楽園と地獄

 

序、侵略者

 

霧に覆われた緑の守人島。ドラゴンの生息が確認され、しばらくは立ち入り禁止地帯とされていたこの島であったのだが。それも、昨日までで終わりとなった。

海上での砲撃戦も想定した頑強なボトルシップで、百人を超える傭兵が上陸したからである。しかも、上陸したのは、傭兵達だけでは無かった。

「ふん、ここにドラゴンがいないって言うのは、本当なンだろうな」

「現時点では、ドラゴン特有の強い反応は感じられませンな。 年老いた狡猾なドラゴンは身を隠す術を知っていますが、多数存在する場合はどうしても反応が漏れます。 多数のドラゴンが生息しているという事は無さそうです」

砂浜を踏んだのは、イヴォワールでも最も資産を持っているバンブー社の社長、ブータンである。そしてその側に従っているのは、彼の護衛。現在、イヴォワールでもナンバーツーの戦力と規模を持つ傭兵団の長、獣王拳団団長ドラブであった。

ドラブはたくましい者が多いキバイノシシ族の中でも飛び抜けた体格とパワーを誇る戦士で、能力者としても優れている。次代の九つ剣に選ばれるのは確定とさえ言われている、最強の戦士の一人だ。

周囲にいるのは、ドラゴン狩りの経験もある優秀な戦士達、合計百三十名。獣王拳団の半数ほどの人員が、一度に動員されたことになる。装備は雑多だが、それぞれが腕自慢の荒くれ達で、怪物を見て恐れる事も無い。

もしも、ドラゴンがいた場合にも、十分に対処は可能だ。

ドラブは今年に入ってから、既に三匹、各地で怖れられていたドラゴンを退治している。中にはヒトを常食にしていた凶暴な奴も含まれており、部下達の対ドラゴン戦における習熟度は、白狼騎士団以上だとさえ自負していた。

ドラブは一旦部下達を指揮して、キャンプを張る。

ボトルシップから運び出された資材の中には、魔術に対する防御の能力を付与されたものも多い。

キャンプが出来るまでに、ドラブは側近達をつれて、森の中を見て廻った。

「濃厚な魔術の気配が残ってやがるな」

「あの霧からして不自然すぎまさあ。 多分、ここに住んでいるのは、希少種族でしょうね」

「レイブ、どう思う」

「あっしもそう思いやす。 希少種族、多分パティの仕業じゃ無いかなと」

レイブは、獣王拳団の荒くれ達に混じっているのが不釣り合いなほど、細い男だ。

人間族の彼は、背も低く、骨格も弱々しい。だが、それでも獣王拳団の中で、いつもドラブに意見を求められる場所にいる。

魔術師としても優れているだけでは無く、賢者としても高名だからだ。作戦立案にも、天性のものがある。ただし、彼は腕っ節は大変弱く、その上臆病なので、戦闘では使い物にならないが。

「ふん、パティか」

「ただ、気になることが」

「何だ」

「見ると、ドラゴンの痕跡が無いわけでも無いんすよねえ。 パティが用心棒代わりに、強力な怪物と共生関係を作っていたという報告例もありやすし、或いは複数の島を飛び回って縄張りにしているような、巨大なドラゴンがいる可能性も……」

あくまで極小だがと、レイブは付け加えた。

確かにそんな強力なドラゴンが富と自由の島の至近にいたら、確実に人目に触れるし、大きな騒ぎにもなっている。当然討伐指令も出ているだろう。

だが、富と自由の島近辺では、もうドラゴンは生息していないという話もある。実際、ヒトが住み着いている場所からは、ドラゴンは距離を取る傾向が強いのだ。若い頭の悪い個体がそれを破って、ドラブの小遣い稼ぎの相手になったりもするが。

しばらく森の中を見て廻る。

ドラブが見るところ、マーキングがされている箇所は極めて少ない。確かに痕跡はあるのだが、ドラゴンがいるではなく、ドラゴンはいた、の方が正しそうである。

死んだか、或いは去ったか。

いずれにしても、それほどの数は生息していなかっただろう。もし今生きていても、充分に対処が可能である。

ドラブ自身も、そう見た。

他の大形の怪物についても、生息はしていないか、ごく少数だとみて良い。

視線に気付く。ドラブは気付かないふりをして、周囲に言う。パティが音声でコミュニケーションを取らず、興味も見せないことを、ドラブは知っているのだ。伊達に長年傭兵団の長を努めていない。

「いるな。 数は四から六」

「仕掛けますか」

「いや、今は良い。 向こうが仕掛けてきたら、叩き潰せばいい」

ドラブの全身を覆う鋼のような筋肉は、獲物を求めている。だが、今はその時では無い。

獣王拳団は、ドラブが作った傭兵団では無い。一つ前の世代に、複数の傭兵団が合併する形で作られた。

その時、ドラブはまだ下っ端の幹部だった。長い下積みの期間を経て、武勲を重ね、誰もが認める傭兵団団長になった。その過程で知ったのは、筋肉と腕力だけでは、傭兵団の団長は務まらないという事だ。

仁義をまず第一にする。

そして、知恵を常に働かせる工夫をする。もしも知恵が及ばない場合は、持っている者を味方に付ける。

それらを守っているからこそ、荒くれ者が集う獣王拳団は、此処までの規模になったし、武勲を重ねても来たのだ。

森を出ると、キャンプは半分ほど出来ていた。天幕の中で、専属のヒーラーが作った冷温結界の中で涼んでいるブータンが、戻ってきたドラブに気付いた。

「おう、ドラブ。 様子はどうだった?」

「ドラゴンに関しては、かっては存在していた可能性が高そうです」

「何だって? あのガキ、あながち嘘を言っていたわけじゃないって事か……」

「ですが、現在は存在しないとみて良いでしょう。 いたとしても、この戦力で余裕をもって対処が可能です」

そう言うと、ブータンは安心したようだった。

この島の立地は悪くない。更にあの霧さえどうにかすれば、行き来も簡単になる。島には大規模な研究所を作る事が出来、幾つかの薬剤の研究も飛躍的に進むことだろう。そう、ブータンは言う。

「近隣の住民が五月蠅くてな、研究所を作れる場所はそう多くないンだ。 今ある研究所は、どれも富と自由の島からかなり離れた立地にあって、行き来だけで時間のロスは無視出来ン。 此処に研究所を作れれば、イヴォワールの住民はもっと健康になる」

「俺にはあまり詳しくは分かりませんが。 それで、ここに住む連中は?」

「何だって?」

「どうもパティが住んでいる様子です。 それも、かなりの数」

鼻を鳴らすブータン。

ドラブもパティについてはあまり良い印象が無い。だが、現在では希少種と言って良いほどに数を減らしている。

何より、とても弱い種族だ。

殺戮することは、あまり気が進まない。

「駆除しろ」

「駆除、ですか」

「そうだ。 此処はワシの島だ。 パティのような害獣、島に住んでいるだけで不快きわまりないわい。 全部駆除して、焼き払え」

「……分かりました」

やはり、こういう仕事になったか。

典型的なダーティワークだ。

獣王拳団は、イメージと裏腹にダーティワークは出来るだけしない主義だ。殆どの場合は、断るようにしている。

しかしながら、どうしても断れない客はいる。

大口の客だったり、社会的な影響力が大きい客がそうだ。団員を養うためにも、どうしても受けなければならないダーティワークもある。そういう仕事は、嫌でも受けざるを得ないのだ。

今までは、可能な限り断るようにしていたのだが。

最近、目立ってダーティワークが増えてきている。

どうも荒くれというイメージからか、優先的に話が回ってくるらしい。実に憂鬱である。ドラゴンを叩き潰すような仕事は大歓迎だが、ろくに抵抗も出来ないような弱者を虐殺しなければならないのは、気も滅入る。

一旦外に出ると、レイブを呼ぶ。

「ブータン社長はパティを皆殺しにしろと言っている。 気がすすまねえが、何か妙案は?」

「パティに、此方が大規模である事、攻撃を準備していることを、見せびらかしましょう」

「なるほど、逃げる時間を作ってやる、ということか」

そうなれば、賢ければ逃げるだろう。

実際、それくらいしかやれることはない。ブータン社長を裏切ることは出来ないし、何より血塗られた道なのだ。

多くの命を奪ってきた。今までにも、ダーティワークはこなしたことがある。ヒトに対する虐殺だけはやったことは無いが、住民の追い出しに関しては何度もこなした。村を焼き払ったことだってある。

だからこそに、分かるのだ。弱者の慟哭が。

おもしろがって殺しをやる奴も、確かにいる。

だが、ドラブは違う。そうでは無いと、己を律してきた。今後も、そんなゲスに墜ちるつもりはない。

しかしながら、多くの団員を喰わせていかなければならない立場もある。

だから、出来る事をやるしかないのだ。

「攻撃は明後日からだ」

「分かりました。 それまでに、準備を進めておきます」

頼むぞと呟くと、ドラブは自分用の天幕に戻る。

酒を飲もうかと思ったが、やめた。この責任と、向き合わなければならない。そう、ドラブは思ったからだ。

攻撃開始は明後日だと告げると、ブータン社長は心底から面倒くさそうな顔をした。

だが、専門家のドラブの言葉には従う程度の識見はあるらしい。

時間は、稼ぐことが出来た。

後は、弱者が身をわきまえて、さっさと逃げることだ。それ以上の責任は、ドラブも取ることが出来ない。

 

1、楽園への襲撃

 

早朝、マローネの部屋の窓が叩かれた。板戸を下ろしている窓を開けると、ひょいと逆さにハツネがのぞき込んでくる。

そういえば、ハツネは最近、おばけ島でコンファインを継続して欲しいと言ってきているのだった。弓矢の修行をしているだけではなく、見張りにも力を入れてくれているらしい。

そんな彼女が、早朝から来たという事は。

「早朝からすまないな。 早速で悪いが、砂浜に何か流れ着いた。 以前も来た、タルという容器だ」

「すぐに見に行きますー」

マローネは目をこすりながら、若干緩慢に着替える。

念のためよそ行きの格好を整えると、外に。既に皆が揃って、タルを見ているところだった。

大きさは、以前ヴォルガヌスが運んできた樽と同じくらい。ただ、腰をかがめてのぞき込んでいたコリンが言うには、中に何かいるという。

「まだ、マローネちゃんへの中傷メールって来てるんでしょ? 生物兵器テロだったりして」

「コリンさんっ!」

アッシュが血相を変えて立ち上がるが、マローネはもう知っている。うっかり口を滑らせたという風情で視線をそらすコリンだが、明らかに口元は笑っている。

アッシュのまずい反応と、マローネの消えた表情を楽しんでいるのだ。

進み出たのはバッカスだ。乱暴に壊しすぎないかと少し不安になったのだが、器用に尻尾を使って、蓋だけを粉砕してみせる。

そして、蓋を開けると、中からは、パティが姿を見せたのだった。

パティは以前助けたものとは一回りほど大きさが違う。最初は動きが鈍かったが、陽光を浴びると徐々に動きが活発化していった。この辺りは、彼らが植物だから、ということもあるのだろうか。以前コリンに聞いたのだが、植物は光を力の源にしているという。

腰をかがめて、パティと目線を合わせる。

コリンの酷い言葉に傷ついている暇は無い。今は、明らかに危急を知らせに来ているこのパティに応じなければならない。

「どうしたの? 何かあったの?」

勿論、パティは何も言わない。

ただ、服の袖を引っ張られる。やはり、あの緑の守人島に、何かあったとみるべきだろう。

「これではないのか」

ハツネが、イヴォワール・タイムズを持って来る。

それには、背筋が凍るような記事が載っていた。

緑の守人島に、再開発が入る事が決定したという。しかも、投入されるのが、よりによって獣王拳団だ。

クロームだったら、駆け出しでも知っている傭兵団である。現在白狼騎士団についでナンバーツーの戦力と規模を誇り、人員だけでも確か二百名を超えている。団長のドラブは強力な能力者で、ドラゴン退治の英雄としても有名だ。

「ど、どうしよう、アッシュ!」

「大丈夫、落ち着いて。 まずは現地に出て、それから状況を判断しよう」

「うん……」

樽で遊んでいたパレットが、不安そうに見ているのに気付いて、無理矢理笑顔を作る。

駄目だ。こんな事では。

もっとパティは不安なのだ。それに、パレットだって。

今、マローネは、ある程度の力を持っている。それならば、適切に使っていかなければならない。

怖いのはみんな同じ。

パティを抱きかかえると、すぐにボトルシップに。ファントムのみんなのコンファインを解除して、見回す。

「ええと、今回は総力戦になると思います」

「それなら、荷物は出来るだけ積み込んだ方がいいんじゃないの?」

コリンに言われて、慌てて荷造りをする。相当に慌てていたらしい。武器になりそうなものは、あらかた積み込んだ。それと、ジャングルでの戦闘を想定して、肌は露出させないように、服を選ぶ。

ガラントに言われたことを思い出しながら、一つずつ装備を吟味。お金に余裕が出てきたのだ。戦略面での不備は、出来るだけ物資で埋めていかなければならない。ましてや、机上遊戯で言えば急所ともなり得るマローネが、躓くようにして自滅してしまってはならない。

準備を整えると、改めて出発。

正直、気は重い。

もしもバンブー社と真っ正面から事を構えると、非常に面倒な事になる。獣王拳団と正面から戦うよりも、厄介なことになるかも知れない。何しろ、イヴォワール最大の企業なのだ。どんなダーティな手を使ってくるか、知れたものではない。

いずれにしても、この仕事はリスクが極めて高い。だがそれ以上に、マローネは思うのだ。パティの故郷を壊させてはならないと。

ボトルシップを出す。

船を出してから、マローネは髪型を整えていない事に気付いた。

他のファントム達は、船の上に乗ったり後ろに乗ったり、霊体化して辺りを飛んでいたり、めいめい勝手だ。

ふいに、ヴォルガヌスがかなり低く降りてきた。

「マローネや。 一つ頼みたいことがある」

「何でしょうか、ヴォルガヌスさん」

「ちいと儂は今回頭に来ておる。 最後に、儂の力で、あの豚の社長を多少脅かしてやりたいが、いいかな?」

ヴォルガヌスの背中にはコリンとパレットが乗っている。パレットが不安そうにしているのを、マローネは見る。

あの子は、きっとあまり酷い結末を望まないだろう。

マローネだって、それは同じだ。

「あまり酷いことをしないのであれば」

「おう、おう。 まかせておけ。 さて、敵は最低でも百人くらいは手練れがおるじゃろうて。 道中で戦略を練っておいた方がよいのではないのかのう」

「同感だ」

ガラントが、珍しく操縦席をのぞき込んでくる。

運転を代われという意味だと理解して、マローネはガラントをコンファイン。船の操縦席から、後ろに移った。パティを抱きかかえたままなので、海に落とさないように、少し気を遣った。

海の上では、慣れ親しんだボトルシップも、唯一の生命線と変わる。

だから、移動する際の体重のかけ方一つにも、気を遣わなければ危ないのだ。

「マローネ嬢は、どう考える?」

「はい。 まともに相手にしたら、勝ち目は無いと……思います」

素直でよろしいと、ガラントは舵を取り、船をまた進め始めた。

海上を疾走するボトルシップは、以前よりも更に速度が上がっているように思える。またコリンが改造したのか、或いはパレットが弄ったのか。

低空で飛んでいるヴォルガヌスも聞いているから、あまり下手なことは言えなかった。

「あまりこういうのは嫌なんですけれど、社長さんを最初に捕まえるか、或いは団長さんを叩くか……。 なんだか私、嫌な子みたいですね。 卑怯な作戦です」

「いや、それで正解だ」

ガラントが太鼓判を押してくれたので、マローネは照れて頭を掻いてしまった。

だが、これ以外には、そもそも選択肢が無いように思えるのだ。

航路を危なげなく進みながら、ガラントは言う。

「緑の守人島は以前足を踏み入れたが、密林を利用したゲリラ戦を行うのに充分な広さがある。 初動さえ間違わなければ、充分に敵の軍勢を迎撃可能だ」

「でも、もう獣王拳団は、島に到着しているんじゃあ……」

「大丈夫、まずは島についてから、戦略を調整しよう」

となりに座ったアッシュが、そう言ってくれる。

それだけで、マローネは随分楽になった。

その後は、ガラントが主導で、話を進めて行く。今回はジャングルファイトと言う事もあって、ハツネを如何に活用するかが重要だと、ガラントは言う。

「敵を分断する、各個撃破する。 こうしていけば、歴戦の猛者達といえども、簡単には島の奥へ侵攻できない。 元々地形を利用しての防御戦は、籠城戦に匹敵するほどに味方が有利だ。 その時には、其処のパティに、地形のレクチュアを願うかも知れないな」

「その時はお願いね」

マローネはパティの不安を和らげるように、抱きしめてほおずりする。

相手はいやがらずにいてくれる。

そういえば、カスティルの所のパティは大丈夫だろうか。モカと名付けられたあのパティは、なにやらカスティルと「秘密のことを」しているらしい。次に行ったときに、とても有用なそれを見せてくれるらしいので、マローネとしては楽しみだ。

だが、そのためには。

まずはパティ達が、無事にいる事が大前提だ。

船を出来るだけ急がせたいのだが、ガラントはこれ以上は加速してくれなかった。きっと、皆の消耗を抑え、マローネの焦りを緩和するためなのだろう。

マローネはパティを抱きしめたまま、じっと身を縮める。

昔は、自分が追われる立場だった。家も無く、帰る場所も無く、おとうさんもおかあさんもいなくて。

側にいるアッシュに涙を見せないように、影で一人で泣いていた。

だが、今は違う。

自分を支えてくれるファントムがたくさんいて、力もある程度は得た。今度は、マローネが困っている弱い者を救う番だ。そしてそれは、この間のキャナリーさんのように、押しつけであってはならない。

昼、少し過ぎた頃だろうか。

富と自由の島の近くの海域に到着。此処から、前は酷い海流と霧を突破する必要があったのだが。

既に霧は晴れていた。

何かあったのだと、一目で分かる状況である。海流も穏やかで、既に緑の守人島を守る結界は、破られているとみた方が良さそうであった。

「魔術の痕跡がある」

ひょいとマローネの左に降りてきたコリンがいきなり言った。右にはアッシュが座っているので、とても仲が悪い二人でマローネを挟んでいる形だ。

「コリンさん、分かるんですか?」

「うん。 霧の術も海流の術も潰されてるね。 これは敵に優れたネフライトがいるよ?」

つまり、それだけ撃退は難しいという事だ。

だが、考えて見れば、獣王拳団と言えば、イヴォワールでも第二位に位置する傭兵団である。その戦力が充実しているのは当然の話で、軍師や魔術師がついていても、不思議でも何でも無い。

島の周囲を回る。

東側の海岸に、大砲を備えた強力そうなボトルシップがある。一線級の軍艦に匹敵するほどの大きさで、左右にそれぞれ十門以上の大砲を備えているようだった。下手に近づけば、あっというまに粉みじんである。

その船から下りた人達が、キャンプを作っているのが分かった。

数は遠目に見ても、百人はくだらない。本当に、一流の傭兵団と正面から戦うのだと思って、マローネは寒気を押し殺すのに苦労した。

「一度、船を戻そう。 この位置だと捕捉される。 海上で見つかったらひとたまりも無い」

「ガラントさん、お願いします」

「ああ、任せておけ」

船が旋回して、一旦島の沿岸を廻る。

そして、岩礁がある場所で、パティがマローネの服を引っ張った。此処から上陸できると言うことなのだろう。

船を慎重に進める。岩礁の間に、確かに進める場所がある。ただし、かなりギリギリだ。潮の流れも速い。

ガラントなら、きっとどうにかしてくれる。

そう思って見ている。

一度、軽く乗り上げかける。だが、ボトルシップの推進力を利用して、すぐに盛り返す。生唾を飲み込む。ガラントは優れた技量を持つ人物だが、完璧では無いと、今のでもよく分かる。

ハツネがボトルシップの上に上がると、微調整を手伝い始める。

「右四度、浅瀬」

「よし、調整」

「左に一度」

非常に微細な調整が続く。潮の流れが複雑きわまりないのだから、仕方が無いとはいえ、緊張が解けることが無い。

恐らく、樽を使って此処から出るのは、簡単なのだろう。

だが、入るのはとんでもなく難しい。左右に林立する岩礁は、常に波に洗われ続けている。潮は真っ黒で、投げ出されたら助かりそうに無い。

岩礁を、抜ける。

不意に潮の流れが穏やかになった。小さな砂浜があり、其処へ停泊。コリンが隠蔽の術式を掛け、ボトルシップを隠した。

「見事だ、ガラント。 ボトルシップの運転も一流だな」

「何、的確なサポートがあっての事だ」

ハツネが満面の笑みでガラントに言う。老戦士が目を細めて応じる。二人の間には、確かな絆が、しっかりとした形をもって作られているようだ。

荷物を下ろす。ハツネをコンファインして、ガラントと一緒に手伝って貰う。マローネは、物陰で着替えを始めた。肌の露出を可能な限り減らして、ヒルなどによる被害を減らす。水筒の状態を確認。水が少し少ないので、蒸留装置を使って、真水を作る。

蒸留装置は、少し前に富と自由の島で買った。オウル族の口うるさいおばあさんが経営している、いつも使っているお店で手に入れた。フラスコを二つ重ねた形状で、ちょっとかさばるのが難点だが。品質は充分で、魔術による炎で、海水を濾過した水を沸騰させ、真水を作る事が出来る。ただし、洗うのが少し面倒なのが最大の問題か。

パティはマローネの着替え終わるのを待って、服の袖を引く。

島の地図を確認しながら、奥に。

先にハツネが、偵察に出てくれる。バッカスも、念のためコンファインして、周囲を見張って貰った。

寡黙なリザードマンの戦士は、鼻を鳴らす。

「イゼントハ、フンイキガチガウナ」

「同感だ。 森自体の生命力が弱まっているように思える」

「多分、儂が死んだ影響じゃろうて」

珍しく、ヴォルガヌスは地面に降りてきていた。森の中をのしのしと歩いているドラゴンは、迫力満点である。ただしファントムなので、何も影響は与えていないが。

ハツネが無言のまま手招きする。

彼女の視線の先には、数体のパティがいた。マローネの側にいたパティが飛び出して、何かコミュニケーションを始める。何を言っているのかはよく分からないが、多分助けを連れてきた、とでも言う所なのだろう。

やがて同意が成立したらしい。

長老らしい、以前も見た年老いたパティがマローネの前まで来て、帽子を取る。パティは草の帽子を被っているが、それを取るとつるりとした丸い頭部が露わになる。毛は一本も生えておらず、まるで皮を剥いた何かの果実のようだ。

以前、ヴォルガヌスがいた村まで案内される。邪魔を受けながら歩いたときとは全く別で、とても歩きやすい上に、非常に楽だった。

村の中の空気も、以前とは一変していた。一番奥ではフェンリルが丸くなっていたが、ヴォルガヌスのファントムに気付くと顔を上げる。見えるのかも知れない。

「マローネ、本当にいいんだね?」

「うん。 だって、この島は、もう数少ないパティの楽園よ。 絶対に、暴力で踏みにじってはいけないわ」

頷くと、ハツネがパティを一人連れて行った。

恐らく、森の様子を、一緒に見に行くのだろう。

一度ガラントのコンファインを解除。かなり長い間コンファインを続けていたので、消耗が懸念されたからだ。

ここからが、勝負になる。

相手は獣王拳団。森の中に引きずり込めたからと言って、簡単に勝てるとは、とても思えなかった。

 

2、森の中の前哨戦

 

ドラブは渡された双眼鏡をのぞき込む。

森の中に動きは無い。そして、充分な時間は与えた。

これ以上は、待つことは出来ない。できる限り逃げてくれていればいいのだがとドラブは思ったが、それを口にすることは出来なかった。

誰にも理解されない苦悩を抱え込むことは、とてもつらい。だが、それを口に出来ない。弱みを見せるな。それは、部下達の不安を誘う。そう、先代の団長には言われたものだ。実際ドラブも、それが正しいことはよく分かっている。ドラブも下積みの時代が長かったから、団長の行動が如何に傭兵団にとって重要かは、肌身で知っているのだ。

「よし、総員前進開始! 邪魔者はことごとく排除しろ!」

「おおっ!」

荒くれが揃っているだけあり、団員の中には純粋に殺しが好きなものもいる。団員内でのもめ事は御法度として徹底させているが、それでも下劣な性根までは消せないのも事実なのだ。

そういった者に限って、戦士としての力量は高かったりする。団員の力をフルに発揮させるのも、団長の仕事である以上、彼らを活用しないわけにはいかないのだ。

森の中に踏み込む。

ブータン社長は、不安げに密林を見回した。

「どこから何が出てくるかもわからンなあ」

「側にいてください。 本当に何がどこにいるか知れたものではありませんから」

「お、おう、そうか」

先鋒の部隊から、まだ連絡は来ない。

渡してある狼煙を、いざというときには打ち上げてくるはずだ。

現在、鱗形陣を取り、慎重に歩を進めている。鱗の一枚一枚にはそれぞれ伝令がいて、連絡を密に取り合いながら前進する。

木の上にも、部下達が何名か待機している。奇襲を避けるために、ジャングルファイトに習熟した部下達を、彼方此方にまんべんなく配置もしていた。

さて、どう出るか。

こういった厄介な戦場での戦闘経験も、ドラブは積んだことがある。地の利を得ている相手は、総じて厄介だ。特に密林や砂漠などの過酷な環境の場合、その戦闘力は何倍にもなる。

森を焼き払うという手もあるが、ブータンにそれを禁止された。

少し進むと、以前開発しようとしたらしい広場に出た。密林の旺盛な生命力によって、既に地面は草に覆われ、倒木はコケによって分解されつつある。濃厚な緑の臭いに混じって、違和感。

ドラブは、それに気付いた。

手を入れた跡がある。倒木を出来るだけ速く分解させるためだろうか。何度か斬ったり、特殊な術を掛けた様子だ。

地面にも、似たような細工の跡。

以前聞いたことがあるのだが、密林は、決して土壌が豊かとは言いがたいという。人間が無理矢理切り開くと、大雨などで土壌が押し流されてしまう事があるのだとか。口笛を吹いて、前進を一度止める。

魔術の痕跡がある以上、それを調べれば、何か手がかりが得られる可能性も高い。

「レイブ!」

「はい、調査に入ります!」

「何だドラブ。 此処に何かあるンか」

「此処は相手のホームグラウンドです。 しかも奇襲を極めてやりやすい地形でもあります。 たとえ相手がパティでも、油断したら負けますよ」

ブータンが笑おうとして、ドラブの表情を見て黙り込む。

ドラブは戦闘の専門家だ。冗談を言っていないのだとすれば、今が容易ならざる状況だと、すぐに判断できる。

それくらいの判断力はあるのだと分かって、安心した。

「わ、ワシは、どうすればいい」

「その辺りで休んでいてください。 お前ら! 社長を護衛しろ! 絶対に目を離すんじゃ無いぞ!」

「へいっ!」

腕利きの二人を、社長の側に付ける。

どちらも人間族だが、体格的にも身長でも、遙かに平均を上回っている。それぞれ長大なハルバードを手にしており、その辺りの猛獣くらいなら単独で対処が可能な強者だ。

レイブの解析を待つ間に、他の部隊からの伝令が来た。

「今の時点で、敵影無し!」

「猛獣もあまり見かけません。 比較的攻略しやすそうな密林です」

「そうか、だが油断するンじゃ無いぞ」

強力な傭兵団が、ちょっとした油断から壊滅した、というような話はそれこそ枚挙にいとまが無い。

確実に、勢力圏を広げていく。

「地図の作成は順調か」

「問題ありません。 三日もあれば、この森の隅々まで調べ上げられるかと思います」

頷くと、ドラブは、次に打つべき手について、考え始めていた。

 

ハツネが戻ってくる。

表情は非常に険しかった。相当に状況が厳しいことは、その目が物語っている。

「敵は首魁を中心に、鱗状の陣を敷いている。 小部隊がそれぞれ鱗の一枚一枚になり、連携して互いの死角を補っている」

「非常に冷静な用兵だな」

「仕掛ける隙が無い。 どの部隊も、手練れが必ず一人以上はいる」

広げた地図の上で、ハツネは駒を順番に並べていった。かなり広がっているようにマローネには見えたが、死角は確実に補える陣形なのだろう。

「陽動での攻撃は?」

「戦力を削られるだけだな。 波状攻撃を仕掛けようにも、他の部隊が連携して支援に来るぞ」

コリンの提案を、ガラントが一蹴。

だが、コリンは不快感を刺激された様子も無く、地図上にファントムの指を走らせる。

「この地点でなら?」

それは、川が流れている場所である。しかも流れが激しく、渡河が難しい地点が連なっている。

しばらくガラントが考え込んだ後、指さしたのは、少しずれた地点だった。

「仕掛けるなら、此処だな」

「退路が無くなるよ?」

「ブービートラップを使う」

難しい話を、ガラントはバッカスと始めた。しばらくして、バッカスはハツネを伴って、森の奥に消えていく。

マローネはこういうとき、皆の調整役か、見ていることしか出来ない。

ガラントは木に登ると、しばらく遠くを見つめていた。やがて降りてきたガラントは、険しい表情のままだ。

「一つ言っておくぞ、マローネ嬢」

「はい、何でしょうか」

「この戦いで、もっともされると困るのは、森を焼き払われることだ」

それは分かっている。今の時点で、敵はそれをしていない。

だが、もしも追い詰められれば、どうなるか分からない。そもそも、敵にしてみれば、後方に増援をいくらでも用意できるのだ。森を失うわけには行かない。パティ達の生活という以前に、である。

マローネは、其処まで考えて、気付いた。

つまりこの戦いに、長期戦はあり得ない、という事だ。

「戦いは、短期決戦になる、という事ですか」

「そうだ。 最近、理解力が増してきたな」

褒められると、嬉しい。ガラントの場合は、おじいちゃんが褒めてくれたような感触がある。

ただ、今は喜んでばかりはいられない。もう一つ、重大かつ致命的な懸念がある。

「もしも獣王拳団を退けたら、やっぱり次に来るのは白狼騎士団、でしょうか」

「そうだな。 それ以外にはあり得ないだろう」

「……」

「今は獣王拳団を退けることに全力を集中しよう」

ラファエルのことを思うと、胸が痛む。あの人だって、仕事によっては動かなければならないだろう。

戦って勝てるかどうかという問題以前に、戦う事事態が嫌だ。紳士的で、本当の意味での騎士であるあの人と殺し合い傷つけ合うなんて、どうしたらそんな悲しい事を乗り越えられるだろうか。

バッカスが戻ってきた。

「ブービートラップ、シカケタ」

「だが、時間稼ぎにしかならないぞ。 本命は、相手を引き込んでからだ」

既に陽が落ち始めている。

マローネは虫除けの煙を体にまぶして、木陰に隠れるようにして座り込んだ。

静かにしていると、如何に密林が音に満ちているか分かる。虫たちの鳴き声や、動物たちの叫び。川の音でさえ、さらさらとやかましい。

急速に色彩を失っていく森に溶け込むようにして、マローネは膝を抱える。自分の生きさえもが、辺りの色を失わせるように思えて、余計に身を縮める。

こういう場所にいると、孤独だった頃を思い出す。それで、声を出しそうになるが、今は駄目だ。目を閉じて、周りにいるみんなの事を感じる。それで、ようやく我慢することが出来た。

そうこうするうちに、あっという間に陽が落ちた。密林での夜は、星しか頼る明かりが無い。林立する無数の巨木は、まるで得体が知れない巨神のようで、張り巡らされた枝は触手のようにも見える。

森の中で、自分は異物だ。何度も思い知らされる。だが、周りにいるみなの事を考えて、どうにか耐える。

気付くと、すぐ側に、ハツネが立っていた。

「ハツネさん?」

「敵は動きを停止している。 歴戦の武人らしい、慎重かつ冷静な行動だな。 だが……」

どうも気になることがあると、ハツネは言う。

まだ、ブービートラップまで、敵の先頭は距離がある。敵の動きからして、明朝くらいまでは時間があると、ハツネは言うのだが。

「何が、気になるんですか?」

「そもそも相手は、どうして急に再調査をする気になった? この島にドラゴンが多数いるという時点で、普通は諦めると思うのだが。 わざわざ大戦力を投入して、どうして再調査をするのだ?」

「そういえば、そうですね」

「もう一つ気になるのは、連れてきている戦力だ。 もしもドラゴンが多数いるという嘘を看破したのなら、専門の調査業者でも連れてくればいいだろうに。 戦闘を想定した部隊を連れてきているのは、何故だ」

ハツネの疑問はもっともだ。

彼女はこの世界に来てから時間が無いとは言え、既にかなりの情報を得て、それなりに会話に参加したり、物事を理解したりもするようになっている。

マローネも、時々ミスを指摘されたりするほどだ。

「どうも嫌な予感がしてならない。 此処にマローネが来ることを、敵は想定しているのでは無いのか」

「えっ? 私、ですか」

「そうだ。 この戦力は、マローネを確実に排除するためのものだとすれば、説明もつく」

確かに、最近クロームギルドなどで、マローネの戦力が高く評価されていることは、知っている。

マローネ嫌いの人間はギルドにまだまだ大勢いるが、彼らの反感は更にそれで強くなっているようだ。ギルドに行くと、時々とても嫌な視線を感じることもある。聞こえるように陰口を言っている人もいる。

既にマローネの評価は単独傭兵団と呼ばれるフォックスに匹敵するところまで上がっているようで、単純な戦闘系の依頼も幾つか来ている。それらは全部一生懸命こなしたのだが、それが余計に評価を上げることにつながっているのかも知れない。

それでも、獣王拳団とは、いくら何でもやり過ぎに思えてくる。

鳥が、ざわめいた。

夜の森で、無数のカラフルな鳥が飛び立つ。

立ち上がって、空を見ると。無数の信号弾が打ち上げられていた。ハツネはそこにいろと言い残すと、森の中に飛び込むようにして消えた。

アッシュが側に駆け寄ってくる。

「マローネ、静かに」

「うん、分かってる。 ねえアッシュ、どうしたんだろう」

「今は冷静に。 慌てて動くと、罠に掛かるかも知れない」

爆発音。恐らく、戦闘が起こっている。

それだけで耳を塞ぐようなことは無くなってきたが、しかし怖い事に違いは無い。ハツネがまもなく戻ってきた。

「まずいな。 少し後退するぞ」

「何があったんですか?」

「今の信号弾は、敵の偵察部隊が打ち上げたものだ。 夜間は主力が動きを止め、偵察隊が地図を作るという方針であったらしい。 此方の裏を掻かれたな」

閉口したマローネは、ハツネに手を引かれて、夜の森を走る。

昼間に立てた作戦が台無しになった事は、マローネにも分かった。すぐ後ろに追っ手が迫っているようで、すごく怖い。

落ち葉を踏み散らしながら、闇夜の森を走る。

時々ハツネが木の上に上がって、追っ手を確認。今の時点では、追いすがってきている相手はいないという事だった。

 

ブービートラップの箇所まで案内されたドラブは、腕組みしていた。

あまりにも手慣れている。

罠自体は、相手を無力化するガス弾をまき散らすものであり、この森に自生する木の実と蔓を用いている。ガス弾の中身も、密林に良く生えているレッカアレイと呼ばれる植物の皮を煮て、抽出したものだ。

問題は、ブービートラップの隠し方にしても仕掛け方にしても、明らかに素人のものではないということである。

現に偵察部隊が一人引っかかった。

しかも偵察部隊には、オウル族の団員を使っている。夜目が利くオウル族は、当然ジャングル内部でも汎用性が高い。その上、獣王拳団の団員である。戦闘には相当になれていて、勿論ジャングルファイトの経験もあった。

それが、もろに引っかかったのである。

縄の張り方などを見るが、玄人であればあるほど引っかかる様に工夫されていて、思わずドラブは唸っていた。

「こりゃあ面倒だぞ……」

「あっしが思うに、明らかにパティによるものではありませんね」

レイブが言うとおりである。

今回は、ドラゴンの退治が極小確率で想定される任務だと聞いて来ている。パティ族の駆除が、主な内容だと思っていた。

だから、魔術的なトラップに関しては、色々と対策をしてきた。

しかしこれは。明らかに、人間の手によるブービートラップだ。それも、完全な本職の仕業である。

「一旦森を出て、対策を練り直しましょうか」

「いや、それは駄目だな」

ドラブとしては、これこそが好機だと思うのである。

たとえば人間がいる場合、ジャングルファイトの基本として、此方の損耗を狙ってくるはずだ。

つまり、絶え間ない波状攻撃を仕掛けてくることで、心身ともに消耗させ、動きが止まったところで大火力での決戦を仕掛ける。

敵はそれをしてきていない。

地図を広げて、見る。どうも敵の意図には、何かしらの作為が感じられる。兵力が限られているのはほぼ間違いないだろうと、ドラブは判断した。

「作戦を変更だ。 小隊長を集めろ」

「分かりました」

すぐに信号弾を打ち上げる。

その間、味方は更に陣形を密集させた。敵側にどのような切り札があるか分からない状態である。何が来ても対応できるようにしておかなければならない。小隊長達が集まってきたところで、ドラブは彼らの顔を見回す。

「これから、作戦を変更する。 全軍を、防御と偵察に切り分ける」

「はあ。 相手はヒトのゲリラか何かですか?」

「そうだ。 このトラップを見ろ。 明らかにパティ族のものではないだろ」

小隊長達も、トラップの痕跡を見て、状況の危険さは理解した様子であった。荒くれが多いとは言っても、小隊長にもなると、経験とそれに下支えされた実力が必要になってくる。当然、知恵もそれなりについてくる。

腕っ節ばかりの若造が、時々強いから隊長にしろと言ってくることがある。

そう言う奴を殴って黙らせた後、ドラブはいつも言うのだ。お前が老獪さを身につけたら、小隊長にしてやると。

種族に関係なく、ヒトの肉体には限界がある。最後に物を言うのは知恵なのだと、ドラブは知っている。

豪腕とまで言われるドラブなのに、そう考えているのは、目の前で何人も、屈強な先輩達が死んでいくのを見たからである。とんでもなく簡素な罠に引っかかって死んだ先輩もいた。

多くの戦士が、自分の肉体を過信したとき、命を落としていた。

「此処からは偵察部隊を有機的に活用し、機動戦を仕掛ける。 相手を見つけたら、総力で叩き潰す」

「その作戦は、相手が少数で無いと成り立たないのでは……?」

「もしもおめえが敵側だったとして、何で今まで消耗戦を仕掛けてきていない。 兵力を割く余裕が無いからだろう?」

「確かにその通りで」

小隊長の一人に諭す。

そして、皆を解散させた。

それを見ていたブータンが、少し驚いたようである。

「お前さンは豪腕とか言われてるのに、意外に理性的な説得をするンだな」

「荒くれだからこそ、分かり易く説明してやらなければならないンでさ」

「ふうン、そンなものか」

今の時点で、負ける要素は無い。

もし負けることがあるとすれば、本陣の一番奥。此処まで敵の侵入を許した場合だ。

 

木の上で、獣王拳団の様子を見ていたハツネが下りてきた。

昨日は夜中中走り回ったので、マローネの消耗は激しい。うつらうつらとしてしまう頭を、無理やり支えながら話を聞く。

「敵が陣形を変えたぞ」

眠気が吹っ飛ぶ。

目を乱暴にこすって、どうにか意識を保つ。側で不安そうにパレットが見つめていたので、大丈夫と頭を撫でた。ファントムだから触れないが、それで意思は通じる。

ガラントは、きっと敵の動きを読んでいたのだろう。ハツネが言う前に、言い当てて見せる。

「機動戦に切り替えたか?」

「その通りだ。 偵察を多く出して、地形の把握を進めながら、分厚く固めた本陣を進めてきている」

さすがはガラントだなと、ハツネが目を細めた。相手が優れていると認めると、ハツネは称賛を惜しまない。

ガラントが気合いを入れて立ち上がる。

マローネは、来たと思った。

「仕掛けるぞ。 マローネ嬢、ヴォルガヌス殿にて、この地点の上空を攻撃」

「ほう、儂の炎を、空中に無駄撃ちしてしまって良いのかのう?」

「大丈夫なんですか?」

マローネも不安になったが、すぐにガラントのもくろみに気付く。

今、敵は密集陣形を組んでいる。そんなところに、ヴォルガヌスの火球が直撃したらどうなるか。

つまり、敵の指揮を混乱させる意味があるのだ。

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ……」

徹夜明けの体に、消耗が応える。

だが、此処で敵を混乱させることには、大きな意味がある。昨晩は先手を取られたが、今度は此方が巻き返す番だ。

巨大なドラゴンであるヴォルガヌスが、見る間に実体を得ていく。

実体をコンファインするのに使ったのは、側にある老木だ。きっとヴォルガヌスが長く見守ってきた、森の長老。

不思議と、消耗は、いつもに比べてとても小さかった。

森を突き破るようにして、姿を見せるヴォルガヌス。その怒りの視線が、捕らえるのは侵略者達。

虚空に、巨大な火球が撃ち放たれる。

上空から、森が見えない手によって、張り倒されたかのような光景が現出した。

濛々と立ち上る煙。

音が一瞬聞こえなくなった。あれほどの火力、直撃していれば、流石に獣王拳団でもただではすまないだろう。

つまり、充分な抑止効果がある。

「すぐにこの場を離れるぞ」

向こうが機動戦なら、此方も同じ事をするだけである。

そして、地の利は此方にある。後は、数の優位を、どうにかしてひっくり返すだけの事だ。

 

腰を抜かすブータン社長を、ヒーラー達が助け起こしている。

無理も無い。ドラゴンを間近で見たことが無ければ、こんな事が出来る生物が存在するとは、とても信じられないだろう。

「今のはエンシェント級のブレスだな。 お前ら、気合い入れて行け!」

「おおーっ!」

周囲で勝ち鬨が上がる。

ドラゴンに対するには、いくらでも戦術がある。更に言えば、今回はドラゴン戦に備えて、いくつも切り札を用意してきている。

だが、小走りで来たレイブが言うには、おかしいという。

「不意にドラゴンが出てきましたが、あっしにはおかしいように思えます」

「どういうことだ」

「此方が密集陣形を取るやいなやの行動です。 陣を拡散させる意図があるのかと……」

「だとしても、あのブレスの直撃を受けたら、タイミング次第では流石にアレでも耐えきれんぞ」

ドラブが視線の先で指したのは、強力な魔術によるシールド発生装置だ。ネフライトの部下が携帯しているそれは、巨大な球体であり、二人がかりで抱えて運ぶ。球体の中には魔術の伝導率を上げる特殊な液体が満たされていて、強烈な負荷が掛かると自動で発動する。

四回ほど使用すると壊れてしまうが、ドラゴンのブレスでも、拡散させることが可能だ。

ドラゴン狩りに用いられるタイプのもので、エンシェント級と呼ばれるドラゴンも、あれを使って何度か倒したことがある。先ほど姿を見せた奴も、それに勝るとも劣らない力の持ち主だろうが。

逆に言えば、戦術さえ間違わなければ、倒せると言うことだ。

だが、悩んでいる暇は無い。

「ドラゴンはいましたな」

「それも含めて、貴様らを呼ンだンだ! さっさとなンとかしろ!」

「分かっています。 まずはお立ちください」

腰を抜かして歩けない様子のブータンをせかす。だが、小便を漏らしそうな勢いで、足が震えているのをみて、所詮は企業人かと、ドラブは呆れた。戦士として名高いキバイノシシ族にも、こういう輩はいると言うことだ。

部下に背負わせる。屈強な人間族の部下は、苦も無くブータンを背負い挙げた。

そして、全軍を、今ドラゴンがいた方向へ移動させる。まずは、アレを仕留めるべきだ。

先鋒から信号弾。

交戦開始の合図である。雄叫びを上げた部下達が、殺到していく。

中央の本陣は、まだ分厚い守りを崩していない。たとえ背後から奇襲を受けたとしても、充分に耐えられる。

しかし、気になることも多い。

走りながら、レイブと話す。

「今のドラゴンは、罠を仕掛けていた奴と連携していたのだろうかな。 妙にタイミングが良いような気もするが」

「仮説ですが、同一人物という可能性も」

「何……!?」

「これが出来る相手に心当たりがあります。 以前魔島の離島で、それが出来る存在との交戦記録がありました」

そう言われて見ると、ドラブにも思い当たる節がある。

そもそもこの島にドラゴンがいると報告してきたのは、確か。悪霊憑きとして最近名前を挙げているクローム、マローネ。

奴は無数の悪霊を周囲に侍らせていると聞く。その中には、ドラゴンもいると報告は上がっていた。

そうか、マローネか。

それならば、説明も付く。奴の悪霊の中に、トラップ作成技能を有している奴がいれば、あれほどの手練れのトラップ作成にも納得がいく。

「そうか、ひょっとすると、敵は一人か?」

「可能性はあります。 しかしあのフォックス氏に匹敵するという評価もあるようですから、それでも油断は禁物ですが」

「わかっとる」

フォックスは単独で中規模傭兵団に匹敵するといわれている戦闘力の持ち主だ。それに拮抗するとなると。

間近に迫られると、かなり危ないかも知れない。

信号弾が打ち上げられた地点に到着。周囲には、たたきのめされた傭兵団員が転々としていた。

先についていた傭兵団員達は、困惑して辺りを右往左往している。苛立ったドラブは、吠えた。

「状況っ!」

「はいっ! 先鋒の部隊が敵と交戦していたのは確認しているのですが、来たときには既にこの有様で……」

「回復を急げ! 状況を聞き出せ!」

爆発音。今度は右翼方面からだ。

急いで地図を確認する。かなりまずい事に、此処は川のすぐ側だ。それほど大きな川では無いが、無理に通ろうとすれば確実に行軍が遅滞する。其処を叩かれると、被害は無視できなくなるだろう。

此方の戦力が、少しずつ削られ始めている。

苛立って状況が変わる訳でもないが、ドラブは思わず歯ぎしりをしていた。

 

予想通り、ヴォルガヌスをコンファインした地点に、敵が殺到してきた。

その出鼻を挫くべく、ガラントとバッカスが出る。殺気だって突入してきた敵の眼前に、コリンが不意に術式をぶっ放した。炸裂する火球に、動きを止めた傭兵達に、ガラントとバッカスが無言のまま躍りかかる。更に、樹上からハツネが魔力矢を連射して、火力での制圧を行った。

歴戦の傭兵達も、これではひとたまりも無い。

魔力矢を浴びて動きを止めたところに、ガラントが拳を叩き込む。木にたたきつけられて、目を回して倒れるキバイノシシ族の屈強な男。雄叫びを上げて躍りかかろうとした人間族の戦士に、バッカスが旋回して尻尾をたたきつけた。数人がまとめて薙ぎ払われ、吹き飛ぶ。

戦闘終了まで、数十秒と掛からなかった。

「よし、すぐに移動!」

ガラントが敵の沈黙を確認すると、縛り上げることも無く手を振って指示。

四人がフル活動している状態だから、マローネの消耗も大きい。だが、どうしてだろう。いつもに比べると、消耗はだいぶ抑えられているように感じるのだ。森の中を走る。ハツネが、細かく走る方向を指示してくれるので、今の時点で困ることは無い。

それだけではない。ガラントにしてもコリンにしても、以前よりもコンファインしておける時間が随分長くなっているように感じるのだ。これは或いは、成長の結果かも知れない。

「また接敵するぞ!」

「はいはい、任せてちょうだいな!」

コリンが詠唱を開始。

足を止められた敵が、ハツネには見えているのだろう。今度はコリンが空に放った雷撃が、無数に分裂し、雨あられと密林に降り注ぐ。

敵の悲鳴が聞こえた。

死なない程度にやってくれていると、マローネは信じる。そのまま、バッカスとガラントが突入する。激しい剣撃の音。ハツネも無言のまま弓を引き、数本の矢を敵に向けて撃ち放った。そして、何回か追加して、矢を叩き込む。

すぐに、二人は戻ってきた。

何度も奇襲は上手く行く訳もなく、勝ったとは言え、手傷をそれなりに受けている。カナンをコンファイン。五人目だが、まだどうにかなる。今なら、もう一人は行けるかも知れない。

「敵が混乱している内に、もう少し叩いておきたい」

「深追いは禁物ですよ」

カナンが手早く回復の術式を掛けて、バッカスを光で包む。鱗が数枚剥がれていたバッカスだが、見る間に体が修復されていく。

ファントムだから融通が利くとは言え、凄い光景だ。マローネではこうはいかない。

ただし、体力まで回復するわけでは無い。何度もこうしていれば、必ず無理が生じてくる。

「ハツネ!」

ガラントの言葉を受けて、ハツネがすぐに木の上に。

アッシュの出番は、もう少し先だ。

マローネは目を閉じて、少しでも魔力の消耗を抑えようと、集中を続ける。皆はマローネがいないと、この世に具現化することさえ出来ない。

だから、マローネの仕事は、的にならず、出来るだけ消耗を抑えることだ。

「もう一部隊いる。 此方には気付いていないが、信号弾は手にしている様子だ」

「リスクを避けた方がいいな。 一度後退。 別角度から敵陣に攻撃を仕掛ける」

「分かった!」

ハツネが再び指示を出す。

休む暇は殆ど無かった。そのまま密林を走る。案内役のパティに教えて貰った抜け道は、どれも機能していて、スムーズに森の中を走り抜けることが出来た。

不意に、敵から信号弾が複数打ち上げられる。

手をかざして見ていたガラントが舌打ちする。

「まずいな……」

「どうしたんですか?」

「此方が事実上マローネ嬢一人だと気付かれたようだな。 相手側にも、そこそこ頭が切れる奴がいるようだ」

それは、まずい。

ゲリラ戦については、即興だがガラントから教わった。要は相手に此方の戦力を悟らせないこと、戦力を順次削っていくこと、地の利を生かして敵の中枢を直撃すること、などが要点となる。

その一つを、今崩されたとみて良い。

此処からは過酷な追撃戦になる。気休めを全く言わないガラントは、そう冷静に告げた。

無言のまま、バッカスがマローネに、背中に跨がるように促した。

敵が露骨に動きを変えたのが、マローネにも分かった。今までは複数方向からの奇襲を警戒していたのが、一点集中に切り替えてくる。

追いつかれたら、死ぬ。

器用にバッカスの背中に飛びついてきたコリンが、いつものように、あっけらかんと言う。

「そろそろめんどいなあ。 ぶっ殺していい?」

「絶対駄目!」

今、この程度の競り合いで済んでいるのも、相手に死者を出していないからだ。

というよりも、もしも本気での殺し合いになったら、敵は増援を投入してくるだろう。それだけではなく、戦闘が終わった後にも、おばけ島に討伐隊が来るかも知れない。

凄まじい地響き。

相手が迫っている証拠だ。バッカスは密林の中を疾風のように駆け抜けるが、コンファインしている以上、制限時間も短い。相手は得意の体力勝負に持ち込もうとしている中、手は思いつかない。

ハツネが叫ぶ。

「次を右だ! 崖があるから、其処を一気に駆け上がれ!」

「ワカッタ!」

ガラントが信頼しているからか、バッカスもハツネを信頼している様子がよく分かる。

だが、目の前に見えてきたのは、殆ど木も生えていない断崖絶壁である。高さはマローネの背丈の二十倍はあるだろう。マローネは思わず、バッカスの背中にしがみついていた。

バッカスは一吠えすると、猿も恐れ入る勢いで、崖を駆け上がり始める。

だが、これで敵にもマローネの姿が見えてしまっているかも知れない。

崖を、凄まじい早さで登り終えた、その直後だった。

肩に灼熱。

下から矢を撃たれた。そして、それが右肩に、後ろから突き刺さったのだ。

あっと思った時には、バッカスから手を離していた。悲鳴も出ない。スローモーションで、落下していく自分が分かる。

これは死んだなと、マローネは思った。

意識が、闇に沈む。多分、崖の途中の岩か何かにたたきつけられたのだろう。後は、何も見えず、聞こえなかった。

 

とっさにバッカスが長大な舌を伸ばして、マローネを拾い上げたので、アッシュはほっとした。だが、崖下からは、容赦なく矢を放ってくる。

マローネを咥えると、四つ足でバッカスは密林に逃げ込む。端から見ると、怪物が子供を捕食し、森に逃げ込んだように見えたかも知れない。

先に崖の上に上がっていたハツネが、矢を連射しながら下がる。狙撃戦は、まもなくハツネに軍配が上がった。追撃を掛けてきていた狙撃手が、沈黙する。多分魔力矢の直撃を受けて、木の枝から落下したか、或いは気絶したのだろう。マローネが悲しむから、多分殺しては、すくなくとも意図的には、いないはずだ。

バッカスがマローネを下ろす。

「マローネは」

「マズイ。 ヤジリガ」

「見せろ」

冷静にハツネが歩み寄ると、刺さったままの矢を見る。

ハツネは抑えていろとバッカスに言う。そして矢を掴んで、マローネの背中を踏みつけた。矢はかなり太く、鏃は凶悪に大きい。

彼女は弓矢の専門家だ。冷や冷やせずに、見守る事が出来るはずなのだが。アッシュは平静ではいられなかった。

「引き抜くぞ。 タイミングを合わせる。 3,2,1」

「オウッ!」

バッカスが気合いを入れて、その瞬間ハツネが矢を引き抜く。骨を削る嫌な音と共に、鏃がマローネの肩の傷から引き抜かれた。骨に食い込んでいたからか、かなり勢いよく鮮血が吹き出す。

マローネの小さなからだが、大きく痙攣するのが分かった。

服を素早く脱がすと、ハツネが止血を行い、包帯を巻く。艶っぽい要素は何一つ無く、鉄さびの臭いと、血の赤だけが其処にあった。

アッシュは思わず目を背けていた。マローネの悲痛なうめき声が聞こえてくる。悲惨だが、これが戦場の現実だ。

マローネの服だけではなく。地面に大量の血がにじみ始めている。意識を失ったマローネは、落下時に岩にたたきつけられて、打撲傷まで受けている。

霊体化していたカナンが、小走りで来る。

「かなり危ない状態です」

「マローネ、マローネ!」

後方からの追撃は、まだ止まっていない。だが、これは動かせる状態に無い。

崖を猿のように上がって追いついてきたガラントが、コリンに何か言っている。多分崖を上がって来た敵を、たたきのめす算段だろう。

だが、アッシュには聞こえない。

呼びかけていると、マローネがうっすら目を開く。瞳孔が開ききっている。今、生き残るには、カナンをコンファインするしか無い。

「任せるぞ。 追撃部隊を叩いてくる!」

ハツネが小走りに去る。

崖で、激しい攻防が行われているようだ。上がって来た敵もいる様子で、アッシュは死んでいるにもかかわらず、冷や汗が流れるような思いだった。

マローネは、どうにか意識を取り戻した様子だ。

だが、応急処置が的確だったとは言え、カナンをコンファインしないと、危ない。

「マローネ、分かる? カナンさんを、コンファイン、して」

「おとう、さん?」

「カナンさんを、コンファイン、して」

意識朦朧としているマローネには、アッシュがヘイズに見えているようだ。カナンが、アドバイスしてくれる。

きっと、瀕死の患者を何度も診た経験があるから、スムーズにやれるのだろう。

「いい、ゆっくりシャルトルーズを。 対象は私です」

「おかあさん? わかった、わ」

ぶつぶつと、マローネが詠唱を開始する。

ほんの一瞬でもいい。カナンをコンファイン出来れば。マローネの手を握る。ファントムは普通物理干渉できない。

だが、どうしてか。

マローネの手の失われつつあるぬくもりが、アッシュには分かる気がした。

下に強い気配。

多分、獣王拳団のリーダーである、ドラブが追いついてきたのだ。

マローネが、一語一句、確認するように。何度も何度も使って来た、能力の詠唱を行っていった。

「さまよえる、たましいよ、みちびいにしたがい、あらわれ、いでよ。 きせきの、ちから、しゃると、るーず」

淡い光が、カナンを包む。

成功だ。流石に、日常的に使っているだけのことはある。マローネの呼吸が乱れ、発汗が酷い。もう駄目かと思ったアッシュだが、カナンがコンファイン成功したことで、俄然希望が出てくる。

カナンは素早く傷の容体を診る。そして全力で、回復の術式をマローネに掛け始める。

クリーム色の強い光が、密林から迸るようにして、辺りを満たし始めた。カナンの、渾身の回復術だ。

普段は痛みもないように、上手に回復術を使っているカナンだが。おそらくは今、全く他の要素に傾倒している余裕が無いのだろう。

マローネの小さな体が跳ねた。体を引き裂くような激痛が、マローネの身を駆け巡っているのは確実だ。

「潮時だ、一旦敵と距離を取る」

「私が殿軍に残る。 適当なところでコンファインを解除するように、マローネに言ってくれ」

カナンが、ぐったりしながら、肩で呼吸をしている。

その手は血まみれだ。既に光も溢れていない。

マローネは意識を失ったが、既に血は止まっていた。意識が無くても、魔力供給が行われているのは流石だ。

不思議と、マローネを傷つけられたことで、獣王拳団に怒りは沸かない。戦いの中だから、仕方が無いとさえ思う。

だが、どす黒い憎悪が、アッシュの中で渦巻いているのも、事実だった。

「それは、最後に取っておけ」

ガラントが言うと、バッカスがマローネを大事そうに抱きかかえた。

そして、その場を後にする。

ハツネが残り、崖下の敵にありったけの矢を浴びせていた。マローネの意識が無い以上、コンファインを意図的に解除することも出来ないのに、である。

「すまない、ハツネさん!」

「いいからいけっ!」

ハツネが再び矢をつがえ、弓を大きく引き絞った。

 

3、神域の肉弾戦

 

呼吸を整えながら、樹上のハツネは既に脱出を諦めていた。

別働隊が崖の下から上がって来たのだ。既に周囲を完全包囲されている。今は気配を殺して追撃には気付かれていないが、それでも見つかるのは時間の問題だろう。

マローネは無事だ。まだ魔力供給がされているから分かる。

問題はコンファインされている状態だと、マローネが解除するか、距離が相当に離れないと、霊体に戻れないことだ。

マローネの力はぐんぐん上昇している。自覚は無い様子だが、魔界の基準で言えば、既に弱めの魔王くらいの魔力は備えている。強者が多数ひしめくこのイヴォワールにおいても、個人としては群を抜いて凄まじい魔力の持ち主だ。

だから、コンファインの持続距離も伸びる一方だ。今はそれが、悪い具合に作用していた。

この世界の人間の思考回路は、大体理解している。最悪の魔界と言われる世界に住む地球人類とほとんど変わることが無い。相手が子供だろうが何だろうが、女であると言う時点で、捕まえれば性的暴行を加えるのが当然の事だ。例外的に戦士としての誇りを持っているような奴もいるが、それはそれだ。

ましてや、下にいるような連中なら、なおさらだろう。

肉体を得ているだけで、驚天の奇跡なのだ。だが今は、それが最悪の事態につながろうとしている。

下に、騒がしい気配。

非戦闘員だ。見覚えのある奴が、無警戒に歩いて来るのが見えた。確かブータンと言ったか。

「ドラブ、こんなに被害を出して大丈夫なのか!」

「此方の負傷者も多いですが、敵には手傷を負わせました。 しばらくは身動きも出来ないはずです」

「本当か! でかした! だが、本当にあの悪霊憑きだけが此方に反抗してきているんだろうな!」

「パティがいざというときには参戦してくる可能性もありますが、そんなものは一息に蹴散らして見せます」

彼奴を殺せば、それで終わる。

だが、マローネが望まないだろう。そして、生きたまま押さえることは難しい。側にドラブが控えているからだ。

間近で見ると、ドラブは強い。魔界でも充分に通用する戦士で、身体だけでは無く、能力も磨き抜いているのがよく分かる。以前見たラファエルとか言う戦士ほどではないが、相当な使い手とみて良いだろう。

気付かれたら、その時点で終わりだ。

ガラントのことを思い出す。既に死人同士であるからか、親近感がわく。もしも生きていたのなら、妻に迎えて欲しかったほどの優れた戦士だ。魔界では、優秀である事が、何よりの婚姻の条件となる。年もあまり離れていないし、好感が持てる。問題はこの世界では、複数の妻を娶る習慣が無い事か。ガラントが妻帯していたことは、既に確認済みである。

雑念を追い払うと、気配を殺す。

今、此処にハツネがいる事は、充分な意味がある。もしも外からの攻撃があれば、一瞬でブータンを押さえることが可能だ。問題は、今の時点では、マローネにそんな戦力が残っていない事だが。

こういうときこそ、落ち着け。ハツネは自分に言い聞かせる。

戦士として生まれ育った。魔界では、戦闘の勝敗、それに誇りが全てだった。元々悪魔とこの世界で呼ばれる種族は、思考回路も単純だ。強者が正義。弱者を虐げる行為は、誇りに背く行い。

誰もが、誇りを持ち合わせている世界だ。

だから、不思議と魔王が最強であれば、それでまとまっていた。

既にサルファーのせいで無くなってしまった世界だが、マローネも魔界に生まれれば良かったのにと、今でも思う。

この世界の連中は、誇りなど持ち合わせていない輩が殆どだ。だから、魔界でも鼻白むようなカオスの中にいるのだろう。

「それにしてもあのガキ、大嘘をつきおって」

「恐らく、ドラゴンがいたことについては本当でしょう」

「ふン、そうだとしても、今奴がしている事は許しがたい。 契約を裏切るようなまねをしおって」

「……」

意外にも、ドラブは気乗りがしない様子だ。

気配を殺したまま、ハツネは脱出を諦めながらも、マローネが、或いはガラントが善処をしてくれることを、信じ続けていた。

殺気。

気付くと、同じ高さまで、ドラブが跳躍してきていた。

反射的に矢をつがえる。だが、ドラブが纏っている、強烈な力が炸裂する方が早い。ドラブの拳には灼熱が宿っており、能力発動の言葉と同時に、ハツネにたたきつけられる。

「勇猛の力! メガロ、クロッカス!」

超高密度のエネルギーが瞬間的に空気を爆発させる。

焼き尽くされるような痛みの中、ふと、体が楽になる。

コンファインが解除されたのだとわかり、ハツネはありがとうと、マローネとガラントに感謝した。

あんな連中に陵辱されるのだけは、まっぴらごめんだ。たとえ死んでいたとしても。

 

マローネが意識を取り戻すと、複数のパティがのぞき込んでいた。

一度、パティ達の村まで撤収したらしい。疲弊しきっているカナンや、まかれている包帯からも、どういう有様だったのかは何となく分かってきた。

そういえば、ぼんやりとした記憶の中で、おとうさんとおかあさんに会った気がする。

身を起こそうとして、失敗。

ガラントが、歩み寄ってくるのが分かった。

「ハツネが敵中で孤立している。 すぐにコンファインを解除して貰えるか」

「! 分かりました」

ハツネのコンファインを、強制的に解除。殆ど同時に、遠くで、ハツネが即死急のダメージを貰ったのを感じた。

コンファインしたファントムが大打撃を受けると、最悪魂滅と呼ばれる状態になる。輪廻の輪に戻るのとはまた別の状態で、元に戻すには手厚い術式での治癒と時間が必要だ。どうにか、それは免れた。

しばらくして、ハツネが戻ってくる。

霊体化しているが、足を引きずっていた。一瞬でも遅れれば、しばらくはコンファイン出来ないほどのダメージを受ける所だったのだろう。ガラントを見ると、安堵した表情を浮かべるハツネ。

マローネは、邪魔したくないと思った。

だから敢えて何も言わず、話かけもしなかった。

「マローネ、状況を説明しておくよ」

しばらくして、アッシュが側に腰を下ろすと、色々と話してくれる。

敵にも打撃を与えたが、非常に消耗が大きいという。ずっとコンファインしていたガラントとバッカスは、しばらく再具現化が難しい。ハツネも今見る限り、しばらく戦闘は無理だろう。それ以上に、マローネの怪我が酷い。

「処置が遅れたら、右腕を切り落とさなければならないところだったよ」

「ひええ……本当?」

「本当。 カナンさんに感謝するんだよ」

言われて見れば、右腕に酷いしびれと倦怠感がある。それだけ強力な矢が、突き刺さったと言うことだ。

幸い、今敵は進軍を止めている。

それについては、帰り際にハツネが見てきたそうだ。一安心とは行かないが、わずかに時間は出来た。ただし、敵にもヒーラーがいる事を考えると、楽観は出来ないが。

カナンがマローネの怪我を見てくれる。包帯を取って、それから触診された。まだ、少し痛い。

それから、回復術を掛けられた。

カナンの術式にしては、酷く痛みが強い。歯を食いしばって我慢する。しばらく光が体を包んでいたが、それが納まると、今度はとてもおなかがすいた。

パティ達が、果物をたくさん持ってきてくれる。

そして、以前ヴォルガヌスと一緒にいたフェンリルが、捕らえたばかりらしい子鹿を咥えて持ってきてくれた。ガラントが栄養価の高そうな果物を選びながら、アッシュに言う。

「アッシュ、料理は出来るか」

「野戦料理は経験があります」

アッシュが子鹿を持っていく。料理するところは、マローネもあまり見たくなかった。

今は寝るようにとカナンに言われて、果物だけを口に入れる。肉はまだ早いと、体が告げているのだった。

ヴォルガヌスが、無念そうに呻く。

「今見てきたが、敵はまもなく体勢を立て直すぞ。 確実に把握した地点も広げておるようじゃし、此処に乗り込んでくるまでそう時間もあるまい」

「足止めも今はままならん。 先の戦いでの消耗が大きすぎた。 敵も二割は削ってやったが、ヒーラーの回復が間に合えば、半分は復帰してくるとみて良いな」

「悔しいが、撤退を考えるべきでは無いのか。 幸い、パティ達には渡航手段があるようだが」

「ハツネさん、それは駄目……。 パティ達には、もう行く場所もないのよ」

マローネが言うと、皆が悔しそうに目を伏せた。

確かに、今は敗色が濃厚だ。マローネに怪我をさせたことで、攻撃が止んだことを、敵は敏感に察知しているだろう。

つまり、此方の手札が割れてしまっている。

最悪なことに、敵は百戦錬磨の傭兵団と、それを率いる頭の切れる団長だ。ドラブはもっと荒々しくて直情的な人物のイメージがあったのだが、実際に戦ってみると中々どうして。頭も切れるし、何よりとても良く部隊を統率しているのが、肌で伝わってくる。

アッシュが料理を終えて、鹿肉を持ってきた。

「燻製にしておいた。 一眠りして、起きたら食べるんだ」

「うん、分かった。 ありがとう、アッシュ」

実のところ、魔力に関しては、さほど枯渇していない。

問題は皆のダメージと、何よりマローネの体の疲弊だ。カナンが術式でサポートしてくれてはいるが、こればかりは時間を掛けなければどうにもならない。

言われるままに、一眠りをする。

体が、休息を求めているのがよく分かる。闇に墜ちるようにして、意識が途絶える。しばらく、泥のような睡りを貪り、わずかに覚醒しては、すぐにまた眠った。その途上で、カナンが何度も回復の術式を掛けてくれている。それが、マローネには、よく分かった。

起きると夕方だった。アッシュに言われて、体を起こす。

周囲で皆が渋い顔をしていた。何かあったのかも知れない。

マローネは、まず燻製にした肉を食べるように言われた。果物と一緒に口に入れて、ゆっくり噛んで飲み下す。

体は、だいぶ楽になってきている。

その分、看護を続けてくれたカナンは限界近いようだ。次の戦いで、回復はもう期待出来ないだろう。

みんなは、短時間なら戦えそうなくらいには回復している様子である。マローネも、魔力自体は、もう充分だ。

「あの、状況は……」

「みんな、マローネちゃんがいやがりそうな作戦をあたしが提示したから、へそ曲げてるんだよ」

コリンが、側に座っていた。にやにやしている所を見ると、これから爆弾発言をして、マローネの苦悩を楽しみたい、という所なのだろう。

アッシュは特に、コリンを刺しそうな表情だった。

「作戦、ですか」

「そう。 この状況だと、もう奥の手を使うしかないでしょ?」

「話して貰えますか」

「簡単。 以前ここに来たとき、どうしてあたし達、苦労したんだっけ?」

そうか。

コリンが言いたいことは分かった。そして、恐らくヴォルガヌスからフェンリルを介すれば、ある程度の意思疎通は可能だ。それだけではない。コリンくらいの術者になると、そのままフェンリルと意思疎通が出来る可能性も高い。

「パティ達に、手伝って貰うつもりなんですね」

「そうそう、ものわかりがいいねえ」

「パティ達の意思は……?」

コリンの表情は、そんなもん知ったことじゃないと言っている。相変わらずこの人は、残虐きわまりない。極端なサディストで快楽主義者でもあるこの人は、ある意味この上も無く人間らしい。

だが、それでは駄目だ。人間同士の戦争に、パティを巻き込むのとなんら違うところが無い。

「フェンリルと、話せるようにして貰えますか?」

「いいけど、まさか直接説得するつもり?」

「はい。 アッシュ、お願い。 体を起こしてくれる?」

「マローネ、あまり無理をしないようにって、いつも言っているだろう」

そう言いつつも、アッシュはコンファインすると、身を起こしてくれる。コリンもコンファインするが、間に火花が散ったように思えた。

マローネには、みんなに好きになって欲しいと思う。

みんなが好きだからだ。

それは、みんなが仲良くして欲しいと言う思いにもつながっている。コリンが集団の中では決定的に孤立する性格だと言うことは、マローネも分かる。だがこの人は、超一流の術者で、マローネが更に力を付ければ、もっと万能の実力を発揮できるはずだ。

フェンリルは意図を察したらしく、近づいてくる。

コリンが術式を掛けるときに嫌そうな顔をしたが、それでもその場におとなしく座っていてくれた。

猛獣だが、賢いのだ。

好きなパティ達のために、本能を抑制する術も知っている。森を守るために、マローネが文字通りぼろぼろになって戦って来たことも、理解しているのだろう。

術式が掛かると、耳鳴りがした。

コリンが説明してくれるが、難しい単語は伝わらないという。言葉を選びながら、マローネは相手に語りかけた。

「森、守る。 パティ達、みんな、力、必要」

「パティ達、弱い。 危険」

すぐに返事がきた。

マローネは頷くと、ガラントを振り返る。腕組みして考えていたガラントは、いい案が無いわけでも無いと、渋い顔のまま言った。

作戦の概要を聞いて、何とかなるかも知れないと、マローネは思う。

フェンリルにも手伝って貰わなければならない。だが、作戦の危険度は、更に増すことになる。

マローネの方は、異存が無い。

だが、フェンリルが、不安そうに言う。

「お前達、どうしてそこまで、してくれる」

「森、守りたい。 みんな、私、好き」

「俺も、お前の事、嫌いじゃ無い。 パティ達、守って、戦ってくれた、嬉しい」

しばらく黙っていたフェンリルは、不安そうに見ているパティ達の方に戻ると、何かコミュニケーションを取っていた。

前にヴォルガヌスが言っていた竜言語魔法では無いのだろうが、長年一緒にいて、何かしらの手段で出来る事は分かっていた。だが、見ていると、かなり簡単なボディランゲージを使っている。

ちょっとした動作で、パティは相手の意図を、かなり細かい所まで汲み取っている様子だ。

元々パティはとても知能が高い。魔術を使うことからもそれは確かだったが、それを再認識させられる。

「みな、協力してくれる。 でも、命がけ、なる」

「ごめんなさい」

「謝ることじゃない。 お前達も、命がけ。 俺も、命がけ。 みんな、同じ」

フェンリルが、軽く口を開いた。

戦士としての顔を見せた強力な食肉目の怪物が、笑っているように見えた。猛獣だけあって、フェンリルは、戦いが嫌いでは無いのだろう。荒々しいが、そう言う人がいてもいい。最終的に仲良くしてくれさえすれば。そうマローネは思う。

 

やはりというべきか、進撃はスムーズに進んだ。

負傷し、後方に回した部隊の分があるとは言え、兵力はまだ八割が健在だ。残りの二割は、予備戦力として呼び寄せることも出来る。

だが、ドラブは、どうも嫌な予感がしてならない。

川を越えて、崖を超えて。偵察部隊の一つが、情報を持ち帰ってきた。どうやら、集落らしきものがあるという。

レイブが予想した、パティの集落に間違いなかった。

ただし人気が無いとも。或いは、悪霊憑きの娘が、既に避難させたのかも知れない。

ブータンが、汗を拭き拭き、不平を零す。

「ドラブ、こんな暑い場所に、いつまでいればいいンだ」

「もう少しです。 もしも敵が決戦を挑んでくるならば、まもなくかと」

「ふン、決戦か。 矢が突き刺さって、死にかかった小娘に、何が出来るンだろうなあ」

けたけたと、嬉しそうに笑った。

この男は、企業人としてはいっぱしなのだろう。世界最大と言われるほどまで、バンブー社を巨大化させた手腕は、確かなものだ。

だが、社会人として優秀である事と、人格的に優れていることは、別問題だ。

「研究所を作るとすると、やはり先の空き地ですか?」

「そうとも。 でな、此処に研究所を作れれば、幾つかの遅滞していた研究を、一気に進めることが出来る。 その中には、難病の治療薬もある。 最終的に森は殆どを切り払って、研究所の別棟を作るが、そこまで行ったら世界最大の規模になり、スムーズに研究を進められるだろうな」

企業人だから、利益率の低い高価な薬は、あまり作る事が出来ないと、ブータンは言う。

だが、同時に。世界の健康を担うと宣伝している以上、難病の患者も見捨てるのは忍びないとも、この普段はとても冷酷な社長は言うのだ。普段のブータンを知っている者なら、驚くかも知れない。

確かに立派な思想である。

だが、この森に元から住んでいたパティはどうなる。むすっとしているドラブを見上げるようにして、レイブは言う。

「雑念を払ってください。 先の女弓使いも、雑念があったから、団長に見つかったんでしょう?」

「いや、あれは運が良かっただけだ」

実は、気配が漏れたから、察知できたのでは無い。

鳥が変な飛び方をしたのだ。あの女は運が悪かった。そして、ドラブはその分、運が良かった。

だが、こういう強運は、いつまでも続かない。それをドラブは知っている。

数刻掛けて、パティの集落の側にまで迫る。

岡の上から見上げる限り、敵の戦力があるようには思えない。だが、どうも嫌な気配が漂っているのを、ドラブは敏感に感じ取った。こういう感覚は、本能的なものだ。長年戦場を渡り歩いてきたから、身についた感覚である。

「奇襲に備えろ! 相手はドラゴンを使役するほどの実力者だ! 負傷していたとしても、油断すれば大けがをするぞ!」

「応っ!」

腕組みして、どう攻撃するかを考える。

だが、見れば見るほど、そもそも戦闘を想定していない集落だ。そのまま押しつぶせば良いはずである。

レイブを見るが、小首をかしげている様子だ。

それが、どうして悩んでいるのか、分からないという意図だと、ドラブは判断した。

「第一から第六隊まで、攻撃開始! 集落を制圧しろ!」

「しゃあっ! 焼き払え! ブチ殺せっ!」

血の気が多い団員が、我先に集落に突入していく。数は三十名ほど。しばらくそれを見ていたドラブだが、唖然とするまで、時間は掛からなかった。

文字通りの四方八方から、無数の怪物が沸いて出たのである。

大混乱に陥った前衛。中にはギガビーストや大形のマンティコアなど、単独では対処が難しい怪物も多数混じっている。

増援を投入しようとしたドラブに、さらなる凶報が届く。

「第七から……」

「後方から襲撃! 戦力非常に大!」

「何っ!」

爆発音と共に、後衛を守っていた団員が木の上まで吹き飛ぶのが、ドラブには見えた。

怒りを刺激されたドラブは、部下から愛用の大斧を受け取る。そうこうする内に、左翼、右翼からも敵の襲撃があったと、伝令が飛んでくる。

「おい、ドラブ! 大丈夫なのか!」

「どこからこんな大戦力が沸いてきた。 いくらなんでも、悪霊憑き一人の仕業ではあるまい」

「おそらく、幻術では!」

「だが後ろを見る限り……」

ふと、思い当たる。

幻術という点では同意だが、それなら本命の攻撃戦力があるはずだ。明らかに後方からの圧力が強い。

もしも自分がマローネだったら、陽動を使って敵の戦力を引きつけ、ドラブに迫ろうとするはず。

其処に、後方から連絡。

「後方の敵に、リザードマンに乗った子供がいます!」

「それだ! 余剰部隊を全て……」

後方で、爆発。

まて。様子がおかしい。これこそ、陽動では無いのか。

見れば、集落に突入した部隊も、多数の怪物に襲われながらも、それほど被害は出していない。怪物にも打撃を与えているようには見えないが、それは相手が幻覚だから、ではないのか。

既に狼煙は上がってしまっている。レイブが、罠だと叫ぶ。

ドラブも同意だ。

「狼煙を上げろ! 後ろに向かった部隊を呼び戻せ! 中央部に密集体型を作れ!」

「一手遅れたな」

その声は、すぐ側からした。

とっさに斧を振り上げて、降りかかってきた大剣を防ぐ。火花を散らしてはじき合った。

見ると、人間族の老戦士だ。見覚えがある。

「まさか、あんた、ガラント団長か!」

「久しいな、ドラブ。 見事な用兵だ。 あのはな垂れが、良くも此処まで育った」

剣を構えるガラント。かって、獣王拳団は複数の傭兵団が合併することで誕生したが、その際母体になった傭兵団の一つ、荒鷲傭兵団の団長だった人物だ。若かった頃は、ドラブも随分無茶をして、ガラントの拳骨をもらったものだ。

あの拳骨は痛かった。腕力も凄かったが、それ以上に心がこもっていたからである。

ドラブが一人前になった頃、ガラントは死んだ。実の祖父が死んだときと同じくらい、悲しかった。

まさか、こんな形で会えるとは。

だが、此処は戦場。たとえガラントであっても、容赦はしない。

まだ周囲には、かなりの部下が残っている。彼らが一斉に、ガラントに躍りかかる。時間差を利用して、一人ずつ確実に叩き潰していくガラント。だが、対達人戦の戦術は、部下達にもしっかり仕込んでいる。

ついに、無防備な背後に、一人が回り込む。

背後から躍りかかろうとしたそいつを、突入してきたフェンリルが、体当たりして吹き飛ばした。

背中には、悪霊憑きの小娘。

怪我をしている様子だが、随分勇敢なことだ。そして、その側には、格闘家らしい青年がいる。

小娘、マローネが名乗りを上げる。

「クロームのマローネです。 お初にお目に掛かります。 貴方が、獣王拳団の団長、ドラブさんですね」

「ああ、そうだ。 そうか、お前が悪霊憑きのマローネか。 魔島での暴れぶりは聞いている。 どうやら、俺が本気を出さなければならないようだな」

「気をつけろマローネ、噂以上の実力だ! 並の能力者じゃないぞ!」

ドラブは、たくましい上半身をむき出しにすると、己の全てのパワーを一点に集中する。後ろでブータンが腰を抜かしているようだが、知ったことでは無い。

ろくでもない仕事だった。最初は、ただの虐殺になるとばかり思っていた。

だが、今は高揚を感じる。

指揮を執っていたのがガラントであった。この青年は、相当な使い手だ。何より、この状況、此処まで飛び込んでくるマローネの勇気。

いずれもが、ドラブを感嘆させるに充分だった。

「獣王拳団団長、豪腕のドラブ! いざ、参る!」

「アッシュ!」

「ああ、一瞬で決める!」

アッシュと呼ばれた青年が、全身に青い燐光を纏う。

ガラントが、周囲からの介入を防ぎに走ると言うことは、此奴が本命か。面白い。ドラブは雄叫びを上げると、己の能力を完全解放した。

「おおおおあああああああああっ! 原始の本能よ! あらぶる野生よ、蘇れ! 勇猛の能力! メガロォオオオオッ、クロッカス!」

「邪悪なる者に打ち克つ力を! 水竜の力、エカルラートッ!」

 

最初、村の中に潜んでいたパティ達が、突入してきた獣王拳団に、幻術での攻撃を仕掛ける。

続いて、後方に廻ったバッカスが、コリンと共同して攻撃を掛ける。バッカスの背中には、パレットが跨がる。これは、相手の誤認を引き出すためである。そして、コリンの護衛には、ハツネがつく。ハツネは、いざというとき、たとえばパレットが負傷したときなどに、信号弾を打ち上げる役割も果たす。

同時に、左右からも、パティ達が幻覚での攻撃を仕掛ける。

幻覚を使えるパティは三十を超えている。これならば、ほんのわずかな間だが、時間を稼ぐことが可能だ。

ただし、敵は幻覚だと、短い時間で看破してくる。

そこで、「子供を乗せた」バッカスの存在が生きてくる。敵が後方に攻撃を集中した瞬間を狙い、左翼から、フェンリルに跨がったマローネと、ガラント、それにアッシュが総攻撃を仕掛け、ドラブを倒す。左翼なのは、其処が下り坂になっていて、最短時間で敵中枢に仕掛けられるからだ。

傭兵団内部での争いは御法度とされている。傭兵団同士での戦いの場合、出来るだけ被害を減らすように動くという不文律がある。クロームが関わる場合も、喜ばれない。仕事上でぶつかった場合、団長が倒されたら、そこで撤退を行うという暗黙のルールも存在している。

今回は、それに賭ける。

村に突入していった敵が、混乱するのを見計らい、後方からの攻撃開始。左右両翼からも、敵へ攻撃が開始された。

あくまで幻術だ。

打撃力は無い。相手からの攻撃でも打撃は受けない。だが、それでも混乱させることは出来る。

そして狼煙が上がった瞬間、ガラントは叫んだ。

「今だ、行くぞ!」

「はいっ! お願い、フェンリル!」

「任せろ」

まだ、翻訳の術式は効いている。片言で答えると、フェンリルはそのしなやかな体を、弾くようにして空に舞わせた。

一気に、混乱している敵中を駆け抜ける。密林で、しかも地の利を得ている。それをフル活用した作戦だ。本来だったら、即座に体勢を立て直され、袋だたきにされていただろう。

ガラントもアッシュも付いてくる。

フェンリルが、掴まるように言う。首に掴まると同時に、体当たり。敵の一人をはじき飛ばす。屈強なキバイノシシ族の戦士だが、猛獣の体当たりを受けてしまえばひとたまりも無い。

木にたたきつけられて、気を失う相手には見向きもせず、再びフェンリルは走り始めた。

ガラントが先に行く。

そして、ほどなく森を突破し、ドラブと相対することになった。

ドラブの後ろには、ブータン社長が腰を抜かして座り込んでいる。その周囲にいる人間族の女性は、皆専属のヒーラーだろう。

コリンが遠くで大暴れしているのが分かる。一気に勝負を付けないと、いろいろな意味で皆が危ない。

短いやりとりの後、ドラブが本気で能力を全開にする。アッシュが言うとおり、とんでもない手練れだ。

アッシュも前に出る。

そして、エカルラートを、全力展開した。

周囲はガラントが守ってくれている。マローネは、目を閉じて、胸の前で手を合わせた。アッシュに、皆に、少しでも魔力を供給しなければならない。

それが、今マローネに出来る事だ。

「おおおおおおおああああああああっ!」

「来い、小僧ッ!」

アッシュが仕掛ける。同時に、ドラブが大斧を振るい上げた。

大斧が、振り下ろされる。アッシュが残像を残して、左に飛ぶ。そのまま蹴りを叩き込むが、ドラブは腕を上げて防ぎ抜く。爆発。アッシュが弾かれる。ドラブが下がる。

どうやら、ドラブの力は、その潜在能力を完全解放し、攻性防御を可能とするオーラとして全身に纏うものらしい。

アッシュが再び踏み込む。横薙ぎにドラブが斧を振るう。

斬られる。残像だ。アッシュが後ろに回り、ドラブの足を払いに行く。再び爆発。その圧力さえ利用して、とんぼ返りに飛び上がったドラブが、遠心力をフル活用して斧をたたきつけに掛かった。

叫び声が二つ、とどろきあった。

紙一重で交わしたアッシュが、斧の柄を痛烈に蹴り上げた。ドラブの手を離れ、空に舞い上がる斧。だが、ドラブの拳が、アッシュに迫る。両腕でクロスして受けるアッシュだが、もろに吹っ飛ばされた。

パワーが違いすぎる。

瞬時に追いついたドラブが、踵を落とす。流れ星のような一撃。地面にクレーター。残像を残し逃れたアッシュが、横殴りに蹴りを一撃。ドラブは吹っ飛びながらも、何度か跳ね、勢いを殺して立ち直る。

更に間合いを詰めたアッシュが、ラッシュを叩き込む。血を吐きながらも、ドラブはオーラによる爆発で、押し返した。はじき返されたアッシュが、体制を整えると、其処にはもう、拳を固めて躍りかかるドラブの姿。

殴り、殴られ、蹴り、蹴り上げられる。スピードではアッシュが上、パワーではドラブが数段上。技量でも、ドラブが格上だろう。だが、アッシュには、マローネによる魔力のバックアップがある。本来のエカルラートを遙かに凌ぐパワーアップが、それで可能になる。

爆発にはじき返されたアッシュが、ドラブを空に蹴り上げる。空中で爆発を起こしたドラブが、加速に加速を重ねて、アッシュに蹴りを叩き込んだ。アッシュがそれを受け止め、地面にクレーターが出来る。いくつ目のクレーターか、数えるのも馬鹿馬鹿しい。

岩がえぐれ、余波で木が軋む。

超高次元ではあるが、結局の所原始的な肉弾戦である。

アッシュとドラブは似たタイプの能力者だ。能力のレベルが上がっても、結局の所、行き着くところは、ただの肉弾戦になってしまうのだろう。

ならば。打つべき手は一つ。

マローネは、新しく、コリンから教わった詠唱を続ける。

「さまよえる魂よ、我が魂とつながり、その力引き出せ。 我が魂は汝と共にあり、そして同じ道を行く……!」

アッシュの全身の燐光が、更に凄まじい青を帯びる。

だが、これは長く保たない。マローネの残った魔力を、ことごとく絞り上げていくからだ。

ドラブは血を吐き捨てると、己も更に力を込める。灼熱に真っ赤に染まったドラブが、神聖ささえ感じさせる青の燐光に身を染めるアッシュと、相対する。

次で、決まる。

仁王立ちになると、ドラブが両手を広げた。

次の一撃、撃ってこいと言うわけだ。耐え抜いたら、ドラブの勝ちが確定する。アッシュが、幾つかの残像を残して、ドラブの足下に出た。

「受けてみろ……!」

足下に、罅。それだけの凄まじいパワーが、踏み込みに掛かったという事だ。

爆音と共に、アッシュが空に舞う。その拳の先には、打ち上げられたドラブの姿。空気を蹴散らしながら、遙か空にまで舞い上がったアッシュは、その頂点でドラブに追いつき、逆に下に向けて蹴りを叩き込んだ。

落ちてきたドラブ。

フェンリルが、飛び退く。

地面が、広範囲にわたって吹き飛んだ。木が根からめくり挙げられ、辺りに岩石が飛び散る。ヒーラーが防御の術式を展開して、ブータンをかばった。マローネに飛んできた岩石を、ガラントが大剣を振るって叩き落とす。

滅茶苦茶になった地面の中、ドラブが立ち上がる。岩を押しのけ、土塊を吹き飛ばして。その立ち姿は、まるで不死身の怪物に思えた。

流石、現在ナンバーツーを誇る傭兵団の団長。

全身朱にまみれているが、なおも動けるか。アッシュが着地。その身の燐光は、既に残っていない。既に体も、薄れ掛けていた。

「小僧……名は」

「ファントムのアッシュだ」

「そうか。 次は俺とタイマンでやろう、アッシュ。 くくくっ、其処のマローネも合わせて、楽しみな若造がでてきやがった……」

やはり、マローネの助力があった事に、気付いていたか。

ドラブが、全身から煙を上げながら、前のめりに倒れる。

ガラントが声を張り上げた。

「ドラブは戦いに敗退した! 獣王拳団、剣を納めよ!」

周囲から、急速に戦いの気配が引いていった。

 

4、楽園の夕暮れ

 

緑の守人島の上空を、鳥が旋回していた。

否。その鳥は頭が髑髏であったからだ。こんな鳥は、イヴォワールには存在しない。そしてサイズもおかしい。鳥は、翼長だけで、普通の人間の背丈三倍分はあるからだ。

この鳥は、魔界の生物。魔王ソロモンの乗騎。

その背に跨がっていた魔王ソロモンは、己が流した情報による、想像以上の結果に満足していた。

「あのドラブという男、上位の魔神に匹敵する実力者だった。 あれを撃破するとは、マローネという小娘、既に下位の魔王並の魔力を身につけているとみて良いだろう」

「如何なさいますか」

「一度戻って、セルドレスと今後について協議しよう。 圧力を掛ければ掛けるほど、あの小娘は力を増す。 面白くなってきたわ」

鳥は旋回を終えると、富と自由の島に帰路を取る。

ソロモンは興奮が抑えきれず、終始にやにやしっぱなしであった。

 

ドラブの部下達が引き上げていく。指揮を執っていた参謀格のレイブという人間族の細い男が一礼すると、キバイノシシ族の部下達を促して、気絶した団長を引きずって行った。何しろ相当な巨体だ。キバイノシシ族でも、担ぎ上げるのは骨が折れるのだろう。

残ったのは、腰を抜かしたブータンである。

恐らく、能力者同士の戦いを見るのは初めてだったに違いないと、マローネは思った。

マローネも、既に魔力は殆ど残っていない。アッシュと二人でドラブに勝つので精一杯だった。

戦闘が終わり、皆がおいおい集まってくる。

それを見て、ブータンは小さく悲鳴を上げた。

「わ、ワシを殺そうというのか!」

「どうする、マローネ。 殺すのなら、私がやるが。 此処なら証拠も残さず、消すことが出来るが?」

ハツネが弓を作り出し、矢をつがえる。それにしても、無言で控えているヒーラー達は、ある意味不気味だ。この状況に怯えるどころか、平然としている。対応が可能だと言うことなのだろうか。

マローネは首を横に振る。嘆息すると、ハツネは矢を下ろした。

フェンリルから降りる。まだ体が重い。酷く眠いのは、魔力を酷使したからだろう。社長が怖がっているのは、眠くてマローネが半眼になっているからかも知れない。

「社長さん、聞きたいことがあります。 どうして、この島をそんなに狙うんですか?」

「ふ、巫山戯るな! この島はワシの所有物だ! 何より、この島に研究所を作る事で、どれだけ医療が進歩するか分かるか! 難病で薬が届かない病人にも、安く提供できる薬だって開発できる!」

社長の言葉はもっともだ。

何より、カスティルのことを思うと、その言葉はとうてい聞き逃せるものではない。

だが。

カスティルも、この島のパティ達を皆殺しにして、自分が助かったら。喜ばないだろう。喜ぶ人達も大勢いるかも知れない。だが、マローネには、そんなことは出来なかった。

「この島に、先に住んでいたパティ達の事は、最初から殺す気だったんですか?」

「私有地から害獣を駆除して何が悪い!」

悲しくなった。

放置すれば、ブータン社長は、何度でもこの島を狙うだろう。次は白狼騎士団を繰り出してくる可能性も高い。

だから、今、言っておかなければならなかった。

「私の友達にも、難病で苦しんでいる子がいます。 でも、その子だって、元々住んでいるパティ達を皆殺しにして、自分が助かっても、喜ばないと思います」

「な、何だって……」

「この島は、パティ達にとって残された数少ない楽園なんです。 お願いします。 もう、手を出さないでください。 手を出すというなら。 私も、手段を選びません」

マローネは、最後の力を振り絞って、一瞬だけヴォルガヌスを、自分の背後にコンファインする。

突如出現する巨大なドラゴン。しかも、その目は怒りに燃えているのだ。小さな悲鳴を、ブータンは挙げた。

最初に見せた、ヴォルガヌスの大威力ブレスの破壊力を思い出したのだろう。バンブー社の本社は、強力な魔術で守られているはずだが、あのブレスが直撃したら耐え抜けるのか。

ましてや、獣王拳団に競り勝つマローネが、本気で本社を襲撃したら、守りきれるのか。外にいるとき、護衛が一人や二人で足りるのか。

マローネを社会的に抹殺することは、ブータンには難しくないかも知れない。だがその時、報復から身を守りきることは、ブータンでも難しいだろう。

むろん最悪の事態に陥っても、マローネは絶対にそんなことはしない。だが、ブータンには、そうかも知れないと、今誤認させなければならなかった。

冷や汗を流すブータンに、マローネは言う。

「ドラゴンがたくさん住んでいるって嘘を付いたことは、本当にごめんなさい。 でも、私、弱い立場の者が蹂躙されるのは、見過ごせませんでした。 社長さんも、お薬を作っているのなら、分かってくれるって……信じています」

後は、逃げ去る社長を見送った。

意識が遠のきかけて、ハツネに支えられる。きっとハツネは、マローネが撃ってといえば、撃っただろう。

だが、最初から理解してくれていたはずだ。撃ちたくないことは。

気がつくと、パティ達の村で、長老の家らしい場所で寝かされていた。元々木のうろに作られたらしい其処は、湿気が少し多かったが。外は大雨だったので、他の手段もなかったのだろう。

ハツネが入ってくる。

「獣王拳団は引き上げた。 ブータンとやらも一緒だ。 見届けてきた」

「そう。 脅かすようなまねをして、酷い子だわ、私」

ハツネは何も言わず、カナンをコンファインするように促してくれる。

あれから丸一日が経過していたらしい。皆も、回復は順調な様子だ。カナンをコンファインすると、額をこづかれた。

「怪我をしているのに、また無理をして。 いけませんよ」

「ごめんなさい」

「今はまだ若いから良いけれど、大人になったら後遺症が確実に残るような傷ばかり、仕事の度に受けて」

くどくどと、それから長く説教された。回復術は、さほど痛くなかったのは。多分傷がもう治りかけだからだろう。

しばらくして、パレットが作ってくれた通信装置を渡される。

そういえばここ数日バタバタしていて、カスティルと全く話していなかった。通信装置は、ボタンを押してから、少しして向こうとつながる。

カスティルは、通信装置に出てくれた。

「マローネ、大丈夫? 怪我はしていない?」

開口一番に、カスティルはそう言った。恐らく、仕事上のことだと分かっていたのだろう。勘が鋭い子である。

「えへへ、少し怪我しちゃった。 でも、大丈夫。 みんながいてくれたから、乗り切れたわ」

「そう。 本当に無茶ばかりして。 心配させないで」

カスティルの声には、いろいろな感情がこもっている。嘆き、歓喜、心配。それを自分のために出してくれていると思うと、マローネは嬉しかった。

それから、島での仕事の話をした。今回は正確には仕事では無いが、パティ達のために行ったから、仕事も同然だ。

しばらく無言でいたカスティル。マローネは、最後にごめんなさいと言った。

「ううん、貴方は間違っていないわ」

「カスティル……」

「ブータン社長と言えば、ビジネスマンとして立志伝に載るほどのヒトなのに。 きっとお金に目がくらんで、一番大事なことを忘れてしまったのね。 私がその場にいたとしても、マローネと同じ判断をしたと思うわ」

良かった。カスティルは、分かってくれた。

カスティルの話もしてくれる。最近少し病状が安定してきたので、車いすで外に出て良い事になったという。

もう通信装置のマナが切れてきた。軽く話をして、通信を切る。

随分気持ちが楽になった。

一眠り。起きると、真夜中。まだしばらく、寝起きを繰り返さないと駄目だろう。相当に無理をしたのだから。

起き出して、外に。

まだ少しだるい。体の方は消耗が回復しきっていないが、もう歩くには支障もなさそうだ。

ガラントが、バッカスとハツネと、三人で話しているのが見えた。側にはヴォルガヌスも丸まっているから、四人で何か打ち合わせているのかも知れない。

まだ危険があるから、眠る前に交代でコンファインもしている。今はアッシュの番である。

アッシュを探して歩いていると、ぱたぱたと可愛い足音で、パレットが歩み寄ってきた。

「おねいちゃん、あのね」

「どうしたの?」

「アッシュおにいちゃんが、おねいちゃんを呼んできて欲しいって」

「何かしら」

村の外れに行く。パレットと手をつないだまま歩いて行くと、その人の姿を視認することになった。

オウル族の新聞記者、フィルバート。数名の護衛を連れている。以前会ったときと護衛のメンツは変わっていない様子である。レーアは親しげに、片手を挙げて挨拶してきた。アッシュは、見張っているから動けなかったのだろう。

「フィルバートさん!」

「やはり君だったか」

紫煙をはき出すと、フィルバートはアッシュを無視するようにして、歩み寄ってきた。既に手にはメモ帳がある。

「バンブー社が、この島の開発凍結を表明してね。 更に獣王拳団がこっぴどく負けて、賞金王争いからも転落した。 この二つをつなげて考える奴はいなかったが、私は違った、と言うわけだ。 ここ最近の君の動きを追うと、相当なものだ。 ある島では、勇者スカーレットが封印して倒せなかった怪物まで仕留めたそうでは無いか」

「……」

パレットが、マローネにしがみつくのが分かった。事情を知らない人は、心の傷に平気で踏み込んでくる。

「狙いは何かね?」

「話せません。 それと、この島には、出来るだけ足を踏み入れないでください」

無言で周囲を見回したフィルバート。此処まで来るとは、とんでもない行動力だ。

もっとも、今はパティ達も消耗していて、霧と海流の結界が復旧していない。それもあったのだろうが。

「君は更に力を増しているな。 その力で、何をする。 もしも君が暴れ出したら、白狼騎士団や九つ剣でも手に負えない日が来るのでは無いかと、私は懸念している」

「私は、絶対に、そんなことは……」

「君が望まなくても、せざるを得ない日が来るかも知れないが?」

ぞっとするほど、低い声だった。

フィルバートは話を切ると、満月を見上げる。

「私なりに調べてみたが、悪霊憑きが嫌われる要因には、起因する犯罪発生率の高さもあるのだ。 迫害の結果暴発し、周囲に惨劇をもたらした悪霊憑きは史上枚挙にいとまがない。 迷信だけでは無く、差別される対象の彼らは、純粋に力も持っている。 そして君は、少し力を持ちすぎた」

同じような立場のフォックスさえ、今でもかなり危ない綱渡りをしているのだと、フィルバートは言う。

此方を見るフィルバート。視線は、品定めをしているからか、とても冷たかった。

「君は今回、バンブー社に喧嘩を売った。 世界的規模の会社にだ。 恐らく、この島にある何かを守るためなのだろうが、下手をするといずれ世界の敵になりかねないぞ」

「……でも」

「信念は立派だが、君の力はあまりにも大きすぎる。 まあ、私としては。 君という人間を見極めるには、今の状況は好ましいと思えるがね」

冷酷な新聞記者の言葉に、マローネは戦慄を隠せない。

もしも、マローネが世界の敵とされたとき。

どうすればいいのだろう。分かってはいた。今回の仕事をするとき、ひょっとすると白狼騎士団とも干戈を交えなければならないかも知れない事は、想定していた。戦いたくは無い。

だが、それ以上に、死にたくないのも事実だった。

どうしてこうなるのだろう。マローネはみんなが好きだ。みんなに好きになって欲しい。ただそれだけなのに。

煙草を捨てると、フィルバートは踏んで火を消す。

冷酷な大人の論理で動く記者は、マローネを一瞥だけすると、身を翻した。

「ふむ、まあ君のような子供には酷な話か。 まだ、君を記事にするには、時機が熟していないようにも思える。 引き上げるとしよう」

マローネには、フィルバートの語ることが、単純に怖かった。

何も言い返せないことが。

いや、それ以上に、自分でも正論だと認めてしまっていることが。

「おねいちゃん、げんきだして」

「うん。 だいじょうぶ……」

パティ達の結界が回復するまで此処に残ろうと、マローネは決める。

バンブー社が、この島での開発を諦めたというのが本当なら。後は、おばけ島に暗殺者を送り込まれることを警戒すれば、当面命は大丈夫だろう。世界の敵に認定されてしまったら、その時はその時だ。

膝を抱える。怖い。フィルバートが言ったことは、脳裏に響き続けていた。みんなの事は大好きなのに。世界そのものから排除されたら、どんなふうに生きれば良いのか。きっとみなを傷つけなければ、生きられない。そんなのは、嫌だ。

もう少し休んだら、この島を離れる。

それまでは、せめて守り抜いたこの楽園でゆっくりしよう。

そう、マローネは決めたのだった。

 

ソロモンは、幾つかの情報に目を通しながら、富と自由の島の地下アジトに向かっていた。

イヴォワールタイムズも勿論読む。コールドロンの組織の様子も確認。どうやらターレンの組織の残党を順調に駆逐するか取り込んでいるようで、まもなくマローネに対する協力組織を一本化できそうだ。

後は適当にバンブー社を脅そうかと思ったのが、何か思うところがあったのか、ブータンは今の時点で行動を起こしていない。此方は静観で良いだろう。或いは、マローネの戦いぶりに、何か感じ入るものがあったのかも知れない。

思わず笑ったのは、コールドロンの個人記事だ。

奴はマローネのファンクラブなるものを、キャナリーと一緒になって立ち上げたという。年甲斐も無く何を考えているのやらよく分からないが、まあそれも良いだろう。サルファーとマローネがぶつかるとき、どんな形であってもバックアップが完璧であれば、それで良いのだ。

結局の所、ソロモンがさほど介入しなくても、事態はマローネの努力で、良い方向に進んでいるように見える。だが、そのまま見ているだけでも芸が無い。マローネの成長を、もう少し加速させたいところだった。

ソロモンが富と自由の島の地下アジトに戻ると、にわかに其処が騒然としていた。何かあったのは確実である。

幾つかの通信装置に、セルドレスが怒鳴っている。ソロモンが咳払いすると、岩の塊のような魔王は、振り返った。

「なんだソロモンか。 また悪趣味ないじめでもしてきたのか」

「ふん、知るか。 それで何があった」

「サルファーの手下がまたこの世界に現れた。 しかも、以前よりも遙かに力をましてやがる。 場所は、今特定中だ」

「……」

目を細めたソロモンは、行き交う部下達から、書類を受け取る。素早く目を通していく内に、困惑した様子で、セルドレスが言う。

「まずいぞ。 まだこっちは準備が整ってない。 マローネとか言う小娘も、まだ成長しきっていないんだろ」

「まだサルファーが現れたわけじゃあない」

「で、でもよ」

「腹をくくれ。 奴が本格的に動き出すより先に、マローネを育てきれば、此方の勝ちだ」

それに、サルファーの手下程度なら、この世界の住人でどうにでも出来る。

問題はサルファー自身が手に負えないという事だ。それも、今準備を整えている。まだセルドレスには話していないが、あのクソ忌々しい大魔王が、思わぬ所に協力を取り付けることに成功したという。

それさえ上手く行けば。

この世界など、どうでもいい。サルファーさえ殺せれば、ソロモンはそれで構わない。

ソロモンは鼻を鳴らすと、彼なりのやり方でサルファーを倒すべく、思考を回転させ始めたのだった。

 

(続)