まああの身体能力だ。

素人が手に負える相手では無い。

私だって、動けなくするつもりで攻撃を叩き込んだのに。まだあれだけ動いた。まあ怪異が露出していれば。つまり入っている怪異の正体が分かっていれば、即座にぶっつぶせたのだが。

こればかりは、怪異憑依型超人の強みとも言える。

「で、別れようと公園で言ったら、口論になって、ついかっとなって殴っちまったんだよ、それだけだ! そうしたら、彼奴、レイプされたとか、訴え出て」

「それで、前の県警部長に、父から口止めさせたと」

「……っ」

「お前の父に風祭と聞いてみろ。 速攻でお前を捨てるぞ」

矢澤にスマホを返してやる。

震える手で矢澤は父に電話を始めたが。風祭と聞いただけで。国会議員をしている此奴の父は、黙り込んだようだった。

スマホを奪い取ると。

私は、出来るだけ「優しい声」で、「丁寧」に、馬鹿でも分かるように言ってやる。

「国会議員の矢澤だな。 面白い事を私の膝元でしてくれているじゃないか。 風祭に喧嘩を売るつもりなら、何時でも買うぞ?」

「ひいっ! 以降一切介入しません! 風祭に逆らうなんて滅相もない!」

「そうかそうか。 じゃあ息子は徹底的に調べるが、いいな」

「どうぞご自由に! 私は何も知りません! 息子が全部勝手にやった事です!」

電話がぶつんと切られる。何というか、よく似た親子だ。クズぶりがそっくりである。勿論、今のは悪事を自白したも同然。故にいずれ潰す。

ちなみにスピーカーモードだから、息子の矢澤栄一も聞いている。

此奴もあくどい業界で生きてきた人間だ。

もはや、私を相手にしたのが、水中で血を流しながら、至近距離で体長八メートルを超えるホオジロザメに遭遇したも同然と悟っただろう。私は満面の笑顔で、矢澤栄一に向き直る。

笑顔は、古くは敵に向けるものだったのだ。

目が笑っていない笑顔が怖いのは、それが故である。

「続きを聞こうか」

「……はい。 なんでも話します」

「それで、それからどうした」

「彼奴、ストーカーになったんです」

ほうと、笑顔のまま聞くと。

矢澤栄一は、本当ですと言った。

何でも精神病院に通うようになってから、完全に言動がおかしくなり。様々な電話や、手紙を送りつけてくるようになったと言う。

「そ、それで、少し脅してやったんです。 そうしたら、しばらくは大人しくなったんですが……」

ある日、復讐してやると、手紙が来て。

怪奇事件が始まったという。

当てつけのように。あの日の裁判で、もみ消された事実を浮かび上がらせるように、事件が続いたというのだ。

其処に、金髪の王子が現れた。

なるほど、この辺りで介入を始めていたのか。奴自身が出てきていると言う事は、陽動にも力を抜かない、と言うわけだ。

「そ、それで、ブラフの情報を部下に流させました。 そうしたら、どうしてかどんどん状態がひどくなっていって、ブラフの拡散も止まらないし、あげく婚約者も……!」

「自業自得だな」

「そ、そんな! 守ってくださいよ!」

「今までお前がやってきた犯罪を全て自白しろ。 そうすれば考えてやる」

纐纈が部屋に入ってくる。

そして、私が顎でしゃくると。一つずつ、捜査一課が掴んでいる情報に関して、質問を始めた。

側には、非常に若々しく美しいキャリアの新見という警部補もいる。此奴はキャリアなのだが、ノンキャリアの纐纈を非常に尊敬していて、滑稽なくらい付き従っている。元々女装したらすごい美人になりそうな面なこともあって、纐纈を嫌っている人間は、小姓とか呼んでいるらしいが。

まあそれも別に良い。新見の実力は私がしっかり確認している。此奴は記憶力が良く、補佐役としては抜群の適性の持ち主だ。

纐纈の質問と矢澤の返答を、新見が的確にメモし始める。

途中で、纐纈に言い含める。後は、北条達の様子を見に行きたいからだ。

「私がいなくなって、証言を渋り始めたら、外に放り出すと言え。 それだけで口が軽くなる」

「分かりました」

「私は雨宮が入院しているという精神病院を確認してくる」

「お気をつけください。 話を聞く限り、もう雨宮がまともな精神状態とはとても思えませんので」

頷くと、私はコートを翻して、部屋を出る。

纐纈は、私が部屋を出ると。

一気に矢澤を締め上げ始めたようだった。

矢澤の泣き声混じりの声を背中に、私は如月に顎をしゃくり。如月はうふふと妖艶に微笑んだ。

さて、王手を掛けるか。

 

自分の車を使って、精神病院へ急ぐ。

これで王手の筈だが、どうも嫌な予感がする。

ニセバートリーが連絡を入れてきていないから、まだ血を見ていないとは思うのだけれども。

そう思った矢先である。

ニセバートリーが、ひょいと車の天井から、顔を突き込んできた。逆さまに、である。

「大変よ!」

「やはりか。 何が起きた」

「病院、潰れてるわ」

「……!?」

何だと。

話によると、北条と愛染が到着した病院は、既にもぬけの殻。完全に怪奇スポット状態だという。

タチの悪い悪霊も、かなりうろついているようだ。

一旦路肩に駐車して、連絡を入れる。相手は如月である。雨宮が入院している病院について話を聞くが。

電話の向こうで、如月は小首をかしげた様子だ。

「おかしいですね。 営業中とありますが」

「潰れてるわよどう見ても!」

「仕方が無い。 もう荒事覚悟で行くしか無いか。 何か偽装されている可能性が高そうだな」

ニセバートリーに、戻るよう指示。

私はすぐにアクセルを踏み込む。

G県は、織田信長が改名し。天下統一の足がかりにした場所だ。

経済力は強いが、兵士が弱かった尾張と違って。

この土地は経済力は兎も角、非常に兵士が強かった。

織田信長はこの土地の攻略に七年以上も掛かり。

特にかのマムシの渾名で知られる斎藤道三の跡を継いだ当主斎藤義龍が生きている間は、まるで手も足も出なかったのである。信長の失敗を一切記載しない事で有名な信長公記では、明らかに幾つかの敗戦を意図して無視している程である。

兵士が強いと言う事は。

それだけ土地柄が厳しいという事。

この辺りも、山深く、起伏激しく。

道路はうねる。

故に、交通事故には、常に気を付けなければならなかった。

不意に、悪霊がフロント硝子に飛びついてくる。

カーナビを狂わせようとしてくるが。

一喝して、浄化。

消し飛ばした。

これは北条達も同じような目にあったかも知れない。今の悪霊。多分、この路を通ろうとした相手に、悪戯するように仕組まれていたはずだ。

一旦路肩駐車し。

調べて貰った電話番号に掛けてみた。

そうすると、看護師を名乗る人間が出る。

「現在この病院は、閉鎖を検討しておりまして。 入院中の患者様の家族以外は、受け付けておりません。 現在治療中の患者様も、順次別の病院に移っていただいている状態でして」

「ほう。 雨宮冬子という患者について聞きたいんだが」

「存じ上げません」

がちゃんと電話が切られる。

これはますますまずいな。

既に病院が廃墟化しているというのも頷ける。今の電話、恐らく自動転送されて。しかも奴らに雇われている人間に、適当に応じるようにされていたはずだ。

再び、車を出す。

そうすると、北条達の車が、停まっているのが見えた。

中には誰も乗っていない。

停まっている理由は明か。

フェンスが、路を塞いでいるのだ。

とはいっても、この先には、雨宮が入院している病院しかない。フェンスの一部はこじ開けられていた。

恐らくは、愛染がやったのだろう。

スマホを取り出して、舌打ち。

既に電波が立っていない。

「アネット」

「何用でしょうか」

「すぐに周囲の悪霊共を掃討開始。 片っ端から浄化しろ」

「分かりました」

私も息を吸い込むと。

一喝。

霧に曇り始めている山道に、私の喝が炸裂した。

ドカンと、山が揺れる。

たくさんの鳥たちが、びっくりして霧に沈んだ山の中を、飛び立っていくのが見えた。まあ自然の中でやればこうなるか。

これで相当数の悪霊が消し飛んだはず。

更に、目立った大きめのを、アネットが蹴散らし始める。

そしてスマホを見ると。

電波が立っていた。

電子機器と怪異は相性が良い。悪霊が多いと、こういう現象も起きやすくなる。

すぐに北条に連絡を入れる。

数度コール音がした後、北条が出た。

「はい、北条です」

「今どこにいる」

「愛染巡査とともに、精神病院に来ています。 内部は廃墟としか思えない状況で、どうにもおかしいのですが」

「今から私も行くから待っていろ。 出来れば外に出ろ」

小走りで、病院に急ぐ。

途中で、いきなり悪霊が前から走ってきたので、顔面に拳を叩き込んで吹っ飛ばす。浄化してやったのだ。

消えていく悪霊の残骸を踏みしめながら、私は呟く。

これは想像以上にまずい。

この辺りは古戦場でもないし、悪霊が集まる理由がないのだ。これらは恐らく、迷い込んだ人間の精神を乗っ取り。

元の路に追い返す役割を果たしているはず。

北条と愛染がどうして敷地に入れたかはよく分からない。

妨害を受けながらも、どうにか入ったのか、それとも。

いずれにしても悪霊共は完全に活性化している。この辺りは、陽動でも手を抜かない敵の本気度が見て取れる。

私相手に、少しでも時間を稼ぎたいのだろう。実際問題、時間が掛かっている。編纂室メンバーだったら兎も角、この状況では疾風迅雷とは行かない。色々と難しいものである。

病院の至近に出る。

これはこれは。

完全に廃墟だ。内部にはユーレイよりも、ホームレスが住み着いていそうである。ただ此処は流石に山奥。

この辺りには熊も出るし、危険を冒す事はあまりないか。

受付に入ると、ぼんやりと人影が浮かび上がってくる。

血みどろの女の悪霊だ。

一喝して消し飛ばす。

入り口からご機嫌な歓迎である。私からしてみれば、此処に何かありまーすと言ってくれているようなもので、逆に有り難いが。

足音。

受付近くの階段から降りてきたのは、北条と愛染だ。上を調べてきたらしい。

「風祭部長」

「無事だったか。 此処はまともじゃない。 一度病院の外に出るぞ。 体勢を立て直そう」

「しかし、見つけたものがあります。 一気に攻めたいのですが」

「?」

愛染が、肩をすくめてみせる。

なんと、北条が。

雨宮がいたらしい病室を見つけたらしいのだ。

これは驚いた。

悪霊がこれだけ闊歩している中で。良くもそんなものを見つけられたものだ。ひょっとして、だが。

北条は、悪霊に対して、強力な耐性を身につけているのか。

歩きながら、確認する。

まだまだ悪霊はいるが、見ていて確信できた。

確かに悪霊が手を出そうとして、北条に弾かれている。

なるほど、理由は少しずつ分かってきた。

例のC村の事件だ。

あれで散々地獄を見た北条は。

悪霊に対して、抗体のようなものを身につけたのだろう。愛染は見えているはずだが、無言である。

恐らく北条が悪霊を引き寄せ。

そして片っ端から追い散らしているのを、不思議な光景だと思っているのだろう。

まあそれはいい。

「此方です」

「……」

私は踏み込むと、目を細めた。

アネットが露骨に眉をひそめる。そして、嫌がって、部屋の外に出て行った。

昔と違って、牢屋に患者を閉じ込めるような精神病院はない。

ただし、患者を隔離する病室はある。

これはまさにその隔離病室。

そして内部には。

クレヨンで、凄まじい書き込みがなされていた。

壁にも床にも。一部では天井にさえも。

恨みと憎悪と嫉妬が、一面に書き連ねられていた。

どう見てもまともじゃない。

しかもクレヨンは悉くが赤。

朽ちかけている病院の状態もあって。

これは、どう考えても、病院側としても匙を投げていたとしか思えない。この状態では、精神の復旧は無理だろう。やるにしても、余程の専門家が、長期間を掛けていくしかないはずだ。

「雨宮は、矢澤のストーカーをしていた」

「!? 本当ですか」

「そうだ。 矢澤は捕まえて、そのフロント企業は潰した。 雨宮の事件については、どう思う」

「怨恨の線では、愛染と考えが一致していました。 しかしこの様子では、どう見ても……」

そうだ、精神はもはやまともじゃない。

あのトレンチコート女は、多数に増やされていた。

恐らく、クローンの実験だったのだろうが。

精神の汚染まで引き継いでしまっているのは、どうしてなのだろう。ひょっとして、意図的なものなのか。

「ちょっと耳を塞いでいろ」

「はあ」

「良いから」

愛染が察して、病室から北条を連れ出す。

それを見届けると、私は印を切る。そして、最大出力で、一喝を病院そのものに叩き込んだ。

ドカンと、廃病院が揺れる。

しばらく地鳴りのような音が響いていたが。私は悟っていた。

地面に強固な結界が張られている。

なるほど、この地下にまだ何かあると見て良い。

というよりも、前にも高嶋紅のブティックにもあったが。

地下を改造して、何かしらの措置を施している、と見て良いだろう。地下で、雨宮クローンに何か怪異を憑依させているのだ。

「何ですか、今の凄い音」

「お前達は、これからあまりにも非現実的な光景を見る事になるだろう」

「はあ……」

「覚悟が出来たらついてこい」

どのみち、此奴らには、怪異事件をこれから担当させるのだ。北条はどうやら怪異を引きつける上に、寄せ付けない体質を獲得しているらしい。あの過酷な経験が、肉体を変異させたのだろう。

ただ、肉体を操作されているような、雨宮クローンのような相手には、相性が悪いはずだ。

地下室への入り口を発見。

何度かドアを蹴りつけてみたが。

がつんとはじき返される。

ドアが頑丈なのでは無い。

強力な結界が展開されているのだ。

アネットに顎をしゃくる。

一閃。

結界に、鋭い切れ味を入れた。

流石はワルキューレ。大した剣の冴えだ。負けじと、天狗も破邪の風を起こして、結界に切れ目を入れる。何度か、そうやって剣を入れて風で嬲っている内に、結界がほころび始める。

そして頃合いを見て、私は愛染に指示。

「蹴破るぞ。 あわせろ」

「応っ!」

無言のまま、私と愛染が気合いを入れてドアを蹴破る。吹っ飛んだドアは、階段の下に転がっていった。

前にかごめと同じようにドアをぶち抜いたか。

あの時は中々に面白かった。かごめとはまた組んで戦いたいが、彼奴は彼奴で大きなチームを率いているし、何より別方面で奴らとやりあっている。共同作戦は結構難しいのである。

しかも、私は兎も角、かごめはむしろ後方からの指揮でその実力を発揮できるタイプだ。最前線で二人揃って戦うのは、もう無いかも知れない。

さて、此処からだ。

今の階段での大きな音は、敵にも丸聞こえの筈。

敵も全力で迎撃してくるだろう。

「愛染、お前武術の鍛錬は怠けてないだろうな」

「勿論」

「北条、お前は」

「たしなみ程度には」

鼻を鳴らす私。

かごめが鍛えたのだ。その辺の暴漢に負けるような鍛え方はしていないはず。何より北条は、例のC村の事件で、自分が無力である事の意味を知ったはずだ。それなりに使えるようになっていると信じたい所だが。

時に北条には、見えているのだろうか。

アネットが、北条の顔を近くから覗き込んでいる。への字口で。じっと見ているが、北条は気付いていない様子だ。

怪異は見えているはずなのだが。

ちょっと特殊な見え方をしているのかも知れない。まあ、それはその内、おいおい調べていけば良い。

ちなみに愛染には見えているようで、呆れた様子で、北条をからかっているアネットを見ていた。

階段を下りていくと。

其処は広い空間になっていた。

相当時間を掛けて改造したのだろう。左右に建ち並んでいるのは、ガラスシリンダー。培養液が入れられていて。その半数には、雨宮が浮かんでいた。

一番奥。

硝子ケースとしか言いようが無い巨大な部屋。

中に入っているのは、リネンを着せられた雨宮だ。手に持っているのは、クレヨンだろうか。

一心不乱に何か床に書いている。

きっとあの狂気の部屋と同じ。

矢澤への恨みと愛情を混ぜ込んだ言霊だろう。

周囲を見回す。

まだ怪異の正体がよく分からない。

天狗が耳打ちしてくる。

「日本の怪異ではありませんな。 西洋の怪異の気配です」

「何か特定出来そうか」

「分かりません。 そこの戦乙女に聞いてみては」

「私は生憎無学なもので」

申し訳なさそうに、アネットがぺこりと一礼。

幸い、雨宮は此方に気付いていない。愛染を手招きして、周囲を探れと指示。何か手がかりを探す。

正体さえ分かれば。私が全部一撃で潰す。

北条には、雨宮に話をさせる。ライアーアートとやらの力、見せてもらうとしよう。此処で何をしていたのか、聞き出させるのだ。

北条は頷く。

そして、硝子ケースに入れられている雨宮に近づいていく。

雨宮が、顔を上げた。案の定、その目は。ドブ沼よりも、濁りきっていた。

 

4、錯乱乱舞

 

雨宮が、声を喉から絞り出す。多分しばらく喋ってもいなかったのだろう。声は枯れ果てていた。

硝子ケースの隅の方にはトイレが。

そして近くには、食べ残しを捨てるらしいケースがあった。多分時間をおいて、管理している奴がいるのだろう。間違いなく奴らの関係者だ。

「だれえ……?」

「警察よ。 このような所で、何をしているの」

「うふふ、あの人を待っているの」

「矢澤栄一の事ね」

北条は、いきなりずばり本丸に踏み込んでいく。話術の手としては、この手法もありなのだが。かなりきわどいやり方だ。

愛染が手招きして来た。

私は話を聞きながら、愛染のいる方に。

魔法陣のようなものが床に。スマホで撮影するが、見覚えがないものだ。ラテン語では無い。フランス語でもドイツ語でも、勿論英語でもない。見た事が無い言語だ。

兄者に早速メールを送る。

急いで電話をして聞くが。兄者も、メールを見て、唸った。

「これは恐らく、既に使われていないタイプの文字だ。 非常に原始的な特徴が出ている」

「まずいな……」

原始的な怪異には、そもそも伝わってさえいないものも珍しくないのだ。

名前さえも分からないようでは、対処も出来ない。

また、愛染が見つけてくる。

違和感。

まったく違う文字が使われている。

てか、これは文字か。

「他にもあるか?」

「探してみます」

彼方此方の床に。

三つ目、四つ目の魔法陣が見つかる。しかもそれらの全てで、違う文字が使われているではないか。

魔法陣そのものは、よくある六芒星のものだ。

どうにもおかしい。

これはひょっとすると、ブラフでは無いのか。

敢えて床に目立つようにして書かれている。一応全て撮影しておくが、どうも妙だ。

危険を覚悟の上で。

雨宮の分身が入っているガラスシリンダを確認。

床に近い部分。

ガラスが載せられている土台部分を、触って確認してみる。

大当たりだ。

本命は此方だ。

紙を当てて、上からチョークで擦ってみる。そうすると、私でも知っている文字が、浮かび上がってきた。

英語だ。

そうなると妖精だろう。

それも、この英語。

ごく普通に使われている、いわゆるイングリッシュだ。

そもイングリッシュは、土着の言語に、フランスの王宮言語が加わって作り出された、最近の、それも不安定な言語だ。

様々な意味で未完成なのは、それが理由で。

言語としての歴史は浅い。

すぐに全体を写し取ってみる。愛染にも、同じようにして、写し取りをやらせる。持ち寄ってみると、大当たりだ。

ぴったり一致している。

それもこれは、いわゆる水の怪であるケルピを呼び出すものだ。

「ケルピですか?」

「簡単に言うと、馬の形をした河童のような怪異だ」

「へえ……」

愛染も、西洋系の怪異には知識が足りないのだろう。都市伝説については、相応に知識があるのだろうが。

その辺にある魔法陣は気になるが、ブラフの可能性が高いし。

そうでないにしても、恐らくこの雨宮どもには関係がない。

軽くケルピの説明をしておく。

ケルピは水辺に現れる馬の姿をした怪異で、英国ではいわゆる妖精に分類される。ただし妖精というのは可愛いと言うイメージで接触すると痛い目にあう。

此奴は魅力的な馬の姿で水辺に出現し。

人間を水に引きずり込むと、食ってしまうのだ。

使いこなせば良質の戦馬になるという伝承もあるが。

それもハイリスクで。

乗りこなせなかったり逃げられたりすると、祟られて、家が滅ぶ事もあると言う。そういう恐ろしい怪異なのである。

恐らくは、だ。

雨宮クローンには、このケルピが水状になって入れられている。

凄まじい身体能力と、凶暴性。

これはケルピの性質を受け継いだものだ。

名前からしても、親和性が高かったのだろう。

怪異というのは、得てしてそういうものだ。

「どうします」

「正体が分かったからには、後は一網打尽だ。 北条に情報を引き出させて、その後は全部まとめて片付ける」

潜んだまま様子を見る。

北条は、ライアーアートなのか。

それともただの話術なのか。

雨宮本人らしいのと、話を続けていた。

「そう、そんなに矢澤栄一は優しいのね」

「そうなのよ。 それなのに、あの女に寝取られて以降、私に見向きもしなくなったの」

時系列がおかしい。

矢澤が雨宮を捨て。

というか面白半分に遊び捨てたのは、あの婚約者を手に入れるずっと前だ。というか、あの婚約者は、確か矢澤父の部下の娘。

政略結婚である。

後で佐倉に話を聞いたが。

こんな怪我はするし。

病院にヤクザ者は押しかけてくるしで、さんざんだという。

元々矢澤にはあまり愛情も無く。

親に結婚しろと言われて渋々、という状況だったらしい。早い話が、矢澤だけしか得をしていなかった状況だ。

これではなんというか。

あの女性が殺されていでもしたら、本当に報われない話だった。

私が間に合って良かった。

佐倉も呆れていた。

「ひどい話ッスね……」

そう佐倉は言ったが。その短い言葉に、佐倉自身が味わってきた地獄の片鱗が感じ取れるし。

私もあまりそれについてはコメントするつもりがない。

北条はなお、話を続ける。

「ひどい話ね。 貴方はとても可哀想」

「嬉しいわ、分かってくれるのね。 でも、周囲の誰も分かってくれないの。 そればかりか、みんなひどいのよ。 あの女が私から矢澤さんを寝取ったのに、誰も彼もが見てみぬふりをするの」

「それでおしおきをしたのね」

そうなのよ。

満面の笑みを浮かべる雨宮だが。

なるほど、思考が分身とリンクしている、というわけだ。

ただし恐らく、雨宮から分身への一方通行だ。

ケルピはそもそも、単なる馬。

人食いという獰猛な性質はあるけれど。

水に住む怪異、程度の性質でしかない。

それほど難しい命令は、こなす事も出来ないだろう。

だが、思念を受け取って。

そのまま体を動かす事はできる筈だ。

面白い事を考えたものだ。

まず雨宮という司令塔がいて。

クローンに憑依させたケルピに思念を送る。

それは多分殺意。

殺意を送られたケルピは、人間の記憶を利用して、相手を殺しに行く。食欲は、殺意に転化される。

こうして、殺戮マシーンのできあがりだ。

なるほど、私が対処しなければならない事件だ。陽動としてはぴったりだろう。金髪の王子が使い捨ての駒として使ってくるわけだ。私自身の動きを止めるには充分な格の駒であり。

これは放置出来ない。

「貴方とは、気があいそうだわ」

「そうね。 とても気があいそう」

「でも、矢澤さんを取ったら殺すわよ」

「貴方が襲わせた人達のように?」

そうそう、分かっているじゃない。

雨宮は、完全に狂っている笑顔で言う。もう笑顔の形を為していない。目は虚ろで節穴のよう。

口は歪んで、凄まじい形相だ。

愛染が口を押さえる。

化け物と、言おうとしたのだろう。

愛憎がこじれると。人間はこういう状態になる。特に一途な思いをこじらせてしまうと、こうなるケースが多い。

元の雨宮は、それほどおかしな女性では無かったはずだ。

来る前に少し来歴を調べたが、高校まではごく普通の学生で。それほど学校でも問題を起こしていない。

つまり、世間的に言う、「平均的な」人間だったのだ。

だが、それが狂気に足首を掴まれ。

そして泥沼に引っ張り込まれた。

矢澤という男に魅力があったとは思えない。何かしらの仕掛けが施されていた可能性は高そうだ。

或いは、素質を見込んで。

奴らが何か仕込みをした可能性はある。

そうなると、雨宮はむしろ被害者か。

だが、それでも、だ。

多くの人間に対する殺人未遂(矢澤とヤクザ者どもはどーでもいいのでカウント外)は見過ごす事が出来ない。

完全に怪物と化した雨宮は。

此処で押さえなければならない。

不意に、動きがある。

ガラスシリンダが動き出す。

雨宮がゆらりと立ち上がる。

口元からは、よだれが流れっぱなしになっているのが分かった。

「あの人を探しに行かなきゃ」

「待って、雨宮さん」

「だめよ。 あの人は、私だけのものなのだから」

ガラスシリンダの中の液体が、水位を下げていく。

まだ十六体のクローンがいる。

それもケルピが入り済みで。

調整は終わっているとみるべきだろう。

非常にまずい。

これを解き放たれでもしたら。

それこそ、警察署と警察病院に、どれだけの被害が出るか分からない。

仕方が無い。

ケルピが入っているという事。それに、司令塔は雨宮だという事。この二つが分かれば、充分だ。

「愛染、北条、雨宮を気絶させろ! コッチは私に任せろ!」

「合点!」

愛染が飛び出すと。

雨宮が隔離されている硝子ケースにタックルを浴びせる。罅一つ入らないが、躊躇無く愛染は拳銃を抜くと、連射。流石に防弾硝子ではなかったのだろう。数発の弾が、ガラスに蜘蛛の巣状の亀裂を入れる。

私は印を切りながら、雨宮分身体が動き出す前に、水に対する制圧の呪術をくみ上げていく。土の呪術だ。

五行相克。

土克水。

ケルピは西洋の怪異だが、此処にいる以上、日本の法則に縛られる。そして此処では、陰陽五行の法則が、怪異に対しては決定打になる。

五行説では、土が水に対して圧倒的な優位に立つ。

アネットの剣が効かなかったケースがあったのは、恐らく斬る面積が足らなかったから。人間の体は殆どが水で構成されている事を考えると。二三回は真っ二つにする必要があったのだろう。

だから、五行説の力を借りて、力を付与する。アネットの剣に、土の気を纏わせる。私が潰しても良いが、せっかくだからアネットの剣の切れ味を試す。いずれにしても、私がやるのとあんまり変わらない。

「よし、やれっ!」

無言で、アネットが抜刀。

そして、納刀した。

部屋全体に、ひょうと音がして。

それだけ。

一瞬にして部屋全体に行き渡った斬撃は、雨宮の分身体を、全て無力化していた。

やはりか。

クローンの技術はまだ未完成だったのだ。

完全に白目を剥いて転がっているクローンの群れ。

米軍でも、まだ完成していないというテクノロジーだ。奴らが、完成させているとも思えなかったのだが。

怪異の力を借りて。それで、ようやくまともに動いていたのだろう。

それも、女王蜂のような、操作者がいて、である。

ガラスが砕ける音。愛染がガラスを蹴り砕いて、檻の中に飛び込んだのだ。北条もそれに続く。

雄叫びを上げながら、荒れ狂っている雨宮を、北条と愛染が押さえ込んでいる。雨宮は、もはや般若のような形相で叫んでいた。

「裏切ったなあああああっ! また私を裏切ったなあああああっ!」

「貴方の身勝手な思い込みで、一体何人が傷ついたと思っているの? 貴方を騙して暴力を振るった矢澤は一生刑務所から出られないけれど、貴方も同じよ」

「巫山戯るなああっ! 私は被害者だあああああ!」

絶叫しながら、凄まじい暴れ方をする雨宮だが。

北条と愛染が無理矢理押さえ込んで。

手錠を掛け。

更に、愛染が気合いを入れて、内臓に一撃を叩き込んだ。

白目を剥くと、動かなくなる雨宮。

どうやらこれで。この一件は、解決と見て良さそうだった。

いずれにしても、北条は良い仕事をした。

初陣としては悪くない働きだろう。

既にスマホの電波は完全に立っている。私はまず、道明寺を呼ぶ。このクローンを回収しておかなければならないからだ。

北条は、ぐったりした雨宮本人を、愛染と二人で抱えて運んでいく。

私はこの場に残ると、目を細めて、彼方此方に書かれている魔法陣を見た。

これは本当にブラフか。

どうもそうは思えなくなってきた。

二人が戻るのと入れ替わりに、道明寺が来る。私はスマホで、全ての魔法陣を撮影していった。

「お疲れさんです。 下手したら十数人は死者が出たでしょうに、流石ですねえ」

「じゃないと私がいる意味がないんでな。 それにしても、奴らも陽動の割りに力を入れてきているな。 気合いを入れて対処しないと、下手すると多数の死人が出る」

「大きめの計画が動いている可能性が高い、でしたっけ? まあ貴方相手に陽動となると、下手すると一撃で体半分食い千切られるでしょうし、そりゃあ大駒でも使い捨てて来るでしょうよ」

どやどやと道明寺の部下達が来て、もはや肉人形と化したクローンの残骸を引っ張っていく。

アネットが、魔法陣の一つを見て、眉をひそめた。

「私の故郷の民に使われていた文字に似ています」

「北欧系か。 何でもありだな」

「これ、落書きでは無さそうですね」

「そうだな……」

此処は、もう一度浄化して、結界もぶち抜いておいた方が良いだろう。

嫌な予感がする。

アネットに、天井に張られている結界を切り裂かせると。

私は何度か念入りに、浄化を実施した。

 

電話が来る。

小暮からだ。

二人はどうかと聞かれたので、上々と答える。これからは、本部長としてG県警を裏から指揮している(という名目の)小暮が二人に指示。私はそれに手を貸すという形で、事件を解決していく。

こんなしち面倒くさい形にするのも、此処で原初の巨人を奴らが目覚めさせようとしていると、私がにらんでいるから。

勿論新人育成や、小暮に経験を積ませる意味もある。

愛染は使える。

もう少し経験を積めば、相当な実力を持った立派な警官になるだろう。北条も、あのライアーアートをもっと極めていけば、私と同じように相手を言葉で操れるようになるかも知れない。

ふと、気付く。

とてつもない邪悪な気配が、一瞬だけした。

街の方だ。

嫌な予感がする。

天狗は先に、北条と愛染と一緒に帰した。だから此処にいる大物式神はアネットだけ。

アネットは、青ざめていた。

「これは、マスターでないと対処できないレベルの相手では」

「どうやらそのようだな……」

また西洋系の怪異の気配。

恐らくは、悪魔。

それも高位の奴だろう。

気配は一瞬だけだったが、種類的には堕天使とみた。一口に悪魔と言っても、色々いるのだが。

西洋で悪魔と言うと、一神教の関係上、特にキリスト教で堕天使として設定されたタイプは極めて邪悪かつ残忍になりやすい。もっと古くから悪魔と呼ばれているもの、例えばソロモン72柱などになってくると、後付けで堕天使設定されているものもいるが、元々は「善良」と明言されている奴までいる。また、キリスト教でも古くの文献では、それほど悪く書かれていない悪魔もいる。

だがこの気配は。

近年のキリスト教の影響を強く受けた、邪悪でしかないタイプの悪魔と見て良いだろう。

「やれやれ、この様子では休み無しか。 式神、全員出てこい」

札を撒いて式神を展開。

まずは、何処で悪魔が召喚されたか、から調べる。

私は小暮に連絡すると。

明日か明後日くらいに、二人に動けるように状況を整えるよう指示。

そして私は。

自分の車に飛び乗っていた。

この様子だと、あの金髪王子は本気だ。

立て続けに陽動を入れる事で、私に休む隙を与えないつもりだろう。

面白い。

其方が大駒を使い果たすのが先か。

私が其方を潰し終えるのが先か。

勝負と行こうではないか。

不敵に微笑むと。

私はアクセルを踏み込み。鋭くバックしすぎて、うっかりスタックしそうになった。

 

(続)