お受験の影

 

序、古き怪談

 

私は小首を捻っていた。

今、私がいるのは、小学校である。進学校として有名な相羽学園のトイレ。私が小首を捻っているのは。

壁にぶっかけられた人血。

そして、其処に、まったく怪異の気配がないこと、である。

サンプルは既に採取。

羽黒に持って行かせて、人見に届けさせ。これが人血である事はわかっているのだけれども。

どうしてこれで、私が呼ばれた。

仮面の男からの連絡で、此処で不可思議な事件が起きた、という事で。怪異がらみだと判断していたのだが。

学校どころか。

普通、怪談の温床になるトイレにさえ、怪異の気配が皆無なのである。

白蛇王が戻ってくる。

この間四日間の連休をあげた時、重要な仕事に同道し損ねたからか。この私の副官であり元教師でもある大蛇の式神は、最近特に仕事をねだってくる。まあ、寂しいのだろう。よく分からないけれど。

「くまなく調べましたが、怪異の気配はありません。 それどころか、一度徹底的に浄化されています」

「……そうか」

行方不明者が出ているのだ。

あまり悠長なことはしていられない。

しかし、どうして私が呼ばれた。というか、編纂室に仮面の男が連絡してくる場合、大体は強烈な怪異がいるか、とんでもない化け物のような輩が巣くっているのだが。

いずれにしても、捜査一課が来たので、後の調査は引き継ぐ。

子供達からは、かごめが聴取していた。

「それで、あかいちゃんちゃんこでしたっけ? それの肝試しをした後、清美ちゃんはいなくなったというのね?」

「間違いありません」

「分かったわ。 必ず探し出すわ」

聴取が終わったらしい。

かごめは大きく嘆息すると。部屋を出て行く子供の背中を見て、舌打ちしていた。碌な情報が得られなかったのだろう。

「どうだ、そっちは」

「その様子だと、其方も良い手がかりは無かった様子ね」

「我々が呼ばれた理由が分からない、というと分かるか?」

「……なるほど、そういうこと」

頭を掻く。

以前も、怪異の正体を暴けずに苦戦した事はあった。だが今回の場合は、そもそも怪異そのものの痕跡が無いのである。

小暮が戻ってくる。

この学校には、スクールカウンセラーなどという不可思議な存在が常駐しているのだが。そいつに聴取に行っていたのだ。

ちなみに、トイレの血痕の第一発見者でもある。

「瀬尾とか言ったか。 そいつはどんな様子だった」

「真面目そうな、それほど問題がありそうな人物だとは思えませんでしたが……」

「もういいわ」

かごめが促して、移動。

そもそもだ。

この事件は、始まりからおかしかった。

歩きながら、軽く状況を整理する。

行方不明になっているのは、井出清美。他二人の小学六年生と一緒に、トイレで肝試しをした後、行方不明になっている。

今時の小学生は発育も早いのだが、この学校は、進学校と言う事もあって、六年生にもなると相当にしっかりしている。

中学以降は名門に入って。

人生の出世コースに乗りたい。

そう考えている子供が来る学校なのだ。

この間、ブティックの事件で訪れた学校とは真逆の場所とも言える。実際問題、お受験に備えて、二年ほど進んだ授業をしてもいるようだった。そして、遅れがある生徒は、容赦なく転校させられる。

その一方で、金を掛けているのだからしっかり面倒を見ることを要求されているのか。

生徒達の精神的な安定を図るとして、カウンセラーなどが常駐もしている。

保護者もいずれ劣らぬキワモノ揃いで。

どいつもこいつも、モンペ一歩手前だったり。或いは、子供に学校内で権力争いのやり方を練習するようにけしかけたりするような輩ばかりのようだ。

つまり、英国にあるような寄宿制学校がごとき。

大人顔負けの権力闘争が行われる、小学校とは名ばかりの魔窟、という事である。

ちなみに校長は柳井という女性だが。

かなりのやり手らしく、今の時点で調査をして見た結果、殆ど問題らしきものは発見されていない。

実際、進学校としての実績もなかなかのようだ。

で、だ。

子供の誘拐事件が大事なのは分かる。

問題は、それがどうして私達の所に来た。

かごめも、私達の所に廻されてくる事件が、筋金入りの厄介な代物ばかりだと言う事は知っているし。

小暮でさえそれは理解している。

今回もまた、犬童警視が出張でいない事もあって、編纂室は空っぽ。

必要以上に構えてしまうのは、無理もない事だ。

これから何が起きるか分からないからだ。

佐々木警視が姿を見せる。

敬礼をすると、鼻を鳴らした。

「また訳が分からない事件が起きたそうだな。 誘拐はともかくとして、トイレの壁に血がまき散らされていた?」

「これから一度、情報を整理して調査をします。 捜査一課とも連携していきたいのですが、構いませんか?」

「……勝手にしろ」

相変わらず不機嫌そうな佐々木警視。

もうちっとは此方を認めてくれても良さそうなのだけれど。実際、捜査一課と連携して、難事件を攻略したことが何度もあるではないか。

空いている視聴覚室を借りると。

私はノートPCを立ち上げる。ちなみにアキバで買った部品を組み合わせた自作で、生半可なデスクトップより性能が良い。自力でサーバと周辺機器一式を組んで以降、趣味になったのだ。そして当然のことながら、筐体には私の好きな猫のイラストシールが貼られている。なお、筐体も珍しいピンク色である。

編纂室の、自分のPCとつなげるためだ。其処から、警察のDBにアクセスする。そうしていると、小暮が聞いてくる。

情報共有も兼ねての行動だろう。

「先輩、あかいちゃんちゃんこというと、有名な都市伝説なのですか」

「そこそこにな」

あかいちゃんちゃんこ。

簡単に説明すると、トイレの花子さんと同じように。トイレの怪として、知られる怪異である。

トイレを使っていると、後ろから聞かれるのだ。

あかいちゃんちゃんこ着せましょうか。

はいというと、背中の皮を剥がれて殺される。血みどろの様子は、あかいちゃんちゃんこを着ているような死体になる。

一方無視したりすると、今度は全身の血を抜かれて、真っ青になって殺される。

つまり声を掛けられた時点で、死が確定するタイプの怪異だ。

選択肢があるケースもある。

例えば、あかいちゃんちゃんことあおいちゃんちゃんこと、どっちが良いか聞いてくる、というようなものだ。

当然これも他と同じように。

元々は脅かされるだけのものだった怪異が。尾ひれがついて、どんどん変貌していった、と言う事実がある。

当然殺傷力を持ち始めた頃に、各地で対怪異能力者が狩って、被害を押さえたのだけれども。

問題は、この怪談話は、とても古いという事だ。

実際問題、ちゃんちゃんこといって、分かる人間がどれだけいるだろう。そもそも衣類と知っている子供がいるのだろうか。

国民的に知られている、妖怪退治の専門家が着ているアレだと言われれば、ああそれかと納得する者もいるだろう。

しかし、一般的にはもう衣類としてちゃんちゃんこという存在は、根絶してしまっていて久しいのだ。

それが、よりにもよってどうして。

こんな小学校で流行る。

それだけではない。

そもそも、トイレには怪異の気配はなく。そればかりか、徹底的に浄化された形跡まであった

浄化されたのは、恐らく数年前なのだろうけれど。

私の仕事では無い。

念のため、本家のDBにもアクセスしてみると。

ようやくヒットした。

四年前。

殺傷力を持ち始めていたこの学校の怪異を潰すべく、母が一人でこの学校に出向いている。

しかも、である。その後、なんと言霊による怪異の誕生を防ぐべく、二日がかりで結界まで張っているのだ。

其処まで分かれば充分。

母はそれこそ草でも刈るようにして。

この学校にいたあかいちゃんちゃんこや、他の怪異達を叩き潰し。

そして徹底的に浄化までして、引き上げたのだろう。

まあ名門校という事もある。金もあるし、母は貰った給料分の仕事はする人間だ。今は滅多に会えないが、その性格は変わっていないはず。

ならば、あの血は。

恐らく人為的なものになるが。

そもそも、どうして血をトイレの壁にぶちまける必要があるのか。

何よりも、何故にこんな子供には意味だって通じないだろう都市伝説を、こんな子供ばかりの小学校で流行らせようとするのか。

それが分からない。

かごめが声を上げる。

「見つけたわよ」

「何か事件か」

「十八年前に、此処で何か起きているようね。 ……隠蔽されているけれど、殺人では無い様子よ」

「ますます不可解だな」

この学校は、隠蔽している何かがある。

それは確実なのだろうけれど。

それも正体がよく分からない。まあ、名門校になってくると、閉鎖的なケースが目立つのは仕方が無い。

だが、これは何というか。

ノーヒントで、難しい問題に立ち向かわされている印象だ。

皆が困り果てている内に、羽黒が連絡を入れてきた。

「人見先生から連絡です」

「どうした」

「それが、壁にぶちまけられていたのは。 絞りたての人血ではなくて、製剤用に加工されたもの、だそうです。 量からいっても、パック一つ分だろう、とのことでして」

「要するに血液パックをわざわざ使って、こんな事をした!?」

かごめがあきれ果てた声を上げる。私も困惑して、首を捻るばかり。ますます意味が分からない。

何かしらの意図があるのか、それとも。

捜査一課も、案の定苦戦している様子だ。誘拐された子供を探すべく、この地区などで網を張っているようだが。

今の時点で、監視カメラなどにそれらしい画像は映っていないらしい。

子供の帰路も勿論当たっている。肝試しをした後、三人が別れて。その後、通ったと思われるルートを調べている様子なのだが。

そもそも暗い場所もなく、悲鳴も聞かれなかったという。更に言うと、防犯ブザーも反応しておらず。

名門校の子供らしく持っている、位置を知らせるためのGPS付きの高価な携帯も、今は電源を落とされているようで、反応しないとか。

ますます訳が分からない。

其処まで手際よく出来るとなると、相当なプロの仕事にも思えるが。その割りに、保護者にもまるで連絡が来ないのである。

羽黒には、此方に戻ってくるように指示。

それほど時間も掛からないだろう。

他にも、何か情報はないか。

学校に対して、クレームを入れてくるモンペの存在については、幾つか記録が残っているが。一応記憶の片隅にとどめておく。

かごめが、咳払い。

一度整理しよう、というのだろう。

まあ私も同意だが。

小暮は困惑するばかりだった。

「何というか、手応えが全く無いのであります。 此処まで訳が分からない事件は、久しぶりでありますな」

「幽霊が出たら出たで、悲鳴を上げるくせに、脳天気だな」

「そ、それは別です!」

「そうしておこう」

ただ、この学校は、強烈に浄化されてしまっていて、怪異が出入りできる様子にはない。幽霊、それも浮遊霊なども、見かけることがほぼない。

子供が誘拐される場合。

殆どは、関係者が犯人だが。

今回については、私は断言する。

その関係者は、怪異では無い。

少なくとも、それだけは事実だ。

人間に物理干渉する上に。母が徹底的に浄化したこの学校で活動し。しかも痕跡を残さない。

そんな怪異は存在し得ない。

神クラスの怪異であっても、無理だろう。

それくらいの無茶だと言う事だ。

「それでこの事件、どう思う? 純」

「確実に学校関係者の仕業だな。 あの血については確実にそうだ。 トイレの怪談については、気にしなくてもいいだろう。 攫われた生徒についても、三人の帰路が共通している地点までは一緒にいたという証言もある。 そうなると、通り魔的に誘拐された可能性もあるが。 これも学校関係者の仕業の可能性が高いな」

「同感よ。 それも、この学校に対して、強い恨みを持っている人間の仕業だろうと、私はにらんでいるけれど」

「恨み、か」

こんな学校だ。

恨みを蓄えている人間は多いだろう。

成績が落ちてくると、無理に他に転校させられる。実績を作るために、幼い頃から過酷な勉強を課す。

お受験なんて、親の自己満足だ。日本のエリート層の無能さが、それを証明している。

こういう学校に入れるのは、虐待と何が違うのだろう。

遊ぶことさえ許されず。

そればかりか、ずっと周囲と過酷なチキンレースを繰り返すように、親に強制される。子供には気の毒でしかない。

「まだ一切の連絡が犯人からない事からも考えて、まだ人質は無事な可能性が高い。 心配せず、少しずつ作業を進めていこう」

「しかし先輩、今までの事件のようなこともあります」

「その通りだが、焦れば敵の思うつぼだ。 まず第一に小暮、職員室に行って、ここ数年で転校させられた子供のリストを貰ってきてくれ。 もしも恨みを持つ人間がいるとすれば、その関係者だろう。 その線を調べる必要もある。 捜査一課も、もう着手しているかも知れないがな」

「分かりました」

小暮が席を立つ。

さて、此方では、内部犯行について調べるか。

かごめと話をして、二手に分かれる。羽黒が戻ってくる前に、幾つかやっておくことがある。

ニセバートリーを呼び出したのは。

此奴の勘が鋭いからだ

「様子がおかしい大人がいないか探れ」

「様子がおかしい?」

「この事件、内部犯の可能性が高い。 それも怪異など関係していない。 流石にどんな奴でも、誘拐をして攫った子供を監禁していれば、色々と動揺もするだろう。 何しろ昨日の出来事なのに、もう警察がわんさか来ているんだからな。 そうだな、妙な動きをしている奴がいないか、まずは教師達を探れ」

「らじゃ。 行ってくるわ」

ひょいと、ニセバートリーが職員室の方に消える。

私はと言うと。

白蛇王を連れたまま、校長室へと急いだ。

どうも嫌な予感がする。

怪異の気配などないのに。

どうしてか、此処では。

想像以上に、何かとても嫌なことが起きているような気がしていた。

 

1、穢れきった花園

 

この学校の校長は女性で、柳井という。それについては調べてあるし。学校に来た時挨拶もしたから、顔も知っている。

何より、誘拐について、軽く話も聞いたのだ。

それなのに、また校長の所を訪れたのは。

トイレの壁にぶちまけられていた血について、調べておく必要があるから、である。

人見が言うように、血はほぼ間違いなく、輸血パックのものだろう。DNAを調べても、頓珍漢な結果しか出てこないはずだ。

勿論、使ったパックなんて処分しているに決まっている。

此処まで痕跡を残さない犯人だ。

仮に校長がそれだったとしても。

簡単に尻尾を出す事はあるまい。

私が姿を見せると。

いかにも頭が固そうな。頭に白髪も増えている女性校長は、何だかうんざりした様子で言った。

「上手く行っていないようですね」

「今捜査一課と連携して捜査中です。 海外から来た人さらいが連れていった、とでもいう状況でも無い限り、まず見つかるでしょう」

「どうでしょうかね」

「そもそも、この進学校そのものが、それなりにお金のある人間の子弟が集まる場所でしょう。 営利目的の誘拐でないとすると、通り魔的な犯行となりますが。 そうなると、学校側の問題にもなりますね」

ずばりと、事実を指摘。

実際夜の学校に肝試しで潜り込まれたあげく。

その後、護衛もつけずに帰しているのだ。

つまり、学校内の警備がガバガバという事であり。子供達を発見できていれば、このような事態は避けられていた可能性が高い。

これは、学校側の落ち度である。

普通、学校は、授業が全て終わって、部活も終わると。基本的には閉鎖されて、人が入れなくなり、宿直が見張ることになる。

この学校でも、それは同じだったのだけれど。

生徒達は潜入に成功。

まあ名門校でも、悪ガキはいる。警備の隙くらい把握している奴もいて。誰かからその情報でも聞いたのだろう。

ちなみに聴取の際には、それらの情報は、肝試しをした残り二人の子供は、口にしなかった。

特に遅くまで部活をやっているケースも無いようだし。

何かこの辺りも、理由がありそうだ。

何かしら心当たりが無いかも聞いてみるが。あったら話していると、すげない返事である。

この校長も、色々と鬱屈が貯まっていそうだ。

「分かりました。 進展があり次第、連絡させていただきます」

「あかいちゃんちゃんこは、この学校でも有名な怪談です。 子供が行方不明になっていると言う大事でもありますし、動揺が広がる前に、急ぎの解決をお願いいたします」

そんな事は分かっている。だから本庁の精鋭である捜査一課まで出向いてきているのだ。分かっているだろうに、面倒な話である。

一度、気分転換に外に出ると。

見たくも無い顔に、真正面から遭遇する事になった。

ゆうかである。

佐倉も一緒だ。

「あ、純ちゃん! おひさ!」

「こら、散々世話になっているんだろう!」

ゆうかにげんこつをくれる佐倉。

私はもう慣れっこなので、もう仕方が無いと色々と諦めているけれど。どうしてゆうかがここに来ているのか。

私の渋い顔を見て、察したのだろう。佐倉がフォローを入れる。

「すみません、霧崎先生の指示で、此処を調べて来いって言われたらしくて」

「兄者の指示?」

「そうだよ。 此処のあかいちゃんちゃんこ、ちょっと普通と話が違っていう事で。 珍しいケースだから、調査しろって」

「……詳しく頼む」

ゆうかと佐倉を連れて、視聴覚室に。戻ってきていたかごめが、露骨に嫌そうな顔をするが、状況を説明。

そうすると、かごめも。

手詰まりなのは理解しているからか、話を聞くことに同意してくれた。

咳払いすると、ゆうかは話し始める。

「あかいちゃんちゃんこは、基本的に出会ったら即死するタイプの都市伝説で、その正体も不明だし、姿も設定されていないの。 だけれど、この学校のあかいちゃんちゃんこはちょっと違うようで、先生は其処に着目していて」

「何が違う」

「それが、ちゃんちゃんこの問いは同じなんだけれど……」

怪異の姿が、描写されているというのである。

なるほど。こういうタイプの、出会った相手を殺傷して生かして返さないタイプの怪異は。姿を見せないケースが殆どだが。此処のは違う、という事か。

「包丁を持った女の人だって」

「む……妙だな」

「何が?」

かごめの問いに、私は答える。

怪異の場合、基本的に得体が知れない姿の方が、恐怖を煽るケースが多い。包丁を持った女というと確かに夜道やらトイレやらで遭遇したら怖いだろうが。得体が知れないと言うスパイスが足りない。

しかも、である。

「こういう学校で流行る怪異というのは、基本的に教師が介在しているものだ。 子供には怪談を考えつくほどの知恵がないからな。 子供達の興味を引きつけたり、或いは面白がらせようとして、教師が意図的に広めるケースが殆どなんだよ。 つまり、だいたいの場合計算が入る」

「霧崎先生もそう言ってた! で、何かあったんじゃないかって」

「それで計算外の、ちゃんちゃんこ本体の姿が喧伝されているというわけか」

なるほど。確かにそれは興味深い。兄者がゆうかに調べてこいというのも分かる気がする。

佐倉が挙手して、不安そうに言う。

「すみません、今忙しそうですね。 此奴、連れて帰りますんで」

「いや、邪魔さえしなければいてくれて構わん。 正直今は、多角的な情報が欲しいところでな」

「多角的?」

「要するに、我々全員が頭を抱えている、ということよ」

かごめが分かり易く説明。納得したゆうかに、咳払いして佐倉が牽制。

余計な事をするなと、釘を刺しているのだ。

私は皆を見回す。

「分担して此処からは動こう。 私はあかいちゃんちゃんこについて調べる。 小暮は主に教員関係に。 かごめは子供達に情報を当たってくれ」

「学外はいいの?」

「それは捜査一課が専門だ。 むしろ今更我々が動いても仕方が無い。 佐倉、ゆうかを見張ってくれ。 邪魔さえしなければそれでいい」

「了解っす」

ハイ解散。

一旦視聴覚室を出る皆を見送ると、私は腕組み。

ずっと様子を見ていた白蛇王が話しかけてくる。

「苦戦しておられるようですな」

「実際誘拐されている子供がいるわけで、もたつけばもたつくほど危ない。 だが今回の事件は、捜査一課が本来出るべきもので、連絡が来た理由が分からん。 怪異も存在しない。 そうなると、奴らが絡んでいるとして、一体どう絡んでいる」

そう言いつつも、私は調べている。

校長のデータを洗ってみると、これはなかなか業が深い。

若い頃に離婚して、子供を養子に出した。仕事に専念するため、構う余裕が無いから、だそうだ。

それだけ激しく働いたという事なのだろう。

だが、それは。子供を捨てたも同然である。

その後、柳井は激しく働いた甲斐があったからか、順調に実績を重ねていき、ついに校長に。

この学校でも、二十年近く校長を務めている。教員としての経歴は、三十年以上にも達する。

名校長として周囲には知られているが。

この学校では、出来ない子供をよそに放り出すという冷酷なことをしているし。過酷な競争制度を設けて、子供達に強烈な学習を課している。

そう考えると。

本当に良い校長とは何だろうと、少し考えてしまう。

あかいちゃんちゃんこについては、母に聞くのが一番なのだけれど。こればかりは正直どうにもならないか。

何しろ、本家でも現在の居場所を把握できていない様子なのだ。まだ生きてはいるようなのだが。

データを探ってみるが。

確かに、この学校のいわゆる七不思議には存在している。そしてゆうかが言うように、他には無い独自性がある様子だ。

十八年前の事件はどうか。

調べていくが、どうもこれについては、非常に隠蔽が激しいらしい。或いは校長が、捜査に当たった警官に袖の下でも握らせたか。

どうも傷害事件があったようなのだが。

それ以上の事は分からなかった。それだけ、警察のDBでも情報が少ないのである。

佐々木警視が来た。

どうやら、捜査一課も、相当に手こずっている様子だ。私の所に来るくらいなのである。まだ佐々木警視は、私を嫌っている様子なのに。

「其方では何か分かったか」

「おかしな事ばかりが。 輸血パックの血をトイレにぶちまいて、何がしたいのだか、私にもまだ判断がつきません」

「賀茂泉は」

「情報が少なすぎて何とも、と」

舌打ちする佐々木警視。

焦っているのが分かる。

佐々木警視は、そろそろ男盛りを過ぎる頃だ。キャリアでもないのに、本庁屈指の精鋭が揃う捜査一課の課長である警視にまで上り詰め。

多くの実績を上げてきた彼だが。

キャリア達には、良く想われていない。

戦闘的な性格と。

場合によっては、上司と喧嘩をすることだって厭わない激しさ。

それが、警察での仕事を。権力争いの道具くらいにしか考えていない無能キャリア達には、疎ましく思えて仕方が無いのだろう。

腐敗はどんな時代にもある。

だが、こういう男を排斥するようになったら、もうその組織は終わりだ。

実際に働く事が出来る人間を切り捨て。

上っ面ばかり飾り、媚を売るのが如何にうまいかだけを評価するようになった組織は、例外なく瓦解していく。

どの国の、どんな組織も。

それはたどってきた歴史。

組織が長続きしなくなるのは。

耳に優しい言葉だけを求める上層部が。厳しい現実を口にする実働部隊を嫌って。媚態をつくす人間に権限を与え。

それが現場を潰してしまうから。

現場が潰れれば、手足が腐るも同じ事。

警視庁でも。

今、それが起きようとしている。

佐々木警視は明らかに焦っている。順調に事件を解決している彼だが。もっと更に実績を上げていきたいのだろう。

ノンキャリアとしては限界地点である警視を突破して。警視正になれば。

或いは、クズ上層部とやりあえると思っているのかも知れない。

「情報共有と行きましょう」

「……」

幾つかの情報を、互いに共有。

どうやら捜査一課では、攫われた地点を特定した様子だ。だが問題なのは、生徒が自分からついていった様子なのである。

これは、あの鬼事件と同じケースか。

「生徒の家庭は」

「典型的なモンペだ。 今、令状を取って調べたが、家庭内虐待の証拠がボロボロ出てきている」

「……」

まあ、そうなると。

お受験をさせたのも、自尊心のためか。

子供をアクセサリ代わりに考えて、DQNネームをつけるような親と大して変わらない連中と言う事だな。

唾棄すべき輩だが。

子供にそのとばっちりが言っている事が問題だ。

「交友関係を洗うのが早そうですね。 恐らくは、子供は率先して誘拐されたとみるべきでしょうし」

「既にやっているが、少なくとも大人で接触があった者は確認できていない」

本当にそうだろうか。

私は、この時。

何となく、ぴんと来た。

そして、少しずつ、パズルのピースが埋まっていく感触を覚えていた。

なるほど、そういうことか。

「分かりました。 少しばかり、調べて見る事があります」

「勝手にやってくれ。 何かあったら、知らせろ」

「分かっています……」

佐々木警視は知っている筈だ。

私とかごめが、もう近々警視に出世することを。この間、ふらっと戻ってきた犬童警視が、教えてくれた。

私達が、近々出世することが内定したと。

同時に、編纂室の規模を拡大。

あの地下空間は中枢部として残し。

前々から考えていたとおり、部下を一気に増やす予定だという。

つまり、ようやく動きやすくなる。

それも、佐々木警視は面白く思っていないのだろう。

どれだけ実力で、ノンキャリアでありながら警視まで上り詰めた人だとしても、である。彼は見てきているはずだ。

私が実力で、今の地位まで来たことを。

それでも、私はキャリアで。

出世しやすい条件が整っていた。

最初から警部補で。

試験さえ突破すれば出世できる。

それに対して、一般の警官は。巡査から始まって。事件を解決しても、簡単には出世にはつながらない。

中には、ベテランになっても巡査のままの者だっている。

そういうものなのだ。

そんな中、佐々木警視は、苛立ちを押さえられないのだろう。

如何に実力があるとは言え。

もうこの若さで、自分に並ばれようとしている事を。

私も、佐々木警視はもっと出世して当然の人材だと思っているし。これは警視庁の欠陥そのものだと考えてるが。

人の心の軋轢は。

簡単になくなりはしないのだ。

視聴覚室を、私も出る。

白蛇王が、嘆息した。

「難しい立場にいるようですな、あの方も」

「だから辛く当たられても気にならん。 実際問題、立場が逆だったら、私だって気分は良くなかっただろうさ」

「そう考えられるのだから、主は立派です」

「太鼓持ちは止せ。 それよりも、今の話を聞いていて、ぴんと来たが。 犯人はほぼ間違いなく教師の誰かだ。 それも……」

多分、そいつは奴らの一員で。末端とは言えないレベルの人材。

なおかつ、この浄化された場所で。

敢えて活動していると見て良い。

小暮と合流。

ちょうと職員室から出てきた所だった。

「新しい情報は」

「いえ、厳しいですね。 やはり皆、あまり詳しいことは分からない様子で」

「少し聴取の方向性を変えてみよう。 此処からは私も、お前を手伝う」

「ありがとうございます、先輩」

小暮に示すのは、こうだ。

この学校で、妙に人望のある奴はいないか。

それも、生徒に人望があって。

教師には、むしろ煙たがれらているケース。或いは、他の教師達からは、腫れ物扱いされている奴。

小暮は考え込む。

そして、はっと顔を上げた。

「瀬尾……先生」

「スクールカウンセラーの彼奴か」

「どうも今先輩の言った言葉が一致します。 もうこの学校で、二十年近く勤めているベテランなのですが。 他の教師達よりも明らかに発言力が高く、良く想われていない様子です」

「生徒達にはどうだ」

そも、スクールカウンセラーなどというものを、おいている時点で色々お察しなのだけれども。

こちらも予測が当たる。

「どうも妙に好かれていますな。 あんな怪しげな奴をと、愚痴っている教師が何名かいました」

「なるほどな。 かごめと合流するぞ」

「分かりました。 直ちに」

瀬尾はこれで、黒の可能性がかなり高くなった。

問題はその目的だ。

仮に瀬尾が奴らの末端人員か、或いは幹部に結構近い人員として。怪異を連れ込めば、それだけで邪気が抜かれてしまうような此処で、何をしていたのか。

母が作った浄化の仕組みは、完璧とまではいかないが、相当にハイレベルだ。これを崩すのは、私でさえ容易ではない。

それなのに、何をしようとしていたのか。

羽黒が戻ってくる。

同時に、かごめも。

私が、佐々木警視からの情報を提供すると。

かごめは、伊達眼鏡をすりあげた。

「やはりね。 生徒達の話を良く聞いていたら、おかしいと思ったのよ。 この時期の子供は、基本的に大人を鬱陶しがるものよ。 スクールカウンセラーは、そんな時期の難しい子供を、敢えて構わなければならない。 だから子供達からも、普通はあまり好まれない筈なのにね。 瀬尾の事を悪く言う生徒が、一人もいないのよ」

「それは極端だな……」

「あ、人見先生から伝言です」

羽黒が、にやけ笑いのまま言う。

ぶちまけられていた人血は、どうも冷蔵保存されていた様子で、かなり成分が劣化していたという。

つまり犯人はパックを前々から準備していて。

そしてタイミングを見計らって、トイレにブチ撒いた、という事だ。

何だそれは。

何がしたいのだろうか。

ただ、このトイレに血をブチ撒いた犯人と。

誘拐犯を結びつけて考えるのは安直だ。

チャイムが鳴った。

丁度昼か。

「食事にしましょうか。 どうする、皆で一緒に行く?」

「いや、考える時間が欲しい。 今回は別行動で、一時に再集合としよう」

「そう? まあ私も考える時間が欲しかったから、それでいいけれど」

「じゃあ、僕は小暮先輩と行きます。 小暮先輩、この辺りで美味しいお店、教えてくださいよ」

ああと、小暮が答えて、不安そうに外に出て行く。

かごめもそれに続いた。

残った私は、腕組みして考え込んだ。

側にニセバートリーが来たのは、その時だった。

「おかしいわよ、この学校」

「何がだ」

「それが、授業が終わってから、生徒達が一斉に携帯を開いて、何かを確認しているのよ」

遊んでいる様子は無くて。

全員が必死だという。

裏サイトか何かかと思ったが。

どうも違うらしい。

子供の様子を見ると、メールのようだ。

それも定時連絡のようなメールが来ていて。ある子はほっとして、そのままメールを消し。

別の子は、青ざめて。メールを食い入るように見ている、というのだ。

「何だか変よ。 一人の例外も無く、そうしているわ」

「それは変だな……」

まてよ。

瀬尾が、妙に生徒達に人気がある、というのと、情報が符合する。

ひょっとして、これは。

生徒を、何かしらの方法で、洗脳している、のか。

もしそうだとすると。

小学校で。

怪異が現れない条件になっている場所で。

怪異を出現させる実験か。

それとも、小学生などを、効率よく洗脳する実験なのか。

もしそうだとすると、学校そのものが真っ黒と見て良いだろうが。

しかし、まだ情報が足りない。

いずれにしても瀬尾は怪しい。

スクールカウンセラーという立場上、子供達の全てと接触していてもおかしくは無いし。もしも変なことをさせているとしたら、奴の可能性が高い。

校長は生徒と距離があるものなのだ。

「よし、お前は瀬尾に貼り付け。 何かあったら、即座に知らせろ」

「伝令っ!」

ニセバートリーが行く前に。武士の霊が来る。

そして、重要な話を告げてきた。

校長の様子がおかしいという。

なにやら長刃の刃物を取り出して、熱心に磨いているというのだ。表情も尋常では無く、これから何か、大事な事を成し遂げようとしているかのようだという。

「戦場に赴く武士や、仇討ちをこれから果たそうとする者のような目をしていました」

「分からんな。 だが、これは少しばかり面倒だぞ……」

校長もおかしな動きを始めたか。

色々とおかしな事が多すぎるこの学校。事件の解決については、急いだ方が良い。いずれにしても、恐らくどちらかが。

攫われた子供が、何処にいるかは、知っていると見て良さそうだ。

かごめの携帯に連絡。

校長の経歴と、生徒達の様子がおかしいことを話しておく。少し考え込んだ後、かごめは答えてくれる。

「そもそも、うちに連絡が来たと言うことは、例の組織が絡んでいる可能性が高いという事よ。 そうなると、いつものように不可解な事だけでは無くて、分かり易い犯罪の可能性も高い」

「そうだな。 どのような可能性が想定できる」

「小学校で一斉に携帯を見る、ね。 何かしらの指令を出すとして、それが何かというと……」

かごめが言葉を切る。

そして、言い放った。

「ひょっとして、集団催眠か、集団洗脳?」

「小学生をか」

「だからこそよ。 幼い頃の脳に、すり込まれた情報は、かなり後まで深層意識に残るものよ。 例えば何かしらのキーを告げることで、特定の行動を取らせることが出来るかも知れない。 大人がいなくなると、一斉に携帯を見出すとなると……既に集団催眠が掛かっている可能性は高いわね」

「なるほど」

流石は心理学のプロだ。

そして、もしも立場的に、瀬尾が怪しいとなると。

奴はかなりの長期、この学校に関わっている。相当に危険な状態になっていてもおかしくない。

一番最初の頃から此処で何かしていたとすると。

既に最初の頃の餌食は立派な大人だ。

それらが、何かしらの合図で、例えば。

大規模テロなどを開始したりしたら。

それこそ、手に負えない事態がやってきかねない。

「常に最悪を想定するべきだな」

「此方はもう少し生徒の様子を確認するわ。 其方は瀬尾から目を離さないようにして」

「分かっている」

電話を切る。

さて、ようやく輪郭が見えてきた。

だがしかし、まだ分からない事が多すぎる。式神を、もう一人か二人、瀬尾に張り付かせるか。

私は、手札から。

ちょっと珍しい奴を出す。

この間本家から、夕霧夏美が直接持ってきたのだ。本家の連中が、多分父に何か言われたのだろう。

猿王や天狗、何より白蛇王も役に立つけれど。

此奴はそれらとはちょっと毛色が違う怪異だ。

「出ろ」

札から現れたそれは。巨大な蛙の姿をしていた。しかも直立し、インチキ臭い忍者装束を身につけている。

正確には、此奴は伝承に出てくるいわゆる「妖怪」ではない。もっと新しい時代の怪異だ。

「児雷也参上いたしました」

「ん。 お前に頼みたい事がある」

「お任せを」

此奴は、戯画化されたいわゆる忍者の怪異。かなり珍しい都市伝説の産物として、本家でも重宝している。

そして、私も。

幼い頃に此奴に、色々な搦め手を教わったものだ。

「この学校に瀬尾という男がいるのは聞いているな。 そいつに貼り付け。 今一人つけているが、お前なりに観察して、特徴を徹底的に洗え」

「直ちに」

すっと消える児雷也。

さて、此処からだ。

私は、人見に連絡を入れる。

一つ、聞いておきたい事があったからである。まだ、時間がある。今のうちに、やっておくべき事だった。

 

2、不意の強襲

 

一度、合流する。

既に昼休みを過ぎていた。何かあったときに備えて、学校の視聴覚室で食事にしている。ちなみに、食事そのものは、戻ってくる途中の羽黒に調達を頼んでいた。まあ仕方が無いが、コンビニ弁当である。

味は兎も角、腹は膨れるし。

昔に比べるとこれでもぐっと美味しくなっている。

昔は製造過程からして色々と黒い噂が絶えないコンビニ弁当だったけれど。今はそんなこともない。

ただ、かごめは不満そうだったが。ちなみに彼女も、時間がないと判断したからか、結局コンビニ弁当にしたらしい。直接店に行ったのは小暮と羽黒だけだった。

「どうして日本はせっかくこれだけ食にマニアックな探求を出来るのに、弁当に関してはワンパターンなのかしら」

「不満なのはそこですか! いやー、まずいとか、舌にあわないとか言われると思って、わくわくしてたんですけど」

「お前、色々と凄いな……」

命知らずな発言をする羽黒に、どん引きする小暮。

この後輩、色々と面白い奴である。

それに、かごめの逆鱗を、上手に避けながら遊んでいるのが分かる。ゆうかもこれくらい出来ると良いのだが。

不意に携帯が鳴る。

人見かと思ったら、ゆうかだった。

「何か発見か?」

「うん。 色々調べてたら、行方不明事件があったみたいなんだけれど。 丁度、あかいちゃんちゃんこの噂に、色づけされて、包丁持った女の人が、って話になった時期くらいに」

「行方不明事件か。 捜査機密だから詳しい事は言えないが、事件があったのは事実だ」

「分かってるって。 で、その行方不明になった人、中川って先生らしいよ」

む、どこからそんな詳細な情報を調べた。

小暮が、さっそく職員室から入手してきた名簿を見る。

驚くべき事に、あった。

「ありました。 中川という女性教員が十八年前、短期間だけこの学校に所属していたようです」

「そうか。 ゆうか、有難う。 助かったよ」

「いいえー」

電話を切るが。

少し気になる。

食事も終わっているし、データ集めも既に済んだ。児雷也が戻ってくるのを待って、後は仕掛けるつもりだが。

その前に、職員室に行くか。

古株の教師については、何人か調べている。捜査一課の刑事達もいたが。私はまっすぐ一番年老いている教師の所へ向かう。

勤続三十七年。

校長以上の古株だ。既に定年間近だが。

だがそれでありながら、意外に背も伸びているし。眼光も鋭い。小暮も、きちんと受け答えをしてくると言っていた。

この学校の教頭、嵐山である。

今の校長の更に前から、学校のナンバーツーを務め続けていたベテラン中のベテランだ。

「まだ何か聞きたいことがあるので」

「手厳しいですな。 此方も調査を進めると、色々と新しい事実が判明してくるものでしてね」

「一度にお聞きしたいものです。 見ての通り、今の学校教師は、非常に苛烈な激務なものでしてね」

「そういえば、部活動が活発な学校では、いわゆる悪徳企業並みだそうですね」

まあ警察も、危険という点では同じようなものだが。

しかし、非番の日に呼び出される可能性がある点や。仕事そのもので命を落とすような可能性を排除すれば。其処までひどい仕事内容ではない。

まあ人間によっては絶対に合わないだろうけれど。

それはそれだ。

私には、警察は居心地が良いし。

いずれ警視総監になるとしても。

その席は、座り心地が悪く無さそうだとも思っている。

「まず、知っておられますか? 此処の生徒達、教師がいなくなると、一斉に携帯をチェックして何かしていますね。 しかも、授業なんかよりも必死な様子で」

「!」

「その様子だとうすうす勘付いていましたか」

「わ、分かりません」

露骨に動揺する嵐山。

重厚な雰囲気の教師だが。

恐らく今私が触れたのは、多分この学校の最暗部。タブー中のタブーだとみていいだろう。

このまま、順番に攻めていく。

かごめはじっと見ているだけ。

恐らく、分析を高速で進めているのだ。

勿論周囲の教師達の様子も、確認しているのだろう。

なお、羽黒は職員室の外で待機させて。誰かが。特に瀬尾がここに来ていないか、確認させている。

彼奴はカウンセラー室という自室を与えられて。其処で悠々自適に過ごしているらしく。職員室にさえ来ていないのだ。

「あれはゲームか何かではないですね。 ひょっとして、誰かしらの指示を受けているのではありませんか?」

「分からないと言っています」

「それと、授業の様子を拝見しましたが。 軍隊のように統率されていますね。 教育と言うよりも、一種の洗脳に近いと思いましたが」

普通、小学生は。

どれだけ育ちが良くても騒ぐものだ。

名門校でもそれは同じ。

此処の学校の場合、出来が悪い子や問題が悪い子は、問答無用で他の学校に飛ばされるというのはあるだろうけれど。

実は、既にそれらの子からの聴取を、かごめが済ませている。

何だかぼんやりして。

此処にいたときのことは、まったく覚えていない、というのだ。

勿論勉強については覚えているらしいのだが。

それ以外の事は、すっかり頭から抜け落ちているという。

青ざめている嵐山。

捜査一課も、話に耳をダンボにしている状態だ。これは恐らくだが、向こうもうすうす異常に勘付いていたのではないか。

「学校全体でこれをやっているとなると、この学校そのものが異常だとしか言いようがありませんね。 ひょっとして、瀬尾先生が来てからこうなっているんじゃあありませんか?」

「っ!」

ずばり、核心を突く。

精神の扉をこじ開けたところで、一気にねじ込む。

話術というよりも。

呪いのやり方だ。

そして、その呪いは。

嵐山の心に、確実にくさびとなってうち込まれた。呻いている嵐山に、私は更に畳みかけていく。

「この学校、まさかとは思いますが。 実質上仕切っているのは、校長では無くて、瀬尾先生じゃないでしょうね」

「……」

「黙っていないで答えて貰えませんか? あの人、教師ですらなくて、この学校のスポンサーとして、本来のものとは別に貴方たちに追加で給料を渡していませんか? ボーナス待遇として」

「し、しらん!」

いや、知っている筈だ。

既に今までの反応全てが。

嵐山の動揺と。私が指摘したことが全てだと告げてきている。

見せたのは、写真。

これは、瀬尾が隙を見せたときに。小暮が撮ってきたものだ。さっき聴取に行かせたのだが、使用している異様に豪華なPCのデスクトップ画面を撮影させた。本人が目を離した隙に、である。

小暮もこれくらいは出来るようになっている。

「このPC、下手な汎用機並の性能がありますね。 この学校のシステム管理を一手に引き受けているようですが、外部の専門業者に委託しないで、どうしてカウンセラーの瀬尾先生に一任しているんですか? 一教師なら兎も角、教頭である貴方が知らないはずはありませんよね。 本来は貴方か、外部業者の仕事の筈だ」

「そ、それは、専門外だし、時間も……」

「知っているんでしょう? この学校で、生徒を半分洗脳して、何かに仕立てていると」

完全に椅子になついた嵐山は。

もう、声も無い様子だった。

頭を掻くと、私は、かごめに代わる。

その時だった。

ニセバートリーが戻ってきたので、職員室を出る。かなり慌てている様子だ。失礼というと、すぐにその場を離れて、羽黒に監視を任せる。

「まずいわ、大変よ」

「どうした」

「瀬尾の奴、血液パック持ち出したわ。 冷蔵庫の奥に隠し棚があって、其処に隠していたみたい」

「! 何処に向かった」

現場を押さえる方が良いだろう。

小暮を指で招くと、意図を察して、すぐについてきた。早足で行くと、白蛇王も戻ってくる。

「大変です。 校長が動き出しました。 しかも、刃物を持ったまま、です」

「小暮、警戒」

「オス!」

「とにかく、瀬尾だ。 向かったのは恐らくトイレだな」

児雷也が瀬尾に張り付いているはずだから、その反応を探って、下に。どうやら瀬尾が向かっているのは、二階のトイレの様子だ。しかもどうしてか女子トイレである。

ちなみに。

例の血がブチ撒かれていたトイレの、真下にあるトイレだ。

カウンセラーが何をしているのかよく分からないのだが。

とにかく、授業が行われている今も、好き勝手に動けるたいそうなご身分だと言う事はわかった。

恐らく、本来のスクールカウンセラーは違うのだろう。

だが、瀬尾に関しては、そうだということだ。

二階に。

瀬尾が、トイレに入るのと同時に。何か、姿を隠した、尋常ならざる殺気を放つ存在が、トイレに踊り込むのが見えた。

もう、何も言葉はいらない。

小暮とともに、トイレに踊り込む。

見ると、既に瀬尾は腹を刺されて倒れ。

フードで姿を隠した何者かは。

此方を見ると、飛燕のような動きで、窓から脱出した。

此処は二階だが。

私も窓に飛びつくと、下を見る。

既にその姿は無し。

小暮が確認。

瀬尾は白目を剥いているが。どうやら、あの何者か。とどめは刺し損ねたらしい。まあ、正体は知れているから、それでいい。

いずれにしても、瀬尾を刺しに行くとは。

どういうことだ。

てっきり、私かかごめを狙ってくると思ったのだが。

すぐに捜査一課に連絡。

救急車を手配させる。

かごめも戻ってきた。そして、瀬尾が刺されたこと。良く研がれた包丁が凶器であり、腹に突き刺さって内臓近くの血管を切っている事。

ただし、手術すれば一命は取り留めるだろう事も告げた。

てきぱきと、私が応急処置をしていく。捜査一課は、すぐに救急車を呼んでくれた。佐々木警視が、苦虫を噛み潰しながら、部下達をにらんでいる。

私が遅れるのが一瞬遅れていたら。

瀬尾は確実にとどめを刺され、殺されていただろう。

「此奴についていってやってくれるか?」

「ええ、任せなさい」

にやりと、かごめは笑う。

いつもの役割、と言うわけだ。

いずれにしても、この学校を裏側から操っていたのはほぼ間違いなく瀬尾だ。問題は、どうして校長が、それを刺したか、ということだが。それについては、見当がほぼついている。

「羽黒」

「はい!」

「瀬尾のPC、セキュリティ突破出来るか」

「いや、僕は科学が専門で、ITはちょっと……」

まあ、それはそうだろう。

仕方が無い、それは私がやるか。実は児雷也に、その辺りは調べさせている。

戯画化された忍者の怪異である児雷也だが。

本家が、本物の忍者の技について叩き込んで、諜報用の怪異として仕上げてあるのだ。つまり、パスワードなども、瀬尾の様子や。席を外した後の入力などで、把握しているのである。

「羽黒、小暮。 中川の話を出して、嵐山教頭の動揺を探れ。 それと殺人未遂が起きた状況だ。 佐々木警視!」

「何だ!」

苛立って、答えてくる佐々木警視。

私は、少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「今日はもう、休校ですね?」

「当たり前だ」

「では処置をお願いします。 此方で、瀬尾の部屋を調べます。 この様子、明らかに怨恨によるもの。 元々其方でも、瀬尾がおかしいのには気付いていたのでしょう? 部屋を調べて、証拠を探り出します。 家宅捜索に対する礼状も此方で準備します」

「勝手にしろ。 校長は良いのか」

私は、それに対しても。

答えを用意していた。

「恐らく、誘拐された清美ちゃんが軟禁されているのは瀬尾の家です。 ただし用心棒をつけている可能性があります。 それも荒事に手慣れた。 急がないと危険かもしれませんね」

「……佐々木だ。 すぐに何人か、瀬尾の家の周囲にマークにつかせろ。 家の中からは勘付かれるなよ」

佐々木警視も、捜査一課を動かしてくれる。

さて、ここからが。

腕の見せ所だ。

 

教師達への聴取は、小暮と羽黒に任せて。

私は瀬尾の部屋に。

入ると、ぶるっと何か異様な寒気がした。これは怪異の気配では無い。単純な、狂気の気配だ。

此処は、弱者を蹂躙し。

掌握し。

操作する事だけに特化した、異常な人間の住処なのだと。入っただけで分かった。

これは尋常じゃ無い。

はっきりいって、普通の人間が住んでいるとは、とても思えなかった。

「児雷也、パスワードを」

「承知」

手袋をしながら、パスワードを入れて、PCのロックを解除。不用心にも、瀬尾は幾つもの機密ファイルを、開きっぱなしにしていた。それらを閲覧していく。

なるほどなるほど。

この時点で、ようやく私は、此処に廻された理由が分かった。

ずらっと並んでいるデータは、この学校の卒業生達。それらの名前には、〇と×がつけられており。

最初の頃は×だらけだが。

どんどん〇が増えていき。

この様子からすると、〇がついているデータは、ざっと二千。

瀬尾がいる間に卒業した生徒達で。最初の内は〇が一割もついていなかったが。最近は〇がついていないデータが見当たらない。

様々な合図についても記載がある。

しかし、調べると、ダミーデータもある様子だ。

かなり用心深い奴だった、ということだろう。

大体データを見ていて、暗号化されていても、これが何かは分かった。これは、洗脳を実施し。

それの結果をデータベース化したものだ。

すぐにデータを全て吸い出す。

「児雷也、お前を連れて来て正解だったな」

「なんの。 此方もまともな忍びとして鍛えて貰った恩があります故」

「そうだったな」

児雷也は義理堅い奴だ。

古くから、忍者は様々に勘違いされてきた存在だ。諜報を専任とする、どこの国でも存在する密偵。

ただ、日本の忍者はあまりにも知られすぎた。

それが行きすぎた現実と認識の相違を産み。此奴が生まれた。

此奴はだから、自分と現実の忍者の違いに、ずっと悩んでいて。だからこそ、ちゃんとした諜報を仕込んだ風祭本家に全面的な忠誠を誓っている。

故に義理堅くもある。

ある意味、現在に生きる本物の忍者とも言える。

今回はパスワードを見て覚えただけだが。

それでも、勘が鋭いだけで頭が足りないニセバートリーには無理だっただろう。もっともニセバートリーは、生徒達の様子がおかしいことにさっさと気付いたが。

重要ファイルを吸い上げると。

恐らく奴らが気付いたのだろう。

何かリモートでアクセスしてきた。

即座に回線を引っこ抜くが、それがトリガーになったのか。一気に全データがフォーマットされていく。

だがもう遅い。

必要なデータは、吸い上げ終えている。

更に、瀬尾の携帯はばっちり抑えてある。

此処の装置が、洗脳システムの中枢だったとすると、解析は即座にしないと危ない。データを吸い出された事を察した奴らが、何をするか知れたものでは無いからだ。

すぐに携帯で羽黒を呼ぶ。

「これをもって科捜研に。 スタンドアロン化した解析サーバを使って調べさせろ」

「分かりました。 これは」

「瀬尾が生徒達を洗脳するのに使っていたデータだ。 内部に肝試しの協力者がいるとは思っていたがな。 藪をつついてみたらとんでもない大蛇が出てきたものだ。 ほぼ間違いなく、瀬尾は例の組織の人間と見て良いだろう。 この学校は、奴らの奴隷の養殖工場だった、というわけだ」

「それは、一大事ですね」

恐らくダミーデータが仕込まれていること。

洗脳の解除を行うコードは存在しない事。

故に、洗脳の方法を発見したら、それを逆用して洗脳解除を行うべく、専門家に調査を依頼すること。

それらを羽黒に指示。

敬礼すると、羽黒はすっ飛んでいった。

さて、これからだ。

小暮と合流。

かごめにも、連絡を入れる。

瀬尾の部屋で見た事を告げると。かごめが、ふふんと笑った。どうやら、何か掴んだようだった。

「さっき小娘が言っていた、中川という女教師について分かったわ」

「! 頼めるか」

「どうやらこの学校周辺にビラが撒かれたらしくてね。 中川は妊娠している。 赴任したばかりなのに、とんでもない女だとか書かれていたらしいわ」

「はあ!?」

小暮が唖然と声を張り上げる。

多分意味が分からなかったのだろう。私は咳払いすると、順番に説明していく。

「保護者の中にはな、女教師が妊娠して産休に入る事を、職務放棄だと考える輩が一定数いるんだよ。 これは最近は減ってきたが、昔は兎に角数が多くてな」

「そんな、無茶苦茶な」

「事実よ。 当時のことを知っている人間を見つけて、ビラの内容を聞いたわ。 反吐が出る代物だったわね」

それでゆうかが中川という名前を割り出せたわけだ。

さて、次だ。

まずは、これで容疑もほぼ固まったと見て良い。

瀬尾の家に乗り込む。

恐らく奴の家には、何かしらの用心棒か、トラップがある筈だ。気を付けないと危ないだろう。

「小暮、人間が相手なら頼むぞ。 怪異が相手なら、私がぶっ潰す」

「了解であります! 久々のコンビでありますな」

「うむ……」

既に瀬尾の家は、捜査一課が見張っているはず。更に校長についても、捜査一課が全力で探しているはずだ。

校長は恐らく、あの様子からして、怪異に操作されていないと見て良い。

そして、失踪した中川という女教師についても。

何となくだが。

何が起きたか、私にもわかり始めてきた。

名門校の闇。

其処には、恐らくは。奴らが大喜びしそうな、邪悪なる闇が潜んでいた。そういう結末になるだろう。

だが、これ以上犠牲は出させない。

奴らには今回も。一泡も二泡も吹かせてやるのだ。

 

3、困惑する現実

 

瀬尾の家には、捜査一課の腕利き二人が張り付いていたが。かごめが礼状を取った事を連絡してくると。

すぐに中に入れてくれた。当然、二人は外を見張り、中から誰かが脱出するのを防いで貰う。

扉をぶち抜いて、瀬尾の家に。

中には、怪異の気配もなし。

ただし、人の気配もなし。

用心棒でもつけているかと思ったのだが。これは少しばかり妙だ。何かしらのトラップだろうか。

先に式神に、全体を見はらせる。

児雷也が確認してきた。

「爆弾などのトラップは仕掛けられていませんね。 ただし、奴の部屋はおぞましい有様ですが」

「よし……」

「待って!」

ニセバートリーが飛び出してくる。

何かみつけたか。

「何だか地下に、時計と変なのがある!」

「地下に? この家に地下室は」

「あるったらある!」

児雷也が見に行く。

そして、愕然として、戻ってきた。

「まさかこんなひよっこに遅れを取るとは」

「時限式の爆弾か」

「いえ、多分無力化ガスです。 自分が家に戻らなかったときに発動するように仕込んでいたのでしょう。 地下への入り方も見つけました。 解除方法は、それほど難しくありません」

言われるまま、一カ所の壁に触れると。

横にスライドして、地下への階段が現れる。

小さな地下室。

確かに、何かのポリタンクとつながった時限装置があった。

勘だけなら本職の忍者以上か。

大したものである。

「液体窒素辺りで固めてしまって、後で処理するのが良いのだろうが。 いずれにしても、カバーをかぶせて応急処置。 捜査一課に、爆弾処理班の要請を」

「分かりました!」

小暮が飛び出していく。

そしてその間に、私は。

瀬尾の部屋に踏み込んだ。

むっと漂うのは。

先ほどの部屋と同じ狂気。

壁には無数の文字が書かれた紙片が、大量に貼り付けられており。PCもある。ただし、稼働状態だ。もう中身はすっからかんと考えても良いかもしれない。

ネットワークを切り。

状態を確認するが。

どうやら此方は既に遅かったようだ。

全てのデータが初期化されてしまっている。

しかし、これだけの紙媒体が手に入れば、それはそれで大きい。色々見ていくと、気になるものがあった。

中川という女教師に関するものだ。

洗脳対象、校長。

思い込ませるには丁度良いシチュエーション。

中川自身も洗脳する。

以降、校長を効率よく操作するには、丁度良いだろう。

幾つか、紙片を回収しておく。

具体的な洗脳手順などが記載された、重要証拠書類だ。これらを抑えておけば、かなり役に立つだろう。

奧に、誘拐された子供も発見。

人の気配がないのも納得だ。死んだように眠っている。恐らく、これは睡眠薬の、それもかなり強めの奴を使ったのだろう。殆ど仮死状態だ。

しかもこの部屋。

以前見た、あの高嶋紅のブティック。

カルトじみた洗脳を行っていた連中と、同じ構造。部屋に異常な模様をきざみ、奧には安定したリズムを流すらしいスピーカー。

なるほど、ここで洗脳のシステムを実験して、洗練していたのか。

この子供も恐らくは。

単に洗脳の効きが悪いから、誘拐した。しかも、恐らくは後でもみ消すつもりだった、というわけなのだろう。

更に、数人の子供が転がっている。

いずれも同じ学校の生徒で。皆深い眠りに落ちている様子だ。いない間に逃げられるのを防ぐためだったのだろうか。

いずれも誘拐されたという報告は無い。

もう学校を完全に掌握。

PTAもかなりの部分を掌握し。そして、これらは全てもみ消していた、というわけか。だがそれも、私達の上部組織の活躍で穴が開いた。

なるほど、私達を寄越すわけだ。

これは怪異が絡んで無くても。

私達が対処しなければならない問題である。

すぐに子供達を運び出す。それが最優先だ。

戻ってきた小暮と一緒に、二往復だけで全員を救出完了。すぐに、捜査一課に救急車も手配して貰う。

「強めの睡眠薬を飲まされている。 それと、瀬尾はこれで誘拐容疑確定だ。 警察病院で逮捕だな」

「あっさり片付きましたが……嫌な予感がします」

「そうだな。 まだ瀬尾を刺した奴がいる。 内紛か、それとも。 少しばかり気になるところだな」

此処の様子や。

それに学校の、瀬尾の部屋。つまりカウンセリングルームを見る限り、瀬尾が組織から用済みとされていた節はない。

此方の動きに気付いたとしても、瀬尾は悠々と情報を消して脱出できた筈だ。

となると、あの殺人未遂は。

瀬尾も想定していなかった偶発事件の可能性が高い。いや、むしろ、瀬尾の所属している組織も、感知できなかった想定外アクシデントだろう。

爆弾処理班が到着。

私は小暮に促して。出来るだけ瀬尾の部屋のものを、外に運び出させた。此奴には学校中の生徒を洗脳して、自分が所属している組織の手駒にしていたという疑いが掛かっていたが。それが証拠によって現実となった。

その仮説は、此処の証拠で充分な説得力を持つ事になる。まあ、正直な話、誘拐された子供達だけで充分だが。

爆弾処理班が、地下の無力化ガス発生装置を処理開始。

どうやら。小火を起こすための仕組みも作られていた様子だ。爆弾では無く、自然に火事で処理するつもりだったのだろう。

吐き気がする。

あれだけの数の生徒達を洗脳して。

好き勝手にしていたと思うと、反吐が出る輩だ。

一番最初の頃に洗脳されていた者達は、とっくに成人して、今では社会の第一線に立っている筈で。

それらが瀬尾の指示通りに動けば。

それぞれが、大きなダメージを社会に与える事が可能である。

溜息が出る。

仮面の男から連絡が来なければ、これを発見できなかったのか。上部組織が、どうやってこの巨悪を発見したのかは分からない。

だが、たった一つ良い事は。

此奴が悪事を始めさせる前に。

抑えられた、という事か。

かごめに連絡。

誘拐されていた子供の救出に成功。更に証拠が山のように出てきたというと、彼女は電話の向こうでほくそ笑む。それが分かった。

既に意識を取り戻しているという瀬尾に、容赦のない尋問を始めることだろう。そしてかごめはプロだ。

徹底的に、情報を絞り上げるに違いない。

さて、後は。

校長だ。

校長については、気になる事がある。外で待っていた小暮が、校長の家についても、既に抑えてくれていた。

「次はやはり、校長の家、ですか」

「そうだな……」

今回の事件。

やはり最大の謎が、瀬尾が校長に刺されたことだ。

瀬尾の計画が上手く行っていたのであれば、校長は完全に走狗に成り下がっていたはずで。ましてや刺されるはずがない。

そうなると校長は、どうして洗脳に逆らう事が出来た。

いや、それ以前に。

やはり、仮説が正しかったのか。

もし今私の考えている仮説が正解だったとすると。ひょっとすると校長は。それが故に、洗脳をはねのけ。

そして、今の機会を、ずっと狙っていたのかも知れない。

捜査一課に連絡。

無事に爆弾の処理は終わったらしい。これから校長の家を捜査に行く事を告げると、佐々木警視が電話先に出た。

「風祭、生徒が見つかったのは聞いた。 それについては素晴らしい働きだな。 悔しいが大したものだ。 だが校長がおかしいとはどういうことだ」

「瀬尾が学校中の生徒を洗脳していた事については、既に聞いているかと思います。 それと同時に、校長も不可解な動きをしていて。 恐らく、瀬尾を刺したのは校長です」

「それは此方でも察しはついている。 校内に他の教師は全員いるのに、校長だけがいないからな」

「既に礼状は取りました。 校長の家は、これから捜査します」

佐々木警視は、少し躊躇った後、教えてくれる。

向こうでも調査をしていたのだ。

そして、それが分かったのだろう。

教えてくれた内容は。

私の仮説に、ぴたりと符合した。やりきれない話だが、こればかりは、もはやどうしようもない。

これ以上悲劇を拡大させないためにも。

私がやるしかないのだ。

「学校の教師達も、組織的にこの洗脳に荷担していた可能性が高い。 教師共は、此方で抑えておく」

「お願いします」

「それにしても……おぞましい事件だ」

「そうですね。 もしもこれで組織的に行動を起こされていたら、一体何が起きていたか」

校長の家は、もうすぐだ。

此方は此方で。

異常な空気が。

既に、入る前から漂っていた。

 

質素なアパートだ。

出世のために全てを捨てた。

そういう言葉が、どうしても聞こえてくるような家である。大家には礼状を見せて、鍵を渡して貰っている。

さっさと中に入る。

ちなみに、チェーンは掛かっていなかった。つまり、校長は帰ってきていない、という事である。

中にトラップの類は無い。

怪異もいない。

あるのは、狂気だ。

「お前達、校長を探せ。 恐らくは、近くにいるはずだ」

「分かりました」

怪異達が散って行く。

側に残ったのは、白蛇王だけである。白蛇王は、油断なく周囲に目を光らせている。故に、安心して調査が出来る。

「小暮、そろそろ聞かせておいた方が良いだろう」

「なんでありましょう」

「失踪した中川という教師な。 養子に出したという、校長の娘だ」

「! なん、ですと」

運命の悪戯と言うには出来すぎている。

恐らく最初から、全て想定済みだったのだろう。中川という教師は、復讐するために、教師になった。

しかも、である。

中川の経歴は、捜査一課が洗ってくれた。

ちなみに失踪はした。しかし、それはあくまで、この学校から。

彼女は今も生きている。

現在は、教職関連では無く。

IT関係のエンジニアとして、地方のIターン活動によって。富山の方でデータセンターのSEとして働いているそうだ。ただし精神を半分病んでいて、心療内科に通院しているそうだが。

校長の部屋を調べる。

其処の壁には。

血で、凄まじい気迫の文字が、書き殴られていた。

「奪われる痛みを知れ」

小暮が小さく悲鳴を飲み込む。

校長は恐らく。

中川を殺したと、瀬尾に思い込まされていたはずだ。いや、これは違うと見て良いだろう。

多分校長は。

瀬尾が、中川を追い出すビラを作って。校長を自分の傀儡として都合が良いが故に、守った事を知っていた。

校長にとっては。

例え恨まれていたとしても。

自分の娘に再会し。

同じ職場で仕事が出来ると言う事が、至福だったに違いない。それを、瀬尾は勝手な理屈で滅茶苦茶にしたのだ。

恐らく校長は、利害でものを判断していたはずだが。

この時点で、感情が利害を上回った。

その結果、洗脳が解けたのだろうか。いや、己の狂気が、洗脳を上回ったとみるべきだろうか。

情報が欲しい。

調べて見ると、色々と出てくる。

日記のような分かり易いものは無かったが。

校長室で見つかった携帯からは、やはりそれを示唆するものが出たと。さっき佐々木警視が連絡を入れてきていた。

腕組みして、考え込む。

そうなると校長は、瀬尾の洗脳には掛かっていなかった、ということか。或いは、掛かったフリをしていたか。

いや、違う。

中途半端に掛かっていたのだ。

中川を殺したと思い込み。

そして、それを、瀬尾のせいだと勘違いもした。

それに瀬尾は気付かなかった。

千人以上を洗脳したプロ中のプロが失敗した理由については、想像するしか無いが。一度に管理している人間が多くなりすぎて、完全にキャパオーバーを起こした、とみるべきだろうか。

「主」

白蛇王の言葉に、顔を上げる。

窓に張り付いていたのは。

既に正気を保っていない、校長だった。

その顔は狂気に歪み。

そして、ぶつぶつと、何か呟いている。

彼奴が全てを奪った。

私の幸せを、全部奪った。

だから殺す。ころすころすころすころすころすころすころすころす。

ばっと、窓から飛び降りる校長。二階だが、もう感覚が麻痺してしまっているのだろう。

「追うぞ!」

小暮は恐怖で硬直していたが、肘を突いて正気を取り戻させる。すぐにアパートを飛び出すと、走りながら捜査一課に連絡。

校長の家で、証拠多数。

すぐに抑えられたし。

此方は、逃走した校長を発見。後を追う。

捜査一課でも、了承。逃げる校長の背中を発見。私と小暮は、加速して、距離を詰める。

怪異に操作されている様子は無い。

これならば、捕らえられる。

そう思った瞬間だった。

校長が振り向く。

凄まじい形相で、叫んだ。

「私は、子供を奪われた! この社会に! あの愚かな男が所属している組織に! だから復讐してやる!」

「……心配しなくても、瀬尾はもう生きて娑婆には出られんさ。 もう良いから、縄につけ。 あの学校で起きていたことを、全て話して貰わなければならないからな」

「知るか! 復讐だ、復讐だ、復讐だ……!」

怪鳥を思わせる叫び声を上げて、もう正気を残していない校長が、包丁を振り上げて躍りかかってくる。

小暮が前に出ると。

包丁を持っている手を掴み。

そして、背負い投げで、容赦なくコンクリの地面に叩き付けていた。

頭を叩き付けないように、小暮らしい容赦はしたが。

小暮は、ぐっと口を引き結んでいた。

「こんな時、どうすれば良いのでしょう。 この人は、勿論自分の人生を子供に優先したという点では許しがたい罪を犯したのでしょうが。 しかし、その子供を手放したことを後悔し続け、子供にも恨まれ続け、更にはその思いを利用されて。 そして正気まで……」

既に校長は気を失っている。

私は、無言で。

携帯を開いて。捜査一課に、電話を掛けた。

 

データが揃った頃。

科捜研では、既に分析が完了。データを確認した所、洗脳が完了した生徒には、定期的にシグナルを送って。それが無い場合は自殺するように仕組まれている事が分かった。当然解除コードなんて便利なんてものもない。

子供向けのアクションドラマに出てくる、悪の組織よりもタチが悪いやり方だ。冗談抜きに、この国でテロ組織を作ろうとしていたのである。

それも、本人の意思と関係無く動く、極めて悪辣な。

かごめが尋問したが。

瀬尾は笑うばかりだった。

側で見ている私が苛立つほど、瀬尾は余裕綽々だった。

此奴には、自分で邪悪を為しているという自覚があって。それでありながら、平然としているのだ。

正に本物の悪というのは、こういう奴のことを言うのだろう。救う方法は無いし。裁く方法も、死以外にはあり得ない。

法治国家というものの弱点を突いた、悪の中の悪。

それがこの瀬尾という男だ。

それに何より、この瀬尾は、自分の命を何とも思っていない。だから、何一つ怖れていないのだ。

今まで見てきた奴らの関係者とは違う。

流石に、これだけの規模のプロジェクトを動かしていただけのことはある。本物の大幹部だった、という事なのだろう。

得てしてそういう輩は一皮剥くとただの雑魚である事は多いのだが。

少なくとも怪物性という点において。

瀬尾は図抜けていた。

「もうどうせ俺を生かして返す気は無いんだろう? 俺は拷問に対抗する訓練だって受けているし、何より組織そのものに絶対の忠誠を誓った身だ。 俺が洗脳した連中が死んでいくのを、指をくわえて見ているがいいさ」

「いいや、そうはならないわ」

「へえ?」

「高嶋紅のケースを利用させて貰う」

ぴたりと。

瀬尾の余裕が止まる。

科捜研は無能じゃあない。

羽黒がデータを持ち込んだ部署は、徹夜で解読を進めてくれた。その結果、高嶋紅の洗脳方式と一致する箇所を発見。それまでは、「平穏無事に過ごせ」というシグナルを送り続けて、茶を濁していたが。

其処から、やり方を変えた。

「同じやり方で、新しくシグナルを入れる。 目的を達成したので、以降は通常生活を送れ、とね」

「な、何だとっ! 私が作り上げた芸術に、歪みを入れるつもりか! すぐにそんなやり方は取り消せ! 芸術に対する冒涜だ!」

「芸術ね……」

かごめがブチ切れるのが分かったので、私は席を立つ。

瀬尾は、これから。直接殴られるわけでは無いだろうが。それでも確実に地獄を見る事になるだろう。

既に尋問を通して、瀬尾はかごめに把握されている。つまりそれは、かごめはどうすれば、瀬尾を徹底的にぶっ壊せるか、把握しているということも意味しているのだ。

二時間ほどして。

かごめが尋問室から出てくる。

中をそっと覗くと、瀬尾が完全に廃人になっていた。

目は虚ろで、口からはよだれを垂れ流し。へらへらと笑いながら、時々痙攣している。

「徹底的にやったな……」

「後は上部組織の仕事よ。 全部吐くようにしておいたわ」

「私並みに容赦ないな」

「そうでなければ、こんな巨大な邪悪とはやりあえないわよ」

ふふんと、かごめは少し自慢げ。

まあ、此奴については何ら同情の余地はない。この手で直接殺してやりたいくらいだし、まあこれでいいだろう。

これから、道明寺辺りが徹底的に此奴を拷問して、この世の地獄を味あわせるのだろうし、これ以上は手を出す必要もない。まともな裁判も執り行われないだろう。瀬尾という男はあらゆる尊厳を完全否定されて全ての意味で死ぬ。

自分が、洗脳対象に、そうしてきたように。

この世では、自業自得という現象は、必ずしも発生しない。邪悪な輩が、そのまま逃げ切るケースも珍しくない。

だが、今回は、自業自得、因果応報はきちんと機能した。

そして、此奴に洗脳された人々も救出できた。

それでいい。それでいいんだ。

後は、校長か。

今、独房に入れられている校長は、何度も自殺未遂したという。かごめと別れて、様子を見に行く。

相羽学園はもう終わりだ。

マスコミに情報を公開はしていないが、閉校が決定している。当然の話で、政府としても、巨大洗脳組織として使われていた学校を、そのままには出来ないと判断したのである。マスコミは突然の名門進学校の閉校に小首をかしげ、頓珍漢な記事を書いているようだが。まあ、真相にたどり着ける奴はいないだろう。

校長を洗脳から中途半端に解放したのは。恨みもあるが。やはり自分への怒りもあったのだろう。

だが、私は、校長をそれほど憎んではいない。

私が出向くと。

無関心そうに、校長。柳井は、顔を上げた。

顔色は真っ青。

油断すれば、即座に自殺しかねない有様だ。

中途半端に洗脳が解けた。だから現状では、中川を殺していないことは分かっているようだ。だが、それが故に自分が犯した罪の意味も理解しているのだろう。記憶が混乱はしていた様子だが、かごめが話して、記憶を整理させたのだ。それが必ずしも幸せなことかは分からないが。

野望と言うよりも。

自分の未来を、子供に優先してしまった。

その事をずっと悔やみ続けていた。

古い時代、子供は簡単に死んだ。だから子供に対する考え方は、今とは違っていた。それでも、子供が死ぬと、発狂する者は少なくなかった。

柳井校長は。ずっと地獄の中で、もがき苦しみ続けていたのだろう。

なお、あの怪談。

あかいちゃんちゃんこについても。瀬尾が流したことが分かっている。柳井校長の罪悪感を煽り。

洗脳を完成させるための行動だった。

まあ、結果として。

それが裏目に出たのだが。

「中川さんに連絡を取りました。 此方に来るそうですよ」

「……あの子は、私が捨てたことを、恨んでいました」

「当たり前でしょう。 貴方は自分の栄達を子供より選んだ。 自分が掴んだチャンスを、子供のためにフイにしたくなかった。 だけれども、それは子供を犠牲にした事に他ならない。 恨まれないとでも思いますか」

厳しい言葉だが。

洗脳を完全に解除するのは今だ。

呪いを自分に掛けてしまっている柳井校長。

私は、それを解く。

「中川さんは、最初から利用する事を前提で、瀬尾が申請して、相羽学園に教師として採用したそうです。 勿論中川さんも貴方への復讐をするつもりで来た。 それに対して貴方は、知っていながら黙認した。 悪手でしたね」

「ではどうすれば良かったんだあ!」

「全てを明かし、謝罪しろっ!」

はっと、気がついたように顔を上げる柳井。

世の中には、完全に間違っているケースなどは少ない。例えば利害で行われる戦争などは、当事国双方が悪いし。

国際情勢が悪いケースの方が多い。

だが今回のケースの場合。そういったものとは違って、確実に善悪がある。

自分の栄達というものに目がくらみ。

子供を捨てた柳井校長に非がある。

本当にそうかはどうかとして。

柳井校長は、そう思っている。

それが呪い。

私も扱う、言葉による束縛だ。

「私も立ち会う。 中川さんにも、貴方を恨むという呪いが掛けられている。 だが、自分が既に独立している以上、貴方への恨みはもはや生きるために必要なものではないし、解除だって可能だ」

「……」

「貴方の罪は、殺人未遂と、公務執行妨害だけで済む。 まあ生きている内に刑務所を出てくることが出来るだろう。 最後の時を、娘と過ごすためにも。 今、やるべき事をするんだ」

「わ、私は……」

それに。この校長の行動が無ければ。瀬尾をこうも簡単に追い詰める事は出来なかっただろう。

本物の邪悪を討ち果たすのに、校長の狂気が必要だった。

瀬尾はまったく予想していなかったし。その支配者だって、同じ事。

まさか、此処まで念入りに作り上げた組織が。

個人の狂気によって崩壊するとは、想像もしていなかっただろう。

奴らに与える痛手は、相当なものの筈だ。

すぐに上部組織が動くだろう。もう動いているかも知れない。他の、奴らが暗躍している国でも。洗脳の解除方法は即座に公開する。ICPOも今回は全力で動くはずで、これで奴らのビジネスは一つ破綻する。

それだけでも、この校長が果たした役割は、とてつもなく大きいのだ。

ある程度情状酌量の余地が働くように、取りはからうつもりだ。

足音。どうやら、中川が来たらしい。

少しくたびれ始めている中川は。

私を見ると、やつれを感じる笑みを浮かべた。

彼女も苦労してきたのだろう。そして今、彼女は。母がどういう心境だったか、理解できる筈だ。

さあ、呪いを終わりにしよう。

全ては、此処で断ち切らなければならないのだ。

 

4、つながり始める謎

 

人見に呼ばれたので、科捜研に出向く。

かごめと小暮、羽黒も一緒だ。

流石にゆうかはいない。

ただ、犬童警視がいないのは気になる。あの人はずっと出張中だ。何かと戦っているようなのだが。どうも例の組織では無い様子なのだ。

手を貸せるのならよいのだけれど。

「来てくれたわね」

「ああ。 何か見つかったのか」

「ええ」

人見が部屋の奥にある証拠品。テーブルの上に並べられている三つを、順番に見せてくれた。

一つは、高嶋紅のブティックにあったあの剣。

もう一つ。

これは知らない。何だ。布に包まれているが。

「道明寺という人から届けられた証拠品2よ。 貴方たちが潰した、山梨の生体実験施設の屋上で見つかったらしいわ」

「ほう」

布で包まれていた「証拠品2」を、手袋をして取り出してみる。

なんと、バジュラだ。日本では、金剛杵という。帝釈天、つまりインドラ神の武器として有名だけれども、それ以上に仏具として知られている。球を二つつなげたような形をしたそれは。禍々しいまでの邪気を吸い込んでいた。

更にもう一つ。

集団洗脳事件で盛大に捜査が入った相羽学園からも見つかったそうである。

布で包まれたそれは。当然証拠品3。

取り出してみると、只の棒に見えたが、違う。私は、一目でそれの正体を見抜いていた。

「これは、聖槍じゃないか」

「何なのでありますか、先輩」

「ロンギヌスという処刑人が、一神教の開祖を刺し貫いた槍のことだ」

勿論レプリカだが。これもおぞましいまでの邪気を纏っていた。

しかし、どれもこれも、そも宗教が違うものばかり。

トゥーハンデッドソードに到っては、何かの魔剣のレプリカか。だが、魔剣や聖剣として有名なグラムやエクスカリバーにしても、それぞれ緻密な描写が一定していない。これがそうだと言い張れば、否定するのは難しいのである。

あらゆる全てにおいて一貫性がない。

となると、これは。

「権威づけ……」

かごめが呟く。

私も、同じ意見だ。

「邪悪な実験が行われていた場所に存在した、汚れきった神具。 権威づけのオモチャとしては、うってつけの代物ね」

「見解が一致したようだな。 問題は奴らがこれらを。 恐らく回収できなかったものも多数あるだろうが。 これら作り上げた権威によって、何をしようとしているか、だが」

「それについては、これを見て」

人見が、写真を出してくる。

中東で撮られたものらしく。

道明寺が送ってきたものであるらしい。

凄まじい爆発が巻き起こっている。

核か、それとも気化爆弾か。

どちらにしても、その火力はメガトン級に達していると見て良いだろう。相当数の人間が、焼却され。

何も残らなかったはずだ。

「これは、最近の写真か」

「分析をしたところ、四ヶ月前。 中東の小さな国で猛威を振るっていた、千五百名ほどのテロ組織が、一瞬にして蒸発した時の写真よ」

「……」

テロ組織が全滅するのはまあどうでもいい。そんな連中はこの世から消え果てればいいのだから。

問題はこの火力だ。

生半可な原爆では、これを超える火力を出す事は出来ない。

奴らは今まで、戦場で投入して、戦術級の効果を出す兵器を開発し、日本で実験していたようだが。

これは明らかに戦略兵器。

つまり、それは。

奴らの研究ステージが、一段階上がった事を意味する。

「少しばかりまずいな」

「これらの道具に似たものが、近くで使われていたという話もあるの。 何かしらの関係があると、既に判断するべきだと思うわ」

「権威づけは洗脳に用いる事が基本だけれども。 それにしてもこの火力は……どう用いたのか知らないけれど、情報が足りないわね。 もっと情報をちょうだい」

かごめが腕組みする。

いずれにしても、まだ分からない事は多い。

とにかく、人見に礼を言って、一度外に出る。

嘆息する私に、羽黒が言った。

「大手柄だったんですし、明るくしましょうよ。 そうだ、小暮先輩、どこか美味しいお店でも紹介してくださいな」

「あんたねえ」

「いや、此処は羽黒に乗ろう」

あきれ果てた様子のかごめに、私は敢えてそういう。

かごめはしらけた目を向けてきたが。

私としては、気分転換が、こういうときこそ必要だと思うのだ。実際、小暮も、近場で良い店を見繕ってくれていた。

「それならば、スープスパゲティが美味しい店があります。 量も味も、申し分ないはずです」

「良いですねえ。 服に汁が飛ぶのが難点ですけど!」

「カレーうどんと同じだな」

「カレーうどん……」

もう、かごめは何も言わなかったけれど。

それでも、小暮の紹介する店のおいしさは知っている。

無言でついてきた。

途中で、軽く他の店による。

新作の、私とかごめが愛好する猫のキャラクターグッズが出ていたのだ。プレミアでもないので、普通に並んでいる。当然二人とも購入。今回は、同じくS社が出している別の兎のキャラクターとのコラボだが。

別にコラボ商品に抵抗があるわけではない。

かごめも、多少機嫌が直ったようだった。

いそいそとバッグに、そのグッズ。まあ具体的に携帯のオリジナルストラップだが。それをしまい込むかごめは。久々に満足げである。

私もだが。

「破壊神と魔神が揃って笑顔を浮かべているのは斬新ですね」

「面白い事を言うわね」

「うむ。 羽黒、貴様命が惜しくないと見えるな」

「冗談ですって」

さらりと怒りをかわすと、羽黒は不意に真面目な表情になった。

此奴は、元の造作が整っている。童顔だけれど、多分多くの女子が振り返るくらいのルックスはしている。

だから、真面目な表情をすると、栄える。

「恐らく、もう奴らも此方を放置はしておかないでしょう。 全面戦争になる日が近いのではないでしょうか」

「同感であります。 今回の一件、恐らく今までで一番大きな痛手を奴らに与えたのではないかと自分も思うのでありますが」

「……そうだな」

上部組織はずっと奴らとやり合っているが。

奴らも、本腰を入れてくるはず。

米国でも、奴らとの戦いが始まっているという話を聞くし。これは、敵の幹部クラスが、此方との対決に動き出してもおかしくないだろう。

「気を付けろ。 私や本家の連中は鍛え方が違うが……まあお前達もそれは同じか」

「ええ。 これでも米国で散々鍛えて来たからね」

「かごめ警部が命の危険を感じる相手など、そうはいないでしょう」

「へえ」

小暮が失言に口をつぐむが、かごめはあまり機嫌が良くない様子だ。

まあいい。

店に入る。

確かに出てきたスープスパゲティは美味しい。今回は怪異を殴る事も無く。怪異と戦う事も無く。

そして、怪異ではなく、人間の狂気だけが敵だった。

実際問題、怪異は人が産み出すもの。

どれだけ大仰な設定をされていても、本質的な意味では人にはかなわない。だから、もしも我々が最後に戦う相手がいるとすれば。

それは人の筈だ。

神クラスの怪異だろうが、私が粉砕して見せる。

だが、人はどうか。

人は人を殺すことに、これ以上ないほどに特化した存在だ。私もアサルトライフルで武装した特殊部隊を相手にして勝つ自信なんて無い。

しばし、スープスパゲティを楽しむ。

かごめが、美味しいわねと褒めた後。

少し、空気を変えて言う。

「もう知っているでしょうけれど、私と純は間もなく警視に昇進よ。 そうね、後幾つか事件を解決したら、でしょうね。 小暮、貴方は警部に。 薫。 貴方は警部補よ」

「光栄であります。 キャリアでもない自分が、この年で警部というのは」

「そして上部組織に編入されて、敵との最前線に立つ事になる。 恐らくは、今後編纂室のポジションは、有望な新人に引き継ぐことになる」

私の言葉に、小暮は黙り込んだ。

そうだ。

此処からは、今までとは比較にもならない厳しい戦いが待っている。

勿論此方も武装にしても練度にしても生半可な警官とは違う連中を率いるのだろうけれど。

それでも油断は一切出来ない。

戦いは、まだ続く。

続くのだ。

そして、警官である限り。今の敵を滅ぼしても。きっと戦いは終わらないのだろう。

それは、覚悟を決めるしかない。

「久々にお代わりと行こうかしらね」

「私もそうするか」

まずは景気づけだ。

たまにはこういうのもいい。小暮が、店員を呼び止めるのを横目に、私はささやかなひとときを楽しむ事にした。

 

(続)