盾の価値

 

序、天界の事情

 

ミロリは天界に来てから、ずっと本ばかり読んでいた。

読み書きもろくに出来なかったのに、どうして本が読めるのかはよく分からなかった。或いは、天使になったから、かも知れない。ひたすらに本を読んで知識を蓄え、その合間に雑用から順番に覚えていった。

最初、無機質に見えた他の天使達も、働いているとそれぞれに個性がある事が分かってくる。

それに、天界が決して楽園ではなく、権力争いや派閥闘争があることも、少しずつわかり始めてきた。

たとえば、少し前の出来事だが。

ある魔界との争いがあり、天界の責任者である大天使長が死んだそうである。本当だったら大騒ぎになる所だが、これには様々な裏事情があった。中でも、天使長の一人が野望に任せて争いの糸を裏で引いていたという事実があり、結果として双方不可侵の条約が結ばれて、以降の戦いは停止したのだそうだ。

更に、その件で将来有望な天使が一人、魔界へ去っているらしい。

こういった争いは、人間の世界でも起こる。天界でも起こっているという事は、天使もあまり人間と変わりが無い、という事なのかも知れない。

結局の所、大天使長にはある女神と呼ばれた強力な天使長の一人が就任することとなり、今のところ天界は落ち着きを取り戻している。しかしこの過程で天界の人事が大きく刷新された。今、ミロリが師と仰いでいるリレも、この時に人間界の一つからスカウトされた人材だそうである。天使長をいきなり任されているのは、彼女が超弩級の使い手だからで、噂によると並の魔王では歯が立たないほどの力の持ち主だそうだ。更にいうと、彼女は実質数万年は生きているも同然で、とんでもない知識の持ち主でもあるとか。

そんな存在では、確かに人間の世界では、あまりにも狭苦しいだろう。詳しい事情については聞いていないが、ある意味怪物も同然である。天界に彼女がスカウトされて、彼女の故郷の者達はある意味ほっとしているのでは無いのか。

今の天界は、そのような事情で、血が一新されている。中には、魔界からスカウトされた人材までもがいるそうだ。

「ミロリ、お茶」

「はい」

師は基本的に物静かだが、怒るととんでもなく怖い。

ミロリも最初に敬語を身につけたのだが、そうしないと身が危ないと感じたからだ。すぐに茶を淹れて持っていく。

師はハーブティが好みで、レモンを使うと喜ぶ。

ミロリも最初は、同僚達からこつを聞きながら、何度も淹れ直させられるはめにおちいった。

ミロリが淹れた茶を飲み干すと、リレは分厚い本に視線を落としたまま言う。

「そろそろ、基礎的なことは身についたかしら?」

「はい。 仕事ですか?」

「その力では、まだ地上に降ろすわけにはいかないわね」

くすくすとリレが笑う。

天界はあらゆる世界とつながっている。勿論様々な魔界とも敵対しているという。天使には、そう言う意味で、危険が伴う。

無数にある魔界にはその数だけ特性がある。独自の不文律で、不思議なルールを構築している場所もあるのだが。中には暴力だけが全てを支配し、敵対する者は皆殺し、という姿勢を崩さない魔界もあるそうだ。地球人類とかいう残虐で凶暴な生物が支配する魔界が、その一つだという。

まずは訓練だとミロリは言われた。

リレに伴われて、別の地区へ赴く。図書館から出ると、外観からは小さな家にしか見えないことを、改めて思い知らされる。お使いで他の家にもお邪魔したが、そう言う場所は中身と外観が一致していた。リレの凄まじい魔術に関しては、見る度に驚かされる。

天界の隅の方には、訓練所がある。

以前の魔界との交戦時、天界の兵士達はあまり役に立てなかった。それを憂慮した天界は、多くの腕利きをスカウトすると同時に、現状の天使達の再訓練にも着手している。リレが出向くと、訓練を統括しているらしい、ごつい大男の天使が一礼した。

「これはリレ殿。 今日も訓練を見ていただけるのですか」

「それもあるけれど、今日はこの子の訓練登録をしにきたの。 お願いできるかしら」

「もちろんであります。 天界の未来を担う優秀な戦士は一人でも多く育てておきたいところでありますがゆえ」

頷くと、リレに言われるまま、奥の建物に。

訓練所にある建物は、どれも柱と屋根だけのもので、中身がむき出しになって見えている。机について書類を何枚か書いていく。中には訓練時、怪我をしたときの契約書とか、物騒なものも散見された。

全てに拇印を押すと、作業終了。

その日からは、訓練が日課の一つに加わった。

 

魔界と天界は、そもそも戦闘のスタイルが違っている。個人主義が横行する魔界に対して、天界の戦士は結束と戦術で戦う。単独では悪魔にかなわなくとも、集団戦術が機能すれば、敵を倒すことは難しくない。

そう、ミロリは最初、教官であるスパルタクスに教えられた。

力が付いてくると、様々な個人的な戦闘スタイルも許される、という。だが、まずは槍の使い方から始め、それが終わったら回復系の魔術。更に次は攻撃系の魔術と進み、それから強力な敵を相手にするための戦術を学んでいくという。

最初に体を鍛える。

とはいっても、人間のようにトレーニングをするのでは無い。

それぞれが魔法陣の中に座って、座禅をするのだ。これによって、効率よく知識を頭の中に流し込み、筋肉の使い方を脳に焼き付ける。

学習をすると、どうしても個人的な差異が出てくる。それを、魔法陣による知識の焼き付けで、フォローをするのだそうだ。

この魔法陣方式は、以前から天界では行われていた。しかしリレが来てから、魔法陣に大幅な改良が加えられ、天使兵達の質は著しく向上したという。

しばらくは魔法陣の中にずっと座って、基礎知識を学ばされた。

それから、集団で槍を揃えて戦う方式を叩き込まれる。

まずは槍の持ち方。それを学び終えたあとは、槍を持って行軍する方法。天使には翼があるから、戦闘は立体的になる。だからこそに、槍で味方を傷つけないように、細心の注意を払う必要がある。

ミロリも最初のうちは、何度も教官に怒られた。

そのうち、他の新人達と一緒に、並んで飛び、陣形を組めるようになってきた。様々な陣形も覚えた。くさび形陣、雁行陣、紡錘陣、いずれにも意味がある。それらも、叩き込まれた。

それらを覚えた後、新人達と一緒に並ぶ。

スパルタクスが、整列した兵士達の前を歩きながら、言う。

「力が弱いうちは、武器の性能の方が、個人の戦力よりも重要だ。 天界から支給されている槍には、強い魔術の力がこもっている。 当たりさえすれば、ある程度格上の悪魔にも、十分に通用する」

だから、陣形や集団戦術は必須だという。

だが、それにも限界がある。あまりにもランクが高い悪魔が相手になってくると、攻撃能力も機動力にも差がありすぎて、集団でいても的になるだけだという。それは優れた科学技術で作られた兵器に関しても、同じだと言うことだ。

「魔界の中には、科学技術で周囲を圧倒しているものもある。 地球人類が支配している魔界などはその典型例だ。 天界は長いこと、武力による相手への干渉を封じていたが、その間に力の差はあまりにも開いてしまった。 今後は天使にも、魔王と対抗できるような豪傑が必要になってくるだろう。 俺もそんな豪傑を目指している」

つまり、体を鍛えろと言うことだ。

一通りの戦術を学習魔法陣で叩き込まれた後は、個人学習が主体になった。それぞれ組み手を行って、弱点を補強しつつ、魔力を高めるように言われた。身体能力も強化するように、様々なメニューを組まれた。

天使は睡眠を殆ど必要としない。人間に比べると、十分の一以下で問題ない。

だから、徹底的に体を鍛えた。

ミロリには、イヴォワールの事がまだ大事だ。自分を輪廻の輪に戻してくれたマローネの事も心配である。

早く強くなって、サルファーをどうにかしたい。

リレはとんでもない知識を持つ、スパルタクスが言う豪傑的な存在だ。リレだけでどうにかなるとは思えないが、きっとサルファーについて有効な知識を持っているに違いない。今は我慢して、天界のために体を鍛える。

その後は。

基礎メニューが終わって、リレの所に戻ると、他の天使達が料理を用意して待ってくれていた。

栄養だけを考えたメニューだから、あまり美味しくは無い。だが、疲弊しきった体は、貪欲に食物を求めていた。

一心に食事を続けるミロリは、いつの間にか、向かいの席にリレが座っているのに気付く。

背筋を伸ばすミロリに、リレはにこりとほほえんだ。

「イヴォワールの事が心配?」

「はい。 俺を助けてくれた人が、サルファーの野郎に苦しめられていますから。 早く何とかしてあげたいです」

「サルファーねえ。 また随分と厄介な者に見込まれたわね」

やはり知っていたか。

食事の手を止めると、ミロリは頭を下げる。

「知恵を貸して欲しいです、師匠。 サルファーを何とかしなければ、いずれイヴォワールは滅びてしまうでしょう」

「天界としても、サルファーのことは問題視しているの。 ただね、少しばかり複雑な事情があるのよ。 まあ、私としても、スカウトされた以上働かなければならないし、そろそろ奴をどうにかする時期が来ているでしょうね」

食事をまず終えるように、リレは言った。

そして、食後に、自分の所に来るように、と。

「サルファーが何者か、貴方には教えておくわ」

頷くと、ミロリは誓う。

あの人を救うためにも、もっともっと、強くならなければならないと。

 

1、いたずら者

 

マローネは、げっそりした。どうしていいものか、困り果ててしまった。

仕事から帰ってきて、おばけ島について。疲れた体で、まずはタオルで顔でも拭おうと思って、家に入って。

パティがおとなしくしていることを確認して、そのまま挨拶して通り過ぎようとして。

そこで、違和感に気付いた。

パティが持っているのは、以前カスティルに貰った大事なペンダントではないか。そして、最悪の手を打ってしまった。

「返して、それは大事なものなの!」

「マローネ!」

アッシュが止めさせようとしたときには、もう遅かった。

パティは、信頼している相手の、大事なものを隠す習性がある。

ペンダントはらせん状の光に飲み込まれ、世界から消失してしまったのである。

マローネはそのばにへたり込んでしまった。

元々、マローネに取って初めて友人になってくれたカスティルは、誰よりも大事な存在である。現在生きている人間としては、だが。

その、心がこもった贈り物が、マローネのミスで紛失してしまったのだ。パティが厄介な習性を持つ事は、分かっていたのに。

「ああ。 もう……」

パティは小首をかしげている。

どうして、人間は大事なものを隠すと、怒ったり悲しんだりするのだろう。そう考えているかのようだった。

消えたと言っても、無くなったわけでは無いだろうと、気を取り直す。

しかし、パティとここしばらく接していて、はっきり分かったのは、言葉は通じないという事だ。

ある程度の意思疎通は出来るのだが、特に音声を使ったコミュニケーションは、全くというほど取れないのである。

そうだ。ヴォルガヌスは。以前、パティに指示を出していた事を、マローネは思い出す。天恵だ。

外に出たマローネは、上を旋回しているヴォルガヌスに手を振って、降りてきて貰う。だが、降りてきたヴォルガヌスは、事情を聞くと、本当に申し訳なさそうに言う。

「それは難しいのう」

「どういう、ことですか?」

「あれは竜言語魔法といってな、人間では聞き取ることも解読も難しい術式で、以前はパティ族と会話をしておったんじゃよ。 もしもそれをやるとすると、儂をコンファインしなければならなくなるが……」

そうだ。ヴォルガヌスをほんの少しだけコンファインするだけで、とんでもない消耗があるのだ。

悠長に会話などしていたら、ひからびてしまうだろう。

完全に手詰まりである。コリンも、竜言語魔法なんか再現できないと、首を横に振るのだった。

パティは何事も無かったかのように、コンファインしたパレットと遊んでいる。背格好が近いパレットにとって、パティは丁度良い遊び相手だ。子供らしい無邪気さで、とても仲良くしている。なおかつ感覚的に意思疎通もある程度出来ているらしい。

ため息をつきながら、マローネは、家を出た。パティに悪気が無い事は分かっている。何より、マローネのことを大事に思っているから、隠すという行動を取ったのだと、理解も出来る。

アッシュが、ついてくる。

「どうするんだい?」

「困ったわ。 パティに悪気が無い事は分かっているんだけれど」

マローネは、本当に心底から困り果てていた。カスティルとの友情の証であるペンダントを失ってしまったことは、非常に痛い。言い訳云々よりも、どうやってカスティルに謝るべきか、最初に考える。

空を見上げる。

嫌みなほど晴れ渡った空には、雲一つ流れていなかった。

何気なくポストを覗くと、ボトルメールが一本だけ。しかもタイミングが悪いことに、カスティルからの手紙だった。

カスティルは嘆いていた。

薬代が更に値上がりしたため、カスティルの両親が更に仕事を増やしたのだという。家でも食事をする暇も無いほど働いていて、社員達が徹夜で泊まり込んでいるほどなのだという。

二人とも、目の下に隈を作っていて、毎日以前の半分程度しか眠っていないのだとか。

自分の無力さに悲しみを覚えると、切々とカスティルはかわいらしい文字で綴っていた。手紙には、涙の跡らしいものさえ残っていた。

カナンが来たので、相談してみる。

ヒーラーである彼女には、以前から何度かカスティルの容態を見て貰っている。腕組みしたカナンは、目をつぶって考え込んだ。

「少し難しい話をしますが、良いかしら?」

「はい」

「カスティルの体に用いている薬は、この間見た限り、衰弱した体を回復させるものと、内臓を活性化させるものの二種類がおもなものなの。 このうち高価なのは、内臓を活性化させるものなのだけれど」

実はこの薬品、特殊な材料が必要なものではなく、ネフライトの術式だけで作り出している、というのだ。

そうなると、作っているネフライトの方に問題があったのかも知れない。そうカナンは言うのだった。

「以前見た薬の出所は、バンブー社だったね」

「だとすると、足下を見られている可能性が高いかも。 大手企業になると、生産量が少ない薬に関しては、値段をつり上げることがあるから」

「酷い話だな。 弱者を痛めつけることばかりしているくせに、我らを悪魔呼ばわりするとは。 どちらが悪魔だ」

ハツネが腕組みして、そう言ってくれただけで、マローネは嬉しかった。

しかし、薬を仮にマローネが買ったとしても、カスティルが喜ばないことは分かっている。八方ふさがりである。

「そうだ。 気分を紛らわせるためにも、パティをカスティルに預かって貰おう」

「アッシュ?」

「カスティルも、一人でいるから気がふさぎ込んでいる部分はあるんじゃないのかな」

確かにそう思えてくる。

それに、パティがこれ以上いたずらをすると、マローネも困る。パティがどれほどの力を持っているかはよく分からないが、家ごと消されでもしたら、生活が出来なくなってしまうのだ。

手紙をやりとりしていて知っているが、カスティルはとても賢い。

パティに対して、不自然な対応をしたりする事は無いだろう。大事なものを消されるようなミスもしないに違いなかった。

「パティを押しつける事にならない?」

「コリン」

「分かってるってば」

ガラントが言葉短くコリンに言う。それだけで減らず口が止まるのが面白い。

パティを連れてくる。意思疎通は難しいが、多分友達の所に連れて行こうとしている事は分かったのだろう。

それに、癒やしの湖島は、此処のすぐ近くだ。

ここしばらく、カスティルに会っていなかったこともある。パティをつれて、会いに行くのは。不謹慎とはいえ、少し楽しみであった。

ボトルシップを出す。海上で、マローネはずっとわびの言葉について、考え続けていた。楽しみであると同時に、会うのがとても怖い。相反する感情がマローネの中にあった。

カスティルに会うときは、いつも楽しみであり、同時にわずかな不安がある。

初めて自分を友達だと呼んでくれた彼女は、マローネに取ってのアキレス腱であった。

 

癒やしの湖島は、以前よりぐっと人が減っていた。

恐らく悪霊騒ぎの結果だろう。別荘地は閑散としていて、見れば売り家と書かれている家が散見された。

それだけではない。

以前はかなりの数の自警団員がいたのだが、それもない。何度か、ベリルらしい人ともすれ違った。おそらくは、火事場泥棒という奴だろう。

この島には、恐怖が降臨したのだ。

今では、その恐怖が、記憶として全てを締め付けている。此処に残っている人達は恐怖に怯え、後から来た人達は殆どが恐怖による隙間に潜り込み、お金を稼ごうとしている人達ばかり。

マローネの後ろから、付けている人がいた。

いかにもベリルという風情で、此方を物色しているのは明らかだ。船に関しては、コリンが隠蔽の術式を掛けてくれたのだが。こればかりはどうにもならない。

マローネの持ち物をうばうか、或いはマローネ自身をどうこうしようと思っているのか。どちらにしても、身は守らなければならなかった。

振り返る。

下卑びた笑いを浮かべた、強面の大男である。此方を見て、堂々と近づいてくる。もう、治安は崩壊しているとみて良い。

シャルトルーズを使おうとした、その時だった。

男が舌打ちして下がる。

そして、そのまま背中を見せて、小走りに走り去っていった。

振り返ると、オウル族の槍を持った男性がいた。

「貴方は、グライネさん」

「久しぶりだな」

グライネ。この島で一緒に悪霊と戦った、自警団の人である。まだこの島を守ろうと、残っている人もいたのだ。

少し前に来たときは、此処まで酷くは無かったと、マローネが言うと。グライネは、頬を掻きながら言う。

「ああ、少し前からな、この島にいたセレストが一斉に引き上げ始めてな。 それと一緒に、島を警備してたクロームや傭兵団も、護衛のためって一緒に行っちまったのさ。 それをどこで聞きつけたが、わんさかベリルが押し寄せてなあ」

「そんな。 悪霊が出るかも知れないのに、ですか」

「悪霊よりも、セレストの残したものが欲しいんだろうよ」

グライネの話によると、まだ残っている島の人達は、一区画に集まって、そこで生活しているという。

自警団も、全域の警備は諦めて、今では主要道とその区画だけを守るに止めているという。ベリルが多数集まっているという事だけあり、周囲の治安は崩壊状態。犯罪組織も、入ってきている形跡があると言う。

カスティルの家は、幸い警備区域の辺りだ。わずかばかり安心できる。

「手が空いたら、此処のベリルを掃討する作戦をやりたいんだ。 手伝ってくれないか?」

「分かりました」

今日、マローネはリュックを背負ってきている。

中にはパティが入っているのだが、少し前から居心地が悪そうにごそごそと動いていた。多分、グライネが怖いのだろう。

道なりに行くと、街路樹がかなり荒らされていた。切り倒されたり、枝をもがれたり。実がなる木などは悲惨で、丸坊主にされていた。

美しかった保養地は、既にもはや、人が住んでいる形跡さえ感じられない、廃墟になりつつあった。

「ひでえだろ」

「はい。 とても悲しいです」

「人間が手を入れないから荒れてるんじゃない。 人間が積極的に、美しかった島を廃墟にして行ってるんだ。 まるでサルファーの正体は、人間みたいだぜ」

「……」

途中、何度か倒れている街路を踏み越えた。

石畳さえ、荒らされ始めている。高価な石材は、そのまま剥がして売るつもりなのだろう。

貧しい人はたくさんいる。ベリルになるのは、一部の特殊な人を除くと、大体は生活が出来ない貧しい人達だ。

だが、彼らの行動の結果が、この荒廃だと思うと、悲しくなってくる。

「悪霊は、もう出ていませんか?」

「今のところはな。 ただ、ベリルの連中の間で、おかしな噂は流れているそうだが」

「おかしな、噂?」

「そうだ。 あの湖の城に行ったベリルが、化け物を見たとか言う噂だ。 あの城で戦った魔物の事は、俺も今でも覚えてる。 何が出ても不思議じゃ無いさ」

カスティルの家についた。

後で顔を出して欲しい。ガラントも呼んでくれると助かると言い残して、グライネは去って行った。

何人か、自警団の人達が、隊を組んで巡回しているようだ。中には、以前見かけた痩せたキバイノシシ族の男性もいる。

マローネは、彼らに頭を下げながら、カスティルの家に。

家の中には、血走った目の人達が何名かいた。魔術での通信装置を使って、激しい口調でやりとりをしている人もいる。

受付の、険しい顔立ちの人間族の女性が、いきなり叱責する口調で応じてきた。着込んでいるグレーのスーツと、黒縁の眼鏡が、非常に威圧的だ。

「どなたですか?」

「あの、カスティルに会いに来たんですが」

「……」

「マローネと言えば分かります。 確認してきて貰えますか?」

女性が二階に上がる。忙しいのに、邪魔をするなと言われているかのようだった。

誰かが叫んで、拳を机にたたきつけた。誰もそれを咎めない。本当に、会社は凄まじい回転をしているようだ。カスティルの両親は見当たらない。別の島に、商談に行っているのかも知れない。

血走った目のキバイノシシ族の男性が、足音も荒く出て行った。慌てて避けなければ、マローネを突き飛ばして行ったかも知れない。

「アッシュ、空気が悪いね」

「カスティルの手紙は本当のようだね……」

この社員達は、或いはカスティルを良く思っていないかも知れない。

事情を知っている人なら、カスティルの病気のために、社長が必死に働いている事は理解しているだろう。

だが、それが余計にまずい。

それならば、社長だけが働けばいい。

社員の人達が、それにつきあわされるのはおかしい。そんな風に思うかも知れない。

「そうそう。 他人の子供が病気だろうが苦しもうが、自分が良ければいいって、大概の人間は考えるからね」

コリンが耳元でぼそりと言う。

怒りより先に、悲しみがこみ上げてくる。どうしてコリンは、そんな悲しい事ばかり言うのだろうか。マローネが苦しむのを楽しんでいるのは知っているが、時に酷すぎると思う。

さっきの女性が戻ってきた。汚物でも見るような目でマローネを見ていたが、通してはくれた。

社長夫婦がカスティルを溺愛していることを、彼女も知っているのだろう。

部屋に入ると、カスティルはいた。ピンク色のパジャマを着てベットに寝かされているカスティルは少し熱があるようで、ぼんやりとマローネを見た。嬉しそうに笑みを浮かべるカスティル。

すぐにマローネは、カナンをコンファインして、容体を見て貰う。

カナンは少し難しい顔をしていたが、やがて術式を唱え始める。亜麻色の光がカスティルを包むと、随分楽そうになった。

後ろでは、相変わらずの険しい表情で、女性社員がマローネを見ていた。

「悪霊憑き……」

「ケイネさん、その人は私の大事な親友です。 失礼なことを言ってはいけません」

「分かりました。 失礼させていただきます」

カスティルの、あまり大きな声では無いがはっきりした叱責に、いかにも面白くないという風情で、女性社員が場を後にする。

カナンは一瞬だけ、出て行った女性社員を見た。だが、それも少しの間だった。脈を診ていたが、やがて頷く。

「カスティルさん、少し栄養状態が悪いですね。 マローネちゃん、お弁当を出してください」

「食べるんですか?」

「術式で栄養を抽出して点滴します。 道具類は、此処にあります。 専属の医師が置いていったものでしょう。 コリンさん、手伝ってください」

「ほいほい」

コリンもコンファインする。

二人で煮沸消毒やら、点滴の作成やら、色々とやっていた。やがて点滴が出来て、注射をする。注射には慣れているらしく、カスティルは顔色一つ変えなかった。

カナンが額の汗を拭いながら、何種類かの術式をカスティルに掛けていった。

しばらくは、正座して様子を見守る。

カスティルの顔色は、少し良くなったようだ。出ていた咳も止まる。しかし、カナンの表情から言って、根本的な解決になっていないことは明らかである。

わずかに落ち着いたところで、カスティルがほほえむ。上品で、優しい微笑みだ。

「マローネ、来てくれてありがとう。 嬉しいわ」

「あのね、カスティル。 今日は、謝らなければならないことがあって」

「どうしたの?」

リュックを開ける。

こわごわと出てきたパティを見て、カスティルは表情をほころばせる。

カスティルは前々から、かなり賢い子だった。家ですることが無いからか、本を読んでは知識を蓄え、しかもそれを有効に活用しようと思っているらしい。

パティについても、知っていた。

「かわいらしいパティね。 以前言っていた、サーカス団に掴まっていた子?」

「そうなの。 それでね……」

「ひょっとして、ペンダントを隠されてしまったの?」

ずばりと言い当てる。マローネの表情を見て、カスティルは苦しそうにしながらも、笑ってみせる。

「貴方のせいじゃないわ。 それに、きっと飽きたら返してくれるわよ」

「本当にごめん!」

「大丈夫よ。 それよりも、近くで顔を見せて、マローネ。 お外の話を、色々と聞かせて?」

カナンが、コリンの耳を引っ張って、外に出た。

アッシュもコンファインして、しばらく三人で静かに話をする。カスティルの腕につながっている管の中を、点滴が通り過ぎていくのが見えた。

パティはしばらくカスティルを警戒していたが、やがて危険は無いと察知したのだろう。カナンが戻ってきて、点滴を抜いてくれる。処置を終えると、カスティルはかなり元気になったようだった。

視線を向けられる。後で話があると言うことだ。

カスティルに、パティを抱かせてあげる。大きさ的には丁度良い。

「まあ、このパティを私に?」

「カナンさんが、変な病気とかは持っていないって太鼓判を押してくれたよ」

「そう。 私も話し相手が欲しいと思っていた所なの。 喜んで預からせて貰うわ」

「本当? ありがとう」

一番重要な話は終わった。カスティルも相当へこんでいたようだったが、少しは気晴らしになるだろう。

パティを撫でながら、カスティルは言う。

「私ね、兄さんがいたの」

「お兄さん?」

「そうよ。 フェイディットって名前で、背が凄く高いの。 でも、私が小さいときに、家を出て行ってしまったわ」

あの表札。

名前が一つ消されていた。其処には、かってフェイディットという名前があったのか。

しかし、出て行ったというのは、どういうことなのだろう。

カスティルは確か孤児だと、以前カスティルの父であるサフランに聞いた。そうなると、フェイディットという人も、そうだったのだろうか。

「会いたいな……」

カスティルが、心なしかパティを強く抱きしめたようだった。

 

パティは恐らく、マローネの意思を察してくれたのだろう。カスティルの所に残る事を、承知してくれたようだった。

オフィスの中では、相変わらず殺気だったやりとりが続いている。マローネが出て行くと、さながら害虫が出て行ったかのような視線を向けていた社員達も、せいせいしたと表情で言っていた。

カナンが彼らを一瞥した後、言う。

「カスティルさんを、出来るだけ早めに此処から移した方が良いでしょうね」

「え?」

「分からなかった? 薬とか、減らされてるよ、あれ」

当たり前のように言うコリン。流石に絶句する。

そういえば、社員の人達の様子が相当におかしかった。社長を恨んでいるとすれば、直接的な憎悪が向くのは、カスティルに対してだ。

「大丈夫、それについては対処します」

不意に第三者の声。

振り返ると、パティの父、サフランだった。ただし、以前と違ってげっそりと痩せており、眼球が血走っている。

鬼気迫る異相。そう呼ぶのに相応しい姿だった。

「此処の社員達はよそに移して、カスティルの世話をするために新しくメイドを雇うつもりです」

「しかし、お薬代は……」

「私がそれだけ働けば済むことです。 思えば最初からそうするべきだった。 貴方がカスティルの友達を続けてくれていること、それに今日見舞いに来てくれたこと、どちらにも感謝しています」

一礼すると、サフランは家に入っていった。

きっとこれは、良くない事が起こる。カスティルが心を痛めている訳が、マローネには何となく分かった。

きっと自分の病気のせいで、周囲が全ておかしくなっていることに、カスティルは絶望しているのだ。

マローネは、サフランを止めようとして、しかしどう言って良いのか分からなかった。会社の経営に口を出すわけには行かない。そもそも、そんなことはマローネの知識の範囲外だ。

そもそも、親友と言っても、よその家庭の話なのである。マローネが首を突っ込みすぎるのは、問題になってしまう。カスティルも、そんな話をしても、きっと喜ぶことは無いだろう。

どうしたらいい。

結局、今日マローネは、カスティルのことを考えていたのだろうか。自分の事ばかり考えていたのでは無いのか。

自己嫌悪に陥りそうになったマローネは、首を横に振る。

カスティルは喜んでくれていた。今後も喜んでいて欲しい。マローネにとって、今やカスティルは、生きている人間としては一番大事な存在だ。カスティルがいなくなることは、耐えられない。

手を引かれる。

パレットだった。

「マローネおねいちゃん、カスティルっておねいちゃんがしんぱいなの?」

「そうよ。 でも、どうにもできなくて」

「とおくでおはなしをするだけなら、どうにかできるよ」

パレットが言うには、さっき通ったゴミ捨て場に、古い通信装置があったという。壊れてしまっていたが、魔導合成の技術を用いれば、使えるように出来るのだとか。

ただし、「直る」という簡単な話ではないという事らしいが。

「パレット?」

「あたい、おねいちゃんのためになりたい。 てつだわせて?」

不安げに、パレットがマローネを見上げる。

こんな小さな子まで不安にして、情けない。マローネは、パレットに、何度も頷いた。

 

魔術による通信装置には、幾つかの種類がある。

言葉を交わすだけのもの。これはクロームでも、お金持ちなら持っている事がある。ただし相手も同じものをもっていなければならない上に、使うのには条件が幾つか必要になってくる。

映像を伴うもの。これはセレストが希に持っているくらいの貴重品だ。鏡のような機械とセットになっていて、マローネも一度しか見たことが無い。

コンファインしたパレットが漁っているのは、うち捨てられていた前者のタイプ。流石にお金持ちの保養地だけはあるが。しかし、素人目から見ても、とても使えるようには見えなかった。

通信装置は箱状をしていて、中心に声を拾うための機構が付いている。コリンが中膝で、パレットと話をしながら、作業をしていた。

「この機構の魔術は生きてるね。 後は動力か」

「マナを収拾できるように、機能をついかするの」

「はー、噂には聞いていたけど、便利だねえ」

パレットが、次々にゴミを集めてくる。どう見ても、使い物になりそうにないものも、たくさん混じっていた。

マローネは言われるままに、それらを洗ったり磨いたりした。アッシュにも手伝って貰う。

途中で、グライネが見に来る。

自警団員も、興味を持った者がいるようだった。

「どうした、何をしてるんだ」

「通信装置を作っています。 私には難しくて、よく分からないですけど」

「マローネおねいちゃん、はじめるよー!」

「はーいー。 今行くわ」

山と積み上げられたゴミ。いずれもが、マローネには分からないものばかりだった。

コリンが魔法陣を書き始める。非常に複雑で、マローネにはみても何がなにやらさっぱり分からなかった。

ただ、分かっているのは。

マローネの魔力が、パレットにさっきから凄い勢いで吸い上げられている、という事だ。

パレットが詠唱を開始する。

印を組んでいる様子は、幼くてもいっぱしだ。この子は非常に不幸な生い立ちで、可哀想な死に方をした。だがきっと、ご両親はこの子を愛していたのだろう。血涙を流しながら、生け贄にしたのだろう。

難しくて、長い長い詠唱が終わると、手をパレットが打ち合わせる。

小さな手が広げられると、左右の手のひらの間には、淡い緑光の塊が出現していた。

「合!」

魔法陣が輝きを増す。

壊れてしまった通信装置が、光り始めた。融合させる順番があるらしく、パレットが複雑に印を組む度に、ゴミが舞い上がり、光の粒子になって、通信装置に吸収されていった。マローネの意識が持って行かれそうになる。これは、ひょっとすると、ヴォルガヌスをコンファインするとき並かも知れない。

パレット自身も、輪郭が薄れている。これは相当な大魔術なのでは無いのか。

魔法陣が放つ光は凄まじく、恐らくカスティルの家からも見える。膝を突きそうになったマローネは、アッシュの存在を感じて、踏みとどまった。

滝のように流れてくる汗。数滴が、地面に落ちた。

いつの間にか、山と積まれていたゴミが、殆ど無くなっている。通信装置に、飲み込まれるようにして消えていったのだ。

やがて、完成した。

それは、原形をとどめていなかった。一つは小さな箱。木製に見える、何の変哲も無さそうな箱だ。ただ、マローネには、それにとても強い魔術が籠もっているのが見えた。もう一つは、同じように小さな棒。マローネの人差し指くらいの長さである。

「おお−。 すげえ術だなー」

グライネが拍手すると、照れてパレットがはにかむ。

そして、説明を受けた。

「このボタンをおすと、つうしんできるの。 ただし、しゃべるとどんどんマナを使うから、一日に一回、ちょっとしゃべることしかできないよ」

「ううん、ありがとう。 すごいわ」

パレットを抱きしめて、心底からマローネは礼を言う。

これで、もっとカスティルは、心が楽になるだろう。

カスティルは、きっとこれからつらい思いをいっぱいするはずだ。出来るだけ、マローネは、親友を支えてあげたかった。

 

2、守りの剣

 

ヴァーミリオン地方。

イヴォワール北部の火山列島である。年中非常に激しい火山活動が行われ、この地域から降り注ぐ灰は周囲の海を濁らせ続けている。造山活動ならぬ造島活動が活発であり、島と呼べないような小さな岩礁が無数にある地域でもある。危険な有毒ガスが蔓延する海域もあり、難所と呼ばれている。

その難所の一つ、火猛島を、マローネは訪れていた。

火山島としては比較的安定している場所だが、それでも海上からは、山頂の当たりが真っ赤に染まっていることを確認できる。火山が活発に活動し、もうもうたる黒煙が吹き出しているのも、だ。

島の麓には、集落が散見できる。

ただし、島の縁には、多くのボトルシップもある。噴火がいつ起きても大丈夫なように、島民が備えているのは間違いなかった。

島の周囲を回って、危険が無いか確認。

他の火山島に比べれば、まだ安全という感触だ。周囲には暗礁も多く、乗り上げれば非常に危険である。ただ、海には大形の生物はほとんど見受けられない。そういった生物は、島の方にいるはずだ。

確認を終え、海図をもう一度見てから、上陸。

今回の仕事は、最初からかなり危険が見込まれる。何しろ、依頼人が依頼人である。

コールドロン。

マーマン族の男性であり、サメが直立したような姿をしている。通称島喰らいと呼ばれる、不動産業界の大物だ。以前おばけ島の領有を巡り、マローネも争ったことがある。その時は、一流どころの傭兵団を、根こそぎけしかけてくると言う暴挙に出た。

今回は、恨みがあるマローネを、どうして指名して仕事を任せてきたのかがよく分からない。

何かの罠では無いかと警戒したが、調べてみたところ、コールドロンは今のところ、クロームギルドからは評判が悪くない。クロームを使い捨てにするようなことはないし、金払いも悪くは無いそうだ。

桟橋から上陸する。比較的人は多いが、見張りをしてくれそうな人はいないので、コリンにいつものように隠蔽の術式を掛けて貰った。

暑いサンド地方と、比較的雰囲気は似ている。ただし、薄着の人はあまりいない。また、帽子を被っている人の姿が目だった。これは、種族関係なしに、である。

何となく理由は想像が付く。火山岩がいつ降ってくるか分からないから、それに対するものだろう。

流石に火山島だけあって、地面はそのまんま火山岩である。履き物が無いととても歩いてはいられない。

ガラントに言われて、頑丈な履き物をもってきた。最近は稼ぎが安定してきたので、履き物を複数用意することが出来るようになっている。それが故に、今回の仕事も受けることが出来たのだと言えた。

見ると、家はどれも石造りだ。

木造では、火山岩が降ってきたとき、燃えてしまうのだろう。

「暑いね、アッシュ」

「島の中心部はもっと暑いよ」

「来たことがあるの?」

「ああ。 此処は怪物が多く生息している事で有名なんだ。 むき出しになった鉱山も同然だから、採掘も活発に行われているけれど、怪物の襲撃も多くてね」

だから、適当なタイミングで、クロームや傭兵団が討伐隊を組織して、怪物狩りをしていたのだそうだ。

以前少しだけ話にも上がったギガビーストも、此処にはかなりの数が住んでいるという。

「そんなに大きな島じゃないのにね」

「島自体が若いから、活力があるんだろう。 ドラゴンが出たって言う噂も聞いたことがあるよ。 ヴォルガヌスさん、此処に同胞はいそう?」

「ここにはおらんのう。 昔はいたかも知れんが」

即答である。舞い降りてきたヴォルガヌスは、長い首を伸ばして、火山の方を見つめている。

「火山の方も落ち着いておるし、これでは若いドラゴンでも住みにくかろう。 もう少し北の方、火山がどんどん噴火しているような場所であれば、若いドラゴンも住んでいるかも知れぬ」

「会ってみたいですか?」

「すでに身を持たぬ儂じゃて」

ヴォルガヌスは、再び空に舞い上がっていった。

ファントムだから、周囲の人達は誰も気付いていない。それが、一種滑稽な光景を作り出しているのだった。

歩いて行くと、集落はすぐに途切れてしまう。

代わりに、鍛冶場が多数並んでいる場所に出た。多くの職人達が、上半身をむき出しにして、鉄を打っている。

鋭いハンマーの音が響き渡る、雄々しい職場だ。

マローネは邪魔にならないように、隅っこを通る。水を運んでいる、まだ若い女性とすれ違う。水をどうするのかと思ったら、真っ赤になっている鉄を付けているのだった。もの凄い水蒸気が上がる。

「もう少し温度を下げろ!」

「すみません!」

怒号が轟いたので、マローネは思わず首をすくめた。

職場の真ん中当たりに、取り巻きを連れて見回りをしている、大柄なマーマン族の男性。相変わらず悪趣味なアロハシャツを着込んだ、大柄で筋肉質な彼こそが、コールドロンである。サメが直立したような姿をした、凶暴な不動産関係のドンだ。

相手はマローネに気付くと、異常になれなれしく話しかけてきた。

「おお、マローネちゃん。 良く来てくれたなあ」

「えっ!? は、はい!」

以前はチビジャリとか言われたのだが。いきなりマローネちゃんとは。

困り果てているマローネを、近くの小屋の中に案内するコールドロン。そそくさと茶を出す取り巻き。

石造りの小屋だからか、防音の性能がそれなりにあり、外の喧噪が嘘のようだった。比較的静かでもある。

「さっそく仕事の話をしたいんだが、ええか?」

「はい」

手紙には、仕事の内容が一切書かれていなかった。

ただ、火猛島で待つとのみ。マローネでなくても、警戒はしただろう。

「この島は、ワシのコレクションの一つでな、見ての通り鉱物資源が豊富で、多くの利潤が上がるええ島や。 だがな、最近妙な奴が住み着いてなあ」

「怪物ですか?」

「いや、怪物よりも、ある意味タチが悪い」

その男は、腕利きのクロームなのだという。クロームの間では、かなり知られている存在で、武闘派としては上位に入る存在なのだと、コールドロンは吐き捨てた。勿論、今回はそれが悪い方向に働いているから、だろう。

この男が、島の一角に住み着いて、近づく人間を追い払っているのだそうである。

武闘派のクロームの中には、相当な強者もいる。九つ剣の中にも、確か傭兵団に属さず、単独で活動している人がいるはずだ。気が向いたらクローム業も引き受けていると、聞いたことがある。

「どうして、そんなことを?」

「わからんが、この島には稀少な怪物がいるとかぬかしてなあ。 クロームを何度か雇ってみたが、ことごとく返り討ちや。 殺されはせんかったが、みんな這々の体で逃げよった。 役にたたんやっちゃな。 それで、腕利きとして最近名前がしられてるマローネちゃんを、呼んだってわけなんや」

「なるほど、それで」

何だか、何処かで聞いたような話である。

もしも、マローネの思い当たる人だとすれば、出来るだけ戦いたくは無い。あの太刀筋、マローネではどうにも出来ない可能性が高い。

ガラントでも、互角に戦えるかどうか。

それに、あの人は、とても悲しい人だった。出来れば、話し合いで解決したいところだ。分かってくれるだろうか。不安は、大きい。

「傭兵団を雇わなかったんですか? どれだけの腕利きでも、一人だったら傭兵団を雇えば、どうにかなるとおもうのですが」

「ワシの金だって、無限にある訳じゃ無いんや」

「……」

一度小屋から出て、皆の意見を聞く。

アッシュもガラントも、反対の様子だった。アッシュに至っては、既に相手の正体を特定していた。

「恐らく、相手はあのキャナリーさんだろうね」

「もしそうなると、今の俺でも勝てるかどうか分からないぞ。 総力で戦闘を挑まないと危ないだろうな」

「やっぱり、そうですよね。 キャナリーさん、まだ剣の振るうべき理由を見つけられないのかな……」

とても強いが、その力をどう振るっていいか、分からないと嘆いていた人。

戦場しか知らず、その外でどう生きていいか分からない人。

それが、以前関わったクローム、キャナリーだった。今回も、コールドロンは自分の支配地の確実な確保のために、マローネを雇っているに過ぎない。それくらいは、マローネにも分かる。

信用する信用しないの問題では無い。

だってコールドロンは、はっきり言ったのだから。利潤のためと。

「別にいいけどさ、今後こういう仕事増えるよ? マローネちゃん、名前知られてきてるもん」

コリンがずばりと指摘してくる。

それは、マローネだって分かっている。実際、俗物の極みであるコールドロンから仕事が来たくらいなのだから。

マローネは、みんなに好きになって欲しいと思っている。

だが、一生懸命仕事をして、信頼を得てくると、やはりこういう事態は来る。今後は下手をすると、もっとダーティな仕事が舞い込んでくるかも知れない。

にこにこと、とても幸せそうな笑みをコリンが浮かべていた。

咳払いをするガラント。

「問題はその先だ。 コールドロンは顔役で、今回は指名の仕事だと言うことだ。 もしも断ると、大口からの仕事がシャットアウトされる可能性がある」

「それは僕も懸念しています。 あの人、裏世界に相当な顔が利くようですから」

裏世界に顔が利くと言うことは、表への影響力も強いという事である。

ハツネが挙手する。

「今の我々なら、中規模の傭兵団くらいなら、どうにでも出来るのでは無いのか? いざとなったら、多少の強硬な手も取った方がいいように思えるぞ」

「ハツネさん?」

「今まで、マローネは強者の横暴に泣かされてきた。 多少わがままになっても良い頃では無いのかと、私は思うのだが」

ハツネの意見は、マローネを思ってのことだと分かる。だから、とても嬉しい。

だが、マローネは、やはり思うのだ。まずは、人を信じてみようと。

「コールドロンさんに、お話を聞いてみましょう。 それに、多分だけれど、立てこもっているキャナリーさんにも」

「マローネ、その必要は無いと思うけど」

「相変わらずお人好しじゃのう」

話を聞いていたヴォルガヌスが、上空で朗々と言った。

小屋に戻ると、コールドロンも取り巻きと何か話をしていたようだった。マローネが戻ってくると、咳払いをして、強面の部下達を下げる。

コールドロンを怖いとは、マローネは思わない。

だが、考えている事を、全て打ち明けようとも、今は思えなかった。

「すみません、お待たせしました」

「ええんや。 傭兵団から聞いたんやが、マローネちゃん、悪霊を使うんやろ?」

「悪霊じゃありません。 ファントムです」

「まあ、何でもええ。 ファントム達と相談しとったんなら、仕方が無い」

見透かされている。だが、マローネは不快には思わなかった。

少し考えるが、だが此処で話を聞いておかないメリットは無い。これから契約についても話さなければならないのだから。

「コールドロンさんは、ええと、立てこもっている人を追い出したら、どうしたいんですか?」

「資源を確保できるようになったら、それで大もうけ出来るさかいな。 それだけやない」

こういった火山地帯では、温泉の産出が期待出来るという。

火猛りの島という荒々しい名前と裏腹に、この島での火山活動は現在とても安定していて、不安の噴火も小さい。そうなれば、温泉を利用した保養地としての価値が出てくるのだそうだ。

「癒やしの湖島から、悪霊騒ぎで金持ちが大勢逃げ出したのは、マローネちゃんも知っとるやろ?」

「はい。 悪霊達と戦いましたから」

「おお、流石や。 それで、その金持ち達は、どうしたと思う? 別の保養地を探して、今は宙ぶらりんや。 此奴らを確保できたら、ワシは更に大もうけ出来るという寸法や」

既に、火猛りの島の一角には、温泉を見込んだレジャー施設の建設の予定があるという。お金持ち達の別荘についても、比較的環境が良い場所に、作る予定ができはじめているそうだ。

やはり、純粋な利潤、お金の問題か。

だが、コールドロンは、本当のことを言っているとは思えない。

マローネを子供だと思って、侮っているのか。否。信頼してくれたのだと、前向きに考える事とする。嘘だとしても、理由があるのだと。多分、利潤に関する事は、本当なのだろう。

「分かりました。 仕事をお引き受けいたします」

「おお、そうかそうか。 嬉しいのう。 ファンになりそうや」

思い切り下品で恐ろしい笑いが、サメの顔に浮かぶ。

マローネは、苦笑いするしか無かった。

 

火猛りの島の北部は、溶岩が流れる灼熱地獄である。

噴火が起こらないとはいえ、火口から流れ出ている溶岩という事実に変わりは無い。この溶岩を目当てに、怪物達もどこからともなく集まってきている、のだろうか。

灼熱が、辺りを覆っている。

赤熱した溶岩が、彼方此方で川になっていた。勿論落ちれば即死だ。だがその一方で、冷えて固まった火山岩は整備されていて、島の人間が整備した苦労が忍ばれた。

島の南の方は、比較的気候が穏やかだという。確かにこれに温泉が加われば、保養地としては悪くは無さそうだ。怪物さえ出なければ、溶岩の川の周囲を柵でしっかり囲みさえすれば、観光資源にも出来るかも知れない。

だが、それはお金持ちの都合である。

貧乏な人達にとって、そんなものを楽しんでいる余裕は無いだろう。マローネだって、仕事以外で来る機会は無い。

カスティルのことが、脳裏に浮かんでしまう。カスティルの両親の会社が、しっちゃかめっちゃかなのは、容易に想像できる。昨日来たボトルメールでは、酷い有様であることが書かれていて、カスティルはまた嘆いていた。

「足場はしっかりしているな」

先を歩いているハツネが、満足そうに言う。火山岩は元々軽石ばかりだが、此処では崩れやすい場所とそうで無い所がはっきり別れているので、足場としては充分なのだという。

ある意味ハツネが羨ましい。

彼女は基本的に、戦闘で頭の全てが構成されている節がある。まず新しい場所に行くと、どう戦略的に利用し、どう戦術を組み立てるか、考えているらしいのだ。それでガラントと難しい話をしてもいる。

悪い意味では無い。

マローネも、それくらい頭を切り換えて、一つのことに集中したいのだ。どうしても雑念が、思考を妨げてしまう。

ハツネが振り返る。

「どうかしたか?」

「ハツネさんは、どうして其処まで集中できるんですか?」

「訓練の成果だ」

そう言われてしまうと、元も子もない。

マローネが眉根を下げているのに気付いたか、後方を警戒しつつも、ハツネは言う。

「私が生まれ育った魔界は環境が厳しかった。 獣でも、確実に仕留めておかないと、いつ食事にありつけるか分からなかった。 だから、戦士は若いうちから徹底的に鍛えられて、戦闘中心の思考をするように本能から仕込まれていた」

「大変そうなんですね」

「そうでもない。 一旦頭の切り替えさえすれば、誰にでも出来る。 マローネも有望な戦士になれたと思う」

褒められるのに、マローネはよわい。照れてしまう。

周囲に褒めてくれる人がアッシュしかいなかったからだろう。

急に、辺りが荒々しい光景に変わった。多分、島の人達の手が入っていないからだろう。火口に近いのかも知れない。

まず、コリンに教わった、空気を浄化する術式を展開。

マローネの技量では、使うと魔力をかなり消耗するが、仕方が無い。命には代えられない。

島の危険地帯に入る前に、ヴォルガヌスに言われた。いざというときはコンファインしろと。

こういった場所で危険なのは、溶岩よりも火口から流れてくる有毒ガスなのだという。もしも噴火があった場合、溶岩に直撃されれば勿論アウトだが。それ以上に、流れてくる有毒ガスが、更に凄い早さで迫ってくるのだとか。

それだけではない。

有毒ガスがどこに溜まっているかわからないとも、ガラントは言った。タチの悪いガスの溜まっている場所に踏み込むと、その場で意識を失って、後は死ぬだけだとも。

そうなるまえに、対策を立てておく必要がある。

ハツネが足を止めた。

「ガラントをコンファインした方がいい」

「分かりました」

すぐにコンファインの準備に掛かる。シャルトルーズの詠唱をしていると、ハツネが何度か額の汗を拭っているのに気付いた。

如何に鍛えていると言っても、この人も戦闘面でさえも完璧ではないという事だ。少し安心した。

肉体を得たガラントは、最初から厳しい表情だった。ハツネと同じ方を見つめている。

「どうやら、向こうはもう気付いているようだな」

「相当な手練れだが、以前もこれほどの腕前だったのか?」

「ああ。 全盛期の俺でも、勝てるかはわからんな。 バッカスもコンファインしてくれ、マローネ嬢。 いざというときの保険だ」

「はい!」

ガラントがここまで言うと言うことは、やはりキャナリーなのだろう。

飛んでくる矢を切り落としたり、非常識な剣の腕前だった。それに、悪い人では無くて、どう力を振るっていいか分からないという風情の人だった。いちど、しっかり話しておきたいとも、マローネは思っていた。

しかし、相手が話を聞かない場合も想定しなければならないのが、この仕事の悲しいところなのだ。事実、問答無用で戦闘になだれ込んだことは、今までに何度となくあったのだから。

バッカスが具現化すると、やはり彼もガラントと同じ方を見ていた。

かなり厳しい戦いになるかも知れない。

「アッシュも呼び出しますか?」

「いや、これくらいで良いだろう。 いきなり大戦力を揃えていくと、相手と会話する前に威圧になる。 マローネ嬢は、それを望むまい」

「はい。 もしもキャナリーさんなら、お話をしたいです」

「此方だ」

言われるままに、歩き出す。

火山岩が、非常に大きくなっていた。大きさも不揃いで、中にはまだ熱いものもある。この間歩いた砂谷島ほどではないが、周囲の気候は過酷で、とても何かが住めるようには思えなかった。

マローネにも見えた。

大きな火山岩の上に座り込んだ、人影が一つ。正座をしているその人は、隣に剣を置き、いつでも有事に備えられるようにしていた。

周囲に転々としているのは、剣や槍の残骸だ。

先にコールドロンが雇った人達が、苦も無く捻られた結果だろう。殺すまでも無い相手だったという事だ。

「マローネどのか」

「お久しぶりです、キャナリーさん」

やはり相手は、マローネが思った通りの人だった。丁寧に礼をしたマローネを、キャナリーは無言で見つめていた。

キャナリー。

サムライと呼ばれる一族の出身者。剣術の達人で、熟練のクローム。戦場以外を何も知らなくて、己の剣術をどう使えばいいのか、苦悩を重ねていた人だ。

相変わらず落ち着いた佇まいで、剣の腕は以前よりも更に磨かれているようだ。コールドロンが雇ったのだから、彼を排除しようとしたクロームは、誰も彼もが相当な腕利きばかりだったろうに。

キャナリーは言う。言葉には、軽い失望が籠もっていた。

「此処に温泉地を作るために、住んでいる怪物を追い払うなどと言う計画に、荷担するつもりか?」

「まず、それも含めて、話をさせて貰えませんか?」

「拙者は譲る気を持たぬが」

いざという場合は、マローネでも斬る。

そう、キャナリーの全身は、磨き抜かれた刃のような殺気を放っていた。

以前、この殺気が自分に向くことは無かった。だが、いざ向けられてみると、全身が総毛立つことがよく分かる。

「わ、私、丸腰です! まず話をさせてください!」

「……」

既にガラントもバッカスもハツネも、臨戦態勢に入っている。

アッシュもいつコンファインされても対応できるように、備えてくれていた。

冷や汗が流れる中、キャナリーが岩から降りる。マローネの側に立つと、山が側にあるような、大きな存在感を感じた。

「此方だ。 来られよ」

キャナリーが言うままに、奥へ行く。

元々キャナリーが座っていたのは、この島の住人でも立ち入らないような、超危険地帯の入り口であったらしい。もの凄い大形の怪物が、吠え合ったり組み合ったりして、迫力が凄い。

中でも、特に大きいのが、岩に四つ足が生えたような怪物だ。

アッシュが教えてくれる。あれが、ギガビーストであるらしい。非常に凶暴な怪物という話だが、キャナリーが側にいるからか、威嚇さえしてこなかった。むしろ蹲っていて、おとなしい存在にさえみえた。

他にも、変わった姿の怪物が見受けられる。

骨だけの大型犬のような姿をした怪物もいた。コリンがケルベロスだと教えてくれる。魔法生物に近い存在らしく、成長すると高位の攻撃術を使いこなすのだとか。大きく膨らんだ体のイヌのような怪物もいる。デスコーギーと言うらしい。まるまるとした体だが、内部にガスをため込んでいて、最後にはそれを使って敵を巻き添えに自爆することもあるらしい。

怪物達は、溶岩が流れている恐ろしい場所でも、平然と過ごしている。否、これくらいの環境が、彼らには丁度良いのだろう。

奥に、小屋があった。どうやらキャナリーが作ったらしい。溶岩を組み合わせて、ねどころを確保した様子である。

元々キャナリーはクロームだ。平常の生活の中では生きにくくても、こういった意味での生存能力は高くて当然である。中に入れて貰うと、意外に広くて、しかも涼しかった。窓があり、そこからはさっきキャナリーが座っていた辺りを見回すことが出来るのだった。

中で、向かい合って座る。

魔力を高めるために座禅をしているからか、正座することには慣れてきている。キャナリーは大変に見事な正座で、一分の隙も無かった。面白いことに、座っているのにもかかわらず、キャナリーの身には隙が無いのである。

ガラントは外で見張りをしてくれると言って、バッカスと出て行った。ハツネが側に立って、キャナリーの行動に目を光らせている。

「身一つで拙者は来ている。 何も出ぬが、良いか」

「はい、おかまいなく」

「ここにいる怪物達は、基本的に弱肉強食の中にいる。 それ自体が修羅そのものの生き方だが、しかし一定の秩序はある」

だが、人間がその秩序を壊そうとしていると、キャナリーは言う。

「サルファーやその僕ならともかく、結局の所この世界を好きにしているのは、人間なのだ。 魔物と呼ばれる強力な怪物達でさえ、人間の数の暴力の前には屈するしか無い」

「キャナリーさんは、どうしたいんですか?」

「此処の怪物達をどうにかして守りたい。 拙者は剣を振るうことしか出来ぬから、そうして守ってきた」

「それは却って、怪物達に迷惑を掛けているかも知れないです」

キャナリーが、眉をひそめた。

実際問題、キャナリーのやり方では、更に強力な相手を呼び込むだけだ。マローネを撃退したとしたら、今度は傭兵団が出てくる可能性も高い。

そしてキャナリーがいくら凄腕でも、彼が言ったように、数の暴力には勝てない。

更に言えば。キャナリーが排除されれば、きっとそのまま、ここにいる怪物達も、まとめて殺されてしまうだろう。

「此処の怪物達は、元々島の人達とは、どうだったのですか?」

「どう、とは?」

「その、襲ったり、襲われたり、とか」

「鉱山の方にいる怪物はともかく、この辺りの者達は島の元からの住民とは、距離を置いたつきあいであったようだな。 怪物が多い此処に島の民は近寄らないし、怪物は溶岩の熱が生み出す活力で充分だから、島の住民に手出しもしてこなかったようだ」

実際、怪物は、人間に敵意を見せなかった。先ほどキャナリーを襲わなかったのも、慣れているという以上に、戦う必要性がないから、なのだろう。

少しマローネは考え込む。

「ええと、ひょっとしたら、どうにかなるかも知れません」

「どうするつもりだ」

「コールドロンさんを説得してみます」

側にいるアッシュまで、その言葉には驚いていた。だが、マローネには、何とかなるかも知れないという、計算があった。

キャナリーは何も言わない。

元からこの人は、戦う事しか知らないのだ。それを、マローネは軽蔑しない。世の中には、一つのことしか出来ない人は、確かにいる。その一つを極めているのだから、決して卑小とはいえない。

外に出る。

溶岩の熱気が、辺りには充満している。

遠くで怪物の雄叫びが聞こえた。彼らにとって、此処は楽園。壊してはいけないという意見では、マローネもキャナリーとは一致していた。

 

3、火山の裏で

 

危険地帯を抜けた。ようやく一息付ける所だ。

今回は、今の時点では戦闘もない。このまま戦わずに済ませたい。キャナリーとは、マローネも戦いたくないのだ。

「で、マローネちゃん」

歩いていると、ファントムのままコリンが話しかけてくる。彼女はにこにこと、機嫌がよさそうに笑っていた。

だいたい、良くない事を考えているのだと、一目で分かる笑みである。

「コリンさん? どうしたんですか?」

「あの強欲サメを、どう説得するのか、知りたいと思ってね」

「それは僕も気になる」

アッシュも言う。コリンとアッシュの意見が一致するのは珍しい。

ハツネが大きく嘆息した。

「私はどちらかといえばキャナリーと同じ人種だ。 戦い以外のことは分からないから、意見を出しようが無い。 ただ、困難には思えるが」

話をしている内に、無人地帯を抜けて、村に到着。

この島は、いつ噴火が起こるか分からないから、だろうか。村の構造は簡素で、人も身軽に思える。貧乏かというとそうでも無く、資源がたくさんあるからか、村の人達はそこそこ裕福な様子であった。

念のため、手分けして聞いて廻る。ガラントとアッシュをコンファインしたのは、恐らく人と一番接し慣れているからだ。戦闘ではないとは言え、今日はずっとコンファインを続けていることもあって、疲労が大きい。何度かマローネは、額の汗を拭った。

「それでは、元々怪物達とは、共存が出来ていたんですね」

「というか、あいつらが住んでる場所には、入れないからな。 あんな溶岩が流れているような所、おっかなくて近づけねえよ。 鉱山の方の怪物共はたまにクローム雇って駆除しなきゃなんねえが、あっちのは別だよ。 コールドロンの旦那は温泉がどうのって言っているが、はっきりいって命がいくつあっても足りねえぜ。 怪物が全部いなくなっても、整備するまで大勢死ぬだろうし、一回噴火が起こったら全部おじゃんだろうな」

中年の人間族の男性が、肩をすくめてみせる。

そもそもキャナリーがいた辺りは、噴火が起こると火山ガスと溶岩が、まともに流れ込む場所なのだという。

キャナリーのような特例を除くと、やはり彼処に人間が住むことは無理だ。手分けして三十人ほどに聞いて廻ったが、大体結果は同じだった。

これで、とりあえずカードは揃った。

後は、どうコールドロンを説得するか、だ。

少し木陰に入って休む。こんな火山の島でも、木は一応生えていて、影に入るとそれなりに涼しい。

「マローネ、勝算はあるのかい?」

「正直、しんどいわ」

アッシュの言葉に、マローネは目をつぶったまま応える。

元々、マローネは依頼主との交渉が得意では無い。今までも散々それで酷い目にもあってきた。

だが、誰かに代わって貰っては、意味が無いとも思うのだ。

キャナリーが言うことはただしい。しかし、彼のやり方では、絶対にいずれ失敗してしまう。

お金儲けという観点から言えば、コールドロンだって間違ってはいないはずだ。

確かに今は棲み分けが出来ているかも知れないが、怪物がいる以上、いつ事故が起きてもおかしくは無い。

人が怪物がいる場所に出向かないようにすることが、現時点では一番現実的な方法だ。

そもそも、コールドロンとキャナリーは、もっと話し合うことは出来ないのだろうか。

「解らない事がある」

ハツネの声に、顔を上げる。

彼女はガラントに付いていって、話を聞いていた様子だ。

「キャナリーに対する不満や悪い噂が聞こえない。 コールドロンだけが、キャナリーを排除したがっているように私には思えた」

「どういう、事でしょうか」

「誰もそもそもキャナリーの存在に対して困ってもいなければ、意にも介していないという事だ。 勿論、キャナリーのやり方がさらなる強者を呼び寄せるだけだというマローネの意見には、私も賛同は出来る。 だがこの件に関しては、何かもっと面倒な裏があるのでは無いのか」

言われて、気付く。

そもそもコールドロンは、土地関係の顔役だ。土地をお金に換える手段に関しては、知り尽くしているはずである。

今回は沽券が掛かっているわけでもないし、そもそもこのような土地に、それだけの投資をする意味が無い。確かに保養地としての候補ではあるが、温泉だけでお金持ちをそんなに呼び込めるのだろうか。

火山島なのである。事故が起きた場合の惨禍は、尋常では無い。

あまりにもリスクが高すぎるように、マローネには思えてきた。

ガラントが戻ってくる。険しい顔をしていたので、マローネは思わず背筋を伸ばした。アッシュが先に聞いてくれる。

「何か分かりましたか?」

「どうやら、よそ者が来ているらしい。 我々が来るかなり前から、だ。 コールドロンと接触しているようだが、何者かは誰も知らないそうだ」

「どんな人達ですか?」

「この暑いのに、ローブとフードで人相を隠しているとか。 それだけでも怪しいが、明らかにカタギでは無い護衛を伴っているらしい」

確かに怪しい。

クロームのギルドで聞いたことがあるのだが、本職の裏業界の人間は、むしろフードとかローブとかは使わないそうである。目立つからだ。

普通の人のような姿で人々の中に溶け込み、いつの間にかすぐ後ろに立たれている。そんな恐ろしさが、プロにはあるのだとか。影に潜むとか、闇に溶け込むとか、そういう事はない。

その場にいるのに、認識できない。そう言う人達なのだそうである。

これは、一気に話がきな臭くなってきた。

マローネも、本職の暗殺者と戦ったことなど無い。それに、今までの行動を見て、何か暗躍している人がいるのなら、此方の動きに気付いているはずだ。

「此処からは、常時俺かアッシュを側に控えさせておけ。 村から出るときは、抑止力になる。 バッカスを出した方がいい」

「分かりました」

「一旦コールドロンに会っておいた方が良いのでは無いのか?」

ハツネの提案は大胆だが、マローネも意見は同じだった。

あの人は、ちゃんとした計算が出来るはずだ。だが、その場で何をするかも分からないから、最大限に警戒する必要もある。

だが、無理矢理キャナリーを追い出すよりも、この方がマシだ。そうマローネは判断した。

 

会いに行ったコールドロンは、最初ニコニコしていた。

だが、マローネが話を進めて行くと、あるラインで不意に表情が消えた。多分、マローネが既に扱いやすい小娘では無い事に気付いたのだろう。

分かってはいたのだ。

マローネに対する甘い態度は、戦略の切り替えなのだと。マローネの事は、傭兵団の人達から聞いて、調べたのだろう。腕が立つことは、それで認めてくれた。

そこで、コールドロンはやり方を切り替えてきた。甘い態度で接することで、弱い子供の心を掴もうと思ったのだろう。

使えるものは何でも使うと、コールドロンは言っていた。バンブー社の社長ブータンも、以前同じようなことを言っていた。

そう言う人は、リアリストの思考をする。マローネも、それが少しずつ、わかり始めてきた。

だが、まずマローネは、相手を信じてみる。今回は、情報が出てきたから、考えを切り替えた。今後はもっと、スムーズに切り替えをしたいものである。

葉巻を手にするコールドロン。

周囲の空気が、一気に冷え込んだような気がした。コールドロンが、冷徹な事業家としての顔を見せたのだ。

「あまりこういうことは言いたくないんやがな。 マローネちゃん、頭が良すぎるのも考え物や。 下手なことをすると火傷するで?」

「……」

ここから先に来ると、怪我ではすまない。そう、コールドロンは言っている。

元々コールドロンは、上背でもマローネの倍くらいはありそうな雰囲気である。分厚い筋肉などを考えれば、体重は五倍も六倍もあるだろう。それだけで、プレッシャーは相当なものになる。

いろいろな怪物と戦う機会もあったマローネだが、それが故に思うのだ。人間とは、とても怖い存在だと。

「まあええやろ。 実際にはな、此処が保養地としては無理があるってのは、ワシだってしっとる。 確かにええ温泉はでそうやが、それだけじゃあ娯楽に肥えたお金持ちは満足なんてせえへん」

「それなら、何故」

「キャナリーだったか、あの唐変木がいる辺りになあ、金があるらしいんや」

コリンがへえと隣で呟く。

何か知っている雰囲気だ。目が完全に面白い事を見つけたときの、肉食獣のものだ。だが、コリンが動く前に、違う方向から、思わぬ引きが来た。マローネの手を、パレットが引っ張る。

「あのおいちゃん、なにいってるの?」

「パレットちゃん、黙ってて……今、大事な話だから」

「あのね、金なんか、ないよ、あそこ」

一連の会話は、コールドロンにも伝わっていたらしい。

勿論現在パレットはファントムだ。コールドロンには見えない。怪訝そうに動きを止めたコールドロンの前で、マローネはコンファインを行うことにした。

パレットが、人の形を取る。

コールドロンも、マローネの力を知っているからか、驚きは見せない。だが、冷え固まった溶岩が人の形になるのは、興味深いようだ。

コンファインして、すぐにパレットがマローネの影に隠れたのは、やはり上背がすごいコールドロンが怖いからだろう。男性でも怖いだろうコールドロンである。幼い女の子から見れば、魔物も同然だ。

「そこのジャリ幽霊か、金が無いって言ったのは。 理由を聞かせてもらえんか」

「マローネおねいちゃん……」

「大丈夫。 知っている事を、話してくれない?」

「……ん、うん……わ、わかった」

パレットはコールドロンと視線も合わせられないようで、何度も不安そうに視線を行ったり来たりさせながら、頷く。

かわいらしいが、今はそれどころでは無い。

コールドロンは激発したら、それこそ何をするか分からない。以前の魔島の件でも、それは明らかなのだ。

「金には「とくちょうてき」な魔力があって、魔術師にはわかるの。 あたいみたいな、魔道合成師でも」

「コリンさん?」

「本当だよ。 ちっ、おこちゃまめ。 マローネちゃんをもう少し苦しめてから助けてあげようかなーっておもっぶっ!」

脳内の欲望ダダ漏れのコリンの脳天に、ガラントの拳骨が直撃。

ちょっと可哀想だが、これは仕方が無いだろう。面白いと思ったのは、実体化しているガラントの拳が、ファントム状態のコリンに届いたことだ。

「な、なんやわからんが、それを証明する手段は?」

「掘ってみるのが、一番じゃ無いでしょうか」

「馬鹿抜かせ。 そもそもあの唐変木を追い払おういうのも、金を知る人間を減らすためや。 此処まで知っている以上、マローネちゃんも共犯やで」

「金なんてないもん」

ぐっと、コールドロンがパレットに顔を近づける。

そういえば、以前マローネをチビジャリと呼んでいたとき、こんな顔を、コールドロンはしていた。

「ジャリ、その言葉、嘘やないな?」

「ほんとうだもん!」

「……そうか。 分かった、ワシをそこへ案内せい。 マローネちゃん、色々幽霊いるんやろ? よう穴掘りくらいはできんか?」

「何とかして見せます」

ガラントが、しきりに辺りを警戒している。

謎の勢力の動きがある可能性が高いからだろう。マローネも、腰にくくりつけているククリに時々手をやる。いざというときには、最低限でも身を守る努力をしなければならない。

コールドロンは葉巻を捨てると、歩き出す。

溶岩を踏んで歩く様子は、この人が相当な修羅場をくぐってきていることをうかがわせる迫力に満ちていた。周囲の人達が、自然に避ける。マローネの事を、気の毒そうに見る人もいた。

 

村の外に出ると、バッカスをコンファインする。

コールドロンは、巨躯のリザードマンを見ると、感心したようにからからと笑った。

「なんや、其処の爺さんといい、ごっつう強そうなのがぎょうさんおるなあ。 流石やマローネちゃん、なめてかかった傭兵団を返り討ちにするわけやで」

口は笑ってはいるが、目は全く感情が無い。

コールドロンは、既に場合によっては殺しも辞さないつもりのようだった。当然一人で丸腰でマローネに付いてきているわけが無い。周囲には何名か護衛らしい強面の姿があった。

見るだけで分かる。元クロームかベリルの、相当な使い手だろう。歩きながら、コールドロンと、マローネは話してみることに決めた。

「コールドロンさんは、どうして島の売買を始めたんですか?」

「なんや、藪から棒に」

「私、どんな人も好きになりたいし、どんな人にも好きになって欲しいんです。 だから、その人を、少しでも知りたいです」

「はー、若いのに、関心やのう」

コールドロンはそう言うが、信用していないのが一目でわかった。マローネは悲しくなったが、このくらいは仕方が無い。

裏側の社会で生きてきた人なのだ。人を信用したら、まず命が無かったのだろう。

そう考えて、納得することにした。

「儲かるからや」

「お金のため、ですか」

「そうや。 商売なんて、基本はそうやな。 世の中は、金が流れる事で動く。 中には、普通の奴がやりたくない事もある。 ワシはそれを積極的にやることで、儲けてきたんや」

そのためには、どんな悪事も行ってきた、という事か。

何を言ったら良いか分からなくなる。

だが、考えて見れば、クロームだってそれは同じだ。輸送や配達と言った仕事を除くと、荒事が中心になってくる。

荒事は、大体の場合、流血を伴う。

力尽くで排除する場合、排除された者は泣く。時には、命だって落とす。

世の中は、決して綺麗なことだけでは動かない。戦闘でのシビアな考え方を叩き込まれているマローネは、それを知っている。勿論、悪を全面的に肯定してしまったら、世界はそれこそサルファーが来たときよりも酷いことになってしまうだろう。だが、マローネだって、力という悪を振るっているのだ。

「マローネちゃんは、こっちに来たらあかんで? クロームは難儀な仕事やってわかっとるがな、それでもそうや」

「コールドロンさんは……」

口をつぐんだのは、見えてきたからだ。

岩の上に座っているキャナリーは、とうに此方に気付いていた。コールドロンの護衛達は、みな殺気立っているが、マローネが制止する。

「止めてください。 戦うためにきたんじゃありません!」

「まずはお手並み拝見といくで?」

からかうような口調の中には、わずかながら興味が含まれていた。

マローネは頷くと、小走りでキャナリーの側に行く。キャナリーはカタナに手を掛けたまま、マローネには視線を向けなかった。視線を向けているのは、一番近いガラントでは無い。飛び道具を持っているハツネだ。

「大人数で来たという事は、拙者を排除する気か?」

「違います。 実は……」

事情を話すが、キャナリーは戦闘態勢を崩さない。マローネの影にずっと隠れていたパレットが、こわごわと顔を出した。

一通り話を終えると、キャナリーはまだ半信半疑の様子だった。

「金……だと?」

「はい。 無い事を証明できれば、これ以上悪い事にはならないと思います」

「どうやって証明する」

「コールドロンさんが、金があるって聞いた場所を掘り返してみます。 それだけは、許して貰えませんか」

既に、怪物達も気配を察したのか、此方を見つめているようだった。特にコールドロンには、強い敵意を向けている様子だ。

彼らも本能で分かるのだろう。此処を脅かそうとしているのが、一体誰なのか。

「分かった。 良いだろう」

「キャナリーさん! 有り難うございます」

「ただし、嘘だったら、その時は斬る」

斬るという言葉には、嘘偽りは無かった。マローネが子供でも、キャナリーは確実に殺しに来るだろう。

アッシュが色めきだつが、止める。

キャナリーの警戒は当然だ。マローネの側には、戦闘員だけでもハツネとガラント、バッカスがいる。パレットは戦えないことくらい一目で分かるだろうが、それでも手練れのクロームとしては、能力者である事を警戒くらいするだろう。コールドロンの周りにも、手練れの護衛が何人もいる。

しかも、マローネは更に増援を投入可能なのである。

となれば、当然のことだ。

「マローネ、いざというときは、分かっているね」

「大丈夫よ、アッシュ。 きちんと約束は果たしているわ」

 

火山岩をどかし、或いは砕き、掘り返し始める。

コールドロンの話では、金は強力な術式に守られて、封じられているという事だった。だが、コリンは言う。

そんな気配は無いと。防御術式の気配はあるらしいが、その中にあるのは金では無いと、彼女も断言した。

キャナリーは距離を保って、穴を掘る様子を見つめていた。コールドロンも、その隣に立って、腕組みしていた。

「ワレ、道化。 怪物の権利なんぞ守って、何の得がある。 聞かせや」

「拙者は戦場しか知らぬ。 剣の腕を、生かす場所もな。 だから、弱者を守りたいと思ったのだ。 誰も守ろうとしない者をな」

「ほう……面白い理屈だの。 頭がわいとるアホウに相応しい寝言や」

ぎすぎすした空気。一触即発とはこの事だ。

キャナリーはコールドロンよりも、護衛達の方が気になるようで、視線を外さない。穴を掘っているのはガラントとバッカス、それにその護衛達だ。ハツネは少し高い所に陣取って、周囲の様子を見ていた。

「今のところ、接近する気配は無い」

「引き続き、警戒してください!」

「分かった」

しばらくは、皆が埃と土まみれになり、火山岩をどかし続けた。やがて、掘り出された火山岩は、山のように積み上がった。

ガラントが指示をして、バッカスが一度火山岩を避ける。こうしないと、内側に崩れてきてしまうという。

「マローネ嬢、一部を固定した方が良い。 コリンを呼んで貰えるか」

「あ、私がやります!」

これくらいなら、コリンをわざわざ呼ぶほどでも無いだろう。

何度か印を組み替えて、コリンに習った氷の術をくみ上げる。魔力が術式に吸い上げられていくのが分かるが、それでもコリンが大魔術をぶっ放す時よりはマシだ。

術を発動。

手のひらから、山と積まれた火山岩に冷気の術を放つ。凍り付いた火山岩を見て、遠巻きに見ていた怪物達が、身じろぎしていた。

「驚かせて、ごめんなさい! もう少しだけ、我慢してー!」

怖がらせてしまった怪物達に叫ぶ。マローネの必死な行動が功を奏したか、怪物達はもう少し距離を取ることで、静かになってくれた。

だが、そういつまでも、人の庭で好き勝手は出来ないだろう。

マローネも、穴の底に入って働いている大人達を手伝おうと思った。外に放り出されてくる火山岩の小さいのを、どけていく。服が汚れるが、それくらいですむのなら。

いつもは、戦闘で服どころか心身がずたずたにされてしまうのだから。

手応えが、あったらしい音。

何かを、バッカスが掘り当てた。慌てて飛びついたコールドロンの取り巻き達が、泥だらけになりながら、火山岩をどける。コールドロンも、穴を思わずのぞき込んでいた。

「それや、間違いない! 見せられたのと、同じや」

火山岩の中に埋もれていたそれは、鎖で縛られた大きな箱だ。木箱のようだが、多分術式で強力な守護が掛けられているのだろう。淡く輝いていて、腐食している気配も無い。皆で手分けして、引っ張り出す。

「この鎖が、厄介やな」

「どいていろ」

「なんやワレ。 おおっ!?」

コールドロンが驚いたのも、無理は無い。瞬時にキャナリーが、鎖を縦横に切り裂いていたからだ。

鞘に収まったカタナが、不平を漏らしていると、キャナリーは言う。

「くだらぬものだ。 斬る価値も無い」

「なんや、役に立つや無いか道化。 おまえ、ワシが雇ったろうか? 怪物の権利とかくだらないことよりも、そっちのがよっぽど実利があるで」

「悪いが、今はそれよりも、箱では無いのか」

「そうやそうや、忘れとった!」

思わず身を乗り出したコールドロンは、浅ましいほどの勢いで箱に飛びつき、強引にこじ開ける。マローネも、呆れながらも、その後ろから箱の中身をのぞき込んでいた。

コールドロンが動きを止める。

サメそのものの口からは、失望の言葉が漏れていた。半開きになった牙だらけの口は、閉じることが無い。

「な、なんやこれ……」

箱の中には、金銀財宝など無い。

入っているのは、ただのよく分からない塊ばかりだ。どれもこれも幾何学的な形状で、人工物であるかさえ分からなかった。コールドロンが、それぞれ手にとって調べている。

彼には分かるのだろう。持っただけで、それが金では無い事が。重さが違うという事だ。

マローネも、側に見に行く。

本当に何だろう。

「金でもないし、銀でも無い。 鉄でもないし、宝石の原石でもないわ。 ど、どういうことや……ま、まったく見たことも無いわこんなもん!」

「あの、コールドロンさん」

「なんや! 今忙しい!」

「箱を見て、見せられたのと同じって言いましたよね」

小首をかしげているマローネに、箱を漁りながら、コールドロンは叫ぶ。目には完全な怒気が宿っていた。

しかも、以前がらくた島でみたものではない。

この裏社会の帝王が、本気で感情をむき出しにしている。凶暴な男の、ほとんど誰も見たことが無いだろう、素の表情だった。

「そうじゃい! ワシが十年来取引をしている上客からの情報や! あ、あいつが、ワシを裏切るなんて、ありえん!」

「さて、それはどうでしょうね」

不意に、声。

マローネが気付く。すぐ横に、禿頭の、鼠のような歯を剥いた、ウサギリス族の中年男性がいた。ウサギリス族としては、あまりにも平均的な姿である。手には杖を突いていて、動きも速そうには見えなかった。顔立ちも温厚そうである。

だが、おかしい。

この島で、一度でもウサギリス族を目にしたか。違和感が、恐怖に変わる前に、激発が起きる。

ハツネが叫ぶ。

「マローネ! 横に避けろ!」

横っ飛びに、そしてククリを抜きながら、首を守る。

凄まじい閃光が走った。

倒れて、転がる。全身から冷や汗が流れてきた。ククリがずっと震えている。恐怖からでは無い。受けた衝撃からだ。

キャナリーが、カタナを振り抜いている。そして、ウサギリス族の中年男性は、仕込み杖の中身をむき出しにして、先までとは全く姿勢を変えていた。鳥が羽ばたく寸前のような、低い体勢。剣を振り抜き、その力を最大限発揮するものだと、素人のマローネにも分かった。

「ほう、父が産みだした剣の軌道を見切るとは……」

そうだ。何が起こったか、分かった。

今、このウサギリス族の男性が剣を振るい、一瞬遅れてキャナリーがカタナをたたきつけた。

そうでなければ、今頃は。

マローネの細い首など、ひとたまりもなくすっ飛ばされていただろう。ククリなど、間に合う訳もなかった。

ガラントが、マローネと男の間に入る。バッカスも、マローネを抱えて飛び退いた。ハツネが叫んだ。

「何だ今の歩術は! これだけの手練れを相手に、気配を悟らせなかったというのか!」

「……ファントム使い、面白いものを飼っていますね。 別世界から来た弓使いか……」

流石に慣れたもので、コールドロンは護衛達の中に飛び込んで、遠巻きに距離を取っている。キャナリーは側で、構えたまま動けない。

それほどの使い手という事だ。この人数で囲んでも動じないこの強さ、まさか。

九つ剣の一人か。

だが、九つ剣と言えば、いずれもが武名優れ、名誉ある武人達であるはず。このような暗殺まがいの非道に、手を染めるはずが無い。

しかし、墜ちてしまったスプラウトという実例も見ている。混乱するマローネの前で、ガラントも、バッカスも、強大な敵を前にした戦士の顔つきになっていた。

一方で、コールドロンは、ウサギリス族の凄腕剣士に、見覚えがあるようだった。

「お、お前……!」

「そう。 貴方とキャナリーを共倒れさせる計画だったのですよ。 提示した金額から言って、そろそろ貴方は手練れを雇うよりも、取り巻きの優秀な護衛達にキャナリーを直接叩かせる方が得だと思っていた頃でしょうから。 其処の道化の実力からして、結果はほぼ五分と私は見ていたのですが。 其処の小娘が、余計なことをしてくれなければ、今頃は計画通りにいっていたものを」

変な違和感がある。

どうしてこの人は、こんなに分かり易く、話してくれる。

必ず勝てる自信があるからか、それとも、他に理由があるからか。

怪物達が、騒ぎ始める。此方の様子がおかしいと、気付いたからだろう。

パレットが、マローネの袖を引く。必死に何かを訴えている。

マローネも気付く。

戦慄が、背中を駆け抜ける。間に合うか。否、間に合わせなければならない。

賭に出ることにした。

「アッシュ!」

全力で、マローネは。

最も頼れる人を、今できる最高速度で、コンファインしていた。

 

其処からは、全ての攻防が、流れるようだった。

アッシュが実体化する。同時に、暗殺者が仕掛けてきた。稲妻のような抜き打ちが、空を走る。

だが、アッシュがかき消える。

暗殺者が上を向いた。

エカルラートの全力展開で、今の一撃をかわしたのだ。

だが、次の瞬間には、暗殺者はアッシュと同じ高さにまで跳躍していた。早すぎる。しかも暗殺者の手は、既に鞘に収めた杖に掛かっている。

「居合いというものはね……初撃では無く、二撃目が本命なんですよ?」

「知っている」

暗殺者が、横殴りの光の矢に吹き飛ぶ。

ハツネが放った矢が、完璧なタイミングでその体を捕らえたからだ。

アッシュはそのまま着地すると、加速して、コールドロンの所に迫る。そして、護衛達が動く前に、コールドロンを掴んで、飛んだ。

地面が吹き飛んだ。

一瞬前までコールドロンがいた場所に、長大な触手が生えていた。触手の尖端には巨大な口があり、かみ殺し損ねた獲物を憎むように、何度もガチガチと怖い音を立てた。

怪物達が、逃げ始める。

アッシュが振り返ると、叫ぶ。

「早く離れて!」

悲鳴。

コールドロンの護衛の一人が、また生えてきた触手に絡みつかれたのだ。丸呑みにしようと口をあける触手を、縦一文字に斬り伏せるガラント。必死に逃れ出た護衛も、優れた使い手の筈なのに。

「早く行け!」

「す、すまん!」

バッカスが、マローネを抱えたまま走り出す。

背後から、かみ砕き、咀嚼する音。触手の怪物が、箱に頭を突っ込んで、掘り出した何かよく分からないものを、食べているのだった。その姿が、徐々に穴の奥から見え始める。巨大なイソギンチャクのようだが、手足も生えていて、トカゲのようにも見えた。

全力でエカルラートを展開したからか、アッシュの消耗が早い。マローネも、この人数を同時展開しているのは、厳しい。

コールドロンを担ぐと走り出すアッシュ。その背中に迫る触手を、ハツネが続けざまに射貫いた。

だが、ハツネに、迫る暗殺者。

さっきの一撃を受けて、まるで効いていないらしい。ハツネが放った矢を、あろう事か一刀に切り捨てると、懐に入りこむ。

だが、至近で、飛び退いた。

真横から割って入ったキャナリーが、唐竹に切りつけたから、隙が出来たのだ。

残像を切り裂いたキャナリーのカタナ。

無数の触手が、地面から生えてくる中、キャナリーと暗殺者が対峙する。ハツネは自分に迫ろうとする触手を射貫きながら、下がった。

「これは、見覚えがあるぞ。 魔界の溶岩地帯に住むラーヴァウォームか! こんな強力な化け物を、誰がイヴォワールに持ち込んだ! 貴様か!」

「さあて、誰でしょうね。 私は誰に頼まれても、関係なしに仕事をする、ただそれだけですよ。 まあ、この辺りが潮時でしょうか。 引き上げるとしますか」

「逃がすか!」

キャナリーの逆袈裟が、暗殺者を切り裂く。

だが、やはり斬ったのは、残像だけだった。

暗殺者が、ラーヴァウォームの上にいた。速すぎて、マローネの目では影も捕らえられない。この間見た超絶的なラファエルの実力も凄まじかったか、世界の上位にいる使い手は、こんなに次元が違うものなのか。巨大な魔虫は雄叫びを一つあげると、箱から出てきた訳が分からないものを食べ尽くして、また穴の中に潜っていった。

暗殺者も一緒に穴の中に消える。

非常識すぎる光景だが。もう、何が起きても不思議では無いと、マローネには思えた。当然、あの人は死んではいないだろう。

遠巻きに見ていた怪物達が、それぞれに散っていく。

マローネには、彼らが言いたいことが、何となく分かる。やはり、人間は怖いと、彼らは思っているのだ。

この酷い破壊跡は、結局人間同士の争いで生じたものだ。

怪物達だけなら、こんな事にはならなかっただろう。

今の余波を受けたか、怪我をしたギガビーストが蹲っていた。マローネは、制止しようとするガラントを振り切って、歩み寄る。

ギガビーストの目には敵意があった。巨大な岩山のような体には、降り注いだ火山岩によっていくつもへこみが出来ていた。

カナンを呼んでは意味が無い。

此処は、マローネが処理しなければならなかった。

「ごめんなさい、貴方たちのおうちを荒らしてしまって」

回復術を発動する。淡い光がギガビーストの巨体を包む。マローネの回復術の腕はだいぶ上がっているが、それでもまだ痛いはずだ。

身動きが出来るようになると、最初にギガビーストは、体を揺すってマローネをはじき飛ばした。

だが、それだけだった。

一瞥すると、そのまま尻尾を揺すって去って行く。あれだけの巨体に吹き飛ばされたのである。マローネもただではすまなかったが、これでいい。これだけですませたという事は、ギガビーストは許してくれた、ということだ。

「気は済んだか」

ハツネが、手を貸してくれる。

腕の骨が折れていた。だが、回復術を掛けていけば、痛いが二三日もすれば回復できるだろう。

やっと、これで終わったのだ。

そう思って、マローネは、迷惑を掛けてしまった怪物達に、もう一度ごめんなさいと呟いたのだった。

 

4、裏切りと悲しみ

 

村に戻ると、ようやく一息つくことが出来る。護衛達は意気消沈していて、それぞればらばらに休憩して、ふてくされていた。

カナンを呼び出して、回復をして貰う。

マローネの腕を見たカナンは、散々説教をした。信念は立派だが、無茶をしすぎだと言うのである。添え木をして、痛み止めの術式を掛けて貰うときも、ずっとカナンは怖い顔のままだった。

コールドロンの怪我は、たいしたことも無かった。カナンの処置もすぐに終わる。カナンは消沈しているコールドロンに何か耳元で言う。頷いたコールドロンは、マローネを呼ぶと、話し始めた。

「彼奴は、ワシが取引しているお客の護衛でな……」

「セレストですか?」

「どうしてそう思うんや」

「あんな腕のいい護衛を雇っているのは、王族かセレストと思いましたから」

流石に、名前までは言えないようだった。だが、コールドロンは、無言で返した。

この凶暴なサメ男が、これほどへこんでいるのだ。

ひょっとすると、唯一、友達だと思っていた人に裏切られたのかも知れない。そうだとすれば、とても悲しい事だった。

「見ていただいて、分かったとおりです。 島の北部は、どのみち開発も無理ですし、お金だってありません。 怪物達のために、保護区にしてあげて貰えませんか」

「……そうやな。 欲の皮をあまりにも突っ張らせすぎた罰かも知れん。 マローネちゃんの言うとおりにするわ」

マローネは、へこんでいるコールドロンに抱きつくと、言う。

後ろでアッシュが目を白黒させているのが分かった。

「きっと、いいお友達がまた出来ます。 有り難うございます、おじさま」

唖然としているのが分かったが、マローネは笑みのまま離れる。

約束を守ってくれたのだ。コールドロンは、今まで約束を破った依頼主達よりも、ずっとマシだ。

優しくは無いかも知れない。

だが、裏切られて悲しむ心は持っている。だから、これからはもっと信じようと、マローネは思った。

キャナリーは、ずっとふさぎ込んでいた。

マローネが近づくと、顔を上げる。視線を合わせず、キャナリーは言う。

「特に凶暴でも無い怪物達の住処があれほど荒れ果てたのは、結局拙者達人間のせいだった。 それは、拙者にもよく分かった」

「キャナリーさん」

「今回の件は、拙者が悪かった。 怪物達の住処に踏み込んだあげく、彼らを守ろうなどと言うのは、傲慢だった」

今までも、拙者がやってきた事は、無意味だったのだろうか。そう天を仰ぐキャナリー。

マローネは、何度か悩んだ末に、言う。

「キャナリーさんは、この活動を始めたばかりじゃ無いですか。 失敗があるのは、当然のことだと思います」

「マローネ殿……」

「力を誰か弱い者のために使おうっていうのが、そもそも立派な志です。 今度は、傲慢じゃ無い、立派な力の使い方を模索してください。 私も助力しますから」

一礼すると、その場を後にする。

今回は、報酬を貰う気は無かった。結局仕事らしい仕事は出来なかったのだ。事態の解決は出来たが、誰の心にも傷が残ってしまった。だが、ボトルシップに向けて歩いていると、後ろから呼ぶ声。

コールドロンの護衛の一人。

触手に囚われた強面の男だった。カナンが手当てしているとき、鼻の下を伸ばしっぱなしだったのを覚えている。

「待ってくれ、ボスからだ」

半ば押しつけられるように、報酬を手渡される。凄い大金が入っていた。

契約書の額よりも、明らかに多い。

「受け取って欲しい。 今回は、ボスもかなり懲りた。 最近はちょっとやり過ぎなこともあったんだって、俺たちも思っていたんだ。 あんたのおかげで、ボスは目も覚めたみたいだし、気持ちだ」

「有り難うございます」

「礼を言うのは、俺たちの方だ。 今後も、何かあったら頼む」

こういうときは、断る方が失礼に当たる。

それを知っているマローネは、お金を受け取ることにした。

しこりも残る終わり方だった。だが、それでも。少しでも、悲しむ人は減る方がいい。そう、マローネは思ったのだった。

 

ラーヴァウォームは魔界の生物らしく、空間を渡る能力を持っている。

地中に潜った後は、すぐに空間の穴に入り、そして住処へ飛ぶ。異世界へ移動できるほどなのだ。同一世界の移動など、朝飯前である。ましてやこのラーヴァウォームは、魔神クラスの悪魔でさえ怖れるほどの強大な怪物なのだ。

住居は、既に無人である。

元々廃屋を改装した上に、最小限の護衛しかいなかったのだ。その護衛も、全て出てくる前に殺した。

住処に戻ると、既にかっての飼い主は腐り始めていた。

鼻を鳴らすと、ラーヴァウォームに処分するように指示。フィランゼが切り捨てた主君、強欲なセレスト、ターレン伯の死骸は、見る間に形を無くしていった。巨躯を誇るキバイノシシ族の偉丈夫だったのだが、魔界の怪物に掛かってしまえば、ただの餌だ。他の護衛の死体も、ことごとく処分させる。

満腹したラーヴァウォームを下がらせる。自分より強い相手には素直に従うから、魔界の生物は扱いやすい。

人間と違って、裏切る心配も、殆ど無い。自分が力を維持している限りは、だが。

「ふん、セレストか」

吐き捨てたフィランゼは、主君が蓄えていた悪趣味な成金趣味のツボを蹴り倒した。

フィランゼも、セレストの出身である。

だが、家を飛び出して、今では暗殺家業を生業にしている。特に、嫌いだったフィランゼの父と対立し、暗躍していたターレンは、都合が良い雇い主だった。十年来の雇い主であり、コールドロンの親友でもあったターレンを今回殺したのには、理由がある。

空間が歪み、姿を見せる老人。人間族に見えるが、耳がとがっていて、その身に纏う焼け付くような魔力からも違うと分かる。

魔界の悪魔、魔王ソロモン。今のフィランゼの雇い主だ。

「どうやら上手く行ったようだな」

「は。 ソロモン卿。 これでコールドロンは、ターレンの勢力を排除に掛かるでしょうから、モルトは動きやすくなるはずです」

「それでいい。 我欲に駆られて動いている連中は、消しておく方がよい。 サルファーの侵攻が迫っている以上、どんな手を使ってでも、だ」

そもそも今回は、全てがこのソロモンの手のひらの上で動いていたことだった。

あの箱は、ラーヴァウォームの好物である魔界の鉱石をたんまりと詰め込んでおいたのだ。そして、コールドロンの親友であるターレンに、吹き込んだのだ。あるベリルが、膨大な金を隠したのだと。後は、ターレンが親友であるコールドロンに、山分け話を持ち込むように、誘導するだけだった。

それと同時に、馬鹿なことを考えているキャナリーにも情報を流した。マローネが出てきたのは計算外だったが、それでも当初の目的は達成できた。

最初は、ラーヴァウォームに襲われたコールドロンを、自作自演で助けるつもりだった。だがそれはマローネがやると判断して、中途で作戦を切り替えた。結果、コールドロンによって、ターレンの勢力を排除させる作戦は、滞りなく進行した。

ターレンは、サルファーの脅威よりも、モルト伯の権力を奪うことに熱心な男だった。様々な裏側の組織を操っては、モルト伯を陥れることばかり考えていた。

一種の病気であったのかも知れない。

だが、それも関係ない。

ソロモンの目的は、サルファーに対する、強力な協力体制の構築。

それには、マローネを鍛え抜くことと、その周辺の人間関係を整理する必要があった。更に名声を上げさせて、マローネを中心にイヴォワールの強者をまとめ上げれば、或いは勝機は出てくる。

悪魔の攻撃を一切受け付けないサルファーを倒そうともくろむ、ソロモンの目的はそれだった。

それを達成するために、重要な駒の一つであるコールドロンと、わざわざ目立つ怪しい格好で、火猛り島で接触もしていた様子だ。相手を見極めるためだという。フィランゼは見ていないのだが、あまりにも目立つ格好だったらしく、村の中で騒ぎが起きていたということだ。

ソロモンは、それだけこの作戦に、必死に取り組んでいる、ということになるだろう。

だが、フィランゼには、別の思惑がある。

フィランゼも、実は。モルトを殺そうと企んでいる。この男の言うことに従っているのも、その好機を作り出せそうだから、だ。

「此処は処分し、次の作戦に移れ。 緑の守人島の情報を、ブータンが入手できるようにしろ。 出来るだけ自然にだ」

「分かりました。 ご随意に」

消えるソロモンを見送ると、鼻を鳴らすフィランゼ。

悪魔にしては賢いが、所詮その程度。魑魅魍魎が蠢く人間社会の闇で生きてきたフィランゼからして見れば、児戯に等しい。

あのソロモンは、恐らく気付いていないだろう。

人間の中には、自分の世界などどうなろうと構わないと考えているものが、多数いるという事に。

今は、まだ奴のもくろみ通り動いてやるとする。

ラーヴァウォームを呼び出すと、屋敷を焼き尽くすように指示。そして、フィランゼは、音もなく屋敷を後にした。

後には、何も残らない。

小さな島にあった闇の在処が、誰も知らぬまま、痕跡も残さず消えた。

 

パティとコミュニケーションを取ろうと悪戦苦闘していたカスティルは、その間だけでも、家の中の修羅場を忘れることが出来た。

自分の世話をしてくれるメイドはとても優しい女性で、それだけは心が安らぐ。だが、父が更に無理をして稼いでいることも分かっていた。それに、癒やしの湖島の治安が、悪化の一途をたどっていることも。

マローネには、心配させないように、あえてパティとのコミュニケーションについて手紙を書いていた。

だが、来てくれたマローネが、カスティルを心配しているのはよく分かった。だから、大変な状況にあるマローネを心配させないようにするためにも、敢えて心労については、出来るだけ書かないように心がけていた。

側に、パティがいるだけでも、随分気は楽になる。

モカと名を付けたパティは、愛くるしい動作で、それだけで随分楽しかった。それに悪さの類もしない。

治療の時はおとなしくしているし、今のところ何かを隠そうという気配も無かった。

「言葉は、通じないか……」

今まで30以上の言語を試してみたが、やはり駄目だ。大陸の方の言葉も使ってみたのだが、反応は無い。

やはり、音声でコミュニケーションを取る習慣が無い、と見るべきなのかも知れない。

それならば、紙に文字を書くのはどうか。筆談という奴だ。

だがこれについても、上手く行かなかった。そもそも紙は高級品で、浪費はできるだけ避けたい。

しばらく悪戦苦闘し、何度も失敗する内に、カスティルは思いつく。

手話なら、どうだろうかと。

手話には何種類かあるのだが、最も新しく、覚えるのが簡単な形式を使う。木の実を出してから、それを基点に手話でモカに説明していく。しばらくカスティルの動きを見ていたモカは、なんと。

自分で、手話をトレースして見せたのである。

すぐに十を超える単語を、モカは覚えた。

やはり思っていたとおり、知能は劣悪どころか、非常に優秀な部類に入るらしい。パティ族は術式もかなり扱うと聞いていたのだが、頷ける話だ。

これならば、すぐに会話くらいなら出来るかも知れなかった。

まず最初に、マローネの首飾り。

それから、マローネが言っていた写真を出して貰おう。

やるべき事が決まると、とても楽しくなる。体も、心なしか、少し楽になった気がした。マローネに、次は前向きな手紙を書けそうだ。

そう思うと、カスティルは、モカとのコミュニケーション構築に、更に熱心になれるのだった。

 

(続)