衝突する過去と未来
序、危険地帯開拓
いよいよ来る所まで来た。
緑化作業が順調に進んだ結果、見えてきたのだ。近隣でも屈指の危険地帯である遺跡が。
邪神に滅ぼされた街。
それも、当時のラスティンが総力を挙げて倒さなければならなかったほどの凶悪な。
そして今はネームドに制圧された人外の魔境。
わたしは生唾を飲み込むと。
後方で緑化作業をしているのを横目に。地図を拡げるバッデンさんと。お姉ちゃんと。それに腕組みして様子を見ているドロッセルさんと。荒野の上でテーブルを囲んでいた。レヴィさんは巡回してくれている。
「やはり遺跡をわずかにかするようにして緑化していくしかない。 その過程で、かなりの数の岩を砕く事になる」
「それはわたしがやります」
「うむ。 砕くのは問題ないが、その先が厄介でな」
遺跡は元々、西の岩山を背中にするようにして発展していた街の残骸。
現時点では、岩山を管理する者もおらず。
城壁だった場所は消し飛んでしまっていて。
緑化作業を行うにしても、かなり狭い道しか作れないという。
あまり広い森を作れないとなると。
それがどれだけ安全なのかは、正直な所わたしにもよく分からない。
「遺跡を少し壊して、其処も緑化する事は出来ないですか?」
「実はそれを俺も考えていた。 だが、問題は遺跡を壊す事に長老が許可を出すか、と言う事でな」
「何か問題があるんですか」
「遺跡の地下には巨大な空間が拡がっている。 へたに壊すと、大穴が空く」
そういう事か。
ちょっと背筋が凍る。
大規模な崩落事故とか起きたら、確かに洒落にならない。
だったら、いっそのこと。
手は別に打てないだろうか。
「鉱物の声なら聞こえます。 地下に空間があるかは分かります」
「そうか、そうだったな」
「それを利用して、崩しても大丈夫な場所を特定してしまうのはどうでしょうか」
「悪くないが、問題があるな。 長老がネームドの掃除をしてくれているが、獣はたくさんいるという事だ」
確かにその通りだ。
それに、だ。
巨大な地下空間が拡がっているとしたら。
それは未知の技術で作られている可能性もある。
それだけ発展していた街だったのだとしたら。
錬金術師の凄いアトリエとかがあったのかも知れない。
それを台無しにしてしまう可能性もある。
少し考えなければならないだろう。
いずれにしても、緑化作業はいよいよ抜き差しならぬ所まで来てしまった。此処からは、人夫を守りつつ、岩を砕いて、道を切り開いていかなければならない。
遺跡の内部はそもそも危険すぎて踏み込めない。
傭兵をつけた特使が、あれほどの手傷を負ってキャンプに来た位なのである。
ましてや人夫を踏み込ませるなんて、絶対にあってはならない事だ。
兎に角オレリーさんが来てから遺跡について調べるとして。
緑化できる場所と、そうではない場所も、しっかり見分けておかなければならないだろう。
バッデンさんに案内され。わたしは巡回から戻ってきたレヴィさんとお姉ちゃん、ドロッセルさんと、後二人の戦士と一緒に、これから道を作る場所の下見に行き、ついでに転がっている邪魔な岩を処理する。
小さめなものはつるはしで砕いてしまうし。
大きいのもやはりつるはしで砕く。
城壁と岩山の間の地面は完全にカチカチで。
この辺り、本当に利用されていなかったのだな、というのが一目で分かる。
というか、なんか変色している。
或いはゴミでも捨てていたのかも知れない。
だとすると、緑化作業は、手間取ることになるかも知れなかった。
鉱物の声を聞く。
やはり、地面には力が無い様子だ。
何だか汚染されていると思った方が良さそうである。
一方で、良い情報もある。
岩山の方から、ちろちろと水が流れてきている。
とても小さな川だが。
水源として利用できるはずだ。
或いはフルスハイム東にある大きな湖の水源の一つかも知れない。この程度の小さな川なら、水源に流れ込まなくても大丈夫だろう。しかも見たところ、流れてきた水はこの辺りで止まってしまっている。
水たまりから流れて、多分遺跡の中に流れ込んでいるのだろうが。
それは要するに、遺跡の方にしみこんでいるのでなければ。
穴が開いていて。
そのまま、遺跡の地下に水が入り込んでいる、と言う事だ。
だが、それなら遺跡が水没していないのは何故だろう。
地下には強力なネームドがたくさん「いた」という事だし。
水はどうしているのだろうか。
鉱物の声は聞こえるわたしだけれど。
水は分からない。
いずれにしても、この水は水路にして加工すると、バッデンさんが地図に水源を書き足した。水が溜まっている地域も、である。これに関しては、わたしが鉱物に聞ける。地盤が緩んでいる可能性があるから、注意もしなければならない。この辺りの話をすると、便利な能力だと褒めてくれる。だけれど、凄い錬金術師になると、あらかたの存在の声が聞こえる人もいるらしいとも言われた。
そんな錬金術師は、一体どんな実力なのだろう。
獣に気を付けながら、更に北に。
そうすると、ようやく小規模な森が見えてくる。
これがフルスハイムの辺縁らしい。
少し岩山を登って、周囲を確認して。驚かされた。
こんな大きな街が存在するのか。
兎に角広い。
広すぎる。
城壁に囲まれていて。その内側は、湖と街が半ば一体化している。
ドナと同じように水路が街の中を入り組んでいるのだけれど。規模が三倍以上はありそうだ。
ただ、湖の方には。
おぞましい巨大な黒雲が出ていて。
凄まじい速度で回転している。
あれは竜巻というものだと言う以外何だか良く分からないが、危ない事だけは理解出来る。
驚くほど大きな湖で。
あの竜巻がなかったら、ひょっとしたら向こう側が見えないかも知れない。
地平線というものは、外に出てから見ることが出来た。
バッデンさんの話によると、水平線というものもあるらしい。
お姉ちゃんもそれは見た事がないらしいので。
もしも竜巻がなければ、姉妹揃って初めて水平線が見られたと思うと、少しばかり悔しい。
フルスハイムの側にまで行くと、検問が張られていた。
バッデンさんが挨拶をして、向こう側の少し偉そうな人が出てくる。
どうやらバッデンさんは、ドナの顔役として知られている様子で。老齢のヒト族の、重厚そうな戦士が出てきた。髭も真っ白でかなりの老齢に見えるが、重そうな鎧を苦も無く着こなしている。
軽く話をしていたが。
いずれにしても、向こうでも安全経路の確保については、歓迎するという内容の言葉が聞き取れた。
ただ、緑化については、驚いていたが。
「ドナの長老が凄腕と言う事は我等も聞いていたが、あの遺跡の側に安全経路を、緑化によって作るというのは驚きだ。 遺跡に住まうネームドもあらかた駆除したというのも本当なのか」
「ああ。 長老はまだ戦士として現役だ」
「齢70を越えて現役とは羨ましい。 儂はもう昔のようには動けんよ」
「そう言われるな。 貴方はまだ現役では無いか」
敬礼をした後。
バッデンさんが戻ってくる。
そして、簡単に言われた。
「これでフルスハイム側でもある程度の支援を出してくれるはずだ。 一旦キャンプに戻ろう、フィリスどの」
「はい。 それにしてもこんな大きな街が、どうしてこんな危険な遺跡をずっと放置していたんですか?」
「……地下にいる強力なネームドを刺激したくなかったんだろう。 だが、この間その強力なネームドがあらかた蹴散らされたからな。 状況が変わった、という奴だ」
そのまま、来た道を戻る。
キャンプに到着する頃には真っ暗だったが、危険はそれほど感じなかった。途中で獣に襲撃されることもなかった。
ただ。先にオレリーさんが待っていたが。
「話は聞いているよ。 調査の結果は」
「すぐに説明します」
アトリエに入ると、バッデンさんが地図を拡げる。
水源について話すと、オレリーさんは腕組みして、少し考え込んだ。
「私も地下には入った事があるが、水が溜まっているような場所は見ていないね。 遺跡の地下には流れ込んでいない、と見て良いだろう」
「だとすると、水は何処へ行っているのでしょう」
「フィリス、あんたは「聞こえる」んだろう? どうなんだい」
「いえ、鉱物の声しか聞こえないので……地面の下にしみこんでいる、くらいしか分かりません」
ふうと、オレリーさんが嘆息する。
そういえば、この人はものの声を聞けるのだろうか。
いや、聞くのは止めておこう。
失礼に当たるかも知れないし。
この才能は、最高ランクの錬金術師でも持っていない事があるとかいう話も聞くからだ。
「途中の邪魔な岩が片付いているのは此方でも帰り際に確認したよ。 問題は途中の汚染された土だね」
「はい。 あの汚染土は取り除くか、或いは……」
「それもあるが、面倒なのが来ていてね」
オレリーさんが顎をしゃくると。
若者と言うには無理があり、壮年と言うには若いヒト族の男性が来る。
眼鏡を掛けていて、線が細い雰囲気だが。
相応に荒事は出来そうだ。
腰には銃をぶら下げている。
破壊力の小ささ、それに機構の複雑さから、機械を扱える大きめの街でしか手に入らないらしいのだけれど。
持っていると言う事は、フルスハイムで買ったのだろうか。
そういえばあまり見に行ってはいなかったけれど。
ドナにもひょっとするとあるかも知れない。
「各地を旅して回っている学者先生だそうだ。 ただし少しばかり面倒でね」
「ラスティンから公式に派遣されてきた標の民の学者、カルドです。 よろしく」
標の民、というのはよく分からないが。
ラスティンの公式派遣の学者となると、色々と面倒だ。
ライゼンベルグから此処までわざわざ足を運んでいると言う事にもなる。
無碍には出来ないだろう。
「この学者先生が、遺跡を調べたいんだそうだ。 ネームドはとりあえず一通り潰してきたが、護衛を頼むよ」
「ええ……」
「私は遺跡や荒野の方を精鋭と巡回して、獣が緑化作業している所を邪魔しないようにする作業があるからね。 フィリス、あんたが緑化作業をしながら、この学者先生を案内しな」
「……」
絶句。
ただでさえトラブルだらけなのに、こんな事まで押しつけられるのか。
でも、オレリーさんが周辺を護衛してくれるなら、かなり緑化作業の安全は確保できると見て良いだろう。
カルドさんは丁寧に皆に挨拶していくが。
お姉ちゃんとドロッセルさんには、どうしてか真っ青になって一言だけ挨拶した。
よく分からない。
そういえば、ウィッテさんにも距離をとっている。
何だろう。
「今日はここまでだよ。 それでは解散」
オレリーさんが、アトリエを出て行く。
野宿なんて苦にもならないのだろう。
そのまま、戦士達もキャンプに散る。
わたしはカルドさんに色々話を聞きたかったが、何だかものすごく気むずかしそうなので、声を掛けられなかった。
とにかく、これから必要になるのは。
栄養剤。
肥料。
それもたっぷりだ。
地面を耕すのも重労働になる。
人夫達には、主に土砂の運び出しを担当して貰う事になるだろう。自動で動く荷車を使うから、それほど体力は使わないはずだが。問題は人夫達を狙う獣。周囲をオレリーさんと精鋭が巡回してくれると言っても限界がある。
アードラなどの奇襲には、注意しなければならない。
少し考えた後。
お姉ちゃんに声を掛ける。
「リア姉、多分此処から、結構忙しくなると思うの」
「それはそうでしょうね。 何人かいる魔族の戦士には空中からの監視をお願いするつもりだし、私は出来るだけ前線近くに立てた見張り櫓で周囲を監視するつもりだけれど」
「あの、それでなんだけれど……あの学者さん、多分わたしについてくると思う。 わたしが最前線で鉱物の声を聞いて、遺跡の邪魔な部分も取っ払うと思うから。 そうしたら、あの人、何か怖いかもしれない」
見る間にお姉ちゃんの顔色が変わる。
お姉ちゃんはわたしに危険が迫ると怒気を隠さないけれど。
その時の顔だ。
「そういえば、あの学者、何かしらね。 私を妙に避けていたけれど」
「ドロッセルさんやウィッテさんも避けていたみたいだよ?」
「……ふうん。 予定変更ね。 私がフィリスちゃんを側で見張るわ」
「ええっ!?」
ネゴをお願いしようと思ったのだけれど。
まさかそう来るか。
それはそれで困る。
でも、お姉ちゃんはそう言い出すと多分もう何も聞かない。此処は諦めるしかないだろう。
ともあれ、今日は休む。
彼方此方歩き回ったけれど、疲れはそれほど溜まっていない。
眠ろうと思えば眠れる。
明日は、朝一から調合をして。
それから。
そう思う内に、もう眠りこけていた。
手をかざしてフィリスのいるキャンプを見張っていたティアナは、後ろから声を掛けられて振り返る。
年齢としては常識外の使い手あるこの子も、あたしの接近にはまだ気づけないか。
「ソフィーさん、どうしたの?」
「ティアナちゃん、これから任務を与えるよ」
「わ、何ですか!? 匪賊狩り?」
「そうだよ」
やったあと、跳び上がって喜ぶティアナ。
本当に目を輝かせている。
コレクションは増える。
復讐は出来る。
更にあたしに褒めて貰えるで。
ティアナにとっては、匪賊狩りは楽しい遊びと同じなのだ。
色々な意味で心が壊れているこの子は。世界の深淵を覗き込んでしまったあたしと同類なのかも知れない。
「今回の任務は、フルスハイムに入り込んでいる匪賊の駆除。 フルスハイムで少しばかり動く予定ができたからね。 邪魔をされると面倒だし」
「わ、街の中での暗殺任務ですか!? 楽しそう!」
「うん、期待しているからね」
似顔絵を渡す。
ターゲットは十五名。ちなみに此奴らの仲間の頭を直接調べて似顔絵は作った。拷問なんて非効率的な手段は採らない。嘘をつくかも知れないし、詳細な顔とかは分からないからだ。相手の脳を直接覗くのが効率的である。
一晩で皆殺しは難しいかも知れないが。
まあこの子なら、フィリスがドナからフルスハイムへの直通路を完成させるまでには、任務を完遂するだろう。
「フィリスちゃんの見張りはどうしますか?」
「ああ、それはあの子に任せるから」
「ぶー」
「そんな顔しないの。 ほら、匪賊狩りを終えたら、またフィリスちゃんの見張りをして良いからね」
そう言うと、またパッと明るい顔になる。
分かり易い子である。
敬礼すると、残像を作って消える。まあ今晩中に三人か四人は駆除するだろう。あの子は兎に角鼻が利くのだ。
匪賊は例外なく人間を喰う。
その臭いが分かるらしい。
人間を食った事がある人間には、独特の臭いがつくらしく。
それで判別できるらしい。
その辺りは、ひょっとすると。
錬金術師の才能ににているのかも知れない。
声の正体を知っている今でも。
あたしはそれを貴重なものだと思っていた。
空間が歪み。
プラフタが、重装鎧で顔まで隠している護衛を連れて現れる。例の交代要員。ティアナのバディをしているアダレットの現役騎士。しかも幹部候補である。
「ソフィー。 例の緑化計画の監視ですか?」
「うん。 フィリスちゃんは良くやっているよ。 オレリーさんももうネームドを駆除し終えたみたいだね。 あの人に揉んで貰えば伸びると思ったけれど、案の定かなり腕を上げているみたい」
「また時間を止めて近くで見てきたのですか」
「そうだよ」
プラフタは悲しそうにあたしを見る。
手段を選ばないあたしを。
プラフタは哀しみの目で時々見る。
以前喧嘩別れした、そして仲直りに500年を費やしたルアードを思い出してしまうからだろうか。
「さ、じゃあ行こうか、フルスハイムに」
「ソフィー、貴方は……」
「なあに」
「何でもありません」
プラフタは、それ以上何も言わなかった。
そして、その場には、無言の鎧姿の騎士だけが残った。
1、いにしえの負債を崩せ
翌朝も日の出と同時に作業を開始する。
人夫は定期的に入れ替えているようで。どちらかというと、力仕事が出来ない人が回されてくる様子だった。
多分若い人や働き盛りの人は。
ドナの方で、主要産業を支えているのだろう。
豊かな街であるドナだけれども。
それでも、誰もが何もせず食べていけるわけではない。だから老人や子供の貧困層が、人夫として赴いてくる。
幸い様々な補助装備のおかげで、労働による負担は大きくは無い様子だけれど。
わたしも錬金術の才能がなかったら。
こういう仕事をしていたか。
もう結婚して子供を産んでいたのだ。
この世界は平等では無いし。
豊かでも無い。
働いている人達には、せめてわたしの目が届く範囲内では。不平等では無く、生きていけるようになってほしい。
それがわたしの願いだ。
まず、危険地帯に踏み込む前に、岩の除去を始める。わたしが昨日めぼしい岩は砕いておいたけれど、それでもまだ邪魔なのがある。それを更に細かく砕き、ドロッセルさんや力自慢の戦士が荷車に乗せ。人夫が荷車に指示を出して捨てに行く。今後緑化の予定が無い地点に捨ててしまうのだ。
岩を砕く段階で、貴重な鉱石が出る事もある。
それについてはわたしが貰って良いことになっているので、貰っておく。
また捨てるといっても、いずれ荒野を全部緑化するのだし。最終的には徹底的に砕きたい所だ。
荒野に転がっているのが岩だと言っても。
あまり無為にうち捨てるのは良い気分がしない。
鉱物は何というか、とてもドライだ。
声を聞く限り。
売られようが、捨てられようが、まったく気にしない。
考えて見れば、わたしが踏んでも何も文句を言わないし。
わたしが砕いても痛いとも言わない。
むしろどうすれば砕けるかを丁寧に教えてくれる。
この声を聞く限り。
わたしからは、鉱物達はとても優しくて、人間よりもずっと心も出来ているようにしか思えない。
だから、せめて。
使える分は、丁寧に使わないといけない。
学者先生はわたしの技を見て驚いていたが。相変わらずどうしてかお姉ちゃんがくると、露骨に距離をとる。
お姉ちゃんはどうしてか、わたしとカルドさんの間に入りたがるが。
カルドさんは雰囲気的にも落ち着いているので。
理由はよく分からない。
ただ、何となく法則性が分かってきた。
大人でも、男性や魔族、獣人族やホムとは普通に話せている。
大人のヒト族、それも女性から距離をとっている。
何だろう。
そういえば、少し前に。
レヴィさんに露骨に乳臭い子供扱いされて、むっとした事があったが。
考えて見ればわたしはちんちくりんのひょろっひょろ。
そう言われても仕方が無い。
もしかして、お姉ちゃんは。
カルドさんが子供しか好きじゃない人じゃないかと、心配しているのだろうか。
でも、その手の人は、ホムに対しても執着を示すと聞いている。
ホムは男性女性関係無く、大人になってもヒト族の子供によく似た容姿をしている。
しかも人間と交配不可能なので。
昔は色々と良くない歴史があったという話も聞くし。
何より匪賊には真っ先に狙われるとも聞く。
肉が美味しいし軟らかい、というのが理由だそうだ。
カルドさんはホムに執着している様子も無いし。
わたしと話すときも別に嬉しそうにはしていない。
だから杞憂では無いのかな、と思うのだけれど。
まあでも、人の本心が常に表に出ている訳では無いし。
ロクな人数と接していないわたしでは。
分からない事も多いか。
邪魔な岩の処理完了。
上空を旋回している魔族の戦士が、警戒のサインを出してくる。
一斉に皆が構える中。向こうで爆発音。
断末魔が聞こえ。
そして、魔族の戦士が、問題なしとサインを送り直してきた。
オレリーさんだろう。
一瞬だ。
凄いと言うほか無いが。
一方で、どうやって戦ったのかは、興味があった。
後方を耕し、緑化作業をして貰いながら。
わたしは既に充分な量用意している栄養剤と肥料の在庫についてチェック。此処までの地盤はかなり固く。
掘り崩し、耕すのに兎に角時間が掛かった。
屈強な戦士達には頑強な農具が渡されているのだが。
それでも、この乾ききった、死んだ大地に空気を入れ直すのは大変だったのだ。
栄養も全く無い死んだ土地。
だが、何となく分かってきている。
エルトナの周辺もそうだったが。
この世界では。
死こそがむしろ当たり前。
獣は何故生きていられるのかがよく分からない。
「カルドさん、と呼んでも良いですか?」
「かまわないが」
「カルドさんは、この死んでしまった街の、何を調べているんですか?」
「僕は標の民と呼ばれる一族でね。 ラスティンと契約して各地を調べているが、元々各地を調べて、失われてしまった技術や文化を、可能な限りサルベージする仕事をしているんだ」
なるほど。
でも、話に聞いたのだが。
あからさまに危険度が高すぎる場所に、平然と踏み込んでいたと聞いている。
そう聞くと。
カルドさんは、腕組みして考え込み。
そして答えてくれる。
「僕はこれでも新米でね。 何しろ姉が辣腕だったもので、僕はその補助ばっかりしていたんだ」
「お姉さんがいるんですか? わたしと同じですね」
「……ああ、そうだね」
意外にしゃべり方は柔らかいし、わたしと話すときもきちんと目を見てくれる。
ただ、お姉さんという単語が出てきた時。
恐ろしいものを語るような口調だったのがちょっと気になったが。
遺跡の一部を崩し始めるのだが。
まったをカルドさんが掛ける。
そして、崩される前に、石畳や、崩壊した家を調べ始め。中にある崩れた彫刻や石材などをメモし、或いは運び出していった。
「すまない、少し此処を避けて作業をして貰えないだろうか。 貴重な文化資材などは此方で回収する」
「別にかまわないが、回収するって何処に」
「昔は一族総出で運び出していたのだが、最近ある錬金術師にこういうものを作ってもらってね」
カルドさんが取り出したのは、袋のようなものだ。というのも、何かを入れるように作っているとは思えないほど口が広い。
それにものを突っ込むと。
次々に入っていく。
魔術の一種だろうか。
いや、錬金術師に作ってもらったと聞いている。
それならば違うのだろう。
「これで標の民の本拠に文化資材などを送ってしまう。 最悪の場合は、僕自身が入る事で、難敵からも逃れられる」
「これはまた便利だな」
「ただ一方通行だから、いざという時にしか使えない」
「ああ、それで遺跡を一人で彷徨いていたのか。 納得したよ」
バッデンさんがからからと笑う。
カルドさんはわたしからみても、お姉ちゃんやレヴィさんと実力的にそれほど離れているようには見えない。
銃弾一発で死ぬようなヤワな人間なんてあんまりこの世にはいないし。
鍛えた戦士になると、銃弾程度表皮ではじき返すという話も聞いている。
だから銃使いは少ない。
お姉ちゃんに聞いた話だ。
錬金術で作った弾丸などになると話は別らしいのだが。
この人は、或いはその、錬金術で作った弾丸を使っているのかも知れなかった。
いそいそと作業を進めるカルドさんを横目に、わたしも動く。カルドさんは貪欲に石畳から何から、袋に突っ込んでいた。
やがて、問題ないと手を振って来たので。
廃屋を崩し。
城壁の名残も壊してしまう。
この辺りの石材には使えそうな部分も多い。
使えそうな石材に関しては、相談した後、ドロッセルさん達力自慢に頼んで、キャンプの方に運んで貰う。
その内この辺りに休憩所などを作る時に使えるだろう。
加工してある石材は、相応に貴重だし。
此処のは劣化してしまっているとは言え、錬金術で強化されている節もある。
獣の襲撃くらいなら。防ぐ事も出来るはずだ。
邪魔な遺跡の一部を崩しながら。
今までの半分以下のペースで、緑化作業を進めていく。
もう少し行くと、土が汚染されている地点に出る。
それについても、対策は既に話し合い済みだ。
日が暮れてきたので。
一度キャンプに戻る。
既に四ヶ所にキャンプは増えていて。
その度に増員が掛かっている。
ドナの街はかなりの人員を有する大都市だが。
既に戦士だけで四十五人、人夫も二十人ほどが此処で作業をしていた。しかも交代制で、である。
最前線に出てきている戦士は十五人いる事を考えると。
巡回と、軌道に乗った地点の緑化でも、かなりの人員が動いている。
時間がある時にバッデンさんに聞いたのだけれど。
現時点で、ドナの人口は三千七百に少し届かない程度だそうである。
となると、ドナの人口の五十分の一弱がここに来ている訳で。
更に後方支援要員も加えると、五十分の一を越えるはずだ。
戦士に至っては、ドナの専業戦士の三割近くがこの作戦に参加しているらしく。
それを考えると、相当な大規模計画である。
フルスハイムのあの状況を考えると。
ドナへの安全通路を作ることは。
急務なのだ。
わたしとしても、それはよく分かっているので。
手は抜けないし。
急がないといけない。
キャンプで、進捗を確認。
耕した地点と。
明日耕す地点を確認。
カルドさんが、調べたい地点を提案。
わたしたちが耕している間、周囲を確認して、めぼしい場所に目をつけていたらしかった。
バッデンさんが苦言を呈する。
獣人族であるバッデンさんだが、苦々しく思っているのは、何となく分かる。
エルトナにも獣人族はいたし、表情くらいはわたしにも読めるのだ。
「学者先生、城壁を崩すときとか石畳をひっくり返すときはいいんだがな、廃屋にホイホイ入るなよ。 何がいても責任もてないぞ」
「分かっている」
「もう少し用心してくれよ。 一応俺らが側にいるとはいっても、獣の中には擬態する奴もいるからな」
「擬態?」
わたしの質問にお姉ちゃんが教えてくれる。
壁や床、或いは場合によっては岩などに化け、獲物を襲う獣がいるらしい。
或いは、体の色などを変えて姿を隠したり。
恐ろしいほど巧妙に気配を消して、獲物を襲うのだそうだ。
思わずひっと声が出たが。
カルドさんが怖れている様子は無かった。
この人、怖いものはないのだろうか。或いは、本当に怖い目にあった事がないのか。いや、そういう決めつけは良くない。もっとじっくり様子を見て人となりを知るべきだ。
会議が終わって、一旦解散。
ドロッセルさんが水使いたいというので、蒸留水をくみ出す。すぐに炉を使って沸かす。女性陣がアトリエの奥で脱いで体を拭き始めたのを察したのか。
レヴィさんは無言でふらりとアトリエを出て。
カルドさんは慌てた様子でアトリエを出た。
何だろう。
妙な違和感を感じる。
気になったので、アトリエの外に出たカルドさんに聞いてみる。
「カルドさん」
「なんだい」
「カルドさんって、ひょっとして女の人苦手ですか?」
直接的すぎたのか。
カルドさんが噴く。
非常に真面目そうなこの人だが。
こんなリアクションも見せるのか。
「な、なんで」
「お姉ちゃんやドロッセルさんと露骨に距離とってますし、無害なウィッテさんまで避けてましたし」
「そ、それはだね」
「でも「女の子」が好きな人にも見えないんですよね」
側で聞いていたレヴィさんが真っ青になって引く。
いつの間にか、側で着替えも身繕いも終えたお姉ちゃんが、真顔のまま立っていたからだ。いつからそこにいたのか。まったく分からなかった。恐怖そのものである。
カルドさんに至っては、ひいと悲鳴まで上げていた。
わたしだって、時々音速移動してくるお姉ちゃんにはびっくりするのだから無理もない。
「フィリスちゃんを、どうするですって?」
「違う! 誤解だ! ぼ、僕はその、じょ、女性恐怖症なんだよ」
「わたしも女性ですけど」
「いや……君くらいのコドモは大丈夫なんだ」
むっとする。
レヴィさんといい酷い。
でも、此処で瞬間沸騰すると話がこじれるだけだ。
レヴィさんはレヴィさんで、とっくにその場から姿を消していた。危険を察知する能力には流石に長けている。
「……僕は今回が初の単独任務なんだが、半人前の頃僕と組んでいたのが姉なんだ。 この姉が、兎に角恐ろしくて、幼い頃から絶対的な暴君として僕に君臨してきて……今でも思い出すのも恐ろしい」
「……」
何だろう。
この人の言動。
お姉ちゃんを怖れるわたしにどこか似通っている気がする。
とにかく愛が重いお姉ちゃんに対して、時々わたしも怖い思いをするのだけれど。
この人のお姉さんも、凄く怖かったのだろうか。
「だ、だから、やましい所とかはないんだ。 その、勘弁して欲しい」
「分かったわ。 貴方がフィリスちゃんに手を出さないのであれば何もしないけれど、何かあったら切り刻むわよ。 大事な場所から」
「ひ……」
「リア姉!」
声が氷点下だったので、思わずわたしまで真っ青になる。
ぷんすかしながら、戻っていくお姉ちゃん。
はあと嘆息するカルドさん。
何だかこの人に。
ちょっと親近感が湧いた。
今の発言も、嘘だとはとても思えなかったからだ。
翌日。
城壁の残骸を崩す作業を進めながら、土を耕していく。やはりかなり手強い土だ。しかも、である。
鉱物の声を聞いていくと、あまり良くない事が分かってきた。
「深い所まで汚染が拡がっています」
「本当か」
「はい。 鉱物が警告してきています」
「……少し深めに掘ってみるか。 森が上手く出来ない可能性がある」
バッデンさんが、戦士を集めて、深めに掘り始める。
魔族の背丈くらい掘り進めると、案の定だった。
どす黒い土が出てくる。
フルスハイムへの道中で見かけた、変色している土の比では無い。
これは一目でまずい汚染だと分かるほどだ。
「こりゃあちっとばかりまずいな」
「どうします?」
「長老と要相談だ。 フィリスどの、汚染されている土の深さは分かるか?」
「少し待ってください」
お姉ちゃんに手伝って貰って、穴の底に降りる。底の土には直接触れたくないので、先に浮遊の魔術を使える魔族の戦士に掛けて貰った。わずかに地面から浮いた状態で、鉱物に声を聞くが。
どうやらこの地下、ずっと深くまで汚染されているらしい。
何でも、錬金術で出る危険な廃棄物を、この辺りにまとめて捨てていたらしく。
その汚染が、何百年も残っているそうだ。
ほどなく、オレリーさんが来る。
話をすると、鼻を鳴らす。機嫌がまた悪くなっているのが分かった。
「はん、ここの街が邪神にやられるわけだ。 歴史書は読んではいたが、見境無く錬金術を使っては、廃棄物をいい加減にばらまいていたってわけだね」
「オレリーさん、これ、どうしましょう」
「植物の根を通さないようにするしかないね。 森が育つ過程で、この程度の深さまではどうしても根が伸びる。 植物の根を通さない素材で、この土を覆ってしまうしか無いだろうね。 汚染された土の処理は私がやるよ。 深さはこの程度でいいから、汚染された土は全て掘り出して、荒野に積み上げておきな。 積み上げる場所については、指示をしておくからメモをしておきな。 それとフィリス、今からいうものを作るんだよ」
穴から出ると、口頭でレシピを言われる。
ちょっと難しめだ。
簡単に言うと硬化剤の一種だが。
調合の負担が小さく。
より大量に作れるものだ。
素材に関しては。周囲にある鉱物を加工することで作る事が出来る。
ただし、此処からフルスハイムまでの面積をカバーするには、多分一週間は缶詰になるだろう。
砕いた岩を見に行く。
これは、先にやるしか無いか。
わたしはつるはしを取り出すと、徹底的に砕く。
細かくした岩の残骸を荷車に詰め込むと、アトリエに片っ端から運び込む。
前線も見に行きながら、調合を進めなければならない。
ちょっと厄介だけれど、やるしかないのだ。
更に、人夫には少し下がって貰って、今荒野になっている、緑化地点の側の地面を適当に掘り返していてもらう。
柔らかくした土を準備しておいて。
汚染された土をどかした後。
其処に投入するのだ。
これらの準備については、バッデンさんと相談して、先に決めてしまう。
バッデンさんは頷くと。
素直に褒めてくれた。
「フィリス、お前頭が回るな。 きちんと先の事まで考えながら動いているじゃないか」
「え? そう、ですか」
「しかも見習いでこれだろ? ……なあ、長老が後継者を欲しがっているんだ。 公認錬金術師になったら、長老の後を継いでくれないか? お前ほどの有望株がいてくれれば、長老も安心できると思うんだが」
こんな事を言われたのは初めてだ。
でも、少し考えてから。
首を横に振る。
「まず、エルトナを何とかしないと……」
「ああ、鉱山に引きこもって暮らしてるって街か。 話を聞くだけで悲惨だよな」
「はい。 ごめんなさい……」
「いや、良いんだ。 これだけやってくれているだけで、ドナにもフルスハイムにも本当に貢献してくれているからな。 さっきの発言は忘れてくれ」
ベリアルさんも、バッデンさんも。勿論オレリーさんも。
ドナのことを本当に考えている。
わたしも、エルトナの事を本当に考えているから、こればかりは譲れない。
でも、エルトナをどうにかしたら。
少しでも世界全体をよくすることを考えたい。
特にフルスハイムの話は、聞けば聞くほど放置出来ない。
水運に頼り切った、冗長性の無いインフラは。
確かにちょっとしたことだけで致命傷を受けてしまう。
各地の集落も。
ドラゴンや邪神に襲われたら、余程の凄腕がいなければ、焼け出され、壊滅してしまう。
そんな世の中は。
どうにかしなければならないのだ。
順番に作業を片付けていく。
既に必要量の栄養剤と肥料は納品済み。
此処からは硬化剤の作成に注力する。
後は、戦士達の負担を可能な限り減らせるように。
人夫達の作業負担を軽減する方法を、色々と考えなければならなかった。
2、森の道と滅びた都
動員された人夫が翌日には倍増。戦士も更に十人増えていた。追加人員である。
また、オレリーさんが動員を掛けたのだろう。自動で動く荷車も、更に増やされていた。
わたしもコレを作れれば良いのだけれど。
今は出来る範囲で、出来る事をするしかない。
汚染土が出た辺りから、かなり作業が遅滞している。汚染土はかなり深くまで浸透しているので、魔族の背丈の倍くらいまで地面を掘り返し。先にオレリーさんが作ったらしい硬化剤で固めた荒野のポイントまで運んでいく。それにつかう専用の荷車を用意し。また汚染土には直接触らないように、作業の後は消毒するようにとも、バッデンさんが指示を出していた。
これは、ドナを上げての作業だろう。
途中で来たエルさんに話を聞くと、相当なお金が動いているらしく。
ドナは好景気に沸いているという。噂を聞いて、ドナに移り住んできている人も多いそうだ。
ドナには人口万に達する都市ほどでは無いが、発展性があるために、人気もあり。
ただしやはりそういった場所にはよからぬ輩も目をつける。
戦士が総出でドナを空にするわけにはいかないし。
色々と難しい所だ。
作業後にオレリーさんは毎日ドナに絨毯で戻り、軽く現状の確認をしてから。作業前には現場に戻ってくる。
そして毎日哨戒任務。
相当な忙しさである。
今のわたしだったら、幾つかの道具による補助があっても、とても耐えきれないだろう。
硬化剤Aを一定量作ったので。
硬化剤Bを作り始める。
この硬化剤は、それぞれはただの液体なのだが。
混ぜ合わせることで硬化。
文字通りの壁になる。
利便性は非常に高く。
流石に硬度は錬金術で強化した城壁ほどではないが。
植物の根を完全に防ぐ程度の事は出来る。
これで、これから緑化する地面の底を。
「覆って」しまう。
汚染土の上にこの硬化剤を撒くことで、完全に植物の根を汚染土から遠ざけるのと同時に。
掘っている箇所の横側面も硬化剤を撒いて固定する事で。
植物の根が横に伸びて、結果汚染土に触れる事も阻止する。
その代わり幾つか気を付けることがあり。
まず植える植物の管理。
更には、水はけが極端に悪くなる事の対策である。
故に、底の隅に排水用の管を設け。
荒野に水が流れ出るようにする。
こうしないと、植物の根が水で根腐れしてしまう可能性があるからだ。
これらの説明を受けながら。
わたしは硬化剤を納入。
現場を視察すると。
四角く、かなりの速度で土を掘り進めつつ。
カルドさんが、ああでもないこうでもないと言いながら、崩す場所の調査と、資料の採取をしていた。
バッデンさんはあまりいい顔をしていなかったが。
それでも、ラスティンから正式に派遣されてきている人だ。
無碍にも出来ない。
如何に影響力が小さいからと言っても。
ライゼンベルグから公式に派遣されてきた人を、袖にするのは好ましくないと判断しているのだろう。
実際ある意味。
オレリーさんも、公認錬金術師で。
その公式派遣されている人、にあたるのだから。
硬化剤の効果を確認。
硬化剤Aは粘性が強く、土などにもぬったりと塗ることが出来る。
これに対して硬化剤Bは非常にさらっとしていて。
硬化剤Aを塗ったところに。
これをさっと塗ると。
あっという間にカチカチに固まる。
実際その様子をみたけれど。
ほんのちょっと時間をおくだけで。
わたしが蹴った程度では、それこそはじき返されるほどの堅さになった。ちょっとざらざらしているけれど。
それくらいはまあ仕方が無いだろう。
バッデンさんに聞くと、答えてはくれる。
「この硬化剤に毒性は無いんですか?」
「俺にもよく分かっていないんだが、長老曰くこの硬化剤は土の特性を生かして、擬似的に岩にしているものらしい。 故に、植物には影響が少ないそうだ」
「少ない、ですか」
「いずれにしても一度固めると永続で使えるそうだ」
そういえば。
硬化剤Aを作った後、釜を洗って、硬化剤Bを作る前に。
中間生成液の一つを先に釜に入れろと言われた。
そうすると、釜の底に膜が張られて。
文字通り、ぺりぺりと剥がれるのだ。
あれは極薄の岩、と言う事か。
ちょっと面白い。
「出来の方はどうですか」
「問題ない。 どんどん作ってきてくれ」
「分かりました」
不意に、レヴィさんが飛び出す。
そして、魔術でシールドを展開。
突撃してきた猪を、一瞬食い止める。
慣れたもので、戦士達が一瞬で集り。
猪を八つ裂きにしてしまう。
何処に隠れていたのか。
見ると、遺跡の方で手を振っていた。
どうやらカルドさんが廃屋を崩していたら、住んでいた猪が飛び出してきたらしい。なるほど、びっくりして出てきただけだったのだろう。本来はそんなに好戦的な個体だったわけではないのだろう。
ちょっと可哀想なことをしたかも知れない。
「ふむ、無益な殺生をしたかも知れぬ。 だが、けが人を出すわけにもいかぬ。 大地の恵みとして有り難くいただくとするぞ。 黒き風としてせめて美味しく調理してやるから許せ」
結局剣を抜く必要もなかったレヴィさんが、わいわいと猪を捌く作業に加わる。
わたしももう一人で捌くのは出来るようになったし。
今は硬化剤の方が優先度が先だ。
バッデンさんに一礼すると、アトリエに戻り。
調合を続けた。
その日はそれだけで終わったが。
翌日に比較的大きめのトラブルが起きる。
呼ばれたので、硬化剤Aを作り終えたタイミングで様子を見に行く。
城壁の一角を崩していたのだが。
どうやら、支柱になっている大きめの岩がでてきたらしいのだ。
錬金術で頑強に固められているらしく。
専門家の話を聞きたい、と言う事だった。
今は支柱を避けて掘り進む作業をしているが。
徐々に汚染土が出る量も増えてきている様子だ。
掘り出した土はもう汚染されているのもそうでないのもまとめて前に指定された一箇所に集めている。
オレリーさんとしても、その方が処理しやすいからだろう。
わたしは早速、鉱物の声を聞くが。
これはちょっと壊せないかも知れない。
むしろ、活用して欲しいと鉱物は言っている。
この街や城壁がもはや使い物にならない、死んだものであることは理解しているが。
自分はせっかく支柱として加工され。
ずっと自分なりに働いてきた。
崩されるのは嫌だ、というのである。
こんな風な主張をする鉱物は初めて見た。
そして、もう少し話を聞く。
支柱そのものは、かなりの深くまで突き刺さっているが。
引っこ抜くつもりなら、抵抗はしないそうだ。
ただし、使ってくれることを約束するなら、だそうだが。
それをバッデンさんに伝えると。
半信半疑の様子だ。具体的すぎるから、だろう。
だがドロッセルさんが来て、腕まくりする。
「私が見た範囲では、この子は嘘なんかつかないけど」
「いや、俺も疑う訳じゃあないがな。 其処まで詳細な意思が、この柱にあるのかとちょっとな……」
「わたしも、声が聞こえるのは当たり前の事だったので、そればかりは……。 でも、売られても割られても何とも思わない鉱物が多いのに、こういう主張をしてくる鉱物は滅多に見ません。 下手な事をすると、きっと良くない結果になると思います」
「分かった。 何とかしてみよう」
一度、先を掘り崩している力仕事担当の者達が集まり。
空を飛べる魔族が上から引っ張り。
ヒト族や獣人族が下から押し上げるようにして、支柱を抜きに掛かる。
わたしが、重心の位置を話すと。
其処を中心的に皆で攻める。
ぐんと、巨大な支柱が動いた。
「気を付けて!」
「えいおうおう! えいおうおう!」
かけ声を上げながら。
筋骨たくましい戦士達が、柱を引き抜いていく。とても力強い。
足場も悪いのに凄い。
やがて、凄まじい音と共に、柱が震えながら、その全容を現す。
底の部分は少し太くなっていて。
それが故に、引き抜くのには本来もっと力が必要だったのだろうが。
柱の方も、引き抜かれてくれたのだ。
どっと、土が噴き上がるようにして。
柱が飛び出す。
魔族の戦士達が、全力で支えながら、獣人族の戦士達とヒト族の戦士達が場所を変え。遺跡の中に柱を降ろす。
ずしんと、地響きがした。
柱があった地点は、もの凄い大穴が空いていて。
奥の方にはおぞましいほど黒い汚染土が見えていた。
一体どれだけの廃棄物がこの辺りに投棄されていたのだろう。
柱自体も、汚れている筈だ。
「ころを用意しろ!」
「廃棄土の所に運んでいくぞ! 処置は長老に任せる! 護衛に戦士が四人つけ!」
バッデンさんが指示を出し。
すぐにころが用意され。
柱が乗せられると。
転がされ、持って行かれた。
手際が流石に優れている。
そして柱を引っこ抜いた所には、過剰に出た汚染土を放り込んで埋めてしまう。そして、また粛々と作業には……戻らない。
力仕事をした人達は、皆汚染を落とす消毒をしてから、次の作業に入るし。
今のでスケジュールそのものに遅れが生じた。
バッデンさんが、何人かの戦士と話し合いをして。
今日は何処まで掘り進めるか、地図上で決めているようだ。
それと同時に。
何があるか分からないので停止していた硬化剤の塗布作業についても、再開している。
まああれだけ大きなものが引っこ抜かれたのだ。
それが妥当だろう。
一段落したところで、バッデンさんが声を掛けてくる。
「フィリスどの、助かった。 次も問題が起きたときは頼むぞ」
「はい。 いつでも」
「驚いたな……」
カルドさんが、此方を見ていた。
今の様子、尋常では無いとすぐに分かったのだろう。
わたしも、自分でもあんな大きな支柱が出てきた事には驚いている。
そして、あの支柱の望み通りにしてあげられたことも。
良かったと想う反面。
わたしの持つ力が。
想像以上に大きい事を。
再確認させられていた。
アトリエに戻ろうとするが、カルドさんに呼ばれる。
遺跡の一部の石畳が、珍しい仕様なのだという。だが、劣化が酷く、下手に触ると崩れてしまうそうだ。
今日のカルドさんの護衛には、レヴィさん他数名がついている。
石畳なんかどうでもいいだろと何人か顔に書いていたが。
しかし古い時代に何が起きたのかを知るには大事な資料なのだろう。
わたしは頷くと、石畳に聞いてみる。
そうすると、難しい答えが返ってきた。
「残念ですけれど、この石畳はそのまま動かそうとすると、崩れます。 絶対に」
「やはりそうか」
「ですので、一旦周囲の石畳をどけて、この石畳の下に板か何かを通して、それで持ち上げてください」
「少し手間だがやむを得ぬな」
面倒くさいからやりたくない。
戦士達がそう顔に書いているが、カルドさんは自分でせっせと作業を始める。
そして目的の石畳の周囲を掘り返し始めた。
線が細い人ではあるけれど。
それでも、泥にまみれることは嫌がらないらしい。
その辺りは、筋が通っていると思うし。
わたしも嫌いでは無かった。
今度こそ、アトリエに戻り。
硬化剤をひたすらに造り続ける。
現時点で必要な要求量の二割もまだ作れていない。
今後、大量に硬化剤が必要になることを考えると。
あまりもたついてもいられない。
更に、同じような状況が来た場合。
今の経験は必ず役に立つ。
今後わたしは、戦略級のお仕事をしていくのだ。
それが錬金術師なのだ。
それについては、メッヘンでも思い知らされたし。
このドナの関連作業でも毎日思い知らされている。
ならば、戦略的に動くというのはどういうことなのか。
常に考え続けなければならなかった。
二日が過ぎた頃。
雨が降り始めた。
小雨だが、作業をしている人達は、神経質に動いた。
汚染土に混じった水が、排水管に入り込まないようにと、土嚢を積み始めたのである。この土嚢は、先に用意していたもので。
オレリーさんが作った頑強なものであり。
防水の魔術も掛かっているようだった。
今まで硬化剤で固めた部分には、既に三本の排水管が通されているのだが。
その全てに、土嚢がガードとして積まれ。
更に排水管そのものも。
蓋をされた。
排水管は、上にバルブが伸びていて。
緑化作業後も、バルブを開け閉めして、排水をコントロール出来る仕様にするらしい。壊れた場合は、掘り出せるようにユニット化もしているようだ。
この辺り、本当に手慣れている。
十年でドナを計画的に大発展させた錬金術師オレリーさんだ。
似たような都市開発計画は散々やってきたのだろう。
雨は幸い本降りにはならなかったが。
土砂災害を避けて、一度掘り崩す作業そのものは中止する。
その代わり、全員が合羽を被り。
この雨の中での、獣やネームドの襲撃に備えた。
人夫はキャンプに戻って貰い。
雨が終わるのを待つ。
アトリエに来たバッデンさんが、スケジュールを調整。また少し遅れてしまうが、慌てている様子は無い。
「スケジュールについては大丈夫なんですか?」
「問題ない。 長老はこの辺り抜かりが無くてな。 基本的に雨が降ったりトラブルが起きたりすることを想定してスケジュールを組んでいる。 慌てて埋め合わせをしようとして、事故を起こす方が、スケジュールを却って遅らせるとも知っているから、そろそろ釘を刺しに来る筈だ」
「へえー」
そう言っていると。
本当にオレリーさんが来る。
地図を拡げて、スケジュールを書いた黒板とチョークを見て。
鼻を鳴らす。
「バッデン、その様子だと、もう話していたようだね」
「はい。 それと、例の柱ですが」
「ああ、あれならば汚染を除去した後、近々作ろうと思っていた休憩所の基礎にするよ」
「そうでしたか」
ドナと、東にある街の間には、かなりの距離がある。
東にある街は、例のフルスハイムと隣接した巨大湖の縁にある小さな集落の一つで。人口は二百五十人ほど。
現時点では、此処に安全に行く方法は無く。
本来だったら、わたしの仕事は、この街への直通路をつなげるためのものだった、らしい。
だが事情が変わった以上仕方が無い。
ただ、長期計画に従い。
丁度中間地点に、休憩所を造ると言うことは変わっていない。
その休憩所は、ドナから森の外に出る途中にあったものとは規模が違うものにする予定らしく。
其処に、基礎としてあの柱を使うそうだ。
ならば柱も満足するだろう。
良かった。
胸をなで下ろしていると。
オレリーさんは変な子だねと言って、アトリエを出ていった。
代わりに入ってくるのは、ウィッテさんである。
ぐるぐる眼鏡の彼女は、今日は白衣をかなり手酷く汚していた。
きちんと身繕いすれば綺麗になりそうな素養はあるのに。この人は、身を飾るという概念がないのだろうか。
わたしもあんまりないけれど。
「あー、フィリスさん、いいですか?」
「はい、何ですか」
「雨が降っている間にちょっと話しておきますね。 最初の方に手がけていた辺りの森は、もう良い感じで仕上がっています。 後は手を入れなくても大丈夫です」
「本当ですか!」
それは嬉しい。
だが、雨だ。
見に行くのも何だろう。
後で、見る機会はいくらでもある。
それに今いる位置からは、最初に緑化した地点は、少しばかり遠すぎる。
「それ以降の作業場所も、現時点では問題は発生していません。 このまま上手く行けば、東の街への直通路がいずれ出来ます。 ドナの人にも、東の街の人にも、幸せな出来事です」
「すてきですね!」
「……私、その東の街の孤児なんですよ」
さらりと。
とんでも無い事をウィッテさんがいう。
ドナにて、非合法奴隷として連れられていたところを、奴隷商を禁止しているオレリーさんに助けられたらしい。
東の街は、それほど困窮している、と言う事で。
子供を売り飛ばす親がいる、と言う事だ。
売られた子供は奴隷になるか。
酷い場合は匪賊の食糧にされてしまう。
妾奴隷にされる事もあるらしい。
最近は、そういった奴隷商売はどんどん減っているらしいのだが。
少なくとも、絶滅はしていない。
そういう事だ。
「だから、東の街のことは、ちょっと複雑なんですよね。 両親は伝手を使って調べたんですけど、父親の方は何だかくだらない喧嘩で死んだとか、母親の方は行方も知れないとかで。 私も器量が良くないからだとかで、下手すると匪賊に売られる可能性もあったらしいです。 間一髪で長老が助けてくれたんですよ」
重い話だ。
だが、聞かなければならないと、わたしは思った。
咳払いすると。
ウィッテさんは、ぼっさぼさの頭を掻いた。
「ええと、そんなわけで、緑化作業についてはちょっと色々複雑だったんですけれど、私は結局土いじりが好きです。 錬金術の才能があればもっと良かったんですけれど、それは仕方が無いですし。 今回のお仕事はまだ途中ですけれど、フィリスさんには感謝しています。 公認錬金術師になった頃に、またドナに来てください。 歓迎しますよ」
「分かりました。 必ず、伺います」
何だろう。
これから忙しくなるから、だろうか。
ウィッテさんの目は、分厚いぐるぐる眼鏡に隠されていて見えなかった。
でも、一歩間違えば、この人は子供の頃に匪賊に切り刻まれて、食べられてしまったのだ。
何だか、ウィッテさんが、長老をしたい。
必死に勉強をして、一線級で仕事をしている理由が分かった気がする。
そしてわたしも。
あんな風に、頑張らなければならない。
多分、ウィッテさんは錬金術師になれるのなら、なりたかったはずだ。
でも、その才能は無かった。
だから、自分に出来る範囲で、一線級の仕事をしている。
そのために。他の全てを捨てたのではあるまいか。
わたしは、恵まれている。
ちょっと愛が重いけれど、優しいし側で支えてくれるお姉ちゃん。
レヴィさんも、ドロッセルさんも、良い人だ。
時々レヴィさんはわたしを子供扱いしてかちんと来る事もあるけれど。
そんなのは大した問題でもない。
わたしは恵まれていることを自覚して。
頑張らなければならない。
ひょっとしてだが。
ウィッテさんは、いつもへらへらとしていながらも。
実はわたしの事が嫌いだったのではあるまいか。
でも、わたしの作業を見て、考えを改めてくれた。
故に、あんな事を話してくれた。
そんな理由だったのではあるまいか。
あくまで想像だが。
否定する理由も無い。
わたしは、ぼんやりしていた頭を引き締め直す。
今のうちに、調合を進めておこう。
どうせ実作業はしばらく出来ない。
それならば。
必要な硬化剤を可能な限り今のうちに作って置いて。
作業を前倒しでも出来るようにする。
時間が余るようなら。
今まで手を着けられなかった作業に、着手するのもいい。
自分の能力を上げる装備類については。
まだ構想段階で。
出来ていないものもたくさんあるのだ。
わたしは黙々と調合に取りかかる。
そして気がついたときには。
夜半を回りかけていた。
お姉ちゃんはご飯を用意してくれていた。
無言の心遣いが嬉しい。
ちょっと冷たくなってしまっているけれど。
愛情の籠もったお姉ちゃんのご飯を。わたしは有り難くいただくことにした。
3、汚泥をかき分けて
前倒しで硬化剤を作っていたこともあって。
作業現場を見に行く時間が増えた。
現時点で、汚染土地帯に入ってから、作業の進捗はトイトイに戻っている。わたしが予想以上の速度で、安定した品質の硬化剤を作っているのと。
雨で柔らかくなった土を、処理する速度で、遅れを取り戻せたこと。
更に、思った以上にカルドさんが文句を言わなかったこと。
対応をわたしが早くできたこと、などが理由としてある。
今日も少し前倒しして作業を終えることが出来た。
勿論無理はしていない。
硬化剤がしっかり固まった場所から。
空気を入れた土を戻し。
栄養剤を入れ。
草を生やす作業も始まっている。
それと同時に、遺跡の一部も完全に崩し。
土砂を捨てる荷車の通路として確保した。これに対しては、カルドさんもいい顔をしなかったけれど。
わたしが説得した。
除去する部分については、カルドさんに話をして。
見てもらい。
その後で、丁寧に除去した。
石畳などは雑に砕くのではなく、きちんと剥がして有効活用できそうなものはそうするようにしたし。
石材も使えそうなものは再利用することにした。
そして剥き出しになった地面の声を聞いて。
地下空間がありそうな場所は、可能な限り避けて通るようにもした。
何があるか分からないからだ。
淡々と作業は進み。
ついに水場に出る。
水場は汚染土と混ざり合っていたのだが。
それも一旦水の流れを止め。
汚染土を除去した後。
出来るだけ急いで硬化剤を入れる。
そうすることで、早々に水を使えるようになる。
水路はそもそも事前に掘ってあり。
汚染土の処理が終わった時点で。
其方に流れるように、工事も行った。
その日の工事はちょっとばかり遅くまで掛かってしまったが。
その分翌日は休みを入れる事にする。
人夫もかなりめまぐるしく入れ替わり。
ドナにとって、相当なお金が動いていることが、ド素人にも分かるはずだ。
フルスハイムの人らしいのも、見かけるようになって来ている。
どうやらフルスハイムから派遣されてきた戦士らしいのだが。
時々バッデンさんと話をしている。
わたしは作業現場で、鉱物の声を聞いて、事故が起きないようにするので精一杯なので、対応は任せてしまうが。
いずれにしても、あまり能動的に手伝ってはくれない様子だ。
ただ、フルスハイムは、例の竜巻で今大変だろう。
此方に手を回す様子が無いというのも分かるし。
責めるのは酷だとも思う。
一箇所、かなり危ない場所を見つける。
汚染土の中に岩が、それもかなり大きいのが埋まっている。
先にバッデンさんに警告して。
ドロッセルさんと一緒に其処を先に掘る。
案の定、かなり大きい岩が出てきた。
考え無しに汚染土を掘っていたら、大変な事になっていただろう。
岩を先に粉々に砕いて。
作業の安全を確保。
また別の所で、変な地下空洞を確認。
念入りに鉱物の声を聞いていくと。何だか妙な洞窟につながっているという。獣の巣かも知れないと言う事で警戒。
汚染土を除去していくと。
予想が当たる。
巨大なミミズみたいな獣が飛び出してきたので。
先に仕掛けておいた発破で、出てきた瞬間粉々に消し飛ばす。
可哀想だけれど。
明らかに害意のある獣だったので。
先に処置した。
或いは、汚染土にやられて。
異形になってしまったのかも知れない。だとしたら、可哀想な事だった。
汚染土の処理作業も見に行く。
人夫達がどんどん運んでくる汚染土を。
片手間にオレリーさんが処置している。
どうやら、汚染そのものは多岐にわたっているようで。完全な浄化は不可能らしい。
そのため、外に何も漏らさない強力な素材でコーティングし。
地下深くに埋めることで処置する様子だ。
その過程で。土の中に入っている空気を追い出す作業を行い。
土を小さく固め。
そして汚染もろともコーティングする。
コーティングの際には、長い時間を掛けて圧縮する魔術が常時発動するように工夫もしているようで。
仮にコーティングが壊れても。
圧縮された汚染土は、簡単には壊れない。
そういう仕組みだ。
なるほど。
でも、本当だったら、この汚染は。
きちんと分別して。
処理していくべきではないのだろうか。
だが、恐らくは出来ないのだろう。
オレリーさんほどの人が、こういう対応をしているのだ。
わたしが偉そうに言える事なんて、今の時点では何も無い。やり方の説明をメモした後、作業に戻る。
やること。
わたしに出来る事は。
いくらでもあるのだ。
遺跡の端まで、壊す予定のある地点は調査完了。
カルドさんは、もう少し遺跡を調べたいと言ったが。お姉ちゃんが咳払い。カルドさんが露骨にびくっとした。
「カルドさん、遺跡の調査が重要なのは分かりましたが、今は……」
「わ、分かっているよ。 僕も遺跡の破損が起きなければそれでいい」
「……」
本当に女の人が苦手なんだな。
わたしはちょっと同情してしまう。
この人、相応に甘いマスクをしているのに、此処まで極端な女性恐怖症だと、後々苦労しそうだ。
ともあれ、カルドさんの護衛はもう必要ないだろう。
だが、カルドさんはいう。
「少しばかり君に興味が湧いた。 僕は多少腕に覚えもあるし、各地を調査しなければならない。 もし良ければ、護衛の一人として加えてくれないだろうか」
「護衛、ですか?」
「遺跡の調査を合間に出来ればそれでいい」
「……」
此方としても、頭数がもう少し欲しいとは思っていた。
危険地帯を通るのに、戦力が現状では不足している。
それならば、頭数を揃えるために、戦力を増やすのは吝かでは無い。
利害の一致と言う奴だ。
わたしは頷く。
「分かりました。 お給金の方は」
「其方で決めてくれてかまわない」
「分かりました」
お姉ちゃんを見るが。
嫌だとは顔に書いていなかった。
お姉ちゃんも、手が足りない事は痛感していたのだろう。少なくとも、この女性恐怖症の繊細な学者を、拒否する気は無いようだった。或いは、わたしに害が無いと判断したから、かも知れない。
ともかく、一度アトリエに戻りながら。
途中に危険が無いか、徹底的に調査する。
丁寧に遺跡を見ていくが。
少なくとも、今掘り返している地点や、掘り返す予定地点では。
地下部分が存在していない。
そもそも地下に都市を造るという時点で、かなり凄い場所だったのだろう。
それが故に。
驕り。
滅んでしまったのだろうか。
邪神はどうしてこの街を狙ったのか。
オレリーさんが言うように、廃棄物を捨て放題だったから、だろうか。
でも、エルトナも日常での廃棄物の処理には苦労していた。
人間が数揃えば。
やはり、どこでも生じる問題にも思える。
或いは、それ自体が原因なのだろうか。
分からない。
水路については、既に殆ど仕上がっている。
事前に要点的に作っていたので当然だろう。
何カ所かで、硬化剤で固めた森の中に流れ込むようになっている。
土は空気を含むと膨らむというのは知っていたが。
近くの荒野を耕し。
汚染されていない土を運んできたとき。
削った荒野が殆ど減っていないのを見て、それを実感させられた。
本当に派手に膨らむのだなと、驚いてしまった。
逆に、圧縮は大変だろうとも思う。
最初に硬化剤で固めた辺りは、既にもう低木が生え始めているが。
残りわずかな部分は、まだ汚染土をどかしている段階だ。
わたしは丁寧に鉱物の声を聞いてまわり。
この間のように、地下からの獣の強襲がないように、気を配り続けなければならない。
「フィリスどの」
「あ、グランツさん」
この間、ネームドの襲撃で重傷を負ったグランツさんだ。
もう無事なようだ。
流石はオレリーさんのお薬。
わたしのお薬では、あれほどのけが人を此処まで短時間で回復させることは出来ない。
ぺこりと一礼。
わたしが怪我をさせたようなものなのだから当然だ。
「少し確認して欲しいものがあってな」
「はい、すぐに行きます」
ついていくと、また柱だ。
ただ、排除しなければならない場所からは外れている。
これについては、事前にわたしも何度か通り過ぎたので知っている。コレが今更、何かあったのか。
「この柱、活用してしまいたいと思っていてな」
「これ、恐らく無理ですよ。 遺跡の構造と思い切り噛んでますので、大規模な崩落が起きるかも知れないです」
「切り取るのはだめか」
「地上部分をですか?」
頷くグランツさん。
わたしは少し考えたが。
この柱は、城壁の基礎になっていたものでもないし。
恐らく裕福な家の柱か、何か大きな建物のものだったのだろう。
周囲の石畳も、何か変色していて、他と違っている。
遠くに獣がいるが、此方には人数がいるからか、みているだけだ。キメラビーストというかなり強力な獣なのだが。
お姉ちゃんが向こうを警戒している間に。少し調べて見る。
「……」
「どうだ、切り取っても大丈夫か」
「いえ、止めた方が良いと思います。 この辺り、少し不安定になっていて……地下の空洞には直結していないのですが、下手な衝撃は与えない方が良いです。 この柱そのものがかなり重いようですし、いきなりなくなるとどんな影響があるか分かりません。」
「そうか。 ならば止めておこう」
素直に聞いてくれて助かった。
この辺りは、いずれ獣よけの魔術を掛け錬金術で増幅した柵を作ってしまって、入らないようにする予定だとオレリーさんに聞いている。勿論全ての獣は避けられないだろうが、それくらいもうこの遺跡は人間の住む場所とは乖離している。
ネームドがいなくなったとしても。危険な事に変わりは無いのだ。
それにしても、この柱、そんなに良いだろうか。
理由を来てみると。
グランツさんは、わたしとの意識の違いを話してくれた。
「フィリスどのは簡単に岩を砕いているがな、俺たちにとっては、長老の作ってくれた装備を使って基礎能力を上げてやっとなんだ。 ギフトがある人間には、これだけの岩を加工する手間暇は分からないかも知れないが」
「あ……すみません」
「いや、少し棘のある言い方をしてしまってすまない。 フィリスどのはここに来てから、その力を皆のためになんら惜しみなく使ってくれているし、何よりひけらかしたり、他の人間を見下したりもしていない。 ただ、自分の持っている力がギフトである事は、理解してくれ」
確かにその通りだ。
この柱も。
本当だったら、色々なドラマがあって、此処に立っているのだろう。
此処を滅ぼした邪神は目もくれなかったかも知れない。
だが、本当におかしいのは誰だったのだろう。
よく見ると、柱は朽ちてはいるものの。
とても美しい装飾も施されていた。
模様は丁寧に刻まれている。
これは、いずれ何かしらの形で。
再利用をしてあげるべきなのかも知れない。
野ざらしにしておけば。
いずれコケか何かが生えたり。
獣が何気なしに崩してしまったりで。
あまり良い未来は見えないからだ。
わいわいと、騒ぎが聞こえる。
すぐに頭を切り換えて、其方に。
どうやら、フルスハイム側の人員が来ていて、近くの街道まで工事が届いたと言う事で。様子を見に来たらしい。
この辺りはかなり深く掘らないと汚染土も出てこない。
人夫達が通る道も既に安全を確保しているし。
緑化作業も順調だ。
フルスハイム側も、十名ほどの戦士を出して、周囲の巡回にあたってくれている。
遅いという声も上がっていたが。
しかし今フルスハイムは、あの巨大竜巻で大変なのだ。
あまり厳しい事は言えない。
フルスハイム側からは、商人も見に来ていた。
ヒト族もホムもいる。
とても背が高い魔族がいる。
普通の魔族の倍はあるあれは。
噂に聞くレア種族の巨人族だろうか。
流石フルスハイムだ。
獣人族の中にも、腕の他に足が四本あるケンタウルス族というレア種族がいるらしいのだけれど。
フルスハイムにはいるのだろうか。
「夕暮れまでに、掘り返しと汚染土の輸送、硬化剤の塗布は終わらせるぞ!」
「おうっ!」
気合いの入った声が掛かる。
オレリーさんがまた獣を倒したのか、何処かで断末魔の悲鳴が聞こえた。
だが、誰も気にしない。
獣がちょっかいを掛けようとする行動は。
ここ数日珍しくもなかったからだ。
掘り返しが終わり。
硬化剤の塗布も完了。
汚染土を運び出した後。
空気を入れてある土を此処に運び込み。
水路を繋ぎ。
緑化作業をして終わりだ。
一段落した。
まだ、完全に終わった訳でないけれど。
フルスハイム側が、拍手をしてくれた。
中には、前にバッデンさんと話していた、フルスハイム側の高官も混じっていた。
「素晴らしい。 ドナとの連携がこれで極めて楽になる」
「まだ完成した訳では無いので、もう少し待ってくれると嬉しいが」
「そうだな。 祝いの品については期待してくれ。 此方からは殆ど手助け出来なかったが、相応の品を贈らせて貰う」
「期待しているよ」
バッデンさんが、皆に引き上げるように言う。
アトリエに戻ると。
オレリーさんが既に戻っていた。
「良くやってくれたね、フィリス」
「あ、はい。 不手際が無ければ良かったのですが」
「合格だよ。 ほら」
推薦状を貰う。
しばらく、固まってしまった。
そうか、認めて貰えたのか。
こんな凄い人に。
このプロジェクトに関わった人々から、拍手を貰う。わたしは、すごく素敵な気持ちになった。
「ただ、切りが良いところまで作業はやって貰うよ。 ……人夫はこれから随時減らしていく。 緑化作業は残りの一段落が終わった所で、私が引き継ぐからね。 いずれにしても、フルスハイムへの直通路は突貫工事で仕上げるから、そのつもりで」
「そうなると、あと二週間くらい、ですか」
「植物の成長促進剤を私が用意したから一週間で何とかなる。 いずれにしても、これだけの作業をした者に、報いるのは当然だよ」
良かった。
それから、明日からの作業の説明。
東の街への緑化作業についても、これから継続してやっていくという。本来はフルスハイムでやるべき事なのだろうけれど。
向こうは竜巻の対応で精一杯なのだ。
近隣第二の規模を持つドナが、やるしかないのだろう。
「あの、公認錬金術師試験が終わったら、手伝います」
「気持ちだけ受け取っておくよ。 まずあんたは、自分の故郷をどうにかすることから始めるんだね」
「あ……はい」
「いいかい。 一つだけ私から言うならば、何事も、優先度をつけて行動するんだ。 恐らく偉大な錬金術師は、誰もがそうしている筈だよ」
そうか。
優先度か。
頷く。
そして、今日は早めに休む事にした。
一段落まで、此処まで素早くこぎ着けられた。
そして後一週間で、緑化作業も一段落する。
人夫の仕事そのものは減るが。
しかしながら、緑化作業そのものは今後も続くのだ。
ドナの街の好景気は当面継続するだろう。
ただ、街が豊かになれば。
それだけドラゴンなどが襲い来る可能性も上がると言う事。
後継者か。
大きな街には、少なくともドラゴンを退けられるだけの実力者が必要。
そんな狂った掟があるのは事実で。
オレリーさんが、最悪の場合は人間を止めるかと口にしていたように。オレリーさんの後継者は、いない。
事実、オレリーさんの後継者になってくれればとまで声を掛けられたのは。
街の人間が、高齢であるオレリーさんの事を心配しているからだろう。
今でも現役で、頭もはっきりしているが。
そろそろヒト族の限界寿命近いのだ。
英傑と呼んでも良いこの人を失った時。
ドナはどうなるのか。
オレリーさん自身が、一番心配しているのだろう。
比較的豊かで、上手く行っているドナでさえこれだ。
この世界は、どれだけ過酷で。
どれだけの人が苦しんでいるのか。
改めて思い知らされた気がする。
わたしは、或いは。
このギフトを。
鉱物の声を聞く能力を。
世界のために。
使って行かなければならないのかも知れなかった。
翌日の作業も、突貫工事が続いた。
空気を入れた土を入れ、ある程度固めた後。街道にする場所に、硬化剤を撒く。これで、街道の基礎は出来た。
後は栄養剤、肥料を入れ。
雑草を入れ。
そしてオレリーさんが作った成長促進剤を入れる。
植物はその日のうちに芽を出し。
翌日には刈り取って、燃やし。灰を土に撒いて混ぜた。
その後は、本来の森になるべく、基礎の植物を植えていく。
遺跡側の危険地帯だった場所も。
今ではすっかり、もう少しで街道が出来る希望の道へと変わりつつある。だが、作業そのものが大変な苦労を伴ったのも事実だ。
実際、遺跡に住み着いてた凶悪なネームド達が根こそぎ誰かに処理されなければ、こんな事はとても出来なかっただろう。
わたしもネームドとは戦ったけれど。
あれでも最弱の部類と聞いているし。
どれだけ死者が出たのか、見当もつかない。
水路も既に完成し。
水量はあまり多くはないものの。
今まで無駄に地下にしみこんでいた水は。
未来の森へと還元されていた。
ドナ側の入り口付近は既にかなり木の背丈が伸びている。
少しドナ側に戻って見ると。
既に森には小型の獣が放されており。
森としてあらかた完成している様子だった。
何カ所か、途中で分岐している道があったが、此方は未完成だから行くなと言う立て看板がある。柵も作られていた。
恐らくだが、この先に道をつなげる予定があるのだろう。
遺跡を最終的に、森で囲んでしまうつもりなのかもしれない。
東の方を見に行く。
ウィッテさんが、少数の人員と、黙々と調査と作業をしていた。マンパワーは遺跡側に割いていたが。
こっちはウィッテさんが戦士達の護衛を受け、黙々と作業をしていた訳か。
あまり進展はしていないようだが、マンパワーがないので仕方が無い。
手伝いを申し出たが。
首を横に振られた。
「一段落したら人員が来ますし、何よりこっちは私がどうにかしたいんです」
「そう、なんですね」
「東の街について、伝令が戻ってきました。 やっぱり悲惨な状態みたいです。 流石に人を売り買いするような事はもうしていないみたいですけれど、竜巻の影響で船も出せないし、それこそ身を寄せ合ってくらしている状態のようです」
この人は自分を売り飛ばした東の街のことを恨んでいないのだろうか。
ぐるぐる眼鏡に隠された目の奥の表情は見えない。
「少し時間が余るようでしたら、自分の事をしてください、フィリスさん。 まだ遺跡の方の作業には、フィリスさんの力が必要になるかも知れません。 こちらは危険地帯まで森を延長するまでまだ時間がありますし、多分大丈夫ですから」
「分かりました。 くれぐれも気を付けて」
「はい」
また手をとられると、ぶんぶんと上下に振られる。
わたしはあまり人の真意を詮索するのは良くないなと想って、その場を離れる。
例えばだ。
もしもウィッテさんが、東の街にあまり良い思い出が無いとしても。
緑化を進め。
街道をつなげた場合には。
嫌でも東の街の人間達は、ウィッテさんに感謝をしなければならなくなる。
文字通り頭が上がらなくなるだろう。
口減らしのために、奴隷として売り払った相手に、だ。
それは恐らく、永久の罪業として身に刻まれる。
ウィッテさんのさじ加減では、のど元も握られるはずだ。
人畜無害な印象を受けるウィッテさんだけれど。
下手をすると、食肉として匪賊に売られる可能性も高かったし、良くても悪い人の妾奴隷だったのだ。
ドナでオレリーさんが勘付いて助けなければ。
今はもう生きていないか、家畜以下の扱いを受けていたのである。
そんな事を自分にした東の街を本当に良く想っているとは考えにくい。
だからこそ。
真意は聞いてはならない。
ウィッテさんの真意はどす黒いかも知れないが。
その行動には、東の街を救うこともある。
両親も既に行方が知れないと言う話だし。
逆にウィッテさんは、心底から東の街を案じているのかも知れない。
いずれにしても。
そういった心に踏み込んで良いのは。
ウィッテさんだけだ。
誰も、人が何を考えているかを、決めつけてはいけない。
実際に心を読む能力でも無い限り。
そういう事はしてはいけないと思う。
わたしは、鉱物に声を聞かせて貰っているから、余計に思うのだ。
鉱物の発想は人間とは全く違っている。
当然、人間だって、それぞれ考え方が違うはずで。
それを型に当てはめようとする方がおかしい。
キャンプに戻ると。
黙々とわたしは、鉱物の在庫をチェック。
インゴットを造り。
更に、荷車の改良に移る。
空いた時間を使って。
荷車に使われている技術は覚えた。
やはりレヴィさんが指摘したように、追従だけではなく、前進、後退、停止、衝突回避の魔術が掛けられていた。
更に認証機能もあって。
特定のワードを唱えないと、動かないようにもなっていた。
ちょっと調べただけでは分からないほど、高度な技術が仕込まれていたのだ。
インゴットを仕上げて、自分の荷車をある程度補強した後。
お姉ちゃんに手伝って貰って、魔法陣を仕込む。
此処から数日は、わたしはアトリエ待機だ。
その間に、出来る事は可能な限りやっておく。
荷車の改良に二日。
実験に半日。
実験の結果をフィードバックするのに更に半日。
これで、自分で引かずとも、勝手に動いて追ってきてくれる荷車が出来た。後は様子を見て、荷車を増やせば良いだろう。
荷物が増える可能性があるのなら。
荷車を連結式にして、二連続か三連続でつなげるようにすればいい。
そして、荷車そのものも、もっと良い鉱物が入り次第装甲を強化したりして。
場合によっては、戦闘時のバリケードとして活用する事も考えていた。
ただ、この辺りの岩を割って得られた鉱石には、そこまで良いものはなかった。
物資が集まるフルスハイムも、インフラが壊滅している今は正直物資に余裕は無いだろう。
とりあえず、現時点で使える鉱石を見繕って。
インゴットを加工。
思いついたレシピを実際に試してみる。
作るのは腕輪だ。
前にディオンさんに貰ったレシピに、グナーデリングというものがあった。
錬金術師としては一般的なブースト装備で。
あらゆる能力を飛躍的に向上させる、基礎的なものらしい。
指輪にする場合もあるらしいのだけれど。
私の場合は、繊細な動きが必要になる指につけるよりは。
腕辺りにフィットさせて。
邪魔にならないようにしたい。
そう考えた。
四苦八苦しながら、腕輪を作る。腕輪も一枚板から曲げるのではなく。複数の板を用いて穴を縁に開け、それを糸でつなげる。内側は肌に違和感が無い皮を張ることで不快感を軽減し。更に糸を調整する事で、それぞれの人員の腕にあわせられるようにする。例えばお姉ちゃんとレヴィさんでは、やっぱり腕の太さがだいぶ違う。お姉ちゃんは素で身体強化の魔術を使っているようなのだけれど。レヴィさんは防御魔術主体なので、筋力がどうしても必要になるのだ。
今回は金属の板を直接使う事もあり。
金属に魔法陣を直接刻印できる。
更に中和剤を用いて変質させ。
これによって効果を何倍にも増す。
レシピを見る限り、超一流の錬金術師が作ったグナーデリングは、指輪サイズで、元の人間の性能を五倍にも六倍にも上げるらしい(当然つけられるだけつける人もいるようだ)が。
今の私だと、三倍くらいが精一杯だろう。
ただし、マフラーに続けて、防御魔術が体全部に掛かるようにしたし。
反射神経そのものも強化されるように手を入れている。
これで、かなり動けるようになる筈だ。
完成には少し時間が掛かったが。
自分でつけてみると、確かに効果は目に見えて分かる。
ちょっとアトリエの外に出て、本気でジャンプして見たら。
アトリエの背中を飛び越えてしまった。
これは、すごい。
岩を砕くのも、更に楽になるだろう。
ノウハウは分かった。
完成品は、まずお姉ちゃんに渡してしまう。
それから、街道が出来るまでに、今手伝ってくれている人数分は作っておきたい。
時々お呼ばれが掛かるけれど。
それも、あまり重要な用事ではなかった。
もう、フルスハイムとドナは。
事実状インフラがつながっていた。
4、ギフトと責任
街道が完成。
わたしは、改めて手伝ってくれたドナの人達にお礼を言う。ドナの人達も、わたしに感謝してくれた。
皆と握手して、軽くお祝いをして貰う。
とっておきだというウサギ肉を出して貰って。
本当に美味しいのでびっくりした。
仕事に参加した人夫達にもごちそうが振る舞われる。
お酒も出ているようだった。
ただ、全員が酔いつぶれてしまうと、ネームドなどに襲撃されたときが大変だ。戦闘力がない人夫達は、アトリエの中で宴に参加して貰う。また、下戸の戦士達は、酒を入れずに警戒を続けていた。
オレリーさんもお酒は飲まない。
わたしもだ。
お姉ちゃんも、何か思うところがあるのか。
グナーデリングで強化された肉体を試すように。
何度か試射をしていた。
矢を撃ち込むときの音がもの凄く。
確かに腕力が三倍になっているのが実感できる。
前にウサギを倒したときには何発も撃ち込んでいたが。
今なら一矢で仕留められるかも知れない。
オレリーさんに、適当な所で呼ばれる。
「フィリス、公認錬金術師試験を受けるには、三枚の推薦状が必要だと言う事は知っているね」
「はい。 聞いています」
「それならば、フルスハイムに行って、手伝ってくるといいだろう。 彼処にも少し頼りないが、公認錬金術師がいる。 人口一万の都市に公認錬金術師一人だけというのは、好ましい状況では無いんだがね」
そういえば、そんな話を聞いた。
確かレンという名前の筈だ。
「今回の私の推薦状で、他の錬金術師は多少筆を走らせやすくなるはずだ。 これでも迷惑なことに名前が知られているからね」
「ディオンさんにもそう言われました」
「ディオン? ……ああ、メッヘンのモヤシか。 あのモヤシ、余計なところばかりに知恵が回る」
「あー、ははは。 でも、ディオンさんは良い人でしたよ」
鼻を鳴らすと。
咳払いするオレリーさん。
少し真面目な話をされる。
そう思ったわたしは、背筋を伸ばした。
「錬金術ってのはね、深淵の学問なんだよ。 深淵には確かな意思があって、いつも此方を覗いている。 錬金術を極めれば極めるほど深淵に近づくし、精神はどんどん深淵に近くなっていく」
「そう、なんですか……」
「錬金術は諸刃の刃なのさ。 そもそも錬金術の力は、邪神の力に酷似しているし、一部ではそのまんま同じだ。 これは私の仮説だが、錬金術の力は、この世界の神の力の一部を行使しているものだろうね」
神、か。
創造神を崇める教会というのがあるらしいと聞いてはいるのだけれど。
まだ見ていないので何とも言えない。
「錬金術を極めれば極めるほど化け物に近くなる。 これだけは覚えておくんだよ。 もしもこれ以上は人間と言えないと思ったら、引き帰……」
不意にノイズが走る。
その後、何故か数秒。
オレリーさんの声が聞こえなかった。
「分かったね」
「はい」
何故だろう。
オレリーさんが一番大事なことを言ったと思う部分の記憶が。
綺麗に抜け落ちていた。
あたしは岩山の上から、フィリスにあげたアトリエを見下ろしていた。
ラスティンで十指に入る錬金術師でも。
既に時空間を自由にし。
概念も自在に操作できるようになったあたしの行動は阻害できない。
今、フィリスに。
余計な事を吹き込まれると困るのだ。
錬金術師は深淵の存在。
それでかまわない。
そしてこの世界は詰んでしまっている。
この世界を打破するためには。
まだまだ人材が必要なのだ。
深淵の者でも人材捜索は続けている。素質がありそうな人間に目をつけて、学問や武術を仕込む行動も始めている。
だが、あたしの担当は。
あくまで世界の詰みを解消できる人材の育成。
無為に人間を増やすのでもなく。
世界を食い荒らすのでもなく。
四種族が共存して生き。
そして互いを尊重できるようになるまで、人間が発展できるようになる世界の構築。
そのためには、あたしと同格の錬金術師が後最低でも四人はいる。
創造神の力で、才能の上限を引き上げるに相応しい人材は。
まだ見つかっていない。
フィリスは有力候補の一人。
今は貪欲に、力を伸ばして貰わないと困るのだ。
「ソフィーさん」
「何?」
側に立っているのは、鎧で全身を覆っている護衛。ティアナのバディをしている、アダレットの現役騎士の一人。
それも幹部候補だ。
「これからしばらくフィリスさんの監視は私がやる、ということでよろしいですか」
「んー、そうだね。 まだティアナちゃんやシャノンちゃんが直接護衛するのは早いかな」
「分かりました。 でも影から相手を監視するのって、とても恥ずかしいです……」
「その人見知り、早めに直さないと駄目だよ」
笑顔のまま、あたしはシャノンを促して、その場を去る。
さて、フルスハイムにおいたをしているドラゴンが動けない程度に痛めつけてくるか。
どうやら水運を封じた後、フルスハイムに津波を叩き付けようと目論んでいるらしいことが魔力の流れで分かった。
勿論やらせるわけには行かない。
当面竜巻を維持するのが精一杯、くらいまで痛めつけておくのがいいだろう。
あたしは薄く笑うと。
既に、水棲のドラゴンの中でも、最高位に位置する巨魁の前に出ていた。
此処は古くに作られた神殿か。周囲に空気がある。
そして蛇のように体が長く、彼方此方に魚の要素を持つドラゴンは、その神像があったらしい場所に偉そうに鎮座していた。
だが、滑稽なだけだ。
突如現れた外敵に流石のドラゴンも驚く中。あたしは杖を向ける。
さあ。
狩りの時間だ。死なない程度に痛めつけてやろう。
(続)
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