言霊の色

 

序、エレベーターの恐怖

 

新潟から戻ってきた私は、早速げんなりした。

いきなり変えたばかりの携帯電話がけたたましく鳴って。それが小暮からの電話だと知って。大体何が起きたのか見当がついたからだ。まあ仕方が無い。部下を助けるのは上司の仕事だ。

電話に出ると、小暮は案の定パニックに陥っていた。

「せせせせ先輩! エ、エ、エレベータが、エスカレーターで!」

「落ち着け。 また幽霊に絡まれたのか」

「ひいっ!」

電話を取り落としたらしい。がちゃんと凄い音がして、思わず首をすくめていた。

今小暮は本庁にいるはずなのだが、まったくいつもいつもエレベーターで幽霊に遭遇して、悲鳴を上げているので、ある意味名物になっている。

幽霊は幽霊で、本庁のエレベーターに面白い大男が乗ってくるとか言う噂を聞きつけて、見に来るらしく。

兎に角いろんな幽霊に、小暮は脅かされているようだった。

で、今私は。

本庁に着いたところだ。

エレベーターの前で待つ。ドアが開くと、飛び出してきた小暮に、おもしろがって子供の幽霊がしがみついていた。

ちなみに今は真っ昼間。

暇な幽霊である。

ごちんと、幽霊に拳骨をくれてやり、小暮ともども地下に引っ張っていく。子供の幽霊にはそのまま真言をぶち込んで浄化。

一体何処で聞きつけて来たのか。子供の幽霊まで小暮で遊びに来ているとは。

小暮は、真っ青になって、まだ肩で息をついていた。

「たたたたた、たすかりました」

「そろそろいい加減に慣れろ……」

「そう言われましても」

「何度も克服のために一緒にエレベーターに乗ってるじゃないか」

私がそうくどくど言い含めるけれど。

小暮は本当に申し訳なさそうに、首をすくめるばかりだった。

新潟で結局アカエイ相手に大立ち回りすることになって。最大火力波動真言砲で吹っ飛ばして。

浄化した後式神にして持って帰ってきたのだけれど。

なんと全長八十メートルを超えていたので、式神用の札が重くて重くて。帰りはとにかく難儀した。

そういうわけで今私はとても機嫌が悪いが。

編纂室に入ると、もっと機嫌が悪そうなかごめが待っていた。

「ただいま。 ほれ、土産」

「……これはクールね」

「持っていないって聞いていたからな」

「此方も土産よ」

それぞれ、ご当地の国民的以下略猫のキャラクターグッズを買ってきたのだ。どちらも持っているグッズについては告げてあるので、互いが持っていないグッズを買ってくれば、効率よく手に入れることができる。

ちなみに新潟のグッズは、上杉謙信の格好をしたキーホルダー。

岡山のグッズは、何故かサンマを手にしたぬいぐるみである。

「うむ、この理不尽ぶりが素晴らしい」

「でしょう。 早速私もブログに載せたわ」

「そうかそうか」

かごめはコレクターグッズの紹介ブログを作っており、なんとS社公認である。世界的なヘビーコレクターだということをS社も理解しているから、だろう。ちなみにブログでは、かごめはもの凄く優しそうな口調で文章を書いていて、普段とのギャップが凄まじい。

凄まじい勢いで事件を解決しているかごめはボーナスを頻繁に貰っていて、それが故にこれだけの資金的な余裕がある。

実家に高額な仕送りをしていても、それでも余裕があるほどだ。

ちなみに私も同じくらいのボーナスを貰っているけれど。

別に実家がそれなりにお金を持っているので、そのまま貯金している。

ちなみに、かごめのブログだが、小暮のブログに僅差でアクセス数が負けているらしく。それを悔しがっているのを一度見た事がある。

「それで小暮、今回の武術講座はどうだった」

「また、使えそうな人材を何人か見つけてきたのであります。 リストアップしておいたので、後で目を通してください、先輩」

「うむ」

さて、後は情報交換だ。

かごめの方は、岡山の方でずっと迷宮入りしていた事件を解決してきたのだが。これが厄介なことに、岡山県警に出向しているキャリアが極めて無能で、迷宮入りさせてしまっている事件だった。

すぐに証拠類の洗い直しを行い、速攻で事件解決。

犯人は逮捕されて、岡山県警に大きな貸しを作った。今後岡山で動くときには、非常にやりやすくなるだろう。

私の方は、新潟県警が頭を抱えていたアカエイを撃破。

此方は船が襲われる謎の事件として、海上自衛隊に出動を依頼する寸前まで行っていたらしいのだけれど。

とっとと私が正体を暴いて撃破。

なお、かごめは此方について、詳しい話は聞かなかった。

彼女は、この間の田舎での出来事で。

はっきり自分が、座敷童である千歳が見える事を証明したが。

それについてはノーコメントを貫いたし。

その理由についても、私は理解できた。

正直な話、怪異はかごめにとってはアキレス腱になる部分であり、その極端な否定の姿勢についてもよく分かった。

だから私は、それについてどうこう言うつもりは無いし。

かごめも、私が強力な対怪異能力を駆使できることを、否定するつもりはもうないだろう。

今後するべきは、お互いに面倒な部分には触れない。

それだけだ。

「小暮、そういえば来月付で警部補に昇進だ。 二十代でノンキャリアでの警部補となると、結構な出世だぞ」

「本当に名誉なことであります」

「そうだな。 だが、お前はそれだけの事件解決のアシストをして来た。 正当な報酬だから、受け取っておくべきだな」

「はい。 それと、少し心配なのですが……」

部下は、どうなるのだろうと、小暮は言う。

確かに今、編纂室は警視がまとめて、警部二人、巡査長一人といういびつな状況だ。これで小暮が警部補になると、更におかしくなる。

もう一人か二人、部下が欲しい所だ。

それは何も、内部に限らない。

それこそ、本家から人員を引っ張ってきても良いし。

外部の協力者を作る手もある。

かごめの方でも、最近は事件解決をアシストする際、各地の県警に使えそうなのがいないか見に行っているようなのだけれど。

警察学校にも行って、同じように人材発掘をしている様子だ。

彼女も、今日本の裏で蠢いているドブネズミには、相当に頭に来ているのだろう。この辺り、同志として活躍していける所以だ。

尊大で傲慢でも。

かごめは、警官として持つべき魂は、きちんと持っているのだ。

「今回、岡山の方で良さそうなのを見つけたわよ」

「ほう。 かごめが褒めるのは珍しいな。 本庁捜査一課の精鋭でさえ貶すことがおおいのに」

「事実無能なのだから仕方が無いでしょう。 今回見つけたのは、独自で心理学を学んでいる学生でね。 まだ警察官ですら無いのだけれど。 ちょっとした縁で、岡山で論文を見つけたのよ」

北条紗希という名前のその学生は。

警察志望らしく、今の時点ではまだ学生だが、心理学を専攻して面白い論文を書いているというのだ。

それもゼミでの卒論では無く、自前で、である。

概要を聞いてみると。

私が使う呪いの概念に近い。

要するに相手の心の隙間を突いて、有利に話を進めて行く、というものだ。私の使う呪いほど攻撃的では無いけれど。

それでも、単純に話術と割り切るには、すこしばかり重い代物である。

ただし使いこなすには、相当な人間心理理解と。

何より頭が必要になってくる。

論文を見せてもらった。

ざっと見る限り、頭の出来はかごめには到底及ばないレベル。国家一種を突破するのも無理だろう。

これだと、せっかくのこの理論も、使いこなすのに何年もかかるのは確実だ。

もったいない話だが。

実践で、相当に研鑽していかなければ、宝の持ち腐れになるのは、目に見えてしまっている。

「ふーむ、ライアーアートか」

「部下候補に加える?」

「小暮、いずれお前に任せたいが、良いか?」

「自分でありますか。 勿論構いませんが」

そうかそうか。

実は小暮に任せたい部下はもう一人いるのだけれど、それもまだ仕上がるのに数年はかかるだろう。

確実に、将来有望な部下を見繕っていく。

そして、敵に致命傷を与えるために。

牙を研ぐのだ。

犬童警視が来る。

はて。

遅刻してくる事は時々あるが、今日は血の臭いがある。それも、恐らく他人のものと見て良いだろう。

来る前に大立ち回りがあったか。

いずれにしても、涼しい顔をしているし。

疲弊も見せないようにはしていたが。

「そろい踏みやな」

「警視、どうしました。 お疲れのようですが」

「人が隠してること暴露すんなや純。 それよりも、仕事や。 すぐに全員で向かって欲しい」

「! 分かりました」

最近は、それぞれが個別に動く事も増えてきている。

小暮も若手への武術指導と人材発掘。

かごめはプロファイリングによる未解決事件の対応。

私は、現地の警官との連携して怪異関連事件の処理。

ただ、それらの動きは。

「奴ら」が絡んでいない時に限定される。

人見もそうだが、「奴ら」が絡んでいるときには、だいたいの場合は全員が動く事になるのだ。

久々に面倒な事件になる可能性がある。

実を言うと、私もかごめも、警視に、という声が上がり始めている。これだけの数の事件をこなしているのだから、当たり前だろう。しかも関わった事件を、必ず解決しているのである。

編纂室という謎の部署が。

各地で圧倒的スピード解決で、事件を片付けていく。

そういう噂が、警察内でも飛び交っているらしく。私とかごめの名前は相当に存在感を持ち始めている様子だ。

この状況下で、全員集合で事件対処の指示である。

「場所は」

「純の兄貴の学校や」

「!」

なるほど、そうきたか。

となると、大体見当がつく。

今回の事件、恐らくはゆうかがらみと見て良いだろう。彼奴は怪異ホイホイとしての体質が非常に強力で、今回は相当ヤバイのを引きつけたか。それともその体質に目をつけた奴らが動いたか。

いずれにしても、放置は出来ない。

何より、兄者に危険が及ぶ可能性がある。

まず人見の所に行くように。

そう指示を受けたので、三人で出向く。

その途中。

フイに電話が鳴った。

「やあ、久しいね」

「お久しぶりです」

「そろそろ警視にという声が掛かっているようだね。 良い事だ」

例の仮面の男だ。

事件解決に引っ張り出されるとき、三回に二回はこの人から連絡が来るのだが。私は既に正体を見抜いている。

ただ、敢えてそれは口にしない。

「事件ですか」

「おそらく犬童君から連絡が行っていると思うが、それとは別件だよ。 此方は急ぎじゃ無いから、後回しでいい」

「分かりました。 概要を」

「うむ」

科捜研に急ぐべく、外に。

小暮の軽で行こうかと思ったのだけれど。かごめがフォルクスワーゲンを出してくれるという。

この間の一件以来。

かごめはほんのちょっとだけ、親切になった。

多分ちーちゃんこと座敷童の千歳を私が助けたのが大きかったのだろう。

かごめは人間心理に通じているわりに。色々と対人関係が不器用なところがあるのだけれど。

それでも、少しだけ親切になってくれたのも嬉しい。

小暮に対しても、体を張って事件を解決するさいに貢献しているのを何度も見ているからだろう。

多少、辛辣な言動を減らしてくれるようになってきた。

まあ、あくまで多少、だが。

「純、電話の内容は」

「まあ、死者が出るような事件じゃない。 こっちの大学の方は、死者が既に出ているそうだから、急ぐ必要がある」

「そうね。 科捜研に行くわよ。 途中で軽く聞かせて。 犬童警視の持ち込んだ事件の方は、人見さんと話しながら決めましょう」

どうしてか、かごめは人見と非常に相性が良いらしく、話している時に笑顔を浮かべることも多い。

これは不思議だ。

ただ、特有の嗅覚が私にはあるので、かごめがいわゆる同性愛者やバイセクシャルではない事も分かる。

人の相性とは、よくわからないものである。

人見が今いる科捜研には、車で十五分という所。そして、兄者の大学までは、更に其処から二十分という所だろう。

フォルクスワーゲンを飛ばすかごめに、軽く概要を話しておく。

「仮面の男の持ち込んだ事件は、本庁の事件だ。 どうやら小暮以外にも、エレベーターで幽霊に出くわすものが増えているようでな」

「へえ」

興味なさげなかごめの返答。

怪異が見えることは分かっているが、そこは敢えて突かない。

「エレベーターそのものを調査して欲しい、だそうだ」

「好きになさい。 それ、私協力しなくても良いかしら」

「軽く私が調べて見て、状況判断次第だな」

「OK。 幽霊が出るとかフェイク情報を流して、何かを隠蔽している可能性も否定出来ないですものね」

さて、本命の事件の方だが。

あのゆうかが絡んでいるとなると、結構事件の規模が大きくなる可能性が高い。急がないと、死者が増える可能性も大きい。

奴らも、ゆうかの有用性については知っているのだ。

科捜研に到着。

襟を締め直す。

さて、今回は。

厳しい事件になりそうだ。

 

1、原点回帰

 

人見の所に出向くと、非常にむごい状態の死体を処理しているところだった。

ずたずたのぐちゃぐちゃ。

しかも生焼け。

小暮が思わずうっと呻いたが。

私は、この程度では動じない。

以前、父母と一緒に、ジェノサイドレベルの災厄が発生した事件に、何度も立ち会ってきているし。

その際に、二度と見られぬような悲惨な姿にされた死体も、何度となく見てきているからである。

可哀想だが。

この者の霊は、既に浄化されてしまっている。

声を聞く事は出来ないだろう。

「被害者については、身元が判明したわ。 菱田桃代。 貴方たちとよく関わっているゆうかさんの通う、須未乃大学の生徒よ。 ゆうかさんと同学年の生徒ね」

「この死体は何処で発見されたんだ」

「焼却炉よ。 焼いていて、異臭がして気付いたらしいわ」

「残虐すぎる犯人ね。 許せる相手では無いわ」

かごめが目に怒りを燃やす。

私も同意見だ。

これをやった奴は、顔面に拳を叩き込んでやらなければ気が済まない。いずれにしても、即刻の解決をしなければならないだろう。

小暮にメモをさせる。

死体は無惨なことに、妊娠していた。

勿論母子共に死亡だ。

可哀想に、この世に生まれ出る事さえ出来ずに命を落としたか。そういう子供の霊は、色々と悪霊化しやすいのだけれど。

幸いもう、この世には存在していない様子だ。

犯人が誰か分からないのは少しばかり問題だけれど。

それだけは、良かった。

悪霊化した怪異を浄化した後。悪霊化していた時の話は嫌と言うほど聞いた事があるが。やはり、悪霊化していると、相当に苦しいという。

自分が誰だか分からなくなり。

やがて、周囲を無差別に襲い、呪うようにもなっていく。

元がどんな善人でもそうだ。

ざっと、菱田の経歴を見る。

さほど珍しい経歴では無い。特にこれと言った事をしてきたことでもなく、専攻もごく普通の経済学。

交際していた相手は存在していたらしい。

ただ、情報がまだ少なすぎる。

これで判断するわけにはいかないだろう。

「捜査一課は」

「もう現地に向かったわよ」

「人見、見解を聞かせてくれるか」

「明らかに殺人事件ね。 それも、犯人はシリアルキラーよ。 何カ所かの傷を見たけれど、どうにもおかしいわ」

殺すための傷では無い。

明らかに、いたぶって殺すのを楽しんでいる節があるという。

なるほど、これは相当な危険人物がいると見て良い。

大学の生徒だったりしたら最悪だ。

米国では、近年学校での無差別乱射大量殺人事件が何度となく起きているが、あれらはスクールカーストによる排斥が原因である。

これは違うと見て良いだろう。

犯人はほぼ確実にサイコ野郎。

それも、どうしようもないレベルの輩だ。

「すぐに大学に向かうぞ」

「待ちなさい」

「うん?」

かごめが止める。

そして、人見にもう二つ三つ、情報を聞いていく。凶器と、致命傷など、細かい所に疑問が残るというのだ。

人見によると、致命傷になったのは頭部の傷。全身の傷は、楽しむためにつけたもの、の様子だ。

背後から殺しているようなのだが。使ったのは恐らく鈍器だろうと言う事だった。それについては良い。

「この傷、相当に親しい相手で無いと作れないのではないのかしらね。 油断しているところを拘束して、徹底的に拷問したあげくに殺したと見て良いわ。 しかも妊娠しているのを知った上で」

「なるほど、要するに交際相手が怪しいと」

「一考の価値はあるわ」

「分かったわ。 其方の件についても、捜査一課に連絡はしておく」

頷くと、すぐにその場を後に。

殺人事件というのは、簡単な話では無い。特にこういう猟奇殺人の場合、スピード逮捕が要求される。

当たり前だ。

シリアルキラーが野放しにされているのだ。

一秒でも早くぐちゃぐちゃのボコボコにして、牢獄にぶち込み、場合によっては死刑台に投げ込まないといけない。

そうしないと犠牲者が増える一方だ。

すぐに大学へと車を走らせるが。

かごめは、ずっと口を引き結んでいた。何か気になる事があるのか、それとも頭を整理しているのか。

私はと言うと、本家に連絡。

今回、調整が少し前に仕上がったという、佐倉に支援させる。

佐倉は電話に出た。

何度か会って、状態は確認しているのだけれど。かなりの腕前に成長している。少なくとも、本家の他の術者達と引けを取らない程度の実力はもうある。

「久しぶりっす、純さん」

「ん。 それで、今回は、ゆうかがらみで協力を依頼したい」

「分かりました。 どうすれば良いっすか」

「まだお前は警察関係者じゃ無いから、表だって動く事は出来ない。 だから、影から私の指示通り、サポートをこなして欲しい」

幾つか指示をして、電話を切る。

佐倉もそう時間を掛けず、到着することができる筈だ。

小暮が、えっと声を上げる。

何かみつけたか。

「先輩、大変であります」

「どうした」

「霧崎先生の大学で、妙な都市伝説が流行りだしているのであります。 名前はぼかされていますが、間違いありません」

「何だと……」

ちなみに、先ほどの死体が発見されたのは二日前。死亡推定時刻は五日前程度と推察される。

死体の損壊は激しく。

虫も湧いていた状態だったが。

しかし焼いてしまったので、その虫も全て死んでしまった、というわけだ。

まあそれはいい。

都市伝説について、小暮に調べさせると。

どうやら都市伝説が流行り始めたのが、二日前なのである。

嫌な予感しかしない。

「急ぐわよ」

かごめも、嫌な予感を覚えたのだろう。

フォルクスワーゲンのアクセルを踏み込んで、速度を上げた。

 

さて、大学に到着である。

到着前に、兄者にメールを入れて、これから捜査で騒がせることは伝えてある。兄者も、知っていると返答。

まあそうだろう。

捜査一課が来ているとなると、なおさらだ。

大学の駐車場には、捜査一課の車両が幾つか見受けられ。

死体が発見された焼却炉には、刑事が何人か張り付いていた。勿論というか何というか。現場主義の佐々木警視も出張ってきている。

敬礼。

相変わらず不機嫌そうに、佐々木警視は応じて来た。

「また来たのか……」

「此方にも連絡が来ましてね。 互いに得意分野を生かして、さっさと事件を解決しましょう、佐々木警視」

「……」

苦虫を噛み潰している様子の佐々木警視だが。

しかし、現場主義のこの人も、警官の魂はしっかり持ち合わせている。個人のプライドを優先させるよりも。

人々を殺傷する可能性が高いシリアルキラーを逮捕する方が先。

それについては、意見が一致するだろう。

この辺り、意見を一致させられないアホなキャリアが事件に介入したりすると、大変なことになるのだが。

それはそれだ。

今、私とかごめは、警視庁内に大きなコネの網を張り巡らせている。そういう低脳の介入を、できるだけ防ぐためだ。

軽く意見交換。

かごめがプロファイルした内容についても話しておく。

当のかごめは。聞き込みを終えていたらしい刑事達に、既に話を聞き始めている。小暮も同様。

情報の横連携はとても大切だ。

「なるほど、交際相手が怪しいと。 しかしな、ガイシャの交際相手はまだ誰だか分かっておらん」

「学外の人間の可能性も高そうですね」

「そうだな。 大学生ともなると、社会人と関係していてもおかしくない」

「……此方でも調べて見ます」

かごめと小暮に聞き込みは任せる。

私はと言うと、まず兄者の研究室に向かった。

兄者は警察の聴取を受けたらしいけれど。

もう既に、研究に戻っていた。

其処に私の登場である。

ゆうかもいるが。

青ざめていた。

大体理由は見当がつく。

だが、まずは其処には踏み込まない。私としては、順番に、やるべき事をやっていくだけだ。

「兄者、特に周囲で問題は起きていないか」

「警察が五月蠅いくらいだな。 被害者についても、別のゼミの学生だ。 特にこれといった噂話は聞かないな」

「なるほど、了解した。 で、此方の都市伝説は知っているか」

携帯を見せる。

兄者はそれを覗き込むと。

しばしして、舌打ちした。

「なるほど、そういうことか……」

二人揃って、真っ青になっているゆうかを見る。

だが、怒鳴りつけても仕方が無い。

この都市伝説をばらまいたのが、ゆうかだとしても、だ。

「お前だな、こればらまいたの」

「ご、ごめんなさい。 その……」

「お前の専攻は都市伝説だ。 どんな風に都市伝説が拡散していくか、調べて見たかったんだろう」

「……」

完全に図星か。

頭が痛くなってくる。

此奴に言霊だ何だの話をしても仕方が無い。だから、今は黙っておくことにする。拳骨をくれてやるのも大人げない。

ただ、兄者は。

静かに怒っていた。

「間宮。 お前も分かっていると思うが、今回は人間の尊厳を蹂躙する残虐な事件が起きたんだ。 どうしてそれを、こんな不謹慎な都市伝説にしてばらまいた」

都市伝説の内容はこうだ。

殺された菱田は、妊娠していた。もうすぐ生まれてくるはずの赤子を抱えて、今も闇を彷徨っている。

そして、この話を聞いた人間の夢に現れ。

聞くのだ。

お前が、私と、この子を、殺したのかと。

はいと応えれば殺される。

いいえと応えても、嘘をつくなと絶叫した菱田に、夢が覚めるまで追いかけ回される、というものだ。

典型的な都市伝説。

それも、日本で好かれるタイプの、幽霊型の都市伝説である。

だが、問題なのは。

大手の投稿型掲示板サイトでこれが取りあげられ。さっそく拡散が始まっているという事である。

目撃者を語るものまで現れている。

勿論無責任な行動だろうが。それは、言霊になって、力を怪異に与えていくのだ。

「とにかく、今日はもう家に帰れ。 純、此奴を見張っていてくれるか」

「分かった。 兄者も気を付けてな」

「分かっているさ」

研究室から出る。

尻をつねってやりたいところだが、その前に幾つか聞いておく事がある。真っ青になっているゆうかに。

まず、一つずつ。

パニックにならないように、順番に話を聞いていく。

そもそも、どうしてこんなことをしたか。

ゆうかの回答は明快だった。

「それは、友達が持ちかけてきて」

「ほう」

ゆうかは交友関係が広い人間だ。大学でも十人以上の友人がいると聞いている。中には、オカルト好きで、ゆうかと話が合う人間もいるそうだ。

ちなみに、今回は、流石にゆうかも私を純ちゃん呼ばわりはしない。

それだけ事態がまずい事を、肌で感じているのだろう。

「都市伝説について知りたいのなら、生の情報を流すのが一番だって話で」

「……その通りだがな。 散々今まで酷い目に会ったのに、怪異と、怪異を操る人間の恐ろしさをまだ理解できないのか?」

「ごめんなさい」

「今回は想定以上に酷い事になる可能性がある。 覚悟は決めておけ」

私はさっそく式神を、大学中にばらまく。

今回はまずい。

その友人とやらの素性も聞く。

名前は藤原朝希。

ゆうかが以前、神奈川の僻地で遭遇した事件の後。トラウマで色々苦しんでいたところを、助けてくれた友人であるらしい。

そいつは相当なオカルトマニアで。

ゆうかと同じく、都市伝説が大好き。

それもあって話が合い。

今回、このような事を思いついた、というのだ。

はて。

なんだか違和感がある。なんでだろう。

とりあえず、この違和感はポケットに入れて、すぐに取り出せるようにしておこう。どうにもこれが、事件解決の鍵になりそうな気がする。

続いて、ゆうかに聞く。

「殺された女生徒については知っているか」

「うん。 結構交友関係が派手で、交際している男性教師がいたらしいんだけれど……」

「またか」

うんざりだが。

しかし、女子はどうしても恋バナが大好きだ。

これは、学校にろくに通えなかった私だって知っている程度の事。実際本家の連中でも、同年代の女子が集まると、誰が誰を好きだとか、くだらない話題で盛り上がっているのをよく見かけた。

一種の本能みたいなもので。

多分私も、条件が揃えばそれに加わるのだろう。

もっとも、恋とやらがそれほどいいものではない事を、私は肌で知っているので、あんまり今は興味が無いが。

「男性教師の名は」

「ええと、確か噂だと、穂坂って名前の人の筈」

「どれ」

大学のデータベースに携帯からアクセス。

該当する人物を特定。

なるほど、まだ若々しくて、相応にもてそうな男性だ。女子生徒には人気が出ても不思議では無いだろう。ちなみに教師としての力量は下から数えた方が早い様子で、授業も極めていい加減。

単位を簡単にくれると言うのも、人気の一つになっているらしい。

白蛇王を呼ぶ。

「此奴の見張りにつけ」

「分かりました」

すぐに飛んでいく白蛇王を見送る。

続いての質問だ。

「都市伝説の内容は、どうやって作った」

「その、カシマレイコの話をベースに」

「よりにもよってアレか」

はあと、溜息が漏れた。

カシマレイコ。

かなりメジャーな都市伝説だ。だが、この都市伝説、色々と複雑な背景を抱えていて、兎に角厄介なのである。

まず第一に、色々と混合している。

あの口裂け女の本名がカシマレイコだという話もあるくらいなのである。つまり、それだけ不可思議で、バリエーションが多い怪異なのだ。

ゆうかが基にしたのは、幾つか類例がある中で、夢の中に現れて、足を切り取っていく話。

名前を知っていると襲いかかってきて、殺していく話。

今では、カシマレイコが何者で。

どういう存在なのかもよく分からない。

ある意味、理想的なホラーのモンスターと化してしまっている。面倒極まりない相手だ。

だが、ゆうかに都市伝説の怪異は言霊から生まれるとか、説教しても仕方がない話だ。此奴は、怪異ホイホイであっても、あくまで人間。

霊的能力も高いとは言えない。

その時、である。

後ろから、声を掛けてきた者がいる。

ホットパンツをはいた、活動的な格好の女の子。見かけは高校生くらい。

何というか、年頃の女子と言うよりも。

小柄でボーイッシュで、むしろ女子に好かれそうな雰囲気の女子だ。

三十分もつあめ玉でも咥えたら、すごく似合いそうである。

ちなみに知人である。

ゆうかが、驚きの声を上げた。

「佐倉先輩っ!?」

「久しぶりだな」

そう。呼んでおいた佐倉智子である。

修行も一段落ついたので、そこそこ強めの式神を後見人にする条件で、今回ゆうかの護衛につかせることにした。

恐らくというよりも。

ほぼ確実に、怪異はゆうかを狙う。

怪異を人為的に、悪意を持って作った奴がいるとしても。それは同じ事だろう。それは、ゆうかが怪異にとって極めて魅力的なエサに見えるからだ。

「佐倉、体の調子は大丈夫か」

「ウス、すっかり大丈夫っす。 その度はお世話になりました。 それに、もう行き場も無くなってたあたしに、居場所もくれて、仕事もくれた恩、生涯忘れないッス。 この場でお礼させていただきます」

「大げさだな」

「いえ、一度面と向かってお礼したかったんで」

ばしっと45度の礼をする佐倉に苦笑。

ゆうかから、体育会系だとは聞いていたが。これほど徹底していたとは。

前にちょっと顔を合わせたときは、衰弱しきっていた事もあって、口調も大人しかったのだけれど。

本調子になったらこうなる、というわけだ。まあ、本家で鍛えて貰って、色々と思うところもあったのだろう。

そして、加齢も殆ど進んでいない。

やはり、数年間の時間を止められてしまった影響は大きいのだろう。今後も、非常に老化が遅くなるかも知れなかった。

カルラ天の加護を受け。そして怪異に取り込まれ続けて。時間も止まってしまっていた女の子。

もはや佐倉智子は、人とは言えないのかも知れない。

だから私は、居場所を責任を持って、提供してやらなければならない。面倒を見ると決めたのだから。

「早速で悪いが、今ゆうかに凶悪な怪異が迫っている可能性が高い。 今回、お前が連れて来た式神を見せてくれるか」

「ウス。 オオイヌガミ、出てこい」

「此処に」

姿を見せたのは、真っ白な家の、大型のイヌ。

いや、既に絶滅したニホンオオカミだ。

大きさは、生半可なニホンオオカミとは比べものにならず。シベリアオオカミより更に二回りも大きいが。

名前の通り、古き時代、オオカミは大神とも書かれ、信仰の対象になるケースがあった。明治以降絶滅政策にあって日本から駆逐されてしまったが。それ以前では、むしろ偉大なる山の守護者として、敬愛されていたのである。

このオオイヌガミは、そうやって神の域にまで達した怪異。それを私の先祖が調伏して式神にし、代々に行使してきた。

犬科の動物は元々人間と相性が良い。犬神のような凶悪怪異は例外なのだ。

特にこのオオイヌガミは従順で勇敢なので。佐倉には丁度良い式神だ。

ただし非常に誇り高いため、まだ佐倉の後見人という雰囲気である。佐倉が使役しているのでは無い。

佐倉を守っているという自負を、全身から放っている。

「うわ、すごい犬」

「狼だよ。 オオイヌガミ、頼むな。 此奴失礼でアホだけど、良い奴なんだ。 絶対に守ってやりたい」

「分かっております」

すっと姿を消すオオイヌガミ。

犬神というと、日本でも最凶クラスの祟り神だが。名前は似ていても、此奴は白き忠勇なる騎士だ。

「ゆうか、お前はアパートに戻れ。 後は私が捜査する」

「でも……」

「分からない事があったら、携帯に連絡する。 それと佐倉」

「ウス」

佐倉には、伝えておく。

もしカシマレイコをベースにした都市伝説の場合、夢の怪になる可能性がある。それは非常に厄介な代物なのだ。

「夢の怪には油断するな。 兎に角危険な相手だ」

「話には聞いていますけど。 純さんが其処まで言うほどっすか」

「眠っている間、人間は無防備だからな。 実際に相手を殺すまでの能力を得た夢の怪は滅多にいないが。 それでも、油断だけはするなよ」

事実、寝ている間に悪さをする怪異は、それこそ幾らでもいる。

近年では、猿夢という都市伝説から生まれた怪異が、猛威を振るった。

内容的には、電車に乗っていて。アナウンスの度に人が惨殺されていく。乗っている人は一人ずつ順番に殺されていき、抵抗もしない。

逃げようにも、体が動かない。

そしてそのまま自分も殺されてしまう、というものだ。

この怪異については、かなり新しい怪異と言う事もあって、対応が間に合い。

私や母が各地を走り回って、片っ端からぶっ潰して廻った。

噂が収束した頃には、殺傷力を持った奴は全滅して。幸い、死傷者も殆ど出させることはなかったが。

それでも彼奴らが大繁殖して、日本全土で猛威を振るったらと思うとぞっとしてしまう。

さっちゃんという怪異もいる。

これはバナナが大好きな例の歌から生まれた都市伝説で。

何故かさっちゃんが凶悪な怪異にされ。

バナナを寝る前に置いておかないと、殺されるという代物。それも、八つ裂きにされるという残虐さである。

どうして罪も無い幼い女の子を唄った歌が、こんな凶悪な都市伝説に変貌したのかは、専門家である私にもよく分からないのだけれど。

兄者によると、この歌の持つ良く意味が分からない歌詞が、変な方向での想像力をかき立てさせ。

そしてそれをおもしろがった人間が拡散した、というのが真相であるらしい。

なお、このさっちゃんも、私が散々ぶっ潰して廻った。

交戦経験は、さっちゃんと猿夢合計して、八十六回。

殆どは拳骨で浄化しておしまいだったが。

中には既存の怪異が、言霊の影響でこれらにすり替わったケースもあって、そいつらは罪も重いので、浄化した後式神にしている。当面こき使う事で、罪を償わせるのである。

小暮とかごめと合流。

都市伝説の話をしておく。

「あの小娘……」

案の定、烈火のごとくかごめが怒り。

周囲はその怒りのオーラで、気温が六℃くらい急上昇した。

周囲の学生達が、怖れて逃げ惑うほどである。

小暮も、恐怖で硬直している。

ちなみにかごめが怒っているのは、これによる便乗犯が現れる可能性について、であって。

都市伝説を拡げたことそのものは怒っていない。

都市伝説そのものが、便乗犯や愉快犯を呼び寄せることを考慮せずに。考え無しに最悪の時期に都市伝説をばらまいたことが問題なのである。

「さて、まずはどうする」

「例のプレイボーイの所に行きましょうか」

「ふむ、私は藤原とやらを見に行きたいが」

「優先順位はどうします。 三人で動いた方が良いと思うのであります」

小暮の言うとおりだ。

少し悩んだ後、かごめは言う。

「まずは教師の安全確保ね。 捜査一課にも情報を流しておきましょう」

「それがいいな」

白蛇王が側にいるが、念のためだ。

すぐに行動を起こす。

奴らがこの件に関わっているとすると。

短時間での殺傷力拡大を実験している可能性が、極めて高いと、私はにらんでいた。

 

2、悪夢

 

佐倉先輩は、まるで昔と変わらない。

前から体育会系全開の思考回路をしていて、良くも悪くも後輩達には怖れられていた。ゆうかにとってもそれは同じ。

上下関係の徹底。

何より、それに説得力を持たせる実力。

だから、なのだろう。

佐倉先輩の悪い噂も、拡がるのが早かった。

アパートへ歩きながら。佐倉先輩が言う。

何だか怖くて。高校時代の時の佐倉先輩が姿から何からまったく変わっていないのに。どうしても佐倉先輩の声を聞くと、首をすくめてしまう。

「なあ、ゆうか」

「は、はいっ!?」

「あたしが四年間この世からいなくなっている間、何もかもが変わっちまったんだな」

「……そうですね」

四年。

世界が色々と変わるには充分な時間だ。

携帯電話が普及して。今では誰もが手にしている。ネットへの接続も、非常に簡単になった。

その一方で、色々と世界の矛盾も噴出してきている。

佐倉先輩は、時間が止まってしまった世界にいて。今では、正直人間かさえも怪しいと、自分で言う。

そうだろう。

純ちゃんが助けてくれなければ。

ずっとこの世には戻ってこられなかったかもしれないのだから。

アパートに入る。

佐倉先輩はちょっと行儀悪く胡座を掻くと、式神に周囲を見張るように指示。紙を出して。なにやら書き始めた。

「何してるんですか」

「夢の怪異ってのは、想像以上に厄介なんだよ。 というか、悪意のある人間もお前を狙ってる可能性が高いんだろ。 お前、どうしてそう、死に急ぐような事ばっかりしてるんだよ」

「それは……」

「怪異についてはしょうがないよな。 あたしが怪異に喰われて、意識を乗っ取られてるとき、お前がもの凄くうまそうに見えたんだよ。 今でもぼんやりとそれについては覚えてる。 極上のステーキとか、そういうのに見えた」

美味しそうと言うのは、時に違う意味にもなるけれど。

佐倉先輩のその言葉は非常に生々しかった。

得体が知れない怪異になって、ゆうかを散々追いかけ回したときの佐倉先輩は、もうあらゆる意味で人間では無かった。

あの時の恐怖は、夢にまで見る。

佐倉先輩が、部屋の彼方此方に、紙を貼っていく。

そして、純ちゃんがやっているように、印を切った。

「オン!」

同じかけ声でも、純ちゃんのだと、周囲が地震みたいに揺れるのだけれど。佐倉先輩は単純に修行不足なのだろう。其処までの火力は出ないようだった。

ゆうかは正座して、様子を見守る。

佐倉先輩は、なにやら術を施した後は。

ストレッチを始めた。

「何してるんです」

「だから、あたしはあの人に、お前の護衛を任されたんだよ。 あの人が怪異と、お前を操って怪異を造り出させたアホをぶちのめしている間、お前を守りきるのがあたしの役割だ」

「……」

そう言われると、肩身が狭い。

この人は、前からそうだった。容赦ない物言いと、周囲に無意識に嫌がられるほどのきつい言動。

だけれども、筋は通していた。

きっと辛かっただろう。

この人が非常に辛い目にあって、孕んだあげくに子供を失っているなんて、見た誰が分かるだろうか。

「なあ、ゆうか」

「なんですか」

「ブンヤってのになろうとしてるんだろ。 あたしはもう、表の世界は歩けそうに無いから、せめてその立派なブンヤになってくれよ」

そうか。

それもそうだ。

佐倉先輩は、もうある意味普通の人間でもないし。多分今後は、純ちゃん達と一緒に、世界の裏側にいる悪党と戦い続けていくことになる。その悪党の残虐さは、ゆうかも知っているつもりだ。

一番恐ろしいのは、怪異じゃない。

怪異を操る人間。

それはゆうかも何度も見てきた。

「何かあっても、あたしには強力な式神もいる。 だからもしもの時にはあたしに構ってないで逃げろよ。 あたしの式神は、あの人の使役してるのと違って、対人殺傷力をオミットしていない奴だ。 生半可な相手には遅れを取らないから安心しろ」

「でも、正直純ちゃん……風祭さんに比べると、とてもじゃないけれど、比べものにならないって気も」

「はっきりいう奴だな」

「ごめんなさい」

良いんだと、佐倉先輩は笑う。

実際その通りだと、自覚しているのだろうから。

「あの人は知ってるだろうが特別製だ。 あたしらが九九習ってる年の頃から殺し合いの中に身を置いて、怪異をぶっ潰して廻って、その裏で蠢く人間の業を見続けてきたっていうんだろ。 だから比べものにならないのは当たり前なんだよ。 だけれど、あたしはチャンスをもらったからな。 せめて、少しでもマシな人生を送れるように、努力していくだけだ」

「先輩、変わらないんだね」

「……そうだな」

努力か。

ゆうかもジャーナリストになるべく勉強を続けている。本職の人にも話を聞いているし、カメラも散々腕を磨いてきた。

事件が起きる臭いについても、嗅覚を磨いてきたつもりだし。

だが、今回は失敗だった。

どうしてあんな馬鹿な口車に乗ってしまったのだろう。

相手が親友で、恩人だったとしても、だ。

 

私が例の教師を見に行くと、どうやら周囲に女子学生を侍らせて、キャッキャウフフしている最中のようだった。

殺人事件があったばかりだというのに脳天気な事である。

ある意味そのアホさ加減が羨ましいが。

しかし、今は警察としての仕事をしなければならない。

手帳を見せてから、状況を説明する。

シリアルキラーに狙われている可能性が高いという話をすると、見る間にアホ教師は真っ青になった。

ちなみに此奴、怪異は見えていない。

周囲の女子達もである。

菩提樹の下で修行した仏陀を守っていたナーガ王、ムチャリンダのように。白蛇王が、その巨大スネークぶりで周囲を囲んでいるのに、反応していないのだから。

「し、シリアルキラー!?」

「そも、あの悲惨な状況で、まともな殺され方だと良く思ったわね。 もう教師達の間には、状況は伝達されているはずよ」

「し、しかしその……」

「小暮、其処の子らを帰らせろ。 事件に巻き込まれる可能性がある」

真っ青になる女子生徒達を、小暮が守って送っていく。流石に生半可なシリアルキラーでは、小暮に守られている生徒達を襲撃しようという気にはならないだろう。

かごめが、幾つか聴取していく。

そうすると、あっさり。

本当にあっさり、このアホ男は、自分が殺された菱田に種を仕込んだことも、交際していたことも認めた。

「せ、責任はちゃんと取るつもりだった!」

「何だ、結婚するつもりだったのか」

「中絶費用は出す予定で……」

思わず、かごめがアホ男の頭を掴もうとしたので、抑える。

かごめがその気になれば、こんなアホ、二秒で首を折られて死ぬ。実際、かごめは尋問となると容赦しないだろう。

「ちなみに、今何人交際している」

「四人……」

「本当は?」

「……六人」

頭が痛くなってきた。

その六人全員の名前を吐かせて、捜査一課に回し、すぐに調査させる。幸い、まだ全員が生存してはいるが。

多分このアホ男が死んだ後。

狙われるのはその娘達だ。

佐々木警視が来る。

「話は聞いたが、都市伝説に見立てたシリアルキラーの犯行の可能性が高い!?」

「恐らくは。 そもそも、この事件をベースにした都市伝説の、情報拡散の速度が異常すぎます。 すぐに犯人の可能性が高い藤原を抑える必要があるでしょう。 それと、この男と、関係人の保護をお願い出来ますか」

「分かった、それは此方で手を回しておこう。 しかし面倒な事件になったな……」

現場主義の佐々木警視は、舌打ちすると、階段を靴音高く下りていく。すぐに刑事を廻してくれるはずだ。

さて、これで外堀は埋めた。

刑事が来て、アホ教師を連れて行くのと入れ替わりに小暮が戻ってくる。

同時にニセバートリーも。

かごめはあっちを向いて知らんふりをしてくれた。この辺り、態度が軟化しているとみるべきか。

「藤原とかって人の家、見てきたわよ」

「で?」

「どうもこうも、妙な部屋よ。 違和感バリバリだわ」

此奴の勘の鋭さは、私も信頼しているところである。ちなみに、本人はいなかったそうである。

違和感とは何かと聞いた途端。

鋭い悲鳴が聞こえる。

かごめと私が反応するよりも、小暮の反応が早い。階段をそれこそ飛び降りるようにして降りると。

今、正に捜査一課の刑事を不意打ちで転倒させ。

アホ教師にナイフを突き立てようとしていた奴に、タックルを浴びせた。

流石だ。

格闘戦となると、此奴以上の人類はそうそういない。

ナイフごと吹っ飛ばされた奴は、それでも驚くべき足の速さで逃げていく。髪が非常に長かったが、動きが妙だ。小暮は追おうとしたけれど、相手の足の速さが異常すぎるし、何よりけが人の無事を優先する必要がある。

「大丈夫か!?」

「何とか無事だ! 其処の影から襲ってきた!」

「校内の地理を熟知しているな。 犯人は校内の人間で間違いないだろう」

アホ教師は小便を漏らしてへたり込んでいる。

まあそれはいい。

此奴が狙われた。

その事実が、作られたことが重要なのだ。しかも、あっという間に犯人は姿を消して、もう気配もない。

「学校を閉鎖! 今日の授業は全て中止! 急いで校長に連絡! 生徒は全員帰宅させろ! 緊急事態だ!」

戻ってきた佐々木警視が無線に怒鳴っている。

だが、それは、追い込まれて取った手段に過ぎない。

悪手だとは言わない。

だけれど、犯人は、想定通りの動きにほくそ笑んでいることだろう。教師を殺せなかった事は、奴には大した痛手にならないのだ。

 

捜査一課の護送車が来て、アホ教師と。関係を持っていた女子生徒達を乗せて、セーフハウスへ移動。

捜査一課は総力戦態勢で、学校を見張り始めた。

佐々木警視は、陣頭指揮を執っているが。

私は、一応話をしておく。

「此方を」

「ネットの掲示板か。 何が言いたい」

「良いですか、更新をかけると、こうです」

凄まじい勢いで、書き込みが増えている。

都市伝説に関係していた人間が、実際に得体が知れない輩に襲われたらしい。その証拠に、警察がわんさか都市伝説の学校に来てる。

死んだって話だ。

それも、もの凄くむごい殺され方をして。一緒にいた警官も、首を斬られて即死したらしい。

夢の中に怪異が出てくるんじゃ無いのかよ。

それが、教師が居眠りをしたら、いきなり死んだって話だ。

それら書き込みの内容を見て、佐々木警視が凄い勢いで怒る。

「何だこの無責任な連中は! 自分たちが何を言っているのか分かっているのか此奴らは!」

「お怒りはごもっともですが、これが都市伝説です。 これは例外的に拡散が早いですが、仕組みは基本的に同じです。 そして恐らく犯人は、これを狙っていたのでしょう。 捜査一課を引っ張り出すのが目的で、実際に教師を殺せなくても良かったんですよ」

「劇場型のシリアルキラーか」

佐々木警視が吐き捨てた。その判断は正しい。かごめも、同意して頷いた。

そして、かごめは既に分析を終えている。

次に狙われるのは。

本命だ。

だから私は、佐倉をつけている。

ただし、その本命を狙うのは、怪異も、だ。急速に力をつけている怪異がどれだけの力を持つのか、分からない。

急ぐべきだろう。

「此方はおまかせします、佐々木警視。 此方は此方で犯人を追います」

「好きにしろ。 どっちにしてもお前達は別部署だ。 ただくれぐれも気を付けろ」

「分かっています」

早足で歩きながら、小暮とかごめと話す。

まずは小暮に。

タックルした感触を聞いておく。

そうしたら、案の定だった。

「髪は長かったですが、骨格からして、女性だとは思えませんでした。 恐らくは男だと思います」

「だろうな。 奴らによって体を弄られているにしても、あの動きは少し不自然だったからなあ」

「つまり、あのトラブルメーカー、ずっと相手の性別を勘違いしていたって事?」

「それどころか、ゆうかを狙って、最初から性別を偽っていたのだろうよ」

筋肉の動きからして、骨格がおかしいと思ったのだ。

髪なんか、カツラで幾らでもごまかせるし。

何より、女装は技術だ。実際問題、女にしか見えない姿に化けられる奴も、世の中には珍しくない。

ただ偽名と言う事は無いだろう。

いずれにしても、犯人が藤原だろう事は、既に確定である。

何しろニセバートリーの話を聞く限り、部屋が違和感バリバリだそうだからだ。

とても女性の部屋だとは思えず。

かといって、男性の部屋だとも思えない。

異様な空気で。とてもではないが、形容できる状態ではなかった、というのだ。

携帯が鳴る。

佐倉からだ。

「風祭さん、急いで欲しい。 ゆうかがいきなり倒れた」

「分かっている。 此方でも、凄まじい勢いで都市伝説が拡散されているのを確認している。 お前は物理的な犯人の対処だけを試みろ。 夢魔の方は私がどうにかする」

「申し訳ない。 あたしがついていたのに」

「気にするな。 私も、此処まで都市伝説の拡散が早いとは思っていなかった。 怪異の力は、言霊に比例する。 お前の力が不足していたわけじゃない」

さて、ゆうかのアパートはもうすぐだ。

私は、二人と一緒に走る。

敵は、目前。

急がないと、本当に手遅れになる可能性が高かった。

 

3、青い狂気

 

ゆうかのアパートに到着。

かごめは既に拳銃を抜いて、ブロック塀にはりついている。もう犯人は、ここに来ていても不思議では無い。

向こうは警察を手玉に取っているつもりだろうが。

それは此方も同じ事。

外堀を埋めていったのは、こっちも同じだ。

小暮と頷きあうと、私は、真っ先にアパートに乗り込む。

そして、真正面から。

そいつとかち合った。

反応は、ほぼ同時。

私が顔面に拳を叩き込むのと。相手が繰り出したナイフが、私の髪を数本散らせるのも、同時だった。

吹っ飛んだ相手だが。

すぐに、平然と起き上がってくる。

小暮が上着を放り捨てて、構えを取る。

全力でやり合うつもりだ。

かごめは犯人の背後にいつの間にか回り込んでいて、警告。

「武器を捨てて伏せなさい。 さもないと撃つわ」

「ひひひ、撃って見ろよ」

乾いた音がする。

かごめが躊躇無く足を撃ったのだ。

犯人のふくらはぎの肉が爆ぜる。だが犯人は、平気な顔をしていた。ヤク中か此奴。いや、脳内物質を過剰分泌して、痛みを消していると見て良い。

どっちにしても、似たようなものか。

「この結界、出来は悪くない。 それなのにゆうかが倒れたのは、先に夢魔を仕込んでいたからだな」

「だったら?」

「怪異にとってゆうかはごちそうだ。 そしてお前は、ゆうかに巣くった怪異に連動している。 小暮、しばらく此奴を抑えろ。 殺すなよ」

「オス!」

私は、平然とドアを開けて、ゆうかの部屋に。

佐倉は、部屋の死守だけをオオイヌガミに命じて。自身も構えを取って、どこから襲撃が来ても良いように備えていたが。

私が来たので、驚いたようだった。

「風祭さん?」

「本物です」

オオイヌガミが即答。

不思議そうにする佐倉の横を通って、倒れているゆうかの側に。外では、小暮と犯人と、それを逃がさないように退路を塞ぎ続けているかごめの立ち回りの音が聞こえてきている。

今のあの犯人。

曽我と同じ状態だ。

つまり、ゆうかに悪趣味な夢を見せて、お楽しみ中の怪異をぶっ潰さない限り、いずれ小暮さえ圧倒し始めるかも知れない。

時間はない。

「なるほどな。 トラウマを刺激して徐々に精神を喰らって行くタイプか」

「あたしも外に行って加勢しようか」

「お前は最後の砦だ。 結界を維持していろ。 この結界は、よくできている。 仮に夢魔が逃げ出したとしても、この部屋からは出られない。 私がドジを踏んだ場合、お前が片をつけるんだ」

「ウス!」

さて、夢魔だが。

対処法は、基本的に他の怪異と同じである。

倒れているゆうかの頭を掴むと、直接真言をぶち込む。

「喝!」

ドゴンと、アパート全域が揺れる。

そして、たまらず飛び出してきたのは。

まくろきもの。

そう、それは恐らく。

あの日、一晩中ゆうかを追い回したという。

佐倉を取り込んだ怪異そのものの姿。

私がぶっ潰した前の段階。

佐倉の体を使って変異した。無数の怨念の集合体。勿論それそのものではなく、それに似せた姿。

西洋だとサキュバスやインキュバスが夢魔としては有名だが。

日本にも獏を一とした夢魔は複数存在している。

そして怪異の中でも、夢魔は厄介で。

夢の中に入って戦おうなどとしてしまえば、相当な苦戦は免れない。

だから、引っ張り出す。

「お、おのれ、食事を邪魔しおって……!」

本物の佐倉が目を背ける。

どれだけおぞましい姿になって、ゆうかを追い回していたのか、悟ったからだろう。トラウマを刺激するようなことをして気の毒だが。

一瞬で終わらせる。

「さて、仕置きの時間だ」

「ぬかせええええっ!」

全身に無数の目を生じさせる怪異。

この、今の瞬間も。

爆発的な勢いで力を増しているからだろう。慢心が、それこそ全身からあふれ出ているのが分かった。

しかし私が顔面に拳を叩き込み。

一瞬で吹っ飛んで壁に叩き付けられた怪異は。

その急速にため込みすぎた言霊の力を全身から噴き出し、破裂するようにして縮んでいった。

愕然とする怪異に、歩み寄っていく。

ゆうかは、呻いているが。

これは、まだ怪異とのつながりが切れていないから。

歩くついでに。

ゆうかに未練たらしく延ばしている怪異の触手を、踏み千切る。

ぎゃっと、怪異が悲鳴を上げた。

「さて、たっぷり苦しんで貰おうか」

「どっせいっ!」

外では、小暮が形勢逆転したらしい。藤原を投げ飛ばす音が聞こえていた。

幾ら怪異の力でパワーアップしていても、その力の供給が絶たれれば、戦闘経験のない一般人。

しかもナイフを持たせたところで、戦闘力なんて多寡が知れている。

あっちはもう大丈夫だ。

だから私は、圧倒的絶望的な力の差を目の前にして、愕然としている怪異に、顔を近づける。

「な、なぜ……俺は、凄く強くなって、いまも強くなりつづけて……」

「風船に勢いよく空気を入れれば、確かに一気に大きくなるだろうさ。 だが風船が耐えられるか? 風船にちょっと触れるだけで破裂するだろう? そういうことだ」

「ひ……」

頭を掴むと、壁に叩き付ける。

何度も、何度も。

その度に、ぐちゃん、どちゃんと音がする。

更に後頭部を掴むと、振り回して、地面に叩き込む。

定型が見る間に保てなくなっていく夢魔。

跳躍すると、そこに全力でのストンピングをぶち込んだ。

「ぎゃひいいいいいいいっ!」

「す、すげえ……」

佐倉が真っ青になっている。

私は、怪異が見えないように背中に跨がる。全身にできた目は、どれも破裂したときに吹っ飛んでしまっていた。

だから後頭部をベアークローするだけで、もうこっちは見えない。

「5,4,3」

「や、やめ」

やはり1を待たずに、背中の経絡秘孔に、指二本を立てて一撃ぶち込む。

一瞬で絶息するほどのダメージが、此奴と。此奴とつながっている藤原に走ったはずだ。外では、無様な悲鳴が聞こえた。

「さて、お前は何者だ。 どこから来た」

「い、言ったりしたら、殺される!」

「とっとと吐け」

電気ショック。

悲鳴を上げながら。びくんと跳ねる夢魔。

だんだん火力を上げていく。

「次は五十倍。 10,9,8……」

「た、たしゅけ……」

「吐けと言っている」

電気ショック。

夢魔の右腕が吹っ飛んだ。

黒い瘴気があふれ出ている。

この瞬間も、此奴の体には、言霊の力が流れ込み続けているのだけれども。それも、片っ端から外に流れて行ってしまっている。

普通、この行き場の無い言霊が、新しく怪異を造り出すのだが。

今は、佐倉の結界がこの部屋を封じている。

「次は百倍」

「わ、分かった、吐く、吐くから」

「10,9,8……」

「ひああああああっ! ぎぶえっ!??」

容赦なく電気ショックをぶち込む。

ついに、夢魔の心が折れた。

同時に此奴に流れ込んでいる言霊の流れを断ち切る。そして、目を覚まして、ぼんやり此方を見ているゆうかにも聞こえるように、ゆっくり言う。

「都市伝説というのはな、言霊の塊だ。 それは怪異に対して無責任かつ勝手な影響を与え、時に怪異を創造さえする。 お前はどうせ何処かから連れてこられた雑魚夢魔だろうが、それでも此処まで凶悪化するほどにな。 人間の心がもたらす、極めて勝手な想像と迷妄が、怪異に変異を与えていく。 その結果生まれるのが、都市伝説の怪異なんだよ」

「……」

「お前は力を得たとでも思っていただろう。 違う。 お前は醜くおぞましく変わっていっただけだ。 そしてその力は、お前のものなんかじゃあない」

「藤原朝希、殺人一件および殺人未遂二件の疑い、更に公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕する! 確保!」

外では、小暮が藤原に手錠を掛けた様子だ。

あの状態の藤原と渡り合って、私が此奴をぶっ潰すまで持ちこたえたのだ。かごめの支援があったとは言え、大したものである。

既に怪異は力を完全に失い。

心もへし折れていた。

「では、吐け」

「それは、その。 金髪の王子様みたいな男が、急に俺の所に来て、美味しい餌があるって教えてくれて」

「それで、藤原朝希に引き合わせたのか」

「はい、そのとおりです」

私が顔を覗き込むと。

真っ青になって、既に不定形の、ひとのようなものと化している怪異は、こくこくと頷くばかり。

尻を一発叩いてやると。

ひいっと情けない悲鳴を上げた。

「本当です! 本当ですっ!」

「犯行は藤原が考えたのか」

「そうです。 元々あいつ、其処の女を殺したいと思っていたようで。 じっくり時間を掛けて、心を許させるための工作をしていたんだそうで。 実際見てみるとうまそうだし、計画に乗るのもいいなって……」

「クズが」

もう一つ、尻を叩く。

めんたまが飛び出しそうな顔をした夢魔は。

ぐったりして、さめざめと泣き始める。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいもうしませんゆるして」

「で、引き合わされたのは何処だ」

「警察とか、あんたが呼んでいる場所。 東京じゃ無くて、四国の方」

「!」

そうかそうか。

やはり警察の中にも協力者がいるか。

それも金髪の王子様とやらは、かなり堂々と出入りをしているらしい。それだけ奴らの勢力は強力だ、ということだ。

「お前のような実験体は、他にいるのか」

「今回で、完成形だっていっていました。 俺がやられるのも含めて……」

「ゲスらしい思考回路だな」

「もう抵抗できません。 ぶたないで……」

ごつんと、もう一回拳骨をくれる。

そして、すっかり邪気が抜けたそいつを、式札に。まあ此奴は。百年ぐらい式札に放り込んで、外に出さないようにしておくくらいの仕置きで良いだろう。

ゆうかを助け起こしている佐倉。

複雑な表情だった。

「あの夢魔、あんな姿をしていたって事は。 あたしはあんな姿で、ゆうかを追いかけ回していたってことすね」

「そうだ。 だがあの事件は、お前に責任は無い。 忘れろ」

「……努力します」

「時間は掛かるだろうが、それでいい」

さて、結界に少し手を入れて。しばらくは、この部屋に、ゆうかが流した言霊の力が流れ込み続けるように細工。

流れ込んだ言霊の力は。そのまま浄化されるようにする。

どうせ噂の拡散は、それをやっていた藤原が止まった時点で終わりだ。

後はゆっくり消えていくだろう。

まあ、私も少し書き込みをするが。

内容は至って簡単。

劇場型の犯罪を行っていたゲスが逮捕された。そいつは自分で人を殺し、都市伝説を流布したあげくに、都市伝説が拡がるように殺ししようとしていた。

だが警察に見破られた。

そいつは見るも無惨な姿にされ。逮捕された。

以上だ。

そしてそれが事実なのは、大学から捜査一課が近日引き上げることで、真実として流布されるだろう。

この事件は、事実上終わった。

外に出る。

少し手傷を負っているが。小暮が、藤原を抑えていた。かごめが尋問しているが。かつらではなく、髪は自前のものだったらしい。独自のメイクで。女性に化けていたのだろう。非常に見事な女装だ。

ゆうかを面白おかしく殺すためだけに。

数年がかりで準備をしていたのなら。

その凄まじい執念には、恐れ入る。

悪い意味で、だが。

「そっかあ、あの役立たず、やられちゃったかあ。 最初から、自分で全部やっておけばよかったなあ。 切り刻みたかったのになあ、ゆうかの奴」

「その場合でも、貴様は小暮にぶん投げられて、私に逮捕されていたさ」

「はははは、そうかなあ」

「余罪についても追及させて貰う。 どうせ散々犬猫でも切り刻んで、そのうち満足できなくなったんだろう?」

図星のようだが、へらへら笑い続ける藤原。本物の狂人だ。

パトカーのサイレンの音。

後の尋問は、かごめに任せてしまって良いだろう。

捜査一課も来る。

拳銃を使ったことについては、後で書類を書かなければならない。ただ藤原はナイフで武装していたし、その人間離れした動きは、捜査一課の方でも確認している。更に言えば、かごめは日本の警察のやり方に則って、警告した上で足にまず発砲している。問題は、一切ない。

連れて行かれる藤原。

ゆうかは、しばらく意気消沈していたが。

佐倉が、申し訳なさそうに言う。

「すまん。 偉そうに言ったのに、辛い思いさせたな」

「いいもん。 気にしないもん」

親友として近づいてきた奴が。実は自分を殺そうと目論んでいたシリアルキラーだった。心臓に毛が生えているゆうかでも、流石にこれは堪えたのだろう。流石に此処は、一人にしてやりたいが。

そうもいかないか。

「仕掛けはしてあるが、しばらくこの部屋には言霊の力が集まる。 怪異に変貌するかも知れないから、その時は対処しろ。 後、愉快犯や模倣犯が来る可能性もあるから、ゆうかからは目を離すな」

「ウス。 お任せを」

「ゆうか、これで懲りたか」

「……レポートにする」

「はあ!?」

思わず、その場の全員が、声を上げていた。

私も、流石に愕然とする。

佐倉も、それどころかオオイヌガミまで、唖然としてその様子を見ていた。

パソコンを立ち上げると、掲示板のやりとりを片っ端から保存し始めるゆうか。どこか鬼気迫っている。

かごめは藤原と一緒に行ってしまったので。

此処にはもう、私と怪異の他には、外を調べている捜査一課と、小暮と、佐倉しかいない。

その全員が、あきれ果てていた。

いや、こういうときこそ。

仕事をしないと、心を紛らわせられないのかも知れない。

そういう意味では。

ゆうかが始めたこれは、正しいストレスの解消法なのかも知れなかった。

「あ、呆れた娘であります……」

小暮も、流石に、言葉も無いようだった。

私もだ。

此奴はひょっとして。

ある意味、とんでもない逸材なのかも知れない。

ある意味だが。

「後は任せるぞ」

硬直していた佐倉に後を任せて、私はその場を去る。

仮面の男に任されていた事件の方も、解決しなければならないからである。

いずれにしても、犠牲者が増えずに済んだことだけは幸いだ。ふと、一度だけ振り向くと。

ゆうかが、目を乱暴に擦っている姿が、見えたのだった。

嘆息する。

心臓に毛が生えていても、それでも人間は人間か。私は何とも言えないやりきれない思いを味わったけれど。

もう、それは仕方が無い事だった。

 

4、エレベーターの怪

 

編纂室に一度戻る。

ネットで確認すると、もう都市伝説は収まり始めていた。というよりも、犯人確保と、警察が撤収し始めたのを、複数人が確認したのだろう。ニュースになるかはわからないけれども。

なったとしても、ちょっと流すだけ。

誰もがすぐ忘れてしまうだろうが。

自分に関係無いなら、他人が死のうがどうしようが知ったことじゃない。

大半の人間が、そういう生物だ。

そんなことは昔からであり。

だから都市伝説は、無責任かつ無軌道に拡がっていく。その過程で、多くの喜劇と悲劇を巻き起こしながら。

「この様子だと、数日以内には収束するな。 ふくれあがるのが早かった分、収まるのも早い、というわけだ」

「佐々木警視も怒っておられましたが、本当に無責任な話ですな……」

「それが人間だ」

あきれ果てたが。

しかし、私はそんな人間を見慣れている。

だから、今更気にする事も無い。

そもそも人間の全てに、善性だとか、良心だとか、そんなものを期待する方が間違っているのだ。

弱いものなのである。

だから守らなければならない。

警官として、守るべきなのは弱者だが。

その弱者が、いつも必ずしも正しいわけではないし。弱者が聖人でもないことは、知っておくべき事だろう。

そうでなければ、警官なんて続けられなくなる。

かごめが戻ってくる。

「あらかた吐いたわ」

「そうか。 じゃああとは裁判の方での仕事だな」

「無期は避けられないでしょうね。 自業自得だけれど」

なんと藤原は、ゆうかに接近するために、化粧どころか女性ホルモンまで摂取していたのだという。

元々女性に近いトーンの声を出せる体質だったらしいのだが。

そこまでやるとなると、その執念は異常だ。

とにかくゆうかは怪異ホイホイだが。

今後は異常者にも気を付けなければ危ないだろう。

それにしても、今回も奴らは、迅速な動きを見せていた。ちょっとでも油断すれば、更に数人死者が出ていただろう。

危ないところだったのだ。

佐倉から電話が来る。定時連絡だ。

「風祭さん、異常はないんすけど。 ゆうかが外に出たいって」

「なんだ、ひょっとしてレポートができたとか」

「そうらしいっす」

「護衛してついていけ」

つまり、良いって事だ。

模倣犯には気を付けなければならないが、オオイヌガミも側についている。それに佐倉も相応に仕込んでいるし、ただの変質者程度だったら充分に対処できるはずだ。

いっそのこと、しばらく佐倉はゆうかと組ませるのも有りかも知れない。

嫌でも鍛えられるだろう。

兄者も流石に今回のゆうかの図太さには閉口させられるだろうけれど。都市伝説のレポートとしては、いいものに仕上がるはずだ。

こういう図太さは。

ゆうかのような体質の人間が生きて行くには、必要なのかも知れない。

ただでさえ、怪異を引き寄せるのだ。

変質者まで引き寄せることが、今回分かってしまった。

それだったら、なおさら。

図太すぎるくらいに図太くなければ、だめなのだろう。

「さて、小暮、出かけるぞ」

「もう一つの、用件……でありますな」

「そうだ」

「気が進まないのであります」

しっかりしろ。

一言だけそう言うと、私は小暮を促して、編纂室を出る。かごめはというと、事件の後始末で、書類を幾つか作るという。

まあ発砲もしたし、それは仕方が無い。

テンプレの書類で済むのなら、それで充分だ。

世の中には、警官から拳銃を取りあげようとかほざく阿呆どももいて、それがマスコミに巣くっていたりもするので、タチが悪い。

実際問題、武装が無ければ警備という任務は達成が厳しい。

どうやって素手で、武装した犯人に対応しろ、というのか。

さて、本庁のエレベーターに向かう。

小暮が来ると、大喜びでスタンバイしている幽霊がいるのだが。今日は誰もいない。珍しい話だ。

だが、最近は小暮が階段を使うようにしている事を見越して、そっちで待ち伏せしていることもあるらしいので。

或いは、みんなそっちに行っているだけかも知れないが。

いずれにしても、モテモテである。

「小暮ももてるなあ」

「笑い事では無いのであります」

「分かっているさ」

小暮はこれだけ怪事件に遭遇しても、どうしても怪異への恐怖を抑えきれずにいる。こればっかりは、根本的な人間的性質なのだろう。

だから私も責める気は無い。

克服は、できるのならすればいいし。

できないのなら、克服しないにしても、つきあえるようにしていけば良いのだ。

人間には、どうしても苦手な分野がある。

それを無理矢理にやらせようとしても。

却って長所を潰してしまう事が多い。

それだけは避けたい。

さて、仮面の男に言われて来たのは、此処だ。警察幹部用のエレベーターに乗り込むと。フイに、それが現れる。

長身の、白人の男性。

文字通りの、白皙の美貌の持ち主だ。

「やあ、君が風祭警部だね。 噂には聞いているよ。 彼方此方で、難事件を次々に解決しているとか」

「どちら様で」

「ファントムとだけ言っておこう。 ちょっと本名を明かせぬ身でね」

「……」

此奴、まさか。

だが、此処で仕掛けるわけには行かない。

まだ、此奴に手を掛けるには。色々と準備が足りないのだ。だが、此処で此奴をブッ殺せば、敵組織に相当なダメージを与えられるはず。

軽く見ただけでも、此奴の能力は相当だ。

もし、今まで怪異達の口から上がっていた金髪の王子様が此奴だとすると。

此奴を潰したときの敵組織のダメージは、それこそ計り知れないものになるだろう。

だが。

此奴がそうだとは、限らない。

口惜しいが、今はこらえるしか無い。

「君ほど優秀なら、FBIでもエース格として迎えてくれるのでは無いのかな。 日本の警察は優秀だが、君のような規格外は肩身が狭いだろう。 いっそ国籍を移してみてはどうだろうか」

「悪いがこの国でまだまだやる事がありましてね。 どなたかは存じませんが、ご評価だけは感謝します」

「ふふ、そうかい」

いちいち言葉遣いが気色悪い奴だ。

まあそれはいい。

エレベーターを降りる金髪男。

小暮が、スーツの襟を直していた。

「何というか、男でもはっとさせられるほどの美貌でありましたな」

「気付いたか」

「何をです」

「あいつが恐らく、怪異達が言っていた金髪王子だ。 ただ、その可能性が高い、というだけで、まだ証拠は揃っていない。 殺せればなあ……」

拳をあわせる。

本当に、今殺しておけば。

多くの被害が未然に防げるかも知れないのに。

小暮も、思わず口をつぐむ。

本当に彼奴を殺せておけば。どれだけの被害が防げるか、分からないほどだというのに、手出しできない。

向こうもそれを理解していて、姿を見せたのだろう。

そして本庁にさえ。

奴らに協力している勢力が、一つならず存在している、という事になる。警視総監でさえ、そうかも知れない。

少なくとも、世界の闇に蠢く邪悪の権化。

その幹部が。

警視庁に、自由に出入りできるほどには。奴らはこの国の中枢に、食い込んできているという事だ。

電話が鳴る。

仮面の男からだった。

「どうだね、様子は」

「恐らく金髪の王子と呼ばれる、例の幹部に遭遇しました。 確証はまだないので、交戦は避けましたが」

「それが賢明だ。 相当な使い手だと聞いている。 小暮くんなら勝てるかも知れないが、リスクを考えると今は戦いを避けるべきだろう」

まさか、此処で奴とあわせるのが。電話の目的だったのか。

そう聞くと、違うと言われた。

「実は本庁の方に巣くっている鼠が、エレベーターに仕掛けをしているらしくてね。 丁度、今君が乗っている奴だよ」

「!」

「調べて、潰して欲しい。 前は特に問題も無かったのだが、今は急ぎの用件に変化している。 既に犠牲も出ているのだ。 別方向から調べていた人員が、此処に行き当たって、その結果、と言うわけだ。 できるだけ、すぐに対応してくれ」

電話は切れた。

犠牲、か。

ひょっとすると、本庁を内偵していた、上部組織の人間だろうか。だとしたら、どうやっても潰さなければならない。

ゆうかの今回の事件もそうだが。

奴らは殺しを一切躊躇わない。

相手が女子供だろうが妊婦だろうがお構いなし。勿論一般人を手に掛ける事なんて、何とも思っていない。

いずれ、殺す。

あのすかした金髪は、二度と見られぬ顔にしてやるとして。

まずはこのエレベーターからか。

ふと気付くと。

小暮の横に、知らない警官が立っていた。女性警官で、小暮は思わず驚いたように顔を上げた。

結構な美貌だ。

或いは、小暮のタイプなのかも知れない。

だが、問題は。

彼女が幽霊だ、という事だが。

「仕掛けは此方です」

「内偵していて殺されたのか」

「……」

寂しそうにほほえむと、彼女はボタンを指し示す。指定通りに押すと、いきなりエレベーターががくんと止まった。

さて、行くか。

この先に何がいるかは知らないが。

いずれにしても、あのすかした金髪野郎につながっているなら。絶対に、叩き潰さなければならないことだ。

多くの散って行った者のためにも。

私は成し遂げなければならない。

 

5、血の海

 

複数の死体が転がっていた。

いずれもが。犬童が戦っている敵組織の幹部である。ちなみに、手を下したのは犬童ではない。

其処に立っている、年齢不詳の男。

道明寺だ。

此奴は、元々自衛隊の最暗部である暗殺部隊にいて。スパイ天国と呼ばれていた時代、百人以上のスパイを殺してきた凄腕中の凄腕だが。

その前の経歴がよく分からないのだ。

以前は知っていたと思っていたのだが。どうにもそれはフェイクらしく、最近気付いて慄然とした。何しろ、九十歳を超える人間が、若い頃道明寺と一緒に仕事をしていた、という話を聞かせてきたのだ。そしてその老人は、嘘をつくような人物では無い。

道明寺は正直、人間かさえも定かでは無い。

以前犬童は、此奴は自分が徐福で。人魚の肉を食べて古くから生きている、などと口にしているのを聞いた事があるが。

流石にそれは冗談だとしても。

此奴の正体が、怪異の王か何かだとしても、驚かない。

この世には、分からないものがいくらでもある。世界の闇を見てきた犬童でも、である。

「これはまた派手にやったな」

「何、口は割らせたし、もう用済みでしたのでね」

「そうかい。 で、それは」

「奴らの研究成果ですよ。 ただしコピーですが」

USBメモリを抜き取ると、道明寺は姿を消す。嘆息すると、犬童は部下達を、部屋に招き入れた。

此処は警視庁。

しかも本庁のかなり高層階。

警察内部に巣くっているドブネズミの一部を、今回退治したのだ。いずれもが、この国を売っても、自分の利益だけは確保しようと考えていたクズ共。死んで当然の連中だったし、心なんて痛まない。

それに此奴らは無能キャリアで知られる連中だ。

いても前線で頑張っている警官達の足を引っ張るだけ。

存在そのものが有害なのだ。

だから、消した。

汚れ仕事をする奴はどうしても必要になってくる。道明寺や犬童がそれだ。

電話が来る。

今度は、彼奴からだった。最近仮面を被るのが大好きになった、彼奴だ。

「状況はどうかね」

「純が開けた穴を突いて、道明寺が潜入。 工作員のカタキは討てたわ」

「それは結構……」

「後始末は適当にしておくで」

死体の処理を始めさせる。

部下達は何も言わず、黙々と死体を片付けていくが。その様子には、手慣れている、という言葉以外の形容が思い当たらない。

実際、殺しにはもう慣れた。

今回のケースは、ダルマにするだけではだめな状態だった。此奴らはそれだけの罪を犯して。更に告発も難しい状況だったのである。

いずれにしても。

警視庁に巣くっていたドブネズミを処理できたのは嬉しい事ではある。

これで敵の勢力をまた効果的に削ぐことができた。

なお、少し前にも、敵の研究所を一つ潰している。

戦いは、確実に有利になって来ている。

だが、敵も関係構築のために、幹部である「幽霊」を本庁に派遣してきたそうだ。多少有利になって来たくらいでは、とてもではないが事態は楽観できない。今回処理した連中だって、警視庁に巣くっていたドブネズミの全てではないだろうし。

死体を片付け終え。

その後始末も済ませると、部屋を出る。

元々使われていない部屋だ。

此処を突き止めるのに、大事な同志が一人死んだ。だがその犠牲分の利益は得た。長い事戦っていると、そういった考えをするようになってしまう。

殺し合いは。

確実に人間性を摩耗させていくのだ。

また電話。

今度はボスからだ。

「犬童、良いか」

「なんやボス」

「近々、大規模な作戦に出る。 米国側との歩調が整ってな。 上手く行くと、少なくとも本庁からはドブネズミを一掃できるやもしれん」

「それは重畳……」

それで事態が一段落するなら。

犬童にとってはとても良い事だ。

何しろ、手がかりがもう少しで掴めそうな彼奴を、ついに本格的に追うことができるからである。

奴を殺すためだけに生きてきた。

そして、今生きているのも、半ば執念だ。

殺すまでは死ねない。

力も失うわけにも行かない。

協力しているのは、それが故。ボスの持っている技術で延命と力の引き出しを行っているのも。

殺しに時々荷担するのだって。

全ては目的のためなのだ。

「ただ、そうなると、敵は本隊を日本に投入してくる可能性がある。 奴らにとって、この国はそれだけ魅力的な実験場、という事だ」

「例の幽霊が来ている時点で、相当に切羽詰まっているんやないの?」

「そうだな。 だが、奴は幹部の一人に過ぎない。 我々が奴らの首領と見なしている男が、来るかも知れない」

男、か。

実際には、本当に男かさえも分からない、影の勢力の首領。それが何国人なのかさえも、不明な有様。

各国の諜報組織が全力を挙げて調査しているが。

それでも経歴が判明しない謎の存在だ。

分かっているのは、米国のパワーエリートや欧州の財閥、中華の共産党員幹部にまで大きなコネを持ち。

中規模国家の国家予算規模の資産を持つばかりか。

各国の紛争に介入し。

怪異兵器をも用いて、膨大な利益を上げている、事くらいか。

国によっては、此奴の顔色を窺うばかりであったり。

或いは、支配されてしまっているケースまであるという。

それほどに強力な相手である。

だから、米国側も、近年は全力で排除に掛かっているし。情勢不安になりはじめた欧州も同じ。

その甲斐あって、ようやく相手に対して互角以上に戦えるようにはなって来たが。

まだまだ出血が絶えない。

米国の方でも、かなりの損害を出しているとかで。大統領命令で、排除を指示された官僚達が、必死に走り回っているそうだ。

何者かさえも分からない相手。

組織の幹部達は何度も殺したが。

そいつらでさえ、首領が何者かは知らない。

そればかりか。

ひょっとしたら、首領は実際には存在しない、という説まで流れているほどだ。誰かしらの幹部が求心力を得るために首領の存在をほのめかしているだけとか。或いは、実は怪異なのでは無いか、という話さえある。

いずれにしても、生半可な相手では無い。

早くひな鳥たちが一人前になってくれないと、組織としても戦いづらくて仕方が無いのである。

人材育成は苦手だが、そうも言ってはいられない。

奴らの脅威にさらされている途上国では、犬童でさえ目を背けるような非人道的行為が、平然と行われているのだ。

「それと、新しい若手の準備が整った。 来月から君の所に廻そう」

「助かるわ。 それで、例の奴なんやな」

「ああ。 腕は確かだ」

名前は羽黒薫。

そう、以前死んだ人間の名前を借りた、別の存在。

警視庁には長くいるが、巡査長としてずっと務めていて。若々しい青年のように見えるが、実際には三十近い。

此奴は、道明寺肝いりの部下で。

風祭と賀茂泉の足りない部分を、充分にカバーしてくれるはずだ。

そして、此奴が加わって、編纂室がある程度形になったら。

犬童は、ようやく敵討ちに出られる。

そして編纂室は、上部組織に合流。

幹部として加わって貰い。

本格的に敵組織との戦いに身を投じて貰う事になるだろう。

「さて、そろそろ電話は切るが。 くれぐれも無理をしないようにな」

「ああ、わかっとる」

通話を切ると、地下の編纂室に。

其処では、小暮が大きな荷物を持たされて、途方に暮れていた。多分、例の猫キャラのグッズだろう。

「今回はなかなかの品質だな」

「ええ。 時に海外から良い品を仕入れられそうでね」

「ほう。 私も噛ませろ」

「いいわよ」

ご機嫌の風祭と賀茂泉。

まあ正直どうでも良い。少しばかり力を使ったし、その分は休息しなければならないので、奧のソファで休む。

小暮は大事に品を扱うように言われて、苦労しながら並べていたけれど。

グッズコレクターの考えはよく分からない。

まあ、好きなのだから、好きにすれば良いとは思うが。

コレクターなどやる精神的余裕が、もう犬童には無い。ちょっと気を抜くだけでも、殺意で心中が一杯になりそうな位なのだから。

小暮が来る。

わいわいと喧しい風祭と賀茂泉から避難してきたのだろう。まあ、気持ちとしては分からないでも無い。

仕事の時は有能な二人だが。

それ以外の時は、色々と面倒な変人コンビなのだから。

「犬童警視、何処かに出かけておられたのですか」

「ああ、ちょいな。 それよりも、来月から新人が来るで」

「本当でありますか」

目を輝かせる小暮。

警部補になっても、一番下の立場。そういう面倒な状況から、やっと逃れる事が出来るのだ。

さぞや嬉しいだろう。

「階級は巡査長。 丁度お前の部下になる形や」

「それは有り難い。 警部補になっても一番下の立場というのは、色々と辛かったものでして」

「此処は分かっていると思うが、スペシャリストの集まりやからな。 お前は肉弾戦に関しては右に出るものもおらんし、それで良かったんやけどな。 育てておきたい部下が、また増えた、いうことや」

ただし、と釘も刺す。

部下と言っても、やはりスペシャリストだ。

今回の奴は、多方面に科学的な知識を持つ奴で、薬学などにかなり博識な存在である。小暮とは正反対のタイプで。

オカルトに強い風祭や。

心理学に強い賀茂泉に対して、相応のサポートを期待出来るだろう。

つまり、階級はともかくとして。

皆がエキスパート、という点では、今までとは違いが無いのである。

「部下で階級が下とはいえ、あまり高圧的にでたらあかんで。 頭脳派やから、やりこめられるかも知れへんしな」

「分かりました。 気を付けます」

「ああ、それでええ」

小暮は物わかりが良くていい。憶病なところさえ克服できれば、警官として理想的なのだが。

こういう部下がきっちり育って、そして警察を引き締めてくれれば。

あんなクズ共に好き勝手に入り込まれる事もなかっただろうし。

何よりも、この国はもっと良くなるだろうに。

「いずれ、お前には大きな組織と、大勢の部下を持って貰うつもりや。 その時に備えて、部下とのつきあい方を練習しておくんやで」

「はい。 了解であります」

それが、自分にはできなかった。

さて、少し休むとしよう。

競馬新聞を拡げる。

さっきまで人間を殺して、片付けていた人間の行動とも思えないけれど。これが現実というものだ。

人は死ぬ。

そして、人の迷妄は怪異を変える。

怪異は存在し続け。

人の言霊によって、邪悪にも善良にもなって行く。

だがそれは、ひょっとすると。

人間も同じなのではないのだろうか。

風祭と賀茂泉は、いつの間にか作業に戻っている。サーバは完成したし、データを入れ込むのも終わっている。

いずれ、この編纂室は閉鎖して、もっと大きな集団をそれぞれが率いる事になるが。風祭も賀茂泉も、その辺りの器量は充分だ。

後は、一人前になるまで、見守れば良い。

それだけだと、犬童は思った。

 

(続)