その者の名は傲慢

 

序、戦闘開始

 

空港で待ち合わせ。最初に来ていたのは、小暮だった。相変わらずでっかいのに時間にきっちりした奴だ。その辺りは、まあガタイとは関係がないのかも知れないが。

私の次に羽黒が。

そして五分前にかごめが来る。

ちなみに飛行機が来る一時間前を待ち合わせにしているので、遅れる恐れはない。この辺りは、予防策もあってのことだ。

チケットを使ってゲートを通り、待合席に。

フランスまで行くとなると、それなりに時間は掛かるが。

まあこれも必要な経費と時間だ。

私の方は体調も万全。

小暮も頷く。

ちなみに、休日の間に作戦は練ってある。細部までしっかりと、だ。

現地の協力組織とも、既に連携体制はとってある。

その過程で、色々と聞かされている。

相手は、天使に守護されている、というのだ。

「それにしても、これだけ邪悪な悪事を働いている輩が、天使を使役というのもお笑い草ね」

「そうだな……」

一神教は元々独善的な思想だ。

他の宗教の存在を認めず、全てを悪魔とする。だが、これ自体は、メジャーな宗教はどれでもやっている。

基本的に敵対国の信仰は全て間違っていて。

敵が信仰している存在は悪魔。

これは、歴史的にずっと繰り返されてきた事だ。

このため、神のオリジンをたどっていくと、悪魔と神という立場を、交互に繰り返していくことになる。

だから、場合によっては。信仰が混線した結果。オリジンが同じ存在が、悪魔と神として同時に存在するケースさえある。

この辺りは兄者に聞かされている。

私も知識はあるが。調べれば調べるほど面白い分野だ。

もっとも、実際に怪異がどれだけの力を持っているかとなると、それは別の話になってくる。

神クラスの怪異になってくると。

それぞれの信仰ごとに別物になって来たりするので、強かったり弱かったり様々だ。

毘沙門天などは、元々は軍神でも何でもない。だから日本における毘沙門天と。インドにおける原型となったクベーラでは、まるで戦闘力が別物だ。

クベーラは元々財宝の守り神であり。日本ではメジャーな軍神の一柱である事からも、存在が根本的に違うのである。

仏教でも、降三世明王という存在がいるが。

これなどは、ヒンドゥーの思想を真っ向から否定する存在だし。

一方でヒンドゥー教では。

悪魔を堕落させる存在として、仏陀が取り入れられている。

そのようなものだ。

たまたま、現在世界でメジャーな宗教だから、一神教の他宗教への迫害と否定が目立つだけの事。

どこでも、似たようなものである。

そして、だ。

どの宗教でも、根本では決まっていることがある。

「奪うな。 欺くな。 無為に殺すな」

「何の話?」

「どの宗教でも決まっている事だ。 条件付きでこれらを許すような宗教もあるにはあるが、カルトの域を出ない。 もしも奴らのボスが天使を使役しているとしたら、それは恐らく……」

まあいい。

現物を見れば確認できるだろう。

西欧財閥は、現在世界中に枝葉を延ばしていて、その資産力は凄まじい。近年追い上げている中華系の資本も、実体で見れば西欧財閥にのど元を握られているようなもので。米国への影響力も圧倒的だ。

昔、世界中を略奪し、思想を押しつけて廻った西洋文明である。

その過去の略奪資産が。

今もこういう形で、大きな負の影を、歴史に残している。世界中の最貧国では、そのために今でも無数の争いが起きている。

そして幾度もの大乱を、裏で動かしてきたのにも。

少なからず関わっているのが、此奴らだ。

それは陰謀論の一端でしかない場合もあるのだが。

今回に限っては、陰謀「論」では無かった、という事で良いのだろう。

ただ此奴らだけが悪いのでは無い。

此奴らがやらなければ、別の文明圏が同じ事をしただけだろう。

結局人類という生命体は、そういう存在だと言う事だ。

だが、それで諦めないために、警官がいる。

私は人間の一人として、世界の癌と化している奴らの首魁を潰すが。警官としても、この事件は見過ごせないのである。

かごめも思いは同じようだ。

「何にしても、潰すだけね。 正面戦闘は任せるわよ」

「ああ」

「私達が関わっただけで、一体何人かしらね。 奴らに不幸にされた人間は」

「千はくだらん。 これだけの人間を、しかも弱者を不幸にしながら、「ビジネス」で片付けているのか、それとももっとくだらない理由なのか。 それはしっかり会って確かめないとならないな」

飛行機が来た。

さて、これからまずはフランスに。

そして、現地で。最後の打ち合わせをする事になる。

ファーストクラスに乗るのは久しぶりだ。体が大きな小暮はそれでも窮屈そうだったけれど。

こればかりは我慢してもらうしかない。

しばらく、空の旅を楽しむ。

下手をすると、旅客機ごと撃墜して来かねない連中だが。今回に限っては、それは大丈夫だろう。

何しろ、そもそも偽名で乗っているし。

敵の戦力は、大幅に削がれた後だ。

それに、最悪の場合、ミサイルくらいジャミングでそらす。その程度の事は、飛行機の中からでも出来る。

何度かの空港を経由して。

その間、何度か食事が出た。

流石にファーストクラスだけあって良いものが出てくる。小暮は、それでも少し不満そうだったが。

「この料金にしては、少し味が雑でありますな」

「飛行機の中だし我慢しろ。 レンチンするしかないんだろう。 コックが厨房で作るというわけにもいくまい」

「それはそうでしょうが」

「それよりも、そろそろだ」

飛行機は、フランスの首都、パリに到着。

まあ、途中で何度か仮眠も取った。体調はばっちりである。そして、空港に、既に迎えは来ていた。

現地で合流する手はずだった、多国籍軍の一部隊。

今回の作戦で、味方側の組織が連合して選抜した、精鋭中の精鋭である。

雑多な部隊に見えるが、分隊単位で四つに分かれている。そして、対怪異能力者も数名見られる。

風祭からも二名、今回は精鋭を派遣している。

一人は佐倉。

もう一人は、英語が分からない佐倉の支援役だ。

ゆうかに関しては、別の面子を護衛につけている。佐倉は今後、その特殊な体質からも、風祭の中心的な精鋭になる可能性が高い。

経験は少しでも積ませた方が良いだろう。

「賀茂泉かごめ警視だ。 これから多国籍部隊の指揮を執る」

「よろしく」

英語で会話して、敬礼。

かごめは、我々を紹介。私については、対怪異能力者達も、知っているようだった。

「噂には聞いています。 アルゴスを瞬殺したとか」

「あれはアルゴスの知名度が低い日本で、しかも準備がしっかりされていたからできた事だ」

「それにしても凄まじい。 奴らの首魁は、無数の天使を常に従えていて、生半可な能力者もファミリアも近づけません。 貴方なら、鉄槌を下せるはずです」

「任せておけ」

それが本当に天使なのか甚だ疑問である事は、敢えて言わない。

ただ、此処にいる能力者は、皆一神教関係の連中であるらしいことは、見て取ることが出来た。

そうなると、相手が天使を使役しているとなると。

戦いづらいだろう。

此処にいる主戦力の他に、フランスの外人部隊が四個中隊、同時に動く。それは正規の軍人が指揮を執る。

また、以前虎の子のネイビーシールズを実験がてらに殺されて、頭に来ている米軍も、最精鋭を派遣してきてくれている。

これらについても、陽動を担当してくれるそうだ。

頼もしい話だ。

問題は、敵がどれだけ強力な罠を張っているか、だが。

通信が入る。

先に潜入していた米軍部隊からだ。

「敵は動いていない。 どうやら、敵側の内通者による情報操作は完璧なようだ。 恐らく敵首魁は、自分が売られたことを気付いていない」

「この敵の内乱に乗じて、可能な限り敵を削り取る。 皆、それぞれの役割を果たして欲しい」

「しかし、敵は天使を従えていると聞く。 主の加護を受けているのではないのか」

「それはあり得ない」

断言。

通信先の、米軍の指揮官が黙り込んだ。

米国でも、一神教の信者は多い。だから、天使を自在に使役する、というだけで。相手には大きな畏怖を感じてしまうのだろう。

主の御心を掴んでいる。

そう思ってしまうのだろうから。

だが、一神教の神は残忍で傲慢な面もあるが。少なくとも、最低の意味での詐欺師に荷担はしない。

如何に金を積んで、一神教の神を使役する手段を手に入れたとしても。

私がそんなものは粉砕してやる。

「怪異に関しては私がエキスパートだ。 任せておけ。 天使を騙るゴミクズどもと、それを使役するカスは、私がぶっ潰す」

「頼もしい。 頼むぞ」

「ああ……」

特殊部隊相手の戦闘とは、訳が違う。

やはり、緊張が隠せないのだろう。隊長も動揺していて、やはりこういう疑念を口にしてしまったのだと、好意的に解釈する。

時計を合わせる。

作戦行動は、秒刻みだ。

パリから少し離れる。

この辺りは、財閥系の企業が土地を根こそぎ持っているような街や村が多い。

奴らの本拠地は、そんな街の一つにあった。

敷地面積も相当だが。

住民が、いない。

正確には、生きている住民が存在しない。

遠くから、スコープで確認している私の所に。ニセバートリーが戻ってきた。

「街の中、ゾンビ映画みたいな状態よ」

「今までの不死実験の集大成という事だな。 こんな事をするような輩に、本物の天使が力を貸すと思うか?」

「私は、天使なんて見たこと無いけれど。 あり得ない、とおもう」

「最後の審判の後、神は良き人々を現世に蘇らせる。 こういう思想が一神教にはあり、それがゾンビ映画の醜悪なオマージュへとつながっていくのだがな。 それにしても、現在は最後の審判の後では無いし。 あのような姿で蘇らせたのでは、何の意味もないだろうに」

それに、蘇らせたとも思えない。

あれでは完全に肉壁だ。

周囲に展開している部隊が、連絡を寄越してくる。

「ジャミング準備完了」

「今回は、此方を誘いこむ罠の可能性がある。 包囲部隊は、敵に更に包囲されることを考慮し、退路の確保を常に行ってくれ」

「了解」

フランスの外人部隊と言えば、精鋭で有名だ。

倍程度の相手なら、即座に遅れを取ることも無いだろう。

突入まで時間がある。

それまでに、まずは不死の仕組みを解析。

どうやら光の家のデータを利用して、死者を動かしているのは事実。これに関しては、今まで遭遇した不死系の怪異も、皆そうだったのだろう。というよりも、今までの実験は、全て奴らに有効活用されているのだ。

軍事利用もされているし。

こうして番犬代わりに、多数の人間を殺戮する事も厭わない。

反吐が出る。

側にいるかごめに聞く。

「この街の人口は」

「二万五千人という話よ」

「二万五千を肉壁として利用か。 もう、手心を加えてやる理由は微塵もないな」

「ええ。 私が先にぶっ殺してやりたい気分だわ」

勿論、一人も生存者などいない。

今まではフランス政府も手出しが出来ない状態だったのだろう。だが、此処からは違う。既に彼方此方の情報筋から、フランス政府も黙認する態勢を整えている。

ここまで来るのに、どれだけ苦労させられたか。

天狗が戻ってきた。

解析が完了したのだ。

「何種類かの不死タイプがいます。 怪異が操作しているものと、体内に三尸を仕込んで操作しているものがいる様子ですが。 前者が大半ですな」

「三尸については、まだプロトタイプだったとみるべきか」

「恐らくは。 そもそも、そう簡単に手なづけられる存在でもありませんし。 何よりも、東洋系の怪異です。 そう簡単に入手もできない、という事なのでしょう」

時間を確認。

突入準備完了。

では、始めるとするか。

印は既に切ってある。特殊部隊には、時間と同時に、耳を塞ぐように指示をしてある。私は、全てのスピーカーの音量を最大にセットしてあることも確認。

私の周囲には。

私の力をフルパワーで引き出し。更に増幅する陣が展開済みだ。

「喝!」

普段は、建物単位だが。

今日は。

街そのものが揺れた。

これより、突入作戦開始だ。

同時に、この間召喚した、閻魔大王の僕である、側近として近侍する鬼を呼び出す。風祭本家で、総力を掛けて一日がかりで呼び出したのだ。一日だけ戦闘に協力して貰う契約で。

此奴を呼び出したのは。

三尸によって不死身化している肉壁を沈黙させるためだ。

街の中に、巨大な人影が具現化する。

角を持つ赤い肌のそれは。

大きく息を吸い込むと、雷のような大音声を張り上げた。

「何をこのような所で邪悪に荷担しておるか! 我等が役割を忘れ、閻魔大王への報告の義務も疎かにした愚か者共! とっとと地獄に戻れ!」

これでいい。

監視していた猿王が、報告してくる。

「不死の肉壁、次々に崩れていきます!」

「流石にあんな大物を呼び出されて直接叱責されたら、三尸ではどうにもならん。 完璧な不死の兵士を作れたと思ったのだろうがな。 人間が作るものに、完璧なんて存在し得ないんだよ」

突入開始。

どっと、特殊部隊が突入を始める。

敵も、生きた兵士を幾らか有している。その規模はそれほど大きくないはずだが、いずれもマインドコントロールを受けていて、相当に士気は高いはずだ。

だからこそ、プロに任せる。

かごめは此処で指揮。

私の少し後ろに、小暮が追走。

羽黒は好きにさせる。

特殊部隊の作戦行動については関与しない。私がまっすぐ、敵の本拠であるこの地を統治した貴族の宮殿に、突入するのを支援だけさせる。

銃撃音が響きはじめた。

私のイヤホンにも、戦況が飛び込んでくる。

「敵部隊と接敵! アタック!」

「α2、α3、GO!」

極めて簡略な命令で、戦いが行われている。声さえ聞こえてこないケースも多い。私は、走る。

小暮も、無言でついてくる。

時は今。

決着を着けるのは、この時だ。

 

1、邪悪の宮殿

 

悪趣味な宮殿だな。

一歩足を踏み入れて、私はそう感じた。

西欧の「お城」というのは、基本的には宮殿である。現在戦闘目的の要塞は、殆どが現存していないのだ。

これは、歴史的に役割を追えたと言う事が一つ。

もう一つは、昔の都市は、それそのものが城塞だった、という事もある。

周囲を壁で囲い。

街単位で、攻城戦に耐えられるようにしたもの。それが、洋の東西を問わずに、昔は城塞だったのだ。

此処まで本格的なものはさほど多く無いが。

日本でも類例としては、小田原城などがそれに当たる。

既に周囲には、小暮がぶん投げて黙らせた近侍らしい奴らが数人転がっている。今の時点では、私は手を出す必要もない。

廊下を歩いてくるのは。

虚ろな目の男。

能力者か。

男は、六芒星を書く。同時に、凄まじい炎が、此方に吹き付けられて来る。倒れている味方も関係無し、という事か。

それとも味方とさえ思っていないか。

ぱちんと指を弾くと。

炎が、しゅんと悲しげな音を立てて消え失せた。

愕然とする男の顔には。

一瞬後には、私のドロップキックが叩き込まれ。

顔面が拉げた男は吹っ飛び、壁に叩き付けられて、そのまま動かなくなった。

「今のは……」

「いわゆるパイロキネシスだ。 炎を操作する能力だが、実際には怪異の力を借りていたようだな」

私は、サイコキネシスなどの超能力に関しても、だいたいは似たようなものだと考えている。

究極的には、私の力も、同類なのかも知れない。

まあそれはいい。

今はこの宮殿を抜ける事が先だ。

壁には、豪華な絵画が惜しまず掛けられ。

所々には、金細工の壺や花瓶が飾られている。

青磁の壺も、幾つも見受けられた。それもこれは、後漢時代の物と考えて間違いないだろう。

本当に、とんでもない金を持っているのだ。

保有資産は、財閥全体で、日本円にして四百五十兆を超えており。

個人資産だけで六十六兆に達していると聞く。

世界の長者番付に名を載せないのは、目立たないため。だが、それだけのために、実際の長者番付王者を鼻で笑うような資金を持っている事を隠し。

そして個人で独占し。

このような悪趣味な宮殿を作る。

醜悪な輩だ。

出会い頭に、また能力者に出くわす。

今度は何か意味が分からない言葉を放ちながら、躍りかかってきた。その言葉自体が、死を招くものだったのだろう。

やせこけた虚ろな目をした男だが。

私が印を切ると、言葉は宙にはじけて消える。

そして躍りかかってきたところに、カウンターで拳を叩き込み、顔面を凹ませ。そして吹っ飛ばした。

地面に転がった男は顔を押さえてもがいていたが。首を蹴って、気絶させる。そして、小暮に拘束させると、口にガムテープを貼っておいた。ダクトテープに近い、簡単には外れないものだ。

それにしても、護衛に手応えが無いな。

よほど自分の力に自信があるのか。

まあいい。

宮殿の地図は無いが、先行させている式神達が、調べてくれている。私はその間、宮殿内を掃除だ。

部屋の一角に、メイドが数人、隠れて震えているのを発見。

外で銃撃音がしているし。

何が起きているか、分かっていないのだろう。

だが、そう見せかけているだけだと、私は看破。

印を切って、一喝を入れる。

全員が、その場で昏倒。泡を吹いて転がっているメイド達を見て、小暮が不安そうに言う。

「操り人形にされていましたか」

「ああ。 宮殿そのものが結界に保護されていて、さっきの私の一喝で糸を解ききれなかったようだな。 そのまま見過ごしていたら、背後から襲われていただろう」

「曽我の時の事を考えると、ぞっとしませんな」

「全くだ」

髪を掻き上げると、そのまま奧へ。

児雷也が戻ってくる。

「見つけました。 地下通路への階段です」

「地上部分に、奴はいないか」

「いないようですね」

「そうかそうか」

まあいい。

この宮殿を見ても、どういう人柄の持ち主かと言う事はわかっている。それだけで充分。

住んでいる家を見れば。

人間の人柄というのは、ある程度類推が出来るものなのだ。

此奴の場合は、特に分かり易い。

ゲスだと言う事が、ざっと見て回るだけでもわかるほどだ。

「地下通路の先は」

「強力な封印が施されていて、今白蛇王殿がこじ開けに掛かっています。 その先に、この宮殿の首魁がいる事は間違いないかと」

「小暮、外は任せるぞ。 絶対に部屋には誰も入れるな」

「オス!」

これは、小暮が止めるかも知れない、という意味もある。

私は今から。

徹底的に。情け容赦なく。慈悲も無く。

敵に対して、今までの報いをくれてやるつもりだ。

地下通路は、宮殿内にある礼拝堂の下にあった。急いで隠れた雰囲気は無い。恐らくは、普段から此処に潜んでいると見て良いだろう。

表には姿を見せない、と言うわけだ。

これだけの巨大組織を操っている人間だ。

カリスマを想起させる姿をしていなければ。確かに身を隠しているのも合理的だとも言える。

普段は連絡役だけを使っているのか。

それとも、通信などで指示をしているのか。

いずれにしても、正しい行為とは言えない。

金というものは。

使ってこそ、意味があるものだ。

ましてやこんな、国家予算規模の金。

正しい事に使えば、どれだけ世界を良く出来るか、分からない。

それを、弱者を不幸にすることばかりに注力し。多くの金で、多くの人々を無惨に踏みにじってきた。

どんなツラをしているかはまだ分からないが。

どうやら女らしいという話は聞いている。

これも、最近になって分かってきたらしい。

それだけ、謎に包まれていた、という事だ。

地下通路に出る。

ずっと先まで続くように見える長い通路だが。それは、錯覚だ。この宮殿の外にまでつながっているほどの長さは無いだろう。

左右に警戒。

罠も無い。

左右には、古代エジプト時代のものらしい祭具が点々としている。一神教徒にしては珍しいと思ったが。

多分これは、自分の財力を示すためだけのものなのだろう。

手入れはされているが。

正直な話、金の使い方を知らないとしか言えない。

何度も反吐をその辺に吐きたくなったが。

我慢だ我慢。

怒りは飲み込め。

直接対峙したときに、少しでも怒りを無駄にしないために。奴を、完膚無きまでに、躊躇無く叩き潰すために。

左右に隠し部屋は無い。

これは恐らく、儀礼的な通路だ。

これほどの金を持つ存在。恐らくは政府要人や、一部の超セレブくらいしか、会うことは出来なかったのだろう。

そういった者達にさえ。

格の違いを見せつけるための小道具、というわけだ。

私には虚仮威しにしか見えないが。

それもまた、こういう連中の工夫、という事だろう。

権力があるならきちんと使え。

それだけ叱責してやりたい。

治るなら。だが。

これはもう、どうしようもないだろう。

扉が見えた。

調べて見るが、電子キーも存在しないし。何より、鍵も掛かっていない。小暮と頷き会う。

「任せるぞ」

「大丈夫。 何があっても、通しはしません」

「お前にはいつも背中を守って貰ったな」

「これからもであります。 先輩の背中は、自分が常に守ります」

敬礼をかわす。

さあ。

最後の時だ。

これで、戦いを一段落させる。

奴らはこれで完全瓦解するわけでは無い。何しろ奴らの戦力は、此処まで叩いてようやく此方と互角。

敵にしても、もはや首魁は必要ない存在。

つまりそれだけ、強大な財力と権力を、各国で確保しているという事に他ならない。売られた首魁は、それを知っているのだろうか。

まあ知っていようがいまいが関係無いが。

扉を蹴破り、中に入る。

奧は広い空間になっていて。

そして、一段高いところに。

玉座があった。

シルクで作ったらしい、非常に高級そうな衣服を纏った女。背はそれほど高くない。少なくとも、スーパーモデルほどの長身では無い。

というよりも、背が低いのではなくて、肉体年齢が若いのだ。

いや、これは少し違うか。

恐らくは、アンチエイジング技術によるもの。

加齢を止めている。

それだけのために、どれだけの金をつぎ込んでいるのか知った事ではないが。体の全盛期を維持するため、なのだろう。

金髪碧眼、それに完璧に手入れされた体と、身長から考えて理想的なプロポーション。

見た目だけなら。

見目麗しいプリンセスだ。

ルックスに関しても、そのまま映画に出られるほどである。

十七歩ほどの距離を取って、相対する。

「ようこそ。 館の主君として歓迎しますわ、下賤の者」

「歓迎するならまず名を名乗れ」

「私に対してそのような口をきく者は初めてですわね」

ちなみに会話はラテン語だ。

ラテン語は応用が利くので、私も習得している。それにしても、フランス語でも無く英語でも無くラテン語とは。

権威づけのためだろうが。

実にくだらない。

こんな実用性の無い言語。

わざわざ覚えていても今更使い路なんて殆ど無いというのに。

仏教で言う梵字と同じ。

殆ど魔術用の言語も同然なのだが。

「では改めまして。 カルネリア=フォン=マルネと申しますわ、無礼なる愚かな者よ」

「風祭純だ。 この世の悪の体現者、無事で済ますと思うなよ」

火花が散る。

此奴、敢えて残っているという事は、余程自分の実力に自信があるのだろう。実際問題、館の周囲に配置している二万五千の不死戦力が無力化され。

人間の護衛部隊も、特殊部隊も蹴散らされて包囲されている今。

脱出するすべなど無い。

単に頭が弱いのかとも思ったが。

私に対するこの自信満々の態度。単純に脱出する自信がある、という事なのだろう。無線にしても通信網にしても、もはや無力化されているのに気付いていておかしくないし。その線が正しそうだ。

「わが組織に楯突いて良くも生き延びられるなどと思いましたわね。 その辺の国に跋扈するマフィアなどとは訳が違いますわよ」

「私一人でここまで来たのでは無い。 貴様の邪悪を許せぬ多くの人々が、血涙とともに此処までの道を開いた」

「人々ですって?」

嘲弄。

私が眉をひそめたのは。

此奴が、本当に嘲笑っているのがよく分かったからだ。

なるほど、どうやら。

私の見立ては正しかったらしい。

此奴はこの世の中でも、絶対に金を持たせてはいけない人種。この世に存在してはならない、悪の権化。

社会の癌そのものだ。

ふうと、息を吐く。

さて、処刑の時間だ。

 

1、愚かなりし玉座の主

 

立ち上がると、カルネリアは両手を拡げる。

その恍惚とした様子は。

完全に自己陶酔しているだけではなく。

絶対的な自己肯定で、自分を満たしているのが見え見えだった。

もっとも唾棄すべきタイプだが。

好きにさせる。

此奴の全てを吐き出させてから。

叩き潰すためだ。

「そも、この世は弱肉強食。 それは人の世でも同じです。 法というものは、基本的に権力者のために存在し。 それ以外の者はすべて奴隷以外の何者でも無い。 この世の理が金というパラメータで左右される以上。 この世でもっとも金を持つ私は、この世でもっとも尊いのです」

無言。

更に喋らせる。

「民衆の自由? 国民の幸福? 愚かしい。 我等金を持つものは、全てを等しく浪費する権利を持っています。 政治の公平? 施政の平等? 馬鹿馬鹿しい。 この世界の歴史に、ただの一度でも、平等な政治など行われたことがありましたか?」

私はじっと相手の言葉を聞く。

調子に乗るカルネリア。

「この世の政治は、弱者から如何に搾り取り、自分の権力を高めるためだけに存在しているのです。 善政など弱者が見る幻に過ぎません。 権力を得るためには何をしてもいいのがこの世の理です。 そのためにはインフレで多くの民衆を破産に追い込み、首をくくらせることも良いでしょう。 戦争で、多くの民衆を前線に送り込み、殺し合わせるのも良いでしょう。 全ては権力を握ったものが勝ちなのです。 そして私は、その権力を、世界最高の水準で握っている。 私のすることこそが正義であり。 私の言葉こそが真実であり。 そして私の存在そのものが、神の体現でもあるのです」

まだ喋らせる。

私が黙ったままなのを見て、論破したとでも思っているのだろう。

カルネリアは、更に舌を動かす。

此奴は食品サンプルだな。

そう思った。

見かけだけだ。見目麗しいのは。

「貴方も相応の金を持つ者なら、今まで多くの弱者を気分次第で踏みにじって来たのでしょうに。 私をこの世の悪と呼ぶとは片腹痛いというもおかしすぎる。 ましてや、人の屋敷に土足で踏み込んで……」

「ぷっ」

「!?」

「ふ、ふふふふふ、はーっはっはっはっはっはっはっはっはは!」

自分の言葉を遮られた経験さえなかったのだろう。

ましてや完全な失笑で。

愕然とするカルネリア。

さて、此処からだ。

全力でぶっ潰す。

「馬鹿だろうお前。 いや、今の発言の全てで、お前が馬鹿で阿呆でこの世に必要ない存在だと言う事がよく分かったよ」

「なん、ですって」

「この世の理が弱肉強食? それは獣の世界の話だ。 人間という生物は、弱肉強食の原理から抜け出すことで、他の動物から一歩ぬきんでて、世界の主役に躍り出たんだよ」

これは本当だ。

例えば、世界で活躍している一線級の科学者の中には、重度の障害を持っている者が珍しくない。

技術者にしても同じ事。

もしも動物と同じ弱肉強食の原理でこの世が動いていたら。

これらの一級の人材は、捨てられていただろう。つまり、それだけ社会の発展も行われなかった、ということだ。

リソースを活用できた。

人間の強みは、それにある。

だからこそ病院がある。

弱肉強食で淘汰される弱者を救済し。社会のリソースとして生かすために。

だからこそ法がある。

弱肉強食で淘汰される弱者を守り、社会のリソースとして活用するために。

勿論矛盾はまだまだ多くある。社会には問題点がたくさんだ。

だがカルネリアの言葉は。

最初の最初から。この世界の理を勘違いしてしまっているのだ。

「この世界の国家というものは、国民の幸福度によって隆盛を決める。 民の不満が極限に達すれば国家は潰れるし衰退もする。 どれだけ軍で威圧しようが同じ事。 世界最高の富を蓄えていたロシアのロマノフ王朝の末路さえしらぬ阿呆が、よくもまあ寝言を抜かせるものだ」

「こ、この私に、馬鹿ですって……」

「善政が幻だと? 確かに政治家の性格の善悪は国民幸福度には関係無い。 だが善政は国力を富ませ、その国そのものを強くする。 長期的に繁栄した国の全ては、善政によってなる。 そしてその善政の遺産を食い潰しきったとき、国は終わる。 善政を敷かずに立った国はそもそも繁栄などしない」

勿論例外はある。

だが、あの残虐な侵略で知られるチンギスハンでさえ、実際には国内で交易を保護し、従う民には寛大で、世界の東西につながる巨大な交易路を作り上げた。邪悪で残虐な虐殺王というイメージは、後世によって付与され拡大解釈された側面が大きい。

現在は、国家の興亡のスパンが長くはなっている。

だがあの巨大国家、ソ連すら崩壊した。

この世の理屈は変わらない。

少なくとも、一部の人間だけで富と権力を独占していれば、国は衰退する。下手をすると、文明ごと衰退する。

そして権力を得るためには何をしても良いと考えるような社会の癌が大手を振って歩くようになった時。

其処には絶望だけが残る。

絶望が残れば民のモチベーションは下がる。

当たり前だ。

何もかもが報われなくなるのだから。

その結果、国は衰退する。

人は減る。

子供を作っても、未来を得られないのだから。

悪党がのさばる。

何をしても、咎められさえしないのだから。

そして、国が瓦解する。

文明が潰れる。

自明の理だ。

「歴史を知らぬどころか、人間をそもそもにして知らぬ阿呆が、何を寝言を抜かしていると言っているのだこの阿呆! 貴様は見かけだけ取り繕った食品サンプルと同レベルの存在だ! 何一つこの世に利益をもたらさず、邪悪だけをばらまき、そしてこの世界の衰退だけを招く! この世界の癌をこの世の悪と呼ばず、他に何というかこのクズが!」

さらに、とどめと行く。

私は、筋肉で相手を見ることも出来る。

「お前、鼻を整形しているだろう」

「!!」

「弱肉強食なのだろう? 完璧な存在なのだろう? ならば何故鼻を整形などしている」

「だ、だまれ……」

鼻を鳴らす。

嘲笑ったのだ。

私はもはや。此奴には、一辺の容赦もしない。尊厳の全てを粉々にして、徹底的に叩き潰す。

此奴に踏みにじられてきた者達の事を思い起こすだけで。

それをしなければならないと、私は使命感に駆られる。

私は正義では無いし。絶対の真理を掴んでいるわけでもない。

だがこいつだけは。

絶対に、この世に存在を許してはいけないのだ。

「お前は生態系の強者でも無ければ、世界の支配者ですらない。 そもそも私がここに来られたのが、自暴自棄の作戦の末だとでも思っているのか? お前は、部下からさえ、役立たずとして売られたんだよ」

「だまれええええええっ!」

激高したカルネリアが、手を振る。

周囲に、翼持つ人影が、無数に現れる。

なるほど、これが天使か。

一神教における神の使い。最初にこの概念を考え出したのはゾロアスター教。つまり拝火教だ。

今ではインドの一部でしか信仰されていない宗教だが。歴史的に意義があるので、教科書にも載っている存在。

そしてその思想はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と受け継がれ。

一神教の血脈の中で、生き続けている。

だが。この天使どもは。

「天使達よ! この邪悪なる異教徒に、鉄槌……」

「喝!」

一喝。

四十メートル四方ほどの部屋に反響した私の一喝は。

天使とやらを、まとめて根こそぎ消し飛ばしていた。

白い羽毛が舞っていたが。

それもすぐに、黒ずんで消えていく。

「此奴らが天使だと? 笑わせるな。 これはただ自分を天使だと思い込んだ狂信者共の成れの果てだ。 それが怪異として、それっぽい姿になったにすぎん。 原初の信仰にある天使は、翼百枚、全身に目がある異形だったことさえ知らぬだろう」

「お、おのれ……」

「どうした、もう終わりか。 こんな雑魚、なんぼ出しても私の小指一本で充分だ。 何ならもっと高位の天使でも出して見ろ」

「わたくしを本気で怒らせましたわね! いにしえの契約に従い、姿を見せよ、父の剣たる炎の天使、ミカエル!」

懐から、なにやら札を出すと、床に投げつけるカルネリア。

目を細める私。

ごっと、凄まじい音がして。

カルネリアの側に、赤々しく力強い炎の柱とともに、巨大な人影が姿を見せた。

神々しい鎧と、光り輝く剣を持ち。六対の翼と、此処まで熱気が伝わるような凄まじい力を放っている。

なるほど、噂は本当だったか。

これは本物の神格。分霊体では無い。

つまり、一神教のミカエルそのものだ。

ミカエルは一神教におけるもっとも重要な天使。四大天使とか七大天使とか言われる重要な天使には必ず含まれる存在であり。双子である反逆の天使ルシファーを退け。神の寵愛もっとも篤き者とも言われている。

流石は世界最大レベルの金持ち。

こんなものを召喚できる道具をどうにかして手に入れていたか。

此奴だと、私でも本気でやり合わなければ危ないだろうが。

だが、懸念は一瞬で失笑と化した。

「ミカエル! その神の敵たる異教徒を滅ぼしなさい!」

「断る」

「……は!?」

「我が契約を結んだのは貴様では無く貴様の先祖だ。 そしてその先祖は貴様とは違い、神の愛で地上を満たし、恵まれぬ多くの民草を救い、父の子である預言者の言葉に従って、己の財貨を貧しき者に分け与える慈悲に満ちた存在だった。 だが、貴様はどうだ。 天界からずっと見ていたが、貴様のような醜悪なる存在は、文字通りその辺りに転がる犬の糞にも劣る!」

一喝。ミカエルは、凄まじい憤怒の表情で、カルネリアを更になじる。

そうか。下手に契約したことが徒になったか。ミカエルは神の眷属として、此奴の一族と、その腐敗を、ずっと見続けていたのだろう。

それならば。

一神教の設定から考えても。間違っても手を貸すはずも無いか。

「な、なんですって……」

「この堕落した愚か者が! 貴様のような者が神の使徒たる我を呼び出すだけで万死に値するというのに、走狗となれと申すか! 地獄を管理するウリエルに今すぐ引き渡してくれようか!」

「……」

「其処の異教徒」

私に、ミカエルが向き直る。

流石に凄まじい実力を感じるが、向こうも私の事は察している様子だ。やりあったらどっちも無事では済まないだろう。

此方に戦う気は無い。

もしも戦う気だったら、全力でぶっ潰すつもりだったが。別に利害関係もないし、どうでもいい。

「私の事か、熾天使ミカエル」

「そうだ。 私は異教徒どうしの争いには関与しない。 その忌々しい召喚札は、悪用されないように破壊しておいてくれ。 それだけは契約上出来ないのでな」

「承知した」

怪異としての力さえ失わせればいいのである。

側にいる白蛇王をけしかける。札は一瞬で燃え上がり、塵と化していった。

頷くと、ミカエルは消えていく。

それにしても、異教徒どうしの争いか。

くつくつと笑う私の前で。

完全に蒼白になったカルネリアは。自分が言われた事の意味を、まだ反芻しきれていないようだった。

「どうやら貴様は、天使からも一神教徒として認められていないらしいな」

「だまりなさい……」

「どうした、次は唯一神そのものでも此処に出すか? それとも神の戦車たるメルカバでも出して見るか? いずれにしても、貴様の言う事など聞きはしないだろうがな」

「だまれえええええっ!」

絶叫したカルネリアが、拳銃を取り出す。

だが、その手は。

一瞬後に、指数本を失い。

拳銃を取り落としていた。

私が速射で撃ち抜いたのだ。

そして、この時を待っていた。

「相手が拳銃を出した以上、正当防衛成立だ」

跳躍。

そして、顔面に拳を叩き込む。

カルネリアの鼻が潰れて、顔が拉げる。

そして、悪趣味な玉座に後頭部をぶつけて悶絶するカルネリアの髪を掴むと、放り投げて、床にたたきつけた。

ぎゃっと無様な悲鳴を上げるカルネリアの両足を。

高所からのストンプで、へし折る。

そして後ろからサブミッションを決めて、まずは左腕をへし折り。

続いて右腕も関節からねじり折った。

多分戦闘訓練をたしなみ程度には受けていたはずだが。こっちは幼児の頃から実戦をしている身だ。

こんな奴、相手にもならない。

完全に悶絶しているカルネリアの耳元に、背後からマウントを取ったまま囁く。

「痛いだろう。 ちなみに、此処までは、痛みを与えるためだけの攻撃だ」

「!?!!!?」

まずは、味覚。

指二本を立てて、経絡秘孔をぶち抜く。

味覚を完全に失わせるためだ。

びくんと跳ねたカルネリアは。更に、今度は嗅覚を失わせる経絡秘孔を貫かれて、声にならない声を上げた。

続いて声も出せないように、経絡秘孔をぶち抜く。

どっちにしても、手足を全て使い物にならないようにしているから、逃げる事は不可能だが。

更に一撃。

視覚を奪う。

そして、これは秘伝中の秘伝。

来る前に、父に奥義を教わったのだけれど。

相手から、狂気に逃げ込む方法を奪う経絡秘孔。拷問などで用いるのに効果的な。正気をずっと保ち続ける経絡秘孔をぶち抜く。

「これでお前は想像を絶する激痛に苦しみ続け、狂気に逃げ込むことさえ出来なくなる」

「ー! ーーーーー!!!」

芋虫同然とかしているカルネリア。

本当は、時間感覚を倍増させる薬でもぶち込んでやろうかと思っていたのだが、まあそれはいいだろう。

これより此奴は。

時間の感覚を失うのだから。

五感の全てを失い。

そして、狂気に逃げ込むことさえ出来ず。

何も分からない闇の中で。

永久とも思える時間の中、極限まで増幅された地獄の苦しみに、悶え続ける事になる。

死なせてなどやらない。

そんな慈悲は、今の私は持ち合わせていない。

此奴に不幸にされた人々の事は、今でも頭の中で煮えたぎっている。此奴だけは、絶対に許してはいけないのだ。

更に経絡秘孔をぶち抜く。

痛みを倍加させるものだ。更に更に更に。

痛みを倍加させる経絡秘孔を、悉く貫く。聴覚だけは、最後まで奪わない。理由は、簡単である。

完全に身動きしなくなったカルネリア。

聞こえているだろう。私の声が。

だから、此処から。

徹底的に呪いの言葉を流し込んで。その全ての存在を否定し。尊厳を踏みにじり。そしてあらゆる全てを奪い去った後で、聴覚も潰す。

これにより、此奴は。

地獄の最深部で与えられる苦しみと同等の苦痛を、体感時間で多分五十億年くらいは味わう事になるだろう。狂気に逃げ込むことさえ出来ずに、だ。

これが、私が一週間掛けて考えておいた、此奴に与える罰。

そして此奴は、法で裁くことが出来ない。

それこそ、先進国の国家予算を凌ぐ私有財産を持っているほどの存在だ。刑務所なんて、簡単に抜け出してしまう。

だから、誰かがこうして。

徹底的にやらなければならないのだ。

完全に相手の思想を破壊しつくす呪いの言葉を流し込み終えると、私は外にいる小暮に声を掛ける。

小暮も。此奴がやってきた事を知っているからか。もう何も言わなかった。

「外にいる奴に声を掛けて、生命維持装置を持ってこい。 多分屋敷の中に羽黒がいるだろうから、頼めばすぐ対応してくれるはずだ」

「分かりました」

「良かったなあ。 死なずに済むぞ」

そして、私は。

聴覚を奪う経絡秘孔を、ぶち抜いてやった。

 

2、後始末

 

死体だけが転がる街を後にする。

文字通り街を自分の私有財産と考え。住んでいる人間全ての尊厳と命を奪い。ガーディアンにしたてていたような輩だ。

フランス政府に後始末を任せる事については、既に話が上部組織の方で済んでいるらしいし。

後は戻るだけだ。

かごめはどうだったかと聞いてきたので。

犯してきた罪にふさわしい報いをくれてやった、とだけ答えた。

それで充分だ。

あのような輩、思い出すだけで反吐が出る。そして、あの怪物が口にしていた思想も、である。

この世界を狂わせているのは、人間そのもの。

そして人間の中でももっとも罪深き者の一人こそ、あの女だった。

事実上この世界から抹殺したことに何ら後悔は無いし。

あれがこれから味わい続ける地獄についても、当然の結末だと思う。いずれにしても、誰かが殺さなければならなかったのだ。

私が警官である事と。

私が殺さなければならなかったことは。

結びつかない。

早々にこの場を離れる。後は多国籍の部隊が、死体の始末やら、何やらを済ませる。奴らの方でも、此処のことは感知しないと決めている。

数年は、平和が来る。

だが、それもかりそめのものだ。

いずれ奴らは、絶対に滅ぼす。今回の平和は、もっとも罪深き者を葬り。味方の再編成を済ませるために必要なものであって。

奴らを滅ぼさなければならないことに代わりは無いのだ。

マイクロバスを用意して貰っていたので、それで戻る。

勿論帰り道も、周囲に式神を展開して、油断無く警戒を続ける。いつ何が起きるか、知れたものではないからだ。

生命維持装置を運んできて、カルネリアに装着した羽黒が言う。

私がした事については、羽黒にも説明してある。

「しかし、相変わらず容赦のない始末の付け方ですね……」

「あれにはこのくらいの罰が与えられてしかるべきだ。 むしろ私は優しい方だと思うがな」

「優しい方、ですか」

「死でさえ生ぬるい輩だったからな」

政治にリアリズムが必要なのは事実だ。

それは、私が名家の出だからよく分かっている。父だって、口には出来ないような暗闘を幾つもこなしている。

豪腕で周囲をねじ伏せるまでには、父も苦労したし。

私だってそれは同じだ。

更に言えば、元々欧州で、地獄の権力闘争が行われていたのもまた事実。

そしてこの地が、魑魅魍魎蠢く魔境であり。

市民と貴族との間で綱引きが行われ。数々の惨劇が引き起こされてきた魔界であるのも事実なのだ。

其処で生き抜くためには、悪魔も鼻をつまむような真似が必要だった事も、また事実なのだとは認める。

リアリズム無くして生き抜けない。

それがこの世界だ。

だが、あの女は、そのリアリズムを自分のエゴを満たすためだけに利用した。だからその思想は、際限なく醜悪な代物と化した。醜悪な思想は別に構わない。自分だけで醜悪ならば、だ。

周囲を際限なく蹂躙する思想だからこそ。あの女の思想は、許してはならないものだったのである。

この世における最悪の存在は。

自分を完全に肯定した存在。

そういった存在の前では、あらゆる思想が、自分を飾るための道具となり果てる。資本主義だろうが社会主義だろうが民族主義だろうが国民国家だろうが、それは同じ。人権や福祉でさえ。このような輩の前では、ただの道具に成り下がる。

どのような魔境に住んでいても。

最低限のラインはある。

それを超えたとき。

超えた奴は、人間とは呼べなくなる。

あの女はその見本だった。

ミカエルが言ったように。路傍の犬の糞にも劣る。社会に存在してはいけない者だったのである。

どれだけの不幸をまき散らし。

自分だけが繁栄を謳歌し。

そして他人をあざ笑い、不幸に震える者達を踏みにじって来たか。ただその報いを受けただけ。

私は、むしろ優しい方だろう。

自分がしてきた事を思い知らせてやり。

そして、自分がしてきた事に、苦しむ時間をくれてやったのだから。

もっともあれが死んだ後、待っているのは本物の地獄で。

其処では文字通り一片の救いも無いだろうが。

ミカエルが墨付きを出すくらいだ。

あれは地獄以外、行き先も無いだろう。

ちなみに、奴が語った言葉については、皆に告げた。全員が絶句していた。小暮でさえ、である。

「許しがたい、度しがたい以外の言葉が出てこないのであります。 今まで起きて来た事件を見ている身としては、そんな言葉を素面で口にする輩が、途方もない大金を自由に動かして、好き勝手をしていたというこの世界に、危機を感じてしまいます」

「珍しいわね。 私も同感よ」

かごめが、本当に珍しく小暮に同意。

こればかりは、かごめでさえも、許せないのだろう。

プロファイリングを本職とするかごめは、どちらかといえばリアリストでいなければならない身だ。

だからこそに、リアリズムを自分の都合のために利用し。その醜悪な所行を全面肯定していたあのクズには腹が立つのだろう。

羽黒も、しばらく黙り込んでいた後。

短く、自分の意見は告げず、するべき事だけを口にした。

「組織の再編成を急ぎましょう。 奴らを完全に潰さない限り、第二第三の同じような思想の持ち主が出てくるでしょうね」

「その通りだ。 草の根分けてでも探しだし、全員を叩き潰さない限り、この世界はおかしくなるばかりだ」

マイクロバスが空港に到着。

後は戻るだけだ。

日本に帰った後は、それぞれが組織の幹部になる。以降は一緒に仕事をする機会も減ることだろう。

ただし、それも機会が減るだけ。

どうせ数年しか停戦はもたないし。

その間、連携して組織の再編に当たる際、打ち合わせは必要だ。組織内での内輪もめがある可能性も否定出来ない。

その場合は、我々が率先して動き。組織を一枚岩にしていかなければならないだろう。

暗闘もあるかも知れない。

だが、それも仕方が無い。

此処まで脳みそが腐りきっている相手がボスにいたような組織だ。

これからの戦いも、手段を選ばないものになるのは確実。

戦いは過酷になるだろう。

だが、それは、必要な戦い。

しなければならない事なのだ。

電話が来る。

父からだった。

そろそろ飛行機に乗る頃だから。タイミングとしては良かった。もう少しで、電源を切るところだったのだ。

「純、やったな。 敵の首魁を討ち取ったか」

「父上も、裏で色々と動いていたのだろう。 ありがとう。 此方としては、とても動きやすかった」

「何、お前で無ければ色々危なかったからな。 噂通り、敵は天使を行使していたのか」

「よりにもよってミカエルが出てきた」

流石に父も驚いた。

だが、その顛末を聞くと、苦笑する。

「そうか、ミカエルにも見捨てられたのか、あの女は」

「知っていたのか、女だと」

「二度だけ遠くから姿を見たことがある。 風祭の戦力を持ってしても、今までは接近できない相手だったからな。 だが、連れている天使の様子がおかしいことは分かっていた」

ひょっとすると、だが。

ミカエルが口にしていた、契約した「まともだった」先祖の頃は、ちゃんとした本物の神格である天使を連れていたのかもしれない。

だが、それも彼処まで腐り果ててはどうしようもない。

いずれにしても、奴らはしばらく再編成に大わらわになるし。

此方もそれは同じ。

次に戦いが始まるのは何処かは分からないが。

その時も、私は最前線に立つ。

新人も育てておくが、それはそれだ。

「家に戻ったら、数日は休暇を楽しむと良い。 それからは忙しくなる」

「分かっているさ」

「それと、次の開戦の頃には、恐らくお前が組織の実質上の長になる筈だ。 日本限定だがな」

口をつぐむ。

そうか、今回の戦いで、私が抜擢されたのは、そういう理由もあったのか。

いずれにしても、私が成し遂げたことは大きかった。数年の停戦は、これで実現する。だが、油断は出来ない。

いつ戦いが再開してもおかしくない今。

これからは、一瞬たりとて油断できない時間が、始まるのだ。

 

金髪の王子ことファントムが足を運んだ先は、主が住んでいた街。既に死体の処理は完了。そもそも、此処には誰も住んでいなかったことになるだろう。

どちらにしても、路線バスも通っていないような田舎だ。

だからこそ、主の要塞には丁度良かったのだが。

側に、数人の子供達が来る。

今育てている、虎の子である。

魔女の一族の末裔。

今後、組織の趨勢を担う子供達だ。中には、分霊体では無い神格レベルの能力を発揮できる者もいる。

ただ、風祭純とやりあわせるのは分が悪い。

あれは今回の一件でもよく分かったが。

対怪異に特化した化け物だ。

がらんとした街では、警備の者達が周囲を見張っているが。ファントムは、連れている子供達の一人が使っている能力で。

まるでその場にいないかのように、彼らの間を通っていくことが出来た。

「殺さないの?」

「無意味な殺戮には意味がない」

「ふうん」

退屈そうに口にする子供の一人。

此方は殺意を操作する能力を持っており、この間の実戦投入では、中東のイスラム過激派数百人を、三時間で全滅させた。

戦闘タイプの能力者としては、あの風祭純を相手にでもしない限り、確実に最凶クラスと言える。

堂々と宮殿にまで辿り着き。

生命維持装置をつけられたまま放置されている主、カルネリアを発見。子供の一人が聞いてくる。

「どうするの?」

「生きているのは好都合だ。 このままでいてもらうさ」

「なおさないの?」

「なおせない」

ファントムも、少しばかり知識があるが。

これは完全に「壊されて」いる。

現代医学では直せない。

一人だけ、この中に対応が出来る子がいるが。それは使わない。主には、このままでいてもらう。

地獄の苦しみなどそれこそどうでもいい。

この主は、周囲に何をされても当然の存在だったわけで。

それが故に、風祭や、その協力組織との戦闘も激化。多くのビジネスがフイになった。

そもそも、最初から顔を出して、しっかり指揮を執っていれば、此処まで組織が混乱することも無かったし。

互角にまで戦況を持ち込まれる事も無かっただろう。

もっとも主が無能だったのは。

魔女の一族であるファントムにも好都合だったが。おかげで、組織をついに乗っ取ることが出来たのだから。

風祭が放置しておけと命じたのだろう。

生命維持装置だけがつけられている主。多分、多国籍軍も、これ以上の戦闘は嫌がるはずで、この宮殿は地上部分だけ綺麗にしたら撤退するはずだ。

後は、此処にこのまま主を残しておけば良い。

生命維持装置だけ適当に交換しておけば、後数十年は生きるだろう。

その間、体感時間がどれくらいになるかは知らないし。地獄の苦しみを味わい続ける事にも興味は無い。

この主が弱者をどれだけ踏みにじっても、何ら罪悪感すら覚えなかったのと同じだ。

状況だけ確認してから、宮殿を出る。

多国籍軍は撤退を開始しており、交戦する意味もない。

子供達の何人かは退屈そうにしていたが。

諫める必要もない。

この子供達にとって、ファントムの命令は絶対なのだから。

状況だけ確認してから、近くに停めてあるマイクロバスに乗り、移動開始。運転手だけは子供では無い。まあこれは当たり前か。

そのまま、パリまで移動し。

ホテルに。

子供達は、先に休ませた。

ファントムは、窓から飛んでいく飛行機を見やる。あれには風祭と、その仲間達が乗っているのだろう。

よくやってくれた、と言いたいところだが。

間違っても口にしてはならない。

今も、この部屋に盗聴器が隠されていても、不思議では無いのだから。ファントムに不満を抱く勢力も、組織の中には多いのだ。

テレビ会議のシステムを起動。

再編成を進めている組織の幹部達が、徐々に映り込んでいく。殆どは昇格によって幹部になり。

残りのわずかな連中は、彼方此方から、頭のねじが外れた奴をスカウトしてきている。

中には残虐さで知られるマフィアの幹部や。

独裁国家の高位軍人もいた。

ただ、幹部の質は、この間の大攻勢でかなり落ちた。敵は優秀な幹部ばかり間引いていったのだから、まあ当然だろうか。

しばらくは、人員の教育と。

戦力の補強が急務になるだろう。

ずたずたにされた情報網と、寸断されたコネも、何とか修復していかなければならない。相手も大きな打撃を受けていることだけが救いだ。

「それで、どうなった」

「確認してきたが、主は既に言葉も話せぬ身となった。 命はあるが、今後は何もする事が出来ないだろう」

「そうか……」

その場の全員の顔に、安堵が浮かぶ。

この人望のなさ。まあ、このような世界に住む人間だ。頭のねじが外れているのは仕方が無い。

だがあの主は。

必要とされる最低限のものさえ、持ち合わせていなかった。

多分、風祭純は、主が捨てられたことを教えただろう。それこそ、今となってはどうでも良いことだが。

「では、これより合議制に移行、ということで構わないだろうか」

「ああ。 とりまとめは君がやりたまえ」

「承知した」

ファントムは頷く。

実際問題、これでしばらくは時間が稼げる。

そしてファントムの提言通り事が進んだのだ。

これ以外の選択肢は無いし。

何よりも、此処にいる幹部達に、組織をまとめられる実力は無い。ファントムを代表としての合議制。

それ以外に、路は無いのだ。

だから今まで敬語で喋っていたファントムも、口調を変えている。

これからは、自分が主であると、示すためだ。

「さっそくだが、主の私有財産は全て回収する。 組織の資金源としては有用だし、もはや目を覚ますことも無い主には無用の長物だからな」

「主に家族はいないのか」

「いない。 主は当主に就任する際に、親兄弟を皆殺しにしている」

「! それは……」

皆が愕然としていた。

血で血を洗う修羅の世界。

それが欧州貴族。

これに関しては、今も昔も変わらない。財閥と貴族が名前を変えてからも、同じ事である。

主は悪い意味での政治闘争能力だけは長けていた。

だから、自分にとって邪魔な相手を、殺す事だけには特化していた。

ありとあらゆる陰謀を駆使して、邪魔者を皆殺しにして行ったのだ。

そして玉座についたときには。

もはや、周囲に生きている人間はいなかった。

不老不死の研究をさせていたのも。

実のところ、自分に使うこともそうだが。周囲に生きている人間をいなくさせるためだったのではないかと、ファントムはにらんでいる。

周囲の人間を全て操り人形にしておけば。

寝首を掻かれる恐れも無いからだ。

権力を得るためには、何をしても良い。

そううそぶいていた主は。結局の所、その言葉通りに行動し。周囲には、誰もいなくなった。

諫める者もいなくなり。

絶対的な自信が、最終的には壊滅的な破滅を招いてしまった。

もしも周囲に少しでも信用できる人間を作っておけば。

死人の街が壊滅していく中。

誰かに助けを求めるなり。

その忠臣に手を引かれて、街を脱出するなり。

選択肢は、幾つもあっただろう。

風祭純に対して、必死に立ちふさがって、時間稼ぎをしてくれたかも知れない。あれは対怪異特化であって。

人間が相手になれば、戦闘力もそこまで傑出していないのだ。

勿論強いには強いが、奴の部下にさえ上回る奴がいるし。

ファントムもこの間見てきたが。

実力的には、ファントムと五分程度とみた。

あれならば、多少の使い手が死ぬ気で掛かれば、逃げる時間くらいは作る事が出来ただろう。

傲慢と驕慢が。

あの女の全てを滅ぼしたのである。

「後の処置は任せて貰おう。 しばらくは、組織の立て直しで忙しくなる」

風祭純は、いずれファントムの前に姿を見せる。

その時は、最後の戦いになる。

この組織も、一気に衰退した。次の敵の大攻勢で、恐らくは瓦解するか、勝利するかのどちらかになるだろう。

後始末が終わった後。

すぐにでも、次の戦いが、控えているのだ。

 

3、ひとときの平穏

 

あくびをして、起き出す。

シロシュモクザメの抱き枕から離れると、私はそのまま洗面所に向かう。顔を洗って、しばらくはぼんやりと歯を磨くけれど。

やはり、決戦の後だからか。

少し、疲れが残っていた。

外に出ると、体を軽く動かす。鍛えておかないと、いざという時に、体が動いてくれないのだ。

今後、日本の裏側に君臨する魔王になるといっても。

警官である事に代わりは無い。

闇を支配する存在がいないから、この国の裏側はダメになった。

誰かが目を光らせていかなければならないわけで。

それが私しかいないのなら。

私が魔王になるだけのことだ。

一通りの動きを終えた後。此方に来る人影を見る。

佐倉だ。

この間の戦いでは、現地の部隊に混じって、随分活躍してくれたと、かごめが言っていた。

経験を積ませるためにも、乱戦で力を発揮して貰ったのだが。

やはり、めきめきと力をつけている。

「ウス。 おはようございます」

「軽く組み手と行くか」

「お願いします」

風祭本家に今日は寝泊まりしたのだが。

本家母屋の近くには、道場代わりに使える、そこそこに広い家がある。中には畳が敷き詰められている。

対怪異能力者でも、体術は必要だ。

札と式神だけ飛ばしていればいい、というような事は無い。

怪異の中には、人間を操る輩も多いし。

悪意がある怪異使いの中には。怪異を憑依させた人間を、鉄砲玉に仕立ててくるケースも珍しくないのだ。

だから、体は鍛えろ。

私は常々部下にそう言っているし。

自分でも鍛えることに執心している。

実践してみせることで。

部下達にも、手本を見せているのだ。

道着に着替えて、向かい合って礼。

軽く組み手を始める。

佐倉は術式や式神の扱いについてはかなり上達してきているが。体術関係はまだまだである。

センスはあるのだけれど。

これに関しては、やはり経験がものをいう。

何よりも、術の方の鍛錬にリソースをずっと割いていたことが大きい。

まだまだ、体術は未熟だ。

しばらく組み手をした後。

向かい合って、礼。

まだ私が加減しないと、一方的な戦いになる。幾つか細かい所を指摘してから、どう訓練すればいいかアドバイス。

精神論で強くはなれない。

モチベーションは重要だが。

強くなるには、論理的に訓練をしていかなければダメだ。

「有難うございました」

「ああ。 これからも励んでくれ」

着替え直すと、軽くシャワーを浴びる。

今日は久々の休日だ。

それも、恐らく仕事は来ないだろう。来るにしても、電話対応だけで済む筈だ。

ここのところ、オーバーワークが続いていた。

私は部屋に戻ると。

軽く休む事にした。

 

昼過ぎになってから、再び起き出す。

たまにはこんなのんびりした休日も良い。ぼんやりと、グッズ関連の情報を見ていく。新しいグッズの中に、結構入手難易度が高いものがある。手に入れる方法について考えていると。

電話が掛かってきた。

珍しい事に、羽黒からだ。

「すみません、休日に」

「どうした、事件か」

「いいえ。 ただ、少し気になることが」

「何か問題があるなら遠慮無く話してくれ」

分かりましたというと。

羽黒は説明してくれる。

例の死人の街。後片付けは一通り終わったらしいのだけれども。カルネリアの私有財産が、根こそぎ消えたというのだ。

まあ、それはそうだろう。

奴らにしても放置はしたくないだろうし。

何よりも、奴らが売ったのはカルネリアだけだ。

その私有財産に関してまで、此方に売り渡したわけでは無いのだから。

此方もそれを想定して。

出来るだけ、金目になりそうなものは傷つけずにおいた。今は、それだけ休戦が急務だったのだ。

「それが、です。 どうも消え方がおかしいらしく」

「どういうことだ」

「電子マネーや株券、債券などは別に問題ないのです。 ですが、宮殿にあった調度品や美術品の類まで消えているそうです。 それも盗賊が荒らしたような雰囲気ではなく、文字通り根こそぎ、綺麗に掃除までされていたとか」

「フランス軍は何をしていた」

誰も、何が起きたか把握していないという。

妙だ。

フランスでも、奴らの暗躍は問題視されていたし。この間の大攻勢で、軍内にいた奴らのシンパはあらかた消されたと聞いている。

そうなると、何かしらの能力者。

特殊な力を使って、この不可思議な事件を起こしたのか。

可能性は否定出来ない。

今、敵の組織は、あの金髪の王子が仕切っているはずだ。奴は、何かしらの特殊な私兵を温存していた可能性がある。

「続けて、情報を探ってくれ」

「分かりました」

「時に、今佐倉が道場で汗を流している。 話さなくて良いのか」

「別に問題ありませんよ」

そうか、と答えると、私は通話を切る。

やはり本人では無いのだな。

ゆうかが遭遇した、田舎の学校での悪夢の一夜。その時命を落としたゆうかの親友が、羽黒薫。

そして私達と一緒に戦った刑事の名前も羽黒薫。

死者の名前を使ったのは、今いる羽黒薫が、名前通りの人間では無いから、であることは知っていたが。

今の反応を見ると。

それが真実である事が、見せつけられる。

今の羽黒は、一体何者だ。

いずれそれも、組織をしっかり掌握していく過程で、分かってくることだろう。まあ、それは今すぐ調べる事では無い。

考えを切り替える。あくびをすると。グッズを入手するための算段を練る。

まだ数日はゆっくりすることができる筈だ。

その間に入手してしまうことにしよう。

 

翌朝。よく眠れた。久しぶりに本家で、安全な状況で眠ったからか。疲れも良く取れている。

まだ五時半だが、外に出る。

鍛えている人間の朝は早いのだ。

軽く体を動かして、また筋肉を温めておく。

小暮は言っていた。

あの金髪の王子は、自分なら勝てると。

つまりその次元の使い手だ。

今の私では、正面からやり合って勝つ確率は決して高くない。それならば、最悪の事態に備えて、鍛え直しておくのが吉だ。

白蛇王を呼んで、軽くアドバイスを受ける。

白蛇王は、武術に関しても、相当な専門家だ。歴代の当主の教師をしていたのだから、当然とも言えるか。実際問題、呪術だけだと応用が利かない場合も多い。歴代当主の中には、剣術を極めていた者や、格闘技に相当に精通していた者も珍しくないのだ。

小暮の武術についても、かなり詳しく解説をしてくれたことがある。小暮の場合は、才能に加えて、実戦的な武術を一通りやっているのが大きい。それにより、対応力を上げているという。

確かに金髪の王子の武術がシラットらしいというのを、一目で見抜いた。

怪異の専門家が私なら。

小暮は武術の専門家だ。

白蛇王が、その強さの秘密をすぐに見抜くのも、当然と言えるか。

「もう少し強くなりたいが、どうすればいい」

「主の体格だと、やはり限界があります。 そうなると、速さと一撃必殺を極めていくしか無いでしょう。 どれだけ屈強な人間でも、どうしても守りきれない急所はありますから」

「やはりそれか」

ならば、如何に精密な攻撃を、正確に入れていくか、しかないだろう。

経絡秘孔への打撃は、どうしても防げない。これに関しては、どんな達人でも同じである。

例えばレスラーなどは、全身を分厚い筋肉で守っているが。

それも、どうしても防げない急所はあるし。

技を失敗して、半身不随になる事があるように、鍛えることにはどうしても限界があるのだ。

しばらくして、泊まり込んでいた佐倉が起きて来た。

ゆうかの所には、今別の護衛をやっている。その護衛が、あまりにも怪異に絡まれるので面倒くさすぎると、悲鳴を上げていた。佐倉は今日にはゆうかの所に戻す予定だ。それまでに、ある程度鍛えておきたい。

軽く組み手をする。

進歩は誰もすぐにはしない。

天才だって、即座に何もかもできるわけではない。漫画だったらともかく、どんな天才だって、自分なりに努力しながらスキルを上げていくのだ。

佐倉も同じ。

此奴は特殊な体験で特殊な体質になったが。だからといって、術の底力が上がっただけで。何でもすぐに出来るようになったわけではない。

組み手をして、何カ所か昨日と同じミスについて指摘。

頷くと、佐倉は自主練をしばらくしていた。

私もそれを見ていて、自分の技術について分析する。

他人に教えるには三倍の知識がいる。

他人に教える事は、自分を鍛えることにもつながる。

ただ、名選手が必ずしも名監督ではないように。

私も、他人に教える事が得意なわけではない。途中から、白蛇王が佐倉に指導するのを見ながら、自分でも鍛錬を続ける。

白蛇王は細かい所までよく見ていて。

動きを逐一修正しながら、どうすれば良い、こうすれば良いと、アドバイスを続けていた。

「メシにするか」

「ウス」

一通り動いたところで、食事。

大盛りの白米を口に入れて。動いた分の栄養を取り込む。

佐倉はもうゆうかの所に帰ると言う事なので、札を何枚か渡しておく。いずれもそこそこ使える式神が入っているものだ。

「持っていけ」

「ありがとうございます」

「ああ」

いずれにしても、眠らせておく式神は少ない方がいい。ちょっと張り切って狩りすぎたせいで、本家の精鋭達も式神が多すぎて把握できないと文句を言ってきているのだ。かといって、式神を譲渡したり売ったりするのも気が進まない。

私は車に乗ると、店に出る。

店が開くまでまだ時間がかなりあるが。グッズをゲットするためだ。このくらいは、苦にならない。

かごめからメールが来る。

良くしたもので、別のグッズ専門店で既に並んでいるそうだ。

彼奴も好きだな。

苦笑すると、店の者から整理券を受け取る。幸いこのグッズは転売屋に目をつけられていないらしく、それらしい連中はいなかった。

ひどい場合は、明らかに転売屋に雇われたホームレスが、群れを成しているケースもあるのだけれど。

此処にはそれらしいのは一人もいない。

若い女性や子供、その親ばかりだ。

店が開く頃には、相応の行列ができていたが、多分全員が買う事が出来るだろう。私も勿論入手できた。

今回のはちょっとした変わり種。

ポットである。

例の猫のキャラクターが、ポットの横側に、ミトンを持った絵で記載されていて。湯が沸騰するとオルゴールが鳴る仕様になっている。

ちょっと値は張るが、まあ使って見ないと何とも言えない。

早速家に飛んで帰って、湯を沸かしてみる。

湯の使い路が無いが、まあそれはいい。

その辺にでも撒いておけばいいのだから。

「そんなもの、どうするんですか」

「良いんだよ、好きなんだから」

あきれ果てた様子の白蛇王。

しばらくは、こうやって、好きなものを単純に楽しみたい。こんな平穏は、どうせ長続きしないのだから。

携帯を弄って、かごめのブログを見てみる。

向こうでも入手したようで、早速ブログを更新していた。

オルゴールが鳴る。

湯が沸いたのだ。

色々と見てみるが、最低限の実用性はありそうだ。家の者を呼んで、手入れの方法について指導しておく。

埃を被らせるのも可哀想だし。

本家に帰ってきたときは、これを使って茶でも飲むとしよう。

夕霧夏美が丁度いたので、茶を淹れてくれと頼むと。

ポッドを見て、呆れたように嘆息した。

「別に構いませんが、温度を測る機能はついていないんですか、これ」

「ん、それくらいどうにかならないか?」

「どうにかなりますが、茶を淹れるには最適な温度があります。 まあ、私は大体読めますけれど、慣れない子にこれを使わせない方が良いですよ。 きっと美味しくないお茶が出てきます」

「ああ、そうか……」

てきぱきと茶を淹れる夏美。

私はしばらくぼんやりとソファに寝そべっていたが。

猫のようにあくびをして。

出てきた茶を啜る。

しばらくは、こうやって、平和を過剰なくらい満喫しよう。それがいい。

かごめのブログが更新されている。

見ると、ポッドの評価はそこそこのようだ。実用性はあるし、デザインは可愛いので、愛好家は買って損なしと書いてある。

私も同感だが。

夏美はそうではない、というだけだ。

茶は美味い。

ちゃんとした温度で、ちゃんとした手順で淹れたのだから当然だ。

もう一つあくびをした私に。

夏美は、くどくどと、お小言を言うのだった。

「横になっていると豚になりますよ」

「今まで散々働いていたんだし、今回も熾天使の本物とやりあう所だったんだぞ。 少しは休ませてくれ」

「そういうなら仕方がありませんね。 でも、あまりダラダラしていると、癖になりますからね」

「分かっているさ」

やる事は、いくらでもある。

敵だって、もう動いているのだ。

さて、休むのは今日までだ。明日からは、組織の再編成に、本格的に動くとしよう。そして、奴らが大人しくしている間に。警視庁に手を入れて、可能な限り有能な人材を抜擢し。

同時に未解決の事件を、可能な限り潰しておく。

もう一つ、あくび。

今日だけは。

徹底的に、ダラダラする。

呆れた様子の夏美だが。此奴ももうすぐ、警官として部下に加わって貰う。実は編纂室の後釜に入れようと思っているのだ。今度入ってくる警部が、かなりの変わり者らしいので、補佐としてこういう堅物がついていた方が良いだろう。

「もう一杯頼めるか」

「はい」

そういえば、此奴が警官になったら、もう私のマンションには掃除にも炊事にもこなくなるのか。

そう思うと。

少しだけ寂しいものだなと、私は思った。

 

4、暁

 

私が任されたのは、そこそこ大きな部屋。

既に用意された二十名ほどの部下が、勢揃いしていた。私は階級的にも警視だし、このくらいの部下は既に備えていて当たり前なのだが。

此処にいる二十名は。

今までの事件の合間に小暮が選抜したり。

元々上部組織にいたりした、精鋭ばかりである。

捜査一課とは違う意味での精鋭だが。これから私は、今までとは規模が違う捜査を、このチームでやっていくことになる。

霊感持ちもいる。

ただ、当面は鍛えなければならないひよっこだ。

霊感があると言うだけで、此処に抜擢したのである。

さっそく、事件が廻されてきている。

上部組織も、今のうちに人員を可能な限り育成して、再度戦いが始まったときに備えようと、必死になっているのだ。

私も幹部待遇で会議に出たから、その辺りは嫌と言うほど聞かされている。

実際今までの戦いは、相当苦しかったし。

この間の総力戦では、殉職者も、引退者も、かなり出た。犬童警視正もその一人だと考えると。

色々と感慨深い。

事件の概要を、全員に配る。

元捜査二課のベテラン刑事が、小首をかしげた。捜査二課は詐欺や知能犯、汚職などを追う部署である。

「これは、いわゆるネット犯罪ですか? 誰かがこれでどう利益を上げているのかが、さっぱり分からないのですが」

「その通り。 ただのネット犯罪では無いな」

どうにも妙なのだ。

変な都市伝説がネットで流れていて。それによる怪事件が続発している。都市伝説は近年、ネットを使って爆発的に拡散するケースが多いのだが。

この都市伝説に関しては、拡散する要素が見当たらないのだ。

金になる要素も無い。

内容的には、あるウィルスにPCが感染すると、変な手形が入った手紙が送られてくる、というもので。

開封すると、不幸になる、というものなのである。

妙なことに、この手紙を受け取ったという人間が、異様に多い。既に数十人が、手紙を受け取ったと証言し。

実際にSNS等で、その中の数人が負傷したりといった不幸になっていると発言している。

しかもこの手紙。

拡散される要素も無いのである。手紙を受け取った場合の回避策として、他の人間に手紙を送るとか、ウィルスをばらまくとかが、都市伝説としてはセットになるケースが多いのだが。

それもない。

ウィルスそのものが、何よりもメールの添付ファイルなどから感染するタイプでは無くて。ネットワークを通じて感染するものだ。

ちなみに、ウィルス対策ソフトの製造元各社は対策を進めているようだけれども。どんどん亜種が出て、いたちごっこになっているようである。

たかが数十しかPCが感染していないという話なのに、である。

怪異の気配もある。

言霊が、力を持ち始めているのだ。

だが、どうしてウィルスから手紙。

前にチェーンメールを受けて、それが事件の切っ掛けになったことはある。しかしあれは、そもそも私の所に意図的に届けられたものだった。

今時紙の手紙での詐欺は減ってきているし。

そもそも、ウィルスに感染したとして。

個人情報が流出するにしても、住所をぴたりと当て、しかもわざわざ変な手紙を送ってくる意味が分からないのだ。

不幸にあったという証言はいくらでもあるが。

金銭を取られたとか、口座を抜かれたとか、そういう情報が一切出ていないのも、気になるところだ。

「まず現物を手に入れたい。 この不幸というのが気になる。 皆も知っているだろうが、我々が追う事件は、通常のものとは異なる。 この世には怪異が存在している。 それを前提として動く事になる。 怪異は最初は力が弱いが、噂が広まればどんどん殺傷力を増していく。 だからそうなる前に潰す」

こういう話ができるのは嬉しい。

前はかごめがいたし、何よりこんな話を堂々とできる状況でも無かった。

ちなみにかごめは別件で動いている。

というか、プロファイルチームを掌握して、ばりばり事件を片付けている様子だ。既に迷宮入りしていた事件を、三つも潰したそうである。

これは負けてはいられない。

「すぐに各自動いてくれ。 人員については……」

私がすらすらと全員の名前を呼ぶので、驚いていた様子だが。部下達はそれぞれ割り振った仕事をこなすべく散る。

動きは速い。

流石にこの国の裏で、奴らと渡り合ってきた精鋭と。小暮が彼方此方で目をつけてきた部隊だ。

一人もたもたしているのがいるが。

そいつは、そもそも霊感があるだけでスカウトしてきたので、別に良い。何かあった場合に、アラームになるのが仕事だ。

私はと言うと、兄者に電話。

兄者も、この話は既に掴んでいた。

「例の黒い病手形だな」

「そんな風に呼ばれているのか」

「ああ。 間宮が大喜びで調べに行った。 佐倉が血相変えて追っていったがな」

「相変わらずだな……」

流石に兄者は、色々ともう先行して情報を知っていた。

幾つか気になることを聞いたので、メモをしておく。

以前ネット対策課にいた者が、その間にプロバイダに連絡を取り。被害にあったという人間を割り出していた。

SNSや掲示板などの書き込みから、特定したのである。

「一人ずつ廻るぞ。 三人、ついてこい」

「分かりました」

小暮だったら一人で充分なのだが。

彼奴は今、訓練で大忙しだ。

本庁の刑事全体の質を上げると同時に、若手のスカウトを並行で行うため、かなりハードなメニューを組んでいる。

小暮自身も、実力を高めたいのだろう。

妥協無く、厳しく訓練をしている様子だ。

そんな訳だから、今回は小暮無しで行く。まあ大丈夫だろう。

すぐに、一人目の家に。

アパートに住んでいるそいつは。私が手帳を見せると。私を見て、手帳を見て。そして愕然とした様子だった。

「あ、あの、なんで警察が」

「幾つか聴取したいことがありましてね。 任意同行までは求めませんので、此処で話を聞かせて貰えますか」

「は、はあ」

痩せた男は、目の下に隈を作っていた。

何でもIT系の企業でシフト勤務をしているらしく、毎日メタメタに疲れ果てているという。

分かる。

シフトは実労働時間以上に体力を消耗する。その仕事の内容も、非常にムラがあることがおおい。

ましてや、この痩せた男の仕事は、日勤夜勤ない交ぜで、一日15時間という非道なものであり、しかも残業確定。

休日も決して多くは無い。

しかもそこそこの大企業関連の仕事というのだから、まるで救いが無い。

「特に何もしていないッスよ。 ウィルスにやられた、と思ったからすぐにネットからPCを隔離しましたし、ウィルス対策ソフトのパッチも当てました。 ウィルスはウィルスで、感染しても悪さをする様子も無くて……」

「個人情報を抜かれたり、メールソフトで変な情報をばらまいたり、ということもなかったのですね」

「ええ、それがまた妙で……」

確かに妙だ。

そもそもこの男は、セキュリティ関連の仕事をしていることもあって、PCに個人情報は入れていないし。

ウィルスに感染したのには、即座に気付いたという。

その後の対応も間違っていない。

だが、どうしてだろう。

手紙は来た。

手紙の現物を見せてもらう。

くれるというので、貰った。

中を見ると、確かに黒い手形だ。それも、実際に人間の手に墨を塗って作ったような雰囲気では無い。

デジタル写真を加工したもの。

それも、色がついていたものを、黒塗りしたような代物だ。

「これが来てから、ラップ音はするし、変な声が家の中でするしで、気味が悪くて仕方が無いッスよ。 引っ越そうかと思っていて」

「平井、青山、彼を連れて外に」

「分かりました」

「ちょ、何ですか」

中を調べさせて貰う。

雑然とした小さなアパートだ。中は清潔とはお世辞にも言えない。一人暮らしをすればしっかりするとかいう都市伝説が大嘘だとよく分かる部屋で、ちらかり切っていた。

見ると、確かに悪霊が集まって来ている。

しかし、デジタル写真の手だ。

なんで悪霊を集める効果が生じている。

いずれにしても、浄化はしておくか。

一喝。

アパートが、ドカンと揺れて。部屋に群れていた悪霊が、根こそぎ消し飛ぶ。更に、アパート全体に結界も張っておく。

これで、この部屋は大丈夫だ。

元々この手紙に引き寄せられてきていた悪霊だ。居着いていたわけでは無い。

今いるのを処理さえしてしまえば。

もう現れる事も無いだろう。

平井と青山を戻す。不安そうにしている男に、出来るだけ優しい笑顔を作って言う。

「もう大丈夫ですよ。 変な現象は起きないはずです」

「そうですか……」

男は、確かに空気が変わったと言った。

ちょっとだけでも、霊感があるのかも知れない。

手紙は気味が悪いからくれると言う。

もし次に手紙が来たら、連絡して欲しいと、連絡先を渡しておく。ちなみに私のでは無くて、平井のだ。

さて、次だ。

今の時点で、四人が判明している。

その全員を、今日中に廻る。

怪異が凶悪化する前に、勝負を付けなければならないからだ。

順番に廻っていくが。

不思議な事に、IT系の企業に勤めている人間ばかりである。しかも、家族がいる者は一人もいない。

皆東京に出てきて、一人暮らしをしている、田舎出身者だ。

来ている手紙もみな同じ。

手紙の現物が、どこから送られているか。別チームが探っているが。それもまだよく分からない。

連れてきている三人目、白井に手紙を渡して、一旦調査チームに戻らせる。分析班に調べさせるためだ。

ちなみに分析班の方には、猿王と天狗を護衛として着けている。

生半可な怪異が出てきても、一瞬で追っ払うことが可能だ。

ニセバートリーもそっちに廻している。

今本部に残している霊感持ちを介して、何か変なことがあったら、すぐ知らせてくる態勢を構築済みなのである。

人数が多いから出来る状況だ。

さて、捜査続行。

四人目は、なんと小学生だった。

やせこけた女の子で、一人暮らしである。

アパートの内部は、汚れきっていて。

両親はと聞くと。別のアパートで、それぞれ愛人を作って、好き勝手をしていると言うのだ。

あきれ果てる。

完全なネグレクトでは無いか。

「平井、児相に連絡しておいてくれ」

「分かりました」

「それで、何の用ですか……」

「変な手紙が来ているね。 それから、変な目にはあっていない?」

出来るだけ優しい声を作るが。

相手は不審に満ちた目を向けてくるばかり。

気持ちについてはよく分かるが。

古橋という名前のこの女の子は、ろくに学校にも行っていないようだった。

頭を掻く。

夏美に連絡して、来て貰う。家の中は異臭がしていて、典型的なゴミ屋敷。金だけは渡されているようだが。中には、コンビニ弁当の残骸が散らばっていて、ゴキブリも徘徊していた。

「掃除をしても大丈夫かな」

「え、警視」

「この様子では、証拠どころじゃ無い。 まずは被害者の安全確保が優先だ。 それにしても小学生を一人アパートに残して、両親揃って愛人と行楽三昧だと……」

青山が不満そうに言うが、私がマジで頭に来ていることを悟って、口をつぐむ。

古橋はしばらく黙り込んでいたが。

夏美が来て、掃除をてきぱきと始めると。初めて口を開いた。

本気で此方が対応してくれていることに、気付いたからだろう。

「何だか、ネットで情報を漁っていたら、変なウィルスに感染して。 これでも、ネットの防御には自信があったのに」

「防御に自信?」

「両親が仲が良かった頃に、ハッキングコンテストで賞を貰ったことがあったんですよ」

そういえば、企業が自衛のために、ハッキングコンテストをしているという話を聞いたことがある。

実際、高いスキルを持つハッカーの中には、中学生もいると聞いているが。

この子はまだ小学校高学年だ。

背はすらっと高いが。まだ子供なのである。

それでも、実力は図抜けていると言える。

いずれにしても、そうなると、普通のウィルスでは無いな。

「ウィルスの現物はある?」

「保存してあります。 情報も外には漏れないようにしてあります。 それなのに、なんで手紙が来たんだろう」

「……いずれにしても、もう安心して良いよ。 後は私が何とかするから」

てきぱきと掃除を終えた夏美が呼んでくる。

綺麗になった家を見て、古橋は驚いているようだった。

さて、誰が何の目的でやっているかは分からないが。

いずれにしても、叩き潰すだけだ。

ただ、この子の方も、どうにかしておかなければならない。

かごめに連絡。

児相だけでは、対応出来ない可能性がある。

状況を告げると、すぐに動いてくれる、という事だった。クズ両親はすぐに逮捕できるだろう。

その後の処置も、どうにでも出来る。

てきぱきと動く私を見て、上目遣いに不安そうにしている古橋。

こういう子を守るためにも。

私は警官として。

これからも頑張って行かなければならないのだ。

そしていずれ魔王になり。

こういう不幸な子を出さないためにも。

世界の闇を管理していかなければならないのである。

 

(続)