妄執の果ての炎

 

序、光の国の援軍

 

雲島。

イヴォワールに無数に存在する島の中でも、特に特殊な役割を持つ一つ。

セレストや資産家のサロンにみせかけ、多くの高級料亭が建ち並んでいるが。実際にはクロームや傭兵団を相手に、様々な依頼を行うための場所である。依頼は林立する料亭の中で行われるのが普通で、今そのもっとも高級な一つが、貸し切られていた。

普通だったらあり得ない事態だが、今回に限っては無理もない話である。

何しろ、アクアマリン地方のセレスト、モルト伯の借り切った料亭には。およそ10年ぶりに、現在の九つ剣が勢揃いしていたのだ。

九つ剣筆頭の無限剣ラファエルは、部下達を各地に派遣しているので、側近数名だけを連れてきている。他の九つ剣も状況は似たようなもので、殆どが単身でこの料亭を訪れていた。

いずれもが、何かしらの伝説を残しているほどの使い手である。最低でもドラゴンを単独で倒せる程度の実力で無ければ、九つ剣に席を並べることを許されていないのだ。もっとも、モルト伯は疑っている。サルファーがあと10年も来なかったら、この称号も、名誉職になり果ててしまうのでは無いかと。

九つ剣とは呼ばれているが、いずれもが剣術使いというわけではない。

現在の九つ剣次席であるファブニルは、つい二月前にこの席に着いた。年老いた先代から、サルファー侵略が近い事を理由に席を譲り受けたのだ。九つ剣が席を譲る場合、本人の同意があるか、死亡した後に有志のセレストが合議の末に決める。このファブニルは槍については天下無双と呼ばれる武人であり、マーマン族の中でも最強と呼ばれる男だ。多少饒舌なことが欠点だと言われるが、気の良い男である。見かけはエイに似ている。

また、第三位のカルフォルンはネフライトの頂点に立つと言われる。ウサギリス族のネフライトである彼女は、攻撃魔術に関しては天下一とさえ言われており、第五位のネフライトであるオウル族のキナラが、激しくライバル視していた。

剣術使いもいる。

第六位と第七位は兄弟で、ペッカードとハンセルと言う。両方とも大柄な人間族の戦士で、全身に入れ墨を入れている。南方の、密林の島から来ている戦士であり、原始的ながら優れた剣術の使い手だ。

九つ剣は共通して特殊能力の持ち主だが、同時に例外なく優れた戦闘力を有している。ただ、現状第四位のブルムハートは、既に高齢であり、今回はサポートに廻ると明言していた。かっては九つ剣でも随一の豪傑と呼ばれたキバイノシシ族の戦士だが、既に高齢である事から衰えが激しい。だが、最強と呼ばれた傭兵団の長を長く努めていた指揮能力は健在であるため、後方からの作戦指揮には期待が寄せられている。

モルト伯が姿を見せると、雑談をしていた九つ剣が、一斉に背筋を伸ばす。

伯の後ろには、何名かの高名なセレストもいる。今回の席が、サルファー対策の重要な会議になる事は、子供の目にも明らかであった。

ホールから会議室に、九つ剣が案内される。

楕円形の長い机に席が並べられており、頂点の席にモルト伯が、その右側にラファエル。そして左側に、ファブニルが座った。九つ剣末席の人間族の弓使いアムルタートが席に着くと、モルト伯が側に控えている老騎士に、書類を配らせはじめる。

壮観だなと、屋敷の側の木に留めた使い魔を通して一部始終を目撃していたリレは思った。勿論リレから比べれば力は弱いものの、いずれもが歴戦をくぐり抜けた修羅達であり、軽く扱ってはならない者達だ。

「それでは、会議を開始する。 ラファエル、状況を説明して欲しい」

「はい。 まずサルファーですが、もっとも伸びたとしても二月、早くすれば明日にでも、この世界に再臨することが確実となっています」

「急な話だな、それは。 やっこさん、何か目的でもあるのかな」

ファブニルが余計なことを言う。咳払いしたラファエルが私語を慎むように言うと、ファブニルは面倒くさそうに頷いた。

配られた書類には、ここ最近解決された異変の幾つかが記されている。そのうち、ヴァーミリオン地方のある島に巣くっていた魔物は、ラファエルが打ち破った。その結果、火山活動が急激な沈静化を見せている。

だが、めざましいのは、何よりもマローネの活躍だ。

「噂には聞いていたが、アクアマリン地方、サンド地方に続いて、ウィステァリア地方でもサルファーの強力なしもべを撃破したようですわね。 この娘の詳細な情報はありますか」

「二枚目以降にまとめてあります」

「そうですか、どれ」

ゆったりしたしゃべり方をするカルフォルンは、高齢から少し頭が呆け気味である。実力は誰もが認めているのだが、最近は少し思考にガタが来始めていて、それを不安視する声もあった。今も書類に書いてあることにすぐには気付かず、老騎士に話を聞いたりしていた。

カルフォルンは今でこそこうだが、これでも若い頃は切れ味鋭い修羅のような人物として怖れられていた。当時の九つ剣でも最も恐ろしいとさえ言われたことがある。だが寄る年波には勝てないのが事実であり、今では引退が一番近いと言われている。

九つ剣から後継者無しで引退者が出ると、席次が移動する。あるいは、後継者の適性試験を行い、それで席次を決める。

カルフォルンが引退した場合、現在後継者に見なされている人物はいない。そのためキナラと第八位のオウル族の拳闘士ミシェイルがその座を巡って争うと、今は予想されていた。末席の新しい選定も必要となるだろう。どちらにしても、権力争いの延長線以上のものではない。実力をもって地位を得る事を第一とする九つ剣らしくないとは言われていた。

こういった権力争いは、どこにでもある。

ともに死線をくぐり抜けた英雄達が、些細なことから対立し、殺し合いに至る事など、枚挙に暇もない。

だが、それだけを理由に、九つ剣全てを否定するのは、おかしな話であった。

それにしてもと、リレは手元の資料を見ながら思う。

魔界の連中が人間との違いから四苦八苦していたのに対し、この天界のエージェントが持ってきた九つ剣の詳細なデータはどうだろう。

天使は無機的なようでいて、人間的な要素がずっと悪魔よりも強いという事が、証明されている。実際問題、先代の大天使長も、部下が人間的な野望を抱かなければ死ぬ事も無かった。人間出身のリレが天界では過ごしやすいことからも、その性質は明らかだ。

資料の中には、九つ剣それぞれの過ごしてきた過去や、経歴も細かく記されている。

たとえば筆頭のラファエルは、比較的毛並みが良い家系に産まれた。生真面目な性格は其処から来ている様子だ。だが若い頃は家族とは様々な事情から一緒に暮らしておらず、毛並みの良い家系の出身だとさえ知らなかったらしい。一時期荒れていたこともあるらしく、家庭の中に居場所が無かった事もあるそうだ。つまり、苦労して性格矯正をしたのだろう。

彼を育てたのが、今九つ剣を返上して、魔界からも注目されているスプラウト。真人間に育て上げてくれたスプラウトが闇に囚われ、心を閉ざしてしまっていることを、ラファエルは決して嬉しくは思っていないはずである。

会議が進められていく。

サルファーと戦う際、各国が出せる兵力について。備蓄されている物資について。

合計で五万程度の戦力が、一月ほどで集結すると老騎士が言う。これは大陸規模から言うと大変に少ないかも知れないが、この小さな群島が漂う海域で考えれば充分な数だと言えるだろう。

問題は、その中でまともに戦えそうなのが、一割もいないということだ。

「兵士達の殆どは代替わりしていて、実戦経験が無い者達ばかりです。 残り一割、クロームや精鋭傭兵団で構成された部隊に期待するしかありません」

「ラファエルさんよお。 あんたの所の白狼騎士団は、どうなんだ」

「問題ない。 サルファーが現れた場合、即応できる」

「だろうな。 頼りにしているぜ」

粗野なファブニルだが、先輩に対して彼なりの礼儀は尽くしている。兵はどうなのかと聞いたのも、発破を掛けたつもりなのだろう。

用意されたボトルシップの整備、それに魔術を利用した兵器の数々。それらを扱える兵士の練度など、資料が読み進められていく。

こうしていくと、イヴォワールの軍は、非常に脆弱だ。国家そのものが貧弱で、事実上貴族が国家元首となっているのだから当然だとも言える。更に言えば、組織整備だけでは無く、軍人の劣化も著しい。国家同士での戦争が御法度となっているらしいから、それも当然といえるか。このような世界で人間同士での消耗戦をやっていたら、サルファーには瞬く間に蹂躙されてしまうだろう。

軍は装備はともかく、練度や実力ではまるで役にも立たなさそうだ。しかしながら、クロームや傭兵団で構成された残りの一割がとんでも無く強い。実際問題、高い科学力で武装した天界の兵士達と、互角以上に戦ってみせるだろう。九つ剣の連中や、世界上位の猛者達になると、魔神クラス以上の実力は軽く有している。此処にいる九つ剣達も、例外ではない。

ラファエルはどうも此方に気付いているようで、時々視線を向けてくる。リレとしては嬉しい限りだ。

それくらいでなければ、とても決戦では役に立たないだろうから。

「今回もサルファーは手強そうだな。 此処にいる何人が生きて次の年を迎えることが出来るやら」

「兄貴、余計なことを言うな。 幸運が落ちる」

「そうだったな、弟」

ペッカードとハンセルが愉快なやりとりをしている一方で、深刻な話をしている面々もいる。

たとえば、一つの国の軍事顧問を任されているアムルタートだ。彼は元々軍人として武勲を重ねたイヴォワールの豪傑では珍しいタイプで、それが故に軍関係者からの期待も大きい。しかしながら、それが故に如何に今の軍が脆弱か知っている筈だ。

アムルタートが挙手して、出来る事と出来ないことを、順番に述べていく。面白くも無さそうに聞いていたブルムハートは、何度か咳払いする。

「それでなんじゃ。 こんな時の軍だというのに、役には立たないことを認めるのか、若造」

「無礼な。 如何に貴方が九つ剣でも知られた剛勇の持ち主だったとは言え、言葉が過ぎまするぞ」

「なんじゃと……!」

目を光らせて、ブルムハートが己の筋肉をふくれあがらせる。

年老いたとはいえ、並の魔神くらいなら一撃で殴り殺してみせるだろう、凄まじい肉体だ。それに対して、立ち上がらず、アムルタートは言う。

「装備や艦船の提供については、ご心配なくと申し上げています。 しかし、兵士達の訓練はまだ足りていないのが現状だと言っているのです」

「ならば、これから合同で訓練をしておくべきだろう。 いつサルファーが現れてもおかしくない状態だ。 各地で軍の訓練を強化し、最低でも兵器を使いこなせるよう、指示を出しておくべきでは無いのかな」

ラファエルが諭すように言ったので、ブルムハートも怒りを収め、アムルタートも頷いて黙った。

要所要所で、ラファエルは口を出し、喧嘩になりそうだったり紛糾しそうだったりする議論を的確な意見でまとめている。介入のタイミングは絶妙で、会議は一切混乱していない。

この辺りは、30年前から灰汁の強い九つ剣をまとめてきた手腕だろう。ラファエルは異様な若作りだが、精神の方は老成していると見ていい。ただ、リレが見たところ、完璧とは言いがたいようだが。

もっとも、完璧な人間などまずいない。ラファエルには、狂気に似た妙な影がある。それが何に起因するかまでは、資料には書かれていないし、見たところ判別は出来なかった。

「一通り意見はまとまっただろうか」

「モルト伯、この場の席に、まだ招かれていない客人がいるのではありませんか」

「どうしてそう思うのかね、無限剣のラファエル」

「先ほどから此方を監視しているご婦人がおいでだ」

思わずリレはにんまりとほほえんでいた。

どのみち、姿を見せるつもりだったのである。けらけらと笑ったのは、キナラだった。

「わざと気配を出していたんだろ。 伯爵様、どうなんだね」

「そろそろ頃合いかと思っていたが、良いだろう。 どうもサルファーによる被害は、この世界だけではないらしくてな。 今回、増援を申し出てきた存在がいる」

「それは、ひょっとして魔界の悪魔では」

「さっしがいいが、それだけではない」

隣室に控えていたリレは、魔王セルドレスと共に、部屋に入る。

流石にセルドレスの異形を見て驚いたらしい者もいたが、リレと護衛の天使達を見て、別の意味で驚いた者達もいたようだった。

「魔王セルドレスだ。 話がまとまるまで出られずにすまねえな」

頭を掻いてみせる、生きた岩山のような巨体。

リレは慇懃に礼をしてみせると、自己紹介した。

「リレ=ブラウ。 天界で天使長待遇の扱いを受けている魔術師よ」

「どちらも相当な強者のようですが、それでもサルファーには叶わないと」

「悪魔の力は、サルファーには通じないんだよ。 魔術だろうが武器だろうが、全く関係無しにな」

顔を見合わせる九つ剣。

リレは用意された席に座ると、天界側の資料を出す。魔術の技術に関しての幾らかの提供。それに天界軍の優れた武器の提供。

「そのような凄まじい武器を提供してもらって、我らは何をすれば良いのですかな」

「この世界の人間は、魔界の悪魔にも匹敵する強者揃い。 彼らの力を、サルファー討伐のためにまとめていただきたく」

「ありがたい申し出だが……」

セレスト達の顔は渋い。

イヴォワールの住人も、無数に存在する異世界のことを、なんと無しには知っているのだろう。

このイヴォワールは、そもそも小さな閉じた世界だ。一つの星の一地域に過ぎず、外側の領域からは怖れられ、隔離さえされている。貧富の差は激しく、人口も少なく、魔物の脅威は恐ろしく、治安も悪い。

それに対して、異世界の存在は圧倒的だ。

そもそもイヴォワールの外側にある大陸にさえ、畏れを感じているだろう彼らである。別の世界から来た住人に対して、脅威を感じぬ訳もない。

ラファエルが腕組みして考え込んだ後、モルト伯に話を振る。

「モルト伯、彼らとはいかなる接触を」

「少し前に、殆ど同時に接触をしてきたのだ。 どうもこの世界にも、彼らの手下となっている存在はいるようでね」

天界は接触にこの世界の宗教組織を使い、魔界は裏世界の顔役であるコールドロンを介した。

それを聞いて、ラファエルは一瞬だけ眉を動かした。

或いは気付いたのかも知れない。魔界の司令官の一人であるソロモンが、イヴォワールの足並みを揃えさせるために、裏で様々な画策をしていたことを。ここのところ、群雄割拠だった裏世界の勢力が、急速に一本化したことは、ラファエルも知っていたのだろう。気付いたとすれば、其処からだ。

「なるほど、あなた方も本気でサルファーを倒したいというのであれば、私は歓迎いたしましょう」

「無限剣の、大丈夫か」

「人間だけで対処できる相手ではありますまい。 事実今まで多くの勇者英傑が挑んできたのに、倒すことは出来ても滅ぼすことはついに叶わなかった相手です。 あの勇者スカーレット様でさえ、ついに、ね」

「そうだな。 此処でこの恐るべき災厄は断つべきか。 いかなる手を用いたとしても」

最古参の一人であるブルムハートが頷いたことで、大勢は決まった。

九つ剣の面々が、一通り、契約書類を回し見する。天界軍は協力の見返りを求めていないが、代わりに人員は提供するようにと契約書に書いた。。

魔界軍もそれは同じである。

具体的な作戦については、これから協議する。というか、宇宙空間における陽動作戦は、彼らに協力を要請しても意味が無いことだ。だから、イヴォワールにおける中核の作戦だけ、になるが。

しばらく会議を聞いていたが、不意に飛び込んでくる兵士。

彼がモルト伯に耳打ちする。声を拾うことも出来るが、リレは敢えてしなかった。

「なんと、それは本当か」

「はい。 急いで対策を練るべきかと」

「ふむ……」

「如何なさいましたか」

モルト伯が此方を見る。リレは非常に嫌な予感を覚えた。そういえば、魔界側で大きなトラブルがあった。まさかのタイミングで魔王ソロモンが、現地で育てていた人材に殺されたというのである。ソロモン配下の悪魔達は殺気立っていて、犯人を必ず殺すと息巻いていて、セルドレスも手を焼いているそうだ。もっとも、そのセルドレス本人が、犯人を捜すことにもっとも意欲的だそうだが。

そして、教えてくれた。予想の最悪を極めることを。

「我々が今回、主力として期待している人物が、単身魔島に向かったそうだ。 サルファーが現れるとしたら、まず間違いなく其処だろう。 状況はまだ確認中だが、あまり良くない事態であることは確かだな」

「……マローネですか」

「調査済みか。 流石だな。 無限剣ラファエル、魔島へ精鋭を派遣したい。 行ってくれるかね」

「分かりました。 直ちに」

流石に動きが速い。リレも口元を魔術書で隠すと、後ろに控えている天使兵達に指示を出した。

「こちらも動くわよ。 部隊を展開準備。 いざというときには、敵の追撃を粉砕する」

「分かりました」

「クラスター攻撃砲を持って行きなさい。 無限剣の実力は私の想像以上のようだけれど、サルファーのしもべを複数相手にするには厳しいでしょう」

頷くと、天使兵達がその場を去る。

さて、もう一つ二つ、やっておかなければならない事がある。

「モルト伯、勇者スカーレットのことですが」

「我々も探しているのだが、皆目行方が掴めぬ。 貴殿らは何か知っているのか」

「恐らく、近々姿を見せることでしょう。 此方からは、もう連絡を取りました」

伯爵の顔が驚き、そして歓喜に揺れた。

これでいい。

カリスマの内、新しい方はこれから救助し確保する。

そして古い方にも、おいでいただく。もう戦う力は無いかも知れないが、それでもかってサルファーを倒した勇者だ。

さて、これで駒はそろう。後はそれぞれが、全力を出し切る、ただそれだけだ。

 

1、魔島の罠

 

マローネが戻ってくると、ヴァーデンはすぐに作業を始めた。酷い戦いのあとだったから、槌の音は眠りの妨げになるかと一瞬だけ思ったのだが。しかし実際に床についてみると、すぐに眠ることが出来たのだった。

何度かカナンの手当を受けながら、短い眠りを繰り返し、その度に少しずつ食べ物を口に入れていく。

回復を早くするために、カナンに言われたことだ。新陳代謝を加速することによって、回復術の効果を何倍にも高める。そして起きているとき、必ず槌の音は響いているのだった。

新聞を時々アッシュが取って来てくれる。

イヴォワールタイムズには、今までの悪態が嘘のような記事が載っていた。しかも書いたのは、あのフィルバートである。

アクアマリン地方の異常気象を解決。サンド地方の魔物を撃破。そして、富と自由の島で、バンブー社の本社に巣くった魔物を殲滅。

いずれもが、マローネの手による行動だった。

その上、報酬は最低限しか受け取っていない。もはや、彼女を悪霊憑きと呼ぶのは止めよう。彼女こそ、サルファーを打ち倒せるかも知れない英雄になり得る存在だ。

くすぐったくなるほど恥ずかしい内容だが、カスティルからの手紙も来た。その新聞を読んで、彼女はとても喜んでいた。

通信機を使って話もする。

カスティルは、新聞に載ったことはとても良いことだと褒めた上で、だが釘を刺す。

「これはとても良い傾向よ。 でも調子に乗っては危ないわ」

「うん、分かってる」

カスティルが言うには、今人々の心が変わりはじめている、瀬戸際なのだそうだ。此処で更に皆のために働いている所を見せれば。

悪霊憑きという不名誉な呼ばれ方を返上し、以降は幸せに暮らせるかも知れない。そう、カスティルはとても嬉しい事を言ってくれる。

もしもそれが実現したら、マローネは嬉しい。悪霊憑きと呼ばれなくなることではない。みんなに好きになってもらう事は、マローネの夢なのだ。

体を休めながら、回復を図る。

杖が出来たのは、帰還後三日しての事であった。

 

マローネを一瞥すると、鍛冶士ヴァーデンは、杖を無造作に突き出してきた。枯れ枝のような腕に握られた杖は、一見すると以前とあまり変わりないように思える。

だが、触ってみて、違うことが分かった。

以前とは、一体感が、完全に別物だ。使っていても壊れそうにない。

「あ……すごく良いです」

「そうか」

「ヴァーデンさん、有り難うございます」

礼をするマローネ。これからのことを考えると、どれだけ強力な杖があっても足りないと思っていたのだ。

ヴァーデンはしばらく杖を見ていたが、やがてハンマーを床に置く。

「……未練が晴れる日は近いかも知れんな」

「ヴァーデンさんは、何が心残りなんですか」

「英雄の武器を打ちたかった。 そんな子供じみたことだ」

彼が生きた時代の話をしてくれる。

今よりも、ずっとサルファーの脅威が身近だった時代。10年にわたって、現世にサルファーが居座っていた時期があったのだという。九つ剣も毎年のように変わっていた。配下の魔物達と戦い、その度に死者を出していたからだ。

地獄の時代。

多くの人が恐怖に怯え、ゴミのように殺されて、死骸は彼方此方に山積みになっていた。剣を志したこともあったが、才能が無かった。だから、せめて英雄達の武器を作りたかった。

そうして、鍛冶士になった。

多くの戦士達の剣を打った。多くの悪霊が、それで討ち取られた。やがて、彼が死ぬ頃には、当時の勇者がサルファーを討ち、ひとときの平穏が訪れたのだった。だが、勇者が手にしていたのは、ヴァーデンが打った剣では無かった。

それからも、ヴァーデンの剣は、各地で使われ続けた。技術は評価されたが、ただそれだけだった。

「良い腕止まりだった。 だから、勇者の手に渡ることは無かった。 英雄が使うことも無かった。 悔しかったよ」

「……」

マローネは頷くと、決める。

どのみち、サルファーとは決着を付けなければならないのだ。皆に話すべき時が来た。

まだ、確信が得られていない部分もある。推測しかない場所もある。

だからこそ、皆の意見が聞きたいと思う。

「みんな、集まって欲しいの」

「どうしたんだい、マローネ」

「この間、サルファーの配下と、会話する事が出来たでしょう。 今までの事も合わせて、推理してみたの。 私頭があんまり良くないから、間違っているかも知れない。 でも、何となく、分かったことがあるから、聞いて欲しくって」

全員が、その場に集まる。

まだ輪廻の輪に戻っていないファントム達や、パレットも、ヴォルガヌスも。

みんな、マローネの話を聞いてくれる。だから、真摯に、偽らずに、知ったことを話したい。

「これを言うと驚くかも知れないけれど、サルファーのしもべに、とてもよく似た生き物がいるの」

「何だろう」

「人間よ」

サルファーのしもべ達と戦っていて感じるのは、その悪辣な悪意である。

捕食のために攻撃してきているのではない。

将来競合する相手だとか、縄張りで獲物を争うからといって、排除に掛かってきているのではない。

知能が高い動物の中には、弱い動物をなぶり殺しにして遊ぶ者もいると聞いたことがある。それはしかし、狩の練習であったり、ディスプレイ行動であったりして、人間が集団的に行う悪意の発露とは別のものだ。

悪霊と人間が違うのは、使える力と物量。

それに、欲望の形なのでは無いか。

「そもそも、悪霊という呼び名がおかしいと思っていたの。 彼らには生き物に憑依する力があるようだけれど、それだけで悪霊とどうして呼ばれるのかしら。 ファントムが見える人は、私だけじゃ無いわ。 それなのに、どうしてファントムとは似ても似つかないあの怪物達が、悪霊と呼ばれたのだと思う?」

「それは……分からない」

「私にもそれは不思議だった。 確かに、悪霊と呼ぶには、おかしな形状をした存在ではあるな」

みんな、笑い飛ばさずに、話を聞いてくれる。

意外なところから助け船が来た。コリンだ。

「実はね、あたしの頃からすでに彼奴らは悪霊って呼ばれていたよ。 あたしが知る限り、最古の資料の頃からね」

「コリンさん、昔もあの悪霊達は、姿が変わらなかったんですか?」

「全く同じだね。 たまに強い奴がいて、それは全然別だったけど」

やはりそうか。

コリンほど古い霊ではないが、ヴァーデンの頃も、やはり同じだったそうである。鍛冶士は証言してくれる。

ヴォルガヌスは。偉大なる古代竜は、しばらくじっと話を聞いていたが、首を横に振った。

「残念だが、儂はサルファーのしもべと交戦した経験があまりないでな。 だが、確かに古くからあの丸い奴は、人間に悪霊と呼ばれていたような気がするよ」

「コリンさん、どうしてか、何か思い当たる節はありませんか?」

「僕も聞きたい。 あんたなら、もう気付いているんじゃ無いのか」

くつくつと、コリンは笑った。

しばらく沈黙を流した後、コリンは顔を上げる。

「まさか、ろくな資料もないのに、自力でそこに辿り着くとはねえ。 マローネちゃん、結論を言ってみたら?」

マローネも、この結論に辿り着いたときは、怖かった。

だが、此処にいるみんなは、きっと話を聞いてくれる。だから、大丈夫だ。それでもためらいは生じる。

今まで戦って来たことが、無意味になってしまうような気がするからだ。しかし、話す。それはもう決めた。

戦いだ、これは。もう、戦いから逃げないことは、決意している。

だから、話さなければならない。

「サルファーの正体は、人間か、それの成れの果て。 そうではありませんか?」

「何だって!?」

「んー、悪霊と呼ばれる連中については、人間の悪意の塊がねじ曲げられて、意思と形を持ったものだってのは、実はあたしの時代にもはっきりしてる。 今の時代でも、多分ネフライトの一部は知ってるんじゃないのかな」

流石にガラントがバッカスと顔を見合わせた。

しかし、ハツネが反論をしてくる。

「サルファーの実力は、名だたる魔王達が総出でも、どうにもならないほどのものだし、それに。 私自身は遠くからサルファーを見たが、あれが人間の成れの果てだとは思えなかった。 圧倒的な力は明らかに人間の領域を超えていたし、何より悪意以外の意思のようなものは感じられなかった」

「……そのあたりは、どうしてなのかは分かりません。 でも、悪霊の性質を見る限り、この世のどの生物よりも、人に近い気がするんです」

「確かにな。 知恵を付け始めてからの悪霊は、どう考えても人間しか採らないような戦術を駆使してくることが目だったな」

コリンを皆が見るが、流石に彼女も肩をすくめる。

とりあえず、此処までだろうか。だが、頭から馬鹿にされなかっただけでも、収穫なのかも知れない。

この中でサルファーを直に見たのは、恐らくハツネだけだ。ハツネに他にも聞いてみたい事がある。

「ハツネさん、サルファーの姿は、どのようなものでしたか?」

「以前癒やしの湖島で交戦した魔物がいただろう。 あれが、もう少ししっかり肉付けされたような形をしていたな。 今になって思えば、あの魔物はサルファーの写し身なのかも知れん」

「なるほど、干涸らび島や雪の森林島、それに富と自由の島で戦った魔物よりも、あの骨張った奴の方が、本物に近い姿と言う事か」

「そうだ。 それにあの骨張った奴は、どうもマローネに報復するために動いていた可能性が……」

ハツネが言葉を止めたのは、ボトルメールが来たのに気付いたからだ。

緊急便だ。

すぐにアッシュが拾ってきて、中身を確認する。どうやら中傷メールでは無いようなのだが、内容が妙なのだという。

「マローネ、どうするかは判断を任せるよ。 差出人も書かれていない」

「えっ? どういうこと?」

目を通すと、確かに奇妙きわまりない内容だった。

「世界が大変なことになります。 話を貴方だけにしたい。 魔島へ来てください」

筆跡は見た事も無い。

何よりも、抽象的な内容だ。それに何より、どうして魔島で、マローネだけに、世界が大変になるかも知れない話をするのか。

魔島と言えば、サルファーが現れる可能性が最も高そうな場所では無いか。

足を踏み入れるだけでも危険な島なのに、そんな場所で話をするなんて。どんな事情があるのだろう。

「罠の可能性もある。 行くのは止めた方が良いだろう」

「罠、ですか」

「魔島にわざわざ呼び出す理由が無いという事だ。 今の我々は、生半可な相手にはまず負けないが、逆に言えばそれでも孤立すると危ない。 もしも魔島で罠に掛けられると、非常に危険な状態に陥る可能性もある」

ガラントの言う事ももっともだ。マローネも散々戦いを経験してきたから、手段を選ばず勝とうとする人がいることも知っている。戦いにはきれい事が無い事も、身をもって覚えてきた。

皆に意見を聞いてみると、真っ二つに割れる。

カナンは言ってみても良いのでは無いかと言う。彼女は魔島に調査に行きたいと以前言っていたし、何よりそれが未練の一部になっているのだから当然か。コリンも賛成した。面白そうだから、だろう。

パレットは意見を保留。ガラントとバッカスは反対。

最初にアッシュは意見保留を明言していたし、これはマローネが決めなければならないだろう。

「誰かが困っているかも知れない……」

罠の可能性は、マローネも考える。

だが、どうしようもない事情がある人がいるとしたら。放ってはおけない。マローネは、みんなに好きになって欲しい。

それならば、好きになってくれる人を、えりごのみしていてはいけないはずだ。

「分かった。 ならば、罠に備えて万全の準備をしていこう」

アッシュが荷物をまとめてくれる。

一旦皆がコンファインを解除したのは、マローネの負担を少しでも減らすためだろう。マローネの決断を指示してくれた皆に報いるためにも。罠であったとき、それを破れるだけの準備をするのは、当然の話だった。

 

ボトルシップに荷物を積み込むと、すぐに海原に出た。

おばけ島の周辺は今でも穏やかで、美しい珊瑚礁が広がっている。海も透明度が高く、歩いてわたれるような浅瀬もどこまでも続いていて、濡れることさえ厭わなければ、隣の島まで歩いて買い物に行くことも出来る。魚たちの鱗がキラキラと輝いていて、普段なら天国に見えるかも知れない。

海の幸は豊富だから、単独で暮らすことは難しくない。

ただし、本格的に物資が欲しい場合は、富と自由の島までいかなければならないから、ボトルシップは必須だが。

運転はガラントがしてくれる。マローネは後部の荷物置き場で、膝を抱えて座っていた。

ああ言ったが、どうもマローネもおかしいと思うのである。罠の可能性は、確かにあると思う。

そしてマローネを陥れたいと思うほど恨んでいる人は、残念ながらいる。

一番最初に思い当たるのが、ウォルナットだ。彼はお金の価値を絶対視しているようだった。悲しい人生を送ってきたのが、それだけで分かる。あの人には、マローネがしていることを、自分の人生そのものを否定する行為に見えるのかも知れない。

人生の否定。

とても悲しい事だ。マローネだって、みんなに好きになって欲しいと言う人生の目標を否定されたら、きっと悲しいだろう。

勿論、ただ心がとても醜いだけという人もいるかも知れない。

だが、ウォルナットは、違うように見えた。何度も酷い目に遭わされたのに。

他にも、マローネを恨んでいる人はいるだろう。何度も仕事でやっつけたベリルの人達は、その代表例だ。今までに二回、仕事場でそういったベリルに襲撃されたことがある。いずれもすぐにガラントが気付いて事なきを得たが、マローネがクロームを続けていく以上、今後も何度も恨みを買い、そして襲われることはあるはずだ。

心が醜くなるには、理由がある。

血統が腐っているから、最初から心が醜いなんていうのは、マローネを虐げてきた人達と同じだ。そんな人達をにくいと思うなと、マローネの両親は常々口にしていた。皆のためになる事をして行くことで、みんなに好きになってもらえと、何度も教えられた。

だが、荒事をすれば、必ず泣く人が出てくる。

悪いことをしたベリルをやっつけるとする。ベリルから守られた人達はいい。それならば、ベリルはどうなるだろう。

法律で裁くのは当然のことだ。だが、その後は。

「ねえ、アッシュ」

「どうしたんだい、マローネ」

「みんなが平和に暮らせる穏やかな世界って、ないのかな」

「ないな」

後ろで聞いていたらしいハツネが即答する。

アッシュも、悲しそうに目を伏せた。

「僕も同感だ。 平和に見える島でだって、弱肉強食の理がある。 自然には淘汰と繁栄がある。 どんな存在だって仲良く平和に暮らせる世界なんて、きっと夢の中にしか存在しないよ」

「そうだよね。 分かってるんだ、そんなこと」

マローネも、生きるために、サルファーのしもべを大勢殺してきたのだ。たくさん返り血を浴びて、傷つけて傷つけ返して。皆を守るために、迫る悪霊達を大勢倒してきた。いや、そんな言い方は、欺瞞だ。

生かすために、大勢殺してきた。

膝を抱えて、ぎゅっと身を縮める。

力を持つと言う事が、どういうことか。マローネは最近、身をもって思い知らされている。

もしも、これが罠だとしたら。

マローネが不相応な力を持ったことに対する、報いの一つなのかも知れなかった。

船の速度が上がる。

このまま、マローネの悩みも、風に飛ばされてしまえば、どんなに楽だろう。

いつの間にか、夕方になっていた。魔島に着くのは、明日になるだろう。ボトルシップの燃料はたっぷりあるから、遭難のおそれは無い。メンテナンスもしっかりパレットがしれくれているから、安心感がある。

夜になってから、運転席に移って、毛布を被って寝る。

一回くらいの徹夜なら何とか大丈夫だが、これから魔島に行くのだ。力はどれだけあっても足りないくらいである。だから、事前にしっかり眠っておくのだ。

魔島で待っている人は、もしも罠で無いのなら、無事だろうか。それが、マローネには、少し気がかりだった。

 

魔島に到着したのは、昼少し前である。

この周辺は海域から危険で、ガラントに運転してもらうのは必須だ。海の荒れも酷く、所々真っ黒な海の中に渦が出来ている。あれに飲み込まれてしまえば一巻の終わりである。波間には、巨大な怪物の背びれが時々見える。船が転覆したら、喰ってしまおうと待ち構えているのだ。魔物に分類される存在かも知れない。

空気も最悪で、吸っているだけで気分が悪くなってくる。カナンがかけてくれた浄気の術式が無ければ、島に上陸する前に体調を悪くしてしまっただろう。

まるで背びれの生えた巨大な魚が丸まったような姿をした魔島。以前は離島に上陸し、そこで複数の傭兵団と死闘を繰り広げた。

今回は魔物も怪物もいない離島ではなく、危険な本島だ。そこには美しい砂浜などと言うものはなく、ごつごつした真っ黒い岩が散らばる海岸に、船を寄せる。砂浜もあるかも知れないが、とりあえず上陸してみないことには始まらないと思ったのだ。

まずコリンが船に隠蔽の術式を掛ける。

辺りの気配が、段違いだ。まだ怪物と遭遇したわけでも無いのに、全身に身震いが来る。本能が警告してきているのだ。これ以上行くと危ない、と。

ガラントが、ボトルシップを縄で固定。荷物を下ろす。

そりに乗せて、バッカスが荷物を引きずる。今回使うそりは、積載量よりも、悪路に強いことを優先したタイプだ。今回は怪物がどれだけ現れてもおかしくない最悪の状態なので、当然の対策である。

それに加え、今回は最初から全員をコンファインする。パレットはそりの上にのせて、最近練習していたクリスタルガードを使う事だけに集中してもらう。今まで戦場を間近で見てきたからか、パレットは案外肝が据わっている。いざというときは、マローネがコンファインを解除して、危険を避ける。

それらのことは、全て出る前に打ち合わせた。

普通、ガラントは、ハツネもだが、あまりパレットを戦線投入したがらない。彼女が成長していない、という事は無い。

今回はそれだけ危険だと言う事である。

「先頭は俺。 マローネは、中間。 左はカナンとコリン。 右はアッシュ。 パレットは怪物が出たら、ずっとクリスタルガードを展開。 ハツネはマローネの側で支援」

「ガラントさん、誰かが待っているとしたら、どこだと思いますか?」

「目立つ場所だろう。 案外、合図か何かをしてくるかも知れないな」

「いっそ、こっちから合図をしてみようか」

止める前に、コリンが火炎系の術式をぶっ放す。マローネは唖然としてしまったが、ガラントは意外に冷静である。

爆炎から逃れるようにして、マンティコアが岩陰から現れ、そして消えたからだ。ただ、他の島で見られるマンティコアと根本的に違った。全身が真っ黒で、体中に訳が分からない突起が有り、一匹に至っては背中から触手まで生えていた。

マローネは気づけなかったが、コリンは伏せている彼らに気づいていたのだろう。あかんべえをしているコリンに、マローネは少しだけ感謝した。

爆発の音は遠くまで響いたはずだが、今の時点で相手側からのアクションは無い。狼煙などが上がる様子は無いし、勿論誰かが姿を見せることもまたしかり。狼煙については、今まで幾つかの傭兵団と一緒に作戦行動に参加したことがあるから、マローネにも知識がある。

狼煙は煙だけではなく、音を使う事も多い。特徴的な煙と音で、作戦などを伝えるからだ。もしも、誰かがマローネを呼ぶなら、今の号砲に対し、とびきり派手な狼煙を上げてみせるはずだ。

もっとも、此処は魔島だ。それが出来ない状態である可能性も高い。

歩いてみると、周囲の異様さが際立ちはじめる。

岩の形からして違う。他のどの島でも見られない、奇怪極まりない形をしている。どんなふうな自然の影響を受けたらこうなるのか、皆目見当もつかない。

植物もあるが、いずれもが苦悶そのものを示すようにねじくれ、曲がり、異常な臭気を放っている。

古い骨を踏んだ。明らかな人骨だ。

カナンが軽く弔いを行ってくれた。マローネも目を閉じて、踏んでしまった死者にわびる。周囲にファントムはいない。この恐ろしい島から、逃げ去ったのだろう。

島は起伏が激しく、ガラントは何度も大きな声を上げていた。恐らく、勝てる相手であれば、威嚇して追い払っているのだろう。バッカスも時々、後ろを見ている。今の時点では、仕掛けてくる怪物は、いない。

ガラントが手を横に出す。

止まれという合図だ。

杖を握りしめながら、マローネは身を低くする。その方が飛び道具に当たりにくくなるからだ。

「ガラントさん、どうしたんですか」

「静かに」

空いている左手で口を押さえると、周囲の異様さが更に際立ってくる。

ぼこぼこと泡立つ音。何処かで硫黄か何かが噴き出しているのだろうか。岩の間を、這いずる音。虫では無いだろう。さっきのマンティコア達のように、異形と化した生き物か。勇気が欲しいと、昔は願うこともあった。今は、怖いものはぐっと減った。

カナンが無言でクリスタルガードを展開する。

その時点で、襲撃者も来始めた。

普通よりもずっと大きいマンティコアが、ぞろぞろと姿を見せる。それだけではない。肉食性の怪物が彼方からも此方からも、どこにこれほど隠れていたのか分からないほど、次から次へと現れた。

会話が成立する空気では無い。数は軽く百を超えている。一瞬でも油断すれば、即座に攻撃を仕掛けてくるだろう。

いくら魔島でも、これは異常だ。確かに魔島の怪物は異常に狡猾で、もの凄い数で徒党を組んで襲ってくると、クロームギルドの資料で見た事があるが、これはそれにしても度が過ぎている。

罠だ。

やはり、罠だった。

バッカスが荷車を下ろすと、パレットが意外に身軽に、マローネの側に立った。そして、結構強固なクリスタルガードを展開する。ハツネはそれと同時に、バッカスの少し後ろまで歩を進める。

じりじりと、互いに間合いを詰め合う。

大きな蛇の、しかも首が七つもある恐ろしい怪物が、ゆっくりと這い寄ってくる。まず、大物を叩くのが、こういう場合の定石か。

岩が、どうしてか分からないが、爆ぜた。

それが島のあまりにも異常な魔力の高まりに影響されたのだと気付く前に、戦いが始まる。

怒濤のごとく、怪物達が押し寄せてくる。凄まじい地響き。重量級の怪物が、先を争って押し寄せてくるのだから当然だ。まるで、生きた山津波。以前雪崩に巻き込まれたときも、こんな迫力で、白が迫ってきた。

至近。

猛獣たちは、非常識なほどに早い。全ての猛獣が、食欲に目を滾らせ、よだれをまき散らしながら飛びかかってきた。

前線が、接触する。

飛びかかった猛獣を、頭から一刀両断にするガラント。アッシュが蹴り挙げたベヒモスが、回転しながら飛んでいき、飛来した大きな頭を持つ猛禽に直撃、共に落ちた。

見る間に、周囲は血みどろの死闘の展覧場と化す。とても、全てを捌ききれる状況では無い。すぐに乱戦の中、猛獣がクリスタルガードにまで達した。巨大な蛇が、マローネを飲み込もうと鎌首をもたげ、ノーアクションでかぶりついてきた。

クリスタルガードの抵抗で凄まじい白光が放たれる中、蛇の首が落ちる。コリンが振るった光の鞭が、他の魔物もろとも、輪切りにしたのだ。

血がぶちまけられる。内臓が飛び散る。

ハツネが立て続けに四体の猛獣を撃ち抜く。カナンが、光の術式で、怪物を押し返す。だが、多勢に無勢である。次々と、クリスタルガードに、獅子の前足が振り下ろされ、巨大なギガビーストがタックルを浴びせてくる。恐ろしい音が立て続けに響いた。苦しそうに、パレットが汗を流しはじめる。

頷くと、マローネは、皆に魔力を注ぎ込んだ。

まだ、ヴォルガヌスに出てもらうには早いだろう。

クリスタルガードの強度が一気に倍以上に上がり、怪物達の攻撃が文字通りはじき返される。

わずかに怪物達の勢いが鈍化する。命知らずの怪物達も、鉄壁を見てひるみを覚えたのだろう。

反撃開始だ。

アッシュもガラントも加速されたように動きが良くなり、あたるを幸いに怪物を蹴散らした。

見る間に、周囲に死体の山が出来ていく。ガラントが左右に敵を切り分け、バッカスが食いついた敵を振り回して、遙か遠くまで敵を放り捨てた。そして、飛びついてきた熊の怪物と、真正面から組み合う。体格は向こうが上だが、既にバッカスは、マローネの魔力のバックアップで、非常識なまでのパワーを身につけていた。

熊を逆にベアハッグすると、背骨をへし折る。そして、地面にたたきつけ、とどめとばかりに首を食いちぎった。

バッカスが雄叫びを上げると、他の皆も、更に反撃を苛烈にする。

だが。

形勢不利とみたか、怪物が一旦撤退していった後。

マローネの疲弊は、相当な所にまで達していた。全員を魔力強化したのだから、当然とも言えるが。

周囲は死体の山だ。

異常な形にねじくれた怪物達の死骸から流れている血は、いずれもが不自然に赤黒く、魔島の異常な環境をそのまま示しているようだった。血の臭いも、普通の鉄さびのそれとは違い、何処か腐敗したような甘ったるさを含んでいた。吐き気を押さえるのに、マローネは苦労した。

「マローネ、大丈夫か」

「私は平気よ。 みんなは?」

「今、手当てしています」

カナンが治療の術式を、皆に掛けていく。平気な顔をしているが、あれだけの数に一度に襲われたのである。手傷は皆が負っていて、消耗したのはマローネだけでは無い事が見て取れた。

さすがは魔島である。

マローネも、それなりに腕を上げたつもりではいたが、此処まで異常な環境の島があるとは、知識で持ってはいたのだが、やはり何処かで甘く見ていた。ハツネがカナンの回復術を受けながらぼやく。

「これは魔界の深部並だぞ。 人間の世界とはとても思えん」

「少し休んだら、どうするか決めよう。 これはほぼ確実に罠だ。 進むか、それとも引き返すか」

「マローネ、どう思う」

アッシュの言葉に、ガラントが話を振ってきた。

本当だったら、喜ぶべき所かも知れない。マローネの判断力を、少しずつ信頼してきてくれている証左なのだろうから。しかし今は、結局の所多数決で否定意見も多い中、賛成に票を入れてしまった責任が重くのしかかっている。

顔を上げると、マローネは決める。

「この罠を作った人は、どうして私を殺したいのか、知りたいです」

「進むのか」

「はい。 それに、これだけ周到な罠です。 引こうとしても、手を打ってあると思いますから」

残念だが、ずっと使って来たボトルシップはもう駄目かも知れない。

コリンが隠蔽の術式を掛けてくれてはいるが、それでももっと腕が良い術者や、すぐれた武術の持ち主になると、残留物から場所を特定することは難しくないと聞いている。怪物くらいはごまかせるかも知れないが。

此処に悪意のある人間がいる場合、ごまかせる確率は極めて低いだろう。

少し休んで、軽くおなかに食べ物を入れた後、進む。ハツネがバッカスの背中に上がると、周囲を見回す。

舌打ちした彼女は、目を伏せた。

「おかしい。 さっき襲撃してきていた怪物が見当たらない。 さっきも、襲撃の直前に、急に現れた」

「この島さ、サルファーに重度の汚染を受けてるから。 あの怪物達の様子を見ても気付いたかも知れないけれど、悪霊にほとんどが憑依されてるからね。 長期間憑依されると、体が歪んで、精神が汚染されて、最終的には能力も得るんだよ」

つまり、それは。

悪霊の十八番である、空間転移の能力を怪物達が備えている、という事だろうか。勿論跳べる距離は限定的なのだろうが。そうでなければ、魔島の怪物が、近隣の島で猛威を振るっているはずだ。今の時点でその報告が無いのは、不幸中の幸いかも知れない。

こんな恐ろしい島で、マローネを本気で殺すつもりの罠を仕掛ける。一体誰の仕業なのだろう。

それが、気がかりだった。

 

休憩を入れながら、魔島を見て廻る。

地形は意外と起伏に富んでいる。かってコリンが、此処は豊かな自然のある島だったと、離島を訪れたときに言っていたことを思い出す。丘が有り、谷が有り、洞窟もある。川も存在していた。

ただし、流れている水はどす黒く濁り、タールのように粘ついて、とても飲めるような代物ではなかったが。

これでは何もいないだろうと思ったが、見るとウジ虫のような小さな生き物が、水の中で多数蠢いている。

おぞましいと思うよりも、マローネは単純に感心してしまった。生き物というのは、たくましい。こんな環境でも、生きていくことが出来るのだから。

襲撃はひっきりなしにあった。

最初ほどの規模では無いにしても、やはり多数の怪物が、突然四方八方から襲いかかってくる。

魔物ほどの質は無いにしても、いずれもが並の怪物とは、破壊力も大きさも段違いだ。しかもそれぞれが異常な環境の影響で、攻撃性が常軌を逸して増しているのだから厄介極まりない。此処での仕事は絶対に避けろと、傭兵団やクロームに話が出ているわけである。

三度目の襲撃を退ける。

マローネは、既に肩で息をつき始めていた。小高い丘に出ていて、周囲は見回せるというのに、いきなり無数の怪物が現れたのである。カナンは横たえられて、自身の回復術で冷や汗を流していた。隙を見せた一瞬でマンティコアに食いつかれ、振り回されて地面にたたきつけられたのだ。

マローネが魔力を送り込んでいなければ、その場で存在を維持できなくなっただろう。

「しっかし凄い数だねえ。 この島のどこに、あの怪物どもを支えるエサがあるのやら」

「お前は知っているのでは無いのか?」

肩をすくめたコリンに、冷たくガラントが言う。

コリンはにやりとした。きっと、どうしてか、ろくでもない理由を知っているのだろう。マローネは、休むように言われたので、パレットと一緒にバッカスの影に座る。ハツネも先ほどの戦いでは酷い手傷を受け、びっこを引いていた。カナンの回復が間に合っていない。これから回復をかけたとしても、魔力の消耗は押さえきれるものではない。パレットも、三度の戦いでクリスタルガードを展開し続け、消耗は小さくないようだった。顔色はあまり良くない。

「怪物の数は減っているようにはみえないな」

「襲撃時に確認しているが、同じ個体は見かけない。 この島の生息密度は異常だ」

「ガラントさん、もう島の半分くらいには、来たでしょうか」

「羅針盤は使い物にならないからな、先ほどから影の長さと方角をみて調べているがだいたいそんなところだろう」

「……それなら」

そろそろ、罠を掛けた人がいるなら、姿を見せるはずだ。或いは、今までで最大規模の罠を仕掛けてくるか。

これ以上進ませると、それだけ海岸線に近づけることになる。それは脱出を容易にさせるという意味を持っている。

魔島は恐ろしいが、海岸線には広くごつごつした岩場が広がっていて、さっき見て廻ったところ、怪物も少ない。怪物がいるのは、ほとんど内陸部なのだ。つまり、海岸線を廻っていけば、比較的安全にボトルシップがあった地点に戻ることが出来る。

罠を仕掛けた人には、それは好ましくないだろう。

それに、罠を仕掛けた人がいるなら、此方を見ているはずだ。マローネの消耗は、既に小さくない。

まだ切り札は何枚か温存しているが、此処で力を使い果たすことは、すなわち死を意味している。

罠を張った人も、それは理解しているだろう。仕掛けてくるなら、此処だ。

気付く。

空間の裂け目。見ると、その中に何かおぞましいものが蠢いている。何度か見かけた、サルファーのしもべたちが現れる恐ろしい闇の穴だ。コリンが前に出ると、すぐに封印に掛かる。

「少し時間が掛かるよ。 しかし、汚染度が高い穴だなあ……」

「封じられますか?」

「可能だよ。 ただ、少し力は消耗するけど」

コリンが詠唱を開始。ガラントが側に立ち、周囲を警戒する。魔法陣が虚空に出現し、穴が縮まりはじめた。

穴の中で、無数の触手が、苦しげに蠢いているのが分かる。中に、以前戦った、骨のようなおぞましいサルファーのしもべが、一瞬だけ見えた。

穴が消える。コリンが肩で息をつく。

そして、穴が消えても、周囲の禍々しい気配に、衰えは無い。こんな穴が、魔島にはいくつもあるのだろうか。

一つや二つ消し飛ばしたくらいでは、話にならないことだけは、周囲の有様から理解できた。

「ほう、やりますねえ」

慇懃な声。

反射的に戦闘態勢を取る皆の前に姿を見せたのは。頭がはげ上がった、ウサギリス族の中年男性。

そうだ。以前コールドロンを暗殺しようとした、凄腕の殺し屋だ。

確かに刃を交えた相手だ。今でもとても恐ろしいと思う。だが、この人に、どうして恨まれているのかが、分からない。

「貴方は……」

「私? 私はただのしがない暗殺者ですよ。 私はただ世界の混沌を愛するのみ。 貴方を殺そうというのは、別の人でしてね」

「誰ですか、それは」

「俺だよ」

逆方向。

丁度、暗殺者とマローネを挟むようにして現れたのは。

声で、既に分かっていた。

それに、この人の可能性が、一番高いとも思っていた。

腹立たしいとは感じない。ただ、とても悲しい予想が、当たってしまった。

コートをなびかせて現れたのは。全身に焼け付くような凄まじい炎の魔力を纏った、ウォルナットだった。

歩く度に、岩がじゅっと音を立てている。

形相は既に尋常なものではなく、目には濃厚な狂気があった。獲物を狙う獣とか、そういうものではない。

妄執に囚われ、何かを殺すために、全てを傾けた目だ。

そしてその目は、マローネだけを見ていた。焼き尽くし、引き裂き、粉々に打ち砕いてやりたい。そう目が語っている。

「どうして……」

「てめえ、ただばたらき同然で仕事をしているとか言う話だな。 自分を虐げてきた連中を相手に、どうしてそんな事をする」

声は、低く据わっている。

さながら、親の仇に、相手の罪状を告げるかのように。

「私は、みんなが好き。 だから、みんなに、好きになって欲しいから」

「……そうか。 それなら喜べよ。 俺はてめえが嫌いで、今後も死ぬまで絶対に好きにはならねえよ」

「マローネ、相手にするな。 此奴らは、もう人間じゃ無い」

アッシュは既に戦闘態勢に入っている。

ハツネが、深い怒りを湛えた言葉をぶつける。

「マローネを憎むのなら、自身で来い。 何故、これだけの事をしでかす。 我々悪魔は、確かにお前達がいうように頭が単純だ。 だが、それでも思うぞ。 お前達は、バカか!」

「ああ、バカだね。 だが、俺にはもう引くことは出来ないし、引く理由だって無いんだよ!」

「……マローネ、引くつもりなら、援護するが?」

ガラントの目には、純粋な嫌悪がある。

マローネは、そうやって、憎悪が連鎖してふくれあがっていくのを見て、ただ悲しかった。

ウォルナットは、きっとまだ何か、喋っていない事情を抱えている。マローネを憎んでいるのは、信念の違いだけが理由では無い。

それを喋ってくれることは無いだろう。

今は、まだコミュニケーションが成立している。話には、話を返してくれているのだ。それなのに、諦めるのは。

「戦いましょう」

「分かった。 ただし手加減はせんぞ」

手加減は、出来る相手ではない。

以前戦ったときと比べて、感じる魔力が尋常では無いほどに上昇している。それに、以前単独でキャナリーを含む此方のほぼ全戦力を圧倒した暗殺者まで一緒にいるのだ。此処で、戦いが終わる可能性は高い。

だが、マローネは、最後まで諦める気は無かった。

「手加減は、出来ません。 貴方がとても強いのが、分かるから」

「上等だ! その首炭になるまで焼き付くして、踏みつぶしてやる! 覚悟しやがれ!」

ウォルナットの全身から、まるで爆発するように、凄まじい密度の炎の魔力が放出された。

 

2、因果応報

 

雄叫びを上げたウォルナットが、炎を纏ったまま、突入してくる。

青い燐光を纏ったアッシュが迎え撃つ。

だが、ウォルナットの拳が地面に炸裂すると、巨大なクレーターが出来るほどだ。拳が直撃したことで、島そのものが揺動するほどである。

どうやって、これほどの力を身につけたのか。

しかも、以前と違って、力を使っても消耗している気配が無い。

焼け付くような魔力の波動が、マローネの所にまで伝わってくる。

獰猛で荒々しく、そして激しい。火山が側で噴火しているかのような圧迫感だ。

「強いな……」

今の拳の一撃をどうにか避けたアッシュが、着地。

戦力をはかっている段階は終わった。コリンが詠唱を開始。カナンも、コリンに攻撃が来た場合は、即座にガードできるように対応をはじめた。さて、ウォルナットはどう動く。マローネを狙ってくるなら、それならば対処はむしろたやすい。

残像を残して、ウォルナットがかき消える。

ハツネが即応。マローネの真上を、複数の矢が飛び去った。一本の矢を、炎を纏った腕で弾きながら、満面に狂気の笑みを浮かべたウォルナットが、至近で拳を振り下ろそうとした瞬間、地面から噴き出した炎が、その体を跳ね上げる。

コリンが、絶妙のタイミングで術式を発動したのである。

中空に浮き挙げられたウォルナットだが、全身に纏った炎のような熱気のオーラを爆発させることで、空中機動を実現。地面に自分をたたきつけるようにして、横殴りのハツネの追撃を逃れる。地面にクレーターが出来るが、まるで気にせず突進してくる。滅茶苦茶だ。いくら力が上がっていても、こんな戦い方をしていたら、体が保つわけがない。

すぐ至近では、ガラントが暗殺者を押さえ込みに掛かっている。暗殺者は残像を残してマローネに迫ろうとしているが、ガラントはその進路をことごとく塞いでいた。

地味で堅実なのがガラントだが、その力は確実に上昇しているらしい。以前、圧倒的な力を見せつけた暗殺者に、追いつけるほどには。

無数の斬撃が、四方八方からガラントに襲いかかる。もうマローネには見ることさえ出来ないほどの。

いや、どうしたことだろう。

見ることだけなら、さほど難しくは無いような気がする。少なくとも、暗殺者の剣がどう動いているかは分かった。勿論対応は出来ないだろうが、ガラントがそれを最小限の剣さばきで防いでいることも理解できた。

ガラントが嵐のような攻撃の中、前に出た。振り下ろされた一撃を大剣で受け流しつつ、ローで蹴りを入れる。わずかに浮いたところを、今度はガラントが連続で突き込む。暗殺者は剣で弾いて空中で自身の位置を調整すると、着地と同時にガラントの懐に入ろうとするが、飛び下がる。

もしも突入を強行していたら、完璧なタイミングで膝が入っていただろう。暗殺者が、目を細めた。

だが、それは次の行動に移る予備動作に過ぎなかった。

残像を残して、暗殺者が仕込み刀を杖に入れたまま、ガラントの真横に出る。マローネも、今回ばかりはその動きが全く見えない。やはり、とんでも無く強い相手だ。凄まじい光と共に、剣が抜き放たれようとした瞬間、ガラントが動く。

剣先が、暗殺者の剣の軌道を防ぐように、なめらかに奔る。暗殺者はすり足を利用して高速で後退し、ガラントの間合いから逃れる。

音は、一連の戦闘で、殆ど出ていない。

ガラントが大上段に剣を構える。大剣での大上段は、難しいと同時に破壊力が尋常では無く、振り下ろせば鎧兜を着けた相手でも、一刀両断にされるとガラント自身が言っていた。

勿論隙が大きい構えなので、簡単にはできることでは無い。

それに何より、この暗殺者は速さを武器にした存在だ。悪手に、思える。だが体勢を低くしたまま、すり足でゆっくりガラントの右から左に移動している暗殺者は、侮っている様子は無い。

マローネが全く分からない次元で、二人が想像を絶する駆け引きと手の読み合いをしているのは、疑いない所だ。

暗殺者が一旦下がる。

「ほう、随分力を上げていますね」

「どれだけの戦いをくぐり抜けたと思っている」

「亡霊の分際で?」

くすくすと笑いながら、暗殺者がガラントの背後をとろうとした瞬間。

絶妙のタイミングで旋回したバッカスが、尻尾をその腹にたたきつけていた。今まで、暗殺者が崩さなかった余裕が。

この瞬間、粉みじんに消し飛んでいた。

地面にたたきつけられ、バウンドした暗殺者が、形相を歪ませる。

ガラント一人が暗殺者を押さえ込む布陣だと思い込んでいたのだろう。そしてガラントが、暗殺者に広い視野でものを見せなかった。

マローネは、アッシュに叫ぶ。

感覚共有が出来るから、相手に対してこういったトリッキーな策が実行できるのだ。

「アッシュ! 攻勢に出て!」

「よし、任せろ!」

「てめ、ふざけ……」

アッシュが全力でエカルラートを展開。

その凄まじい青い光を見て、ウォルナットの口が止まる。マローネが、アッシュに魔力を注ぎ込めば、今はこうなる。

炎を纏った拳で、アッシュを抉ろうとするウォルナット。だがその時には、アッシュの蹴りが、彼の脇腹に食い込んでいた。

直撃。

中空に浮き上がったウォルナットを、更にアッシュが追撃する。空中で追いつくと、踵落としを叩き込み、地面に撃ち落とす。其処では、コリンが術式の展開を終え、無数の蔓が地面から生えていた。しかもその蔓は、光を放っていた。自然物では無い。

数度バウンドしたウォルナットを、前後左右からアッシュの攻撃が襲う。既にウォルナットの対応限界を超えている。

マローネの額からも、汗が流れる。だが、側でじっと見ているパレットのためにも、この戦いは一刻一秒でも早く終わらせなければならない。アッシュの全力エカルラートも、そう長くは保たない。

蔓が、血反吐を吐いたウォルナットの身を拘束する。もがいて逃れようとするウォルナットだが、魔力で言えばコリンの方が強い。

更に、暗殺者はバッカスとガラントが完全に押さえ込んでいる。形相を歪ませた暗殺者は先以上の速度を見せているが、バッカスとガラントの完全な連携が、行く手も攻撃も完封していた。

マローネ自身、驚いたほどである。

勿論、ウォルナットの拳が直撃していたら、パレットのクリスタルガードでは耐えきれなかっただろう。

しかし、アッシュをはじめ、皆の力がウォルナットを既に上回っていた。

実際問題、今まで戦って来たサルファーのしもべに比べて、ウォルナットと暗殺者が恐ろしいようには思えない。

「畜生、離せーっ!」

絶叫したウォルナットが、蔓を引きはがそうと、もがく。

アッシュがエカルラートを解除した。同時に、マローネも魔力を注ぎ込むのを止める。

勝負あった。明らかに、コリンの術式の方が、ウォルナットのパワーを上回っている。放っておいても、もう対処は必要ない。

暗殺者の方はというと、既に姿が消えていた。

何が目的だったのだろう。ウォルナットに、何故協力していたのか。それに、先ほどの台詞、どうも気になる。

それに何より、ガラントの表情が、嫌な予感を喚起させた。

「ウォルナットについては問題無さそうだな……」

「ガラントさん?」

「ああ、彼奴は手加減をしていたよ。 まだあの状態でもな」

妙に戦いが簡単に進むと思った。

あの暗殺者、或いは。

「その通りだ。 彼奴は最初から、ウォルナットを捨てるつもりだったようだな」

「……っ!」

元々、憤怒で歪んでいたウォルナットの表情が、それを聞いて更に真っ赤に染まった。口の端から泡を吹きながら、逃れようとする。

だが、コリンが珍しく真顔のまま、術式を操作し続けている状態だ。

全身を拘束している光の蔓は、どれだけの熱を浴びても千切れる気配は無い。側で見下ろしているアッシュにも、油断は無かった。

「マローネ、此奴を殺そう。 このまま生かしておくと、絶対に災いを呼ぶよ」

その言葉を、ウォルナットが怖れている様子は無い。

むしろ、やれるものならやってみろと、歯を剥きながら此方を見ていた。それがマローネには、ひたすら哀れでならなかった。

そして、分かっているのだ。

きっとお父さんとお母さんに言われていなければ。自分も、こうなっていただろうことは。

或いは支えてくれる人が、側にいなければ。きっとこんな風に、心が闇に落ちてしまっただろう事も。

「やめて、アッシュ。 そんなことはしないで」

「てめええええっ! 俺を哀れむか! 哀れむって言うのか! 俺を殺さなければ、どこまででも殺しに行くぞ! 絶対だ! 絶対にてめえを、消し炭にしてやる! ぶっ殺して、死体を海に捨ててやるからなあ!」

ウォルナットが、もがく。

手足を引きちぎってでも拘束を脱しようというウォルナット。見かねたガラントが上から体を押さえつけ、何か関節の辺りを掴んだ。

鋭い悲鳴が上がる。

痛みを完全に超越してしまっている様子のウォルナットが、これほど痛がるのだ。恐らく、普通の人なら気絶してしまうほどの痛みに違いない。

流石に、暴れるのを、ウォルナットが止める。

コリンが、何か術式を重ねがけした。

炎の魔力が、弱まっていくのが分かる。ウォルナットが、呻きながら、声を漏らす。拳で、何度も地面を叩いた。

「なんでだ! どうして、俺は勝てない!」

「どうして、そんなにお金にこだわるの? 貴方の大事なものは、お金がないと、無くなってしまうの?」

「そうだ! 金が無いと、命さえな!」

或いは、やはり重病の患者なのかも知れない。

だが、ウォルナットが、悪いことをしてまで稼いだお金で、その人が喜ぶのだろうか。

その人の前でだけ、優しい表情をしているウォルナットの事が、想像できてしまう。とても容易に。

だからこそ。狂気に染まりきった今のウォルナットを見たら、その大事な人は、悲しむだろう。

お金が無ければ、何も出来ない。

確かに一理ある言葉だ。マローネだって、お金が如何に大事かは、よく分かっている。それを否定する気は無い。

だが、お金だけではどうにもならないものも、またある。それをマローネは、お父さんとお母さんから、受け継いだ。

「俺を哀れむんじゃねえっ! てめえに哀れまれるくらいなら、俺は……!」

今度はガラントが、首の後ろを掴んで、地面にたたきつける。

舌を噛もうとしたのを、止めさせたのだろう。立て続けのダメージで、ついに言葉を喋る元気もなくなったらしいウォルナットが、やっと静かになった。

アッシュが首を横に振る。

「マローネ、好機はもう何度も無いかも知れない。 今のウォルナットは、ハツネさんがいう魔王クラスくらいの実力はあったんじゃないのかな。 そこまで腕を上げた奴が、手段を選ばずに殺しに来たら、もう僕にも手に負えないかも知れないよ」

「アッシュ、お願い。 その人を、殺したりしないで」

「俺もアッシュに賛成だ」

ガラントが、拘束されたままのウォルナットの首根っこを掴んだまま言う。

そのたくましい腕は、その気になれば即座にウォルナットの頭を砕くだろう。

「世間から外れた人間はいる。 少し前までのマローネ嬢もそうだった。 世間から外れる事は、必ずしも有害では無い。 だがな、此奴とマローネ嬢では、芯の方向性が違うのだ」

この男は、目的のためなら手段を選ばない。

ガラントが言う事も、確かだ。

マローネだって、戦いの中で、多くの命を奪ってきた。生きるために、多くの怪物を殺したし、悪霊だって鏖殺した。

人だって、直接そうしたわけでは無いが。

その死に、関わってきたでは無いか。

マローネが、今少しでも、ウォルナットの死を望めば。この男は死ぬ。危険は去り、そして少しでも世界は平和になる。

みんな、それをためらわない。多分パレットでさえ、ためらわないだろう。ウォルナットの存在そのものが、マローネのためにならない事を、知っているからだ。

一瞬でも、心が動かなかったと言えば、嘘になる。

マローネは、目尻を拭った。

「ごめんなさい。 殺さないで」

「人が良すぎるのも問題だよ……」

「くすくす」

コリンがあまりにも幸せそうに穏やかに笑っている。

分かっている。マローネが傷つきながら、涙を流しているのが、嬉しくて仕方が無いのだ。アッシュは本気で腹を立てているが、しかしそれでもマローネのために戦ってくれる人で、裏切ることだって多分無い。

マローネは首をもう一度振って雑念を追い払うと、言った。

「駄目。 やっぱり殺してはいけないわ」

 

この瞬間。

既に心をへし折られていたウォルナットは、絶望した。

そして、それが。

イヴォワールにとって、致命的な結果を生んだ。

 

闇の中で、それが気付く。

わずかなときの前、自分を徹底的に痛めつけた存在。

「スカーレット」の気配に。

雄叫びを上げたそれが、空間の裂け目に殺到。そして、打ち砕き、ついに怨敵の姿を捕らえた。

「スカーレットぉおおおおおおおおおっ!」

絶叫が、空間を振動させる。

そして、今、この瞬間。

サルファーが、イヴォワールに、再臨した。

 

3、闇の到来

 

暗殺者フィランゼは、少し離れた丘で、全てが思い通りに行く光景を見届けた。

実に満足である。

ウォルナットに接近したのは、奴がサルファーを呼び出す鍵になると分かっていたからだ。かってだったら、奴程度の微弱な能力では、サルファーを呼び出すにはとても足りなかっただろう。

勇者スカーレットと同じサイコ・バーガンディの使い手とはいえ、人間の領域を超えていない程度では、話にならない。

あの勇者スカーレットは、並の魔王以上の実力を有していたのだ。それと同等とは行かないにしても、近い実力を発揮してもらわなければならなかった。

だから、ソロモンをそそのかして、力を増させたのだ。

更に言えば、単にサイコ・バーガンディを使う程度では、サルファーをピンポイントで呼び出すことは出来なかっただろう。

だから、敢えて。

負けるとわかりきっていて。その結果も把握した上で、マローネにけしかけさせたのである。

これで、最後の目的まで、後一手。

モルト伯カーマインを。

フィランゼの父を殺すまで、そう長い時は必要としないだろう。

サルファーは、まだ完全にこの世界に出現した訳では無い。ウォルナットを包み込んだ力場は、恐らく逃がさないようにしている檻。

その真上に、具現化しつつある、白い巨大な塊。

骸骨のようにも見え、もっとおぞましい何かのようにも見える、とてつもなく巨大な存在。

それが、サルファーだ。

フィランゼも、見るのはこれで二度目。此奴がスカーレットに撃退される前に、一度だけ見た事があったが。間違いない。サルファーである。

マローネは、仲間達に引きずられるようにして、その場を後にしていく。最後までウォルナットを救おうとしていたようだが、滑稽極まりない。救ったところで、あの阿呆が、感謝などするものか。

ウォルナットは、自分がしでかした事態に、もう気付いている。

唖然とサルファーを見上げ、既に動く気力も無いようだ。此処まで何もかもが上手く行くと、あまりにもおかしくて、笑いがこぼれてくる。

さて、もう少し状況を見守った後、此処を離れよう。

そう思った時、マローネの代わりにやってきたのは、既知の人物であった。

「お前は……ふん、糸を引いていたのは、お前だったか」

「これは大剣士どの」

慇懃に礼をするフィランゼに、手当たり次第怪物を斬ってきたらしい、かっての九つ剣筆頭、スプラウトが鼻を鳴らした。スプラウトは返り血さえ浴びていない。さもありなん。あの滅茶苦茶な戦闘力である。怪物など、文字通り薙ぎ払って進んできたのだろう。

フィランゼとしても、流石にスプラウトとまともに戦うのは避けたい。今のマローネでも、まだこの怪物的な豪傑にはかなわない。ましてやこの男は、サルファーを殺すために、30年がかりで念入りな準備をしてきたのだ。

「儂としては、サルファーを殺せれば、それでいい。 貴様がどれだけ下劣な陰謀を巡らせようと関係が無い。 だが……」

「おっと」

剣の間合いから飛び退くが、スプラウトがその気なら、今の一瞬で斬り伏せられていた。思っていたよりも、ずっと間合いが遠い。担いでいる大剣だけのリーチでは無い。衝撃波を飛ばして、自在に敵を斬ることが出来る様子だ。

これほどの達人なら、あり得る話だ。

かっての父も、これくらいは。それを思うと、歯がみしたくなる。

「お前の目的は何だ。 サルファーを殺す邪魔をするのなら、容赦はせん」

「利害は、貴方と一致していると思いますが」

「囀るな奸兎。 目的だけをいえ」

「ふむ、どうも選択肢は無さそうですね」

どうもスプラウトは怒っているらしい。此奴も状況を見ていた事は疑いないが、ならばどうして怒っていたかよく分からない。

此奴は復讐鬼だ。それ以外の機能は存在していないと思っていたのだが。まさか、武人の魂とやらでも残っていたのだろうか。

「私の目的は、父の抹殺ですよ」

「あのような老人、放っておけばいずれ死ぬだろう。 少なくともお前よりも先にな」

「それでは意味が無いのです。 武人としての父を、この私が殺さなければ」

「ふん……」

それだけを聞くと、スプラウトは興味を失ったようだ。

その場に座り込み、後はどこにでも行けと、投げやりに言った。言葉に甘えて、スプラウトの気が変わらないうちに、その場を離れる。

さて、マローネはどうこの窮地を逃れるか。

それに、興味はあった。

だが今は、優先順位が違った。

 

ただ、悲しかった。

サルファーに囚われたウォルナットは、流石に戦意も怒りも消え失せたようだった。無理も無い。自分が引き金になって、サルファーを呼び出してしまったのが、誰の目にも明らかだったからだ。

そして、どれだけ自暴自棄になっていても、ウォルナットがこの世界にサルファーを呼ぶことが、どういう意味を持っているかは理解している様子だった。彼が大事な人だって、死んでしまうに違いないのだ。

それでもなお、ウォルナットは血を吐くように叫んだ。

どうして、俺を責めない、と。

アッシュが目に炎を宿すが、止める。

理解できた。

ウォルナットは、きっとマローネと同じ立場で戦いたかったのだ。それは、責めて欲しかったのでは無い。

戦って、白黒を付けたかったのだろう。

だが、マローネは、ついにウォルナットと同じ立場にはならなかった。その言葉で、ウォルナットが求めていたことが、何となく分かってしまった。

同類が欲しかったのだ。

だが、マローネは、ウォルナットの同類にはなれない。なってはいけない。お父さんにもお母さんにも、顔向けできないからだ。

誰か支えてくれる人がいなかったら、同類にはなっていたかもしれない。しかし、それでも。同じ立場になって、ウォルナットと殺し合うことだけは、したくなかった。

そして、うなだれるウォルナットを背に、その場を離れた。

「自分を責めるな」

マローネを抱えたまま、ガラントが言う。

そう言ってくれると、嬉しい。

しかし、サルファーが現世に現れてしまう原因の一端は、此処までウォルナットを追い詰めてしまったマローネにもあるのではないか。そう思うと、自責の念は晴れなかった。

「アッシュ……」

「まだあんな奴のことを気にしているのかい?」

魔島全体が揺動している。

怪物でさえ逃げ惑っている状態だ。今は走って逃げるしか無い。不安なのは、ボトルシップが無事かどうかだが。

いきなり足下がひび割れ、クレバスになる。

今コンファインしているのは、健脚なバッカスとガラント、アッシュだけだ。バッカスが面倒だとばかりに、荷車を抱えてクレバスを飛び越える。

「私、あの人のこと、もっと真剣に向き合ってあげれば良かったのかな……」

「今はもういいから」

アッシュはどうしてか、珍しく怒っているようだ。

理由は分からない。

海岸が見えてきた。おぞましいまでに歪められた島が崩壊していく中、海も無事では済まない。

そして、マローネのボトルシップは、粉々に砕かれていた。

ずっと使って来た大事な船だ。この無惨な姿は、予想していたとはいえ、とても悲しかった。

下ろしてもらう。

退路は断たれてしまった。呆然と立ち尽くす。

ヴォルガヌスに運んでもらうという手もある。だが、ブレスを三度くらい吐くならどうにかなる現状でも、ずっと具現化してもらっているのは、かなり厳しい。いつまで保つかわからない。

もしも途中でコンファインが解けたら、荒海にドボンだ。海が多い世界で生きてきているマローネには、それが如何に絶望的な事態か、よく分かる。どんな屈強な海の男でも、絶対に助からない。ましてやマローネは。

凄まじい音。

後方では、噴火まで始まったようだ。それだけではない。竜巻が荒れ狂っているのさえ見える。

しもべでさえあれだけの環境変化が起こったのだ。

サルファー本体が出てきたら、どうなるか。その結果を目に見せつけられて、マローネも心が折れそうになる。

「くそっ! 駄目か!」

「いや、そうでもないようだな」

冷静に周囲を見ていたガラントが、指さす。

此方に飛来する何かがある。海の少しだけ上を、飛んでくる物体は、どこか船に似ていた。

しかし、それは船では無い。楕円形で、両側に羽のようなものが生えている。合計四機。見た事も無い乗り物が、くさび形の陣形を組んだまま、此方に飛んでくる。アッシュが、マローネの前に出る。

「おーい!」

何処かで聞いた声。

飛行物体の周囲には、翼をもつ人間が、たくさん飛んでいた。オウル族では無い。人間族の背中に、翼が生えているような人達だ。

霊体化している状態のコリンが、物珍しそうに言う。

「ありゃあ天使だ。 あの子、ミロリちゃんじゃないの?」

コリンの言葉で思い出す。

そうだ、輪廻の輪に戻ったミロリ。先頭を飛び、手を振っているのは。

あの不幸な人生を送り、それでも仲間を案じ続けた、ミロリに間違いなかった。

それだけではない。

ボトルシップも来る。かなり大型のもので、船上にはどうしてか、シェンナとムラサキの姿も見えた。

まもなく、船が海岸に接舷する。

降りてきたのはシェンナだけでは無い。護衛らしいフォックスの姿もあった。天使達も舞い降りてくる。彼らは此処に前線基地を作るつもりの様子だ。資材が運び込まれ、簡易陣地が作られていく。

見た事も無い砲台や、素材も使われているようだ。天使と呼ばれた羽が生えている人達と、傭兵達が共同して作業に当たっている。

天使達の船は、中空に留まったまま、島の状態を警戒している様子だ。船の一つからは、とんでも無く強い気配を感じる。サルファーをさっき見た時、身震いがするほどだったが。それに迫るかも知れない。

シェンナが来た。彼女はいつも、堂々としている。

「無事だったかい?」

「はい。 でも、ウォルナットさんが……」

「状況は分からないが、此処にいても出来る事は無いよ。 既にサルファーの復活は、全世界に広まっている。 そこにいる天使達が、魔界の悪魔達と一緒に、モルト伯に連絡したのさ」

ハツネがそれを聞いて不可解そうに眉をひそめたが、今は聞いている暇が無い。

言われるままに、大きなボトルシップに乗り込む。

中には中小の傭兵団の人達が、合計して八十人ほど乗り込んでいた。彼らは天使達と共同して、海岸におり、前線基地の設営を開始する。

マローネは居間に案内されると、船が動き出すのを感じた。

ウォルナットは、死ぬだろう。

助ける方法を、思い浮かべられない。

「大事な友達だったのかい?」

「……私を、殺そうと付け狙っていた人です」

「何だ、それなのに悲しそうにするなんて。 相変わらずのお人好しだね」

誰にでもそう言われるだろう。マローネも分かっている。

生きるために、今まで多くの命を奪ってきたのに。実際、戦いの中でウォルナットが死んでいたら、こんなに心に刺さることは無かったかも知れない。

マローネは知ってしまった。ウォルナットは、鏡に映ったマローネである事を。

だから、なのだろう。

天使の一部は、シェンナの船の護衛に入るようだ。ミロリもそれに加わるらしい。ミロリは一礼すると、甲板に上がった。後で色々と、積もる話もある。

「シェンナ、行き先は雲島でいいよな」

「ああ、そろそろ伯爵に会わないとならないしね」

「シェンナさんは伯爵様とお知り合いなんですよね」

「ああ、あたしが昔の名前で呼ばれていた頃からのね。 30年前には、モルト伯には軍を出してもらって陽動作戦を行ってもらったり、傭兵団を束ねて支援攻撃をしてもらったり、随分世話になったよ」

そうなると、シェンナさんは貴族か何かなのか。

そういえば、彼女の未だに衰えない美貌や、いつも身に纏っている豪奢な黒いドレスは、気品を感じさせる。

「実はね、マローネ。 少し前から、この事態は分かっていたんだ。 ちょうどあんたを呼びに行った所だったんだよ」

「えっ……」

「何しろ、あたしが以前に戦い、ずっと次の襲来に向けて準備してきた相手だ。 分からない筈も無いさ」

まだ分からないのかいと、シェンナは少し呆れたようにほほえんでみせる。

それで、やっとマローネも分かった。

「まさか! シェンナさん、貴方が、勇者スカーレットだったんですか……」

「そうだよ。 あたしが、30年前、サルファーとの戦いで足を負傷して、前線からは遠ざかっていた、スカーレットさ」

そう言われて見れば。

この人の髪は、見るもまばゆいスカーレットではないか。

部屋の外に、誰かがいる。シェンナが招き入れたのは、フィルバートだった。

「さて、記者さん。 あんたを呼んだ理由は、分かっているね」

「ああ、外で少し聞かせてもらったからな。 まさか名高い勇者スカーレットに対面できるとは、記者として望外の光栄だ。 それにしても、俺みたいなとんがった記者を、どうして選んだ」

「あんたは途中からマローネに対して公平な記事を書くようになった。 事前に広報担当をあんたにしようというのは、決めていたのさ」

「ほう? それはまさか、最近世界の後ろ側で動き回っていた連中と、ですかな」

フィルバートが、マローネの隣に座る。

世界の後ろ側で動き回っていた人達とは、何だろう。アッシュがフォローを入れてくれる。

「最近、どうも妙なことが続いていただろ?」

「そうね。 言われて見れば、何だかおかしいとは私も思っていたわ」

「何かしらの勢力が後ろで動いていた、ということなんだろ、記者さん」

「ああ。 勢力は大きいが動きが稚拙な連中でな。 近いうちに正体を暴いてやろうと思っていたが、あんたも関係があったのか、勇者様」

古い知り合いだと、シェンナは言う。

ただ、「連中」というわりには内部がまとまっておらず、現地での動きに混乱があったのだそうだ。意見の対立も大きく、ついに最近内ゲバまで起こったのだとか。

「内ゲバ?」

「内部で殺し合うことだよ」

それは酷い。マローネは悲しくなる。

船がどうやら難所を抜けたらしく、揺れが小さくなり始めた。フィルバートとシェンナは、難しい話を進めていて、マローネには全てが理解できなかった。フィルバートは、最初からマローネには説明する気が無いらしく、専門用語をばんばん使って話している。それを受けて、平然と返しているシェンナもまた凄い。

「なるほど、離島に身を潜めていたのは、サルファーによる攻撃での被害を可能な限り小さくするためであった、と」

「そうさ。 30年前の戦争でも、大剣士スプラウトの家族が惨殺されたことがあっただろう。 あたしは独り身だし、今後もそれを翻す気は無いから安心だが、居場所を襲撃されると無関係の者達が大勢巻き込まれるからね。 もっとも、少人数で暮らしていたといっても、自分なりにサルファー対策を進めていたわけだが」

ムラサキはどうなんだろうと思ったが、その辺りは触れるのが失礼な気もする。プライベートに踏み込みすぎるのは、非礼だとマローネは知っている。

だが、ウォルナットの場合は、そういった礼節が、ことごとく裏目に出た。

「サルファーに対する対策とは?」

「あたしが作り上げたボトルメールの工場は、世界中に一気に手紙を配信することが出来る。 この日に備えて作り上げた、高速情報通信網さね」

「なるほど」

恐らく質問は、既に作られていたのだろう。

フィルバートの言葉は流れるようで、ミスをすることは殆ど無かった。相手に話させることが仕事とは言え、見ていて凄いと思う。

イヴォワールタイムズは、世界にとって重要な存在だ。腕っ節が物を言うイヴォワールの現実の中でなのに、この新聞がどれだけ力を持っているか。

さぞや、此処まで来るのには、苦労もあったのだろう。

「マローネに目をつけた経緯は?」

「あたしは昔、ある理由から魔界の一つに足を踏み入れたことがある。 そこで徹底的に腕を上げて、そして一つの能力を得た。 それが、ゾーンさ」

シェンナの左目が、淡い光を帯びる。

それが強い魔力だと分かって、マローネは背筋を思わず伸ばしていた。

「これは未来視の一種でね。 マローネはサルファーを倒しうる存在に成長する可能性が高いと、あたしは見た。 もっとも、最初に出会ったときは、ただの可哀想な子供だとしか思っていなかったけれどね」

「考えを改めたのは、クロームとしての仕事ぶりが要因ですか」

「その通り」

「なるほど。 実に分かり易い回答を有り難う。 少し休憩を入れましょうか」

話について行けていない様子のマローネを気遣ってか、休憩を入れてくれるフィルバート。勿論優しさからではなく、マローネから効率的に話を聞き出して、良い記事を書くためだろう。

しばらくして、船の速度が安定する。航路に乗ったのだ。

航路に乗ったという事は、だいたいの位置も分かった。もう半日もしないうちに、雲島に着くだろう。このボトルシップ、驚異的に速い。速度だけを重視した造りになっているのかも知れない。

それから、雲島に着くまで。

マローネがぐったりするほど、いろいろな質問をされた。フィルバートはもうマローネをサルファーの手先だとは思っていないようだが。かといって、記者として手加減をする気は、みじんも無い様子だった。

 

雲島に到着すると、作戦会議が行われはじめていた。いろいろな高級料亭に呼ばれては、そこで会議をする。見知った強豪傭兵団の顔役だけでは無い。バンブー社のブータン社長やコールドロン、それにモルト伯の顔もあった。

マローネは丁寧に挨拶して廻り、その度に結構地位の高い席に座らされ、恐縮した。既に折衝役をしてくれそうなラファエルの姿は無い。その代わり、天使の年かさの指揮官らしい人達や、悪魔達もいた。ハツネがどんな魔界から来た存在か説明してくれるが、覚えられなかった。

マローネもガラントをコンファインして、折衝を任せる。自身ではそもそも言っていることを理解できないことも多いし、交渉ごとは昔から苦手だからだ。ハツネの事を見て、魔界の悪魔達は、同情はしてくれたが、それだけだった。死んだらそれでおしまい。それがドライな魔界らしい考えなのだろう。

まず魔島に行く人員が選抜される。突入部隊として、白狼騎士団を中心とした精鋭傭兵団が、可能な限りの総力で出撃する。各地にいる軍の精鋭部隊も、これに協力をするようだ。ラファエルは最前線で指揮を執るという。当然の人選である。魔界と天界の偉い人達も、既に前線に出向いているそうだ。

島の一角に止まっている大きな白い円盤状の船は、天使達のものだろう。見たものよりずっと大きい。

「あれはハイロウだ。 俺たちがここに来るときに乗って来た、旗艦だよ」

「ミロリさんもあれに乗って来たの?」

「ああ。 俺たちの司令官が怖い奴で、ひやひやのし通しだったけどな」

会議の合間に、歩きながらミロリと話す。

いつの間にか、ミロリは天使に転生していたという。選ばれた基準はよく分からないが、先輩の天使達が、世界を巡る無数の魂の中から、時々適性者を天使にするのだそうだ。肉体はあるが人間とはだいぶ違っていて、生殖は行わない(というよりも、性欲自体が存在しない)上に、空を飛べることや魔術を使えることを前提に街も作られているのだそうだ。

「それに、天界の時間の流れは、明らかにこっちよりも速い。 俺は何年も向こうで修行した気になっていたんだが」

マローネがミロリの昇天を看取ってから、まだ八ヶ月程度である。

そういえば、雰囲気も変わっている。随分ミロリはたくましくなった様子だ。

マローネは、少し背が伸びただろうか。体型もあまり変わっていない。お母さんは胸がかなり大きかったと聞いているが、マローネはあまり育ちそうに無い。魔力は加速度的に強くなっているようだが、体の方はそれと成長速度が反比例しているのでは無いかとさえ思えてしまう。

会議は、ほぼまとまりつつある。

だが、まだ決まっていないことがあった。

どうやって、サルファーを倒すか、だ。

ただ、それに関して、マローネは一つ思い当たる方法があった。今まで戦って来て、サルファーがどうして今まで倒せなかったのか、何となく分かってきたからだ。

何となくというのは、第六感に起因する感覚で有り、魔力が高いマローネの場合、高確率で真実に結びつく結論が出やすい。

賭けてみる価値は、ありそうだった。

鍵を握るのは、カスティル。

次の会議で、それをマローネは、提案するつもりだ。

 

4、闇の底からの咆哮

 

白狼騎士団の総力、およそ三百名が魔島に上陸する。

既に海岸線では、前線基地の構築が完了しつつあった。天界の援軍が島にひっきりなしに「クラスター弾」というのを撃ち込んでおり、怪物の制圧を効率的に行ってくれている。実際、海岸まで無事にたどり着ける怪物は存在しなかった。何しろ、魔術によって作られた無数の光の矢が、魔島で間断なく炸裂しているのである。時々吹き飛ばされて上空高々舞い上がる怪物が、海岸線から見えるほどなのだ。

見ていると、天使達の戦闘力はさほど高くない。身体能力は高いようだが、戦い方を知らないのだ。訓練も行き届いているとは言いがたい。何しろ天国なのである。よほど平和な世界なのだろう。悪いことでは無いが、戦場に来る兵士としては致命的だ。

だが、あの兵器の破壊力は魅力だ。天使達は前線には出さず、後方から支援だけをしてもらおうと、ラファエルは思った。

一番懸念された、前線基地への波状攻撃は、今の時点では発生前に防がれている。そういえば何度か魔島に出向いた事があるが、いずれも怪物は海岸線まではまず現れなかった。思うに、これには何かしら理由があったのかも知れない。

基地の様子を見て廻る。

フォックスが既に作り出した不死者達が、柵際で敵に睨みを利かせている。雪の森林島で投入され、大きな戦果を上げたという塔のような不死者もいた。周囲には名の知れたクロームや、小規模だが精鋭が揃った傭兵団達の姿も見える。仮に多少の怪物が攻め寄せてきても、必ず押し返せると太鼓判を押せる。

ただし、必ずしも状況は良いとは言えない。

まだ偵察は出さないようにと言ってあったのだが、現地に到着して、それどころでは無い事がよく分かったからである。

魔島は元々人外の土地だが、サルファーの降臨による自然災害によって、既に足を踏み入れる事自体が不可能な場所へ変わりつつあったのだ。

いきなり大雨が降り出すと思えば、竜巻が迫る。激しい揺れに見舞われると、突如空が晴れ渡り、酷暑が襲ってくる。

まるで悪夢のような有様だ。

天界側が供給してきた前線基地の周囲は、どういう理屈か環境が安定している。しかしこれでは、すぐに魔島に踏み込むのは難しいだろう。

「主だった者達を集めてくれ」

「分かりました」

すぐに、傭兵団の団長達を集めてもらう。軍の幹部にも声を掛けた。

天界軍の司令官は、あの底知れない魔力を感じたリレだ。彼女は最前線に来ることを怖がっていない。相当な修羅場をくぐってきているのだろう。護衛の天使達が、逆に護衛されているような有様だ。

天幕に入る。

遠くで、相変わらず凄まじい音がしている。噴火したり地割れを起こしたり、魔島という存在そのものが七転八倒しているのだ。サルファーのしもべが現れただけでも、一地方の環境が変わってしまうのである。サルファー本人が現れてしまったら、もうどうしようもない。

しかも、である。

サルファーは空間を引き裂いて現れる。今はまだ、奴は空間の壁の向こう側に殆どが残っている。

今多少叩いたくらいでは、有効打は与えられないだろう。

そう、スプラウトと共に戦った、あの時のように。

痛恨の失敗だった。サルファーは簡単には滅びないのだ。今回は天界と魔界の援軍がいる。

信用はしきれない。

だが、利害は一致しているのだ。それに、リレというこの女が、凄まじい使い手であることは、ラファエルの目から見ても確かだった。

魔島の地図を出して、作戦会議を始める。

今回はマローネの力を活用するようにと、モルト伯から連絡が来ている。何度か顔を合わせたが、善良で心優しく、力の使い方を間違えないクロームだ。それでいながら、強い。彼女の戦歴を聞くと、何度も驚かされる。

世界を絶望の淵から引きずり起こし、サルファーとの最終決戦への気力を奮い立たせた、往事のスカーレットを思わせる。

会議を取り仕切るのは、中規模傭兵団の長を努める男だ。冴えない人間族の戦士であり、しかしながら弓を使わせると天下一と名高い。通称天矢のハーロック。普段の腰が低い言動と、腕前のギャップが著しい人物だ。

「作戦の大筋は、こうです。 まず、魔島に道を作る。 これは言葉通りの意味では無く、サルファーへ主力が到達できるよう、怪物を押さえ込むと言う事です。 自然現象については、どういう手がありますか」

「いや、それは問題ないだろう。 サルファーが完全に此方の世界に現れると、むしろ自然現象の異変は一段落する。 今までもそうだった」

「なるほど。 それでは、怪物の掃討に関してですが……」

担当を決めていく。

これからアマゾネス団、風の翼団、それに獣王拳団も合流することが決まっている。サルファーが現れるとなると、その手下でも相当に強い連中が、奴の周囲を固めるだろう。歴代の勇者達も、コレをどう突破するかで、頭を悩ませたものだ。ラファエルも、スプラウトと共にサルファーを討ちに行ったとき、同じジレンマに悩まされた。

だが今回は、マローネの活躍が早期から始まったことで、人間側の戦力消耗が小さい。

九つ剣は全員が無事だし、傭兵団の団長も、ラファエルが九つ剣の筆頭では無かった時代に比べて、粒ぞろいだ。

「サルファーの側近に関しては、現れ次第九つ剣と私で対処する。 して、リレ殿。 サルファーに対して、有効な攻撃とは」

「クリアしなければならないことが二つあるけれど、それから説明しましょうか」

もったいぶるものである。

皆、サルファーを畏れ、憎む気持ちは同じだ。

「まず第一に、サルファーは空間を操作する能力を持っています。 これはとても強力で、空間操作能力を発達させている魔界でも、どうにもならなかったほどです。 最悪の状態になると、好き勝手にいつでもどこにでも現れることが出来るようになるでしょうね」

「まずそれを封じなければならないという訳か」

「そうです。 ただし、コレに関しては、用意してきている道具と術式で、パワーが足りるか分かりません。 あなた方が言うネフライトの魔術師の中から、人材を選抜してください。 天使達は見ての通り、身体能力がさほど高くありませんし、魔力が強い者も限られています」

「ならば、私が協力しよう」

フォックスが挙手する。

マローネと何度か共同戦線を張るうちに、引きずられるように力を増してきているこの男は、既に九つ剣に迫る力を持っている。

この男に加え、九つ剣の魔術師であるカルフォルンとキナラを参加させれば、かなり上手く行く確率は上がるだろう。

更に、先ほど通信装置でモルト伯から聞かされたのだが、マローネが隠し札を用意してきているらしい。

それにも、期待が出来るかも知れない。

「クリアせねばならぬもう一つとは」

「サルファー自身の実力です。 いくつもの魔界を滅ぼして力を蓄えたサルファーは、以前よりも更に実力を増しているとみて良いでしょうね。 知られているだけで、2000オーバーのレベルを有していたサルファーですが、今では更にそれを凌ぐと判断した方が良さそうです」

「そのレベルとは、どのような概念なのでしょうか……」

「力の総合的な判断判定ですけれど。 此処にはレベル三桁の人間が数名いるだけ。 私は四桁に到達していますが、それでも単独ではサルファーには叶わないでしょう」

それだけで、だいたい分かった。

レベル三桁数名と言う事は、ラファエルやフォックス、それに数名いる傭兵団長がそうだと見て良いだろう。

それにしても、それほど桁違いの相手だったとは。ラファエルとスプラウトが戦ったとき、如何に奴が本体から力を切り離していたか、という事なのだろう。あの時は、運が良くて、それ以上に運が悪かったのだ。

「ふむ……どうもわかりにくいが」

「レベル判定を用いないで比喩的に言うとなれば、此処にいる軍勢と天界の兵器をまとめてぶつけてもかなわない。 それでサルファーの実力については理解できましたか?」

「なるほど、了解した。 確かにあのサルファーの恐ろしさは、そのくらいにはなるな」

年かさの傭兵団長が呻く。

空間を自由自在に転移して襲ってくるだけが、サルファーの恐ろしさでは無い。年長の者は、30年前の異変を経験しているとみて良いだろう。その時よりも、更に今のサルファーは強いという事だ。

皆がもっているサルファーの情報を開示する。

まずは姿。

これについては、リレが詳細なデータを持ってきてくれた。彼女が術式で展開した映像は、確かにラファエルが一度は退けたサルファーだ。骸骨のようでいて、人間に似ているが、しかし違っている。

サルファーのしもべに比べて、体のパーツがしっかり構成されているのが特徴的だ。以前から、悪霊と呼ばれるものはサルファーの卑小な分身だという学説があったが、それは正しいのかも知れない。

続いて、実戦における戦闘スタイルについてだ。

これは、実際に戦って生き残ったラファエルが言わなければならないだろう。

「サルファーは様々な魔術を使いこなす。 知能は決して高くないようだが、どういうわけか最上位の攻撃魔術は、だいたいいかなる属性であっても使いこなせるようだ。 しかも、此方の世界の術式に、極めて似ている」

「オメガ級の属性術式という判断でよろしいですか?」

「いや、その上だと思う」

「となると、テラ級か……」

テラ級というのは聞いたことが無いが、よほどとんでも無い破壊力を誇る術式なのだろう。この偉大なる魔術師をしても難しい顔をするのだ。対策は相当に難しいとみて良い。

勿論、一度戦って手の内は知っている。ラファエル自身は大丈夫だが、他の強者達には、どうにか対応策を覚えてもらわないと、被害が増えるだろう。

サルファーは、この島でどうにかして倒す。外に出してはならない。

もしサルファーが外の島に出てしまったら、30年前のような、もっと前のような、地獄がこの世に顕現してしまう。

リレが難しい顔をして考え込む。

天幕に、オウル族の経験が浅そうな兵士が駆け込んできた。

「魔界の増援が来ました! 見た事も無い船が、空に浮かんでいます!」

「大魔王カレルレアスがすぐに来るはずよ。 此方に案内して」

「わ、わかりました」

兵士が飛び出していく。

見たところ、リレはその大魔王と同格の実力者のようだ。大魔王とまで呼ばれる悪魔と、それに同格の天界の強者が一緒になってさえ、倒すことが難しいというのは、尋常では無い存在だとしかいいようがない。

カレルレアスというのは、一見すると(中身は獰猛だが)清楚なリレと比べると、豊満な肉体と目のやり場に困る格好をした、いかにもな女魔王だった。

一通りの挨拶を済ませると、カレルレアスは言う。

「残念な話になるが、私とリレはサルファーとは直接刃を交えない。 此処には貴殿らの実力を確認するため、それに前線基地の様子を視察しに来た」

「何……!?」

「実力に関係なく、サルファーは悪魔と天使の攻撃を一切受け付けないのだ。 だから天軍は兵器だけを貸与するし、我々は魔術的なサポートだけをさせていただく」

「まて、それでは貴方たちは」

リレが指を鳴らすと、魔術が発動。

どことも知れぬ、真っ暗な空間の映像が出る。其処には、数え切れないほどの円盤状の船が浮かんでいた。

魔界のものらしい船もある。原始的な帆船までも混じっていて、何処かが滑稽だった。

「今回の作戦のために用意した主力部隊です。 魔界軍と天界軍を併せて、艦隊数二十三、兵力総合二千六百八十万。 コレを用いて、サルファーのしもべを可能な限り引き受けます」

「あまりにも多すぎて、実感が無いな」

「多くとも、数通りの戦力は発揮できない。 この世界の人間のように統率が取れた行動が出来るかは難しい。 それに今のサルファーは、魔界を短時間で落とすほどの数の配下を動員できる。 しかもその全てが、空間を自在に転移しながらの攻撃を可能としているのだ。 陽動には万全を期すが、それでもある程度のサルファーの配下と、それに汚染された怪物が行く手を塞ぐことは覚悟して欲しい」

「一つ、聞かせて欲しい」

フォックスが挙手した。

彼は何度か咳払いする。どうしてだろうか。額の能力者の証である模様が、いつもよりもくっきり浮き出ているように思えた。

ラファエルも、何気なしに自身の印である、手の甲を見る。

はっと気付く。いつもよりも、能力者の証である痣が、強い色を帯びている。

何か、異変が起き始めているのかも知れない。

「サルファーとは何者なのだ。 他の魔物に比べて、あまりにも圧倒的すぎる能力といい、あんた達悪魔や天界のトップでさえどうにもできない滅茶苦茶な実力。 それに、悪魔や天使の攻撃が通らない、だと? そんなとんでも無い存在が、どうしてこの小さな世界を、何度となく襲うのだ」

「それは前から私も気になっていた。 戦っていて何度も感じたのだが、他の魔物とは次元が異なっている存在に思えてならなかったのだ。 知性が高い魔物は、他にもいるだろう。 だがサルファーは、あなた方のような世界を統べる存在が、総力を挙げてまで対処しなければならないのだという。 一体何者なのか、知っているのなら聞かせて貰えないだろうか」

「ふむ……。 カレルレアス。 話してしまっても良いかしら?」

「どのみち、既にマローネやモルト伯には話が行っているだろう。 此処で話してしまっても、別に問題はあるまい」

まだ、時間はある。

だから、何を相手に戦っているのか、何を滅ぼそうとしているのか。それだけは、聞いておきたかった。

また、空中に地図が出る。

見た事も無い島だ。とても大きい。イヴォワールの周囲には、幾つか大陸と呼ばれる巨大な島があると聞いているが、それだろうか。

ふと、気付く。

島の外縁に、見た事がある地形が散見される。

「これは……?」

「アトランティス。 このイヴォワールがある土地に、かって存在した大陸よ」

「かって存在した、大陸……?」

「サルファーを生み出したのは、このアトランティスに存在した単一国家、アトランティス共和国。 そして、その魂を育てたのは、我々天界と、それに魔界。 やがて、とんでもない強さに育ったサルファーは、暴走を開始して、誰にも手が付けられない存在となった……」

誰もが絶句する中、リレは言う。

目が据わっている彼女は、何処か楽しそうでさえあった。

「サルファーは、人間と、天使と、悪魔が作り上げた、世界の原罪そのもの。 だからこそ、今此処で倒しておかなければならない」

「もう少し、詳しく話して貰えないだろうか。 何か、とんでも無い話を聞かされているのは分かるが、実感が無い」

「いいでしょう。 まだ時間はあるようだし、話しておきましょうか。 世界の全てが関わり、このイヴォワールで産声を上げた、サルファーの物語を」

踏み込んでは行けない場所に、今足を踏み入れようとしている。

ラファエルは、それを知っていたが。だが、話から、耳を塞ぐつもりは無かった。この世界を脅かし続けた究極の魔物が、一体何者なのか。

今こそ、知り、そして葬らなければならないからだ。

リレが話し始める。

呪われた魔物、サルファーの半生を。

それは、あまりにも悲惨で、そして世界そのものへの疑念を抱かせるに、充分な内容だった。

 

(続)