茶色い世界への第一歩

 

序、広い世界

 

ショックから立ち直ったわたしフィリスは、周囲を見回して、ゆっくりと、現実を受け入れる事から始めた。

この辺りは山岳地帯。

エルトナの扉は、丁度山に挟まれるようにして存在していて。

狭い行き止まりの所にある。

そして外から見ると分かるのだけれど。

近づかないと分からないように、敢えて工夫してある。幾つも大きな岩が、意図的に置かれていた。

側にあるのは、物見小屋だろうか。

中から出てきたのは、見た事がないおじさんだ。

すごくたくましくて、強そうな人である。身に纏っている鎧がぴかぴかではなくて、使い込んでいるのが一目で分かるのも、歴戦の雰囲気を醸し出す要因となっていた。

お姉ちゃんが話をしている。

怖くて、出来れば近づきたくなかった。

「リアーネ殿。 出かけられるのだな」

「はい。 エルトナの守りはお願いします」

「承知している。 ドラゴンなどが襲ってきた場合は、即座に対応出来る人員を呼べるようにも手配はしてある。 近隣に危険な邪神はいない。 今の時点では、我々だけでも大丈夫な筈だ。 街を外に発展させるための人材も人員も近々来る。 大丈夫、再建については実績がある確かな人物だ」

「お願いします」

もう一度、お姉ちゃんが頭を下げる。

何となく分かった。

この真面目そうな屈強なおじさんと。

あまり話をしたくないのだ。

だけれども、頭を下げなければならないし。何よりも、そうしなければ全てが始まらない。

だから頭を下げている。

お外には良いことばかりじゃない。

最初から、わたしは。

それを思い知らされていた。

おじさんはわたしを一瞥だけしたが、それだけだ。

あまり興味が無いというよりも。

関わる気が無いように見えた。

「リア姉、あの人は?」

「ソフィーさんが派遣してくれた人よ。 私何かよりずっと強い戦士だわ」

「リア姉よりも!?」

「くぐっている修羅場や、戦って来た相手の次元が違うのよ。 あの小屋にしても、ちょっとやそっとの魔術くらいじゃびくともしないように作られているの。 だから、エルトナを心配しなくても構わないわ」

口を引き結ぶ。

そう語るお姉ちゃんの言葉は。

どこか他人行儀に聞こえてしまった。

まるで知らない街のことを、聞きづてに語っているような。

それよりも、わたしを見る目が。

以前よりも何かおかしいような気がしてならない。

何というか。

さらに過保護になったと言うか。

強迫観念に駆られているというか。

そんな感じだ。

「それで、どうするの、フィリスちゃん」

「うん、出来れば一番近い街に行ってみたい」

「勿論徒歩で行くのね。 わかりにくいけれど、街道があるでしょう? これを伝っていけば、その内つくわ。 幾つか街があるけれど、当分はその貰ったアトリエで寝泊まりする事になるから、見かけた戦闘力のない獣は基本的に仕留めておきましょう。 戦闘力のある獣は要相談ね」

頷く。

そうだ。

なし崩しに実戦になるのだ。

分かってはいたが、やっぱり怖い。

でも、やらなければならない。

歯を食いしばると。

わたしはお姉ちゃんと一緒に歩き始める。お姉ちゃんは周囲に鋭い視線を向けながら、わたしの少し後ろを歩いていた。多分最初に狙われるのがわたしだから、視界から外さないようにするため。

背後に関しては、ある程度の気配を探知して、即応できる自信があるのだろう。或いは最悪の場合、自分が盾になってわたしを守るつもりなのかも知れない。

黙々と歩く。

たまに露出している鉱石が、はげ山の山肌にあるけれど。

それ以外はまるで緑が見られない。

そんな中。

のそり、のそりと歩いている姿が見えた。

大きい。

あのぷにぷに程ではないけれど。

それでも、わたしと同じか、それ以上くらいはある。

なんだろうあれ。

思わず竦む。

相手は、此方を見ると、態勢を低くして。頭についている角を振りかざし、鋭い高い声を上げた。

「リア姉、なにあれ! 怖いよ!」

「フィリスちゃん、話は後。 戦うわよ!」

「う、うん!」

フラムはたくさん作った。

作った分は、コンテナの中に残してあった。材料はわたしがソフィー先生と集めた分以外はひとかけらもなかったけれど。

いつもフラムを持ち歩くように、癖を付けろと言われて。

そう実践もしている。

更に訓練とは言え、わたしは実戦も経験した。

だから、思ったよりスムーズに動けた。

突貫してくる巨体。

思ったよりもずっと速い。少なくとも、ぷにぷに何かよりも、遙かに速い。本当にあれは、雑魚も雑魚だったのだと思い知らされる。

お姉ちゃんが、凄まじい速度で矢を番え、放ち続け。

それがどれもこれも相手に吸い込まれているのに、突貫が止まらない。

わたしはフラムを投擲、起爆した。

タイミングは完璧。凄まじい悲鳴を上げたナニカの獣が、竿立ちになる。その喉に、お姉ちゃん渾身の矢が突き立つ。

それでも横倒しになって、凄まじい暴れ方をしていた獣だが。

両目にお姉ちゃんの矢が突き刺さり。

更にもう一つフラムを爆裂させると。

ようやく静かになった。

呼吸を整える。

膝が笑っていた。

お姉ちゃんが一緒に来ていなかったら。わたしは確実に此処でアウトだった。

無言でお姉ちゃんが招く。

「獣の捌き方を教えるわ」

「リア姉、この獣、何……?」

「これが兎よ」

「……っ!?」

絶句する。

美味しいお肉の兎。

それがまさか、こんな巨体を持ち、額に角を生やしている動物だったなんて。

お外の事を書いている本には、時には主人公の飼っている可愛い動物だったり。愛くるしい動作を見せていたりして。

兎肉が好物の私は、心を痛めたりもしていた。

だけれど、現実はどうだ。

「もっと小さいのもいるけれど、これは大きさとしては普通より少し大きい程度ね。 小さな兎ほど動きは速くないけれど、その代わりタフなの」

「こ、こんなのを食べていたの……?」

「そうよ」

お姉ちゃんは、わたしの方を見ないようにして、バックパックに入れていた木を組み合わせ始める。

枯れ木などがある場合は、それに吊るらしいのだけれど。

そうで無い場合は、こうやって吊るための足場を作るらしい。

そして兎の死体から矢を引き抜くと。

吊して、まずは皮を剥ぐ。

震えているわたしにナイフを持たせ。

どうすればいいのか、手取り足取り教えてくれた。

「まずは毛皮を剥ぐの。 此処からこうやって、ナイフを入れて降ろすと、すっと切れるの。 フィリスちゃんもやってみて」

「リア姉、怖い……」

「いい、私はいつまでフィリスちゃんを守れるか分からないわ」

「!」

蒼白になるわたしに。

お姉ちゃんは、手を動かすように促す。

お姉ちゃんは既に。

覚悟を決めている。

この荒野に出たときから、ずっとそうなのだろう。わたしを命に替えても守る。そのためには、手段も選ばない。そして、手段を選ばないとしても、死ぬときは死ぬ。それをもう、達観しているのだ。

だから、わたしは。

せめて、その覚悟に。

答えなければならない。

言われたまま、するっとナイフを降ろす。フラムに二度も耐えた毛皮なのに、切るのは案外簡単だった。

そして、その後は。

毛皮を剥がす。

頭から、ずるりと剥くようにして、毛皮を剥いでいく。何カ所かナイフを入れて、毛皮を剥ぎやすいようにした。その時気付いたのだが、凄くこの兎、重い。お姉ちゃんはこれを、平気でつるし上げていた。

凄い腕力だ。

外で戦っていたのは、伊達では無いと言う事だ。

そして血抜きをする。

首の言われた場所にナイフを当て、切り裂くと。

勢いよく血が噴きだし、流れ始めた。

それを小さな容器で受け止める。

思ったほど血は無いという事だが。

それでも、かなりの長時間、血が流れ続けていた。

「こ、これからどうするの」

「続けて内臓を出すわ。 肉食獣の場合、内臓の中に糞便に混じって、人間の持ち物がある事があるから、気を付けて」

「ひ……」

「お外はそういう所なのよ、フィリスちゃん。 だからお外で生き延びられるように、出来るだけ早く何もかも覚えて」

怖い。

お姉ちゃんは、いつもの優しい笑顔では無くて。

ハンターとしての顔になっている。

そして今も。

わたしに手取り足取り教えながらも、周囲を常に警戒していた。

その理由も教えてくれる。

「肉を食べる動物には何種類かいるのだけれど、待ち伏せして相手を捕まえるもの、積極的に動き回って相手を捕まえるもの、誰かの食べ残しを食べるもの、などね。 この幾つかを兼任しているものもあるわ」

「それは、どういう……」

「この獲物を狙ってくる動物がいる可能性があるという事よ。 だから血抜きはできるだけ急ぐ必要があるの」

そうか。

お外、怖い。

でも、自分で選んだお外だ。

いつまでも泣き言を言ってはいられない。

ナイフで兎のお腹を裂くと。

内臓がぼろりと零れ出た。

内臓について、一つずつ教えて貰う。食べられるものとそうで無いものがあるのだという。

その後は火を熾して。

肉を燻製にする。

内臓も一部は燻製にした。

燻製にしている間に、毛皮のなめしかたを教わる。

「こんなに傷だらけだと良い値段はつかないけれど、ただこの獣、恐らくはネームドになる途中だったのね。 毛皮に魔力を感じるわ」

「本当だ……」

「フィリスちゃん、錬金術の材料にしたら?」

「うん……そうするね」

お姉ちゃんが捕まえてくる兎。

それは、こんな大変な過程を経て、手に入れているものだったのだ。

知らなかった。

命を奪うと言う事。

そしてそれを食べるまでの過程。

今までわたしが、どれだけ守られて、大事に育てられていたのかよく分かった。決して綺麗な世界では無い。

少なくとも、お外の事を書いた、すてきな事ばかり描かれている本の内容は。

もう嘘だと、わたしは諦めていた。

燻製が仕上がった。

わたしはアトリエを拡げると。

中に戦利品を運び込む。

骨まで無駄にしない。

全部しっかり回収して、コンテナに並べる。

コンテナの中は不思議な術が掛かっている様子で、それを錬金術で更に増幅しているらしい。

彼方此方にラベルが貼られていて。

あからさまに、ものすごく広かった。

箱の中に入れていく。

骨なども、錬金術では使い路があるという事で。専門の棚が儲けられていた。かなり大きい箱もある。

ドラゴンの骨は細かく砕いて入れましょうとか、説明書きがされているのに、今更気付く。

お姉ちゃんも仕分けを手伝ってくれたが。

その説明を見て、嘆息した。

「ソフィーさんが如何に桁外れの存在なのか、一目で分かるわね」

「ドラゴンも素材の提供先に過ぎない、ってことなんだね」

「そういう事なんでしょうね。 フィリスちゃん、このアトリエの守りは大丈夫なの?」

「あ、そうだ。 リア姉にも説明しておくね」

入り口近くに、幾つかの仕掛けがある。

内側から外を確認できる仕組みだ。

どうなっているか、外を見ることが出来。誰かが外にいれば、内側からは丸見え。なお死角もない。

また、ある程度の防御魔術が掛かっていて。

滅多な事では破る事は出来ない。

普通の防御魔術だったら、それこそ強力な魔術師でもどうにでもできるだろうけれども。

残念ながらコレは錬金術で増幅したもので。

弱めなら、ドラゴンのブレスにも耐え抜くそうだ。

「それならば、最悪このアトリエに逃げ込むという選択肢もありね」

「火矢なんて受け付けないってソフィー先生はいっていたよ」

「そう、でしょうね」

「わたしも、はやくこんなアトリエを作れるようにならないと」

焦っては駄目だと、お姉ちゃんに諭される。

そもそも練習の時でさえ。

散々失敗して、感覚を掴む所から始めたのだ。

確かにそうだ。

さっきの戦いで、動転していたかも知れない。頬を叩くと、気分を入れ替える。

「リア姉、ちょっと周囲の鉱石を集めたいんだけれど、いい? フラムとか補充しておきたいから」

「分かったわ。 この少し先に洞窟があるから、其方も探ってみましょうか」

「洞窟?」

「そうよ。 昔もエルトナは鉱山の中に籠もっていたわけではないらしくて、お外に住居を構えていた時代もあったらしいの。 この辺りはどの山も掘り返せば鉱石が出てくるから、自衛さえ出来ればお金に換えられたのよ。 そんな理由で、横穴を掘った場所が、今は洞窟になっているの」

感心して話を聞く。

そういえば、お外の事ばかり考えていたけれど。

エルトナのことはあんまり知らない。

とにかく、鉱石集めを周囲で行う。

たまに、枯れ果てた草が生えているけれど。

水もなく。

元気もなかった。

「雨が降った後は、多少は植物も元気になるのだけれどね……」

「ソフィーさんは、素材の声が聞こえるって言っていたよ。 この植物の声も聞こえるのかな……」

「あれだけ異常な実力だと、聞こえても不思議ではないわね」

「うん……」

一瞥だけする。

少なくとも、この植物を摘むことは許されない。

わたしは、そう思った。

外には出たばかり。

いきなり怖い目にもあった。

だからこそに。しっかり備えはし直さなければならない。

お薬を造り足し。フラムも作る。後、尖った鉱石などをまき散らすクラフトという爆弾も作る。

フラムは火力で焼き尽くす爆弾なのに対し。

クラフトはまき散らした鉱石などで、敵を切り刻む爆弾だ。

まだまだ簡単なのしか作れないけれど。

ソフィー先生は言っていた。

いつも工夫を考えろと。

「ねえリア姉。 さっきの戦いで、わたしのフラム、役に立っていた?」

「ええ、勿論よ。 本当だったら、あの大きさの兎を倒すときには、物陰から不意打ちを仕掛けて、急所を狙って何発も矢をうち込んで、弱るのをじっくり待ってからとどめをささなければならないわ」

「そっか、良かった。 もっと楽に出来ないかな」

「そうね……火力が高くなれば出来るのかも知れないわね」

頷く。

でも、火力を下手に上げると、フレンドリファイヤの可能性が出てくる。こういう用語は、旅に出る前にお姉ちゃんに教わった。

その日は疲れ切ったので、そのまま休む事にする。

野宿をしなくて済む上に。

水周りもこのアトリエにはついている。流石に毎日とはいかないが、お風呂に入ることも出来る。排泄についても、設備があった。ただトイレから落としたものがどこに行くかは分からないので、もし何かを落としたら、諦めるしかないだろう。

疲れが溜まっているからか。

そのまま寝てしまう。

後は、明日考えよう。まだ旅は始まったばかりなのだから。

 

1、同年代の女の子

 

まる二日ほど歩くと、分岐路に出た。東西南北に進める。ちなみに西から来たので、其方に行く選択肢は無い。

お姉ちゃんは流石に詳しくて、色々教えてくれるが。南に行く事は勧めない、という事も言われた。

また、この辺りに。

ネームドが出ると言う。

「あのアトリエも、この辺りに建てる事は勧めないわ」

「そんなにおっかないの?」

「グリフォンよ」

「!」

聞いた事がある。

何種類か存在しているが、巨大な鳥のような姿をしている猛獣。その実力は猛獣の中でも高い部類に入り、歴戦の傭兵や魔族でも不覚を取ることがあるという。

鳥の姿をしている猛獣と言えば、いわゆるアードラが有名だけれど。

グリフォンは文字通り格が違う存在だ。

ただし、その代わり数が少ないし。

アードラはアードラで、ネームドになると凄まじい巨体を誇り、凶悪な魔術を使い、生半可なグリフォンなど歯牙にも掛けない実力を手にすることがあるそうだ。

グリフォンはこの地域には特に多いらしく。

ネームドに成長する個体も珍しくないらしい。

そんなのと今出くわしたらと思うと、背筋が凍るけれど。

ともかく、広い縄張りをもっているそうで。

余程運が悪くなければ遭遇する事はないという。

だが、そのグリフォンは。

意外な形で遭遇する事になった。

まず北に向かう。

鉱石の大鉱脈がある、と言う事だからだ。

みると、確かに虹色に輝く巨大な鉱石の結晶体がある。複数が岩から生えるようにして存在していて。

砕いて持っていった痕が彼方此方に残っていた。

フィリスも声を聞きながら、撫でつつ、柔らかい場所を確認。愛用のつるはしを振るって、砕く。

その結果、ソフィー先生にもらった「素材集」に記載があった。

ピンク色の鉱石がぼろぼろと出てきた。

ソウルストンというらしい。

何でも話によると、魂が石になった、という説があるらしいのだけれど。

わたしには、そんな恐ろしいものには思えなかった。

むしろ、良質な鉱石がたくさん手に入り。

ホクホク顔でアトリエに運んでいる最中。

お姉ちゃんが厳しい顔をして、近くを睨んでいるのに気付く。

「出来るだけ急いで鉱石を回収して」

「う、うん、わかった」

「声も落として」

頷く。

そういえば。

変な臭いがする。

鉱石をあわてて必要な分だけ回収すると、お姉ちゃんに頷く。そうすると、お姉ちゃんはわたしを手招きして。岩陰に誘った。既にアトリエは畳んでいる。

言われたまま移動して、ついていく。

そして、程なく。

それを見る事になった。

こんもりとした巨大な塊。

死体だ。

小山ほどもある。

体には鋭い切り傷が多数。魔術や爆弾によってつけられたと思われる傷も散見された。

間違いない。

殺されたのだ。

だがなんだろうこの塊。

異臭が酷くて、よく分からないけれど。翼のようなものが確認できる。腕らしきものは切りおとされていて、一本しか残っていなかった。それもズタズタに切り裂かれて腐敗している。

小さな獣が、嬉しそうにその死骸にがっついていた。

「ああいう死体を漁る獣をスカベンジャーというの。 色々な種類がいて、食べる場所も違うのよ」

「う、うん」

「ああいう小さいのは、柔らかい肉を食べるのだけれど……妙ね。 あんなに形が残っているのに、大型のスカベンジャーが見当たらないわ」

「?」

お姉ちゃんは、此方を見ずに説明してくれる。

スカベンジャーと言っても、必ずしも弱いわけではない。

むしろ大きな体を持っていて、その図体で競合相手を追い払い、獲物を奪うことがあるそうだ。

まずそういった、強いスカベンジャーが、腐りかけの美味しい肉を独占する。

その後、ああいった小さいスカベンジャーが現れて、残った柔らかい肉を食べていくのだけれど。

その過程で虫も沸いて。

死体をどろどろに溶かし。

全て平らげていく。

最後に鳥が来る。

骨喰いと呼ばれる鳥たちで。

人間には基本的に害を為さない。

彼らは残った骨を割り、骨髄を食べ。そして骨自体も、何度も砕いて食べてしまうのだという。

そうして死体は全て消えて無くなる。

話を聞いていて気付く。

そうなると、確かにおかしい。

あんな大きくて、臭いからしても痛んでいる死体なのに。

どうして大きめのスカベンジャーは来ていないのだろう。それこそごちそうに等しいだろうに。

わたしも基本的に肉は腐りかけを食べる、という事も知っている。

新鮮なお肉はそれはそれで当然美味しいのだけれど。

敢えて動物によっては、腐りかけにしてから食べる場合もある。

だからスカベンジャーが不衛生だとかそういう風には思わないけれど。

疑問は感じた。

お姉ちゃんに手招きされて、ついていく。

そして、ある確度から見て。

思わずひっと声を漏らしていた。

頭を真っ二つにかち割られたそれは。

鳥の顔をしていたのだ。

「グリフォンだわ」

「グリフォンが、頭を真っ二つに!?」

「しかもこの大きさ、噂のネームドね。 誰かが殺したのでしょうね」

「でもリア姉、こんなに大きくて怖いんだよ!?」

わたしなんて。

こんな太い腕で殴られたら、それこそ赤い霧になってしまうだろう。

お姉ちゃんだって、こんなのと戦って、勝てるとはとても思えない。

その時だった。

不意に、後ろから脳天気な声がしたのは。

「あーあー、やっぱりこうなってるか。 だから専門家が来るまで待てって言ったのに」

「っ!」

飛び退くお姉ちゃん。

わたしは、振り向いて、相手を見るだけで精一杯だった。

そしてもう一度驚く。

飄々としたその子は。

私と同じくらいの年の女の子だったからだ。

茶色の髪の毛を短く切りそろえていて。

人なつっこい笑みを浮かべている。

腰にぶら下げているのは小さな剣。

だけれど、何だろう。

この子の周囲にある鉱石が、何か今までに無い声を発している気がする。

お姉ちゃんは、ナイフを構えたまま、身動きしない。

「何の用……!」

「あ、リアーネさんだったっけ。 その子が例の?」

「答えなさいッ」

「うふふ、私の予想、全部あたったね。 これでも伊達に修羅場はくぐってないんだよ」

何だろう。

まったく会話が読めない。

でも分かった事がある。

この子とお姉ちゃんは知り合いだ。

「あの、誰、ですか? わたしは、フィリス=ミストルートといいます。 見習いの錬金術師です。 そちらはお姉ちゃんで……」

「知ってるよ、リアーネ=ミストルートさんでしょう。 私はティアナ。 傭兵をしているんだ。 姓は何回も変えたし、最初は何だったかよく覚えていないや」

白い歯を見せて人なつっこく笑うティアナ。

だけれど、お姉ちゃんの反応は。

まるで、その場に死んでいるグリフォンのネームド以上の脅威を目にしているかのようだった。

「とりあえず、この場は離れない? 重要部分は回収しているみたいだけれど、それ以外の場所はもう駄目になっているみたいだし、スカベンジャーのお祭りを見ていても面白くないし、何よりくさいし」

「……? そう、ですね。 リア姉、いい?」

「……好きにしなさい」

「うん……」

どうしたんだろう。

お姉ちゃん、この子と何かあったのだろうか。

少し前の分岐路まで戻り。少し東に進む。其処の岩肌の近くに、周囲を見渡しやすい場所があったので、其処にアトリエを展開する。

生活用の物資もちょっとだけ持ってきてある。

まだ自分では作れないけれど。

その気になれば。

いずれお茶やお菓子も作れると、ソフィー先生は言っていた。

アトリエの中に案内すると。

ティアナは無邪気に大喜びした。

「わ、すごいな。 これ、錬金術で作ったんでしょ」

「うん。 わたしの先生がくれたの」

「へえー。 凄い先生なんだね」

和やかな会話なのに。

お姉ちゃんはずっと、仇でも睨むかのような目でティアナを見ている。ナイフも手放さない。

ティアナはティアナで、それを気にもしていなかった。

ちょっと様子がおかしい。

「ねえ、フィリスちゃんって呼んでいい?」

「うん。 ティアナちゃんって呼んでも良いかな」

「わ、友達みたいだね! 同年代の友達、いないから嬉しいな」

「ふふ。 ティアナちゃんは、何をしている人なの?」

ティアナちゃんは決して美味しいわけではない茶を飲むと。

笑顔のままいう。

錬金術師専門の護衛だそうである。

ただし、今はある錬金術師を護衛していて。

それでこの辺りを偵察していたのだとか。

「あのグリフォンのネームドも、別行動のチームが倒したみたいなんだけれど、素材の回収が雑でさ。 あわてて私が来たの。 でも遅くてね」

「ネームドの、しかもグリフォンをあんな一方的に倒せるって、凄いチームなんだね」

「専門家だからね。 それに錬金術師の作った装備で身を固めているから」

「そうなんだ」

そうか。

やはり装備が重要なのか。

いずれにしても、力を底上げできるようになったらしたい。基礎理論は学んでいるのだ。まだ手は届かないけれど、いずれ必ずとても強い装備を作って、お姉ちゃんにつけて貰えば、あんな兎一発でやっつけられるかも知れないし。

わたしもお姉ちゃんの足を引っ張らずに済むかも知れない。

いずれにしても、まだそれは先の話だ。

ティアナは、席を立つと。

仕事があるから戻ると言って、外に出た。

わたしも、あんまりのんびりはしていられない。

お姉ちゃんは勧めないと言ったけれど。

南にはこの辺りには珍しい、植物が生えている地帯があるらしい。

猛獣も植物を傷つけるような真似はしない。

ただし、植物を傷つける者が出ると、周囲の生物が皆牙を剥いてくる。

この荒野では。

それだけ植物という存在は貴重なのだとか。

「お外で、同年代の知り合いが出来るなんて嬉しいな。 友達になれるといいんだけれど」

「おかしいと思わない?」

「え?」

「あの子、戦闘力は私の比じゃないわ。 それにソフィーさんの実力は、生半可な錬金術師の比じゃないって話をしたわよね」

確かにそういう話をしていた。

でも、ソフィー先生は、エルトナにあれだけの物資供給網を作ってくれたほどの影響力がある。

錬金術師の部下がいてもおかしくないし。

それに、ソフィー先生麾下の害獣駆除チームがいたとしても、不思議では無いと思うのだけれど。

そう持論を述べると。

お姉ちゃんはしばらく黙り込んだ後。

嘆息した。

「フィリスちゃん。 あの子には気を付けて」

「え、人なつっこくて、可愛い子だったよ」

「外面だけよ」

「そうなのかなあ」

確かに、お姉ちゃんの様子はおかしかった。

それに、何だろう。

あの子の周囲の鉱石達が、何だか妙な声を上げ続けていた。あの声は、何だかどこかで聞いた事があるような。

まあいい。

今はとにかく。

少しでも進む事を。

考えなくてはならない。

 

ティアナはフィリスと別れると、移動を開始。疾風のように走り、東へと進む。途中で岩壁を蹴って跳躍すると。何度か同じようにして、岩山を越えて。岩山に隠れている小さな山小屋の前に出た。

歩哨が立っている。

ティアナの同僚だ。

現在。エルトナの再建計画を立てているのだけれども。周囲にいるネームドや大型猛獣の駆除にあたるため、俯瞰的な視点をもてる拠点が必要と判断され、作られた場所である。なお、最初の任務は、此処のチームにおいてあのネームドグリフォン、「紺碧の風」を駆除する事だった。

「早かったな」

「責任者は?」

「ラジエルの旦那か? いるけど何か問題か」

「大問題」

すぐに山小屋に入れてくれる。

中には少し窮屈そうに、まだ若い魔族がいた。とはいっても、70歳程度だろうか。頭の角は、若いからか、かなり数が少ないし、ねじくれてもいない。

小柄なティアナと比べると、二倍半は大きいラジエルは。

深淵のもので小隊長みたいな仕事をしている。

ソフィーさんの作った装備などを駆使してネームド狩りをする部隊の長で。

実際それなりの戦闘力を持ち、紺碧の風を屠った際にも、死者は出さなかった。

同じ深淵の者所属者でも、ラジエルとティアナは管轄が違う。

ティアナはソフィーさんの専属傭兵で。

指示に応じて汚れ仕事を専門に行う。

大体は匪賊の駆除だが。

時々、大きな街で匪賊と結託して邪悪な商売をしている商人を消したり。

違法奴隷を売買しているマーケットを潰したりと。

ソフィーさんの手が回らない場合。

その剣となって敵を斬るのが仕事だ。

普段はツーマンセルで動くのだが。

相方は今ちょっと用事ができて、別行動している。相方もティアナと同レベルの実力者なので、まあ問題は無いだろうが。

ラジエルは、大問題と聞いて居住まいを正したが。

ティアナは相手に敬意を払うことを忘れない。

「ラジエルさん、あれはないよ。 深淵の核だけとって、後はちょっと羽をむしっただけじゃん。 あれだと、ネームドの力が拡散して、またネームドが出るよ」

「ああ、その件か。 それについてはもう報告書を上げた。 流石にグリフォンのネームド、此方も死者は出さなかったが被害が大きくてな、余裕が無かったんだよ。 しかも最悪な事に、大型のスカベンジャーが間髪入れずに現れてな」

追い払うために更に消耗したという。

被害を抑えるため最低限の素材だけを回収して撤退せざるを得ず。それについて、後で上司であるイフリータにわびに行くと言う。

「それで、それがどうかしたのか」

「今フィリスちゃんの力見てきたけど、完全にド素人。 才覚はあるみたいだけれど、とてもではないけれどまだネームドとはやりあわせられないよ。 ネームドが沸くと厄介だから、何とかしてくれる?」

「お前は? 確か影から護衛とか聞いているが」

「私の責任じゃないでしょ。 管轄違い」

頭を掻くラジエル。

妙に頭が固い奴だと、私の事を見ている。

だが、この辺りはしっかりしておかないといけない。

ソフィーさんにもそう言われている。

「分かった。 増援を手配しておく」

「よろしくね」

「済まなかったな」

「ううん、仕方が無いよ」

そうか。

この辺りは辺境も辺境、ド辺境だ。

ネームドともなると、広大な縄張りを確保して、好き勝手をやるのが普通になっていたのだろう。

だからそんなに力を付けるまで、放置させてしまった。

アダレットもラスティンも、最近はネームド駆除にようやく本腰を入れ始めたようだが。

そもそもラスティン首都ライゼンベルグ近辺はインフラが壊滅的で。

アダレットはインフラはそれより多少マシだが、その代わり人材が足りない。

その上現王が暗愚なせいで、現時点で国政をまだ十代の王女が回しているという状況だ。

深淵の者で支援はしているが。

アダレットでは政治闘争で利益確保を目論むものがちらほら出始めており。此奴らを粛正するために、ある程度手を割かなければならない。

ティアナはそういう意味で。

いつお呼びが掛かるか分からないのだ。

せめてフィリスがもう少し力を付けてきたら、目を離さなくてもいいのだが。今の時点では、一緒に戦う事は許さないとも言われているし。時々ものでも売りに行くくらいしか、直接の支援は出来ない。

むしろ今ティアナに求められているのは。

フィリスの手には余りすぎる障害の排除。

それだけである。

フィリスの様子を見に行く。

エルトナから既に五日ほど。

ようやく限定的な緑に辿り着き。

フィリスは喚声を挙げているようだった。

動物たちが静かにしろと、視線でフィリスを牽制していて。それに気付いたフィリスが、黙り込む。

匪賊を除く全ての動物が。

この荒野で如何に植物が大事か知っている。

だから草食動物も、植物がまた生えてくるよう慎重に食べているし。

老衰で死ぬときは、肥やしになるように、植物の中で死ぬようにもしている。

そして植物が生えていると言う事は。

錬金術師が手を入れていない場合を除くと。

ごく限られた条件でしかあり得ない。

此処はその限られた条件。

邪神がいる。

そのパターンだ。

もっとも、ここに住んでいる邪神は非常に温厚で、基本的に人間を襲うこともない。

邪神の正体についてはティアナもソフィーさんから聞かされているのだが。

駆除対象では無い邪神には、手を出さないようにも言われている。

ただし邪神は邪神。

怒らせればどうなるかは言う間でも無い。

此処から五日くらいの距離にあるエルトナにも。

当然被害が及ぶ可能性があるし。

今年だけで300の匪賊を斬ったティアナでも。

手に余る。

相方がいても厳しいだろう。

其処で刺激しないように、妙なことをしないよう、フィリスを監視していなければならない。

この任務が存外退屈だが。

すぐに退屈ではなくなった。

フィリスの頭のねじが外れたからだ。

余程嬉しかったのだろう。

初めての野原が。

目をきらきら輝かせて。

側で苦虫を噛み潰しているリアーネに、色々と聞いて回っている。リアーネも、植物に妙なやり方で手を出すと周囲の動物が全部襲いかかってくる事を知っているからだろう。戦々恐々としているようだった。

まあ素人なのだし仕方が無いか。

ティアナだって、剣を振る方法は、とにかく本当に苦労して覚えた。

傭兵団にたまたままともな大人がいて。

教えて貰えたのは幸運だったと思う。

その大人も死んでしまったころには。

ティアナは自衛が出来るようになっていたし。

何より、それから殆ど間を置かずに、ソフィーさんと知り合うことが出来た。

黄色い声で喜んでいるフィリスを見ていると。

多少は気も晴れる。

小さくあくびをしたティアナは。

まあ当面は、フィリスを監視しているだけで良いだろう事を悟っていた。ただし、その監視は決して楽では無い事も、承知していた。

 

2、洞窟の脅威

 

初めての緑には感動した。

本当にこんな場所があるのかと、涙さえ出てきた。

ずっと茶色ばかり見てきたから。

お外の事が書かれた本が全て嘘しか無く。

緑なんてないのではないかとさえ思い始めていたのだ。

やはり感情の制御が上手く行かない。

草についても、貰った図鑑を見ながら、一つずつ調べる。声が聞こえるなら、どれくらい採っても大丈夫なのか分かるのだろうけれども。それは流石に、すぐにやるわけにはいかない。

お姉ちゃんに聞きながら。

慎重に採取する。

何度も側で説明を受けた。

「この世界は、基本的に殆どが荒野で、緑は錬金術師が作ったか、特殊な事情で存在しているか、もしくは邪神がその場所にいるかのどれかしかあり得ないの。 此処は邪神が存在するケースよ」

「うん。 でも、大人しい邪神なんだね」

「そうよ。 ただし怒らせたらエルトナを滅ぼしに来るかも知れない。 だから、丁寧に、慎重にね。 根を傷つける事は絶対に厳禁。 果物も、熟していないものは絶対に採っては駄目よ」

「はい」

お手本を見せてもらって。

葉を採取したり。

果物を採ったりする。

周囲では、この間倒したウサギよりおっかない動物がたくさん此方を見ていた。彼らはこの緑を守っているのだろう。此処を開発して切り開くなんてもってのほか、というか。多分そんな事をしたら邪神に殺される。

ソフィー先生は容赦のない人に見えたけれど。

此処に手を出していない様子を見るに。

無害な邪神には基本何もしないのだろう。

つまり、この世界の大原則なのだ。

荒野がこれだけ拡がっている世界なのである。

動物でさえ。

緑を奪うことを絶対の禁忌としている、というわけだ。

その一方で、襲いかかってくる植物もいるという。

こういう植物は、例外の部類に属し。

場合によっては知能さえ持ち。

周囲の動物を殺して栄養にし。

生きているタイプだそうである。

お姉ちゃんもあまり多くは見た事がないらしいのだけれど。

何しろ植物なので、凄まじい巨大さに成長する事もあるし。

魔術を使うものもいるらしく。

危険度では、大型の肉食獣と大差ないという話だった。

とにかく、昂ぶる心を抑えながら、周囲を採取して周り。品質は決して良いとはいえないけれど。それでも素材は相応に手に入れる。

すぐにコンテナに運び込む。

そしてコンテナの魔術が、今更ながらに物資の新鮮な保存をしてくれている事に気付くが。

それはそれだった。

やはり、このコンテナ。

まだ逆立ちしても届かない錬金術で作られている。

このすごさは、多分説明しないと誰にも分からないだろう。

ひよっこの錬金術師であるわたしも、今更気付いたのである。

キャンプは、緑がわずかに拡がっている地帯から離れた所に建てたが。

そのキャンプも。

じっと獣たちに見張られているようだった。

だが、手出しをしてこないのは。

此方がルールを守って採取をしたからだろう。

獣たちでさえ、この世界での決まり事を守って植物を食べているくらいなのだ。

ただ、疑問も湧く。

みんなどうやって、あんな巨体を維持しているのだろう。

それが分からない。

お姉ちゃんが、この間仕留めたウサギを料理してくれる。

そして、今日はちょっといつもと違っていて。

料理の仕方を、わたしにも教えてくれた。

普段は血なまぐさい事は一切わたしにはさせようとしなかったのだけれど。

どうも外に出てから。

お姉ちゃんは色々と違ってきている。

「まず、一番フィリスちゃんが好きな兎肉のソテーを作りましょう」

「うん、分かった」

「最初に必要なのは……」

油も、ウサギから採取したものがある。

調味料関連は、お姉ちゃんがある程度持ち出してきていた。それを見て、ある程度思いつく。

素材さえ揃えば。

わたしでも造り出せるかも知れない。

爆弾とお薬の次は。

順番に、生きていくのに必要なものを、錬金術で作っていくべきだろう。

ナイフを使って切り分け。

アトリエの奥にある調理場で料理をする。

煙は何処かへ逃げていく。

外に出て行く様子は無いのだけれど。

アトリエの中に留まる様子も無い。

見ると、煙を吸い取る仕組みがついていて。

何処かに捨てているらしい。

どうやっているのかはよく分からないのだけれど。

多分、どこか知らない場所に捨てているのだろう。これも、ソフィーさんが作り上げた仕組み、というわけだ。

手本を見せてくれたお姉ちゃん。

その通りにやってみるが、上手くいかない。

ナイフの持ちかたから習い。

順番に少しずつやっていく。

お姉ちゃんの五倍も時間を掛けながら。

何とかお肉を適当な大きさに切り分けて、火を通す。

一度燻製にしているから、温めるだけ。

新鮮なお肉の場合は、また調理方法が違うらしいのだけれども。

それはそれだ。

燻製は、それはそれで煙がしみこんでいて、これが奥深い味に変わってくれている。

火を通した後。

あまり高級とは言えない調味料で味付け。

ただしこれも腕次第で。

とても良い味に化けるという。

頷きながらやり方をならい。

メモを取る。

このメモを取るためのゼッテルも、今のうちにたくさん増やしておかないとならないだろう。

植物を早速有効活用するべきかも知れない。

やっと食事が仕上がったので、食べる。

ソテーといっても、ただ肉を焼いたわけでは無く。

軟骨なども利用して、味付けに使っている。

お姉ちゃんの味を完全再現出来ているわけではないけれど。

それでも充分に美味しかった。

満足して、今日は休む。

だけれど、起きだしたら。

幾つもやる事が浮かんで来て。

すぐに錬金釜に向かう。

まずはゼッテルだ。

これについても何となく分かる。図鑑を見て、確認。まず植物を丁寧に潰して、繊維単位まで分解。

更にこれから不純物を取り除き。

ゆでで更に邪魔なものを取り去る。

繊維だけにして、これが透明になるまで煮込んだ後。

中和剤を使って魔力を取り込ませ。

更に釜の表面に浮かんで来たものを、掬い上げて。

平らに並べ。

乾くのを待つ。

中和剤は水から作ったものだが。

紙として定着させるまでに。

まずは魔法陣を描き。

その上で、魔力を流し込みながら。

固定化にも利用する。

基礎的な錬金術の資料を見ながら、順番にやっていくが。

やはりというかなんというか。

最初はごわごわのものしか出来なかった。

少なくともこれは売り物にはできない。

ただ、自分で使う分には申し分ない。

ペンで書いてみるが。

インクが染みるようなこともないし。

手触りと見かけ以外は。

かなり良い品だ。

魔力も籠もっているから、むしろ魔法の道具の素材に使うのであれば、これで充分かも知れなかった。

資料を見て。

もう一度作って見る。

今度はなめす行程を入れてみる。

乾かす途中で。

棒を使って、満遍なくなめす。

失敗すると、すぐに繊維が棒に絡みついてしまうので。

慎重にやらなければならない。

というか、棒が濡れていると絡みつきやすくなると分かったので。

棒を毎回乾かし。

そして繊維がある程度乾いたタイミングを見て。

棒でなめすことを丁寧に行った。

手際が悪い。

分かってはいるけれど。

この辺は手探りでやるしかない。

何度か失敗して、また煮込んで。乾かして。

一日が過ぎた頃に、ようやく二度目の成功。今度は、一度目のごわごわゼッテルではなく。

かなり良いものが仕上がった。

少なくとも見かけは、だ。

魔力が籠もっているし。

魔法陣などを描けば、かなり役に立ってくれる筈である。

魔術が関連する道具などに取り込めば、非常に強力な力を発揮してくれる筈だ。

あくまで今のフィリスの基準で、だが。

額の汗を拭うと。

メモを取っておく。

コツは覚えたウチにしっかり記憶しておかないといけない。

更に調味料だ。

これについても、入手した幾つかの木の実をすり潰して。

作ってみることにする。

こっちはゼッテルと違って、レシピもないのでかなり難しい。こうすればこうなるのではないか、という閃きのままにやってみる。

ただ、やはり所詮閃きは閃き。

一発で上手く行くわけがない。

上手く味が混じり合わない。

中和剤の基本から見直して。

何度か繰り返していくウチに。

やっとそれっぽいものが出来る。

塩だ。

だが、塩といっても。

それほど味は濃くないし。

調味料として使うのはかなり厳しい。

砂糖も作って見たいが。

あれはもっと難しいだろう。

甘い果実がそもそもそんなにたくさん多く無いし。

その中から、甘さだけを取り出すのは、本当に大変だろう事は、わたしだって分かるほどだ。

とにかく塩っぽいものも、きちんと利用する。

幸い口に入れて有害かどうか見分ける魔術が使えるので。

さっと使って、問題ない事を確認。

ただし、少し塩を振ってちょっとだけ燻製肉を食べてみたが、もの凄くまずかった。でも、自分で作った塩による調味だ。責任を持って、きちんと片付ける。

後は何かしらの工夫をしていって。

少しずつ調整していけば良いだろう。

今は材料も無い。

岩塩でもあれば、多少は楽になるのだけれど。

あれはあれで、限られた地域にしかないと聞いている。

海があればもっと楽だろうけれど。

海は更に遠い。

つまるところ、どちらも現実的ではないわけで。

今の時点では、このレシピは保留だ。

ゼッテルをある程度作っておいて。

出来が悪いゼッテルをレシピのメモ代わりに使い。

コンテナに収めておく。

コンテナには空きの棚もかなりあったので。

そこに収めておく。

コンテナにたくさんものが入ろうが、アトリエの重さは変わらないことが分かっているので。

多分コンテナまで圧縮しているのではないのだろう。

いずれにしても、今のわたしには、理論さえ想像できない事だ。

やっと外に出て。

東に向かう。

山だらけの地帯を抜けるまでが大変だと、お姉ちゃんは言う。

街道と呼ばれている、ただ踏み固められただけの地面も。

実際問題、殆ど薄れてしまっていて。

周囲とロクに区別も付かない。

もちろん獣も平然と此方まで出てくる。

此方が街道にいるからと言って。

容赦などしてくれない。

あのウサギより、もっと大きなウサギがいるのを見て、お姉ちゃんがわたしを手で制止。一緒に岩陰に隠れる。

戦わないのかと聞いてみたが。

首を横に振られた。

「今の戦力では厳しいわ。 あれ、最初に戦ったのより二回り強いわよ」

「うわ、そんなに」

「品種が違うの。 より攻撃的で、魔術も使う種よ。 相手も既に此方に気付いているから、隠れた事によって戦意が無いことを示すの。 もしそれでも戦うつもりなら、私が命に替えてでもフィリスちゃんを守るわ」

「……」

お姉ちゃんの言葉に頷いて。

口を押さえる。

じっとウサギが此方を見ている。

鋭い目つきだったが。

やがてついと視線を背けると、巨体でどすどすと音を立てて歩き去って行った。

それを見送った後。

お姉ちゃんが教えてくれる。

「あのウサギ、子供がおなかにいたわ」

「えっ!」

「そういうこと。 ただでさえ品種が攻撃的な種類の上に、子供まで抱えているとなると、凶暴性も倍増しよ。 肉食獣でさえ手を出したがらないでしょうね」

「リア姉、凄いね」

お姉ちゃんは首を横に振る。

もっと強い戦士が外には幾らでもたくさんいると。

そしてわたしもそれは何となく分かる。

ソフィー先生は異次元としても。

ソフィー先生だけが異次元に強いわけではないだろう。

多分、だけれども。

戦いを生業にしているような人の中には。

強い人が幾らでもいるはずだ。

呼吸を整えると。

水場に出る。

水がこんこんと沸いているが。

見ると、か細い川が近くを流れている。

お外の事が書いてある本に書いてあった。

川というのは、実際には地下にとても深く拡がっているものらしくて。

側を通っているだけで、かなりの水が周囲に浸透しているのだとか。

川の側に緑が見られる事もあるが。

それも、そもそも大きな川があまりないし。

邪神が加護していないと難しいという。

水場には、甲羅だけでわたしより遙かに大きい、あからさまに肉食のカメが何匹も屯していた。

幸い此方には興味を示さず、水場でじっとしていたので。

距離を取ったまま、桶を使って水を汲む。

勿論この水は湧かした上で飲む。

ナマのまま水を飲むなんて、閉ざされたエルトナにくらしていたわたしでさえ自殺行為だと分かるほど愚かな行動だ。

カメはこっちに勿論気付いていたが。

何匹かいる個体が。

全部此方には興味が無さそうだ。

おなかがすいていないのかも知れない。

お姉ちゃんに促されて見てみて、納得。

近くに、食い荒らされた死体が。

地面に転がされていた。

多分水場に近づいたところを、水中に潜んでいたカメに不意打ちを受けて、やられたのだろう。

待ち伏せで獲物を狩る獣はかなりいるらしいと本では読んでいたけれど。

あのカメも、そうだったと言う事だ。

ただ。カメはあまりたくさん食べなくてもいいらしい。

あの原型も留めていない(残った足の形からして、人間ではないことは確かだが)不幸な獲物でカメはおなかいっぱいになっているし。

当面は危険はないのだろう。

水を汲み終えて。

周囲に散らばっている鉱石も集めて。

その場を離れる。

一旦アトリエに入り。

水をコンテナに入れると。

また水を何回かに分けて汲んだ。

水は幾らあっても足りない。

生活にも使うし。

錬金術にも使う。

この先、もう少し東に行くと、街があるという。

其処には錬金術師がいるという話をお姉ちゃんがしてくれたが。

当然の事ながら、その「もう少し」は一日や二日歩いた程度でたどり着ける距離ではない。

だから水は。

どれだけあっても足りない。

そして、せっかくなので。

水の補給が可能なうちに。

水に関する調合を少し行っておく。

まず第一に、蒸留水を作る。

中和剤はソフィー先生に教わって、ある程度出来るようになった。

だから、中和剤は別に良い。

次にやるのは。

飲み水にも使えるし。

何より釜を洗うのに必須となる蒸留水だ。

釜は調合の度に洗う。

精度の高い蒸留水で洗えば洗うほど、凄くいい品のものが作り出せる。

これは最初に教わった事だ。

この釜自体は、わたしが聞いた事もない凄い金属で作られているらしく、何を入れても基本的に平気らしいのだけれど。

それでも洗わないと、やはり汚れて精度は落ちてしまうと言う。

昔話の魔法使いが使うような釜じゃあるまいし。

中に謎の液体が入っていて。

それをかき混ぜれば何でも出来る。

其処まで都合が良い代物ではないのだ。錬金術は。

奥には、金属を加工するための設備もある。

あれの使い方は、お姉ちゃん同伴で習ったけれど。

鉱石はあるので、いずれやってみたい。

ともかく今は。

蒸留水に集中だ。

まず火を熾す。

魔術でこれは出来るので、後は燃料だけ。燃料に関しても、その辺で動物の乾いた糞などを集めてある。

燃料を入れる場所は釜の真下では無く。

そういう装置が別個にあるので。

燃料を放り込むだけで良い。

火掻き棒で使い終わった燃料を押し出すだけで良いので。

とてもその辺りは便利だ。

勿論、これがとても便利な仕組みだと言う事は、ソフィー先生に教わって知っている。感謝しながら使わなければならないだろう。

火を熾し。

水を湧かし。

その蒸気をフラスコに集める。

そして、そのフラスコの最初の水は捨てる。

これは洗うためのものであって。

蒸留水として使うものではない。

続いて同じ作業を行い。

今度の蒸気を集めて、本物の蒸留水を使う。

最初の熱した水での洗浄で。

かなりフラスコは綺麗になっているが。

気にする場合は、これを最低三回は繰り返して、徹底的にフラスコを綺麗にするという。

更に、これを専門の硝子容器に入れるのだが。

この硝子容器も事前に洗う必要があるので。

最低でも二回は蒸留水を作らなければならない。

その分燃料と水も消費するので。

蒸留水を造ると言うだけでも。

かなりの水が必要なのだ。

黙々と、沸いている水を見る。

釜も洗う必要があるから。

どれだけ蒸留水はあっても足りない。

更に、蒸留水の品質が上がれば上がるほど。

水を使う錬金術の道具は。

その精度も上がっていく。

当たり前の話だ。

不純物がなくなるのだから。

やがて、釜の下に、かなり水に入っていた汚れなどが溜まり始めた。

一旦釜を沸かすのを止めて。

蒸留水造りを切り上げる。

そして事前に教わっている通りに釜が冷えるのを待ってから釜を傾けて。

お姉ちゃんと二人がかりで洗う。

この作業がかなり大変で。

釜の底に、作った蒸留水を流し込んだ後、力仕事で汚れをこそぎ採った。

「フィリスちゃん、これ、何の金属?」

「よく分からないけれど、ハルモニウムとか言っていたよ」

「ハルモニウム!?」

「リア姉、知ってるの」

お姉ちゃんはしばらく黙り込んだ後。

釜の素材は誰にも言わないように、と念を押した。

それがとても怖かったので。

わたしは頷くしかなかった。

その上で、洗う作業を続けながら。

お姉ちゃんは言う。

「大きな街でも滅多に出ないと言う最高級の金属よ。 ハルモニウム製の剣になると、国宝級の品になる事もあるらしいわ」

「こ、国宝っ!?」

「フィリスちゃんはそれだけ期待されている、って事ね」

どうしてだろう。

お姉ちゃんが、「期待」という単語を口にしたとき。

凄く暗い光が目に宿った。

そして、それだけ価値がある品だと言う事は。

確かに人の暗い欲望を強烈に刺激するはずだ。

普段悪い事をしないような人でも。

魔が差すかも知れない。

何しろ、国宝級の金属だ。

奪い取って売れば。

どれだけのお金になるか分からない。

そしてそんなお金があれば。

例えば飢えている家族を養ったり。

困っている人達を大勢助けたりと行ったことも出来る。つまり、この金属の事は、口にしてはいけないのだ。

いずれわたしは。

その金属以上の価値があるものを作れるようになり。

多くの人を救えるようになる。

そしてこの荒野だらけの世界を、少しは変えられるようになる。

そう期待してくれた。

今はそう信じる。

汚れは大体落ちた。

この汚れを落とす薬か何かも、その内作りたい。

いずれもっともっと品質が高い品を作る事になった場合。

必須になるだろう。

またしばし蒸留水を造り。

そして水が少し足りなくなったと判断したので。

お姉ちゃんと一緒に。

水場に行って、カメの数を確認。離れていることを確認してから、水を汲んで、急いで離れた。

水場には当然他の生物も来る。

水場では、植物のある所と同じように、獣は諍いを起こしたがらないらしいのだけれども。

それでも何があるかは分からない。

である以上、無防備な状態を晒すのは好ましい事では無い。

水をくみ直すと。

蒸留水をまた作る。

そしてまた釜を洗った頃には。

更に一日が過ぎていた。

 

蒸留水を作るだけでもこれだけ大変だと言う事がわかったし。

大量の蒸留水をコンテナに格納しておくと、それはそれで安心感が湧くことも分かった。

これは適宜追加していかなければならないだろう。

非常に重労働なので。

誰かを雇うか。

或いは旅の仲間を増やすべきなのかも知れない。

この間会ったティアナという子を誘えないだろうか。

同年代の女の子と言う事で、色々と難しい話もできるだろうし、仲間になってくれれば嬉しいのだが。

それに、旅をすれば。

彼方此方で色々と物資を仕入れることも出来る。

あの子は戦いを生業にしているようだから。

お給金を出さなければならないかも知れないが。

それは街に辿り着いたら、錬金術の産物を売る事で、お金に換えてまかなえるかも知れない。

いずれにしても、何もかも。

最初の基礎を固めなければならない、と言う事だ。

ティアナじゃなくても、傭兵として誰かしらは雇えるかも知れないし。今は気楽にその辺りは考えよう。

それよりまず。

売り物になる品を作る事が先だ。

基礎的な物資は幾らでもいる。

水は幸い当面足りる。

たくさん汲んできたからだ。

後は移動しながら。

少しずつ、錬金術の手際を上げて。

作れるものを増やしていけば良い。

 

3、山の間を

 

洞窟を見つける。

どうやらこの辺りが、お姉ちゃんの普段行動する範囲の一番外側らしい。この洞窟にも、入った事があるようだった。

中の事も聞く。

内部には、大型の蝙蝠が住み着いているほか。

幽霊がいると言う。

幽霊と言っても、その正体はよく分かっておらず。

本当に霊なのかは。

議論が分かれるそうだ。

いずれにしても、殆ど物理的な攻撃が通用せず、魔術で戦うしかないこと。地方にも寄るが、人間に敵対的な性格を持っていることが多いことが特徴で。殆ど共通して、人間のような姿をしておらず。

大体は球体で現れるそうだ。

魔力の塊が意思を持っている。

そういう存在であるためか。

人間が近づいてくれば攻撃するが。

一方、人間の集落を襲撃しに来る事は殆ど無いそうである。

そういえばエルトナにも墓場はあるが。

其処で霊が出た、という話は聞いたことがない。

カンテラは、実は使った事がない。

というのも、エルトナは薄暗いとは言え、灯りが要所にあったからだ。

それにわたしは夜目も利く。

ある程度は、闇を見渡すことも出来る。

これはお姉ちゃんも同じだ。

洞窟に入る。

「大きめの洞窟だと、入り口は蝙蝠の糞がうずたかく積もっていて、蛆虫が大量に湧いているそうよ」

「うわ、ばっちいね」

「この糞が肥料として役立つらしくてね。 集める専門の業者もいるらしいわ」

「肥料?」

聞いた事はあるがぴんと来ない。

洞窟の入り口で、前後を確認しながら、お姉ちゃんは口を閉じるように指示。

頷くと、わたしはお母さんから譲り受けた杖を構えた。

これでも魔術は得意だし。

何より鉱物達が周囲にいる。

何か獣が現れれば。

鉱物達が教えてくれる。

カンテラに火を入れると。

腰にくくりつけて。

そのまま歩く。

確かに、それほど広い洞窟ではないようだが。

だが、奥からはそれなりに鉱物の声が聞こえてくる。獣がいるとも警告してくる。

お姉ちゃんが、ぐっと手を横に出した。

事前にハンドサインは確認しているので、わたしも足を止めて、岩陰に隠れる。カンテラの明かりは抑えているけれど。向こうには見えているだろう。

当然戦意があったら仕掛けてくるはずだ。

見ると、蝙蝠だ。

蝙蝠自体は知っていたが。

何だあれ。

大きさにしても、この間のウサギと殆ど変わらない。

それが天井につり下がって、此方を見ている。

数は3。

出来れば戦いたくない相手だ。

「交戦回避」

「了解」

ハンドサインで会話すると。

カンテラの明かりを極限まで抑え、距離を取ったまま相手を迂回して、洞窟の奥へ。

大きめの鉱石の塊があったので、声を聞く。

中に結構良い水晶がある。

つるはしを振るって掘り出す。

この時、鉱石が優しく教えてくれるので。

どう壊せば良いかすぐに分かる。

それでも、わたしには相応の重労働だけれども。

楽である事は楽だ。

実際筋肉もりもりの男衆が、大汗を掻いて仕事をしているのを見ているのだ。わたしだけどれだけ楽をしていたかは、分かっているつもりだ。

掘り出した水晶は美しくて。

エルトナの名産である水晶は、この辺りの山一帯に埋もれている事がよく分かる。

籠に入れるけれど。

この作業が思った以上に大変だ。

荷車を造るべきかも知れない。

荷車一つを作るだけで全然違うはず。

この辺りは、ノウハウを自分で覚えろというソフィー先生の意図を感じる。教えてくれなかったからである。

ソフィー先生は、わたしに基礎を教えてくれるときに言った。

わたしの場合、側についていて何でも教えるよりも、多分自分でやった方が伸びると。

良く分からないけれど、わたしはギフテッドと呼ばれる人種らしく。

特定の才能に特化しているらしい。

そういう人間は、基礎だけを学んだら、後は自力で考えて行った方が伸びていくらしく。むしろ普通の人と一緒にあわせるようにやっていくと、伸びないし、色々と弊害があるらしい。

そういう意味では、この辺りを考えるのも。

わたしの旅の意味の一つなのだろう。

めぼしい鉱石。美しい水晶もある。わたしに優しい声をみんな掛けてくれる。

更にキノコ。

奥の方に湧き水もあったので、ちょっと見ていく。少しお魚がいたので、捕まえる。この程度なら、釣り竿もいらない。

後で捌いて乾かして。

干し魚にすれば長持ちするし。

或いはお肉を錬金術に使えるかも知れない。

蝙蝠はまだいた。

いずれにしても、わたし達には気付いているし。

お姉ちゃんも相手の間合いを見きっていた。

ずっと無言で、ハンドサインでやりとりをしながら洞窟の中を周る。

転びそうにならない事だけは嬉しい。

鉱石が教えてくれる。

わたしの周りには。

優しい鉱石達がたくさんいる。

これだけは、エルトナの中にいても、良かったと思える事だったし。

そして或いは、これこそがギフテッドの正体なのかも知れなかった。

洞窟を出る。

思わず息を吐いていた。

凄く緊張した。

アトリエに入ると。

肩で息をつく。

コンテナに素材を収めた後お姉ちゃんに言う。

「これは駄目だ。 リア姉、荷車を作ろう」

「フィリスちゃん、大丈夫? 結構大変よ。 本格的なものは、エルトナにも数台しかなかったでしょう。 見た目以上に複雑な構造なのよ」

「大丈夫、構造は分かるから」

「……そうね。 買うのは厳しいかもしれないわね」

そう。

エルトナにも、荷車はそう多くは無かった。

此処で言う荷車とは、大荷物と大重量に耐えられるもの。しかも場合によっては、戦闘時に敵の追撃を受けながら、悪路を走って平気なものを指す。車輪がついているだけの箱の事では無い。

エルトナで使われていた荷車も。

大容量の鉱石を運ぶことを前提としていたものだったし。

最低でも、それと同レベルの頑強さがあり。

そして、アトリエの入り口を見る。

彼処を通れるようでなければならない。

ソフィー先生が作ったような、全自動で動いてくれるものが最終目標だろうけれど。あれは流石に難易度が勝ちすぎる。

今は、頑丈で、運びやすい。

それだけを想定したものを作るのが最初だ。

それとランタン。

今回油式のものを用いたけれど。

今後は腰にくくりつけなくても良くて。

なおかつ即座に光量を操作できるものが欲しい。

戦闘になった場合、対応出来ないからだ。

もしあの蝙蝠達に襲われていたらと思ったら、ぞっとする。今回は蝙蝠達の機嫌が良かったから助かっただけで。

あの子達だって、ウサギと同じように、襲いかかってきた可能性はあるし。

そうなった場合、とてもランタンは無事ではいられなかっただろう。

バックパックや服に引火でもしたら、それこそ目も当てられない事態になる所だった。

この二つが、当座の目的だ。

まず荷車だ。

夜間での戦闘を想定したランタンは、後回し。そもそもわたしも、常に夜間移動する事は考えていない。

更に、アトリエから外を確認する限り。

獣がアトリエに興味を持っても。

アトリエに何かをしてくる様子は無い。

多分これは、ソフィー先生がアトリエに何か工夫を施している、と言う事なのだろう。

つまるところ、無理に夜移動する必要は、現時点ではない。

優先度は、荷車が先になる。

出来れば手数も増やしたいのだけれど、それは簡単にはいかないだろう。何しろ、人を雇うにしてもお金がない、のだから。

「まずは素材だね。 板材と車輪、車軸がいる。 車軸は二本、車輪は四つがのぞましいかな。 後引くための取っ手」

「車輪を四つにするの?」

「うん。 最終的には、ソフィー先生が作ったあの車みたいに、自動走行式にしたいし、装甲も施したいから、安定したのがいい」

「フィリスちゃん、考えているわね」

お姉ちゃんに褒めて貰ったので、少し嬉しい。

ただ問題は。

板材だ。

ちょっとやそっとの強度では、鉱石なんかをボトボト突っ込んだら、あっという間に壊れてしまう。

ゼッテルを見る。

これに魔法陣を書き込んで。

強化魔術を施す。

更に出来れば内側も外側も鋼版で補強する必要がある。

後、素材を傷つけないように。

一番内側は柔らかい布か何かで作るべきか。

それに関しては、あのウサギの毛皮を使えそうだ。

お洋服にするのではなく。

今後のもっとも大事な生命線にする。

錬金術で、多くの人達の生活や、この世界そのものを良くする。

そのためには、無駄は許されない。

わたしも外に出て実感した。

この世界は色々と厳しすぎる。

ソフィー先生は、目に深淵を宿していたが。あれはきっと、この世界の過酷な現実と、戦い続けてきたからだと思う。

獣どころか、ドラゴンや邪神とも戦い続けていたという話だし。

それに戦いがきれい事ではすまされないことは、私も身を以て実感している。

まずは、レシピをまとめる所からだ。

板材は現時点で手持ちにないが。

枯れ木を見つければ、どうにか出来るかもしれない。

鉱石の扱いについては。

どうにでもなる。

それに、ソフィー先生が残してくれた基礎的なレシピの中には、金属加工のヒントもあった。

インゴットと呼ばれる状態に鉱石を加工しておけば。

其処から更に加工を施すことで。

車軸や車輪は作れるだろう。

細かい部分の調整についても、鉱石と話をしながらやればいい。

それだけだ。

お姉ちゃんとも話し合いながら。

半日がかりでレシピをまとめる。

結果として。

相応の物資が必要なことも分かったが。

今わたしは。

出来る事から順番にやっていかなければならない。

今後も旅が過酷になる一方である事は分かりきっているのだから。

これくらい突破出来なければ。

生き抜くことなど到底無理だろう。

レシピを仕上げた後。

軽く眠る。

枯れ木については、お姉ちゃんが心当たりがある、と言う事だった。

アトリエについては、不審者が押し入れるような構造にはなっていない。

安心して眠れる事だけは。

救いかも知れなかった。

 

翌朝。

陽が昇ると同時に起きだすが。

どうも外が暗い。

お姉ちゃんに言われたままおきだして、外に出ると。

水が降って来ていた。

わあ、と声が出る。

現象としては知っていた。

これが雨か。

「リア姉、これが雨!?」

「そうよ」

「わあ、雨だ!」

感情の制御が上手く行かない。

思わず歓喜に体が飛び出しそうになる。

濡れたら風邪を引くと言われ、そのままアトリエに引き戻される。そうか、雨に備えるための道具も、いずれ作らなければならないか。

しばらく楽しく雨を見ているが。

体も冷えてくる。

ただ、それも長くは続かない。

やがて雨は止んだ。

雨が止んだ後、周囲を見回すと。

地面に溜まった水は。

彼方此方、おぞましい色に濁っていた。

何というか、目に悪い色で明るいのだ。極彩色、というのだろうか。

こういう色は、お外の事を書いている本で、とても鮮やか、という印象があったのだけれど。

毒々しいという感想が、そのまま沸いてくる。

わたしの感想は正しいはずだ。

鉱物達も、警告を発している。

そもそも鉱物達も、わたしに教えてくれることがある。

そのままだと危ないよ。

直に触っちゃ駄目。毒があるからね。

火の気を近づけたら駄目だからね。爆発してしまうよ。

布を介して触って。冷たくて手が凍り付いてしまうから。

そんな風に教えてくれる鉱石も珍しくない。

今、彼方此方に出来ている水たまりも。

そうわたしに、教えてくれていた。

「リア姉、こんな風に、雨が降るとなるの?」

「場所にもよるわ。 この辺りは、色々な鉱石があるから、雨が降ると毒物が露出してしまうのね」

「そっかあ。 危ないんだね……」

「飲料水は幸いたくさんあるし、気にしなくても大丈夫よ。 ただ今後の事を考えて、雨が降り出したら、水分として補給しておいても良いかもしれないわね」

頷く。

勿論雨そのものを飲むのは駄目だ。

生水を飲んではいけないのと同じ理由である。

わたしはお姉ちゃんに導かれるまま。

極彩色にそまった水たまりを横目に移動する。

もう少し東に行くと、この山だらけの地帯を抜けるらしいのだけれど。

まだ数日はかかる。

その間に。

板を入手したい。

お姉ちゃんが案内してくれたのは。

ちょっと狭苦しい谷のような場所。

水が少し豊富にあるせいか。

少しだけ緑があった。

或いは、あの緑がある地点に住んでいる邪神が。

前はここに住んでいたのか。それとも気まぐれで錬金術師が地面を弄ったのかもしれない。

ただし緑は限定的で。

その周辺は、茶色かった。

お姉ちゃんが促したので、行ってみると。

確かに葉っぱのない木が幾つかある。

でも、お姉ちゃんは丁寧に触りながら、これは駄目、これも駄目と、順番に駄目出しをしていった。

「どうして駄目なの?」

「枯れているようだけれど、まだ生きているからよ」

「そうなんだ」

「薪は完全に死んだ木を使うのが鉄則なの。 今回作る荷車にしても、それは同じ筈よ」

確かにそうだ。

やがて、一番外側にある少し大きめの木で、お姉ちゃんが止まる。

しばらく触ったり耳を当てたりしていたが。

頷いた。

これがいい、と言うのである。

後は、お姉ちゃんがナイフを振るう。

わたしが一抱えするくらいの太さがある木に、切れ目が走った。

更に跳躍したお姉ちゃんが、上の方でナイフを振るい。

そして軽く蹴りを叩き込む。

木が倒れ。

ずんと、地面で大きな音を立てた。

後は枝を全て剪定していく。

剪定した枝も無駄にはしない。

葉っぱに関しては、その辺りに残していく。

というか、地面を掘って埋めていった。細すぎる枝に関してもだ。

これらはやがて地面に帰り。

地面の栄養になる。

そういう話である。

「すごい、リア姉」

「魔術で身体能力とナイフの切れ味を上げているだけよ。 この程度の事が出来なければ、外で生きていくことは出来ないわ」

「う……」

「大丈夫、フィリスちゃんもすぐに出来るようになるからね」

頷く。

確かに生きていくためにも。

出来るようになら無ければならないのだ。

後は、木材を運ぶ。

一旦幾つかに切り分けた後。

お姉ちゃんと二人がかりでアトリエに運び込む。

わずかな緑を痛めるのを嫌がったのか。

何体かいる獣は。

此方に対して、仕掛けてくる事はなかったし。

大きな音を立てても、嫌がる事もなかった。

アトリエに木材を運び込み終えた後。

処置について聞く。

まず乾かす必要があるという。

この木は死んでいるので、乾いている可能性もあるけれど。

割ってみないと何とも言えないとか。

まず切り出した木材の一部を。

お姉ちゃんが真っ二つにする。

切り口だけではなく、全体を見て判断する必要があるからだ。

切り口を触り。

確認した所。

やはり少し乾燥させる必要があるようだった。

その後は。

板の作り方を教わる。

大きめの木をスライスするのが一般的らしいのだけれど。

それだとちょっとしか木材を作れない。

曲がっている木材を、魔術を使って伸ばして、最終的に平らにする方法があるそうだ。

魔術を使わなくても、同じ事が出来るらしいのだけれど。

時間と手間が掛かるという。

頷くと、わたしは魔力がしみこんだゼッテルを出してきて。

お姉ちゃんがいうままに魔法陣を描き、恐らくそのために用意されているアトリエの部屋に並べ、固定する。

お姉ちゃんと一緒に魔法陣を確認。

大丈夫、間違っていない。

そのまま板材を乗せて。

伸ばす。

板材を作っている間、木を切っていると虫が食っていることもある、百足が出てくる事もあると聞かされたけれど。

幸い、今回の木では。

そんな事もなかった。

魔術で加速すると。

最初は撓んでいた板材が。

見る間に平らになっていく。

重しを魔術で掛けつつ。

板材を乾燥させ、安定させているらしいのだけれど。魔術の理屈についていくのがやっとで、まだまだ分からない。

話によると、お姉ちゃんは矢にも魔術を乗せているらしく。

それで必中させているそうだ。

魔術が使える人間なんて珍しくも無いが。

お姉ちゃんは、体術も魔術も凄い。

そういう事である。

でも、それでも外では通じるとは言い難いのだろう。やっぱり厳しい世界である。

ある程度作業が進んだところで。

出来てきた木材に中和剤を塗り込み。

更に安定するように加工する。

木材に強い魔力をしみこませた後。

木材そのものに魔法陣を描き。

魔術を仕込んで、強度を上げる。これもお姉ちゃんにアドバイスを受けながら、丁寧にやっていった。

こうして、箱を作るまでに一日。

更に鉱石を加工する。

車軸を造り。

車輪と取っ手を造り。

組み合わせる。

全てが終わったときには。

更に二日が経過していた。

錬金術には、とても時間が掛かる。まだエルトナからそう離れてもいないのに、一週間以上が経過している。

基礎を今のうちに身につけなければならないとは言え。

先が思いやられる。

ライゼンベルグと言う、これから辿り着かなければならない場所にいくだけで、どれだけ掛かるか分からない。

しかもその間に。

最低でも三人の錬金術師に、認められなければならないのだ。

不安と興味が混ざる中。

わたしはお姉ちゃんと協力し。

箱をひっくり返して。

外側に、薄く加工したインゴットを貼り付け。魔術で固定する。本当はねじなどを使うといいらしいのだけれど。構造が複雑になればなるほど、こわれやすくなると言うので。いっそのこと、完全に固定してしまう事を選ぶ。

更に車軸を通すための構造を造り。

車軸を通して、車輪を取り付け。

回して、動くかを確認。

油を塗らないと駄目だとお姉ちゃんに言われたので。

言われたようにして見ると、確かにスムーズに動く。

だけれど、この場合、ある程度すると摩耗する。

何か手を考えなければならないだろう。いずれ分解して、更に高度な仕組みを取り入れなければならないかも知れない。

額の汗を拭いながら。

箱をひっくり返し。

取っ手を取り付ける。

これも固定してしまう。

溶接という、熱で固定する技術もあるらしいけれど。

魔術で一体化させるのも、あまり技術的には変わらないらしい。

この辺は流石に鉱山の出身者だ。わたしは如何に鉱山で暮らしていても、世間知らずであったのかを思い知らされてばかりだが。

内側にも板を張り。

予定通りウサギの毛皮を張って仕上げ。

毛皮の内側にゼッテルで強化の魔術を掛けて。ちょっとやそっとでは壊れないようにも仕上げた。

触ってみるとふかふかだ。

此処に油紙か何かを敷けば、しけったものが毛皮を傷めることもないだろうと言われたので、頷く。

痛んできたら、毛皮を取り替えてしまえばいい。

兎に角完成である。

早速動かしてみるが、これなら充分。

荷車そのものは重いけれど。

それでも荷物を背負って歩くよりも、遙かに楽である。車輪の滑りも良いし、とても使いやすい。

何より材料とノウハウは理解出来た。

次からは半分以下の時間で作る事が出来るだろう。

始めて。

本格的なものを作った気がする。

わたしは感動して。

言葉があまり出なかった。

お姉ちゃんは側で笑顔のまま佇んでいたが。

その表情は、どうしてか少し苦そうだった。

 

4、山を抜けて

 

更に数日。

お姉ちゃんに言われるまま東に行き。そして途中から南に進んだ。

方角の読み方は、途中で徹底的に叩き込まれた。

影ができる方向。

長さ。

これらを使って、今の時間を読むことが出来る。

更に、時間がどれくらい経過したかも、ある程度推察する方法が幾つかある。

いずれも、生きていくためには必要な技術だ。

お姉ちゃんは言う。

「いい、フィリスちゃん。 わたしはフィリスちゃんを絶対に守るけれど、それでも何があるか分からないのがお外なの。 最悪の場合、わたしがいなくなっても、生きていけるようにしなければならないのよ」

「そんな、リア姉」

「お外がどれだけ怖いところかは、実際に出てから理解出来たでしょう? 教えたことは、すぐにではなくてもいいから覚えて。 そうしないと、わたしでも守りきれなくなるかもしれないから」

「うん……」

確かにその通りだ。

荷車を使って、採集は非常に楽になった。

これがわたしの、最初に作った本格的な錬金術の産物だ。考えて見れば、錬金術師をしていくには、必須の物資だったのだ。

そして今後は。

もっともっと。

色々なものに手を入れていかなければならないだろう。

知識を仕入れなければならない。

お姉ちゃんが言う事も。

確かに正しいのだ。

山の合間を抜ける。

やはり茶色だが。

少しだけ、緑が増えた気がする。

かなり歩いたが。

ようやく、錬金術師がいる街が近づいて来たのかも知れない。

他の錬金術師の実力がどれくらいなのか。

ソフィー先生と比べてどうなのか。

実際に目で見て確認しなければならないだろう。

そして、気付く。

周囲に、あからさまに獣が増えている。

街道とは名ばかり。

獣だらけだ。

そして、いずれもが、此方には好意的な視線を向けてきてはいない。当たり前の話なのだろう。

食うか食われるか。

そういう関係なのだから。

「此処からは、例え形だけだとしても、街道からは離れないでいくわよ」

「う、うん。 でも、どうして」

「匪賊が出るからよ」

「っ!」

お姉ちゃんの顔は厳しい。

匪賊。

そう、わたしでも知っている。

最悪に落ちた人間。

凶獣と化した人間と言っても良い。

捕まえた相手は何でも食べてしまう。それが人間であっても。

匪賊に落ちると、もはや人間に戻るのは不可能。匪賊に捕まったら、その場で切り刻まれて食べられてしまう。

冷や汗が全身を流れるのが分かった。

「幸い、この辺りはまだ匪賊が少ない方よ。 ……そろそろ、護衛を一人くらい雇うべきかもしれないわね」

そのためには、先立つものが必要だけれどと、お姉ちゃんはいう。

確かにその通りだ。

わたしは頷くと。

ようやく少しずつ増え始めた緑の中にある地獄を。

覚悟して歩き始めた。

 

(続)