最後の狂気
序、その祟り神の名
古くから、人間は犬と共にあった。犬は唯一人間と共に生きることを選んだ生物だとも言える。
狩りの友としても。
家を守るものとしても。
犬は、古くから人を助け。そして、人も犬に感謝してきた。特に狩猟民族の性質を持つ文化圏は、犬を大事にする傾向がある。
だが。必ずしも、犬を尊重する事だけが、文化では無かった。
狩が終われば弓はしまわれ、猟犬は煮られ食べられてしまう。
中華の古いことわざだ。
アジア圏全域に、古くは犬食の文化があり。それは日本でも例外では無かった。昭和の頃には、東北と九州を除いて絶滅していたが。残った犬食文化も、21世紀になる頃には、消滅していた。
未だにアジア圏の一部では、犬食文化が健在だが。
これは、犬を大事にする文化の人間には、とても耐えられないものである。それが文化であると言っても、納得できないほどに。
そして、犬を食べるだけでは無く。
最低最悪の祟り神にする呪術が、実在しているのだ。
それこそが、犬神。
私は、歩きながら、小暮にそれを聞かせる。
「犬神というのはな。 呪術の一種だ。 犬を首まで地面に埋め、虐待の限りを尽くし、最終的に首を刎ねる。 人間に対して憎悪をため込んだ犬の怨霊は、扱い方次第で、呪いたい相手を殺す」
「何とも、非道でありますな……」
「呪いというのは大体がそういうものだ。 おぞましく邪悪で、そして実際には怪異としての力しか無い。 だが、犬神の場合は少しばかり特殊でな。 犬という人間と慣れ親しんだ生物を呪いに使っているのが原因で、その凶悪化が著しい」
「先輩が其処まで言うのなら、恐ろしい存在なのでありましょうな」
まあ、その通りだ。
実のところ、噂には聞いていた。東京には、実に二百人以上を祟り殺した犬神が存在していて。今も闇を彷徨っていると。
実際の数は分からない。
二百人以上というのも、誇張された数字かも知れない。
だが、それが真実だと言う事は、この間道明寺の言葉からも明らかになった。嘘つきで得体が知れない道明寺だが。
状況証拠から考えて、この凶悪な犬神が、犬童警視、今は警視正の追っているカタキで間違いないだろう。
犬神は凶悪化すると、相当な手練れの対怪異能力者でも返り討ちにする事がある、強力な怪異だ。
海に住まう怪異も戦闘力が上がる傾向があるが。
犬神の場合は、殺した相手の数だけ戦闘力が上がるという特質も持ち合わせている。
ちなみに私は、今まで四度交戦したが。
そのいずれもが、特に強い怪異だと認識させられたほどの相手。
勿論いずれもを倒したが。
私は、あくまで能力を対怪異に全振りしているから倒せたのであって。他の対怪異能力者のように。
対人戦や、対物理の能力を想定している場合。
手こずるどころか、返り討ちに遭う可能性も、想定しなければならないだろう。
今の時点で、奴らはこの間の掃討作戦で、壊滅的な打撃を受けている。だが、犬童警視正が犬神を仕留められていないと言う事は。
まだ何かしら、横やりを入れている可能性が高い。
その横やりさえ潰せば。
恐らく、犬童警視正なら勝てるだろう。
あの人の実力は私も良く知っている。そして、あの人は、そうしない限り。死ぬ事も。引退する事も。
体がボロボロなのに、出来ないだろうから。
「しかし、どうやって探すのですか。 先輩や犬童警視正が見つけられないほど、巧妙に逃げ回っている相手なのでしょう?」
「ああ、それでな。 風祭の人事権を使った」
「そういえば、当主に正式に就任したという話でしたな」
「そうだ。 風祭の情報ネットワークは、警察とは違っていて、対怪異に特化している面がある。 有名どころの対怪異能力者や、対怪異の道具を作っている人間には、風祭の名を出せば、大体話ができる」
今向かっているのは、西向という男の所だ。
情報屋として、裏側ではそこそこ名が知られている男である。
実際には、情報屋という存在は、あまり数が多くない。刑事ドラマなどではかなりの数がいるように描写されているが。
しかしながら、今は情報の拡散が非常に速くなっている事もある。
昔と違って、事情通という存在が、居づらくなってきているのだ。
事実、日本の警察は非常に情報収集能力が高く、敢えて非合法の情報屋に頼るケースは多くない。
あるにはあるが、それは非常にアングラな世界が関わってくる事件の対策時や。
或いは、海外の犯罪組織などが絡んでいる場合などだ。
ただし、怪異関連となると話は別。
やはり様々な怪異に対する情報を知りたがる能力者は相応の数がいて。風祭も、その例外ではない。
父母も何人か情報屋を飼っていて。
それらから、情報を得て。私を連れて、怪異を狩りに出かけたものだ。
私も、交渉をさせられた事があるが。
風祭の跡取りと聞いた情報屋は、その場で途端に口を軽くするので。子供とみて侮りまくっていた情報屋の態度を思い出すと、思わず口をへの字に結んでしまう。
そういうわけで、情報屋はあまり好きでは無いのだけれど。
今回は、足を運ばなければならない。
勿論、犬童警視正は、自分の事を喋ったら殺す、位のことは言っているだろう。だから、聞き出すのは。
犬神退治に必要な情報だけだ。
小さなバーに入る。
其処で、指定されている席について、事前に決めている酒を頼む。まあ私はこんな見かけで、しかも国民的な人気を誇る猫のサイドポーチ(ピンク色)を着けているが。此処の店主は、私の知り合いなので問題ない。大体今日は私服だ。スーツではないので、不自然な格好では無いぞ。
むしろ、側に座る小暮の方が、居心地が悪そうだった。
足が悪い老人が、小暮と反対側の隣に座る。
「あんたかね。 久しぶりに会うねえ」
「西向、老けたな」
「ああ、そうだよ。 まあ前にあったのは、八年も前だし、この年になると老けるのも早いんだよ。 あんたは、相変わらず小学生みたいだな」
「……」
小学生呼ばわりとは、流石に心外である。まあ、私は心が広いので、聞かなかったことにしておく。
西向亮平。昔は対怪異能力者だった男。現役引退後は、情報屋に転向している。
情報屋としての報酬は、怪異のレンタル。
既に怪異を見る能力も失っている西向は、恨みを買った怪異に、いつ殺されてもおかしくない。
だから、情報を提供する代わりに、恨みを晴らそうと襲ってくる怪異から、身を守ってくれというのである。
まあ、これもまた。
対怪異能力者の末路の一つとも言え。
ある意味たくましいとも言えるのだろう。
能力の消失は、体質によっては突然起きる。なすすべ無く右往左往して死んでいくケースも珍しくない。最初から備えて、今も生き延びているこの男は、とてもよく頑張っている方だ。
「それで、何が聞きたい」
「犬童蘭子の居場所」
「それは言えない」
「だろうな。 どうせ言ったら殺すとでも口止めされているんだろう。 それに今の犬童警視正、野獣も同然の筈だ。 下手に口を滑らせたら、その場で殺されかねないだろうからな」
よく分かっているな。
そう西向は、苦笑い。小暮は戦々恐々としているようだった。つまり、とんでもなく危ない橋を渡っている事を、思い知らされているからだろう。
「直接居場所は教えられないが、どうも犬童に手を出そうとしている連中がいるらしくてな」
「犬神目当てか」
「そうだ。 この間もまとめて十人以上殺されたらしいと言うのにな」
馬鹿な連中だ。
だが、そんな馬鹿でも、犬童警視正の足を引っ張りに来ているとなると。戦いに集中できなくなるだろう。
潰しておく必要がある。
「これだ」
写真を見せられる。
それは、見るからに。
尋常では無い邪気を放っている代物。
ものとしては、ネックレスが近い。青黒い宝石がついていて。多分怪異が見えない人間には、極めて蠱惑的に見えるはずだ。
だが、怪異が見える人間には違う。
これはまさしく、悪夢のネックレス。
今、恐らく。
日本にいる、最強の怪異が宿っているのだから。
「なるほど、物に逃げ込み、持ち主を殺しながら点々と各地を彷徨っている、というわけだ」
「その通りでな。 今の持ち主は犬童だ。 そして、もはやこのネックレスから離れられなくなった犬神と、連日死闘を繰り広げている」
「其処へ、横やりを入れているバカがいる、というわけだな」
「そうなるな」
厄介だな。
いずれにしても、犬童警視正は、今や野獣と同じ状態。敵討ちのためなら、それこそ何でもするだろう。
そして、この間壊滅させた奴らだが。
まだ実働部隊を残していて。
それが犬神を狙って、犬童警視正を邪魔している。そう考えるのが、自然である。
面倒極まりない。
舌打ちすると、私は。料金を追加で払った。
今回は、徹底的に下準備をしてから、戦いに赴きたいのだ。下手をすると、犬童警視正が激怒して牙を剥くかも知れないのである。
今のあの人は、そのくらい危険な精神状態の筈だ。
「もう一つ話を聞きたい」
「何だね」
「此奴に見覚えは」
それは、写真では無くて、イラスト。
専門家に描かせて、私が精査したもの。
例の金髪王子こと、幽霊。
奴らの大幹部と見なされる人間のものだ。
しばし見ていた西向だが、首を横に振る。
「此奴自身は知っている。 例の組織の幽霊だろう。 あんた達が日本にいる奴らの戦力を壊滅させた後も健在で、今はどこぞに潜んでいる、と言う話だが」
「見当はつかないか」
「此奴はもの凄く用心深いことで有名で、飛行機などの移動も自家用機で済ませているって噂があるくらいだ。 俺の所にも、情報は来ていない」
「そうか。 それならばいい」
席を立つ。
そして、小暮を促して、店を出た。
小暮は、困り果てていた。まあ、私としても、分からんでもないとしか言えない。
「ネックレス一つだけで、どうします」
「そうだな。 今犬童警視正が持っているとなると、質屋などに当たっても意味がないだろうしな」
恐らく、その前の持ち主は、死んだか、それとも。
ひょっとすると、犬童警視正が、死ぬ前に奪い取ったのかも知れない。緊急措置だし、仕方が無い。
犬神に喰われて、久遠の地獄を味わいたい人間などいないだろう。
だから、人事権を発動する。
風祭の能力者を、四名ほど呼び寄せている。
いずれも戦闘には長けていないが、探索力に関しては、エキスパートと言って良い連中だ。
此奴らに、戦いが起きている場所を探知させる。
それだけでいい。
戦いには関与不要と、指示を出してはある。
実際此奴らの腕では、犬神にはとてもかなわない。
それほど危険な怪異なのだ。
そして、犬童警視正さえ捕捉できれば、後は横やりを入れることを、防ぐ事だって出来るだろう。
これだけの長期間戦っているのだ。
犬神を、あとちょっとまで追い詰めているはずだし。
もし、仮に犬童警視正が負けたとしても。
次の瞬間には、犬神を私がぶっ潰す。
それだけだ。
私自身も、手持ちの式神を周囲に展開。
戦闘が起きていないか探らせる。
児雷也がひょっとしたら情報を持ち帰る事が出来るかも知れない。とにかく、今は手数が重要だ。
だが、事態は想像よりも厳しい。
戻ってきた式神達は、口を揃えるのだった。
「ダメです、見つかりません」
「……そうか」
風祭の能力者達も。
式神を大量に展開している様子だが。成果は芳しくない。今の時点では、全員が成果無し、である。
「見つかりにくいところで戦っているのでは」
「そうだな……何しろ横やりをもう入れられているだろうしな。 人目が着きにくいところで戦っている所でやりあっているとしても不思議では無いな」
「廃ビルや、地下でしょうか」
腕組みする。
廃ビルの可能性はあるが、それは皆真っ先に探しているはず。
というのも、怪異の伝承があるのが、こういった暗くて、人の気配が喪失した場所だからだ。
犬神も戦いやすいだろうし。
犬童警視正も、言霊の力を使うなら、戦闘力をブーストできるはずだ。
見つからないという事は、別の場所なのか。
そうなってくるとすると。
地下か。
地下と言っても、地下鉄の構内などではないだろう。
あるとしたら、巨大な貯水槽。
大雨の時などに、水を逃がす仕組みとして作られている、非常に巨大なあれだ。大雨になって水が流れ込んでくるリスクはある。
だが、戦いには、もってこいだし。
横やりだって、入れられづらい。
小暮のアドバイスも入れて、式神達を再び走らせる。
「時間的に厳しいな」
「時間でありますか」
「そうだ。 犬童警視正は、体がもうボロボロで、内臓も幾つもやられているんだ。 恐らく昔に、犬神にやられたんだろう。 あれだけ執念を燃やしている様子からすると、家族を皆殺しにされたのかも知れないな」
「……」
犬神だけだったら。
それでも勝つだろう。
だが、横やりを入れられたら、不覚を取る可能性もある。それは、避けたい。犬童警視正には、思いを遂げさせてあげたいし。
何より、この東京で、数多の命を喰らった最悪の犬神を、野放しには出来ないのだ。
「今夜は徹夜になる。 栄養ドリンクを買ってきてくれ」
「分かりました。 先輩は」
「仮眠を取っておく」
小暮の軽を止めている駐車場に移動。
そして、小暮に買い出しは任せて。
私は助手席に座って、しばし眠ることにした。
病み上がりとは言え、体の方はもう完全と言って良いが。それでも、無理は出来ない状態だ。
小さくあくびをすると。
私は、助手席で、2時間ほど寝ておこうと思った。
1、死の連鎖
朝が来る。
式神達からは、芳しい連絡はまだ来ていない。栄養ドリンクにも、手を着けていない。今の時点では、まだ必要ないからだ。
適当に朝食にする。
小暮が此処が良いと言う店に入って。モーニングセットを頼んで口にしていると。携帯が鳴った。
風祭の手の者からだ。
結構美味しいモーニングだったので、ちょっとイラッとする。まあ、見つけてくれたのだから、文句は言えないが。
「戦闘を探知しました」
「何処だ」
「それが、奥多摩です」
「なるほど、随分と面倒な場所を選んでくれたな」
東京最後の秘境、奥多摩。
天然記念物まで住んでいる。陸続きの範囲内での東京では、信じられないくらいの田舎である。
どうも、其処にある古い廃病院の地下で。
数日、戦闘が続いている様子なのだ。
そこそこの規模の病院らしいが。あの人が本気で戦闘を続ければ、いつ崩落してもおかしくないだろう。
急ぐ必要がある。
モーニングセットを手早く片付けると。小暮に出る事を促す。
その前に。
意外すぎる人物が、姿を見せた。
あの金髪の王子である。
即座に拳銃に手を掛ける私に対して、金髪の王子は、艶然とほほえむのだった。小暮も、私を庇うように、半歩前に出る。
「お久しぶりですね、小さな対魔師」
「小さなは余計だ。 それで何用だ。 今、取り押さえても良いんだが」
「まだ私と貴方が考えているような存在とのつながりについては、確定できていないでしょうに。 良いんですか?」
「……」
そうだ。
此奴は兎に角用心深くて、まったくという程足跡を残さない。
幽霊の言葉の所以だ。
小暮も、言葉一つ掛ければ、即座にこの幽霊を投げ飛ばすだろうが。
それが出来ないのである。
だが、此処で無理に殺してしまうと言う手もある。
此奴さえ抑えれば。
どれだけの惨禍を防ぐことが出来るか、分からないからである。それだけの、此奴は重要人物の筈だ。
そして此奴はどうして此処にいる。探していたのは私だ。それなのに、まさか此奴から出てくるとは。
まさか、最初から風祭が本気になった場合を想定して、隠れでもしていたのか。或いは、私に会うつもりで。堂々と出てきたというのか。
だとすると、想像以上に厄介だ。
「今日は取引をしに来ましてね」
「外道とする取引などない」
「それが、邪悪な組織の首魁の首でも?」
「!」
まさか、此奴。
男であってもはっとさせられるほどの美貌で、幽霊は言う。
「激しい戦いを経て、ダメージを受けたのは何も貴方が言う邪悪な組織だけではないでしょう。 各国も、大きなダメージをその過程で受けて、今は落としどころを探しているはずです。 違いますか?」
「組織の長を売るというのか」
「ふふ、まあまずは貴方の上司を救うのが先では? 今も孤軍奮闘を続けているのでしょう?」
「……良く知っているようだな」
すっと、男が消える。
消失したのでは無い。歩法を工夫して、気配を消し。さっとこの場を逃れたのだ。小暮は最後まで目で追っていたが。
「かなりの使い手であります。 自分なら勝てる事は勝てますが、簡単にはいかないでしょう」
「お前が其処まで言う程か」
「はい。 あの歩法、相当な達人です。 前は技量を隠していたようですな。 多分東洋系の武術も、自在に使いこなすはずです。 空手や中華拳法とは少し違うように思えました。 或いはシラットかも知れませんな。 西洋では人気のある武術と聞いておりますし」
私は舌打ちしたが、もうどうしようもない。
いずれにしても、奥多摩に行くほか無いだろう。
それにしても、あの幽霊。
本当に自分のボスを売る気か。
だが、彼奴の言う事は正論でもある。実際問題、上部組織もFBIも、かなりの戦力を消耗したと聞いている。
敵とガチンコでやり合い続けると、共倒れだ。
互角にまで持ち込んだ所で、皆落としどころを探しているのは事実。実際問題、このままでは多分どっちも消滅してしまうだろう。
今まで圧倒的に敵が有利だったのを、互角にまで持ち込めたのだ。
今は、我慢するしか無い。
ただ、敵ボスを潰せるかも知れないのは好機。もっとも、そのボスに、あの幽霊が挿げ変わったら。
あまり面白い事にはならなさそうだが。
とにかく、今は。
目の前の事を片付けていく。まずは一つずつだ。
「小暮、武装は」
「対人専用の装備はあまり……」
「まあいい。 此方は、特殊部隊がいる場合を想定して、助っ人を呼んである。 現地で合流すれば良い」
携帯で、電話を入れる。
連絡した相手は、道明寺だ。既に部隊を手配させている。
上部組織に合流が決まったことで、こういうことも出来るようになった。ただしこれは横やりを防ぐ措置。
そして、犬神を逃がさないようにするための処置でもある。
「行くぞ。 奥多摩だ」
「分かりました。 しかし、アサルトライフルで武装した敵との交戦が予想されるとなると、チョッキは着ていった方が良いのでは」
「いや、いい。 道明寺と一緒に、風祭の手練れが何人かいる。 銃弾を防げる怪異を使いこなす奴らだ」
この間の戦いで、私も懲りた。それに、今後は戦力を多めに指揮する事が増えてくるだろう。
今までの四人でやりくりしていくのは兎に角大変だった。
今後は、戦力が増えるのだし。それを使いこなす訓練をしておかなければならない。
どうしても、まだまだ私は、スタンドプレーが目立つところがある。自分でもそれは分かっている。
まあ、私の場合、怪異を自分の拳で殴るのが一番早いというのもあるが。
小暮の車に乗って移動していると、最初小暮と二人だけで捜査していた頃を思い出す。
既に小暮も警部。
多分、これが。バディを組んでの、最後の仕事になるだろう。
しばし、うたた寝しながら、現地に急ぐ。
東京と一口に言っても、それなりに広い。だけれども、田舎でもないし、交通網も整備されている。
昼前には、奥多摩に到着。
あくびをしながら、車を降りる。そして、目を擦りながら、精神的な体勢を整えていた。ポーチからおきにのハンカチを出して、顔をくしくししていると。道明寺がこっちに来るのが見えた。
「おや、私服ですか。 何だか子供っぽい格好ですねえ」
「お前までそんな事を言うのか」
「まあプリントTシャツと、そのキャラシューズは似合ってますよ」
「ならいい」
その一言で機嫌が直る私だが。どうしてか、小暮はそっぽを向いて、ノーコメントを貫いた。
ちなみに小暮は私服なのに、スーツである。
これじゃないと落ち着かないそうだ。
咳払いすると。私はまず確認すべき事を確認する。
「で、戦力は」
「周囲に展開済みです。 相手がネイビーシールズでも食い止めて見せますよ」
「そうか。 では、私の方も、準備をするか」
気配は、確かにある。近くの、大きめの廃病院。
その地下で、今大きな力同士がぶつかり合っている。そのどちらもが、相当に疲弊している様子だ。
片方は、犬童警視正。
もう片方は、間違いない。この気配は、とんでも無く巨大だが、犬神。こんなに強烈な気配を放つ個体は初めてだ。際限なく巨大化することは知っていたが、これは下手な邪神より強い。
これほどの奴が、よく東京に身を潜めていることが出来たものだ。本当に狡猾で、残忍、ということなのだろう。
「白蛇王」
「此処に」
「猿王と天狗を連れて、最大規模の結界を張れ。 怪異は絶対にあの病院から外に出すんじゃ無いぞ」
「承知」
白蛇王が行く。私は周囲の様子を見て回る。
犬童警視正が負けるとは最初から思っていない。もしも負けたときは、その場合は私が即座に犬神をブチ殺すだけだ。それに、今回は横やりを防ぐために来ているのである。その横やりが、怪異になるのか、それとも物理戦力になるのかが分からない。
特殊部隊だったら、道明寺の率いている手練れがどうにかする。
問題は怪異の場合だ。
あの犬童警視正に横やりを入れ、犬神を逃がすほどの怪異となると、かなり限られてくる。
もしくは何かしらの能力者か。
敵側にも多分、対怪異能力者や、式神を使う奴はいる。
実際問題、この間の光の家では。明らかに大した使い手では無い鏑木が、式神を多数行使していた。
あれは譲り受けたと考えるのが自然だろう。
気配が、小さくなっていく。
犬神の方だ。
犬童警視正も相当苦戦しているようだが。それも、連戦による疲弊と、何より体のダメージが原因だろう。
万全では無いのだ。
だから、此処までダメージを受けている。
本来だったら、この規模の相手であっても、苦戦を此処まですることは無い筈。
散々横やりを入れられ続け。
それでも文句を言わずに戦い続けたのは。
やはりモチベが。
敵討ちというモチベが、あったからなのだろう。
昼を過ぎる。小暮が、近くの店から、適当にパンを買ってきた。この辺り、此奴も図太くなってきている。
「長丁場になりそうです。 今のうちに」
「ん。 道明寺と、部下達にも配っておけ」
「それは断られまして」
「……そうか。 筋金入りのプロだな」
スナイパーは、おむつを着けて作戦行動を実施すると聞いた事がある。つまり、ターゲットが出てくるまで。其処でモノとなって、身動きせず、ひたすら待ち続ける、というわけだ。
此処にいるのは、名高い自衛隊第一空挺団や、SATの最精鋭達。
もしくは、存在が公表されてさえいない部隊のメンバーだろう。
何が相手でも、そう簡単に負ける連中では無い。
私も、適当にパンを腹に押し込むと。側で油断無く目を光らせている小暮に、ハンカチで口を拭きながら話しかける。
「さて、敵はどう出ると思う」
「自分も格闘技一辺倒ではいけないと思い、戦略と戦術については、少しずつ勉強をしております。 もし自分が敵であったのなら。 犬神が逃げようとする瞬間に、横やりを入れるのであります」
「そうだな」
だが、犬神の気配は、もう外に漏れていない。
白蛇王達が、結界を展開し終えたのだ。
そうなると。
すぐにでも仕掛けてきておかしくない。相手も分かっている筈だ。激戦の末に、犬神が弱り切っていることは。
白蛇王達には。結界を担当させ。
他の怪異は、周囲に展開している。
万全の布陣の筈だが。
何かが引っ掛かる。
「先輩、敵があの病院内に、既に潜んでいる可能性は」
「ない」
「そうなると……」
奇襲を仕掛けてくるのは分かっている。
だが、どこからだ。
地下は。
いや、この辺りは、地下空間も存在していない。流石にいくら何でも無茶だろう。そんな速度で地下を掘れる怪異はいない。
現実にもシールド装置は、一日何メートル、という単位で進むものだ。
特撮映画みたいに、ドリルでそのまま凄い勢いで潜っていく、何てことは原理的にも出来ないのである。
怪異にも、地中に住む者はいる。
だが、地中を高速で移動するというのは、あまり数が無い。
というのも、地中は完全に人間にとって未知の空間であり。ましてや埋まっている地中は、殆どの人間にとっては、壁と同じだからだ。
少々の壁なら通り抜けられる怪異も。
土の中を潜って、高速で移動するのは不可能だ。
なぜなら怪異は。
人の迷妄から生まれた存在だから、である。
「空は……」
「上空からか。 しかし、この辺りに飛行物体が来れば、すぐに分かるだろう。 蜂の巣にしてくれる」
その時だった。
携帯に電話が入る。アラートだ。
「どうした!」
「巡航ミサイル接近!」
まさか、東京都内で。
だが、そのまさかは、即座に現実になった。
対怪異用の結界も、巡航ミサイルが相手では分が悪い。だが、怪異は電子機器に強いという特性がある。
「全式神、ジャミング! ミサイルを上空に逸らせ!」
結界解除。全ての式神が、一点に向けてジャミングを行う。
巡航ミサイルの火力は、こんなボロ廃病院、中身ごと全部消し飛ばすレベルだ。流石の犬童警視正でも、無事では済まないだろう。
私自身も、術式を展開。怪異のジャミングをフルパワーでバックアップ。ミサイルが見えた。一瞬だけ。それだけ凄まじい速度なのだ。
だがそれは、すぐに上空に向きを変え。
ぐるりとジェットコースターのように一回りする。落ちてくる所を、私が一喝。怪異達が、ジャミングをフルパワーで叩き付ける。
爆裂。
だが、弾頭の火力が小さい。
煙が周囲を包むのと、そいつが姿を見せるのは、同時だった。
トマホークに、搭載されていたのだろう。
あまりにも、巨大なそれは。
全身に無数の目を持っていた。
雄叫びを上げる。
背丈にしても、二十メートルはある。なるほど、この姿は見覚えがある。
「ギリシャ神話のアルゴスだな。 分霊体とみるが、どうして人間の走狗に成り下がっている」
「……」
「言葉は通じない、か。 白蛇王! 他の皆を連れて、下に結界を張り直せ! 此奴の相手は私がする!」
しかし、それも、遅い。
飛び出してきた犬神が、まるで此方もミサイルのように、飛んでいったのである。舌打ちした私は、そのまま跳躍。
崩落した廃病院の壁を蹴ってどんどん高度を上げ。そしてアルゴスの顔面に、拳を叩き込んでいた。
巨体が揺らぐ。
だが、流石にいにしえの神。
しかも、光のサイドに属する存在だ。
孔雀を神格化したとも一説に言われるアルゴスは。醜い姿の反面、神々の命令で様々な罪人を見張ったり、ギリシャ神話屈指の邪悪であるエキドナ神を葬るなどの戦果を上げている。エキドナはあのゼウスをも圧倒したテュポンの妻で、つまりそれを屠ったアルゴスは、それだけ強力な神と言う事だ。
だが、拳に加え。至近距離から全力での波動真言砲をぶち込んでやれば。
如何にアルゴスでも、分霊体ではどうにもならない。
悲鳴を上げながら、蒸発していくアルゴス。
病院の床を乱暴に吹っ飛ばし。
姿を見せたのは。
血だらけで。凄まじい形相をした、犬童警視正だった。
今の爆発の余波で、病院が崩れかかっている。急いで彼女が病院の外に出るのと。限界が来た病院が崩れるのは同時。
嘆息する私と。
険しい表情の犬童警視正。
「風祭。 何をしに来た」
「警視正に昇進おめでとうございます。 それと、敵討ちの邪魔をするつもりはありませんよ。 横やりを潰しに来ました」
「……横やりは、討ち取ったようやな」
「ええ。 どうやら犬神は、そのネックレスに執心している様子。 どうせすぐ戻ってくるでしょう。 少し休まれては」
ダメだと、犬童警視正は吐き捨てると、そのまま足を引きずりながら、何処かへ行ってしまう。
気持ちは分かる。
それに、傷ついた犬神だ。
つまり、それは。食事に移るかも知れない、という事を意味している。
少し前に、十人以上の人間を喰らった化け物だ。
本格的に人を襲いはじめたら、どんな惨禍が引き起こされるか、知れたものではないのである。
「此方も犬神を追うぞ」
「しかし、無茶苦茶でありますな……」
都心でトマホークをぶっ放し。
それにあんな巨大怪異を搭載する。
最新兵器と怪異の二段構え。
在日米軍か、自衛隊か知らないが。まだ敵側にいる人間は、相応の数がカウントできる、という事だろう。
この間の大攻勢で、やっと互角。
確かに、何処かで落としどころを見つけなければいけないのは、本当だ。
今の凄まじい有様を見ていれば、それも良く分かる。
白蛇王が来る。
「申し訳ありません。 まさかミサイルを持ち出してくるとは」
「あれが相手では仕方が無い。 だが、何度も同じ手は使えない筈だ。 今のアルゴスにしても、分霊体なんてそう簡単に手に入る筈も無い。 次で、勝負を決めるぞ」
「それであれば。 今の結界展開で、犬神の気配は覚えました。 ひょっとすると、念入りに準備を出来るかもしれません」
「そうか。 頼むぞ」
すぐに小暮の車に乗り込む。
恐らく敵は、都心に向かった。
流石に敵も、都心にトマホークは放たないと信じたいが。それも、何処まで当てになるかどうか。
一応、仮面の男には連絡をしておく。この間、正式な連絡先は貰ったのだ。
トマホークが使われたと聞くと。仮面の男は、流石に眉をひそめたようだった。
「あのようなものを田舎とは言え東京で使うとは。 無茶な事を」
「何をするか分かりません。 裏で動いている奴を知りたいのですが」
「すぐに調べる。 それにしても、君がいても逃がしてしまったか」
「逃がしませんよ。 気配は覚えましたから」
それに、敵は手負いだ。
私が介入した以上。
これ以上、死者は出させない。
例え相手が、多数の人間を喰らい、殺してきた大怪異だとしても、だ。
すぐに車を小暮に出させる。
そして、道明寺には、展開する場所を告げるから、先に都心に移動していくようにと、告げておいた。
さて、此処からだ。
白蛇王の指示通り、都心へと向かう。
残ったパンをぱくついている間に。
確かに気配が近くなってくるのが分かった。
犬神にしても、エサがたくさんいる都心の方が、物色がしやすいのだろう。実際問題、都心の方が、心に闇を抱えた人間が多い。
そういった人間は、怪異にとって格好の餌だ。
「あの金髪王子が、やらせているのでしょうか」
「さてな。 だが、ミサイルを都心にぶっ放す事が出来るような奴が少なくともまだ残っているか、或いは来たか。 ひょっとすると、米軍内にいる敵の仕業かも知れないな」
「米軍とは、厄介な」
「前回の戦いでも、日本にいる敵はあらかた壊滅させたが、昨日から米海軍第六艦隊が横須賀に駐留している。 空母打撃艦隊で、当然トマホークで武装もしている相手だ。 その幹部クラスに敵が混じっていれば、当然さっきのような事は出来るだろう」
ただ、米軍も奴らの事を良く想っていないはず。
FBIと連携もしているだろうし。
各地の紛争地域で、奴らの怪異兵器と鉢合わせて被害を出す事も珍しくないという話だ。あくまでも噂だが、実験がてらに虎の子のネイビーシールズの一部隊を壊滅させられて、相当に頭に来ているという話も聞く。
恐らく、そう何度も無茶はしないだろう。
正確には、出来ない、だが。
白蛇王が、車の中に頭だけ突っ込んでくる。
「見つけました。 かなり弱っているからか、速度も落ちてきています」
「向かっている先は」
「これは、六本木のようですね。 六本木を更に通り過ぎる気かも知れません」
「小暮、飛ばせ」
頷くと、小暮がアクセルを踏み込む。
犬童警視正が今どうしているかは分からないが、多分ネックレス関連で、追跡は出来ているはずだ。
しかし、あれだけのダメージを受けているとなると。
もうこの戦いが終わると、現役引退は避けられまい。
今も、精神力だけで保たせているような状況に見えた。
とてもではないが。
これ以上の戦闘は無理だろう。次が、決着になる。
「とにかく、犬神が人を襲う前に、現場に辿り着く」
「分かりました」
さて、どうなるか。
そも、あの金髪王子の動きも気になる。
ここからが、勝負所だ。
2、怨敵
犬童蘭子は対魔師だ。
才能は幼い頃からあった。両親も対魔師で、風祭純ほどのエリートではないが。それでも、名が知れた一族の出だ。多くの怪異も葬ってきたし。その中には、神クラスの怪異も存在していた。
だが、どれだけ力をつけても。
一瞬の油断が、全てを台無しにする瞬間はある。
犬神が凶悪に成長するケースがある事は知っていた。知っていたから、万全の準備はしていた。
だが、退治依頼があったその犬神は。
とてもではないが、犬神と呼べるような存在では無かった。
文字通り、怨念の塊。
邪神と呼べるレベルにまで。いや、それ以上の存在にまで、巨大化成長した化け物だったのだ。
それでも、手練れの対魔師数人とともに戦い。皆負傷しながらも、どうにか追い詰めた。だが、犬神は追い詰められると。
凄まじい怨念を込めた言葉を放ったのだ。
「お前達が、私を造り出した! 私はただ人間に復讐するためだけに存在している!」
そして、消えた。
嫌な予感がした犬童が家に戻ったときには。
既に惨劇は終わっていた。
物理干渉できるほどの怪異。
更に、戦った犬童の臭いは覚えたのだ。その家族を捜し当てるのも、難しくは無かったのだろう。
皆殺しにされた家族。
絶望したその瞬間。
犬神が、背後から躍りかかってきた。
意識を取り戻したのは、病院。間一髪間に合った風祭家当主とその妻が、犬神を撃退してくれたのだ。
だが、もはや体は取り返しがつかない事になっていた。
内臓を幾つか失い。
無理矢理にそれを術で補わないと、動けないようになっていた。
俊英として知られ。
影の世界で名をはせた犬童蘭子もこれまでか。病院で、涙を何度も拭った。夫を失い。子を失い。
何もかもを奪い去ったあの犬神は、絶対に殺す。
そう誓った犬童に。
風祭は、取引を持ちかけてきた。
今度、対怪異の部署を作る。それは奴らと戦う若手達を育てる組織にもする。君は其処の部署を引き受け。
若手を影から助けながら。
前線に立って、奴らを葬る手伝いをして欲しい。
奴ら。
その名は、影に生きる者であれば誰もが知る組織。犬童としても、あの犬神を追えるのなら、異存はなかった。
そうして、生き恥をさらし。
犬神が宿ったネックレスを探しながら。
今日まで生きてきたのだ。
最初の頃に来た若手は、既に風祭の直下に入っている。今いる風祭の息女と、賀茂泉かごめ。小暮宗一郎。そして名前を変えて入ってきている、例の男。
あの四人を、最後に育てる者達と決めていた。
そして、それは現実になりそうだ。
タクシーを降りる。タクシーの運転手は、血まみれの犬童に、訳ありなのだろうと察したからか、何も聞かなかった。
小さな廃工場の前。犬神がかなり弱っているのは分かる。三日三晩の死闘で、相当にたたきのめしてやった。
途中何度も横やりが入ったが。
それらも全てぶっ潰した。
正直体は限界近いが。
それは敵も同じ事。敵が人間を恨んでいるなんて知った事では無い。人間が造り出した怪異で。それが残虐で卑劣極まる方法であっても、だ。
犬童にとって、家族を奪ったカタキが此処にいる。
それが全てだ。
工場に踏み込む。
悲鳴を上げて、奧からホームレスが飛び出してきた。無視。廃墟と言えば、ホームレスの住処になるケースが多いが。
そんな事情は、犬神には関係がないのである。
このネックレスだって。
決して不幸とは言えない家族の手に渡り。その家族を滅茶苦茶にした。それも幾つも幾つも。
ようやく取り戻したとき。
最後の持ち主の家族は、死なせずに済ませることが出来た。
だが、その家族だって、恐怖で震えているのだ。
犬神を造り出したのは人間かも知れないが。しかし、奴はやり過ぎた。葬らなければならない。
奧で、蹲っている、巨大な影。
それは、無数の怨念が、犬の形をしたもの。
もはや犬の面影は、形しか残っていない。
近づけば、見える。
数多の怨霊が、重なり合い編み込まれ、まるで一匹の巨大な犬のようになっているというおぞましい姿が。
「最後や。 覚悟しい」
「黙れ……! そもそも貴様ら人間が、私を作り出したのであろうが!」
「知るか。 うちにとってはな、家族を奪ったお前を殺す事だけが全てや」
「それは私も同じ事! 私のつがいも子らも、主君さえも! 皆! 皆が私の前で首を刎ねられた! くだらぬ呪いを成就させるためだけに、奴らは!」
もはや、この場には。
二つの狂気しか存在しない。
印を切る犬童。
躍りかかる犬神。
二つの力が、ぶつかり合いを続ける。
小暮に言って、車を停めさせる。ついてきていた特殊部隊も、周囲に展開。道明寺が、肩をすくめた。
廃工場の中からは。
凄まじい気配が二つ、ぶつかり合っているのが分かる。
どちらも引く気はさらさら無い。
此処で決着を付けるつもりだ。
体の限界が近い犬童警視正と、もう後が無い犬神。下手をすると、犬童警視正は、相打ちを狙うかも知れない。
だが止める事は出来ない。
これだけは、横やりを防ぐ事しか、出来ないのだ。
まあ、勝てるとは思う。
道明寺が、煙草を取り出す。
「凄まじいですねえ。 三日三晩戦い続けていますよ」
「執念と執念のぶつかり合いだ。 もはやどうにもならん」
獣同士が噛み合っているのだ。どちらにも正義など無い。敵討ちをしようとしている犬童警視正だが。多分それは、犬神も同じ筈だ。
特殊部隊が配置につく。
周囲に油断無く小暮が目を配る中。
私は。式神を展開した。
流石にもうミサイルは無いだろう。
先ほどのトマホークは、どうやら在日米軍のものだったらしく。「誤射」で片付けられるそうだ。
勿論内部的な話であって。
報道などされない。
ミサイルの発射に関わったのは、米軍の大佐だったらしいが。既に拘束されている。
そんな高級軍人を使い捨てるほどの事か。
結界展開完了。
これで犬神は逃げられない。
私は腕組みする。
どうもこの件、妙だ。あの金髪王子が直接出てきたことも気になるが、何かそれ以上の裏があるように思えてならない。
奴らが強力な怪異を欲しがっているにしても。
さっきアルゴスの分霊体を出してきたように。
実際問題、強力な怪異は多数有しているはずだ。
犬神のように危険極まりない上、制御も受け付けないタイプの怪異を捕縛して、どうするつもりなのだろう。
敵対国に放って、敵を皆殺しにするつもりなのだろうか。
それでは、何の意味もない。
そもそも生物兵器というのは、制御出来てこそ、初めて意味を成してくる存在なのだから。
大きめの音がした。
どうやら、犬童警視正が、強力な術をぶっ放したらしい。
揺れがここまで来る。
「戦況は、どうでしょうか」
「今の時点では犬童警視正が有利だな」
「それは良かった」
「だが、もう三日三晩、いやそろそろ四日近く連続で戦っているようだし、どんな間違いが起きるかもわかったものではない。 最悪の場合は踏み込むから、準備をしておけ」
恨みは買うだろうが。
人命優先が大原則なのだ。
さて、どうしようか。
そう考えた、その時だった。
小暮が、動く。
そして、ふらり、ふらりと近づいてくるそれに対して、立ちふさがっていた。私も、それが異臭を放つ人影で。
もはや命を宿していないことを、悟っていた。
「何だ、また……」
まて。
何かおかしい。
ゾンビ化した奴は、奴らとの交戦で何度も見た。怪異に体の操作を明け渡すことで、超人的な力を得た奴も。
だが此奴は、何処かが違う。
道明寺が。右手を挙げると。
一斉に特殊部隊が、銃口をそいつに向けた。
「ゴム弾、撃て」
瞬時に、銃数発のゴム弾が、死体めいた男に食い込む。
吹っ飛んだ男は、地面に倒れ伏したが。
しばしして、何事も無かったかのように、立ち上がってくるのだった。道明寺が、目を細める。
「これはこれは」
「……」
死体っぽい奴は、平然と歩き進んでくる。
妙だ。
どうにも此奴が死体にしか見えないのに。怪異の気配がない。前のように、怪異に操作されている様子も無い。
つまり此奴。
本当に死体が動いている、というのか。
唸り声を上げる死体。
よく見ると、ゴム弾を浴びた体の傷が、超高速で修復されている。全身が酷く痛んでいるのに。
その痛んだ状態で、固定されているのか。
小暮が躍りかかると、容赦なく地面に投げつける。
相手の様子がおかしい事もあって、頭から叩き付けるようにして、全力で、だ。
小暮の全力での投げである。
喰らったら、普通の人間だったら、何度も死んでいてもおかしくない。
人体の構造も、もたないだろう。
だが、そいつは起き上がってくる。
今度は私だ。
波動真言砲を、試しに浴びせてみる。
通用しない。
中に怪異の要素は無い、という事だ。
「ゴム弾。 足を徹底的に潰せ」
道明寺の指示。
一斉に放たれたゴム弾が、動く死体の足を、滅茶苦茶に傷つける。ゴム弾といっても、殺傷力がゼロでは無い。
ぶつかれば痛いし。
当たり所によっては骨だって折れる。
それにも関わらず。
男は少しだけ立ち尽くしただけで、また歩き出してくる。
そして、徐々に、男からの殺意は、強くなって行った。
結界に取りすがる男。
「やむを得ませんね。 実弾で破壊しますか」
「麻酔弾はあるか」
「良いですよ、試してみましょうか」
小暮が死体野郎を結界から引きはがし、投げ飛ばす。
吹っ飛んだ男に対し。
猛獣を眠らせる麻酔弾が、ぶち込まれる。
それも、一発じゃ無い。
大きく跳ねた死体野郎だが。
それでもなお、すぐに立ち上がってくるのだった。
「どうやら面倒なのを投入してきたらしいな……」
「覚醒剤の類を使っていても、これは異常なのであります。 普通は、これだけやられたら、意思に関係無く動けなくなるものなのですが」
困惑する小暮。
こんな奴が、複数出てきたら手に負えない。
ゾンビ映画の歩く死体みたいに、噛みついた相手を感染させる能力でも持っていたら最悪だ。
パンデミックで、一気に世界が壊滅しかねない。
「道明寺、網だ」
「分かりました。 時間、稼いで貰えます?」
私は頷くと、式神達に話を聞く。
その間、小暮は。
軽快なステップで死体の前に立ちふさがり。
何度も隙を見ては相手を投げ飛ばし。その度に、距離を取った。動きは鈍いとは言え、攻撃にどんな能力が付与されているか、分かったものではないからだ。
兄者にも電話をして聞いてみる。
応えは、知らない、だった。
「ゾンビのような見た目になる麻薬が、最近は流行っていると聞いている。 ロシアのほうでだがな」
「だがこれは違うな」
「そもそもゾンビというのは、知っての通り仮死状態にした人間に暗示を掛けて、自由に操れるようにしたものだ。 其処までタフだと、異常だとしかいえない」
ひょっとして。
あの光の家。
彼処で行われていた実験の成果は、全てが失敗では無かったとしたら。
部分的に、こういう形で。
意思も何も残されていない、おぞましい動く死体としての不死を、実現できていたとしたら。
しかし、だ。
それならば、何故波動真言砲が効かなかった。
アレが効かないとなると、怪異がらみではないと言う事になる。
しかも傷が治っていく様子が気になる。
死体同然の姿をしているのに。
どうして傷が治るのか。
ちらりと、横目で見る。
廃工場の中での戦闘は、まだまだ続いている。しばらく終わりそうに無いだろう。今度は、横やりは入れさせない。
呼吸を整えると。
私は。踏み込み、死体野郎に指二本立てて、ラッシュをぶち込んだ。
経絡秘孔を、片っ端から貫いてみる。
更に、とどめに金的を潰した。
流石に前のめりに倒れる死体野郎だが。
ダメだ。
やはり回復していく。
これは尋常な有様ではない。
何かしら、禁忌の術でも使っているのかと思ったが。これは今まで戦った、怪異に操作されているタイプの人間とも、別次元のタフさだ。
投げ、叩き。
そして、少しずつ、下がりながら、時間を稼ぐ。
道明寺が、暴徒鎮圧用の網を持って戻ってくる。そして、男に、上からかぶせた。
「重りを!」
「そこまでやりますか?」
「いいから!」
道明寺が呆れながら。
部下達と、大石を運んできて、網の周囲に配置していく。死体野郎も、流石にこれにはどうにもできないようで。
動きを止めた。
それにしても、厄介だ。
このタフさで、知能を持ち、更に重火器を手にするようなことがあれば。
「主!」
白蛇王の声に、振り返る。
結界を、内側から犬神が破ろうとしている。
此奴相手に、リソースを割きすぎたか。
「破らせるな、防げ!」
「しかし、これは……」
確かに凄まじいパワーだが。
私が力を貸して、無理矢理押さえ込む。犬神が、凄まじい絶叫を上げるのが、結界の外からでも分かった。
舌打ち。
それでも押さえ込む。
犬童警視正が、札を飛ばして。犬神に直撃。
凄まじい表情で、犬神が、結界を噛んだり、ひっかいたりした。その度に、強烈な負荷が来る。
なるほど、多数の人命を喰らった化け物だ。
その実力は、この私をしてもなお、認めざるを得ない。奴らが欲しがるのも、道理という訳だ。
だが、それもおしまい。
犬童警視が、印を切ると。犬神の身に、雷光が走った。悲鳴を上げならがら、凄まじい呪詛を犬神が上げる。
「呪ってやる! 殺してやる! 祟ってやる!」
「それは此方の台詞だボケが!」
絶叫した犬神の体から、煙が上がっていく。
それは霊的なもの。
今まで喰らった人間の魂が、解放されているのだ。
「先輩!」
振り返る。
動く死体野郎だ。なんと、網を無理矢理どかそうと、荒れ狂っている。道明寺が、もはや実弾を躊躇わずに使わせているようだが。それでも、男は暴れ狂い。とても手が付けられない。
「押し潰すしか無いか」
怪異では無いというのが驚異的だ。
このタフネス、生物の範疇を超えている。
「小暮、すまないが、しばらく背中を預ける。 犬神の最後の抵抗が、凄まじそうなのでな」
「オス! 分かりました!」
印を切ると、結界を更に強化。絶望を悟った犬神に、犬童警視正が、更に札を叩き込む。犬神の全身が、爆ぜ割れるようにして千切れる。足が尻尾が。巨大な犬の彼方此方が、内側から吹き飛ぶ。
「例え我が身は果てようとも! この呪い、消えると思うなああああっ!」
絶叫。
私には、見える。
結界を補助しているから、だろうか。
犬神の周囲に埋められているのは、その子犬たち。つがい。それだけではない。その犬を飼っていた、主人。
つまり人間もだ。
傲慢そうな太った男。烏帽子を被っている所からして、当時の貴族か。
この犬神、千年を経た怪異だった、というわけか。
「まずは子犬共からのこぎりで」
退屈そうに、太った男が命じる。
嬉々として、破落戸然とした者達が、子犬たちをのこぎりで惨殺していった。そして、犬のつがいも。既に虐待の限りを尽くされ、死の寸前まで追い詰められていた犬たちは。容赦なく殺戮された。
止めろ。
叫ぶ犬の主人。
その男も、顔中痣だらけ。凄まじい虐待を、犬神の前でされたのは確実だった。
だが、貴族は、その主人にも。
わざわざ竹で作ったのこぎりで、首を斬るという残虐な行為を命じた。
嬉々として従う破落戸ども。
ひひひと、扇子で口元を隠しながら笑うゲス貴族。
こんな奴のために。
犬神によって、百を超える人命が奪われたのか。
「たかが平民一匹とその飼い犬程度で、それほど強力な呪いが作れるのなら、言う事もないわ。 これであの忌々しい関白めを」
次の瞬間。
爆ぜ割れたのは、その太った貴族の方だった。
大量の血を浴びて、唖然とする周囲の男達は見る。
猛り狂った犬神は。
その場にいた破落戸どもを皆殺しにすると、血だらけの体を天に反らし、吼えた。
殺してやる。
呪ってやる。
祟ってやる。
人間という生物全てを。喰らいつくしてやる。
結界を解除。
呼吸を整えながら、私は印を切る。
これほどに強烈な人間への憎悪。人間と唯一共に生きることを選んでくれた生物である犬だからこそ。だったのだろう。
人間とともにあった生物だからこそ。人間を知り。故にその残虐さを憎悪した。
普通の動物だったら、こんな事はしない。
猛獣は単に猛獣なだけ。
人間のやり口は、猛獣のそれとは完全に一線を画しているのだ。故に、犬であったからこそ。
この犬神は、凄まじい憎悪で全身を満たし。
この世で暗躍を続け。多くの魂を喰らって行ったのだろう。
犬童警視正が、その場に崩れ伏す。
後ろでは銃撃音。
不死身の男を、アサルトライフルで必死に押さえ込んでいるのだ。網を千切りそうな暴れ方をしているようで、まだ凄まじい咆哮が聞こえている。
私は、起き上がれずにいる犬童警視正に歩み寄ると。
見たか、と聞いた。
知らんと、答え。
そうか。ならば、それもいいだろう。この人は、不幸の連鎖の一つ。そして、それが故に。あの犬神を倒す資格を持ってもいたのだろうから。
「少し待っていてください。 あっちを片付けますんで」
「ひよっこにそういわれたらうちも終わりやな。 丁度いい引退時や」
「……後はお任せを」
振り返る。
さて、次はあっちか。
体中を穴だらけにされ。時々頭にも着弾しながら。凄まじい回復力で、その不死身の男は動き回っている。
網はもう千切れそう。
あれは、本当に生物か。
電話が来る。
それは、あの仮面の男からだった。
「手間取っているようだな。 君ほどの対怪異能力者でも、そいつは倒せないか」
「そろそろ正体を口にしてはどうです。 叔父様」
「ふふ、丸わかりか」
「ええ。 そもそも、声質が兄者に似ていますし」
そう。この人こそ。
兄者が父に引き取られる切っ掛けになった存在。行方不明になったとも、死んだとも言われている霧崎道明。
正体を隠すために仮面をしていたのは、まあ茶目っ気もあったのだろう。今更隠すことでも無いが。
「そいつこそが、奴らの不老不死実験の完成体。 あの光の家の犠牲者達のデータを使って造り出した、怪物の中の怪物だよ」
「……」
「不老不死が何処まで完成しているか、君で実験したいのだろう。 ……相手して、徹底的に叩き潰してくれるか」
「何か私怨が?」
ふふんと、鼻で笑う叔父様。
あると、認めたようなものだ。
まあそれは後で聞くとしよう。いずれにしても、怪異というのは、その正体さえ見極めれば、ただの雑魚である。少なくとも、私にとっては。
小暮が、腕をまくって前に出る。
「銃撃を中止してください。 自分が食い止めます」
「頼むぞ。 その間に、私が解析する」
「……銃撃中止! 無理なようなら、液体窒素で凍らせますんで、そうなら言ってくださいよ?」
「分かっている」
道明寺が、特殊部隊を下がらせる。
小暮が、来いと、気合いを張り上げた。
私は。周囲に全ての式神を展開。今まで結界に廻していたリソースを、全力で解析に廻す。
ついでに兄者にも電話。
不老不死の逸話の中で。絶対死なず。しかも怪異を隠蔽できるような代物に、心当たりは無いか。
しばし考え込んだ後。兄者は、あると言った。
「人間に不死をもたらす怪異は、伝承の中では珍しくも無い。 そして、それが怪異化せず不死になるケースもある」
「何か対策は」
「だいたいの場合は、ロジックエラーが弱点になる」
例えば、ギリシャ神話のケイロン。
賢者として知られる半人半馬のケンタウルスだが。これは過失から猛毒の矢を浴びてしまい、不老不死が絶望と化してしまった。
その結果、本人が死を望み。
不死の能力は他者に譲られる形で消滅した。
なるほど、そういうことか。
「分かった、兄者。 礼を言う」
「危険な相手なのだろう。 気を付けろ」
「ああ」
通話を切ると。
私は、小暮が投げ飛ばしたばかりの、不死の男へと歩み寄る。
即座に怪我が治りつつある男だが。さて、一つずつ、試していくか。
まずは、関節をけり折る。
ぎゃあっと男が悲鳴を上げて転がり廻るが、すぐに折れた関節は修復されていく。これはまあ、当然だろうか。
だが、痛みがあるのは分かった。
それならば、耐えきれないほどの痛みを、継続して与えてやれば良い。
続けて、立ち上がった不死の男に、指を二本立てて、一撃をぶち込む。経絡秘孔を貫いたのだ。今までは動きを止める経絡秘孔だったが、今度は違う。
激痛を誘発する経絡秘孔で。
男は一瞬絶息した後、だがにやりと笑って。私が飛び退かなければ、頭に痛烈な蹴りを叩き込んでいただろう。
なるほど。
経絡秘孔へのダメージそのものも、回復するのか。
それならば。
「道明寺!」
「はいはい、何か」
「人見に言って、これを準備して貰ってくれ」
「……了解、と」
すぐに道明寺が飛んでいく。
私は小暮と肩を並べると。時間を稼ぐぞ、と言う。
小暮も頷く。
「策があるのですな」
「ああ。 古典的な方法で行く」
ガソリンを掛けて燃やすのも手の一つだが。
そうすると、暴れ回って、周囲が火事になりかねない。
液体窒素で凍らせるのも手の一つだろう。
ただその場合、液体窒素が恒久的に必要になってくる。まあ完全に固めた後で、コンクリか何かで固めて、鋼鉄製の箱か何かに封じ込んでしまうのもありだが。その前に、此奴がどういうカラクリで不死を実現したのか調べておきたい。
そして馬脚を現したら。
それを潰す。
実際問題、怪異が絡まなくて、こんな事が出来るはずがない。
怪異の気配がゼロなのは、何か仕掛けがある筈で。
それさえ暴き出せば。
潰すのは、難しくないのだ。
躍りかかってくる不死の男を、小暮が投げ飛ばす。
更に私は、跳躍して男の頭を踏み砕いた。
頭蓋骨が拉げ。
首の骨が折れる音。
だが、それでも男は、高速で再生していく。多分、神経関係の痛みに関しては、何かしらの方法で打ち消していると見て良い。
波動真言砲が効かなかったのは。
怪異を完全に体内に入れているからで。分厚い肉の壁で、怪異そのものを守っているからと見て良い。
怪異の気配がないのは。
恐らく怪異が、活動をしていないから。
つまりまったく活動しない状態で、超再生力を実現している、という事だ。
この有様では、首を刎ねた程度では、簡単に生き返ってくるだろう。
ダイナマイトか何かで、体を粉々にしても、再生してくるのは間違いない。
此奴はただ力が強いだけの素人だからいい。
だが、剣術の達人や。
或いは特殊部隊の隊員が、この状態になったら。
洒落にならない被害が出る。
それを防ぐためにも。
此奴を不老不死にしている仕組みは、今、解明しておかなければならないのだ。
「もう少し頑張ってくれ」
「オス!」
立ち上がってきた不死の男を、小暮が容赦なく、頭からコンクリに叩き付けた。
普通の人間なら、既に何度死んでいるかさえも分からないだろうに。
それでも、立ち上がってくる化け物。
だが、まだまだだ。
皆の力を借りて。
此奴を必ず攻略してやる。
3、後継者の力
乱暴な音と共に、車が来る。
道明寺が受け取りに行くよりも、その方が早いと判断したのだろう。人見が、直接注射器を持って、此方に来たようだった。
それも、暴れる患者用の。
体に打ち込むタイプの、大型注射器を持って、だ。
「それが例の不死者?」
「そうだ。 小暮、押さえ込むぞ。 人見、頼む」
「分かったわ」
唸り声を上げる不死の男。
小暮が投げ飛ばしたばかりだというのに、元気なことだ。
だが、私が懐に潜り込むと、ラッシュをぶち込む。
経絡秘孔を七カ所、瞬く間に打ち抜き。
更に真横に跳び離れ。
痛みにぐらついた所を、小暮が伝説の秘技である山嵐で放り投げた。
此奴、こんな技も仕えたのか。
まあ此奴の技量なら、無理もない。
放り投げられた不死の男は。頭からコンクリに叩き付けられ。
更に私がぶち抜いた経絡秘孔のダメージもあるのだろう。再生に、時間が掛かっている。其処に早足で近づいた人見が、注射器でそれを撃ち込んだ。
CT等で使う薬の中には。
注射をすると、瞬く間に体内に拡散するのが分かるようなものがあるが。
この薬もその一つ。
ちなみに、血液を凝固させる蛇毒。
それも、極めて強烈なものだ。
如何に体を再生させる能力があったとしても。
血液が固まってしまってはどうにもなるまい。しかもこの量は、全身の血液を凝固させるに充分だ。
不死の男が、びくりを全身を震わせる。
人見に離れるように指示。
さて、どうする。
血液が固まってしまえば、再生などもはやどうにもならないだろう。もしも、怪異だったら。
此処で動くはず。
不死の男が、もがき続ける中。
その動きも、弱くなっていく。
どれだけ意志が強かろうが。怪異によって補強されていようが関係無い。もう、再生も出来ないし。
回復だって不可能だ。
血清があっても、この量を入れてしまえば助からない。
そして、体を再生出来る、という方法では。
この蛇毒には対抗できないのだ。
さて、いにしえの賢者ケイロンも、伝説の蛇ヒドラの毒によって、不死を手放す事になった。
先ほど、兄者に聞いた方法だ。
そして今の毒は。
以前違法に持ち込まれた猛毒の蛇の、サンプルとして採取された毒液である。
「さあどうする。 その状態ではもはや再生出来まい?」
「う、うげ、げがが、あ」
意味を成さないうめき声を上げる不死の男。
そして、その体が。
不意に、跳ね上がるようにして立ち上がった。
出てきたな。
今のは、血液が凝固していて、出来る動きでは無い。つまり、怪異本体が、この男の体を乗っ取ったと見て良い。
そして、気配があふれ出す。
体の深奥に隠れ。
最大限まで気配を消していた怪異が、ついに姿を見せたのだ。
「おの、れ。 せっかくてにいれたからだを、だいなしに、しおって」
「馬脚を現したな、阿呆が。 小暮、下がっていろ。 此処からは、私の仕事だ」
「ころしてやる!」
喚きながら、襲いかかってくるそれは。
別に、どうと言うことも無い怪異だった。
正体は、三尸。
人間の体内にいて、その寿命を司ると考えられていた存在だ。
三尸は閻魔大王の使いでもあり。
人間が悪事を働くと、それを報告する。
故に、この三尸の動きを押さえるために、様々な工夫をする、というのが、不老不死の一つとして。
確かに手法として取り入れられた記録が、彼方此方に残っている。
特に道教の中では、この三尸対策は様々なものがあり。
恐らく光の家で研究した、不死の適合の実験と。三尸をてなづける研究を組み合わせることにより。
ありとあらゆる攻撃に耐え抜く。
最強の不老不死実験体を作り上げたのだろう。
また、元々人の中にいると考えられていた怪異だ。人間の中に潜むのは、得意中の得意だったということもあるのだろう。
だが、種が割れてしまえさえすれば。
怪異など、ただの雑魚だ。ましてや三尸は戦闘が出来るタイプの怪異ではない。
私が拳を叩き込み、三尸を不死の男の体から追い出す。
同時に、完全に白目を剥いた不死の男は、動かなくなる。というよりも、もうとっくに死んでいたのを、無理矢理三尸が動かしていたのだろう。
三尸そのものは、空中でキャッチ。
此奴には、色々と聞きたいこともあるし。
此奴を体内からはじき出すための、効率的な手段も研究しておかなければならない。今回は死人が相手だったから良かったが。
罪の無い生者が操られた場合、此処まで苛烈な攻撃は仕掛けられないからだ。
「終わりだな。 役割を忘れ、閻魔大王への報告も放棄した恥知らずが」
「ひ、ひいっ!」
「お前には、後でたっぷりと拷問をしてやる。 その後で、閻魔大王の所に送り届けてやる。 さぞや恐ろしい罰が待っているだろうな」
「た、たすけてええっ! お許しをおおおっ!」
ダメだ。
式札に放り込むと、私は後始末を道明寺に頼み。
そして、呆れている様子の人見と。
流石に疲れ果てて、肩で息をついている小暮に、言うのだった。
「終わったぞ。 帰るとしようか」
編纂室に戻ると、もう引っ越しの準備はあらかた片付いていた。
私は途中で小暮にマンションに送って貰い、スーツに着替えてから出勤したが。
まあ、これは編纂室での最後の仕事だからだ。
正装にするのが義務だろう。
編纂室の奧に作ったサーバや、資料も。既に私が新しく貰った建物に、移されている。これからは、それぞれがチームリーダーとして、組織の最前線に立つ。小暮とは連携する事も多いだろうが。
かごめとは専門分野が分かれるだろう。
いずれにしても、しばらくは組織の再編だ。
あの金髪の王子が、どう動くかが気になる。
だが、それ以上に。
今は、総力戦で消耗した戦力を、速やかに補強しなければならない。
此処で、小暮の行動が生きてくる。
小暮がスカウトするべしとリストアップした人員のリストがある。これらの中から、引っ張ってこれそうな人員を入れる。
そして得意分野ごとに、組織に振り分ける。
この国の影には膿が溜まりすぎた。
この間の総力戦で、警視庁、特に本庁に溜まっていた膿は全て出せただろう。だが、地方はどうか。
他の官庁はどうか。
まだ、戦いは続く。
片付けを済ませてくれていたかごめが、珍しくわずかに笑みを浮かべた。滅多に笑うことなど無いのに。
「此処ともお別れね。 最後に少し、お祝いでもしましょうか」
「それもいいな」
もうすっからかんの編纂室。
あの後、犬童警視正は、病院に直行。引退は前から決めていたらしいこともあって。既に手続きはされていた。
恐らくあの様子では、どんなに頑張っても、もう十年は保たないだろう。
その短い余生を、あの人はどう過ごすのだろう。
カタキを討ってしまったことによって、モチベーションは保てないだろうし。下手をすると、五年も生きられないかも知れない。
確かにあの犬神は、倒さなければならない相手だった。
もはや、どうやっても、人との和解は不可能な存在だった。
だが、この結末は。
他に手は無かったのだろうかと、少し考えてしまう。
小暮が店を手配してくれた。此処で飲み会をするのも、流石に問題だ。それに、後から来る若手には、色々と残してもあげたい。
ちなみに、今度ここに入るチームは最初から四名。
この間の総力戦で負傷し、前線を退くことになった警部がトップになり。素質がある若者を三名育てるそうだ。
私達にはもう関係のない話だが。
この場所はこの場所として。
別の場所で、私達は、また別の人材を育てていかなければならないのだろう。
今度は、私達が。
育てる側に廻るのだ。
「ただ、犬童警視正も招きたいわね」
「そうだな。 だが、流石に今日は無理だ。 あの人は、ここしばらく、ずっと最強の敵と戦い続けていたのだしな……」
「それなら、プレゼントだけでも贈りましょうか」
「そうだな……」
何が喜ばれるだろう。
病院に連絡してみるが。犬童警視正、もとい元警視正は、しばらくは絶対安静だという。生きているのが不思議なくらいの消耗で、今は面会謝絶の状態だとか。下手をすると、このまま回復しないかも知れない。
ならば、ちょっとした裏技を使うか。
「食べ物は無理。 折り鶴なんてあの人は喜ばないだろう。 ならば、言葉だな」
「一言で良いでしょうね」
「そうだな……」
小暮が、店の予約が取れたと言ってくる。
私が今日は奢ると言うと。
羽黒が眼鏡を直した。
「だ、大丈夫ですか? 此処、フランス料理のフルコースみたいですけれど」
「私は風祭の当主だぞ」
実は、ちょっと小遣いという点で考えると、厳しいのだけれども。まあ、皆をねぎらうという意味ではこれくらいはしたい。
かごめはそれを察したのだろう。
苦笑して、次は自分が奢ると言ってくれた。
それだけで充分だ。
手を叩く。
皆で、整列。
そして、敬礼した。
「ありがとうございました!」
映像を見た犬童は、ふんと鼻を鳴らす。
式神を使って、風祭が映像を届けてきたのだ。皆が、ありがとうと感謝の言葉を述べていた。
知っていたのだろう。
犬童が裏で様々な事件の手助けをしていた事を。
上部組織と一緒になって、編纂室に迫っていた敵特殊部隊を潰したり。キャパオーバーの場合は、裏から潰して戦力を削っていたりした事も。
だから、皆が揃って、敬礼している。
あのかごめさえも、がだ。
人工呼吸器が煩わしい。
もう長くは生きられない体だ。あの犬神も、実はそうだった。
怪異にも、寿命はある。
無限の寿命を保つ怪異は存在しない。神々でさえ、人が滅びれば、その内世界から消えて無くなるだろう。
なぜなら、言霊によって生じた存在だからだ。
犬神も、有名な怪異ではあるが。
あの犬神のオリジンは、あまりにも古すぎた。千年を経た怪異は、強くなるように思えるが。
実際には、弱体化するケースが殆どだ。
伝承が薄まって、実体がなくなっていくからである。
結局の所。
どうあがいても、相打ちになる運命だったのかも知れない。
ぼんやりしていると、式神がまた来た。
風祭の、父親の方だ。
「どうだね、調子は」
「悪くない気分や」
「珍しいな、君のような皮肉屋が」
「実際問題、片付けるものは全て片付いたしな。 うちはもう、此処で朽ちていくだけやろうし」
「そう腐るな。 実は君に少しばかり良い知らせがある」
今更何が良い知らせか、そう思ったのだが。
驚く。
医療の進歩により、どう頑張ってもダメだっただろう内臓のダメージを、回復する方法が見つかったというのだ。ドイツで見つかったばかりの最新技術だそうだが。ひょっとしたら、見込みがあるかも知れないと言う。
「医療費は私が手配しよう。 世界最先端のドイツの病院でなら、ひょっとしたら人並みの寿命を生きられるかも知れないそうだ」
「……」
「生きたまえ。 君には、生きるだけの資格がある」
何だろう。その言葉は、先ほどの礼とともに。妙に心に染み渡った。
大きく息を吐く。多分、出来る範囲の、精一杯で。
「分かった。 勝手にしい」
「手配はしておく。 それと、もう一つ」
その話は、色々と思うところがあった。敵側が、示談を申し出てきたのだ。しかも、その対価が。敵将の首だという。
表だっての話では無い。つまり、敵将を討ち取れる好機を、敵が作るというのだ。
それで数年の停戦をしたい、という申し出があったという。
「なんやそれ」
「今回の件で敵組織の中に、首魁の動きを良く想わない一派が出たようでな。 表に出ず、命も張らず。 後ろから好き勝手指示をしているだけの首魁を排除して、組織を再編成しようという動きがあるようだ」
「罠やろ」
「そう思ったのだがな。 どうも敵首魁への不信が頂点に達しているのは事実のようなのでな」
更に、この話を持ち込んだのは、あの幽霊。
金髪の王子だ。
医者が来ると面倒だ。
適当な所で話は切り上げるが。
仮に、敵の首がすげ変わったとして。
どれくらい、此方にとっての+になるのか。それを冷静に見極めるのが、今後の重要点だ。
そもそも敵首魁は、正体も分かっていない。
今回の死闘でだいぶ絞り込め、どうも西欧系の財閥のボスクラスでは無いか、という話が出てきてはいるのだが。
それも噂の域を出ていない。
だが、静かに息を吐く犬童。
もう、戦いは若い者に任せると決めたのだ。
既に限界を超えてしまったこの体。
生きる事さえ不可能な状態だったのを。神がくれた奇蹟か。彼奴らの頑張りの故か。時間という猶予を貰う事が出来た。
それだけでも、今はよしとしなければならない。
それにしても、彼奴ら。
ついに敵の首魁への路を作ったか。
勿論それが罠の可能性が高いとしても。
あの風祭純と賀茂泉かごめが揃い。小暮と羽黒が補助すれば。罠なんて、正面から噛み破れるかもしれない。
楽しみに、待つとするか。
文字通り、老後の楽しみも出来た。
此処から。
見届けさせて貰うとしよう。
医者が来た。
くどくどと、色々言われる。そして、ドイツへ移動する、という話は、正式に行われた。どうやら、本当に助かる可能性があるらしい。
同意を求められたので頷く。
可能性があるなら、そっちに賭けて見たい。
それは、私としても。
異存のない事なのだから。
4、首の入れ替え
テレビ会議には、十を超える数の顔が並んでいる。いずれも各国の要人ばかりである。そして、彼らに対して。
金髪の王子。幽霊。
ファントムとも呼ばれる男は、順に説明していった。
「というわけで、我等が首魁の実力は、今回の一件でさらけ出されました。 彼女には、そろそろご退場願うべきでしょう」
「そうだな。 もはや我々にも異存はない」
そう答えたのは、米国のパワーエリートの一人。
苦虫を噛み潰しながら、彼は言う。
「考えてみれば、今までもスポンサーに徹すればいいものの、自分勝手なことばかりをほざく輩だったからな。 顔を知らぬし、声も加工をしているから、「彼女」かどうかは知らないが」
「貴様、本当に知っているのだろうな」
「知っていますとも」
ファントムは、黄金の三角地帯を仕切る麻薬王に、恭しく答える。この麻薬王も、少し前の掃討作戦で市場をごっそり叩き潰され、更に空爆によって麻薬を根こそぎ焼かれてしまい。今、窮地に立っている。
不可侵だったものが。
次々と、そうではなくなりつつあるのだ。
だから皆が焦っている。
ファントムは、それにつけ込むのだ。
「それで、後継者だが」
「合議制で構いますまい。 今までもあのお方は、邪魔な存在でしかありませんでしたから」
「それもそうだな……」
此処にいる全員。
闇の世界の王になる自信が無いのだ。
ファントムは、それがおかしくてならない。
それぞれが、巨大な闇を支配する者達。世界の富の過半を手中にして、弱者を虐げている巨怪には変わりないのに。
それでも、実際には。
何かに指示をして貰う事で、ようやく安心できる小心者。
これが影の世界の現実だ。
結局の所、人間は、自分で決断するのを嫌がる。
リスクが生じるからだ。
此奴らは、その見本のような存在。
だから、ファントムに、いつの間にか好き勝手にされているのだ。
「それでは、首領の居場所について、自然に情報が流れたのを装い、彼らに流します」
「気を付けろよ。 あのような愚物でも、金だけは持っているのだからな」
「ええ、分かっております」
その金の使い路も知らない阿呆だから。
組織を一気に此処まで衰退させたのだが。
まあ、それは今はどうでも良い。
テレビ会議を終えると、ファントムは電話を取る。
そして、連絡した。
「作戦行動開始。 敵は恐らく、最高のカードを切ってくる。 間違いなく、風祭純と、その同僚達だろう。 此方は、形だけ邪魔をしつつ、彼女らが首魁の喉に手を伸ばすのを、傍観する」
「了解……」
返事は極めて無機質で。
その電話先にいる存在が、まともではあり得ない事も示唆していた。
「一神教の迫害で果てていった魔女の血を蘇らせるのは今だ。 そのためには、金の使い方を知らぬあの愚かな首魁には消えて貰う。 理解しているな」
「理解しています……」
「ならばよい」
通話を切る。
自分も、一歩間違えば、こうなるところだった。
ファントムはそれを良く知っている。
だから、それについては、もはや何も言わない。
天を仰ぐ。
首魁が死んでも、実際にこの組織が変わることはない。ファントムが背後から糸を引くようになるだけ。
組織としては、今までのように。
怪異を兵器化し。
彼方此方の市場で売りさばいていくことになるだろう。
だが、数年間は自粛しなければならない。
その数年で。
どれだけ準備を整え。
態勢を立て直せるか、だ。
勿論敵も、それには躍起になってくるはずで。一切手を抜くことは許されない。ここからかが、本当の勝負だとも言える。
暗い部屋を出る。
其処は、逆に非常に明るい場所。
ビルの一角。天井や壁を全て硝子張りにしている、最近作られた超高級マンションの一角だ。
無数の光を浴びるファントムは。
まるで堕天使達の主だなと、自分を評し。
おかしくて、くつくつと笑った。
あの小さなお嬢さん。
風祭純の実力は本物だ。
誘導さえすれば、確実に首魁の息の根を止めてくれるだろう。或いは、死ぬよりも酷い目にあわせてくれるかも知れない。
それでいい。
その後こそ。
我が一族の復権の時。
そして、世界は。コントロールされた闇によって、安定するのだ。
フレンチのフルコースを注文し終えた後。
私は軽くなった財布を敢えて忘れるように努めながら。皆と一緒にレストランの雰囲気を楽しんでいた。
大都会、東京。
今日も、此処では怪異が生まれる。
人が多くいれば、其処には噂が生じ。
噂からは、言霊が生まれる。
そして、怪異になる。
時には殺傷力を持つようにもなるから、我々で対処しなければならない。色々と面倒な話だ。
それにしても、いちいち免許を見せなければならないのは面倒だ。
かごめなんて、顔パスで通れるというのに。
ワインを頼んだときの店員の顔。
更に、免許を見せたときの顔。
両方忘れられない。
ほろ酔い以上に酔えないのも、不愉快極まりないが。こればかりは、もうどうしようもないだろう。
電話が鳴る。
出ると、父だった。
「父上、何か問題か」
「良くやってくれたな。 ついに奴らの首魁への路が出来た」
「!」
スピーカーモードにして、皆に集まるようにする。
何かとんでもない事が起きたことに気付いた皆は、さっと周囲に集まり、壁を作った。音も、外に漏れない限界まで下げる。
「通称幽霊から打診があった。 数年間の条約締結の条件として、首魁の首を差し出すそうだ」
「それなら、奴らがやるのが筋だろう」
「そうだな。 だがその首魁は、対怪異能力者らしくてな。 生半可な使い手では手が出せないらしい」
正確には、強力な使い魔を多数有しているそうだ。
その中には、本物の神格も存在しているらしい。
そうなると確かに。私でないと、荷が重いか。
「それで、潰してこいと」
「そうだ。 頼めるか、純」
「了解。 ただし、私も自制心が効くか自信がない。 徹底的に潰すけれど、構わないか、父上」
「そうしてくれ。 私としても、敵がおかしな動きをしないように、最大限の戦力で見張る」
細かい事については、三日後再連絡。
その間に、フランスへの飛行機を取っておくように。
そう言われた。
すぐに、かごめが動く。
フランスへの飛行機をファーストクラスで四席。すぐに予約してくれた。
それにしても、フランスか。
そうなると、幾つか予想されていた敵の正体だが。
欧州財閥の首領というのが、正解のようだ。
いずれにしても関係無い。誰が相手だろうが、感覚を持って生まれてきたことを後悔させてやるだけである。
「今まで、皆もみてきたと思う。 奴らの残虐さ、非道さ、人倫の外にある所行、到底許せるものではない。 私は一警官では無く。 人類の一人として。 奴を討ち滅ぼさなければならない」
「そうね。 今回に関しては、多少の事なら目をつぶるわ」
「オス。 先輩ならば勝てると、信じております」
「僕も行くんですよね。 まあ、後方支援ならお任せを」
編纂室は終わった。
だが、メンバーはこうして此処にいる。
恐らく、現地では、更に数十人の戦力が合流するだろう。一気に敵首魁ののど元を突く、電撃的な作戦になるのは間違いない。
一気に敵の首を取る。
敵はそれで崩壊するかと言えば、ノーだ。
首魁の首を停戦の条件に上げてくるくらいだ。恐らく敵は、既に首魁を外して、組織を運営している。
実際、今までまったく正体が知れなかったのは。
単に都合が良いスポンサーで、本格的に現場に出てくる必要もなく。そして何よりも、能力が足りないから。何時でも切る事が出来る蜥蜴の尻尾としてしか考えられていなかったのだろう。
それとも、元から乗っ取る機会を窺っている奴がいて。それが今になって好機と判断したか。
いずれにしても、相手がクズなのは確実。
ぶっ潰すのに、躊躇も罪悪感も無い。
さあ、戦いだ。
相手がどんな罠を張っていようが関係無い。
真正面から、ぶっ潰してやる。
フレンチのフルコースが順番に来た。確かに小暮が勧めてくるだけあってうまい。フレンチは必ずしも絶品ばかりではないのだけれど、これに関しては絶品と断言しても良いだろう。
口にしながら、作戦の詳細を告げる。
まあ、実際には。
私がどう、敵をぶっ潰すか、だが。
相手がどれだけの神格を側に従えていようが関係無い。怪異である以上、私には勝てない。
能力者も同じ事。
一対一の状況さえ作れれば。
それで勝ちだ。
「先輩の背後は、自分が守るのであります」
「任せるぞ小暮。 かごめ、チーム全体の指揮を頼めるか」
「任せておきなさい。 今回は丁度良い演習になりそうだわ」
「僕は支援に徹しますよ」
羽黒はこう見えて、結構使える奴だ。
実はこの間の決戦で、派遣した風祭の能力者から報告が来ている。此奴、相当な数の追っ手を、単独で倒していて。正直な話、支援が必要ないほどだったそうである。
ならば、支援に徹すれば、なおのこと実力を発揮できるだろう。
メインディッシュを堪能して、デザートが出てくる。
流石にうまい。
ワインも良いのが出てきた。
どういうわけか、店員が私にもう一度免許を見せろとか言ってきたので、見せてやったが。謎の待遇である。ちなみにゴールド免許だ。使っていないのでゴールドじゃないぞ。法規を守って運転しているからゴールドなのだ。
酔うのは久しぶりだ。
だが、ほろ酔い程度にすませておく。
これからは、あまり酔って隙を見せることは、そのまま死に直結する生活がやってくるのだから。
「タクシーを手配しておきました」
「有難う。 助かる」
「それでは、次は空港ね」
「全員で、次の戦いを生き残りましょう」
羽黒の言葉に頷く。
さて、いよいよ仕置きの時間だ。
今まで好き勝手をやりたい放題にして来た諸悪の根元を、ぶっ潰す時が来た。あの金髪の王子もいずれぶちのめすが。
まずは敵の頭を潰す。
此奴が好き勝手なことをしたために。
どれだけの犠牲が出たか分からない。
全世界だと、数十万に達しているか、それ以上だろう。
不幸にした人間の数は、その十倍、もっと多いかも知れない。
許すわけには行かない。
例え差し違えても潰す。
タクシーに乗ると、周囲を式神に警戒させる。
以前、廃ビジネスホテルで戦った時は、妙に心細かった。だが、今は違う。一人だけになっているけれど。
もはや、敵の首魁に手が届くところまで来たのだ。
戦いは、これで一区切りを迎える。
私は魔王になる。
そして、この世界ではびこる闇を制御する。そうすることで、奴らの首魁のような、ゲスを跋扈させない。
もう決めたことだ。
そしてこれから。成し遂げることだ。
(続)
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