公認錬金術師試験

 

序、ライゼンベルグ

 

アダレット王国の首都と並ぶ世界最大都市。人口十万を超える人口を持つ世界に二つしか無い都市の一つ、ライゼンベルグ。

そも人口万を超える都市ですら、十程度しかないというこの世界で。

その規模が如何に桁外れなのかは、言うまでも無い。

わたしは歩き回りながら、構造を見ていく。

エルトナの発展の参考にするためだ。

まずライゼンベルグは分厚い外側の城壁が存在していて、その城壁も複層構造になっている。

強力な錬金術の防備で固められており。

上空には街単位での巨大なシールドを展開することが出来るようだった。

ドラゴン単体になら、攻められても防ぎきれるかも知れない。

外側の城壁の内部には、水路と畑、それに森が拡がっている。

内部で完結するための仕組みだ。

水路は非常に澄んだ水が流れているが。

見ると、魚も泳いでいる。

と言う事は、ナマで飲まない方が良いだろう。

この魚も、当然食用として飼われているのだろうから。

彼方此方で牧場も作られていて。

家畜用の動物も飼われている様子だ。

働いている人も多い。

幾つかの道はしっかり舗装されていて、時々馬車が行き交っているが。

わたしが入ったライゼンベルグ西側の扉に向かう馬車は殆どおらず、いたとしても外行きでは無く、牧場や畑に対して物資を輸送しているようだった。また、流石に錬金術の都だけあって、馬車だけではなく、自動で動く荷車も見かけた。

かなり歩いて、内側の城壁が見えてくる。

ここからが、都市としてのライゼンベルグだ。

城門は開放されていて、中には自由に入る事が出来た。というよりも、匪賊が入り込む余地が無いのかも知れない。

見張りはいたが。

公認錬金術師の推薦状を見せると、すぐに敬礼して通してくれた。

話は伝わっているのかも知れない。

そして内部には。

完璧に都市計画が立てられ。

それに沿って作られた。

幾何学的な町並みが拡がっていた。

兎に角巨大。

円形の街の中心にある巨大な建物。イルメリアちゃんがいうには、あれがラスティンの中心部になる庁舎。

一応ラスティンは「街」扱いのため。

王宮では無く庁舎だそうである。

実態は一国だとわたしも思うのだけれど。

ラスティンが連合国としての体制をとるためにも。

王宮などとは、流石に呼称できないのだろう。

一日休むかと思ったが、それも気が進まない。出来るだけ早く、手続きはした方が良い。

庁舎に赴く。

かなり若い女性が、受付をしていた。何だか紅茶の香りがする。

わたしとイルメリアちゃん、それにパイモンさんだけで庁舎に入る。他の皆には、悪いけれど待っていて貰った。

受付の話をして、推薦状を見せると、手慣れた様子で手続きをしてくれる。

名前を記帳していくと。

待っていてと言われて。

代わりに、二十代半ばほどの女性が出てきた。

錬金術師だろう事は、すぐに分かった。

「話には聞いています。 貴方方がライゼンベルグの西のネームドを一掃し、道を行こうとする隊商を片っ端から攻撃していたドラゴンも退治してくれた錬金術師ですね」

「はい。 どうにかぎりぎりでしたけれどドラゴンを退治してきました」

「そうですか。 私はこの街の町長、エーデルと言います。 今回はライゼンベルグの民全員に代わって、私から礼を述べさせていただきます。 ありがとう」

「えっ……は、はい」

ちょっと驚いた。

此処の町長と言う事は、事実上ラスティンの最高責任者だ。

ただ、どうもそうは見えない。

或いは傀儡なのかも知れない。

見栄えが良い人間を表に出して。

裏では老獪な者達が権力を握る。

更に言えば、公認錬金術師はあくまで表の指導者で。

裏で長老達が実権を握っている可能性もある。

ともかく、手続きは済んだ。試験は三日後。わたし達以外にも、同時に五人ほどが試験を受けるそうである。多分東側の道を経由してきたのか、それともディオンさんのように何度も試験を受けている人達だろう。

いずれにしても、公認錬金術師から推薦状を貰っていると言う事は。

戦略事業を行ってきた人達、という事である。

少なくとも、相応の作業をしなければ推薦状はどれも貰えなかった。

或いは、お金で推薦状をばらまいているような公認錬金術師もいるかも知れないが。

わたしが見てきた公認錬金術師は、皆相応の実力は持っていたし。

安易に推薦状を発行するとも思えなかった。

多分ディオンさんだって、その辺りはしっかりやっているだろう。推薦状を忘れていたりはしたが。

それでも、何もしていないような相手に、推薦状を発行したりはしないはずだ。

試験の後、話を色々聞きたいと言われたので。

少し困った後、受ける事にする。

いずれにしても、試験については、対策も何も無い。

今までの旅で培ってきた知識をぶつける。それだけだ。

後は、庁舎を出て。

外に出て、ふと気付く。

誰かに見られている。

振り返ると、すっと横を誰かが通り過ぎていった。

顔を隠しているローブの姿。何処かで見た事がある。

すぐにその姿は消えた。

気付いていたのは、パイモンさんもだった。

「今の、凄まじい魔力を感じたな。 普通の魔術師ではあるまい」

「……ごめんなさい、気付けなかったわ」

「ひょっとして、見聞院本部で会ったかも」

「!」

そうだ。思い出した。

見聞院で空飛ぶ荷車を作る調査をしているとき、何度も見かけた人だ。

凄まじい力を感じたが、此処に出入りしていたと言う事は、錬金術師か、関係者だったという事になる。

多分後者だろう。

錬金術師だったら、堂々としていればいいのだ。

そうなると、あの異常な魔力。

多分錬金術師の仲間として活動している魔術師、となるのだろう。

「それで、どうします? 一旦解散しますか?」

「ふむ、そうさな。 試験までまだ少し時間があるし、おのおの好きにするのも良いだろう。 いずれわしは、試験に合格するまでは戻れぬ。 街を軽く見ておこうと思う」

「私は……」

「イルメリアちゃん、もし何も予定が無かったら、ライゼンベルグのことを教えてくれないかな」

しばし俯いていたイルメリアちゃんだったけれど。

勝手にすればと呟く。

あまり嬉しそうでは無い。

と言うよりも。

やはりこの娘が、嬉しそうにするところを、わたしは見た事がない気がする。

一旦解散とする。

パイモンさんにはお世話になったし。

三人で試験を突破したいものだ。

それに、パイモンさんは故郷が相応に大変な事になっているはず。エルトナとはまた違う方向にある小さな村らしいのだが。公認錬金術師がいないと言うことは、今もどんな危険に晒されているか分からない。

一秒でも早く戻りたいだろう。

それでも焦っていない所を見ると。

やはりパイモンさんも、相応に歴戦を重ねている、と言う事だ。

イルメリアちゃんは多分東側経由でライゼンベルグに来たことがあるのだろう。家族全員が公認錬金術師だと言っていたし。

歩き慣れている。

此処がこう、彼方がこう、と説明してくれる。

見聞院もあった。

せっかくなので寄っていって、情報提供。

ドラゴンの撃破について報告すると、報奨金を少し貰った。パイモンさんに後で分けておかなければならないだろう。

宿については聞いているので、後で届ける事にする。

幾つか興味深い本があったので。

二人で読んでいく。

そういえば。

イルメリアちゃんはどうするつもりなんだろう。

「イルメリアちゃん」

「何……」

「公認錬金術師試験が終わったら、どうするの?」

「そうね。 この間滅ぼされていた村。 あれを復旧しようと考えているわ」

驚いた。

家族の元に帰らないのか。

顔に出ていたのだろう。

イルメリアちゃんは、寂しそうに笑った。

「一家で利権を独占しているような街よ。 公認錬金術師は何処でも足りないのに、唯一余っているような街。 そんなところに戻っても仕方が無いわ。 フルスハイム東にしても、パイモンさんの故郷にしても、公認錬金術師がいなくて困っているのにね」

「やっぱり、いやなの?」

「いやよ。 家族に必ず絆があるとか、そんなのはおとぎ話よ。 貴方たちのように仲の良い家族もいるかも知れないけれど、うちは互いに顔色を窺ったり、街の利権をどう分配するか会議を行ったり。 幼い頃から嫌って言うほどみてきたわ。 あれは血がつながった他人よ」

多分、此処になって安心したのだろう。

それと、わたしを信頼してくれたのだろうか。

堰を切ったように。

イルメリアちゃんの鬱屈があふれ出した。

わたしだって、家族の絆が絶対だなんて信じていない。

うちはたまたま良かった。

だが、家族が崩壊している所も、エルトナでさえ幾つもあった。

閉鎖社会だ。

偏屈者には居場所が無かったし。

無理矢理結婚させられて泣いている子だって見てきた。

エルトナに戻って、今はソフィー先生に任せっきりの発展作業を、わたしが引き継いでからは。

そういった不幸は少しでも減らしたい。

だが、それも何処まで出来るか。

ドラゴンの襲撃にはどう対応する。

何より、街の至近に邪神がいる。

あれは対応を誤ると、せっかくの発展が全部ひっくり返されるはずだ。

ドラゴンとの戦いでさえ、周囲が焦土となったのである。

邪神とやり合ったら、それこそ何がどうなっても不思議では無い。エルトナが丸ごと消し飛ぶ可能性だってあるだろう。

「イルメリアちゃん、手伝おうか?」

「大丈夫。 貴方はエルトナをどうにかしなさい。 試験を終わったら一人前よ。 少なくとも、それぞれ決めたことを一段落させるまでは、あわない方が良いわ」

「……そうだね」

「三日後は、正々堂々勝負よ。 それで試験を受かって、笑ってそれぞれの新しい場所へ行きましょう」

イルメリアちゃんはそう言うが。

まったく笑っていない。

見聞院で適当に読書をして、メモを取った後。

雑貨屋に案内して貰う。

かなり商売上手そうなお姉さんが、色々売っていた。錬金術関連の書物もかなりある。お金はまだあるし、そもそもこういった所でお金を使うのが目に見えていたので、貯金しているのだ。

本を買っていく。

イルメリアちゃんも買っていた。

本はどうやってか同じものを増やしているようなので。

取り合いになる事もなかった。

同じ本を見せてもらうが、ほぼ全く、挿絵などに至るまで見比べても分からない程内容が同じだ。

模写にしては出来すぎている。

「これ、どうやっているんだろう」

「ああ、知らないのね。 活版印刷よ」

「活版印刷?」

「機械技術の一つね。 大きな都市にしか機械技術者はいないけれど、彼ら自慢の有用技術の一つよ」

機械技術と言っても、銃は所詮火力が知れているし、時計は他の手段でも代用できる上に複雑すぎる。

しかしながらこの活版印刷は。

非常に有用だという。

近年「復旧」された技術の一つで。

今後機械技術者は、この技術のために、世界各地で必要とされるだろうと、イルメリアちゃんは言っていた。

昔は彼方此方にあったらしいのだが。

ロストテクノロジー化しており。

標の民の苦労の末あって、復活に成功したのだとか。

そうか、カルドさんの一族が成し遂げたのか。

同じ本をたくさん作れるというのは大きい。しかも労せずして、だ。

本の値段もそれほどえぐくは無い。

元々、エルトナでも本は貴重品で。わたしのうちではお姉ちゃんがいたから本があったようなものだった。

うちに遊びに来る子は、絵本を羨ましそうに見ていたし。

本をいつでも読めて羨ましいと、直接言われたこともある。

この技術。

エルトナに持ち込めないだろうか。

少し考え込む。

カルドさんに相談してみるとしよう。

こういった技術は、一箇所だけにあっても、散逸してしまう可能性があるかも知れない。エルトナは鉱物資源で成り立つ都市だし、機械技術者とは相性が良いはずだ。きっと、好待遇で迎えられる筈である。

機械技術者達の様子を見に行く。

途中、教会の関係者らしいおっとりした女性とすれ違う。紫色の髪を持つ、背が高い女性だ。

長いスカートで足下をしっかり隠していて。

服装は隙が無かったが。

しかしながら、同時にどこか笑顔が得体が知れなかった。

目があった気がしたので、一礼したが。

何だろう。

もの凄い妖気というか、背筋に寒気を感じた。

まるで相手が人ならざる存在のような。

ともあれ、イルメリアちゃんが怪訝そうにしているので、ついていく。

今日はお姉ちゃんも別行動なので。

いちいち過保護にされなくて、少しは羽も伸ばせるのだ。せっかくだから、楽しむとしよう。

食事処があったので、寄っていく。

流石ライゼンベルグ。

あらゆる食材が揃っている。

街の中で魚から牛まで何でも食材が調達できるのだ。

これほどの巨大都市、世界にもう一つしか無い、というのも納得である。

だが、これだけ巨大だと。

ドラゴンや邪神に狙われたのではあるまいかと、心配してしまう。

フルスハイムでさえあの有様だったのだ。

いや、既にドラゴンには、足下を荒らされていたか。

ちなみに、食事はあまり美味しくなかった。

多分味付けが好みに合わないのだろう。

イルメリアちゃんは文句の一つも言わなかったので。

多分都会風の味付けか何かなのだ。

この辺りは、気にしても仕方が無い。

後は、解散して。

わたしはアトリエに戻る。

イルメリアちゃんも、馬車でゆっくりするようだった。

パイモンさんの馬車はない。

どうやら老馬の様子が良くないらしく、医者に診せに行っているらしい。大変な道中だったし、疲弊も溜まったのだろう。

此処は錬金術の都だ。

少しは良い薬があると良いのだが。

後は、残りの時間を、勉強しながら過ごす。錬金術もしっかりやっておく。本を読むだけでは駄目だ。わたしは何度か実践しないと上手くやれないことは、今までの旅で散々理解した。

ハルモニウムを作り込む。

同時に、更に高度な錬金術を行うためのアトリエについても、視野に入れる。

この間のドラゴン戦は、イルメリアちゃんとパイモンさんがいて、ようやく掴めた勝利だった。

イルメリアちゃんは一人前になったら別行動に入るだろうし。

パイモンさんは故郷でやっていく事になる。

つまり、激減した戦力で、ドラゴンとやり合うことを想定しなければならない。

アングリフさんは、しばらくまだ雇うつもりだ。

カルドさんやドロッセルさん、レヴィさんにも側にいて欲しい。エルトナ復旧のためには、手練れの戦士も学者も必要だ。

後は、ツヴァイちゃんも。

エルトナにもホムはいたけれど。複製の錬金術が使えるホムはいなかった。

無理をしない程度に、少しずつ力を伸ばしていけば。きっとツヴァイちゃんはエルトナでしっかり立場を確保できるはず。

それと、新しい家族が増えると言ったら。

お父さんもお母さんも喜ぶだろう。

ツヴァイちゃんはわたしの妹、という立場だろうか。いずれ、さんなんてつけないで、お姉ちゃんと呼んでくれたら嬉しいのだが。

そうなると、わたしの家は。

二人も血がつながらない家族がいる事になる。

それはそれで、面白いのかも知れなかった。

ある程度調合をしたら、早めに休む事にする。

試験の日にコンディションを崩したら本末転倒だ。

ベストコンディションを維持しなければならない。

夕刻。パイモンさんが戻ってくる。

馬については。かなり様子が良くなった様子で、安心した。パイモンさんに見聞院で貰ったお金を渡す。受け取ってくれたパイモンさんは、ある本を手にしていた。

アンチエイジングの錬金術について、と書かれていた。

 

1、試験開始

 

試験当日。

ベストコンディションだ。目はばっちり冴えている。体も絶好調。

お姉ちゃんとレヴィさんが、しっかり食事から何まで管理してくれたのである。過保護な位だが、これくらいでまあいいのだろう。今回ばかりは、受け入れる事にする。でもそろそろ、過保護は何とかして欲しいのも本音だ。妹離れをしてほしいというのも、しっかり言わなければならないだろう。

お姉ちゃんは多分、ノルベルトさんが言っていた通り。

ノルベルトさんを反面教師にしたのだろう。

だからわたしにはだだ甘にしている。

なお、ツヴァイちゃんにも相当甘いが、ツヴァイちゃんはそもそも一人っ子だったようなので。

優しくされてもどうしていいか分からないようで。

むしろ、困惑している姿が目立っていた。

筆記用具など、必要なものについては事前に通達されている。

全てが揃っている事をチェックした後、庁舎に赴く。

パイモンさんが最初に来ていて。次にわたし。殆ど遅れず、イルメリアちゃんが来た。他の錬金術師達も、ぽつぽつと集まって来たようだった。

名前の読み上げが行われて。

わたしの番が来たので、はいと答える。

イルメリアちゃんとわたしには、注目が集まった。

他はみんな大人ばかり。

パイモンさんが最年長のようだが、三十代から四十代が中心の様子だ。

それは、そうなのかも知れない。

錬金術師として、業績を上げないと推薦状は貰えないのだ。

ここに来るまで、何年も掛けている錬金術師もいても不思議では無いだろう。

エーデルさんが来る。

ラスティンのトップが直接試験に関わると言うだけでも。

これがどれだけ重要な試験かは、よく分かった。

案内されて、庁舎の中を歩く。

「何年か前に、年齢一桁の子供が試験に受かったと聞いているが、今年は十代が二人も来ているのか」

「しかも聞いたか、推薦状を五枚、六枚と集めて来ているそうだ」

「そうなると下手をすると生半可な公認錬金術師より実力はありそうだな」

「何、試験に合格定員はない。 気にする事もなかろう」

合格定員とは何だろう。

イルメリアちゃんが、わたしの考えを察したか、耳打ちしてくれる。

「試験の中には、上位何名だけ合格、というものがあるのよ。 この試験は、結果が一定の得点に達すれば合格だから、理論上は全員合格もあり得るわ」

「そ、そうなんだ」

パイモンさんは落ち着き払っていて、周囲に興味も見せていない。

花崗岩のような風格である。

だが、アンチエイジングの錬金術を行うと言うことは。

多分、自分の時間が、成し遂げたいことを成し遂げるためには短すぎると判断しているのだろう。

天寿を全うするという生き方もある筈だが。

しかし、為す事を成せずに寿命が尽きてしまったら、無念だろうし。

アンチエイジングを行うのは、有りかも知れない。

程なく、長い廊下を抜けて、大きな部屋に出る。

これは、アトリエと同じだろうか。

明らかに構造がおかしい。

空間を弄っていると見て良さそうだった。

「それぞれ、指定の席に座ってください」

無言でそれぞれ席に着く。

カンニングを防ぐためか、それぞれの席は仕切りで防がれ。更に、監視をするためらしい目のようなものが上で見ていた。

ペーパーテストを最初に行う、と言うわけだ。

ペンについては試験側が用意してくれる。

インクもである。

開始、の声が掛かった。

かなり分厚い試験用紙だ。

まず一枚目については、三択の問題がずらっと並んでいる。三択か。この形式の試験については、空いている時間にイルメリアちゃんに聞いたとおりだ。だが、内容が色々と厳しい。

例えば、これらの素材の中で、薬効があるものはどれか。

金属に分類されるものは。

そういったものが出ているのだが。

かなり高度な錬金術に使う素材がバンバン出てくる。

つまり、ある程度の錬金術を実際にやっていないと分からないものばかりで。

中には、相当にマニアックな素材も記載されていた。

わたしは彼方此方歩き回って。

図鑑を見ながら採集していったし。

分かるには分かるが。

流石に全ての設問に完璧には対応出来ない。

四苦八苦しながら問題に向き合っていき。一つずつ解いていく。インクは側に置いてある不思議なペンで消す事が出来るので、間違えて回答しても焦ることは無かった。

次のページに。

今度は変質についてだ。

錬金術の秘奥。

存在の変質。

錬金術とは、ものの声を聞き、変質させることによって行う技術だ。この変質について、かなり突っ込んだ質問の問題が幾つも出てくる。

難しいが。

しかしながら、嫌と言うほどやってきた内容だ。

わたしは一回ではなかなか覚えられない。

だから何度も何度も調合をして。

それで感覚として身につけていった。

その感覚を。

文字に起こすのは、相応に大変だが。

それでもやらなければならない。

まず文章をしっかり読み込んで、どんな調合をしようとしているのか頭の中に思い浮かべ。

そして順番に処理していく。

たっぷり時間を取られた。

この変質については、相当なページ数が取られていた。

丸一ページを使った問題もあった。

それもそうだろう。

錬金術の本質に関わる部分なのだ。

多分イルメリアちゃんに聞いた「配点」も高いに違いない。

すらすら解ける問題もあったが。

苦手で、どうしても曖昧になってしまうものもあった。だが、頭を切り換える。できない事はできない。

イルメリアちゃんだって、金属加工はわたしの方が上だと言っていた。

生まれた時から錬金術漬けだったイルメリアちゃんでさえそうだ。

だったらわたしは、始めて一年も経っていない素人。

やれることをぶつけていくしかない。

冷や汗を掻きながら、ペンを走らせ。

そして八割ほど進んだところで。

戦闘に関する試験問題が出てきた。

こういう状況で、どう判断するか。

どう行動するか。

そういった問題だ。

かなり意地が悪い。

純粋に戦略や戦術を聞いてくるとは思わなかった。これは、ひょっとして、今年から追加された問題ではあるまいか。

というのも、ライゼンベルグ西の様子からして。ライゼンベルグの錬金術師達が、戦闘に長けていない事は良く分かる。

もしも人材を発掘するつもりなら。

こうして戦闘に関する最低の知識を欲するのではないのだろうか。

此処はとても簡単だ。

修羅場は散々くぐったし。

獣に墜ちた人間だって殺した。

手は血に染まっている。

この問題は手が真っ赤であればあるほど簡単だと言えるだろう。

そして、事実さっきまでとは裏腹に、すらすら解くことが出来た。頭の中で状況をイメージすれば、どう動けば良いかすぐに分かる。

最後まで行った。

後は、前から順番に再チェックしていく。

ケアレスミスが無いかを徹底的に洗い。

曖昧な問題については脇にどけておいて。

確実な問題は確実に解いていく事にする。

筆記問題はどれも、分かってさえいれば明確な答えが出るものばかりだったので。採点はそれほど難しくはないだろう。

逆に言うと。

曖昧な書き方をして、誤魔化す事も出来ないはずだ。

ベルが鳴る。

まずは、筆記試験終了。

だが、筆記試験だけで終わるとはわたしも思っていない。

実技がこれからある筈だ。

一度、試験の部屋から出る。

わたしとイルメリアちゃん、パイモンさんは平気だったが。

残りの五人は青ざめていた。

「去年までとまるで問題が違うぞ」

「なんで戦闘に関する問題があんなに多いんだ。 戦闘など、傭兵にやらせておけばよいではないか」

「そのような考えだから、ライゼンベルグ西にドラゴンが住み着き、追い払う事さえ出来なかったのではないのかな」

パイモンさんが、慌てている錬金術師達に釘を刺す。

悔しそうに俯く錬金術師達。

どうやら、この人達は。

試験に受かることは無さそうだ。

一旦休憩時間に入る。

昼食が支給される。不正がないようにと、庁舎の方で用意してくれたようだ。

三人で食事にする。

話を聞くと、やはり皆解けた問題については、かなり偏りがあるようだった。

わたしは鉱物関係については殆ど苦戦しなかったけれど。

イルメリアちゃんもパイモンさんも、口を揃えて彼処は難しかった、と言った。

一方わたしが苦戦したところをイルメリアちゃんが簡単に解いていたり。

パイモンさんは満遍なく問題を解いていたりと。

傾向はそれぞれかなり違うようだった。

食事はお姉ちゃんやレヴィさんが作るものほど美味しくは無かったが。

それでも一定の味は確保されていたし。

甘いデザートもついていた。

これは、きっと疲れた頭を回復させるためのものだろう。

有り難くいただくことにする。

食事を終えると、別の部屋に案内される。

其処に試験の結果が張り出されていた。

とはいっても、まだ筆記だけだが。

筆記の時点では、パイモンさんが一位。この辺りは、流石に歴戦中の歴戦、というところだろう。僅差でイルメリアちゃん。その次がわたし。

他の人達はかなり遅れている。

だが、この試験は一定の点数を上げれば突破ということだし。

まだまだ挽回の好機はあるだろう。

続けて、案内される部屋は。

各自違った。

アトリエだ。

庁舎の中にアトリエがあるのか。

声がアトリエの中に響いてくる。

「此処にある用意した材料で、出来るだけ品質が良い爆弾を作ってください。 どのような爆弾を作るかは自由です。 制限時間はその砂時計が落ちきるまで。 複数作った場合は、一番良い爆弾で判断します。 また、魔術を利用した攻撃兵器でも爆弾として判断します。 要するに相手を殺傷破壊する道具を作れば問題ありません。 爆弾を作れなければ、その時点でこの試験は0点となります」

頷く。

妥当な試験だと思う。

荒野を渡って来て、必要だと思ったのは、戦闘のための道具だ。

そして街を守るためにも。

戦闘のための道具は絶対に必要になる。

わたしも当然、たくさん爆弾を作ってきたし。ブリッツコアについては相当に自信だってある。

材料を確認。

品質はそこそこ。

時間と相談しても、ブリッツコアを作れるだろう。

一番最近作った、一番強い爆弾。

それを作るのが当たり前だ。

すぐに水晶を加工し始める。

釜を蒸留水で洗い。

徹底的に条件を整えてから。

ブリッツコアを仕上げていく。

大丈夫。

此奴はみんなと力を合わせたとは言え、ドラゴンさえも仕留めたのだ。あの鉄壁の鱗を吹っ飛ばし。

そして内部を黒焦げにした。

公認錬金術師二人が倒せなかった怪物を撃ち倒した自慢の道具。

絶対にいける。

汗を拭いながら。

感じる。

今までの積み重ね。

そして戦いの数々。

その結果から導き出された最適化。

全てがわたしの力になっている。全てがわたしの力を引き出してくれる。ギフテッドがあるのだ。当然活用する。水晶達はわたしに教えてくれる。もっとこうすると、威力が上がるよ。

だからわたしもそれに答える。

時間はあっという間に過ぎていく。

加工の途中で、何度か失敗しそうになるが。

ブリッツコアは失敗した分も含めて、何個も作っているのだ。

どこをどうすればまずいかは一発で分かる。

勿論此処にあるのは最高の材料ではないが。

それでも充分すぎる程だ。

中和剤を造り。

変質させる。

見る間にブリッツコアが仕上がっていく。

反応を見ながら中和剤からブリッツコアを取りだし。

魔法陣を微調整。

凄まじい魔力がブリッツコアに籠もっていく。これを引き出し、雷撃に切り替えて行くのだ。

仕組みは隅々まで把握している。

時間は。

まだある。

空いている場所を使って、試運転。

無駄に有り余っているわたしの魔力を使って、雷撃を複数連続で発動。火力は室内と言う事でかなり抑えるが、それでも視界が真っ白になるほどの雷撃が迸る。このアトリエはかなり広く作ってあるし、多分作った人も分かっているのだろう。カカシも設置されていたので、丁度良かった。

カカシが消し炭も残さず吹き飛ぶ。

頷くと、鉱物が教えてくれるとおりに、更に細かく微調整。

ほどなく、鉱物が教えてくれた。

可能な限り完璧に出来たね、と。

わたしは、目元を拭う。

ギフテッドである事を、最大限生かすことが出来た。

今度は、わたしが鉱物達に答える番だ。

砂が落ちきる。

鈴が鳴らされた。

「はい、完成品を持って出てきてください。 審査に移ります」

ぞろぞろと、皆アトリエから出てくる。

良くしたもので、パイモンさんは雷神の石・完成型。

イルメリアちゃんは魔剣・完成型だ。

だが、イルメリアちゃんのは、更に強化が加えられている様子だ。どうやら相手にぶつかった後、高熱を発して焼き切る仕様にした様子だ。鉱物が教えてくれる。

「イルメリアちゃん、手を加えて大丈夫?」

「ええ、威力は実験済みよ」

「いつの間に……」

「ドラゴン戦では、私は壁役だったから。 その後に、相手に致命打を与えるための道具を、色々考えていたのよ」

少し暗い笑みを浮かべるイルメリアちゃん。

他の錬金術師達は、オーソドックスなフラムやレヘルンなどを作っていた。一人、かなり複雑そうな爆弾を作っていたが。あれは初めて見る。多分、オリジナルの強力な爆弾だろう。

それぞれの完成品をテーブルに置き。

使用方法を記載。

その後、離れて見ている。

現れたのは、あのフードの人だ。

確かに錬金術の道具は、魔術師でも使えるが。あの人は、試験官だったのか。

部屋の奥から、巨大なぷにぷにが出てくる。

どうやら戦闘力をオミットした個体らしい。

巨大なだけで、敵意もなく。

触手もなかった。

「あら、可愛いわ」

「殺気がないものね」

「小型化改良すれば、ペットに出来るかもしれないわね」

「ペットかー」

苦笑い。

流石にその発想はない。

というか、ペットというもの自体を、わたしはエルトナの外で初めて見たのだ。つまり、ペットを飼う余裕さえ、エルトナの民には無かったのである。

フードの魔術師が、一つずつ試していく。

ブリッツコアを発動したとき。わたしが使用した時の何倍も強烈な雷撃がぷにぷにを襲い凄まじい爆音と共に木っ端みじんに消し飛ばした。

どうやら此処とぷにぷにのいる空間は錬金術で壁のような処置がされているらしく。

爆風が来る事もなく。

破片も飛んでこなかった。

「火力は凄まじいが、放熱にまだ課題がある。 オーバーヒートが掛かると破損する可能性もある」

講評をわざと聞こえるように言いながら、採点が行われる。

続けてパイモンさんの雷神の石。

此方も、わたしのに負けない雷撃が、新しく連れてこられたぷにぷにに叩き付けられる。

複数出るわたしのと違って、一撃だが。

その火力は、わたしが見たものよりも更に上がっているようだった。

「威力は先のブリッツコアに落ちるが、安定性が抜群だな。 ただし魔力の消耗はより激しい。 手練れの魔術師でないと、使いこなす事は不可能だ」

これも、鋭い指摘。

そして、間違っていない指摘である。

イルメリアちゃんの魔剣。

これも、回転しつつぷにぷにに襲いかかり。

一瞬で残骸も残さず焼き切ってしまった。

手元に戻ってきて、大人しくなる魔剣を見てから、ローブの人は採点する。

「良く出来た道具だが、大物を相手にするには少し火力が足りないな。 かといって使い捨てにするには高価すぎる。 剣そのものを大きくするか、副次効果で色々な魔術をたたき込めるようにすると良いだろう」

これも正しい指摘だと思う。

イルメリアちゃんは唇を引き結んだまま頷いていた。

次は複雑そうな爆弾。

ぷにぷにに叩き付けられると、一瞬置いて多重爆発した。

火力は申し分ない。

錬金術師は満足げだったが。

フードの魔術師は、鼻を鳴らす。

「手間と構造の割りに火力が足りない。 ごてごて色々つけている余裕があったら、火力を洗練するといいだろう」

一刀両断である。

だけれど、わたしは今の爆弾、悪くないと思った。

覚えておく。

いずれ何かに使えるかも知れない。

更に他の人達のフラムやらも使われた。

だが、どれもこれも酷評されて。あまり良い評価は出なかった。

まあ、傍目から見ても、大型の獣や、ましてやネームドには通じそうにもない。かろうじて、あのびっくり爆弾が効きそうなくらい、だろうか。

少し待たされて。

試験結果が張り出される。

今度はわたしが最高得点。次がパイモンさん。そしてイルメリアちゃんは、最下位だった。

さっきの得点とあわせると、イルメリアちゃんが最下位だが、まだまだ僅差。わたしとパイモンさんは横並びになった。

他の五人は、ペーパーテストの結果もあわせてどっこいどっこいの良いとはとても言えなさそうな結果になっている。

まだ試験は続くはずだが。

五人はどうも顔色も良くない。

休憩時間が設けられ。

食事も出た。

この後、もう一つ試験があるらしい。

それで結果が出るそうだが。

これならば、余程の失敗をしない限りは大丈夫だろう。

そういう楽観的な予想もしてしまった。

だが、それでは駄目だ。

そもそも此処はスタートラインに過ぎない。

この試験を突破して。

エルトナに戻って。

鉱山に閉じこもって暮らす生活をしている人達を、陽の光が浴びられる場所に出してあげる。

そして外敵からも守れるように、準備を整える。

ソフィー先生にいつまでもおんぶに抱っこではいけない。

このままでは、そうなってしまう。

気を引き締める。

そして、夕食が出たことから。

この試験は、真夜中まで掛かる事を察した。

分かってはいたが、相当体力的にも厳しい試験だ。パイモンさんは平気な顔をしているが、これは体力が無い人には厳しいだろう。なお、錬金術の装備品はつけてきても良い事になっているので、それは助かる。

わたしとしても、最近はこれらがあって当たり前、の状況が続いていたし。

あればあらゆる意味で便利だからだ。

休憩が終わった所で。

また別の錬金術師が来る。

神経質そうな、男性の錬金術師だった。ヒュペリオンと名乗ったが、イルメリアちゃんが小首をかしげている事から考えて、有名な人ではなさそうだ。

「此方に。 最後の試験を行います」

連れて行かれるのは、長い廊下の先。

この庁舎、本当に広い。

内部の空間も、やはりわたしがソフィー先生に貰ったアトリエ同様、相当に弄くっている。

これだけの事が出来るなら。

総力を挙げれば、あのドラゴンだって倒せたはずなのに。

ノルベルトさんの話を聞く限り、あいつは十年以上も放置され。それで多くの犠牲者が出た。

グラオ・タール周辺が匪賊の聖地と化す事だって、これだけの技術を適切に使っていたらなかっただろう。

それを考えると、苦虫を噛み潰すような不快感しか無い。

それでも今は。

分かり易い力の持ち主としての、公認錬金術師にならなければならない。

矛盾だらけの社会であっても。

わたしは其処を少しでも変えなければならないし。

変えるためには力がいるからだ。

歩きながらふと思う。

そういえば、わたしは。

なんだかんだ言いながら、悉く力で解決してきた気がする。

言葉は獣たちには通じなかった。

ツヴァイちゃんだって、わたしがエルトナにいる小娘のままだったら、養う事なんて出来なかっただろう。お金を持ち、戦略的な影響力を持つ錬金術師で、周囲には支えてくれる人間がいたから。その人達だって、お金がなかったら、わたしの側にいてくれはしなかった。お姉ちゃんは話は別だろうが、わたしとお姉ちゃんだけでエルトナから此処までたどり着けるわけも無かった。

力、か。

やはり、力はもっともっと必要だ。

ソフィー先生に相談しておきたい。

今になって思うと、ソフィー先生はとても恐ろしい。

でも、その恐ろしいまでの力があるからこそ。あの人は、一瞬であらゆる全てを変える事が出来るのだ。

自分の力で。

わたしもそうならなければならない。

害なす最悪の獣である匪賊共はこの世から駆逐し。

災害を引き起こす川は整備し。

邪魔な岩山は丸ごと崩し。

橋が無いならいっそ埋めてしまう。

そして立ちふさがるドラゴンは撃ち倒す。

そうすることで、わたしは。

ここまで来た。

更に、この先に行くには。

もっともっと多くのものを、力で解決していかなければならない。錬金術は力そのものなのだ。

わたし自身は決して強くは無いと思う。

火力は出せても、体が強いわけではないから、誰かに護衛を受けなければひとたまりも無く倒されてしまう。

錬金術の装備で極限まで身体能力は上がっているから、匪賊の二人や三人程度に負けたりはしないが。

それでも、まだはっきり思う。

この程度では。

力は足りないと。

案内された先には、広い何も無い部屋があった。天井も高い。不自然に奥行きも広い。そこで、神経質な錬金術師は向き直る。

「それでは最終試験。 実戦検定です」

どよめきが上がる。

わたしは、むしろ望むところだと思った。

 

2、力で掴み取るもの

 

実戦検定は、かなりの点数配分が為されること。

更には、実戦を想定した戦いが行われる他、戦闘の勝ち負けだけでは無く内容を評価すること。

それらが告げられると。

明らかにわたしとイルメリアちゃんとパイモンさん以外の五人は逃げ腰になった。

この人達は。

外で獣と戦ってこなかったのだろうか。

「ただし、錬金術師は単独で必ずしも戦闘力を発揮できるとは限りません。 更に、試験で貴重な人材を損耗するわけにもいきません」

薄笑いを浮かべている試験官の錬金術師。

神経質そうと言うよりも。

何だか何もかもにも厳しい印象を受ける。

「一人ずつ、これから幻影と戦って貰いますが、それはあくまで作り出した幻影の世界で、です。 実際に命を落とすことはありませんので、ご心配なく」

「……」

青ざめている五人の錬金術師達。

あの人達も推薦状を貰ってきただろうに。戦略事業の中には、当然実戦もあっただろうに。

今更何を尻込みしているのか。

順番に呼ばれる。

あまり試験での現状の成績は関係無いようだった。

最初に呼ばれたのは、五人の中の一人。

魔法陣が床に描かれ。

その中に進むと姿が消える。

しばしして。

戻ってきたその人は、真っ青になっていた。

錬金術師が採点している。

あまり良い点数が出たとは思えない。

次に、イルメリアちゃんが呼ばれる。

頷くと、彼女は魔法陣に。

戻ってくるまで、時間はそれほど掛からなかった。だが、かなり疲れているようだった。

「互いに会話は禁止です。 試験の内容を話されては困りますので」

声を掛けようとしたわたしの機先を制するように、試験官が言う。

誰にでも厳しいという雰囲気を纏っているこの人は。

どうやら相当な歴戦の錬金術師らしい。

でも妙だ。

何というか、この人は、どうもこの場に馴染んでいないように思える。

というよりも、そもそも試験を何回か受けている可能性がありそうな五人の錬金術師達が、こんな話は聞いていないという顔をしている様子からして。

今年から、試験は大幅に変わった可能性が高そうだ。

続けて、二人連続で、五人組の錬金術師が呼ばれ。

それほど長い時間を掛けずに戻ってくる。

次はわたしだ。

頷くと、魔法陣に進む。

わたし自身はそれほど強くないけれど。

戦闘そのものにはある程度慣れた。

最初は兎にさえ腰が引けたけれど。

この間はドラゴンを倒した。

とどめの一撃はわたしが叩き込んだ。

今更、こんな命を奪われる事も無い程度の試験で、何か困る事などあるだろうか。怖れる事などあるだろうか。

魔法陣に踏み込むと。

いきなり周囲の景色が代わる。

異常な音が響いていて、それが嫌でも頭をきりきりと締め付けてくる。

空気も薄い。

フロッケ村に出向いたときよりも、ずっと薄いと感じた。

更に言えば寒い。

なるほど、最悪の環境での戦闘か。

杖を握り直す。

杖での打撃でも、人間の頭くらいなら、軽く叩きつぶせる自信はある。

つるはしを持ってきていないから、岩を砕くのは一手間いるが。

それでもどうにかするしかない。

足下がはっきりしてきた。

泥沼だ。

足場も悪い、というわけだ。

そして、奥から歩いて来たのは。

鎧を着た人影だった。

ハルバードを手にしている。ただ背そのものは小柄で、どうもわたしと同年代の女の子のようだった。

しかし、わかる。

普通の獣より多分強い。

幻影だというから、遠慮はいらないが。

道具も何も持ち込めていないこの状況。

戦う方法は限られている。

不意に声が響いた。

「相手は幻影です。 何をしてもかまいません」

「わかりました」

すっと、杖の先を降ろす。

同時に、顔も兜で隠していて分からない、フルプレートの鎧を着込んだ人影が。足下が泥沼にもかかわらず、残像を作って動く。

鉱物の声は聞こえているから、どこから来るか分かる。

降り下ろされるハルバードを、振り返り、跳ね上げるようにして杖で弾く。

思ったほどパワーはない。

錬金術の装備で強化しているとは言え、わたしも獣とそのままやり合う自信は無い。本当に強い戦士なら、ただの鎧とハルバードで武装しているだけでも、充分にわたしなんかより強いだろう。だが、この戦士は見かけと裏腹に速いだけ。パワーも獣ほどではない。

この幻影は、或いは。

弾きあったあと、再び幻影が仕掛けてくる。

下段からハルバードを振るい。

泥を蹴散らしながら、抉りあげてきた。

わたしは態勢を低くしてその一撃をかわすと、腹を抉るように横殴りの一撃を叩き込むが、それをハルバードで止められる。

だが、相手がよろめく。

更に追撃。

詠唱していた魔術をぶっ放す。

相手の足下が、派手に噴き上がり。鎧姿の戦士が蹈鞴を踏んで下がる。

踏み込みながら、わたしは杖を突き出し、腹を突く。

完全に転んだ相手に、そのまま躍りかかり、杖を降り下ろすが。ハルバードで受けられる。だが、相手の鎧を踏みつけながら、更に何度も杖を降り下ろす内に、抵抗が少しずつ弱まっていく。

杖を振るいながら詠唱を続行。

そして、詠唱完了と同時に、跳び離れた。

相手も残像を作って離れる。

だけれど、分かっている。

居場所は、鉱物が教えてくれる。

思うにこの空間、幻影なのはあの相手だけで。

それ以外は、外と同じルールで動いていると見て良い。

だから、躊躇無くやる。

真後ろ。

頭をかち割りに来る相手を。

左右から飛び出した土砂が、押し潰していた。

泥と言っても相当に重い。

強烈な質量が掛かった結果、相手は身動きできなくなる。わたしは振り返り様に、兜に杖をフルスイングで叩き込んでいた。

首が折れる手応えがあり。

そして幻影は消えた。

「一次試験終了。 続いて第二次試験に入ります」

「休憩は……」

「開始です」

有無を言わさず、いきなり周囲が切り替わる。

今度は草原だ。

美しい花々が咲き誇る、こんな所があったらいいなあと思わされる場所。幻影といえど、此処では今と同じ戦術は使えない。荒野が基本のこの世界。こんな貴重な場所を傷つけるわけにはいかないのだ。

更に言えば、魔力も残りが少し心許ない。

今みたいな大技をぶち込むのは難しいだろう。

気付くと。

のしのしと、歩み寄ってくる影。

獣だ。

かなり大きい。

四つ足のそれは、多分牛の一種だろう。来る途中で見た家畜の牛や、野生の牛とも違う品種のようだが。

わたしを見ると、態勢を低くして、唸り始める。

何だかちぐはぐだ。

もしも普通の牛だったら、角を振るい上げて威嚇し。

それでも去らないようなら突進してくる。

わたしは、ゆっくりと下がる。

周囲を見回すが、一面の草原だ。

此処での戦闘は避けて、戦闘できる場所を探すべきだろう。

そう判断した。

何より、あれとまともにやり合って、勝てる気がしない。

やりあってみないと分からないが、パワー勝負をあれとするのは愚の骨頂だ。さっきの重武装なのに速い一方パワーはどうという事も無い、などというちぐはぐな相手とは、違う。

幻影、ではあるのだろうが。

いずれにしても、距離を取って様子を見るべきと、わたしは判断。

ゆっくり、ゆっくり相手の目を見ながら下がる。

話しかけたりするのも効果的だが。

今は相手が、距離が近いことで興奮している。

下がることで、敵意を見せず。

更に背中を見せないことで、隙も見せない。

かなり距離を取ることが出来たが、相手はまだ此方をじっと見ている。どうやら、相手もこの世界の理は理解しているらしい。

草食獣でさえ、必要最小限の植物しか食まない世界なのだ。

こんな貴重な草原を踏み荒らすなど、論外である。

あの凶悪なドラゴンでさえ、森は焼かないのである。

呼吸を整えながら、相手の射程圏内から逃れたことを確認。

同時に、相手も視線をそらし。

草を食べ始めた。

「其処まで。 二次試験は終了です」

「……」

「続けて第三次試験に入ります」

また、いきなり景色が切り替わる。

荒野。

側に倒れている人。

同時に、もう少しで倒せそうな猛獣。恐らくは、熊の一種だろうが、体がちょっと細長い。見かけが似ているだけで、違う生物かも知れない。

猛獣の側には食い荒らされた死骸。

なるほど、試験の意図が少しずつ読めてきた。

わたしは躊躇無く地面に手を突くと。

残りの魔力をフルに使って、猛獣を鉱物で押し潰し、有無を言わさず抹殺した。

大量の鮮血を吐き出しながら動かなくなる猛獣は良い。

倒れている人を確認。

脈を測り。

呼吸をしているかを確認する。

かなり呼吸は弱くなっている。

側にある荷車から、幾つかの薬を取り出す。

どれが何の薬か、書いてある。見た感じ、薬の種類についても、嘘は書いていない様子だ。

順番に処方していく。

嫌と言うほど、これまでの旅路で手当はして来た。

どういう薬を、どういうときに、どういう風に使うか。

それは体に叩き込んでいる。

しばしして、倒れていた人が目を覚ます。そういえば、特徴が全く無い戦士で。性別もよく分からない。

恐らく、試験の性質上。

どうでもいいから、なのだろう。

「う……あ……」

「そのまま横になっていてください。 応急手当はしました」

鉱物が警告してくれる。

敵意有りと。

立ち上がり、見る。

向こうから、数体の獣が迫ってきている。

いずれもが、敵意を剥き出しにしていた。

動きは速くないが、この人を担いだまま逃げても、確実に追いつかれる。ましてや側に既に食い荒らされた死体がある。

人間の味を覚えさせるわけにはいかない。

魔力はすっからかんだが。

やるしかないだろう。

薬は、どれも医薬品ばかりだった。

戦闘に使えそうなものはない。

ならば。

呼吸を整えると、叫びながら突貫。獣はどれもそれほど大きくない。試験の仕組みが分かった以上、一切合切遠慮する必要もない。

いきなり突撃してきたわたしに対して、獣共が驚いて、一瞬止まった瞬間。

一匹の頭に、杖を降り下ろす。

降り下ろした杖は、頭を砕くまではいかなくても、獣を驚かせ、悲鳴を上げさせるには充分だった。

他の獣は飛び退き、威嚇の声を上げるが。

わたしは叫ぶ。

「さっさと去りなさい!」

更に、杖を振るって、近づこうとする一匹の鼻先を抉る。

ギャンと情けない声を上げた獣が、飛び下がる。

顔面をまともに殴られるよりも、こうやって一部を抉られる方が痛かったりするのである。

相手がわたしを囲もうとするのを、鉱物の声を聞きながら、丁寧に回避しつつ下がる。

背中を見せれば飛びかかってくるだろう。

そうはさせるか。

一匹が、気を引くためか、前に出てくる。

だがフェイントが見え見えだ。

足下の石を蹴りつける。

鉱物が教えてくれたとおり蹴ったから、強烈に相手の目に直撃。

そしてそのままの勢いで踏み込み、左から飛びついてきた一匹に、杖でフルスイングの一撃を叩き込む。

首が折れる手応えがあった。

更に、今の瞬間に背中に回ったもう一匹が飛びついてくるが。

横っ飛びに逃れて、跳ね起きる。

一匹を失った事で、獣たちは手強いと判断したのだろう。

負傷している個体も出ている。

やがて、獣たちは唸りながら下がりはじめ。

そして逃げていった。

呼吸を整える。

負傷者の所に戻った後。状態を確認。

まだ意識は戻っていない。

しばらくは、此処で魔力の回復を待った方が良いだろう。

刃物があったのなら、今倒した獣を捌いて、焼いて食べる所だったのだが。残念ながら今回は試験と言う事で持ち込んでいない。

そもそも、火を熾す手段が無い。

枯れ木の類も無いし。

火種もないからだ。

ほどなく、戦士が目を覚ます。

声を掛けると、状況は理解しているようで、無言で頷いた。

後は、既に亡くなっている遺体を荷車に乗せると、その場を離れる。獣に荒らされると人間の味を覚えさせてしまう可能性があるからだ。

それはいけない。

ただでさえ人間に対して攻撃的な獣に、人間の味を覚えさせるのがどういうことなのか。

それはわたしも、散々思い知らされている。

ほどなく。

幻影は全て消えた。

「試験終了です。 お疲れ様でした」

さっきの部屋に、いつの間にかいた。

続けてパイモンさんが呼ばれて、魔法陣に消える。

採点している試験官は仏頂面で。

最後の一人が終わるまで、表情一つ動かさなかった。

 

試験結果については、明日受付で発表すると、最後の人が終わった後、通達される。

ため息をついた後、庁舎を出た。

外は夜中だった。

夜食は流石に出ない。

というわけで、イルメリアちゃんとパイモンさんと一緒に、食堂に出向く。試験結果は明日だと言う事だし、どうせ今すぐ帰っても仕方が無い。イルメリアちゃんが教えてくれたお店はちょっとお高かったけれど、これだけの試験の後だ。ちょっとくらいの贅沢はかまわないだろう。かなり頭を使ったし、夜食はとっておきたい。

それに戦略資金には手をつけていない。

お高いとはいえ、それはあくまで生活費での話であって。

今わたしがエルトナ発展のための資金として考えているお金は、手つかずなのだ。

「最後の試験、どうでした」

「最初は鎧姿の相手だった。 次は花畑での戦闘回避。 最後は負傷者を守りながらの持久戦、だったな」

「……」

「どうしたの、イルメリアちゃん」

今までの試験と、聞いている内容が違いすぎる。

そうぼやくイルメリアちゃんに、やはりと返した。

あの五人の錬金術師、どう考えても試験傾向を知っていたはずだ。だからこそに、毎度試験ごとに青ざめていた。

つまるところ、今回から試験の内容がまったくという程違うものになったのだ。

「わたしの試験と同じですね。 パイモンさんは雷撃で突破したんですか?」

「うむ。 だが、かなり雷撃を当てづらくて困った」

「私も堅くて困ったわ」

あれ。

ひょっとして、わたしの身体能力、思ったより上がっている。

わたしの時はそれほど堅くなかったことを告げると、二人は考え込む。わたしが贔屓されていると言う事は無さそうだし、どうしてなのか、というのだろう。

「試験の内容的に、緒戦は相手の見かけによらない戦闘力の見極めと対応、次は戦闘を行うべきかどうかの判断、最後は状況に応じたとっさの対応を求められているものだと思うが……いずれにしても、豊富に実戦を積んだ相手を想定した試験であったな」

「今後、公認錬金術師試験が全てこうなるとしたら、かなり厳しくなるでしょうね。 今まで研究専門を自称する公認錬金術師もかなりいて、ライゼンベルグには特に多かったらしいのだけれど」

「そういえば、そういう人ばかりになって、ドラゴンに対して弱腰になった、って話だったね」

「もう一つ弊害もある」

パイモンさんが、仔牛のローストをつまみながら言う。

年老いた錬金術師であるパイモンさんだ。

わたしとイルメリアちゃんよりも、色々な闇を見てきているのだろう。

「何人か見たが、戦闘を前提とした錬金術を、野蛮と言って毛嫌いする錬金術師も実在している。 中には薬さえ作りたがらない者までいる」

「えっ……」

「事実よ」

イルメリアちゃんが言うには、両親の内母親がそうらしい。

そして、更に付け加えるパイモンさん。

「そういった者達は、独自の派閥を造り、特定分野での利権を独占しているとも聞いている。 恐らくは、ドラゴン狩りに反対し、被害を大きくしたのはそやつらだろう」

「そんなの……その人達以外の、多くの人には何の利も無いじゃないですか!」

「フィリス、声が大きいわ」

「だって、イルメリアちゃん、あの村を見たでしょ! そんな利権のために、あの村にいた人達は……!」

パイモンさんも、落ち着けと静かに言う。

わたしは、久々に瞬間沸騰したことに気付いて。そして、席に着き直した。

「そもそも私の父は、その派閥の利権が欲しくて母と結婚したのよ。 ライゼンベルグでのコネも目当てでね」

「……!」

「結果、うちの家族は全員が公認錬金術師。 兄たちに至っては、両親から推薦状を貰って試験を受けた程よ」

イルメリアちゃんは口惜しそうに言う。

イルメリアちゃんがそんな事をしていないのは分かる。

そして、家族を恥と思っている事も。

スープが出てきたので、啜る。

ちょっと味付けが薄すぎる。

多分上品な味付け、と言う奴なのだろうが。

わたしには、あまり好みじゃ無かった。多分子供舌なのだろう。でも、別にそれでかまわない。

いずれにしても、明日でこの三人は一旦解散だ。

気があうチームだし、今後も仕事で連携したいとは思うけれど。

それはそれである。

互いにどうするつもりなのかは分かっているし。

連絡方法も確保している。

イルメリアちゃんはライゼンベルグ西の村の復興。

パイモンさんは故郷に戻るが、エルトナとは方向がかなり違う。

いずれ会いに行くとしても。

しばらく先だ。途中までは旅をするが、利害は既に離れたのである。

一応、聞いておく。

「パイモンさん、アンチエイジングは何とかできそうですか?」

「うむ、わしはな……」

「老馬は、無理そうということですか」

「残念ながらな。 だが、良い馬医者を見つけた。 多分、村に戻るくらいまではもつだろう」

そうか。

それならば、良かった。

あの馬は、パイモンさんを良く信頼しているのが分かったし。きっと故郷で死にたいことだろう。

そのまま、流れで解散となる。

アンチエイジング、か。

わたしはまだそんな事、考える必要もない。

だけれども、もしもこの世界を変えるのなら。何十年も掛けてやっていかなければならないだろう。

その時には、アンチエイジングをしっかりしなければ。

いずれ頭も鈍る。

腕だって。

鉱物の声も聞こえなくなっていくかも知れない。

どんな才能だって、死ぬまで残り続ける何てことは無いのだから。

アトリエに戻る。

既に夜遅いこともあって、ツヴァイちゃんは寝かされていたけれど。

夕食は食べて帰ると告げていたこともあって、冷めたご飯が待っているようなことはなかった。

お姉ちゃんはどうだった、と聞いて来たので。

明日分かる、とだけ答えた。

一晩、静かに過ごす。

焦燥感はない。

多分パイモンさんやイルメリアちゃんもその辺りは同じだろう。

やれることはやり尽くした。

試験で心残りがあったのなら、焦燥感で眠れなかったかも知れない。

だけれどわたしは。

イルメリアちゃんも。

パイモンさんも。

それはない。

見ていて、食事を一緒にして分かった。

みんなそれは理解している筈だ。だから、結果がどうであろうと悔いはない。

その日は夢も見なかった。

 

3、試験終わりて

 

早朝。

庁舎に出向く。出来るだけ、早い時間に結果を確認したかったからである。

出向いた結果は、明らかすぎる程だった。

試験結果が張り出されている。

合格者は三人。

トップの合格はパイモンさん。二番がわたし。最後がイルメリアちゃんだった。

配点についても書かれているが、三人とも僅差だったので、あまり結果に違和感は感じない。

三つ目の実戦試験に入る前に殆ど三人とも横並びだったし。

何よりも実戦試験で一番手間取りそうだったのがイルメリアちゃんだった。

配点についてチェックする。

実戦に関しては、パイモンさんはほぼ満点。魔術師として、雷撃という汎用性が高い能力を得意としているだけのことはある。雨雲の石も、雷神の石も、そもそも雷撃の魔術が得意だから、それを応用して作ったらしいので。まあ妥当な結果だろう。

他にも歴戦の魔術師であるパイモンさんは、普通に戦っても強いはず。色々な魔術を習得していたし、納得である。

年老いている事はマイナスではあるが。

パイモンさんはその老いを力に変えた人なのだ。

途中からとはいえ、この人と此処まで来れたのは良かった。尊敬できる老人と一緒に旅を出来たのは良い経験になった。

わたしは、何カ所か減点されていた。

まず鎧の相手との戦闘の時。

相手を無力化する手段で消耗しすぎていることを減点されていた。

これに関しては、確かにもっと色々な手があったと今になって思う。

次に戦闘回避の所で。

回避については、どうせ相手も獣なら、草原を踏み荒らすことは無い。なので、考えるまでもなく、さっさと距離を取るべきだった、と少し減点されていた。

最後は減点無し。

模範的な対応だったと書かれている。これは嬉しかった。

イルメリアちゃんが来て、じっと結果を見ている。

だけれど、不満を口にすることは無かった。

その後、合格者三人に対して、研修が行われた。一週間ほど掛けて、公認錬金術師に出来る事を教わり。更に印鑑も貰った。

推薦状の書き方。更に推薦状を書くときにやってはいけないこと。

色々教わる。

基本的に、推薦状は、後付けでは発行してはいけない。これは前にもディオンさんの所で聞いたが、本当らしい。

更に、金を貰って推薦状を発行した場合は、公認錬金術師の資格は一発停止となる。これらについては、印鑑に監視機能が仕込まれているそうで。遠隔での監視が常に行われているそうだ。

公認錬金術師はアルファ商会の支援を求める事が出来るが。あくまで支援を求められるだけであって。アルファ商会にはどのような戦略事業を行うのか、実際の使途を全て説明し、成果を見せなければならない。

また、公認錬金術師は、常に錬金術を良き方法に使わなければならない。

幾つかの禁じ手について説明される。

その最たるものが、多幸性と依存性の強い薬物の作成と販売。アルコールは作成して良い濃度が決められていて、売るのにも制限があるという。細かい指標や見分け方についても規定が色々あって、ハンドブックまで渡される。

特にアルコール含めて依存性のある多幸性薬物販売の規則は重要で。破った場合、即座に公認錬金術師の資格を剥奪どころか、処刑だという事だった。

なるほど。それはそうだろう。

依存性の強い邪悪な薬物は、それこそ匪賊が売るような代物だ。

あんなものを作るような錬金術師は、その偉大な力をドブに捨てているも同然。

世界を変えるための力を。

世界を悪くするために用いるような錬金術師に、生きる資格は無い、というのも当然だろう。

更に、医薬品を販売する場合の価格設定。

爆弾を作成する場合の注意など。

細かい授業が続く。

ドラゴンに対応する場合、近隣の集落とどう連携するか。

邪神が現れた場合の報告義務など。

様々な細かい取り決めの他。

新しい発明をした場合、レシピをライゼンベルグに納品すると報奨金が支払われる、というのもあった。

更に公認錬金術師になると、見聞院本部にある書物も、全て閲覧できるという。

なるほど。制限が多い分、特権もかなり多いと言うわけだ。

早速、わたしは自分のオリジナルのレシピを納品する。かなりのお金が貰えたので、これは嬉しい。

勿論自分のものに使うつもりはない。今後の戦略事業に生かすのだ。

ブリッツコアは特に良いお金になった。

試験の時に実際の効果がお披露目されているので。その分も含めてのお金だろう。

パイモンさんも、雷神の石・完成型のレシピを同じように納品して。故郷の発展のために生かすようだった。

講習が終わる。

さて、これでライゼンベルグにもう用は無い。

だが、途中まではイルメリアちゃんともパイモンさんとも一緒に行こう。

そう思って、庁舎を出た瞬間だった。

周囲が暗くなる。

体が動かない。

気付くと。

わたしは、一人。

小さな狭い部屋にいた。

 

見回すが、ランタンの明かり以外何も無い。

煉瓦によって作られた部屋のようだが。十人も入れないほど狭い。

何が起きた。

混乱するわたしの前に。凄まじいまでに、強力な気配が近づいてくる。その気配を、わたしは知っていた。

体が動かない中、生唾を飲み込む。

炸裂するようなその気配が壁の一角にある扉を開く。

そして、姿を見せたのは。

他ならぬわたしの大恩人、ソフィー先生だった。

笑顔を浮かべているのに、どうしてだろう。フルスハイムで別れて以降、会っていないのに。懐かしさとか、嬉しさとかをまったく感じない。なんでだろう。恩人なのに。最大の恩人の筈なのに。

分かった。この気配、あのドラゴンの、何十倍、いや比較に出来ない程強い純粋な「力」そのもの。そして、その気配は、明らかにわたしの首元に手を掛けている。その気になれば、即座に殺せる。首を折るどころかちぎり取ることも出来る。そういう気配だった。

これでも散々実戦はこなしたのだ。これくらいは分かる。

優しい、だけれど怖気しか走らない笑みを浮かべながら、ソフィー先生は言う。

「久しぶり、フィリスちゃん」

「ソフィー、先生……!? 此処は……」

「ちょっと用事があってね。 時間を止めて此処に連れてきたの。 何、用事が終わったらすぐに帰してあげるよ」

時間を、止めた。

嫌な予感がする。いや、恐怖が背筋を這い上がってくる。

あの時。そう、峡谷で、匪賊があらかた殺された時。どうもアングリフさんが言ったことが気になっていた。

そう、もしも時間を止めたのなら。簡単に出来る。殺した匪賊の胴体を、他の匪賊のアジトの前に晒すことも。空間を自在にするソフィー先生だ。それくらい出来てもおかしくない。

あれは、ソフィー先生がやったのか。

相手は匪賊だから、倫理的な問題は別に良い。問題は、もっと別のこと。どうしてそんな事をしたのかが、分からない。ソフィー先生は、笑顔のまま続ける。

「フィリスちゃんにこれからやって貰おうと思う事があるんだけれど、いいかな」

「ど、どうして、普通に会いに来ないんですか? わたし、先生に試験受かったこと、報告したかったのに」

「ああ、それはね。 あたしが何度もその話を聞いてもう飽きたから」

「?」

え。

何、それ。ちょっと待って。意味がよく分からない。何度も、話を聞いた。どういうこと。

混乱する中、必死に考える。

まて。

ひょっとして、時間を止められると言う事は。

巻き戻す事も出来るのか。

ぞっとした。

ソフィー先生は、もしそうだとしたら。

人間の領域を、遙かに超えてしまっているのではあるまいか。

「具体的に何回聞いたかは教えないけれど、もう流石にね」

「ど、どうして、どうしてそんな……っ!」

「世界が滅亡したからだよ」

「え……」

やはり思考が追いつかない。

ソフィー先生は肩をすくめる。

そして、あまりにも恐ろしい事を。さも当然のことのように言い切ったのだった。

「この時点から平均しておよそ4000年ほどで、この世界には限界が来るの。 一番頑張ったときで5700年ほど、駄目だったときは2600年くらいかな。 人類が資源を食い尽くし、互いに協力してやっていけなくなる。 最初にまず間違いなくホムが皆殺しにされ、獣人族とヒト族が全面戦争を始める。 魔族は強いけれど数が少なすぎるから、その中で脱落。 最終的にヒト族が七割くらいの確率で勝つけれど、資源が尽きていることには代わらないから、結局滅びの道を辿る」

「そんな、錬金術師達は何をしていたんですか!」

「錬金術を使ってもどうにもならないんだよ。 事実あたしはこれは駄目だと思った場合でも、最後まで人間達に協力を続けて、世界の滅亡を回避できないかの試行錯誤をして、データを取得してきた。 実際に人間が世界を滅亡させるのを何度も見ながら、特異点まで時間を引き戻して、そしてやり直し続けて来た。 フィリスちゃんはその途中で見つけてね」

駄目だ、何を言われているのか分からない。

分からないけれど分かる。

わたしは、最初から。

利用されていたのだ。この人の目的に。

更には、ソフィー先生の爆発的な力の出所も何となく分かった。この人は、意味が分からない時間分経験を積み上げた結果。もはや人間なんて存在の限界を、遙かに超越し尽くしているのだ。

「後イルメリアちゃん、それにもう二人、未来に有望な子が出てくる。 フィリスちゃん達四人とあたしが協力して、人類という種族を全面的に進化させる。 それしか、この破滅を回避する方法は存在しないの」

「……そのために、わたしを、イルメリアちゃんも、もてあそんでいた、ですか」

「取り繕っても仕方が無いから言うけれど、その通り。 何しろこの先に待つ確実な未来を回避するためには手段は選んでいられないからね」

「ひど……」

瞬間沸騰しそうになるが。

次の瞬間には。

ソフィー先生は残像さえ作らず。

いつの間にか、わたしの後ろにいて。

わたしの首を触っていた。

分かる。

その気になれば、それこそソフィー先生がすっと撫でるだけで。わたしの首は体とさようならだ。そして胴体の方は、多分溶けて消えてしまう。

「うん、触るとよく分かる。 「今までで」一番良く仕上がっていていいね。 そうだ、あたしが介入しなかった場合のフィリスちゃんの未来を見せておこうか」

「ひっ……」

悲鳴が漏れる。

単純に、怖い。

ドラゴンを相手にした時なんて。いや、最初にお外で獣を見た時なんて、比較にもならない。

この場にお姉ちゃんがいたって。

いや、みんないたって。

それどころか、多分公認錬金術師達が総掛かりだって。

勝てる訳が無い。

ソフィー先生が次元違いの存在だと言う事は分かっていた。

だが、これは。

そんな言葉が生やさしくなるほどの差だ。

不意に、頭に叩き込まれる映像。

それはフェイクでは無い。

強引に理解させられる。

救いの無い未来。

エルトナは限界を迎えていた。わたしの鉱物の声を聞く力でも、有用な鉱物が出なくなったからである。

無茶な堀り方をした結果、鉱脈は全て枯渇。

後は外で戦う力も無く。

そして近親交配の結果、病気だらけになった人々だけが残った。

商人はある意味もっとも残忍な種族だ。

金にならないなら来ない。

エルトナを放棄し、無理をして外に出た人々を待っていたのは。

手ぐすね引いた獣の群れだった。

為す術無く襲われ。

殺されていく人々。

力に差がありすぎる。

わずかに戦える人もいたけれど。お姉ちゃんもその中には含まれていたのだけれど。それでも数も違いすぎて。どうにもならなかった。

必死に門の中に戻ったわずかな生き残り。

だが、その生き残りも、知る事になる。

湖から上がって来た獣たちが。今まで、単に処刑を待ってくれていただけだったという事を。

鉱山にもぷにぷにの亜種は出たが。

それとは比較にならない凶悪な獣たちが現れて。

数少ない生き残りは、殆ど時間を掛けずに、皆殺しになった。

後は、宴だ。

殺された中には、お姉ちゃんも、お父さんも、お母さんも入っていた。

勿論わたしも。

がりがり。

ばりばり。

骨ごとかみ砕いて食べていく音。

やがて、血の跡だけを残し。

其処には誰もいなくなった。

吐き気を抑えきれない。

ソフィー先生は、笑顔をまったく崩さなかった。

「これでも、酷いと言える? エルトナはそもそもあたしが介入しなければ、後二十年ほどでこうなっていたんだよ」

「そんなの、わから……」

いや。分かる。

確実にこうなっていたはずだ。

わたしは外に出て、現状を知った。外の獣の凶悪さ。それに何より、エルトナが詰んでいることも客観的に理解していたはずだ。

その詰んでいる状況を打開するには。ソフィー先生のような「力」が絶対に必要だ。

でも、ソフィー先生はリアリストだ。何の意味もなく慈善作業をしているはずがない。

何かの理由があって、助けてくれた。

そういう事は、何処かで分かっていた。

涙がこぼれてくる。

そうか、何となく分かってきた。

また記憶が流れ込んでくる。

嫌と言おうとするが、ソフィー先生は容赦しなかった。

今度見せられるのは、世界滅亡の記憶だ。

とうとう人間達が資源を使い果たし始めると。

世界中が滅茶苦茶になっていく。

貴重な森林資源にも当然手を出し始め。

獣との戦いも激しさを増す中。

戦えない奴は必要ないと、まずはホム達が排斥された。匪賊のように、ホムを食糧と考える者まで出始めた。ホムは戦闘力が低い。数字には強いが、それだけ。だから、片っ端から殺されていった。

ホムが絶滅しても、何ら状況は好転しない。

錬金術も、資源が無ければそもそも何もできないのだ。

新しい道具を作り出せない錬金術など魔術にも劣る。

ヒト族と獣人族が殺し合いをはじめ。

魔族は距離を置こうとするが失敗。ヒト族も獣人族も魔族の子供や老人を人質にし、戦わせることを選んだ。

残り少ない資源を巡って争い始めるヒト族と獣人族。

やがてどちらかが生き残り。

負けた方を食用奴隷化。

そして魔族も。用済みになったら食用にされてしまう。

吐き気がこみ上げてくる。

これでは匪賊と同じだ。

人間は匪賊になってしまうと言うのか。

そして最後に生き残ったヒト族にしても獣人族にしても、今度は同族で争い、残ったわずかな資源を奪い合って殺し合いをはじめる。あげく殺した相手を食い始める。それは、もはや見るにたえない惨状だった。地獄と言うのも生やさしい。具現化した悪夢だった。

程なく、もはや資源さえない荒野には。

獣だけが闊歩するようになった。

最後の人間は言葉や道具さえ失い。

洞窟で身を潜めるように獣を避けて暮らし。

そして餓えの中に死んで行く。

全てを余すこと無く見せられたわたしは。

ついに限界を超えて。

吐き戻していた。

匪賊の記憶を覗いたときより酷い。呪縛から解き放たれて、いつの間にか動くようになった体だけれど。

激しく嘔吐するわたしには、もはや何もする力は残っていなかった。

「どれだけ社会のシステムを調整しても駄目。 技術の発展を促しても駄目。 結論としては、四種族が手を取り合って、この世界の外側に行くことを考えなければならないのだけれど、人間という種族は、結局の所自分の事しか考えられないんだよ。 だから、それを変えなければならないの。 分かった?」

「……一体、何回こんな光景を見たんですか」

「回数は教えない。 ただ、フィリスちゃんも途中からはこれをどうにかするために毎回苦労していてね。 だけれど手が足りないの」

話は、つながった。

そういうことか。

ソフィー先生は、どうやってかは分からないけれど。

人という種族を。

人間に分類される四つの種族を。

全て根本から変えようとしている。

分からない事は多い。

特異点、というのもよく分からない。

そもそも、どうしてこんな事になるのかも、さっぱり分からない。

それでもはっきりしているのは。

今見せられた未来は、嘘でも何でも無い。

ソフィー先生は恐らく、錬金術に関しては人類史上最高の天才だ。バックアップスタッフにも恵まれている。

一人で勝手に考えて行動しているのでは無い。

バックアップスタッフとも連携して、この世界を打開しようと動き続け。

それでもどうにもならない、というのが真相なのだろう。

この人ほどの怪物が、そんな年数経験を積み重ね続けて。

なおもどうにもならない世界。

ならば、支援する人間を増やすしか無いという結論は、確かに納得できるものがあった。

納得は出来るが。

生理的に受け付けないし倫理的にも許せない。

でも、許す許さないの問題じゃない。

ソフィー先生は、一方的に通告する。

「これから、半年ほど時間をあげるから、エルトナをしっかり自活できるまで発展させてね。 その後は、フルスハイムの竜巻の原因……上級ドラゴンを仕留める作戦をフィリスちゃんにやってもらうよ」

「どうしてソフィー先生がやらないんですか?」

「もうやったんだけれど」

「!」

そうか。

なんで竜巻がフルスハイムを襲わなかったのか。

それは恐らく。

ソフィー先生が、ドラゴンを痛めつけて、竜巻を操作するどころではなくした、というのが真相なのだろう。

「戦闘に参加する人員、湖底に住んでいるドラゴンの所までどうやって行くかとかは、フィリスちゃんに一任するよ」

「……」

「エルトナにはティアナちゃんに常駐して貰うから、そのつもりでいてね」

また、記憶を流し込まれる。

ティアナちゃんが、まるで稲妻のような速度で動いて、抵抗も出来ない匪賊を片っ端から殺して行く様子。

この戦闘力。

一人でわたし達全員を遙かに上回っているのではあるまいか。

それはそうだろう。

だってティアナちゃんが身につけているのは、恐らくソフィー先生が作った装備類だ。それも全身に十以上はつけている。

強くないわけが無い。

ドラゴンも、下級のだったら一人で倒せるかも知れない。

そしてこの映像を見せたと言う事は。

逆らったら。

エルトナの人間を、こうすると言う事だ。

ティアナちゃんの目は、ソフィー先生を見るとき、狂信に満ちていた。お姉ちゃんが警戒するわけだ。きっとティアナちゃんの本質を見抜いていたか。或いは、事前に本性を見せられていたのだろう。

「じゃあ、頑張ってね」

気配が消える。

同時に、わたしは。

何事も無かったかのように、庁舎の前に立っていた。

怪訝そうに、パイモンさんが聞いてくる。

「どうした、忘れ物か」

「い、いえ、何でも……無いです」

イルメリアちゃんが小首をかしげている。

喉の奥の焼け付くような感覚。

これが、今見たのが、幻覚でも何でも無い事を告げていた。

何もかも、あらゆる全てが。

恐らくソフィー先生の掌の上だったのだ。

少なくとも、わたしが旅に出てからは、ずっと。

そして鏖殺の謎も分かった。

昔の鏖殺はソフィー先生で。

ある時期から、その仕事はティアナちゃんが引き継いだのだ。あの記憶の中でのティアナちゃんの鮮やかな殺し方。抵抗さえする暇も無い殺戮の嵐。

正に、災害。

鏖殺を匪賊共が怖れるわけだ。

匪賊が死ぬ事は何とも思わないが。

このまま行くと、資源枯渇の末に人間が皆匪賊同然になる。それは絶対に許されない未来だ。

ソフィー先生にもてあそばれているというのも分かる。それも許せないが。人類が全て匪賊に堕していき。挙げ句の果てに滅び去るのは、看過できなかった。悔しいが、どれだけ非人道的でも、ソフィー先生がこれに関しては正しい。この世界に未来は無い。未来をどうにかするには、人間の可能性だとか漠然としたものだけでは駄目なのだ。

「顔が真っ青だぞ。 先ほどの授業、それほど難しくも無かっただろう」

「いえ、大丈夫です」

「そうなら良いが。 明日の朝には出立するのだ。 体調はしっかり管理しておくのだぞ」

「はい」

パイモンさんは、普段此処まで言わない。

多分何かあった事を悟っているのだろう。

そして、いつの間にか。

イルメリアちゃんも、真っ青になっていた。

何か、されたのかも知れない。

だが、それについては。

何も聞けなかった。

何をソフィー先生にされるか分からないからだ。

公認錬金術師になった。

だが、そんな事は、もはやどうでも良くなっていた。わたしは知ってしまった。何もかもが、全て詰んでいることを。

ソフィー先生は言った。

何度も聞いたと。飽きるほどに聞いたとも。

あの人が、其処まで言う程の状況なのだ。時間も空間も自由自在にするほどの力を持つあの人が。

ならば、もう。

選んでいる余裕などありはしない。

翌朝、ライゼンベルグを出る。その時、イルメリアちゃんが声を掛けたらしい傭兵団が、三十人ほど集まっていた。

「私はライゼンベルグまでの道の途中にあった、あの村を復興するわ。 其処で別れることになるわね」

「そうか。 世話になった。 わしはフルスハイムまでは一緒に行こう」

「二人とも、お世話になりました」

「此方こそ」

どこか、寂しい笑顔をイルメリアちゃんは浮かべた。

それで分かった。

多分イルメリアちゃんも。

ソフィー先生に、なにかされたのだろうと。

 

4、ようこそ深淵の者へ

 

アリスと一緒に、村の跡地に残ったイルメリアは。緑化された土地を利用しながら、村の復興を開始する。

様々な戦略資材があるし。

何より公認錬金術師としてのお墨付き。

街道は緑化が済んでいて、周囲のネームドも強力な獣も駆除完了済み。最悪の場合は、緑化された地帯に逃げ込めばドラゴンもやり過ごせる。

傭兵達はそれほど練度が高くないように見えたが。

それでも充分だろう。

傭兵達のリーダーとして、戦略級の傭兵を一人雇う。ソフィー=ノイエンミュラーに紹介してもらった腕利きだ。名はシャノンという。

非常に寡黙で、いつも鎧で身を包んでいるので素性は分からないが。

まだ若い女性らしい、と言う事だけは分かった。

そして、知っている。

深淵の者のメンバーだと。

フィリスの様子がおかしくなった直後。

イルメリアは、おかしな部屋に連れ込まれた。

其処にはソフィー=ノイエンミュラーがいた。

聞かされた。

全てを。

そして、言われたのだ。

家族のしがらみから解放されたかったら。深淵の者に加入して、自立しろと。

断る選択肢は無かった。

イルメリアは地盤を持っていない。フィリスやパイモンとは違う。公認錬金術師とはいえ、資金は無限にあるわけでも無い。持ち出してきた金や、ここぞの時に使えと渡された道具もあるが。

どうしても、プライドがある。

最初の装備は兎も角、道中で戦略事業に参加して、稼いだ金でここまで来た。

だが、その金も、正直この村の復興を賄いきれるか自信は無かった。

だが、深淵の者になるのなら。

資金援助をするという話をされた。

それは飼われる先が、家族になるか、深淵の者になるかの違いしかないようにも思ったが。

ソフィーは言ったのだ。

近いうちに実家から使者が来る。

政略結婚の話だ。

相手はボンクラ錬金術師。

だが、ボンクラながら、ライゼンベルグの権力の中枢に食い込んでいる一族。ラインウェバーの力を増すためには必要な政略結婚だ。必ず受けるようにと。

そうだ。

イルメリアの家族は、そういう連中だった。

分かりきっていたのに。

指摘されるまで、どうしても気づけなかった。

だが、深淵の者に入れば。

その話を潰してやるとも。

好きでもない男に抱かれて。後は政略結婚の義務として子供を産んで。錬金術を極めるどころか、権力闘争に明け暮れる人生を送る。

そんなのはまっぴらだ。

唇を噛む。

フィリスもパイモンも帰って行った。

あの様子だと、フィリスも何かソフィーに言われたのかも知れない。真っ青になったあの顔を思い出す。

イルメリアも、あんな風になっていた筈だ。

だが、もう止まることは出来ない。

作業を開始する。

まずは、キャンプを設営。

その後は、村の跡地を片付ける。

壊れた家を処理し。

崩れかけている城壁は一旦崩してしまう。全てを作り直すのだ。

拡張性を考えて、都市計画を一から練り直しつつ。更に周囲の緑化を進めて、畑も広めに作る。

まずは住民五百人を目標に。

戦略拠点としてのこの村を復活させるのだ。そして、イルメリアの地盤とする。最終的には、ライゼンベルグへの道の重要な宿場として、発展させる。そうすることで、初めてイルメリアは、家族に縛られない地盤に立つ事が出来る。

自動で動く荷車や。

更に空を飛ぶキットも、イルメリアはレシピを貰っている。自分でも農具を振るい、発破を使って解体作業を行い、てきぱきと村だった場所を更地に変えていく。

シャノンは姿を時々消して。

そして獣を仕留めて戻ってくる。

戦いの気配さえない。

つまり、それほどの一瞬で敵を倒している、と言う事だ。

このボンクラ傭兵ども全員を合わせても、シャノン一人に及ばないだろう。

そしてシャノンが監視役である事くらい、言われなくても分かる。

まずは城壁を作る。

フィリスが手伝ってくれれば、もっと簡単にいくのだろうが。

こればかりはそうも行かない。

グラビ結晶を利用した道具を使い、岩を持ち上げやすくする。足りない石材は、近くの山から切り出してくる。コンテナからも惜しみなく出す。

みるみる出来ていく村は小気味よいほどだ。

作業開始から一週間で城壁を復旧。

内部に建物を順番に作っていく。

井戸も復旧させ。

周囲の緑化作業は、ライゼンベルグまでの緑化を済ませて戻ってきたオスカーにも手伝って貰う。

考えて見れば、此奴が現れたタイミングもおかしすぎる。きっとオスカーも、深淵の者に所属する一人の筈だ。

途中からは人夫も加わった。

監視役のシャノンの他にもう一人。

パメラという一見穏やかそうな女が、ライゼンベルグで作業をして、手伝ってくれている。

奴が派遣してくれたのだろう。

もう、深淵の者からは逃れられない。

今は投資してくれているが。

今度は此方が向こうの要求に乗らなければならない時が必ず来る。

実際、何処にいても届いた家族の手紙は一切来なくなった。

それだけ深淵の者の力が凄まじい、と言う事だ。

作業が一段落したので、アトリエの外に出る。

空を見上げると、月が出ていた。

今頃フィリスも同じ月を見ているのだろうか。

目を擦る。

どうせなら、もっと仲良くなりたかった。

最後まで、素直になれなかった。

イルちゃんとでも、渾名で呼んで欲しかった。

でも、もう遅い。

後悔は、してもしきれなかった。

 

(続)