居場所を巡って

 

序、三つ巴

 

イヴォワールでは、島の持ち主のことを、島長という。小さな島になると、村長を島長が兼ねている事が珍しくない。島に一つしか村が無いような場合は、その状態がよく見られる。

ある程度の大きさの島になってくると、この島長という地位は、基本的にセレストに仮託されるものとなり、売買は出来なくなる。だが島そのものが無人島で未開発地帯であったり、島そのものがいわゆる大形岩礁と呼ばれるレベルのサイズの場合は、金で売買されることもある。

大陸では不動産業と言われる、土地の売買が島単位で成立するのである。

ただし、制約も多い。このサイズは国によって決まっているが、基本的に村落以上の集落がある島では、原則的に売買は不可能となっている。島に資源が豊富にある場合も、セレストが差し押さえて、其処から公平に資本が入る場合が多い。

ただし、小さな島でも、様々な使い道がある。不動産業が成立するのもそのためだ。一番多いのが、いわゆるレンタル島。

島自体を、小さな住居として貸し出す方式の賃貸業だ。

レンタル島は利便性で劣るものの、基本的に住人が全てを自分で行わなければならない所が却ってプライバシーの向上を産み、幾つかの海域ではレンタル島が多数密集している場所もある。

勿論治安対策なども自分で行わなければならないため、主に一般家庭よりも、クロームや傭兵団の関係者などに人気が高い。

そして、その賃貸業でのし上がってきた男がいる。

通称島喰らい。

マーマン族の、コールドロン。それが、彼の名前である。

賃貸業で立身したコールドロンは、その後あらゆる不動産業で様々な商売を行い、その強引なやり口で膨大な利益を上げてきた。恨みも買っているが、それ以上に権力を得ていて、誰も彼には口出しできないのが実情だ。

業界では、どんな汚い手でも平気で使うと噂され、恐れられている顔役である。犯罪組織にも顔が利き、様々な傭兵団ともつながりが深い。クロームギルドにも、一定の人脈を持っている。

マーマン族は、基本的に魚と人間が混じったような姿をしている。人間族の基準から見て美しい女性と違って男性は魚の要素が強い。特にコールドロンは、まるっきりサメが直立して歩いているような姿をしていた。体格も通常の人間族よりもずっと大きい。

そしてコールドロンは、その恐ろしい容姿を、商売の道具としていた。つまりわざとらしい派手なシャツに身を包み、足下は鋭い爪を見せるかのようにサンダルにしている。既に五十代である彼だが、その分厚い胸板とたくましい体つきは、歴戦の戦士だと言っても通用するほどの代物だ。

その、恐ろしい顔役が。

今、シェンナの前に立っていた。

此処は、がらくた島。

近隣のボトルメール製造を行う工場である。

「シェンナはん、今日は色よい返事を聞きに来たで」

鋭いサメの歯をむき出しにして笑う。

もっとも、その恐ろしさも、シェンナにとっては、こけおどしに過ぎなかったが。

「お客様を、応接室に」

シェンナは、秘書のムラサキに、それだけを命じた。

 

海に併設された工場の中では、ウサギリス族を中心とした工員達が働き、ネフライトの魔術師が封を施すことで、魔法生物であるボトルメールが完成する。

此処の島長は三十を超えるレンタル島を有しているシェンナという女性である。既に年は四十後半という話だが、美しい姿を今でも維持していた。マローネも年に何度も会わない。会うときは、家賃を納める時だけだ。

シェンナはいつもドレスに身を包んでいて、大人の色気を全身に纏っている。未だ乳臭さが抜けないマローネとしては、羨ましい限りだ。美しい赤い髪は今でも充分なつやを持っていて、いつ見ても感心してしまう。ただし、足が悪いようで、いつも移動はゆっくりとだった。

工場の最奥、社長室にいつもシェンナはいる。島長の中でもかなりの権力者である彼女の元には、セレストや各地の権力者が様々な要件で訪れるのだ。マローネも、かなり待たされた。

ようやくシェンナの元に通される。

シェンナはいつも鋭い視線で、相手を射貫くかのようだ。最低限しか化粧をしていないのに、その美しさはまだまだ十分に通用するほどである。かといって、若々しいというのではなく、不思議な大人の色気を持っている所がまたマローネには不思議で、それ以上に驚きの対象だった。

「待たせたね。 それで、今日はなんのようだい。 まだ家賃には早かった気がするけど」

「はい。 お金が貯まったので、おばけ島を譲っていただきたくて」

「へえ……?」

シェンナは、不思議な視線の持ち主だ。

マローネは最初、レンタル島を貸して欲しいと言いに来たとき、何とも言えない目で見つめられて、驚いた記憶がある。

今もシェンナは、マローネをはかるように見つめている。何かの魔術の気配もあるのだが、マローネには正体が分からなかった。

「さて、どうしたものかね」

「お金なら、ここに。 11万ボルドーあります」

「これは、良く貯めたもんだ」

マローネが差し出した袋を見て、シェンナは感心したように呟く。

11万ボルドーと言えば、おばけ島サイズの島であれば、確実に買えるお金だ。事前にしっかりマローネも調べてきた。アッシュに言われてクロームギルドに足を運び、そこで物価も調査した。

実際には、おばけ島サイズのレンタル島だったら、相場は八万から九万ボルドーになるらしい。

だがシェンナは、行く先が無くて途方に暮れていたマローネに、格安で島をレンタルしてくれた。その恩もあるし、かなり多めに金額を用意してきたのだ。

「島を、譲ってください。 お願いします、シェンナさん」

「ちょいまちな」

ドスが利いた声。

今まで、シェンナが何か話していたらしい応接室からだった。其処から出てきたのは、サメが立って歩いているような、大柄なマーマン族の男性だった。

下品で派手な柄のシャツを着込んでいて、見るからにカタギでは無い雰囲気である。

「コールドロン、話がややこしくなるから、引っ込んでな」

「そうはいかん。 あの島に目をつけていたのは、このワシが先だからなあ」

そういって、コールドロンは、マローネをにらみつけたのであった。もの凄くおっかない視線だ。

ただし、マローネは今まで怪物や悪霊とも交戦してきた。いまさらおっかない人くらいに、引くようなことは無い。

嘆息すると、シェンナは鈴を鳴らす。

紫色の、いかにも工員という風情のウサギリス族が来た。確かシェンナの秘書みたいな仕事をしている、ムラサキという男だ。

「ムラサキ、マローネの分の茶を出すように。 ちょっと長い話になりそうだ」

「あいよ」

ぱたぱたと、ムラサキが去って行く。

そして、マローネは応接室に案内された。

となりに、腕組みしてコールドロンが座る。時々非好意的な視線を向けてきたが、そのたびににこりと笑って返す。

「われ、チビジャリ。 あの島をどうして欲しいんや」

「私、島を買い取って、静かに暮らすのが夢なんです」

「ふん、だが悪いがな、あの島はワシのもんだときまっとる。 くれてやるわけにはいかんなあ」

「勝手なことを言うんじゃ無いよ。 島の所有者は私だって事を忘れたかい?」

シェンナが戻ってくる。

そして、二人の顔を、順番に見回した。

「あんたたち、勝負をして貰おうか」

「勝負、ですか」

「そうだ。 場所は魔島。 そこに珍しい鳥が生息しているから、捕まえてきて欲しい」

コールドロンが憤然と立ち上がる。

流石にそれは冗談では無いというのだろう。マローネも、驚いた。

魔島。

30年前のサルファーとの戦いでも、主戦場になったという魔境だ。今でも環境が歪みに歪み、恐ろしい怪物達が群れをなして闊歩しているという、地獄よりも恐ろしい場所。

歴戦のクロームでも、下手に踏み込めば命を失うという、悪夢のような島である。

「いくらなんでもそれは無茶や。 断るにしても、もうちっとマシな言い訳を考えてほしいんだがなあ」

「おや? 断るのかい。 あんたは」

「私は……」

マローネは、正直言えば怖い。

魔島の恐ろしさは、クロームをしていればどうしても耳に入ってくる。歴戦の傭兵団でも、迂闊に踏み込めないほどの場所なのだ。

だが、それでも。マローネの今の夢は、おばけ島を手に入れて、静かに暮らすことだ。

決意は、決まった。

「私、やります」

「な、なんだってえ!」

目を剥くコールドロン。唾が飛んできそうな勢いで、まくし立ててくる。

「お前みたいなチビジャリが、あんな所に行って生きて帰れるとおもっとんのかい!」

「その子は腕利きのクロームだよ。 今までも、かなりの戦歴を上げてきてる。 能力者って事もあるが、生半可なクロームだったら簡単に捻るだろうね」

「……!」

能力者だと、子供でも侮れない力を持っている場合がある。

当然、コールドロンもそれは知っているだろう。しばらくマローネを刺し殺しそうな視線で見ていたコールドロンは、やがて吐き捨てた。

「いいだろう。 乗ったる」

「そうかい。 死人が出るのも寝覚めが悪いから、場所はこっちで指定させて貰うよ」

シェンナが地図を出してくる。どうやらさっきは、これを準備しに行っていたようだ。

そして、説明してくれた。

魔島と言っても、危険地帯とそうで無い場所があるそうだ。

現在、魔島と言われている本島は、無数の怪物の生息が確認されており、非常に危険である。此処には鳥どころか、小動物一匹いない。強力な怪物が無数に生息し、互いの肉を喰らいあって、魔界のような有様だという。

一方、本島から離れた場所にある、浅瀬を伝っていける幾つかの離島は、環境は最悪だが怪物が少ない。

此処でなら、安心して、というわけにはいかないが。

歴戦の傭兵団なら、死人を出さずにどうにか出来るだろう。

隣でアッシュが小首をかしげている。マローネは、その理由を聞くことが出来なかったが、何となく理由は分かった。

どうして、シェンナはこんなに魔島について詳しいのだろう。

あの島は、クロームギルドでさえ、情報があまり出てこない場所なのだ。クロームが調べようとすると、まず最初に絶対に行くなと言われる。クロームの力量や戦歴によっては、そもそも資料さえ貸して貰えない。ボトルシップを持っていても、海図が無ければわたれないのは、この世界の常識だ。つまり、門前払いは出来る仕組みがあるのだ。

白狼騎士団などの一流どころの傭兵団、つまり単独では対処できない相手と戦える人達は、情報を提供されると聞いたこともある。後例外があるとすれば、戦争中に、軍を派遣するセレストに情報が廻るくらいだろうか。

前々から不思議な人だとは思っていたが、何かこの人には、とんでもない秘密があるのかも知れない。

秘密がある大人の女性と思うと、より神秘的だ。

「ふん、そこで鳥を一匹見つければいいんやな」

「そうだ。 マローネ、出来るかい?」

「はい。 頑張ります」

「よし、良い返事だ」

魔島の一部の地図と、其処へ行く海図を渡される。コールドロンも、同じように貰っていたようだった。

外に出ると、コールドロンが腕組みして待っていた。

「言っておくが、ワシは欲しいとおもったもんは絶対に手に入れる。 一流どころの傭兵団をまとめて動員したるわ。 そうやな、白狼騎士団に獣王拳団、アマゾネス団に風の翼団、ついでに死人使いフォックスも呼びつけてやる。 覚悟しておけよ」

コールドロンは言い捨てると、先に悪趣味きわまりない、豪勢なボトルシップに乗って去って行った。

マローネは大きくため息をつく。

簡単にはいきそうに無い。

だが、絶対に、負けるわけにはいかなかった。

 

1、魔島上陸

 

魔島の近辺に、いくつものボトルシップが停泊していた。いずれもが、有名な傭兵団のものばかりである。

特徴的な白い狼の旗を掲げたボトルシップは、白狼騎士団。その隣に停泊しているのは、獣王拳団。

この二つは、現在イヴォワールにある傭兵団のトップツーである。規模といい戦力といい、他の傭兵団と比べて頭一つ抜けている集団だ。ただし、船の大きさ自体は、どちらも微妙である。

白狼騎士団に至っては、小型の快速艇だ。獣王拳団も大きいとは言えない船を使っている。

どちらも、今回の任務には、本腰を入れていないことが、これだけでもうかがい知ることが出来た。

他にも、いくつものボトルシップが見える。オウル族で構成された風の翼団、ある島の特殊な部族だけで構成されたアマゾネス団に加えて、檻のような見るからに陰気なボトルシップも浮かんでいた。

一人だけの傭兵団として知られるフォックスのものだ。

海岸に勢揃いした傭兵団の長達。彼らを呼びつけたのは、コールドロンであった。魔島の非常に過酷な環境に、それでも堂々と乗り込んだのは、コールドロンが少なくとも勇気に関しては優れていることを示していただろう。

ウォルナットは、団長達の後ろでほくそ笑む。

この仕事は、大きい。

しかも団長達は、見たところ全員が仕事の内容にうんざりしている様子である。今回は怪物退治でも無ければ、民を守る仕事でも無い。

報酬は大きいが、それでもこれより大きな報酬を得られる仕事など、いくらでもある。コールドロンという顔役に義理を立てるために出てきてはいるが、その道楽につきあわされるのは冗談じゃ無いと、顔に書いている者も多かった。

つまり、それだけつけいる隙が大きいという事だ。

ウォルナットの嗅覚が告げている。この仕事は、オクサイドに最適だ。勿論、傭兵団を正面から相手にするようなやり方は厳しい。だが、互いにつぶし合うように仕向け、最後に美味い汁をまとめてすすれば問題ない。

このために、わざわざ獣王拳団に入ったのだ。

「というわけや。 ワシが狙ってる島を取るためにも、諸君らには是非鳥を捕まえてほしい。 以上」

「で、コールドロンの旦那」

分厚い筋肉で全身を覆った、キバイノシシ族の巨漢が進み出る。

このイヴォワールでも上位に入る武勇の持ち主、獣王拳団の団長、ドラブである。屈強な肉体の持ち主であるだけでなく、当然のように能力者で、その戦闘力は九つ剣に匹敵するとも、それに次ぐとも言われている。

だが、そのドラブを持ってしても、この魔島は油断できない場所なのだ。

「魔島を侮るわけにはいかねえ。 本当に、あの話は間違いないんだな」

「ああ。 流石のワシも鳥のためだけに、多くの人間を死に追いやるわけにはいかねえからなあ。 先に調査して貰ったわい」

コールドロンが視線で指さしたのは、白狼騎士団のラファエルだ。

恐らく、今イヴォワールでも最強か、間違いなくそれに一番近い位置にいる男である。単独の戦闘力では、ドラブでも叶わないことを認めているほどだ。ラファエルは、多分今回の仕事に一番乗り気では無いのだろう。ずっとむっつり黙っていた。

「間違いない。 この離島に、今魔物はいない」

「やれやれ、難儀なこったぜ。 感謝するぜ、ラファエルの旦那」

「気にするな。 それよりもコールドロン殿、このような動員を掛けて、明らかに赤字なのでは?」

「そんなことは分かっておるわい。 これはワシの沽券の問題なんだよ」

コールドロンが、サメの牙をむき出しに凶暴な笑みを浮かべた。

くだらない話だ。

今も、わずかな金が得られずに、寒さに震えている子供がいる。わずかな金が無くて、病気を治せない子供がいる。

その裏で、馬鹿騒ぎに、とんでもない大金をつぎ込んでいる大人がいるのだ。

法は強者のために作られ、弱者は踏みにじられるためだけに生まれてくる。それがこの世界の現実なのである。

この世界は腐っていると、ウォルナットは思う。金さえあれば何でも出来るというのが、その証拠だ。

いずれにしても、鳥はウォルナットが捕獲する。そして、コールドロンが指定してきている大金は、全てかっさらわせて貰う。

それで、全てが終わるのだ。ようやく、治療を受けさせてやれる目処が付くのである。金、とにかく金だ。

社会で力のバロメーターになる金があれば、踏みにじられる側から踏みにじる側に変わることが出来る。

そうすれば、あいつの前に姿を見せることは出来なくても。あいつの幸せだけはつくることができるのだ。

それでいい。

ウォルナットは、どれだけ己を悪徳に染め上げても良いと想っている。だが、最後の誇りだけは捨てない。

それこそが、大事な者の幸せを願って、行動することなのだ。

コールドロンがいなくなると、ラファエルが主導で、地図を広げはじめる。傭兵団のボス達は、みな内心ではコールドロンが嫌いなようで、見る間に生気を取り戻す。

「担当地区を決めよう。 私が決めて、問題ないか」

「とはいっても、あんたは一人で来てるんだろ? 地区なんか担当して大丈夫なのか?」

そう言ったのは、アマゾネス団の団長であるフレイムである。

女性だけで構成される傭兵団だが、その戦闘力は決して低くない。全員が同じ島の出身と言う事もあって結束も固く、何よりフレイムが強力な能力者であることもあって、傭兵団の中でも上位の実力を誇る。

現に、今までに稼いできた戦歴は、なかなかのものだ。舐めてはかかれない相手である。

「ああ。 だが、本島ならともかく、此処でなら大丈夫だ」

その油断が、破滅を呼ぶんだよ、九つ剣筆頭。

内心で呟くと、ウォルナットは一旦その場を離れる。ラファエルが音頭を取る以上、すぐに担当部署は決まるだろう。

それからだ。

ここに来ている傭兵団を根こそぎ潰すのは中々骨だが、不可能では無い。

油断、戦力不足、何より士気の低さ。

これだけ揃っていれば、充分にウォルナットにも、つけいる隙が生じてくる。

「新入り、こっちだ」

ドラブが呼ぶ声がする。

どうやら、担当部署とやらが決まったらしい。

今回、なんだかんだでも最大規模の戦力を有しているのは、獣王拳団だ。ラファエルが本気になったらどうなるかは分からないが、獣王拳団の戦力が図抜けているのは、衆目の一致するところだろう。

だからからか、獣王拳団の猛者は、本島との海峡がある砂浜付近に一部隊を置くことになった。

其処に配置されると面倒だ。

というのも、その部隊の目的は、明らかに魔島本島から血の臭いをかぎつけた強力な怪物が来た場合、早期警戒および迎撃するためだからだ。

「俺が砂浜の部隊の指揮を執る」

「ボス、いいんですかい? 名高き獣王拳団が、そんな消極的で」

「バカヤロウ。 ……今回はな、気乗りしねーんだよ」

部下の追従を、ドラブは一蹴した。

ドラブは見た目よりも頭が切れる。ただ、ウォルナットが見るところ、頭の中身はかなり古い。

此奴が一番大事にするのは、侠と義だ。仕事がなりふり構わないように見えて、実は獣王拳団は、基本的に汚れ仕事はしないのである。

だから、獣王拳団が仕事をした後は、不思議とその悪評が薄れる傾向にある。一応、雇い主であり名うての顔役であるコールドロンには卑屈に振る舞う程度の知恵はあるようだが。

「もしも血の臭いをかぎつけて、強い怪物がこの離島に殴り込んできて見ろ。 鳥をのんきに探してる連中は、みんな食い殺されちまう。 ラファエルの旦那か俺のどっちかが、此処で見張らなきゃなんねーんだよ」

「ここに呼ばれるような奴が、そんな柔かあ? 団長、心配しすぎなんじゃ」

「テメーは魔島の恐ろしさをしらねえ様子だな」

不意に、ドラブの声が低くなる。

部下達が、みな一斉に背筋を伸ばすのを、ウォルナットは感じた。相当な威圧感だ。この男、正面から戦うのは危険である。

鍛え抜いた体と、実戦経験で散々磨いた能力は、伊達ではないという事だ。それが一目で、修羅場をくぐり続けたウォルナットにはわかった。

「とにかく、今回はコールドロンの旦那に義理を立てる。 だから、島で一部隊が探索はする。 だが最初から勝つ気はない。 それを覚えておけよ」

「へい、了解です!」

残念だったな、ドラブの旦那。

ウォルナットは、内心で呟く。

そもそも、ウォルナットを雇った時点で、ドラブは失敗が確定していたとも言える。

今回ほど大規模なオクサイドをやるのは初めてだ。いろいろな傭兵団にも恨みを買う。だが、その分のもうけも大きい。

人知れず、姿を消す。

ここしばらくスプラウトの監視を続けていたことで、隠密の技術は嫌でも上がった。気配を消すこと、相手の影から忍び寄ること。いずれも、以前とは比較にならないほどに向上している。

傭兵団の団長クラスになると、忍び寄るのは難しい。

ここに来ている傭兵団は、いずれもが歴戦の猛者揃いで、団長に至っては将来的には九つ剣に入れるかも知れないという連中ばかりなのだ。

だが、団員はそうでは無い。

油断している奴も多い。

だから、今回は。ウォルナットが勝ちを拾わせて貰う。

 

マローネのボトルシップは以前よりかなり改良が進んでいるとは言え、今回はいろいろな準備をしてきた事もあって、少し出遅れた。

指定された海域に来ると、全身に寒気が走る。

本能が警告しているのだ。此処に近づいてはいけないと。既に、天候もおかしくなってきていた。

波が異常に高くなってきており、海の濁りもおかしい。まるでインクでも流したかのように、真っ黒だ。

変な海獣がいるわけではないのだが、辺りには死の気配が濃厚に漂っていた。サメの背びれが見える。しかも、とんでもなく大きい奴だ。しかし見ていると、妙に元気が無い。マローネのボトルシップに気付いても、近寄ってくる気配も無かった。

魔島が見えてくる。

見るのは初めてだが、それだけで近づきたくないと感じさせるほど、濃厚な負の気配が漂っている島だ。

島の周囲には渦が巻いていて、容易には近づけない。

それだけではない。一見しただけで、島の自然が、滅茶苦茶に歪められているのが分かる。

生えている木は異常な形にねじ曲がり、巨大な卵のような、奇怪な実をたくさん付けているのが分かった。

怪物も、堂々とうろついている。他では見られないほど巨大なマンティコアが、此方をじっと見つめていた。しかもこのマンティコア、体のバランスがおかしい。明らかに、異常に体がねじ曲がっている。

島全体から、狂気と濃厚な魔力を感じる。

普通の人が踏み込んだら、絶対に生きては帰れない。それが一目で分かるほど、危険な場所だった。

カナンが、じっと島を見つめているのが分かる。

「カナンさん?」

「自分が死んだ場所を見るのは、不思議な気分ですね。 正確にはここではないですけれど」

「ああ、そういえばそうだったね」

他人事みたいに、コリンが言う。マローネは眉を下げて苦笑した。

いろいろなファントムに、死んだときのことは聞いた。コリンも肝心なところは話してはくれなかったが、魔島で死んだことは教えてくれた。

ファントム達と一緒にいる時間が多いから、マローネは不思議と、死んだ後のことに関しては妙な達観がある。それが人とずれた感覚である事は理解しているが、中々是正するのは難しい。

島の南側を廻りながら、目的の離島に急ぐ。

不意に波が静まったと思ったら、今まで普通の海原だった場所に、渦ができはじめる。急いで加速して、その場を離れた。背後で、大きなウナギのような怪物が、顔を出しているのが分かった。

島に上陸する前からこれだ。

あまりもたもたしていると、船ごと怪物の餌食になってしまうかも知れなかった。

指定された離島の側に来ると、ようやく海が落ち着いてきた。だが、それにしても濁りといい異臭といい、尋常な海域では無い。陸上だけではなく、海中も様子は滅茶苦茶なのでは無いのかと思える。

大きなボトルシップが、離島の周囲に点々としているのが見えた。

どうやらコールドロンは、本気でいろいろな傭兵団に声を掛けたらしい。明らかに赤字だろう。

だが、負けるわけにはいかない。

やっと、夢が叶うのだ。場合によっては、おばけ島でずっと静かに暮らしていくことだって出来る。

流石に、真っ正面から傭兵団、それも大手の、と戦う事は出来ない。

小さな砂浜を見つけた。其処に停泊する。コリンがコンファインしてくれと言ってきたので、魔力が集まっている枯れ木を見つけて、それにシャルトルーズを用いる。コンファインして、実体を得たコリンは。肩を回しながら、周囲を見た。

「やれやれ、離島でも、こんなに濃厚な負の魔力が漂ってるよ」

「コリンさん、来たことがあるんですか?」

「あるも何も、此処はあたしの故郷だし」

「えっ……!?」

コリンが、隠蔽の術式をかけ始める。ボトルシップを周囲から見えないようにして、なおかつ近づきたくなるものだ。

勿論優れた術者には見破られてしまうが、かけないよりはマシ。当然、魔物よけの効果もある。

魔物はいないという話だったが、マローネが見たところ、おぞましく歪んだ自然からは、凄まじい負の力が漂って来ている。何がいつ起きても不思議では無いだろう。

「あたしが死んだときは、この島は美しい緑に覆われていてね。 サルファーの奴が前に出たとき、こんなになっちゃったんだよ」

「そんな……サルファーって、そんなに恐ろしいんですか?」

「自然を歪め、世界を食い尽くし、何もかもを闇に引きずり落とす、程度にはね」

ハツネが難しい顔をしている。

サルファーによって故郷を滅ぼされた彼女にとって、今の話は他人事では無いのだろう。一度、コリンを戻して、代わりにハツネとバッカスに出て貰う。上で滞空していたヴォルガヌスが、朗々と言う。巨大なドラゴンであるヴォルガヌスは、しゃべり方までもが雄大なのだった。

「島に巨大な気配が多数あるなあ。 こりゃあ儂が全盛期でも、勝てるかわからん奴もおるぞ」

「ヴォルガヌスさんでもですか?」

「ああ。 この世界は強力な能力者が多数おるでなあ」

その中でも、特に強力な連中が此処に集まっているようだと、笑い話のようにヴォルガヌスは言うのだった。

アッシュが周囲を見回しながら言う。

「急ごう。 多分相当な人数が先行しているはずだ」

「出来れば戦いたくは無いね」

「そうだね」

アッシュが険しい顔で、周囲を見回していた。

恐らく、強い気配をたくさん感じているからだろう。マローネはまだそういうのがよく分からないので、皆に期待するしか無い。

コリンを一旦ファントムに戻し、バッカスをコンファイン。そして、ハツネにも出て貰う。

しばらくはガラントを加えた三人でローテーションしながら早期警戒し、戦闘になったら出来るだけ短時間で決着を付ける。

マローネも力が付いてきているが、数の暴力には勝てっこない。だから、そうやって少しでも消耗を押さえられるようにしていくしかないのだ。

陰鬱な砂浜を抜けると、坂に出た。上からは完全に丸見えの地形だ。

バッカスが足を止めた。

「イルナ」

「数は三人という所か」

当然、こういう要所には、見張りがいると言うことか。

戦闘になる可能性も高い。マローネは自分に言い聞かせるように頷くと、真っ正面から歩いて行く。

向こうは途中で姿を見せてきた。三人。

どうやら、狙撃手の類はいない様子だ。何かあったら大声を出して、味方を呼べば良いと思っているのだろう。

いずれもが屈強な人間族の戦士ばかりである。手には斧と槍を合わせたハルバードという長柄の武器を持っていて、分厚い鎧で体を守っていた。体つきは非常に大きく頑丈そうで、今まで見てきた傭兵団の人達とは、根本的にものが違うことが一目でわかった。

「何だ子供!」

「油断するな、怪物かもしれねえぞ。 魔島には人間に化けて相手を誘う奴がいるって聞いたことがある」

傭兵団の男達が、そんな風に言葉を交わしている。

もしもそうだとすると、恐ろしい話だ。マローネもその話を聞いていて、魔島が怖くなってくる。

だが、今は引き下がるわけには行かない。

武器を構えている三人に、近づいていく。バッカスとハツネには、ギリギリまでは手を出さないように、言っておいた。

声が届く距離になったら、マローネは足を止める。

「すみません、戦うつもりはありません。 通して貰えませんか」

「お前が魔物で無い保証はどこにも無い。 更に言えば、此処を誰も通すなと言われているんでな」

「それに、人間だったとしても、能力者の可能性はある。 仕事の邪魔をされると厄介だからな。 どっちにしてもとおせねえよ」

これは、通してくれそうに無い。

バッカスが前に出た。そして、男の一人があっというまもなく、強烈な体当たりを受けて吹き飛ばされていた。

予備動作が、以前よりも更に少なくなっている。いきなり動いたので、残像が出来たくらいである。

だが、吹き飛ばされた男は、着地時に受け身をとり、致命傷を避けている。それだけではなく、他の二人は、瞬時に反応。左右から、バッカスに槍を突き込みに掛かる。

一人が、慌てて飛び退く。ハツネの矢が、至近をかすめたからだ。

魔力で作った矢だけあって、ある程度融通が利く。至近で爆発したので、男は地面にたたきつけられていた。

そしてその隙に、槍で体を叩かれながらも、バッカスが旋回。尻尾の一撃を、相手にたたきつけていた。

最初に体当たりを浴びせた男が、雄叫びを上げながら突っ込んでくる。

真正面からバッカスに組み付いて来た。そして、驚くべき事に、互角の押し合いを見せてくる。

「随分でけえリザードマンだなあ! だが俺たち獣王拳団は、ドラゴンとでも戦ってるんだ! 簡単にやれると思うなよ!」

「ソウカ、ナラバコレナラドウダ!」

不意に組み方を変えると、バッカスが地面にたたきつけるようにして、男を投げた。力のかけ方を変えたらしい。

流石に、自分の馬鹿力も合わせて地面に突進することになり、男も無事では済まず。そのまま、地面で伸びていた。

ハツネが来て、手際よく倒れている三人を縛り上げはじめる。

「やはり、相当に手強いな」

「バッカスさん、傷を見せて」

「ウム……」

バッカスが一度、槍での直撃を受けていた。見ると、鱗はかなり禿げて、肉まで切り傷が及んでいる。

ファントムだから比較的回復は容易だが、それでも当然ダメージは残る。頑強なリザードマンの体にこれほどの傷を付けるとは。さっきの人達が、如何に手練れか、よく分かる事象だ。

回復が終わったところで、バッカスをファントムに戻す。そして、代わりにガラントに出て貰う。

「数が多いときは、儂を遠慮無くコンファインしてくれ。 一息で蹴散らしてやるでのう」

「有り難うございます、ヴォルガヌスさん」

マローネも感じ取っている。

この先は、更に手強い相手がいる。戦力を出し惜しみしていては、この人達と同じ事になるだろう。

しかし、会話は出来ないのだろうか。

そうだとすれば、悲しいことだ。

坂を抜けると、比較的広い場所に出た。そして、この離島のおぞましい全容を見通すことが出来た。

地面はコールタールのように真っ黒で、生えている木はどれもこれも黒ずみ、歪み、ねじれている。

おぞましい邪気が常に地面から吹き出しており、小石や砂粒までもが、異常な量の魔力を蓄えているのが分かる。木になっている実は何かの卵のようで、おぞましくふくれあがり、脈動さえしていた。

これで、まだ安全な離島だというのか。

本島の魔島は一体どんな有様なのか。想像するのも恐ろしい。歴戦の傭兵団でさえ、生きて帰れないという話は聞いていたが、それも頷ける。

「サルファーの力って、こんなにも自然を歪めてしまうものなんですね」

「そうだよー。 研究をもう少し進めて、その原理を解明しておきたいんだけどね」

コリンがその辺りの木とか石とかを漁っている。

何か、調べ物だろう。ガラントが咳払いをすると、渋々という感じで腰を上げた。ガラントも、四六時中コリンを怒っている訳では無いが、どうやら完全に力関係は定着している様子だ。

実際、ガラントは誰にでも厳しい。それは自分に対してもだから、誰もが納得して、その雷を受け入れている節がある。

「コリン、此処での調べ物は、専門のチームを組んでいる時にしろ。 今日は時間も無いし、やめておけ」

「分かったよ。 それよりも、カナンちゃん」

「はい?」

「あんた死んだのって、こっちじゃ無くて本島の方だっけ?」

歩きながら、後ろでコリンとカナンが話をしている。

ガラントが、優しくマローネの頭をこづいた。知っている人だし、何より信頼している相手だから、それくらいは怖くない。

カナンは頷いて、色々と話をしている様子だ。

ハツネが戻ってくる。先に偵察に出てくれていた彼女は、息を弾ませていた。

 

2、罠の在処

 

戻ってくるなり、慌ただしくハツネは言う。

「止まれ。 一旦身を隠せ。 様子がおかしい」

「どうしたの?」

とにかく、言われたままに岩陰に身を隠す。

岩自体がねじくれてしまっていて、嫌な湿気が周囲に充満していた。何も動物がいないという事も無いだろう。怪物がいないにしても、人間を襲える猛獣くらいは、いてもおかしくない状況だ。

遠くで、爆発音。

マローネにも、抜き差しならない状況だと言うことは分かった。

「何が起きている。 怪物か何かが来ていたという事か」

「いや、違う。 傭兵団といったか、人間同士で争っている。 人間族の女だけの集団と、オウル族の一団が、激しく交戦しているようだ」

「ええっ!?」

コールドロンが口にしていた傭兵団の中に、アマゾネス団と風の翼団があった。どちらも高名な傭兵団で、マローネも良く名前を耳にする。

アマゾネス団はある島の出身者で締められている傭兵団らしく、特殊な風習でまとまった女性戦士達による集団だそうである。特殊な能力持ちも多いだけではなく、男性を近づけない独自の風習で、結束を強めているのだとか。

一方風の翼団は、オウル族のセレスト出身の団長がまとめている集団で、団員をオウル族で統一しているらしい。此方も同じ種族だけで戦力をまとめているだけあり、かなりの結束力を持つ強力な集団らしい。

「なるほど、血族集団と同族集団だな」

「でも、同じコールドロンさんに雇われた人達らしいのに、どうしてこんな」

「さてね。 報酬に目でもくらんだか、それとも」

「見たところ、両方とも訳が分からないという様子で戦っていたな」

ガラントがしばらく考え込んでいたが、不意にアッシュが挙手する。

これは好都合だと、アッシュは言った。

「何にしても、二つの傭兵団が戦力を消耗し合ってくれているのは好都合だ。 彼らには悪いが、突破する好機だと思う」

「アッシュ?」

「私もそれに賛成だ。 敵の戦力が減少している現在、突破の好機だろう」

ハツネも、アッシュの言葉に同意する。

また一つ、爆発音。死人が出ていなければ良いのだけどと、マローネは心配になってきた。

「マローネ、彼らは戦うために来ている集団だ。 首を突っ込むべきじゃ無い。 今、止めようと考えたんじゃ無いか?」

「うん。 分かってはいるけど、でもアッシュ、放ってはおけないわ」

「今、自分が何をしに来ているか、考えないと駄目だよ。 巻き込まれないように、今は急いで先に進もう」

アッシュの言葉が正論だと言うことは、分かる。確かに傭兵団は、基本的に戦いがあると、命を捨てた覚悟で現場に出向く。

勿論報酬を重視する事もあるが、それは基本的に、仕事が命がけだからだ。勿論仕事場では相当ぴりぴりしているだろう。

ただのいざこざに、首を突っ込むのは、確かに良くない事かも知れない。

「分かったわ、アッシュ。 だけど、怪我をしている人を見かけたら助けましょう」

「君はお人好しすぎる」

アッシュが言いたいことはよく分かる。

それでも、マローネは、けが人を放置していくようなことは避けたかった。

戦場になっているのは、この少し先の盆地だ。戦闘と言っても、本格的な殺し合いでは無いらしい。ただし、さっきまではかなり激しい肉弾戦をしていた様子だ。遠目に見ると、双方ともけが人がかなりの人数出ていて、一旦距離を取って様子を見ながら、援軍をかき集めているようだ。

「何をやっているんだい!」

距離を取りながら進んでいたマローネが、どうやらアマゾネス団の首領らしい女戦士の怒号に身をすくませた。

同時に、オウル団の方にも、指揮官が来たようだ。

「一旦武器を納めな! どうして戦いになった!」

「相手から仕掛けてきたんですよ! 巡回してたら、いきなり!」

「それはこっちの台詞だ!」

オウル族が言い返す。

どうやら、現場見聞をはじめるらしい。盆地を避けるようにして、岩山の間を抜ける。周囲の異臭が酷い。相手から見えないような位置を探るのにも、随分苦労した。

先に行っていたハツネが、岩の上から手を伸ばして、マローネを引っ張り上げてくれる。同じくらいの背格好なのに、鍛え方か、腕力が根本的に違った。軽々とマローネを引っ張り上げると、ハツネは言い争っている二つの集団を見つめる。

「様子がおかしいと思わないか」

「はい。 同じ人に雇われているはずなのに、どうして」

「いや、それ自体は別に構わないのだが。 何だか双方の言い分が、食い違っているように思えてならないな」

誰かが罠でも仕掛けたのでは無いかと、ハツネが呟く。

その時だった。

「ああっ! あいつだ! 其処に隠れてるぞ!」

いきなり、大声が轟いた。

まずいと思う暇も無く、アマゾネス団と風の翼団の戦士達が、こっちを見る。

今の声は。何処かで聞いたことがあったような気がする。はっきりしているのは、激高した二つの集団が、此方に押し寄せてくる事だった。

「マローネ!」

ヴォルガヌスの声が轟く。

確かに、追撃を受けると非常にまずい。今は他に手が無い。

「出来るだけ、殺さないようにしてください!」

「まかせい!」

集中。

流石にドラゴンをコンファインするのだ。全身の魔力を一気に引き抜かれるような喪失感があった。

押し寄せてくる相手の人数は、多分百人を超えている。

追いつかれたら、全員を一度にコンファインしても、多分どうにもならないだろう。それならば、出鼻を挫いて、その隙に逃げるしか無い。

影が、周囲を覆う。

追いかけてきていた人達が、止まるのが分かった。

頭上に出現したヴォルガヌスが、凄まじい咆哮を上げる。翼が巻き起こした風が、辺りの小石や枯れ木を巻き上げ、吹き飛ばした。

口から吐き出された火球が、追撃をかけてきていた傭兵団達の至近に着弾。大爆発を引き起こす。

これだけで、立ちくらみが起きそうだった。

とんでもない魔力が、今の一瞬だけで全身から吸い取られた。ヴォルガヌスは既にファントムに戻っていた。

目の前に広がっている光景は、現実とはとても思えない。巨大なクレーターが出来ており、唖然と追撃をしようとしていた傭兵団の者達がそれを見つめている。

「今だ、早く!」

ハツネが手を引いて、マローネを岩の上に引っ張り上げる。

そのまま、脇目もふらずに逃げ出す。さっきの声は何だったのだろうと、不安になりながら。

だが、ガラントが、マローネを抱えて横っ飛びに飛び退いた。

一瞬前までマローネがいた空間を、空から落ちてきた槍が貫いていた。其処に着地したのは、精悍な顔立ちの、オウル族の男性である。

更に、前を塞ぐようにして、りりしい人間族の女性が姿を見せる。手にしているのは、巨大なハンマーだ。人間よりも大きいくらいである。髪の毛は短く切りそろえていて、熊か狼の毛皮を着込んでいる。全身は浅黒く焼けており、一目で凄い力量の女戦士だとわかった。

今の一瞬で、回り込んできたという事だ。

「リエール、邪魔すんじゃ無いよ」

「見たところ能力者の上に、ドラゴンを使役してもいるようだ。 一対一では事故の可能性もある。 加勢しよう、フレイム殿」

「ふん……まあいい。 好きにしな」

どうやらオウル族がリエール、人間の女性がフレイムというようだ。どちらも臨戦態勢に入っている。そして、ガラントもハツネも、無駄口一つ叩かない。

まずい。

今の状況で、これだけ冷静な判断力を見せるこの二人、多分傭兵団の団長だ。しかも、一流の、である。

更に最悪なことに、時間を掛ければ後続が追いついてくる。

「マローネ、僕をコンファインするんだ!」

アッシュが叫ぶ。

どうやら、他に手は無さそうだ。ガラントが、大剣を大上段に構える。

「名がある戦士と見た。 俺はガラント。 立ち会いを所望いたす」

「む、その名前は聞いたことがある。 だが、既に傭兵団の団長であったガラント氏は死んでいるはずだ。 まさか貴殿、悪霊か」

「悪霊では無いが、死人だ。 貴様は」

「私は風の翼団団長、リエール。 この勝負、受けた。 死した偉大な戦士よ、貴殿の技の限りを見せて貰う!」

ガラントがわざわざ名乗りを上げてくれたのは、シャルトルーズを使う隙を作ってくれているのだ。

詠唱をしようとする瞬間、フレイムの方が仕掛けてきた。殆ど予備動作為しに、印を切る。だが、能力発動の寸前、ハツネが矢を放った。ハンマーで受け止めながら、女性は数歩下がる。ハツネが飛び出し、次の矢をつがえた。そして、女性の間合いの寸前で横っ飛びに逃れ、矢を放つ。

至近からの矢を、更に跳ね返すフレイム。

こういう所で、男性戦士と女性戦士の差が出てくる。戦闘にどこかしら美学的なものを有する男性戦士に対して、女性戦士は極めてドライだ。ハツネに、間合いを詰めるフレイム。だが、ハツネが飛び退いた瞬間、印をマローネに向けて切った。

気付く。

吹っ飛ばされて、跳ね上げられたのだと。

どうやら氷の塊か何かを、地面の下から噴出させる能力らしい。コバルトブルーと聞こえたが、それだけだった。

意識が遠のく中、受け止められる。

着地。アッシュだった。

「危ない。 寸前で間に合ったな」

「よそ見する暇など与えない!」

地面に下ろされたマローネは、全身の酷い痛みに耐えながら、続いてカナンを呼び出す準備に入る。ハツネが矢を放ち、フレイムの至近でそれが炸裂。吹き飛ばされながらも受け身をとり、フレイムは余裕綽々に立ち上がる。とんでもなくタフな戦士だ。

ガラントはと言うと、既にリエールと激烈な死闘に突入していて、声を掛ける暇も、つけいる隙も見つからなかった。

ガラントが振り下ろした大剣を、リエールが横薙ぎに受け止めた。はじき返しつつ反転、石突きで腹を狙う。その石突きを剣の柄ではじきつつ、今度はガラントが肘を叩き込む。紙一重でかわすリエール。

地面すれすれで旋回しつつ、リエールがガラントの足下を狙う。

だがガラントは、剣を回転させて、一撃を剣の腹で受け止めた。飛び退くリエールに、至近まで迫ると、大上段の一撃。槍で受け止めたリエールに、更に飛び込みつつの蹴りを見舞った。

はじきあう二者。

リエールが飛ぼうとする所に、ガラントが突っ込む。残像が残りそうな、凄まじい飛び出し。だが、今度はリエールも読んでいたようで、稲妻のような突きを連続で繰り出す。槍の穂先の雨を剣ではじきながら、傷を受けつつも、ガラントは至近に飛び込んだ。

タックルを浴びせたガラントが、リエールともつれて地面に転がる。だがすぐに離れ、大剣と槍の技量の限りを尽くした死闘が続く。

二人の力量は互角と見える。マローネがもう少し魔力を高め上げていれば、もう少しガラントは良い戦いが出来ただろうに。しかも今は互角でも、ガラントには時間制限があるのだ。

一刻も早く、勝負を決めないとならない。

均衡を崩すとすれば、恐らくフレイムの方だ。

アッシュが手袋を直す。舌打ちしたフレイムは、ハツネに突貫する。まずは横やりを防ごうというのだろう。

消耗を気にはしていられない。

カナンが、ようやく具現化する。同時に、アッシュが前線に躍り出た。その体は、既に青い燐光に包まれている。

繰り出された拳。

フレイムが、それをハンマーの柄で受け止めた。かなりの距離を飛ぶが、それさえ利用して、反撃に出る。

印を切る。

同時に、ハツネが地面から飛び出した氷塊に吹き飛ばされる。だが、ハツネも只では吹き飛ばされず、その寸前に矢を放っていた。それが、フレイムの至近で炸裂、地面にたたきつける。

だが、フレイムはまるで意に介していない様に立ち上がる。

ハツネはと言うと、直撃が相当に効いたようで、身動きできていない。カナンはマローネに応急処置だけ施すと、ハツネの方に向かった。

次だ。

マローネも、詠唱を続ける。

消耗と時間を惜しんでいたら、負ける。

凄まじい魔力消耗に、何度も意識が飛びそうになる。だが、それでも、此処で負けるわけにはいかないのだ。

フレイムに、アッシュが飛び膝蹴りを浴びせかける。ハンマーの柄で乱打を受け止めながら、フレイムは冷静に消耗を押さえている。これは、アッシュの消耗が早いと、見抜いているか。

だが。

次の瞬間、フレイムの動きが止まった。

マローネが放った低威力の術式が、彼女の左腕を直撃したからだ。コリンから、いろいろな術式を習った。その中には攻撃術も当然あった。燃え上がる毛皮に慌てるフレイムの頭上から、アッシュの踵が降り注いでいた。

倒れるフレイム。

ほぼ同時に、捨て身の一撃で脇腹を抉られながらも、ガラントがリエールに、渾身の膝を叩き込んでいた。

「見事……!」

「貴殿もだ」

リエールが倒れた。死んではいないようだが、当分は身動きできないだろう。

ガラントが、脇腹を押さえたまま、此方に来る。

カナンに二人を治療するように指示。ハツネも肩を押さえていてつらそうだが、まだ少しは大丈夫か。

すぐにその場を去ろうとするマローネに、声が掛かる。

倒れたままの、フレイムだった。まだ意識はあるらしい。カナンの術式で、意識を取り戻したのかも知れない。

「待ちな」

「フレイム、さん?」

「お前じゃないな、罠を張ったのは」

意外な言葉をかけられた。恨み辛みを浴びせられるかと思ったのに。

「うちの子らが、不意に攻撃を受けて、側にいた風の翼団に反撃した。 あの攻撃は恐らく火炎系の術式だから、今のでひょっとしたらと思ったが……違うな」

「私、そんなことしません。 信じてください」

「信じるよ」

意外にも、フレイムは信じると言ってくれた。

言葉が出ない。

「一番効率が良いのは、あたしらが集まってるときに、さっきのドラゴンのブレスを叩き込むことだからね。 ……いいさ、いきな。 何があったか分からないけど、さっさと行かないとうちの子らに殺されるよ」

「ありがとうございます!」

ぺこりと頭を下げると、マローネはその場を後にする。

全身の痛みが酷い。魔力の消耗も、だ。何処かで休まないと、とても戦える状態では無い。

しばらく走って、やっと隠れられそうな場所を見つけた。

大きな岩の影に入ると、バックパックを開けて、水筒を取り出した。カナンの回復術を受けたのに、それでもなお痛みが酷すぎて、水筒を開けるのにもずっと指が震えていた。水を一気に喉に流し込む。更に、弁当を少し腹に入れる。

ハツネは少し遅れて付いてきていた。カナンも一緒である。ガラントとアッシュは、既にファントムに戻って貰っている。

「周囲を警戒する。 出来るだけ休んでくれ」

「ハツネさんは」

「不覚を取った身だ。 多少の無理はやむない」

「そんな!」

反論を許さない雰囲気で、ハツネは姿を消した。

マローネは忸怩たるものを覚える。もっと強くなっていれば、みんなにこんな無理をさせなくてもすんだのに。

「今は、少しでも休んで、体を回復するの」

カナンが側で優しく慰めてくれる。

休んでいる暇など無いのに、どうしても体が動かない。アッシュはしばらくコンファイン出来ないだろうし、次はバッカスとコリンを主軸で行くしか無い。そのバッカスも、まだ回復しきっていない状況なのに。

アッシュとヴォルガヌスをコンファインした事で、マローネの魔力は枯渇状態だ。全身の冷や汗が止まらない。

魔力を使いすぎると、こういう状態になる。意識が飛ぶこともある。

以前、富と自由の島で同じような状態になったときは、しばらく気絶していたことを思い出す。あのときよりずっと体を鍛えてはいるが、それでも相当に応える。

しばらく、うつらうつらと時を過ごす。

力が無い事が、ただ悔しかった。

 

夢を見た。

お父さんとお母さんの夢。

いつもマローネの夢の中で、二人は優しい笑顔を浮かべていた。

だが、マローネは知っている。お母さんは、マローネと同じように、悪霊憑きと呼ばれて大変に苦労して育って来たことを。

二人の姿は、もうおぼろげにしか覚えていない。だがアッシュが二人の話を良くしてくれるから、その人物像については、理解しているつもりだ。

悪霊憑きと呼ばれる人達は、みな不幸だ。マローネが受けてきたような差別を、誰もが受けながら育って来た。

だから多くの人は、性格も歪んでいる。犯罪を行う人や、本当の意味で社会の敵になってしまう人もいるそうだ。

いつも優しい笑顔を浮かべていたお母さんも、きっとそんなダークサイドに心を掴まれたことがあったのでは無いのか。マローネは、そう思う。このまま、生きていたら、きっと自分も。

ふと、目が覚める。

魔島だ。此処で、おばけ島を手に入れるために、鳥を探していたのだ。

身を起こす。

となりでは、カナンが心配そうにマローネを見下ろしていた。

「うわごとを言っていましたよ。 苦しくありませんか?」

「大丈夫です。 体も、だいぶ楽になりました」

むしろカナンの方がつらそうだ。ずっと回復術をマローネに掛けてくれていたのかも知れない。

ハツネが戻ってくる。

彼女の怪我も、少し良くなっている。寝ている間に、カナンが処置してくれたのだろう。

「追撃は無い。 だが、この先は少し厄介だな」

「何があったんですか」

「戦闘だ。 しかも規模は小さくない」

またか。

一体この島で、何が起きているのか。マローネは、戦慄が体に走るのを、止めることは出来なかった。

何だかとても嫌な予感がする。

まだ、アッシュをコンファインするのは難しそうだ。ヴォルガヌスに至っては、多分コンファインした瞬間に、意識が消し飛ぶだろう。

だが、それでも。

そろそろ行かなければならなかった。

 

3、悪霊憑きVS悪霊憑き

 

フォックスにとって、魔島のような人里から隔絶した土地は、むしろ心地が良い。幼い頃から、実の両親でさえ敵だったフォックスには、死人だけが気を許せる相手だった。多分、死人の姿が見え、その声が聞こえるときから、そうだったのだろう。

それはもう、幼い頃は、両親の愛が得られないことに悲しんだ。だがその理由が、悪霊憑きと呼ばれる能力者だからだと知ってからは、むしろ楽になった。

奴隷として売り飛ばされたとき。あまり両親に対しては、殺意を感じなかった。

他の兄弟達の、蔑む視線にも飽きていた。むしろこのままいれば、連中を殺してでも、その場を離れていただろう。血のつながった家族などに、フォックスはなんら期待していなかったし、思い入れも全く無かった。

奴隷として彼方此方を点々とした。見世物小屋に入れられ、好事家のペットも同然の存在にされ。やがて、男色趣味のベリルに売り払われたとき、行動を起こした。既に自在に能力をコントロール出来るようになっていたフォックスには、ベリルの集団くらい、実力で排除できる相手に過ぎなかった。

そいつを殺して、首を手土産にクロームのギルドを訪れたのである。

布に包んだ血まみれの首を見たギルドの受付は仰天したが、そいつが子供を誘拐しては殺す札付きのベリルだと知って、逆に褒めてくれた。貰った賞金を使って、フォックスが最初にやったのは、比較的高い宿に泊まって体を洗い、そして襤褸では無いきちんとした服を買うことだった。美味しい食べ物も、食べる事が出来た。マナーなど一切知らなかったから、最初は手づかみで、だったが。

クロームも悪くない。その時、フォックスはそう思った。

やがて、フォックスは圧倒的な戦闘力で、クロームの仕事をこなしていった。傭兵団としての認可をしたのは、十七歳の時。その時には既に、フォックスの戦闘力は、小規模な傭兵団並みと言われていた。

フォックスの生活はむしろ悪くないものとなった。人間と関わるのは、仕事をするときだけ。

後は自分の根城にしている小さなレンタル島で、死者達と語らう時だけになった。

自分もいずれ死者達の間に加わるのだ。そう思うと、生まれてこの方安らぎを得たことが無かったフォックスも、自然と頬が緩む。それに、力を得てからは、分かるようにもなった。

相手が此方を馬鹿にしているのでは無く、むしろ怖れているのだと。

今まで散々フォックスをコケにしてきた連中が、恐怖が故に行動していると分かってからは、むしろ連中を哀れだと思うことはあっても、敵意を刺激されることは無くなったのである。

新聞には、活躍するフォックスを中傷する記事も載った。だが、それが自分の悪霊憑きとしての力を怖れているからだと分かってからは、特に気にすることも無かった。また馬鹿で貧弱な連中が、悪霊憑きの力を怖れている。そう思えば、なんと言うことも無かったからである。

今回の仕事は、鳥を探す事だと聞いていたが、それは別に構わない。人間と関わる仕事では無いからだ。フォックスにとっての当座の目標は、本当の意味で自分だけのものとなる島を手に入れること。出来れば広くて大きい島がいい。しばらくお金を貯めて、やがて目標を達成したら。

そこで、生きた人間が入れない、フォックスにとっての静かな楽園を作るのだ。

飛ばしていた偵察が戻ってきた。フォックスは人間に対して決して見せない、穏やかな表情で、それを迎えた。

「鳥は見つかったか」

「いや、いない」

「そうか。 続けて偵察を頼むぞ」

骸骨だけになっている鳥が羽ばたき、飛び去っていく。

この世界においても、鳥が喋ることは無い。これはフォックスの力により、鳥の死体にファントムを憑依させたものだ。

フォックスの周囲には、マンティコアだったものや、フェンリルだったもの、それにかっては人間だった死体をたくさん組み合わせたものなど、異形の死骸がたくさんいた。いずれもが、フォックスの力で融合させたものだ。中にはフォックスの友であるファントムが憑依している。

世間では、いわゆる不死者を、替えが効く上に頑丈で都合が良い使い捨ての兵隊という考えをしている者もいるらしい。フォックスからすれば、唾棄すべき話だった。

さて、担当地域を探しているだけでは、埒があきそうに無い。どうしたものかと、フォックスが考え事を巡らした、その時。異変が起こった。

不意に、轟音が轟く。

緩慢に顔を上げた不死者達。あっとフォックスが思った時には、既に遅かった。

側にある岩山の中腹で爆発が巻き起こり、多量の土砂が降り注いできたのである。不死者達を土砂が容赦なく飲み込む。一番素早いマンティコアとフェンリルを合成した不死者が、フォックスをくわえて飛び退く。

凄まじい勢いで土砂が襲いかかってきて、必死に逃げる。フォックスの友が憑依している不死者達は、見る間に見えなくなった。かろうじて、少し小高い場所に登ったフォックスは、その惨状を余すこと無く見ることになった。

嗚呼。嘆きが漏れた。

乱れた呼吸を整える。明らかに、これは自然現象では無い。この巫山戯たマネをしてくれた奴は、どこだ。

「流石だな。 今のタイミングでの攻撃から逃れたか」

「貴様あ……!」

姿を見せたのは、コートを羽織った人間族の男だった。非常に長身で、全身から焼け付くような炎の魔力を放っている。

見覚えがある。確か、獣王拳団の新入りの筈だ。

かなり手強いが、この程度の魔力、フォックスからすればひよっこも同然だ。

「このようなことをして、只で済むと思っているか!」

「一人だけの傭兵団、死人使いフォックスさんよ。 勿論報酬のためだから、只で済むなんて思っちゃいねえよ。 そもそもあんたに対して今の俺じゃ勝ち目が無いから、こんな手を使った訳でね」

「ほう……貴様オクサイドをする気か、この人数相手に。 で、私の力を、この程度で削いだつもりかな? 笑止!」

フォックスも、能力を使う体勢に入る。

あれほどの爆発を発生させる道具は存在しない。魔術を使った気配は無い。そうなると、能力を使ったのだろうと、子供でも推察できる。

其処に、闖入する第三者。

今度は子供だ。発育がかなり悪い様子で、背も低いし体型も貧弱な女の子である。だが、フォックスには見える。その周囲で、子供を守るようにしているファントムの姿が。ファントムの中には、リザードマンやドラゴンの姿まである。

一目でわかった。この子供も、悪霊憑きだ。自分と同じ。

「ほう?」

「よお、相棒。 待ってたぜ」

「えっ?」

子供に、不意に獣王拳団の新入りが声を掛ける。そして、後は任せたと、その場から姿をくらませるのだった。

 

マローネがその場に辿り着くと、二人の男性が、崩れた土砂の中で対峙していた。

一人は、魔術師風の格好をした男性で、手にいかにも恐ろしげな杖を持っている。側には見たことも無い、マンティコアとフェンリルを足したような怪物を控えさせている。そして、驚くべき事に、その周囲には多数のファントムを見て取れた。

もう一人は、見覚えがある人だった。

確か以前、マローネにオクサイドを仕掛けてきた、ウォルナットという人だ。あのときの事は、とてもつらい思い出として、マローネの心に傷をつけている。

その人から、いきなり相棒と呼ばれた。

辺りは土砂崩れが起きたらしく、悲惨な有様で、それでも驚いていたのに。あの人に、いきなり相棒と呼ばれて、マローネは混乱が納まらない。更に、魔術師風の男性を押しつけるようにして、ウォルナットは去ってしまう。

「一杯食わされたな」

「多分、さっきの同士討ち騒ぎも、彼奴の仕業だろう。 以前もろくでもない事をしていたようだが、戦士の誇りを知らぬ男よ」

アッシュとガラントが、そんな話をしている。まだ良く状況が分からないマローネは、立ち尽くすばかりだ。

ハツネが矢をつがえた。男が、マローネに話しかけてくる。今のアッシュとガラントの会話も、聞こえていたようだった。

「お前、あの男の相棒というのは本当か?」

「いえ! 違います!」

「……ふむ、私と同じ悪霊憑きか」

どうやら、男性も悪霊憑きらしい。ちょっと親近感がわいた。だが、男性が纏っている魔力は非常に禍々しく、周囲のファントム達も、マローネには好意的に見えない。男の目には、非常に根深い猜疑心が宿っている様子だ。

「あの男に、奴隷として使われでもしているのか。 ファントム達は奴の正体を看破できているようだが、精神的な拘束でも掛けられているのかな。 哀れなことだ」

「違います。 私は……」

「違うだと……! ならば、私を同じ悪霊憑きと知らずに、このようなことをしたか!」

話が、微妙にかみ合っていない。

ちょっと分かってきた。この人は、コミュニケーションの経験がとても少ない。多分相手と会話をしなれていないのだろう。一方的に意思を押しつけられることはあっても、会話をする事は無かった。だから、意思疎通を、一方的にしか行えないのだ。恐らく、両親でさえ、この人と人間としては接しなかった。

それだけではない。

根本的に、人間を信用していない事が、マローネにはすぐに分かった。目には、自分以外の人間全てを、敵として認識する強い光があったからだ。

なんて悲しい人なんだろうと思う。悪霊憑きだと名乗っていたが、そうだとすると、この人はマローネがたどったもう一つの末路であったのかも知れない。サルファーが誘いを掛けたら、この人は世界を裏切るかも知れない。そうマローネは感じた。

「哀れだとは思うが、あのような輩の手先になっている以上、見過ごせんな。 一つ灸を据えてやらねばなるまい」

「待ってください、話を」

「これ以上は問答無用っ!」

男の全身から、強烈な魔力が吹き上がる。物質的な圧力さえ伴っているほどである。

こんなに強烈な魔力、マローネは見たことが無い。男の周囲に、黒い方陣が出現し、其処から具現化した肉の塊が、無数に這い出してきた。

人間の死体だったり、マンティコアの死体だったり、様々な怪物を混ぜたような姿をしていたり。

腐臭が辺りを覆い始める。

「同じ悪霊憑きとしての、せめてものよしみよ! 私の悪霊憑きとしての力、見せてやろう! 私の名は死人使いフォックス! 行くぞ、哀れな奴隷の悪霊憑き! 精霊は我が意に従い、怨敵を滅ぼさん! 魔道の能力、ヴィリディアン・カッパー!」

男の周囲の黒い方陣から這い出した膨大な数の不死者が、辺りに満ちていく。

その中に立ち尽くす男、死人使いフォックスは、闇の中にいることが、まるで普通のように馴染んでいた。アッシュが嘆いた。

「駄目だ、会話できる状況じゃ無い。 あの男を短時間で叩くしか無いな……」

「バッカスさん!」

アッシュもガラントも、まだ戦える状態に無い。

ならば、ハツネとバッカスで血路を開き、コリンで一気に叩くほか無い。この様子だと、逃げることも難しいだろう。

だが、出来るのか。敵はとんでもない大軍勢だ。一人一人の動きは鈍い。だが、それも危ない気がする。

コンファインが、間に合う。

具現化したバッカスが、手を伸ばし、マローネを背中に乗せた。あっと思う暇も無かった。

「オレニカマウナ。 イッキニキメロ」

「わ、分かりましたっ!」

「イクゾ!」

バッカスが、一気に加速した。

まるで髪の毛に糸をくくりつけられ、全力で引っ張られたかのように、Gがかかる。必死にマローネは、バッカスの背中にしがみつきながら、適当な物体を探す。コリンをコンファインするためだ。

怒濤の如き、バッカスの突進。

しかし、まるで意に介さないように、無数の死体が、バッカスの前に立ちはだかる。バッカスはその一つに食いつくと、空に向けて放り上げた。

それが、戦闘の合図となった。

ハツネが弓を放つのが分かった。無数の光の矢が、敵陣に降り注ぐ。力を惜しまず、援護をしてくれている。その中を走り抜けるバッカスだが、無数の死体がスクラムを組んで、強引に突撃を制止した。

バッカスがパワーに任せ、タックルを浴びせかける。

だが、腐っていることで却って柔軟になっているからか、様々な死体の融合体達は、それを難なくスクラムで受け止めた。マローネは必死に鱗だらけの背中にしがみつきながら、放り出されないようにするだけで精一杯だった。

何か、コンファイン出来るものは。

土砂崩れで逆さに地面に刺さっている枯れ木を見つける。アレしか無い。

「さまよえる魂よ、導きに従い……」

「させるか!」

あっと気付いたときには、周囲に無数の雷撃が降り注いでいた。あれだけの魔力だ。フォックスが術式を使えても、不思議では無い。さっきフレイムを撃退するときに使った戦術なのに、どうして気付けなかった。

視界が真っ暗になる。

酷い痛みだ。カナンに直して貰った傷口が開いてしまったらしい。やたら周囲も冷たく感じる。

光が見えた。

違う。今の一瞬、バッカスがマローネをかばって、盾になってくれたのだ。

ドカン、ドスンと凄い音がする。大きな体で、マローネをかばってくれているバッカスに、死人の群れが殴りかかったり、噛みついたりしているのだ。

「ダイジョウブカ」

「バッカスさん!」

「オレハイイ。 イマダ!」

シャルトルーズの詠唱を再開。だが、バッカスの体がそうしている間にも、見る間に砕かれているのが分かる。

コンファインした後ダメージを受けると、ファントムもそれに応じたダメージを受ける。力を使い果たせば、当分はコンファイン出来なくなる。ファントム自身にも、当然酷い痛みが行くはずだ。

歯を食いしばる。

何度も、バッカスに謝りながら。そして、遠くに見える枯れ木に、コンファイン。

人型を取ったコリンが、詠唱を実施。気付いたフォックスが詠唱しようとするが、コリンの方が早い。

「灼熱の牙よ、敵をかみ砕け! フレアボール!」

無数の火球が、コリンの頭上に出現した。

それが、一斉に敵陣に降り注ぐ。耳を塞いだのは、継戦能力を保つためだ。地響きがしたかのように思ったが、それは爆発音だろう。

バッカスが、横倒しに倒れる。

全身に酷い傷を負っていた。今の爆発で、周囲の死人達が、一斉に吹き飛ばされた様子だ。歯ぎしりしながら、フォックスが詠唱を続けようとし、真正面から飛んだハツネの矢の直撃を受け、真後ろにすっ飛んでいた。

マローネは、震える膝で、どうにか立ち上がる。

フォックスは恐らく、その膨大な魔力で防いだのだろう。平然として立ち上がってくるが、その表情はもはや鬼神のようだった。相当に頭に血が上っている。

「おのれええっ!」

「こりゃあ殺すしかないかな……」

コリンが目を細めると、更に大威力の術を準備しはじめた。フォックスの側にいた巨獣が動こうとするが、足下にハツネの矢が着弾。

他の死人達も、勿論黙っていない。

多少動きは緩慢ながら、確実に迫ってくる。コリンは少しずつ下がりながら詠唱をしていたが、その足を地面から生えてきた手が掴んだ。無言でその手を何度も蹴るコリン。だが、手は絶対に離さない。

「へー。 あたしをそんなに怒らせたいかなあ……」

コリンの声が、氷点下になる。

まずい。

マローネは、痛む全身を奮い立たせた。このままだと、どうしようもない結果だけしか見えない。

無理をして貰うしか無い。

魔力が、尽きても良い。今、此処でどうにかする。

コリンが、それにフォックスが、特大威力の術式を使うべく、詠唱を進めている。ハツネが放つ矢は、どれもこれもが、死人が体ごとで受け止めた。今、ノーマークなのはマローネしかいない。

問題は、フォックスにはファントムが見えると言うことだ。

だが、彼は今、頭に血が上っている。巧くすれば、或いは。

もう一度、シャルトルーズ。一瞬で良い。既にファントムに戻っているバッカスに、内心でわびながら、マローネは詠唱の最後の一説を唱えた。

「奇跡の力、シャルトルーズ!」

距離は、ギリギリ。

フォックスが驚いて振り返るのと、全身傷だらけのガラントが人型になり、飛び出すのは同時。

振り返りざまに、中途の詠唱で、術をぶっ放すフォックス。

片腕を吹き飛ばされながらも、ガラントがその体を組み伏せ、喉を掴んだ。

「動くな! 動けばこの男の首を握りつぶす!」

「ぐっ……!」

「フォックス! く……やむをえん! みんな、ファントムに戻れ!」

巨獣が人間の言葉で呻くと、見る間にその姿を霧散させていった。他の死人達もだ。

それなりに腕は立つようだが、やはり近接戦闘は駄目だったか。巨獣がつかず離れず側にいたから、そんな気はしたのだ。

ハツネが素早くフォックスに駆け寄ると、矢を向ける。

吹き飛ばされた左腕から、光の粒子を浮き上がらせていたガラントが、ファントムに戻る。カナンが駆け寄って、大丈夫か聞いているようだ。大丈夫の筈は無い。ファントムだから再生は可能だろうが、当分は戦闘どころでは無いだろう。

マローネはその場で卒倒しそうだったが、皆のがんばりを無にするわけには行かない。片足を引きずりながら、フォックスに近づく。

「あの、フォックスさん」

「……なんだ」

「私、あの人の奴隷じゃありません。 貴方を罠に掛けてもいません。 同じ悪霊憑きだというなら、信じて、くれませんか」

「ふん、そんな言葉、信じるか。 だが、勝ったのはお前だ。 殺すなら好きにするがいい」

コリンが目に冷徹な光を宿す。本気で殺す気だろう。

マローネは首を横に振った。そんなことは、してはいけない。絶対にだ。

「貴方の仲間のファントム達が引いたのは、きっと分かっていたからです。 私が、貴方を殺したりはしないって」

「何だと……」

「ハツネさん、武器を納めて。 行きましょう」

「マローネ、あの男に背中を向ける気か!」

アッシュが呻くが、首を横に振る。相手を、まずは信じてみる。それがマローネの信条だ。誇りでもある。

ここで、それを裏切るわけには、いかなかった。

ハツネがしばらくフォックスをにらみつけていたが、足を引きずりながら歩くマローネに追いついてくる。コリンは肩をすくめると、ファントムに戻った。

「肩を貸す。 歩くのもつらいだろう」

「ハツネさんだって……」

「私は鍛えているから大丈夫だ。 それよりも、少し休まないと危ない。 ガラントが酷い状態なのは分かっているだろう。 マローネからの魔力供給が無いと、自我さえ保てなくなるぞ」

マローネは、悔しいと思う。

もっとマローネの魔力があれば、ガラントは更に早く動けて、片腕を吹き飛ばされることも無かっただろう。

もっと戦力も出せただろうし、場合によってはヴォルガヌスに出て貰って、一瞬で勝負を付けることも出来たかも知れない。

フォックスは、追ってこなかった。

しばらく歩いて、適当な岩陰を見つける。休もうと思った瞬間、ぐらりと体が傾くのが分かった。

地面に倒れそうになる。ハツネに抱き留められた。

魔力を使いすぎた。傷が酷すぎる。

呼吸が乱れているのが分かる。周囲がよく見えない。ハツネがマローネを抱き起こすと、何度も首を横に振る。

「もっと楽な道はあるだろうに……」

聞こえる声が、遠くなっていく。

だが、諦めるわけには行かない。やっと、夢に手が届きそうなのだ。誰に対しても、恥ずかしい事はしていない。

これが終われば、おばけ島にずっと住むことが出来る。ファントム達にとても良い環境であるおばけ島は、マローネにとってもとても過ごしやすい場所だ。

それだけではない。誰にも脅かされず、静かにいきられる場所は、マローネの夢だった。孤児院を転々としながら、そのたびに迫害され、殺されそうになった事だって何度もあった。食事はいつも満足にとれなかった。悲しんでいるアッシュを見るのも、とてもつらかった。

頑張るんだ。あと少しなんだ。

視界がぐるぐる回っている。どうやら横にされたらしいことが分かる。周囲で話し声が聞こえた。アッシュとハツネが、何か話しているようだった。

分からない。

喧嘩していないと良いなと、マローネは思った。

 

カナンが、霊体の状態のまま、回復術を使っている。だが彼女の消耗も、そろそろ限界が近いはずだ。

ガラントはどうにか形状を固定できたが、しばらくおばけ島で休まないと危ないだろう。強制的に輪廻の輪に戻されてしまう。

バッカスも、傷が酷くて、次の戦いには出られそうに無い。ガラントの傷を治し終えると、へなへなとカナンがバッカスにもたれかかるようにして倒れてしまった。

歯がゆい。

アッシュのエカルラートは、燃費が悪すぎる。さっきフレイムと戦ったときに使ったことで、しばらく戦闘には出られそうに無くなった。

ハツネも消耗が酷い状態で、次の戦いがあったら、どうなることか分からない。

アッシュが出るとしても、一瞬だけか。エカルラートを使うとなると、更に稼働時間は短くなるだろう。

もうマローネは戦える状態では無い。出来るとしても、あと一回が限度だ。

「厳しい事態になる事は予想されていたが……」

「ガラントさん、腕の怪我は」

「何、かすり傷だ。 俺よりもマローネ嬢を心配しろ」

「そう、ですね」

マローネはとにかく魔力の消耗が悲惨だ。最初にヴォルガヌスを出したのは仕方が無い事だったとはいえ、それからも普通だったら戦う機会も無いような強敵と連続での戦闘を余儀なくされている。

ハツネの膝枕で寝込んでしまっているマローネは、しばらく起きそうにない。

ハツネ自身も、恐らく周囲を出歩けないだろう。消耗が酷すぎて、後一本か二本、フルパワーで矢を撃てれば御の字の筈だ。

僕が、もっと強ければ。

そう思って、アッシュはずっと鍛えてきた。マローネが鍛えているのを横目に、戦術を磨き、技を練り、必死に己を高めてきた。

だが、こういう鉄火場に来てしまうと、それがまだ全く足りていなかったことを思い知らされる。

「消耗が酷いようじゃのう。 どれ、ガラント、バッカス、それにカナン。 儂の背中に乗れ」

「ヴォルガヌス老?」

「おばけ島に一度引き返そう。 ここで無理をすることになって、何かあったら、マローネ殿はさぞや悲しむだろう。 それは避けたいじゃろ?」

「私は、残ります」

カナンが言い出すと、困ったようにヴォルガヌスは口を半開きにした。それで普通に喋っているのだから、魔術を使っているのだ。

「無理を言うでない。 そなたも殆ど力を使い果たしてしまっておろう」

「此処まで酷い状態のマローネちゃんを、置いてはおけません」

「ならば俺たちも残ろう」

「ソウダナ」

ヴォルガヌスが、大きく嘆息した。

結局マローネの負担を大きくするだけだと、古竜は言う。

雨が降り始めた。

元々激しい気候の魔島に隣接しているのだ。気象の変化が激しくても不思議では無い。

見る間に空を黒雲が覆ったかと思うと、辺りに黒い雨が降り始める。ハツネが眉をひそめて、マローネを抱きかかえて、岩の更に奥に。

「嫌な雨だ。 負の魔力を大量に含んでいる」

「ハツネさん、マローネを世話して貰ってすまない」

「気にするな。 それに、何だかこうしていると、妹分達を世話していたときのようで、気分も落ち着く」

そう言っているのを聞くと、ハツネも戦士だというのと同時に、母性のある女性なのだと分かる。

アッシュには、こういうことは出来ない。マローネとせめて同性だったら、もう少し踏み込んだ話も出来ただろうに。元々デリケートな女の子と、青二才のままファントムになってしまったアッシュでは、どうしても出来ないような話も多かった。

アッシュが未だにマローネに言えないことも、結構ある。男女の生理反応の違いもそうだし、今後は更に問題が増えていくだろう。

雷が落ち始めた。

この様子では、鳥を探すのは一旦中止だろう。鳥も物陰に隠れるなどして、風雨を凌いでいるに違いない。

周囲は過ごしやすいとは言いがたい。湿度が上がるばかりで、嫌な魔力もかなり立ちこめている。

本物の悪霊が出そうだ。アッシュはそう思った。

マローネは、非常に深い睡りをむさぼっている。今、そうやって少しでも回復できる時間を稼げたのは、だがこの雨のおかげなのかも知れなかった。

ジャスミン、ヘイズ。マローネを見守って欲しい。

アッシュには、そう祈ることしか出来なかった。

 

4、激突の果てに

 

がらくた島では、シェンナの前で、不機嫌そうなコールドロンが袋に入れた乾燥豆をばりばりかみ砕いていた。サメの要素を持つ姿をしたコールドロンだが、別にマーマン族は肉食では無い。コールドロンは凄い牙を持っているが、だからといって食性は別に人間と変わりは無いのだ。酒も飲めば植物性の食べ物だって口に入れる。

「昼もだいぶ廻ったな。 そろそろ傭兵団が鳥を見つけた頃やろうな」

「さあて、それはどうだろうね」

シェンナの答えに、コールドロンは鼻を鳴らす。

この任務に動員された傭兵団は、いずれも一流どころばかりだ。通信装置でその様子は見たが、大きな問題がある。彼らの士気が著しく低いことである。

今回の仕事は、怪物の駆除でも、ベリルの討伐でも、人命救助でも無い。

傭兵団を使って宝探しなど、馬鹿にしている。そう思っているのだろう。だからこそ、マローネにもつけいる隙がある。

シェンナは、知っている。

マローネは以前から、強い強い運命の糸に導かれている。それをシェンナは、見ることが出来るのだ。

後天的に身につけたこの力は、滅多に使わない。

だが、この勝負の前に見たところ、マローネの運命の糸は、更に強くなり、輝きさえ帯びていた。

コールドロンが手を止める。

「なあ、姉さん。 なんであんな無体なことを言い出したんや」

「何がだい」

「能力持ちかしらんけど、所詮はガキや。 腕っこきの傭兵団と真正面からぶつかって、勝てるとおもうんかい。 あのガキ、死ぬで」

「そうだぜ、シェンナ。 いくら何でも、あれは無茶だ」

助手にしているウサギリス族のムラサキも、シェンナにそう言う。

シェンナは知っている。まだ、マローネが死ぬ事はない。それだけではなく、さらなる躍進が、この先にはある。

「どうしたんだい、コールドロン。 冷酷非情なあんたが、子供の心配かい?」

「アホ抜かせ。 ワシだってなあ、人並みの情くらいはあるわい。 敵対する奴には容赦はせんけどな、それでも子供を殺して気分は良いと想うか?」

「ふん、そうかい。 だけどあんたが勝ったら、あの子は居場所を失うんだよ」

「それは正統な勝負の結果や。 まあ、子供のうちの苦労は、買ってでもしておけってなあ。 だが、これはいくら何でもなあ」

コールドロンはひょっとして、子供の頃随分苦労して育ったのかも知れない。

闇の社会で、コールドロンを怖れない者などいない。その恐怖の根源には、さらなる恐怖と孤独があったのだろう。

恐怖は連鎖する。孤独は破滅を産む。

シェンナはそれを知っている。だが、世の中の悲劇の全てを駆逐する事は、きっと出来ないだろうとも思っていた。

「まあ、もう少し待っていてごらん。 きっと面白いことになるからさ」

「面白いことてなあ……」

「まあ、コールドロンの旦那。 シェンナがこういうときは、妙に当たるんだ。 だから、しばらくは静かにしていてくれるか」

ムラサキが、上手にコールドロンをなだめる。

さて、そろそろ勝負が付く頃だろうか。シェンナは、魔島がある、南を見つめた。

 

目を覚ましたマローネは、周囲の湿度の高さに驚いた。

雨が降っていたらしい。服はかなり汚れていて、少し居心地が悪い。膝枕をしてくれていたらしいハツネも、うとうとしていたようだった。

「痛……」

体を起こそうとして、全身の筋肉痛に気付く。

魔力を消耗しすぎたのだ。だが、少し寝たことで、わずかながら体も回復したようだ。この魔島の、強い魔力も、影響していたかも知れない。

立ち上がる。

ハツネも遅れて立ち上がると、岩陰から先に出た。手招きをされる。

外に出ると、虹が架かっていた。

倦怠感が、溶けるかと思った。

「わあ……」

思わず感嘆の声が漏れる。

魔島に来てから、おぞましい光景ばかり見てきた。だが、こんな美しい虹が架かるとは。自然の力は凄いと、マローネは思う。こんな恐ろしい島でも、美しい光景はあるものなのだ。

アッシュに肩を叩かれた。優しい笑顔で、マローネを見守ってくれるアッシュは、今日も側にいた。

「マローネ、歩けるかい?」

「アッシュ、大丈夫よ。 でも、出来るだけ、戦いたくはないな……」

「可能な限り、戦いは避けよう」

ハツネが手招きした。濡れた地面を踏んで、歩き始める。周囲の枯れ木も、水を吸って、それなりにみずみずしさを取り戻している様子だ。

コールタールみたいな地面には、足跡がはっきり残っている。あまり良い状況とは言えない。

そして、歩いていると。

ハツネが、止まるように手を横に出した。

マローネも気付く。長身の、金髪の男性が此方に背中を向けて立っている。美しい白銀の鎧を身につけ、腰には長大な剣をぶら下げていた。剣にはナックルガードがあり、とても優美な雰囲気を湛えている。

そして、その足下には、鳥籠と。美しい虹色の翼を持つ鳥の姿があった。

鳥は、既に捕獲されていたのだ。

男性が振り返る。とても端正な顔立ちだが、マローネにはかなりの年配なのだとどうしてか分かった。多分雰囲気が非常に落ち着いているからだろう。若い人だったら、美貌を鼻に掛けたり、どうしても自己愛的な雰囲気がある。この人は何というか、磨き抜いた剣みたいな、落ち着いた切れ味が感じられるのだ。

「おや、君は。 離島とは言え、魔島をうろつく子供がいるとは……」

「あ、あの。 貴方は……」

「名乗るのが遅れたね。 私の名前は、白狼騎士団団長ラファエル。 君は?」

「マローネと言います。 クロームをしています」

ラファエル。マローネも聞いたことがある、超有名人だ。

現在イヴォワール最強の戦士の一人、九つ剣の筆頭。様々な逸話がある人物で、今最も勇者スカーレットに近い実力を持つとさえ言われている。

以前、ラファエルを名乗る人物にマローネは会ったことがある。あのときはウェアウルフ族で、如何にもな小悪党だった。この人は多分本物だろう。身に纏うオーラと、研ぎ澄まされた戦気が、まるで別物だ。同じ人間とは思えないほどに、凄まじい闘気が全身から立ち上っているのが分かる。しかも、これでも相当に抑えているのだろう。

そして驚くべき事に、ラファエルは。マローネを知っていると言う。

「えっ!? 私を、ですか」

「そうだ。 信頼出来る仕事をしながら、依頼人とはトラブルが絶えないそうだね。 悪霊憑きと呼ばれてしまっているそうだが、其処の彼女が、悪霊かい?」

「いいえ、この人はファントムのハツネさんです。 私をいつも支えてくれるファントムは、此方のアッシュです」

正直に答えると、マローネは一番身近な、ずっと側にいてくれるアッシュをコンファインする。

具現化したアッシュは、嫌疑の目でラファエルを見つめていた。

「なるほど、君が……」

「どうも」

「あの、その鳥、なんですが」

「私にはあまり意味の無いものだ。 君に譲っても良い」

不意に、驚くべき提案。ラファエルは静かな目をしていて、嘘をついているようには思えなかった。

まさか、こんな形で、夢が叶うとは。嬉しさが、のど元までこみ上げてくる。

だが、マローネが喜んだのは、其処までだった。

ラファエルは視線をそらす。そして、マローネに対する優しい声とは別人のような、鋭い叱責を浴びせた。まるで槍を突き刺すような鋭さで、思わずマローネは身がすくんだほどである。

「そこにいるな。 出てこないと、此方から行くぞ」

「ちっ!」

鋭い舌打ちと共に、マローネの背後の岩場から、姿を見せたのは。

ウォルナットだった。ずっと付けられていたのか。或いは。全身に、悪寒が走るのが分かった。

ウォルナットも、無傷とは行かないらしい。全身に細かい傷があり、コートもぼろぼろになっていた。

「さっき、獣王拳団の担当部署で激しい戦闘があった。 同士討ちだったようだが、お前が仕組んだな」

「そうさ。 出来ればあんたと其処の悪霊憑きがつぶし合った所を、一網打尽といかせて貰おうと思ったんだがな」

「オクサイドか。 浅はかな考えだ。 だが……」

ラファエルが、鳥籠から離れる。

そして、マローネと、ウォルナットの等距離に立った。

「ここに来ている傭兵団達を相手に、其処までの非道をするからには、何かの事情もありそうだ。 私はもとより、その鳥には興味が無い。 君達のどちらか、勝った方がもっていくが良い。 私はその勝負の立ち会いをさせて貰おう」

「ふん、そりゃあ好都合だ。 ガキをブチ殺しても、横やりを入れなければ、俺も文句はねえ」

ウォルナットが、コートを放り捨てる。本気でマローネを殺す気だと分かる。

マローネは眉をひそめた。

「戦う前に聞かせてください。 どうして、あんな酷いことをしたの」

「金がいるからだ」

「お金のため……」

確かに、お金は重要だ。何をするにもお金はいる。

クロームとして働くようになってから、マローネはそれを何度となく思い知らされた。お金が無ければ、生活必需品さえ揃えられない。レンタル島だって借りられない。武器を使うタイプのクロームになれば、もっとお金は掛かるだろう。鎧も必要になるだろうし、武器のメンテナンスには相当な手間暇とお金が掛かるのだ。

現実問題、お金は確かに必要だ。それはマローネも分かっている。

だが、お金のために、此処までの事をするなんて。それは、人としての尊厳を、踏みにじる行為では無いのか。

本当に、心の底から悲しい。ウォルナットがどんな人生を送ってきたのか、マローネはそれがひたすらに悲しかった。

「何だそのツラは。 世の中は金だって事は、クロームやってる以上分かってるはずだ」

「貴方は、どうしてそんな悲しい考え方をするようになってしまったの?」

「ああん? 何を巫山戯た事をほざいてやがるッ!」

ウォルナットの顔が、ドス赤く染まった。本当の怒気が、全身に満ちているのが分かる。恐らくウォルナットにとって、一番不快な場所なのだろう。

只ひたすら悲しいマローネに、ウォルナットは吠え猛る。

「世の中は金だ! 金さえあれば、何だって出来る! 金があれば命だって買える! 金が無ければ、どんな奴だって裏切る! そんなわかりきったことを、今更言わせるんじゃねえっ!」

ラファエルは何も言わない。

ただ、猛り狂うウォルナットを、冷たい目で見つめているだけだった。

「クソガキが、ぶっ殺す! 貴様は、前々から気に入らなかったぁっ! 消し炭にしてやるからなあ、覚悟しやがれっ! 魂の灯火よ、眠りし獅子を呼び覚ませ、サイコ・バーガンディッ!」

ウォルナットの全身が燃え上がる。凄まじい魔力が、その全身の力を、ことごとく覚醒させているのだ。

炎を帯びたウォルナットは、まるで巨大な灼熱の獅子のように見えた。

アッシュが前に出た。そして、静かに言った。

「マローネ、総力戦だ。 コリンさんをコンファインして」

「分かったわ」

このままでは、本気でウォルナットはマローネを殺しに来るだろう。殺されるわけにはいかない。

マローネはシャルトルーズの詠唱をはじめる。そして、アッシュも、残った力を全力で燃やし始めた。

「マローネを殺させはしない! 邪悪なる者に打ち克つ力を! 水竜の能力、エカルラート!」

アッシュの全身から、青い燐光が、ウォルナットに負けじと吹き上がった。

 

勝負は、一瞬で付く。

それは分かっていた。

だから、マローネは最高速度で、コリンをコンファインした。消耗を気にしてはいられなかった。

アッシュが、前に出る。

ウォルナットも、雄叫びを上げながら、突撃してくる。

見たところ、ウォルナットも己の体に負担を掛けながら、能力を使うタイプだ。そして、今までの戦いで、かなり消耗している。

条件は、五分。

コリンが形を取った。

アッシュとウォルナットが、互いの手を合わせて、力比べに入っている。赤と蒼の闘気が、ぶつかり合い、辺りの小石を吹き上げ、地面にひびを入れていた。

コリンが詠唱を開始。

ハツネが、弓を引き絞る。

どちらも、もう一回の行動が限度だ。マローネも、意識を保つのが、やっとの状態である。

ウォルナットが、仕掛けてきた。

不意に手を外すと、アッシュの首を刈り取るような蹴りを叩き込んだ。アッシュはそれを下がりながらいなし、下段から攻めこもうとする。だが、ウォルナットは強引に体を引き戻すと、踵を入れに掛かった。

轟。

爆音と風が混ざり合う。

踵を頭をずらして肩で受けつつ、アッシュはウォルナットの足を掴んで潰しに掛かろうとするが、其処はウォルナットの方が一枚上手だった。跳躍。そのまま体を旋回させ、アッシュを地面にたたきつける。

アッシュは地面にクレーターを作りながら、逆にそれで力を溜め、跳躍。

二人とも、既に額の汗が相当に酷い。

アッシュが拳を叩き込む。ウォルナットがそれを受け止めきれず、腹に一撃。直撃が入ったが、アッシュの燐光がついに消える。

かあと口を開いたウォルナットの顔面に、ハツネの矢が飛ぶ。

左腕を犠牲にするようにして、はじくウォルナット。爆発。赤い燐光も、殆ど消えかけていた。

アッシュが着地、遅れてウォルナット。

力使い果たしたアッシュが消える。ウォルナットが、前に出る。

コリンの詠唱は間に合わない。ハツネも、既にもう力が尽きていて、ファントムに戻る所だった。

狂気を目に湛えながら、ウォルナットが迫る。殺すとか、殺してやるとか、吠えている。マローネは意識を必死に引き戻しながら、、自身でも続けていた詠唱を終える。

両手を左右に広げるマローネ。

ウォルナットが、炎を纏った拳を叩き込んでくる。

その拳が、ピラミッド状に展開した光の壁に突き当たった。ウォルナットが、充血した目を見開く。ウォルナットの額から血が噴き出す。こめかみからも。腕からも。体に凄まじい負担が掛かっているのが、一目で分かる。歯をむき出しにして、ウォルナットが吠え猛る。

「ウォオオオオアアアアアアアアアアッ! 焼き尽くしてヤるアアアアアアアッ!」

更に、ウォルナットの全身から、炎のような赤い闘気が吹き出そうとしたとき。

その真横から飛来した氷の矢が、非情な質量を伴って、ウォルナットを吹き飛ばしたのだった。

コリンの詠唱が、間に合ったのだ。

クリスタルガード。マローネが護身のために覚えていた守りの術が、役に立った。コリンが放った術式は氷属性の中級術だったようだが、それでももはや力尽きたウォルナットは動けなかった。

全身から冷や汗が流れているのが分かる。

痛みを、感じなくなり始めていた。

呼吸を、ゆっくり整えていく。今、気を抜いたら死ぬかも知れない。マローネは、それを自覚しながら、一歩、二歩、歩く。

「く、そ……! あと少し、だったの、に……!」

ウォルナットが、気絶したのが分かった。

その側に、立つ。アッシュが声を掛けてきた。

「とどめを、さすのかい?」

「ううん。 この人、とても可哀想な人だと、私思うから」

怒りは感じない。本気でマローネを焼き殺そうとしてきたのは分かっていたが、それでもだ。

マローネは、まだわずかに残っている魔力を使って、応急的な回復処置をする。隣に来ていたコリンが、大きく嘆息した。

「馬鹿?」

「……」

自分でもそう思う。アッシュが言うように、とどめを刺すべきなのかも知れない。きっと感謝などされない。もっと深く恨まれるだけだ。

震える膝を叱咤して、振り返る。

全てを見届けたラファエルが、鳥の入った籠を見せてくれた。

「見事。 これは、君のものだ」

「その人に、上げることは出来ますか?」

「マローネ!」

「きっとその人が、お金を本当にほしがっているのは、本当だと思うの。 自分でも馬鹿だとは思うけど、でも、きっと悲しい事情があるんだわ」

ガラントやバッカスまでもが、呆れているのが分かった。

お人好しすぎる。アッシュはそう言った。ラファエルは、それでも優しくマローネの言葉を受け入れてくれた。

「分かった。 君が望むのならば」

「あーあ。 ただ働き確定だよ。 て、あれ……」

コリンの言葉につられて、マローネが顔を上げると。

鳥籠の中の鳥が、光の粒子に変わって、消えていくところだった。ラファエルは驚いていたが、それもすぐに納まる。

鳥は、消えていなくなってしまった。

それが、意識の最後に見たものだった。マローネは、そのまま自分の意識が、闇に沈むのを感じた。

 

気がつくと、海岸のボトルシップの中に横たえられていた。ラファエルが此処まで運んでくれたのだろう。

側にコリンが座っている。何か石を並べて、ぼそぼそと呟いている様子だ。だが、マローネの意識が戻ったことには気付いているようで、振り返らずに話しかけてきた。

「気がついた?」

「はい……」

「傭兵団は、引き上げを開始してるよ。 気付いてると思うけど、ラファエル団長が、みなに事情を説明したみたいだね。 ただ、獣王拳団がキレてたみたいだけど」

無理も無い話だ。

ウォルナットは、フォックスの話から類推するに、獣王拳団に潜り込んで今回この島に来たのだろう。

しかも、ラファエルが言っていたことが本当だとすると、雇ってくれた獣王拳団まで、同士討ちさせて混乱させたそうだ。オクサイドのためとはいえ、いくら何でも滅茶苦茶すぎる。

だが、それだけの事情があったのだと、マローネは思う。

あの状況で、ウォルナットが逃げられたとは思えない。さぞや凄惨なリンチが加えられることだろう。そしてそれが正統だと、誰もが認めることは疑いない。

ファントムは、みんな周囲にいた。とりあえず、誰も欠けてはいない。それだけが僥倖だった。

「マローネ、一度引き上げよう」

「アッシュ、ごめんね」

「どうして謝るんだい?」

「私、力が足りなくて、こんな事に。 もっと私が強かったら、こんなに苦労しなくても済んだのに」

無力感を引きずったまま、船を出す。

危険な海域を抜けて、それから北上。安全な海域で何度か仮眠を取ってから、がらくた島を目指した。

丸一日、この船だとがらくた島まではかかる。ぼんやりしていても、散々操ってきたボトルシップだ。海域的にも行き慣れている場所だし、事故は起こらなかった。

ウォルナットは大丈夫だろうか。

あれだけ狂気をむき出しに、自分を殺そうとした相手だというのに。マローネは、それをずっと心配していた。

 

5、おばけ島

 

がらくた島に戻ったマローネは、全てを正直に話した。

シェンナは無言だったが、コールドロンは最初笑い飛ばそうとして、そして失敗した。

「同士討ちで、壊滅したやて!?」

「死人は出ていないと思いますが、けが人がたくさん出たはずです。 できれば、ネフライトのヒーラーを手配してあげてください」

「んなアホな! すぐに確かめる!」

通信装置を、外に控えていた黒服のボディガードから受け取ると、コールドロンはがなり立てはじめた。

どうやら、獣王拳団に話をしているらしい。通信の相手は、獣王拳団の団長だろう。

「オクサイド狙いのタチが悪いクロームに引っかき回されたあ!? なんやそれ! すぐそっちに行く! そいつ、首根っこ捕まえとけ!」

嗚呼。

やはりウォルナットは捕らえられていたか。マローネはうつむいた。殺されなければ良いのだけれどと、心底から願った。

元々獣王拳団は荒くれ揃いの傭兵団と聞いている。無事では済まないだろう。

そわそわしているマローネは、どすどすと不機嫌そうに足音を立てて去って行くコールドロンを見送る。

不意に、目の前に、何か書類を差し出された。

「え……?」

「おばけ島の権利書だよ。 持っていきな。 金は貰うけど」

ぽかんとしてしまう。

書類を見せて貰うが、確かに本物だ。どういう風の吹き回しか。

アッシュの冷えた声がした。

「僕をコンファインしてくれるか」

「う、うん」

言われるままに、側の椅子にアッシュをコンファイン。涼しい顔でアッシュの出現を見やるシェンナ。

わずかな間、にらみ合いが続いた。

「どういう風の吹き回しですか」

「そういう気分だって事だよ」

「信用できません。 何を企んでいるんですか」

マローネが傷つくのを見たくない。アッシュはそう顔に書いていた。凄く嬉しい事だが、マローネも不安で一杯だ。

マローネの頭に、シェンナが手を置く。

ふと気付く。この手は、深窓の令嬢のものではない。戦士として、鍛えに鍛え抜かれた、堅い手だ。

間違いない。足を悪くする前は、この人は名のある戦士だったのだ。雰囲気としては、ガラントに近いかも知れない。

「人の好意は素直に受けておくものだよ。 そうだ、せっかくだ。 ムラサキ」

「おう」

「何か貰っておきな。 それで帳尻が合うだろ」

「そうさなあ。 何かボトルシップに関係するものないか。 部品とか、図面とか、なんでもいいぜ」

それなら、心当たりがある。

ボトルシップに戻ると、マローネは後ろの積み荷から、図面を引っ張り出した。これは確か、ひと月くらい前に、仕事の報酬として貰ったものだ。貴重な図面とか依頼主は言っていたが、結局価値はよく分からなかった。

図面を見ると、ムラサキは喜んだ。貴重なものだったようだ。

「おう、これは良い。 斬新な図面だ。 組むのが面白そうだぜ」

「じゃあ、それでいいね」

「シェンナさん……」

「あたしはあんたが気に入った。 それでいいじゃないか」

もう一度、硬い手のひらで、シェンナはマローネの頭を撫でてくれた。それは、どうしてか、ごつごつした感触なのに、不思議と気持ちが良かった。

 

マローネを見送ったシェンナは、友の帰還を視認した。遠くから飛んでくるそれから、既に魔術によって事態の全ては聞き取っていたのだ。マローネから聞いた内容は、それと寸分変わりなかった。だから、島を譲ったのである。

窓から入ってくる、シェンナの友。

それは虹色の鳥の姿をしていた。だが、シェンナの前に降り立つと、ごつごつした岩のような姿に変わる。部屋に入りきらないほどの大きさである。

その正体を、シェンナは知っていた。

「どうだった、あの子は」

「甘すぎるが、潜在魔力は途方も無い。 既に下級の魔神くらいはあるな。 このまま鍛えれば、手足が伸びきる頃には、魔王クラスまで成長するだろう」

そうかいと答えると、シェンナはマローネが去った方を見送る。

やはり、この力の導きに、間違いは無かった。

マローネは確実に、この世界の希望になる。それをシェンナは確信していた。

 

魔島に到着したコールドロンは、縛り上げられて転がされているウォルナットとかいう若造と、わざわざ待っていたらしいドラブに対面していた。

ドラブは面目ないとわびて、視線で転がされているウォルナットを刺した。ドラブほどの豪傑も、権力の前には抵抗できない。

ウォルナットは既に、相当なリンチを加えられているようだ。息も絶え絶えと言うところか。

「すまねえ、旦那。 俺も焼きが回った」

「仁義を優先するお前が、こんなチンピラ囲い込むとはのう。 何をやっとるんや」

「腕は良かったんだ。 それに、最初はおとなしくしてた。 獣王拳団も大きくなってきたからなあ、俺も部下の一人一人まで目が届かなくて。 情けねえこった」

「ふん、まあいい。 お前に怒ってももうしかたがないけんのう」

縛られているウォルナットは、身ぐるみも剥がされていた。これは事前に、ドラブに指示させておいた事である。

膨大な金が周囲に散らばっている。思った以上の金額だ。此奴はさぞや重い理由で、オクサイドに手を染めていたのだろう。だが、罪は償って貰う。

コールドロンは金をウォルナットに見せつけるように、拾い集めていった。

「そ、その金、は……」

「小僧、お前がワシを出し抜いたことだけは褒めてやる。 だから命だけはとらんどいてやるわ。 だがなあ、これはもらっとくで。 自業自得の報いと知れや。 それと、ワシを怒らせた以上、もう裏からの仕事はお前に一切こないもんと知れ。 またワシの前に姿を見せたら……次は殺すで」

呻いていたウォルナット。耳を澄ますと、あのガキとか、殺してやるとか、呟いていた。富と自由の島に放り出しておけ。そう指示すると、コールドロンは魔島の離島を後にするべく、自家用のボトルシップに向かった。護衛が慌てて付いてくる。

胸くそが悪い。

あの子供が、怖がって逃げ帰ってくるかと思ったのに。まさか腕利きの傭兵団を相手に、真っ正面から全く引かずに戦ったとは。それだけではない。その傭兵団が、内部からの造反があったとは言え、子供一人にこうも振り回されるとは。しかも、マローネはタチが悪いオクサイド狙いの裏側の人間まで、正面からぶっ潰している。

そういえばと、思い出す。

30年前のサルファー来襲で、スカーレットが現れるまでは、どこでも絶望が世界を覆い尽くしていた。

イヴォワールの外側の国々は、サルファーの襲来を怖れて援軍を出そうとはせず、そればかりか国境を封鎖して、難民が逃れてくるのを防ぎさえした。恐怖のあまり発狂する者や、悲嘆に暮れて自害する者もいた。

コールドロンは若い頃、その地獄を間近に見て育ったのだ。海で生活するマーマン族でさえ、悪霊共の恐ろしい襲撃からは逃れられなかった。コールドロンの父は右腕が無く、母は大事な尾びれを半分失っていた。いずれも、悪霊共に食いちぎられた痕だった。

誰もが、闇の世界に包まれる事を嘆いていた。

そんな中、炎と共に現れたのは。まだ年若い勇者スカーレットだった。

九つ剣でもどうにも出来ない相手を、次々になぎ倒していくスカーレットは、それでも最初は中々受け入れられなかったという。やがて地道な活動が功を奏し、イヴォワールが一致してスカーレットを支援。決戦へ持ち込むことが出来た。サルファーをスカーレットが打ち破った日のことは、今でもコールドロンの記憶に焼き付いている。

世界が、光に満ちたのだ。あの日は。

そして、何処かでその懐かしい感触を、あのマローネから感じる。

まさかなと、コールドロンは思った。

ボトルシップの前で、足を止める。ロングコートに身を包んだオウル族の男がいる。眼光が鋭いそいつには、見覚えがあった。待ち伏せていたのだと、すぐに察する。

「なんや、フィルバートやないかい。 こんな所に何の用や」

「お久しぶりです、コールドロンさん。 魔島の周辺での騒ぎと言うことで、ウチの会社も総力で記者を動員してましてねえ」

いやみったらしく帽子を取ってみせるフィルバート。

此奴とは因縁がある。何度もすっぱ抜き記事で、コールドロンの仕事の邪魔をしてくれた記者だ。

タブロイドの記者をやっていた頃でさえ、周囲が堅くて崩せなかった、非常に手強い相手である。イヴォワールタイムズに在籍してから、なお面倒になった。ダーティな手も含めて何度か本気で潰そうとしたが、その度にかわされている。

今では、因縁の仲と言って良い。

「今回の騒ぎについて、話を聞かせて貰いましょうか」

「言わなきゃ言わないで、ある事無い事書かれるんやろ。 まあ、手短に頼むで」

「ならば単刀直入に。 この件、悪霊憑きのクローム、マローネが関わっているのではありませんか?」

いきなり核心を突いてきた。

にやりと、フィルバートが笑ったのが分かった。

 

家に帰ってから、マローネは体を洗って、そしてゆっくり眠った。ガラントは、今日の修練はしなくて良いと言ってくれた。だから、朝寝坊をしていることを分かった上で、ひたすらに惰眠をむさぼった。

やはりおばけ島は環境が良い。

穏やかな気候も、島に満ちている膨大なマナも、マローネの疲れを癒やしてくれる。酷く消耗したファントムのみなも、元気を取り戻すことが出来たはずだ。だが、流石に数日は激しい運動を控えた方が良いとも想う。

疲れ切った体に、朝日が気持ちよい。

まだ疲れが抜けていない。魔力を全て絞り出したような一日だった。その後も、仮眠を取りながらボトルシップを操作して、おばけ島に辿り着いたのは夜だった。これ以上無いほど疲弊した一日だった。

金庫にしまった権利書は、何度見ても本物だった。

だから、もう此処は、マローネの島なのだ。マローネは島長で、法的にも保護され、出て行く事は無い。追い出されもしない。

枕を抱きしめて、マローネは思う。

これで、マローネはその気になれば、この島に引きこもって生きていける。周囲の人達に差別されずに済むし、悲しい思いもせずに暮らせる。

しかも、ここにいるファントムは、皆マローネの理解者で、友達ばかりなのだ。これからも、クロームは運搬などだけで限定的に続けていけば、外との関わりは最小限にすることが出来る。

それで、充分に文化的な生活も可能なのだ。

しばらく考える。まだ、迷いは晴れない。

着替えて、下に降りる。

アッシュは既に起きていた。外ではガラントが、カナンが術式で再生した腕の様子を確認しているようだ。ファントムの状態とは言え、既に鍛錬をしている様子は頭が下がる。

「おはよう、マローネ」

「おはよう、アッシュ」

「どうする? この機会に、クロームから足を洗う?」

アッシュは分かっている。

マローネは、ずっとそれで悩んでいた事を。

お父さんとお母さんは、世間に目を向けるように、マローネに言っていた。頑張ってみんなのために尽くしていれば、いつかみんなが、マローネを好きになってくれるとも。

だが、今までマローネは、決してその言葉に報われなかった。

今、この島を得たのは、良い機会なのかも知れない。マローネは、退路を得た。

だが、マローネは。首を横に振った。

「私、みんなにいつか好きになってもらいたい」

「ジャスミンとヘイズがそう言っていたから?」

「それもあるけど、やっぱり私、人間が嫌いじゃ無いんだと思う」

それは苦難の道だと分かっている。

だが、マローネは、こういう所で退きたくは無かった。

「分かった、もう止めないよ」

「ごめんね、アッシュ」

「謝らない。 ほら、仕事も来てる。 まずはリハビリがてらに、簡単なものからこなしていこう?」

「そうね。 少しでも実績を積んで、みんなに好きになって貰わなきゃ」

外に出ると、ファントム達がマローネを出迎えてくれる。

此処はもう、マローネの島だ。借り物では無い、本物の家。

そして、もう追い出されることも、人の目に怯えながら転々とすることも無い、終の棲家でもあった。

 

(続)