雪山の華
序、白泥
かろうじて緑化が成功し。
フルスハイム東から、雪山へと。それに、落ちてしまっている峡谷の橋までは、森に守られた道を作る算段がついた。
加えてフルスハイム東の周囲の畑も森で守るように緑化を進め。
畑の規模も一気に拡大した。
確かに手際は凄まじい。
オスカーさんという人、専門家を自認するだけあって、緑化の技術に関しては多分オレリーさん以上だ。
この人と組んでいたという錬金術師が誰なのかは気になるが。
いずれ会ってみたいものである。
ともあれ、緑化は一段落したものの、まだ目を離すわけにはいかないということなので、オスカーさんはフルスハイム東に残る。
わたしは緑化した街道の一番東。
雪山の麓にキャンプを移動させると。
どうやって此処から、拡大視の魔術で確認できる山中の街へ進むかの話をする。
この間から同行しているパイモンさんは、錬金術師としてはベテランで。少なくともしばらくは一緒に行動して欲しい。
公認錬金術師試験を受ける、と言う意味では利害も一致しているし。
この人は故郷に公認錬金術師として戻り。
貧しい街をどうにか豊かにしたいと考えてもいる様子だ。
確かに公認錬金術師の免許があれば、アルファ商会などの支援を受けられるかも知れない。
人員を貸して貰えれば、街道などを整備して、人間を行き来させられるかも知れない。
それらの切実な話は、まったく他人事ではない。
イルメリアちゃんはそういう話を聞くと、眉をひそめるというか、険しい顔をする。
そういえばイルメリアちゃんは、どうして公認錬金術師になりたいのだろう。
それについては、まだ詳しく聞いていない。
フルスハイムで色々あったからか。
イルメリアちゃんとはまだしっかり腹を割って話す事が出来ていないように思える。
その内話をしたい。
でも、今は時間もなかった。
アングリフさんは言う。
昨日から、お姉ちゃんとレヴィさんを連れて、雪山を見に行っていたのだ。
「まず雪山の様子だがな、こりゃあ骨が折れるぞ」
地図を拡げる。
ざっくりした地図で。それほど詳しいものではないが。
はっきりわかるのは、もはや道など無いという事だ。
完全に山中の街は孤立している。
ただ、山中の街からは盛んに煙が上がっていて。
その周辺の雪は溶けているようだ。
街は雪から守られている、と見て良いだろう。
「まず第一に、この辺りが関門になる」
元々街道だったらしい場所の一角を、アングリフさんが指さす。
巨大な構造物がある。
それがなんなのかはよく分からないが。
この周囲に霊が多数。
更にリッチの姿も確認できたという。
リッチについても聞いておく。
魔術師の完全上位互換である錬金術師に対し。何とか差を埋めようとした魔術師は今まで数多くいたという。
その中で、人生を捨ててまで出力を上げようとし。そして人間を止めてしまったのが、リッチと呼ばれる者達だ。
理性を残している者もいて。
人間でありながら死体になり。
かといって、魔術の出力が上がった所でこの過酷な世界で覇を唱えられるわけでも無く。錬金術師にも及ばず。
文字通り腐ったまま存在しているという。
禁術を使っても差を埋められない。
人生を捨てまでしたのに。
それは錬金術師を恨むのも分かる気がする。
ましてや錬金術師は、才能がないとまずどうにもならないのだ。
魔術師は何処にでもいるが。
錬金術師はそうではない。
そしてドラゴンも邪神も。
錬金術師がいないとどうにもならない。
リッチになった所で同じ事。
リッチの中には、桁外れに強くなる者もいるそうだが。それでも、どうあがいてもネームドと同等止まり。
逆に言うと。
集まっているリッチ達は、ネームドと同等の脅威とも言える。
「まずこのリッチ共を追い払う」
「元人間と言う事で、話はできませんか?」
「色々難しいんじゃないのか。 ましてやフィリス、イルメリア、じいさん。 あんたらは錬金術師だ。 それに山にある街にいるのも錬金術師だろ?」
「……そう、ですね」
わたしはたまたまギフテッドに恵まれた。
イルメリアちゃんだってパイモンさんだって、才能を持っている。
だがリッチになった人達は。
そうではなかった。
努力ではどうにもならない壁が、生まれた時からあったのだ。
同情は失礼に当たるし。
かといって下手に出ても解決する話だとは思えない。
でも、戦いは出来るだけ避けたい。
そう話すと、アングリフさんは、しばらく考え込んだ後に頷いた。
「分かった、ネゴはしてやる。 ただし、向こうは問答無用という可能性も高いから、気を付けろよ」
「分かりました」
「次は此処だ」
山の中腹に、アングリフさんは地図上で指を動かす。
よく見ると、全身傷だらけのアングリフさん。指も皮を丸ごと持って行かれたとしか思えない傷が多数残されていた。
「この辺りに数体のドラゴンがいる。 住んでいるのは最下位のドラゴネアだが、それでもこの間のアードラなんぞよりずっと強いぞ」
「戦いになったら勝ち目は無い、と言う事ですね」
「違う。 戦いにさえならない」
「……分かりました」
そうか、そうだろう。
ともあれ、その地点は避けなければならない事は良く分かった。それだけで、現時点では充分だ。
そして、最後に、言われなくても分かる事がある。
少し雪山に入ってみた。
それで分かった。
とてもではないが、進めたものではない。
最初、雪は面白かった。
だが、一瞬でそれは苦行へと変わった。
歩くだけでつらい。
雪は非常に重く。
足を強烈に絡み取ってくる。
見た目は綺麗だけれど。
積もっている雪は泥沼と何ら変わりが無い存在だ。
この上で走るなんてまず無理。
出来るかもしれないけれど、転べば足を折る。
少しずつ雪を溶かして進むとなると。
一体どれだけ掛かるか分からない。
更にだ。
爆弾や魔術の使用は厳禁、と先にアングリフさんに釘を刺されている。
雪崩が起きる可能性がある、というのだ。
そして実際に、雪崩が起きるのは見た。
此処とは違う方面の斜面だけれども。凄まじい勢いで雪が滑り落ちていった。あれは土砂崩れと何ら変わらない災害そのものだ。
そういえば、雪の上を歩いている獣たちも。
あまり激しい音は立てないようにしている。
それはそうだろう。
雪崩は大きな振動や音でも発生するという話だ。
自分達の行動が、雪崩を引き起こすなんて。
経験上知っているからこそ。
避けたいのだろう。
ならば、ゆっくり雪を溶かしながら進むか。
それもいい手だとは思えない。
雪山の進み方についてはレクチャーを受けたが。
そんな事をしていたら、そもそも山の中腹にたどり着けないし。
何よりも、人員を借りて来る、という最大の課題を達成することが出来ないのだ。
手をかざして見ると。
麓から、村そのものは見える。
だが、山の天気はころころ代わり。
雪が降り出すことは、ここ数日で六回起きている。
仮に雪を溶かしながら進んだとしても。
すぐに雪はまたつもり。
全ての行程は台無しになるだろう。
何か、手がいる。
アングリフさんが、パイモンさんと一緒に、リッチ達とネゴに行く。駄目な場合は支援しろと、お姉ちゃんとカルドさんには指示が出ている。パイモンさんを連れていくのは、魔術師であるからだそうだ。
というか、パイモンさんが申し出た。
相手が老人の方が、態度も険しくならない。
わたしとイルメリアちゃんは所詮コドモだ。
錬金術師そのものを嫌っているリッチ達にとって、それこそコドモで才覚があるなんていう相手は、それこそ不倶戴天の相手だろう。人生まで捨てたのに、錬金術師に及ばないのだから。
無用に刺激しないためにも。
わたし達は出向くわけには行かない。
わたしは遠くから様子を見守りながら。
雪山を突破する手を考えていた。
「イルメリアちゃん。 あの村まで移動して、人員を連れてくる手……何かないかなあ」
「この近くに、ラスティン最大の図書館がある事を知ってるかしら?」
「えっ、そうなの?」
「昔の遺跡をまるごと利用したものらしくてね。 山のど真ん中にあるのよ」
イルメリアちゃんが顎をしゃくる。
今、向かおうとしている山とは違う山。
その山には雪など降っていない。
つまるところ、今向かおうとしている山だけが異常気象に包まれていることが、よくよく理解出来る。
「其処には見聞院の本部もあると聞いているわ。 というか、其処の図書館が見聞院本部だそうよ」
「何か良い道具の手がかりがあるかも知れない、と言う事だね」
「そうよ。 でも、人員の移動だけなら……」
イルメリアちゃんが見たのは、わたしのアトリエだ。
確かにこのアトリエを使えば。
数十人くらいは輸送できる。
物資も同時に。
だが、その代わり、少数で獣だらけの雪山を突破しなければならないことも意味している。
ドラゴンまでいるのだ。
こんな所に住んでいる獣は、どれだけの実力があるのか。
此処まで街道を延ばすのでさえ一苦労だったのである。
無駄に体力を消耗すれば。
村に辿りつく前に、死人が出るだろう。
一度、アングリフさんが戻ってきた。
反吐を吐きそうな顔をしていた。
「交渉決裂だ」
「戦うしかないですか」
「いや、そうでもない。 彼奴らは、あの柱に近づくものを容赦しないで攻撃すると言っている」
顎をしゃくるアングリフさん。
此処からも見えるのだが。
リッチは何か、巨大な氷柱のようなものに周囲に集まって、何やら儀式のようなものをしている。
何となく理解出来てきたが。
要するに此処は文字通りのリッチの聖地、というわけか。
「あの柱は、リッチの技術を開発した最初の魔術師の屍が埋まっているもの、だそうでな」
「逆に言うと、近づきさえしなければ攻撃もしてこない、ということですか」
「そのようだな。 ただし奴らは霊も従えていて、霊達は周囲を彷徨いながら無差別攻撃をしている。 それについては俺が行く途中で実際に確認した。 パイモンの爺さんが道具で追い払ってくれたがな」
パイモンさんが見せてくれた道具は、ランタンにしか見えなかったが。
どうやら霊にとってとても嫌な光らしい。
幾つか、思いついた事がある。
この間。
巨大なアードラを仕留めたとき。
岩場を崩した。
その際に、鉱石を入手したが。
浮かぶ鉱石を幾らか手に入れたのだ。
いわゆるグラビ石、というものらしい。
これだけでは、人体を浮かせることも出来ないし、制御も難しい。空気に触れているとその内機能も失ってしまう。
ソフィー先生にもらった図鑑に記載があった。
だが、このグラビ石を上手に加工できれば。
或いは。
「雪が邪魔だったら、飛んでいけば良いんです」
「ほう。 飛ぶだって?」
「パイモンさんの獣よけのランタン。 これを併用して、獣たちが縄張りにしていない空域を通って、あの街にまで移動出来れば……」
「それだったら、崩れた橋を飛び越えていけないか」
わたしは首を横に振る。
それは駄目だ。
あの橋はそもそも存在していなければならないインフラ。あれがあるからこそ、ラスティンの首都であるライゼンベルグに錬金術師達がかろうじてたどり着けていたのだ。
ライゼンベルグが何をしているかはさっぱり分からない。
単に人手が足りないのかも知れないし。
或いは認識さえしていないのかも知れない。
だが、ライゼンベルグで交付される公認錬金術師免許に価値があり。
実際公認錬金術師が優れた実績を上げているのを、わたしは何度も見ている。
そしてはっきり分かったが。
公認錬金術師はあまりにも足りなさすぎる。
少なくとも、ライゼンベルグは錬金術師の都とさえ言われていると聞く。
それならば、そもライゼンベルグに辿りつけば、勉強の機会もあるはずで。ライゼンベルグで勉強して成長し、公認錬金術師に相応しい人間になる事だって可能なはずだ。
その可能性の芽を摘む事は。
あってはならないのだ。
「なるほど。 自分さえ良ければいい、とは考えないわけだな」
「当たり前です。 そんな風に考えるのは匪賊だけで充分です」
「……そうかも知れないな。 まあ良いだろう。 それでどうする」
振り向く。
今、オスカーさんが緑化作業を順調に進めている。
既にフルスハイム東を守るように森がしっかり出来。畑の面積は数倍に膨れあがっている。
近場の小集落から、それを見て人員が流れ込んでいるようで。
フルスハイムからも、それを見て資金援助が行われ。街の規模拡大と、整備が行われ始めている様子だ。
だが、それも中途。
まだまだ緑化作業が完成し。
フルスハイム東周辺が安全になるまでは時間が掛かる。
実はドラゴンが何回か飛来したのだが。
森が着実に拡がっている様子を見て。
襲撃はせず、引き揚げて行った。
この世界では、ドラゴンでさえ。
森は傷つけない。
実例を、わたしは見る事になった。
「フルスハイム東からは、まだ少しの間離れられないと思います。 その間に、ちょっと調べ物をしてみたいです」
「何かすげえ道具でも作るのか?」
「はい」
頷く。
わたしが作ろうと思っているのは。
空を飛ぶための道具だ。
1、閉ざされた図書館
同じ山でも違いすぎる。かたや大雪に見舞われ、年中真っ白。もう片方は、普通に歩くことも出来るし、寒くも無い。
一体何が起きている。
邪神か何かの仕業なのか。
それとも、そういう自然現象か何かなのか。
最初は、雪といえばわくわくしたのに。
現物を見てしまうと。
寒いし足を取られるし。
動けないし重いし。
それが致命的なもので。
綺麗で楽しいものでもなければ。
溶ければ汚れた水になるだけなのだと、思い知らされてしまった。
雪山の入り口近辺を少し調べ。
岩などを割って鉱石を入手した結果。想像以上に品質が良い鉱石や、珍しいものが手に入る事も分かったが。
その一方で獣も強く。
何しろ身動きが取りづらいという事で、とてもではないがまともに進めたものではない事もはっきりした。
オスカーさんに一旦調査に出向くことを告げると。
イルメリアちゃんが言っていた山の図書館に来た。
そして山を少し歩いて行くと。
枯れ果てた山の中に。
ぽつんと、小さな街が存在していた。
街の入り口には強力な結界が張られていて、どうやら公認錬金術師もいるようだが。公認錬金術師は推薦状発行を受け付けていないらしく。アトリエに出向いても、「推薦状は発行しません」と門前払いに等しい通知が出されていた。
街そのものはそれほど暮らしづらそうでは無い。
山の中だというのに水はある。
獣よけの結界。
更には恐らく対ドラゴン用の対空投石機。大型の爆弾。ブレスを防ぐためらしい、強力な防御の魔術を展開する道具。そういったものが一式揃っている。実際ドラゴンと戦った跡らしきものも残っている。
水もしっかり出ていて。
井戸では無く、非常に澄んだ湧き水が水路に流れており。
一方で下水も整備されていて。
小さくまとまってはいるが。
とても暮らしやすそうな街だ。
ただし此処を出たら、とても生きていけそうに無いなとも思う。街の人間もあまり多くはない。
街には宿があるが。
宿の側にイルメリアちゃんのものとパイモンさんの馬車を停めると。
宿の人が驚いて出てきた。
しばらくぶりの客だという。
それはそうだろう。
麓があんな事になっているのだから。
そして、意外な事もあった。
街を見ていると。
髭を生やした、いかにも歴戦という初老の男性が声を掛けてきたのだ。腰には双剣を帯びている。
「ドロッセル! アングリフ!」
「お父さん!」
「おう、フリッツじゃねえか!」
お姉ちゃんは目を細めて警戒するが。
どうやらドロッセルさんが笑顔を浮かべて駆け寄っている所からして、どうやら本人で間違いないらしい。
ガハハハと笑いながら、アングリフさんが肩を叩いている。
「どうした、こんな山に」
「孤立したこの集落から救援依頼があって、しばらく滞在していたのだよ。 麓はグリフォンだらけだろう?」
「それなら片付けたぜ」
「知っている。 だから此方でも、そろそろ此処を離れようと思っていてな」
ドロッセルさんが紹介してくれる。
フリッツさん。
アングリフさんと近辺では肩を並べる実力を持つ傭兵で。歴戦の猛者だという。
主にネームド退治や匪賊の撃退などで各地にて活動してきた傭兵で。近年ではアングリフさん同様、戦略級の仕事で活躍する、いわゆる上位の傭兵だそうだ。
その実力は確かで。
数年前にはドラゴンどころか、邪神の撃破にも成功しているという。
ただし、超がつくほどの腕利き錬金術師と一緒に戦った成果らしいが。
「何だお前、邪神と戦ったってのは本当だったのか」
「文字通り紙一重の勝負だったよ。 まあ積もる話もある。 後で軽く飲むとしよう」
「お父さん、お母さんの所には帰らないの?」
「此処での仕事が終わったら戻るつもりだ。 アダレットもきな臭くなってきているし、仕事に困る事はないだろう」
そうか。
何だか複雑な家庭の話が聞こえてしまった気がするが。
それはそれで別に良い。
流石にわたしの所で、戦略級の仕事をして貰う上位の傭兵を二人も雇う余裕は無い。というよりも、本来は二線級でも良いので、これからという若手の戦士をもう何人か雇いたい所だが。
一度、宿で解散にする。
カルドさんは子供のように目を輝かせて、見えている図書館にすっ飛んでいった。
やはり遺跡を調べていると言うだけあって。
ああいう、現役で使われている遺跡には心躍らされるのだろう。
標の民、だったか。
イルメリアちゃんとパイモンさんとも、一度別れ。
わたしはお姉ちゃんと二人だけになる。
アトリエに残してきたツヴァイちゃんがちょっと心配だが。それについては、レヴィさんが面倒を見てくれるそうだ。
レヴィさんは何でも、さっき様子を見て買ってきた甘味類をお菓子に試してみたいらしく。
ツヴァイちゃんの面倒を見つつ。
アトリエで料理に没頭したいらしい。
レヴィさんは、ああみえて子供の世話は慣れている。ツヴァイちゃんも、甘いお菓子を作ってくれるレヴィさんの事が好きなようだし、面倒を見てもらっても大丈夫だろう。
わたしはその間に。
さっきスキップまじりでカルドさんが飛んでいった図書館の方へと出向く。
図書館の中には見聞院があり。
麓の情報などを知らせる。
ある程度情報が集まったという理由で、少しお小遣いを貰った。見聞院というのは、相当にお金がある組織らしい。或いは、情報を生かすことが出来る組織なのかも知れなかった。
それから、見聞院の長であるという、おっとりした女性に案内して貰う。
フルスハイムの図書館から見ても、桁外れの蔵書だ。
此処なら、あらゆる本が揃うかも知れない。
しかも、この遺跡は山に半分埋もれていて。
広さは文字通り桁外れだ。
その上頑強極まりなく。
昔、ドラゴンのブレスが直撃しても、耐え抜いたことさえあるという。それで何となく察する。
此処は、ある意味。
ドラゴンに襲われた際には、最後の砦になる場所なのだと。
地上部分だけでは無く、地下もかなり深くまであるらしく。
蔵書は古今東西のあらゆる本。
愚につかないものから。
錬金術師が生涯を掛けて書き残した究極の書物。
更には、古代の生活の様子を記した貴重な日記。
遙か昔に大暴れした邪神の記録などもあるという。
わたしは、空を飛ぶ道具に関する資料を求めると。アンネリースさんという女性は。少し考え込んでから、地下二階の書庫へと案内してくれた。
地下二階も、地下一階と同規模であり。
そして、薄暗い中。何カ所かランタンが灯された場所がある。
其処に、非常に険しい顔をした女性が座って、資料を確認していた。
良くは見えないが。
顔は若いようにも思える。
ただし、雰囲気は、どうしてか見かけと一致していないように思えた。
「あの人は」
「前に此処の主と呼ばれる人がいたんですよ。 此処の本を読み尽くしているのでは無いかって噂がある程のね。 その人が見えなくなってから、現れた人で、その人のお孫さんではないかと」
「……」
孫。
にしてはおかしい。
空気がひりひりすると言うか。
あの人から感じるのは、歴戦というのも生ぬるい、老練という気配だ。
ともかく、錬金術の書籍棚に案内して貰う。
空を飛ぶ錬金術については、昔から相応の資料があり。
有名な本はまとめてあるという。
十冊ほどを受け取ると、早速読ませて貰う。
なお、借りて持ち出す場合は有料だが。
此処で読むだけなら、ただだという。
ただし魔術による高度なセキュリティが掛かっていて。本を盗もうとした場合は、厳しい処罰が科せられるそうだ。
ともあれ、さっそく目を通す。
グラビ石については、すぐに見つかった。どうやら古い時代から、空を飛ぶためには必須のものとして重宝されていたらしい。
それだけではない。
例えば、靴を軽くするために用いたり。
上手く加工すれば、道具を軽くしたり。
荷車の負担も減らせるという。
なるほど。
メモを取り出すと、情報を写していく。こういう錬金術についての貴重な情報を、もっと広めれば。或いは、人々の生活は今よりずっとマシになるのでは無いかと、わたしは思ってしまうのだが。
それは贅沢なのだろうか。
できれば、子供達は笑って遊んで、勉強だけしていればいい。
そんな世の中が来れば良い。
そして才能がある子はみんな発掘されて。
錬金術師になれれば。
でも、錬金術師は戦略級の存在だ。
それに人間であることに代わりも無い。
もし、錬金術師が悪い事をするようになったら。誰が止めるのか。
そういえば、レンさんの前のフルスハイムの公認錬金術師は、嫌に良いタイミングで「不審死」を遂げたと聞いている。
考え込んでしまう。
とにかく、情報を収集。
調べていくと、グラビ石の能力を更に圧縮した、グラビ結晶と言うものも作れるようだ。圧縮率と質によっては、巨大なものも浮かせることが可能だという。
これは。
使えるかも知れない。
すぐにグラビ結晶の研究に切り替える。
荷車にしても、今の段階だと。時々部品を切り替えるのが大変なのだ。これもグラビ石を取り入れれば、軽く、なおかつ痛むのを遅らせることが出来るかもしれない。
装備品にしても、靴は前から改善が出来るかもしれないと思っていた。
上手くグラビ石を取り入れれば。
それこそ、天を駆ける速度で走れるかも知れない。
グラビ石は調べて見ると、それそのものが強い魔力を持っているという話で。
他にも様々な道具へと応用が利きそうだ。
なるほど。
集中して調べていく。
二日ほど図書館に通う。
その間、レヴィさんと話をするが。
今の時点で、ツヴァイちゃんは相当に落ち着いて来ている様子で。コンテナでせっせと確認作業にいそしんでいる反面。
剣術を教えて欲しいと、時々言われるそうだ。
だが、ツヴァイちゃんの小さな体では、剣術は向いていないと話をして。
諦めさせてもいると言う。
ツヴァイちゃんは力を求め始めている。
それが危うい。
レヴィさんは、よく分からないしゃべり方ではなく。真面目に、ツヴァイちゃんが眠った後に、皆で夕食をとりながら言うのだった。
「匪賊に家族を目の前で生きたまま喰われたんだ。 恨みが溜まるのも無理はねえ」
そうアングリフさんは言う。
あまり多くは食べないが。それはフリッツさんと飲んでいたからだろう。
ちなみにドロッセルさんを見て安心したのか。
フリッツさんは、もう昨日のうちにこの街を出たそうだ。
これからアダレットに行くとなると大変かもしれないが。
アングリフさんと同格の傭兵となれば、難しくはないのかも知れない。
「フィリス、ツヴァイの戦闘技術については俺が仕込んでやる。 ホムは身体能力が低いが、数字には強い。 接近戦で瞬間の判断を求められるような前衛には向いていないが、そこの学者先生みたいに狙撃をしたり、或いはここぞという所で一発のデカイ攻撃を叩き込む一撃離脱には向いてる。 或いはリソースを管理して、戦闘をコントロールする参謀も良いかもな」
「アングリフさん、あんな小さな子を」
「あれはもう大人になろうとしている虎だ。 子供といって侮っていると、牙も爪も揃えてきて驚くのはお前さんだぜ、リアーネ。 ドロッセルもそこのモヤシくらいの頃には、もう匪賊の群れに切り込んで、首をスパスパやってたからな」
「え、私がアングリフさんと一緒に戦ったのって、15年も前だけど」
ドロッセルさんが不満そうに口を尖らせる。
ちょっとまった。
ドロッセルさんは確か二十代半ばと聞いている。
と言う事は。
この人、十歳の頃にはもう前線に出て、匪賊を殺していたのか。
というかもう一つ待った。
わたし、アングリフさんに十歳くらいに見られていたのか。いくら何でもそんなに幼くない。
むっと膨れるわたしに気付いていないのか、カルドさんが続ける。
「それにしても此処の遺跡は興味深い。 後から図書館として利用するようになったのでしょうが、此処を作った錬金術師は凄腕ですね」
「それについては意見が一致するわね。 というよりも、此処は要塞として作られたと思うのだけれど」
イルメリアちゃんが応じる。
彼女はわたしより野菜が好きなようで、料理も積極的に野菜のものを食べている。
なおアリスさんは一切会話に参加せず。
黙々と、必要な栄養だけを取っているように見える。
「そういえば爺さんは」
「図書館から持ってきた本を一心不乱に読みあさっているわ。 声を掛けるまでは宿から出てこないかも知れないわね」
「そうか、元気な爺さんだ。 年を取ると新しい情報を頭に入れるのはどんどん難しくなるからな。 貪欲に知識を増やそうとする老人ってのは珍しいんだぜ」
「……」
それで思い出す。
図書館に二日通ったが。
二日とも、あの不思議な雰囲気の人はいた。
一度目はあった。
だが、相手は此方を気にもしていないようだった。
あの人は、見た目と気配が完全に一致していなかった。
何者なのだろうか。
「時にフィリス、どうにかなりそうか」
「山を下りた後、少し雪山の岩を崩して回ります。 グラビ石が大量にいると思いますので。 護衛をお願いします」
「何をするつもりだ」
「荷車の両脇にグラビ結晶を取り付けた棒をセットして、浮かぶようにして。 後方に炉をつけて推進力を作ります。 後は炉からの余剰の力を利用したスラスターを何カ所かにつけて。 獣に手を出せない高度を移動出来る荷車に改造するつもりです。 オプションとして霊よけのランタンもつけます。 一連の道具はキット化して、取り外しが出来るようにする予定です」
イルメリアちゃんが愕然とする。
スラスターの構造については、この間の炉で確認した。
推進力の出し方も分かった。
最初は空飛ぶ箒にするつもりだったのだけれど。
それだと、わたし一人で、奇襲してくる可能性も高い敵から身を守りつつ、雪山を低高度で行かなければならなくなる。もしも途中で事故を起こしたりしたら、それこそ即死案件だ。
これに対して、今まで荷車を作る過程で培った技術を応用し。
自動回避装置などを組み込んだ荷車を飛べるようにすれば。
周囲を確認する要員、防御を担当する要員、操縦要員などを含め、数人が乗り込んだ状態で、空を飛んで移動する荷車を作る事が出来る。
そして、残りの人員はアトリエに入って貰えば良い。
イルメリアちゃんが俯いて震えている。
どうしたのだろう。
「これが完成すれば、わたしは状況を見ながら、上空から敵を爆撃する形でみなを援護できると思います。 お姉ちゃんとカルドさんも、相手の上を取りながら敵を狙撃できると思います。 何より、荷車に重量制限が必要なくなります」
「ハッハッハ! 流石は錬金術師だなオイ! あの船を作ったときは流石に俺も驚いたが、やっぱり錬金術師は格が違うぜ」
「でも、多分公認錬金術師はもっと凄いと思います」
「……そうだな。 前にちらっと見たあのソフィーって錬金術師なんかは特にそうだろうな」
不意に。
アングリフさんの声が影を帯びた。
そして、夕食が解散になると。
イルメリアちゃんは、無言でアトリエを出て行った。
何だろう。
とても嫌な予感がした。
宿の部屋に戻ると。
イルメリアはベッドに腰掛け。大きなため息をついた。
分かっていた。
アレは化け物だ。
フィリスが装甲船のアイデアを出した時。
あり得ないと、最初にイルメリアは思ってしまった。
確かにその時点ではあり得なかった。
だがフィリスは恐らくだが、分かっていたのだ。
その場にいる公認錬金術師レンの力と。
そしてここぞと支援に来たソフィーの力があれば、実現可能な事だと。更に言えば、それを無意識で理解していた可能性が高い。
錬金術師の中でも。
ギフテッド持ちは殆どいない。
当然イルメリアだってそうではないし。実物を見るのはフィリスで初めてだ。
ギフテッドにしても、基本的に一種類というのが普通で。故にあらゆるものの声が聞こえるというソフィーの話を聞いたときは。化け物としか感想が出てこなかった。
それこそ歴史を変えうる存在だと、一目で分かったが。
フィリスは無意識で理解出来ていても。
それを意識的に。
いや論理的に理解出来ていない。
理由は簡単。
必要ないからだ。
あの子はギフテッド。文字通りの異端の才覚の持ち主。いわゆる天才だ。普段の言動からはとてもそうとは思えないかも知れない。だが、幼い頃から錬金術しかやってこなかったイルメリアにはよく分かる。
あれは本当に数ヶ月前に錬金術を始めた存在か。
作為的なものも感じるが。
だが、ギフテッドをフルに活用して、才覚を凄まじい速度で伸ばしている。既にイルメリアよりも、明らかに数段上の道具を思いつくようになっている。
錬金術の技術に関しては、イルメリアの方がまだずっと上だ。
多分、論理的な理解についても遙かに上だろう。
だがフィリスは、論理を感覚でねじ伏せる力を持っている。それは、もはや人間と呼んで良いものかよく分からない。
頭を抱えて、もう一度嘆息すると。
不意に戸をノックされた。
アリスが腰を上げて、外の確認。
どうやら、以前少しだけであった、子供達らしかった。
「やあ、腐っているようだね」
「どうやって子供がここに来たのよ。 フルスハイム東の緑化作業も、まだ満足に終わっていないのよ」
「子供は貴方も同じでしょう?」
せせら笑うアトミナ。
何故かアリスは、子供達が存在しないかのように振る舞っている。
それもまた、イルメリアの恐怖を強く刺激した。
「腰が引けてしまっているね」
「才能の違いを感じてしまったかしら?」
「よ、余計な……」
「分かり易い。 その辺りが子供なんだよ」
憤怒に顔が真っ赤になるのを感じたが。
だが言われた通りだ。
確かにイルメリアはフィリスに恐怖を感じ始めている。考えられる限り最高のエリート教育を受けたはずのイルメリアが。
自分で絶対にやっていけると信じていたのに。
まったく勝てる気がしない。
今はまだ勝っている技術だって。
それも今のペースでフィリスが成長していったら。
いつ追い越されるか、知れたものではないのだ。
「ヒントをあげよう。 フィリスは天才だ。 君が知っている通りね」
「……っ」
「だが君は、地道に実力を積み上げる力を持っている。 それをうまく生かせば、対抗する手段もある」
「……ふふ、メクレット。 そこまでよ。 今日は引き上げましょう」
子供達は。
現れたとき同様。
まったく前触れも無く消えた。
そしてアリスは、戸を閉める。何も無かったかのように。
「お嬢様、どうなさいましたか」
「アリス、貴方は今の子達をどう思う?」
「特に何も。 正論を言っているとは思います」
「そうね、正論かもね」
ベッドに転がり込むと。
またしばらく腐る。
あれが正論だと言う事は分かっている。
だが、それをしっかり受け止めるには。
まだ時間が必要だった。
2、空を舞う箱
見聞院のある街から降りる。
既にフルスハイムへの街道が通じていると聞いて、此処に逃げ込んでいたらしい旅人や錬金術師などが数人、山を下りたようだった。まあ既に安全が確保されているのは事実なのだ。
降りてからオスカーさんに話を聞くと。
確かにフルスハイムへと去って行った人が数人いたという。
山の途中でトラブルに見舞われた様子もなかったようだ。
それならば良かった。
まず、パイモンさんにも説明。
荷車を飛べるようにする、と説明すると。
流石にパイモンさんも愕然としたようだった。
「若いというのは羨ましい。 良くもそのような事を思いつくものだ」
「資料を参考にしただけです」
「そうだな。 その通りかも知れんな」
ともかく。
周囲の岩を徹底的に砕き、コンテナに運び込む。かなりの頻度でグラビ石を入手することが出来たので、コンテナで気密処置をしてしまっておく。方法についても、図書館で調べてある。
いずれにしても、このコンテナでは、劣化が殆ど起こらない。
そういう処置が空間そのものにされているので。
あくまで「予備処置」とでもいうべきものだが。
実際肉の類が傷んだりもしないのだ。
グラビ石が痛む事もないだろう。
同時に、荷車についてもチェック。
現状で飛ぶための機構をつけるためには。現在使用している荷車だと、少しばかり小さすぎるかも知れない。
かといって、これ以上大型化するとアトリエに入らなくなる。
その場合はどうするのか。
しばし考えた末に。
取り外しを出来るようにするべきだと、考えに至った。
どの道メンテナンスが必要になるのだ
分解はいつでも出来るようにしておいた方が良い。
まず最初に、グラビ結晶を作る。
それから、どれくらいの浮遊能力を作り出せるか検証する。
魔族の中には、魔術で飛べる人もいる。
人間の魔術師にもいる。
だがそれは適正が無ければ出来ない。魔族は適正をほぼ全員が持っているようなのだけれど、人間で持っている者はごくわずか。
グラビ石も鉱物だ。
声を聞かせてくれるし。
持ってきた資料を基に。
まずは潰し。
中和剤を使って変質させ。
強化して混ぜ合わせ。
更に純度を高める。
コレを繰り返して、浮遊する能力を高めた後。
少しずつアトリエ内で実験する。
何故アトリエ内でやるかというと、外でやると飛んで行ってしまう可能性があるからだ。
案の定、最初は上手く行かない。
純度を上げすぎると、凄まじい勢いで上に飛んでいく。
多分空の彼方まで飛んで行ってしまうだろう。
天井に張り付いてしまうグラビ結晶を取り外すのに、えらい苦労した。何しろ、天井に食い込みかねない勢いだったのだ。
石材にくくりつけても。
なんと石材が綿のように感じてしまう。
つまりそれだけ、強烈な浮遊力を持っている、と言う事だ。
要するにそれは。
これこそ、古い時代の錬金術師が作ったという。
空を飛ぶ城やら要塞やらの正体なのではあるまいか。
可能性は決して低くないはずだ。
声を聞く限り、グラビ結晶はかなり融通が利く。
硬度もそれほどない。
つまるところ、グラビ結晶は潰したり伸ばしたり出来るし。金属でコーティングしないと、装備品に応用するのは難しい、と言う事も意味している。そのまま使った場合は、どうなるかあまり自信が持てない。
かといって、グラビ石のままだと、品質が安定しない。
グラビ石の中から、浮く成分を抽出して。
そして安定して浮くようにする。
此処までの作業が、数日かかった。
その後、少しずつ安定した浮遊力をコントロールするための仕組みを作っていく。
急に重くなる道具、何てものは存在しない。
かといって、空中にグラビ結晶を捨てるのはあまりにももったいない。
グラビ結晶の浮遊力は、魔力に依存していない事が分かる。
そうなると、どうやっていにしえの錬金術師達は、これの浮遊力をコントロールしていたのか。
資料を確認しつつ。
色々と、グラビ結晶を加工して、試してみる。
例えば、小さな結晶を靴の横側に入れて見る。
そうすると、歩くのが格段に楽になる。
ただしそれぞれの体重にあわせて調整しないと、逆に歩きづらくなる。
これについては実験のついでに調整。
全員分の靴に、グラビ結晶の欠片を取り付けた。
兎に角簡単に歩けると言う事で、皆喜んでくれたが。
かといって、靴を脱ぐと飛んで行ってしまうようでも困る。
調整は慎重に行わなければならない。
グラビ結晶の欠片は、靴を脱ぐときに外せるようにし。
外した後は重しがついたホルダーに格納するようにもする。これを義務づけると言うと、流石にちょっと面倒くさいと皆顔に書いた。
ただし、実際このグラビ結晶つきの靴で外を歩いてみると、今までの数倍の速度で歩ける上。
歩くための労力も減る。
更に、荷車にも同じように、グラビ結晶をつけるためのホルダーを作る。
この場合、荷車の底。それも底と車軸の間に、薄く長い板状のものを差し込めるようにする。
今まで、重めの荷物を積んでいたとき、荷車はかなりギシギシ言っていたし、何より重くて運ぶのが大変だったが。
ためしに石材を積んでみたところ。
驚くほど軽くなる。
ただし、先にグラビ結晶を突っ込むと、あまり良い結果になる未来が予想できない。
グラビ結晶の板は、人間が浮かない程度のものを複数突っ込めるように調整はしたけれど。
これも先に荷物を詰め込むことと書いた注意書きを荷車に書く事になった。
だが、いわゆるヒューマンエラー。ケアレスミスは誰でもやるものだ。
其処で、カルドさんと相談して。
魔法陣を書く。
音声を発する魔法陣で。
グラビ結晶をセットする場所に、警告を発するように仕込んだ。
靴の場合は、脱ぐ前にグラビ結晶を外してホルダーに入れてください、と声が出る。
荷車の場合は、まず荷物を積んでくださいと声が出る。
更に、荷車の場合は、重さをある程度検知して、グラビ結晶をこれ以上入れないでくださいと警告が出るようにもした。
しかしながら、だ。
これらをやっていくと、システムがどんどん大型化肥大化していくのも分かった。
そろそろ、全面的な更改が必要だろう。
あまりにも大型化したシステムは。
専門家にしか動かせない。
作る過程は専門知識が必要でかまわない。
だけれど、扱うのは。
誰でも出来るようにするのが好ましい。
これについてはカルドさんに、作業中に言われた。
遺跡などを発掘しているときにも、完全に誰か特定の人物しか扱えないような複雑な機構のものが出てきてしまい。
解析に非常に手間取ることがあったという。
そういったものは、特定の人物がいなくなると、どれだけ便利でも優れていても、使えなくなってしまう。
それでは意味がないのだと。
わたしも頷かされる。
だから、少しずつ。
根本的な更改を考えて行った。
資料を精査しながら、少しずつグラビ結晶を調査していく。
その過程で外を確認。
緑化作業が上手く行っていることや。
どうやらオスカーさんが、装甲船を使って他の街の緑化作業に出向いた事を知らされる。
街道の周囲にグリフォンは彷徨いているが。
緑化された森に入ることはあっても、寝そべっていて、人間を襲う気配はないし。
何より森を傷つける事は絶対にあり得ない。
人間の側から、グリフォンに近づきすぎないようにすればいいのであって。
ここから先は人間の問題だ。
わたしも無用な戦闘は望まないし。
ましてや森を傷つけるなんて言語道断だ。
あれだけ苦労して作り上げた森だ。
獣でさえ傷つけないのである。
人間が傷つけるのがどういう意味か位は分かる。
食糧はたくさんあるし。
畑も数倍に拡がったことで、どうも上手く行っていないフルスハイム東の湖沿岸の集落から、人間がかなり流れ込んでいるらしく。
畑には多数の人が見られる。
此処で稼いで。
少しでも生活を楽にしておこう、というのだろう。
街の長老は前はいるかいないのか分からなかったが。
街の方に出向くと、いつの間にか長老らしい人物がいて。
わたしの顔を見ると、露骨なごますりをしてくるので辟易した。
また、グリフォン戦で殆ど役に立たなかった自警団の人達が、やたら偉そうにしているのを見て。
またげんなりさせられた。
ともかく、作業だ。
時々街に戻って補給をしながら。
グラビ結晶の研究を続ける。
ほどなく、特定の魔術でグラビ石の浮遊力を押さえ込めることが分かる。魔法陣は極めて複雑だが、今なら手が届くと思う。
イルメリアちゃんとパイモンさんに手伝って貰い。
グラビ結晶の検証実験をする。
これが上手く行けばグラビ結晶を使ったシステムの肥大化を押さえ込めるはずだ。
すぐに一週間が過ぎる。
四苦八苦が続く。
グラビ結晶は簡単に浮遊力を無くしてくれない。魔法陣があまりにも複雑すぎるのだ。メンテナンスも骨が折れるだろう。
意外にも最初にアイデアを出してくれたのは、パイモンさんだった。
流石に年の功と言うべきか。
老齢の錬金術師らしく、色々な経験を積んでいる。
魔術に関しては、多分この中で一番詳しい。
理論はカルドさんに聞くと早いのだけれど(魔術を使えるかどうかは別として、魔術で動いている遺跡を山ほど見てきたから、らしい)。魔術を動かすとなると、この人は頼りになる。
「処理を順番にやっていくと良いだろう。 この魔法陣は分割出来るはずだ」
「なるほど。 それならば……」
「まずこの魔法陣がいる」
パイモンさんが書いた魔法陣はとても簡単なものだった。
三個の魔法陣を書いたが。
それぞれがとても簡単である。
だが、これらを組み合わせると、最初の極めて複雑な魔法陣になる。
そして、これらの魔法陣が順番に発動するように。
また極めて簡単な魔法陣を作る。
これで完成だ。
三つの主要処理と、二つの処理接続用魔法陣。
合計五つ。
これでメンテナンスが極めて簡単になった。
さっそく試すが。
グラビ結晶の浮遊力を、魔力を注ぎ込むことで、比較的容易にコントロールできるようになった。
これで、道筋は立った。
呼吸を整える。
後は、飛ぶための道具をキット化し。
それで雪山を越えるだけだ。
炉については、イルメリアちゃんが作ってくれている。既に、出力は小さいものの、荷車を推進させる程度のものはほぼ完成しているようだった。
わたしはイルメリアちゃん用と、パイモンさん用に、自分も使っている荷車を作って増やしておく。
何、今のノウハウ蓄積の結果、それほど難しい話じゃ無い。
金属加工については、もう本職の鍛冶師にだって負ける気はしない。
そして、炉が完成する頃には。
実験を重ねながら。
浮いて進める荷車に必要な。
取り付けるためのキットが完成していた。霊よけのランタンも、パイモンさんにレシピを教わって作った。
全ての準備は整った。
それは、なんというか。鳥と言うよりは、お魚に近い形状だったかも知れない。
金属で出来ているそれは、流線型でありながら。
荷車にセットすると、お魚の様に見える。
現状で荷車にはわたしを含めて、数人が乗り込めるが。
このキットを搭載する事で、更にもう一人が乗れる。
わたしが動かして。
お姉ちゃんが周囲を警戒。
近づいてくる相手をカルドさんが狙撃。
そしてレヴィさんがシールドを張って攻撃を防ぐ。
この流れで良いだろう。
まずは、わたしだけが乗って、浮くかどうか確認。
キット化した浮遊セットは、荷車に対して、挟み込むようにして取り付け。ねじを巻くだけで、固定化出来る。
今回、このキットを取り付けるために。
荷車の装甲に加工を施し。
ねじ穴用のパーツを溶接した。
アトリエに入るように調節したが。
それはそれとして、浮遊セットは別に取り外さなければならない。
幸い、グラビ結晶を組み込んだ浮遊セットは、それぞれが綿毛のように軽いし。ぶつかっても怪我しないように、衝突回避の魔術も組み込んである。金属製なので極めて頑強でもある。
重さを無視出来るというのは。
これほどまでに強みになるのか。
最初はアトリエ内で浮遊実験を実施。
やっぱりいきなりは上手く行かず。
わたしだけが乗って動かしたりしても。
天井に頭をごっつんこしたり。
ひっくり返ってお姉ちゃんがあわてて受け止めたりして。
何度も工夫を余儀なくされた。
たんこぶを作ったりたんこぶを作ったりたんこぶを作ったりしながら。
最終的に、姿勢が安定するまで四日。
そして、炉を組み込んだ実験を開始し。
前進後退、左右移動を出来るようになるまで、更に七日。
時間はどんどん過ぎていくが。
そもそも、空を飛ぶ魔術を魔族が習得するのでさえ、年単位でかかると言う話をパイモンさんに聞かされる。
魔術も素質が重要な学問だが。
適正がある魔族でさえ。
誰でも使っているように見えて。
空を飛ぶには、そんなに苦労している、という事である。
人間が鳥のように空を飛ぶには、それだけ大変だ、と言う事で。
わたしとしても、慎重にやらざるを得なかった。
浮遊キットの調整を行い。
システムが複雑化しすぎないようにしながら。
荷車も靴も調製する。
その内、靴も荷車も、グラビ結晶を自動で調整出来るように魔法陣を仕込み、取り外しの必要はなくなった。
これが進歩だと思うのと同時に。
メモを残して、仕組みを書き出すと。
その複雑さに、時々閉口する。
「誰でも使える便利」の影には。
此処まで複雑で難解なシステムが潜んでいる。
それを思い知らされた。
やがて、アトリエの外で、実験を開始する。
お姉ちゃんにもいつでも問題が起きたときに対応出来るように待機して貰い。
浮遊実験開始。
最初は風にさえぐらついたが。
ほどなく、風くらいならどうにでもなるくらいに安定してきた。
ただし、速度を出しすぎると危険だと、アドバイスをパイモンさんから受ける。
魔族に聞いた話らしいのだが。
あまり速度を出しすぎると、小鳥と正面衝突しただけで、相当なダメージを受けるという。速度と場所によっては成年の魔族が即死だそうである。
バードストライクというらしいが。
確かにそれは、気を付けなければならないだろう。
更に一週間。
まずレヴィさんに乗って貰う。
二人乗せただけでまた安定性に不安が出たが、それは徹底的に調整する。最低でも四人を乗せることが前提なのだ。二人乗せる程度でぐらついたら、それこそお話にもならない。
毎回少しずつキットを調整し、全ての結果をメモに残し。ハンマーで叩いて少しずつ直す。
設計図にも、徹底的に書き込みを続ける。
昔話の魔女のように。
箒に乗って空を飛べたらどれだけ楽だろう。
でも、わたしには自衛力が無い。
空にも強力な獣がいる。
それを考えると、箒に乗って空をぴゅーんと飛んでいくのは現実的では無いし。
何よりパイモンさんに聞かされたように、鳥とかにぶつかったりしたら、その時点で命が危ない。
この道具は、完成させれば応用も利くし。
何より非常に利便性が高い。
完成させる意味も価値もある。
やがて、三人を乗せられるようになり。
四人を乗せられるようになり。
グリフォンが見上げている上を、自由自在に移動出来るようになった頃に。
丁度オスカーさんが戻ってきた。
オスカーさんは、やはり湖沿岸の街を見て回っていたらしく。特に酷い場所で、フルスハイムから派遣されてきた精鋭と一緒に緑化作業を開始。少なくとも街の安全は確保する、ところまでやっていたそうだ。
ただし、沿岸部には匪賊の脅威にさらされている場所も多く。
森を作っただけでは安全とは言えない。
今後も装甲船を動かし。
自警団と連携した戦力が、いつでも敵を撃退出来るようにする必要があると、オスカーさんは言っていた。
オスカーさんは、空を自由に飛べるようになって来た荷車を見て感心したが。
それで気付く。
この人、多分これ以上のものを見た事がある。
だが、それについては黙って置くことにする。
何だかおかしいとは思っていたのだ。
こんなスペシャリストが、あまりにもタイミング良く現れた。
竜巻で立ち往生していたのも妙だし。
何かあると思う。
だけれど、手伝ってくれたのは事実だ。
だから、この人に感謝しているのは本当だ。
ともあれ。
フルスハイム東の安全は確保できた。雪山を強引に突破する準備も整った。吹雪いていないタイミングで、一気に山を越えてしまう。
荷車に浮遊セットを取り付ける。
事前に話したとおり、お姉ちゃんが周囲警戒。
接近して来るものはカルドさんが撃ちおとす。
わたしが操縦。
シールドを常時レヴィさんが展開。
後の人はアトリエに避難して貰う。
イルメリアちゃんとパイモンさんの馬車とアトリエは、フルスハイム東で預かって貰う。ちょっと不安だったが、オスカーさんが責任を持って見張ってくれるそうだ。この誠実そうな(だが多分裏もある)人が、そういうのなら大丈夫だろう。
一日休んで。
そして、翌日。
綺麗に雪山が晴れているのを確認し。
わたしは、荷車を空に舞わせた。
事前にアングリフさんが話をつけていたこともある。
何か巨大なオブジェクトの周囲に集まっていたリッチ達は、飛んでいく荷車を見て、驚くことはあっても、仕掛けてくる事はなかった。
此方としては思うところもあるが。
リッチ達が仕掛けてこないなら、それでいい。
相手が匪賊だったら爆弾を撒いてやる所だけれど。
彼らはただ彼処に集まって、何か得体が知れない信仰に己を費やしているだけ。
周囲の集落を襲っているという話も聞かない。
そもそも旅人もあのリッチ達には近づかないし。
リッチが森を傷つけるようなことも出来ない。何しろこの異常気象だ。
だから無視。
関わらない。
それでわたしとしては解決で良いと思う。
明確に弱い人に害を為す存在だったら、退治しなければならないけれど。
そうではない以上、放置してかまわないだろう。
ドラゴンが見える。
言われた通りの座標だ。
数頭がまとまっていて。
退屈そうに体を丸めている。
近づいたら攻撃してくるだろうが、かなり距離がある。それでも、レヴィさんは、全力で防御を展開していたが。
「フィリスよ、高度は可能な限り下げろ。 最悪の場合、俺の漆黒の風の守りでもブレス一発しのげるかわからんぞ」
「分かっています」
ドラゴンは人間に敵意を持っている。
それこそ気まぐれで、ブレスを叩き込んでくるかも知れない。
射線に入らない。
それが大事だ。
山の天気はころころ変わる。
速度そのものもいわゆるバードストライクが致命的にならない、更に自動回避システムが機能する段階を維持する。
これについては徹底的に検証し。
アングリフさんに石まで投げて貰って。
具体的なダメージがどれくらいになるか、検証をした。
徹底的な検証があるから。
今スムーズに飛んでいけているのだ。
行く途中の経路も徹底的に調べた。今も、お姉ちゃんが時々地図と見比べながら、右左と指示を出してくる。
わたしは必死に運転を続け。
ほどなく見えてくる。
その村の周辺だけは、雪が溶けていて。
畑が拡がっている。
そればかりか、ところどころ黙々と煙が出ていて。
明らかに世界が違っていた。
向こう側が、此方に気付く。
速度を落としながら、手を振る。少なくとも、こんな道具を操る匪賊はいない筈だ。相手も、少し警戒していたようだが。まだ少し雪が残っている辺りに降りる。幸い、途中で獣に襲われることは無かった。
だが、もう少し高度を下げていたら。
もう少し速度が遅かったら。
食肉目の大型獣が飛びついてきたかも知れないし。
アードラが上空から強襲を仕掛けて来たかも知れない。
実際、フルメンバーで戦っても手こずりそうな獣を、途中で何体も見かけたのだ。雪山を歩いて超える事になったら、あまり良い結果にはならなかっただろう。
着陸した後。
浮遊キットを外し、此方に来た自警団員らしい魔族の青年に挨拶する。まだ若々しい魔族である。
こんな孤立集落で、真っ先に出てくるのだから、相当な使い手なのだろう。
「錬金術師フィリス=ミストルートです。 用事があって来ました」
「用事とは」
「麓に街道が出来ている事は既に知っているかと思います。 ですが、麓の街道の先の橋が落ちてしまっていて。 此処の公認錬金術師の方と相談したいんです」
「……分かった。 その道具を見る限り、錬金術師である事は間違いないだろう。 ついてくるがいい」
お姉ちゃんが耳元で言う。
展開が早い。
かなりの使い手だ、と。
一旦、途中でアトリエを展開。
中にいた皆に出てきて貰う。
流石に驚いた様子の魔族の青年だが。驚きが小さいように思える。此処にも、凄い錬金術師がいる、と言う事か。
「此処、暖かいですね。 畑も元気だし、その外には雪が積もっていない森もある……発展する条件は全て整っていますね」
「先代の公認錬金術師が天寿でいなくなってから、数年間留守が続いたんだがな。 その後凄い人が来てくれたんだよ」
「それは……良かったですね」
「多分見たら驚くぞ。 俺たちも驚いたからな。 何しろ公認錬金術師の歴代最年少合格者だ」
グラシャラボラスさんと名乗った魔族の青年は、イルメリアちゃんとパイモンさんにも挨拶した後。
案内してくれる。
さて、此処からだ。
わたしは頬を叩くと。
気合いを入れ直していた。
3、レジェンド
此処で一度解散にする。
お姉ちゃんとアリスさんはついてくるが。
アングリフさんは手慣れた様子でツヴァイちゃんを背負って買い出しに。
他の皆も、街の様子を見に行ったようだった。
人口は500人ほどと見受けられるが。
街の整い具合はフルスハイムにも負けていない。
都市計画が優れているのか、街が兎に角綺麗だ。中から見ると、その綺麗さははっきりしすぎているほどである。
それに雪山のど真ん中にあるのに上水下水がしっかりしていて、異臭もほとんどしないし。どうやっているのか、アルファ商会も来ている様子だ。
ふと思い出す。
オスカーさんが使っていたあれ。
明らかに異世界に行く扉。
それに、前にエルトナで見たもの。
アレを使って、行き来しているのかも知れない。
かといって、アルファ商会も商売である以上、あまりにも売り上げが見込めない場所には早々来ないだろう。
支店を開いていると言う事は。
それなりに魅力的な経済効果が見込めている、と言う事だ。
「凄い街ね。 山の中とは思えないわ」
「たった数年で此処までになったんだよ。 それまでは、雪山の中で毎日生きた心地がしない生活をしていたんだ。 公認錬金術師試験を受けに来る錬金術師と、その護衛の傭兵だけが外貨を持ってくるって有様でな。 今では橋が落ちようが竜巻が起ころうが、内需だけでぜんっぜん問題ない状態だ」
お姉ちゃんに、ほろ苦い口調でグラシャラボラスさんが答える。
こんな街だ。
数年でこうなったのなら。
それこそ神と同じように錬金術師を尊敬するのが当たり前だろう。
ソフィーさんが来た瞬間エルトナは変わったが。
それと近いものを感じる。
もっとも、ソフィーさんが数年単位でエルトナにいてくれたら。
エルトナは今頃、巨大都市に成長しているような気もするが。
イルメリアちゃんは口を引き結んでいる。
或いは、此処に誰がいるのか知っているのかも知れない。
街の真ん中。
色々よく分からない道具がある中、アトリエがある。
こぢんまりとしていて。
その周囲には、明らかに遠慮しているように、空き地が拡がっていた。
「結構気むずかしいから気を付けてくれよ。 へそを曲げられると、露骨に仕事をしてくれなくなるんだよ」
「はい。 前にも凄くおっかない錬金術師とあっているので、多分平気です」
「……そうだな。 まあ兎に角頼む」
グラシャラボラスさんが、他の自警団員と一緒に行く。
確かに一緒に歩いて分かったが、みんな相当戦闘慣れしている。
少なくともフルスハイム東の自警団員とは雲泥だ。
同じ集落でも、結構違うものだなと、思い知らされるが。
まず今は、錬金術師に会う必要があった。
アトリエの戸をノックすると。
眠そうな声と共に、戸が開く。
わたしの胸くらいまでしか無い小さな子だ。
とにかく眠そうで、口をへの字に結んでいる。ただし、何となく分かった。この子が、錬金術師。
しかも、この街を数年で此処までにした、だろう。
イルメリアちゃんが咳払い。
わたしは、姿勢を正した。
「錬金術師フィリス=ミストルートです」
「キルシェ」
私より年下だ。
しかも、既に数年の経験持ち。
つまり恐らく、年齢一桁で公認錬金術師になったと見て良い。確かに歴代最年少での合格というのも頷ける。
そしてこの子が。
この街を此処まで発展させたのだ。
文字通りの天才。
イルメリアちゃんとパイモンさん、お姉ちゃんとアリスさんも自己紹介する。中に入ると、どうやらお手伝いさんらしい人が、家事をしていた。
キルシェちゃんと呼ぶのは失礼か。
ともあれ、キルシェさんは。
見かけや動作は子供そのものだ。ただし、目つきは何というか、あまり良くない。ツヴァイちゃんほどではないが。闇を秘めている。
この子の年で公認錬金術師をやっているとなると。
当然周囲の嫉妬だって買っているだろう。
試験の時には苦労しただろうし。
その後、この街で実績を積むまでは、あんな子供が、みたいなことを言われたのは想像に難くない。
実力で周囲を黙らせるまで。
相当な苦労をしているはずで。
わたしも、その辺りの事情はすぐに察した。
「お掃除終わりましたよ、キルシェさん」
「お客さんにお茶出して」
「ああ、手伝います」
「私も」
お姉ちゃんとアリスさんが水周りに行く。
お手伝いさん、どうも動きが良くない。というか、子供のような年の相手に、顎で使われているのが気に入らないというのが、露骨に態度に出ていた。
そういえば。グラシャラボラスさんも、どう接して良いか困っていると、態度に出ていた。
幾らこの街を良くしてくれたからと言って。
子供に顎で使われるのは、気分が悪い。
そう思う人は、いるのかも知れない。
更に言えば、この子はどう見ても「子供」だ。街によっては、子供を産めるようになると即座に大人扱いされるケースもあるが。そういう観点から言っても子供である。周囲に対して、強い警戒を抱くのも、無理はなかった。
だから、わたしは。
丁寧に対応する事にした。
「今、麓に街道が復活しているのは知っていると思います。 でもその先の橋が落ちてしまっていて、復旧の手が足りません」
「フルスハイムは……だめか。 竜巻酷い」
「はい。 そこでこの街……」
「フロッケ」
頷くと、街の力を借りたいと相談する。
相手が対等に話をしてくれていると察したからか。
少しだけ、キルシェさんの目も優しくなった。
「壊れてる橋、一つだけじゃ無い」
「はい。 出来ればそれも全部復旧したい、と思っています。 此処からライゼンベルグを目指すのはあまりにも厳しいですから」
「ドラゴンが壊した橋。 またドラゴン来る」
「何か知恵はありませんか?」
少し考え込むキルシェさん。
やがて、結論を出したようだった。
「何をするにしても技術いる。 此処にどうやって? 歩いて突破?」
「いえ、空を飛ぶ道具で来ました」
「見せて欲しい」
「はい」
案内する。
お茶が丁度出たので、それを飲んでから、だが。
アリスさんがお茶を淹れ。お姉ちゃんが軽く茶請けを作ってくれた。
どちらも美味しかったが。
胡散臭そうに此方を見ているお手伝いさんの視線は、あまり優しくなかった。キルシェさんは、多分こんな視線を、山ほど浴びながら生きてきたのだろう。
この年で、周囲に対して警戒をする訳だ。
わたしとは真逆の環境。
そもそも、キルシェさんの両親はどうしているのだろう。
「錬金術はどうやって覚えたんですか?」
「私アルファ商会の出資している孤児院出身。 色々な本があって、読んで覚えた。 覚えた事言ったら、アルファ商会で道具用意してくれて。 錬金術出来るようになったら、ライゼンベルグまで送ってくれた。 試験は一発で受かった」
さらりと言われて。後ろでお姉ちゃんが絶句している。
パイモンさんが、嘆息した。
「やれやれ、本当にそれは……」
「孤児院懐かしい。 でも、孤児院のある街、凄い公認錬金術師いる。 私なんか問題にならないくらい凄い。 私は他を助けて欲しいって言われた。 だから、最初に目についたこの街にした」
「……」
「好きな事出来るから、別にいい。 孤児院のみんな、あんまり仕事選べない。 自警団になったり、魔術師になったり、商人になったり、適正を見いだされてその仕事に就くけど、大体その仕事しかできない。 錬金術師だいたい何でもできる。 だからそれでいい」
ほどなくして、アトリエにつく。
キルシェさんは私がイルメリアちゃんとパイモンさんと協力して作った浮遊キットを見ると、すぐに仕組みを理解したようだった。
流石だ。
更に、アトリエの方も見て、頷いた。
「この浮遊キットと技術が違いすぎる。 これ、もらい物?」
「そうです。 私のお師匠様の贈り物です」
「これはまだ私にも作れない。 理論は分かるけれど、材料も技術も足りない」
そうか。
ソフィー先生の凄まじさがよく分かる。
これをぽんとわたしにくれるほどだ。
考えて見れば、最初にやって見せた、壊した扉を即時修復、なんてのも。今思っても、どうやればいいのかさっぱり分からない。
あの人は。
この幼くして天才の名を恣にしている子から見ても。
次元違いの存在なのだろう。
「この浮遊キット、同じもの作ってもいい? フルスハイムとの行き来がとてもとても楽になる。 後改良してもいい?」
「はい。 こんなもので良ければ」
「こんなものじゃない。 結構凄い。 ……これ作れるなら大丈夫。 推薦状足りないなら、橋の修復作業で出す」
「お願いします」
一応試験のために必要な推薦状は揃っている。
だけれども、あればある程良い。だったら、貰っておくべきだろう。
すぐにキルシェさんと、街の長老が住んでいる家に行く。かなり大きな家だが、出てきたのは何というか、気むずかしそうな老人だった。オレリーさんは自他に関係無く誰にでも厳しい感触だったが。この人は何というか、神経質で理不尽な印象だ。ただ、こんな山の中の閉鎖集落でくらしていたのだ。
何もかもに疑心暗鬼で備えていなければ、生きていられなかったのかも知れない。
わたしのいたエルトナでだって。不満が鬱屈しているのを見てきたのだ。
此処はエルトナと、環境はあんまり変わらないだろう。
「長老。 話がある」
「ライゼンベルグへの強行突破だったら、人手は出せませんぞ」
「違う。 麓の橋を修復する。 私とこの人達で錬金術師四人。 後は護衛と人手がいれば何とかなる。 この人達、相応の実力。 私の実力は知ってる筈。 上手く行く」
「……」
胡散臭そうに此方を見ていた長老。
これは長引くぞと、わたしは直感的に思っていた。
そもそも、キルシェさんが圧倒的な手腕で此処を再建したとはいえ。
それは長老とは関係が無い。
長老からして見れば、キルシェさんは目の上のたんこぶに等しいはずで。
キルシェさんの手腕は欲しくても。
キルシェさんに政治的に口出しなど死んでもされたくないだろう。
こういう事ばかり、知識がついてきていて。
わたしはどうも嫌な子になってきているなあと、どんどん自己嫌悪が募っていく。
「更にこの人達、空を飛んで麓までいける道具を提供してくれた。 人の行き来、活発になる。 そうすればこの街も得する。 寸断されていた道を、安全に通れる」
「ふん、どうだか」
「そう。 じゃあ私この街のために働かない」
「……っ」
キルシェさんが、ついっと視線をそらす。
同時に長老が押し黙る。
なるほど。
この様子では、キルシェさんも、実績をどんどん上げていくのに。長老に散々足を引っ張られてきたのだろう。
恐らくグラシャラボラスさん達は、キルシェさんを評価しているが。
長老はその実績だけ欲しがって、キルシェさんという人そのものを邪魔者扱いしてきた。
人間とは。
そういうものだ。
何となくわたしには、どちらの心理も分かる。
キルシェさんにしてみれば、これだけ色々しているのに、邪魔ばっかりする長老は本当に理解出来ないのだろうし。
長老にしてみれば、文字通りの子供に、何もかも握られている上、自分は存在しないも同然と陰口をたたかれているような現状を良く想っていない。
あくまで推察だが。
多分、大きく外れてはいないはずだ。
キルシェさんの所にいたお手伝いにしても。
その気になれば、キルシェさんは家事くらいできるだろう。
それを、「手間を減らすために」雇われているわけで。
子供に顎で使われている、という心理が、面白く働く筈も無い。
咳払いしたのは、イルメリアちゃんだった。
「この孤立した集落、そもそもアルファ商会もキルシェさんがいなければ撤退するのではないのかしらね。 更に言えば、麓の橋を復旧すればインフラも更に拡張性を増す。 長老なら戦略級の計画を考えるべきで、感情にまかせて行動するべきでは無いと思うのだけれど?」
「よそ者が、余計な事を……」
「いい加減にしてはどうですかな」
パイモンさんが言う。
この人は長老と同世代だ。
それに、恐らくこの人は。
故郷では長老同然の地位にいたのだろう。
「はっきり言って見苦しい。 わしはこの年でまだ公認錬金術師になっていないが、それが故、だからこそ故郷のために試験を受けるべくここに来ている。 故郷をこの手に握るためではなく、故郷を発展させるためだ。 長老どの、貴方が醜い嫉妬をばらまいて、この街が発展したのか? キルシェどのが来てくれたのか?」
「な、な……」
「くだらん嫉妬は捨て、長老ならこの街のためになる事を考えてはどうか。 麓の橋の復旧は、この街のためになる。 ましてや我々が一瞬で此処に来られたように、空路による麓との接続がどれだけこの街のためになるか分からない程呆けてもおるまい?」
「……」
屈辱に青ざめている長老。
ちょっと困った。
血迷って何かしないか不安になったが。
長老は、恨み事を吐き出した。
「確かに公認錬金術師はこの街の生命線だ。 だが、この街を守ってきたのは……わしなんだ」
「雪山の中で毎年餓死者を出し、獣どころか匪賊にも怯え、姥捨てもしていたのだろう」
「……」
「長老どの、貴方がするべきは、一つだけ。 この街の民が不幸にならないように、長期的な成長戦略を行う事だ。 そしてキルシェどのがいる限り、街は安泰。 ならば、する事は決まっておろう?」
パイモンさんは、長老の痛いところを徹底的に抉っていく。
ある意味えげつない論法だが。
しかしながら、これが正しいのだろうと、わたしも思う。
大きく嘆息すると。
長老は、自警団員の中から、十五人を割くと言った。
「爆弾と薬の蓄えはあるが、これ以上は無理だ。 街の周囲にも獣はいる。 リッチもいつ仕掛けてくるか分からないし、ドラゴン共もいる。 最悪の場合、すぐに戻ってくるのが条件ですぞ」
「ドラゴンに関しては、恐らく此方には仕掛けてこない」
「……そうだといいのですがな」
長老宅を出る。
キルシェさんは、大きくため息をついた。
お姉ちゃんが、同情するように見ている。
この子は、何というか。
周囲に頼りになる大人が一人もいないのだろう。
昔はいた。
孤児院にいたことを悲しい過去のように語っていなかったし。
凄い錬金術師がいたとも言っていた。
つまり尊敬していた、と言う事だ。
本音で言えば、故郷でその錬金術師と一緒に過ごしたかったのではないのだろうか。だが、この世界では、錬金術師がたりない。錬金術師がいないために、不幸なことになっている集落がいくらでもある。フルスハイムでさえあんな有様なのだ。錬金術師がいてさえも、回避できない不幸だらけのこの世界。
錬金術師は一人でも多くいて。
そして少しでも世界を変えないと、とてもではないが間に合わないのだ。
一旦アトリエに戻る。
夕方には、グラシャラボラスさん達が来た。
魔族二名を含む十五名の戦士だ。
皆、少なくともフルスハイム東の自警団よりは、戦闘慣れしているようだった。全員がそれぞれ、非常に逞しい。
多分だが、栄養が足りているのだ。
そう。精神論で戦士は強くならない。
戦闘慣れしていると同時に。
周囲の畑や緑地からは、相応の栄養が確保でき。獣も充分な数を狩れている、という事を意味している。
「長老が滅茶苦茶不機嫌だったが、またやりあったのか、錬金術師殿」
「長老、私が嫌い。 いつも文句言う。 どれだけ街をよくしても」
「俺たちは錬金術師殿に感謝してるぜ。 来てくれる前は、毎年悲惨だったからな」
多分色々察したのだろう。
グラシャラボラスさんは、パイモンさんに一礼。
パイモンさんは、頷くだけで返した。
さて、此処からだ。
アトリエで、軽く話をする。
「ドラゴンも森には攻撃はしません。 橋をそのまま造っても、恐らく橋はまた壊されてしまいます。 其処で、橋は剥き出しのものではなく、緑地が乗るものを考えています」
「それだと、恐らく生半可な橋では不可能」
「でしょうね。 そこでグラビ結晶を利用しようかと思います」
「……グラビ結晶は貴重。 それに、バランスが崩れると、橋が倒壊する危険が大きい」
キルシェさんは、二つ提案してきた。
子供なのに。
論理的な思考が非常に優れている。でもしゃべり方は片言気味だ。これは恐らく、才覚が偏っているから、なのだろう。
「まず峡谷の底を調べたい。 あの空飛ぶ荷車なら、降りるのは難しくないはず」
「峡谷の底を?」
「そう。 峡谷は基本的に、水が削り取って出来る。 でも、今も水が残っているかどうかは限らない」
キルシェさんは、周囲の何カ所かを、小さな指で指した。
「もしも峡谷の底に水がないなら、いっそ埋める」
「峡谷を丸ごとかよ……」
流石にグラシャラボラスさんが呻く。
だけれど、わたしにそれは得意分野だ。
「わたしは鉱物の声が聞こえます。 それだったら、得意です」
「本当? だったら発破が節約できる。 この辺りは地盤も不安定だし、いっそのことまとめて処理したい。 この峡谷のせいで、多くの人が不幸になってる。 匪賊が逃げ込んで、討伐できないでもいる。 だったら、役目を終えた峡谷は、無くなった方が良い」
その通りだ。
調べれば調べるほど、あの辺りは緑も無く。
何処までも乾燥した荒野が拡がり。
多数の獣が我が物顔に行き交い。
匪賊が潜んでいるという。
だったら、地形そのものを変えてしまうのが一番だ。
ましてや、ドラゴンが多数いる場所を強行突破して、ライゼンベルグまで多くの死者を出しながら駆け抜けるなんて事をしなくても良いようにするには。
峡谷を埋めてしまう。
そういう選択肢もある。
イルメリアちゃんが咳払い。
「そうなると、フルスハイムの時のように、丸ごと岩山を崩したりという作業になるのね」
「今回は戦力も充実しているし、多分前より楽なんじゃない?」
「そうとは思えないけれど」
イルメリアちゃんが言うには。
今回突破を測る峡谷は。
グリフォンがまだまだいるという。
今まで街道を延ばしていた辺りまでは、グリフォンの撃破は終わっている。
だが、まだ峡谷の辺りは違う。
その下もしかり。
どんな獣がいるか知れたものでは無い。
峡谷の先は匪賊の聖地とまで言われている。
いつ獣と同等にまで落ちた人間が襲ってくるか、わかったものでは無い。
そしてそういった連中は。
人間の弱点を知り尽くしているし。
緑化したところで関係無く襲ってくる。
つまり。
駆除するしか無い。
人間をだ。
「人間を喰うとは言え匪賊は人間よ。 殺せる?」
「……匪賊は許せない」
「そうだな」
パイモンさんがわたしの肩を叩く。
ツヴァイちゃんの話はパイモンさんにもしてある。わたしは、匪賊を絶対に許さない。そうか。今後は遭遇する可能性も増えるし、場合によっては殺さなければならなくもなるのか。
だが、いつかは通らなければならなかった道だ。
人を殺す。
いや違う。
イルメリアちゃんは人と言ったが。
ツヴァイちゃんの両親を、その目の前で生きたまま切り刻み、喰らったような連中は。人間じゃ無い。
そんなのは獣だ。
獣は散々駆除してきた。
今回も、同じだ。
「覚悟が出来ているのなら良いわ」
イルメリアちゃんは、恐らくどういう経路でライゼンベルグに行くか、知っていた。途中の下調べもしていた。
だから、峡谷の辺りで、匪賊と交戦する事も視野に入れていたのだろう。だから覚悟も決めていた、と言うわけだ。
お姉ちゃんが心配そうに見ているが。
わたしは躊躇わない。
世界に不幸を撒くだけの匪賊は。
排除する。
わたしのアトリエに集合。
丁度皆も、物資の補給を終えて戻ってきていた。
アングリフさんは、話がもうまとまったと聞いて驚いた。
なお、アングリフさんはこの街でも名前が知られているようで、グラシャラボラスさんとも知り合いのようだった。
「貴方の指揮があるなら心強い。 頼りにしている」
「ああ、任せておきな。 では、さっそく作業に取りかかるか……」
皆にはアトリエに入って貰う。
違うのは、キルシェさんが操縦したい、と言いだしたこと。
少し躊躇ったが。わたしも乗れば大丈夫だろう。
体が小さいキルシェさんだし、荷車の容量的には大丈夫だ。
それに、これからこの街で、量産した飛行キットを用いるのなら、実際に操縦できるようになるのは必須だ。
軽く説明すると。
頷いて、それだけですぐに動かして見せた。
大したものだ。
わたしなんかは四苦八苦しながらだったのに。
だけれど、キルシェさんはいう。
「私、錬金術師の一番凄い人達には、多分一生勝てないと思う」
「ええっ」
「私知ってる。 私、勉強してもある程度以上までしかいけない。 多分才能の限界が、私は早く来たんだと思う。 私の場合、前借りで錬金術上手くなった。 天才なんて大嘘」
頭の回転そのものは早いと思うけれど。
そういうものなのか。
確かにキルシェさんはいびつだ。
言葉も少し片言だし。
天才というと、幼い頃から何でもかんでもできるみたいなイメージを、実物を見せられて崩された気がする。
それになんというか。
同じ天才でも、ソフィー先生とはどこかが決定的に違う。
鬱屈を抱えているのは多分同じだろう。
でも、キルシェさんには。
そうだ、何となく分かる。
もっとどす黒い、何か決定的に「違う」ものがない。わたしとあまり変わらないような気がする。
「覚えた。 山降りる」
「警戒開始!」
「了解、警戒開始」
「シールド展開」
お姉ちゃんが声を掛けると、カルドさんとレヴィさんが唱和する。
わたしは爆弾を手にして、周囲を確認。
もしも何かが仕掛けてくるようだったら、即座に爆弾の雨を降らせてやる。近づいて来たら、即刻爆破だ。
山を降り始める。
少し地図を見て打ち合わせしたが、頭の出来が違うのだろう。
まるで迷いなく、ナビゲーションも必要なく。
キルシェさんはすっと山を下りていく。
途中、アードラが一匹仕掛けて来たが。
お姉ちゃんが警告、カルドさんが有無を言わず叩き落とした。この移動速度で、翼を的確に打ち抜く手腕は流石だ。
その反動まで綺麗に吸収して操縦しているので、キルシェさんの技量はこういう所でも高い事がよく分かる。
落ちたアードラには、あっというまに獣が群がり、瞬く間に引き裂いてばらばらにしてしまう。
落ちたらああなる。
心しておかなければならないだろう。
ほどなく、麓に。
オスカーさんが待っていた。
「早かったな。 それで、その子が山の街の錬金術師かい?」
「はい、キルシェさんです。 歴代最年少の公認錬金術師突破者ですよ」
「それはすごいな」
「よろしく」
ぺこりと頭を下げると、キルシェさんはそのまま降りる事無く、峡谷の方へ。
ドラゴンが焼き払った辺りまで出ると、其処で荷車を着地させた。
すぐにアトリエを展開。
中にいた人達にも出て貰う。
周囲を見回すキルシェさん。
まず、わたしが挙手した。
「ちょっと先に、峡谷の下を見てきます。 水が流れていないようなら、打ち合わせ通りに始めましょう」
さて、一気に進めるぞ。
ライゼンベルグまでの道が見えてきているのだ。
この峡谷を突破したら、ライゼンベルグ近郊にまで出る。
其処は相当な魔境という話だが。
それでも近くまで到達した、という事実に代わりは無いのだ。
あと少し。
あと少し頑張れば。
わたしは目的の土地にたどり着ける。
4、血を吸う剣
あたしが手をかざして見ている先で、作業を始めるフィリスちゃん。向こうからは認識出来ない距離からの観察だが。
前とはまた違う方法で突破を試みている。
それはそうか。
前はドラゴンが橋を落とさなかった。
橋は経年劣化で落ちた。
だからフィリスちゃんは、橋を単純に修復した。フィリスちゃんがキルシェちゃんと会ったのは、試験が終わってからだった。
今回は違う。
峡谷を丸ごと崩して、道にしてしまう。
そういうダイナミックな作業をしている。
面白い。
鉱物の声が「聞こえる」ギフテッドをフルに利用しての行動だ。力を出し惜しみしない破壊っぷり。
これこそ錬金術師のあるべき姿だ。
ティアナちゃんが来る。
見張りについているシャノンちゃんの方を、面白くも無さそうにティアナちゃんは一瞥した。
バディを組ませてはいるが。
どうも仲が良くない。
躁の傾向があるティアナちゃんは、世界に対する憎悪を手を血に染めることで解決しているが。
逆に陰の傾向があるシャノンちゃんは、世界から自分を隠すことで解決している。
こういう真逆の性格だと、親友になりやすいのだが。
それもあくまで「なりやすい」であって。
絶対では無い。
「いいなー。 フィリスちゃんを見張れて。 私、フィリスちゃんさらって、私の部屋に監禁したいなー。 コレクション見せたいし、私が書いた絵を楽しんでもらいたいなー」
「駄目だよ、そんな事したら」
「分かってます。 でも、最近匪賊を斬れなくてつまらないもん。 せっかく峡谷の方に匪賊が山ほどいるのに……つまんなーい」
「そういうと思って、仕事を用意しておいたよ」
むくれていたティアナちゃんが。
ぱっと明るくなる。
分かり易い。
「これからフィリスちゃんは匪賊と間違いなくぶつかるけれど、少しばかり慣れる必要があるからね。 ティアナちゃんには間引いてきて貰おうかなって思っていてね」
「すぐ行ってきます! 何匹くらい殺せば良いですか!」
「ええとね……この辺り」
地図を空中に展開。
この峡谷だらけの荒野は、入り組んだ地形故、犯罪者などが逃げ込みやすい場所になっている。
匪賊が大量にいるのもそれ故。
ライゼンベルグやフルスハイムで犯罪を犯して逃げ出したり。
各地から集まって来た匪賊が。
ライゼンベルグに向かう人間を狙って、手ぐすねを引いている場所。
それが此処なのだ。
故に昔は、この辺りには大量の傭兵が集まっていて。
ライゼンベルグに向かう錬金術師や商人を護衛していた。
だが、例の竜巻の発生以降。
そうもいかなくなった。
実際問題、他にもライゼンベルグに到達する路はあるのだが。非常に大回りになってしまう上。
結局最終的には、ライゼンベルグ周辺の危険地帯を通らなければならなくなる。
フルスハイムのインフラが回復した今は。
また傭兵が集まり始めているが。
ドラゴンによる峡谷のインフラ破壊が発生した今。
それも混乱している。
故に匪賊がまた活発に動いているのだ。
「此処に少し大きな匪賊の集団がいる砦があってね。 どうも側にあるグラオ・タールって街を襲撃する事を目論んでいるみたいなんだよね。 規模は80前後。 すぐに片付けてきてくれる? あ、今回は首から上は持っていって良いけれど、体は残しておくようにね。 使うから」
「分かりましたあっ!」
満面の笑みで、ティアナちゃんがかき消える。
まあ80匹程度の匪賊なら、即座に皆殺しに出来るだろう。
念のために、何人か。深淵の者で匪賊狩りを専門にしていた者達を、先に派遣してある。ティアナちゃんが不覚を取った場合は、彼らにサポートさせる。この辺りの匪賊は傭兵崩れや自警団として戦闘訓練を受けていた連中もいるので、多少質が高い。念には念だ。
この群れを処理すれば、周辺の匪賊は逃げ腰になる。
「鏖殺」が来た。
その情報が出るだけで、最近は匪賊も逃げるようになっているからだ。
一応あたしも確認するが。
生き生きとティアナちゃんは匪賊を片っ端から狩っている。勿論正面から乗り込むようなことはせず。周囲で哨戒している連中や見張りを消し、相手の目や耳を潰してから、本丸に乗り込む手慣れたやり口だ。
この方法だと相手を逃がさず。
一匹残さず狩れる。
それを良く知っているのである。
ほどなく、心配していた事も無く。
返り血をたんまり浴びたティアナちゃんは、満面の笑みで戻ってきた。大量収穫を心の底から喜んでいる。
「やりました!」
「よくやったね。 じゃあ、コレクションの処置をしておいで」
「はいっ!」
ティアナちゃんがかき消える。
さて、後は。
残った死体を串刺しにして、他の匪賊の住処の前にでも並べておく。時間を止めて作業をするので、匪賊共はいきなり現れた死体におののくだろう。そして悟る。「迫る確実な死」が噂では無い真実である事を。
後はもうグラオ・タールが襲撃される恐れは無くなる。
獣と化した人間である匪賊にとって一番大事なのは自分の命。
他の誰が死のうが知った事では無い。
だから逃げ出す。
ましてや、周辺で最大勢力を持つ匪賊が一瞬で全滅したとなればなおさらだ。
残りカスとフィリスちゃんがぶつかるだろうが、それこそが狙い。
そろそろ、フィリスちゃんにも。
人間を殺して貰わないとならない。
修羅場をある程度くぐらないと、錬金術師としての実力はつかないのだから。
錬金術師は深淵を覗かなければ一線を越える力を得られない。
プラフタもルアードも善良すぎた。
だからあたしに越えられた。
そして未来を知るあたしは、フィリスちゃんもまた同じである事を知っている。
深淵を覗くには血の味を知る必要がある。そして深淵を覗かなければ錬金術師は人間の領域を逸脱できないのだ。
後、ドラゴンが横やりを入れないように、あたしが見張っておく必要があるが。それくらいだろう。
さて、そろそろ第一段階は大詰めだ。
前のように、イルメリアちゃんが潰れないように監視しながら。
フィリスちゃんが成長するのを後押ししてやれば良い。
今度こそ、この詰んだ世界を変える。
その準備を、整えるために。
強迫観念などでは無い。
この世界は9兆回滅びた。
その後あたしが干渉するようになっても、人間がそのままである限り、滅びの定めは絶対に回避できなかった。
その実績がある限り。あたしは世界を変えるべく、干渉しなければならないのだ。
(続)
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