凍える山の光

 

序、基礎に立ち返れ

 

フロッケで話を聞いた後、わたしは見聞院本部に出向く。幸いそれほど遠い場所でもないし、何より情報が必要だからだ。

キルシェさんとは別方向からのアプローチを考えて見たい、というのもある。

或いは、何か参考に出来る資料があるかも知れない。

また見聞院には、禁忌の森で見た植物についても情報を納入する。

禁忌の森に関する件については、既に情報が見聞院本部まで行っていて。既に此処でも知られていた。

多少のお小遣いを貰えたので。

それだけで良しとする。

後は、公認錬金術師の免許を見せれば、更に難しい本についても読むことが出来る。

見聞院本部の地下深く。

強力な魔術の防護が掛かっている部屋はひんやりしていて。

幽霊でもでそうだった。

霊については何度も見たことがあるが。

此処は雰囲気がある。

実際その手の話がいくらでもあるのだと、嬉しそうに案内してくれた司書さんが話してくれた。

苦笑いするばかりである。

お姉ちゃんはわたしを怖がらせようとしたからか、笑顔のまま静かにキレていたが。

ともあれ、図書館の外で解散して、此処にはわたしとお姉ちゃん、カルドさんの三人だけで来ている。

ツヴァイちゃんはアトリエで在庫確認。

ドロッセルさんはせっせと人形劇の脚本作り。

アングリフさんは、この辺りの状況について、酒場に聞きに行き。レヴィさんは買い出しだ。

カルドさんは珍しい本を見つけたらしく、大喜びで読み出したが。

わたしはそれとは関わらず、熱についての錬金術と。

それとヴェルベティスに関して調査していった。

ヴェルベティスは今後の探索などで役に立ってくる。そういう意味で絶対に必要なので、まあこれは当然として。

問題は熱だ。

爆破は得意だが。

今回必要なのは、瞬間的に敵を焼き尽くすようなものではない。

じんわりと熱を伝えて。

広域を温めるようなものだ。

巨大な暖炉のようなもの、とでもいうべきか。

いや、少し違うか。

暖炉だと、やはり熱量がありすぎる。

キルシェさんは空間そのものを温める工夫をしていたようだし、それにまず追いつかなければならない。

人に教えるには三倍知らなければならないという言葉もある。

キルシェさんはそれが出来る。

わたしはまだ出来ない。

だったら勉強して。

まずは追いつく所からだ。

しばし黙々と読書にふける。参考資料になりそうなものをお姉ちゃんが片っ端から持ってきてくれたので、しばし読書に集中。

雰囲気などいつの間にかどうでも良くなっていた。

時間になったら迎えに来るとお姉ちゃんに言われたので。

頷いて返す。

集中を切らしたくない。

本をひたすらに読んで情報を詰め込む。

やはりというか何というか。

相当に、色々な応用が出来そうな情報が入る。

危険な知識も多い。

こんな深い階層にしまわれている本である。

凄腕の魔術師や錬金術師が書いたのは容易に分かる。そして、普通の人が読んだり、生半可な腕前の人間が実施したら、大惨事になる事もあるからだろう。

閲覧制限も当然と言えた。

いつの間にかかなり時間が経っていて。

お姉ちゃんに呼ばれたので。

残りの本をメモして、見聞院を出る。

カルドさんは既にいなかった。

充分な情報を得たから、だろう。いなくなった事に気付かなかった。

アトリエに戻ると食事にする。

アングリフさんはカルドさんとすっかり出来上がっていて、楽しそうに笑っていた。まあ酔っぱらい達は好きにさせておくとする。

しかしカルドさんが酒を豪快に入れているのは珍しい。

「どうしたんだろう、リア姉」

「見聞院から連絡が来て、論文に高評価がついたそうよ。 標の民として一人前として認められたらしいわ」

「ああ、なるほど」

「まだフィリスちゃんはお酒駄目よ」

苦笑い。

勿論場所によってはわたしくらいの年でも飲んでいるかも知れないが。

此処でそうするつもりはない。

アングリフさんはああ見えて絡み酒をする事もないし。

もう疲れたので寝ることにする。

その次の日、起きだすと。

二日酔いでカルドさんはフラフラになっている反面。

アングリフさんは平然としていた。

この辺りは、やはり経験の差なのだろう。

流石に戻すまでは飲まなかったようだが。

それでも、生真面目なカルドさんだ。あまり飲酒の経験は無かったのだろう。

起きだしてからは、また図書館に。

徹底的に。

貪欲に資料を調べ上げる。

二週間ほど掛けて勉強を実施し。必要と思われる資料については全てメモを取った。

その後は、今度はライゼンベルグまで出向く。

途中でグラオ・タールに寄ったが。

畑もかなり広がり。

安全圏も拡がって、人々の顔もかなり明るくなっていた。

前は何処か厭世的だったノルベルトさんも多少顔が明るくなっていて。公認錬金術師試験に受かったことを伝えると、喜んでくれた。また、以前のような無精髭も生やしておらず、多少衣服も清潔になっていた。

お姉ちゃんは相変わらず無言だったが。

この二人は、ゆっくり距離を確認しないといけないだろう。

軽く話した後、問題事が無いか確認。

見ると緑化した街道はしっかり機能しているし。

わたしが埋めた峡谷もそのまま道としてつながっている。

馬車も往来しているし。

きちんと見張りも仕事をしている。

大丈夫、と言われたので、頷いてその場を後にする。グラオ・タールは一時期兵糧攻め同然の状態に遭っていた都市だ。

回復後、エルトナのように一気に不満が噴出したり、隠されていた闇が現れたりという事は起きず。

どうにか上手くやって行けているらしくて安心した。

だが、決して放置は出来ないだろう。

なおイルちゃんは留守にしていて、宿場町では会う事が出来なかった。

イルちゃんも辣腕だ。

彼方此方から声が掛かっているのかも知れない。宿場町の方は、何しろやっと形になったばかりなので。今イルちゃんの機嫌を損ねるわけにもいかないのだろう。重役が好き勝手するような事も無く。

更に言うと、多分ソフィー先生の息が掛かった様子の重厚そうな武人が周囲を油断無く睥睨していて。

悪党が好き勝手をする余地は無さそうだった。

ならば、わたしが出る幕は無い。

ライゼンベルグに到着後は。

此処の見聞院に顔を出し。

書籍に目を通す。

流石に見聞院本部ほどの在庫はないが。だが、流石に錬金術師の総本山だけあって、此処にしかない資料もかなり確認出来た。

資料を数日掛けて集め。

メモを取った後、即座にフロッケに戻る。

途中の山越えでまた吹雪にあいかけたが、この辺りはもうそういうものだと思って我慢するしかない。

それと、分かった事がある。

吹雪の時は、流石に獣も仕掛けてこない。

視界不良の状況で、ドラゴンにアウトレンジ攻撃でもされたら覚悟するしかないと思っていたのだが。

ドラゴンもこの雪の中で動く気にはなれない様子で。

丸まっているのが、遠くのシルエットで確認できた。勿論自殺行為だから近付くつもりはない。

フロッケに戻ったところで。

まずキルシェさんのアトリエに行く。

そして、集めて来た資料を一旦見せて、話し合いを始める。この話し合いには、魔術の知識があるカルドさんも立ち会って貰った。

パイモンさんがいてくれれば更に助かっただろうが。

流石に戦力が必要な状況でも無いのに、苦しい生活をしている故郷を放置してまで此方に来いとは言えない。

エルトナの方はソフィー先生が派遣してくれた人員がいるので、ある程度は大丈夫というだけ。

ソフィー先生も、わたしが外で戦っている時、エルトナでトラブルが起きたら、笑顔を保ってはいないだろう。

何しろ、ソフィー先生にとって。

わたしは大事な駒だからだ。

それを把握しているから、わたしもそれを利用する。

それだけである。

したたかにならなければ、世界を変える事なんて出来はしない。

そしてあらゆる知識が、世界を変えるためには必要だ。

集めて来た資料を、凄いスピードで見ていくキルシェさん。

本当にこの人は、才能が頭打ちなのか。

しかし、これだけ出来る人が自分でそう言っているのだから、そうなのだろう。

わたしは舌を巻きながら、幾つか提案していく。

「まず山の周囲全域に、フロッケを温めている装置を展開する方法ですが、あまり現実的ではないですね」

「同意。 やはりどう頑張っても資源が足りない」

頷く。

フロッケも、実際これだけの暖かい安定した環境を作るために、かなりのレア素材を使用しているらしい。

その内容を聞いてわたしは愕然とした。

何しろ、噂のドンケルハイトを用いているらしいのだ。

公認錬金術師でも、特に才覚が認められている一部の人間にだけ、アルファ商会は限定して売っているらしく。

花一株で、文字通り城が建つそうである。

そんなお金、勿論キルシェさんがぽんと出せるわけもない。フロッケの何処にも存在し得ない。

当然ながら、アルファ商会に前借りした借金で購入した物資を使っているそうで。

その代わり、アルファ商会に高品質の薬や爆弾などを納品もしているそうだ。そしてまだ借金を全額払いきれていないそうである。

ただ、その状況を考えると。

キルシェさんがへそを曲げた場合、本当にあらゆる意味でフロッケは終わる。

此処の長老達は、エルトナの大人達と同レベルだなと、わたしは呆れ果てた。

「装置による温暖化効果を延長する方法についても限界がありますね。 面積をある程度拡げられますが、その代わり全体的に効果が弱くなります」

「幾つかの資料を見る限り、ある程度緩和は出来る。 でも畑作が出来る面積が二倍になっても、根本的な解決にはならない」

頷く。

キルシェさんは、一つの資料を取りあげる。

何百年か前。

雷神ファルギオルが出現したときのこと。

最強とも噂される上位邪神ファルギオルは、凄まじい猛威を振るい、あらゆる全てを灰燼に帰しながらアダレットの王都に迫った。武門の国も此処までかと思われたが。多数の錬金術師と精鋭の騎士達の犠牲の果てにファルギオルは倒されたとされている。

その時の記録。

ファルギオルは現れると同時に、周囲の環境を激変させた、というのである。

更に言えば、倒されるまでその環境は元に戻らなかったそうだ。

具体的に言うと。

凄まじい局地的雷雨が続き。普段だったら年に何回か雨が降れば良いくらいの土地で。二ヶ月にわたって、雨が降り続けたという。

雷神は環境を作り替えたのだ。

自分が生きるために都合が良いように。

「状況が似ている」

「周辺に邪神がいると?」

「いや、多分違う。 もしいるとすると……」

キルシェさんが指さしたのは。

麓の巨大な氷柱のような何か。

そう、リッチが多数集まっている場所だ。

思い出す。フロッケに行く前に軽く接触した。相手は近付こうとしないのなら、此方にも攻撃しないと言っていた。

リッチは所詮魔術師の成れの果て。

魔術師の上位互換の錬金術師には及ばない。

長い修行を経て、それこそ文字通り人間を止めてまで、錬金術師には及ばないという事もあって。

リッチになるのは、相当に限られた者だけ、らしい。

だが、もしも彼らが、何かしらのおかしなことをしていて。

それが影響しているとしたら。

腕組みしたキルシェさんが、小首をかしげる。

「リッチがいくら背伸びしても所詮はリッチ。 こんな環境の激変を引き起こせるとは思えない」

「同感です。 でも、何かあると言うなら、調べて見ますか?」

「……危険。 流石に地の利は相手にある」

まて。

ひょっとしたら、それが理由ではないのだろうか。

リッチは多数身を寄せ合っているが。元々彼らはネームドを凌ぐ力を持っている訳でもない。

ましてやドラゴンには到底及ばない。

だったら、何故彼らは集まっている。

彼らにとっての城が、この雪山なのではあるまいか。

「キルシェさん、提案があります」

「フィリス、聞かせて」

「此方でリッチと交渉を持ってみます」

「危険」

即答するキルシェさん。

だが、どうにも臭うのだ。

上級のドラゴンならともかく、下級のドラゴンが数匹集まった程度で、此処までの強烈な環境激変を引き起こせるか。

しかし邪神の姿は確認されていない。

そうなると、リッチ達が何かしらの行動を起こして、この雪山という閉鎖環境を作り出し。

自分達のための要塞を作っているのではあるまいか。

この寒い中、どうしてリッチばかりが集まっているのかがそもそも謎だ。それを解き明かせば、確かに何かが掴めるかも知れない。

「可能な限り相手を刺激しないようにします。 状況次第では、戦闘もやむを得ません」

「……確かに今の戦力なら、どうにかなるかも知れないけれど、リッチも地の利を最大限に生かして抵抗してくる。 そもそもリッチがこの状況を作り出しているという確証がない」

「もう少し、案を練ってみますか」

「そうした方が良い」

ふむ。

随分と慎重な意見だ。

その時、ずっと黙っていたカルドさんが、発言する。

「ひょっとしてですが、100年単位での詠唱を伴う儀式魔術による結果、という可能性は」

「100年単位の詠唱っ!?」

思わず聞き返すわたしに。

カルドさんは頷くと、眼鏡を軽く直した。

「僕の見た資料によると、リッチになる邪法は場合によっては10年以上も魔法陣の中での生活を強いられるそうです。 それによって人間を超越したリッチ達です。 100年がかりの詠唱を行い、儀式魔術を行っていてもおかしくありません」

「……確かに可能性は否定出来ない」

腕組みして、キルシェさんは頷いた。なるほど、そういうものなのか。

魔術師は錬金術師には勝てない。

邪法によって魔術師の領域を超えたリッチでもそれは同じ事だ。

だが、もしもカルドさんの判断が正しかったとして。

その儀式魔法を潰したら、それこそリッチ達は、地の利を生かして必死の反撃に出てくるのではあるまいか。

そうなった場合、フロッケも無事では済まないだろう。

下手をすると、刺激されたドラゴンがこの機に乗じて、フロッケに攻めこんでくるかも知れない。

今の実力なら、ドラゴネア一体なら何とかなる。だが、二体以上が同時に来たら、どうにもならない。

「分かった、その線でまずは調査してみる。 もし儀式魔術の線が濃くなったら、方法をまた検討する」

「そうしましょう」

話がやっと建設的な方向へ進んで、わたしも一安心である。

だが、もしもリッチが主犯だったとして。

相手がそれをやめるとも思えない。

血を見る事になるのか。

彼らはもう人間を止めているとはいえ、匪賊では無い。人間を喰らったりはしないだろう。

元々あった森を傷つけたりもしていない筈だ。

もしも元は豊かな森がこの山にあって。それを蹂躙したというなら、リッチ達にはそれこそ即座の断罪以外の路は無い。

いずれにしても、まずは確認することだ。

わたしは幾つか案を出し、キルシェさんは任せると言った。

どうもキルシェさんは錬金術そのものは非常に得意だが、魔術がらみの解析についてはそれほどでもないらしい。

理屈は分かるそうだが、どうにも繊細な魔術の制御が苦手だそうだ。

そういえば、拡張肉体での支援攻撃をしていたが。

あれも自分が苦手だから、ああいう手段を用いたのだとすれば、色々と腑に落ちる。

任されたわたしは。

皆が集まっている中、これからするべき事を説明。アングリフさんが嘆息した。

「面倒な事になる予感しかしねえな」

わたしもそれは同意だけれど。

まずは、確かめる。そこからいかなければならなかった。

 

1、雪という要塞

 

フロッケと、その周囲の畑、それに防御施設。緑化された地域。

その範囲だけは暖かい。

だがその外に出てしまうと。

もはや一寸先も見えない大雪だ。四半刻ともたずに凍死するだろう。

外は大雪だがフロッケには雨が降っている。

普段は雪を散らしているらしいのだが、これくらいの大雪になるともはや散らすことも出来ず、結果雨になるらしい。

それも生暖かい雨で。

あまり気持ちよいものではなかった。

わたしは傘を差して歩きながら、お姉ちゃんと一緒に街の外側。畑の外にある森にまで出る。

この森は貴重で重要な防護線だ。

絶対に傷つけてはならない。

獣もいるが。草を静かに食んでいるだけで、仕掛けてくる様子は無かった。

グラシャラボラスさんが、此方に気付いて歩いて来る。流石に不安になったのだろう。

わたしとは一緒に戦略事業を手がけた仲だが。

それでも部外者。

そして此処はフロッケの生命線なのだから。

形だけでも、監視はしなければならないのである。

「どうしたフィリスどの。 うちの錬金術師殿に頼まれたのか」

「はい。 この吹雪の原因を絞り込むために動いています」

「原因、か」

魔族であるグラシャラボラスさんは、人間の中でもホムの次に長命だ。ヒト族や獣人族が限界で100年。これに対し魔族は200年。ホムは250年ほど生きる。

だから魔族はずっとその土地に住んでいたり。

人間より長いスパンで物を見ていたりする。

軽く説明する。

恐らく、魔族故なのだろう。

100年単位の詠唱と聞いても、驚くことは無かった。

「俺たち魔族には錬金術は使えない。 ヒト族だけの特権だ。 だが、ヒト族の中でも選ばれたごく一握りにしか錬金術は使えず、更にその中でも高みに行けるのはごくごく一部だけ。 それでは、リッチのような連中が出るのも頷ける。 魔術に関しては、余程才能が無い限り魔族は誰でも使えるし、ヒト族も獣人族も使えるからな」

「不可解と言えば不可解なんですよねそれも」

「うん?」

わたしは準備してきた道具を用いる。

魔術を感知するためのものだ。

内容としてはそれほど難しくない。

ゼッテルに魔法陣を書き。

それを板の上に貼り付けて連結。

八方向に伸ばし、増幅する、というものである。

ただしゼッテルの材料に使った繊維の材料が、この間禁忌の森で採取してきた、強い魔力の籠もった黄金色の葉。

更に中和剤に使ったのが、ドラゴンの血である。

また板材としても、枯れ木になっていた禁忌の森の中の木を貰ってきている。

これも強い魔力を秘めていて。

極限まで魔法陣の威力を増幅するのには、丁度良かった。

鋭い音と共に。

八方向に伸びている板材と、それに貼り付けられた黄金色のゼッテルから、光が上下に伸びる。

そして立体映像として。

どのような魔術が使われているか。

魔力の流れがどうなっているか。

投影される。

そう結果が出るようにカルドさんと相談しながら組んだ魔法陣だ。

動作に問題は無い。

メモを取っていくわたしに。グラシャラボラスさんは呆れた。

「これ、何倍くらいに精度を上げているんだ?」

「それぞれの魔法陣で相互増幅していて、元々の魔法陣の効果を256倍にまで上げています」

「256倍……」

「大きさをもう少し上げれば、1024倍までは行けたんですが、今はとりあえず此処までです」

簡単に作れた、訳では無い。

この装置を作るのに三日掛かったし。

今後おかしな状態になっている場所を調べるのに、都合が良い。

黄金色の葉については、在庫はまだまだある。見境無くむしり取ってきたような事は無く、植物繊維が非常に複雑に絡んでいて肉厚だったので、少しをほぐすだけで相当量のゼッテルが作れた。それだけの話である。

現時点では、やはりキルシェさんの装置が作り出している、温暖環境に関する「異常データ」が観測されているが。

やはり微弱ながら。

何かしら妙な魔術の痕跡が残っている。

もう少しデータが欲しい。

吹雪が止むのを待つ。

二刻ほどすると、機嫌をころころ変える山の天気は、猛吹雪から少し雪が降っている、くらいになったので。

暖かい格好をして雪の中に赴く。

勿論フルメンバーで周囲を固めて貰う。

同じように調査を開始。

出てくるデータについて、メモを全て取っておき。

そして、同じように、何カ所かで調査をしていった。

ある程度フロッケを離れた頃だろうか。

ドラゴンが見える範囲に来た。

相変わらず雪の中、ドラゴンたちは丸まっていたが、一体だけ首を伸ばして、此方を見ている。

気になる。

ドラゴネアの実力は嫌と言うほど知っている。威嚇してきたりするような事は無く、ただ虚ろな目で見ているだけだが。

ブレスをぶち込んでくるかも知れない。

皆には備えて貰いながら、調査を続行。

データを兎に角集める。

額が汗ばんできた。こんなに寒いのに、である。

何しろ、この装置、わたしの魔力をガンガン吸い上げる。

この雪だから、獣もあまり戦おうという気にはならないのか、それとも此方の装備を見て仕掛ける気も失せているのか。

いずれにしても、積極的に近づいてくる事は無かった。

キルシェさんは言った。

統計をするには、様々な条件下でのデータが必須になると。

必要なデータは出来れば十万。

これは、データは細分化されるから。

例えば、人間で考えて見る。

性別。種族。これだけで八パターンが存在する。

更に此処に年齢。社会的地位。性格。送ってきた人生。こういったものを加味すると、軽く千パターンを超えるだろう。

そうすると、集めて来たデータが千程度の場合。

まったく何の役にも立たないカスデータが集まるだけである。

今、雪の中彼方此方を観測して、百三十ほどのデータを集めたが。

どんなに最低でも万はデータが欲しいと言う事なので。休憩後、外の様子を確認しながら再度データ取りを始める。

その度に、ツヴァイちゃんがメモを取り。

気象条件、温度、場所、などを詳しく記録してくれていた。

この異常気象がリッチの仕業かどうかは別として。

可能な限りこの測定装置で丁寧に調べる事によって、活路が見いだせるのだとしたら。数日がかりで万のデータを集めるのは、吝かでは無い。

データが四百を超えたところで、一旦フロッケに戻る。

吹雪いてきたからだ。

少しアトリエに戻って、甘いものを食べる。

アングリフさんは、豪快に肉料理を食べながら聞いてくる。

「どうだ、手応えはありそうか」

「まだまだです。 ちょっと休憩したら、今度はフロッケの内部を徹底的に廻りながら調査します」

「まーだやるのかよ」

「まだ一割も必要データは揃っていないです」

アングリフさんが頭を掻く。

禿げない体質らしく、頭髪は豊富だが。アングリフさんも流石に年だ。かなり白いものが目立ちはじめている。

ドロッセルさんの話によると。

以前少しだけ顔を合わせたドロッセルさんのお父さんであるフリッツさんは、体質からか髪も白くならないらしく。

羨ましいとアングリフさんはぼやいているそうだ。

「錬金術でぱーっとやれないのか?」

「ふふ、分かっているくせに」

「ああ、そうだったな。 お前のやってる錬金術は、いつも地道で、堅実に結果を出していくものだったな。 その過程が派手なだけで」

「わたしも全自動でデータ収集してくれれば、どれだけ楽かとも思うんですが、こればっかりは」

少し休憩して、頭に栄養も行き渡った。

危険を承知の上で、少し吹雪いている外に出向く。縄を木に結びつけて、数カ所でデータを取る。

慎重に動くが。

吹雪の中では、本当にあっという間に体力が奪われていくのが分かった。

これは遭難した場合、専門知識がないとまず助からないだろう。

獣が仕掛けてこない訳だ。

こんな所で戦ったら、それこそ自分の方も命が危ないのだろうから。

戻った後、フロッケでのデータ採取に戻り、今日の時点で800弱のデータ取得完了。一晩暖かくして休んだ後、翌日もデータの取得を再開する。

幸い、翌日は珍しく晴れていて。

その代わり風がかなり強く、それも強烈に寒かった。

データを急いで取得して回る。

山の彼方此方を見て回るが。

どうやら完全に凍り付いた池なども存在しているようだ。

本来は水源になっているのだろうか。

或いは、氷の下にある池では、魚が泳いで平然と過ごしているのかも知れない。

もしそうなら、それはそれで凄い話である。

かなりの範囲を歩き回りながら、調査を続けていく。

今日は吹雪く事も無かったので、データの集まりが早い。似たようなデータをとりそうになった時は、ツヴァイちゃんが警告してくれる。

頷いて、データの取得位置を変え。

黙々とデータ集めを続けた。

そうして、十五日ほどデータを色々な条件下で集め。

最終的に一万二千が集まったところで。

一度キルシェさんの所に持ち込み、ツヴァイちゃんとカルドさんもあわせてデータの整理に取りかかる。

黙々とデータを整理しながら。

誰が言い出すまでもなく。

あるデータに気付く。

上空。

例外なく。

どの場所でも、ある一点から上の空に、魔術による干渉らしきものの形跡が見受けられるのだ。

その干渉力は決して強くは無い。

フロッケを覆う温暖化フィールドほどの力はない。

その代わり、山全域に拡がっていて。

データを見る限り、あらゆる天候、あらゆる時間、あらゆる場所で、確実に存在していた。

その後、魔術の正体を調べに掛かるが。

複数のデータを照らし合わせて見る限り。

どうも安定していない。

魔術である、と言う事は確かなようなのだが。

その場その場で、少しずつ微妙にデータが違うのである。

これは骨が折れる。

確信は出来たが。

しかし、丁寧に調べていく。統計というのは極めて地味な作業で。その結果大きな成果が出る。

本来は十万はデータが欲しい所なのだが。

それを、山の規模から言って、一万二千まで抑えて作業をしている所なのである。

これでどうにか、納得できる結果を出したい。

ツヴァイちゃんが挙手。

幾つかあるデータについて、口にした。

「これらが共通しているのです」

「本当だ。 フィリス、どう思う?」

「……状況を考えるに、どれも全く違う条件下で取られたデータですね。 何か共通点があるんでしょうか」

「これらも」

ツヴァイちゃんが、他の場所からも、共通するデータを見つけ出してくる。

最終的に十二の共通データに分類されることが分かってきたが。

つまり、十二種類。

謎の魔術干渉がある、と言う事か。

ふむ、とわたしは頷いた。

やはりこれだけの広範囲に影響を及ぼす魔術干渉、邪神の仕業でないとすると、カルドさんが言っていたように。

リッチが百年単位の魔術詠唱を行っている、からかも知れない。

リッチについての文献は読んだ。

彼らは人間を止めた後は、殆ど食事も取らず。

魔力を吸収する事で生きていくそうだ。

その結果、森になる潜在力を持った土地を台無しにしてしまうケースもあるらしい。

魔力だけで生活出来るのなら。

食事を取る必要もないはずで。

当然吹雪の中でも平気だろう。

とはいっても、これだけではまだ証拠として弱い気がする。

キルシェさんが、地図を出してくると。

ある範囲を指さした。

かなりフロッケから離れている。

調査には危険を伴う地域だ。

「この辺りで出来れば1000、データを取ってきて欲しい。 その間、解析は此方でやる」

「分かりました。 お願いします」

その場所は。

フロッケと、リッチ達がたまり場にしている場所の中間。

更に山頂付近。

その二箇所だ。

話を聞く限り、その二箇所でそれぞれ1000ずつデータを取った方が良いだろう。しかもフロッケから遠いので、かなり急いだ方が良い。

アトリエに戻ると、作業を開始。

最悪の場合は、アトリエを展開し。

その中に逃げ込む。

後、ロープを借りて、それをフロッケを守っている緑地に結わえ付けた。

これらは最後の手段。

使わない事を祈るようにするしかない。

雪が降り始めている中、またデータを取りに行く。アングリフさんに警告された。

「分かってると思うが、吹雪き始めたらすぐに撤退するぞ」

「はい。 その時のために」

わたしは、空飛ぶ荷車を視線で指す。

最悪の場合は、これで一気にフロッケに飛ぶ。もしもそれが上手く行かないようなら、方位磁針を確認しながら、一旦山から出る。

その方針を確認すると。

ドロッセルさんが、ため息をついた。

「護衛だから守るけどさ、本当に地味だねこの作業……」

「ごめんなさい」

「いや、謝る事はないよ。 でも、錬金術も万能じゃ無いんだね」

それは、仕方が無い。

もし万能だったら、それこそ既にソフィー先生は、この世界を改革できている筈だ。

調査を始めながら、ふと気付く。

ひょっとして、だけれども。

神々も万能ではないのではあるまいか。

邪神も実際問題、最強を謳われたファルギオルでさえ、最終的には倒されている。

神々の主がどんな存在だかは知らないが、それだって万能だったら、世界がこんな酷い事になっていて。未来がどん詰まりだという事の説明がつかない。

現地に到着。

早速調査を始める。

今の時点では、空の機嫌はあまり良くないが、吹雪くところまでは行っていない。

ただ昨晩派手に吹雪いていたからか。

とにかく雪が非常に深く積もっていて、歩くのも一苦労だった。

小型の獣が、餌を探して歩き回っているが。

此方にも気付いて、距離を取っている。

わたしは調査を続けていくが。

お姉ちゃんに袖を引かれた。

鉱物の声を聞くと、確かに其処に行っては駄目だ。溝がある。

「クレバス……」

「おっと、良く気付いたな」

「何となくです」

アングリフさんに返す。

お姉ちゃんが警告してくれなかったら、足を滑らすところだった。或いは、わたしの危機を、第六感的なもので感じ取ったのかも知れない。

再び、調査に戻るが。

しばしすると、吹雪く前兆が見られたので。

すぐに空飛ぶ荷車で飛んで戻る。

溜息。

まだ500ほどしかデータは取れていない。

これは時間が掛かるぞ。

そうわたしは、覚悟を決めていた。

 

結局山のご機嫌を伺いながら、データを集め。五日間掛けて、二千のデータを集めた。もうこうなったら仕方が無いので、交代で休みながら天気の機嫌を伺い。夜中だろうが早朝だろうが、状況を見て吹雪いていないようだったら飛んでいって、データを集めていった。

焦る必要はないが。

ずっとエルトナを放置しておくわけにもいかない。

一旦このデータを取り終えたら、一度エルトナに戻って睨みを利かせ。

そしてまた戻ってくるつもりでいた。

キルシェさんにはその話はしてある。

途上でデータの解析は別に出来るし。

焦ることもない。

取り終えたデータを、キルシェさんに渡すと。

エルトナに飛んで帰る。

そして、都市計画の進展を確認。

旧エルトナがあった山をまたある程度崩して鉱物資源に変えると、コンテナに収納する。色々と恨めしそうに重役達がその様子を見ているし、陰口も聞こえてくる。

散々良くしてやったのに。

恩を忘れやがって。

悪意の籠もった汚い言葉。

だがわたしに良くしてくれたのは重役達だけでは無い。

あの人達は、どうも昔から心の奥底で特権意識を持っていたのだろう。だから今傲慢さが噴出している。

真の力を持った人間が現れたことで。

その特権意識が吹き飛ばされ。

それに対して理不尽で幼稚な怒りをぶつけている。

そう思うと、わたしは色々と悲しくなる。

もしそれが「人間らしい」考え方で。大人になるというのがこういうことだというのであれば。

わたしはそれこそ、人間であることに、価値など見いだせないからだ。

ティアナちゃんが作業を終えて、汗を拭っているわたしの所に来る。

湖底の邪竜との戦いで、凄まじい数の獣を単独で殺し、正体を見せつけてくれたティアナちゃんは。

外では相変わらずによによとしている。

少し頭の足りない女の子、と言う見た目だが。

それはあくまで、装っているに過ぎない。

この子はどんな獣でも正体を知れば怖れ逃げ惑う、怪物だ。

「フィリスちゃん、フロッケの状況はどう?」

「今かなり進んでいて、これから方針を決めるところだよ。 何か問題でも起きたの?」

「ああ、重役の何人かが、アルファ商会と極秘で取引しようとして、突っぱねられてた」

「……っ」

唇を思わず引き結ぶ。

誰かは即座に見当がついた。

ティアナちゃんは笑いながら言う。目は笑っていないが。

「もう面倒だし、斬る? フィリスちゃんの事私大好きだし、サービスでただでやってあげるよ。 勿論証拠も残さない。 ああ、首から上だけはちょうだいね」

「やめて」

「おや、どうして? むかついてたんじゃないの」

「それでも、あの人達は人を食べたりはしていないの」

あの人達が、匪賊と結びつくようだったら。

わたしが直接出向いて頭をかち割っている。

だけれども、あの人達は。

元々は、素朴な人だったのだ。

今では恥ずかしい大人だ。情けない大人だ。隠されていた闇が外へ噴き出している。だが、それでも「まだ」人間なのだ。匪賊とは違う。匪賊は、世界に害を為す人間の形をした獣だ。

重役達は人間として最底辺だが。

それでも獣ではないのだ。

「ふふ、その答えを聞いて安心したよ」

「どうして?」

「フィリスちゃんの目が、こういう話を聞く度にどんどん濁っているのを確認できるからね。 私と同じ所に来つつある。 ソフィーさんと同じ所に行きつつある。 仲間がまた増える。 大歓迎だよ。 いつでも「こっち」においで」

背筋が瞬間的に凍るかと思った。

呼吸を整える。

それを楽しそうに見ながら、ティアナちゃんは言う。

別に最初から重役を斬る気はなかった。勿論わたしが頼むようなら斬っていたが、その場合はわたしに失望していたとも。

遊ばれたことに憤りは感じるが。

わたしも実際、暗い欲望に身をゆだねかけていたのは事実だ。ティアナちゃんを恨む事も、怒ることも出来ない。憤りは、自分自身に対して感じていた。

だが、踏みとどまることも出来た。

深淵を覗けば深淵に覗き返される。

ソフィー先生にそうされてから。わたしはどんどん闇へと心身を沈ませている。それに比例するようにして力も得ている。

だが、もっと貪欲に闇を覗いたら。

きっとわたしは、最終的には化け物になってしまう。例えば。今目の前で口元だけ笑っているティアナちゃんのように。

それだけは避けたい。

「……監視を引き続きお願い」

「かまわないけれど、フロッケの方は大丈夫? あんまりモタモタやってると、ソフィーさん怒るよ?」

「最大限の速度でやっているよ。 出来れば誰も不幸にならない方向で」

「ハ。 誰も不幸にならない方法なんて存在しないよ」

或いはそうだろう。だけれども、まずはそれを目標にしてやってみたい。勿論、現実と理想が対立した場合には、現実を取らなければならない。だけれども、わたしは対立するまでは理想を追いたいのだ。

それを察したか。

薄笑いのまま、ティアナちゃんは更に言う。

「そんな風なこと言ってると舐められるよ? 今以上に。 そして人間は種族例外なく、舐めた相手には何をしても良いって本気で考えるからね。 舐めて掛かった相手は半殺しにして、二度と逆らえないように恐怖を叩き込むくらいでいないと、フィリスちゃんの立場だとやっていけないよ」

「大丈夫」

「うん?」

「舐めた真似なんてさせない」

ティアナちゃんが、死霊でも逃げ出すような笑みを浮かべた。

多分。わたしの目に。

自分と同類の闇を色濃く見たからだろう。

話を切り上げると、フロッケに戻る。

向こうでもデータを解析しているだろうし、わたしもこれから更にデータを集めておきたいのだ。

山の麓辺りでもデータを取っておきたい。

吹雪の影響が出ていない辺りのデータを取って比べてみれば。

或いは、何か比較が出来るかもしれないからだ。

 

充分なデータが集まったとは思う。

やはり、結論は一つだった。

山を何かの魔術が覆っている。

案の定、麓でも数千ほどのデータを取って見たのだが。山の方で取ったデータとは、露骨に結果が違っていた。

それを鑑みるに。

この山を何かの魔術が覆っているのは、間違いないとみて良いだろう。

問題はそれが、リッチ達によるものなのか。

その場合はどう解決するべきなのか。

その二点である。

此処からはアプローチを変える。

まず、リッチ達がいる場所から、距離を離してみて、魔術による影響がどれくらい出ているかをしっかり確認する。

内容次第ではこれで一発で分かるだろう。

数日にわたって、空の機嫌を伺いながら、データを集め。

そしてフロッケに戻って検討する。

わたしとキルシェさんとツヴァイちゃん。それにカルドさんが額をつきあわせて話をしていると、何だかお父さんと娘三人みたいだが。

わたしみたいなちんちくりんや子供で無いと、カルドさんはまともに喋る事も出来ないくらいの重度の女性恐怖症なので。

見かけと中身はまったく一致しない。

しばらくデータを検証。

カルドさんが早々に結論を出した。

「恐らくだが、魔術の発生地点と、魔術が展開している地点では、効果に差異は出ていないねこれは」

「同感なのです」

カルドさんの言葉に、ツヴァイちゃんが頷く。

データに変動が見られない、という。

何処かしら弱くなったりしてたら、それで魔術発生の中心点を調べられるのだけれども。どうにもその様子が全く無い。

と言う事は、である。

「やはり直接話をしにいくしかない、ですか」

「僕は反対だな。 相手からして見れば、そうだと認めたら、皆殺しにされかねないと警戒する筈だよ」

「その場合は戦うしかない。 この山に住まう皆が迷惑している」

「……キルシェさん、リッチ達にとっては、身を守る最後の盾で。 彼らも人を殺していないのならこの山に住まう人では」

ふむと、キルシェさんが腕組みする。

その発想は無かった、と言う顔だ。

わたしは頷くと。

カルドさんに向き直る。

「アングリフさんと一緒に交渉に行きます。 この様子だと、魔術が行われている事と、相当な高レベルのリッチがいるのは確実で、利害が一致すれば相手も話を聞いてくれる筈です」

「利害が一致か。 感情で動く相手だったらどうする?」

「その場合は……戦います」

「そうか」

仕方が無い。

もしも相手が錬金術師なら皆殺し、という考えの持ち主であるのなら。

それは此方としても身を守るしかない。

だが、そうではないのなら。

話し合いの余地はある筈だ。

吹雪を完全に消さなくても良い方法もあるかも知れない。

彼らは彼らで身を守ることが出来。

そして此方も彼らに干渉しない。

そういう生き方もある筈で。

それならば、彼らも納得してくれるはずだ。

キルシェさんのアトリエを出る。

空模様は悪くない。

交渉に出るなら、今のうちだろう。

街で情報収集をしていたお姉ちゃん達も、丁度戻ってきていたので、結論について話す。

アングリフさんは、呆れた。

「リッチと交渉だあ? で、俺に頼むってか」

「わたしも行きます」

「ああ、それは言い出しっぺだし当然だがな。 ただ、どうなっても知らないからな」

「問答無用で襲いかかってくるようならば、その時は倒すだけです」

わたしは静かに冷たく言い切る。

お姉ちゃんが眉をひそめたが。

それもありだろうと思ったのか、それ以上は何も言わなかった。

いずれにしても、この雪の山の天気は変わりやすいし危険だ。今は運が良いことに晴れているし、動くならさっさとやるべきである。

統計の結果、何かしらの魔術が山を覆っていること。

それは発生源を特定出来ないこと。

この二つが分かっている。

ならば、発生させうるのは、寿命を無視して動けるリッチ以外には存在し得ない可能性が高い。

邪神がいるならほぼそちらが犯人なのだが。

此処に邪神はいないのだから。

すぐに山を降る。

巨大な氷塊のようなモニュメントの廻りで、ローブを被った背の低い影が多数蠢いているのが見える。

周囲には多数の霊もいて。

真っ昼間だというのに、堂々と姿を見せ、漂っていた。

リッチ達は、わたし達が空飛ぶ荷車で近付いてくるのを見て、すぐに気づき、警戒し始める。

その中でも長らしい黄色いローブを着たリッチは、すぐに臨戦態勢に入っていた。

この辺り、歴戦を経ているだけの事はあるだろう。

だが、リッチは所詮「人間を超越した」程度の存在に過ぎない。

魔術師の完全上位互換である錬金術師には及ばない。

それは、もはや見ていて明らかだった。

荷車を降ろすと、皆を展開。

皆にはその場で待機して貰う。

勿論いざとなったら、即時戦闘開始だが。そうなったらリッチ達も無事では済まない事は分かっている筈。

交渉するために。

戦力的な条件を整える、という点ではこれで大丈夫な筈。

次に、話をするために、わたしとアングリフさんだけで前に出る。

武器はまだ構えないようにと、皆には言ってある。

わたしも、つるはしを背負っているが。

これは護身用。

アングリフさんも、大剣を背負っている状況で。まだ戦う態勢には入っていない。

リッチ達の長らしい、強い力を持つ黄色いローブを着た者が前に出てくる。

近くで見ると、リッチの肌は青ざめていて。もはや生きていない体である事は確実だった。

近寄ってくる霊は、身につけている道具類で極限まで増幅している魔力でそのまま追い払う。

悪意のある霊は、近寄ってきた場合。悪影響を及ぼすことも珍しくはないのだから。

「話し合いに来た。 前に一応軽く話したが、多分覚えていないだろうからまた名乗っておく。 俺はアングリフ。 傭兵をしている。 こっちは公認錬金術師のフィリスだ」

「この集落の長であるタイタスだ。 錬金術師と傭兵が何用だ」

「では単刀直入に言う。 この山の異常気象、あんたらが原因だな」

アングリフさんは、敢えて単刀直入に言う。

タイタスは、何か証拠でもとしらばっくれたが。

わたしはその場で立体映像の膨大なデータを展開。

麓のものも含めると、現時点で二万を超えるデータは、数字の暴力となって、周囲の空中を埋め尽くした。

「データ解析の結果です。 山に魔術が展開されているのは確実。 邪神もおらず、ドラゴンもこんな魔術を展開している様子が無い。 だとすると、可能性があるのは超長時間での詠唱を現実的に行う事が出来る貴方たちだけです」

「こ、これは……統計か」

「そうです。 納得できないと言うから根拠を見せました。 これで納得していただけましたか?」

これ以上もないほど明確な根拠を突きつけられ。

タイタスは黙り込んだ後。

殺気立っている他のリッチ達に、視線で自制するように促し。

そして咳払いした。

「……だとした場合どうする」

「交渉をしたいと思っています」

「交渉?」

「はい。 此方としても、雪山の中で暮らすのは非常に大変です。 行き来をするときも、何度も遭難しかけましたし、この雪山の環境下で体を壊した人も多いでしょう」

タイタスは黙り込んでいる。

だが、しばしして。

口を開く。

「錬金術師が来るまでは、人が暮らせる程度の冷気だった筈だが」

「やっぱり貴方たちだったんですね」

「分かっているのならもはや隠しても無駄だ」

「それならば、交渉しましょう。 此方としても、無駄に血を流したくはありません」

わたしも、カードの一つとして、相手の排除は常にちらつかせる。

当たり前の話だ。

こういう交渉では、武力がものを言う。

もしもエルトナで、わたしが力をちらつかせなかったら。長老達はいう事を絶対に聞かなかっただろうし。

何よりわたしを侮って、力だけ搾取して傀儡化しようとしたかも知れない。

リッチも人間と思考回路が変わらないことは話していて分かった。

それだったら、損になる事はしないように。

彼らには思考誘導をかけて行けば良い。

勿論相手は海千山千。

だから補助のために、アングリフさんに来て貰っている。

「此方としては。 少なくとも麓までの安全路を確保したいと思っています。 しかしながら、貴方たちは自分の身を守るためにこの吹雪を起こしている。 違いますか」

「……その通りだ。 何しろ我等は外道と蔑ずまれる異端の身。 どうしても錬金術師には勝てない事を理解しているから身を人間の外に置いたというのに、それでも錬金術師には及ばないことを悟らされた哀れな者だ。 それならば時間という武器を利用して、身を守るほかあるまい」

「ならば、此方も多大な犠牲を払って、集落の安全確保を実施している事も理解できる筈です。 せめて、吹雪を減らしてくれませんか」

「それは出来ない。 要塞の守りを捨てるようなものだからだ」

アングリフさんが面倒くさいと顔に書いた。

リッチ達は全員姿を見せているが。

人数は二十名を超えないだろう。

現状の戦力だったら、全員まとめて蹴散らすことも容易なはずだ。

咳払いすると。

アングリフさんは補助してくれる。

「此方は其方の状況を知っている。 譲歩を引き出せないかという話をしているのであって、其方の都合だけを一方的に聞くわけにも行かないんだよ。 わかるか?」

「それは分かっている。 だが我等は其方に比べて戦力で劣っている。 現状は要塞化しているこの山に立てこもる事で生をつないでいるが、譲歩してしまえば後は滅びの運命だけが待っている」

「何をそんなに怯えていやがる」

「これだけ時間を掛けて力を蓄えたのに、錬金術師には及ばない。 怖れるのは当たり前だろう」

タイタスは窮状を訴えてくる。

なるほど。

現状の打開策としては、むしろ情に訴えるのは悪手ではない。

確かに手としては悪くは無いが。

わたしとしても、それで引き下がるわけにはいかない。

実際フロッケは孤立していて。

毎回人員の移動にも、キルシェさんが作った大型の飛行キットを取り付けた移動家屋を用いているのだ。

これはかなり不便なことであるし。

何より山にとっても良い事とは思えない。

「では局所的に吹雪を止める事は出来ませんか? 此方としては緑化を行い、街道を麓まで延ばせれば、それでかまわないのですが」

「そんな事が……いや錬金術師なら可能なのか。 だが残念ながらそれは出来ない」

「理由を聞かせてください」

「我々はこの守りを作り出すために、全力で魔術を展開している。 逆に言うと、魔術を其処まで都合良くコントロール出来ない」

ああなるほど。

そういう事か。

何となく分かってきた。

カルドさんが言っていた。百年単位の詠唱による魔術で。この環境を作り出したのだと。恐らくそれは当たっている。

そんな長期間詠唱で環境を作り替えたのなら。

ちょっと弄った程度で、その環境変化を緻密に調整することは出来ないはずだ。

「何だか自分達で牢に閉じこもったみたいだな」

「そう揶揄してくれてもかまわんが、我々は弱い立場なのだ。 死ぬ以上の苦労をしてやっと錬金術師に迫れると思ったら、この為体。 皆で身を寄せ合うための場所を作るために、こんな所に集まり、必死に守りを固めて住んでいる。 それが牢だと言えば牢なのだろうが。 城壁だと言い換えることも出来るだろう」

「一体何が楽しみで生きているんだよお前達」

「欲の類は人間を止めたときに捨てた。 我等はもはや食事も必要ないし、発散する欲望も存在しない。 ただ生きたいと願うだけだ。 生きているかは微妙な所であるがな」

自嘲するタイタス。

そうか。ならば、こう行くか。

既に交渉の内容は、皆で話しあって決めている。

交渉は一方的に行うものではない。

此方には、戦力で勝るというカードがある。そのカードをちらつかせならが、相手に譲歩を迫っていく。

それが定石だ。

お姉ちゃんにも、そうするようにとアドバイスを受けている。

わたしも血を見たくない以上。

そのアドバイスに従うだけだ。

「ならばこうしましょう。 吹雪を局所的に無効化する道具を造り、麓までの安全経路を作り、更に緑化した街道を作ります」

「そんな事まで可能なのか」

「可能です」

人工太陽計画といっても、何ももう一個本当に太陽を作り出すわけではない。

今フロッケを覆っている熱フィールドを小型化したものを、数珠つなぎにして、麓へ伸ばすという手もある。

本来なら貴重な素材が必要になってくるのだが。

それについては、心当たりがある。

キルシェさんと話をしたが。

効果を弱めるならば。

ドンケルハイトを使わなくても大丈夫だ。

多少寒い、くらいで良いのであれば。

熱フィールドを狭い範囲に展開する道具を、黄金色の葉程度のレアな素材で作る事が出来る。

黄金色の葉であればストックがある程度あるし。

足りなければ禁忌の森に取りに行く。

勿論とても危険だが。この程度の危機は、力尽くで突破出来るくらいでなければ。多分今後もやってはいけないだろう。

「作業には緻密なスケジュールと獣からの防御が必要になります。 此方としては、作業中に吹雪かせるのを止めて貰えれば結構です」

「し、しかし。 その場合、我等の聖地に人間が攻めてくる可能性が」

「黙っていろっ!」

リッチの一人が怯えた声を上げるが、タイタスが一喝して黙らせる。

わたしは黙ってやりとりを見守る。

タイタスはしばし真剣に考え込んでいた様子だが。

やがて頷いた。

「分かった。 吹雪の強弱についてはある程度コントロール出来る。 今までも、遭難者が出ないようにある程度は配慮もしていた」

「……此方としても、貴方方の事情を周囲に漏らさないと約束します」

「それならば理想的だ。 ただし、もしも約束を破るようなら、此方にも考えが」

「そんな考えは捨てろ」

アングリフさんが据わった声で言う。

タイタスが黙る。

わたしは介入しない。

アングリフさんとしても、この山が如何に現状危険かは、よく分かっているのだろう。そして、実際彼らが配慮していたとしても。フロッケがどれだけ閉鎖的になり、困っていたかも分かっているのだ。

だから彼らの、自分の都合だけを前面に出した物言いには、色々腹を立てている。

そうだと見て良い。

「とにかく、工事は此方でする。 獣の排除もだ。 だからそっちは合図をしたときにだけ、吹雪かせなければいい」

「……分かった。 ただし。 この我等が聖地からは離れるように街道を作ってくれ」

「それについては約束してやる。 だが、勘違いするな。 此方としても、死活問題だと言う事はな」

アングリフさんが顎をしゃくり。

わたしは一礼するとタイタスの前から離れる。

最後の高圧的な態度。

理由は何だろう。

聞いてみると、アングリフさんは、鼻を鳴らした。

「舐められるってのはああいうことを言うんだよ。 こっちの方が立場が上で、その気になればいつでも潰せるって事を忘れさせるな」

「交渉って、難しいんですね」

「ああ。 完全に対等な交渉なんて出来はしない。 相手が自分達の仕業だって認めた時点で、言い訳を聞かずに全部斬っても良かったんだがな」

「……」

黙り込むわたしを見て。

アングリフさんは嘆息した。

まだまだこれは時間が掛かりそうだ、と思ったのだろう。

皆と合流した後、空飛ぶ荷車を使って、フロッケに戻る。リッチ達はそれを待ってから、わざわざ吹雪をまた起こした。

多分、精一杯の示威行動、と言うわけだろう。

だが、リッチ達が自分の仕業だと認めた時点で。

此方には手がいくらでもある。

雪崩を起こしてリッチ達を巻き込んでも良いし。

更には空飛ぶ荷車から爆撃しても良い。

ハルモニウム製の装甲で守られている空飛ぶ荷車は、ドラゴンの鱗で防備を固めているのと同じだ。

リッチの魔力程度では、とても貫通することは出来ない。

相手も魔術の専門家。

荷車から感じる異常な魔力は察知していたはずで。

戦ったら勝ち目が無い事は理解していた。

それならば、此処からは。

単純に道具を造れば良い。

なお合図については、別れ際に軽く決めて来ている。照明弾を上げたら、翌日は晴れさせるように、という合図である。

ただし、リッチと言えば長い時を生きている(生きているとは言えないが)存在。

蓄えた魔力と、財宝を狙う傭兵もいる。

彼らも丸一日晴れさせる訳にはいかないという事で。

午前中だけ、という事で話はついた。

フロッケに戻ると。

すぐにキルシェさんのアトリエに直行。成果について話すと、キルシェさんは嬉しそうに口元を抑えた。

殆ど感情を見せないキルシェさんが珍しい。

物わかりが悪い長老達に腹を立てていた時も、言葉で相手を非難することはあっても、動作にまでは示さなかったのに。

「助かる。 後は経路に沿って数珠つなぎに小型熱フィールド発生装置を並べていくだけで安全な下山ルートを作れる」

「それと、ルートは分岐させて、ライゼンベルグへのルートも作りたいんですが、それもかまわないですか?」

「素材足りる?」

「何とか」

ツヴァイちゃんが頷くと。

現状存在している黄金色の葉について、在庫を提示。

確かにこれなら足りると、キルシェさんは頷いてくれた。

その代わり、黄金色の葉は在庫をほぼ使い切ってしまう。

また禁忌の森に行って取りに行くか。

或いは他の秘境を探しに行くか。

どちらかを考えなければならないだろう。

とにかく、これで外堀は埋まった。

これからは、計画に沿って、作業をしていけばいい。

雪は熱発生フィールドで溶かせるとして。問題は雪崩対策だ。これについても、考えがある。

雪崩の破壊力は凄まじく。

下手な城壁程度だと、直撃すると粉砕されてしまう可能性もある。

それを避ける為には。

相応の準備と、対策が必要になる。

だが、此方は錬金術師だ。

その程度の困難なら。

力尽くで突破することも、難しくは無い。そして力尽くで突破出来るなら、そうするべきなのである。

わたしは、錬金術師として。

力は使うべき時には使う。

そう既に信念を固めている。

それに関して、今後も揺らぐことは、考えられなかった。

 

3、熱のドーム

 

アトリエに戻ると。

皆でこれからのスケジュールをまとめた。

キルシェさんがレシピに起こした、劣化熱発生フィールドについては、わたしでも作れる程度のものだ。

わたしの腕が上がっているのもあるけれど。

キルシェさんが極限までかみ砕いて、分かり易くしてくれた、というのもある。

別格のソフィー先生と、それにオレリーさんを除くと、近辺では多分キルシェさんが最高の素質を持つ錬金術師だろう。

このレシピを見るだけでそれが分かる。

ただ、そうなると。

キルシェさんの故郷にいたという。キルシェさんより遙かに優れている錬金術師というのが誰なのか気になる。

物怖じしないキルシェさんが其処まで言う程の人だ。

ラスティンでもトップクラスの錬金術師だろう。

ソフィー先生というのは考えにくいし。

多分別の人ではあるのだろうが。はっきりしているのは、まだ先は長い、という事である。

一通りスケジュールについて話し合いをした後。

不意にツヴァイちゃんがいう。

「お姉ちゃん。 黄金色の葉を私が増やすのです」

「えっ」

「大丈夫、無理をしない範囲でやるのです。 フロッケには美味しいミルクが特産品としてあるし、安く売ってくれる事も分かっているのです。 それならば、どうにかなるのです」

「でも、危険だよ……」

ツヴァイちゃんは引かない。

もっと役に立ちたい。

そう言うのである。

お姉ちゃんが、わたしの肩に手を置いた。

「やらせてあげなさい。 一度やってみて、無理なようなら止めれば良いわ」

「でも、リア姉」

「いいの。 でも、体を壊すようなら禁止よ、ツヴァイちゃん」

「分かったのです」

そうか。

ならば、安心では無いが、仕方が無いか。

もっと役に立ちたい。

そうツヴァイちゃんは切実に言う。ツヴァイちゃんがどんな過酷な運命にあってきて、それが今でも心に深い傷となって刻まれているか理解しているわたしとしては。止めることは出来なかった。

でも、これで上手く行ったら。

竜の鱗も増やしたいと言い出すかも知れない。

或いは完成品のハルモニウムも。

その時が心配でならない。

いずれにしても、やる事は順番にやっていく。

それだけである。

まず、レシピを確認。

黄金色の葉をすり潰し、中和剤を使って変質させ。これを使ったゼッテルを作る。ゼッテルに魔法陣を組み込む。

そしてこの魔法陣を更に連結させ。

六芒星にし、互いに増幅させあう。

魔術の内容は、適温確保と。

雪の排除。

雪の排除に関しては、それほど強力でなくてもいい。

吹雪の時には、雨になって降ってくる位でかまわない。

この六芒星魔法陣を更に増幅するべく。

中心殻を作る。素材は深核だ。

深核は溶かしたり色々と応用が利く便利な品なので。今回は、溶かして形を整えて小型の球体を作り上げ。

魔法陣を深核そのものに刻み込む。

この魔法陣は収束を行うもので。

更に防備も兼ねる。

当然深核も中和剤で変質させるのだが。

この時使うのは、竜の血を薄めた中和剤だ。

竜の血は幸い湖底のドラゴンを殺したときに大量に採取できたので、それほど困る事もない。

実際薄めた中和剤なら、既にたくさん作ってある。

皆につけて貰うための装備品を作るためにも。

強力な中和剤は幾らでも必要だからだ。

中心殻を作り、更にプラティーンで六芒星を二つ作る。

そしてこの六芒星でさっき作ったゼッテルと、中心殻を挟み込み。溶接。

そしてプラティーンそのものに、熱したペンで魔法陣を書き込む。魔術の作用範囲について、である。

これらの作業は全て分割して行う。

例えば適温確保。

これは暴走すると、辺りが灼熱地獄になる。

使う素材が素材だけに、何度も使用して、実際にどうなるか確認しなければならない。

深核と接続すると実験は出来るので。

それを何度も繰り返し。

適温になるように徹底的に調整する。

その結果、適温を作り出す事が出来るまでに失敗を何度も繰り返した。主に中心殻のパワーが強力すぎるために熱量が上がりすぎるのが失敗の原因だった。

更にプラティーンによる「蓋」についても実験を丁寧に行い。

適当な魔術を書いた普通のゼッテルを組み込んで、作用範囲について何度も実験を行った。

その後は防犯システムである。

プラティーンそのものが貴重品なので、防犯については必須。

ただこれに関しては、さほど気にしなくても良いかも知れない。ただ、念のためにやる必要はある。

生物が触った後、十秒以内に特定のワードを唱えないと、アラームがキルシェさんの所に届くようにしてある。

更に硬化剤に埋め込む形で、この装置は地面にセットする。

プラティーンの硬度は身を以て知っている。馬車が踏んだり、人間が踏んだ程度ではどうにもならない。

最悪硬化剤を壊して取り出せば良いが。

硬化剤そのものが、ちょっとやそっとでは壊せないので、錬金術師以外には無理だ。

問題はプラティーンに刻んだ範囲作用魔法陣だが。

これは蓋として使用するプラティーンの「内側」に刻み込む。

これによって、多少傷ついたくらいでは装置は誤動作しない。

更に安全装置として。

もしも熱が上がりすぎた場合は、装置そのものに効果が収束するように調整を行う。

こうすることによって、内部の黄金色の葉で作ったゼッテルが熱によりおかしくなって、魔法陣が機能しなくなる。

ちょっともったいないが。

何しろ環境を改変するほどの道具だ。

これくらいの予防措置は必要である。

また、わたしは何でもかんでも一発で作れるほど腕は良くないし、頭だってそこまで良くない。

だからパーツごとに実験を組み合わせ。

組み合わせては実験を行い。

それを何度も繰り返して。

そしてやっと完成品が出来たのが、五日後だった。

キルシェさんに見せに行く。

向こうでも、完成品を仕上げていた。黄金色の葉については、わたしがある程度を提供した。

早速、自警団員に声を掛け、一緒に街を守っているフィールドから外に出て。

地面に置いて効果を確認。

街を守っているものほどではないが。

雪が降っている中、地面に置かれたそれは、見る間に周囲の雪を溶かしていく。

おおと、声が上がった。

「簡易版とはいえ流石に絶大な効果だな」

「錬金術師殿がた。 これを幾つ作るので?」

皮肉混じりにグラシャラボラスさんが言う。

キルシェさんが今回のプロジェクトを仕切っているので、彼女から応えた。

「20個。 今2個出来たから、後18個。 数珠つなぎに麓へ路を延ばしていく」

「なるほど。 吹雪が怖くなくなるのは有り難いが、問題は獣か……」

「それについては、わたしがインフラ整備の陣頭指揮を執ります」

「……頼むぜフィリスどの」

ライゼンベルグへの途上。

グラオ・タール周辺で、わたしはキルシェさんとインフラ整備の戦略事業を行った。

その時岩山を崩し、谷を埋め、緑化作業を進めていくわたしの姿は、グラシャラボラスさんも見ている。

更に、である。

心強い助っ人も来てくれる事が分かった。

「昨日聞いた話だが、ライゼンベルグ方面で緑化作業を終えたあの植物好きの変わったあんちゃん。 オスカーだっけか。 あの人も来てくれるって話だ」

「それは本当ですか?」

「ああ。 飛行キットを使って麓に降りて、それで聞いたんだが、二十日後ほどにフルスハイム東に来るって話らしい。 アルファ商会の商人から聞いた話だし、多分嘘ではないだろう」

二十日後、か。

一度エルトナに戻るとして。

その途中までに、分担して十個ずつこの熱発生フィールド装置を作るとしたら、数日余ってしまうか。

だが、それでも別にかまわない。

あの人ほどのプロフェッショナルが協力してくれれば、これ以上心強いことはない。

更に言うと、あの人は個人の武勇も相当に優れている。

ネームドとまともに渡り合える程で。

多分だが。

現状のアングリフさんともかなり良い勝負をするのではないだろうか。或いは更に強いかもしれない。

幾つかの打ち合わせをすると。

アトリエに戻って、量産作業に入る。

ここからが正念場だ。

まずは必要数を造り。

戦略事業としてのインフラ整備を開始する前に、一度エルトナに行って様子をしっかり確認する。

本当はエルトナでずっと作業をしていたいくらいなのだが。

わたしの力が求められるのなら応じるし。

更に言えば、ソフィー先生が見せた絶望の未来に対抗するためには力もいる。

今は必要ないが。

いずれパイモンさんやイルちゃんの使っていたアンチエイジングのための道具も使うことになるだろう。

ソフィー先生は千年単位の桁外れの年数を口にしていた。

意地を張って人間のままでいても。

何の意味もない。

後続に託して全てが解決すると考えるほど、わたしはもう頭が花畑では無い。エルトナで夢を見ていた頃のわたしとは、もうあらゆる意味で違うのだから。

黙々と在庫のプラティーンを加工し。

ゼッテルを造り。

そしてツヴァイちゃんが黄金色の葉を増やすのを確認。

やはり凄まじい消耗をするようで。

葉を少し増やすと。

それだけでぐったりするようだ。

お姉ちゃんがすぐにミルクを渡して、それを飲み干しているが。それでも即座に回復しない様子だ。

青ざめたツヴァイちゃんを手慣れた様子でベッドに寝かせるお姉ちゃん。

葉は、完璧に複製されていたが。

わたしは不安で心臓がばくばく言っている。

弱り切っているツヴァイちゃんは、すぐに眠ってしまい。しばらく目覚めなかった。体が貪欲に回復を欲しているからだ。

心配になったからか、ケアレスミスが増え。

わたしも少し休む事にする。

今やっている作業は。

ケアレスミスが許されないのだ。

しばらく頭を冷やした後。得意な金属加工から、徹底的に進めていく。設計図は何度も手直ししている内に頭に徹底的に叩き込んだ。わたしは頭は良くないが、その代わり反復練習を愚直にやるから、最終的に完成度は上がる。ましてや鉱物はわたしにアドバイスもくれる。

鉱物関連に関してはケアレスミスはしない。

余程疲れていない限りは。

触ると熱を帯びているのが分かるほどの魔力を蓄えたプラティーンだ。或いは、この熱そのものも、放熱の必要があるかも知れない。

定期的に水を掛けるように、マニュアルを整備するか。

或いは、水冷を常に行えるように、何かしらの工夫がいるかも知れない。

そんな事を考えつつ、戻ってきた集中力を駆使して、部品を少しずつ作っていく。

そして組み合わせる。

錬金術は地味な作業を積み重ねて。最終的に神域の道具を作り出す技なのだ。決してきらきらしていたり、ぴかぴかしていたり、派手な力では無いし万能でもない。

無数の汗の先に。

完成という結晶があるのだ。

ツヴァイちゃんが目を覚まして、お姉ちゃんに怒られていた。

やはりかなり無理をしていたのか。

本人も、全てをいきなり複製せず、少しずつ慣らすと約束させられていた。

ただ、やらなければ覚えるものも覚えない。

力だってつかない。

そういう事もあって、複製の錬金術を使うな、とまではお姉ちゃんも言わなかった。

この辺り、お姉ちゃんも複雑なのだろう。

わたしには錬金術をさせているし。

それで目がどんどん濁っているのも分かっている筈だ。

だがお姉ちゃんにも、なんとなくわたしに引けない理由ができた事も察することが出来ている様子。

或いは、ひょっとして。

外堀から埋めるようにして。ソフィー先生が、最初からお姉ちゃんには粉を掛けていたのかも知れない。

組み合わせた品を、順番に実験して。

合格である事を確認しながら、完成品として仕上げていく。

やはり一つ出来ると。

次からは出来る速度がぐんぐん上がっていく。

コツを掴んでいるのだ。

それと、ケアレスミスは鉱物が教えてくれるし。

それ以外の苦手と自覚している加工手順については、自分でも気を付けるようにしている。

錬金釜を洗浄し。

一旦乾かす。

流石にソフィー先生の用意してくれた錬金釜だ。

何度どれだけ過酷に使用しても。

まったく揺らぐどころか、傷一つついていない。

プラティーンでも、これほど酷使していたら、今頃作り直さなければならないだろうに。

五つ完成品を作った所で。

ツヴァイちゃんにそろそろだ、と告げられる。

頷くと、キルシェさんの所に行って納品。

意外な事に、キルシェさんもかなり手間取っていた。

「手が足りない」

「大丈夫、帰り際にオスカーさんを連れてきます」

「それは助かる」

「納品分は検査もしてください。 二人で検査をした方が、事故は減ると思います」

頷くと、キルシェさんは、自分で作った三つを渡してくる。

意外な事に、わたしの方が調合が速かったらしい。

時間は常に足りない。すぐに山を下りる。

幸い雪山は今日は機嫌が良く。

空飛ぶ荷車で、すっと降りる事が出来た。

ただ機嫌が良かった分、獣の動きも活発で、こっちをじっと見ていたので。仕掛けられていてもおかしくは無かったが。

フルスハイム東に出ると。

まだオスカーさんが来ていないことを確認。

後は無心で、エルトナに戻り。

そして感情を無にして。

わたしの足を如何にして引っ張るかしか考えていない長老達と、丁々発止でやりあった。

もはや、これに関しては。

向こうも引くに引けない様子だ。

重役達を集めて会議をすると。

必ず文句を言い出す人間がいるし。

数に任せて明らかに非論理的な意見を無理矢理通そうとする者が出てくる。

わたしという存在の権威を引きずり下ろすために。

その政策が正しかろうが間違っていようが関係無く、無理に通そうとする。それは施政が上手く行っていない場合には、よくある事だそうである。

アングリフさんにそういう話をされて。

わたしはげんなりした。

最終的にはわたしが行う戦略事業に遅れが無い事や。

生活水準の著しい向上について説明し。

それらで黙らせる。

もっと豊かな生活をしたいと堂々という愚か者もいるが。

そもそも皆が豊かに生活出来ていない時点で、自分だけ富を独占したいという思想そのものが腐っている。

わたしが据わりきった目でそれを指摘すると。

流石に黙った。

ソフィー先生の派遣してくれた人達に後は任せて。

フロッケに戻る。

周辺で着々と影響力を増しているわたしを、長老達は快く思っていないようだが。もうそれはどうでもいい。

今の重役の世代がいなくなった後。

エルトナを完全に掌握し。

わたしの地盤として整備する。

地盤が無ければ、そもそもとして、この世界を腰を据えて変えていく事など出来はしないのだ。

そのためには。

いや、駄目だ。

手を血に染めるのは、最後の最後の手段にしたい。

匪賊のように、人間とは言い難い相手なら兎も角。

相手はどれだけ性根が腐っているとは言え人間。

噴出した闇に翻弄されているだけの、哀れな小さな存在だ。

それをひねり潰すのは。

やはりわたしとしても、心苦しかった。

フルスハイム東で、オスカーさんと合流。

事前に自警団と話をつけておいたのだ。

オスカーさんは、ライゼンベルグ近辺の緑化作業を、イルちゃんと共同して行っていたらしく。

獣が徘徊してとても人が入り込めなかった地域も、安全地帯に作り替えてきたらしい。

流石に全てを緑化する、とまでは行かなかったが。

それでも相当な範囲を緑化し。

ライゼンベルグ東側の街道まで、ある程度整備したそうだ。

そして、フロッケの街道整備計画についても、同意してくれた。

「あの雪山の植物たち、過酷な状況で大変そうだからなあ。 とはいっても、土地に迷惑を掛けている訳でも無いリッチを殺すのも気が引けるのも事実だ」

「土地に迷惑を掛けているリッチもいるんですか?」

「ああ。 そういうのはおいらも容赦しねえ」

「……」

そうだろうな。

この人が一番怒るのは、植物を傷つけられたときだろう。

そしてこの人は見かけとは裏腹に相当できる。怒ったときには、さぞや周囲に血の雨が降る事だろう。

「山を回って、移動したがっている植物はおいらが連れてくるよ。 その植物たちを生やしていけば、多分みんな幸せになれるだろう」

「お願いします」

「ああ。 それで作業はまだ半分くらいか?」

「一度装置を必要数作って、その後は様子を見ながら……ですね」

軽く話した後は。

空飛ぶ荷車でフロッケまで行く。

フルスハイム東からは、ライゼンベルグへ安全に向かえる街道が伸びている。これにフロッケに安全に向かえる街道がつながれば。

更に人の行き来は活発になる。

そしてフロッケには、近隣でもトップクラスの公認錬金術師がいるのだ。

周囲の経済にも、今以上の影響を与え。

活性化させるだろう。

わたしとしては、それで充分だと思う。

問題はフロッケの長老達だが。

エルトナの事を思うと。

あまり好ましくない状況が来るとしか、思えなかった。

 

フロッケに到着。

キルシェさんとオスカーさんはあまり話した事がなかったが、それでも面識はある。軽く話すだけで、打ち合わせの段取りは決まった。

ただオスカーさんは言う。

「フロッケに来てみたが、まだ植物たちはあんまり満足していないな。 まだ調合には時間が掛かるんだろう? その間、おいらが周囲の森に手を入れてくるよ」

「それは助かる。 でもいいのか?」

「かまわないよ。 おいらもこの辺りの植物とは友達になっておきたいし」

「そうか。 では頼む」

グラシャラボラスさんが、オスカーさんを案内して、アトリエを出て行く。

わたしは道中チェックしたキルシェさんの作った分の熱ドーム発生装置を渡し、検査に問題は無かったことを告げた。

キルシェさんも、此方の作った分に問題が無かったことを告げてくる。

今の時点では、二人ともきちんと出来ている、と言う事だ。

「完璧に近い。 私は作業が遅いから、羨ましい」

「でも、キルシェさんも完璧でしたよ」

「……」

どうしたのだろう。

ふとキルシェさんが黙り込むが。

すぐに沈黙は通り過ぎた。

「フィリスがエルトナに行っている間に二つ作った。 でもまだ半分残ってる。 早く残りを仕上げる」

「分かりました」

ここからが本番だ。

必要数を作ったとしても。

本当に計画通りにやれるかは分からない、というのが実情なのである。

雪を溶かして進んでいけば、道が出来るかどうかはまったく現状では分からない、としかいえない。

地元の人間がある程度使っている道はあるが。

それも、雪の上を踏んで進んでいるのであって。

実際に雪を全部溶かしてみたら、クレバスがあってもおかしくは無いのである。普段よりも、インフラ整備の作業については、かなり時間が掛かると見て良いはず。何より不安なのは、地面もカチカチに凍っていること。

凍っている地面を溶かしたら。

何が出てくるか、知れたものではないのだ。

当然、作業中はリッチとの約束通り照明弾を上げるので。

その間は、獣による攻撃も警戒しなければならない。

今のアングリフさんを一とするわたしの護衛戦力は、早々負けるような実力ではないし。

フロッケの自警団も凄腕揃いだが。

それでも、何があるか分からない以上。

油断は禁物だ。

ドラゴンがいきなり仕掛けてくる可能性もある。

縄張りは把握しているし、刺激は出来るだけしないようにはするが。

それでも彼奴らは。

人間を殺すためだけに存在している生きた兵器だ。

油断だけは、絶対にしてはいけない相手である。

調合に集中し。

数日で残り分の装置を作り上げる。

後はキルシェさんと交換して、互いに出来を確認。チェックを念入りに行い、ミスがない丁寧なキルシェさんの仕事に感心した。

仕事が遅いとは自己申告していたが。

それでもキルシェさんも慣れてきているからか。

最終的には同じくらいの速度で仕上げていた。

勿論、だからといってわたしの腕がキルシェさんと並んだと思うほど、頭は花畑ではない。

まだまだ未熟。

わたしは更に力をつけていかなければならない。

今後の事を考えても。

そして、長老達を集めて。

インフラ整備の話をする。ここからが正念場である事を、わたしは悟っていた。

前はパイモンさんが長老を一喝してくれたが。

今回も同じように行くかは分からない。

フロッケの、錬金術師と「民」の溝は。

エルトナのそれと同じく。

広く、そして深いのだ。

 

4、理性と理論

 

長老達と戦略事業については話はしてあるという事だったし。実際に、何度か軽く打ち合わせをしているのにも立ち会った。

だが、実際に計画が動くとなると。

案の定本会議は紛糾した。

むすっとしているキルシェさん。

うんざりしている様子の自警団の若手達。

呆れているアングリフさんの前で。

目を血走らせたフロッケの長老は言う。

「ドラゴンを刺激するかも知れないのに、計画の全面的な協力はしかねる。 やりたいなら錬金術師どのだけでやって欲しい」

「そう。 その場合、アルファ商会のもたらす利益は、此方で独占する。 其方には回さない」

「なっ……此方がどれだけ支援をしているか、分かっているのか!」

「なあ長老。 あんたそろそろいい加減にしたらどうだ」

呆れたように、グラシャラボラスさんがぼやく。

わたしはしばらく黙っている事にする。

あくまでソフィー先生に言われて手助けに来た部外者である。

これは、恐らく。

フロッケの人間が解決しなければならない問題だ。

「実際にこの村を覆っている暖かいドームのおかげで、姥捨てもしなくて良くなったんだぞ。 全部錬金術師どののおかげだ。 生活だって豊かになったし、餓死する奴も凍死する奴も出なくなった。 獣の肉だって、命がけで入手しなくても良くなった」

「だ、だからといって」

「俺たちがどれだけ涙を呑んでいたか忘れたのか? 錬金術師どのは、俺たちを雪の牢獄から出してくれたんだぞ。 そして今度は、麓に自由に行き来できるようにもしてくれようとしている。 今まではそこのフィリスどのが持ち込んでくれた飛行キットつきの乗り物で定期便しか出せなかったが、今後はそれぞれが自由に行き来できるようになる!」

相当に溜まりこんでいたのか。

グラシャラボラスさんは怒りを声に込めながら、一言一言紡ぐ。

「リッチどもは確かに山を雪に閉ざしたが、そもこんな雪の中に集落を作らなければならなくなった事情は古参ならみんな知ってるよな。 くっだらねー権力闘争の結果、フルスハイムを離れなければいけなくなったんじゃねーか。 その有様をあんたは見ている筈だよな、長老!」

「お、おのれ」

「あんた悔しくないのかよ、その様子を見ていた一番若い世代の一人だろう?」

「グラシャラボラス、もういい」

キルシェさんが静かに言う。

怒ってくれるのは嬉しいけれど。

会議が進まない、と。

長老は額に青筋を浮かべている。

他の重役達はみんな冷め切った目で見ている。

この構図。

エルトナとおぞましい程似ている。

やはり、甘い汁を吸いたいのだ。

それをきっちり管理している公認錬金術師が隙を見せないことで、全ての好機を潰されてしまっている。

故に恨む。

キルシェさんがフロッケを出たらどうなるか何て、どうでもいい。

また姥捨てと過酷な生活に戻るとしても。

周囲の人間よりも優位に立てるなら、それで良い。

本気でそう思っている度しがたさが、わたしには伝わる。

エルトナとは状況が少しだけ違うが。

心の醜さについては大差ない。

これだけ醜悪な人間が「普通」なのだ。

それは、最終的にソフィー先生が見せてくれたような、修羅の世界が到来するのも納得である。

「自警団には緑化の専門家であるオスカーと一緒に動いて貰う。 森による防備があるから、守りに割く自警団は最小限で良い」

「街に匪賊が入り込んだらどうする!」

「そんなもんは俺たちが逐一駆除する。 ていうか、近場の匪賊はみんな鏖殺があの世に送っちまったし、この辺りに来るだけで殺されるって噂も流れてるから、匪賊はちかよらねーよ」

ヒステリックに喚く長老に、グラシャラボラスさんが冷静に返す。

長老はもう、兎に角なんでも反対できればそれで良いようで。

醜態を更にさらそうとしたが。

アングリフさんが流石にたまりかねたようで一喝した。

「あのなあ。 同じ爺として言わせて貰うが、自分だけ良いってんじゃこの世の中回らねえんだよ。 それはあんたが一番分かってるんじゃないのか? それをくだらねえ意地で子供相手に喚き散らして、恥ずかしくはないのか?」

「何を……」

「悪いが俺は傭兵団の団長として、世界中を回ってきたからな、人生経験についてはこの場の誰よりも豊富だぜ。 その上で言うが、利益を一部の人間が独占するような場所は、長くは続かねえんだよ。 甘い汁を吸って、好き勝手な生活を自分だけしたいって本音がだだ漏れだぜ」

「五月蠅い! 豊かな生活をしようとして何が悪い! わしは長老だぞ! 長老が周囲に対する威厳を示せなくて何が長老だ! 偉いんだぞ! 安楽な生活くらいさせろ!」

情けない。

これが老人の言葉か。

わたしは暗い感情が心に点るのを覚える。

粛正してしまうべきでは無いのか。

そう心の底で、何かが囁く。

何、今のわたしなら。

暗殺くらい簡単だ。

死体だって、何の痕跡も残さず消し去る事も出来る。

皆のためになる事業なのに。それで甘い汁を吸いたいという本音を隠そうともせず。金を寄越せと醜く喚き散らすこの老人を。

わたしは心底軽蔑した。

だが、動く前に、わたしの中の理性が制止する。

此奴を殺したら。

ティアナちゃん以上の怪物になる。

ティアナちゃんでさえ、匪賊以外は、命令を受けた相手しか手に掛けていないのだ。気に入らないから、というような理由で殺しはしていない。

わたしはそうなろうというのか。

抑えろ。

呼吸を整えると。

怒鳴り疲れて、真っ赤な顔のままようやく沈黙した長老を、冷たい目で見やる。

アングリフさんは呆れかえったままだ。

「もう引退しろや」

「五月蠅い、このフロッケを守ってきたのはわしだ……」

「ああそうかもな。 だがもう頭は耄碌し、金のことしか考えられなくなり、自分さえ良ければいいと思うようになっている。 今のあんたに、長老をする資格は無い、と俺には思えるが」

「そうだな」

不意に重役の一人がそう発言する。

この街のナンバーツー。

現在、温泉に関する計画を進めているらしい人物だ。

もう老境に足を突っ込んでいるが。

ヒト族としてはまだもう少し寿命もある。

「温泉事業が始まった場合、麓から人を呼べなければ金にもならない。 あんたのようにきーきー反対するだけじゃあ、外貨は稼げない。 ただでさえキルシェに依存しないと、フロッケは外貨を手に入れられない状況だってのに、なにをわめき散らしているのやら」

「お、お前っ……!」

「あんたの時代は終わったんだよ。 わしはキルシェにつく。 今から、長老認定会議を始める」

「おいっ!?」

その場で投票が始まる。

そして、重役達が、全員長老の退任に賛成した。

長老が絶句する中。

新しい長老が、今発言した、温泉事業を推進している人物へと変更される。

椅子からずり落ちそうになる長老は。いや、元長老は。

完全に血の気を失っていた。

赤くなったり青くなったり忙しい事である。

「というわけで、あんたはもう用済みだ、元長老。 会議に参加する資格も無いし、出て行ってくれるかな。 老後の生活をする金くらいはあるだろう」

「……後悔するぞ」

「ふん」

よろよろと椅子から立ち上がると。

クーデターでいきなり席を追われた元長老は、会議の場から出ていった。醜悪な大人のやりとりを見て、わたしは反吐が出るかと思ったが。どうにか堪える。この様子からして、多分段取りを事前に決めていたのだろう。そして、キルシェさんが必要だと言う事くらいは、重役達は理解していて。

そうか。

恩を売るために、この行為に出たのか。

キルシェさんは相変わらずむすっとしているが。

あの元長老にヘイトを集めるだけ集めておいて。そして此処で元長老を追い出す事によって、多少扱いやすくする。

その魂胆が透けて見えて、わたしは心底げんなりした。

勿論わたしが気付くくらいだ。

キルシェさんも気付いているだろう。

「というわけで、これから新しい長老として、キルシェどのには協力しましょう」

「……では予定通りに自警団は使う」

「どうぞどうぞ」

そして、だ。

温泉関係の利権を確保しているのなら。

キルシェさんの始める戦略事業は、新しい長老にとっても得となる。全ては利権の世界だ。

会議が終わったので、外に出る。

グラシャラボラスさんが、苦虫を何十匹もまとめて噛み潰していて。

そして重役と新しい長老がいなくなってから。

わたしとアングリフさんに頭を深々下げた。

「本当に済まない。 醜い、本当に汚いものを見せてしまった」

「かまわんさ。 大きな街の権力闘争だと、汚さはあの比では無いしな」

「利害は一致したからそれでいい。 当分は騒ぐこともないから、これでいい」

キルシェさんも冷え切っている声で言う。

はて。

ひょっとしてだが。キルシェさんが温泉関連の事業というエサをちらつかせて、重役を動かしたのか。

可能性はある。

長老のあの五月蠅い様子からして、今のエルトナの重役達と同じ。感情だけでキルシェさんに突っかかっていた。

人間は基本的に、相手に対する好感度で返事を決める。

1+1は2、というような当たり前の事でも。

相手が気に入らなければ違うとか喚くのが人間だ。

キルシェさんとしても、もう面倒くさいから、そうやって制御する事にしたのかも知れない。

まだこんなに小さい子が。其処までしなければならないのか。

人間とは、何処まで醜悪なのか。

わたしは頭を振る。

咳払いしたキルシェさんが、作業を開始すると言ったので。

わたしは、しばしの沈黙の後。

頭を切り換えて、まずは目の前の作業を片付ける事に集中した。

 

(続)