双身の神

 

序、神衣

 

時間が出来たので、ヴェルベティスの本格的な作成に入る。金の絹糸をコーティングし、触るだけで切り裂かれるような鋭さをまず押さえ込む。

その後糸繰りの本職に渡して、糸にしてもらい。

レシピを見ながら、コーティングを一度落とす。

そして、慎重に糸になったヴェルベティスを錬金釜に入れ。

中和剤で変質させていく。

そしてその段階から、また別種のコーティングを施す。

この作業が非常に大変で。

糸にした段階でも、まだまだ下手に触ると切り裂かれる程に鋭いからだ。まるで糸になった刃物。

実用的では無い武器として、銀糸というものがあるらしいが。

それを想像してしまう。

わたしがエルトナの地下街にいた頃。

読んでいた本に、それを使う勇者がいた。

だけれども、そんなものは使い物にならないと、あのレヴィさんさえ言っていたほどなので。

本当に使い物にならないか。

或いは余程の特殊な条件を満たさないと、使えない武器なのだろう。

ともあれ、変質を進め。

絹糸の力を最大限にまで引き出した後。

糸を再コーティング。

このコーティングにしても、非常に技術が難しく。ピンセットで掻き回そうとして、ピンセットがバラバラに、という状況が簡単に想定された。勿論、この特注の錬金釜で無ければ、調合そのものが無理だろう。

冷や汗を何度か拭いながら。

丁寧にコーティングを施し。中和剤から引き上げ。

その後は乾かし。

可能な限り純度を上げた蒸留水で、何度か洗って、徹底的に不純物を落とす。

作業時に不純物が入り込まないように。

少し前から、釜の上に空気の膜を張っている。

凄い魔術師なら自前で出来るのかも知れないが。

わたしはできっこないので。

レシピを見ながら、まずはこれを出来るように、釜の周囲に道具を作ってセットした。これで、実際に調合した品の質が跳ね上がったのだから、効果的なのがよく分かる。とはいっても、本当に凄い錬金術師は、文字通り空気も無い部屋で調合をするらしいし。最高品質の錬金術の道具は、そういった超特殊な環境で初めて生成が実現できるのだという話である。

いずれもが、ソフィー先生らしき人が見聞院に納入したレシピに書かれていた事だ。

というのも、文章の癖などから、ソフィー先生らしさが透けて見えるのである。

多分、ソフィー先生は。

文字通り、本当にそういった釜を使って調合し。

あの圧倒的な実力を再現するための道具類を造ったのかも知れない。

或いは、自分自身を何かしらの方法で強化したのかも知れない。

いずれにしても。

高みに行くには、更に繊細な調合が必要なのは事実で。

ギフテッド持ちでも無い、つまり声が聞こえない素材を相手にする場合は。

こういった繊細な作業を行って、少しでも技量の差を埋めなければならなかった。

無言で作業を終えた後。

今度は機織りの所に出向く。

フルスハイムは大きな街だ。

機織りを専門にしている人は何人もいる。

糸繰りを行う人とはまた別で。

機織りは専門の機械を使い、そして非常に高度な技術が必要になる。

伝統的にヒト族や獣人族の女性、それも既婚者が行うケースが多く。

フルスハイムにあるそこそこ大きな機織りの工場でも、そういう人達が働いているのが見えた。

美しい紫色に染まった糸を見て、何これと言われたが。

更にわたしが提示した、機織り後の図を見て、受付に出た人は絶句。

皆の分の衣服を作れるだけ糸は用意した。

何度も造りながら、納得がいく品質になるまで練習を繰り返した。

後は布にして。

いや、服にまで一度仕上げて。

その後更に処置を施して、完成となる。

工場長が出てきた。

ヒト族の気むずかしそうな老婆で。かぎ鼻とぎょろりとした目は、何だか深い森に住んでいる「魔女」を思わせた。

「なんだいこの服は。 何処かのデザイナーか何かが作ったのかい」

「レオンさんという方がデザインしたそうです。 お金に関しては払いますので、このデザイン通りにお願いします」

「……ふん、まあ良いだろう。 ただしかなり高くつくよ」

「分かっています」

どんと、金貨の袋を置く。

わたしも散々戦略事業をしてきているのだ。

この間のフロッケでの作業の時も報酬は貰っているし。

作った道具の内、二線級になったものはアルファ商会に卸している。お薬や爆弾もアルファ商会に納入して、お金に換えている。

そして今回作るヴェルベティスの衣服は、文字通りの戦略物資。

この人達には教えないが、文字通りの国宝級の品だ。

この工場は、アルファ商会の息が掛かっている。

もしも何かトラブルがあった場合は、例えば泥棒がヴェルベティスに手を出した場合は、それこそこの世の果てまで追っ手が掛かる。

だから気にしなくて良い。

一度アトリエに戻ると。

残っている作業を順番にやっていく。

体を動かした方が。

今後行わなければならない、憂鬱な難事。

すなわち邪神との戦いに向けての心身の負担が少しは小さくなる。

ツヴァイちゃんと一緒にコンテナに入って、整理を行う。ツヴァイちゃんにも装備類一式は渡しているから、補助は必要ない。多少重い道具でも素材でも、軽々と持ち運ぶことが出来るし。

怪我をしてもすぐに治る。

コンテナの中は、空気も一定で。

温度も変わらず。

光も差し込まない。

こんな空間では時間の感覚が狂ってしまいそうなのだが。どういう方法でか、ツヴァイちゃんはきちんと時間を把握しているらしく、休憩をするべきだと時々提案してくる。

わたしも体内時計を狂わせると調整が面倒なので、その提案には乗るし。

コンテナを出ると、分かっているようにお姉ちゃんかレヴィさんが料理をして待ってくれている。

食事をきちんと取って。

眠れるときに眠る。

イルちゃんとパイモンさんは、それぞれ馬車に籠もって、調合を繰り返し。

時々イルちゃんは、ライゼンベルグ西の宿場町に戻っては、街の事をこなしているようだった。

わたしも、エルトナに一度戻って、状況を確認したいが。

今回はちょっとばかり本気で集中したい。

そこでティアナちゃんに頼んで。

おかしな動きがあったら、すぐに報告して欲しいと、頭を下げておいた。

別に頼まれなくてもそのつもりだったらしいのだけれど。

ティアナちゃんはわたしに頼まれた事が嬉しかったらしく。によによと笑って、うんと頷く。

単純に楽しそうだけれども。

だけれど、ティアナちゃんが危険な事に変わりは無い。

あまり無茶はしないようにと、願うばかりだ。

数日後。

頼んでおいた服が、仕上がってきた。

紫色だが、複雑な魔法陣が仕込まれていて。体格に合わせてぴったり作られている。

服と言っても下地で。

ヴェルベティスの他にも様々な素材を使い。

最終的には組み合わせて服にする。

持ち帰った後、きちんと機織りされているか確認。問題ない事をチェックすると、後は最終作業に移る。

またコーティングを落とし。

更に中和剤で、魔法陣そのものを活性化させる。

布地に文字通り縫い込まれている魔法陣。

それも、最高クラスの素材である、金の絹糸によって作られた、防御と活性化の魔法陣を、フルパワーで稼働させるようにするのだ。

これだけで、着込んだ人間は元より何倍も強くなるが。

更に中和剤に竜の血を用いる事で。

究極レベルまで。

とはいっても、わたしが今できる範囲での究極レベルにまで、潜在力を引き上げる。

そして、再コーティング。

というのも、そのままこれを着てしまうと、文字通りズタズタになってしまう。肌着なんて何の意味も成さない。

服の内側を中心に、柔らかく金の絹糸の鋭さを受け止める布地を縫い止め。

更にこれを何種類かの接着剤でくっつけ。

縫い合わせ。

そして更に最終的なコーティングを行う。

何しろ元が危険すぎる素材なので、どれだけ厳重にコーティングしても足りないほどなのだ。

最後のコーティングは、絹糸から身を守るだけでは無く。絹糸のコーティングが熱やら水分やら酸やらアルカリやらで飛ばないようにする処置も含む。

コーティングは三日間、十を超える種類の中間生成液を使って行い。

更に二日がかりで洗浄し、乾かす。

そうすると、神衣の完成だ。

文字通り国宝級の服。

まずは、自分で着込んでみる。

内側も外側もコーティングしているが。この薬液自体が、高度錬金術の産物。柔らかく、鋭い絹糸の切れ味を受け止める。

着てみて分かったが。

なるほど、これは何というか、まるで重さを感じない。

軽いというよりも、雰囲気がハルモニウムによく似ている。

重さそのものはあるのだけれど、空気が避けて通っている感じだ。

いずれにしても、これは服として着るものというよりも、防具として身につけるものだと思った方が良さそうだ。

着込んだ後、普段着を重ね着するが。

まるで重ね着した感触が無い。

軽いし、何より身体能力が派手に上昇しているのが分かる。多分今まで作り上げた道具類の何よりも、体の力を引き上げているはずだ。

これに今まで作った錬金術の道具類を重ねて身につける。

更に数段力が上がったのが分かるが。

それでも、邪神には届くかどうか。

順番に、皆の服を仕上げていく。

一月あれば充分。

何しろ、皆の分の服は、それこそ並行して作業を行う事が出来るのだから。最初にわたしの服を作ったのは、自分で実験するため。最初に自分で着てみて、駄目かどうかは確認しなければならない。

それにしても恐ろしい布だ。

作る際に手抜きとかをしたら。

着込んだ途端に下手をするとミンチになってしまうかも知れない。

一週間ほどで、全員分が仕上がり、着て貰う。イルちゃんとアリスさん、パイモンさんにもプレゼントした。

二人は二人で、別方向から邪神攻略を模索していたようで。

世界樹から持ち帰った素材類を使って、色々調合を行っていたようなので。これについては喜んでくれた。

今まで一緒に仕事をしてくれた分の料金だという事で渡したが。

イルちゃんは苦笑い。

「これ、普通の人が百人一生働いても稼げないくらいの価値があるわよ」

「それは分かっているけれど、戦う相手が邪神だから」

「うん、それは……分かってる」

イルちゃんも、パルミラの力を見て、凹んでいた一人だ。

勿論身体能力を数倍にした程度では、とても勝てる相手ではない。

だが、このヴェルベティスの神衣による根本的なパンプアップは、他の邪神が相手であれば。

或いは攻略の糸口になる筈だ。

外で軽く力を試す。

つるはしを振るうが。

今まで以上に簡単に、文字通り水に刺すように、つるはしの先端が岩に食い込んでいた。

勿論、一瞬で木っ端みじんである。

それも、岩の声を聞いたから、きちんと鉱石ごとに分解されてくれる。

自警団が、それを見て拍手をしていたが。

わたしと一緒に仕事をした人だ。

この程度の光景には慣れているだろう。単にわたしの太鼓持ちをした可能性がある。

だから他にも実験をしてみる。

お姉ちゃん立ち会いの下、地面に手をついて、干渉。

魔力が段違いに跳ね上がっている。

ヴェルベティスの効果恐るべし。

単に頑強な防御を得られる、というだけではない。

地面に手を触れて、鉱物の声を聞くけれど。

今までに無い広範囲の鉱物の声が、神衣を着る前とは比較にもならないほどクリアに聞こえた。

少し五月蠅すぎる位だ。

でも、これでもっと鉱物が身近になった。

それに、周囲の鉱物が、どれくらいの獣が、どれくらいいるか。教えてくれる。

頷くと、幾つか地面に干渉する魔術を試してみる。

火力が上がりすぎていて。

例えば、相手を下から錐状の岩で貫く魔術を試してみたら。かなり大きな獣が、一撃で真っ二つになった。

岩が大きすぎたのだ。

勿論死体は回収して、解体して素材として活用する。

他の魔術も試してみるが。

いずれも、今までとは威力が段違いになっている。

これは、戦略事業が更に楽になるだろう。

後は、コーティングが完璧かどうか、着こなした状態で確認を続けなければならない。

理論上は永続的に大丈夫な筈だけれども。

超高熱とか超低温とかに晒されたらどうなるか分からない。

流石にそんなものに晒されたら着ているわたしが死ぬと思うけれど。その後、神衣だと思って着た人が大けが、何て事態は避けたいのだ。

検証を重ねて。

幾つか分かってくる。

作業を色々した後、神衣を丁寧に調べる。

ルーペまで使い。

調査用の魔術も使って、隅々まで。

コーティングは変質していない。

勿論ヴェルベティスも、下地に使った布も大丈夫だ。

だが、何か引っ掛かる。

そこでもう少し調べて見ると、どうやら下地に使った布そのものが、少し劣化していることが分かった。

なるほど、ヴェルベティスがあまりにも凶悪すぎる魔力を発揮しているからか。

レシピを確認。

下地の布は、今後定期的に交換する必要がある。

そう、自分用のメモに付け加えておいた。

勿論、更に腕が上がれば。

下地が必要なくなる。

そうすれば、ヴェルベティスだけで作った神衣を作る事が出来。そしてその神衣は、文字通りの存在として、身につけたものを守ってくれるだろう。

額の汗を拭う。

他にも問題が無いか徹底的に調べている内に。

食事の時間が来た。

軽く皆で食事をした後。

アングリフさんが切り出した。

「邪神、エルエムだったか」

「はい。 そういう名前だと聞いています」

「そいつを倒したら、俺は傭兵を引退するつもりだ」

「!」

そうか。それも良いかも知れない。

この人は、戦略級の傭兵として、長い間戦い続けて来た。肉体的な限界も近づいている。

そもそもこの人はヒト族。この年齢で「戦士として」現役、というのが色々規格外なのだ。

ヒト族としては、とっくに後進の育成に回っている年齢である。

「例の孤児院の件、頼んでも良いか」

「わかりました。 ただ、補佐役を用意しますので、その人の言う事には従ってください」

「何だ、窮屈だな」

「誰だっていきなり何でも上手く行くわけがありません。 傭兵団として人を率いる事に関しては、アングリフさんは達人だと思いますけれど。 だからといって、孤児院までいきなり完全に運営できるとは思えませんから」

カルドさんも、教師として仕事を依頼するつもりだ。

標の民としての仕事があるだろうから、常駐は出来ないだろうが。

それでも歴史の授業くらいは教える事が出来るだろう。

更に、アルファ商会にも話を持ちかける。

人材の確保は、アルファ商会でも考えている筈。

ソフィー先生にしても、あれほどの人材、育成するのが簡単だった筈が無い。

孤児院というだけではなく、総合的な学問施設にすることにより。

人材をどんどん育成することが出来る。

更に言えば、錬金術師の素質を持つ人間を、発見できる可能性だって高くなるはずだ。

「じゃあ、言葉に甘えるとするか」

「……もし良かったら、アンチエイジングしますか?」

「ああん? いいや、いらねえよ。 俺は分相応に生き満足して死にたいと思っているんでな。 俺は不死身のアングリフとまで呼ばれて、傭兵として充分すぎる位生きたし、それで充分だ」

「分かりました」

やはりそう答えるだろうと思っていた。

食事を終えた後、ヴェルベティスの再調整に取りかかる。

コーティングの過程に手を加えられるかも知れない。そうすれば、下地の寿命を延ばせるか。

もしくは下地そのものを入らなく出来るかもしれない。

更に、である。

せっかくドンケルハイトが手に入ったのである。

これを使って、何かしら強力な道具が造り出せるかも知れない。

ツヴァイちゃんに増やして貰うか。

いや、ツヴァイちゃんが如何に複製の錬金術を積極的にこなして、力を伸ばしているとは言え。いくら何でもドンケルハイトの複製は無謀すぎる。

触っているだけでじんわり暖かいほどの魔力を持っている薬草の王だ。

どれだけの消耗があるかわかったものではない。

色々な事をしたい。

邪神を倒した後は、更にもっと出来る事も増える。

錬金術師の高みは、まだまだずっと先だろうけれども。出来る事が増えれば、世界の酷い事を更に抑える事も出来るはず。

世界を変えることも。

或いは。

わたしは寝返りをうちながら、考える。

この世界に住む人間が、元から如何に腐った存在だったとして。

どうすれば。世界を変えることが出来るのか。

そろそろ、真剣に考えなければならない。

それは、わたしにも分かりきっていた。

 

1、翻弄暴威

 

宣告してから一月丁度で、アトミナとメクレットが姿を見せた。フルスハイムで準備をギリギリまでしていたわたし達の所に、もう準備は終わったよね、と言わんばかりの顔で、である。

厚かましいというか、時間に正確というか。

いずれにしても、この二人を連れてエルエムを潰しに行く。

それについては、決定事項だ。

ただ、勝率は、少しでも上げておきたい。

二人には、分かる事を可能な限り話して貰う事にする。

今度の相手は邪神。

何をしてくるか、まったく分からないのだから。

イルちゃんとパイモンさん。

他の皆にも同席して貰う。

アトミナとメクレットは、子供にしか見えないが。これだけの数の手練れに囲まれても、まるで萎縮する様子も無い。

「今回調査を頼んだ場所は、昔知り合いが探索を望んだ場所でね。 君達と同じように空を飛ぶ船を作って、調べに行ったんだ」

「……」

この子供達の知り合い。

昔。

メクレットの言葉には、違和感だらけ。だが、それでもおかしいとはどうしても思えない。

この子らは、見た目通りの存在では無い。

それについてだけは、絶対と言って良いほど確かだった。

「彼は僕達の友人だった。 邪神についての研究もしていた。 戦力は充分につけたはずだったが、まだ認識が甘かった。 船そのものがあの島に到達したことは知っているが、それ以降は分からない」

「その調査を頼むってわけか」

「そうなるわ」

アングリフさんの前に。

アトミナが、ぽいという感じで、金貨の袋を置く。

尋常では無い大きさだ。

確認するが、今まで見たことが無いような金額が入っていた。

まあ、邪神の討伐依頼となれば当然か。

単独で手練れの錬金術師がいる街を滅ぼすドラゴンよりも、更に格上の存在なのである。本来だったら、国がやるべき仕事だ。

そして、話には聞いているが。

まだ多数、国でもどうにも出来ない邪神が、世界では大手を振って堂々と存在していると言う。

そういうものなのだ。

この世界は、人間のものではないのである。

「エルエムと言いましたか。 詳しい情報をお願いします」

「エルエムは他の地域でも目撃例が以前はあった邪神でね。 二体の魔族の女が背中合わせにつながっているような姿をしている。 片方は赤、片方は蒼。 それぞれ炎と氷の能力を用い、連携して戦う邪神だ」

「実質邪神二体分か……」

「いや、邪神としては今はかなり弱体化している。 これについては調査済みだ。 ……ヴェルベティスをその精度で作れるなら、勝機は充分あるだろう。 だが奴に時間を与えると、どんどん周囲を要塞化していくはずだ」

話しているのはメクレットだ。

アトミナは、殆ど喋らない。

というか、面倒なようで。

ネゴの類は、メクレットに押しつけているように見える。

「少し前に邪神の頂点と思われる奴の実力を見た」

「ひょっとしてパルミラ?」

「……」

「パルミラとエルエムだと、それこそ陽とホタルだよ。 しかもエルエムが完全の状態でね。 パルミラと戦って相応の報酬を受け取ったのなら、勝ち目はあるだろう」

アングリフさんは鼻を鳴らす。

もうこの二人の素性を詮索する気にもならないようだった。

他に何か敵の能力について知らないか、とお姉ちゃんが切り出す。

多分だけれども、わたしの危険を少しでも減らしたいのだろう。まああんな化け物と戦った後だ。気持ちは良く分かる。わたしもツヴァイちゃんの様子が心配でならない。

「邪神は共通して、肉体の高速修復能力を持っている。 エルエムもそれは例外では無く、今弱っているのは強敵との戦闘で高次元に存在するコアに甚大なダメージを受けたからだ。 コアにダメージを受けると、流石の邪神もどうにもならない。 邪神を殺すには、コアを完全に消滅させるか、もしくは飽和攻撃で肉体を完全に消し去るか、二択だ」

「コア……」

「流石にパルミラのような存在になると、そのコアさえ瞬間回復させるが、エルエムには其処まで出来ない。 心配はしなくても大丈夫だよ」

わたしは挙手。

炎と氷で、どうして連携できるのか。つながっているのなら、それは互いに力を打ち消し合ってしまうのではないのか。

実際わたしも、ブリッツコア四種を同時発動させるときは、打ち消しあわないように相当苦労した。具体的には、微妙な時間差を置いて敵に攻撃が届くように調整した。

それについては、分からないと応えられる。

というか、見てみないと分からないと修正されたが。

なるほど。

いずれにしても、幾つか分かった事がある。

この二人は多分深淵の者関係者。それも幹部クラスだろう。

子供の姿をしているのは、アンチエイジングをしたか、何かしらの処置をしたか。非戦闘員というのも嘘くさい。実際には自衛能力くらい持っている可能性が高そうだ。

だが、その場合、ソフィー先生がどうしてわたしを指名したのかが気になる。

難易度の高い仕事をさせて、力をつけさせるためだろうか。

しかし、深淵の者と強力なコネを持っているだろうソフィー先生が。その幹部に、危険をわざわざ冒させるだろうか。

或いはこの二人が、ソフィー先生の上位にいる可能性は。

いや、可能性はあまり高くないだろうとわたしは思う。地位的な観点ではあるかも知れないが。

あのソフィー先生が、自分の目的のために、誰かの下で働くとはどうにも考えにくいのだ。

多分イニシアチブを取りたがる筈で。

もしも上位の幹部と摩擦を起こすようなら、その時は容赦なく消すだろう。ティアナちゃんのような手駒も持っているだろうし、何よりあの実力。下手をすると武名高いアダレットの騎士団が総力でもソフィー先生には勝てない。いや、下手をしなくても多分勝てないだろう。

その上ソフィー先生はあらゆる意味で神かそれに近い能力に達している。

その状態で、人間の組織の下につくだろうか。

まさか、わたしを利用しての暗殺。

いや、それもまた考えにくい。

そんな事をしなくても、自分でやれば良いし。

ソフィー先生はわたしを大事な手駒だと認識している様子だ。手駒を使い捨てにするような事は無いだろう。

少し考え込んだが。

わたしは幾つか質問をした後。

仕方が無いと、腹をくくった。

いずれにしても、邪神の脅威は放置出来ないのだ。ただ出来れば、もう少し戦力が欲しいのだが。それもかなわないか。フルスハイムは今禁忌の森に対する城壁を作っている最中で、レンさんは手が離せない。オレリーさんはまだフルスハイム近辺の貧弱なインフラを強化している最中で、此方も手を貸せとはとても言えない。ディオンさんは戦いに向いていない。キルシェさんやノルベルトさんは少しばかり居場所が遠すぎる。ライゼンベルグの錬金術師達は力を借りるにはコネが無いし、何よりもそも戦闘向けでは無いだろう。

我々だけでやるしかない。

ライトさんとレフトさんには引き続き装甲船二番艦を任せるとして。

ただ、もう少し手勢が欲しい。

わたしはアトミナとメクレットを横目で見る。

少なくとも、この二人の護衛兼監視役が欲しい所だが。イルちゃんを見るが、首を横に振られる。

つまるところ、前に抜けたという腕利きの穴埋めで手一杯。二人を引き抜いてきただけで結構宿場町に負担を掛けている、と言う事だ。

やむを得ない。

傭兵を雇うか。アングリフさんに頼んで、数人回してもらうしかない。不死身のアングリフとまで呼ばれる人だ。声を掛ければ、腕利きが集まるだろう。

「ではまず威力偵察から。 それから、本格的な探索に入ります」

「うむ……異存は無いが、あのパルミラよりは劣るだろうが、相手は邪神だ。 何をしてくるか分からん。 最悪の場合の、退避手段が欲しいな」

「そうだな。 撤退の判断は早めにした方が良いだろうぜ」

アングリフさんに促される。

わたしは頷くと、明日、船を出す事を決めた。

 

装甲船二番艦が再び湖から飛び立つ。フルスハイムの人達が、港に鈴なりになって見に来ていた。

良くしたもので、観光目的に屋台まで開いている。

新しい名物扱いしている様子だ。まあ、現役で稼働している空飛ぶ船などライゼンベルグにもないだろうし、当然か。

まずはある程度浮遊して、ゆっくりと安全確保をしつつ、水を全て落とす。

艦底に獣が貼り付いていないかを確認。貼り付いている場合は、雷撃の魔術を炉を使って展開し、叩き落とす。

実際、二匹頭足類が貼り付いていたので。

この電撃で叩き落とし。

湖に転落した頭足類は、焼け焦げていた。すぐに湖がばしゃばしゃと泡立ち、水の中に引きずり込まれていく死体。

獣同士でのシンパシィなどない。

人間に対して一様に敵対的なだけで。

死ねば見ての通りだ。

水遊びとかをする場所が欲しいのなら、川では無く自分で作った水場でやるしかない。そういうものなのである。川に無防備な姿で入ったりしたら、瞬く間に獣の餌である。

問題が無いかを確認。

アングリフさんが腕組みして、じっとしているが。

不機嫌そうだった。

実は、昨日のうちにアトミナとメクレットを監視する要員を探して貰ったのである。

だが、答えは見ての通り。

それを出来そうな傭兵は集まらなかった。

何より邪神に対して威力偵察をする、というだけで殆どの人間が怖じ気づいてしまい。

それどころではなくなったのである。

結局、遠目に見ているだけ。

近頃の若造は、というような類のことを、アングリフさんは言わなかった。あくまで多分だが。邪神の実力は分かっているし、それを知っていながら金で戦えと誘うのは無情に過ぎると判断したからだろう。

わたしだって同じ立場だったら。

お金を払っても、命がけの仕事である事は告げるし。邪神と戦う事になる可能性が高い事も告げる。

それで相手が引いたのなら。

諦めるしか無い。

結局、仕方が無いので、アトミナとメクレットの二人には空飛ぶ荷車に乗っていて貰う。見張りはレヴィさんにして貰うつもりだ。

いずれにしても守りの要を担うレヴィさんだ。

二人を任せるには、他に人員もいないだろう。

充分な高度を確保。

ゆっくりフルスハイムを見下ろしながら移動を開始する。

船が珍しいのか、アードラが遠巻きに此方を伺っていたが。やがて距離を取ると、去って行く。

此方の方が遙かに大きい上。

感じる魔力が桁外れなので、仕掛ける意味がないと判断したのだろう。

もっとも、甲板に誰か出ていれば話は別だっただろうが。

今は皆船の中だ。

上空に出ると、温度や気圧がかなり変わってくる。

これについては、船の内外につけた計器類を確認して、わたしも知った。

カルドさんはメモを取っている。もっとデータが欲しいと呟いていたが。こればかりは、どうしようもない。

無尽蔵に動く魔力炉と言っても。

この船を毎日カルドさんの都合で動かす訳にはいかない。

そして統計はデータ量で精度が決まる。残念ながら、ちょっとやそっとのデータでは、ゴミにしかならない。

船がゆっくり西進を始める。

レヴィさんに呼ばれたので、頷いてアトリエの中に。

レヴィさんに渡したチェストを解放するという。

鍵については以前わたしが修復した。

さて、中には何が入っているか。

重さからいって、山盛りの金貨とか、凄い大剣とかではないだろう。それほど大きなものではない筈だ。

チェストそのものは「かなり頑丈」で。

というか、流石にパルミラのくれたチェストだけあって凄まじい強度で。

感じる魔力から言っても、使われている金属(声は聞こえるが、何かの合金と言う事しか分からない)から言っても。

壊す事は不可能だろう。

念のため、アングリフさんとお姉ちゃんにも立ち会って貰う。

鍵をかざすと。

レヴィさんは、何か変な呪文のようなものを唱え始めた。

「我が意思に従い、強固なる神の壁をこじ開けよ。 その存在は神の一端にて、世界を崩す扉なり。 おお我が手にある鍵よ、そなたの力を今此処に解放するのだ!」

「随分面倒な詠唱を作ったな」

「いえ……その、普通に入れるだけで開く鍵です」

「何だよ、てことはただの気分か」

アングリフさんが呆れるが。

わははははと笑いながら、レヴィさんが鍵をチェストに突っ込む。

そういえばあの鍵。

レヴィさんは何処で手に入れたのだろう。まあ詮索するのも野暮だ。ただ、もしもパルミラが面白半分でばらまいているのだとしたら。

いや、それも考えにくい。

パルミラは暴虐の権化にしか思えなかったが。

その一方で、悪意の類は感じなかった。

実際多少でも悪意があったのなら。

わたしたちを、戦いの前の状態にまで回復させる、などと言うことは絶対にしなかっただろう。

とにかく、鍵は鍵穴に差し込まれ。

チェストはすっと空いた。

多分錬金術での変質を行って、欠けた分を補修した。それだけが、あれを開ける鍵だったのだろう。

というのも、あのチェスト。

そのそも尋常な手段では手に入れる事など出来ないのだから。

チェストが開くと。

宝玉のようなものが入っていた。

鉱物の声が聞こえる。

どうやら、竜核や深核の、更に上位の品らしい。凄まじい魔力が。それこそ、ちょっと手を入れれば大爆発するような魔力を感じ取ることが出来る。

戦慄するわたしを横目に。

レヴィさんは小首をかしげていた。

「フィリス。 何だこれは」

「恐らく、凄く品質の高い……というか次元違いに凄い深核です」

「ふむ……」

困り果てた様子でレヴィさんも首をかしげる。

流石にこんなものを貰っても、換金するくらいしか使い路が無い。

嘆息するレヴィさんに、わたしが妥協案を出す。

「わたしが買い取ります」

「ふむ?」

「その代わり、その剣にもう少し手を加えても良いですか? アングリフさんの剣のように、熱を発するように出来ますけど」

「熱よりも何だかこう、触っていない相手を切り裂く事は出来ないか」

また抽象的なことを言われる。

わたしとしても困るが。まあ何とかするしか無いだろう。

「遠隔で斬ると言う事ですか? ……危なくないですか?」

「その辺りはフィリスの腕前でカバーしてくれ」

「……分かりました」

いずれにしても、今回は威力偵察だ。宝玉については保留として、一度コンテナに入れておく。

一度状況を見て、もしも行けそうならばそのまま邪神を討伐する。無理そうだったら、一度引き返す。

どちらにしても、時間はある。

一度アトリエを出て、備え直す。

遠くをドラゴンが飛んでいる。アラートが鳴るが、ドラゴンは此方に興味を見せず、悠々と飛び去っていった。

何か目的があるのかも知れない。

此方を完全に無視していたので、そう感じさせられたのだが。

まあ、その辺りはよく分からない。

禁忌の森の上空にさしかかる。

眼下を確認すると。

城壁が急ピッチで作られていた。船に向けて手を振っているが、甲板に出て振り返す訳にもいかないだろう。

かわりに、チカチカと船を光らせた。

最低限まで出力を落とし、雷撃の術を展開したのだ。

船が瞬いたことで、意図を察してくれたのだろう。下で働いている人達が、わっと喚声を上げる。

フルスハイムの象徴だ。

空まで飛んでいるぞ。

そんな声も聞こえてきた。

わたしだけで作ったものではない。

むしろわたしだけで行った戦略事業なんて、ほとんどない。殆どの場合は、誰か頼りになる錬金術師の補助を受けていた。

わたしは、いつ。

一人前になれるのだろうか。

今も側にお姉ちゃんがいて。

アングリフさんが顧問のようなことをしてくれていて。

ツヴァイちゃんが数字を管理してくれて。

結局、わたしは皆のアドバイスを聞きながら、錬金術師をそれとなくやっていく事しか出来ていない。

嘆息する。

あの喚声を受ける価値は、わたしにはあるのだろうか。

何より、この世界の先にあるどん詰まりの未来。あれを打破できるとは、とても思えないのだ。

ふと気付くと。

イルちゃんに、アトミナとメクレットが何か話しかけていた。

揶揄するようにひそひそと、だけれど。

イルちゃんはぐっと拳を握りしめて、悔しそうだ。アリスさんは側に控えているが、何も言おうとはしない。

わたしは話しかけるべきでは無いと判断したので。そのまま船を進めて。更に高度を上げていった。

程なく、空に浮かぶ岩の塊の全容が見えてくる。

わたしが丸ごと砕いた岩山のどれよりも大きい。凄まじい巨大さだ。

岩隗の上には木が生い茂っていて。

獣も多数生息している。

しかも岩隗は一つでは無く、多数が複雑に入り組むようにして存在していて。それらはまるで迷路のようにつながり、絡み合っていた。

「総員警戒!」

「微速前進してください」

「微速ー前進ー」

ライトさんがゆったりという。

こういうしゃべり方は、船の操舵というものが取り返しがつかないから、らしい。わざとゆっくり分かり易く言う事によって、聞き間違えないようにし。操舵の事故を避けるために行っているそうだ。

他にもアイアイサーなどと言った用語も。船乗り独自のものらしい。

なおこの二人にはマニュアルを渡した後。

カイさんに軽く研修をして貰ったのだが。

その際に、こういうしゃべり方を叩き込まれたそうである。すぐに身につけたのは、流石と言うべきだが。

やがて、一番大きな岩隗に出る。

なんと湖まであり。

巨大な、それこそ屋敷ほどもあるぷにぷにがいて、何かを貪り喰っていた。

これは、文字通りの魔境だ。

生半可な傭兵は、この光景を見ただけで尻込みし、逃げだそうとしたかも知れない。逃げる場所なんて、どこにもありはしないが。

ある意味、むしろ良かったのだろうか。

無理矢理傭兵を連れて来ても。

これでは、役になど立たなかっただろう。

アトミナとメクレットを見る。

二人は平然としている。

やはりただの子供では無い。こんな光景を見て、平静でいられる子供など、想像も出来ないからだ。

ツヴァイちゃんは、邪神と聞いてから青ざめていたが。

今は大分落ち着いているようだ。

ドラゴン戦にも参加したツヴァイちゃんである。ネームドとも獣とも、散々間近で戦いを見ている。

それなのに、此処までのダメージを心に受けるなんて。

わたしも、正直言うとまだ怖い。

だが、やらなければならない。

船が下りられそうな場所を見つけた。一旦船を停止させ、様子を確認する。もしも獣が仕掛けてくるようなら、主砲を叩き込んで蹴散らす。

だが。岩隗が豊富な緑に覆われているからか。

獣は此方に対して警戒はしているようだが。

少なくとも、無差別に攻撃をしてくる様子は無かった。

「降り……」

「いや、もう少し周囲を確認しておくべきだ。 邪神……エルエムとか言ったか。 そいつがどの辺りにいるかくらいの見当はつけたい。 今回はあくまで威力偵察だからな」

「そうでしたね。 わかりました。 微速ー前進ー」

ライトさんがまた、微速前進を伸ばして言い。

装甲船二番艦は、ゆっくりとその場から動き始めた。

入り組んだ浮かぶ岩の間を縫って進んでいく。小さな岩隗も浮かんでいるので、外に出てサンプルを採取。

装甲が装甲だから、岩がぶつかったくらいではびくともしないが。

それでも、速度はあまり上げない方が良いだろう。

バードストライクの恐ろしさについては、散々調べて知っている。

速度を上げると、鳥でさえ飛翔体に致命的なダメージを与えるのだ。鳥より遙かに質量が大きい岩がぶつかったらどうなるか何て、はっきり言って考えたくも無い。

道具を取り出す。

前にフロッケ周辺を調査するときに使った道具だ。

それを炉と接続して、岩隗を上から調査する。

イルちゃんとパイモンさんにも原理は説明。パイモンさんは、レシピを売ってくれとすぐに飛びついてきた。

「それほど難しいレシピでは無いですよ」

「いや、これはフィリスの考えより完成度の高いレシピだ。 わしの村の周囲を調べるのに、一つ作っておきたい」

「わかりました。 それでは」

レシピを渡す。

あまり自覚は無かったが、いつの間にかわたしのレシピは、そんなに良いものになっていたのか。

浮遊島の間を調査しながら進んでいくと。

なんと逆さに植物が生えている島を確認。

よく見ると、ゆっくり回転しているようである。

確かに、通常ではあり得ない生え方だ。普通の植物があんな風に生えるなんて、あり得る事では無いし、そもそもお日様を浴びることが出来ない。

お日様がいらない植物も存在するが。

あれはどう見てもそうだとは思えなかった。

メモを取っておく。

調査もしておく。

更に奥へ進もうかと思ったが、細かい岩が船体にぶつかり始める。どんどん岩が小さくなってきているのだ。

船が通れる隙間が無くなってきている。

プラティーンの合金と、ハルモニウムで固めている船体だ。

ちょっとやそっとの岩がぶつかった程度では傷の一つもつかないが。これ以上大きい岩となってくると、話も別になってくる。

面倒だ。

わたしは、周囲の鉱物の声を聞きながら思う。

「微速後退してください」

一旦は、此処までだ。

ツヴァイちゃんが、イルちゃんと協力しながら、今まで見て回った箇所の地図を、書き下ろしている。

此処が一筋縄ではいかないこと。

そして恐らく船で直接邪神に挑めないことは分かった。

威力偵察の成果としては、それで充分。

ならば、引き上げるまでである。

一度浮島地帯を抜け。

そして、フルスハイムにまで戻る。

殺気を向けられる事も。

獣に絡まれて、大きな打撃を受けることもなく。装甲船二番艦は、フルスハイム東の湖に着水。

既に夜中になっていた。

一度解散とし。

以降のことは明日考える事とする。

アトミナとメクレットは、なにもそれについては言わなかった。ただ、調査を止めて良いとも言わなかった。

つまり明日以降も。

別の角度から、あの浮遊島群を、調査しなければならない、と言う事だ。

気が滅入るが、やむを得ない。

わたしは、明日以降の計画を考えながら、船の甲板に出る。鉱物の声を聞き、船体のダメージを確認。

幸い、補修は必要なく。岩がぶつかった場所も、傷一つついてはいなかった。

 

2、空の迷宮

 

禁忌の森にはドラゴンが住んでいる。それも中級ドラゴンのゴルドネアだ。以前調査したときに、それは確認した。

つまるところ、低空飛行で禁忌の森を掠めることは、ブレスの直撃を喰らう可能性を意味していて。

出来れば避けるべきである。

故に、ある程度高度を保ったまま、今日は浮遊島に近付くと。

その下に潜り込んでいた。

昨日の時点で、逆さに植物が生えているような岩隗がある事は確認できている。

となると、普通だったら島の下部にありえないような構造物が、存在している可能性は否定出来ない。

島に出来るだけ近付くが。

近付けば近付くほど、やはり細かい浮遊した岩が飛んでいて。船体にぶつかったり、掠めたりしていく。

ぶつかるときには相応に大きな音がして。

ひやりとさせられた。

「これは色々心臓に悪いな」

アングリフさんがぼやく。

無理もない。

どんな武勇があっても、この高さから墜落したら一巻の終わりである。或いは、落ちているときにアトリエに逃げ込めば何とかなるかも知れないが。その場合、今度はグシャグシャに潰れたハルモニウムで固めた船からの脱出と。更にはあの禁忌の森を生きて抜けるという、二段構えの地獄を抜けなければならないのだ。

カルドさんは、全周を確認できるようになっている船の中から、外を熱心に見ていたけれども。

あまり喋らない。

むしろドロッセルさんの方が興味深そうにしている。

人形劇のネタにするのだろうか。

この辺り、冷や冷やしているアングリフさんとは対照的に楽観的で。落ちたら落ちたでどうしようもない、という風情である。

ドロッセルさんは実力からしても、その内彼女のお父さんやアングリフさんのような、戦略級の傭兵になる事は疑いなく。

劇作家としての時間を割くことは、今後あまりできなくなっていくだろう。

だからこそに、今のうちに。

やりたいことは、きっちり済ませておきたいのかも知れない。

一番大きい浮島の下に潜り込むと。

夜のように暗くなる。

それだけ巨大な島が空中に浮いている、と言う事で。

邪神を殺したら、これが下にある禁忌の森に落下するのでは無いか、とひやりとさせられるが。

調査をしていくと、どうやらグラビ結晶と同じ成分が検出される。

島そのものが、最初から浮いているか。

或いは後から浮く性質が付与された可能性が高い。

ということは、だ。

つまるところ、邪神を殺しても、問題はない可能性が高い。

念のため、サンプルが欲しい。

少し危険は伴うが、アングリフさんを護衛に、外に出る。念のため、お姉ちゃんにも来て貰う。

外に出ると、かなりたくさんの岩が浮かんでいたが。

その中の一つに縄を掛けて、船の中に引っ張り込む。

何しろ舵の微調整が必要になるし。

適当な岩なんてそう簡単には見つからないしで。

とにかく大変だった。

とりあえず、持ち込んだ岩を調べて見るが。

やはりグラビ結晶が中にかなりの量含まれている。

別にグラビ結晶は神の力が失われたら、存在が無くなる訳でも無い。つまり邪神を殺しても問題あるまい。

ゆっくり、その場を離れながら。

昨日見ることが出来なかった辺りを、じっくり偵察していく。

不意にレヴィさんが言う。

「妙な気配だ。 まるで生暖かい墓場の風のような」

「あら、随分詩的ね」

「詩人かい?」

「剣士だ」

アトミナとメクレットの皮肉に、さらりと胸を張って返すレヴィさん。まあそれはともかくとして、しっかり確認はしておく必要がある。

レヴィさんが妙な気配を感じた方を調べる。

ちょっと細かい岩が多すぎて、まっすぐ行くのは無理だが。

望遠鏡をお姉ちゃんとカルドさんに渡して、何か変なものが無いかを見てもらう。

二人とも、特にこれといって変なものは見つけられない、と言うけれど。

何だか凄く。

それも特大に嫌な予感がする。

距離を更に取るように、ライトさんとレフトさんに指示。

もしもそれが当たりだったら。

邪神がいるかも知れない。

そうなったばあい、ドラゴンのブレス並みのアウトレンジ攻撃が来る可能性があるのだ。

そして、予感は当たった。

ちかり、と瞬いたかと思うと。

次の瞬間には、船の横っ腹に、何か良く分からないものが着弾していた。

即座に高度を下げさせる。

射線が通ったから仕掛けて来た、と言う事は。

そもそも射線が通らない場所に逃げるしか無い。

ぞっとしたのは、ハルモニウムの装甲が燃えている、と言う事だ。

着弾したのは何だか分からないけれど。

少なくとも、装甲に燃える要素は無い。

装甲が燃えているという事は、早い話がその上から、可燃性の何かをぶつけられたという事になる。

シールドの展開も間に合わなかった。

急いで距離を取った後、甲板に出る。

凄まじい熱気だ。

こんなもの、人が直撃を受けたら、瞬時に消し炭だ。しかもお姉ちゃんやカルドさんでも確認できない遠距離から、正確に狙い撃ってきたのか。

用意してある消火剤をぶちまけるが、まるで効果が無い。

強い魔力を感じるし、多分魔術の炎だ。

ならば。

レヘルンを束にして放り投げ、起爆。

凍らせることで、強引に消火。

凄まじい灼熱と、極寒を連続で浴びて、装甲が心配だ。ゆっくりと島の下に潜り込みつつ、周囲を警戒しながら、鉱物の声を聞く。

やはりノーダメージとはいかない。

ハルモニウムの装甲そのものには深刻なダメージはないものの。

内部の装甲に、一部問題が生じていた。

攻撃を受けたときに、かなり揺れたのだが。

つまり攻撃には質量が伴っていた。

早い話が、何かとても重い燃えるものをぶつけられた、というような状態が近い。

それでいながら、凍らせてみれば実体は無い。

パルミラとの戦いを思い出す。

邪神との戦いに、理屈はもはや存在し得ないのかも知れなかった。

「船体のダメージは軽微。 航行に支障なし」

「こんなのを何発もくらったらひとたまりも無いわ。 常時シールドを展開しながら進むしかないわね」

「そうなると、移動速度が更に落ちますが」

「その時のためのシールドよ」

イルちゃんの言う通りだ。

わたしも、操舵手の二人に指示。

二人も、頷くと、シールドを展開した。

相手が邪神となると。

今の攻撃を、射線関係無しに撃ってくる可能性も否定は出来ないのだ。シールドは一瞬でも早く展開した方が良い。

船が。装甲船二番艦がシールドに包まれる。

淡く発光するため目立つが。

その代わり、大出力の錬金術製炉から魔力供給を受けているシールドだ。いつもイルちゃんが血を吐きながら展開しているアレよりも、遙かに高出力の筈。以前はドラゴンのブレスも防いで見せたし、今は更に性能も向上しているはずで、期待して良いだろう。

ゆっくり、慎重に先の地点を避けながら、島の周囲を回っていく。

その間、見える地点は、全てメモを取り。

地図を少しずつ、丁寧かつ確実に、仕上げていった。

 

夕刻、フルスハイムに帰還。

一度修理を行う。

船をドックに入れて、カイさんを呼び。内部を確認して貰う。わたしはわたしで、外の装甲を徹底的にチェック。

やはりわずかな歪みが見られたので。

空飛ぶ荷車に乗ったまま、作業をする。

もうハルモニウムの声は、まったく問題なく聞こえる。

というか、最近は、ほんの微かだけれども。他の素材の声も、少しずつ聞こえるようになりはじめていた。

まだ本当にわずかだけれども。

それで多少は助かる事もある。

お姉ちゃんに、補助のためそばに乗って貰っているが。

今はヴェルベティス製の神衣を身につけている上、山盛りの錬金術装備を纏ったままだ。こんな程度の高さから落ちても、痛くもかゆくも無い。

ハンマーを振るって、歪みを調整。

プラティーン合金の辺りが、特に歪みが酷かった。

流石に邪神だ。

この装甲を、あの遠距離からの攻撃で、これだけ歪ませるなんて。貫通されていたら、一撃アウトだったかも知れない。

炉に誘爆したらどうなるかとか。

考えたくも無かった。

下に降りると、カイさんが必要な部品をリストアップしてくれていたので。

すぐに準備する。

直すには三日かかると言うことで。すぐに頼んだ。勿論お賃金は渡す。こういったお金のやりとりは、相手の技術に対する敬意の表れだと言う事をわたしはもう知っているし。お金は何より余っているのだ。

働いてくれる人に払うのは当たり前である。

一度アトリエに戻り。

たくさんある地図を皆で確認。

それで分かったのだけれども。

どうも浮島は、主に三層で構成されているらしいことが分かってきた。勿論、平たい岩が三つ浮かんでいる、と言うような単純な構造では無く。「おおまかに」三層に分けられる、という事である。

もう少し検証が必要だと前置きした上で。カルドさんが、地図の上に指を走らせる。

「それぞれの島がつながっていないから、移動するには空飛ぶ荷車を使うほか無いだろうね。 浮島の上にはかなりの植物と木々があったから、獣による攻撃はかなり抑えられると見て良いだろうけれど、その代わり岩隗はあらゆる場所に確認できたから、速度は出せないよ」

「バードストライクね」

「そういう事になる」

イルちゃんに、カルドさんは頷いていた。

勿論文字通りの意味では無い。

岩が鳥のように空飛ぶ荷車にぶつかってくる、という事である。そしてその場合、わたし達に直撃する可能性もある。

空飛ぶ荷車は現時点でハルモニウム装甲にはしているが。

かといって、岩の塊が高速でぶつかれば、壊れないにしても激しく揺動することは避けられないし。

何よりも、最大の懸念が。

邪神によるアウトレンジ攻撃だ。

カルドさんが、二人の子供を見る。

「邪神エルエムは二体で一対の邪神だということだけれども、もう少し詳しくいいかな」

「僕達も知らないよ。 奴との交戦経験は、僕の方でもあまり集めていないしね」

「邪神について詳細な情報はあまりないことくらいは分かっているでしょう?」

「あまりこういうことは言いたくないけれど、白々しいよ。 君達はそんな邪神について知りすぎている」

鋭い指摘だが。

アトミナは涼しい表情である。

咳払いしたメクレットは。もう一度敢えて見せつけるように咳払いをした。

「申し訳ないけれど、此方も出せる情報は全部出しているんだ。 引き続き、調査と出来れば邪神の撃滅を頼むよ」

「……イルちゃん、シールドを常時展開するとして、アレに何回耐えられると思う?」

「そうね。 あくまで推察だけれど、十発程度かしら」

「速度が速度だし、もしも相手の狙い通りの位置に誘い混まれた上で連射を受けるとかなり危ないね」

要するに、シールドを展開しながらの航行を余儀なくされるため、更に船の速度が落ちる上。

勿論敵は馬鹿では無く、狙えるとなったら即座に撃沈するのでは無く。

引きつけてから徹底的に攻撃を加えてくる可能性も考慮しなければならない、という事である。

わたしも調べた。

下位の邪神の中には、殆ど意思も希薄な奴もいるらしいけれど。

上位のはそうではない。

パルミラは明確に意思を持って動いていたし、会話にも応じた。

エルエムとやらは人間型だと聞いている。

知能が無い、と判断するのは危険すぎる。

今までの地図を調べ。

その中から、まだ行けていない場所について、幾つかをリストアップする。

そして、三日後。

修理が終わってから、其処から重点的に調べる事を決めると、一度解散とした。

アトミナとメクレットはイルちゃんについていく。

イルちゃんの側にいるアリスさんと、ライトさんレフトさんは、それを止めない。やはり、何だかおかしい。

場合によっては命を張ってまでイルちゃんを助けるアリスさんが。アトミナとメクレットに関しては、まるでいないように振る舞っている。

そもそもおかしな事はまだ幾つもあった。

アリスさんの一族を、イルちゃんがまったく知らない、と言っていることがそもそも妙すぎる。

イルちゃんの一族は、家族全員が公認錬金術師で、住んでいる街の既得権益を独占していると聞いている。

つまり金持ちで名門で。

そんな一族が、揃いも揃ってどうして素性が知れないアリスさんの一族を間近において護衛にしている。

腕が立つ、というのは事実だろうが。

イルちゃんの一族は、どちらかというと既得権益を手にして守りに入っている状態の筈だ。

周囲に置くなら、戦略級の傭兵とか。

お金次第できっちり働いてくれる「信頼出来る」相手になるはず。なぜなら、生まれながらのお金持ちにはその方が思考が理解しやすいからだ。

アリスさんはわたしから見ても信頼出来る忠臣だが。

エルトナやフロッケで見た醜い権力闘争を見る限り。あの手の人達が求めるのは、「実際に忠義を尽くしてくれる人」などでは無く。都合が良い相手の筈。得体が知れない存在など、側に置いて重用するとは思えない。

まさかとは思うが。

嫌な予感がする。

情報のピースが揃いすぎているのだ。

もしもわたしの勘が当たっているとすると。

イルちゃんは、知らないうちにソフィー先生の掌の上で転がされていることになる。実際ソフィー先生も、それを臭わせることを何度も口にしている。わたしとイルちゃんに対して、ソフィー先生は並ならぬ執着を見せているし、或いは。

そして、何よりだ。

ライトさんとレフトさんのそっくりぶり。

他にもそっくりな人が二十人くらいもいる。

これらの全ての情報が。

わたしの仮説を裏付けている。

嘆息する。

心配そうにツヴァイちゃんがわたしを見上げているので、大丈夫だと誤魔化した後、夕食にする。

たまにはということで、お姉ちゃんとツヴァイちゃんとで、家族水入らずで外食に出かける。

普段はお金がもったいないから滅多にやらないのだけれど。

フルスハイムの美味しいお店を知っておくのも悪くは無いし。

勿論ポケットマネーからお金は出す。

そこそこ繁盛しているお店で。

楽団が綺麗な音楽を奏でていたが。

残念ながら、味は今一つで。

お姉ちゃんやレヴィさんが作るお料理の方が、ずっと美味しかった。勿論顔に出すことはしなかったが。

ソフィー先生には聞きたいことが山ほどある。

失敗だった外食から戻って、後は寝ることにする。

今日は雑念も多いし、調合も止めた方が良いだろう。

釈然としないし、疑念も多いまま休む。

アリスさんには何度も助けて貰った。彼女の忠誠心は疑いようがないし、多分場合によっては命がけでイルちゃんを守るだろう。フルスハイムで最初にイルちゃんと出会ったときの戦略事業の際、アリスさんは実際イルちゃんを守って瀕死の大けがをした。その事からも、疑う余地はない。

だけれども、もしそれが。

仕込まれた通りの行動だったとしたら。

ホムンクルス。

その単語が、どうしても脳裏をよぎる。

勿論生半可な錬金術師には絶対に不可能だ。

だが、ソフィー先生なら。

そして記憶や意識を操作することだって、あの人なら可能なはず。特権意識にずぶずぶに浸かったイルちゃんの家族なんて、簡単に騙す事が可能だろう。元々戦闘向けだとはとても思えないし、ソフィー先生に掛かれば、首を狩るのも生かすのも自由自在の筈だ。

寝付けなくて、ベットで寝返りをうつ。

どうしても、嫌な事ばかり、考えてしまうのだった。

 

3、浮島へ

 

ちかりと瞬く。

直後に、衝撃。

船全体が陽動。炉の数値を見て、確認。イルちゃんの見立ては正しい。多分十発までなら、耐えられる。

「第二射来ます」

「面舵いっぱい!」

勿論直撃は避けられない。

だがつるべ打ちにされるのは避けなければならない。二度目の直撃。だが、舵を切った装甲船二番艦は浮遊岩を盾にしながら、ゆっくり敵の射線から逃れる。三度目の直撃。だが、四度目は無かった。

お姉ちゃんが、三度の攻撃をしっかり観測してくれていた。それによると、わずかに曲がっていたという。

なるほど。

直進だけでは無く、ある程度攻撃の軌道を操作する事も可能、と言う事か。

厄介な話だ。その気になれば、ぐっと曲げることも出来るのかも知れない。

ドラゴンのブレスが、同じように曲げられるとは考えにくい。

そうなってくると、やはり人間のとは出力違いの魔術と判断するべきだろう。

「船体ダメージ無し」

「炉の状態は」

「現在調整中」

「……」

慌ただしく周囲を確認しながら。

地図を書いているカルドさんを見る。ツヴァイちゃんが幾つかアドバイスをして。コンパスと定規を忙しく動かしているカルドさんは、結論を出したようだった。

昨日から連続で四日間。

威力偵察を続けている。

その間に、合計三十七回の攻撃を受け。

一度は五連続での攻撃を受けた。

攻撃の性質はいずれも同じで、直撃すれば炎上する謎の魔術。質量も伴っている。シールドではじき飛ばすことが出来るが。敵は一度も攻撃を外していない。

つまり狙ったところに、狙った通りに当てている。

お姉ちゃんが言う所の、当ててから放っている、という状況なのだろう。

炉が落ち着いてから、再び探索に戻る。

今度は射撃を浴びなかったが。

今の攻撃の余波で、かなり浮遊岩が動いている。それが理由かも知れない。邪神といえども、何かしらの理由で森を傷つける事は避けたいのだろう。

幾つか分かってきたことがある。

それに、地図もかなり完成してきた。

一度浮遊島の真上に出て。全体図を確認。

その後、フルスハイムへと帰還した。

どうやらフルスハイムでは、遠くで連日光が瞬いていると話題になっているらしく。レンさんの所に不安になった重役が訪れまでしているという。

わたしが禁忌の森の上空を調査していること、邪神がそこにいて、討伐しなければならないことは告げてあるが。

やはり、邪神を変に刺激しているのでは無いかと、不安なのだろう。

邪神がフルスハイムを襲撃した場合の事など、誰も考えたくもないのは分かる。

ドラゴンでさえあれほどの惨禍だったのだ。

現状の、再編成途上のフルスハイムの戦力では、邪神を撃退などとてもではないが無理だ。

不安を出来るだけ急いで取り除くためにも。

早々にエルエムを殺さなければならない。

船をドックに入れると。

皆で会議をする。

地図は出来た。

後はどこから、どう攻めるかの段階になった。

調査も散々行った。

それによって、幾つかの事が分かってきた。

「やはり浮遊島は三層構造で間違いなさそうだな。 そして邪神エルエムは、一番下の階層にいる」

地図から顔を上げて、パイモンさんがいう。

異論は無い。

頷くと、わたしは攻撃を受けた線を、順番に指さしていく。その中には、お姉ちゃんが確認した攻撃時の軌道変更も含まれている。

「やはり邪神は明確な敵意を人間に持っています」

「まあだから邪神なんだけれどね」

「……恐らくいるのは此処でしょう」

それは、地図では記されていない場所。

敵は射線が通ったときには即座に攻撃してくるし。

何よりも、射線が通っていなくても、曲射してくる。

そうなってくると、出会い頭の攻撃を受けた時のデータを元に、敵がいると推察される場所を絞り込むしか無い。

その結果。

かなり狭い範囲に、敵の居所を絞り込むことが出来た。

そして、ここからが重要だ。

どうやって近付くか。

船で無計画に近付くのは論外。

そもそもあれだけ積極的にアウトレンジ攻撃をしてくる相手だ。多分近付く前に炉がオーバーヒートして、シールドが壊され。最終的には撃沈させられる。

流石にパルミラほどの戦闘力はないにしても。

船に対する正確極まりない攻撃と。それを連発しても衰えない様子からしても、弱体化していても邪神の実力は明らかだ。

そうなると、ある程度安全確保した場所で一旦船を下り。

狙撃を避けられる位置を綿密に計算しながら動き。

そして接近戦を挑むしか無い。

接近戦を挑むにしても、戦う時に消耗しきっていると話にならない。相手は接近戦においても最低でもドラゴン並みの実力を持っているとみるべきで。

それを考慮すると、はてどうしたものか、となる。

地図を見て、敵の射線を確認すると。

三層ある浮遊島の内、上の一層から空飛ぶ荷車を使って接近するのは論外と見て良いだろう。

多分途中であの攻撃の直撃を受ける。

そうなると、ある程度の被弾を覚悟の上で、二層にまで降り。其処から死角を縫って近付くしか無い。

しかし、地図をびっしり埋め尽くしている敵の射線を見ると。

そんなルートは開発できるかどうか。

お姉ちゃんが挙手。

カルドさん以上の狙撃手であるお姉ちゃんには。

しっかり敵の攻撃を観察して貰っていたのだ。

「フィリスちゃん。 明日、このルートで通って貰いたいんだけれど、良い?」

「正気か!?」

アングリフさんが思わず身を乗り出す。

ドロッセルさんも腕組み。

何というか。

色々とまずい。

それは、攻撃を最も激しく受けた射線が集中している場所だからだ。

だからこそだと、お姉ちゃんは言うのだが。

「見たところ、他のルートでは、射線が通っているか、若しくは攻撃可能な状況でも仕掛けて来ていないケースがあるわ。 恐らくだけれども、此処が急所よ。 此処を無理にでも突破出来れば、多分一気に敵の懐に飛び込めるわ」

「可能性はあるけれど」

「だから、このルートを通るの。 恐らく攻撃頻度から言って、安全圏まで抜けるまで7〜8回の攻撃を受けるはず。 だけれども、もしも私の考えが正しければ……」

上手く行けば、敵に主砲をたたき込める所まで、接近することも可能かも知れないと、お姉ちゃんは断言した。

なるほど、一理ある。

何しろ狙撃のプロの発言だ。

更に、今のお姉ちゃんは、わたしが作った神衣を纏ったことで、更にスペックが上がっている。

多分頭の回転も速くなっているはずで。

まず信頼して良い。

「リア姉、上手く行けば……」

「いや、駄目な場合も考えられるから、相手の反応を見るのよ。 最悪の場合は、此方のルートに変更して、船体へのダメージをある程度無視してでも強行突破、フルスハイムまで逃げましょう」

「……そうだね」

現実的な考えだ。

実際問題、現状では危険の大きい強行突破策か、発見されたら即死確定のハイドアタックしかない。

それならば、むしろ相手が重点的に攻撃を仕掛けてくる地点を調査。

突破出来るようならばした方が良い。

呼吸を整える。

反対意見を募るけれど。

特に誰も反対はしなかった。

ならば決まりだ。

他に策も無いのである。ならば、この手を否定する理由はない。何よりも、威力偵察というのはそういうものだ。

一度解散。

ゆっくり休む事を皆にあえてアングリフさんがいう。

詰まるところ、恐らくは明日が決戦になると判断したのだろう。

明日が駄目でも、突破「不可能」なルートが見つけられればそれで良い。むしろ敗因になり得る要素を見つけられれば、その方が勝率が上がるからだ。

ただ、邪神は「今は」弱っている状態。

パルミラとの交戦経験を考える限り、ずっと弱っていてくれているとは考えにくい。

多分、そう残り時間はない。

明日決めるのが。

確かに現実的かも知れなかった。

 

上空に出る。

お姉ちゃんが想定したルート通りに侵攻を開始。敵からもっとも狙撃を受けた地点だが、それが故に。

敵にとっては突破されては困る場所の可能性が高い。

それが正しい。

そう自分に言い聞かせながら。

いざという場合には、即座に逃げられるように、ライトさんとレフトさんの方も見る。場合によっては柔軟に。

アングリフさんがいう。

勝つ場合に理由が無くても。

負ける場合には理由があると。

ならば、負ける理由を造らなければ良い。わたしは生唾を飲み込むと、見えてきた浮遊島と。

地図を見比べた。

そろそろ、来る筈だ。

そして、予想通りに、敵の第一射が来た。

直撃。

シールドが中和する。

シールドを展開しているから、速度は上げられないが。だが、そのまま進む。第二射。第二射までの感覚が、想定よりもかなり早い。

だが、それでも現時点での行動に代わりは無い。

第二射もシールドが防ぎきる。

浮遊する岩隗の間に突入。

此処で三層ある岩隗の、下層すれすれまで高度を落とす。もしもこれで三層に邪神がいるとすれば。狙撃される頻度が減るはず。

だが、殆ど間を置かず。

第三射が来た。

岩隗が揺れているのが見えた。

木々も激しい熱と風に揺れている。

なるほど、これは。

どうやらお姉ちゃんの判断は正しかったと見て良さそうだ。敵は慌てていると見て良い。植物への被害を無視してまで狙撃してきたのだから。

このまま行く。

「総員、総力戦用意!」

アングリフさんが叫ぶ。

言われなくても、準備は終わっている。

第四射、第五射。立て続けに来る。だが、いずれもシールドで防ぐ。だが、炉が警告音を発した。

そういう機能をつけてあるのだ。

「負荷増大」

「どうする、そのまま行くか」

「そのままで!」

「よし……」

アングリフさんが舌なめずりする。

もう、後には引けない。

第六射。シールドの負荷が、目に見えて大きくなってきた。炉もスパークしている。十発までなら耐えられる。そのイルちゃんの見立てが正しい事を、信じる。

「邪神確認!」

カルドさんが叫ぶ。

同時に舵を切る。

邪神は、まだ点のようにしか見えないが、想定の範囲内に確かにいた。そして、その背後には、馬鹿みたいに巨大な魔法陣が浮かんでいる。

なるほど、とんでも無い出力だ。

あんなばかでかい魔法陣を展開しているなら、この高火力狙撃を連発出来るのも道理か。

「アトミナ」

「ええ」

二人が、頷きあっている。

そういえば。

何か見える。

あれは船の残骸か。と言う事は、どうやら間違いないらしい。こんな所に船の残骸がある筈も無い。

あれは、あの邪神に落とされたのだ。

船を叩き落とす大火力の狙撃によって。もう狙撃と言うより、ピンポイント砲撃とでも言うべき代物だが。

そうか、ならば人間の害。駆除しなければならない存在と言う事は確実だ。消し去らなければならない。

神だろうが何だろうが関係無い。

これ以上のさばらせる訳にはいかないし。ましてや、あんなのをフルスハイムに近づける訳には絶対にならない。

ドラゴンが襲来したときとは比較にならない惨禍が起きる。

数千人死ぬかも知れない。

絶対にそんな事は許してはならないのだ。

「主砲!」

「フルパワーで撃てます」

「待って、主砲を撃つとシールドが耐えられなくなるわよ!」

「ライトさん、次の射撃を受けた次の瞬間、シールド解除、主砲でフルパワーの射撃、行ける?」

その場合。

シールドを張り直せなくなる可能性が高いと、ライトさんが言うが。

かまわない。

シールド無しでも、一撃くらいなら耐えられる。

やれやれと、アングリフさんが隣で頭を掻いていたが。此処はつきあってもらうしかない。

タラップを解放できるようにする。

甲板から出て戦闘なんてまどろっこしい真似は出来ない。総員、二台の空飛ぶ荷車に分乗して貰う。

邪神が、ここで。

想定外の動きを見せる。

不意に、背負っている巨大な魔法陣が、数倍に巨大化したのだ。

アングリフさんが、わたしの指示を聞いて、即時に作戦を立ててくれた。

というよりも、他に手はない。

「多分次の一撃しかシールドは耐えられん! シールドを敵の攻撃がぶち抜いた瞬間、タラップ解放、全員船を脱出、船は主砲を撃ちつつ軟着陸しろ! 敵の動きが一瞬でも止まった隙を狙って、総員で仕掛ける! 相手はあのパルミラ程では無いにしても圧倒的な力の持ち主だ! 秒も無駄にするな! ライト、レフト、主砲を撃ち次第船は良いから戦線に加われ!」

「アイアイサー」

「……」

イルちゃんが唇を噛んだ。

もう他に手もない。

あのばかでかい魔法陣、フルパワーでは無い可能性だってある。

これで弱っている、というのだから嫌になる。

本当にとんでも無い怪物を相手にしているのだと、間近で感じてしまう。

敵が、今までの数倍の火力で、砲撃してくる。

火力が大きくなったからはっきり見えたが。

先に灼熱が。

次に極寒が。

ほんのわずかな差で、撃ち出されている。

何かの参考になるかも知れない。

シールドが相殺、消滅するが。船が大きく傾ぐ。すでに空飛ぶ荷車に分乗していたから関係無いが、ライトさんとレフトさんは、上手に踏ん張って、操舵を続け。

そして、主砲をお返しとばかりにぶっ放していた。

超高出力の雷撃が、間髪入れずに撃ち返され。

邪神を直撃、その全身を光が包み込む。奴がいるのは何も生えていない岩の上。邪神の周囲だけ、岩が露出し、草も生えていないのだ。

つまるところ此奴。

世界に力を漏出させてはいるが、自分が戦いやすいように。周囲だけ緑化していない、と言う事だ。

狡猾な奴である。

だが、それが徒になり、主砲が直撃。その瞬間、タラップ解放。まずわたしの乗る空飛ぶ荷車が飛び出し。

そしてもう一台にライトさんとレフトさんが飛び乗ると同時に発進。

大爆発を起こした邪神に、一気に間を詰めた。

煙が晴れる前に、荷車を飛び出し、散開。二台目でも同じようにする。そして流石は邪神。

煙などものともせず。

頭に来るほど正確な狙撃で、空飛ぶ荷車を直撃。

ハルモニウム製とはいえ、飛行キットまではそうではない。

車輪も吹っ飛び、地面に叩き落とされる。

もし乗ったままだったら。

多分死んでいただろう。

頭に来た。

ずっと大事にして来た荷車だ。あんな風にされたら絶対に許せない。

全員が無事に展開完了。

煙が晴れると、多少傷ついてはいるが、それでも高速で修復を開始している様子の邪神。

なるほど、高速修復能力は、パルミラほどではないにしても当然のように備えている、と言う事か。

だったら作戦通り。

一気に決めるしか無い。

後方で、軟着陸した装甲船が、大きな音を立てている中。

戦いが始まった。

 

4、二つに別て

 

ぐるりと、赤い方の女体が此方を向く。

殆ど胸と腰しか布で覆っておらず、異常に露出が多い。更に髪は燃え上がるよう。そして目は宝石のように青い。

ただし、その青さからは、冷たい殺意しか感じられなかった。

イルちゃんがシールドを展開しつつ、アングリフさんが右に、ドロッセルさんが左に跳び、まずはパイモンさんが仕掛ける。

雷神の石完成型を掲げると。

上空から、極太の雷撃が、エルエムを直撃。

だが、流石だ。

その一撃を、四本ある腕を掲げて、エルエムは瞬時にシールドを展開、防ぎ切ってみせる。詠唱さえしていなかった。

続けてわたしだ。

踏み込むと同時に、地面に手を突く。

地面から杭が飛び出すようにして、岩がエルエムを貫きに掛かるが。それも、エルエムは柔らかく二本の手だけで受け止め。更にもう二本で、左右から同時に躍りかかったアングリフさんとドロッセルさんの一撃を受け止めて見せる。

わたしは横っ飛び。

お姉ちゃんとカルドさんが、同時に矢と弾丸を放つ。

すっと、手を振る邪神エルエム。

空中でぴたりと静止する飛び道具。

矢は一瞬で氷に包まれ。

弾丸は燃え溶け尽きた。

あれはプラティーン製の弾丸なのに。

流石と言わざるを得ないのか。

癪だけれども、やはりドラゴネアとは段違いだ。弱体化していなければ、本当に単独でフルスハイムと周辺都市を此奴だけで滅ぼしていただろう。

だけれども。

此奴は、この空の迷宮からは、絶対に出さない。

後ろ。

アリスさんが斬り付けるが。シールドが展開され、防がれる。青い方の人体が、そっちを向いているのだから。それこそ手なんぞ向けずともシールドを張れると言う訳か。だが、これならどうだ。

邪神の全周囲を、イルちゃんの魔剣が包囲。

皆が飛び退くと同時に。

回転しながら、飽和攻撃を仕掛けた。

全てが灼熱を帯びており。

しかも刀身はハルモニウムで要所を固めている。

パルミラには通じなかったが。

ハルモニウム製の刃を、簡単に砕けるか。

邪神は周囲を見て、少しだけ急いだ様子で手を動かし、シールドを展開。猛攻を悉く食い止めるが。

その剣に混じって、お姉ちゃんが渾身の一矢を叩き込む。

剣が弾かれた瞬間。

その弾かれた位置に、ピンポイントの一撃を入れたのだ。

シールドに矢が突き刺さる。

そして、矢そのものが、爆発した。

お姉ちゃんに言われて、用意していたのだ。

鏃に魔法陣を仕込んだ特別製を。

貫通力を上げるもの。

撃ち込んだ後に爆発するもの。

いずれも作成コストは尋常では無かったが。ハルモニウム製の鏃にそんなものを仕込んだのだ。

火力は推して知るべし。

初めて邪神にダメージが通り、手が二本消し飛ぶ。

シールドも消え、その全身を大量の魔剣が貫き、炎上するが。

剣が無理矢理内側から押し返され、邪神は全身を冷気で包み、無理矢理消火。それどころか、傷も見る間に回復していく。

そして、邪神エルエムは。

本気になったようだった。

まだ無事な手を振ると。

凄まじい風が吹き荒れ、辺りを滅茶苦茶に打擲する。風だというのに、それそのものが鞭であるかのように、凄まじい有様だ。

イルちゃんがシールドを展開し、アトミナとメクレットを庇っているが。

それが無ければ、もう吹っ飛ばされているだろう。

「おおおおおおっ!」

叫びながら、それでも踏ん張ったドロッセルさんが、大岩を投げつける。

風を無視するようにして飛んだ大岩が、邪神を直撃するが。邪神は涼しい顔で、自分を襲った大岩をその場で砕く。

だが、わたしが詠唱を完了。

砕けた岩が、なおも流星雨のようにして降り注ぎ。

更に傷口に食い込んだ。

ドロッセルさんは更に、邪神にタックルを浴びせ、とどめとばかりに背負っていた斧を掴み直すと、フルスイング。邪神の胴の半ばくらいにまで食い込む。

更にアングリフさんが邪神の逆側から大剣を振るい、青い方の頭を唐竹にたたき割る。

しかし、直後。

周囲を打擲している暴風が、凄まじい熱を帯び。直後、冷気を帯びた。

無茶苦茶に温度が変わる暴風。

更に、雨まで降り始める。

それも、気持ち悪いくらい温い雨だ。

周辺環境を秒単位で激変させ、人間では対応出来ないように嬲るつもりか。

そして最後は。

船を沈めかけたような大技で、一気に大ダメージと。

邪神に、アリスさんが特攻。

至近で旋回しながら跳躍し、わたしの目で追えた限り五十回くらいの斬撃を一瞬で叩き込む。

更にレヴィさんがシールドを展開しながら突貫。

シールドで、相手を押し込む。

大斧と大剣が体に突き刺さり。

更に体中に魔剣の傷と、更にシールドで押し込まれていながら。

邪神はまだ余裕の様子。

というか、表情にまるで変化が無い。

痛いとさえ感じていないのか。

それとも、人の似姿なのは単なる戦いづらくするためだけのギミックであって、感情もなにもないのか。

本能のまま人間を襲うドラゴンと。

それでは何が違うと言うのか。

崇めた所で災厄しかもたらさず。

人間を滅ぼす事しか考えないような神なんて、排除する以外には無い。パルミラが創造神だとするならば。

どうしてこんな眷属を作り出したのか。

秒ごとに、猛烈に体力が奪われていく中。

わたしは詠唱完了。

ありったけのブリッツコアを、周囲に展開。

パルミラ戦でも使ったが。

拡張肉体の技術の応用をちょっとだけ生かして。こういう攻撃態勢を取れるようにはしたのだ。

わたしの技量が足りなくて、これくらいしか出来ていないけれど。

フルパワーでの砲撃は、わざわざブリッツコアを取り出さずとも、ちょっとした詠唱だけで出来る。

更にパイモンさんが、凄まじい風雨にさらされつつも。

両手に雷神の石を掴み。

前に向けて差し出す。

イルちゃんも、詠唱と同時に、切り札を切った。

とんでも無くでっかい魔剣が、船の中から飛び出してくる。船の側面にある救助艇と同じくらいはある。魔族の背丈ほどもあるあの魔剣、なるほど、重さからしても長さからしても、人間にも魔族にも扱えないだろう。巨人族やケンタウルス族などの、超レア種族なら話は別かも知れないが。

「総攻撃だ! 隙を作れ!」

アングリフさんの言葉と同時に。

猛烈な風雨がいきなり晴れる。

邪神はダメージが回復していない。

あ、まずい。

そう悟ったのは。

これが、大威力攻撃の発動の瞬間だと、悟ったからだ。

とっさに飛び出したレヴィさんが、シールドを張る。イルちゃんが動くよりも早い。

そして、双の邪神は、左右前後に展開している前衛組を完全に無視。

わたし達めがけて、装甲船を襲ったのよりも数段太く強烈な熱線と冷線を、詠唱も無くぶっ放してきた。

まずい。

死ぬ。

だが、レヴィさんは、今までに見たことも無いほどのシールドを展開。

なんだ、今更いきなり技術が向上するとも思えない。神衣を纏ったからと言っても、こんな。

まて。そうだ、思い当たる節がある。あれだ。

あのチェストに入っていた宝玉。凄まじい力を感じるものだった。確かわたしが買い取った筈だが、いつの間にか持ち出していたのか。

あれを増幅に使ったとすれば。

それでもなお、邪神の攻撃は苛烈。あまりにも異次元。

レヴィさんのシールドがはじき飛ばされ。

レヴィさん自身も吹っ飛ばされ、後方へ飛んでいくが。だが、その時、にっと笑うのがわたしには見えた。

剣技は振るえなかったが。

総攻撃の好機を作った。

そう顔に書いてあった。

わたしは、踏みとどまる。

そして、パイモンさんと、イルちゃんとあわせて。

今出来る最大火力の攻撃を、ぶっ放していた。

世界が漂白されるほどの白い雷撃が、イルちゃんの超巨大魔剣に纏わり付くと、邪神に向けて飛ぶ。

邪神も邪神で流石だ。瞬時に、今までに見たことが無いほどの巨大なシールドを展開するが。

回復途中の傷に、お姉ちゃんの放った矢と。カルドさんの放った弾丸、それもハルモニウムの弾丸が突き刺さる。

更にここぞとばかりに、はじき飛ばされていた魔剣をそれぞれ掴んだライトさんとレフトさんが、完璧な呼吸で邪神に投げつける。

シールドが、それでも展開され。

魔剣はシールドに突き刺さる。

そう、刹那の攻防で見る。

それだけ、邪神の力が落ちている。

あと少し、手があれば。

全員の意思が、多分それを共有した。

アングリフさんが大剣を、ドロッセルさんが斧を投げつけ。アリスさんは邪神のシールドの側を通り抜けつつ、数十回の斬撃を撃ち込む。

弱っていたシールドがぶち抜かれる。

砕け、破片となって降り注ぐシールドの残滓。

魔力があまりにも高密度すぎて。

それはガラス片のように、明らかに質量を持っていて。禍々しいまでに美しかった。

そして全身傷だらけの邪神の目に、初めて恐怖の色が浮かぶ。

「いぃっっけええええええっ!」

今まで、有効打にならなかった魔剣に対して。

イルちゃんが裂帛の咆哮。

そして、魔剣は。

それに答えた。

邪神を文字通り串刺しにし、そして纏っていた雷撃を、そして熱を、立て続けにフルパワーで爆裂させる魔剣。

邪神の体の彼方此方が爆ぜ割れる。

赤い方の頭は内側から消し飛び。

青い方の頭も、半ば爆ぜ割れて、半分しか残らない。

腕も足も。

殆ど骨が露出し、或いは半ばから千切れ跳び。

胴体の方も、内臓が吹き飛ぶのが見えた。

それでも、邪神。

まだ死なない。

まだ動いているのが見える。

魔力を使い切ったイルちゃんが、吐血しながら地面に蹲るのが見える。パイモンさんも額から血を流している。

まだだ、もう一手。

わたしは、最後の力を使って走る。

邪神の最後の抵抗だろうか。

凄まじい熱波が、辺りを薙ぎ払う。

接近戦組をまとめて吹き飛ばすそれを。

わたしは地面に手を突き。

岩を噴き出させて、無理矢理防ぎ切る。

そして頭を殆ど失っている邪神が見上げたときには。

わたしは空飛ぶ荷車、そう後続の無事な方に飛び乗り、そこから、はじける贈り物をありったけぶち込んでいた。

あらゆる種類の爆弾が、邪神に降り注ぎ。

殆ど原型も残っていない邪神に対して、一方的な爆裂と破壊で殴り倒し続ける。

素人が踊るような下手くそな舞を無理矢理やらされた邪神は、それでも回復しようとしているのか。

体勢を立て直そうとするが。

其処を、今まで潜んでいたツヴァイちゃんの、神々の贈り物の一撃が。

残った頭ごと、上半身を消し飛ばしていた。

「いい加減に……」

神衣の影響か、それでも火傷と傷だらけ「程度」で済んだアングリフさんが。

突貫し、飛ばされていた愛剣を拾うと。

まだ消滅しない邪神を、更に真っ二つに切り裂く。

赤い体と青い体が分断されたその瞬間。

文字通り、空気を切り裂くような、とんでもない叫び声が周囲に響いた。

思わず耳を塞いで蹲る。

何となく分かった。

これが、邪神の。

双神エルエムの断末魔なのだと言う事を。

だが、それでも。

断末魔でもなお、此方を殺そうとしていると言う事も。本当に人間に対する殺意だけで構成されているんだなと、呆れつつ、見る。

残った邪神の体が燃え尽きていく。

或いは溶け消えていく。

最低の悪あがきの後。

もはや、エルエムは。

深核以外には痕跡も何も残さず。

この世から、消滅していた。

 

辺りに散らばった道具類を回収。負傷者を回収して、装甲船二番艦に引き上げる。タラップを急いで閉じ、点呼。

良かった。

全員無事だ。

あれだけ凄まじい戦いの中で、どう上手に立ち回ったのか。

アトミナとメクレットは、平然としていて、傷一つ無かった。

皆、無言の中。

炉の状態を確認し。

シールドを再稼働すると。

わたしはその場で倒れてしまう。お姉ちゃんが受け止めてくれなければ、床に顔をたたきつけて、歯を折っていたかも知れない。

まあ、流石に今のこれだけガチガチに固めた装備なら。

転んだくらいで、そんなダメージは受けないか。

しばらく無心に休み。

一番傷が浅かったレフトさんとライトさんが、同じく軽傷で済んだツヴァイちゃんと一緒にコンテナからお薬を出してきて。

無事だったアトミナとメクレットの指示通り、お薬を使い始めるのを見る。

まだ流石にドンケルハイトは使っていないが。

黄金色の葉を使ったお薬は試している。

確かに今までのお薬とは薬効も桁外れで、指くらい吹っ飛んでも再生は可能だ。腕が千切れてもその場でつなげられる。そのくらい、世界の理に外れた快復力を実現できる、という事である。

何も喋る余裕は無く。

しばらくは休むほか無かった。

お姉ちゃんが食事を作ってくれたので。食べて一眠りすることにする。

かなりの重傷を負ったレヴィさんは、傷こそ回復したが。体力が著しく消耗した結果、まだ動けないようで。

ライトさんが、かゆを手づから食べさせていた。

「すまなかったな。 売り払ったのに、勝手に持ち出したあげく使ってしまって」

「ちょっと驚きました。 でも、どうしたんですか?」

「あの宝玉を渡した後、呼ばれた気がしてな」

「呼ばれた……」

どうやら、あの宝玉。

わたしが思っていたものと、違っていたらしい。

意思を持つ深核とでも言うべきなのか。

例えばさっき、エルエムを殺した後。その場には、強烈な力を感じる深核が落ちていた。あの邪竜の竜核よりも更に凄まじい力を感じるものだった。

だが、チェストに入っていた宝玉は。

それとは異質に感じた。

つまるところ、これは深核だろうと思ったが。

違うのかも知れない。

「金は、返す。 やはりこの宝玉は、俺が持っておきたい」

「はい。 あのシールドの様子を見る限り、多分それが一番良いと思います」

「すまん。 勝手な事をしたな」

「いいえ。 随分助かっているし、かまわないですよ」

本当だったら、窃盗になるのだろう。

だがレヴィさんのものだったのだし。何よりレヴィさんは最初期からわたしを護衛してくれていた人だ。

だったら、それくらいは目をつぶる。

ただペナルティはいるか。

一応こういうのは、しっかりした方が良い。

レヴィさんにはそれを話した上で。エルトナに作る孤児院の教師をして欲しい、と頼んだ。

しばらく考えた後。

分かった、とレヴィさんは承諾してくれる。

まあ、それが一番良いだろう。

変わり者かも知れないけれど、腕は確か。

それに人材はそこら辺に生えているものでもない。

この人は剣術を教えるのに充分な技量を持っている。エルトナで人材育成に専念してくれれば、後は望むものもない。

宝玉を見つめながら。

レヴィさんは呟く。

「手放そうとしたのが間違いだった。 そもあの創造神がわざわざチェストに入れていた程のものだ。 宝として、持っておくべきだったのだ」

もう、わたしの言葉は聞いていない。

そう判断したので、わたしは自分も自分で休む事とする。

さて、一休みした後は。

アトミナとメクレットにつきあって、此処で破壊された船の調査をして。それからまずはフルスハイムに引き上げ。

それから。

「ちょっといいかしら」

イルちゃんが、わたしの思考を遮る。

少し考えていたようだけれど。彼女は、顔を上げる。

「今の戦力なら行けるかも知れないわ」

「イルちゃん、何の話?」

「此処の調査が終わった後の話よ。 グラオ・タールの北に、異様な風が吹き荒れている場所があるって話がある事を覚えている?」

「うん。 確か、ドラゴンの影が何度も目撃されているとか」

イルちゃんは頷く。

何でも、その谷の周辺は非常に危険な獣が多数住み着いており。更には、フルスハイムからもかなり近いと言う。

フルスハイムは中核都市。

周辺にある危険は可能な限り排除したいと、イルちゃんは言うのだ。

「いるとしたら恐らくは上級ドラゴンよ。 それも風による守りで身を固めて、周囲を虎視眈々と伺っていると見て良いわ」

「弱体化していない上級ドラゴン……」

下手をすると、先に倒したエルエムと同レベルか、それ以上の相手。

だが、確かに今なら。

やれるかも知れない。

傷も、神衣のおかげで最小限まで抑え切れた。

持ち込んだ道具類も、神にまで牙が届くことを確認できた。

「ライゼンベルグ周辺の安全を確保すればするほど、私達の社会的な発言権も力を増す事になる。 既得権益に好き勝手をさせずにもよくなるわ。 ライゼンベルグの腐敗した、年ばかり取った錬金術師達を黙らせることも可能になるはずよ」

「イルちゃん、悪い笑顔浮かべてるよ」

「ともかく、殺りましょう」

「……うん」

最悪の害獣である上級ドラゴンが野放しになっているのであれば。確かに放置する道理は無い。

力があるなら、的確に使う必要がある。

パイモンさんは、やれやれと言いながら、協力を約束してくれた。

ならば、いける。

わたしは、先の激しい戦いのことをぼんやりと思い出しながら。次の戦いではどう改善するか、改良すべきは何かを、考え続けていた。

 

(続)