緑の乱流

 

序、暗き森

 

休みを入れて態勢を立て直したわたしは、ベリアルさん達と一緒にドナの東に出て。森を抜けると、壊されてしまったキャンプの復旧から始める。

緑化作業の計画については。

修正点も含め、細かいものを貰っている。

コレが終わったら、推薦状を貰えるという話なのだけれど。

具体的にはどれくらいやれば良いのだろう。

木が生えそろうまでか。

それとも、緑に地面が覆われるまでなのか。

その辺りは。

正直よく分からない。

まず、栄養剤を、ざっと教わった方法で作っていく。

とはいっても、緑化作業は、栄養剤を作れば良いというものではない。何回かの段階を踏まなければならないのだが。

まず、地面に魔力を行き渡らせる。

これが第一。栄養剤はこのために使う。

素材については、この間ネームドから採取した深核を用いる。実際には、深核でなくても良いらしい。

ネームドの体の中にある、圧縮した膨大な魔力さえ使えば。

それで大体何とかなるのだそうだ。

まず深核を錬金術で変質させ。

キューブ状に固め。

ゼラチンでコーティングして。

数年掛けて、じっくり地面に溶け込んでいくようにしていく。

その結果、地面には魔力が染み渡り。

木々も生長していく。

続いて栄養だ。

魔力があるのは基礎条件。

地面に魔力が行き渡るようになると、雑草などが適当に生え始めるそうだけれども。しかしながら、それだけでは時間が掛かる。

其処で肥料を作る。

肥料を撒いて地面を耕し。

土に栄養と空気を入れ。

植物が育ちやすい条件を作る。

その後、まずは成長が早い雑草の種をまき。

徐々にしっかり成長する木の種を植えていく。

最初の雑草は、一度焼いてしまうそうだ。

そうすることで、より植物が育ちやすい栄養のある土地に出来ると言う。

今回は、街道を作るため。

安全確保のための森を作る。

畑を作る場合は、それはそれで別の手順を踏む必要があるらしく。

いずれにしても、遺跡から来るネームドが、人間を即座に襲わないように。街道の盾になるよう、森を作るという計画だそうだ。

まずは深核を変質させる。

わたしも魔術が使えるから分かる。

もの凄い魔力を感じる。

これでも邪神のほんの一部の力。

それも、恐らくコレは、オレリーさんが言っていた最下級の邪神、エレメンタルという存在の一部なのだろう。

一体邪神という存在は。

どれだけ圧倒的なのだろう。

震えが来る。

兎も角、深核をすり潰し。

中和剤と混ぜ合わせて変質させ。

ゆっくりと、魔力そのものを周囲に拡散させる栄養剤に作り替えていく。この作業、思ったより遙かに難しい。

また、ちょっと深核を使っただけで、相当量の栄養剤に切り替えられる。

全部を使うのでは無く。

少しずつ削ってすり潰し。

使って行く方が良さそうだ。

二日ほど掛けて。

栄養剤を作る。

まずは実物を見たことがあるベリアルさんに判断して貰うけれど。見た感じでは、問題は無い様子だ。

「流石に長老のものと比べると雲泥だが、最初でこれなら充分だ。 即座に使用出来る」

「分かりました。 後どれくらい作れば良いですか」

「これと同じものを二十」

「はい」

すぐに作業に取りかかる。

作り方を把握すれば後は簡単だ。

一度に作る量を増やせば良い。

作れば作るほど熟練するし。

質も上げられる。

ゼラチンについても、材料は揃っている。

それほど作る事は難しくない。

もう二日で。

二十セットが出来たので、ベリアルさんに納品。既に人夫達は、護衛を受けながら仕事をしていた。

自動で動く荷車で水を運び。

土を耕して空気を入れる。

耕した土の奥に栄養剤を埋め込み。

水を掛けて、じっくりと耕して、肥料を何時でも入れられる状態にしていく。

続けて肥料の作成に移る。

これは、発酵という作業を。

本来の数十倍に、錬金術を用いて加速する事により。

植物にとってのおいしいご飯をつくるものだ。

まず肉や植物などの実を混ぜ合わせ。

全てをグチャグチャになるまで煮込む。

実はやり方は色々あるらしいのだけれども。今回はオレリーさんに口頭で教わったやり方で行く。

じっくり煮込んだ後。ゼラチンに植え込んでおいた、森の土を確認。

ゼラチンがかなり変色している。

これは炉によって温度を調整していたゼラチンで。

森の土に潜んでいる、発酵を促すものを増やす効果があるそうだ。

変色したゼラチンを、煮込んだ後温度を下げた栄養の塊に混ぜ込み。中和剤を投入。変質させる。

このゼラチンそのものも強力に変質させ。

ゆっくり土の中に栄養として溶けていくようにする。

栄養が強すぎると、却って植物は駄目になってしまうそうで。

そのさじ加減が難しいのだとか。

一旦温める作業が始まり。

時間が出来た。

頭がかなり温かくなっているので、クールダウンのためにも外に出る。その後寝るつもりだが。とりあえずまずクールダウンだ。

外で行われている作業を見ると。

棒を立てて、何かを測っていた。

影の長さ、向きを見て。

そして何やら手押しでくるくる回る道具を押している。

作業をしているのは戦士達なので。

多分専門的な作業なのだろう。

「これは何の作業ですか?」

「測量だ」

「これが……」

「そうだ」

作業をしていたバッデンさんが、苦笑する。

本当にわたしが、田舎から出てきたばかりなのだと、思い知らされたから、なのだろう。

測量という事については、エルトナを出る前にちょっと聞いた。

地図を作るためにすることだ。

くるくる回る道具は、正確な距離を測るために使うもので。

魔術が掛かっていて、一度セットすると、必ず直進する仕組みになっていると言う。

手押し式になっているが。

方角がついていて。

更に方位磁針もセットになっているようだ。

方位磁針が壊れたときの事も考えて。

方角を正確に測ってから動かしているのだろう。

頷きながら、メモをとる。

いずれ自分もやるかも知れないし。

仕組みは見て覚えておきたい。

作る事が出来れば。

今後、推薦状取得の課題で、かなり有利に動き回れる筈だからである。出来るだけ、手札は大いに越したことがない。

錬金術師は戦略級の存在だ。

それはこの間から、散々思い知らされた。

だったら、戦略級の作業が出来なければならない。

色々知らなければ。

戦略級の仕事など出来ない。

戦闘でも、錬金術師は、主に相手に致命打を与えるために動く事になる。多分腕が上がってきたら、防御魔術や回復行動でも、戦略級の動きが求められるのだろう。

それを考えると。

今から、あらゆる事を貪欲に吸収しておく必要がある。

影の長さを見て。

時間が来たことを悟る。

一旦戻って、ゼラチンの状態を確認。

今度は中和剤を混ぜながら冷やし。

固まった所で細かいキューブ状に刻んでいく。

更に此処に、固定の魔術を掛けて完成。

固定の魔術はわたしには使えないので。

ベリアルさんに理論を教えて貰いながら中和剤で強い魔力を持たせたゼッテルに魔法陣を描き。

更にそれを六芒星の形で増幅して。

発動させた。

同じようなゼラチンをまず最初に一セット持ち込む。

ベリアルさんに品質を見てもらうが。

肥料としては問題無さそうだ、と言う事だった。

ただ、使ってみて、まずは様子見だという。

なお、ゼラチンと言っても。

幾つかの作業を経た結果、鋼のように堅くなっているが。

「順調だ。 質を上げながら、作業を続けてくれ」

「はい」

外を見ると。

かなり遠くまで、先ほどの測量をしていた。

更に次の作業に移るべく、第二陣の人員が来ていた。戦士数名と、技術者らしい人達。それに追加の荷車である。

どうやら安定したとオレリーさんが判断したようで。

作業を一気に進めるつもりなのだろう。

自動で移動する荷車に併走して、水を撒いている子供の人夫の姿が目立つ。遊び感覚でお金が貰えるのだから、むしろ構わないのだろうか。

老人の人夫は、ゆっくり行う作業に従事していた。

土を丁寧に耕して。

空気を入れていく。

見ると、錬金術で体力や筋力を補助するための道具をつけているようだ。農具もかなり軽い。鉱物の声を聞く限り、凄く強い魔術が掛かっているようで、軽く強くなっている様子である。

凄いなあ。

呟いてしまう。

わたしよりずっと格上の錬金術師は。

街をこうやって、戦略的に、ダイナミックに変えていく。

ソフィー先生もそうだったけれど。

他の熟練者も、こういう風に動けるんだなと言う事が確認できると、素直に凄いと言う言葉が出てくる。

早く一人前になりたい。

そうも思う。

今は、作業を知り尽くしているベリアルさんが指揮を執っているけれど。

いずれオレリーさんやソフィー先生のように。

わたしが陣頭指揮を執りたい。

出来るのだろうか。

やらなければならないだろう。

作業に戻る。

栄養剤と肥料を交互に造り、予備のストックも増やしておく。

そして適当な所で眠る。

体力が無い人は、アトリエの中で眠って貰う。

どうせ内部は広いのだし。

お姉ちゃんもレヴィさんも料理を作るのが楽しそうだし。

別に誰も損はしていない。

起きだすと、作業に戻る。

ドロッセルさんは外で力仕事をしていて。

大岩を遠くに放り投げたりしていた。

腕力を求められれば嬉しそうに飛んでいって。

其処で嬉々として体を動かしている様子だ。

あれで劇作家というのだから驚きである。

戦士としか思えないし。

人は見かけによらないものだ。

栄養剤と肥料の追加分を納入すると。

作業はかなり進んでいた。

手際が良いというよりも。

作業をしている人の力を何倍にもする道具が補助をしている事や。

指揮をしているベリアルさんが有能なのが大きい。

よく見ると、人夫達はつかれている様子も無い。

回復の魔術が常時掛かっていて、体力もそれに伴って回復しているのだろう。

耕すのはほぼ終わり。

今度は、細かい指示を出しながら、ベリアルさんが棒を植えていた。

その棒は二列に並んでいて、街道から東に向けてずっと続いている。途中。北上する分岐路もあった。

そして棒の間は耕されていないどころか。

硬化剤が撒かれている。

そう、あの水害対策の時に、ディオンさんが使っていた硬化剤だ。

「ベリアルさん、これは何をしているんですか?」

「うん? ああ、此処を街道にする。 道幅は少し大きめの馬車が通れる程度。 時々すれ違える場所も作る」

「それで栄養剤を入れないで、硬化剤を撒いているんですね」

「そうだ。 森の中では獣が大人しくなるのを利用して、むしろ森の中に街道を通してしまうのだ。 実際お前達も、ドナに来る最中は獣に襲われなかっただろう?」

はははとベリアルさんは笑うが。

しかし凄く怖い目に何度も何度もあった。

それを正直に話すと。

やっぱりまだ半人前だなとベリアルさんは遠慮無く大笑いし。お姉ちゃんが凄い目でベリアルさんを睨んだ。

冷や汗が流れるが。

咳払いすると、ベリアルさんは真面目な顔に戻る。

この人は猛々しい戦士としての顔とともに。

オレリーさんの第一の部下として。

ドナの重要な戦略事業に関わってもいる側面も持っているのだろう。

「明日辺りから、気が早い草が芽を出し始める。 数日待ってから、これを一旦刈り取り、焼き払って灰を撒く」

「少しずつ、背が高い草を植えていくんですね」

「そうだ。 最初に植える草には悪いのだが、これが一番緑化を早く進行させることが出来る」

メモをとる。

他にも、緑化作業をするには何をすれば良いか、順番に聞いていく。

少し考えた後。

ベリアルさんは、わたしを土手の方に連れていく。少し大きな岩があったので、崩して欲しいというのだ。

ドロッセルさんが既に来ていたが。

流石にコレは動かせないと、諦めていた。

無理もない。

前にわたしが、谷でブチ割ったのと同じくらいの大岩だ。

「鉱物の声が聞こえるフィリスどのだ。 これは砕けるか?」

「すぐにやります」

「ほう、心強いな」

「リア姉、手助けして」

お姉ちゃんが身軽に岩の上に上がると、わたしを引っ張り上げる。

そして、わたしが鉱物の声を聞きながら、つるはしを数度降り下ろすと。

岩はぱっくり綺麗に割れた。

更に何度か岩を砕いて。

荷車で運べる大きさにまで小さくしてしまう。

おおと、声が周囲から上がった。

上空で警戒のため旋回している魔族の戦士まで拍手をしてくれたので、ちょっと照れくさい。

「そのつるはしが特注品、と言うわけでも無さそうだな」

「何処をつつけば壊れるか、鉱物が教えてくれるんです」

「そうか」

ベリアルさんが、砕けた岩の中から、有用な鉱石は分けてくれる。

残りは全部徹底的に砕いて。

硬化剤に混ぜてしまうそうだ。

今は手が空いているので手伝うと言うと、頷いて任せてくれた。そのまま、作業の邪魔になっている岩をみんな砕いて回る。これで、更にみんなの作業が楽になる。

改良した手袋のおかげで、常にわたしも回復魔術を受けている状態なので、作業そのものはまったく苦にならない。

むしろ、どんどんはかどるので。

気持ちが良いほどだった。

夕方になると。

予想より早く、気が早い雑草が芽を出し始めていた。

緑化が進んでいる。

それを目で確認できて。

わたしもとても嬉しい。

 

1、安全路の延長

 

一旦退避するように指示が出て。

キャンプに全員と荷物を収容。

更に、数人が防火の魔術を展開した後。

刈り取った草に火を放つ。

森の側でも、念のために、防火の魔術を展開している戦士が数名見える。

やがて、耕した土に芽を出した、灰になるために生まれてきた草たちが、端から順番に燃えていった。

火が消えると。

地面が灰褐色に変わっている。

すぐに次の作業開始。

土をまた耕し。

土と灰を混ぜながら。

土に虫を入れていく。

虫だけではない。

ミミズもだ。

ちょっと触るのが怖いけれど。

話を聞くと、ミミズや虫は、土を豊かにしてくれるのだそうだ。

栄養剤と魔力だけでは駄目で。

まずは土に空気が入り。

栄養が行き渡り。

虫やミミズが植物が育てる環境を整えて。

やっと森が出来るのだという。

そもそも、豊かな土がある場所は、それこそ放置していても勝手に草木が生長していくそうだが。

こういう場所では、最初に土を作らなければならない。

「後は何をすれば良いですか」

「今の時点では、栄養剤はもう充分だ。 土に触ってみると良い」

「温かいですね」

「そうだ。 魔力が充分に充填されている。 この土は、はっきり言って放置していても、その内森にまで育つだろう。 ただし、大雨が来たりすると話は別だ。 しばらくはこの辺りがしっかり森に育つまで、我等が面倒を見なければならん」

頷く。さながらこの辺りは、生まれたばかりの森。いや、これから森が生まれる保育籠というわけだ。

種まきが始まる。

充分柔らかくなっている土に、

人夫が並んで、種を植え込み始める。

何種類かの種を。

それぞれ違った植え方をしているようだ。

幾つかの種はとても大きくて。

多分いずれ木になるのだろうと思った。

作業を見ていても仕方が無いので。わたしは一度アトリエに戻って、今までにメモした事を順番に処理していく。

指輪はどうだろう。

魔術に寄って身体能力を強化したり、防御魔術を常時展開する指輪。

しかし、指輪は少し難しい。

腕輪は。

腕輪は、ある程度調整も効くし、簡単かも知れない。

金属加工については、鉱物が教えてくれるから、かなり簡単だ。問題はどう魔術を仕込むか、だが。

二層構造にして、間にゼッテルに仕込んだ魔法陣を入れるか。

だが、それだと激しい戦闘に耐えられないかも知れない。

メンテナンスも出来て。

すぐに修正できるのが一番だ。

更に激しい動きにも耐えられるものとなると。

ネックレスが良いか。

ネックレスに防御機能を持たせると。例えば首に掛けて、更に胸辺りに垂らすようにすると、人体の急所二つを同時に守る事が出来る。

良い考えかも知れない。

かといって、首に触る部分が金属だと、さわり心地が悪くて、戦闘を阻害する可能性がある。

レヴィさんの使っているようなマフラー式にすると良いかもしれない。

まさかマフラーが攻撃をはじき返したら。

それはそれで敵の意表を突けるだろう。

それがいい。

レヴィさんが料理を終えて持ってくる。

人夫達にレヴィさんの料理は人気で。

みんな楽しみにしているようだった。

今日は森で仕留めてきた大蛇の肉だ。

蛇肉は意外にさっぱりしていると聞いていたのだけれど。

確かに食べて見るととてもさっぱりしていて、元が蛇でなければ全然おいしいお肉と思える。しかも凄く大きい蛇だったので、原型が分からないのも嬉しい。

わたしも最初は抵抗があったけれど。

レヴィさんはお姉ちゃんと張り合って美味しい料理を作っているので。

いつも美味しい料理が食べられると、人夫達には好評だ。

戦士達も料理を楽しみにしている様子があって。

色々と苦笑してしまう。

空いている時間を見繕って、子供達に戦士の一人が戦い方を教えていた。

まだ幼い女の子もいるが。

魔術について熱心に習っている。

ドナで生まれなければ。

あの子は月の物が来たら、すぐに結婚させられて、子供を産まされていたのかも知れない。そして以降は、子育てで人生を全て使ってしまっただろう。実際エルトナでも、そういうような状態だった。

でもドナは豊かな街で。

ある程度の選択肢もある。

あの子がそういう運命を辿ることはないだろう。

エルトナも。

子供達が学んで。

好きな事を出来る状態にしたい。

今、ドナはまだその段階に完全には達していない。

実際あの女の子も、此処で働くために来ているのだ。

みんな美味しそうに料理を食べて。その様子を見て満足げなレヴィさんに、マフラーを貸してと言うと。凄く嬉しそうにした。

「フィリスよ、マフラーの良さが理解出来たとは感心だ。 この俺が、一晩中でもマフラーのすばらしさを語ってやろう」

「いえ、そうではなくて、構造が見たくて……手袋と同じように、錬金術による強化装備を作りたいんです。 首回りと胸を守るには、マフラーに魔術を仕込んで、防御魔術を展開するのが良いかなって」

「素晴らしい発想だ! 正にその発想、メビウスの輪のごとし!」

よく分からないけれど。

褒められているのだろうか。

お姉ちゃんが、レヴィさんに食ってかかる。

「ちょっと、レヴィさん! うちのフィリスちゃんに何をするつもり! 一晩中何かをフィリスちゃんに語って良いのは私だけよ!」

「あの、リア姉、それは誰にされても迷惑……」

「いかがわしい事なんてしたら、その首はもう翌日にはないわよ!」

「ハハハ。 こんな細い童女に興味などないわ、安心するがよい」

ちょっと今のレヴィさんの発言にはかちんと来たが。

ただ、とにかくこのままでは話があらぬ方向に行くばかりだ。

流石にわたしも何でもかんでも瞬間沸騰はしない。

レヴィさんのマフラーを強奪すると。

さっさと調べ始める。

構造については分かったけれど、縫い物としては比較的楽か。

まて。

これは或いは。

ちょっと面白い事を思いついた。

まず糸をどうにかしなければならない。

こればかりは、まだわたしの技術では作れないし、いいものもない。だから手袋の時も、素材は買った。

せっかくだから、今度は糸から作るか。

そして糸そのものに魔術を練り込めば。

想像以上に強力な武装が作れるかも知れなかった。

考え始めると、一気に雑念が飛ぶ。

ソフィー先生に貰った基本的な書物を見る。

糸の作り方については記載があった。

方法は幾つかあるが。

ある種の蜘蛛の糸が、非常に頑強な上、扱いやすいとある。

わたしは加工された糸しか見たことが無かったから。

これは欲しい。

他にも毛糸などがあるが。

これは家畜をどうにかしなければならない。

家畜用に改良されているヤギや羊から、糸を得る必要があるのだけれど。

それはオレリーさんに相談するか。

或いは商人に聞くか。

今はいずれにしても、自分で糸を作って見たい。

だが、糸を作る場合について調べたが。

これがかなり大変だ。

元々かなり危険な繊維を。糸繰りという作業で、糸に変えなければならないのだ。

これには専門の機械が必要で。

専用の職人がいるほどである。

なるほど、糸というのは、それだけ貴重な品だったのか。

どうもわたしは本当に世間知らずだ。

だが知ったからには。

それも何とかする。

しばらく集中して勉強した後、外に出ると、ホムが来ていた。街の重役の一人らしい。数字に強く不正をしないホムが来たと言うことは。

此処から森の作成が本番になると言う事だ。

なお、子連れである。

ホムは条件が整うと子供をたくさんたくさん作る事は知っているが。

その代わり、匪賊に非常に狙われやすいため。

商人として移動する時は必ず護衛を付けるし、街の外にはあまり出たがらないと聞く。

此処に来ていると言う事は。

戦士達に余程の信頼をしている、ということだ。

勿論オレリーさんにもである。

「現在の進捗はどうなのです」

「栄養剤と肥料に関しては、想定よりも出来が良い。 フィリスどのは筋が良いぞ。 覚えるのがかなり早い」

「以前来た鏖殺の……」

「鏖殺?」

ベリアルさんとホムが気付く。

礼をされたので、頷き返すが。

わたしが錬金術師と気付いたからか。

子供のホムは、親の影に隠れてしまった。

感情がヒト族に比べて希薄なホムだから、こんなに感情を表に出されるのは色々と珍しい。

怖がられたことよりも。

そっちの方が驚きだった。

「私はエル。 ドナの重役なのです。 この子はエスなのです」

「すみません、わたし、何かしてしまいましたか?」

「いえ、前に来た錬金術師どのが、とにかくとんでもない辣腕だったのですが。 その人を見てからと言うもの、この子は錬金術師を恐れるようになってしまったのです。 確かに恐ろしい人ではありましたが、ドナの南を一気に開拓してくれた人でもあるのです」

「あの手際は凄かったな。 人間業とは思えなかった」

ベリアルさんが苦笑する。

多分、その人は。

前にオレリーさんが口にしていた、規格外の錬金術師なのだろう。

それにしても鏖殺。

たしかそれ、みなごろしという意味の筈だ。

錬金術師は確かに戦略級の存在だが。

一体どんな人なのだろう。

やはり、ソフィー先生の事が、この話題になると脳裏をちらつく。

何故なのか、それが分からない。

「それで、何か問題かフィリス殿。 しばらくは回復薬や爆弾を作っていてくれれてかまわぬが」

「糸が欲しいと思いまして」

「糸か。 エルどの、扱っているか?」

「扱っているのです。 何種類かあるのですよ」

なるほど。

この人は数字の管理兼、軌道に乗ったこの緑化作業に、商売をするためにやってきたという訳か。

やはりエルさんの影に隠れて震えあがっているエス。

くんなのかちゃんなのかは分からないが。

本当に、ネームドを目の前にした鼠か何かのように震えあがっているので、此方が不安になってしまう。

どうすればいいのだろうと思ったが。

ベリアルさんが頭を掻く。

「すまんなフィリスどの。 許してやってくれるか」

「はい、そんな此方こそ、何か悪い事をしてしまっていないか心配で」

「そうか。 実際あの辣腕の錬金術師、とにかく怖かったからな。 人間離れしているというか、邪神でも逃げ出すような気配だった。 この子供が、恐怖をすり込まれてしまっても不思議じゃあない」

「ほらエス。 この人は、あの人とは違うのです。 糸を持ってくるのです。 商人としての修行をしたいといったのは、お前なのです」

ホムが声を荒げることは滅多にない。

エルさんも、怒っているようだが。

声は荒げていなかった。

エスさんは涙目で頷くと。

荷車から、見本らしい糸を出してくる。

「此方が羊毛から作った毛糸、此方が絹から作った絹糸、此方が蜘蛛の糸から作った銀糸、これは金の絹糸なのです」

「お値段は……」

露骨すぎるくらい差がある。

毛糸はとにかくお安い。

これは羊をドナで飼っているからだろう。簡単に入手できると言う事だ。

絹糸は少し値が張る。というか、正直な話、趣味の部類に入るだろう。というのも、薄いし脆い。ただ美しい。

お金持ちが、財力を見せびらかすために使う糸と見た。

銀糸は非常に鋭い。

説明を聞くが、兎に角頑強で、造りによっては鎖帷子に匹敵する防御力を出す事も可能だとか。

これに魔術を仕込むと、とんでもない強度の防具が作れるという。

ただしこの蜘蛛が、そもそもあまり糸をたくさん出さないらしく。

絹糸の何倍も値が張る。

金の絹糸に至っては、お金持ちでさえ目を剥くような値段がついている。

何でも山岳部などの一部に住む、非常に強靱な一種の蛾の繭から取る事が出来るらしいのだが。

これが非常に危険な蛾で。

周囲にも強力な獣がいるため。

手に入れるためには相当な苦労がいるとか。

むしろ、ネームドがどうしてか持っている事があるとかで。

それを狙った方が安全、というどうかしている説明まで受けた。

なるほど、それなら羊毛一択だ。

必要量を告げると。要求量は手元にないので、今回の物資配給が終わった後、持ってくると言われた。

此方としてはそれで構わない。

頷いて、商売成立。お金も払う。

エスさんは、話してから、少しだけ警戒を解いてくれたようだが。

やはり怖いようで、エルさんが咎めるのも振り切って、馬車の方に戻ってしまった。

「すみません、いつもは早く一人前の商人になるのだと、向上心が強いくらいの子なのですが」

「いえ、大丈夫です」

「此方としても、錬金術師は大口のお客様ですし、とてもではないけれど錬金術師を避けろなどとは言えないのです。 アルファ商会に所属している私としても、少し心配なのです」

そうか、それは良いことを聞いた。

アルファ商会では、値段は均一を常に心がけているという話である。

さっきの糸の値段は覚えた。

今後アルファ商会の商人に騙される恐れはない。

勿論普段はそんな事は無いと思うけれど。

お姉ちゃんに口を酸っぱくして言われているのだ。

基本的に、お金には気を付けろと。

お金が関わると人が変わる奴はたくさんいる。

だから、お金に関しては、常にしっかり警戒しろと。

ホムの商人はまず不正をしないが。

ヒト族はそうでは無いし。

例外は何処にだってある。

不正をするホムもいるかも知れないし。

常に気を付けるように、と言う事だった。

商売の話を終えて。

周囲を見る。

最初の雑多な雑草と違って、少し力強い植物の芽が、彼方此方から顔を出していた。

しかしそれと同時に、あの雑草もまた生え始めていたので。人夫がそれを全て処理しているようだった。

いずれにしても。

まだまだ緑化作業は軌道に乗ったばかり。

この作業が頓挫しないように。

わたしはしばらく此処で釘付けだ。

そう思っていたら

不意にバッデンさんが喚びに来る。

「丁度良かった。 フィリスどの」

「はい、何ですか」

「どうもネームドが姿を見せた形跡がある。 今の時点で被害は出ていないが、早期警戒をしたい。 すぐに来て貰えるか」

「分かりましたっ!」

丁度ホムが来る位に状態が安定してきたのだ。

踏み荒らさせる訳にはいかない。

わたしはすぐにお姉ちゃんとレヴィさん、ドロッセルさんに声を掛けると。

ネームドらしき姿が見えた方へ向かうのだった。

 

2、北の脅威

 

結論から言うと。

ネームドの脅威は存在しなかった。

それは良かったのだが。

数人の戦士が獣に追われながら、特使を護衛していた。

北にある街、フルスハイム。

旅の途中で何度も名前を聞いた。

この国、ラスティンでも屈指の大都市。

世界でも珍しい万を超える人員を有する街。

其処から、強行軍で来た、と言うのである。

獣を叩き潰すのはむずかしくなかった。

わたしが強いわけではなく。

単に周囲の戦士達や、お姉ちゃんやレヴィさん、ドロッセルさんが強かっただけだ。

ただ、特使の話となると厄介だ。

ドナの街は、フルスハイムほどの規模は無いにしても。

近隣でも指折りの大都市。

その長老への特使となると。

かなり厄介な事が起きている、と言う事なのだろう。

そうお姉ちゃんが言ったので。

思わず首をすくめる。

この緑化作業は、トラブル続きだ。ようやく軌道に乗ったところなのだから、このまま何とか上手く行って欲しい。

そう思うわたしの意思と裏腹に。

なんでこう問題ばかりが起きるのか。

とにかく、獣を捌くのはレヴィさんとドロッセルさんでやってくれるらしいので。

わたしはお姉ちゃんと、ベリアルさんを交えて話を聞く事にする。

傷ついていた戦士達は、傭兵らしく。

わたしが薬を分けて、しばらくは休んで貰う事にする。フルスハイムへの帰路の護衛も、お仕事に入っている、ということだったからだ。

「それで、特使とは」

「例の竜巻の件で、オレリーどのに意見を聞きたいと。 分析結果を預かっています」

「ふむ」

「竜巻?」

ベリアルさんが説明してくれる。

フルスハイムは巨大な湖に面している街の一つで。

この湖を利用した水運で発展したそうである。

安定した水運は街道の要所となるのに充分な要件を有し。

湖に凶暴な獣が少ないこともあって(少なくとも船を撃沈するような怪物級の猛獣はでないそうだ)。人口万を超える都市へとなった。

しかしながら、その湖全体を覆う、巨大竜巻が発生し。

今、フルスハイムは存亡の危機にあるという。

絶句。

しかも、フルスハイムから、他の湖の縁にある街に行くには、危険で開拓もされていない荒野を抜ける必要があり。

とてもではないが、普通の戦力でできる事では無いという。

この辺りは、オレリーさんの話とも符合する。

しかし、竜巻についての対応策か。

どうすればいいのか気になるが。

いずれにしても、ここに来ている戦士達の手は裂けないだろう。

「わたしが、お姉ちゃんとレヴィさん、ドロッセルさんを連れてこの人をドナまで護衛します」

「よいのか」

「今は手が空いていますし、ちょっと物資が足りなくて試したいことも出来ないですし」

「分かった、それではお願いしたい」

ベリアルさんに、お薬と爆弾を渡しておく。

往復してもそれほど時間は掛からないし、その間に壊滅している、と言う事はないだろう。

ただ、先に伝令として。

空を飛べる魔族に、ドナに行って貰って許可を貰う。

流石に空をいけると速い。半日もかからず魔族の戦士は戻ってきて、オレリーさんの返答をくれた。

オレリーさんは承知してくれたのだ。

ならばもたついている必要もないだろう。状況は良いとは言えないのだから。

手紙の内容についても、大まかな話は既に伝令に伝えて貰ってある。

多分、特使の人は、かなりやりやすいはずである。

すぐにアトリエを畳むと、ドナに戻る。

人夫達は残念そうにしていたけれど。

すぐに戻るので、問題は無い。

ただ、何かがあると厄介だ。

出来るだけ急ぐ方が良いだろう。

無事とは言い難い特使は荷車に乗ってもらい。

護衛でフルスハイムから来た傭兵も、一緒に来て貰う。

とはいっても、ドナの戦士達に比べると何とも頼りない傭兵達だ。

或いはこっちの方が水準なのかも知れないが。

フルスハイムという街は、人口の割りに、ドナほどしっかりしていないのかもしれない。

公認錬金術師の実力の差だろうか。

それとも、長い間繁栄した結果、弱体化してしまった場所なのだろうか。

よく分からないけれど。

鯰ヒゲの特使を荷車に乗せると、出来るだけ急いで走る。

荷車が揺れるか聞くけれど。

心配ないと、特使には言われた。

まあ四輪だし。

更に道は良く整備されている。

獣も荒野に比べれば大人しい。

そういえば。

今更思う。

どうして荒野に比べて。

森にいる獣は大人しいのだろう。

お姉ちゃんに走りながら聞いてみるが。

獣も植物を傷つける事の意味を知っているからだろうとしか返ってこなかった。

本当だろうか。

どうも腑に落ちない。

たとえば、獣には、増える、食べる、寝る以外の行動が、優先されるとは思えない。

群れを作るのは、増えるのを効率化するため。敵から狙われにくくなるし、何より狙われても助かる確率が増える。

食べるのは生存するため。

寝るのもしかり。

つまり生きるために生きているのが獣だ。

植物があったところで、エサか寝床くらいにしか考えない。

そういう獣の方が、不自然では無い気がするのだが。

どうしてか、獣たちは緑を大事にし。

傷つける事を大罪としている。

獣の中で、緑を尊重しないのは。

匪賊くらいだ。

小走りで行く。

一緒に走っているお姉ちゃんが、警告をしてくる。

「フィリスちゃん、ドナ周辺は良いけれど、恐らく少し離れると匪賊が出るわ。 くれぐれも単独行動は控えるようにしてね」

「分かったよ、リア姉。 それにしても、本当に獣、仕掛けてこないね……」

「獣よけの処置をしているのもあるのだろうけれど、そんなに疑問?」

「うん……」

森の中に入った。

後は黙って、ハンドサインだけで会話する。

傭兵達にもそれは徹底してあるので。

静かなまま、荷車の車輪が動き続ける音が響いた。

強行軍なので、途中で干し肉をかじりながら走る。

手袋による回復効果は強烈で。

かなりの距離を走っても、わたしみたいなひ弱っ子でも、走り抜くことが出来た。普通だったら、こんな距離は走れない。

体力が常に回復し続ける。

それがどれだけ大きいのかは、実際にやってみてよく分かる。

勿論水晶を組み込んだ結果効果が上がっているのもあるのだろうけれど。

傭兵達が音を上げているのを見ると。

確かにかなり体力はついているのだ。

ただ、流石に傭兵達も歴戦の勇士である。

ドナの戦士達に比べると頼りないとは言う話だったが。

それでも、相当なものだった。

ドナまで無理矢理一日で到着。

傭兵達に休んで貰って、わたしは特使をオレリーさんの所へと案内する。

オレリーさんは特使をしらけた目で迎えるが。

書状を見ると、更に機嫌が悪くなった。

「本来はライゼンベルグから腕利きを回すべき何だろうに、何を考えているんだか。 それにフルスハイムにも公認錬金術師はいるだろう。 なんでこんな老いぼれに声を掛けてくる」

「そう言わずに、お願いします。 公認錬金術師のレン様も、オレリー様ならと仰られていて」

「あれは十代で公認錬金術師になった俊英だろう? 今更こんなババアの言う事を聞きに来るなんて、修練が足りないんじゃないのかね」

「その、お怒りはごもっともなのですが」

本当につらそうなので。

口を出そうかと思ったけれど。

お姉ちゃんがすっとわたしの腕を掴んだ。

こういうとき、口を出すと、却って事態をこじらせる。

そういう意味なのだろう。

「ともかく、意味不明な巨大竜巻という事だけれども、恐らくはドラゴンの仕業だろう」

「ドラゴン、ですか」

「ただし高位のドラゴンだ。 何かしらの理由で、湖で活動している人間の事が気に入らなくなったんだろうね。 前にも例がある」

本を取り出してくるオレリーさん。

本そのものが貴重品だが。

ちょっと覗くと。

地下室には、巨大な書斎があった。

あれだけで一財産どころか、とんでもない財産だ。

流石にこの街をたった10年で、森で覆っただけの事はある。

或いはライゼンベルグで蓄えた富かも知れないけれども。

「竜巻を起こすドラゴンの話は、ラスティン領内でも報告がされている。 また、水棲に特化したドラゴンの話もだ。 水棲のドラゴンは倒すのが難しい上に図体がでかくなる事が多く、兎に角厄介だがな」

「は、はあ」

「鈍いね。 竜巻を消したとしても、ドラゴンが害意を持っている限りフルスハイムは脅かされ続けるという事だよ。 一時的に竜巻をどうにか出来る可能性はあるが、対処療法でしかない。 しかも、噂には聞いているかも知れないが、ドラゴンは常に世界に一定数が存在している」

え。

何それ。

背筋が凍るかと思った。

ドラゴンと言えば、一番弱くても、強力なネームドと同等かそれ以上という実力を持っていると聞いている。

熟練した錬金術師でも、倒せるかどうかは分からないと言う話だ。

それなのに、そんなのが。

常に同数世界に存在しているのか。

つまり湖で悪さをしているドラゴンを倒しても。

また幾らでも沸いてくる、と言う事だ。

そしてまた沸いてきたドラゴンが悪さをしたら。

どうしようもなくなってしまう。

咳払いするオレリーさん。

「フィリス。 ドラゴンはね、同数が保たれているだけで、性質までは保たれないんだよ」

「えっ、そうなんですか」

「そうだ。 だから人間の街を積極的に襲撃するようなドラゴンは狩る意味がある。 逆に、人間を積極的に攻撃しないようなドラゴンは、例え邪魔でも放置しておいた方がいいんだよ」

「……不思議な話、ですね」

いずれにしても。

オレリーさんは書状をしたため始めた。

散々説教はしたが。

一応返事はするらしい。

書状をスクロールにすると。

蜜蝋で止めて、特使に渡す。

特使は恐縮した様子で受け取った。

「フィリス、いいかい」

「は、はいっ!」

「私はこの情けないのを護衛して先にフルスハイムまで行ってくる。 あんたは緑化作業を続けな。 リアーネ、この書状にある家に行って、渡してきな。 まったく、十代で公認錬金術師試験に受かったっていうから、俊英だと思っていたのにこれだ。 まだまだ引退は出来そうに無いね。 ライゼンベルグの唐変木どもの為体にも反吐が出る」

ああ、なるほど。

やはり何というか。

この人は、ライゼンベルグに嫌気が差して、首都を離れたのだ。

それを何となく理解してしまった。

オレリーさんは、絨毯のようなものを出してくる。

なんとそれは、オレリーさんと特使、護衛の傭兵二人を乗せたまま、浮き上がった。

空飛ぶ敷物。

やはり、錬金術の道具で。

お空は飛べるのか。

思わず興奮して頭に血が上る。

抑えるように努力していたのに。

「オレリーさんっ!」

特使の方がびっくりして、絨毯から落ちかけた。

オレリーさんは神経質そうにわたしを見る。

「そ、それ、どうやって浮かせているんですか!?」

「……簡単に言うと、グラビ石という、浮遊する石がある。 これを利用しているんだよ」

「分かりましたっ! ありがとうございます!」

「ほら、そこ。 一応の防御魔術は掛かっているけれど、落ちても知らないよ」

特使に警告すると。

オレリーさんは、一気に絨毯を動かし、空に舞い上がった。

手をかざして、思わず見送ってしまう。

街の住人は、ああ長老が飛んでいる、くらいにしか見ていない。

そうか、時々ああやって出かけていくのか。

体がぽっぽか温かい。

興奮して、それが抑えられなかった。

「リア姉、凄いね! 空飛んでる!」

「フィリスちゃん、そんなに嬉しかった?」

「うん! いずれわたしも作る!」

「そう。 でも、落ちると危ないから気を付けてね」

長老の家の扉は自動で鍵が掛かるらしく。

わたし達が出ると、後ろで勝手に閉まった。この辺りも、高度な錬金術で仕組みを制御しているのだろう。

後は、お姉ちゃんが言われた通りの場所に行く。

街の副長老扱いの老人がいる。

かなりの数の戦士も、常駐しているようだった。

この老人は、メッヘンのカツラのお爺さんと違って、背も伸びていて、眼光も鋭い。

多分元戦士なのだろう。

手紙を渡すと、厳しい目つきで受け取られて。

そして。まだ興奮が冷めない私に、事務的に言った。

「長老が言ったとおりに作業を進めてくれ。 ドナの方は、基本的に心配はいらない」

「分かりました。 すぐに緑化作業に戻ります」

「うむ……」

後は、作業をしている場所に戻るだけだ。

先に、商人の所に行く。

幾つか商家があったが。

この間キャンプに来たエルさんとエスさんの所は、比較的すぐ見つかった。

毛糸が入っているかどうかを確認すると、もう用意していたという。

すぐに受け取る。

緑化作業を行っている場所で。

時間的余裕が出来たら作りたい。

そう告げると。

小首をかしげられた。

「毛糸で錬金術です?」

「はい。 あ、黒く染めてあるものありますか?」

「ありますが、少し割高になりますよ」

「構わないです」

ちょっと追加料金を払い、品物を受け取る。

毛糸は柔らかくて、いつもわたしが着ている服よりも、ずっと着心地が良さそうだった。ただ温かい反面すかすかなので、そのまま地肌の上に着るのは向かないだろう。

待っていたレヴィさんとドロッセルさんと合流。

すぐに緑化作業に戻る事を告げると。

ドロッセルさんは、その前に食事にしないかと提案してきた。

そういえば、走りながら干し肉をかじっていたのだ。

あまり良いものを食べていなかった。

そう思うと、急におなかも空いてくる。

まあ、少しくらいは良いだろう。

まずは、おなかを満たして。

それから、走って職場に戻る。

それだけだ。

 

森を抜けると。

光景がかなり変わっていた。

まず硬化剤で固めた道の左右は、かなりの緑が見えるようになっている。川側の一部は、既に畑にするように、調整をし始めているようだ。土手の方にも手を入れ始めている。土手から上がって来た獣が、人を襲わないように処置をしているのだろう。

物見櫓も建てられていた。

木材は、森の中から幾らでも採ってくることが出来る。

上空をアードラが旋回しているが。

戦士達は、近づいてこない限り相手にしない。

でも彼奴は、多分人夫として働いている子供を狙っているはずだ。

さらわれたらまず助からない。

一旦荷車を止めると。

お姉ちゃんに頼んで、射掛けて貰う。

頷いたお姉ちゃんは、上空を旋回しているアードラに、一矢を見舞う。

その一矢が、以前より更に鋭くなっている。

今までの戦いで、痛打を浴びせられなかったのだ。

お姉ちゃんも、相当に腕を磨き直していたのだろう。

矢は吸い込まれるように、アードラに直撃。

翼を貫通して、アードラは態勢を崩して真っ逆さまに落ちた。

地面に直撃したアードラ。

戦士達がやれやれと言わんばかりに躍りかかると。

瞬く間に、肉塊にしてしまった。

羽はむしり。

肉は解体して、その場で焼き始める。

小さめなアードラだったから良かったけれど。

大きな奴だったら、今ので仕留められるかわからなかった。そうお姉ちゃんはぼやく。多分力不足を、わたし以上に嘆いていたのだろう。

影で相当に努力していたと見て良い。

キャンプに到着すると。

ベリアルさんが迎えてくる。

長老が絨毯で飛んでいくのは、もうベリアルさんも見たらしい。

いつも飛んでいくのかと聞くと。

重要事しか使わないそうだ。

「錬金術の技は、世界に干渉するほどの力を持っている。 ましてや長老ほどの凄腕になるとなおさらな。 だから、明確に世界にとって良い使い方で無い場合は、出来るだけ自粛する。 それが長老の方針だそうだ」

「なるほど……」

「それよりも、見ての通りだ。 まず肥料については、充分な出来だ。 もう少し増やしてくれるか」

満足げに見せてくれる緑の野。

数日留守にしただけだったのに。

こんなに変わるものなのか。

肥料を増やす件については承った。

注文も受ける。

「肥料に魔力を込められるか」

「魔力、ですか?」

「そうだ。 土地に魔力がある事が、植物が育つ最低条件になる。 だが肥料にも魔力を込めると、更に植物の成長が早くなる。 以前、化け物級の錬金術師がそれを利用して、一気に森を作り上げていてな。 此方でも出来るようなら、ノウハウを確立したい」

「分かりました。 やってみます」

肥料の作り方は分かっている。

これに強い魔力を充填してやれば大丈夫だろう。

すぐに作業に取りかかる。

現時点では不足している物資はない。

問題は、発酵を錬金術で促進する間に時間が出来ること。

釜がもう一つあれば。作業を更に効率化出来るのだけれど。

そもそも、今使っている釜が、充分以上過ぎるほどに良い代物なのだ。これ以上のものを望むのは贅沢が過ぎる。そんな事はわたしも分かっているから、贅沢は出来るだけ言わないようにする。

肥料を造り。

出来た端から渡す。

外では、既に伸びるのが速い植物が。

低木になりはじめていた。

水さえ適度に与えてやれば。

こんなに速く低木になるのか。

肥料を届けると。

品質を確認しながら、ベリアルさんが教えてくれる。

「今低木にまで育っているものは、いずれ森の中心になる木だ。 その周囲に、少し成長が遅いが、森を維持するのに必要な木を植えていく」

「森そのものを、丁寧に作るんですね」

「そうだ。 だが森を作るノウハウは、必ずしも知られているわけではなくてな。 栄養だけ与えても駄目だし、いきなり木の種を植えても駄目だ。 土地の緑化が重要だとわかり始めたのは、意外に近年のことで、俺たちは最新鋭の技術で森を育て上げている事になる」

なるほど。

ひょっとすると、ベリアルさんにとっては、オレリーさんが持ち込んだ技術を、四苦八苦しながら使っているのかも知れない。

魔力を込めた特性の肥料も渡す。

ベリアルさんは頷くと。

緑化している地域のごく一角。

実験用と書いた立て札が立てられ。

縄で囲んでいる場所で、それを使うと言っていた。

「あの錬金術師のように上手く行くとは限らない。 俺たちの方でも試行錯誤して、ノウハウを掴まなければならない。 ウィッテ!」

「はいはいー」

とろそうなヒト族の女の人が来る。

ぐるぐるの眼鏡をつけていて。白衣を着ている彼女は。

茶色い髪の毛もぼっさぼさ。

何度も転びそうになりながら来る様子は、わたしも見ていて不安になってしまう。

わたしより五六歳は年上に見えるが。

ぺこぺこしながら通り過ぎる。

何だろう。

凄く罪悪感を覚える。

「此方ウィッテだ。 錬金術師の才能はないが、ホム並みに数字に強く、様々な研究を得意としている。 錬金術が使えれば、長老が弟子にしていた、と公言している」

「始めまして、フィリスさん。 私よりずっと若いのに、錬金術師として活躍していてすごいですねえー」

「あ、はい。 ごめんなさい」

「へ? あ、まあともかく、使わせて貰いますね。 ノウハウさえ確保できれば、緑化のテクノロジーを更に進化させて、もっと荒野を行き来しやすく出来ると思うんです」

そうなのか。

何というか、マイペースに喋る人だ。

そのまま、嬉しそうにてれてれしながら、ウィッテさんは言う。

「森には獣を大人しくさせるだけでは無くて、保水力を高める効果もあるんですよ。 しっかりと森が土地を守っていると、災害も起こりにくくなるんです」

「ウィッテ、その辺に」

「すみません、ベリアルさん。 新しい技術に触れると、つい興奮してしまって」

「分かります」

わたしの手を握って上下にぶんぶんすると。

ウィッテさんは、早速肥料を確認して。

作業を始めていた。

わたしは、そのまま肥料を追加で作ってくれと頼まれたので、普通の肥料を作る作業に戻る。

さて、このまま何も起きなければ良いのだけれど。

キャンプに戻って、アトリエに入ると。

奥で子供達が、レヴィさんに食事を振る舞われていた。

わたしも欲しいけれど。

ちょっと我慢しよう。

あの子達が、働かなくても良いくらい豊かになれば。

きっと世界はもっと良くなる。

わたしは。

良く出来るかも知れない力を持っている。

だったら、今は頑張るべき時だ。

錬金術が使えなくても、頑張っている人もいることも分かった。

一流の錬金術師でも、どうにもできない事があることも分かった。

それならば、今は。

腕を兎に角磨く。

それだけだった。

 

3、暗雲

 

オレリーさんが戻ってきた。

緑化作業の進捗をついでに見にも来た。

わたしはそれを知らされて、慌てて中和剤の作成を切りが良いところで切り上げて、アトリエを出る。

ベリアルさんが、レポートを渡し。

それをオレリーさんがチェックしている所だった。

「オレリーさん!」

「調合中だったらそっちを優先しな。 失敗したら大変な調合の場合もあるだろう?」

「あ、はいっ。 すみません。 切りが良いところで切り上げました」

「まあいい。 ベリアル、現時点での緑化は順調だが、少し予定を早めようと思っていてね」

予定を早める。

緑化作業を更に進める、と言うのか。

わたしの方を一瞥だけすると。

オレリーさんは続けた。

「フルスハイムの様子を見てきた。 あれは予想通り、いや予想より悪い。 間違いなく最高位のドラゴンが悪さをしているね」

「最高位のドラゴン!」

「ああ、中級くらいの邪神に匹敵する相手だよ。 今ライゼンベルグにいる唐変木どもでは手も足も出ない。 恐らくは、何かしらの理由で知っているねアレは」

戦慄する。

フルスハイムについては調べたが。

この近辺のインフラは、フルスハイムがなければ話にならない。

ドナの北東にある巨大湖は、大陸最大の湖で。

これによる水運でフルスハイムは発展してきて。

そして水運に湖沿岸の都市は頼り切っている。

陸路は荒野だらけで、当然危険な獣、場合によっては当然ドラゴンやネームド、邪神さえ出ると言う。

そんなところ。

通れるわけがない。

「フルスハイムのレンは、竜巻を押さえ込む方法で検討しているようだけれども、あれはどう見ても手が足りないね。 最近優秀な若手の錬金術師が手助けに入ったようだけれど、それでも手が足りていない」

「ふむ、長老。 何か手があるのですか」

「北の遺跡を調査してきたが、地下部分のネームドがごっそり消えている」

「!」

北の遺跡と言えば。

ネームドの巣窟。

地下にはドラゴン並みのネームドもたくさんいると言う話だ。

それが消えたというのは。

まさか、何処かに移動を開始したのか。

街でも襲われたら大変な事になる。

一匹でもネームドはあんなに桁外れに強いのだ。たくさん出てきたりしたら、それこそどうにもならない。

だけれど。

オレリーさんは、そんなわたしの心配を先回りするように言う。

「地下は地獄と化していた。 少し調べていたが、手当たり次第にネームドが殺されていたよ。 獣も怯えきっていて、私を見るだけで逃げていく有様だった。 あれは、とんでも無い奴が蹂躙したと言う事だね。 地下にいたネームドは全部が駆除されたんだよ」

「待ってください長老。 あそこにいるネームドは……」

「出来る奴に心当たりがあるだろう」

「!」

ベリアルさんが押し黙る。

わたしは。

嫌な予感で、直接胃が締め付けられるようだった。

「地上部分のネームドもかなり減っている。 獣そのものもね。 上手く行けば、最短ルートで、安全にドナとフルスハイムを行き来できる経路を作れるかも知れない。 そうすれば人員の行き来が容易になって、フルスハイムへの増援を廻せるようになる筈だ。 東への緑地延長は後回しだ。 遺跡まで緑地をつなげられるかい?」

「……遺跡には俺も行ったことがありますが、もしもフルスハイムへの直通路を作るとしたら西端だけでしょう。 彼処を無理矢理緑化するとなると、かなりの危険を伴いますが……」

「フィリス」

「はいっ!」

オレリーさんの厳しい目がわたしに向く。

兎に角容赦がなくて。

締め上げられるようだった。

「これから二手に分かれるよ。 私が精鋭を連れて、北の遺跡のネームドを削る。 ベリアル、あんたは一線級を連れて私を手伝いな」

「承知っ!」

「バッデン、戦士を十五人追加だ。 これから私が街に戻って連れてくる。 緑地の護衛はあんたに任せる。 フィリスへの指示は出来るね?」

「お任せを」

空気が変わる。

ベリアルさんもバッデンさんも、指導者としてのオレリーさんに絶対の信頼を寄せているのだ。

そしてオレリーさんも。

その信頼に応える実力を見せている。

これが修羅場を散々くぐってきた人の「凄み」か。

生唾を飲み込むわたしに。

オレリーさんは言う。

「聞いての通りだ。 これから、北にある遺跡と緑地、街道を直結する。 ルートはバッデンが指定するから、あんたは栄養剤を追加で造り、肥料を大量生産しな。 栄養剤の素材は私が持ち帰る」

「分かりました!」

「後、これから一線級の戦士が抜ける。 人夫達が獣に襲われる可能性が出てくるから、常に気を張りな。 人夫達に作業させるのは昼間だけ。 夜はアトリエに収納するんだよ」

「はい」

頷くと。

オレリーさんは、一度絨毯でドナに戻り。

そして、戦士を追加で連れてきた。

十五人追加される代わりに。

錬金術の装備で身を固めた精鋭(装備類も、オレリーさんのお手製の、それも最強の品ばかりの様子だ)が、北の遺跡に向かう。

何しろ状況が状況だ。

一気にけりを付けるつもりなのだろう。

ベリアルさんも、オレリーさんについていった。

さて、ここからが大変だ。

バッデンさんと話し合う事にする。

既に夜。

アトリエに人夫達を収容し。

食事をしながらだが。

お姉ちゃんとレヴィさん、ドロッセルさんにも立ち会って貰う。

ここからが正念場なのだ。

「まず懸念すべきは二つ。 長老達が大きな手傷を受けて戻ってきた場合だ」

「相手は弱めのネームドだと聞いていますけれど」

「それも複数が相手になる可能性がある。 長老の実力は相当なものだが、それでも複数のネームドが相手になると、遅れを取る可能性がある。 まあ、ベリアルもついているし、まずないとは思うが。最悪の可能性に備える必要がある、と言う事だ」

「フィリスちゃん。 凄い戦士でも、とんでもないミス一つから、格下に負ける事が確かにあるの。 備えておくことに損は無いわ」

お姉ちゃんがバッデンさんをフォロー。

分かった。

お薬の準備はしておくべきだろう。

そして、此処からだ。

現時点での緑化作業をしている地点はそのままに、増えた人員を活用して、これから突貫工事で北へ緑化作業を行う。

既にある程度手が入っている地点は良いとして。

此処からは突貫工事だと、バッデンさんは言う。

「まず土地を耕す必要があるのだが、北の遺跡手前はかなり大きな岩だらけでな、これを砕く必要がある」

「オレリーさんがネームドを駆除している最中にそれはまずいのでは」

「そうだ。 故に、まず順番に緑化の経路を北に延ばしていく」

地図を拡げて。

すっと指を乗せ。北上させていくバッデンさん。

ちなみに遺跡までは、此処から歩いて一日ほど掛かる。

その距離を緑化となると。

最低でも三週間以上は貼り付きっぱなしだろう。

更に、水を輸送するのも相当に大変な作業になる筈だ。

水が湧き出してくるような道具があればいいのだけれど。あったとしても、今のわたしにはとても作れないだろう。理論さえ思いつかない。

「順番が必要だな」

レヴィさんの言葉に。

バッデンさんが頷いた。

ドロッセルさんが提案する。

「自衛力がある私が、とりあえず必要な地点を耕すよ。 後、戦士達も同じようにして手伝ってくれると嬉しい」

「ふむ、その間に栄養剤を作るのだな」

「フィリスちゃん、出来る?」

「はい。 それと、あの自動で動く荷車、見せてくれますか? もしも出来るようなら、わたしのも同じように改造しようと思って」

腕組みするバッデンさん。

確かにあれが増えれば、水を運ぶのが格段に楽になる。

やがて、頷く。

「分かった、任せよう。 ただし、壊すなよ」

「はい。 肥料については、ある分を全て渡しておきます。 夜の内に、荷車を調べさせてください」

これで、一旦当面の方針は決まった。

わたしは、自動で動く荷車を確認。

荷車はわたしが作ったのより、ずっと良く出来ている。

頑丈だし。

色々と修理がしやすいようにもなっていた。

部品を取り替えれば。

すぐに動かせるように、幾つかのパーツが組み合わさっているのが凄い。しかもこれは、量産できるようだ。

それに、誰でも分かるように。

組み立て方、解体の仕方が書かれている。

凄い仕組みだ。

メモを全てとり。

心臓部を確認する。

どうやら、追従の魔術が掛かっているらしく。

声を掛けた人間に自動的についていくようになっている様子だ。

荷車を引く必要さえないのである。

なるほど、便利だが。

しかしこれは、奪われないことを前提にしたものだ。

今も戦士の護衛がいるから出来ている事であって。

本来は街の中で使う物、なのだろう。

或いは、匪賊を完全に排除しているから出来るのであって。

本来街の外に持ち出してはいけないものだ。

頷きながら、魔法陣の仕組みをメモ。

魔術としては理解出来るけれど。

それ以上の事は複雑すぎる。

数日を掛けて研究していくしかない。オレリーさんに手ほどきをして貰えれば、楽なのだけれど。

いや、此処で楽をすることを考えては駄目だ。

此処でわたしは。

一気に力を付ける。

出来る事を増やして。

そして、先に行くための力を手に入れる。

そうしなければ、いずれ絶対に頭打ちになる。

わたしは魔術師としては大したこともないし。

錬金術師としても、才能がどれくらいあるか分からない。鉱物の声が聞こえるのはレアな特徴らしいけれど。

それぐらいしか武器がない。

荷車をしばらくチェックした後。

わたしの荷車も、改良点がたくさんある事を理解。

いずれ連結して複数台の荷車をつなげて運ぶことも考えなければならないが。

その時には。今見たものが役立つだろう。

アトリエに戻ると。

人夫達に先に休んで貰って。

わたしはメモを元に、魔法陣をゼッテルに書く。

お姉ちゃんとレヴィさんに確認して貰い。

その複雑さに驚かされた。

「追従の魔術か……」

「これ、例の荷車に?」

「うん。 これで動かせると思う?」

「いや、このままでは駄目だな」

レヴィさんに駄目出しされる。

だが、レヴィさんは、きちんと理由も説明してくれた。

「これは魔法陣の一部の筈だ。 恐らく、停止の魔法陣もあるはず。 そうでないと、そもそも指示を出したら、荷車に一生追いかけ回されることになる」

「あ、そうですね、確かに」

「他にも、多分前進、後退などもある筈だ。 確認するべきだな」

「分かりましたっ」

言われて、すぐに調べる。

集中力が、頭の回転速度を上げる。

わたしは、今。

錬金術を、確かにたのしんでいたかも知れない。

 

翌日から、本格的な作業が開始された。

今まで単純に経過を見守るだけだった緑化作業が、一気に方針転換。北への街道を延長する方向で作業が開始されたのである。

更に、北の遺跡から追われた獣が来る可能性もある。

また、可能性は低いけれど。オレリーさん達が敗走するのを、撤退支援しなければならないかもしれない。

最大限の警戒が必要だった。

お姉ちゃんは見張り櫓に登って貰い、周辺を警戒。他の櫓にも、目が良い戦士に登って貰う。

レヴィさんは人夫達の真ん中に。

いざという時には、防御魔術で時間を稼ぐためだ。

ドロッセルさんは、屈強な戦士達と一緒に最前線で土を耕して、空気を入れる。

乾燥しきった死んだ土に。

まず空気を入れ。

その後に栄養剤を入れて。

更に水を投入。

成長が早い雑草の種を入れる。

その基本的なやり方は、わたしも分かった。

だが、問題は森から距離がある事だ。

まだ途中の緑地は木が育ちきっていない。

獣がこの状況で、どれくらい手加減をしてくれるのか、よく分からない。人夫にさせられる作業と地点は、かなり限られてくる。気を付けて護衛を入れないと、大変な事が起きるだろう。

ただでさえ、森の中は「比較的安全」であって、人間を獣が襲わない、というわけではないのだから。

今も実際。

森の中から、大きな蛇が此方を見ている。

わたしなんて一瞬で絞め殺して丸呑みにしてしまいそうな蛇が、

舌をちろちろさせながら。

此方を見ている。

蛇がその気になればとても素早く動けることを、わたしは知っている。この間から、何回か見たからだ。戦士達はあっさり倒していたが、わたしに同じ事が出来るとはとても思えない。

バッデンさんに栄養剤を渡す。

頷くと、ベリアルさんほど手際は良くないけれど。

バッデンさんは作業を淡々と進めていった。

予定よりも、栄養剤の必要量が多くなる。元々の作業予定よりも、かなり緑化する地域が増えるからだ。

勿論、オレリーさんが「化け物」呼ばわりしていた人の作業ほどではないが。

それでもわたしの想定していた作業よりも相当に量が多い。

栄養剤をもう一セット作る。

深核は使い切ってしまった。

黄金のぷにぷに玉は出来るだけ温存したいが、これは仕方が無いだろう。

場合によっては使う事を視野に入れなければならない。

そのまま肥料の作成に移る。

キャンプの位置も、途中で相談して、少しずらした。

水の便は少し悪くなるが。

水路を途中で作り始めたので、それも二日以内には解消されるはずだ。

堤防には将来を見越して水路用の管が設けられており。コレは普段は魔術で完全封鎖されているのだが。

今、一部を解放する準備をしていた。

こういった準備を見ても。

オレリーさんが如何に長期計画での緑化を考えていたのかがよく分かる。

本当に先の先まで読んで、この10年動いていたのだなと、感心するばかりである。

わたしなんて、メッヘンでは目先の事しか考えられなかったのに。

本当に、先の先まで考えて、手を打っている。

ドナが発展しているのも当たり前だ。

しかも、オレリーさんはもう相当な高齢。

普通だったらボケが来てしまってもおかしくないのに。

エルトナにいたグリゴリさんの事を思い出してしまう。

あの人は悲しい出来事に運命を翻弄され。

哀しみの末に呆けてしまった。

勿論年齢もあるだろうが。

それ以上に哀しみが大きかった。

オレリーさんは、そういうものとは無縁だったのだろうか。

いや、そんな事は無いはずだ。

それこそ。

あれ。

何だろう。

ちょっと今、凄く嫌な予感がした。

頭を振って、調合に戻る。

嘆息すると、肥料が発酵する間の時間を見越して。

ゼッテルに魔法陣を仕込む。

防御魔術の魔法陣。

それにエルトナ水晶を使って。

最終的に威力を何倍にも増やし。

大気中にある魔力を吸い上げ。

それを動力源に、永続発動するようにする。

そういえば、これも不思議だ。

大気中には魔力がいくらでもあるのに。

どうして地面には定着しないのだろう。

とにかく、ゼッテルに魔法陣をたくさんたくさん書く。そしてマフラーに仕込む。正確には、こよりにして、マフラーの素材になる毛糸に仕込む。

そして毛糸をマフラーに編む。

編むやり方は、意外にもドロッセルさんが指導してくれた。

手際よく編んでいくドロッセルさん。

わたしも四苦八苦しながら、一緒になって編んでみるが。やっぱりかなり不格好になってしまう。

ドロッセルさんは苦笑いすると。

最終的な作業だけやれば良いと言って、手際よくぱっぱとわたしとお姉ちゃん、レヴィさんとドロッセルさんの分を編み上げてしまった。

編み上げた後、エルトナ水晶を磨いて。

複数個が、マフラーの先端にぶら下がるようにする。

エルトナ水晶の声を聞きながら丁寧に磨き。

魔術と相互作用していることを確認しながら。

インゴットを加工。

薄く引き延ばし。

エルトナ水晶を覆って。

フックでマフラーとつながるようにする。

後は首に巻いてみた後、自分で実験。

何回か自分を軽く叩いてみたが。

恐ろしいほどに衝撃が緩和される。

お姉ちゃんが心配そうに見ていたので、せっかくだから手伝って貰う。

「リア姉、わたしをこれでぶってくれる?」

「出来る訳ないでしょ! フィリスちゃんに手を上げるなんて、そんな事するくらいなら私は舌を噛んで死ぬわ!」

「大げさだよリア姉!」

何事だとレヴィさんが此方を見に来ていたので、慌てて状況を説明する。

そうすると、レヴィさんが、じゃあ俺がやると言い出した。

「フィリスが造りし不可思議なる道具を試すのだろう? まずは自分で実験するという心がけ、正にものを作り上げた人間に相応しいものだ。 故に俺は漆黒の風となって力を貸そう」

「は、はあ。 お願いします」

「こんな感じかな?」

思い切りハンマーで腹パンされた。

いや、レヴィさんは手加減していただろうけれど。

わたしは思わずうぐと呻いて、その場に蹲る。

お姉ちゃんがナイフに手を掛けるのを見て、慌てて止める。

「止めてリア姉! 大丈夫! 全然平気!」

「フィリスちゃん、無理はしていない?」

「平気! 本当に平気!」

立ち上がる。

事実手袋の回復効果との相乗で、すぐに立ち上がれる。

これは実用的だ。

今回はこの程度の出来だが、今後編み込むゼッテルを増やし。魔法陣を改良すれば、更に強力なものに仕上げられるだろう。

でも、今のは。

ちょっと痛かった。

わたしはまだ鍛え方が足りない事を痛感させられる。

とりあえず、完成品は皆に配る。

レヴィさんには、きちんと黒いのを渡した。

勿論喜んでくれる。

効果がシンプルなのも気に入ってくれたようだ。

「防御効率が上がるのは嬉しいな。 いずれもっと強力になるようにしてくれ」

「分かりました」

「まあフィリスちゃんが作った道具なら、つけるのは吝かじゃないわ」

お姉ちゃんはそんな事を言っているが、苦笑いしているドロッセルさんには気付いていない。

編んだのはドロッセルさんなのだけれど。

これは敢えてネタ晴らしをする必要もないだろう。

その後は肥料の作成にしばらく注力し。

余裕が出来たタイミングで、手袋を量産する。

身体能力が上がる上に常時回復が掛かる、以前作った手袋だ。

人夫に配れば、作業効率は更に上がるはずである。人夫達も似たような道具を身につけているようだが。重ね掛けになるから、更に効果が上がる筈だ。

十セットを、肥料を作る合間に造り。

人夫に配ってつけて貰う。

作業が楽になったと、皆とても喜んでくれたが。

まだまだ、やらなければならない作業は山積みである。

一日が過ぎ。

二日が過ぎた。

三日が過ぎた頃には、必要量の肥料を撒き終え。新しく耕した区域が、既に雑草の緑に覆われ始めていた。

その一方で、最初に耕していた辺りは。

既に低木が覆い始めている。

それについても、丁寧に作業をして、森を作るために順番に色々と手を入れているようだ。

バッデンさんに一つずつ聞いて。

手順を覚える。

いずれわたしも、単独で緑化作業をやらなければならなくなるかも知れないのだ。

緑化については、手順を暗記するほど知っておかなければならないだろう。

また、水路も掘る。

事前に指定してあったらしく、敢えて耕していなかった場所を掘り。更に硬化剤で岸を固定。

街道になっている場所の下には既に作ってあった管を通し。

そして川にあった管の封印を解除。

水が流れ込む量は、バルブで調整出来るようだ。

すっと流れ込んでいった水。

水は非常に綺麗だが。

生活用水としては使えても。

飲むのは駄目だと、バッデンさんに釘を刺される。

「一気に進展しましたね」

「これで五割という所だな。 後は長老がそろそろ第一次遠征から戻ってくる筈だが……」

「オレリーさんに、精鋭がついているとなると、生半可なネームドには負けるとは思えないですけれど」

「そうなんだがな。 そうやって、死んで行った奴を俺は何人も知っているからな」

背筋に寒気が走る。

バッデンさんほどの強者でもそうなのか。

だとすると。

わたしなんかは、もっと気を付けて。

それこそ常に、慎重すぎるほどに動かなければならないだろう。

オレリーさんが戻ってきたのは。

結局その夜だった。

 

キャンプに戻ってきたオレリーさんは、相変わらずもの凄く不機嫌そうな顔をしていて、何か嫌なことでもあったのだろうかと思ってしまうほどだったけれど。

考えて見ればこの人が笑う所なんて、一度も見たことが無い。

長老の威厳を作るためなのか。

それとも基本的にいつも機嫌が悪いのか。

それはよく分からないが。

アトリエで、話をする。

わたしの側にはお姉ちゃんがつく。それもオレリーさんは、あまり気に入らないようだったが。

「フィリス」

「はいっ!」

「これ、栄養剤に使いな」

渡されたのは深核。それも二つだ。

これだけあれば、充分だろう。

それと、幾らかの毛皮と、牙。それに骨も貰う。

どれもネームドの物だとすると、貴重な材料になる筈だ。強力な装備品を作れるかも知れない。

「バッデン、進捗は」

「現在55%というところです。 危険地域まで後半分ですね。 遺跡の側の安全確保をしてから危険地域の開拓をするとして、それまでは黙々と作業を進めていくことが出来そうです」

「そうかい。 護衛は足りているかい?」

「出来れば早めに増員を」

ああ、やっぱり足りていなかったのか。

頷くと、オレリーさんはネームド討伐の状況について教えてくれる。

街にいた錬金術師のアトリエから、意思を持った道具類が多数出現し、それらを討伐したという。

更にそれにあわせて、住み着いていたネームド六体を討伐。

現時点で、まだ四体の存在が確認されているので、次の討伐で片付けてしまう予定だという。

流石だ。

短時間で六体も。

それに疲弊している様子も無い。

高齢なのに、体力もまだまだわたしなんかとは比較にならないのだろう。

これで現時点での状況報告は完了。

これからの指示に移る。

「街の方に伝令を出して、戦士を五人、人夫を五人、追加させよう。 バッデン、栄養剤と肥料はどうだい」

「流石に長老のものには及びませんが、アルファ商会が販売している標準品と大差ない出来です」

「そうかい。 ならばもう少し腕を上げないとね」

「頑張ります……」

厳しい目で見られる。

アルファ商会の標準品と大差ないとすると。

一応売り物にはなる、と言う事だ。

なお、今回の会議には。

前に商品を売りに来たエルさんもいる。

ドナの重役の一人と言う事だし、まあ当然だろう。

「エル、ドナの状況は」

「現時点では問題はありません。 フルスハイムと直通路が完成するという噂が既に流れていて、それに期待している民も多い様子です」

「誰だい、そんなのを話したのは」

「さあ、それは分かりませんが……口に戸は立てられないというあれでしょう」

嘆息するオレリーさん。

分かる。

今までとは違う。

明確に機嫌が悪い。

ちょっと怖くて逃げたくなったけれど。それは周りも同じのようで、バッデンさんさえ青ざめている。

「まあいい。 では、予定通りに行動。 解散。 最終的な危険地帯の緑化作業は私も参加する。 それまでに準備は整えておくように」

立ち上がって、礼をする。

怖かった。

オレリーさんが補給だけ済ませると、精鋭だけ連れてまた北の遺跡に向かうのを見送る。

短時間でネームド六体。

遺跡の地上部分と地下ではネームドの戦闘力が雲泥だという話だけれど。

それでも相当な実力だ。

だが、既に夜なので。

今日はもうみんな休んで貰う。

人夫達にもアトリエに入って貰う。戦士達はキャンプだが、疲れが溜まっている人にはアトリエに入って貰う事にしている。

その代わり、わたしやお姉ちゃん、レヴィさんやドロッセルさんも。余裕があるときには外のキャンプを利用する事にはしていた。

ふと目を離した瞬間、人夫の子供が一人、錬金釜を覗きそうになっていたので、慌てて止める。

だけれど、お姉ちゃんの方が動きが速かった。

「駄目よ。 これに触ると、長老が怒るわ」

「……っ」

子供が見る間に真っ青になる。

脅しとしては完璧な抑止効果を発揮したようで。

以降その子供は、絶対に釜に近づかなかった。

どうやらオレリーさんは。

辣腕で知られる以上に。

誰からも平等に怖れられているらしかった。

怖い顔だけれど優しい。

きっと、そんな事はないのだろう。

多分あの人は。

平等に、誰にでも。それこそ自分に対しても、徹底的に厳しいのだ。

そういうやり方もある。

わたしもいずれ。そういうやり方を、勉強しなければならないのかも知れなかった。

 

4、遺跡の一事

 

寄ってきた霊を、素手でオレリーが握りつぶす。

きゅっという、悲鳴とも何とも言えない音を立てて、霊が消えた。

既に誰も喋らない状況。

いつどこからネームドが現れるか分からないからだ。

だがそもそも、オレリー自身が、強力な錬金術の装備で全身を固めている。

七十を超えた身で、現役の戦士以上に動けるのはそれが故で。

自動回復、防御、身体能力強化、それに敵察知、ありとあらゆる魔術が人間の限界を遙かに超えて同時発動しており。

現時点で既に数日この遺跡を彷徨いているにもかかわらず。

一度も奇襲を受けていない。

一度などは、壁に擬態していた獣を、拳一撃で貫き。

そのまま焼き払った程である。

オレリーは元々杖を使う戦闘スタイルではなく。

徒手空拳で戦い。

拳に魔術を込めて敵を焼き尽くすのを得意としていたのだ。

この程度は朝飯前である。

周囲の戦士達に、ハンドサインで更に進むように指示。

先頭をベリアルが行く。

ベリアル達にも、オレリーから、錬金術による強力な装備を渡している。現時点で、苦労するネームドには遭遇していない。普通の獣などそれこそ鎧柚一触である。

崩れた家。

潰れた壁。

崩壊したインフラ。

オレリーは周囲を見ながら、いずれこれを全て更地にし。

使える資源は回収して。

或いは街を再建しよう、と考えていた。

この街は、既に死んだが。

その死体は、まだまだ此処に、使える資源として残っている。

虹神ウロボロスの怨念とも言えるネームドを悉く駆除した後は。

街を再建すれば、フルスハイムとドナの間にある、中間地点として良い集落になる筈だ。

ただしドラゴンの襲撃を警戒しなければならない。

相応の戦力が整うまでは、自殺行為だろう。

オレリーも噂には聞いているが。

どうも世界の人間の数は、此処ずっと、増減していないらしい。

この500年ほどで、小規模集落に点々としていた人間が。

大規模な街などでまとまって暮らす傾向が増えてきたようだが。

それでもドラゴンによって街が襲撃され、多数の犠牲者を出す事が珍しくもない。

ドラゴンはドナにも何度か来た。

他の獣と違って、ドナには積極的に襲いかかってきた。

だから殺したが。

勝てるドラゴンだった。それだけだ。

もしも勝てないような。

それこそ、上級のドラゴンが来たら。

ドナでもどうにもならないだろう。

そういうときのためにも。

比較的安心して進める街道が必要になってくる。

そして、それが故に嫌な予感がするのだ。

フルスハイムの水運が潰されたのは、本当に偶然なのだろうか。

ドラゴンは知能を持たないというのが定説だが。

フルスハイムの繁栄は、右肩上がりに続いていた。

ドラゴンの襲撃も何回か退けていたが。

もしも、人間をまとめて駆除する意図があるのだったら。

水運の要となっているフルスハイムの強みをまず潰し。

そして、水運の中心都市となっているフルスハイムに、今までに無い戦力で襲いかかるのではあるまいか。

ぞくりときて。

その思考を放棄する。

上級のドラゴンはオレリーも遭遇した事がないが。

実力は中位の神に匹敵すると聞いている。

フルスハイムの公認錬金術師レンは、一応それなりの実力はあるが、まだまだそれなりでしかない。

今後そんな事態が来た場合。

とても対応出来ないだろう。

あの鏖殺、ソフィーが対処するとは言っていたが。

彼奴は考えている事がよく分からない。

何やら深淵に触れてしまったようなのだが。

その結果ああなったのだとすると。

オレリーは悩んでいる。

後継者がいない。

年齢も、そろそろヒト族の限界に近い。

このままオレリーが倒れれば。

ドナは終わる。

かといって、人間を止めた場合。

あのソフィーのように。

深淵を直接のぞき込み。

完全に壊れてしまうのでは無いのだろうか。

老境に入っても、怖いものは怖い。

鏖殺の名に恥じない実力を目にし。

それこそ上位の邪神とさえ渡り合える圧倒的な錬金術を目の前にした今は。

自分もそうなることに、抵抗がある。

ああなってまで、世界を守るべきなのか。

それとも。

ふと気付く。

誰かいる。

ヒト族の男性だ。

年齢は若者、というには年を取りすぎているし。

壮年と言うにはまだ若いか。

警戒する皆を手で制し、前に出る。

此処に匪賊が住んでいる事は知っていたが。

此奴はそうではあるまい。

「誰だい。 こんな危険な所で」

「! 私は学者だ。 この遺跡を調べている」

「へえ、学者ね」

見ると、銃を腰にぶら下げている。

なるほど、自衛能力は持っているつもりか。

見た感じ、修羅場はくぐった事があるようだが。

実力に関しては察し、だろう。

少なくとも、此処を単独でうろつける実力はない。最近来たと見て間違いないだろう。それも護衛も連れていない。

命知らずにも程がある。

「今、此処ではネームドの駆除をしている。 安全な場所まで連れて行ってやるから、さっさと離れな」

「この貴重な遺跡を破壊するのを見過ごすわけにはいかない。 まだ内部には貴重な遺産がたくさん眠っている」

「それを調べに来たってわけかい? 護衛も雇わずバカなことを」

「何を言う。 この遺跡は……」

すっと、指先を突きつける。

それだけで、学者は口をつぐんだ。

「今、あんたの後ろにネームドがいる。 狙っていたあんたを私に取られると思って姿を見せたという訳だ。 もう少し私に会うのが遅れていたら、死ぬ所だったよ」

「ネームドと聞いて平然としていると言う事は、錬金術師か」

「ああ。 少し待っていな。 片付ける」

「いや、僕も戦う。 この遺跡を荒らす輩は許すわけにはいかない」

勇敢なことだ。

だが実力が足りない。

奥から姿を見せたのは、想像を絶するほど巨大な蛇。勿論ネームドである。

オレリーは全身の力を解放すると。

皆に指示を出しつつ。

一気に躍りかかってきた大蛇に向け、自らも襲いかかった。

 

(続)