湖底の邪竜

 

序、実験

 

装甲船二番艦が完成すると、港では喚声が上がった。とはいっても、まだまだ炉は搭載していないし。あくまで出来たのはガワだけだが。

また使い路も説明を受けていない者が多いらしく。

これを使って湖底に行き。

ドラゴンを始末するという話については、知らされていないようだった。

わたしは、大量のプラティーンを作りつつ。

それに続けてハルモニウムも生成する。

船の装甲だけではない。

プラティーンには使い路がいくらでもあるのだ。

現状では、ガワだけ出来た船が、港に置かれている。進水式はまだしていない。後は炉を仕上げるだけだが。レンさんの所にインゴットを納入しに行くと、難しい事を言われた。

「何度かシミュレーションをして見たのですが、どうにも幾つか改良しなければならない点があります」

「お願いします」

「炉のこの点です」

設計図を見せられる。

レンさんの話によると、浮力の確保が難しいという。予備の炉から魔力を注ぎ込んでも、だそうだ。

つまり、水中では立体的に動き回りながらドラゴンと戦う、と言うわけには行かないと言う事だ。

「一度浮かぶのは大丈夫ですか?」

「ええ、それならば」

「ならば、ドラゴンとは正面からの殴り合いをします」

「ええ……」

レンさんが青ざめるが。

わたしは本気だ。

前にドラゴネアを仕留めた場合にも、同じような戦い方をした。辛勝だったが、それでも倒した。

ましてや今回は、今まで以上の高出力での攻撃が出来る。

前のドラゴネアが相手だったら倒せるし。

一回り強くても倒せる。

今回は相手が弱体化しているのだ。

例え相手のホームグラウンドだとしても。

真正面から殴り勝たなければならない。

場合によっては、炉に外からわたしが魔力を注入してもいい。

そのための準備は、幾つかしておく。

それと、ハルモニウムのインゴットを幾つか渡す。

これを使えば、部品の幾つかを更に強化し、炉の出力を更に上げる事が出来る筈だ。説明すると、レンさんは頷いた。

「これだけあれば、そうですね。 基幹部分の部品を幾つか変えて、出力を……三割、いや四割は上げられるでしょう」

「仕事の振り分けはお願いします」

「ええ。 チャートとタスクの修正はしておきます」

礼をすると。

レンさんのアトリエを後にする。

かなり夕立が酷い。

待っていたお姉ちゃんが傘を差してくれたので、一緒に歩く。竜巻が来てから、フルスハイムの街の痛みが早くなっているらしい、と言う話は聞く。特に木造の建築についてはそれが顕著だそうだ。

それはそうだろう。

年がら年中雨が降っていたら、そうなってもおかしくはない。

至近にあんな巨大な竜巻があるのだ。

雨だって降り続けるだろうし。

それを止めるには、ドラゴンを殺すしかない。

ソフィー先生の思惑通りに動かなければならないのは、何処か悔しいというか、釈然としない部分もあるけれど。

それでも、今はそれが一番理にかなっている。

この世界がどん詰まりなのは分かっている。

未来に希望の火を灯す。

いや、未来を塞いでいる壁を壊すためにも。

この程度の事で、躓いていてはいけないのだ。

アトリエに戻ると。

黙々と作業に戻る。

期日までは、着実に近づいているが。

パイモンさんもレンさんもイルちゃんも。

みんな着実に炉を仕上げている。

他の部品類もだ。

わたしは、得意分野を最大限に生かして、出来る事を補助し。そして最終的な完成につなげる。

それで勝てるのなら。

安い話だ。

残った竜の鱗を全て使って。

ハルモニウムを作る。

やはりまだ品質が十分ではない。

そうなると、空間を操作する錬金術を習って。更に精度の高い錬金術を行える空間を作るしかない。

実は。

最初にソフィー先生に貰った本。

これに、記載があったのだ。

最初の頃はあまりにも難しすぎて理解さえ出来なかったのだけれど。

多分ソフィー先生は、わたしがここまで来るのを見越していた。

散々「繰り返した」という話なのだ。

それくらいは見越していてもおかしくは無い。

そして今見ると。

まだ実現には手が届かないけれど。もう少し知識と技術がつけば、或いは出来るかもしれない。

そう思えるところまで、実力がついてきている。

現段階では、この素晴らしい錬金釜を使っても、現状の品質のハルモニウムが限界点だ。皆に渡している錬金術の装備品にしても、これ以上強力なものは作る事が出来ないだろうし。

何より、これ以上の高品質な素材を扱う場合も。

力を生かし切る事は難しいだろう。

炉を使っている間を利用して。

本を読み進め、勉強をしておく。今のうちに、少しでも理論を理解しないといけない。

ハルモニウムのインゴットを作る合間に。

理論を勉強する。

空間の操作は極めて危険な技術だ。

ソフィー先生も、いきなり出来たわけではないだろう。

そんな技術に触るには、慎重に慎重を重ねなければならない。

どれだけの準備をしても、しすぎると言う事は無いだろう。

相変わらず、ドラゴンの鱗から「鉱物の声」は聞こえないが。

流石に繰り返しているだけあって、品質を上げられないにしても、一定の品質は保てている。

一度、レンさんの所に、気分転換を兼ねて出向き。

手持ちにあるハルモニウムを全て納品した。

レンさんは頷くと、現在のチャートを見せてくれた。

タスクがかなり潰されている。

船そのものはほぼ完成。

炉も、完成度は8割。

要所にハルモニウムの部品を組み込んで、強度を上げれば完成だ。

潜水と浮上の仕組みは、魔術を使って行う。

これはかなりパワーがいるので、炉を使用する。

一方、空気で船を覆う事については、別に大した魔力は必要ないので、術者が乗れば充分だ。

フルスハイムで術者を見繕ってくれるという。

フルスハイムは一万の住民がいる都市。

その程度の魔術、使える者は珍しくもないのだろう。

幾つか打ち合わせをした後。

タスクの幾つかを受け取って戻る。

プラティーンを加工する。

今作っているのは、最悪の事態が発生した場合の脱出艇の部品だ。それほど大きな船ではないので、単純に頑丈にして、浮上も魔術で行う。そのため炉も積んでいない。

黙々と装甲板と、脱出艇の部品を作っている内に。

服の袖を引かれた。

休憩の時間の合図だ。

ツヴァイちゃんは非常に正確に時間を把握していて、必ず教えてくれる。頷くと、一段落まで作業をし。

それから食事にする。

どうやらツヴァイちゃんは、わたしがやっている錬金術の具合から逆算して、後どれくらい時間が掛かるかも把握しているらしく。

わたしが一旦作業を切り上げて休憩に入ると。

レヴィさんかお姉ちゃんが。

必ず料理を作ってくれていた。

しかも料理が温かい。

これは嬉しい。

「リア姉、アングリフさんは?」

「ドロッセルさんとカルドさん、それにアリスさんと自警団を連れて、街の西の獣狩りに出ているわよ」

「ネームドに遭遇しないかな」

「遭遇しても大丈夫よ。 もしもヤバイ相手だったら引き際もわきまえているわ」

それに、イルちゃんの作ったシールドや。

わたしの作ったブリッツコアも渡しているという。

魔術師も自警団員にはいるし。

これらを使えば、多少のネームドなど蹂躙可能だろう。

気にするほどの事も無い。

わたしが岩山をブチ抜いて作った安全経路。

事実上、入り口と出口だけを警備すれば良い。

だが、そのほかにも。

資源を安全に入手するために、フルスハイムの西の魔境は、少しでも掃除を進めておいた方が良い。

食事を終えると、睡眠までの時間を確認。

もう一つくらい、インゴットを作れる。

頷くと、インゴットの作成に取りかかり。そしてそれを終えた後、しっかり眠りに入る。

どれくらい、プラティーンのインゴットを作っただろう。

ハルモニウムは材料がとことん足りていないので、どうしようもない。

更には、これ以上品質を上げようが無いという事情もある。

だがプラティーンは、材料が潤沢にある上、腕を上げれば上げるほどそれに答えてくれる。

インゴットを造り。

装甲に加工する。

起きた後は、軽く体を動かして、また錬金術に注力。

しばしして、アングリフさんが帰ってきた。

荷車には、肉と毛皮を満載していた。

「あー、参ったぜ。 明らかに獣が強くなっていやがる……」

「ブリッツコアとシールドを。 修復するのです」

「ああ、頼むぜ」

「アングリフさん、そんなに状況が良くないんですか?」

憂鬱そうにアングリフさんが頷く。

わたしが強行突破を諦めた辺りから、フルスハイムの西歩いて一日くらいの地点まで、例の森から出てきたらしい強力な獣が相当数徘徊しているという。その種類も様々で、猪や熊と言った何処でも見かけるものから、人型の石の塊だったり、キメラビーストだったりと、千差万別。

中には、大型のトカゲもいるという。

ドラゴンほどの戦闘力は無いが。

それでも超大型のトカゲは、非常に戦闘力が高く、厄介な獣として知られている。

そんなのが中核都市の近くにまで現れているなんて。

「あの森、いずれ気合いを入れて調査しなければならねえぞ。 邪神が潜んでいるかも知れないな」

「アングリフさん、それをフィリスちゃんにやらせるつもり?」

「錬金術師以外の誰が邪神に対抗できるってんだよ。 まあ順番通りにやるなら、先にフルスハイムの湖にいるドラゴンをどうにかしないといけないけどな」

「それと、気になる事がありますね」

カルドさんが言う。

獣を解体していて分かったらしいのだが。

どうも、強力すぎるほどの魔力を体内に秘めているらしい。

内臓などは魔力が籠もりすぎていて熱いほどで。

同行した魔術師が驚いていたという。

思わず腕組みして考えてしまう。

やはりそれは、邪神か何かが潜んでいるのではないのだろうか。

後は、アングリフさんとも船の状態について情報を共有。そして、タスクの処理に取りかかった。

無言で作業を続け。

ひたすらに装甲を仕上げていく。

仕上がった装甲は荷車に乗せて、誰かしらに運んでいって貰う。

お姉ちゃんがいるなら頼む。

ツヴァイちゃんが運びたいという場合は、護衛を誰か頼む。

港の方から、装甲について相談が入る場合もあるので。

その場合は自分で足を運んで。

ハンマーやつるはしを振るい、微調整を掛けたりもした。

なおプラティーンの強力な強度ゆえ、素人には扱えないという判断から、だろうか。

造船所にロジーさんが貼り付きになっていて。

鍛冶屋の方は開店休業状態らしい。

在庫はエスカちゃんが売っているそうだが。

ロジーさんはしばらくお店に戻っていないそうだ。

わたしが足を運ぶと。

ロジーさんに言われる。

「プラティーンの品質にばらつきがある。 平均して高いんだが、どうにか完全に均一化出来ないか」

「ごめんなさい、そればかりは素材が均一ではないので……」

「そうか、確かに。 それに四人の公認錬金術師が連携しているとなると、これ以上の贅沢は言えないか……」

ロジーさんは溶接とねじ止めで装甲を固定しているようなのだけれど。

いずれにしても、この装甲そのものではドラゴンのブレスを防ぐ事は出来ない。主に防御は内部に格納する炉によるシールドで行う。

レンさんは船とアトリエを行ったり来たりしながら、炉の調整を行っているらしく。

ロジーさんも、溶接を手伝うことがある様子だ。

「三つもあんな強力な炉を使うのか。 俺はドラゴンとの戦闘は見たことがないんだが、余程ヤバイ相手なんだな」

「ドラゴンが巨大な獣だとすると、他のネームドが子猫に見えるくらい強いです」

「それほどか」

「噂によると、ドラゴン並みの実力を持つネームドもいるらしいんですが……」

残念ながら、まだわたしはそんなのは見た事がない。

ともあれ、幾つかの注文を受けた後。

すぐにアトリエに戻る。

インゴットの加工はお手の物だ。

プラティーンはあまりにもたくさん加工したからか。声はこれ以上もないほどにクリアに聞こえる。

時間は瞬く間に過ぎていき。

膨大な量のインゴットから、大量の装甲板を造り。

やがて、貰っているタスクが全て完了したときには。

ソフィー先生から貰った期日まで、残り一週間にまでなっていた。

さて、予定通りなら。

これで船を動かせる筈だ。

港に出向いて、装甲板を納入する。

船はあらかた出来上がっていて。

イルちゃんとパイモンさんが、レンさんと一緒に船に入って、炉の最終作業をしているようだった。

装甲板を納入した後。

内部に入らせて貰う。

炉は三つ、連結するように並んでいて。船の内部は心持ち狭い。

前の装甲船は輸送が主任務だったのに対して。

此方は戦闘が主任務だ。

まあ当然だろう。

炉にシールドと、ブリッツコアが直結している。

ブリッツコアは複数を団子状に連結していて。

炉の大出力を利用して、一気に瞬間火力を出せるように調整してある。

魔術師も既に乗り込んでおり。

わたしが作った錬金術の装備を纏って、空気を操作する魔術を展開する予行演習をしていた。

シールドは船の前面に配置されているが。

これも炉から出力を供給できるようになっている。

炉稼働の予行演習を今何度か繰り返しているようだが。

まだブリッツコアの試運転は出来ずにいる。

まあそれはそうだろう。

造船所で、これだけ増幅したブリッツコアをぶっ放したら、それこそ跡形もなくなってしまう。

「何か手伝うことはありますか?」

「……そうね。 ちょっとこれを見てくれる?」

イルちゃんに呼ばれたので、様子を見に行く。

炉の部品の一つに、何となく不安を覚えるという。

見てみると、即座に理由が分かった。

鉱物が教えてくれたからだ。

「これはね、ちょっと圧力が掛かりすぎてるよ。 補強用に、部材を仕込んだ方が良いかも知れない」

「一目で当てたわね……」

「教えて貰っただけだよ」

「そうだったわね」

呆れたように頭を掻くと。

イルちゃんは、予備らしい部品の一つを取り出して。

魔法陣に影響を与えないように、炉に組み込む。

わたしも声を聞いて、問題が無いことを確認。圧力も、充分に分散させることが出来た。なお、原因はロジーさんが指摘していた品質の不安定さだ。だが、こればかりは仕方が無いとも言える。

炉があらかた仕上がった。

後は試運転だ。

潜行、浮上、それにそれぞれの機能確認。

全てが仕上がったら、ドラゴンとの決戦である。

気合いを入れて、最後の微調整に取りかかり、そして二刻ほどで完了させた。

まずは進水させる。

わっと声が造船所で上がる。

二隻目の装甲船だ。

無理もない。これほどの見るからに強そうな船、見た事も無いから、だろう。

さあ、此処からだ。

カイさんが舵を取り。

何人か乗り込んだ魔術師が、それぞれ術を展開する。

周辺がパノラマのように見え。そして船を空気が包む。

「よし、発進する!」

カイさんが、心底嬉しそうに言った。

 

1、湖底へ

 

ぐっと船首を下向きに。

船が水面下へと向かう。

緊張の瞬間だ。

これだけの巨大船。

もしも浮上に失敗したら、どれだけの損失になるか知れたものではないし。何より湖底のドラゴンの実力は上級。

軛が解かれたら。

前に戦ったドラゴネアの比では無い化け物と、相手のホームグラウンドで勝負しなければならなくなる。

残り日数は多くない。

焦りを感じながらも。順番に、作業をこなしていく。

潜水していくと、濁りきった湖の惨状が分かる。

まああんな巨大な竜巻が好き放題に湖を掻き回し、水を空へとまき散らしているのだ。湖がどうなっているかは、言うまでも無いだろう。

渦は水中深くにまで達していて。

巨大な獣以外は、ほとんど魚も見かけなかった。見かけるとしても、薄暗い中、湖底などの水の流れが緩やかな場所で、身を潜めるようにして静かにしていた。

大きな獣の中には、悠々と湖底を泳いでいるものもいるが。

それでも、たまに渦に巻き込まれそうになると。

必死に離脱するべく動いているのだった。

あの渦が如何に凄まじい代物か。

竜巻による影響がどれだけ凶悪か。

一目で分かる。

「浮上開始」

「よっしゃ! 浮上ー、開始ー!」

レンさんの指示で。

カイさんが、舵を動かす。

かなり特殊な舵のようだけれども。カイさんは平然と、自由自在に動かしていた。わたしも側で見て、動かし方を習う。

実は今、あるものを考えていて。

それを作るためには、この船を改造するか。三番艦を作るか。悩みどころなのだ。

ぐっと船が斜めになり。

浮上を開始する。

緊張の一瞬だ。

周囲の水は泥のように濁っているが。これも竜巻が無くなれば、恐らくは大丈夫。問題はドラゴンだが。

それについても、恐らくは平気だろう。

今この船が搭載しているシールドは、前にドラゴネア戦でイルちゃんが使ったものとは比較にならない出力が出せる。

弱体化しているのなら。

上級のブレスにも、一撃陥落はしないはずだ。

ほどなく、船はしっかり上昇し。

水面に出た。

喚声が上がる。

すぐに炉を停止し、皆でチェックに掛かる。

緊張の瞬間だが。

強力なプラティーンの装甲で守られた船は、暴風雨にもびくともせず、小揺るぎもしなかった。

「ふむ、オーバーヒートはしていないな」

「次は戦闘用の機能試験ね」

「またもぐれば良いか?」

「お願い」

カイさんが頷くと。

炉にまた火を入れ。

すぐに潜水を始める。

水中でまずはシールドを展開。イルちゃんがシールドの状態を確認し、問題ない事を此方に告げてきた。

次はブリッツコアだ。

炎は水中では役に立たない。氷も自爆する可能性があるから避けた方が良いだろう。

そこで雷撃と物理衝撃を搭載してある。

雷撃に関しては、火力が薄まってしまう可能性もあるが。逆に広域に攻撃が出来るという利点もある。

そこで衝撃波が主力になる。

前を泳いでいる、巨大な頭足類に狙いを絞り。

ブリッツコア発動。

炉が目に見えて強い魔力の光を放つ。

強烈な負荷が掛かっているが。

炉がダメージを受けている様子は無い。

一瞬おいて。

ばつんと、凄い音が船の中にまで響いた。

収束した衝撃波が、前の方を泳いでいた、船と同サイズもある巨大な頭足類を直撃。一撃で内側から破裂した頭足類は、血を流しながら、渦に巻き込まれていった。

無言になる皆。

わたしは冷静に、ブリッツコアと炉を確認。

炉に使われている金属の声を聞く。

「……連続使用は控えた方が良いと思います」

「そうね。 一旦港に戻りましょう」

「よし、浮上する」

今のはフルパワーではなかった。だが、鉱物達は警告してくれた。フルパワーで使う事は勧めないと。

そうなってくると。

かなり考えて戦わなければならないだろう。

一旦水面まで出ると。

皆に乗り込んで貰う。

アングリフさん。カルドさん。レヴィさん。お姉ちゃんとツヴァイちゃん。ドロッセルさんとアリスさん。

オリヴィエさんら、フルスハイムの自警団員も乗りたがったが。

もしも彼女らまで死んだら、この街の避難誘導が出来なくなる。

最悪の事態に備えて。

彼女たちは残らなければならないのだ。

何人か乗り込んだ魔術師達は、青ざめている。

これからドラゴンと戦う。

錬金術によって作られた強力無双な装甲船とはいえ、この世界に住まうドラゴンの実力は、誰もが恐怖の権化として心に焼き付けている。

怯えないのは蛮勇だ。

それは決して良いことではない。

ドラゴネアと戦った時と比べて、今わたしと、周囲のみんなは。かなり戦力を上げているけれど。

それでも楽勝とはいかないだろう。

まして相手は弱体化しているとは言えドラゴン。

どこまで油断していいものか。

ふと気付くと。

足をぷらぷらさせながら、荷物の一つに。

ティアナちゃんが座っていた。

いつの間に。

だれも気付かなかった。

「はろー、フィリスちゃん」

「! いつの間に!」

お姉ちゃんがわたしとツヴァイちゃんを庇う。

だけれど、ティアナちゃんはによによしたまま、荷物から降りる。

「雇い主からついていくようにって言われてね。 保険だって」

「保険? 監視の間違いでしょう?」

「リア姉、大丈夫」

「……」

わたしが前に出る。

ティアナちゃんは満面の笑顔である。そういえば、腰に帯びている剣。声が聞こえる。間違いなくハルモニウム。

それもわたしが作ったのとは、比べものならない品質のものだ。

それほど長い剣では無いけれど。

多分この場の誰が持っている武器よりも破壊力がある。

何というか、のろわしい声が聞こえるのだ。

剣の威力を極限まで上げるために、様々な摂理を完全に越えた錬金術を施している形跡がある。

なるほど、人斬り包丁か。

今までティアナちゃんが帯びていた剣とは違う。

これが実戦用。

あまたの匪賊を「鏖殺」してきた、本物の人斬り剣というわけだ。

レンさんが咳払い。

彼女も公認錬金術師だ。

ティアナちゃんの禍々しい気配は分かるのだろう。

「良いのかしら?」

「はい。 湖底の調査を……開始してください」

さて、此処からだ。

ドラゴンがいつ現れて戦闘になるか分からない。

潜水できる時間は二日ほどと既に試算が出ている。それ以上になると、空気が悪くなるので、一旦浮上して空気を入れ換えなければならない。

アングリフさんが、ティアナちゃんに話しかける。

「なるほど、気配で分かったぜ。 お前が……鏖殺だな」

「ふふ、どうでしょ。 ただ今ちょっと戦闘モードに入ってるから、出来るだけ話しかけないでくれる、おじいちゃん」

「ふん、化け物が」

「人間なんてひ弱な存在じゃないし、化け物ってのは褒め言葉だね」

さらりと言うものだ。

確かに錬金術師の中には、アンチエイジングを駆使して、人間を超越している者もいる。ティアナちゃんは錬金術師では無いが、何しろソフィー先生の懐刀だ。どんな風に体を弄られていてもおかしくないだろう。

それに分かる。

今までによによとしていた、彼女じゃない。

全身から発している凄まじい殺気。

みんな強くなっているはずなのに。

それでも総掛かりでも勝てる気がしない。

だが、積極的にドラゴン狩りをしに来たようにも思えない。

本当に監視だけが目的なのか。

湖底にもぐる。

灯りの魔術を使用し、周囲を照らしながら移動開始。

何しろ湖底の上に水が濁りきっているのだ。

殆ど前が見えない状態である。船の進行速度も落とす。

至近距離でドラゴンと遭遇するかも知れない。

その場合、まずは一撃を叩き込まないといけないだろう。

「強い気配は感じないな」

アングリフさんが不可解そうに言う。

レヴィさんも無言で頷いていた。

ティアナちゃんはまた荷物の入った木箱に腰掛けると、足をぶらぶらさせ。ツヴァイちゃんと何か話している。

ツヴァイちゃんは頷いて応じているが。

多分あれは、相手の恐ろしさを理解出来ていない。

ただ、前からツヴァイちゃんとティアナちゃんは色々話をしていたようだから。

二人はある程度既知なのかも知れない。

とはいっても、あのティアナちゃんだ。

もしソフィー先生が、ツヴァイちゃんを殺せと命令したら。

一瞬の躊躇も無く手に掛けるだろう。

それがひたすらに怖いが。

それでも今は、これだけの強力な戦力を、計上して戦いに赴かなければならない。相手は何しろドラゴンなのだ。

渦の真下に到達。

いきなり巨大な魚に出くわす。

殆ど船と同等か、それ以上のサイズだ。口はそれそのものがくちばしのような巨大な牙状の構造で。

あれに噛まれたら、大概の生物なんてひとたまりもないだろう。

魚と一瞬のにらみ合いになったが。

やがて相手は、興味を無くしたのか、或いは未知の相手との戦いを避けたのか。そのまま体を翻して、去って行った。

つくづく思う。

直接もぐらないで良かった、と。

直にもぐってあんなのと遭遇していたら。それこそドラゴンとの戦いの前に、どれだけの打撃を受けていたか。知れたものでは無い。

「水の中は未知の世界ですね」

カルドさんが嬉々として今の魚のメモを取っていた。

この人はある意味マイペースで羨ましい事だ。

遺跡だけでは無く、珍しいものにも興味津々なのだろう。

わたしも、錬金術師である以上。

そのあらゆるものに興味を持つ姿勢は、見習わなければならない、とも思う。一方お姉ちゃんとレヴィさんは、ティアナちゃんを警戒しながらも、あの魚なら何人分の料理になるかとかを話していた。

そうする間にも。

ゆっくり船は進んでいく。

時々やはりとんでもなく巨大な獣と出くわす。

この湖の深部には、化け物が幾らでも住んでいる。

さっきの魚にしても。

連続で遭遇している獣たちにしてみても。いずれもが。弱めのネームドと同等か、それ以上の力はあると見て良いだろう。

呼吸を整える。

まだだ。

戦闘は最小限に。

ドラゴンと戦う事を前提に、戦力を保持しろ。

自分に言い聞かせる。

カイさんが舵を切る。

ツヴァイちゃんが、カイさんに告げる。

「半日経過なのです」

「……よし、一度浮上して、空気を入れ換える。 後五日だったよな」

「ええ。 湖の全土を回るとなると、かなりギリギリですね」

「そうだな。 なら一度浮上して空気を入れ換える間に、交代で休んでくれ。 この船は対ドラゴン戦を想定しているんだろう? 生半可な獣の攻撃程度じゃびくともしないし、安心して休んでくれよ」

判断が速い。

即座に浮上を開始し。

そして湖面で魔術を使い、纏っている空気の入れ換えを実施。その間、順番に睡眠を取る。

渦の中心から、ゆっくり回るようにして周囲を調べているのだが。

ひょっとすると、ドラゴンは意外に浅い所に潜んでいるのでは無いのか。

そんな不安も感じる。

だが、今まで装甲船(一番艦)が攻撃を受けたという話はない。

だとしたら、一体。

ドラゴンは、何処に潜んでいる。

一眠りして、次に。

この船には生活スペースもある。トイレなども当然完備されているし。排泄物などは後でまとめて処理出来るようにもしてある。

これは、外に出て排泄、などと言うことをしている余裕が無いし。

そのタイミングで襲われる可能性もあるからだ。

調理場もある。

お姉ちゃんが食事を作ってくれたので、皆で食べる。その間に潜行を再開し。そして、ゆっくり湖底を進む。

最初にパイモンさんが疑念を呈した。

「妙だな。 ドラゴンにして見れば、一番安全な場所がこの辺りだろう。 竜巻を起こすにしてもこの辺りが最適の筈だ」

「或いはフルスハイムを襲撃するつもりだとしたら、フルスハイムのすぐ側の湖底にいてもおかしくないんですけれど。 そこにもいませんでしたね」

「……フィリス。 そなたならどうする。 もしドラゴンで、フルスハイムを壊滅させるつもりならどう考える」

「ドラゴンは知性が無いという話ですし……でも」

ちょっとまて。

知性は無いかも知れないが。

ドラゴンは魔術を使いこなすし、戦術も知っている。

それはドラゴネアで確認した。

多分それは知性では無く。

この場合にはこう動くという、本能に起因するものだろう。

だとすると、考えられる可能性は幾つかある。

例えば、ドラゴンがいきなりフルスハイムに乗り込んだ場合。人間の激しい抵抗を受ける上に、大半を取り逃がしてしまうだろう。

ましてや湖底に住むドラゴンだ。

陸上性のドラゴンとは、性質が違う可能性が極めて高い。陸上で好き勝手に動き回れるとは思えない。

或いは動けるかも知れないが。

それにしても、いきなり真正面から襲うというのでは、「たくさん人間を殺す」という戦略上の目標を達成出来ないだろう。

更に言えば、だ。

この湖底に住むドラゴンは、まず竜巻を起こして、人間の動きを封じるという行動に出ている。

インフラの存在を知っているのだ。

多分本能だとは思う。

ドラゴンが人間を効率よく殺す方法を本能で知っているのなら。

どうやって襲えばいいのかは、把握しているのだろう。

それならば。

「まさか……」

「何か思いついたの?」

「ねえイルちゃん、もしも湖の水が、まとめてフルスハイムに襲いかかったら、どうなると思う」

全員が絶句する。

それはそうだろう。

わたしも気付いてしまった今、戦慄しているほどだ。

この巨大湖の水を武器として利用し。

津波なりなんなりを起こして、一気にフルスハイムに叩き付けたら。それこそ住民はひとたまりも無く全滅だ。

今までそれをしなかったのは、ソフィー先生が奴の力を押さえ込んでいたからだろうけれども。

それも時間切れが近い。

これはひょっとしてだが。

予想以上に状態はまずいのかも知れない。

アングリフさんも、冷や汗を掻きながら、パイモンさんに聞く。

「じいさん、もしも最大規模の津波を起こすのなら、起点となる場所は何処だと思う」

「そうさな。 フルスハイム反対側の対岸、フルスハイム東の湖底だろう」

「カイ!」

「おう、任せておけ!」

レンさんが立ち上がり、カイさんも冷や汗を掻きながら舵を切る。

船の速度は上げない。

湖底には訳が分からない巨大生物が多数住み着いているのだ。此奴らは爆弾を沈めて、衝撃波を叩き込んでやってもびくともしない可能性が高い。この船なら対抗できるだろうが、それでも消耗は避けられない。

すぐに移動開始。

そして、予定の地点に到着。

其処を起点に、周囲を探していく。

あっと声が上がったのは、それから半日後。

巨大な構造物が見つかったのだ。

湖底に沈んでいるそれは、神殿のようにも見えた。フルスハイムの信仰に関係する何かだろうか。

ともかく、船を近づける。

総員戦闘用意。

アングリフさんが叫び。

全員が緊張する中。

神殿らしきものは近づいてくる。

中からは、恐らくはどんぴしゃだろう。凄まじい魔力を感じ取ることが出来る。中に何か、凄まじい者がいる。

間違いなく。

ほぼ間違いなく例のドラゴンだ。

「神殿を空気の泡が包んでいる」

「……周辺を確認。 あの中にドラゴンがいる事は間違いないでしょう」

「よし……」

カイさんが、慎重に船を動かし、神殿の周囲を調べていく。

入り口を発見。

まるで入ってこいと誘っているかのようだ。

その間にわたしはイルちゃんとパイモンさんと一緒に測定を実施。そうすると、あの神殿はかなり深い所まで続いていて。その深部にドラゴンらしき魔力反応がある事が分かってきた。

なるほど、これだけ深い所にいれば。

湖の中に入っても、すぐには見つけられないわけだ。

それにしても戦慄する。

ソフィー先生は何度も繰り返したと口にしていた。

つまりその過程で、或いはフルスハイムが凄まじい大津波に押し流される「未来」も見たのかも知れない。

その時にはわたしも犠牲になったのだろうか。

勿論ソフィー先生が、ドラゴンに遅れを取るとは思えないけれど。

それでも、こんな所に潜んでいるドラゴンが起こした凶行を、最初の一発で阻止できたとは思えない。

知っていたとしても。

一度や二度でどうにか出来たかどうか。

わたしをけしかけたのは、この場所に気づけるからと信頼していた、というよりも。

気づくのを統計で知っていたから、ではないのか。

背筋が凍りそうになる。

まるで神の掌の上で踊らされている気分だ。それも邪神なんかではなくて、この世界の全ての理を司る本物の神。教会で信仰されているような創世の神。

まさか、ソフィー先生は。

本当にそれに近い力まで得ているのではあるまいか。

「どうする、そんなに深くに潜んでいるなら、主砲も届かないぞ」

「だったら、乗り込んでぶっ潰すしかねえだろうな」

アングリフさんが立ち上がる。

笑っているが。

凄惨な笑みだ。

これは、勝てるか分からないぞ。そう顔に書いている。

一応前回より遙かに格上の装備、戦闘用の物資は持ってきているが。それでもこの船で主砲を叩き込む事を最初から前提としていたのだ。

かといって、主砲を叩き込んだ後、相手が反撃してきた場合の事を考えると、あまり好ましい事態になるとは思えない。

ましてや神殿の奥に引きこもっている相手となると。

其処に何かしらの形で封印されている可能性もある。神殿が空気の泡で包まれている所からしても。

神殿そのものが封印の可能性は低くない。

それを主砲で撃ち壊すと言う事は。相当なリスクを背負うことになる。

気は進まないがやるしかない。

肉弾戦だ。

わたしも立ち上がる。

フルスハイム自警団の魔術師達も青ざめたまま立ち上がったが、彼らには残って貰う。最悪の場合に備えて貰う必要があるからだ。

レンさんは来るという。

フルスハイムの未来のため、だろう。

心強い。

「カイ。 半日待ってください。 もし我々が戻らなかったら、フルスハイムの全住民の避難を即時開始してください」

「いや、絶対に戻れ」

「勿論そのつもりです」

「……戻るんだぞ」

何となくだが。

カイさんがレンさんに気があることは前から分かっていた。アトリエにメアちゃんが出入りしていることからも、昔から親しい仲だったのだろう。

邪魔してはいけないな。

そう思ったわたしは、先に降りる。

神殿の中の空気はよどんでもいない。むしろ澄み切っているほどだった。

 

2、湖底に住まう者

 

嫌に足音が大きく響く。

神殿の中は非常に単調な構造で、長い長い坂が下に向けて続いている。こんな構造体が、どうして湖の底にあるのか。

どう見ても人工物だが。

錬金術の産物なのだろうか。

レンさんも知らない様子だし。

カルドさんも、興味津々の様子で周囲を見ている。

獣はいる。

だが、そもそも湖底で。

しかも空気がある場所。

本来なら、湖底に住むに相応しい巨大獣がいてもおかしくはないのだが。此処は本来の湖底とは環境が違いすぎる。

故にと言うべきか。

自然発生したらしい小物の獣ばかりが目立つ。とはいっても、あくまで湖底にいる化け物と比較しての話。どいつもこいつも、かなり強そうだ。

ツヴァイちゃんを内側に庇い、ゆっくり進む。最前列をアングリフさんが。最後列をアリスさんが固め。

イルちゃんはアングリフさんのすぐ後ろ。

真ん中にレンさんとわたし。

最後列にパイモンさんと、錬金術師は少しずつ離れて配置。

お姉ちゃんが、此方に興味を示して寄ってきた獣に威嚇射撃。追い払った。獣は、矢の威力を見て、一瞬だけ怯むと。

後は距離を取る。

逃げはしない。

つまるところ、弱るのを待つつもりか。

「片っ端から倒す?」

「止めとけ。 今は時間がない」

アングリフさんの声が上擦っている。

まあ当然だろう。

わたしにもびりびりと感じられるのだ。

凄まじい気配である。

湖底に住まう上級ドラゴン。

どうして空気がある神殿に入り込んで、神を気取っているのかは分からないが。封じられているとは言え、その実力は間違いなく上級。

本来力が落ちていなければ、この戦力で勝てる相手では無い。

わたしの右を歩いているティアナちゃんを一瞥。

単に見届け役として来ただろうこの子が。

少しでも働いてくれれば、楽にはなるだろうが。

どうせこの子は、単に言われて結果を見に来ただけだろう。

ティアナちゃんは少し皆から離れて歩いていて。

そして、皆の隙を突いてティアナちゃんに襲いかかった大きな蛇が、一瞬で首と胴体を泣き別れにされるのを見た。

振り向きさえせず、今の一閃をティアナちゃんは放った。

殺し慣れているのだ。

首から上を楽しそうに取り出した何かの袋に放り込むティアナちゃん。

袋が膨らんでいる様子は無い。

ソフィー先生に渡されている、何かの道具かも知れない。

「回収の時間はないわね。 もしも帰りに余力があったら」

「リア姉。 そろそろ……」

「ええ。 アングリフさん」

「ああ。 先に言っておくが、そろそろ敵も此方に気付く。 以降はハンドサインで指示を出す」

全員が頷く。

レンさんにもハンドサインについては打ち合わせている。

勿論ティアナちゃんも。

後は、無言になった。

空気が、徐々に重くなっていく。

迷いようがない単調な構造だ。周囲に獣はいるが、此方に仕掛けてくる相手は、問答無用で追い払う。

カルドさんは周囲の様式や、神殿の造りなどに興味津々だったが。

残念ながら、これを残したまま戦いを終えられるかは分からない。

とにかく、生き延びた後は、必死に装甲艦まで脱出するしかない可能性も高い。まず、全員生還。

それ以外、今は考えられなかった。

ひたり、と音がした。

吃驚するほど冷たい水が、床を流れている。

嫌な予感がする。

巨大な扉が、小さな流れの先にあって。

その扉は、近づくだけで、ゆっくり横にスライドしていった。

スライドするときに、かなりの量の水が、流れ込んできて、水たまりを作る。

そして、見る。

見てしまう。

奥には、巨大なそれがいた。

前に見たドラゴネアとは根本的に違う。

全身は蛇のように長く。

手足がある場所にはそれぞれひれがあり。

翼がある場所には一対の背びれがあり。

全身は傷だらけ。

そして、鎖のようなものが周囲から伸びて、ドラゴンの動きをある程度拘束しているようだった。

そして感じ取ることが出来るほどの魔力。

足が竦むほどの眼光。

弱っていてなおこれか。

「行くぞ……」

アングリフさんが言い。

そしてハンドサインで指示。

全員が頷くのと。

湖底のドラゴンが雄叫びを上げるのは同時だった。

その声は、猛々しいというのとも。禍々しいというのとも違う。

聞いた瞬間、戦意を根こそぎに奪っていく、というのが一番近いかも知れない。ともかく、体が理解させられる。

まともにやり合っても、勝てる相手じゃない。

本来は、だ。

だが、今は。

兎に角やるしかない。

最初にしかけるのはわたしだ。パイモンさんと連携して、同時にブリッツコアと雷神の石で速攻を仕掛ける。

空を走る紫電が、湖底のドラゴンの頭上から、周囲を漂白するほどの光と。薙ぎ払うほどの爆風を発しながら、打ち据える。

だが、湖底のドラゴンの青黒い鱗と。

それが纏っている桁外れの魔力が、貫通を許さない。

戦いが、始まった。

 

速攻。

最初から策は決まっていた。

お姉ちゃんが矢を連続で射掛け、カルドさんが巨大な長身銃で射掛ける。

同時にアングリフさん、ドロッセルさん、アリスさんが仕掛け。レヴィさんとイルちゃんは守りに入る姿勢を見せつつ。だがそれだけではなく、イルちゃんは叫ぶ。

雷撃を纏った巨大な大剣が六つ、うなりを上げながら回転し、巨大な竜へと襲いかかるが。

それでも、小さなナイフくらいに、相対的に見えてしまう。

邪悪なるドラゴンは、かあと口を開くと。

息を吸い込んでいく。

ブレスか。

違う。

吐いた息が、全員を押し返してくる。

それと同時に、強烈な倦怠感が全身を襲うのが分かった。

膝を突きそうになる。

今のは、恐らく魔術。

そもそも桁外れの力を持つ上級ドラゴンだ。

まともにやりあっても人間では勝てない。

勝つためには、錬金術の道具で武装したり。錬金術の道具で攻撃していくしかない。

つまりパンプアップをガチガチに掛けなければならない訳で。

それを殺しに来ている、と言う事だ。

ツヴァイちゃんは。

大丈夫、踏みとどまっている。

攻撃のタイミングは任せる。

ここぞの一発しか撃てないのだ。

わたしは続けて、衝撃波のブリッツコアを発動。

ドラゴンの顔面が、強烈な衝撃波に打ち据えられて、のけぞる。ほんのわずかだけ。

その間に接近したアングリフさんが、最初の一太刀を入れるが。

湖底のドラゴンは鎖に縛られながらも、ある程度は動けるようで。

ぐるうりと泳ぐようにして衝撃波を発生させ。

刃が鱗に食い込んだ直後、アングリフさんを吹っ飛ばす。

だが続いてドロッセルさんが、アングリフさんの影から切り込み。

同じ箇所に、斧を食い込ませた。

ハルモニウム製の武器ならば。

多少の傷はつけられる。

そしてそも傷だらけのあの様子。

再生能力は追いつかない。

立て続けにアリスさんが仕掛けるが、再び息を吸い込み始める邪竜。双剣が傷を更に深くしても、気にしている様子が無い。

連続して斬り付けて更に傷を抉っていくアリスさん。

お姉ちゃんとカルドさんが立て続けに矢を射掛け。

目を狙うが、いずれも眼球を貫通できていない。

この破壊力でもだめか。

レンさんが、束にしたオリフラムを放り投げる。

わたしも、イルちゃんも、それに合わせて大量のオリフラムを投げつけた。

全てがドラゴンの傷口付近で炸裂。

流石に身をよじるドラゴンだが。

次の瞬間、ついにブレスを放ってきた。

それは前に戦ったドラゴネアの、閃光そのもののブレスではなく。水のブレスだったが。

その代わり、水がとてつもない圧力を伴っていることが分かった。

イルちゃんとレヴィさんが展開したシールドが、一瞬で押し込まれ、その余波でツヴァイちゃんを抱きかかえたわたしはすっころばされる。

お姉ちゃんとカルドさんはバックステップしたが、イルちゃんとレンさんは間に合わなかった。

何だ、今のは。

水をただ圧縮して撃ち出すだけで。

あんな火力が出せるのか。

ドラゴンの下に、魔法陣が出現。

まずい。

でかいのを撃つつもりだ。

アングリフさんが仕掛け、後頭部に一撃を入れる。

剣が食い込むが、ドラゴンは体を振るうだけで、アングリフさんを吹っ飛ばしてみせる。

確実に傷は増えているのに。

ドラゴンは余裕綽々。

体が大きすぎる。

いや、それだけではない。

多分何か理由があるのだ。

ドロッセルさんとアリスさんは執拗に最初につけた傷に攻撃を仕掛け、傷を拡げていくが。

何しろ前に戦ったドラゴネアより三倍はある巨体だ。

どれだけ傷口を抉っても、切り裂いても、爆破してもきりが無い。既に肉が見えていて、何度も其処にわたしとパイモンさんが雷撃を直撃させているのに、少し怯む程度だ。肉を体内から焼かれても、気にもしていないのか。

再び、あの体を押し潰すような声をドラゴンが発する。

今度は、さっきより圧力が強い。

シールドを張っていても関係無い。

そうか、神殿の閉鎖空間が。

音を反響させているのか。

ソフィー先生は此奴を一人で黙らせて、今までの時間を作ったようだが。

どれだけの超絶的な力を持っているというのか。

お姉ちゃんとカルドさんが、口の中に攻撃を切り替え、連射。カルドさんは、まだハルモニウム弾を使わない。

敵がまだまだ余裕を持っているこの状況。

切り札を先に切るのは、負けを宣言するようなものだ。

わたしも続いて炎のブリッツコアを発動し、傷口を焼いてやる。ドラゴンの下にある魔法陣が、光り、何かの魔術が始動し始める。

まずい。

あんな巨大なドラゴンが、全力でぶっ放してくる魔術だ。

それこそフルスハイムを津波で潰しかねないような相手である。

弱体化しているとは言え、何をやらかすつもりか。

アングリフさんが、再び斬り付ける。

眼球に切りつけたが、目を傷つけられても湖底の邪竜は気にする様子も無い。体を振るって、反撃をするだけだ。

まてよ。

まさかとは思うが。

わたしは、威力を落とした閃光弾を放り投げる。

目を閉じて。

そう叫びながら。

炸裂する閃光弾。

だが、邪竜は、まるで平然としている。

それで分かった。

此奴、目なんて見えていない。音も恐らくは聞こえていない。痛みも感じていないのではないのか。

回復か何かに全力を注いでいて。

それで魔力波動か何かで、此方を察知しているのではあるまいか。

だとすれば。

イルちゃんの剣が、敵の傷口を抉っているが。それでも殆ど痛みを感じている様子が無いのも納得である。

お姉ちゃんの矢とカルドさんの大口径銃が、何度も口の中を抉っているが。それでも平然としているのも理解出来る。

痛みを感じていないのだから。

だとすると、あの魔法陣は。

わたしは、イルちゃんにハンドサイン。

困惑しながらも、イルちゃんは一旦大剣を引き上げ、まとめ上げると、それに魔力を集中させた。

反応する湖底のドラゴン。

大剣に、最大火力のブレスをぶっ放す。

一瞬にして、回転する大剣が押しのけられ、壁に叩き付けられた。

流石にハルモニウム製、一瞬で粉砕とは行かなかったが、へし曲がっている。凄まじい圧力だ。

「奴は此方を魔力で見ています! 目も耳も役に立っていません!」

「そういうことか」

アングリフさんが指示を切り替えてくる。

アリスさんとドロッセルさんは、傷口を深く深く抉れ。

他の全員は頭を、特に口の中を集中攻撃。

わたしも頷くと。

レンさんが用意したらしい、オリフラムの束を投げつけるのを見ながら。荷車に飛行キットを取り付ける。

ねじでセットするだけだ。

時間は掛からない。

「お姉ちゃん、カルドさん! レヴィさんも!」

周囲を見回すが。

ティアナちゃんはいない。

だが、後ろで激しい戦いの気配がある。

ひょっとして、邪魔が入らないように、後方を遮断してくれているのか。

荷車が敵に向かって飛ぶ。

ドラゴンの魔術が、そろそろ完成しそうになるが。

させるか。

わたしは前に作った、空中からばらまく誘導弾。はじけるおくりものを、荷車から一斉にぶちまける。

それは魔法陣に炸裂し、神殿を揺るがせるほどの大爆発を巻き起こす。

足下から爆破されたドラゴンは、今までに無いほど身をよじらせ、凄まじい雄叫びを上げるが。

何とかレヴィさんが防いでくれる。

だが、こっちをドラゴンが見る。

今の魔術を潰したのを、察知したか。

お姉ちゃんとカルドさんが立て続けに連射するが、口の中にどれだけ矢が突き刺さっても、奴は気にしない。

首筋を派手に切り裂いたアングリフさんにさえ、目を向けないほどである。

そのまま湖底の邪竜は。

まるでバネのように体を丸める。

アングリフさんが、全力で下がれとハンドサインを出す。

だが、遅い。

回転しながら、衝撃波を放ってくるドラゴン。

全員が吹っ飛ばされ。

或いは壁に叩き付けられ。

わたし達の乗っている荷車も、天井に激突、飛行キットが破損しかけ、更に壁にも叩き付けられた。

直接体当たりしなくても、この火力か。

ブリッツコア。

まだいける。

ドラゴンは此方を見て、ブレスの態勢に入っている。

だが、その口を、雷神の石から放たれた雷撃が貫く。

ドラゴンがわずかに体を反らし、ブレスが天井を叩く。

凄まじい衝撃に、天井に亀裂が走る。

やはり分かっていたが。

此奴に暴れさせ続けると、多分この神殿が崩落する。

それにだ。

また、足下に魔法陣を展開。

さっき以上の速度で、魔術を練り上げ始める。

まずい。

体をどれだけ傷つけても意に介する様子も無い上に。

何よりも反撃がいちいち重い。

そうなると、手段は一つしかない。

一撃で黙らせる。

これだ。

荷車を必死に操作しながら、アングリフさんに叫ぶ。聞こえていないのなら、言っても言わなくても同じだ。

「最大火力を、急所に叩き込むしかないです!」

「分かっているっ!」

さっきから、皆の攻撃は確実に効いてはいるのだ。

だが、ここぞという決定打が入らない。

奴は回復さえしている様子はないが。

その代わり、何をしても動きが殆ど止まらない上に、攻撃がどれもこれも一撃必殺級ばかりだ。

またブレスを放ってくる。

イルちゃんのシールドが、粉砕され。

血反吐を吐いたイルちゃんが、吹っ飛ばされて床に転がる。

立て続けに衝撃波を放ってきて。

わたしが荷車を動かし盾になって、レヴィさんがシールドを展開。だが、ツヴァイちゃんやパイモンさん、レンさんは守れたが。荷車の飛行キットは完膚無きまでに破損、吹っ飛ばされた。

地面に投げ出されそうになるが。

傷だらけのお姉ちゃんが抱えて、受け身を取ってくれる。

わたしはその状態のまま、フルパワーでブリッツコアを発動。

湖底の邪竜の傷口に、雷撃が立て続けにねじ込まれるが。

それでも奴はまだまだ余裕を見せて動いている。

流石は上級か。

傷口の肉は焼けている筈なのに。

イルちゃんが立ち上がりながら、叫ぶ。

「アリス!」

「分かりましたお嬢様」

着地したアリスさんが。

何か外す。

同時に、剣が稲妻を帯びた。

多分、生体魔力を雷撃に変えて、剣に纏わせる道具だ。つまり消耗を考えず、一気に攻めると言うことだ。

だが、衝撃波を連発してきているドラゴンに、アリスさんもアングリフさんも、ドロッセルさんも満身創痍。

いや、だからか。

もう時間がないから、一気に決めるというわけだ。

わたしも、覚悟を決める。

ブリッツコアを複数まとめる。

全て雷撃で行く。

それを見て、パイモンさんも、残る全魔力を雷神の石に投入し始める。

レンさんは、頷くと、恐らく最高傑作らしい巨大なオリフラムを取りだし。

ドラゴンが、濁りきった目で、じっと此方を見た。

吠え猛る。

足が竦みそうになる。

だが、耐え抜く。

アングリフさんの全身から、凄まじい闘気が迸っている。

ドロッセルさんも、呼吸を整える。

総員、総攻撃だ。

これで勝負を付ける。

もし倒せなかったら。

此方が敗れるだけだ。

 

3、刹那の死活

 

時間が、ゆっくり流れていくように見えた。

ドラゴンが、魔術を完成させたように見えたからかも知れない。

そして、魔術が完成して分かった。

あれは水を操作するもの。

つまり、津波を起こすものだ。

奴は恐らく、命と引き替えに、フルスハイムを滅ぼすつもりだ。巨大な津波によって。

街に残っている人々。

メアちゃんやロジーさん、エスカちゃんの事を思い出す。

絶対に。

絶対に許してなるものか。

残りのフルパワーを、ブリッツコアに乗せる。

いきなりドラゴンが、衝撃波を叩き込んでくる。

だが、その衝撃波を、至近距離で無理矢理相殺した人がいる。

レヴィさんだ。

思いっきり吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられ吐血するが。

だがしかし、にやりと嘲笑ってさえ見せる。

壁にクレーターが出来ているのに。

隙は作ったぞ。

そう、混濁とした意識の表情で、レヴィさんは告げていた。

叫ぶと同時に、アングリフさんが仕掛ける。

大剣を振りかぶると、湖底の邪竜の頭に、闘気を纏った渾身の一撃を叩き込む。

今まで散々つけていた傷に、これが加わり。

ドラゴンの頭の前半分が、唐竹に割れる。

更に、アリスさんが、雷撃を纏った双剣をフルパワーで振るい。ドラゴンの体を駆け上がりながら、数十回の斬撃を叩き込む。

ドロッセルさんが、フルスイング。

ドラゴンの体の骨まで明らかに届く。

お姉ちゃんが、数本まとめた矢を、渾身で放ち。更にカルドさんも、ハルモニウム弾を連続して射撃。

どちらの攻撃も、ドラゴンの喉に潜り込み。

深々と傷をつける。

わたしとパイモンさんが、フルパワーの雷撃を発動。

ドラゴンの全身を、雷神の槌が直撃したような光の暴力が蹂躙した。

其処へ、巨大なオリフラムが投擲され。

更にイルちゃんが、わたしから以前買ったブリッツコアで追い打ちする。

爆裂。

立て続けにその爆裂を縫って、衝撃波が叩き込まれ。巨体に全て吸い込まれる。

全身から激しく血を噴き出しながらも。

ドラゴンは、まだ動いている。

口に魔力が集まっていく。

まずい。

わたしは魔力がすっからかん。

他の皆も似たような状況の筈。

ドラゴンは魔術も発動しようとしている。

いや、恐らく自分そのものを生け贄にして、魔術を発動させるつもりだ。あの口のは、その最後のトリガー。

撃たせるか。

手を伸ばすが。

だが、その時。

傷だらけになりながらも。

神々の贈り物を発動したツヴァイちゃんの姿が、わたしには見えた。

一撃。

ドラゴンの。

上級ドラゴンの頭を、貫通するその一撃は。

脳天を確実に打ち砕き。

喉や体の一部も貫きながら、ドラゴンに確実な致命打を与えた。

ドラゴンが愕然とし。

そして絶叫する。

此奴、さては。

皆による総力攻撃のタイミングを読んでいて。

それを防ぎ抜くこと。

その後に、魔術を発動する事だけを考えていたのか。

だが、ツヴァイちゃんは戦況を冷静に見て、皆の総力攻撃と、敢えてタイミングをずらして動いた。

わたしは無理矢理立ち上がる。

妹に無理をさせて。

わたしが寝ていられるか。

これ以上、好き勝手をさせるか。

邪竜の足下の魔法陣がはじけ飛び。

それがドラゴンへの決定的なフィードバックダメージを与える。いわゆる魔術のバックファイヤだ。

傷だらけの全身から血を噴き出しながら、湖底の邪竜が喚く。

その声だけで、吹き飛ばされそうになるが。

お姉ちゃんが、側に立っている。

最後の一矢を、傷だらけの手でつがえているお姉ちゃん。

わたしは目を閉じると。

つるはしを構える。

ハルモニウムの声は聞こえなかった。

だが、それもこれまでだ。

聞くんだ、ハルモニウムの声を。

鉱物の声は聞こえる。

聞こえるんだ。

プラティーンは作れば作るほど聞こえるように。よりクリアに聞こえるようになっていった。

それだったら、今こそ。

聞こえる。

わずかに、聞こえる。

此処だよ。

此処を突けば、このドラゴンは、もう動けないよ。

わたしは、顔を上げた。

確かに聞こえた。

体に纏っている道具が、わたしの力を後押ししてくれる。

突貫。

ドラゴンが、ブレスを吐こうとするが。

その喉に、アングリフさんが最後の力で投げつけた大剣が突き刺さる。さっき切り裂いた場所だが。より深く剣が突き刺さった。

流石にこれにはブレスどころではない。

走る。

お姉ちゃんが矢を放つ。

今度は衝撃波で押し返そうとしたドラゴンの喉の奥に直撃させたのだ。

ずぶりと音がした。

多分今までと違い。

喉の奥を貫通して、脳にまで通ったのだ。

ドラゴンが、凄まじい怒りの雄叫びを上げようとして、空振りになる。ひゅううと、風の音がしたが、それだけだ。

わたしは、アングリフさんの肩を蹴ると、跳躍。

ドラゴンは、わたしをみて、危険を察知したのだろう。

体を旋回させようとするが。

その瞬間。

ぼろぼろになっていた剣が、ドラゴンの全身に突き刺さる。

イルちゃんが、意識を手放しつつも、剣に指示を出してくれたのだ。

そしてボロボロの剣も、それに答えたのである。

ドラゴンが動きを止める。

さしもの上級も、これだけのダメージを受けてしまうと、もはやどうしようもない。

いや、それでもまだ動こうとしている。

跳躍したわたしが、声が聞こえる一点に迫ろうとする瞬間。

身をずらして、一撃をかわそうとする。

何という執念。

そして、分かる。

今度は体内に魔法陣を造り。

死と同時に、それを発動させようとしている。

そうまでして、万を超える人を殺したいか。

気付く。

ドラゴンの目には、何も宿っていない。

そうか、間近で見なかったから理解出来なかったが。今、ようやく分かった。

此奴には意思が無いのだ。

知能がないというのも正しいだろう。

本能で全て動いているのだろう。

だが、それと同時に。

そも生物としての意思が存在していない。

全ては、機械と同じように。

ただ殺戮のために。

人間特化で殺しまくるためだけに動いているのだ。

わたしは、すっと心が冷えるのを感じた。

此奴は生物じゃない。

仕組みだ。

ならば、歯車を外すように。

ただ壊すだけ。

つるはしを降り下ろす。

それが、決定的な致命打になった。

着地。

綺麗に、とはいかなかった。ドロッセルさんに受け止めて貰えなければ、多分気を失っていただろう。

振り返る。

奴が崩壊していく。

全身から血を噴き出しながら、亀裂が走っていく。

魔力が制御出来ずに、流出していく。

意味が分からないわめき声を上げながら。

巨大な蛇にも魚にも見える上級ドラゴンは。

その全身の鱗を剥落させ。

全身から血を噴き出し。

今まで受けたダメージが全て全身を切り裂くように拡がっていき。

そして。

全ての軛から解き放たれたように。

神殿の床に、叩き付けられていた。

同時に、ドラゴンに絡みついていた鎖も、全てが溶けるように消えていく。

わたしは、意識を失いそうになったが。

踏みとどまり、睨み続ける。

最悪の殺戮機械。

また現れても。

絶対に滅ぼしてやると。

 

アトリエをその場で展開。

一番余裕があるツヴァイちゃんが、お薬を取り出してくる。そして皆に配る。アングリフさんも、相当に厳しそうだったが。トリアージを行い。わたしもそれに習って、皆の手当を始める。

そんなときに。

ティアナちゃんが来た。

「わ、勝った。 流石だねフィリスちゃん」

「……」

流石に文句を言ってやろうと思ったが。

その意思は一瞬で失せた。

ティアナちゃんは、尋常じゃ無い量の血を浴びてにっこにこである。目には見た瞬間背筋が凍るような闇が歓喜となって浮かんでいた。

そして後方。

信じられない数の獣が、首を切りおとされて果てていた。多分神殿中の獣ではないだろうか。

なるほど、あの獣たちは。

このドラゴンが戦闘を開始したら、一斉に此方を襲うつもりで静観していた、というわけだ。

それを全てティアナちゃんが捌ききってくれた。

ドラゴンの攻撃の余波は、ティアナちゃんにも届いていたはずで。当たり前のように、あの強烈な圧力や、衝撃波も届いていただろう。

それでも戦っていたと言う事は。

しっかり背後を守ってくれるために、体を張ってくれた事を意味する。

責める事は出来ない。

後方を、鉄壁の守りで固めてくれていた、と言う事なのだから。

回復薬を使って、ある程度動けるようになった時点で、お姉ちゃんが船に連絡に行く。レヴィさんは一番酷い状態で、まだ意識が戻らないが、息はある。怪我が酷いレヴィさんとアリスさんはアトリエに。

そして壊れてしまった飛行キットと荷車もしまう。

まだ在庫はあるとはいえ。自分で作った道具が壊れてしまうと、悲しいものだ。後で打ち直すとしよう。荷車は幾つかあるとは言え、可能な限り修繕しようとも思う。

湖底のドラゴンの死体の解体も始める。

角はないが、鱗は前のドラゴネアの比では無い程にある。ナマのままの肉もかなりあった。

これらは全て切り裂き、回収する。血液も出来るだけ集めておく。

ドラゴンの血となると、どう活用できるか分からないからだ。

また、眼球の一つは無事。

これは確か貴重な素材になる。四分割して、皆に分配しなければならないだろう。

鱗はかなり特殊だ。コンテナに運び始めた頃から変貌を始めた。青黒い鱗は、死んでから、生きていたときよりも強い魔力を放っているではないか。

或いは、ソフィー先生が抑えていたのは、ドラゴンの魔力だったのかも知れない。

妙に簡単に傷をつけられたが。

それは、ソフィー先生に押さえ込まれていたからで。

実際には、傷をつけるのにさえ一苦労したのでは。

だがその一方で。

異常すぎるタフネスも気になった。

あれはあれで、何か弱体化の副作用だったのではないのだろうか。

事実ツヴァイちゃんによる脳天への一撃が決め手になるまで、ドラゴンは凄まじい抵抗を続けていたし。

更に言えば、わたしがつるはしを叩き込むまで。

動き続けていたほどなのだ。

ティアナちゃんはどこからかドアを取り出すと、其処へ入って、しばらく出てこなかったが。

戻ってきたときには体を洗って、しかもしれっと着替えていた。

戻ってきた頃には、解体もあらかた完了。

彼女が仕留めた獣も、全てコンテナに運んでおく。

ティアナちゃんが斬ったどの獣も例外なく首を切りおとされていた。あまり大きいのはいないから、捌くのはフルスハイムに戻ってからでかまわないだろう。血抜きだけはしておくが。

アングリフさんが、ドロッセルさんと一緒に神殿を廻り。

獣はもういないと報告してくれた。

カルドさんが咳払いする。

「倒壊の恐れは無さそうだし、後でもう一度ここに来たいんだが。 かまわないだろうか」

「良いですよ。 標の民の義務ですもんね」

「それもあるが、どうも妙なんだこの遺跡。 ひょっとしたら、この湖に最初からあった物ではないのかも知れない」

「?」

咳払いするアングリフさん。

船の中ででも話せ、というのだろう。

カルドさんもボロボロなのだ。

まだ此処で何かトラップなりなんなりが発動したり、不意の戦闘が発生したりしたら、文字通り全滅の危機がある。

状況は最悪。

急いで引き上げる方が良い。

わたしも頷くと、もう一度来る事を約束して。

そして、引き上げる事にした。

命が消えた神殿は。

静寂に包まれ。

そして、装甲船二番艦に乗り込むと。

あれほど荒れ狂っていた湖は、急速に澄み渡りつつあった。

渦潮が消えている。

つまり。

「浮上ー、開始ー」

全員が乗り終え。

点呼が終わった事を確認すると。カイさんが、舵を切る。

装甲船が、浮上を開始していた。周囲にいる獣も、仕掛けてくる様子は無い。戦闘を意識した炉は無駄になったが。実はこの船、使い路を考えている。この炉も、無駄にするつもりはない。

パイモンさんが、何か見慣れない薬を口にしている。

話を聞いてみると、アンチエイジングの秘薬だそうである。

今の時点では必要ないが、レシピを買う。

いずれ、必要になってくるかも知れないからだ。

イルメリアちゃんも同じようにしていた。

レンさんはそれを見て、眉をひそめた。

「アンチエイジングの技術など、まだ必要ないでしょう」

「いえ、何が起きるか分からないですから、情報はあるだけ欲しいです」

「同じく。 今は必要なくとも、不要に見える情報でも、貴重なものならあるだけ入手しておきたいのよ」

「……そうですか」

レンさんは複雑そうな顔をしているが。

いずれにしても、戦いは終わったのだ。

湖面が見えてくる。

驚くべき事に。

濁りきっていた水面を通して、曇り空が見え始めていた。流石に竜巻が消えても、いきなり曇り空が晴れることはない、か。

だがそれでも。

竜巻があった時は、どす黒く濁った水が、そんな事を許しはしなかったのだ。

浮上した装甲船二番艦が。

水面に躍り出る。

衝撃が船全体に走った後。

水平になる。

周囲を見回す。

驚くべき光景が広がっていた。

遠くに見えるフルスハイム東の街。

そして、まだ弱々しく残っている渦を残し。湖底のドラゴンの痕跡が完全に消え去ったフルスハイムの湖。

竜巻は消えた。

後は時間を掛けて、元の状態に。

いや、自然な状態に戻っていくことだろう。

そもそもだ。

あのドラゴンを殺さなければ、致命的な大津波が、フルスハイムを襲っていたのである。それを防げたのは、偉業とも言える。

胸をなで下ろす。

「帰港する」

カイさんが言うと、一緒に乗り込んでいた魔術師達が、ほっとした様子でため息をついた。

わたしは。これからやろうと思っている事がある。

故に、幾つかの思惑を、素早く巡らせ続けていた。

 

フルスハイムでは、今まで降り続いていた雨が嘘のように弱々しくなった。

流石に竜巻が作り上げた雲までは消えていないので。まだ小雨は降っているが。それも後数日だろう。

水も急速に澄み渡り始めていて。

湖に住んでいる巨大な獣が、波止場から見えるようになっていた。

全員ボロボロだが。

歓喜の声が迎えてくれる。

竜巻が消えた。

それが何の結果は、誰にも明らかすぎる程だったからだ。

重役達が、もみ手をしながらレンさんに詰め寄るが。

レンさんは、わたし達を視線で指して、言う。

「見ての通りです。 ドラゴンを倒した後ですし、一晩は休ませてください。 後の話は、その時にしましょう」

「本当に、ドラゴンがいたのですな……」

「それも事前情報通り上級の、でした。 戦いのレポートについてはラスティンに提出します。 それと、一番艦を動かして、物資の輸送はいつも通り行ってください。 他の船は様子見の後、動かす事にしましょう」

「はは、そうですな……何しろあんな事件の後ですしな」

てきぱきと指示を出すと。

レンさんは引き揚げて行く。

わたし達もそれに習わせて貰う事にする。

一度アトリエに戻って。

体を最低限綺麗にすると、後はごろんとベットに。情けない事だけれど、消耗が極限にまで達していたからか。そのまま落ちて、半日ほど眠ってしまった。

目が覚めると。

体中が痛い。

それはそうだ。魔力を使い切った上に、あんな無茶を散々繰り返したのだから。

皆、似たような状況らしい。

アングリフさんもそうだという事を考えると。

多分肉体年齢が相当に若い、と言う事なのだろう。

皆に追加でお薬を配る。

その後、物資の整理。

一旦わたしのアトリエに格納したドラゴンと獣の残骸だけれど。

ツヴァイちゃんが既に起きだして、在庫を確認してくれていた。ただ、ちょっと深刻なことを言われる。

「ブリッツコアの消耗がひどく、すぐには直らないのです。 ミルクも少し欲しいのです」

「分かった、無理はしなくても良いからね」

「俺が生活用品と一緒に買ってこよう。 野菜類も少し足りなくなっていたしな」

「僕も行きますよ」

レヴィさんが腰を上げて。

カルドさんと一緒に、お出かけに出ていく。

ドロッセルさんには、時間を作ったので、お好きな作業をどうぞと告げる。彼女はしばしきょとんとしていたが。

ああと悟ったようで。

人形劇の脚本に取り組み始めた。

アングリフさんとお姉ちゃんには、ついてきて貰う。

ツヴァイちゃんはお留守番だ。

疲れ切っているだろうし、眠っていて貰うのがいいだろう。アトリエにはドロッセルさんもいるし、心配は無い筈。

レンさんのアトリエに出向くが。

途中でイルちゃんと一緒になった。

げっそりしている。

まあイルちゃんも、またあれほど酷い消耗をしたのだから無理もない。

そして、色々と事実を聞かされた。

「私の内臓、調べて見たのだけれど、年齢標準よりかなり酷く傷ついているようなのよ」

「それでアンチエイジングを?」

「ええ。 内臓の損傷は薬で回復出来るけれど、内臓の加齢まではどうにもならないものね。 だからアンチエイジングの技術を早めに身につけておいて、内臓に掛けた負担をどうにかしておきたいの」

そうか。そうだったのか。

イルちゃんは魔力がかなり高い方だと思っていたのだが。

ひょっとすると、相当に無理して魔力を絞り出していた、と言う事なのだろうか。

わたしの考えを察したか。

イルちゃんは嘆息した。

「私は理論派なのよ。 フィリス、貴方と違ってギフテッドも持っていない。 皮肉な話、魔力もそんなに強くない。 増幅はしているけれど、それでもあのシールドを使うと負荷が本当に酷いの」

「何か、手立ては無いの?」

「今回も可能な限り装備を強化はしたのだけれどね。 それでも、あの有様よ。 シールドも強化して、効率も改善していったのに……まだ力が足りないわ」

悔しそうなイルちゃん。

わたしには、慰めの言葉も無い。

程なくレンさんのアトリエにつく。

先にパイモンさんが来ていたので、礼。そういえばパイモンさんは、アトリエを新しい馬に引かせているようだが。

前に使っていた老馬の孫に当たる個体だそうである。

実のところ、あの馬が最後の旅に同行したがった、というのが真相らしく。

実際には、最初からこの若い馬を使おうと思っていたらしい。

馬は思ったよりも頭が良い。

寿命が近い事を悟っていて。

パイモンさんと最後まで一緒にいたい、と考えていたのだろう。

何だか少し悲しい話だ。

重役達もいるが。

その前に、まずは入手した物資のリストを提出。

ドラゴンの鱗。肉。眼球。無事だった内臓。後は獣の毛皮と肉など。

これらを分配する。

ドラゴンの中には竜核もあった。

これは前にドラゴネアから取り出したものよりも更に巨大で、段違いの魔力を秘めていた。

これらの物資の分配を決める。

鱗の分配が、イルちゃんには多めだが。

これは、事前にイルちゃんから鱗の提供を受けたから、という説明をする。貰った分を返すだけだ。

イルちゃんは等価では無いと一度反論したのだけれど。

いずれまたドラゴンを殺せば良いとわたしが言うと。

黙って、後は何も言わなかった。

今後もわたしは、邪魔なドラゴンを殺すつもりだ。

今回はハンディキャップマッチだった。ドラゴネアよりもそれでも強かったが。いずれ上級の、ハンデ無しのドラゴンとも戦う事になるだろう。

その時の事を考えると。

いずれ素材はどんどん手に入る。

分配について、他に異議を唱える者はいなかった。

続いて、街の動向についてだ。

来る途中見たが、空はもう晴れ始めている。

実は、晴れ間が覗くのは、実に一年以上ぶりだという。

作物についても当然のように実りが悪かったそうだが。

それもこれから解消しそうだ、と言う話だ。

そして、報償として。

フルスハイムから、「勇敢な」錬金術師達に、戦略事業用の資金が支払われるという。

かなりの高額で躊躇ったが。

お姉ちゃんに受け取るようにと言われ。頷くことにする。

これは、労働に対する対価であり。

受け取らないことは却って失礼に当たる、というのである。

なるほど、道理だろう。

それと、余計な事を言い出す重役がいた。

「装甲船は今後もフルスハイムの守護神かつシンボルとして、街のために役立ってくれることでしょう。 それを作る原動力となったフィリスどのは、是非街に留まっていただきたく……」

「いえ、わたしはエルトナに居を構えていますので」

「そうですか、それでは名誉顧問として……」

困ってアングリフさんを見る。

そうすると、耳打ちされた。

「断れ。 利害に巻き込まれる。 今の時点では、利だけを売る事に成功し、貸しだけを作っているが。 此奴らも綺麗な利害だけで動いているわけじゃねえ。 余計な利害は抱え込むな」

「分かりました」

頷くと。

改めて断る。

そうすると、重役は、呆れた代案を出してくる。

「それならば、街の救世主として、銅像を……」

「そんなの作ったら、作った瞬間に爆弾で爆破しますからねっ!」

久しぶりに瞬間沸騰したが。

すぐに落ち着いて赤くなる。

咳払い。

「と、とにかくです。 そんな恥ずかしいもの作らないでください。 それよりも、提案なのですが。 装甲船二番艦を、少し先にもう一度ドラゴンの住処の調査のために。 更に、いずれ強化を施して私的に使用したいんですが、お願い出来ないでしょうか」

「ドラゴンの住処の調査はかまいませんが、更なる強化、とは」

「あれだけの武装があるのなら、普通なら危険すぎてたどり着けない場所に行くのも難しくありません。 幾つかの人跡未踏の地に、あの船を使って行けるかも知れません」

「分かりました。 改造の具体的な設計などが出来たら連絡してください。 それまでは、あの二番艦は一番艦及び他の船の護衛としてフルスハイムで活用します」

レンさんが助け船を出してくれて助かった。

後は、港の整備だ。

竜巻が消えたことで、獣が上がってくる心配は無くなった。

ただ流石に波打ち際は、まだ危ないので。

男衆を使って、今まで汚れ放題だった波止場を綺麗にするという。

それについて、自動式荷車の供給を受けたいというので、わたしは少し悩んだ後、アルファ商会に以前提示された値段を口にし。

相手は受け入れた。

マニュアルつきならば。妥当な値段だろう。

ただしこれは戦略物資だ。

常に護衛がつくようにと念押し。

重役の末席に座っていたオリヴィエさんが頷いた。

後は、幾つか小さな案件を片付けた後。

重要な話をする。

「フルスハイム西、メッヘンへの途上ですが、森があるのを知っているかと思います」

「ああ、あの禁忌の森ですか」

「禁忌の森というんですね。 近場で異常に強力な獣が多数出現しているのを確認しています。 近々調査する予定です。 ひょっとしたら、力を借りることになるかも知れません」

これは半分以上、イルちゃんとパイモンさんに言っている言葉だ。

それと、出来るだけ情報も引き出しておきたい。

「あの森について、何か知りませんか? 邪神か何かがいてもおかしくは無いと思っているのですが」

「邪神については分かりませんが……黄金に輝くドラゴンを見かけたという噂が」

「ゴルドネアね。 中級ドラゴンよ」

イルちゃんが即座に特定してくれる。

中級、か。

手強そうな相手だ。

だが、それだけではあるまい。あんな規模の森、普通に出来るはずが無い。錬金術師が作った後何かしらの理由で放棄されたか、或いは邪神がいるか、だ。

いずれにしても、それで提案などは終わり。

解散となる。

レンさんとパイモンさん、イルちゃんにはアトリエに来て貰い。

リスト通りに物資を分配する。

レンさんは、ドラゴンの素材は初めてだと言う事で、本当に喜んでいた。逆に言うと、このレベルの公認錬金術師でも、ドラゴンの素材は滅多に手に入れられない、と言う事も意味している。

パイモンさんはまぶしそうにドラゴンの青黒い鱗を手にしていたが。

やがて、コンテナに乗せると。また何かあったら声を掛けてくれと、少し若返った様子で言う。

或いは、戦いが若い頃の血気を呼び覚ましつつあるのかも知れない。

イルちゃんには、話通り借りを返す。

「これだとやっぱり質が釣り合わないわよ。 貰えないわ」

「さっきの話覚えてる?」

「どの話よ」

「森の調査の話。 イルちゃんには手伝って貰えると嬉しいなって」

その分も含めての譲渡。

そう言うと、イルちゃんは何故か口をつぐんだ後、そっぽを向いた。

「分かったわ、それならいいわよ」

「うん。 じゃあ、また手伝って」

後は、流れで解散となる。

こうして中核都市フルスハイムは守られた。

ドラゴンに勝てる錬金術師はあまりいない。中核都市にいる錬金術師でさえ、例外ではない。オレリーさんにそれは以前聞かされている。ノルベルトさんにもだ。

だがわたしは、万の人を守りきった。

誇りに思おう。

そう、わたしは。自分でも濁り始めていると分かっている目で。それでも光を見た。

 

4、黒き縁にて

 

二度目に訪れた時も、神殿は静かなものだった。

獣の姿は無し。

トラップも無し。

それを確認した後、ツーマンセルで調査に入る。宝などがあるかも知れないし。場合によっては破壊しておいた方が良いからだ。

あれから試してみたが。

やはりハルモニウムの声が聞こえるようになっている。

具体的には、ドラゴンの鱗の声が聞こえるようになって来ている。

それは確認した。

まだ微弱だが。

その声は他と同じく確実で。

事実、今までとは品質が桁外れのハルモニウムを作れるようになっていた。

だが、ドラゴンの鱗は、そもそも生物素材の筈。

鉱物の声が聞こえるわたしのギフテッドと、どうして合致したのだろう。

それがどうにもよく分からない。

カルドさんが声を掛けてくるので、其方に行く。

眼鏡をなおしながら、カルドさんが模様をチョークで写し取っていた。

「見てくれ。 この模様」

「魔法陣ではなさそうですね」

「古い古い時代の文化だ。 この世界では、一度世界の文化が大変化を起こしているんだが、その前のものかも知れない」

「大変化?」

頷くカルドさん。

標の民の間では噂になっていたらしいのだが。

どうにも妙な言語や文化が、わずかながら痕跡として残っているというのである。

だが一時期を境として。

人間四種族が同じ言葉を使うようになり。

文化もそれにあわせて大きく変わったという。

近年、それに関する画期的な論文が出たとかで。

標の民や、歴史学者の間では騒ぎになったらしいが。

標の民はそもそも、噂でしかそれを確認できていなかったため。完成度の高い論文を見て、涙を呑むしか無かったという。

「情けない話だが、僕が派遣されたのもそういった「失われた文化」の発見のためでね」

「これは、その失われた文化とみて間違いなさそうですか?」

「いや、調べて見ないと分からない。 この神殿は、数日掛けて調査したい」

頷く。

どうせソフィー先生に指定された期日まではまだ時間もある。

次にどんな無理難題を言われるにしても。

それまで、今まで意見をまとめてくれたカルドさんのためになる事をしても、それは悪い事ではないだろう。

カイさんに操船してもらい。

船を何度か湖面に運んで空気を入れ換えながら。

徹底的に神殿を調査する。

カルドさんは偏執的なまでに、気が済むまで調査をした後。サンプルも持ち帰って、それをアルファ商会に渡し、必要分はライゼンベルグにある標の民本部へと転送していた。

これで満足しただろう。

良い論文が書けそうだと、カルドさんは喜んでいたが。

わたしは笑顔で応じつつも。

そうとは思えなかった。

深淵を覗き込む事は。

深淵に覗き返される事だ。

わたしは過去の世界に何があったのかは分からないが、人間四種族が同時に同じ言葉を使うようになる、なんてのがまともではない事だけは分かる。文化も大きく変わったとしたら、そこには何かとんでもないものが干渉したのだ。

例えばソフィー先生や、それ以上の実力者が。

でもソフィー先生はそこまでやっているのだろうか。となると、それ以上の実力者が実行犯の気がする。だとすると、何だろう。やはり、神々の誰か。それも神々の支配者とか、そんな存在ではあるまいか。

わたしはお姉ちゃんに露骨に心配されるようになってきている。

確かにわたしは変わった。

深淵をソフィー先生に無理矢理覗き込まされてから。

何もかもがおかしくなった。

その代わり力も得た。

力の代償はあまりにも大きかった。だが、正直、壊れなかったら、此処までの力は得られなかったとも思う。

同じように壊れてしまわなければ良いのだけれど。

だけれど、「知る事」はカルドさんの夢だ。

わたしに止める権利は無い。

一度、エルトナに戻る。

そうすると、手紙だけが来ていた。

内容は極めて簡素だった。

フロッケに行き、錬金術師キルシェの事業を手伝うように。

署名はソフィー先生のものだった。

そしてわたしが開封したことが告げられたのだろう。

強い魔力が放たれ。

消えた。

そうか、今度はフロッケか。

エルトナの方で少し事業を進め。

更に皆の装備を強化してから出向くことになるだろう。

その途中で、あの森についても、少し調べておきたい。森の中でならば、獣も多少大人しくなる。

戦闘を最初から想定しなければ、ドラゴンもいきなり仕掛けてくる事はないはず。森にダメージを与えることはドラゴンも好まないだろうからだ。

それにしても。

あの神童キルシェさんの進めている事業を手伝う、か。

今度もまた。

厳しい作業になりそうだった。

 

(続)