夕闇の孤独
序、違和感
私が出勤すると。妙な違和感に包まれた。
地下の編纂室に、誰もいないのである。最近は特に羽黒が、出勤日は私の前に必ず出てきていたのに、である。
見回す。かごめの机はそのまま。彼奴が、大事なグッズを忘れていくはずがない。勿論奥にあるサーバも動いていた。
これは、何かあったか。
犬童警視も当然いない。私の机の上には、一通の書類が、無造作に置かれていた。
それは、昇進通知である。
これより貴殿風祭純を、警視に任ずる。
そういう内容の書類であった。
まあそれはいい。
昇進試験はとっくに受けて合格しているし。そもそも、功績からいって、警視は当然という声もあったのだ。
だが、どうして誰もいない。
まずは小暮に連絡。
そうすると、小暮はすぐ電話に出た。
「先輩、昇進おめでとうございます。 警視になられたそうで。 自分も警部に昇進して、驚いております」
「有難う。 それより何処にいる」
「え? まさか今回は、自分だけで出張でありますか」
「話が見えない。 何も聞かされていないぞ」
嫌な予感がびりびりする。
小暮によると、今なんと高知にいるという。高知で、警官達に暴漢を取り押さえる実習訓練を依頼された、というのだが。
聞いていない話だ。
犬童警視があれだから、編纂室にくる事件や情報は、私とかごめで必ず精査していた。まあ犬童警視はああいう人だし、何より最前線に立つ戦士としての存在が大きい。だから、私もかごめも異存なかった。
だからおかしいのだ。どうして小暮が出張することを、私が知らない。
詳しく聞くが、前から決まっていたらしいと言われて。どうして私が知らないのか、小暮も分からないようだった。
「その出張は何日の予定だ」
「二泊三日であります。 てっきり先輩も来るかと思っていたのですが……」
「分かった、それについては後で知らせる。 ただ、私は恐らく其方に行くことは無いだろう」
「分かりました。 いずれにしても、弛んでいる警官が多いようなので、自分が鍛え直しておきます。 それと、良さそうな人材がいたら、見繕っておきます」
頷く。まあ小暮には、前から人材捜しをさせていたし、前向きに考えるとしよう。
続いて、かごめに連絡。
かごめは、連絡が来ると、最初に昇進の話をして。それから、自分が何処にいるかを言った。
「北海道よ。 室蘭」
「はあっ!?」
「何よ、貴方が遅刻するなんておかしいと思っていたけれど。 今回は犯人の心理分析と逮捕の実施訓練をするとかで、道警の百人体制での大規模研修よ。 貴方も監察にくると聞いていたのに」
「反応から分かるだろう。 私は聞かされていない」
黙り込むかごめ。
彼女も悟ったのだろう。
これはおかしいと。
だが、道警が百人規模で警官を派遣するほどの研修だ。それを無碍にする事も出来ないだろうし。
地方警察のプロファイリングチームの貧弱さは、かねがねかごめも嘆いていたのだ。今回、彼女はこの仕事を放り出せない。
「気を付けなさい。 私も最大限気を付けるわ」
「ああ。 くれぐれも背中には気を配れ」
まずい。
電話を切ると、私はまず式神を周囲に展開。最大限の警戒を敷かせた。白蛇王が、小首をかしげる。
「どういたしました」
「恐らく仕掛けてきたぞ」
「しかし、敵意は感じませんが……」
「まず、羽黒に連絡をして見る」
羽黒に連絡を入れると。
彼奴も警部補に昇進だそうだ。
それはめでたいと褒めた後、何処にいるか聞く。なんと大阪だという。大阪府警に招かれて、科学的捜査の手伝いをしているそうだ。
「今回、幾つかの事件で実績を上げた僕を是非招きたいと、大阪府警の方から声が掛かっていまして。 あれ、先輩も来るとか言う話でしたが」
「罠だ」
「!」
「全力で警戒しろ。 今、皆別の場所に飛ばされている」
通話を切る。小暮にも、改めて連絡。全力で警戒するように、指示をしておいた。周囲に攻撃があるかも知れない。
兄者に連絡。幸い、兄者とゆうかは、佐倉と一緒にいる。佐倉は兄者の研究室に出入りしているので、兄者のゼミの関係者と思われているらしく。既に大学側の人間も怪しんでいないそうだ。
実力に自信がつくまで髪は伸ばすな。
そう言っておいたのだけれど。
佐倉は最近少し髪を伸ばし始めている。つまり、実力が少しずつついてきた、ということだ。
それはそれでいいのだが。
警戒するように指示。それも、最大限に、だ。
「何が仕掛けてくるか分からん。 兄者とゆうかを頼むぞ」
「分かりました。 風祭さんも」
「ああ……」
後は、人見か。
連絡。人見はいた。だが、解剖の実習で医大生が来ているとかで、それに見せるため、実際に上がった土左衛門を解剖実習しているという。
なるほど、完全に孤立したか。
そして、私の携帯が鳴った。
なんと、佐々木警視からである。
「この電話で良かったか、風祭」
「ええ。 それで、何用ですか」
「聞いていないのか。 変死体が出てな。 お前達が協力するという話だったが」
そして、このタイミングか。
まず、状況を説明。
佐々木警視は、しばし黙り込んだ。
「私についてきたいと言ってきた者はいませんか」
「夏目という警部補がそうだが」
「そいつを連れて行く訳にはいきませんね。 監視をつけて貰えますか」
「いくら何でも大げさすぎるだろう。 それとも疾風迅雷の二つ名は飾りか?」
佐々木警視はそう言うが。
私の様子がおかしいことにも、気付いてはいるのだろう。既に警視となった私は、地位的にも佐々木警視と同等。
昔は佐々木警視の部下だった時代もあるから、丁寧に口をきいているが。
それでも、あまり不遜な態度は、今後取れなくなる。
本人も、それは理解しているはずだ。
「何が起きているのか、見当はつくか」
「ここのところ、起きていた怪事件は一つの線につながっていると私は考えています」
「何……」
「警視庁に巣くうドブネズミの話は、貴方も聞いた事があるでしょう。 恐らくそいつらが、ついに私達を邪魔だと判断したのでしょうね」
馬鹿馬鹿しいと言い出したくなるだろうが。
佐々木警視はそういわなかった。
実際問題、私達が解決してきた不可解な事件は、既に数十に達している。これは、期間を考えると信じられないレベルの実績だ。
そして解決した事件の中には。
捜査一課の精鋭達でさえ、こんな事件には遭遇したことがないと、小首を捻るものが多数あったのだ。
疾風迅雷に事件を解決していく部署、編纂室。
その名は、既に全国で轟いていると聞いている。
まあ当然だろう。
轟かせたのだから。
もう、そういうわけで、私の言うことを。佐々木警視も、戯言とは言い切れないのである。
「信じるかどうかはお任せします」
「……分かった。 夏目という男、最近捜査一課に来たのだが、どうにも此方でも不可解な点が多いとは思っていた」
「何か問題を起こしていたのですか」
「キャリアでもないのに、上層部に異常にかわいがられていてな。 今回の事件に関しても、お前と組ませるようにという声があったほどだ」
なるほど、露骨すぎるほどだ。
或いは、単に何も考えていなくて、コネのある秘蔵っ子に事件解決の箔を付けたかった、という可能性もあるが。
それならどうしてキャリアにしない。
それに話を聞く限り、夏目という男は三十代だ。
上層部が喜ぶ秘蔵っ子というには、年を取りすぎているのが実情だろう。
「事件の概要についてお願いします」
「身辺が危険なのだろう。 大丈夫なのか」
「このくらいは慣れっこですよ」
メモを取って、すぐに編纂室を出る。
さて、此処からだ。
まず周囲に小暮がいない。
これが一番まずい。彼奴は肉弾戦におけるボディーガードだ。私は一応は鍛えているが、彼奴と真正面からやりあって勝てるほどでは無いし。何より、彼奴の存在が、相当な抑止力になっていた。
かごめもいない。
仲間になってからは、彼奴のプロファイリングと相手から情報を引っ張り出す能力に、随分助けられた。
彼奴がいるおかげで、犯人の聴取を任せてしまえるようになったのも大きい。
羽黒も、細かいところでは随分助けてくれた。
まだ知り合って日も浅いけれど。
それでも編纂室の一人として、過不足の無い人員だったと言える。
今回は、式神達の支援があるとは言え。
人間としては、一人で捜査に当たらなければならない。
それも、十中八九罠の事件だ。
私で無くても。
これはまずい、と思うだろう。
帯銃して、スーツをしっかり整えると、外に。今日は太陽が、嫌みなぐらいに、存在感をアピールしてきていた。
白蛇王が言う。
「周囲に式神達を配置。 狙撃手がいない事を常時確認します」
「頼むぞ」
「良いのですか。 佐倉を呼んだ方が。 オオイヌガミなら、生半可な相手くらい、蹴散らしてみせるはずですが」
「いや、ゆうかを守る必要性も生じてくるし、今は兄者も心配だ。 あっちを守る人員が欲しい」
仮面の男が連絡してこない。
犬童警視もたまにしか戻ってこない。
つまりこれは。相当な大規模戦闘が、日本の裏側で起きている、という事だ。今この瞬間も、である。
だがそれでも増援を呼ぶべきだろう。私は本家に連絡をして、準備をするように言っておく。案の定、出せる人員は限られている。それでも、どうにかしろと指示。人事権は私にある。どうにかさせることが、今は可能なのだ。
不意に現れたのは、道明寺だった。
「やあ久しぶりですね。 お一人ですか?」
「ああ。 それでどうして急に」
「いやだなあ、分かっているくせに」
すっと、道明寺は目を細める。
それだけで、まるで別人のように。凄まじい気配が周囲に漂う。これは、歴戦を経てきたものの気配だ。
「私がご一緒しますよ」
「頼もしいが、上部組織は人員が足りているのか」
「どうにかね。 ここのところの大攻勢で、敵は戦力を相当に消耗していますからねえ」
そうなると、私を狙ってくるのは、海外の民間軍事会社や殺し屋か。
面倒な事になるが。
父が此奴を寄越してくるとなると。相当に切羽詰まった状況、と判断するべきなのだろう。
小暮やかごめ、羽黒も心配だ。
特にかごめの場合は、私と同じ抹殺対象だろう。彼奴が早々不覚を取るとは思えないが、かなり厄介だ。
地下鉄の駅に急ぐ。
事件があるなら、速攻で解決する。
そして可能な限り急いで他の皆と合流する必要がある。
「お前、見えているんだろう。 お前自身は、式神を行使できないのか?」
「ダメですよ、そんな事をお外で言っては」
「戦力を可能な限り把握しておきたい。 どうせ誰かが聞いても、繰り言としか思わんだろうよ」
「……必要ない、とだけ言っておきましょうか」
まあそれでいいか。
問題の駅は、本庁から歩いても、そう遠くない。既に一角では騒ぎになっていて、テープも貼られていた。
腐臭。かなり離れていても、つんとくる。
これは何度も嗅いだことがある。
人間の腐敗臭だ。
ひどい状態になっているコインロッカーの周囲で、見知った捜査一課の連中が、捜査をしている。
コインロッカーは、腐敗した人間の体液でべとべと。
虫除けの処置はしているようだが。
それでも、ゴキブリとハエがごそごそ動き回り。
駆除された蛆虫が、辺りで力なく散らばっていた。
更に、である。
コインロッカーに詰め込まれていたのは、腐敗した死体。それも、文字通り八つ裂きにされて、ブルーシートの上に並べられていた。内臓がはみ出しているし。頭も半分潰れている。
新人なら吐いてもおかしくない光景だ。
手帳を見せる。
警視の新しい手帳を見せて、協力を促すのは初めてだが。流石に捜査一課の面子も驚いたようだった。
「警視が現場に!?」
「それをいうならそっちの佐々木さんも同じだろう。 あの人も警視だが、基本的に現場主義だ。 ……見当たらないな」
「それが、今日はもう一件殺人事件が起きていて、其方にいます」
夏目という奴を知っているかと、死体の状態を確認しながら聞くと。
佐々木警視は、その夏目を伴って、十人ほどで別方向。この東京でも、隅っこの方にある事件現場に向かったという。
そうか、気を利かせてくれたのか。
道明寺はにやにやと見ているが。
意見を求めると、即座に断定した。
「死因はその頭部の傷ですね。 殺してからきざんで、コインロッカーに入れているのでしょうが、妙なところも多い」
「詳しく」
「まず被害者に抵抗した様子が無い。 一撃で殺されていますねこれは。 何かのカルト教徒か、それに類する存在では?」
「分かった。 こんな事をするような輩だ。 可能性は低くないな」
コインロッカーに死体、か。
昔、コインロッカーに子供の死体を捨てる奴がいる、という都市伝説があった。それを真似しようとして逮捕されたものまでいる。実際に捨てられた事件も起きている。
世の中には、性欲のままに猿と同じように振る舞う輩がどうしてもいて。
そういう連中は、孕んだ子をもてあます。
孤児院に捨てていくくらいならまだ良い方。
ひどい場合は産んだら即座に殺して、家の中に放置、というようなケースもある。
実際捨て子を受け取るシステムを作ったら。
早速子供が何人も捨てられた、という事実さえあるほどだ。
駅のコインロッカーに子供の死体、という事件も起きたことがある。だが、腐乱死体になるケースはまずない。
この死体は、腐敗してから捨てられたのだ。
それについては。駅員も証言している。
昨日チェックした時には、こんなものはなかったと。
科捜研にすぐに死体を廻して、人見に調べて貰うとして。問題は捨てた人物だが。残念ながら、この辺に監視カメラは無い。
更には、である。
死体になった人物の霊も。周囲を漂ってはいない。
もしいたら、そのまま話を聞けたのだが。
事件そのものも、面倒なのをぶつけてきたな。私は舌打ち。道明寺は、私がどうするか、にやにやと見守るばかりだった。
1、孤軍奮闘
小暮とかごめと羽黒には、状況が切迫している故の、定時連絡を要求していて。今の時点では、それは機能していた。
私もメールを送ると、周辺調査と、科捜研の調べで、分かったことを自分なりに整理していく。
まず被害者は、まだ幼い子供だ。
児童養護施設の子供で、その名前は「光の家」。
よくあるミッション系孤児院の一つである。
ざっと調査してみるが、悪い噂は聞かない。殺された気の毒な子供に関しても、数日前から捜索願が出ていた。
誘拐事件かと思われていた様子だが、犯人からの連絡もなかったそうだ。
つまりこれは、殺す目的で攫ったか。
もしくは偽装誘拐。
つまり殺して、誘拐事件を装った、という事になる。
いや、ひょっとすると。死に方からして、実際には評判とまるで違う孤児院で、殺されたのかも知れない。
こんな時、他のメンバーがいれば、迅速に動けるのだが。私と道明寺だけでは、どうしても限界がある。
ましてや道明寺とは、顔見知りだけで。
此奴が手練れなのは知っているが、その程度の関係でしか無い。
駅は本庁のすぐ近くだ。
地下編纂室に道明寺にも来て貰い、一緒に資料を調べて貰うが。これは危険を避けるためである。
「怖い物知らずの風祭警視が、随分慎重ですね」
「これは、敵が本腰を入れてきていると判断するべきだからだ」
「正しい判断ですよ。 少し席を外します」
すっと、道明寺がいなくなる。
此奴、何かを察知したか。
まあいい。此奴がただ者では無いのは私も良く知っているし、今更それをどうこうというつもりもない。
調査を黙々と進めるだけ。
犠牲者を出させるわけにはいかないからである。
まず、捜査一課の聞き込みにより、目撃者が出てきている。ロッカーに紙袋を詰め込む人間を、見たというのである。
死体は確かに紙袋に詰め込まれていた。
ちなみに遺棄者は中年女性だった、ということだが。どうにも解せない。
道明寺は戻ってこなくなっているし、仕方ない。書き置きだけして、すぐに目撃者の所に向かう。
現在、最大警戒を継続中。
私は今までの人生でも、トップクラスにぴりぴりしていた。
故に、即座に反応できた。
駅のすぐ側を指定されたので、迷う事も無く。広場に出て。警官に案内される。
私の事は本庁でも知られているらしく。巡査らしい警官は、色々と話を振ってきたが、正直まったく耳に入らなかった。
何が何処にいるか分からないからだ。
昔、十三歳の時。
中東で、8時間ほど一人になった事がある。
凄まじい数の怪異に襲われて、一緒に戦っていた両親とはぐれたのだ。
怪異を千切っては投げ千切っては投げしている内に日は暮れてしまい。知らない街で途方に暮れた私は、自分がどれだけ孤独なのか。その時に思い知ったが。
今は、それに近い状態かも知れない。
小暮。かごめ。それに犬童警視と羽黒。
いつの間にか、随分大事な仲間になっていた。同僚と言うよりも、仲間というのが近いと、私も思う。
誰も側にいない事が。百戦錬磨である筈の私を、こうもナーバスにさせるのだから。人間というのは面白いものなのかもしれない。
「彼方の方です」
「周囲を警戒」
「え?」
「殺人事件が起きた後だ。 何処に犯人がいるか分からないだろう」
出来るだけ声を落として言ったつもりだが。
縮み上がった警官は、私より頭一つ分も大きい男なのに。敬礼して、失礼しましたとか、滑稽なほどに鯱張った。
そんなに私の声は怖いか。
いずれにしても、である。事件は、その時起きた。
証言者の女性が、此方に来ようとした瞬間。突然、投擲されたものがある。それが手榴弾だと気付いた私は、即座にけり跳ばしていた。
「ふせろっ!」
爆発。
空中でそれは、致命的な爆風と、周囲にガラスや釘をまき散らしながら。私や証言者の女性を殺せなかった事を恨むように、煙を上げていた。
すぐに飛び出した私は、躍りかかって手榴弾を投げた男を取り押さえる。ホームレスのようで、怪異が操作しているタイプの相手だ。
拳を頭に叩き込んで、怪異の操作を断ち切る。
そして、白蛇王に指示して、茂みの中で操作していた怪異を、即座に捕縛させた。
今は話を聞いている余裕が無い。
「すぐに此奴の身体検査! まだ何を持っているか分からん!」
腰を抜かした様子の警官を見て。
いつもびびっている蚤の心臓の小暮が。実は、修羅場をくぐった経験を生かして、充分頑張っている事を。私は今更ながらに思い知らされていた。
すぐにホームレスの身体検査を終える。
ひどい臭いを全身から放っているホームレスは、どうやら精神を崩壊させてしまっているらしく。
意味の分からない言葉を垂れ流すばかりだった。
とにかく、駆けつけた警官達に連れていかせる。
手を洗ったのは、本当に不衛生だったからだ。何日風呂に入っていなかったのか。でも、仕方が無いのかも知れない。
ましてや、奴らに捕まって生還できただけでも、ましなのだろう。
証言者の女性も、完全に青ざめて、漏らしてしまっていたが。今は時間がない。
「これからセーフハウスを用意しますので、其方に。 その前に、どんな女性だったかだけ教えていただきますか」
「は、はい」
青ざめている女性は、話してくれる。
そしてその女性の特徴は。
犬童警視と、ぴたりと符合していたのだった。
ようやく戻ってきた道明寺だが。
へらへらと笑うばかり。大変でしたなあと他人事のように言われて、私は流石にむっとしたが。
此奴が相当な手練れな事。
そして少し血の臭いがする事にも気付いていた。
「さては既にやり合ってきたのか?」
「何のことでしょうね、はて」
「タヌキが。 私はいずれお前も所属している組織の方に入る。 もうそれも遠くない未来だ。 そろそろ話してくれても良いだろう」
「ふふ、その時までお預けですよ。 それに今回の事件は、私の方にも少し関係がありましてね。 貴方の護衛はついで、とだけ言っておきます」
舌打ち。
いずれにしても、まずは光の家とやらにいくべきか。
そう思っていたら。
佐々木警視から連絡が来た。何かあったのか。
「どうしました」
「どうしたも何もあるか! 都心で手榴弾だと!?」
「九州だと珍しくも無いって話でしょう。 都心に持ち込まれても、別に不思議な事じゃないでしょうに」
「お前……」
佐々木警視が絶句しているのが分かった。あれ、私何か変なことを言ったか。
ああ、そうかそうか。此処、日本だった。私は海外でも怪異と交戦した経験があるから、ついうっかりしていた。海外だと、武装組織が怪異を操っている事も珍しくなかった。警官になって修羅場を散々くぐったが、海外の修羅場に比べれば楽なもので、それで私は落ち着いていたのだが。ついすっかり忘れていた。
佐々木警視は腕利きだが、それでも日本人の感覚を逸脱していないということだ。
「セーフハウスの手配、迅速ですね。 流石です」
「というか、あの女性では無くて、お前を狙ったものだったのではないのか」
「恐らくはその推理で正しいかと」
「護衛を廻す。 何処かに潜んでいろ。 どうも光の家とやらを調べたが、俺の勘では妙にきな臭い。 ひょっとして、とんでも無い大蛇が潜んでいるかも知れん」
私は、流石にそれで「はい」とは言えない。
少し考えてから、佐々木警視に答える。
「敵は手榴弾を都心で使う連中です。 恐らく佐々木警視も知っているんじゃないですか、そういう奴らが今、暗躍していることを」
「……」
「むしろ普通の警官では殉職者を増やすだけです。 私にお任せを」
「おいっ!?」
電話を切る。ちょっとばかりまずい。今言った事は、全て本当だ。そしてこの件には、経験の浅い警官をとても動員できない。編纂室メンバーのようなエキスパートでないと無理だ。
いや、そもそも。
恐らく今回の件では、上部組織も既に戦闘を始めているはず。その編み目をくぐって、敵が私にダイレクトアタックを仕掛けてきた。
それほどの規模の戦い、という事だ。
小暮から定期連絡が来た。
武術の講習が始まったという。そして予想通りの事態になった。案内されたのはかなり大きな建物だが、狙撃できるポイントが幾つか見受けられるという。
「内側からカーテンを掛けました。 それと、狙撃可能なポイントを特定。 軽く武術の講習を流した後、狙撃ポイントへ向かっています」
「気を付けろ。 気付かれると、多分躊躇無く撃たれるぞ」
「分かっております」
小暮の声は真剣だ。
幸い、現地には、以前武術の講習をした相手がいて。なおかつ、事件を解決した際、恩を売る事に成功した者もいるらしい。
他は全員敵に通じている可能性さえあることを考慮し。
小暮は迅速に動いているそうだ。
更に、である。
私は人事権を使い、風祭の人員の内、何とか手が空いている者を見繕うことに成功した。その一部は既に小暮の援護に廻している。
私と違って、対人能力をオミットしていない式神持ちで、当然実戦経験者だ。小暮と連携して、必ずや奴らの動きを封じてくれるはず。
かごめは。
あちらも、同じように、信頼出来そうな人員を選抜。
講習の会場周辺を調査して、敵が仕掛けてくるだろう位置を、既に特定済みだという。かごめはよりえげつなくて、ブービートラップを仕掛けているそうだ。
かごめにも、援護は廻した。
問題は羽黒だが。
羽黒はというと、ずっと大阪府警の中で、デスクワークをさせられているという。それも、狭い部屋の中でだ。
「まるで懲罰ですよ」
「ふむ……」
羽黒は苦にしていないようだが。
これも妙だ。
手腕を買って呼ばれたという話だったのに。ひょっとして、羽黒そのものを閉じ込めることが狙いだったか。
正直、羽黒の実力は私にもまだ未知数だ。
敵の方が、むしろ良く知っているのかも知れない。
歩きながら話を済ませ、光の家に。はて、何だこの空気。
見た目は、何処にでもある平屋のミッション系孤児院だ。どうやらカトリック系だという事は分かるが、形だけだろう。
何しろ。
怪異の気配がある。
それも、一体や二体では無い。かなりの数の式神が、周囲に展開して、此方を見張っているようだった。
それもどいつもこいつも悪質なのばかりだ。
此方に近づいて来て、メンチを切ってきた奴がいたので、一撃で顎を跳ね上げ。更によろめいた所を、拳で殴り飛ばす。
吹っ飛んで、塀の向こうまで飛んでいった式神。
他の式神達が唖然としている中。
私は、聞こえるように言う。
「今日の私は機嫌が悪い。 喧嘩を売るつもりなら、死ぬ気で来るんだな……」
「ひっ!」
私の全身から放たれている力に、ようやく気付いたのだろう。間抜けな連中だ。逃げ惑う雑魚どもはシカト。
にやにやしている道明寺に、話を振る。
「で、此処に何がある」
「入って見れば分かりますよ」
「……そうか」
警戒しながら、玄関のチャイムを押す。
出てきたのは、張り付いたような笑みを浮かべた女性だった。光の家の管理人をしている鏑木光恵だ。
一応経歴は洗っているが。
少なくとも警察のDBにきな臭い話は載っていない。
だが、佐々木警視の言葉が気になる。
「どういたしました? この小さな孤児院に何用です」
「警察です。 此処の出身者で死者が出たことは既に聞いているでしょう。 調査に来ました」
「まあ。 警察の方でしたか」
「……」
他人事のようだな。
中に入れて貰う。
子供達が、小さな部屋に十人ほど。全員が、ぼんやりとテレビを見ている。それもアニメや何かでは無い。
教育番組のようだ。
見たことが無い番組だが、海外のものか。
流れている言語は何だ。
聞いたことが無い。アジア系では無くて、恐らく西洋系だとは思うが。
「どうしました。 ご案内します」
「その前に。 あの子供達が見ている番組は何です」
「ケーブルテレビに加入しているので、海外の番組が見られるのですよ」
「それは結構。 あの言葉、何語です。 どうして子供達は、理解も出来ない番組を見て、騒がない」
イライラしてきている私は、矢継ぎ早に質問。
佐々木警視の勘が当たっていたことを、私は悟っていた。この孤児院、子供達の扱いだけで既におかしい。
「さあ、何か子供達の琴線に触れるのでしょう」
「少し失礼」
兄者に電話を掛ける。
そして、テレビから流れている音声を聞いて貰う。
ちなみに子供達は。
じっとテレビを見るばかりで、一言も発しなかった。何というか、子供らしい抑えきれない内部からの熱情がまるで見られない。
洗脳されているかのようだ。
いや、洗脳されている可能性も、これでは否定出来ない。
いつのまにか道明寺もいない。
「で、どうだ、兄者」
「これは恐らく極めてマイナーな言語だ。 旧東側で使われていた言葉に似たものを聞いた事があるが……調べて見る」
「頼むぞ」
旧東側。しかもアジア系でないとすると、ロシアの衛星国か。
そんなところの番組を、どうして子供達が理解しているのか。
咳払いすると、子供の一人の肩に手を掛ける。
そして、此方を振り向かせて。
思わず私は呻いていた。
目に黒い穴がある。
そう言いたくなるほど、目にまるで感情が宿っていない。自分が振り向かされても、何とも思っていない様子だ。
そして、そのまま。
テレビに向き直ってしまう。
なお、テレビではCMが始まっていたが。
これもまた、見たことが無い車のCMだ。とてもではないが、メジャーどころか、何処かの国にしか走っていないようなマイナー品にしか見えない。
悪名高いトラバントを筆頭に、旧東側の車には碌なものが無かったという話は聞いた事があるが。
なんでそんなものを今更流している。
そもこれは、本当にケーブルテレビなのか。
「次の部屋を案内しましょうか」
「わかりました」
鏑木光恵から少し距離を取ると。
私は白蛇王に指示。
「この周囲にいる式神を全て片付けろ。 殺さなくても良いから、全部畳んでおけ」
「分かりました。 しかし主の護りはどうします」
「心配するな。 心配なら出来るだけ迅速に片付けろ」
「承知」
天狗と猿王も、すぐに作業に取りかかる。
此方にメンチを切ってくるような柄が悪い式神どもだ。すぐに戦闘が開始され、片っ端からぶちのめす。
質においても練度においても、此方の方が三十倍増し。
敵の制圧は、すぐに終わった。
その後、周囲を調べさせる。
怪異どもは全部まとめて、庭の一角に転がしておいた。後で浄化して、私の式神に書き換えてしまおう。
その間、私は鏑木の案内を受けて、孤児院を廻る。
奧に部屋もあった。
ミサに使うらしいが。
使っていないなこれは。
一見綺麗に片付けられているのだが。
それだけだ。
何というか、私も丁寧に使われている教会には何度か足を運んだことがあるのだが。信者による信仰が、一種の都市伝説から怪異が生まれるプロセスと同じく、場そのものに力を与えている。
勿論近代兵器をはじき返すほどではないが。
それでも、わずかであれば災厄を避けられる程度にまで、大事にされている空間というのは、力を持つ者なのだ。
此処にはそれが無い。
そればかりか、東洋系の怪異を式神にして配置し、見張りをさせている等、およそまともな教会のする事では無い。
椅子などを調べて見るが。
埃一つない。
あの子供達が、掃除しているのだろう。
話をさせるが、もっともらしい話を適当にしてくるので、流してもういいと手を上げる。今日の所は、これくらいでいいだろう。
関係者の子供が死んだのに、悲しんでいる様子も無い。
引き取り手が見つかってそれっきりで、連絡もなかった。
そう鏑木はいうのだが。
一見冷静で理知的なその言葉には。
おぞましいまでの冷酷さも含まれていた。
一度、光の家を出る。
そして、庭に集めた式神どもを一体ずつ浄化して、私の式札に移していると。道明寺が、また気配もなく現れる。
「また派手に片付けましたな」
「そも、西洋系の教会で、どうして東洋系の怪異を見張りにつけている。 あの女も、自分の式神を潰されているのを知っているのに涼しい顔をしていた。 ひょっとして、代わりは幾らでも調達できるとか考えているんじゃ無かろうな」
「それを私に言われても」
「それにしても、肝心なところでいなくなるな。 今度は何処に行っていた」
道明寺は意味ありげに笑うばかり。
此奴、相変わらずつかみ所が無い。
味方とは考えて良いのだろうし。既に働いてくれてもいるのだろうが。
不意に。
目の前に突きつけられたのは、白い粉だ。
「何だ」
「さっき、貴方が鏑木を引きつけている間にちょっとね。 隠してあったのを、少し拝借しました」
「覚醒剤か何かか」
「いいえ、そんな代物では無いでしょうね。 私の見たところ、これは骨でしょう。 それも人間の。 粉末化した骨ですよ」
思わず口をつぐむ。
どうやら、ひょっとしなくても。
此処は想像以上におぞましい場所なのかも知れない。
また道明寺が、ふらりと消える。
そして、気付く。
教会の窓から。
まったく表情が無い子供達が、じっと私を見ている。マネキンの群れが並んでいるように、感情も目に光もない子供達が。
思わず背筋に寒気が走るかと思った。
怪異では無い。
だが、これは、完璧に調教されていると見て良い。この孤児院はまともじゃあない。
「ちょっとあんた」
不意に声が掛かる。
声を掛けてきたのは、少し不良っぽい雰囲気の青年。筧麟太郎と名乗ったそいつは。此処でボランティアをしていて。なおかつ、出身者でもあると言う。
「話がしたい。 此処の敷地だとまずい」
「……良いだろう」
警戒したまま、少し離れた路地裏に。
筧と名乗った青年は。
反吐でも吐きそうな顔で、教会の方を見やった。
「中を見て、どう思った」
「少しばかり空気がおかしいな」
「少しなものか。 彼処は完全に狂ってる。 人体実験まで行っている施設なんだよ」
「詳しく聞かせて貰おうか」
青年は周囲を見回す。まあ、今の時点では誰も見ていない。というよりも、怪異を見張りに立てているような状況だ。あの鏑木という女は恐らく式神を使役する事が出来るようだし、間違いなく一神教徒ではない。
一神教では、他の宗教の神を悪魔呼ばわりする。デーモンは他の宗教の神で、デビルは一神教の悪魔だという話もあるが。あれはあくまで話半分に聞いた方が良い。というのも、一神教の悪魔は、他の宗教の神を貶めたケースが多いので、元々どれも同じようなものなのである。
その「悪魔」を堂々と使役している時点で。
あれはもうまともな一神教徒ではない、というわけだ。
「あの子供達の様子、見ただろ。 俺を一として、何人かが昔脱走したんだ。 脱走を手引きしてくれた人がいて、それで逃げ出したんだけどな。 逃げ出してからしばらくは、どうして此処から離れなければいけないのか理解できなくて。 それで、外で暮らしてみて、やっと理解できた。 それで震えが来た」
「どうして警察に言わなかった?」
「分かるだろ。 コネがあるんだよ……」
「そうか」
手帳を見せる。
私がいわゆるキャリア組で。地方ではトップも務められる警視である事を知って、青年は愕然とした様子だ。
こんな若さで警視とは、思ってもいなかったのだろう。
「話してくれるか。 相手が生半可なキャリアなら、私がどうにか出来る」
「……分かった。 あの殺された子もそうだが、どうやら洗脳した子供をどっかに出荷しているらしいんだ。 俺たちは何年も連携して、それを調べていた。 あの子は、助けられなかったが、助けられた子もいる」
「それで、今も探っていた訳か」
「相手は警察を味方につけてるからな。 本当に命がけだよ」
私も警察なのだけれど。まあいい。まだ膿出しが必要なのは事実。それに、予想通りだ。此処は多分、捜査一課の手に負えない。
下手をすると、佐々木警視の首が飛ぶだろう。
「まだあんたを信用したわけじゃ無いから、全部は話せない。 だが、此処を絶対にぶっ潰してくれ」
「それは構わない。 だが、此処にはもう近づくな」
「なんでだよ」
「此処に巣くっている化け物は、日本の警察上層部にコネがある輩、なんて小さな相手じゃない。 下手をすると、一国をそのまま掌握しているような怪物的な組織だ。 お前達が動いても、手に負える相手じゃあないんだ」
流石に口を引き結んだ筧青年だが。
しかし、分かったと言い残すと、姿を消す。
道明寺が、また影から現れる。
本当に此奴は忍者のようだ。
「あの子、ちょっと深入りしすぎですね。 それも、恐らく貴方が頼りにならないと判断すれば、強硬手段に出ますよ」
「そうなる前に、此処を潰す。 ちょっとばかり強力な結界が張られているようだな」
前に、あの高嶋紅のブティックを守っていたのと、同レベルかそれ以上の結界が、地下を守っている。
そうなると、私でも簡単にはたたきつぶせない。
いずれにしても、放置は出来ない。
今、周囲に皆がいれば。
こんな事件、簡単に片付けられるのに。
一度、光の家の側を離れる。
その途中に、兄者からの連絡が来た。なんと中東の少数民族が使っている言葉らしい。調べるのに随分手間が掛かったそうだ。それも呪いの類の様子で、とても普通の会話だとは思えないという。
なるほど、確かに異常だ。
定時連絡が来た。そして、どうやら最初は、小暮に敵は仕掛けてきたようだった。
2、乱戦
小暮が指導を行っている施設の周囲に、スナイパーを確認。恐らく内通者もいる。指導中の警官達の中で、信頼出来る数人と一緒に、小暮は動く。どう対応すればいいかは、私から伝えてある。
「あまり無理はするな。 お前でもライフル弾には勝てないだろう」
「なんの。 チョッキを着けていれば、あの程度の衝撃、平気ですよ」
「そうか。 頼りになるな」
小暮の分厚い筋肉なら、確かにそうなのかも知れない。
いずれにしても、小暮の所には、恐らく分隊規模の特殊部隊か、それに類する戦力が投入された様子だ。
警官が二百人ほどいるといっても、戦い慣れていないし、武装だって貧弱。
アサルトライフルやスナイパーライフルで武装し、戦闘慣れした集団だったら、草でも刈るようにして打ち倒せるだろう。
そう敵は踏んでいるのだろうが。
甘い。
此方は、既に手を打っている。
次はかごめだ。
やはり、どうやら特殊部隊が来ているらしい。多分海外の民間軍事企業らしいが、奴らの手によって本物の軍に訓練を受けている様子だ。かごめ自身は、ライフルを手に、訓練中の警官達から離れて、撃退するべく動いている最中らしい。
「やり過ぎるなよ」
「敵は小隊規模の特殊部隊よ。 無理を言わないで頂戴」
「言ったとおり、援軍を送ってある」
「ふん、まあ間に合うと良いのだけれどね。 まあ、加減できる状態になったら、半殺し程度で済ませてやるわ」
射撃音。
どうやら仕掛けてきたらしい。
かごめが通話を切った。これは、本格的にやり合うことになりそうだ。
私自身は、夕暮れの街を急ぐ。どうも此方にも、十人以上の武装した人間が、多方向から迫っている様子なのだ。
何処か楽しそうに、道明寺が言う。
「どうします? もう察しているんでしょう?」
「ああ。 退くわけが無いだろう」
「ほう、正面突破ですか」
「……そうだな」
羽黒の所へ私が送った援軍は、一番戦力が大きい。多分羽黒は自力で脱出して、此方に向かっている筈で。
襲撃されるとしたら、その途中だろうか。いずれにしても、その襲撃戦力は不幸と言うほか無い。
不意に携帯が鳴る。
見覚えが無い番号だ。
今は、出るしか無い。不愉快だが、此処はまず敵の出方を見る他無いのだ。
「誰だ」
「夏目警部補です。 貴方を護衛するように、佐々木警視に言われましてね」
「護衛は断った筈だが」
「此方も仕事なんで。 今から指定する場所に来て貰えますか?」
巫山戯るな、と言いかけて気付く。
電話の向こうから、声がする。それも、幼い子供の声だ。
「お前……それでも手帳を持つ者か」
「ははは、何を青臭い。 貴方も地位を金で買った人間でしょうに。 その若さで警視で、しかも彼方此方での武勇伝! 金で用意して貰ったんでしょう、簡単な仕事を! 俺のように、苦労してゴマ擦ってようやく警部補になれた人間の気持ちは、あんたには分からないでしょうねえ!」
「たわけが。 私は実力で今の地位を得た。 お前如きと一緒にするな。 ……行ってやる。 すぐにぶちのめしてやるからな、覚悟しておけ」
道明寺に目配せ。
指定があったのは、ビジネスホテルだが。これは、此方に接近している特殊部隊と、連携しての行動と見て良いだろう。
さて、最悪の状況だが。
まずは、道明寺には勝手に動いて貰う。
私は増援を頼んでいない。今動かせる風祭家の実働戦力は、皆を守るだけで精一杯だからだ。
だからこそ、道明寺に。
上部組織の人間に、勝手に動いて貰うのだ。
私が予定通り「罠に掛かれば」、敵は動きを見せる。その時、私が想定外の粘りを見せれば。
上部組織は、確実に、敵の背後をつける。
多分今日本中で小競り合いが起きているはずだが。
上部組織のボスは、間違いなく私の父だ。
これについては、今更断言するまでも無い。そしてあの仮面の男は。まあ、これについても、正体は知れている。
いずれにしても、人質を救出して、時間を稼ぐ。
勿論捜査一課には連絡できない。夏目という男、奴らの手下と見て良い。捜査一課にも、奴らの草が忍び込んでいても不思議では無い。
つまり、連絡すると言う事は、人質を殺させる、という事だ。
そして連中にとって、一人殺すのをもみ消すくらい、何の罪悪感も無くやってみせるだろう。
舌なめずりしたのは。
本気でブチ切れているからだ。
早足で、雑踏に紛れながらビジネスホテルに。雑踏に紛れるのは、狙撃を防ぐための手段である。常に予測不可避の動きをする上に、遮蔽物も多いので、狙撃が出来なくなる。
私は対怪異に能力を全振りしているから、この程度の知識は逆に必須。現在は近代兵器を使った戦闘が主流であって、怪異を使う場合は、それでは対処できない隙間を補う形になるケースが多い。
私だって、その例外では無い。
何より近代兵器の凶悪さは凄まじい。
実際海外では、それで何度も死にかけたのだ。
既に、周囲には、全ての式神を展開済みだ。
「敵も展開を開始した模様。 かなり手練れの部隊ですな。 スナイパーと観測手がセットになった三組の狙撃部隊と、それに十数人が雑踏に紛れて近づいています。 もっと多いかも知れません」
「ふん、警官一人相手に、随分じゃないか」
白蛇王の報告を受けながら、ビジネスホテルに。
なお、誰もいない。
人払いしたと言うよりも、これは廃墟だ。入り口は開けてあったが、中は薄暗くて、管理している人間以外誰も入っている形跡が無い。
周囲を見回しつつ、拳銃を抜く。
一階の一番奥。
レストランだったらしい場所の少し手前に大きめのホールがあり。
其処に、子供を抱えて、頭に銃口を向けている男がいた。それなりに屈強そうだが、虚仮威しだと一目で見抜く。
子供はぐったりしていて、意識が無い。
私が完全にブチ切れている事に男、夏目警部補は気付いていない様子だ。
「夏目警部補だったな」
「ああ、そうだよ。 手間を掛けさせてくれやがったな、この雌犬が」
「銃を捨てて投降しろ。 両手を挙げて跪け」
「はあ? 何を言って」
せせら笑った夏目が、拳銃を此方に向けようとした瞬間。
その体が、ぐらりと右に傾く。
何が起きたか、理解していない様子の夏目に、更にもう一発ぶち込む。
一発目で左膝の関節を打ち抜き。
私から見て、右に夏目が倒れる中。
拳銃を握っている手を、打ち抜き。人差し指と中指を、吹っ飛ばしたのである。
こんな近距離。
しかも止まった的。
この私が、外す訳が無いだろう。
もっとも、かごめだったら、四倍の距離で、動いている的にでも当てていただろうが。私はこれが精一杯。日本の警察は、銃の扱いに慣れない者が多い。
弾一発消費するにも、色々と面倒な書類やら手続きやらが必要だからだ。
だから弾を撃ちたがらず、事件の被害を増やしてしまう事も多いのだ。
私も、そういう意味では、まだまだだが。だからこそ、補うべく、敢えて近づいたのである。絶対に当てられる距離まで。
まあ、夏目が人質から銃口を外すというアホをやらかすように誘発してはやったが。
即座に飛びついて、拳銃をけり跳ばす。
なおかつ、子供を取りあげると、印を切って、一喝を入れた。
「喝!」
ズドンと、廃ビジネスホテルが揺れる。
この子供、怪異が仕込まれているのは、既に分かっていた。それも自爆をさせるためのものだったのだろう。
様子からして、例の光の家の出身者か。
外道な真似をする。
ひいひい言いながら、逃げようとしているクズ野郎夏目。
私は、出来るだけ。怒りを抑えながら吐き捨てる。
そうしないと、言葉にもならないからだ。
「もっと外道な事をして見ろ。 もう少し、そうだな、二三発は撃ちたい。 ほら、やってみせろよ。 私に撃たせろ」
「た、たす、たすけ」
子供を降ろすと。
私は満面の笑みを浮かべる。多分、ソドムとゴモラの街を滅ぼした光を見た天使のような笑みになっていた筈だ。
そして跳躍。
夏目の睾丸を、両方まとめて踏みつぶす。
絶叫すると、白目を剥いて失神する夏目。
此奴はどうせ末端だ。
それよりも、このホテル。どうせ周囲に展開している連中は、構造を完璧に把握していると見て良い。特殊部隊は突入作戦の時、建物を再現して訓練する事さえある。ましてや、世界規模の組織が抹殺を図って投入してきたのだ。それくらいやっていて当然。
更に、外に逃げようにも、狙撃犯が待機している、というわけだ。
そのうえ、私の式神は、対人殺傷能力をオミットしている。勿論敵もそれを知っているだろう。
だが、それでも、やりようはある。
「天狗」
「此処に」
「数名を連れて、外の連中の目と耳を塞げ」
「承知!」
すぐに天狗が出る。
目と耳を塞ぐ、というのは。
電子機器に霊が干渉することが出来る事を利用して。奴らが使っているスターライトスコープと、無線を遮断するという意味だ。
続けて、周囲に陣を展開。
以前、テレビ局のクソプロデューサーに、奴が死なせたアイドルの悪霊を見せたのと同類のもの。
どうせ、二階より上はブービートラップの巣だ。
ある程度此処で戦力を削ぐ。
問題は子供がいることで、何処まで戦えるか、だが。
「猿王、お前が指揮官となって、敵の目をふさげ。 闇の中の銃撃戦になる。 出来るだけ同士討ちを誘うんだ」
「はっ!」
白蛇王とニセバートリーだけを残し、他の全ての式神は、迎撃に向かわせる。ニセバートリーには、別の仕事をさせる。
式神達は使える。
対人殺傷力が無くても。
監視カメラをおかしくし、スターライトスコープを無力化させ、無線を黙らせ。そして幻覚を見せる事は可能なのである。
これで少しは戦力差を埋められれば良いが。
正直な話、アサルトライフルを持った兵隊一人でも、手に余るのだ。
それが訓練を受けた精鋭で、しかも相当数が迫ってきている。
洒落にならない状況である。
携帯は、案の定使えなくなっている。電波妨害を掛けている、というわけだ。
子供を背負う。
夏目はどうでもいい。
銃撃戦に巻き込まれて死のうがどうしようが、知った事か。
「敵突入開始!」
「よし、やれ!」
すぐに、銃撃音が響き渡る。
日本語では無い言葉で、悪態をつく声。恐怖に歪んでいる。
銃撃音は、サイレンサをつけていても、どうしても周囲に響く。道明寺も動いているし、通報が来ればすぐに撤退するはずだ。
「敵、四チームに分かれて突入してきます。 右の通路から来るチームが、一番動きが悪いようです」
「狙撃犯は」
「スコープが使い物にならず、無線が役に立たないと判断すると、装備を変更して此方に向かい始めました」
「好都合だ」
上から、ニセバートリーが戻ってくる。
トラップの位置を調べてきたのだ。此奴はアホでも、勘は頼りになる。一カ所、薄い場所がある。
恐らく狙撃犯の射線上に私を出すための工夫だったのだろうが。
生憎狙撃を封じた今。
退路にしかならない。
子供をしっかり背負い直すと、走る。
叫び声。
いたぞ、とでも言っているのだろうか。射撃音。近くの朽ちかけたコンクリの壁が、抉られる。
階段に飛び込むと、遮蔽を利用して、撃ち返す。
一人の足を打ち抜いた。
もんどり打って倒れる敵だが。
戦意旺盛で、他の奴が応射してくる。激しい銃撃に、中々身を乗り出せない。しかもこっちは拳銃1丁だ。
下がりながら、他の敵チームの動きを確認させる。
「やはりビルの地理を知り尽くしているようです。 トラップを避けながら、背後に回ろうとしています」
「幻覚を見せて足止め。 三階まで下がるぞ」
「ちょっと、退路はあるけれど、外の非常階段は塞がれてるのよ! 屋上まで行ったら、もう逃げられないわよ!」
「ほう、心配してくれるのか」
口をつぐむニセバートリー。
教えて貰ったトラップを避けながら、階段を上がり。追いついてこようとしてきた相手を、速射で足を打ち抜く。
更に、倒れたそいつにもつれて、倒れそうになったもう一人の肩を撃ち抜いた。
無力化すれば、それでいい。
階段を上がりきると、奧から銃撃。
身を伏せるが。
脇腹に灼熱が走った。
弾が掠ったのだ。予想以上に痛い。これでもかなり鍛えているのだが。
「オーダーメイドの高級品なんだがな……」
ぼやく。
廊下を走りながら。敵の罵声を背中に、応射する。当たらないと分かっていても、反撃能力を見せておかなければならないのだ。
また掠める。焼けるように痛い。そしてその痛みは、集中力を確実に奪っていく。
私は神でも、神話の英雄でも無い。神に勝つことはできるが、それは相性の問題。あくまで私は人間だ。
ダメージを受ければ、相応に弱体化する。
敵の集弾率が高い。止まっていたら、一瞬で蜂の巣にされる。次の階段。かなりトラップが多いが、無理にでも突破しなければならない。
至近。敵と顔を合わせる。
反応はこっちが早い。
流石にこの町の中を来たのだ。フルアーマーというわけにはいかなかったのだろう。瞬間で股間を蹴り潰し。悶絶しているそいつを盾に、射撃。
しかし、かちんと、乾いた音。
弾丸が、尽きた。
闇の中、無理矢理トラップ群れの中を突破。子供を抱えている上に、弾が尽きたか。集中力の減衰が招いた事態である。舌打ち。もんどり打って倒れたのは、また掠めたからだ。
確実に傷が増える。
一発でも直撃弾を受ければ、もう身動き取れなくなるだろう。
跳ね飛んで、距離を取る。一瞬前まで倒れていた場所で、火花が踊った。
階段の、踊り場の影に隠れながら、新しい弾丸を装填。あくまで威嚇用および最低限の制圧用の武器と言う事もあって、警察で採用しているニューナンブは弾丸をマガジンで即時装填できないリボルバーだ。弾も、一発撃つごとに、面倒な書類が必要になる。
階段を上がってきた奴が、私の応射に舌打ちして、下がる。
しかし、自分たちで仕掛けたトラップに引っ掛かった。
天井から落ちてきた釘に、ぎゃっと悲鳴を上げて、階段を転がり落ちていく。まあ暗闇で、スターライトスコープを潰され。外の光を頼りに戦わざるを得ない状況。その上周囲は幻覚だらけ。
どれだけの精鋭でも、こういうミスはする。
今の私のミスとで帳消しだ。
ニセバートリーに、罠の位置を聞きながら、下がる。下がりつつ、応射。
階段を上がりきって、飛び出してきた敵の足を打ち抜くのと。
そいつが階段を転げ落ちながら、私を撃つのは同時だった。
吹っ飛んで、床に転がる。
「ちっ!」
もろに脇腹を抜かれた。
今までとは比較にならない痛みだ。幼い頃から訓練を受けている私でも、意識を持って行かれそうになった。普通の人間だったら、多分即座に身動きできなくなっただろう。
応急措置しないと危ない。既に軽めの傷を、幾つも受けているのだ。それに、子供はどうしても守りきらないといけない。
ついでに言うと。敵の追撃部隊は至近。
手を上げても、即座に撃ち殺す気満々の連中だ。
大きく息を吐くと、籠城戦に切り替える。
次の階段を、トラップを避けながら登って、なおかつ追撃を受けてそれをいなしていく自信など無い。
何度か咳き込む。
血は混じっていない。
内臓にダメージは行っていない、ということだ。
だが、冷や汗。
幸い弾は抜けたようだが。体に入った弾丸は、内部を著しく傷つけるものなのだ。継戦能力は、もうほとんどない。
更に言うと、敵はまだ半数以上が健在。
近くの部屋に閉じこもると、ドアを封鎖。
すぐに、ドアが叩かれ始めた。
ショットガンを使ったのだろう。ドアの蝶番が吹っ飛ぶ。
だが、私は最後の力を使って、ベッドをドアの前に移動させておいた。
子供はバスルームに隠したが。ドアを突破されたら、一緒に殺されるのは避けられないだろう。
リボルバーに弾丸を再装填。
結局実戦ではあまり使うことが無かったこのニューナンブだが。
それでも、今は最後の護りだ。
出血が当然のことながら止まらない。
応急措置をしようにも、敵は体当たりして、扉そのものをぶち抜こうとしている。もう、そんな暇も無い。
絶体絶命という奴だ。
ドアの上半分が砕け、無理矢理飛び込んできた一人。
即応して、肩を撃ち抜く。
混雑して、もう一人が飛び込もうとするも、そいつも速射で、肩を。続けて腹も打ち抜いた。
三人目が、手だけ入れて、アサルトライフルを乱射してくる。
そろそろ、走るのも無理だ。
撃たれる事によるダメージは知っているつもりだったが。
それでも相当にひどい。
また、掠めた。
今度は足だ。
倒れて、それでも撃ち返す。敵の手を直撃した弾丸が、敵の指を数本持っていく。悲鳴が上がるが、まだ敵は諦めない。手が引っ込んで、別の手が手榴弾を投げ込もうとしたのに即応。手榴弾をはじき飛ばす。部屋の外に飛んだ手榴弾は、敵が慌てて、味方のいない方へけり跳ばしたようだ。なかなかのファインプレーじゃないか。
爆発音。
敵が、悪態をつくのが聞こえた。
英語だ。
聞いていないぞ。こんな手練れだって、雇い主は言っていたか。実戦経験もない、無能なチビとか嘘つきやがって。そう喚いている。まあ、確かに特殊部隊として戦ったことはないが。悪いが実戦経験は五百回を軽く超えている。近代兵器とは相性が最悪なだけだ。それでも、この経験差で、此処までやれている。
相当向こうも頭に来ている様子だが。此方の状況は向こう以上に最悪だ。
私は、既に身動き取れず。
呼吸する度に血が減るのを感じながら。壁に背中を預け。
淡々と。
訓練を思い出しながら、弾をニューナンブに装填する。だが、残りの弾丸は、もう三発だけしかない。
間に合うか。
そうじゃない。間に合わせる。
敵は苛烈な抵抗に業を煮やしたか。一旦距離を取った。恐らくリーダー格が、何か指示しているのだろう。声は無かった。一度頭を切り換えて、ハンドサインで指示を取ったのだろう。
この辺り、歴戦の敵と言うことが、すぐに分かる。
そして歴戦である以上、既に相性差で私の勝ち目は無い。
敵も、此方の継戦能力が限界に近いことは察しているはずだ。
というか、放置しておけばそれだけで死ぬ。
ただし、派手な銃撃戦の音は、既に通報されているはずで。警官の大部隊がここに来るのも時間の問題。
さあどうする。
面倒だから、撤退してくれよ。
そう思った時。
舌打ち。
やはりそうはいかないか。
ガスが、漂って来る。部屋の外。無力化ガスを焚いたのだ。こんな面倒なもの、良く持ち込めたな。
ちょっと感心したが、これではどうにもならない。
口を押さえながら、バスルームに這いずって移動。それだけで、膨大な努力が必要になる。
ガラス戸を閉めて、どうにかガスの流入は防ぐが。
それは早い話、敵に突入してくださいというようなものだ。
ガラス戸に向けて、銃を構える。
その銃口も、カタカタ震えているのが分かった。
恐怖からじゃ無い。
もう血が減りすぎて、力が入らないのだ。
白蛇王が、外の状況を教えてくれる。
乱戦の中、敵の交戦能力を持つ人間は後七人。そいつらは幻覚に右往左往しながらも、ガスの効果を待って、待ち伏せしているという。ひっきりなしに見える人外のものに、流石に恐怖はしているのだろう。
それが、相手の手を鈍らせている。
だが、逆に。虚仮威しに過ぎないことも、分かっている筈だ。
準備さえできていれば、もっと色々歓迎できたのだが。相手が子供を人質にとって呼び出す、何て手を使ってきた以上、どうにも出来ない。
この子だけでも、どうにかしないと。
意識がかなり怪しくなってきた。
口を引き結ぶ私に、白蛇王が、励ますように言う。
「しっかり。 間もなく援軍が来ます」
「頼もしい、言葉、だな」
今は時間があるはずなのに、応急処置をする体力も残っていない。呼吸が乱れているのが分かる。
ちょっとばかりまずいか。
「来ました!」
気休めか。
そう思った次の瞬間。
外で、轟音がした。
この音、聞き覚えがある。父が使役している怪異、火車が走り抜ける音だ。なお、対人殺傷能力は、オミットしていない。
悲鳴を上げて逃げ惑う武装兵達の声が聞こえる。
射撃音。
だが、それらが、全て無慈悲にはじき返されている音もそれに続いた。
父はアサルトライフルの銃弾くらいは、余裕で防ぐ怪異を持っている。そいつは雲外鏡というのだが。なんとRPG7の直撃さえ防ぎ抜く。
そして、ガスマスクをした父が、ガラス戸を開けて、入ってきた。他にも数人の人員がいる。
父の部下達だろう。
そうか、父が最前線に出てくる程に、状況は逼迫していたか。
判断は間違っていなかったな。私は、どこか他人事のように、そう考えていた。
「意識はあるか、純」
「……かなり、厳しい。 その子を」
「いや、その子供は、命に別状もないし、体内の怪異も除去されている。 救護班、純の手当を急げ」
救護班が来たので、受けた傷の位置と、弾が抜けている事を告げる。
担架が運ばれてきた。
「敵の残存勢力は」
「全て討ち果たした。 特殊部隊相手に、良く保たせたな」
「……逃げ回っていただけだ。 父上、貴方がここに来るほどの、状況、なんだ、な」
「もう喋らなくていい」
救急車が来ていて、運び込まれる。
外では、護送車も来ていて。武装解除された敵の特殊部隊が、そのまま無造作に放り込まれていた。
手指を吹っ飛ばされた奴も多い。
夏目も、同じ護送車に投げ込まれていた。
俺は警官だぞと夏目は泣きわめいていたが。
父は、手当もしてやらない様子だった。
ざまあ見ろと思ったが、正直こっちもそれどころじゃあない。輸血が始まる。救急車の中で、応急処置も開始された。
「血圧低下しています」
「バイタル悪化! 治療急げ!」
ぼんやりと、奮闘する医師達。それも恐らく、国境なき医師団にでも参加しているような、修羅場に慣れた連中だろう。それらが、慌てきっている。状況は、余程悪いと見て良い。
まあ一発もろに喰らったからなあ。
せっかくのオーダーメイドのスーツも台無しだ。
まったく、色々やらかしてくれたものだ。
苛立つが。
意識がもう、もちそうにない。
私もまだまだだなと思いながら、目を閉じた。もう、此処からは。私にはどうにも出来ない。
3、昔の話
最初に師匠につけられたのは、白蛇王。
私がまだ幼いときだ。
作法から何から教え込まれた。それが終わると、ありとあらゆる事を叩き込まれた。
外に出れば、食べられる草と、そうでない草。どれが薬草か。使い方は。昆虫類なども、どうすれば食べる事が出来るのか、教わった。
生き抜く術だ。
そう白蛇王は言う。
私は、まず現実的な知識から、白蛇王に教わったのだ。
武術についても、白蛇王は詳しかった。体格が上の相手への攻め方。小さな体で立ち回る方法。
それから、家にいる様々な怪異を見た。名前を覚えていくなかで。白蛇王に、どういう能力を持っていて、どう戦えば良いかを教えられた。
そう、どう戦うか、だ。
戦術についても教わる。それは、武術や術式だけではなく、包括した総合的なものだった。
あらゆる局面に対応する戦闘技術を叩き込まれ。術式についても、危険な状況でもどうすれば展開できるのか。徹底的に仕込まれた。
白蛇王はスパルタ教師で。
歴代の当主も、自分が育てたのだと自負していた。だからその教え方は厳しかったが、反面とても分かり易かったし。何より、モチベもあった。
力がつけば、滅多に会えない両親と、一緒にいられる。
そして、小学校に上がる頃には。
私は最初の殺し合いを経験していた。
殺すつもりで掛かって来る怪異を、殴り飛ばして、黙らせて。白蛇王に言われた事を実践しながら、浄化。
手札にした。
嬉しかった。それほど強い怪異ではなかったけれど。父も母も褒めてくれた。その幼さで、怪異を倒したのは、歴代当主でもお前だけだ。そう言われると、とても嬉しかった。嬉しかったから、あらゆる全てに力が入った。
やがて、父と母と、或いはどちらかと。
強力な怪異を倒すために、彼方此方に出かけていくようになった。
その途中で、身内が死ぬ事もあった。
人が死ぬと取り返しがつかない。
幼い頃から、私はその現実を、徹底的に身の内に叩き込まれたのだ。だからこそ、私は守らなければならない。
私は力を持って生まれた。
だから力なきものを、守るのが義務だ。
父母にそれを教えられた。白蛇王も、それについては、守らなければならないと断言した。
父は厳しいし、敵には容赦しないし。冷酷で、残忍な面さえあったけれど。それだけは、絶対に節を曲げなかった。
厳しい父だったけれど、褒めるときは必ず褒めてくれたし。
後から養子になった兄者にも。
私と同じように、厳しくだがほんの時々優しく接していた。
だから、私は。
両親が大好きで。それは、警官として、社会に出て悪と戦うようになりはじめた今も、変わらない。
両親の教えも尊敬している。
身を張って弱者を守れるなら、そうするべきだ。だからこそ、私は、警官となって。死にかけた事だって、後悔していない。
いや、ひょっとして、死んだか。
今のは走馬燈だとすると、死んだのかも知れない。
それでも後悔は無い。
地獄に落ちようが、それは同じ事だ。私は、敵には容赦しない。だが、警官として、恥ずべき事はしていない。
常に守るべきは、弱きもの。
その節は、曲げたことが無い。
まあ、多少色々性格が乱暴かも知れないけれど。弱者にその暴虐を振るったことは無い。それだけは、胸を張って言える。
心残りは、皆が無事かどうかだが。
それも大丈夫だと、私は確信していた。
私だけがダメだとしても。それは私の戦闘力が足りなかったからで。それは鍛え方が足りなかったから。
それ以上、何も思う事は無い。
しばし、闇宵に身を任せていると。
先輩。
そう声が聞こえる。
うっすら、目を開けると。
包帯を自身も巻いた小暮が、此方を覗き込んでいた。
「良かった。 意識が戻られたようであります」
「ナースコール、急ぎなさい!」
「はい!」
かごめの声と、羽黒の慌てた声。
良かった、皆無事か。
かごめが、咳払いすると、状況を話してくれる。
此処は警察病院。意識を失った私は、治療を受け続けていて、ようやく今目が覚めた、という所だそうだ。
あれから二日が過ぎた。
小暮も、かごめも、羽黒も。
私が送り込んだ風祭の精鋭と一緒に、敵の襲撃部隊を全部撃退。全てを捕縛して、駆けつけた上部組織の要員に引き渡した。ただし、小暮は最後の最後で、敵の内通者に、後ろから撃たれた。
この傷はそれによるものだが。
だが、動くのに支障はないと言う。
拳銃の弾くらいで、自分はへこたれない。小暮はそう笑うのだった。まあ此奴なら、決してやせ我慢では無いだろう。
「先輩は、十二針も縫う傷だったのであります」
「孤立無援で、子供を護りながら特殊部隊とやりあうなんて、流石ですね」
「もう二度と出来ん。 一番苦手なタイプの相手と、相手の土俵で戦ったんだ。 次に同じ事があったら、多分死ぬ」
「……」
かごめが嘆息する。
褒めるべきか怒るべきか、悩んでいるのだろう。それよりも、だ。
片付けなければならない問題がある。
医者が来た。バイタルなどを確認しているが、今の時点で問題は無いらしい。驚異的な回復力だと褒めていたけれど。
その一方で、もう仕事をしている私を、よく見てはいないようだった。
こんな時は休め、というのだろう。
「保護した子供は」
「記憶が全く無いわ。 どういう状態なの、あの子は」
「光の家……」
「ああ、貴方が直前まで調べていた」
頷く。
少しばかりまずい状況だ。あれから二日が過ぎているとなると、筧を一とする者達が、どうなったかかなり心配である。
軽く、状況を説明する。
光の家が、非人道的な洗脳や。恐らくそれ以上の非道な実験を行っている施設である事は、ほぼ間違いない。
道明寺に見せられた粉。
人骨を粉にしたものだろうと言っていたが。それも嘘とはとても思えない。
つまり、これから。
何があっても叩き潰さなければならない奴らの拠点、という事だ。
「力を貸して欲しい。 私は見ての通り本調子じゃないし、上部組織と奴らの戦闘が何処まで経過したかも分からん。 ボスが最前線に出てきているほどの状況だ。 一刻の猶予もならん」
「それならもう問題ありませんよ」
不意に、現れる気配。
道明寺だ。
かごめが、驚いて一歩退いているほどである。
それほど気配無く、此処に来た、という事だ。
「あらかた片付きましたよ、貴方のおかげもあって。 これで、警視庁に巣くっていたドブネズミも、全部処理できるでしょう。 地方警察はまだ分かりませんが、本庁については浄化が完了したと言っても良いでしょうね。 各国の警察も連携して反攻作戦を実施し、米国でも欧州でも、奴らの幹部を捕縛または射殺に成功したようです。 敵の戦力は大きく削がれて、しばらく身動きは取れませんよ」
「……ならば、好機か」
光の家を、潰す。
多分、この事件が、編纂室として最後の事件となるだろう。以降は上部組織に入って、もっと大きな組織と多数の人員を駆使して、敵と戦っていくことになる。
医者が来たので、聞く。
捜査に行きたいのだが、良いかと。
「ダメです!」
「一瞬で断言か」
「当たり前です! 貴方、体の中がどうなっているか分かっているんですか!? この傷、本当なら面会だって許されないほどの」
「すまんが、多くの子供達の命が掛かっていて、こればかりは私達でないとどうにもならん。 車いすでもいいから、外に出して貰えるか」
かごめが頭を振る。
呆れているのだろうけれど。しかし、実際問題、他の警官にあの光の家を潰す戦力は無い。
外に出していた式神だけでアレだ。
洗脳している子供達に、何を仕込んでいるかしれたものではない。
捜査一課の警官隊が突入したら。
そのまま自爆とでもいきかねない。
そんなことになったら、警察は最精鋭をまとめて失う事になる。怪異と戦える者がどうしても必要なのだ。
そして、道明寺はまたいつの間にかいない。
本当に困った奴だ。
「分かった。 ただし、肉弾戦は厳禁よ」
「ちょ、貴方何を」
「大丈夫。 肉弾戦はそこの人間戦車と私でやるから。 薫、貴方は純の支援に徹しなさい」
「了解です」
頷くと、私は、ベッドから降りる。
そして、腹にまだ残っている鈍痛に眉をひそめたが。今も十数人の子供が、命の危険にさらされていることを考えると。
とてもではないが、のんべんだらりとなぞしてはいられなかった。
「捜査が終わったらまた入院よ。 分かっているわね」
「ああ。 この様子だと、一週間くらいは治るのに掛かりそうだ。 一日鍛錬さぼると、取り返すのに三日かかる。 面倒だな……」
「一週間」
目を剥いている医師。
まあ、体の鍛え方が違うだけだ。それほど凄い話でもない。
パジャマから、スーツに着替える。彼方此方ぼろぼろになっているけれど、今は一刻が惜しい。
「かごめ、車を頼めるか」
「さっきも言ったけれど、肉弾戦は厳禁よ」
「ああ、分かっている」
白蛇王が耳元に囁いてくる。
それは、重要な内容だった。
「主が眠っている間に、光の家については、我等で調べました。 結界も破壊済みです」
「良くやってくれた。 で」
「案の定、地下は目を覆う有様です。 捨てられた子供を集めては、人体実験を繰り返していたようで、見るも無惨な死骸が多数。 悪霊も膨大な数が集まっていましたが、それは私と天狗、猿王で全てどうにかしました」
「後で浄化する。 喰らったのなら、消化はするなよ」
羽黒に肩を借りて、車まで歩く。
その途中で、皆に話を聞いた。
小暮も、かごめも、羽黒も。襲撃で苦労した。だが、激しい戦いの末、少なくとも味方に戦死者は出させなかった。
とくに小暮は危なかった。
もしも何も備えずにいたら、警官二百人以上が、殺戮されていたかも知れないのだ。今回、敵はそれだけ本気だった、という事である。
それにしても、其処の子供達を手引きして、少しずつ助けていた、というのは誰なのだろう。
まさか道明寺か。
いや、彼奴がそんな殊勝なことをするとは思えない。
あれは飄々と、必要とあれば一瞬前まで味方だった相手でも、殺すような奴に見えた。
傷が痛む。
だが、私は少なくとも、表面上は眉一つ動かさない。
フォルクスワーゲンが走り出すと。かごめは、幾つか聞いてきた。
「貴方が使うその妙な力について、負担は」
「何とか光の家を潰すくらいなら大丈夫だろう。 ただ、いつものように暴れるのは無理だから、補助を頼む」
「ふん、私を誰と思っているの」
「そういえば、援軍が間に合ったとは言え、良く無傷で生還できたな」
かごめの話によると。
相手が誘い込んできた場所で立体的に戦って、少しずつ削り取っていったという。ベアバスターの火力は凄まじく、直撃弾を浴びた相手は手足を失ったので、それだけで無力化出来たし。
何より相手も、こんな非常識な武器を持ちだしてくるとは思っていなかったのだろう。
それで尻込みしたところを、援軍が片付けたそうだ。
「どんな妙な力も、必ず仕掛けがあるものよ。 いずれ必ずその正体は突き止めないとね」
「それについては同感だ。 私も、怪異はいずれ科学で解明できると考えている。 その時には、怪異と人が共存できる世界になるかも知れん」
「意外にロマンチストなのね」
「というよりも、私はそもそも怪異を師に育ったからな。 私はあらゆる作法から戦術まで、怪異に習ったんだよ。 だから、私は幼い頃からずっと怪異と一緒で、人生の終わりまできっとそうだ」
小暮も羽黒も驚いたが。
思ったほど、かごめは驚かないようだった。
光の家に到着。
そういえば、コインロッカーに捨てられていた子供の無惨な亡骸が、そもそも此処へのしるべになっていた。
そして証言を聞く限り。
死体を捨てたのは。犬童警視。もうすぐ犬童警視正になる人。いずれにしても、あの人はもう引退も近いだろうし、それについてはどうでもいいか。
ひょっとすると、だが。
カタキとして狙っている怪異と戦いながらも。
此方を支援してくれたのかも知れない。
犬童警視が、無抵抗な子供を殺すはずも無い。
それについては。あの人が、どれだけ普段ぐうたらだとしても、断言できる事実だ。
光の家に、踏み込む。
道中で、既に此処について分かっている事は話してある。そして、既に怪異の気配は、綺麗さっぱり消え去っていた。
真正面から乗り込むと。
鏑木が姿を見せる。
恐らく、式神も、結界も、全部やられたことは悟っているはずだ。更に言えば、客であった「奴ら」も、少なくとも日本では壊滅状態。此処にはもはや連絡も来ていないはず。それなのに、鏑木は。
平然と笑みを浮かべていた。
「どうなさいました。 おけがをなさっているようですが」
「かごめ、礼状見せてやれ」
「ええ」
ばしんと、かごめがエセ孤児院の、並んでいる机に叩き付けるは礼状。
それは、児童虐待および非人道的実験の容疑にて、此処を調べる、と記載されている。実際問題、既に証拠は出そろっている。筧の証言だけでは無い。来る前に、準備を色々したのだ。
医者にくどくどあれをしてはいけないこれはしてはいけないと言われながら、あれこれ準備を済ませて。
その途中に、しっかりエセ孤児院についても、情報を集めた。
骨の粉や筧の証言。
それに、この周辺で起きている何件かの失踪事件。
それらについても、此処が関与している可能性が極めて高い。
更にコインロッカーで出た死体。
それからも、非人道的な実験による痕跡が出ていた。腐敗しているので、調べるのが大変だったようだが。
「というわけで、貴方を逮捕します」
「ふふふ」
「どうした、もう後など無いぞ」
「私には時間が無限にありますので。 更に、何をされても死ぬ事はありません。 刑罰を受けることなど、怖くなどありませんよ」
かごめが眉をひそめる。
其処に、ふらりと。
また道明寺が現れる。本当に、気配を一切感じさせずに現れる奴だ。
「人魚の肉を食べたからとでもいうつもりですかな?」
「ご名答。 この孤児院は、私が得た不老不死の力を、多くの子供達にも分ける施設なのです。 ですが、悲しいかな。 資格無き子供も少なくなくて。 それらには、可哀想な結末を迎えさせることになりました」
「イカレてるわね」
かごめが吐き捨てる。
奧から、ぞろぞろと現れる子供達。
皆、目に光がなく。まるでマネキンが並んでいるようだった。
見抜く。
怪異の気配がある。恐らく前は結界が存在していたから、それで隠蔽していたのだろう。子供達に此奴は何をした。
前のツツガムシか。
可能性はある。だが、何かもっと嫌な予感がする。
人魚は、前にそれらしきものを、小笠原で目撃したことがあるが。あれは不老不死に本当につながる存在か。
確かに不老不死は、多くの権力者が追い求めてきたことだ。今でも、それについては変わらない。
だが、此処では何が起きていた。
「狂人の戯言につきあう時間はないわ。 素直に逮捕に応じなさい」
「待てっ!」
飛び込んできたのは、筧青年。
他にも、何人もの少年少女。彼らは、一様に。鏑木を、凄まじい憎悪の目で見つめていた。
「納得できるか! 法で無期だか死刑だかにしても、その間ずっと税金で此奴を喰わせるんだろう! 許せるはずが無い!」
「ふふふ、今まで生きてきた時間を考えれば、無期などなんの。 私は不老不死よ。 死刑など怖くも無いわ」
「いや、お前は不老不死じゃ無い」
空気が、凍る。
私は見抜いた。
なるほど、そういうことか。ようやく理解できた。
「当たり前でしょう。 何を言っているの」
「かごめ、そういう意味じゃ無い。 ……主観の話だ」
「! なるほど、そういうことね」
まずは私から動く。
印を切ると、周囲に対して、一喝。なお、道明寺は、いつの間にかいなくなっていた。多分これをくらうとまずいからだろう。
「喝っ!」
教会が崩落しそうな一撃に、子供達がまとめて失神する。
筧達も、皆耳を押さえて蹲っていた。
小暮と羽黒、それにかごめは違う。
慣れたもので、耳を押さえて平然とやり過ごしている。ちょっとシュールな光景だけれど、まあこんなものだ。
そして、耳を押さえて悶絶しているのは、鏑木も同じ。
そう。気絶しない。
子供達とは違う。
「お前は不老不死が欲しかっただけの、ただの愚かしい人間だ。 だが、それを実験する環境と、実験の材料を得た。 多分不老不死に関係する何らかの怪異だろう。 それを子供達に喰わせている内に、錯覚したな。 自分が、不老不死の存在だと」
「な、何を、私は……」
「どれだけ不老不死になると喧伝されているモノを喰わせても、子供はおかしくなるだけで、洗脳は出来るが不死にはならない。 だが実験を繰り返している内に、壊れていく子供達を見て、優越感を抱いたんだろう。 そして、いつの間にか錯覚した。 自分が不老不死だと」
「ちが……」
わなわなと震え始める鏑木。
かごめが、前に進み出ると、強烈なビンタを見舞った。
吹っ飛んだ鏑木は、床にたたきつけられて。血を流す。
「不老不死なのに怪我をするのねえ。 妙な話だわ」
「い、痛い、痛い……!」
「死刑など怖くないのでなかったのかしら?」
この手の人間は。
自分に掛けている自己暗示を粉砕してやれば、容易く足下を崩す事ができる。そして主観を壊す事によって。
自己暗示は消える。
わなわなと震え始める鏑木。
目を血走らせた筧達が、叫んだ。
「この詐欺師! 今まで殺した子供達の、俺たちの仲間の命を返せ!」
「そ、それは、そんな」
「どうせ最初から貴様、金持ち相手に訳ありの子供を売り飛ばして好きなようにさせる仲介業でもやっていたんだろう。 元から子供に対する罪悪感なんて、微塵も感じていなかった、違うか?」
「ち、ちが」
真っ青になった鏑木。
肩をすくめると、小暮が連絡。もう、上部組織が、この光の家のバックアップをしていた奴らの手先は潰してしまっている。
だから、もう問題ない。
捜査一課の刑事達が来る。
佐々木警視も、苦虫を噛み潰したような表情で、その中に混じっていた。
「この外道を拘束しろ。 で、風祭。 地下の方は、お前達が調べる、という事で良いんだな」
「ええ、お任せを」
「というか、なんでそんな体で捜査に来ている」
「これが恐らく、編纂室としての最後の仕事になるのでね。 しっかり決着を付けておきたいんですよ」
鼻を鳴らす佐々木警視。
そして、捜査一課の刑事達が、倒れている子供達を担いで連れていく。洗脳に関しては、怪異を消し飛ばしたので解除できているはず。
後は、地下をこっちで調べれば良い。
筧達は、不満そうだったけれど。
こうたくさん警察が来ては、どうにもならないのだろう。
放置していたら、放火したあげく、鏑木を刺し殺しかねない勢いだったけれど。この状況では、それも無理だ。
「かごめ、鏑木の自己暗示はもう解けている。 後は任せても良いか」
「良いわよ」
「小暮、羽黒、行こうか。 ちょっとばかり、覚悟は決めた方が良いだろうな」
「ああ、私も行きますよ」
いつの間にか、戻ってきている道明寺。
まったく此奴は出たり消えたり。
嘆息すると、私は少し足を引きずりながら、歩く。まだ本調子では無いのに、一喝をかましたからだ。
医者に後で怒られるだろう。
小暮が心配そうに声を掛けてくる。実は此奴もけが人で、しかも私同様に撃たれているのだけれど、まるで平然としているのはまあなんというかもう。
こんくらい頑丈な体が私にもあればとしか言いようがない。
「先輩、背負いましょうか」
「無用だ。 それよりも、此処だ」
既に白蛇王に、地下への入り口については聞いている。筧達が、捜査一課の刑事達に連れて行かれるのを横目に、入り口を小暮にどかさせる。それは奇しくも、信者達の席の一つだった。
階段になっている其処を、降りていく。
下には怪異の気配は、もうない。
つまり、子供達の中に収まった後、というわけだ。
地下に降りると、広い空間が拡がっていた。筧も恐らく、此処でされた事は覚えていないだろう。
灯りは、ある。
そして、其処には。
世にもむごい光景が広がっていた。
散らばっているのは、大量の骨だ。明らかに人骨である。それも、どれもこれもが、子供のものばかり。
十人やそこらではない。
彼方此方にある台には、血が飛び散っていて。そして、それらの上には、無数の骨が、散乱していた。
羽黒が、冷静に言う。
「これ、おかしいですね。 どうして白骨ばかりなんでしょう」
「分からないか?」
「はあ」
「……これはな。 喰ったんだよ」
一瞬ぽかんとして。
そして、絶句する小暮。
古くから、人間には純血思想がある。優秀な血統を、近親交配で保存しよう、というものだ。
エジプト王家などでは、それで兄妹などでの婚姻を繰り返していたし。
近年でも、西洋の貴族や王族が似たような事をしていた。従姉妹婚は当然、叔父や姪との結婚も普通にしていたくらいである。
これは、思想的な意味で、それに近いものだ。
「恐らくあの鏑木、奴らに不老不死の霊薬と称して、何か渡されたんだろう。 だが、それを喰った子供らは、悉くおかしくなるか死んでいって、霊薬はどんどん確実に減っていった。 だから、思いついた。 霊薬なら、なくなるわけがない」
「つまり、死んだ子供の肉を、更に子供に食べさせていた……!?」
「っ!」
飄々としている羽黒でさえ青ざめ。
小暮が口を押さえる。
私はこの程度の悪逆、前にも見た事がある。迷妄に支配された海外の村では、もっとおぞましい風習が現在でも存在するし。日本でも、結構最近までこういう風習がある村が存在したのだ。
「当然そのまま病気やら何やらが、食べた子供にも移るから死ぬ。 それを繰り返していく内に、あの子供達は、狂気の中から怪異を自ら造り出していった。 洗脳もそれに、更に拍車を掛けた」
「人体実験どころではありませんね……これは人類史に残る犯罪だ!」
「今助けられた子供達だけでも、何とか救わなければならないな」
羽黒が珍しく声を荒げたが、これも奴らの実験の一つ。
恐らくは、不老不死の霊薬を造り出すと称して、何かしらのデータを取っていたのだろう。
今までのケースを見ても、奴らは人命を何とも思っていない。
世界の癌だ。
手を叩くのは道明寺。
流石に不謹慎だろうと思ったが。道明寺は、ほろ苦い顔をしていた。
「大体は当たりです。 実際に此処では、不老不死が研究されていたんですよ。 あの鏑木というのは、三代目の管理人です。 上で鏑木を叩き潰した推理は当たっていましたが、ね」
「やけに詳しいな」
「それはそうですよ。 私は一時期、此処を調査していましたからね。 ただ不老不死は、やっぱり西洋でも需要がありましてね。 相当な金をつぎ込んで強力な防衛体制を敷いていたから、私でも手出しできませんでしてね。 これでもちょっとした特殊部隊にいたんですが、それでもですよ?」
なるほど。
今回の一件で、その防備が崩れたのか。
そうなると、犬童警視が死体を捨てたのも。その防備が崩れたことを、知らせるためだったのか。
それについては違うと、道明寺は言う。
「あれは、「失敗作」です。 ちょっと食べただけで死んでしまったらしくてね、だんだん雑になって来ていた鏑木が、奴らに引き渡したんですよ。 そうしたら奴ら、止せば良いのにとんでもないものをその死体で誘き寄せようとしましてね。 犬童警視と見事にバッティングしたばかりか、ついでに犬童警視が追っている怪異に、用意していた対怪異能力者ごと、分隊規模の兵隊を皆殺しにされたようでしてね」
そうか、そんなヤバイ相手と犬童警視はやりあっていたのか。
で、犬童警視は。気の毒な子供の腐乱死体を、敢えて分かり易くロッカーに捨てることで、告げた。
此処を突破出来ると。
「公安も目をつけていながら、まるで手出しできなかったほどのヤバイ物件でしてね、此処は。 まさか、こんなに早く潰せるとは思いませんでしたよ」
「……せめて、気の毒な魂達には、安息を与えないとな」
怪異の気配はないが。
結界が解除されたことで、周囲に正気を失って漂っていた無数の浮遊霊が集まり始めている。
少しばかり無理をするが。
浄化してやらないと可哀想だ。
数は、五十、いや百を軽く超えている。
なるほど、この国でこれだけの捨て子を集められる組織だ。公安より更に暗部の組織が、手出しできなかったのも頷ける。
奴らのヤバさは理解していたつもりだったが。
今回の件で、更にまた思い知らされた。
だが、今回こそ、好機だ。
奴らを、完膚無きまでに潰す。
羽黒が、咳払い。
道明寺が、小首をかしげた。
「一つ聞いても良いですか?」
「何ですか、羽黒警部補」
「……妙に不老不死の薬とやらに詳しいですね。 何か知っているならデータの提供を」
「まあ今後は一緒に仕事をするのだし、良いでしょう。 此処で食べさせられた元の霊薬は、人魚の肉と言われているものでしてね。 その実体は、迷妄によって力を得た粘菌の成れの果てですよ」
そういうことか。
つまりは、太歳だ。
実際には地中にて大きくなった粘菌の塊なのだが、中華にて不老不死の霊薬とも、貌無き故に現れればその地を滅ぼすとも言われた怪異と同一視されたもの。
中華では、結局孔子が言う君子怪力乱神を語らずは民間の末端までには普及せず。むしろ実在の人物や小説の登場人物まで神に祭り上げるような不可思議な迷妄が存在したが。
その中でも、特に歴代皇帝さえもが影で求めたという伝説故に。
生物でありながら怪異としての力を持つに到ったもの。
それが太歳。
そして、実際にはそれは、怪異化した場合、猛毒を持つとか父に昔聞いたが。
「殆ど適合者は出ないんですよ、実際は。 この死体の山を見るとおり、適合率は1%にさえ満たない。 だけれど、たまたま適合した奴がいましてね。 あれはもう随分前の事でしたか。 小さな村が一つ滅びた中、そいつは生き残ったんです」
「……それが、貴方だと?」
「さあね。 ただ、その村では、不老不死の霊薬を手に入れたという話が広まって、その肉を奪い合ったんです。 殺し合いでも多くが死に。 肉を口に入れた者も、片っ端から死んでいく中。 その男だけは生き延びた」
肩をすくめる道明寺。
此奴が重宝されるのも、当然か。
「さて、此処は私が片付けます。 先に浄化とやらを済ませて貰えますか? 警視どの」
「ああ。 くだらんエゴで命を落とした子供達のためにも、もうちょっとばかり、頑張らなければならないな」
少しばかり、念入りに浄化をする。
無数の浮遊霊が取りすがって来る中。
皆、片っ端から浄化していく。
流石に私も病み上がりだ。
冷や汗が流れるが。
それでも、これを止めるわけには行かない。
浄化は、2時間ほど掛かり。その間。白蛇王と天狗、猿王にも力を貸してもらった。
小暮と羽黒も、黙祷を捧げている。
そして、全てが終わって、地下通路を出ると。
道明寺が、今後一緒に仕事をするだろう者達を、連れてきていた。
「では、後はお任せを。 哀れな犠牲者達は、無縁仏に葬りますよ」
事件は、表に出ない。
ただ、此処での犠牲者は、これ以上増えない。
それが、これから私が。
私達が生きていく場所。
そして、倒さなければならない敵は。傷ついたとは言え、まだ何処かで、高笑いしているのだ。
「先輩、タクシーは呼んでおきました。 病院にすぐ向かいましょう」
「……そうだな。 一週間できっちり直して、公務に復帰しないといかん」
「そう急がなくても」
「あれを見てそう言えるのか、羽黒。 とりあえず、私はこれから、奴らの首領をどれだけ苦しめて潰すか、考えながら一週間を過ごすことにする」
小暮も、羽黒も。
それには一切コメントせず。
そして咎める事さえしなかった。まあ、当然だろう。あれを見て許せる奴は、人間ではない。
あれを命じた奴も。人間とは呼べない。
滅ぼさない限り。人類どころか、この世界そのものを、永遠にむしばみ続けるだろう。
また、負けられない理由が出来た。
電話を入れる。
佐倉にだ。
「此方は片付いた。 其方は平気か」
「ウス。 羽黒さんを救援した人達も来てくれたので、ゆうかと霧崎先生を護り切れました」
「良くやった。 これからも頼む」
人見にも電話する。
彼方には、襲撃は無かったらしい。まあ科捜研を面と向かって襲うわけにも行かなかったのか。それとも、手を出す余裕が無かったのか。
いずれにしても、奴らの首領は後悔する事になるだろう。
この私を、仕留め損ねたことをだ。
「先輩。 自分もこれから、役立てるでしょうか」
「……もちろんだ」
病院に向かう車。
既にこれを襲える敵戦力は。
この国には残っていない。
だがそれでも私は、周囲に全式神を展開して、注意を怠らないまま。警察病院まで、気を抜かなかった。
4、成れの果て
青ざめた顔がテレビ会議に並んでいる。既に幹部が半減。鬼籍に入った中には、金髪の王子とも呼ばれる、通称ファントムが知る中でも。
各国の財閥のトップや。
軍の幹部。
それに各国中枢にいる大臣クラスなども含まれていた。
「まさかこれほどの大攻勢があるとは」
「まずいぞ、立て直しを図る必要がある。 盟主はどうしている」
「あの方は基本的に表には出てこない! 知っているだろう!」
「皆さん、提案が」
手を上げたファントムは、一人だけ落ち着いていた。
予定通りだからだ。
特に日本で、中途半端に風祭に喧嘩を売ることが何を意味するか、此奴らは知っていたはずだ。
展開していた戦力は全滅。
最初からファントムが退避していた戦力以外は、悉くが撃滅された。
警視庁も、本庁にいた内通者は一掃され。
既に鬼籍に入ったか。拷問されて、情報を引き出されている頃だろう。
だが、それでいい。
「現時点でも、戦力的には此方がまだまだ有利です。 そろそろ、落としどころを見つけるところでしょう」
「落としどころ……」
「このような状況になっても何もせず、高みの見物を決め込んでいる者がいるでしょう?」
しばしの沈黙の後。
さっと、全員が青ざめる。
それは、まさしく堕天使の誘惑。
しかしだ。
完全に此方を潰しに掛かって来ている各国と。何より本気でブチ切れた風祭を止めるには、他に手が無い。
「しかし、何処にいるのか……」
「知っていますよ」
「!」
「何、全てをお任せください」
仰々しく礼をしてみせる。
そして、ほくそ笑んだ。
この世から戦争は無くならない。どのような形であれ、兵器は存在し続ける。警察がどれだけ犯罪者を取り締まっても、この世が平和にならないのと同じ事だ。だから、どのような形であれ。
邪悪をコントロールする存在は必要になるのだ。
盟主はそれを理解していない。
そして、自分が邪悪だとさえ気づけていない。
今までは、圧倒的に有利だった状況が、五分にされた時点で。盟主の無能は、どの幹部の目にも明らかだ。
つまり、此処で。
落としどころとして、生け贄が必要になる。
攻めている敵にしても、攻勢限界点があるし、何よりある程度の所で決着を付けたい筈だ。
何しろ、此方が提供している兵器で、得をしている者も多いのだから。
そう。何度も繰り返すが。
戦争は人間が滅びでもしない限りなくならない。
或いはもっと高次の存在にでもならない限り、邪悪は存在し続ける。ならば、管理してしまえば良いのだ。
電話を掛ける。
ファントムは、まだ確保しているルートから、ある一つの情報を流す。
巧妙に細工を続けてきたそれが、今。
芽吹こうとしている。
「私だ。 風祭に、例の情報を流す準備を。 それと例の件に、適当な所で横やりを入れさせろ。 それが切っ掛けになる」
退院まで、丁度一週間。
編纂室に戻ると、既にかごめが撤収の準備を始めていた。既に話は病室で聞いているが。上部組織が攻勢に出るのと同時に、私達も昇格し、幹部待遇で加わる。
人員を増やし。
対怪異戦力だけでは無い、対物理戦力も充実させ。
奴らをこの世界から撃滅する。
小暮が、敬礼をして来た。
「オス! 先輩、退院任務復帰お疲れ様です!」
「ありがとう。 犬童警視正は戻ってきたか?」
「いいえ、まだ……」
「となると、まだ戦っているか」
かごめが、肩をすくめた。もう色々あったし、否定しようとも思わないのだろう。何よりこの間の北海道で、私が送り込んだ援軍で助かったのは、かごめも同じだ。まあかごめを襲撃した民間軍事会社の兵隊達は、気の毒極まりなかったが。
サーバなどの情報を移す準備は、既に小暮と羽黒で整えてくれている。
編纂室は解散するのでは無い。
此処は若手に渡して。
我々は、もっと多くの人員を率いて。
最前線に立つ。
だが、その前にやっておくべき事が、一つだけ残っている。
「かごめ、犬童警視正と戦っている怪異に心当たりがあってな。 少しばかり支援に行ってきたいが、後片付けは頼めるか」
「あの人は喜ばないわよ」
「分かっている。 横やりを防ぐだけだ」
というよりも、私が予想している怪異だとしたら。
多分犬童警視も、相当に手間取っているはずだ。何しろあれは、この国に残った、最後の祟り神中の祟り神。
いわゆる三大怨霊や、三大妖怪は、既に先人の努力もあって駆逐されたが。
あれは、この東京で、まだ暴れていると父から聞かされている。
もしもあの人ほどの使い手が手こずるとなると。
彼奴くらいしか、思い当たらない。
ただ、それでも。怪異は究極的には、人には勝てない。これだけ苦戦しているのは、恐らく支援者がいるから。
その支援者を、私が食い止める。
「自分も行って良いですか」
「……そうだな。 恐らく私が相手にするのは人になるはずだ。 お前もいてくれると、多少は心強い」
「オス!」
「好きにしなさい。 羽黒、片付けを急ぐわよ」
かごめは、快く受け取ってくれる。
私は頷くと、編纂室としての仕事も終わった今。
片付けるべき最後の仕事に、取りかかる事にした。
これから始まる、次の戦いを始めるためにも。
(続)
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