救いの糸が行方

 

序、探すもの

 

長い探査の末に、やっと見つけた。

だが、捕縛したものは、どれもこれも違う。ここにいたのは間違いないのに、痕跡を追ってようやく此処まで辿り着いたのに。いらだちの中、新しく個体を探し求める。

スカーレット。

どこに消えた。奴は確かにいた。

奴に付けられた痛み、この傷、忘れることなど出来ない。奴を殺さなければ、安心して生きることが出来ない。

いらだちの中で、少しずつ情報が集まってくる。

まずは、この地点を中心に、調査をしていく必要があるだろう。

そう思ったのだが、どうもここ最近、派遣した配下を潰して廻っている奴がいる。非常に鬱陶しい蠅のような輩だ。だがそいつは正体も全く掴めず、なおさらいらだちを募らされる原因となっていた。

「サルファーよ」

声が何処かから響く。

愚かな声。この声の主は、サルファーを制御できていると、信じている様子だった。愚劣すぎて、潰す価値も無いと此方が思っているとは、気付いてさえいない。それどころか、思考能力が無いとさえ考えているらしかった。

武器商人と自分では名乗っている。

自分が火薬の塊を抱え火遊びをしていると、気づきもしない愚物である。いずれ踏みつぶしてやるつもりだが、色々と有益な部分もあるので、今は単純に泳がせていた。奴の持っているオモチャにも、それなりに興味はあった。それにより、奴はサルファーを制御できていると、信じているのだった。

「ある魔界で、お前の力が必要になった」

知るか。

サルファーが好物としているのは、人間の精神だ。怒り、憎しみ、恐怖。それらはいつもサルファーの腹を満たしてくれる。

それに比べて、魔界の連中は、直接喰らうと美味いかも知れないが、それだけだ。精神はどいつもこいつも単純きわまりなく、思考回路は力だけで満たされている。魔界を何種類か蹂躙したことがあったが、退屈きわまりない作業だった。

「お前の力で、この勢力を蹂躙してこい」

少し悩んだが、そういえばスカーレットの戦力は、現状ではまだ勝てるか解らない事に気付く。

それに、現在での調査は、配下に任せておけば充分だろう。

動き出す。魔界の連中の肉が美味いのは事実なのだ。片っ端から喰らって、腹を膨らませれば、力も蓄えることが出来る。

魔神だろうが魔王だろうが、特性的にサルファーにはかなわない。どれだけ力が大きくても、だ。

いずれにしても、この屑が持っている道具の力は魅力的だ。今此奴を殺してしまうと、道具の解析が上手く行かない可能性もある。

ならば、腹ごしらえも兼ねて、従ったフリを続けてやるのも一興だろう。

ただし、それも途中までだ。

示された勢力が、「武器商人」にかなりの対価を払ったらしいのだが、知ったことでは無い。

指定された魔界を、丸ごと食い尽くす。

それで、此奴との関わりも終わりだ。どうせ解析は、まもなく完了するのだから。

「よしよし、良い子だ。 さっさと仕事を済ませてくるのだぞ」

馬鹿がまた寝言をほざく。

せいぜいほざいておけば良い。食事が終わるまでの命なのだから。

 

サルファーは、ある特殊な体質を持っている。

正確には、少し違っているかも知れない。生物と言うに、サルファーの存在はあまりにも無理がありすぎるからだ。

ある人間が、こう言ったらしい。

悪意を持つ自然現象。

それは、ある意味で正しく、間違ってもいる。自然現象という定義からも、ある意味外れているからだ。

開けられた穴から、魔界へと躍り込む。

其処は、力だけが支配する世界。環境は住む者を常に排除しようとし続け、その結果強いものだけが生き残った世界。

噴火を続ける火山。

沸騰する海。溶岩が大地を覆い、空には酸の雲が広がっている。其処に生息している生物は、文字通りの怪物ばかりだ。空を飛ぶドラゴン、大地を支配する魔族、いずれもが魔の世界の住人と呼ぶに相応しい猛者達ばかりである。

だが、それでも。

サルファーには、叶わない。

その全てが、サルファーの餌だ。

雄叫びを上げる。魔界の者達が、サルファーの来襲を見て、最初は鼻でせせら笑う。此処は猛者達の世界。侵略し侵略され、力が全ての価値観である場所。だから、サルファーなど、恐るるにたり無いと。また侵略者が来たかと、軽く考える者達さえいる。

だが、その笑みが引きつるまで、さほど時間は掛からない。

何度も見てきた光景だ。

さて、此処を食い尽くしてしまうまで、時間がある。それまでに、スカーレットをおびき出す方法を考えておくとしよう。

激甚な被害に耐えかねたか、ついに魔王が出てきた。魔界の重鎮と思われる、強力な軍勢を引き連れての出陣である。流石に巨大な体躯で、凄まじい魔力を持っているようだ。或いは、人間であれば、一つの星がまるごと結束しなければ倒せないかも知れない。進んだ文明の兵器を集めても、なお叶うかどうか。

だが、数が多かろうが、精鋭が揃っていようが、関係ない。

それの相手を片手間にしながら、サルファーは決めておく。スカーレットを捕捉したらどう戦うか。

辺りが、業火に包まれる。

「ば、化け物……!」

魔王が悲鳴に近い絶叫を上げた。

それを掴むと、サルファーは頭から、相手を丸ごと囓った。

 

1、保養地の悪夢

 

ウォルナットが行きつけの酒場に行く。シックな雰囲気がある、穴場とも言える場所だ。

酒を覚えたのはいつの頃だったか。

確か、師匠と慕っていた女に裏切られ、その戦いで生き残った後だったような気がする。あのとき、思い知らされた。人間を信用してはならないのだと。

それ以来、ウォルナットは、何かあったら此処で酒を飲むようにしているのだ。

医師の指定してくる金額は増すばかりだ。セカンドオピニオンに掛かろうにも、そもそもウォルナットのような輩の話を聞いてくれる医師など、まず現れない。今の医師が強突く張りの悪徳医師である事は分かっている。だが、実際延命が出来ていることも事実なのだ。他の医師に変わっても、薬代が劇的に安くなるとは、思えなかった。

テーブルに着くと、酒を注文する。

オーカー酒と呼ばれる、大変安いものだ。安いのだが味はそこそこに良いし、何より少量で気持ちよく酔える。労働者や貧乏人の味方と言える酒である。ある程度収入に余裕が出てくると、ザクセンのワインなどの高級品に切り替える。

オーカーは一種の蒸留酒だが、ワインのようにグラスで飲む。そうすることで、多少の高級感を出せるからだ。

店に顔見知りが来た。

パーシモン。オウル族である。精悍な顔つきをしていて、いつも丸いサングラスを掛けている。人間族からするとかなり格好良いのだが、意外にも丸顔が好まれるオウル族の中では、伊達男に属さないらしい。むしろ他の種族に対する見栄えを考慮して、コーディネイトをしているのだそうだ。

パーシモンはクロームギルドの顔役の一人で、ウォルナットが唯一親友と認める相手だ。元々セレストの出身で、武門の一族であったらしいのだが、剣の才能がないという事で下野した。

下野してからは元からある人脈を生かして、情報屋と、クロームギルドの一員として仕事の斡旋をしてくれている。ウォルナットとは長いつきあいである。彼の関わっている仕事に対しては、ウォルナットもオクサイドをしない。

また、この男が、セレスト出身にもかかわらず、ギルド内ではどちらかと言えば汚れ仕事中心に関わっていることも、ウォルナットが気を許している一因だった。

「よう、景気はどうだ」

「ぼちぼちだな」

「あまり罪作りなことはするなよ。 お前の悪評が、俺の所まで上がって来ている。 親父、ザクセンの12年ものだ」

さりげに忠告してくれるパーシモンに、軽く笑みを浮かべる。

ウォルナットのような屑を見捨てないでくれているこの親友だが、それでもその警告だけは聞けない。

表を歩けないことは分かっている。だが、それがウォルナットの生き方だ。

変われば良いという言葉は無責任である。出来れば苦労は無い。変わることが出来ず、苦しんでいる者がどれだけいるか、分かっているのか。変われない者は死ねというのなら、拒否するだけだ。

高級酒を飲み始める盟友。しばらく、沈黙が流れる。だが、一杯呷ったところで、話し始める。

此処に来ていると言うことは、仕事があるということなのだ。

「お前に仕事の依頼が来ている」

「ほう。 パーシモン、話してくれるか」

「少々危険なヤマだ」

「分かっている。 お前が直接持って来るくらいだからな」

パーシモンがウォルナットに持ち込む仕事は、基本的に荒事中の荒事ばかりだ。

この間の仕事は、人ばかりを専門に襲って喰らう怪物の処理。ただし実はセレストのペットであり、表だっての処分は出来なかった。

その仕事の時は、怪物を飼っているセレストの屋敷に忍び込まなければならなかった。異常な輩はどこにでもいるもので、大立ち回りの結果、そいつの屋敷は最終的に丸焼きにしてやった。勿論怪物も叩き殺してきた。

胸くその悪い仕事だったが、ウォルナットにしか出来なかったのだ。もしも有名なクロームなど出張っていたら、クロームギルドとそのセレストの全面戦争になっていたことだろう。汚れ仕事を確実に処理するからこそ、ウォルナットはオクサイドをやっていても、ある程度は見逃されているのだ。

だが、それにも限界がある。

だから、定期的に危険な仕事を、ウォルナットは処理する。そうすることで、綱渡りを続けるのだ。

薬代を稼ぐために。

「少し前から、金持ちの保養地で行方不明者が続出している。 それだけじゃない。 悪霊の目撃例が出ているようだ」

「俺にそれを解決しろと。 それで、場所は」

「いやしの湖島」

「……」

その島は、因縁がある。というよりも、その島での仕事だけは避けたい。

理由は簡単だ。

会いたくないのである。たとえ、何があったとしても。それに、狙われるのが金持ちならば、大丈夫だろう。

「悪いが、今回は降りさせて貰う」

「どうしたんだ。 ちょっと立場が悪くなっているって言ったが」

「それでもだ。 別のところで埋め合わせはする」

パーシモンは肩をすくめると、更に危険な、別の仕事を提案してくれた。

「少し前に、あるセレストから、ある相手の抹殺依頼が来た」

「誰だ」

「墜ちた聖剣」

その名前は、ウォルナットも聴いたことがある。

かって九つ剣の筆頭にして、この世界でも屈指の英雄だった男だ。既に八十近くになっているが、各地を未だにさまよっているとか。

その物騒な二つ名の通り、姿は既に鬼神にも等しい有様だという。

「俺に、墜ちた聖剣を殺れと?」

「そうだ。 手段は問わないが、出来るか」

「まずは相手の戦力を見ないとな。 それと情報を出来るだけ貰おうか」

理由などは、どうでもよい。

こういった仕事でも、ウォルナットは遠慮無くこなす。そうすることで、危なくなっている立場を強化しなければならない。

パーシモンが、分厚い紙束を渡してくる。ざっと目を通すが、これはかなり厳しいかも知れない。

墜ちた聖剣、スプラウト。かっては輝ける聖剣と呼ばれ、スカーレットを除けば確実に世界最強と言われた男だ。現在でもほぼ間違いなく、世界最強に一番近い存在だろう。スカーレットがもし生きていれば分からないが、そうでなければ人間族でかなう相手はいない。

ざっと目を通すが、人相が凄まじい変化を遂げているようだ。

かっても花崗岩のような雰囲気のあるいぶし銀の男だったのだが、今ではまるでそれが邪悪な力を何千年も浴びた岩のような有様となっている。もう、人間とは呼べないかも知れない。

ほとんど、化け物のような姿だ。

そして、この男、何処かで見たことがある。

思い出した。以前風遊びが島で、悪霊の大軍を草でも刈るように打ち倒していた老人だ。なるほど、あれが輝ける聖剣のなれの果てだったのか。それならば、あの圧倒的な戦闘力にも納得がいく。

「今回は相手が相手だ。 抹殺に失敗しても、ある程度動向が掴めればそれでいい」

「ふん、英雄様に刺客とは、どういう理由なんだかな」

「さてな。 だが、セレスト達も、かっての輝ける聖剣の功績を考えて、かなり遠慮していた部分はあった。 それなのに抹殺指令が出たって事は、何かしらとんでもないことが起こったか、起こりつつあるんだろうな」

言い終えると、パーシモンは一度言葉を切った。

二人、沈黙の中、酒を飲む。

「本当は、先の仕事を受けて欲しかったんだがな」

「……」

「お前のその能力、命がけだって事は分かってるよな。 お前、そのままだと、金を掴んだまま、どぶに沈んで死ぬ事になるぞ。 仕事なんか選ぶな。 確実なことをやって、オクサイドなんて止めろ。 説教じゃ無くて、これは忠告だ」

「ふん、分かってはいるさ」

分かっていないと、パーシモンは言う。

酔うと、この親友は説教臭くなる。かって、この店にはじめてきたとき。意識朦朧としていたウォルナットは、血まみれで札束を掴んでいたという。手当たり次第に暴れるウォルナットを、殴られながらも取り押さえたパーシモンに、こう叫んだとか。

この金は絶対に渡さない、と。

その時、ウォルナットはまだ幼ささえ残していた。青年期から、そんな生き方をしていたのだ。体に無理が出ていないわけも無いのだ。

「良いか、無理だけはするなよ。 さっきも言ったが、殺るのは最後だ。 お前じゃ無くてもいい。 とにかく、情報収集にだけ今は集中しろ」

「分かってるよ。 俺も九つ剣筆頭に、正面から喧嘩を売る度胸はねえ」

ウォルナットは頷くと、残ったオーカー酒を飲み干して、店を出た。

スプラウトの動向を探ることは問題ない。別に正面から戦うわけではないし、格上の相手と戦う場合にも、手はいくらでもある。

何も、真っ正面から戦う必要などは無いのだ。岩を落とすなり、罠に填めるなり、人間を殺す方法など枚挙にいとまが無い。

ただ、相手が九つ剣筆頭、凄まじい強さを誇るスプラウトとなると、なめてかかるのは危険だ。危険察知能力も、既に人外の領域に達している可能性が高い。

実戦を散々経験してきたウォルナットは、相手を侮ることの危険性をよく知っている。歴戦の猛者が、子供の罠に掛かって死んだというような話も、希にあるのだ。まして相手は、伝説的な剣豪である。笑い話になるような死に方だけは出来なかった。

港に着く。

富と自由の島の片隅、特に訳ありの人間ばかりが集まる場所。だから、逆に治安も厳重に監視されている。

ごついキバイノシシ族の見張りに、切符を渡す。

「チップだ。 うけとんな」

「……」

いつも真面目に見張りをしている男だから、見張り賃を渡してやる。こういうことをしておくと、後で多少は良いことにつながる。

ウォルナットのボトルシップは、速度だけを重視したものだ。双胴型の中央に、かなり背丈が低い居住空間がある。全体的には三角錐で、早く動く事だけを考えて設計されている。

いざというときには、これで逃げることも、ウォルナットの戦術には含まれているのだ。

逃げることは、恥では無い。

死ぬ事こそが恥だった。

 

マローネは、ここのところかなり早起きだ。アッシュはそれで、手紙を見てしまうのでは無いかと、ずっと気をもんでいた。

やはりマローネへの中傷メールは減らない。この間は、家族の死の痛みを、マローネのせいにする手紙が入れられていた。中には呪いが籠もった文言がちりばめられており、情念のおぞましさがうかがえる。

マローネに、こんな手紙を見せるわけには行かない。

だが、マローネが朝早く起きているのは、自分を鍛えるためだ。護身術を習い、魔力を練り上げる術を習い、魔術も少しずつ覚えて言っている。それを止めるようには、言えなかった。

実際、マローネの魔力が上がったためか、コンファインできる時間が長くなってきていることを感じるのである。それだけではなく、使える力もかなり強くなってきている。よりマローネをしっかり守るためには、今の状況は歓迎すべきなのかもと思うことはある。だが、このままでは、マローネは外の人間と交わらず、閉じた世界で静かに生を終えてしまうかも知れない。

それではいけない。

ジャスミンもヘイズも、それは喜ばないだろう。

マローネが気付かないうちに、中傷メールは処分する。いずれも焼き捨てて、一字一句もこの世には残さなかった。

燃やしている火で、魚を焼く。

昨日、かなりの大物が、網に掛かっていたのである。この辺に多数生息している、美味しい魚だ。マローネも喜ぶだろう。しばらく優しい表情になって火加減を調整している内に、新しいボトルメールが泳いでくるのが見えた。

緊急用だ。

マローネも気付いて、此方に来る。

「あら、緊急用のメールね」

「何だろうね」

捕まえて、封を開けた。

マローネに手紙を見せず、最初に目を通す。こういったボトルメールでも、中に中傷メールが入っている可能性はあるからだ。

それに、マローネを中傷するような内容の文章である事も珍しくない。アッシュとしては、最大限気を遣わなければならなかった。

マローネは体力も付いてきているから、すぐに出られるだろうが、手紙の内容次第では休憩を取った方がいいかも知れない。

文面を読み終える。あっという間だ。文章が非常に短かったからである。

「おかしな手紙だ」

「なにが?」

「至急、癒やしの湖島までこられたし。 これで全文だよ」

「おかしな手紙ね。 でも、きっと困っている人がいるってことね」

マローネは、新しく新調した靴に人差し指を入れて、調整した。

この間、立て続けに行った輸送任務で、どうにか買えるだけのお金が貯まったのだ。後は一張羅のワンピースも、早く予備を買っておきたい。これを除くとパジャマだけで、戦闘を行うには不安があるからだ。

出来れば皮鎧や胸鎧などを買っておきたいが、マローネはそういうのをあまり着たがらないだろう。それにこういった本格的な防具は高級品だ。今のマローネの稼ぎでは、手が出ない。

現状、戦闘でマローネは、前線に出ることは無い。後方でどっしり構えていれば、それでいい。

だから動きやすさを重視する必要は無く、出来れば鎧兜を着込んで身を守れれば理想的だ。だが、残念ながらお金が無い。だから、動きやすい格好を、現時点では優先するほか無い。

マローネはささっと身繕いをして、出てきた。

行こうとアッシュが声を掛ける。

だが、マローネは、不意に足を止める。

「どうしたの?」

「ねえ、アッシュ。 もうクローム止めようか」

あまりにも、それは重い問いかけ。

アッシュは、表情が凍り付くのを感じた。マローネの言葉は、冗談で済まされる域を軽く超えている。

実際マローネが受けてきた世間からの虐待を考えれば、当然の話だ。世間から距離を取ろうとしてもおかしくは無い。

必死に皆に好かれようとしてきたマローネに、どんな反応が返ってきた。

悪霊憑き。化け物。

お前のせいで、子供が死んだという手紙まで来た。そんな状態で、マローネはまだ世間にこびを売り続けなければならないのか。マローネを、弱者を守るべき秩序や法は、一体どこで居眠りをしている。

「この島で、のんびり暮らすの。 私と、アッシュと、ファントムのみんなで。 ご飯はいくらでもあるし、漁業をすれば、家賃くらいは稼げるよ。 どれだけ頑張ってもみんな私を怖がるし、差別するし、時には殺そうとする。 苦しいことばかりで、何も良いことも無いものね」

「マローネ、君がそう思うなら」

アッシュとしては、もう良いかなと思い始めている。

だが、マローネは、くすりと笑う。

「なんてね、冗談よ。 そんなこといっていたら、お父さんとお母さんに怒られてしまうもの」

「マローネ……」

「さあ、いきましょう。 手紙の内容からして、きっと凄く急いでいて、困っているに違いないわ」

それについては、同意だ。

だが、今のマローネの言葉は。恐らく、冗談でも無ければ、嘘でも無い。

マローネの心は確実に傷を増やしている。優しいマローネが生きるには、この世界は過酷すぎるのだ。

アッシュは、思う。場合によっては、マローネを拘束してでも、世間から遠ざけなければならないかも知れない。

だがその場合、どうやってマローネを守るべきか。

肩を叩かれる。ガラントだった。

「馬鹿なことは考えるなよ、アッシュ」

「大丈夫です。 ただ、僕はマローネを守るためなら、何でもしたい。 それだけです」

「今、マローネ嬢に必要なものは、人間の友達か理解者だ」

ガラントは、ずばり指摘してくる。

アッシュもそれには同意だ。本当だったら、ヘイズとジャスミンが理解者になってくれた。だが、二人はもういない。

そして友達は。

ファントムには、マローネは好かれる。コリンのような奴まで寄って来るほどに、である。

だが、人間にはそれとは真逆に好かれない。

小さな心が痛む様子を、アッシュは指をくわえて見ているしか無かった。

「案ずるな。 マローネ嬢はひねくれてもいないし、攻撃的でも無い。 天真爛漫で、とても優しい。 その心を持っている限り、いつか必ず友達も出来る」

「いつかって、いつですか」

「わからん。 だが、焦るな。 まだ、自棄を起こすには早いぞ」

ガラントの言葉が正しいと、アッシュにも分かっている。

だが、マローネがあんな言葉を漏らすと言うことは、疲弊は限界近いのでは無いかと、思えてしまう。

悲劇が起こる前に。何とかしたい。それが、アッシュの本音だった。

 

癒やしの湖島は、ボトルシップを飛ばして半日ほどである。この辺りの海路は、輸送に使われることも多く、安定している。時々人間より大きな鯨が、ゆうゆうと泳いでいるのも見かけた。

浅い海域が延々と続いているイヴォワールでは、鯨はむしろ珍しい。大形の魚介類は珍しくも無いので、面白い対比だ。

ひょこんと、居住空間の上からコリンが顔を出す。

「ね、今度あたしがこの船改良しよっか?」

「いいんですか?」

「うん。 具体的にはねえ、マローネちゃんと直接船の燃料タンクをつないで、加速力を上げるの」

さらりととんでもない事を言われた気がするが、コリンは笑顔のままだ。

「マローネちゃんの魔力量は桁違いだから、更に船はパワーアップ間違いないよ」

「あの、それ……危険じゃ無いですか?」

「多少の危険は、利便性と引き替えだよ」

コリンの後ろで、アッシュが鬼のような形相になっているのが分かる。相変わらず仲が悪い二人である。

やんわりと断ると、船を海路に沿って進める。

異変が起こり始めたのは、昼ご飯を食べながら、目的地の島を見た時だった。

以前この島は、側を通りかかったことがある。

だが、その時は、このような有様では無かった。空に分厚い雲がかかり、時々稲光が走り回っている。

聞こえるのは、怪鳥の唸り声のような、不気味な風音。ボトルシップもガタガタと軋みを上げ、何度も舵を調整しなければならなかった。

波も高くなり始めている。

海がこんなに局地的に荒れているのは、初めて見る。しかもマローネは、空に掛かる分厚い黒雲が、強い魔力を湛えているのを感じ取っていた。

海の天気は変わりやすい。

島ごとに天候が違うイヴォワールでは、隣同士の島で、快晴と大雨、というような事は珍しくもない。

だがそれにしても、この天候は異常だ。

そもそも保養地らしいこの島が、どうしてこのような天候に見舞われているのか。ふと思い出したのは、今朝の新聞である。

「ねえ、アッシュ。 この島って、確か……」

「ああ。 行方不明者が既に十人を超えているっていう島だね」

この島は、元々お金持ちが余生を過ごしたり、或いは静かな生活を行うための保養地だ。ボトルシップで此処まで来る間に新聞には目を通して、そういう事件があることは知っている。

無関係とは、とても思えない。

港に出向く。

小雨がぱらついていた。港では殺気だった目をした警備員が多数うろついている。マローネはむしろ後発組だったのかも知れない。

切符を切って貰って、ボトルシップを停泊させる。

大きなボトルシップが何隻かいた。この様子だと、傭兵団が幾つか、出張ってきているかも知れない。

「うん? あんたは」

「どなたですか?」

港で屯していた人達に声を掛けられた。槍を持った野性的な雰囲気の女性だ。

アッシュが小声で耳打ちしてくる。

「この間、パティの時に見かけただろ」

「あ、そういえば……」

「マローネだったか。 悪霊憑きって言われてる」

さらりと、嫌なことを言われた。ただ、向こうには悪気が無さそうである。

差別の多くには、悪意が無い事を、マローネは知っている。勿論意図的に差別してきている場合も多くあるのだが、この人の場合は違いそうだ。

「あんたも仕事?」

「はい。 緊急のボトルメールを受け取って」

「ふうん。 私達はここにいるセレストに頼まれてね。 島を脱出するための護衛任務さ」

馬車が来る。

大きなボトルシップに乗り込むセレストの一家が見えた。馬車の周囲は分厚く護衛が固めていて、ものものしいまでの厳重さだ。

「とはいっても、事件が起こり始めてから此処を逃げ出す金持ちは、最初に出た奴ほど自前で護衛を雇っているような奴らが多くてね。 後発の連中は意地っ張りか、実際にはお金が無い奴が殆どだ。 あまり稼ぎは良くないね」

「そうなんですか」

「そうさ。 あんたも依頼主は見極めた方が良いよ」

手をさしのべてくる。

握手をしたいのだと気付いて、マローネは慌てて手を出した。

「槍のレーア。 閃槍傭兵団だ。 以後よろしく」

「マローネです。 よろしくお願いします」

「前は敵対したけど、次は味方になりたいもんだね。 前回は不幸な結末だったけど、あんなになってもパティを守ろうとしたあんたの根性は、凄いと思ったよ。 私一人じゃ、ああはいかなかっただろうね」

そんな風に言って貰えると、少しだけ嬉しい。でも、その時のことは、今でも思い出すととても悲しい。

港から内陸に入る。

辺りはすっかり夜のような有様だ。依頼の手紙には住所が書かれていたが、この様子ではかなり怖い思いをしているかも知れない。

大きな道の筈なのに、通る人は殆どいない。さっきの馬車が最後だったのだろうか。

周囲に人気は全く無く、闇の中に点々としている大きな家は、不気味さを助長していた。家の中で皆息を潜めているか、既に逃げてしまったか。

「どうしたんだろう。 まだこんな真っ暗になる時間じゃ無い筈なのに」

「とこしえの闇……」

「え?」

不意に発言したのは、いつも黙っていることが多いカナンさんだった。普段はにこにこしている事が多いのに、今日は目を細めて、雰囲気が違う。

辺りを睥睨する様子は、さながら仇敵が近くにいるかのようだった。

「この現象は、他の地域でも発生しています。 たとえば、魔島……」

「それって、まさか」

「十中八九、そうでしょうね。 気をつけてください。 いわゆる悪霊が、群れをなして襲ってきてもおかしくありませんから」

そういえば、カナンは魔島で死んだと聞いている。何かこの件に、関係あるのかも知れない。

慎重に、気配を消して、辺りを歩く。

不意に喧噪。

前の方で、諍いが起きているようだった。

 

肩の傷を押さえて蹲っているのは、金髪の女性だ。胸元が見えそうな非常にきわどいファッションだが、それなのに体型は貧弱で、マローネと大差がないように思える。髪の毛は個性的な、いわゆる縦ロールである。

その周囲には、今にも獲物を食いちぎろうとしている、あの。

丸い姿をして、顔が殆ど口しか無い、恐ろしい悪霊達がいた。

マローネは気付く。

女性が、既に命を落とし、ファントムになっている事を。そのファントムさえも、あの悪霊達が喰らおうとしていることを。

女性は手に大きな弓を持っている。ファントムにしては実体干渉能力もあるようだが、それでももうどうにも出来ないだろう。

「来るなら来い! 一人でも道連れにしてやる!」

女性が叫ぶが、悪霊達は定距離を保って、ゆっくり周囲を回っている。

挑発には乗らない姿勢だ。

マローネは、躊躇無くシャルトルーズの力を展開し、コンファインを行う。最初に側にあった大石に、ガラントをコンファイン。ガラントは無言で包囲網の一角に躍りかかると、一刀で悪霊を一匹斬り伏せ、振り返る前に更に一体を斬った。

増援を具現化できる前に、ガラントには可能な限り敵を引きつけて貰わなければならない。

続いて、バッカスを具現化に掛かる。

少し前から、コリンの手ほどきで、シャルトルーズの鍛錬も細かく行っている。だから、コンファインの時間も、以前よりかなり短縮できるようになってきていた。それでも、ガラントが女性の前に割り込んで、躍りかかってくる悪霊共を斬り伏せるには、敵の数が多すぎる。

見る間に悪霊共は反撃に出てきた。圧倒的な数を生かして、押しつぶしに掛かってくる。ガラントの剣技は豪腕そのものだが、何しろ相手の数が多い。見る間に防戦一方になっていった。

一匹を斬り伏せている間に、もう数匹が右から左から、体当たりを仕掛けてくるし、かぶりついてもくる。それを巧みな歩法でかわしつつ、立ち回って一匹ずつ斬り伏せていくガラントだが、それでも限界がある。

しかも、人を一人守りながら、なのだ。

「あまり長くはもたんぞ!」

「分かっています!」

バッカスをコンファインする。盟友の危機に、リザードマンの戦士は躍りかかり、大柄な悪霊に組み付くと、見る間に上下に引きちぎった。

「バッカス! 護衛を!」

「ワカッタ!」

リザードマンの戦士は悲鳴を上げる女性を巨大な腕で抱え込むと、悪霊達に体当たりして、強引に包囲網を食い破った。

その後を追おうとする悪霊達を数体、尻尾の一撃ではじき飛ばす。

だが、真上から、ひときわ巨大な一体が、大口を開けて襲いかかった。並んでいる臼歯がおぞましい。

ガラントは、俊敏な数匹に纏わり付かれていて、支援に出られる状態では無い。

だが、その時。

具現化したコリンが、稲妻の束を、そいつにたたきつけていた。

悪霊が横っ腹に大穴を開けられ、蒸発していく。多分それが指揮官だったのか、悪霊達は逃げ腰になり、それで勝負が付いた。

一閃、二閃。ガラントの大剣が振るわれる度に、悪霊達が斬り伏せられる。冷静な戦略眼は、ガラントに教えられている。現在の状況、アッシュを出す必要は無いだろう。

やがて、その場から敵性勢力は消失した。

ガラントの消耗は小さくないが、それでも以前のように、もう半分という事もない。まだ継戦は十分に可能である。

しっかり鍛えた成果は充分に出てきている。少し、マローネはほっとした。

バッカスが戻ってくる。手の内には、ぐったりした女性のファントムが。ファントムと言っても、恐怖も感じる。

そして、コンファインした事で、ある程度ファントムにも干渉は出来る。バッカスのような非人間種族はその傾向が顕著だ。そして少し前から、マローネはその能力を、遠隔で強化出来るようになっていた。

バッカスが女性のファントムを抱えることが出来たのは、元からの力もあるが、マローネの支援も大きかったという事である。

カナンが女性を診察。

「この方は、この世界の人間ではありませんね」

「え……?」

「体型からすると子供のようですが、成熟した女性の特徴があります。 それに、脈の様子や、魔力のパターンも違っている。 多分、体の中も、この世界の人間とは随分違っている筈です」

そう言いつつも、コンファインすると、カナンは医療行動をはじめる。

とはいっても、相手はファントムだ。悪霊によってダメージを受けた部分を補填する、といった感じで、生きた人間を治療するのとは、見た目からして随分違っていた。

やがて、女性は目を覚ます。ちょっと高めの声だ。幼い外見にちょうどマッチした声である。

「気がつきましたか?」

「……誰?」

「私はマローネ。 あまり時間が無いので、歩きながら説明します。 でも、どうしましょう。 バッカスさん、この方を背負って歩いて貰いますか?」

「イイダロウ」

バッカスは無骨で大きな背中に、ひょいと女性を乗せる。

弓使いらしい女性は小さな可愛い悲鳴を上げたが、此方に対する警戒を解いていない。こちらをみる視線も険しく、下手をすると戦いになりそうでさえあった。

「貴方は、誰ですか? この世界では無いところから来たようですが」

「応える、義務は無い」

「……」

「助けて貰って、何だよ」

アッシュがぼやく。

だが、マローネは気にしない。酷い目に遭ったのだし、それで命も落とした可能性が高いのだ。

「離せ! あれ……?」

「言いにくいことですが、貴方の体は既にきっとあの悪霊達に。 ファントムとしての存在が固まるまでは、満足に動けません。 しばらくはそこで静かにしていてください」

「死んだって言うのか!? 私が! アルネイス族でも屈指の弓使いである私がっ! あんな雑魚に遅れを取ったっていうのか! 怪我をしていたからって!」

激高した女性が暴れるが、バッカスは押さえて離さない。

これはごく当たり前の光景だ。自分が死んだことを受け入れることが出来る人は、そうそういない。

死んで何十年も経っても、自分が死んでいないと頑なに主張するファントムも見たことがある。

しばらく興奮する女性はバッカスに任せて、先に進む。

そろそろ、依頼者の家が見えてくる頃だ。あの悪霊達が現れたくらいである。何が起きても不思議では無い。

周囲を巡回している自警団とすれ違う。話を聞くと、あちこちで不可解な戦闘が起きているという事だった。

「訳が分からない化け物が、不意に出てきやがるんだ。 けが人も続出してる。 行方不明者は、みんな喰われちまったのかもしれねえ」

「お嬢ちゃんはクロームか。 さっさとこの島を離れな。 まだ老人とか子供とか、島を出られない奴が結構いるから、俺たちは残る。 だけど、御前さんみたいなよそ者が、この島と一緒に死ぬことはねえ」

「ありがとうございます。 でも、大丈夫ですから」

金持ちの保養地ということだが、気骨がある戦士もいるのだと思って、マローネは感心した。

或いは、この島に元から住んでいる人達かも知れない。

住宅地に着いたが、異様な雰囲気に変わりは無い。空気は生暖かく、時々思い出したかのように、雨が降ってくる。しかもすぐ止んでしまう。この気象は、少し異常すぎる。今度は寒くなってきたと思うと、蒸し暑くなってくる。

「カナンさん、さっきのとこしえの闇って……」

「サルファーが出現する時の前兆だと言われています。 サルファーはどうやら闇を好むらしく、世界を狂気に汚染してから出現するらしいのです」

「異議あり、といいたいところだけど、まあいいや」

不意にコリンが口を突っ込んできたが、自分から引いてくれた。

ちょっと分からない部分もあるが、何かしら有益な会話なのかも知れない。カナンも何か言いたそうにしたが、賢い人同士の会話はよく分からない方向へ行くことを、マローネは知っている。

「その状態を、とこしえの闇と言います。 魔島がこれに全域を汚染されていて、今でもいつサルファーが現れてもおかしくないと思うのですが」

「この島でも、まさか同じ状態になるとは、て所?」

「はい。 その上、あの悪霊達。 嫌な予感しかしません」

カナンは戦闘能力を有していないので、後方で支援して貰うしか無い。ただ、今回付いてきてくれたのはとてもありがたい。少なくとも、けが人の回復は、マローネよりずっと上手にやってくれるだろう。

家が、見えてきた。

添付されていた資料と見比べ、地図を確認。どうやら間違いなさそうだ。かなり大きな二階建ての家だが、明かりが妙に寂しい。

表札には四つの名前があったが、一つは消されている。消され方は念入りで、なにやら偏執的でさえあった。

先にガラントが入って、確かめてくる。ファントムの状態だから、人間には気付かれない。

「大丈夫だ。 中には上品な夫婦と、娘が一人。 娘は病人のようだな」

「早めに話を聞きましょう」

最悪の場合、病気の娘を護衛しながら、島から逃れなければならないのかも知れない。そうなれば、かなりの悲惨な戦闘が予想される。それに、この島に残っている人達は、これからどうなるのだろう。

ドアのベルを鳴らす。

上流階級の家らしく、とても澄んだ綺麗な音がした。見るとベル自体に術式が掛けてあり、音を綺麗に反響させる工夫を凝らしているようだ。

「へえ、お金持ちって凄いね」

「はい、どなたでしょうか」

「あ、依頼を受けて来ました。 マローネです」

「……入ってください」

少し間があった。中から、外を確認する機能が付いているのだろうか。

中に入ると、少し頬が痩けた、上品そうな中年男性がいた。依頼のメールにはサフランという名前があったが、多分この人だろう。眼鏡を掛けているが、視力が悪いと言うよりも、上品な実業家という印象だ。だて眼鏡の可能性が高そうである。

だて眼鏡など掛けている時点で、お金持ちだと言うことは確実だ。

「上がってください」

「はい。 失礼します」

島によって、文化は違う。

靴を脱いで家に上がる島もあれば、そうでない場所もある。見たところ、此処は靴を脱がない島のようだ。郷には入れば郷に従えというのは、イヴォワールでの鉄則である。だからコミュニケーションは複雑化するし、苦手な人はとことん追い詰められもする。

マローネは家の中に通して貰った。出迎えてくれた奥さんらしい女性も、とても美しいが、それ以上にはかなげに見えた。

壁際に掛かっているのは、一家の映った写真。だが、どうしてか、不自然に切り取られた跡がある。

あの、消された名前の人だろうか。

「思ったより早く来てくださいましたね」

「はい。 それで、お仕事の方は」

「貴方が、評判はあまり良くは無いですが、腕利きのクロームだという話は聞いています」

さらっと言う人だ。

マローネは少し悲しかったが、話をそのまま聞くことにする。

奥さんが茶を出してくれた。発酵したお茶で、とてもかぐわしい香りがする。堂々と上がり込んでいた(勿論コンファインはしていないが)コリンがお茶の名前を教えてくれたが、覚えられなかった。

「今、私達一家は、此処から動けない状態です。 見てきたとは思いますが、今この島は悪霊の襲撃を受けています。 白狼騎士団などの傭兵団に声を掛けているらしいのですが、今は彼方此方で仕事があるらしく、まだ来てくれていません。 お金持ちの人から先に脱出をはじめている状態で、今は島には殆ど人が残っていないのです」

「……なるほど」

人が減れば、当然ターゲットは絞られてくる。

ましてや身動きできない人間がいる家など、真っ先に狙われることだろう。今まで狙われなかった方が不思議なくらいと言うわけだ。

勿論身動きできないというのは、病気の娘さんだろう。抱えてでも逃げられないのかと思ったのだが先に上に上がっていたカナンが戻ってきて耳打ちする。

「見たことも無い症状の難病ですね。 主に足にダメージが来てるみたいだけれど、呼吸器や心臓もあまり丈夫とは言えません。 先天性の病気かと思ったけれど、或いは……」

「とにかく、動かせないのね」

「お勧めはしません。 特にボトルシップになんて乗せたら、命に関わります」

ならば、難しい状態だ。

此処でマローネが護衛をするのは構わない。しかし、さっきの弓使いの女性を例に出すまでも無く、護衛任務というのは極めて難しいものなのだ。

ましてや今回は、動かすだけで危険という、非常に難しい状態である。更にそれに加えて、実業家らしいが戦闘能力は皆無としか思えない二人を追加で守らなければならない。

「分かりました。 まず、朝まで護衛を続けて、様子を見ましょう」

「ありがとうございます。 自警団の人達も、此処ばかりを守るわけには行かない状態で」

「娘は、カスティルは上にいます。 会ってやってください」

ジョーヌという名の奥さんに勧められて、上に上がる。

咳をする声が聞こえた。

 

2、悪夢の夜

 

部屋に入るや否や、であった。

不意に、アッシュが戦闘態勢を取る。鋭い悲鳴が上がった。

ベットで半身を起こしていた、マローネと同世代の女の子が、窓を見て口を押さえている。其処には、ケタケタと笑うあの悪霊、しかもとびきり大きい奴の姿があったのだ。

だが、それはマローネを見ると、身を翻す。

「罠の可能性が高い! 一人此処に残して!」

「アッシュ、お願い!」

「分かった!」

部屋を見回し、深い情念が籠もったらしい熊のぬいぐるみを見つける。それにアッシュをコンファインした。

この家からそれほど離れなければ、コンファインは解除されないはず。

不意に出現したアッシュを見て、女の子は悲鳴を上げなかった。ただ、吃驚した様子で、アッシュの姿を見ていた。

マローネはそのまま、部屋を飛び出す。

そして二段飛ばしに階段を下りて、外に。

どうして、今まで気付かなかったのか。家の周囲には、およそ数十に達する悪霊が、包囲陣を敷いていたのだった。

ガラントとバッカスを、すぐにコンファインした。コンファインの時間もかなり短縮できるようにはなっているが、まだまだ立て続けにすると疲れる。

だが、そんなことは言っていられない。

多分今夜は総力戦になる。窓、扉、その全てを防衛しなければならない。悪霊は四方八方から殺到してくる。

裏口が、ドカンと凄い音を立てた。ガラントとバッカスは、窓と入り口に張り付いていて、手が足りない。数体の悪霊が、がら空きの裏口に殺到して、こじ開けようとしているようだ。

家の中に入り込まれると、かなり面倒だろう。大きな家だと言うことが、此処では厄介になる。

今、既に三人コンファインしている。更にもう一人となると、かなり厳しい。だが、マローネも鍛えている。

コリンに出て貰うには条件が悪い。どうしたものかと考えていた所に、上から声が降ってくる。

異世界の人だという、あの女の人が、いつのまにか屋根の上にいた。

「その能力は、ファントムに肉体を与えるものか!」

「はい、そうです」

「ならば私にその力を! 弓使いはこの状況、極めて有利だ!」

確かにその通りだ。

しかし、名前が分からない。押し寄せてくる悪霊は、嬉々として巨大な口を開けて、かぶりついてくる。

「名前を!」

「私の名前は、ハツネ! 第二十七魔界の弓戦士族、アルネイス族の一人だ!」

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ! 奇跡のちから……」

マローネに狙いを定めた一体が、頭にかぶりつきに来る。

だが、マローネはそのまま一歩も動かず、叫んだ。

全身の魔力が、あふれ出るように、光を放つ。

「シャルトルーズ!」

コンファインが、成功する。

同時に、屋根の上の煙突が、ハツネの生前の姿へ移り変わっていた。

光に一瞬ひるんだ事が、悪霊にとっての不幸となった。頭部を、光り輝く矢が打ち抜き、地面に縫い止める。

斜角から言って、届かないはずなのに。或いは、魔法の力がこもった矢なのか。

「一つ! 次ッ!」

「ほう、負けてはおれんな!」

窓に集まっていた悪霊を切り倒し、薙ぎ払ったガラントが、裏庭に飛び降りる。

そして、其処に殺到していた悪霊の群れを、片っ端から大剣で薙ぎ払いはじめた。背を向けていたこともあり、悪霊達はなすすべ無く、ガラントの豪腕にひねり潰されていく。バッカスは黙々とオオトカゲそのものの動きで家の周りを這い回りながら、見かけた敵を手当たり次第に引きちぎり、食いちぎっている様子だ。

だが、空にはまだまだ悪霊の数が見える。

ハツネが放つ矢が、死角に入ろうとしたり、小さな窓を狙う悪霊を、次々射貫く。破壊力は凄まじく、光る矢が悪霊を貫くと、次の瞬間には爆散している。

「二つ、三つ、四つ!」

見ると、ハツネは光で構成したらしい弓を手にしていた。やはり魔術による産物なのだろうか。

しかし、あんなものを使っていたら、消耗も早いはず。

だが、不思議と、思ったほど消耗は早くない。或いは、これもマローネが修行した成果だろうか。

「まとめて薙ぎ払う!」

数本の矢を同時につがえると、ハツネが放つ。

轟音と共に撃ち放たれた矢が、数体の悪霊をまとめて串刺しにしながら飛ぶ。空中で、明らかに軌道が変わっているように見えたのだが。多分気のせいでは無いだろう。

まだまだ、殺到してくる悪霊。

だが、空中では、良い的だと気付いたらしい。低空に切り替えてくる連中が多かった。だが、その時点で、彼らの命運は決していた。

これだけの騒ぎを起こしたのである。

既に周囲の自警団が、殺到しつつあったのだ。

地上に近づいてきた悪霊達は、片っ端から繰り出される槍、剣、数の暴力によって、次々引き裂かれた。

しかも数が集結していただけあって、少数の攻撃で確実な成果が上がっていく。

自警団の人達だけでは無い。多分この騒ぎを聞いて集まっていたクロームや傭兵団も、殺到してきていた。

たまらず、舞い上がろうとする悪霊を、容赦なくハツネの矢が射貫く。

そして、サフラン氏の家の周囲にいる悪霊は、元からバッカスとガラントが容赦なく殲滅を行っていた。

夜が白み掛けた頃。

既に、掃討戦はけりが付いていた。バッカスもガラントもちからを使い果たし、既に元の庭石や木に戻っている。ハツネも少し前に煙突に戻った様子だった。

マローネは家の壁に背中を預けると、呼吸をゆっくり整える。

朝日が、横顔を照らしていた。

ハツネの支援が、今回は非常にありがたかった。ファントムのまま、隣に降りてきたハツネは、へばっているマローネを見て、鼻を鳴らす。猛々しい物言いだが、見かけは未成熟な子供みたいだから、ちょっとギャップが面白い。顔立ちも小作りで、人形みたいに可愛かった。

「鍛え方が足りないな」

「ありがとうございます、ハツネさん」

「ふん、彼奴らには因縁がある」

ハツネは言う。

彼女の世界に、あれと同じのが、たくさんたくさん現れたのだという。

一つ一つはたいした強さでは無かった。だが、いろいろな理由から、魔界は瞬く間に蹂躙されていったそうだ。

文字通り、食い尽くされていったのである。

「あれは、邪気を喰らって大きくなる」

「邪気、ですか」

「そうだ。 魔界に満ちている邪気は、奴らを大きくすることはあっても、弱めることは無かった。 それに無尽蔵に沸いてくるのだ。 どれだけ倒しても、打ち抜いても、きりが無かった。 魔王様さえもが倒された。 やがてどの戦士も力尽きて、食いちぎられ、引きちぎられ、囓られて……」

ハツネも、同じ運命をたどった、という事なのだろう。

しかし、異世界の戦士だというのなら、どうしてここにいたのか。

悔しそうに唇を噛んでいたハツネは、朝日を見上げた。

「清浄な世界だ。 こんな貧弱で軟弱な世界に、どうしてあの化け物を退治する戦士が出現したのだ」

「……良く事情は分かりません。 でも、貴方はもう」

「分かっている。 私だけでは無く、多分もう私の世界そのものが、奴の胃袋の中だという事も」

目を乱暴にこするハツネ。

きっとこの人は、戦士として生きて来はしたが、まだ幼い部類に属するのだろう。

「しばらく、側に置いて欲しい。 みなの仇を討ちたい」

「……」

応えない。

仇を討つという行為そのものに、マローネは賛同できない。

だが、今の働きぶりは凄まじかった。何より、情念を解消しなければ、ファントムは輪廻の輪に帰ることが出来ないのだ。

ドアを開けたサフランさんが、マローネを迎入れてくれる。

アッシュは平穏を確認してから、ようやくコンファインを解除した。マローネは疲れ果てて、すぐに眠りたいほどだったが。雇い主の歓待を断るわけには行かなかった。

テーブルの上には、ささやかなごちそうが並んでいた。

妙な違和感を感じる。

「素晴らしい。 見事な働きぶりだったよ」

「いえ、そんな」

「ささやかだが、食べて欲しい。 そして、一休みしてくれ。 その後に、もう一つ、話たいことがある」

何だろう。きっと依頼の追加について、だろうか。

いずれにしても、今は、少し休まなければならなかった。そうでないと、皆も次の戦いには臨めないだろう。

外では、敵を殲滅した自警団が、歓声を上げているのが分かった。

 

3、一筋の希望のために

 

目が覚めたのは、昼過ぎ。

生活時間帯がずれてしまった。これは、早めに修正しなければならないだろう。何もない日はずっと休んでいて、こういう状態になる事がままある。

だが、依頼をしてくる人の大半は、通常通りの時間に合わせて生活しているのだ。それを考えると、生活時間帯をずらすことは好ましくない。

眠るのに使っていたのはソファだが、いつの間にか毛布を掛けられていた。この辺りはまだ未熟だと思う。依頼人といえども、何をしてくるか分からないと考えて、何があっても対処できるように眠るべきなのかも知れない。

だが、マローネはその考えを振り切る。

まずは、相手を信用しなくてはならない。料理まで用意してくれたのだから。

目をこすって、意識を覚醒させていると、サフランが来た。

「起きたか」

「おかげさまで」

「話とは他でも無い。 娘が君と話をしたいと言っていてね」

「娘さんが、ですか」

重い病気と言うことで、ベットにいた事しか印象がない。

とてもかわいらしい女の子だったが。マローネのように一張羅で靴も一足しか無くて、いつも泥まみれになって戦っている相手に、お金持ちのお嬢様が一体何の用事だというのだろう。

警戒はしていないが、ちょっと不思議だ。

ただ、少し違和感がある。

この家は確かにお金持ちだが、サフランもジョーヌも、妙に衣服が質素に思えるのだ。お金持ちが貧乏人と接するときは、経験的にとても豪華な格好をしていることが多いように思えるのだが。

それだけではない。

さっきの食事も同じだ。妙にささやかだった。それこそ、庶民が食卓に並べるような、マローネでも見慣れているような料理ばかりだったのである。

しかし、この家がお金持ちでは無いとは思えないのだ。

調度品は豪華だし、何よりこの家自体が凄い。此処は保養地で、家自体を売ればそれこそとんでもない額のお金になるはずである。

一瞬だけ考えたのが、あの子の介護に全てを費やしている、というものだが。

それにしても、少しおかしい部分がある。

「分かりました。 でも、私なんかで良いんですか?」

「私なんか、なんていうものじゃない。 君は立派だ。 もし君が来なければ、私達一家は昨晩を乗り切ることさえ出来なかっただろう。 私だけでは無く、妻も娘も、今頃はあの丸い怪物達の餌食になってしまっていたはずだ」

「……」

そんな風に言ってくれる依頼人は初めてかも知れない。

少し感動した。

マローネは案内されるまま、カスティルという娘の部屋の前に立つ。或いは、お金持ちのお嬢さんが、コレクション感覚で、珍しい立場の、貧しい娘を友達という名のペットにしようとしているのかも知れないと、一瞬脳裏をよぎる。

アッシュが、後ろから声を掛けてきた。

「大丈夫だよ、マローネ。 あの子は一晩一緒にいたが、賢いし勇敢だ。 僕を見ても怯えることは無かったし、ずっと冷静に振る舞っていた」

「分かったわ」

部屋に入る。

ぬいぐるみがたくさん置かれている、とても広い部屋だ。カスティルという娘はパジャマを着ていたが、ベットで半身を起こして、手元に本を置いてた。

とても良く制御された笑顔を、マローネに向けてくる。

マローネも、笑顔で返した。

「貴方が、マローネさんね。 昨晩の活躍は見せて貰ったわ」

「はい、ありがとうございます」

「もう少し近くで話しましょう。 私、貴方のことを色々知りたい」

そう言われると、マローネとしては断れない。

それに、カスティルはどうも裏表があるようには思えない。最初は警戒していたマローネだが、徐々に自分も心を許しはじめていることに気付いた。

ベットの脇に、小さな椅子を寄せて、座る。

そういえば、ぬいぐるみはあらゆる種類が揃っている。それだけではなく、戸棚には相当数の本があるようだった。

それも絵本だけでは無い。

ビジネス書や語学書、図鑑の類もある様子だ。

「アッシュさんって方は、そこにいるのかしら」

「ええと……」

「一緒にお話をさせて欲しいわ。 昨晩、すごく励みになったから、お礼も言いたい」

マローネは躊躇するが、アッシュは頷く。

さっきも言ったとおり、アッシュはこの子を善良だと判断しているようだ。マローネがアッシュよりも人を疑ってどうするのか。

昨日と同じく、熊のぬいぐるみに、アッシュをコンファインする。

具現化したアッシュ。

花のように、カスティルが笑顔をほころばせた。とてもかわいらしいと、同性であるマローネでも思わされる笑顔である。

「昨晩はありがとう、アッシュさん」

「此方こそ。 君がとても冷静で落ち着いていたから、護衛任務はやりやすかったよ」

「お父様から聞いているの。 マローネさんには、とても良くない噂があるって」

不意に、カスティルがとても怖い事を言い出す。

何だか、もしもそれを理由に何かされたら、マローネはまた心に傷を抱えるかも知れない。

だが。カスティルは、予想を良い意味で裏切った。

「でも、そんな噂が嘘だって確信したわ。 アッシュさんは悪霊じゃ無い。 きっと、今まで悲しい誤解がたくさんあった結果なのね」

「……!」

「私、外の世界を見たことが無いの。 この病気のせいで、お父様とお母様には迷惑を掛けてばかり。 勉強して、少しでもお金を稼げる方法は無いかって思ってはいるのだけれど、そもそもこの部屋から出られないのでは、どうしようも無いわ。 知っている世界は、窓から見える景色と、本の中の事だけ……」

カスティルの心には、多くの膿が溜まっているのが分かった。

自責と、絶望。

それ以上の悲しみと、強く大きな無力感。

自分がそうだから、むしろ分かり易い。

「お願いがあるの」

「何、でしょうか」

「私と友達になってくれないかしら。 外の世界を知っている貴方は、とても私にとってまぶしい存在よ。 貴方から、いろいろな話を聞きたいわ」

言葉が、出てこなかった。

アッシュが、肩を叩いてくれる。涙を抑えるのが、これほど難しいとは、思わなかった。人前では、絶対に泣かないと決めている。だから、泣かない。

泣かないで、笑顔を作る。

「う、うん。 私で、よければ」

「良かった……。 断られたらどうしようって思っていたの。 貴方と友達になれて、とても幸せよ」

カスティルも、きっと怖かったのだろう。

それから、アドレスを教えて、部屋を出た。まだ、やらなければならないことは、いくつもあるのだ。

外で、壁に背中を預けて、腕組みをしたガラントが待っていた。

「ハツネが戻ってきた。 面白い情報を携えてな」

「ガラントさん、外で聞きます」

「どうした、戦士の顔つきになっているぞ」

「カスティルを、絶対に守ります。 勿論サフランさんも、ジョーヌさんも。 そのためには、この島の敵性勢力を、排除しないと」

顔を上げて言う。

ガラントは、顔をほころばせると、そうかとだけ応えた。

 

一旦皆をコンファインしたのは、その方が会議がやりやすいからだ。物理干渉力があると、色々出来る。

ハツネが棒を使って、地面に図を書く。

島の中央部分にある古城の見取り図である。島の外からも見える、遺跡に近いものだ。さっきサフランに聞いたのだが、やはり30年前の戦いでサルファーに滅ぼされ、それ以来放棄されているのだという。

弓兵を自認するだけあって、ハツネはとても目が良い。それだけではない。図の精度から言って、記憶力も相当だ。

戦士として、弓兵として生き続けてきたからだろう。頭が徹底的に戦士として鍛え抜かれているのだ。

「ざっと見たところ、敵の戦力は数百をくだらない。 更にこの辺り、城の中枢に、かなりでかい敵がいる」

「大きな敵、ですか」

「そうだ。 巨大な白い骸骨みたいな奴で、両手が肩から離れていて、内臓をぶら下げている。 その周辺に、どうも眠らされているらしい人間が散らばっているな」

その言葉が出た途端、アッシュの表情が消えた。

コリンが薄く笑う。

以前も、この話題で喧嘩していたことを、マローネは知っている。きっとアッシュにとって、あの悪霊は知っている相手なのだろうと言うことは分かっていた。

だが、これだけの激烈な反応を見せると言うことは。

何となく、見えてくる。だが、それはアッシュが話してくれるまで待つ。まず、人を信じる事だ。そう、お父さんもお母さんも言っていた。マローネは、まず誰よりも、アッシュを信じてあげなければならない。

「突入には作戦がいるな」

「それなら名案があるよ。 まず敵を、この辺りにおびき寄せる」

コリンが、図の真ん中を指す。

それは城の中庭で、丁度ハツネが覗いていたという場所から、丸見えになる箇所だ。

おびき寄せること自体は、難しくないだろう。実際悪霊達は、さほど緻密な作戦行動を取れているようには思えないからだ。

「敵が密集したところで、あたしが大威力の術式をぶち込む」

「この世界のことはよく分からないが、貴殿の術式の威力は」

「あたしの術なら、まあこの広間にいる奴は全部蒸発させられるかな」

そういえば、コリンが最大威力で術をぶっ放すところを、マローネはまだ見たことが無い。

ネフライトの中には、それこそ敵の一軍を瞬時に撃滅するほどの術を使うものもいると、聴いたことがある。術式は威力によってそれぞれ分類されるらしく、最大級のものはオメガとかテラとかが冠詞に付くらしい。

もしもテラ級の術式をコリンが使えるとしたら、確かに遠距離からの砲撃で、一気にけりが付くかも知れない。

そういえば、昨日は普段だったら明るい内から空の様子がおかしかったのに、今は普通に晴れている。やはり、あの悪霊達を倒すことには、充分な意味がある。

「しかし、危険を伴うな」

「なに、俺とバッカスで敵をおびき寄せ、ハツネで追撃してきた敵を牽制。 更にコリンがためておいた術式で殲滅。 これで行けるだろう」

「おい、あんた達」

顔を上げると、昨日駆けつけてくれた島の自警団の人達だった。

最小限の犠牲で、この近辺の悪霊を一掃できたことを、かなり喜んでいるとは聞いていた。

オウル族の、梟と言うよりむしろ鷹のような顔立ちをした長身の男性が腰を落として、マローネと視線の高さを合わせてくる。

手には大きな槍があった。

「城に行くんだろ。 俺たちにも手伝わせてくれ」

「えっ。 でも、危険です」

「今まであの悪霊共に、随分仲間をやられた。 重傷者もたくさん出たし、死んだ奴だっている。 今回は、連中を一気に駆逐する好機なんだろ。 俺たちだって、黙ってられるか。 絶対に一匹残らずぶっ潰してやる」

蓄積した怒りが、噴出するかのようだ。

マローネは断ろうと思った。自警団の人達は結構頑張っていたが、昨晩の戦闘でもかなり消耗しているはずだ。傭兵団の人達は多分護衛任務を優先するだろうし、自警団だけだと戦力が不安である。その上、数もざっと見たところ、三十人いるかどうか。しかもけが人もいるようだし、能力者持ちがいるようには見えない。ガラント一人分活躍も出来るか分からない。

だが、コリンは静かに言う。

「手伝って貰おう?」

「コリンさん……」

「あんた達、陽動出来る? ただし、逃げ遅れたら死ぬよ」

「分かってる。 あんたネフライトだろ? 大威力の術式で、一機に連中を吹き飛ばすって言うなら、何でもやってやる。 これでも俺は、実戦経験もあるクロームだ。 死んだって、恨みやしねえよ」

確かに、ガラントやバッカスが消耗するのを緩和できれば、戦略的に大きな意味がある。アッシュが何かしらの脅威を感じているらしい、強力な悪霊というのがいるらしいからである。

ガラントが静かに言った。

「よし、俺が指揮を執る。 俺はかって傭兵団の長をしていた事もある」

「へっ、爺さん、俺たち若造の足を引っ張るなよ?」

「誰に向かっていっている。 任せておけ」

不敵に笑うと、ガラントは一旦コンファインを解除するように言ってきた。

頷くと、マローネは皆を石や道具類に戻す。

消耗は少しでも押さえた方が良い。そのまま、渡して貰っているお弁当に手を伸ばす。先に食べておいた方が、戦闘時に力も出る。

前は戦闘が想定される場合、全くおなかにものが入る事はなかったのだが。今では、平気だ。

「その能力、おっかねえな。 だけど、昨晩は助かった。 今回も、アテにしているぜ」

「ありがとうございます」

「俺はグライネだ。 あんたは」

「マローネと言います」

握手をすると、幾つか細かい打ち合わせをする。

そして、五人ほどをサフラン家周辺に残すと、古城に向かった。

途中待ち伏せがあるかと思ったのだが、城に敵は戦力を集中させているらしい。ハツネがそれを保証してくれた。

「街の方も調べたが、今の時点で伏せている敵はいない。 もっとも、出現のおかしい場合があったが」

「どういう、ことですか」

「突然その場に現れる例が、私の世界では頻繁にあった。 奴らは霊体化して移動できるかも知れない、ということだ。 特に夜にはな」

「どっちにしても、多少大きいのを潰したくらいで、静かになるとは思えないけどねえ」

コリンが水を差すようなことを言う。

だが、マローネにしてみれば、それで良いと思う。それぞれに役割を果たしてくれているわけだし、調子に乗ると危ないからだ。

古城に着く。

城の周囲には、激しい戦闘の痕が残っていた。ただし、新しい戦闘の痕ではない。多分、30年前に、城が落とされたときのものだろう。

近年は観光名所として整備しようという動きもあったようだが、ただサルファーの関連と言うこともあるし、やはり手は入っていなかったらしい。岩にはこけが生えているし、風化も劣化も著しい。

流石にしゃれこうべは転がっていないが、それだけだ。

風光明媚な保養地に、こんな恐ろしい戦乱の跡が残っているのだ。サルファーという存在が、如何に恐るべき相手だと言うことか、この世界で恐れられているか、よく分かる。マローネも、いい加減気付いてはいる。

あの悪霊達は、きっとサルファーに関係しているのだと。

それにしても、ハツネの言葉を聞く限り、サルファーは他の世界でも大暴れしているという事なのだろうか。

もしそうだとすると、一体サルファーとは何者なのだろう。噂に聞く魔王よりも、更に恐ろしい存在と言うことなのだろうか。そんな存在を退けることが出来た勇者スカーレットとは、本当に一体誰だったのか。

城の入り口の前に立つ。

中からは、尋常では無い妖気が漂ってきていた。自警団の人達も、顔を見合わせている。いろいろな種族の戦士達が雑多に混じっている彼らも、現場に来て流石に怖じ気づくものが出る事は避けられないようだ。

ガラントをコンファインする。

腕を回しながら、頼りになる老戦士は、怨敵がいる城を見据えた。

「ふむ、間近で見ると、少し古いが堅固だな」

「この島の出身者は?」

グライネが呼びかけるが、一人も挙手しない。

この場にいないと言うよりも、殆どがよそから移り住んできた者達なのだろう。幼い頃からこの島にいる者はと聞かれて、やっと挙手したのが一人。キバイノシシ族の、ちょっと気が弱そうな青年だった。

「この城で遊んだことは?」

「俺、奴隷の出ですから。 そんなことはとても……」

「そ、そうか」

ちょっと周囲が気まずくなる。

貧富の格差が大きいイヴォワールでは、最低限まで落ちると、裏世界ではベリルになり、表世界では奴隷となる。奴隷から巻き返すのは尋常では無い労苦を必要とする。確か聞いた話だと、保釈金だけでも相当な額になるはずで、奴隷として生まれて、そのまま一生を過ごす人も少なくないそうだ。

勿論、奴隷から脱出して、ベリルになった人もたくさんいるだろう。マローネがベリルを憎むことが出来ない理由の一つだ。

「ハツネの地図を中心に攻めるしかあるまい。 まずは、この広場を確保する。 マローネ嬢、バッカスとハツネ、それにコリンのコンファインを急いでくれ」

「分かりました!」

言うまでも無く、アッシュは最後だ。それに、敵が増援を呼べないとは思えない。可能な限り迅速に敵を減らして、敵の将を討ち取らなければ危ないだろう。敵の将を討ち取っても、果たしてそれで解決するかどうか。

全員のコンファインが完了する。

ガラントが剣を抜くと、バッカスと肩を並べて、城に入っていく。士気が上がる自警団から、歓声が上がった。

そのまま、激しい戦闘が開始される。敵がざわざわと辺りから集まってくるようだ。それを蹴散らしながら、進み始める。マローネは少し遅れてそれに続いた。既にハツネは時々弓を引き絞っては、死角に入った敵を射貫いて廻っていた。

「素人臭い連中だな。 隙だらけだ」

「傭兵団ではありませんから……」

「ふん、だがガラントというあの老人の動きは見事だ。 私の世界でも、充分に戦士として通用するだろう」

「何だか気むずかしい女の子だな」

アッシュがぼやく。

マローネは側で見ていて知っているのだが、どうもアッシュはジェンダーフリー的な考え方をする傾向がある反面で、穏やかな女性に好感を持つらしい節がある。カスティルに好意的なのはその表れだろう。

そういえば、ひょっとして。

首を横に振る。何だか嫌な結論に達しそうだったからである。

その一方で、性格がいろいろな意味で激しいコリンとは、かなり前から激しく対立している。そういう意味で、分かり易いと言えるかも知れない。

ほどなく、広場に突入。此処を拠点として、敵を攻めることになる。

中央近くにあった柱に、身軽にハツネが登っていく。スカートっぽい服装なので、心配になったのだが。スカートの中はカボチャパンツみたいなもこもこの下着だったので、逆の意味でマローネはげんなりした。多分民族衣装なのだろう。

それにしても容姿と服装、性格と戦闘スタイルに、恐ろしいほどにギャップがある人である。自警団の人達もひそひそと、その事について話をしていたようだ。可愛いけど性格がアレだとか、格好が凄いけど性格は戦士そのものだとか、やっぱりギャップが話題の中心になっていた様子である。

柱の上に立ったハツネが、彼方此方を指さしながら、細かく周囲に注意を飛ばし始める。ガラントはそれを聞いて、細かく動きを変えているようだ。めまぐるしく立ち位置を変えながら、自身は数体を同時に相手にしつつ、他の戦士達には数人係で一体を相手するように、巧妙に動き回っている。

時々、ハツネが矢を放つ。

そして、悪霊をそのたびに倒した。地面に縫い止められた悪霊がもがいている内に、自警団の人達が殺到して、槍や刀で八つ裂きにしてしまう。

戦況は、比較的優位。

だが、数の差がやはり出始める。ガラントは巧妙に戦線を下げはじめた。だが、その下がる速度が、コリンの表情を見ると少し速いようだ。

「僕が出ようか?」

「待って、アッシュ。 もう少し、様子を見ましょう」

「しかしこのままだと、敵の首魁の所まで、届かない可能性もある」

そうなると面倒だ。

敵が体勢を立て直した場合、今夜は更に増えた敵に襲われる可能性が高い。そうなったら、果たしてカスティルを守りきれるのかどうか。

それになにより、これ以上戦闘が長引くと、ガラントを主戦で出せなくなる可能性が高い。アッシュだけで、これだけの数の悪霊を束ねる親玉をどうにか出来るだろうか。

ふと、振り返ると。

もの凄い魔力が、コリンを中心に吹き上がっていた。とんでもなく長い詠唱を終えたコリンは、印を複雑に組み替え、術式の発動までの準備を整えつつある。その足下には巨大な魔法陣が組み上がっており、赤い魔力の燐光を帯びながらゆっくり回転していた。

もう少し、耐える必要がある。

「ハツネさん!」

「っと、オメガファイヤか、それ以上の術式か。 口だけでは無いようだな」

「もう少し耐えてください!」

「敵の進撃速度を漸減させろと? 注文が多いな!」

とはいいつつも、ハツネは数本の矢を一度に番え、放つ。それで数体の悪霊が、一機に粉砕された様子だ。

ガラントがとって返し、迫ってきていた一番大きいのを一刀両断に斬り伏せた。弱い戦士を中心に守って走り回っていたバッカスが、不意に攻勢に出る。跳躍しつつ回転し、背中の突起をのこぎりの歯のように生かして、敵に体当たりする。着地したときには、数体の敵が真ん中から真っ二つに切り裂かれ、消滅していた。

だが、そんな大技を使えば、消耗も早くなる。

わずかな時間。

そのために、体を張ってくれている。

マローネも、全身の魔力を絞り上げる。友達になって欲しいと、嘘偽りない瞳で言ってくれたカスティルを守るんだ。

ついに、広間まで、ガラントが引いてきた。

転がるように逃げてくる自警団の人達を、一人二人と抱えながら、バッカスが引く。術は。

コリンが、凄絶な笑みを浮かべていた。

「魔界の炎をすべし大公爵ベリアルよ、今こそ汝のちからを借り、我が宿敵の領土を焦土と化さん。 喰らい、むさぼり、そして焼き尽くせ!」

「伏せてっ!」

術式の発動の気配を感じ取ったマローネは、皆に叫ぶ。容赦なく、コリンが術式を発動する。

「オメガ・ファイヤ!」

次の瞬間、世界から音が消えた。

マローネが気がつくと、広場が綺麗に消えていた。クレーター状に床がえぐれ、しかもその中央部は溶岩化して未だに煮立っている。殺到してきていた百体近い悪霊は、一匹残らず消し飛んだ。

凄まじい術式だ。

ハツネも、柱から一瞬早く飛び降りて、物陰に隠れていたらしい。耳を押さえたまま、半目で歩いてきた。良く耳が聞こえないらしい。

マローネも耳がきんきんしていて、良く周囲の音が聞き取れない。

ガラントが、剣を杖に立ち上がる。

「よし、敵の主力は消えた。 雑兵を押さえつつ、敵の首魁への道を作るぞ!」

「お、おー」

自警団の人達の反応が薄い。

ガラントがにらみつけて、やっと大きな歓声が上がった。無理も無い。あんな術式を見せられたら、それは肝を潰して当然だ。

コリンは、マローネが思っていた以上に、凄い術者だったのかも知れない。

「アッシュ、いつでも出られるように備えて!」

「分かってる!」

「コリンさんは、もう無理?」

「ん、奇襲を一回やれるかなってくらい」

側にハツネが降り立った。バッカスとガラントは前線でずっと戦っていたこともあるから、流石に敵の首魁との戦闘では活躍できないだろう。

挙手したのは、ずっと黙って戦況を見ていたカナンだ。

「私のちからを、コリンさんに移しましょう」

「え……?」

「ヒーラーには、そういう技を持ってる奴がいるんだよ。 ただし時間が掛かる。 ファントム同士でも出来るから、今から準備しておけば、多分決戦では中級くらいの術式を一回はぶっ放せるかな」

そうなると、完全に切り札だ。

アッシュとそれなりに消耗しているハツネだけで、敵の首魁を叩かなければならない。もしも味方の中に乱入されると、被害が大きくなる。

戦闘は、短期戦だ。

一瞬で決める。

マローネは、顔を上げた。

「アッシュ、やっぱり全力で一気に叩かないと、もう無理だよね」

「ああ、そうだ。 分かってきたな」

「よし、俺たちが、至近まで道を作ってやる。 良いか、敵に大技を撃たせるな。 まともに動く前に、一気に連携して決めろ」

「はい!」

ガラントが、雄叫びを上げて、真っ先に敵陣に突入する。

既に四半減どころか、殆ど主力をすりつぶされている敵は、散発的な抵抗を繰り返すばかりだ。

ガラントの後ろについて、走る。

ちらちらと辺りを見るのは、いつ戦闘に入っても大丈夫なように、コンファイン出来そうなものを探しているのだ。

至近。

真横の茂みから、躍りかかってきた悪霊。口を大きく開けて、マローネの首を食いちぎりに来た。

スローモーションで見えるのは、巨大な臼歯が並んだ禍々しい口。その中は、闇そのもの。

ハツネが矢を放とうとするが、間に合わない。

だが、一瞬早く飛びかかったグライネが、悪霊を串刺しにして、地面に押しつける。

「構うな! いけっ!」

「はいっ!」

走り抜ける。後ろで、今の一撃で滅びなかった悪霊と、グライネがもみ合っている様子だった。

何処かの部屋を抜けて、見晴らしが良い場所に出た。

元々この城は、丘陵地に作られていた事もあって、所々に中庭がある。その中の一つ。階段状になっている、一種の庭園みたいな所に出た。石造りの離宮が点々と設置されていて、かっては花が咲き誇っていただろう花壇もある。

だが今は、禍々しく朽ち果て、彼方此方に無惨な戦いの痕が残されている、呪われた地に変わり果てていた。

かってお風呂だったらしい場所もある。だがライオンの給水口は頭が半分抉られて、散らばった破片は踏みにじられた形跡がある。

そんな中、広場の真ん中にある、明らかに強い魔力を秘めた木に、マローネは視線を止めた。

あれだ。

あれなら、アッシュのちからを、フルに発揮してくれる。

既にハツネが、弓矢を構えている。

其処の一番上に、それはいた。

他の悪霊とは、根本的に違う存在だと、一目でわかった。

全身は骸骨のよう。しかも、上半身の部分だけで、空に浮いている。

肋骨のある場所からは内臓がだらしなくぶら下がっていて、そして地面に付いている手には、杭が突き刺さっている。

何というおぞましい姿か。

しかも、とんでもなく大きい。マローネの四倍くらいはありそうだった。

一緒に来ていた自警団の人達何名かも、生唾を飲み込んでいる。当然だろう。あんな恐ろしい怪物、クロームをしていたマローネだって、今まで見たことが無い。

周囲に点々としている人達。皆裕福そうな格好をしていて、いずれもが意識を失っている様子だ。

意識を失っているだけなら、良いかもしれない。

あまり気付きたくは無かったが。残念だが、既に命が無い人も、ちらほらといるようだった。

既に、他の悪霊はいない。

カスティルの安全を確保するには、あれをやっつけるしか無い。

後ろからは、戦いの音が聞こえてきている。ガラントは、残り少ないコンファイン時間を使って、道を作ってくれた。

「アッシュ、勝てる?」

「……」

「アッシュ?」

「何でも無い。 一瞬で決めるぞ」

頷くと、マローネはゆっくりあるく。ハツネは、既に何時でも仕掛けられるようだった。骨の怪物が、マローネに視線を移動する。

次の瞬間、マローネは走った。

マローネ自身の魔力も残り少ない。戦いは、短時間で決めなければ危険だ。

霊木に手を触れる。

コンファインを最も強力に行うためには、直接手を触れる必要がある。遠隔でも出来るのだが、今は最大限のパワーで、アッシュを具現化したい。

詠唱開始。

「さまよえる魂よ、導きに従い現れ出でよ!」

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」

空気そのものが、暴力的なパワーによって蹂躙された。骨の怪物が叫んだのだと、マローネは知っていた。

全身がすくみそうである。

だが、マローネのすぐ横を、光の矢が通り過ぎていく。

そして、骨の怪物の、肩の骨を吹き飛ばしていた。

ハツネだ。

目は、怒りに燃えていた。

「貴様を倒し、少しでも我が一族の復讐をさせてもらう!」

そうだ。すくんでなんていられない。詠唱を続ける。

「奇跡の力! シャルトルーズ!」

木が、見る間に縮んで、人の形とをっていく。

青い燐光を纏ったアッシュが、具現化した。

今までに無いほどの力を感じる。この木が持っていた魔力を、ことごとく取り込んだのだから、当然だろう。

感じる。

木は、この城を愛していた。

この城では、色々と愚かなこともあった。住んでいたセレストは名君とは言いがたく、無能で、時に暴虐でもあった。

だが、それでも、最低限の一線は越えなかった。

この怪物と、それに率いられている悪霊達は違う。

城を取り返したい。出来れば、この城に平穏な時を戻したい。

アッシュが降り立つ。手袋を直しながら、彼も能力を展開した。心なしか、その纏う燐光は、いつもよりも更に力強い。

「邪悪なる者に打ち克つ力を! 水竜の力、エカルラートッ!」

勝負は、一瞬。

コリンを続いてコンファインする。

アッシュが、まるで地面すれすれに飛ぶような速度で、敵に向かっていくのが見えた。

 

距離が、零になる。

間違いない。

此奴こそが、ヘイズを殺し、ジャスミンを殺した、あの化け物だ。以前より感じる力はずっと弱いが、それでも此奴に間違いない。

不思議と、復讐心は沸いてこない。

コンファインの素材になった木が、相当に清浄な存在であった事は、アッシュも分かっていた。

その力が、全身を巡るように流れているからだ。

それが、アッシュの復讐心と怨念まで浄化しようとしているようだ。それだけではない。エカルラートの力も、相当に強化されている。強化は良いが、復讐心を押さえ込むのは余計だ。

彼奴らに対する復讐心が、どれだけアッシュにとって、支えになってきたか。

叫ぶ。

敵が、応えるように吠える。

殺す!

アッシュは、今まで蓄えに蓄えた怒りと怨念を、その場で爆発させた。

拳を繰り出し、まずは敵の中央に一撃。

何か、見えない壁に阻まれる。

続けて、二撃。

また、防がれる。

違う。届くとか、それ以前の問題だ。

「下がれ阿呆! チャンスをフイにする気か!」

ハツネの怒号。

アッシュが高く飛ぶ。敵がその軌跡を追った瞬間、顔面にハツネの矢が直撃した。何故、あっちは通る。

手が、来る。

杭が突き刺さった手のひらが、アッシュを左右から叩き潰そうと、迫ってくる。右の方が、わずかに早い。蹴って、地面に向けて飛ぶ。

無心のまま、拳を繰り出した。

直撃。

今度は通った。悲鳴を上げる巨大な怪物。

分からない。だが、無心のまま、そのまま拳を繰り出す。顔面をそのまま打ち砕くように、何度も、何度も。

ついに、敵にひびが入る。

「アッシュ、離れて!」

マローネの声。

周囲が全く見えていなかった。反射的に跳んで、気付く。両手を広げたコリンが、いつの間にかコンファインされている。そうだ、確かカナンの力を分けて貰うという話をしていたはずだ。

そして、コリンは、既に詠唱を終えていた。

「足下ががら空きだ、デカブツ! 喰らえっ!」

無数の稲光が、巨大な怪物の周囲を回り始める。

そして、殆ど間をおかず、大量の雷撃が、怪物を串刺しにした。

「封雷爆!」

絶叫を上げる怪物。

行けるかも知れない。だが、今のでコリンはもう限界の筈だ。みれば、ハツネももう一発大きいのを撃てれば良い方だろう。

何よりアッシュである。

もう、そろそろエカルラートの限界時間が来る。

最初の一撃は、どうして通らなかった。

無心になってからは、通るようになった。

ならば、何も考えない。

着地。

クラウチングスタートの体勢を取り、其処から全力で加速。残る力を、一気に爆発させる。

何も、考えない。

ヘイズのことも、ジャスミンのことも。今まで此奴のせいで、マローネがどんな目に遭ってきたかも。

忘れる。

この戦いの時だけでも。

拳を固めて、怪物が振り下ろしてきた。既に全身罅だらけなのに、まだ戦意を捨てていない。

此方も厳しい状況だと見抜いているのか。

ならばなおさら、此処で容赦をするわけには、行かなかった。

「させるかぁああっ!」

怪物の拳が、はじき飛ばされる。

ハツネの支援射撃が、正面から拳を打ち抜いたのだ。今の叫びは、彼女の渾身の一撃と同時に、発せられていた。

一気に駆け抜ける。また、敵との距離が零になる。

無心。

水のような、いや、木のような。

拳を、自然のままに、敵の中枢へと繰り出す。

まるで、竜が天に昇るようなイメージが、全身を駆け巡った。正拳突きの構えから、敵を空に抉りあげるように動く。

全てのパワーを、敵の中枢に叩き込み終えた。

粉砕。

白い巨体が、内側から、崩れていく。

中枢を粉々に打ち砕かれた巨体が、憎悪の悲鳴を上げながら、消えていくのを見て。

ああ、勝ったのだと。アッシュは悟った。

だが、釈然としない。

8年前は、こんなものではなかったはずだ。何か嫌なことが起きようとしている。そんな感触を、アッシュはその拳に宿していた。

 

砕け散った怪物が、千々に消えていく。

同時に、悪霊達も、周囲から撤退をはじめたようだった。

歓声が上がる。

俺たちの勝利だ。勝ち鬨を上げろ。そんな雄叫びが、既に悪霊がいなくなった城に、轟いていた。

マローネはその中、聞いていた。

木の声を。

「人の子よ。 あのおぞましい怪物を退ける力になってくれたこと、感謝する」

「貴方は、先ほどの木ですか?」

「そうだ。 私の世界を守ってくれたこと、感謝しきれぬ。 だが、私には、もはや実をならせることも出来なければ、力を与えるべき肉体も滅びてしまった。 だからせめて、今度は、私そのものが汝の力になろう……」

アッシュがコンファインを解除。力を使い果たしたのだから、当然だ。

だが、同時に、木も朽ち果てていく。もう限界近かったのだろう。こんな邪気にまみれた場所で、ずっと立っていたのだ。

みれば、庭園の他の花は枯れ果て、木も皆朽ちてしまっている。この木だけが、自分の場所を確保していた、という事なのだろう。

マローネは感じる。

木の生命力が、自分と一つになっていくことを。目を閉じると、全身の魔力が、以前よりだいぶクリアに感じられた。

肩を叩かれる。

どうやらさっきの相手に勝ったらしいグライネだった。

「すげえな。 見たぜ。 あんたがいなければ、勝てなかった」

「そんな……」

「だが、まだこの城は様子がおかしいな。 ここにいて安全とはおもえねえ。 早めに切り上げようぜ。 あんなのがまた出てきたら、もう対処できん」

グライネが手を叩いて、皆をまとめていく。倒れていた人達を抱え上げ、撤退する体勢に入った。やはり何人かは、既に息絶えていたようだが。その亡骸も、背負って降りはじめる。

けが人も多い。後でカナンをコンファインして、治療する必要があるだろうと、マローネは思った。

木の魂が、多分マローネと一つになったからだろう。根本的な力が上がった印象はあるのだが、無制限に強くなったわけではなさそうである。多少魔力があがって、コンファイン出来る規模と力が増した、くらいに考える方が良さそうだ。

実際、皆をフルに消耗させたのに、マローネは充分歩くことが出来ている。

以前だったら、ぶっ倒れていただろうから、これは長足の進歩だ。最近ずっと続けてきた鍛錬も、勿論良い方向に実を結んでいると思って良いだろう。

「アッシュ、さっきの怪物、すごかったね」

「いや、脆すぎる」

「え……?」

「何でも無い」

やはり、アッシュは何かアレについて知っている。そして、マローネが想像している祖のことと、多分あまり違いは無いだろう。

コリンはぐったりして、ふらふらになって歩いていた。力を使い果たしたハツネが、忌々しげに言う。

「何だ、魔術師。 情けないぞ」

「五月蠅い脳筋」

どうやらコリンは、アッシュだけでは無く、真面目な人を全般的に敵に回す性質を持っているようだった。

この様子だと、ハツネとも仲良くなりそうに無い。

喧嘩をして、おばけ島を焦土にされないと良いのだけれどと、ちょっと心配した。

城を出る。

無事だった人が、辺りには点々としていた。怪我をしている人も少なくない。

だが、分かる。既に周囲に邪気は感じない。あの悪霊達は、城の中ならともかく、もう外に勢力を伸ばすことは出来ない。

「カナンさん、治療は出来ますか」

「え? 私は平気ですが、マローネちゃん。 貴方は大丈夫?」

「さっきの木さんが力をくれました。 私は、もう少しなら平気です」

余裕がある以上、自分より他の人達を優先したい。

そうやって頑張っていけば、いつかはきっとみんなに、好きになってもらえるはずなのだから。

 

4、斬られる糸

 

サフラン邸前に、やっと夜明け頃に辿り着いたマローネは。家の前で立ち尽くしていたサフランを見て、ぎょっとして足を止めた。サフランの後ろでは、後ろめたそうに、ジョーヌが視線をそらしている。泣きそうな顔をしているのは、きっと悲しい宣告をしなければならないからだろう。

まさか、カスティルが。

いや、違う。サフランがぶら下げているのは、火炎瓶。そして、その足下には、もがく小さな悪霊の姿。瀕死で逃れてきたところを、サフランが捕まえたのだろう。

「貴方に、告げなければならないことがあります」

「何でしょうか……」

サフランは、足下の、傷だらけで瀕死の悪霊に、火炎瓶をたたきつけた。

元々物理干渉能力を得ていたことが徒となり、そのまま焼き尽くされていく悪霊。燃え上がる炎に照らされるサフラン氏の顔は、冷酷非道なビジネスマンそのものだった。

「見ての通り、まだ島を荒らした敵は存在しています。 故に、貴方に報酬は払えません」

「なっ……」

アッシュが思わず声を出すが、マローネは制止する。

分かっていた。

もう、気付いていたのだ。

この家には、おかしな事があまりにも多すぎた。それにお金持ちだというのなら、もっと強力なクロームを複数雇えば良いのである。傭兵団でも良い。

きっとこの人は、マローネに弱みがある事を知っていた。

冷徹なビジネス感覚で、最初から報酬を踏み倒せる相手を探していた、という事なのだろう。

「カスティルは、私の友達です。 だから、報酬は最初から必要ないというつもりでした」

「……そうでしたか」

「だけど、聞かせてください。 どうしてこんな」

「分かって欲しい。 今、私のビジネスは利潤が殆ど上げられていません。 理由は、カスティルの治療代です」

元々資産家だったサフランは、幾つかの会社を所有しているらしいのだが。その利潤の内、個人的に動かせるお金は、殆どカスティルの治療のためにつぎ込んでいるのだという。

元々愛情深く、しかし子供が出来なかったサフランとジョーヌ。やがて孤児だったカスティルを引き取ったサフランは、彼女に妻と一緒に、溢れるばかりの愛情を注いだ。

その一つが、どうしても原因がはっきりしない難病の治療代。

会社のお金に手を付けるわけには行かない。それは、ビジネスマンとしてのサフランの矜恃が絶対に許さなかった。

しかし、自由に出来るお金は、既に底をついている状態なのだ。

この家は、会社のオフィスでもあり、象徴でもある存在。会社のためにも、手を付けるわけに行かないのだと、サフランは血を吐きそうな顔で言った。

「カスティルの病は、それほど重いのですか」

「幼い頃は、七歳までの命だと言われていました。 今でも、大人になることは出来ないだろうと言われています。 あの子が悪いのは足だけではありません。 心臓も呼吸器も、原因不明の衰弱で、気分が良い日に外を少し車いすで移動するのがやっとなのです」

何という悲しいことだろう。

この人は、娘のために、そして自分のビジネスでの誓いを守るために。鬼になる事を決意したのだ。

だが、決して悪しき人では無い。だからこそ、敢えてマローネに、全てを告げてきたのだろう。

しかし。

続けての言葉は、マローネの胸を、深々と抉った。

「貴方がお金のためにカスティルの友達になってくれたことは、そうだと分かっていても感謝しています。 あの子はずっと同年代の友達をほしがっていましたから」

「あ……」

クロームだったら、そう考えるのは当然だ。サフランは、何も酷いことは言っていない。常識に照らして、ごく普通のことを言っただけだ。

満身創痍で、やっと戦い抜けたのも。初めて友達と呼んでくれたカスティルのためだった。

だが、それは。

クロームとしては、正しい行動では無かったのだ。

サフランを責めるつもりはない。

むしろ、マローネは。自分がお金のために働くクロームであるという事を、今、指摘された。それは、マローネの生き方を、根元から掘り崩されたも同然だった。

 

希望に伸びていた糸は。

今、斬られてしまった。

 

マローネは、おばけ島に帰ってから、自室に閉じこもっていた。

それを砂浜から見上げていたハツネは言う。

「マローネは賢いが、まだ脆いな。 契約と駆け引きの世界では、裏切りなど日常茶飯事にも思えるのだが。 しかしこのような平和な土地で過ごしたのであれば、無理も無いか」

「分かってないなあ。 あの子は其処が可愛いんだよ。 マローネちゃんは人間が下劣な事を知った上で、信じようと自縄自縛してるの。 で、分かってるのに裏切られて、そのたんびに傷ついてる。 その様子、見てると舌なめずりしたくなるほど面白いからね」

「外道……。 貴様を私は好きになれそうに無い」

「うふふふーん。 好きになって貰わなくてもいいもーん」

コリンとハツネが火花を散らす。

アッシュは何も言う気にならず、二人から離れていた。

マローネが傷ついたのは、クロームという仕事と、人情の両立が難しいという現実を突きつけられたからだ。

マローネが頑張っていけば、これは今後ついて回る問題となる。お金のために笑顔を作り、善行を積み重ねている。クロームである以上、誰もがそう思うのだ。仮にマローネが莫大な実績を積み重ねても、いやそうなればなおさら、マローネという個人の心を見ようという者はいなくなるのではないか。

決して、マローネがしている努力は無駄では無い。

そう言いたい。

だが、カスティルは今回の件を、どう思っているのだろう。

あの子は賢いから、両親の決断を非道だと非難するだけでは無い筈だ。戸棚を見たが、かなり難しい本も読んでいるし、体の弱さを克服しようと色々努力もしている。

頭が悪い子なら、両親を非難するだけで、それですむかも知れない。

だがカスティルは、自分を生かすために、両親がマローネを切り捨てたことを、すぐに理解するはずだ。

そうなれば、板挟みになって、行動できなくなるのでは無いか。

マローネにとって、今回の件は、初めて友達になってくれた同年代の子供を、失ったに等しい。

泣いているかは分からない。

だが、クロームという仕事に、疑念を感じ始めてしまったら、今後が面倒だ。生きていくことさえ難しくなるかも知れなかった。

マローネ自身は、霊木の魂を引き継いだことで、更に力を増しているというのに。

どうして、こう上手く行かないのだろう。アッシュは歯がゆく思ってしまう。

ボトルメールが来た。緊急用のものではない。

毎日中傷のメールも含めて、マローネの所には結構メールが来る。だから放っておこうと思ったのだが、中になにか光るものが見えた。だから、アッシュは何気なく、ポストに飛び込もうとするボトルメールを手に取った。

中を見る。

小さなペンダントと、手紙が入っていた。ペンダントは貝殻をあしらったもので、とてもかわいらしい、愛情が籠もった代物である。

そして、手紙の主は、カスティルだった。

「マローネ!」

思わず、アッシュはマローネを呼んでいた。

降りてきたマローネは、少し疲れた目をしていた。だが、カスティルから手紙が来たと聞くと、すぐに元気を取り戻したようだった。

「み、見せて!」

「はい、これだよ」

手紙を受け取ったマローネ。

文字はカスティルの性格を示すように、非常に細かくて、緻密だった。もしも頑健な体を持っていたら、カスティルはむしろ几帳面で生真面目な一面を表に出すタイプだったかも知れない。

「マローネへ」

手紙の冒頭付近には、濡れた跡があった。

カスティルが、泣きながら書いたことは、想像に難くない。

「全てはお父様とお母様から聞きました。 謝罪の言葉もありません。 私の体が弱いばかりに、本当はもっと裕福な生活が出来るのに。 私は役立たずで、弱い子です。 いつも自責ばかり感じてしまいます。 今回の件だって、私の体が弱くなければ、こんな酷いことにはならなかったのに」

的確に、カスティルは己が原因である事を悟っているようだ。

マローネは、アッシュから顔を背けている。

どうしてだかは分からないが、マローネは人前で泣かないと決めているらしい。アッシュにも、涙は見せたくないのだろう。

「自警団のグライネさんからも、話を聞きました。 お城で恐ろしい怪物と戦って、やっつけてくれたのも、マローネだったって。 まだ、怪物は残っているかも知れませんが、マローネがいなければ、島は滅びてしまったでしょう。 島の皆に代わって、お礼を言わせていただきます。 そして、皆を許してあげてください」

血がにじむような言葉だった。

マローネは、無言で手紙を読んでいる。

「私と友達になってくれた事には、今でも感謝しています。 願わくば、今後も貴方とは友達でいたい。 今度のようなことがあったのに、虫が良い話だと怒るかも知れませんが、貴方に言った言葉は、嘘ではありません。 貴方とは友達でいたい。 ずっと友達でいたい」

何度も繰り返される言葉は、カスティルが抑えていた悲しみを、そのまま文字にしたような感触さえ感じさせるものだった。

「もし愚かな私を許してくれるのなら、友情の証として送ったペンダントを受け取ってください。 もしも私を許さないというのなら、ペンダントをそのまま送り返してください」

「アッシュ、ごめんね。 こっちを見ないで」

「分かったよ」

マローネが、涙をこすっているのが分かった。

家に戻ったマローネが、手紙を書いてきた。

内容は見なくても分かる。カスティルに、ペンダントを受け取る旨を書いたものだろう。同年代の人間と言うこともあるし、背格好も近いから、ペンダントはちょうどサイズ的にもぴったりの筈だ。

斬られたと思った、希望への糸。

だが、天からもう一本それは伸びてきた。

アッシュは知っている。マローネは賢いが、それ以上に人恋しく思っている。だから、今回の希望の糸は。

きっと、周囲が思っている以上に、マローネを救っているはずだった。

「アッシュ、ごめん。 しばらく私を見ないで」

「分かっているよ」

アッシュも、涙をこらえるのが難しかった。

死んだというのに、未だに感情はある。

ヘイズ。ジャスミン。

貴方たちの娘は、とても素直で、心優しく育っているよ。

そうアッシュは、もうこの世にはいないマローネの両親に語りかけたのだった。

ほんの少しだけ、肩の荷が下りた気がする。

この世知辛い世の中で、それはわずかな救いだったかも知れない。

 

スプラウトは苛立っていた。

どうやらセレストの誰かが、スプラウトの身辺を探り、場合によっては消すようにと指示を出したらしい。

ここ最近、クロームの中でも、腕利きの連中が、周囲をうろついているのが分かる。大半は様子見のつもりらしいのだが、中には罠を仕掛けてきたりと、姑息な連中の姿もあった。

人間をあまり殺すつもりは無い。

面倒なら排除はするが、それだけだ。サルファーを殺す事だけがスプラウトの目的であり、人間など殺したところで腹の足しにもならないからである。

だが、あまりにもしつこいようなら、話は別だ。

いらだちを押さえるには、仕事が一番。

癒やしの湖島に、どうやら悪霊が出たらしいと聞いたスプラウトは、現場に出向いて調査をしていた。

戦場となったらしい古城は、かなり激しい戦闘の跡があった。驚くべき事に、オメガ級の術式が発動し、炸裂した形跡がある。サルファー自身がここにいたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

既に残党が細々といただけなので、スプラウトは無言でそいつらを狩、そして拠点である闇の穴を潰して廻った。だが、この城は負の磁場が強すぎる。多分、そう遠くないうちに、またサルファーの手下共が現れることだろう。

その理由が、分からない。まさか、スカーレットがこの近辺にいるのだろうか。この島について、もう少し調べる必要がありそうだ。

腕組みして考え込んでいると、人の気配。

見覚えがある相手だった。

「輝ける聖剣、久しぶりです」

「何だ、まだ生きていたか。 流麗」

慇懃に礼をするそいつは、かっての九つ剣の一人。スプラウトが現役で九つ剣筆頭だった頃、ナンバーツーと呼ばれていた男だ。

華麗な剣を振るう事で知られていた、九つ剣の良心。スプラウトの失踪と共に九つ剣を辞退し、その座をラファエルに譲った。通称、流麗のハルパシオン。オウル族の間では伝説となっている人物である。

彼が持っていた剣は、今ラファエルの手にある。

既にかなり年老いていて、既に戦士としてはスプラウトも興味が持てない。護衛につれている戦士達はみな緊張して、やりとりを見守っているようだった。

「貴方の近辺が、今危険なことになっています」

「知っている。 だがそれがどうかしたか。 サルファーを追っている以上、この世に安全など無いわ」

「分かっています。 ですが、来るべき決戦の時には、貴方も参戦して欲しい。 その時、何かあっては困ると、私は思っています」

「ふん……」

心配性な奴である。

だが、スプラウトにしてはどうでも良いことだ。此奴にも、かっての仲間達にも、もう興味は無い。

「儂を追うように指示を出したのは誰だ」

「今、調査中です。 ただ、それは此方で排除します」

「ほう?」

「言ったとおりです。 今でも世界最強の剣士である貴方は、サルファーが攻め寄せたとき、もっとも重要な戦力の一つ。 スカーレット様がいつ姿を見せるか分からない現状、貴方抜きでサルファーと戦う事など、考えられません」

セレストだろうと、正体を突き止めたら斬る。そう、ハルパシオンは言った。

此奴はそういえば、昔からそういう奴だった。美麗な剣技と紳士的な心を持っているが、その裏では結構手段を選ばない所があったのである。

ラファエルは、そのえげつない性格を、受け継がなかった。

「まあ良い。 儂も無為に人間を殺す気は無い。 ただし、儂の邪魔をするならば、誰であろうと殺す」

「高潔な剣士であった貴方が、鬼神へと落ちたとき、九つ剣はみな悲しみました。 どうにか次の襲来で、勝負を決めたいものです。 これ以上、悲劇を積み重ねないためにも」

「好きにせい」

スプラウトは、その場を離れる。

未だに鬼神と化した自分に、このように手をさしのべてくる相手がいるとは驚きだった。だが、それもどうでもいい。

スプラウトは、一度島を離れると、海上で通信装置を手に取った。

呼び出すのはラッドだ。

「はい、旦那。 なんでやしょう」

「癒やしの湖島を調べろ。 スカーレットの痕跡があるかも知れん」

「! わかりやした。 すぐに情報を集めやす」

「頼むぞ」

ボトルシップの中で、腕組みしたスプラウトは。

島の地形を頭に入れ、いざというときはどうサルファーと戦うか、考えを巡らせはじめていた。

 

(続)