凶獣猛攻

 

序、脱出

 

もういやだ。イルメリアはそう思って実家を飛び出した。

そもそも実家は、古い時代から続く富裕層。こういった「由緒正しき」富裕層は、あまり存在していない。

そもそも今住んでいるライゼンベルグを首都とする国家ラスティンでは(事実上ライゼンベルグ国だが)王政も貴族制もなく。それにも関わらず古くに滅びラスティンに統合された国の貴族の名前を未だに引きずって、「フォン」何て称号を名前につけて喜んでいる実家の人間は大嫌いだったし。

何よりイルメリアに異常な成果を求め。

徹底的な帝王教育を施そうとしてくる両親も大嫌いだった。

兄や姉と自分を比べ。

才能がない。

ならばそれ以上に努力しろと。

顔を合わせる度に言ってくるのもいやだった。

貴族なんて実体が無いものを未だに誇り。

とっくに滅んだ国の栄光を引きずり。

公認錬金術師試験も突破して当たり前だとふんぞり返っている割りに。

結局自分の地盤がある街に住み着いて、一族で利権を独占している。

そして結局頼っているのは錬金術の力。

貴族の誇りなんて何の意味もないと自分で認めているようなものだ。

そんな家の人間達がイルメリアは大嫌いだったし。

家を飛び出したときはせいせいした。

だが、それでも。

錬金術は好きだし。

錬金術師として、実家が実績を上げていることも分かっていた。

実際問題、イルメリアの故郷の街は豊かで。

利権を一族が独占しているとは言え。

悪徳官吏も悪徳商人もおらず。

飢えて死ぬ民もいなければ。

ドラゴンの襲撃を何度か撃退している実績もある。

錬金術はそれほどまでに圧倒的な学問なのだ。

流石に邪神を撃破した実績はないが。

それはライゼンベルグの公認錬金術師でも、選ばれた超一流の中の超一流しか成し遂げていない事だ。

仕方が無い、といえば仕方が無いのである。

ともあれ家を飛び出したイルメリアは。

心配してついてきたメイドを一人だけ連れて、今は馬車に小さな小屋を積み。旅をしている。

小屋の中には錬金釜。

非常に狭いが、此処がイルメリアのアトリエだ。

移動中は調合も出来ないし。

悪路も通れない。

だが、一族はどうやってか。或いは高度錬金術の産物でか、イルメリアの居場所を突き止めて。

手紙を寄越してくる。

自分で公認錬金術師を目指すのは感心だ。

試験には必ず合格するように、と。

自分は常に正しい。

だからその正しい道を娘も歩むべき。

兄や姉がそうだったように。

そういう考えが透けて見えて。

手紙は見るのもいやだったが。

恐ろしく有能な配達業者が、必ず手紙を届けてくる。

生活は出来ている。

これでも錬金術師、それも自分以外一家全員が公認錬金術師の家の者だ。幼い頃から徹底的に基礎は叩き込まれている。アルファ商会で販売されている、水準品質の薬よりマシなものだって作れる。爆弾だって同じ事だ。

自炊の類は出来ないが。

それに関しては、錬金術師の仕事では無い。

元々、イルメリアのために見繕われたらしいメイドであるアリスはとても優秀で、炊事洗濯あらかたやってくれる。

非常に感情が乏しくて、殆ど喋る事は無いのだが。

戦闘では双剣を振るい、危険地帯を通るときに雇う傭兵にもまるで遅れを取らないし。

少なくとも錬金術に専念は出来る。

ただ、イルメリアは、アリスを信用できない。

幼い頃から一緒にいるし。

ずっと家事もしてくれる。

困っているときには必ず助けに来てくれたし。家族に叱られた後は側にもいてくれた。

だけれど、愚痴を言ったり。

悩みを打ち明けたり。

そういう事は出来そうに無い。

なんだろう。

赤い髪を腰まで伸ばしている、このおない年のヒト族のメイドが。

時々人だとは思えなくなるのだ。

怖いのだ。

おかしなことと言えば。

同じような容姿のメイドと執事が、それぞれ姉と兄にもついている、という事である。

しかも性格もそっくりで。

何だか時々怖くなる。

同じ家系の出、というにはいくら何でも似通いすぎている。

錬金術の奥義に、ホムンクルスという人造生命の創造があるらしいが。それは公認錬金術師どころか、ライゼンベルグでもトップの錬金術師にも出来るか怪しい。噂に聞く深淵の者のトップや、それに匹敵する実力者なら或いは手が届くかも知れないが。

間違ってもイルメリアの親にはそんな事が出来る技術なんて無いし。

ましてやアリスはイルメリアと一緒に育ってきている。

ホムンクルスではないはず。

だが。一緒にいて感じる無機質は何なのだろう。

それが時々怖くなるのだ。

アリスは優しい。

イルメリアが一人でいるための時間だって作ってくれる。

いつもベタベタしている訳では無いし。

時々ネゴの類もしてくれる。

大人として接してくれているはずなのに。

幼い頃から一緒にいるはずなのに。

どうしてアリスに時々いい知れない恐怖を覚えるのだろう。生理的なものとはまた違う恐怖を。

どうして信頼するべき相手に感じてしまうのだろう。

ふと気がつく。

空模様がおかしい。

さっきまで晴れだったのに。

馬車から顔を出す。

だが、平然と商人達は行き交っている。それが普通のことであるかのように。

一人を呼び止めて聞いてみる。

ホムの商人である、隊商のリーダーらしき人物は。

イルメリアを錬金術師とみたからか。

決して若年でも侮らなかった。

「空模様がおかしいようだけれど、どうかしたの」

「この先はフルスハイムなのです」

「え……」

そんな事は知っている。

フルスハイム。

ラスティンでも重要な戦略拠点都市。ライゼンベルグほどの規模は無いが、それでも万を超える人口を誇り。この街を守るために、多大な犠牲を払いながら、邪神を倒した事もあるという。

そんな大都市の事、知らないはずもない。

だが、当たり前のように言われて、流石に動揺する。

「行く先の事は調べておく方が良いのですよ、錬金術師の方。 現在フルスハイムでは、大きな問題が発生しているのです。 商人はフルスハイムを迂回するルートで、商売を構築することに躍起なのです」

「ちょっと、詳しくお願いするわ」

「此方も急いでいるのですが」

「……チップを渡せば良いかしら?」

比較的良く出来た傷薬を渡す。

商人は出来を手早く確認すると、頷いた。

「フルスハイムは巨大湖に隣接する水運と水産業の街だと言う事は知っているかと思うのです」

「それはもう、当然」

「その巨大湖が、一切合切使い物にならなくなったのです」

「……はあっ!?」

流石に愕然とする。

後は見て確かめろと言われて、呆然と商人を見送ることになった。

御者のアリスが、抑揚のない無機質な声で言う。

「イルメリア様。 如何なさいますか」

「と、とりあえず状況を確認しないと……」

「分かりました。 そのままフルスハイムに向かいます」

水運が完全に停止しているだと。

フルスハイムは、近辺のインフラの中核だ。湖には多数の船が行き来し、沿岸にある幾つかの街と物資を運搬している。

その湖に一体何があった。

近くに出る。

空模様は更に怪しくなっていた。

そして、左手に見える。

完全に朽ちた街。

遺跡とかしているそれは。

噂に聞く、以前現れた虹神ウロボロスとの死闘の跡だろう。

邪神を滅ぼす程の戦いだったのだ。

伝説に聞く雷神ファルギオルほどではないにしても。

ライゼンベルグから精鋭の錬金術師を連れて来て、その大半を失うほどの死闘になったと聞いている。

街が一つ消し飛んだのも。

仕方が無いのかも知れない。

しかも復興も為されておらず。

今も無惨な姿をさらすばかりだ。

この街の残骸には、夜には多数の霊が徘徊し。

錬金術の産物で、野生化した道具類が彷徨き。

ネームドの猛獣が彷徨いてもいるという。

とんでもない危険地帯が。

第二都市とも言えるフルスハイムの至近に放置されているのである。

ラスティンという国家が、如何に自治に頼っているかの証明であり。

事実上手綱も取れていない事の証明でもある。

イルメリアは、やがて目にする。

想像を絶する光景だった。

思わず馬車から身を乗り出してしまった程である。

其処には。

あまりにもおぞましい光景が広がっていた。

フルスハイムそのものは美しい街だ。

だがその先には。

灰色の、柱のように立ちふさがる巨大な雲の壁。それは高速で回転しつつ、此処まで聞こえるほどの凄まじい音を立て続けている。

硬直していたイルメリアは。

馬車に引っ込むと、思わず頭を抱えた。

何だアレ。

噂に聞く竜巻か。

だが、あんな規模の竜巻聞いた事もない。

邪神によるものか。

或いは高位のドラゴンか。

だとしても、ライゼンベルグは何をしている。

ラスティンという国家が事実上ライゼンベルグ国だというのは分かりきっている事なのだし。

解決のために多数の人員を出すべきだろう。

それがこの有様は何だ。

呼吸を整えた後、馬車が止まるのを確認。街の入り口で、検問が作られている。とはいっても、匪賊の侵入を防ぐのが目的のようで、手形などは求められなかった。

街に入ると、フリースペースに馬車を止める。

アトリエに入ってきたアリスに。

何がいつ起きたのか、聞いてくるように指示。

頷いた彼女は。

残像を作って姿を消した。

さて、これからどうする。

ライゼンベルグは遙か先だ。

そもそもライゼンベルグのインフラはずたずただと聞いている。此処をどうにか通ったとしても。

その先に待っているのは、人を拒む荒野と、血に飢えた猛獣の群れだ。

本当にたどり着けるのか。

ふと気付く。

気配を感じて、窓から顔を出すと。

二人の子供が見上げていた。

「誰、貴方たち……」

何だろう。

底知れない恐怖を感じる。

虫のような服を着込んだ男の子と女の子。

ただの子供。

イルメリアも背は低くて。

子供のようだと良く言われる。

富裕層に生まれて、栄養には恵まれたはずなのに。

結局背は伸びなかった。

だが、この子供らは。

何かが違う。

「私はアトミナ。 こっちはメクレット」

「は、はあ。 イルメリアよ」

「ふうん、爵位で名乗らないんだね」

「!」

何故、知っている。

ふっと、子供とはとても思えない老獪な笑みが、二人の口元に浮かんだ。

「様子を見に来たよ」

「様子って、私の?」

「そうだよ、未来の偉大な錬金術師」

「……」

唇を噛む。

自分を天才と言い聞かせ。

必死に劣等感に抗ってきたイルメリアだが。

そんな風に言われると。

何だかおなかの底がじりじりする。

「ライゼンベルグに向かうなら君の選択肢は二つだ。 一つはあの竜巻をどうにかして直進突破する。 もう一つは大幅に迂回して、巨大湖を回避する」

「ど、どうしてそれを」

「私達は何でも知っているのよ。 そして今の貴方には、その実力が決定的に欠けていることも、ね」

思わず頭に血が上ったが。

その通りだ。

この巨大湖は、凄まじい規模で、迂回するならどれだけ時間が掛かるか知れたものではない。

そればかりか。文字通り未踏の荒野を幾つも踏破しなければならない。

この巨大湖の水運に頼り切った結果。

フルスハイム近辺のインフラは、現時点で半壊してしまっている。

この様子だと、フルスハイムの公認錬金術師にもどうにも出来ない、と言う事なのだろう。

既に得ている推薦状は二枚。

三枚を得れば、公認錬金術師試験を受ける事が出来る。

此処さえ突破すれば。

後の街で、公認錬金術師から課題を受けて、試験を受ける事が出来る。

そうして公認錬金術師にさえなれれば。

あの家ともおさらばできる。

自立して、どこかの街で公認錬金術師になれば。

街の人間達には神のように崇拝され。

同時に大きな責任を、自分で背負うことが出来る。

あんな古くさいカビが生えた家がねちねちと作り上げた責任ではなく。

自分自身で築いた力を、だ。

だからこそに。

この障害は、致命的だった。

「貴方たちは……」

気付くと。

二人の奇妙な子供は、姿を消していた。

イルメリアは真っ青になる。まだ霊が出るには早すぎる時間だ。

アリスが戻ってきた。

「いかがなさいましたか?」

「いえ、何でもないわ」

「何か怖い目にあったのですね」

五月蠅いと怒鳴りかけて止める。

見透かされる。

そう、アリスは何でも知っている。

無機質と愚かは違う。

アリスはイルメリアのあらゆる全てを見透かす。それが怖いと思う理由の一つでもあるのだ。

こういうとき、その恐怖は頂点に達する。

「フルスハイムの治安は安定していますが、竜巻の発生により匪賊が少し街に入り込んでいるようです。 故にあの検問が敷かれたようですね」

「そう……」

「ご安心ください。 匪賊など、お嬢様には近づけません」

「……」

守る、か。

守られるなんてまっぴらごめんだ。

アリスが尽くしてくれているのは分かる。

だけれど、イルメリアは。

自分の足で歩きたい、と思うのだ。

守られるのでは無く。

むしろ肩を並べて誰かと歩きたい。

アリスはどうして、ついてきたのならそれを察してくれない。イルメリアの弱みも全て握っていて。幼い頃から側にいてくれて。なのに、どうして分かってくれないのだろう。

「……竜巻についての詳細ですが、三ヶ月ほど前に、突如出現した模様です。 前兆はなく、最初は湖の中央に留まっていましたが、拡大を続け、今では湖に船を出す事も出来ない状態です」

「更に拡大する可能性は?」

「拡大が続いたのは一月ほどで、以降は竜巻も落ち着いています。 ただ、とても船が突破出来る風では無いとも」

やはり、どうにかするしかないのか。

しかし、どうすればいい。

大きな溜息が出た。

イルメリアは時々思う。

自分の人生は、呪われているのでは無いのだろうかと。

 

1、初めての凶獣

 

ドナの街から、南に半日ほど歩いた地点。

確かに洞窟があった。

規模はそれほど大きくは無いが、いつも朗らかに楽しそうなドロッセルさんが、目を細めて、態勢を低くする。

お姉ちゃんとレヴィさんも、異常に気づいているようだった。

オレリーさんが貸してくれた戦士達。

獣人族の戦士二人と、魔族の戦士一人。

いずれも壮年の、脂がのった熟練の戦士で。皆錬金術によるものらしい武装を身につけている。

全員がドロッセルさんと同レベルか、それ以上の使い手だ。

確かにこの面子であれば、ネームドの討伐は難しくないのだろう。

オレリーさんがいれば更に簡単なのだろうが。

それは、試験だと、ついてきた戦士達も把握しているようだった。

「既に相手は此方を捕捉している。 若き錬金術師どの。 どうする?」

「フィリスです」

「そうか、フィリスどの。 それでどうする?」

街でオレリーさんから紹介されたバッデンという獣人族の戦士。顔は犬のようだが逞しく、ヒト族の限界身長ほども背丈がある。全身傷だらけで、歴戦に歴戦を重ねた猛者だと一目で分かる。武器は身の丈ほどもある大剣だ。

もう一人は猪のような顔をしたグランツという戦士。此方は巨大なハンマーの使い手。

そして最後の魔族は、兜を被り、ヨロイを着るという。最小限の装備しか身につけないことが多い魔族としては珍しい、重武装の姿だった。兜を被っていることもあり、顔は見えないが。

寡黙な彼は、サイレンスとだけ呼ばれているようだった。

そして街でも、出てからも、一度も声は聞いていない。

この三人は、どうやら錬金術師の試験に貸し出されて、こういった討伐を行う専門家らしく。

ドナにはそんな人員を確保する余裕がある、と言う事だ。

メッヘンはエース格のアモンさんが、本当に大変そうで、何から何まで最前線に出る事を要求されていたが。

此処では普通の街のエース格が。

こういった、「余剰」ともいえる任務に出られる余裕がある、という事である。

流石は10年でこの巨大森林を作り出した希代の英傑錬金術師。

部下の育成も、或いは供に戦って来た仲間の実力も。尋常では無い、と言う事だ。

「まず、煙で燻り出します」

「ふむ、それから?」

「……」

鉱物の声を聞く。

森の中だと聞き取りづらいが。

それでも聞こえる。

何か良い場所は無いか。

程なく、良い声が聞こえた。

なるほど、確かにそれは良いかもしれない。手としては充分にありだろう。

お姉ちゃんに目配せ。

忍び足で、発破を仕掛ける。

多分フラムでは駄目だ。

この近辺で取れる稲妻を帯びるライデン鋼を利用したドナーストーンという爆弾も作って見たのだが。それでもネームドを相手にするには分が悪いだろう。

ならば戦略級の爆弾である発破で仕留める。

仕掛け終わった後。

距離をとる。

そして作戦を説明した。

森を傷つける事は厳禁。

だから、仕掛ける場所も。

作戦自体も。

気を付けなければならない。

「ふむ、面白い策だが……そう上手く行くか?」

「鉱物が教えてくれます」

「ああ、そうか。 聞こえる錬金術師だったな。 俺も殆ど見た事は無いが」

バッデンさんは、わたしをバカにはしない。

だが、難色はきちんと示すし。

不安も提示してくる。

わたしは、彼らを納得させなければならない。

「多分殺しきる事は無理だと思います。 でも、ダメージを与えることが出来れば……」

「後は総力戦で仕留める、か」

「はい。 それに」

「そうだな。 副次効果も大きい」

作戦を承認してくれた。

全員が配置につく。

そしてわたしは、火力を抑えたフラムを、投げ込む。下手投げで、できる限り正確に、である。

洞窟に吸い込まれるフラム。

この間作った手袋のおかげで、飛躍的に飛距離が伸びているから、かなり距離をとった上で、相手に仕掛ける事が出来る。

アウトレンジからの攻撃には対処法がない。

反撃方も限られる。

お姉ちゃんに教わった事だ。

だからまずは、基本に忠実に行く。

フラムが炸裂。

鉱物の声を聞きながら、二つ目を投げ込む。煙が濛々と上がり、洞窟の中から蝙蝠が多数飛び出して逃げていった。いずれもが、人間くらいもある大きなものばかりだ。

そして、のそりと。

ゆっくり姿を見せたそれは。

ウサギだった。

ただし、そのサイズは、この間見た熊以上。

あれがネームドだ。

「彼奴は鬼足のカルネ。 魔術も使うウサギだ。 ネームドとしては弱い方だが、気を付けろ」

「はい」

ウサギが、後ろ足で立ち上がると。

凄まじい咆哮を上げる。

それだけで、とてもではないが、普通の人間では手も足も出ない相手だと言う事がわかってしまう。

だが、此方には錬金術がある。

ウサギの額には角があり。

それが閃光を発した瞬間。

周囲に稲妻が降り注いでいた。

冗談。

こんな広域攻撃魔術を。ろくな詠唱も無しに。

だが、ドロッセルさんも、戦士達三人も。

驚く様子も無く、淡々と作戦を進めている。

お姉ちゃんも慌ててはいない。レヴィさんに至っては、恐らく自前のものだろう、防御魔術でわたしを守りつつ、ゆっくり予定地点へと下がりつつあった。

態勢を低くすると、カルネが突進してくる。

いや、違う。

残像を造りながら、跳んでくる。

早いなんてもんじゃない。

文字通り、風を追い越すような勢いだ。

アレがネームド。

確かに、熟練の戦士や、時には歴戦の魔族さえ返り討ちにするというだけのことはある。アダレットの騎士様が遅れを取るというのも分かる。

至近。

角を光らせているカルネ。

だが、その瞬間。

お姉ちゃんの放った矢が、首筋に突き刺さり。

一瞬の隙が出来る。

しかし、それでも放電を止めないカルネ。

レヴィさんの防御が貫通され、わたしを庇ったレヴィさんもろとも吹っ飛ばす。

物理的圧力まで持っている雷。

魔術そのものだ。

はじき飛ばされたわたしだけれど。

レヴィさんが守ってくれたから、まだ意識はある。

だが、戦士三人を相手にカルネはまったく引かず。

ドロッセルさんが後ろに回り込んだ瞬間、振り返って角で斧をはじき返す。

お姉ちゃんが再三矢を叩き込んでいるが。

いずれも浅い。

手袋で基礎能力は強化している筈なのに。

こんなに壁は高いのか。

でも、負けない。

詠唱開始。

とにかく、予定地点に追い込む。

まさかあんな動きをするとは思っていなかったけれど。作戦通りにすれば大ダメージを与えられる筈だ。

地面に手をつく。

同時に、岩が噴き出すようにして、カルネの腹を強か抉った。

だが、分厚い毛皮が、岩を通さない。

わたしのとっておきだったのに。

でも、カルネの態勢を崩したところに、戦士達が連携して見事な攻撃を叩き込み、それが初めて痛打になる。

空中に、魔法陣出現。

何だ。

だが、即座に理解「させられる」。

その魔法陣を蹴って空中機動したカルネが、地面に隙無く降り立つと。すり足の要領で下がりつつ、雷撃を連射してくる。

立ち上がったレヴィさんが防御魔術を展開するが、消耗がひどいのが一目で分かる。

「そろそろ限界だ!」

「分かっています!」

あと少し。

戦士達も作戦は分かっている。

場合によっては柔軟に行かなければいけないけれど。

それでも出来る筈だ。

お姉ちゃんに雷が直撃。

だけれど踏みとどまったお姉ちゃんは、そのまま速射。目に一本矢を適中させる。誰かがひゅうと口笛を吹いた。戦士の一人だろう。

カルネは無理矢理首を振ると、矢をはじき飛ばす。

目にあたっても、眼球を貫通できなかった、ということだ。

とんでもない化け物である。

今まで見てきた獣なんて、相手にならない。

これがネームドの戦闘力なのか。

雄叫び。

カルネが吠えると、空中に無数の魔法陣。

また空中機動かと思ったが、違った。

魔法陣から雷撃が迸り、一点に集中していく。それが巨大な雷撃の矢になるまで、殆ど時間は掛からなかった。

放たれる極太の雷撃。

それが、妙にスローに、わたしに飛んでくるのが見えた。

あ、駄目だ。

これは、死ぬ。

レヴィさんも、防ぎきれない。

だが、その時。

ドロッセルさんが、わたしを抱えて飛び退く。レヴィさんは、逆に前に出ていた。

最大の隙を晒したカルネに。

三回の斬撃を叩き込み、下がらせる。

今だ。

叫んだのは、レヴィさんか。

わたしも、躊躇わない。

起爆。

発破が。

出来るだけ森を傷つけないように注意して配置した発破が。

突き抜けるようにして、カルネを爆風で包んでいた。

吹っ飛ばされる巨体。

空中で機動も出来ず。

地面に叩き付けられる。

だが、それでもカルネは立ち上がってくる。冗談でしょ。呟きたくなる。ドロッセルさんは手酷く火傷をしているし、お姉ちゃんは肩で息をついている。レヴィさんも、今の渾身の剣技で力尽きたのか、片膝をついている。

戦士達に頼り切って討伐したら多分不合格。

いや、そんな事を言っている場合では無い。

何とか、何とかしないと。

雄叫びを上げるカルネ。

焼けた毛皮から煙が上がっているが、まだ動ける様子だ。

お姉ちゃんが矢を叩き込む。

だが、何発喰らっても怯まず、進んでくる。

わたしは、気付く。

声が聞こえる。

鉱物の声が。

頷くと、わたしはつるはしに持ち替え、突進。体は軽い。走るのだって、出来る。

一瞬だけ、それに驚いたか、カルネが足を止める。だが、すぐに態勢を低くして、突っ込んでくる。

わたしがつるはしを降り下ろす。

早い。

カルネは嘲笑ったようだが。

わたしの狙い通りだ。

足下が、派手に崩落。

カルネごと、わたしが崩落に巻き込まれる。

流石に空中機動を試みるカルネだが。

その肩から腹に、ドロッセルさんが投げた斧が、抉り込まれた。

呼吸を整えながら、わたしは顔を上げる。

まだカルネはひくひくと動いていたが。

やがて、目からは光が消えた。

 

バッデンさん達が巨大なカルネの体を穴から引っ張り出す。

この空間がある事は、鉱物達が教えてくれた。とはいっても、さっきの発破によって地面の中に衝撃が伝わって、出来たものだったようだけれど。

枯れ木を見つけてきたバッデンさんが、カルネを吊るし。

そして、ネームド戦について、採点してくれた。

わたしには、見ているしかできなかった。

もう余力が無かったのだ。

お姉ちゃんとドロッセルさん、レヴィさんの手当をしたら、腰が抜けて動けなくなってしまった。

情けなくて悲しい。

「俺たちだけでもアレを倒せたことは分かっているな」

「はい……」

情けないが。

その通りだ。

事実、戦士達は最低限補助をしてくれただけ。

実力はドロッセルさんと同格と思っていたが、戦闘時の動きを見る限り、多分更に切り札を隠していたと見て良い。

「だが、それを理解した上で動いていたのは立派だ。 森を傷つけてもいない。 少し甘めの採点だが、60点という所だろう」

「ありがとうございます」

お姉ちゃんは少しむっとしたようだが。

わたしはもっと低い点を付けられるかと思っていた。

そもそも、オレリーさんがこの三人と出ていたら、此処まで戦闘は長引かなかっただろう。

錬金術師の試験のために。

危険度が低いネームドを残していた。

それが実情なのだろうから。

カルネを捌く。

そして、見た事がない玉が、その体内から出てきた。

心臓の辺りにくっついていて。

内臓の一部と一体化していた。

「深淵の核、或いは深核と呼ばれるものだ。 ある程度の実力を持つネームドの体内に生成される事がある。 高度な錬金術の素材になるから、とっておけ」

「いいんですか!?」

「ああ。 もし50点以上の採点なら渡すようにと、長老から言われている」

バッデンさんにそう言われると、受け取るのが良いのだろう。

大事にしまい込む。

それから、歩けるようになるまで少し待って貰って。

ドナに戻った。

ドナについた頃には夜中だったが。

オレリーさんは出迎えに来てくれた。

ぼろぼろになっているわたし達四人と。ほぼノーダメージのバッデンさん。

しかし、バッデンさん達はいざという時の補助要員。

これはある意味仕方が無い。

「生真面目に、自分達だけで倒す努力をしたようだね」

「遅くまで済みません。 傷が酷くて、歩けるようになるまで休んでいたらこんな時間になってしまって」

「構いやしないよ。 この試験はね、相手に勝つことで50点なんだよ」

「え……」

そういうことか。

なるほど、分かった。

わたしはまだ戦う錬金術師としては本当に最低ライン、という事をさっき言われたのだ。

もしも誰かに致命傷が行く展開になったら。

多分不合格だったのだろう。

そして50点が合格ラインだった。

そういう事だ。

詳しい採点について、バッデンさんがオレリーさんに説明している。

鉱物の声を聞く能力を最大限活用したことに、かなり点数を加点している、といっていた。

なるほど、そういう事なのか。

いずれにしても、深核は貰って良いのだろう。

話を聞き終えると。

オレリーさんは相変わらず厳しい表情で言う。

「一次試験は合格だよ。 とりあえずアトリエで休みな。 態勢を万全にしたら、また来ると良い。 二次試験をするからね」

「分かりました」

頭を下げると、アトリエに戻る。

ベッドにそのまま飛び込みたい気分だけれど。まず全身のダメージを再確認して、それから体をぬらした布でふいて。食事もして、眠る事にする。

カルネの肉も少し分けて貰ったけれど。

食べると、体の中からぼっと火が沸いてくるようだ。

凄い魔力が肉に籠もっている、という事である。

「美味しい、というのとは違うけれど、力が出る肉ね」

「ちょっと堅いかなあ」

「堅牢な山の如き相手だったのだ。 仕方があるまい」

レヴィさんもまたあの変な言い回しに戻っている。

やっと余裕が出てきた、と言う事だろう。

それにしても、はっきり分かった。

力が足りない。

もっと強くならないと。

今後は恐らくやっていけないだろう。

さっき、渡された深核という素材。

あれは高度錬金術の貴重な材料になるという話だった。

ということは、もっと高度な錬金術をやるようになると。

あれくらいの強敵と戦い。

素材を集めていかなければならない、と言う事だ。

それに、ウサギでさえアレだ。

もしも熊やグリフォンのネームドと遭遇してしまったら。

一体どんな目にあってしまうのか。

今から恐ろしくてならない。

食事をした後。

ゆっくり休む事にする。

疲れが溜まっていたからか。

殆ど何も考えず、眠る事が出来た。

前の、メッヘンの街では。

ディオンさんが頼りなかった事もあって、本当に色々大変だったのだと。ここに来て分かった。

確かにオレリーさんと、あの人が育てた戦士達がいれば。

この街は。

生半可な脅威なんて、近づけもしないだろう。

それは、よく分かった。

 

2、森の木との戦い

 

一日時間を空け。

オレリーさんのアトリエを訪れる。

オレリーさんはむずかしい調合をしている様子で、小屋に見えるアトリエの地下に籠もっていたが。

それでも声だけは聞こえた。

「来たね。 その辺で待っていな。 調合が終わったら行くよ」

「お姉ちゃん、待とう」

「ええ……」

お姉ちゃんはあまりオレリーさんの事を良く想っていないらしい。

命がけの戦いだったのに。

あれだけ酷評されたのだから当然だろうか。

それに、わたしも死ぬ思いをした。

それも原因なのだろう。

メッヘンでの時には、頼りない、とずばりディオンさんの事を言うことはあった。

でも、ディオンさんに対して、敵意や悪感情は抱いていないようだった。

それはディオンさんが、わたしに対して最大限の敬意を払っていたから、なのだろう。恐らくディオンさん自身に、自信が無かった事もあるのだろうけれど。

だけれどオレリーさんは違う。

わたしを厳しく熟練の錬金術師という目から見ていて。

情けも容赦もしない。ソフィー先生は手取り足取り指導してはくれたけれど、それともまったく方針が違う。

それに、話に聞かされたとおり。

大半の錬金術師が、オレリーさんの課題を突破することが出来ないのだろう。

実際、わたしも。

鉱物の声が聞こえて。

お姉ちゃんとレヴィさんがいなかったら、とても勝てなかっただろう。ドロッセルさんがいてくれたのは、幸運でしかなかった。

ソファに並んで座りながら、オレリーさんを待つ。

やがて、地下室から魔術で転送してきたのか。

いきなりオレリーさんが、目の前に立っていた。

「待たせたね」

「えっ!? いえ、はい」

慌てて立つが、座るように言われる。

オレリーさんは、第二の課題が本番だと前置きしてから、一つずつ話をしていく。

「この世界の大半が荒野で、そもそも緑化をしないと緑はほぼ育つ事がないことは、もう如何に世間知らずでも分かっているね?」

「はい。 見てきました」

「それならば、次は緑とのつきあい方が課題だ」

オレリーさんが指を鳴らすと、テーブルが歩いて来て、目の前に来た。

本当にテーブルが歩いたので驚いた。

「何を驚いているんだい。 遺跡で野生化した錬金術の道具が人を襲う事があることくらいは知っているだろう? あれは種類にもよるが別にロストテクノロジーではないんだよ」

「……待ってください、ということは、わたしにも作れる、んですか?」

「ああ、そうだよ」

黙り込む。

ひょっとして、それが本当だとすれば。

例えば、労働の負荷を上げている荷車を自動で動かしたり。

或いは、人のように考えて、動いてくれる道具を作ったり。

出来るかもしれない。

咳払いを受けて、我に返る。

オレリーさんは、やっぱり厳しい目で此方を見ていたので、慌てて謝る。お姉ちゃんは、少し呆れたようだった。

「今度は森の緑化で成果を出して貰う」

「はい。 やってみます」

「内容を聞かなくていいのかい?」

「も、もちろん聞かせてください」

鷹のような鋭い眼光。

嘆息すると、オレリーさんはいう。

出来る保証も無いのに、出来るとか、やってみるとか、そういう事は言うなと。

まず先に、内容を確認して、出来るかどうかを見てから判断しろと。

確かに正論だ。

返す言葉も無かった。

怖くて、そうとしか返せなかったことも。

オレリーさんは見抜いているようだった。

「地図」

「わっ」

不意にスクロールが飛んできて、机の上で拡がる。

魔術には此処まで出来ない。

出来るには出来るが、複雑な詠唱と、複雑な行程が必要になる。それらを全て錬金術で自動化している、と言う事だ。

この人の桁外れの実力が、すぐに分かってしまうのが怖い。

「この大地がどうして枯れ果てているかは分かっているかい?」

「ええと、あまり詳しくは分かりません。 わたしの先生になった人が、少しだけ話してはくれましたけれど」

「ほう、聞かせてごらん」

「基本的に植物が芽吹くには、邪神がいるか、よほど水などの条件が整っているか、錬金術師が手を入れるかしかない、と」

鼻を鳴らすオレリーさん。

恐縮するわたしに、オレリーさんは、今度は黒板を呼びつける。

当然のように飛んできた黒板に、オレリーさんはチョークを使って書き始める。

「それは結論であって理由では無いねえ。 いいかい、この世界には、力が根本的に足りないんだ。 理由は分からないが、本来は育つ筈の植物が育たない。 何百年も前から錬金術師達が研究を続けて、そして失敗を続けて来た。 そして調査の結果、今の結論が出たんだよ」

「水や肥料だけでは駄目なんですか」

「駄目だね。 どうしてか荒野に無尽蔵に沸いてくる獣と同じく、最大の謎だ。 草しか食べない獣も、草がない場所で平然と生きている。 これも謎とされているがね」

「本当に、どうしてなんだろう……」

考え込むわたしの前で。

オレリーさんは、黒板に幾つかの理論を書いていく。

字は読めるけれど。

すごく達筆で、逆に読みづらかった。

この人、ひょっとして。

ライゼンベルグで先生をやっていたのかも知れない。

この国でも十指にはいる錬金術師だと言うし、それも不思議では無いのだろう。それに戦士達の鍛え上げられ方から言っても、不自然では無い。

「まず大地には、吸い上げられてしまったか、或いは元から存在しなかったかのように、魔力がないんだ。 その代わりに、邪神共やドラゴンが魔力を持っている。 邪神は倒すと復活するが、その間漏れた力が獣に宿ることがある。 それがネームドだ」

「ネームドがあれほど強いのは、永く生きたから、ではないんですね」

「ネームドの中には、元々植物だったものや、ただの死体だった存在すらいる。 生きた年数なんて関係無いね」

「……」

すごい。

何というか、知識がどんどん入ってくる。

この人が、どうして時間を割いてまで授業をしてくれるのかは分からないが。

でも、必要な情報が、補填されていく気がする。

「つまるところ、大地に魔力を充填してやる必要があるのさ。 栄養剤ってのは、それを行う道具なんだよ。 そして魔力を充填するには、邪神か、ドラゴンか、ネームドの体内にある、強い魔力を込めた素材か、或いは強い魔力を持った錬金術師が作り上げた栄養剤が必要になる。 この中で一番現実的なのは何だと思う?」

「ネームドの討伐、でしょうか」

「そういうことだ。 では、改めて課題の詳しい説明をするよ」

地図の上に、オレリーさんが魔女のように節くれ立った指を立て、くるりと円を描いた。

ドナの東。

荒野になっている地帯だ。

そのすぐ北には遺跡がある。

それも広い広い遺跡だ。

ドナから二日ほど東に行くと森を出て、遺跡の南側に出る。その辺りにはまだ緑化が行われていないらしい。

一方、南には不自然なほど森が拡がっている。

いびつな卵形に拡がっている森を見て、わたしが小首をかしげると。

オレリーさんは言う。

「それは前に私が推薦状をくれてやった奴の仕事だよ。 私もそれなりに生きてきたけれど、あれは桁外れの化け物だった。 前にも言ったが私は実力主義でね、これだけの成果を見せられたらどんな相手だろうと推薦状は書く。 それだけさ」

「凄い人がいるんですね」

「あれはもう人とは呼べないかも知れないがね」

「……?」

よく分からない。

どうしてか、お姉ちゃんが何か腑に落ちたような顔をしたからだ。

まあいい。

順番に説明を受ける。

まずキャンプを建てる。

その資材は提供してくれる。

その後は、近くにいるネームドを何でも良いから狩る。この、ドナの北東にある遺跡はネームドの巣窟で、地上付近に出てくる雑魚と、遺跡の奥にいる化け物とで、かなりの差があるらしいが。

遺跡の奥には、ドラゴン並みの化け物がいて。

遺跡から出て地上を彷徨うのは、この間私が倒したカルネと同等か、それ以下程度の力しか持っていないという。

このネームドをまず狩れ、という。

「前にカルネを倒した時、深核を手に入れただろう?」

「はいっ」

「あれと同じようなものをネームドから回収出来るはずだ。 それを使って栄養剤を作って、土地の緑化をしな。 水については、この辺りの川から引くと良い」

地図を少し南下。

恐らく、メッヘンの近くも通っていたあの川の支流だろう。川が通っていた。或いは遺跡が街だった頃には、此処から水を引いていたのかも知れない。

「最終的にはね、私が死ぬか、後継者が現れるまでには、ドナ周辺の緑化は完成させたいと思っていてね。 私自身でも緑化は進めているが、やはり一人では手が足りない。 いっそのこと人間を止める事も視野には入れてはいるが、それも正直健全な行動とは言い難い。 だから少しでも若い人間に才能を開花させて欲しい。 それが本音でね」

栄養剤のレシピを、口頭で軽く教えて貰う。

慌ててメモをとったが、もの凄くアバウトだ。

理論だけしか教わっていないに等しい。

後は自分で考えろ、というのだろう。

とてつもなく厳しい人だ。

「明日の朝には資材と人員を揃えておく。 準備はしておきな」

「はい」

「じゃあ行った行った。 私もこれで忙しいんでね」

アトリエを言われたまま出る。

お姉ちゃんは、むっとした様子だったけれど。

或いは違う理由でふさぎ込んでいるのかも知れない。

「リア姉、どうしたの?」

「幾つか、気になる事があったの」

「なあに?」

「あの人、人間を止める事も視野に入れている、と言っていたわ。 つまり錬金術だと、簡単に出来ると言う事よ」

ぞくりと来た。

確かに、そうなのだろうか。

お姉ちゃんはアトリエに歩きながら話してくれる。

リッチという存在がいるらしい。

魔術師が自ら不死者になる事で、何倍もの魔力と、永遠の時間を手に入れた怪物。

錬金術師にはどうやってもかなわない魔術師が、手に入れた対抗手段の一つ。

だけれども、滅多に話を聞かないという。

それもその筈で、才能のある魔術師が、それこそ何十年がかりで術を展開して、ようやくリッチになれるというのだ。

いつそんな話を聞いたのだろうと疑問に思ったが。

お姉ちゃんも苦笑した。

「私もね、フィリスちゃんのためにと思って、情報収集を常にしているのよ。 魔術は使える人が多いでしょう? 兎に角飛び抜けている錬金術に対抗しようと考える魔術師は昔から多かったらしいの。 それに、ドラゴンや邪神……錬金術師でないと倒せない相手に、魔術師でも対抗できる方法として、考えた人もいたんでしょうね」

「そこまでしないと魔術師は人間を止められないんだね……」

「そうよ。 でも錬金術師には簡単にできてしまう」

そうか。

それ一つとっても。

錬金術は、桁外れの学問なのか。

思わず震えが来る。

わたしは一体。

何を今扱っているのだろう。

神の御技か。

悪魔の手か。

どちらにしても、わたしは今、とんでもないものを扱っている。使い方次第では、それこそ簡単に世界を滅ぼせてしまうものを。

胸に手を当てて。

ゆっくりと息を吐き出す。

怖くないと言えばうそになる。

でも、エルトナを救うには、それくらいの力は必要になる。それにどん詰まりの状況は、何処も同じ。ドナのような場所が例外なのだと言う事くらいは、もうわたしにも分かっていた。

アトリエに戻ると。

ドロッセルさんとレヴィさんが戻っていた。

わたしはお薬を補充しに掛かるが。

奥で二人が口論を始める。

見ると、もの凄い料理をドロッセルさんが作ろうとしていて。

レヴィさんが、珍しく怒っていた。

「食材は大地の恵みにて、天からの授かり物だ! このように冒涜することはあってはならぬのだぞ!」

「冒涜って、食べられるじゃん」

「美味しく食べるのが最低限の礼儀だ! ドロッセル、貴殿は腕っ節に関しては俺より上だと認めるが、料理に関しては俺に任せて欲しい。 この料理は俺が責任を持って処理しよう」

「へいへい」

呆れたのか、ドロッセルさんがキッチンを出て。

何だか形容しがたいよく分からない代物を、おなかに放り込むレヴィさん。

「レヴィさん?」

「見ていたのか。 俺はあまり褒められた人生を送ってきていないからな。 どんな食い物でも食える。 だが、だからこそ知っている。 どんな酷い食材でも、美味しく食べる方法があるし。 命を奪っている以上、それに対する礼儀をわきまえるべきだとな」

「それで、あんなに怒ったんですね」

「まあ料理が下手なのは仕方が無いさ。 それに悪意も無かったしな。 もし悪意があったら、絶対に許さない所だ」

ぷんすかしているレヴィさんが、料理を始める。

ドロッセルさんは、決して不器用ではないのだけれど。

料理に関しては駄目なのか。

実際、前に繕いものをしているのをみたけれど。

わたしが四苦八苦して手袋を作ったのより。

倍も手際よく作っていた。

多分、人形劇の劇作家、というのが理由なのだろう。

人形を作る事が出来るのかも知れない。

そのためには、手先が器用なのは当然だ。

でも、それなら。

どうして料理が駄目なのかは不思議だ。

レヴィさんが四人分の料理を出してきたので、まず食事にする。その間に、わたしは釜を蒸留水で洗浄し、お薬を作る準備を整えていた。でも、その前にちょっとやっておきたい事が出来た。

またネームドと戦う事になるのだし。

ちょっと爆弾とかのバリエーションを増やしておきたかったのだ。

幸い、街では、錬金術に使えそうな素材が幾らか売られていた。

まだお金はさほど潤沢では無いけれど、それでも購入は出来たので。それを使って新しい爆弾を試してみようと思っている。

爆弾用の中和剤作成。

次にやるのはそれだろう。

まずは食事に集中。

ドロッセルさんは、あれほど文句を言われたのに、おいしいおいしいと嬉しそうに食べていて。

食べっぷりは私が見ていても和むほどだ。

食事を負えると。

てきぱきとお姉ちゃんが片付ける。

わたしも、皆を見回して。

次の課題についての話をした。

「緑化か。 大地の恵みを手に入れる事が容易になるのは良いことだ。 ただし無秩序に森を拡げると、畑も作るのが難しくなるが」

「既にどの辺りを緑化すれば良いかは、オレリーさんに指示を受けています。 人員と物資は、明日合流する予定です」

「それにしても、また難しい仕事を引き受けたね」

「錬金術ならやれます」

わたしは、それについては自信を付けてきていた。

メッヘンで、あれほどの難工事を成功させたのだ。

今度だって、きっと。

きっとできる。

ただし、まずそれより前に。

ネームドを駆除しなければならないのだが。

それを話すと。

レヴィさんもドロッセルさんも、表情を引き締めた。

「あのでっかいウサギ、ネームドとしてはまだ弱い方だよ」

「はい、覚悟はしています」

「それならば良いけれど」

「……順番に、一つずつこなして行きましょう」

頷くと、今日は休んで貰う。

わたしは中和剤を作った後。

試していなかった、氷結爆弾を作って見る。

樹氷石という、触るだけで皮膚がくっつくくらい強烈な冷気を発している鉱物がある。この鉱物の力を中和剤で変質させ。

閉じ込めた上で、相手に投げつけ、炸裂させる。

炸裂の瞬間、破壊力を増幅させることで。

氷柱が、一瞬にして相手をズタズタに引き裂いてくれるはずだ。

とても怖い爆弾だけれど。

かといって、熱と爆風で敵を殺す爆弾だって、同じように相手を殺すためのものなのである。

身を守ると言っても。

それが現実なのだ。

である以上、ああだこうだと言ってはいられない。

命を守ると言うことは。

命を奪うと言う事なのだ。

外はすてきなだけの場所では無い。

わたしも、もう。

それについては、覚悟だって決めている。命を奪うからには、それを生かしていかなければならない。

前より手際も良くなっているとは言え。

爆弾の調合は緊張する。

何度か失敗したけれど。

致命的な失敗はせず。

怪我もしなかった。

試行錯誤している内に、夜更けになり。何とか使えそうなものが出来たときには、夜半を越えていた。

少し遅くなってしまったので、すぐに寝ることにする。

明日は。朝から忙しくなる。

今からわたしが疲弊してしまっていては。

どうしようもないのだから。

 

3、血を吸う大地

 

十人の戦士。

二十人の人夫。

かなりの大所帯だ。

だが、いずれも慣れている様子である。

話によると、ドナに逃れてきた貧民もいるとか。今回のお仕事で稼ぎになると聞いて、仕事に申し込んできた人も多いと言う。

子供を見ると、体格が露骨に違う。

ドナの出身らしい子は皆背も高いし骨格もしっかりしている。

良いものを食べているからだろう。

だが、難民としてこの街に流れ着いたらしい子供達は。

みんなひ弱そうで、肉もついていなさそうだった。

こんなに差が出るのか。

エルトナは、まだマシな場所だったのかも知れない。

そう思わされて、わたしは悲しくなる。

わたしもまだ子供で、もうちょっとは成長するけれど。

大人になって、もう少し背が伸びたり、胸とか大きくなったりするのだろうか。

元々エルトナも、栄養はそれほど豊富ではなかった気がする。

ドナの街に生まれていたら。

わたしももっと大きくなっていたかも知れない。

壮年の魔族の男性。この間兜を被っていた人物が、指揮を執るという。確かサイレンスと呼ばれていたはずだが。

兜を外すと。

精悍でもの凄く強そうな顔が出てきた。

「錬金術師フィリスどの」

「は、はいっ」

思わず気をつけをしてしまう。

魔族として全盛期の肉体。

人間の倍もある背丈。

そして歴戦だと一目で分かるオーラ。

この人こそ。

実は、この間の課題で、お目付をしていた、真のリーダーだった、というわけだ。

「俺は兜を被っているときはサイレンスと名乗っているが、兜を外して本当の意味での仕事をするときにはベリアルという本名を名乗る。 兜を被っていないときは、ベリアルと呼んで欲しい」

「はい、ベリアルさん」

「うむ。 俺は兜を被っていないときは少し多弁になりすぎるきらいがあってな。 それで普段は余計な事を喋らないように兜を被るようにしているのだ。 しかし、貴殿は若くして才能に恵まれた錬金術師と判断した。 以降は兜を脱いで対応させていただく」

「分かりました」

ぺこりと頭を下げる。

戦士達はいずれもベテラン。

少なくとも、この間戦ったネームド、カルネならこの戦力で一瞬にして揉み潰せるだろう。

大きめの荷車四台。

更にキャンプ用の資材をそれに積み込み。

人夫を中心に、周囲を戦士が守って、ドナを出る。

人夫の中には子供もいるが。

これは、何とかならないのだろうか。

「何かあったら、何でも詳しく聞いてくれ」

「はい。 その、学問を教えてくれる……みたいなものは……ドナにもないんですか?」

「存在している。 長老が赴任してから、周辺の緑化と並行して作り上げた」

「でも子供が働き手に……」

ベリアルさんは、少し悩んでから言う。

なお、わたし達は最前列だ。

「学問は無料で教える施設がある。 其処で学問を学んでいる者もいて、街で技術者や商人として働いてもいる。 子供のうちに学問を学び、現在は職人になっている者もいる」

「でも、子供も働きに出ているんですね」

「ドナはまだ大きくなっている街だ。 人手は幾らあってもたりない。 確かに子供は学問をして、遊んでいるのが一番なのだろうが、な。 俺は幾つかの街を見てきたが、子供が学問と遊びだけをしていられる場所など、見た事がない。 残念ながら、まだ当分そんな時代は来ないだろう」

厳しい現実だ。

わたしは、どうにか変えたい。

ほどなく、会話禁止のハンドサインが出た。

獣が出る地域だ。

街道は、話によると獣よけの処置がされていて。獣が人間を襲いにくいらしいのだが。

それでも、限度はある。

実際ドナに来る最中、街道を跨いでいる大蛇も見た。

あの様子では、油断して一人で歩いていたりしたら、襲ってくる獣だっている筈だ。

無言で隊列を組んだまま移動を続ける。

それで気付く。

荷車は、馬が引いていない。

そして、疲れた者が荷車に乗っているが。

荷車は勝手に動いていた。

あの机と同じ仕組みか。

だとすると凄い。

やっぱり自動で動く道具を作れるのか。

仕組みが知りたい。

でも、今はまず。

現地に到着し、キャンプを作る事からだ。

一日ほど東に進むと、分岐路に出る。分岐路にはそのままキャンプスペースが作られていて、獣よけも念入りに施されているようだった。

丁度夜になっていたので、今日はここで休む事にする。

戦士が何人か森に入り。

獣を数頭仕留めてきた。

その中には、この間鹿を食べている百足を平然と見下していたヤギも混ざっていた。

つまりこの戦士達は。

あんな百足くらい、鼻で笑える実力を持っている、という事である。

頼もしいけれど。

頼りっぱなしにも出来ないだろう。

ネームドはわたしも積極的に戦って、倒して。

そして素材を生かして、緑化を進めていかなければならない。

アトリエを拡げて、中で休む。

調合は。

体力的に、やっている余裕が無かった。

そして、今更気付く。

ネームドを倒すのは。

そもそも、この課題の下準備として、絶対に必要な事だったのだと。

ネームドも倒せないようでは、緑化作業なんて夢のまた夢。

わたしが桁外れに強い魔力を持っているのなら、それを生かして緑化作業を出来たのかも知れないけれど。

残念ながらわたしは魔術師としてはボンクラだ。

優しく色々教えてくれる鉱物達に働きかけて、力を借りるだけで死にかける程度の力しか無い。

もしわたしが緑化を目論むなら。

それこそ、ネームドを倒すしか無いのだ。

オレリーさんは、それを知っていたからこそ。

いきなり厳しい課題を出してきたのだろう。

そして、緑化も出来ないような錬金術師なんて。街を復興させるには力が不足しすぎている。

ただでさえ各地の街が大変なのだ。

それも、今に始まった事ではなく、昔から、である。

錬金術師は、世界を変えなければならないのかも知れない。

オレリーさんは、厳しい人だけれど。

きっと、世界を変えるための力を欲しているのではあるまいか。

気付くと朝に。

いつの間にか眠っていたらしい。

歩くのにはすっかり慣れていた。

足にダメージはない。

朝の内に、さっさとキャンプを畳み。

また黙々と東に進む。

森の木はどんどん背丈が低くなっていき。

やがて、森を出た。

最初は草原が拡がっていたが。

それもすぐに無くなり。

文字通り凶獣と枯れ果てた大地が拡がる荒野に変わり果てていった。

ドナはあれほど豊かな緑に覆われているのに。

ちょっと街を出るだけでこれだ。

悲しいを通り越して悔しくなってくる。

どうしてこの世界は。

こうまでも過酷なのだろう。

「よし、以降は喋っても構わないぞ。 これより少し南下して、川の近くにキャンプを展開する」

ベリアルさんが手を叩いて、周囲に指示を出した。

緑化作業はわたしに任せるが。

部隊の指揮はベリアルさんが執る、と言う事なのだろう。

わたしもそれで異存ない。

わたしに部隊の指揮なんて出来ないし。

戦いだって、素人なのだから。

玄人に任せられる所は、任せるべきである事くらいは分かっている。

川が見えてきた。

要所にしっかり堤防が作られていて。

その堤防も、獣よけがきっちりされている。

ただし、流石に川の周囲まで緑化は出来なかったのだろう。

また、川から何カ所か、飲料水用の水路が作られている。勿論飲料水といってもそのままは飲めないが。

川に行って水を汲んでいたりしたら。

それこそ命が幾つあってもたりない。

大型の獣が入り込めないようにした水路の存在は貴重だ。

此処を中心にキャンプを展開。

大きめの天幕を組み立てようとしたが、わたしは不要と指示。わたしのアトリエを本部にすれば良い。

ちょっと窮屈だけど、ベリアルさんもギリギリ入れる。

他にも戦士達にも入って貰い。

中で軽く打ち合わせをすることにした。

「これは譲渡品か。 流石に現時点の貴殿に作れるとは思えぬが」

「はい。 凄い錬金術師の先生に貰いました」

「そうか、大事になされよ」

「はい、宝物です」

ベリアルさんが目を細める。

前にも参加してくれたバッデンさんが咳払いしたので、わたしは地図を拡げた。

緑化地点について、皆に説明。

すると、皆慣れているのか。

すぐに状況を理解してくれた。

「遺跡までもう少しだな」

「あの遺跡を攻略できれば、上手く行けばフルスハイムと直通路を作れるかも知れねえ」

「だがあの遺跡はなあ……」

戦士達が口々に言う。

詳しい話を聞かせて貰う。

何でも、遺跡は元々、ラスティンでも屈指の大都市だったらしい。

それが邪神の攻撃で滅亡。

その邪神、虹神ウロボロスは、当時のラスティンでも屈指の錬金術師達が力を結集、その大半の命を落としながらも撃破に成功。

しかしながら、その余波で街は完全に壊滅。

復興どころか、強力なネームドの巣になっているらしい。

そして、この遺跡を抜けたすぐの所に。

ラスティンでも中枢になる都市の一つ。世界でも珍しい、人が万を超える大都市、フルスハイムが存在している。

フルスハイムへの直通路を作る事が出来れば。

ドナは更に発展するし。

フルスハイムも、森林資源の恩恵を直に受けられる。

現在は、迂回路を通ってフルスハイムに資源を売りに行くしか無く。

非常に時間が掛かる上。危険で仕方が無いのだという。

なるほど、そういう事か。

わたしは長期計画の一端を担っている、ということだ。

それにもう一つ理由があるという。

「森で獣が凶暴性を薄れさせることは、フィリスどのも知っていると思うが」

「はい。 明らかに凶暴では無くなっていました」

「コレを利用して、東に街道を延ばす計画がある」

「え……」

フルスハイムへ行きやすくするため、だけではないのか。

ベリアルさんは頷くと、軽く話してくれた。

地図も出してくる。

もっと大きな、この辺りの地図だ。

見ると、フルスハイムとくっつくようにして、とても大きな湖がある。これが水運の中心で、更に湖の周囲にフルスハイムほどではないにしても、かなりの数の街が存在しているという。

だが、湖に頼りすぎている。

そういう声もあるのだとか。

そして今、フルスハイムでは大きな問題が起きているらしく。

物流に大混乱が起きているのだそうだ。

「前から長老は言っていた。 フルスハイムの利便性に頼りすぎると、いつか痛い目にあるかもしれないと。 本当にそれが起きてしまったのだ」

「それで、東に街道を?」

「そうだ。 東は荒野が拡がっていて、とても人間が通れる場所では無い。 だが此処を開拓すれば、湖の南端にあるそこそこに大きな街への経路を作る事が出来る。 陸路だが、緑化を進めて、更に途中に休憩所を。 更にはそれを発展させて、小さくても良いから街を作れば……」

「最悪の場合を回避できるんですね」

なるほど。

どうやらわたしがやるべきことは、想像以上に重い仕事らしい。

オレリーさんは、とても厳しい人だと思っていたけれど。

こんな仕事を任されると言う事は。

本当に厳しい人だった、と言う事だろう。

だけれども。

エルトナを救うためには。

あらゆる経験を積まなければ駄目だ。

公認錬金術師になっても。

実力が伴わなければ意味がない。

こんな良い仕事をくれたのなら。

やりとげなければならないだろう。

わたしは頷く。

「では、まずネームドを狩りましょう。 近場にネームドは」

「偵察からそろそろ戻ってくるはずだが」

不意に。

外で騒ぎになる。

慌ててアトリエを出ると。

血だらけの戦士が倒れていて、応急処置が始まっていた。しかもこの人、あのグランツさんだ。

この人ほどの強者が。

一体何にやられたのか。

すぐにお姉ちゃんが回復の魔術を掛け始める。

わたしもすぐに薬を出す。

流石に手足が千切れていたらどうにもならないが。

傷を埋めるくらいは、今のわたしの薬でも難しくない。

更に、念のための時に備えて貰ってきたネクタルも飲ませる。

死者を生き返らせるとまで言われる奇蹟の薬だ。

オレリーさんにここぞと言うときに使えと言われたので、使う。

グランツはさんはしばらく苦しそうにしていたが。

やがて、すこし楽になったのか。呼吸を自分で整え始めた。

「グランツ、何が出た」

「まずいぞベリアル。 即時撤退……した方が良い」

「まさか、遺跡の深部にいるネームドか!?」

「かなりの手傷は受けているようだったが……そうだ」

ぞくりときた。

遺跡の深部にいるといえば、ドラゴン並みの実力者だという話だ。

しかも手負い。

最悪では無いか。

「長老を呼んでくるしか対処の方法がない。 この戦力では、戦闘を挑むのは自殺行為だ」

「いや、駄目だ。 人夫を逃がしきれない。 やるぞ」

ベリアルさんが立ち上がる。

そして、いきなり雄叫びを上げた。

すくみ上がる。

そして、理解した。

この人が。壮年の、全盛期といっていい実力を持った魔族が、怒りに打ち震えている事を。

「神の力の一端を喰らった獣風情が、良くも我が仲間を傷つけたなあっ! 地獄に叩き落としてくれる! 灼熱の炎に焼かれながら、己の愚行を悔いるが良いわ!」

「グランツさん。 まず、相手の特徴を教えてください」

「フィリスちゃん!」

蒼白になるお姉ちゃん。

わたしは首を横に振る。

これは戦いを避けられない。

手負いの獣だったら、絶対に一番手頃なエサを狙いに来る。つまりわたしたちだ。敵が回復する前に、総力戦を挑むしかない。

ネームドはその非常識な実力をさっきみたばかり。

あんな化け物だ。

どんな能力を持っていてもおかしくない。

ましてやネームドを狩り慣れているだろう人に此処までの重傷を負わせた相手だ。

とてもではないが、非戦闘員を逃がす余裕なんてくれるとは思えない。

此処で戦士達が足止めをして、非戦闘員を逃がすという手もあるかも知れない。

だけれど、グランツさんは、バッデンさんやベリアルさんとそう実力も変わらない人だ。それが此処までメタメタにやられたとなると。時間稼ぎに守りに入るよりは、敵が回復する前に叩く方が勝算がまだある。今、戦力が最大まで揃っている状況で、戦うしかない。

それを説明すると。

ベリアルさんも頷く。

静かに、強い怒りを込めて。

お姉ちゃんもしばし黙り込んだ後、覚悟を決めたようだった。

レヴィさんが、重苦しい雰囲気の中声を開く。

「それでフィリスよ。 どうする」

「まずは敵の情報です。 どんな相手でしたか、グランツさん」

「……得体が知れない奴だ。 全身が何だか巨大な塊で、刃物が突きだしていた。 刃物は伸縮自在で、広域攻撃を自由自在、しかも刃物の強度も凄まじかった」

「良く生きて帰れたな」

ベリアルさんの声に、グランツさんは苦笑い。

露骨な深手が入っていて、相手の動きが鈍かったという。

ならばなおさら、勝機はある。

わたしも、試作品も含め、全ての爆弾とお薬を出して来て、荷車に積む。

後は、交戦地点だが。

ベリアルさんが浮き上がって、既に偵察してくれている。

さて、どうなるか。

「見つけた……」

流石に早い。

全員が戦闘態勢に入る中、ベリアルさんは舌打ちし、着地する。

「どうやら向こうから此方に来るつもりのようだ。 非戦闘員をエサにするつもりなのだろう。 凄まじい勢いで突貫してきよる」

「非戦闘員は、全員アトリエの中に! 何があっても出ては駄目です!」

わたしが促して。

全員をアトリエの中に。

グランツさんにも入って貰う。

全員でキャンプを出て、交戦に備える。だが、敵の姿は見えてこない。まさか、地下にでも潜ったのか。

いや、それならば。

絶対に鉱物が教えてくれる。

そんな声は聞こえない。

と言う事は。

「上だ!」

「散開ッ!」

ベリアルさんが吠え猛る。

そして自身は魔術でシールドを展開、真上から飛んできた何だかよく分からない化け物を受け止め。

お姉ちゃんがわたしを抱えて飛び退く。

その距離が、思ったよりもの凄くて驚いた。手袋の強化によるものだろう。

それよりもだ。

なんだこれ。

生き物なのか。

確かに、得体が知れない塊。それも赤黒く、とてもおぞましくて、見ただけで吐きそうな肉塊に。

全身から、無数の刃が。

いや、近くで見ると分かるが、多分あれは鉱物だ。

声が聞こえる。

体内に鉱物を取り込み。

それを剣のように、自由自在に操れるようにしたものだろう。

そして、この流動性の高い動き。

「ぷにぷにのネームド……!」

「たかが、とは言えそうにないな!」

シールドをブチ割られ、間一髪で逃れるベリアルさん。

同時にわたしがフラムを放り込み。

戦士達も、矢を放てる者は矢を。

魔術を使える者は魔術を。

一斉に叩き込む。

だが、それらを、柔軟に動いた刃のような鉱物が。

盾になって防ぐ。

わたしは即応。

地面に手を突いて、鉱物に力を借りる。詠唱開始。敵が怪しいと気付いたのか、形態を変えようとするが、突貫したドロッセルさんが、フルスイングで斧を叩き付ける。猛烈な圧力に、流石のネームドもずり下がる。

位置、微調整。

発動。

鉱物がせり上がり。ネームドを貫く。

悲鳴を上げたぷにぷにが、わたしを見た。

ざっくりと抉られているが。

確かにそいつには多数の複眼と。

鋭く裂けた牙だらけの口があった。

触手代わりにしているだろう鉱物をしならせると、一斉にわたしを貫かせようと伸ばしてくる。

ベリアルさんが割って入り、シールドを展開。

防ぎきれない。

数本が、ベリアルさんの体に突き刺さった。

だが。それさえも利用する。

わたしは、次の発破を投擲。

鉱物がまだ刺さっている。

ならば。

爆裂する氷爆弾レヘルン。

思ったより威力は出ないが、敵の体を冷やすには充分だ。

もがき、刺さった鉱物から逃れようとするネームドだが、そうはさせない。一斉に躍りかかった戦士達が、一斉に得物を叩き付ける。

だが、回転しつつ、鉱物を刃のようにして振り回し、寄せ付けない。その余波で、ベリアルさんに刺さっていた刃も切り裂くようにしながら抜けた。

更に、気付く。

この回転。

音を、詠唱にしている。

殆ど間を置かず、大爆発が巻き起こされた。

作ったばかりのキャンプが薙ぎ払われ。

接近戦を挑んでいた戦士達が吹き飛ばされる。

絶句してしまう。

深手を負っていてこの戦闘力なのか。

ベテランの戦士達が多数いてこの有様なのか。

恐怖で漏らしそうだ。

だけれども、わたしは。

それより先に動く。

続いて雷撃を発する石を組み込んだ爆弾、ドナーストーンを投げつける。これも一般的な錬金術爆弾の一つだ。

炸裂した雷撃が。

敵の突起を伝い。

猛烈に全身を駆け巡る。

内部から何カ所も爆ぜ割れ、ネームドは悲鳴を上げながら、それでも此方に突貫してくる。

無理矢理立ち上がった戦士達が、何人か止めに入るが。

それも蹴散らしながら突貫してくる。

レヴィさんが立ちふさがる。

お姉ちゃんも。

素早く魔術をくみ上げると、レヴィさんが数枚のシールドを展開。そのシールドに、ネームドは躊躇無く突撃した。

激しく爆ぜ割れていくシールド。

真横に回り込んだお姉ちゃんが、入魂の一矢を叩き込む。

深い傷口に吸い込まれる矢。数本が、立て続けに敵の傷口を抉る。

レヴィさんのシールドがぶち抜かれる。

剣を抜いたレヴィさんが、回転しながら殺しに来るネームドの怒濤の猛攻を凌ぐが、それも長くはもちそうにない。

ベリアルさんは深手を負って動けない。

まずい。

不意に気付く。

倒れている戦士達の中にドロッセルさんがいない。

そうか。

お姉ちゃんがナイフに切り替えると、接近戦に転じる。

お姉ちゃんも気付いたはずだ。

全周攻撃を繰り返しながら、わたしに迫るネームド。

凄まじい殺気。

殺気も、戦いを重ねたから、わたしも感じ取れるようになって来ている。

だから、分かるのだ。

殺意と悪意が。

吹き付けるようにして襲ってくる。

レヴィさんが剣撃の暴風に吹っ飛ばされる。

だが、それは飛び下がった事も意味している。

ネームドが。わたしがいた場所に飛びついた時には。

既にベリアルさんもお姉ちゃんもいない。勿論わたしもだ。

わたしは、起爆する。

発破を、である。

戦略級の発破だ。

モロにそれに巻き込まれたネームドが、流石に悲鳴を上げる。内部から、何カ所か、爆風が吹き出すのも見えた。

鉱物で貫いた穴を。

爆風が貫通したのだろう。

それでも動くネームド。

不死身か。

幾らタフなぷにぷにのネームドと言っても、ものには限度がある。だが、今の爆風はネームドに間違いなく致命打を与えた。

更に、その全身に。

周囲から、一斉に槍やら剣やらが突き刺さる。

さっき爆圧で吹き飛ばされた戦士達だ。

流石に皆歴戦の猛者。

あの程度で戦闘不能になるほどヤワでは無い、と言う事だ。

回転しようとするも、戦士達が動きを止めたため、それも出来なくなるネームド。絶叫しながら、それでも詠唱を始める。口だけでも詠唱できるのか。だが、その口に、飛来した岩石が蓋をした。ドロッセルさんが放り投げたものだ。

牙が多数へし折られ。

詠唱も中断されたネームドが、絶叫。

更に、戦士達も力を込めて、刃を食い込ませていく。

わたしはありったけのフラムを束ねると。

離れて、とさけぶ。

皆が同時に跳び離れ、此方に向き直ったネームドが防御態勢を取った瞬間。

フラムを起爆。

鉱物の盾が、ずり下がらせながらも、フラムの火力からネームドを守りきる。だが、同時に鉱物も、金属疲労が限界に達したか、複数が砕け、へし折れる。

怒りの声を上げるネームドだが。

盾を解除した瞬間。

高々と跳躍していたドロッセルさんが、斧を脳天から叩き込む。

文字通り渾身。

瞬時に鉱物の刃を動かして、盾にしようとしたネームド。

その即応は凄まじく。

ドロッセルさんの斧が、わずかに届かない。

だが、地面に強烈な亀裂が走る。

それほどの衝撃が、ネームドを貫いた、ということだ。

わたしは両手を地面に突くと。

詠唱を開始。

気付いたネームドが、私に向けて、刃を伸ばしてくる。

それを、もはや詠唱もままならないベリアルさんが、体で防ぐ。数本の刃がベリアルさんを貫くが、それが故にネームドも動けなくなる。

詠唱完了。

先と同じ、鉱物を突き出す魔術が。

身動き取れないネームドを、真下から今度こそ串刺しにする。

悲鳴を上げながら、体を動かそうとするネームド。

まだもがけるのか。

だが、ベリアルさんが、身体強化の魔術を自身に展開。

力尽くで、岩の杭からネームドを引きちぎり。

もはや体の形を維持できなくなりつつあるネームドを、振り回し。

そして刃をへし折りながら、地面に叩き付けていた。

クレーターが出来る。

雄叫び。

まだこれでも動くのか。

わたし以外皆満身創痍だ。

そして気付く。

これこそ、生への執着。

生物が本来持っている、如何なる手段を用いても生き残ろうと考える、恐ろしいまでの本能。

エサを。

エサを寄越せ。

そう言わんばかりに。

ネームドが、ぼろぼろになった体を引きずりながら此方に来る。

軟らかい肉。

つまりわたしを喰らおうと。

傷だらけになったレヴィさんが、その背後から剣を突き立てる。

振り払おうとしたネームドの口の中に、お姉ちゃんが放った渾身の矢が尽き立つ。

動きが、ついに止まる。

「とどめだ! 一斉攻撃しろ!」

わっと戦士達が立ち上がり、怒濤のごとく襲いかかる。

そして、まだもがいていたネームドが。

ネームドだったものになるまで。

徹底的に。

執拗に。

情け容赦なく。

攻撃を叩き込み。

そして動かなくなるまで、止めなかった。

 

ネームドの屍を解体する。

ぷにぷに玉の存在は知っていたが、黄金に輝くものが出てきた。それも複数である。応急処置をしたベリアルさんが苦笑する。

「前の深核を使った方が良いだろう。 これは非常に貴重な品だ。 ぷにぷにの中でも、上位種やネームドの体内にしか生成されない高級品だ」

「凄い品、何ですね」

「俺は長老に付き従って、ガキの頃からネームドの討伐任務に出ていたが、それでも見たのは数回だけだ。 やはりこのネームド、遺跡の深部から出てきた個体だな。 戦力も、一割程度しか残っていなかったと見て良いだろう」

「あれで一割ですか」

ベリアルさんが頷く。

そうか、北の遺跡の地下には、こんなのがゴロゴロいて。

しかも戦力は十倍もある、というのか。

怖くて近づけない。

皆の応急手当が終わった所で、一度引き返すことにする。

試験失格、と言われる可能性もあるけれど。

命には替えられない。

その場合他の街で推薦状を貰えば良い。

惜しいけれど、今はけが人を放置して、緑化作業どころではない。それに、人夫達もみんな怖い目にあって、震えているはずだ。

一度戻るのが良いだろう。

ベリアルさんにそれを告げて、一旦ドナまで戻る。

帰路は重苦しい雰囲気になったが。

しかし、同時にも思う。

ドラゴンは最低でもあれくらいの強さがある。いや、あのネームドが全力状態の場合と互角くらい、と言う事だろう。

今のままでは。絶対に勝てない。

つまり、今のうちに。

戦いの技を、もっと磨いておかないといけない。

もっと貪欲なくらい。

強さを求めなければならない。

自身を鍛えるのもそうだけれど。

自動発動する、身を守る道具などが重要になってくるだろう。

それらをしっかり完成させないと。

とてもではないが。

今後やっていけない。

今回、相当な使い手がこれだけ揃っても、ネームドに苦戦したのは。それは錬金術師であるわたしが頼りなかったからだ

わたしさえしっかりしていれば。

みんなこんなに怪我をしなくても済んだし。

あんなネームドなんて。

難なく仕留められたはずなのだ。

ドナに辿りついたのは二日後。

状況を見て、すぐにオレリーさんは事態を理解。

グレードが高い傷薬を出して、負傷者を回復にあたってくれた。

ごめんなさいと頭を下げると。

オレリーさんは鼻を鳴らす。

「あんたは何も間違った判断をしてはいないよ。 卑屈になるんじゃない」

「でも、長期的に東への道を作るための計画が……」

「キャンプ用の物資を荒らされたくらいで、人員に死者も再起不能の者も出していないんだ。 それで充分だよ。 ましてや恐らく、北の遺跡の深部から出てきたネームドとの交戦だろう?」

「はい。 凄く……強かったです」

違う。

わたしが弱かったんだ。

涙を拭うわたしをみると。

それ以上何も言わず。オレリーさんは、今日は休むように指示。それ以降は、明日伝えると言った。

わたしはアトリエに戻ると、熱が出た。

ちょっと無理をしすぎたのだ。自分で作ったお薬を飲んで、眠る事にする。

お姉ちゃんが美味しいお茶を淹れてくれたけれど。

それで随分体も温まって。

ゆっくり眠る事も出来た。

悪い夢は見なかった。

みんながあのネームドに殺されて。

ズタズタに貪り喰われる夢とか。

アトリエに立てこもった人達が引きずり出されて。

一人ずつ殺されて喰われる夢とか。

そういったものを予想していたのだけれど。

杞憂に終わった。

むしろ、わたしが緑化をして。

静かに全ての作業が終わる夢を見た。

ふと思う。

どうして、ネームドを殺す、というような事までしないと緑化が出来ないのだろう。

世界は、不公平というか。

むしろ不条理に満ちているのではないのか。

だとしたら。

目が覚める。

熱は引いていたが、その代わり無理をしたせいか、体が彼方此方痛かった。

初めての大失敗。

それは、むしろ体に負担を掛けていた。

 

4、緑化開始

 

二日ほど休憩を入れて。

またオレリーさんの所に呼び出された。

試験は不合格、とされるかと思ったのだけれど。

むしろオレリーさんは、継続を口にした。

驚くわたしに。

オレリーさんは言う。

「特級の例外的な人間は除くとして。 この世界に住んでいる化け物は、基本的に人間の手には負えないん相手だよ」

そんな事をオレリーさんがいう。

錬金術師としてもトップクラスの筈のこの人が、である。

ドラゴンや邪神を倒しているだろうに。

だが、それを見越してか。

オレリーさんは更に追加でわたしに言った。

「私が倒した邪神は最下級のエレメンタルと呼ばれる個体でね。 名前を持っているような邪神を倒せるのは化け物しかいないね。 公認錬金術師が束になっても基本は勝てる相手じゃない。 ドラゴンも、せいぜい中級程度までしか相手にするのは無理だ」

「ラスティンで十指に入るというオレリーさんがですか!?」

「そうだよ。 私では手に負えないような相手を、片手間で倒すような化け物もいるにはいるがね、そいつはもう人間と呼んで良いかよく分からないね」

何だろう。

一瞬、今の言葉に。

ソフィー先生の事が浮かんだ。

でも、ソフィー先生の本当の実力を、わたしは知らない。

オレリーさんより上なのだろうか。

もしも、ソフィー先生が、その「化け物」だったら。

何か、とても嫌な予感がする。

「いずれにしても撤退の判断は正しかった。 緑化については継続して実施しな」

「分かりました。 すぐに取りかかります」

「ああ」

わたしはほっと胸をなで下ろしながら、オレリーさんのアトリエを後にする。

何だろう。

とても嫌な予感がする。

ソフィー先生はわたしにチャンスをくれた。

でも、もしもそれが。

何かの意図があっての事だとしたら。

そういえば、お姉ちゃんの態度も何だかおかしかった気がする。

何か、とても嫌な予感が。

消えてくれなかった。

 

あたしは手をかざして様子を確認し。

フィリスちゃんがドナを出てから。オレリーの所に出向く。

オレリーはあたしを見ると、露骨に嫌そうな顔をした。

「あんたの仕業だろう、鏖殺」

「ふふ、どうしてそう思います?」

「タイミングが悪すぎるね。 そもそもあの遺跡の内部にいるネームドは、滅多な事では出てこない。 しかも手負いの個体が、わざわざあのタイミングで、どうしてフィリスのいるキャンプを襲撃する?」

その通りだ。だが、これは事故だ。

しかし、事故を利用したのも事実だ。

「少し前に、あの遺跡の実態調査をしたんですよ。 そうしたら、想像以上の数のネームドが潜んでいましてね」

「それで?」

「全て処理しました」

「……そうかい。 流石の化け物ぶりだよ」

ただ、一匹逃れた者がいた。

だからそれを利用した。

フィリスちゃんの成長を最大速度まで引き上げるために。

この世界には時間がない。

未来もない。

そう猶予はないことは、あたし自身が一番良く知っている。

人材を見つけたら育てなければならない。

どんな手段を使ってでも、だ。

「まさか、フルスハイムの竜巻もあんたの仕業じゃないだろうね」

「あれは機嫌が悪い上級ドラゴンの仕業ですよ。 いずれ処理に行きますが、今の時点では街に被害が出ないようにあたしが抑えています。 それで充分では?」

「反吐が出る」

「ふふ、そうですか」

ひらひらと手を振ってから、アトリエを出る。

敢えて教えておいたのは。

この世界に未来がないことを実感させるため。

あたしが此処まで動かないといけないほど。

事態が切迫していることを知らしめるためだ。

アトリエの外で待っていたプラフタと合流。そのタイミングで伝令が来る。

伝令は、一見するとひげ面のおっさんだが。

それは擬態の結果だ。

中身はそも人間でさえない。

「伝令。 アトミナ様とメクレット様より、ソフィー様に」

「聞かせて」

指を鳴らして防音の魔術を展開。

錬金術の道具の助けで、指を鳴らすだけで、どれだけ優れた魔術師でも展開に詠唱が必要な魔術を発動出来るようにしている。

「イルメリアと接触。 以降監視を実施する、とのことです」

「了解。 此方は予定通りとの返答をお願いね」

「御意」

伝令がかき消える。

あたしはプラフタを促すと、自身のアトリエに戻る。

しばらくは様子見だ。

状況が変わったら、その時はまた出る。

フィリスちゃんの監視はティアナに任せてある。後はしばらく、シミュレーションに力を入れるべきだろう。

あたしはそう判断していた。

 

(続)