それぞれの過去

 

序、本庁の怪談

 

日本人は怪談が大好きだ。学校には必ずと言って良いほどに怪談があるし。七不思議といえば、子供が興味を持つものの上位に入ってくる。おかしな話で、電子化が進んでいる現在でもそれは変わらない。

怪異は今でもこの国では現役なのだ。

子供だけでは無い。

大人だって、怪異を信じる。

怪異はどこにでもいる。

妖怪というと胡散臭いと考える人が、幽霊というと途端に真実味を感じたりするのは、おかしな話だ。

どちらも怪異には違いないのに。

私は丁度、小暮に頼まれて、本庁のエレベーター前に来ていた。以前此処で、小暮が酷い目にあったらしいのである。

「あれは、もうこの世の出来事とは思えませんでした」

真っ青になっている小暮だが。

此奴はエレベーターで幽霊に絡まれやすいらしく、実を言うと私が一緒にいたときも、本人が気付いていないだけで、幽霊に遊ばれていたことが何回かある。

私は面白いので黙っていたが。

小暮自身は霊感があるのだが、エレベーターでさんざん怖い目にあったからか、極度の緊張で逆に感覚が鈍るらしい。

実を言うと。

今も開いているエレベーターの奧で、じっと此方を見ているのが一人いる。まだ幼い女の子の霊で、小暮が遊んでくれそうに見えるのだろう。物欲しそうにしていた。だからエレベーターが閉まらない。

まあそれはいい。

後であの子供の幽霊は適当に浄化してやるとして。

小暮を促して、エレベーターに乗る。

幸い何も起こらず。

一周して戻ってきてから、小暮は大きく嘆息した。

「これで少しは度胸がついたのであります」

「ああ、そうかそうか」

「先輩は怪異をまるで寄せ付けませんが、何かコツが?」

「私はそもそも、怪異がいるのが当たり前の環境で育ったからな。 その辺りから、既に普通とは少し違う」

小暮を促して、地下に。

あの子供の幽霊は後で一人で処置する。悪霊化したりすると、実害が出る可能性があるし、何より本人が気の毒だ。

小暮自身はつきあわせる必要もないだろう。怖がらせる意味もないのだし。

歩きながら、軽く昔の話をする。

私は名家の出だ。

といっても、金持ちと言うよりも、対怪異能力者の、である。噂によると三大怨霊とやりあった先祖もいるらしい。

母も強力な能力者で。私も当然のように英才教育が施された。

実のところ、霊感を持たずに生まれる子もいたらしいのだけれど。そのために分家がたくさん用意され。

そういった家から、霊感がない子供が出た場合、新しい当主を選んでいたそうである。徳川家と、その辺りは似た仕組みを採用していた訳だ。

家自身は広く。

強力な霊的防御が施されていて。

ガーディアンとでも呼ぶべき式神が、多数放たれて警護に当たっていた。

弟分や妹分は、見えたり見えなかったり。

中にはかなり怖い姿をした式神もいた。人間の姿をした奴ばかりではないのだ。腕が複数あったり、獣の姿をしていたり。

そういうのを見ながら育ったのだ。

私は元々、普通の女の子とやらとは無縁に育つ可能性もあったのだろう。

ただし、父は兎も角、母は私に外を見せようと、色々な努力をしたし。本人もコレクター気質が強かった。

私が国民的な人気を誇り、仕事を選ばない事で有名な猫のキャラクターが大好きなのも、母の影響が強い。

いずれにしても、私は。

普通と違いながら。

普通にも接し。

それでいながらおかしくもあり。

バランスの不安定な幼少期を過ごしたことになる。

故に変な性格になった事は自覚している。何より、家が元々極めてきな臭かった。父はそもそも極端な武闘派だったし。

母もそれは同じ。

父はいわゆる入り婿だったのだけれど。それでも周囲に対して一歩も引いておらず、色々面倒くさい連中を、豪腕で束ねていた。今もその影響力は強く、失踪はしているがまだ生きている父が後ろから糸を引いているだろうからだと私は思っている。

最初の怪異退治に連れ出されたのは小学生の時。

怪異を殺すのも、拷問するのも。

やり方を母に習った。

「壮絶でありますな」

「人の死も間近で見た。 分家の人間が護衛に来ていたが、希に強力な怪異に殺されるケースがあってな。 親切な奴だったのにな、死ぬときは一瞬だった。 あの時、人間は簡単に死ぬし。 良い奴だから死なないってことはない事も思い知らされた。 葬儀では、涙が止まらなかった」

だから、許せない。

そう、私は言う。

怪異に人は殺させない。

殺す道具にもさせない。

警官になったのも、それが動きやすいと判断したから。本家は優秀な対怪異能力者を何人も抱えているが。

父は裏家業に出ているらしく失踪。ただ死んでいないと私は思っているし、それは間違いないだろう。

母の方はちょっと危険すぎる仕事に手を出したらしく。

今は私も会えない。

強力な勢力を持っている私の家だから、迂闊に襲撃者も手を出せないという事情はあるけれど。

今後は警視庁内部で戦力を高めて。

色々やっていきたいところだ。

ちなみにぶっ潰して式神にした怪異は、本家にかなりの数を送っている。そうすることで、本家の戦力を更に上げている。

私は怪異に対人殺傷能力を付与していないが。

本家は違う。

生半可な暗殺者なんか、足を踏み入れた瞬間ぼっこぼこにされて、水牢に放り込まれる。それが私の本家である。

地下の、私達の部署に到着。

階段を歩かなければならないのが面倒だけれど。そこそこ心地よい空間だ。

仕事がなくなってしまったので。

予定通りサーバを組み始めている。

DBサーバを造り、それを多層構造化する。

停電対策と。

それにスタンドアロンで動く仕組み。

外部メディアへのバックアップシステム。

これらを、少し古い払い降ろしのサーバで構築していく。多少古くても、別に構わない。

というのも、HDDの容量というものは、随分前から進化が止まってしまっている。PCの性能については上がり続けているが。恐らくは、これと同じように、その内進化が彼方此方で止まり始めるはずだ。

元々データベース化している事件のデータを、DBソフトを利用して、流し込んでいく事になるが。

まずはサーバの構築だ。

ちなみに流石に私もこれは初めてだし。

外部業者に頼むわけにもいかないので。

マニュアルを片手に、カタカタLinuxを組んでいる。

小暮にも色々手伝って貰うが。

そも刑事である小暮には、流石にちょっと力仕事以外は無理があるか。

代わりに、幾つか仕事を用意しておいた。まあ、これで労力は無駄にならないはずだ。

不意に小暮の携帯に電話。

本庁の、別の部署からだ。さっそく来たか。

「先輩、お呼ばれが掛かりました」

「おう、行ってこい」

「オス!」

小暮が元気よく出て行く。

あの武芸を眠らせておくのはもったいない。

そう考えた私が、彼方此方の部署に、武芸の訓練をする場合の相手として、小暮を推薦したのだ。

実際の小暮の戦闘力を見た各部署は、訓練に丁度良いと考えたのだろう。

以降小暮は。

彼方此方の部署に頼まれては、武術の訓練の相手になっている。

そして、小暮にはもう一つ仕事がある。

出来そうな奴を見繕ってこいと指示してあるのだ。

残念な事に、武術の技量と、本人の善悪は関係しない。精神強度は関係してくるが、それは善悪と無縁なものだ。

集中力にはどうしても精神力が必要なため、それが先回りするような形で、武「道」は精神修養の要素が強くなった。

だが、警察に必要とされるのは、実際に犯人を制圧するための武術。

そのためには、精神だけではだめで。

犯人を直接叩き潰す武力がどうしても必要になってくる。

小暮はあれでも人を見る目がある。

使えそうな若者がいたら、粉を掛けてこい。

そう言ったのは私だが。

問題は、小暮が蚤の心臓だと言う事だ。

まあ、リストアップだけでもいい。

実際のスカウトは、私がすれば良いのだから。

ちょっと古いサーバのHDDを入れ替えて。初期設定を済ませた後、DBサーバとして構築していく。

仕事の合間の作業だから、一日で完成、と言うわけにはいかないが。

それでも地道に進めていく。

犬童警部が、暇そうにあくびをした。

「それ、どうするんや」

「彼処にラックを作って、他の周辺機器もろとも格納します。 最終的にはバックアップ用の媒体をたまに出すだけで、データを極限まで圧縮できる上に、情報に応じて引っ張り出せるようになりますよ」

「ま、頑張り」

「はい」

犬童警部は、そもそもこういうのに興味が無いだろう。

小暮がいないタイミングだ。

丁度良いから聞いておく。

「内臓、痛めてますね。 ひょっとして、幾つか無いんですか?」

「流石に同職やな。 そうや」

「ならば、小暮には私が必要なときに釘を刺しておきます。 何か追っている怪異でもいるんですか?」

「秘密や」

これ以上は話してくれないか。

私が扱う式神は、対人殺傷力を持たないが。

多分この人が使う式神は違う。下手をすると、対人特化型かも知れない。そうなると、怪異に対する戦闘力は、私に劣る可能性もある。

単純な戦闘という点で考えると。

怪異に特化した私はバランスが悪い。

バランスを考慮しているという事は。

少なからず、対人戦を経験していて。なおかつ、今後も想定している、ということなのだろう。

この人が時々見せる、抜き身の刃のような鋭さ。

それを考えると、無理もない話だ。

夕方近くまで、サーバの構築作業を進める。私も流石に最初の作業だ。何もかもうまくはいかない。

ある程度できたところで、今日はここまで。

秋葉辺りに行って、PCの部品を買ってきたいところだ。手元のPCの性能が、物足りなく感じてきている。

少しばかり強化しておくのもいいだろう。

ただ、最近は自作がかなり高くなってきている。そろそろ店組みの方が、安く上がるようになる筈で。自作は完全に趣味の世界に変わっていくだろう。

「もう今日はええで。 上がりな」

「はい、そうさせていただきます」

丁度小暮も戻ってきた。

今日は、交通課の刑事達の訓練を見てきたそうなのだけれど。柔道高段位だけれどさぼっている隊員がいたので、散々投げて、鍛え直してきたそうだ。

「一日鍛錬を怠ると、取り戻すには三日かかるのであります。 警官が忙しい仕事だというのは分かるのですが、少しばかり怠け過ぎなので、鍛え直しておきました」

「やり過ぎるなよ。 下手に恨みを買っても仕方が無い」

「それは分かっております」

できそうな若手はいたか。

いた、と答えが返ってくる。

名前のメモを渡されたので、頷いて、自分でもメモ。

というか、覚えた。

メモは念のためだ。今日はもう帰るが。明日来たときにPCにデータを入れ。

本庁の方にアクセスして、経歴を洗い。更に本家の方から調べさせ。

条件をクリアできそうだったら、私から粉を掛ける。こうやって、私が目をつけていった警官は。

あの名前のない駅以降、既に二十人を超えている。

勿論すぐ前線に投入はできないし。

怪異との戦闘なんて、簡単には経験させられない。

だけれど、私が独立部隊を作る際には。

此奴らを中核にして。

更に分家から来た連中を加え。

相応の勢力を作る。

やがて本庁の奧に住まう鼠を潰すための前段階だ。その鼠は、顔面を平らにして、全部の感覚を奪った上で、死刑台にジャーマンスープレックスで放り込まないと気が済まない。事前準備は、徹底的に整えておかなければならなかった。

小暮とともに、帰る。

犬童警部は、ソファで横になって、ポテチを口にくつろいでいるが。

アレは恐らく、動けないのだろう。

動くには動けるが、内臓のダメージを嫌がっているとみた。ダラダラ残業をしているわけではなく。

体がある程度動くようになったら、此処を出る。

そういうつもりの筈だ。

小暮とも、外で別れたタイミングで。

電話が来る。

兄者からだ。

珍しい。

「純か」

「兄者、どうした。 其方から電話をくれるとは嬉しいが、何か大きな問題が起きたのか」

「ああ。 少しばかり、近所の学校で、気になる噂が広がっているようでな」

「ふむ?」

兄者は近年の都市伝説について研究する人間だ。

民俗学者でもあるが。それは必ずしも、昔の怪異だけを調べているわけではない。近現代が、兄者の本分なのだ。

古代については私の方が知識が豊富だから。

上手に棲み分けができている。

「それで噂とは。 定番の花子さんか?」

トイレの花子さん。

あまりにも有名な、トイレに住み着く幽霊。

太郎君という幽霊と一緒にセットで出てくるケースが古くは多く。六十年代頃から有名になりはじめた。

実は戦争の前も、似たような噂があって。

その頃は妖怪が花子さんの代役を務めていたのだが。

戦争で死んだ子供の霊というもっともらしい設定をもって、花子さんが妖怪に取って代わったのは。

怪異の栄枯盛衰。

或いは、時代の変化を現しているとも言えるか。

いずれにしても、六十年代になってそんな話が出てくるようになったのは、人々の生活に余裕が出てきたからだ。

それまではとても怪談どころではなく。

人々は、余裕の無い、過酷な生活を送っていた。学校にさえ通えない子供だって、多かったのである。

ちなみに花子さんとの交戦経験は二十回を超えている。一番凶悪な奴でも、私の敵ではなかった。

今手札にしている中にも。元花子さんが三体いる。花子さんはあちこちの学校にいて。たまに人間に害を為すレベルまで成長する。そういうのは事前に察知して、私のような専門家が狩ってしまう。だから実害は出ないし。出たとしても、報道はされないのだ。

「いや、違う。 さとるくんというのだがな」

「……聞いた事があるぞ。 交戦経験はないが、確か交換型の怪異だな」

「ああ。 そして俺にとっては因縁の怪異でもある」

「なるほど、詳しく聞かせて欲しい」

兄者が私に電話を寄越すことは滅多にない。

うるさがっている雰囲気があるので、仕方が無いのだが。だからこそ、電話してくれたことは嬉しいし。

頼ってくれたことはなお嬉しい。

私を指名してきたという事は。確実にぶっ潰したい相手なのだろう。

此方としても願ったりだ。

「概要から説明する。 今はまだ犠牲者が出ていないが、確実な処理を頼む」

「ああ、分かっている」

兄者の説明が始まる。

それは淡々としているが。

何処かで抑えきれない怒気が燻っている。

それが、私には、分かるのだった。

 

1、怪談の暴走

 

小暮だけを連れて、近くの学校に出向く。その前に、勿論アポは取ってある。いきなり警官が押しかけるわけにもいかないからだ。

「さとるくん、でありますか」

「これがまた、今となっては古典的な怪異でな」

いわゆる電話ボックスの怪である。

携帯やスマホが普及した今。

電話ボックスは、過去の遺産となろうとしている。

実際問題、子供の中には、使い方が分からないどころか。テレフォンカードを触ったことがないものまでいるそうだ。もはや電話機は過去の遺物なのである。その場にあっても、電話ボックスが何をする場所か分からないのだ。

おかしな話だ。

現役で動いているものなのに。

ちなみに私の財布の中には。

キャラものの大事なテレフォンカードが入っているぞ。

「電話ボックスで特定の電話を掛けると、運命を教えてくれる、という怪異なのだがな」

「罪がない噂話でありますな」

「ところがだ。 都市伝説というのは、基本的に尾ひれがついていくものだ。 そしてやがて明後日の方向に、ロケットブースターつきでブッ飛んでいく。 そして付与される特徴は、だいたいの場合死に関わるものが多い」

「何故なのでしょう」

それは簡単だ。

恐怖を煽る方が、噂話は伝播しやすいからだ。

良い例が口裂け女だろう。

都市伝説の見本であるアレは。

最初はただ脅かすだけの存在だった。

だが、噂が広がるにつれ、どんどん設定が追加されていき。

その内百メートルを三秒で走り、撃退する言葉を告げないと殺されるという風な、凶悪な怪異に変貌していった。

まるで少年向けバトル漫画並みのインフレである。

当の口裂け女自身が、こんな設定を付け加えられるとは、思っていなかったのではあるまいか。

このさとるくんも、今では電話を掛けると殺されるという噂話が流れていて。実際に興味本位で電話ボックスに入った子供が、怪異に襲われるケースが発生している。まだ死者は出ていないが。

兄者の時は、出てしまった。

その時の事件が切っ掛けで。

兄者はうちの養子になったのだ。

ただし、もう物心もついていたし、兄者は何よりも、自分の責任で死人が出たと考えていた様子で。

それ故に姓は変えず。

以降は兎に角勉学に集中。

学校でも容姿の割りに恐ろしいほど影が薄く。目立たないことから目もつけられず。

名家の養子という面倒な立場なのに、問題は何一つ起こさなかった。

怪異に対する怒り。

それに、引き取ってくれた私の父に対する恩義。

それもあって、迷惑を掛けたくなかったのだろう。

父は、兄者の父上の盟友であったらしく。

何も文句を言わず、大学にまで入れてあげて。そして今では、兄者は大学で教鞭をとっている。

家に律儀にお金も入れてくれている。

これについては、私が別に良いのにと何回か言ったのだが。

けじめの形らしい。

まあ、兄者がそうしたいのなら、それもいいだろう。

「ともあれ、そのさとるくんというのは、霧崎先生の人生を変えた怪異、なのですな」

「そうなるな。 子供の罪がない噂話だったはずが、どうしてか人生を狂わせるほどに成長してしまった……」

色々と解せない点はある。

都市伝説というのは、伝言ゲームだ。

その過程で、様々な特徴が付与され。

更には言霊の力によって、実際に怪異が生じていく。

そして怪異は変貌していく。

それにしても、である。

例の組織が関わっている怪異は、強力すぎるのだ。

生まれてから数百年経過していたり。

知名度が凄まじかったり。

或いは生け贄を捧げられていた怪異などになると、圧倒的な戦闘能力を得るケースがままある。

これに関しては、まあ納得もできる。

だが、奴らの関与したと思われる怪異は。

噂話が拡がり始めると。

あっという間に、人間を簡単に縊り殺せる能力を得る。

勿論条件が整えば、だが。

そういう意味では、幽霊を使いながら、妖怪を造り出している、と言うべきなのかも知れない。

怪異のベースに、悪霊やら怨霊やらを用いているのは分かっているが。

ニセバートリーの時のように、ほぼ無から怪異を創造していながら、それでいながら強い殺傷力を実現もしている。

いずれにしても、調査は避けられない。

学校に到着。

その過程で、例の電話ボックスを見た。

一時期電話ボックスは、悪質な業者が広告をベタベタ貼って社会問題にもなっていたのだけれど。

携帯電話の普及によって電話ボックスがすっかり廃れてからは。

内部は綺麗なものだ。

勿論今でも金を入れれば使える。

中に入ってみたが、この電話ボックスではないのか、怪異の気配はなかった。兄者から噂の内容も聞いている。

自分で試してもみるが。

機械音がしただけだった。

勿論、怪異の気配もない。

怪異の中には、暗示を掛けてくるタイプもいるのだけれど、それが掛かった様子もない。私はこれでも専門家だ。

ふむと、腕組みする。

何か、条件がまだあるのか。

兄者も調べてくれているだろうけれど。それでも、まだ調査が完璧とはいかないだろう。

一応、周囲に式神を放って、対怪異の警戒態勢を取る。

今ので条件を満たして。

不意打ち同然に攻撃を仕掛けてくる可能性を否定出来ないからだ。まあ、不意打ちを食らっても、叩き潰す自信はあるが。

学校に出る。

教師は面倒くさそうに、校長室に案内してくれて。

校長は手帳を見せると。

苦虫を噛み潰したような顔をした。

かなりの高齢で。

髪はもうまっしろ。

だが、校長になってから、そう時期は経っていないようすで。どうも見たところ、椅子に馴染んでいるようには見えない。

左右の棚には、そこそこの数のトロフィーがあるが。

いずれも古いものばかり。

昔はこの小学校、それなりにクラブ活動に力を入れていたようだけれど。

今ではそれもすっかり廃れているようだ。

「たかが噂話で、ご足労願い、本当に……」

「けが人が既に出ているんでしょう? 変質者が出ているかも知れないのに、良く嫌みを言っていられますね」

「……な、何のことですか。 そんな話はありません」

レコーダーを見せる。

露骨に青ざめたのは、証言を既に取っているとは思っていなかっただろう。

入院している小学生に、親に許可を取って話を聞いていたのだ。親には戒厳令を敷いていたようなのだが。

もみ消されるのが納得いかなかったらしい。

変質者がいるなら、逮捕して欲しい。

親はそう言っていた。

「事件を起こして注目されたくない。 その心理は分かりますがね。 それは子供を護り慈しむ学校教員のあり方じゃあ無い。 あんたはそんな年になっても、それが分からなかったのだな」

「な、何を知った風に!」

「じゃあ足が切断されかけた事故になっているのに、何故黙っていたっ!」

低く籠もった声から、完全に叩き潰しに掛かると。

蒼白になったまま、校長は黙り込む。

此方はこれでも相当数の修羅場をくぐっているのだ。

祖父のような年の人間が相手でも。

相手が人を殺した相手と戦ったような事も無いなら。

正直、捻るのは難しくない。

「教員達に話を聞かせて貰います。 邪魔をするようなら、怪我をした子供達の件をリークします」

「……お好きなように」

額に青筋を浮かべながら、校長はうつむき気味に言った。

好き勝手にこれまでやってきたのに。

どうしてこんな。

顔にはそう書かれていた。

どうしようもない校長だ。

この間、例の悪魔崇拝をしていた生徒達が、人を殺しかけた私立高校もそうだが。こういうクズ校長は何処にでもいる。

今、学校の教育制度は岐路に立たされている。

異常な労働時間に、安すぎる給金。

それに加えて、こういった責任感の欠片もなく、体面を守ることしか考えていない校長。更に、子供にDQNネームをつけてアクセサリぐらいにしか考えておらず、すきあらば即座にモンペに変わる親。

それを煽るPTA。

学校が荒れていた時代と同じく。

今、学校に通っている子供達は、肩身が狭いだろう。それ以上に、まじめでまともな教員達は辛いはずだ。

正直同情してしまう。

カツアゲやリンチが普通に行われていた昔の学校とは違う問題が蔓延している今の学校。どうしてこう、問題が無くなったら、また新しい問題が浮上してくるのか。

職員室に。

教師達は驚いていた。

校長が私を追い払えると思っていたのだろう。

手を叩いて、状況を告げる。

そして、既に此方が、不審な負傷が三人出ていることを、把握していることも告げた。絶句する教師達。

学校ぐるみで隠しに来ていたとは。

どうしようもないなと、私は呆れた。

 

一人ずつ、教師に話を聞く。

生徒に話は聞いているのだが。さとるくんはどうやらまだ進化を続けているらしく、全員が全員、儀式のやり方が違っていた。

何しろ、全員のやり方を試してみても、現れなかったのである。

その程度の事。

すぐに試す。

だが、いずれのケースでも。私ばかりか、小暮も、なにも感じなかったそうである。

私が感じ取れない怪異を、此奴が察知できるとは思えないけれど。

まあそれはそれだ。

多角的に、客観的に見る事で。

普段は見えないものが見えてくる事は、よくあるのである。

一度戻ってくると、教師の一人。

責任感のありそうな、中年男性が挙手した。

「分かりました。 私から可能な限り情報を話します」

「土方先生!?」

「これ以上事態が悪化すると、生徒に死者が出る可能性も高い。 実際校長が伝手で呼んだ怪しげな祓い屋は、何の役にも立たなかっただろう。 しっかり調べて貰って、変質者がいるなら、さっさと取り押さえて貰うべきだ」

「でも、学校の評判が」

黙れと、土方という中年教師が、低い声で言うと。

他の者達は静かになった。

それなりに経験を積んだ人物なのだろう。

こんなしっかりした教師が、まだ生き残っていたというのは。まあ良い事だと考えるべきなのか。

「噂が流れ始めたのは一年ほど前ですかな。 学校の近くにある電話ボックスに、幽霊が出るというのが最初でしてね」

「ふむ?」

さとるくんではないのか。

電話ボックスの中に、いつの間にか血まみれの子供がいて。

此方に向けて、凄まじい形相でドアを叩いている。

それが、噂の最初だったそうだ。

電話ボックスの位置も聞く。

これも、兄者と聞いたものとは違う。

メモを取っておく。

まだまだ、撤去されていない電話ボックスというのは、それなりにある。実際問題、トラブルが起きたときに、電話ボックスは便利だったりするのだ。

「勿論学校側でも確かめましたがね、そんなものは出ませんでした」

「続けてください」

「それから一月もした頃ですか。 生徒達の噂が、どんどん変わっていくのが、教師の側から見ても分かりました。 例の幽霊が、別の電話ボックスに出た、というのを皮切りに、その幽霊がさとるくんという名前で。 そして、ある特定の手順を満たすと、自分について何でも教えてくれる、というのだとか」

まて。

変化の過程が見えない。

やはり、途中で何かしらの悪意が加わっている、と見た方が良いだろう。

そして、噂が流れ始めてから九ヶ月もした頃には。

手順を間違えると、さとるくんに殺されるという属性が、ついに付与された。都市伝説の宿命。

殺傷力の獲得である。

トイレの花子さんにしてもそうだが。

本来は手が出てきて脅す、とか。

返事をするとか。

そういう罪が無い存在だったのだ。

それが噂の拡散に伴って、どんどん属性が付与されていって。だいたいの場合最終的には殺傷力を獲得する。

私が退治したのも殺傷力を得始めた花子さんばかり。

正体は様々で。

中にはただの地縛霊だったのに、変な属性をたくさんつけられて、迷惑だから何とかして欲しいと、私に泣きついてきた奴までいた。気の毒だったので浄化して、式神にはしなかった。

今使っている式神化した花子さんの中には、例のニセバートリーと意気投合して、ガールズトークしてる奴もいる。

これも、殺傷力を付与されて。

危うく子供を殺す寸前まで行ったパターンだ。

「そうこうするうちに、ついに事故が起きました。 しかも一人は、知っているかも知れませんが、足が切断されかけるほどの大事故になりました。 やはり変質者の仕業かも知れない。 そう判断して、噂を否定するべく、電話ボックスで噂になっている儀式をやってみたのです」

「ふむ、それで結果は」

「子供達の何人かが、刃物を持った子供の幽霊がいると騒ぎ出して」

「妙ですね」

というのもだ。

この教師には、霊の気配がない。

さとるくんは、兄の時に出現した際には、人間を殺傷している怪異だ。元の正体がなんだかは分からないが。

いずれにしても、今回のケースでも、既に怪異として実態を得ている可能性が高い。

だがこの教師には。

霊的な気配を感じないのである。

あるにはあるが、マイナスの霊ではない。

「いずれにしても、裏目に出ましたね」

「はい。 今では、噂を知らない学内の子供はいないほどです。 危険だから電話ボックスに近づかないようにと、見張りまで立てているのですが」

「なるほど、事情は分かりました。 いずれにしても、子供を狙った何かしらの犯罪が起きている可能性が高いとみるべきでしょう。 対処を開始します」

「よろしくお願いします」

中年の教師に、頭を下げられる。

この人物に落ち度はない。

子供のことも考えている立派な教師だ。

それなら敬意を払うべき。

それだけである。

私は名家の出だが、庶民をどうこう考えたことは無い。名家だろうがクズはクズだし。庶民でも良い奴は良い奴だ。

これは、母親に連れられて、いろんな人間と接した人生経験が大きいとみるべきなのだろう。

実家に閉じこもっていたら。

相当な偏屈になっていたのは疑いない所だ。

途中まで、間違いなく「一般人」だった兄者が家に来たことも転機として大きい。父が兄者に私を頼んで。兄者は私に自分が知る遊びを教えてくれて。

それは今までに無い新鮮なものだったから。

余計に外への偏見もなくなった。

今ではすっかりおかげで外に適応できているのだ。

「小暮、では行くか」

「はい、先輩。 まずは電話ボックスの調査ですか?」

「いや、それは教師が見張っているという事だ。 今、生徒達にどのような噂が実際に流れているか調査する」

まずは足で情報を稼ぐ。

それから、現場。

今回はまだ時間がある。

実際に犠牲者を出させないためには。

怪異に対して、冷静に立ち回る事が、何よりも重要なのだ。

 

手分けして、子供達の話を聞いて廻る。

事前に情報を集めてはいたのだが。

それとこれとはまた違う状況だ。

案の定と言うべきか。

残酷な話が大好きな子供達は、さとるくんの噂で、持ちきりだった。私はできるだけ優しい笑顔を作り。

順番に話を聞いていく。

小暮は見るだけで子供が泣き出したりするので困っていたが。

流石に高校くらいになると、小暮を見ただけで泣いたりする子供はいなくなくなるのだけれど。

小学校だとそうもいかない。

教師にも来て貰って、捜査を円滑に進める。

その結果。

さとるくんを見たという子供の内、具体的な内容を話せる子が合計八人出た。

その内四人は、個別面接で嘘だと判断。

子供は目立ちたがって嘘をつくことが珍しくない。この子らも、典型的なそのパターンである。

嘘だと見破ったことは言わない。

だけれども、私は少しばかり説教した。

頭ごなしにしかるのではだめだ。

どうしてだめなのかを、論理的に、ゆっくり解きほぐすようにして、説明していく。そうすると、子供でも分かる。

やがて、嘘つき四人は。

素直に嘘だったことを認めた。

一方で、嘘をついていない四人の内。

二人は、どうやら実体を見ていない。

影のような何かが、電話ボックスの中から此方を見ていた、というのが一人。この子はかなり初期の目撃者だ。

もう一人は、例の、中年教師が実際に儀式をしてみたときに、見たという。

その時見たのは。

頭を刈り上げて、シャツだけを着た、昭和の小学生のような子供が。凄まじく陰惨な笑顔を浮かべて。

電話ボックスに捜査をしている中年教師に、しがみついていた、というものだった。

話を聞いている限り、どうにも嘘だとは思えない。

というのも、矛盾点が無いのである。

ただ、その割りには。

あの中年教師には、悪霊の気配がなかった。

タチが悪い悪霊になると、少しでも接触を持った人間には、延々と何かしらの形でつきまとうものなのだが。

「分かった。 戻りなさい」

「うん」

その子を返すと。

残り二人。

どうもさとるくんを見たらしい二人を呼ぶ。

この二人は、よりはっきり見たらしい。二人とも、儀式の時に、だ。

先の子と特徴は同じ。

かなり細かい所までよく見ていて。それぞれに矛盾も少ししかなかった。まあこれは、人間の脳はいい加減なので、仕方が無い。

問題はその先だ。

さとるくんの声を聞いたというのである。

おまえのいみなをきかせろ。

そう、聞こえたというのだ。

忌み名。

子供の知っている用語ではない。

実際、イミナというのは何なのだろうと、逆に私が聞かれたくらいである。いずれにしても、怖くて仕方が無かったそうである。

とにかくだ。

噂の爆発点になってしまった情報については確認が取れた。

兄者の時は、この後。

本当に電話ボックスにて殺人事件が起きてしまった。しかもタチが悪い悪霊に取り憑かれた教師が真犯人だった。

更に言えば。

その時のさとるくんも。

どうやら、今やりあっている相手と、同じ存在が作ったらしい節がある。

最後の子を送り出すと、もう夕方。

小暮が、咳払いをした。

「先輩、いみなとは何なのです」

「忌むべき名と漢字で書く。 簡単に説明すると、西洋で言うスペルネームという奴だ」

「といいますると」

「呪術的な側面から見ると、名前というものは大きな力を持っていてな。 人間にはそれぞれ「本当の」名前があると言う考え方がある。 これは東洋でも西洋でも同じでな、その名前を何かしらの方法で知る事で、相手を好き勝手にできる、という点でも共通している。 忌み名はその呼び名の一つ。 他にも呼び方は色々とあるがな」

小暮はなるほどと感心していた。近年の都市伝説はともかく、こういう古典的な奴は私の専門分野。本職の民俗学者である兄者にだって知識では負けないぞ。

ただ、問題なのは。

これは悪霊が集めて得をする類のものではない、ということである。

忌み名なんか知ったところで、使い路が無いのである。例えば、自由に人間を操作できるかとなると、それはノーだ。

悪霊はあくまで悪霊。

忌み名にしてもスペルネームにしても、使う奴が人間の場合に、最大の効力を発揮するのである。

実は。

兄者の時も。

さとるくんは忌み名を集めていた、という話を聞かされたという。

もし今回も同じだとすると。

少しばかり、面倒かも知れない。

「子供の忌み名を集めて、将来的な手駒にでもするつもりなのでしょうか」

「可能性は否定出来ないが、もっと直接的な方法では無いのかな」

「といいますると」

「例えば、今紛争地域で、子供がどう使われているか、知らないわけでもあるまい」

さっと、小暮が青ざめる。

爆弾なんて、今時ネットで幾らでも情報を集めて作る事が出来る。忌み名を奪った子供に爆弾を作らせて。

暗殺に用いる。

子供は当然使い捨てだ。

しかも足も着かない。

理想的な人間爆弾の完成である。

龍脈事件の時も思ったが、どうやら一連の事件が裏で通じているとすると。事件を起こしている奴の頭のねじは、完全に外れていると見て良い。

いずれにしても為政者になっていい奴では無いし。

この世に生かしておくべき存在でも無い。

「ちょっと、大変よ」

部屋に飛び込んできたのは、ニセバートリーである。

何だか相性が良いのか、一緒にあくまかっこわらいもいる。

あくまかっこわらいは、あれ以降もや状の体に、丸っこい目が浮かんでいるという姿になっているが。ニセバートリーは自分の意思である程度姿を変えられるらしく。今では、そこそこセンスが良いミニスカ姿だ。コレは多分、川原ミユキに取り憑いていた時に、知識をある程度吸収して、センスを身につけたからだろう。しかもかなり客観的に見てもかわいい。これは盆暗な顔をしていると思っている私からするとちょい腹立つ。

壁をすり抜けて入ってくるので、小暮は露骨にびびっていたが。

いずれにしても、此奴らは今は私の式神だ。

「詳しく」

「電話ボックスの周囲に、タチが悪い悪霊がいるわ。 今、奈々子が見張ってるけど、急いで」

「分かった」

奈々子とは、ニセバートリーと仲良くなった元花子さん。元々名前があったので、今はそれを使っている。

すぐに学校を出る。

言われた電話ボックスは、学校がマークしているのとは別のものだ。ひょっとして、これは。

小走りで急ぎながら、話す。

「悪霊の風体は」

「子供よ。 昭和の子供みたいな、カリアゲで。 手にもの凄い出刃包丁持ってて、血だらけだったわ。 シャツに真っ赤に血が飛んでて、表情も何というかその」

「狂ってる、か」

「……」

口をつぐむニセバートリー。自分もそうだったことを思い出したのだろう。

私がおしりぺんぺんして正気に戻してやったが。今度の奴はどういう経緯で使われているかがまずよく分からない。

まあ私が怪異に遅れを取ることは無いが。

しかし、普通の人間はそうではないのだ。

急ぐ必要がある。

通りを曲がる。

電話ボックスが見えた。教師の見張りはついていない。教師にしても負担だろうに、大変だ。此処まで見張れというわけにも行かない。校長はクズだが、この学校には責任感のあるちゃんとした教師もいる。

できるだけ早く事件は解決しておきたい。

電話ボックスの側で、手を振っているのは、元花子さんの奈々子である。

ちなみに、花子さんと呼ばれるにはちょっと年が行きすぎている。見た目の年齢は高校生くらい。

小学校のトイレに縛られて、肩身が狭かったと、後でぐちぐち言われたものだ。逆に解放してやったからか、私には誠実に仕えている。

「例の奴は」

「電話の中にすっと消えたの」

「!」

すぐに電話ボックスに。

調べて見るが、妙な気配がある。そして、動かしてみて、見つけた。

札だ。

それも、かなりタチの悪い呪術が施されている。

これはどうやら、裏で何かしらのタチが悪い専門家が動いていると見て良いだろう。見たところ、密教系のもののようだが。かなりアレンジが加えられていた。

何人か、評判の悪い術師を思い浮かべるけれど。

どうにもどいつも専門外の様な気がする。

だとすると、これは何だ。そもそも、字が妙だ。

この手の儀式を行う悪質業者は、相応の達筆である事が多いのだが。この札は、恐らくインクジェットで印刷している。

其処に後から手を入れて、札として使えるようにしたもの。

つまり量産品である。

「これは面倒だぞ……」

このさとるくん。

下手をすると。

電話を移動出来るのかも知れない。

もしそうなると。

噂が流れている地域の、どの電話ボックスに現れても不思議では無い。儀式なんかしたら、即座に殺しに掛かってくる可能性もある。

既に正気を失い。

怪異としての存在に飲まれている可能性が極めて高い。

そうなると、危険だ。

死者が出る可能性が、飛躍的に跳ね上がる。実際、大けがをした子供が出ているくらいなのだ。

「面倒だが、仕方が無い。 少しばかり手数を増やすか」

持ってきた式神を、全部解放。

小暮と一緒に地図を拡げて、この街にある電話ボックス全てに見張りにつけさせる。子供が近寄らないようにするためだ。

教師の見張りは下げさせる。

これは、さとるくんが、教師を襲いかねないからである。

暴走した都市伝説怪異は、無差別殺戮を行うようになるケースがある。最悪の状態まで行った口裂け女が良い例で。私と母も、時速三百キロで走り回る奴を退治するのに、随分と手間取った。何しろ、日本中彼方此方で現れたからだ。

さて、此処からが本番だ。

私が来た。

だから、もう死者は出させない。

 

2、さとるくん

 

今日は近くのビジネスホテルに泊まることにする。小暮とは別に部屋を取ったが、何かあったら即座に電話するように指示。

さて。

手元にある札。

密教系の呪術が施されているが、これもどうも妙だ。彼方此方に、何か知らない文字が書いてある。

梵字だったらそのまま読めるのだけれど。

これは知識にない言語だ。恐らく西洋系だけれど、分からない。

兄者に電話。

現状について説明すると。

兄者は、大きく嘆息した。

やはり、かなり状態が悪いなと、悟ったのだろう。

「その札を見せてくれるか」

「うむ。 今携帯で撮影して送る」

「頼むぞ」

撮影。綺麗に撮れた。

ちなみに、私の場合、悪霊とかの干渉を排除して撮影できるが、ゆうかには教えない。代わりに写真を撮れとか言い出しかねないからだ。

なお、時間が時間だ。

流石に兄者の所にあの人間核弾頭はいないようで、話には割り込んでこない。

メールを送った後。

兄者から、すぐに電話が戻ってくる。

「これは、見覚えがあるな。 まんま同じものだ」

「本当か」

「ああ。 少し待て、思い出す。 ……そうだ、思い出した。 ある新興宗教が使っている札だ。 書かれている内容は違うが、形式が完全に一致している」

そう言って兄者が名前を出したのは。

タチが悪い、特に布施の強要で知られる新興宗教。いわゆるカルトの一つである。カルトは信者を洗脳するのに長けていて、信者数も多く。近年では政治家のバックボーンとして、票田になっているケースもある。

この手の行為は、政教分離の原則を逸脱しているのだが。

多分どこの国でも、政教分離の原則を完全に守れている場所はないだろう。宗教団体は、票田として機能する。

民主主義が導入されている以上。

その悪用を、カルトが行うのは常套手段なのだ。

とにかく、である。

兄者が調べてくれた宗教団体を、今度は此方から漁ってみる。

まず本庁のDBに、ノートパソコンから接続。調べて見ると、幾つかの軽犯罪を過去に起こしているが。

いずれももみ消されている。

政治家を敵にするほどのリスクを負えないとキャリアが判断したのだろう。

内容にも目を通していくが。

代表は、どうみてもこんな札を作れるような知識がある人間じゃない。

そうなると。

ブレインがいるとみるべきか。

奴らが背後にいる、と考えるのはまだ少しばかり早計だ。ざっと構成人員を洗ってみる。

幹部クラスはどいつもこいつも有象無象。

写真を見るが、実際に霊的な能力を持っている奴は一人もいない。つまり典型的な、弱者を騙して金を奪い取る悪質カルトである。

此奴らが長けているのは人心操作術で、それは呪術とは似て異なる。

いずれにしても、此奴らそのものは関係無い。

集合写真などのデータを確認していくが。

その中の一つ。

比較的最近のものに、気になるデータを見つけた。

ある人物と、接触しているのである。

小暮を部屋に呼び出す。

今晩はいつ出撃があるか分からないから、私もスーツのままだ。そして、写真に写っている人物を指した。教団の幹部と握手している、いかにも目つきが悪い中年男性だ。ちなみに、悪霊を数人纏わり付かせている。霊感がないようで、気付いてはいないようだが。どの悪霊も、この男をじっとにらみつけていた。余程の恨みがあるのだろう。

「此奴、知っているか」

「嫌な雰囲気の人物ですな。 見覚えが……あ、これは……!」

「知っているのか。 私も何処かで見た覚えがあると思っていたが」

「芸能事務所のプロデューサーです。 半グレと通じていると噂がある芸能事務所で、豊富な資金源で所属アイドルをごり押ししている事で有名な。 視聴者からの評判は最悪なのに、単純に資金を武器にして、見栄えが良いわけでもなく芸もないアイドルもどきを出演させている。 其処の所属者です」

さすがは小暮はくわしいな。

前にミユキちゃん言っていただけのことはある。

小暮によると、それだけではないという。

この事務所、いわゆるアイドルを出汁に使った枕営業や、果ては乱交パーティなどの噂が絶えず、警察でも目をつけているとか。

そういえば、この宗教団体の関係者が。

「霊能力者」としてテレビに出ているという話がある。

その辺りか。つながりは。

「少しこの男について調べてくれ。 私はこれから、もう少しこの札について調査を進めてみる」

「分かりました」

「人員が足りないのが辛いところだな……」

本庁に応援を要請しようにも、今の時点では事故で片付けられている案件だ。その上、怪異が出るなんて話で、人員なんて出しようが無い。

それに前に事件を起こしても、キャリアがもみ消しているような状況。

この宗教団体は、警察にコネを持っていて。

下手に動けない。

そうなると半グレとつるんでいるこの芸能事務所の方を洗うべきだが。こっちはこっちで、場合によっては簡単にトカゲの尻尾切りをするだろう。半グレの残虐さはヤクザと大差ない。人くらい平然と殺す連中だ。

ならばさとるくんを捕まえて。

吐かせるのが一番早い。

その後は強襲を仕掛けて一網打尽だ。何、多少の与太者なんぞ、小暮と私で、余裕を持って制圧できる。

札を調べていると。

不意に、周囲の気配が濃くなった。

出たな。

私が思った瞬間。

携帯電話から飛び出してきた影が、うなりを上げながら、躍りかかってきた。

もはや小柄な悪鬼としか言えない姿。両の目には凄まじい赤い光が宿り。

手には、醜く血錆びに塗れた刃がある。

唸り声を上げて襲いかかってきたそれは。

吼える。

「イミナヲヨコセエ!」

鼻で笑った私は。

瞬時にカウンター。

顔面を掴むと、後頭部から床に叩き付ける。そして、ついでだ。一瞬で刃物を持った方の腕を、へし折っていた。

刃物が溶けるように消えていき。

凄まじい悲鳴が上がる。

まさか物理干渉される上に、此処までの反撃を喰らうとは思っていなかったのだろう。

頭を掴み直す。顔面ではなく後頭部を掴んだ。

そして、床に顔面をぐりぐりと押しつける。

鼻骨が潰れる音がした。

「何処の電話ボックスも、臨戦態勢にある私の式神が張り付いているからな。 私自身が手薄だと思ったのだろう。 ダボハゼが。 子供の悪霊の浅知恵ごときに、この私が遅れを取ると思うか」

そのまま、頭を掴んだ手を持ち上げると。

さとるくんの顔を床にたたきつける。

ぐちゃんとか、どちゃんとか。

とても面白い音がした。

二度目。三度目。四度目。

五度目に叩き付けた時には、既にそれは涙目になっていた。

「た、たすけ、たすけて」

「まず、きみの、なまえは、なんですか? 此処は何処ですか? 何処ですか? 何処ですか? どぉーこでぇーすかぁー?」

満面の笑顔で、私はそいつの頭を床に叩き付け続ける。ぶしゃあとか、ぐちゃあとか、面白い音。

これはまず、私が満面の笑顔である事が重要。更に意味不明の質問が肝。要するにキレている事を相手に見せつけ。

そして、上下関係を徹底的に叩き込む意味がある。

拷問のテクニックだ。

相手を怖れさせ、そしてかなわないと感じさせ。希望と絶望、いつ襲ってくるか分からない理不尽な暴力。それが、相手の口を軽くさせる。

笑みを浮かべたままの私が相手に顔を近づける。ちなみに目だけは笑っていない。

確かに捕まえた此奴は昭和の子供の霊だ。

ぱたぱた暴れて逃げようとするが。私のベアクローから逃げられるものか。私のベアクローは、悪霊にとっては、それこそ体重一トンのホッキョクグマのベアハッグより効くのが自慢なのだ。ちなみにその気になればマキシマムサイズのアフリカ象の全力突進くらいの威力まで上げられるぞ。

「じゃもう一度。 名前言えクソガキ」

「ぼくの、なまえは、さとるくんです」

「うそつけ」

ぐしゃり。すてきな音。

もう一度叩き付けてやると。

少しずつ、邪気が抜けてきたのだろう。涙目の「さとるくん」は、ぐずりはじめた。

「ごめんなさい、ゆるして……。 きれいなおねえさん、ころさないで」

「おべっか使うなマセガキが。 半端なおべっかは却って不愉快だと知れ。 それにお前のせいで全治三ヶ月の怪我をした子がいる。 許すと思うか」

「だ、だって、あれは」

「噂による言霊と妙な札で勝手に殺傷能力と忌み名収集能力が付与されたからか? 本来は電話をされたら、未来について話すだけの筈なのに?」

こくこくと頷いて、必死に許しを請うさとるくん。

その通り。

兄者の時も、本来のさとるくんはそういう怪異だった。ギブアンドテイクの関係を子供と結ぶ、殺傷力など無い怪異。単なるおまじないの一種だとも言える。勿論忌み名なんて求めない。

だが、兄者の友人は、確かにさとるくんに殺された。

正確には、さとるくんに忌み名を奪われた人間によって惨殺された。

そればかりか、この事件は、兄者の家庭の崩壊を招いた。兄者がうちにくる切っ掛けになったのも。この事件の直後、兄者の母君が亡くなり。父上が失踪して。そして兄者の父上の盟友である私の父が。兄者を引き取ることにしたからである。

恐らく忌み名操作の実験。その関連のトラブルによる暗殺。

当時は実験を誰かが叩き潰した。だが、それがまだ続けられているとしたら。

「お前に余計な噂を付与した奴。 それにこの札を電話ボックスの裏に貼っていった奴がいるな。 話せ」

「う、噂を付与したのは、子供達だと思うけど。 そ、その前に、近所の子供が話してるのを聞いたんだ! その、テレビで見たって! さとるくんってオバケがいて、その、電話ボックスに現れて、子供を襲うって!」

「ほーう」

頭を掴む力を強くすると。

さとるくんは泣き出す。

もうこれ以上痛めつけても仕方が無いか。

後は滑るように何もかも話すだろう。

「嘘をついたら舌を引っこ抜く。 ついでだから、股間のだいじなものも引っこ抜こうかな」

「やめてくださいおねがいしますしんでしまいます」

「もう死んでるだろうが。 まあいい。 で、札を貼った奴は」

「ひょろっとしたおじさんで、なんだか何をしているかも分からない様子で……」

となると、黒幕本人が札を貼って廻ったわけではない、という事だな。

そういえば、一時期電話ボックスにピンクチラシを配って廻っていた連中も、バイトで雇った奴らだったとか。

半グレとつるんでいる芸能事務所関係者が仲介しているとなると。当然、バイトを使う資金的な余裕くらいあるだろう。

何重にも施された防壁。

そこまでして、忌み名を集める実験をする理由は。

やはり兵器化。

それしか考えられない。

さとるくんは凶暴化して忌み名を奪いながら、子供を殺傷する存在になっているが。ひょっとすると、後でこう噂を付け加えるつもりだったのでは無いのか。

さとるくんに襲われた子供は、名前を奪われる。

今では忌み名を寄越せと言うだけでは効果が薄いだろう。後から噂を改ざんすれば、怪異の能力も変化する。

そうすれば、何かしらの手段でさとるくんを回収すれば、人間爆弾に改造可能な子供を何人も確保できる。死んだ子供はどうでも良い。生き残ったのを使えば良いのだ。

そして、名前を変えて、海外でそれをやれば。

もはやどこから襲ってくるか分からない、爆弾を抱えた子供を、幾らでも生産することができる。その上、足も着かない。

理想的な暗殺システムの完成だ。

そんなものを完成させるわけにも。輸出させるわけにもいかない。

あと、幾つか話を聞いた後。札に封じ込める。

他の怪異同様、式神化したのだ。

「私の所でしっかり働けば、その内浄化して、あの世なり何なりに送ってやる。 お前は数人の子供を傷つけて、下手をすると殺すところだった。 それを私にお仕置きされるくらいで許されるのだから、よしとすることだな」

「ごめんなさい……」

「もういい。 後は指示通り働け。 なお、言うこと聞かなかったら電気ショックが待ってるから覚悟しとけ」

 

翌朝。

ビジネスホテル一階食堂で小暮と合流。モーニングが出る良いビジネスホテルだ。味も悪くない。

さとるくんの捕獲成功について告げると、小暮は驚いたようだった。

「も、もうですか。 流石に疾風迅雷でありますな」

「昨日あの後襲撃を掛けて来たからな。 返り討ちにした。 だが、まだ事件は終わっていない」

「……芸能事務所の件ですね」

「そうだ。 何か分かったか」

小暮は頷く。

色々調べてくれたのだろう。あまり眠っていないだろうに、頑張ってくれたのがよく分かる。

良い部下である。だから、使いすぎて潰れないように気を配らないといけない。

「やはり、どう考えても黒ですな。 資金源がかなり不透明な上に、そもそも芸能事務所幹部に半グレ出身者が何名かいるようです」

「かといって、このつながりだけで、黒幕へはたどり着けん。 そもそもそいつらだって、ただの経由地点に過ぎないだろうしな」

「難しい事件ですね」

「問題は此奴だ」

首根っこを掴んで、昭和のクソガキを小暮に見せる。

申し訳なさそうにしているクソガキ。ちなみに怪我は私が治してやった。式神の治療は必須スキルなので、当然身につけている。

小暮は悪霊(もう式神だが)を見て、どん引きしていた。

「ひいっ! そ、それをあまり近づけないでください先輩!」

「もう此奴は無害というか私の手駒だ。 逆らえば一億ボルト二アンペアの電撃でお仕置きするから心配するな」

「人間だったら即死ですな」

「その通り。 で、此奴は元々その辺の浮遊霊に過ぎない。 それが言霊の力と、悪辣な呪術札によって、人を襲う怪異に仕立てられた。 もっとも、まだ最終段階ではなかったようだがな……」

説明しておく。

小暮は青ざめていたが。許せませんなと、呟く。

同意見だ。

子供を爆弾に仕立てるようなゲスは、全部鮫の餌にでもなればいいのだ。私の場合は、働かせた後はちゃんと浄化してあの世に送ってやっているので大丈夫である。

「今のうちに調べておいてくれるか」

「また、何か新しい情報ですか」

「此奴の事を話しているテレビ番組があった、という噂が、子供達の間でさとるくんの噂が流れる切っ掛けになったらしい。 そんなテレビ番組が本当にあったのか。 もしなかったとしたら……」

「その話をした子供が怪しい」

正確にはその親だ。

ただ、直接逮捕はできないだろう。

もっとも、私の場合、搦め手は幾つでも用意できるが。まあ、精々地獄を見せてやるとしよう。

「私は学校に出向く。 このまま放置していると、また別の浮遊霊なり悪霊なりが、さとるくんに仕立てられる可能性も高い。 根を断つ」

「分かりました。 別行動ですな」

「気を付けろよ」

「了解であります」

敬礼をした小暮と、モーニングを食べ終えて一旦別れる。

兄者と話をして、さとるくんを捕獲したこと。思ったよりも根が深そうなことを告げると。

やはりかと、兄者は嘆息するのだった。

ちなみにゆうかの声が側でする。

昨日は夜だったからいなかったが。

おのれ。

またしても兄者を独占しおってあの人間核弾頭めが。

「いずれにしても、相手は何をしてくるか分からない。 既にさとるくんが潰されていることに気付いたら、お前を直接狙ってくる可能性もある」

「分かっている。 私の実力は知っているだろう。 生半可な相手におくれはとらんよ」

「純、油断だけはするなよ」

「ああ」

電話を切る。

兄者が私を名前で呼ぶことはあまり無い。今回も、電話を掛けてきたとき、名前で呼んでいた。

つまり、それだけ気を付けろ、と促しているという事である。

私は頷くと。早足で、学校に向かった。

 

3、影で動くもの

 

私が「変質者」を捕まえたことを告げると、教師達は驚いたようだった。まあ、本番はこれからなのだが。

「有難うございます! これで生徒達も安心して過ごせます!」

「いえ、こちらこそ。 協力あってこその迅速な対応です」

頭を下げる中年教師に、此方も丁寧に応じる。

あの校長はクズだが。

敬意を払うべき相手には敬意を払う。当たり前である。

いっそこの土方という教師が校長になれば、少しはこの学校もマシになるだろうにと思ったけれど。そればかりは仕方が無い。

それでだ。話を進める。

「残念ながら事件はまだ解決していませんでね」

「何ですって」

「どうやら、変質者が仕事をしやすいように、意図的にさとるくんの噂を流した者がいます。 やったのは生徒で、指示したのは生徒の親の誰かでしょう」

「……っ」

絶句する教師達に、順を追って説明する。

まず、本来さとるくんというのは、殺傷力のない怪異で。人を殺す怪異というのは、後から付け加えられた噂だという事。これについては、そもそも学校側でも把握していることだ。

だが、今回は。

「テレビで見た」という噂の基点がある。都市伝説で言う友達の友達と同じ概念だ。

しかも、である。

「ここしばらくの心霊番組を調べて見ましたが、さとるくんを扱っているものは存在していません。 意図的に誰かしらが悪意を持って噂を流しています」

「変質者からは何か聞き出せなかったのですか」

「変質者はその噂の現場を目撃して、犯行を思いついた様子です。 つまり、便乗犯です」

これは口から出任せだが、このくらいの嘘は仕方が無い。なんてこったと、教師達が顔を見合わせる。

まさかこれほどタチが悪い事件だとは思っていなかったのだろう。

「生徒の噂をたどれますか。 誰が最初に、テレビで見たと言いだしたか。 その子供の親が、恐らくは今回の事件の黒幕です」

実際には違う。

だが、其処から芋づるで犯人に到達できる手段を、私は手札に持っている。

何しろ、中継地点になっているあのプロデューサー。後ろにいる奴に相当恨まれている。ほぼ間違いなく此奴が中継地点になっている事を考えれば。

抑えれば、一方的に後は蹂躙が可能だ。

すぐに教師達が動き出す。

そして、生徒の中の一人。

問題児の名前が挙がった。

親がいわゆるモンペ。

しかも本人もDQNネーム。

筋金入りのパターンで、ちょっと笑いが零れてしまった。

親が保護者会で頭のおかしい言動ばかりを繰り返していて、問題行動が近年多いPTAでさえ鼻つまみ者とされている人物。

そんな親に育てられたからか。

子供は非常に精神が不安定で、授業中にいきなり暴れ出すこともあるそうだ。

ただし、足が速い。

子供にとっては、足が速いことは重要なステータスで。それである程度子供達の中で、発言力を持っている。

故に、だろう。

噂が拡散するのも早かった、と言うわけだ。

特定まで三時間半。

今回の件、私が速攻で「便乗犯」である「変質者」を確保したことが、教師達の動きを速くした。

此方が動いているところを見せれば。

流石にパトロールとかで疲弊していたのだろう。

教師達も動く。

こうやって信頼関係は作る。

どういうわけか、この辺り理解していない経営者とかキャリア組とかが多いので、私は小首をかしげているのだけれど。

実際問題、小暮も最初私と組んだとき、キャリア組だと不安視していたようだけれど。

実力を見せると、すぐに信頼するようになった。

ちなみに、実力を見せても信頼してくれないケースもあるが。まあそれは人間の相性が悪いとしか言えない。

すぐに小暮に連絡。

勿論、噂を流している中継地点になっている保護者の家に策無しで乗り込んでも仕方が無い。つながりを抑えることが重要だ。

既に策は作ってある。

準備が出来次第、例のプロデューサーを抑える。

つながっているカルトをぶっつぶせるかは分からないが。

少なくとも、このさとるくん関連の事件は、もはや起こせないようにしてくれる。

すぐ小暮から、連絡が来た。

「例の保護者、確認できました」

「何処にいる」

「自宅です。 収入源が何処にあるのかはまだ分かりませんが、少なくとも自宅にいるのは確実ですね」

「そうかそうか」

では、乗り込むとするか。

小暮を伴って、家に真正面から行く。小暮は少し不安そうにしていた。

チャイムを鳴らす。

金髪に染めている三十男が出てきた。さとるくんが、首を横に振る。札を貼って廻っていた男では無いという。

そりゃあそうだ。

「なんすか」

「警視庁から来た風祭です」

「……」

さっと青ざめる金髪男。

この様子だと、まともな職に就いていないだろう。こういう人間は、余程のアホか鉄砲玉系でもない限り、警察の怖さを知っている。

札を見せる。

そうすると、完全に絶句した。

小暮が足を突っ込んで、ドアを閉めるのを防ぐ。当然安全靴である。

「貴方ですね、これをばらまかせていたのは」

「そ、それが何だってんだよ」

「指示したのはこの人でしょう?」

例のプロデューサーの写真を見せると。

完全に沈黙。

分かり易いアホだ。

「この札が撒かれていた周囲で、子供をターゲットにした連続傷害事件が最近起きています。 参考人として、事情聴取をさせていただきましょうか」

「そ、そんなもんしらねーよ! なんでそんなもの見せるんだよ!」

「小暮、チェーン切れ」

「はい」

わめき声を上げる男。

ちなみに、実際に配った人間も既に特定済み。小暮が写真から既に割り出してくれている。

全員では無いけれど。

その中の一人に、軽犯罪での逮捕歴がある者がいたのだ。

式神にしたさとるくんが覚えていた。

此奴が吐いたと言うと。

金髪男は観念したようだった。まあこれは嘘だが。

「お前、叩けば幾らでも埃出るだろ。 今だったらまだ今回の事件に関する参考人程度で済むぞ」

「無理に決まってるだろ! あの人にばれたら、ムショから出た後、指の一本や二本じゃすまねーんだよ!」

「そりゃそうだ。 元半グレだものな。 お前みたいな奴には特に容赦しないだろう」

「頼むよ、帰ってくれ!」

チェーン切断完了。

小暮が男を掴み出すと、すぐに地面にねじ伏せて確保。ちなみに妻は六年前に家を出て行っているので、家には此奴だけだ。

此奴がバイトを雇って、妙な札を撒かせた電話ボックスの周囲で、三件の不審な児童傷害事件が起きているのは事実。

地元の警察に連行。

警察も今回の事件には手がかりのなさから手詰まり状態。完全に匙を投げていたので、私が状況を説明すると嬉々として男の身柄を受け取った。

元々地元の警察にも目をつけられていた、と言うわけだ。

叩けば埃だって幾らでも出る。

携帯を取りあげて調べて見ると。

案の定、大麻の売人の電話番号が出てきた。

それだけではなく、例のプロデューサーとの通話歴も残っていた。

まあこんなところか。

「奴の居場所は抑えているな」

「はい。 Fテレビにいるはずです」

「出てきたところを確保するぞ。 あと、事前の打ち合わせ通りに準備を」

「オス!」

早速移動開始。

Fテレビの本社までは、そう時間も掛からない。

大詰めだ。

とりあえず、相手に蜥蜴の尻尾切りを覚悟させるところまで動けば今回はそれでいい。敵に損害が大きすぎることを自覚させれば。

まだ実験段階の怪異だ。

恐らく諦めるはず。

もし、それでも諦めないようなら。

どのような手を使ってでも、ぶっ潰すだけだ。

 

Fテレビ本社前に到着。アスファルトの照り返しが凄まじい。ふと、見知った顔に気付く。はとりえりさ、つまり川原ミユキである。

そうか、あれから復帰していたのか。

私に気付くと、ミユキは手を振って近づいてきた。

バツが悪そうに、ニセバートリーは式札に引っ込む。まあ、それはそうだろう。私が秘技を叩き込むのが数秒遅れれば、ミユキは此奴のせいで殺人犯になっていたのだから。

「刑事さん、以前はお世話になりました」

「結局芸能界に復帰したんだな」

「はい。 一からやり直しです。 裁判で執行猶予がつきました。 イメージはがた落ちですから、事務所も移って、下積みからやり直しています」

本当に申し訳ありませんでした。

そうぺこりと頭を下げるミユキ。

気の毒な話だ。

この娘には、本来何の罪も無い。親友さえ失ったのに、けなげに立ち直ろうとしている。しかも示談で済まさずに、ちゃんと裁判まで受けている。自分なりのけじめをしっかりつけ。社会的なルールもちゃんと守った、と言うわけだ。立派すぎて太鼓判を押すほか無い。執行猶予がついたというのなら。後は気を付けていけば良いだろう。

いずれにしても、私が行動して、助けられた命だ。

これは、警官として素直に誇らしい。

そして、である。

芸能界にコネを作っておくのは悪くない。実力のあるこの娘は、復帰さえすれば、いずれ芸能界の重鎮にもなれるだろう。

伏魔殿である芸能界関連の事件が起きたとき動きやすくなる。

今回も、さっそくコネを利用させて貰う。奴の写真を見せると、ミユキは頷いた。

「丁度良い。 此奴を知っているか」

「はい。 名前と顔くらいなら」

「此奴がまた面倒な事件の首謀者でな。 出てくる時間は分かるか」

「恐らく、五時くらいだと思います。 所属している事務所の子達の番組が終わるのが、そのくらいなので」

私が来たのがどういう意味か、ミユキは分かっているのだろう。周囲を確認してから、要点だけ喋った。

軽く礼をして、その場を離れる。

ベストな反応だ。小暮も、完璧だと頷いていた。

「先輩があれだけ強烈なのをかましたのに、まったく恨んでいないようですな。 人格者であります」

「まあ、私の攻撃は対怪異特化だからな。 本人へのダメージは抑えられているから問題ない」

「あの鬼と真正面からやりあっていたのにですか」

「あの程度、鍛えれば誰にだってできる。 単に私の場合、対怪異特化の能力だからな、いざという時に備えて鍛えているだけだ」

なんだか小暮がものすごく微妙な顔をしていたけれど、よく分からん。いずれにしても、印を切って、準備をしておく。

更に、式神を出す。

ニセバートリーと、他の式神を何人か。テレビ局の中に飛ばす。

すぐに彼女らは動く。

さっきの事もあるからか。

もの凄く真剣な表情をしたニセバートリーが、一番最初に戻ってきた。

「何よあれ、態度最悪。 後輩の足蹴ったり、アイドルの顔殴ったりしてたわよ」

「評判通りの人物ということだな。 それで、そいつらがそうか」

「ええ」

三人。

血まみれの女性の怨霊がいる。

小暮が、悲鳴を飲み込みかける。

その間に私は準備を完了。

さて、あとは。計画通り、やっていくだけだ。

「小暮、撮影中ゆうかを護衛しろ。 分かっているな」

「はい」

此方としては。

合法的に相手を抑える気なんて無い。

向こうは大型事務所のプロデューサー。それも金に任せて、専門の弁護士を用意しているだろう。

だったら、社会的に叩き潰して、ブチ殺してから。

確保する。

それだけだ。

そして現在。

それが可能な手段が、幾つかある。

ゆうかは先に呼び出しておいた。勿論私が呼び出したことは秘密だ。側の路地に隠れて貰って、一部始終を撮影、そして大手動画サイトにリアルタイムで流して貰う。

準備完了。

三人とは、先に話をしておく。

凄まじい形相の怨霊達だが、利害は一致している。私の話を聞くと、三人とも凄絶な表情で、ゆっくりと頷いた。

ゆうかが此方に指で丸を作った。準備OKという合図だ。

「分かっているな。 気を付けろ」

ゆうかのハンドビデオに手を少し加えておく。

今回、怨霊達は、撮影に干渉しないだろうが、念のためだ。ゆうか自身は、すぐに指定の位置に隠れた。

後は、クズプロデューサーが出てくるのを待つだけ。

夕方五時。

出てこない。

残業か。

まあそうかも知れない。監視につけている式神が、戻ってきた。

「何か気に入らないことがあるようで、アイドルの一人に楽屋で怒鳴りながら暴力を振るっていますね」

「芸能界では先輩が後輩を殴る事が珍しくもないし、プロデューサーがアイドルに性接待を強要することが珍しくもないらしいが、そこまでおおっぴらだと多分事務所ぐるみでやっているな。 丁度良い。 事務所ごと、社会から葬ってやるとするか」

「そうした方が良いでしょう。 芸能界が腐りきっているのは知っていますが、あの手の輩は吐き気がする」

そう吐き捨てた式神は。

以前、テレビ局の撮影で、散々社を汚されたあげく、掃除もせず帰られ。そしてブチ切れて暴れた荒御霊だ。

早い話、古い霊である。

私が調伏して式神にした。

正気を取り戻してからは非常に礼儀正しい男になっている。生前は武士として幾多の功績を立てた上、地元の村を守って息絶えたのだという。つまり絵に描いたような立派な武人だった、という事である。そういう男に敬意を払わず、自分たちの勝手な理屈で撮影をしたあげく、「テレビに写してやったのだから感謝しろ」と上から目線で行動されたら、誰だって頭に来る。

はとりえりさのように、ちゃんと客を考えて行動している関係者もいる。

だがこの手の輩が増えすぎた。

だから今、膿が溜まりすぎているのだろう。

ようやくプロデューサーが出てきた。

悪趣味な金ラメのスーツを着ていて、金歯まで入れているようだ。顔からして、元からカタギでないことを隠そうともしていない。

元々ヤクザのフロント企業になっている芸能事務所は少なくないが。

此処まで露骨だと笑えてくる。

アイドル達、といっても。元々素質もなくて、テレビに出るには芸も足りなさすぎるという弱みがあるからだろう。萎縮している彼女たちが逆らえない事を良い事に、好き勝手な事をして。暴力まで振るっているようなクズだ。

容赦も遠慮も必要ない。

私は、奴が指定範囲に入り込んだ瞬間、印を切った。

にやにや笑いながら、何か偉そうなことをほざいていたそいつが。

一瞬にして凍り付いた。

当然だろう。

「宏美、夏子、ののか……!?」

甲高い悲鳴を上げて、アイドル達が逃げ散る。彼女たちも範囲に踏み込んだのだ。血まみれの、凄まじい形相の怨霊達が見えたはずである。

逃げようとするプロデューサー。

彼の目には。

彼が殺して始末させた、元アイドル達の霊が写っているのだから、当然だろう。

芸能界では、こういうケースがある。

ヤクザと通じているのだ。

トラブルが起きたり、或いは色々な理由で邪魔になったり。そういった人間を、消してしまう事が多い。

勿論テレビとも新聞とも癒着しているから、失踪しても報道なんてされない。

元々売れない芸能人がテレビから姿を消すのは日常茶飯事。

それが文字通り殺されていたとしても。

誰も気にしない。

それが消費型コンテンツ文化というものだ。

事情は聞いている。

宏美という子は、人気が落ちてきたからAVに廻されて、薬を散々打たれたあげくに精神崩壊。

自宅で首をくくった。

そしてその死は、報道されさえしなかった。

AVの内容は凄まじく、暴力レイプ何でもあり。今は業界も多少改善しているという話もあるが。最悪の時期に最悪の撮影を受け。全身がズタズタになり、精神も崩壊しきって命を落とした。

夏子という子は、乱交パーティに無理矢理参加させられ。其処でこのプロデューサーに関係があるヤクザの大物を怒らせたらしい。

具体的には非常に不衛生な性行為をするように強要されて。

拒否したのが原因だそうだ。

それが切っ掛けで、躾と称した凄まじい暴力を加えていたところ、その内死んでしまったそうで。

死体は文字通り山奥に埋められた。

ののかというのは一番若い子だ。まだ中学生くらいだろう。つまりジュニアアイドルと言う事だが。

この子は枕営業専門のアイドルとして使われていて。

一切仕事なんて廻されなかった。

枕営業専門のアイドルを事務所で飼うことがあると言うのは、私も噂で聞いたことがあったが。

実在していたのだと思うと、流石に口をつぐんでしまう。

不平を言ったのが徒になった。

ののかは集団リンチに掛けられ。他のアイドル達に、散々いたぶられた。そして、頭を殴られたのが切っ掛けになって、そのまま死亡。

そして、やはり死体は埋められた。

絶叫するクズプロデューサー。

逃げられないのだから当然だろう。

怨霊達が、しがみついている。

ちなみに、私は怨霊が見えるようにしただけだ。それだけ怨霊達が、凄まじい憎悪をこのプロデューサーに抱いている、という事である。あと、口が軽くなるように細工をしたけれど、これはあくまで小細工。怨霊達の凄まじい怒りが、プロデューサーの精神を完全に壊して、口を軽くするのは目に見えている。そのちょっとしたお手伝いである。

怨霊達が叫ぶ。

私を何処に埋めた。

プロデューサーが喚いた。

「秩父の山奥の、うちの事務所の山荘裏に埋めただろ! そんな事も忘れたのか! 離れろ、離れろよ!」

「どうして殺したあ」

「うるせえ! 芸能界じゃ、役に立たなくなったら終わりなんだよ! 家族の葬儀にも出られないのが当たり前だって前に言っただろ! てめーらは顔だって普通で芸もないのに、テレビに出してやった恩を忘れやがって! だから殺した! てめーらの命の価値なんて、そんな程度しかないだろーが!」

「巫山戯るな! 私の体を返せ! 人生を返せ!」

ゆうかの撮影は。

リアルタイムで、動画再生サイトに流されている。

これでいい。

ちなみに私でも確認しているが。

視聴数がうなぎ登りだ。

これがテレビ撮影だったらともかく、今この手の動画サイトでの配信を止める手段は存在しない。

ゆうか以外も、通りすがりの人間が、狂乱するプロデューサーをおもしろがって撮影していて。

動画としてアップしている様子だ。

さて、そろそろ頃合いだろう。

何処に埋めた。

殺した。

全ての発言を、自分の口から吐かせた。

そして、今回のために、警官を数名手配してある。

彼らの一人にゆうかを任せて。小暮と一緒に出る。怨霊にしがみつかれ、身動きできないプロデューサーに。

私は歩み寄る。手帳を見せながら。

「田中玲雄(れお)さんですね」

「何だお前!」

「警視庁の風祭です。 この動画で、貴方が実際に行方不明になっている人間の殺人および死体遺棄について口にしているのを確認しました。 事実確認のために任意同行願います」

我ながら手が早すぎる。まあ、この辺りは、逃げる隙を与えないためなので仕方が無い。此奴は放置しておいたら、下手をすると海外に逃げていただろう。

絶叫したクソプロデューサーを小暮が押さえ込み、確保。

すぐに警官達を、此奴が口にしていた場所へ廻させる。

そして、一日半後。

此奴が口にしていた通りの場所から、死体が出た。いずれも、元アイドルとは思えないほど無惨な姿にされていた。死体を処理しやすくするためか、細かく切り刻まれて。三メートル以上の深さに埋められていたのだ。その上、ビニールシートで包まれてさえいた。

野生動物が掘り返さない深度を知り尽くしている。更に、掘り返されないように工夫までしている。

つまりプロの犯行である。

当然、殺人および死体遺棄、更に死体損壊で即時再逮捕。更にこの状況から、第一級殺人、つまり殺意あっての殺人である事は確定。

行方不明になっていた人間以外にも、更に数名の死体が周囲から出てくる。コレは恐らく、この事務所に関連していて。

何かしらのトラブルがあって、消された者達だろう。

合計七体の死体があった。男性の死体もあった。

DNA鑑定しないと分からないだろうが。

元アイドルもいるだろうし。

何かしらの理由で利害が対立して、消された人間もいたことだろう。

状況証拠が全て揃っている。更に、本人の口からも、証言が世界中に垂れ流された有様。

警察は死体を見つけるだけでいいと言う楽すぎる捜査。

間違いなく無期か死刑。

ついでに翌日、事務所にも大規模捜査の手が入った。

そうしたら出るわ出るわ。

隠す暇も無かったのだろう。

プロデューサーやアイドルの携帯から、麻薬の密売人や、ヤクザや半グレ、関係者の電話や通話履歴がボロボロ出てくる。

ヤクザ側は、完全にトカゲの尻尾切りを決め込んだらしく。

弁護士を寄越しさえしなかった。

勿論、フロント企業側は黙るしかない。

余計な事を言えば、刑務所を出た直後に殺されるのが目に見えているからだ。芋づるで、売人や半グレも逮捕者が出て。

最終的に逮捕者が二十五人出た。

その内社長を含める六人が、殺人に関与。株は一瞬にして紙くずに。

この事務所は、完全に終わった。

私はそれには関与しない。

多分、此処からの追撃は、私の仕事じゃあない。さとるくんを実験として使っていた連中は、此処まで凄まじい反撃があるとは思っておらず、浮き足立っているだろう。もし必要と判断するなら。

犬童警部と、あの仮面の男。

正体は知れているが。

あの二人が動いて、残りをぶっ潰しに行く。

それだけだ。

流石にテレビ局も、凄まじい不祥事に、主に関わっていたF局以外の全ての地上波が事件を報道。

完全に、社会的な意味で。

この事務所は、芸能界から葬り去られた。関係するアイドル達も全員テレビから消えたが。彼女らにとっては、むしろその方が幸せかも知れない。こんな事務所にいても、廃人になるまで使い潰されるか、あげく他の子と同じように殺されるか。

どちらか二択だっただろうから。

さとるくんが、呆然と、大炎上する状況を見ている。

「ぼ、ぼく、こんなおっかない世界に使われていたの?」

「そうだ。 良かったな、殺しまでしなくて。 殺しに発展してたら、お仕置きはあの程度じゃすまなかったぞ?」

ぽんと、ビジネスホテルの一室で。正座してテレビを見ているさとるくんの頭を叩く。真っ青になったまま、さとるくんはこくこく頷く。

小暮が、外から声を掛けてきた。

「一通り片付いたようです。 戻りましょう」

「そうするか」

その前に。

兄者に電話を入れる。

兄者は、少し大きな騒ぎにしすぎたなとぼやいたが。しかし、今回の件では、子供に死者も出なかったし。

関係者にこれ以上死者も出させなかった。

それについては、喜んでくれているようだった。

「すまなかったな。 さとるくんは俺にとっても特別な怪異だ。 また現れた今回、死者が出なかったことは嬉しいよ」

「それに、死んで当然のクズも葬ることができた。 皆が嬉しい結末だな」

「……お前らしい苛烈さだが、今は喜んでおくとしよう」

兄者が電話を切る。

すっかり怯えきっているさとるくんを促して、私はビジネスホテルを出る。

さあ、地下の編纂室に戻るとしよう。

今回の事件は此処までだ。

今回の件で、彼方此方の部署に恩を売ってやった。特に捜査一課の佐々木警視は、苦虫を噛み潰しながらも、私の功績を認めざるを得ない。多少態度を改めざるを得ないだろう。それだけで充分だ。

後は、外を歩くとき、また注意しなければならないが。

その程度の事は易い。

事件は解決。

今回も、世の中は。

少しだけ良い方向に動いたのだった。

 

4、後始末

 

犬童警部が踏み込んだとき、既にその研究所は抑えられていた。さとるくん関係で一度ぶっ潰したのだが。

残党がしぶとく研究を続けていたのだ。

そして今回、犬童が同志達と一緒に、再度制圧した。抵抗は前回ほど激しくなかったが。これは前回の戦闘で、敵が大きなダメージを受けて、此処に増援を廻す余裕が無かったからだろう。

いずれにしても、今はこのまま攻勢を強めるべき時だ。

この国の中枢に巣くうドブネズミを。

必ずブチ殺す。

そのためには、小さな勝利でも確実に積み重ねていかなければならないのである。

仮面の男が、近づいてくる。

「例の新人、見事な活躍だな。 結果として、此奴らが浮き足だって尻尾を出したから、簡単にひっつかむことができた」

「まだ危なっかしくて見てられんわ」

「そういうな。 盟主の娘さんだけあって、私も最初は参加させるのが不安だったが、これはひょっとすると盟主以上の器になるかも知れん」

鼻を鳴らす犬童。

調子に乗らせると碌な事がないと釘を刺してから。

捕縛した連中に術式を掛けて、全て吐かせていく。

今回は、死者も出していないし。

「まだ」其処まで非人道的な事をしていたわけでは無い。もし此処で盛大に人体実験でもしていたら皆殺し確定だが、今回は間に合った。

だから記憶を消した後、放逐するくらいで許してやる。ただ。この部署の指揮を執っていた奴だけは許さない。

既に捕らえてあるそいつは。

国内のカルトに顔が利く。

テレビにも時々出てくる、自称霊能力者の一人だった。

恐怖に顔を引きつらせているそいつに。

犬童は容赦なく蹴りを叩き込むと。

倒れたところに頭を踏みつける。

「とりあえず、此奴はダルマや。 処置しとき」

「はい」

部下達が動く。

ダルマとは。

完全に言語能力を奪い。

手足を切りおとしてから。

東南アジアの見世物小屋に売り飛ばす刑のことである。

主に盟主が、死刑でも飽き足らない相手に対してやる事で。此奴自身は、十数年前のさとるくん事件にも関わっている。

その時に数人の死者を出していることもあり。

更に実刑で裁くことができないということもある。

こうして、屠るしかない。

悲鳴を上げて引きずられていく自称霊能力者。実際には国家一種を受かった官僚の一人だが。

もう二度と顔を見ることも無いだろう。

煙草に火をつける仮面の男。そして一服。仮面は脱がない。

煙草を吸えるように、仮面の下半分が、動くようになっているのだ。

この間、風祭純と会うときに、つけてから。妙にお気に入りになったらしい。今ではずっと仮面をつけて行動している。

「その銘柄、もう売ってないやろ。 何処で手に入れてるんや」

「国内では売っていないが、海外ではまだ生産されていてな。 個人輸入している」

「其処までこだわるもんか」

「そうだ。 私にはこれがないとな」

元からこの仮面は、チームの頭脳担当だった。今でもそれに代わりは無い。勿論ある程度戦えるが、対怪異の戦闘力は限定的である。

さとるくんの時は。

それで不覚を取った。

だから限界を感じたのだろう。

息子を安全なところに移し。

以降、自身は妻の敵討ちに専念することになった、というわけだ。

研究所を出る。

制圧した敵は、また勢力を失ったが、まだまだ巨大。浮き足立っているところを、可能な限り叩いていかなければならない。

それにしても、風祭純。

強引極まりない推理と、理不尽すぎる対怪異能力。何より、どうしてか真実を即座に握り当てる直感。

コレによって、事件を神速で解決していく。

口ではああ言ったが。

確かに盟主が次代を任せたいと言うわけだ。

ひょっとすると、長く続いているこの戦いも、風祭純の時代に終わらせることが出来るかもしれない。

そうなれば、多少は。

この世もマシになるだろう。

勿論世界情勢が、加速度的に悪化しているのはよく分かっている。

だが、それでも。

世界の一部でも。

よくしていくのは、悪いことでは無い。

決して悪い事ではないはずなのだ。

そのためには、手だって幾らでも汚す。元々復讐に全てを捧げたこの身だ。純は、それも察している様子で。

その鋭さには恐れ入る。

そろそろ、人材をもう少し増やしてやるべきか。

純自身も、部下を見繕い始めているようだが。

彼奴には、視点が違う同格の同僚が必要だ。

人見はその一人だが。

最先端捜査を習得している奴が欲しい。

一通り後始末が終わった後。

アメリカにいる友人に通話を入れる。

電話代が高くつくのは仕方が無い。それは承知の上だ。

「腕利きのプロファイラーが欲しいんやけれど、ええのおらんか?」

「一人優秀なのがいるが、気むずかしい奴でな。 何処の部署でも扱いかねている」

「別にかまわへんで。 優秀な奴ほど、気むずかしくて偏屈なのは、昔から相場が決まっとるでな」

「そうか」

アメリカの協力者である大男は、意外に優しい声をしているが。

海兵隊出身の、武闘派中の武闘派。

アメリカでもやはり同じ組織が暗躍していて。

一月ほど前から、盟主が動いて、実験的に同盟を締結。共同して戦いを開始しているのである。

向こうでも、やはり組織の残虐さは留まるところを知らず、一度事件を起こすと、十人以上の死者が出ることがざらだという。

「日本から出向している彼女だが、実績は申し分ない。 ただし繰り返すが、扱いはとにかく難しいぞ」

「構わんいうたやろ」

「分かった。 そうだな、しばらくしたら其方に行くよう取りはからう。 今少し大きめの案件に関わって貰っていてな。 それが終わってからになる」

「それでええよ」

通話を切る。

さて、これで風祭も少しは動きやすくなるだろう。小暮は優秀だが、更に実務能力が高い後方支援要員が加わる事で、風祭の神速が更に生かせる事になる。

ただ、まだ解決して欲しい「些事」が幾つかある。

次の事件には間に合わないだろうが。

同志の一人から電話が来た。これは、さっそく些事を任せなければならないか。

「此方大城」

「どうした」

「例の学校で、またあの怪異が目覚めた様子です」

「丁度良い。 ひよっこに経験を積ませるとするか」

今のうちに。

可能な限り経験を積ませる。

素質は申し分ないのだ。

経験を更に積ませていけば。いずれ彼奴は、この国の影を一手に掌握し。そして邪悪を握りつぶす鬼神になる。

不動明王や毘沙門天のような。

悪を葬るために、戦いの路を選んだ神々のような。

憤怒の形相と。弱者を守るために戦いを躊躇わない、鬼神の権化に。

そして、その時には。

犬童は、写真を見る。

既に失った家族。

その時には。

ようやく、自分も。

仇を討ちに行く事が出来る。

まだ、時間が掛かる。

だが、絶対に。

成し遂げなければならないことだと、犬童は決めていた。

 

(続)