果てなき道と足りない時間

 

資源調達と道の確保

 

わたしは貸してもらった街の自警団員数人と一緒に、フルスハイム西に出向いていた。そして、此処に道が作られない理由を良く理解した。

これは、駄目だ。

まず周囲に遮蔽物の類が一切ない。

わたしにも分かる程度に、獣がたくさんいる。

それだけではない。

恐らく地図から見て、此処からずっと西に行くと、ディオンさんがいたメッヘンに到達は出来るのだろうけれど。

途中、あの治水で苦労したような川が幾つも蛇行し。

ロクな橋も架かっていない。

橋にさえ、獣が乗っかって、平然と縄張り面をしているほどである。

とてもではないが、此処を多数の人が安全に通るなど、不可能だろう。

これはいけない。

いずれ改善しないと駄目だ。

それはすぐに分かったが。

今やるべき事は。

フルスハイムを現在進行形で脅かしている竜巻を。

どうにかするための船を作る事。

しばし考え込んでから。

わたしは頷いていた。

「まず、この辺りにキャンプを張ります。 資材の展開をお願いします」

「岩山はもう少し先ですが」

「いえ、キャンプは此処でかまいません。 此処ならば、フルスハイムからの援軍もすぐに到着します」

「ふむ、分かりました」

街の自警団員の一人。

ヤギの顔をしている獣人族、バルフワークさんが頷いた。

自警団長であるイェーガーさん始め、精鋭は今、フルスハイムの北の道をどうにか整備するために、イルメリアちゃんと一緒に働いている。今此方に来ているのは、自警団でも二線級の人員。若い経験が足りない戦士や、或いは年老いた者ばかり。この間来ていた傭兵アングリフさんも、北の方に行っているらしい。

つまり現段階では偵察をしているのと同レベルの状態で。

まだ安定どころでは無い。

人夫を入れるのはまだ早い。

とにかく、資材を安定して入手できるようにするのが先だ。

フルスハイムから提供を受けた、キャンプ設置用の資材を使って、キャンプを作る。皆黙々と働いているが、あまり明るい顔は見受けられない。あの竜巻を毎日見ているのだ。悲観的になるのも当然だろう。

むしろ、それでも。

ドナへの直通退避路が出来ただけ、マシなのかも知れない。

わたしはわたしで、つるはしを振るって岩を砕く。

大岩をいとも簡単に砕くのを見て、流石に自警団の人達も驚いていたようだが。

岩を砕けるからといって。

邪魔な岩の残骸をどかせるわけでは無い。

ドロッセルさんやレヴィさんにその辺りは頼み。

お姉ちゃんとカルドさんには、周囲の警戒に当たって貰った。

流石はフルスハイムと言うべきか。

キャンプ用の資材は充実していて。

蒸留水を作る道具や。

人数分を大幅に上回る天幕。

獣よけの効果があるというランプ。

丈夫な杭などが揃っていた。

自警団員の手際は決して良くはなかったが。

しかしながらそれでも、かなりの広さのキャンプが出来ていく。レンさんが提供してくれたと言うよりも。レンさんがフルスハイムの長老と折衝して、此方にこれだけの物資を回してくれたのだろう。

フルスハイムの動きは全体的に見て良くない。

ドナでわたしが動いていたときは、あまり手伝ってはくれなかった。

人員を割けなかったという事情もあるのだろうが。

それにしても色々対応がお粗末だった。

レンさんは、わたしを直接見て、手を回してくれたのか。

或いはそれとも。

ソフィーさんが、尻を叩いたのか。

いずれにしても、今充分な大きさのキャンプを此処に設営できる。

資材は少し余っているので、見張り用の櫓も組む。

これで更に安全性を増すだろう。

獣もかなりの数が此方を伺っているが。

それでも、此方の人数をみて、すぐには仕掛けてこないし。

まとまった数が来たとしても。

フルスハイムから援軍を呼ぶ事も出来る。現時点では、一番実力のあるドロッセルさんも、ネームドの気配は探知していない。勿論ドロッセルさんからも気配を隠せるほどの実力者が潜んでいたらどうしようもないが、その場合はもはや逃げるしか無い。

わたしは皆が働いているのを横目に。

周囲の岩の声を聞いて。

いい鉱脈がありそうな場所を探す。

邪魔な岩は全てどけたので。

鉱物の声はよりクリアに聞こえる。

もう少し離れた所まで行かないと。

鉱脈と呼べるものは無さそうだ。

この荒野。

山になっている部分に鉱脈はないとしても。

いずれにしても、重要なのは。

此処に資源を持ち帰る事。

幾つかの手順を経て。

作業をしていかなければならない。

まず年配の自警団員に話を聞く。既に現役から半ば退いているヒト族の老戦士だ。

「フルスハイムほどの街だと、膨大な資源が必要なはずです。 やはり水運で?」

「ああ、そうだよ。 基本的には湖の周辺にある都市から、水運で仕入れていた。 現在の長老はあまりやり手では無いが、どうも蓄財に関してだけは得意なようでね。 前の錬金術師が酷すぎたせいで今のレンさんとは上手くやって手堅い商売もして、その結果かろうじてしばらくはやっていけるだけの蓄えもある」

「それでこの辺りは開拓していなかったんですね」

「そうだな。 それにこの辺りは、その。 フルスハイムの軟弱な自警団だと、手に余るのが多いからな」

なるほど。老戦士の言葉は、自分に向けたものでもあるのだろう。

この人も、戦士としてこの年になるまで生きてきているはずで。

大きな都市の自警団としては。

この街の自警団が頼りない事は、ずっと嘆いてきたのだろう。

傭兵を雇えば良かったのだろうとも想うが。

前の公認錬金術師がとても駄目な人だったようだし(ディオンさんは頼りなかったが、誠実で仕事もしていた)、色々とあったのだろう。経費削減とか言いながら、削ってはいけない経費を削るようなタイプだったのかも知れない。挙げ句の果てに自分の懐に入れたり、とか。

今、アトリエの中で待機して貰っているツヴァイちゃんの事を思い出す。

あの子だって。

そういった愚行の、影響の一端。

わたしも心しなければならない。

大きな力には、当然相応の責任が伴う。

大きな力は使わないと意味がないし。

そして自分のためだけに使ったら。

言葉もまだ取り戻せていない、ツヴァイちゃんのような犠牲者を、もっと出す事になるだろう。

口をつぐむと。

キャンプをまず完成させる。

しばらく無言で資材を組み立て。

少なくとも生半可な襲撃ではびくともしない態勢が出来たので。

今日はここまで。

明日から、チームを組んで探索に出るが。

この分だと、獣の数が多すぎて、何かしらの処置をしなければならないだろう。

こんな何も食べるものもない所で。

本当にどうしてあんな大きな獣がたくさんいるのか。

考えれば考えるほど。

この世界は不可解だ。

ベッドで休む。

ぼんやりしている内に。

色々と疲れが溜まっていたからか、すぐに寝落ちし。

翌朝が来る。

眠気が取り切れていないが。

起きだすと、顔を洗い。

そして見張りをしていた戦士達に様子を聞く。

仕掛けてくる獣はなし。

そうなると、此処は橋頭堡として機能すると判断して良さそうだった。

ドロッセルさん、お姉ちゃん、カルドさん、それとレヴィさん(起きて来た順番)に、それぞれ今日の予定を話す。

ツヴァイちゃんに一人つけておきたいのだが。

年配の老魔術師が、丁度孫が可愛い盛りらしいので。

ツヴァイちゃんの面倒を頼む。

厳しい人が、老人になると子供に甘くなることは時々あるそうだが。

丁度そのタイプらしい。

魔術師は、ツヴァイちゃんの境遇を聞くと驚き。

そして留守にしている間には、きちんと面倒を見てくれると約束してくれた。

仮に約束を破っても。

他の戦士達が、悪さを許しはしないだろう。

「今日から、鉱脈を探します」

「おお、護衛だな。 疾風の黒き刃となって、お前の敵を蹴散らそうぞ」

「はい、ありがとうございます」

レヴィさんの言葉もさらっと流せるようになって来たし、解読も難しくなくなってきた。良いことだと思う。

貸してもらった戦士達は、多分この橋頭堡キャンプを守るので精一杯だろう。

つまり、五人だけで行くしか無い。

そして天気は今もあまり良くない。

だが、今日からは可能な限り早く。

必要量の鉱物を集め。

予定している装甲船のために、あらゆる準備をしなければならないのだ。

荷車を出す。

オレリーさんの使っていたものを参考に、なんとか実用に仕上げた自動荷車である。

指示を出せば追走してくるし。

停止を指示すればてこでも動かなくなる。

特定手順を踏まなければ、大きめの獣が押してもびくともしない。

そういう風に改装した。

勿論前進後進も自由自在。

人を避けて進む事も出来る。

色々な機能を盛り込んだおかげで。

戦闘時にはバリケードになるし。

負傷者を運べるようにもなった。

今後、状況に応じて更にもう一両くらいを連結したいと思っているが。

それもまた、いずれ、だ。

ともかく今は。

鉱物の声を聞きながら。

現実的な鉱脈を探し出さなければならない。

エルトナでは、それこそ何処を掘っても水晶が出てきたが。

此処はそうも行かないだろう。

キャンプを出ると。

早速獣が仕掛けてくる。

即座に対応。

空からはアードラが複数体。

陸からはキメラビーストや大型の兎、ぷにぷに、ヤギ、猪。

全部が一片に来る訳ではないが。

それでもかなりの数が攻めこんでくる。

勿論獣には縄張りがあるので。

入るまで襲ってくる事はないのだが。

順番に、少しずつとはいえ。

かなりの頻度で襲われるのは、精神を削られる。

わたしもかなりの回数戦ったけれど。

それでも他の人達がいなかったら、生き残れる自信は全く無い。

爆弾を投げるタイミングや。

その質は上がってきている。

身体能力強化が掛かる錬金術の産物によって。

皆が目に見えて強くなっているのも分かる。

それでも、まだまだまったく足りない。

ともあれ、岩場にまで到着すると。

傷薬を渡して一端回復を優先。

そして、わたし自身は、周囲の鉱物に話を聞いて。この辺りは駄目そうだなと、結論を出すしか無かった。

悔しいけれど。

駄目な場合はさっさと諦める。

変なことに固執してけが人を出しても馬鹿馬鹿しいだけだ。

次に行く。

やがて、岩を砕くよりも先に。

倒した獣の肉や骨、内臓などで荷車が一杯になったので、一度キャンプにまで引き上げる。

余った肉類などは、キャンプを守ってくれていた戦士達に分けてしまう。

骨にしても毛皮にしても。

当然使い路はある。

特に、苦労しながら仕留めたキメラビーストは、毛皮に魔力を帯びており。

流石にネームドのものほどではないが。

仮に売るとしたら相応の値がつきそうだし。

加工しても便利に仕上がりそうだ。

先に皆には休んで貰い。

わたしはお薬と爆弾の補充を済ませる。

特にこの辺りの岩には、氷爆弾レヘルンの素材になるハクレイ石がぼろぼろ詰まっている。

品質はともかくとして、これがとても便利なので。

今のうちにレヘルンの在庫を増やしておく。

レヘルンで相手を固めた後。

一気に燃やすと、目に見えて凄まじい打撃を与える事が出来る。

お姉ちゃんによると。

熱した後いきなり冷やすと、金属でさえ耐えられないらしい。

金属でさえ無理なら。

ナマモノなら余計に無理、というわけだ。

レヘルンそのものも研究し、黙々と火力を上げる。

レヘルンに詰め込んだハクレイ石は、わたしに色々とヒントをくれる。こうすればもっと火力が上がるよ、とか。こうすればもっと長持ちするよ、とか。

わたしは鉱物が嘘をつかないと信じる。

だからそれに沿って。

丁寧にハクレイ石を加工し。

身を守るための武器にしていくのだ。

翌日も、違うルートから荒野を行く。

当然、別の獣の縄張りに入り込む事になるので。

昨日同様の激戦になった。

レヘルンを惜しまずに投擲。

容赦なく獣を爆殺し、逃げる背中もお姉ちゃんに頼んで撃って貰う。

近寄ってきたら容赦しない。

そう示すことで。

無駄な戦いを可能な限り避ける為だ。

戦って見て分かったが。

カルドさんは、黙々とマイペースで戦う分にはとても腕が立つ。

的確に、味方を支援しながら銃撃をしてくれるし。

危ない場合はきちんと警告も出してくれる。

銃撃そのものも正確で。

殆ど弾を無駄にしていなかった。

倒した獣は見せつけるように捌き。そして解体して、荷車に積み上げる。やはり、次の日も。

鉱脈を見つけるより先に。

獣の肉と毛皮、骨で荷車が一杯になった。

キャンプで、地図を拡げて。

足跡を確認。

地図には、×印がついている箇所が幾つかある。

何だろうと話を聞いてみると。

ネームドがいる、と言う事だった。

年配の戦士が教えてくれる。

「例の虹神ウロボロスな。 奴を倒した後くらいから、遺跡にネームドが出るようになりはじめた話は知っていると思うが。 ごくわずかだが、遺跡以外でもネームドが増えているらしい。 そして、そいつらは湖の周囲に散った、と言うわけだな」

「……」

わたしは考え込む。

今の戦力だと足りないけれど。

例えばアングリフさん辺りを貸してもらって。

ソフィー先生に、腕利きに声を掛けて貰って。

戦力を整えて、ネームドを狩れば。或いは、この辺りは緑化できるかも知れない。

緑化のノウハウはドナで学んだ。

この辺りを緑化すれば、フルスハイムをかなり安全に出来るのでは無いのか。何しろ此処は、フルスハイムからそう離れていない。こんな近くに、獣が大勢出て、討伐の目処が立っていない状況がそもそもおかしいのだ。

わたしがそれを話すと。

戦士達は皆、苦虫を噛み潰す。

「いや、そんな事は俺たちだって分かっている」

「何か理由があるんですね」

「ああ。 街が大きくなってくるとな、よっぽど出来る人が率いていない限りは、身動きが鈍くなるんだよ。 ドナなんかはその見本で、彼処はやり手の長老が、ぱっぱと発展させているだろう?」

「はい。 オレリーさんは、凄い人でした」

そうか。

此処はそうでは無い、ということか。

レンさんは公認錬金術師で、腕が良い錬金術師のようだけれども、街の長老ではないし。

そもそも先代のフルスハイムにいた公認錬金術師は、匪賊と通じている噂がある程の下衆畜生だったと聞いている。

そしてフルスハイムの長老は、そんな輩を好き勝手させていたわけで。

今だって動きが良いとは言えない。

それでは、オレリーさんとは比べることすら失礼か。

仕方が無い。

出来る事だけでも、やっていくしかない。

ともあれ、周囲の徹底探索を、今はする。

そう方針を告げると、休む事にする。

こんな事をしている場合では無い気がするのに。

身動きが取れない歯がゆさが、わたしの体を嫌でも締め付けていた。

 

1、荒野の虹

 

此処からずっと西に行くと、ディオンさんがいたメッヘンがある。

そうとはとても思えないほど。

フルスハイムの西は調べれば調べるほど荒れ果てていた。

街道というのも名ばかりの場所は。

人間を嘲笑うように獣たちが占拠し。

調査四日目になった今日も。

獣は後から後から沸いて襲いかかってくる。

流石に強めの獣。キメラビーストや猪などは、即座に沸いてくる、というわけにもいかないようだけれど。

獣の縄張りがあくと。

すぐにそのニッチに小型の獣が入り込む。

その悪循環は続いている様子で。

勿論そいつらが、わたしを怖れるはずもなく。

当然キャンプから出ると、嬉々として、肉を得ようと襲いかかってくるのだった。

身体能力を上げる錬金術の道具類で。

皆の戦力は上がっている。

レヴィさんの剣は、以前は守りが主体だったが、今は攻めとしてもかなりの切れ味を見せるようになっているし。

お姉ちゃんの矢は、放つときの音が既に違う。

以前はシュッという感じだったが。

今は空気を蹴散らすような、バンという音になっている。弓の方が、そろそろ耐えられないかも知れない。

ドロッセルさんは怪力に磨きを掛けている。

カルドさんは、話によると、前はこんなには動けなかったと言う事だから。

攻撃精度の上昇も、わたしが渡した道具の影響なのだろう。

とにかく、弱めの獣なら、対応は出来るようになってきている。

それが分かるだけで充分。

わたし自身も、ひ弱モヤシとかアングリフさんに言われたけれど。

そのままでいるつもりはない。

接近された時に。

地面に手を突いて、鉱物をせり上がらせる術を使う。

そうしたら、複数の杭が、わたしののど笛を喰い破ろうと迫っていた大型の猫科の獣を。

一撃で、ずたずたに引き裂き、ちぎっていた。

魔力の強化も出来ている。

それ以前に、わたしの素の魔力も上がっている。

それが確認できたので、好ましい。

殺した獣は全て有効活用しなければならない。

四日目の探索が終わり。

フルスハイムの方を見る。

相変わらず、巨大竜巻はゆっくり蠢いていて。

とてもではないけれど、恐ろしくて近づける気がしなかった。

自分で考えた事ではあるけれど。

あれを装甲船で突破するなんて、正気の沙汰では無いのかも知れない。どうしてそんなことを思いついたのだろう。

だけれども、今、フルスハイムがしょっぱいとはいえ戦力を貸してくれていて。

それで街の事業として行う事を決めている。

多分長老は、どうせ失敗するだろうしとでも思っているのだろう。

まだ活用できるフルスハイム北側の水路を頑張って整備しているイルメリアちゃんの方に主力を回していることからも。

それは確実だ。

だから、戦力の補填は期待出来ない。

自分で、何とかするしかないのだ。

余った肉をキャンプを守ってくれていた戦士達に配り、皆で食べる。

だが、毛皮も肉も、相当量があまり始めたので。

余ってきたものは、後送してフルスハイムに送る。

万の人口を抱える都市にはささやかな物資だろうけれども。

今、インフラが壊滅しているフルスハイムにとっては、少しの物資でも貴重なはずだ。回して怒られることはないだろう。

そして、一通り作業が終わったところで。

地図を拡げる。

四日間で、戦闘の回数は116回。

キャンプの周囲を探索し、鉱物の声を聞きながら結論は出た。

わたしは、地図の一点を指さす。

此処から西。

まっすぐ西に行き、小さめの川を越えたところに。

鉱脈がある。

それも、かなり大きめの鉱脈だ。

此処で言う鉱脈というのは、高度な錬金術にも応用できる金属の材料が出てくる、という意味で。

将来的にフルスハイムの役にも立つはず。

つまり、道を確保する必要がある。

幸い、キャンプから其処までには、ネームドはいないが。

問題は架橋が必要になる、と言う事だ。

橋を造る技術については、何とかなる。

ただし、今戦闘に出ている五人だけで橋を造るのは無理だ。人夫まで動員する必要はないと思うけれど。

一方で、獣にしては好機も良いところ。

更に川の中にも、獣はいる。

それも、陸上のよりも大きくてより危険な奴がだ。

治水の時に、メッヘンでその辺りは思い知らされた。

そしてメッヘンの時と違い。

今回は腕利きによる補助がない。

此処にいる人員も、キャンプを守るので精一杯程度の戦力しかないのである。

「此処に架橋をしたいのですが、何か知恵はありませんか」

「無理だ」

即答される。

即答したのは、年配の戦士。既に引退していてもおかしくない老戦士だ。

彼は首を横に振る。

「若い頃、その辺りまで獣討伐に出たことがあったが、あんたが言う通り川から獣が出てくるわ、周囲からはひっきりなしに仕掛けてくるわで、被害を出しながら逃げ帰るしか無かった。 それもフルスハイムの主力を連れてその様だ。 この戦力では到底……」

「……分かりました。 力押しでは無理そうですね」

「何か錬金術による搦め手があるのかね」

「これから考えます」

今までに無い劣悪な状況。

今までわたしが、如何に優秀なスタッフと仕事をしていたのかがよく分かる。

此処にいる戦士達は確かに二線級だけれど。

多分小さな街の戦士達は、此処にいる戦士達と普通であれば大差ない質でしかない筈だ。

如何に錬金術師が歓迎されるか。必要なのか。

見ているだけでもよく分かる。

ネームドが出たら、小さな集落では手に負えないだろうし。

獣相手に逃げ腰になるのも、仕方が無いのだろう。

アトリエに入ると。

改めて皆と相談する。

「何かいい手は」

「フィリスちゃん。 流石に無謀だわ」

お姉ちゃんも即答する。

カルドさんも頷いた。

女性を苦手としているカルドさんも。

流石にこれは同意せざるを得ないのだろう。

「手が足りないのよねえ」

「同感だな。 これでは疾風どころかそよ風だ」

ドロッセルさんに、レヴィさんも同意。

かといって、鉱物資源を集めるには、わたしが割り出した地点が最適の筈。

街道は文字通り街道(笑)に過ぎないし。

粗末な橋の上に、堂々と獣が居座っているのも確認している。

そして厄介な事に。

鉱脈があると判断した場所は、街道から外れている。

街道に居座っている獣を全部駆除するとして。

更に其処から輸送経路を延ばさなければならない。

獣は駆除しても駆除しても沸いてくるわけで。

文字通りきりが無い。

毎回命がけの輸送任務を果たしていくか。

それともフルスハイムのためと説得して、戦力を回して貰うか。どちらかしかないだろう。

それはわたしにも分かっている。

そして、後者は不可能だと言う事も。

不意に、ノックの音。

何か起きたのか。

そして、驚いた。

確かエルトナ以来か。

懐かしい顔が、アトリエの外にあった。お姉ちゃんは眉をひそめたが。

ティアナちゃんである。

「やほー、フィリスちゃん。 何だかお仕事しているみたいだから、見に来たよ」

「ありがとうティアナちゃん。 あ、そうだ。 お手伝いしてくれない? 今、手が足りていなくて」

「ごめんね。 私、様子見に来ただけだから」

あれ。

何だろう。

今、もの凄く、嫌な予感がしたのだけれど。

理由が分からない。

ティアナちゃんが言った言葉に。

凄く深い闇を感じたのだ。

「代わりと言っては何だけど、はい。 私にはいらないし、フィリスちゃんなら喜ぶと思ってね」

「これは……?」

「さあ。 錬金術の道具らしいけれど。 お仕事してたら現物支給だとかで貰って、いらないから。 これでも生活には困っていないからね」

白い歯を見せて人なつっこく笑うと。

そのままティアナちゃんは雨が降り続いている夜闇に消える。

そういえば、キャンプの人達は。

誰も彼女に気付かなかったのだろうか。

そして、受け取ったものは。

何だこれ。

思わず小首をかしげる。

見た事がないし、まったく使い路も想像できない。

カルドさんに見せても、しばらく首を捻ったあげくに、分からないと言われた。

形状としては、機械ではない。錬金術の道具だと分かる。

何というか、ツボのような形状なのだけれど。

中を覗くとひんやりしている。

でも、ティアナちゃんがわざわざくれたのだ。

何か分かるまでは、しまっておくのが良いだろう。

だが、コンテナにいれようとしたとき。

背中が引っ張られるような感覚があった。

鉱物が。

今、周囲にある鉱物が。

一斉に声を発した気がする。

側に置いておいた方が良いよ。

少なくともアトリエの中に置いておくべきだよ。

そう聞こえた。

それならば、仕方が無い。テーブルの上にでも置いておくべきだろう。花を生けたらどうなるか分からないけれど。

いずれにしても、わたしは鉱物が嘘をつかないし。

わたしに分からない事を教えてくれることも知っている。

お姉ちゃんにもそれを説明して。

テーブルに置く。

だが、お姉ちゃんは、やはり厳しい表情のままだった。

「フィリスちゃん、外の警備は何をしていたのかしらね」

「うん……それはわたしも気になったよ、リア姉。 雨でも分かるように、資材に色々工夫はしているはずだし、獣よけだけでは無くて何かが接近したら分かるようにもされているはずなのに」

「ちょっと外を見てくるわ」

「……」

お姉ちゃんは、ティアナちゃんに厳しい。

エルトナのお外で会ったときも、とても好意的には見えなかった。

そして今。

わたしは、明確にティアナちゃんに、違和感と強烈な闇を感じた。鉱物は何も言わなかったけれども。

凄く、嫌な予感がする。

流石に好意的に接してきてくれるティアナちゃんを、袖にするのは失礼だと思う。

だけれど、何となく分かった。

お姉ちゃんは何か知っている。

そして、ティアナちゃんは。

とんでもないものを秘めていると思って間違いなさそうだ。

嘆息する。

あのよく分からないものを渡していったのにも、理由があるのだろうか。

だが、わたしも意識しなければならない。

気をつける必要がある。

ティアナちゃんは。

何か意図があって。

わたしに近づいている。

 

イルメリアは、水路の整備を続けながら、南西を見る。

今、イルメリアは。

いずれフィリスが言う「装甲船」に改装される予定の船の、甲板上にいた。そして、此処は湖上。竜巻の影響を受けていない縁である。もう少し北に行くと、この湖の湖岸にある、人口千五百人ほどの街に到達するが。今はその街に行くことが目的ではない。

現在、フルスハイムは、ドナとの直通路と、この今イルメリアが整備している水路を利用しても。

有事の際に、民を逃がしきることが出来ない。

だから、今。イルメリアが、その水路を整備して。

少しでも逃がせる人を増やせるように努力しているのだ。

それにしても。

ソフィーと言ったか。

あの錬金術師は、凄まじいまでの力を感じた。

魔術師としての異次元の実力者だと考えて良いだろう。

誰が寄越したのかは分からないが。少なくとも、家族全員が公認錬金術師、というイルメリアでも。

ノイエンミュラーなんて凄腕は聞いた事がない。

ともあれ、湖岸にある街へ、何度も移動を確認しながら。

フルスハイムが竜巻に襲われたとき。

船を総動員して、住民を逃がすための下準備を進める。

湖上に配置した獣よけ。

風と波をある程度弱める手立て。

錬金術でそれらを施しながら。

嫌な予感が途絶えない。

ふと、気付くと。

アリスが剣に手を掛けていた。

イルメリアも遅れて杖を手に取るが。

既に遅かった、というべきだった。

口を押さえられる。後ろから、静かに抱きしめるようにして。

イルメリアは無力化されていた。

恐怖で体が動かない。

そればかりか、アリスも何故か戦闘態勢を解除する。どうしてだ。明らかに、主人が殺されそうになっているのに。

抵抗さえ出来ず。

身動きさえ出来ない中。

耳元で声がした。

「イルメリアちゃん。 しっかり話すのは「初めて」だね。 この間はレンさんのアトリエで、ちょっと顔を合わせただけだったものね」

分かる。

というか、この炸裂するような圧倒的な力。

ソフィー=ノイエンミュラー。

震えが止まらない。

今、ドラゴンの口の中も同然の死地にいて。

「ドラゴン」がその気になれば、ブレスで焼き払おうが、かみ砕こうが、自由自在な状況にいる。

それに等しい事を。

イルメリアは悟っていた。

喋る事さえ出来ない中。

イルメリアは、その声を聞く。

「少しばかり経験が足りないね。 前の失敗を繰り返すことになると困るんだよね。 劣等感から来る力では限界があるからね。 もう少しイルメリアちゃんには苦難が必要だね……」

何だろう。

頭に入ってくる言葉は。

そのまま高濃度の呪詛にしか思えない。

頭に言語として入ってこない。

そのまま、闇そのものとして入ってくる。

抵抗も出来ないまま。

イルメリアは、いつの間にか。

へたり込んでいた。

そして、今まで。

どうして恐怖に心臓を鷲づかみにされていたのかも。誰に何をされたのかも、綺麗さっぱり分からなくなっていた。

だが残っている。

圧倒的な恐怖。

アリスは、相変わらずの無表情のまま、その場に突っ立っている。

「お嬢様、どうなされましたか。 座り込んだりして」

「い、いえ。 何でも無いわ」

立ち上がろうとして、失敗。

膝が笑っている。

今まで、これでも公認錬金術師試験に備えて、実戦は経験した。戦闘だって何度もこなしてきた。

命のやりとりだってした。

それなのに、それなのにだ。

何だ今のは。

味わったことがない。

ネームドと戦った時でさえ、こんな恐怖は感じなかった。

今、何か訳が分からないことを、何者かにされた事は分かったが。

それ以上の事は何も分からない。

必死に呼吸を整える。

兎に角今するべき事は。

恐怖から、心を解放することだ。

咳き込んだ。

あまりにも強い負荷が心に掛かったらしい。いや、違う。精神的なものではない。イルメリアは激しく咳き込みながら、気付く。

これは、毒だ。

しかも、今、流れ込んできている。

「アリス、外を!」

「はい。 すぐに」

自身は薬を呷ると外に。

どうやら、既に船は修羅場と化していた。

湖に住まう大型の獣。

頭足類の一種だろう。

それが猛毒の霧を吐きながら、船に絡みつき、戦士達と激しく戦っている。イルメリアは杖に魔力を込めると、一点集中し、撃ち出す。

だが、霧に魔術は拡散され。

頭足類の頭に突き刺さった頃には。

相手の皮膚を破れるほどではなくなっていた。

降り下ろされる巨大な触手。

何とか飛び退こうとするが。

アリスが突き飛ばすのが、見えた。

アリスが。

叩き潰される。

戦士達が、目の前で何人も触手になぎ倒され。

一人が口へと持って行かれようとしている。

イルメリアは。

身動きできずに甲板に倒れているアリスから、大量の血が流れ出ているのを見て、震えながら、何もできないのかと思い。

だが、それでは駄目だと、立ち上がった。

ネームドと戦うためにとっておいた爆弾を。

何発も叩き込んでやる。

炸裂した爆弾に、巨大な頭足類が、悲鳴を上げて掴んでいた戦士を離す。

更に、自動で動く錬金術の剣を、複数空に解き放ち。

相手に向かわせる。

回転しながら躍りかかった剣は、敵の体を切り裂きながら、本体に突き刺し、抉り抜き始めた。

だがこの剣。

魔力を吸い上げていくのだ。

イルメリアは、毒を吸い込み。

更には魔力を一気に吸い上げられて。

意識が飛びかける。

だが、此処で引くわけにはいかない。

更に、とどめだ。

手にしたのは、矢。

ただし、錬金術の秘奥によるもので。

悔しいが、使いたくなかったものだ。自分で作ったものではなく、親にここぞと言うときに使えと無理矢理持たされたものだからだ。

ダーツのように投げて使うが。

投げると、凄まじい速度まで加速し。

敵の急所を貫くまで止まらない。悔しいが、コレを使うしか無いか。

不意に、敵が動く。

船に掛かっている重心を、いきなり変えたのだ。

すっころぶ。

其処まで優れた武勇を持っている訳でも無いイルメリアに、今の不意打ちはどうにもできなかった。

手から「矢」が離れ。

したたかに甲板に体を打ち付けたイルメリアの足に、獣の触手が絡みつく。

イルメリアは見た。

頭足類が、巨大な口を開け。

それにイルメリアを放り込もうとするのを。

嫌にゆっくりそれが見える。

だが、その時。

倒れていた瀕死のアリスが、側に落ちていた剣を投擲。

頭足類の目に突き刺さる。

絶叫を上げながら、イルメリアを離す頭足類。放り上げられ、また甲板にしたたか叩き付けられ、意識を失いかける。だが、唇を噛んで、必死に耐える。落ちている矢。届かない。手持ちの爆弾で対応するしかない。

立ち上がる。

意識も足下もはっきりしない。

だが、頭足類も、目に突き刺さった剣を引き抜くので必死。

その全身もズタズタだ。

意識が、闇に引っ張られているのが分かる。

だけれども、まだだ。

イルメリアも、最後の、渾身の力を掛けて、爆弾を放る。

頭足類の口の中で。

爆弾が炸裂。

同時に、船の重心が再び激しく揺れ。受け身も取れず、イルメリアは甲板に叩き付けられていた。

呼吸が止まる。

一瞬置いて、激しく咳き込んだ。

全身が割れ砕けるように痛い。

薄れる視界の中で。

自分が嫌い抜いていた、それなのに身を挺して庇ってくれたメイドのアリスが。目を閉じて、血の海の中に沈んでいるのが見えた。

嗚呼。

嘆きの声が上がる。

自分が勝手に嫌っていたのに。

それでも文字通り文句の一つも言わずに仕えてくれたアリスが。

治療しないと。

だけれど、体がもう動かない。

「イルメリアどのが!」

「一端引き返せ! 予定作業は全て中止だ! 後続のアングリフどのの部隊と合流するんだ!」

「けが人は!」

「トリアージ!」

傭兵団の長だかの、イェーガーという老人が叫んでいる。

イルメリアは、もう定まらない意識の中で。

アリスに手を伸ばし。

もうどうにもならず、闇へ沈んでいく自分を自覚していた。

 

2、苦難襲来

 

悩んでいても仕方が無い。

架橋は不可能だ。

そう判断したわたしは、大回りで道を開拓するしかないという結論に至った。せめて一線級の人員がいれば、話は別だったのだろうが。

だがこのルートだと、往復だけで半日はかかってしまう。それも、戦闘をまったく考慮しない場合である。

西にずっと行くと、メッヘンにたどり着けるらしいのだけれど。

そうする意味が今のところは無い。

西へ安全経路を作る場合、緑化作業が必要になる。それも、オレリーさんが主導したような規模の、である。

ドナでの緑化作業はどうなっているだろう。

東の街への街道は出来ただろうか。

いや、わたしがフルスハイムに来てからまだ日も浅い。

流石に其処まで都合が良い事は無い筈だ。

とにかく、レンさんに使者を出す。

文面はカルドさんが、格調高く仕上げてくれた。

カルドさんはこういうのが得意なようなので。

ネゴが得意なお姉ちゃんと組むと、凄く良い仕事をしてくれそうなのだけれど。

相変わらずカルドさんはわたしは平気でも、お姉ちゃんは近づくのも嫌なようなので(怖いと言う意味で)、なかなか連携は上手く行かないだろう。

ツヴァイちゃんは、アトリエの奥で寝ている。

やっと、状態が安定してきたが。

まだわたしが色々な資料から調べ調合した精神安定薬を飲んで。

それでどうにか、言葉は戻らなくても、自分でお風呂や食事は出来るようになった。

だけれども、やっぱり心身のダメージは激烈で。

歩くのも、手伝って貰ってやっと、という状況である。

子供だから、むしろ回復は早い方なのだろう。

幼い子をこんな酷い目にあわせて、それを笑って見ていた匪賊。

人間は此処まで落ちる事が出来るのかと。

ツヴァイちゃんに接すれば接するほど感じる。

ともあれ、準備は終わった。

キャンプには、今日も守りを頼むと。

今まで開拓したルートを、今日も更に延ばす。

ドラゴンがいつまで竜巻を湖に浮かべているだけで満足してくれるかは分からない。

だからこそ、急がなければならないのに。

少しずつ進めていかなければならないのが心苦しい。

ただ、戦闘経験は嫌でも増えるし。

少しずつ、殺せば殺すほど。

心が静かに。

獣と戦えるようになっていくのも分かっていった。

その内わたしも、静かに。何の心も動かさず。敵を殺せるようになるのかも知れない。

そしてその敵の中には匪賊も含まれる。

今はまだ、獣を殺すと、心の中でごめんなさいと呟いている。

だがそれも、いつまで続くだろう。

やはり、キャンプから出てしばらくすると、獣が襲いかかってくる。

お姉ちゃんが矢を叩き込み。

わたしが爆弾を投げ込む。

最近はレヘルンの材料が大量に取れるので。慣れてきたこともあり、レヘルンをまず投げる事が増えていて。

その火力も上がってきていることもある。

爆裂する氷に、全身を一気に凍り付けにされる獣や。

翼をやられて落ちてくるアードラ。

更に、足をやられて動けなくなり、その場でなぶり殺しの目にあう獣も目立つようになって来た。

だが、それらがとても弱い獣である事も理解している。

倒した後捌いて、荷車に積み上げると。

更に先に進む。

最弱の部類に入るだろう獣は。

此方の戦力を見て、ようやく避けるようになってくれはじめたが。

それでも、此方に仕掛けてくる獣もいる。

あからさまに勝ち目がないのに襲いかかってきて。

お姉ちゃんの矢一発で叩き落とされる獣を見ると。

心が痛む。

お姉ちゃんの矢は、今や人間大の獣くらいなら、貫通する位の威力が出るほどになっている。

外すこともまずない。

見ていて、それが分かるだろうに。

何故命を捨てるのか。

粗末な橋に出る。

この橋は、少しばかり危ないかも知れない。特に、鉱石を荷車に満載して通るときは危険だ。

次に来た時は、硬化剤を使って補強する必要があるだろう。

かなり大規模な傭兵団と、商人が来る。

どうやらアルファ商会らしい。

傭兵は三十人くらい。

馬車も四両という大規模なものだ。

軽く挨拶して、話をする。

やはりフルスハイムが非常にまずい事は既に話として彼らも知っているらしく。

メッヘンを経由して、物資を売りに来たらしい。

情報を交換する。

ホムは見た目で年齢がわかりにくいのだが。

それでもそこそこの年齢に行っていると思える商人は。

頷いて、満足したのか、地図をくれた。

「写しで、しかも少し古いですが、これは情報料代わりです。 使ってくださいなのです」

「ありがとうございます。 活用させていただきます」

「みな、もう少しです。 もう少しで美味しいビールにありつけますです」

「おおーっ!」

傭兵達が通り過ぎていく。

此方を錬金術師と知っているからか、向こうも侮る様子は無い。それに、荷車に満載している獣の死骸も、それに拍車を掛けたのだろう。

馬車が通り過ぎた後。

やはり橋はかなり危ない状態になっていた。

あまり重いものを通すべきでは無いだろう。

橋の先に出て。

更に獣をある程度狩る。

適当に獣の処理を終えたところで、一度引き上げる。

ネームドの縄張りからはまだ遠いが。

獣の縄張りは、最近の掃討作戦でかなり変動している。

ひょっとしたら、出てくるかも知れない。

実のところ、最弱ランクのネームドならどうにかできる自信はある。

わたしが強くなったのではなくて。

作った爆弾が強くなって。

お姉ちゃん達が強くなっただけだ。

だが、それでもネームドとの交戦はできるだけ避けたい。

オレリーさんから、深核はそれなりの数貰っているから足りているし。

今の時点で、危険を冒してまで、ネームドと戦う理由は無いのだ。

キャンプに戻る。

そうすると、使者が来ていた。

使者は、急ぎの要件だと言って、手紙を渡してくる。

レンさんのものだった。

「フィリスちゃん、どうしたの」

「……イルメリアちゃんが、大けがをしたって」

「ええっ……」

「ソフィー先生が手当をしてくれたから、イルメリアちゃんは大丈夫だけれど、護衛についていたメイドのアリスさんが今も意識不明の重体だって……」

口をつぐんでしまう。

面識がある訳では無い。

むしろ無機質な感じさえした。

だが話によると。

アリスさんは、身を以てイルメリアちゃんを庇い。

それで致命傷に近い打撃を受け。

それでも必死にイルメリアちゃんを助けるために。

無理をして、巨大な頭足類に立ち向かったというのである。

その結果の重体だ。

やりきれない。

忠誠心は本物だった。

献身的な行動に嘘は無かった。

イルメリアちゃんは、今頃どれだけ苦しいだろう。

「此方の進捗についても聞きたいから、一度戻って、だって……」

「仕方が無いわ。 ドロッセルさん、しばらく此処を任せても良いかしら」

「うん。 二人で行ってくるの?」

「すぐに戻るわ。 フィリスちゃん、行きましょう」

頷く。

大きな溜息が出た。

どうせフルスハイムへは急げばすぐだ。

二刻ほど全力で走って、レンさんのアトリエに。

ソフィー先生はいなかったが。

奥の空間で、ベッドに横たえられているアリスさんと。

そのベッドにすがりつくようにして、身動き一つしないイルメリアちゃんの姿があった。

心が痛む。

レンさんに説明を受ける。

何でも、航路開拓中に、巨大な。恐らくネームドの頭足類によって、攻撃を受けたらしい。

その戦闘力は圧倒的で。

わたしが装甲化しようとしていた船は、戦いの余波で大きなダメージを受けているという。

アングリフさんの援軍が間に合わなかったら。

どうなっていたかわからないとも言われた。

ともかく、フルスハイム自警団の主力部隊は大打撃を受け。

重傷者を多数出し、遠征どころでは無くなった。

航路開拓は。

事実上不可能になったのだ。

そうなると。

やるしかない、ということか。

「フィリスさん。 残存戦力を其方に回します。 その代わり、急いで鉱石の確保をお願いします」

「はい。 書状を送りましたが、鉱石の在処についてはもう分かっています。 戦力が増えたのなら……何とか出来るかもしれません」

「……お願いします」

レンさんは、イルメリアちゃんと一緒に、竜巻が来た時にはじき返す道具を更に強化するという。

今でも強化を進めていて。

更に長時間、フルスハイムを守る事が出来るようになっている、ということだった。

だが、わたしは思うのだ。

確かにフルスハイムは守れるかも知れない。

だが竜巻を引き起こしているドラゴンが、気まぐれを起こしたら。

別の集落が。

竜巻に蹂躙されるのでは無いのか。

フルスハイムの東にある大きな湖の沿岸には、幾つもの小さな集落があると言う話である。

それらが蹂躙されたら。

もはや言葉も無い惨状になる事は疑う余地もない。

外に出ると。

戦士十名ほどが来ていた。

「残存戦力」だろう。

イェーガーさんはいないが。

丁度、街の一線級に立てる戦士ばかりだ。

わたしは状況を説明。

そして、協力を求めて、頭を下げた。

向こうも、此方が低姿勢を保ったからか。

反発はしなかった。

「頭をお上げくだされフィリスどの。 鉱脈の宛てがあると言うのは本当なのか」

「はい、それに関しては間違いありません」

「流石に錬金術は神域の学問だな……。 ともあれ、船の修理については、カイ達に任せるとして。 此方はフィリスどのに協力することしか出来ぬ。 手足と思って使っていただきたい」

そう恭しく言ったのは、まだ若い女性の戦士だ。

とはいっても精悍で、分厚いヨロイも着ている。手にしているのはハルバードである。

恐らく、次代の中核を期待されている戦士なのだろう。

そして、もう一人。

現れる巨躯。

アングリフさんだ。

「俺も参加させて貰うぜ」

「アングリフどの」

「イェーガーから、俺も出ろって言われてな。 ……やっぱり、後続で退路を守るのは性に合わん。 前衛に出してくれないか」

「分かりました。 お願いします」

ぺこりと頭を下げる。

この戦力なら。

ネームドの襲撃があってもどうにかなるはずだ。

強行軍でキャンプまで戻る。

そして、今までの収穫物資を確認。

更に手持ちの物資を確認する。

これならば。

恐らく、鉱石を採掘する場所の近くに、もう一つキャンプを作る事が出来るだろう。というよりも、其方にキャンプを作ってしまった方が早いはずだ。

アトリエにアングリフさんと。

それと、オリヴィエと名乗った女性戦士を招く。

そしてこれからの指針を説明する。

状況を理解してくれたアングリフさんは、大きく頷いた。

「まあこれだけの物資がある。 それなりの期間滞在するのは難しくないだろうが……」

「やはり問題が?」

「ああ。 いわゆるキャラバンが移動を続ける理由は知っているか?」

「いえ」

お姉ちゃんは知っているようだけれど。

口にはしない。

アングリフさんは、皆を見回すと言う。

「獣どもはな、人間を殺せる機会があれば、それを逃そうとしない。 この世界の荒野は、人間を殺すためにあるような場所なんだよ」

「……!」

「本来は草とか喰ってるような奴にも襲われた経験はあるだろう? 獣同士だと最小限しか殺し合いはしないのに、相手が人間となると彼奴ら消耗を狙って執拗に仕掛けて来やがる。 理由はよく分からんがな。 そして此処からが重要なんだが」

アングリフさんは。

強面の顔で、言い聞かせるように言う。

「この人数、戦力で、長期間滞在すると、獣だけでは無く間違いなくネームドも来るぞ」

「出来るだけ急いで、鉱脈を掘り当てないといけない……ということですね」

「そういう事になるな」

「分かりました。 皆の戦闘指揮は、お願いします」

アングリフさんは頷く。

こういう歴戦の傭兵は、基本的に戦略級の仕事に出てくる存在だと、ドロッセルさんに聞いた。

ドロッセルさんの両親などもそうらしいのだけれど。

街の防衛の指揮。

ネームドなどの撃退。

錬金術師に率いられての対ドラゴン戦など。

普通の傭兵では出来ない仕事を、任されるのがこういう人だそうだ。

お金に関しては、今回フルスハイムが出してくれるらしいので、気にしなくて良いそうだが。

賃金を聞いたら、思わず真顔になる。

確かに、戦略級の仕事をするのだ。

それくらいのお金は出さなければならないのだろう。

ただ、わたしがオレリーさんから貰ったお金に比べるとだいぶ少ない。

この辺り、錬金術師の行う事業の戦略規模が分かる。

そして、世界にとって。

どれくらい錬金術が重要なのかも。

イルメリアちゃんはしばらく動けないだろう。

だったら、その分もわたしがやるしかない。

翌日の朝からの行動をしっかり綿密に練り。

そして、今晩に限って。

ゆっくり休んだ。

だが、寝る前に色々と地図を見て作業をしていたわたしに。

アングリフさんが声を掛けてくる。

「フィリス、ちょっといいか」

「はい。 何ですか」

「あの子供な」

眠っているツヴァイちゃんを、アングリフさんが顎で指す。

冷酷と言うよりも。

現実的な視線が、その目には宿っていた。

「連れ回すつもりか」

「アトリエ内にいる限り、無理に動く事はありません。 それにあの子は……わたしが面倒を見ると決めました」

「俺たちが全滅すると、あの子も死ぬ事になる。 それは分かっているんだな?」

「はい」

だから絶対に死なない。

わたしはそう答える。

アングリフさんはしばらく腕組みしていたが。

やがて大きくため息をつく。

「作為的なものを感じるな」

「? 作為的……?」

「いや、何でもない。 ただ、あの子供、頭の方がしっかりしてきたら、最低限の仕事はさせた方がいいぞ。 俺も昔はそうだったから分かるんだがな。 集団の中でお荷物になるってのは、心に傷を作るもんだ」

「分かりました。 考えておきます」

仕事をさせる、か。

勉強して。

遊んで。

馬鹿みたいに笑っていれば良い。

そう思うのだけれど。

だけれど、わたしはずっともう錬金術師として、こうやって街の命運を賭けたプロジェクトに関わっている。

それを見て、ツヴァイちゃんはどう思うだろう。

やってもらうとしたら、数字を扱う仕事だろうか。

ホムとしては定番だ。

後、ホムにはレアな能力として、ものを複製する、わたしが使っているのとは系統が違う錬金術を使える人がいるという。

ひょっとしたら、ツヴァイちゃんもそうかも知れない。

適当な所で切り上げると。

眠る事にする。

明日は朝から、忙しくなる。

ここからが本番だと言っても良い。

だけれど、少し寝苦しかった。或いは、ツヴァイちゃんをどうするか、考えるべきだと思ったから、かも知れない。

 

朝一番から、作業に取りかかる。

キャンプの資材類を回収し。

櫓も解体。

全てアトリエのコンテナに格納する。

アングリフさんが指揮を執り始めてから、目立って動きが良くなり。作業は瞬く間に終わった。

更にキャンプの跡を丁寧に消すと。

そのまま移動を開始する。

途中、獣が仕掛けてくるが。

そもそも隊列に近寄らせない。

近づいた獣も。

身の丈大の大剣で、アングリフさんが文字通り一刀両断にしてしまう。

ドロッセルさんを見て強いと思ったけれど。アングリフさんは確かに、それより二枚も三枚も強い。

アングリフさんと、オリヴィエさんには。マフラーと、手袋、それにグナーデリングを渡しておく。

錬金術の装備だと言うと、オリヴィエさんは喜んだ。

アングリフさんは、まあまあだと言った。

歴戦の傭兵だ。

錬金術の装備を供与されたことくらいは、経験があるのだろう。

隊列を組んだまま移動。

先頭をオリヴィエさんとカルドさんが。

最後尾をレヴィさんとアングリフさんが固め。

中列にドロッセルさんとお姉ちゃん。

特にお姉ちゃんは、荷車の上で、少し高い位置から周囲を常に警戒して貰う。わたしは一番守りが分厚い中列を歩いて、獣が仕掛けて来たら、其方へ移動する、という事を続けていた。

ほどなく、街道に掛かっていた古い壊れそうな橋に出る。

一端隊列に止まって貰い。橋に居座っていた獣を追い払うと。

以前作った硬化剤を用いる。

硬化剤Aを塗った後。

硬化剤Bで固める。

二段階の動作を経て、カチカチになり、堅さだけでは無く頑強さも耐水性もしっかり備える。

少しだけ時間をおいてから。

しっかり固まったことを確認。

橋を渡る。

本当はもう少し南に新しく架橋したかったのだけれど。

それはまた別の機会にやるしかない。

イルメリアちゃんの方が駄目になってしまった以上、わたしがやるしかないのだ。

橋を渡り。

そして、仕掛けてくる獣を叩き潰しながら移動を続ける。

荷車は獣の死体が満載になって来たが。まだ移動は停止しない。

ネームドとの戦闘が想定されるのだ。

一端、予定地点まで移動しきらないと、却って危ない。

夕方。

ようやく予定地点に到着。

すぐにアトリエを出し。

資材を展開。

キャンプを再構築する。

篝火を焚き。

獣よけの香を焚き。

そしてブロック化されているキャンプの素材を組み立て。

物見櫓と天幕を作って。

キャンプは完成だ。

後は水だが、それについては雨水がずっと降り注いでいるので。それを蒸留して配ればいい。しかも、錬金釜を使わずとも、蒸留水を作れる道具まで貰っている。動力は大気中の魔力で、あまりたくさんは量産できないが、ほっといても作れるのは大きい。

蒸留水はここしばらくの作業でストックが大量に余っているし。

この人数の生活用水にも充分足りる。

此処からだ。

一気に、予定量の鉱物を掘り出し。

そのまま一気にフルスハイムまで引き上げる。

ネームドが集まってくる可能性があるとしたら。

奴らが集まりきる前に各個撃破する。

見張りは多めに出し。

休む人間もまた多めに出す。

そして、一晩が明ける。

何となく分かっていた。

次の日は。

朱に染まると。

 

3、血に染まる大地

 

鉱物が教えてくれる。

鉱脈があると。

わたしは導かれるままその場に行く。少し掘り返した跡があるが、坑道と言う程でもない。

頷くと。

わたしは、つるはしを振るい上げた。

岩肌を片っ端から砕いていく。

この岩山そのものを崩し尽くすつもりで。

鉱物に教えて貰うまま。

つるはしを振るう。

発破はいらない。

今のこのつるはしと。

強化されたわたしの身体能力ならば。

いけるはずだ。

そのまま崩す。

岩にひびが入り。

わたしが離れてと声を掛けながら、飛び退くと。待っていてくれたように、岩が割れ、崩れ落ちてきた。

辺りが激しい崩落に晒され。

荒野には無数の岩が散らばる。

それらを更に運びやすい大きさにまでつるはしで砕き。順番にアトリエの中に運んで貰う。コンテナに運び込んで、フルスハイムで鉱物そのものは取り出せばいい。作業については、鍛冶師と連携してやっていく事になるだろう。

オリヴィエさんはヒト族の女性戦士で、お姉ちゃんより少し背が高い。

だが、彼女も、わたしのつるはし捌きを見て、驚いていた。

「鉱物の声が聞こえるというのはこういうことなのか……凄まじい」

「今は周囲に集中しろ! ほら、来たぞ!」

アングリフさんが叱咤。

大きな音を聞いて、さっそく獣が来た様子だ。

昨晩も、見張りが何度も襲撃を受けたようだが。それでも、シフトで休憩を廻し、凌ぎきって貰った。

この時のためだ。

わたしは一心不乱につるはしを振るい続ける。

目標は、この規模だと二日程度だろうか。

途中で、栄養を圧縮したレーションを口に入れて。

噛みしめながら、更につるはしを振るう。

後方でも。

すぐ側でも。

戦いの音がしている。

だが、わたしは、今自分の仕事をする。

錬金術師の、しかも一部のものだけが持っているギフテッド。ものの声を聞く能力。それをフル活用して、それだけのために、今は動かなければならない。

「次、左翼! アードラ4!」

「あれは上位種だ! 風の魔術を使うぞ! 近づけるな!」

「今から張り切りすぎるなよ! ネームドが来る可能性が高い!」

ひっきりなしに叫び声が聞こえる中。

わたしは鉱物の声に集中し。

崩す。

ひたすらに崩す。

そして、戦闘の中。

二線級の戦士達が、荷車を使って、岩を次々に運んでいった。

キャンプの方でも戦闘が起きているようで。

薬の消耗が激しいのが何となく分かる。

だが、それでもだ。

わたしが作業を一秒でも早く終わらせれば。

ネームドの接敵も減らせる可能性が上がる。

ネームドの戦闘力を考えると。

死者を出さないようにするためには。

戦闘を可能な限り避けなければならない。

「二番隊下がれ! 三番隊、フィリスどのを護衛!」

「おうっ!」

周囲の人達が入れ替わり立ち替わり動いている中。

至近に、獣の気配。

気にせず、つるはしを振るう。

わたしに躍りかかろうとしていたキメラビーストの脳天から、アングリフさんが大剣を突き刺し、串刺しにするのが見えた。

だけれど、わたしは何も言わず。

ひたすらにつるはしを振るい続ける。

大量の鮮血を浴びたが。

どうでもいい。

次第に、周囲が静かになってきた。

タイミングを見計らって、わたしは叫んだ。

「大きいの行きます! 出来るだけ下がってください!」

「よし、下がれっ!」

わたしは地面に手を突くと。

鉱物に教えて貰った地点に。

鉱物に干渉する魔術を叩き込む。

今まで岩山ごと崩していて、地盤が壊れかけていたのだ。

これが致命打になった。

全体が一気に崩れる。

まるで岩の津波のように。

獣たちを飲み込んでいく岩の奔流。

誰かが、すげえと声を上げた。

わたしは、呼吸を整えながら、見上げる。体の回復が、少しずつ消耗に追いつかなくなりつつある。

頭が痛い。

相当に集中していた様子だ。

「獣が距離を取っています!」

「よし、今のうちに岩を運べるだけはこべ!」

「大きいのはわたしが崩します!」

「おうっ!」

わっと、大勢で岩を運び始める。

わたしはその中でも、ひたすらつるはしを振るい。

大きすぎる岩を砕き。

尖っている岩を潰し。

そして、ひたすらにつるはしを振るい続けた。

夕刻。

半分ほど崩れ去った岩山は、鈍色の光を放っている。夕陽に当てられて。露出した金属が光っているのだ。

あれが具体的に何の原石かは分からないが。

今、わたしがやっているのは。

鉱脈を丸ごと取得する行為だ。

その意味を知ったからか。

獣たちは距離を取り。

戦闘行動を控え始めていた。

相手が戦略級の存在だと悟ったのだろう。そういう言葉を知らなくても、脅威として認識したと言う事だ。

キャンプに戻る。

岩はかなり回収出来た。

明日、恐らく崩しきれるはずだ。

戦士達に薬を配る。薬の在庫は大丈夫。まだ数日は戦闘を継続できる。蒸留水も、惜しまずに出す。

汚れた傷口は洗わないと病気になる。勿論消毒も必要だ。消毒液も用意はしてある。

手当を急いで済ませる。

アングリフさんが凄く手際よくトリアージをしていて。

オリヴィエさんが頷きながら、その手際を学んでいた。

わたしの薬は昔よりずっと良く効くようになってきているけれど。

これは兎に角数をこなして。

更には実際にどう作用するのを見てきたか、というのも大きい。

病気はまだ対応出来るものが少ないかも知れないけれど。

怪我だったら、大体どうにか出来る自信はある。

「この薬は、アルファ商会のものか?」

「いえ、わたしが作りました」

「……見習いにしては良い腕だ。 ギリギリで公認錬金術師になったような奴よりは、もう出来るんじゃないか」

「あの、アングリフさん。 フィリスちゃんを甘やかすのは」

お姉ちゃんに、アングリフさんが苦々しく頭を掻く。

お姉ちゃんは、こういうとき、妙に堅実だったりする。

「まあいい、フィリスよ。 手当の方は俺たちでやるから、薬を出来るだけ増やしておいてくれるか。 ネームドって言っても実力はピンキリだ。 ピンの方が来ないと良いがな」

「分かりました。 出来るだけやってみます」

アングリフさんが言うと、当然凄みがある。

外の見張りも強化して貰う。

怪我をした人は優先的に休んで貰い。

そしてわたしは薬を補充。

半分くらいは補充できたから、多分大丈夫だ。手際が良くなって、かなり一度に作れる量も増えている。

だが蒸留水の消耗が激しい。

ここ数日ちまちま増やしていたのだが。

それ以上に、予想外に消耗が激しいのだ。

綺麗な水は、消費が当然多くなる。

蒸留水は飲む事も出来るし。

傷口を洗うのにも使える。

当たり前の話だ。

だが、それ故に、もっと大量に作れないといけないかも知れない。

少し疲れ果てて、眠る事にする。

翌日が本番だ。

多分岩山は崩しきれる。

だが、それを回収するのに、更にもう一日、見なければならないかも知れない。

そして昨日だけであれだけの獣の襲撃を受けたのだ。

明日はネームドが姿を見せる可能性が高い。

そして明後日にも作業が継続するとなると。

ネームドとの接敵率は更に更に上がるだろう。

イルメリアちゃんと一緒にいた主力が大きな打撃を受けた今。

増援は期待出来ないだろう。

ソフィー先生は何をしているかよく分からないし。

多分だけれども、此処で死者を出す覚悟もしなければならない。

わたしは、寝苦しくて、寝返りをうった。

あまり、良い予感はしなかった。

 

翌日、早朝から動き出す。

交代で見張りをして貰っていた班は、案の定負傷者を出していた。あれだけの獣が日中でさえ襲ってきていたのだ。

夜になったらどうなるかはいうまでもない。

アングリフさんも夜間の見張りには加わっていたようだが。

立ち替わり入れ替わり現れる襲撃者に、流石にうんざりしていたようだった。

「オリヴィエ。 もうちっと普段から駆除をしておかないといけないんじゃないのか?」

「申し訳ありません。 その通りです」

「どうしてこんな事になっている」

「先代の公認錬金術師は、私腹を肥やすことにしか興味が無く、劣悪な薬や爆弾しか自警団に支給せず、しかも利益を独占するためにアルファ商会を閉め出そうとしたり、孤児院の子供達を奴隷売買までしようとしていました。 良いタイミングで死んでくれなければ、我々自警団も解体され、奴が手を組んでいた匪賊が街を滅茶苦茶にしていたかも知れません」

ぞくりときた。

もう死んだから言えることなのだろうが。

そこまでの鬼畜が、好き勝手をしていたのか。

それはフルスハイムの抵抗能力も落ちる。

今でこそ、あの竜巻さえ無ければ穏やかで静かな街、とも思えるのに。

レンさんは無能なんかではなく。

多分先代の残していった負の遺産を片付けるので、精一杯だったのだろう。今更ながら、それを思い知らされてしまう。

「或いは深淵の者に消されたのかもな」

「深淵の者って、あの噂の……」

「ああ。 悪徳官吏や悪徳錬金術師、悪徳商人はいつの間にか死んでいる。 それは二大国の王や指導者級でさえ例外では無いってアレだ。 俺はいろんな街を見てきたが、自分の立場を利用して好き勝手するクズは、大概長生き出来ていないな。 それこそ、何かしらの手が働いているとしか思えない程に。 ここのところは匪賊も各地で湧くだけ消されてるって話だし、そういう意味では仕事を取られて困るがな」

「……」

そうか。

誰かが、手を下しているのか。

そして錬金術師が腐敗した場合。

手に負える存在はいない。

誰かが、それこそ錬金術師に対抗できる存在が。

消さなければならないのかも知れない。

ともかく、負傷者の手当を終えた。

既に陽が上がり始めている。

昨日崩した岩山に、護衛と共に移動。

作業を開始する。

まだ獣は起きだしていない。

というか、夜行性の獣と。

日中活動する獣が。

どちらも眠っている今が好機だ。

可能な限り作業を進めて。

徹底的に岩を崩す。

集中すると。

つるはしを振るう。

鉱石のより分けなどは、フルスハイムで行えば良い。今は鉱脈を、まるごと持ち帰るつもりで作業をしていけばそれで良い。

無心につるはしを振るっている内に。

朝日が、横からわたしを照らし始める。

ほどなくそれが上からになり。

周囲が、血の臭いに満ち始めた。

戦闘が始まっている。

昨日殺した獣の死骸は相当に食い荒らされているし。

さらに、わたしや護衛、更に鉱石を運んでいる人達を狙って、ひっきりなしに獣が仕掛けて来ているのだ。

昨日と同じ。

今の時点では。

だが、ここからが問題だ。

ネームドが仕掛けてくる可能性が大きい以上。

急がなければならない。

一瞬だけ注意が途切れて。

鉱物の声から、ずれた場所につるはしを降り下ろしてしまった。

強烈な手応えと共に弾かれる。

音を聞いて、お姉ちゃんが大丈夫、と声を掛けてくるが。

歯を食いしばる。

周囲は命がけで戦っているのだ。

わたしは一度つるはしを腰に差すと、顔を叩いて気合いを入れ直した。そして、水分を補給し。圧縮した栄養を詰め込んでいるおいしくないレーションを頬張る。糖分も突っ込んでいるから、甘いけれど。とにかくおいしくない。栄養だけを考えて作った食べ物だ。

深呼吸して。

作業再開。

そろそろ崩れる。

周囲に声を掛けた。

「岩山の残りを崩します! 離れてください!」

「あれ、巻き込めないか?」

「!」

アングリフさんに言われて気付く。岩山の向こう側に、凄いのがいる。

ヤギのネームドだろう。

普通のヤギの三倍は大きい。

しかもヤギは雑食である品種がいるが。多分アレは雑食の方だ。明らかに口からよだれを垂れ流しつつ、此方をエサとして狙っている。激しい抵抗を受けて吠えているが、まともに戦えば被害がどれだけ出るか分からない。

わたしは頷くと。

声を掛けると同時に、岩山を崩すと宣言。

戦士達を、アングリフさんが叱咤した。

「よし、あのデカブツを引きつけろ! フィリス、俺が声を掛けたら崩せ!」

「分かりました!」

顔の至近を、攻撃魔術が通り過ぎる。

多分何かしらの獣が放ったものだろう。

逆に、すぐ近くを、反撃の矢が飛んでいく。

多分お姉ちゃんが放った矢だ。

目を閉じて集中。

凄まじい雄叫びが聞こえる。ヤギが突貫してきているのだろう。

それを、戦士達が盾を揃えて、押し返している。

がつんと、強烈な音。

弾きあったのだと思う。

アングリフさんが叫んだ。今だ、と。

わたしは目を見開くと。

鉱物が教えてくれている一点に、つるはしを降り下ろした。

もはや半壊している岩山に。

それはとどめの一撃となった。

激しい音と共に崩れ去る岩山。

わたしが顔を上げると。

丁度、ヤギがもろに巻き込まれ。

土砂と、他の獣もろとも。

凄まじい勢いで、崩れ去る岩山に消えていくのが見えた。

絶叫が、断末魔だと気付かされるのに。

少し時間が掛かった。

呼吸を整える。

今更気がつく。

体中に、べったりと返り血を浴びていた。

ネームドの死体は、回収した方が良いだろう。幸い、獣も離れている。今の光景で、流石に恐怖を感じたのかも知れない。

恐怖は、使いようによっては。こういう風に、多くの命を巻き込みつつも。敵を威圧し、無駄な犠牲を減らせるのか。

今更、わたしは。

そんな事を思い知らされていた。

「今のうちだ! 少しでも多く岩を運び出せ!」

「急げ! そう時間を敵は与えてくれないぞ!」

オリヴィエさんが叱咤し、荷車を何往復もさせる。

わたしは目立つ岩を砕いて周り。

呆然と獣は、距離を取ってそれを見ている。

今はむしろ刺激しない方が良いだろう。下手に刺激すると、破れかぶれになって襲いかかってくるかも知れない。

けが人の手当も並行して行う。

今の土砂に巻き込まれ、埋まったヤギが出てきた。出来るだけ丸ごと回収したい。アングリフさんはそれを聞くと、一人でヤギの巨体を担いで、キャンプまで運んでいった。後は、アングリフさんが捌いてくれるだろう。深核については、回収さえ出来ればそれで充分だ。

岩山は完全に崩壊したが。

鉱脈はまだその地下にまで続いている。

とにかく、急いで岩を運び出して貰う。

敵が追撃を仕掛けてくる事を想定すると、もたついてもいられない。わたしも、走り回って、大きめの岩は徹底的に砕いて回った。それで少しは、作業もやりやすくなるはずだ。

夕方で、作業終了の声が掛かる。

今日は、ネームドを土砂崩れに巻き込んで撃退するという、非常に効率の良い戦い方が出来た。

だが、それも今日までだ。

言われなくても分かっている。

明日以降は、同じ手は通じないと見て良いし。

何より、これだけ派手に戦ったのだ。

他のネームドも接近してきている可能性が高い。

けが人の手当はアングリフさんに任せて。

わたしはお姉ちゃんと一緒に、オリヴィエさんと地図を囲む。

オリヴィエさんは、地図の×印の一つを、横線で消した。

「あのヤギは、此処に住み着いていた暴食のバッカスだ。 雑食の凶暴な山羊で、隊商を襲っては子供ばかり執拗に狙って食い殺すことで知られていた。 今までに十人以上が殺されている」

「……」

「仇を討ってくれて有難う。 ネームドは獣の範疇を超えている生物だ。 存在していてはいけない者だ」

オリヴィエさんはそういうが。

だが、生き物である事に変わりは無いはずだ。

普通の獣にしても。

食べるものもないだろうに、どうしてあんな数が存在しているのか、訳が分からない。

そして、コンテナを確認。

一箇所に乱雑に鉱石が積み上げてあるが。

コンテナはどうなっているのか、容量はまだまだ全然余裕だ。つまりこのコンテナは、それほど大きくないとは言え、岩山まるごと一つを飲み込んでもまだ余裕がある、という事である。その驚くべき能力を、今更思い知った気がする。

「後岩山はどれくらい残っていますか」

「そうだな、三分の……四分の一強という所か」

「実は、岩山の地下にも、鉱脈が拡がっています」

「そうか。 しかし、掘り出す余裕はあるまい……」

悔しそうにオリヴィエさんは言う。

わたしもそれは同感だが。

しかしながらこれは、今後のためにも回収するべきでは無いか、と思うのだ。

もう一度地図を確認する。

周辺で仕掛けて来そうなネームドについて確認。

機動力が高そうなネームドは、メモをしておく。

ネームドと言っても色々な筈で。

必ずしも、縄張りから出張して、わざわざ襲いに来る奴ばかりとは限らないと思いたい。それが楽観論だと分かっていても。

オリヴィエさんは言う。

「此処にいる大蛇、日輪のアムラと、ここにいる巨大牛、怒濤のガムランが危険だな」

「詳しくお願いします」

「どちらも、バッカスの縄張りと接していた。 つまり縄張りを拡大する過程で、此処まで来る可能性がある」

「上手くつぶし合ってくれないでしょうか……」

オリヴィエさんは首を横に振る。

お姉ちゃんが咳払いして、補則してくれた。

「フィリスちゃん、ネームド同士が、縄張り争いを人間を殺すことに優先させることはまずないといわれているの。 ネームドは例外なく、人間に対して非常に高い殺意を抱いているものなのよ」

「どうして……」

「分からない。 そういうものだとしか言えないわ」

「ともかく、明日は下手をすると二体のネームドが来る可能性がある。 私としては、もう一旦撤退するべきだと思う。 鉱物は逃げないのだし、またくればいい」

わたしは本心ではオリヴィエさんに賛同したいが。

残念だが駄目だ。

そもそも、装甲船にどれだけの鉱石が必要になってくるか分からない。あの竜巻は、普通の竜巻じゃあないのだ。

ドラゴンが引き起こしていると言う事は、当然強力な魔力を有していると言うことで。

あらゆる武装を施さなければならないだろうし。

それにはどれだけ鉱石があっても足りない。

被害を拡大しないためにも。

引き上げる事が上策だと言う事は分かる。

だが、ドラゴンがいつ気まぐれで竜巻をフルスハイムに叩き付けてくるか分からないし。

それどころか、下手をするともっと恐ろしい災害が起きるかも知れない。

あんな竜巻を引き起こすドラゴンだ。

ドラゴン自身が攻めこんできたら。

ソフィー先生が迎え撃ったとしても。

フルスハイムに、どんな被害が出るか、分かったものじゃない。

それを丁寧に説明すると。

オリヴィエさんは、悔しそうに俯き。

そしてわたしも苦しんでいるのを察したか。

頷いてくれた。

薬も食糧も惜しみなく放出しているが。

蒸留水がかなり減ってきている。

もしこのまま作業を続けたら、あと長くはもたない。

いずれにしても、勝負は明日だ。

鉱脈はまだある。

だが消耗を考慮すると。

これ以上は無理だ。

明日、ネームドが現れる前に可能な限りの鉱石を回収後。この地を撤収する。岩山だった分を回収しきれれば御の字の筈だ。

アングリフさんにもそれを告げる。

アングリフさんは少しだけ考え込んだが。

頷いてくれた。

「そうだな、妥当なところだろう」

「あと一日だけ、お願いします」

「報酬はフルスハイムの長老に請求するが……しかしお前さん自身は大丈夫か?」

「なんとか……します」

そして翌日。

大雨になった。

ある意味これはついているかも知れない。たしか蛇は寒いと動きが鈍くなるはず。だが働いている人達が消耗するのも同じだ。

わたし自身も、あまり長く体力がもちそうにない。

そして、獣も。

この大雨に辟易したか、あまり仕掛けては来なかった。

周囲に散らばっている岩を荷車で運び終えると。

後は無言でキャンプを畳み。

今まで通った経路を逆に辿り、フルスハイムまで戻る。帰路にも相応の数の獣はいたが、もう満腹している様子で(理由は想像しなくても分かるが)、なおかつ此方の戦力を見て戦うリスクを避けたのだろう。

すぐに此方から離れ。

雨の中に消えていった。

硬化剤で固めた橋は無事だったが。

川の方は凄まじい有様だ。

ごうごうと音を立てて流れている。

これは落ちたら助かるまい。

急いで、橋を渡るように指示。

とにかく、フルスハイムまでに、体力が尽きなければいい。

わたしも雨の中、皆と一緒に走る。

声を掛け合い、脱落者を出さないように必死になりながら。

ただわたしは。

フルスハイムを目指し、走り続けた。

 

4、スタートライン

 

フルスハイムの城壁に逃げ込むと。力を使い果たして、へたり込んでしまった。お姉ちゃんも、流石に今回ばかりは無口だ。獣にいつ追撃を受けてもおかしくなかったし。更に言えばそれがネームドであってもおかしくなかったのだ。

幸い二体のネームドと総力戦をする事態だけは避けられたが。

それも、いずれ機会を見て退治しに行かなければならないだろう。あのヤギにしても、十人以上を殺している、と言う話だったのだから。

ともかく、作戦の目標は達成出来た。

其処で一旦解散とする。

次は人手を集めて、鉱石を整理し。

インゴットに鋳造していかなければならない。

一度アトリエを開き。

体を洗って、ゆっくり休む事にする。一日だけ休養したら、ここからが本番だ。竜巻を突破する船を作れなければ。

何もかもが無駄なのだから。

ひどい疲労もあって。

すぐに寝付いてしまったが。

一方で翌日は体も重く。

お姉ちゃんが作ってくれた食事も、味がしなかった。

わたしはずっと岩を砕くのに集中していたが。

その間、カルドさんもレヴィさんも、ドロッセルさんも。

ずっと戦い続けていた訳で。

わたしが休んでいるわけにもいかない。

手さえ重いと感じる中(勿論回復を常時行う錬金術装備を身につけているのに)。わたしは書状をしたため。カルドさんに渡す。

「カルドさん、お姉ちゃんと一緒にレンさんに届けてください。 今日はちょっと、わたしは回収してきた在庫の整理をします」

「分かった。 行ってこよう。 しかし、僕一人だけで大丈夫なのだが」

「いえ、レンさんと話できますか?」

「……それもそうだね。 すまない、気を遣わせた」

手紙を受け取ると。

お姉ちゃんと微妙に距離を取りながら、カルドさんがアトリエを出る。

お使いを頼んでしまって申し訳がないのだけれど。

コンテナは急いで積み込んだこともあって、中身がぐしゃぐしゃだ。ちょっと整理しなければならないし。

更に言えば、蒸留水も補給がいる。

レヴィさんとドロッセルさんと一緒に入るが、ふいに小さな力を感じて振り向く。

ツヴァイちゃんだ。

寝間着のままだけれど、少し眠そうに、わたしを見上げている。

「私が連れて行こうか?」

「ちょっとまってドロッセルさん。 ツヴァイちゃん、どうしたの? 何か、怖い事でもあった?」

「……数字」

「!」

ずっと喋れずにいたのに。

ツヴァイちゃんが、わたしを見上げながら、少しずつ。

一生懸命。

喋ろうとしている。

「数字……あつか……えます。 私、役に……立ちたい、です」

声は途切れるように小さく。

か細かったけれど。

必死に喋ろうとしているのが分かった。

そして、アングリフさんに言われた事を思い出す。

役に立てないことが、一番悲しいと。

わたしは、涙が流れるのを止められなかった。

ツヴァイちゃんを抱きしめる。

小さくて弱々しい。わたしから見ても、小さくて、折れそうな細い体だ。

こんな子を。

匪賊は食用にするために、とっておいて。

目の前で、両親を生きたまま切り刻んで食べたのか。

涙が止まらない。

「ありがとう! 少しずつで良いから、手伝ってくれれば、それでいいから……」

「役に……立ちますから……捨てないでください……」

「絶対捨てない!」

「ありがとう……ございます……」

仕事を始めなきゃ。

分かっているのに。

わたしはその場で、ずっと泣いていた。

 

レンのアトリエに出向くと。

話しあっている声が聞こえた。

リアーネはしっとカルドに言うと。

耳をすませる。

身を隠したのは。あの怪物。錬金術師、ソフィー=ノイエンミュラーの声だったからだ。

フィリスちゃんは気付いていないが、あの怪物は、ネームドなんてそれこそ問題にもしない気配と、匪賊なんて問題にもならない血の臭いを全身から放っている。

邪神が見ても、恐怖に退くのではあるまいか。

本当に人間なのか疑わしい。

生唾を飲み込むが。

次の瞬間、反射的に飛び退いていた。

カルドもあわてて銃に手を伸ばす。

その場に。

絶対にいなかった筈の彼奴が。ティアナが、満面の笑みで立っていたからである。

「立ち聞き−? でもばれてるよ」

「前にソフィーとの関係をほのめかしていたわね。 やはり貴方、彼奴とつながっているのね」

「恩知らず」

「な……」

やはり、移動したのをまったく察知できなかった。

いつのまにか至近にいたティアナは、笑みを浮かべたまま、言う。

「今も現在進行形でエルトナが良くなっているのは、誰が手を回したおかげだと思っているの? もうみんなお日様の光を浴びて生活出来て、外の獣の脅威からも守られているんだよ?」

「それは……」

「後、ソフィーさん悪く言うと、殺すよ? フィリスちゃんは可愛いから殺さないけど、あの小さなホムには死んで貰うからね?」

笑顔のままだったのに。

体の芯が凍り付くかと思った。

そしていつの間にか。

ティアナは消えていた。

「面妖な……物の怪ですかあの娘は」

「そんな可愛いものだったらどれだけ良かったか」

「……」

カルドも震えていた。

分かったのだろう。

どんな超絶的な実力差があったのか。

はっきりいって、この間の鉱物回収班。全員がかりでも、ティアナ一人に勝てるとはとても思わない。アングリフがいても関係無いだろう。

リアーネは唇を噛む。

どうやら此処にいても仕方が無い。

レンのアトリエに行く。

アトリエでは、どうやら動力炉の設計について話をしているようだった。

カルドが書状を手渡すのは難しそうなので、リアーネが書状そのものを手渡す。カルドはレンからも距離を取りながら一応話は出来ていたが。言われた事については、しっかり把握できているようだった。

用事は済んだし、アトリエを後にする。

ふと、気付いて、ぞくりとした。

ソフィーはもうレンとの話に戻っているのに。此方を見ている。

いや、意識だけ向けられている、と言うべきか。

それだけで、まるで蛇に睨まれたカエル同然の寒気が全身を襲った。

それも一瞬だけだったが。

一体自分はどんな化け物を相手にしているのか。

本当にフィリスちゃんを守りきれるのか。

リアーネは己の無力に怒りを感じつつ。

カルドを促して、フィリスちゃんの所に戻る事にした。

 

(続)