荒廃の絶土
序、途方に暮れる
何度も行き来し、物資を輸送している装甲船。
わたしの手を既に離れているそれは。もはや今の時点では、わたしとは関係無い存在だった。
いずれにしてもはっきりしている事がある。
辿りついた街から。
東に進む事が出来ない、と言う事だ。
まずフルスハイムから湖を挟んで東のこの街は。
ある意味終着点に等しかった。
どうやらライゼンベルグに向かう目的の錬金術師らしい人間も見かけるが。それもそうだろう。
東に拡がっている光景は。
目を疑うばかりのものだった。
街の周囲には畑とわずかばかりの森がある。
これが生命線だ。
それを抜けてしまうと。
乾ききった大地と。
機能していない街道。
何よりも、悠々と歩き回っているグリフォンの群れ。他の獣とは格が違う相手である。その巨体は尋常では無く。ネームド並のサイズだ。
そのグリフォンに混じって。
明らかに手を出すとまずいと分かる巨鳥も悠々と飛び交っている。
あからさまにアードラのネームドである。
それも、手を出したらそれこそ瞬殺されるレベルの相手だと、一目で分かる。
これでは、ここから先に進むことは不可能だ。
フルスハイムの西側が、まだマシだったのだと思い知らされてしまう。これでは、此処から先をどうすればいいのか分からない。
街の方も確認したが。
街を守るだけで精一杯。
自警団はあるにはあるが。
畑を守る以上の事は出来そうも無い。
旅人を護衛するなんてもってのほか。
錬金術による産物、薬や爆弾さえ、フルスハイムに頼り切っていた、という事実まで分かってしまい。
此方としても頭を抱えてしまう。
こんな感じの都市が、湖の沿岸には十ほどもあるという。
なるほど、オレリーさんが作業を急ぐわけだ。
立体的なインフラを確保しないと。
それこそ十を超える都市が壊滅するのは、時間の問題だったのだろうから。
ラスティンは何をしているのか。
憤りさえ感じてしまう。
イルメリアちゃんがアトリエに戻ってくる。
今、イルメリアちゃんの馬車は、アトリエの横に停まっている状態で。
とにかく、身動きができる状況にない。
「話を聞いて来たけれど、まず北の方に行くのは不可能よ」
「詳しくお願い」
「北はいわゆる世界樹に通じる道があるらしいのだけれど、創造神を盲目的に信仰する獣人族が特殊なコミュニティを作っていて、占拠しているらしいの。 彼らに最近変化があったらしくて、混乱が続いているそうよ」
「……あまり関わり合いたくは無いね」
イルメリアちゃんも同意だと頷いた。
いわゆるカルトだろうし。
何より、獣人族だけのコミュニティというのが、あまり良い予感がしない。
そもそも特定の人種だけで固まっているコミュニティというもの自体が、この過酷な世界での生き方を否定しているも同然。
わたしでも分かる。
この世界は。
四種族が、それぞれ得意な分野を生かして、協力していかないと、とても回らないのだ。
それなのに、獣人族だけ集まって好き勝手しているとか、正気とは思えない。
「東は?」
「東から北東に通じる道があるけれど、ここ数年異常気象で、万年雪に山が覆われているらしいわ。 年中ね」
「年中……雪に」
「幸い、山中にある村……いや街ね。 幾つかの村が統合されて出来たらしい街には歴代最年少合格の記録を持つ公認錬金術師がいるらしくて、生活そのものはむしろ豊かに成り立っているらしいのだけれど、その代わり街の近くにまでドラゴンがでるらしいわ」
なるほど。
それはちょっと、容易に近づくことはできないだろう。
ただ、雪は興味がある。
そういうものがあるというのは知っているけれど、風や雨と同じで。今まで外に出るまで、自然現象さえわたしは知らなかった。
雪は凍った雨だと言うけれど。
どんなものなのかは見てみたい。ただ、雪そのものはとても危険だと、外の良い事ばかりを書いていた本にさえ書かれていたし。気を付けなければならないかも知れない。
今度はわたしの番だ。
「南についてだけれど、良くない情報があるよ」
「詳しく聞かせて」
「うん。 南は元々ライゼンベルグに行くための主要街道があったらしいんだけれど、元々非常に過酷だったらしいの。 それに加えて、今まで存在していた橋が、ドラゴンに落とされたんだって」
「……そう」
イルメリアちゃんは考え込む。
この橋については、見てきた。
側までは行けなかったが、前にツヴァイちゃんの面倒を見てくれた老魔術師から、拡大視の魔術を教わり。
それを使える道具を作成した。
船の中で、である。
魔法陣を道具に組み込む作業は散々やったし、わざわざアトリエでやるような難易度でもなかったので。ぱぱっとすませてしまった。
あまり実用的なサイズでは無いが。
街の中から、遠くを確認するくらいになら使える。
それを見る限り、確かに橋は完全に破壊されていた。
幸い、川に掛かっている橋では無く。
峡谷に掛かっている橋だ。
工事は空だけを警戒すれば大丈夫だろうけれど。それでも、そもそも橋を修復しないと、進む事は出来ないだろう。
問題は、何故ドラゴンに落とされたか、である。
更に、良くない情報がある。
「実は、同じような事が何カ所でも起きているんだって」
「わざわざドラゴンが橋をピンポイントで狙っているって言う事?」
「そう。 理由は良く分からないらしいよ」
「それは妙ね。 何より最悪の場合を想定すると、橋を修復しても、ドラゴンに備えなければならない、と言う事よ」
そうか、そうだろう。いずれにしても、とても困る。
まずは、どうするかだ。
フルスハイムの竜巻に関しては、ドラゴンが封じられているという事だから、今の時点では気にしなくて良い。わたし達が作った装甲船が、インフラも回復させてくれた。フルスハイムと衛星都市については、しばらくは大丈夫だろう。この街も寂れてはいるが、フルスハイムとのインフラが復活したと言う事は。
今後はフルスハイムとの協議で、再生事業に着手していくことになる。
それはわたしが口を横から出すことではないし。
言われたら、手伝うくらいで良いはずだ。
ただ。問題は東への道がほぼ全て詰んでいる、と言う事だろう。
雪山を無理矢理突破すれば、ライゼンベルグの近くには出るらしい。
しかしながら、ドラゴンも出る雪山を無理矢理突破するのは文字通り自殺行為だ。
今、手元にいる戦力では。
イルメリアちゃんとアリスさんを計算に入れても。
ドラゴンなんて倒せっこない。
そうなれば、やる事は一つずつ片付けていくしかないだろう。
まず北だが。
これはそもそも、行く必要が現時点ではない。
そもそも世界樹というのには興味があるが。
試験を受けるのが先だし。
危険なカルトが支配しているというのなら。
わざわざ危険を冒してまで足を運ぶ事になる。
何の意味もないどころか。
むしろ危険ばかりが大きく、見返りが見えない。
或いは貴重な錬金術の素材があるかも知れないけれど、それも「あるかも知れない」の域を超えていない。
足を運ぶのは無駄骨どころか。
ただ皆を危険に晒すだけの愚行だ。
そうなると、雪山突破か。
橋を修理するか。
そのどちらかになるだろう。
だがそれには、そもそも分岐路への街道を修復しなければならない。
街の外はグリフォンだらけ。
ネームドまでいる。
ちょっとやそっとの戦力で、突破出来る場所では無い。
緑化が上手く行けばどうにかなるかも知れないが。
それにしても、まずは周囲の安全を確保し。
更に水も確保しなければならない。
拡大視の道具で周囲を確認する。
一応川はある。
湖に流れ込んでいる。
畑用の用水路の水を減らさない程度に川からの水を引くとしても。やはり危険が伴うのは間違いない。
オレリーさんくらいの錬金術師がいれば、少しは変わってくるのだろうけれど。
これではどうしようもない。
困り果てていると。
お姉ちゃんが、誰かを連れて来た。
「フィリスちゃん。 貴方に会いたいって言う人が来ているわよ」
「リア姉、今はそれどころじゃ……」
「緑化作業のプロだって話だけれど」
「!」
それは本当だろうか。
イルメリアちゃんはちょっと胡散臭そうに眉をひそめたが。
しかし、今は文字通り渡りに船だ。
そもそも南に行くにしても、橋を修復する所までたどり着けない、というのが現状なのである。
雪山に行くにしても、目的さえない。
雪山の中の村に行けば、ライゼンベルグへの道が分かるかも知れないけれど。
リスクが高すぎる。
ならば一旦周辺の安全を確保して。
選択肢を増やすしかない。
それには緑化が最適だ。
プロだという人に会いに行く。
その人は、カボチャみたいな帽子を被ったまだ若い人で。
ひょろっと背が高く。
何だか眠そうな目をしていた。
「よう。 どっちがフィリスで、イルメリアだい? おいらはオスカーっていうんだが」
「わたしがフィリスで、こっちがイルメリアちゃんです。 よろしくお願いします」
「よろしく。 この辺りの緑化を少し前からやろうと思っていて、準備をしていたんだが……ちょっと問題が起きていてな。 錬金術師の力を借りたかったんだ」
なるほど。
フルスハイムのインフラが終わった時点で、周辺の集落も回復のための努力は始めていた、と言う事か。
しかしながら、畑と街を守るだけで精一杯だろうし。
お金はどこから出したのだろう。
オスカーさんという人は、もし緑化のプロフェッショナルだとすると。
それは錬金術師、と言う事なのだろうか。
話を聞いてみると、違うと言う。
「おいらはノウハウを知ってるだけだよ。 ただ、植物と会話する事はできるけどな」
「えっ……!?」
「錬金術師の素質はあるらしいんだが、錬金術師は知り合いを見ていて性に合わないって思ってな。 今はこうして、その知り合いと連携しながら、緑化作業をしているんだよ」
そうか。錬金術師と知り合いで。
緑化作業をしていると。
しかしながら、それならば自分が錬金術師になるのが一番早いような気がするのだけれども。
人には人の事情があるのだろう。
イルメリアちゃんが、咳払い。
少し険しい声で言う。
「貴方が山師の類という可能性は否定出来ないわ。 証拠の類を見せて貰えないかしら」
「証拠? ああ、そういえばおいらの知り合いが準備はできたって言っていたから、グリフォンさえ追い払えればいつでも緑化は開始できるぜ。 問題はあの大きな鳥のネームドだけどな」
「イルメリアちゃん。 アングリフさんを呼んでくれば、ひょっとしたらどうにかなるかな」
「……」
イルメリアちゃんはしばらく腕組みして考え込んでいたが。
やがてアリスさんに耳打ち。
頷くとアリスさんが次の船に乗って戻っていった。
そして、要求される。
かなりの大金だ。
この間、フルスハイムを離れるときに、報酬金を結構貰った。まあそれ相応の作業をしたのだから当然か。
だがその報酬金の三割くらいの金額だ。
何に使うのかと思ったが。
アングリフさんの雇用費だそうだ。
確かに、それならば使い路がある。
後、錬金術師が他に此処で立ち往生していないか、探した方が良いと言う話になる。それもそうだ。
フルスハイム経由でライゼンベルグを目指していた錬金術師は。
恐らく此処で途方に暮れていてもおかしくない。
フルスハイムでも似たような状況の錬金術師が、酒場でくだを巻いているのを何回か見かけた。
それならば、いてもおかしくはないだろう。
オスカーさんには、順番に説明する。
「今、フルスハイムに腕利きの傭兵が来ています。 その人を雇用しますので、それまで待っていただけますか?」
「ああ、おいらはかまわないぜ。 錬金術師を守る腕利きの戦士が必要なのは、おいらも良く知ってるからな」
「話が早くて助かります。 緑化作業の素材になるような栄養剤や植物類などの準備はありますか」
「それなら問題ないさ。 ……実は二人の話はフルスハイムから来た人から聞いているんだ。 未来ある錬金術師になら見せても良いだろう」
そう言われて、連れて行かれる。
イルメリアちゃんは警戒していたし。お姉ちゃんはもっと警戒していたが。
廃屋の奥に扉があり。
其処を開けると、驚くべき光景が広がっていた。
森だ。
それも、巨木から低木。
その周辺にはお花畑。
綺麗なだけでは無く。
あらゆる種類の植物が揃っているようだった。
空は真っ暗で。
にもかかわらず、不可思議な灯りが周囲を照らしている。
どうやら、多数の金属の木が生えているらしく。
その頂上から、光を発しているらしい。
ただ、地平線の類は見えず。
これが何処なのかは、さっぱり分からなかった。
「これは、空間転移ね。 でも一体これは世界の何処なの!?」
「おいらの知り合いの錬金術師が、位相がずれた世界とかに作った、特殊な空間が此処だよ。 おいらは世界中の植物と友達になるのが夢で、居場所がない植物には此処に移って貰っているんだ。 あと、緑化のためには、此処の植物に声を掛けて、移って貰ったりもしているんだよ」
「……信じざるを得ないようね」
悔しそうにイルメリアちゃんが頷く。
此処がどれだけ凄い場所なのかは、わたしも分かる。
頷くと、一旦アトリエにオスカーさんを招き。
そして、これからのことを話す事にした。
まず、此処周辺を緑化する。
緑化作業が終わったら、畑の拡大をオスカーさんに頼む。これによって。フルスハイム東はかなり安全が確保できると同時に、今後インフラが破綻しても、自給率が上がり、安全度も格段に違ってくるはずだ。
そのために、フルスハイムからアングリフさんを連れてくる。
そしてわたしとイルメリアちゃんは手分けして動く。
イルメリアちゃんは、このフルスハイム東の街に協力を要請。
手練れでなくても良いので、作業を出来る戦士を貸してもらう。出来れば十人くらい。街の規模から考えると、かなり厳しいが。無理をしてでも、出してもらうしかない。
わたしは、此処で立ち往生している錬金術師達に協力を仰ぐ。
どうせみんな試験を受けに行こうと考えている、というレベルの錬金術師で。わたし達と大して力は代わらない筈。もしもわたし達以上の実力があるなら雪山をものともせずに先に行っているだろうし。
橋を修復してさっさと先に行っているだろう。
少しでも手が多い方が良いのは当たり前の道理だ。
「というわけで、手数を増やします。 オスカーさん、少し待っていて貰えますか」
「おう、かまわないぜ。 でも、随分手慣れてるな二人とも。 大きな船を作ったって話だが、それで鍛えられたのか?」
「他にも色々やってきましたし、それに推薦状だけならもう試験を受けられるだけ集めたんです」
「そうか、それならもうあとちょっとで一人前だな」
オスカーさんは温厚そうで、癖が多い人ばかり見てきた最近としては、久しぶりに安心できる感触だ。
さっそくお姉ちゃんと一緒に、宿を見に行く。
案の定、三人ほど。
錬金術師が立ち往生していた。
一人は若い男性で、眼鏡を掛けていて、あまり経験はなさそうだ。
もう一人はレンさんより少し年上に見える、神経質そうな女性だ。
最後の一人は、豊富な髭を生やした年老いた錬金術師である。話を聞くと、故郷で黙々と錬金術師として過ごしていたのだけれど。やはり田舎の街は色々と厳しく、公認錬金術師試験を受けて免許を取り、それを足がかりにアルファ商会などを呼んで故郷を豊かにしたいということだった。貧しいことが如何に悲惨かはわたしも良く知っている。それに具体的なビジョンがあるのは色々大きい。
若い男性はバローズさん。
女性錬金術師はカレルさん。
老錬金術師はパイモンさんというそうだ。
いずれにしても、三人とも協力については承知してくれた。三人とも、馬車でアトリエを運んでもいた。
これならば、何とかなるかも知れない。
この時点では。
そう思っていた。
1、修羅に入る
グリフォンが吠える。
鳥の頭をしていても、体は獅子。しかも、巨体とは思えない程に動きが速く、当たり前のように魔術まで使う。
わたしが投擲したレヘルンの冷気を強引に突破し。
お姉ちゃんが放った矢でも、突き刺さるに留まる。
小さな獣なら、文字通り風穴があく火力なのに。カルドさんの長身銃でも致命傷には至らず。
逃げ腰になる戦士達を無視するようにして、レヴィさんが出る。
そして、印を切って、グリフォンの突進の前に、魔術で障壁を展開。
ずり下がりながらも、その勢いをわずかに削る。
老錬金術師パイモンさんが掲げた石から雷が空に向け立ち上り。
数倍に膨れあがってグリフォンに突き刺さる。
流石に竿立ちになって悲鳴を上げるグリフォンの頭上に。
躍り上がったアングリフさん。
下に、斧で地面を擦りながら走るドロッセルさん。
二人が丁度叫びをあわせて。
斬り下げ。
切り上げる。
グリフォンの分厚い表皮が抉り取られ。
二人が跳び離れ、地面に激突するグリフォン。
やったか。
若い錬金術師バローズさんが叫ぶ。
だが、それに呼応したようにグリフォンが立ち上がり、凄まじい勢いで突貫してくる。
影のように動いたアリスさんが、その脇腹を派手に切り裂くが。
それでも突撃は停まらない。
わたしは地面に手を突くと。
魔力を注ぎ込んだ。
この間作った獣のアロマで、更に増幅された魔力が。
私の魔術を更に強化している。
地面から噴き出すように岩が突きだし、グリフォンの前に立ちふさがる。それさえも無理矢理突破するグリフォンだが。
その至近距離。
頭の真横に、お姉ちゃんが弓を構えていた。
今のは視界を塞ぐためのもの。
お姉ちゃんが矢を放つ。
この至近距離だ。
流石にグリフォンもひとたまりもない。
側頭部を打ち抜かれたグリフォンが、ぐらりと揺らぎ。
地響きを立てて倒れる。
へたり込んだカレルさん。
一番冷静そうだったのに。
必死にそう装っていただけだったのか。
ぶるぶる震えている。
或いは、フルスハイムまで、傭兵だよりで来たのかも知れない。
「やれやれ。 これでまだ三匹か。 先が思いやられるな」
戻ってきたアングリフさん。
もう面倒なので、正式にわたしが雇うことにした。イルメリアちゃんには半額を返した。
お金には余裕があるし。どうせ今後戦略級の作業が必要になってくる。
今の味方戦力ではどうしても足りない。
それだったら、戦闘のプロが近くにいた方が良い。
まあ、かなり高かったけれど。
この人くらいの実力者がいれば安心だ。
今の最後の一撃だって。
アングリフさんが大きな傷をつけてくれていたから。
お姉ちゃんの一矢が通ったのだから。
グリフォンを解体する。
素材は錬金術師全員で分けるが。
解体する様子を見て、バローズさんは吐き戻していた。なんだ、線が細い。わたしも最初は怖かったけれど。もう何百匹も獣なんて捌いてきたし、今更血がどばどば出ようが、内臓が腹からこぼれ落ちようが、何とも思わない。カレルさんも、青ざめたまま立ち尽くしている。
まあ、頭脳活動を期待しよう。
今後は連携しないとどうせ先にはいけないのだ。
喧嘩していても仕方が無い。
フルスハイム東(正式にそういう名前の街らしい)から借りてきた戦士達は、青ざめて立ち尽くしている。
今まで爆弾を滅多矢鱈に投げて追い払うだけだったグリフォンが、こうして次々倒されている。
それだけでも彼らには驚きらしかった。
アングリフさんが、グリフォンを片付け終わると、鼻を鳴らす。
「おいフィリス。 あいつらはちょっと鍛え直しがいるな。 お前以上のモヤシじゃねーか」
「わたしモヤシですか?」
「おう。 もっと肉喰え」
「むー!」
アングリフさんは腕が立つが。
どうしてもこう、一言多い。
お姉ちゃんもあまりその辺は良く想っていない様だけれど。知り合いであるドロッセルさんが、その度にまあまあと取りなしてくれるのだった。
ともかく、グリフォンを退治しながら、街の周辺の安全圏を拡げていくのだが。
グリフォンの数が多すぎる。
街に近い縄張りを持っているだけで十頭近い。
一日での目標は五頭、と思っていたが。
バローズさんとカレルさんが思っていた以上に頼りない事もあって。これは目標を下方修正するしかないかも知れない。
だが、もたついていたら。
それこそ何が起きるか分からない。
ともあれ、選択肢だけでも増やさないと話にならないのだ。
雪山を突破するか。
橋を修復して南側からライゼンベルグへ向かうか。
どちらにしても、多大な危険を伴う。
それにしても、どうしてライゼンベルグはこんなインフラ破綻を放置しておくのか。手練れの錬金術師を派遣する案件だろうに。
「そろそろいいか」
「はい、此方は何時でも」
「よし、カルド。 次はアレだ。 釣れるか?」
「任せてください」
カルドさんが地面に腹ばいになると。
長身銃で、何か獣を食べていグリフォンを狙う。
そして、見事に目に命中させた。
跳び上がったグリフォンは、まっすぐ此方に突進してくる。
今度は温存していたイルメリアちゃんが動く。
前に出ると、空を飛ぶ剣を飛ばし。
それらは回転しながらグリフォンに襲いかかった。
だが、グリフォンは残像を作って上空に躍り出る。信じられない動きだ。
更に、其処から、一気に突撃してくる。
回転しながら突撃してくるその速度は、尋常では無かった。
だが、アングリフさんが即応。
完璧なタイミングで、身の丈ほどもある剣を投げつける。
わずかにそれるが、翼をざっくり抉る。
速く飛んできていると言う事は。
剣がより速く突き刺さる、と言う事だ。
翼をやられたグリフォンが、わずかに着弾点をずらす。
真上に、斧をフルスイングしたドロッセルさん。
至近で、弓を構えたお姉ちゃん。
腰を低くして、何だかかっこいい(?)ポーズで剣を構えるレヴィさん。
更に、腰だめして、双剣を翼のように構えるアリスさん。
四人が一斉に、総力での攻撃を叩き込んだ瞬間。
わたしは両手を拡げ。
そして、目の前で叩いた。
新しく実用化した魔術だ。
地面から噴き上がった岩が。
跳び離れた四人が「いた」地点に、大量に降り注ぐ。
まさかの隕石群に手負いのグリフォンは、硬直し。
そして岩の直撃に押し潰された。
剣を拾って戻ってきたアングリフさんが。
潰されて、虫の息になっているグリフォンの首を容赦なく叩き落とし、とどめを刺す。これで四匹目。
岩をわたしが崩して死体を引きずり出すと。
吊して捌く。
グリフォンは死体を触ってみて分かったが、爪もくちばしの中にある牙も硬度が凄いし。翼にはとても強い魔力が籠もっている。
翼の羽は、皆に分けるが。
カレルさんは完全に青ざめていて。
最初は触るのさえ拒否した。
「おいおい、そんなんでこの先に行くつもりか? 北の雪山にはドラゴン、南の峡谷は匪賊の本拠地って言われる程の場所だぞ。 当然獣もうようよいやがる。 俺たちには良い稼ぎ場でもあるんだがな」
アングリフさんは言うが。
笑ってはいない。
バローズさんとカレルさんは、或いは錬金術師としての才覚は持っているのかも知れないが。
あまりにも戦闘力が不足しすぎている。
戦闘に耐えられるほどの精神力もない。
わたしだって、殺し合いは怖い。
前は多分今の二人よりずっと怖がっていたと思う。
だけれど今は。
数をこなしたから平気だ。
きっと二人も。
すぐに平気になるだろう。
そうわたしは思っていた。
その日のうちに、結局七匹のグリフォンを撃破。
多少のけが人は出たが、わたしとイルメリアちゃんが薬を支給して、傷は即座に治してしまう。
グリフォンの素材は平等に分け。
お肉は余った分を街に寄付する。勿論生では無く燻製にしてある。
燻製はどれだけあっても足りない。
非常食として有用だし、この間インフラが破綻したばかりなのだ。
街の長は喜んでくれたが。
だが不安そうにもしていた。
グリフォンだけならいいが。
この街の近くには、巨大な鳥のネームドもいるのである。
ともかく、そいつとの戦闘も視野に入れなければならない。
なに、今は錬金術師が五人もいるのだ。
ドラゴンならともかく。
ネームド単品なら大丈夫だろう。
そう思って、夕刻に一旦解散。
アングリフさんは正式に雇ったので、アトリエに案内する。アトリエに入って貰った事はあったが、しばらくは此処で暮らせると知ると。アングリフさんは、設備が揃っていて悪くないと喜ぶのだった。
「宿でいちいち金を使わなくて良いのはいいな。 しばらくは厄介になるぜ」
「お願いします」
「おう。 ああ、そうだ。 あの二人な。 多分明日にはもういないぞ」
「えっ……」
アングリフさんは鼻を鳴らす。
まさか、と思ったのだが。
その発言はあたった。
翌朝。
グリフォン退治をしようとミーティングをするべく宿に行ったのだが。
バローズさんとカレルさんは既にチェックアウト。
昨晩来た装甲船に乗って、フルスハイムに去ったという事だった。
思わず口をつぐんでしまう。
なんでこんな事で諦めてしまうのか。
わたしでさえ。
鉱山に閉じ込められて、何も知らなかったわたしでさえ。
戦おうと思っているのに。
悔しいと言うよりも、ちょっと悲しかった。
溜息が漏れる。
イルメリアちゃんが、少し低い声で言った。
「もういいわ。 あの二人、戦闘では何も役に立っていなかったし、作る薬だってアルファ商会の標準品以下だったわ。 仮にライゼンベルグまで到達できても、試験には受からなかったわよ」
「でも、勉強すれば……」
「もしその気があれば、次の試験を目指して戻ってくるでしょう。 もう気にしている暇は無いわよ」
冷酷なものいいだが。
フルスハイムまで戻られてしまうと、流石にもう追っている余裕が無い。
一方、パイモンさんは結構平然としていて。
流石に年期が違うと言うか。
戦い慣れた老錬金術師の貫禄のようなものがあった。
早朝から、昨日も一緒に戦って貰った(あまり役には立たなかったが)街の戦士達にも集合を掛け。
昨日七体倒したのだから。
今日は十二体と、アングリフさんが目標数を告げる。
確かにそれだけ倒せば、街の周辺に緑化作業をする余裕ができるはずだ。まだオスカーさんは畑の周辺を耕して土を豊かにしている状態のようだけれども。此処から緑化作業に移れるだろう。
オスカーさんの話では、出来れば街の中も空き地を緑化したい、という。
そうすることで、街が攻撃を受けたときの被害を減らせるし。
何より街の土壌も豊かになるそうだ。
ともかく。
グリフォンの処理が先となる。
今まで悠々と過ごしていたところを、いきなり攻勢に出られたからか。
グリフォン達は朝から殺気立っていて。
アングリフさんは釣りに慎重だった。
離れた個体を、それぞれ激高するように目などの急所を狙ってカルドさんに狙撃して貰い。
こっちに来たところを集中攻撃で仕留める。
戦士達にも戦わせる。
アングリフさんが言う通り、戦士達は最初は、弱った相手にとどめを刺すところから初めて。
徐々に戦闘での危険な場面に投入していく。当然怪我も増えるが。わたしが薬を支給する。
指が飛んだくらいなら、すぐに薬でくっつく。
また、余っている型落ちの錬金術装備も一旦貸し与えておく。
回復力が上がればそれだけで動きも良くなるし。
身体能力が上がれば、反応できる場面も増える。
改良の段階で、型落ちの品がかなり出ているのだ。
こうやって支給すれば。
どれだけ戦闘経験が足りない人達でも、相応に戦えるようになる。
順番に、一匹ずつ仕留めていくが。
やはり手強い。
グリフォンは個体によって戦闘力に差が大きく。
残像を作って動くような奴から。
魔術で遠距離から雷やら炎を飛ばしてきたり。
或いはいきなり加速して、至近にまで詰めてくる奴までいた。
一瞬でも気を抜くと、死ぬ。
アングリフさんが常に最前線に立ち続けて、グリフォンの攻撃を受け止め、いなし。
それを更にレヴィさんが補助する形で敵の致命的な攻撃は防ぐ事がどうにか出来ていたが。
それでもこのままだと、時間の問題だろう。
予定通り十二体倒したところで、かなりグリフォンがいない地点が増えた。
時間が少し余ったので、グリフォンの縄張りに入り込んで来ていた小型の獣も処理しておく。
イルメリアちゃんとパイモンさんのコンテナにはちょっと量が多い戦利品は、わたしが預かる。
その代わり、等価になりそうな稀少鉱石を二人に譲った。
此方はそもそも、最初からソフィー先生にこんないいコンテナを貰っているのだ。
譲り合いの精神は当たり前の事で。
手伝ってくれるだけ、二人には感謝しなければならない。
夕方になって、一度街まで下がる。
そうすると、オスカーさんが。
例の不思議な森から、だろう。
幾らかの植物の苗と。
それに栄養剤を持ち込んできていた。
「おうフィリス、イルメリア。 それにパイモンさん。 グリフォンの駆除は予定通り行っているみたいだな」
「はい。 おかげさまで」
「明日からは防衛戦になる。 ネームドには作業中ちょっかいを出されると面倒だし、何とか出来ないか」
「……」
それは、困る。
遠くから確認しているが、アードラのネームドらしいあの巨大な鳥は。
それこそ片足でグリフォンを掴んで、ムシャムシャ食べるほどの大きさだ。
今の此方の戦力で、どうにかなる相手なのかどうか。
あまり勢力を無為に伸張すると、間違いなく仕掛けてくるだろう。
とにかく、ギリギリのラインを見極めていくしかない。
「やはり、倒してしまうしかないのではあるまいか」
「しかしパイモンさん、あれを相手にするのは……ちょっと自信がありません」
「同感。 死人が出るわ。 勝てれば御の字、下手をすれば全滅よ」
「だが、あんな強力なネームドを放置もできまい。 そもそもこの街の衆はグリフォンにさえ怯えていたのだぞ」
パイモンさんは、何処か悔しそうだった。
何かあったのだろうか。
だが、あまり詮索するのも良くない。
今回戦闘に参加した戦士達から、錬金術の装備を返して貰うと。
一度アトリエに引き上げる。
ツヴァイちゃんが在庫を整理していて。
それを先に戻っていたドロッセルさんが手伝っていた。
だいぶツヴァイちゃんは歩いて動き回れる時間が増えたようで。
突然発作に襲われることも減っていた。
心が少しずつ正常になっている、と言う事で。
非常に喜ばしい。
それで分かってきたのだが。
ツヴァイちゃんは元々口数が非常に少なかった様子だ。
そもそも、ホムは子供を作るときにはたくさんつくるが、作らないときにはまったく作らない、という種族。
一人っ子というのは珍しく。
或いはこれからたくさん子供を、という時期に。商売が失敗した、という事情だったのかも知れない。
そうなると、苦しい生活ばかり見てきたのだろうし。
きっと口数が少なくなるようなものばかり見てきたのだろう。
捨てないで、と言われた。
きっとだけれども。
親がそんな風に言われているのを、見て育ったのではあるまいか。
確実に貧しくなっていく様子を、肌で味わっていたのではないだろうか。
いずれツヴァイちゃんが元気になったら、聞かせて貰いたい。その時は、ツヴァイちゃんを支えてあげたい。
在庫について話を聞いたので、今日はもう大丈夫と、休んで貰う。
お姉ちゃんが色々と勉強を教えているようで。
それで丁度良いくらいだろう。
本当だったら仕事なんかしないで遊んでいれば良いと思うのだけれど。
そうもいかないか。
子供が遊んで勉強だけしていられる世界。
そんなものがあったのなら良いのだけれど。
ただ、匪賊共の所行を知れば知るほど。
そういった世界でも、人間がまともでいられるかどうかはかなり疑わしいと、わたしは思うようになって来た。
しばしぼんやりとベッドで休む。
眠れない。
戦う事はもう怖くない。
だけれど。
わたしは恐らくだが、今後どんどん知っていくことになる。そして錬金術師は知らなければならない。ありとあらゆるものを。ありとあらゆることを。
人間を少し知っただけで。
わたしは此処までダメージを受けている。
もしも、もっと恐ろしいものが世界にたくさんあって。それらを知っていったら、わたしはどうなるのだろう。
少し、怖い。
知る義務がある。
だけれども、わたしは。
その義務を果たせるのだろうか。
2、襲来豪爪
朝早くから、翌日は動く。
戦士達が集まったのを見て、眉をひそめた。何人かいなくなっている。
話を聞くと、体調不良を訴えているそうだ。
それなら仕方が無いけれど。
怖じ気づいたのではないのだろうか。
口をつぐむ。
今までわたしが、如何に楽な場所を通ってきたのか、思い知らされてくる。頼りなかったディオンさんだって、しっかり錬金術師をしていたし。メッヘンの戦士達は、みんな責任感もあって強かった。
それがこの街はどうだ。
大きな街の衛星都市で。東に行く必要が一切なく。街に籠もっていればある程度は平気だった、というのはあるだろう。
だが今は、竜巻のせいで、もしも獣に襲われたら、船に乗って逃げるというわけにはいかない。
装甲船がたまたま来ていれば話は別だが、そう都合が良いものではない。
身を守るためにあらゆる努力をしなければならないのに。
何だか、やるせなくなってくる。
ともかく、残った戦士達に錬金術で作った装備品を配り。
まずは緑化予定地点の外側に杭を打ち込む。そして、櫓を建てる。
櫓については、構造をアングリフさんが詳しく知っていて。
オスカーさんが提供してくれた木材を利用して、ぱっぱと立ててくれた。後は櫓自体に強力な防御魔術を発動できるように、イルメリアちゃんが手を加える。柵を配置し、櫓を建てるだけで、ほぼ半日掛かってしまった。
後は杭に獣よけの処置をする。
これについては、レンさんからレシピを教わっている。そして、杭の内側の獣を処理してから、緑化作業開始だ。
流石にグリフォンは戦闘力が高い分、個体数はそれほど多く無い様子で。
アングリフさんが見込んだとおり、削った後街の側にまで縄張りを拡大している者はいなかった。
それと、観察していて分かったのだが。
グリフォンは空を飛ぶことも出来るが。
やはり巨体で飛ぶ事は相応の負担になるらしく。
何も無いときは、地面をのしのしと歩いていることが多い様子だった。
もう一つ、確認できた事がある。
彼らに仲間意識の類は無い。
既に彼らも見ている範囲で二十体近くのグリフォンを仕留めているのに。
此方に対する敵対行動を積極的に見せる様子は無い。
そもそもなんでグリフォンなんて大物があんなにたくさん密集しているのか。
繁殖のためなのか。
どうもそうでもないとアングリフさんから聞いた話によると思う。
グリフォンは営巣地を作って其処で増えるタイプの獣らしく。
しかも営巣地は、アダレットの首都付近にあるという。
要するにそれだけの長距離を移動してきて。
わざわざこの辺りに住み着いている、という事である。
ますます理由が分からない。
別に美味しい餌がたくさんいる訳でも無いだろうに。
戦士達の腰が引けている様子を見る。
狩り易い、という点では確かかも知れないが。
しかし、かといって街の人間が、グリフォンに大量に狩られていた、という話もない。
更に言えば、である。
此処から南の峡谷地帯は、匪賊が出る事で前から有名だったらしいのだが。
この辺りに大量のグリフォンが住み着き始めたのは、最近だという話も聞いている。
ますます分からない。
一体何が起きたというのか。
アングリフさんが、戦士達をオスカーさんに預ける。
オスカーさんは手慣れた様子で農機具を振るいながら、戦士達にレクチャーを開始。わたしの方でも保有している栄養剤を提供。オスカーさんは、受け取ってくれた。作業に関しては、オスカーさんの方でも栄養剤は保有しているらしいのだけれど。
作戦行動を取るからには、わたしの方からも自腹を切りたい。
最低限の責任として。
それをやっておかないと、自分が怠けてしまうかも知れない、からだ。
アングリフさんが手を叩く。
わたし達は、歴戦の傭兵の元に集合すると。
話を聞くことにした。
「あの柵の内側は絶対防衛ラインだ。 つまるところ、あの柵にそもそも獣を近づけてはいけない」
「分かりました。 もっと外側で敵を仕留めなければならない、と言う事ですね」
「そうだ。 どうせ街の安全確保の後は、橋を再構築するか雪山に向かうんだろう? だったら獣は少しでも狩っておいた方が良い」
「……」
あの逃げてしまった二人も。
或いはライゼンベルグに辿りついて、勉強をすれば。
ディオンさんのように試験に受かって。
いずれ公認錬金術師になっていたかも知れない。
この辺りが、いきなり環境激変したのだとすれば。
本来はライゼンベルグの仕事だったとしても。
此方で手をかせるのなら。
手を貸して、環境を回復させたい。
全員で移動しながら、まずはまだ近くにいるグリフォンを一体ずつ釣り出して、狩っていく。
その過程で、邪魔な獣も全部処理しておく。
イルメリアちゃんは自分で捌きたいというので。
アリスさんに任せて。
わたしは他の皆と一緒に、その間に周囲を確認。
徹底的に、片っ端から。近づく獣を狩っていった。
その間、注意していたのは。
巨大なアードラのネームドである。
あれは絶対に、戦うと骨が折れる。
まともにやり合ったら危険すぎる。
今の時点では、此方に目もくれていないのだけが幸いだが。それも、いつまで続くかどうか。
柵に近づいてくる獣とグリフォンを、合計で十体ほど始末。
後方では、湖から水路を引き。
土を耕し。
栄養剤を既に入れる作業が終わっていた。
前は此処から雑草を一旦入れるのだが。
オスカーさんは、まだどういう判断からか。
それは早いと考えたようで。
土をしきりに触って確認している。
植物とも話しているので。
街の戦士達は気味悪がっていた。
そうか、ギフテッド持ちに対する知識がないのか。
作業がやりづらくなるかと思ったので、引き上げてきたタイミングで、わたしが鉱物の声を聞こえる事。
そして、聞こえると出来る事を見せておく。
つるはし1丁で邪魔な大岩を砕いてみせると。
流石に戦士達も青ざめる。
オスカーさんも同じで。
植物の声が聞こえて。
緑化作業を円滑に進められるのだと話をすると。
彼らはバツが悪そうに視線を背け。
以降は指示に従う事を約束した。
夕方になって戦士達が引き揚げて行く。シフトでこの防衛ラインを守ろうという考えはないらしい。
オスカーさんが来る。
進捗を聞くが。
オスカーさんは、厳しいと一言だけ言った。
「この辺りの土なんだけれどな。 魔力が少し前まで吸い上げられていたんだよ。 原因はよく分からないけれどな」
「魔力を、土から吸い上げる?」
「ああ。 恐らくは邪神の仕業だろう。 だが、邪神がそんな事をするなんて、聞いたことも無いんだがな……」
オスカーさんが小首をかしげている。
イルメリアちゃんが咳払い。
詳しく話を聞きたい様子だ。
「緑化のプロフェッショナルと自称していますが、手際については本当に大丈夫なのでしょうね」
「おっと、手厳しいな。 今はまだ栄養剤から漏出する魔力で、空気を入れた土を活性化させている段階だ。 その後成長が早い草を入れて水を撒く。 草の苗については、既に用意してある」
オスカーさんが見せてくれたのは。
前にオレリーさんが使っていたのとは少し違うけれど。
青々と茂った植物だ。
なるほど、コレを植えるのか。
「ある程度育った後は、種を回収して、燃やす。 これは可哀想だけれど、緑化のためには仕方が無い事なんだ」
「その後は」
「まずまた地面を掘って、根を切る。 そして今度は低木の苗を植え、少しずつ森にする準備を整えていく。 一部の土は耕さずそのままにしておいて、道にする準備を整えておく」
「それならば、硬化剤があります。 作るのは難しくないので、使ってください」
ありがとうよと、気さくにオスカーさんはいう。
少なくとも悪い人では無いなと、わたしは判断した。
ともかく、今までの手順についても、オレリーさんがやっていたのと何ら違いがない事から考えて。
嘘っぱちでもないのだろう。
事実土に触ってみると。
じんわりと温かくなっていた。
魔力を充填している、というのはこういうことなのだろう。
「確かに耕す前とは違うみたいだね」
「フィリス、鉱物の声とやらは聞こえないの?」
「土の声なら聞こえるけれど、魔力が充填されて気持ちいい、くらいしか分からないよ」
「そう」
イルメリアちゃんはどうしてかぶっきらぼうに話を切る。
その後は、アトリエに戻り。
交代で見張りを立てながら、休憩に入る。
今日からは、私も見張りに立つことを提案。
お姉ちゃんが難色を示したが。
アングリフさんが言う。
「いつまでも過保護だと育たねえぞ。 ずっとモヤシのままでいいのか?」
「フィリスちゃんはモヤシじゃありません!」
「いーやモヤシだね。 少なくとも、見て侮られる程度には細い。 実力の方もまだまだ伸びるんだから、今のうちにいろんな事を経験させておけ。 それが姉の責務ってもんじゃねえのか」
お姉ちゃんはまだ反発しようとしたが。
わたしがやりたいと言うのを聞くと。
しばし逡巡した後。
折れてくれた。
アングリフさんは意外に面倒見が良く。
交代で見張りをするときに眠くならないようにするコツや。
どうすれば奇襲を防げるかなどを、細かく教えてくれた。
わたしの場合、鉱物の声が聞こえるので。
それによって、危ない場合は事前に危機察知が出来るのだけれども。だけれども、それ以外の探知手段もあるなら知っておきたい。
アングリフさんが一緒に見張りに立ってくれたので。
色々と話を聞いておく。
「金は大事だ。 ちいとばかりフィリスよ。 金に無頓着すぎるんじゃねえのか?」
「はい、でも必要なお買い物はしておかないと……」
「そんな考えじゃ駄目だな。 買い物をするために金をしっかり稼いでおくくらいの感覚でいないと、いつか痛い目にあうぞ」
「買い物のためにお金を稼ぐ……」
あまり考えた事はなかった。
そもそも大規模な戦略事業でたくさんのお金を貰っていたし。
そのおかげで、資金に困ったこともなかった。
エルトナを出たときも。
しばらくはお姉ちゃんがお金を出してくれていたし。
お金に執着することはなかった。
お金がないとどう困るかは。
アングリフさんが丁寧に説明してくれたけれど。
どうにもお金には執着が湧かない。
それを聞くと、嘆息するのだった。
「まあいい。 金の大事さは、いずれ嫌でも思い知る。 そろそろ交代の時間だ。 交代の後は出来るだけ急いで寝ろよ」
「はい。 もう眠いので、多分すぐ眠れます……」
「その後短時間で起きる事になるから、体調を壊さないようにな」
頷くと。
交代で出てきたレヴィさんとカルドさんと代わる。
少し眠っていると。
もう朝。
かなり体力の消耗も大きい。
なるほど、確かにアングリフさんが警告するわけだ。街の中などでは見張りも必要ないが。
今後は他の街との間隔も離れているだろうし。
そんな楽な事はまずない、と判断して良いだろう。
翌朝も、早くから出て、獣を片っ端から狩る。
案の定、獣よけの柵にかなり近づいている獣がいたので。
徹底的に処理する。
大型の牛も。
大型の蜘蛛もいたが。
いずれも、カルドさんが銃撃して釣り。
近づいて来た所に、地面に埋めておいた爆弾で爆破。
生きていたとしても、引きつけて、集中的に袋だたきにして仕留めてしまう。
小物は数匹同時に呼んで、まとめて片付けて処理に掛かる時間を減らしてしまう。
そしてキャンプに死体を引きずり込むと。
次への作業を短縮するため。
可能な限り急いで解体してしまう。
後ろでは、土の様子を見ながら、少しずつオスカーさんが草を入れているようだった。同一種類の草らしく。苗で入れられた草は、もうその日のうちに伸び始めていた。
そういえばオレリーさんは種からやっていたが。
苗からの方が、短縮できるのかも知れない。
ともあれ、数日はどの道身動きできないのだ。
この近辺の獣を少しでも減らして。
行動範囲を拡げておかなければならない。
余った肉は食べて、少しでも力にしておく。
昔は兎肉ばかり食べていたが。
牛や鳥、蛇や甲殻類、大型の虫、山羊なども食べるようになって来た今は。
特に肉であれば余程酷いもの以外は平気になって来たし。
獣を見て怖いとも思わなくなった。
見張りの順番を決める。
イルメリアちゃんが挙手。
今度から、イルメリアちゃんとアリスさんも見張りに加わるという。
ツヴァイちゃんもそれを見て自分も、と自己主張したいようだったが。
アングリフさんが先に手を打っていた。
「お前はまだだ。 自衛するだけの武力が身についてからな。 戦い方については別にホムでも子供でもやりようはある。 俺が教えてやるから心配するな」
「お願い……しますのです。 捨てられるのは……いや……です」
「ああ、心配するな。 俺がそんな事はさせねえよ」
まずは大丈夫だろう。
次の日も、少しずつ安全圏を拡大しつつ、順調に進める事が出来た。
問題は。
その次の日に起きた。
早朝。
叩き起こされる。
何かあったのは明白すぎる程だ。すぐに着替えると、わたしはアトリエの外を確認。外では、凄惨な光景が広がっていた。
グリフォンのまだ若い個体を鷲づかみにしたあの巨大アードラが。
がつがつと、死体を貪り喰っている。
よりによってキャンプのすぐ側で、である。
これはまずいなと、アングリフさんは言う。
お姉ちゃんの言葉を思い出す。
ネームドは例外なく、人間に対する強い殺意を持っている。ネームドは獣同士の争いよりも、人間を殺すことを優先する。
そうか。
恐らくあのアードラは。
今まで、グリフォンとの戦闘で、此方が消耗するか。
もしくはグリフォンが減ったと判断して、此方が強行突破を狙うのを待っていた、のだろう。
しかし此方は堅実に獣を狩り続け。
そればかりか、緑化作業を明確に始めた。
どんな獣も森には手を出さない。
森に住む場合はあるが。
最初に戦ったネームドでさえ、森を傷つけようというそぶりは、一切見せなかった。
それほど、この世界では植物が貴重なのだ。
どうやって植物を食む生物が生きているのか、よく分からない程に。
つまるところあのアードラは。
当てが外れたことを察し。
此方を仕留めるため、圧力を掛けに来た、と言う事なのだろう。
厄介だ。
だが、やらなければならない。
「やるつもりなら覚悟しろ。 此処にいる戦力だと、恐らくは死人が出るぞ」
「出させません」
「……覚悟は決めておけ」
アングリフさんは、敵が地面にいるうちに仕掛ける、という。
まず上空に爆発物を投げ。
敵が飛ぶのを阻止しろ、とも。
敵が飛んでしまうと。
後は上空から、一方的に叩き伏せられるだけだとも言う。
なるほど。
確かに獣からして見れば、圧倒的優位である上空という地の利を捨てるわけがない。それならば、その有利な戦略的条件を取らせなければ良い。
そして今、敵は。
わざと隙を見せて、攻撃を誘っている。
それならば。
大まかな攻撃の順番を説明する。
幾つか、アングリフさんが修正案を出してきたので、それを取り入れる。自分が一番危険なポジションを引き受けるのは、流石アングリフさんがプロであるが故だろう。あの巨大なアードラのネームドを仕留めてしまえば。この辺りの獣は、もうグリフォンと雑魚しかいなくなる。
少しはインフラの回復速度も上げられるはずだ。
だったらやらない手はない。
まず、わたしがアトリエから出る。
アードラの巨体が、嫌でも見える。
プレッシャーが凄まじい。
鳥は此処まで大きくなるのか。
神の力を得た獣。
ネームド。
あまりにも生物の範疇を超えすぎている存在と言う事はわかる。だが、グリフォンを掴んでおやつにするような鳥なんて、存在していて良いわけがない。
此処で、この生物として存在してはいけない者は。
倒す。
わたしが地面に手をついた時も。アードラは平然としていて。食事を堪能し続けていた。
だから、わたしは、容赦なく。
フルパワーで。
アードラの腹を、下から岩を隆起させ、突き上げ。
更に他数カ所で隆起させた岩を上空へ吹き飛ばし、布石にする。
流石に強烈に腹を殴られて、アードラは鋭い声を上げた。
この声だけで、人間が手を出してはいけない相手なのだと、悟らされるが。
それでも引くわけにはいかない。
間髪入れずに、イルメリアちゃんが飛び出し。
大型のフラムを投擲する。
十個以上を束ねたもので。
オリフラムというらしい。
爆裂するオリフラムが、飛び立とうとする超巨大アードラを地面に押しつけ、羽がミシミシとなるのが聞こえる。
同時に、さっき打ち上げた岩の塊が。
アードラの翼を全て直撃。
特に左翼に大きなダメージを与える音が、此処まで聞こえた。
流石に激怒したアードラが。
奇妙な鳴き声を上げる。
それが魔術の詠唱だと言う事は分かっている。
魔術を使うネームドなんか、何体も見た。
わたしは大技を使ったばかりでうごけない。
だから他の皆が動く。
飛び出したお姉ちゃんが弓を引き絞り。
カルドさんが狙撃。
眼球を直撃。
だが、眼球を貫通するにいたらない。
相手も詠唱を止めない。
だが、その時には。
眼球に、お姉ちゃんがピンホールショットを叩き込んでいた。
流石に大口径の長身銃による一撃と。それに間髪入れずの、大火力による矢の直撃である。
目に矢が突き刺さり。
詠唱が一瞬停まる。
その間に、ドロッセルさんとアングリフさんが至近に。
懐に潜り込んだ二人が、翼に左右から一撃を叩き込んでいた。
痛々しい音と共に。
アードラの翼がへし折れる。
だが、アードラが反撃開始。
体を揺するだけで、二人を吹き飛ばす。
更に、残っている翼を高々と掲げ、降り下ろすだけで。
烈風が此方に吹き付けてきた。
文字通り、目も開けていられないもの凄い風だ。アトリエは小揺るぎもしていないが、キャンプはギシギシ揺れ、櫓も倒壊寸前。ただ翼を降り下ろしただけでこれか。
それだけじゃない。
中断していた詠唱を完成させ。
ぶっ放してくる。
それは、青白い魔力の束で。
収束し、地面を溶かしながら迫ってくる。
飛び出したレヴィさんが、剣を盾にし、更に魔術に寄る防壁を何重にも重ねる。更にパイモンさんが秘蔵らしい道具で防壁を強化するが。なおもネームドの火力が上回る。
一気に防壁が喰い破られ。
レヴィさんが吹っ飛ばされる。
パイモンさんは必死に自身で魔術を展開して耐えたが、それで魔力を使い切ったようだ。
まずい。
本当に強い。
立て続けに、次の魔術詠唱に取りかかりつつ。
巨大アードラは、足を振るって、アングリフさんを襲う。
アングリフさんが、一番瞬間火力があると判断したのか。
速すぎて、避けられない。
アングリフさんが大剣で一撃を受け止めるが、あからさまに押し込まれる。横からドロッセルさんが大斧を叩き込むが。なんと足にはじき返された。金属塊でさえブチ割るドロッセルさんの一撃なのに。
お姉ちゃんとカルドさんは、残ったアードラのもう一つの目を集中的に狙っているけれど。
アードラは平然と、それらをかわしながら、詠唱を進めていく。
アリスさんが仕掛ける。
残像を作って、数度跳躍。
矢をかわしたアードラの動きを先読みして。
置き石的に先回り。
双剣で、渾身の一撃を残った目に叩き込むが。
アードラは首を柔軟にしならせ。
アリスさんを吹き飛ばした。
強い。
イルメリアちゃんも戦力を出し惜しみしていない。
空飛ぶ剣は既に展開済みだが。
首の辺りに突き刺さって回転しつつ抉っているにも関わらず、超巨大アードラは意にも介していない。
これが、強力なネームド。
強い者はドラゴン並だと聞いていた。
だが。まさかそれを間近で見せつけられるとは。
でも、負けてはいられない。
大技の反動から立ち直ったわたしも、爆弾を投擲する。イルメリアちゃんも、次々に爆弾を投げつける。パイモンさんも、雷の道具を展開。
連続して炸裂する爆弾と雷に、鬱陶しそうにわずかに詠唱を中断するアードラ。
好機だが、まだ相手にそもそも飛べなくなる、片目を塞ぐ、という以上のダメージを与えていないのである。
アングリフさんが相手の足からかろうじて逃れるが。
剣撃も斧も、相手の分厚い装甲を貫通できていない。
爆弾も片っ端から色々なものを試しているが。
分かる。
あれは身に纏っている魔力の出力が高すぎる。だから、どれもこれもが弾かれてしまっているのだ。
言われた事を思い出す。どうして人間はドラゴンや邪神に勝てないか。
魔力の出力が違いすぎるからだ。
ネームドも同じ事。
アダレットの騎士団が、ネームド討伐で大きな被害を毎回出すという話は何処かで聞いたけれど。
それも頷ける。
アードラが鬱陶しそうにアングリフさんを蹴りで追い払い。ドロッセルさんを無事な方の翼ではじき飛ばす。アリスさんに向けてくちばしを降り下ろす。アリスさんはかろうじてかわすが、地面が激しく抉られ、クレーターが出来た。
わたしはその瞬間、地面に手をつき。
詠唱を開始。
何処でそれを察知したか。
アードラはさっと顔を上げるが。
其処へ、狙い澄ましたお姉ちゃんの矢が吸い込まれ。
口の中に滑り込み、喉を直撃した。
つづけてカルドさんも速射。
まだ無事な目に当てることに成功する。
苛立ちが頂点に達したらしいアードラが、此方に向けて、さっきレヴィさんを一撃で吹き飛ばした魔術の発動に掛かるが。
その喉に。
回転しながら、何かが突き刺さる。
予想外の一撃。
気配を隠して接近していた、オスカーさんが投擲した農具だった。
魔術が放たれる寸前の一撃である。
愕然とするアードラ。
タイミングを見計らい。
アングリフさんが跳躍。
更に上空から、フルパワーで先に飛んでいたらしいドロッセルさんが、飛び降りてくる。
ドロッセルさんは大岩を抱えていた。
「オラあっ!」
アングリフさんが、くちばしを蹴り挙げる。
ドロッセルさんが、大岩をくちばしに上から叩き付ける。
アードラが全身から魔力を放ち、二人を吹き飛ばすが。
次の瞬間。
イルメリアちゃんの剣が、同時にくちばしに殺到し、上下左右から突き刺さって無理矢理縫い止め。
更にアリスさんが、残っているアードラの目に、双剣をねじりこんだ。
アリスさんが跳び離れるのと。
アードラの魔術が暴発するのは同時だった。
爆裂した魔術は、アードラのくちばしを内側から吹き飛ばす。
悲鳴を上げて転がり回るアードラ。
わたしは詠唱を時間を掛けて行い。
そして、意識を集中。
アードラが、少し岩壁に近い状態になっている地点まで転がった瞬間。
その岩壁のバランスを崩した。
岩が崩れるときのパワーがどれほど凄まじいかは。
わたしが身を以て。
その声を聞いて。
全て知っている。
アードラの全身を、巨大な岩石が情け容赦なく乱れ打ち、叩き潰していく。流石の巨大な体も、これではひとたまりもない。
だが、それでもなお、アードラは喚きながら、立ち上がる。
不死身か。
くちばしを失いながらも、大きく息を吸い込むアードラ。
もう一発、アレを受けてしまうともう防ぐ術がない。
だが、その時には。
既にお姉ちゃんが動いていた。
さっきの崖跡を蹴って跳躍すると。
アードラのぐしゃぐしゃになった顔面。その露出した脳に。
渾身の矢を、しかも至近から叩き込む。
文字通り、空気を蹴散らしながら飛んだ矢が。
脳にめり込むと。
鮮血と文字通りの脳漿をぶちまけながら、超巨大アードラの頭を完全破壊する。
装甲がどれだけ分厚くとも。
内側から打ち抜かれれば、どうにもならない。
お姉ちゃんが着地。
アングリフさんが叫ぶ。
「まだだっ!」
アングリフさんが剣を投げつける。
超巨大アードラが転がり回って暴れている時に、剣が離れていたようなのだが。それを拾って投げつけたのだ。
同時にドロッセルさんも大岩を投擲。
渾身の一矢と、更に高所からの着地で動けないお姉ちゃんに、鋭い爪を降り下ろそうとしていたアードラは。
横殴りの岩で態勢を崩し。
更に大きく露出した喉の傷口をアングリフさんの大剣に串刺しにされた。
お姉ちゃんを、アリスさんが抱えて飛び退く。
更に、だめ押しに、カルドさんが長身銃で狙撃。脳みその残骸を、更に容赦なく、欠片も残さず、吹き飛ばした。
それが、流石にとどめになった。
ゆっくり、横倒しになったアードラが。
地面に接触すると同時に。
辺りが揺れる。
わたしが岩壁を崩したときと同じか。
それ以上の凄まじい音が。
辺りに響いていた。
3、勝利と代償
街から牛を数頭借りてきて、超巨大アードラの死骸をころに乗せ、キャンプまで運び込む。
物欲しそうにしていた獣は、全て追い払った。
アードラが食べていたグリフォンごと、解体を開始。
何もかもが巨大だが。
死んだ状態でパーツを分解していくと。
それはそれで、解体そのものは難しくなかった。
アングリフさんの言葉は正しかった。
オスカーさんが予想外のアシストをしてくれなかったら、手数が足りずに、多分死者を出していただろう。
わたしは魔力空っぽ。イルメリアちゃんもパイモンさんもそうだ。
レヴィさんはあの魔術の直撃で、身動きできないほど消耗している。
だがレヴィさんとパイモンさんが体を張って防いでくれなければ、わたしとイルメリアちゃんは木っ端みじんになっていただろう。
感謝の言葉も無い。
「解体は俺とドロッセルでやっておく。 お前達二人はもう休んでいろ。 じいさんもな」
「お願いします」
「すまんな。 もう少し若ければ、体力が残っていたんだが」
少しアングリフさんは機嫌が悪そうだったが。
多分戦いの興奮が残っているから、だろう。
戦闘時、人間は狂気に身を支配されるものだ。
アングリフさん程の戦士になると。
その狂気を上手に生かすのだろう。
先に休む。わたしは、色々悔しくて、恥ずかしかった。力が足りないことが、だ。
イルメリアちゃんは、剣を失ってしまった。あれはすぐに作れるようなものではないだろう。これから馬車に乗って、調合をしばらくしなければならないはずだ。イルメリアちゃんと話したいこともあったけれど。彼女は馬車にさっさと戻ってしまい。それ以上、何も喋れなかった。
何だかとても辛いことばかりイルメリアちゃんに起きている気がする。
アリスさんを死なせかけ。
今回は道具の無力さを思い知らされた。
わたしは、大丈夫だ。
ツヴァイちゃんの事を守らなければならないし。
なによりこんな世界を少しでも変えなければならないと、心に灯が点っているのだから。
でも、イルメリアちゃんは大丈夫だろうか。
アトリエに入ると。
鏡を見て、驚く。
返り血をこんなに浴びていたのか。
体を綺麗にして。
それから眠る。ただし眠りは浅かった。
だから眠っている間に、解体された超巨大アードラの死骸が、コンテナに何度も運び込まれているのが分かった。
岩山を丸ごと飲み込むほどのコンテナだ。
アードラの残骸なら。
如何に次元違いに大きくても、丸ごと飲み込むくらい訳は無いだろう。
しばし、徹底的に眠って。
ほぼ丸一日の後。
目が覚めた。
起きだしてから、最初に顔を洗って歯を磨き。
食事にする。
あまり味がしなかった。
あれほど激しい戦いの後だったのだ。そしてアングリフさんの見立ても正しかった。反省しなければならないだろう。
外に出る。
朝、ではなく夕方だ。
後方では、既に耕した全地域に草が植えられている。
あのアードラがいなくなった事で、安全度が格段に増したのだ。街の中から、人夫まで募って緑化作業をしている。
これは、少しずつ緑化の範囲を拡大していっても良いだろう。
いずれにしても、しばらくは防衛戦を継続だが。
皆も手傷は其処まで重くは無い。
わたしが支給した装備品がなかったら、一撃で死んでいただろうあのアードラの攻撃の凄まじさだったが。
倒してみれば。何とかはなった。
だが、まだまだ満足してはいけないことも分かった。
今後はもっと危険な相手と戦う事を想定していかなければならない。
装備品を強化するのが急務だ。
わたしも魔力は上がってきているし。
魔術の力も増している。
だけれど、それを錬金術でブーストしても、まだまだ全然届いていない。この世界の獣は強すぎるのだ。
今になって、エルトナが閉じこもっていたのがよく分かる。
こんな化け物達がいる世界から。
少しでも安全を守るため。
そのためには、太陽を捨てる覚悟が必要だったのだ。
唇を噛みしめる。
全てのネームドに死を。
それくらいしなければ。この世界は変わらない。
だけれど、人間が無分別に増えたら。
匪賊みたいなのも、当然それにともなって増えていくことになる。それも駆除しなければならないが。人間だったら手当たり次第に襲うネームドと。弱者を選んで襲い、強者にはこびへつらう匪賊とは、どちらがタチが悪いのか分からない。
どうすればいいのだろう。
何か解決案はないのだろうか。
まず、わたしは出来る事を増やす。これは確定だ。
錬金術師として一人前になる。
力がなければなにもできない。
少なくとも、このソフィー先生に貰ったアトリエを自分でも作れるくらいの技量は欲しい所だ。
その後は、具体的にどうする。どうすればいい。
悩みは死につながる。
それについては、ここしばらくの経験で嫌と言うほど思い知らされた。
緑化には時間が掛かる。
それもよく分かった。
まず、後方での緑化作業を成功させるまでは、この防衛線を維持し。緑化がある程度進展したら、防衛線を引き上げる。
まず目指すのは橋。
その次が北東の雪山だろうか。
この辺りの緑化を成功させない限り。そもそも安全に移動する事も出来ない。特に架橋なんて大作業など無理なのだから、一つずつこなして行くしか無い。
櫓は都度解体。
少しずつキャンプ地を前線に移し。
緑化作業をオスカーさんにやってもらう。
オスカーさんはこういう緑化作業を数限りなくこなしてきた上、植物の声が聞こえるらしいので。
とにかく手際は素晴らしく。
最初に植える植物も、種が出来てから全て収穫し。
その後本体を焼き払う、という形で。
植物にとってまったく損が無いように行動していた。
二度目の前線移動を終えた頃には。
畑の面積は三割から五割増し。
これから畑に出来る用地も倍以上に増加。
緑化している地点は既に低木が生い茂り始め。
どこから持ってきたのか。
オスカーさんは虫などを放し。
小鳥なども集まり始めていた。
ひょっとすると、オレリーさんより緑化に限っては手際が良いかも知れない。この人くらいの人材がいれば、一生涯の間にどれくらいの土地が緑化できるのか。想像もできないほどだ。
ともかく、背後は完全に任せてしまって良いだろう。
この街の戦士達は頼りにならなかったが。
しかし、後方で働く分には問題ないだろう。
そもそも街を守る戦力がいなければ話にならないのも事実なので。
戦力の消耗を抑える事が出来た、と。
前向きに考えたい。
連日、グリフォンを狩る。
そもそもグリフォンがこんな密度で荒野にいると言うのがおかしいと、アングリフさんが明言してくれた。
繁殖地でもないし。
そもそも定期的に駆除もしなければならないのだと。
それならば遠慮はいらない。
徹底的に。
近辺から、グリフォンの影もなくなるまで狩りつくすだけだ。
途中、鉱石を加工して、カルドさん用の弾丸や。
お姉ちゃん用の鏃を作る。
これについては、見聞院で貸してもらった資料にレシピが載っていた。
火薬については錬金術師の得意分野だ。
後は、レヴィさんの剣だが。
戦闘スタイルからいって、まだ新品は必要ないだろう。
勿論レヴィさんが欲しいと言ったら善処する必要があるが。
今の時点で、レヴィさんはあくまで壁役として行動してくれている。勿論攻撃に転じる場合もあるが、それも補助的な攻撃で。主力はドロッセルさんやアングリフさんだ。
日に日に。
狩るグリフォンの数が増える。
目に見えるほどたくさんいたグリフォンも。
明らかに数が減ってきていた。
絶滅の恐れなんてない。
世界は荒野が当たり前。
荒野からは獣が際限なく湧いてくる。
恐らくだが。
凶暴性こそ薄れてはいるが、森からだって獣は湧いて出る筈だ。
どういう理由かはしらないが。
この世はそうして出来ている。
ならば。この場にいる危険な獣は。
狩りつくしてしまうべきだ。
獣は人間に制御だって出来ない。
馬や牛などの家畜化できた例もあるにはあるが。それは例外中の例外。ヤギなどでさえ、荒野にいる個体は人間を襲う。
だから、狩らなければならないのだ。
ネームドとの死闘から五日。
とうとう壊れた橋が肉眼で見えてきた。
橋の周囲は凄まじい焼け焦げ跡が残っていて。
何が起きたのかは何となく分かった。
橋が落ちたのを目撃した人はいないが。
橋が落ちるというか破壊される音。
そして叫び声は聞いているという。
ドラゴンのものだった、ということだ。
「まず、どうするつもりだ」
「石材はあります。 後は技術者がいればいいんですが……」
「それよりも、まずは橋までの安全圏確保よ」
アングリフさんに聞かれたので答えると。イルメリアちゃんが厳しい事を言う。確かにその通り。まだ橋までの安全圏は確保できていない。
後方では、緑化地点を街を守る範囲まで拡げたと判断したからか。
一旦緑化の拡大を中止し。今度は街道を作るための限定的な緑化に切り替え始めていた。オレリーさんがわたしに指示したあれだ。
また、それを進めるのと同時に。
緑化した地点の最辺縁に城壁を作り始め。
更には、その城壁に、畑の用地も囲い込み始めていた。
この辺りの物資は、手をかざして見てみると、アルファ商会が提供しているようだ。フルスハイムからお金が出ているのか、それとも低利でお金を貸し付けているのかは分からないが。
戦略事業にアルファ商会が出てくるのは、エルトナでわたしも見ている。
ともかく、手を貸して欲しいと言われるまでは。
此方で動く必要はないだろう。
グリフォンの個体差はもう本当に天地。
弱いのはすぐに仕留められるが。
強いのになると、遠距離から様々な魔術をぶっ放してくる。自己強化をする個体もいるし。中には周囲を石にするブレスを吐くものまでいる。
毎回毎回の戦闘が命がけだが。
それでも、命がけだと言う事がわかっているから。
油断せず、情け容赦ない攻撃を浴びせて各個撃破する。
そして、ネームドを仕留めてから十日ほどしたころには。
視界から。
綺麗にグリフォンは消え去っていた。
橋へ到達したのもそのタイミングである。
そして、実際に現場を見て。
わたしは呻かざるを得なかった。
地面が溶けた跡がある。
焼け焦げた、なんてのは、まだ良い方だったのだ。
恐らくブレスの直撃を受けた結果だろう。
大地が溶岩化したのだ。
こんなものを喰らってしまったら。
確かに橋なんてひとたまりもない。
心底ぞっとする。
イルメリアちゃんも、青ざめているようだった。
パイモンさんも、あまり顔色が良くない。嫌なものを思い出した、という表情だ。
「アングリフさん、ドラゴンってみんなこんななんですか」
「……橋をピンポイントで狙うなんて話は聞いたことが無いが、ドラゴンのブレスはこういうものだぜ。 魔族の中でもトップクラスの実力者を魔王って呼ぶんだが、その魔王の魔術でも手も足もでねえ。 錬金術師がいないと倒せないんだよ」
言葉も無い。
鉱物の声も聞こえない。
聞こえるが、それはこの溶けた地面の遙か下からだ。
「とりあえず、周辺にドラゴンがいないかを確認する必要があるな。 幾らドラゴンでも森に手は出さないが、その代わり人口建築物は容赦なく破壊する。 また橋を架けても、ドラゴンがいたら、壊しに来る可能性が高い」
「私が見張るわ」
「それでは、僕も」
お姉ちゃんとカルドさんが見張りに出てくれる。
後は橋の復旧か。
縁まで出てみると、下は峡谷で。
底が見えないほど深い。
やるとしたら、まず土台を確保し。
アーチ状に石材をくみ上げていく必要があるだろう。
その後硬化剤を入れ、固める。
魔族の支援が欲しい。
空を飛べるメンバーが、現時点でこの中にはいない。
更に、峡谷の下の方をお姉ちゃんに覗いて貰ったが。
案の定、崖にはアードラが巣くっているようだ。
自衛能力も必要になるだろう。
いっそのこと。
この崖に橋を通すのでは無く。
この崖に土台を渡して土を作り。
緑化してしまう、という手もある。
その結果、非常に頑強かつ、ドラゴンに破壊されることもない橋を造ることが出来るだろうけれど。
それには相当な時間。
更には人手も必要だ。
此処にいるメンバーだけでできる事では無い。
最低でも、フルスハイム東の人達を総動員して、連れてくるくらいの事はしなければならないだろう。
だが、あの戦士達でさえ、一線級に達していない人達が。
そんな事に乗ってくれるだろうか。
今もオスカーさんが緑化作業を手際よく進めてくれているが。
その後は。
考え込んでいると。
レヴィさんが話しかけてくる。
「どうしたフィリスよ。 漆黒の風に吹かれて気分が高揚したか」
「いえ、風にふかれて気持ちよくは……人手が足りなくてどうしようかなって」
「まずはどのような橋にするつもりだ」
「橋を普通に造っても壊されてしまうと思います。 それならば、橋はあくまで頑強な土台として作って、その上に土をかぶせて、橋を緑化街道の一端としてしまえば」
話を聞いていた皆が愕然とする。
イルメリアちゃんさえ驚いて、固まっていた。
「そうすれば、ドラゴンにも壊されないと思います」
アングリフさんさえ唖然としている。
話してみると、自分が如何に無茶を考えたのかが分かるが。
だが、橋を落とすドラゴンが現れた以上。
彼らの習性を逆用して。
落とされない橋を造る必要があるのは事実ではあるまいか。
森にはドラゴンさえ手を掛けない。
それは事実として存在する。
そのルールがあるのなら。
逆用するまでだ。
お姉ちゃんとカルドさんは見張りを続けてくれている。オスカーさんは、獣が減った街道を、せっせと緑化してくれている。
三人には頼れない。
この痛々しく溶け焦げた地面を見る限り。
何とか橋を造らなければならないと思うし。
ドラゴンも出来れば遠ざけたい。
だけれども、それが簡単にできないのも事実なのだ。
考え込むわたしの服の袖を。
ふいにツヴァイちゃんが掴んだ。
「石材……充分に、あります」
「うん……そうだね」
そう、石材については気にしなくてもいい。
いっそのこと、周囲の岩山を崩してしまってもいいくらいだ。とはいっても、この峡谷の深さ。
岩山を崩して、その岩を全部放り込んでも、埋める事なんて出来はしないだろうけれど。
吊り橋なんて作っても、そんなものはドラゴンが来たらすぐに焼き払われてしまう以上。
簡単には壊れないものを作らなければならないのである。
「人員だったら宛てがあるわよ」
イルメリアちゃんが呆れたように言う。
ただし、条件付きだが、とも。
イルメリアちゃんが指したのは、雪山の方である。
彼方には、孤立はしているが。
そこそこの規模の街があるという。
雪山の中に作られた街だ。
もしも協力を取り付けられたのなら。
ひょっとしたら、橋を復旧する人員を回してくれるかも知れない、とイルメリアちゃんは言うのだった。
「あの雪山に登るのかよ、おい」
「雪山の方でも、外貨の確保をしたいはずよ。 近辺のインフラ破綻は見過ごせない筈だわ」
「確か雪山の方を降ると、ライゼンベルグにいけると聞いているけれど」
わたしの方を、アングリフさんとイルメリアちゃんが、苦虫を噛み潰したような顔で見る。
聞かされる。
ライゼンベルグに雪山経由で行くには、ドラゴンが生息し、更に多数のキメラビーストと上級アードラが住んでいる場所を強行突破する必要があるという。
アングリフさんはこの護衛を請け負ったことがあるらしいが。
ドラゴンが眠っている間に、傭兵団が総出でキメラビーストを蹴散らし。
馬車を守りながら、犠牲覚悟の上で分厚い雪が積もっている山道を突破し。
更に追撃を駆けてくる凶獣達を退けつつ。
山を降りきらなければならないという。
「更に問題なのは、山を下った所で安全でも何でもないって事でな」
アングリフさんは更に知りたくないことを教えてくれる。
何でもライゼンブルグ周辺は殆どインフラが壊滅しており。
分厚い城壁で守られた人口十万都市、ライゼンベルグの外に一歩でも出れば、生半可な戦士では手も足も出ない凶暴な猛獣と、ネームド多数が徘徊し。
休憩できるような場所もない中。
必死の強行軍で、突破する必要があるのだとか。
イルメリアちゃんはある程度知っていたようで。
それを聞いても驚かなかったが。
わたしは蒼白になりっぱなしだった。
そんなところを通って。
錬金術師達は、ライゼンベルグで試験を受けていたのか。
それはもう、傭兵を雇って、半分以上死ぬのを覚悟の上で、行くしか無いのではあるまいか。
というかライゼンベルグは何をしているのか。
優秀な錬金術師を多数抱え、人口十万ともなれば相応の規模の防衛部隊だって抱えている筈。
ムチャクチャな難関を突破できる人材にしか。
試験を受ける資格は無い、とでもいうのだろうか。
アングリフさんが、橋を顎でしゃくる。
「そっちを通れたときは、まだ匪賊の相手が主体だったから、どうにかなったんだがな」
「私も、其方を通るつもりだったわ。 でも、この様子だと……」
ひょっとしたら。
あの逃げていった錬金術師達も。それを知っていたのかも知れない。
なるほど、合点がいった。
これではもはや、どうにも選択肢が無い。
決めた。
イルメリアちゃんの提案に乗る。
「アングリフさん、山の街の方に行きます。 案内の方はお願い出来ますか」
「別にかまわないが、あの山は色々厄介だぞ。 途中には街道なんて呼べるものは無いし、多数の霊が徘徊していやがる。 リッチの総本山とまで言われていてな、元が元だけに、錬金術師を逆恨みしている奴も珍しくない」
「それでもドラゴンとキメラビーストの大軍を相手にして、補給無しでライゼンベルグまで突破するよりはマシです。 それに、そんな孤立した街を支えている錬金術師なら、きっと何か名案もあるはず」
不意に、お姉ちゃんが笛を吹いて警告してきた。
皆、さっと岩陰に隠れる。
ドラゴンだ。
上空を旋回している。どうやら、橋が落ちているか確認しに来たらしい。許せない。
だけれども、ドラゴンは森を見ても、其方には反応を示さない。
やがて、ドラゴンはその巨体を悠々と空に泳がせ。
飛び去っていった。
現物を見るのは初めてだが。
分かる。
あんなの、普通の人間では、どれだけ束になっても勝てる訳が無い。
大きすぎる。
感じる魔力が強すぎる。
幸い知能は存在しないらしいけれど。
そんなのは問題にもならないほど強すぎる。
呼吸を整えると、一度キャンプにまで戻る。
雪山の入り口辺りまで、緑化が進展するまでもう少し。
あとちょっとで。
準備は整う。
4、血塗られし絵。
あたしの足下には、血まみれになって潰れた邪神が、痙攣していた。
双神エムエル。
この浮遊大地に住み着いていた邪神だ。
二人の女体が背中合わせにくっついたような姿をしていて。凄まじい魔力を誇る中位邪神の中でも上位に入る強豪。
だが、今のあたしの敵ではない。
まして今回は、フィリスちゃんの見張りに残したシャノンちゃん以外の手近な戦力全員を連れて来ている。
最初こそ抵抗したエムエルだが。
すぐに戦いは一方的なものとなった。
拡張肉体は防御にだけしか利用する場面が無く。
それもあたしを守るのでは無く。
一緒に来たプラフタや戦士達を守るためだけに必要となった。
とどめも、あたしの拳。頭をかち割ることで、戦いは終わった。
実のところ、此奴は以前殺したのだが。
この狭い土地に密集した魔力を吸収してか、短時間で復活したらしい。しかも、この浮遊大地から離れた荒野にある魔力まで吸い上げていたらしい。
だが、仕組みは理解した。
手を振って血を落とすと。
リュックから取り出す。
それは、不思議な絵画と呼ばれる錬金術の道具。見た目は額縁に納まった美しい絵だ。
美しい花畑が書かれているそれは。
「人為的に作り出した異世界」への扉。
そしてこの異世界へは、特定条件を満たさない限り、出入りできない。
例え邪神でも。
ある程度以上の実力が無ければ不可能だ。
そしてこの異世界のルールは、この世界とは異なる。
更に言えば、邪神は特性として、森からも草原からも魔力を吸い上げることが出来ない。
この中は緑に満ちた異世界。
邪神にとっては、力を回復出来ない死地に等しい。
更に此奴の魔力を解析したあたしは。
この絵に細工を施していた。
エムエルの死体が、絵に吸い込まれていく。
そしてエムエルを短時間で復活させたコアも。
これでいい。
残ったのは、エムエルの残骸。
此奴は下位の邪神程度の力しか発揮できないだろう。勿論、遠隔地の魔力を吸い上げることも不可能だ。
此奴については、フィリスちゃんのエサにでもする。
いずれドラゴンを倒し。
そして邪神に挑むのは。
フィリスちゃんには必須だ。
まだフィリスちゃんはドラゴンには勝てない程度の実力しか無いが。
それも、そろそろ一段落上がって貰わないと困る。
もう少し苦しんで貰うとするか。
「敵殲滅完了。 撤退するよ」
「了解っ!」
深淵の者の、対邪神部隊が引き揚げて行く。あたしもそれに伴って引き揚げて行くが、最後まで残っていたティアナちゃんがぶちぶち言う。
「首、切りおとしたかったなあ」
「ティアナちゃん。 この邪神はその内再生するの。 今とは比較にならないほど弱いけれどね。 その時、フィリスちゃんと一緒に戦わせてあげるよ」
「えっ! ほ、本当……っ!」
興奮のあまり、ティアナが顔を真っ赤にしている。
カタカタ震えているのは、喜びからだ。
邪神の首。
この子のコレクションにも無い代物だ。
もっとも、邪神は首を刎ねてしまうと、コアと直結していない限りその内霧散してしまう。
だが、ティアナちゃんは、あくまでも首を切りおとしたいのだろう。
首をコレクションに出来なくても。
邪神の首を刎ねるという行為に、最高の感動と興奮を覚えるタイプだ。
それを見てプラフタは眉をひそめているが。
今は少しでも有能な人材が欲しいのだ。
別にあたしに反抗的だろうが、狂信していようが、どうでもいい。
有能であればそれでいいのである。
きゃっきゃっと喜びながら戻っていくティアナちゃんを見送る。
プラフタは嘆息した。
「業が深いですよ。 あまりにも」
「業が深くなればこの世界を打開できるなら、いくらでも業を深くするよ」
「……そうですか」
「うん」
プラフタを促し、戻る。
フルスハイム周辺については現状で大丈夫だ。湖底のドラゴンについても、常時監視システムを組んでいる。
今フィリスちゃんは、例の橋に到着したとシャノンちゃんから報告を受けている。予想以上に早い。
今回は、いける可能性が高い。
駄目ならばまた修正を加えながらやり直すだけ。
いずれにしても、現時点では好調。
それで充分だ。
既にあたしは人間と呼べる存在では無い。
だが錬金術を極めればいずれそうなる。
フィリスちゃんも。
ふっと笑うと。
あたしは最後に引き上げる。
後ろには、血に染まった偽りの楽園と。
消滅した邪神の残骸の残り香である魔力が残されていた。
(続)
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