暗き闇の店

 

序、人員追加

 

そいつは私が見たところ、非常に若々しく、三十手前とはとても思えなかった。しかも、何処かで聞いたような名前を名乗った。

その男は新人である。

私が所属している編纂室の、だ。

新人が来るとは聞いていた。階級は巡査長で、かなりの年月警察にいると。見かけとはかけ離れた若々しさで、正直小暮よりずっと年下に見える。

目鼻筋も通っていて、なかなかの美男子だが。しかし非常に童顔で、高校生くらいに見えた。強面で筋肉質な小暮とは、あらゆる意味で正反対の容姿とも言える。

「羽黒薫巡査長でっす! よろしくお願いします!」

びっと敬礼を決められるが、正直反応に困る。

小暮は敬礼して、妙に仰々しく反応したが、かごめも呆れていた。なお、犬童警視は今日は留守である。

「よろしく、羽黒巡査長。 自分が小暮警部補だ。 君の上司になる」

「ああ、聞いていますよ。 何でも警視庁でも最強を謳われるほどの武術の達人だそうですね。 特に柔道ではオリンピックに出られるくらいの実力だとか」

「そう褒められると照れるな。 君は非常に豊富な知識を持っていると聞いている。 その知識で、皆を助けてくれ」

体育会系らしい小暮だ。部下に対しては、しゃべり方もしっかり変えているし、威厳も出そうと四苦八苦しているのが伝わる。

で、羽黒。何だと思ったら、そうだそうだ。ゆうかの友人。しかも、既に死んでいるはずの人間だ。

なるほど、訳ありというわけだ。

確かそんな話を何処かで聞いた気がするが、まさかそのまま名乗ってくるとは思わなかった。

ゆうかに此奴の名前は教えない方が良いだろう。今、側に佐倉を付けて護衛させているけれど。

色々とパニックになる可能性もある。

今は面倒な事件も多い状況だ。

さて、さっそくだがと、かごめが腰を上げる。どうも、妙な失踪事件が起きていると言うのである。

しかも、同じ地区で四件連続、である。

現在、失踪事件は珍しくない。というか、「失踪」つまり「行方不明」の大半は、何処にいるか分からない、というものなのである。

故に、それが事件性を持つケースはあまり多く無いのだが。

今回、かごめが目をつけたという事は、かなり異常な点が目立つのだろう。

実際問題、不良学生が失踪し、警察が調べたら恋人の家に隠れていた(それも、学生が未成年だったり、相手がヤクザだったり)するようなケースも珍しくない。勿論、誘拐事件などの場合は、それは事件だが。

かごめが腰を上げる。

「では早速だけれど薫巡査長」

「薫でいいですよ」

「そう、じゃあ薫。 貴方の知見を拝見させて貰おうかしら」

私は今回、他に仕事があるので、別行動だ。小暮は小暮で、プロファイルには明るくないし、知識もあまり多くない。

単純に実働部隊だから、それでいいのだ。

実際問題、対人間という点で考えれば、私やかごめでさえ及ばない達人である。相手が怪異でさえなければ、まず此奴は遅れを取らない。

「ううむ、行ってしまいましたな」

「そうガッカリするな。 それよりも、彼奴の名前」

「どうしましたか」

「忘れたのか。 ゆうかの友人の……」

ようやく気付いたようで、小暮ははっとするけれど。まあそれはいい。

何かしらの理由があって、死者の名前を使っていると言うことは。早い話が、相当な訳ありという事だ。

この国にも、暗部となる組織はある。

例えば警察の特殊部隊としてSATというものが組織されているが、これなどは隊員の住所や家族など、全てがトップシークレットとして隠蔽されている。組織の性質上当然だろう。

これ以外にも、幾つか特殊部隊は存在していて。

自衛隊の中には、目に余る行動を行う反社会的活動家や、或いは他国のスパイを消して廻る暗殺部隊もあるらしい。

この暗殺部隊は海外で訓練を受けていたり、筋金入りのプロばかりが集まっているとかで。

一時期スパイ天国とこの国が呼ばれた時期、相当な数のスパイを狩ったらしい。

まあ所詮は噂だが。

一考しておくべき噂だろう。

あの羽黒が、そういった影の組織に所属していなかったとは言い切れない。もっとも、単なる偶然という可能性もあるが。

しかし、この編纂室の性質上、その可能性はあまり高くは無いだろう。

かごめが戻ってくる。

あまり機嫌は良さそうでは無かった。

羽黒はいない。

使いに出しているようなのだけれど。かごめは伊達眼鏡を直しながら、憤慨していた。

「何だかやりづらいわ」

「ふむ、無敵のかごめ警部が、苦戦しているようだな」

「貴方だって、あの小娘に手こずっているじゃない」

「む、それは……その通りだ」

つまり天敵と言う事か。

私にとってゆうかが天敵であるように、かごめにとってはどうも羽黒は非常に苦手な部類の人間に入るらしい。

ただ、かごめはどちらかと言えば心理学がメインなのに対し。

羽黒は科学などがメインだという話なので。エキスパートとしての分野が違う。それは、人材が豊富になる事を意味しているから。かごめも、相性が悪いというだけで、相手を追い出しに掛かったりはしないだろう。

元々編纂室は少数精鋭にも程がありすぎるのだ。

私としては、実働部隊を後十人くらいは欲しい。それと、ネット関連での知識や技術が豊富な人員が欲しいと前から思っているが。

そもそもネット対策科はまだ人員的にも成熟しているとは言い難い。

最悪、兄者のような外部協力者でも構わないか。

咳払い。

まあ、お互いに天敵が出来たと言うのは、良い事かも知れない。無敵というのは必ずしも良い事にはつながらない。

天敵がいるくらいの方が、良いのだ。

そう自分に納得させる。

気分転換も兼ねて、話を進めることにしたのは、小暮が不安そうにしていたことも理由としてはある。

「それで、事件の様子は」

「どうにもね。 評判の悪い不良中学生が、四人ばかり失踪していてね」

「ふむ。 よくあるケースだな。 恋人の家などに隠れている可能性は」

「それがどうにも妙なのよ」

四人の名前を、ざっと挙げるかごめ。経歴書もメールで送ってきたので、自分のPCで確認する。

ふむふむ、なるほど。確かにこれは見本のような不良だ。

中学生だが、既に髪を染め、家に帰ってこないケースも多い。だが、こういった不良生徒の場合、基本的に家庭環境が上手く行っていない場合が殆どだ。勿論恋人や周辺環境に影響されるケースもある。

だが、多くの場合、家の環境がいびつだったりする場合が殆どである。

かごめはその辺りぬかりない。

家族の方を調べて見てもいる。

案の定、前科者、それも刑務所と娑婆を行ったり来たりしているような輩や、典型的なモンペである。

家の中がどのような有様かは、大体想像がつくというものだ。

「なるほど、これは事件性無しとして、しばらくは問題にもならなかった訳だな」

「そういうこと。 しかもこの子ら、援助交際までしていたようでね」

「末期だな……」

援助交際。

いわゆる学生が、大人相手に、遊ぶ金ほしさに体を売ることだ。

社会問題化したこれは、先進国でも比較的特異なケースである。

勘違いされがちだが、好きで風俗店に勤めているケースはある。要するに、好きで体を売っているものは実在する。

先進国になると、体を売ることになんら疑問を抱かないケースも増える。

だが途上国になるとどうか。

親に体を売ることを幼い頃から強要されるケースは珍しくないし。

体を売ることくらいでしか生活できないケースも多い。

先進国と途上国で、体を売るというのは、そもそも意味が違っているケースが多く。それは混同するべきでは無い問題だ。

援助交際というのはその最たる例で。

遊ぶ金ほしさに体を売るというモラルの欠如は、ある意味体の安売りであり。荒廃した心を示すような状況とも言える。

もっとも、援助交際なんてしている学生はほんの一部も一部で。

不良の中でも、特に問題のある生徒ばかり、というのが事実でもあるのだが。

この四人はいずれもがそのケースで。

警察としても、失踪届が出ても動く気にはなれなかったのだろう。実際問題、こういう場合、親が嫌になって恋人の所にでも隠れてしまっているケースが殆どなのだから。

だが、かごめはどうも妙だという。

「この四人、失踪後、連絡が一切周囲の人間ともとれていないようでね」

「カルト教団か何かに逃げ込んだか」

「可能性はあるわね。 或いはタチの悪いヒモか」

ヒモの中でも、タチの悪い連中になると、上手に心理誘導して、自分に依存しないと生きていけないように、相手を誘導していく。

その結果が、金を稼いでくる便利な道具の完成。

だいたいの場合ヒモというと、男性を指すけれど。

男性をATMと言い切る女性のような、逆パターンも存在している。

今回のケースは、失踪した学生が全員女性という事もあって、まあ良くは分からないけれど。

いずれにしても、かごめの話の続きを聞く。

「それで、出入りしている共通している店がある事が判明したのよ」

「ほう」

「しかも、失踪前後から、妙に高級なアクセサリを身につけるようになっているのを、周囲の学生に目撃されている。 周囲の学生も、何しろ援助交際をするような子だから、新しい金づるでも見つけたのだろうと噂していたようなのだけれどね」

「今回は相手の方が、大毒蛇だった、というわけか」

ふむと、腕組みする。

電話が鳴ったのは、その時だった。

例の仮面の男である。

「やあ、元気にしているかね」

「ええ。 新しい部下を有難うございます」

「うむ、彼はスペシャリストだ。 活用してくれたまえ」

「分かりました。 それよりも、です。 電話をして来たという事は、何か新しい事件ですか?」

話が早くて助かると仮面の男は言うけれど。

この男が雑談やら世間話やらのために連絡をしてきた事は一度だって無い。事件に決まっている。

そして、その事件は。

どうやら、かごめが調査しているものと同じのようだった。

「客が消えるブティックがあると言う噂を知っているかね」

「はて、聞いたことが……そうだ、海外の都市伝説ですね」

「良く知っているじゃないか」

からからと、電話の向こうで笑う仮面の男。

客が消えるブティックというのは、要するに人身売買業者がブティックとつるんでいる、というものだ。

試着室などに入った客をそのまま拉致し。

薬漬けにしたりして、犯罪組織に売り飛ばす。

売り飛ばされた客は、そのままオモチャにされたり、ダルマにされて見世物にされたり、或いは内臓を抜かれて殺されてしまう。

そういう恐ろしい都市伝説だ。

ちなみにこれは、まったく全てが都市伝説とは言えず。

人さらいや、内臓の密売が活発化している近年では、実際に似たようなケースが発生している。

特に臓器の密売に関しては、東南アジアは魔窟と言っても良い有様。

未だにタイの田舎辺りだと、人間を買うことが普通に可能だが。

買われた人間は、妾奴隷にされればまだ良い方。

下手をするとそのまま解体されて、金に換えられてしまう。人間というのは、その気になれば全身を金に換えることができるものなのだ。

そして、親としても、売った子供がどうなろうと知った事では無い。

そういうものだ。

貧すれば鈍するというのは、そういう意味なのである。

「ただ、それは主に治安が最悪な途上国の話の筈。 日本で存在するとは、聞いていませんが」

「君達が捜査している延長線上にあるのではないのかな」

「! 分かりました」

「頼むよ。 犠牲者を可能な限り抑えてくれ」

電話が切れた。

なるほど、これはちいとばかりまずいかも知れない。

で、かごめが咳払い。

今のは私の携帯に直接電話が来た。スピーカーモードにしていたから、みんな話は聞いていたはずだが。

それでも、色々と厄介だ。

「とんでもない事件のようですな……」

小暮が呻く。

日本でも、人身売買は、20世紀初頭まで、田舎では普通に行われていた。いわゆるプロレタリア文学というものがあるが、あれらで登場する悲惨な労働をしていた人間の幾らかは、田舎から売り飛ばされた人間だ。

勿論面と向かって人身売買をしたわけでは無くて、都会に労働契約をしていく、という形だったが。

それはなんら人身売買と変わらない。

また、悪名高いタコ部屋もこれと同等だろう。

北海道などで、凄まじい悪逆として歴史に名を刻んでいるタコ部屋だが。犠牲者を実際にトンネルなどに塗り込め、その遺体が発見されるケースまで実在している。

この国も、今でこそともかく。

人身売買は、おおっぴらにさえ行われていた時期があったのだ。

「すぐに出たいところだが、そのブティックとやらの特定はできているか」

「いいえ。 まずが学校と被害者家族に聞き込みに行きましょうか」

「そうだな。 羽黒はどうする」

「現地合流で構わないでしょう。 例の電話が来たと言うことは、抜き差しならない事態の可能性が高いわ」

かごめの言うとおりだ。

すぐに出る事にする。

どうやら、新人には、いきなりハードな現場に立ち会って貰う事になるかも知れない。だが、此処はそもそも、怪異がらみの事件が多数舞い込んでくる地獄の一丁目。普通の警官にはとてもつとまらない、特殊部署。

そして羽黒も、死人の名前を名乗っているという事は。

恐らく相当な訳あり。

訳が分からないと混乱するようでは、やっていけない。

ましてや、近年は奴らがらみの事件が増えてきている。奴らをぶっ潰し、叩き潰し、滅ぼすためにも。

人材は、少しでも強くなければならないのだ。

すぐに車で出る。

ちなみに、被害者の生徒は。

いずれもが、同じ学校の出身者。

これも恐らくは、偶然では無いだろう。

 

1、悪しきカーストの果て

 

学校の前に到着。

一旦私と小暮は降りて。かごめがフォルクスワーゲンを学校の駐車場に停めに行く。さて、まずは生徒に聴取だと思っていた所。

いきなり、見覚えのある顔に呼び止められた。

それも、鬼のような形相である。

「貴方警察ね! 警察でしょう!」

「貴方は、どなたですか?」

「しらばっくれて! うちの娘が失踪して、もう三日経つのに、どうしてこんなにもたもたしているのよ!」

「……峰岸さおりさんですね?」

その通りだと、ヒステリック気味に峰岸さおりは叫ぶ。

この女、典型的なモンペである。

いわゆるシングルマザーで、旦那とは生別。娘である峰岸紫音の親権を引き取って生活していたのだが。

本人が典型的なキャリアウーマンで、仕事一筋に生きて、娘のことはほったらかし。

その結果、何が起きたか。

まあ起きるべき事が起きた、という事だ。

そしてこの手の状況の場合、親は「自分が頑張っているのに」と、子供が不良行為に走る理由を理解できないケースが多い。

そして溝が致命的な所まで行くと。

親子としての関係は完全崩壊する。

シングルマザーの幻想と現実である。仕事ができる女性が、必ずしも子育てもできるかというと、話は別なのだ。

ちなみに私は、将来ある程度落ち着いて結婚でもしたら、子育てそのものは本家の人間に任せようと思っている。

これについては、実は私もそうだった。

両親とも滅茶苦茶に忙しかったので、子育てに時間をあまり割けなかったのだ。

だから私は、むしろ何人かいる本家の人間に育てられたと言っても良いし。

両親とは、むしろ仕事がある時にこそ一緒にいた。

他の子が、九九を習っている頃から、だ。

おかしな話だ。

両親と一緒になれるのは、殺し合いをしに行くときだけ。怪異をぶっ潰しに行くときは、両親と一緒にいられる。

だから仕事にも積極的になったし。

褒めて貰いたかったから、必死に覚えた。

その結果の今である。

私自身がいびつである事は良く分かっているけれど。それは、ある意味仕方が無い事なのである。

紫音という娘は、恐らくお手伝いもおらず、そのまま孤独に育ったのだろう。

その結果鬱屈が溜まり。

誘惑に簡単に引っ掛かって、落ちていった、と言うわけだ。

「此方は仕事が本当に忙しいのに、必死に時間を割いて警察に行ったのよ! 今だって、学校の周囲を……」

「お言葉ですがね。 貴方、娘に構ったことが一度でもあったので?」

「何よ、口答え……」

「当たり前だ! 私もどちらかと言えば親が忙しかったからよく分かる! 仕事が忙しいからって子供を放置していれば、性格が歪むのは当然だろうが! 今回の件は積み重ねの結果で、今まであんたが子供が文句一つ言えないのを良い事に、放置していた結果なんだよ!」

普通だったら、そのまま口論になっただろうが。

私は修羅場を散々くぐってきている。

こんな阿呆を黙らせるのはそれこそ一瞬でできる。

唖然として、真っ青になった峰岸さおりは。ようやく現実に気付いたのだろう。そのまま立ち尽くして、固まってしまう。

其処に、フイに現れたのは。

羽黒薫だった。

「まあまあ、奥さん。 警察が後はどうにかしますから、仕事場に戻ってください。 調書を見ましたが、以前にも娘さんが何回も無断外泊しているんでしょう? それならば、きっと無事ですよ」

そんな甘い声を掛けながら、邪魔者を連れて行く。

小暮が、少し呆れたように言う。

「全くの正論ではありましたが、少し厳しすぎたのでは」

「現実が見えていない阿呆には、あれで充分だ。 まったく、家族のために仕事をしているという言い訳で、子供を放置しておけば、歪むのは当たり前だ。 それも分からないような輩とまともにやりあっていられるか」

「その通りよ。 さっさと聴取を進めましょうか」

頷くと、かごめが先に学校へ。

私は式神を撒いて、情報を収集させる。そして、式神を展開し終えると、かごめに続いた。

内部に入ると、すぐに分かる。かなり程度の低いというか、偏差値の低い学校だ。

髪を染めている生徒も目立つ。

何より、授業中なのに、真面目に授業を受けている奴など、殆どいない。教師も、それを無視して、勝手に黒板に向かって話しかけている状態だ。それも、数学年は遅れているような内容の授業をしている。

典型的な底辺校だ。

これでは、あのプライドが高そうな、キャリアウーマンの母親がヒステリックになるのも分かるか。

生徒の失踪が問題にならないのもすぐに分かる。

教室を一瞥するだけで、空いている席だらけ。

無断欠席する生徒なんて、珍しくも無いのだろう。

それだけ荒れている学校、ということだ。

ただ窓硝子は無事で。

それは、昔の荒れている学校とは少しばかり違う。今の不良生徒は、学校内で暴れる事は減っている。

むしろ外で暴れたり。暴れる事さえせずに家に閉じこもってしまうのだが。

それはまあそれだ。

校長室に出向く。

校長は無気力そうな人物で、かごめの聴取を受けていたが。あまりにも対応が散漫なので、かごめが見る間に機嫌が悪くなっていくのが分かる。

「生徒といっても、見ての通りうちは底辺でしてね。 年に何人も更にひどい学校に転校していきますし、今の年から風俗に入り浸っている子だって珍しくない。 無断欠席なんて当たり前、ヤクザの愛人になっているケースさえある。 そんな状況で、失踪だと言われても、どうにもなりませんよ」

「ああそう。 それで、この生徒達について、少しでも知っている事を」

「いちいち一人ずつなんて覚えていません。 そもそも此処にいる生徒達は、中学になっても四則演算も怪しいような子達ばかりです。 それに、ずっと学校に来ない生徒だって十人以上います。 そんな状況では、どうにもね」

なるほど。此処はある意味現在の子捨て場、というわけだ。

あのキャリアウーマンの峰岸さおりがキレるのも当然かも知れない。プライドが高そうな上に、何より本人がエリートだ。

娘がこんな底辺の底辺に通い、しかも援助交際をして、その上失踪。

会社での面子もある。

そして、会社での面子や、自分の出世が、子供を潰したことに気づけない。

だからこうなっているのだが。

それにさえ理解が到らないから、暴れている。

もうどうしようもない。

この国では、底辺の人間でも、最低限の教育はできている。識字率は九十%を軽く超過していて、これはどんな先進国よりも上だ。

それでも、落ち零れは絶対に出る。

この学校こそがそれ。

文字通り、地獄の一丁目だ。

「かごめ、代われ」

「……どうぞ」

流石に嫌気が差したのだろう、かごめが校長の前を譲る。私は手帳を見せて、名前と階級を名乗った後。

見せる。

それは、調書の中にあった。生徒が身につけていたという、高級アクセサリだ。

一人だけ、親がこの高級アクセサリを持ち込んだケースがあって。写真が残されていたのである。

「このブランドに見覚えは」

「ああ、なにやら最近はやっているようですね。 この学校だけではなく、周辺の不良学生も、喜んで身につけているようですよ」

「何処の店で売っているかはわかりませんか? どうもオリジナルのブランドのようなのですが」

「さあ」

呆れた返答だが。

かなり蔓延している、という事だけでも分かれば充分だ。

かごめを促して、さっさとこの場を離れる。

かごめは噴火しそうな有様だったが、私が冷静になだめた。

「こういう底辺校は初めてか?」

「そうね。 地元の学校では周囲の低レベルさにいつも呆れていたけれど、流石に此処までひどくは無かったわ」

「だろうな。 此処は親にも教師にも見捨てられた、落ち零れた生徒達の流れ着く先だ」

こういう所は、負の情念が集まりやすい。

子供達には、本来罪は無いのかも知れない。親があまりにも問題があったり。学校の関係になじめなかったり。

或いは、手酷いイジメを受けて、もうどうにもならなかったり。

そういう子達が、この中学に来る。

中学までは、普通は学区内の学校へ行くのが当たり前だ。だが、此処は公立の中学でも問題を起こして、引き取られてきたような生徒ばかり。

授業なんてまともに受けていないと言うよりも。

そもそも、授業を受けることそのものができない、と言うべきだろう。

社会のシステムに、幼いうちにはじき出されてしまった子供達が通う、賽の河原。それが此処。

恐らく、高校進学できる生徒も、半数もいないのではあるまいか。

学校を出たところで、かごめが羽黒に話を聞きに行き。

私は式神を集める。

そうすると、案の定だった。

ニセバートリーが開口一番に言う。

「十人以上の生徒が、それ身につけてるわよ。 なんか気前よくくれるとかで、失踪した子が仲間にも分けてたみたい」

「それはまた、気前が良い話だな。 店の名前は何か口にしていなかったか」

「其処までは……ごめん」

「いや、良い」

恐らくこのアクセサリがキーだろう。

それに、何だろうか。

写真を見るだけでも、何となく分かるのだが。

このアクセサリ。

嫌に強烈な魅力というか。精神に潜り込んでくるような邪念を感じるのだ。ある程度以上の芸術は、本人のインナースペースの投影が絶対条件になってくるが。このアクセサリには、邪悪な欲望が叩き込まれている。

それが故に人を引きつけもする。

強烈な感情を知らない中学生には、もってこいの品だ、と言うわけだ。

羽黒が戻ってくる。

かごめは、一度先に戻って、情報を洗い直すという。

「いやー、賀茂泉警部、機嫌が悪いッスね。 僕何度も怒鳴られちゃいましたよ」

「お前、よく彼奴と真正面からぶつかり合って平気だな」

「え? 賀茂泉警部、優しい人じゃないですか。 僕、ああいう人はあまり嫌いじゃありませんし」

小暮が目を剥く。

何というか、このつかみ所のなさ。

かごめが苦手とするのも、よく分かるような気がした。

時に羽黒にもアクセサリを見せるが。

知らないと言う。

「データを見る限り、金は使っていないですね。 メッキですけれど、それでもデザインは独創的です。 個別ブランドでしょうが、それならば突き止めることは可能かも知れませんよ」

「やってくれるか?」

「すぐに」

羽黒も、その場を後にする。

さてと、次は。

学校の外で待ち伏せ。出てくる生徒に聴取。

さっきニセバートリーが目をつけた生徒の中で、特に派手なのが何人かいた。そいつらは、ひょっとすると。

失踪事件に、現在進行形で関わっているかも知れない。

 

呆れた話だが。

授業の終了を待たずに、派手に髪を染めている生徒が正門から出てきた。まあ、何しろ場所が場所だ。学校をさぼる位は普通にやるだろう。

小暮が前に立ちふさがると、流石に派手に化粧している中学生は足を止めた。

「な、なんだよ!」

「警察だ。 話を聞きたいことがある」

「あ、アタシ何にもしていないよ!」

「ほう。 その派手な服とメイク。 親に金でも出して貰ったのか? そんな優しい親がいるようにはみえないがな」

図星を抜かれて、黙り込む中学生。まあ如何に背伸びしていても、所詮は中学生という事だ。

生徒の名前は志乃田真由美。

まあ、一目で遊び歩いています、と顔に書いているような容姿をしていて。実際その通りだろう。

これから、渋谷のセンター街にでも行くのかも知れない。

で、此奴も、例のアクセサリを身につけている。

それは既に確認済みだ。

「これ、お前も身につけているな」

「そ、それがどうしたってんだよ」

「誰に貰った。 これは普通の店に売っている品じゃ無い。 個別のブランドで、恐らくは個人が手作りしているものだ」

黙り込む志乃田。

叩けば埃が幾らでも出る事は分かっているのだろう。

実際問題、此奴、恐らく叩けば少年院行きに出来るくらいの事はしているはずだ。小暮が警察と知ったときの反応からして、補導歴もあると見て良いだろう。

つまり、一押しで情報を吐く。

「そ、その。 本当に言ったら解放してくれる?」

「そもそも、こんな時間に学校を抜け出している時点で、補導されてもおかしくないのは分かっているだろう」

「わ、分かったよ……」

まさか、こんな恐ろしい(小暮のことだ)警官に、職質を受けるとは思ってもいなかったのだろう。

志乃田は完全に震えあがっていて。

後は聞くだけで全て吐いた。

この品は、ある男性に貰ったものだ、というのだ。

肉体関係ももった事があると言う。

中学生を相手に肉体関係持って、挙げ句の果てにアクセサリをくれてやるか。呆れた男だ。

その時点で、既に逮捕できるのだが。

この件、もう少し深い所でヤバイ案件につながっている気がする。

正直な話、しっかり詰めておきたい。

「そいつの名前は」

「そ、それは言えない。 だって、言ったら、捨てられる……」

「その男が他にも同じようにして中学生を食い荒らしていることを、大体見当ついているんじゃないのか」

「!」

青ざめて、そして俯く志乃田。

分かっているだろうに。

そもそも、このアクセサリが学校に蔓延している時点でそうだ。多分そいつ、ただのクズ野郎では無い。

何を目論んでいる。

今なのだ。

糸をたぐり寄せるのは。

「お、大槻……大槻愁」

「ほう。 小暮、メモ」

「分かりました」

半泣きになっている志乃田。分かっているだろうか、此奴は。途中から小暮では無くて、私の威圧感に叩き潰されていたことに。

そして今では。

私の目も、怖くて見られていないことに。

此奴はもうとっくに私の術中に填まっている。

「もう学校に戻れ。 それと、周囲に伝えろ。 大槻とやらは、中学生を食い散らかしている常習犯だ。 しかも、誘拐事件にも関与している可能性が高い」

「そ、そんな、だって」

「優しくしてくれたか? しかもそんなよさげなアクセサリもくれたか? 親と違って、構ってくれたか? 今までの彼氏よりも気前が良くて、気持ちよくもさせてくれたか?」

図星を突き抜く。

完全に泣き始めている志乃田に、現実を突きつけてやる。

「それはヒモ野郎の典型的な手口だ。 花に水をやるのと同じで、最初はそうやって投資もする。 そして自分に依存させて、後は好きなようにするんだよ。 売春させて、その分の稼ぎを貢がせたり。 或いはもっと酷い事をさせたりな。 その大槻とやらが食い荒らしていた女子生徒が行方不明になっている。 下手をするともうこの世にいないかも知れない。 お前も、いつ殺されてもおかしくなかったんだよ」

「ひ……」

「いいから学校に戻れ。 それとそのアクセサリ、金メッキだ。 金とか言われてたんだろうが、金なんかじゃないぞ。 嘘だと思ったら囓ってみろ。 すぐに分かる」

真っ青になっている志乃田は。

もはや完全に、言葉も無い様子だった。

これでいい。

今は辛いだろうが。

現実を知って、そして。

危険から離れなければならない。

あれは、信号が赤なのに、無理矢理渡ろうとしているような状態だ。だから、手を引いてでも、引き戻さなければならないのである。

歩いて戻りながらかごめに連絡。

大槻という男の名前を告げると。

かごめは、調書の中からすぐに割り出した。

「なるほど、一つの調書にその名前があるわ。 娘がどうやらつきあっているらしい男がいて、大槻って名字らしいってね。 どの子も複数の男とつきあっていたから、埋もれていたようね」

「そいつがブティックを経営していないか」

「すぐに調べるわ」

結果は即座に出た。

此処から二駅ほど先にあるブティックだ。そして、大槻とやらのデータも、かごめが送ってくる。

なるほど、女子中学生くらいに好かれそうな甘いマスクだ。無精髭が、ワイルドさを助長している。

だが薄っぺらな美形だ。

兄者のワイルドさには足下にも及ばないし。

この間遭遇した金髪王子とやらには、それこそ土下座するほどのレベル差がある。

「こんなのに何人も騙されていたのでありますか。 どうしてこんなのに騙されるのか、理解できないのであります」

「孤独だからだよ」

「はい?」

「こういう不良学生は、とにかく孤独なんだ。 それで、分からない奴には分からないんだが、世の中には孤独に耐えられない奴がどうしてもいる。 そういう奴は、優しそうな顔をして近づいてくる相手に、ころっと騙されてしまうものなんだよ」

唾棄すべき話だが。

ヒモはそういった孤独な女性を見つける嗅覚に長けている。

そして、見つけ次第、徹底的に搾り取って、そして使い物にならなくなったら捨てるのである。

ゲス以外の何者でもないが。

そういう輩が実在しているのは事実だ。売れっ子のホストなどは、大体がこの類の人間である。

本当の弱者を嬲る外道。

そしてこの大槻という輩は。恐らく普通のヒモ以上の外道行為に手を染めている可能性が、極めて高い。

「救われない話でありますな……」

「そういった弱者を守るために我等がいる。 とにかく、これからその大槻だかいうヒモ野郎をぶちのめしに行くぞ」

間もなく、連絡が来た。

かごめも此方に合流すると言う。

頷くと、ブティックに向かうべく、私は駅へと急いだ。

 

2、客が消える

 

大槻とやらのブティックに到着。

店主はすぐに出てきた。

店そのものは、非常にしゃれていて。海外の有名ブランドも仕入れている様子だ。そして、何より、である。

かごめに聞かされる。

「此奴、高嶋紅の弟子よ」

「!」

聞いた事がある。

日本でも有名な、女性向けブランドのデザイナーだ。兎に角しゃれたアクセサリをデザインすることで、海外にも名前が轟いているという人物。ファッション界の、大物中の大物。言うならば、大御所という立場の人間である。

そして、この店は、元そいつの店。

弟子である大槻が引き受けた、というわけだ。

高嶋紅がこの事件に関与しているかは分からない。だがはっきりしている事はある。十中、いや百中九十五以上の確率で、大槻は黒だ。

「何ですか、警察の方が。 うちは極まっとうな店ですが……」

「ならば捜査をしても問題はありませんね」

「はあ……」

大槻は端整な顔立ちだったが、それを見ても何とも思わない私に、鼻白んだのだろうか。女をころっといかせる容姿に自信を持っていたのだろうか。まったく反応しない私に、拍子抜けしたのかも知れない。

かごめが手帳を見せて、ざっと中を調査。

羽黒は、監視カメラを見に行く。

そこに、とんでもない奴が姿を見せた。

ゆうかである。

唖然とする私に。頭を掻きながら、佐倉が謝る。

「すみません、何だか迷惑掛けます……」

「純ちゃん、どうして此処に!?」

「それはコッチの台詞だ……何しに来た」

「此処で、客が消えるって噂があるらしくて。 更衣室に入ったままずっと出てこないって噂があるから、調べに来たの」

さっそく更衣室に行こうとするゆうかの襟首を、佐倉がひっつかむ。佐倉が、後で説教しておきますと言って、引きずっていく。ゆうかは天敵である佐倉に逆らえない様子で、頬を膨らませながら、一旦言うとおりに、邪魔にならないよう隅っこに行った。

ああもう。

頭が痛くなってくる。

此奴がどうやって此処を嗅ぎつけたか分からないが、此処は危険だ。正直な話、すぐにでも追い返したいほどなのだが。

一回り店を見てきたかごめが、ゆうかをみて露骨に嫌そうな顔をするけれど。

ゆうかは、平然と一礼した。

「あ、この間はお世話になりました」

「そう思うなら帰りなさい。 今、捜査中よ」

「え、てことは都市伝説、本当なんですね!」

「どこで見つけたのよそんな都市伝説……」

代わりに謝る佐倉。

もうかごめも、佐倉が謝るのを見ていると、気の毒になったのだろう。とにかく見ておけと、佐倉に言い含めて、私に話を振る。

かごめは佐倉にはそれほど厳しくない。多分、ある程度気の毒な境遇で、色々苦労していることに気付いているから、だろう。

「店の中を見てみたけれど、独自ブランドだらけね。 値段はそれなり。 メッキの奴もあるけれど、値段は妥当よ。 少なくとも金として偽っているわけではないわ。 デザインは洗練されていて、流石にプロの仕事とは言えるわね」

「ふむ、その辺りは考えているという事だな」

「店の導線もそれなりに考えて作っているわね。 相当に金がある証拠でしょうね。 芸能界の有名人にも高嶋はコネがあるらしいけれど、その弟子の店となると、この繁盛も頷けるわ」

予算が足りない店だったりすると。

客の導線などを考えられずに、結果として売り上げを伸ばせないケースも珍しくは無いのだが。

此処は違う。

一流のデザイナーが、きちんと考えて作っている店だ。

しかし、そのオーナーが、援助交際中学生を食い荒らしているというのも、また皮肉な話。

すぐにはその話は出さない。

敢えてじらす。

警察が来ているという事に客は気づき始めたのだろう。少しずつ、店の客が減っていく。軽薄外道大槻も、捜査をしているこっちに、いい加減不安を覚えてきたのか。しばしして、此方に来た。

「あの、捜査はもうよろしいでしょうか」

「時に大槻さん。 貴方、この子に見覚えは」

「……さあ、知りませんね」

一瞬の間。

今見せたのは、行方不明になっている子の一人。

ちなみに、大槻と交際していたと口にしていた一人でもある。

続けて、志乃田真由美の写真も見せる。

やはり、一瞬の間がある。

「知っているようですね」

「し、知りません!」

「ならば任意同行願いましょうか。 貴方に未成年との不適切な関係複数と、更に誘拐の容疑が掛かっているのですが」

「ぼ、僕にはマスコミの知人もたくさんいる! こんな事をして、無事で済むと」

脅迫するつもりか。

ただ、此奴には今の時点で、怨霊は取り憑いていない。ということは、まださらわれた子達は殺されていないと言う事だ。或いは浄化されたか。いずれにしても、もう少し調べたい。

マスコミなんぞ怖くもないが、今の時点では此方にも決定的な切り札が無い。

さて、どうするか。

本当に任意同行で引っ張っても良いが。

もし誘拐をしていた場合、此奴だけでやっているとは思えない。証拠隠滅をしているケースが想定される。

羽黒が飛んで戻ってきたのは、その時だった。

「大変です! とんでもない画像見つけました!」

「小暮、そいつが逃げないように見張っていろ」

「オス!」

小暮に中学生援助交際男は任せておいて、羽黒に着いていく。そして、監視カメラ画像を見せられた。

写真で確認した峰岸紫音が映っているが。それが、更衣室に入ったきり出てこない。

そしてしばらくして。

別の客が更衣室に入り、そして普通に出てきた。峰岸紫音が、出てくる事は、何時間経ってもない。

なるほど、これは更衣室に何かあるか。

「かごめに連絡。 令状を取って貰え」

「分かりました!」

すぐに羽黒が飛び出していく。

真っ青になっている大槻に、今確認した映像のことを聞く。そうすると、逆ギレしそうに一瞬顔を歪めたが。

それ以上に凄まじい恐ろしさを誇る小暮が側にいるので、何もできず、俯くばかり。

此奴のような輩は。

自分より強い相手には敏感な立場だ。

「さて、峰岸紫音を何処にやった」

「し、知りません! 誰ですかその女の子は」

「紫音って名前は男でもあるんだが、どうして女の子と分かったのかな」

こんな簡単なミスを晒すアホに引っ掛かる女子とは一体。まあ所詮中学生だし仕方が無いかと思ったが。

中学生でも出来る奴は出来る。

私だって、中学生の頃には、もう怪異を拷問して、情報を引き出す方法を身につけていた。

「小暮、そのクズを抑えておけ。 私は店内を探す」

「オス」

「ま、待ってくれ!」

「客の皆さん、悪いが閉店だ。 この店主が、犯罪に手を染めている可能性が出てきたので、これより捜査する! すぐに出て行って欲しい!」

手を叩いて、客に呼びかける。

いそいそと店を出て行く客達。

中には、青ざめている店主を、ゴミでも見るように見ている者もいたけれど。どうせその端正なマスクを目当てに来ていた奴もいるのだろう。どっちもどっちだ。

ゆうかと佐倉が、騒ぎを見てこっちに来る。

丁度良い。

勘が鋭いゆうかは有用だ。

たまには役に立って貰わないと。

「ゆうか、あの更衣室だが、調べて見てくれるか」

「や、やめろっ! あれは!」

「黙っていろっ!」

私が一喝すると、恐怖に大槻は凍り付く。

このような輩、一喝で黙らせる程度の事は難しくない。

ゆうかは頷くと、佐倉と一緒に更衣室に。あれやこれやと調べ始める。すぐにかごめが来た。

礼状を持った上で、だ。

「さて、徹底的に調べさせて貰おうかしら」

かごめが、ばちんと大槻の目の前の棚に、礼状を叩き付ける。そして、一緒に来た警官が、大槻を連れて行った。

彼奴はどうでもいい。

何だかもの凄く嫌な予感がする。小暮と一緒に、更衣室の方へ。ゆうかはあれやこれやと更衣室を調べていたが。

何だ。

反応は、佐倉が早かった。

一瞬早く、ゆうかの襟首を掴んで、引き戻す。体ごと、二人で倒れるようにして、床にもつれた。

ゆうかは目を白黒させていたが。

私は、何が起きたか、気付いていた。

床が、一瞬消えたのだ。

しかも、この臭い。

血と、腐臭か。

小暮が、眉をひそめる。此奴も、霊感はしっかり持っている。この異常な空気に、勘付いたのだろう。

いや、此処だけじゃ無い。

更衣室の床が一瞬消えた直後から。

店内に、異常な空気が、漂い始めている。

これは怪異の気配だ。

「な、何事でありますか!?」

「今、床が消えたな。 羽黒、悪いが此処の図面と、それから地下への通路や階段が無いかを調べられるか」

「すぐに!」

羽黒が飛んでいく。

中々に動きが速い奴だ。新人として入ったばかりなのに、中々に動きが良い。かごめが、更衣室に堂々と踏み込むと、色々と調べ始めた。

「何かがトリガーになっている可能性が高いわね。 問題はどうやって床があくか、だけれども」

「大槻を連れて行った後作動した、という事は、奴が床を操作した可能性は排除して良さそうだな」

「監視カメラが臭いわね。 このカメラ、何処かからリアルタイムで監視できるようになっているのではないのかしら?」

数度、床を蹴りつけるかごめ。

最後の蹴りに到っては、恐らく相当に本気だったのだろう。ずんと、強烈な揺れが、こっちにまで来た。

だが、思った以上に、重い音が返ってくるばかり。

つまり、木製では無い。

非常に頑強な作りになっている、という事だ。

「気を付けろ。 下に何があるか分からん」

「分かっているわよ。 それに、此処での会話、恐らく聞かれているわね。 さっき見たところだと、地下への階段は無かったし、最悪爆破しようかしら」

「何だ、店内はあらかた確認済みか」

「ええ。 地下への階段は無いわよ。 エレベーターはあるけれど、此処が最下層」

となると、だ。

エレベーターで地下へ行く特殊な操作をするか。

それとも何処かに地下への階段が隠されているか、だろうか。

いずれにしても、急がないとまずい。

更衣室の床を、何度か蹴ってみる。

私の蹴りではブチ抜けそうに無い。

小暮がフルパワーで蹴り込んでも無理だろう。

細工つきの床は強度が脆くなるものなのだが。これは恐らく、相当な特殊強化をしている。

私もかごめも、小暮も人間だ。

人間のパワーでは、どうしても破れそうに無い。

「そういえば、今高嶋紅は何をしているか知っているか?」

「引退して、悠々自適と聞いているけれどね。 この様子だと、どうにも怪しいわね……」

「かごめ、大槻の尋問を頼めるか」

「……良いでしょう。 こっちは任せるわ」

かごめが店を出る。

小暮が襟を直したのは。

気付いているのだろう。戦闘になる可能性があるという事に。

何しろ、そもそも連絡が来て、此処にいるのだ。つまりそれは、そういうことである。奴らが関与している可能性が高い。

ひょっとすると、そもそも。

失踪事件さえも、最初から上部組織が割り出さなければ、表にさえ出なかったのかも知れなかった。

「小暮、手分けして店の中を調べるぞ。 佐倉、ゆうかを見張っておいてくれ。 できれば店の中から出てくれると助かるが」

「えー! やだ!」

「馬鹿、我が儘言うな。 すみません、此奴はあたしが外に連れて行きますんで」

「そうしてくれ」

佐倉がゆうかを外に引っ張っていく。

それにしても、さっきもし下にゆうかが落とされていたら。

どうなっていたのだろう。

店を、隅から隅まで調べる。

警官数人が入り口を固めている状態だ。店から何かが脱出する事は難しい。念のため、式神達も放っているのだが。

皆が小首をかしげる。

床を抜けられないというのだ。

「何か、強力な封印のようなものが施されています」

白蛇王が言う。

今回、天狗と猿王は連れてきていない。これほどの面倒な事態になるとは思っていなかったからだ。

私も床に触れてみるが、微妙に遠くてどうにも感知しづらい。

この辺りは、肉体があるものの限界か。

イライラしているところに、電話が鳴った。

羽黒からだった。

「大変です、風祭警部!」

「どうした」

「恐ろしい事が分かりました。 この辺り一帯、店舗十軒以上が、そもそも高嶋紅の所有物になっています! それぞれはレンタル店舗ですが、そもそも地下空間は連続した巨大空間になっている様子です! 一辺百メートル以上の巨大地下空間がある可能性が!」

「な……」

そういうことか。

此処から、地下へと行けないわけだ。つまり、何処かしら、この辺りの店舗の何処かからか、地下へと行く仕組みになっているのだろう。

面倒な。

よくもまあ、此処まで面倒な仕組みを考え出すものだと、呆れてしまったが。しかしそれで、ある程度はっきりした。

「どの店舗に、地下への入り口がありそうかは分かるか」

「今、図面を取り寄せ中ですが、何しろ店舗数が多くて……!」

「くそっ! まずいな」

このまま放置していると、誘拐された者達が何をされるか知れたものではない。いや、既に遅いかも知れない。

式神を、散らせる。

手持ちは全部だ。

周囲の店を調べさせて、地下行きのエレベーターが無いか確認させる。階段も、である。

此処は、時間との勝負だ。

もたついていると、犯人を逃がす可能性も高い。

焦る私の所に。

ニセバートリーが戻ってくる。

相変わらず、有能な使い魔ぶりを発揮するニセバートリー。此奴、成長していたら、とんでもない大怪異になっていたかも知れない。

「近くの空き店舗、何だか妙よ! 人が出入りしてる形跡がある!」

「小暮、行くぞ」

「オス!」

人員は足りないが、仕方がない。

此処は、踏み込む。

外では、佐倉が、ゆうかに拳骨をくれていた。何か説教していたが、今は構っている暇が無い。

走り、私は呟いていた。

間に合ってくれと。

 

3、闇宵の場所

 

使われていない筈の貸店舗は、確かに人が出入りしている形跡があった。埃も積もっている中、足跡が続いている。

種類は複数。

一つは男性用の靴。

もう一つは、足跡からして、恐らく老人だろう。

高嶋紅か。

可能性は、否定出来ない所だ。

しかもこの貸店舗、わざわざ二階である。二階から、複雑な経路を伝って、地下へと階段が延びている。

途中、電子ロックのかかった扉があった。

これでほぼ確定だろう。

「小暮、ブチ抜け」

「オス!」

小暮が、勢いよく、扉に突進し。

そしてぶち抜いて、扉ごと向こうへと転倒した。丁度、この辺りが地下になっている筈である。

濃厚な血の臭い。

通路が続いている。流石に、百メートルの巨大空間と言う事は無く。通路が奥まで続いている様子だ。

こんな違法建築、よくできたものだと感心したが。

相手は芸能界などにもコネを複数持っている大物。どれだけ大がかりな違法建築でも、札束で業者の横っ面をはたけば、どうにでもなるか。

天井には、灯りが切れかかっている蛍光灯。

嫌な予感しかしない。

そして敵は、既に侵入に気付いている筈だ。

一応突入前に、かごめと羽黒には連絡してある。今は一刻を争う状態だ。警官の増員も、これ以上は期待出来ない状況。私と小暮で突入するしか無い。もしも私達が戻らなかったら、そういうことだとして、動いてもらうしかない。

一応警官は一人だけ連れ出せたが。

空き店舗の入り口を見張って貰った。

あとからゆうかが潜り込んだり。

此処から誰かが脱出するのを防ぐための措置である。

かなりの手練れなので、不覚を取る事は無いだろうが。充分に気を付けること、いざという時はすぐに連絡するようにとは告げてある。

通路は一本道で。

ブティックの方へと、ずっと続いている。

時々、蛍光灯が、嫌な音を立てて明滅。

長い間、交換していないのだろう。

辺りには。不思議な事に、浮遊霊も悪霊もいない。普通こういう雰囲気満点の場所には、自然と集まってくるのだが。

先の、妙な封印のせいだろうか。

白蛇王でも通れないとぼやいていたくらいだ。悪霊も、中々入ってこられないのだろう。

後方を式神達に見はらせて、私は奧へ。小暮は、青ざめていた。此処の濃厚な怪異の気配、尋常では無い。

そもそも外に出られないのだから、籠もるのも当然というのだろうが。

にしても、此処には何がある。

誘拐された子らが此処にいるとなると。非常に面倒な結末しか見えてこない。

壁に張り付いて歩きながら、廊下を行く。

やがて、最深部に到達。

ドアがあり。その奥には、相応に広い空間。

そして、衣擦れの音。

何かがいるのは確実だ。

「突入するぞ」

「オス」

小声で会話すると、まず小暮が中に。そして、私が遅れて突入した。

其処は、見るもおぞましい空間だった。

恐らくあのブティックの、更衣室の真下なのだろう。天井に、一カ所だけ色が違う箇所があり。

その下には、水が入ったプールのようなくぼみ。

そのくぼみにたまった水は赤く染まり。

何より周囲の異常な光景が、思わず口を押さえさせるに充分だった。

散らばっているのは、人間の手足。いや、マネキンだろう。少なくとも、それらに何か生々しい質感は無い。

奧に飾られている肖像画は、誰だろう。

美しい女性に見えるが、それにしても表情が異常だ。目がうつろで、何よりも笑みが狂気を孕んでいる。

そして、その絵の下には。

手に斧を持った女性がいた。

「人の家に土足で上がり込むとは、失礼な輩だね」

「凶器を捨てて投降しろ。 さもなくば撃つ」

「ふん……」

しらけた様子の、フードを被った女。声はかなり老け込んでいる。高嶋紅か。いや、そうとも限らない。

この血の臭いは、どこから来ている。

ふと、気付く。

うめき声のようなものが聞こえてくる。

壁際。

其処には、小暮が見たら、気絶しそうな代物が、並べられていた。

全部で四つ。

大きなツボがあり、そこから顔だけ出ている。いずれもが、行方不明になった中学生に違いない。

皆呻きながら、何か此方に訴えようとしているが。

口を縫われているらしく、意味がないうめき声を上げるばかりだった。

そうかそうか。

其処まで私を怒らせたいか。

「どうやら、誘拐犯は大槻で、糸を引いていたのは貴様か」

「だったら?」

「誘拐および暴行傷害の現行犯で逮捕する」

「ふふん、できるものかねえ」

わざとらしく、大きく音を立てて指を鳴らす老婆。

大きな部屋の左右にあった扉が開き。其処から、うめき声を上げながら。十人以上の人影が現れる。

小暮が、私を後ろに庇う。

いずれもが、手に斧を持ち。

そして、まともな目をしていなかった。

何よりも、気付いたのは。

それらの何人かの手足に、何か縫ったような跡があること。まるで、手足を継ぎ足した、フランケンシュタインの怪物のように。

全員が女性だが。

いずれもが下着姿で。もはや、まともな精神を持ち合わせているとは思えなかった。

「……。 此処で何をしていた」

「警官だろうが関係無いね。 今まで殺した人数から考えれば、何も問題は無い。 何より私の後ろには、警視庁のキャリアもついている。 一人や二人殺したくらい、簡単にもみ消せるんだよ」

「ほう……後で詳しく聞かせて貰おうか」

「すぐ死ぬのに、そんな時間があると思うかァ!」

老婆の絶叫とともに、一斉に襲いかかってくる異常な風体の女達。いずれもが髪を振り乱し、目を赤く染め、もはや人間とは思えない。

だが、だからこそ。

私は、鼻を鳴らす。

印を切る。

そして、一喝した。

「喝!」

部屋が。密閉されているから。

逆に音が逃げることが無い。

それが故に、辺りで乱反射した私の一喝は、それら女の壊れきった、もはや人間ではなくなっている精神を、徹底的に破壊した。

瞬時に倒れ伏す女達。

呻き、口から泡を吹いているそれらは。

恐らく、このカルト教団の、信者達とみて間違いなかった。

「先輩っ!」

人間とは思えない動きで、フードの老婆が後ろに回り込んできていたのに気づき、飛び退く。

妙なプールに落ちかけたが。

その中に沈んでいるものをみて、思わず呻く。

それは腐敗した人間の手足。

此処は、尋常じゃない空間だ。狂気しか存在しない。どのような怪異でも、此処までの狂気は、そうそうに帯びられるものじゃない。

老婆の斧は私の髪を数本散らす。

血がこびりついていて、非常に不潔そうな斧だ。掠るだけでも感染症の危険がある。

小暮が老婆に躍りかかると、斧を持っている手を掴み、投げ飛ばす。

コンクリの床にたたきつけられても、老婆は平然としていて、斧を手放さない。さっきの一撃にも耐え抜いたという事は。

此奴は、怪異が遠くから操作しているタイプか、それとも。

「きええええっ!」

甲高い絶叫を上げる怪老婆。

何とか小暮は斧をはじき飛ばすが。老婆はその小暮を蹴り飛ばし、拘束を外して脱出する。

これだけでも驚異的だが。

まあ、以前此奴と似たような身体能力持ちとは何度か交戦している。しかも、毎度何かしら面倒な能力を有していた。

だが、怪異の力を借りていることが明白なら。

それさえ暴いてしまえば後は何の問題も無い。

フードが外れると。

老婆の顔が露わになる。

小暮が小さく悲鳴を上げたが、それは無理もないだろう。無茶な整形をして、顔が歪んでいるのが明かな有様だったからだ。

もはや、人間の顔をしていない。

完全に崩壊してしまっている。

高嶋紅は、それほど極端に醜い女性では無かったはずだが。

これは、どういうことか。

後ろの絵が気になる。

私が拳銃を抜き、絵に向けると。老婆は即座に反応。飛びかかってくる。タックルを浴びせて、老婆を吹っ飛ばす小暮だが。吹っ飛んだ老婆は、壁に叩き付けられても、平然と立ち上がってきた。

「見覚えが無い女だな。 その絵画は誰だ」

「私の理想の女性だ」

「ほう?」

「だから、私の信奉者達を使って、実験をして来た。 理想的な部品を集めるために大槻を使い。 理想的な部品を持っているノータリンから。 信奉者へ移植して、美しくなるための準備をしてきたのだ」

それで、ダルマか。

なるほど、理由がよく分かった。

まだみずみずしい中学生の肉体だ。どれだけエゴまみれで、遊ぶ金ほしさに体を安売りするような女でも。

若いと言うだけでその体には価値がある。

だから、部下であり、完全に洗脳済みの大槻を使って。適当な「パーツ」を持っている女を集めさせていた。

そして信奉者を使って移植実験をして。

実際に、どれだけ美しくなることができるか、確かめていた、というわけだ。

周囲に倒れている連中を一瞥。此奴らが、私の一喝で倒れるわけだ。カルトを通り越して、これはもはや完全に精神が人間を逸脱してしまっている。

だが、それならば、何故。

あの老婆は、私の一喝に耐えた。

今の絵に対する反応。やはり、そういうことか。

一喝でこわれなかったと言うことは、怪異ではないと見て良い。そうなると、狂信の根元があの絵と見て良い。

ならば。

周囲に落ちているマネキンの腕を素早く拾い、絵に投げつける。即反応した老婆が、マネキンの腕をはたき落としたが。

次の瞬間、跳躍した私が、絵に蹴りを叩き込むと。

それこそ、老婆は喉が破れるような悲鳴を上げた。

「やめろっ! オルレア様に無礼な真似はゆるさん!」

「そんな名前の奴は聞いたこともないがな」

「黙れっ!」

絵はまだ壊れきっていない。

だから老婆は、まだ飛燕のような機動力を発揮して、私ののど元めがけて躍りかかってくる。

小暮が飛びつくと、巨体で押さえ込む。

私は頷くと。

聞いた事も無い女の絵を、更に踏みにじった。

絵そのものを守っていた強化硝子が砕ける。この程度の強度だったら、踏み砕く事だって出来る。

そしてもう一撃。

歪んだ狂気にほほえんだ女の絵が。

顔面を踏み破られた。

絶叫する老婆が、止めろと叫ぶ。そして、そこからが、本番だった。

動かなくなる老婆。

周囲の狂信者達。

そして、部屋の真ん中にあるプールから、凄まじいまでの邪念が立ち上り始める。

此奴が、怪異の本体、と言うわけだ。

どうやって私の一喝に耐えた。

一瞥して、なるほどと気付く。

ガラスそのものが、私の渇を防ぎ抜いたのだ。なるほど、考えているではないか。このカルト教団そのものがずっと前からあったのは恐らく事実だろうが。私に対策して、このような手を打ったのは、恐らく最近の筈だ。

だから、連絡が来た。

「私の、顔に、よくも……」

「せ、先輩……」

「できるだけ気絶している奴らを部屋から引っ張り出せ」

「オス!」

老婆も、もうあの化け物のような機動力は発揮できないだろう。

部屋の中央からわき上がってくるもやは。真っ黒で。それが、情念を形にしたものだという事ははっきりしていた。

腐敗した手足そのものが、此奴らの信仰の源泉で。

それによって作られた、源泉より生じた邪神。

つまるところ、このカルト集団にとって、この腐りきったおぞましい泉こそが、神託の聖泉というわけだ。

絵の中に怪異を具現化させるトリガーがあったのも、納得がいく。

いもしない理想の女を作り出して。

それに近づこうと、すっかり容姿が衰えたり。容姿を美しくしたいと考えた者達が。そろっておかしな思想にはまった。

それを始めたのが、タダの人間だったら問題なかっただろう。

問題だったのは、高嶋紅という、超有名人だったこと。

それが、被害を。

否応なく拡大させていったのだ。

「殺してやる……! 私の美しい顔を返せ!」

具現化していくそれは、無数の手足が生えた、おぞましき肉塊としか形容がしようがない。

更にその真ん中に、先ほどの絵の顔があるのだ。

生半可な肉塊だけの怪異よりも、遙かにおぞましい姿をしていた。

手足だけは、どれも白くて美しい。

それもまた、おぞましさを助長させるだけ。

どうして、これほどの技術を持つデザイナーが。

このようなおぞましき闇を育ててしまったのか。

それについては、後回しだ。どうでもいいし、今はこの怪異を潰すのが先。

金切り声を上げながら。襲いかかってくる巨怪。

鼻を鳴らすと、私は。

一歩早く踏み込んで、その顔面に拳を叩き込んでいた。

部屋の反対側まで吹っ飛んだ化け物は、コンクリの壁にめり込み、無様すぎる悲鳴を上げる。

プールを避けて歩きながら、私は一撃で戦闘力を喪失した怪異に対して、ゆっくり話しかけていく。

「怪異ってのはな。 正体を暴露された時点で終わりなんだよ。 ましてや対怪異特化の私に、その状態で勝てると思うか」

「う、あげぐ……」

「てか、お前、哀れすぎる存在だな。 いもしない理想の醜い結実がこれか」

海外の映画だが。

永遠の美貌を願った結果、おぞましい不老不死が実現してしまい。最後にはあまりにも惨めな結末を迎えるものがあったけれど。

これはそれ以下だ。

何しろ、その美しさを、他人から奪って、このようなおぞましいものを作り上げてしまったのだから。

実際問題、手足を奪って移植していた連中だって、その移植が上手く行っていたのかさえ良く分からない。

いびつ。

そうとしか、言いようが無い状態だった。

無造作に、壁に突き刺さっている怪異を引っ張り出すと、床にたたきつけ、頭を踏みつける。

蠢いている手足を掴むと。

一本ずつ、引きちぎった。

その度に、悲鳴を上げるが。

それこそ作業をするだけだ。

順番に、むしっていく。

「で、お前。 此処までになるのに、何人を犠牲にした」

「た、たしゅけ……」

「吐け」

電撃。

悲鳴を上げるおぞましい肉塊。手足の何本かが、黒焦げになって、根元からはじけ飛んだ。

「其処でダルマになってる四人だけでは無いな。 何人だ」

「は、八人」

「嘘をつくな」

更に電撃。五十倍。

悲鳴を上げて絶叫した怪異が、破裂して。更に小さくなっていく。

だんだん、人間に近い姿になっていくけれど。

その姿は、小さくて、哀れで仕方が無かった。

「し、知らない。 十人以上……」

「嘘をつくなと言っているだろうが」

踏み砕く。

体の真ん中を踏み砕かれた肉塊は、のたうち廻りながら喚いたが。正直どうでも良い。更に電撃を流すと。

もがいていた化け物は、やっと静かになった。

「吐きます。 お許しを、お許しを……」

「で、何人だ」

わずかなためらい。

いや、違う。

思い出せないだけだ。

つまり此奴らにとって、人間の命とは、その程度の存在だという事だった、と言うわけだ。

何が有名人だ。芸術家は己の心を作品に叩き込むものだが。それが善人だとは限らないし、むしろ変わり者ばかりだと言う事もよく分かっている。

だがそれにしても。

高嶋紅は、外道だった、という他ないのだろう。

或いは、長い時間掛けて、外道に代わっていった、と言うべきか。

「知っている限りでは、十三人……」

「大槻が集めたのか」

「それだけじゃあありません。 信奉者の中には、自分の娘を差し出したり。 或いは途上国から、人間を買ってきた者もいました。 ビザで働きに来たものをさらったりしたケースもありました」

鼻を鳴らす。

そして、それらだけでは立ちゆかなくなって。

ついに、攫ってもすぐには問題にならなそうな。

援助交際しているような、不良少女に手を出し始めた、と言う訳か。実際、大槻の手腕と嗅覚は大したものだ。此処まで、問題にならずに、多くの子供を拉致することに成功したのだから。

「其処の四人以外はどうした」

「奧にまだ何人かいます。 ですが、それ以外は……海外の見世物小屋や変態金持ちに売り飛ばしたようです。 そういう専門業者が存在するようでして……日本人は流石に売れなかったようですが……それと死んでしまった者もいるようです……」

「それでお前は、満足したか」

「……分かりません。 私を信仰していた者達は、少なくともそれで美しくなったつもりでいたようです」

もう言葉も無いか。

まあいいだろう。

後は、かごめの仕事だ。

更にもう一撃蹴りを叩き込むと、怪異を完全に浄化する。そして、白蛇王のエサにした。此奴は外に永遠に出さなくて良いだろう。

此処までのクズとなると。

もはや、外に出すこと自体が、唾棄すべき事だ。

永遠に地獄を彷徨うと良い。

警官隊が来た。

あまりにも凄まじい有様に、息を呑む者。そしてプールの内容を見て、吐きそうになるものもいた。

多分、気絶している連中を運んでいった小暮が、外で待っていた警官に状況を説明、増援を呼んだのだろう。

ここからが、面倒だが。

もはや、事件そのものは、解決したと言っても良かった。

 

4、妄執

 

オルレア。

そのような存在は、調べて見たが、やはり存在しなかった。

似たような名前の殺人者はいたが、とてもカリスマになるような存在ではなかった。というか、特徴が一致しなかったから、別人と考えて良いだろう。やはり、いもしない存在だったのだ。

誰かが高嶋紅に吹き込んだのか。

高嶋紅が、存在しない者を、妄想で造り出したのか。

それはもはや分からない。

「奴ら」が関与していたのは、確実だが。何処まで、どのようにして関与していたかは、今回も割り出せなかった。

手強い相手だ。

しかも、此方に潰されることを想定して、強度実験までしている節がある。一瞬たりとも油断できる相手では無い。

高嶋紅は、おぞましいまでの姿になっていた。

高齢になってから無理に整形を繰り返した結果、顔面は完全に崩壊。若い頃とは似ても似つかない、もはや表情筋さえまともに動かせそうも無い、おぞましい顔へと変わり果てていた。

それは完全に自業自得の結果だが。あまりにも哀れすぎるのも事実だった。

元々、高嶋紅は、資産家の出身。

特に美貌の持ち主でもないのに、周囲からはもてはやされて育ち。

「美しい」と錯覚した自分を更に引き立てるために、アクセサリ造りを始めた様子だった。

そして幸か不幸か。

英才教育の賜か。

高嶋紅には、アクセサリデザインに関してだけは、本物の才能があった。そして、それを引き出せた。

最高クラスの教材と、教師に恵まれたというのもあるのだろう。だが、才能があると信じて、努力を重ねたことも、事実なのだろう。実際、どんな天才でも、努力をしない奴なんていないのだから。

かくして、高嶋紅は、デザイナーとして超一流の腕前にまで登りつめた。

元々、相当な資産家で、コネがあった、というのも大きかったのだろう。

時代の寵児となり。

アクセサリ業界の、重鎮にまで上り詰めた。

芸能界にも大きなコネを造り。政治家や警察にまで、強力なコネを持つに到った。

だが、ある時。

気付いてしまったのだ。

いつのまにか、自分が醜く老い衰えている事に。

違う。

最初から、美しくなどなかった。

だが、ある程度年を取ると、流石にどの男も、おべんちゃらを使う事は減ってくる。そして、何処かで、鏡を見ていて、気付いてしまったのだろう。

自分が美しくない事に。

どれだけアクセサリで自分を飾り立てたところで。

手など打ちようが無いことに。

人は美しく老いることだってできる。それは私も知っている。

だが、傲慢と傲岸に満ちた考えで生きていけば、そのような境地に達することなど出来るはずもない。

誰から見ても。

ナルシストであったろう自分でさえ。

分かるほどに、醜く老いた。

恐怖に絶叫した高嶋紅は、崖から落ちるようにして。狂気に落ちていった。

無茶苦茶な整形を繰り返し。更にその姿は、氷砂糖が水に溶けるようにして、崩壊していったのだ。

元々、自分の周囲には、イエスマンしかいないような有様である。

そのイエスマン達が、カルト教団に等しい高嶋紅の組織で、異常な行動を行い始めるのに、さほど時間は掛からなかった。

彼らは考えたのだ。

高嶋紅の美しさを取り戻す。

そのためには、まず自分たちを美しくする。

そして、そのためには。

若くて美しい肉体と。自分たちを取り替えれば良い。

高嶋紅の信者には、医師もいた。

その医師も、思考停止してしまっており。高嶋紅がいうがままに。上手く行きもしない移植手術を行うことを同意。

必要な肉は。

信者が集めたり。

或いは、大槻が、適当なのを見繕って。

神に等しいと彼らが考えている高嶋紅の元へと。捧げたのである。

かごめが高嶋紅と、大槻から引っ張り出した情報が、以上のようなものだった。壺に入れられ、生体維持装置をつけられていた女子中学生達は救出されたが。全員が精神崩壊を起こしており。しかも全員が、手足全てを切りおとされていた。

悲惨すぎる姿だったが。

その親達はと言うと、ある意味無感動だった。少なくとも、我が子の悲惨な姿を悲しむ者はいなかった。

ある者は叫んだ。

どうしてくれる。これで医療費が余計に掛かってしまう。

もっと早く助けていれば、無駄な医療費が掛からなかったのに。

私も、流石に口をつぐんだ。

この世は地獄である事は知っていたが。私としても、ここまで来ると、呆れて言葉も出なかった。

これは、人災だ。

誘拐事件を行った、高嶋紅とその手下共が一番悪いのは当たり前だ。それにもはや情状酌量の余地は無い。

だが、さらわれて。手足を切り取られた子供達はどうなのか。

彼らを非行に走らせたのは。

誰だったのか。

勿論非行に走った彼女らも悪い。だが、それ以上に悪いのは、一体誰なのか。

かごめが、非常に不機嫌そうな顔をして戻ってきた。モンペの一人が、警察に来たらしいので。

その場で徹底的に論破して、心をへし折ってやったらしい。

泣きながら帰って行ったそうだが。

かごめが本気で叩きのめしたとなると、自殺でもしないか心配だ。まあ、モンペというのは基本的に図太いし、何より死んだところで社会に何の影響も無いか。

酷い事を考えていると自分でも思うけれど。

あの子供達の様子を見て、まずどう金をふんだくろうか、などと考えている時点で、人間と呼ぶべき相手では無い。

獣以下だ。

「警察のキャリアにも、高嶋紅を庇おうというものはいないわね。 今のところ、横やりは入っていないわ」

「上部組織が手を下したのかな」

「いや、違うわね。 今回の件、あまりにも衝撃的だったでしょう」

ちなみに、情報は即座にネットに流れた。

というか、ゆうかに協力させて、私が流させた。

結果、高嶋ブランドは即座に崩壊。

株は紙くずと化し、会社は瞬時に潰れた。

コネを持っていた連中は、あまりにも凄惨な事件に大炎上している状況を見てか、口をつぐみ。

コネを持っている筈の政治家も。

財界の大物も。

警官も。

誰もが、高嶋紅を助けようとはしなかった。

何しろ、十三人の手足を切りおとし。カルト教団まがいの集団を作って、それぞれに手足を移植するという異常すぎる奇行を行っていたのだ。

「見捨てられたのよ、あの老人は」

「クズ同士仲良くすればいいものを、案外薄情なものだな……」

「まったくね」

編纂室に歩きながら、軽く話す。

大槻は全てを高嶋紅に押しつけようと必死になって証言をしている様だが。ダルマになって精神崩壊していた子供達の中に。少しずつ、正気が戻っている者がいるらしい。人見が接見して、話を聞きだしたそうだ。

また、大槻と関係を持っていた人間を、捜査一課が割り出し。

聴取を行ったところ、被害者の証言と一致した。

つまり誘拐幇助成立である。

それも、大槻が関与しただけで八件。まあ、多分間違いなく牢屋から一生出てこられないだろう。

高嶋紅もそれは同じだ。

高嶋家は、早々に紅との縁を切ったらしく、この件については知らぬ存ぜぬを貫いているらしいし。

誰もかもが、洗脳から解けた瞬間。

「カリスマ」を見捨てたのである。

電話が掛かってくる。

はとりえりさからだ。

少し話を聞きたいと、メールを送っておいたのである。向こうは忙しいだろうから、電話口からだが。

高嶋紅は、芸能界の深部に食い込んでいた。当然、えりさもその辺りは知っているだろう。

「高嶋さんですが、そういえば最近はずっと姿を見せなくなっていましたね。 付き人の人らしい方々は、時々テレビ局の偉い人と接触していたみたいなんですけれど、みんな手足の動きがおかしいとかで、噂になっていたみたいです」

「そうか。 で、真相は聞いているか」

「ちょっとだけ。 あまりにもひどい事件ですね……」

「他にも、知っているだけ、聞かせて欲しい」

えりさは幾つか話してくれたけれど。

それでも、重要な情報はない。ただ、時間を割くだけの意味はあった。何しろ、高嶋紅と直接コネを持っていた奴については、特定出来たからだ。

今後マークしていくことで。

「奴ら」を牽制できるし。何より、この国の膿を出すのにも役立つだろう。

電話を切ると、かごめが肩をすくめた。

「それで、どうするの」

「高嶋紅はいい。彼奴は放置しておいてももう死ぬまで牢から出られん。 これ以上まともな情報も引き出せんだろう。 問題は、一体今回の事件で、奴らが何を狙っていたか、だ。 かごめ、どう思う」

「ありもしない幻想を主体に信仰を造り出すケースは古代から枚挙に暇が無いけれど、今回のケースは確かに妙ね。 実験だったのでしょうけれど、一体何の意味があるのかは、私も知りたいわ」

そう、実験だったのだろう。

編纂室に到着。

羽黒が、なにやら知識を披露していて。

小暮が頷いて、それに感心していた。

今回の事件で、羽黒は後方支援要員として、非常に手際よく動いてくれた。初仕事でこれだけ動ければ充分だ。事件の解決のために、今後は小暮に不慣れな支援をさせなくても良くなるだろう。それは大変に喜ばしい事だ。

適材適所。

それさえ、今まではできなかったのだから。

自席に着くと、少し考える。

完全に新しい信仰で。

どう考えても類例が無い怪異だった。

無数の死体を継ぎ合わせて作ったという点では、がしゃどくろが近い気もするが。あれは古い怪異で、それも大仰な設定の割りには、それほど危険に人々を襲う怪異ではない。フランケンシュタインの怪物がもっと近いか。

だがあれはそも小説だ。

それと、証言から出てきた、部下達の暴走も気になる。

彼女らが、崇拝する高嶋紅のためにと、狂気的な発想に到っていったのはよく分かったし、納得もしている。

だが、その過程が妙では無いか。

どうして他人のパーツと、入れ替える事を思いついた。

オルレアという人物が、そういう設定だったらしいのだが。

それにしても、外科医も混じっていたとは言え。

どうして無茶な手術を無理矢理行い。

それで上手く行っていたのか。

この辺りの技術に、奴らの力が及んでいたのか、それとも。

人見から連絡が来る。

逮捕された狂信者達の手足だけれど。逮捕されて間もなく、皆腐れ落ちてしまい、切断を余儀なくされたという。

勿論被害者への再移植も不可能だ。

逆に、どうして今まで動いていたのかが、不思議でならないという。

人見によると、そもそも適合するはずの無い無茶な手術で。普通は血が通うことさえないそうだ。

腕組みして、考え込んでしまう。

本当に一体。

彼処では何が起きていたのか。

実際に、あの狂信者達は。

動きがおかしいとは言われながらも、手足をきちんと動かしていた。不格好ではありながらも。

歩くことも、普通にこなしていた。

ならば、何が起きていた。

本当に、一体。

彼処は何だったのだろう。

「精神論では無理な段階まで進んで行ってしまっている状況だな。 人見、お前はどう思う」

「さてね。 あまりにも非常識すぎて、もう理解が及ばないわ。 どんな措置をしたって、つながる筈も無い手足よ」

「そうだろうな……」

色々とおかしいが。

それよりも、もっとも気になることがある。

あれだけの回数、手術が上手く行っていたのなら。

どうして高嶋紅は。

手足を交換していなかった。

ふと、思い当たると。

私は、一人で、高嶋紅に会いに行くことにした。

 

厳重に拘束された高嶋紅は、狂気を孕んだ目で、じっと此方を見ていた。王国を崩壊させた私に、恨みの全てをぶつけている印象だが。そんなもの、なんでもない。

というよりも、この程度の恨み。

今までに浴びた恨みに比べれば、そよ風のようなものだ。

「許さない、許さないよ! 私の王国を! 美の楽園を!」

「自分が美しくない事など、もう分かっているくせに」

「これから美しくなる所だった!」

「手足だけでは無く、顔も取り替えるつもりだったのか」

そうだ。

高嶋紅は吼える。

この壊れてしまった顔を捨てて。

まだ若いと言うだけで価値がある肌を移植する。そうすれば、昔の美しい顔を、取り戻せるのだ。

そう叫んだ高嶋紅。

私は、ガラスの向こう側から、鼻を鳴らした。

「そんなものはどうでもいい。 個人的には、貴様の信者の名簿を見ていて気になった事がある」

「なんだあ!」

迫力だけは大したものだ。

伏魔殿である芸能界や財界の上層部とコネを作っていただけの事はある。妖怪婆とは、此奴のためにあるような言葉だ。

しかし、あの怪異を潰した時点で。

此奴から、常識離れした力は失われてしまっている。

今は、ただ暴れ狂っている、普通の老婆に過ぎず。

それも、もう永くは生きられない。

「お前のためと称しながら、手足を切り取って入れ替えるという発想が、そもそもまともじゃあない。 最初からお前の信者には、まともじゃ無い奴が混じっていたんじゃないのか」

「知るか! 私の手下達は、みな私の美に魅せられて集まったのだ!」

「それはない」

「何だと……」

フイに、相手に見せる。

若い頃の、高嶋紅の写真。

そう。

自分は美しいと思い込んでいた頃の、高嶋紅の写真だ。

それをみて、急激に青ざめていく高嶋紅。

そうだ。

一度顔を壊してしまったから、気付いたはずだ。その後、高嶋紅は、昔の美を取り戻したいと考えた。

何しろ、存在もしない人物を、精神の支柱に据えていたような女だ。

その妄想で、過去の自分を際限なく美化していたのは間違いない。

ならば、何も偽りの無い自分をもう一度見せれば、どうなるか。

完全に停止した高嶋紅に。

更に容赦なく事実を突きつける。

「これが現実だ。 お前に近づいてきていた奴らは、最初から「自分が」美しくなりたいと思っている奴らだったんだよ。 カルト的な空気によっておかしくはなっていたけれど、それでも手術を自分たちが優先的に行っていったのを見て、おかしいとは思わなかったのか? 献身などでは無いぞ。 あれはお前をダシに、何処かでは考えていたんだ。 自分が美しくなるのに、利用すれば良いと」

「あ、ああああああ、あああああああああ!」

「仮に顔を無理矢理変えても、腐れて落ちるだけだったが、先に言っておこうか。 お前の腐りきった性根にふさわしい顔が、今のお前の顔だ」

完全に壊れた絶叫を、高嶋紅が上げる。

鏡を見せてやったからだ。

悲鳴を上げて暴れる高嶋紅を、面会に立ち会った警官が押さえて、連れていく。まあこれでいいだろう。

この様子なら、裁判の頃には、すっかり憔悴しきって。

碌な事も言えないに違いない。

それにしても、だ。

自分を美しいと思い込んでいた愚かで哀れな金持ちと。

その周囲に集ったゲス共。

カルト教団を作り上げていった彼女らは。

どれもが結局の所。

自分の事しか考えていなかったのだろう。

だが、それだとまだ疑念が残る。何だあの怪異は。私が最初に一喝を入れたときにも、現れる事は無く。

絵を壊して、初めて実体化した。

それまで彼奴は、何処にいた。

高嶋紅の妄想の中か。

嫌な予感がする。

怪異は人の言霊が造り出すものだ。だが、言霊さえないのに、怪異が造り出されるとしたら。

そしてそれが実験として成功していたのなら。

ひょっとして高嶋紅は。

そもそも実験終了と同時に、捨てられたのではあるまいか。だから、今回は、終わりの後、妙なほどのスムーズな解決に到った。

誰も横やりを入れてこなかったのは。

それが理由だったのか。

もしそうだとすると。

私は、まだ、相手の掌の上にいるのかも知れない。壁に拳を叩き付ける。一体、この世界は、どうなろうとしているのか。

 

5、その後

 

再調査のため、私は大槻が経営していたブティックの跡地を訪れていた。

高嶋紅の会社が破産したため、そのテナントを借りていた者達は、皆店を畳んで出て行った。この辺りにあった店舗は、みんな既にすっからかん。

そして裁判のために。

警官が数人残って。店の中を、徹底的に調べている所だった。

それに混じって、ハイエナ共が店の備品を買いたたきに来ていたけれど。

これは恐らく、高嶋紅の家族の差し金。

何処までもどうしようもないクズ共だ。

こういう奴らが、高嶋紅のような化け物を育ててしまったのだろう。

警官に敬礼して、何かあったか聞く。

そうすると、妙な答えが返ってきた。

「地下を調査しているチームが、妙なことを言っていました。 何でも、沈んでいた手足の残骸の数が。 切りおとされたと証言されている手足よりも、多いと言うのです」

「実際にはもっと多くがさらわれて、手足を切りおとされていたのではないのか」

「いえ、それが……」

妙なのだという。

それらのあまり分の手足は。

どうにも切り口が雑で。

奴らがやっていた手術で、用いられたとは思えないというのだ。

そもそも、あのプールもおかしいという。

水を抜いて確認した所。

地下とは言え、虫の一匹も湧いていなかったとか。

普通、どれだけ地下にしたところで、ゴキブリくらいは侵入してくる。そしてあれだけ不衛生なら、不衛生な害虫も繁殖する。

それが、まったく見当たらなかった。

まるで何処かの小説家が書いた、死体を浮かべるためのホルマリンのプールだなと、私は思った。

勿論それは実在しない。

小説が都市伝説化したケースで。

吸血鬼ドラキュラや、吸血鬼カーミラで名前が挙がり、以降は闇の世界の貴族となった吸血鬼と似た経緯の都市伝説だ。

地下を見に行く。

既に水は抜かれていて。

隅々まで、徹底的に調べ尽くされていた。

奥の方には、エステを行うための部屋があったらしく。其処では、無数の化粧品を用いた、エステレッスンを、高嶋紅が行っていたらしい。

その割りには、あの信者達は様子がおかしかったが。その辺りは、洗脳とは別口だったのだろう。

いずれにしても、既に何もかも取り外されて、すっからかんだ。

天井を見上げる。

強力な対怪異の結界も張られていたが。それは私が数日かけて完全にぶっ壊しておいた。そして狂気に引き寄せられた悪霊も、悉く浄化しておいた。

此処も、調査が終わり次第、全て取り壊して埋める予定だ。

その前に、確認しておくことがある。

プールの底。

既に水は抜かれているが。調べて見ると、なんと排水関連の設備が無い。つまり、警察側でも、ポンプを使って、水を抜いたのだ。異常な悪臭と、グズグズに腐敗した手足の残骸。それらを取り出していく警官達は気が重かっただろう。

死体を此処に入れて、奴らは何をしていた。

奴らの関与が曖昧な時点で。

一体何処まで、この事件が狂気から生まれたのか。奴らがそそのかして狂気に落ちていった者達がやらかしたのか。

もう分からない。

嘆息すると、私は一番奥の部屋を見て回る。

既に上の店舗が取り壊されて、光が差し込んでいた其処では。手術と称して、捕まえてきた援助交際中学生の手足を切りおとしていたらしい。

そして、信者の手足と、入れ替えていた様子だ。

此処に籠もっていた尋常では無い邪気は既に浄化したが。

それでも、まだ何かの残り香がある。

私は周囲を見回して、考える。何か、ヒントは無いか。

猿王が側に来た。

何かみつけたらしい。

「主。 結界を壊してくれたおかげで、入れた場所があった」

「ふむ、聞かせてくれ」

「どうも空き店舗の一部を区切って、隠し部屋のようにしていたらしくてな。 其処に妙なものがあった」

頷くと、其処へ。

隠し扉があったので、その辺りを巡回していた警官達が驚く。勿論手袋を填めて、隠し扉を開けて、中に。

其処は、異様な空間だった。

壁も床も、形容しがたい模様で埋め尽くされている。一番奥には、誰かが座るような場所。

そして、この様子だと。

なるほど、そういうことか。

「此処で洗脳をしていたんだな……」

見ているだけで正気を失いそうになる模様。奧にはスピーカーもある。あそこから、延々と同じようなリズムの音を出し続けて、信者達をトランス状態にさせ。そして、高嶋紅の走狗にしていった。

だが、それよりも気になったのは。

一番奥にあったものだ。

手袋をしたまま、引き抜く。

どうやら、剣らしい。

それも西洋剣。いわゆるトゥーハンデッドソードという奴だ。床に突き刺さっていたそれには、尋常ならざる邪気が宿っていた。

怪異ではない。

だが、何だこれは。

恐らくは、下で行われていた異常な儀式で溢れた邪気を、この剣に吸収させていたのだろう。

だが、これで何をするつもりだった。

調べて見るが、妙な術の類は掛かっていない。単純に邪気だけが籠もっている。

いずれにしても、回収しておくか。

「この部屋も調べておいてくれ。 私は先にこれを持って戻る。 科捜研で調べた方が良さそうだ」

「分かりました」

警官達が、新しい部屋の発見で、増援を呼んでいる。

彼らは優秀だ。この部屋に残された何かしらの痕跡も、残さず探し出してくれることだろう。

さて、問題は此処からだが。

まさかとは思うが。

この剣で手足を切ったのか。

まあ、調べて見ると分かる事だ。私は、来るのに使った軽で、本庁に一度戻る。其処から色々手続きを経て、科捜研にこの剣を送るのだ。

結果はすぐに出るかどうか分からないけれど。

何かしらの意味はありそうだ。

少しずつだが。

確実に、奴らの本丸には近づいている。

そう信じて。

私は戦い続けるしかない。

それが如何に厳しい路であっても。

敵は、警官として、絶対に許してはならない相手なのだから。

 

(続)