連鎖する闇

 

序、オカルトの否定

 

とある片田舎。とはいっても、神奈川県の僻地。小田急線を使って小田原まで来て。其処から電車を更にしばらく乗り継がなければたどり着けない。

世界最大のメガロポリスのすぐ側にある秘境。

今、丁度私は、友人である式部人見を伴って其処へ来ていた。後ろで居心地が悪そうにしている部下の小暮。

そして、今回は。遅れてゆうかが合流する予定である。

人見は面白い奴だ。

警視庁に協力している腕が良い解剖医。怪異がらみの事件で、変死体を何度も此奴に解剖して貰って。

その度に、所見を聞く。

それが事件解決につながる糸になることも多い。

強引な推理で事件を無理矢理解決に導く事も珍しくない私だけれど。

それは細い糸をたぐり寄せているのと同じで。

無から有は作り出せない。

その有を、人見は作ってくれる。

つまり、事件を手元に引っ張り、そして私が顔面を殴り潰すために、人見は必要な存在なのである。

まあ昔で言う金床戦法の騎兵とファランクスに近い関係だろうか。

妙な例えではあるが。

人見は私に関わるようになってから、何度も妙な目に会っている。そして本人は認めようとしないが、明らかに過去に怪異がらみの事件に遭遇している。

それなのに言うのだ。

オカルトはまやかしだと。

それはある意味事実であるとは思っている。

私は怪異は実在する事を知っている。

しかし、オカルトとは。

この世に存在しないものを、でっち上げる事だとも考えているからだ。

今、私が周囲に従えている式神達や。

今までぶちのめしてきた怪異。

それらはいずれ科学で解明できると私は考えているし。それは科学と相反するものではないとも思っている。

だから、まやかしをオカルトというなら、人見の言う事には賛成だ。

実際問題、まやかしでくっているインチキ呪術師や占い師の類は、この世に五万といる。そいつらはオカルトと呼んで差し支えないだろう。

だが、実在する怪異を。

実在しないと言い張るなら。

それこそがオカルトだ。

科学で解明できるものであるならば、それは存在する。そして、いずれ科学で解明すべき怪異は。

オカルトとは違う。

この考えを、私は人見に話した事があり。

なるほどと、納得された。

一方で、私が行使する対怪異能力に関しては、どうなっているのか興味もあるらしく。安易にオカルトと否定しないのも、人見の良い所だ。ちなみに人見は霊感がないので、幽霊や式神はよほど強力でないと見えない。

見えたとしても、それをすぐに認めず、事実確認をきっちりやる。

冷静で沈着。

だから此奴が兄者の嫁にふさわしいだろうと私は思っているのだが。

当の本人達にその気がなさそうなので、やきもきする。

だってそうだ。

あのゆうかが。

人間核弾頭が。

このままだと、私の義姉になりかねないのだ。それだけは、例え天地が裂け、破壊の神シヴァが地上に姿を見せたとしても、絶対に避けなければならない。彼奴を姉さんとか呼ばなければならない日が来たら。

私は恐怖で失神することになるだろう。

どんなグロテスクな怪異だろうと、私は鼻で笑い飛ばし、一瞬後にはぐちゃぐちゃに蹂躙してみせる自信があるが。

この世で一番恐ろしい存在が人間である以上。

その恐怖からは逃れられない。

そう、この世でもっとも残虐な生物は人間。そしてもっとも恐ろしいものは、怪異でも邪神でもない。

人間なのだ。

山道を登る。ロープウェーが終わってしばらく経つ。こんな僻地にも暮らしている人がいて。

学校がある。

しかし、周囲から向けられる視線は、決して好意的ではない。

ゆうかもよくこんな所で過ごしたものだ。

高校の一時期だけらしいのだが。

途中で博物館があった。

鉱石を扱う博物館らしい。見物していきたい所だが、今は仕事が先だ。学校は、もう少し先。

ゆうかはタクシーで遅れて来るらしいが。

できれば彼奴が来る前に片付けてしまいたい。

近づいているだけでも。

嫌な気配が増大する一方なのだ。

怪異ホイホイのゆうかが来たら、ちょっと面倒な事になりかねない。

今回は、久々に例の電話で、仕事を依頼された。どうやらこれから向かう学校にて、怪事件が頻発しているらしいのだ。

まだ死者はでていないが。

以前この学校では、死者が数名出る怪事件が発生。

その際の生き残りがゆうかで。

未だに事件の真相は分からず。解決に結びつく情報も出てきていない。そしてこの周囲には、因習にがんじがらめにされた旧家が複数ある。

その中の一つに、私の家と関係があるものがあり。

其処からも証言が出ているのだ。

この地に、強力な怪異ありと。

流石に皆鍛えているだけあって、坂道だらけのこの辺りでも、へばっている者はいない。少し離れた所には温泉宿とかがある観光地もあるのだけれど。この辺りは観光地からも外れて、完全に僻地である。

「しっかしひどい坂だな。 これだと擦る車が出てくるぞ」

「周囲が軽自動車だらけなのも納得ですな。 普通車だったら、バンパーを擦ってしまうでしょう」

「それにしても、その学校。 本当に以前怪異とやらが出たとして。 どうして今まで何も起きなかったのかしら」

「それな」

人見が話を本筋に戻してきたので、私も咳払いして応じる。

ゆうかの話によると、此処にいたのは高校時代。

事件の事も聞いたが。

凄惨な代物で、亡くなった人達も悲惨極まりない末路を遂げたという。

しかもだ。

どうやら二種類の怪異が、同時に出現していたらしいのである。学校の中で多くの犠牲者が出たのは、それが理由の様子だ。

特級の怪異。

例えば、三大怨霊や、日本三大妖怪と呼ばれるような連中になってくると。それこそ、生半可な対怪異能力者が、束になってもかなわないケースもあるし。多くの人々を牙に掛ける事もある。

だが先人の努力で、其処まで危険な怪異はあらかた倒されるか封印されたし。

私や、父母の努力もあって。新しくこの世界に湧いて出てきている都市伝説の怪異達も、強力になりすぎる前に日夜処分している。

今回のケースは、正直よく分からない。

一度大きな事件が起きた後。

どうしてか怪異が黙り込んでいる。

それも、強力で、人間も殺せるレベルの怪異が、二体も、である。

式神は強いのをかなり多めに持ってきているが。

それでも、何か嫌な予感がする。

怪異が相手なら、私は何が出てきても負けない。

しかし、怪異の裏に、悪意を込めた人間がいて。

そいつらが、近代兵器で武装していたら。

あまり、良い結果にはならないだろう。

学校が見えてきた。

人見が、手をかざして。そして言う。

「典型的な僻地の学校ね。 まだ木造なのは珍しいわ」

「プールもあるのであります」

「ああ。 だが閉鎖されている教室も多い様子だ。 あの有様では、一学年に二十人もいれば良い方だろう」

「少子化の影響ね」

学校まではあと少し。

そして、ある一線を踏み越えた瞬間。

私は気付いた。

結界に入った。

何かが、縄張りを主張している。これはもの凄く古い怪異だ。それこそ、戦国時代、いや更にもっと前。

生半可な対怪異能力者なら、この気配だけですっ飛んで逃げるだろう。

だが妙なのだ。

腕組みして、考え込んでしまう。

私が此処にいる。

どうして怪異は警戒してこない。

場合によっては、即座に姿を見せてもおかしくない。

私はそれだけの力を常時放出しているし。強力な式神も多数従えてきているというのに、である。

何が起きている。

此処は何かがおかしい。

私はそう結論せざるを得なかった。

人見は平然としているが。

小暮はもう気付いていて、彼方此方を見回していた。小暮の肘を小突いて、耳打ちする。

「非常に強力な怪異の縄張りに入った。 油断するなよ」

「やはりでありますか。 しかしどうして仕掛けてこないのでしょう」

「分からんな」

そもそも、怪異の気配さえもない。

いるのはいる。

だが、敵意を向けても来ないし、攻撃を仕掛けてくる様子も無い。対怪異の能力を持つ私が来ていることは、相手にも伝わっているはずだ。

それなのに、どうして威嚇さえしてこないのか。

小首をかしげながら進んでいく内に。

とうとう学校についてしまった。

寂れた学校だ。

木造の古い校舎。

この辺りは冬になると雪が積もる。標高があるのだから当然だ。そればかりか、火山が噴火した場合、もろに影響を受ける。

あまり貧しくて新しい校舎を作る余裕も無いのだろうが。

それにしても、わびしくて。

時間から見捨てられた場所のような印象さえ受ける。

学校に足を踏み入れると。

また、変な怪異の気配を感じる。

縄張りを張っているのとは、別の奴だ。

悪意や敵意を向けてきているが。

はて妙だな。その割りには、どうにも力が弱い。弱り切った老犬が、すっかり弱った体でありながら、必死に吼えている。

そんな印象さえ受ける。いや、それとも違う。ぐっと遠くから見られているような感じか。

今回は、学校そのものにはあまり用は無いと思っていたのだが。

しかし、学校に入った途端に気配がしたのだ。見ておくべきだろう。

またろくでもない校長じゃないと良いのだけれど。

ここのところ、出向く学校で、ろくでもない校長にばかり遭遇している私は、一つ溜息。

小暮が、物珍しそうに此方を見る。

「天下無敵の先輩も、疲れたり困ったりするのですな」

「当たり前だ。 というか私は無敵じゃないぞ。 ライフル弾喰らったら死ぬからな」

「それはそうでしょうが」

「面倒なら、ネゴは私がしましょうか?」

人見が申し出てくれるので。

頷く。

正直、面倒だし、今回は捜査に来たわけでは無い。少なくとも、まだ怪異が現れたという噂が出ているだけで。

殺人事件も傷害事件も。

行方不明も起きていない。

それならば、昔あった怪事件の調査に来た、という名目で良いだろう。

なお、ゆうかが巻き込まれた事件では。

行方不明者も出ている。

その行方不明者は。

事前調査によると、ホルマリン漬けにされて。学校の地下にしまい込まれている、と言う噂だ。

そんな事をして何の意味があるかなんて、都市伝説にはどうでもいい。

単に興味を引き。

恐怖を煽る。

それで拡がっていくのが、都市伝説というものなのだから。

学校の中に入る。

今日は休日だから、生徒もいない。

昔だったら部活で忙しい生徒もいたかも知れないが。今は少子化の時代だ。部活そのものが無いのだろう。

学校内に、子供の気配はなかった。

職員室には、数名の教師だけ。それも、忙しそうでは無い。

咳払いすると。

かなり年長の教師が。

申し訳なさそうに、此方に来た。

「申し訳ございません。 警察の方ですね」

「風祭です。 それで、詳しい事情をお聞かせ願えますか」

「はい。 此方へ」

案内されるのは、来客用の部屋、ではない。校長室だ。

校長は不在。

というよりも、事実上の来客室として使われているようだった。

さて、此処では凄惨な事件が以前起きたが。

今回はどうなるか。

不愉快そうにしている人見。相手が卑屈なのが、此方を利用しようとしているからなのだと、一目で見抜いたのだろう。

まあ私はどうでもいい。

被害が出なければ、それでいいのだから。

茶を出される。

あまり美味しい茶ではなかったが。茶菓子まで出してくれたのだから、相応の誠意はあると見て良いだろう。

「それでは、話を聞かせて貰いましょうか」

「……この地域では、数十年ごとに大きな事故が起きるのです。 その度に、失踪する人間も出ます。 普段は数十年ごとなのですが、前回は数年前。 この学校で惨劇が起きました。 そして普通だったら数十年は大人しくなる怪奇現象が、数年でまた起き始めているのです」

老教師は。

額の汗を拭いながら言う。

実のところ、実害こそないものの、去年頃からずっと奇妙な現象は続いていた、というのだ。

そうかそうか。

やはり来てみると、だいぶ話が違っているな。

小暮も口を引き結んでいる。人見は、厳しく眉をひそめていた。

話が違う。

二人とも、怒っているのだ。

だけれども、私は。まずは全てを把握するのが先だと判断。

強引に推理を進めて、理不尽に怪異を粉砕するのは得意だけれど。それにはまず、土台となる場所がいるのだから。

「知っている限りの事を話してください。 此方は専門家です。 場合によっては、即座に事件を解決できるかもしれませんから」

「お願いします……」

もう、他に手が無い。

そういう風情で、老教師は頭を下げた。

 

1、饐えた因習

 

老教師は言う。

この土地には、古くから二つの名家が対立していた。

ずっとこの土地に根付いていた、旗本の血を引く家、多々良。それに対して、後から観光業を資金源に、入ってきた家。羽黒。

旧弊と傲慢。

二つの家は、争いを続けていたのだが。

それとは関係無く、大きな問題があった。

旗本の家の分家の一つ。

それが、押さえ込んでいた存在がいた、というのである。

「押さえ込んでいたとは」

「天狗様です」

「天狗?」

露骨に非好意的な声を人見が上げるが、咳払いして黙らせる。

まずは全てを騙らせるのが先だ。

此奴らの事だ。

恐らく祓い屋とか霊能力者とかを、散々呼んで対処に当たろうとしたのだろう。しかし、それでもどうにもならなかった。

私の所には、地下鉄の名もない駅で遭遇した。まあ正体は知れているが、あの仮面の男から指示が来た。

つまり、それは。

どうしようもなくなって、本物の本職に、頼むしかなくなった。

そういうことだ。

だから、突き放すようなことはしない。

此奴らに仕置きするようなことがあるとすれば、仕置きはするが。それは、まず情報を確認してからである。

「この土地には、昔から強大な力を持つ天狗様の伝説がありました。 実際、怒らせると禍があり。 地元の人間には怖れられていました。 天狗様がいるのかどうかは分かりませんが、とにかくきちんと祭をしないと、禍が起きてきたのは事実です。 その祭を執り行っていた一族が、絶えてしまいまして」

「それ以降、禍が定期的に起きると」

「はい」

それだけではないという。

数十年前。

戦争の少し後の頃だ。

怪異が、増えたというのである。

「丁度その頃、対立していた地元の二つの家の人間が、駆け落ちをしました。 両方とも当主の息子と娘という立場だったようです。 この二人の行方はようとして知れませんが、地元の人間は皆知っています」

「……何を?」

「殺されました。 二人は、逃げること無く、恐らく何処かで刺客の手に掛かって」

それ以降だ。

恐らく、二人とも学生だったから、だろうか。

学校で怪異が起きるようになった、という。

腕組みをする。

戦争の少し後というと、とにかく余裕が無かった時代だ。怪談話にうつつを抜かしている余裕など無く。

日本中が貧困に喘いでいた。

そうなると、これは。

少しばかり、話の信憑性が高いかも知れない。

更に、である。

教師の陰惨な話は続く。

「娘の方は、旗本の家の出でした。 烈火のごとく怒った当主は、娘の亡骸を、見せしめにすることを命じたそうです」

「見せしめ? 今更晒し首にでもしたのか」

「いいえ、もっと凄惨な……」

周囲を見回す老教師。

そして、また額の汗を拭った。

「ホルマリン漬けにして、学校の地下の倉庫にしまったのだとか」

「話にならないわね」

人見が激高した。

流石にいくら何でも無茶苦茶すぎる。

だが、私が、視線で抑えろと指示。

あまりこういうことは言いたくないが。田舎では、とんでも無い因習が、21世紀になっても残っているケースがあるのだ。

離島だったり、或いは隔絶した地域だったり。

そういった場所では、おぞましい祭や。

生け贄の風習。

そういったものが残り。

神として崇拝された怪異が、未だに猛威を振るっているケースがある。

私は父に連れられて二度。母に連れられて八度。

海外も含め、そういった場所に出向き。

怪異を粉砕して。

悪しき因習を叩き潰した。

いにしえの伝統が悪いとは言わない。だが、生け贄を捧げ。多くの犠牲を強いるような信仰は、文明の発達と同時になくなるべきものだ。

怪異もそれは同じ。

私は多くの怪異と接してきたが。

人間とうまくやってきた怪異は、どれもが陰惨な因習を強いるのでは無く。恐怖とともに暮らすことを選んだ者達ばかりだった。

それらとは、戦わずに拳を収めたことも多かったし。

むしろ向こうから請われて、此方の式神としたケースもある。時代は変わる。怪異も、それにあわせて変わっていくべきなのである。

「私が話したのはあくまで噂です。 しかし、数十年おきに怪異による被害が出ているのは事実です。 そして、前に起きたのは数年前。 行方不明者、死者をあわせて、五名がなくなりました」

「……五名」

「はい。 警察などの発表では直接的には関係無いとされていますが、五名です。 そしてまだ数年しか経過していないのに、またおかしな事件が起こり始めている」

老教師は、涙を拭う。

前回の事件で犠牲になったのは、彼の息子だったという。

あまり行状が良い息子では無かったけれど。

此処で教師を務めていて。

死ぬような理由はなかったはずだと、言うのだった。

「もう、これ以上被害を出さないように、お願いいたします。 天狗様を鎮めるなり、この地で亡くなった二人の怨念を晴らすなり。 それとも、迷妄を晴らすのであってもいっこうに構いません。 事件だけは、起こさないように、お願いします」

頭を下げられる。

此処までされると、流石に人見も、もう何も言えないのだろう。

ため息をつくと、先に部屋を出て行った。

「小暮、ついていけ」

「分かりました。 先輩は」

「私は少しばかり、調べる事がある」

 

校長室を出る。

人見はまず、理科室に向かったようだった。ホルマリン漬けについて確認するのだろう。ちなみに、ここに来る前に、学校の図面は入手している。確かに小さな地下室は、存在している。

私は逆に図書室へ。

意外に使われている気配のある図書室だ。部屋に入ると、まずは郷土史をチェック。勿論事前に調べているが。

地元にある本は、別の内容が記されている事も多いのだ。特にこういう図書館には、思ってもみない情報が眠っているケースが多い。

幾つかの本を見繕ってみる。

やはり、天狗という話が、出てくる。

天狗か。

慢心した修験者がモデルになっているとも言われる天狗は、日本でももっとも力を持っている怪異の一つだ。伝説も古く、源義経が天狗に稽古をつけて貰っていた、という伝説があるくらいである。

必ずしも邪悪な怪異ではなく。

仏教におけるカルラ天、つまりインド神話における最高の神であるヴィシュヌの乗騎である鳥神ガルーダがモデルになっているカラス天狗と。鼻が長い天狗の主に二分され。

昔話でも悪役として出てくる事は珍しく。

少なくとも、邪悪で残忍な怪異としては、あまり認識されることはない。

その一方で、いわゆる荒御霊としての存在感は抜群。

その辺りの怨霊などよりも、怖れられるケースも珍しくない。

私の家にいる式神にも、何体か天狗がいるが。

先祖が苦労して調伏したり。

或いは居場所がなくなって困っていたのを受け入れたケースで。

邪悪で人々を苦しめていた天狗を叩きのめした、という例は無い。

私も天狗との交戦経験はあるにはあるが。

強い上に狡猾で。

それでいながら別に邪悪でもなかった。

単に居場所を守るためだったり。人々の邪な言霊によって邪神になりかけていたり。自分の住処を汚されたり。

そういった理由で怒っていたのを、鎮めた場合しかない。

向こうも此方の実力を認めると矛を収め。

そして浄化を受け入れる度量も持っていた。

天狗を騙る怪異は、あまり見たことが無い。

それだけ天狗が強力で。

騙るにはリスクが大きすぎる、という事である。

しかしながら、天狗が一概に誇り高く、厳しくも優しい神の眷属、というわけではないのも事実。

邪悪な天狗がいてもおかしくは無い。

だから調べているのだが。

どうにも妙だ。

本当に此処で信仰されていたのは、天狗なのだろうか。

調べて見ると、確かに古い時代から、此処で天狗を慰める仕事をしていた一族がいる。土地を収めていた旗本の分家。

というよりも、その旗本そのものが、神主の家系であった様子だ。

珍しいケースでは無い。

仏教の中でも、一向宗が戦国で力を持ったように。

神道の中にも、戦国で力を持って大名化していったケースがある。

あの織田家もそうだ。此処の旗本も、そういう一族だったのだろう。

少し、此処以外でも調査が必要か。

何よりこの学校にいる怪異と、周囲に縄張りを作っている怪異が、本当に別なのか。

さっき教師が語ったとおりの存在なのか。

どちらもしっかり調べ上げる必要がある。

図書室を出ると。

丁度、人見が小暮と一緒に戻ってきた。小暮には式神をつけていたのだけれど。その式神、手練れの武士の霊は、首を横に振る。

怪異とは遭遇しなかった、という事だ。

「地下はどうだった」

「どうもこうも、埃っぽいだけだったわよ」

「ホルマリン漬けは」

「なかったわね。 理科室も見てきたけれど、解剖した蛙や蛇のものだけよ」

そうか。

場所によっては。例えば医大などでは、水子などのホルマリン漬けがあるという噂もあるのだけれど。

此処には無いか。

とにかく、怪異に遭遇しなかった、というのは不可思議だ。

事実、あの人物から依頼が来るくらい。

更に言うと。

数十年おきに、何人も殺して行く怪異が、どうも実在しているようなのだから。

そうなると、そいつは。

なんで時期でもない今。

目覚めて、此処で暴れようとしている。

それに天狗とやらはどうなっている。

「地元の神社を調べるぞ」

「私は学校に残ろうかしら?」

「いや、一緒に来て欲しい。 此処の問題は、どうにも根が深いように思えてな……」

「一緒に行動した方が良いと」

頷く。

実際問題、教師達の中には、此方にあまり好意的では無い視線を向けてきている者もいた。

何か得体が知れない存在が、天狗の皮をかぶせられて、信仰されているという可能性もある。

古代の邪神だったりしたら最悪だ。

例えばミジャグジだったりしたら。

あれとの交戦はあまり思い出したくない。

私が勝てない相手では無いけれど。私によくしてくれた分家の人間が、命を落としたのが。

まだ力を残し、密かに信仰されていたミジャグジとの戦いの時だった。

あの時思い知らされたのだ。

私が怪異に対して無敵でも。

周囲を守りきれる訳では無い。

油断すれば周囲の大事な人は死ぬ。そして、死んでしまったら、取り返しがつかないのだと。

だから私は。

戦闘態勢に入ると、以降は一切容赦しない。

「分かったわ。 何かタチが悪い淫祠邪教がまだ残っていて、それによる犯行というケースも考えられるものね」

「その通りだ。 小暮、周囲に気を配れよ」

「オス!」

一度、学校を出る。

式神を数体残していく。いずれもが手練ればかり。

生半可な怪異など、一息にひねり潰せる奴らで。最悪の場合も、時間稼ぎくらいはしてくれるはずだ。

さっき感じた、得体が知れない怪異の縄張りは、半径8キロという所だろう。

その中を重点的に調べていく。

神社を順番に見ていくが、どれも寂れた神社で、殆どが稲荷と八幡だ。

どちらも、日本中で信仰されている定番の神。特に珍しい神ではない。

そうなると、神社ではないのか。

ふむ。少し、本腰を入れるか。

私は手元にある式神を、あらかた解き放つ。そして、小暮に、ビジネスホテルを手配させた。

 

人見の見解を、歩きながら聞く。

都市伝説として、先ほどの話は良くできている。此処に対立している旧家があったのも事実だろう。

だが、数十年おきに事件が起きるというのがよく分からない。

「仮に何か得体が知れないものが存在するとして、どうして数十年おきなどに起きだして、悪さをするのかしらね」

「さてな」

「専門家にも分からないの?」

「人間に色々いるように、怪異にも色々いるからな。 ましてや今回は、まだ怪異の仕業とは決まっていない」

小暮が周囲を警戒する中。

地図を拡げて、どうも縄張りの中心点らしい場所を探す。

それは古い家だが。

手をかざして見る限り、既に朽ちてしまっていた。

市役所に連絡して、住所を告げる。警察である事も当然明かす。そうすると、意外な答えが返ってきた。

「其処の家の人は、三十年も前に引っ越して、それっきりです」

「本当か」

「はい。 地元では名士だったらしいんですけれど、放蕩者の当主が出て、お金を使い切ってしまったらしくて。 お金がない名士の末路なんて、哀れなものですよ」

礼を言うと、電話を切る。

無言のまま、顎をしゃくる。

人見は気乗りしないようだが。

もう無人になっている家に、私と小暮と一緒に、調査に入ることを許可してくれた。

そもそもだ。

天狗は邪悪の権化というわけではない。

簡単な天狗の説明をしていく。その変遷についても。

江戸時代にも、天狗については面白い話があって。天狗の国に行ってきた男、という者が現れたことがあるそうだ。

その男の話には矛盾点がなく、話を聞いていた人間を兎に角感心させ。

オカルト界隈では、その男の話は今でも注目されている、という。

一説には未来人に拉致されて、そこで暮らしてきたのでは無いか、などというものもあるが。

私は疑っている。

単純に非常に想像力豊かな男が、何年も掛けて練り上げた話を語っただけでは無いのか、というのが私の想像だが。

まあ本人が亡くなっている以上。

今更確かめるすべも無い。

霊体と接触する方法もないし。あくまで想像の範囲。事実かどうか決めつける気は無い。

現場に到着。

此処か。

家を見上げる。本当に朽ち果ててしまっている。平屋だが、それなりに床面積はありそうな家だ。

問題は、殆ど怪異の気配がないこと。

何か危険な怪異を封じていたり。或いは祭り上げていたりした場合、強力な気配がするものだが。

此処からは、殆ど何も感じない。あくびが出るほどだ。

中に入って、調べて見る。

床は完全に抜けていて、草ボウボウ。

地元の悪ガキが悪戯しただろう跡が、彼方此方に残っていた。浮遊霊がいたので、話を聞いてみるが。

どいつもこいつも、此処に何かあるっぽいと言う噂を聞いて来た奴ばかり。

まともな情報は得られなかった。

そも、此処が何か強力な霊的存在の住処とか、関係しているとか、それはいっさいあり得ないと断言できる。それくらい、何にもないのである。

それなのに、強力な怪異らしき気配の、縄張りの中心点は此処だ。一体どういうことか。

浮遊霊達に声を掛けて、浄化を望む奴はそうしてやる。処置が終わるまで、そう時間も掛からなかった。

「空振りですか、先輩」

「ああ。 どうにも解せん」

「貴方が其処まで言うほど分からないの? 怪異については私の見解は異なるけれど、それでも貴方は専門家中の専門家でしょう?」

「怪異ってのは正体さえ暴けば簡単なんだが、其処までが大変なんだ。 此処の場合、なんというかだな……集落ぐるみで何か隠しているような気がしてならん」

そういうケースの場合。

最悪の場合、武装した狂信者が、一斉に襲いかかってくる可能性さえある。

手数が足りなくなる。

小暮はそれこそまとめて十人以上を相手にしてみせるだろうが。

当然相手は猟銃くらい持っていてもおかしくない。そういった「近代兵器」で武装した相手になってくると、分が悪すぎる。

一度、ビジネスホテルに引き上げる。

ただ、私に直接話が来たのだ。もたついていると面倒な事態になる可能性が高い。

かといって、今回は情報が少なすぎる。

放った式神達も時々戻ってくるが、怪異とか凶悪な怨霊は見かけないと、口を揃えていた。

学校に、何体かを交代で行かせる。

学校から戻ってきた元花子さんの奈々子は、うんざりした様子で言う。

「教師達の陰口が陰湿すぎて、聞いていて疲れたの」

「そんなに陰湿だったのか」

「もう、その場にいない教師の陰口大会。 あのお爺さんはずっと黙りっぱなしだったし、そのほかの人達は他の教師をあれがよくないこれがよくないって。 生徒の悪口まで言っていたよ」

「褒められた行為では無いな」

電話が鳴る。不意だったので、小暮がびびっていたが、まあどうでもいい。

出てみると、ゆうかだった。

どうやら駅に着いたらしい。嘆息すると、ビジネスホテルを教える。

一旦合流してゆうかにも話を聞いておく必要があるだろう。

いずれにしても、これは一筋縄でいく事件では無い。私も少しばかり気合いを入れなければならないだろう。思ったよりも面倒だ。事態が悪化する前に、けりをつけられるか、少し心配になって来た。

 

2、視線の違いと恐怖の記憶

 

式神達を、危険度が高いと思われる学校に集中。徹底的に、隅から隅まで探させる。その一方で。

二部屋取ったビジネスホテルのホールで。

軽く打ち合わせをする。

ちなみに小暮の部屋と、残り三人の部屋だ。当然の話だが。

まず、ゆうかに、知っている事を話させた。

ゆうかの話だと、高校の頃、此処では凄惨な事件が起きた。雪が降る日。ある事情で友人である羽黒薫と遅くまで残っていたゆうかは。怪談話を聞かされたという。

その怪談話は、途中までは、あの老教師の言っていた、駆け落ちした男女が殺された、という内容だった。

ホルマリン漬けについても共通していた。

問題は、その後だ。

羽黒薫が、目を離した隙に撲殺され。

得体が知れない怪異に、一晩中追いかけ回され。

外に出たら、何か翼を持つ存在に、崖から突き落とされた、というのである。

幸い助かったけれど重傷を負ったゆうかは。

色々と思うところもあっただろう家族の判断で、早々にこの山奥を離れる事になったという。

ちなみに友人は殺された一人しかおらず。

逃げるようにこの場を離れたのだとか。

人見が少し冷淡な反応を見せる。

「気の毒な事件だったことは認めるけれど、幻覚をみたのではないのかしら」

「確かに、極限の冷気で、必死に逃げ回っていたのは事実です。 でも、あの身が凍るような恐怖……今でも、本音ではあの学校には行きたくありません」

「ほう」

あのゆうかが。

怖い物知らずの見本が、

其処まで言うか。

だが、人見が言うのも事実だ。

「八甲田山のことは知っているか」

「あの何十人もが遭難して、凍死したという」

「そうだ。 根性論というものが、いかなる災厄をもたらすか、世界に知らしめた悲劇なのだがな。 その時も、極限の冷気で、幻覚を見て死んでいった者達は非常に多かったと聞いている。 殺人事件が起きたのは事実だろう。 だが、その後は、恐怖と冷気で、何か別のものを、脳が誤認識した可能性もある」

「純ちゃんがそういう風なことをいうの始めて聞いた」

純粋に感心している様子なので、私はうんざりする。

確かに対怪異の専門家だけれど。

私は怪異に関する全てを肯定している訳では無い。

怪異には山ほど遭遇してきたし。そいつらをぶっ潰しても来た。今でも式神を行使もしている。

しかしそれはあくまで、実際に存在する怪異を使っているのであって。

人見が言うオカルトを全肯定するほど、私の頭はおこちゃまでも劣悪でもない。これでも伊達に国家一種を受かっていないのだ。

「他に情報は」

「その日はクラブ活動で来たのだけれど、行方不明になった先輩がいて。 ちょっと気が強そうな先輩だったのだけれど」

「何か情報が?」

「その、先生とできていたらしいの」

まあ高校生にもなれば、不思議な話ではないだろう。

女子校になると、男性教師と関係を持って、卒業と同時に結婚するようなケースもあると聞いた事がある。

そういう場合、教師は若くて知的な、いかにも女子が好みそうな容姿をしている場合が多いらしいのだけれど。

しかしである。

「その先生、どうみてもあまり女子にもてるタイプじゃなくて、普通の中年のおじさんだったんだよね」

「そういう趣味の女子もいるだろう」

「うん。 でも、どうにも引っ掛かって」

写真を持っているか。

聞くと、頷かれた。

少し古い写真だ。この人と、この人。ゆうかが指さしたのは。

確かにお堅そうで、とても女子高校生に手を出すとは思えそうにないもう中年の男性教師と。

気が強そうで、むしろ幼さが目立つ女子生徒。

ゆうかの言葉は本当だ。

ただ、一つ気になる。

この先輩の方。つまり失踪した方だが。多分もう死んでいる。正確に言うと、この世にいる気配がない。

まあ行方不明になっているのだから、それは不思議では無いが。問題は、その腹だ。

「この娘、恐らく妊娠しているな」

「え……」

「どれ」

人見が写真を確認。

そして、彼女もほぼ間違いないと断言した。

腹が膨らむ前から、妊娠している場合、何かしらの兆候が出る。私の場合は霊的な方向から察知したが。

人見は観察眼でそれを見破った、という事だ。

他に写真は無いか。

促すと、ゆうかはアルバムを出してきた。

その写真を確認していく。

どうやら、孕んだのは、ゆうかが事件に巻き込まれた一月前ほどだろう。幾つかの写真を見て、それを結論する。

ただ、問題が一つある。孕んでいるとして、本当に相手は、この教師か。

霊的なつながりがどうにも見えない。

更に、である。

アルバムを見る限り、相手を意識しているようなそぶりを、双方とも見せていない。

学生が教師とつきあう場合、巧妙に隠すケースもある。

だが私も人見もこれでも女だ。

どうしても隠しきれない部分は出てくる。ましてやゆうかの場合、あの過疎の学校でずっと顔を合わせていたのだ。

流石に気付くだろう。まあ、中にはそれでも隠し通すような強者もいるようだが。

しかしこの娘がそうかと言われると、小首をかしげざるを得ない。

そもそも極めて不器用そうで。しかも意外に勘が鋭いゆうかがどうにも妙だというのである。

できていた、という噂が流れていたという事は。

つまり、妊娠もばれていた可能性が高い。

だが、本当に相手はその教師か。

何か、根本的な所から、勘違いがあるのではなかろうか。大前提で間違っていると、とんでもない結論に辿り着くケースも珍しくない。

私も前提から間違って、その結果大失敗したことは実際にある。刑事時代ではないけれど、学生時代に。勉強をしている時に、それをやって。前提を間違った場合の結末の恐ろしさを、思い知らされたものだ。

「他の犠牲者は」

「知っている限りだと、後は用務員のおじさん。 学校にはその日教職員は残っていなくて……」

「その失踪した教師は」

「事件の日から行方不明で、駆け落ちしたって噂もあったって、後から調べたら出てきたよ」

まあいい。それだけ分かれば充分だ。少しばかり考え込む。

だが、事態が急変したのは、その時だった。

不意に、式神が、数体戻ってきた。皆、それぞれに血相を変えている。

「強力な怪異の気配が学校に」

「今更か。 それで他の奴らは」

「迎え撃つ準備をしています」

「小暮、ついてこい。 人見、ゆうかと一緒に、もう少し調査をしていてくれるか」

二手に分かれる。

このビジネスホテルは、学校から意図的に遠い場所を選んでいる。もしも集落でなにかしているとしても、手は伸びないだろう。というか、例の縄張りの外に配置してもいるのだ。

ゆうかは学校に一瞬だけ行きたそうな顔をしたが。人見が、無言の圧力を掛けた。

一応念のため、手練れの式神を少し残しておく。何かあったら、外に避難させるなりできるだろう。

すぐに外に飛び出す。

流石に高地だからか。

東京よりかなり寒い。

コートを羽織ってきて正解だったか。

「急ぐぞ」

「オス。 しかし、学校の怪異というと、例のホルマリン漬けの……」

「さてな」

式神達も子供の使いでは無い。もし姿を見せていれば、そうだと言ってくるだろう。しかし気配しか感知していない、というのだ。

何だか妙だ。

本当に怪異は二体だけなのか。

走るが、坂道だらけである。流石に少しばかり疲れる。鍛えている小暮はまったく平気そうだが。

私も鍛え方が違うとは言え、流石にこの坂だらけの地形、どうにかならないのか。

まあ此処は、関東への関所というか、要塞となっていた歴史もある。

だが、やはりこの縄張りの主らしき怪異は姿を見せない。

更に、学校から一体が戻ってきた。

古い時代の武士の式神だ。雄々しく戦って死にたいと願っていたのだけれど、病に倒れた男で。

その無念から悪霊になりかけていた所を浄化して式神にした。

ちなみに腕は確かで、相当にできる。

「伝令っ!」

「ん、続けよ」

「学校に現れた怪異は、やはり姿を見せません! 探しているのですが、気配しか存在しません」

「……やはり妙だな」

この事件はどうにもおかしい。

あの怖い物知らずのゆうかが、学校には二度と行きたくないと言うほどの目に会ったのである。余程の怪異がいると見て良い。

それなのに、どうして。

学校が見えてきた。

手をかざすが、式神達が困惑して飛び回っているのだけが見える。

つまりまだ戦いさえ起きていない。

まあ、私が行くまで手を出すなとは指示してあるのだけれど。それにしても、この様子は妙だ。

少し呼吸を整えてから、腰に付けている水筒のスポーツドリンクを飲み干す。それから、学校へ飛び込んだ。

確かに気配がある。

それもかなり強い。

式神達が集まって来た。今回は面倒なケースになる事を想定して、いずれも手練ればかりを持ってきたのだけれど。

その全員が、小首をかしげているのだ。

「まったく怪異の正体が分かりません!」

「当直の教師も気付いていない様子です」

「分かった、警戒を続けろ」

式神達が戻る。

小暮が、咳払いした。

「先輩、どうも今回は苦戦しているようですな。 いつも疾風迅雷で事件解決に直進する先輩でありますのに」

「その通りだ。 どうにも前提からして間違っているように思えてならん」

「怪異の気配というよりも、嫌な予感は自分も感じております。 きっと此処には何か良くないものがいると思うのですが……」

「入るぞ」

古い学校でも、警備システムは動いている。

だから、外から内部に連絡。

当直の教師に連絡して、開けて貰った。

幸い、あの老教師が当直で。

こじれることなく開けてくれたのだけは嬉しい。

なお、今学校には、老教師しかいないという。

「外から不審な人影が見えた、という話がありましてね。 調べさせていただきます」

「またですか……」

「また?」

「何だかよく分からないものを見たという生徒も多いのですが、周囲の住民からの通報も多いんです。 数十年おきに訳が分からない事故で数人が死ぬことはみんな知っていますから、それで学校には気を付けているのでしょうが」

老教師に案内させて、学校の中を見て回る。

理科室。

気配無し。怨霊どころか、浮遊霊さえいない。

トイレ、全部確認。

定番の花子さんどころか。此方も浮遊霊もいない。元花子さんだった式神、奈々子がぼやく。

「すみにくそうなトイレですの」

「住むのか」

「しょうがないでしょ、言霊で変な属性つけられて、離れられなくなっちゃうんだから」

だから住むことをまず考える、か。

意外にたくましい奴である。

というか、此奴に限らず、時間がいくらでもあるからか。怪異は案外たくましい奴が多い。

オカルトが現実的な考え方をするというのも面白い話だが。

私から言わせれば、いずれ此奴らは科学で解明できるようになる存在なので。まあたくましく現実的に考えてもおかしくは無いのだろう。

屋上に上がってみるが、何も見えない。

美しい空だ。都会では見られない、降るような星の群れ。

非常に感動的だけれど、それだけだ。発展途上国でもっと美しい星空を見たこともあるし、どうでもいい。

困り果てて飛び回っている式神達が、ちょっと哀愁を誘うが。指示したのは私なので、口をつぐむしかない。

校長室、職員室と見て回る。

その間も、怪異の気配は確かにある。

小暮も時々振り返って、後ろを確認しているほどだ。

地下室を見る。

そう言うと、老教師は、真っ青になった。

「夜に彼処に行くのだけは……」

「なら鍵を貸してください。 小暮」

「オス。 わ、わかりました」

同じく青ざめている小暮。地下への廊下は灯りも壊れかけている。不安定な蛍光灯は、それだけで恐怖心を煽るものだ。

地下は倉庫になっているようだが。

はて。怪異の気配があるにはあるが。どうもおかしい。

とにかく、鍵を開けて、中に入る。

人見が言っていたように、ホルマリン漬けの死体など無い。周囲を見てまわるが、埃を被ったサッカーボールやら、校旗やら。それに、幾つか跳び箱もある。

バレーボールをいれる籠。バレーボールは、殆ど空気が抜けてしまっているようで、体育では使いものになりそうもなかった。

典型的なただの地下倉庫だ。

一応老教師には式神をつけてあるから、そっちに不意打ちが掛かる事はないと思いたいが。此処はどうにもおかしい。

コートを小暮に預けると、腕まくり。

印を切る。

「先輩、本腰を入れて調べるのでありますか」

「そうだ。 恐らく此処が何かの基点になっていることは間違いない。 だがな、どうにもおかしな事が多すぎる」

そもそも、荒御霊になる可能性はあっても、邪悪な妖怪とはなりづらい天狗の、凶暴性だけが伝わる昔話。

しかも現在の都市伝説で、天狗が出てくるなどレアケースだ。

海外だとまだ天狗に似たポジションの妖怪が現役で都市伝説に出てくる事もあるのだけれど。

流石に日本で、天狗が人間を脅かそうとしても、人間が驚くことは無いだろう。というよりも、都市伝説の起爆剤が恐怖である以上、天狗という題材は致命的だ。

荒御霊は荒御霊で、強力な力を持っている。交戦経験がある私が、それを一番良く知っている。

だが、此処にいるのは多分違う。

都市伝説。

それも、恐らくは。

さっと印を切って、陣を組む。恐らく此処にいる奴は、そもそも、存在していない怪異なのではあるまいか。

真言を唱え。

そして、印を完成させた。

次の瞬間。

学校の異相が。

切り替わった。

 

3、荒御霊の真意

 

急激に温度が下がる。外にいたはずの老教師はいない。小暮が、慌てた様子で周囲を見回した。

「せ、先輩」

「どうやら正解だったようだな」

ようやく理解できた。

側の棚には、世にもおぞましいホルマリン漬けの死体。それも、一つでは無い。その中の二つは。

明らかに、あの写真にあった存在。

行方不明になった女子生徒。

そして、同じく、行方が分からないと言う教師だ。

地下室も明らかに大きさが変わっている。周囲には、無数のホルマリン漬けの死体の山。その中には、ゆうかに似たものもあった。

なるほど、これは異相どころか、世界そのものから外れているという事か。

相当にぶっ壊れた相手だ。

周囲から怨念の声が聞こえる。

同時に、後ろから。重々しく。そして力強い声も聞こえた。

「此処をようやく封印したというのに、どうして入ってきた」

「此処の守護者である荒御霊だな。 カルラ天の分霊か」

「そうだ」

やはりそうか。

振り返ると、其処には小暮を優に超える巨体。修験者のような格好。背中からは翼が一対。そして顔は、伝承通りのカラス天狗に極めて近い。もう少し神々しい姿をしているが、一般人にはカラス天狗にしか見えないだろう。

カルラ天は、仏教の中でも、元々ヒンドゥー教に属していた者達が称される事が多い(例外もある)「天」という階級に属している。しかもヒンドゥー教最強クラスの神格である、蛇の天敵である鳥王ガルーダの変化した姿だ。

つまり神側の存在であり。

侮辱したり暴虐を働いたりしなければ、基本的に人の味方として振る舞う存在である。

勿論気むずかしい側面もあり、機嫌を損ねれば害を為す事もあるが。それは何処の荒御霊も同じだ。

具体的には、人々の信仰が形作った、良き都市伝説の言霊。そういうものの、最上位に位置する存在。

それが、荒御霊というべきもの。

このカラス天狗は、ゆうかを襲ったのでは無い。

恐らくは、ゆうかを襲っていた怪異から助けたのだ。

それには、崖から落とすしかなかったのだろう。そうしなければ、とても怪異を振り切ることができないほどに。しつこい奴だった、と言うわけだ。

「其処の怪異は」

「古き時代から、この地で命を落とした怨霊達の集合体が、お前達の言う都市伝説によって形を為した邪悪なるもの。 数年前、とてもこの者達にとって都合が良い存在が来た故、目覚め、核として赤子の魂を取り込み、暴れていた所をどうにか押さえ込んだ。 今までに無いほどに力を増していた上に、少し前から私は異常に力が落ちていたからな、自ら封印に入らざるを得なかった」

どうりで怪異の気配がしても、怪異がいなかったわけだ。

そして、怪異の気配が不意に現れたのも納得がいった。

怪異ホイホイであるゆうかに反応したのだろう。

ただ、数年前にゆうかがここに来たことで、此奴が活性化していたのも事実。そう遠くない未来、また多くの人を殺していたことに間違いはないだろう。

まだ、多くの謎は残っているが。

とりあえずやる事は決まった。

拳を鳴らす。

これならば、いっそのこと。

此処でぶっ潰してしまうのが良いだろう。それも、完膚無きまでに、徹底的に、容赦なく。いつものように力尽くで更正させるのでは無い。

文字通り、消す。

「カルラ天、此奴をぶっ潰すが、別に構わないな」

「力強きものよ。 そなたの不動明王が如き力ならば、その怪異を滅することが可能であるやも知れん。 私でも数十年おきにこの邪悪が暴れるのを止められなかったが、それでもそなたであれば」

「任せろ」

カルラ天が、封印を解除。

小暮に、後ろの扉をガードするように指示。跳び下がった小暮が、体で扉を塞ぐ。其処から逃げられると面倒だ。

下手をすると。

周囲の家々を襲い、十数人を殺しかねない。

コートを放り捨て、シャツのボタンを幾つか外す。

初手から。

本気で行かせて貰う。

「小暮、死んでもその扉を守れよ」

「せ、先輩。 い、い、今までのとは桁外れに思えるのですが、大丈夫でありますか」

「カルラ天、あの男の守護を。 私の力は対怪異特化でな。 彼奴は重要なボディーガードなのだ」

「ボディガードというのが何かはよく分からないが、良いだろう。 雄々しき戦を見せてもらおうか」

いや、そうはならない。

ホルマリン漬けの死体という噂を媒介に、実体化した異形なる怪異が。凄まじい咆哮を上げる。

それは、いにしえの邪神に匹敵する存在。

この地は、血塗られた場所。

鎌倉の世から、多くの武士が戦で倒れ。多くの民が巻き添えになり。そして怨念を残しながら死んでいった。

鎌倉もひどいが、此処もまた、怨念が集約される魔の土地。

丁度良い。

しばらく強いのとやり合っていなかったのだ。腕の虫干しには丁度良いだろう。

うめき声を上げながら、ゆうかを襲ったように。

恐らく、あの妊娠していた女子生徒に取り憑いて、実体を得て。周囲の犠牲者を喰らって行った時のように。

怪異が私に躍りかかってくる。

それはもはや、人とも肉塊とも見分けがつかぬ、自分が何かさえも見失った化け物。だが、だからこそ。

私には勝てない。

拳を叩き込む。

直撃を受けた怪異が、一瞬の後。内側からふくれあがり、爆散。

悲鳴を上げながら、周囲で浄化される無数の怨霊。

私はコアを引きずり出す。

あの気の強そうな女生徒の宿していた胎児。

無垢なる魂を核にして宿っていた外道が、私の力の前に、見る間に浄化されていくのが分かった。

絶叫が轟く。

「黙れ」

胎児を媒介に実体を得るような下郎が、悲鳴など上げる資格を持つと思うか。頭に来た私が、真言を更に叩き込んでやる。

周囲の怨霊が、まとめて消し飛び、形を為さなくなった。そして、此奴に喰われ、取り込まれていた魂が、浄化されていく。

いや、元々此奴そのものが。

汚された魂の集合体なのだ。

ほどなく。

周囲は静かになった。

悉く浄化。此奴は怪異として、完全に死んだ。

「見事。 不動明王と称したは過剰では無かったな」

「対怪異に特化しているだけだ。 それに、おかげで私は色々面倒な目にもあっているしな」

ちょっと久々に本気で拳を叩き込んだからか、暑い。ぱたぱたと手で顔を仰ぐ。

周囲の異相が戻り始める。

事件の真相については、これから調べなければならないだろうが。とりあえず、この土地に巣くっている怪異は。

これで消滅した。

 

異相が完全に戻る前に、少し座って話す。しっかり確認しておく必要があるからだ。

カルラ天は、この土地に住まう人間の事を、決して良く想っていないという。この土地にある名家二つと、その争いのことは、カルラ天も知っていた。それだけではない。戦国の世から、この土地では争いが絶えず。貧しい土地の中で、多くの憎悪が混ぜ合わされて来たのだと言う。

「このような貧しい僻地で、争ってなんとする。 私なりに何度となく諫めたが、それでも人は止まらなかった。 そればかりか、新たなる言霊によって、この地に眠っていた怨霊を呼び覚ます始末」

「都市伝説のことだな」

「そうだ。 時代によって違ったが、近年ではホルマリン漬けの死体などと言う荒唐無稽な噂がそうだな。 江戸時代とお前達が呼ぶ頃から怪異は私の封印を上回るようになり、時々外に出て暴れるようになった」

暴れる度に犠牲が出て。

カルラ天は心を痛めていたという。

しかし、数年前。

ゆうかという特級のエサが現れた事。

それにあわせて、何者かが怪異に怪しげな術を施して、力を数倍に増したことが、決定的な悲劇を引き起こした。

普段では起こらない、いや比較にならないほどの惨劇が引き起こされるところだった。

だから、カルラ天は。

己を犠牲に、此処に怪異を封じた。

その途中で、ゆうかを襲ったように見えた、というのだろう。

「貴方に責任はない。 いずれにしても、数年前の惨劇を引き起こさせた輩には、私からきつく灸を据えておく。 死刑台に放り込むという形でな」

「そうか。 いずれにしても、私の力も封印を維持するために使い続けたせいで、すっかり衰えた。 しばらくは眠って、力を蓄える事にする」

「ああ、そうしてくれ。 荒御霊である以上に、民草を守った貴方に、敬礼」

私がしっかり敬礼を決めると。

少しだけ遅れて、小暮も敬礼した。

そして、気付くと。

もう其処は、異相がずれた空間では無かった。まあ分霊とは言っても文字通りの神クラスの荒御霊が造り出した結界だ。私の式神達ではどうにもならなかったのも、仕方が無いと言える。

神が存在を掛けて封印するほどの、文字通り桁外れの相手だったのだ。

今回ばかりは仕方が無い。

それに、あの怨霊の集合体が表に出てきていたら。

どれだけの被害が出たか知れない。

以前、最大の被害が出た事件では、集落が丸ごと滅びたケースがある。海外での事だが、母と一緒に到着した時には既に地獄絵図。

怪異を倒した時には。

数百人が犠牲になっていた。

正体さえ分かってしまえば、どうということもない。

しかし条件が整うと。

多くの人々を牙に掛ける。

それが怪異というものだ。

地下室を出ると、老教師が、バツが悪そうに視線を背けた。何となくだが。此奴は、事情をある程度知っていたのではありまいか。

まあいい。

当面の危機は去った。

此処からだ。

また、同じ悲劇を繰り返さないためにも。

この地で好き勝手やった奴をぶっ潰す。

勿論そいつは人間で。

今回の一連の事件にも関与しているはずだ。ただ、今回に限っては、いつも都市伝説を裏から操って、頭のねじが外れた犯罪を行っている連中と同じかは限らない。どっちにしても、叩き潰す事に代わりは無いが。

式神達が集まってくる。

「お前達、此奴を探せ」

私は、式神達に、写真をつきだした。

小暮が、わざわざ懐中電灯を当てて、式神達にも見えやすいようにしている。この辺り、流石の心配りである。

「何歳か年は取っているだろうが、恐らく近くにいるはずだ。 多分私が怪異を潰したことにも気付いている。 逃げようとする可能性が高いから、駅の辺りや、タクシー関連を見張れ」

「分かりました。 すぐに」

小暮にも、すぐにタクシーと救急車を手配させる。異相が戻った瞬間、側にあるものが実体化したからだ。

恐らく、カルラ天が、ずっと護り続けていたのだろう。本当に感謝の言葉もない。

そして、人見とゆうかにも電話。

「怪異はぶっ潰したが、恐らく事件を起こした犯人がまだこの辺りにいると見て良いだろうな」

「早っ! てかあんなの、本当にやっつけたの!?」

「何だ、負けるとでも思っていたのか。 あんな唐変木に」

「だって、あれ……今まで見た中でも、桁外れに怖くて、今でも夢に見るくらいで」

おや、珍しく殊勝だ。

まあ、此奴が大人しいのなら、それで良いだろう。

不意に。ゆうかが話を切り替えてくる。

「それで、今人見先生と、タクシー乗り場に向かってるの」

「ほう?」

「調べていたんだけれど、どうもあの先生が行方不明になった件、おかしいと人見先生が結論づけて。 もし純ちゃんが怪異をやっつけたら、きっと此処から逃げだそうとするんじゃないのかって」

「お前達だけでか」

相手は地元の狂信者達をそのまま味方につけている可能性が高い。

危険な行動だ。

カルラ天が嘆いていたように。

この貧しい高地では、昔から争いが絶えなかった。恐らくカルラ天による守護を快く思わなかった者が。

それに対抗するために、あの怪異を造り出してしまったのだろう。

そして自分たちで祭り上げて、旗頭にしようとし。

失敗した。

素人の浅知恵でどうにかできる相手では無い。

以降は責任の押し付け合い。

愛想を尽かしたカルラ天への謝罪を込めた祭も忘れ去り。

憎悪だけがふくれあがっていった。

結果が今の状況だ。

「警官を呼んだ方が良い。 武装したチンピラを護衛につけている可能性が高い」

「それじゃあ間に合わないって人見先生が」

「くそっ」

あれだけの大物を退治した直後に全力疾走か。

いずれにしても、これでは手を分けられない。

ロープウェーは本数の低さ、追いつかれた場合逃げられないことから、可能性が低いと思ってはいたのだけれど。

式神に任せて、放棄するしか無い。

「小暮、タクシー乗り場に全力疾走するぞ」

「心得ました」

「確かに迅速に動いた方が良いのは分かるが、人見が此処まで無茶をするとは……」

いやまて。

話を聞いていたから、なのか。

人見は以前、オカルトに対して、非常に強い嫌悪を抱く事件に遭遇した事があると聞いた事がある。

それが故なのか。

走りながら、唇を噛む。

いずれにしても、早まった事はしないでくれよ。

お前が死んだら、本当に兄者の嫁候補がゆうかになってしまうのだ。いやそれだけではない。

友人が、いなくなってしまうではないか。

人間は簡単に死ぬ。

人見は自衛くらいは出来るけれど。

それでも武装したチンピラに囲まれたらどうにもならない。文字通り殺されると見て良いだろう。

ましてや此処で、あの怪異を祭り上げている集団がいるとしたら。

生け贄くらいは、平然と捧げていてもおかしくない。

一難去ってまた一難。

戦いは、まだ終わっていない。

 

4、認めてはならぬもの

 

いずれ科学で解明できるものを、オカルトと呼ぶべきでは無い。

そうあの背が低い、対怪異専門の力を持つ警官、風祭純は言った。本人は盆暗だと称しているが、小さいなりにそれなりに可愛い顔立ちで。逆に整いすぎていて男が寄ってこない人見よりも、あれくらいで良いとさえ思える。

いわゆる、自分の容姿に劣等意識を持つ性質だろう。

オカルトか。

夜道をゆうかを連れて走りながら、人見は自問自答する。

まだ新米だった頃。

片腕を酸のようなもので焼かれた人間の手術に立ち会ったことがある。その時、人見は人間の業を見た。

冷戦時代に造り出された、闇の一端。

まだ当時の憎悪は生きていて。

多くの人々をむしばんでいる。

冷戦が終わって、随分時も経っているのに。

人間の憎悪は、消えることも無く。多くの人々を苦しめている。その時、思い知らされて。

そして悟った。

オカルトというものは、容認するべきではないと。

だが、純が言うように。

世間的にオカルトと思われていても。いずれそれが科学的に判断できるものであるのならば。

それは迷妄と斬って捨てるべきでは無い。

目の前で起きている出来事を否定するのでは。

それこそがオカルト。

つまりは迷妄だ。

タクシー乗り場。

このような僻地でも、駅前には存在している。どうにか間に合ったらしい。コートを被って、人相を隠した男が、タクシーを待っているのが見えた。背格好からして間違いない。あの男だ。

ゆうかが、叫ぶ。

「先生ですね! 小松先生!」

「!」

振り返る中年の男性。

やはりそうか。

失踪したこの男。やはり此処で、狂信者にかくまわれて、生き延びていたのだ。

すぐにタクシーの前に立ちはだかる。

困惑しているタクシーに、行くように指示。

面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だと思ったのか。

タクシーは、そのまま行ってしまった。

「だ、誰だね、君は」

「警視庁の者です」

「!」

「数年前に、この地で起きた連続殺人、失踪事件を調査しています。 その過程で、貴方が重要参考人として浮上しましたので」

青ざめた小松は、首を横に振る。

人見は、なおも言葉を突きつける。

「貴方が頼りにしている怪異は、既に滅びましたよ」

「な、何のことだね。 怪異なんて、いるわけが」

そうか、そう白を切るだろう。

だったら。

一種の呪術を使う。

これはオカルトとは違う。

心理操作術だ。

「その貴方にすがりついている女の子、誰ですか?」

ざわり。

嫌な音がした。

そして、小松が。まるで人形のような動きで、自らの左側を見て。そして絶叫した。

何が見えたのかは知らない。

少なくとも、人見には見えていない。

だが、大体見当はつく。

事件の際に彼が犠牲にした人間、あるいは達かも知れない。恐らくは、ゆうかが言っていた、気の強い先輩。

妊娠していたあの女生徒だろう。

「あ、あぎゃああああああああっ!」

完全に錯乱した小松は横転。

ゆうかは、冷め切った目で、その狂態を見つめていた。いずれにしても、この様子では、此奴はもう逃走できないだろう。

オカルトを潰すには。

オカルトを知る必要がある。

心に隙間を抱えている人間に対して。その隙間を突いてみせると。いい加減な人間の脳みそは。時にその闇を、形として映し出すことがある。

その隙間が大きいほど。

脳みそは、闇を大きく大きく映し出す。

そして場合によっては触覚さえ造り出す。

脳みそが混乱したら、後は何でもありだ。人間は外界からの刺激を、脳みそで処理しているのだから。

幻聴だって聞こえる。

数人の男が、此方に走ってくるのが見えた。

いずれもが、顔を醜く歪めて。手に角材やら鉄パイプやらを持っている。十中八九、此奴をかくまっていた者達だろう。ゆうかを背後に庇う。多少の護身なら心得もある。時間稼ぎくらいなら、できる筈だ。

あの風祭純が負けるはずも無い。時間さえ稼げば、必ず来る。不思議な信頼感は、確かな実績から来るものだ。

思えば、最初に出会った時から。

恐ろしく肝が据わった娘だった。

変死体の解剖を、眉一つ動かさずに見つめ。そして様々な質問をして来た。吐く警官もいるのに、まるで怖れていない。

その後、とんでも無い数の修羅場をくぐってきているのだと知って、納得もした。そして、その不思議な力を、いずれ解き明かしてやりたいとも思っている。

オカルトは否定しなければならない。

だが実際にあるものならば。

それをオカルトのままにしていてはいけないのだ。

構えをとって、牽制する。地面で悲鳴を上げてもがいている小松は無視。数人の暴漢は、ぎゃあぎゃあと叫ぶ。

「羽黒の手下が!」

「多々良の血は絶やさせねえ! お前達なんか、此処で」

「ほう、どうするか、詳しく聞かせて貰おうか」

割り込んできた声。

同時に。

男の一人が、真横に吹っ飛んだ。

やはり来たか。

チンピラは卒倒。ロケット砲のようなドロップキックを、脇腹に食らったのだ。あれは下手をすると、肋骨を複数複雑骨折しているだろう。

更に、割り込んだ巨体。

小暮だ。

小暮は鉄パイプを掴むと、ひょいと取りあげ、柔道の背負い投げで一人を地面に叩き付ける。

一瞬で一人になってしまったチンピラは、それでも奇声を上げながらナイフを抜いたが。小暮はその腕を掴むと、無造作に捻り上げ、手錠を掛けた。

地面で、まだ喚きながらもがいている小松。

奴を守ろうとしていたチンピラにドロップキックを叩き込んだのは、純。

彼女は、埃を払って立ち上がりながら。

無様に喚いている小松に、歩み寄っていった。

来てくれた事は、当然。まったく心配はしていなかった。

「ほう、随分恨まれているじゃあないか。 お前、この地を治めていた旗本の一族の末裔だろう。 それも没落した分家の」

「その通りよ。 さっき其処の者達が、多々良の、と言う言葉を口にしたわ」

「……やはりな」

この土地にある二つの名家。

多々良と羽黒。

古くからある多々良と、新しく来た羽黒。だが、羽黒の関係者には、不審死が相次いでいることも、しばらくの調査で分かっている。ただ、何年かおき、という単位で、であるので。

警察も動きづらかったのだろう。

「小暮、そいつらを確保しておけ。 警察に通報。 殺人未遂の現行犯だ」

「オス。 すぐに」

だが、今回。

その手足となっていたというか。切り札だった怪異が暴走の兆しを見せ。挙げ句の果てに純に潰された。

それが切っ掛けになって、この地を離れようとした。

怪異が何者なのかは別にどうでも良い。

純が言うように、まだ科学で解明できない不可思議なのか。

それとも、この男達のような暗殺集団なのか。

いずれにしても、この男は。

没落しつつある名家の影として。

ずっと動き続けていたのだろう。

純が、小松に顔を近づける。

「お前、やってはいけない一線を越えたな。 あの女生徒に種を仕込んだのはお前じゃ無くて、お前が呼んだ与太者だろう。 気丈に振る舞っていたようだが、その恐怖を利用して、あれを生け贄にして怪異を操作する事を目論んでいたな」

「し、しらん」

「ほら、その証拠に。 親子揃って、お前にくっついたまま離れようとしない」

「……、っ!!!!! ひぎゃあああああああああっ!」

完全に音程が外れた悲鳴を小松が上げる。

騒ぎを聞きつけて、流石に警官が来る。

地元の警官だと、此奴に有利に動く可能性がある。だから、まだ油断は出来ないが。純が手帳を見せ、倒れている連中が鉄パイプやらサバイバルナイフやらを持っていたことが一目で分かる状況であることを見せつけると。流石に、地方署に連絡せざるを得ないようだった。

二十分ほどして、パトカーが何台か来る。

既に人だかりができていたが、小暮が威圧して近づけさせない。

やはり多々良の。

この土地の狂信者達が、どうにかしようと考えたのだろうが。

もはやこの状況で、どうにかできるものでもない。

「これで多々良も終わりか……」

聴衆の中の一人。

老人が呟くのが、人見には確かに聞こえていた。

 

小松が落ち着いたというので、純と一緒に事情聴取に行く。

まだ監察医に成り立ての頃。

こんな風に、怪異がらみの事件に巻き込まれた。

あの時に思い知らされたのだ。

冷静に務めなければならない。

怪異を安易に否定するのでは無くて、解析しなければならない。オカルトと一口で否定するのは、怪異を全肯定するのと同じ事だ。

あの奇怪な事件は。

結局何だったのだろう。

東西冷戦の負の遺産だったのか。それとも、もっと得体が知れない何かの結末だったのか。

いずれにしても、人見の中に残ったのは。

オカルトに対する敵意。いや、滅意とでもいうべきもの。

盲信から生まれるオカルトは、許してはいけない。それが本物であるならば、そうであると証明し。

嘘から来るものであるならば、木っ端みじんに打ち砕かなければならない。

そうでなければ、あの事件の時。

死んだ人も。

そして人見自身も。

まったく浮かばれないのだ。

純は警部補の階級が記載された手帳を見せて、周囲に驚かれていた。しかも本庁勤務の警部補である。

この若さだから、キャリアである事は確実。

だが、それでも、やはり見た目の印象があるし。何より、見かけとそぐわぬ超アルトの声もある。

周囲の意表を突き、自分のペースに持っていく。

そういう点では、風祭純は、容姿の段階から既に得をしていると言える。

面会の場で。

小松は震えあがっていた。

まだ青ざめていて、しきりに周囲を気にしている。

純が何か呟く。

そうすると、小暮が不意に背を伸ばした。

何か見えているのかも知れない。見えているとしても、人見にはあまり関係がない話だが。

純が聴取に入る。

本当だったら地元の警察が取り調べるのが筋なのだろうけれど。立ち回って数人を確保したのは純と小暮だ。そして確保して分かったが、暴漢達はみな中年以上の者達ばかりだった。

実働戦力にさえ、若者を揃えられない。それほどまでに、この地の「名家」は弱体化している、という事だ。

ただ、それでも横のつながりから、情報を得づらく。地元の警察も手を焼いていたのだろう。

だから、しぶしぶながら、地元の警察達も、聴取を認めてくれた。

そして純は宣言した。

即座に落とすと。

自信があるのだろう。或いは、既に真相に辿り着いているのかも知れない。

「詳しく聞かせて貰おうか。 数年前、お前があの怪異を呼び出したな。 天狗の力を弱めることで」

「な、何の話だ」

「お前、あの事件が起きる直前まで借金あっただろ。 それも、もう一族そろって、首が回らないレベルで」

純が、いきなり確信に入る。

ひっと、小松が声を漏らした。

恐らくは、見えているのだろう。

自分にしがみつき、狂気の視線を送っている怨霊達が。それが脳が造り出した錯覚だとしても。

小松にそう見えている、それが重要なのだ。

「お前も知っている間宮ゆうかは、強力な怪異を呼び寄せる特異体質の持ち主だ。 それをお前も知っていたな。 そして、誰かが持ちかけてきたんじゃ無いのか。 数億円、下手するともっと多くやるから、天狗を弱める秘儀を行え、と」

「……!」

目を見開く小松。

ずばりか。

それにしても天狗を弱める秘儀。

分からない話だが。この二人の間では、通じていると見て良いだろう。

「ゆうかは確かに強力な怪異を呼び寄せる体質の持ち主だが、それにしても事件が起きたタイミングがあまりにも良すぎる。 だから分かったんだよ。 動機は借金以外にはあり得ない。 お前達の没落ぶりは街を少し歩くだけでよく分かった。 お前は、多々良の本家に懇願されたのか、それとも自分が返り咲くためか。 一族のはみ出しものだった、あの娘を、言われるまま儀式の生け贄に差し出した」

「生け贄ですって……!?」

「怨霊が好むのは純粋な魂、つまり赤子の魂だ。 それも、怨霊にとって恨み重なる多々良の一族ならなお良かった。 お前、金と引き替えに、一族のはみ出し者だったあの娘を売ったな? 要するに……強姦されるのを、側で見ていたんだろう」

何てことだ。

一瞬おいて。純が拳を机に叩き付けた。凄まじい音がして、小松は跳び上がりそうになった。純は小柄だが、生半可な男より力が強い。実戦で鍛え上げているからだろう。

「この恥知らずがっ!」

ひょっとして。

できているという噂は。

恨みの視線を、誰かが勘違いしたものか。

違う。

絶叫した小松。

拳を振るわせて、そして、もう一度違うと、叫んでいた。

「た、確かに、一族はもうどうしようもない所まで衰退していた! 多々良の家は終わりだと知っていた! 分家の私も、それは分かっていた! 得体が知れない奴が、金を持ち込んできたのも事実だ! で、でも、私は、その」

「殺していない、か?」

「……」

ぽかんと、顔を上げる小松。これは見当違いのことを言われた顔だ。そして、純は、敢えてそうすることで、ペースを手元に持ってきている。見本のような聴取だ。ずっと相手を手玉にとり続けている。暗示だか幻覚だか分からないが、アドバンテージがあるとは言え、だ。

此方としても、見ているだけで良い。小気味が良いくらい、スムーズに聴取が進む。

落としのプロと言われる警官がたまにいるけれど。純は警官として多方面で有能だと、これを見ていてもよく分かる。問題はちょっとばかりやり過ぎることが多いことか。

そして、純が指を鳴らす。

取調室に、女性が一人入ってきた。それは、純が見つけたという。窶れ果てた、まだ若い女性だった。

怪異をぶっ潰した後。

どこからともなく現れたのを、助け出したという。

数年分の記憶を失っていて。

体も弱り果てていて。点滴を打って、やっと歩けるようになったのだとか。

そう。

彼女こそ、ゆうかが言っていた先輩。

小松とできていたという噂があった女子生徒。ずっと行方不明になっていた佐倉だ。

「怪異に捧げた後、いなくなったのだろう? あの雪の日に」

「……」

「喰われたと思っていたか? 腹の子共々」

「……あ、ああああ」

佐倉は、じっと小松を見つめていた。

彼女は、多々良家の鼻つまみもの。佐倉という名字も、多々良の分家に「降ろされた」から。何処かで、似たような境遇の、分家の小松と通じ合うところがあると思っていたのかも知れない。

それが、本当の、できているという噂の源泉か。

そして純は付け加える。

裏切られたと知ったとき。

それは怪異を呼び出す最後の切っ掛けに変わった。

荒唐無稽な話だが、小松の、それに佐倉の視線は、それがあながち嘘でも無いことを告げている。そして、佐倉は言うのだった。

「多々良の本家が滅茶苦茶になってるのは知ってたし、儀式だかで十何億も貰えるのがおかしい事は分かってたよ。 羽黒に恨みがあるっていっても、あっちだってもう家は衰退しきっていて、今更復讐しても仕方が無い。 お金が目当てなのは知っていた。 分かっていたけど、納得できるかは別。 あんな目にあわされて、まだ高校生なのに、初恋だってしたことが無いのに子供ができて。 あげく子供ごと訳わかんない化け物の生け贄にされるって聞いたときは、先生を心底恨んだ。 だけれど、あの化け物の腹の中で、ずっと聞いていたよ」

もはやどうにもならない限界集落の慟哭。

観光客は、少し離れた温泉の方へみんな行ってしまう。

どう努力しようと、誰も来ない坂しか無い山奥。

若者はみんな東京に行ってしまうし。残ったのは年寄りばかり。

多々良の家はおしまい。羽黒だって似たようなもの。

先祖代々の秘宝も、嘘みたいな安値で、ヤクザ者に買いたたかれていく毎日。そんな中、穀潰しの自分が生け贄になれば、少しはマシになるかも知れない。それを思うと、少しだけ許せたと。

それに、羽黒薫は可哀想だったと、佐倉は嘆息。ゆうかの殺された友達の名前だ。

佐倉は、高校生のまま年を取っていないようにさえ見えた。それほど、幼い表情が垣間見えた。

鬱屈にずっと曝されていたのだろう。だから、精神的に成長できなかった。

それに、何年も失踪していて、その間何があったのか。うかがい知ることができない。

「おなかの子の事もある。 あの子だって、あんな切っ掛けでできたけれど、それでも産んで上げたかった。 でも、もうどうにもならない。 だけど、あんたがどうしようもない事情があったのもわかる。 全部、警察に話して。 そうしたら、「あたし」は許してあげる」

「……」

がくりと、小松が肩を落とす。この男が、ずっと罪悪感に耐え続けていたのが、よく分かった。地獄そのものの毎日だっただろう。極悪人だったら、むしろ楽だったのだろうが。この男は、中途半端な悪人だった。だからもっとも苦しんだのだ。

そして以降は。

恨みのまま羽黒の娘を殺した事も。強姦を幇助したことも。得体の知れない相手から十七億受け取って、本家の借金を返したことも。その引き替えに、多々良の家にずっとかくまわれていたことも。

巻き添えで、何人も死ぬ所を、黙って見ていたことも。

全て、話していった。

いずれにしても、殺人と強姦の幇助。この二つだけで無期は確定だろう。

そして現在、無期は昔と違って、この男が老衰するくらいまで、刑務所に放り込まれる刑罰となっている。

事実上の死刑だ。

そして刑務所は、タダ飯が食える楽園などでは無い。

この年老いた逃亡者に待っているのは、後は地獄だけだ。

 

外で待っていたゆうかと合流。

人見は髪を掻き上げる。流石に色々と疲れた。ゆうかには、軽く真相を話す。佐倉が、婦警に付き添われて、病院に。一瞬だけゆうかと佐倉が視線を交わす。ゆうかには色々思うところもあったのだろうけれど。

もう二人の路が交わることは、きっとないだろう。

佐倉自身も、人生を滅茶苦茶にされたも同然。家は殺人犯を出して、そればかりか実働戦力を暴漢として何人も逮捕され。多々良本家も終わった。羽黒の家はもっとひどい状態。この土地の衰退は決定的になる。

その上、数年の記憶がないのだ。

回復した後に、何かできるのか。

東京に出て働くか。

それとも、この近くで、何か仕事でも見つけるのか。

「時に人見」

「何かしら」

「お前、怪異の正体をどう分析している」

「不思議な事を聞くのね。 その時々によって違うでしょうけれど、殆どは脳が作る錯覚ね」

その通りだと。

純が言う。

実際に本物の怪異に遭遇するケースは一握り。だからこそ、本物の本職である純は、プロとして腕を振るわなければならない。そう誇らしげに、無い胸を張る。その様子は、誇り高くもあるけれど。

どこか滑稽でもあった。

警察を出る。

周囲は、完全にいじけた空気のまま、

数十年おきに現れる最悪の怪異を滅ぼしたと純は言っていたけれど。それで何かが好転したようには思えなかった。

「此処はもう限界集落になるだけね。 今まで努力を怠ってきたツケだわ」

「小暮」

「オス」

「ゆうかを連れて、墓参りにつきあってこい。 念のため、式神を何体かつけておく」

敬礼すると、ゆうかと一緒に小暮は墓参りに行く。

ゆうかが警察署に来たとき、終わったら墓参りに行きたいと言っていたのだ。羽黒薫の墓参りだろう。

此処での唯一の友達。

当時羽黒の家も衰えきっていた。

だからその死は。

まるで無意味なものでしかなかった。

今回の一件で、羽黒が盛り返すかといえば、それはノーだ。多々良が衰えた所で、盛り返せる余地さえ無い。

「土産物屋に行くか、ついてくるか」

「今一人になるのは危険だし、つきあうわよ」

「そうか」

純が行ったのは、多分地元でももっともマシそうな土産物屋。

其処で買いあさるのは。

例の国民的人気を誇る猫のグッズ。

だが、手当たり次第、というわけではない。

これはだめ、これはちがうと、より分けている。

何か選別の基準があるのだろうか。

「どれも似たようなものに見えるけれど」

「殆どは他でも売っているものだ。 実際持っている」

「へ、へえ」

「だが、地域限定の品には、中々巡り会えないケースが多い。 そういうときには、見つけたときには入手しておくものだ」

ボケ掛けている店主の所へ、品を持っていく純。

当然のように。

猫のグッズ以外には、見向きもしなかった。

何だかペースがいつも崩されるけれど。

それもまた、悪くないかも知れない。

割と悪くないハンカチがあったので、買っておく。せめて、少しだけでも。この地の経済を廻すくらいは。

悪くは無いだろうと、人見は思った。

 

5、精算

 

帰りの電車で、軽く私は小暮と話す。

やはり今回も。

奴らが関わっていた可能性が高そうだった。

最初は違うと思った。

だが、結局の所、糸を引いていたのは奴ら。

しかし、思うに。

この実験は、失敗していたとみるべきだろう。既にゆうかは疲労からか、小田急に乗った頃には寝入っていた。

「失敗でありますか」

「怪異が制御不能だったからだよ」

多分、生まれる前の赤子の魂を用いる事で、制御しようと試みたのだろう。だが、それさえ受け付けないほど。

あの怨霊は、汚染されきっていた。

それほどまで強く、人間の邪念を取り込み。

肥大化していたのだ。

「我等はたくさんであるがゆえに」

「?」

「一神教の聖典にある言葉だ。 悪霊という奴はな、似たような奴とどんどん合体して、巨大化凶悪化していくものだ。 故にあの手の悪霊は、だいたいの場合自分の事を俺たちと呼ぶ。 だがな、あの時戦ったあれは、それさえも。 一人称さえも失っている有様だった」

「……」

完全制御不能の破壊兵器。

それでは、売り物にさえならない。

だから奴らは、一度動かしてみて、後はいらないと判断したのだろう。ドライで、どうしようもない。

人間の命をゴミ以下にしか考えていないのだから。

「限界集落の苦境につけいった外道なやり口だ。 結局事件を指嗾した奴は見つけられなかったが、いずれ葬る」

「敵の規模は、想像以上のようですな」

「下手をすると、警察の一部とやり合うことになるかも知れん」

時間が時間だ。

周囲には殆ど誰もいない。

だからこそ、できる会話だった。

それも、人が新宿に近づくにつれて増えていく。

人見が先に降りる。

彼女には、今回色々助けて貰った。手を振って別れる。ゆうかも起こす。彼女も、目を擦りながら、途中で降りていった。

小暮とも別れると。

新宿駅で、一人で降りる。

更に此処から地下鉄を乗り継いで、マイホームである。

家に着いたときは、既にすっかり周囲は真っ暗。私の力を悟った怨霊が寄ってきたので、真言を唱えて消し飛ばす。

浄化を望む浮遊霊も来る。

それらも、同じようにして、浄化してやった。

マンションに辿り着いてからも、今日は色々と面倒くさい。

エレベーターには、三人も幽霊が待っていて。私に、浄化してくださいと頭を下げてくる。

長い間この世をさまよった幽霊は。

自分からは、あの世にいけなくなる事が多い。

浮遊霊は、そうして生産されるのだ。

嘆息すると、全員浄化してやる。エレベーターが、私の部屋の階につくまでには、全て終わった。

私の部屋に。

そうすると、面倒くさい奴が待っていた。

掃除をしながら、此方を見たのは。

昔は可愛かったのに。

既に私よりぐっと背も高くなり。眼鏡を掛けた委員長キャラと化した、妹分の一人。堅苦しい雰囲気と裏腹に、体の方はかなりメリハリがついていて、特に胸の方は何を喰ったらそこまででかくなるのか、正直腹立たしい。

「当主代行様」

「来ていたのか。 連絡くらい寄越せばいいものを」

「いえ、今日は忙しいと聞いていましたので」

「そうか」

誰かは知らないが。

今日、私が大物とやり合うかも知れないと、此奴に話したのだろう。

買ってきた限定グッズを降ろす。

限定グッズ専用の部屋もあるのだが。ある程度のグッズは、実家のグッズ部屋に郵送している。

マンションの一室だと、どうしても格納容量に限界があるからだ。実家の方は無駄に余った部屋があるので、その心配もないし。最悪の場合は、倉庫でも借りればいいだけである。

委員長っぽい雰囲気からも分かるように。

掃除は完璧。

夕食も、もうできていた。此奴は見かけ通りにスペックが高い。将来は本当に口うるさい副官になるだろう。今からちょっとげんなりである。

「栄養を考えて、うどんにしました。 幾つか野菜の付け合わせも入れて、栄養のバランスも取っています」

「ん」

此奴は料理もうまい。

流石にプロ級とは行かないが、家庭で食べられる手作りとしては最上級のものだ。

うどんには小松菜を一とした野菜が何種類か入っていて。

味もうどんそのものをひき立てこそすれ、落とすものではない。

しばし、すぐにゆであがったうどんをいただく。

その間に、此奴。夕霧夏美は、てきぱきと私のコートを片付けていく。

「お風呂も準備してあります」

「色々とすまんな」

「いえ、仕事ですので」

「お前まだ高校生だろ」

苦笑い。

一応バイト代は出してやっているけれど。此処まで高校生がしっかり稼がなくてもいいような気もする。

ただ、此奴の分家、夕霧は決して裕福では無い。

それもあってか。

私が幼い頃オモチャをあげると、本当に喜んでいた。

今も、苦学していると聞いている。

学業成績はかなり良いらしいのだけれど。

それでも、色々と金が足りないのだろう。

此奴に限っては、遊ぶために金が無い、という事はないだろうし。

ソファに腰掛けて、くつろぐのを横目に、てきぱきと夕霧が夕食の後片付けをしていく。そして、私が風呂に入ろうとする頃には、一礼して部屋を出て行った。

また、静かになる。

テレビは見る気にもならないので、風呂から上がったあとは、そのまま寝てしまうことにする。

グッズ部屋で寝る者もいるようだが。

私はあくまでグッズ部屋と寝室を分けている。

寝室には何かが来ることもたまにあるので。

仕方が無い処置だ。

それにしても。

今回は胸くそが悪い事件だった。

だが、一番胸くそが悪いのは。人間の困窮につけ込んで、邪悪を行う輩。

早く、奴らの顔面を直接殴れるところまで、地位を上げたいが。しかし、急いでもどうしても無理が出る。

小さくあくびをすると、もう眠ることにした。

まだまだ。

私の戦いの路は。

先がとても長いのだ。

休めるときには。

休んでおかなければならない。

 

(続)