純粋暴虐

 

序、邪神の話

 

フロッケでの作業が終わり、一度エルトナに戻った後。

作業を終わらせてからフルスハイムに出向く。

アトリエを展開し、其処で装甲船二番艦の強化工事を始めるべく、作業を開始した。

まずは三つだった炉を五つに増やし。

空を飛ぶための超大型飛行キットを取り付ける。

この飛行キットも、多数造り。

更にキルシェさんに幾つか改良点を指摘されて、内容を完全に陳腐化させている。つまるところ、練り上げきった結果完成している。

完成品だから手を入れることも無いし。

応用するなら根本から改良、つまり新型にする必要がある。

そして今回は新型を作る必要はなく。完成品を単純に大型化するだけなので、さほどの苦労はない。

順番にプラティーンを中心に合金を造り。

飛行キットと炉を作り。

そして、港に戦艦として停泊している二番艦を訪れて。

内部の状態を確認しつつ。

少しずつ部品を運び込んでいった。

話によると、二番艦は装甲船一番艦以外の船が水運インフラとして出るときに護衛をする事があるくらいらしく。

積載量が少ないこと。

操作が難しい事もあって。

現在では、基本的にあまり動かしてはいないそうだ。

それもそうだろう。

装甲船一番艦はカイさんが毎度動かしているようだけれども。

二番艦まで動かせる船乗りが、フルスハイムにはいないのだろう。今後は、人材育成が急務という所だ。メアちゃんは船乗りと言うよりも、むしろお店の経営の方が向いているだろうし。

勿論レンさんにも話をしておく。

以前きちんと約束をしたので。二番艦を使用するのには問題は無い。

何よりフルスハイムの湖底にいたドラゴンを屠り、水運インフラを壊滅させていた竜巻を消した功労者として、わたしはVIP扱いを受けている。

この街の重役で、わたしを白眼視する人間はいない。

正直エルトナよりこっちの方が心地よいくらいだけれど。

エルトナはエルトナとして、地盤として確保しておきたいのだ。

この街には、正直規模から言ってもう一人か二人公認錬金術師が必要だろうとも思うのだけれども。

そう都合良く人材は生えてこない。

そういえば、近々ライゼンベルグでまた公認錬金術師試験が行われるらしいのだけれど。

今度は合格者が出るかかなり厳しい、という噂をレンさんから聞いた。

まあ今までが、そもライゼンベルグまでたどり着けるかかなり怪しい状態だった、という事もある。つまり試験を受けられる人間が、相当な精鋭かもしくはライゼンベルグ在住者か、の二択だった。

ところがインフラを整備した事により、今後はどっと有象無象の山師も含めた錬金術師が訪れるわけで。

試験を受ける人間の質もぐっと下がることになる。

一応推薦状三枚は集めて来ているはずだが。

それもどこまできちんとした戦略事業をしているか、正直見当もつかない。

わたしも、実は試験に関しては、厳しい意見を持っている。

以前試験を一緒に受けたイルちゃんとパイモンさん以外の錬金術師達の様子を見る限り。

あの中から合格者が出るかどうかは厳しいと思う。

装甲船に荷物を運び込んだ後。

丁寧に封をして。きちんと盗難対策を施し。

またアトリエに戻る。

インゴットをしばらく無心に叩いていると。

不意に、周囲が暗くなった。

来たな。

わたしは、もう驚かない。

こういう異常現象は。

もう未経験ではないからだ。あの人が来るときは、こういう異常現象を伴う。

「ソフィー先生ですね」

「正解。 よく分かったね」

「今度は、何をすれば良いんですか」

ソフィー先生には恩がある。

凄い錬金術師だと言う事も分かっている。凄いどころか、多分世界最強を争うレベルだろう事も。

だけれど、恐ろしいという事と。心の奥底で感じる反発が、今は少しずつ強くなっている。

この人が言っている事。

しようとしている事は有無を言わさないレベルで正しい。

それは全くの事実だ。

だけれども、この人はあまりにも手段を選ばない。それがわたしには怖いのだ。

わたしもどちらかというと、力尽くでの解決手段を採ることが多い。それは自覚している。

それでも、この人は。

次元が一つか二つ、ブッ飛んでしまっている。頭のねじが全部飛んでいるとでも言うべきなのだろうか。そんな感じだ。

暗闇の中。どうしてかソフィー先生が、歩いて来る。

わたしも暗闇の中で立つ。

二人だけが、闇の中で相対していた。互いだけがこの空間にいるという事が、どうしなくても分かるのだった。

こんな異常な状況で、わたしは心を鎮める。殺される事はないと分かっているからだ。

なお、鉱物の声は一切聞こえない。気持ちが悪いほどに静かだった。

どうして暗闇の中で立っていられるのか。足場はどうなのか。それに何故相手が見えるのか。

何一つ分からないまま、会話が始まる。

会話と言うよりは、むしろ一方的な宣告。むしろ指示と言うよりは命令だけれども。

それはお互いの力関係から言っても仕方が無い。わたしはこの人に逆らえるほどの力も無いし、手札も持たない。

「禁忌の森の空で、岩の塊を見たね」

「はい」

「彼処に邪神がいるんだよ。 双神エルエムっていう名前のね。 名前の通り、二体で一体の邪神なんだ」

「っ!」

それだけで分かる。

ソフィー先生は、わたしにその邪神を倒させるつもりだ。

邪神。ドラゴンすら霞む最強の存在。この世界を支配する、錬金術師でさえ勝率が極めて低い怪物の中の怪物。文字通り理を左右する、形を取った理不尽。

資料を見ればみるほど、その圧倒的な化け物ぶりは明か。

その一方で、この乾ききった世界に、緑をもたらしている存在でもある。

ネームドも、邪神の力の一端を受け取っているに過ぎず。

そのネームドから取れる深核を使わないと、錬金術師でさえ植物を育てる栄養剤は作り出す事が出来ない。

それほどに、邪神の影響力は、この世界においてあまりに圧倒的なのである。

畑を作るのさえも。邪神の影響力が必要になる。

大気中には魔力が幾らでも溢れているのに。それほどこの世界の大地は、乾ききっているのだ。魔力が大地にはまったくないのだ。

その乾いた大地を潤せるのが邪神の力。

つまるところ、「邪」であっても、神であることに間違いはない。

ドラゴンの力でも似たような事が出来るが。

あれも、考えて見れば邪神ほどでは無いが、超絶的存在。根は、同じなのかも知れない。

「今、エルエムはとても弱っていてね。 それで丁度良いから、潰してきて、あるものを回収してきて貰おうと思っているんだけれどいいかな」

「嫌だと言っても、行けと言うんでしょう」

「うん、その通り。 分かってきたね、フィリスちゃん」

ソフィー先生は優しげに笑うけれど。

目元はまったく笑っていない。

目を見ていると、それだけで頭がおかしくなりそうだ。これ以上近くで深淵を覗いたら、わたしは。

きっと深淵そのものになってしまう。そう、ソフィー先生と同じように。

「か、回収は、何をすれば」

「昔、同じように空を飛んであの岩隗に向かった錬金術師がいた。 深淵の者の幹部にて、優れた錬金術師だけれど、流石に相手が悪かった。 当時のまだ規模がさほどでも無かった深淵の者では、彼を助けることが出来なかった」

「……」

ソフィー先生が、古くから活動していたという深淵の者とずぶずぶだと言う事は分かってはいる。

だが、露骨な話だ。

深淵の者の幹部。或いは顧問くらいの立場であると、今明かしているようなものなのだから。

だが、ソフィー先生の壮絶な話を聞く限り、むしろ深淵の者を道具扱いしていない事の方がある意味不思議に思える。

この人は、それくらいの怪物なのだから。

その気になれば、街の一つや二つ、瞬く間に滅ぼせる魔人。それが、ソフィー先生という錬金術師だ。

「遺骨なんかはとっくに風化しているだろうから、物品の回収は必要ない。 ただ、現場検証をしたいから、非戦闘員を二人……まあ二人か。 連れていって欲しいんだよねえ」

「邪神のいる場所に非戦闘員を!? それも二人!?」

「何、非戦闘員で子供だけれど、荒事には慣れているから。 戦いで足を引っ張ることはしないよ。 ああ、もちろんだけれど邪神はきちんと殺すように。 邪魔だからね」

ふふふと、ソフィー先生は笑い。

いつのまにか至近にいた。

いつ動いたのかまったく分からなかった。

きっと時間を止めたのだろう。この人には、それくらい簡単なのだから。

至近距離から目を覗き込まれる。

ソフィー先生の目の中には。

地獄と言うも生やさしい。

漆黒が明るい光に見える程の深い深い闇があった。

そしてソフィー先生はまったく笑っていない目のまま、わたしの顔を掴んで。わたしは闇の中の闇を覗き込まされた。抵抗どころか、動く事も出来なかった。狂気なんて言葉ではとても表現できない、文字通り無限に拡がる闇の野を。

「うん、順調に濁ってきた。 イルメリアちゃんも良く仕上がってきたし、今回はとても順調だね」

「こんな事をして、本当に世界のどん詰まりは」

「そんな事はあたしにも分からない。 何しろもう数限りなく繰り返しているんだから」

「……っ」

まるで、ものか何かのように。世界そのものを評するソフィー先生。

でもこの人のような、地獄というも生やさしい悪夢を見ながら生きてきている人にとって。

それは別に、驚くことでも無いのかも知れない。

「そうそう、それと世界樹の麓を守る獣人達には話をつけておいたから、行くなら行ってみたら。 歓迎はしてくれないだろうけれど、その代わり邪魔もしないと思うから」

「手荒なことは……」

「手荒も何も、彼処に住む獣人達は深淵の者の配下だから。 独自の信仰に生きているけれど、その一方で生きるために傭兵として稼いでいるんだよ。 前はラスティンが抱える秘密の部隊だったんだけれど、此方で掌握し直したの」

さらりととんでもない事を聞かされる。

そうか。そんな事になっていたのか。

ソフィー先生は、人材の収集と掌握に貪欲だ。

それこそ、能力さえあれば。化け物だろうが何だろうが、配下に加えるのだろう。

ティアナちゃんを見ていればよく分かる。あんな危険な子を、平然と御せているのが、その証拠だ。

きっと、わたしも。その道具の一つ。

でも、ソフィー先生にとっては、自分でさえ道具に過ぎないのだろう。

それは何となく分かった。

徹底している。とにかく、圧倒的なまでに妥協がない。誰も特別扱いしない。勿論身内どころか、自分さえも。

だから恐怖の権化であっても。憎むことは出来ないし。

そのやり方が苛烈で残忍であったとしても。

公平である事は認めざるを得ないのだ。その公平さが度を過ぎていて、もはや人ではない存在だとしか思えなくても。

「それじゃあ準備を整えてから行って来てね。 イルメリアちゃんと、あのパイモンって錬金術師には声を掛けておいた方が良いと思うよ。 ちょっと今のフィリスちゃん達だけだと荷が重いだろうからね」

「分かりました……」

「それじゃ」

いきなり。

何の前触れも無く。

闇の空間から放り出され。そして、周囲はいつも通りのアトリエに戻っていた。

ふと気付く。

ソフィー先生は、わたしがいつ何をしているか、全て監視しているのではないのだろうか。

あり得る話だ。

そもそも、ソフィー先生ほどの人になってくると。

その程度の事は出来てもまったく不思議ではないのだから。

深呼吸すると。

インゴットの作成に戻る。

そして、決めていた。

近いうちに世界樹の麓に出向こう。

金の絹糸が必要になる。

現状では、皆の力に限界がある。更なる装備の強化を行うには、ヴェルベティスが必要になる。

そして金の絹糸は、あの禁忌の森を除くと。

恐らくは邪神の力が色濃く表れている場所くらいにしか出現しない。

調べて見たが、金の絹糸を作る虫はとても強い魔力を好むようで。自衛能力も持っているらしい。

それはあんな強力な絹糸を吐いて身を守るほどだ。

更に言えば、あの絹糸は、多分黄金色の葉を食べて作っているから、あの色になっている可能性が極めて高い。

世界樹の麓に住まう獣人については。

少し前に調べたが。

独自の信仰で、「神」を信仰している、とある。

世界樹ほどの巨大森林地帯は、自然にはまず出来ない。

強大な邪神がいて、しかも其処に住まう獣人族達を迫害していないのはほぼ確定事項。

そうなると、黄金色の葉や、金の絹糸。

場合によってはドンケルハイトを見つけられるかも知れない。

ドンケルハイトがもし手に入ったら。

文字通り究極に近い効力の薬や。

その圧倒的な魔力を利用した、極限まで身体能力を強化出来る装備類を作れる可能性が高い。

そしそうなれば、邪神にも。或いは手が届くかも知れない。

ハルモニウムだけでは駄目だ。

邪神の下位存在であるドラゴンの力だからだ。

だから、もう一工夫いる。

禁忌の森は、何度も探索するには危険すぎる。故に、一度調査も兼ねて、世界樹を見に行くべきだろう。

わたしは、そう判断していた。

インゴットを仕上げると、黙々と炉に入れて調整。

その合間に、アルファ商会に出向いて、手紙を出して貰う。

一通はパイモンさんに。

そしてもう一通はイルちゃんに。

急がなくても良い。

ただ、邪神を討伐すること。その前に、準備をするために世界樹に出向くこと。

その際に力を借りたいこと。

得られる貴重な素材は、三人で分けることを手紙に記載。

イルちゃんもパイモンさんも公認錬金術師だ。特にパイモンさんはアンチエイジングに強い興味を持っていた。

それならば、世界樹の麓にて得られる素材には、興味を持つはず。

きっと手を貸してくれるだろう。

手紙を書き終えてから、一度エルトナに戻る。

定期的に戻って、長老と重役達が馬鹿な事をしないか見張らなければならないのが兎に角面倒くさい。

わたしは前触れ無く瞬時に戻ってくるので、長老達は悪さをする余裕が無い。

そう思わせておかなければならない事もある。

何より、エルトナで今主に働いてくれている人達は、ソフィー先生が貸してくれている人材なのだ。

彼らを邪険にしたり、トラブルを起こすようなことは。絶対にあってはならないのである。

丁度良いことに、活版印刷の道具類が、大体揃っていた。カルドさんに見せて、実際にどう使うか実演して貰う。

なるほど、同じ本を大量に作れるわけだ。

決めた文章を、どんどん紙に記載していく。この技術があれば、貧しい人でも本を手にできるようになる。

早速の稼働を頼む。

本は幾らでも必要だ。

ゼッテルは必ずしも幾らでも作れる、と言うわけでは無いのだが。

既にエルトナの周囲に作った森からは、植物繊維を木を傷つけない事を考慮してもある程度入手できる。これらを使って、本は必要量作れる。

金持ちだけの特権だった、本を持つ事。

それが特権では無くなる。

わたしは基本的に、貧富の格差が小さく、一番貧しい人でも安楽に暮らせることが幸せなコミュニティの条件だと知っている。富める者は嫌がるかも知れないが、わたしには逆らえないようにしておく。

孤児院の様子は。

見に行くが、まだだ。一応体裁は整えられているが、まだ各地で孤児になっている子などを受け入れる体制が出来ていない。

アングリフさんにも見てもらったが。

幾つか注文を受けたので、それにあわせて少し建物の調整をする。

何でもアングリフさんの話では、戦場しか知らないような子供は、何も知らないから不幸なのであって。

知る事と、技術を身につけることが、色々な人生を選べるようになるための武器になるという。

つまり技術習得のために、色々な教師が必要だと言う事で。

更に孤児だけでは無く、誰でも学べるようにした方が好ましいというのが、アングリフさんの意見だった。

全くの正論だと思うので。

話通りに、機能を建物に盛り込む。教師についても、見繕えるように準備を此方でしておく。

そういえば、前に何処かで聞いた。フルスハイムだったか。

貧しい集落では、教会くらいでしかものを教える場所が無く。

子供達はそういった場所で言葉を覚えるのだとか。

そうなってくると、教会にいる神父が腐敗した場合、手の打ちようが無くなる。色々と問題が多い仕組みだ。

アングリフさんの年齢を考えると。流石にもう現役で体が動く時間は長くはないだろう。更にアンチエイジングの類もアングリフさんが好むとは思えない。勿論聞いてはみるが、多分いらないと言われるはずだ。

それならば優秀な補佐役をつける必要があるし。

更には、貧しい子供でも平気なように、宿舎も作る必要がある。

エルトナ発の人材が、各地で活躍出来るようになれば。きっと、少しは周辺の都市も良くなるはずだ。

エルトナでの用事を済ませて、フルスハイムに戻る。

まずは、装甲船を仕上げなければならない。わたしは額の汗を拭いながら、炉でインゴットの調整を続けた。装甲船の部品に仕上げるために。

 

1、飛翔船

 

装甲船二番艦に四つ目の炉を運び込んだとき、パイモンさんが来た。

前よりも更に若返っている。前は老人だったが。今は初老くらいにまで見えるようになっていた。

パイモンさんが公認錬金術師をしている集落も、着実に発展しているという。

若返るのに使っている技術は、公認錬金術師がたまに使っている「逆転」と呼ばれるもので。

老化を反転させることで、年齢を若返らせるものだという。

今はまだ興味が無いので調べていないが。

いずれお世話になるかも知れない。

パイモンさんがアトリエに入ってから、本題に移る。お姉ちゃんが、お茶と茶菓子を準備してくれた。

「世界樹の調査をすると言うことだが、彼処にはカルト的なコミュニティを形成している獣人族達がいる筈。 ある意味匪賊より厄介だが、大丈夫なのか」

「はい、それは問題ありません。 此方で手を打ちました」

「そうか。 ならば信じよう」

パイモンさんは奥さんにも先立たれ、子供達も独立して、今は基本的に錬金術に打ち込めるらしい。

故郷の村も、既に安定しているそうで。

一月や二月くらいなら、離れてもまったく問題は無いそうだ。

羨ましいと零すと。

パイモンさんは苦笑いする。

「エルトナの話なら聞いているが、空を知ったモグラたちは相変わらず狂騒を繰り広げているようだな」

「ええ、本当に。 もうどうしたら良いのか」

「わしの場合は時間を掛けてじっくり信頼を得ていった。 同時に、わしがいなければ街が成り立たないこともしっかり叩き込んでいった。 フィリスはまだ若い。 時間を掛けて、そうしていけば良いだろう」

「……そうですね」

確かにその通りなのだが。

そうなると、いずれわたしはソフィー先生のようになるだろう。

わたしはよかれと思ってした事も。

怖れられ。

恐怖とともに受け入れられる事になる。

それはきっと、あまり嬉しい事ではないと思うけれど。だけれど、パイモンさんが言うアドバイスは、聞いておいた方が良い。

長老や重役達がわたしにいちいち突っかかるのは、甘い汁を吸えないからで。

そもそも重役だからと言って甘い汁を吸えるというのがおかしいという事を、しっかり教育しなければならないのかも知れない。

責任は放棄し。

権利は欲しがる。

それは人間の普遍的な醜さなのかも知れないけれど。

そんなことだからこの世界はいずれ滅んでしまうのだ。

パイモンさんが来てくれたので、炉の作成を手伝って貰う。五つの炉を組み合わせる過程で何度も実験を行い。

問題が発生する度に微調整する。

やがて、炉が完全稼働。

更に、普段は上向きに畳める飛行キットも取り付ける。

かなり大きな飛行キットなので、運ぶのが大変だったけれど。

組み立てそのものは、グラビ結晶による補助を使いながら慎重に行ったので、さほど時間も掛からなかった。

船が完成した頃。

イルちゃんがアリスさんと一緒に来る。

何だか疲れている様子だったが。

理由は聞くなと、開口一番に言われたので、そうする。

イルちゃんの方は上手く行っているかと聞くと。

彼女は寂しそうに笑った。

「人材が足りなくてね。 少し前に、超腕利きの戦士が抜けたのよ。 アダレットに行く必要が出来たとかで」

「わ、それは……」

「で、代わりが来たんだけれど」

イルちゃんがアリスさんを見る。

アリスさんは無表情のままだ。

イルちゃんによると、アリスさんに雰囲気が似た人が、二十人ほど来たらしい。

皆腕利きで、寡黙だが真面目かつ勤勉だそうだが。

あまりにも雰囲気が似ているので、周囲に動揺が広がっているという。

アリスさんの話によると「一族」らしいのだが。

それにしても雰囲気が似すぎていて、有り体に言って怖いそうだ。アリスさんは、そう言われても、何も返さなかったが。

イルちゃんはこの辺りはっきり言うが。

アリスさんは非常に真面目にイルちゃんを支えているし。イルちゃんもアリスさんを信頼しているが分かる。

だがそれはそれとして。

流石に同じような雰囲気の人が二十人も来たら、何だかおかしいと思うものなのだろう。

「手伝うわ。 タスクを頂戴」

「うん。 それじゃあ、此方をお願い」

三人で手分けして。

飛行船の残りを仕上げていく。

途中から港に来たカイさんが、空でも飛びそうだなと冗談めいて言ったが。空を飛ぶのだとわたしが返すと、顎が外れたようだった。

何しろ水底にもぐる船だ。

空を飛ぶことが出来ても不思議では無い。

飛行キットの取り付けが終わり。

翼の稼働についても確認。

更に炉との接続を四苦八苦しながら行い。

上手く行ったら今度は炉同士の連携について実験。

二週間ほど掛けて、上がって来た細かい問題点を全て改良し。最終的に、いつでも飛べるように仕上げた。

その間に、イルちゃんがアリスさんをライゼンベルグ西の宿場町まで派遣して。

例の「一族」を二人ほど連れて来て貰う。

どちらも操舵師としての人員だ。

基本的に何でも出来るらしいので、操舵師も問題ないだろう。

カイさんはフルスハイムから離れられないし、代わりが必要になる。

かといって、腕利きの操舵師なんて、海沿いの街にでも行かなければいないだろう。

アダレットの首都は海に面しているらしいので、其方に行けばいるかもしれないが。

残念ながらあまりにも遠すぎる。

行ける範囲内にあるラスティン首都ライゼンベルグは山の中。

フルスハイムにも、手の空いている操舵師はいない。

そもそもこの船も、わたしの私有物というわけではなく。

フルスハイムにとって多大な貢献をしたからわたしが使える、というだけの話であって。

けっしてわたしが好き勝手に使用して良いものではないし。

ましてや壊す事なんて絶対に許されない。

実験を兼ねて、一度浮かせる。

船が浮き上がるのを見ると。

港の見物人達は、おおとどよめきの声を上げた。

操舵師に雇ったアリスさんの「同族」、二人ともすぐに操舵のマニュアルを覚えてくれたので。

一連の作業に問題は無かった。

一旦ドックに入れた後。

わたしは湖底の邪竜を殺してからせっせと増やしておいたハルモニウムを使って。船の装甲を強化する。

カイさんに聞いて、攻撃を貰った場合クリティカルなダメージを受ける場所に、優先的にハルモニウムの装甲を追加。

以前も感じたが、ハルモニウムは非常に「軽い」。

重量そのものはあるのだが、進むときに抵抗をあんまり受けない。

空気を切り裂くと言うよりも。

空気が避けて通っている、という感触だ。

更にハルモニウムの装甲と言う事は、ドラゴンの鱗も同然。更に言えば、そのドラゴンの鱗を、錬金術で変質させ、更に強化しているのである。

故に、ハルモニウムの装甲は贅沢ではあるけれど。

装甲としては、この世における最高の素材であり。

恐らく信頼性において、これを凌ぐものはあり得ないだろう。

また、わたし自身空飛ぶ荷車に乗って、船の周囲を徹底的に見て回って、鉱物の声を聞き。

アドバイスを受けながら、微調整を行う。

その間、カイさんと港の人夫が、船底の苔落としを手伝ってくれた。

こういった装甲船でも、汚れはつくし。汚れから苔が生えたりもする。

当然ドッグに入れて落とさなければならないのだが、危険を伴うので。

船が浮いている状態は有り難いと、カイさんに言われた。

ならば、或いは。

船を浮かせるための飛行キットを量産して、フルスハイムに譲渡するのも有りかも知れない。

後でレンさんに相談してみよう。

安全性という点では、既に飛行時間でも試行回数でも折り紙付き。

更に船に衝突回避のシステムを組み込めば。

事故も更に減らす事が出来るだろう。

ただでさえ湖面に出れば獣による襲撃が懸念されるのである。

流石に現在輸送のために動き回っている装甲船は一隻しか無いし、他のは基本的に木造船だ。

それらはメンテナンスも大変だし。

何より獣に襲撃された場合、獣の戦力が護衛を上回ると、乗っている人はまず助からない。逃げる方法が無いからだ。

ならば、助かるように。

ある程度工夫をする必要もあるだろう。

更に三日を掛けて。

徹底的な装甲船二番艦のチューニングを行い。

イルちゃんとパイモンさんにもチェックして貰う。

完璧、と言う話が出たので、良かった。ハルモニウムの声は前は聞こえなかったけれど。今はかなりクリアに聞こえるようになっている。

後は、レンさんを通じてフルスハイムの重役達と話をし。

この船を借りていくという契約通りに、事を進めるだけだ。

問題は其処でトラブルが生じないか、だが。

そもこの街を脅かしていた竜巻と邪竜を排除したわたし達は、恥ずかしい事に英雄扱いされていて。

フルスハイムの街を歩いていると、お礼を言われたり。

お店では割引して貰ったりもする。

つまり人望という奴がある訳で。

その人望に傷をつけるような事をしたらどうなるかは、計算高い彼らは把握している事だろう。

船は一旦浮かせたまま待機。

見張りにはアングリフさん達がつく。

わたしはお姉ちゃんと、イルちゃんとパイモンさんと一緒に、レンさんの所に行き。

船を借りる話を。

その後は、案の定重役会議が招集され。

やはり苦々しい顔をされた。

「あの船は、確かに貸し出す約束はしましたが……」

「見苦しいですよ」

レンさんが一喝すると。

不満そうにしていた重役は黙り込むのだった。

そも、重役達は、あの竜巻が発生したとき、何もできていない。インフラ整備にしろ、避難路の確保にしろ、動いたのは錬金術師と自警団員だ。

彼らにはその負い目がある。

わたしが、軽く説明。

禁忌の森の空に浮かぶ岩に、邪神がいる。

その討伐を兼ねて、船を試運転すると。

その話をすると、更に動揺は大きくなったが。

逆に、それで反対意見は完全に沈黙した。

邪神がいる事。

その力が、フルスハイムの近くである禁忌の森に及んでいることが確実である事は、彼らに大きなショックを与えた。

その結果。

わたしが出る事を認めざるを得なくなったのだ。

そもそも、邪神の戦闘力は、フルスハイムのような基幹都市の全力を挙げても対応出来るものではなく。

腕利きの錬金術師が集まって、その多数が命を落とす事を覚悟しながらようやく撃破出来る「かも知れない」という異次元の領域である。

ドラゴンをもしのぐ人間最大の天敵。

それがいるとなれば。

調査は当然とも言えた。

かくして船の使用許可は「本来の約束通りに」きちんと降りた。

後は、実際に。

まずは試運転がてらに、世界樹に向かうだけだ。

 

船に皆が乗る。イルちゃんとパイモンさんの馬車については、レンさんが預かってくれる上に、馬の面倒も見てくれる、と言う事だった。

前より炉が増えたので、更に少し手狭になったが。

アトリエを展開してしまえば。

その中に入れば良いだけである。

もっとも、船が沈んだら、アトリエに入っていたところで助かる事はないだろうし、常時周囲の監視は必要になる。

船の主砲はきちんと機能する。

水の中でも、試運転時は大型の獣を仕留めたのだ。

空中戦でも、勿論役に立ってくれる筈である。

また飛行キットに関しても、炉から防御の魔術を展開出来るように調整をきちんとしているので。

此方に関しても、あまり心配はしなくて大丈夫だ。

ゆっくり浮上。

キルシェさんにアドバイスを受けたとおり改良した結果。

飛行キットは更に安定している。

あまり速度は出ないけれど。

それでも、障害物が全く無い空を行ける、というのは大きい。今までの積み重ねが、この空飛ぶ船を実現した。

もっとも、空飛ぶ都市を実現した先達の錬金術師もいる。

別に空飛ぶ船も、世界で初めての存在ではないだろう。

後、本番。つまり禁忌の森上空の岩隗に出向く場合。

ソフィー先生が言っていた、二人組を乗せなければならない。

単純に非戦闘員が二人増えるのだ。

勿論、ソフィー先生が相当に戦闘慣れしていると言っていたから、足は引っ張らないとは思うが。

それでも、不安は残る。

何より、公認スパイとみるべきだろう。

何をされるか、知れたものではなかった。

「高度ー安定ー」

操舵手の一人。「ライト」さんがいう。「レフト」さん共々、アリスさんを少し幼くしたような女性の姿をしている。

声も殆ど同じで。

アリスさんの声と聞き分けられない。

実際に状況を目にして、イルちゃんがノイローゼ気味になるのが分かった。

これだと、アリスさんが三人いるようなもので。

しかも本人達が自己主張せずみんなメイドスタイルなので。

見分けがつかない。

アングリフさんも頭を抱えているようで。

何度かアリスさんを呼ぼうとして、ライトさんやレフトさんに話しかけて、違うと言われて困惑していた。

「おいフィリス、何とかならないのか」

「名札でもつけて貰いますか?」

「名札ってなあ……」

「それなら、これならどうかな」

ドロッセルさんが提案してくる。

どうせ錬金術の道具は身につけて、身体強化をするのだ。イルちゃんお手製の装備類は身につけているライトさんレフトさんだが。わたしが作ったマフラーは身につけていない。

そこで、二人にわたしから、赤いマフラーと青いマフラーをプレゼントする。

マフラーと言っても調整に調整を重ねているし、首に巻いても暑くはならない。守る事はあっても邪魔にはならない便利な品だ。

ライトさんに赤いマフラーを、レフトさんに青いマフラーをプレゼントすると。

二人は小首をかしげていたが。

皆が満足した。

これなら分かり易い。

イルちゃんは嘆息する。三人から少し離れた所で、軽く話してくれる。

「名札も考えたのだけれど、流石にそれは失礼だと思ったのよ。 助かったわ」

「それにしても似ているな。 何処かの閉鎖集落の出身者か? 血が濃くなりすぎると顔が皆そっくりになる事があるらしいと聞いているが」

「分からないわ。 アリスの一族はみんなあんな様子で、実家にいた頃からああだったから。 あんなにたくさん同族がいるとは思っていなかったけれど」

ふむと、パイモンさんが小首をかしげる。

わたしも違和感を覚えた。

どうも何というか。

それとは少し違う気がするのだ。

わたしのいたエルトナも閉鎖集落で、近親婚が当たり前だったけれど。それでも彼処までそっくりさんだらけではなかった。

というよりも、はっきりいうと。

アリスさんと同一人物にしか思えないのである。

年齢は少し若いけれど。

それはそれ。

彼処まで似ていると、作為的なものを感じる。

まさかとは思うが。

錬金術の秘奥に、人間を作り出すものがあると聞いている。確か、ホムンクルス、だったか。

書籍で読んだだけで実物は見ていない。

ただ、人造生命は存在するらしく。

それは多数の触手を備えていて。機能だけを重視した姿をしているらしい。

見聞院に行った時に色々な資料を見たが。

それでも、ホムンクルスの作成に成功した、という資料は見たことが無い。

あれ。

そういえば、人間四種族の一つ、ホム族。

これ、名前の一致は、偶然なのだろうか。

「イルちゃん、ライトさんとレフトさん、互いに区別はついているの?」

「本人達同士では区別がついている様子よ。 会話を見ている限り、個体識別は問題ないようだわ」

「そうなると、やはり特殊な環境が産み出した一族、なのだろうな。 血が濃くなりすぎると不幸しか産まん。 早めに新しい血を入れた方が良いだろう」

「……そうね」

イルちゃんは難しい顔をしている。

理由は何となく分かる。

多分イルちゃんにも、アリスさん達が何者なのか、よく分からないのだ。

雰囲気からして、実家にいた頃からのつきあいらしいのに。

どういう出身で、

どこから来たのかよく分からない、というのは妙な話である。

やはり作為的な何かを感じる。

ただ、今は。

それを詮索している場合では無い。

湖を越え。

方位磁針を見ながら確認。

西の方に、禁忌の森が見える。

そして禁忌の森の上空には、望遠鏡を使わないと見えないが、きちんと例の浮島が存在していた。

交代で覗いて。

確認を実施。

パイモンさんが呻く。

「あれほどの巨大な浮島を作る邪神、どれほどの力を持っているか検討もつかん。 虹神ウロボロスはラスティンの錬金術師が総掛かりで、多くの被害を出しながらようやく倒したと聞いている。 ライゼンベルグに出向き、総力戦の話を持ちかけるべきなのではあるまいか」

「いえ、それが、あそこにいる邪神が今かなり弱体化しているという情報を得ています」

「どこからの情報だ」

「それはすみません、言えません。 でも、確かな情報です。 ライゼンベルグに声を掛けて戦力を集めているより先に、我々で叩く方が早いはずです」

腕組みするパイモンさん。

イルちゃんは嘆息すると。

見えてきた巨大な木の話をする。

フロッケと見聞院の更に向こう。

孤立した陸の孤島状態の其処に。

天に伸びるような巨大な木が佇立している。

その凄まじい異様は、あれが本当にこの荒野に満ちた世界に存在するものなのかと、疑念を抱かせる程で。

その木の周囲には、豊かな森も当たり前のように拡がっていた。

あれぞ、世界樹。

試験の後の講義で、公認錬金術師でも、入る事は勧めないと言われた場所。

貴重な素材は取れるらしいが。

カルト化した獣人族の集落が存在し。

極めて排他的な性質から、攻撃的な態度で侵入者に接してくると言う。

だが、ソフィー先生は言った。

既に彼らは配下だと。

話もつけてあると。

生唾を飲み込む。

この船なら、多少の戦力に攻撃されても何ともない。

多分一つの街の自警団くらいなら、まとめてねじ伏せる事が可能だ。それも、それほど苦労せずに。

世界樹を守る腕利きの獣人族達でもそれは同じだろう。

だが、もしもそうやって。人を食っているわけでもない、匪賊でもない人間を蹂躙したら。

匪賊と同レベルの存在になってしまう。

わたしはそうはならない。

だが、世界が詰んでいるというのなら。

手段は選べないのだろうか。

ソフィー先生のように。

深淵の権化になるしか路は無いのだろうか。

「高度ー指示ー乞うー」

「フィリス」

「あ、うん。 ライトさん、高度は現状維持。 森の側まで、そのままの高度で進んで」

「アイアイサー」

そのまま高度を保ち、森の上空へ。

獣は仕掛けてこない。かなりヤバイ大きさのアードラが舞っているのが見えるのだが、仕掛けてくる様子も無い。

此方の装甲がハルモニウムだと分かっているから、だろうか。

全周で周囲が見えているから隙も無い。

問題は森の中とかからドラゴンがブレスで攻撃してくる場合だが。

それも今の時点では無かった。

そろそろ森の上空にさしかかる。

一旦停止。

そして高度を下げるようにと指示。

ライトさんがマニュアル通りに操作。ゆっくり装甲船二番艦が降下を開始する。

さて、森に住んでいる閉鎖的な獣人達は既に此方に気付いている筈だ。

総員戦闘準備。アングリフさんが声を掛ける。

此方が仕掛けるつもりは無くても。

向こうはどう出るか分からないのである。

ましてや集落全体がカルトだというのなら、何をしてきても不思議では無いだろう。

観察していて気付くが。

森そのものは、非常に規模が大きいが、その一方で静かだ。

禁忌の森のような、強烈な排他性は感じない。

一方で、住んでいる人間、つまり獣人族は排他性が強烈だというのだから、それはそれでおかしな話だ。

一体どういうことなのだろう。

これほどの規模の森でも。

森を離れると、少し草原があるだけで。後はすぐに荒野になってしまう。

更に言うと、此処へ向けた街道などもない。

ソフィー先生は、此処を掌握していると言っていたけれど。

来る場合どうしているのだろう。

やはり空路か。

後、昔はラスティンの傭兵をしていたようだけれども。

それも、どうやって接触していたのだろう。

このような状態だと、森に来るだけで一苦労だった筈だ。

或いは、その苦労を押してでも。

来て傭兵として雇っていく事に意味があるほどの、凄腕揃いだった、と言う事なのだろうか。

ともあれ、高度は地上ギリギリで停止。

このまま、浮かんだままにする。

まずアングリフさんが降りて、それから順番に皆降りていく。船にはライトさんとレフトさんが残ってもらい。

二人には中空で待機して貰う。

獣が攻撃してきた場合は反撃。

ドラゴンが攻撃してきた場合は森に逃げ込む。

これらの話は既にしてある。

二人はアリスさん同様、多少無機質ではあっても聡明だし。

問題は起きないだろう。

二人に船を任せると、わたしは荷車の状態をチェック。かなり良い状態の草むらだし、踏み荒らすのはあまり気が進まない。

空飛ぶ荷車に皆乗って、低速で進む事にする。

その方が良いだろう。

音もしないし。

何より、攻撃を受けた場合、荷車の装甲が盾になる。

森の内部になると、流石に下草がかなり減ってくるので。一旦荷車から降りて。陣形を組んで進む。

それにしても静かな森だ。

獣もどちらかと言えば穏やか。

ただし非常に大型の獣が目立ち。

荒野で遭遇したら、それこそ死闘を覚悟しなければならないような者ばかりだった。

戦闘を避けながら、ゆっくり探索していく。まずは、獣人族に接触しなければならない。

まだ、彼らは姿を見せなかった。

 

2、麓の森

 

森のどこから見ても、世界樹の位置が分かる。

凄まじい規模の森だ。

足を踏み入れてそれがよく分かった。そして何よりも、森に入ってみて、世界樹の凄まじさがよりよく分かった。

これはもはや、荒野にどうやってこんなものが出来たのか分からないレベルだ。

資料は見てきたが。ずっと昔から存在しているらしい。それはそうだろう。あんなものが、一日二日で生えてくる訳がない。

見上げる度に感嘆の声しか漏れないが。

それも、程なく終わった。

アングリフさんがハンドサインを出してきて。

一気に皆が緊張する。

どうやらおでましの様子だ。

すぐに戦闘に備える。

イルちゃんはシールドを展開する準備。

わたしは地面に手をついて鉱物の声を聞き。周囲の人数を把握しつつ、攻撃してきた場合は反撃する準備に備える。

此処で爆弾は使いたくない。

ブリッツコアもだ。

戦うにしても、森を傷つける……それもこんな凄い森を傷つけるのは。この世界に生きる者としては許されない。

パイモンさんは雷神の石を用いるつもりのようだが。

それも木を傷つけないように、慎重に使うつもりだろう。

さて、どうする。

しばしのにらみ合い。

鉱物が教えてくれる限り、周囲を半包囲している人間は二十人ほど。いずれも相応の手練れのようだ。

殺し合いになったら、手加減をする余裕は無い。

相手が弱ければ、殺さず制圧、というのも出来るかもしれないが。

そんな事を許してくれるほど、相手に隙が無いのだ。

実力が拮抗すればするほど、不殺での制圧は難しくなる。わたしも、外に出て、その辺りはよく分かっている。

だから、出来るだけ戦いは避けたい。

緊張の瞬間はゆっくりと過ぎていく。まるで時間が遅く流れているように。

ほどなく。

相手側が、此方に姿を見せてきた。

非常に大柄な獣人族の戦士だ。というよりも、現れた獣人族の戦士達は、皆極めて大柄である。

全員身長としては限界に近い。

この恵まれた体格。

更にあからさまに錬金術の道具を、武装として身に纏っている。手にしている武器も、プラティーン製のようだ。

なるほど、一目で理解出来る。

これならば、傭兵として重宝もされるはずだ。

「森に錬金術師が来ると連絡を受けている。 フィリス=ミストルートというのは誰か」

「わたしです」

「そうか。 他は護衛か」

「此方のイルメリアとパイモンは公認錬金術師。 他は護衛です」

公式の場だから、敢えて呼び捨てにする。

相手は一勢力と判断しての行動だ。しばし狼の顔をした巨漢の獣人族は黙り込んでいたが。

程なく、顎をしゃくった。ついてこい、というのだろう。

その間、聞いた事のない言葉で、獣人族達はぼそぼそと話している。

カルドさんは興味を持ったようで、メモを取っているが。

そもそも着ている服にしても。あまり見かけないものばかりで。毛皮も、敢えて染めているようだ。

人間にも入れ墨をする者はいるようだけれど。

獣人族は、確か地毛を大事にすると聞いている。あのような染め方をする文化の持ち主は、殆どいないのではあるまいか。

驚きはまだ続く。

小川が流れているが。

獣人族達は、ひょいひょいと飛び越えていく。

相当な能力強化が、錬金術の道具で為されていると見て良い。ソフィー先生から支給された道具なのか。

それとも、元より彼らは相応に高度な技術を持っている集団なのか。

それはちょっとばかり分からない。

いずれにしても、念のためだ。小川とは言え、どんな獣がいるか知れたものではないのだから。空飛ぶ荷車に分乗して移動。真下から攻撃されたところで、別に痛くもかゆくもない。このサイズの川の場合、荷車を丸呑みするような巨獣は出てくる事もないだろうし。

森の奥へ進むと。

木の背が高くなってきたからか、周囲が薄暗くなってくる。

甲高い鳥の声が聞こえてきて、思わず首をすくめた。わたしの二十歩分はありそうな巨体の蛇が、するすると前を通り過ぎていく。獣は際限なく巨大化するとは言え、このサイズは凄まじい。

前を行く獣人族はかなり足が速い。

途中から、ツヴァイちゃんは荷車に乗って貰った。

流石に辛そうになって来ていたからである。

相手が本当に此方を歓迎するつもりかは分からないし。いつでも戦えるようにしておかなければならない。

当たり前の話で。体力は可能な限り温存しなければならないのだ。

しばしして、見えてくる。

森の中に、集落がある。

とはいっても、或いは土を積み上げて、その中に穴を造り、それそのものを住居にし。

また別の住居は、木の上に造り。木の枝などを時間を掛けて曲げ、雨露を避けられるようにしている。

苔むした石を積み上げて作り上げた住居には、大きな木が絡んでいて。文字通り一体化している。

これは、人が住んでいるのが見えなければ。

まるで廃墟か何かのようだ。

姿を見せる巨大な影。

思わず構えてしまうが。

どうやらそれがケンタウルス族だと気付いて、わたしは生唾を飲み込んだ。

ケンタウルス族。

魔族で言う巨人族のような、レア中のレア。足四本、腕二本の、最強の獣人族の一種。

巨大な体格は巨人族にも劣らず、圧倒的なパワーと魔術の力を持つ獣人族最強の存在である。

しかしながら数そのものが極めて少なく。

フルスハイムのような基幹都市でも、滅多に見かける事はないという。

それに、悲しい話だが。

巨人族にしても、ケンタウルス族にしても。

所詮は人間。

この世界では、ドラゴンや邪神という圧倒的存在に対抗できる者では無い。あくまで人間の中で相対的に優れた力を持っている、というだけの話であって。この人であっても、それに代わりは無いだろう。

「この村の現在の長であるティオグレンだ。 そなたがフィリス=ミストルートだな」

「はい。 よろしくお願いします」

「この森には素材を採取に来たのか」

「はい。 出来れば調査と採取の許可を願いたいのですが」

ティオグレンという名前を聞いて、アングリフさんが一瞬背筋を伸ばした。

聞いた事があるのだろうか。

この村は凄まじい。

百人ほどが住んでいる様子だが。

文字通り森と一体化した集落の中で、それでも錬金術の道具類を生かして、相応に高度な生活をしている様子だ。

汚物などを垂れ流しにしている様子も無い。

高度な技術を上手く森に溶け込ませて。

清潔さも保ちつつ。

森の中で生きている。

このような生き方もあるのだと、感心してしまった。

わたしも森で守られた集落は幾つも見てきたが、それはあくまで森を防御と食糧供給のために使っているのであって。森の中で生きている訳では無かった。

此処は完全に森と一体化している。

獣人族だけしかいないのは良く理由が分からないのだけれども。

こんな特異な文化、どうしたら生じるのかはよく分からない。

「ならば、森の長たる神の許可を得ろ」

「神……邪神ですか」

「此処に住まう神は、人間にはさほど敵対的では無い。 ただし、庇護を行うほど友好的でもない」

ついてこいと言われて。

そのまま移動を開始する。

獣人族の戦士達は、聖域に行くからか。

それ以上はついてこなかった。

ティオグレンさんは、後ろからアングリフさんに声を掛けられても、振り返らずに応える。

「あんた聖獣王ティオグレンか」

「その呼び方を知っているとは、それなりの使い手の様子だな」

「不死身のアングリフとは俺の事よ」

「聞いた事がある。 この辺りだと、フリッツと並ぶ凄腕だな。 今は錬金術師の護衛をしているのか」

どうやらお互いに知っているらしい。

アングリフさんに話を聞いてみると。

少し黙った後、教えてくれる

聖獣王ティオグレン。

凄まじい力を持つケンタウルス族の一人で、かなりの古くから名前が確認されているという。

魔族並かそれ以上の寿命を持つケンタウルス族としても異様な長生きで知られていて。

古くから、多くの戦場で名前が見られるのだそうだ。

文字通り一騎当千の実力を誇り。

ドラゴンスレイヤーとしても知られているのだとか。

ドラゴンスレイヤーか。

そうなると、錬金術師と一緒に行動しているのだろう。身につけている錬金術の道具からしても、それは裏付けられる。

となると、誰か。

「噂によると深淵の者に所属していると聞いているが、本当か?」

「さてな」

「というか、そもそもこの村の長はケンタウルス族では無かったと聞いていたのだが、どうしてあんたが長をしている」

「それも応える気は無い」

空気がひりついている。

アングリフさんの言葉に、ティオグレンさんは応えるつもりが無さそうだし。それでアングリフさんも苛ついている様子だ。

そして、地形が露骨におかしくなってくる。

世界樹に入り込んだのかも知れない。

巨大な根が縦横に入り組んでいて、まるで海原のようだ。

木は殆どなくなり、かといって空は遮られている。

世界樹の枝が、空を覆うほど伸びている、と言う事なのだろう。

更に、世界樹そのものも、幹が見えてくる。

それは文字通り、植物の領域を超えてしまっている。まるで、巨大な壁だ。フルスハイム全域ほどではないにしても。少なくともエルトナよりは大きいと思う。

ティオグレンさんが足を止める。

理由は何となく分かった。

びりびりと、凄まじい気配を感じる。

今まで遭遇したドラゴンなどの比では無い。

幹の一箇所に、ぽっかりと穴が開いている。その奥から、気配はしているようだった。

「行くが良い。 ……まあ負けても殺される事はないだろう」

「何の話ですか」

「この先にいる者は、この世界そのものの一端。 それも毛の先ほどの存在。 だが、それでも知る必要がある。 この世界がどれだけの力によって動いているのか、そしてそれがどういう存在なのかを」

「何とも抽象的な話だな」

アングリフさんが呆れた様子で言うが。

ティオグレンさんは何もそれに答えなかった。

ただ背中を向けている様子からは、何というかその。「この世界そのものの一端」という存在に対する、複雑な気持ちが透けて見えた。

わたしは無言で前に出る。

「行くのか」

「資料を見ましたが、此処で祀られているのは創造の乙女と呼ばれている存在だと聞いています。 もしも本人だったら……会ってみる価値はあるかと思います」

「教会で信仰されているあれか。 場所によっては創造とか創世とかで違うらしいが」

「……待った」

カルドさんが言う。

もの凄く怖い顔をしている。

「実は他の場所にも創造の乙女が存在するという伝承はあります。 例えばアダレットの首都は、創造の乙女の居場所に極めて近いので、その霊験を得るために建造されたという歴史がある程です」

「そういえば、教会の資料を見ましたが、諸説あるようですね」

「複数いるのよ」

不意にイルちゃん。

彼女も、青ざめている。

相当にヤバイ気配なのは分かるけれど。

パイモンさんも、口をつぐんでいた。

ティオグレンさんは黙って話に参加しない。腕組みし、背中を向けてずっと立っている。

「私も創世の乙女パルミラの話は聞いているけれど。 明らかに世界の複数箇所に存在しているのよ。 此処にいるのはその一つ、と言う事でしょうね。 この気配、尋常じゃ無いわ。 下手すると、虫を潰すように殺されるわよ」

「……」

ソフィー先生は。

此処で素材を集めろと言っていた。

そして、此処にティオグレンさんは連れてきた。殺されないだろうとも言っていた。

ならば。行くしか無いだろう。

「皆、総力戦を準備してください。 一応、話はしてみます」

「……分かった。 ただし、まずいと思ったら即座に逃げるぞ」

「はい」

一歩を踏み出す。

その度に、凶暴、ではないけれど。圧倒的な力を感じる。それだけではなく、気付く。周囲に戦いの跡が残っている。

凄まじい炎の魔術が展開された痕跡。

稲妻が焼き尽くした跡。

何かが降り注いだような跡まである。

これは、此処で何度も、凄まじい戦いが引き起こされた、と言う事だ。それも、戦ったのは尋常な使い手ではあるまい。

木のうろ、というには巨大すぎる洞窟に入る。

其処には。

子供がいた。

杯の上に浮かんで。背中からは四色の円形の翼を生やしている。それはヒト族のまだ幼い女の子にも見えたが。

違う。纏っている魔力が違いすぎる。あまりにも桁外れ過ぎて、周囲に強い影響を与えているのが一目で分かる。

邪神も、ものによっては人間に近い姿をしているという話を聞くが。

この存在は、ヒト族の形をした、根本的に違う別の何かだ。

巫山戯た話で、昼寝をしているように見える。

浮いたまま、うつらうつらとしているのが分かった。

だが、わたしが前に踏み出すと。

小さな手で、可愛らしく目を擦りながら顔を上げる。どうやら目覚めたらしい。それだけで、炸裂するような圧迫感を覚えた。相手が此方を認識したのだ。それだけでこれか。

ぐっと、生唾を飲み込む。

「だあれ? 遊んでくれるの?」

普通の問いかけの筈だった。

それなのに、足が。動いてくれない。膝が笑っている。

あまりにも桁外れな、次元が違いすぎる化け物が、此方に興味を示した。というだけで、わたしの体が。拒絶反応を起こしたのだ。

震える足を叱咤。

だめだ、飲まれるな。動け。

呼吸を整えながら、聞く。

声を少し出すだけでも、膨大な努力が必要だった。目覚めたからか、相手は体から、凄まじい魔力を放っている。それこそ、体が光るかのような。

駄目だ。今の武装では、とてもではないが勝てる相手ではない。

こんな怪物。今世界にいる錬金術師が、全員がかりでも、倒せない。

そう絶対的な確信を持てるほどの巨大すぎる力が、目の前にあった。

「あ、貴方が、創世の乙女パルミラ?」

「んー、そうだけど?」

「わたしはフィリス=ミストルートと言います。 錬金術師です」

「だろうね。 それで遊んでくれるの?」

遊ぶ、か。

もしこの存在が教会でいう創造神だとしたら。それこそ壊すも作るも自由自在。殺戮も生命の創造も遊びの一端だろう。

だけれども、流石にわたしも。それに乗るつもりは無い。

「わたしは貴方と遊ぶためではなく、此処に力を得に来ました」

「遊んでくれたら、力を分けてあげてもいいよ?」

少しずつ目を覚ましてきたのか。

パルミラの声から、眠気が消えてくる。

だが、このおぞましいまでの暴力的な力。

どれだけ穏やかな無邪気な声でも。やはり一瞬でも気を抜いたら、失禁しそうだった。

「そうだなあ。 私が力をぶつけたらすぐに壊れちゃうだろうし、総力で私に攻撃してみてよ。 まあ多少は反撃するけれど、死なない程度にしてあげるね。 で、面白かったら、認めてあげる」

「……はっ、悪くない条件だ」

アングリフさんが前に出る。流石歴戦の傭兵だ。

パイモンさんも前に出た。

どうやら、かなり無理をしているようだが。それでも流石はこの場の最年長者。

お姉ちゃんも前に出る。

わたしも、こうなったら、やるしかないか。

ツヴァイちゃんも、神々の贈り物を構える。

ふわりと、浮かび上がったパルミラが。

翼を回転させた。

「さ、楽しもうよ、ねえ!」

その声だけで、意識が飛びそうになるが。

これから邪神とやり合うのだ。

少しでも良い素材が必要なのだ。

そして何より世界を変えるには。世界の創造に関わっている存在に、少しでも触れる必要がある。

そう、もしもこの子が。創造神の一端だとしたら。

例え「一端」だとしても。

わたしは知らなければならない。

そして何となくわたしは悟っていた。

この森は。いや世界樹そのものが。創世神の、麓に過ぎないのだと言う事を。

吹き付けてくる凄まじい圧迫感の中、先陣を切ったのは。唇を噛んだわたし。まとめてブリッツコアを発動し、六個分を一度に叩き付ける。複数同時展開は使用方法として前から研究していて、拡張肉体の研究と一緒に進めていた。

六つの雷撃がそれぞれのコアを繋ぎ。

六芒星を構築。

相互増幅し合って、それこそ雷神の槌が如き雷となって、パルミラに叩き付けられる。

その一撃を最初に。

戦いが始まった。

 

3、暴力の権化

 

あたしは無言でティオグレンの側に降り立つ。

聖獣王とまで呼ばれるこの獣人族の戦士にて、ルアードの側近として深淵の者を支え続けた勇者でも。

あの端末にさえ勝てない。

カルトそのものだったこの森の獣人族達を、ティオグレンの手でまとめさせ。

精強ではあったが狂信的だった獣人族達を統率し。

深淵の者に組み込んだのは正解だった。

以降は時々、深淵の者の幹部や、見込みのある強者をパルミラに挑ませている。

いずれも、未来を引き出すための処置。

ティアナちゃんとシャノンちゃんも以前コンビで戦わせた。

結果は惨敗。

それだけでも、今挑んでいるフィリスちゃんがどうなるかは、分かるというものだ。

「可能性の子を見に来たのですか」

「うん。 ……前から言ってるけれど、別に敬語で無くていいよ」

「貴方は我等が主すら敬意を抱く最高の賢者。 そして我等の悲願である世界の改革をなし得る希望の星。 それが如何に禍々しく輝く凶星であろうと、敬意を払うのは当然の義務でありましょう」

「まあそう思うならば良いけれどね」

希望か。

あたしでさえ、まだこの世界のどん詰まりをどう解消するべきかは、正直答えを出せていない。

人間という種族を進化させるべきと言う結論は出ているのだが。

どう進化させるべきかが分からないのだ。

また技術的な問題もある。

そのままの人間が駄目だ、という点では既に深淵の者でも意見が一致している。深淵に浸かっているあたしを見て悲しんで時に怒るプラフタでさえ、その意見は変わっていない様子だ。

だからこそ人材がいるのだ。

さて、戦闘はどうなっている。

初撃で極限まで増幅したブリッツコアを叩き込んだフィリスちゃんに続いて、猛攻を仕掛ける彼女の仲間達。

イルメリアちゃんが放った、高熱を発する剣。パイモンが放った時間差の極太の雷撃。

いずれもが、パルミラがひょいと手を振るだけで弾き散らされる。

否、かき消される。

反対の要素で対消滅させられたのだ。

煙が生じ。

それを貫いて、リアーネの渾身の一矢。

一瞬時間差を置いて、カルドの長身銃から放たれるハルモニウム弾。

柔らかく手を開くように、パルミラが動くと。

それらはふんわりと空中で受け止められ。

床にぽとりと落ちた。

頭上。

稲妻のようにアングリフが斬り降ろし。

更に足下に滑り込んだドロッセルが、大斧を切り上げる。

素手でハルモニウム製の刃を。それも強烈な魔術で熱と雷撃を帯びているそれらを受け止めるパルミラ。

背後に回ったアリスが斬り付けるが。

翼に届くどころか、斥力で弾かれる。

「うふふー、おもしろーい!」

完全に遊んでいやがる。

あたしは舌打ちしたくなるが。アレはパルミラの端末に過ぎない。本体は今も絶賛昼寝中だ。

叩き起こす事は出来るけれど。

今はまだその時間ではない。それには相応の労力がいるし、必要を感じない。

ただ、端末に蓄えられたデータは、本体に送信されている。

膨大なこの世界の全ての情報と共に。

端末に対してある程度ダメージを与えたり、もしくは楽しませることが出来れば。

そのものには報酬が与えられる。例えばティアナちゃんが持っている剣もそうだ。あの子の剣は、パルミラに与えられたものなのである。

それが。神の力が。今のフィリスちゃんには必要だ。

フィリスちゃんが大型の爆弾を投擲。

それにあわせて、他二人の錬金術師も、同じく爆弾を投擲する。

最初がレヘルン。だが、これは恐らく、かなり特殊な加工を施した特注品だろう。巨大な氷柱が、パルミラを瞬時に包む。其処にイルメリアちゃんが投擲した炎爆弾が炸裂。

強烈な燃焼を見せ、パルミラを包んだ氷を瞬時に溶かし尽くし、その体を炎で包む。

其処へ、パイモンの雷撃爆弾が炸裂。

上空から、数十発に及ぶ雷撃が、立て続けにパルミラを襲撃。

更に、とどめとばかりに。

ツヴァイちゃんが発動した神々の贈り物の閃光が。

パルミラを貫いていた。

濛々たる煙。

あたしはまあまあかなと、冷酷な評価を下していた。

何しろ、煙から姿を見せたパルミラは。それらの攻撃で、まったく傷ついていなかったのだから。

正確には防御は貫通した。だが、即時で回復されたのだ。

邪神には、超高速での自己修復能力を持つ奴がいる。あたしも戦ったことがある。パルミラもその能力は当たり前のように持っている。というか、彼奴の場合、世界のパラメーターそのものを弄くっているのだ。

自分が受けたダメージを、瞬時に全快できるのは、そういう理由である。

「良い連携。 まだまだある? 見せて?」

手を空に掲げるパルミラ。

空気が歪む。

一瞬にして、周囲に今までの比では無い魔力が満ち。

それが優しく周囲を「圧迫」した。

結果発生したのは、致命的な爆発だ。

イルメリアちゃんがレヴィと一緒にシールドを展開したが、そんなものは紙も同然。一撃で貫かれる。

死屍累々の中、まだ立っているのはフィリスちゃんだけか。

フィリスちゃんは反射的に床に手を突き、顔を歪める。

此処は地面じゃない。鉱物があれば、それこそ岩でパルミラを攻撃できたのだが。木の中では、それも不可能だ。身についている地面を味方にする癖は、此処でマイナスの結果を呼ぶ。

不意に、立ち上がったアングリフが、パルミラを後ろから貫く。完璧な奇襲だった。

だが。事象が書き換えられる。

床に思い切りたたきつけられたアングリフの上で、ひらひらとパルミラは回っていた。その乗っている杯ごと。

「流石年の功。 でもちょっと足りないなあ」

「刺したよな、確かに」

「うん。 良い奇襲だったから刺されてあげたけれど、気が変わったから刺されたという結果を変えたの」

「……手札を晒しやがって、舐めてると痛い目見るぞ」

続けて大剣を投げつけるアングリフだが。

その大剣は、間髪入れずアングリフの顔の真横に突き刺さった。

満面の笑みのパルミラ。投げ返したのでは無い。結果を操作して、パルミラに飛ぶ大剣を、アングリフの横に突き刺さるようにしたのだ。

真後ろからドロッセルが。真右からアリスが。

同時に仕掛けるが。

それぞれが、パルミラをすり抜けて、壁に叩き付けられ、そのまま悶絶する。

「工夫のない攻撃退屈ー。 もっと工夫しようよ、出来るでしょ?」

「イルちゃん!」

「任せなさいっ!」

血だらけのイルメリアちゃんが、剣を展開。数十本に達する魔剣が、パルミラをいつの間にか完全包囲していた。

飽和攻撃なら、或いは。

更に、タイミングをわずかにずらし、フィリスちゃんが渾身の一撃を。

ブリッツコア四種をまとめて、一気に火力を放出。

更に時間差をつけて、パイモンが雷神の石の火力をフルに解放。

致命的な爆発が、パルミラを襲う。

襲うが、それまでだ。

煙が、一瞬で晴れる。パルミラが手で払ったのだ。先ほどの連続攻撃を警戒しての行動だろう。遊びでも二度は同じ手を受けてはやらない。この辺り真面目な性格が良く分かる。

周囲に落ちている魔剣。いずれもボロボロだ。

血を吐いて倒れているイルメリアちゃん。呼吸を整えながら、パイモンが呻く。

「化け物……め」

フィリスちゃんもこれはもう無理かな。

あくびをしているパルミラは、リアーネが放った矢をそのまま掌で受け止める。小さな掌に、城壁さえ穿つ矢が、あっさり止められ。

一人時間差攻撃で、加速し至近に回り込んだリアーネのナイフが、斥力に弾かれ。

カルドの二発目のハルモニウム弾に至っては、瞬きするだけで軌道をそらされ、壁に突き刺さった。

レヴィが攻勢に出る。何だか凄そうな剣技を繰り出すが。涼しそうにパルメラは、よけもせずに全弾を受ける。勿論傷一つつかない。

更に、すっと手を降ろすと。その場にいる全員が、床にたたきつけられた。重力操作だ。

わたしの魔術映像を見ているティオグレンが呻く。

「凄まじい……ですな」

「でも、最終的にはこの端末くらいは打倒出来なければ困るんだけれどね」

「貴方なら可能ですか?」

「この端末は大した力じゃあない。 再生しきる前に潰せるよ」

全くの事実を淡々と述べる。

実際問題、あたしの力は、現在では抑えておかないと危ないくらいにまで上昇している。パルミラ本体には到底及ばないが。この端末程度だったらどうにでもなる。

ただ見た感じ、あの「パルミラ」は。超ダウングレード版とは言え、本体が使う技の一端は使用している。そういう意味で、あれと戦っておく事に意義は大いにある。

事象の改編。

瞬時の完全再生を一とする世界のパラメーター操作。

重力を一とする法則の操作。

ただし、フィリスちゃん達も気付いて来ている。

同時に全てを実行は出来ない。

だから時間差による攻撃を仕掛けていたのだけれど。もう流石に限界か。

ツヴァイちゃんが完全に二度目の攻撃で気絶したのを見て、フィリスちゃんが撤退と叫ぶ。

それで、戦いの勝負はついた。

あたしはまあこんなものだろうと思い、その場から姿を消した。

此処まで現時点でやれれば充分。最悪の場合、失望したパルミラによって、フィリスちゃんは瞬時に消滅させられていただろう。まあそこまであの生真面目で善良な神が、するとも思えないが。

これでいい。フィリスちゃんは敗北を知って更に強くなる。だからこれで理想的な結末だ。ティオグレンは呆れていたようだが、別にどうでも良い。あたしは常に、最良を目指して動くだけだ。

 

呼吸を整える。

完全に、戦いを始める前の状態に戻っていた。撤退しようにも、全滅を覚悟する状態だったのに。

によによしているパルミラは。創世の乙女は。どうやら、わたし達の状態を、戦闘開始前に戻したようだった。皆傷一つない。消費した爆弾も元に戻り、体力も魔力も回復していた。

ぎゅっとツヴァイちゃんを抱きしめる。恐怖の震えが伝わってくる。

唇を噛んで、この世界の邪神の頂点を見上げた。

浮かんだまま此方を見下ろしているパルミラは。文字通り遊んでいただけだった。

時間、空間、自由自在。これでは、ソフィー先生とでも戦っているかのようだ。

「んー、最近来た中では、そこそこ楽しかったよ。 特に時間差で少しでもダメージを与えられるとすぐに気付いたのは凄いかなあ。 ご褒美として、森での良識的な範囲内での採取を許可するよ。 後、これをあげるね」

わたしは、応えない。

否、応えられない。

相手は遊んでいるつもりなのは分かりきっているけれど。それでも、あまりの圧倒的な力量差に、震えを隠すだけで精一杯だった。

やっとそれが収まったのは。

パルミラが寝落ちした後。

炸裂するような圧迫感が消えた。脅威ですらないと相手が認識した。その結果である。

そして、其処には宝箱が一つ。いわゆるチェストという奴だ。

更には、幾つかの。図鑑でしか見た事がないような、高価な素材類が散らばっていた。

無言で、それを荷車に乗せる。

完敗だ。わざわざ口にするまでもない。邪神の圧倒的な実力を目の前で見せつけられたわたしは、言葉も無かった。人間に敵対していない以上邪神と呼ぶべきかは分からないが、同族である事は間違いない筈。

勿論他の邪神はパルミラよりは劣るだろう。だが、あまりにも頂点が凄まじすぎる。しかもあれで、本体の毛先ほどしかないというのだ。一体創世神本体はどれほどの力を持っているのか。

大きく嘆息したのは、アングリフさんだった。

「あれが、神か。 ドラゴンとは流石に比較にならねえな」

「ちょっと勝てる気がしない」

ドロッセルさんもぼやく。

いつもマイペースのドロッセルさんがこの発言である。皆もどれだけのショックを受けたのかが、一発で分かる。

パイモンさんは、しばらく俯いていたが。やがて素材類を回収する作業に入った。イルちゃんはしばらくへたり込んでいたが。アリスさんに助けられて、立ち上がる。ツヴァイちゃんはさめざめと泣いていたが。漏らしたりはしていなかった。心が決定的に折れていない事も何となくは分かった。

それにしても、いくら何でも強すぎる。

ドラゴンも強かった。だが、まだ勝機があることが分かる相手だった。

パルミラは異次元にも程がある。この世界の頂点ではあるのだろうが、それにしても別次元過ぎる。

嘆息すると、一度世界樹のうろを出る。

わたし達以上の実力者も、何度もパルミラに挑んだのだろう。多分この世界樹に残された戦闘の跡は、その記念か何か。

それ以上でも以下でもないはずだ。

ティオグレンさんは腕組みして待っていた。

そして、何も聞かず。

集落まで案内した後。今日は休むようにと、一言だけ告げた。

 

アトリエを展開して、中で休む。

まるで葬儀でもあったかのような雰囲気だったが。この状況ではどうしようもない。

勿論あれは例外だと言う事は分かっている。

だがそれにしても、あまりにも圧倒的。

あまりにも一方的。

上位邪神を倒すのに、二大国が総力を挙げて、それでも出来るか分からない、という理由が肌身で分かった。

あんなの、勝てるとか勝てないとか、そういう次元の相手ではない。

動いているのはパイモンさん。

一応立ち直ってはいるようだが、表情はくらい。

荷車にかき集めて逃げ帰ってきた素材。

それにチェスト。

両方を吟味しよう、という話をわたしと。

膝を抱えたまま、部屋の隅に蹲っているイルちゃんにする。

年長者らしい、現実的な行動だ。わたしも、今はヒスを起こしている場合では無いと理解する。

素材類は、見た事があるものも見た事がないものもあるが。

共通して凄まじい魔力を放っていた。

しかもおあつらえ向きに三等分出来るように数がきっちりある。どれも同じ程度の魔力を感じもした。頭に来るほど、平等なやり方だ。なおチェストについては、多分レヴィさんが言っていた奴だ。これについては、その話をする。わたしは元々興味は無いし、二人もそういう話があるのならと納得した。どの道、力尽くで開けられるようなチェストでもない。

イルちゃんはよろよろと腰を上げると。

どう素材を分けるのか、と問い。

パイモンさんが、まずは品についてまとめようと、ごく当たり前の事を言い。

聡明なイルちゃんらしくもなく、ただそれに頷くばかりだった。

これは駄目だ。何というか、本当に皆の心に与えられた衝撃が大きすぎる。邪神が相手なのだ。それもその頂点が。

もし、相手に殺意があったら。

それこそ、何も手も足も出なかっただろう。

力の差を埋めるとか埋めないとかそういう話ではない。

生きて帰れただけ、奇蹟。そう思って、頭を切り換えるしか無かった。

改めて素材を見る。

まず、植物関連が幾つか。

黄金色の葉もある。

だが、前に触ったものとは、桁外れの魔力を放っていて。文字通り発光している。蓄えた凄まじすぎるのだ。

毛皮もある。

何の毛皮かは分からないが、或いは何の毛皮でさえ無いのかも知れない。

これもまた、鈍い音を立てていた。

魔力が周囲の空気を振動させているのだ。

どれもこれもが、訳が分からない一品ばかりである。

わたしは、金の絹糸を欲しいと言う。

二人は同意してくれた。

ヴェルベティスを量産したいと思っている状況である。

もう少し素材になる金の絹糸を入手した後。ある程度慣れてきてからこれを使えば、それこそ切り札になる防具を作り出せる筈だ。

イルちゃんが取ったのは竜の鱗。

多分湖底の邪竜の鱗よりも、更に高品質だろう品だ。

頷くと、わたしはそれを容認する。パイモンさんも異論を口にはしなかった。

続いて毛皮をパイモンさんが取る。

二人とも文句は言わない。

こうして、全ての素材を分けていき。

その後は、解散とした。

とりあえず今日は休む。

お姉ちゃんが料理を作ってくれたけれど、はっきり言って味がしない。いつもだったら美味しいのに、まるで作るのを失敗した上傷んでしまった古い干し肉でも噛んでいるかのようだ。

イルちゃんやパイモンさんも同じのようで。

苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

いや、間違いなく美味しいはずだ。

こんな味がする筈がない。

それだけ、皆がショックを受けている、という事である。わたしは、それ以上、何も言えなかった。

一晩眠って。

それから起きだして、皆と合流。

ティオグレンさんの指示を受けたらしい、屈強な獣人達が数名、既に待機していた。案内してくれるという。

「慈悲」に従って、素材を回収するのなら。

指定の場所でやって欲しいと、彼らは言った。リーダー格の、ヤギ顔の戦士は。当然のように毛皮を染めている半裸の逞しい上半身を見せつけながら、ついてこいと威圧的に言った。

案内とはいうが。

事実上の監視だ。

森に入ったときの様子からして、匪賊や山師の類が入り込んだとき、この人達が生かして帰すとも思えない。

パルミラを信仰対象としていて。

その許可が出たことは知っているのだろうが。

それでもよそ者、なのである。

多分ソフィー先生は、あのパルミラを認めさせているはずで。それが故に此処の掌握を成功させているのだろうけれど(或いは関係があるだろう深淵の者がやったのかも知れないが)。

だとしても、監視をつけるほどに。

此処は排他的な集落だ、と言う事なのだろう。

ブッシュになっているほど森は濃くないが。

それでも濃厚な緑の臭いがする。

近くを巨大な獣が、悠然と通り過ぎていく。一応此方に敵意は無い様子だ。というよりも、パルミラの意思が通達されているのだろう。

完全に此方を無視しているようにさえ見受けられた。

獣人族の戦士は、ほうと呟く。

そして、わたしを見て言う。

「此処まで獣が敵意を示さなくなる相手は久しぶりだ。 相当我等が神は戦いを楽しまれたと見える」

「……楽しんだ、ですか」

「我等が神は万物が創造主。 我等の創造主にして救世主でもある。 いにしえの時代、乱が絶えぬ世界で、我等の先祖は滅び掛けた。 その滅び掛け、もはや為す術も無かった処に手をさしのべてくださった。 それが我等が神なのだ。 我等のための世界を創造してくださった神は、かくしてお疲れになり、今は力を温存為されているのだ」

何だそれ。

今まで、どんな本でも読んだことが無い話だ。

独自の信仰を持っていると聞いたが。

嬉々として語った今の言葉。

狂信的と言うよりも、何一つ疑っていないようにさえ思えた。

カルドさんは、落ち込みよりも今の話に興味を持った様子で、前に出る。

「もう少し詳しく話を聞かせて貰えませんか?」

「ほう? 外の修羅の世界から来た割りには信心深いな。 だがこの森には神に絶対の忠誠を誓ったか、神が認めた者しか住まうことが出来ぬ。 そなた達は認められたが、それでもまだ色々と証が……」

「いえ、神の話です。 ここに住もうとは思いませんが、今の話を出来ればもう少し詳しくお願いします」

「……ま、まあ良いだろう」

歩きながら、獣人族の男性は話をしてくれる。

カルドさんは、目をらんらんと光らせながら、メモを取っている。

何でも、パルミラと呼ばれる創造神は。

元より極めて慈悲深く。

この世界に多くの救われぬ存在を招いて、住まうための世界を「作ってくださった」のだという。

それも善意から。

様々な理由で滅び以外の選択肢が無くなっていた四種族は、それを受け入れ。

今はこの世界にくらしている。

決して楽に暮らせているわけでは無いが。

創世の乙女の光は皆を優しく照らしているのだと、恍惚さえ目に浮かべながら獣人族の男性は言う。

カルドさんはしばし考え込んだ後、質問。

「それは一族に伝わる話ですか」

「いや、神より直接話をしてくだされた。 それまでは、我等は創世の乙女に従う事をただ信仰とし、この森にてその守護を担う事だけを考えていた。 だが今の長老が、神を起こしたまい、その迷妄を開いてくれた」

迷妄、ね。

それにしても、信仰対象の神が、直接説諭したというのか。

もしも信仰が狂信的だった場合。

それはもうひれ伏して、感動のあまり涙を洪水のごとく垂れ流し。そして以降は一切合切身を任せるだろう。

そんな事はわざわざ言わなくてもわたしにも分かる。

どうやら採取地に着いたようだ。

黄金色の葉と。

金の絹糸。

それに珍しい何種かの木の実と。

図鑑でしか見られないレアな薬草が何種類かある。

荷車を寄せると、群生地から採集を開始。丁寧に、取りすぎないように。植物を痛めないように、慎重に手を動かす。

呼吸を整えると。

回収した素材を、パイモンさんとイルちゃんと確認。

いずれも、禁忌の森で回収した素材とは段違いの品ばかりだ。

それに、黄金色の葉だが。

生えている木が、以前と違って、しゃんとしている。

何というか、年季が入っている。

前はあからさまに若い木だったが。

今度のは、ずっと古くから此処に生えていて。その光で周囲を照らしている。それが分かるのだ。

一度アトリエを展開して、コンテナに今回収した素材を入れる。

ツヴァイちゃんはまだちょっと精神が不安定なようだけれど。数字の管理はしっかりしてくれた。

それでいい。

次の場所に向かう。

なんと、アードラの巣だが。

アードラは此方を見ると、どいてくれた。

産みたての卵が幾つかある。

持って行け、というのだろう。

信じがたいが、これも神の指示によるもの、というわけか。

触ってみると、産みたてではあるが。魔力を感じないものが幾つかある。パイモンさんも触ってみて、頷く。

無精卵だ。

有精卵を持っていくのは、慈悲がないと見て良い。

故に、無精卵だけを貰っていく。

同じような巣から、幾つか無精卵を貰って。

そしてその場を離れる。

小川が幾つかある。

魚を取るための罠が仕掛けてあって。

其処から、幾らかの収穫を獣人族の男性が分けてくれた。

珍しい貝類や魚がごっちゃり入っていたが。

魚類までもが、美しい光沢を放っていて。まるでこの世の生物とは思えない。

否。

荒野にいる獣こそ、本来の姿ではなく。

力に満ちあふれたこの森にいる獣こそ、本来の姿なのではないのだろうか。

ふと、直感的にそんな事を考えてしまったが。

それは流石に、検証してみないと何とも言えない。いずれにしても、有り難く貰う事にする。

そして、だ。

最後に案内された場所で。

わたしは息を呑んだ。

深い深い森。

暗いその場所に、数筋の光が差している。

そして、其処に群生しているのは。

図鑑を慌ててめくる。

そして、イルちゃんとパイモンさんにも見せて、確認した。間違いない。

この、円形状に咲く赤い花は。

新月にしか咲かないとか。

特殊な条件でしか咲かないとか言われている。幻の中の幻。薬草の中の頂点。究極の薬を作る際には絶対に必要とされ、場合によっては死者さえ蘇らせるという噂さえある。錬金術の秘奥に触れるためには、必要な一つ。

ドンケルハイトだった。

生唾を飲み込むと。

わたしはドンケルハイトに手を伸ばす。

三株だけ、もらう。

一人一株ずつ。

敢えて、同じくらいの大きさのものだけを選んだ。

呼吸を整える。

こんなもの、一生触ることは無いかと思っていた。安易に使う事なんて、とても出来る品ではない。

そして此処でまた回収しようと思うならば。

またパルミラと戦わなければならないだろう。

「此処までだ。 後は、もはや神の慈悲の及ぶところでは無い。 お引き取り願おう」

「はい。 有難うございました」

「うむ……」

獣人族の男性は、わたしの物わかりが良いからか、機嫌が良かった。

或いは、神が「楽しんだ」事を、自分の事のように喜んでいるのかも知れない。

此方は死ぬ所だったのだけれど。

そんなことは、この森を「神を守護する」ために守っているこの人達には、どうでも良いのだろう。

世界樹の麓の森を出る。

そして、装甲船二番艦に乗る。

乗って、一端フルスハイムまで戻るが。その途中で、大きく、大きく溜息をイルちゃんがついた。

「もしもあれが、本当に創造の神だったとしたら」

「いや、恐らく本当だと思う。 だけれど、ティオグレンさんが言っていた通り、一端も一端なんだろうけれど」

「……そうね。 創造の神の一端があれだとしたら。 どうしてこの世界は、こうも過酷なのかしらね。 人間が嫌いなようには見えなかった。 むしろ努力には対価を与える存在に見えた。 それなのにこの世界は、人間をどれだけ苦しめても足りないように出来ているとしか思えない」

「そうだな。 確かにこの世界は地獄だ。 だが……」

パイモンさんは、声を低くする。

さっきの話。

獣人族達がカルドさんにしていた謎の神話。

教会では聞いた事がないし。どんな見聞院の本にも書かれていなかった話だが。

あれが本当だったとしたら。

「ひょっとすると、我等四種族はこの世界で生まれたのではなく。 更なる地獄から来たのやも知れぬ」

「更なる地獄……」

「滅亡が確定している世界といったら、そうなるだろう」

「……」

まさか。

例えば、滅亡が確定している世界で人間がどう振る舞うか。

それで、思い当たる。

ソフィー先生に見せられたあの終焉の時。

人間は、まるで匪賊のごとく、互いに喰らいあっていた。嫌な想像が、一気に脳裏を塗りつぶす。

まさかとは思うが。パルミラにこの世界に連れられて来た人間は。そもそも最初から、ああだったのではあるまいか。

そしてこの世界は。あの狂った人間達が、まともに暮らす事が出来るように調整された世界だったとしたら。

言葉も無く、わたしは黙り込み。

今の考えを飲み込むしか無かった。

そうか、世界がどん詰まりになるのも、更に分かった気がする。これでは、どうしようもない。

例え最強の神がどれだけ良い世界を作ろうが、それこそ全てを食い尽くしてしまうのが本質的な人間だろう。

だとしたら。

わたしは、どうそのどん詰まりを解消すれば良い。

もうすぐフルスハイムに到着すると、ライトさんとレフトさんが告げてくる。

安全圏に入ってから、コンテナの整理をしよう。

わたしはイルちゃんとパイモンさんに提案すると。心の奥底に点った、正解かもしれないおぞましすぎる考えを、必死に検証し始めていた。

 

4、最果て

 

何度かヴェルベティスの素材になる糸にまでは金の絹糸を加工して。それで、額の汗を拭っていると。

アトリエの戸を誰かが叩く。

見るとイルちゃんだ。

知らない人を二人連れている。

いや、知らない子供と言うべきか。

虫のようなかぶり物をした二人組で。男の子と女の子だ。だが、何だろう。何というか、浮き世離れというか。

あまりにも異様な雰囲気を感じる。

雰囲気からして、イルちゃんはこの二人を知っている様子だが。多分良い意味で、ではないのだろう。

それで思い当たる。

多分この二人が。

ソフィー先生が言っていた、浮島に同行し、調査する要員だ。

「フィリス、いいかしら」

「うん、上がって」

「じゃあお邪魔するよ」

「お邪魔するわ」

不可思議な二人の子供は。

くつくつと笑いながらアトリエに入る。まるでずっと昔から、この場所を知っているかのように。アトリエの仕組みを知っても驚きさえしない。やはり錬金術師か、それに対する知識を大量に持っているか。

もしくは、ソフィー先生の知人か。

その全てかも知れない。

お姉ちゃんが来客と言う事でお茶を出す。

ここのところ、暗い話ばかりだったと、お姉ちゃんが苦笑い混じりに言うが。わたしの顔を見て、すぐに口をつぐむ。

明るい話では無い。

それを悟ったのだろう。

パイモンさんも来る。

三人がテーブルを囲むと。

男の子の方。

メクレットと名乗った子が、言う。

「もうソフィーから話が行っているだろうから、わざわざ詳細は説明しないよ。 浮遊島に調査に行く準備は、後どれくらいでできそうだい?」

「あまり待たされるのは好みじゃ無いのよねえ」

アトミナという女の子が焼き菓子をつまみ。

おいしいと満足げに、悪い笑みを浮かべる。

わたしは頷くと。

まだ少し掛かると返答した。

船そのものは動かせる。

だがヴェルベティスがまだ満足行く出来に仕上がっていない。

充分な出来のものを作れたら。

全員分の戦闘衣を造り。

更に、皆が身につける道具。

爆弾類なども更に吟味して、それから出立だ。

相手は邪神。

その実力は、この間文字通り体に、徹底的に叩き込まれた。あれ以上の実力、と言う事はないだろうが。

それでも、準備は徹底的にするべきだ。

イルちゃんもパイモンさんも、準備は丁寧にしているようで。

今、戦いに向けて最後の調整をしている。

それと、心の傷を癒やす事も必要だ。ツヴァイちゃんはまだ完全には立ち直りきれていないし。

少し皆には時間が必要かも知れない。

わたしも、正直な話、パルミラと今すぐもう一度戦えと言われたら、首を横に振る。

あんな存在と、もう二度とやり合いたくなどないからだ。

「ヴェルベティスを見せてくれる?」

「今は糸の段階ですが」

「良いわよそれで」

アトミナが言うので、無言でコーティングした糸を持ってくる。変質させると、最終的には美しい上品な紫になるのだが。これもまた、錬金術の神秘という奴だ。

ふむと、アトミナとメクレットは鼻を鳴らす。

そして、しばしひそひそと何かを話していたが。

やがて、わたしに向き直った。

「じゃあ、一月後に来るよ。 それまでに準備は整えておいてね」

「分かりました」

ふと気付くと。

二人の姿はもうなかった。

イルちゃんが首を横に振る。

「いつもああなのよ。 気にしないで」

「そう、だろうね」

「物の怪の類か、あの子供ら」

「多分もっとタチが悪いわ」

パイモンさんが呻く。イルちゃんは、ずっと前から、あの二人と関係があったらしい。人生の分岐点になるような時に現れて、色々と話をしていくそうで。あまり良い印象が無いそうである。

気持ちは分かる。

わたしも最初はソフィー先生を崇拝までしていたが。今は恐怖の対象ですらある。

それに関しては、仕方が無いだろう。

人というのは、内面まで踏み込んでみないと、その本質が分からないものだ。

ひたすらに綺麗な人もいるかも知れないが。

そんなのは例外中の例外。

わたしだってすっかり心は濁ってきているし。

イルちゃんだって、それは同じの筈だ。

錬金術師は。

いや、錬金術に深く触れれば触れるほど、知識の深奥に達することになるし。知識を覗くと言う事は。

知識が存在する深淵に触れると言う事だ。

わたしは、それで壊れてしまったとしても。

責めることはできない。

「ともあれ、一月という猶予を提示されたな。 準備をするしかあるまい」

「……はい」

「今度は前のようにはいかないわ」

イルちゃんが強がりを言うが。

分かる。

まだイルちゃんも、あの戦いの心の傷が癒えていない。

恐らく、最悪のコンディションでの戦いになる。

それでも負ける訳にはいかない。

邪神を放置する訳にはいかないし。

その存在が、あの禁忌の森につながっているとすれば、なおさらだ。今後何が起きるか知れたものではない。

見聞院に出向くと。

資料を徹底的に集める。

負けられない戦いだ。

準備は、あらゆる方面から、徹底的に行わなければならなかった。

 

(続)