鬼の来る日
序、その光る目
どうしても、今の世の中でも昔の世の中でも。
児童虐待だけはなくならない。
人間だけではない。ネグレクトはストレスが多い環境では、他の動物も行う。ほ乳類の中では、珍しいケースではないのだ。
ネグレクトだけではなく、積極的な虐待につながるケースも多い。
私はそれを分かっていたつもりだったけれど。
自身が虐待を受けたわけではないから。
どうしても、理解できていなかったのかも知れない。
それをこの事件で。
私は思い知らされることになった。
そして、それがどんな悲劇をもたらすかも。
いずれにしても、許してはいけない。
警官である以上。
担当部署が違おうとも。
見たら許されることでは無い。対応しなければならない。できないのなら、できる人間に連絡しなければならない。
どうにか間に合ったけれど。
私はそれを誓った。
二度とこのような悲劇。
引き起こしてはならないのだとも。
警視庁、本庁地下。
存在しないはずの部署に所属している私風祭純は、あくびを一つしていた。警官が暇なのは良いことだ。
此処に赴任してからしばらくして。
仕事が一段落したのだ。
キングファイルの片付けは一通り終わり。
データの電子化も完了。
キングファイルは、奥の方に積み上げておいて。既に邪魔だった書類の圧縮も完了した。
様々な未解決事件が載せられていて。
私は電子化しながら、それらに目を通していたが。
その中には。
私が関わって。
実質的には解決しているけれど。
色々な理由で、未解決とされたものもあったのだった。
「だからそんなに張り切るないうたろ」
そういうのは、部長の犬童。
私はあくびを一つすると。
確かにそうだったかも知れないと思った。
最もおおさかのおばちゃん丸出しの犬童は。実際には張り切ろうにもできない体なのだと、私は知っている。
少しばかり状況は違うとも言えるが。
「仕方が無い。 掃除でもするか」
「掃除でありますか」
「そうだ」
部下の小暮が少し呆れた顔で言う。
警官がする仕事では無いけれど。
ただ、此処は公式には存在しない部署だ。掃除をする業者も入ってこない。元々警察では、機密保護のため、専門の業者を用いて掃除をさせているが。
此処はそれさえも来ない。
仕方が無いので、私が掃除道具を買いに行く。
まあ自腹だけれど。
これくらいは別に良いだろう。
外に出ると、昔の上司である、捜査一課の佐々木警視と、ホールでばったり会う。
普通たたき上げの警官は、良くて警部までの出世と相場が決まっているのだけれど。この人は、たたき上げでありながら、捜査一課で警視にまで出世した例外だ。実力も高く。それが故に、キャリアの上、妙な噂のある私を毛嫌いしていた。
見た目、本当に刑事という仕事に、人生を捧げてきた重厚な人物で。
ちんまくて、中学生か何かにしか見えない私とはそういう意味でも対照的な人物である。ちなみに向こうは私を嫌い抜いているが。
私はこういう仕事に一途な人間を嫌っていない。
なお、仕事上で私がミスをしたことが無いことも。
この人が、私を嫌い抜いている理由の一つらしかった。
ようするに、人間らしくない、というのである。
まあ実際、私は式神を使ってちょっとズルをしていたので、ミスがなかっただけなのだけれど。
その辺りは喋っても仕方が無いので黙っておく。
「貴様か」
「お久しぶりです、警視」
「ふん、キャリア様が地下に左遷されてさぞや腐ってるかと思ったが、随分と元気そうじゃないか」
「おかげさまで」
この人のキャリア嫌いは筋金入りだ。
まあ分からないでもない。
こういうたたき上げにとって、無能な上に事件捜査に横やりを入れてくるキャリアは害悪以外の何者でもないだろうし。
何より、そういったキャリアの縄張り争いによって初動が遅れ、未解決になった事件は珍しくない。
日本の警察は世界的な水準でもかなり優秀なのに。
その明確な足枷となっているのがキャリアだ。
これに関しては、同じキャリア組の無能ぶりを何度となく見ている私からしても、ちょっとごめんとしか言えない。
この人がキャリアを嫌うのも。
ある意味当然と言えた。
「それで何だ」
「少し時間が出来たので、備品の補充と、パトロールに」
「ふん、精々気を付けるんだな」
「ええ」
それは分かっている。
実際問題、私もライフルで狙撃されれば死ぬ。まだ怪異を使って好き勝手している連中に、殺されるほど目をつけられているとは思っていないけれど。
それでも用心は必要だ。
ちなみに、佐々木警視が敵側だとは思っていない。
こんな人物が、腐敗に荷担する可能性は極めて低い。
何より、佐々木に取り憑いている奴が、それを許さないだろう。
たたき上げで警視にまで上り詰めたのは偶然じゃあない。
私にはそれが見えるのだ。
一礼すると、外に出る。
佐々木は最後まで不機嫌そうだった。
やはり気温差が凄まじく、思わずうんざりしてしまう。
ふと、気付くと。
ホームセンターへの途上。
此方に歩いて来る、胡散臭い男を見つけた。
年齢は文字通り不詳。
若いようなそうでないような。
何というか。
得体が知れない相手だ。
不気味というのではないのだけれど。どういうわけだか、妙な圧を感じるのである。それも、あまり私にとっても、好ましくない。
「やあどーもどーも」
「……」
「ああ、警戒しなくて大丈夫ですよ。 同業者ですし」
手帳を見せてくる。
それには、道明寺と描かれていた。
小暮の同期だという。
小暮の名前を出してきたからと言って、油断する訳にはいかないが。まあ話を聞くくらいなら良いだろう。
ただでさえ蒸し暑い状況だ。
手早く済ませて欲しい所だが。
このアスファルトの照り返し。
アフリカから来た人間が、こっちの方が暑いと断言するほどの過酷な環境なのである。私は体が頑丈な方だけれど。
それでも、熱中症は警戒しなければならない状況だ。
「小暮は元気にしています?」
「ええ、体力も有り余っているようです」
「そりゃあそうでしょう。 彼奴の武芸の強さは有名でしたし、体の頑丈さも、それでいながらの肝の小ささもね」
「それだけなら、これで」
まあ待ってくださいよ。
そう道明寺と名乗った男は言う。
軽薄な口調だし。
何より雰囲気がチャラ男のそれだが。
何だろう。
私は此奴に、本能的なレベルでの警戒を余儀なくされていた。此奴、恐らく。見かけと裏腹に、相当にできる。
ひょっとすると、今私が周囲に護衛として侍らせている式神も、見えているのかも知れない。
見えないふりをしているだけで。
「近々大きめの事件が起きますよ。 貴方でないと解決できない」
「小暮の知り合いと先は言っていましたが、私の事をどうしてご存じで」
「そりゃあ、小暮から聞いていますからねえ。 尊敬できる、不思議な力を持つ先輩ができたって」
「……」
嘘だな。
小暮には、私が妙な力を持っていることは黙っているようにと、念押ししている。それも何度も。
彼奴は蚤の心臓だが。
それでも口の堅さは確かだ。
恐らく此奴は嘘を。
気付く。
いつの間にか、道明寺とやらはいなくなっていた。いつの間に。物理的に消えたわけではないだろう。
一瞬の思考の隙を突いて。
私の視界からも。
気配探知の範囲からも。
逃れたのだ。
ただものではない。いずれにしても、生半可な相手では無いだろう。今の忠告も、何か意味があると見た方が良さそうだ。
いずれにしても。
近くのホームセンターで、必要な道具一式を買って帰る。
大した出費では無いから、別にどうでも良い。
急ぎ足で戻ると。
小暮が、困惑した様子で、私を呼んでいるのが見えた。
「先輩!」
「どうやら掃除どころではなくなったな」
「はい。 これを」
掃除用具を片付ける。
此処には、少し古いコピー機があるのだが。これは複合型で、ファックスを送ることも受け取ることもできる。
そのコピー機から。
妙ちくりんな代物が吐き出されていた。
鬼。
そうとだけ大書きされた紙である。
一枚だけ。
ただし、妙な部分がある。
鬼の、ノの部分が欠けているのである。
かなりの達筆だが、こんな文字は見たことが無い。呪術の一種に、相手の名前をわざといじる事によって呪いを掛ける、と言う代物があるが。此処には鬼なんて名前を持つ人間はいない。
私の事を指しているとしたら、呪術としては機能しない。
こういった呪術は大変にデリケートで。
本人の名前を的確に示さないと。
使役する式神にしても式鬼にしても、相手を発見できず。結果として、攻撃することもできないからだ。
部長は。
いない。
そういえば、あの人も名前に鬼の字はない。
小暮はいうまでもない。
となると、呪術的な攻撃ではないと言う事だ。
かといって、何かの間違いで、こんな代物を送ってくるとはとても思えない。誰かが、何かの意図を持って。
これを送ってきた、という事だ。
「不気味でありますな、先輩」
小暮が青ざめている。
私は小さく嘆息する。
こんな紙切れに怯えていてどうする
此奴ほどの武勇があれば、生半可な相手はどうにでもなる。霊的な存在には無力であっても。大体の敵には遅れなど取らない。
それなのに、どうして心臓だけは貧弱なのか。
FAXで送られてきたその紙を良く確認する。
どうやら筆で書かれているらしく。
何かしらの呪術は籠もっていないようだが。その一方で。事件について何か知らせたいという強い意思が感じられた。
つまりマイナスのものではない。
プラスのものだ。
誰かが、助けて欲しいと言っているのかも知れない。それも、鬼に関する何かで、である。
しかし、鬼と言うのは。
以前も少し小暮に説明したことがあるが、基本的に地獄の獄卒だ。神側の存在であって、邪悪な悪霊の類では無い。
古い時代には、よく分からないものを鬼と称していた事もあるが。
それはそれ。
その頃の鬼は、今で言う角が生えて虎のパンツをはいているようなものではなく。
もっとぼやっとした存在だ。
鬼が民間伝承で兎に角怖れられたのは。
悪事を働けば地獄に落ち。
そして地獄では、鬼に想像するも恐ろしい責め苦を味あわされるから、である。刑務所に入れられるのを恐れ。
そこにいる鬼看守(文字通りの意味)を怖れるのも、まあ分からないでもない。
閻魔大王にしても同じ。
あれは地獄の最高裁判官であって。
別に邪悪でも何でもないのだ。
しかし、鬼か。
一体何だというのだ。
不意に、電話が鳴る。
小暮が、ひいと悲鳴を上げた。情けない事だが、仕方が無い。これは例の着メロで。小暮にはトラウマソングになっているから、だろう。
かといって、一発で事件発生と分かるようにする音楽にしておくのは有用だ。これを覆す気は無い。
「此方風祭」
「やあ君か」
「お久しぶりです。 御用は?」
「せっかちだな。 実はね。 また奇妙な事件が起きている。 君に解決を依頼したいと思い、電話した」
そうかそうか。
そしてそれは、どうせ鬼に関与しているのだろう。
私が急げば、死なずに済む者が出る可能性が高い。
それならば、動くだけだ。
「詳細をお願いします」
「いつも話が早くて助かるよ」
そして、暗号文が来る。
私は素早く速記で写し取ると。
電話は、いつの間にか切れていた。
「先輩、またでありますか」
「ああ。 何でも子供が鬼にさらわれたらしい」
「はあ?」
「複数の子供が目撃している。 恐ろしい姿をした鬼が現れ。 小学校に上がったばかりの子供を一人、さらっていったそうだ。 他の子供には目もくれずにな」
なるほど、確かにそれならば。
私の所に連絡も来る。
いつの間にか戻っていた犬童部長が。
また、競馬新聞に色鉛筆を走らせながら言う。
「いっといで。 留守番はしておくよ」
まあ、それしかないだろう。
私は小暮を促すと。
まずは、事件が起きたという担当地区の。誘拐を担当する部署に出向くことにした。
1、不可解な誘拐
担当部署は、それほど大きいとも言えず。トップの人間も部長。
恐らくは、普段は暇をしている部署なのだろう。
不慣れな大事件に、右往左往しているのが見え見えだった。だから私が小暮を連れて来たのを見て、部署を統括しているらしい部長は、露骨に嫌そうな顔をした。
「何だね君は」
「風祭警部補です。 今回の誘拐事件について話を聞きに来ました」
「部署は」
告げるが。
そもそも公式にある部署では無い。
胡散臭そうに手帳を見るが。
部長は、やがて露骨な拒絶の視線を向けてきた。
「悪いがこれは此方の担当事件だ。 よそ者に手を出させるつもりはないね」
「そうですか、それは失礼。 初動が遅れなければ良いですが」
「初動も何もあるか!」
「こっちはこっちで勝手に動きますので。 もし何かあったらお知らせしますよ」
相当に苛立っている警部。
この様子だと、子供達の証言が意味不明で、まったく身動きが取れない、と言うのが事実だろう。
恐らく山狩りをする事になるだろうが。
それも初動が遅れれば、手遅れになりかねない。
私が部長の相手をしている間に。
小暮が、事件が起きた現場を聞いてきてくれた。
ちなみに私もとっくに知っていたけれど。
小暮を形だけでも褒めておく。
此処にいてももう収穫はないだろう。いずれにしても、まずは現場を検分することから始めるべきだ。
すぐに本庁を出る。
事件が起きたのは奥多摩の近く。
東京は東京でも。
深い山と豊かな自然に囲まれた地区で。
珍しい動植物や、天然記念物まで存在している。
車で少し掛かるが。
こればかりは我慢するしかない。電車だと、もっと掛かってしまうからである。接続がいちいち良くないのだ。
「少し渋滞していますね」
「誘拐は時間との勝負なのにな」
「はい」
誘拐、か。
どうにも妙な雰囲気である。
現地に到着。
担当らしい刑事が何人かいた。手帳を見せると、此方の階級を見て、胡散臭そうに、だが仕方が無いという風情で敬礼してくる。
まだ若い刑事は。
話を聞かせて欲しいと言うと。
しぶしぶ応えてくれた。
「子供達が、妙な証言をしているんです」
「ほう」
「一緒に遊んでいた子供を、鬼がさらっていった、って」
「鬼か。 話通りだな」
今時の子供だ。
鬼というと、やはり絵本に出てくるアレがイメージとしてあるだろう。赤い肌をしていて、角をもっていて。
虎のパンツをはいていて。
金棒を手にしている。
実際に鬼がどういう存在か、などというのは子供達にはどうでも良い。あれが現実に現れて、仲間をさらっていった、というのか。
「口裏を合わせて嘘を言っている可能性は」
「一人ずつ個別に話を聞きました。 まだ小学校に上がったばかりの子供達ばかりですし、其処までの連携は取れないでしょう」
「なるほど、ありがとう」
敬礼をかわして、その場を離れる。
例えば、子供達が遊びなりイジメなりをしているうちに事故を起こして、それを隠蔽したケースを考えるのは当然だ。
だが、それだと、どうしても齟齬が出てくる。
リーダー格の子供は、このくらいの年でもふてぶてしいくらいに邪悪なケースが存在するが。
どうやら今回は、口裏を合わせるようなグループで犯行を見たわけではないらしい。
中には、まだパニックで泣きじゃくっている子供もいるとかで。
余程凄まじい恐怖を見たのだろう。
その辺りの電柱よりも背が高かった、と証言している子供もいるそうだ。
勿論それは、恐怖による幻覚だろうが。
どちらにしても、情報をしっかり精査していく必要がある。
次は現場の確認だ。
さらわれたのは路地。
それも、目につく場所だ。
どうしてこんな場所で。
しかも大勢が見ている時に。
子供をさらった。
何か嫌な予感がする。
あの変なファックスといい。
私の所にわざわざ来る電話と言い。
これがまともな事件だとは、とても思えないのである。
現場をくまなく調べる科捜研の連中。
掃除機まで使って、証拠集めをしている。
勿論これから持ち帰って。調査をするのだ。
私は聞き込みを続行。
子供達に直接話を聞くのは、この様子だと少し難しいだろう。だが、どうにかしてやるしかない。
「先輩。 さらわれた子供の名前が分かりました」
「ん」
「斉藤祐介くん、八歳。 小学二年生。 小柄な男の子で、学校ではごく評判が良いこのようです」
「ふーむ、わからんな」
評判の良い、大人しい子供。
大人にとって評判が良い子供というのは、本当は決して性格が良いとは限らないのだけれども。
何しろまだ八歳だ。ぴかぴかの一年生ではないけれど、それでも本当に小学生になったばかり。
子供が性に興味を持ったり、陰惨なイジメを覚えるようになってくるのは、もう何年か後。
この子供が、そういったものに巻き込まれて。
周囲の子供から、消される事になったとは思えない。
しかし、である。
写真を見せてもらったが。
別にいわゆる子供を愛好する人間に好かれそうな容姿でもない。
普通の子供で。
可愛いわけでもないし。
別に醜くも無い。
経歴書も渡されたので、ざっと目を通す。
複雑な家庭に育っている様子だ。
両親は離婚。というよりも死別。
いわゆる母子家庭で、母親はたまに適当に働きながら、子供を育てている。あまり過酷な仕事はしていないようだ。一軒家に住んでいるが、コレは元々母親が資産家の娘で、相応の金があるから、というのが理由らしい。つまり、働かなくても喰っていける、というわけである。だから仕事も暇つぶしの道楽に過ぎない様子だ。
住所も記載されている。
まだ夕方前だ。
さらわれたのが、下校のタイミングだと言う事を考えると。
どうにもおかしい。
「子供達の証言も妙ですな」
「そうだな。 鬼、という言葉以外にも、妙なことが散見される」
子供達は口を揃えているのだ。
鬼が、斉藤祐介くんだけを狙ったと。
他の子供なんて、眼中に無い様子だったと。
斉藤祐介くんは悲鳴を上げることもなく。
鬼に手を引かれて、連れて行かれてしまったと。
防犯ベルを鳴らしたのは、他の子供達。
だが、ベルを鳴らすのは、恐怖で遅れ。
そして、曲がり角には。
斉藤祐介くんのベルが、うち捨てられていたそうである。
まず浮上するのが。
斉藤祐介くんの関係者、と言う可能性だが。
可能性としては、現時点では何とも言えない。
とりあえず、まずはするべき事をする。
ここのすぐ近所だった斉藤家におじゃましたのである。其処では、薄幸そうな女性が。俯いて警察の聴取を受けていた。
コレが母親だろう。
話を横から聞く限り。
どうやら斉藤祐介くんの父親は、どうしようもないろくでなしだったらしい。恋愛結婚であったらしいのだけれど。
結婚後豹変。
ギャンブルに実家の金をつぎ込むわ。
祐介君を虐待するわで。
どうしようもなかったそうである。
死別はむしろ幸運だった、という主張をしている。
他の一族も、似たような連中で。金が搾り取れなくなった斉藤家には、もう近づきもしていないそうだ。
勿論鵜呑みにはできない。
刑事達が言った後、私が手帳を見せる。
私はコレでも。
嘘はある程度見抜く自信がある。
「今の方々とは違う刑事さんですか」
「別ルートから通報が来ましてね。 此方としても、仕事をしなければならないんですよ、申し訳ない」
「……」
この母親の名前は由香利。
少なくとも、子供にいわゆるDQNネームをつけない程度の分別はあったようだが。どうにも薄ら暗い影を感じさせる。
「死別の際の話を聞かせていただきますか」
「どうぞ」
「離婚寸前だという話でしたが、親権に関して揉めましたか」
「いえ。 元夫は、離婚の話が出た際には既に新しい女を作っていました。 養育費はいらないというと、さっさと親子の縁も解消する手続きを終えていました。 死んだのはその直後。 事故死です。 愛人もそれ以来、姿を見せなくなりました」
その言葉が本当ならば。
誘拐犯は、その父親の関係者であると言うケースはなくなる。
子供達は、鬼は女だったと証言しているが。
女装くらい、テクニックで幾らでもどうにでもなるのだ。まだ犯人像は掴めない。
固定観念を持つのは危険である。
なるほど、今日はこれくらいで良いだろう。
引き上げようと思って、頭を下げる。
気になることがもう一つ。
犯人がその場を離れるとき。
こう言っていたらしいのだ。
ざくろのみにこい。
これは、子供達全員が、証言をしている。
石榴というと。
恐らく、今の子供達が、なじみのない果物の筈だ。この辺りからも、子供達によるねつ造という事は考えにくい。
なるほど、これは難航する。
十中八九だが。
犯人は、斉藤一家の関係者だ。
これについては揺るぎないだろう。
そもそも、そうでなければ。
学校で評判が良いとは言え、それほど目立った容姿ではない祐介くんを、誘拐する理由がないのである。
そもそも誘拐後、身代金などを要求していないのも不可解だ。
犯人は何がしたい。
「先輩、いつも使っている不思議な力はどうにかできないのですか」
「あれも万能じゃないんだよ」
「そうでありますか」
「そもそもなあ……今回は情報が少なすぎる」
一応、式神達は既に放ってある。
子供の顔写真を見せて、周囲を探るようにと指示を出したのだけれど。今の時点で、有効な情報はない。
戻るか。
そう思った時。
鋭い視線を感じた。
気付くと。
斉藤家の隣の家。
陰気な中年女性が、此方を見ていた。
「あんた、刑事さんかい」
「警視庁の風祭警部補です」
「警部補。 そうかい。 じゃあ、ちょっとは話甲斐がありそうだねえ」
目を細める。
このあまり美しいとは言えない太めの女性。目に危険な光がある。どう見ても、善意での言葉では無い。
だが、今はどんな証言でも必要だ。
それに此奴が犯人の可能性もある。
話は聞いておく必要があるだろう。
「隣の家のあの女。 とんだ食わせ物だよ」
「伺いましょう」
「ちょっと金持ちだからって、ロクに仕事もしていないような女だ。 ろくでもないクズだって前から思っていたんだけれどね。 前に見ちまったんだよ。 ありゃあ、児童虐待だね」
「……!」
児童虐待。
なるほど。
あの年頃の子供は、ある本能がある。
親を嫌いになれないのだ。
動物的な本能であり、これは正直どうにもならない。もう少し年を重ねると親に反発するようになるのだけれど。
まだ、親を嫌いになれる年齢では無いのだ。
この年齢の時、虐待が行われると。それは一生涯に残る精神的な傷になる。歪んだ心が、犯罪を誘発するケースも多い。
親も子供が抵抗しないのを良い事に、虐待を加速させるケースがあり。最悪の場合、死に至らしめるケースも珍しくない。
洋の東西。古今を問わず。
児童虐待は、人類史から消えた試しが無いのだ。
色々ともしそれが本当なら、しっかり調べる必要があるだろう。
いずれにしてもだ。
一度、戻る必要がある。
安西聡子というこの中年女性の名前をメモすると、一度本庁へ。
既に外は暗くなりはじめている。
誘拐された祐介くんの身柄が心配だが。
犯人はアクションを起こしていない。
そうなると、まだ猶予はあると見て良いだろう。
勿論、犯人が、もうまともな思考回路を残していない可能性も考慮しなければならないが。
その場合は。
一刻の猶予もならない。
いずれにしても。
一度戻っての情報整理が必要だ。
本庁のデータベースにアクセス。どのみち今夜は徹夜になる。本来の部署も動いているだろうけれど。
鬼が誘拐した。
それがどうにも気になるのだ。
小暮も徹夜につきあってくれるが。
一方で犬童部長は、さっさと帰った。
まああの人は、前線にはあまり出てくれなくて構わない。本当にやばいときは、きちんと動いてくれる人で。
それは今までに何度か確認できているし。
手腕も確かなのだ。
だからいい。
斉藤由香利について調査。
裕福、というのは本当だ。
親から受け継いだ外食系チェーン店のオーナーである。オーナーと言っても、要するに株主という立場で。社長とか取締役とか、そういう存在では無い。
つまり金だけ貰える立場、という事だ。
羨ましいご身分だなと、私は舌打ち。
実際問題、何もせずに、生半可なサラリーマンの年収より得ているのだ。周囲が嫉妬するのも当然だろう。
そして、あの一軒家も。
離婚関連のごたごたについて調べて見る。
これは相手の男性側が100パーセント悪いケースだ。
浮気した上に。
浮気相手と子供まで作っている。
裁判沙汰になったが。
相手の男は、浮気を自分がしたことを暴露され。しかし由香利としても追求する気にも、慰謝料をふんだくる気にもならなかったのだろう。
縁を切ること。
二度と近づかない事。
祐介君の親権を寄越すこと。
これらの全てを承諾させて。
裁判は終わった。
相手の男とはそれっきり。
まあ死んだのだから当然だろう。
ちなみに死因についても、由香利が関与している可能性はゼロ。客観的に完璧なアリバイが存在していて。
既に詳細な調査報告まであった。
この辺り、日本の警察はやはり有能だ。
無能なキャリアさえ絡んでこなければ、というおまけがつくが。
「それにしても、おかしな事件ですな」
小暮が資料を持ってくる。
近隣住民の証言についてまとめたものだ。
ちょっとした財産をもっている斉藤家だ。財産目当ての誘拐という可能性は、充分にあるのだが。
不思議な事に、斉藤由香利が外で贅沢をしている様子は殆ど無く。
つつましい生活をずっと続けていたという。
これについては、複数の証言が取れている。
だが、まだおかしい事がある。
祐介君を邪険にする様子が。
彼方此方で目撃されているのだ。
安西という女が口にしたことは、どうやら嘘では無いらしい。
学校の方での証言もある。
祐介君が体に痣を作っている。
そういう証言が、教師の方から、複数回上がっている。
ひょっとすると。
児童虐待というのは、本当なのかも知れない。
ちいとばかりややこしいことになって来ている。
もしも誘拐事件だったとしても。
児童虐待がはっきりした場合。
裏で起きていた事件が。
大変にややこしいことになる可能性が出てくるのだ。
実際問題、身代金の要求は一切来ていないのである。相手が資産家なのに、である。これはどういうことか。
誘拐は、大変にリスクが高い犯罪だ。
犯罪としての罪の重さも強烈で、もしやった場合、十年単位での懲役を覚悟しなければならない。
それは日本人なら誰でも知っているはず。
にもかかわらず、だ。
どうして犯人は。
無茶な誘拐事件に踏み切った。
しばし考え込んでいると、不意に携帯が鳴る。時計を見ると、既に夜の十時をまわっている。
しかもこの番号。
例のものだ。
電話に出ると。機械音だけがした。機械音を組み合わせて、言葉にしている。
「苦戦しているようだね」
「ええ、残念ながら」
今の時点で、霊的な気配はない。
あるにはあるのだけれども。
関与が疑われるものではないのだ。
近隣の噂話なども漁っているが。
鬼に関するものはないし。
何よりも。近所の人間関係が希薄になりつつある今。斉藤家とそれほど親しい家族も存在しない様子だ。
情報が出てこない。
出てこない以上。
それ以上、何もできないのである。
「斉藤由香利の家を調べて見ると良いだろう」
「……令状も無しに?」
「やましいところがなければ見せてくれるはずだよ」
「分かりました。 少し手を打ってみましょう」
どのみち、このままだとお手上げなのだ。
他人のアドバイスは、少しでも欲しい。
それに。時間が経てば経つほど、誘拐された子供の命の危険は大きくなる。身代金を要求してきていない点が逆に怖い。
相手が、単純な変質者だったら。
文字通り、何をされているか分からないのだ。
2、きな臭い香り
翌日。
早朝に出かける。
朝一番に向かったのは、斉藤家である。警察関係者も周囲には散見されたが。此方には興味が無い様子だった。
というよりも、向こうも手がかりが出てこなくて、イライラしているのだろう。
階級が上の相手に突っかかって来るほど、余裕はないということを意味している可能性もあるが。
いずれにしても、面倒なのでそれでいい。
「またですか」
「今日は祐介君の部屋を見せていただきたく」
「……!」
「犯罪被害にあった場合、現場の遺留品などから犯人に行き当たる可能性が生じてくるものです。 祐介君がどういう子供だったか知りたいのです」
「……どうぞ」
意外だ。
すんなり通してくれた。
そして、私は見た。
安西が、にやにやしながら此方を見ているのを。
彼奴も何か知っていると見て良い。
此方をたきつけたのは。
案外彼奴が犯人で、捜査を攪乱するため、と言う可能性もある。だが、それはあくまで可能性だ。
状況証拠にしても何にしても。
まずは尻尾を掴まなければならない。
最初に驚いたのは。
テーブルの上にある紙。
鬼。ただし、ノの字が抜けている。
「これは」
「突然FAXされてきたものです」
「少し良いですか」
手袋を填める。
小暮に顎をしゃくって、写真を撮らせた。これは、うちの部署に来たものと同じだ。確認するが、一部の汚れなども一致している。
つまり同じ紙を。
うちにもFAXしてきた、ということだ。
だが、この紙の方が綺麗である。
となると。
この紙が、うちの部署にFAXされてきた可能性が極めて高い。
由香利を見る。
この人物が、うちの部署のFAX番号を知っている筈がない。そうなると、誰が一体。写真などのデータを取り終える。
更に、祐介君の部屋を見せてもらう。
驚くほど、殺風景な部屋だ。
何もない。
子供はオモチャが大好きだが。
そういうものもない。
八歳児くらいだと、ソフビなどのオモチャとか。いわゆる超合金とかのロボットとか。そうでなければゲーム機とか。
或いはボールとかぬいぐるみとか。
そんなものがありそうなのだが。
そういうのが一切見られない、恐ろしいほど殺風景な部屋だ。
小暮も入ってすぐに異様さに気付いたのだろう。
目を細めて、周囲を見ている私。
霊的なものはない。
式神に探らせているが。どうにもおかしい。
何もなさ過ぎるのだ。
霊的なものもふくめ。
床に触ってみる。
埃一つない。
「少し綺麗すぎますね」
「毎日掃除をしていますので」
「……」
これは、きれい好きというレベルを少し超えている。
典型的な潔癖症だ。
そして、親が潔癖症だと、子供は碌な事にならないケースが多い。
「ひょっとして、子供にオモチャを買い与えたりもしていないのですか? 見た感じ、殆ど何も見当たりませんが」
「子供の本分は勉強です」
「……」
おかしいな。
その割りには。
この部屋には、本さえ見当たらない。
ベッドと、勉強机。
しかも、である。
その勉強机も、ぴかぴかなのだ。殆ど使っている形跡がないのである。一体コレは、どう言う事か。
何かがすっぽりと抜け落ちていると見て良い。潔癖症だったとしても、ここまで来ると、生活感というか。
人間が生きている感覚がないのだ。
学習机が綺麗なのは良い事だろう。
だがこの学習机は、買ったままの姿。
つまり、まるで使われていないのである。
使ったとしても、その度に、偏執的なまでに綺麗にしていると言う事だ。
更に、である。
男の子が喜びそうなグッズの一つもない。ポスターなどや、パジャマなどの実用品さえも、一切見当たらない。
どんな子供でも好くキャラクターグッズは実在する。必ず子供が喜ぶ、国民的なパンの擬人化キャラクターシリーズがそれだ。何歳かになると不意に卒業してしまうのだけれど。
それでも、幼い頃は、殆ど全ての子供が夢中になる。
この無機質な部屋には。
その痕跡すら存在しなかった。
キャラクターもののグッズを愛好している私としても、少しばかりこの部屋は異常に感じる。
既にこの家には式神を放っているが。
彼らも困惑しながら、家中を調べて廻っていた。
異様さは小暮も実感しているようで、そわそわと周囲を見回している。やはり。おかしい事に気付いているのだろう。
放っていた式神の一人が。
不意に耳元で囁いてくる。
例のニセバートリーだ。
「ちょっと、とんでもないの見つけたわよ」
「詳しく」
「あの壁」
私は、小暮を促して、部屋の一角の壁に。
その瞬間、由香利の顔色が変わった。
「其処は……」
「間取りがおかしいですね。 此処に部屋がある、ということで間違いないのでは」
「やめてください! プライバシーの」
「小暮、開けろ」
頷くと、小暮が偽装されている壁を、一気に横に引き開け。
そして、絶句して固まった。
それはそうだろう。
これは気が弱い奴が見たら、悲鳴を上げるのは間違いない光景だった。安西が言っていたことは、本当だったのだ。
壁、床、一面に赤い文字。クレヨンで書き殴ったそれは、謝罪の言葉だった。
おかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんおかあさんおなかすいたおなかすいた。
絶句して固まっている小暮を一喝。
「すぐに児童虐待の対応部署に連絡! 現場保全!」
「りょ、了解であります!」
小暮が電話を始める。
わなわなと震えている由香利に、私は可能な限り低いアルトで。威圧を可能な限りもたせながら言った。
「コレはどうみても児童虐待ですね」
「し、躾をしていただけです」
「児童虐待をしている親は、誰もがそういうっ!」
私の一喝に。
恐らく金持ちの親に育てられ。
何不自由なく生きてきて。
今も会社のオーナーという立場、何もせずに生きていけている斉藤由香利が。対抗できる筈もなかった。
もはや立ち尽くすばかりの斉藤由香利は無視。逃げなければそれでいい。
更に、本来事件捜査に当たっている連中にも連絡。
来させる。
事件捜査に当たっていた警部補は。
この部屋を見て、絶句したようだった。
流石に色々あるのだろう。私にけんもほろろな対応をした警部は出てこなかった。
「周囲の証言で、祐介くんが虐待を受けている可能性があるというのは分かっていたはずだが、どうして調べなかった」
「そ、それは、礼状を……」
「其処までしなくても、事情聴取のついでに、幾らでも手はあったはずだ! 兎に角これを見ろ! この事件は恐らく、営利目的の誘拐じゃない!」
このおぞましい部屋を見て確認できたが。
恐らく祐介くんをさらったのは。
親しい人間だ。
分からない事は幾つもあるが。
その親しい人間は。
ほぼ100パーセントに近い確率で。
虐待を受けている事を知っていたはずである。
理由は幾つかあるが。
それよりもだ。
気まずそうにしている若い刑事。この間私が少し話した男だ。
「情報の共有を。 どうやらこの近所でも、祐介君の虐待については、複数の証言が上がっている」
「本当ですか……」
「ああ」
ボイスレコーダーを見せる。
データを其方にも渡しておく。
真っ青になっている斉藤由香利は、女性刑事が連れて行った。対応部署にこれから行って、虐待の様子について詳しく説明をさせるためだ。そして祐介くんが戻ってきた後には、二人ともカウンセリングを受けて貰う。
それにしても、ある意味良かったのかも知れない。
部屋の中の様子を見ると。
描かれている赤い文字は、クレヨンだけではない。
明らかに血の染みや。
涙の跡らしきものもあった。
それに、滅茶苦茶に壊されているオモチャ。
由香利が壊したとみて間違いないだろう。
男の子を母親が育てるのは難しい。
幼いといっても、性別が違うからだ。男の子は乱暴な遊びが大好きだし、ものに対する考えも違う。
どうして知っているか。
これでも私はお嬢だ。
分家の幼い子供を、預かることがかなり多かった。
つまり年の離れた弟や妹の世話をすることが、幼い頃からかなりあったのである。理由の一つとしては、それらの子供にタチが悪い悪霊が取り憑いたりして。対処が必要だったから、である。
ただ、本当の理由は、本家にとって忠実な家臣を育てるため。
昔で言う小姓と同じだ。
だから、腹を痛めて子供を産んだ経験はなくても。
子供への接し方が難しい事はよく分かっている。
若い刑事は、必死にメモを取っていたが。
やはり、あの虐待部屋のインパクトは凄まじかったのだろう。青ざめて、何度もハンカチで額を拭っていた。
「此方からも情報を提供します」
「ん、頼む」
「実は、祐介くんがさらわれるとき。 鬼が何か言っていたそうなのです」
「石榴以外にか」
そうですと、若い刑事は言う。
その内容は。
私は鬼神になろうと構わない、というものだった。
子供達には難しい単語の羅列だ。
だから、ざくろにこい。きじんになろうとかまわない。この二つを組み立て直すのに、随分苦労したらしい。
気になる。
私は兄者に携帯で連絡を入れる。
兄者は、意外にもすぐ出てくれた。
状況を説明。
認識は、一致。
なるほど、やはりほぼ間違いなさそうだ。
後は、犯人が誰かさえ突き止めれば。
案外、速攻で事件は解決するかもしれない。ただ、気になる点がまだ幾つもある。祐介くんの安全が完全に確保されているとは、まだ言い難い部分が大きかった。
「純ちゃん、そこにいる?」
「貴様は!」
電話に割り込んできたのはゆうかだ。
あの人間核弾頭め。
兄者と私の蜜月に割り込んでくるとは。とことん忌々しい奴だ。だが奴は、意外にも、役に立つことを言い出した。
「ちょっと今検索してみたんだけれど、石榴を題材にした病院があるよ」
「何だって」
「しかも近所。 既に廃病院で、心霊スポットになってるけど」
「場所は」
なるほど。
其処の可能性が高いか。
しかし、まだだ。
まだピースが足りない。
誰か、近しい人間がいないか。
すぐに児童虐待の専門部署に連絡。
連れて行かれた斉藤由香利から、何か証言が出ていないか聞く。その間、小暮にも、石榴を紋章に使っている病院。
グラナダクリニックについて調べて貰った。
担当の人間は、電話の向こうで言う。
「それが、どうやら、最近生き別れていた遠縁の人間と再会していたらしいのです」
「遠縁?」
「しかも、隣に住んでいる安西さんの腹違いの妹だとか」
まあ何しろ資産家一族が集まる界隈だ。
珍しい事でもないだろう。
続きを促す。
相手の名前は、雪村恭子。
グラナダクリニックの副院長をしていた女性で。
しかし、経営にも行き詰まり。
現在では副院長も辞め。
ほとんど引きこもりの生活をしているとか。
その雪村恭子が。
祐介くんと、接触を持っているらしい、という旨の事を。斉藤由香利が話しているというのだ。
「……なるほどな」
「ピースがつながりましたか、先輩」
「概ねな。 私はこれから令状を取る。 それとだ、あんた」
「真辺です」
頷くと、真辺に、安西に注意するよう指示。
あれはどうも、全ての事情を知った上で、放置していた縁がある。
ひょっとすると。
悪意で何か目論んでいるのかも知れない。
それが、斉藤由香利の破滅だけだったらかまわない。正直な話、親を嫌えない年頃の子供を虐待するような女だ。
あまり同情はできない。
いずれにしても、時間がないのは事実だ。
証拠を固め次第。
グラナダクリニックに踏み込む。
廃病院とはいえ、まだ権利は雪村恭子の手にある。
証拠を固めない限り。
無理押しは厳禁だ。
3、鬼子母神
多少手続きは面倒くさかったが。
それでも、確実な虐待の痕跡。それを知っている様子の周囲。更には、斉藤由香利から出てきた雪村恭子の証言。
それらから、雪村恭子による、「救出」だった可能性が高いと判断した私は。
大急ぎで捜査礼状を取った。
普通だと手続きに時間が掛かるのだが、その間に雪村恭子の現在位置などを徹底的に調べて、時間のロスを避ける。
恐らく、雪村恭子が祐介君を殺したり、傷つけたりする可能性は低い。
だが、精神状態によっては、何をするか分からないのだ。
グラナダクリニックにいる可能性が高いが。
雪村恭子の住処にいる可能性もまた否定出来ない。いずれにしても、順番だ。
住処に踏み込めば。
証拠品を押収できる可能性も高いのである。
雪村恭子は、寂れたアパートに住んでいた。
元病院の副院長が落ちぶれたものだが。
元々グラナダクリニックは色々と問題がある病院で。
特に、雪村恭子の夫であり、院長だった男性には相当な問題があったそうである。
調べると、情報がゴロゴロ出てくる。
いわゆる闇医者であり。非合法な手術で、廃人になった人間まで出したことがある、曰く付きの人物だったそうだ。
怪しげな民間療法を勧めたり。
ヤクザなどとさえもつながりがあったという。
暴力沙汰などの、直接的な犯罪の噂もあり。
雪村恭子自身も、その関連で、警察に何度か駆け込んできているのだ。
そればかりか。
そもそも、である。
医師免許さえ、裏口入学で取得したものではないかという噂さえあった。
だが、警察のキャリアにコネがある雪村恭子の夫は。病院の院長という立場もあって。事件にまでは発展せず。
そして挙げ句の果てに。
愛人が無理心中を決行。
病院は炎に包まれた。
幸い、病院の患者達は、ほとんど全て逃れる事が出来たが。
まだ生まれたばかりだった雪村恭子の息子は焼死。
雪村恭子の夫は全身を滅多刺しにされて死んだ。愛人も、焼け跡から黒焦げになって発見された。
本人が死んだことで。
死人に口なし。全ての闇は屠られてしまった。
日本では、死人は聖人とされるケースが多い。
これ以上、罪を追求することもできない。
何もかもを全て失った雪村恭子は。
ささやかな保険金を受け取ると。
心神喪失状態になって、小さなアパートに移り。
其処で暮らしていた、というのだが。
およそ半年ほど前。
安西の家に来る途中で。偶然祐介くんと出会う切っ掛けがあったらしい。
というのも、それ以降、公園で。
仲睦まじく、二人が遊んでいる様子が、周囲から証言として出てきているからだ。
中には、雪村恭子が、祐介君の母親では無いのかと思っていた者もいたそうである。
雪村恭子は、以前はエリート然とした、隙の無い雰囲気の女性だったそうだが。祐介君と遊んでいるときは柔らかい表情で。まるで新妻のように初々しく優しい笑顔を浮かべていたそうだ。
だが、祐介君は。
雪村恭子をお姉ちゃんと呼ぶ事はあっても。
お母さんと呼ぶ事はなかった。
その事からも、違和感を感じている人はいたそうだ。
それに、何よりだ。
雪村恭子の手首にはリストバンドが常にあったという。それも、不自然なほど大きい。
「十中八九リストカットの跡隠しだな」
「……報われない話でありますな」
「ああ。 なにもかもがやるせない」
令状を取れた。
すぐにアパートに。
其処でドアを破る準備をしたが。
ドアは開いていた。
中に踏み込む前に、式神を送り込む。
対怪異の結界無し。
内部に生物……あるにはあるが、虫だのなんだのだ。要するに蠅やゴキブリ。それも大した数じゃない。
人が死んでいるような事はないが。
ゴミが放置されているのか。
ゴキブリの数は少し多めだった。
踏み込む。
小暮が最初に。
そして、続けて私が。
中を見回すと。
異様にこぎれいに片付いていた。違和感があるのが、キッチンと客間。キッチンには、放置された料理。
既に傷んでいる。
客間には、食事の跡。
二人分。
雪村恭子に恋人がいたという話はない。
そうなると、ここに祐介君が来ていた、という事になるだろう。
「食事は傷んでしまっていますが、恐らくシチューですな」
「あの家のありさまだ。 多分おなかに優しいもの、とでも考えたのかも知れん。 具も小さめだろう」
「当たりです」
「……どっちが母親なのかわからんな」
そして、決定的な証拠が出てくる。
居間に鞄。
それもランドセル。
中から出てきた教科書には。
祐介君の名前があった。
溜息が零れた。
手袋をして、中身を確認していく。自由帳を見ると、おかあさんと書かれた、年相応の絵。
笑っている。
その隣には。
お姉ちゃんと書かれた。
もっと優しそうな、笑っている人の絵。
おかあさんは願望の姿。
だから笑っているにもかかわらず、手に包丁を持っている。祐介君を脅すのに、使っていたのかも知れない。
実際物理的な暴力も加えていた様子だ。
ネグレクトもタチが悪いが。
これはもっと悪い。
雪村恭子が行動を起こさなければ。下手をすると、祐介君は直接殺されていたかも知れないのだ。
「先輩、日記を見つけました!」
「よし!」
すぐに飛び込む。
びっちり整備された書斎だ。本はどれも埃一つ被っていない。つまり、ごくごく最近まで、此処に人がいたということだ。
小暮は机の上に、日記があったという。
手袋をしたまま、見る。
どうやら雪村恭子は、公園で自殺未遂をしたところを、祐介君に助けられたらしい。正確には声を掛けられて。踏みとどまったというのが正しい様子だ。
既に手には痛々しいリストカットの跡もあったのだろう。
時刻は夕刻。
一人でいたという祐介君。
親に。斉藤由香利に、家から追い出されたと見て良い。躾と称した虐待は、もはや明らかだった。
そこへ。居場所もなく、自殺を図ろうとしていた雪村恭子が接触した。勿論たまたまだろう。
運命の悪戯とは、コレのことでは無いのだろうか。
それから、二人は時々公園で会うようになった。
どちらかという大人しい祐介君だが。
逆に雪村恭子は、元が筋金入りのエリートだ。何でもこなそうと思えばこなせる。
ゲームでも一緒にやったのかと思ったが、違う。
何故か。
斉藤由香利が、祐介君から、教育に良くないと言う理由で、ゲーム機も買い与えず。漫画なんてもってのほかと、与えもしていなかったから。その代わり、勉強の本だけを与えていた。
勿論テレビアニメなど、見せもしなかった。
だから雪村恭子は、敢えて自分でゲームを買ったり、ボールを買ってきたり、漫画を一緒に読んだりしたそうである。スマホを使って、アニメを見せてあげたりもしたそうだ。
一緒に遊ぶのでは無く、与える関係。
楽しい時間。
同時に、絶対に許せない。
そう、日記に書かれている。
たまに潔癖症の親が、子供を温室栽培しようとすることがあるが。
そうやって外部に触れずに育った人間は。
外部に出たとき、滅茶苦茶にされるか。
周囲を滅茶苦茶にするかの二択だ。
有名な連続殺人鬼の何人かは、このタイプである。
おかしな事に、一部の育児雑誌は、未だに温室栽培を推奨しているものがあるようだが。或いは斉藤由香利はそれを丸呑みに信じてしまい。
子供に対して、積極的な温室栽培を試み。
子供が周囲と同じような事をしたがるのを見て激高。
言うことを聞かないという理由で。
徐々に虐待がエスカレートしていったのだろう。
斉藤由香利という人物も、既に警察に引き渡して、聴取しているが。其処まで邪悪で残虐という雰囲気は無い。
児童虐待は、私もある程度知識がある。
あれは悪人でもない人間が。
徐々にエスカレートさせていくケースが多いのだ。
祐介君と遊ぶのは、本当に嬉しい。
死んだ自分の子供が帰ってきたかのよう。
そう、雪村恭子は日記に書いている。
まるで幸せな新婚の女性の日記だ。
子供が帰ってきたかのよう、の辺りに。既に濃厚な狂気がにじみ出始めているが。それは不幸すぎる人生が原因だろう。
ろくでもない夫と結婚させられ。
そして子供も全ても失い。
親からも放置されて。
生活費だけ渡され、アパートに閉じ込められ。
周囲からも孤立していた。
こぎれいなアパートなのに。
よく見ると、所々血痕がある。
リストカットした時に血が飛んだ跡なのだろう。
これらも、後で調べる必要がある。
そして、日記は、急変する。
雪村恭子が。
実際に行われている、教育の域を超えた虐待に気付いたのだ。
一気に日記は狂気一色に塗りつぶされた。
文字までもが、狂気を孕んで、凄まじい勢いで踊っているほどだ。
恐らく実際に吼え猛りながら、雪村恭子は日記に書いたのだろう。
許せない。あんな良い子を。
自分をどれだけ傷つけても、お母さん大好きと言っているような子だ。
いや違う。
自分を嫌いになれない年頃の子供に対して。エゴを押しつけて。歪んだ教育観に染まったくだらない雑誌の内容をまとめて押しつけて。
言うことを聞かないからと虐待する。
母親失格。
悪魔だ。
私は例え鬼子母神になってでも。
あの子を助けなければならない。
もはや、一刻の猶予もない。
私は、鬼神になる。
そして、あの子を助ける。
この辺りは、もはや字からも、濃密な狂気があふれ出ていて。今までどちらかと言えば整っていた文章も文字も。
歪み。狂った配列で。
見ているだけで、ああ精神に亀裂が入ったなと、一目で分かるほどだった。
子供を守ろうとする母親の心理と。
自分のもっとも大事なものをまもろうとする者の心理が。
歪んだ形で混ざり合い。
そして最悪の化学反応を起こした。
全てがつながった。
そして、私は。
その一方で、気付く。
此処まで事態を誘導している奴がいる。
そう。
安西だ。
ひょっとすると、雪村恭子と祐介君が接触するように仕向けたのも、安西なのではないだろうか。
斉藤由香利宅で捜査をしているチームに連絡。
雪村恭子は完全に黒。
証拠が出たから、数人廻せ。
そして此方は、これよりグラナダクリニック跡地に踏み込む。そう告げると、電話を切った。
相手方の混乱が手に取るように分かって、私は舌打ちした。指揮をしているのは現場からのたたき上げだろうに、こう動きが遅いと、イライラさせられる。
何人かこっちと一緒に動けばいいものを。
意固地になっているから初動が遅れるし、何より捜査が進まない。こうしている内に、祐介君がどんな目に会っているかわかったものではないのに。
勿論、雪村恭子が祐介君を「積極的に」害するつもりはないだろう。
だが、この日記を見る限り、もうまともな精神を宿してもいない。
何かの切っ掛けで。
縊り殺してしまう可能性は否定出来ない。
安西がそそのかす可能性もある。
まだ安西の方は、完全に黒とは言い切れない部分もあるが。
すぐにドアを閉めると。
テープで固定。
急いで小暮の軽自動車に飛び乗った。
「急げ。 車で8分ほどだったな」
「はい。 しかし、先輩。 分からない事が。 何故雪村恭子は鬼子母神などと。 鬼子母神というと、入谷のあれですか?」
「鬼子母神はインドではハリティーと呼ぶ女鬼神だ。 具体的には、子供を守る女神なのだがな」
「何か問題があるのですか」
「時間も少しあるし、話をしてやろう。 古代神話は兄者じゃなくて私の専門分野だからな。 勿論兄者も生半可な素人より遙かに詳しいが」
鬼子母神の逸話はそこそこに有名なのだが、まあ知らなくても不思議では無い。分かり易く、かいつまんで要所だけを説明しておく。
インドには、昔ハリティーという女鬼神がいた。
ハリティーは恐ろしい鬼神で、毎晩夜をさまよい、人間の子供を喰らう事で怖れられていた。
しかしその一方で。
ハリティーは、五百人もの子供を持ち。その子供全てに優しい母親という側面ももっていたのだ。
毎晩悪行を重ねるハリティーに心を痛めた仏陀は。
その子を一人、敢えてさらった。
子供が一人いなくなったことに気付いたハリティーは、半狂乱になって夜の世界をさまよったが。
とうとう見つけることができなかった。
ハリティーは七日間世界中を探し廻ったが、ついにどうにもならず、仏陀に助けを求め。
其処で、いなくなった子を連れて、仏陀が現れた。
そして諭すのだった。
子が五百人もいるそなたでさえ、一人の子を失えばこれほどに悲しいのだ。一人二人しか子がいない母親が、そなたに子を喰われたとき。どれほど悲しかっただろう。
その言葉を聞いて改心したハリティーは。以降は子供を守る守護神となり。
そして、どうしても人間の味を我慢できないときのために、石榴を与えられたという。
鬼子母神は子供の守護神として知られているが。
元は子を喰らう恐怖の鬼神だったのである。
この辺りは、西洋の考えでは理解しがたい部分があるだろう。だが、東洋ではこういった恐ろしい側面をもつ神が珍しくない。
というよりも、支配者側に立っている神が、恐ろしい面を普通に曝していると言うべきか。
西洋の一神教だと、この辺りで矛盾が生じている。
一神教の主神であるYHVHは、人類を一度滅ぼしたことがあり、何度も恐ろしい災厄を巻き起こしているが。
それは全て正当化されている。
これに対して、東洋では恐ろしい面があることを最初から認めて。
調伏したり、或いは改心させたり。
場合によっては祭り上げたりして。
有益な存在に変えているのだ。
「なるほど。 つまり雪村恭子は、鬼子母神になりたいのでしょうか」
「いや、或いは……」
「或いは?」
「斉藤由香利に、鬼子母神のように改心しろと言いたいのかも知れない」
回りくどいやり方ではある。
だが、どちらも高度な教育を受けている上に、条件さえ整えば話の意味くらい分かる場所にいる人間だ。
鬼子母神の逸話なんて、調べれば今時すぐに出てくる。
小暮が車を飛ばすが。
廃病院はまだ見えてこない。
私は、自分に言い聞かせるように、順番に言った。
「私はそれなりに裕福な家の出でな。 いわゆる家臣というか、部下というか。 そういう立場の家が周囲にたくさんあった」
「それは、どうにも自分には理解しがたい話であります」
「まあ重要なのは其処じゃあない。 私の所には、そういう立場の人間が、年下の幼子を、何度も預けに来た。 私は色々な勉強や習い事と一緒に、そういう子供達の面倒を見ることもした。 これは将来忠誠度が高い手足になる人間を育てるために、代々行われている事だそうだ」
だから、子育ての大変さは分かるつもりだ。
私には補助がついていたけれど。
それでもぐずったり泣いたりする子供をあやすのは大変だったし。
それらの子供に躾をする事も、勉強させられた。
一人で子育てをするのは本当に大変だろう。
元々それほど斉藤由香利が邪悪な人間だったかというと、私には疑問に思える。児童虐待は簡単に起こる。
誰だって、起こしうる。
特に片親の場合。
そのリスクが跳ね上がる事は、わざわざ言うまでも無い事だ。
子育てを多少なりと経験しているから私にも分かるのだ。
夜泣きする子供。
ストレスの溜まり方は凄まじい。
性別が違う子供。
自分との根本的な考え方が違うのだと、まだその子が幼い頃から思い知らされる。勿論性別で性格は一つでは無いけれど。どうしても、性別によって性格の差というものは出てくるのだ。
子育ては、それらとの戦いである。
「斉藤由香利は、まだ償える。 条件が悪すぎて、あまりにも状況が悪化しすぎたが、手遅れでは無いはずだ。 しっかりしたカウンセリングを母子で受ければ、まだやり直せる状況にある」
「なるほど。 それならば急がなければなりませんな」
「その通りだ」
それに、雪村恭子も。
早まった真似をしたが。
それも状況が加味されれば、情状酌量の余地はある。自分が親しくなった。救いにさえなっていた子供が、虐待されていたと知ったとき。
助けるためには。
狂気の中で、唯一思いつく手段が、誘拐しかなかったのだろう。
悲しい話だ。
だからこそ。
その狂気の糸を後ろで引いていた奴がいるとしたら。
顔面に蹴りを叩き込んでやらなければ気が済まないし。
助けられるのなら助けなければならない。
私は警官。
法を守護するのが仕事で。
法を破る奴を殺すのが仕事じゃあない。
場合によっては、最終手段を執る必要もある。怪異に対しては、より厳しい対応が必要になる事もある。
後、一つ分からない事がある。
あの鬼からノの字を除いた字。
あれは、兄者もまだ結論が出ないと言っていた。私も分からない。ひょっとすると、何かしらの呪術か。
だとしたら、相当に新しいものか。
それとも、非常にマニアックなものか。
いや、まて。
何か違う意図があるのか。
グラナダクリニックが見えてきた。
なるほど、心霊スポットになる訳だ。丸焼けになった病院。それも、朽ちたまま放置されている。
剥き出しの鉄骨。
割れた硝子。吹き込む風。
手を振っているのはゆうかだ。本当に嬉しそうなツラをしていて、頭に来る。心霊スポットを見てテンションが上がるタイプだろう。
子供か。
しかも此奴が私をちゃん付けして呼んでいたりするので、余計に頭に来る。
兄者には人見のような聡明で大人っぽい女の方が良いはずだ。私は血がつながっていないけれど、兄者との関係は崩したくないので、このままでいい。だけど、此奴が義理の姉になるのだけはやだ。
人見ならまだ我慢できる。彼奴は頭が良いし、私とも話がある程度あう。兄者との子供ならさぞや聡明だろうし。
「他の警官は」
「まだ到着していないようですな。 雪村恭子の家の方に踏み込んだ頃でしょうか」
「無能者め、対応が遅いわ」
「先輩が疾風迅雷過ぎるのであります」
そう言われると照れるが。
ゆうかが、なにやら偵察していたらしく、教えてくる。
「三階の辺りにさっき人影見たよ。 心霊スポットに遊びに来た不良かも知れないけれど……」
「いや、違うな」
気配が違う。
これはちょっとまずい。
予想以上に雪村恭子の状態が悪いのかも知れない。鬼子母神は元々子を喰らう鬼神だったのだ。つまりそれは、石榴が切れれば、また人間を喰らうようになる事を意味しているのである。
「病院には絶対に入るな。 此処からは私と小暮で対処する」
「え、でも」
「死ぬぞ」
その言葉で。
ゆうかも理解したらしい。
自覚はあるのだろう。極めて危険な怪異に好かれやすいことは。そして今まで、私が知っているだけでも両手の指に余る回数それで死にかけている。ちなみに私と知り合ってから、既に三回。
いずれも、私の忠告を無視してついてきたケースだ。
一度は小暮が怪我をして。
それから、馬鹿にしきっていた小暮を見直したらしく。多少態度が柔らかくはなった。
そして、流石に、もう無理はしなくなった。
私が桁外れの対怪異能力を持っていること。
それでもなお、ゆうかを守りきれない可能性が高い事。それを理解してくれたのだとすれば。
やっとか阿呆と怒りたいところだ。
焼け落ちた病院の入り口に踏み込む。
いる。
気配は、小さいのが一つ。コレは祐介君だろう。
大きいのが二つ。
一つは間違いなく雪村恭子だ。だがこの気配は、恐らくもう人を半分止め始めていると見て良い。
だが、人間が気力や憎悪だけで人間を止めるのは不可能だ。
何か裏で動いている奴がいる。
それが、都市伝説を利用して、好き勝手している例の奴らかは分からないけれど。もう一つの気配も。
雪村恭子のそれに匹敵する巨大な邪悪さだ。
安西だとすると。
此奴は一体、自分の身に。いや雪村恭子の身にも、何かしているのか。
病院の中は心ない落書きだらけ。
心霊スポットという噂が流れると、馬鹿な不良が押しかけてきて、遊び場にするケースが多い。
その一方で、こういう場所はヤクザが取り仕切っている事も多い。
つまり、人間的な意味でも、入り込むのは極めて危険、という事だ。
意外な話だが。
悪霊の類はほぼいない。
以前誰かしらが掃除したのか。
それとも。
それでも、たまに姿が見えるので、それらは真言で消し飛ばす。浄化しておけば、あの世にでも何にでも行くだろう。
階段は崩落しかけていて、かなり危ない。
これは退路をしっかり確保していかないと危険だ。
既に口は一つも利いていない。
小暮とはハンドサインを決めていて、それで会話しながら、奧へ、奥へと進む。さっきゆうかは三階だと言っていたが。
奇襲を受ける可能性も、想定しなければならなかった。
「其処のかどの奧にいるな」
「臨戦態勢に入るのであります」
「そうしろ」
ハンドサインで指示すると。
私はむしろ、堂々と通路に姿を見せる。
つんとした臭い。
これは、ガソリンか。
まずいな。
下手をすると、また此処を燃やすつもりかも知れない。最悪の場合には、祐介君ごと、自らを。
ガソリンの爆発力は尋常な代物では無い。
もし発火した場合。
こんな脆くなっている廃病院。
木っ端みじんに消し飛ぶだろう。
そして、廊下を曲がった瞬間。
私は、目撃することになった。
奥の部屋に、いる。
幼い子供を抱えた形で描かれる事が多い鬼子母神だが。それは、慈愛の表情を浮かべている事が多い。
仏陀によって救われた鬼神は。子供の守護神として、生まれ変わったからだ。
だがそこにいたのは。
仏陀による救いを受ける前の。
子供を喰らう鬼神そのものだった。
目からは赤い光が糸を引いている。全身に纏った凄まじい殺気。角さえ生えていないが、そのもはや人から離れてしまっている形相。口元には、鋭い犬歯さえ覗いていた。
抱きかかえている祐介君は。
虐待の影響だろう。かなり平均より小さいのが、此処からでも見えた。
小暮が息を呑むのも分かる。
これでは、誘拐を目撃した子供達が、鬼だというのも分かる。この凄まじい殺気、人間だとは思えないだろう。
祐介君だって、怖かったに違いない。
だがついていった。
雪村恭子を、信頼していたからだろう。
だが、今はその凄まじいまでの殺気に完全に当てられて。意識を失っている様子だった。
さあ、ここからが勝負だ。
私は、前に出る。
雪村恭子が、もはや鬼子母神と化そうとしている哀れな女が。
人間とは思えぬ威嚇の声を上げた。
手には、既にさび付いた、長い包丁があった。
4、言葉は届かない
「あの、母親失格は、どうした」
「児童虐待の専門部署に連絡した。 現在任意同行して、状況について話を聞いているところだ」
「そんな事では生ぬるい! 見ろ、この祐介君の衰弱を! 風呂に入れて私は見た! 全身に残るいたましい虐待の痕を! 刃物で斬り付けた跡まであった!」
凄まじい怒声を、雪村恭子が上げる。
それはもはや、人の声では無い。
凄まじい妖気を纏った、鬼の雄叫びだった。
私は平気だが、完全に小暮は隅っこでぶるぶるしている。それはそうだろう。幽霊だって怖がるのだ。
本物の鬼を見て、震えあがらない筈もない。
古い時代。
地獄の獄卒である鬼が、頻繁に昔話で悪役にされたのは。兎に角怖れられたからである。
もっと古い時代には、幽霊とあまり変わらない様な存在だった鬼。
だが、昔話の悪役として出てくる鬼は、仏教が持ち込んだ獄卒としての鬼の姿をしている。
まれに、いたのではないのか。
こうして、本物の鬼としか言えない姿になったものが。
何しろ、厳しい時代だ。
狂気に落ちる人は少なくもなかっただろう。
海外から漂着した人間が鬼と言われたケースもあったと言われているが。ペリー来航の際には、むしろ天狗のようだと言われていたという記録もある。
様々なケースが重なって。
獄卒の筈の鬼は。
悪の権化のように描写されることも、多くなった。
そして雪村恭子も。
昔話の鬼そのものの凄まじさで。
今、斉藤由香利を弾劾している。
此処は、私が出るしか無い。
にやにやしながら、全ての推移を見守っているゲスをぶっ潰すためにもだ。
「これから斉藤由香利と祐介君には、専門のカウンセリングを受けて貰う。 既に完全な虐待である事は明白だ。 だから、これからそれを取り返す。 あの二人には、まだ取り返しがきく。 元々邪悪の権化でもない斉藤由香利を虐待に走らせたのは、愚かで無能な夫の記憶と、無責任なことを並べ立てる育児雑誌や周囲の人間。 きちんとした専門家のケアを受ければ、祐介君は無事に生きる事が出来る」
「信用できるか!」
「祐介君は、お前の息子じゃない」
一瞬。
時が止まったように、思えた。
雪村恭子の。
もっとも苦しい部分を、此処から敢えて突く。
同時に、既に印を切り始めている。
その全身から立ち上る黒い気は。狂気だけに原因があるものではない。明らかに外部から埋め込まれたものだ。
それを引きはがす。
「丁度生きていればそのくらいだっただろうな。 クズだった夫が、きちんと子育てに参加してくれていれば、その子のように可愛らしく素直に優しく育っていたかも知れないからな」
「あ、あああああああ、ああああああああああああああ!」
「だが、お前に祐介君は育てられない。 そのままだと、お前自身によって、祐介君は命を落とす事になる!」
喝破。
一瞬だけ、心の隙が出来る。
勿論、その次の瞬間には、怒気が爆裂するが。
その隙を、私は逃さない。
印を切る。
同時に、 びくりと、大きく雪村恭子が身を震わせた。
わめき声と同時に、包丁が飛んでくる。
わずかに身をずらして。それが体に突き刺さるのを避けた。だが、掠った不潔な包丁は。私の頬を、鋭く切り裂いていた。
後で治療が必要だろう。
同時に、呪を発動。
皮肉にもそれは。
鬼子母神の助けを借りるもの。鬼と落ちようとしている雪村恭子を。鬼子母神の力そのものを媒介にして、救うためのものだ。
祐介君を取り落とす雪村恭子。
同時に小暮が飛び出して、祐介君を確保。叫ぶ。
「まだ息があります!」
「油断するな! まだ後ろにいる!」
苦しそうな声を上げている雪村恭子は、今。
己の奥底に潜む鬼神としての鬼子母神と戦っているのだ。子供の守護神としての鬼子母神の力を借りて。
そして、私が振り返った先には。
おぞましいまでの憎悪の表情を浮かべた。
安西が立っていた。
元々、中年の醜い体になっていた安西は。
雪村恭子と血縁があるとはとても思えないほど似ていない。
夫にも早くに先立たれ。
子供にも恵まれず。
それからは、この世を恨み続けながら生きてきた女性。その全身からは。雪村恭子以上の狂気が立ち上っていた。
「もう少しだったのに……!」
「あと少しで、雪村恭子が、斉藤祐介を食い殺していた、か?」
「そうだ! あと少しで! あの女の子供が、自業自得の死を遂げていたあ!」
「斉藤祐介君に何の罪があると言うか! この的外れのド低脳がぁ!」
狂気の籠もった怒声に。
私は、真正面から受けて立つ。
小暮に視線で指示。
まだ暴れているが。それでも無理矢理に、雪村恭子を引きずって撤退させる。周囲のガソリン臭は薄れていない。
何かあったら、ドカンだ。
「どうして私ばかり! あんな女にはあんな可愛い子供が授かりながら、私には子供が授からなかった! せっかくの子供を虐待するようなクズ女だ! あんなに慕っていたのに、あの家から悲鳴と泣き声が途切れない日なんか無かった!」
「子育てはな、一人でやるには重すぎるんだよ」
「子供も産んだことがないのになんで分かる!」
「私はな、散々自分より年下の子供を面倒見てきたからな。 子育てがどれだけ大変かはよく分かっているつもりだ。 下手な母親より経験値はずっと多いぞ。 だからこそ言う」
進み出る。
既に、安西聡子の体は、異形化が始まっている。ふくれあがり、それはまさに本物の鬼と呼べる姿になりつつあった。
「喰らってやる……! 何もかも……!」
「世界への憎悪が、お前を変えるか」
「そうだ! お前も! 斉藤由香利も! 斉藤祐介も! 雪村恭子も! 何もかも何もかも、引き裂いてやる!」
「哀れな奴だ」
さて。
此奴が糸を引いているのは確実だと、コレで分かった。
だが。此奴の後ろにいるのは誰だ。
少しばかり、確かめなければならない。
此処はいつ爆発してもおかしくない修羅場だ。だが、もう少し。私が戦闘態勢に入るのを見て、鼻で笑う鬼。
だが、その顔面に、私が一瞬で飛び膝を叩き込んだ時には。
余裕の表情は崩れていた。
巨体が揺らぐ。
小暮以上の巨体が。
私はそのまま安西の頭を掴み。こめかみに対して、一撃を叩き込む。
人体急所の一つ。
まともに食らえば、大の大人でも、一瞬で動けなくなる。
某子供向けアニメで、お仕置きとして使われているあれだが。実戦で本気で叩き込むと、大人でさえ戦闘力を一撃で喪失するほどの破壊力があるのだ。
跳び離れ、着地。
揺らいだ安西の巨体。
だが、踏みとどまる。
凄まじい咆哮を上げる安西だが。
その後ろから、小暮が組み付いた。
ふくれあがり、筋肉の塊になった安西は、もはや小暮さえ凌ぐ巨体だ。よし。予定通り、雪村恭子と斉藤祐介君を外に連れ出したか。
暴れ狂う安西に。
小暮は、押さえ込むので必死。
人類でも屈指の戦闘力を持つだろう小暮が、冷や汗を流しているのが見えた。それだけ凄まじい力の暴風が吹き荒れているのだ。
「悪いが、今日は機嫌が悪い。 少しばかり本気で行くぞ」
返事は咆哮。
鬼を古代の人々が怖れたのが分かる。
だが、私は。指を二本立てると。
その豪腕をかいくぐり。
腹に、突き刺していた。
経絡秘孔の一つを、貫いたのである。
巨体が、びくりと、一瞬止まる。
これは、大の大人が一瞬で絶息するレベルの秘孔だ。普通だったら、そのまま悶絶である。
さっきの急所への一撃以上のダメージが入ったはず。
ましてや相手は人間じゃない。
怪異だから、火力は倍増。
だが、それでも、なお安西は立て直そうとする。
まずい。
火の手が上がり始めた。恐らく、仕掛けをしていたのだろう。全てを燃やしてしまおうと。
私だって燃えたら死ぬ。
決着を急がないと危ない。
「せ、先輩!」
「押さえ込んでいろ!」
炎の中。
私ももう余裕なく、突貫。
わめき暴れる安西の体に、無数のラッシュを叩き込む。その全てが、秘孔を貫く。
絶叫。
二十七回目。私は血に濡れた指を引っこ抜くと。
燃え上がる廃病院の中で。
指を振るって、血を払った。
安西は。
血潮に塗れながらも、私をにらみつけてくる。
戦闘力をこれだけ奪っても。
まだ意識はあるのか。
「呪ってやる……!」
「もう危険であります、先輩!」
「撤退するぞ。 小暮、そいつを引きずっていけるか」
「何とか!」
よし。小暮を先に撤退させる。
そして、私は、見た。
向かいのビルから、此方を見ている奴がいる。戦闘中、式神が知らせてきたのだ。そいつと、目が合う。
相手は、不敵に笑ったようだった。
私は肉食獣の笑みで返す。
いずれ貴様を。
地獄と言うも生ぬるい悪夢の底に、ぶち込んでやる。
それは、私の宣戦布告。
ごんと、頭に何か当たる。
火が回って、蛍光灯が落ちてきたのだ。幸い蛍光灯そのものはとっくになくなっていたが、その土台部分だけでも正直凄くいたい。
せっかくきまっていたのに。
このままだとアフロになる。
私の髪は、これでも綺麗なことで自慢なのだ。顔は普通だけど、それは仕方が無い。
もう、これ以上は無理だ。
崩落を始めるグラナダクリニックから。
私は、もはや後先考えず、逃げ出すほか無かった。
ふと、気付く。
炎の中。
誰かがほほえんでいるように見えた。
それは、ひょっとして。
加護をくれた、鬼子母神かも知れない。
5、結末
捜査に混乱はあったが。どうにか斉藤祐介君は救出に成功。誘拐事件での救出成功は確率が低い。大金星と言える成果だった。
手柄は例の部長とそのチームにくれてやる。
貸しを作って置いた方が、後が動きやすいからだ。
私はまだ警部補で、警察の中での地位も高い方では無い。幹部ではあるが最下層。こうやって、コネを作って置いて。
後で、警視庁に巣くっているドブネズミをぶっ潰すための助けにするのだ。
事件の翌々日。
雪村恭子に会いに行く。
警察病院に入れられていた彼女は。
あの凄まじい殺気が嘘のように。やせ衰え。病院のベッドで、点滴を受けていた。意識は、あるようだが。
立ち会いの刑事と一緒に、話を聞く。
なお、小暮は入れて貰えなかった。
「祐介君は……」
「大丈夫だ。 正直な話、貴方が事件を起こさなければ、虐待死に発展していた可能性も高かっただろう。 これからは本職のカウンセラーが、斉藤由香利を更正させる。 祐介君も、しばらくはメンタルケアのために、施設で預かる予定だ」
親子として、一からやり直す。
それがあの二人には必要だろう。
雪村恭子は、虚ろな目をしていたが。
それでも、哀しみは分かった。
「祐介君はもう意識を取り戻した。 貴方の事は恨んでもいないし、また遊んで欲しいそうだ」
「……」
また救われたのだろう。
祐介君が描いた絵を渡す。
おねえちゃんへ。
そう書かれた絵には。
優しくほほえんでいる、年相応の画力の。女性が描かれていた。
一方、安西聡子にも面会に行く。
此方は完全に隔離病棟だ。
今も唸り声を上げて荒れ狂っているという。
私が経絡秘孔を散々貫いて、普通だったら身動きも取れない状態の筈だが。怪異と混じり合っているから、なのかもしれない。
ちなみに怪異の部分は完全にぶっ壊した。
そうなると、元から体を鍛えていたか。
他にも何か理由があるのか。
いずれにしても、今後の緻密な調査が必要になってくるだろう。
私を見ると、安西聡子は、悲鳴を上げる。
今更になって。
痛みが、正気を上回り始めたのだろう。
「お、おまえ、なにものだ」
「安西聡子、貴様には誘拐の指嗾の容疑が出ている。 体調が回復し次第、雪村恭子をそそのかして、斉藤祐介君を殺させようとした容疑で、刑事裁判に掛かって貰う。 執行猶予はまず出ない。 そうだな、最低でも数年は牢に入って貰う事になるから覚悟しておけよ」
私の宣告に。
安西聡子は絶叫した。
どうして私だけ。
どうしてあのDV女は。
あんな負け犬が。
叫ぶ安西聡子は、もう正気ではないようだった。これでは、判決が出ても、隔離病棟から出られないかも知れない。
此奴もある意味被害者か。話は聞けそうにない。
此奴の周辺には、怪異の影もない。
例えば、守護霊でもついていれば、そいつから色々聞けたのだが。それも望み薄だ。
嘆息すると、私は泣きわめいている安西聡子の前を離れる。
そして、病院を出た。
アフロにはならずに済んだけれど。
私も無事では済まなかった。
頬の傷は案の定ちょっとでも手当てが遅れていれば、手酷く化膿していたこと確実だったという。跡は残らないにしても、昔だったら死につながりかねない傷だった。
雪村恭子は、虐待からの緊急避難という事で、裁判でも情状酌量の余地が認められるはずだ。かなり刑罰も軽減されるだろう。
どうにか、死者を出さずに事件を解決できたが。
あの絵の事を思い出すと、いたましい。
優しい笑顔を浮かべているのに、包丁を持っている母親。
とても優しくて、オモチャをもってほほえんでいる雪村恭子。
二人が祐介君の手をそれぞれとっている絵。
あの光景は、見られないだろう。
小暮が来る。
此奴も無傷とはいかなかったが。崩落する廃病院から、祐介君と雪村恭子、それにまだ暴れる安西聡子を救い出した無双の活躍を見せた。文字通り、八面六臂とでもいうべきだろう。
流石である。
「先輩、警視庁から賞状が出るそうです」
「手柄は譲ってやったんだがな」
「それが、例の部長が、先輩の活躍について説明したとか」
「ふん、一抹の良心は残っていたか」
鼻で笑う。
まあ、良いだろう。
私も警部補で終わるつもりはない。今後は警察内での地位と発言権を確保していかなければならない身だ。
少しでも、上層部に顔を利かせておくのも良いだろう。
いたましい事件だったが。
今回も、黒幕どもの好きなようにはさせなかった。
例えそれが暴力による暴力的な結末でも。
無理矢理であっても。
理不尽であっても。
私が、これ以上の好き勝手はさせない。
なぜなら、私は警官だからだ。
犯罪を未然に防ぎ。
起きてしまった場合は最小限に被害を抑える。
そして私は、明日以降も戦う。
世界には、悪意に満ちた人間がたくさんいて。
今も弱い立場だったり。闇を抱えてしまった人間を餌食にしようと。虎視眈々と狙っているのだから。
(続)
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