突貫突破
序、絶望の湖
まず手分けして、作業を行う事にする。
わたしは鉱物の声を聞いて、加工できそうな岩を全部より分け。
石材にしかなりそうにないものは、それはそれで別の棚に置く。
コンテナは文字通り底なしの容量で。
どれだけ詰め込んでも、まだまだ余裕がいくらでもあった。ドラゴンを解体して、丸ごと入れても、余裕がたっぷりありそうな程だ。
鉱石がとれそうな岩は外に一度出して。
積み上げて、細かく選別をする準備。
鉱物を取れそうな石だけでも、一山出来ていた。
街の人々が見に来ているが。
危ないので、距離を取ってもらう。
おおざっぱな選別だけで丸一日かかった。
そして、その後は、鉱物の声を聞きながら、わたしが石を砕いて、適当なサイズに分けていく。
それをロジーさんに鑑定して貰う。
ロジーさんは、腕組みしながら、比較的厳しめの鑑定をする。
「ゴルトアイゼンとシルヴァリアの原石が中心だな。 合金にするしか、充分な強度を保てないと思うぞ」
「合金にする場合、船を覆うのに足りますか」
「……錬金術で強化するしかないだろう」
「分かりました」
一通り、鉱石を分別するのに更に三日。
その間、借りていた蒸留水作成装置はフル稼働させ。ずっと蒸留水を補給し続けておいた。
レンさんが様子を見に来る。
岩山を文字通り崩し尽くしたと聞いて、驚いたのだろう。
そして、文字通り山と積まれている鉱石を見て。
その凄まじさに、絶句していた。
「レンさん、動力炉ですが、どうなりましたか」
「ええ、レシピは出来ました。 ただこれはちょっと……」
言葉を濁される。
そして、気になったので見せてもらったのだが。
なるほど、確かに言葉を濁したくなるのも分かった。
もの凄く難しいのだ。
部品も多い。
何よりも、拡張性を考慮してなのか、動力炉自体は頑強かつ巨大。極めて強力な金属を用いる必要があると記載されている。
「これは……」
「今のフィリスさんには厳しいでしょう。 鉱物加工については相応の腕があるようですが、これは「相応の腕」程度ではどうにか出来るものではありません。 ラスティン全土を探しても、コレを作れる錬金術師は見つかるかどうか……」
「どうにかできるけど? そうだなあ、あたしがやってもなんだし、レンさんならどうにか出来るようにレシピを簡略化してあげるよ。 素材はこっちで準備してあげる」
不意に。
ソフィー先生が、その場にいた。
本当に、いつからいたのか分からなかった。
ソフィー先生は、笑顔を保ったまま、凍り付いているレンさんの手から設計図を受け取り。わたしに手渡す。
「これについては作り方を覚えておいて。 それとフィリスちゃんは、この合金を可能な限り大量に量産してね」
「これは……」
「街で少し買い付けしておいた鉱石とこの比率で混ぜると、プラティーンほどではないけれど、それに近い強度の合金が作れるの。 ただ少し加工が難しくてね。 インゴットにして、ロジーさんに渡してくれる?」
「はい、それはかまいません。 でも、動力炉は」
しっと、口を指に当てるソフィーさん。
それについては、これからということだろうか。
いずれにしても、とにかく、言われた事をやるしかない。
魔族の大柄な戦士が、荷車を引いてくる。
その荷車には、大量の鉱石が入っていた。
かなり強力な力を感じる。
「失敗する分も考えて、少し多めに用意しておいたよ。 じゃあ、後はインゴットの量産を頑張ってね」
「……」
渡されたレシピを見るが。
確かにこれなら量産できる。
そして、プラティーンに近い強度を持つとなると。
確かに装甲には充分なはずだ。
問題はまだある。
動力炉。
それに、動力だ。
実は街に戻ってきた後、レンさんと話したのだが。
外輪船では、装甲が如何に強固であっても、多分あの竜巻を無理矢理突破するのは不可能、と言う事だった。
あの竜巻の風の中では。
構造物は出来るだけ少ない方が良い。
何しろ、一度だけ突破すれば終わり、ではないのだ。
今後、大量の物資人員を連れて、あの竜巻を何度となく突破しなければいけないのである。
それには、頑強。
簡単に扱える。
壊れても直せる。
これらの要素が揃わなければならない。
いずれにしても、一つずつ順番にこなしていかなければならないだろう。
ソフィー先生はいつのまにか、またいなくなっていた。
レンさんは我に返ると。
咳払いする。
「フィリスさん、本当にやるつもりですか」
「はい。 あの竜巻が、いつフルスハイムを襲うかも分からないし、インフラも壊滅している状態です。 どうにかしないと……」
「実はあのロジーという鍛冶師ですが、本人に話を聞いたところ、以前ソフィーさんと仕事をしていたようなのです」
「え……」
何だそれ。
腕が良い鍛冶師のようだし、冷静で木訥とした青年だけれど。
それはいくら何でも、出来すぎた話だとしか思えない。
そういえばソフィー先生も、ロジーさんと呼んでいた。
知り合いだったのか。
「何かおかしいと思いませんか。 ソフィーさんは、正直な話、ラスティンどころか、アダレットも含め、間違いなく世界でもトップクラスの錬金術師です。 公認錬金術師の免許も持っているようですが、むしろ錬金術師の総本山ライゼンベルグで教鞭を執る次元の錬金術師です。 それも、現在一線級として活躍している錬金術師達に教えるレベルでしょう」
「そんなに凄いんですか」
「正直異次元です。 何十年に一人現れるかどうか、という存在としか……」
レンさんは、十代で公認錬金術師になった俊英だと聞いている。
この人が其処まで言うのだ。
ソフィーさんの力量は、本当に凄まじいのだろう。
しかし、今は。
その疑念よりも、優先するべき事があるはずだ。
「あの、わたしはこれからインゴットの量産に入ります。 これでも鉱物の声が聞こえるので、合金を作るのは……大丈夫だと思います」
「そうですか。 それならば、此方は一旦設計図に取りかかりましょう。 現在フルスハイムの旗艦になっている船はこの間のネームド襲撃でかなり痛んでいます。 竜骨などの主要部分だけを残し、大幅改装します。 動力炉を使ってどうやって動かすかも、此方で案を出しておきましょう。 それと、フィリスさん、その合金の作成を、推薦状の案件とします。 頑張ってくださいね」
「お願いします」
後はイルメリアちゃんが動いてくれれば、少しは助かるのだが。
だが、親しい人があんな事になった直後だ。
すぐに動けと言うのは酷に過ぎる。
ふと、騒ぎが起きる。
アルファ商会の、大きめの隊列が来ている。
長老が直接出て迎えているようだった。
「どうやって此処に……」
「ドナを経由したのでは」
「いえ、ドナを経由する場合、他の同規模都市とはむしろ迂回路になります。 あの規模のキャラバンが、何事も無くたどり着けるとは思えません」
「そういえば……」
エルトナにソフィー先生が来た時。
変な道具を使っていた事を思い出した。
まさかアレだろうか。
しかもソフィー先生は、アルファ商会ともつながりがある様子だった。
物資のやりとりをしている。
しかも物価にも詳しいようで。
物資を買い占め値段をつり上げもしていたフルスハイムの悪徳商人は、手下のゴロツキを仕掛けようとしていたが。
アングリフさんに睨まれて、ゴロツキどもは逃げ散ってしまった。
大量の物資が支援され。
しかも適正価格で販売される。
流石に物資が減ってきているという話だったけれど。
それも、これで回復しただろう。
大量の商売を済ませると、アルファ商会は引き揚げて行く。一応、前にわたしが通したドナとフルスハイムの直通路を使っていたが。
本当にそれを使って最後まで行くのか。
はっきり言って良く分からない。
「やはり作為的すぎる……」
レンさんがぼやく。
でも、わたしは。
正直、もはや作為的でも何でも良いと思えてきていた。
「やりましょう、レンさん」
「そうね。 幾らおかしい事があるといっても、あの竜巻の脅威があるのは事実だし、対応しなければならないわ」
頷くと、別れる。
わたしは、分別した石を砕いて。
まずインゴットにする作業から開始する。
鉱物は教えてくれる。
まだ不純物があるよとか。
こっちは純度が高いよ、とか。
鉱物をインゴットにする過程で。
中和剤を使って変質させ。
そして強力に仕上げていく。
一旦純粋なゴルトアイゼンとシルヴァリアを造り。更に、此処にソフィー先生が提供してくれた稀少鉱石から抽出したインゴットを作る。
いずれも非常に難易度が高く。
特に稀少鉱石は、炉に入れただけでは分別が出来る状態ではなく。
とてもではないが、一瞬も気が抜けなかった。
大量の岩を処理していき。
そして、ある程度インゴットが出来てきた時点で、レシピを見ながら合金に仕上げる。
合金は非常に難しい。
金属だけを掛け合わせるのでは無く。
その過程で、色々な中間生成物を混ぜ込まなければならない。
強靱に。
ただひたすらに強靱に。
仕上げていく。
一度ではやはり上手く行かない。
少量だけ使って、それで妙なものに仕上がってしまうのをみると。どうしても力量不足を思い知らされる。
分かっている。
まだわたしは一人前の錬金術師では無い。
だから数をこなして。
失敗も前提に。
覚えていかなければならないのだ。
シルヴァリアもゴルトアイゼンも純度を上げる。
可能な限り。
鉱物の声を可能な限り丁寧に聞く。
聞けば聞くほど、良く聞こえるようになって来ている。
それならば、もっと鍛えれば。
もっと出来るようになっていくはずだ。
額の汗を拭いながら。
ひたすら金属と格闘を続ける。
そして、三回目で。
ようやく水準値の、合金を作る事が出来た。水準値というのも、レシピに書かれている合格ラインを、ギリギリとは言え全て突破したからである。
そして出来たからには。
覚えた。
後は、量産していくだけだ。順番に、丁寧に、成功した手順をなぞっていく。レンさんも今頃船をどう改装するかで頭を使っているはず。わたしだけ、もたついているわけにはいかない。
ツヴァイちゃんが来て、現状の在庫について教えてくれる。
それぞれの鉱石の量。
インゴットの量。
全てが分かり易くまとまっている。
この辺りは流石にホムだ。
数字に対する強さは、人間種族の中で随一である。
「ありがとう。 明日以降もお願いね」
こくりと頷くと。
ツヴァイちゃんはお姉ちゃんに手を引かれて、奥の部屋に。
まだあまり激しい運動や、頭を酷使するのは避けろ。
そうお医者さんに言われている。
文字通り死ぬ寸前にまで体を滅茶苦茶にされたのだ。
幾ら回復が早い小さい子だとは言え、限度もある。
後遺症が残る可能性もあると言われていたし。
それを考えると、ツヴァイちゃんに無理をさせるのは厳禁だ。
後遺症、か。
匪賊に捕まったホムはほぼ助からないと聞いている。
それから考えると、ツヴァイちゃんはあれでも運が良かった方なのだ。客観的な事実として、である。
一生トラウマに苦しめられ。
一生後遺症が残るとしても。
呼吸を整える。
あまり考えないようにしよう。
作業の精度に問題が出る。
二回目からは、少しずつ出来るものがマシになりはじめる。
というか、はっきり分かってきたが。
この錬金釜。
ソフィー先生が用意してくれただけあって、凄まじい。
前も凄まじいと思っていたのだが。
今になって、そのすごさが更に際立って分かってくる。
きちんと手入れさえしていれば。完璧という以外の言葉が出てこないくらい、きちんと仕事をしてくれる。
わたしの技量が、この錬金釜に追いついていなかった。
それだけだ。
合金のインゴットが出来はじめる。
重さはゴルトアイゼンより軽く。
強度はゴルトアイゼンなどとは比較にもならない。
錆びることも無く。
強い魔力を帯びているので、魔術に対しても抵抗がある。生半可な魔術による攻撃なんて、それこそ簡単にはじき返すだろう。
だけれど、量産には骨が折れる。
これを増やすだけ増やして、更に船の装甲に加工するとなると、なおさらだろう。
一月は、余裕で見なければならないかもしれない。
一月。
ドラゴンが大人しくしてくれているだろうか。
勿論暴れ始めた場合は、レンさんが対応してくれるはずだが。
ソフィー先生でも、上級のドラゴンはどうにもならないのだろうか。
相手は湖底。
流石に手は届かないのか。
いや、駄目だ。
幾らソフィー先生でも、頼ることばかり考えてはいけない。そもそも、あのアルファ商会の人達が来て、随分フルスハイムは楽になったのだ。あれはソフィー先生が手配してくれた可能性が高い。
これ以上の事は自分達でするんだ。
そう言い聞かせ、作業を続ける。
お姉ちゃんに言われて、気付く。
一日半ほど、殆ど休憩せずに、作業に没頭していた。おかげで、もう少しで作り置きしておいたゴルトアイゼンが尽き、シルヴァリアもそろそろ造り足さなければならない状態になっていたが。
ツヴァイちゃんに聞くと、頷いて残りの鉱石などを計算してくれる。
流石に岩山を崩したこともある。
まだまだ、充分な鉱石がある。合金はまだ幾らでも作れると考えて良いだろう。
胸をなで下ろすと、一気に疲れが来た。
お姉ちゃんとレヴィさんが作ってくれた料理を食べて、それからゆっくり眠る事にする。
しっかり休憩を取らないと、却って効率が落ちる。
それは知っているから、休めるときに休まなければならない。
休む前に、カルドさんに、ロジーさんの所にインゴットを届けるようにと頼んだ。まあ、男性同士なら問題は無いだろう。
ドロッセルさんは、数日前からアトリエにいない。
自警団の方から手伝いを頼まれているらしく。
其方で作業をしているようだった。
最終的に合流できれば良いし、しばらくは荒事もない。力仕事に関しても、今は気にしなくても良いだろう。
とにかく今は。
ひたすら冶金に注力する。
可能な限り雑念は排除だ。
そして、鉱物の声を聞き。
この事態を打開するための、わたしに出来る最善手を打ち続けなければならない。
1、闇宵から
深淵の者の本部となっている魔界に。
久々に幹部達が招集される。
深淵の者の切り札、対邪神生体兵器魔王の膝元に、アトミナとメクレットが座る。そして、現在は顧問となっているあたしソフィーとプラフタが揃うと。会議が開始された。
基本的に会議は淡々としている。
この深淵の者では、権力を巡っての争いがほぼ存在しない。
というよりも、馬鹿馬鹿しいので誰もやらないのだ。
此処にいる幹部達は、数年前に深淵を直接見た。
アルファ商会を率いているアルファも。
以前ほど世界に対する憎しみを強く持っておらず。
義手と義眼を敢えて残して憎しみを保つ工夫までしていたのに。
そろそろ生体部品に変えたいと、あたしに依頼してきたほどだ。
作るのは難しくも無いので。
その内余裕を見て作ってしまうつもりだが。
「それでは、現状の報告を」
アトミナが呼びかけると。
順番に話が為されていく。
聖獣王ティオグレンが、最初に発言をした。
「通称世界樹の麓に住まう獣人族の一派ですが、現時点でラスティンから主導権をほぼ奪い取ることに成功しました。 今後は我々に傭兵として組み込めるかと思います」
「あの者達は蛮族同然と聞いているのです。 大丈夫なのです?」
「アルファ商会との衝突があった事は確認しています。 現在、対応を検討中です」
「同胞を何人も殺されているのです。 気を付けて対応をするのですよ」
アルファが指摘するが。
元々あの獣人族達は、眠っている創造神(の端末)を崇めている一種のカルト団体であり。
思想は妄信的かつ狂信的だ。
というわけで、あたしがちょっと細工をし。
創造神の端末を動かした。
いつも退屈そうに眠っている創造神が動いた、というだけで彼らは驚きひれ伏し。
そして、深淵の者に協力せよ。
更にはアルファ商会と連携を密にせよ、という発言にひれ伏した。
とはいっても、カルトは所詮カルト。
カルトの基本構造は、邪悪なトップと馬鹿な端末、という点では一貫している。
このトップをラスティンが上手く懐柔し、有事の戦力として活用していたわけだが。今後は深淵の者がこの獣人族達を操作する事になる。
当たり前の話だが、あくまで予備戦力として確保するだけだ。
この世界樹付近にはドラゴンが非常に多く。
そもそも常に予備戦力として期待出来る訳では無い。
保険、である。
保険としては相応に優秀だが。
続けて、立ち上がったのは。
アダレットに太いパイプを持っている魔術師だ。
最近アダレットの中枢を「引退」し、深淵の者の幹部として復帰した。
60年間スパイを続けて来たのだが。深淵の者に復帰してからはアンチエイジング処置を受け、十代の姿にまで若返っている。
なお清楚そうな女性だが。
実態はアダレットの影を全て見てきたとまで噂されており。
実子二人、孫六人は、全員深淵の者の配下として、アダレットの中枢に食い込んでいる。
ちなみに引退前の肩書きは「宰相」。要するに事実上の国家のナンバーツーである。
現在の王女が非常に優秀であるため、老いた者がいつまでも権力に関わるのも良くないと言う事で引退したという体裁を取っているが。実際にはこれ以上同じ場所にいると怪しまれるので引退しただけである。別に彼女がいなくても、アダレットは充分に操れる。宰相クラスの人間が、深淵の者の幹部「だった」、というだけの事。既にアダレットの心臓部は随分前から深淵の者で握っている。今後彼女は、裏方になり、アダレットに潜り込んでいる人員をバックアップしていく事になる。
ちなみに彼女は、深淵の者では「毒薔薇」とだけ呼ばれている。
なお言動は穏やかだが。
笑顔のまま、なんのためらいも無く相手を殺すため、アダレットの現役時代でも怖れられていたようだ。
「アダレットの状況です。 まず第一に、王が実質上軟禁されました」
「ほう。 王女がついに堪忍袋の緒を切ったか」
「はい。 度重なる庭園趣味による浪費、周辺のネームドの駆除を怠り、前線に姿も見せず美食三昧。 害悪でしかありませんし、実権を全て奪われたのも妥当かと思われます」
「これで少しは経済が動くように金を使うとかの知恵があったら良かったのだがな。 無駄な庭園趣味に金を浪費し、あげくその浪費した金は悪徳商人や汚職官吏共の懐に直行という有様だったし、妥当だろう。 で、駆除は」
「おおかた済んでいます」
アトミナが頷く。
勿論駆除というのは、無能王の走狗となって、金を蓄えていた悪徳商人や汚職官吏だ。こういう連中は定期的に駆除していかないと国が腐る。
国が腐ると、立て直すのは本当に大変なのだ。
「それと騎士団にも動きがありました。 其方の鏖殺様の盟友であり、現在アダレットと深淵の者の「表向きの」パイプ役であるジュリオ様が副団長に昇進しました」
「ああ、内定していたのが実際になったんだね」
「はい、そうなります」
「団長も時間の問題かな」
薄く微笑む毒薔薇。
他にも幾つかの話をした後。
現在の女王の話に移る。
アダレットは大陸を二分する国家であり。古くに武王と呼ばれる人物が領土を拡大した「武門の」国家である。
しかしながら近年は王族の文弱化が進み、「先代」に至っては庭園趣味のあげく、切れ者と噂される王女にとうとう軟禁され。
現時点では、あまり武術に優れているとは噂がない王女が実権を握っている。
恐らく王女が女王になるのも時間の問題だろう。
ただ、武門に関しては、やはり厳しいものがある。
そうなると、あたしと一緒に数多の強敵と戦い抜いたジュリオさんが騎士団長になり、引き締めを行うのが必至だ。
現在の騎士団長もレア種族の巨人族で、武勇には優れているのだが。
ジュリオさんはまだ若いのに対し。
現騎士団長は年齢的に限界が近い。
世代交代をし、更に腐敗官吏も一掃しなければ、アダレットの軍事力は戻る事がないだろう。
そして軍事力は、この世界では人間に対してでは無く。
ドラゴンや邪神、それにネームドに備えるものだ。
アダレットの人口はラスティンとほぼ同じ。
辺境の街には、大した戦力がいない事も共通している。
錬金術師がいなければ、どうにもならないのだ。
そんな状態を、少しでも緩和するためにも。
アダレットには錬金術師と連携して動ける強靱な戦力と。
無能では無い為政者が必要になる。
現時点での王女は、深淵の者との同盟を申し込んでくるだけ比較的マシだが。
ただし、有能な君主はいつまでも有能、とはいかないのが厳しい所だ。
有能な為政者が、圧制者に変貌する例は珍しくないという。
必要になれば、いつでも駆除する覚悟がいるだろう。
続けて、あたしが発言する。
「フルスハイムの湖に竜巻を発生させているドラゴンですが、現時点では当面動けないように痛めつけ、封印も施しました。 フルスハイムが蹂躙されることは、しばらくはないでしょう」
「流石だ。 相手は上級だと聞いているが……」
「何、中位以上の邪神に比べればどうということもありませんよ」
感心するイフリータさんに軽く返す。
深淵の者の初期からのメンバーである歴戦の魔族は。当然のことながら、ドラゴンの恐ろしさを知り尽くしている。
上級のドラゴンを一人で倒せる錬金術師に、そもそも遭遇した事がないのだろう。
あたしは、深淵を覗いた。
誰よりも深く。
そして繰り返している。
人間とはもう違う。
だから此処まで力がついた。
プラフタも、モニカも。
あたしをみると、悲しそうにする。
だが、他にこの詰んだ世界をどうにかする方法があるか。四種族がそれぞれを尊重し、自立してこの世界を旅立てるまで文明を発展させる。それを成し遂げるためには、手を血で洗おうが。邪神に外道と罵られようが、知った事か。
思うに、創造神パルミラは、あまりにも純朴すぎた。
救った生物が阿呆すぎた。
あたしもその阿呆から生まれた特異点ではあるが。
何回か繰り返している内に、パルミラがやる気を無くして寝こけ始めた気持ちが分かるようになってきた。
それでも諦めていない辺り、パルミラは間違いなく創造神なのだが。
それでも度し難いということで。
人間は四種族とも、どうしようもない、と言う事には代わりは無い。
結論は出ている。
精神論で人間は変わらない。
システムでも人間は変わらない。
どの種族でも同じ。
ヒト族が一番酷いが、一番マシなホムでもこの辺りは同じだ。
ならば人間を進化させるしかない。
問題はあたし一人では世界を丸ごと変えることは出来ない、と言う事で。
あたしと同レベルで深淵を覗き込む者を後四人用意しなければならない。それも、残り時間は余り多くない。アンチエイジング処置を用いても、世界そのものを変えるのは、そう簡単では無い。出来るだけ早く、あたしと同格の錬金術師を備えなければならないのだ。
前回は、後一人が上手く行かなかった。
途中でフィリスちゃんとの才能差に気付いて、潰れてしまった。だが、フィリスちゃんは元々ギフテッド。努力型のイルメリアちゃんは、其方を伸ばせば大成する可能性はあったのだ。
今回こそ、上手く生かす。
あと少しで、手が届きそうなのだから。
事実、前回はもう少しで手が届かなかった。
しかしながら、前回の失敗したデータについては持ち帰っている。
今回は例えイルメリアちゃんが失敗したとしても、同じ結果にはさせない。
より完全を期するために。
イルメリアちゃんを仕上げたい。
それだけだ。
それと、今後控えている双子は。
イルメリアちゃんを師匠につけた方が良いと個人的に考えている。
あたしが鍛えた場合と、フィリスちゃんが鍛えた場合をそれぞれ経験しているのだけれども。
どちらも、大成するまでに時間が掛かっている。
イルメリアちゃんは才覚こそフィリスちゃんに劣るが。
教師としては恐らくフィリスちゃんより優れている。
いずれにしても、人材は必要だ。
この世界を、根本的に変えるためにも。
咳払いしたのはシャドウロードだ。
「フルスハイムを失うと、人類はまた一段と大きく混乱する。 賢者ソフィーよ、その辺りは抜かりは無いのか」
「ええ、ご心配なく」
「そうか。 先代の公認錬金術師を葬る判断が遅くなってしまったから、此処まで混乱が酷くなったとも言える。 その点は反省点として生かさなければならないな……」
皆が頷く。
だが、もう遅い。
パルミラが時の特異点と定めた。あたしが賢者の石でパルミラと接触したあのタイミングよりも、前の出来事なのだから。
今も昼寝しているパルミラ曰く。
比較的マシに進んでいる世界だという事だし。
前回以前の世界は、更に酷かったのだろう。
文字通り、どうしようも無い程に。
更に、立ち上がったのは、錬金術師ヒュペリオン。
この世界に怒りを覚えている錬金術師の一人だ。
「また大きな問題が発生しました」
「ふむ、聞かせて頂戴」
「はっ。 フルスハイム南東、いわゆる大峡谷近くに掛かっていた「大橋」が崩落いたしました。 原因はドラゴンによるものです」
「また橋落としか……」
嘆息するイフリータ。
最近、人間がインフラとして重要視している橋を、次々に落としているドラゴンがいるのだ。
その都度駆除はしているのだが。
別のドラゴンがまた同じように橋を壊す。
アダレットでも同様の報告が上がって来ており。
ドラゴンが何かしら、世界そのものを動かしている戦略によって、活動しているのでは無いかと言う説もある。
かといって、これは自動的に実行されているものなので。
何かしらのバランスが崩れた結果。
ドラゴンが動いている、と見るのが自然だろう。
人間の増える速度に問題があるのか。
いや、そうではない。彼方此方でネームドやドラゴンに小集落が潰されたり、匪賊をあたし達で消したりしているので、目立った増加はしていないはず。
ならば理由は何だ。
前には、このような事は無かった。
この世界は、あたしが巻き戻しを見る度に、状況が変わる。
それだけあたしが大きな力で干渉している、と言う事が原因なのだろうが。
この程度の事をクリア出来なければ。
どの道世界のどん詰まりを突破することなど出来まい。
「討伐隊を編成する。 主、俺が出るがかまわないだろうか」
「そうね。 問題は壊された橋の修復だけれど」
「それについては、フィリスちゃんにやらせるからご心配なく」
「……分かった、ソフィー。 貴方に任せよう」
メクレットが言うと、他の幹部達も納得する。
実はフィリスちゃんは、前に比べてかなり前倒しでフルスハイムに到着している。このペースなら、もう少し障害があっても大丈夫だろう、と判断していたのである。ドラゴンが橋を落とさなければ、あたしが何かしら用意していたところだった。
イフリータを中心に、ドラゴンを潰せるだけの戦力が編成され、すぐに出陣していく。
残った幹部が、幾つかの事を話し合い。
それで会議は解散となった。
会議中ずっと黙っていたプラフタが。
魔界の闇に満ちた空間で、あたしに言う。
「ソフィー。 貴方に事情は聞いていますが、それでもいくら何でもやりすぎなのではありませんか」
「橋に関してはあたしじゃないよ」
「橋に関してはそうでしょう。 イルメリアの心を折ったのは、貴方がけしかけたネームドが……」
「あの子のおつきはあたしが作ったんだし、それくらいは良いんじゃないのかな」
そう。
イルメリアが時々混乱しているのも当然だ。
アリスを一とする、ラインウェバー家の執事とメイドは。
あたしが作った。
彼らが最初からいたという偽の記憶はラインウェバー家全員にねじ込んだ。
イルメリアは能力が高い。
だから記憶の違和感に苦しんでいるようだが。
それでかまわない。
いずれ全てを思い出したとき。
全てをもてあそばれた怒りで、あたしに対する憎悪を爆発させる。その結果、能力が全て開花する。
逆に言うと、それくらいの起爆剤がないと、あの子はフィリスちゃんや双子に到底及ばない程度で頭打ちになってしまう。
何度も見てきた。
だから改良を加えたのだ。
アリスを無感情無表情に作ったのも全て計算尽く。
イルメリアが生理的に恐怖するように、いわゆる不気味の谷を利用してそう作り上げたのだ。
結果イルメリアは、自分に献身的に尽くしてくれるアリスと。
自分の生物的な嫌悪感の板挟みになり。
苦しみ続けている。
文字通り人生をもてあそぶ行為だと言う事くらいは分かっている。
だが、これくらいしないと。
この世界のどん詰まりは解決できないのだ。
思うに、この世界は文字通りの混沌なのだろう。
未熟すぎる知的生命体四種が同時に存在し。
それらを共存させ、共に進化させて行くには。
これくらいのムチャクチャをしないとならなかったのだ。
プラフタは悲しそうにするが。
彼女にも、今まで辿った破滅の結末は告げている。
それを聞いてからは。
苦言を呈する事はあっても。
あたしを力尽くで止めようとすることは無くなった。
どの道、プラフタにも名案などないのだ。
対案がないのなら、黙っていろ。
それがあたしの結論だったし。
深淵の者の幹部達も、それを知っている。
勿論ルアードも。
今はまた子供二人の姿に戻っているが。それは単に手数を増やすため。
現状では手数が足りないと判断し。
最近はたまに、それぞれ別れて行動し、別方面で作戦指揮をしてもいるようだった。
魔界を出る。
エルトナへの扉を通って、様子を確認。
現在、街を守る城壁の完成率が85%。
周囲の緑化も概ね順調に進んでいる。
鉱山の中で暮らさなければならなかった者達は、太陽の光を浴びることが出来るようになり、目に見えて健康になった。
緑化はまだまだだが。
彼方此方に配置された物見櫓のおかげで、商人は行き来が容易になり。
少なくともメッヘンから此処までの安全は、今までとは比較にならない次元で確保されている。
周辺のネームドはまだ数匹残っているが。
それはフィリスちゃんが試験を終えて此処に戻ってきたとき。
エルトナの緑化を完成させるために必要だと判断し、わざと残している。
どちらにしても、ブッ殺すのはいつでも出来る。
今は、必要ない。
不意に、長距離通信用の装置が鳴る。
ボタンを操作して受けると。
相手はオスカーだった。
あたしの幼なじみとして、昔はモニカと一緒に三人で行動していたオスカーも現在は深淵の者に協力し。
主にラスティンの東部で活動している。
傭兵というのとは少し違うが。
緑化作業のスペシャリストとして、各地でその腕を振るっており。
この間も短時間で小さな街の安全を確保。
止めてくれと言っているのに、無理矢理銅像を造られて、辟易したそうだ。
「おうソフィー。 何してる?」
「お仕事だけれど、どうしたの?」
「ああ、今噂のフルスハイムの東に来ているんだがな、予想以上に酷いぜ。 おいらが前に来たときとは、状況が一変してる」
「詳しく」
フルスハイム東の湖周辺の都市は、あたしが回って、物資が足りなくならないように調整している。
都市機能を維持できなくなると。
都市を構成していた人間が丸ごと匪賊化するケースがある。
それだけは絶対に避けなければならない。
周辺のバランスを著しく崩すからだ。
今の時点で、あたしがフルスハイムに常駐していないのは、インフラが寸断されたフルスハイムの衛星都市の面倒を見ているからなのだが。
「荒野が拡大しているんだよ。 緑地が枯れるような事は起きていないが、水と植物さえあれば緑化できたような所まで、どんどん枯れ果てて行ってる。 土が死んでるんだ」
「ふむ……分かった。 すぐに行くね」
「ああ、頼むぜ」
「どういうことでしょうね」
プラフタが考え込む。
あたしも少し気になる。
この世界は荒野が基本だ。
緑は人為的に作り出さないと発生しない。
ただ、あの辺りは、以前中途半端な緑化計画が動いたことがあり。主導していた都市が混乱した結果、頓挫した歴史がある。
かといって、栄養剤などはしっかり使っていたので。
条件さえ整えば、緑が繁茂する筈だったのだが。
何が起きた。
予定を前倒しにして、現地に行く。
昔は太っていたオスカーだが。
最近は色々な理由からすっかり痩せている。
オスカーは短時間で体重が激しく上下するため。
単に食べていないだけだろうとは思われるが。
ともかく、痩せると印象が違う。
ただオスカーは、ヒト族の女にはあまり興味が無いらしく、そもそもどう見られようが知った事では無いという態度を崩していないので。痩せていようが太っていようが、気にしていないのだろう。
手を振って此方を呼んでいるオスカーの所に出向くと。
プラフタと一緒に、周辺を調べる。
確かにおかしい。
「土地の魔力が失われていますね。 あまり私もこういう現象は見た事がありません」
「周辺に新規で出現したネームドは?」
「いや、そんな話は聞いていないな」
オスカーの周囲には、深淵の者がつけた腕利きが数人いる。
いずれも強力な錬金術の装備を身につけていて。
それぞれがネームドの一匹や二匹、充分に相手に出来る実力者だ。
オスカー自身も今はまず一流と言って良い腕前だし。
見逃す筈がない。
「そうなると邪神? でもこの辺りにいた邪神は、前に処分したんだけれどなあ」
「いえ、ソフィー。 それが正解かも知れないですよ」
「!」
気付く。
地面から魔力が漏れ出ている。
森を傷つける事は、基本的に人間以外のどの生物もしない。ドラゴンでさえだ。邪神も、敢えて存在している森を傷つけるような真似はしない。
だが、地面に蓄えられている魔力を吸い出すとしたら。
以前、リッチが似たような事をしているのを見たが。
この辺りはリッチ程度が生存できるような生半可な環境では無い。
いたとしても瞬く間にネームドに食い荒らされるだけだ。
そうなると、誰かしらが、森では無いからと言う理由で、魔力を吸い上げていると見て良いだろう。
そして魔力は。
空へと登っている。
腕組みする。
空か。
実は、空だとすると、心当たりがある。
フルスハイムの北東に、いわゆる世界樹があるのだが。
その近くに、浮遊島と呼ばれる特殊な地形が存在している。
古くに錬金術師が島一つを浮かばせようとした名残、という説もあるが。
前にあたしが調べた限りでは、恐らく邪神が何かしらの意図で、島を一つ浮かばせたもののようだ。
事実、以前島に上陸した事があるが。
嫌みな程豊富な緑に満たされていた。
あそこにいる邪神は既に撃破したのだが。
或いは復活しようとしているのか。
あれは中位に位置する邪神の中でも、強い方だった。
もしも既に復活し。力を取り戻そうとしているのなら。
此処で余計な事をすると、襲いかかってくる可能性がある。あたしは別に返り討ちにできるが。他は違う。余計な被害をだしかねない。
更に言えば、あそこにいたのはなんといっても中位の邪神だ。下位ではない。
もしも下手に復活を阻むと。
大量の、それもかなり強いネームドが発生する可能性がある。どう動くか分からないし、予想外の事態を招きかねない。
何度も経験している。
何気ない一手が。
想像を絶する結果を招いたことは。
あたしだって完璧でも全能神でもない。
だが、失敗に学ぶことは出来る。
丁寧な調査を行えば。
被害が起きたとしても、それを抑える事は可能だ。
「オスカー。 悔しいと思うけれど、調査するからしばらくは待ってくれる?」
「出来るだけ早く頼むぜ。 それと、おいらはいつソフィーが前に言っていたフィリスって子と合流すれば良いんだ?」
「とりあえずこの土地の魔力流出を抑えてから、かな。 どちらにしても、この辺りを多少緑化しないと、今のフィリスちゃんがライゼンベルグに行くのは無理だし」
「分かった。 おいらとしてはかまわないけれど、ただモニカが心配してるぜ」
頷く。
モニカが心配しているのはよくよく分かっている。
だが、此方としても。
もはや手段は選んでいられないのだ。
一旦此処の緑化作業は中止するように指示を出して。
あたしは浮遊島に出向く。
さて。ここからが。
正念場だ。
2、装甲
どれくらいの数、鉱石を砕いただろう。
敢えて数えたくは無い。
不純物を取り除き。
そして炉に入れ。
熱によって分離させ、純度を上げ。
中和剤で強化し。
徹底的にその作業を繰り返す。
目に見えてインゴットの質が上がってきている。ひたすら頑強に。それだけではなくしなやかに。
そして、インゴットを組み合わせて、合金に仕上げ。
出来上がった合金は、ロジーさんの所に持っていって貰う。
一段落したところで、一眠り。
そして、起きたときには。
次の調合の準備として、山盛りの鉱石がコンテナから出されている。
コンテナの整理だけでも時間が掛かったが。
こうやって鉱物を加工していくと。
腕がおかしくなりそうだ。
回復の手袋の効果が足りていないかも知れない。
或いは、もっと強力な自動回復の道具を身につけるべきかも知れない。
鉱石を砕く。
熱する。
空いている時間でお薬も作る。
錬金術は地味な作業も多い。
華やかな作業ばかりでは無い。
そして地味な作業の積み重ねの先にこそ。
神の領域に届く力がある。
それはわたしにも、何となく分かってきていた。
時々ツヴァイちゃんが鉱石がどれくらいまだあるか、後どれくらいの作業が必要か教えてくれる。
ツヴァイちゃんは牛乳が好きなようなので。
お姉ちゃんには、食事の時必ず出すように頼んでおく。
ただでさえまだ精神が再構成途上なのだ。
心に受けた傷は、一生治らないかも知れない。
でも、けなげにツヴァイちゃんは自分に出来る事をしてくれている。
わたしはそれに答えなければならなかった。
「これ、持っていけば良い?」
「お願いします」
顔を上げると、ドロッセルさんが戻ってきていた。
彼女は自慢の腕力を生かして、完成品の合金を大量に運んでいく。
かなり手際が上がったからか、合金作成を失敗する事はなくなったし。合金そのものの質も上がっている。
額の汗を拭うと。
蒸留水を作る合間に。
少し試してみる。
前にメッヘンでディオンさんに貰ったレシピの中に、未完成品と書かれていたものがあった。
動物を追い払う臭い、というものだが。
この理屈が、己の力を高く見せる、という理屈だったのだ。
確かに獣が、力量が離れた相手を避けるケースがあることは、この間岩山を丸ごと崩すとき。100回以上戦闘する中で確認した。
だったら、或いは。
むしろ、本当に高めることも可能かも知れない。
強力な獣の残骸からは、強い魔力が感じられるものもある。
それらを組み合わせれば、或いは。
己の力を引き出すことが可能になるかも知れない。
炉で鉱物を熱している間に。
研究を進める。
やがて、様々な動物の残骸を調べている内に。
その動物の力の源になっている内臓らしきものを発見した。
それらの仕組みも調べていく。
一週間以上、金属を造り、合金にし続けていたのだ。
少しばかり、別の研究もしなければ体に良くない。頭にも色々と悪影響が出るだろう。何より手を動かしっぱなしだと、回復が追いつかない。
ほどなく、理屈そのものは解析。
驚くべき事だが。
獣の中には、体内に一種の魔法陣を有していて。
それで回復力を上げたり。
己の装甲を強化しているものがいたのだ。
その魔法陣を自己流にアレンジして。
カルドさんに相談して、組み合わせる。
使うのはキメラビーストの毛皮だ。
これに、特殊なインキで魔法陣を書き込む。かなり緊張したが、魔術に関してはわたしも使えるのだ。
なめしたキメラビーストの毛皮をベルトに加工し。
魔法陣が発動していることを確認。
更に、中和剤で性能を上げ。
そして完成だ。
獣のアロマ、とでも言うべき道具である。
ベルトとして、穴を開けない部分に魔法陣を全体的に「練り込む」ように仕込み。
更にベルトそのものの強度も、毛皮を更に上から金属片で防護。鱗状にして重ねる、いわゆるスケイルメイルのようにして固め、その金属片も中和剤でガチガチに固める。流石に船用の合金は使えないが、それでも今まで作った中で、そこそこ良く出来たインゴットで作っているから、簡単に貫通はできない。
何よりベルトという実用品にする事で。
邪魔にもならないし。
おなかという急所を守る事も出来る。
さっそく身につけてみるが。
獣が自分の能力を其処上げしている力が、丸ごと体を包む感触だ。
回復力も更に上がる。
魔力の回復も早くなっているようだ。
だが、コレを使って無理をして、倒れてしまっては本末転倒。
眠るときには眠らないといけないだろう。
炉の作業が終わったので。
合金の作成に戻る。
まだまだ全然合金は足りない。
ドロッセルさんが戻ってきたので、話を聞くと。
現在造船所で、ロジーさんが主導して作っている船の装甲を。船に取り付ける作業が行われているそうだ。
順調だが、まだまだやはり合金が足りていないという事で。
更に作る必要があるという。
分かっている。
わたしは頷くと、合金作成の作業に戻る。
ツヴァイちゃんに袖を引かれる。
食事の時間の合図だ。
頷くと、切りが良いところまで作業を進めて。
食事にする。
驚いたことに、丁度タイミングを見計らって、レヴィさんが食事を作り終えてくれていた。
「ふはははは、フィリスよ。 大地の恵みを堪能するといい」
「はい、いただきます」
お肉を豪快に焼いたものだが。このお肉、コンテナに放り込んであった干し肉だ。
この間の作戦で、有り余るほどの肉が手に入った。
傷まないコンテナに肉が格納されていることで。
最悪、アトリエに当面籠城することだって出来るだろう。
更に、よく分からない野草をソテーしたものや。
温かいホットミルクもある。
結構しっかりした食事で。
わたしは感謝しながら、食事を楽しませて貰う。
そして時間を確認。
一日と少し、連続で活動していた。
少し眠るタイミングだ。
切りが良いところまで作業は進めてある。
眠る事にする。
ホットミルクをおなかに入れたおかげか。
比較的よく眠ることが出来た。
この辺りも、或いはレヴィさんが気を利かせてくれたのかも知れない。
錬金術師は戦略級の仕事をする職業だ。
戦術級の作業をするのは、周囲の人達。
恐らくレヴィさんは、それを理解してくれているのだろう。
一眠りして、頭もクリアになった。
また、合金を作る作業に戻る。
炉を使っている間に。
先ほどの、獣のアロマを人数分作っておく。
一番出来が悪いのを自分で。
一番出来が良いのは取っておく。
炉を動かしている間に、お姉ちゃんに頼んで、色々試してみる。
やはり更に動きが良くなるそうだ。
お姉ちゃんも満足してくれる。
だが、お姉ちゃんは、苦笑いした。
「そろそろ弓の方が耐えられないわね」
「あ、やっぱり」
「気付いていたのね。 今の力だと、残念だけれどこの弓だと全力で引けないわ」
「ロジーさんに相談してきます」
炉の方は、熱するのが完了すると、自動で停止するようにしておく。
ちょっとひとっ走りロジーさんの所に。
丁度合金を加工していたが。
よく分からない形にハンマーで成形していた。
合金は、文字通り赤熱していて。
ロジーさんはゴーグルを掛けて、ハンマーを振るっている。
「どうした、何か用か」
「代金は払いますので、強力な弓を作って欲しいんですが」
「……弓か。 作るまでもない。 そこにあるのはどうだ」
「これ、ですか」
ロジーさんが言う。別に場所を指定もしなかったけれど。言われるまま見回すと、すぐ其処に幾つかの弓が立てかけてあった。
一番強い弓をと頼むと。
青い弓を指定される。
「それは強力な木材を、錬金術師が作った接着剤で貼り合わせた剛弓だ。 使うのはお前の姉さんだろう。 だったら、それを使うと良いだろう」
「分かりました、ありがとうございます。 代金は」
思わずうっと声が出る価格が出てきたが。
しかしながら、今後の投資にも良い。
何よりも、そもそもお姉ちゃんの矢は百発百中。
火力そのものが上がっている今。
力の底上げが出来れば、更に力がつくだろう。
更に、大きめの鉄砲も貰う。
カルドさんが、鉄砲が軽いと言っていたので、更に銃身が長く、強力な弾丸を撃ち出せるものを貰う。
これも相応の値段がしたが。
言い値で支払う。
お金にはまだまだ余裕があるし。
確かに高いけれど、此処は惜しむ局面では無い。
「装甲については、まだ合金が足りない。 頼むぞ」
「はい、頑張ります」
「ああ、その意気だ」
料金を、桃色の髪の女の子が受け取る。
エスカというらしい。
ロジーさんの所に押しかけて、お手伝いをしているそうだ。
笑顔が可愛い子で。
まだ幼いという年代だが。
どうみてもロジーさんに気がある。
まあロジーさんは真面目そうだし、流石にこんな小さな子には分別を持って接するだろう。
何でもずぼらなロジーさんの代わりに会計をしてくれるとかで。
きちんと数字を管理して会計をしてくれたので感心した。
ホム並みに数字に強い。
話によると、この街に昔から住んでいる商人の子供らしくて。
そうかと、納得する。
ただ、あの悪徳商人を思い浮かべてしまった。
ヒト族の商人は、どうしてもホムに対して誠実では無い行動が目立つ印象がある。
この子の親は、大丈夫だろうか。
ともあれ、戻る。
お姉ちゃんは弓に満足してくれた。
吸い付くように手になじむ、と大絶賛である。
カルドさんにも銃を渡す。
こんな良いものをいいのかいと驚いていたが。
此方としても、護衛の戦力が充実するのは大歓迎だ。
後は、黙々と。
合金を作る作業に戻る。
時々ツヴァイちゃんに在庫を聞きながら。
ひたすら合金を造り続ける。
その合間に、蒸留水を造り。薬を造り。爆弾を増やす。
今までに作った手袋やマフラー、グナーデリングについても研究する。
やはり所詮はひよっこ。
多少経験がついてくると、やはり改善点が幾らでも見えてくる。
今までに作ったものがゴミ、とまでは言わないが。
しかしながら、更に強力な完成品に出来るものが幾つもあることが分かり。
空いている時間を見て、せっせと改良する。
知識に対しては、貪欲なくらいがいい。
そうわたしも思いはじめていた。
少し休むと。
起きて、可能な限り徹底的に作業を進める。
合金の材料であるシルヴァリアとゴルトアイゼンが不足してきたので、此方の製造に移行。
ひたすらに、ルーチンワークのように。
作業を続けた。
あまり自覚は無いが。
いつの間にか、かなりの時間が経過していた。
レンさんに呼ばれて、アトリエに出向く。
目の下に隈を作ったイルメリアちゃんが、出迎えてくれた。アリスさんの姿はない。まさか亡くなったのか。
ひやりとしたが。
イルメリアちゃんは、薄く笑った。
笑みには、間違いなく前にはなかった影があった。
「大丈夫、アリスは回復したわ。 私の薬ではどうにもならなかったのにね」
「イルメリアちゃん……」
「こっちよ。 ついてきて」
レンさんのアトリエの地下に案内される。
地下では、巨大な図面が書き出されていた。
どうやら、例の動力炉。
そして、これはなんだろう。
なんだか、大きな箱みたいだ。
「レンさん、これは?」
「今回の船は、ちょっと特殊な造りにしようと思っていてね。 見聞院から情報を集めて、組んでみました」
「……」
なんといって良いのだろう。船全体がまず台形で、見知っている船と根本的に違う。
船の後方に、回転する仕組みがある。スクリューというそうだ。此処に魔力で動力を送り込み、高速度で回転させて、船を進ませる。
更に、である。
動力炉からは、魔力そのものも抽出。
船の何カ所かにある、噴出口のような場所へと送り込む。
船の舵そのものも。
動力炉からの魔力供給で、操作するようだった。
「不思議な船ですね……」
「竜巻を突破するにはこれくらいは必要です。 今までに作られた船の資料から、最終的にこの構造に行き着いたわ」
レンさんが言う。
そして、船の構造も、原型から大幅に変えているという。元のあの外輪船は、殆ど影も形も無くなるという事だ。コレを今、わたしの合金から組み立てていると言う事か。
まず、甲板の上には、構造物が殆ど無い。
台形の艦橋が存在するが。
それだけである。しかも、艦橋はかなり背が低い。これは頑強さを増すためだろう。
艦橋には甲板から直接入る事が出来。
また、船の側面を開く事が出来。船の内部に、大量の物資を運び詰め込むことが出来る。
というか、船の内部は殆どコンテナ状態で。
船そのものの構造は単純そのもの。
故に極めて頑強、という仕組みのようだった。
「少し吃水が深いから、川には入れません。 基本的にフルスハイム東の湖で使う事を想定した船と考えてください」
「分かりました。 それで、わたしは合金を造り続ければ良い、ですか?」
「そうね。 まずはそれで。 イルメリアちゃんと私で船の細かい構造物は作る予定です」
「そうなると、後は動力炉ですね」
頷くと、レンさんは図面を出してきた。
動力炉だ。
わたしは思わずうっと呻いていた。
正直な話、これは作れる気がしない。
膨大な魔法陣を組み込んだ、超ド級の炉だ。
作るのにも、多分ハルモニウムがいるだろう。
わたしの手に負える代物じゃない。
これでも、ソフィー先生がレンさんが作れるくらいに簡単に改良してくれたという訳か。レンさんの実力が分かる。流石は公認錬金術師。まだまだわたしでは手が届かない。
「炉の主要構造体は、ハルモニウムの提供をソフィーさんから受けているので、後は私が作ります。 動力炉のパーツを、二人に手分けして作ってもらう予定です」
「パーツ、ですか」
「そう。 パーツならば、今フィリスさんが作っている合金で強度も充分。 後の組み立ては、私がやります」
「分かりました、それならば……」
何とかなる。
ただ、その設計図を渡されて、真顔になる。
これでも充分すぎる程難しい。
ただ、今の時点で合金を造り。
そして最終的にこの設計図の部品を作れば。
船は完成する。
イルメリアちゃんが薄く笑った。
「役立たずだわ、私」
「大丈夫、貴方は充分に有能よ。 現時点で納入されているパーツには、何の不備もないわ」
「……私にもっと力があれば、アリスをあんな目にあわせなくても済んだのに」
「……」
レンさんが悲しげにイルメリアちゃんを見る。
やはり、相当にショックだったのだろう。
イルメリアちゃんは壊れたテープのように内心を吐き出す。
アリスさんを、内心で嫌っていたこと。
恐らくそれを知っているのに、アリスさんはずっと尽くしてくれたこと。
そればかりか、命まで賭けて守ってくれたこと。
それなのに、アリスさんを助ける薬さえ作れなかった事。
力が足りないと。
「フィリスさん、お願いね」
「はい」
苦しいほど分かる。
無力な自分に対する憤り。
親しい人が傷つく悲しさ。
だけれど、それはわたしにはどうしようも出来ない。イルメリアちゃんがどうにかしなければならない問題だ。悲しいけれど、それはわたしにも、嫌と言うほど分かっていた。
3、水を飛ぶ船
イルメリアちゃんの哀しみを見たからだろうか。
わたしは、その日から、口数が少なくなり。その分集中力が上がった。徹底的に作業に撃ち込み。そして合金を造り続けた。
合金の質は上がり続けたが。
最初からどうしてこれで作れなかったのかと、口惜しくも思う。
ロジーさんの所に納品して貰い。
そして、ふと気付くと。
予定の生産量をクリアしていた。
コンテナに覗きに行くと。
岩山まるごと崩して入手した鉱石が。
目に見えてごっそりと減っていた。
そうか、これほどの量の鉱石を、消費しきったのか。
嘆息する。
そして、皆を呼ぶと、告げる。
船の外は出来た。
今度は、心臓部を作るのだと。
心臓部の外郭はレンさんが。
内部構造は、わたしとイルメリアちゃんが共同で作る。
それを搭載し。
船が完成すると。
最終的な形状は、帆船とはまったく違うもので。
どちらかというと、台形を中心としている。
船が進む仕組みについても、漕ぐわけでもなく。外輪船でもなく。スクリューという仕組みを使う。
それらを告げると。
困惑して、お姉ちゃんは聞き返してくる。
「それ、本当に進むの?」
「信頼出来る資料に、これで動くと記載があったみたい」
「ふむ、僕の方でも動くところは見てみたいのですが」
「いずれ」
ともあれ、少し疲れが溜まっていると言う事で、翌日は丸一日眠った。
そして、それから、動力炉のパーツの構築に掛かる。
まず合金を作る。
大量に造り続けたから、だろう。
当然の話だが、非常に強度が高くなっている。
これを、設計図の通り、曲げる。
どうすれば曲がるか。
鉱物が丁寧に教えてくれる。
その通り熱し。
ハンマーで叩き。
そして魔法陣をそのまま書き込む。魔法陣の動作検証は徹底的に行う。わたしも魔術はかなり実戦で磨いた。
どれくらい魔法陣が機能するかは、触って動かしてみれば分かる。
上手く行かない場合。
最悪、溶かし直して、また最初から作り直す。
また魔法陣が上手く仕上がっても。
パーツの精度に問題があると、鉱物が教えてくれる事もあって。
その場合は提供されている測定装置や定規などで徹底的に調べ。
そして、確かにその通りだと思い知らされるのだった。
パーツを一つずつ。
時間を掛けながら作っていく。
一つ作るだけで大変な労力が必要で。
今までに作った道具など、比較にならないほど難しい。
失敗する事も多く。
大きなパーツの場合は、みなに手伝って貰って、支えて貰いながら魔法陣を刻み込んだりもした。
小さなパーツはある程度数が揃ってから。
大きなパーツは出来た時点で。
レンさんのアトリエに送って貰う。
途中、何度か気分転換に外に出る。
相変わらず竜巻が囂々と凄い音を立て続けていて。
更には雨も降り続けている。
アルファ商会のキャラバンが来ていて、物資の補給と取引をしているのが見えた。アルファ商会は、とにかく価格については徹底的に決めたとおりに動いているらしく。値切りの類が一切出来ないらしい。
エスカちゃんが、気が弱そうなヒト族の男性と一緒に、数字の話をしているのが見えた。
そういえば、エスカちゃんの側に、メアちゃんもいる。
メアちゃんはこっちに気付いて、手を振って来た。
どうやら、二人は友達らしい。
人口万を超える都市とは言え、所詮は狭い世界。
不思議な話では無いだろう。
取引が終わったらしく、メアちゃんとエスカちゃんが来る。
やはり二人は友達らしい。
「まったく、エスカのお父さん、本当に気が弱いね。 相手が超大手商人とは言え、ホムだから不正はまずないってわかってるだろうに」
「えへへー。 でもお父さん優しいんだよ」
「まあそうだよね。 ロジーさんとどっちが好き?」
「やだあ、恥ずかしい」
何だかこっぱずかしい会話をしているので、こっちが和む。
軽く話す。
気分転換になって良い。
だが、メアちゃんにも指摘される。
「フィリスさん、凄く疲れてる?」
「あははー。 うん。 ちょっと難しい調合が続いてて」
「あの港にある凄そうな船でしょ。 あんなの、今まで見たことも無いし、無理もないよ」
「この間、ロジーさんがね、船の下にもぐって何か取り付けてたよ。 カイさんが、こんなの見た事ねえ、って言ってた」
専門家でさえそういうのか。
ただ、現時点で船は浮かぶことを確認するべく、何度か湖に入れているらしい。
その結果、浮かぶことは確認できているので。
水に入れたらそのまま沈んでしまう、と言う事は無さそうだ。
何もかも一瞬でパア、という事態はないと分かって。
個人的にはほっとした。
他愛ない話をして。お菓子を分けてあげたりした後。
仕事に戻る。
笑顔を保つのが大変だった。
竜巻があるせいで。
あの子達の笑顔が、いつなくなってもおかしくないのだ。
早く船を完成させないと。
獣のアロマのおかげで、更に無理が利くようになった事もある。疲れはしているが。それでも今は、無理をしてでもやらなければならない。
次のパーツの作成に取りかかる。
まだまだパーツは幾らでも作らなければならない。
合金を曲げる。
今度は小さなパーツだけれども。
非常に複雑で。
形状が異次元な上に。
此処に魔法陣を六つ書き込まなければならない。
まずこの複雑な形状を何とか再現し、縮尺がぴったりである事を確認するまで一日掛かってしまった。
更に、ルーペを使い、ピンセットでお姉ちゃんにパーツを支えて貰い。
熱した針を使って、丁寧に、丁寧に魔法陣を書いていく。
これだけで、どれだけ緊張するか分からない。
失敗したらやり直しなのだ。
丁寧に、丁寧に。
自分に言い聞かせながら、作業を続け。
そして、やっと仕上がったときには。
もう一日が過ぎていた。
フルスハイムに来てから。
既に一月以上が経過。
想定通りとも言えるが。
問題は此処からだ。
まだパーツは残っているし。船が想定通りに動いてくれるか分からない。竜巻を突破出来るかも、分からない。
何もかもが無駄になる可能性もあるし。
最悪の場合、竜巻を蹂躙して進んだら、ドラゴンに襲われるかも知れない。
食事をして、すぐ休む。
鏡を見て、メアちゃんに言われるのも道理だと思った。
顔が、今まで見たことが無いほど。
険しくなっていた。
最後のパーツを仕上げて、それをドロッセルさんに配達して貰う。
その後は、ゆっくり眠った。
どうにか、終わった。
後は組み上がるのを待ち、船を試験しなければならない。
動くかどうかを確かめ、少しずつ竜巻の側を通って慣らしていき。
最終的には竜巻を正面突破する。
獣に襲われた場合は大丈夫だろうか。
いや、それについては大丈夫か。
木造船ではないのだ。
何より、獣を追い払うための自動防御装置も仕込まれている、と言う話も聞いている。それならば大丈夫だと信じたい。
情けない話だけれど。
今のわたしの力量では。
この船の真の実力を、理解する段階にまで到達していない。というか、まだわたしは、所詮は見習いなのだと思い知らされる。
ツヴァイちゃんは少しずつ仕事をしてくれるようになったけれど。それでもまだ時々恐怖がフラッシュバックしているようで。部屋の隅っこで泣いている事がある。
そんなとき、わたしはどうにも出来ない。わたしの錬金術師としての力が足りないからだ。
もっと凄い力があったら心の傷だって治せるはず。
わたしは半人前。所詮まだ公認錬金術師にさえなっていない身に過ぎない。程度が知れた力しかないし。勿論今からエルトナに引き返したところで、開拓事業の足を引っ張るだけだろう。
悔しい。悲しい。
だけれど、今はとにかく、ゆっくり自分のペースで歩いて行き。そして今まで出来なかった事を、出来るようにしなければならないのだ。
起きだすと。
ぐっしょり汗を掻いていた。
呼吸を整えると、港に出向く。
船は現在陸に揚げられて。
動力部が組み込まれているようだ。
船の下には、大きな土台が入れられているが、それは船の左右や後ろにある構造物が、曲がってしまうのを避ける為だろう。
巨大な船だ。
前に見た、外輪船よりも二回り大きくなっている。
それこそ、根こそぎ改造するレベルで直したのだと、ド素人であるわたしにさえ理解出来た。
カイさんがいたので、話を聞きに行く。
すぐ側に竜巻がいて。
獣が現れることもあるというからか。
周囲には、見張りが常時いて。
働いている人夫も、逞しい人ばかりだった。
「おう、お疲れさん。 部品の調達、全てやってくれたんだってな。 後はくみ上げるだけだぜ」
「上手く行きそうですか」
「なんともこればかりはな。 此処にいる船大工も、こんな船は見た事がないからな」
苦笑するカイさん。
まあ、仕方が無い事だろう。
動力炉の部品は、小分けにして運び込んでいるようなのだけれど。
中ではレンさんが作業をしていて。
本人が地道に組み立てをしているらしい。
そういえば、ソフィー先生を見なかったかと聞いてみるが。
カイさんからは、意外な答えが返ってきた。
「あの人ならさっきまでいたぜ。 船を見て、何処が緩んでるって一発で当ててよ、本当に緩んでたから、慌てて総出で直したんだ」
「そう、さっきまで」
「それがどうかしたのか」
「いえ、なんでもありません」
一目で当てたか。
わたしよりも遙かに良くものの声が聞こえているのだろう。その辺りは、実力差故であって、当たり前の話だ。
ソフィー先生は、どれくらいの錬磨の末に、其処まで到達したのだろう。
まだ年齢も二十代に見える。
もっと若いかも知れない。
いまのわたしが、その年齢になった時。
同じ事が出来るとは、とても思えない。わたしには鉱物が味方してくれる。これはまごう事なきギフテッドだけれど。
それでも、あくまでわたし自身はそこまで強いわけじゃない。
この竜巻だって。
どうにもできないのだから。
船に入る。入る事自体は、タラップがあって、簡単だった。甲板まで装甲で覆われていて、歩く度にかつんかつんと音がする。
内部では、レンさんが作業をしている。
錬金術で作った道具で、パーツを溶接しているようだった。
レンさんは厳しい表情で。
話しかけられる雰囲気では無い。
様子を見に来ただけだし、帰ろうとしたが。
レンさんは気付いていた。
「フィリスさん、此方へ」
「はい」
丁度炉の中に入って作業をしていたレンさんが、寝そべるようにして溶接作業をしていたのだが。
呼ばれて覗き込んでみると。
どうやら、作業中に、歪みが生じて。
それで魔法陣の一部が破損したらしい。頷くと、破損が修理できるか確認。何とかなる。
レンさんは、熱を帯びたペンのような道具を出してきたので。
それを借りて、少しずつ鉱物の声を聞きながら、魔法陣を修復する。
ちょっと歪んで文字が潰れていただけなので、それを開いてやれば良い。だけれど、作ったときには、確かにこれが動いているのは確認した。そうなると、組み立ての過程で文字が潰れたのか。
そうか、可能性としては考えられる。
今後、同じような大規模調合をするときには。
考えなければならない、かもしれない。
文字の修復は完了。
魔法陣に触り、個別に動かして機能するかは自分で確認する。勿論全部まとめて動いてしまったら、炉が稼働してしまうので、丸焼きになってしまう。気を付けなければならないが。そこはわたしも魔術使いだ。コントロールは難しくない。
レンさんに代わる。
レンさんもチェックし、頷いた。
「完成度が高いパーツが多くて驚くわ。 まだ若いのに、金属関係の作業に関しては熟練の錬金術師並ね」
「ありがとうございます。 でも、教えて貰っているだけなので……」
「そう、ギフテッドなのね」
「はい」
レンさんは、もう大丈夫と言ったので、引き上げる。
後は、最終試験に備えて、不安要素を全て取り除いておく必要があるだろう。
船を下りると。
イルメリアちゃんがいた。
アリスさんも側に控えている。
相変わらず無機質な表情で。
本当にヒト族なのかちょっと疑いたくなったが。
でもこの人は、イルメリアちゃんを、文字通り命を賭けて救ったのだ。侮辱することは許されないだろう。
「最後のパーツの納品が終わったんですって?」
「うん。 イルメリアちゃんも……」
「此方は別にかまわないわ。 ちょっと相談があるんだけれど良い?」
「はい?」
イルメリアちゃんが言うには。
周辺の荒野の獣を、少しでも減らしたいという。
船が出航するときに、変な横やりを入れられるとたまったものではないから、というのが理由だそうだ。
確かにこの街の自警団戦士達の力量はそれほど高くない。
アングリフさんがいても、それでも防戦がやっと、という状況だ。
ソフィー先生が来てから、以前イルメリアちゃんを守って負傷した戦士達は前線に復帰出来たようだが。
それでも戦力が足りない事に代わりは無いだろう。
それならば。
周辺の安全確保を、少しでも行っておきたい。
そういう事だった。
「イェーガーさんには許可を取ってあるわ。 オリヴィエさんを中心に、十名ほどが参加してくれる予定よ」
「うん、分かった。 準備してくるよ」
「では、フルスハイム西門で」
頷くと、アトリエに戻る。
船の組み立てで、出来る事はもうない。
後は確かに。
街の周囲の大掃除、くらいしか。
わたしに出来る事はない。
一旦アトリエに戻り。
皆に声を掛けて、西門に。
西門では、既に完全武装の戦士達が、イルメリアちゃんと、アリスさんと。一緒に集合していた。
オリヴィエさんもいる。
イェーガーさんとアングリフさんはいないけれど。
これは多分、竜巻の近くで、現れる獣に備えているのだろう。
「それでフィリスどの、イルメリアどの、どうする」
「戦闘経験はフィリスの方が上よ。 フィリス、判断してくれる」
「えっ? あ、はい。 現時点で、ネームドは街の近くに来ていますか?」
「いや、街の近くには姿を見せていません。 死んだネームドの縄張りを奪い合って、にらみ合っている様子で……」
なるほど、そういった偵察はしてくれているのか。
いずれにしても、あのわたしが修復した橋辺りまでは。
獣の数を減らして、ある程度は安定させておきたい。
アトリエを展開。
前に借り受けたキャンプセットを周囲に拡げる。
此処を拠点に、船が出来るまで、徹底的に荒野にいる獣を狩ることとする。そう説明すると、戦士達は武器を振り上げて、おおと叫んだ。
お姉ちゃんとカルドさんは、新しい武器の試験運用だ。
ドロッセルさんは、凄い業物を使っているので、当面武器の更改は必要ないだろう。
レヴィさんは剣もやっぱり黒くしているし。
戦闘スタイルが防御主体なので、まだ武器の更改は必要ないと思う。
とにかく、戦闘開始だ。
カルドさんが長身銃を使って、獣を一匹ずつ狙撃。
釣り出した後、徹底的に皆で袋だたきにする。
前にツヴァイちゃんの面倒を見てくれた老魔術師が、拡大視の術を展開。
誰もが分かるように、狙撃をやりやすくしてくれた。
これは空間上に、遠くのものを拡大して表示するもので。
確かにカルドさんも、狙撃をしやすいと喜んでいた。
わたしはアトリエに籠もって、手が空いている人と一緒にコンテナの整理。
鉱石類の整理が終わった後。
獣の肉や皮なども整理し直す。
今後、コンテナに入っている素材類は生命線になる。
どうせ緑化作業はエルトナに戻ってからも行わなければならないのだし。
深核は幾らでもいる。
チェックをしていると。
一緒にアトリエに入ってきていたイルメリアちゃんが、てきぱきと作業をしながら、声を掛けてくる。
「これ、凄い力量の錬金術師が作った物ね。 恐らく高次元に干渉して作っているものだと思うけれど」
「ソフィー先生が作ったんだよ。 旅立ちのお祝いにくれたの」
「……っ」
イルメリアちゃんが青ざめる。
そして、しばらく黙り込んだ後、また手を動かし始めた。
「フィリス。 あなた、鉱物の声が聞こえるのよね」
「うん。 だから実力以上に働ける、かな」
「ギフテッド持ちの錬金術師はレア中のレアよ。 この国でもトップクラスの錬金術師でも、殆どいないときいているわ」
「ソフィー先生も、あらゆるものの声が聞こえるみたいだよ」
また、イルメリアちゃんは黙り込む。
そして、以降は何も言わなかった。
コンテナの整理が終わったので、外の戦況を確認。
順調に荒野の獣は減らせている。
倒した獣は回収し。
手際よく捌いて、肉は燻製にしていく。皮はなめしていく。
思うに、以前の岩山を崩す戦いの時、周辺の獣は殆どが集まって来ていて、大打撃を受けたのだろう。
明らかに、最初に獣の掃討作戦を行った時よりも、数が少ない。
ただ、ネームドが近辺にはいる。
油断だけはしてはならないが。
「わたしはお薬と爆弾を作っているね。 イルメリアちゃん、何かあったら知らせてくれる?」
「分かったわ。 私も戦闘経験積みたかったし。 アリス、いくわよ」
「はい、お嬢様」
アリスさんは双剣使いか。
そのまま二人で外に出て行く。
後は、無心のまま、お薬を造り続ける。
多少体調が良くなったらしいツヴァイちゃんが起きて来て、コンテナに入っていった。そして、メモを取っていた。
配置などが変わったことを確認し。
在庫の確認をしてくれているのだろう。
数字を扱うことは、幼くてももうホムの特権として使いこなしている。
立派だと思う。
だけれども、作業が終わって熱を測ってみたら、少し平熱より高かったので。
お薬を飲ませて、休ませる。
悲しそうに、ツヴァイちゃんは言う。
「ごめん……なさい。 足手まとい……で……」
大丈夫。
足手まといじゃないと言い聞かせながら、眠るまで側にいる。
この子の心を此処まで壊したのは匪賊だ。
それまでは、貧しくとも、両親と一緒に身を寄せ合って、必死に暮らす事が出来ていたのに。苦しい生活でも、笑顔だって浮かべていただろうに。
それなのに。
お薬の調合は一段落したので、外に。
かなり大きなヤギを仕留めたらしく、吊して捌いていた。
イルメリアちゃんが皮を剥ぐ作業をやっていて。
それを周囲の戦士達がサポートしていた。
戦いそのものはやったことがあっても。
動物の解体は初めてであったらしい。
この辺りは、お嬢様なのだなあと思って、少し微笑ましい。少し前の私も、たいして変わらなかった辺りも、色々と思うところがある。
「次、来たぞ!」
「叩き落とせ!」
わたしも爆弾を取り出して、万一に備える。
今度来たのはアードラだったが。
お姉ちゃんが矢を番え、放つと。
その一撃は、文字通りうなりを上げて空気を蹴散らし。
火花さえ散らしながら、相手の片翼を、空中にて吹き飛ばした。
人間大の獣なら貫通するくらいの火力が前にもあったのだけれど。
獣のアロマを身につけた事による更なる増幅。
そして新しい強力な弓によって。
威力があからさまに上がっている。
勿論翼を半分失って、飛んでいられる鳥などいない。
真っ逆さまに落ちてきたアードラを、戦士達が袋だたきにして息の根を止め、引きずって来た。
大量の肉と皮が積まれているので。
一旦全てアトリエのコンテナに移す。
そして、夜を待って。
一度狩りを終えた。
戦士達数人に、手分けして肉を街へ輸送して貰う。
今日の狩りで、合計257体の獣を仕留めた。
大型の獣になると、数十人から百人分の腹を一度に満たす事が出来る。
わたしのアトリエにはそんなにたくさんの肉は必要ないので。
どんどん運んで、フルスハイムの蓄えにしてもらう。
夜になって、一度相談。
自警団のメインメンバーにもアトリエに入って貰って、話をする。
その後、爆弾をある程度配る。
明日以降、ネームドが姿を見せた場合の対策だ。
流石にネームドは、今日殺した雑魚のようにはいかない。
前は手練れがいたが、今回はそうではない。
もしネームドに襲われたら、総力戦になるだろう。だが、ネームドを駆除できたら、周辺の安全確保という点では言う事がない。
それらを確認した後。
交代で休む。
翌朝も、船が出来たと言う知らせは来ない。
キャンプの位置は動かさず。
今度はわたし達が出て、徹底的に獣を駆除して回った。
荷車が一杯になるたびに戻り。
また再出撃する。
今度はイルメリアちゃんとアリスさんも一緒に出る。
イルメリアちゃんはまだそれほど戦い慣れていないようだけれど、強力な錬金術の武器を持ってきていた。自動で動く剣や、わたしのより強力そうな爆弾である。何でも馬車に積んでいるアトリエで作っているそうだ。
アリスさんは単純に強い。
多分ドロッセルさんと良い勝負が出来るのではないのだろうか。
兎に角速いし。
敵の急所への一撃も鋭い。
こんな人が、大けがをさせられたのだ。
イルメリアちゃん達を襲った獣の恐ろしさが、今更ながらに思い知らされる。
周囲をお姉ちゃんが確認。
ネームドの気配も姿もない、と言われて、頷く。
出来れば、まだこの辺りにいるネームドの一体も処理しておきたかったのだけれど。
そうもいかないだろう。
此方からネームドの巣に出かけて、狩るには。情報も、戦力も、不足しているように思える。
丁度荷車も一杯になった。
キャンプに戻る。
そして肉を後送。
魔術師に拡大視の魔術を使って貰って。
周辺を徹底的に確認。
まだ獣がいる辺りに再出撃し。徹底的に狩りつくした。
獣は荒野から勝手に湧いてくる。
その言葉を裏付けるように。
狩っても狩っても、数はある程度減るものの、獣自体は確かにいなくならない。
だがここ数日の戦いで、人間を積極的に襲いに来る大型のは、あらかた。少なくともフルスハイム西のここ周辺からは排除できたと思う。
もし、ネームドを狩り。
そして此処から、メッヘンまでの街道を緑化するとしたら。
多分わたしが公認錬金術師になってからだ。
橋の辺りまで遠征すると。
まだ少し大きめのが残っている。
それらも容赦なく皆殺しにする。
いつの間にか、わたしは。
獣を怖いとも思わなくなっていたし。
殺す事を、何も躊躇わなくなっていた。
山盛りに死骸を荷車に積み、キャンプに戻る。これだけの肉があれば、少しはマシになるだろう。
そして、そのタイミングで。
使者が来ていた。
船が完成した、と言う事だった。
4、突破
アトリエを畳んで、すぐに港に行く。
浮かべられていた船は重厚で。確かに、ちょっとやそっとの事では揺らぎもしそうになかった。
カイさんが船長として乗り込む。
わたしがそれに続いて。
イルメリアちゃんも乗る。
公認錬金術師試験を受けるのだ。
当たり前だろう。
その後、ずしんと揺れが来て。少しずつ、船が沈んで行っているのが分かった。
「あれ、船沈んでいませんか?」
「これは水を入れているんだよ」
「ええっ」
「バラストって言ってな。 大型船だと、船に水を入れて、重心を安定させることが多いんだ」
自慢げに解説してくれるカイさん。
そのまま、船の内部に案内される。
まず、船の上部構造は極めて単純な台形が一つ。其処が艦橋になっている。
台形を上下に組み合わせたような、異質な見かけの船だ。
艦橋の内部からは、魔術によって外が全周で見渡せる。
魔術師が必要な訳ではなく。
単純に自動発動型の魔術に寄るものらしい。
艦橋の方は、既にカイさんが把握しているらしく。操作については、完璧に覚えているそうだ。
そのまま甲板下へ。
船内はがらんとした空間で。
強度を補強するための構造体が多数あるが、それだけだった。
これが本質的には輸送船だと言う事を、此処を見るだけで理解出来る。
ただし、何カ所かによく分からない配管のようなものがある。
後方には強力な防爆壁が作られていて。
その中に動力炉が格納されていた。
なるほど。
完成すると、こういう形になったのか。
中に入って、起動の方法などを教えて貰う。レンさんが既に来ていて、実際に炉に火を入れる所を見せてくれた。
「後は、竜巻を突破するだけね」
「試運転は危険を伴うわ。 最初は最小限の人数だけで行いましょう」
「……それでは、わたしは乗ります」
「フィリスちゃんが乗るならば私も」
まあお姉ちゃんはそう言うだろう。
イルメリアちゃんも残ると言ったのだが、レンさんが手を引いて、一緒に船を下りた。既に炉に火は入っているのだ。
今、ソフィー先生は神出鬼没で何処にいるか分からないが。少なくとも此処にいる錬金術師が全滅するわけにはいかない。
アトリエも、ドロッセルさんに預かって貰う。
もしわたしが死ぬとしても。
ツヴァイちゃんを巻き込むわけにはいかないし。
それにこのアトリエは、貴重な貴重な品だ。
試運転でわたしが死んだとしても。
アトリエまで湖の底に、というわけにはいかないのだ。
結局船に乗ったのは、わたしとお姉ちゃん。それにカイさんの三人だけだった。
逆に言えば。
それで操れると言う事だ。
「しっかしすげえ船だなあ。 こんなんを操作できるなんて、船乗り冥利に尽きるってもんだ」
「向こう岸までお願いします」
「分かってる。 ちょっと……緊張するな」
出発進行。
そうカイさんが声を掛けると。
船の操作盤が作動。
外へ警告音を発した。
「船が発進します。 進路上にある障害物を取り除いてください。 進路上から退避してください」
パラメーターが、全周表示の一部に記載されている。
スクリューが動き始めたらしい。
それだけではない。
スラスターというのも、動き始めたようだ。
がくんと船が揺れ。
進み始めるのが分かった。
「スラスターというのは何ですか?」
「ああ、レンの話によると、姿勢を制御するため、炉から魔力で熱した蒸気を放出しているそうだ。 水は熱すると何十倍にも膨れるらしくてな。 凄いパワーがでるらしいぜ」
「へえ……すごい」
昔の船を参考にしたと言うが。やはり、昔にも凄い錬金術師はいた、と言う事だ。
そのまま船は竜巻に進み始める。
お姉ちゃんが、肩に手を置いた。
わたしが緊張しているのを察したのだろう。
頷く。
この船は、竜巻なんて蹴散らせるくらいじゃないと意味がない。
何しろ、寸断されたインフラを回復させるための切り札なのだから。
風が強く。
凄く強くなってきた。
だが、船は小揺るぎもしない。
カイさんが、よしっと叫ぶ。実際に、船が揺れることもないし。そればかりか、横に流されている様子も無い。
速度を上げる。
完全に竜巻の中に入った。
竜巻の中は、文字通り真っ黒。
だが、計器類が、何処にいるのかを表示してくれる。カイさんが操作をして、船を前進後退、自由自在に動かして見せた。船は、風も。風によって飛んでくるものも。ものともしていなかった。
「船体へのダメージは!」
0と表示される。
それは凄い。
ほどなく、竜巻の中心点に入る。
一際凄まじい風が吹き荒れた後。
一瞬だけ、静かになった。
どうやら、此処が中心点らしい。
しかも渦潮のど真ん中。
普通だったら、船はグシャグシャだろうけれど。
この船は小揺るぎもしていなかった。
「よし、ぶち抜いてやる!」
カイさんが、気力を張り上げて、残りを突破に掛かる。
風は徐々に弱まっていき。
やがて、対岸が見え始めた。
船がフルスハイムに戻ってきたとき。
港には、多数の人が集まり。
喚声を挙げていた。
完全に無事な船体。
そして、最初に降りたカイさんが、向こう側の街に行けることを確認したことを告げると。
更に喚声は高くなった。
さっそく、横のハッチが開放され、物資が運び込まれる。
イルメリアちゃんも乗り込み。
ドロッセルさん達も乗り込んでくる。
アルファ商会の馬車も、四台ほどが、吸い込まれるようにして船に入り。
代わりに船は、バラストという水を排出したようだった。
一旦降りるようにレンさんに手招きされたので、そのまま降りる。
そして船を下りたわたしとイルメリアちゃんは。
蜜蝋で閉じられたスクロールを貰った。
「推薦状です。 二人とも、良くやってくれましたね。 とても助かりました」
「ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
わたしは嬉しかったけれど。
イルメリアちゃんはとてもそうとは思えなかった。
この街での出来事は、あまりにもショックが大きすぎたのだろう。彼女の人生観まで変わってしまった、と言う事だ。
酷い話ではあったと思う。
だけれども、わたしが踏み込んで良い事でもない。
船に乗り直すと。
また竜巻を突破。
最初はこわごわだった乗客達も。
やがて、風に船がびくともしないことを知ると。
わっと喚声を挙げた。
ただ、カイさんが教えてくれる。
「月一度、手入れをしないと流石に危ないってレンに言われていてな。 ただレンの方でそれは出来るらしいから、心配するな」
「後は竜巻ですね……」
「それについては、あのソフィーって錬金術師の先生が、ドラゴンの力を押さえ込んでくれているらしいから大丈夫だってよ。 少なくとも、竜巻を好き勝手に動かして、周辺の街を荒らされることは無いそうだ」
そうか。流石だとしかいえない。
だけれど、どうしてだろう。
ソフィー先生の名前が出ると、お姉ちゃんの顔が曇る。
イルメリアちゃんも、決して嬉しそうでは無い。
程なく、竜巻を突破。
決して豊かとは言えそうに無い街に到着。
船が接舷し。
アルファ商会の馬車が降りると、長老らしい人が出迎えてきた。
わたしが出来るのは此処までだ。
フルスハイム及び周辺都市のインフラは回復した。後は、何とかフルスハイムでやってもらうしかない。
わたしも此処で降りる。
今度は此処から東に進む方法を模索しなければならない。案の場だが、東は荒野。それも、今までに見たことが無いほど酷い状態だ。
この集落周辺には多少の森があり、畑も作られている。
畑の規模はそれなりだが。獣よけがきちんと機能しているのだろうか。
手をかざして見ていると。
イルメリアちゃんが声を掛けてきた。
「どうするつもり?」
「ええと……推薦状は三枚揃ったし、まずは東に行く方法を考えないと」
「そうね」
荒野を無理矢理突破するのは自殺行為だ。
まずは情報収集し、近くの街へ。そして徐々にライゼンベルグに近づく方法を模索しなければならない。
まだわたしは。
試験を受けられる前提条件を整えただけ。
試験会場への道は。
果てしなく遠いのだ。
(続)
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