いにしえの負債
序、最悪の目覚め
誰にでも天敵はいるものだ。不思議な話だが、自分にとって力関係が下の相手がそうなるケースもある。社会的な意味でも、である。
私風祭純にとっての天敵は間宮ゆうかだが。
此奴は兄者の研究室で顔を合わせて以降。
一度も私に良い印象を抱かせたことがない。
死にかけたところを救ったことがこれまで三回。いずれも凶悪極まりない殺傷力が高い怪異からの救助。
それなのに、私は此奴が苦手でしようがなかった。
だから、目が覚めて、電話が鳴っているのに気付いて。
それがこの人間核弾頭からのものだと知ったとき。
私は昨日の夜に食べたローストチキンが胃の中で発酵するかと思った。
時計を確認するが、まだ朝の八時だ。
今日はせっかくの非番だというのに。
というか。
どうして私が非番の日を知っている。
シカトしようかと思ったが、そういうわけにもいかないだろう。何か事件が起きている可能性もあるし。
この間の鬼事件の際には、此奴の調査で事件の解決が二時間は早まって。その結果、誘拐されていた祐介くんの救助が成功した。
人命救助に役立ったのだ。
むぎぎぎと思いながらも、電話に出る。
内容次第では即座に切ろうと思ったが。
「オハヨー、純ちゃーん」
「殺すぞ。 で、なんだ」
「もー、相変わらず可愛い反応なんだから。 で、ちょっと朝からごめんね。 つきあってほしい場所があるんだけど」
「心霊スポットか。 お前、まだ懲りていないのか」
ちなみに此奴が私と出会ってから死にかけた内二回は、止せば良いのに国内でもトップクラスの危険心霊スポットに行きたいと言われて。
無理矢理つきあわされて。
その現場での話だ。
案の定超弩級の怪異が出現。
小暮が泡を吹いている横で私が相手をぐちゃぐちゃに叩き潰したが。その寸前に、あやうくゆうかは死ぬ所だった。
それが二回である。
流石に三回目は許せない。まあ私としては、有益な手札が増えたという利点はあったのだけれど。
「違うよ、流石にそれはもう懲りた」
「じゃあなんだ」
「地下鉄に、最初から名前が存在しない駅があるって話、聞いてる?」
「……知らん」
始めて聞いた内容だ。
地下鉄は、意外と都市伝説と相性が良い。例えば、国会議事堂の近くにある某駅は、そのまま核シェルターにつながっているという話があるが。これは都市伝説のように見せかけて周知の事実である。
国家公務員だったら誰でも知っている。
地下鉄は幽霊系の都市伝説とも相性が良く。
ちょっと調べるだけで、ゴロゴロとその手の話が出てくる。
しかし、名前がない駅。
例えば、既に放棄された中間駅とか、そういうのではないのか。
違うとゆうかはいう。
何でも、特定の手順をとると、その名前のない駅に辿り着く事が出来るのだとかいう話で。
其処は、様々な国家機密が詰まっているのだとか。
でだ。
その手順を発見したのだという。例のごとく、怪しげなアングラサイトで、らしいのだが。
此奴の怪異に対する嗅覚はするどく、いきなり真実に辿り着く事があるのでなかなか侮れないのだ。
「取材したい」
「……で、私を呼び出したと」
「小暮さんにも声かけたよ」
「貴様なあ……」
小暮もちなみに非番だ。
というわけで、地下のあの部署は今すっからかん。というか、部長がいるはずだが、あの人はまあ、いないのと同じだ。
だが、此奴の場合。
放置しておくと勝手に行動して、勝手に死にかねない。兄者も扱いに困っているゆうかだが。
流石に助けられるのを見捨てたりしたら、気分も悪い。
あくびをしてから、ベッドを起き出す。
昨日、本家の人間が来て、掃除とか炊事をしていった。冷蔵庫には、かなり美味しい料理が幾つか突っ込んである。
その一つをレンチンしながら、適当に応じる。
「まあいい。 ただし条件がある」
「なあに?」
「人見も呼ぶ」
電話の向こうで、ゆうかが絶句した。
私の友人であり、腕の良い監察医である人見は、オカルトの真っ向否定派だ。ただ、私に妙な力があるのは認めているし、たまにその力の正体について、聞いてくることもある。まあ、兄者の嫁は人見がいいというか人見くらいじゃないと最低限いやだというのは私の主張だが。
ちなみに兄者と人見は普通の仲で。
私の知る限りくっつく様子は無い。
このままだと本当にゆうかに押し切られるぞしっかりしろ兄者。
それはそうとして。
私の天敵がゆうかなら。
ゆうかの天敵は人見だ。
冷静で整理された頭脳は、非常に切れ味が鋭く。現役の解剖医をしているだけあって、様々な知識も豊富。
更に、私の同志として。
幾つもの事件を解決してきた仲だ。
ゆうかがトンチキな事を始めたら、首輪を填めて鎖をつけてくれることだろう。
「それが最低条件だ」
「えー、でもー」
「そもそもどうせまた危険が予想されるんだろう。 露骨にやばすぎる場所ではないにしても、私に声を掛けるくらいだ」
「……」
図星を指されたゆうかが黙り込む。
これだから嫌なのだが。
まあ仕方が無い。
実際問題、危険な怪異は放置しておくわけにもいかないのである。
私の家には、国中の危険な怪異の分布図があった。都市伝説によって増えるケースもあったので。母が時々私を連れて潰してまわっていたのだけれど。それでもなくなる事はなかった。
いわゆる三大怨霊などの超危険な怪異については、先人の努力によって、どうにか封印と無力化には成功している。
だが、人間の業と闇が途切れないのがこの世の理。
今も、日夜危険な怪異は。
生産され続けているのだ。
それに、あまり世間には知られていない怪異も多い。
寒村や閉鎖地域で、脈々と受け継がれてきた怪異などがそうだ。
実は、三年前に。
未だに生け贄の儀式をしている村を潰したことがある。
タイから奴隷を買い付けては生け贄にしていた悪質な村で。人身売買のルートを追っていた警察の部署から、これは手に負えそうにないと連絡が来て。
母と一緒に、ぶっ潰しにいったのである。
その時に警察の特殊部隊も同行して、村人の鎮圧は任せ。
私と母は怪異を叩き潰すのに注力した。
千年以上。毎年人間を喰らい続けた怪異の戦闘能力は尋常では無かった。警察の特殊部隊どころか、自衛隊でも手に負えなかったかも知れない。
だが、それでも、特化した人間である母と私の前には、そいつも屈する他なく。
今では、私の手札の一つになっている。
とはいっても、危険すぎて、安易に使えないが。
時々だが。
今でも、非番の日に出かけては。
こういう特級の怪異を狩っているのが実情だ。
まだまだこの世界には。
生半可な危険度では無い怪異が、実在している。怪異は、この科学が発展した社会でも、現役の存在なのである。
「まあいい。 条件を呑むなら行ってやる。 ただし、条件を呑まないなら、小暮にも行かせない」
「もう、分かったよ」
「決まりだな。 人見には私から声を掛けておく。 集合場所は」
「半蔵門線の……」
意外に近い。電車でもそう時間は掛からない。
電話を切った後、小暮に連絡。
パジャマを着替えながらだけれども。まあスピーカーモードなのでそれほど難しくはない。
小暮も、今朝になってから、いきなり電話が来たと憤慨していた。
「とんでもない小娘なのであります」
「今、本家のデータベースにアクセスして調べているんだがな」
「というと、不思議な力が関係しているのでありますか」
「可能性が高いな」
元々、東京は。
海だった場所を、埋め立てた経緯がある。
言うまでも無いが、徳川家康が、江戸を発展させる過程で。海を埋め立てて、土地を拡げたのである。
この際に、霊的な武装も、家康は施した。
霊的な要地に寺を建て。
其処に強力な守護結界の要を置いたのである。
とはいっても、家康が怪異を信じていたかはかなり疑わしい。
効けば重畳、くらいに考えて。
寺は民の信仰の対象にもなるし。
当時の専門家の話を聞きながら、守護結界を造り出した、というところだろう。
条件が整わなければ、怪異はそう人の前に姿を現さない。
それは今も昔も同じで。
家康は人生経験の塊だっただろうけれど。
それでも怪異と遭遇した経験があるかときかれれば、断言できないとしか、私にも応えられないのだ。
逆に言えば。
歴史の闇に埋もれた怪異が、江戸にはたくさん存在していて。
それが埋め火のように、今でも危険な牙を剥く可能性が、いつでもある。
実際問題。
東京にも、危険な怪異の跋扈が複数。
未だに確認されているのだ。
「人見とゆうかの警護を頼むぞ」
「了解であります」
さて、此処からだ。
どうせあの人間核弾頭が持ち込んだ情報だ。
本人にそのつもりが無くても、超危険案件である可能性は否定出来ない。
着替えを終えると、幾つかの装備を手にする。
式神を入れた札。
式神の中には、各地で鬼神として怖れられるとんでも無い化け物も混じっているが。まあそれでも私にとっては手駒の一つだ。
他にも、対怪異用の武装を幾らか。
私服とバッグに突っ込むと。
私は家を出た。
相変わらず灼熱の陽気である。
これでは、怪異も閉口して、外に出てこなくなるのではあるまいか。
今、東京は、こういったメガロポリス一気候が厳しいとさえ言われている。アスファルトの照り返し。年々ひどくなる熱波。
これらが。
辺りを地獄に変えている。
日傘を差している人間も多い中。
私は最寄りの、地下鉄の駅に向かった。
地下鉄に簡単にアクセスできるのは、良い事なのだが。
問題は、東京の人間でさえ迷うほど、経路が訳分からない事である。実際、いつもと違うルートを使おうとして、迷う事は、地元の人間でさえある。
私は東京に出てきて間もないから。
新宿駅や渋谷駅では、迷子になって涙目になった事が何回かあったが。
それは恥ずかしい思い出なので。
墓場までもっていくつもりだ。
電子定期券を使って、改札を通ると。
地下鉄を使って、待ち合わせの場所に向かう。
人見もあまり機嫌は良くなかったけれど。
理不尽な噂が放置されているのは良くないと言う理屈から、同道してくれることになった。
これは有り難い話である。
とにかく、電車に飛び込んで行く頭が悪いイヌみたいなゆうかの首根っこを押さえられる人材の投入は。
こういう場所では必須だ。
途中の駅で、まず人見と合流。
意外にも。
人見の私服はダッサダサだった。化粧がしっかりしているので、驚きである。
「どうしたの?」
「いや、個性的なセンスだな」
「貴方も人の事言えるかしら」
「私のは意図的にやっている」
えっへんと胸を張る私の服は、当然キャラものである。
今日はシャツで来ているが。シャツの真ん中には、私が愛好している猫のキャラクターがででんと描かれているのだ。
実は結構なプレミア品で。
仕事を選ばない事で知られるこのキャラクターのグッズでも。
限定販売された数少ないものなのである。
ちなみに私は、四年前に。子分達を連れて徹夜で並び、人数分ゲットした。だから愛着もたっぷりである。
なお、子分達はみんな、げんなりした様子だったが。
これは不思議でならない。
下の方は動きやすいスポーツシューズとジーンズ。
この格好で外を歩いていると、中学生と勘違いされて、補導のために警官が寄って来る事があるので。
免許書と手帳は、常に持ち歩くようにしている。
人見の方は、何というか、ジャージスレスレの格好である。まあ動きやすいのは良いことだからいいのだけれど。
このジャージっぽい服は、何処で売ってるのだろう。
安いことで知られる量販店だろうか。
ゆうかについて、電車で途中に話す。
人見は何というか。
あきれ顔だった。
「人の大事な休日を潰しておいて、あの子は……」
「まあいいではないか。 何も無ければ良い暇つぶし。 何かあるようなら、私がぶっ潰すだけだ」
「その不思議な力の正体も見極めておきたいわね。 何かの暗示と催眠を組み合わせていると思うのだけれど」
「ふふん、まあ好きに推理するといい」
日本の地下鉄は、海外の人間に驚かれる。
時刻通りに動くからだ。
海外では、まずこれはあり得ない事だ。私は実際に海外で経験しているが、とにかくひどいものだった。
みてくれだけは立派なだけに。
その運営のひどさには言葉も無い。
電車の価値はスピードだと考えているド素人がいるが。
人身事故などの致命的トラブルが無い場合に時刻通りに動く事こそ。電車の価値なのである。
目的地に到着。
肩身が狭そうな小暮と、ゆうかが。
改札で待っていた。
ゆうかの嬉しそうなこと。
愛用のカメラを手に、これから推しのアイドルのコンサートにでも行くような笑顔で、手をぱたぱた振っている。
小暮は、人見のジャージっぽい格好を見て、唖然として。
私のシャツを見て、更に唖然としていた。
ちなみにゆうかは普通にスポーティな格好。
小暮は何故か。
休日なのにスーツである。
「スーツできたのか」
「はい。 嫌な予感がどうにも止まらなくて」
「そのスーツ、だめになる事は覚悟しておけよ」
はしゃいでいるゆうかを横目に、私は釘を刺しておく。
ちなみに私の大事なシャツは、色々と仕掛けがしてあるので、ちょっとやそっとでは壊れないのである。
さて、ここからだ。
地獄が、待っている。
1、儀式
都市伝説の中に、儀式を伴うものは幾つかある。
エレベーターの階数を、決まった順番で押していくと。途中で幽霊が乗り込んできて。最終的にあの世に連れて行かれる、というのがそれだ。これなどは、数字を使った極めて簡単な儀式と言える。
今回ゆうかがやろうとしているのも。
電車を使った儀式の一種と言えた。
ゆうかがいう通りに地下鉄を乗り継いでいくのだが。
なるほど。
これはいわゆる、セーマンである。
五芒星の形状がそれで。その形になるように、電車を乗り継いでいく、というわけだ。
途中、ゆうかがコレクションを披露してくれる。
最近ネットで流れ始めた心霊写真だとか。
心霊動画だとかだが。
私が見たところ、九割方は偽物だ。
殆どが単なる合成で。
霊の気配は欠片もない。
人見がそれを容赦なく指摘していくので、私は突っ込みを入れる暇も無かったし。労力を使わなくて済むので実に嬉しかった。
小暮は相変わらず真っ青。
幽霊については、どうにもだめで仕方が無いらしい。
そういえば此奴。
本庁のエレベーターに乗りたがらない。
以前話を聞いたところに寄ると。
とんでもなく怖い目にあったことがあるらしく。
できれば先輩も一緒に来て欲しいと、本庁を移動するときに言われるのである。本当に心臓が兎なみだ。
単純な身体能力で言えば、此奴は日本人で間違いなくトップを争えるし。世界レベルで通用するというのに。
「それで、そろそろかしら?」
「はい、もうすぐです」
苦手な相手だからか。
人見に対して、ゆうかは敬語だ。
頭に来る話だが、まあこれはもうどうでもいい。
此奴が兄者の妻にごりおしで収まって。私の義姉になりでもしなければ、それでいいのである。
ふと。
ある一線を越えた瞬間。
空気が変わった。
小暮が周囲を見回す。
いつの間にか。
回りから、客がいなくなっていた。
人見が目を細める。
「間違えて回送電車に乗り過ごしたかしら?」
「いえ、どうにも妙であります」
小暮は既に敏感に感じ取っているようだった。
コレは恐らく、非常に強力な霊的な土地。それも良くない方向の、だ。何かタチが悪いものでも、封じ込んでいる場所では無いのか。
そもそも東京は、海を埋め立てて作った土地だ。
その過程で、色々と無理をしているし。
地震や火事で、多くの人命を奪ってきた場所でもある。
更に近代化の波。
何より前世紀の世界大戦。
それらも考慮すると。
今、電車が向かっているのは、恐らく良い土地ではないとみるべきだろう。
「ゆうか」
「どうしたの」
「急に口数が減ったな」
「霧崎先生にも来て貰えば良かったかなって」
鼻を鳴らす。
此奴、やはり霊感はなくても、危険に対する嗅覚だけは本物か。私も正直な所、最初から全力モードで行こうかと考えているほどだ。
電車は、いつのまにか。
いつの時代のものか。
分からないほど古いものへと変わり果てていた。
暗闇の中を疾走する電車は。
がたんがたんと、大きな音を立て続ける。
カーブする事もない。
皆を促して、最前列車両に行ってみるが。
案の定、運転席は無人である。
どうやら、完全に結界に入ったらしい。そして此処は、恐らく現実と異相がずれている空間だ。
結界の極めて高度な奴の中には、こういったことができるものも存在している。
以前ぶっ潰した生け贄村は。
この手の結界で、村全域を覆って、よそ者を排除する工夫をしていた。
私と母で正面突破して結界をぶっ潰したとき。
村人達は、目玉が飛び出しそうな顔をしていたものだ。
これを、人間が破れるはずがないと。
私は今のうちに、結界を解析しておく。
仏教系と陰陽系のハイブリッドのようだが。かなり高レベルな結界だ。ぶっ壊すのは、多少の手間がいる。
ただし、この様子だと。
最深部に何かコアのようなものがあって。
それを潰してしまえば、それほど滅ぼすのは難しくないはず。
まあ丁度良い。
叩き潰しておいて、東京から邪悪な怪異を一つ減らしておこう。給金外のお仕事だけれども。
この辺りは、後で本家から国に請求すればいいだけだ。
だいたいお金には困っていないし。
「駅が……」
小暮が言う。
駅を通り過ぎていくのだが。
其処は、どう見ても朽ち果てていて。
それどころか、うろついている人影は、この世のものとは思えない姿をしていた。電車のあかりが、ちかちかと明滅する。
駅の人ならぬ者達は。
じっと此方を見ていた。
小暮は完全にフリーズ状態。
人見は、目を細めて、何が起きているのか、分析に頭をフル回転させている様子である。
ゆうかは写真を撮っていたが。
デジカメを確認しても。
それは真っ黒だった。
まあそうだろう。
機嫌が悪い時、霊はカメラに干渉できるケースが多い。シャッターを押させなかったり。或いは写真を真っ黒にしてしまったり。
本気で霊を怒らせていない場合くらいなのである。
心霊写真と呼ばれるものを取れるのは。
「やだ、これ純ちゃん呼んでなかったら、私ひょっとして生きて帰れなかった?」
「今頃気付いたか阿呆。 毎度毎度、どうしてこうも厄介な代物に全力疾走で突撃するのか貴様は」
「まモなく、電車はとまりマす」
不意に、狂った調子の声が響いて。
小暮が小さな悲鳴を上げた。
私が肘を小突く。
「ちょっと今回は全力で行くぞ。 小暮、ゆうかと人見を守れ。 全力でだ。 逃げだそうとしたら、首根っこを掴んででも押さえ込めよ」
「りょ、了解であります!」
「何が出てくるか分からんぞ。 私の側を絶対に離れるなよ」
間もなく、電車が止まる。
其処は。
まるで、何十年も前にうち捨てられたようなホームだった。
真っ暗で、埃まみれのホームだが。
意外にも、足跡が複数確認できる。
これはひょっとすると。
自分たち以外にも、誰かが来ていると見るべきだろうか。
人見が、足跡を調べる。
そして、断言した。
「これ、一日以内に来た足跡よ」
「意外と利用者が多いようだな」
「メンテナンス用の駅にしては妙な点が多いわね。 政府専用のシェルターかしら」
論理的な人見の解析だが。
どうもそれもおかしい。
電気系統は生きているらしく。灯りはないのに、奥の方から光が漏れていた。というか、灯りは正確にはある。
上の方を見ると。
薄暗い中も。
どうやら、灯りを意図的に抑える蛍光灯が、つけられているようだった。
この辺りは、人よけの仕組み。
間違えてきてしまった人間を、慌てて退散させるためのものだろう。
そして、これ以上進もうというのなら。
もう容赦なく始末する。
そういう場所だ。
いうならば地獄の一丁目。
ゆうかは写真を何枚も撮っていたが。
どれもこれもが真っ黒らしく、嘆いている。
「どうしてよ、もう」
「先輩、帰りませんか。 此処、尋常では無い寒気がするのであります」
「そうだな……」
私一人だったり。
或いは本家の精鋭を何人か連れている状態だったら別に構わないのだけれど。霊感があるとはいえ小暮は幽霊に対してめっぽう弱いし。単独での肉弾戦闘力はなかなか侮れない人見でも、怪異に対しては相性が悪い。
ましてやゆうかだ。
此奴がいる場合。
この空間にいる、何かとんでも無い存在を、目覚めさせる可能性がある。
此奴は魚にとってとても食欲を誘う釣りエサのようなもので。
本来だったら絶対出てこないような怪異まで。
ほとんど無理矢理に引っ張り出してしまうのだ。
「階段があるよ」
ゆうかが手を振っている。
露骨にヤバイ気配がしているが。
まあ仕方が無い。
此処を潰す。
決めた以上、行くしか無いだろう。
気を付けろ。
もう一度、周囲に念を押す。リュックから出したのは、ポータブルのカンテラである。ちなみに対霊用の防御をガチガチに固めてある特注品だ。普通の電子機器だと、霊的な干渉であっさりだめになったりするが。此奴はカンテラという簡単な仕組みのものの上に。私が直接霊的防御を施している。
生半可な怪異では、触れるだけで弾かれて消滅である。
「小暮、もってろ」
「了解であります。 先輩、用意万全でありますな」
「まあな」
「見て」
人見が促す。
足跡が、階段の下に続いている。
しかも、これも新しいもの。
数は最低でも二つ。もっと古い足跡もあるようだけれど、それについてはいつついたのかは分からない。
遠くから。
唸り声のようなものが聞こえる。
いや、これは。
機械音だ。
階段を下りきると、廊下に出る。なるほど、先ほど漏れていた灯りはこれか。廊下には点々と、蛍光灯が吊されているが。
意外にもこの蛍光灯。
見たところ、かなり新しいものだ。
つまりこの駅。
見かけと裏腹に、現在も利用者が多い、という事になる。そしてその利用者は、おそらくろくでもない存在だろう。
「小暮、カンテラは消すな」
「はい。 しかしどうして」
「もしこの蛍光灯が消えてみろ。 何かしら悪意がある存在がいる場合、奇襲の絶好の好機だ」
「手慣れてるわね」
人見が苦笑混じりにいう。
ゆうかは完全に無言。
分かっているのだろう。
今まで、彼女が二桁以上遭遇してきた。命を脅かすレベルの怪異が、近くにいることに。流石に此奴がどれだけ阿呆でも。これだけの回数命の危険に遭遇すれば、その程度の危機意識は抱く。
廊下は長く続いていて。
所々、左右に部屋があった。
一つずつ、調べていく。
中には霊的な存在がいることもあったが。
どれも性質が良いとはいえないものばかり。
出会い頭に、全部真言で消し飛ばす。
部屋をその後調べていくが。
色々と妙だ。
「足跡はあるのに、部屋そのものは使われていないわね。 それにこれ、見て」
的確に、人見が調査を進めていく。言われて私も近づくと、其処にあったのは、それこそ記録フィルムに出てくるような、非常に古いラジオだ。
何だこれは。
戸棚には、賞味期限がとっくの昔に過ぎた古い古い缶詰。
これでは、中の食べ物は、とっくに傷んでしまっているだろう。
「やはりシェルターだったのかしら」
「いや、それにしては妙な点が多い」
缶詰などをみると。
いわゆる核戦争が危惧されていた時代よりも、かなり前の代物だ。東西冷戦が過熱化して、核戦争の危機が間近に迫っていた頃。
核シェルターが作られたとしても。
この缶詰を入れるのはおかしい。
それに、こんな程度の量では、シェルターとしても機能しないだろう。すぐに食糧も枯渇してしまう。
中途半端すぎるのだ。
「次の部屋に行くぞ」
「!」
ぶちんと。
いきなり、電源が切れた。
一瞬後に復帰するが。
その一瞬の間。カンテラの明かりだけが、周囲を照らしていた。
そして気付く。
何かが、起きたと見て良い。
先に侵入していた者達が、何かしたのか、それとも。
いずれにしても。
あまり良い事が起きる前兆だとは思えなかった。
そして、である。
周囲に、露骨に無数の悪霊の気配が満ち始めた。何かから、解き放たれたかのように。それはうめき声を上げながら。
周囲を徘徊し始める。
下半身がないものがいる。
首だけで、浮いているものがいる。
体中焼け焦げていて。
呻きながら、歩いているものがいる。
小暮が白目を剥きそうになっているので、足を踏んづける。人見にも見えているらしい。流石に閉口した彼女に。ゆうかを捕まえておくよう指示。
今の一瞬で。
何かが起きたと見て良い。
それに、この通路の奧。
禍々しい何かの気配がある。
それが恐らくは、起動したのだと見て良いだろう。
「せ、せんぱい……」
「案ずるな。 私の側にいる限り、此奴らは手出しできん。 逆に言うと、私から離れると、八つ裂きにされるぞ」
「ひ……」
「どうやら、先に来た誰かが何かしたな」
足音。
我々のものではない。
霊的なものでもない。
人のものだ。
一斉に身構える皆の前に。
途切れがちな蛍光灯の明かりの向こうから。
二つの人影が。
近づいてくるのが、見えた。
その人影が、はっきり見えるようになって。最初に声を上げたのは、小暮だった。
「い、犬童警部!?」
「なんや、今日は非番いうたろが。 ……其処の小娘か」
じろりと。
いつもとは全く違う雰囲気で。おおさかのおばちゃん丸出しの温い雰囲気では無く、幾多の修羅場をくぐってきた戦士の視線で。
犬童警部が、ゆうかをにらむ。
その通りですお仕置きしてやってくださいと言おうかと思ったが。
正直な話。
今はそれどころでは無い。
警部の隣にいるのは、誰だ。
仮面を被っていて、誰だか分からない。
声も人工音声にしている。
まて。
この人工音声、聞き覚えがある。
「まさか、此処で直接会う事になるとはね」
「貴方か……」
そう、間違いない。
恐らく初老の男である此奴が。
いつも電話口に、怪異が関連した事件が起きたと、知らせてきている人物だ。何処かで見たような雰囲気があるのだが。
それも何となく察しがついた。
溜息が零れる。
そうか、そういうことだったのか。
だが、それはもういい。
相手も、私が察したことを気付いたようで、苦笑いしていた。
「犬童、行くぞ。 此方の目的は果たした。 残りは彼女らに任せよう」
「ええんか? 此処から結構やばいことになるで」
「乗り切れないようならそれまでだ」
「……」
犬童警部は、一瞥だけすると。
仮面の人物を追って、通路を小走りで行く。
かなり消耗していた様子だ。
そして、大体分かったが。
恐らくは、先ほどの異変。
二人が起こしたものだろう。
去り際に。仮面の男に、耳元で囁かれる。
「二時間以内に脱出したまえ」
私は頷く。
何となく、理由は分かる。
此処が、とんでも無い邪悪の巣窟だったとして。あの二人が放置して置くわけがない。叩き潰して、そして。
此処は、消滅するのだ。
2、闇宵の遺産
通路を急ぎ足で行く。
途中の部屋は全て無視。悪霊がうめき声を上げているが。今は、最深部に何があるか、確認するのが先だ。
ゆうかはずっと黙っていたけれど。
ぼそりと言う。
「ごめんなさい。 やっぱり、無茶な事しちゃったかな」
「そうとも言いきれない」
「え?」
「あの二人は相当の手練れだが、それでもこの状況だ。 敵の注意が分散したから、容易に脱出できる、という側面もある。 まあ、あまり私達ももたついてはいられないがな……」
私は少し前から、完全に本気モードに入っている。
奧から感じる気配が、尋常ではないからだ。
通路の最深部。
扉がある。
それも、さび付いた、大きな奴が。
小暮と頷きあうと。
拳銃を抜いて、ドアの左右に。
ちなみに私も、警察学校で拳銃の使い方は仕込まれている。成績はAだ。距離次第だったら、全弾急所にぶち込むこともできる。まあ最初は警告して、足から撃たなければならないのだが。
人見がゆうかの手を引いて、近くの壁に張り付いた。
ドアを蹴り開けた小暮が最初に。
続けて私が、札を引き抜きながら、中に飛び込む。
其処は。墓地だった。
地下に墓地。
それも、日本式の奴である。古い時代の、桶に死体を入れていた頃の墓地。
これは、この深度に、墓地をまるまると移植してきた、という事なのか。
しかも、間違いなく死体ごと。
人見とゆうかが遅れて入ってくる。
私が右手を挙げて、小暮に拳銃を下げさせた。
周囲には戦いの跡が残っている。
だが、放った式神は、告げてきていた。既に敵影無し。悪霊はたくさんいるけれど、それだけだ、と。
あの二人が、此処の守兵。それが人間か怪異かは分からないが、それを全て蹴散らした、ということであろう。
まあそれくらいできる二人だ。
顎をしゃくる。
奧にあるのは。また、壁と小さな部屋。
その中には。何か機械と山盛りの爆薬。それも、恐らく生半可な手段では入手できない軍用のものだ。破壊力は、余裕でこの地下施設を消し飛ばせるだろう。
時限装置は、既に起動しているようだった。
「ちょっと、これって」
「一時間四十五分ほどで爆発するな。 それに……」
足下。
他の面子には見えないだろう。
とんでもない密度で、悪霊が濃縮されている。ただし、悪霊を浄化する術式も、山盛りで仕掛けられていた。
爆弾が炸裂すると同時に。
悪霊も全部まとめて浄化される、というわけだ。
それにしても、この悪霊の密度。
なるほど、そういうことか。
此処は龍脈だ。
「見て」
人見が、何か見つけ出した。
側にある机からだ。
非常に古い本である。
日記だろうか。それも、右から左へではなく。左から右へと字を書いていく時代のものである。
それには、こう書かれていた。
龍脈の有効活用実験について。
「たわけたことを考えたものだな……」
苛立ちが募る。
さっと中に目を通していく。
その間に、小暮には、外を警戒して貰った。二人が追い払ったとは言え、此処を造り、研究をまだ続けていた連中が、戻ってくる可能性があるからだ。
アサルトライフルくらい装備していてもおかしくない相手と見て良いだろう。此処を作った連中は。
多分生半可な組織では無い。
研究も、何十年という単位で、地道にやっていたのだろう。
途中にあった部屋は全てフェイク。
此処は巨大な実験施設で。
全ては、自動で。
時々、様子だけ見に来れば良い。
守兵も恐らくは、人間ではなかったか、ごく少数。あの二人が来ていたという事は。恐らくは、都市伝説を使って、好き勝手やっている連中と同一か。その下部組織と見て良いだろうか。
龍脈を用いて兵器にする、か。
実のところ、禁術と呼ばれるものの存在を母から聞いているが。
その中の一つに。
龍脈の直接操作、があるそうだ。
古代から手を出した者が何人かいて。
いずれもが、碌な死に方をしなかったらしい。
それはそうだ。
敵国どころか。
下手をすると、地球全土に及ぶ禍が起きる。
この世界にはいわゆるレイラインとか龍脈とか言われるものが存在しているが。それは人間がまだ触っていいものじゃない。
使い方によっては。
下手をすると、核を超える破壊力を引き起こす。
どんな怪異だって、龍脈にだけは手を出さない。
それは、あまりにも力が大きすぎるから。
神と呼ばれるレベルに達した怪異でさえ、それは例外では無いのだ。むしろ怪異の方が、龍脈に手を出そうという発想を持たないだろう。
此処に圧縮されている無数の悪霊は。
龍脈を直接刺激するための、起爆剤のようなもの。
こんなことのために。
こんな地下に、眠りから無理矢理覚まさせられて、引っ張り込まれて。そして詰め込まれて。
数十年単位で憎悪をため込んだのか。
相手が元人間だと言う事を理解しているのだろうかと、疑いたくなるが。考えてみれば、人間は人間に対してどんなことだって平気でする生物だ。私は警官だからこそ、いろんな犯罪の記録を見てきたし。
その結末だって知っている。
これは国家が行った犯罪を。
何かしらの組織が引き継いだもの。
この施設の様子からして。
恐らく、最初に始めたのは、前世紀。世界大戦中のこの国だ。
GHQはこれに気づけず。
暗黙の了解か、それとも何か他の理由かで。この場所は、誰かしらの手によって掌握され。
国防のための兵器から。
悪夢の無差別兵器研究所へと変わった。
どちらにしても、核を超える最悪の兵器を作ろうという試みだったことに代わりは無いのだが。
そしてそれを。
ようやく今。
終わらせることができる、というわけだ。
核抑止力について、私はどうこういうつもりはない。
だが、このやり方にはどうしても賛成できない。
叩き潰そうとした部長ともう一人も、同じ意見だろう。
だから、此処が吹き飛ばされて。研究が全て台無しにされることについては、ざまあみろとしか意見がない。
ゆうかが彼方此方を見て回っていたけれど。どうしても写真を撮れないようだった。それはそうだろう。
悪霊が無数に、こっちをにらんでいる。
だけれども、もうすぐ浄化されることも告げてあるし。本能的にそれを悟ってもいるのだろう。
何より、我々が。
敵対するものではないと、悟ってもいる筈だ。
だから、手を出してこない。
まあ手を出してきたら。
それはそれで、返り討ちにするだけだが。
「これを見て」
人見が声を掛けてくる。
壁の一角。
隠し棚があった。
其処に書類が幾つかある。明らかに戦前のものではなくて、新しい。というか、キングファイルだ。
何処でも使っているものだなと思って呆れたが。
ざっと内容を見ると。
思わず殺意が湧く。
此処では。
まだ実験が行われていたのだ。
それも、現在進行形で。
街で捕まえてきたホームレスや、発展途上国にて金で買った人間。そういった者達を、電車に乗せて、この駅に連れてくる。
たまに、自分たちにとって不都合な人間を、同じようにして処理していた様子だ。
そして、悪霊に捕縛させ。
その仲間にさせる。
実験結果の写真もあるが。
どれもひどくぶれていた。霊的な力が関与しているからだ。
調べて見るが。
先ほどの墓場の一角。隠し部屋がある。
時間が刻一刻と減っていくが。
調べておく必要があるだろう。証拠品として、リュックにキングファイルを詰め込んでおく。
小暮が、少し心配そうに見た。
「先輩、かなりリュックが膨れていますが、走れますか」
「大丈夫だ。 警戒に専念しろ」
「了解であります」
部屋を見て。
流石の私も口をつぐむ。
其処には、比較的新しい死体が、山となって積み上げられていた。ゆうかもこれには目を背ける。
これは、人の所行では無い。
国が行っている秘密の実験。
人体実験がどこぞの施設で行われている。
そういう噂は、絶えた試しが無い。
というか、戦時中は実際731部隊という、邪悪の権化のような存在が実在していたし。
今でも、国によっては、似たような存在が活動している。
つい最近、ある国でも、そのような邪悪な研究所が国家で運営され、多数の犠牲者が出ていたことが告発されたが。
国際的な力を持っている国だからか。
殆どマスコミも話題にせず。
闇に消えるようにして、もみ消されてしまった。
許しがたい。
この国でも。
国の恥どころか。人類史の汚点と言える悪夢が、まだ繰り返されていたのか。虫も入ってこないような地下だから、此処にはゴキブリも蠅もいない。
死体はただ朽ちていくだけ。
そして、悪霊の密度が。
ただ増していくだけだ。
「時間が押しています」
「もう少し調べる」
髪を掻き上げる。
これは、告発は難しいだろう。証拠が揃ったにしても、そもそもこれをやっているのは、政府の中のどいつだ。
いや、そも政府が関与しているのか。
この駅そのものが、呪術的な防御によって、普通の手段では来る事が出来ない結界に守られている。
誰がやったか。
いや、やっているのか。
それを確定させないといけない。これは長い戦いになる。下手をすると、この国の政府ではなく。
別の国の組織かもしれない。
いずれにしても、生半可な相手では無い。部長と一緒にいたあの人物。まあ正体は知れているが。
あの人物が、慎重になるわけだ。
下手な動きを見せたら、殺される。
ゆうかを一瞥。
此奴はもうマークされていると見て良いだろう。
だから此処に送り込まれた。それも、五月蠅い蠅を潰すようにして、無造作に、である。エサに釣られたゆうかもゆうかだが。
そうかそうか。
どうやらこの事件の背後にいる黒幕は、それほど私を怒らせたいらしい。顔面を平らにするくらいじゃすまされないから覚悟してもらう。勿論全身ぐちゃぐちゃにぶっ潰して、二度と身動きできないようにした後、極刑にして死刑台に送り込んでやる。
いずれにしても、証拠は採取。
印を切って。
言葉も通じない霊達に、せめてもの敬意を払う。
それにしても、見たところ手当たり次第に人間を集めている様子だ。つまりそれだけ資金力もあれば、人材も多い組織と言う事になる。
相手が怪獣だろうが。
私には関係無いが。
資料をもう少し集めた後。
手を叩いて、全員を集めた。
小暮も警戒したまま、話を聞いている。
「此処で極めて非人道的な実験が戦前から行われていた。 戦争後、国の手から離れたようだが、しかし何者かの手によって引き継がれた。 この事実は、此処にいる全員で共有する。 だが、絶対に現時点では口外するな」
「何をするつもり」
「決まっている。 この巫山戯た真似をしている外道どもを、皆殺しにしてくれる」
勿論比喩だが。
普段私を子供扱いしているゆうかでさえ、私が本気でブチ切れている事は悟ったらしく、青ざめている。
いずれにしても、現在は力が足りない。
部長とあの「謎の人物」が、同志達と一緒に戦っているようだが。
此方でも有為な人材を増やしていく必要があるだろう。
「皆、これから同志を増やすために尽力する。 敵は恐らく、この国の一部なんて生やさしいものではない。 恐らく多国籍に渡って活動している極めて危険な組織だ。 今はこっちも下手に動かず、力を蓄える」
「……了解。 これを見ては、流石に見過ごすことはできないわね」
流石に人見だ。
話が分かる。
ゆうかも青ざめたまま頷く。
まあ此奴の場合、余計な事さえしなければ多分役に立つ。怪異吸引装置というか、怪異ホイホイとしてだが。
小暮は、周囲を警戒したまま言う。
「時間が、そろそろ……」
「ああ、行くぞ」
警部が休みを出すわけだ。
これは、正直な話。普通の警官の手には余りすぎる。私があの部署に飛ばされたときから、全ては始まっていたのかも知れない。
不意に、アラームが鳴る。
どうやら、此処に我々がいることに、何かしらが気付いたらしい。
遅すぎる位だ。
こちらとしては願ったり。
どっちにしても、後は撤退するだけである。
「小暮、殿軍は任せるぞ。 人見、ゆうかから目を離さないでおいてくれ」
「了解であります」
「さて、おいでなすったぞ」
うめき声。
墓場の向こうの扉から、凄まじい怪異の気配がする。
それは、あまりにも膨大。
恐らくは、結界内でフェイタルな事態が発生したときに、起動する防御機構と見て良いだろう。
龍脈制御用の悪霊だけではない。
防御用の怪異も準備されていた、という事だ。
勿論警部とあのなぞのじんぶつが撃退したのだろうけれど、この様子からして、予備もいた、ということか。
扉を蹴り開ける。
その向こうには。
膨大な数の、体が腐り果てた人間のような姿。
タチの悪いホラー映画か。
まあいい。
どう見ても此奴らは人間じゃあない。それならば、私は。此奴らに対して、絶対の優位をもっている。
「さーて、顔面平らにされたい奴から来い! いや、もう面倒だ。 私から行くぞ」
拳を鳴らすと。
私は、無数に群れる怪異に。
真っ正面から突貫した。
3、炎の手
人型をしていながら、殺しても良い相手。
カニバリズムの権化。
だから、ゾンビという存在は、ホラー映画でとても人気がある。何しろ殺しても何の問題も無い上に。
人間が大喜びする残虐要素がてんこ盛り。
悪役として大人気のスターとなったのには、相応の理由がある。
人間が如何に残虐な話が大好きかは、昔から伝わる民話を見れば明らかだ。残虐の権化であり、虐殺を正当化させてくれる相手。
それがゾンビなのだ。
古い時代は、それが蛮族だったり。
或いは宇宙人だったりした。
もっと古くは邪神や、悪魔の類がそうだった。
いずれも人間の理屈が通じない、野蛮で残虐な存在として描かれていたけれど。しかしながら、共通していた点が一つある。
それは、人間の想像を超えるものは存在していなかったこと。
人間の内側にある残虐性を。
ただ膨らませて書いていたこと。
ラヴクラフトのクトゥルフ神話に登場する邪神達が、やたら仰々しい設定を持っているのに、やっていることがどいつもこいつも人間の想像の範疇を超えないのは。
それは、古い時代から。
人間は、自分たちこそが最も邪悪な存在で。
結局の所、自分たちの悪い部分を集める事でしか、人間の敵を表現できなかったから、なのだろう。
私はそう昔から考えていて。
今も考えは変わっていない。
比較的緩慢な動きで迫ってくる無数の怪異。
死霊とでもいうべきか。
ある程度の物理干渉力を持っていて。
何より圧倒的な数で攻めてくるけれど。
私にとっては敵じゃあない。
拳を叩き込めば、数体がまとめて吹っ飛び。
踏み込んで掌底を叩き込み、後ろにいる数体ごと、まとめて消し飛ばす。
「せあっ!」
至近の相手に、膝蹴りを叩き込むと。
噛みついてきた相手の頭を逆に掴み。
片腕だけで振り回して、周囲の奴らごとミンチに変えた。残っていた頭は、そのまま握りつぶす。
この程度の相手なら。
数を揃えても私には勝てない。
むしろ問題は時間だ。
人見が警告してくる。残り一時間を切ったと。ひょっとすると、此処の管理をしている奴は。
私達が脱出できなくなるタイミングで、このトラップを発動したのかも知れない。
まあそれくらいは織り込み済みだ。
そんな計算。
私が真正面から、腕力でねじ伏せてやる。
人見は意外に格闘技ができる。
ただ、流石に怪異の相手は荷が重い。
だから、背後に敵が回りそうになった場合だけ警告しろと事前に言ってある。実際問題、雑魚で気を引いて、背後から奇襲という手は常套だ。
にしても少し多すぎる。面倒になって来た。
切り札にしている以外の式神をまとめて放つ。
前にでは無く、後方にだ。
これで奇襲を受けても、警戒しなくても良いだろう。
前に子分にした悪魔かっこわらいとか、ニセバートリーとかも。
天井の灯りが激しく明滅している。
力の衝突が、影響を与えているのだ。
「残り時間は」
「後四十七分!」
「ちょっとまずいな」
敵は無尽蔵に湧いてくる。
彼方此方の部屋からも、湧き出してくる。
だから片っ端から閉めながら進んでいるのだけれど、これが意外に時間をロスする。かといって、怪異の相手を他の奴にはさせられない。
一般人の目に見えるレベルの怪異だ。
正直、私には雑魚でも、小暮や人見でも、相手は厳しいだろう。
「上!」
「応っ!」
低く伏せると、回転しながら跳躍。
上から湧いてきた何か良くわからんやつを、姿もろくに見ないまま粉砕。
これぞ奥義。
名前は秘密だ。
着地と同時に、今度は地面に手を突いて、回転しながら蹴りを叩き込んで、群がってきた怪異をまとめて蹴散らす。
体力はまだまだ余裕だが。
しかし時間が面倒だ。
そろそろ大技でも行くか。
でも、そうなると。
敵が物理的手段で排除に出てきた場合、対処が難しいかも知れない。小暮は背後を良く見てくれているが。
さて、前から武装兵などの人間の敵は出てくるか。
流石にこの頭が悪そうな怪異が、敵を識別できるとは思えないし。
その可能性は低いと思いたいが。
まあいい。
腰だめすると、全身の気を練り上げる。
物理破壊力はないが。
怪異に対しては、悪夢としか言いようが無い火力を発揮できる。式神どもに下がるよう指示。
ニセバートリーが、ひえっと声を上げた。
「何よあんた、飛び道具まで出せるの!?」
「基本中の基本だ」
ちょっち疲れるが。
相手の数が数だ。
一気にこれで減らす。
息を吐くと同時に踏み込み、裂帛の気合いとともに、両手を前に突き出す。真言を放つと同時に、それを波動状にして、気に混ぜ込み、放出するのだ。
ぼんと。
いい音を立てて、前にいた怪異が全部破裂した。
廊下にいた連中が、まとめて消し飛んだのは、私としても気分が良い。凄いわねと、人見が褒めてくれた。
ゆうかはずっと黙りっぱなし。
前に怪異関連で酷い目に会ったときの事が、脳裏をよぎっているのか、それとも。
あまりにもやばすぎる案件に首を突っ込んだのを察しているからか。
それは分からない。
いずれにしても、敵の一掃には成功。
流石にちょっと疲れたが、まだ三十発は同じのを撃てる。
ふふんと自慢したい所だが。
まだ事態は解決していない。
廊下にいた奴らはあらかた片付けたが、それは逆に言えば。怪異以外が出てくる事を想定しなければならない事も意味している。
走れ。
叫ぶと、廊下を走る。
部屋は片っ端から閉めていく。
増援は湧いてこないけれど。
さて、どうなるか。
「残り三十分!」
人見が言う。
此処を守っていた奴が、この程度で諦めるとは思えない。アサルトライフルで武装した兵士の小隊でも送り込まれると面倒だ。流石に在日米軍が出てくるとは思えないが、敵が自衛隊の一部隊くらいは掌握していてもおかしくない。
こっちの専門は怪異。
武装は拳銃くらいしか無い。
小暮でも、アサルトライフルで武装した特殊部隊が相手だと分が悪すぎる。そういう戦力も、いずれ養成したいところだが。
まだ今は先の話だ。
廊下を駆け抜ける。
一気に抜けて、そして駅に。
周囲を見回す。電車はいない。いたとしても、外に出してくれるとは思えない。
あの爆薬の量からして、この研究所は消し飛ぶ。更に言えば、あれは爆弾解体班でも解除はできないだろう。
当然、此処は安全圏ではない。
残る回答は。
線路を走って、抜けるしかない。
「少し走るぞ。 まだいけるか」
「大丈夫であります!」
「大丈夫よ」
「……」
ゆうかは無言で手を上げる。
さて、此処から全力疾走で、あの爆弾の破壊範囲から逃れられるか。それよりも、だ。もうこの世のものとは思えないあの電車に遭遇した場合、どうなるか。
結界を破壊するのは。
だめだ。爆破の影響が、思いっきり東京の地下に出る。爆破が完了してから、結界を破壊しなければいけない。
順番を間違えると大惨事になる。
「できるだけ壁際を、一列になって走る。 あの電車が来た場合、壁際の隙間に逃げ込め」
「そんな、無茶な」
「承知でやるしかない。 もう時間も少ない」
線路に飛び降りると、叫ぶ。
GO。
ちょっともたついているゆうかを急かして、人見が降りる。流石に身軽だ。小暮はひょいと飛び降りて。
地面についたとき。
ちょっとした地響きがした。
ホームを横目に、走る。
無数の人影が、ぞろぞろと、奧から出てくる。それらは皆恨みがましい目をして、此方を見つめている。
老若男女、様々な姿。
日本人だけではない。
中には、戦時中、捕虜になった米兵も。
どういうルートで此処に連れられてきたか分からないような、何処かの密林の原住民族も。
あらゆる格好の人間がいた。
悔しかっただろう。
苦しかっただろう。
だが、それももう終わりだ。
走りながら、結界の性質を解析する。
この施設を破壊した後、誰かが迷い込むと大変だからだ。出次第破壊する。というか、犬童警部が破壊する準備をしているはずだが。万が一の事もある。解析を進めるが、中々凝った結界だ。
この東京には、江戸時代から、強固な結界が張られているが。
その一部が、此処にも作用している。
それをこんな風に悪用して。
文字通り先祖に祟られて、滅びれば良いのに。恥知らずな連中である。
後方、やはり予想通りの事態。
電車が来る音。
もうあまり時間がないというのに。
皆を急かして、通路の脇のくぼみに飛び込む。ゆうかが少し遅れていたが、小暮がひっ抱えると、急いでくぼみに放り込み、自分も無理矢理体をねじ込んだ。
ごっと。
もの凄い音をして、電車が通り過ぎていく。
誰も乗っていないはずの電車なのに。
その中からは、無数の気配があって。
此方を憎悪を込めてにらんでいるかのようだった。
「やれやれ、とんだ休日だな」
「流石に連日こんな事ばかりではないでしょう。 明日は地下でゆっくりすると良いのであります」
「お前も少し怠け癖がついてきたか?」
「警官が暇なのは良いことなのであります」
まあ、確かにその通り。というか、私がいつも言っている事だ。
小暮にそれを言われるとは思わなかった。
苦笑い。
そして、通り過ぎた電車を追うようにして、走る。流石に何本も何本もは来ないだろう。見ると、線路は二本。
もう一本は、恐らく向かいから来る。
だが、さっきのがバックしてくる可能性もあるし。
あまり楽観視はできなかった。
走る。
結界が弱まってきた。
これは、そろそろ抜けるか。
だが、ゆうかが限界だ。人見も、流石にそろそろ疲れてきたか。小暮にハンドサイン。いざという時は、二人を抱えて走れ。
私は、まだいける。
鍛え方が違うからだ。
線路の前の方。
また、無数の人型の怪異。
死霊というか、ゾンビというか、そういうのがたくさん。いや、違う。恐らくは、あの電車そのものが。
悪霊の集積体。
順序に則って儀式を行うことで。
電車に乗っている人間を。
悪霊の群れの中に移動させ。
そのまま、研究施設に運び込んで処理する。そういう仕掛け、というわけなのだろう。
呻きながら、襲いかかってくる大量の人影。今度は後ろからも来る。面倒だ。流石にここまで来て出し惜しみもしていられないだろう。
「まずは、前から!」
先ほど、通路で敵を一掃した、遠距離による波動真言砲を、前方の敵に叩き込む。文字通り蒸発する怪異の群れ。
そして振り向き様に、後方へ。
此方も一瞬で蒸発させる。
まだまだ。
敵が途切れた隙に、また走る。
そろそろ、残り時間がない。
人見が叫ぶ。
「後七分!」
「ちいとばかりまずいな」
今の足止めも、私の体力消耗を測るための行為に違いない。式神の一人が警告してくる。慌てて足止め。
人見が足を止めると、綺麗な構えを取って、側の石を放った。
投石は昔軍事技術にもなっていたほどで、距離次第で、普通の人間なら瞬殺出来る。そこそこ頑丈な機械だって壊せる。
私に狙いを定めていた自動銃座が、沈黙する。
正確な狙いだ。
あれは、アサルトライフルと組み合わせたブービートラップだ。まともに喰らっていたら、怪異専門の私では即死だっただろう。いや、他のメンバーも、一気に全滅していた可能性もある。
ぐっじょぶである。
「助かったぞ、人見」
「そろそろかしら?」
「ん? ああ、そうだな」
「ならば抜けてからよ」
ふとゆうかを見ると。
熱心に何かをメモり続けている。そうか、写真がだめならメモというわけだ。商魂たくましいというか、プロ根性というか。
まあ何というか。
転んでもただでは起きない奴だ。
見えてきた。
光だ。
恐らく彼処が一番危ない。出るときに気を付けろ。
私は叫ぶと。
真っ先に、結界を飛び出した。
ずんと、凄い音がした。
最後に小暮が飛び出してきた瞬間だ。
其処は、地下鉄Y駅の端。しかも線路。急いでホームに上がる。全員煤だらけで。怪訝そうに周囲の人間達が此方を見ていた。
結界を出たのだ。
だが。ああもう。
お気に入りのシャツが。
これは限定グッズだったのに。今では入手不可能な品だ。
勿論敵に傷なんてつけさせていない。だけれど、これは限定グッズだけあって、デリケートなのだ。
他にも私物にはデリケートな扱いを要するものが多い。
私のマンションに時々来て、家事をしていく人間達が、そろって文句を言うのである。掃除洗濯が大変だと。
これは、文句があるなら言って良いと告げてあるからで。
正直この程度の諌言を聞けないようでは、名家の取り回し何て出来る訳が無い。だから私は、説教は正直に受けるようにしている。
後ろの様子を見る限り、結界も崩壊したらしい。
やはり、犬童警部が、事前に仕掛けをしていたか。
間に合わなかった場合は、どうなっていたか、あまり考えたくない。あの人は見かけのほほんとしているおおさかのおばちゃんだが。恐らく相当にシビアな世界を生き抜いてきた生粋の戦士だ。
死ぬときは死ぬ。
生粋の戦士は、そう考える。
いざという時は、覚悟も決めているし。驚くほど冷酷にもなる。警察に勤めているが、多分実際には軍人の方にこそ適正があるはずだ。
助ける気も、なかっただろう。
へたり込んでしまうゆうか。
電車が来る。
ちょっと遅れていたら、事故になるところだった。だが、運転手を始め、誰もそれに気付いていない。
それで良かったのだ。
まだ時間が三時前だから、という事もあるだろう。
客はガラガラ。
私は皆を促すと。
あまり長いとは言えないベンチの方へ、ふらふらの皆と一緒に移動した。
「天下無敵の貴方も、流石に疲れたかしら」
「察しろ」
人見の言葉に、私も流石にげんなりして応えた。
怪異の撃滅程度では疲れないが。
途中、いちいち仕掛けられている人為的トラップが、体力を著しく奪った。リュックは戦利品としてきちんと持ち帰ってきている。これはいずれ奴らをぶちのめす際に、大きな武器になる。
法廷には、引きずり出せないかも知れない。
だがその時は。
闇に紛れて消すだけだ。
私は警官だ。
犯罪を防ぎ。
犯罪者を逮捕するのが仕事。
だが、もしもそいつが、法を完全に蹂躙できる権力と。裁判を自在にできるコネクションと財力。
そして裁判関係者に好き放題できる力を持っていたら。
それは全盛期のアルカポネと同じ。
推定無罪という言葉の最悪の部分を利用して。
邪悪の限りを尽くした男を野放しにするのと同じだ。
あらゆる手段を用いて、叩き潰さなければならない。弱き人々を、守るためにも、である。
勿論、できればそれは最終手段中の最終手段にしたいが。
あれだけのことをやらかす奴らだ。
どちらにしても、極刑にする以外の路は無い。
必ず死という形で。
己の愚行を後悔させてやる。
それだけだ。
「これで、終わりなのでしょうか」
「いや、これだけの規模の施設だ。 せいぜい一角を潰したに過ぎないだろうよ。 勿論施設破壊の主犯格は我々よりも犬童警部と、あの仮面の男。 敵組織が存在するとして、警戒するのはむしろそっちの方だろうが……」
先に皆で誓ったとおり。
今後は、奴らを潰すために。
人材を募っていかなければならない。
私も、本家の力を使って。
分家の人間から、使えそうな奴を少しでも見繕っていく必要がある。同時に、警官としての地位も上げていく必要があるだろう。
警察の昇進試験なんて、私にとっては難しいものではない。
いずれにしても、敵の力をそぎながら。
私の力を増す。
そうすることで、最終的な戦いに備え。
この国に巣くっているドブネズミを、白日の下に引きずり出すのだ。
「先輩、少し食べてから今日は解散しては」
「……近所に良い店でもあるのか」
「はい。 安くて美味しくて、ボリュームも満点なのであります」
「そうか、それは心強いな」
実際、疲れ果てている状態だ。
食道楽の小暮が紹介してくれる店なら、安心できる。当面は敵も混乱していて、身動きどころでは無いだろう。
駅を出る。
やはり暑い。
あの地獄を戦い抜いた後だから、流石にへとへとだ。
小暮が紹介してくれた店は、煉瓦造りのシックな造りだ。ちょっとした大型店で、雑居ビルの二階にある。ちなみに一階は大型薬局チェーンだった。
冷房が効いた店に入ると。
少しは落ち着いた。
狙撃を避けるためか。
人見がカーテンを閉める。
神経過敏になっているようだけれど。流石にこのくらいは、しておくべきかも知れない。
ゆうかがデジカメを確認。
案の定、ロクに写っていない様子だった。
それはそうだろう。
その代わり、手帳をつけ始める。
見たものを、メモしていくのだろう。
霊感のない此奴にも見えるレベルの怪異が荒れ狂っていたのだ。それがどれだけ危険かは、言うまでもない。
「そのメモ、扱いには気を付けろ」
「それくらい分かってます」
「多分お前、もう目をつけられてるぞ」
びくりと、ゆうかは身を震わせた。
小暮が嘆息。
分かっていなかったのかと、若干あきれ顔でゆうかを見た。
ゆうかは強烈な運の持ち主だ。
今まで十指に余る死の危険に遭遇しながら、生き延びてきた。だが、それにも限界がある。
人間の運の総量には上限があって。
どんなに運が良い奴だって。
死ぬときは死ぬのだ。
「メモを大事にとっておくのは良いが、内容をネットにアップしたりしたら、確実に消されるぞ。 しかるべき時まで取っておけ」
「……分かったよ、もう」
「あと、兄者には報告しておけ。 兄者は身を守れる程度の戦闘力をきちんと有しているし、力になってくれるはずだ」
此奴が義姉になることだけはいやだが。
見殺しにしたら、それこそ兄者に示しがつかない。
だからこういうアドバイスもしないといけないのが辛いところだ。
後は、幾つか話をしていく。
人見は腕組みをしたまま、ずっと考え込んでいた。
程なく料理が来る。
激しく運動したからだろう。
小暮が言うように。
量も味も、申し分なく感じた。
4、後始末
SATだけではない。
精鋭で知られる自衛隊第一空挺団の中にも、同志はいる。
犬童が手を出すまでも無い。
奴らが繰り出してきたアサルトライフルで武装した小隊は。制圧された施設を奪還しようと突入してきたところを待ち伏せされ。
圧倒的な実力の差で、なぎ倒された。
文字通り、赤子の手を捻るがごとし。
敵も訓練を受けた兵隊だったのだけれど、こっちは特殊部隊の精鋭だ。戦力と装備が違う。
何より、敵の予想より此方の展開が遙かに早い。
戦い慣れの度合いでは、此方は米軍の海兵隊最精鋭にも負けていないのだ。そういう面子が、犬童の周囲には集っている。
逆に言うと。
それくらいでないと、今まで戦っては来られなかった。
戦闘はすぐにけりがつき、敵は一人も逃げられず全滅。顔を確認後、すぐに処置に入る。
死体の処理は部下に任せてしまう。
それにしても、だ。
犬童は舌打ち。
ひよっこ共はきちんと脱出できたとは言え。
敵側も、今回は本気だ。これだけの戦力をつぎ込んできたことからも明らかである。死体の様子を見る限り、外国人を中心とした民間軍事会社の連中だ。それに奴らが武器を供与したのだろう。
プロを投入してきたのである。
何しろ、龍脈操作システムは、完成に近づいていた。ノウハウを輸出し、中東辺りで実験する予定だったともきいている。
勿論大量虐殺をするつもりだったのだろう。
命など何とも考えていない。
龍脈を操作したりしたら。
それこそ、一国が丸ごと砂塵の下に消え去るのだ。
紛争地域の国が、さぞや大金を出すだろう。核をも超える火力の上に。使ったことがばれないのだから。
もし完成していたら、とんでもないビジネスが成立していたはずで。
奴らが激高するのも当然である。
だから、逆に手札を晒した今が好機。可能な限り、徹底的に叩き潰す。
今回、龍脈兵器を担当していた敵部署は、全滅させる。
法が及ぶ相手では無いし。
証拠も引っ張り出しようがない。
ひよっこ共はどうにか脱出したから、それはそれでいいが。
いずれにしても、今回のケースの場合、関与している敵は消すしかないだろう。消すというのは、文字通りの意味。
今犬童がいるのは、そういう場所なのだ。
道明寺が来た。
血だらけの周囲を見て、ひゅうと口笛一つ。
「派手にやるねえ」
「悪いがうちの専門外でね。 派手にやるほかない」
「まあ、それもそうか」
煙草を吹かす道明寺。
伝言があると言う。
「連中の支部で、戦闘開始。 旦那も加わってるが、かなり強力な怪異が複数番犬として繰り出されてきている。 支援請う、だってよ」
「わかった。 すぐいく」
「頼むぜ」
道明寺が、すっと消える。
此奴の穏行は、それこそいにしえの忍者そのものだ。自衛隊の秘密暗殺部隊で一線を張っていただけのことはある。
スパイ天国と言われていた時代。
道明寺が消したスパイの数は、軽く三桁に達するという話だが。
それも頷ける実力だ。
変装も非常に上手で、何より特徴のない容姿で印象に残りにくい。単純な戦闘力だけではなく、あらゆる全てがプロのそれなのだ。道明寺という名前も偽名。本名は知っているが、敢えて口にするまでもない。
急いで、言われた場所に行く。
金網で囲まれた、古い国の施設。
内部では戦闘音がしているが。
まだ決着はついていないはずだ。
味方の精鋭でも手こずるレベルの怪異か。近代兵器だけでは無く、武装には対霊防護も施してある筈なのだが。
余程の奴を繰り出してきていると見て良いだろう。
いずれにしても、皆殺しだ。
これだけの事をしようとした奴らである。
手心を加えれば。
皆殺しにされるのは此方だ。
人を遠ざける結界はまだ機能している。
犬童は、躊躇無く。
鉛玉が飛び交う死地へと、踏み込んでいく。
戦闘が終了したのは。
施設爆破の六時間後。
敵は皆殺し。戦闘員も研究員も関係無い。あの非人道的な実験をしていた連中だ。情けも容赦も必要ない。
生きていた敵も少しはいたけれど。それらは全部洗脳して情報を吐かせた後、撃ち殺した。
どのみち法でどうにかできる相手では無い。
此奴らは文字通り、世界の癌。
生きているだけで世界に害を為す、存在するべきでは無い者達だ。
「敵の組織、沈黙を確認」
「味方損害は」
「軽微です」
「奇襲が功を奏したな」
今回は完勝だなと、仮面をつけたまま奴が言う。
まったく、そんな仮面をつけていても。あのひよっこにはバレバレだっただろうに。まあ犬童には関係無いことだが。
「それで。 この支部潰したところで、まだまだ敵の力は計り知れんで?」
「一つずつ潰して行くだけだ。 それにこのビジネスが潰れたことで、少なくとも小国の国家予算規模のダメージを敵に与えた。 敵の人材もかなり削ってやったし、今回の勝利は小さくない」
「……そうやな」
既に仁義なきつぶし合いを始めてから、何年が経過しているだろう。
少なくとも、もう十年以上。外を歩くとき、警戒するのを止められない。
怪異を兵器化する。
誰が考えたのか知らないが。そのせいで、どれだけの人間が、闇に消えていったことだろう。
犬童だってそうだ。
家族を失い。
復讐を誓い。
体も滅茶苦茶になり。
それでも修羅となって戦い続けているのは。
奴らを許すことができないから。
怪異を操作して、兵器利用を目論む連中。奴らはそれこそ、民間人を実験台にすることを何とも思ってさえいない。
まだ危険度が低い仕事をひよっこたちに廻して解決させているが。
彼奴らが成長したら。
今後は連携して動いていくことになる。
どのみち、まだ味方の戦力の方が小さいのだ。それだけは、敵の規模が完全には分からない現状でもはっきりしている。ただし質は此方の方が上。相手には人材が少なく、その代わり資金が潤沢だ。
どこから金が出ているかは知らないが、敵の装備を見る限り、この国だけではないだろう。
奴らを完全に叩き潰すまで。
戦いは、一切油断ができない。
死体の処理を始める。
怪異の片付けも。
使えそうなら式神にしてしまうのだけれど。今回の怪異は、流石に元が元だけあって、そんな気にもなれなかった。
ゲス共が。
吐き捨てるほかない。
研究資料は全て押収。
それにしても、やはりか。
直接関与しているのは、政府の官僚だけではない。
海外の勢力もだ。
海外にも、此奴らとやりあっている集団がいる。いずれ連携していきたいと盟主であるリーダーは言っているが。
犬童としては。
厄介ごとがこれ以上増えるのはごめんだ。
ネゴにしても連携にしても、慣れない相手とやると、却って傷を増やしやすいのである。それは今までの戦いで、嫌と言うほど思い知らされてきた。
死体を全て片付けてしまった後。
建物そのものを、プラスチック爆弾で徹底的に処理。
文字通り、塵も残さず完全に消し飛ばす。
廃ビルに偽装した研究所は。
中にあったものが全て持ち出された上で。全て消滅。この世から痕跡さえ残さず、消え失せた。
これで一段落だ。
「此処までだな。 一旦戦闘にはけりがついた。 後は私がやっておく。 君は戻って休みたまえ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
ひよっこ共も全員撤退に成功したし。
何より体が限界だ。これ以上無理をすると、内臓に来ているガタが洒落にならなくなる。
犬童が追っている最悪の怪異兵器は、まだ東京を跋扈している。犬童の家族を奪い、このような体にした相手。
奴はいつ現れてもおかしくない。
いにしえの伝説に出てくる怪異とまったく遜色ない力を持つ、文字通り神の領域に達した怪異だ。
いつでも戦えるように。
もうぼろぼろの体を。
少しでも調整しておかなければならないのだ。
幾つかある家の一つに。
さっさと休むとする、
本庁は、明日出たらどうなっているだろう。今回の件で、二人ほどキャリアが失踪するだろうが。
それでも、表に情報は出ないだろう。
敵方は、反撃より先に、今回奪われた龍脈操作兵器をどうにかして隠蔽しようとして動くはず。
其処に更に追撃を叩き込む。
遠慮はいらない。
途上国から奴隷を買ってきたり。行き場のないホームレスを使って。外道な実験を繰り返すような連中だ。
自分たちがしてきた事を。
そのまま思い知らせるだけである。
小気味よい。
鼻を鳴らすと、もう寝ることにする。
実際に競馬なんてもう随分行っていないけれど。
明日は競馬新聞でも見て、楽しむとしよう。
そう犬童は思った。
5、懲りない奴
本庁に出ると。
ちょっとした騒ぎになっていた。
昨日から、出仕していないキャリアが二人いるというのである。それも、どちらも警視以上の人間だ。
ああ、あの事件に関与していたな。
そう私は思ったけれど。
敢えて何も言わずに、地下へ。
消されたか高飛びしたかはどうでもいい。いずれにしても、もう表舞台に戻っては来られないだろう。
死んでいた方が個人的には嬉しい。
あの施設で行われていた邪悪な研究に関与していたのだとしたら。
死刑でさえ生ぬるいからである。
不愉快なので、気分転換することにする。
せっかく買っておいた掃除道具を使って。埃っぽい部屋を、端から掃除していった。私はいわゆるお嬢だけれど。庶民が出来る事をできなくて偉そうにできるかと、散々色々な事を仕込まれている。
掃除だって普通にできるぞ。
「先輩、自分も」
「じゃあ、あの辺りを頼む」
「はい」
小暮と手分けして掃除する。
犬童警部は、相変わらず競馬新聞とにらめっこ。
見た感じ、相当に消耗している。
あの後、まだ戦いがあったのだろう。それはそうだ。あの規模の施設を潰したのだから。敵の反撃も相応だったに違いない。
あくびをしているのも仕方が無い。小暮も何となく、警部の疲弊を悟っているのだろう。何も言わなかった。
「此方は片付きました」
「手際が良いな」
「これでも一人暮らしをしておりますので」
「そうかそうか」
一人暮らしをすればしっかりする。
そんな都市伝説もあったか。
結婚すればしっかりする。
そんな都市伝説もある。
はっきり言って、私は分家の人間を多く見てきたが、結婚しようが一人暮らししようが、カスはカスだし。
実家で暮らしていても、しっかりしている奴はしっかりしている。
分家の人間は別に金持ちでは無いし。
これでも私はそれなりに人間を見てきているのだ。
いずれにしても、今は勢力を伸ばさなければならない。
何年かすれば、私が子分にしていた連中が警察に入ってくる。そいつらを順々に部下に入れて、勢力を大きくして。
そして、あの巫山戯た真似をしていた奴らをぶっ潰す。
数年がかりの計画になるが。
いずれにしても、絶対に成し遂げなければならないだろう。
今まで遭遇していた怪異がらみの事件や。
それに、キングファイルに収められていた、今まで起きた怪異がらみの事件。
どれだけの人間を犠牲にして、怪異を金に換えてきた連中なのか分からない。この国は平和だが。
その裏には。
確実に、膿が溜まっていると言える。
「此方も片付いた」
「其処のキングファイル、一度整理したい所ですね」
「奧のスペースに、コンテナを持ち込むか。 折りたたみができる奴が今は主流になっている。 電子化してデータは格納してあるから、かさばるキングファイルは外して、書類だけを格納しておく手もある」
「いずれ着手しましょう」
それよりも、奧のかなり広い部分に、私としてはサーバルームを作っておきたい。まあ本格的なのを作ると冷房なり何なりで相当にお金が掛かってしまうので、DBサーバをちょっと組むくらい。
スタンドアロン化したサーバにデータを収めれば、セキュリティはぐっと上がる。
今のデータも勿論バックアップを取ってあるが。
それはそうとして、他にも予防策を採っておきたいのである。
ただでさえこの国の警察は、まだまだネット犯罪に関しては弱い部分がある。勿論、大きな成果を上げた事件もあるにはあるが。
それでも世界的なハッカー集団を相手にするには厳しい。
「掃除も終わったら、パトロールにでも行ってきい」
「分かりました。 小暮、行くぞ」
「はい。 先輩」
いい加減、犬童警部も煩わしいと思ったのだろう。
周囲で掃除をされていると。
休めるものも休めない。
それは分かる。
私も、今住んでいるマンションで、似たような経験がある。世話をした奴の一人に、五月蠅いのがいるのだ。
そいつがたまにマンションに来ては、掃除していくのだけれど。前はお姉ちゃんお姉ちゃんと可愛かったのに。今はすっかり堅物の女委員長キャラと化し、掃除の何処ができていないとか、面倒でならない。
ちなみに子分達の動向は把握しているが、警官になりたがっている者はそれなりにいて、そいつはその一人。
何年か後に、必ずしもキャリアではないにしても、五月蠅い後輩として入ってくるだろう。
外に出る。
パトロールだが、自分の車で見回ることにする。
パトカーでパトロールする事もあるが、あれは申請やら何やらが必要だし、専門のメンバーがシフトでやるものなのだ。うちの部署は、そういうことも無い。その気になれば、ずっと昼寝していても咎められないだろう。
佐々木警視が怒るわけだが。
まあ私は、今の部署に入ってから、怠けた覚えはない。
軽く、周囲をパトロール。
昔はチーマーやらカラーギャングやらが幅をきかせていたが、海外の犯罪勢力が増えてきてからは、それらは減り。逆により組織化悪質化した。いわゆる半グレという連中がそれである。此奴らはヤクザの下部組織そのもので、実際に不良少年とは格が違う悪事を働く。残虐性も生半可ではなく、それ故に犯罪組織にも顔が利き、稼いでいる奴もいるようだ。一部の芸能事務所は、これら半グレとつながっているという噂が絶えない。
そういう連中が屯している地域を見て回る。
小暮が睨みを利かせると、そそくさと隠れていく柄が悪い連中。
流石に分かるのだろう。
小暮の体格と戦闘力を前にしては、束になってもかなわないと。
「ん」
電話がなる。
ゆうかからだった。
昨日の今日だ。流石に少し心配である。人見がしっかり守ってくれたはずだが、あの面子の中でゆうかだけが戦闘力を有していなかったのだ。
「どうした。 昨日怪我でもしていたか」
「いや、違うの。 ちょっとお礼を、と思って」
「別に構わん。 市民の安全を守るのが警官の仕事だ」
殊勝で気味が悪い。
何か目論んでいるのでは無いかと思ったが、それは当たっていた。
「実はね、また面白い都市伝説を見つけたの」
「オイ」
思わず大きな声を出してしまう。
側で、小暮が慌てていた。
まあそれはそうだろう。
私が本気で不機嫌になったのを察したのだろうから。
ゆうかが懲りないのは分かっている。あの人間核弾頭が、ちょっとやそっとで変わるはずがない。
「だからお礼だってば。 先に知らせておこうと思ったの」
「で、あわよくば取材をと?」
「其処はギブアンドテイクで」
「……」
頭が痛くなってくる。
そして、ゆうかは。
都市伝説について、話し始めたのだ。
それは、友達の友達から聞いた話で、という決まり文句で。
小暮は呆れているようだったけれど。まあ実際にゆうかが暴走しなければ、被害は最小限に抑えられるだろう。
「概要について分かったが、私が調べるまで其方で勝手に動くなよ」
「はいはい、分かってます」
まあ、どうせ言う事はあんまり聞かないだろうが。此奴が持ってくる情報が確かなのは事実だ。
話を聞いて、メモをしておく。
今回も、人死にが出る前に片をつける。
怪異は。
今もこの国の裏で。
獲物を求めて動き回っているのだから。
(続)
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