とても痛い嘘

 

序、新聞社での一幕

 

世界最大の新聞社であるイヴォワールタイムズの本社は、富と自由の島に存在している。

この世界でも最大の会社の一つであるイヴォワールタイムズのオフィスであるが、内部は案外狭苦しい。面倒だなと思いながら本社に足を運んだフィルバートは。狭苦しさにうんざりし、たばこが欲しいと思いつつ、編集長の所へ足を向ける。周囲では、がなり立てる声や、喧嘩の声も聞こえた。アクが強い記者達は、いつも血眼で記事を探している。記事の奪い合いで、喧嘩になることも多い。

編集長は年配のウサギリス族で、この温厚な種族にしては珍しく気性が荒い。いつもぷりぷりと怒っているため、裏では赤鼠と噂されていた。だがその激しい気性で、特ダネをいくつもものにしてきた経歴を持つのも事実。現役の記者だった頃は火鼠と呼ばれていたそうである。

その赤鼠は。

ワークスペースにフィルバートが入ると、早速記事をたたきつけてきた。マホガニー製のデスクの上で、束ねられた紙が乾いた音を立てる。

「何だねこの記事は」

「悪霊憑きについての中間報告ですが」

「そんなことは分かっている」

今回、モルト伯と対立しているセレストからこの情報が来たとき、赤鼠は大喜びであった。

彼はモルト伯に喧嘩を売ることよりも、記事を得ることに興奮したのだ。

そして、週刊誌上がりで、戦闘的な記事を書くフィルバートに取材を一任した。この会社では新人になるフィルバートは大抜擢だったとも言える。潤沢な取材費を貰い、フィルバートは護衛に三人もやとって、富と自由の島を出た。

だが、戻ってきて、記事を見れば、このような内容である。

「悪霊憑きの少女、草の茂み島にて勇者を探す」

草の茂み島でかって犯罪組織によって行われていた、奴隷の売買。それによる悲劇の解決。

モルト伯による勇者捜索は、意外な結果を生んで終了した。

解決に当たったのは、近年噂になっている悪霊憑きのクローム、マローネ。彼女の正体は未だよく分からないところがあるが、少なくとも有能なことには違いないようだ。

記者も、彼女が使う霊体を実体化させる能力は目にした。噂に違わぬ強力な能力で、仮にマローネが悪霊憑きであり、サルファーの手先であっても不思議では無いだろう。だが、今回の取材で、その確固たる証拠は掴めなかった。

記事の内容は、大体以上だ。

「何が証拠は掴めなかっただ!」

「事実を記載したまでです」

「君は新人記者だが、まっさらの新人でもあるまい! いいか、新聞記事とは、生きた情報である以上に、人を引きつけるセンセーショナルなものでなければならないんだ!」

お前にとってはそうだろうなと、フィルバートは内心で毒づく。

確かに赤鼠は、現役時代は飛ばし記事で有名だった。それで何度もトラブルを起こしていたが、実績が上回っていたから、会社から首にされるようなことは無かった。

「君らしい切れ味がこの記事にはないなあ。 一面を開けておいたのに、何だねこれは!」

「今回は一面を取ることは出来ないでしょう」

「時間が必要な記事、という事か」

「そうです。 このマローネという小娘、潜在能力にしても将来性にしても図抜けていると見ました。 サルファーの襲来が噂される今、今後は台風の目になる可能性があります」

腕組みしていた赤鼠は舌打ちする。

サルファーについてのニュースは、イヴォワールでは別格だ。どんな傭兵団でも国でもどうにも出来ない事が殆どで、何より命に関わるから、誰もが知りたがる。

悪霊憑きに関する記事に関しても、それは同じだ。

今まで何度かイヴォワールタイムズで扱ったことがある。その時は、大体部数のはけがよかった。

もっとも、それらの記事は、一人だけの傭兵団と言われるフォックスを扱うものばかりであったのだが。

単独で中級規模の傭兵団に匹敵する戦闘能力を持つ、悪霊憑きの中でも最強の武闘派と呼ばれる陰気な男。フォックスは仕事を選ばないため、記事になることが多い。悪評や中傷を一切気にせず、いままでイヴォワールタイムズに抗議を入れてきた事も無かったことから、記事としては扱いやすい相手ではあった。

「仕方が無いな。 今回はインディゴの記事を一面にする」

「ああ、あの獣王拳団の」

「そうだ。 お前は引き続きマローネとかいう小娘を追え。 これは掲載するが、その代わり優先順位は落とすからな」

「了解、と」

ワークスペースを出ると、フィルバートは外に出る。

葉巻に火を付けると、しばらく紫煙を味わった。

どうも気になる。

悪霊憑きという存在は、数ある能力者の中でも、完全に別だ。悪霊に関わる能力を保つ者はこう呼ばれるのだが、どうも釈然としないところがある。

確かに、サルファーとの関連について、危険なものがある。史実上でも、サルファーに荷担した悪霊憑きがいたという記述は散見される。

だが、それは本当なのだろうか。

一度フォックスを見たことがあるのだが、世間に対して壁を作っている陰気な男だった。自分の力をとにかく高め、それで世間に対して有用な存在となる事で、迫害死を免れている印象である。

無理も無い。

フォックスについての調査はしたが、見ているだけで陰気になるような経歴だった。幼い頃は実の両親にさえ虐待され、周囲からは壁を作られた。奴隷商人の間を転々と売り買いされ、やがてベリルに持ち主が移ったところで、相手を殺して脱走。どうやら殺しても犯罪にならない相手が親になるのを待っていた節がある。

以降はクロームとして、主に暗い仕事だけをしているという、筋金入りの経歴だ。

そういうデリケートな立場にいる事を、フォックスは理解している。だが、マローネという小娘はどうだったか。

どうにも解らない事が多い。

少しの間、あの小娘を追うよりも、悪霊憑きについて調べた方が良いかもしれない。

翌日、イヴォワールタイムズの新刊が出た。一面はやはり獣王拳団を扱ったものである。サンド地方で暴れていた、隻眼のドラゴンを退治したというもので、敵の首級を踏みつけながら高笑いする団長ドラブの姿が映し出されている。魔術によってその場の画像を固定し、印刷したものだ。

脳天気なものである。

確かに強力なドラゴンだったようだが、それでもサルファーに比べたら比較にならないほど脆弱な存在に過ぎない。

傭兵団が切磋琢磨することには意味がある。

だが、フィルバートは。そんなことに、今は興味を持てなかった。

 

1、無人島

 

一説には数千とも万を超えるとも言われるイヴォワールの島々の中には、当然人が住んでいない場所もある。

理由は様々だ。

造山活動によって出来たばかりの島は、危険すぎて住むことが出来ない。絶え間なく流れ出る溶岩と有毒ガスは、人間で無くても住むことが難しいだろう。

魔島のように存在そのものがタブーになっている島もある。魔島はあくまで極端な例だが、地元の信仰上のタブーで放置されている島や、開発が失敗して住民が撤退した場所なども存在する。

他にも、小さな岩山だけが転々としていて、人が住めるような広さでは無い場所。強力な怪物が巣にしていて、危険地域として指定されている場所、放置には様々な要因がある。

そういった島々に混じって、何ら理由無く放置されている島も、あるにはある。何しろ、全ての島を、イヴォワールに存在する国々が解析し切れていないほどなのだ。年に何度かは、イヴォワールでは新しい島が発見される。未開のまま、何年も放置されている島も、存在している。

その一つが、緑の守人島だ。

場所としては、富と自由の島に近い。発見されなかったのは、この島の近くで二つの大きな海流がぶつかり合っていて、航路として不適であった事。それに、近くの海が霧の出ることで知られる難所である事、などが原因である。

何度かの調査の結果、安心して抜けられる航路が見つかり、探索チームが出されたのだが、結果は鉱物資源無し、森林資源のみ。元々気候が温暖な地域が多いイヴォワールで、森林資源はさほど価値は無い。

そこで、いくつかある鉱物資源系の未開発島にマンパワーが振り分けられ、この島は放置されていたのである。

此処で開発の話が持ち上がった。

富と自由の島に拠点をもつ世界最大の製薬会社、バンブー社である。

丁度十数年前の出来事になるのだが。当時、バンブー社と覇を競っていた製薬会社が、とんでもないスキャンダルを起こして潰れた。底辺に近いクローム達で人体実験を行い、その能力を解明して、誰でも使えるようになる薬を作り出そうとしたのである。

様々な要因からこの人倫を無視した実験は失敗。社長は現在でも服役中である。その会社の没落によって、バンブー社が発展したのだが。その発展には、ある条件が伴った。

製薬会社の研究所に関する厳しい規定である。

セレストを中心とする外部組織の抜き打ち監査を受け入れること、必ず場所を明確にすること、離島を用いること、などだ。

バンブー社は現在でもこの規定に苦しんでおり、研究施設の建設には毎回苦労していた。今回、富と自由の島に近いこの島は、監査をするにも適しているという事で、うるさがたのセレスト達も納得。

本格的な建設が、これで開始されると期待されたのだが。

しかし、此処で予期せぬ事が発生した。

最初の調査では、まったく報告されなかった、強力な怪物達による襲撃事件である。

工事は完全に中断。

バンブー社は、研究所建設の遅延を、新聞で発表した。

以上の事情を、新聞などを見ていて知っていたマローネは、自分の所にバンブー社から手紙が来たとき、仕事の内容が大まかに分かった。恐らく、謎の怪物を退治しろというのだろう。

カスティルに手紙を書くために、新聞を読む頻度も増している。どういう文章を書けば良いのか、文脈はどうやって作るのか。そういったことの勉強になる。そして読んでいて気付くのだが、どうも記者によって癖が出るらしいのだ。記事には主観が入っていることや、最近はいわゆる飛ばし記事というような、いい加減な情報を元に急いで書いたようなものも混じっていることも知った。

クロームとしては、以前から新聞を読むことは必要だと、アッシュには言われていた。だが親友と手紙をやりとりするためにという必要性が生じたからか、読み込みへのモチベーションは以前と比べものにならない。

そういう事情だから、今回マローネは、仕事の内容を事前にある程度推察することが出来た。ちょっと嬉しかったが、アッシュは咳払いする。

「マローネ、確かに予測は立てられたけれど、だからといって仕事が楽になるわけじゃないよ」

「うん、そうよね。 ごめんなさい、調子に乗っていたわ」

「分かれば良いんだよ」

コリンがつまんなそうに、今のやりとりを見つめていた。彼女の意見としては、調子に乗ったマローネが大失敗すれば楽しい、とでもいうのだろう。

最近はコリンがそう言う考え方をすると言うことが分かってきている。だからといって、どうしようとは思わない。そういう風に考えるコリンとも、今の時点では敵対もしていないし、今後はもっと仲良くなっていきたい。

それに、コリンは悪意の塊でも、マローネを差別はしていない。マローネを差別していない人と仲良くなれなくて、他の誰と仲良くなれるというのか。

全員を呼び集めて、ボトルシップを出す。

今回は、この間の、ミロリを含む多数の子供達のファントムを輪廻の輪に戻した事件から時間が経っていることもある。おばけ島に輪廻の輪に戻れず苦労しているファントムは、ほとんどいない。

そういった事情もあって、カナンもついてきてくれることになった。

ボトルシップが海上に出ると、暇になったのか、ハツネが言う。彼女はマローネと一緒に新聞を読むことが多い。

正確には、世界の状況を知りたいらしい。だからマローネが、字を読めない彼女に、読み聞かせているのだ。この方がより頭に情報も入るので、マローネとしてもありがたいところだ。

「そういえば、バンブー社は多くのネフライトを集めていると聞いている。 カナン殿は声を掛けられなかったのか」

「掛けられましたよ」

おっとりした様子で、いつものようにカナンは喋る。

その口調は穏やかで、だが誰にも乱せそうに無い。

「でも、断りました。 他に仕事がありましたから」

「それは、未練につながる事か」

「ええ。 しかし、マローネちゃんと一緒にいれば、必ずかなえられるとも思っています」

船が速度を上げる。

前回、コリンが改造した事で、かなり不安定になっていた船だが。コリンがガラントと一緒に調整した結果、かなりスムーズな動きをするようになっていた。加速もなめらかで、Gのかかりも比較的緩やかだ。ガラントが見ていると下手なことは出来ないらしく、コリンとしてはちょっと肩身が狭かったとかぼやいていた。

面白い天敵関係もあったものである。コリンがどういう経緯でファントムになったのかはマローネも聞いていないのだが、生涯こんな性格で、好き勝手をしていたのだとしたら。周囲の人達は、さぞや振り回されたことだろう。

おばけ島を出たのは早朝だ。だから、水平線の彼方から、お日様が昇ってくるのが見えた。

海が、朝日を浴びてきらきらと輝いている。

今回は荒事になる可能性が高い。こんな綺麗な海だというのに、ちょっと悲しい話かも知れないと、マローネは思った。

事故が起こらないように、深めの海路へ移動。この辺りの海なら、方角と移動した時間だけで、大体海図を見なくても目的地につける。船の速度を上げて、午前中に富と自由の島に到着。港でボトルシップを預けて、切符を貰った。

サーカス団は、もう別の島に行ってしまった。パティは酷い虐待を受けていないだろうか。マローネは、この島に来る度に心配になる。

今日の切符をくれた人は、あのキバイノシシ族のおじさんでは無くて、生真面目そうな長身の若い男の人だった。マローネがクロームらしいと気付くと、複雑な表情を浮かべる。何か色々と事情を邪推しているのかも知れない。

流石に、バンブー社も社長が直接来るわけでは無いだろうと、マローネは思っていた。その場合、雲島を指定してくる可能性が高いだろうとも。

だが、予想は外れた。

来る時点で外れていたのだが、来てから更に大きく外れた。

地図に書かれていたバンブー社を訪れる。石造りの、それこそ天を突くような巨大な構造物だ。山を丸ごと崩して分解し、そして組み立て直したのでは無いかと錯覚してしまうほどの大きさである。

内部に入ると、ひんやりしていた。

彼方此方に魔術的な仕掛けがあるらしい。上下の移動に関しても、階段以外に、上下移動する箱状の部屋が用意されていた。ただしこの部屋、一度移動させると再稼働に時間が掛かるらしく、基本的に客しか使用を許されないのだそうだ。

これらの事情は、出迎えに来てくれた、細いキバイノシシ族の青年が話してくれた。秘書であるらしい。

「マローネ君と言ったね。 社長は気さくな方だけど、でもとても怖い人でもあるから、失礼がないようにね」

「分かりました」

こういう大きな会社を経営していると、いろいろなトラブルがあるだろう。

ましてやバンブー社は、色々と後ろ暗い噂もある。資金力にものを言わせて経営をしているという話もあるし、スキャンダルも時々新聞に載る。

でも、人の社会で生きていくというのは、そう言うことだとも、思う。

マローネは、まず社長さんを信用しようと決める。誰に対しても、そうすることだ。その信念と誇りは、絶対に曲げない。

25F。社長室についた。

これほどの高さを誇る建物だとは。

壁際に窓がついていて、下を見ることが出来る。人が豆粒のようだ。マローネは度肝を抜かれてしまった。

人の力は結構凄い。

スーツを着込んだ、いかにも一癖も二癖もありそうな、中年のキバイノシシ族の男性が歩み寄ってきた。口にはわざとらしく葉巻を咥えている。マローネの全身をなめ回すように、視線を上から下まで行ったり来たりさせると、葉巻を取る。

「儂がバンブー社の社長、ブータンだ」

「初めまして。 クロームをしているマローネです」

「おう、そうかそうか」

応接のソファを勧められる。

座ってみると革製で、反発力がかなりあり、ちょっとおしりが痛いくらいだ。ソファの背に手を回しながらブータンは言う。秘書がそそくさとお茶を淹れてくれた。

「話というのは、他でも無い。 緑の守人島で仕事をして貰いたい。 我が社はこのたび、無人島に研究施設を作ろうとしていてな。 工事にまで入っていたのだが、訳の分からん怪物に邪魔されとる」

「その怪物を、どうにかすればいいんですね?」

「そうだそうだ、ものわかりがいいな」

ぶわっと煙を吐き出しながら、ブータンは下品に笑った。煙で咳き込みそうになりながら、マローネは無理に笑顔を作る。

ブータンの口の中は脂で真っ黒だった。たばこは健康に良くないと聞いているのだが、製薬会社の社長とは言え、こんなに吸って大丈夫なのだろうかと、ちょっと見ていて心配になった。

「ぶっちゃけた話をすると、儂はクロームに人格なンぞ期待しておらん」

「人格、ですか」

「そうだ。 御前さンを選んだのは、依頼人とのトラブルが多い割に、仕事での成果が大きいし、失敗も少ないからだ。 悪霊憑きとか言う噂もあるようだが、儂には関係ない」

使えれば、サルファーだって使うだろうよと、ブータンはげらげら笑った。

釈然としない所はあるが、この人はマローネを信頼はしてくれたのだ。それならば、信頼に応えて、それからだ。そうでなければ、マローネを好きにもなってくれはしないだろう。

「分かりました。 お引き受けいたします」

「そうかそうか。 ただし報酬は出来高後払いだ」

「それで構いません」

出来高後払いというのは、仕事後に成果を見て、依頼主が報酬を決めるタイプの契約方式だ。

トラブルが多い契約でもあるため、幾つかの暗黙のルールがある。

報酬を高めにすること、そして失敗した場合はクロームや傭兵団の方から、報酬の辞退を申し出ること。

そして依頼側も、報酬を出す場合は惜しまないこと、などである。

これらの暗黙のルールは、基本的にクロームをやった人間や、雇った者なら誰でも知っている。この社長さんも、当然知っているだろう。

秘書が契約書を持ってきたので、目を通す。

愕然としたマローネは、一瞬思考停止した。

「ご、ごご、五万ボルドー!?」

「そうだ、五万だ。 工期の遅れが深刻でな、かといって傭兵団を雇うともっと金が掛かるからなあ」

「アッシュ、ど、どどど、どうしよう」

「落ち着いて、マローネ」

アッシュに肩を叩かれる。人のいる場で名を呼ぶのはまずいし、動揺するとつけ込まれる隙になる。

何度か咳払いして、マローネは文面を何度も読み直す。

五万と言えば、その倍もあればおばけ島くらいなら買い取れるほどの金額である。今、マローネはちょくちょくとため込んできたお金で、いつかおばけ島を買い取ろうと思っている。

もしもこの仕事が上手く行けば、買い取り金額に、手は届くのだ。

やはり、かなり美味しい仕事だ。多分この社長は、マローネの実績を信頼してこの仕事を組んでくれたのだろう。

勿論、仕事の結果次第では、報酬はパーになる。それだけではない。バンブー社の社長ともなると、かなり社会的な影響力もある。

今まで依頼主と決裂したことは何度もあるが、今回の影響は、今までの比では無いだろう。絶対に仕事は成功させなければならない。

ふと、冷静になる。

これだけの状態になっているのだ。マローネを最初に雇っているというのも、この報酬額設定も妙だ。

もしもマローネがブータン氏だったら、まず偵察のための人員を雇う。そしてその後は専門家と相談して、相応の規模の傭兵団を送り込むのでは無いか。

だとすると、マローネは多分斥候だ。

そう思えば、この報酬額にも納得がいく。ブータン氏としては、斥候として使えれば御の字、くらいに考えているに違いなかった。

しかしそれは、マローネの身の丈に合った信頼をしていると言うことにも解釈できる。

「どうだ、やれるか」

「はい。 やってみます」

「そうかそうか、吉報をまってるぞ」

やはり下品にブータン氏は笑った。キバイノシシ族らしく口からはみ出した牙が、そんな笑い声を作り出しているのかも知れない。

マローネはそれから、秘書に連れられて一階に下りた。秘書の人はずっと卑屈な態度で、見ていて気の毒になった。

「緑の守人島は、我が社の固有財産です。 入るにはこの許可証がいります。 それと近辺の海路が少し入り組んでいるので、気をつけてください」

「あの、雇われる側は私ですから、そんなに丁寧じゃ無くても良いですよ」

「この仕事が終わったら、お客様になる可能性もある方ですから、非礼は出来ません」

額の汗をぬぐいながら、秘書は言う。

そして、マローネがバンブー社本社を出ると、階段を上がって、社長の所へ戻った様子だ。あの高さまで往復しなければならないのは、気の毒な話だった。

まずは、クロームギルドに出向く。出かける前に、情報を仕入れておきたかったからである。

この地方のメインアイランドだけあり、富と自由の島にはいろいろな施設が集中している。それだけ情報も集まりやすく、クロームのギルドの支部も大きい。

マローネはあまり熱心に足を運ぶことは無いが、仕事を探してくるクロームも多いようである。貝殻みたいな外見の石造りのギルドは、今日も多くの種族でごった返していた。ただし、マローネが入ると、非好意的な視線が無数に飛んでくる。

「おい、悪霊憑きだ」

「厄が付くかも知れねえ。 さっさといくぞ」

そう言って、何名かクロームが出て行くのが見えた。悲しい話だが、これが現実だ。マローネの場合、評判よりも悪評の方が遙かに強い。身を守る力が無かったら、問答無用でたたき出されるかも知れなかった。

受付の人間族の中年男性は、マローネをゴミか何かのように見ていた。資料の提出を求めると、わざと何人も先に割り込ませて、随分時間を掛けて出してきた。その上汚したら弁償だとか、さんざんな言いがかりを付けてきたのだった。

現地に出かける前に、げっそりしそうである。

だが、負けてはいられない。

調査スペースが、二階にある。たくさんの机と椅子があり、無数のクロームが談笑している場所だ。武器は入り口で預けなければならないが、何度か喧嘩が起こるのも目撃したことがある。安全とは言えない場所だが、此処でトラブルを起こすと仕事が来なくなるなどのトラブルに発展しやすいので、比較的皆自制してくれている、らしい。

空いている席に着くと、マローネは持ってきた資料に目を通しはじめる。

「緑の守人島……あった、これね」

「聞いたことが無い島と思ったら、発見は最近なんだね」

コリンが横合いからのぞき込んでくる。

ファントムである彼女は他の人には見えないが、それでも机の上に座ってのことだから、ちょっと行儀が悪い。

「広さはそこそこ、と。 ああ、なるほど。 典型的な温暖湿潤な、緑が豊富なタイプの島か。 海路が入り組んでいるんなら、開発が後回しにされるねえ」

「何か、分かりそうですか」

「こういう離島には、固有種が生き残っていることが多い。 この島が火山地帯なら、ドラゴンを疑うところだけれど。 妙な能力を持ってる怪物とか、或いは……」

バンブー社の工事業者の人達の話も、レポートにまとめてある。

それを見ると、どうも一致しない部分が多いのである。何を見たかという所が、それぞれ支離滅裂なのだ。

ある人は、見たことも無いとんでもない巨体を持つ怪物だったという主張をしていた。ドラゴンだと言っている人もいた。

マンティコアやフェンリルだという発言も散見された。

「フェンリル?」

「大形の食肉目の怪物だ」

ガラントが教えてくれる。

昔は犬の仲間だと思われていたらしい。神話に出てくる強力な犬の怪物の名を取って、命名されたのだそうだ。

だが研究が進んで、実はネコの仲間だと言うことが判明した。いずれにしても、名前が定着している今、フェンリルと呼ばれ続ける事だろう。

「非常に動きが素早く、攻撃性も強い。 頭も良くて、傭兵団などが討伐に出向くと、能力者を真っ先に狙ってくることがある」

「とても怖いですね」

「ただ、比較的小食で、獲物は小型の動物に限られる。 人間に対する攻撃をしてくる場合、縄張りを守ろうとする行動の結果である事が多いな」

それは悲しい話だ。

マローネとしても死ぬわけには行かないから、身を守らなければならない。

それに、怪物とは言っても、この島を「発見」したのはつい最近である以上、先に住んでいた筈なのだ。追い出そうというのなら、人間の方に非があるのではないだろうか。

「ふーん、妙だな」

「コリンさん?」

「此処まで目撃証言が適当というのはおかしいよ。 だいたいこれだけの大形怪物ばかり目撃されるには、島が少し狭すぎる」

「それは同感だな」

元々、大形の怪物が生きるには、相当な広さの島が必要になってくるのだという。生態系の頂点に立つような生物が生きるのには、それ相応の餌が必要だからだ。この島は、たくさんの大形怪物を養うにしては、狭すぎるのだと、コリンは言う。ガラントも同意していた。

やはり、この仕事にはきな臭いことが、多数あるようだ。

「アッシュ、どうしよう」

「まずは現地に行ってみるしかないだろうね。 何かあった場合は、僕たちが絶対にマローネを守るから」

「うん。 ありがとう」

ひょっとしたら、無人島では無いのかも知れないと、ガラントが言う。

ベリルだったり、或いは何かしらの理由で世間から離れていた人達が、孤島で暮らしていたという話は結構あるそうだ。

そう言う人達の中に能力者が混じっていたら、何かしらの幻を作り出して、作業員を脅かすことも出来るのでは無いかと、ガラントは言った。

いずれにしても、出向くしか無いだろう。

資料を受付で返す。受付のおじさんは、露骨に汚いものでも見るように、資料を何度も何度も丁寧に拭っていた。

悲しくなったが、今は我慢するしか無い。

少しずつ、事態を改善していくしか無いのだから。

 

2、不可思議な戦い

 

確かに、複雑きわまりない海路だった。

海は何も無い場所のように思われることもあるが、違う。潮の流れなどは航路にとって非常に大事で、場所によっては海流に乗るだけで何ら苦労せずに目的地に行くことだって出来るのだ。

何度も海図を見ながら、マローネはボトルシップの舵を取る。

海はさほど荒れていないが、海流はかなり激しい。所々には渦もあって、巻き込まれたら海底に真っ逆さまである。勿論そうなったら、助かる可能性はゼロだ。

小さな岩礁も散見された。

富と自由の島の近くに、こんな難所があったとは驚きである。海路が開発されるまで、苦労が絶えなかっただろう。

「これは、事故になったらひとたまりも無いな」

ごうごうと凄い音を立てる渦を見て、アッシュがぼやく。

マローネも同感だ。救助隊がこようが、どうにもならないだろう。

どうにか難所を抜けるが、そうすると情報通り霧が出た。ただしこれに関しては、現在はさほど致命的な難関では無い。

クローム達に配られている特殊なランタンを使う。ボトルシップの舳先に付けているそれで、あるていど向こう側を見通すことが出来るのだ。霧がでている場合、一番恐ろしいのは方角を見失うことと、事故である。方角については、羅針盤で分かる。事故をこれで防げるので、あとは変な海流に巻き込まれないように、気をつけていけば良い。

やがて霧の海域を抜ける。

真っ黒に濁った海は、海流が良くない証拠だろう。ただし異臭の類はないので、汚れている、というわけではないらしい。

ぽつんと浮かんでいる島が見える。

あれが、緑の守人島だろう。島の周囲を回って、形状を確認。海図と照らし合わせて、目的の島であると言うことがはっきりした。

マローネは額の汗を拭う。

これでまずは一段落だ。これから、ここにいる怪物と接触し、場合によっては追い払わなければならなかった。

砂浜は、散見される。

ガラントが見ていたが、首を横に振る。

「砂浜を見る限り、誰かが隠れている様子は無いな。 人間の犯罪者が潜伏している場合、どうしても痕跡が残るものだが。 そうなると、奥の森を調べてみるしかないだろう」

「分かりました。 まずは現場監督さんに会わないと、ですね」

工事は止まっているが、現場自体が無くなったわけでは無い。

砂浜の一つに、事務所があった。この島で取ったらしい植物を使って、簡素な建物を作ったのだ。

ボトルシップで砂浜に上陸。降りると、無気力そうな人達が姿を見せた。

いずれもが、土建屋の人達だろう。怪我をしている人はいないようなので、マローネは少し安心した。

「許可証は?」

「こちらです」

「なんだあ、クロームかあ。 お前みたいなちんちくりんで、大丈夫か?」

ろこつに胡散臭そうな目で見られる。

種族も年齢もばらばらだが、見た感じ人間族のおじさんが監督らしい。おじさんは、マローネの頭を強引になでなでした。

気色ばむアッシュ。

「とっととかえんな。 此処は子供の遊び場じゃねーんだよ」

「お仕事に来ましたから」

「へっ、何の仕事だよ。 死ぬなら一人で死ねよ。 なんかあっても助けてなんかやらねーからな」

毒づくと、監督さんはもう一瞥だけして、事務所に戻ってしまった。

言葉は、別にどうでもよい。だが、髪の毛を触られたのは、いやだった。

あの人は、女の子が知らない男の人に体を触られることが、どれだけ嫌なのかわかっているのだろうか。頭をいきなり撫でるなんて、本当は言語道断だ。コリン辺りだったら、笑顔のまま監督さんを消し炭にしていたかも知れない。

いきなり酷いことをされて悲しくなったが、マローネは髪の毛を整えて、無気力そうな人達に一礼。

そして、そのまま森へと足を進めた。

「死んでもしらねーぞ」

後ろから、声が飛んでくる。

マローネは、大丈夫ですと応えて、あとは振り返らなかった。アッシュは、となりでぷりぷりしている。

「何だ彼奴。 マローネも、言い返して良いんだよ」

「ううん、いいの。 此処がとても危ない場所だって、あの人達なりに教えてくれたんだよ」

それに、今回は密林に対する備えもしっかりして来ている。

まず、周囲を見回す。

森に入ってすぐの辺りは、道になりかけている。多分研究所を作るための道を作ろうとして、木々を伐採したのだろう。無軌道に木を切り倒し、石を掘り返して、捨てた跡が残っている。

その中の石。長い間木々に埋もれ、虫たちの隠れ家になり、自然の中で大きな存在感を示していただろう巨石に、シャルトルーズでコンファインを行う。

最初にコンファインしたのは、ハツネである。

具現化した森と弓矢のスペシャリストは、目を細めて辺りを見回す。

「この森は、泣いているな」

「森が泣くんですか?」

「そうだ。 森に手を入れるなら、それなりのやり方がある。 こんな風に荒らすだけのやり方では、森が死んでしまう。 森は悲しみで泣く。 この世界の人間は、森に対する敬意の払い方を知らないのか」

返す言葉も無い。

ハツネは嘆息すると、マローネに言う。マローネが悲しんでいるのを見て、胸を痛めている様子だ。

「いや、マローネに言っているのでは無い。 気を悪くしたのであればすまなかった」

「ううん、大丈夫です」

「……私の仕事は見張りだな。 任せてくれ」

ハツネが、樹上に消える。

これで奇襲の可能性はぐっと減った。更に、ガラントも近くの樹にコンファインする。根元から掘り起こされてしまった木である。

見ると、半ばからへし折られてしまっている。

乱暴に倒されたのだろう。ハツネで無くても、何だか悲しくなってくる無惨な姿だった。ただし、樹には既にこけがむしはじめていて、森の根本的な生命力には感心させられた。

樹が、ガラントの姿を取る。

肩を掴んでゆっくり回しながら、ガラントは周りを見回した。

「思ったほど動物がいないな」

「影からの補助、お願いできますか」

「任せておけ。 あとは無理をしないで、少しずつ進むだけだ」

頷くと、森の奥へ進み始める。

途中、ガラントがバッカスと交代。バッカスは大きな頭をもちあげると、ふんふんと鼻を鳴らした。

元々とても大きい体の持ち主だから、鼻息だけでも結構な迫力がある。

「どうしたんですか?」

「ドウブツハスクナイガ、クサノニオイガコイ」

「俺には分からなかったが、なにかいるのか」

「ワカラナイ」

バッカスが、ガラントに応える。

ハツネも今の話を聞いていたようだが、首を横に振った。彼女にも解らない事が、バッカスに分かったというのか。

何だか、容易ならざるものを感じる。マローネは背筋に寒気が走るのを覚えた。或いは、何かおかしな事に巻き込まれているのでは無いのか。

しばらく森の中を進んでいくと、やがて不意に道が開けた。

どうやら、研究所を建てるつもりの土地だったのだろう。

地面がむき出しになっている。草木を徹底的に焼き払って、その場から排除した形跡があった。

真ん中には、大きな穴が空いている。

理由はよく分からない。どうしてこんな事をしたのだろう。

「爆焼処理だね」

「コリンさん?」

「この辺の樹を全部処理しようと思ったけど、いちいち切り倒してたら手間暇が掛かるでしょ。 だから大きめの術式で、まとめて薙ぎ払ったんじゃないのかな。 バンブー社って優秀なネフライトをたくさん抱えてるらしいし、出来ると思うけど」

森を、切り開くどころか、まとめて吹き飛ばそうとしたという事か。

戦慄が走る。それは、自然に対する冒涜とか、そういう次元の代物では無い。圧倒的な力による蹂躙だ。

「私有地だからって、そんな酷いことが……」

「此処なんか、まだマシなやり口じゃ無いのかな」

コリンは容赦なく追撃を掛けてくる。

彼女は辺りを見て廻っていたが、やがて小さな石を指し示した。それが黒く濡れているのに、マローネも気付く。

多分燃焼を補助するものだ。酷い臭いがした。

「これは、ええと……」

「通称燃える水。 彼方此方で採掘される、強烈に燃焼効果がある液体だよ。 あたしもこういう爆焼に立ち会ったことあるけど、その時は事前に森の全部にこれをぶっかけて、遠くからドカン、だった」

それでは、森にいた動物たちは。

森を丸ごと焼き払うどころの話では無い。島を、根こそぎ吹き飛ばすのと同じでは無いか。

だが、この森は、というよりも島は、バンブー社の私有地だ。それは少なくとも、法的には間違っていないやり方だと、マローネも理解できる。

「この辺りは、爆焼で吹き飛ばした訳か。 でも、確かに何かいれば、それで出てくるよねえ」

「マローネちゃん、此方に」

不意に、カナンが手招きしてきた。

彼女は上品に、小さめの石に腰掛けている。ファントムでも、たまにそういう感じで、微妙な干渉が出来る物体があるのだ。見たところ、コンファインも出来そうな雰囲気である。

「見てください、この辺り」

「何でしょうか」

のぞき込んで、気付く。

妙な穴がある。それも、どうみても自然物では無い。

丁度丸い棒か何かで、均一にあけたものだ。爆発の勢いで植物が吹き飛ばされて、姿を見せたのだろう。

「ふふーん、なるほどね」

「何か分かったんですか?」

「この島さ、無人島とか、嘘っぱちじゃ無いの? 人間種族かどうか分からないけど、多分なんか住んでるよ」

そして、それをバンブー社は意図的に隠しているかも知れない。

とんでもない発言を、コリンが続けていく。

「此処って海路が面倒だけど、それを除くとバンブー社本社から近いし、なおかつ汚染や事故が起こっても封じ込めがしやすい絶好の場所なんだよねえ。 あたしでも、此処に研究所を作る話をするわ」

「コリンさん、わかりません。 ど、どういうこと、ですか」

「……」

見る間にアッシュの顔が険しくなっていく。コリンがにっこにこのまぶしい笑顔を浮かべているのは、マローネにとっては良い前兆では無い。

性格がひねくれきっているこの魔術師のファントムは、マローネが苦しんだり悩んだりしているのをみて、とても嬉しそうにする。真性のサディストなのだ。彼女にとって、マローネの不幸は、悲劇でも何でも無い。

そして、どうすればマローネの悲しそうな顔を作れるか、コリンは既によく知っている。

「もしも島の連中がまだ生きているとしたら、多分もうこっちには気付いているだろうね」

そうなれば、戦う事にもなる可能性が高い。

生唾を飲み込むマローネ。

そんなことになれば。ただ、生きる場所を守ろうとしているだけの人達を、バンブー社のために駆逐する事になる。

マローネが駆逐しなくても、バンブー社が雇った本職の人達が、容赦なく皆殺しにすることだろう。

それくらいは、マローネでも、簡単に判断できた。

吐き気が、のど元までこみ上げてきた。

茂みががさがさと音を立てる。はじかれたように顔を上げたマローネを、怪訝そうに茂みから出てきたハツネが見る。

「どうした、私に何か噛みついているか?」

「えっ? ええと……」

「何だかよく分からないが、偵察の成果があった。 この島の北の方に、何かが住み着いている。 多分知的生命体だろう」

近くの木の上から見る限り、規模は大きくても数百人を超えないと、ハツネは言う。

ただし、かなり巧妙に偽装しているようだとも。

続いて、バッカスが戻ってくる。ファントム状態のガラントと一緒だ。バッカスはこういう密林の中にいると、まるで小さなドラゴンみたいな迫力がある。

「周囲を見てきたが、様子がおかしいな」

「ガラントさん、どういうことですか?」

「まず、怪物のマーキング跡が存在しない」

怪物にしても何にしてもそうなのだが、人間と違って、彼らは基本的に無意味な争いを好まない。

攻撃的な動物も存在するが、それは自分の身を脅かそうとするものを、如何に積極的に排除しようとするか、という性質なのだと、ガラントは話してくれる。

そのために、どんな動物も、無意味な争いを避けるための行動を取る。それが自分がここにいると言うことを示す、マーキングだ。

「フェンリルなどは、非常に特徴的なマーキングをするから、一目で分かる。 だが、それらしいものは一つも無いな」

「島の一部にだけ生息している可能性は」

「天敵がいないのに、島の全土に広がらない理由が無い。 複数種の怪物がいるのなら、それぞれ縄張り争いをするから、余計マーキングは活発になるはずだ。 それさえ見受けられない」

ハツネの言葉に、ガラントが明快な答えを返す。

それだけではない。バッカスも言う。

「フンガ、ナイ。 オオガタドウブツノハ、ヒトツモダ」

「なるほど、それは決定的だな」

ハツネがなるほどと頷いた。そしてきょとんとしているマローネに、説明してくれる。

臭いが重要なコミュニケーションツールになっている動物にとって、糞尿は非常に重要なマーキング手段だそうだ。

たとえば犬を連れて行くと、彼方此方におしっこをしたりするが、あれはその代表的な行動である。自分の縄張りである事を、他の犬にアピールしているのだ。そうすることで、無意味な戦いを避けたり、縄張りの広さを把握しているのである。

先にガラントも言っていたが、この島は大形の怪物が住むには少し狭すぎるのだという。植物は豊富にあるが、しかし生態系を下支えする草食獣の姿もあまり多くは見られない。独自の海流が外部からの動物的資源の流入を断っているのでは無いかと、コリンが指摘する。

ガラントが意見を出し、ハツネがそれに対する見解を述べる。コリンは指を頭の後ろで組んだまま、時々何か鋭い指摘をした。カナンはと言うと、皆を笑顔で見つめていて、時々ぼそりと重要なことを言う。

いずれにしても、だんだん難しい話になってきた。

マローネはついて行けず、腕組みして難しい話をする大人達をおろおろと見回すばかりである。勉強をしているとは言え、専門的な話をしている人達の間には、流石に入りづらい。まだ自分が子供なのだと、こういうときには自覚してしまう。

見かねたか、アッシュが咳払いをしてくれた。

「そろそろ、結論を出して欲しいな」

「ああ、すまなかった。 まずは北に偵察のために移動してみよう。 何かいるとすれば、此方が本拠に迫ってみせれば、必ずアクションを起こすはずだ」

ハツネは、そう締めた。ジャングルファイトに関しては、彼女が最も知識と経験を持っている。ガラントはこの世界の動植物の知識はあるが、ジャングルにおける戦闘ではハツネに一歩劣るとこの間、自分で認めていた。それならば、ハツネが此処を仕切るのが、当然の流れだろう。

マローネも、挙手した。

「あの……。 誰かいるなら、戦いになる可能性も、ありますか」

「十中八九」

「そうですよね」

当然の話だ。なぜなら、マローネは侵略者なのだ。ここに住んでいる人達にとって、バンブー社は憎むべき侵略者で、マローネはその手先なのである。憎まないわけがない。

出来るだけ、話し合いで解決したい。

だが、奇襲を受けた場合は、身を守るために戦う必要が生じてくる。

ならば、休んだ方が良いだろう。

アッシュを近くの石にコンファイン。代わりにハツネとガラント、それにバッカスに休んで貰う。

最近はずっと長い間コンファインが出来るようになってきているとは言え、実戦を行えば消耗も激しくなる。

おばけ島で、アッシュとガラントが素手で組み手をしているのを何度か見たことがあるが、やはり消耗するとコンファインを維持できなくなってくる。力が付いてきているとは言え、まだまだ油断するには早すぎる。

石に腰掛けて、見張りをするアッシュの背中を見つめる。

奇しくもだが、丸く森が抉られた此処は、奇襲を防ぐにはもってこいの地形だ。囲まれる可能性もあるから、油断は出来ないが。

「マローネちゃん、私をコンファインしてくれますか?」

「カナンさん、どうしたんですか?」

「いいから」

言われるまま、カナンをコンファインする。

具現化した彼女は、マローネの後ろに回ると、肩に手を置いた。

回復の術式を発動したのか。一気に体が楽になるのを感じる。今回はジャングルに備えて、この間買ったばかりの頑丈な靴を履いてきたり、長くて丈夫な靴下をしてきているから、慣れない装備に少し疲れていたのだ。

「ふあ……楽になりました……」

「貴方みたいな子供は、苦しいときには大人を頼って良いの。 ガラントさんも私も、アッシュ君もいるから。 いざというときには頼ってね」

ぎゅっと、拳を握りしめてしまう。

そんなことを言われると、悲しくなる。

生きている人にも、そんな風に頼って良いのだろうか。だが、頼ったことはあったが、いずれもけんもほろろな対応をされるばかりだった。

カスティルの笑顔が浮かぶ。

あれから文通をしている、大事な友達。文通をしていると、彼女がとても精神的に大人で、つらい苦しみを抱えていることが分かってくる。

大丈夫だ。友達だって出来た。

いずれ、周りの環境だって、改善する。そう思って、頑張っていくしか無いのだ。

「有り難うございます、カナンさん」

心も、少しだけ楽になった。

 

充分な休憩を取ってから、北上する。

森の奥の方で、大きな唸り声が聞こえた。思わず耳を塞いでしまう。

「む……この唸り声は」

「ガラントさん、分かるんですか?」

「うむ。 ドラゴンだな」

本物だったら、とガラントは付け加えたが。

ドラゴン。イヴォワールでも最大最強の怪物の一種。最大のものになると、島くらいのものも過去に確認されているという。見かけは大形のトカゲのような姿が基本だが、様々な変種がいて、空を飛ぶ者や、首がたくさんある者もいるそうだ。

勿論その戦闘能力は凄まじく、火を吐く奴もいれば、もっと恐ろしいもの、酸やら毒やらを吐くものもいるらしい。体には強力な鱗が生えていて、生半可な剣などはじき返してしまうという。

イヴォワールタイムズにも、よくどこの島で暴れていたドラゴンを、どこかの傭兵団やクロームが倒したという話が出てくる。この話題になると白狼騎士団が話題に上がることが多いが、時々獣王拳団も名前が挙がる。そういえば、一度だけ、フォックスという人が、ドラゴン退治で名前を挙げられていた。

退治されることがあるとはいっても、簡単な相手ではない。だから、有名なドラゴンスレイヤーが返り討ちにされたという話題も、新聞に良く載る。

能力者がいくらでもいるイヴォワールでも、その脅威は全く衰えることが無い。

だが、ドラゴンスレイヤーと呼ばれる、ドラゴンを退治した実績を持つ戦士がさほどもてはやされることが無いのは。

やはり、サルファーという、それを遙かに超えるとんでもない脅威が存在しているからなのだろう。

「アッシュはドラゴンと戦ったことはあるの?」

「僕は無いけれど、父さんと母さんが現役だった頃に戦ったことはあるって聞いたことはあるよ。 専門の小隊を組んで、当然能力者をいれて、それでも被害を出すことを想定しなければならないほど、厳しい相手なんだって」

「おっかないね。 話し合うことは出来るかな」

「この森を先に荒らしたのはバンブー社だしね。 もしもドラゴンがいるんだとしたら、かなり難しいと僕は思う。 彼らは知能が高いが、それ以上にプライドが高いと聞いているから」

勝つことは出来るのだろうか。

戦って、勝ったとしたら。どうすればいいのだろう。

殺すのは嫌だ。

だが、出て行ってくださいと頼むのも、もっといやだった。あまりにも身勝手だと思うから、である。

どうにか出来ないだろうか。バンブー社に頼んで、研究施設以外の所の森には、手を出さないようにはして貰えないだろうか。

あの強欲そうなブータン社長が、そんな提案を呑むのか。いや、人を見かけで判断してはいけない。

まずは信用することだ。そう自分に言い聞かせて、マローネは歩く。

「マローネ!」

上からの叫び。

気付くと、至近まで、巨大な獣の前足が迫っていた。マンティコアか。振り下ろされた前足には、マローネの親指ほどもある爪がある。

あ、死んだ。

そう思った時には、ハツネの放った矢が、数本まとめて、マンティコアを貫いていた。

横転して、吹っ飛ぶマンティコア。

ガラントが珍しく慌てきった様子で、マローネを背中にかばう。理由は、すぐに分かった。

周囲から、数頭のマンティコアが同時に現れたのである。

「馬鹿な! ハツネ!」

「いなかった! 急に出現した!」

矢を受けながらも、立ち上がるマンティコア。

じりじりと間合いを詰めてくる、他の個体。きりきりと、ハツネが矢を引く音が、樹上からした。

だが、その樹上に、強烈な破砕音。

木の上に、犬のような、ネコのような、大きな動物がいる。あれがフェンリルか。ハツネがいた一瞬前にいた地点を、前足で抉ったようだった。勢い余って、枝を粉砕したのだろう。

それだけではない。

森の奥から、巨体を揺らして現れるのは。

この間、草の茂み島で見た、ベヒモスでは無いか。

「マローネ!」

「うん!」

言われるまでも無い。これは総力戦だ。

まず、バッカスをコンファインする。近くの倒木に、意識を集中。飛びかかってきたマンティコアの眉間に矢が突き刺さり、もう一体はガラントが剣で正面から切り伏せた。だが地面に倒れたマンティコアは、何事も無かったかのように立ち上がってくる。

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ! 奇跡の力、シャルトルーズ!」

倒木が、見る間に形を取っていく。

それを見て、マンティコア達が数歩飛び退いた。背中にマローネをかばいながら、ガラントが眉をひそめる。

上では、激しい追撃戦が行われている様子だ。ハツネは枝を跳び回っては、フェンリルの追撃を凌いでいるが、とんでもなく身軽な怪物は、先回りするように立ち回っている。しかも、ハツネが放った矢を、空中で噛み裂いた。

「妙だ。 打撃が軽い」

マンティコアの前足を、大剣を盾にして受け止めながら、ガラントが言う。

後ろ、至近。マローネにかぶりつこうとして来たマンティコアの、ずらりと並んだ牙。振り返る。牙が、噛み下ろされようとしている。

突進してきたバッカスが、体当たり。

吹っ飛んだマンティコアが、凄い距離を飛んだ。

「タシカニオカシイナ。 カルイ」

数体のマンティコアが、同時にバッカスに躍りかかる。

如何に強靱な鱗を持つバッカスとはいえ、マンティコアに殴られて無事だとは思えない。

だが、無事だった。纏わり付かれてはいるが、バッカスが対応に苦労しているようには見えないのだ。殴られてははじき返し、叩き潰し、数体のマンティコアを相手にバッカスは五分以上に立ち回っている。

どういうことだろう。そう思ったところで、ベヒモスが巨体を揺らして突進してくる。草木を蹴散らす、凄まじい迫力だ。

マローネだけを狙っているのが分かった。まだ、アッシュもコリンも間に合わない。冷や汗が、背中を伝う。

だが、躍り出たガラントが、剣を盾に、真っ正面からベヒモスの突撃を受け止める。

巨体が、止まった。

「うそっ!?」

「やはりな」

ガラントが、余裕を持ってベヒモスを押し返した。

巨体が、冗談のようによろめく。マローネが唖然とするよりも、敵が逃げに転じる方が先だった。

どれだけ矢で貫かれても平然としていたマンティコア達も、それを見て逃げに転じる。

ただ、木の上でハツネと渡り合っていたフェンリルだけは、様子が違った。逃げに転じる味方を見て、不意にハツネにタックルを浴びせる。一瞬遅れたハツネが矢を放ち、毛皮を切り裂く。

鮮血がぶちまけられるのと同時に、体当たりを避けきれなかったハツネが空中に投げ出された。

ガラントがハツネを受け止め、バッカスが体を丸めてフェンリルに体当たりを仕掛ける。空中で激突した二つの力の塊は、互角の衝撃力をもたらし、空中で凄まじい音を立てた。地面に落ちたフェンリルとバッカス。

ハツネを降ろしながら、ガラントがとっさに地面にさしていた剣を引き抜いていた。

「お前だけは、本物か」

唸り声を上げるフェンリル。

だが、身を翻すと、森の中に消えていった。アッシュは具現化する暇も無かった。

マローネにも、なんとなく状態が分かってきた。もしもあの数の怪物に、奇襲を受けていたら。ひとたまりも無かっただろう。しかし、結果は違った。

ハツネは蹲ったままである。肩と足に傷を受けている様子だ。

「ハツネさん、大丈夫ですか」

「……」

「どうしましたか?」

「な、何でも無い。 手当を頼めるだろうか」

そういえば、お姫様だっこで受け止められていたが。まさか。

カナンをコンファインして、手当をする。それを横目で見ながら、ガラントが言った。

「気付いていたか、マローネ嬢」

「ええと、おかしな雰囲気でしたけれど」

「アッシュ、お前は」

「気付いていましたよ。 どうやらあのフェンリル以外は、みんな偽物。 多分幻か、それに近い存在みたいでしたね」

やっぱりとマローネが声を上げると、ガラントが見せてくれる。

剣には、傷一つ無い。

もしもベヒモスの突撃を受け止めたとき、あれが本物だったら。ガラントは仮に敵の突進を受けきれたとしても、全身に多大なダメージを受けていただろう。剣にも酷い傷が付いていたことは間違いない。

「だが、あのベヒモスは、妙に軽かった。 そうだな、子供が体当たりしてきたような感じだった」

「マンティコアモ、オナジダ」

バッカスが、体を見せてくれる。

リザードマンの岩じみた強靱な体には、確かに傷一つ無い。ライオンよりも凶暴とさえ言われるマンティコアに、あれだけ叩かれたのに、だ。バッカスは歴戦の戦士だし、力の受け流し方を知っているにしても、おかしな話である。

カナンの手当が終わった。ハツネはしばらくうつむいていたが、やがて無言で木の上に戻っていく。

「つまり、何かが化けているか、幻を見せていた、という事だね」

「何かって、具体的に分かりますか」

「バッカス、交代」

コリンがバッカスの代わりに、コンファインで具現化する。

実のところ、マローネは既に五人くらいまでなら同時コンファインが可能になっている。だが、いざというときに備えて、消耗は押さえておく。

やがて、コリンが見つけてきた。

ネギみたいな杖だった。小さくて、持ち手が赤ちゃんの手にでも合うかのようにかわいらしい。

「ふーん、なるほどね」

「コリンさん、分かりそうですか」

「というか、分かった」

コリンは、凶暴な笑みを浮かべて、北の方を見た。

「こりゃ、パティだね」

「パティですか?」

「そう。 この間、パティを助けたときに感じたのと、同じ魔力波動。 つまり、あの怪物達は、パティが化けていたってわけ。 この島の元々の住人は、多分パティ達だったんだよ」

「えーっ!」

マローネがびっくりして口を押さえると、アッシュが呆れたように肩をすくめた。

 

森の中には、フェンリルが流したらしい血が、点々としていた。

ハツネを負かしたほどの相手だ。だが、無事には済まなかったという事でもある。何だか痛々しい。

戦いの結果、誰もが傷つくことはマローネも知っている。マローネ自身もそうだし、ガラントのような歴戦の猛者でも、若い頃はお酒で傷を紛らわせていたという話だ。

今の戦いでも、味方も消耗した。マローネの魔力も、それなりに削られた。だが、それ以上に敵は怖かっただろう。パティが、以前助けた者のように臆病だとしたら、気の毒なくらい怖がっていてもおかしくない。

あのフェンリルは、どういう個体だったのだろう。

パティのペットだったのか、それとも友達だったのか。

いずれにしても、他の猛獣たちと明らかに連携していたし、殿軍の役割も果たしていた。賢いし、とても強いのは間違いなさそうだ。それに、味方のために命を賭けもしていたのは、よほど強い絆があるからだろう。

コリンは嘘をついていないと思う。確かにあの杖のサイズは、ウサギリス族が使うにしても少し小さすぎるからだ。

だが、そうだとすれば。

これから進めば、パティ達の家を奪うことになる。

以前シシカバブ団長が言っていた。

パティは森の盗人と言われ、嫌われていると。この島を追い出されたとき、パティ達が行く場所があるのだろうか。

あるとは、とても思えない。

しかし、それを報告して、あのブータン社長が納得するだろうか。

気が重い。

しかし、油断していれば、さっきのように奇襲を受けかねない。如何にパティが化けていたとしても、噛みつかれたらどうなるかわからない。ナイフは小さな刃物だが、それでも刺されば、場所によっては容易に致命傷になるのだ。ましてや、さっきはジャングルでの戦闘を専門にしているハツネやガラントさえ、至近まで接近を許してしまった。

パティも必死なのだ。マローネは敵にしか見えていない。それならば、殺すために全力で立ち向かってくるだろう。

迷いは死につながる。

それは分かっているのに、どうしても気持ちを切り替えられない。

今回の仕事も、深い迷いと、直結していた。

 

3、弱者の論理と強者の論理

 

人間の味を覚えると、俗に言う。

猛獣が人間を食べた場合の事である。怪物にも、この言葉は適応される。一度人間を襲った捕食者は、二度三度と襲撃を繰り返すようになる。人間の肉が彼らにとってとても美味いからだというのが、俗説だ。

実際は違うことを、白狼騎士団団長であるラファエルは知っていた。

今回は百人以上を動員しての、大規模な仕事だ。幾つかの島に跨がっての、掃討作戦である。

火山島が多いヴァーミリオン地方の一角、死と角の島。

かってサイクロプスなる怪物が住んでいたと噂される場所であり、今でも激しい造山活動で、年に何度か噴火が起こる。

此処が、最後の作戦の場となりつつあった。

ぱたぱたと、副官を任せている、リーナが駆けてくる。愛くるしい動作で隊員達からも愛されている彼女は、まだ若干下手くそな敬礼を、ラファエルにした。

「報告です! 第一小隊が、敵を追い詰めました! 敵はS地点の洞窟に立てこもり、抗戦の姿勢を見せています!」

「そうか、無理も無い話だな」

彼らだって、死にたくないのだ。

だから、あらがう。だが、人間を襲って喰らった以上、放っておく訳にはいかないのである。

殺さなければならないのだ。ラファエルは、人間世界での秩序を守る立場にある。これ以上、犠牲が増える前に、彼らを斬らなければならない。白狼騎士団の団長であり、九つ剣の筆頭という名誉ある立場であるから。それ以上に、護法の戦士であるが故に。

この近辺は、幾つかの島が連なった難所である。ここ数年の異常気象のため、植物は育たず、動物は死に果て、人間でさえ生きるのに必死の毎日が続いていた。

当然、獲物が捕れなければ、怪物達にとっても地獄が待っている。

勘違いされやすいのだが、人間を好きこのんで襲う猛獣などまずいない。というのも、彼らからしても人間はハイリスクな獲物だからだ。一度襲えば、次からは徹底的な反撃をしてくる。何より肉はまずいし食べでも無い。

そんなものを襲う理由は、もはや他に食べるものもないから、という場合が殆どなのである。

今回は続いた異常気象が原因だ。だが、多くの場合、人間による無闇な開発によって、環境が激変したことが引き金になる。

熊にしても獅子にしても、人間を喰らう場合は、殆どが他に方法が無いからなのだ。

中には獲物を選ばない猛獣もいるが、そう言う連中は大体待ち伏せ型の狩りをする猛獣で、危険地帯に踏み込めば誰でも関係なく襲うし、入らなければわざわざ人間を襲いにいこうともしない。

危険なのはいわゆる徘徊性捕食者、プレデターに分類される猛獣である。怪物も、当然これに含まれる。

島長が来た。普通なら筋骨たくましいキバイノシシ族なのだが、骨と皮だけにやせ細ってしまっていて、痛々しい。彼は家族を怪物に殺されたとかで、必死に集めた金を、白狼騎士団に差し出してきた。

本来はこういった危機での出金はセレストがするべき事なのに、今回は民からの直接依頼で白狼騎士団は動いている。この地域のセレストは無能で、民を守ろうともせず、私腹ばかりを肥やしているのだ。厳しい税の取り立てで皆がやせ細っているにもかかわらず、血が出るような金を出してくれた彼らのためにも、ラファエルは迷ってはいられないのだった。

「ラファエル様、化け物共を追い詰めたと聞きました」

「まもなく、掃討を開始できます」

「おお、おおお!」

老島長が、感極まって涙を流しはじめる。

彼と最初に面会したとき、如何に息子が食い殺されたのか、涙ながらに話してくれた。

無念であっただろう。悔しかっただろう。

だが、今追い詰めた怪物共だって、生きるために仕方が無かったのだ。いつか、それを分かって欲しいと、ラファエルは思った。

やがて、他の地域からも、部隊が集まってくる。リーナが隊長達の話をまとめて、此方に来た。

「逃げ遅れた敵は、全て狩終えたそうです。 第二小隊が四匹、第三小隊が三匹。 包囲にこれから合流しまっす!」

「よし、発煙筒準備」

島長が見守る中、ラファエルは指示を飛ばした。

洞窟に逃げ込んだ敵を、真正面から攻めるなど、愚の骨頂だ。まずは中にいられなくする。

魔術で作った発煙筒は、呼吸困難を起こす煙を出すように出来ている。まずはこれを、洞窟に放り込む。

洞窟の出口が他にも無いか確認は既に行い済みだ。部隊にいる魔術師が、魔術による構造探査を実施した。その結果、もう一つの出口は海の中である事が分かった。

悩みはある。だが、戦うとなれば、際限なく冷酷になれる。それが戦士として生きてきたラファエルの強みだ。

「攻撃開始! 敵の出撃に備えよ!」

第一小隊の戦士達が、タワーシールドを構えて、壁を作る。第二小隊に何名かいるネフライトが、攻撃術の準備を終える。

それを見計らい、第一小隊の指揮官であるパラムスが右手を挙げた。投石機を使って、発煙筒が、次々投げ込まれる。

見かけはただの赤い筒なのだが、指定のワードを唱えると炸裂、膨大な煙を周囲にまき散らす。最初無反応だった洞窟だが、爆発的に煙が吹き出してくると、まもなくたまらず怪物達が飛び出してきた。

フェンリルが数匹、マンティコアが十数匹。いずれも、腹が背中にくっつくほどやせ細っていた。しかも、本来いくつもの群れに別れていたものが、強引にまとまったらしく、連携も何も無い。

彼らの目はぎらついていて、自分たちがどうして追われているのかは、分かっている様子だ。

盾の壁に、怪物達が次々ぶつかってくる。

だが、歴戦の白狼騎士団隊員達は、それを悠々と押し戻した。まだ洞窟の中から出てくるが、その時ネフライトの術式が、容赦なく炸裂する。

降り注いだ稲妻が、怪物達を容赦なく一網打尽に吹き飛ばす。

稲妻の直撃を避けた怪物達だが、其処に剣を構えた白狼騎士団隊員達が殺到。次々に剣を突き刺し、盾で抵抗するところを押し込み、文字通り駆逐していった。

ラファエルは見ているだけで良かった。

不意に、一匹が飛び出してくる。愛剣である神剣ヴィシュヌを抜こうとする所に、リーナが立ちふさがる。

「吹き荒れるは黒き炎! 地竜の力、グラヴィトンパイル!」

彼女が能力名を唱え、剣を向けると同時に。飛び出してきたフェンリルが、地面にたたきつけられ、なおかつ全身が凄まじい炎に包まれる。

グラヴィトンパイル。重力らしきものを操作し、敵を地面にたたきつける。更にどういう原理か、その後発火して焼き尽くす。炎を使わない場合、重力を更に強化することが出来る。

リーナの能力である。ラファエルが今まで見た中でも、特に強い能力だ。鍛え上げれば、いずれサルファーを倒せるかも知れない。今はまだ、弱った怪物を捻り殺せる、ていどのものでしか無いが。

フェンリルは消し炭になり、もう身動きしない。リーナは剣を鞘に収めると、目をつぶって黙祷した。

掃討戦が終わる。

ラファエルは、立ってみているだけで良かった。怪物達はその場で解体される。腹の中には、人間の残骸が見つかることもあった。島長が、村の者達を呼んでくる。村の者達は、切り刻まれた怪物の死体を漁り、家族の形見や部品を探すのだった。

洞窟の中は、既に飢え死にしたり、煙で窒息した怪物の死体で一杯だった。まだ残党がいるかも知れないから、これから一週間は主力部隊を駐屯させる。熟練の指揮官であるパラムスが、来る。

彼は四角い顎の、典型的な軍人的性格の持ち主である。ラファエル以上の堅物で、部下達からもおっかないおじさんとして認識されている。感情らしいものを表に出すことも滅多に無いが、ラファエルには時々愚痴をこぼしてくれる。

「胸くそが悪い仕事でしたな」

「ああ。 誰もが生きるのに必死だというのにな。 正義だ悪だと言わなければ、人は生きていけないのかも知れん」

サルファーから見れば、人間が今の怪物のように思えるのかも知れない。

部下達も、殺した怪物を解体するので必死になっていた。洞窟の中には、人間の死体は一つも無い。誰がさらわれたというような話は聞いていたが、多分とっくに食べられてしまったのだろう。

しばらくこの島の生態系は、滅茶苦茶になる。

そもそも草食動物が全滅状態だし、今回の一件で、生態系の上位にいる者達も、みな消えてしまった。

島長が来て、頭を下げる。

「有り難うございました。 これで皆の仇を討つことが出来ました」

「ああ。 この異常気象が、一刻も早く納まることを、私も祈っている」

「ラファエル様、貴方のご恩は忘れません」

村人達も、頭を下げた。ラファエルが、わざと異常気象の話をした事も、耳には入っていないようだった。

本当の仇と言えるのは、異常気象と、民の暮らしを顧みないセレストだ。ましてや、この異常気象。サルファーと関連があるかも知れないのに、どうして放置しておくことが出来るのか。

そういえば30年前の異変でも、当初こういった無能なセレストが、事態の収拾を遅くしたのだった。

場合によっては、汚い手も取らなければならないかも知れない。そうラファエルは感じ始めていた。

それから一週間ほど、ラファエルは島に留まった。丁寧な駆除作戦で人食いの怪物達は綺麗に一掃されたが、まだ不安そうにしている民を落ち着かせるためにも、時々見回りは行った。

貧弱な自然は徹底的に痛めつけられ、当分再生することは無いだろう。せっかく猛獣の脅威が無くなったとはいえ。島民は、よそに移動しなければならなくなるかも知れない。

残務を片付けてから、ラファエルはようやくボトルシップに乗り込んで、次の仕事に向かった。部下達の話が聞こえる。

「また稼いだ賞金額が、トップになったそうだ」

「そういや獣王拳団が荒稼ぎしてるらしいな」

「くっだらねえ。 連中がやってるのは、派手な仕事ばっかりだ。 こっちは本当に民のための仕事を厳選しているっていうのによ。 年間の賞金額がそんなに大事か?」

部下達は、そう愚痴をこぼしている。

彼らの手にしているイヴォワールタイムズに、そんな記事が書かれているのだろう。ラファエルには、あまり興味が無い話だった。

「そういえば、悪霊憑きの話題が出てるな」

「フォックスか?」

「いや、違う。 マローネって子供らしい」

子供で悪霊憑きか。さぞや大変なことだろう。話を聞き流していたラファエルは、船の自室に入ると、イヴォワールタイムズを開いてみた。

三面に記事があった。

クロームをしている悪霊憑きの子供、マローネ。シャルトルーズなる驚天の奇跡を用いているが、その本質は未だ分からない。今後も追加調査が必要だろう、などと書いてある。気の毒なことだなと、ラファエルは思った。

悪霊憑きと呼ばれる人間は、大概長生きできない。集団リンチで殺される事もある。ましてや女の子の場合は、もっと酷い運命が待っているかも知れない。

もしも、見かけることがあったら。

気に掛けることにしよう。そうラファエルは思った。

 

森を抜けると、不意に開けた場所に出た。

樹そのものが家になっているような、不思議な集落である。見ると木のうろをどうにかして広げて、その中に住んでいる様子だ。

マローネは周囲を見回す。

人気は無い。

いや、ある。必死に息を殺して、マローネから身を守ろうとしているのだ。体を小さく縮めて、震えているパティ達。

痛ましい話だ。

森を丸ごと焼き払おうとしていた以上、場合によってはこの村も焼き尽くされていただろう。相手は人間では無いから良い、などという理屈が通じるわけが無い。通じる人が、いるのだろうか。

だとしたら、マローネは怒る前に、悲しく思ってしまう。

「た、戦うつもりはありません!」

思わず、声を張り上げていた。

だが無反応だ。思い出す。パティに言葉は通用しないのだ。彼らがどうコミュニケーションを取っているかは分からないが、少なくとも音声はダメだ。

ハツネは此方に来ない。

視線がずっと一点に固定されている。

それで、気付く。

村の奥に、何かほこらのようなものがある。其処には、体を丸めて、眠ったように穏やかな。

だが、あまりにもとんでもない巨体があった。

ドラゴンだ。

ただし、専門家では無いマローネでも分かるほどに、年老いている。さっき、森の中で聞いたのは、このドラゴンの咆哮だったのか。

全身は灰色で、背中には鋭い翼がある。マローネは生唾を飲み込むと、ほこらに歩み寄った。

ドラゴンが、鎌首をもたげる。

長い首は太く、口の中には大きな大きな牙が、ずらりと並んでいるのが見えた。

前に立ちはだかってくるのは、さっきのフェンリルだ。ハツネの矢を受けた傷が、首筋の辺りから背中まで、一直線に走っている。まだ血は止まっていない。グレーの毛皮は、フェンリルの血で赤黒く染まっていた。

「人間。 戦うつもりは無いと言ったか」

ドラゴンが喋った。少し違う。口を開いたが、人間のように動かしている様子は無い。多分魔術で会話をしているのだろう。

知能が高いとは聞いていたが、これほどとは。

もう一歩、近づいてみる。背中までの高さは、マローネの背丈の三倍。体の長さは、更にその五倍という所か。

総力戦を挑んでも、勝てるとはとても思えない。

だが、それはドラゴンが健常な場合だ。ドラゴンも老いている。フェンリルの様子から見て、もはや動く事も出来ないのではないか。

「はい。 話をさせて貰えませんか」

「内容にもよる。 此処を出て行けというのなら、聞くことは出来ない」

当然だろう。

パティが住める無人島は確かにあるかも知れない。だがずっと此処に暮らしていたのは、パティ達なのだ。

ドラゴンとパティ達がどういう関係なのかは分からない。だが、このようにしてまつられているという事は、きっと悪い関係では無いのだろう。

「此処は、貴方たちの島なんですか?」

「パティ族の島だ。 正確には他にもいくつかあるとは聞いているが、その中で人間が住んでいない、ほとんど唯一という場所だったのだがな」

ドラゴンは憂鬱そうに喋る。というよりも、喋っているだけで苦痛という雰囲気だ。それだけ年老いている、という事なのか。

マローネは、歩み寄る。

立ちふさがるフェンリルの傷を見た。まだ此方に警戒しているフェンリルだが、マローネが回復の術式を唱えると、おとなしくなった。ある程度、術式を識別できるのかも知れない。

傷を癒やす。

少しは腕も上がったのだ。反作用の痛みも、だいぶ押さえられているはず。

ほどなく、フェンリルの血は止まった。まだ何度か警戒するようにマローネを見ていたフェンリルだが、通してくれる。

ドラゴンの側に。やはり至近で見ると、見上げるほど大きい。ハツネも頭を振ると、側にまで来た。無防備すぎると、マローネに視線を送ってくる。ガラントも、かなり緊張しているようだ。

「いざというときは、アッシュを。 それからコリンの順だ」

「大丈夫です」

戦いにはならない。しない。

カナンをほこらの側にある石を使ってコンファインすると、ドラゴンは驚いた。

「何だその能力は。 初めて目にする」

「お父さんとお母さんから授かった力です。 シャルトルーズと言います」

「否。 シャルトルーズとは、奇跡というレベルで回復を行う能力だ。 お前が使っているものは、本来違う名前の筈だ」

「私も、そう聞いています。 でも、私にとっては、これがこの能力の名前なんです」

カナンがドラゴンを診察する。

だが、難しい顔を、彼女はしていた。

「貴方も分かっているでしょうが、内臓に大きな疾患がありますね。 このままだと、あまり長くは生きられないと思います」

「カナンさん……」

「ですが、この病気になってから、かなり時間が経っていますね。 この島に来たことが、寿命が延びた要因ですか?」

「……そうだ。 此処のパティ共は、儂の命の恩人なのだ」

ドラゴンが、何か術式を唱える。

それがきっと、パティ達への呼びかけだったのだろう。

家から、たくさんのパティ達が出てくる。いずれもあのサーカスの時に保護したパティと同じで、草の帽子を被り、手足はとても細くて、丸い顔に大きな二つの目を持っていた。色々と、姿が違うパティもいる。

とても可愛い。

ハツネも側でじっと見つめられて、悪い気分はしないようだ。そわそわしているのがかわいらしい。

「こ、これがパティか」

「パティの社会は階級が無い代わりに役割分担を発揮していてな。 人間で言うならセージ(賢者)とでもいうような者達が、村の運営をしている。 話をしたいのなら、儂が間に立って受け持とう」

「有り難うございます」

でも、交渉なんて、するにしても、どうしたら良いのか。

パティの中で、複雑な服を着た一体が、マローネの前に来る。背は他と同じだが、何となく威厳のようなものがあった。

腰を落として、視線の高さを合わせる。

「乱暴にしてごめんなさい。 けが人はいませんか」

「けが人はいない。 だが、怖かったと言っている」

それはそうだろう。

サーカスから救出したパティも、気の毒なほどに震えていたのを思い出す。そもそもパティ族は、大変に気が弱い種族なのだろう。

「この島を焼き尽くし、奪う気なのかと、聞いている」

「私を雇った人は、そのつもりみたいです。 でも、どうにか、それは避けたいです」

「それは君の個人的感情か」

「はい」

アッシュが咳払いする。

さっきからアッシュは、マローネを複雑な表情で見下ろしていた。

「わかっているのかい、マローネ。 もし正直に言ったら、ブータン社長はきっと、この島に大規模な傭兵団を送り込むよ。 傭兵団の中には、ドラゴン狩りになれている連中だっている。 そうなったら、ドラゴンでもひとたまりも無い」

「分かっているわ、アッシュ。 でも、どうしたらよいの?」

「最悪の場合、島を出て行くしか無い。 でも、それは悲しいと、パティ達は言っている」

「……」

コリンが挙手した、

にやにやと笑みを浮かべている。勿論ファントムの状態なので、パティ達には見えていない。

「良い案があるよ」

「コリンさん?」

「コンファインしてくれる? ドラゴンのおっさんと、話があるからさ」

頷くと、コリンもコンファインする。

その間、カナンはパティ達を診察してくれていた。さっきの戦いで、怪我をした者はいないようで、マローネは安心した。

「ね、ドラゴンのおっさん。 その角、くれない?」

「儂の角がどうかしたか」

「それを持って帰る。 上手く行くと、ごまかせるかも知れない」

ドラゴンの後頭部には、鋭い角が一対ある。

相当な高齢のドラゴンらしく、とても立派なものだ。

ドラゴンは、不愉快そうに唸る。

「ドラゴンにとっての角が如何に重要なものか、分かっているのか。 非礼が過ぎるのでは無いか、人間の亡霊」

「だから意味があるんだよ。 耳を貸して」

コリンが、ドラゴンの耳元に、何かささやく。しばらく唸り声を上げていたドラゴンは、やがて頭を下げた。

確かに良い手だと、ドラゴンはぼやく。

「他に方法も無さそうだな。 だが良いのか。 そこの純真そうな子供に、嘘をつかせる事になる」

「私? 私が、嘘を、ですか」

「そうだ。 戦闘での駆け引き以外で、嘘をついたことも無いだろう。 良いのか」

悩んでいたマローネは。

だが、コリンから作戦を聞いて、そして決める。

確かに良案が無い以上、コリンの策しか無い。嘘をつくのはとても心苦しい。悲しくさえある。

マローネの身の丈に合った信頼をしてくれたし、差別もせずに仕事をくれたブータン社長を、裏切ることになるからだ。

だが、そうしなければ、この島に住むパティ達は。

ドラゴンが、魔術を使って、パティ達に作戦を伝えたようだ。パティの長老が、何度か首を横に振る。

だが、ドラゴンは、達観した様子で言う。

「確かに悔しいが、儂はいい。 もう先も長くない命なのだ」

アッシュをコンファインする。

頑丈な角を折るには、爆発的なエカルラートの火力が必要だからだ。青い燐光に包まれるアッシュは、ドラゴンに一礼した。

「ありがとうございます。 角を、貰います」

「うむ。 気前よく、へし折ってくれ」

 

草の茂み島の砂浜に戻る。

ぼろぼろのマローネを見て、ほれ見たことかと工事監督は表情で言ったが。しかし、バッカスが担いでいるものをみて、度肝を抜かれたようだった。

「なんだいそりゃあ」

「ドラゴンの角です」

「あんたがしとめたのか」

「一体だけはどうにか。 でも、まだまだ森の奥には、このドラゴンよりもっと恐ろしくて、凄く大きいのが、たくさんいました」

角と言っても、マローネの体ほどもある巨大なものだ。それを見て度肝を抜かれた所に、更に恐ろしい真実の伝達である。

引きつった声を、人間族のおじさんが上げる。

「ほら、だからいったじゃねえか! ドラゴンがいるんだよ!」

「それよりどうするんだよ。 こんなやべえのがいるんじゃ、早く逃げねえと、みんな餌にされちまう」

「そ、そうだな。 会社には後で報告すればいい! 命が何よりだ!」

我先に荷物をまとめて、工事の人達が撤退に掛かる。

黙々と角をボトルシップに積み込むバッカスは、それを一瞥だけしたが、それ以上は何も言わなかった。

あの後、聞いたのだが。

傷ついてこの島に流れ着いたドラゴンに、パティ達はとても親切に尽くしてくれたのだという。

不思議な力で内臓の悪いところを回復したり、とても良く効く薬を持ってきてくれたり。同じようにして流れ着いたフェンリルも、パティ達の献身的な介護で回復したので、とてもよくなついていたそうだ。

マローネは船をだしながら思う。

この島を、絶対に守らなければならない。パティ達の島を、焼き払ってはならない。

「それにしても、どういう了見だ。 あんたがマローネを手伝ってくれるなんて」

「おや? いつも要所じゃ手伝ってるじゃん」

「戦闘ではな。 それ以外で、マローネを手伝ってくれている印象は無いが」

「失礼だなあ。 誰がマローネちゃんの修行をみてやってると思ってるのさ」

船の屋根のところで、相変わらずアッシュとコリンが喧嘩している。つっかかるアッシュを、コリンが平然といなしている印象だが。

工事用の道具類を積んだ船が、いそいそと島を出て行くのが見えた。

とても大きなボトルシップで、出力も凄い。あまり慌てて島を出て行ったので、座礁しないか不安になった。

「工事現場の人達にも、悪いことをしちゃったね」

「彼らに責任はないさ」

アッシュが言う。

マローネとしては、みんな幸せになって欲しいのである。それなのに、どうしてこんな事になるのだろうと、悲しくなる。

海流に乗って、島を出た。

そういえば、富と自由の島で会ったパティは、この海流に乗って来たのだろうか。或いは他の手段を用いたのか。

ふと、それが気になった。

どういうわけか、帰りは霧も出なかった。或いはあの霧は、パティ達が魔術で作り出したものなのかも知れない。幻を作ったり、ものを隠したり。パティの魔術は、案外人間のネフライトが使うものより、強力なのかも知れなかった。

霧が無いとは言え、この辺りの海域は座礁の危険もあるし、油断は禁物だ。

慎重に船を動かして、海流と海図を見比べながら、難所を抜ける。既に、工事監督達の船は無事に抜けていたようだったので、マローネは少しだけ安心した。

難所を抜ければ、後は静かな海だ。

「見て!」

カナンが声を上げる。

マローネが難所を抜けたら、殆ど即座に。島を霧が覆った。

どうやら、パティ達が術であの霧を作り出していることは、ほぼ疑いが無い事のようだった。

「この術を、戦いに生かせばかなり有利になるだろうに」

「世の中には、戦いを好まない者もいるのだ」

「そうなのか。 だが、戦わないが故に、此処まで攻めこまれたのでは無いのか」

ハツネが不可思議そうに言う。

マローネは、それには応えられなかった。きっとガラントが、もっと適した答えをハツネにしてくれるだろうと思ったので、敢えて無理をして何か言うこともしなかった。

ほどなく、富と自由の島が見えてくる。

さあ、此処からだ。

 

港で台車を借りたマローネは、四苦八苦しながら角を台車に乗せた。

今日切符を切ってくれたのは、いつものキバイノシシ族のおじさんだった。ぼろぼろのマローネを見て、唖然とした様子だったが。

「そいつと戦った結果か?」

「はい」

本当は違う。

嘘の仕込みとして、コリンに低威力の術を掛けて貰ったのだ。大事なお洋服だが、パティ達を救うためだ。仕方が無い。

低威力とは言え、直撃すれば死んでしまう。だから至近の地面にかけてもらい、吹き飛ばされた。切り傷擦り傷が全身に出来たし、打ち身もある。多分痣にもなっているはずだ。

だが、マローネは、仕込みという以上に。これから嘘をつくことに、しかも自分に対して差別をせずある程度認めてくれた人に、対する罰として、これを受け入れていた。当然の報いであると。

体中が痛い。

カナンが心配そうに声を掛けてきた。

「此処までしなくても……」

「良いんです、カナンさん」

「まったく、マローネ。 君は少しは自分の事を心配してくれ」

アッシュがぼやいた。

バンブー社に付く。秘書さんは、マローネと、引きずってきた巨大な角を見て、愕然としたようだった。

受付がひそひそと話しているのが聞こえてくる。流石にマローネの様子を見て、吃驚しているようだ。

早速ブータン社長の所に通される。

ブータンは、マローネの有様を見て、流石に驚いた。葉巻を咥えたまま、その場で固まっている。

「な、何があったのかね」

「ご、ご報告いたします!」

罪悪感が、きりきりと胸を締め付ける。だが、パティ達を守るためだ。他に方法は無い。良い嘘なんて、ある訳が無い。

実際、バンブー社が研究所を作ろうとしているのも、金儲けのためだけでは無い。

色々ときな臭い噂はあるが、製薬会社の研究所だ。様々な新薬が開発されれば、それで苦しむ人だって減る。

たとえば、カスティルのように。

一日の殆どをベットで過ごさなければならず、役に立てない自分に引け目を感じているカスティルのことを思うと、本当に悲しい。

だが、今は。行き場が無いパティ達を、どうしても守らなければならなかった。

「緑の守人島を、調べてきました。 この角は、住んでいたドラゴンのものです」

「な! ドラゴン!」

「目撃報告にもあったドラゴンは、本当にいました。 この角を持っているドラゴンだけは、どうにかやっつけました。 でも、あの島には、もっと大きなドラゴンが、たくさん住んでいたんです」

「ドラゴンが、たくさんだって……!」

流石に真っ青になっていくブータン社長。

コリンは入れ知恵するときに、言った。マローネの言葉だけでは、多分ブータンは信用しない。

それならば、幾つかの仕込みをしていく必要がある。

まずは証拠。ドラゴンが命の次に大事にしていく角がそれになる。専門家であるほど、ドラゴンがまさか自分から角を与えるとは思わないだろう。

そして、マローネが受けたダメージ。これが、有無を言わさぬ雰囲気を作り出す。

勿論バンブー社のような巨大企業を運営しているブータンは、文字通り百戦錬磨のビジネスマンだ。それでも嘘を見抜く可能性がある。

だから、元からの情報を誇大にしてやる必要があるのだ。

「あの島は、多分ドラゴンの繁殖地です。 一番強そうなドラゴンは、首がななつもありました。 火を吐く恐ろしいドラゴンもいて、危うく食べられそうになって、必死に逃げてきました」

「そ、その角を良く持ち帰れたな」

「命がけの仕事でした。 だから、せめて証跡でもと思いました」

「そ、そうかね。 まあ、それならば、仕方が無いな」

報酬について、ブータンが契約書を出してくる。

マローネは、首を横に振った。

今回は、報酬を受け取れない。報酬を受け取ったら、自分の誇りに対する裏切りになる。パティ達を命がけで守るために、嘘をついた。だが、それはお仕事をくれたブータンへの裏切りであり、これでお金まで受け取ったら、マローネは絶対に自分を許せなかっただろう。

何より、天国のお父さんとお母さんに、顔向けできなかった。

「怪物を追い出せなかったのですから、報酬はいりません」

「それはまあ、仕方が無いな」

ブータンが、心底ほっとする顔をした。

俗物だ。それはマローネにも分かる。だが、この俗物なりの信頼をしてくれたのに、マローネは裏切ったのだ。

角をおいていこうかとマローネは提案したが、持って帰ってくれと言われた。

頭を下げて、バンブー社を後にする。

今回は、完全なただ働きだ。その上、一張羅はぼろぼろ。帰ってから、ちくちく直さなければならないだろう。

そろそろ、新しいお服も買わなければならない時期だったとは言え、悲しかった。

「立派だったな」

ガラントが言ってくれた。

それだけで、苦労が幾らか報われる気がする。

再びボトルシップに角を積み込んで、海に出る。キバイノシシ族のおじさんは、何も言わずに、半券をくれた。

パティ達は守れた。

それと引き替えに、マローネは初めて嘘をついた。それはとても悲しい思い出になって、マローネの心に新しい傷を付けたのだった。

 

クロームギルドに情報を納入すると、ウォルナットはいつもの酒場を訪れる。

まだ早い時間だが、今回は予定額に届いたこともあって、比較的余裕がある。オーカー酒を少し早い時間から飲むくらいは許されるだろう。

しばらく一人で、安酒の酔いを楽しむ。

そこに入ってきたのは、パーシモンだった。何も言わず、パーシモンのための席を空ける。

そこそこに良いワインを注文すると、パーシモンは酔いが回り始めているウォルナットに言った。

「報告書は受け取った。 あの墜ちた聖剣を相手に、良く此処まで調査が出来たな」

「何、怖くて近寄れないから、適当に距離を取って見張っていただけさ」

「それで充分だ」

ここしばらく、ウォルナットはスプラウトの身辺調査をずっと続けていた。相手はウォルナットに、当然気付いていただろう。だが邪魔にならない程度に距離を取ることで、相手の殺意を引き出さないように、上手に立ち回った。

その結果、色々と分かってきたことがある。

「あの爺、悪霊を喰らってやがる」

「報告書にもあったな。 だが、俺が知る限り、スプラウトはそんな能力を持っていなかった筈なんだが」

「知るかよ。 俺は嘘をついてねえ」

最初に見た時は、衝撃的だった。

スプラウトが乗り込んだ島の一つで、闇の穴が空いて、悪霊があふれ出ていたのである。それを片っ端から殺し、大きい奴を不可思議な能力で、文字通り喰らっていたのだ。

他にも監視役のクロームもいたようだが、その光景を見て度肝を抜かれ、逃げてしまった者もいたようだった。

しかも、その能力を使うときの、凄まじい魔力波動。

あれはいわゆる魔神や、それ以上の力では無いのか。

「いずれにしても、仕掛ける隙は無かったな。 あれだけ強いと慢心するのが普通なんだが、あの爺、罠を仕掛けられそうな場所には絶対にちかづかねえし、ボトルシップの周囲には厳重に魔術的なトラップを仕込んでから出かけてやがった。 間抜けが何回かそのトラップに引っかかってな」

「どうなった」

「スプラウトの奴、拳骨をくれて説教した後、放り出していたよ。 あの爺、意外に人を殺す気は最初から無いのかもしれねえな」

監視をしていたクロームはそうこうするうちにどんどん減っていった。

あまりにもスプラウトが異様だったのと、それに隙が無いこと。それにクローム独自の嗅覚で、危険を察知したからだろう。

あの男は、ドラゴンなどよりも、もっと危険な存在だ。

普通だったら笑い話になる所だが。パーシモンは笑わなかった。ウォルナットも、笑う気にはなれなかった。

ここしばらくで、寿命が随分縮んだ気がする。スプラウトは確実に此方に気付いていただろうし、気まぐれでいつでもウォルナットを殺す事が出来ただろうから、だ。そんな相手の側で、監視を続けたのである。

元々、命がけの仕事ばかりしているウォルナットは、恐怖とのつきあい方を知っている。逃げろと何度も体の方が警告してきていた。それでも逃げなかったのは、パーシモンの仕事だったからだ。

つまみを注文しながら、パーシモンは言う。

「大変だったな。 いずれにしても、クロームギルドもこれ以上は無理だって受注者に言う予定だ。 此処までで仕事は終了だ」

「そうしてくれるとありがたいな」

多分横やりが入ったなと、ウォルナットは思った。

誰だか知らないが、サルファーとの戦いで最精鋭になりうるスプラウトを殺そうなどと、平和にそまった馬鹿セレストなのだろう。権力闘争の過程の行動なのだろうが、愚劣きわまりない。

悪霊の脅威自体は、ウォルナットも何度も見た。

命あっての物種だ。金を稼ぐのも重要だが、あれが世界を蹂躙し尽くしては意味が無い。そんなことになったら、せっかく稼いだ金も、意味を無くしてしまう。

そんな馬鹿セレストの行動に気付いた誰かが、きちんと圧力を加えたのだろう。

「次の仕事は?」

「勤勉だな」

「稼げる内に、稼いでおかないとな」

「しばらく休んでおけ。 俺から回せる仕事は無い」

ならば、自分で探すだけだ。

ウォルナットは自分のグラスを空にすると、親友に礼を言って店を出た。

酔いでほてった体には、夜風が気持ちよい。

そしてその快感が、ウォルナットにさらなる戦いを求めさせる。女よりも戦いの方が面白い。

何より、趣味で稼げるのだから、最高では無いか。

そういって、あらゆる手を使ってでも稼がなければならない自分の境遇を誤魔化すのだ。

むかしから、ウォルナットは、喧嘩に明け暮れていた。周囲が気に入らなかったこともあったが、喧嘩自体は好きなのだと、大人になってから気付いた。だからだろう。戦闘に、天性の勘が働くのは。

クロームギルドに、そのまま出向く。

ウォルナットは、血に飢えていた。

自分の、何より大事な人の境遇を、そうやって覆い隠すことが出来るのだから。

 

4、嬉しいおくりもの

 

カナンの治療を、マローネは敢えて受けなかった。

これは罰だと思ったからだ。まだ稚拙な部分もあるマローネの回復術を使うと、やはり傷口は凄まじい痛みをともないながら回復していった。

外では、絶対に泣かない。

誰にも泣き顔は見せない。そう決めている。

だから、ベットで声を殺して泣いた。

嘘をついた痛みを、自分自身に刻みつけるために。これが嘘の痛みだ。世間では、へいきで嘘をつく人が大勢いることは、マローネも知っている。

だからこそに、自分はそうはならない。それが、マローネの誇りだった。それを破ってしまったのだ。痛みを伴うのは当然だった。

数日、痛みを伴う治療を続けながら、ぼろぼろになった一張羅を縫い直した。新しいお服も買ってきたのだが、前回の仕事がただ働きだったこともある。あまり、経済状態は良いとは言えなかった。

一応、貯金はちょっとだけある。

だがこれは、おばけ島を買おうと思ってためているお金だ。手を付けるわけには行かない。

唯一嬉しかったのは、素直に打ち明けたカスティルは、マローネの行動を正しいと認めてくれたことだっただろうか。それで随分気も楽になった。だが、罪は罪。罰は甘んじて受ける。その行為が、マローネの誇りを、最低限はつなぎ止めてくれるのだ。

マローネが朝の修練のために外に出ると、カナンが心配そうに見つめているのに気付いた。

「おはようございます、カナンさん」

「怪我を見せて」

「もうすっかり大丈夫ですよ」

笑顔で応じる。

実際、傷はふさがった。体の中で残っているような事も無い。

カナンは念入りに診察すると、嘆息する。悲しそうにしているのをみて、マローネの方が悲しくなった。

「どうして痛い事ばかりを選んでするの?」

「そんなことは無いですよ。 私、怖いのも痛いのも嫌いですから」

「貴方は、逃げずに立ち向かいすぎです。 少しは逃げることも覚えてくださいな」

「マローネ」

アッシュが声を掛けてくる。

カナンはしばらくマローネを見つめていたが、やがてきびすを返した。彼女は、ひょっとして、毎晩マローネが声を殺して痛みを我慢していたことに、気付いていたのかも知れない。

「どうしたの、アッシュ」

「何か近づいてくる」

そういえば、大きい気配が近づいてくる。ただし、敵意があるものではない。

海岸に出ると、遠くから何かが流れてくるのが分かった。最初に見つけたのはハツネであったらしい。側では、コリンが手をかざして見ている。

ガラントは興味が無いらしく、黙々と剣を家の側で振っていた。バッカスもそれにつきあって修練をしているようだ。

「あれは木製の容器か? 形状が独特だ。 私のいた魔界にああいうものはなかった」

「樽だね。 お酒とかを入れることが多いんだけど」

「酒が満タンに入っているのか」

ハツネの声が、ちょっと嬉しそうになった。

見た目はマローネとあまり年格好が変わらなくても、異種族だ。大人であっても不思議では無い。

「ハツネさんはお酒が好きなんですか?」

「私の一族は、強敵を仕留めたときだけ、酒を振る舞ったのだ。 勝利の美酒という奴でな、蜂蜜酒が特に美味かった……のだが」

それ以上、ハツネは言わなかった。

無理も無い。その一族も、それどころか彼女の故郷も。既に無いと言う話なのだ。思い出すのは、とてもつらいことだろう。

樽が、流れ着く。

かなり頑丈に留められていた。おばけ島ではコンファイン状態を保っているアッシュが、蓋を何度か叩いて開けてくれた。

中に入っていたのは、酒では無かった。ハツネは残念そうにしたが、代わりにコリンが前に出る。

「これは……!」

コリンが声を上げる。

一見すると、ただのきらきらした石だ。だが、コリンが飛びついて、調べはじめる。コンファインしてと言われたので、側の樹を使う。実体化したコリンは、出てきた無数の石を見比べて、何度も感嘆の声を上げた。

皮肉屋の彼女がこれほど血眼になる所を、マローネは初めて見た。

「これは、魔術に使うマナの結晶体だよ。 あたしもこんなに純度が高い奴は、見たことが無い」

「価値があるものなんですか?」

「そうだね、これだけあれば、七万ボルドーはくだらないね。 捨て値で捌いても、だよ」

七万。

思わず声を上げてしまった。それだけあれば、今までの貯金と合わせて、このおばけ島をゆうに買い取ることが出来る。

涙がこぼれそうになったので、慌てて目をこする。

お金の本当の意味での価値を、マローネは知っている。だからこそに、これは嬉しかった。

「マローネ、良かったね」

「う……うん!」

煙のように樽から出て、ふわりと空中に浮き上がる何か。それは見る間に巨大な影になっていった。

正体が何か、すぐに分かった。

ドラゴン。あの緑の守人島にいた、年老いた守護竜だ。ただし、既に命尽き、ファントムになっている。

事情は、語られなくても分かった。

「気に入ってくれたようで何よりだ。 儂も最後の力を使って、此処まで運んだ甲斐があったよ」

「ドラゴンさん!」

「儂の寿命はもう尽きかけていた。 気にすることは無い」

ドラゴンは、少し寂しそうな目をした。

あの後。パティ達の長老が、何かお礼をしたいと言った。島から人間は出て行ったし、マローネが誇りを捨ててまで嘘をついてくれたことが分かったからだ。

そこで、島の地下からとれた、マナの結晶を送ることにしたのだという。

「問題は海流が島から此処へつながっていないことでな。 儂はもう命が尽きるところだったし、最後の力で此処に運んできたのだ。 お前達のためになったようで何よりだ」

「そんな……」

「儂も命惜しさに、パティ達に何もしてやれず、口惜しく感じていた。 その儂の誇りを、お前達は最後に守ってくれた。 これは儂らから、感謝の印だ。 受け取って欲しい」

マローネは、感動で胸が詰まっていた。

そして感謝した。

この能力をくれた、天国のお父さんとお母さんに。最後の命を、使ってくれたドラゴンに。

今まで、必死に頑張ってきたことが、報われたことに。

「そして良ければ、これからは儂の力を生かしてくれ。 儂自身からの礼だ」

「ドラゴンさんが?」

「霊を扱うそなたの力なら、死しても儂を使役することが出来よう。 パティ達を守ってくれたこと、これくらいでしか報いられぬ」

これ以上も無い、嬉しい事だった。

「ドラゴンさん、お名前は」

「儂の名か。 ヴォルガヌスだ。 人の子に名を明かすのは初めてだが、よろしく頼むぞ」

「ヴォルガヌスさん、これからお願いします」

ドラゴン、ヴォルガヌスは、翼を広げた。おばけ島が覆い隠されそうなほどの大きさだ。

これだけの強大なファントム、きっとまだマローネの力では、一瞬しかコンファイン出来ないだろう。出来てブレスで周囲を薙ぎ払うくらいか。

それでも、エカルラートを使ったアッシュと並ぶ切り札になり得る。消費もさぞ凄まじかろうが、抑止力としても充分な存在になるはずだ。

だが、そういった戦略的なことよりも。

マローネは、今日という日ほど、嬉しい事を他に知らなかった。

「マローネ、これから忙しくなるよ。 まずはこれを換金して、貯金がいくらあるのかを計算して」

「うん。 それで、シェンナさんのがらくた島に行かないとね」

いよいよ、夢にまでみた自分の家と土地が手に入るのだ。

上手く行けば、今後は酷い仕事をしなくても良くなるかも知れない。

やっと、マローネに風が吹き始めた。それを、感じるマローネは。もう一つ、周囲の全てに感謝していた。

 

息絶えたドラゴンの側に、ずっと無言でフェンリルはよりそう。

この島に来てから、ずっと良くしてくれたドラゴンのことを、フェンリルは大好きだった。寿命が近いことも、もう戦えないことも知っていた。

そして、ドラゴンの魂が、きっとあの人間の所に行ったことも。

パティ達が、死体を葬るつもりらしい。しばらく寄り添っていたフェンリルだが、空間を操作する力で運ばれていく亡骸を見送る。

最後まで、誇り高い存在だった。

今度は、その誓いと誇りを、フェンリルが引き継がなければならないだろう。

名残惜しい。

だが、今は、誇りを守ることが大事だった。

島で一番高い木に登ると、フェンリルは守るべき土地の全てを見回した。ドラゴンが守り続け、今度は自分が守らなければならない場所。

遠吠え。

雄叫び。

霧の彼方まで、それは届く。

ドラゴンに対する手向けになっただろうか。或いは、自分の誇りを示す行為になっただろうか。

空には、丸い月が浮かんでいる。

それに向けて、もう一つ。フェンリルは、雄叫びを上げたのだった。

 

(続)