相容れぬ誇り

 

序、それぞれの戦い

 

ビジオが目を覚ますと、体中が痛かった。何があったのかは、うっすらと覚えている。

海上で、何かに襲われたのだ。

それは球体状の体を持っていて、顔中が口だった。それが無数に襲いかかってきて、そして。

体の中に、入られた。

其処からは、只ひたすら、狂気のみで、意識が塗りつぶされた。世界最強の戦士の一人で、輝ける英雄。かっては憧れたこともあった、九つ剣筆頭、ラファエルになりたかった。そればかりが、脳裏で再生された。

やがて、頭の中に巣くった何かが、ささやく。

お前はラファエルじゃ無い。だが、ラファエルになる事は出来る。そうだ。本物を殺してしまえば、お前がラファエルだ。

何を馬鹿なと最初は思った。ラファエルを名乗っていたのは、ベリルとして仕事がやりやすいからだ。下っ端のクロームの中には、ラファエルの名を聞くだけで腰が引けたり、逃げたりする奴も多かったのである。ましてや何も知らぬ一般人は、ラファエルの名を聞くだけで怖れた。

そもそもラファエルが人間族の戦士であることくらい、もの知らずのビジオでさえ知っている事だ。だから、ラファエルを名乗るときは、出来るだけ姿を見せずに仕事をした。

だが、何度も脳内で繰り返される内に。

そういえば、そうかも知れないと、ビジオは思い始めたのだった。

やがて、薄暗い洞窟に、ビジオは足を踏み入れた。そこでコウモリやムカデを喰らいながら、ビジオは闇の力を体内に蓄えていった。そして、小さな島を襲った。自分はラファエルだと繰り返しながら。

逃げ惑う連中を見るのは快感だった。

だが、その辺りから、記憶がはっきりしない。というよりも、薄ぼんやりと覚えていたことさえもが、記憶から消え失せている。

はっきりしているのは。

自分を心配そうに見つめる、緑色の髪の毛の女の子。見覚えがある。確か、以前島荒らしをしたとき、自分をたたきのめした相手だった。悪霊憑きだ。だが、あの目は。心底から、ビジオを心配していた目は。

そして、目が覚めてから、ヒーラーに聞かされた。

あの娘こそ、ビジオを正気に戻してくれた、張本人だったのだと。

ずっと、暗闇の中を生きてきた。やっと辿り着いた村から追い出されて、社会の底辺を這いずり回って。

世の中には、闇しか無いと思っていた。

善意は全て見せかけ。物を言うのは金だけ。

だが、それを超えるものを。あの娘は持っていた気がする。

体が動くようになると、裁判所に連れて行かれた。思うところがあったビジオは、今までの悪事を全て白状した。

結果はすぐに出た。後で聞いたのだが、本物のラファエルの口添えがあったらしい。或いは、ビジオの心境を、見抜いていたかもの知れない。

獣王拳団の預かりとする。下働きの団員として働くように。

いわゆる、傭兵団預かりである。もしも脱走しようとしたり、実際に脱走した場合、その場で処断して良いことになっている刑罰だ。当然傭兵団としても使い捨ての戦力として扱うので、かなり過酷な刑罰である。

昔だったら、それでも逃げることを考えたかも知れない。

だが、今のビジオには。その選択肢は無かった。これでしっかり償おうと思っていた。

獣王拳団に出向いてみると、其処は想像以上に忙しかった。

少し前に、獣王拳団は壊滅的な打撃を受けたという事で、立て直しに追われていたのである。

しかも、打撃を与えたのは、またしてもマローネだと言う事だった。

どうやらマローネとビジオは、つくづく縁があるらしかった。

 

獣王拳団のキャンプに出向くと、すぐに団長に挨拶するように指示された。

ドラブと言えば、ビジオも知っているイヴォワールの豪傑だ。次代の九つ剣入りは確実と言われ、能力の持ち主としても知られている。

実際会ってみると、体格には自信があったビジオよりも、更に上を行く巨漢だった。キバイノシシ族は体格が優れた者が多いが、それはビジオのウェアウルフ族も同じである。ドラブの体格はずば抜けていた。全身に包帯を巻いているのは、マローネにやられたからだろうか。ビジオも、うっすらとたたきのめされた記憶が残っている。

あの猛攻は凄まじかった。最初に戦ったときとは、まるで別物だったように思える。薄れた記憶の中でも、不思議とそれは覚えているのだ。

「お前が新入りか」

「へい、ビジオといいやす。 以後おみ知りおきを」

「元気があって良い事だ」

ずっしりとした安定感が、ドラブには備わっていた。怪我をしていても、天幕の中の椅子に座って指示を出す様子は、堂が入っている。獣王拳団と言えばドラブというのは常識だが、それはこの様子を見ると、不動にも思える。

幾つかの注意事項を説明された後、能力を測りたいと言われた。

キャンプの真ん中に出て、それからは色々と技を見せるように言われた。力比べでも、ビジオよりも優れた者が何名もいた。反射神経や、魔術の素養も測定される。人間族の細い男が、黙々と記録を付けていた。

「ふむ、充分に前線で使えるな」

「今、各地で異変が頻発しています。 依頼もそろそろ受けたい所ですし、即戦力として活躍して貰いましょう」

ドラブと人間族の男が、そんなことを話し合っている。

認められたのは、とても嬉しい。以前入った小規模な傭兵団では、小間使い代わりにされるわ、弾よけにされるわで、碌な扱いでは無かった。自慢の腕力も生かせず、すぐに抜けた。

思えば、あれがベリルにまで転落する、最後の切っ掛けであったのかも知れなかった。

実際、荒くれが揃ってはいるが、雰囲気が良い傭兵団だ。恐らく、団長であるドラブの指揮能力から来る物なのだろう。最初からこんな所には入れていれば、或いは。ビジオも、彼処まで転落しなくても済んだのかも知れない。

しばらく基礎訓練をさせられた。いろいろな武器の使い方を教わったが、結局ビジオは素手で戦うのが一番だった。そうなると、今度は格闘技を仕込まれる。何名かいる師範はいずれも凄腕で、ビジオが何回挑んでも勝てなかった。師範の中には女もいて、腕力もずっとビジオの方が強かったのに。それでも、技と戦闘経験で、どうしても相手に打撃を当てられなかったのだ。

腕力だけでは勝てない。身をもってビジオは悟らされる。そして、素直に獣王拳団の猛者達を凄いと思うことが出来た。

そうこうするうちに、最初の任務が来た。

ヴァーミリオン地方での救援任務である。噴火した島から、住民を逃がす手伝いだった。保有する全部の船で獣王拳団は出かけ、島の民を皆助け出した。ビジオも張り切って働いた。重い荷物を全て持ち、老人は全員抱えて船まで運び込んだ。

島から船が離れると、溶岩が村に殺到し、焼き尽くしていった。

もう少し脱出が遅れたら。冷や汗が出た。

だが、その後は嬉しい事が続いた。

村の人達が、皆ビジオに感謝してくれたのである。大事な荷物を運び出してくれたこと、老人を担いで行ってくれたこと。皆から貰った中には、好物の肉もあった。先輩達に取られてしまうかと思ったのだが、皆そんなことはしなかった。

「それは、お前の活躍に対する、正統な報酬だよ」

「心配だったら、さっさとくっちまいな。 その後は船倉に行くぞ。 今回の仕事は上手く行ったから、団長が酒を出してくれる」

何というか、涙が出そうだった。

今までビジオがいた所では、こんな関係は成立し得なかった。ベリルの配下達はいつも陰湿な争いをしていたし、いつ寝首を掻かれてもおかしくなかったのである。ベリルとして下っ端だったときは、いつ持ち物を奪われてもおかしくなかった。

この人達は、そんなことはしない。荒くれ揃いで、すぐ殴られるが、それでもビジオを認めてくれている。

そう思うと、嬉しかった。

酒宴に参加もした。

結局の所、村が丸焼きになってしまったことに違いは無いのである。それを考えれば、村の人達を少しでも勇気づけようとするドラブの心遣いだったのだろう。船に蓄えられていた美酒が振る舞われ、少しでも明るいときが、其処に作られた。

ビジオは先輩達に酒をついで廻る。

マローネに感謝しながら。

人生初めての、幸せなときであったかも知れない。

だが、それも長続きはしなかった。

 

幾つか目の任務をこなして、ボトルシップで富と自由の島に戻る途中。ドラブが甲板に皆を集めた。

三隻の船に分乗していた団員の中で、幹部クラスも既に集まっている。つまり、何か起きたのである。

「サンド地方の干涸らび島から、緊急のボトルメールが来た」

「干涸らび島?」

「サンド地方でも、かなり大きな島だ。 中央にある砂漠がかなり広大で、死の砂漠って呼ばれてる」

先輩が教えてくれたので、頷きながら頭に叩き込んでおいた。

かってだったら、島荒らしを考えたかも知れない。だが今は、そんなことは思考の枠外だ。

「この砂漠に住んでいるサンドウォームが凶暴化して、村の近くにまで来るようになったそうだ。 このままだと、村にいつ攻めこんでくるかも分からない」

「そんな無茶な」

誰でも知っていることだが、サンドウォームは限られた条件下で無いと生存できない。砂漠から出てしまえば、それだけで寿命を縮めるのだ。

それを見越して、サンド地方の村は、岩石砂漠に作る事が多い。当然そんなところまで乱入すれば、サンドウォームは死ぬ。つまり、傷つくことを厭わず、行動しているという事だ。

言うまでも無く、異常行動である。知能が存在しないサンドウォームだからこそ、本能には普通逆らわないのだ。

よほど暑いのか。或いは。エサが無いのかも知れない。

それとも、本能が狂う要素が、何かあるのかも知れなかった。

「この島にはさほど大きな奴はいないようだが、それでも複数が村に乱入したら、自警団だけではどうにもならんだろう。 俺たちが出向いて、村の脅威を叩き潰す」

「暑さ対策は大丈夫っすか?」

「問題はそれだ」

挙手すると、ドラブはきちんと答えてくれる。

この辺り、今まで接したどのリーダーよりも、懐が深い。前だったら、余計なことを言うなとか、殴られていたかも知れなかった。

「事前に、補給を行い、水を蓄える。 サンド地方は熱波に襲われているから、アクアマリン地方の島に寄る。 そこで、各自に水筒と、頭を覆うためのフードを購入する。 今船に積んでいる装備品だけでは足りないからだ」

「他に質問は」

屈強な戦士達が、互いを見合わせている。

ビジオとしても、これ以上は質問も無い。後は、小隊単位に別れて、それぞれで地図を見ながら、担当範囲を確認した。

サンドウォームに対する戦術は、既に確立している。

砂の中に爆発物を埋め込んで、それを炸裂させる。サンドウォームは振動に反応して獲物を狩るため、これをやると耳を潰されるも同然なのである。そして、出てきたところを、遠巻きに仕留める。

とはいっても、地上に出てきてしまえば、サンドウォームはただの大きな人食いミミズに過ぎない。ドラゴン狩りさえ行える獣王拳団の屈強な隊員達の敵では無い。ビジオも、その認識は間違っていないと思う。

「結構広い島ッすね」

「ああ。 俺も一度任務で行ったことがあるが、中央の砂漠がかなりやばい。 通常時でもそうだから、異常熱波に覆われている今は更に危ないだろうな」

隊長は片目の大柄な人間族の男で、いつも巨大なバトルハンマーを背負っている。それを軽々振り回すのだから、相当な腕力だ。腕力だけでも、ビジオを上回っている。

幾つかの小隊を放射状に配置して、それを有機的に中央のドラブ隊が活用する。けが人が出たら後方にすぐ下げ、対応できないほどに大きなサンドウォームが出たら、即座に援軍を出す。

荒くれ揃いだが、作戦にも布陣にも隙が無い。

ドラブは切れ者だと聞いていたが、噂通りだ。少なくとも、力を過信して失敗するような愚か者では無かった。

まずアクアマリン地方の小さな島に寄り、補給を済ませる。氷を切り出して持ち出し、樽に詰めておけば、移動している内に水になる。猛暑に襲われているサンド地方とこの島を、水のピストン輸送で移動しているボトルシップもあるようだった。殆どはクロームの船だが、中にはベリルが小遣い稼ぎでやっている例もあるようだ。

事実、ビジオの知り合いの顔さえ見かけた。ビジオを見ると、気まずそうに視線をそらしたが。

こんな時でも、稼ぎ時と思える人間はたくましいのか、或いは。

ボトルシップが出る。三隻の船は綺麗なV字を組んで、目的地に向かう。かなり改装しているらしく、船足は相当に速い。

これなら、今日の夜中くらいには現地に着くことだろう。

楽観視は、別にしていなかった。

だが、島に着いてみて、ビジオは絶句することになった。

 

1、命の価値

 

マローネは、スプラウトの恐ろしい狂気とそれ以上の悲しみに触れて、おばけ島に帰り着いてからもずっとふさぎ込んでいた。

わずかな言葉から、スプラウトの事情は断片的に推理するほか無い。

あのおじいさんが、どれほどの苦悩と悲しみを得たのか。酷い死に方をした孫娘を見て、復讐鬼と化したかっての英雄の成れの果て。

あの人の痛みと悲しみが、マローネには伝わってきた。全身を引き裂くような痛みなのだろうとも思った。

どうしてあげれば良いのか、分からない。

自分の事のように、悲しかった。

敵討ちが間違っているとか、それが何も産まないとかは、それはあくまで他人の理論だ。スプラウトの理屈も、間違ってはいない。サルファーをどうにかしなければ、同じ悲劇がどれだけでも繰り返されるのだ。

悪霊達が放っていた禍々しい悪意。あれを何十倍も、いや何万倍も濃くした者がサルファーだったとしたら。

きっと、このイヴォワールを食い尽くしても、きっと飽きることは無い筈だ。

どれだけの悲劇が待っているかさえ、見当もつかなかった。

だが、それでも、スプラウトのやり方はおかしい。本人が望んでいるとしても、あんな事は許されない。

孫娘だって、きっとそれは望んでいないはずだ。

結論は出ている。

だが、マローネ自身の悲しみは、どうにも払拭できなかった。膝を抱えて小さくなっているマローネは、食欲も感じず、眠ることも出来ずにいた。

部屋をノックする音。

出ると、アッシュだった。

「仕事だよ」

「うん……着替えるから、待っていて」

緩慢にパジャマを着替えると、外に。鏡を見ると、目の下に隈ができていた。カナンが作ってくれた料理をおなかに入れて、外に。

嫌みなほどの快晴。手紙を見せて貰うと、どうにもおかしな内容だった。

「お久しぶりです、マローネさん。 元気にしていましたか?」

字はとても下手だ。

読み書きがやっと出来るレベルのマローネから見ても、相当に酷い字だった。だが、この世界、貧困層は読み書きが出来なくて当たり前である。文字が書けるだけ、マローネはマシな方なのだ。

「今、みんなが大変なことになっています。 助けて欲しいです。 干涸らび島で待っています。 ビジオ」

「ビジオ?」

「確かアレだよ。 ラファエルを語ってたウェアウルフ族のベリル」

「あ……。 思い出した。 あの人ね」

そうだ、サンド地方の島で戦闘した、とんでもなくタフなウェアウルフ族の戦士だった。その前には、別の島でも戦ったことがある。ラファエルの名前を名乗って、島荒らしをしていた小悪党のベリルだ。

特徴の無い顔をしたウェアウルフ族だったから、覚えにくかった。今でも、姿はぼんやりとしか覚えていない。

コリンに指摘されて思い出したのは、二度目の戦いの時、とんでも無くタフで、凄まじい総力戦の末に沈めたからだ。。

そういえば、ラファエルが傭兵団の下働きをさせて罪を償わせると言っていた。つまり、真面目に働いていた、という事なのだろう。

「干涸らび島って言うと、この間新聞に出ていた……」

「異常熱波に覆われていた島だね。 救援が必要だっていうなら、急いだ方が良いだろうね」

アッシュの言うとおりだ。

ガラントが来たので、話をしてみる。てきぱきと必要な装備類などについて、教えてくれた。

かなりの荷物になるが、バッカスに背負って貰えば大丈夫だろう。

元々大柄で屈強だったバッカスだが、最近は更に力持ちになっている。そりのようなものを使えば、更に大重量の荷物にも対処できる事は疑いない。ただ、熱波に関しては、緩和する工夫が必要になる。

「コリンさん、熱波の緩和はお願いできますか」

「いいよ」

「えっ?」

「実はさ、前より明らかに使える力が増えてきてるから、その検証がてらにね」

けたけたと笑いながら、コリンはファントムに戻った。マローネが警戒しているのを知っていて、いきなり直球で承諾を出してきたのだろう。そして、マローネが驚いたのを見て楽しんだと。

本当に性格が悪い人である。だが、コリンの知恵と魔術は、今後も必要不可欠だ。それに、あまりにもやり過ぎた場合は、ガラントが怒ってくれてもいる。ただし、今後はそれに頼りっきりでも駄目だと思う。

ボトルシップの準備は既に出来ている。

今日は朝から、パレットがずっと弄っていたらしい。子供らしい遊びが、彼女にとっては魔導合成術なのだ。

樽状の居住空間と、推進機関であるボトルを二つ組み合わせたマローネのボトルシップは、外観こそ変わっていないが、既に性能は以前とは比較にならないほど上がっている。コリンがおもしろ半分に弄くった部分よりも、今ではパレットが整備した場所の方が大きい。不思議と、コリンはパレットに懐かれている。そして、パレットには、意地悪をしないようだった。

今朝は、ボトルの性能を上げるべく、以前彼方此方で貰ったがらくたを彼女なりに考えて組み合わせていたらしい。ボトルの形状は変わっていないが、何だか怪しく黒光りしている。

「おねいちゃん、お出かけするの?」

「うん。 パレット、大丈夫?」

「運転? していい?」

頷くと、パレットは満面の笑みをひまわりのように咲かせた。

生きているとき、何も遊べなかった鬱憤を晴らすように、パレットは人よりずっと感情が大きいように思える。

何だか、それで少し分かった気がする。

一度、コリンがパレットに意地悪をしたとき、ものすごく泣かれたのだ。多分それで懲りたのだろう。

意外に、コリンは。あれで人情家なのかも知れない。性格が根元からねじ曲がっているという難点はあるが。

「ハツネおねいちゃん、うしろにのって−!」

「私は、速い乗り物は苦手だ」

「……」

「分かった! 乗るから泣くな」

どうやら、パレットにはハツネも逆らえないらしい。困り果てた顔でパレットを抱きかかえるように席に着いたハツネは、既に真っ青で無表情だった。

後部の荷物置きに、幾つかの荷物を。

ガラントとバッカスが無言で作業をしてくれた。樽を二つ持っていく。中には水を入れていくので、非常に重い。だから縄を付けて後ろに浮かべ、引きずっていく方式を採る。当然水を入れておけば浮くので、これならば船の負担を減らすことが出来る。推進力に関しては有り余っているので、問題は無い。

準備が終わるまで、半刻。

マローネが荷物の中で膝を抱えて座ると、船が動き始めた。

座席から、聞いたことが無い歌が聞こえる。

最初気は進まない様子のハツネだったが、多分パレットを抱きかかえていて、悪い気分はしないのだろう。聞こえ来るのは、単調なリズムの、聞いたことも無い言語の歌だ。きっと彼女の故郷のものだろう。

船が速度を上げ始める。

少し舳先が浮きかけたが、すぐに立て直す。

「パレット? 大丈夫?」

「へいきー!」

パレットが改装した中には、姿勢の制御装置も含まれているらしい。ただ、心配だから、次の島に寄ったとき、舳先側に積んでいる荷物を増やすことにする。

言うまでも無いが、転覆してしまえば、荷物は台無しだ。

この辺りは遠浅が続いているから転覆しても死ぬ可能性は低い。だが、救援に行くための物資の中には、貴重品もある。それに、転覆から立て直すのに掛かる時間的ロスは、相当なものだ。

バッカスがコンファインしてくれと言ったので、実施。

船の上に出たバッカスは、心持ち前の方にのしかかって、バランスを調整してくれる。この辺り、寡黙なリザードマンは、無言のまま皆を助けてくれる頼れる存在だ。

船はそのまま北上を続ける。

航路をたどりながら、二度補給地点を通る。その度にいろいろな物資を購入。砂漠に入るためには、密林に入るのと同じくらい気をつけなければならない。下手をすると、入って一刻もしないうちに、日干しにされてしまうだろう。

途中の島で、クロームギルドに寄り、情報を仕入れる。

マローネを見て、悪口を言う人は減った。

その代わり、避ける人は却って増えた。武名が知られるようになって、結果として怖れも広まったのだ。

獣王拳団を単独で壊滅させたらしい、という噂が流れていることが、決定打になった。

今やマローネは、あざけられる存在では無い。怖れられる存在に変わっていた。中には、サルファーの尖兵とマローネを呼ぶ者までいるらしかった。

言いたい奴には言わせておけと、ガラントはいう。

だが、マローネは、そうはしたくない。皆が大好きだから、皆に好きになって欲しい。誤解を解きたい。

幸いにも、と言うべきか。

マローネに好意的な人は、増えてきている。中には、マローネを信じて、背中を預けてくれる人も出てくるようになった。

だから、諦めずに頑張りたい。

受付のオウル族の老爺は、マローネを見ると小さな悲鳴を上げた。要件を告げると、資料を渡してくれたが、ずっと遠巻きにおそるおそる見ていた。

資料によると、干涸らび島はサンドウォームの大量発生地点として知られているという。

恐ろしい島にも思えるが、資料を読み進めていくと、違うことが分かった。

どうやらサンドウォームは、たくさんいる場所ではさほど巨大化もせず、凶暴にもならないという。

バッタの中には、群れで過ごすと性質が変わる種類がいるという。どうもサンドウォームもそれに近いらしく、集団でいる場合は比較的おとなしく、大型化しないことから危険度も低いのだそうだ。

だが。

干涸らび島で起きた異変は、そんな平和なサンドウォーム達を、一変させてしまった。

凶暴化した彼らは共食いを始め、見る間に巨大な個体が出るようになった。そして無茶苦茶な行動を繰り返し、村の側にまで現れるようになったという。

そこで、再建を終えた獣王拳団が、討伐に出向くことになったのだが。

数日前に出向いた獣王拳団は、どうも苦戦しているらしいのだ。

ファントムのままのガラントが、腕組みして唸った。

「獣王拳団が苦戦している、か」

「きっとビジオさんも、それで手紙をくれたのね」

最近知ったのだが、マローネの魔力が増えるに従って、ファントムの干渉能力も以前とは比較にならないほど増している。

声は普通に聞こえるようになっているようだし、限定条件下で物体干渉も出来るようだ。この間の戦いでコリンがファントム時に詠唱を行い、コンファインと同時に上級術式をぶっ放すという離れ業を見せたが、これもこの特性を利用したものらしい。

ガラントの声が聞こえているようで、周囲のクロームが青ざめていた。

悪霊か。そうに違いない。そんな小声での会話が聞こえていた。

「気にしないで、マローネ」

「うん……。 続けましょう」

「分かった。 獣王拳団が上陸するとしたら、恐らくこの地点だろう」

集めた資料の中から、地図を広げる。見ると、納得である。村がすぐ側にあるのだ。

情報を得るためにも、獣王拳団はそこに行くだろう。

以前戦ってみてはっきりしたが、ドラブは猛将だが、粗野では無い。頭は回るし、何より冷静だ。

まず依頼をしてきた村を訪れて、状況を確認するだろう。

そして、砂漠に入るはず。

もし事故が起こるとすれば、砂漠だ。

一通り情報を確認してから、ギルドを出る。終始怯えていた受付の老爺は、マローネと目が合っただけで失神しそうになった。何だか悲しくなってくる。頑張ってきたが、却って怖がるようになった人も出てきてしまった。

船に戻ると、疲れたのか、パレットは眠ってしまっていた。ファントムに戻って貰い、今度はガラントに運転してもらうことにする。

パレットが眠ったことで、やっと解放されたらしいハツネは、大きく嘆息した。

「生きた心地がしなかった。 しばらくファントムのまま休ませて貰うぞ」

「とか何とか言っちゃって、歌ったりしてたじゃん」

「黙れ狐」

「ふふーん」

ハツネがコリンと火花を散らす。

だが、単純なハツネでは、口げんかではコリンに勝てそうに無い。

船が出る。物資は充分に積み込んだ。もうこのまま、干涸らび島に直行することが出来るだろう。

航路を行く。サメが途中何度か群れをなして泳いでいた。

この辺りは水がとても冷たい。空気が異常乾燥して、熱波が覆っているにもかかわらず、である。

いわゆる寒流が流れ込んでいるのだ。

ガラントが時々緻密な舵取りを見せている。

「パレットが眠ったのは好都合であったかもな」

「此処は難しい、ですか?」

「パレットならこなせるだろうが、疲労も溜まるだろう。 途中で寝られたら大変だったかも知れぬ」

苦笑いするマローネには答えず、そのままガラントは速度を上げた。

夕刻、船が干涸らび島に到着。

既に、周囲は夕刻だというのに。灼熱地獄のような有様だった。海に手を付けると、さっきとは違って茹だるようである。

異常気象が、海の水までおかしくしているのだ。

魚が浮いている。珊瑚礁も濁った水によって、異様な臭気を出していた。この辺りの生態系は、壊滅かも知れない。

干涸らび島はと言うと、陽炎がその姿を歪ませているほどである。

異常な熱波が、これほどとは。

すぐに暑さ対策をする。コリンが術式を展開して、熱気を緩和。同時に、直射日光を避けるべく、特殊加工をしたフードを被る。

ファントム達は必要ない。暑さを感じないからだ。マローネの魔力が上がってきた現在でも、それは同じである。

同時に、照り返しを防ぐため、後砂塵から目を守るためにゴーグルを装着。手足も、出来るだけ晒さないようにする。

本当だったら、日中の砂漠では絶対に出歩かないのが鉄則だ。人間には耐えられないから、である。

コリンによる術式のサポートがあっても、厳しいことなのだ。

以前、フォックスと一緒に砂漠に踏み込んだときよりも、更に厳重に装備を吟味。上陸前に、其処まではしておいた。

上陸する。

村は、異常な状態だった。

熱気で、生きたままじりじりと何もかもが焦がされている。金属製の品など、とても触れない。

住民達は、息も絶え絶え。

彼らに混じって、獣王拳団の戦士らしい人達がいた。誰も彼もが重傷である。魔術師がどうにか熱気を緩和しようとしているようだが、上手く行っていない。

「コリンさん、村を冷気の結界で覆えますか?」

「んー、ちょっとちくっとするよ?」

マローネの返事を聞かず、コリンが術式を展開。

詠唱がかなり長い。ひょっとするとコリンは、今のマローネの魔力バックアップで、どれだけの事が出来るか試そうとしているのだろうか。

予想は、当たった。

巨大な魔法陣が、地面に出現する。

コリンが印を切ると、辺りの温度が一気に下がり始めた。住民達が、顔を上げる。舌なめずりしたコリンが、術式を安定させるべく、更に印を幾つか切る。

マローネは、意識を一気に持っていかれる事も覚悟した。

だが、不思議と思ったほど消耗は大きくない。この間の戦いでも、ヴォルガヌスが全力でのとんでも無いブレスを敵陣に叩き込んだが、それでも意識を失わなかった。マローネの力は、底なしに強くなってきているらしい。

辺りの冷気を固定する術式を、コリンが続けてかける。

魔法陣は何重にも折り重なり、その結果虹色の円が無数に回り続ける美しい光景が夕の砂漠に出現した。

術式展開、終了。

「……思ったほど、消耗が無いね」

「コリンさんも」

コリンは鼻を鳴らすと、それ以上何も言わず、ファントムに戻った。もっとマローネが苦しそうにしていたら、喜んだのかも知れない。相変わらず酷い人だが、それで術式がどうにかなると言う事もなく、周囲の温度は適切に保たれ続けている。

獣王拳団の人達が来る。

マローネに、露骨な敵意を向けている者もいた。

「何をしに来た、悪霊憑き!」

「我らの背後を襲う気か!」

「いや、違う。 冷静になれ」

不意に、後方から声。

もの凄く長身の、ひょろ長いオウル族の男性だ。手には複雑な刃がついた槍を持っている。

小隊長格らしく、獣王拳団の荒くれ達が静かになる。

「もしそのようなつもりなら、弱っているところを叩きに来るだろう。 このような術を展開したりもしないはずだ」

「しかし、部隊長」

「マローネと言ったな。 貴殿には私もあまり良い印象を持っていない。 何か用があるのなら、すぐに話して貰いたいのだが」

目の奥にある光は、拒絶だ。

手紙を見せる。ビジオという名前について少し部隊長は考え込んでいたが、やがてはたと手を打った。

「あの新入りか。 余計な事をしてくれたな」

「何があったのか、話していただけませんか?」

「救援依頼を出してしまったのなら、話すのが筋か」

本当に嫌々だったが、ビークルという名前の隊長は、状況について話をしてくれた。

三日前この島に到着した獣王拳団は、まず村の惨状を確認。救援物資を運び込んだ後、ネフライトの術者達によって熱波の緩和をはかる術式を展開した。

此処まではセオリー通りである。

そして、村の側にまで迫っているという、サンドウォームの退治に向かった。

勿論隙の無い布陣で、サンドウォームに対する戦術や物資も完備した部隊だった。ドラゴン退治も難なくこなす獣王拳団である。その上、油断していないドラブ団長を筆頭に、屈強の戦士達の士気も高かった。

だが、初っぱなから、作戦は挫かれることとなった。

「サンドウォームが、組織的な迎撃を行ってきたのだ」

「えっ……!?」

サンドウォームに知能が無い事は、マローネだって知っているくらいの常識である。

さぞや獣王拳団の混乱は酷かっただろう事が、マローネにも容易に想像できる。

丸一日の死闘の果てに、どうにか異常行動を行っていたサンドウォームは駆逐された。だが、一部の部隊が、砂漠に置き去りになってしまったのである。

陽動攻撃をしてきたサンドウォームに引きずられる形で、砂漠に入り込んでしまったのだ。

その数は30名以上。

「そんな! 早く助けに行かないと!」

「今団長が向かった所だ」

「私も行きます」

無用だと、隊長は言う。

一気に、空気が冷え込むのが分かった。冷気の術式で結界を張っていることだけが、原因では無いだろう。

「既に貴殿に我が獣王拳団が壊滅させられたという噂が流れている。 これに関しては、我々も負けを認める。 だがその上で、貴殿に情けない失敗をリカバーされ、大勢助けられたなんて噂が追加で流れてみろ」

獣王拳団の名声は地に落ちる。

そして、こういった商売をしている以上、舐められたら終わりなのだ。

「誇りや意地だけの問題では無い。 仕事が来なくなる可能性も高い。 これだけの規模の傭兵団で、仕事が来なくなったら、どうなると思う。 団員は日干しだ。 そして、この世界で獣王拳団が、犯罪抑止力でどれだけ力を持っているか、理解しているか」

荒くれの集まりだけあって、獣王拳団の荒っぽさは相当なものである。

マローネも、確かに聞いたことがある。

ベリルの中には、獣王拳団の名を聞いただけで怖れて逃げる者も少なくないという。獣王拳団が睨みを利かせていることで、行動できない犯罪組織も少なくないだろう。

怪物退治ばかりが目立っているが、獣王拳団の仕事の中には、ベリルが作った犯罪組織の壊滅や、自警団では手に負えない悪漢の制圧なども含まれている。それらでも、大きな実績を上げているのが、獣王拳団なのだ。

だが、だからといって。

失われる命を、見捨てても良いのか。

悲劇を、目の前で起こしてしまって良いのか。

「私、それでも行きます」

「何……!」

「貴方の言う事も、間違っていないと思います。 でも、命に優先してはいけないとも思います。 獣王拳団が、とても強い傭兵団だというのは、私も知っています。 だったら、一度や二度の失敗で馬鹿にされたって、巻き返せばいいじゃないですか」

バッカスをコンファインし、船から荷物を下ろす。

少し古い砂上そりがあったので、途中の島で買っておいた。普通は駱駝などの家畜に引かせるものなのだが、今回はバッカスに手伝って貰う。

夜でさえ、この熱波なのだ。

昼になったらどのような残虐な状態なのか、マローネにも見当がつく。急がないと、あのドラブでも、助からないだろう。

「行きます。 止めないでください」

「……っ」

「出来れば、この結界の維持強化と、村の人達の介抱をお願いします」

ぺこりと頭を下げる。

この人達の立場も、マローネには分かる。そのまま踏みいれば、二次遭難になってしまう状態である。

獣王拳団としても、口惜しいところなのだろう。今、追加で物資を入手に行って、救援活動に備えているのかも知れない。

だが、それでは間に合わない。

マローネは、立ち尽くす獣王拳団の人達に背中を向けると、砂漠に踏み込む。今は夜だから、まだフードはいらない。

普通、砂漠は夜には極寒の地と化すというのに。

夜の砂漠も、また灼熱の抱擁から、逃れられていなかった。

「これは異常だ」

ガラントが、砂丘が歪むような熱波に包まれている砂漠を見回しながら言う。彼方此方に転々としているのは、肥大化し、異形にねじくれた無数の死骸。サンドウォームの亡骸だ。

大きさは、以前見たものの半分程度。

いずれもが、爆発に驚いて出てきたところを、仕留められたらしい。ただし、さっき獣王拳団の人達から聞いた話を信じると、簡単にはいかなかっただろう。

それにしても、サンドウォームが組織的行動とは。

「夜の間は、これでもまだ暑さがマシだろう。 今のうちに距離を稼いでおくぞ」

ガラントに頷くと、マローネは歩く。

どこまでも連なる砂丘は、侵入を拒んでいるようにしか見えなかった。

 

2、闇の繰り糸

 

干涸らび島は、さほど大きな島では無い。

面積で言えば、これより大きな島はいくらでもある。サンド地方に限定しても、この島は決して最大のものではないのだ。

だが、今は。

異常気象もあって、広大無辺な地獄にしか思えなかった。

ドラブは汗を拭いながら、倒れている部下達を、岩の影に引きずり続ける。どうにか全員は見つけることが出来た。死者もいない。

だが、それも、過去の話になりそうだった。

まもなく、陽が昇る。

直射日光を避けられる岩陰を見つけたことは、救いではあった。腰を下ろすと、深呼吸する。

陽が昇り始めた今、此処は本当の地獄と化している。本来砂漠に住んでいる生物までもが、干涸らびて屍をさらしているのだ。今回の熱波が如何に異常なものか、砂漠になれたはずの生物たちでさえ耐えきれない状況が、雄弁に語っていると言えた。

勿論、人間などは、こんな所ではどうにもならない。

持ってきた物資は、使える状態に無い。水はあっという間に茹だってしまったし、魔術による熱波緩和装置も、使ってはいるが殆ど効果が見込めない。どうにか直射日光さえ避ければ、寿命は延ばせそう、程度の効果しか示さない。

ドラブは大きく嘆息した。

彼は、部下達との絆を大事にしてきた。どんなに汚い仕事をしたときも、部下達を思いやり、酒を共に飲み、必ず愚痴を聞いて、悲しみも喜びも共有してきた。

だが、いつ頃からだろうか。

武名が、虚名になり始めたのは。

荒くれの集団である事が、災いした。ドラブがどんなに統率しても、荒くれは所詮荒くれ。金をほしがるし、戦いも好む。ドラブ自身も戦いは好きだが、いつの間にか世間では、金のためにどんなことでもする集団と思われるようになり始めていた。

ダーティワークも、率先して押しつけられるようになった。

断るのは、無理な仕事も多かった。こういう仕事は、信用がものをいうのである。今まで重ねてきた実績が、一度の失敗で崩れ落ちることもある。

だから、負けられなかった。

この間、ついに大敗をしたとき。部下達の落ち込みようは、以前の比では無かった。前々から、今の獣王拳団はおかしいと、ドラブに泣きつく者は出始めていたのだ。繰り返されるダーティワーク、連続する過酷な任務。賞金ランキングなどと言う意味の無いものへのこだわりと、首位を取ろうとし続けなければならない愚かしさ。

「ドラブ、団長」

「大丈夫だ。 救援はきっと来る」

うわごとを言う部下の額の布を取り替える。もう湯に近い状態の水だが、それでも無いよりはずっとマシだ。布を濡らして付け替えると、ドラブは絶え間なく流れ出る汗を拭う。

今、彼が信頼する参謀であるレイブが、この状態をどうにかするべく、必死に策を練っている。

ドラブが単身砂漠に入ったのは、複数で入っても二次遭難になるだけだからだ。最も頑強な肉体を持つドラブがここに来たことで、実際に乱戦の中はぐれた部下達は見つけたし、保護も出来た。

後は、レイブが、どう動くかだ。

そういえば、レイブはこの仕事に懐疑的だった。

今は休養の時だともいった。或いは、ドラブが負けたことで、心に大きなダメージを受けていたことに、気付いていたのかも知れない。

無茶をしたことは、今では明らかだった。

確かに戦術面では無駄は無かった。戦略面でも隙は無かった。

ただしそれは、普通の状態の砂漠での話。組織戦を仕掛けてくるサンドウォームというあり得ない敵はどうにか叩き潰した。だが、自然という最強の敵を前にしては、獣王拳団でもどうにもならなかったのだ。

気がつけば、部隊は散り散り。

敵は皆殺しにした。だが、味方を集めてみれば、激しい乱戦の中、どうしてもはぐれて見つからない者が出てしまっていたのだ。

見捨てるという選択肢は、存在しなかった。無事な部隊をまとめ、一旦村にまで退避させつつ、ドラブは救出活動に移った。

ドラブは後悔していた。そして、部下達を助けるためなら、自分はどうなってもよいと、思い始めていた。

砂漠の中。

陽炎に混じって、何かが見える。

それは、球体状の怪物。全部が口と言って良い、禍々しい姿の化け物ども。

噂に聞いた悪霊か。

さては、この異常気象の原因は、此奴らという事か。此方が弱るのを待って、仕掛けてきたという事か。

怒りが、力を呼び覚ます。

こんな奴らに、部下達を喰わせるわけにはいかない。たとえドラブが果てるとしても、この敵だけは殺す。

或いは、あのサンドウォーム達も、この化け物共に好き勝手に操られていたのかも知れない。もしそうだとすると、なおさら許せる事では無かった。

灼熱の中、ドラブは吠えた。

それを嘲笑うように、無数の球体状の化け物が、四方八方から襲いかかってきた。

 

砂が、体中を覆い尽くしていく。

熱を含んだ砂が、これほど危険だとは。一歩一歩進みながら、マローネは思い知らされる。熱波を緩和するコリンの術式が無かったら、マローネはとっくに干涸らびた屍になっていただろう。

サンド地方の異常熱波は、少し前から聞かされていた。

だが、実際に足を踏み入れてみると、その凄まじさがよく分かる。砂漠になれた人達からも死者が出ているというのも、あながち嘘では無いだろう。

「コリン、さん」

「何? これ以上熱を緩和すると、魔力の消耗が激しくなるよ?」

にやにやするコリンに、マローネは視線を向けずに返す。

三百年前からいるコリンなら、或いは知っているかも知れない。

「あの悪霊達がサルファーのしもべで、恐ろしい骨の魔物が、サルファーの手先で、それは間違いないんですか?」

「間違いないねえ」

コリンは歩いてついてきている。今は術式を維持しなければならない関係上、彼女はずっとコンファインしていた。

面白くも無さそうに一緒に歩いているのはハツネである。パレットに散々じゃれつかれて、船の上でも疲れ果てていたハツネは、不機嫌そうに哨戒を続けていた。

「それじゃあ、この異常気象も?」

「可能性は零じゃ無いね」

「本当、ですか?」

「サルファーが現れる前は、世界規模での異変が毎度起きてるんだよ。 あたしが生きていた頃からね」

コリンが生きていた頃、魔島が平穏で豊かな環境だったという。それに代表されるように、サルファーが来たことで、がらりと環境が変わってしまった島が、いくつもあるのだそうだ。

そもそもこのサンド地方も、その一つなのだという。

「アクアマリン地方にしても、サンド地方にしても。 本来だったら、砂漠になったり、雪だらけの島になったりはしないんだよねえ。 こんなに狭い範囲に、異常な環境の島々が林立してるのは、イヴォワールくらいなんだよ」

「それじゃあ、この暑さは……」

「サルファーの影響、とみて良いだろうね」

つまり、サルファーは、近々イヴォワールを襲うと言う事だ。

空を旋回していたヴォルガヌスが、独特の口調で叫ぶ。

「遠くに悪霊共がおるのう。 数は多くは無いが、しかし大きい奴が多いようじゃあ」

「えっ……!」

「出来るだけ、叩いておくべきだな。 遠距離狙撃、許可してくれ」

「分かりました。 お願いします」

そのまま、マローネもバッカスの背中に移る。この位置の方が、周囲を見回しやすい。今まではいわれるまま戦っていたマローネだが、これだけの戦闘を経験すると、少しずつ肝も据わってくる。

冗談抜きに死にかけたことも、何度もあった。それらも、マローネにプラスに働き始めている。単にからだが強くなるだけでは無い。戦いの中で、どう動けば良いのか、どうすれば味方の被害を減らすことが出来るのか。

わずかずつだが、わかり始めていた。

ガラントはまだコンファインしなくて良い。一杯にハツネが弓を引き絞る。その指先にも目にも、魔力が集中しているのが、マローネには見えた。

ハツネは魔界の弓使いだ。放つ矢は魔力の塊。視力も射撃精度も、魔力で強化を重ねている。

「ヴォルガヌス老、敵の数と精確な位置を」

「よし、儂と視界のリンクを」

「はい!」

マローネは手を合わせて、集中する。

コリンに教わった技だ。ファントムへの魔力供給が出来るようになってきたから、その先を目指して、習得し始めた技。

感覚の共有。

マローネを介して、それぞれが見ているものと、感じているものを共有する。この場合、空高く舞っているヴォルガヌスの視界をハツネと共有することで、敵の位置を精確に知ることが出来る。

ほどなく。

ハツネが、指先を、矢から離した。

ひょうと、小気味が良い音が響く。彼女の矢はどちらかというと荒々しさを感じることが多いのだが、今回はまるで風に乗ったようだ。

二秒後、ハツネが呟く。

「命中。 次」

「お、敵が気付いたぞ」

「充分だ。 行ける」

第二矢。命中とハツネが呟く。三、四、五。次々放たれる矢。マローネの位置からは、まだ悪霊は見えない。

このアウトレンジ攻撃の凶悪ぶりは、凄まじい。だが、感覚のリンクは、まだ覚えたばかりの技だ。消耗も激しい。寒気のバリアも熱波を緩和しきれない今、マローネの負担は、更に増えていく。

ハツネが、弓を下ろした。

「撃破27。 こんな所か」

「敵影無し。 全機撃墜じゃ。 やるのう」

「いや、ヴォルガヌス老の視力が故だ」

ハツネが少し表情をほころばせた。コリンがにやにやとその様子を見守っている。

再び、歩き出す。マローネもバッカスから降りて、砂漠を踏みながら、先に進む。

砂で出来た、巨大な地獄。それが此処だ。

怪物の姿も見かけるが、殆ど生きていない。大きなサソリの怪物が、干涸らびて死んでいた。腐るどころか、その前に乾いてしまうようだ。どんなところでも見かける蠅でさえ、この辺りにはいない。

ヴォルガヌスの視界を利用して、出来るだけ可能性がある場所から当たる。

そう、ガラントが方針を最初に決めた。マローネもそれが正しいと思ったから、無言で進んでいる。

アッシュとハツネを交代。

具現化したアッシュは、もの凄い日光に、目を細めていた。

「マローネ、見て。 この辺り、多分オアシスの残骸だ」

「うわ……何だかおかしいね。 サルファーの力って、こんなにも凄まじいものなのかしら」

「そらそうだよ。 ハツネちゃんの魔界だって滅ぼされたって話だし」

コリンが不謹慎なことを楽しそうに言う。イヴォワールは異常な使い手が集まる世界だが、それでも魔界は更にその上を行っているとみて良いだろう。

しかし、不可解なこともある。

この間、ハツネが話してくれたのだが、彼女の魔界はサルファーの攻撃を受け始めてから、三ヶ月ほどで滅ぼされてしまったのだという。

しかし、どうしてこの世界は滅びていないのか。

「サルファーって、魔王様でもどうにもならないほどに強いんでしょう?」

「ああ。 だが、どうもおかしな手応えでな」

「おかしな手応え?」

「そうだ。 部下の悪霊共はどうにでもなった。 実際悪霊に対しての戦況は、それほど悪くなかったのだ。 だが、サルファーが出てくると」

悪魔の攻撃は、一切通じなかった。

武器も魔術も、いかなる攻撃も。自然災害を利用したトラップや、或いは科学技術による攻撃でさえも。

サルファーには、霞のように霧散してしまうのだった。

ハツネもその恐ろしい攻撃を見たという。

「魔王クラスに到達している悪魔四体が、総力で攻撃術を叩き込んだ。 だが、サルファーには傷一つ付けられなかった。 悪魔では、サルファーには攻撃を通せないとみて良いのかも知れない」

「ひええ……」

「スプラウトのおじいちゃん、目の付け所は悪くないって事だね」

人間の攻撃は、通る。

実際問題、イヴォワールでは何度となくサルファーを撃退しているのだ。奴を倒した英雄は史上何名もいる。

スプラウトもその一人だし、何より勇者スカーレットもそうなのだ。

「それで、コリンさん。 今回のサルファーの侵略は、大規模なの?」

「スカーレットの時も見ていたけれど、あのときと同レベルかなあ。 確か、百二十年くらい前の侵略が、あたしが知っているときは最大規模だったはずだよ」

王族の権威が完全崩壊したサルファーの襲撃が、その時のものだった。

各地の国が、軍が、根こそぎ悪霊に食い尽くされていった。軍事大国を気取っていた国が、わずか数日で陥落した。

それからだ。

根城を持って行動する軍隊よりも、小回りが利く傭兵団が、幅を利かせるようになっていったのは。

その時は、当時の九つ剣が総力で挑み、半数以上を失いながらもサルファーを打ち倒したのだという。

「その時も、気象の異常は、こんなに激しかったんですか?」

「んー、どうだったかな。 幾つかの島では滅茶苦茶なことが起こったみたいだけれど……。 気象の異常という点では、今回は最悪のレベルかも」

日陰になりそうな、大きな岩を見つけた。

砂漠が、徐々に岩石砂漠になりつつある。もしも獣王拳団のはぐれたメンバーが逃げ込んでいるとしたら、この辺りだろう。

キャンプが見えてきた。

遭難したメンバーかと思ったが、それにしては活気がある。ひょっとすると、獣王拳団が派遣した救援部隊かも知れない。

だが、近づいてみると。

状況は決して良くない事が知れた。

以前見た、人間族の細い男がいる。レイブという名前だったはずだ。ネフライトとしても優秀な人物で、クロームギルドで調べたところによると、以前はセレストおつきの魔術師だったそうである。

どうして獣王拳団で軍師をしているのかはよく分からないが、彼の戦闘指揮は的確で、密林での死闘が長引く要因となった。

マローネがキャンプに歩み寄ると、比較的涼しい風が出迎えてくれた。熱波を遮断する術式が使われているのだ。

だが、その中にいる獣王拳団の団員達は、皆相当にへばっている。おそらくは、このキャンプを拠点にして探索をしているのだろう。何かしらの方法で、ドラブとも連絡を取り合っているはずだ。

だが、それでも。まだ救出には至っていない。

何かが、起こっているのだ。

「あ! マローネさん!」

素っ頓狂な声が、マローネを出迎える。どたばたと走ってきたのは、青い毛並みのウェアウルフである。

間違いない、ビジオだ。久しぶりに見るが、随分毛並みが良くなった印象がある。それだけではない。前は狡猾で邪悪なイメージがあったのだが、舌をだらしなく出して、好意をダダ漏れに走り寄ってくる様子は、まるで頭の悪い子犬である。

憑き物が落ちたような、というような感触だ。

実際スプラウトに闇の力を吸い出されていたが、それでもこうも変わるものなのだろうか。目を白黒させているマローネの手を取ると、マローネ自身を振り回しそうな勢いで、ビジオはシェイクする。

「会いたかったっす! そして、良く来てくれたっすね! きっと来てくれるって、俺は信じていたっすよ!」

「あー、ごほんごほん」

ビジオの後ろで、騒ぎを聞きつけたか、レイブが咳払いした。

不眠不休で働いていたのだろう。疲れきっている様子が見て取れる。元々細い人だ。体力はあまり無いだろうし、厳しい状況であろう。

「貴方ですか、マローネさん。 うちの新入りが、呼び寄せたと聞いていましたが」

「はい。 呼ばれて来ました。 村で状況を聞く限り、良くないとも聞いています」

「……」

「今は、意地を張っている場合では無いと思います」

さっき、村で会った獣王拳団の人達は、命に誇りを優先させる人達に見えた。

マローネは、その言葉を受け入れることは出来なかった。地べたを這いずってでも、生き延びてきたから、かも知れない。

だが、彼らの言葉を、頭ごなしに否定することは出来るのだろうか。

たとえば、体を売れと言われたら。生き残るために、大量虐殺しろと言われたら。誇りと命を天秤に掛けなければいけない場合は、きっとある。そういった場合、大量虐殺しろと、強要できるのか。

マローネは多くの失敗をしてきた。お仕事の結果、他の人に悲しい思いをさせてきたことも、たくさんある。

だから、他人の信念を否定するなんて事は出来ない。

だが、戦った相手とは言え、助けられる人は助けたい。

レイブはどうなのだろう。不安に満ちた視線で見つめるマローネに、レイブは静かに返した。

「きっと団長は、貴方が行っても喜ばないでしょう。 貴方を見ていると、どうも誰にも嫌われたくないように見えます。 貴方は、ただ嫌われたくないために、人を助けようとしていませんか?」

「……」

流石に獣王拳団の軍師だ。もうマローネがどういう人間か見抜いている。

マローネは、根本では臆病者だ。誰もが好きだし、誰もに嫌われたくない。それを惰弱だと、嫌う人間だっているだろう。

だが、そういう人間がいることを、否定もしたくない。それがマローネの本音なのだ。

「それでも、助けたいです」

「お節介ですな……」

「そんな! お節介かも知れないけど、マローネさんは……」

「ビジオ、黙っていなさい」

体格的にも勝負にならないほど細いレイブの言葉に、ビジオは黙り込む。それだけ、普段からレイブの神がかった指揮能力を見ている、という事だろう。

ビジオも、マローネと同じように、臆病な人間に思える。

今まで犯罪に手を染めていたのも、社会に対する反発からだろう。だが、その反発心を取り除かれてしまうと、純粋で子供っぽい本性が表に出てきた。

「今、我々は、此処から北の地点を重点的に探しています。 団長がいるとしたら、この辺りである事は間違いないのですが、蜃気楼が出ているからか、中々側までたどり着けていません」

「え……」

「独り言です。 ビジオ、この方が団長に危害を加えないように、側で見張りなさい」

それだけ言い残すと、レイブはキャンプに戻っていった。

頭を掻いていたビジオは、マローネを見て、小首をかしげる。

「どういう事っすか?」

「テツダッテイイッテコトダ」

バッカスが説明してくれたので、マローネは少しだけ嬉しかった。

認めてくれたわけでは無い。だが、レイブは、今はネコの手でも借りたいと思っているのだろう。

手伝うことを許してくれただけでも、マローネは嬉しかった。

 

灼熱地獄が、更に酷くなっていく。

サボテンがしおしおに枯れているのを見て、マローネは絶句した。こんな気候がサンド地方全域に広がったら、本当に誰も生活できなくなる。村を追われるどころか、その場で日干しになる人もたくさん出てきてしまう。

他の地方も、今は異常気象が酷い。

サルファーがこの状態で現れたら、一体どうなってしまうのか。

上空を飛んでいるヴォルガヌスは何も言わない。まだ見つからないという事なのだろうか。

しかし、既にヴォルガヌスの視界から考えると、島はもう半分くらい見ているはずである。しかも、獣王拳団の救援部隊も出ていることを考えると、どうして見つかっていないのかが不思議だ。

如何に気候が厳しいとは言え、島の面積はさほど広くは無いのである。

ビジオが無邪気に飛び跳ねながら言った。

「マローネさんの手伝いが出来て、光栄っすよ! 恩返しはさせてもらうので、何でも言って欲しいっす!」

「え、えっと……」

「イマハイイ。 シュウイニシュウチュウシロ」

「了解っす!」

冷静で寡黙なバッカスが、ビジオの手綱をしっかり握ってくれているのが嬉しい。

岩石砂漠の、端の方まで来た。また向こうには、砂丘が延々と広がっている。しかし、妙なことに、コリンが気付いた。

「ね、向こうが少しおかしいね」

「普通の砂漠に見えますけれど……」

「そうじゃない」

コリンが指さした先。確かに、砂漠ではあるが、妙に光景が歪んでいる。

蜃気楼だ。

いや、ただの蜃気楼なら、ヴォルガヌスが見抜けないはずが無い。猛禽よりも視力があるエンシェントドラゴンのファントムは、魔術に関しても知識がある。

「ね、そこのわんこ」

「ビジオっす」

「知ってる。 あっちに向かって、走ってくれる?」

「お安い御用っすよ!」

舌を出しながら、まっすぐ蜃気楼に向けて走り出すビジオ。ばたばたと非常に不格好な走り方だ。

もともとウェアウルフ族はキバイノシシ族に匹敵するくらい屈強だが、その代わり直立歩行は苦手だ。本気での戦闘時は四つ足に近い体勢を取ることもあると、クロームギルドで見た事がある。

ビジオの場合は、他の種族の歩き方を意識しすぎているのかも知れない。

不意に、妙な光景が現出した。

ビジオが、向こうに走っていたのに、戻ってきたのである。振り返った様子も無く、いきなり此方に向けて走り出したのだ。

「えっ……!」

「やっぱり。 空間が歪んでる」

愕然としたアッシュに、コリンがからかうように説明する。ハツネはと言うと、全く驚いている様子が無い。

以前聞いたのだが、魔界は空間を操作する技術に長けていると聞いている。これくらいは当たり前なのかも知れない。

「空間操作となると、この先に何かあると見て良さそうだな」

「あれ? 俺、どうしてこっち向いてるんすか?」

「ああ、もういいから。 暑いでしょ? 術式の内側に入りなさい」

「了解っす」

疑問を感じることも無く、ビジオがまた熱気遮断の術式の内側に入る。マローネは、ああだこうだ話をしているコリンに聞こえないように、ビジオに言った。

「ごめんなさい、ビジオさん。 これからはもっと慎重に行動して」

「あ、そういうことっすか。 了解っす」

場合によっては捨て石にされる状況だったことに、今更ながら気付いたのか。

しかし、それでも気を悪くした様子も無く、ビジオは頭を掻いた。こうしてみると、本当にいい人なのに。

一体何があって、島荒らしにまで身を落としたのだろう。

話が一段落して、コリンが振り返った。

「マローネちゃん、視界のリンク。 おじいちゃんと」

「はい。 空から状態を確認するんですか?」

「それもあるけど、空間の境目辺りで爆発系の術式とハツネちゃんの射撃を使って見て、どういう状態になっているかを計測する」

その後、空間の歪みには入れそうな場所を見つけるという。

ハツネをコンファインして、実体を持たせる。ハツネがコリンと相談しながら、まず第一射。

矢が、途中から急激に曲がって、あり得ない方向へ飛んでいく。

なるほど、これでは行方不明者が出るわけだ。しかも砂漠の真ん中でこんな場所があったら、方向感覚を失って、遭難してしまうだろう。

立て続けに、ハツネが矢を何発か放つ。

コリンが手をかざすと、頭上に無数の光球が出現。投げ放たれたそれらは、どうやら今の射撃で特定されたらしい空間の歪みの裂け目付近で炸裂。

コリンは頷きながら、また何かハツネと話している。難しい専門用語が飛び交っていて、マローネには半分も理解できなかった。

コリンが脳天気そうに歩いて行って、砂漠に何本か棒を立て始める。

何の変哲も無い棒だが、尖端に火を付けると、煙が上がり始めた。みると、煙が時々不自然に揺らめいている。

中腰でそれを観察していたコリンが、アッシュを手招きした。

「この地点から、タイミングを指示したら、全力のエカルラートを展開して、マローネちゃんを抱えて内側に飛び込む。 出来る?」

「出来るけれど、マローネは大丈夫だろうな」

「さあ? アッシュちゃんの力加減次第でしょ?」

また、アッシュの神経を逆なでするようなことを、コリンは言う。アッシュはそれで大まじめに腹を立てて何か言い合っていたが、やがてコリンの言う方法しか他に手は無いと結論したらしい。

大きく嘆息すると、マローネに言う。

「ごめんマローネ。 少し危ないけれど、方法は他に無さそうだ」

「エカルラートを使うの?」

「そう。 コリンさんの話によると、空間の歪みには、一定間隔で穴が空いているらしいんだよ。 穴といっても、一定時間普通の空間に戻っているというだけのものらしいんだけれど。 歪みを長時間維持する場合、その方が消耗が小さくなるから、なんだって」

ただし、普通に歩いて行っても、その空間の穴を通ることは難しいという。かなりの高速で、穴は空いたり閉じたりをしているから、だそうだ。

そこでエカルラートを使う。

マローネを背負って飛び込むとして、相当なGがかかる。ただしこの場合、一度通ってしまえさえすれば、内側でコンファインすれば良いだけのことである。ただし、バッカスが持ってきた物資に関しては、此処に置いていかなければならないだろう。

「荷物は、俺が預からせて貰うっす」

「ならば狼の戦士、信号弾をあげたら此方に来て欲しい」

「了解っす、弓の姐さん」

「……」

姐さんなどと呼ばれて、どう反応して良いのか分からないらしく、ハツネは困り果てた顔をした。

 

灼熱地獄の中、ドラブは孤独な戦いを続けていた。

悪霊どもは、倒しても倒しても沸いてくる。しかも、ドラブの消耗を見越した上で、明らかに戦力の逐次投入をしている。

嬲っているのだ。

だが、手を抜ける状態では無い。一瞬でも気を抜けば、倒れている部下達に悪霊が襲いかかってくる。

どれだけ屈強でも、意識が無い現状、悪霊に食いつかれてしまえば終わりだ。呼吸を整えながら、ドラブは次の敵を殴り、粉砕する。そろそろ、四刻以上戦闘している。忌まわしい太陽も、既に直上に上がりつつあった。

こんな依頼を受けたのは失敗だったかも知れない。

そう、ドラブは後悔し始めていた。

最後の一匹を蹴り、地平の果てまで吹き飛ばした。遙か向こうで爆発するのを確認。だが、すぐに次が沸いてくる。

けたけたと笑う声。

彼方此方から響き来るおぞましい声。

頭が変になりそうだった。

既に体内の水分は、危険域に突入している。膝をつきそうになったドラブの頭上から、とんでも無く巨大な奴が、かぶりついてきた。

跳躍すると、閉じようとする口を、引き裂いてやる。

この世界でも、最強の一角。その戦闘力は、既に九つ剣に迫ると言われているドラブである。大きさの差など、ものともしない。

メガロクロッカスの能力は、幼い頃から無意識で使っていた。本格的につかえるようになったのは、獣王拳団で一人前に認められた頃だ。獣王拳団は強豪傭兵団。しかも当時は全盛期で、ガラントが育て上げた若者達が大勢所属していた。今では彼らの多くが、いろいろな傭兵団で、中核として活躍している。

粉々に打ち砕いた悪霊を引きちぎって、飛ぶ。

更に新しく現れた奴を、拳で撃砕。断末魔を背後に、オーラを爆発させて加速し、地上に。そして、砂漠に拳を叩き込んでいた。

盛大に吹き上がる砂。

手応えは、あった。

砂が一気に沈み込んでいく。砂中に潜んでいた大きいのを、今の一撃が潰したのだ。

降り注ぐ、灼熱の砂。

メガロクロッカスは、オーラを赤く輝かせる。灼熱を体に纏わせる。

だからこそ、砂漠での使用は命がけだ。それでも、ドラブはやらなければならない。後ろには、ドラブが守らなければならない者達がいるのだ。

滝のように流れ出る汗。

体内に残る水分が、容赦なく流れていく。

ドラブは、武者震いをした。そして、雄叫びを上げた。

「おおらあああああっ! どうした! 俺はようやく体が温まってきた所だぞ! 出てこい化け物共! このドラブを、雑兵で殺れると思うなあああっ!」

太陽よりも熱く。

砂塵よりも空を舞い。

ドラブは、戦う。

己の命が燃え尽きようとしている今さえ。

戦う事が、人生の一部となっていた。今、その終焉が来ようとしているのかも知れない。だが、それでもドラブは戦う。

見えた。

何か、いる。砂漠の中に。

それは、黒くて、おぞましくて。姿そのものが、闇を凝縮したかのようで。

ただ、ドラブも、その前に立っているしか出来なかった。

「ふん、ようやく、親玉の登場かよ……」

既に、力が尽きている。

否、力が尽きていなかったとしても、此奴に勝てたかは分からない。

不思議と、冷静に頭は回った。

見たところ、サンドウォームの中で、かなり大きな個体がベースになっているようだ。だが、それはサンドウォームでは既にない。

全身は、闇より来たような漆黒。

無数のねじくれた足が生え、口の中には巨大な眼球。全身から伸びている多数の触手には、おぞましいかぎ爪や目玉が散見され、蠢いていた。

何より、そのからだから放っている熱。以前、溶岩の中を泳ぎ回る怪物が観察されたという記録があるそうだが。それに近いかも知れない。

両手を広げ、立ちふさがる。

既にメガロクロッカスの火力は切れている。立ち上がる事だけで、もう気力の全てを使い尽くそうとしている。

だから、これが、ドラブに出来る最後の抵抗だ。

ふと、視界に、誰かが入る。

その背中は。

小さな背中は。その周囲を守り囲んでいる、数名。ガラントの背中も、見える。

おお。

思わずドラブは呻いていた。陽光が、その背中に、翼を作ったように見えたからだ。

「ドラブさん。 後は、任せてください」

静かな、だが決意に満ちた声。

ドラブは、立ったまま意識を失いながらも、悟る。

自分は分からないが。

部下達は、死なずに済むと。

 

マローネは、見た。

ドラブが纏う赤い光が、空を縦横無尽に走り、地面の彼方此方で爆発を巻き起こし、悪霊の群れを薙ぎ払う有様を。

それは、命の最後の光を燃やし尽くすような行為。

そして、彼が守ろうとしているものは。後ろの岩山に見えていた。転々と倒れている獣王拳団の戦士達。

フルパワーでエカルラートを展開したアッシュと互角以上に戦っただけのことはある。だが、分かるのだ。

もう、ドラブは限界が近いと。

地面を爆砕。大量に巻き上がる砂の中、既に目の焦点が合っていないドラブが立ち上がる。

そして、手を広げて、敵に立ちふさがる。

砂の中から現れる、魔物と呼ぶもおぞましい、巨大な黒い影に。サンドウォームの体を乗っ取ったサルファーのしもべに間違いなかった。

マローネは、ヴォルガヌスを除く戦える全員を、即座にコンファインした。

以前は実体を得るまで時間差があった。だが、今は違う。度重なる実戦、繰り返してきた錬磨の結果、以前の十分の一以下の時間でコンファインが可能だ。詠唱も、コリンに教わって、改良に改良を重ねてきた。

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ!」

ふくれあがる光。

実体を得る皆。

ガラントが大剣を構え、ハツネが弓を引き絞る。ヴォルガヌスは最後の切り札だ。だが、今回、二枚の切り札の内一つ、アッシュには最初から出て貰う。

ドラブの前に、更に立ちふさがる。

魔物が、おぞましい雄叫びを上げた。砂漠が震えるような凄まじさだ。

だが、マローネは不思議と、全く怖くなかった。

「ドラブさん、後は任せてください」

返事は無い。

だが、ドラブが意識を失っていることだけは分かった。立ったまま気絶する、流石だ。

戦士の考え方は、マローネにはよく分からない。誇りを命に優先したりするとことは、理解できないし、許容も出来ない。まねしようとも思わない。

それでも、マローネは。

部下達を守るために、立ったまま気絶したドラブを。孤独に戦い抜き、親玉以外の敵を殲滅した彼を、馬鹿にする気は無かった。

「あれの正体は明らかだな。 以前のビジオのことを考えると、打撃だけでは埒があかんぞ」

「大丈夫。 倒す方法は、ある」

コリンが、印を鋭く切る。

時間を稼いで欲しいと、彼女は言った。普段は仲が悪くても、戦闘時の連携は、みな抜群に取ることが出来る。

それは、きっとマローネを、みなが大事に思ってくれている証拠。

思い方は違うとしても、それでいい。マローネは、みなが大好きだ。だから、みなに好きになって欲しい。それで充分だ。

ガラントが、大剣を構える。

「そうか。 ならば、総力戦だ! アッシュ、バッカス! 俺に続け! ハツネは相手の足止めに集中! カナンはマローネ嬢をなんとしても守りきれ!」

「応っ!」

「マローネ嬢、適宜感覚の共有と、魔力の増幅を。 ヴォルガヌスを投入するタイミングは、判断を任せる」

「分かりました!」

ガラントがタイミングを任せてくれた。嬉しいと言うよりも、ようやく成長を実感できた気がする。

巨大な魔物が、口を開く。

口の中には、巨大な唯一の眼球。口しか無い悪霊といい、体が半分崩壊している魔物といい、サルファーの部下には、何か屈折した歪みが感じ取れる。

マローネは、以前感じた。

悪霊達が見せる、とほうもない悪意を。

やはり、間違いないのかも知れない。

カナンが、素早く周囲を見て、状況を把握。きっと、戦いが終わった後の、治療する方法や順番を、確認しているに違いなかった。

無数の触手が、まるでそれぞれ独立した生き物のように躍りかかってくる。

戦いが、始まった。

 

3、闇より来た巨

 

干涸らび島に上陸したスプラウトは、灼熱に目を細めた。やはりこの環境激変、サルファーのしもべが来ている事は間違いない。

だが、妙なのだ。

サルファーは基本、誰かを怖れるようなことは無い。罠を張ることはあっても、これではまるで。

人間が近づけない場所を、作ろうとしているかのようでは無いか。

何をサルファーがもくろんでいるかは分からない。だが、スプラウトの行動は変わらない。

奴を殺すため。

少しでも、奴の部下を削り取るだけだ。

砂漠に躊躇無く入り込んだスプラウトは、やはりおかしいと気付く。サルファーの最下等の部下、いわゆる悪霊の姿が見えない。

場合によっては万を超す数で強襲を仕掛けてくる悪霊が、全くいないのはどういうことなのか。質より量という戦い方を、サルファーはしない。悪霊では手に負えない相手が来た場合でも、消耗戦を仕掛けて、最終的にすりつぶすことが多いのだ。

何が起きている。

向こうで、サルファーの部下、かなり上級の使い魔が、結界を張っているのをスプラウトは感じ取った。

長年戦って来たスプラウトには、それくらい朝飯前だ。

だが、どうして外を拒む結界を作る。

無言でスプラウトは、結界にむけて歩く。解らない事が、生じ始めている。罠では無いと思うし、そうだったとしても噛み破るだけだが。

不可解なことに、間違いは無かった。

 

雄叫びと共に、先陣を切ったガラントが、右に左に触手を切り払った。まるで大木の幹ほどもある触手が、汚らしい粘液を飛び散らせ、吹っ飛ぶ。

既にガラントの剣技は、神域に入っていると見て良さそうだ。一刀両断、一撃必殺、いずれの言葉にも遜色が無い。

だが、敵も黙っていない。

空から降り注ぐ、無数の黒い稲妻。

砂漠に穴を穿ち、砂を吹き飛ばす。ガラントが、爆発の中に消える。触手の幾つかが蠕動し、術式を同時展開しているようだ。

その一つを、ハツネの矢が吹き飛ばす。

雄叫びを上げた魔物が、無数の触手をハツネに向けて伸ばした。直撃。爆発した砂の中、だが。

マローネが展開したクリスタルガードが、ハツネを守りきっていた。

触手の一本の上に、アッシュが。今の攻防の隙に乗り移ったか。見ると、術式を展開している触手は、本体から伸びている特に太い四本。アッシュが残像を残しながら、蠢く触手の上を走る。防ごうと振るわれる触手が、根元からぐらつき、虚空を抉った。

傷だらけになりながらも立ち上がったガラントが跳躍、半ばから断ち切ったのだ。

しかし、魔物も体を大きくしならせると、強引にアッシュをはじき飛ばす。そして、口の中の目を、此方に向けてきた。

「散開!」

ガラントが、叫ぶ。

アッシュと、敵の至近まで迫っていたバッカスが飛び退くと同時に、目から極太の光線が、撃ち放たれていた。

砂漠を溶かし、抉りながら、迫り来る破壊の光。

マローネとハツネの前に、数重の光の壁。展開したのはカナン。その数枚が、瞬時に吹っ飛ぶ。冷や汗。マローネもクリスタルガードを展開するが、防ぎきれない。

今度こそ、全員がまとめて吹き飛ばされた。

強い。

とてつもなく。

島の環境を、一つ丸ごと変えてしまうほどの相手だ。更に第二射を放とうとする魔物。第二射まで、殆ど間が無い。

「シャアッ!」

だが、その時。

魔物の眼球に、体を丸めたバッカスが、回転しながら特攻を浴びせていた。魔物の眼球の寸前に、淡い光の壁が出来、バッカスとぶつかり合う。

だが、その壁が、砕ける。

ついに術式を展開している触手に辿り着いたアッシュが、蹴りで拳でラッシュを浴びせたからだ。更に飛び起きたハツネが、二本の触手を立て続けに穿つ。バッカスが、眼球に体当たりを浴びせ、背中の鋭い棘で瞬時に抉り切り裂いた。

ぶちまけられる、大量の血。

悲鳴を上げる魔物。だが、その腹が縦に裂け、大きな口が出来る。口からは何本もの触手が生え、周囲に乳白色の液体をまき散らし始めた。

「酸だ!」

「……っ!」

四つん這いに着地したバッカスに、頭上から無数の触手が殺到する。三本までは、左右にステップしてかわす。だが、四本目は。

寸前、マローネがバッカスのコンファインを解除。

砂漠に、再び爆発の花が咲いた。

アッシュが高々と空に舞い上がると、魔物の頭上に躍り出る。口をつぐんだまま突入したガラントが、敵の触手を二本、三本と、切り裂く。

頭上への迎撃に、コリンが矢をつがえようとしたとき。

魔物が、腹の口から、膨大な乳白色の液体を放った。指向性を持ったまま、此方に飛んでくる。

ずたずたに傷つきながらも、カナンがクリスタルガードを展開。無言でハツネが、矢を放つ。口に突き刺さる。クリスタルガードが、どんどん侵食され、カナンがずり下がる。冷や汗が見えた。

マローネが、ハツネに魔力供与したのは、その瞬間。

ハツネは目を見開くと、指先に力を込める。その全身が、黄金色に輝くのを、マローネは見た。

「受けてみろサルファーのしもべ! 魔界の怒りを!」

大木のような、巨大な光の矢がハツネの弓に番えられる。もはやそれは、攻城用の波状槌に近いかも知れない。

矢は十字状の構造をしており、まるである種の槍のようだった。

ハツネが、矢から指を離す。

撃ち放たれた巨大な光の矢が、虚空を蹂躙。見る間に、魔物に迫る。

「併せろ、アッシュ!」

「うぉおおおおっ! エカルラートッ!」

アッシュの全身が、荘厳なまでの青に包まれる。

そして、矢が魔物を貫くと同時に。触手の群れを強引に突破したアッシュが、魔物の脳天に渾身の蹴りを叩き込んでいた。

光が、砂漠を包む。

邪悪なまでの熱気が、魔物の咆哮と共に、霧散していくのが分かった。

それでも、魔物は、アッシュを触手で掴む。

その時。

コリンの術式が、完成した。

「ガラントさん、魔物の位置を固定してくれる!?」

「応ッ!」

跳躍したガラントが、魔物を一文字に切り裂く。業剣がうなりを上げ、その堅い表皮を、頭から腹の辺りまで、一気に裂いたのだ。だが魔物はとんでも無い巨体。表皮とその内側を、少し斬られたくらいに過ぎない。

だがそれでも、魔物の動きは止まり、アッシュを放り出す。

しかし、此処で魔物が、最後の抵抗にかかる。

辺り一帯に、無差別に黒い稲妻を投擲したのである。

言葉も無く、吹き飛ばされる皆。カナンも、クリスタルガードが間に合わない。コリンが舌打ちする中、マローネが、印を切った。

「負けないっ!」

クリスタルガード発動。

黒い稲妻を、クリスタルガードを破られながらも、コリンへの到達を防ぐ。だが、マローネには容赦なく直撃。全身を言葉にも出来ない痛みが蹂躙した。うめき声が漏れそうになるが、立つ。

まだ、倒れるわけには、いかない。

皆の凄まじい暴れぶりで、増えてきているマローネの魔力も、枯渇寸前だ。だが、それでも。

魔物が体をくねらせ、血だらけの口を此方に向けてくる。コリンの目に、焦りが浮かぶ。

しかし此処で、マローネの前に、ファントムのままのヴォルガヌスが降り立つ。

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ……!」

ヴォルガヌスが、具現化。

その口には、ブレスでは無い。恐らく、竜言語魔法の光。

「奇跡の力、シャルトルーズ!」

再び、魔物から放たれる極太の光。それを体で受け止めたヴォルガヌスは、お返しとばかりに、術式を発動。

無数の光の鎖が砂漠から飛び出し、魔物の全身を縛る。

だが、まだ足りない。魔物が、鎖を引きちぎって逃げようとする。

その瞬間、血だらけのアッシュとガラントが飛び出し、魔物の頭に左右から斬撃と蹴りを叩き込んでいた。

魔物が、悲鳴を上げて、砂漠からはみ出させている体を、硬直させる。

コリンが、ついに術式を発動した。

巨大な魔法陣が、魔物の体を両断するようにして、出現する。

「闇の力よ、あるべき所へ帰れ……!」

絶叫する魔物の体から、黒い光の柱が迸る。それは天に向けて伸びながら、徐々に白い光に変わり、まるで噴水のように周囲に散っていった。

結界が、壊れていくのが分かる。

サンドウォームの中にいた何かが、うめき声を上げながら出てくる。それは、以前見たサルファーのしもべとはどれとも似ていない、巨大な眼球が、無数の触手を持っているような異形。

此処が、とどめだ。

アッシュが、残った最後の力を爆発させる。

ハツネがもう一射、巨木のような矢を引き絞る。

ヴォルガヌスは最後の駄賃にと、消えつつも、総力でのブレスを叩き込む。

虚空に出現した、巨大な目玉の魔物が、ブレスの直撃を受け、動きを止めた。爆発の中、煙から逃れるようにして、落ちてくる。

そこへアッシュが、最後の力を込めて、渾身の蹴りあげを叩き込んでいた。

巨体が、全身にひびを入れつつ、浮き上がる。大量の体液がぶちまけられる。それはどうしてか、真っ黒だった。

「これで……!」

「射ってください、ハツネさん!」

マローネが、ハツネに残る力を、全て流し込んだ。

頷くと、ハツネは絶叫と共に、一矢を放つ。

光の柱が、砂漠の空を、一文字に縦断した。

「ああ! これで、終わりだああああああああっ!」

ハツネの放った矢が。全てをかき消していく。

闇より生まれた巨大な魔物が、溶けるように、断末魔を挙げながら消えていった。

 

辺りの過酷な熱が、和らぎ始める。

マローネが意識を取り戻すと、柔らかい風さえが、周囲を覆い始めていた。灼熱と化した大地が、徐々に人間でも踏み込める場所へと変わりつつある。

マローネを膝枕していたのは、カナンだった。立ち上がろうとしたが、上手く行かない。また、極限まで力を使ってしまった。

何回か失敗して、どうにか立ち上がる。

砂漠は、暑い。だが、それでも、少し状況が良くなったらしい。倒れているドラブ達は、既に物陰に、ガラントとアッシュが動かし終えていた。

「お疲れ様、マローネ」

「みんな、無事かしら……」

「大丈夫だ。 サンドウォームも砂の中に帰って行ったよ。 元に戻ったら、縄張りの外に出てくる事も無くなるだろう」

それは良かった。

確かに恐ろしい存在だが、必要も無いのに殺すようなまねはしたくない。

遠くから、マローネを呼ぶ声。

多分ビジオ達だろう。ハツネの最後の一撃が、結界を崩壊させるときに、信号弾の役割も果たしたという事だ。

「誰か、肩を貸して……」

「誰も来ないうちに、此処を離れる気か」

「ガラントさん、分かるの?」

「ああ」

マローネは、戦士の誇りというものを理解できない。誇りを命に優先させる生き方も、同意できない。

しかし、ドラブがやったことは尊敬できる。

刃を交えた仲だ。マローネの事を好きになってくれるとは思えない。だが、マローネはドラブのことが嫌いでは無いし、好感も増した。

比較的無事だったバッカスをコンファインして、コリン以外の残りの皆には戻って貰う。一度だけ、マローネは振り向いた。

立ったまま意識を失い、皆を守り通したドラブを、凄いと思ったからだ。

 

「熱波、消滅を確認。 サルファーのしもべIタイプおよび、環境変動タイプの結界消滅も確認しました」

「予想以上に成長が早いな。 今の奴は、弱めの魔王クラスくらいの力を有していたのだが」

干涸らび島、上空。

魔王ソロモンは、複数の部下と共に、戦況を観察していた。マローネが出てきてからは、その能力値の測定に忙しかった。

結論から言えば、弱めとは言え魔王クラスの相手を自力で打ち破ったマローネは、既に要件を満たせているような気がする。

だが、まだ少し足りない。

相手はサルファーだ。天界との共同作戦が決まり、勝算が増しているとは言え、まだ油断はしない方が良い。

跨がっている魔界の巨鳥に命じて、ソロモンは一度帰還する。まだ、今のうちにやっておくべき事がある。

富と自由の島の地下空間に到着。部下達に資料整理を命じた後、デスクについて考え事をする。しばらく今後の戦略について思惑を巡らせていると、部下の一人が来た。

「ソロモン陛下」

「どうした」

「カレルレアス様が」

「通せ」

まさか、大魔王が今のタイミングで直接来るとは思わなかった。席を立って、服装を整える。盟主的な立場とは言え、大魔王の政治力は高い。他の者達では、獰猛な上に狡猾で知られる天使長リレと、こうも上手に交渉など出来なかっただろう。

カレルレアスは、何人か魔王を連れていた。相変わらず妖艶な立ち姿だが、ソロモンの美的感覚とは少し違う。ソロモンは派手な女よりも、虐めたくなるような薄幸そうな相手が好きだった。

実際、妻にしてきたのも、そういう女達である。もっとも、実際に妻にしてみると、見かけとは全く違って、どいつもこいつもしたたかで恐ろしいという事を思い知らされただけであったのだが。

「作戦は順調か、魔王ソロモン」

「は。 現地にて、サルファーのコア撃破を可能と思われる人材を育成中で……」

「それは知っている。 資料を見せて貰ったが、かなり危険な橋を渡っているようだな」

あまりやり過ぎないようにと、釘を刺された。

頷くと、ソロモンは近況の報告を行う。

まずは、イヴォワールについて、だ。地図をまず見せ、それから勢力ごとの分析表について提示する。

そうしてから、結論を述べた。

「これらを見ても分かりますように、このイヴォワールは、かなり小規模な集落の連続体という特性を持っている地域です。 かっては統一国家も存在していたようですが、現在は国家は形骸化。 いくつかある地域を、貴族階級を中心とした顔役が押さえて、一定のかつ独特の秩序が生じています。 国家軍事力では無く、傭兵団が力を持っている事からも、それは明らかです」

「なるほど、混沌そのものねえ。 地球人類に近い種族の場合、表向きだけでも秩序を作る事が多いのだけれど、此処は違うようね」

「は。 今の時点で、顔役達の足並みを揃えさせることには成功しています。 なお、この世界では、魔神クラス以上の怪物的な猛者がごろごろおりまして、彼らの力も、サルファー戦では役に立つことでしょう」

要注意リストという紙を配る。とはいっても、戦うべき相手、というわけではない。これからサルファー戦での動向を着目すべき相手、という意味だ。

それには、スプラウトを筆頭に、ラファエルをはじめとする九つ剣、各傭兵団の団長、それにマローネの名が挙げられている。

現在、マローネはラファエルについで第三位の評価。他の九つ剣も強者揃いだが、マローネには劣るという評価で定着している。ラファエルはどうも空間を渡る能力を使うらしく、生半可な使い手では無い。恐らく今のマローネでは勝てないだろう。

また、スプラウトは何度か戦闘を分析したが、単純に強い。魔界でも、充分に上位に食い込む実力だ。魔界によっては、王として迎えられる可能性も高いだろう。

「このステータス数値は本当?」

「計測によると。 ただし、これでもまだ力を押さえている可能性はあります」

「……側近に欲しい位ねえ」

魔王クラスの悪魔になると、術式の多重展開や宇宙空間での戦闘くらいは平気でこなすものがいる。

イヴォワールの人間にそんな器用なことは出来そうに無いが、逆に言えば単純に力の容量が大きい。マローネの魔力は、此処に立ち並ぶそうそうたる魔界の強者達にも劣るものではないし、単純な格闘戦闘能力で言うと、スプラウトやラファエルは並の悪魔など軽々片手で捻ってみせるだろう。

一方で、数だけは多いイヴォワールの外の人間は、どれも脆弱だ。魔神クラスに達するものでさえ、ごく希というレベルである。

面白い事に、彼らはイヴォワールをこう呼んでいるそうである。

人外が集う魔界、と。

「現在、マローネの成長を待って、計画を実行に移す予定です。 進展はそろそろ七割に達するかと」

「半年以内にはいけそう?」

「確実に。 そちらはどうでしょうか」

「サルファーの正体については判明したわ。 我らの始祖である地球人類にも関係している事よ」

地球人類。

魔界にとって、その名前は特別だ。全ての魔界の始祖であり、もっとも残虐にして非道なる闇の悪魔たる種族。

宇宙に多数存在する魔界の起源も、地球人類にある。

そして噂だが、いろいろな宇宙に広がる人間や、天界にさえ関わっているという。現在は自分たちの宇宙に引きこもって殺し合いを続けているようで、誰もが関わりたくないと考えている種族だ。その戦闘的な性質は宇宙最悪とも言われ、容姿が気に入らないとか、臭いが気に入らないとか言うだけで滅ぼした相手までいるという。

「倒せましょうか」

「天界側が供与してきた技術を巧く活用し、天界側と歩調を合わせ、更に釣り場であるこのイヴォワールとも、最大限の協力を出来れば」

周囲の悪魔達が、歓喜の声を上げた。

ソロモンだって嬉しい。

今までサルファーに滅ぼされた魔界は多数に登り、殺された悪魔の数は見当もつかないほどなのだ。

奴を滅ぼせば、少なくとも魔界を蹂躙していく存在は一つ減る。

それは、安泰の到来を意味してもいた。勿論魔界では、努力を怠れば即座に魔王の座を追われる。

だが、それは力による秩序で、安泰の一種だ。根こそぎ殺していくサルファーとは違う。

ソロモンはこの時、確信していた。

この戦いは、勝てると。

だが、そのために、ソロモンは少し搦め手を使いすぎた。魔王セルドレスが咳払いする。

「お前、何かまた企んでるのか?」

「いいや、これ以上は正攻法で行きたいものだ」

「ふん……」

あの男は、今のところセルドレスに預けてある。

投入するタイミングさえ間違わなければ。きっと、更に勝率を上げてくれる。そのはずであった。

 

4、力の在処

 

おばけ島に辿り着く。今回もぼろぼろになった上、ただ働きだった。何も得る物は無かった。

最近は細かい仕事でだいぶ稼げているから、家計が困ると言う事はない。それに癒やしの湖島での戦闘や、風遊びが島での戦いでは、モルト伯から表彰状と賞金まで貰った。どちらもおばけ島をもう一個買えるほどの金額で、当分外に出なくても暮らしていけるほどの貯金が既にある。

ただし、今はサルファーによる脅威が、目に見え始めている状態だ。

それに、干涸らび島を救うことが出来た。途中富と自由の島に寄って補給をしたのだが、その時に貰ったイヴォワールタイムズの号外で、干涸らび島をはじめとするサンド地方での熱波が緩和されたというニュースが出ていた。

あのとてつもない魔物による脅威が去った結果である事は、明らかだった。

後は、二つ問題がある。

一つはヴァーミリオン地方。そしてもう一つはアクアマリン地方である。

気になるのは、アクアマリン地方の方だ。どうやらモルト伯が出陣しているらしいのである。

大寒波に襲われた島で救援活動をしているらしいのだが、サンド地方での熱波の凄まじさを思うと、老齢のモルト伯が心配である。

何事も無ければ良いのだが。

マローネは家に入ると、カナンにつれられて、すぐにお風呂で体を洗った。リフレッシュのためでは無い。

カナンによると、傷口に砂が入り込んでしまっているらしいのである。洗うとき、凄く痛かった。丁寧に体を洗い終えると、カナンが回復術を掛けてくれる。彼女が来ている服はヒーラーが制服のようにしている赤い服なのだが、水に濡れていることを気にしている様子も無い。

ファントムだから、もう関係ないのだろう。コリンや彼女が風呂に入りたいと言ってきたことは、数えるほどしか無い。

回復術は、とても痛かった。

「毎度毎度、無茶をしすぎです」

「ごめんなさ……あいたっ!」

傷口が、酷くしみた。

体を丁寧に拭いて、パジャマを着て、後は寝室に。やっと眠ることが出来て、翌日は昼まで目が覚めなかった。

魔力の消耗が激しすぎると、体への負担も大きいのだ。回復術を掛けてこれだ。カナンがいなかったら、マローネはとうに廃人になっていたかも知れない。

カナンの話によると、マローネの体は潜在的に魔力が多いのだという。魔力の多さというものは訓練でも増やせるのだが、やはり素質が関連しているのだそうだ。そして、マローネの母であるジャスミンは、生まれついてとんでも無い魔力の保有者だった。それが影響しているかも知れないと、カナンは言う。

目を覚まして、朝の鍛錬を終えると。

カナンに呼ばれて、診察を受ける。

此処一月ほど、ずっと診察を受けているのだ。その後は、カナンがコリンと、何か話し合っている。

何だか不安になる。

だが、コリンがマローネを見てにやにやしているわけではないので、多分大丈夫なのだろうという、不思議な安心感もあるのだった。

夕刻、イヴォワールタイムズが来る。

それを読んで、マローネは不安が現実となった事を知った。

モルト伯が遭難したことが、記事になっていたのである。

 

ドラブは眠り続けていた。

目を覚ましても、しばらくは記憶が混濁していたほどである。それだけ、全身のダメージが大きかったのだ。

気がついては気絶し、また目を覚ますと言う事を繰り返す。只不思議と、何処かで自分が生きている事は、知覚できていた。

ようやく自我がはっきりしてきたのは、どうやら干涸らび島に入ってから一週間後の事であった。どうしてそれが分かったかというと、周囲から聞こえてきた会話からである。

既に、周囲の茹だるような暑さは消えている。

獣王拳団は、何も解決できなかった。解決した相手は、ドラブの記憶の中では、間違いなくあの悪霊憑きだった。

干涸らび島の隅にある村の一角。治療所で、ドラブは半身を起こす。周囲には、守ろうと背後にかばっていた部下達が、転々と寝かされていた。まだ目を覚ましていない者もいるようだった。

レイブが来る。

無言で差し出されたかゆを胃に掻き込む。腹が減って仕方が無い。しばらく無心にかゆをすすっていると、レイブが状況を説明してくれた。

「団長は、三日三晩眠っていました。 応急処置がされていなければ、きっと死んでいたでしょう」

「そうか、そうだろうな」

「何があったのですか? 大体の想像はつきますが」

「あの子供に救われたよ」

レイブは救援に来ていたのだという。しかし、砂漠のある一点から、急に進めなくなったのだとか。

後で聞くと、空間を曲げるような術式が使われていた可能性が、極めて高いそうである。つまり、空間を曲げるような蟻地獄に囚われていた、とでもいうべきなのだろう。そんな異常な力の持ち主が、今回の一件には関わっていた、という事だ。

記憶の片隅に、残っている。

あの悪霊憑きの背中。光を浴びて、それが翼のように見えていた。

雑魚どもを殲滅することで、ドラブは精一杯だった。あの子供が来なければ、確実にドラブは死んでいた。

悔しいが、認めざるを得ない。あの子供は、ドラブを救ったのだ。

「部隊の損害は」

「死者は出ていませんが、正直なところ、緑の守人島での戦い以上の被害が出ています」

「しばらくは身動き出来んか」

「はい。 けが人の多くは深刻で、引退せざるを得ない者も何名かいます。 蓄えはあるので、飢える恐れはありませんが、残念ながらこれで今年の賞金ランキングは絶望的でしょう」

大きく嘆息するレイブ。

だが、ドラブはもうそれで良いと想い始めていた。

考えて見れば、賞金ランキングなどに、どんな意味があるのだろうか。部下達を死地に赴かせるほどの意味など無い。

ただし、今回の壊滅的な打撃については、大きく新聞に取り上げられもするだろう。スポンサーが何名か離れるかも知れない。

一からやり直しか。そうドラブは心中で呟いていた。

「そういえば、お前がそんなに丁寧に喋るのは、久しぶりだな」

「部下達の手前、荒々しく喋っていただけですよ。 そうしないと、舐められる事もありますから」

「ふん、毛並みが良いお前の事だ。 面倒で仕方が無かっただろうに」

「そんなことはありません。 此処の空気を、私は気に入っています。 これからも、維持してください、団長」

ヒーラーを呼びに、レイブは出て行った。

しばらく、手を動かしてみる。筋力が落ちているという事は無いが、やはり体への深刻なダメージを実感できた。

一歩間違えば、本当に死んでいたのだ。

それから、見舞いに来た部下達から、色々と話を聞く。マローネは、言ったそうである。誇りを命に優先するようなやり方を、認めるわけにはいかないと。ビジオに至っては、マローネこそ光だとか、調子が良いことを言っていた。拳骨をくれて追い出すと、ドラブは思いにふける。

生きている。

それは、きっと。マローネの考え方があったからだ。

だが、それはこうも言えるだろう。マローネは、誇りを貫いた。だから、ドラブを救うことが出来たのだ。

きっと、二人の考えは、今後も相反するだろう。

だが、マローネ個人には、感謝すべきかも知れなかった。

しかしながら、こうもいえる。まだ、ドラブは修行が足りていない。だからこそ、あのような窮地に陥った。

もっとドラブが強かったら、一人で全て解決することも出来たのだろう。慢心はしていなかった。だが、まだ思慮が足りなかったのは事実だった。

いずれにしても、一からやり直す覚悟が、今は必要だ。

三日後、診療所を出る。さすがは屈強の傭兵団長だと、ヒーラーは絶賛していたが、別にどうでも良い。

レイブに今回の支出を見せられる。

大幅な赤字だった。それに、マローネが置いていった物資も、後で返しておかなければならないだろう。

「レイブ、子供……マローネの置いていった荷物は、後で丁寧に洗って返してやってくれるか。 消費した物資分の代金も合わせてな」

「分かりました。 そのように手配します」

「それと、しばらくは仕事は選ぶな。 輸送や配達なんかの小銭稼ぎも、積極的にやっていくことにしよう」

「はい」

手配は、レイブに任せる。

後は、ドラブはぼんやりと、敗北感をかみしめていた。不思議と不快では無い、妙な敗北感を。

それはきっと、肩の力が抜けた、開放感かも知れなかった。

 

(続)