どん詰まりの世界の星

 

序、深淵より星を掴む

 

あたし、ソフィー=ノイエンミュラーは。世界を回りながら、希望を探していた。今では同盟関係にある深淵の者と連携した結果、アダレットとラスティンとは、ある程度話もつくようになっている。

話を付けるためのコネを作るために。

正確には、深淵の者が元々持っていたコネを公然化し、強化するために。

邪神七体。

ドラゴン八十九体。

ネームドおよそ五百体を。

この旅の間に滅ぼした。

いずれもどちらの国も手を出せなかった相手で。それによって、あたしは街の領主以上の発言権と、情報の閲覧権。更にラスティン連邦国首都ライゼンベルグでの「顧問」としての地位を得た。一応形式的に公認錬金術師試験は受けたが、簡単すぎてへそが沸くレベルだった。アダレットでも、たまに「専門家」として声が掛かるほどになった。騎士団でも手に負えない相手を処理する時に、呼ばれるのだ。

だが、あたしは旅をし。

世界を見ながら、気づきもした。

やはりあのパルミラという創造神の言葉は事実だ。

この世界には未来がない。

それどころか現在さえない。

昔、プラフタとルアードが。

比翼の仲だった二人が、喧嘩別れした原因。

この世界の荒廃は。

想像以上だった。

緑がある地域もある。

だがそれはあくまで限定的で、殆どは荒野だけが拡がっている。あたしが暮らしていたキルヘン=ベルの周囲だけではなかった。もっと酷い地域がある事は分かっていたが、その想像さえ遙かに超えていた。

そして街で暮らしていけなくなった匪賊は何処にでもいた。

深淵の者と連携して、更にラスティンとアダレットの尻も叩いて。

あたしは行動を始めた。

匪賊とドラゴン、邪神の駆除。ドラゴンは殺しても同数が常に保たれる事もあって、特に暴れているもの限定の駆除だが。

集落の安定化。

更に、小さな集落は場合によっては他の集落と合流させたり。後は集落を統合して、よどんだ血を混ぜ合わせたり。

防衛体制を造り。

更に人材の育成を行ったり。

それらに関わりつつ。

世界を回っていった。

勿論一人でできる事ではない。

深淵の者が、今まで作り上げてきたネットワークを利用して、多数の人材を集めてくれたし。

今まで漠然と世界を良くしようとしていた彼らが。

明確な戦略を持ったことで、むしろ生き生きとさえしていて。

手助けにはむしろ積極的なほどだった。

そうしてあたしは世界を回り。

人材を探した。

この世界はいずれ破綻する。

その破綻を回避しなければならない。

9兆回の試行回数。

2700京年の労働時間。

あの創造神に告げられた言葉だ。

この世界を安定させ、人間が自立できるようにするために、創造神は何度駄目になっても諦めず。

この世界の仕組みそのものを弄くりながら。

誰もが平穏に暮らせる安定した世界を作ろうと腐心した。

この世界に連れてこられた住民は。元の世界で、どうしようもない滅びの中で助けを求めた者達の子孫だ。

救いの願いを創造神が聞いたから。

助けたからには。

責任を持って世話をしなければならないのだから。

創造神は、そんな風に、純粋な善意で動き。

しかし人間は、そんな善意に答えられる生物では無かった。

だからどうにもならない。

どうにか世界そのものを変えなければならない。

人間を変えるのか。

世界を変えるのか。

いずれにしても、まだあたし一人ではどうにもならない。プラフタとも時々話すが、良い案は出てこない。

キルヘン=ベルに時々戻っては。

カフェに顔を出す。

もう酒を飲める年になっているから。かなり強いのを出して貰う。あたしが黙々と酒を飲んでいると。

既にキルヘン=ベルの自警団長になっているモニカが殆ど必ず顔を出して。

あたしに近況を聞いてくるのだった。

モニカはあたしの目が深淵そのものになってから、一度だけ本気で怒ったが。

それ以降はむしろ静かに、あたしと話をする。

あたしが完全に壊れていること。

何より世界が本当にどうしようもないこと。

このままでは全てが終わる事。

それを悟ったからかも知れない。

或いは、彼女なりに現実と向き合うために。

あたしと最後の喧嘩をする必要があったのだろうか。

いずれにしてもモニカの考えは分からないが。

今では、あたしに無闇に突っかかって来る事もなかった。比翼の友として、静かに助けてくれる。その道を選んだようだ。

ただ、彼女も良い案があるかというと、そうでもなく。

時々、何か良い案がないか、あたしから聞いたりもするが。

モニカは首を横に振るばかりだった。

創造神とアクセスしたときに、モニカも一緒にいた。

だからこの世界が、どれだけどん詰まりかは、モニカも知っている。

恐らく、世界中の人間が団結して、どうにかしなければならない問題なのだろうに。

そんな事を出来る人間なんて。

この世界にはほとんどいない。

だからあたしが奔走しなければならないし。

あたしと同レベルの錬金術師を探し出すか、もしくは育つのに力を貸さなければならない。

そうしてあたしは彷徨い。

様々な街を救い。

情報を集めながら。

錬金術師を探した。

ルアードの情報網を持ってしても、今の時点では世界を救えるレベルの錬金術師は見つからなかったし。

プラフタが人間に戻り、錬金術を使えるようになったとしても、とてもではないが手は足りないだろう。

最低でも後三人。出来れば四人。

あたしと同レベルの錬金術師がいる。

それについては、意見が今でも変わっていない。

そして、この世界を変えるには、その力を結集しなければならない事も。

愚痴は言わない。

言っても仕方が無いからだ。

そして、無数の情報の中から、エルトナという街に、どうもものの声が聞こえる人間がいるらしいこと。

しかもまだ子供らしい事を知って。

あたしはプラフタと一緒に調査を開始。

エルトナという、本当に辺境も辺境。自衛能力も備えていない鉱山そのものに閉じこもっている街を発見し。

そして今此処にいる。

あたしは一旦自分の異世界アトリエに籠もると。

資料を整理しつつ、現在は別行動しているルアードに情報を回すように、深淵の者へ手配。

更に、複数の根回しを進めていた。

エルトナの長老を籠絡するのは簡単だった。

錬金術の御技を少し見せてやり。

一つしか無い特産品である水晶を高く買う(実際には買いたたかれていたのを適性値段で買い取るようにしただけだが)ようにし。

深淵の者の経済を担っているホム、アルファの作っている経済網の一端がエルトナにつながり、安定した食糧や物資の流入が出来るように取りはからい。

更に周囲の他の集落との交流を持てるように、あたしのアトリエにつながる扉への限定的な使用も許可した。

今やあたしのもう一つのアトリエは、ルアードとプラフタのアトリエと一体化しており。

ライゼンベルグや他ラスティン、或いはアダレットの大都市と同レベルの規模にまで巨大化している。

その中の回廊を幾つか使う許可を与えるだけで。

安全に孤立した集落どうしが、距離を無視して行き来できる。

最初は緊急時の撤退のために作り上げた旅人の道しるべが。

現在では孤立集落を救うための手段となっている。

そして案の定血が濃くなり過ぎて滅亡に突き進んでいたエルトナは。

文字通り、あたしにひれ伏すようにして屈した。

当たり前だろう。

エルトナの人間も、近親交配による弱体と、資源がいずれ枯渇することは知っていたのである。

かといって、エルトナの外に出て、凶悪なネームドや猛獣に食い散らかされながら、悲惨な難民として別の都市を目指すには、戦力が足りなさすぎる。

少しでも現実的に考えれば。

あたしの言うことを聞く以外に道がない事くらいは、幼児でさえわかる。

そして長老にあたしの出した条件は。

声が聞こえる人間。

フィリス=ミストルートの提供。正確には彼女を錬金術師にする事。

それだけである。

彼女に錬金術を教えて、この世界に旅立たせ。

現実を見せる事によって能力を鍛え上げる。

そうすることによって、あたしと同レベルの錬金術師に育て上げる。

それだけだ。

ちなみにあたしは彼女の師匠になるつもりではあるが。

プラフタのように身近について錬金術を教えるつもりはない。

エルトナに来て、フィリス自身を確認したが。

典型的なギフテッドで。

あたしがつきっきりで教えるよりも、自分で学ぶ方が出来る事が多いタイプだ。

これは時間を停止し。

完全に全身をスキャンし。

更に細胞まで採取し、それを解析しての結果。

フィリスをあたしの拠点用持ち運び式小型アトリエに案内し。

其処に入った瞬間時間を停止させ。

データを採取させて貰った。

既に因果を操作して、壊れたものをその場で直せるほどに錬金術を極めたあたしにとっては。

それくらいは容易かった。

フィリスには。

エルトナが完全に詰んでいること。

自分にしかその状況を打開できないこと。

この二つを、既に心にねじ込んである。

後は錬金術の基礎を教えておき。

そして信頼出来る護衛をつけて放流すれば、勝手に成長してくれるだろう。

あたしと違う方向性で成長すればそれはそれでまたよし。

同じ方向性で成長してもかまわない。

今必要なのは。

あたしが複数、ではない。

あたしと同レベルの錬金術師が後最低四人、である。

考え方は皆違っていて構わない。

あるいは、あたしと対立しても良いだろう。むしろ、それくらい活きが良いくらいが丁度良い。

この世界を改革するには。

どんな人材でも必要だ。

勿論半野獣化した匪賊は必要ないが。

あれらはもはや人間では無い。

駆除が必要な害獣だ。

書類をまとめ終えると。

部屋に入ってきた、これからフィリスの護衛として同行させる人材。ティアナの顔を見る。

ティアナは以前雇い入れた傭兵で。

まだ年若く、十代半ばにして、既に相当な剣腕の持ち主である。

天才とか鬼才とかいうのではなく。

修羅場をくぐった数が違うだけだ。

更にあたしが渡した錬金術の装備で武装もしている。

彼女は、物心つく頃に両親を匪賊に殺されたらしく。

それ以降、傭兵団を点々としながら食いつなぎ。

独自に剣の技を覚えて。

そしていつの間にか、その実力を開花させた天然ものの実力者だ。

あたしのことを崇拝していて。

言う事は基本的に何でも聞く。

近年は主に匪賊の駆除をやってもらっていたが。

ここ一年だけで、匪賊300人以上を一人で斬っている。

殺した後に首を切りおとし、串刺しにして並べる趣味があるのだが。

これは両親を骨も残さず食い殺した匪賊への、彼女なりの復讐らしい。

どうしてそういう復讐になるのかはよく分からないが。

それはそれで別に構わない。

腕さえたてばいい。

剣は良く斬れればそれで良いのだ。

「ソフィー様、フィリスちゃんはどんな感じですか?」

「鉱石限定で声が聞こえるとは言え、才覚は相応かな。 後は環境で揉んでやれば、育つと思うよ」

「友達になれると良いなあ」

「でも、お姉ちゃんには嫌われちゃったんでしょう?」

ティアナはてへへと舌を出す。

どうやら、悪気はなかったのだが。

怖がらせてしまったらしい。

今ではすっかり、フィリスの姉のリアーネは、ティアナを警戒している様子だ。

ただ、実はあたしはリアーネも調べたのだが。

声さえ聞こえていないものの。

どうもリアーネにも錬金術師としての才覚がある様子なのだ。

そして、調べた結果。

フィリスの両親とリアーネは、血がつながっていない。勿論フィリスとも血統上の姉妹では無いという事が分かっている。つまりフィリスは彼女の両親の実娘であるのに対して、リアーネは養子か何か、ということだ。

異常なフィリスへの溺愛ぶりがエルトナでも知られているリアーネだが。

それも何か関係しているのかも知れない。

そしてフィリスの両親の、錬金術への拒否反応。

まあ、これからどうすれば良いかなど、決まり切っている。

部屋にプラフタが入ってくる。

彼女は無邪気に笑顔を浮かべているティアナを見ると眉をひそめた。

どうも彼女は、十代半ばでシリアルキラー同然になっているティアナを、快く思っていないらしい。

如何に匪賊が凶悪な存在で、野獣化した人間だとは言っても。

あまりにも殺戮の度が過ぎる、と思っているのだろう。

ティアナに、仕事に戻るよう指示。

エルトナ周辺の、フィリスの手に余るネームドの駆除が、その仕事だ。

はいっと良い返事を返すと、ティアナはうきうきした様子で出ていく。

一応ツーマンセルで深淵の者の戦士も組ませているが。

まず不覚を取ることは無いだろう。それだけ強力な武装を渡しているからだ。

なお組ませているのは極めて寡黙な女戦士で。同じように匪賊を徹底的に憎んでいるからか、ティアナとも話が合うようだった。ただどうも集団の中で暮らすのが苦手らしく、いつも威圧的な兜を被っている。なおアダレットの騎士団から提供された人材でもある。元々深淵の者から騎士団に手配され潜り込んでいた人材だったのだが。今は柄にあわない間諜もどきよりも、境遇が性に合うようだった。

「ソフィー。 これからどうするつもりです」

「この間深淵の者が見つけてきたもう一人の子、イルメリアちゃんだっけ。 あの子と会うように仕向けて、自然なライバル関係にさせる。 そうした方が恐らく成長が早くなるだろうからね」

「人の運命をもてあそぶような真似は……」

「プラフタ。 まだそういう事をいうつもり? この世界はね、もう手段を選んでいられる状態じゃないんだよ」

閉口したプラフタは。

悲しげにあたしを見る。

元々あたしは壊れていた。

それをプラフタは知っている筈だ。

今更あたしに何を期待する。あたしが願うのは、最初はこの世界への復讐だったけれども。

今ではこの世界をどん詰まりにしている、この状況への復讐だ。

この世界は詰んでいる。

それを打開するためなら。

あたしは手段なんて選ばない。

手元にある膨大な人間のデータを現在解析しているが。

これを元に、人間を作っても良いかもしれない。

錬金術師としての才覚を極限まで高めた人間を人工的に作り出す事で。

世界の状況を打開する。

今のあたしと、周辺設備なら出来る。

「まずはフィリスちゃんだね。 旅立ちを反対している両親を黙らせるには、一ついい手がある」

「あまり非道な真似は」

「大丈夫。 ごねている子供を黙らせるのと同じだよ」

ひらひらと手を振ると。

あたしはエルトナに戻る。

携帯用のアトリエに入ると、フィリスが言ったとおりに本を読んでいた。リアーネが側に控えて、何があっても大丈夫なように備えているのが滑稽である。

基礎的な概念をまず覚えて貰う。

幸い彼女は座学も相応に出来るようなので。

これでいい。

あたしは座学が苦手だったから。

プラフタがいなければ、大成できなかっただろう。

「あ、ソフィー先生!」

「フィリスちゃん、基本的な事は分かった?」

「はい、その、本当に基本の基本、だけですけれど」

「そう。 じゃあ、やってみようか」

簡単な調合から、最初はやって貰う。

そして、後でフィリスが家に戻ったタイミングでリアーネに告げるつもりだ。

リアーネにも錬金術師としての才能があると。

フィリスを旅立たせるのがいやなら、リアーネが旅立てば良い。

幸い、リアーネは良く出来ているように見えてもまだ十代。伸びしろは充分すぎる程にある。

基礎を覚えれば、すぐに錬金術師としての力も伸びるだろう。

だが、リアーネはそれを良しとしないはず。いや、出来ないのだ。結果、彼女は両親を説得するだろう。自分が守るから、フィリスと一緒に旅立たせて欲しいと。

外から崩すのが無理なら内側から崩せばいい。

あたしは、この数年で。

人間の扱い方を。いやというほど、習熟した。

 

1、基本の基本と、基礎の基礎

 

「フィリスちゃん、いる?」

わたしをお姉ちゃんが呼んでいる。

最近数日は、ずっとソフィー先生が持ってきたアトリエに入り浸って、錬金術の勉強をしていた。

だから、時間が経つのも忘れやすく。

ついつい食事をするのも忘れてしまっている事が多かった。

面白い。

兎に角凄い。

錬金術は、ものの意思に沿って、ものを変質させる力だ。

声が聞こえる鉱石を、その声に沿って変質させていく。

その結果、中和剤が出来る。

中和剤だけでは何もできないけれど。

それと、発破に使う鉱石を組み合わせて。

オモチャ同然だけれども、それでも簡単な爆弾が出来たときは。

あたしも嬉しくて、跳び上がりたくなる程だった。

でも、お父さんもお母さんも、わたしが錬金術をすることを、良く想っていない。

どういうわけか分からないけれど。

お姉ちゃんだけは、途中から不意に態度が柔らかくなって。

むしろ、いつものわたしを甘やかすお姉ちゃんに戻ったような気がする。

「どうしたの、リア姉」

「ご飯よ。 材料が入るようになったから、ちょっと贅沢なの作って見たわ」

「リア姉の手作り? 珍しいね」

「うふふ」

優しい笑顔を浮かべるお姉ちゃん。

でも、なんだろう。

何処かに違和感がある。

無理をしているような。

でも、わたしにはよく分からなかった。

文字通り携帯式のアトリエとわたしの家は至近距離。何しろ、本来あり得ない大きさにこのアトリエは縮んでいるのだ。

わたしも錬金術を極めれば。

こんなすごいものを作れるのだろうか。

わくわくが止まらない。

最初は怖かった。

だけれども、今は興味とわくわくが、完全に天秤を傾けている。

これは恐らく。

わたしに与えられた天からの好機。

そして、このもはやどうしようもない状態になっているエルトナを救い。

わたしも外に出るための。

必要な力だ。

家に戻る。

お父さんとお母さんは、やはり悲しそうだ。

そして、テーブルには信じられないくらいの品数の料理が並んでいた。

流石に驚かされる。

いつもは多くても一品か二品。

それも、材料が少ないから、新鮮とは限らない。

特に野菜は古いものが使われている事が多い。

わたしが野菜が嫌いになったのは。

古い傷んだ野菜を食べて、死ぬような思いを味わったからだ。それ以降、特ににんじんは大嫌いである。

でも、この豪華さの前には。

わたしも、思わず黙り込むしかなかった。

たっぷり黙って。

それから、声を絞り出す。

「ど、どうしたの……これ……」

「ソフィーさんがね、ちゃんとした商人を連れて来てくれたんだよ」

なんでだろう。

お父さんがとても悲しそうに言う。

そして、続けた。

エルトナには、今大きな商会に属する、ホムの商人が来ているという。エルトナにもホムの商人はいるが、彼らにも商会に入るように勧誘し、それを既に受けている、という話もあるそうだ。

その結果。

すごく物価が安くなった。今まで苦しい生活をしていた人達も、みんなおなかいっぱい食べる事が出来ているという。

新鮮な野菜が入ってくるようにもなった。

今まで決められていたエルトナ水晶を一とする鉱石の値段は、本来の五分の一以下だったらしく。

一気に生活が楽になったと言う。

それだけではない。

膨大な資金援助までしてくれる事が決定。

街の外にまず城壁を作り。鉱山を守るように防衛ラインを設置。

其処へ少しずつ住居を移していき。

最終的には、全ての住民がお外で暮らせるように取りはからってくれるというのだ。

更に、その過程で、他の街と人の行き来が出来るように、取りはからってもくれるのだとか。

なんだそれ。

すごいとしか言えない。

ソフィー先生が、もの凄い錬金術師だと言う事は分かるのだけれど。

そんな影響力まで持っていたのか。

まるで本に書いてあった、国そのものが動いているかのようだ。

エルトナは救われる。

近親者で交配を繰り返して、集団そのものが自滅する。

地下で猛獣に怯えながら暮らして、いつ尽きてもおかしくない鉱石資源にそれでも依存し続けなければならない。

そんな生活が。

終わる時が来ようとしている。

「それだけじゃない。 ソフィーさんは、エルトナがあるこの山を、丸ごと崩す方法まで教えてくれるそうだ。 それを使えば、今までの比では無い効率で、鉱石を得る事が出来るらしい」

「凄い! 本当にそんな事が出来るの!?」

「技術としてはそれほど難しいものではないらしい。 だけれど、人間の力では無理がありすぎるから、道具を貸してくれるらしい。 最終的には確実に黒字が見込めるし、多くの人が幸せになれるということだよ」

「あなた」

お母さんが。

お父さんの背中を触る。

どうしてだろう。

お父さんが、言葉を詰まらせているようだ。

隣にいるお姉ちゃんは笑顔のまま。

あれ、でもどうしてだろう。

お姉ちゃんは。

どうしてか、ずっと貼り付いたような笑顔のままだ。

少なくとも、いつも鬱陶しいくらいに愛情を注いでくるお姉ちゃんのものではないし。お父さんとお母さんが悲しんでいるのもおかしい。

とにかく、食事にする。

そして、おなかいっぱいになった所で。

お父さんが切り出した。

「フィリス。 外が危ない事は分かっているね」

「うん……」

「でも、外にどうしても出たいんだね」

「……分かっているくせに」

駄目だ。

頭の中で、何かが切り替わる。

わたしは感情の制御が下手だ。

ぶつりと行くと、どうしてもおかしくなる。

「どうして! わたしを閉じ込めたいの!?」

思わず叫んでいた。

わたしの中では、錬金術が既に相当なウェイトを占めていた。

あの力があれば。

エルトナを救える。

お外にだって出られる。

わたしも、お姉ちゃんみたいに外に出てみたい。本に書いてあった、色々な事を見てみたい。

それをどうして許してくれないのか。

わたしが弱いからか。

でも、わたしだって。

錬金術を使えば。

ソフィー先生が、異次元の実力者だって事は、わたしにだって分かる。戦った事なんて一度もないわたしにでもだ。

あれは魔術師としての力量もそうだけれど。

膨大な戦闘経験と。

何よりも錬金術師としての腕前が、作り上げた強さの筈。

だったらわたしも錬金術を学べば。

きっとお外でもやっていける。

そうすれば。

エルトナは救われるし。

わたしだって、本に書いてあったお外の色々なものを見られる。きっと素敵な冒険が出来る。

不思議なものも、たくさん見る事が出来る筈だ。

「どうして……」

「フィリス、錬金術は……」

「バカっ! お父さんもお母さんも大っきらい!」

抑えきれない。

一度頭の中が切り替わってしまうと。

どうしてもこうだ。

わたしは、頭より先に体が動いていた。

そのまま家を飛び出す。

そして、エルトナの街を、涙を拭いながら走っていた。誰も、わたしを見ていない。今、空前の豊富な物資と、それを喜ぶ声に満ちている。

どうしてだろう。

こんなこと、言いたくなかったのに。

感情が高ぶると、どうしてもわたしはおかしくなってしまう。

気がつくと。

わたしは、心地よい優しい鉱石の声に包まれるようにして。

座り込んで、涙を拭っていた。

場所はわかる。

エルトナは狭いし、その狭い中でずっと暮らしてきたのだから。

それになによりも。

鉱物の声が聞こえる。

みんな優しい声で。

わたしを慰めてくれる。

涙を拭う。どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。いや、いつもそうだ。感情が高ぶると、どうしても心を抑えきれなくなる。

錬金術はもう私の中から離れない。

あの力さえあれば。

この狂って閉じた街を変えられる。

事実ソフィーさんは。

一瞬で全てを変えてしまった。

あの幸せそうなみんなの顔。

いっぱい食べられることがどれだけ幸せなのか、そんなのはわたしだって嫌って言うほど知っている。

お外がどれだけ危険か。

そんな事だって分かっている。

でも、そのお外でだって。

錬金術があれば、きっとやっていける。

これは破壊の力だ。

わたしをずっと縛り続けていたこの街の扉を破壊した。ソフィーさんが扉を壊し、一瞬で直したときの姿は、今でも鮮烈に頭の中に残っている。

怖かった。

でも、破壊の力なのだ。

怖いのは当たり前だ。

ふと、気付くと。

お姉ちゃんが覗いていた。

「フィリスちゃん」

「どうして此処だって分かったの」

「フィリスちゃんが何処にいるかなんてすぐに分かるわ。 それよりも、家に戻りましょう」

首を振る。

あんなことを言った後だ。

戻ろうに戻れない。

悪かったのはわたしだって事くらい、分かりきっている。

理由をちゃんと聞きもしなかった。

どうして錬金術をお父さんとお母さんが怖がるのかは分からないけれど。

この力があれば。

逆に、ソフィーさんが来なかったら。

わたしは思い出す。

わたしよりまだ年下なのに嫁がされた友達の事を。

結婚しても上手く行かず。

どうしてこの世は不公平なんだと嘆いていた友達のヒステリックな声を。

それだけじゃない。

兄姉達がみんな死産して。

一人だけ生きているフィフィさんの事を。

この閉じた街が、閉じたままであり続ける以上。

ずっと同じ悲劇が続くはずだ。

わたしは。

やっぱり外に出なければならない。

でも、どうしてなのだろう。

どうしてわたしは、感情が高ぶると、ああもおかしくなってしまうのだろう。悲しくて、顔を覆ってしまう。

「お父さんとお母さんに顔向けできない」

「大丈夫、私も一緒に謝るから」

「……お姉ちゃん、本当はもっと反対だったんじゃないの?」

ふつりと。

何か、空気が張り詰める感触があった。

わたしが顔を上げると。

お姉ちゃんの顔から、一瞬表情が消えていた。

何だろう。

凄く怖い。

多分コレは、お姉ちゃんが獲物を仕留めるときの、覚悟を決めたときの顔だ。背筋が凍る。

深淵そのものの、ソフィーさんの目を見たときと同じ。

恐怖さえ感じる。

だけれど、すぐにお姉ちゃんは、優しい笑顔を作り直した。

「フィリスちゃんが錬金術師になりたいのはもう分かっているから。 だからもう反対はしないって決めたの」

「……リア姉、本当?」

「本当よ」

何だろう。

本当だろうけれど、何か隠している気がする。

でも、それが何かまでは分からない。

わたしは、お姉ちゃんに手を引かれて、家に戻る。

お父さんもお母さんも。

無言のまま待っていた。

ごめんなさいと謝ると。

しばらく黙り込んだ後。

お父さんは言った。

「一つだけ、条件がある」

「条件?」

「一人前の錬金術師を目指して、この街を出る条件だ」

息を呑む。

お父さんも、凄く怖い顔をしていたからだ。きっと戦士として現役だった頃の顔だ。

「基本的な錬金術を身につけなさい。 それが条件だよ」

「でも、それはどうすればいいの」

「まず、鉱山の奥にいる獣を何でも良いから一人で倒してみなさい」

そうか、そうなるか。

鉱山の奥に出る獣はあまり強くは無いと聞く。

それにさえ勝てないようなら。

外に出れば、一瞬で殺されて。

あっという間に食い散らかされてしまうだろう。

当たり前の話だ。

わたしは頷く。

怖いけれど、やらなければならない。

無言で、お母さんが杖をくれる。

つるはしに比べると多少軽いけれど。

それでもこれが、相手を撲殺できる戦闘用の杖で。魔術を増幅させるためのものだという事も、わたしには分かった。

「戦う時には魔術を使わず、錬金術を使うんだよ」

「うん……」

「それとお薬だ。 流石にソフィーさんが持ってきたものほどではなくていいから、最低限怪我を治せるものを作って見なさい。 そうでなければ、外で怪我をしたらそれだけで終わりだ」

「分かった……」

その通りだ。

お父さんが言う事はどれもこれも正論。

確かに敵と戦えず。

治療も出来ないのでは。

外で生きていく事なんて、出来る訳も無い。

そしてお父さんは更に言う。

鉱山では、わたしがいなくなった時に備えて発破が必要になる。

勿論今後は、男衆が普通につるはしで鉱石を掘っていくことになるが。それでも発破は何にしても有用だ。

まず発破を作れるようにしろ。

それが三つ目だった。

この三つをこなせたら。

エルトナを出ても良い。

そう、お父さんは、わたしを責めずに言った。

お母さんはずっと黙っていた。

なんでだろう。

何を知っているのだろう。

錬金術には何があるのだろう。

でも、わたしにとって、錬金術は破壊の希望。今更知らなかった事にすることは出来ない。

この破壊の力を使いこなす事で。

全てを。

詰んだこの街を。

解放できる事が分かったのだ。

それならば、わたしだって。

外の世界で力を磨けば、きっと。きっと。

今日はゆっくり休むようにと、お父さんとお母さんに諭された。

あれから時間も経って。

いつの間にか、寝る時間になっていた。

確かに錬金術師になるには、体も資本だ。

こんな所で体を壊しているようでは、それこそ外になんか出たら、一発で終わりだろう。

眠る事にする。

眠るときには眠らなければならない。

例えいつも同じ明るさでも。

眠れるのがこの街に生まれた人間の特技だ。

逆に、外に出たら、いつどんな風に眠れるのか分からないかも知れない。

お外の事を書いている本も。

野宿の話が結構出てくる。

きっと猛獣に怯えながら、野宿をする事になるのだ。

その場合、ひょっとすると。

何日も眠らずに歩いたりしなければならない事も、或いはあるのかも知れなかった。

悶々としているうちに眠ってしまい。

やがて目が覚める。

そして、顔を叩くと。

水で顔を洗った。

お父さんとお母さんにまず認めて貰う。

それくらい出来なければ。

錬金術師になんてなれっこない。

わたしは覚悟を決める。

そして、ソフィー先生のアトリエに入った。

 

2、最初の試練

 

世の中は。

楽しい事だけやっていても動かない。

楽しい事だけやっていても生きていけない。

そんなことはわたしだって分かっている。

たまたまわたしは、鉱物の声が聞こえるという能力を持っていたけれど。鉱物達は、売られた後どうしているのだろうと、そういえばきちんと考えた事もなかった。

ちゃんと使われているのだろうか。

高値で取引されているという話だから。

きちんと扱われているとは思う。

だけれども、本当に。

ちゃんと使って貰っているのだろうか。

それが不安に今更なってくる。

今、教えて貰っているのは。

戦闘用の爆弾の作り方だ。最初に作ったオモチャでは無く、相手を殺すための殺戮兵器である。

そのままフラムという。

炎を示す言葉で。

文字通り相手を焼き尽くす。

魔術によるワードで爆発をコントロールすることが出来。

最初にロックを解除。

その後に、爆発のタイミングでワードを口にすれば、爆裂。至近距離にいる存在を鏖殺できる。

そう、殺すための道具だ。やり方によっては、火力を極限まで引き上げたり、ばらまいたりと、様々な工夫が出来ると言う。単独で面制圧できると言われたが、わたしには面制圧の意味が分からなくて、お姉ちゃんに教えて貰った。

戦いは。

色々今のうちに知らなければならない。お姉ちゃんに、戦術も戦略もならわなければならないだろう。

わたしは戦術も戦略も、その言葉さえも聞いたばかりだから。

本当に戦いには初心者なのだ。

外の事について書かれた本には、そんな難しい言葉は出てこなかったし。わくわくするような場面しかなかった。

だけれど、わたしだって子供じゃない。

所詮物語では、わくわくを壊さないために書いていないものがある事くらい分かっている。

この街でさえ。

どす黒い人々の哀しみと苦しみが存在していて。わたしも、言われるまでそれに気づけなかった。

外はもっと酷いはずで。

それこそ命のやりとりが、何処で起きても不思議では無い。そんな事は、わたしみたいな何も知らないひよっこだって分かる。

外では戦う必要が生じてくる。

獣たちは飢えているし。

ヒト族の子供なんてエサに過ぎない。

もちろんわたしもその一人だ。

エサにされるわけにはいかない。

逆に相手をエサにするためには、戦うための。そして、相手を殺すための力が必要なのである。

呼吸を整えると。

中和剤と。

鉱石から取り出した発火剤を混ぜ合わせ。

更に固形化する。

この過程で、無理がないように、感触で覚える。これがとても難しくて、ソフィー先生に何度も指導された。

感覚的なやり方だと、覚えるのは大変だよ。そうも言われた。

でも、理屈はどうしても難しい。

それを見ていて、ソフィー先生はやり方を変えたようだった。

まだ爆弾の完成品は作らせない。その方針で行くと明言された。

「失敗をたくさんして、今のうちに」

「失敗ですか?」

「そうだよ。 物資だったらあたしが補給してあげるから、今のうちに何をするとまずいか、その感覚で覚えて」

「分かりました。 やってみます」

そう言われると、少し楽になる。

失敗を怖れないで、何度も何度も調合をしてみる。

釜が爆発したりもしたけれど。

その度に、ソフィー先生が、不思議な力で守ってくれた。魔術だとは思うけれど、それにしては出力が高すぎる。

邪神やドラゴンには、人間では太刀打ち出来ない魔術の出力がある、という話を聞いたことがあるのだけれど。

流石にソフィー先生だ。

そいつらをとっちめられる位の力があるのだ。

それが自力なのか。

錬金術を使った力で増幅しているのかは分からない。

だけれど、失敗の度に指やら手やら飛びそうな爆発から無傷でわたしを守ってくれるその力は。

間違いなく本物だ。

何十回か失敗した頃だろうか。

少しずつ、コツが分かってきた。

作れるものも、少しずつ増えていく。

そして、何となくだけれど。

無理なく調合する、という言葉の意味が。少しずつ、肌で分かるようになって来た。

鉱物を使うときは、特に分かる。

どれくらい砕いたらいいのか。

どれくらいすり潰して、不純物を取り除けば良いのか。

鉱物が教えてくれる。

その声はとても優しくて。

温かい気持ちにさえしてくれた。

一通り危険な調合をした後。

ソフィー先生は、少しずつ安全な調合にシフトして行くように指示。

とはいっても、基本も基本。

最初の一歩からだけれど。

まずは中和剤の作り方を教わる。最初に作ったのではなく、実用レベルの品を、だ。

わたしも魔術は使えるし、魔力を中和剤に込めて、それを媒介にするという理屈は何となく分かる。

だけれども、これによって本来混ざり合うことのない力が混ざり合い。

本来存在し得ない力が使えるという事については。

何度聞いても驚かされる。

文字通り驚天の奇蹟だ。

そして、その驚天の奇蹟は。

文字通り世界に干渉する力としか思えない。

錬金術は、ものの意思に沿って、ものを変質させる力。

その説明を聞いたときには。

やはり錬金術師は神の一種では無いかと思ったし。

それを使っていると思うと。

やはり破壊そのものに触れているようで、少し怖くもある。

だけれども、そもそも雑念があって錬金術を出来るような腕前ではまだ到底ないのが事実だ。

雑念があると失敗してしまう。

その度に、その感覚を体に叩き込むようにと、ソフィー先生に言われるのだった。

はっきりいって。

鉱石を掘っていた毎日よりも、遙かにハードだ。

家に帰るとお姉ちゃんが甘いものを作って待ってくれているが。

これも少し前までは考えられない事だった。

兎に角頭が甘いものを本当に欲しがる。

それが分かってしまう。

肉よりも甘いものを食べたい。

そんな感覚を味わうなんて。

今までに無いことだった。

いつもは燻製や干し肉。

たまにお姉ちゃんが持ち帰ってくる新鮮な兎肉。

それだけが楽しみだったのに。

ソフィー先生が外とエルトナをつなげてくれた途端に、この激変だ。これはもう、戻る事はどちらにしても出来ないだろう。

ぼんやりしている様子を見て。

お姉ちゃんが不安そうな目をする。

わたしはすぐに取り繕う。

お姉ちゃんは、お父さんとお母さんと同じように、わたしを心配してくれている筈だ。それなら、その好意を袖にしたくは無いし。わたしは、自分の感情に欠陥を抱えている事を自覚している。

だから、気付いたうちに笑顔を作る。

「ありがとうリア姉。 美味しいよ」

「そう。 もうそろそろ眠る時間よ」

「うん、分かってる」

そういえば。

外に出るとき、あの本は持っていこうか。

持っていきたい。

だって、外が本当はどうなのか、知りたいからだ。頭の中に叩き込むほど読んだけれども。それでも実物を見れば新しい発見があるかも知れない。

言われたまま眠って。

起きて、すぐにアトリエに出向く。

毎日が、あっという間に過ぎていく。

今までは、むしろ一日一日が、長いと感じる事さえあったのに。

 

何度の失敗を重ねただろうか。

だけれども、ついにお薬が出来た。

ソフィー先生が優しく教えてはくれるけれど。評価をするのはプラフタさんだ。プラフタさんも、ソフィー先生と同じく錬金術師なのかと思ったのだけれど、違うと聞かされた。

元錬金術師だという。

でも、凄く若くて綺麗な人だし。

錬金術の一線を退いた理由は何なのだろう。

また、時々一対の巨腕を浮かべて、作業をしているが。

それは「拡張肉体」というもので。

自分で考え。

戦闘は当然のこと、日常生活でも手助けをしてくれるものらしかった。

錬金術の産物である事は間違いない。

だけれども、あまり根掘り葉掘り聞くのも何だろう。

元錬金術師、というのにも何か含みを感じるし。

あまり聞かない方が良さそうだとわたしは思って、以降はその辺りの事は忘れる事にした。

ソフィー先生が、わたしに錬金術を教えてくれるだけで。

どれだけの幸運か分からないのだ。

そもそも、この人はお姉ちゃんの言葉が正しければ、世界でもトップクラスの錬金術師である筈。

そんな人に教わっているのに。

無駄に出来る筈がない。

そして、ソフィー先生はとても優しい反面、何処か恐ろしい深淵のような目をしているのに。

プラフタさんは一貫して厳しくて。

いつも鋭い刃のようだった。

評価も厳しく。

お薬も、いきなり21点と言われた。

「21点!?」

「ああ、プラフタは自分の作る同じものを評価基準にして点数を付けるんだよ。 21点だと、プラフタのお薬を100点とした基準だから、質は五分の一くらいだね」

「そっかあ」

肩を落とすが。

だけれど、ソフィー先生は笑顔を作る。

商業で流通している薬には、もっと品質が低いものもあるし。

わたしはもっと伸びるという。

ならば、最初の一歩が21点だというのは、むしろ良い事なのかも知れない。

前向きに考えるべきだ。

そして、薬の効能についてだけれど。

ソフィー先生は何の迷いもなく腕を出すと、ナイフですっと切れ目を入れた。

血があふれ出す。

わたしは、声を失う。

今。ソフィー先生には。

本当に、何のためらいもなかった。

ひょっとして薬の品質次第では。

腕を切りおとしていたのでは無いか、とさえ思った。

傷口に、わたしの薬を塗り込むソフィー先生。傷が、冗談のように溶けて消えていく。血もすぐに止まった。

信じられない。

薬草から調合したお薬では、こんな効果出ない。

魔術による回復でも同じだ。

お姉ちゃんが回復の魔術を嗜んでいるから、実際の効果は見たことがある。これは本当に、わたしが産み出したものなのか。

あの時。

街の扉を壊して、ソフィー先生が来た時。

あんな爆発。

この人にとっては、それこそ児戯に等しかったのだと。今更ながらに、わたしは悟らされていた。

「ん、まあこんなものかな。 とりあえずお薬はこれでいいから、次は爆弾だね」

「は、はい。 その……余った分を、お父さんに見せてきてもいいですか?」

「ああ、例の約束? ふふ、良いよ」

小さな容器に入れたお薬を。

わたしは持って家に戻る。

お父さんはわたしがお薬を持ってきたことを告げると。無言で、腕を出してきた。どうやら今日、鉱山の奥から出てきた獣とやりあって、少し傷を受けたらしい。お姉ちゃんの回復魔術で応急処置はしたが、まだ傷は治りきっていない。

魔術はそういうものだ。

獣の中でも、ネームドと呼ばれる強力な個体は普通に魔術を使うというし。

人間や魔族の専売特許では無い。

昔は灯りを付けて回っている老魔族のグリゴリお爺さんが回復魔術も使ってくれたらしいのだけれど。

お爺さんが呆けてしまった今は、それぞれで対応するしかないのだ。

わたしは薬を塗り込む。

痛みはないかと聞くが。

ないと答えられた。

そして、やはり傷は。

一瞬で塞がっていった。

「やはりな。 錬金術の薬は凄まじい。 この薬では無理だろうが、場合によっては千切れた腕がつながる事もあると聞いている」

「お父さん、使ったことあるの?」

「エルトナの収入で、緊急時用にほんの少しだけ蓄えてあるんだ。 だがな、どの薬も目が飛び出るほど高くてな。 よその街では、奴隷を十人も買える値段がつくことがあるそうだ。 勿論奴隷はラスティンでもアダレットでも違法だがな」

お父さんは悲しそうだ。

商人に買いたたかれるという話は聞いていたが。

わたしの、この商業ラインに乗せるギリギリの薬であっても、そんな値段がついてしまうのかと思うと、慄然とする。

更に出てくる奴隷という言葉。

つまりこの薬。

場合によっては、人間の命より高く取引されると言う事だ。

「だが、この薬なら合格だ。 後は発破と、戦闘での実践だな」

「うん……」

「どうした、何か俺が怖い事を言ったか」

「ううん、何でもないよ」

何だろう。

少しずつ、お父さんが錬金術に反対していた理由が分かり始めた気がする。

お父さんは知っていたのだ。

錬金術と言うものが、魔術の完全上位互換であり。文字通り世界に干渉する力であると言う事を。

どんなに実力を磨いた魔術師だって。

こんな回復魔術は使えない。

同じ事をするにしても、ずっと時間が掛かるだろう。

普通の人間が絶対勝てない相手に、錬金術師が勝てる訳だ。

本物の破壊の力を手にしている事を、またしてもわたしは思い知らされる。

でも、もう立ち止まれない。

お父さんは、何か言いたそうだったけれど。

私は視線をそらして。

そして、またソフィー先生のアトリエに戻った。

ソフィー先生は何が起きたかを、正確に把握していたらしい。

ひょっとしたらだけれども。

本当に見ていたのかも知れない。

この人が起こした驚天の奇蹟を考えると。

あり得る話だ。

心がぐらつく。

でも、恐怖よりも、やはり今は好奇心が勝る。

外への渇望が凌駕する。

再び、言われるまま調合を開始する。

もう少しお薬を練習したいとは思ったけれど。

それでも、急かされる。

ひょっとしてソフィー先生、時間がないのかも知れない。この人ほどの存在であれば。あり得ない話では無かった。

 

発破を仕掛ける。

皆が離れたのを確認してから、起爆ワードを唱え。

そしてもう一度確認してから、爆破。

どん、と。

エルトナそのものが揺れた。

凄い。

今まで使っていた調合火薬の発破なんて、それこそオモチャみたいな火力だ。岩陰に隠れて爆破したのだけれど。

それでも熱風が吹き付けていた。

ソフィー先生は壁を展開し。

その熱風を真っ正面から悠々と受け止めていたが。

やがて、手招きしてきた。

崩落の恐れがない地点で発破を使用した。

勿論長老に声を掛け。

街の皆にも説明して。

それからの行動だ。

だが、事前に説明していたにもかかわらず。街のみんなは、生唾を飲み込んでいたようだった。

それもそうだろう。

今まで使っていた発破が、オモチャに思える火力だ。

鉱物の声が聞こえる。

今までの比では無いくらいたくさん。

鉱物は壊されても悲鳴を上げない。

むしろ、たくさんの鉱物が露出したからか。

聞こえる声は増えていた。

「火力が大きすぎる……」

「これは、本当に仕掛ける場所を考えないと駄目だな……下手すると街全部が崩落するぞ……」

「水晶もこれは粉々になるな。 本当に邪魔な岩があった時だけにしかつかえねえ」

皆がぼやいているのが聞こえる。まあ無理もないだろう。こんなものを見せられたら、それは青ざめるし、動きだって止まる。

わたしだって怖くて仕方が無い。

教わった面制圧の意味がわかった。

確かにこんなもの、戦闘で使ったら。

それこそ何十人が、一瞬で木っ端みじん。それこそ、元が何の動物だったのかさえ、分からない状態になってしまうだろう。

肩を叩かれて。

びくりとした。

ソフィー先生だった。

「どう、フィリスちゃん。 これが錬金術の爆弾だよ。 これは鉱石の粉砕用に調整してあるけれど」

「す、凄い火力、ですね」

「ずっと調合中に回復と防御の魔術を掛けていた理由が分かった?」

「はい」

頷くしかない。

本当にコレは、わたしがやったのか。

あのお薬も凄まじかったが。

これは確かに、ものの存在を変質させるというだけの事はある。そんな夢みたいな事があるのかと、嗤う人もいるのかも知れない。

だけれど、これを見せられたら。

その嗤いは一瞬で凍り付くことだろう。

使ったわたし自身が。

凍り付いている程なのだ。

「次は戦闘用に火力を調整した爆弾だね」

「は、はい」

促されて、アトリエに戻る。

ソフィー先生を見るみんなの目に、露骨な恐怖が宿り始めていた。

今の発破を作ったのが、わたしだという事は、皆に告げてある。

ひよっこどころか。

錬金術を始めたわたしがこれなのだ。

ソフィー先生が、エルトナの門、あの扉を爆破した事なんて。

それこそ朝飯前の運動どころか。

邪魔な小石を蹴飛ばした、程度の事に過ぎなかったのだと。

この場の誰もが悟っていた。

しかも、今その爆発を、真正面から防ぎ止めて。

ダメージどころか、服に煤さえついていない。

この人が邪神を一人で倒したという話は。

嘘では無いことを、嫌でも思い知らされる。

今の爆発。

魔王と呼ばれる魔族でさえ。

防ぐのは、それこそ全力でなければならなかっただろう。

それを、軽く展開した防御魔術で、完全に防ぎきって見せたのである。

錬金術による強化があるのだろうが。

それにしてもこの実力はあまりにも異常すぎる。生物の領域を完全に超えている。

「フィリスちゃん、お外にはこういう言葉があるんだよ」

「どんな言葉ですか?」

「井戸に住まう魚は、海の広さを知らない」

「え……」

海。

それはわたしも本では知っているけれど。

当然実物なんて見たことも無い。

エルトナの奥にある湖なんて、ゴミかカスに等しい程広い場所なのだろう事は想像がつくけれど。

それだけだ。

「今の爆発だと、ドラゴンを殺すどころか、ネームドでも耐え抜くのがいるかな。 それも、結構な数」

「嘘……」

「外を歩くには、こんなので驚いていては駄目だね。 山を溶かすくらいの爆弾を作れるようになってからが本番だよ」

「……」

頷くしかない。

やはり生きてきた世界が違うのだ。

そしてわたしは。

其処へ歩み出すためにも。

もはや止まることは、許されなかった。

驚異的な勢いで良くなっていくエルトナを見ていてもそう思う。

ただ一人錬金術師が来ただけで。これほどまでに、もはや明日さえなかった街が変わりつつあるのだ。

わたしも、外に出たら。

こんな破壊的変化を、自分で制御しなければならないのだから。

 

3、初めての戦い

 

何度も発破を調合する。

火力を上げたり下げたり、色々とやり方を覚える。

一日に作れる数の、可能な限り上限を、材料を用意して貰いながら作る一方。

ソフィー先生は、街の中を一緒に歩きながら、錬金術の素材について色々と教えてくれた。

例えば家の影に生えているようなキノコでも。

錬金術には使える。

ただしキノコには猛毒があるものも多く。

食べられる方が少ない。

キノコの声が聞こえればいいのだけれどと、ソフィー先生は静かに笑ったけれど。つまりソフィー先生には聞こえていると言う事だ。

わたしにも。

いつか鉱物以外のものの声が、聞こえるようになるのだろうか。

それを確認すると。

ソフィー先生は、アトリエに戻りながら教えてくれる。

手にしている籠には。

錬金術に使えるとは知らなかった品が。

山のように入っていた。

「この才能はない人にはないんだけれど、ある人は後天的に伸ばせるんだよ。 わたしも最初は雑音くらいにしか聞こえなかったけれど、どんどんクリアに聞こえるようになっていってね」

「そうなんですか!?」

「例え才能がスペシャルでも、磨かないと話にならないのがこの世の現実なの。 天才って言葉は都合が良いけれど、なんの努力もしないでその才覚を発揮できる天才なんていないし、いたとしても世界の一線級には出られないからね。 せいぜいちょっとその辺の街で粋がれるくらいかなあ」

ソフィー先生はシビアだ。

その言葉には重みがある。

この人の出来る事を見ていると、本当にそう感じる。

どんな努力をこの人が重ねてきたのかは分からないけれど。

この深淵みたいな怖い目も。

きっとその結果の筈。

それにしても、出発点は何だったんだろう。

興味がわき上がってくるが、ぐっと抑える。

ただでさえわたしは感情の制御がとても下手なのだ。爆発してしまうと、自分でも何が何だか分からなくなってしまう。

それで後悔する。

つい先日も、お父さんとお母さんに酷い言葉を浴びせたばかりだ。

まさかソフィー先生に、そんな事を言うわけにはいかない。

絶対にだ。

アトリエに戻ると、また調合三昧。

それと一緒に、プラフタさんが、座学で授業もしてくれる。

錬金術の基礎については、それである程度覚えた。覚えると、色々と分かってくることもある。

基礎的な感覚を身につけてからは。

事故も減ってきた。

まだ時々油断すると爆発させてしまうけれど。

それでも、逃げ遅れて自分も巻き込まれる事はまず無くなっていた。

練習は力だ。

何も考えずに繰り返すのはあまり意味がないとソフィー先生が、練習のやり方もきっちり仕込んでくれた。

一回やったら。

次はそれを参考に、もっと良い方法を考える。

失敗したらしょげない。

何故失敗したのかを考えて。

次に上手くやる方法を考える。

この順番で作業をやっていく。

そして、これを机上論では無く。

実践で体に叩き込んでいく。

短時間でわたしは、練習のやり方と。

試行錯誤のやり方を。

その道のプロに、徹底的に叩き込まれていた。

ソフィー先生が、本当に地獄のような世界で苦労していたことは何となく分かる。多分この人だって、最初にネームドやドラゴンとやりあった時には、本当に怖かったはずだし、錬金術の調合でも何度も失敗したはずだ。

一度手本を見せてくれたのだが。

調合に関しては、殆ど神業だった。

始めたばかりのわたしでもわかる。

異次元の手際だ。

アトリエに戻って、今、覚えられるだけの事を覚える。

もしもソフィー先生の時間がないというわたしの予想が当たっているのなら。

きっとこの時間さえもが。

貴重すぎるほどなのだから。

小型の爆弾の作り方を徹底的に習い。

使い物にならなかった最初のものから、徐々に手投げ弾として実用的なものに切り替えて行く。

ソフィー先生の話によると、雷撃や氷をぶちまける爆弾も作れるらしいのだけれども。

それは応用。

今はまず、基礎を身につける所からだ。

発破に使った大型の大火力爆弾ではなく。

小型の爆弾を、無理なくまとめるのは、それはそれでとても難しい。

最初に爆弾の完成品を造る事を許されてから、更に一ヶ月。

ようやく球状で。

紐を付けて振り回して、投擲できる爆弾が作れた。

同じ大きさで、同じ重さの何かの塊を用意して貰ったので。

わたしは早速、それを狙い通りの場所に投げられるか、練習する。

ソフィー先生には、あと一つ。

錬金術を使った実戦で、一人で勝つことが、街を出る条件であると伝えてある。

ソフィー先生は何も言わず、静かにそれで頷いていた。

実際問題、それくらい出来なければ。

外で生きていくのは不可能だと、この人は知っているのだ。

何度も投げる。

狙い通りの所にはどうしても上手く飛んでいかない。

少し様子を見ていたソフィー先生は、お姉ちゃんを呼んできた。

お姉ちゃんはわたしが四苦八苦しているのを見て。

教えてくれた。

「こう、両手で持って、下手で投げて」

「えっ、そんな投げ方でいいの?」

「今使う予定の爆弾の火力から考えると、充分な距離さえ飛んで、正確な場所に着弾すればそれでいいの」

「そう、やってみる」

紐つきの球状爆弾を、正確な位置に投げ入れるのは、後からでも構わない。

今は、自分の力で。

出来る事をやれば言い。

ソフィー先生は、くるくる回して投げる方法を使うらしいのだけれども。

それは癖になっているから。

昔は腕力がそれほど強くなかったらしく。

そうやって投げる方法が身についたらしい。

ならば、わたしも。

何度か練習してみる。

両手で投げると、確かに驚くほど安定した。

ただ、問題は。

敵も当然黙ってなどいてくれない、と言う事だ。

ソフィー先生が何かを出してくる。

何と、指示通りに動く箱である。

車輪がついていて。

ソフィー先生が言う通りの速度で、自由自在にその辺を走り回る。本当に生きているかのような不思議な道具だ。

普段はものを輸送するために使っている道具らしく、今後はエルトナでも鉱石の運搬用に導入してくれるという。男衆も興味津々で自由自在に走る箱を見て驚いていた。

「これが突進してくるから、正確に投げ入れてみて」

「は、はい!」

箱が本当に突進してくる。

止まった的が相手だったら簡単だったのに。

相手が動くだけでこんなに難しくなるのか。

私は恐ろしいと思った。

何度も箱が至近距離でぴたりと止まる。その度に、深呼吸して、今のは何が悪かったのかを考える。

どうすれば上手く行くのかを考える。

思った通りの位置には投げられるけれど。

相手が動いている場合は上手く行かない。

そして、更に二度の起爆ワードを、適切なタイミングで唱えるのが、更に難しい。一回目を事前に唱えておく場合。二回目で事故る場合が結構多い。

試行回数が十回を超えた頃から。

ソフィー先生は、箱がうねうね動くように調整してきた。

勿論相手が獣であり。

実戦である事を想定した動きだ。

当然相手も、人間が何をしてくるかは想定しているわけで。当然まっすぐ素直に突進してきてくれるはずがない。

難易度ががつんと上がるが。

お父さんが怪我して戻ってくる程なのだ。

今のうちに、実戦を想定した訓練を、徹底的にやるのが当たり前だ。

わたしは歯を食いしばって。

訳が分からない動きを見せる箱に、何とか爆弾を想定した球体を投げ入れる訓練。更にワードを唱える訓練を続ける。

一度やる度に反省点を見直し。二度同じ失敗をしてもめげない。失敗は次の成功につなげる。

そう自分に言い聞かせて必死に練習を続けた。

途中からは。腰に杖をくくりつける。

この杖は打撃用も兼ねている。人間を棒で殴れば充分いたい。場所によっては殺せる。

ただ獣になってくると、普通に棒で殴った程度ではダメージを与えられない可能性も高い。

これはあくまでとどめ用だ。

そして、普段魔術を使う事も想定するのだから。

杖を手放すわけにはいかない。

ならば選択肢は一つ。杖は戦闘時、両手で爆弾を投げるときには、腰にくくりつけるしかない。この訓練も、何度もやった。

また一週間が過ぎ、調合と実戦訓練を散々繰り返して。

そして、投げ入れるのも、ある程度上手くなってきてから。

ついに実戦の日が来た。

 

鉱山の奥に向かう。

事故に備えて、ソフィーさんがついてきてくれたが。

いないと判断して動くようにといわれた。

確かにそうだ。

今回は、訓練であって。

本当の実戦では無い。

ただし持ってきているフラムは本物だ。

火力も調整し。

対岩用の発破から、対獣用の戦闘に使えるものにしてある。

幸い、箱に投げ入れる訓練は、何とかなった。両手で投げ入れる形だから、凄くかっこうわるいけれど。

何とか相手に当てられれば良いのだ。爆発さえすれば、ほぼ確実に仕留められる。

かつん、かつんと。

薄暗い中、足音が響く。見知ったはずのエルトナでも、この辺りは殆ど来たことが無い。

わたしは、足を止めた。

気付いた。

強い臭いがする。

鉱山の奥から漂って来るそれは。

球体状をしていて。

ずるずると体を引きずりながら姿を見せる。

浅黒く、多数の複眼が二つの目のように見えるそれは。

大量の触手がついていて。

体はわたしよりきっとおおきい。

誰でも知っている猛獣の一種、ぷにぷにだ。

外ではあらゆる場所で繁殖している恐ろしい猛獣。大きいものになると、城くらいになるものもいるという。

どこにでもいて。どこででも通用する。

それはこの猛獣が、如何に汎用性が高い生態を持っていて。完成度が高い生物であるかを、よく示していた。

どこから来るのかは分からないと言う話だけれども。

或いは湖から幼体が出てきて。

陸上で成体になるのかも知れない。

いや、今でさえ成体ではないのかもしれない。こんなに大きいのに。だって、一線を退いたお父さん達が相手にしているのだ。つまり外にいる奴はもっと強いのだ。

生唾を飲み込む。こんなに本物の猛獣は怖いのか。人を殺す事なんて簡単にできる猛獣でも、この大きさで、弱い方にはいるのだ。それも確実に。どれだけ絶望的な事なのか、よく分かった。

殺さなければ殺される。訓練であって訓練でない。

今、わたしは。

死と隣り合わせに立っている。

ぷにぷにが止まる。

獲物、つまりわたしを見つけたからだ。

足が震える。

ぷにぷにが口を開ける。鋭い牙がずらりと並んでいる。あんなのに噛まれたら、一瞬で死ぬ。触手も棘だらけで、擦っただけで怪我をする。実戦経験者のお父さんが毎回怪我をしている訳だ。

こんなのと肉弾戦をしているんだから。

わたしが知らないだけで、死んだ人もいるのではないのか。

咆哮。勿論ぷにぷにがあげたものだ。

ぷにぷにが、突貫してくる。

わたしは、どうしてだろう。相手が咆哮してから、驚くほど冷静になった。頭の中で、何か切り替わったのだ。

雑念を捨てろ。

これが最初にして最後の壁だ。

わたしはお外に行く。そしてお外を見る。

フラムを投擲。

完璧にぷにぷにの口に放り込む事に成功。

起爆のタイミングも完璧だった。

爆裂したフラムが、ぷにぷにを内側から、無茶苦茶に破壊。

ぷにぷにの巨大な全身から体液が噴き出す。

凄まじい悲鳴を上げてのたうち廻るぷにぷに。

飛び下がる。

必死に何か反撃してくるかも知れないし。

あのまき散らしている体液を浴びたら、どうなるか分かったものではないからだ。

慌てて、次のフラムを取り出すが。

一回取り落とした。

すぐに拾い直して、前を見ると、ぷにぷにが、触手を伸ばし。

地面に自分を固定していた。

あ、まずい。

そう思った時には。

全身ズタズタで。

内側から爆ぜ割れながらも、まだ生きているぷにぷにが。

触手をしならせていた。

殆ど反射的に体が動く。

わたしがいたその空間を。

ぷにぷにが抉り取るように突貫して。貫いていた。

岩が砕かれる。

なんだあれ。

大きさ以上のパワーだ。

あれで、まだまだ弱い獣なのか。

地面に転がったわたしは、体中痛いのを我慢しながら、歯を食いしばって立ち上がる。

そして、掴んだフラムの起爆ワードを唱え。

此方に振り返ったぷにぷにが、全身から体液をまき散らしながら。

触手を無数の足のように使い。

突貫してくるのを見た。

二度目だからだろうか。

どうしてか、凄く落ち着いていた。むしろ、静かに深呼吸する余裕がある程だ。

投擲。

触手で払おうとするぷにぷにだが。

その瞬間。

起爆。

炸裂したフラムが、ぷにぷにを今度は外側から焼く。焼き千切れた触手が吹っ飛び、更に外皮が爆ぜ割れる。

凄まじい悲鳴を上げながら転がり回るぷにぷにに。

わたしはもう一つ持ってきていたフラムを取り出すと。

冷静に起爆ワードを唱えた。

呼吸を整える。

さっき地面に飛び出したとき、凄くいたかったが。

多分今は戦いの最中で。

体が戦いになれてしまっているからか。

全然痛くない。

多分後から痛くなるんだろうなと思いながら。

フラムを投げた。

のたうち廻っているぷにぷにが、残った触手で飛び起きようとして、その結果。モロにそれを複眼の辺りで受け止めることになる。

そして、わたしは。

容赦なく起爆していた。

三度目の正直。

今度こそ、破裂したぷにぷには。

完全に散らばって。

そして動かなくなった。

油断するな。

自分に言い聞かせる。

周囲をまず見る。

まだ仲間がいるかも知れない。

フラムはそれなりの数持ってきた。すぐに取り出せるように準備をしておく。岩陰に隠れて、ゆっくり様子を窺う。

もう動かないぷにぷににも近づかない。

死んだフリをしているかも知れないからだ。

あんな機敏な動きを見せたのだ。

魔術を使う獣も外には珍しくないと聞いている。

獣だからといって。

バカだと思うと酷い目にあう。

それが現実だ。

呼吸を整えながら、痛みが戻ってくるのを感じて。思わず悲鳴を零しそうになる。

そうか、戦闘のために切り替わっていた頭が。

そうでない状態に戻った、と言う事か。

傷薬を取り出すと。

派手にえぐれて血がしぶいている腕に塗り混む。

岩だらけの場所に飛び込んだんだから、当然こうなる。皮が剥がれて、肉がめくれている場所もあった。

鮮血が噴き出している傷口も。

何度か目の調合で、30点を貰った傷薬を塗り混むと。

見る間に溶けるように傷が消えていった。

呼吸を整えながら、本当に凄いと感心する。

ソフィー先生みたいに、何の躊躇も無く自分の腕を切るような真似はわたしには出来ないけれど。

それでも、自分の薬を使う事を、戸惑うような真似はしない。

痛みが消えるまで、体を確認しつつ。

ぷにぷにの方を調べる。

問題なし。

完全に沈黙してから。

もはや動く気配はなかった。

念のため、もう一つフラムを放り込んでおく。

爆破して、更に飛び散るのを確認してから。獲物を収穫するべく、相手の所に向かう。

側で見ると凄惨だ。

水袋みたいな体の構造をしているぷにぷにだけれども。

それでも、体の中には内臓みたいなものがある。

リュックサックから、事前に渡されていたトングを取り出して。

灰褐色の液体を探る。

やがて、みつけた。

球体である。

ぷにぷに玉とはこれの事か。

脱水剤として用いるものらしいのだけれど。

とにかく強烈な脱水効果があるらしく。

調合ではとにかくお世話になるという。

頷くと、あるだけ回収する。

大型の個体の体内には。

強い魔力を秘めているぷにぷに玉が入っている事もあるそうだ。

もしそういうものを手に入れられたら。

きっと凄い道具を作り出すための道具になってくれるのだろう。

体液も集めておく。

これも使い路があるそうだ。

ある程度固まったものを集めるが。

どれもぷるんぷるんしていて。

そしてあまり良い匂いはしなかった。

回収が終わった後。

どっと疲れが来る。

歩いて、そのまま安全地帯まで戻る。

アトリエの前まで来ると。

隠れて見ていてくれたソフィー先生が、やっと顔を出した。

「お疲れ様、フィリスちゃん」

「酷い戦い、でした」

「集団戦になるともっと大変だよ? 味方へのフレンドリファイヤを避けなければならないからね。 その反面、優れた使い手が側についてくれていると、ある程度壁にはなってくれるけれど」

「そうなんですね……」

外の世界を書いた本には。

恐ろしい獣との戦いを書いたものもあったけれど。

それは勇壮で心躍るものだった。

それに関しては、嘘だと今はっきり分かった。

いや、何処かで嘘だと最初から分かっていた。

だって、今。

ぷにぷにも必死だったのだ。

獣として生きるために。

糧を得ようとして、襲いかかってきた。

狩りの練習として、弱い相手を嬲ろうとしたのは、むしろわたしの方。そんなわたしを返り討ちにしようと、ぷにぷには全力で襲いかかってきた。

死にたくなかったから。

生きて子孫を残したかったから。

其処には勇壮も何も無い。

生きるための必死の戦いが、其処にはあった。

勇壮で、格好いい勇者が剣を振るう世界なんてない。

わたしは確信していたかも知れない。

言われるまま、コンテナに戦利品を収める。アトリエの内部のコンテナも、あからさまに広さがおかしくて。

内部にはそれこそ、無数の棚があり。

しかもひんやりとしている。

いわれたまま、ぷにぷに玉を棚に置くが。

他にも無数のぷにぷに玉があった。

中には黄金に輝くものまであって。

魔術を使えるわたしには。

それが凄まじい代物なのだと、一目で分かった。

「凄い品ですね」

「ぷにぷにの最上位種の体の中にあるものだよ。 強い魔力があるし、これくらいのものになってくると、脱水剤としてではない使い方をすることも多いんだよ」

「やっぱり、凄く強いんですか?」

「さっきのぷにぷにが錬金術なしのフィリスちゃんだとすると、全盛期のグリゴリおじいさんくらいかな」

思わずひえっと声が出る。

グリゴリさんは、奥さんが悲しい事になった時、原因になった匪賊を単独で皆殺しにした使い手だ。

でもその時の経験から、すっかり心を病んでしまって。

戦いに自分は向いていないというようになり。

街の灯りを担当するようになった。

でも全盛期の実力は、それこそ匪賊の群れを全滅させるほどのものだった、ということで。

錬金術なしのわたしが、何人いても、全力で魔術を叩き込んでも、勝てる気がひとかけらもしない。

そうか、ぷにぷにでさえ。

そんなに恐ろしいのがいるのか。

「ぷにぷにはねえ。 あらゆる所に住んでいるんだよ。 水中を専門にしているものもいるし、幼体の頃に空に舞い上がって、空に適応した種族もいるの。 世界中のあらゆる場所で、見かけない事は無いくらいなんだ」

「すごいですね。 水の中とか、空の中とか、ソフィー先生は行ったことがあるんですか?」

「うふふ、どう思う?」

「ありそうです」

素直に言うと。

目を細めるソフィー先生。

あるのだろう。

どういう手段を使ったのかは分からないが、この人の驚天の実力を考えれば、いけない所の方が、むしろ想像できない。

コンテナから出ると。

ソフィー先生はコンテナに何か細工をしていた。

そしてもう一度開ける。

中には、さっきと同じくらいだけれど。

からっぽのコンテナがあった。

「えっ……」

「後で分かるよ。 いずれにしても、コンテナを使うときは、さっきみたいにやるって事を覚えておいてね。 お部屋の掃除はずぼらなあたしだけれど、コンテナの整理だけは本当に気を遣っているの。 何しろ危ないからね」

「はい。 気を付けます」

「素直でよろしい」

不意に。

視界が下がる。

どうやら、力を使い切ったらしく。

腰が抜けたようだった。

笑いも漏れない。

そのまま、ぐらりと視界が揺れる。

多分。横に転がったんだなと思ったけれど。

その直後にわたしは、意識を手放していた。

 

4、あこがれの……

 

目が覚めると、ソフィー先生はもういなかった。

お別れはいわないよ。

また会う事になるだろうから。

それが言づてらしかった。

そして、メモが残っていた。

幾つかの事が書いてあった。これからどうしたら良いかのアドバイスも多数書き込まれていたが。

一番驚かされたのは。

あの折りたたみ式のアトリエ。

わたしにあのアトリエをくれるというのだ。

色々言葉もない。

ソフィー先生にとって、あのアトリエは大事なものでもなんでもない、それこそいつでも作り出せる事が分かったし。

それに何より譲ってくれたと言う事は。

あのコンテナを切り替えた意味もわかったからだ。

今後は、自力で全てをやっていくように。

そういう意味だ。

そしてわたしは試験も突破した。多分ぎりぎりだったとは思うが、突破は突破だ。

おとうさんが言った三つの事。

お薬の作成。

発破の作成。

それに戦闘での勝利。

全ての条件を満たした。

お父さんは、目を覚ましたわたしをみると。口をつぐんだまま、頷く。お母さんは目をしきりに拭っていた。

「お父さん、お母さん」

「いっておいで」

お父さんはいう。

メモにはこうあった。

錬金術師に正式になるには、ラスティンの首都ライゼンベルグに行き。

其処で公認錬金術師試験を受ける必要があるという。

それまでに、最低でも三人の公認錬金術師から、推薦状を貰わなければならないのだとか。

なるほど、ただでさえ少ない公認錬金術師を探し出して。更に認めて貰わないといけないのか。

それは当たり前すぎるが、大変だ。

そもそも街から街を移動するだけで命がけなのに。

三人もの、それも今聞いただけでも背筋が凍るような条件の試験を突破した錬金術師を探し出し。

認められなければならない。

それにもたついてもいられない。

今、エルトナはソフィー先生の好意で、復興に向かい始めた所だ。やっとこの街は、詰みの状態から解き放たれたと言っても良いだろう。

それがいつまでも続くかと言われれば、分からない。

出来れば、わたしが公認錬金術師になって。

わたし自身で、エルトナを発展させたい。

出来れば一年以内に戻ってきて、エルトナで公認錬金術師として活動したい。それがわたしの願いだ。

外に出るよりも。

今は、それも重要だと言う事が、頭の中に浮かび上がる。

はっきりとしたビジョンとして。

漠然として、お外に出て、冒険してみたいという気持ちよりも。

その心が、より強くなっていた。

二人に、それを説明する。

お父さんは黙って聞いていたが。

お母さんは、涙を拭うばかりだった。

そして、言うのだった。

「今だからいうけれど、フィリス。 ソフィーさんという方の目を見た?」

「目……うん。 凄く怖い目をしていたね。 言葉は優しかったけれど、教え方も優しかったけれど、とても怖かった」

「そうよ。 錬金術師はね、すぐ側に深淵がいるの。 私が知る限り、優れた錬金術師になればなるほど、深淵に引き込まれるの。 あの人は、もう多分人間より深遠に近い存在よ。 いや、もはや深淵そのものかも知れない」

「おかあさん」

お父さんがなだめる。

お母さんは何か知っている。

だけれども、今は聞くべきでは無いと、わたしは判断した。

ベットから出ると、ぺこりと頭を下げる。

「ごめんなさい。 謝っていなかったから。 本当にごめんなさい。 酷い事いって」

「それはもう良いんだよ」

「ソフィーさんが怖い人だったのは、わたしにもわかるよ。 でも、わたしは今、力を手に入れなければならないの。 この滅び掛けた街が救われたのは、ソフィーさんが、いいえ、多分深淵そのものが作り出す破壊の力が要因だと思うから。 今度はわたしが、エルトナを救わないと」

わたしは顔を上げる。

お父さんは、泣いているお母さんの肩を抱き寄せると。

いってらっしゃいと、もう一度言った。

子供じゃないから抱きついたりしない。

わたしは、涙もぐっと堪えた。

 

家の外に出ると。

メモの通りにアトリエを畳む。

本当に畳めたので驚く。

途中で二回ロックを外さなければならなかったのだけれど、これは多分安全装置か何かなのだろう。

それと、認証の過程もあるらしく。

現在はわたしに切り替わっているようで。

わたし以外におりたたみは出来ないようだった。

お姉ちゃんが来る。

「フィリスちゃん、行きましょうか」

「えっ!?」

「長老の命令よ。 今後街には、ソフィーさんが派遣してくれた腕利きが常駐するようになるから、私はフィリスちゃんの護衛につくようにって」

「……」

心強い。

嬉しい。

でも、お姉ちゃんの目には。

歓喜だけではない。

もの凄く哀しみを帯びた光があった。

ともかく、長老を一とした、世話になった人達みんなに挨拶はすませる。永遠の別れにはしない。

絶対に戻ってくる。

それを誓った上での外出だ。

わたしは死なない。

外で獣のごはんにされたりなんて絶対にしない。

生きて、凄い錬金術師になって、帰ってくる。

呼吸を整えると。

リュックを確認。

杖も大丈夫。

用意しておいたフラムも、必要量すぐに使えるようにしてある。

これなら、何時でも外に出られる。

お姉ちゃんに頷く。

街の人達は、何人か見送ってくれた。みんなに挨拶をもう一度すると、絶対に帰ってくると誓う。

皆、複雑な顔をしていた。

わたしに頼りっきりだった毎日が終わって。

そして今後は、準備が出次第外で暮らせるようになる。

その頃には、わたしも錬金術師になって戻ってきて。

ソフィー先生のようにこの街を破壊的に変えるのだ。

街と外を隔てる門、扉が開く。

光が溢れてくる。

お姉ちゃんに促されて、わたしは歩き出す。

今は、希望を信じよう。

そう思って。

 

わたしは。

現実を知った。

空は青い。

だが。

地面は茶色。真っ茶色。何処までも続く茶色。生命の気配は殆ど感じられない。エルトナの街と同じ。

風がふくと。

枯れ果てた何かが飛んでいくのが見えた。

完全に硬直しているわたし。

外は緑で溢れていて。

とても希望を感じさせる場所の筈だった。

だけれど、なんだこれは。

はじめて見ただけで、分かる。

街道なんてない。

かろうじて、他の地面よりちょっと色が違う、くらいの。何だか曖昧なものしか存在していない。きっと踏み固めることによって出来ただけのものだろうと、素人であるわたしにさえ分かった。

外の世界の冒険は。

本の世界でみんなが幸せそうに暮らしていた世界は。

気がつくと。

わたしは膝から崩れ落ちていた。

戦いに始めて勝ったときの比では無い。

本物の世界を見て。

その現実を知ってしまった衝撃が、わたしの脳を直に揺らしていた。

ここは、わくわくする冒険の舞台なんかじゃない。

この世の悪夢そのものだ。

「リア姉、一つ聞いて良い?」

「なに?」

「ひょっとして、お外、みんなこんな感じなの?」

「基本はそうよ。 緑がある場所もあるけれど、それはあくまで限定的。 緑がある場所では、どんな獰猛な猛獣でも暴れない。 それくらい植物は貴重なのよ」

そうか。

お姉ちゃんは、この現実をわたしに見せたくないから。

外に出すのを反対していたのだ。

わたしが絶望するのを分かりきっていたから。

外に出したくなかったのだ。

でも、わたしはめげない。

緑がないなら。

錬金術でどうにかすればいい。

この辺りを全部緑で埋め尽くせば。

きっとすてきな場所に変わるはずだ。

「大丈夫?」

「うん……」

わたしは目を乱暴に擦ると立ち上がる。

もう、黙ってなんていられない。此処で絶対に生き延びて、そして錬金術師になる。

街の人達が、どうしてエルトナから出られなかったのか、よくよく分かった。

ならば、わたしがこの世界の現実を変えなければならない。

まだひよっこだけれども、いつまでもひよっこでいてはならないのだ。

怖い。

正直言うと、これからどんな恐ろしい存在に出くわすのか、見当もつかない。

でも、わたしは。

踏み出さなければならなかった。

 

(続)