水蛇咆哮

 

序、帰還

 

谷を丘にする作業を終えて、メッヘンに戻る。既にメッヘンの方も、あらかた修復は終わっていたが、

ここからが大変だそうである。

街の壊れた部分を、いっそのこと全て新しくする。

出来れば城壁は全てつながるようにしたい。

そういう意見が出ていた。

しかしながら、先立つものがないのも事実。

幸い、ラスティンでは、あまり徴税は激しくない。

公認錬金術師がいる街や、戦力が充実している街では役人はいない事が多いが。それとこれとはあまり関係がない。

そもそも徴税が厳しくないのは、首都ライゼンベルグまで、税金を無事に輸送できる保証が無いから、というのが理由らしい。

ライゼンベルグはほぼ各街に自治を任せているのが実情で。

軍などは余程の事が無い限り送る事はなく。

送ったところで無事にたどり着けるかも怪しいそうだ。

更に言えば、武門の国で知られるアダレットも似たような有様らしく。

勇猛で知られる騎士団は、せいぜい匪賊やネームドの駆除に精一杯。

というわけで、二大国と言っても。

どちらも、各地の都市に自治を認め、緩やかに領土に組み込むことくらいしか出来ていないのが実情で。

徴税こそ不安視しなくても良いが。

その代わり支援も期待出来ない。

かといって、メッヘンにはこれと言った特産品もない。

公認錬金術師はいるが、それだけ。

生活には過不足無いし。

水害でのダメージも抑えられるようにはなったらしいが。

それでも、街を綺麗に作り替えるとか。

夢のまた夢、と言う事だ。

アルファ商会も、流石に非現実的だと考えたのか。メッヘンに対する金の貸し付けなどは提案していないらしい。

これらの事情は。

わたしも何故か参加させられた、長老と重役の会議で、聞かされた。

話自体は理解出来たのだけれど。

政治的な話が非常に延々と長々続いたので。

何度も寝落ちしそうになった。

ディオンさんが発言を求められて。

困り果てたように言う。

「なんとかフィリスさんのおかげで生命線とも言える街道の復旧には成功しました。 街の状態も落ち着いたと思います。 しかしながら、この機会に一気に城壁をつなげるのは、現実的ではないです」

「ううむ、金を回せば少しは商人も来るかと思ったのだが……」

「長老、この街は、街道の要所にあるわけではないのです。 もう少し堤防を整備して、農園を拡げて、自給自足を出来ているくらいの状態から、更にもう一歩進んで特産品をたくさん売り出せる、くらいの状況にまで行けば……或いは」

「長期計画にせざるを得ないか」

肩を落とす長老。

確かに、そもそもこの辺りはまだ草原になっている場所がある、くらいしか発展していない。

わたしが来た時点でも、匪賊が街を伺っていたし。

自警団の戦力も充分とは言えない。

街の人口を増やすのも厳しいし。

何よりも、公認錬金術師の力量が足りない。

これはもっとひ弱なわたしが言うのも何だけれど。

本人が認めてしまっている事実だ。

流石にわたしも、これ以上のお手伝いは出来ない。

限られた時間の中。

ライゼンベルグに行かなければならないのだから。

会議が重苦しい雰囲気で終わり。

解散になる。

少し悩んでから。

ディオンさんに声を掛ける。

「あの、すみません」

「ああ、フィリスさん、ごめん。 会議の間、退屈だっただろう。 貴方にまで出て貰う必要はなかったはずなのに、長老がどうしてもって、ね」

「はい。 此方こそ、役に立てるような発言が出来ずにすみません。 その、それでなんですけれど……わたし公認錬金術師試験を受けようと思っているんです」

「!」

ディオンさんは驚いて。

そして、ああと、納得した様子で頷いた。

「そうか、推薦状!」

「はい、何か課題があればやってみたいです。 街のためになる事を、課題にしてくれてもかまいません」

「いや、ごめん。 僕が公認錬金術師で、推薦状を書けることをすっかり忘れてしまっていたよ。 本当にごめん。 こんなにお世話になったのに」

「いえ、お世話に何て」

なんで謝りあっているんだろう。

よく分からないけれど。

とにかく、ディオンさんは、少し考えた後に言う。

「風車はとりあえず直っているから、そうだな。 今回の水害で、堤防の更なる強化が必要だと僕も痛感したんだ。 インフラを整備する前に、川を何とかしないと、せっかく緑化しても地面が駄目にされてしまうかも知れないからね」

「石材をとってくれば良いですか?」

「堤防を作るには、相応の技術がいるんだ。 石を放り込めば出来ると言う訳にはいかなくて……」

一旦アトリエに行き。

この辺りの地図を見せてもらう。

そして、川の図を見せてもらった。

かなりまっすぐにはなっているが。

昔は蛇がのたうち廻ったように、凄まじい流れ方をしていたらしい。

あの谷を見れば分かるけれど。

確かにそれはあるのだろう。

今も曲がっている場所があって。それが案の定、今回の水害の原因になったらしい。被害は最小限に抑えたらしいが。

「此処から此処を、つなげてしまうつもりなんだ」

ディオンさんが、すっと指を地図上に走らせる。

なるほど。わたしなら、鉱物の声を聞きつつ、発破を仕掛ければ、出来るかもしれない。

というか、乗りかかった船だ。それくらいはやっていっても罰は当たらないだろう。

軽く説明をした後。

ディオンさんは本当に申し訳なさそうにいう。

「これだけ色々してくれたフィリスさんだ。 もう無条件で推薦状を書いてしまいたい位なのだけれど、一応推薦状を書くにはルールがあって、公認錬金術師の指定通りに課題をこなす必要があるんだよ。 しかも遡及は不可能なんだ。 本当に申し訳ない。 今まではなし崩しの作業だったから、それもできなくて」

そう言われると恐縮してしまう。

何だか、わたしと同じで。

とても気が弱い人なんだな、と言うことが分かった。

とにかく、護衛とともに現地を見に行く。

確かにかなり無理な蛇行をしている場所で。この間の水害で、大きく河岸もえぐれた跡が残っていた。

なるほど、此処から出た水が、メッヘンに襲いかかったのか。

幸い全面崩壊には至らなかったけれど。

これは確かに、川の流れを整理してしまった方が良いはずだ。

だが、水の中に潜るのは自殺行為。

島魚でさえあんなに恐ろしいのに。

水の中を専門に行動する獣がどれほど恐ろしいか何て、想像もつかない。

「発破を使って崩してしまう予定なんだけれど、できるかい?」

「ちょっとまってくださいね?」

耳を澄ませる。

鉱物達の声を聞く。

発破を仕掛ける場合も、この能力は有効だ。

大体の指標になる。

そうして分かったが。

恐らく逆効果だ。

「……まずいです。 発破を仕掛けると、多分制御不能になります」

「どういうことだい」

「この辺りの地盤はもう死んでいます。 もし発破で無理に爆破したりしたら、前の比では無い鉄砲水がメッヘンを襲います」

どよめきが上がる。

戦士達は、わたしと一緒にインフラの復旧作業をした仲だ。

わたしが鉱物の声を聞き。

つるはしで鉱物をいとも簡単に崩している(ように見える)状況を目にしているのだ。

その言葉には、彼らを動揺させるだけのものがあったのだろう。

お姉ちゃんも険しい顔をしていた。

「地盤が死んでいる、か」

「鉱石達が、水がいっぱい、水がいっぱいと喋っていて、この辺りは地下水だらけです」

「そうなると、発破で一気に、というのは確かに無理そうだね。 何か考えはあるかい?」

「……そうですね」

あるとしたら。

一度水を止める。

現在、蛇行している、一番危ない場所を、掘るなり発破なりでまっすぐにする。

その後、蛇行している部分を埋め立ててしまう。河岸は補強する。

それから水を流す。そんな感じだろうか。

問題は水だ。

現状、この辺りの岩盤はあらかた死んでしまっていて、ちょっと崩しただけで何が起きるか分からない。

下手に触ると大災害だ。

そうなってくると、考えながら動く必要がある。

鉱物の声を聞きながら、地図を受け取り、周囲を歩く。

水にやられていない場所を確認しながら、歩いて行くと。

随分と、大回りになった。

結論は、ほどなく出た。

「ディオンさん、この辺りは地盤が生きています。 死んでいる地盤を取り除いて、それから流れがまっすぐになるように、地盤を追加する……くらいしかわたしには思いつかないです」

「なるほど。 ……分かった、協力して作業をしてみよう。 まず、僕の方で水を吸い出す装置を作ってくるから、その間にフィリスさんの方で、具体的に死んだ地盤の除去作業をどうするか、考えて欲しい」

「分かりました」

半数の護衛と共に、ディオンさんが戻る。

そういえば、メッヘンに来てから十日を過ぎている。

エルトナを出てからそろそろ二十日に迫ろうとしている。

時間は無制限にあるわけではない。

そろそろ、全てを片付けたい。

推薦状を貰って、此処を出るまでに、一月以上は掛けたくないけれど。

かといって、此処の人達が苦しんでいるのは見過ごせない。

メッヘンの人達が困っているのを何とか出来ずに。

エルトナをどうにか出来るはずが無い。

今はソフィー先生が何とかしてくれているけれど。

本来はわたしがどうにかしなければならないのだ。

頬を叩く。

川を確認。

深い上に流れが激しい。

岩を考え無しに砕くと、川が浅くなったり流れていった岩が無事な河岸を直撃したりして。恐らくはとんでもない所から決壊して、雨も降っていないのに水害になるだろう。それは鉱物達が言っている。

そうなると、一旦川の流れと切り離す必要がある。

どの道水を一旦止めなければならないのだ。

方法は例えば、一旦この流れを止めて、支流の方に水を行かせるとか。

しかし、そんな事をするには、余程の巨岩を放り込むしかない。

しばし考えた後。

お姉ちゃんに話す。

「リア姉。 このくらいの岩、近くにないかな」

「そんなもの、どうするの?」

「うん。 ちょっと上流に行くと支流があるでしょ。 一旦そっちに、水を流そうと思って」

「……?」

詳しく説明すると。

見る間にお姉ちゃんは真っ青になり。

逆にレヴィさんは笑い始めた。

「ふはははは、フィリスよ。 そなたは破壊神の如き発想をするのだな!」

「は、破壊神!?」

「ちょっと、うちの可愛いフィリスちゃんを、化け物みたいに言わないで!」

「失敬。 しかしリアーネよ。 フィリスの発想が実に破壊的である事は、決して悪い事ではないとも思うがな」

呆れたように嘆息した後。

お姉ちゃんは、近くに岩を探しに行ってくれる。

咳払いすると。

レヴィさんは聞いてくる。

「それで、その岩を川に放り込むとして、どうやって動かすつもりだ、フィリスよ。 てこの原理をつかうにしても、ものには限度があるぞ」

「溝を掘ります」

「?」

要するに、鉱物と相談しながら。

地面に溝を掘る。

その溝を転がっていけば、直接岩が落ちるようにする。

この辺りの岩は、上流から流れてきたものばかりだからか、丸い。ちょっと削ってやれば、転がるくらいには丸くなるだろう。それはわたしが加工すればいい。

後は溝に押し込んでやれば。

川まで一直線に転がっていく。

地図を見る限り、少し上流に、四つほどに支流に分かれている場所がある。

どの支流も水量には余裕があるようだし、此処が塞がっても大丈夫だろう。下流で複雑に合流しているようだし、いっそのこと此処に水を統合してしまうのも有りかも知れない。

工事が終わったら、岩を発破で爆破。

一気に川を、スムーズな流れにしてしまう。

そうすれば、川が暴れる事態はぐっと減るだろう。

これらを説明すると。

戦士達は顔を見合わせる。

ジェシカと呼ばれている、猫顔の獣人族の女戦士が、ぼやいた。

「錬金術師は凄い事を考えますね」

「えっ!? すみません」

「いえ、責めていません。 発想が何というか桁外れというか……」

ほどなく、お姉ちゃんが戻ってくる。

良い岩が見つかったという。

様子を見に行くと、確かに良い感じだ。

川の幅を計算して、丁度塞ぐくらいのサイズにまで削る事。更に、川までの通路となる溝を掘ることを平行で行う。川の側での作業が特に危険なので、最初は戦士達全員で護衛して貰い、わたしがつるはしを振るう。

溝を掘った後、岩に向けて下がりながら、溝をつなげていく。溝にちょっと水が流れ込んでくるが、それはどうでもいい。

川の中では、大きな。

得体が知れない生き物がわたしを狙っていたが。

多数の戦士が武器を構えて、いつ襲ってきても対抗できるようにしてくれていたので。

結局仕掛けてくる事はなかった。

鉱物が優しく指導してくれたこともあり。

ほどなく溝が岩にまで届く。

後は岩の上に上がって、つるはしを振るう。

かなりつるはしの痛みが激しい。

多分、今回の作業が終わったら、新調しなければならないだろう。

ずっと使って来たけれど。

つるはしに使っている鉱物が、もう限界だよと、優しく教えてくれている。

この街を出てからは、まだどう行くかを決めていないし。

その旅の途中に新調すればいい。

岩の加工が終わる。

後はディオンさんと相談して。

この岩をまず川に放り込み。

支流へと川の流れを振り分けてから。

問題になっている場所を調整すれば良い。

ディオンさんは、一日ほどで出来ると言っていたので。

それを信じて待つ事にする。

休憩を入れ。

周囲を警戒した後。

岩をみんなで押す。

流石に大きな岩だ。ちょっとやそっと押したくらいではびくともしない。護衛の戦士の中には、力が強い獣人族もいるのに。

この間協力して貰った魔族のアモンさんがいれば、少しは楽になりそうなのだけれど。

アモンさんは、今街の方で守りを固めている。

やはり多数の戦士が街を離れていたことで。

かなりの数の獣が街を伺っているという。

組織的には動いていないようだが。

小規模な襲撃はいつあってもおかしくない、ということなので。やはり最強の戦士がはりついている必要がある、と言う事だった。

岩が重心を教えてくれるので。

皆で其処を中心的に押す。

やがて、とんでもない巨岩が。

動いて、溝にはまってくれた。

岩を見上げて、もうちょっと調整する。つるはしがかなり厳しいが、このお仕事が終わるまでもってくれればそれでいい。その後は、インゴットを打ち直して、新しいつるはしを作る。

今回の件で、散々鉱物を爆破したので。

質が良い鉱石がたくさん手に入っている。

インゴットもいいものを作れるはずで。

今使っているものとは、比較にならないほど強力な鋭さを持つつるはしを作る事が出来るだろう。

とりあえず。ちょっと動かして調整、を繰り返し。

安定して岩が動くようにしたところで。

アトリエを展開。

休む事にする。

此処からの作業は、不慮の事態にも備えて、先達であるディオンさんが合流してからだ。

アトリエに戦士達も入って貰い。この間からかなり蓄えが増えた肉を焼いて振る舞う。料理はお姉ちゃんとレヴィさんがやってくれるのだけれど。

何だか二人で張り合って、美味しい料理を作ってくれるので、それだけで充分である。

戦士達もみな、おいしいおいしいと満足してくれているようだった。

わたしは食事を終えると、すぐに地図とにらめっこ。

水量を減らして安全にした後。作業は出来るだけ迅速に行わなければならない。

いっそ、今のうちにつるはしを新調するか。

いや、それには多分数日が掛かる。つるはしがだめになったら、発破を使うしかないだろう。

代わりに、お薬と爆弾を補充しておく。明日は、確実に忙しくなる。

 

1、堤防

 

ディオンさんが荷車に積んで持ってきたのは、原理がよく分からない機械だった。錬金術で性能を上げているらしいのだけれど。要するに、水を吸い出して、別の場所に吐き出すらしい。

蛇みたいな太い管が二つあって。

使い方を説明された。

そして現状を説明すると。

ディオンさんも頷く。それでやってみよう、というのである。

意見が決まったところで、まずは岩を溝に沿って動かす。

かなりの重労働になったが、わたしも協力して、一気に川にまで岩を運んでいく。念入りに調整した岩だ。

一度転がり始めると、嘘みたいに軽くなって。

一気に川にまで滑り込んだ。

どん、と凄まじい音がして。

川に岩がはまり込む。

そして、水が凄まじい勢いで噴き上がる。

お姉ちゃんがわたしを抱えて跳躍。

岩を放り込むときは気を付けろと、事前に指示が出ていたからか。

戦士達も、みな離脱に成功した。

ほどなく、状態が落ち着く。

川に栓となった岩が入り込んだことで、

水は支流へと流れ込む。

ウコバクさんが様子を見に行く間に、わたしは水位がみるみる引いていく川の様子を確認。

大きめの獣が、かなりの数いるが。水位が減っているのをみて、慌てて下流に避難している様子だ。

下流ではまた川が合流する地点があると、知っているのだろう。

おさかなもいる。

蛇みたいに長いのとか。

鋭い牙をもっているのとか。

わたしよりおっきいのとか。

ぷにぷにもいた。

水に適応する種類がいるというのは本当らしい。いずれにしても、かなり大きくて、下手に近づくのは利口とは思えなかった。

ウコバクさんが戻ってくる。

「支流、問題なし! いずれも要所での水漏れなど起きていません!」

「ありがとう、ウコバクさん。 フィリスさん、それでは予定通りに」

「はい!」

まずは、暴れ川の原因となっている蛇行している地形を、全て崩してしまう。全部まっすぐに流れるようにするのだ。

元々地盤は死んでいる。

発破を使うまでも無い。

水位が減っていることで、川から大型動物の奇襲を受けることもなくなった。わたしはつるはしにもう少し頑張ってと言い聞かせながら振るい、地盤を崩していく。そうすると、水を噴き出しながら、面白いように土砂が崩落していく。

此処に人夫を連れてくるわけにもいかない。

荷車を使って、土砂を運び出し。

更に水も、ディオンさんの装置が吸い出し、下流に流し込んでいく。

この装置の威力は流石で。

ディオンさんが普段頼りなくても。

間違いなく公認錬金術師であることを、わたしに理解させてくれた。

「次、崩します!」

「よし、全員下がれ!」

戦士達も連携して動いてくれる。

アモンさんがいればもう少し楽だったのだけれど。その代わり、皆戦士達はわたしを信頼してくれているので、それはとても嬉しい。

つるはしで死んでいる地盤を壊し。

一気に土砂が川底に流れ込む。

お魚さんがかなり巻き込まれるのは心苦しいので。

死んでしまったお魚さんは回収して貰い。

火を通して、後で食べる事にする。

大きめの獣は、距離をとって此方を見ている様子だ。

水がこんなに減ってしまっている状況では、仕掛けるのは危ないと判断するだけの知能は持っている、と言う事だろう。

最初の蛇行地点を崩し終わる。

土砂を運び出すのを、五つの荷車を使って、一気に行う。

空を飛べるウコバクさんは、常に周囲を警戒。

そして、此処からだ。

土砂に、ディオンさんが何かを混ぜている。

中和剤と何かを混ぜ合わせたもののようだが。

何だろう。

聞いてみると、硬化剤だという。

「これは砂利を岩のようにまとめる硬化剤なんだ。 蛇行部分を、これで埋めてしまおうと思ってね」

「なるほど、堤防の代わりにするんですね」

「そういうことだね。 しかも水はまっすぐ流れてくれるから、強化は最小限で構わないはずだ。 仮にこの硬化部分が破れても、水害にはならないだろう」

確かに。

水は高い所から低いところに流れる。

まっすぐ流れる経路があるのに。

敢えて横に行こうとする水はいないだろう。

くずすのはわたしがやる。

固めるのと、水を排除するのはディオンさんにやってもらう。

手分けして、次の蛇行部分に行く。

せっかくだから、この辺りの水害の要因になりそうな蛇行している川の構造は、今回一気に片付けてしまおう。

そういう話で決めているのだ。

案の定というか。

最初に手がけた場所ほどでは無いけれど。

やはり、地盤がかなり脆くなっている。

このままでは、第二第三の水害が近々起きていた可能性が高く。ディオンさんがどれだけ頑張っても、いたちごっこになっていただろう。

それならば、今のうちに。

不安要素を全排除する。

つるはしが苦しい、苦しいと言っている。

鉱物の声が聞こえるわたしには、それがいやというほど分かる。

本当に苦しいけれど。

それでも我慢して貰う。

「ごめんね。 後で打ち直してあげるからね」

「うん? フィリスどの、どうなされた」

「はい、つるはしがもうそろそろ駄目になりそうなんです」

「……鉱物の声が聞こえる力は疑わないが、そんな事まで聞こえるのか」

ラルフさんが驚愕する。

勿論わたしが嘘を言っているとは思っていない。

今までわたしが見せた実績を、信頼してくれている、と言う事だ。

先より少し手強いが。

蛇行している川を、一気に崩してしまう。此処は蛇行がかなり長いので、崩すのも間に通路を開けるようにして。蛇行している箇所は埋めてしまう。周囲に土砂はいくらでもあるので、埋めるのは簡単。

埋める前に、少なくなった水でぴちぴちしている魚は全部回収してしまう。

生きているものは下流に流し。

死んでいるものは回収して、焼いて食べられるようにする。

一部の戦士は、これら魚の回収と処置に回って貰った。

かなりの数の魚だ。

これだけあれば、メッヘンの非常食としても、有用だろう。捌いた後煙を通せば、かなり長時間もつのだ。

ディオンさんと相談しながら、川の蛇行構造を打開。

更に下流へと移動する。

一日で三箇所の蛇行構造を潰し。

更に翌日に、ディオンさんが補給に戻っている間に二箇所の蛇行構造を潰した。

或いは通路を空け。

或いは全部崩して、一本のまっすぐな通路にしてしまう。

緩やかに曲がっている場所もあるのだが。

鉱物の声を聞く限り、実はかなり負担が掛かっていて、将来的に水害を起こしかねない状況になっている場所もあった。

それらも全て補強してしまう。

ラルフさんがぼやく。

「これらは、本来は俺たちだけだったら何年、下手すると何十年も掛かる事業だ。 本当に助かる」

「いえ、わたしは……」

「分かっている。 だが、あんたは公認錬金術師になれるさ。 このまま頑張ればな」

そう言ってくれると、本当に嬉しい。

泥だらけになりながら、張り切る。

下流の合流地点に到着。

この辺りからは、流石に川も流れが安定している。一気に川幅が広くなっているし、何より川の間近に集落がなく、支流だけでかなり太い。

メッヘンからも相応に離れてきているし。

このくらいで作業は充分だろう。

ディオンさんが戻ってきた。

硬化剤の材料を持ってきたのだ。

アトリエを貸して、硬化剤を作ってもらい。

その間に私は、工事の予定について固めてしまう。お姉ちゃんと相談し、鉱物の声を聞きながら。氾濫の原因になりそうな場所を徹底的に洗い出し。更に今のうちに、埋めるべき所は全て埋めてしまう。

地図が変わる。

今まで、曲がりくねる蛇のようだった川が。

それこそ伸ばした紐のように。

わずか数日だ。

錬金術師が二人いるだけで。

これほどの破壊力を発揮する。

それが現実なのだと。

わたしは、自分が成し遂げた事だというのに。

むしろ、その圧倒的な凄まじい破壊力に。

驚きと、わずかな恐怖さえ感じていた。

 

硬化剤が完全に固まる。水を掛けて実験してみたが、確かに大丈夫だ。鉱物の声を聞く限り、しっかり馴染んでもいるようである。更に硬化剤には、ディオンさんが持ち込んだ大型のインゴットを用い、地盤と連結して固定もする。生半可な力でこれを引きはがすのは不可能だ。

最後の仕上げ。

栓にしている大岩に。

発破を仕掛ける。

そして、皆に下がって貰う。

此処からは何が起きるか分からない。

ただでさえ、大岩の周辺は水位が上がっているのだ。

全員が緊張する中。

わたしは発破を起爆した。

岩が、木っ端みじんになる。

岩と相談しながら、木っ端みじんになるように発破を仕掛けたのだから、当然だ。鉱物はわたしに嘘をつかない。

どっと、水が流れ始める。

水しぶきが凄まじい。

かなり川から離れているわたしの所にも、雨のように降りかかってくる程だ。

上空にいるウコバクさんが、告げてくる。

「第一箇所突破! ……問題なし! 硬化剤、機能しています!」

「報告を続けてください!」

「第二箇所突破! ……おお、硬化剤、機能しています!」

一気に水が、まっすぐになった川を突き抜けていく。

蛇行していた川がまっすぐになったのだ。

それは素直に通ってもくれるだろう。

多くのお魚さんには犠牲になって貰ったが。

その犠牲は無駄にはしない。

そして、合流地点で、どっと凄い水柱が上がった。

わたしのいる場所からも見える程だった。

「上流の様子は!」

「渦が出来ています! 本流に流れ込む水が一気に増えた影響でしょう!」

「渦が収まるまでは此処で様子見ですね……」

「はい」

ディオンさんが、ウコバクさんにそのまま監視を続けるように指示。

戦士達も、いつでも動けるように。

そして周囲への警戒を続けた。

雨のように降って来ていた水しぶきは止まったが。

それでも、上流からは、ごうごう、ごうごうと、凄い音が聞こえている。また、本流の水位も、凄まじい勢いで上下していた。

しばし、様子を見るしか無い。

たっぷり二刻ほども掛かっただろうか。

その間、幸いにも、硬化剤で固めた地点が剥がされるようなことはなかったし。

川が決壊することもなかった。

ほどなく、恐ろしい音を立ててていた川は静かになり。

水の流れこそ激しいが、それでもだいぶ穏やかに流れてくれるようにはなった。

ただ水はまだかなり濁っている。

安定するまでは、少しばかり時間が掛かるだろう。

やった。

誰かが声を上げると。

感極まったのか。

誰かが泣き始める。

水害の克服は。

メッヘンの悲願だったのだ。

ディオンさんも泣いている。

そうか、それだけ大きな事の達成に、わたしは立ち会っているのか。

同時に。

ずっと握りしめていたつるはしが。

ばつんと、音を立てて割れた。

真っ二つになった。

あ、とわたしは思って。あわてて壊れたつるはしの半分を拾い上げる。こんなに綺麗に割れるなんて。

ごめんね。

思わず呟いていた。

打ち直しだ。

でも、本当に頑張ってくれた。

谷を崩し。

暴れ川を沈めた。

それは、このつるはしだ。

わたしはただ鉱物の声を聞いただけ。

このつるはしがなかったら、わたしはとてもではないけれど、此処までの事は出来なかっただろう。

涙を拭う。

わたしもいつのまにか泣いていた。

でも、他のみんなとは違う意味でだった。

お姉ちゃんがいつの間にか、肩を抱いてくれていた。わたしは、何度も止まらない涙を拭った。

 

ほどなく熱狂も収まったので。

メッヘンに凱旋する。

メッヘンに来ている支流も、一時少し濁ったようだけれど、水量は安定していて、問題ないと長老に言われた。

暴れ川は当面暴れないだろうとディオンさんが言ったことで。

長老は、カツラが取れているのも気付かずに、わたしに頭を下げた。

「フィリスどの! 感謝いたしますぞ! ディオンどのも、本当によく……よく……!」

重役のホムが、こっそりカツラを隠す。

空気を読むと言う奴だろう。

後でこっそり頭にかぶせるに違いない。

わたしもそれらはみないフリをして、感動を共有することにした。

その後、ディオンさんのアトリエに招かれて。

推薦状を書いて貰う。

「実は、推薦状を書くのは初めてなんだ。 やり方は公認錬金術師試験が終わった後に習ったけれど、ちょっと自信が無くてね。 ただ、多少不備があっても、僕のハンコが入っていれば大丈夫の筈だから」

「いえ、そんな。 ありがとうございます」

公認錬金術師のハンコは。

錬金術で作った、かなり高度な代物らしく。

偽造ができないらしい。

ハンコを押したゼッテルを、スクロールにして渡してくれるディオンさん。

この人は確かにわたしから見ても頼りないけれど。

この街には欠かせない人だ。

「これから、行く先はやはりライゼンベルグかい?」

「はい。 東に行く……としか漠然と分かりませんけれど」

「それならば、いっそ南に行くと良いよ。 南に行くと、この辺りでは有名な錬金術師の、オレリーさんって人がいる。 フィリスさんほどの才能がある有望株なら、きっと揉んでくれるはずだよ」

「そんなに凄い人なんですか?」

ソフィー先生を思い出して、わたしは思わず大きな声を出してしまった。

オレリーさんという錬金術師は、ドナという街の長老も務めていて。

その実力は圧倒的。

なんとドナの周辺は森になっているのだが。

その緑化を一代で成し遂げたのがオレリーさんだというのだ。

しかも元々はライゼンベルグにいたのを。

中年になってからドナに移り。

そして十年ほどで緑化を成功させたらしい。

近隣にないほどの自然で安全な森が出来ていて。

その手腕は、ライゼンベルグでも十指に入るとか。

邪神を倒した事もあると言う事で。

凄い錬金術師だと言う事は、すぐに分かった。

「僕も会いに行ってみたんだけれど、けちょんけちょんに言われてしまってね、推薦状は貰えなかったよ。 なんでも、本当に厳しい人で、推薦状を貰えた人は殆どいないという話だよ。 でも、フィリスさんだったらきっと貰えると思う。 オレリーさんに推薦状を貰えたとなると、他の公認錬金術師も、フィリスさんを門前払いなんて出来なくなると思う。 厳しいし、色々きついことも言われると思うけれど、絶対にフィリスさんのためになると思う」

「分かりました。 ……頑張ります」

「うん。 フィリスさんは僕が同じ年くらいだった時よりも、ずっと先を行っているし、きっと凄い錬金術師になれるよ。 頑張って」

頭を下げる。

この人は頼りないけれど。しかし立派な錬金術師である事には間違いなかった。

その夜は、ゆっくり休んで。

そしてメッヘンを出る。

長老(カツラはずれていなかった)と重役達、それに戦士達が、皆で見送りをしてくれた。

長老は裏表無い感謝の表情で私の手を握る。

「もしも、公認錬金術師試験に受かったら、また来てくだされ。 その時には、歓待させていただきますぞ」

「ありがとうございます。 それと……出来ればエルトナの街とも仲良くしてくれると嬉しいです」

「エルトナ?」

「確か西の山岳地帯に存在するという鉱山街なのです。 商人が時々水晶を買い付けにいっているのです」

長老に、重役のホムが耳打ちする。

そうか、最初に辿りついたこの街でも、エルトナは知られていない場所なのか。

「分かりました。 必ずや、機会あれば」

「お願いします」

見送られて、メッヘンを離れる。

これで、しばらく街に寄る事は無いだろう。

歩きながら、お姉ちゃんに聞く。

「あんなに喜んで貰えて、良かった。 わたし、壊しただけだったのに」

「そうね。 でも、フィリスちゃんは人も助けたし、暴れ川も沈めたのよ」

「正に驚天の技だ。 卵とは言え流石錬金術師だな」

レヴィさんに、お姉ちゃんがちょっとむっとしたようだが。

からからとレヴィさんは笑う。

自分で崩した元谷の丘を越えて、更に南へ。

草原が徐々に乾いた荒野へと変わっていく。この辺りまでは、ディオンさんが頑張って緑化したのだろう。

だがそれも不十分。

街の周囲が森で覆われるくらいになると、猛獣の被害も激減するとディオンさんに聞いている。

まだまだ、メッヘンは発展途上という事だ。

わたしが公認錬金術師になれたとして。

戻るときに。

メッヘンはそのくらいまで発展できているのだろうか。

夕暮れまで歩いて。

アトリエを展開。

一番良いインゴットを取り出すと。

つるはしに加工する。

元のつるはしも溶かして。

これに混ぜる。

そして、移動しながら、二日掛けて。

新しいつるはしに仕上げた。

前のつるはしではない。

でも、散々つるはしを振るったわたしは、少しだけ力も強くなっている。そのわたしには、丁度良い重さで。

そして何より、前のつるはしの魂を引き継いでいる。

わたしはこの新しい。

そして魂を引き継いだつるはしで。

道に立ちふさがる障害物を。

全部粉砕するのだ。

ほどなく、辺りに緑はなくなり。

道の周囲は完全に荒野になった。

まる三日ほどその状態が続いた後。

遠くに森が見え始めた。

 

2、迷子の大熊

 

緑を見ると安心する。

周囲に強力な魔力は感じないから、邪神がいるのでは無くて、別の錬金術師が緑化した、と言うことが分かるからだ。

まだこの辺りは草原だが。

向こうには、信じられないくらい背が高い木が、たくさん生えているのが見えた。しかもしっかりを葉を生い茂らせている。

わあと、声が漏れる。

まだしばらく歩かないとたどり着けないけれど。

森に入るのはどんな感じなのだろう。猛獣もいるだろうけれど、それよりわくわくが止まらない。

分かっている。

お外の事を書いていた本は、嘘だらけだったということくらい。

でも、こういう、本当に凄い事もあるのだと、わたしは自分の目で見て知った。多分だけれども。

お外の事を書いた本の作者は。

きっと、自分が見た良いものだけを書いたのだ。

だからあんないびつな内容になった。

それに、嘘だらけだったとしても。

わたしに希望をくれた。

その後絶望に叩き落としてくれたけれど。

それでも希望をくれたのは事実なのだ。

大規模な工事をした川の一部、支流の一つが、向こうの森に流れ込んでいる。この間の工事の影響か、まだ少し水は濁っていた。

そして、何か構造物がある。

どうやら、水の勢いを殺すための仕組みらしい。

更には、川の周囲には土手も作られていた。

お姉ちゃんが感心したように手をかざしながら、その構造を見る。

「この辺りの街の錬金術師は、本当の凄腕のようね。 メッヘンとは川の制御が段違いだわ」

「ふっ、確かにその通りだ。 地を蝕む暴れ竜を見事に制御している。 その手腕、さながら空舞ういにしえの天馬の繰り手がごとしだ」

「レヴィさん、乗りに乗っていますね」

「ふはははは、そうだろう」

ご機嫌そうなレヴィさんを、呆れ果てた様子で見るお姉ちゃん。

わたしも何だかその言葉遣いが移りそうだが。

まあ楽しそうなのは何よりだ。

悲しそうなのよりもずっといい。

ディオンさんは頑張っていたけれど。

メッヘンは、完全にみんな幸せそう、というわけではなかった。

やっぱりとても貧しそうな人もいた。

子供が勉強できているわけでもなかったし。

工事の時に来た人夫は、明らかに襤褸を着ていた。

もっと街が豊かになって。

街がもっともっと上手に回れば。

あんな風な生活をする人は減るはずなのだ。

勿論、豊かになった分を独占しようとする悪い人が出てくるかも知れない。そういう人は、やっつけなければならないかも知れない。

でも、どうやって。

今のうちに。

その辺りも、学ばないといけないのかも知れなかった。

ふと、凄い音がする。

何かを叩き潰したような音だった。

お姉ちゃんがわたしを庇う。レヴィさんも、既に剣に手を掛けていた。

此方に逃げてくるのは。

熊だ。

ウサギや鹿なんかとは比較にならない体格。

前にグリフォンの死体を見たけれど。

あれほどではないにしても、それに近いほどのサイズだ。

それが、まっすぐに此方に突貫してくる。

お姉ちゃんが矢を番え、わたしがフラムを取り出すが。

熊はわたし達を襲おうとしているのでは無く。

あからさまに逃げてきていた。

そして、熊に向けて。

投擲された斧が、情け容赦なく、尻から背中に掛けて突き刺さった。

あれ。

あの斧、何処かで見たような。

ともあれ、それで竿立ちになる熊が、絶叫する。

そして、跳躍してきた誰かが。

拳を振るって、熊の頭をかち割った。

潰れた頭が胴体に半分めり込みながら。

熊が断末魔さえ上げられず、そのまま前に倒れる。

地響きが凄まじい。

平然と片手で熊の死骸から斧を引っこ抜いたその人は。

やはり、前に見た。

谷で作業をしているとき、すれ違った商人の護衛だ。

「ふー、しとめたしとめた。 貴方たち、無駄撃ちしなかった?」

「はい、大丈夫です」

ぺこりと頭を下げる。

相手はお姉ちゃんより少し年上に見える。おかっぱに髪を切っていて、戦士らしく軽装の鎧を着ていた。

それより何より、目立つのは、体のあっちこっちがものすごくばいんばいんである。何を食べたらこんなになるんだろうと思ってしまう。

しかしながら、それよりもまず豪快すぎて。

色気以前に、強さとか、豪快さとかを感じてしまう。

おっきな斧を平然と振り回している所からも。

とんでもない実力者である事は間違いない。

「私はドロッセル=ワイスベルク。 傭兵もしているけれど、本業は劇作家でね。 人形劇専門の」

「劇作家!?」

びっくりである。

そういう仕事があるとは聞いている。

大きな街でしかやっていけないそうだけれど。

多分、本人としては劇作家が本業のつもりなのだろうが。

見た感じ、傭兵をして生計を立てているのだろう。

わたしは名乗って、頭を下げると。

知っていると言われた。

「聞いているよ。 忘れているかもしれないけれど、護衛ですれ違ったから」

「あ、覚えてます。 凄い斧持ってるなあって」

「斧で覚えられたかー」

けらけらと笑うドロッセルさん。

そして、側に用意していたらしい木を組み始める。

意図は悟ったので、私も手伝う。

ただ、熊を吊るのは流石に厳しいようで、ドロッセルさんは、地面で熊を捌き始めた。血などは首を斬って流しながら受け取り。後は体をパーツごとに切り離して、吊るし始める。

更に毛皮を剥いで。

内臓も取り出し。

手際よく燻製にしていった。

こういう作業は覚えなければならない。

わたしも無言で手伝う。

お姉ちゃんとレヴィさんも、同じようにした。

ドロッセルさんは、笑顔で有難うと言う。

豪快さが目立つ人だけれど。

気配りもきちんとできるようだ。

「一人で旅をしているんですか?」

「この間の商人の護衛は終わったからね。 あの商人は西にいく予定だけれど、私は北を経由して、最終的にライゼンベルグに行く予定だったから」

「え?」

「何かおかしな事言った?」

頷く。

だって、こちらは。

メッヘンから見て南だ。

真逆である。

それを告げると、ドロッセルさんは頭を抱える。

「あー、またか。 出たときは北だった筈なのになあ」

喋りながらも、肉を燻製にしていくドロッセルさん。

そして、失敗失敗と笑いながら。

なんで熊を燻製にしているのかを話してくれた。

何でもこの近くの街。森の中にある街では無く、そうではない近場の街を脅かしていた熊で。

通りがかったドロッセルさんが、退治を頼まれたのだという。

巣穴を見つけた時には。

人が土まんじゅうにされ掛けていた。

幸い人はまだ生きていたので、熊を叩きのめした後救出。

手負いの、しかも人間を襲った経験を持つ熊を逃がすわけにはいかない。

だから徹底的に追撃し。

森に逃げ込もうとしていたところで捕捉。

半殺しにし。

逃げ出したところにとどめを刺した、という話らしい。

「幸い一人も死者は出なかったけれど、公認錬金術師がいない街だからね。 猛獣でも立派な脅威になるんだよ」

「そう……なんですね」

「そうさ。 山師みたいな野良の錬金術師に頼って金をむしられたり、比較的良心的とはいえそれでも高いアルファ商会の商品で何とか自衛している、っていう街は多いんだよ」

「……」

メッヘンは。

あれでもマシだった、と言う事だ。

色々思うところがある。

エルトナもそうなのだろう。

少なくとも、エルトナは猛獣に常に脅かされている訳では無かった。

だが、ドラゴンや邪神が出たら。

それに、メッヘンを襲ったような自然災害に見舞われたら。

ひとたまりもなかっただろう。

熊の頭だけはそのまま残しているドロッセルさんは。

そのほかは適当に燻製だけ回収すると。

後はあげると、わたしに笑顔で押しつけた。

「えっ、でもこの毛皮、かなりの値段になるんじゃ……」

「たかが熊一匹に随分手間取ったし、この辺は仕方が無いよ。 それよりも、フィリスちゃん。 街での活躍については聞いたけれど、その様子だとお金もまだあんまりないんでしょ? それ、少しでもお金の足しにして。 私は傭兵続けてて、お金には困ってないからね」

そういって、立ち上がると。熊の首を鷲づかみにしたまま、戦いの痕跡を辿っていくドロッセルさん。

ほどなく、その姿は見えなくなった。

呆れた顔でお姉ちゃんが言う。

「自分でも依頼を受けた街に戻る自信は無いのね」

「ああ、それで……」

「空間把握能力の欠如という奴だな」

「な、なんですかそれ」

方向音痴のことだと、お姉ちゃんが教えてくれる。

そうか、そんな難しい言い回しをするのか。

それにしても、森に入ると比較的猛獣は大人しくなるという話だが。

逆に言うと、人間でも森を傷つける事は大罪だ。

一旦アトリエを展開し、貰った熊のお肉や骨、内臓や毛皮を回収しながら。手をかざして森の方を見る。

あんな熊がたくさんいたら手に負えない。

正直、震えが来た。

あの熊。

もしも戦いになっていたら、勝てていたのだろうか。

つい最近まで、メッヘンの戦士達と一緒に行動していたから、感覚が麻痺していた。

今後も、傭兵を雇ったりするにしても、せいぜい十人くらいまでしか雇うことは出来ないだろう。

お金の問題もあるし、食事やら何やらが大変だからだ。

それにお姉ちゃんだっていい顔をしないはずだし。

何よりも、それだけの人数と上手くやっていく自信がわたしにはあまりない。

アトリエを畳んでしまうと。

夜になる前に、森の様子を確認する。

ちょっとばかり、急がないといけないかも知れない。

あんなのがもし出たら。

森の中で、逃げ惑わなければならないかも知れないからだ。

ぞっとしない話である。

歩きながら、レヴィさんが話してくれる。

熊は基本的に非常に獰猛で。

ネームドになる事も多いそうである。

見た目と裏腹に頭も悪くはなく。

執拗に獲物を狙う習性があるため。

もしも人間の味を知った場合は。

真っ先に、如何なる手段を用いても仕留めないといけないのだとか。

小さな村で、戦闘力が低い人間しかいない場合。

襲われると、全滅する可能性まであるという。

勿論ネームドなどに比べると、危険性は雲泥なのだが。

その性質から、非常に危険な猛獣の一種に数えられるのだとか。

ただし、その一方で、草食獣の数を保つための、バランサーとしても存在しているために。

まず人間に近づかせないようにする事が大事なのだとか。

お姉ちゃんは何も言わず、周囲を警戒している。

森は思ったよりも遠く。

更に、整備されている川を左手に見ながら歩いていると、実は今までとは比較にならないほど街道がしっかり整備されていて。

きちんと道が分かる事も、実感できる。

人間の領域と、そうで無い場所。

それをコントロールしているのがよく分かった。

「そろそろ黙ってくれるかしら?」

「ああ、そうだな。 此処より先は静寂の領域だ」

「ええと、ハンドサインは前と同じで?」

「変える必要はないわ。 別に匪賊と交戦しているわけでもないもの」

頷く。

前に洞窟に入ったときと同じだ。

身を低くして、できる限り音を立てずに行く。

木も、森に入ったときはまだ背が低かったが。

どんどん高くなっていく。

そればかりか、木は苔むしていて。

何というか、地面にも活力が感じられた。

エルトナ周辺の、乾ききった土とは根本的に違う。

大きな百足が前を横切っていったので、小さく悲鳴を上げかけたが。さっとお姉ちゃんがわたしの口を塞いだ。

足の震えが止まらない。

何あれ。

百足の存在は知っていたが。

あんなに大きくなるなんて、信じられない。

見ると、倒木がある。

倒木はコケですっかり覆われていて。

完全に虫たちの楽園になっているようだった。

日が差し込んでいるが。

倒木の周囲には、にょきにょきと若木が生えている。

そういえば、本で読んだ。

植物のご飯は、お日様の光だと。

土からの栄養も大事だけれど。

森では、お日様の光を得るために、植物たちが競争しているのだろう。

見ると、ばりばり音を立てて、ウサギの下半身らしいのを、何かが食べていた。見ると、さっきのよりも更に大きな百足だ。

凄い食事音。

それに、ウサギだって、エルトナの近くで見かけたのよりも一回り大きい。

あんなのを食べるなんて。

恐ろしい百足もいるんだなあと、戦慄してしまう。

百足のすぐ側を。

ヤギらしい動物が、群れで横切っていく。

メエメエと鳴いているが。

角が凄く鋭くて。

百足も少しだけ顔を上げたが、すぐに食事に戻った。

山羊たちはとても逞しくて。

わたしより遙かに大きく。

あの百足も、もし襲おうとしたところで、瞬く間に踏みにじられてしまいそうだった。勿論山羊たちはわたし達にも気付いているが、相手にもせず通り過ぎていく。

怖い。

森の中は。

こんななのか。

猛獣は比較的大人しいと聞いてはいたけれど。

それでも、喰う喰われるの関係は存在しているし。

何よりも動物がいずれも逞しくて。

戦って勝てるかというと、不安しか無い。

さっきの熊も。

此処では好き勝手なんて出来ないのではあるまいか。

お姉ちゃんが手を横に。

止まれの合図だ。

レヴィさんが腰を低くして、剣に手を掛ける。わたしは少し下がって、やっと気付いた。

すごく大きな蛇だ。

わたしなんて、それこそ一口でぺろりだろう。

がたがた震えるわたしの前で。

蛇はしばらく舌をちょろちょろ動かしていたが。

興味なさげに、巨体を引きずって進んでいった。

やがて蛇が消える。

腰が抜けそうだった。

人間の何倍の大きさだろう。

この森の奥には、ディオンさん曰く、ドナという街があるらしいのだけれど。その街の人は、常にあんなのを相手にしているのか。

ふと、不意に開けた場所に出る。

妙な臭いがしているが。どうやら、周囲の獣は露骨に避けている様子だ。

たき火の跡もあり。

立て看板もあった。

看板にはこう書かれていた。

休憩所、と。

今は人もいないが。

確かに雨を凌ぐための屋根と。

ある程度の人数が野営できるだけの広さがある。

この煙、或いは。

獣を避けるため、なのかも知れない。

上空をアードラが旋回しているけれど。

此方に対しては、興味を示している様子も無い。

或いは、上から此方が見えない仕組みになっているのだろうか。

「此処で一旦休憩しましょう」

「うん……」

お姉ちゃんに言われて、どっと疲れが出た。

アトリエを展開して。

ベッドに転がり込む。

そのまま、しばらくぼんやりする。

熊。

百足。

蛇。

どれもこれも、夢に見そうな怖さだった。というよりも、今でも震えが来てしまう。

しばらく休んでいると。

お姉ちゃんが、食事を作ってくれた。

いつの間にか摘んでいたのか。

野草もかなり入っている、結構豪華な料理だ。

お野菜は苦手だけれど。

食べないと力は出ない。

それに食べやすくは工夫してくれているので、それは我慢しなければならなかった。

最近はお姉ちゃんとレヴィさんが交代でお料理をしてくれる。

わたしは、錬金術に専念しろと言われて。

お料理はしなくても良いと言うことだった。

つるはしを作った後は。

手の負担を減らすための手袋を試行錯誤しているのだけれど。

まだ上手くは行かない。

今、進捗八割という所で。

後一歩でできそうなのだけれど。

とにかく、食事の後、少し休む事にする。どの道ドナの街までまだ少し掛かるのだ。もう外は夜だし、夜の森を歩く勇気なんて、とても無かった。

だから、アトリエがノックされたときは。

跳び上がるほど驚いた。

見ると、あの熊を単独で倒したドロッセルさんである。

そして外は、雨が降っていた。

「ど、どうしたんですか?」

「いやー、あの後街に戻って、今度こそ北に行こうとしたら、また森に入っちゃってね」

「は、はあ」

「筋金入りだな。 さながら迷いの妖精に愛されていると見える」

自慢げにレヴィさんが言って。

お姉ちゃんがしらけた目で見ると、何故か自慢げに胸を張った。

ドロッセルさんに泊めて欲しいと言われたので、快く引き受ける。熊の大部分を貰ったのだし、今更どうこういうつもりはない。

わたしは手袋を四苦八苦しながら調整。

手袋そのものを作るのは、お姉ちゃんにかなり手伝って貰って。

錬金術による、常時魔術展開効果に注力する。

ディオンさんに貰ったレシピを参考にして。

幾つかヒントを閃いて。

そしてようやく出来た。

指先が出る手袋で。

身につけると体が温かくなる。

つまりそれくらい常時回復が掛かっていると言う事で。

試しにつるはしを握ってみると、露骨に軽い。

外で少し素振りしてみたが。

非常に軽くて、今までとは別物のようだった。

手袋を外して検証。

一気につるはしが重くなる。

コレは嬉しい。

ただ力があまりに一気に上がるので、爆弾などを投げる際には、コントロールが狂わないように気を付ける必要があるだろう。

お姉ちゃんとレヴィさんの分も作ってあるので、渡す。

お姉ちゃんも、弓を引いてみて、満足そうに頷く。

レヴィさんは、黒が良いと言い出したので。

さっそく、黒く塗る方法を真面目に考え出したのだが。

お姉ちゃんがそんな事はどうでも良いとレヴィさんに釘を刺して。

レヴィさんは残念そうに、とても悲しそうにした。

「黒が良いのに……」

「あ、あの。 次は黒いのにします」

「そうしてくれ」

本当に悲しそうだったので、フォローを入れる。

何だか楽しそうだとドロッセルさんは笑うと。

ドナの街まで、一緒に行って良いかと言う。

どうせライゼンベルグに行くのに、このままだと迷子になる可能性が高いという。それならいっそのこと、方角を読める人と一緒に行きたいと言うのだ。

此方としてもそれは有り難い。

あの大きな熊を単独で仕留める人が一緒にいてくれたら。

とても心強いからである。

手袋の後は。

今まで作れなかったお薬を作る。

山師の薬などの、基本的なお薬も。

メッヘンの修羅場で鍛えられたからか。

以前より明らかに作る手際があがり。

それに、速度も上がっていた。

少しずつ、わたしは。

成長できている。

それを噛みしめると。

わたしは、レシピで再現出来そうなものを全て再現するべく、周囲に素材がいくらでもあるこの場所に。

少し滞在することを決めた。

 

3、人の造りし静寂

 

ドロッセルさん以外にも、休憩所には人が来た。ドナという街は、これだけの森に守られているだけあって、相応の規模らしい。主に商人が通りがかる。アルファ商会の人もいたし、そうでない人もいた。

メッヘンの水害や、水害からの早期復旧の話は既にドナにも届いているようで。

わたしの事も知っている、という商人もいた。

少し恥ずかしい。

それで、色々足りない物資を売って貰いながら、情報交換。

メッヘンでは殆ど出来なかった事を、今のうちに全て片付けてしまう。錬金術の修行も含めて、である。

既にエルトナを出てから一月近くが経過してしまっているが。

それでも生活に苦労は覚えていない。

この休憩所に入ってから三日。

休憩所の側には、川から引いてきたらしい水場もあり。

コレを使って、足りなくなっている蒸留水を大量に造り。

その蒸留水を使って、お薬を作る。

この水場の水はとても澄んでいて。

今まで見たどの川の水よりも綺麗だった。

蒸留水を作る時は、色々と汚れが最終的に釜に溜まってしまうのだけれど。

此処の水は、露骨にその汚れが少ない。

これがとても助かる。

また、お薬も、いざという時に備えて、作れるだけ作ってしまう。

今までと違って、病気に備える薬や、化膿止め、熱冷まし、毒消しなども、作れる種類は全て作る。

メッヘンで思い知らされた。

本当に、錬金術師は、熟練した戦士百人分の活躍が出来る。

わたしみたいなひよっこでもだ。

だからこそに、今のうちに腕を磨いておく。

助けられる人がもっと増えるはずだ。

困っているのはエルトナの人だけじゃない。

きっとこの世界。

もっとたくさんの人が。

苦しんで、困っている。

ドロッセルさんも言っていたけれど。

公認錬金術師がいない街は悲惨だと言う話だし。

いずれ、そういう街にも出向いて、どうにかしたい。

何よりも、わたしは思うのだ。

そもそも、わたしは運良く余裕がある家庭に生まれた。鉱物の声も聞くことが出来た。

でも、そのどっちか片方でも欠けていたら。

きっと、もう結婚させられて。

子供を産んで、育てていただろう。

この世界は優しく何てない。

わたしは運が良かっただけ。

だったら、その運を少しでも生かして。

他の人のために。

世界を少しでも優しくしなければならないのだ。

一通りレシピの品を造り。

蒸留水も蓄えた。

かなり忙しかったが。

それでも、メッヘンで修羅場に巻き込まれ、揉まれていた頃に比べれば全然楽だ。多数の知らない人に囲まれて、いつ死んでもおかしくない状況にあったのだ。あの時に比べれば、なんぼ楽だか分からない。

ドナから来る人は、殆どの場合護衛を連れているが。

怪我をしている例はほぼ無かった。

つまり、森の中の獣たちは。

余程の事が無い限り、人間には仕掛けてこない、と言う事だ。

メッヘンとは別方向に向かう人が大半らしく。

森を出た後は南に行くとか、西に行くとか、そういう話を商人にされる。

取引を持ちかけられる事もあったので。

少し余った薬なども売る。

現時点では、アルファ商会の品と比べても、ギリギリ合格のラインである事は確認できている。

商人は、質が低いと文句を言うことは無かったが。

ただ、言われる。

「ドナの街のお薬に比べると、流石に雲泥なのです。 ただし、水準の品質なのです」

「ドナの街の錬金術師は、やっぱり凄いんですね」

「恐ろしいけれど凄い人なのです。 この規模の森になると匪賊が必ず住み着くのに、今もいないのです」

ホムの商人はそう言う。

つまり、匪賊も。

この森に入ると死ぬ事を認識している、と言う事で。

更には老齢だという話だけれど。

未だにドナの錬金術師であるオレリーさんという人は、それだけの凄まじさを誇るのだろう。

ライゼンベルグの公認錬金術師でも十指に入ると言う話だけれど。

話を聞く限り、今からちょっと怖い。

ともあれ、適正価格でお薬を取引し。

満足した様子で、商人はその場を去る。

アルファ商会が最近は流通網を作ってくれていて。

良心的な価格設定を定着させてくれているそうで。

商人は皆助かっているという。

ただ、商人が去った後。

レヴィさんはぼやく。

「確かに今までに比べれば良心的だがな。 それでも金持ちか、街ぐるみでしか手が出ない値段なんだよ……」

わたしは、何もそれには答えない。

レヴィさんがあの楽しそうな口調で喋っていないときは。

思うところがあるときだと気付いているからだ。

今のうちに。

もう少しでも。

出来る事は、しておきたい。

それには、レヴィさんとも良い関係を築いておきたいし。

やるべき事は、やっておくべきだった。

 

手袋の後、鉱石を磨いて、宝石を作る。

宝石と言っても、エルトナから持ち出した鉱石、つまり水晶の原石から作り出したものだから、それほどの高級品では無いけれど。

エルトナの水晶は強い魔力を込める事が出来る。

つまり、魔術の媒体としては優秀だと言う事だ。

このエルトナの水晶を、錬金術で更に変質させ。

常時魔術を発動させるための媒体とする。

少しずつ体力が回復し、力も強くなる手袋は作れたので。

更にそれを改良しようと思ったのだ。

手袋に、水晶をセット。

少し手の甲に違和感があるので、何とか調整。最終的に、毛皮と工夫して、違和感も圧迫感もなく、手袋を身につけられるようにした。

全身の力をある程度強化出来るようにし。

更にその倍率を少しずつ上げる。

外に出て、自分で実験。

つるはしが前より更に軽い。

走るのは大の苦手だったのだけれど。

それも、前とは比べものにならないほど早く走れた。

これは良いかもしれない。

ただ、前に比べて、旅を続けて、ある程度からだが頑丈になった、というのは間違いなくあるだろう。

わたし自身も。

ある程度強くなってはいるのだ。

そろそろいいだろう。

蒸留水も充分補給したし、休憩所を離れる事にする。ドナの街は、此処から歩いて二日ほどだと聞く。

つまりそれだけの森林を、オレリーさんという人は十年程度で作った、と言う事だ。

どれくらいの技量なのか、正直見当もつかない。

休憩所を出た後は、また無言に戻る。

わたしを真ん中に、前をレヴィさん。後ろをドロッセルさんが。右をお姉ちゃんが守る。

左については、常にドロッセルさんが目を光らせて、一緒に監視してくれた。

この人の技量は、お姉ちゃんも認めていたし、レヴィさんも同じだったが。

明らかに、今のわたし達三人をまとめたより上だ。

それだったら、一時的な護衛でも、来てくれるのはとても嬉しい。

そのまま、まっすぐ半日ほど歩くと、また休憩所があるが。小さな規模で、そのまま素通りした。

休憩所で話して事前に情報は得ている。

ドナの街からは、三方向に街道が延びていて。

その内北東に進む街道を行くと、この近辺でもっとも大きな街に出るという。

その街はラスティンでも有数の大都市で。

巨大な湖に隣接しており。

流通の中心だとか。

だが、この街で今大きめの問題が起きているとかで。

商人達は。この街を回避する方向で流通のルートを構築することに必死。

皆、相当に苦労をしているとか。

二つ目の休憩所で、丁度日が暮れた。

森の中にいると、夜闇の侵食も凄まじく早い。

夜になると、森の中で鬼火が彷徨っているのが見える。

あれは多分、噂の幽霊だろう。

距離さえ保っていれば襲ってこないのだけが幸いだ。

森の中にいると、幽霊さえ好戦的にはならなくなる、ということか。

よく分からないけれど。

この世界は、そういう仕組みなのだろう。

休憩所でアトリエを展開する。

途中でアトリエを出たドロッセルさんが、鹿を担いで来たので。外で捌く。休憩所なので、危険は気にしなくて良い。

わたしも夜目は効く方だけれど。

ドロッセルさんは、もっと平気らしくて。

鹿も背後から忍び寄って、一撃でしとめたらしかった。腕力が凄そうなのに、意外と繊細な戦い方をする人だ。或いは、凄腕とは、そういうものなのかも知れない。

鹿を捌くのはわたしがやる。ドロッセルさんが小首をかしげたが、経験を積みたいというと納得してくれた。

錬金術師としても経験は必要だが。

外で生きていくためには、あらゆる知識が必要だ。

それに錬金術師としても。

どんな風に素材を生かすか。

それを知るためには、素材を直に知らなければならない。

どんな動物の、どんな部位で。

生きているときには、どのように役立っているかも。

理解しなければならない。

動物由来の素材は。

植物由来ほど、大事にしなくても良い、みたいな風潮はある。

荒野に幾らでもいる獣と違って。

限られた状態でしか緑は存在しないからだ。

だが、わたしはそれも違うと思う。

動物は生きているのだ。

だったらその命に敬意を表さなければならない。

そして敬意を表すためには。

自分の手で、命を奪った後にも、扱わなければならない。

知らなければならないのだ。

残酷だから止めようなどと言うのは論外。

無邪気にわたしがおいしいと食べていたウサギのローストも。

お姉ちゃんが必死になって仕留めてきたものを、料理していたことが分かった今である。

お外が地獄である事も、今はもう知っている。

それならば。地獄を少しでも良くするためにも。

地獄をそも知らなければならない。

それはわたしの義務だと。

メッヘンで水害と闘いながら、わたしは思うようになった。

情けない事に、まだ完全に一人では作業が出来ないけれど。

手伝いは最小限にして貰う。

木を組んで、鹿を吊す。

だいぶ獣を捌いたからか。

かなり手際が良くなってきている。

お姉ちゃんも褒めてくれたが。

まだまだこの程度で満足していてはいけない。

内臓のより分けとか。

血抜きとか。

手際がそれほど良いとは言えないし。

皮を剥ぐのも、もっと上手に出来るはずだ。

鹿肉を皆で食べて、あまりはコンテナに。コンテナは、入れば入るほど、その広さに驚かされる。

どれだけ詰め込んでも、まるでいっぱいになる気がしない。

或いはこの不思議なアトリエの中で。

最も広い部屋なのではあるまいか。

軽く休む。

そして、翌日も歩く。

また一日、しっかり歩いて。

ふと気付く。

歩けば歩くほど。

歩くことになれて、疲れが溜まらなくなっていることに。

この様子だと、もっと旅慣れれば。

殆ど疲れずに、歩くことが出来るようになるのかもしれない。

いずれにしても、わたしはもっと鍛えなければならない。メッヘンの戦士達は、とくに強いというわけではないらしいけれど、それでもみんな、わたしなんてモヤシに見えるくらい逞しかった。

わたしは錬金術師だから、というだけで護衛を受けていただけで。

そうでなければ、あの中では鉱物に関する特殊能力を持つだけの役立たずだった。

それではだめだ。

お姉ちゃんの負担を減らすためにも。

いずれ自分で、自分を守れるようにならなければならない。

今は武器も杖だけれど。魔術を磨くか、或いはもっと何か殺傷力の高い武器を見つけないといけないだろう。

お姉ちゃんに弓を習ったり。

レヴィさんに剣を習ったり。

どちらも、視野に入れておくべきかも知れない。

森は視界が効かない。

それでも迷わないのは、立て札がしっかり立てられていて。

しかもその立て札は、錬金術で保護されているらしく。朽ちたりも、汚れたりもしていないという事だ。

触ってみたが、何だかつかみ所がなくて。

引き抜くことも出来そうに無い。

悪意のある第三者。

例えば匪賊など、にも備えているのだろう。

所々に、明らかに普通とは違う鳥も飛んでいる。

あれはひょっとすると。

ドナの街で、飼い慣らしている鳥なのかも知れない。

常に上空を警戒し。

危険な存在が近づいたら、警戒の鳴き声を上げるのかも知れなかった。

ドロッセルさんはのほほんとしているが。

この森の中。

かなり怖い、とわたしは思った。

多分全てが、ドナの街の錬金術師である、オレリーさんの掌の上、なのだろう。

全てを掌握するほどの凄腕だ。

どれほど怖いのか、見当もつかない。

不安は多い。

前は、水害で大変な事になっていたから、ひよっこでも歓迎してくれた。

だがディオンさんも言っていた事が本当だとすると。

ドナの方は、錬金術師の到来が珍しくもなく。

更に、錬金術師なんていらない(何しろ超凄腕がいるのだから)、という可能性が極めて高い。

もう一つの不安は。

鉱物の声が遠い、と言う事だ。

わたしにとって、この柔らかい土に覆われた森の世界は、ホームグラウンドとは言い難い。

鉱物達の声はずっと下から、弱々しく聞こえてくるばかりで。

迷子になったら、それでアウトの可能性も否定出来ない。

そして最大の不安は。

凄く怖い人だったらどうしよう、という事だ。

わたしはお姉ちゃんに守られてばかりだ。

でも、それでは駄目なことくらい、わたしが一番分かっている。

だけれども、やっぱり凄く怖い人に怒鳴られたりしたら、涙目になると思うし。

一人で猛獣と相対する事になったら、まだ足が竦んでしまうと思う。

不安しか無い中。

黙々と歩く。

看板を見たお姉ちゃんが足を止めて、ハンドサイン。

見ろ、と言う事だ。

ドナまで間もなく。

そう書かれていた。

 

街の長老が錬金術師と言う事で、いきなり会いに行くのも失礼だろう。それに何より真夜中だ。

街には城壁もなく。

驚くべき事に、水路が縦横に走っていた。

水路を流れる水はとても清らかで。

魚さえ泳いでいる。

そして街の中央に見える木は。

天をも突くほど高かった。

街は円形を中心とした整備が為されていて。

エルトナは当然として。

メッヘンよりも、何倍も何倍も大きく。

夜中だというのに、明るく。

人々も行き交っていた。

「相変わらず賑わってるねえ」

ドロッセルさんが楽しそうに言う。そして、メモを取り始めた。

お姉ちゃんが、宿を取るか、それともアトリエを展開するか聞いて来たので、アトリエにすると返答。

宿はお金が掛かる。

アトリエでも、普通に休む事が出来るのだし。

何より慣れている場所で休む方が気楽だ。

ちなみに寝具はかなりの人数分があるので。

寝泊まりにはまったく困らない。

お姉ちゃんが街の人と話をして。

フリースペースになっている空き地を見つけてくれた。

其処にアトリエを展開。

錬金術を見慣れているのか。

わたしがアトリエを展開しても、驚く住民はいなかった。

わいわいと楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。

お酒でも入っているのだろうか。

エルトナではお酒なんて、年に一度のお祭りでしか飲む事が出来なかった。

お外では、毎日飲めるような場所があるのか。

驚きだ。

アトリエの中に入ると、ドロッセルさんにお礼。

「護衛有難うございました。 三人だとまだ心細くって」

「いやあ、此方こそ。 近場に人がいれば気配を辿って近づけるんだけれど、私の迷子ってほら、筋金入りでしょ。 いっつもフラフラ彼方此方彷徨ってて、お父さんとも今はぐれててさ」

苦笑いをするドロッセルさん。

そして、嬉しい申し出をしてくれる。

「よかったら、しばらく護衛しようか? ライゼンベルグに行くのも、お父さん探してるから、だから」

「良いんですか?」

「いいよ。 ライゼンベルグに行けば、お父さんいる可能性高いしね」

助かる。

幸い、お金には今の時点では困っていない。

後は賃金の交渉だけれど、レヴィさんと同額でまとまった。というよりも、ドロッセルさん、賃金にずぼらで、もの凄い安い金額を提示してきたので、此方から慌てて提案した位である。

多分だけれど、凄腕だからお金には困っていないのだろう。

今回は仕事ですらなく。

ただの旅行感覚なのかも知れない。

「あの、ネームドやもっとおっかない猛獣とも戦う事になるかも知れないですけれど、いいんですか」

「大丈夫大丈夫。 それよりも、フィリスちゃんの方が、その装備で大丈夫? しっかり錬金術の装備で身を固めないと危ないよ」

「はい、それは分かっています……」

「じゃ、私は寝るから。 明日からは街をふらついているから、手がいる時に声を掛けてね」

女性用の寝室と決めている部屋に、ふらっと行ってしまうドロッセルさん。

お姉ちゃんが、その背後を見送った。

「頼りになるね」

「……出来すぎてるわ」

「え?」

「ううん、何でもない」

早めに寝るように言われて。

私も寝ることにする。

言われなくても、足がかなり痛い。

良い靴を貰ったのに。

この靴も、改良が必要かも知れない。

そうだ。

靴底に、回復の魔術を仕込むのはどうだろう。

そうすれば。

より容易く、長距離の踏破が出来るようになるはずだ。靴そのものの強度も上げれば、石とか刃物とかを踏みつけて、身動き取れなくなる事態を避けられるかも知れない。

ソフィー先生に貰ったこの靴。

とても立派で、頑丈で、使いやすいけれど。

普通に良質の皮と布を組み合わせただけのものだ。

魔力を感じる事はない。

分解については、多分出来ると思う。

ならばコレを改良すれば。

それと、出来ればだけれど。

いずれ、空路を行けるようになりたい。

錬金術を上手に使えば、空を飛ぶことだって出来るのでは無いかと、わたしは思っている。

高高度を飛ぶのは難しいかも知れないけれど。

敵の上を取ることが出来れば、それだけ戦いでは有利になる。

頭上からフラムを降らせれば。

人間が相手ならば、それで勝ちはほぼ確定だ。

考えている内に。

睡魔が勝る。

やがてわたしは。

眠りに落ちていた。

夢の中でディオンさんが働いている。川の恐ろしい氾濫に悩まされなくなったメッヘンの街の人達は、幸せそうにしていた。

 

朝、起きだすと。

レヴィさんとドロッセルさんには、自由行動を提案。わたしは、お姉ちゃんと街の長老の所に行く事にする。

門前払いされる可能性もあるし。

とても怖い人の可能性もある。

だから、できるだけ、朝は早くが良いだろうと思ったのだ。

それにトラブルになる可能性や、待たされる可能性もあるから。

護衛の人を、退屈させるのも悪いと思ったのである。

二人は頷くと、街にふらっと消えた。

朝、日が出てから歩いてみると。

やはり凄い規模の街だ。

真ん中にある木は、一体どれだけの年月を経ているのだろう。

ひょっとすると、この木だけは天然物で。

此処から森を拡げた可能性もある。

いずれにしても10年で、これほどの規模の森を作ったのだ。

相当な傑物。

ライゼンベルグでも十指に入る錬金術師というのも頷ける。ソフィー先生に劣るとも思わないけれど。

それでも、間違いなくとても凄い錬金術師なのだろう。

街の人に聞いてみる。

話しかけたのは、これから木こりに出るらしい獣人族のおじさんだが。

獅子の顔をしたおじさんは、眉をひそめた。

「オレリー長老の所に行くのか? まさか錬金術師か、ちっこいの」

「はい」

「おっかねえぞ。 あの人、ドラゴンの撃破スコアだけでも二桁、邪神を倒している数少ない現役錬金術師なんだ。 怒鳴られて逃げてく錬金術師を、今年だけでもう三人も見てる」

「ひえっ……」

ドラゴンを二桁倒している、ということは。

最低でも十匹以上倒していると言うことだ。

それは凄い。

普通の人間では、ドラゴンには何をやっても勝てないと聞いている。

そんなドラゴンを十匹以上。

それは、この超強そうな獅子顔のおじさんに怖れられるのも分かる。この人も木こりのようだが、剣を帯びているし、戦士だろう。それなのに、あからさまに怖いと言っているのだ。

「ど、どうすればいいですか」

「どうっていってもなあ。 まず阿諛追従の類は絶対に避けろ。 あの人は、錬金術師と接するときは、実力だけを見る。 前にもの凄く恐ろしい錬金術師が来たんだがな、実力を見て、さっさと推薦状を渡していたくらいだ。 錬金術師はまず実力、って考え方なのさ。 だからもう結構いい年なのに、自己研鑽にも余念がない」

「へえ−……」

「だから最低限の礼儀を守って、話をして、長老の課題をクリアすれば良い。 それで認めて貰えるだろう。 だけれど、あの人に認めて貰うのは骨だぞ……。 俺が知る限りでも、ここに来る錬金術師の二十人に一人も認めて貰えないな」

青ざめるわたしを残して。

獅子顔の獣人族は、木こりに出向く。

見ると、魔族も数人混じっている。

ホムもいた。

ホムが肉体労働をするのは珍しいのだけれど。たまに身体能力が高いホムもいると聞いている。

或いは、自分から意図して、そういう生き方を選んだホムなのかも知れない。

数字に強い分肉体が弱いホムは、商人の道を志すのが普通だけれど。

肉体労働を選ぶ権利も、多分あるはずだ。

いずれにしても、この街には。

そういった選択肢がある、と言う事が分かって。

わたしは感心した。

教えて貰った長老の家に出向く。

アトリエは空いているようだったので、ノック。

顔を出したのは。

もの凄く厳しそうな顔をしたおばあさんだった。

眼光は鷹のように鋭く。

そしてわかる。

この人、今でも現役の戦士だ。

ドロッセルさんを見た時も強さは分かったけれど。多分お姉ちゃんとレヴィさん、ドロッセルさんが束になっても勝てないのではないのか。

それくらいの圧を感じた。

「なんだい、朝早くから」

「あ、あの、すみません。 わたし、フィリス=ミストルートと言います」

「そのフィリスが私になんのようだい」

「わたし、公認錬金術師試験を受けようと思っているんです。 それで、推薦状をいただきたくて……課題があるなら、挑戦したいんです」

怖くて身が竦むけれど。

それでも何とか言う事が出来た。

とにかく厳しい視線を向けてくるオレリーさんは。

はんと、鼻を鳴らす。

そして、名乗った。

「まあいい。 名乗られたなら名乗るのが礼儀さね。 私はオレリー=ブルッホ。 あんたが思うとおり公認錬金術師で、推薦状を書く資格も持っている。 そして推薦状を書くためには、あんたの力量を見せてもらう必要がある」

「はい、頑張ります」

「私の主義は一つ。 実力主義。 それだけだ。 少し前に、北にあるメッヘンで、水害の対応に流れの錬金術師が活躍したって聞いたが、特徴が一致する。 あんただろう?」

「えっ!? は、はい」

もう知っていたのか。

いや、道中、通りすがりの商人が知っていたのだ。

知っていてもおかしくは無いか。

恐縮するわたしに、だがオレリーさんは厳しい事を言う。

「しばらく水が濁って困ったよ。 蛇行している川を無理矢理直進させたね」

「そ、それは水害を避けるためで……」

「方法は正しいが、下流にどんな影響があるかは考えな。 まあ私がどうにかしたから、もうそれはいい」

どうにかしたのか。

どうやって。

とにかく、凄いのだと言う事は分かった。実際、今もドナの街の水は、澄み渡るように美しいのは事実だ。

「だが、それだけのことをしたのなら、第一関門は突破だ。 次は、ドナの街で、どれだけ動けるかを見せてもらおうか」

「は、はいっ!」

「……今、街の南にある洞窟に、ネームドが住み着いている。 如何なる手を使っても良いから、これを駆除しな」

血の気が引く。

ネームド。

あのグリフォンの死骸を思い出す。

獣とは隔絶した実力を持つ、世界の災厄。

強い者になると、弱めのドラゴンに匹敵する存在までいるという。

「街の戦士を数人貸す。 此奴らだけでもネームドは駆除できるくらい鍛えてはあるが、それでもあんたが足手まといになったら手傷を受けることになるかも知れない。 まずはこの課題をやり遂げてみな」

顎をしゃくられる。

いけ、というのだろう。

なお、戦士達は、宿に行けば話を通してくれるという。

わたしは頷くしかなかった。

足が震えている。

いきなり、ネームドとの戦いをしろと言われた。

だが、いつかは通らなければならなかった路でもある。

顔を上げる。

これから、わたしは。

世界の理不尽の。

そのほんの一端と。戦わなければならないのだ。

 

4、月影の下で

 

空間が歪み。

姿を見せる数人の人影。

待っていたあたしは。腰掛けていた岩から立ち上がる。

「ソフィー様。 ただいま戻りました」

「戻りました!」

満面の笑みを浮かべているティアナ。

今回は、複数人による調査任務に出て貰った。

ティアナは基本的に、少人数、もしくは単独での隠密任務に向いている戦士だ。少数、特に一人で戦う方が戦果を上げられるし。何よりも、いわゆるコラテラルダメージを減らせる。単独の戦士としての実力は、既にこの年で深淵の者の幹部に認められる程である。

良くしたもので、深淵の者の戦士達の間でも、ティアナは首狩りの鬼神と呼ばれて怖れられているらしい。

相手が匪賊とは言え。

無邪気に殺戮を繰り返す様子は。

恐怖を買うに充分だ。

まして深淵の者の本部にあるティアナ用の部屋には。

串刺しにし、防腐処置をした「コレクション」が、ずらりと数百人分、いやそれ以上並んでいるのだから。そして壁には、説明を受けたがあたしでも良く理解出来ない模様がたくさん描かれているのである。部屋に入った者が体調を崩したという噂もあるが、まあ無理もないだろう。

今回の作戦指揮をしたのは、深淵の者に属する錬金術師の一人、ヒュペリオン。深淵の者に古くから所属する「先輩」ではあるのだが。あたしには敬語を使う。賢者の石を作り出したあたしを、賢者と呼ぶに相応しい錬金術師と認めているから、だそうだ。あたしもその敬意を無にしないように、ヒュペリオンには相応の敬意を払って対応している。敬語は使わなくて良いと言われているのでそうしているが、くだらない任務を頼んだりはしない。重要任務にだけ出て貰っている。実際それだけの実力がある錬金術師だ。

此処は、ドナの森の東。

昔、ある街が栄えた遺跡だ。

今回は、その遺跡の地下の実態調査をして貰った。

プラフタも来たので、状況の説明を受ける。

「やはり地下にはかなりの数のネームドがいます。 この遺跡は、封印してしまった方が良いでしょう」

「確かに一理あるね。 だけれども、それには惜しいんだよね」

「しかしながら、現在この遺跡に住み着いているネームドの実力は、下位のドラゴンに匹敵する者だけでも複数が確認されています。 此処で討伐されたという邪神の力が拡散した結果でしょう」

この街は。

およそ280年前。

邪神によって滅ぼされた。

近隣の街も脅かした邪神は、ラスティンが総力戦を挑み、多数の被害を出しながらもかろうじて討伐された。

本来はこれほどの邪神を滅ぼすまで戦力を消耗することは、ラスティンもまずしないのだが。

そもそもの問題として、ラスティンの中枢都市の一つ、フルスハイムがこの街の至近にある。今も存在するこの大都市フルスハイムを潰される事は、ラスティンにとっても死活問題だったのだ。

このためラスティンはライゼンベルグにいる者も含め当時一線級だった錬金術師を総動員。

更に深淵の者も援軍を密かに出し。

此処に現れた邪神、「虹神ウロボロス」を屠ったのである。多大な被害を出し、当時の一線級の錬金術師の過半を失いながら。

だが虹神の力は拡散し。

多数の獣をネームドに変え。

そいつらは各地に拡散。

その一部が、現在この地下に多数潜んでいる、というわけだ。

「地上に出てきそうなのは」

「今の時点では確認できません。 しかしながら、地下は文字通りの魔境。 通常の獣も、相当に凶暴化しておりまして」

「地図は?」

ヒュペリオンが魔術を展開。

プラフタと一緒に確認する。

思ったより狭いが。

故に戦いになると、崩落する可能性が高い、か。

ならばいっそのこと、此処はあたしが出るのも良いだろう。

「いいよ、みんなは此処まで。 あたしが間引いてくる」

「護衛につきます」

「んー、そうだね。 ティアナちゃん、来てくれる?」

「分かりました!」

人数が多いと守らなければならなくなる人員が増える。

この近くを、恐らく近々フィリスが通過する。

その時に、生半可な錬金術師が対抗できないようなネームドと正面衝突したら困る。

世界の可能性が摘まれることは。

避けなければならないのだ。

出るのはあたしとプラフタ、それにティアナだけでいい。

他の皆は深淵の者本部に戻らせる。

ティアナは嬉しそうだ。目をきらっきら輝かせている。

「人以外を斬るの久しぶりです! ソフィーさん、斬るときの手応えがあるとすっごく嬉しいです! 後、首は貰っても良いですか?」

「いいけど、串刺しにして並べるの?」

「はい!」

「うふふ、可愛い子だね」

満面の笑顔で即答か。まあそれもいいだろう。

この子は有能な戦士だ。そしていずれ世界を担う人材の一人になる。

狂っている、などと言うことはどうでも良い。

この世界は、実力者を集めなければ、打破できない。

錬金術師以外の実力者も多数必要だ。

世界は今まで。

人材の育成を怠りすぎた。

なおティアナには、何段階かに分けてリミッターを掛けられる剣を渡している。そのリミッターはあたしの意思で解除できる。今回は、最大限の二段階下まで解除。まあこれくらいで大丈夫だろう。

プラフタはあたしを最近、悲しそうな目で見るようになった。モニカのように。

だが、この世界を変えるためには、手段など選んでいられないのは、プラフタも知っている筈。

何を悲しむ事があるか。

「さて、害獣駆除に出向こうか」

立ち上がると。

あたしは、鏖殺という渾名がすっかり定着した、世界の変革者としての笑みを浮かべていた。

 

(続)