青い空と茶色の大地

 

プロローグ、世界の現実

 

リアーネ=ミストルートは腕利きのヒト族戦士であり、狩人でもある。

閉鎖された鉱山の街エルトナにて、数少ない外へ出ることを許された戦士の一人。長い髪をたなびかせる彼女は、狩人となる時は容赦もしないし、冷酷である事を心がけている。

家に帰れば家族が待っている。

妹は鉱山の街に絶対に必要な存在で。

だが、いつも外に出たいと嘆いている。

鉱山の街は入り口を分厚い扉で封鎖され。

空を見る事が出来るのは一箇所だけ。

だから、外に夢を見てしまうのだろう。

分かる。

だからこそに、リアーネは。

愛する妹の夢を壊したくないから。

外に出したくは無かった。

今、リアーネは岩陰から、獲物を狙っている。角が生えた兎で、一矢を当て損ねれば、此方に突貫してくるだろう。その時の突進力は凄まじく、小さな岩なら砕いてしまうほどである。

矢を番え。

狙う。

此方は風下。

相手はエサを頬張るのに夢中。

そして妹の好物は兎肉。

外す訳にはいかない。

ひょうと、音を立て。

矢が放たれた。

吸い込まれるように兎の急所に突き刺さった矢は。

兎の命を情け容赦なく奪った。

小さく嘆息すると。

周囲を確認。

最近どういうわけかいなくなってしまったが。この辺りにも匪賊が出る事があった。

匪賊にとって、街の人間は食糧に過ぎない。

子供なんてごちそうだし。

リアーネみたいに武装している場合は、装備品を身ぐるみ剥がれた後、焼かれて喰われてしまうだろう。

尊厳を奪うだけ奪って逃がしてくれるなんて優しい匪賊なんていない。

匪賊に捕まったら、即座に殺される。それがこの世界だ。

そしてその匪賊がどうしていなくなったのかは分からない。

リアーネも何度か匪賊とは交戦し、十人以上を射殺してきた。

だからこそ、不可思議なのだ。

この荒野が拡がる世界で。

今までしたたかに生きていた匪賊どもが、どうしていなくなったのか。

近隣との交流は殆ど持てない。

一応街に来る商人に話を聞くことはあるのだが。

各地で匪賊が減っているという。理由はよく分かっていないそうだ。

仕留めた兎を拾い、処置をする。

皮を剥ぎ。血を抜き。内臓を取り出し。燻製にしていく。

兎ならすぐに終わるが。

これが猪などの大物だと、こうはいかない。火を熾して、少し休む。溺愛する妹は、今日もその特殊能力を買われて、鉱山の奥で働いている筈だ。あんなに小さくて細いのに。鉱山しかしらない。

陽の光を浴びていないから。

肌も病的に白い。

可哀想だなとは思うけれど。

弱肉強食という言葉ですら生ぬるいこの乾ききった茶色い世界を見せたら、あの子はきっともっと悲しむ事になる。

幸い能力からも、あの子は今後も街で大事にされる。

だから、このままで良いのだ。

「エルトナの人、みぃーつけた」

不意に至近距離で。

人の声がした。

反射的に飛び退き、ナイフを引き抜くが。其処には誰もいない。

逆に、後ろから。肩を叩かれた。

振り返りつつ斬り付けるが、やはり誰もそこにはいない。

リアーネの背筋が凍る。

世の中には、非常識な使い手が存在することは知っていたが。相手が匪賊だったら、もはや万が一も勝ち目は無い。逃げ延びることさえ不可能だろう。力量が、あまりにも、違いすぎる。

それでも、最後まで生きあがかなければならない。

リアーネが帰らなければ。

あの子が。

フィリスが。

どれだけ泣くか、分からないからだ。

「んー、良い動き。 小さな街の戦士にしてはやるね」

「誰っ! 匪賊だったら容赦しないわよ!」

「あれ? この辺の匪賊だったらこの間全部処理したけど、まだ見かけた? 取りこぼしがいたっけかな。 だったら処理しにいかないと、怒られちゃう」

「っ!?」

至近からの声に振り返ると。

其処には吃驚するほど冷徹な目をした。リアーネが愛する妹と同じか、ちょっと年上くらいの女の子がいた。

しかもこの実力で、ヒト族である。

剣を腰にぶら下げているけれど。この様子だと、剣術云々関係無く異次元の実力者だ。弓と剣の間合いがどうのの問題ではない。今のリアーネではどうにも出来ない。

匪賊ではないとすると。なんだ、この生物は。本当に人間か。

アダレットの騎士か。この近辺の街をまとめているライゼンベルグが雇っている凄腕の傭兵か。

冷や汗が止まらないリアーネに。冷たく暗い笑みを浮かべたまま、その女の子は歩み寄る。以前商人の護衛をする傭兵の魔族を見た事があるが。ヒト族の倍も背丈がある傭兵の魔族よりも、更に目の前にいる奴の方がプレッシャーが凄まじい。エルトナには今ボケかけた老魔族しかいない。もはやその人とは、比べるのも不可能だ。

そのヒト族の女の子のような存在は。

戦闘態勢を取ったまま、しかし蛇に睨まれた蛙も同然に動けないリアーネに言う。

「私はティアナ。 ある錬金術師に雇われて仕事をしているんだ」

「錬金術師……」

知っている。

魔術師の上位互換。世界の理にも触れられる存在。

ドラゴンや邪神に打ち勝てる、この世で唯一の者達。

一部では、こうとさえ呼ばれているという。

神の力を借りる者。

理不尽に満ちたこの世界で。

荒野を緑に変えるすべを持った唯一の存在。

大都市には、請われて住み着いた錬金術師が必ずいるとか。

その錬金術師が中心になって、全てが動いているとか。

商人が持ち込んでくる医薬品や爆弾は。

錬金術師が作っているという噂もある。

いずれにしても、リアーネにはまったく縁がない存在。見た事はあるし、話くらいならした事もある。だが少なくとも、エルトナのような閉鎖された小さな街には、何の関係もない話の筈だ。

「この街で取れる鉱石の質が嫌に良いって話があってね。 ひょっとして、鉱石の声が聞こえる人間とか、いない?」

「……っ、知らないわ!」

「そう、知ってるんだ。 と言う事は大当たりだね」

「知らないっ!」

リアーネも、外で修羅場を散々くぐってきた。

匪賊の集団に追い詰められたときは、自害だって考えた。生きたまま切り刻まれて喰われる位だったら、自分で死んだ方がマシだからだ。

自分の力を超える猛獣に、先に見つかってしまったときは。

ゆっくり周囲の時と光景が流れていくのが見えた。

あの時は、本当にまぐれ当たりで矢が相手の眉間を貫かなければ。

死んでいたはずだった。

だが、今の相手は。

そんな連中が、ゴミかカスに見える程のレベルの、人型の凶獣。

そしてあからさまに。

フィリスの事を狙っているのが確実だ。

最悪な事に。

リアーネの反応から。

相手は全てを察したようだった。

この年で、どれだけの修羅場をくぐってきたのか。

文字通り、血で血を洗い。

剣でどれだけの命を絶ちきってきたのか。

想像も出来ないほどの修羅が、目の前に立っていた。

「大丈夫、悪いようにはしないから。 近々、私の雇い主が、其方に行くと思うから、歓迎してあげてね」

「何も分からないって言ってるでしょう?」

「顔に書いてあるよ、知ってるって。 ひょっとして家族? それも同性だね。 娘……というには体のラインがおかしいか。 お姉さん、子供いるとは思えないもの。 そうなると妹かな? 姉とは思えないし、ふふ、多分妹だね。 私と同じ年くらいだといいなあ」

全てが見透かされていく。何も此方は喋っていないのに。こんな凶獣が、頭まで良いのか。

リアーネは恐怖で、全身が動かなくなるのを感じる。

冷や汗が流れる、事すら無い。

至近距離でドラゴンと顔を合わせたよりも。

凄まじい威圧感かも知れない。

「私の雇い主ね、とっても頭がおかしいの。 だから大好き。 私が強くなるのに色々力を貸してくれたし、復讐するのにも力を貸してくれたからね。 この世から匪賊を皆殺しにするまで私は止まれないけれど。 貴方の妹さん、私と同じようになってくれると嬉しいなあ」

リアーネは。

もはや口を押さえるので必死だった。

恐怖どころでは無い。

吐き気を抑えるので精一杯だ。

フィリスが。

愛する妹が。

こんな風になる所を想像したら、もはやそれは地獄と言うのも生ぬるい。

そして、逃げる事も出来ない。

エルトナは閉ざされた街だ。

そもそも自衛能力がないから、鉱山に閉じこもり、入り口を分厚い扉で塞ぎ。

選ばれた一部の精鋭だけが外に出て、食糧を枯れ果てた大地から集め。

商人ともやりとりしている。

そんな程度の力しか無い、辺境の中のど辺境だ。

それでも、自衛能力がない街の中ではまだマシな方。

他の街は常に匪賊の襲撃に晒されていたり。

ネームドと呼ばれる強大な猛獣に襲われていたり。

或いはドラゴンの恐怖に常に怯えていると聞く。

あのか弱いフィリスが、地獄も同然の外の世界に出る事を。リアーネは、想像もしたくなかった。

この外の世界では。

弱い生物は。

あっという間にバラバラに食い散らかされてしまうのだから。

「そうだ、貴方の妹さん、私の友達になってくれるといいなあ。 同じ年くらいの友達、ほしかったんだよねえ。 一緒にネームド狩ったり、逃げ惑う匪賊を焼き払ったりしたいなあ。 匪賊を殺して首を串刺しにして並べるの、楽しいんだよ。 一緒にやりたいなあ、処分した数を競いたいなあ」

青ざめて震えているリアーネの前で。

勝手な妄想を垂れ流すティアナ。

まずい。

此奴をエルトナに入れたら。

多分それだけでエルトナは滅ぶ。それくらいの、でたらめな実力を感じる。

家族は皆殺しにされ。

フィリスも連れて行かれる。

此奴と同じようになるフィリスを想像するだけで、吐き気が止まらなかった。

不意に。

至近距離に、ティアナがいて。

顔を近づけていた。

「じゃ、そういうことで。 近々私の雇い主が行くから、よろしくね。 その人、私なんかの比じゃないくらい強いし、怖いからねえ。 一人で邪神を倒すくらいなんだから」

精一杯の抵抗。

ナイフを振るって、残像を斬る。

そう、残像。

けらけらという笑い声だけがその場に残っていた。

呼吸が荒い。

恐怖で、心臓が胸郭の中を飛び回っていた。

その場にへたり込む。

失禁しなかっただけで、自分を褒めてやりたかった。

世の中には凄まじい強さの持ち主がたくさんいる。邪神などは、大きな街を単独で滅ぼすと聞いているし。錬金術師の中でも、ごく一部の超一流でしか相手に出来無いとも聞いている。

ドラゴンだってそうだ。

魔術師がどれだけ束になっても絶対倒せない。

魔族が混ざっていても同じ事。

屈強な獣人族の戦士でも、歯牙にも掛けない空の王者は。

小さな集落なら、瞬く間に滅ぼしていくという。

そんなバケモノ達を。

錬金術師は倒すという。

錬金術師は本人の性能を上げる道具類なども作り出すと聞いている。

あのティアナという、リアーネより少し年下の女の子に見えた存在は。

そんな錬金術師によって、体でもいじくられたか。

或いは何かの装備を貰ったのか。

剣がそうなのか。

或いは、何かもっと別のものなのか

そしてティアナは言った。錬金術師は自分の比では無い実力だと。邪神を一人で倒すのだと。

はったりだとは思えない。

どんなバケモノが、エルトナに迫っているというのか。

恐怖で動かない全身を叱咤して、立ち上がろうとして、一度失敗する。

乾いた大地に、汗がこぼれ落ちた。

否、汗か。

涙では無いのか。

乱暴に目を擦ると。

次こそ、無理矢理立ち上がる。

歯を食いしばれ。

リアーネは自分で自分を叱咤した。

フィリスは。自分にとっての唯一の宝だ。

正直エルトナなんてどうなってもいい。リアーネ自身だってどうだっていい。

フィリスさえ無事であれば、リアーネは。

だが、今のままでは、フィリスを守る事なんて、到底出来そうにもない。かといって、短時間で腕なんで上がるわけもない。

身を守ることくらいなら出来るつもりでいた。

だが、はっきり分かった。

錬金術師の関係者は、本当に人外の猛者なのだと。

リアーネが知っている人間。魔族や獣人族の猛者達でさえ、及びもつかない存在なのだと。

ならば、どうすればいい。

自分も、錬金術師と知り合いになって、装備を作ってもらえば良いのか。

だが、相手がいつ来るかも分からない。

自分がいないときにエルトナに錬金術師が来て。

フィリスがさらわれでもしたら。

それこそリアーネは。

生きていくための目的を、全て失ってしまうだろう。

足がまるで自分のものとは思えないほど弱々しい。

外で多数の獣と戦い。

わずかに生えている栄養のある植物を集め。

此方から如何にむしるかしか考えていない商人と渡り合ってきたのだ。

如何に相手が桁外れのバケモノであっても。

冷静になれば、少しは立ち回る方法だってある筈。それを、来るべき時までに、考えておかなければならない。

どうにか街まで戻り。

合い言葉を扉の前で言う。

街と言っても。

扉があるだけ。

それも、古い時代に錬金術師が作ったらしい、特注の扉。ドラゴンの炎でも破れないと、その錬金術師は言っていたそうで。鉱山の一年分以上の収入にあたる金額を、むしりとっていったそうだ。

後は枯れ果てた山だけ。

その中に、リアーネの住む街。

エルトナがある。

扉を内側から開けて貰い。

中に入ると。門番である壮年の戦士が、驚いたように言う。

「リアーネ、どうした。 匪賊にでも追われたのか」

「いいえ、恐らくもう匪賊の心配はないわ」

「どういうことだ」

「長老と話します。 すぐに連れていって」

ただ事では無いと門番は判断したのだろう。すぐに扉を閉めると、内側から厳重に鍵を掛ける。

外に出られる戦士は、エルトナに十人といない。

そしてこの薄暗い鉱山の街は。

魔術による灯りに頼り。

昼も夜もない。

自宅に戻って、妹を抱きしめたいが。

そうもいくまい。

今は、まず。

街に迫りつつある、脅威について、長老と話し合わなければならない。

下手をすると街が滅ぶ。

その恐怖は。

もはや間近に迫っていると言っても良かった。

 

1、鉱山の街の灯火

 

わたし、フィリス=ミストルートは空を少しだけしか見た事がない。

鉱山の街エルトナに住まうわたしには。

エルトナが全てだった。

灯りは、住んでいる老魔族が管理していて。

いつも同じ明るさ。

時々鐘が鳴らされて、それで時間を知る。その時間の通り行動して、自分達が住んでいる街そのものを掘り進めて、鉱石を集める。

選ばれた人だけが街の外に出ることが出来。

鉱石を売ったり。

獲物を仕留めてきて。

街の人達は、それで生活をする事が出来る。

外に出ることが出来る人の中には、わたしのお姉ちゃんもいる。

リアーネ=ミストルートという名前を持つお姉ちゃんは。

黒い髪がとても綺麗で。

ちょっと過保護すぎるけれど優しくて。

多分、世界の全部が敵になっても。

わたしの味方になってくれる。

そんな信頼をもてる、世界で唯一の人。

わたしはお父さんもお母さんも大好きだけれど。

お姉ちゃんは、何というか。

わたしの事を、本当に心から愛してくれていることが分かるのだった。

わたしの家はある理由からそこそこに裕福で。

家には本もある。

それをうらやむ人はいない。

何故か。

仕事場に出たわたしは、街の男衆に笑顔で迎えられる。その中には、長老もいた。

「フィリスや。 今日もお願いするぞ」

「はい、ちょっとまってくださいね」

周囲には。

いつも声が満ちている。

わたしは鉱物の声を聞く事が出来るのだ。

鉱物達はわたしに優しい。

踏んづけても怒らない。

むしろ、何処をどうすれば壊れるのかを教えてくれたり。

どんな風に使って欲しいと、要望を口にしたりもする。

生まれたときからそれが当たり前だった。

そして、それ故に。

わたしはこの街で、とても大事にして貰っていた。街の人達も、わたしにはいつも親切だった。

あまり多くないお肉も。

わたしに多めに分けてくれる。

それはひとえに。

この閉ざされた、狭くて暗い街で。

わたしが役に立っているから。

そんな事は、まだ子供であるわたしでさえ、分かっていた。

というよりも、だからこそ。まだ子供でいさせてくれている、とも言える。

同じくらいの年の子供が、もう結婚して。子供までいる。何人も、そういう子がいる。

わたしのように、街にとって最重要人物では無い場合は。

早々に子供を産んで。

街のために貢献しなければならない。

それくらい、街は状況が厳しいのだ。

そんな事はわたしだって分かっている。

だから、必死に街の役に立つ。

街全体が豊かになれば。

きっと、みんな少しは生活も楽になる筈だから、である。

「あの辺りに良い水晶がいます」

「そうか、よし! お前達、掘り起こせ!」

「おうっ!」

街の人達は、とても色白だ。

光を浴びていないのだからまあ当然と言えば当然だろう。

だけれどみんな筋肉質だ。

鉱石といつも格闘しているのだから当たり前だろう。

昔は爆弾を使ったりもしていたらしいけれど。

わたしが働くようになってからは。

みんなつるはしで岩を砕いている。

わたしには聞こえるのだ。

何処を崩せば、岩が割れるのか。綺麗に割れて、中の貴重な鉱石を取り出すことが出来るのか。

それを側でわたしは指示して。

その通りにすると、大きな岩が冗談みたいに割れる。

わたしもたまにつるはしを振るうけれど。

岩が優しいのだろう。

あまり強い力を込めなくても、岩が割れてくれるのだった。

今日も、岩が砕け。

坑道が拡がり。

無数の美しい、淡く輝く水晶が姿を見せる。

通称エルトナ水晶。

魔力を強く帯びていて。

街の灯りになっているだけでは無く。

外に持ち出すと、とてもすごい大金に化けるという。

この水晶を掘り出すことで。

エルトナは、なんとか生きていけている。

商人に売ることで、生活に必要な物資を、手に入れる事が出来るのだ。

お姉ちゃんに、何度も言われた。

外は怖いところだと。

外には、もはや人間の道を踏み外し、人を殺して食べる事を厭わなくなった匪賊がたくさんいて。

襲われたら、生きたまま切り刻まれて食べられてしまうのだという。

外にいる獣たちは皆恐ろしく強くて。

人間を見ると、身を守るために襲いかかってくると言う。

他にもたくさんの恐怖があって。

わたしを守るためなら。お姉ちゃんは、どんなことでもするのだという。

でも、わたしは思うのだ。

守られてばかりでいいのだろうかと。

大量の水晶が掘り起こされ。

長老がわたしに今日も礼を言う。

「すまんなあ、フィリス。 これでまた、しばらくの生活には困らなそうだ」

「はい。 みんな美味しいものを食べられますか?」

「すまんが、そこまではなあ。 服や薬、他にも必要なものは色々ある」

「なら、わたしもっと頑張ります!」

わたしは言うが。

長老は、無理をしないようにときっぱり言い。

家に送り届けられた。

周囲のおじさんたちは。

みんなわたしを宝物として扱ってくれるけれど。人間としての意思は考えてくれない。

それがとても悲しい。

家に戻る。

お父さんが、別の方の仕事から戻ってきていた。

エルトナは鉱山の街だが。

奥の方には、勝手に住み着いた猛獣が出る。

外の猛獣に比べると著しく弱いという話だけれども。

それでも駆除しないと、いずれ増えて、街にどんな被害が出るか分かったものではない。

だからお父さんやお母さんは。

時々猛獣の様子を確認して。

増えていたり。

街を伺っているようだったら。

駆除しているのだ。

お姉ちゃんは街の外に出て、獲物を狩ってくる、街の戦士の筆頭格なのだけれども。

そのお姉ちゃんに戦いの技を教えたのは、お父さんとお母さんなのだ。

昔はお父さんも外に出ていたのだけれど。

強力な猛獣との戦いでやられて、今では現役を半ば引退。

二線級の猛獣である、鉱山の中に出る小さい奴くらいしか相手に出来なくなってしまっている。

昔一緒にお風呂に入ったときに見たのだけれど。

肩から胸に掛けてもの凄い爪痕が、今でも傷跡となって残っている。

あんな傷を受けたのだ。

生きているだけでも不思議だったのだろう。

お母さんも戦士だったのだけれど。

戦士としてよりも、魔術師としての力量が高く。

お姉ちゃんもわたしも、お母さんに魔術を習った。

わたしもそこそこ魔術は使えるのだけれど。

お母さんはもっと凄い。

ただ。やはり外の猛獣には通用しないくらいに今は衰えているとかいう話で。

これも、外での怪我が原因らしい。

具体的に何があったのかは話してくれなかったけれど。

きっと怖い目にあったのだろう。

だから、お父さんもお母さんも。

お姉ちゃんが帰ってくると、いつも怪我はなかったか、と聞く。

ついこの間の事だけれど。

お姉ちゃんが真っ青な顔で帰ってきて。

わたしを抜きに、三人で何かを相談していたときは。

とても心配した。

どうしてわたしに話してくれないのか、とても不安だった。

何かが近々起きるのでは無いのか。

そんな不安は、ずっとわたしの心をずきずきと痛めつけていた。

お姉ちゃんはすごい。

わたしとあまり年も変わらないのに、街の戦士でも筆頭格の実力者で。いつも充分な獲物を仕留めてくる。商人との駆け引きだって、一歩も引かない。きっちり決められた値段で商売を成功させる。

背も高くて綺麗で。

とても姉妹とは思えないと良く言われる。

だけれど、お姉ちゃんは男の人に言い寄られても、いつも袖にしているらしくて。

その理由はよく分からない。

家族が増えたら、わたしも嬉しいのだけれど。

どうしてか、お姉ちゃんにその気は無いようだった。

「フィリス。 おかあさんが帰ってきたら、食事にしようか」

「うん。 お父さん、今日は何か危ない事は無かった?」

「何も。 流石に鉱山に出る小さな獣に遅れを取るほど衰えてはいないさ。 もうリアーネは俺よりずっと強いし、心配はないよ」

「そう、良かった」

お母さんが少し後に帰ってきて。

そして料理を始める。

お姉ちゃんは今外で。

多分二三日中には帰ってくるはずだ。

食事を終えた後は、本を読む。外の事が書いてある本だ。お気に入りで、すり切れるほど読んでいるのだけれど。

今でも手放せない。

外には怖い事だらけだと言われる。

だけれど、知らない事もたくさんある。

知りたいと思う。

分からない単語がたくさん本には出てくる。

それはきっと、鉱山の外に出れば、当たり前の事ばかり。

でもわたしには。

それを知る術さえもない。

鐘が鳴る。

寝る時間だ。

わたしは自分の部屋に戻ると、眠る事にする。

せめて、もう少し魔術の腕が上がれば。お姉ちゃんと一緒に外に出て、狩りが出来るのだろうか。

そうすれば、本に書いてあったような光景が見られるのだろうか。

空は。

エルトナの外れにある一箇所から、ほんのちょっとだけしか見えない。

あのほんのちょっとしか見えない空も。

いっぱい拡がっているのだろうか。

灯りを消すと、周囲はなんにも見えなくなる。

だから調整して、少し灯りを落とす。

そうしないと、本当に此処では何もできなくなってしまうのだ。

灯りを落として、眠ろうとするけれど。

そもそもお姉ちゃんが言っていた。

人間は。

暗闇の中で生きるように出来ている生物では無いのだと。

本来は、お日様の下で生きるべき構造をしているのだと。

そうなると、わたしは。

どうしようも無い中。

人間としては、本来あってはならない状況で生きている事になる。

それもなんだか悲しい。

わたしにとって、外は。

怖くもあり。

行って見たくもある。

不思議な場所だった。

 

お姉ちゃんが戻ってきた。

朝早くだったけれど。それがどうして分かったかというと、単に鐘が鳴ってすぐだったからだ。

本当に朝なのかはよく分からない。

ただ。お姉ちゃんと一緒に空を見に行くときには。

少なくとも空は明るい

夜になると空も暗くなるとかで。

それは一度見てみたかったのだけれど。

お姉ちゃんに止められた。

なんでも、空が見える所にある地底湖は。

街の水源であるのと同時に。

最大危険地帯なのだという。

水中には恐ろしい猛獣がたくさん住んでいて。

水を汲みに行くときは、必ず見張りとペアで行わなければならないことが、義務づけられている。

街は安全じゃない。

そう、お姉ちゃんは。

何度も口をすっぱくして、わたしに説明した。

だからわたしも。

お姉ちゃんを悲しませないために、地底湖には近づかないようにしている。

でも、空を見るには、地底湖に近づかなければならない。

ジレンマだ。

お姉ちゃんは、わたしが好きな兎を狩ってきてくれた。

兎と言っても、大きいものは人間を殺せるくらいの体格があって。

自衛のためか、鋭い角を持っている。

油断すると刺し殺されてしまうと言うから。

とても怖い生き物だ。

お姉ちゃんが外で燻製にしてくれているから。

火をちょっと通すだけで食べられる。

兎の肉は大好物だ。

蛇の肉よりも臭いが少ないし。

トカゲの肉よりも軟らかい。

お魚の肉と違って骨が少なくて。

鳥の肉ほど大味じゃない。

他の場所で取れる獣は、また違うのかも知れないけれど。

この近くに住んでいる獣の場合。

兎が一番美味しいと、わたしは思う。

だからついつい食べ過ぎてしまう。

量は限られていると分かっているのに。

でも、お姉ちゃんはそんな私を叱ったりしないで。食べている様子を、目を細めて見ているのだった。

溺愛という言葉が相応しいのだろうか。

お姉ちゃんがとても優しいのは嬉しいけれど。

時々ちょっと怖くもなる。

でも、わたしにとっては世界で一番大事なお姉ちゃんだ。

野菜を食べさせようとするのは、時々困るけれど。

わたしは野菜が。

どうしても苦手だ。

「フィリスちゃん、何か変わった事はあった?」

「ううん、水晶もいつも通り取れたよ。 ちゃんと売れたって長老も言っていたし」

「そうなの。 それなら良かったわ」

やはり、何かあったのだろうか。

この間、お姉ちゃんがフィリス抜きでお父さんとお母さんと話して。

それからどうも雰囲気がおかしい。

お姉ちゃんは思い詰めている様子だし。

それに少し手傷も受けていた。

集中が途切れたのだと笑っていたけれど。

普段だったらあり得ない事だ。

手傷の方はすぐに手当をしたらしいけれど。傷跡がすぐに消えるわけでもない。

実際問題、お姉ちゃんに、お父さんがどういう状況だったのか、相手は何だったのか、詳しく聞いていた。

今、お姉ちゃんがいなくなると。

エルトナはやっていけなくなる。

筆頭の戦士というだけではなく。

どんな悪辣な商人が相手でも、臆さず商売をする事が出来る唯一の人材なのだ。

フィリスがいなくなっても、多分それは同じだろう。

だけれど、お姉ちゃんだって。街には大事な人の筈なのに。

「ねえ、リア姉。 外の話して?」

「いつもと同じよ」

「それでもいいから」

「仕方が無いわね」

お姉ちゃんは苦笑いすると。

どんな風に狩りをしたか。

どんな天気だったか。

細かく教えてくれる。

だけれど、妙なのだ。

以前に聞いた時に気付いた。

丸半日分くらい、お姉ちゃんは飛ばして話した。

何かあったのでは無いのかとぴんと来たが。

その疑念は、わたし抜きでの家族会議で確信に変わった。

今回も、何だかいつもに比べて外の話が雑というか。

あまり心がこもっていないというか。

いや違う。

何かとんでもない脅威が間近に迫っていて。

それに備えていて、余裕を持って対処できていない。そんな風にさえ感じてしまった。

知る限り最強のお姉ちゃんが。

一体何に恐怖を感じているのだろう。

最近は、他の外に出られる人に話を聞いても。

恐ろしい匪賊は姿を見せないという話だし。

ネームドと呼ばれる強力な猛獣はあまり近くでは見かけないと聞く。

邪神なんて、現れたらエルトナ全体が大騒ぎになる筈。

ドラゴンだったら、それこそ騒ぎになるまえに、門をこじ開けてエルトナに乱入してきて。

みんな食べられてしまうのではあるまいか。

何が起きているのだろう。

外の事が書いてある本にも、怖い事はたくさん書かれている。

ネームドと呼ばれる猛獣でさえ。

アダレットの騎士達が、死者を出す覚悟で戦わなければならないという。

ドラゴンに至っては。

どんな凄い魔術師でも、魔王と呼ばれるような魔族でも。基本的に刃が立たないという。

邪神になってしまうと。

国が滅ぼされてしまう事さえあるのだとか。

何が外に出ているんだろう。

でも、お姉ちゃんは無事に戻ってきている。

それならば、大丈夫なのではあるまいか。

しかしお姉ちゃんは明らかに様子がおかしい。

それでは、どうすればいいのだろう。

自分に何が出来るのだろう。

その日は、お姉ちゃんは休みだとかで、自室で寝ていた。

わたしの家は、鉱山の中でもかなり大きい。

わたしという稼ぎ頭と。

お姉ちゃんという外に出られる戦士筆頭がいるからだ。

お父さんとお母さんだって昔は稼いでいた。

だからおうちが大きい事に。

文句を言う人はいない。

でも、時々感じるのだ。

不満を。

なんであの子はあんな力を持っているの。

そう影で言い争っている声を聞いたことがある。

同年代の、既に嫁がされた子だ。

四歳年上の旦那さんと上手く行っていないことは聞いている。子育てに関しても、相当苦労しているらしい。

その子は、私が鉱物の声を聞こえる事を。

とても不満に思っているようで。

凄まじい怨念を感じて怖かった。

私があの子と同じ力をどうして持って生まれなかったのよ。

持って生まれたら、良い生活出来て、ずっと今よりいいもの食べられて、何より子育てに人生丸ごと潰すことだって無かったのに。

そう怒鳴るその子は。

昔は一緒に外の世界の本を読んだりした子で。

結婚するときは、結婚式に出て、祝福したりもした。

だから、その怨念の声を聞いたとき。

わたしは本当に怖かった。

色々な事が起きて混乱する中。

わたしは眠れなかった。

 

2、吹き飛ぶ日常

 

エルトナ水晶がたくさんとれたので、その日の仕事は早めに切りあげになった。

鉱山を掘りすぎると、いずれ水晶が尽きるのでは無いのか。

そういう話も大人達がしている事がある。

今の時点では。

どれだけ地下を掘っても、水晶はわたしの願いに答えるように出てくる。

だから今は大丈夫だ。

だけれど、わたしがもっと年を取ったとき。

わたしがお母さんになって。

子供達が、わたしと同じくらいの年になった時。

まだ水晶はあるのだろうか。

何より、わたしの不思議な力はその時まだ健在なのだろうか。

だいたい、そもそもこんな閉じた空間が、まともだとはわたしにさえ思えない。

わたしは外を知らないけれど。

外を書いている本は、此処とはあまりに違う世界を例外なく書いている。

いずれもだ。

だったら、ここはどうしてこうなのだろう。

のそり、のそりと。この街の顔役の一人である老魔族が、側を歩いて行く。

この人は基本夜に仕事をするのだけれど。

たまに気が向いたとき、街にある魔術の灯りを確認して回っている。

とにかく寡黙な人で。

性格的に戦士に向いていないと、自分で何度か口にしたのを見た事がある。

大きくて肩車もして貰った事があるけれど。

とても小さなわたしに優しくて。

多分性格的な問題で、殺し合いに向いていないのだろうと、わたしは思っている。

その老魔族が、灯りをチェックして、遠ざかっていく。街の灯りを全部チェックし終えたら、寝るのだろうか。

「グリゴリの爺さん、呆けちまってるな……」

「えっ」

側でぼやいたのは、門番をしている戦士の一人だ。わたしが子供の頃から遊んでくれた。今では二児の父親だけれど、わたしには前と変わらず接してくれる。

「年も魔族の限界年齢近い190歳だ。 そろそろ、いつ亡くなっても不思議じゃない」

「そんな……」

「悲しい話だが、魔族だって人間の一種。 ヒト族よりはずっと長生きだが、寿命があるんだよ。 そして寿命に近づけば、呆けるもんなんだ。 それはもっと長生きなホムだってそうなんだよ」

「……」

老魔族は、この街で唯一の魔族。

ホムは数人いるが、小さな経済を回しているだけで。

あの人のように、灯りを管理する仕事をしているわけでは無い。

魔術が使えるヒト族は何人かいるけれど。

みんなあんなに腕は良くない。

獣人族はみんな戦士で。

お姉ちゃんのように外に出ては、獣を狩ったり、植物を採集して戻ってくる重要な実働戦力。

街の灯りの管理なんて、出来る状態ではないし。

そもそも獣人族の魔術師は、あまり数が多くないとも聞く。

この街にいる魔術師はみんな老魔族を除けばヒト族で。

それもみんな灯りを付けるような魔術に向いていないとなると。

一体どうなってしまうのだろう。

「この街、どうなってしまうの?」

「高給で魔術師を雇うしかないかもな。 錬金術師なんて来てくれるはずもないし」

「……」

「錬金術師がいればなって、街の人は誰も思ってる。 だけどな、ライゼンベルグで公認錬金術師制度ってのが始まってから、山師同然の錬金術師はいなくなった代わりに、錬金術師の数は凄く減ったそうなんだ。 大きめの街でも引っ張りだこらしいのに、こんな小さな街に、ましてや存在を知られているかも怪しい街になんてな……」

声には強いあきらめがあった。

魔術は比較的使える人が多いけれど。

使うには修練もいるし。

得意不得意もある。

わたしは鉱物の手を借りる魔術が得意だけれど。

灯りをつけて、それを管理する魔術なんてとてもではないけれど使えたものじゃない。魔術は万能じゃない。魔術に触ったことがある人は、誰だって知っている程度の事だ。無知なわたしでも、である。

お姉ちゃんは回復の魔術や、自分を強化する魔術が得意だけれど。

同じように灯りを維持できるかと言えば、それは多分無理。

お母さんは確か氷の魔術が得意だとかで。

これも灯りなどには決定的に向いていない。

とぼとぼと歩く。

今日の仕事はないとは言え。

どうしたらいいのだろう。

今お姉ちゃんがいるから。

相談するべきなのだろうか。

でも、相談しても、難しい。

お姉ちゃんは聡明な人だけれど。どうしても、この街の事と、わたしの事を第一に考える人だ。

よそから魔術師を呼び込む話なんて。

どうすればいいのか。

いつの間にか。

街の外れに来ていた。

看板が立っている。

この先には行くな、というものだ。

近くに湖が見える。

あの湖には、恐ろしい水棲の猛獣がたくさん住み着いているから、水を得るのも大変だし。

何より看板の奥には。

お父さんが退治しに行く猛獣が沸く場所がある。

どうやって猛獣が沸いているのかは分かっていないらしいのだけれど。

それでも、もし遭遇してしまったら。

幾ら魔術をある程度使えると言っても。

殺し合いなんて、わたしはやった事がない。

勝てるかどうか、自信なんてなかった。

見上げる。

少しだけ空が見えるけれど。

薄暗い。

天気というのがあるらしいとはお姉ちゃんには聞いている。

きっと天気は機嫌が悪いのだろう。

機嫌が良いときは、青く澄んだ空が見られるのだけれど。

それさえもかないそうになかった。

家に戻る。

足が重く感じる。

騒ぎが起きていたので、顔を上げると。

老魔族を、何人かで押さえ込んでいた。

「グリゴリどの! 此方には灯りはない! 戻るんだ!」

「そうだったかなあ」

「そうです、だから」

「でも、灯りをつけなければならないからなあ」

嗚呼。

確かにこれは呆けてしまっている。

ねじくれた角が頭にたくさん生えている老魔族は。

自分が言われている事も正確に理解出来ていないし。

そもそも、自分が何処にいるのかも、よく分かっていないようだった。

それでいながら、今でも普通の人間より遙かに力が強いのだから、周囲も抑えるのに必死だ。

「もう今日の仕事は終わりました。 帰りましょう!」

「食事は用意しましたから」

「もう食べたような気がするのだが」

「気のせいです。 ほら、大丈夫ですから、帰りましょう」

不意に。

老魔族が真顔になる。

周囲から。妙な声が聞こえた。それが、鉱物達が警告しているのだと、わたしは知っていた。

慌てて走って、転びそうになりながら、岩陰に隠れる。

ごっと、もの凄い音を立てて、火の玉が目の前を通り過ぎ。

湖に着弾して、爆発した。

湖から、人間よりずっと大きな魚みたいな獣が跳び上がったのは、驚いたからだろうか。

それが気絶したのを見計らってか。

無数の獣が水面に現れ。

気絶している獣に群がり、貪り喰い始める。

凄まじい音と共に、あっという間に湖面が真っ赤に染まっていくのが、遠くからでも分かった。

小さく悲鳴を上げながら、わたしは頭を抑える。

老魔族の雄叫びが聞こえた。

「わしをどうするつもりだ! 捕らえて殺すのか!」

「抑えろ! 錯乱されている!」

「さては処刑した匪賊の生き残りだな! ゆるさんぞ! エルトナに手を出そうとする悪党はみんな殺してやる! 此処はわしの大事な街だ!」

「抑えてグリゴリさん! 匪賊なんていない! みんな貴方の大事な子供達だ!」

男衆が出てきて、老魔族を押さえ込み。縛り上げて連れていく。

それでも暴れていた老魔族だけれど。

やがて大人しくなり。

すすり泣き始める。

「ああ妻よ、どうして先に逝ってしまった。 お前をわしから奪った匪賊どもを殺しても、どうして心は晴れないのだ……」

「グリゴリさん、大丈夫、大丈夫だから」

「わしももうすぐお前の所に……いやだ、でも死にたくない……わしは死にたくない……!」

言っている事も全て支離滅裂。

昔のあの人は。

もっとまともだった気がする。

でも、わたしの目の前にいるあの老魔族グリゴリさんは。

もう完全に呆けてしまって。

現実をきちんと認識も出来ないし。

奥さんが亡くなった理由になった匪賊が、とっくに死んだ事も忘れてしまっているようだった。匪賊達を殺したのは、あの人だとわたしでも聞いているのに。

気付く。

わたしのすぐ側の岩が。

凄い熱量で溶けえぐれていた。

鉱物達に教えられなければ。

わたしがああなっていたのだろう。

そして、湖には。

もはやあの大きな獣の骨さえ残っていなかった。骨も残さず、湖に住む動物たちが、喰らっていったのだろう。

涙が零れてきた。

この街は。

もう未来がない。

鉱石は出るかも知れない。

わたしが頑張れば。

もうけはあるかも知れない。

でも、街を支えてきた老魔族はもう限界。

新しい灯りを管理できる人を雇うとしても、どうすればいいのか、わたしにさえ分からない。

家に着くと。

心配した様子で、お姉ちゃんが駆け寄ってきた。

「何かあったの? グリゴリさんが暴れたって聞いたけれど」

「怪我はしていないけれど、グリゴリさんがもう呆けてしまっていて、喋る事も支離滅裂で……」

「仕方が無いわ、もう限界年齢に近いのだもの。 それに奥さんは匪賊に殺されて、お子さん達はみんな別の街に行ってしまったのよ」

「この街は、どうなってしまうの?」

涙が零れてくる。

お姉ちゃんは抱きしめて頭を撫でてくれるけれど。

それは幼児に対する接し方のようだ。

わたしも、もうだだをこねるだけの幼児じゃない。

「リア姉、止めて。 何か、方法があるなら教えて。 わたしがすごく頑張って、灯りの魔術を覚えれば良いの? それとも、もっといっぱい鉱石を掘り出して、灯りの魔術が使えるような魔術師を雇えば良いの?」

「そんな事は考えなくてもいいわ。 大人である私達が」

「わたしだって、もう子供じゃないもん!」

不意に、頭の中の何かが切り替わるのを感じた。

わたしはむかしから。

何か感情が高ぶると、いきなりぶつりとキレるのだ。

これはどうしようもできない事で。

とても悲しかった。

すぐに気付いて、ごめんなさいと謝るけれど。

お姉ちゃんは口を引き結んでいた。

「おない年くらいの子は、みんな結婚して子供だって産んでたりするんだよ。 わたしは鉱石の声が聞こえるから、街にとって大事だからそうしなくていいって言われているだけで、他の子達はみんな街のために体を張ってるんだよ。 どうしてわたしだけが、大事に大事に守られているの? 街にとってお金を稼ぐ大事な存在だから?」

「それは……」

「リア姉、わたし、もう子供じゃないよ。 街がこのままだと駄目になっちゃうことくらい、わたしにだって分かるよ。 どうすればいいの。 教えて。 方法があるのなら、するから」

「リアーネ、フィリス」

不意に声が掛かる。

お父さんだった。

お母さんも悲しそうに此方を見ていた。

「大声を出してはいかんよ。 ただでさえグリゴリさんの様子がおかしいんだ。 みんな不安になるだろう」

「ごめんなさい。 でも……」

「確かにフィリス、お前はもう子供じゃないのかも知れない。 だけれども、出来る事はあまり多くないんだ。 今日は兎のローストでも食べて休みなさい」

その美味しいローストの材料のお肉だって。

優先的に回して貰っていることを知っている。

わたしはこの街にとって。

どれだけ大事なのか。

他の子達がねたむのだって当たり前だろう。

その日は。

もう何も言わず、夕食にした。

兎のローストは大好物の筈なのに。

味がまったくしなかった。

 

街がざわついている。

朝一番で仕事を終わらせて、わたしはぼんやりと歩いていた。とはいっても、歩いているだけで、すぐに街を回り終えてしまう。

そんなものだ。

この小さな街には。

その程度の広さしかない。

歩いて行けない場所は。

危ない所だけだ。

危ない所には見張りが立っているし。

獣が入ってこないように、お父さん達が処理をしている。

時々獣の断末魔も聞こえる。

荷車が行くのが見えた。

生活用水を、あの湖に取りに行くのだ。とにかく危ないから、大人が何人も見張りにつきながら、作業をするのである。

わたしは、ぼんやりとそれを見つめる。

声が聞こえる。

それだけしか出来ない。

魔術だって、外の獣に通じるか分からない。

外に出たいなと憧れる事もあったけれど。

しかし、街の現実をこうやって毎日見せられると。

そんな事、口には出来ない。

我が儘で、とても卑怯だ。

特別な力が無い子は、人生を選ぶ事だって出来ない。子供を産む事がどれだけの負担になるか。子育てがどれだけ大変な事か。

そんなのは、小さな街だから、わたしだって知っている。

いつの間にか。

街の門の前に来ていた。

ぼんやりと、分厚い門を見上げる。

お姉ちゃん。

わたしを子供扱いしないで。

わたしだって、何かできることがあるならしたい。

魔術の勉強をいっぱいして、灯りを付けられるようにすればいいの。

それとも、もっといっぱい声を聞いて、鉱石をたくさん掘り出せば良いの。

今、家にお姉ちゃんはいるけれど。

それでも、わたしはどうしてか。この門に、語りかけることが多かった。

門番は今いない。

ちょっと所要だとかで離れた様子だ。

ぼんやりと門に歩み寄ると。

外から、声が聞こえた。

「ここかなー? おーい、中に誰かいますかー?」

妙に明るい声。

聞いた事がない声だ。

怖い。

知らない人は、どうしても怖い。

いつも知っている人としか接していないから、わたしは怖くなって、岩陰に隠れた。

「誰もいないのなら、開けますよー?」

「ちょっとソフィー、何をするつもりですか!?」

「大丈夫大丈夫、もう壊しても因果反転して直せるし」

「貴方はっ!?」

何だろう。

もう一人外にいるのだろうか。

震えながら隠れていると。

いきなり。

門が。

魔族でも、押しても引いても壊れそうにない門が。

外から、消し飛んでいた。

もの凄い音と共に。

門が木っ端みじんになり、周囲に残骸が降り注ぐ。

何だ。

何が起きた。

岩を砕くときに使う発破でも、こんな火力、出るの見た事がない。こんなの、それこそドラゴンのブレスや、邪神が使うような人外の魔術でなければ、再現不可能なのではないか。

外のものらしい光を背負いながら。

誰かが門につながる階段を下りてくる。

それが、どうしてか。

とても凄まじい存在感を持っていて。

わたしの目を釘付けにしていた。

わいわいと、街の人達が集まってくる。

武装している人も多くいた。

「な、何だっ!」

「ああ、大丈夫ですよ。 返事がなかったので、ちょっと入らせて貰いました。 あたしは錬金術師のソフィー=ノイエンミュラーと言います」

「錬金術師ッ!?」

皆の声が裏返る。

私も、思わず岩陰から顔を出していた。

そこにいたのは、お姉ちゃんよりちょっと背が低くて、もう少し年上くらいの人だった。

髪の毛は若干ぼさぼさだが。

妙な落ち着きがあって、とてもきれいな人だ。

街の誰とも違う格好をしていて。手には杖を持っているが。

分かる。

今、門を木っ端みじんに消し飛ばしたのは、この人だ。一体どうやったのか、さっぱり分からない。

魔術ではこんな火力は出せない。

魔王と呼ばれているような魔族でも無理だろう。

「この扉、使っているようなら直しますよ」

「あ、当たり前だ! ……て、直す?」

「こうやるんですよ」

錬金術師と、ソフィーと名乗った人が、背負っていたバックパックから何かを取り出す。

それは砂時計のように見えた。

それをひっくり返すと同時に。

驚天の奇蹟が起きる。

周囲に散らばっていた門の残骸が浮き上がり。

元の場所へ戻っていくのだ。

そして気付く。

どうやらもう一人らしい、落ち着いた雰囲気の女性が、門の側に立っている事に。

門は見る間に元の場所に残骸を集めて行き。

爆発して、木っ端みじんになった光景を逆廻しにするようにして。

元に戻った。

誰もが言葉もない。

わたしもだ。

「これで信じて貰えましたか?」

「も、門を確認!」

「……大丈夫、壊れていません」

「ね?」

周囲を見回すソフィーという人。

誰もがあっけにとられて、男衆も武器を降ろしていた。

そして、わたしは気付く。

ソフィーという人の目が。

まるで深淵のように。

そう、あの湖の奥の、見えない暗闇のように。

暗く濁っていることを。

でも、分かる。

これが圧倒的な力そのもの。

錬金術とは、力なのだとも。

恐怖がわき上がってくるのと同時に、何か別のものも心の中からわき出てくるようだった。

もし、この力を手に入れる事が出来れば。

ひょっとすれば。

この未来がない街を。

どうにか出来るのではあるまいか。

口を押さえる。

笑いが零れそうになっている事に気付いたからだ。

だが、それでも。

笑いはどうしても、零れてしまった。

 

3、深淵との邂逅

 

エルトナを訪れた錬金術師ソフィーさんは、最初に長老の所に行くと。まず、薬を周囲に配っていた。

いつの間にかどこからか取り出した扉に入ると。

荷車を引っ張って出てくる。

扉がどこから出てきたのかさえ分からないし。

なんでその扉から、荷車を持って戻ってくるのかさえも分からない。

何しろ扉を立てかけたのはただの岩肌で。

その向こうに何かがある筈も無かったのだから。

誰もが唖然とする中。

けが人だけではなく。

病人も、瞬く間に快癒していく。

ソフィーさんの側にいる女性はプラフタさんというらしい。茶髪のソフィーさんに対して、銀髪を短くまとめているプラフタさんは、何というか非常に落ち着いていて、だが厳しそうな雰囲気だった。

ソフィーさんは穏やかそうな雰囲気だけれど。

あの目を見てしまってから分かっている。

この人は、異次元の存在だ。

怖いなんてものじゃない。

もしも怒らせたら、あの門のように、何もかもを破壊し尽くして揺るぎもしない。そして気分次第でさっと直せてしまう。

そんな存在なのではあるまいか。

もしそんな存在がいるとしたら。それは神と呼ぶのではないのか。

錬金術師の底知れなさを間近で見て、わたしはやはり感情が上手く抑えられなかった。

「はい、次は照明ですね。 魔術でいちいちともしているようですが、少し改良しておきましょう」

「出来るんですか!?」

「簡単簡単。 というか、かなり痛んでいるようですし、あたし特製の照明に取り替えてしまいましょうか。 マナを使うからエルトナ水晶もいりませんよ。 お代は後で話をします。 何なら低利で貸し付けますよ」

ソフィーさんが作業を始める。

街の彼方此方にある灯りに手を入れ始めるのだが。

そうすると、もはや触るだけで灯りを付けたり消したりするように出来るようだった。

ただし、メンテナンスがいるとも言っていた。

「10年に一度ほど、修理をする必要があります。 その時は先ほど説明したように、連絡員に声を掛けてください」

「分かりました。 分かりました」

長老がへこへこしている。

孫のような年の女性に低姿勢に出ているのも無理はない。

この人は、人の領域を超越している。

本にあった、錬金術師達の話を思い出す。

どんな魔族や勇者が束になってもかなわないドラゴンを撃ち倒し。

国さえ滅ぼす邪神さえ退ける。

この人なら。

確かにやりかねない。

前に聞いた話。

錬金術師は、質が上がった代わりに数が減ったと聞いているけれど。

こんな人ばかりなのだろうか。

岩陰で、どきどきを抑えながら思う。

もしこの人のような力が手に入ったら。

エルトナを救えるのではないのだろうかと。

「それで、この街に、本当に支援をしていただけるのですな」

「この街の外側に城壁を作り、外で暮らせるように計らいます。 作業用の道具や人員は此方で手配します。 そのほかに、常駐の腕利きを四名つけましょう。 非常時には救援の要員も回します。 ただし、この契約書にサインを。 今までの商人よりも遙かに高くエルトナ水晶を買い取らせていただきますよ」

「これはもう、本当に、なんといって良いのか……」

長老が涙を拭っている。

毎回商人とは、価格の交渉で火花を散らしていると聞いていた。

それが、今までとは比較にならない値段でエルトナ水晶を買い取るどころか、支援までしてくれると言うのだ。

それは喜ばないはずがない。

でも思うのだ。

そんなうまい話、あるのだろうかと。

ちょっと不安だ。

あの人、目が兎に角怖かった。あの目は、深淵そのものだった。

湖の奥の、暗くて何も分からない場所。

あれよりも、もっと深かったかも知れない。

ああいう人が。

善意だけで、人を助けてくれたりするのだろうか。それが不安で、わたしは目が離せなかった。

いつの間にか、側にお姉ちゃんがいた。

お姉ちゃんは険しい表情で、ソフィーさんを見ていた。

「リア姉?」

「フィリスちゃん、門が爆発したときに側にいたそうね。 何があったか、詳しく教えて頂戴」

「うん。 外から声を掛けてきて、誰もいないって確認してたみたい。 その後、門が吹き飛んで、粉々に。 でも、みんなが来たら、一瞬で門を直してくれたの」

「……っ」

どうしたのだろう。

今までに見たことが無い程お姉ちゃんの顔が怖い。

まるでこれは。

きっと、猛獣と外で戦っている時。

こんな顔をしているのでは無いか、という顔だ。

お姉ちゃんはとても美人だ。

だから怒るととても怖い。

わたしには優しい顔しか向けないけれど。

時々商人と交渉しているとき、凄く怖い顔をしている事がある。そんなときは、声を掛けづらい。

「私も外で錬金術師は見た事があるの。 だけれども、そんな事が出来る錬金術師は見た事も聞いた事もないわ」

「へえっ?」

「今の話を聞くだけでも、起きた出来事を無かった事にしている、と言う事よね。 理屈は分からないけれど、下手をしたら時間に干渉したとか、出来事の発生に干渉したとか、そんな行為よ。 外では凄いお薬を作れれば、錬金術師としてはもてはやされる位だと聞いているし、ドラゴンと戦う際には熟練の錬金術師でも命がけらしいの。 もし、今フィリスちゃんが言ったことが本当だとすると、あの人は……」

まるで、神の力を操っているようだ。

そうお姉ちゃんは言い。

口をつぐんだ。

分かる。

お姉ちゃんが、本気で怖れている。それ以上に、危険を感じている。わたしには、お姉ちゃんがいつも気丈に振る舞っているし。弱みを他人に見せないことも知っているのだけれども。

そんなお姉ちゃんが。

素の感情を隠せないでいる。

それほどの存在だと言う事だ。

つまりあの人は。

錬金術師の中でも、規格外。

それも桁外れの規格外。

そういう事なのではないだろうか。

扉をバックパックから出して、入って荷車を取り出してきたという話をすると。

もはや口を閉ざして、お姉ちゃんは喋らなくなった。

わたしも、驚天の出来事を聞いて興奮すると同時に。

恐怖も少し感じる。

確かに、凄まじい力を持っているのは分かるのだけれど、怖いのはあの深淵そのものの目だ。

強い人は、相応の修羅場をくぐるものだと聞いている。

お姉ちゃんだって、外で匪賊と戦ったり、あと少しで死ぬような目にあった事が何度もあると聞いた。

だとすると、あの人は。

どんな世界で生きてきたのだろう。

「フィリスー。 どこにいるー?」

不意に長老が声を掛けてくる。

わたしの隠れている岩陰には気付いていない。

だけれど、ソフィーという人は。

あからさまに一瞬で此方を見た。すぐに視線を外したけれど。

つまり、わたしの気配くらい、即座に感じ取ることが出来る、というわけだ。背筋が凍りそうになる。

お姉ちゃんは、わたしを抱きしめたけれど。

でも、そのまま隠れていても駄目だ。

それに、何かあった場合。

もう逃げる事は出来ないだろう。

わたしは諦めて。

少し迂回してから、別の通路から姿を見せる。この街の事は知り尽くしているのだ。それくらいは出来る。

「呼びましたか?」

「おお、フィリス。 この方が錬金術師のソフィーさん。 此方はその相方のプラフタさんだそうだ」

「はじめまして。 ソフィー=ノイエンミュラーだよ。 フィリスちゃんって呼んで良いかな?」

「は、はい」

笑顔で接してくるソフィーさんだが。

分かる。

笑っているのは口だけだ。

目の方は、わたしの全てを見透かすようにして、深淵の底から這い上がってきたような暗い視線を体に這わせている。

解析されている。

それが分かって、わたしは息も出来ないくらい怖い。

「フィリスや。 お前の家の前の空き地を貸して欲しいと言う事なのだが、良いだろうかな。 お前の両親にはもう許可はとってあるよ」

「そ、その、リア姉は」

「私なら構わないわ」

低いお姉ちゃんの声。

側に立つお姉ちゃん。

気付く。

手が少し震えている。

外で獲物を狩り。

匪賊ともやりあっているこの街一の戦士が、震えている。震えを抑えきれずにいる。

「そう、じゃあさっそくキャンプしてみようかなー」

「ソフィー、あまり人々を驚かせないように」

「ふふ、大げさだなあ。 錬金術師なんだから、出来る事は可能な限りやらなくちゃあね」

プラフタという人は、ソフィーさんと対等に口を利いている。

錬金術師だという紹介は受けなかったが。

或いは師匠か何かなのだろうか。

それとも、家族だろうか。

よく分からないけれど、一緒に歩いて行く。

途中、幾つか聞かれたが。

その中に、思わず恐怖で凍り付きそうになるものがあった。

「フィリスちゃん、鉱物の声が聞こえてる?」

「っ!」

反応を示したのは、むしろお姉ちゃんの方だ。ナイフに手を掛けようとして、踏みとどまった。何か外であったのだろうかと、わたしは思う。

ソフィーさんは、笑顔のまま。

そう、恐ろしい笑顔のまま、返事を待っていた。

わたしは頷く。

ゆっくりと。

下手な反応をしたら、ドラゴンでもかなわないような人を、至近距離で相手にする事になる。

お姉ちゃんだってそれは分かっている筈だ。

「き、聞こえて、います」

「そう、それは凄い事だよ」

「そうなん、ですか」

「ものの声が聞こえるって才能は、錬金術師でも滅多に持っていないの。 幸か不幸かあたしも持っていてね。 昔は四方八方から聞こえる声に、ずっと苦労し続けていたんだよ」

一際暗い輝きを放つソフィーさんの目。

それは正に。

全てを飲み込む漆黒だった。

「でも今はある程度制御出来るようになってね。 それに錬金術師にとってはあるととても便利な技術なんだ」

「錬金術師……」

「そうそう、それと声が聞こえる人にはね。 例外なく錬金術師の才能があるんだよ」

何だろう。

全て見透かされている。

いや、今の短時間に。

何もかも見透かされた、というべきなのだろうか。

本当に怖い。

圧倒的な経験と。

圧倒的な実力から来る自信。

それらを間近から感じる。

程なく、家の前につく。

リュックから、ソフィーさんはハンカチくらいの何かを取り出すと、それをてきぱきと拡げる。

ごくごく狭い空間に。

一瞬にしてそれは完成していた。

半円形の。

何か良く分からない建物だ。

大きさはさほどでもないけれど。今のハンカチ程度のサイズから、どうしてこうなるのか、さっぱり理解出来ない。

扉もついている。

この扉は木製に見えるのだけれども。

どうやってあんな風に畳んでいたのか。

笑顔のまま、中に入るように促すソフィーさん。わたしは生唾を飲み込むけれど、逆らうという選択肢は無い。

中に入ってみる。

其処は、正に異次元だった。

言葉を失ってしまう。

今は入ったのは、ごくごく小さな建物だった筈だ。それこそ大きさにしても、わたしの背丈ほどもなかった。

それなのに、中には三部屋もある巨大な空間が拡がっていて。

ベッドはあるし。

何か良く分からない、大きな釜のようなものもある。

奥の方には、何人も暮らし、物資を補給できそうな部屋もある。はっきりいって、わたしのうちなんかよりずっと一部屋だけで広い。

それも、余裕を持って家具が入っているのだ。

これが、ハンカチのように畳まれていたというのか。

後から入ってきたお姉ちゃんも、言葉を失っていた。

「こ、これは……」

「旅をするときに使っている折りたたみ式の家だよ。 本格的に物資が必要なときは、本拠地に戻るんだけれどね。 あの扉を使って」

「し、信じられない。 これも錬金術の力なんですか」

「うん。 高位次元に干渉して作った、といってもまだ分からないかな。 錬金術を極めれば、こういうことも出来る事になる。 それだけだよ」

立ち尽くしてしまう。

嘘じゃなかった。

外の事を書いている本は嘘じゃなかった。

こんな事が出来る人は。確かにドラゴンや邪神だって打ち倒せる。

恐怖と天秤に懸かっていた興味が。

少しずつせり上がっていくのが分かる。

わたしは。

いつのまにか、この圧倒的な力を持つ錬金術というものに。

すっかり魅せられていた。

魔術では、絶対にこんなの無理だ。

自分自身が魔術を使えるからこそ、わたしには分かる。

これは本当に別次元の力。

何しろ、ソフィーさんからも、魔術師としての凄まじい力量を感じるのである。

それなのに、ソフィーさんは錬金術を使い。

そして極めている。

この人は魔術師としても、得がたいと言われる程の人材の筈だ。

だというのに、錬金術を選んでいる。

それだけで、この力がどれほど桁外れで、圧倒的なのか。わたしには、想像も出来ない程だった。

「さ、さっきの……」

「うん?」

「壊した門を、一瞬で直したのも、錬金術……ですか?」

「そうだよ。 あれはものの概念に干渉して、その時間そのものを反転させたの。 そのもの限定でね。 その結果、壊れていないという事象そのものが、この世界に戻ってきたんだよ」

聞いても意味はさっぱり分からないが。

それでも凄い事だけは分かる。

お姉ちゃんに話を振ろうとして振り返るが。

どうしてだろう。

お姉ちゃんは。

とても怖い顔をして。

唇を引き結んでいた。

ソフィーさんは、笑顔のままだ。だけれど、錬金術に興味が出てきた今も、その笑顔は怖いままだけれど。

「リアーネさんと呼んでも良いかな?」

「ご自由に……」

「そう、ではせっかくだから、お茶とお菓子を出すよ。 楽しんでいって」

「分かったわ」

奥の部屋で、お茶が出てくる。

言うまでもないけれど。

お茶なんて貴重品中の貴重品だ。

この鉱山の街には、滅多に入ってこない。

わたしの家には時々入ってくるけれど、それは稼ぎ頭が二人もいるから。多分お茶を飲んだことがない人も、いるのではないのだろうか。

それも、見ていると。

贅沢に果実を潰したものを入れている。

ジャムというらしい。

飲ませて貰うけれど。

信じられないくらい甘くて。

美味しいなんてものじゃなかった。

今まで飲んでいたお茶というものが、何というか、ただの水にしか思えなくなってしまった。

出されるお菓子というのも食べるが。

その後に、ちゃんと食べた後に歯を磨くように言われる。

言われて見て、ぴんと来なかったが。

食べて見て分かった。

凄く甘い。

何かを焼いて固めている、多分小麦粉だと思うのだけれど。そもそも小麦そのものがエルトナには殆ど入ってこない。

たまにお母さんが料理をするとき、ちょっとだけ使うくらい。

それをこんなに贅沢に使うなんて。

お姫様か何かになった気分だ。

お姉ちゃんはそれでも険しい顔をしていて。

そして、その顔のまま言った。

「貴方、ただの錬金術師では無いですね。 以前会ったことがある旅の錬金術師は、貴方の足下にも及ばないほどの実力しかありませんでした。 この実力だと、世界に何人もいない次元の筈です」

「ふふ、リアーネさんにはそう見える?」

「ほぼ確実にそうとしか思えません」

「まだまだあたしもこれで実力不足でね。 大きな目的と共に、同志達と連携をとって動いている途中なんだよ。 まず第一に、こういう孤立した小さな集落を他の集落と連携させて、閉鎖空間内で滞った血流などを交換するのが今の戦略の一つなの」

お姉ちゃんが眉をひそめる。

わたしも意味が分からなかった。

ソフィーさんは、お茶に入れたスプーンをまわしながら。後ろに控えているプラフタさんは無言のまま。

説明をしてくれる。

「例えば、この規模の街で、しかも閉鎖した空間で暮らしていると、いとことかの結婚とか、同じ一族からずっとお嫁さんを出して貰うとか、あるでしょ。 下手すると叔父叔母との結婚とか、きょうだいで結婚とかさえあるんじゃない?」

「えっと……」

わたしは必死に考えるが。

確かにある。

今わたしが思い浮かべた家族だけでも。

三割近くがいとこ。

またいとこを加えると、その確率は七割を超える。流石に叔父叔母、きょうだいで結婚は聞いたことがないが。

この小さなエルトナで。

しかも人が限られていると言う事は。

そういう事が当たり前のように起きる。

ソフィーさんは、慣れた様子で指先を動かして、映像を出してくれる。魔術でも似たような技術はあるけれど、それとは桁外れに鮮明だ。

映像はそれは動物の群れだったけれど。

皆やせ細っていて。

そして襲いかかる怖い動物に、為す術も無いようだった。

「近親交配は、生物の群れをとても弱らせるんだよ。 この動物たちの群れも、数が少なすぎて、結果近親者での交配を繰り返した結果、こうなったの。 数十年単位で色々な群れを観察して記録を残していた人がいてね。 150000頭ほどの同じ種類の動物で調べて、間違いないって結果が出ているの」

「では、この街に来たのは……」

「ただでさえ匪賊に脅かされているような集落が、外と血の交換を容易く出来ると思う?」

お姉ちゃんは。

何か思い当たる節があるのか、さっと青ざめた。

だけれど、口にしない。

お姉ちゃんがこんな顔をするときは。

本当に怖い何かを知っているときだ。

ソフィーさんは笑顔のまま。

この人。

本当にお姉ちゃんと年もあんまり変わらないのか。

「ソフィー、その辺で……」

「うん、分かっているよプラフタ。 そろそろ用事があるから、ごめんね。 これ、ご両親にお土産として渡してあげて。 歯を磨くようにも言ってね」

「あ、はい」

渡されたお菓子。

二人は、じっと背中から、わたしを見ていた。

お姉ちゃんは、まるで今にも戦いになるように、ずっと険しい表情のままだった。

 

家に戻ると。

今見てきたことを、お父さんとお母さんに話す。

そして、話し終えると。

お父さんは嘆息した。

とても辛そうだった。

「フィリス」

「どうしたの?」

「ソフィーさんの言う事は本当だ」

「え……」

お父さんの話によると。

エルトナの人間は、既に血が濃くなり過ぎているのだという。

いとこやまたいとこでの結婚を繰り返してきた結果。親族だらけになってしまっている。どこに行っても血縁関係があり。

そして血縁が濃すぎると。

おかしな子供がたくさん生まれてしまう。

お母さんが、目元を拭った。

「角に住んでいるフィフィさん知っている?」

「うん。 優しい人だよね」

「あの人、五人上に子供がいたんだよ」

「えっ……」

フィフィさんは優しくて物静かで、わたしにもとても穏やかに接してくれる。

昔はよく遊んでくれる、優しいおばさんだった。

だが。

五人、子供が。つまり兄姉がいた、ということか。

「みんな、とても見られないような姿で生まれてきて、しかも生まれた時には息がなかったんだよ。 その場で産婆がね、弔いの儀をしたんだ」

「……っ」

「エルトナのみんな分かっているんだ。 今回、ソフィーさんは、他の街との交流について、極めて簡単にできる方法を提案してくれた。 それだけで、長老だけじゃない、俺たちも本当に感謝の言葉しか無い」

まさか。

わたしも、何かおかしい事があることは分かっていた。

変な子供が生まれてくることがある事も知っていた。

産婆はいつも険しい顔をしていたし。

子供が出来ても、無かった事にされている事が多いことも良く知っていた。

だけれど、まさか。

それほど凄惨なことが起きていたなんて。

涙が零れてくる。

お姉ちゃんが、わたしを庇うように、少し低くて怖い声で言った。

「お父さん、お母さん。 フィリスちゃんをあまり悲しませないで」

「リアーネ」

「私は覚悟も何でも出来ているけれど、フィリスちゃんは」

「リア姉、大丈夫。 わたし……もう子供じゃないもん」

子供じゃない。

同年代の女の子は結婚して子供を産んだりもしている。

だから子供じゃない。

稼ぎだからと言って、いつまでも甘やかされていてはいけない。

わたしだって。

現実を知らなければならないのだ。

それから、少し難しい話を、お父さんがした。

ソフィーさんは、隣にある少し大きめの街と、この街が直接交流を持てるように取りはからってくれるという。

物流の取引はホム達がやるのだけれど。

それについても、もっと大きな組織が関わるらしく。

不正は絶対に許さないし。

不正が行われたら即座に通報して欲しい、という厳しい姿勢を取ってくれたそうだ。

その過程で、エルトナから出たい人も、その街に直接行けるようにもしてくれるそうである。

錬金術は凄いと。

お父さんは褒めていた。

わたしもそれはまったく同意だ。

そして、言われた事も思い出す。

「わたしにも、錬金術、出来るかもしれない」

次の瞬間。

その場が凍り付いた。

「フィ、フィリス……何を言っているんだ」

「ソフィーさんが言っていたの。 ものの声が聞こえる人には、例外なく錬金術師の才能があるんだって」

「……っ」

口を押さえるお母さん。

お父さんは絶句して、もう何も言えないようだった。

わたしは、この街の惨状を知ってしまった。

分かっていたのに見ないフリをしていたものを、見てしまった。

だったら。

わたしがやるしかない。

「わたし、錬金術師になれるか、ソフィーさんに聞いてみる」

「フィリス、お願い……」

「お母さん?」

「お願い、それだけはやめて!」

お母さんが。

普段は物静かで、あまり言う事もないお母さんが。

そう言って、顔を覆った。

声を失うわたしに。

お父さんが、静かだけれど。

必死に諭すように言う。

「今日は、その話はやめだ。 少し頭を冷やしてから、また話そう」

「……でも」

「やめだ」

有無を言わさない強い言葉。

わたしは、もう黙るしかなく。

そして、嗚咽するお母さんを見て。

もうそれ以上は、何も言う事が出来なかった。

 

4、決意

 

寝台に入ってからも。

色々な事を考えてしまう。

お父さんは悲しんでいた。

お母さんはもっと悲しんでいた。

お姉ちゃんは何か知っているようだった。

いつも自分は蚊帳の外。

でも、今日知ってしまった。

現実というものが、如何に残酷かを。

そして、わたしのように何も知らない子供でも、分かる事が一つ、はっきりとして存在している。

錬金術師であるソフィーさんはすごい。

というよりも、圧倒的に凄すぎる。

文字通り、一人いるだけで、エルトナなんて小さな街が、完全にひっくり返る。多分大きな街でも同じだろう。

お姉ちゃんが言っていた。

貴方は、前に見た錬金術師とは桁外れの存在だと。

ということは、ソフィーさんは、それこそ世界でも上位に食い込む錬金術師、という事になる。

その人が、才能があると言ってくれたのだ。

だったら、わたしが錬金術師になれば。

この街そのものを、変えられるかも知れない。

わたしだって知っている。

あんな門で街を守っているのは。

街の人達が弱いからだ。

匪賊が怖いし。

獣だって怖い。

ドラゴンも邪神も。

外にはおぞましい脅威がたくさん存在している。

お姉ちゃんは涼しい顔で外に出て、いつも生きて帰ってくるけれど。

それだって、いつまで続くか分からない。

このままだとわたしは。

声が聞こえる間だけは、鉱石を掘り続けて。

それが出来なくなったら。

お姉ちゃんが無事で帰ってくるのを、祈ることしか出来なくなってしまう。

そんなのは、嫌だ。

それに鉱石だって、いつまでもある訳ではないだろうし。

何より、知らされた惨状を考える限り。

この街は、放置していればいずれ滅んでしまう。

それを回避するためにも、長老は、孫のような年のソフィーさんを、拝むようにして接していたし。

更に言えば。

ソフィーさんは、わたしから見ても怖いところがある。

きっと、とんでもない修羅場をくぐり続けて来た人なのだ。

だから、きっと善意だけで街を助けてくれる筈がない。

きっと、親みたいな年の人とも渡り合い。

外では恐ろしいドラゴンや邪神とも戦い続けてきたのだろう。

お姉ちゃんが、桁外れの脅威をソフィーさんに感じているのは、見ているだけでも分かった。

街では無敵を誇るお姉ちゃんが。

絶対勝てない相手から、わたしだけでも守ろうと、必死に気勢を張っているのが分かったほどなのだから。

寝返りを打つ。

眠れない。

でも、それはそれとして。

錬金術は本当に凄かった。

あの力を自分のものにできれば。

きっと、世界を変えられる。

この閉ざされたエルトナを、優しい世界に変える事が出来る。

誰も外にいる猛獣に怯えず。

お空を見る事が出来。

鉱山の中で息をひそめて、近親婚を繰り返して生きていくだけの道から、解放される筈だ。

本の中にあるような、すてきな冒険の世界に。

わたしもいけるかも知れない。

怖いのは確かだ。

でも。同時に。

外に出られれば、ひょっとすると。

わたしは。

自分の力で。

世界を変えることが出来るのではないのだろうか。

お姉ちゃんだけじゃない。

お父さんもお母さんも優しい。

街の人達も。

だけれども、それはこの閉ざされた、希望の欠片もない街の、唯一の生命線だったからだ。

今更に、それを理解させられる。

嫌でも分かってしまう。

ソフィーさんは、爆弾を投下した。

わたしの心にだ。

わたしは今まで気づけなかったことを。

それで嫌でも思い知らされてしまった。

未来も明日もないこの街は。

エルトナは。

このままでは確実に滅びる。

そして、錬金術師がそれを変えられるのなら。

わたしがやるしかない。

ものの声が聞こえる人間が、錬金術師になれるのなら。

わたしは、むしろならなければならない。

でも、どうしてだろう。

お父さんもお母さんも、錬金術師になるのは反対のようだった。外は危険だから、というのが理由だろうか。

それはわたしだって、外が危ない事は分かっている。

何しろエース格のお姉ちゃんでさえ、時々怪我をこさえて戻ってくるのだ。

わたしも、寝ているときに。

お父さんとお母さんが、お姉ちゃんとどんなことがあったかを話しているのを聞いてしまったこともある。

とても生々しくて。

命が簡単に奪われる世界で、お姉ちゃんが頑張っている事も。

わたしは知っている。

悩みがぐるぐると回る。

でも、一つしなければならない。

わたしは、錬金術の才能があるのかを確かめる。

全ては、その後だ。

 

翌朝。

家の前にある、ソフィーさんのテントに出向く。

ソフィーさんは笑顔で迎えてくれた。

「どうしたの? お菓子ならすぐ出そうか?」

「いえ、その……」

「うん?」

「わたしに、錬金術師としての才能はありますか?」

ソフィーさんは目を細めてわたしを見ていたけれど。

やがて、不意に指を鳴らした。

あれ。

何だろう。

よく分からないけれど、何か起きたのだろうか。

気がつくと、わたしは。

妙な違和感の中、立っていた。

目の前には、笑顔のままのソフィーさん。

今、何かあったのだろうか。

「うん、素質は充分にあるね。 後は錬金術を実際に使って見て、それで覚えていく感じかな」

「……?????」

何が、起きたのだろう。

何だか良く分からない。

でも、分かったことはある。

この人は、多分嘘をついていない。

それならば、わたしは。

この世界を。

エルトナを、変えられるかも知れない。少なくとも、ソフィーさんは、利害で動くのだとしても。

今、わたしに嘘をつかなかったはずだ。

「フィリスちゃん!」

不意にテントに飛び込んできたお姉ちゃんが、わたしを庇うようにソフィーさんの前に出る。

ナイフに手も掛けていた。

「お姉ちゃん、違うよ。 わたしから、錬金術師としての才能があるか、見てもらったんだよ」

「……」

「リアーネさん、大丈夫。 少なくともこの街の人達と、あたしは利害が対立していないよ」

ぞくりとした。

その言葉だけで。

わたしも背筋が凍るかと思った。

お姉ちゃんが震えているのが分かる。

今、一瞬だけ。

とんでもない殺気が発せられた。

それこそ、ドラゴンがうるさがって、目の前で騒いでいる子ウサギを叩き潰したような。

おしっこを漏らさなかっただけ、わたしは偉かったかも知れない。

そして、ソフィーさんは言うのだった。

「それじゃあ、基礎をちょっとだけやってみようか?」

わたしは頷くしかなかった。

どんなに怖くても。

先細りしか未来がないこのエルトナ。

お父さんとお母さん。

街の人達。

それにお姉ちゃんも。

悲惨で決まり切った破滅の未来を変えるには。

わたしが、やるしかない。

わたしは震えを必死に押し殺しながら。

覚悟を、決めていた。

 

(続)