本当のなまえ

 

序、夢の果て

 

早速というべきか。サーバを稼働させて、データを移動させ始めると。色々と問題が起き始めた。

ラック内に入れている機器類も問題が起きるし。

サーバそのものも、不具合を起こす。

私も万能じゃ無い。マニュアルを見ながら対応し、場合によってはサポートに連絡しながら手を打つけれど。

色々と面倒だなと、サーバ管理の厄介さを思い知らされた。

まあ、素人がマニュアルからサーバを構築して、稼働までこぎ着けたのだから充分という声もあるかも知れないけれど。

かといって、今使っているのはある意味大変重要なサーバなので。

そういうわけにもいかない。

まあスタンドアロンである事、データを定期的にバックアップしていることだけは当然として。

新しく入ってきたかごめが、かなり詳しくて。

手伝って貰えたのは救いだっただろうか。

「ふーむ、データベースの検索が遅いな」

「このサーバの性能じゃ仕方が無いわよ。 でももっと良いのになると、それこそ数百万はするわよ」

「うーむ、困りどころだな」

そもそもこのサーバそのものが、古い型落ち品なのだ。幸いHDDの容量は不足を感じていないけれど。

それ以外は、実稼働させてみると、若干不満が残る。

しばらくああでもないこうでもないと話をしていると。電話が鳴った。

例の仮面の男からだ。

「やあ、しばらくだね」

「はい。 それで今日はどのような事件ですか」

「恐らく、捜査一課から話が来るはずだよ」

それだけ。

通話が切れたので、ちょっと呆れたけれど。ただし、連絡が来ると言うからには、面倒な事件なのだろう。

かごめが、話を聞いていたからか。

すぐ捜査一課に連絡。

向こうでは佐々木課長が出たらしく。

二言三言会話をすると、すぐに彼女は出て行った。

肩身が狭そうにしている小暮が言う。

「またなにやら怪奇事件でありますか」

「さてな。 ただ私に連絡が来たと言うことは、ろくでもない事件である事はほぼ間違いないだろう」

肩を掴んで回す。

さて、今回は何が起きるか。

今までも、下手をすると大量殺人につながるような事件が、何度も目の前で繰り広げられた。

介入を開始したタイミングによっては、死者が出たケースもあったはずだ。

犬童警部は。

テレビを見ている。

テレビでは、川原ミユキが美声で歌を披露している。アイドル時代に培った能力は健在で、一からやり直している今でも、その実力に衰えは無い。というよりも、あっという間に前の地位くらいは取り戻しそうだ。

あのミユキも。

私が介入するタイミングがちょっとでも遅れていれば殺人犯になっていただろうし。下手をすると自分も殺されていたはずだ。

それを考えると。

私が任される事件は、どれも緊急性がとても高い、という事になる。

勿論、今犬童警部達が直接退治しているような相手が前に出てくるほどの事件ではないのだろうけれど。

それでも、まだ実力が足りない。

私自身では無くて。

組織力が不足しているのだ。

かごめが戻ってくる。

非常に不機嫌そうだった。

「まーたあの無能が、できもしないことをぴーちくぱーちくと」

「無能?」

「平本の事よ」

平本か。

一応ヒラから捜査一課に抜擢された刑事で、現時点で警部補である。警視庁の精鋭が揃う捜査一課に抜擢されるだけの実績を持つベテランなのだけれど、少しばかり頭が固いところがあり。私が捜査一課にいた頃には、色々と衝突する事が絶えなかった。

かごめがいうほど無能では無いと思うが。

まあこの女王からしてみれば、大概の相手は無能だろう。流石に平本も目をつけられる相手が悪かった、という事だ。

で、だ。

何か事件かと聞いてみると、かごめがファイルを机に叩き付けた。

かごめの机の上に鎮座している、国民的人気を誇る猫のキャラクターグッズ達が、衝撃で跳び上がるけれど。

まあ直接叩いているわけではないのだし、私も文句は言わない。

もしグッズを直に叩いたりしたら、その場で戦争だ。

「ストーカー事件」

「捜査一課の担当じゃ無いだろう」

「そうね、普通なら。 ただね、これを見る限り、どうも過去の殺人事件に関与している雰囲気があるのよ」

なるほど、もう目を通してきたのか。

それとも、ひょっとすると。

現在捜査中の事件の主なものには、あらかた目を通しているのかも知れない。まあかごめの能力からすれば、不可能では無いだろう。私は其処までの記憶力はないので、真似できない。

ファイルを開いてみる。小暮も、覗き込んだ。

ストーカーの被害者だと訴えてきているのは宮本舞。

職業は夢占い師、だそうである。

ふむと、私は鼻を鳴らす。

占いはまあ一種の統計という話もあるけれど。実際の所、心理学に近い。ものがある場所を当てる、などという芸当はほぼ成功しない。だいたいの場合は、相談事に対して、相手を見ながらアドバイスをしていく、という作業になるのが普通だ。夢占いとなってくると、更に胡散臭さは増す。

私もこの仕事をして長いが、本物と呼べる占い師なんて、数人しか知らない。

しかも占い師には適性が必要で。

あらゆる意味で、難しい仕事なのだ。

その上、である。

「都議の娘か。 厄介だな」

「今までに一度ならず、捜査に対する圧力が掛かってきているようよ。 自分たちでボディガードを雇うから、警察は余計な事をするな、とね」

「娘の方は保護を求めているのにか」

「そうよ」

うわと、私は思わず呟いていた。

これは極めて面倒くさい案件だ。

ストーカーという言葉が一般的になり出してから、その解決が極めて難しい事も、また広がり始めた。

実際問題、様々な人間関係のこじれなどがストーカーを狂気の行動に走らせていることが多く。

下手に介入すると。

却って問題を大きくすることも珍しくないのだ。

警察は動きたがらないため、問題が大きくなるケースも珍しくは無い。その結果、死者が出ることもままある。

そして、今回は。

私の所に連絡が来ている。

つまりかなり面倒な案件である事は、ほぼ間違いないだろう。

「まずはストーカー被害を受けているというその宮本という占い師の所に足を運ぶとしようか」

「それが賢明ね。 この資料だと、少なすぎる」

「おや?」

小暮が、小首をかしげる。

それで、私も気付く。

この捜査資料。

妙に初動が古くないか。

今、宮本舞という女性は、二十代そこそこのはず。それなのに、十数年前以上から、捜査資料が存在している。

しかも、途中がごっそり抜き取られているようなのだ。

「何だこれ」

「極めてずさんな管理ね。 米国だったら懲戒ものだわ」

「……」

本当にそうだろうか。

この事件、ひょっとして。

今私が考えている以上に。

闇が深いのではあるまいか。

そもそも、占いなどで喰っていける人間は、ごくごく一部だ。殆どの場合は話術だけで相手を誤魔化す場合が殆どで。つまりそれは、卓越した話術と分析力が求められるという事になる。

逆に言うと、本当に未来が見えるケースでも。

相手を納得させる話術がないと、占い師として喰っていけないケースが多いのである。

占い師が難しい所以だ。

私の師匠をしていた人間にも、占いができる者がいたけれど。

占いは最終手段だと、いつも口にしていた。

特に星占いや易姓などは、非常に難易度が高く。

適中させるのは、神業に近いと言う。

さっと、ネットで調べて見る。

宮本舞という占い師の情報は出てこない。つまり、それだけマイナーな占い師、ということだ。

派手な宣伝をぶって、話術で稼いでいるタイプでは無いという事だろう。

本家に連絡。

先ほど思い浮かべた師匠を出して貰う。

そして、宮本舞という名前に心当たりがあるか確認するが。

応えはノーだった。

勿論捜査情報は漏らしていない。宮本舞についての情報確認だけだ。

「夢占いは特に適性が限られていてね。 商売になるようなケースは、本当に希なんだよ」

「そうなると、この宮本という女性は」

「少なくとも、私は聞いたことが無いね」

礼を言うと、電話を切る。

さて。

いずれにしても、まずは本人を確認しないと始まらないだろう。前に警察に来たのは、一週間前。

それから姿を見せていないという。

そうなると、何か起きていても不思議では無い。

幸いアドレスはおいて行っているので。

連絡を入れてみた。

少し電話が鳴ってから。出る。

何だか、後ろ暗そうな声の女だった。

「はい、宮本です。 お仕事でしょうか」

「警視庁の風祭です。  ストーカー被害を受けているという事で、連絡を受けました」

「やっとですか」

大きなため息をつかれる。

前は相手にもされなかったと、ぶちぶち文句も言われた。

まあ、ストーカー事件の対応は難しい。

そう説明するのも何だし。

まずは、相手に言いたいように謂わせておく。ましてや都議が、捜査を止めろとか圧力を掛けてきているのだ。

もしも捜査するなら。

電光石火で動かないといけない。

それには、情報が少しでも多く必要なのだ。

電話はスピーカーモードにしているので、小暮もかごめも聞いている。私は、順番に、話を聞いていく。

「ストーカーの被害が始まったのは」

「随分前からです。 ひどくなりはじめたのは、ここ二年ほどですけれど」

「具体的にどのような被害を受けていますか」

「夜道で後をつけ回されたり、勝手に家に入り込まれたり」

ほう。それは面倒だ。

だが待てよ。

どうも妙だ。

「ひょっとして、もっと前にも、似たような被害を受けているんですか?」

「……」

「どうしました」

「従姉妹がその時は殺されました。 まだ小学生の時です」

何。それはまた。

なるほど、調書が分厚いわけだ。

その時は、殺人事件に発展した、という事だったのか。

だが、しかし、である。

それならどうして都議は捜査を拒否する。

そればかりか。

もっと捜査一課が、本腰を最初から入れていてもおかしくは無いはずなのだが。

かごめは既に動いていている。

捜査一課に連絡して、情報の取り寄せをしているようだ。小暮もPCに向かって、データベースにアクセスしていた。

「犯人は見ていませんか」

「影くらいなら。 大柄な男性だったと思います」

「ふむ、護身用の道具くらいは持ち歩いた方が良いかもしれませんね」

「……」

いずれにしても、これから其方に向かって大丈夫かと聞くと。

平気だと返された。

恐らく、仕事も閑古鳥なのだろう。

実際問題、名前も知られていない占い師なら、なおさらだ。本当にそれで生活できているかも疑わしい。

約束を取り付けて、一端電話を切る。

「あったわ」

速攻である。

かごめがすぐ戻ってきた。十四年前の殺人事件のファイル。従姉妹の内姉が惨殺されている。

その時の生き残りが、宮本舞だ。

小暮も見つけた。

両方のデータを確認するが、どうも迷宮入りしているらしい。殺人事件では無くて、変死事件として当時は処理した様子だ。

だが、データを見る限り。

変死だとはとても思えない。

これはひょっとすると、この時も。

何か圧力が掛かったのではあるまいか。

「いずれにしても、見に行くしかあるまいな」

腰を上げるが。

かごめは挙手。

「私は此処でプロファイリングするわ」

「ふむ、背後関係を洗いたいというのだな」

「ええ。 其方では、前線で情報を集めてちょうだい。 此方は情報が固まり次第合流する」

「承知した。 小暮、行くぞ」

すぐに外へ。

幸い、既に季節は秋に掛かりはじめ。

かなり過ごしやすくなってきている。

気候がどんどん厳しくなっている東京だけれども。

涼しくなりはじめると、それもまた早い。ただここのところは、昔では絶対見られなかった豪雪が起きるようにもなってきたが。

車を出して貰う。

地図については、カーナビを用いる。

いずれにしても、かなり良い立地のマンションに住んでいる。アクセスは難しくない。電車を使う事も考えたが。色々と入り用になる可能性があるので。こういうときは、車で移動する方が良いだろう。

首都高に乗った頃。

小暮がぼそりと漏らす。

「先輩、気付かれましたか」

「何をだ」

「さきの宮本さんとの電話の際に、後ろで女の子の楽しそうな笑い声がしていませんでしたか」

「そういえば……」

確かにそうだった。

それも、マンションと言っても、壁が薄いような安普請では無いはず。都議が猫かわいがりしている娘に与えているようなマンションだ。隣の家の子供の声が聞こえてきているとは思えない。

ましてや宮本舞は独身。

何処かの子供を預かっていたとも考えにくい。

「とてもとても嫌な予感がするのであります」

「……そう、だな」

首都高を降りて、目的地に。

立派なマンションだ。四十階建てくらいだろうか。

宮本舞は、此処の十七階に住んでいる。

 

1、夢の中に

 

面倒な認証を経て、マンションの中に。まだかごめから連絡は来ていない。つまり、プロファイルに集中している、という事なのだろう。

中に入ると、ホールからして、何処かのホテルのようだ。それも結構高級な奴。私は一応それなりに金持ちな方である。住んでいるマンションだってそこそこ大きい。

だが此処は桁外れだ。

流石に都議の娘である。中々に大した家に住んでいる。

そして、実力が無いのに占い師なんて儲からない仕事をできる理由もよく分かった。はっきり言って、稼ぐ必要はないのだ。

趣味をそのまま生活にできる、という事である。

「いわゆるセレブでありますな」

「都議の娘だというのも頷けるな。 普通占い師は、余程有名にならないと、稼ぐことは難しい」

私の師匠だって、たまに仕事が来て、それでどかっと稼ぐけれど。それでも年収はどうということもない。

テレビにバンバン出てくるような占い師は。

殆どが、誰かしら財界などにコネがあったり。

話術や心理分析が得意だったりするパターンで。殆どは、実際に占う力なんて持っていない。

どちらにしても、コレは色々とやりすぎだ。金を持っていることをそんなに見せつけたいか。

監視カメラも彼方此方にある。

まず、マンションの管理人に会いに行く。やせこけた男で、目が妙にぎらついている、いやな雰囲気の男だった。

曽我哲治という名前のその男は。

警察手帳を見せると、露骨に嫌な顔をした。

「兄から捜査は無用と連絡が行っていませんでしたか」

「兄?」

「私の兄は、都議会議員の宮本篤ですよ」

「ほう……」

目を細める。

実のところ、ストーカー被害の何割かは、身内が行っているケースが多い。しかも自分の弟に経営させているマンションに、娘を住まわせているとは。

これはなんというか。

もはや過保護を通り越して、籠の鳥だ。

さぞや息苦しい生活をしているだろう。まあ、趣味を仕事と名乗る位は許されているようだが。

そう思ったけれど、口にはしない。

名字が違うと言う事は、どっちがいわゆる婿養子か。まあどうでもいいが。

「ストーカーの被害が、かなり激しくなっているという話ですが」

「姪の被害妄想でしょう。 話だけ聞いたら、さっさと帰ってくださいね」

「……とりあえず、話を聞いてくるとします」

何だ此奴。とにかく嫌な気配がぷんぷんする。

小暮に耳打ち。

「今の奴、怪しいな。 気を許すな」

「確かに感じが悪い人ではありますが」

「そうじゃあない」

彼奴の背後。

複数の怨霊がいる。それも、恐らく殺人関連で命を落とした人間だ。下手をすると、彼奴は、シリアルキラーかも知れない。

金持ちの兄がいるから、身を隠せている連続殺人鬼。

可能性は否定出来ない。

ただ、今はまだ資料が足りない。

まずは、当人に会うのが先だ。

足音。

振り返ると。

向こうで、小さな女の子が此方を見ていた。壁から、顔だけ出すようにして。

それが生きている人間では無い事を、私はすぐに悟った。小暮も気付いて、ぎょっとした様子で其方を見る。

「あ、あれは」

もういない。

中々に素早い奴だ。そう思ったら、いきなり足下にいて、私を見上げていた。中々にやるな。

小暮は文字通り跳び上がって、私の後ろに逃げ込む始末。

情けないと思ったけれど、仕方が無い。此奴はあくまで肉弾戦担当。霊的な相手は、私が担当するのだ。

「何だ、何か私に用か」

「お姉さん、おまわりさん?」

「そうだ。 それがどうかしたか?」

「……」

ふいっと視線をそらすと、子供の幽霊はぱたぱたと足音を立てて消えていく。消えるのも、あっという間だった。

遊んで欲しいのか、そうではないのか。

いや、あの様子は。

何かを知らせようとしている。

まあいい。兎に角、夢占い師とやらに会うのが先だ。やたらセキュリティが厳しい廊下を歩く。

「これでは、ストーカーが入り込もうにも無理ですな」

「そうだな、十中八九内部犯だろう。 犯人は多分相当に近くにいると見て良いだろうな」

あの叔父は候補の一人。

見ていて不愉快だったというのもあるけれど。あの怨霊の様子からして、彼奴がまともな人間とは思いがたい。

ほどなく、現地に到着。

ドアをノックすると、少ししてから、妙に派手に着飾った女が出てきた。占い師は、相手に対する印象操作をする意味もあって、ちょっと不思議な格好をするケースも少なくない。

此奴も、その類だろう。

そして、一目で分かった。

此奴はエセだ。

能力の類は持っていない。そうなると、占い師という仕事は、本当に趣味でやっている、という事になる。

「宮本舞さんですね」

「あなた方は」

「本庁から来た風祭です。 お話を伺いたく」

しばし周囲を見回してから。

宮本は中に入れてくれる。

恐らくは、この部屋そのものが、仕事場なのだろう。中は香が焚かれていて。壁にもタペストリ。燭台には、もったいぶった細工までされている。全てが虚仮威し。客に対する心理効果を狙ってのものだ。

それらを即座に見抜いた私だけど、口にはしない。

今日は詐欺師を逮捕しに来た訳では無い。

それに、占いに頼る人間は、大体話半分で来ている事が多いのだ。本当に占いだけを頼りにするような人間もいるけれど。

その手の人間は、詐欺師の格好のカモ。

何も儲からない占い師になってまで、わざわざ騙す必要性が無い。

客間に案内される。

茶が出てきた。高級なブランドだが、残念ながら淹れ方がなっていない。鼻を鳴らす。私の所に世話しに来ている夕霧夏美だったら、この倍はうまく淹れてみせるだろう。味としても優しさを感じない。

此奴は典型的な箱入りだ。

しっかりした礼儀作法とか、実践的な社交を学んでこなかったタイプだろう。まあ、このマンションに若くして暮らして。占い師などをしている事からも知れてはいるが。

「それで、詳しい話を聞かせて貰いましょう」

「大体の話は電話でした通りです。 ただ、最近妙なことが起きるようになりまして」

「妙なこと?」

「夢の中でまで、ストーカーに追跡されるんです。 ひどいときには、家に入り込まれる事も」

ふうんと、鼻を鳴らすが。

妙な気配。

気付くと、ベランダの方。カーテンの隙間から、さっきの子供の幽霊が、コッチを覗き込んでいるではないか。

小暮も気付いて、そのまま固まる。

そして、私は気付いた。

この部屋。此奴自身に能力の類は無いが。ひょっとすると、霊的な媒体になっているのかも知れない。

となると、此奴の夢占いそのものは兎も角。

夢は、バカにできない可能性がある。

「ストーカーに心当たりは」

「分かりません」

「このマンションの中にまでついてこられたことは」

「何回か……」

となると、十中八九内部犯という見立ては正しかったことになる。ただし、被害妄想や、自作自演の可能性も捨てきれない。

かごめの分析を聞きたいところだ。

ストーカーの風体を聞く。恐らくは男性だろうと言う事。身長は彼女よりも少し高いが、いつもフード付きのコートを着ていて、姿がよく分からない事、は説明してくれた。

なるほど、徹底している。

「一番恐ろしかったのは、一昨日です」

「何があったんですか」

「マンションから帰って、家に入ったら。 其処の壁に、何かの塗料で、描かれていたんです」

壁には、タペストリが掛けられている。

そして、それを外してみると。

おぞましい文字が浮かび上がった。

夢と違う事をするな。

ふむ。

これはちょっとばかり面倒だ。

小暮に写真を撮らせる。写真は撮ることができたが。どうにも嫌な気配がついて廻っている。

覗き込んでいた子供の幽霊は、いつのまにかいない。

というよりも、神出鬼没にもほどがある。

「変な行動をする客はいませんか」

「常連の一人におかしな方はいます。 ただ、基本的に占いに来る人は、変わり者ばかりですので……」

「具体的にどうおかしいのです」

「執拗に、私の夢の話を聞こうとするんです」

それはまた、妙だな。

そいつが壁に描かれていた文字の犯人だとすれば。

それはそれでつじつまが合う。

しかしながら、できすぎている、という印象も強い。本当にそいつを犯人だと判断して良いのだろうか。

腕組みをして考え込む。

幾つか出てきた情報を整理していると。

チャイムが鳴った。

「舞、開けてくれ!」

「もう……」

うんざりした様子で、舞が席を立つ。

血相を変えて入ってきたのは、まだ若い青年だ。不安と不審をない交ぜにして、此方を見ている。

「太一、この人達は警察よ」

「警察!?」

「そう。 お父様がどうせまた文句を言うだろうけれど」

「……」

なるほど、ストーカーか何かが来ているのかとでも思ったのか。手帳を見せると、ようやく安心したのか。太一という男は、席に着く。

この様子だと、恋人か。

それとも親友か。

「野上の野郎がまた来たのかと思ったじゃねーか」

「常連のお客様よ。 そんな風に言うものではないわ」

「悪いが、時間が限られています。 雑談は後にして貰えますか」

「……」

太一と呼ばれた青年が口をつぐむ。

背格好は平均というところか。

ただ、舞を心配している様子は、よく分かった。

軽く紹介を舞がする。

青年は草壁太一。

少し前に留学から戻ってきた幼なじみだという。マンションの近くの部屋に住んでいるそうだ。

ストーカーが始まった時期の後に戻ってきているという事だが。

鵜呑みにするのは危険だろう。

この事件。

身内の全員を疑っていかなければならない。

「それで、先ほどの野上というのは」

「常連客です。 夢の内容について、執拗に訪ねてくる……」

「ふむ。 その人物の風体を」

話に聞いたとおり、モンタージュを描く。

ついでなので、ストーカーのモンタージュも描いた。横から小暮が見ていて感心していた。

人間の特徴を絵にするのは、ある程度画力があればできる。まあ、私の場合は、独学で少し鍛えているが。

またチャイムが鳴った。

今度は、あの曽我だった。

「そろそろ帰って貰えませんかね。 ……太一、お前もいたのか」

「舞がストーキングされてるんだ。 警察が来たんなら、協力した方が良いと思ってな」

「無用だって言ってるだろう? お前、何度余計な事をしたら気が済む。 ストーカーなんぞいないんだよ」

冷え切った声。

この曽我という男が、異常な敵意を太一に向けているのは確実だった。

下手をすると。血を見かねない。

「お前、あまりくどいようだと、マンション追い出すからな。 ましてや舞に手を出したりしたら、この東京で仕事が得られると思うなよ」

「もう帰るところだよ」

「刑事さん達、あんた達もだ。 兄貴は警察のキャリアにもコネが効く。 余計な事をするようなら、二度とこのマンションに入れないようにしてやるからな」

ふむ、随分な態度だ。

私は立ち上がると、せせら笑う。

「生憎私もそのキャリアでしてね。 具体的に何という名前のキャリアか、教えていただけますか? 話をつけますので」

「な……」

「いずれにしても、今日はもう退散しますよ。 小暮、行くぞ」

「りょ、了解であります」

さっさと部屋を出る。

それにしてもあの曽我という男。

姪に対するあの異常な執着は何だ。

少し狂気じみている。

マンションに入る前。何体かの式神を撒いておいたのだが。そいつらを手元に戻す。

「何かみつけたか」

「女の子の幽霊がいたけれど、話しかけたら逃げちゃったわ」

ニセバートリーが、何だか残念そうに言う。

他の者達も、大したものは見ていなかったが。

白蛇王は違った。

「このマンション、良くない気に満ちていますな」

「そうだな。 あの曽我という男、どう思う」

「どう見ても邪悪としか言いようがありません。 エゴに満ちた視線、何より濁った目、シリアルキラーでも不思議ではないでしょう」

「……後は野上とやらか」

一度マンションを出る。

執念深く此方を見ていた曽我は。

やがて、マンションに引っ込んでいった。多分兄に言いつけて、警察のキャリアとやらに声を掛けるのだろう。

良いだろう。

此方だってキャリアだ。今までのヒラ達と同じように、そのまま追い払えるとは思わない事だ。

 

翌朝。

さっそく相手が動いてきた。

いきなり、警視庁に、宮本篤都議が乗り込んできたのである。キャリアにコネがあるかはどうかとしても。

都議が直接来るというのは、中々無い事態だった。

かごめが受け答えに出る。

低姿勢で罵声を浴びていた、受付の婦警に代わると。かごめは眼鏡を直す。知的な雰囲気を作りやすい眼鏡だが。

かごめの場合、鋭すぎる視線を隠す役目しか果たしていない。

いきなり現れた堂々たる女王を前にして。

恰幅が良い中年男である宮本篤は、明らかに怯んでいた。都議として恰幅の良い肉体を誇示している宮本だが。

肉体という面でも、かごめはまるで引けを取っていない。

肉弾戦をすれば百%かごめの勝ちだ。鍛え方が違うのが、遠目でも分かる。宮本篤も、一応武道をやっているようだが、それでも勝負にもならないだろう。

「な、何だね君は」

「貴方が大好きなキャリア組の賀茂泉かごめ警部補と申します。 以後お見知りおきを」

「……あ、ああ」

「此処では他の客の邪魔になります。 応接に案内しますから、此方へ」

言葉は丁寧だが。

まるで威圧感が違いすぎる。

虎が猫に対しているかのようだ。

都議と言っても、何でも出来る訳では無い。警察のキャリアにコネがあるかどうかは知らないが。

少なくともこの男は。

かごめの敵ではないと私は見た。

後は任せても大丈夫だろう。

一度編纂室に戻ると、情報の整理。

野上という男に関しては、フルネームは聞けたのだけれど。犯罪歴のDBにはヒットしてこない。

それは、野上という犯罪者に関しては、何例も出てくるのだけれど。

いずれも条件が合わないのだ。

フルネームで検索してみるが、合致する例は都内だけで十二件。元々珍しい名前ではないのである。

更に言えば。

ストーカーじみた行為をしている人間が。

本名を名乗るだろうか。

とにかく、直接捕まえるべきだという点では、私は小暮と意見を一致させている。

ほどなく、かごめが戻ってきた。

「虎の威を借る狐風情が、私に勝てると思ったか」

「それで、何だって?」

「娘の周囲をできるだけ騒がせないで欲しいとか言っていたわ。 気にしなくても良いわよ」

「……」

腕組み。

恐らく、連絡を入れたのは曽我だろう。

そうなってくると、少しばかりまずいかも知れない。

都議が出てくると、今までは黙っていた警察が。

今度は黙らない。

そうなると、もし彼奴が犯人だった場合、何かしらの早まった行動に出る可能性が低くないのである。

情報のすりあわせは、既に終わっている。

かごめは、自分の意見を述べるが。

苛烈だった。

「自作自演の可能性が高いわね」

「つまり夢そのものが被害妄想だと」

「そういうことよ」

確かにその可能性はある。

論拠を順番にかごめが並べていく。それには確かな説得力がある。しかし、である。かごめも、ストーカーになりやすいのが身近な人間であること。曽我という男のおかしな動きには、警戒すべきと思っているようだった。

「出るか。 かごめ、私はこれから宮本舞を見張るべきだと考えている」

「例の野上という男の確保のため?」

「それもあるが、現時点では情報が少ない。 もっと多くの情報を得ないと、正確な結論にはたどり着けないだろう」

「同感ね。 それならば、私がそのインチキ占い師の警護をしましょうかね」

ぶっちゃけ、かごめだったら生半可な相手に遅れを取らない。何しろアメリカで鍛えて来たのだ。

向こうでは、武装した犯人とかち合う事も多く、修羅場も当然くぐったという。アメリカのガタイからして違う上、銃器で武装している犯人とやりあってきたかごめが。この国の戦闘慣れしていない相手ごときに遅れを取るわけも無い。私としても、宮本舞の護衛兼見張りとしてかごめを残すのに賛成だ。

意見が合ったところで、外に。

外には、赤い大型車が。まあ多分かごめのだろう。というのも、後部座席に、レアリティがそれほど高くない、例の国民的人気を誇る猫のグッズが満載されていたからだ。

今回は小暮の車で行く。

後部座席にふんぞり返ったかごめは、開口一番に言った。

「小さな車ね」

「安くて小回りがきくのであります」

「まあ貴方にはお似合いよ」

小暮はなにげに酷い事を言われているが。

まあ仕方が無い。

もっとも、車がステータスシンボルになった時代は、もう終わろうとしている。国民の購買能力が減少している上に、特に若年層の年収が下がる一方だからだ。例え車を買っても、維持できないケースも多い。

無理をして東京で車を維持する意味がないというのも大きい。

実際問題東京では。

車より、電車を使う方が、便利な事が多いのだ。

かといって、車が真価を発揮する田舎では、今度はそもそも金が足りないという問題も出てくる。

どちらにしても、車を持つ若者が減るのは自明だ。

「時にかごめ、お前はやっぱりベンツか?」

「フォルクスワーゲンよ」

「そうか」

ちなみに私は実家にベンツを持っているが、あまり良い思いでが無い。ベンツだからと言って良いというわけでも無いのだ。

実際問題、小暮の軽自動車を廻してみて、言うとおり小回りが良いので感心した記憶もある。車は大きければ良いという訳でも無い。

まあ首都高に乗ると、少しばかり軽だとパワー不足を感じることもあるが。

いずれにしても、小暮はかごめの暴言を気にした様子も無く、状況を告げてくる。

「現地まで十五分という所であります」

「そう。 時に純」

「何だ」

「あの宮本という都議、無能な男ね。 それに何か隠している」

確かにその可能性は低くない。

異常すぎるほど過保護な娘への態度。

それに、頑なに拒む警察の捜査。

ひょっとして、だが。

むしろ、サイコキラーは、宮本舞なのか。

あまり考えたくは無い。

今は、色々な可能性を少しずつ潰して行けば良い。現場百回とまでは行かないが。事件を防ぐためには。

あらゆる行動が必要だ。

途中で、幾つか話をしておく。かごめも、宮本舞が何かしらの秘密を隠している可能性が高いという意見には同意してくれた。

宮本のマンション前に到着。

マンションに出向くと。

苦虫を潰したような顔で、曽我が出迎えてきた。どうして兄貴に連絡したのに、警察が来た。そう顔に書いてある。

「貴方の兄の都議にコネがあるキャリアね、私の知り合いよ。 以前事件を迷宮入りさせかけていた所を、尻ぬぐいをしてやった事があってね。 今回はその借りを返させた、と言うわけ」

「なんだと……」

「都議クラスのコネだったら、潰すのは難しくないわ。 覚えておく事ね」

ふんと鼻を鳴らして、かごめが此方を促す。

明らかに相手を挑発するための行動だ。小暮を促して、後に続く。さて、問題は、此処からだ。

私と小暮は、まず警備システムをチェック。

ここしばらくの監視カメラ画像を一通り洗う。面倒だけれども、仕方が無い。

少し前に、宮本舞がストーカーがマンションに入ってきたと言っていた日時のカメラを重点的に洗うが。

妙だ。

あの子供の幽霊が、非常に頻繁に通り過ぎている。時々、カメラに飛びついて、覗き込んだりもしている。

小暮は真っ青だった。

「何ですかこの画像……」

「好奇心旺盛すぎるな」

そう言っている横で、実は小暮のすぐ側に。件の本人(霊?)がいて。私を見上げていたりするのだけれど。

まあ、小暮は気付いていないので、黙っておこう。それに怨霊でも悪霊でもない。無邪気な子供の霊だし、害は無い。

「ストーカーらしき人物はいませんな」

「この画像。 野上とやらが訪問してきた時間帯のものだ。 チェックしておけ。 印刷できるか」

「すぐに」

野上という男は、かなり年齢が行っている。そして、私は歩き方からすぐに気付いた。

此奴、恐らく元か、現役の刑事だ。

腕組みをする。

元刑事が、ヤクザの護衛になったり、色々非合法な事をするケースはある。警察の手口を知り尽くしているので、犯罪組織としても重宝するのだ。だが、あの宮本舞、ストーカーするほどの美貌でもないし。まあ金は持っているかも知れないが、都議の娘という事を考えるとリスクが大きすぎる。

まあ、そういう利害の外にある嗜好もありうるが。

どうにも妙だ。

電話が不意になる。

かごめだった。

「宮本舞に今話を聞いているところだけれど、野上がこれから客として来るそうよ」

「!」

「また、夢の事を聞きに来るみたいね。 接触を図ってくれるかしら」

私は頷くと、小暮とともに外に出た。

このマンションは人の出入りが多くない。さっき写真を確認したが、顔は覚えた。くたびれた、少し皺が深い人物だ。

若い頃だったら、相応にもてたかも知れないが。

刑事として苦労したのだろう。

何より、年齢以上に老けて見える。

ただ、問題が一つある。

ストーカーに、まるで似ていない。ちなみに、宮本舞の言葉で作った野上のモンタージュとはうり二つだ。

モンタージュをもう二度確認したが、ストーカーは何というか。特徴が無い顔をしているのだ。だがこれは、マスクをしている可能性もある。

最近は変装用に、表皮にぴったり張り付くタイプのマスクもある。ちょっと値は張るが、その気になれば一般人でも入手可能だ。

少し待っていると、野上が現れる。

そして、私が手帳を見せると。

しばし黙り込んだ後、言う。

「あの娘は、狙われている」

「? 詳しく話を聞かせて貰いますか。 ただでさえ、貴方にはストーカーの嫌疑が掛かっていますのでね」

「調べれば分かるが、あの娘には従姉妹がいた。 このマンションの管理人の曽我哲治の娘で、若菜というのだが」

「いたというと」

殺されたのだと、野上は言う。

しかも、事件は迷宮入り。

野上も、警察手帳を見せた。階級は巡査長だから、小暮と同じだ。この年だから、相当なベテランになる。

なるほど。従姉妹の件は此方でも知っていたが。まだこの事件を捜査している人間がいた、ということだ。10年越しの捜査となると、執念を通り越して妄執に足を踏み込みかけているが。

「あの娘が夢占いをしている理由を知っているか?」

「どうせ碌な理由ではないだろうと思っていましたが」

「違う。 殺された従姉妹の仇を討つためだ」

舞から聞き出したところに寄ると、昔あの娘は本当に予知能力を持っていたのだという。しかし、目の前でシリアルキラーに従姉妹の若菜を殺され、その能力を失ったのだとか。少なくとも本人はそう主張しているそうだ。

はあとしか言えない。

元能力者かどうかは、流石に私にも分からない。白蛇王を手元に呼んで、聞いてみるが。白蛇王も、小首を捻った。巨大な白蛇が小首を捻るというのも滑稽だが。

「私にも何とも。 いずれにしても、能力の残滓は残っていないようですが」

「ふむ……」

「事件については、このノートにまとめてある。 あの都議、宮本篤がスキャンダルを怖れてだかなんだかでキャリアに圧力を掛けてな。 無理矢理捜査は中止された。 俺はそれが納得いかなくて、今でも捜査を一人で続けているんだ」

「分かりました。 そういうことなら、協力していきましょう」

ちなみに本心からの言葉では無い。

まだ、此奴を完全に信用したわけでは無いからだ。

かごめに連絡を入れて、これから野上が其方に行くことを告げる。かごめが立ち会っている状況で話を聞けば、今までとは印象が変わる可能性もある。

ついでにだ。

その間に小暮と私は二手に分かれる。

小暮はノートPCから本家のDBに接続。野上が言ったとおりの事件が起きたかどうかを確認させる。

そして私は。白蛇王とリンク。

野上の様子を窺わせつつ。周囲に気を配った。

どうにも嫌な気配がしてならないのだ。

その気配は。怪異とは、微妙に違っていた。

 

2、牙を剥くもの

 

「恐らくストーカーは野上ではないわね」

野上が帰った直後。かごめからそう連絡が来る。野上は手の内である筈の、今までの調査を記載した手帳まで見せていったという。かごめが見たところ、すぐに偽装できるものでもなさそうだ、ということだ。

更に、野上は確かにしつこく夢占いのことを聞いていたが。

一様にそれは、殺人事件に遭い、しかもまだシリアルキラーに狙われているかも知れない宮本舞を案じるもので。

不安視している事はあっても。

独占欲は感じられなかった、という事だった。

ただし、それも演技かも知れない。

困惑している宮本舞の声が聞こえる。

「あの人がストーカーでは無いとすると、一体誰が!」

「落ち着きなさい。 モンタージュを確認する限り、似ても似つかなかったでしょう」

それにだ。

宮本若菜殺人事件は、確かに発生している。

十年以上前の事になるが、まだ名士にすぎなかった宮本篤の姪である若菜が、何者かに惨殺されたのである。

当然警察は動いたが、

キャリアが横やりを入れて、捜査は中断。

事件は迷宮入りした。

このデータも、小暮が取ってきてくれたのだが。

内容はひどいものだった。

同時期に起きていた宮本舞のストーカー事件と違って、初動は意図的に遅れさせている。

ことあるごとにくちばしを突っ込んでいる。

まるで、事件を解決させないようにしているほど。

これでは、現場が混乱するのも当たり前。

とにかく、現場の刑事達も無念だっただろう事が、分かった。

不意に、至近に。白蛇王が出現。

切迫した様子だ。

「まずいぞ。 あの野上という男に、背後から忍び寄っている影が」

「! 怪異の類ではないのか」

「違う。 だが気を付けた方が良い。 あれは人を殺すことを、何とも思っていない雰囲気だ。 普通の刑事では、荷が重いだろう」

「小暮、行くぞ!」

陽動の可能性もある。

白蛇王はそのまま此処の護衛に残す。

そして、野上を全速力で追う。

駅までの途中。

何カ所か、人気が少ない場所がある。

其処で、今。

丁度、野上が何者かともみ合っていた。

「加勢するぞ!」

私が敢えて大声で言うと。全力で何者かにタックルを浴びせる。

小柄な私でも、体重は四十キロになる。それが全速力でタックルすれば、相応に相手を怯ませることもできる。

更に、小暮が間に合う。

両手にサバイバルナイフを振り回していたそいつの手を掴むと。

そのまま捻りながら、地面に叩き付けた。

腕をへし折ったはずだ。

地面に叩き付けられた何者かだが。其処から驚くべき動きを見せる。折れた腕の痛みをものともしない様子で跳び上がると。

まるで猿か何かのように塀の上に跳び上がり。

そのまま逃げていったのだ。

愕然とする。

あれは怪異では無かった。激突した瞬間の衝撃ではっきりしたが、ほぼ間違いなく人間だ。

だがあの身体能力。

どう考えても、普通の人間では無い。

「大丈夫ですか、野上刑事」

「何カ所か刺された。 致命傷には到っていない、筈だ」

「救急車、急げ!」

小暮が既に連絡してくれている。

私はほっとした。優秀な動きをする部下がいると助かる。

すぐに救急車が来た。

そして、野上を乗せていく。

救急隊員は、渋い顔をしていた。

「良くない状況ですね」

「傷が深いと言うことか」

「それだけじゃありません。 多分毒が塗られています。 命に別状は無いと思いますが、それでも手術をすぐにしないと危ないです。 この人は、当面病院から動く事が出来ないでしょう」

「……分かった」

野上が運ばれて行く。

かごめの行動は、恐らく犯人を激発させるためのものだったはずだ。だが、宮本舞、私や小暮を狙ってくるのでは無く。

まさか野上を狙ってくるとは。

しかもあの様子。

相当に手慣れていて、確実に殺すつもりだった。

ひょっとして、あの犯人。

プロの殺し屋か。

日本には殆ど実在していないと聞いているが。

年老いたとは言え、前線で活躍している刑事相手に、あの一方的な戦い。私が加勢しても、勝てていたかどうか。小暮がいなければ、かなり危なかっただろう。

ただ、分かったことがある。

ナイフの持ち方からして。

相手は左利き、もしくは両利きだ。左手のナイフを、優先的に、メインウェポンとして使っていた。

かごめに連絡を入れる。

「動いてきたか」

「ああ、野上は守った。 だがあの様子だと、犯人は完全に頭に血が上っていると見て良いだろうな。 元々本当に、宮本舞を殺すつもりだったのかも知れん」

「野上は正体を知っている可能性があるから、まず消しに掛かったと。 だが、これで犯人が絞られた」

「ああ。 此処からは短期決戦になる」

犯人は、間違いなく宮本舞の近辺にいる。

そして、今腕をへし折ってやった。

マンションに戻る。

曽我が留守にしていて。管理人室は空だった。まさかとは思うが、あまり良い予感はしない。

宮本舞の部屋に行き。

側にある部屋の、草壁太一の様子を確認する。此方は問題なし。腕も確認させて貰うが、折れていなかった。

フードを被っていた犯人とは、筋肉の動きも違うが。

どうもあの犯人、尋常な様子では無かった。

勿論サバイバルナイフも確保したが、指紋が出ないかも知れない。相当に手慣れた襲撃者だった。

「野上はストーカーでは無く、むしろ殺され掛けた!?」

「そうだ。 ここ数日でけりをつける。 その間、ドアの鍵を掛け、チェーンも掛けて、籠城できるか」

「は、はい」

「そうしてくれ。 此方は宮本舞の護衛を行う。 犯人が次に狙うとしたら、我々か、君の可能性が高い。 絶対に外に出るなよ」

草壁太一の部屋の戸が閉まる。

私は其処にガムテープを貼り、術式を展開。

このテープが剥がれたら、即座に分かるようにした。その前に、中に入って、窓という窓にも、同じ措置をする。

この術式は。

貼ったものが破損した場合にも作用する。

つまり完璧な密室がこれで完成である。

ついでに、式神も何体か残していく。白蛇王の他に取り寄せたエース級の式神。以前、九州で暴れていた荒御霊。名前もよく分からないけれど、兎に角サルの怪であることは確実な存在を、見張りにつけた。サルとは言っても、見かけはゴリラのようにごつく、先ほどの襲撃者とは似ていないが。

此奴は白蛇王と違って兎に角荒々しい性格だが。

バナナを与えておけば普通に言うことを聞く。

また、人間に対する殺傷力はオミットしているが。

怪異に対しての攻撃能力はオミットしていない。

最悪の場合、草壁太一に取り憑いて、逃げるようにも指示はしてある。

問題は草壁太一が犯人だった場合だが。

その可能性は低い。

腕は折れていなかったし。

何よりも、ぶつかったときの衝撃から察する筋肉と。草壁太一では、骨格からして違っているからだ。

かごめに連絡を入れながら、外に。

まだ曽我は戻っていない。

「其方の護りは任せても良いか」

「ええ、問題ないわ」

一応だが。

これで、宮本舞がシリアルキラーだというケースは可能性が低くなった。少なくとも、今の犯人と同一人物では無い。

だが、二人以上が関与している犯罪という可能性もある。

あまり油断はしない方が良いだろう。

「先輩、どうしますか」

「もし曽我が犯人だったとして、お前ならどうする」

「私もあの男が犯人である可能性は高いと思います。 しかし一番の目の上のたんこぶであった野上刑事が身動きとれなくなった現状、狙うとしたら……」

「あんた達、いいかい」

不意に声。

小暮どころか、私も察知できなかった。

振り返ると、年齢不詳の男。

以前道明寺と名乗っていた、あの男だ。小暮の同期だと名乗っていたが。小暮が、知り合いを見る目で見ていない。

手帳は本物だったし。

刑事である事は間違いなさそうなのだが。此奴何者だ。

此奴には、今まで怪事件のたびに何回か接触した。その度に有用な情報を持ってくるから、敵視はしていないが。

油断ならない男だ。身体能力も、見た目と裏腹に生半可では無いとみているが、それも外れてはいないだろう。

「これ、渡しておこうと思ってね」

「これは?」

「野上のノートだよ。 さっきの手帳はあくまでもメモ帳代わり。 どうやらコッチに、本格的な情報を書き込んでいたようでね」

なんでこんなものを持っている。

そう聞くと。にやりと道明寺は笑った。

「この事件の犯人らしきシリアルキラーは、どうやら他の事件でも手配されている、五人以上を殺している無差別殺人犯の可能性が高いんだよ」

「ほう。 それで他部署でも捜査を密かにしていたと」

「そういうことだ。 野上も敢えて泳がせていたんだが、あのようなことになるとね」

「命に別状は無い。 警察病院に入ったから、これ以上迂闊に犯人も入り込む事は出来ないはずだ」

あの身体能力でも、である。

いずれにしても、道明寺から受け取ったノートを、手袋をつけて確認。内容からして、野上のものらしいが。

どうにも妙だ。

非常に筆致が歪んでいるというか。

走り書きしている。

なんだろう、これは。

時々別の人間が、書き加えているかのようだ。

いずれにしても、これは分析のプロに廻してしまうべきだろう。小暮に、かごめに渡してくるように指示。

その間に私は、都議である宮本篤の住所と、現在位置を調べる。

道明寺は、いつの間にか、また姿を消していた。

それはもうどうでもいい。

もし曽我が犯人で。

宮本篤の庇護を受けていたのだとすると。

次に逆恨みして、宮本篤を狙う可能性が出てくる。

あの鋭い動き。

修羅場をくぐってきた警官を、あっさり仕留めそうになるほどの相手だ。放置しておけば、どれだけ犠牲が出るか分からない。

小暮が戻ってきたときには。

既に居場所の特定は完了していた。そして曽我は、戻ってくる気配も見せない。

「小暮、車を出せ。 こっちはかごめに任せる」

「どうしたのです」

「もし曽我が犯人の場合、恐らく次に狙うのは、宮本篤だ」

どのみち、宮本舞は監視付き。となりにいる太一もだ。

となると、この二人はさほど警戒しなくても良いだろう。

問題は曽我が犯人だった場合。

あの身体能力を持ち。

更にシリアルキラー特有の極めてエゴイスティックな考え方をする奴だったら。散々かくまってくれた兄を逆恨みする可能性が高いのだ。

途中、かごめが連絡を入れてくる。

「其方は今どう?」

「宮本篤の所に向かっている。 曽我が犯人の可能性が高いとみてな」

「どうやら見解が一致したようね。 ただし、私の方はもう少し複雑になると考えているけれど」

かごめの話によると。

どうやら、実際にストーカーとして認識されていたのは、野上の可能性が高いというのである。

さっきとは逆の結論だが。

野上のノートという非常に強力な物証が出た以上、仕方が無い。同じ結論に固執すると、本当の犯人を逃す可能性が高い。かごめの判断に反対するつもりは無い。

どうやら野上は非常に執拗な行動で、宮本舞を追い込んでおり。

日記もきわめて偏執的に、宮本舞の行動について調べこんでいるそうだ。執念の捜査と言えば聞こえは良いが。

ストーカーと勘違いされてもおかしくないという。

しかし、野上が殺され掛けたのは事実である。

「ストーカーが二人以上いる可能性は?」

「曽我が犯人だと仮定しても考えにくいわね」

「私も同意見だが、どうしてだ」

「このマンションが堅牢すぎるからよ。 実際、会いに来ている野上は、毎度ばっちり映像に撮られていたんでしょう?」

その通りだ。

しかも、宮本舞にしても、さほど人を引きつける美貌を持っているわけではないし。そもそも社交的な性格では無い。

社交的に振る舞っていたら、金持ちと言う事もあってもてたかも知れないが。

マンションに引きこもり同然で、占い師をほそぼそとやっているようでは、もてるものももてない。

「面倒な事になってきたな」

「いずれにしても曽我には要注意ね。 私の方でも気を付けておくわ」

「まあお前が遅れを取るとは思わんが、油断だけはするなよ」

「任せておきなさい」

通話が切れる。

ポータブルの充電器を携帯に刺すと、私は腕組みをした。

最悪の予想が当たったとして。

宮本篤を守る事に意味があるのか。

もしも曽我の凶行を知っていて庇っていたのだとしたら。

それこそ殺人幇助だ。

だが、もしも宮本篤が死んだ場合。曽我はその後暴走する可能性が高い。非常に殺傷能力の高いシリアルキラーが野放しになったらどうなるか。見つけたとしても、警察が十人くらい殉職する可能性さえある。

さて、どうなる。

私は、何度か、苛立って助手席の床を強く踏みつけた。

 

3、狒々

 

車で移動中、曽我若菜の事件を調べる。

ひどい事件だ。

殺された若菜はまだ幼かったのにもかかわらず、凄まじい暴力を受けていた。尊厳を徹底的に否定されていたと言っても良い。ナイフで首をひっ裂かれて殺された後、全身をバラバラにされたのだ。殺す事よりも、死体を嬲る方を楽しんでいた形跡がある。

そのような凶悪事件にもかかわらず、どうしてか捜査は早々に打ち切り。

どうやら都議候補である宮本篤が、スキャンダルを嫌忌してコネのあるキャリアに掛け合った、というのがその理由らしいが。

それにしては妙な点も多い。

宮本篤の自宅に到着。

土地と家込みで三億はするだろう豪邸だ。チャイムを鳴らすが、反応が無い。そればかりか、ドアが開いている。

小暮と頷くと、拳銃を抜き、中に突入。

其処には、腰を抜かして倒れている宮本篤。腕には、サバイバルナイフが突き刺さっていた。

そして、とどめを刺そうとしていたそれは。

歪んだマスクを被っていて、とても人には見えなかった。

血濡れたそれは。

さながら、サルの妖怪として知られる狒々。だらりとぶら下がったあの折れた腕。間違いなく、野上を襲った犯人だ。

「手を上げろ、さもなくばう……」

残像を残して、犯人が動く。

舌打ちした私が横っ飛びに避けなければ、喉を裂かれていた。

躊躇無しに殺しに来た。

コレは多分、プロの軍人でも苦戦する相手だ。

足を払って動きを止めたところに、小暮が体重を掛けて押し潰しに掛かる。折れた腕に、更に体重を掛けたのだ。普通だったら悶絶する。

だが犯人は。

ナイフを取り落としつつも、その腕を無理矢理小暮の巨躯から引き抜き。

さながら疾風のように、その家を出ていった。

舌打ち。足にも傷をつけてやったのに、あの速さ。特殊部隊の隊員でもああはいかない。

宮本篤は、かなりの出血だ。これは下手をすると死ぬ。すぐに止血を開始し、小暮に救急車を手配させた。

奧では、震えあがった使用人が、がたがたと此方を見ていた。

話を聞いても、いきなり玄関から入ってきたあの男が、宮本篤に襲いかかったとしか言わない。

いや、実際にあの動きだ。化け物にしか見えなくても仕方が無いだろう。

救急車が来る。

やはり、ナイフには毒が塗られていたようだった。

だが、ナイフを回収。

すぐに来た刑事に、科捜研に廻すように指示。人見がこれで何か割り出してくれるかも知れない。

それにしても、生半可な相手では無い。

運ばれて行く宮本篤は、半分意識を失っていたが。

それでも、質問しなければならなかった。

「彼奴は、曽我哲治か」

「……」

真っ青になったまま、宮本篤は横を向く。

多くの人の命が掛かっているというのに、此奴は。

かごめが挑発したのは、曽我を暴発させるためだった。事件の解決を早めるには、ちょうどそれが良かったからだ。

問題は、曽我の暴発が、予想外の方向に進んだこと。

今、東京には。

手負いの獣が、解き放たれている状態である。

すぐに非常線を張らせるが、そんなもの突破される可能性が高い。小暮に話を聞いてみるが。

首を横に振る。

「あれは、生半可な警官ではどうにもできません。 それこそ、SATの精鋭でも連れて来て、死者を出す覚悟で制圧しないと」

「そうだな……」

問題は、曽我が今後どう動くかだ。

奴が曽我若菜を殺したとなると。

自分の娘を殺して喜ぶような、筋金入りのサイコ野郎だということになる。何をしでかしても不思議では無い。

こういう手合いには、「普通」は一切適合しない。

だがそれでもどうにかして動きを読まないと、際限なく被害が増えていく。

仕方ない。

奥の手だ。

式神を出す。

曽我の気配は皆に覚えさせている。周囲に展開。とにかく何処でも良いから、気配を察知したら知らせろ。

人海戦術でいくしかない。

私自身は、少し考えた後。

小暮の車に飛び乗って、出させた。

「どうなさるおつもりで」

「宮本舞のマンションに戻る」

「えっ」

「曽我は、今の時点では自分の正体がばれていないと思っている可能性がある。 可能性は極低いがな」

その場合、手負いの獣はどうするか。

自分の巣に戻って、傷を癒やす。

自明の理だ。

人見が連絡してきた。

早いな。そう思いながら、電話を取る。

「サバイバルナイフから、野上の血が出たわ」

「となると、犯人は野上を襲った奴と同一で確定だな」

「そうなるわね」

おあつらえ向きに。

曽我は左利き。

あの犯人も左利きだった。

ほぼ十中八九間違いない。ただ、この先の行動が、一切読めない。それだけが、非常に不安だ。

かごめにも連絡を入れる。

少し考えてから、かごめは言う。

「薬物の可能性が高いわね」

「体を麻痺させたり、感覚を鋭くさせたりするものか」

「そうよ。 向こうでも、麻薬組織の構成員なんかは非常にタフで、警告を聞かない場合ヘッドショットするのが基本だったわ」

なるほど。

確かに頭をぶち抜いてしまえば、薬で感覚がブッ飛んでいようと、ひとたまりも無い。それならば、黙らせることも容易だ。

それにしても、薬物か。

それだとしても、あの動きは異常すぎた。

かごめの方から、曽我の経歴を洗うという。

今まで、キャリアの邪魔があって、捜査がうまく機能していなかったが。それもこの連続殺人未遂に発展すれば、話は別。かごめも邪魔なキャリアを黙らせてくれているし、一気に話も進むはずだ。

ニセバートリーが戻ってくる。

「見つけたわ! もの凄い勢いで、首都高の高架下を走ってる!」

「向かってる先は」

「例のマンションだとおもう」

「小暮、飛ばせ」

オスと頷くと、小暮がアクセルを踏み込む。

薬を入れているにしても、人間は普通其処までのスピードは出せない。怪異の気配は一切感じなかったのに。

唇を噛む。

ひょっとして私が知らない方法で。

怪異の力を用いているのか。

奴らが関与しているとなると。

何かしら、対応策を編みだしてきているとみるべきなのか。

かごめにも、最大限の注意を払うように指示。

まっすぐ、マンションに向かう。

その、途中だった。

不意に、影。

車の背中に、飛びついてきた奴がいる。

曽我に間違いない。

躊躇無く私は窓を開けると、体を乗り出して、撃つ。弾を撃つごとに色々面倒な書類手続きが必要なのだけれど。

今回ばかりは躊躇もしていられない。

顔からマスクが剥がれ掛けている曽我らしき犯人は。

獣同然の唸り声を上げた。

足に直撃したのに、だ。

「先輩、中に戻って!」

「よし」

すぐに戻る。小暮が、敢えて急ブレーキ。

流石にこの急激なブレーキだ。私も一瞬早くシートベルトしなければ、命が危なかったかも知れない。

吹っ飛んだ犯人が、地面に叩き付けられる。

だが、それでもなお、立ち上がってくる。

足に被弾しているのに。

腕が折れて、しかも小暮の体重を浴びているのに、だ。

「もう人間ではありませんな……」

「だが、あれはもう走れないはずだ」

事実、足を引きずって、逃げようとしている。今、高速で地面に叩き付けられたダメージもあるのだろう。

車を飛び出す。

「両手を挙げて、地面に伏せ……」

飛んできた小さなナイフ。一瞬の差で、私の首に突き刺さっていた所だった。普通胸を狙ってくるのに。余程首にこだわりがあるのか。

幸い、予想していた私は、一瞬早く横っ飛びに逃れる。だが、犯人は、その時、人間とは思えない跳躍力を見せていた。私に飛びかかるつもりだったのだろう。

だが、其処に。

小暮がタックルを浴びせる。

全身が筋肉の塊で、百キロ近い小暮だ。

その渾身のタックルを、避けようが無い状況で浴びたのだ。

もう人間とは思えない悲鳴を上げながら、犯人が吹っ飛ぶ。そして、ブロック塀に叩き付けられたところに、小暮が折れた腕を掴みながら、全力で背負い投げ。地面に叩き付け、更に完全に押さえ込んだ。

その際、無事だった腕も、強かコンクリに叩き付けている。

柔道は畳の上でなければ。

その技の全てが凶器になる。

そして柔道の達人である小暮が、本気で投げて、叩き付けたのだ。

無事で済む筈が無い。

その筈だが。

犯人は、獣同然の悲鳴を上げながら、まだもがく。私は無言のまま近づくと、指二本を立てて、経絡秘孔の一つをぶち抜いた。

それで、白目を剥いた犯人が、やっと大人しくなる。

小暮が、荒く息をつきながら、立ち上がった。

「確保であります」

「よし、護送車を呼べ。 此奴、手錠と拘束衣程度では危険すぎて拘束したとはいえん」

「すぐに手配します」

それにしても、何だ此奴の力は。

怪異ではないとすると、本当に薬物か。

だが、そこまで身体能力を上げる薬物なんて、聞いた事もない。此奴は車並みのスピードで走っていたのだ。

すぐに護送車が来る。

意識を失っている犯人の顔のマスクを剥がすと。

やはりというかなんというか。

曽我哲治だった。

「曽我哲治、殺人未遂の現行犯で逮捕」

私が、今更に言う。

そして、曽我は。

もう意識を取り戻し始めていた。

馬鹿な。あの経絡秘孔、普通だったら一週間は目が覚めない代物だが。

手錠を二重に掛け、足にも掛け。

更に拘束衣もかぶせている。

これなら、普通だったら絶対に動けないはずだが。凄まじい勢いで飛び跳ねようとして、周囲の警官達が、おののきの声を上げた。

射殺しか無いか。

私が、そう思った瞬間。

何かが曾我の肉体から抜ける。

そして、それを気に。

曽我は、急に大人しくなった。

意識も手放し、その場でぐったりする。後は、任せて良いだろう。

それにしても、今抜けたのは。

一体何だ。

怪異だとは思うが。どうして憑依していたことを、私に悟らせなかった。私に気づけないのなら。誰にも気づけないはず。

困惑した小暮に。

曽我に付き添うよう指示。暴れたら即座に取り押さえるように、とも。

そして私は、式神のエース格最後の一体。

鼻の長い方の天狗。いわゆる大天狗を呼び出していた。

「あの何者かを追跡しろ。 充分に気を付けてな」

「承知」

他の式神は手元に戻す。

さて。小暮の車に乗ると。

私は単身、宮本舞のマンションに戻ることにした。

 

かごめに途中で連絡を入れたからか。

既に警察が二十人ほど、マンションに来ていた。

曽我の部屋も調査を開始している。何かの薬物が出るかと思ったが、今の時点では出ていない。

それよりも、だ。

曽我の部屋に私も入って、思わず呻いていた。

これは、何だ。

人が暮らしていた場所か。

ベッド、それも非常に粗末なものが一つだけ。

壁には何本もナイフが掛かっている。それもアーミーナイフやサバイバルナイフなどの、人間を殺すことが可能なものばかりだ。

鑑識が捜査をしているので、軽く聞いてみるが。

今の時点では、特に妙なものは出ていないという。

あまりにも殺風景な部屋なので、むしろ困惑しているとか。

「本棚や押し入れさえ、殆ど何も入っていない状態で……」

「ルミノール反応出ました!」

「すぐに調査!」

ルミノール反応。

人間の血液に反応して発光する。何倍に薄めようが発光するため、非常に便利な代物であり、最近の捜査には欠かせないものとなっている。

いずれにしても、私が此処にいても、邪魔になるだけだ。

小暮から連絡。

曽我を牢に入れたが。

大人しくなり、力も普通に戻っているという。むしろ折れた腕と、撃たれた足の事を、しきりに痛い痛いと喚いているそうだ。

弁護士を呼んでくれとか叫んでいるが。もう有罪は確定だ。何しろ、証拠が揃いすぎている。

何よりも、流石に自分も刺されたどころか殺され掛けたのだ。

兄だって黙っていないだろう。

かごめに連絡を入れておく。

此処からは、地道な作業だ。私はあくまで疾風迅雷が持ち味。以降は、他の刑事に任せることにしたい。

後、一つ。

解決しなければならない事があるが。

大天狗が戻ってくる。首を横に振るのを見て、私は嘆息した。此奴でだめなら、方法が違うと言う事だ。

何が違うのか、考えなければならない。

 

4、あなたはだあれ

 

かごめと入れ替わりに、宮本舞の部屋に。事が事だ。プロファイリングの専門家としても、シリアルキラーは是非聴取してみたいのだろう。警護を代わろうと申し出ると、大喜びで出て行った。

分かり易い奴である。

シリアルキラーは平均的な人間とは異なる思考回路を持っている事が多く、プロファイルも非常に難しい。

貴重なサンプルだ。

事件に関与していたし、中心部分にいたかごめが聴取する権利を持っているのは当然とばかりに、それこそ猫缶に飛びつく猫のような勢いで飛んでいった。

まあ、それはいい。

こっちとしては、宮本舞に用がある。

そもそもだ。

今回の事件は、よく分からない事が多すぎる。

部屋に入ると、宮本舞が。呆然と机の前に座り。

そして、ベッドを指さす。

「あの下に、お姉ちゃんが」

「……」

そのお姉ちゃんというのは。

今、私の側に取りすがって、小暮をびびらせまくっている子供の幽霊のことか。

「まだいるんですか?」

「……」

青ざめたまま、宮本舞は頷く。

私は頭を抱えたくなったが、しかし何となく、事情は分かってきた。

小暮に、宮本舞を見張っているように指示。何をするか分からない。そして、私は、子供の幽霊の手を掴むと。

一緒に外に出た。

「何処かに遊びに行くの? おまわりさんのお姉ちゃん」

「そろそろ茶番は終わりにしようか」

「えー?」

「お前が宮本舞だろ」

一瞬の間。

そして、その後。

子供の幽霊は、凄まじい笑顔を浮かべた。

「どうして分かったの?」

「理由か? それは簡単な事だ。 お前達が時々入れ替わっているからだよ」

「……」

宮本舞は、明らかに狂気を発している。夢占いなんて嘘っぱち。幽霊を見る能力なんて持ち合わせていない。

しかしながら、其処に誰かが入って、元の人間を追い出したらどうなるか。

強力な怨霊でも、流石に取り憑いた相手の体を完全に乗っ取ることは難しい。できる奴はいるけれど。中身と入れ替わるのはほぼ無理だ。

だけれど、私は途中で気付いた。

この子供の幽霊の方が、時々入れ替わっていることに。

そして、その写真が、どちらも。

殺された曽我若菜にそっくりだということに。

兄弟の娘だ。似ていても不思議ではない。というか、曽我若菜が育ったら、宮本舞のようになるのは、容易に想像できた。

此奴らは。

恐らく、最初から。

曽我哲治を、警察に逮捕させるチャンスを狙っていたのだ。

それには、野上では力不足だった。かといって、曽我哲治は、宮本舞を人質に取るも同然の手段で、兄に隠蔽工作をさせていた。

だから好機を待っていたのだ。

散々、「見えている」私にアピールしてきたのもそれが故。

実力を見極めるためにも、曽我が犯人だとは直接言えなかったのだろう。

曽我若菜と宮本舞は。

任意に入れ替わりながら、ずっと好機を狙っていた。

妙な夢は、その影響。

中身を頻繁に交換なんかしたら、それは悪影響が出ても不思議では無い。殆どの怪奇現象は、曽我若菜と宮本舞が入れ替わりに行っていたことで。

それが故に、ある意味かごめの推論も当たっていたのだ。

コレは恐らく、自作自演だろうとかごめは言っていたが。

九割方事実だったという事になる。

問題は、曽我哲治のあの異常な身体能力だ。

「もう体に戻れ。 曽我若菜のカタキは討てる。 あの様子だと、曽我哲治は恐らく五六人は殺していて、宮本篤の庇護が無くなった今、証拠も出てくるだろう。 死刑は確定だ」

「……本当に?」

「ああ。 曽我若菜は、私が浄化してやる。 天国があるかはわからんが、もうこの世をさまよう事はなくなるだろう」

しばし黙り込んでいた宮本舞だが。

いつのまにか、その姿は。

成人女性の。宮本舞そのものになっていた。

「彼奴には、ずっと昔から、おかしな薬が渡されていたの。 それを飲むと、彼奴は凶暴になって、最初は動物を殺して満足していたみたいなのだけれど。 やがて、とうとう人を手に掛けて。 死体を引きずって帰ってきたのを見た若菜を、何のためらいも無く殺したわ」

「どんな奴が薬を渡していた」

「毎回違った。 それに、最近は通販を装って送られてきていたみたい」

「……」

そうか。薬か。

あの鬼事件の時。異常な肉体に変貌した安西を、怪奇の仕業だけでは考えにくいと考えていたのだけれど。

何かしらの薬が介在していた可能性があったか。

もっとも、それがどんなものかはさっぱり分からないが。まだまだ色々と調査が必要だろう。

幾つか話を聞いた後、宮本舞の手を離す。

すっと、その場から消える霊体。

私は嘆息すると、部屋に戻る。小暮が、慌てていた。いきなり宮本舞が気絶したからだ。

「せ、先輩、宮本さんが」

「大丈夫。 元に戻っただけだ」

「はあ、そうなのですか」

「曽我若菜。 こっちに」

すっと、宮本舞の体から出てくる、人なつっこい子供の幽霊。

気付いたのは、場合によって性格が正反対なこと。

妙にベタベタしてくる場合があると思ったら、距離を取ってコッチを見ていたり。人見知りかそうじゃないかの落差が非常に激しかった。

それだけじゃあない。

草壁太一に話を少し聞いたのだが、宮本舞が時々人が違ったようになる。と、幼なじみの青年は言っていた。

そしてなにより。

白蛇王が見ていたのだ。

霊体が入って、入れ替わるのを。

勿論そんな事をしていたら、錯乱するのは当然。

今までのおかしな言動は。

みなこれが原因だろう。

かごめには、面と向かっては言えないが。彼奴は、曽我哲治の尋問に嬉々として取り組んでいるはず。

後で適当に誤魔化しておけば良い。

「地下室に、彼奴が酷い事した人達の、残骸がまだ残ってるはずだよ」

「分かった。 確認してみる」

「そこにも、殺された人達が閉じ込められているの。 助けてあげて」

「ああ」

曽我若菜の霊に、真言を流し込む。

小さくほほえんだ曽我若菜は。

狂気に満ちていた宮本舞と違って。

安らかな表情で。

溶けるように消えていった。

 

マンションの見取り図を確認。管理区画の一角に、おかしな扉を発見。非常に厳重な鍵が掛けられていて、バーナーを使って焼き切らないと入れなかった。曽我哲治に鍵のありかを聞いている暇は無い。

警官達と一緒に突入。

其処には、一見すると、何も無い小さな空間。ちょっとした駐車場くらいの広さがあるが、活用されていない。

実際、地下駐車場として設計された部分の一部を、コンクリの壁で封鎖した印象だ。

「曽我哲治が此処に出入りしていたという情報があった。 念入りに調べてくれ」

「分かりました」

刑事達が散る。

すぐにルミノール反応が出た。

それだけではない。

奥の方に、黒い塊がある。何だこれはと思ったが。すぐに正体には見当がついた。

換気扇のすぐ側にあること。

執拗に叩かれて固められていること。

そして、念入りに焼かれている事。

犠牲者の、成れの果てだ。

すぐに鑑識に廻す。人見が、二日も経たないうちに、結論を出してきた。

「間違いないわ。 これは人間の死体を焼いて、潰して、接着剤で固めたものよ」

「臭いが出ないように徹底的に焼いた、というわけか。 一酸化炭素中毒にならないように、換気扇まで回しながら」

「そういうことね」

しかも、換気扇のつながっている外側はゴミ捨て場。

いつもマンションから出る塵が、ひどいにおいを出している。考え抜いて、此奴はシリアルキラーをしていた、という事だ。

かごめにも連絡してやる。

嬉々として、さっそく尋問に生かし始めたようで。最初は馬鹿にしてかかっていた曽我哲治は。

部屋を暴いたことを告げると、突然真っ赤に顔を染めて怒り狂ったという。

私も、聴取のやりとりを聞かせて貰う。

「俺のコレクションに手を出しやがったな! 殺してやる!」

「彼処にあったのは人間の死体を焼き固めたものよ。 それをコレクションと言い切ったわね」

「だからなんだ! 俺にとっては大事なコレクションなんだよ! 絶対に許さないからな!」

「自分の娘を殺してまで、そんなにコレクションが大事だと」

当たり前だ。

曽我は吼える。

側には弁護士がついていたが、これではどうしようもないと思ったのか、青ざめて止めようとしたが。

拘束衣をつけられたまま暴れ狂った曽我によってはじき飛ばされて、壁に叩き付けられ、血を流して失神したそうである。

少し前に意識を取り戻した宮本篤はだんまりを決め込んでいたが。

隠蔽工作に荷担した可能性が高いという事で、近く事情聴取。

弟がシリアルキラーである件を隠蔽というのは、極めてタチが悪い。それも十年以上、である。

都議の任期も近い。

終わり次第、即座に逮捕だろう。

それも、曽我哲治は死刑確実。

第一級殺人の上、殺した人数、実に六人。更に殺した死体を加工してしまって、コレクションとしていたというのだ。

この国の歴史に残るレベルのシリアルキラーだ。

もっと大勢を殺したシリアルキラーは世界史にたくさん存在するが。

この日本で、此処までやらかした奴は、少なくとも戦後に限れば数人しかいない。マスコミは例のごとく「報道しない自由」を行使しようとしたが。

週刊誌の一部があっさりすっぱ抜き。

SNSに私が意図的に伝手を使って拡散したことで、宮本家の破滅は確定的になった。宮本舞も、それに反対しなかった。むしろ、自分から、そうしてくれと言ってきたほどだ。

マンションを引き払って、地方に移ることにしたらしい。

彼女に罪は無い。

なお、草壁太一も、一緒についていくそうだ。

一週間ほどどたばたが続いたが。

それが終わった後。

人見と、話を聞きつけて来たゆうかも交えて、話をする。

場所は時々会合に使う喫茶店。

幸い、今回も。

曽我の正体を暴いてからは、死者を出さずに済んだが。

シックな雰囲気の喫茶店では。

店主が気を利かせて、人払いをしてくれた。

ゆっくりと。事件について確認していく。

「曽我の血液や尿を調べて見たけれど、おかしな薬の成分は出なかったわ。 薬だとしても、恐らく短時間で体の外に出てしまうものなのでしょうね。 画期的と言うよりも、悪魔的な発想によるものだわ」

人見が呻く。

どういうわけか、かごめは人見と相性が良いらしく、凄く人見には優しい。

人見が兄者にこれくらい優しければ、さっさと結婚してくれそうなのだが。何だか思うようにいかないものだ。

「しかし、足に拳銃の弾を受けて、小暮に腕を潰されて、なおもあれだけの動きをしたというのは異常よ。 筋肉増強剤は元々ある筋肉の力をフルに発揮させるものであって、車に追いついてくるような動きなんて出来るはずが無いわ」

「どういう仕組みかは分からないが、ほぼ間違いなく奴らが関与していると見て良いだろうな。 少し前にも、似たような異常身体強化をした相手と交戦したことがある。 前のは鬼としかいいようがなかった。 今回のは狒々とでも言うべきだったが」

「それについては、自分も目撃しました。 自分でも抑えきれないほどの怪物になったのであります。

かごめが小暮を一瞥。

小暮を馬鹿にしきっているかごめだが。小暮が有数の肉弾戦闘能力を持っていることは認めている。

激戦区であるニューヨーク市警やロス市警でも充分にエース級を張れると太鼓判を押していたほどだ。

それが、これほどの苦戦をしたのである。

相手が化け物である事は、かごめも認めざるを得ない、と言う所なのだろう。

「薬物の入手ルートは特定出来そうか」

「無理ね。 曽我哲治はもうサルと変わらないわ。 牢の中では発狂して常に叫び続けていて、弁護士にも噛みつこうとする有様。 知能も無くして、拘束衣をずっとつけていないと、暴れ狂って手が付けられない様子よ」

「力を得た代償だな……」

もしも、安西と同じ薬を使っていたのだとすると。

それを十年以上も続けていたならば。

副作用も尋常では無かった筈だ。

宮本舞も、危なかったかも知れない。

私が介入していなければ、マンションの住人は、皆殺しにされていた可能性さえある。奴らはさぞ高笑いだろう。

これだけ人間を強化出来る悪夢の薬を開発し。

その性能試験ができたのだから。

ただ、決定的に違うところがある。安西は怪異と融合していたが。曽我はどうしても怪異の気配をほとんど感じ取れなかった。

ちなみに、私も曽我の所に一度聴取をしにいった。奴が殺した人間達の霊を連れて、である。

だが見えるようにしてやると。奴は、それを見て、また加工できると大喜びするばかりで。

聴取などできなかった。

罪悪感などかけらもない。

本物のクズだ。

裁判では、さぞ楽しそうに、どうやって殺したかを語る事だろう。ちなみに、曽我若菜の殺害も認めた。

自分の娘を殺すのは背徳的で楽しかったと、満面の笑みでいう曽我。

まあいい。

死刑台送りは確定だが。

その前にやっておくことがある。

裁判が終わった後。此奴の所を訪問して。ちょっとばかり仕置きをしておくとしよう。勿論、その仕置きの内容は秘密だが。以降、曽我は地獄に落ちたのと同然の状態になる。それくらいの報いは。

受けるべきゲスだ。

「米国でも、奴らは活動を続けていると聞いている。 かごめ、お前も似たような事件には立ち会ったのか」

「不可解な事件は何件かあったわね。 それにしても、救いがたい輩だわ。 もしも全てが同一組織による犯行だとすれば、だけれども」

「警官として以前に、一人の人間として、絶対に許せないのであります」

ゆうかが挙手する。

かごめが顎をしゃくって、発言するように促した。

「ネットでも情報を調べているんだけれど、どうもそれらしい情報がまったく出てこなくって」

「これだけ手広くやっているんだ。 何処かでボロを出す筈だ」

「でも……」

「国が関与している可能性もあるわよ」

人見が咳払い。

確かに、国の。それも複数の国が関与している場合。ガチガチにセキュリティを固めている可能性もある。

いや、むしろ。

ネットでの情報収集に長けているゆうかが此処まで言うのだ。

その可能性が高くなる一方だとみるべきだろう。

後は、幾つか打ち合わせをして、解散。

各自帰路には気を付けるように確認をしあってから。

喫茶を出た。

それにしても、これだけ手当たり次第の外道行為を働く邪悪。

一体どんな奴らなんだ。

エゴに凝り固まった怪物か。

愛国心をこじらせたばけものか。

それとも、ただの愉快犯か。

まだ、敵は巨大すぎて、正体も見えないけれど。

いずれ必ず正体を暴き。顔面に拳を叩き込んでくれる。

 

ふと、気付く。

宮本舞がいた。

周囲はふわふわしていて、夢の中のようだ。いや、これは夢の中に間違いない。おきにの光るパジャマ着て、シロシュモクザメの抱き枕で寝込んだことまでは覚えている。夢だから、曖昧だが。

ひょっとすると、宮本舞では無くて。

曽我若菜か。

「ありがとう。 彼奴をやっつけてくれて」

「もういい。 それよりも、体の負担が大きくなりすぎている。 もう無茶をするんじゃないぞ」

「分かっています。 ただ、もう一度だけお礼が言いたかったんです」

「私は警官だ。 弱者を守るために、体を張るのが仕事だ。 だから、気にするな」

礼をすると、消えていく曽我若菜。

あの世にでも行ったのだろう。

「本当の意味で敵を取ってやるのは、いつになるのかな」

ぼやく。

弱気になるつもりはない。

かごめも私も、間もなく昇進だ。犬童警部も、警視になる。編纂室で活動できる範囲は拡がる。

逆に言うと、それだけ受ける事件の危険度も上がっていく。

ふと、気付く。

今回の仕事が回ってきたのは、その予行演習か。

もっと応用を利かせられるようになれ。謎を早く解け。敵をもっと確実に殲滅しろ。そういう意思か。

しばし考え込んで。

そして気付いた。

そうか、そういうことだったのか。

目が覚める。

すぐに起きだした私は、急いで着替えると、まだ陽が昇っていない街に繰り出す。まだ、「敵」は捕まえていない。

曽我哲治はぶっ潰したが。

黒幕がいる。

そして、それはすぐ側にだ。

曽我のマンション。非常に残虐なシリアルキラーが逮捕されたことで、さっそくハイエナと一緒にしたらハイエナが怒るゴミどもが集まって来ているが、此奴らに用は無い。曽我をぶちのめしたとき、何かが出ていった気がしたが。

やっと正体が分かった。

私を刑事だと気づけないのか、失礼なインタビューを試みてくる奴がいるが、完全に無視してマンションの中に。流石に此処はセキュリティもあって、入っている奴はいない。むしろ捜査を続けている警官が来たので、手帳を見せた。

「風祭警部補だ。 少し良いか」

「これは失礼しました。 何かまだ御用でしたか」

「ああ。 地下室に行きたい」

地下室。無数の焼き固められた死体が捨てられていた場所。そして、その間に連絡。人見は、既に動いてくれていた。

予想通り、曽我哲治から妙な薬物は検出されていない。

ちなみにこういう場合糞便も調べるのだが。そちらにも何も出ていなかったという。

「薬物摂取当日の予想された食物は」

「小麦粉を使った練り物ね」

「だろうな」

「?」

薬なんか最初から無かった。

自己暗示にしてはおかしいと思っていたが。薬が検出されないのも妙だし。何より彼処まで強くなる都合が良い薬なんて無い。

つまり曽我は。

強くなる薬と称して、単なる媒体を飲まされていたのだ。

「白蛇王、いるか」

「此処に」

顎をしゃくる。

私が瞬時に隠蔽をぶち抜いたので、それが見えてきた。

影に浮かび上がる小さな影。

赤い三角帽子を被った鼻の長い小人。

西洋で、レッドキャップと呼ばれる妖精だ。

妖精は可愛い者というイメージを持つ奴もいるかも知れないけれど、実体は違う。日本の妖怪なんかよりよっぽど残虐な奴も多い。レッドキャップはその中でも特に残虐な一種。私も中学時代、仕事先のイギリスで遭遇した事がある。苦戦はしなかったが。

レッドキャップは、ぎょっとした様子で。私と白蛇王を見る。

「な、なんで……」

「まず第一に、自己暗示だけであんなに人間は強くならない。 自己暗示しても、どうしても自分が壊れる限界を知っているからだ。 つまり、自己暗示に掛けた上で、脳のリミッターを外す奴が必要になる。 そいつは憑依なんてしなくていい。 脳のごく一部に、離れた所からちょっと細工をすればいい。 私の攻撃が通じない訳だ。 遠くからリモコンで操作していたようなものだからな」

ちな会話は英語。

白蛇王は英語が分からないので、困った顔をしていたが、まあそれはいい。

場所が分かったのは、曽我哲治の気配をたどったから。どうしてか、まだこの地下室に、続いている気配があった。マンションに入った瞬間分かった。レッドキャップは死体を固めて、自分にとって心地よい空間を作っていたのだ。

大天狗にも追えなかったのは、怪異を追おうとしたから。

最初から、遠くからの高みの見物を決め込み。リモコンを操作しているだけの奴がいると知っていたら、悔しそうに見つからなかったと大天狗が戻ってくることは無かっただろう。

いずれにしても、レッドキャップには相応の報いを受けて貰う。

逃げようとするレッドキャップ。

だけど私の方が遙かに早い。

「喝!」

ドカンと、マンションそのものが揺れて。天井から埃とアスベストが落ちてくる。

私の一喝を受けたレッドキャップは、漫画みたいに壁にめり込んで、ずり落ちた。悲鳴を上げて逃げようとするが。

此奴は少しばかり許せない。

踏みつける。

ゴキブリのように逃げようとするレッドキャップ。人間の幼児くらいのサイズだが、此奴らは殺しが大好きで、曽我の凶暴性もその影響だ。

何のことは無い。

入れ替わっていたのは、曽我若菜と、宮本舞だけじゃない。

曽我哲治と、レッドキャップもだったのだ。

まあ曽我哲治の場合は、元々シリアルキラーの素質があったのだろう。だから実験台として、最適だった。

更に、アホ都議の庇護という、最適な環境も整っていた。

奴らが目をつけるのも当たり前だ。

「さて。 ではお仕置きの時間だ」

「ひいっ! た、たすけ……」

ぐちゃり。

音がして、大事なたまが破裂した。

私が踏み砕いたのだ。

怪異に対して干渉も出来るので、こういうこともできる。悶絶するレッドキャップに、更に電撃を叩き込む。

白目を剥いて気絶したので、無理矢理叩き起こしたのだ。

「お前の飼い主を吐け。 そうすれば助けてやる」

「し、知らない! 金髪の男って事しか分からない! 名前とかは分からないよ! 王子様みたいに整った顔で、そいつもトップじゃないみたいだった! それしか知らない!」

「そうか、じゃあ電撃五十倍」

「ぴぎゃああああああああっ!」

レッドキャップが、また跳ね回った。電撃の衝撃で、そこら中の壁やら天井やらに、ごむ鞠みたいにぶつかる。

スーパーボールみたいだなと、私は漠然と思ったが。

どのみち此奴を許す気は無い。

「で、お前の飼い主は?」

「ほ、本当だ! 金髪の、金髪のおおおおおおおっ!」

「金髪じゃわからん。 金髪じゃわからん。 金髪じゃわからん。 金髪以下略」

頭を掴んで、壁に叩き付ける。顔をコンクリですり下ろしながら聞く。

更に、背中に何回か拳を不定期の間隔で叩き込む。

「で? お前の飼い主は?」

「ぎゃあああああっ! いだいいだいぢだいだいだいだいぢあづいあいだだ!」

「それじゃあ分からん。 仕方ないな。 残った方も潰すか?」

「やべでえええええええええ!」

何を勝手な。

此奴がどれだけの人数を面白半分に殺したか。指を二本立てると、頭に直接突き刺す。そして、記憶を吸い出した。

邪気も、同時に完全に払ってしまう。

ぴくぴく痙攣しているレッドキャップは。名前と裏腹に、完全に真っ白に燃え尽きていた。

舌打ち。

確かに此奴は、金髪のうすぼんやりした影しか見ていない。そして後は、胸くそ悪いシリアルキラーとしての記憶だけだ。

こういう怪異の風上にも置けないカスは、ぶっ潰すに限る。

レッドキャップは全体的にこういう奴が多くて、向こうの能力者も嫌っているようだったが。此奴は特にゲスだったのは間違いない所だろう。

「相変わらず容赦がありませんな。 母上をこの点ではもう超えておられる」

「そう褒めるな。 で、此奴は腹の中でゆっくりいたぶってやれ」

「御意」

白蛇王の口の中にレッドキャップの残骸を放り込む。

白蛇王の体内は、怪異にとっての地獄だ。まあ二百年くらい其処で地獄を味わわせたら、出してやることを考えても良いだろう。まあ決断するのは流石に私の子孫だが。

どちらにしても、種は割れた。

今回と同じ手は、次は通用しない。そもそも怪異を憑依させないという発想は面白かったが、ネタが割れた以上、二度と私には通じない。

この風祭純。

一度見た技を食らうほど、間抜けでは無い。

どちらにしても、敵は必ずぶっ潰す。

大きな音を聞きつけた警官が来たが、適当に流してその場を去る。同時に、かごめから連絡が来た。

「曽我哲治が急に大人しくなって、自白を開始したけれど。 何かしたの?」

「てか、こんな時間まで尋問してたのか」

「まさか。 自白をするとか言い出したから、叩き起こされたのよ。 それで実際に自白を始めたわ。 涙まで流しながらね」

「ふん、そうかそうか」

知るか。

多分レッドキャップの制御が完全に外れた影響だろう。どっちにしてもシリアルキラーの素質と最悪の環境が合ったから生まれた殺人鬼だ。死刑以外に結末はない。

「ちょっとばかりな。 お前が怒るようなことをしただけだ」

「……まあいいわ。 これで事件もスムーズに解決するし、それでチャラね」

それでいい。

曽我から、かごめは完璧に全て聞き出してくれるだろう。

そして、私は。

あくびをしながら、その足で出勤。

今日は、流石にもう事件も起こらないだろう。

小暮にあったら、まずは完全に事件が解決したことを教えてやるか。

少し睡眠時間は削られたが、良い気分だ。

外に出る。

朝日が昇り始めていた。

まるで、事件が解決したことを、祝福するような。美しい陽光だった。

 

(続)