エルフの森

 

序、自称転生者

 

オーク族と言われる者達がいる。それらは人間に比べれば体格は優れているものの、その世界では決して強い存在ではなかった。

魔法を使う生物がいくらでもいる世界である。

多少人間より屈強、という程度では全く通用しない世界だったからだ。

知能については、衣服をまとい、簡単な武器を使うことくらいは出来る。

だけれども、人間によく顔が似ていると揶揄される豚ほど強靱ではない。

豚は場合によっては熊ほどまで体格が大きくなり、その突進力は凄まじい。顎の力も凄まじく、噛み付かれでもしたら腕ぐらいは平気で噛みおられてしまう。何より雑食な上に、何を食べても腹を下すこともないし。どんな毒蛇にかまれてもけろっとしている。

イノシシはさらに凶暴性が強い。

このため、オーク族は、豚の方が強いことを認識して。

狩るときには、戦士達が数を集めて対処しなければならないのだった。

豚くらいの生命力があったら、どれくらい楽だっただろう。

人間はよく言う。

人間の女を襲って孕ませるとか。

冗談じゃない。

人間の中にも、それは豚に欲情する物好きがいるかもしれないが。オーク族にも、人間に欲情する物好きがいるかもしれない、程度の話である。

ましてや強欲の化身だとか暴虐だとか。

人間に言われるのは迷惑極まりない。

そう考えるオーク族は多い。

おまえにだけは言われたくない。

そういうことである。

人間とはどうしても縄張りなどで争いが生じることはある。少数の相手だったら勝てることもある。

だけれども仮に勝ってもすぐに何倍もの規模で攻め込んできて、あっという間にめちゃくちゃにされてしまう。

魔法を使う人間なんていた場合は、もはや戦うどころではない。

だから他の猛獣がそうするように。

オーク族も人間相手には、基本的に距離をとるのが当たり前だった。

人間こそ、オーク族を言葉が通じる獣程度にしか考えていない節がある。

奴らの都市だとか言う場所に連れて行かれたオーク族が、どれほど残虐に見世物にされて殺されるか。

想像も出来ないほどだ。

そして今も。

オーク族の一つ、赤牙族の村は、人間に襲われ。

まるでオモチャのように蹴散らされ。

女子供を逃がす暇すらなく。

屈強な戦士達も為す術がなく。

へらへらと笑っているらしい(表情どころか、男女すら見た目ではよくわからないのだが)滑稽な銀を中心とした色味の鎧を着込んだ人間に、土下座をして許しを請うしかなかった。

「降参いたしますお強い人間のお方!」

「なんだ手応えがないな。 でかい図体で情けなくないのかよ」

そう言って、人間は近くの地面を蹴りつける。

それだけで、地面がぐわんと揺れた。

気絶している女もいる。

赤牙族の長であるバルハラントは、ひたすら這いつくばるしかなかった。

人間にたまに同族が襲われることがある。

同じように、ゴブリン族も襲われることがあるらしい。

たまにとんでもなく強い奴が、一人もしくは数人でやってきて、生活しているところに襲ってくる。

その場合は、勝てないからさっさと頭を下げて、全面降伏しろ。

それが既に鉄則として知られていた。

バルハラントだって頭なんか下げるのはいやに決まっている。

だが、一族を守るためである。

ましてやこいつは明らかに力が常軌を逸している。

とてもではないが、戦って勝てる相手ではないのだ。

やはりたまに姿を現す輩だとみて良かった。

「ほんの少しだけしかスキルを使っていないのにな。 弱すぎて話にならねえんだけれどよ」

「お見それいたしました。 大変お強いお方」

「ハ、わかってるじゃねえか。 あの転生神の奴、転生特典は一丁前のものをくれたようだな。 ステータスオープン!」

なんかよくわかないことを言っているが。

その中で、聞き覚えのある言葉があった。

転生。

それは確か、異常な力を振るう人間が、そろって口にする言葉らしい。

それを口にして、ステータスだとかスキルだとか言い出したら、もうそれは災害にあったと思え。

逆らったら文字通りなで切りにされる。

だが、逆らわずに、従っていればいい。

とにかく褒めろ持ち上げろ。

それが生き残るために必須だ。

それはバルハラントも知っていた。

他のオーク族達よりもだいぶ体格が優れているバルハラントだが、それでもイノシシや熊を単独で相手にする力はないし。

生きるために他の種族と交易しながら、情報を集めてもいる。

顔を上げても人間は怒らなくなった。

それで、他の者達に、軽く言う。

逆らうな。

とにかく従っていろ。

そう言うと、他の者達も、頷いていた。

まあ恐怖で身動きできない者も多いのだが。

「ヒャハハ! おまえらレベル5とかかよ! 俺のレベルは9999だぞ!」

「はあ、すばらしゅうございますな」

レベルとはなんだかわからないが、ともかくすごいらしい。

その人間は、素直に従ったことで気が良くなったのか、飯を用意しろとか言い出した。そして、昨日苦労して仕留めた交易用の鹿の皮に座り込むと、なんだか変な道具を使って涼み始める。

同族の者が耳打ちする。

「毒でも盛りましょうか」

「やめておけ。 どうせ通じぬ。 あれはさっき聞いていたが、おそらくは転生者だ」

「あの、災厄と言われる」

「そうだ。 だから、今はとにかく従っておけ。 そうするしかない。 逆らうそぶりは絶対に見せるなよ」

もし逆らいでもしたら、蹴り一発で地面を揺るがしたあの力が皆に振るわれるのだ。そうなったら、一瞬で肉袋としてはぜるだけである。

そのまま、女達に一番いい肉を調理させて、出させる。

これは病人などのためにとってある干し肉なのだが、それでも出させる。皆の安全の方が大事だ。

「出来ました。 粗末なものですが」

「お、焼いた肉か? なんだ、意外といいもの出してくるじゃねえか。 ナイフとフォークは?」

「申し訳ありません。 そういうものはわかりません」

「ちっ、つかえねえ。 まあいい。 確かこうやって、アイテムボックスを使って……いや、インベントリだったか」

訳がわからないことを言いながら、何やら空間を触っていたが。そこから道具を取り出す人間。

それを使って食べ始める。

うまいうまいと食べているが。

それを作るのに苦労したし。

何より緊急時に力をつけるための非常食だ。

悔しくないはずがない。

ともかく、機嫌が良くなったのはいいことだ。この存在が、見た目とは違い、人間とはかけ離れていることはわかりきっていた。

幸いと言うべきか。

この転生者と名乗る人間とその同類は、オークの女子供には興味を見せないという話である。

ゴブリン族の場合は文字通り見た瞬間殺しにかかってくることも多く、そういう場合はバラバラに散って逃げるしかない。

コボルト族の女子供はさらに悲惨で、彼らが好む容姿をしているらしいので。

それこそ、誰もが目を背けるような仕打ちを受けることも多いらしい。

「はー、うまかったぜ。 それにしてもむさ苦しいな。 いい女いねえか。 猫耳生えた種族とかいねえの?」

「猫の耳が生えた種族ですか? 人間に近い姿をした?」

「そうそう。 そういう奴」

「聞いたこともございません」

舌打ちされる。

そもそも猫の耳がついている人間とは何か。

オーク族にしても豚に似ているとは言われるが、生物的には全く豚とは違う存在である。

人間の耳だけ猫になっている種族がいるのか。

この人間の世界には。

人間の機嫌を損ねないように、一番いい寝床を用意する。戦士達は相当いらだっているようだが、なんとかなだめる。

「お強い方、どうお呼びすればよろしいでしょうか」

「そうだな。 転生神に剣聖と大賢者のスキルをもらったからな。 聖剣士レット様と呼べや」

「聖剣士レット様でございますね」

馬鹿かこいつ。

そう思ったが、素直に褒めておく。

何が聖剣士だ。

こいつのどこに聖の要素がある。賢者とか言っていたが、こいつほど賢者とほど遠い人間もいないだろうに。

とにかく、伝承通りに対応していくしかない。

「そうそう、わかってるな。 お前容姿からしてオークだろ。 もっと頭が悪くて要領も悪いかと思ったら、使えるじゃねえか。 バイト先のクソ店長とは偉い違いだぜ。 しばらくは俺の第一の弟子にしてやる。 泣いて喜べ、ええと」

「バルハラントにございます」

「じゃ、バルハと呼ぶからそれでいいな。 じゃあ俺は寝るから、誰も近づけるんじゃねえぞ」

「承知いたしました」

寝に入るレットとやら。洞穴の中だから、音も入りにくい。

洞穴から外に出ると、皆を集める。

キレそうになっている戦士も多い。

それはそうだ。

押し込み強盗に加えて、好き勝手に飲み食いまでしている奴を、何が悲しくて歓待しなければならないのか。

「いきなり人の集落に押しかけてきて、なんだあいつは」

「人間ですら暴力をここまで一方的に振るってくることはないぞ」

「皆、不満はわかるが抑えろ。 奴は間違いなく転生者だ。 逆らったら確定で殺される。 今は怒りを飲み込め」

「しかし族長。 あいつがさっき食い散らかした肉は」

わかっていると、バルハラントはなだめる。

それに伝承通りなら、これからどうにか出来るかもしれない。

「ヒスナ」

「はい」

前に出たのは、赤牙族の若者の一人だ。バルハラントより二回り小さいが、オーク族は年をとるだけ大きくなる。

いずれ族長になるかもしれない者だ。

「伝言だ。 とくに東のコボルト族に伝えてこい。 転生者が出た。 できる限り離れろ、とな」

「はっ」

「エルフ族はどうします」

「考えがある」

エルフ族。

東の森に住んでいる種族だ。

人間から見て美しいらしいが、オーク族の目からは細すぎて枯れ木のようにしか見えない。

人間はエルフ族をオーク族が捕まえて孕ませるとか信じているらしいが、はっきり言って冗談じゃない。

それに、あいつらは曰く付きだ。

絶対に関わらないことが、皆の間で鉄則になっている。

人間ですら、たまにエルフ族の各地にある集落に仕掛けては、手痛く反撃を受けて逃げ帰っているのである。

数でも技術でも人間に及ばないオーク族が勝てる相手ではない。

「コバルラ」

「はい」

返事をしたのは、オーク族の戦士の一人コバルラ。

バルハラントの娘婿であり、次の族長だ。

コバルラには、何があっても生き残ってもらう必要がある。

「俺はどうにかレットをエルフ族に興味を持つように誘導する」

「しょ、正気ですか」

「転生者は災害だ。 放っておけば際限なく災厄をまき散らす。 誰かが食い止めなければならないんだ」

うめき声が上がる。

気持ちはわかるが。

ここでどうにかしておかなければならないのだ。

奴は気分次第で殺戮を行うような輩であり、このままでは他の種族達も餌食になる。

勿論種族が違えば縄張り争いなどは起きる。

それはわかりきっている。

それでも、越えてはいけない一線がある。

人間側もそれはわかっていて、絶対のタブーは犯さないようにしている。そうしないと、絶滅するまでの殺し合いになるからだ。

それだけは、どの種族も望んでいない。

それを平気で破るのは、転生者だけだ。

「コバルラ、お前はどうあっても生き残れ。 俺はエルフ族に殺される可能性が高い。 だが、それは一族を守るためだ。 必ず生き残り、俺がやったことを伝えろ。 それで次の転生者に備えろ」

「わかりました……」

「それにしても転生者ってなんなんでしょうね」

「さあな。 災厄としかわからん。 いろいろな肩書きを名乗るらしいが、いずれも実態と乖離しているのが特徴だそうだ」

バルハラントの妻は既に死んだ。

それもあって、娘と娘婿が生きていれば、それでいい。

一族を守るためだ。

族長としての役割を果たすために死ぬのであれば、バルハラントはそれで良かった。

 

翌日。

起き出してきたレットは、大あくびをしながら飯、とのたまう。

とりあえず、仕留めてあったイノシシの肉を出す。がつがつとむさぼり食いながら、ああだこうだ文句を言うレット。

そうでございますなと、とにかく機嫌を損ねないようにバルハラントは務める。

「聖剣士レット様は、どのようなことをなさりたいので」

「ありとあらゆる全てを手に入れたいな。 権力だろ、女だろ、それと名声な。 女は勿論、ポリコレがどうだの権利がどうだの言わない従順な奴に限る。 だから奴隷が一番だ。 奴隷の女を見繕いたいが、猫耳か何かのいねえかなあ」

「猫耳の人間はわかりませんが、エルフ族は人間から見て美しいと言われています」

「エルフがいるのか」

食いついた。

勿論、このときバルハラントは死ぬ覚悟を決めている。

だが、それは口には出さない。態度にも出さない。

散々修羅場はくぐってきたのだ。

この程度、屁でもない。

それに、バルハラントは見抜いていた。このレットという人間、異常な力を持っているだけだ。

戦闘経験は皆無に等しい。

それどころか、他の様々な経験もほとんど積んだことがないだろう。それが、言動の節々からわかる。

「東の森に集落を構築しています。 数百人ほどがいるはずです」

「いいないいな。 お前ら、森を焼けよ。 焼きだして、それでいいのを適当に俺が奴隷に見繕うからよ」

「今の時期は雨期で森が燃えにくく、多少放火したところでどうにもなりません。 少なくとも我らにそのような手立てはございません。 ここは聖剣士レット様が、手づから見本をお示しくだされ」

「ちっ、つかえねえな。 所詮はオークかよ」

エルフ族は森の守護者だ。

森に火をつけて焼き出すだって。

そんなこと、無理に決まっている。

火をつけたら即座に風向きを操作されて、火はこちらに襲いかかってくるとみていいだろう。

だいたいさっきも説明した通り、森なんて乾期でもなければそうそう燃えはしないのだ。

乾期に火をつけてすらも、おそらく相当成功の確率は低いだろう。

「面倒くせえ。 油はねえのかよ」

「油は貴重品です。 人間達ですら、そう大量に用意することは出来ません」

「なんでだよ。 たかが油だろ」

「まともな燃料になるような油は、どのみち簡単に大量には作れないのです」

これは本当だ。

転生者は基本的にまっとうな知識が著しく欠落していると聞いている。

だから驚くことはない。

とにかく褒めながら、出来ないことは出来ないと言っていくしかないのだ。

「小麦粉はねえのかよ。 粉塵爆発は出来ないか」

「小麦を粉に挽いたものですか。 人間の農村などにはあるとは聞いていますが、我らの集落にはありません。 乾燥した粉を空気中に舞わせて火をつける方法については聞いたことがありますが、その粉がよほど可燃性が強くない限り、たいした火力は出ないのが実情です」

「そうなのかよ」

「前に人間が小麦粉でその粉塵爆発?をやっているのを一度見たことがありますが、とても森を焼くような火力は出ません。 やはりここは聖剣士レット様のお力を持って御行動ください」

話していてわかる。

やはりこいつ、まっとうな知識が著しく欠落している。

人間の中にも、聞きかじった知識だけで賢人と思い込んで、実際に物を知っている人間を馬鹿にしてかかる輩が多数いるらしいが。

それと同じだ。

それに気づいていないのなら、この作戦はうまくいく。

こいつには、通用する手札がバルハラントにはない。

だが、エルフ族は違う。

あいつらは手を出してはいけない相手なのだ。

「火を吐く魔物とかはいないのか」

「遙か西の方にいるとは聞きますが、噂以上ではありません。 いるとしても、おそらくは神の下僕であって、とても我らで従えられる相手では……」

「ちっ。 たかが火をつけるのに、俺が出なければならねえのかよ。 くっそ面倒くせえ。 俺の世界にいた頃と同じだな。 どいつもこいつも使えやしねえ」

吐き捨てるレット。

おそらく、それはこいつ自身が一番鏡を見なければならない案件だろうなとバルハラントは思ったが。

ただへりくだって、今は機嫌をとるしかなかった。

 

1、エルフの森を燃やしてみる

 

既に一族の者達が手を回して、転生者が出たことは触れ回っている。そのため、ゴブリンもコボルトも、皆姿を消していた。

転生者は災厄だ。

レットが肩で風を切って歩いている。

その後ろからついて行きながら、一族の者達を牽制する。

今は手出しするな。

「きったね。 なんかの動物のウンコ落ちてる」

「この辺りから森が近くなります。 熊やイノシシも出ますので」

「ったくよお。 だから田舎は嫌いなんだよ。 まあ俺の王国を作るにはちょうどいいけれどな」

「……」

しゅっと、動物の糞が消える。

こういう糞はやがて大地に帰り、そして再び栄養となるのだが。それについてはもうどうでもいい。

今はこのはた迷惑な自称聖剣士とやらが。

さっさと消えることを願うばかりである。

なお、バルハラントからすれば人間なんて男も女も見分けがつかない。

これはレットもオークに対しては同じようで。

バルハラントは大きさだけでどうにかわかるようだが。

今、周囲にバルハラント以外のどのオークがいるかなど、わかってなどいないようだった。

こういったことを補うために、交易の時には特徴的な兜をかぶって出かけたりするのだけれども。

異常な力を得て舞い上がっているレットは、そういうことに気づきもしていない。

「お、あれか。 でっけえ森だな!」

そのでっけえ森が見えてくる。

オークの背丈の八十倍はある巨木が多数生えており、みずみずしい活力に満ちている森。

エルフ族が森に住むのではなく、多くの場合はエルフ族が森を育てる。

森から現れる熊やらイノシシやらは、エルフ族からの恵みと言われている。勿論危険な猛獣なので、殺すのには手間がかかるが。

それでも森から現れた動物を仕留めることは、エルフ族も認めている。

他にも様々な動物が森からは現れる。

鳥などもそうだ。

そういった動物を仕留めて、それで食用にする。それが周囲で生きている者達の日常である。

森は存在するだけで、周囲に生命をもたらし。

周囲で生きている者達の命をつなぐ。

そういう大事なものだ。

「さあて燃やすか」

「お手並み拝見させていただきます。 聖剣士レット様」

「おう、見てろや」

なんかブツブツ言い始めるレット。

よくわからない動作もしている。

少し離れるようにバルハラントは指示。

どうせろくでもないことをしているのはわかりきっているのだ。

直後、凄まじい火球が出現していた。

バルハラントの五十倍くらいの体積はありそうだ。しかも、側で見ているだけで、凄まじい熱も感じる。

「オラア! ふっとべやあ!」

レットが、その火球を森にたたき込む。

伏せろ。

そうバルハラントは叫ぶ。

凄まじい熱と風が吹き付けてくる。

それで飛ばされそうになるが、地面に必死にしがみついて耐える。

これは、奇襲どころじゃないな。

隙だらけなようだったら刺すことも考えていたのだが、こいつは今片手間にこの破壊を引き起こした。

人間が使う攻城兵器よりさらに凄まじいかもしれない。

とてもではないが、勝てる相手ではない。

そして、これで。

エルフ族が状況を認識したはずだ。

ここに来ているオークは、バルハラント含め老齢の者ばかり。

死んでもいいものを募った。

皆、覚悟を決めている。

だから、最悪の事態が来ても、受け入れることが出来るだろう。

「見ろよ、あんなに吹っ飛んだぜ。 ヒャハハハハっ!」

レットが喜んでいる。

顔を上げると、森の一角が確かに消し飛んでいた。

豊かな実りを生み出す木々が無残にえぐれ、折れ、そして一部がちりちりと火を挙げている。

だけれども。

森そのものは巨大で奥深く、とても延焼する気配はない。

とにかく立ち上がり、真っ青になっているオーク達をバルハラントは叱責した。

これからが勝負なのだ。

そして、またへりくだる。とにかく褒め殺す。

「素晴らしい技にございますな」

「賢者として炎の魔法を駆使しただけだ。 はっ、エルフの森だかなんだかしらねえが、このまま何発かぶっ込んでやれば燃え始めるだろ」

「きっとそうでございましょう」

普通、木々はあんなに大きくならない。

エルフの森に生えている木は、どうしてかとてもよく育つが、それも百年二百年とかけてあそこまでのサイズになると聞く。

こいつは面白半分に、そうやって時間をかけて育ち。

多くの生物を育んだ木々を吹き飛ばした。

オークも種などから育てた木を、果実などをとるために育てているから、これがどれだけ罪深いことかはよくわかる。

本当に転生者は災害なんだな。

それがわかったので、ただ青ざめるばかりである。

オーク族も神は信仰している。

それはゴブリン族やコボルト族も同じだ。

神の性質はそれぞれ違うが、基本的に別の種族の神に対してケチをつけないことは基本となっている。

それは殺し合いになるからだ。

人間だけはそれを守らない。

他の種族を鏖殺したり見世物にする。そういうことをするとき、人間の羞恥心はどこを向いているのかよくわからない。

人間同士ですら、別の神を巡って殺し合うとバルハラントは聞いたことがあるが。

こいつのはそれですらない。

自分を神に等しいと信じ込んでいる、本物の異常者だ。

「さーて、どんどん森を焼いてやろうかな。 次いくぞ。 そうだ、お前ら。 エルフ族が逃げ出してきても、それは俺のだからな。 もしも手出したりしたら、ぶっ殺すぞ」

「勿論聖剣士レット様のものに手を出すほど我らは愚かではございません」

「わかってるじゃねえか。 ならいい」

「……」

言動を見ていてわかったが、こいつは異性を都合のいい道具とみているわけだ。

これは転生者全般に共通するらしいのだが。

男の転生者も女の転生者も、基本的に都合がいい異性を求める傾向があり。場合によっては無から生やすそうだ。

はっきり言って永久に自家発電していてほしいものだが。

それを加味すると、奴隷云々というのもわかる。

奴隷には何をしてもいい。

そういう思想なのだろう。

転生者は別の世界から来ているという話がある。

転生者が前にいた世界は、少なくとも楽園でも何でもないだろうなと、バルハラントは思う。

そんな思想が蔓延すると言うことは。

それだけ人心の荒廃が進んでいると言うことだからだ。

まあ、バルハラントには文字通りどうでもいいことだ。

さっさとこの災厄が死ねばそれだけでいい。

それに巻き込まれてもかまわない。

一族さえ無事であればそれでいい。

調子に乗ったレットが、巨大火球の二発目を作り始める。伏せろ。叫んで、バルハラントは伏せる。

レットがケラケラ笑う。

「次はもっとでかいぞ! こんなきたねえ森、まとめて吹っ飛ばして……」

声が止まった。

火球が消し飛んでいる。

そして、レットを、矢が貫いていた。

レットは平然と立ち尽くしている。

恐る恐る立ち上がるオーク達に、待てと合図を送る。転生者は者によっては何をやっても死なないと聞いている。

まだ油断するのは早い。

レットが平然と、矢を胸から引き抜いた。

やはりだめか。

この程度では、とても殺すことは出来ないようだった。

ただし、今ので火球を消し飛ばしたのだ。

エルフ族の恐ろしさがよくわかる。やはり、作戦はこれで良かった。こいつを人間にけしかけでもしたら。

それこそとんでもない規模の災害が起きていただろうから。

「いってえなあ……俺が気持ちよく無双するところだっただろうが。 空気読めやクソが」

「ご無事でございますか聖剣士レット様」

「無事に決まってんだろ。 それにしても何だ今の矢。 俺のスキルには絶対防御もあるはずなんだけどなあ。 あの転生神の野郎、いい加減ほざきやがったか?」

「よくわかりませんが、同じ手はもう通じないのではありませんか」

ここでの攻撃は無駄だ。

そう誘導してやる。

基本的にエルフ族は森の外には出てこない。

たまに変わり者が出てくることはあるらしいが、それも人間に興味を持つとかではないらしい。

エルフ族が考えていることは、全くわからない。

これについては、人間達もそう口をそろえているらしかった。

「森を燃やすの面白そうだからやってみたかったんだけどな。 それで焼け出された森に残されたエルフの幼女を俺好みに調教したりしてよ。 色々やらせてみたかったんだけどなあ」

ゲス丸出しの発言をするレットだが。

そのいらだちが募っているのがわかる。

はっきり言って論外の言動にしか思えないが。こいつにとっては、これがごく当たり前の、かなえられて当然の欲求なのだろう。

他の転生者も似たようなものだと聞く。

既に生還をバルハラントは諦めている。だから、とにかく今は、こいつをエルフ族に直に誘導するしかない。

「燃やすことは不可能でしょうし、その大きな火球も出す前に止められてしまうと思います。 これは直に足をお運びくださるしかないかと」

「きたねえ森の中にはいんのかよ。 さっきみたいにウンコ山ほどおちてるんじゃねえのか? 虫とかもいっぱいいるだろ」

「それはそうでございましょうが、そうしないとエルフ族と会うことは不可能であるかと思います

「ちっ。 虫もウンコもきたねえ動物も、全部ぶち殺し焼き尽くしながら進むか。 はーめんど。 転生させるんなら、何もかも周囲にそろえてからやれよなあのポンコツ神はよ……。 他の転生者はどうせ最初っからハーレム作って、国も全て好きなようにしているのがわかりきってるんだよ。 何で俺だけそもそも手下から作らなければならないのか。 俺、マジで不幸だわ」

身勝手な寝言をほざきまくっているが。

もうこいつの寝言はどうでもいい。

とにかく聞き流し、皆を促す。

ただ、覚悟を決めろと視線を送っておく。

エルフ族の森に入ると言うことは、いつさっきの矢が飛んできてもおかしくないということだ。

森を育てるくらいエルフ族は力がある。

こいつの寝言みたいに、森を燃やして簡単に焼き出すとか、そんな程度のことが出来る相手ではない。

木を育てるのですら専門的な知識と根気が必要なのだ。

これだけの巨大な森を作り上げる相手に喧嘩を売った。

それがどういうことであるか、レットは理解できていない。

バルハラントは理解できている。

だから、森に入った瞬間射貫かれてもそれは運命だろうと諦めていた。

森に入り込む。

入り口付近から、既にびりびりといやな気配がする。猛獣に囲まれているような気配である。

レットは恐れている様子がないが。

あれはただ、本当に恐ろしいものを見たことがないだけだとバルハラントは看破していた。

転生者は神によって姿を見せるようだが。

もしそれが本当だとすると、こいつをこの世界に送り込んできたのは明確な邪神だろう。

だとすれば、なおさらエルフ族は相性がいいはずだ。

無言で森の中を歩く。

はぐれないように、オーク達に号令を飛ばす。

大きめのムカデが出たが、即座にレットが粉々に切り裂いて、ついでに焼いてしまった。ばらばらと焦げたムカデが散る。

「くっせえし汚ねえ。 エルフを何匹か捕まえたら、まずは洗うところから始めないといけないだろうなコレは。 そうしねえと」

おぞましい卑猥な言葉を平然と並べ立てるレット。延々と楽しそうに妄想を口から垂れ流している。

反吐が出る。

羞恥心も持ち合わせていないらしい。

連れてきているオーク達も不快感で渋面を作っているが、とにかくレットには向けるな。そう視線を送っておく。

「森の中で歩き回ると迷子になるんじゃねえのかそういえばよ」

「はい、そうですね」

「だったらやっぱり目印作っておくか」

ズバンと、凄まじい音がして。

側の木が両断された。

オークからしても十抱えはある巨木が、一瞬で殺された。

思わず言葉を失う。そのままレットは、大笑いしながら次々に木を切り倒していく。

森を燃やすと抜かしていた奴だ。

こうやって斬られた木々が、どれだけ他の生物たちのためになっていたのかなど理解できないし、する気もないだろう。

とにかく、巻き込まれないように皆に指示。

必死に次々切り倒される哀れな巨木に気をつける。

本当に災害だ。

レットが笑いながら何かするたびに、木が切られていく。剣を持っているようには見えない。

というか、剣ではこんなことは出来ない。

「おらおらエルフさんよ、だっせえお前らの森がどんどんなくなっていくぞ! 苦労してこの汚くてくっせえ森を作ったんだろ! さっさと出てこいや。 この聖剣士レット様がかわいがってや……」

言葉が途切れる。

そして、レットが倒れる。

仰向けに倒れたレットの全身に、多数の矢が突き刺さっていた。矢の鏃がとんでもなく大きい。

それだけじゃない。

右腕は狙撃で引きちぎれている。オーク族の使う大弓でもこんな威力は出ない。

レットは口を貫かれて、鏃は後頭部に抜けたようだった。

黙り込んでいる皆に、バルハラントはしっと注意を促す。

案の定である。

レットの全身から矢が自動で引き抜かれていく。ちぎれた右腕がつながっていく。傷も修復していく。

災厄。

完全に化け物だ。

この程度で死ぬ相手ではない。

それが一目でわからされる。

やがて起き上がったレットは、衣服だか鎧だかわからないものまで完全に修復されていた。

「ふざけやがって、 俺が優しくかわいがってやろうとしたら、図に乗りやがって……!」

「無礼な相手でございますね聖剣士レット様」

「何なんだよ! 全部親切でやってやってることだろうが! きったねえ森に引きこもってるアホどもを、俺が躾けてやろうって言ってるんだよォ! その程度のこともわからねえで、何が長命種だ! もう頭にきた。 見栄えがいい二〜三匹だけ残して、後は全部ミンチにしてやる!」

馬鹿げた寝言である。

バルハラントは、今の狙撃で自分が狙われていたら即死だったなと思いながら、レットをなだめる。

とにかくこいつを一秒でも早くエルフにぶつけなければならない。

こいつを解き放ったら、伝承にある他の転生者のような、とんでもない災害を引き起こすだろう。

転生者の中には、癇癪から世界の何割かを焼き払ったような奴まで存在しているという話である。

こいつはそれと同類。

しかも今までの言動を見る限り、自分の行為を全て正当化している。

つまり正義の名の下にやりかねないのだ。

ただ、はっきりわかったこともある。

こいつはそもそも戦闘経験がないし、油断しているとはいえ。

こいつが自慢にしている防御を、エルフ族は簡単に貫通した。

それも二度。

一度目は完全に油断していたとみていいが、二度目の今度はそうかはわからない。それで完全に通っている。

ということは、やはりエルフ族のところに連れて行くのが正解。

勿論それでバルハラントが殺されるかもしれないが。

一族を守れるのなら本望。

それに、バルハラント達だけの被害で、周囲のゴブリン族やコボルト族を守れるのなら安い。

癪だが人間だってそれで守れるかもしれない。

この手の転生者は、人間を洗脳して自分に都合がいい肉人形へ変えるのも得意としているという。

顔などの姿形まで自分好みに弄くって(もっともバルハラントはオークなので、どう人間の顔を弄くったのかなんて全く見分けがつかないが)、それで侍らせて満悦するという話だ。

そんなのは尊厳に対する最悪の陵辱であり。

それは如何に恨み重なる人間が相手でも、看過できることではなかった。

半分あきれながら、しかしながら勝利を少しずつ確信していくバルハラントの前で、何やらずっと意味不明のことをわめき散らしていたレットだが。

やがて、さらにでかい魔法を用意し始めた。

文字通り、森ごと吹き飛ばすつもりか。

皆に下がるよう指示。

あれは、バルハラント達を平然と巻き込むつもりだろう。

弟子がどうとか言っていた癖に。

ちょっと前に自分で言ったことすら覚えていないらしい。

「あったま来た! これで焼き尽くしてやらぁ!」

それこそ、小山ほどもある火球が放たれる。

なんとか魔法なになにとか叫んでいたが。

魔法を使うのに詠唱とかいうのは必要らしいが、魔法の名前なんて叫ぶ必要なんぞないはず。

だとすると、それが格好いいと思っているのだろう。

とことん此奴の美学はわからないな。

そう思いつつ、飛び退きながら、地面に伏せる。

わめき散らしながらレットが、火球が森を焼いていくのを笑いながら見ていたが。その火が、瞬時にかき消えていた。

そして、レットの首から上が、吹っ飛んでいた。

大量の鮮血をばらまきながら、レットの体が前のめりにどうと倒れる。やったといおうとした部下を、しっと言って黙らせる。

やったかとかいう言葉が不吉であることは、オーク族の間でも伝わっている。

この世界には様々な転生者が来て、散々に蹂躙していった歴史がある。

そういった歴史の中で、いろいろな伝承が伝わったのだ。

レットが案の定、首なしでも立ち上がる。

首の切れ口から、肉が盛り上がり。

それがやがて頭になり。

すぐに元に戻っていった。

「大丈夫でございますか、聖剣士レット様」

「問題ねえ! 畜生、返す返すふざけやがって! どんな手品を使っていやがる! 今のは一億℃の炎だぞ!」

「一億……℃?」

熱の単位だと、レットは吐き捨てる。

よくわからないが、億というのは万の上の単位だ。これでも交易はするから、数字は知識がある。

かなり大きな数字のはずだが。

転生者は温度にその単位を利用しているらしい。それだけはわかった。

「こうなったら直にぶん殴ってやる!」

「それがよろしゅうございましょう」

「わかってるじゃねえか。 どんな手品使ったかしらねえが、俺は剣聖のスキルと最強の見えない剣を持っているんだ! 魔法しか使えないエルフなんか、接近戦に持ち込めばカモでしかねえんだよ!」

確か此奴大賢者がどうこうとか言っていなかったか。

大賢者とやらがなんだかは知らないが。

魔法を使う職業だとか称号だとかだとすると。

それはつまり、姿も見えない相手から一方的に攻撃を受けて、一方的に負けているのだ。しかも今までで三度。

これで多少知恵が回るなら、相手が悪いと判断して撤退すると思うのだが。

それができないという時点で、此奴は自分がもらった(自力で手に入れたものだったら、もっと使いこなせているはずだが。 最初にバルハラントの前に来たときもそうだったが、明らかにそうではなかった)能力を明らかに持て余しているし、限界も理解できていないとみていい。

要は力だけ強いアホだ。

それにも勝てない非力な自分達が悲しくもなるが。

ともかく今は、なだめておだてて。

一秒でも早く、この災厄の化身を始末することを考えなければならない。

他の者達は、顔を青ざめさせている。

今更ながら、これから死ぬんだと理解したのだろう。

わかりきっている癖に。

それでもオーク族の戦士か。

様々な種族で連携して、強力な獣を撃ち取るとき。難癖をつけてきた人間の破落戸を撃退するとき。

連合となって、それで戦士として最前衛にたつのがオークだ。

だからそれを加味して、様々な種族はオーク族に対して、ある程度交易でも便宜を図ってくれる。

暴力ですべてを支配していては台無しになる。だからオーク族も、それに戦働きで返す。

それくらいのことは、皆わかっているはずなのに。

ため息が出るのは、仕方がないことだった。

「おい、バルハなんとか」

「バルハラントにございます」

「なんか磁石がうまく動かねえんだけど」

「この森では磁石は働きません」

磁石なんてオーク族でも使っているし、こういう場所では働かないことがあることも知っている。

舌打ちして、なんだか丸いものを地面にたたきつけて、何度も踏みつけるレット。

癇癪を起こす様子は、まんま図体がでかいだけの幼児だった。

 

2、森の奥は死地

 

トラップだ。

こういうのは知っている。だから、必死に皆散開して逃げる。思い切り引っかかったレットは、顔面を丸太に砕かれて。

更に落とし穴に落ちていた。

肉が貫かれるいやな音。

おそらく、埋められていた槍とか鋭くとがらせた木の枝とかに串刺しにされたのだろう。

皆も慣れてきた。

だから、レットが死んだかどうかとか、確認はしない。

案の定、落とし穴が凄まじい炎に包まれて。

それで、無傷のレットが這い出してくる。

「舐めやがって、舐めやがって! エロ同人でオークに犯されるのが定番のクソ雑魚種族の分際でよ!」

「えろどうじんとは何でしょうか」

「黙ってろ脳タリン!」

わめき散らすレット。

バルハラントは黙る。

今、此奴を刺激するわけにはいかない。

転生者はどうしてかオーク族やゴブリン族、エルフ族のことは知っている。それは理解していたのだが。

今の発言を聞く限り、やはりそれらに対する知識は偏っている。

それでいい。

正しい知識を得られないまま、戦闘に赴けば。

どれだけ図体がでかい奴でもひとたまりもない。

大きな熊を何回も倒したことがあるバルハラントだが。

熊と真正面からやりあうつもりはないし、単騎で勝てるとも思っていない。

あれは人数をそろえ、槍などの武器や毒矢をそろえ、ゴブリン族やコボルト族、場合によっては人間から買った猟犬も用い。

それで少しずつ追い詰め、足跡などを使った狡猾な罠などにも気をつけながら倒していく相手だ。

熊ですらそれである。

エルフ族なんて、オーク族で倒せる相手ではない。

どこから得た知識か知らないが、今レットが口にしていたえろなんとかという書物は、レットが幼い頃にでも読んでいた学術書か何かだろうか。

だとするとそれを書いた奴はアホだ。

そんなものを読んでいたから、此奴はアホになったのだろう。

それだけは同情する。

だが、それ以外は、一つ足りとて同情できないが。

更に言うと、レットは気づいていない。

今まで罠に引っかかったのはレットだけだ。

これはつまり、レットがまともな森の中の歩き方や、罠への警戒の仕方も知らないということだ。

実戦に対する知識もないし。

恐らくはこういった罠の恐ろしさもわかっていない。

もう、バルハラントにも見えてきている。

エルフ族はレットの存在にとっくに気づいていて。

何ができるか、手札を一枚ずつ暴いている。

「なんか木の枝の上にいたぞ!」

「猿にございます」

「いや、その割には大きかった!」

「猿の中には、人間より大きくなるものもおります。 オーク族の先祖になったと言われる赤猩々は、素手限定なら人間などたやすく引き裂いてしまうほどで」

それを聞いて、舌打ちするレット。

いくぞと、大股で歩く。

蛇を見て、有無を言わさず焼き殺す。

虫がいたら、雷を放って全部まとめて殺す。

歩くたびに死体が増えていく。

本当に気にくわない相手は殺すことしか考えていないんだな。それらも、見ていて理解できる。

「だからいやなんだよ。 蛇とか虫とか、下等生物に存在する何の意味があるんだよ」

「いずれも頂点捕食者を支えるために必要な存在にございます。 生物は小さなものをより大きなものが食べていきますが、それは極めて微細なバランスで成り立っている難しいものです。 最初にある栄養を細かい生物が分解して栄養にし、それを少しずつ集めて大きな生物に行き渡りますが。 干ばつなどが起きると、大きな生物から倒れていく。 それは、そういった生物の命の流れが、うまくいかないからにございます」

「うぜえ! そんな理屈はどうでもいいんだよ! 俺がきめえと思ったら、全部死ねばいい! 俺が聖剣士で、世界のルールだ! 俺がいらねえと思った生物は、全部いらねえんだよ!」

「左様にございますか」

此奴、気づけていない。

先ほどから聖剣士レット様と呼ばなくなっていることに。

此奴のどこが聖なのかとは、最初から思っていたが。どんどんそんな敬称を使うに値しない相手であることはわかってきているし。

何よりも、気づいていないのならそれでいい。

こんな奴を様付けするだけでも反吐が出る。

此奴と心中することになるのも癪だが。

すべては一族の皆を守るためだ。

 

また罠に引っかかった。

左右から飛び出してきた槍に、全身をズタズタに貫かれるレット。それどころか、今度は岩も転がってきた。

左右に跳べ。

叫んで、バルハラントも横っ飛び。

大岩はレットを挽きつぶしながら転がっていく。

森の中の起伏を、完璧にエルフ族は把握している。

こういう罠は、事前に作られていたものだ。そして何よりも、見ていて理解できるのだが。

対転生者対策だ。

他の存在なんかは、それこそうるさいようなら最初に森に入った時点で得意の射撃で貫いてしまうのだろう。

それができるだけの能力がエルフにはある。

此奴が提案していた火攻めなんて、おそらく乾期でも通用しない。

転生者の防御を簡単に貫通してくるのである。

いきなり大雨を降らせて乾期にあるまじき天候にするくらい、エルフ族ならやりかねないし。

何よりそれ以上の強烈な魔法で。

火なんか一瞬で消し飛ばしてもおかしくはなかった。

潰れたレットは、原型がないくらいの無残な姿になっていたが。

やがて肉が寄り集まり、すぐに人の形に戻っていく。

全裸だったが、別に筋肉がついているわけでもなんでもない。

スキルだとかステータスだとか言っていたが。

それら頼りの強さなのだと、一目でわかる。

やがて鎧やら衣服やらも回復する。

しばらく意味もなさない言葉をがなり立てていたので、近づかないように皆に促す。それで、地団駄踏んでいるレットに、しばししてから歩み寄った。

「無事にございましたか」

「この程度で死ぬかよ! おまえら、何してやがった!」

「我らのような非力な存在は、逃げ惑うだけで精一杯にございます」

「はっ、まあそうだよな。 おまえらなんぞ、俺たちの経験値になるだけの存在でしかねえもんな! エロ同人での竿役くらいしかてめえらには存在意義もねえしな!」

なんか馬鹿にされているようだが。

そもそも知らない単語だらけなので、どう馬鹿にされているのかさえわからない。だから痛くも痒くもない。

ただ恐縮してみせる。

そうすると、機嫌がよくなったレットは、いくぞとわめき散らした。

ちなみに歴戦を経た戦士のような威圧はまるでない。

破落戸のような相手を威嚇する技術を持っているわけでもない。

ただ癇癪を起こしているだけだと一発でわかる。

森の中を当てもなく歩き回り始めて、すでに一日。

オーク族は体内に厚めに脂肪を蓄えているため、二三日は食べなくても平気だ。

それはそれとして、レットは今までに十四回罠に引っかかり、そのたびに周囲に癇癪をぶつけている。

生物はどれもこれも見かけ次第殺しながら進んで。

邪魔な木も茂みも、まるごと切り裂いて焼き払っている。

そんなレットに時々攻撃が飛んでくる。

そのいずれも、レットは回避することなどかなわなかった。いずれもすべて直撃し、そのたびに再生していた。

学習能力に著しく欠ける。

それは見ていてわかる。

オーク族でも、図体がでかいだけでは族長になれない。

だから、失敗を若い頃からさせる。

そうして学習させる。

痛い思いをして、それでやっと学べる者も少なくない。バルハラントも、若い頃はそうだった。

だから左手の指はいくつか欠損しているし。

腹にも胸にも一生ものの傷がついている。

甘やかすとだめになる。

特に酒と女を与え続けておくと、あっという間に駄目になる。

厳しくしすぎても駄目になるが。

若い頃から快楽漬けにすると、それだけでどんな種族もあっという間に堕落する。

それは伝わっていることで。

バルハラントも身にしみて知っていることだ。

こういった面倒な伝承にはなんの根拠もないことも多いのだが。

少なくともこれに関しては事実だ。

レットの学習能力のなさ加減を見ていると、それはよくわかる。

見ていてなんとなくわかってきたが。

エルフ族は、すでにレットの力を看破したとみていい。

確実に仕留めるために、どんどん誘導している。

怒らせればそれでいい。

ただでさえ何度罠に引っかかっても、おかしいと思わないような奴だ。

その様子をエルフ族が見ていれば。

ただのカモだとしか認識しないだろう。

森をめちゃくちゃにしながら進んでいることもあって、でたらめに動いていても、森の中をぐるぐる行ったり来たりだけはしていない。

一応バルハラントは森の木々を覚えているので、オークだけで逃げることは不可能ではないのだが。

今レットを確実に仕留めないと。

最悪生き残った此奴が、一族のところに復讐に来る。

それだけは許されなかった。

バルハラントは此奴が死ぬところを見届けなければならない。

「なんだよ、こんだけ歩いてもまだエルフの村に着かないのかよ!」

「エルフ族の村は、森の深奥にございます。 森を育てるため、それが都合がいいためにございます」

「こんなくっせえ森の一番奥に引きこもってやがるのか! まずは風呂にぶち込んで洗うところからだな!」

「そうでございますな」

とにかく思い出したかのように話しかけてくるので、そのたびに愛想を作る。

愛想くらいは作れる。

これでもかなり分が悪い駆け引きとかはしてきている。

そういう相手には、相手がコボルト族だろうがゴブリン族だろうが、愛想は作らなければならない。

殺すことなんて簡単な相手はいる。

だが、殺してはすべて元も子もなくなるのだ。

人間が奴隷だのに同じ人間をしていたり、玩具動物としてコボルト族の女子供をもてあそぶ話は聞いたことがあるが。

そんなのと一緒にされては困る。

「まったく、いつまで歩かせるんだよ! エルフの連中は、どうやって森から出るんだよ!」

「我々も姿は知っていますが、それだけです。 まず表に出てきませんので」

「そうかよ」

「……」

レットもさすがに疲れてきたようだな。

殺気がこもった目で部下が視線を送ってくるが、首を横に振る。

多少疲れた程度で、此奴は手に負える相手ではない。

今までも四肢十指を粉みじんにされても生き返ってきている。普通に殺したところで死なないのだ。

今まで、この手の転生者は世界に様々な災厄をもたらした。

人間の集落に現れた場合、異性を全部独占することもあったらしく。散々快楽を満たしたあと、寝ているところを刺されたこともあったようだが。

首を落とされようと心臓を突かれようと。

その程度で殺すことはできなかったという伝承すらある。

レットの様子を見ていると、それは誇張された伝承ではなかったのだとわかる。

現実だったのだ。

だから、今は待つしかない。

程なくして、小高い丘みたいなのに出た。

これは危ないな。

丘を上がりきった瞬間に仕掛けてくる可能性が高そうだ。

レットは疲れてきているが。

いや、それ以上に飽きてきている。

帰ろうかとか言い出されたら厄介だ。

さて、どうやってエルフ族のところに誘導するか。

そう思案していた瞬間、レットの首が吹っ飛ばされていた。

罠ではないな。狙撃だ。

即座に丘に張り付いて、身を低くする。

これはひょっとすると、冗談抜きに本当にかなりエルフ族の集落が近いのかもしれない。だとすると、幼児をあやすように宥めるのもそろそろ終わりか。

皆に目配せをしておく。

レットは今回は再生に手間取っているようだが。

それでも首なしで動き回っている。

もう完全に人間じゃないな。

いろいろな伝承に出てくる化け物を集めたような存在だ。

生物ですらない。

強いていうなら、邪神の下僕達が近いだろう。

これも古い伝承にしか出てこないが、生物としてのあらゆる法則が通じない化け物の群れ。

これらに対してだけは、人間を中心に、あらゆる種族が結束して立ち向かったという話だが。

レットは気づけていないのだろう。

聖剣士などと名乗るほどだ。

自分がどちらかと言えば邪神の下僕に近いことは、理解できていなくても不思議ではない。

「畜生! ステータスはカンストしてるんだぞ! どんな卑劣な手段で俺の防御を抜いてきているんだ! 防御力だってカンストしてる! 畜生! 畜生っ!」

そうわめくレットは、自分の首を抱えてうろうろと歩き回っている。

それで、やっと首を頭に乗せた。

やはりな。

回復が遅くなってきている。

邪神の下僕達も、倒されると少しずつ力が弱っていったという伝承がある。共通点が多い。

「俺の右手の人差し指がねえ!」

「これにございますか」

「ああん? ああ、これだ! やるじゃねえか!」

「恐縮にございます」

多少手助けして、それで警戒を解けるなら安いものだ。

そのまま、指をくっつけて回復させるレット。皆、そろそろ此奴の底が見えてきているようだが。

視線を送っておく。

油断するのはまだ早い。

絶対に勝ったことが確定するまでは、とにかく腰を低くしろ。それがどれだけ屈辱的であってもだ。

ともかく、丘の上に上がる。

どうやら当たりらしい。

「どうやらそろそろのようですな」

「ほう?」

「あの辺りは、明らかに普通の森と状態が違っておりまする。 人か、それに近い存在の手が入っておりますな。 エルフ族は森と暮らす種族ではありますが、森と一体化しているわけではございません。 生活のために、森の一部を自分たちの都合がいいように変えているとみていいでしょう」

「はっ、とんでもねえ偽善者どもだ。 どうせヴィーガンだったりするんだろ」

なんだそれは。

小首をかしげていると、植物しか食わない奴だとありがたくも教えてくださる。

恐縮しながら素晴らしい知識(棒読み)を教えていただいたことを感謝するが。

そうか。此奴の世界にはそんな馬鹿なことをしている奴がいるのか。

草食動物と言われる生物も、実は草だけ食べて生きている訳ではない。

草についている虫なども一緒に食べているし、栄養が偏ってくると普通に肉を食べることもある。

馬などが良い例だ。

たまに人間が人食い馬がどうのこうのと騒いでいるのを聞くが、馬鹿馬鹿しい話である。

栄養が不足すると馬の仲間はロバなどが特にそうなのだが、普通に肉を食う。それが人肉のこともある。

それを見て、人食い馬の伝承ができたのだろう。

逆に、普段は肉しか食わない動物も。

草食獣のはらわたをさいて、中にある未消化の草などを食ったりする。

これも栄養の不足を補うための行動である。

仮にレットの世界でヴィーガンとやらがいて、それが植物だけしか食べないのだとすれば。

おそらく体を壊すし。

人間なのだとしたら、長くは生きられないだろう。

そんな程度のこと、無学なバルハラントでも知っている。

ましてやエルフ族みたいな、それぞれが知識の塊だと伝承があるような種族が。そのような愚行に手を染めるとは考えにくい。

相手を舐めすぎだろう。

だが、それでいい。

レットは相手を際限なく舐めていればいい。

その方が、楽に負ける。

「いずれにしてももうすぐ先だ。 やる気も出てきた! 今までのこと、全部百倍にして返してやる!」

「その意気にございます」

「いくぞおまえら! 偽善者死すべし! 俺に続け!」

何か剣らしいのを構えると(半透明なのでよく見えない。 おそらく力が弱まって、見えるようになってきたのだろう)、レットは走り出す。

慣れない森の中で走る上に、力が有り余っているから、木の根やら地面やらを蹴り飛ばし、吹っ飛ばし、それで無様に駆け下りていく。

まあ、どうでもいい。

そもそもレットがスキルだのステータスだの頼りで、本人の能力は素人以下なのは今までもわかった。

頭の方もよいとは言いがたい。

学習しないし、相手を侮り続けているし、何より見透かされるくらい思考が単純だ。

ならば負けるまで、それを煽ればいい。

目配せ。

一定距離を保ってついて行く。

レットに不審がられるとまずい。

エルフ族に殺されるにしても、最終的にはバルハラントだけ残虐に殺されるように、どうにか懇願してみるつもりだ。

事情を説明すれば、バルハラントだけ、想像を絶するくらいの悲惨な殺され方をするだけで済むかもしれない。

走る。

明らかに、空気が変わった。

しんと音が消え。

辺りには、多数の熊が見張っているかのような、強烈な殺気が満ちた。

ああ、死ぬんだな。

それはわかっている。

足がすくみかけている者達に叱咤。

走れ。

そう叫んで、レットを追う。

無様に剣を振り回しながら、先に走って進んでいくレット。なんか火球を出して、それを前方にたたきつけようとする。

その火球が、かき消えていた。

まあ、おかしなことじゃない。

それだけじゃない。手にしている半透明の剣も、どんどん透明なのが薄れてきている。明確に力が弱まっているんだ。

ぜいぜいと肩で息をついている。明らかに速度が落ちてきているレット。

おいついた。

視線を多数感じる。

凄まじい殺気だ。

レットはそれにも気づけていない。さぞや安全な場所で暮らし続けていたのだろう。

転生者はどれもこれも、恐ろしく安全な土地から来たらしいという話もある。

此奴も例外ではなかった、ということだ。

「な、なんだ。 急に、つ、疲れて、来やがった! 体力自動回復のスキルだって転生特典にあったはずだ! な、なんで疲れるんだよ!」

「大丈夫にございますか」

「くそっ! インベントリだインベントリ! 力を回復するポーションを9999個用意させてる! くそっ、クソクソっ!」

わめきながら、レットは虚空を何度かえぐる。

どうしてか、前のように都合よく道具が出てくることはなかった。

「エリクサーはどうしたんだよ! インベントリ! アイテムボックス!」

「そんなものはここでは使えない。 というよりも、お前はもう何もできない」

おぞましいほどの殺気。

地面に、バルハラントは強引に跪かされていた。

歩いてくるのは、小柄な姿だ。

エルフ族は細い体に、それなりに長い耳を持っていると聞いたことがある。

跪いて必死に顔を上げると、そこにいたのは小柄な人間くらいの背丈の奴だ。

多分、エルフ族だろう。

身にまとっているのは、あんまり人間と変わらない服。レットが着ている滑稽な鎧よりもずっと簡素だ。

手には杖とかは持っていない。

魔法媒体として有名らしいのだが。

体の凹凸からして、成人しているのかどうかもちょっとわからない。いずれにしても、レットが言っていたようなえろなんとかとかいう書物では、オーク族がこのような姿の相手に欲情するとされていたのか。

大嘘しか書いていないな。

あきれかえってしまう。

それはそれとして、ちょっとまずい。今まで倒した一番巨大な熊が、子ネズミに思えるほどの凄まじい威圧感だ。

だらだらと冷や汗が出る。

わめきながら飛びかかろうとするレットだが、ふっとエルフが息を吹きかけるだけ。

それで鎧も最強らしい剣も全部粉々に砕け、全裸同然の姿で這いつくばるしかなかった。

「お前の力はお前が転生神と呼んでいる存在由来のものだ。 生憎だが我々はそもそもとしてお前のような輩を引きつけて、駆除するために世界に作られた存在でな」

「な、なんだよそれ」

「転生特典だとかなんだとか言われて力を渡されたのだろう。 それも言うままにあらゆる力をくれたのだろう。 残念だったな。 それらはそもそもその自称転生神が遊ぶために与えた力だ。 この世界に嫌がらせをするのが一つ。 もう一つはお前みたいな屑が、力を得たときどんな風に滑稽に踊るかを、見て楽しむ。 それだけのためにな」

エルフ族は他にもたくさんいるらしいが。

この小柄な奴は、簡素な足履きで地面を蹴って。それだけでも、皆が首をすくめていた。

「オーク族の者達よ」

「は、ははっ!」

「この愚か者を連れてきたのは、我々なら対処できることを知っていたからか」

「は。 その通りにございます。 この者、力を振るうことになんらためらいなく、何をしても正しいと思い込み、傷つけることに躊躇なく、踏みにじることを喜ぶ手合いでありました。 我らの間でも転生者の伝承は伝わっており、中には世界を焼き尽くした輩の話も」

頷くエルフ族。それで多少、威圧が収まったように思う。

事情を理解していないレットだけが、ぽかんとして様子を見守っていた。ただ、身動きできる様子もなく、すでに化けの皮はすべて剥がされていたが。

「儂はナーフェkalshdfhaddfhquefhlfuhfゲルルト。 まあ聞き取れない音声もあるだろうから、ナーフェと呼ぶが良い」

「ははっ、ナーフェ様。 私は赤牙族のバルハラント。 この者をここに連れ込むために、森を傷つけること甚だしく、その罪万死に値いたします。 私はどれだけの罰を受けてもかまいません。 しかし、このものを誘導するために疑いを持たせぬよう、同行させた一族の者達は、是非斬首程度の罰でお許しいただきたく」

「立派な覚悟だ。 案ずるではない。 すべてはこの者と、この者を使って遊んだ邪神……ソク=ウロナによる災厄だ。 そなた達には、軽く真実を教えておこう。 それでオーク族に語り継げ。 それを誓うのであれば、無事に皆返してやろう」

「ははっ! 末代まで語り継ぎまする!」

それで、ようやく悟ったらしい。

レットが、わめき散らした。

「て、てめえっ! 裏切りやがったな! くっせえデブを弟子にまでしてやった恩を忘れやがったな! 所詮はオークかよ、このゲスが!」

「黙れ。 勝手に弟子とか言っていたが、貴様に教わったことなど一つもない。 ああ、ヴィーガンとかいう者が貴様の世界にいることだけは教わったな。 そのことだけは礼を言っておこう。 そういう愚か者が転生者の世界にいることは知ることができた」

「くそっ! ぶっ殺し……」

べしゃりと、半裸のレットが地面にたたきつけられる。

気絶したらしい。

勿論ナーフェは手も動かしていない。

これはほとんど神の御技だ。

桶が浮いてきて、水をレットにぶっかける。

オーク達が唖然と様子を見ていた。レットの醜態は、今まで見てきている。だから、その正体が現れても別に驚くことはない。

だが、エルフ族の実力は想像を遙かに超えていた。それが恐ろしいのだ。

「では軽く話してやろう。 この世界のことをな」

ナーフェが言う。

それは、少し長い話だった。

 

3、そもそもが伝承の彼方

 

そもそもの昔、この世界には古き神々がいた。

その神々はウセツ=ショットネと言われる集団であったという。それらの神々は多数の派閥に分かれ、興亡を繰り返していたが。

その中に、やがて邪神が生じた。

その邪神達の一柱が、ソク=ウロナだった。

ウロナという神々の集団そのものは決して邪悪なものばかりではなかったのだが、ソクだけは違った。

このものは自分の全てが正しいと考え、自分だけの思想で世界の全てが覆われるべきだと考えた。

神々は団結して、ソクと戦った。

やがてソクは神々に破れた。

「そのような恐ろしい神が存在しているのですね」

「人間の中にはまだこれを信仰する集団がいるそうだ。 ただ、ソクが記した規約を絶対に守り、それから少しでも外れたら攻撃するし、理解もできないという進歩も何もかも投げ捨てた集団だそうだがな」

「そんなことをしていて何が楽しいんだろう……」

連れてきた一人が言うが、まあバルハラントにもわからない。

ナーフェはそのまま説明してくれる。

「ソクは神々に破れた後は、この世界を全て支配するのを諦めた。 だがソクは力が極めて強大だったため、他の世界にも干渉することができた。 ソクは思いついたのだ。 自分の力を与えた者をこの世界に呼び込んで、めちゃくちゃにさせて楽しもうとな。 古くには独善的ではあったが、それなりに考えもしていたらしいソクも、すでに今では自分のみを正義と考える外法の神と落ちていた。 そうして、転生者が現れ始めたのだ」

「なんと……」

「転生者の前に、ソクは転生者達の知っている神の姿で現れた。 あるときは老人であったり、女であったり、子供であったり。 夢魔という存在がいるが、相手にとって都合が良い姿で夢の中に現れ、精気を吸い取る邪悪なものだ。 ソクの眷属には夢魔がいる。 それくらいはたやすかったのだろう。 ソクはそうして、自分と同じ。 テンプレと言われる、決まり事しか理解できない者達を世界から勧誘して、善行の見返りだと言って望むままの力……実際は虚構だが。 それを与え。 そうして気にくわない神々が作った世界を、荒らさせたのだ」

「そんなことのために……」

全身に激痛が走っているらしく、痛い痛いとわめいているレットを見やる。

見ると体がむくんできている。

無駄な肉だらけだ。

オークの体は、飢餓に耐えるために脂肪を蓄える。此奴のは違う。おそらく、これが本来のレットの姿なのだろう。

「転生者は世界をめちゃくちゃにした。 ある者は自分が信じる「民主主義」なる思想を無理矢理信じさせ、それを信じようとしない者を皆殺しにした。 ある者は性欲の赴くままに異性をかき集め、ハーレムなるものを作り、異性をむさぼり尽くした。 ある者は戦いたいというだけで、あちこちで殺戮を繰り返し、自分が悪と設定した存在をひたすら殺して回った。 それらの中には、確かに伝承にあるように、世界の何割かを焼き払った輩もいた」

「神々は何をしていたのですか!」

「神々は世界に不干渉を決めていた。 だから、ソクの人間を連れてきて悪事を働かせるというやり方に対処が後手に回った。 だが、神々も無能ではない。 大きな被害を出しながら転生者を捕獲して調べた結果、いくつかわかってきたことがあったのだ」

「そ、それは」

ふっとナーフェは笑う。

レットはいたいいたいと呻いているが、それはどうでもいい。

バルハラントも、此奴にはもはや怒りを通り越して、呆れしかないし。

むしろ犠牲者なのではないかと思い始めていた。

「転生者に選ばれた存在は、自分を善人と信じ込んでいる者。 そしてそうでありながら、思考的に抑制が利かない者。 欲望や自分が正義と信じることのために何でもできること。 そして、何よりも、考えが違う他人の思考を理解しなくてもいいと考えている者」

「……身勝手な話でありますな」

「そうだな。 だが転生者がいた地球という世界では、それは別に珍しいことではなかったらしい。 転生者に選ばれる人間は、基本的に同一の性質を持つ娯楽を好んだ。 それがこのものが言うテンプレという奴だ。 特定の用語が当たり前のように通用して、それがあることが前提になっている世界。 彼らが所属していた集団……コミュニティというそうだが。 コミュニティでは、それが共通言語として作用していた。 逆に言うと、彼らはそのコミュニティ内部での常識しか理解できなかったし、理解したくもなかった。 世間がその常識に合わせるべきだと考えていたわけだな」

「それを、我々の世界に押しつけていたと」

「そうなる。 だから神々は考えた。 転生者の解析を進めながら、その被害を減らす方法をだ」

神々は転生者を捕獲し。

頭の中身を解析して、地球とやらについても探り当てた。

邪神ソクがいけるのだ。

当然神々もいける。

そこで神々はそこの「ネット」なるコミュニティに監視の目を張り巡らせて、同時にテンプレとやらを解析したという。

その結果。

生み出されたものの一つが、エルフ族だった。

「テンプレとやらの中に、エルフ族というのがあった。 どうもそもそも地球とやらでも架空の存在であるそうなのだがな。 それが耳長く長命で美しく、それでひ弱だという設定であるそうだ」

「ひ弱でございますか」

「そういうことだ。 だから我々は転生者をおびき寄せる撒き餌として作られたのだ」

そういえば。

神代の時代には、そもそもオークやゴブリンどころか、エルフ族だって存在していなかったとバルハラントは聞いたことがある。

人間にしても文明を与えたのはソクだという話があるくらいだ。

まさか。

この世界を荒らすために、わざわざソクは人間による覇権を、時間をかけて作り上げていったのか。

そして、転生者を其所に放って。

荒らし回る様子を、見て楽しんだというのか。

だが、それは。

「ま、まさか我々も」

「そうだ。 神々は転生者による被害を押さえ込むために、テンプレを解析して、餌を多数用意した。 我々だけではない。 転生者がテンプレとして知っている種族にオークやゴブリン、コボルトなどがいた。 それらは転生者が面白がって殺戮する相手によく含まれるのだが……あえて作ることで、撒き餌として機能するようにしたのだ。 転生者は基本的に自己顕示欲の塊だ。 見ていてそれはわかっただろう」

「そういえばこのものは、ひたすら自分だけしかわからない言葉を使って喜んでおりましたな」

「お前達には伝承を伝えてあるはずだ。 転生者を倒すにはどうすれば良いか……。 エルフ族は、ソクの力を中和し、解析し、分解する力を持っている。 すでにこのものはソクにも飽きられ、我らの力を受け、転生前と同じ力しか持たない状態だ。 ソクが適当に与えた能力は全て消え果てた」

バルハラントは気づく。

そうか、そういうことだったのか。

エルフ族が転生者をどうにかできるのは、そもそもそう作られたから。対転生者特攻の種族なのだ。

そしてエルフ族へ誘導させるのは、効率よく転生者を始末するため。

ソクの力を使っている以上、ソクの力を中和できるエルフ族は文字通り天敵。どれだけ偉そうな設定の能力やらを持っていても、それが全部無力化されるのでは意味がない。ましてや実戦経験もなく、力を得て驕り高ぶっている輩ならなおさらだ。

うなだれる。

転生者とやらの脅威はよくわかった。

世界をめちゃくちゃにするほどの力を持っていることも、見ていて理解できた。

だが、他に方法はなかったのか。

世界に繁殖する生物は、基本的に余程世界のバランスを崩さない限り、神々は干渉しない方針だとナーフェは言う。

だとすると、本当に最小限の力で転生者を屠る必要がある。

それで、わざわざ森に住んでいるエルフ族が用意されたのか。

つまりオーク族もそれに併せて作られた種族であり。

世界を守るための盾と言うわけなのか。

話していて、悲しくなってくる。

そんなことのためにオーク族は生まれてきたのか。今まで父祖の一族を受け継いできたのは、そんなことのためだったのか。

だが、ナーフェは言う。

「元々この世界に、神々は様々な種族を繁栄させる予定だったそうだ。 たまたまソクが人間を先に繁栄させたから、敢えて他の知恵ある種族はいらないと考えていた節もある。 だが、神々も腹をくくって我らを作り上げたのだ。 それは自然とともに暮らす種族としてだ。 我々は人間が驕り高ぶったときは、結束して戦う。 神々はそれを見越していたのだ。 だから、神々を恨むのではない。 神々は我らに世界を託したのだ」

「わかりました。 今すぐ納得はいきませんが、納得する努力をしてみます」

「ナーフェ様!」

一族の一人が立ち上がった。

怒りに燃えて、鉈を抜いている。

ナーフェに対しての怒りではない。

レットに対するものだ。

「其処の人非人を処刑する権利をいただきたく!」

「今解析した。 そのものは死刑にするほどの罪は犯していない。 お前達の里を荒らし、森を焼き払い、傷つけた。 それらは死刑にするほどの罪ではない」

「我らにとって貴重な冬場の食料を、この人非人めは!」

「わかっている。 肉なら蓄えがある。 持って行け。 ただし、我らが寛大な行動をとったことは絶対に知らせるな。 人が我らを侮ると、それだけ無駄な死者が出ることになるからな」

見事な鹿が、ナーフェが指を鳴らすだけで、その場に現れていた。毛皮も角も高く売れるだろう。

これならあの干し肉の代わりになる。

おおと、一族の者達は喜んでいた。

嘆息をいくつもした。

だが、バルハラントは、頭をもう一度下げていた。

「これにてこのたびの転生者を引き渡す役割は終わりとさせていただきます。 以降も伝承を引き継いで生きまする」

「ご苦労。 今回の件、被害が小さく済んだのはそなたの判断が早く正しかったからだ。 ならば、そなたの里にはしばし幸運が続くだろう。 神々は我らを介してそなたの的確な判断を見ていた。 ただし、それはそなたらがうかつにエルフ族の秘密をしゃべらないかどうかの監視も兼ねている。 それを理解したら戻るが良い。 帰路については、光を照らしてやろう」

森の中に、光が連なる。

あれが帰路と言うことか。

バルハラントは、一族の者達と鹿を抱えて戻る。

今倒したばかりなのか、鹿はまだ温かかった。

「素晴らしい鹿にございますな」

「ああ。 高く売れるだろう。 戻ったら女子供達を安心させてやらねばならないな」

「それにしても邪神ソクめ。 許しがたい……」

「神々と戦ったほどの強力な邪神だ。 これからも様々なテンプレ?にそった転生者を送り込んでくるのだろう。 我らだけではなく、それらを対処できる種族が、今後用意されるのか。 あるいは、もう用意されているのかもしれんな」

森の中を歩く。

おそらくだが、途中にあったトラップは、レットの行く先を完全に把握しつつ。ナーフェが先に配置していたものなのだろう。

あれぞ、本当の魔法。

レットが使っていたようないかにも底が浅い代物とは、根本的に違う。そうバルハラントは思った。

 

話を全て聞かされて震え上がっているレットとかいう転生者に、ナーフェは声をかける。さっきまでバルハラントと話していたのとは声色が違う。

当たり前だ。

此奴がエルフ族に何をしようとしていたのかは、全て把握している。

神々がエルフ族を転生者殺しに仕上げていなければ。

森は焼かれ皆殺しにされ。

挙げ句の果てにわずかな生き残りも強姦され陵辱の限りを尽くされ、それも飽きたら殺されていただろう。

このものは実際にそれを実行しなかった。

だから死刑には値しない。

ただし、森をめちゃくちゃにした罪は償ってもらう。

「さて、お前に与える罰だが」

「ま、待ってくれ! 俺はただ、転生させてくれると聞いただけなんだ! 転生特典とかやるし、好き勝手に振る舞って良いって言われたんだ! だ、だから! 俺は悪くなくて、そのなんとか言う邪神が悪いんだよ!」

「お前の世界、地球というのは知っている。 お前達が転生と言っているのは六道輪廻思想というものの影響を受けているものだそうだな。 それは善行を積めば死後それだけましな世界にいけるというものだったはずだ。 お前は、そんないい世界にいけるような人生を送ったのか? 誰かを助けたのか?」

「お、俺はブラック企業でひどい目にあって」

ナーフェは、それは転生で良い思いができる理由にはならないとはっきり言い切った。

ナーフェから言わせてもらえば、不幸なのはそれはあるだろう。

それに関しては同情に値する。

だが、不幸だったからといって、無制限の力を手に入れて、抵抗もできない弱者に暴力を振るって回って良いわけがない。

転生者の理屈は神々から聞かされて知っているが。

何百人も助けただとか。

世界を破滅させかねない計画を身を挺して止めただとか。

そういったことをしている者は一人も来ていない。

実際に転生があったとしたら。

そういったことをした者達は、このような世界になど連れてこられていないのだろう。

だいたいそういった人生を送り、世界に寄与した聖人達は。

転生特典だとかなんとかなんぞ必要としないだろうし。

そもそも笑って、新しい人生をそのまま送るだろう。

「ゆ、許してくれよ! この世界でもオークをいじめたくらいしかやってねえよ!」

「お前が焼き払おうとした森は、多数の生物が暮らす貴重な生態系の場だ。 しかもお前は、見かけで住んでいる生物を判断し、殺戮を繰り返していたな」

「だって気色悪いじゃねえかよ!」

「気色悪いかどうかで相手の生き死にを決める。 そういう傲慢さが、邪神ソク=ウロナにつけ込まれた理由だったのだろうよ」

悲鳴を上げるレット。

もうどうでもいい。

指を鳴らすと、木の人形が数体来る。暴れようとするレットをいとも簡単に木の人形は捕まえると、そのまま連れて行く。

ウッドゴーレムという存在だ。

ちなみにゴーレムとやらの言葉の語源は伝わっていない。

これもテンプレを解析した神々が、地球とやらから持ち帰った概念だ。

他のエルフ族が見ていたが。

咳払いして、それぞれの仕事に戻ってもらう。

今から森を復旧しなければならない。

普段は百年二百年とかけて森を育てる。今回は緊急措置なので、魔法を用いる。それでも数年はかかるが、撒き餌としての森を作り直すには十分だ。

転生者で厄介なのは、人間社会に潜伏して、それを乗っ取る輩だったのだが。そちらも今は対策がされている。

メイドと言われるものを転生者は好むとわかってから、対転生者殺しの能力と技術を磨いたメイドの一族が人間社会に潜り込んで活動している。

彼女らは(女性転生者対策に男性もいるが、それはメイドではなく別の名前で呼ばれるようだ)各国の影で活動しており、転生者が現れたら即座に接近。

邪神ソクの力を存分に中和してから、抹殺するという。

エルフ族とも情報を共有しており、どのような転生者が現れたか、定期的に教えてくれる。

この森の族長であるナーフェも、時々定期会合に出ていた。

後始末をいくつかしてから、レットのところに出向く。

暴れても無駄だとわかったからか。

すっかり諦めきった目をレットはしていた。

ナーフェが姿を見せると、レットは小さく悲鳴を漏らしていた。もはや能力など一切使えない、ただの人に戻ったことを悟ったのだろう。

森の奥に畑がある。

それを耕すように指示を出す。

一緒にウッドゴーレムが働いて見本を示す。逃げられないように監視もする。

ちなみに刑期は五十年だ。

「ご、五十年だって!」

「お前はそもそも死んだところを邪神ソク=ウロナに拾われた存在だ。 それが五十年、世界のために尽くすことができる。 それで何の不満がある」

「そ、それは……」

「魔法がかかった畑だ。 とれる作物はうまいぞ。 肉などもきちんと与えてやるし、病気になったら我らが魔法で直してやる。 今度はここで、真面目に生きて天寿を全うするんだな」

目を素早く泳がせるレット。

そうか、こいつわかっていないな。

咳払いして、現実を教えてやる。

「この森には熊やオオカミ、イノシシが多数住んでいる。 もし逃げ出したところで、お前なんか半日ももたずに彼らの餌だ。 ああ、毒蛇や毒虫もたくさんいるし、底なし沼もあるぞ」

「そ、そんな!」

「ちなみに集落のエルフ達は、皆お前など思考するだけでねじり切るほどの使い手だ。 火をつけて逃げるようなことを考えても無駄だ。 この集落は火に対する魔法を徹底的にかけていてな。 お前達の世界で言う石油をかけて燃やしても、全く火が通ることはないそうだ。 神々のお墨付きだぞ」

「か、勘弁してくれよ! い、いや、か、勘弁してください! 俺が悪かったです! だ、だから、だから!」

とうとう哀訴し始めるレット。

エルフ族を強姦して殺戮して遊ぼうと思っていた奴とはとても思えない有様だ。

こういうのを地球の理屈で自業自得と言うはずだが。

まあ、どうでもいいか。

「それにこの世界のことをほぼ何もしらないお前が、森から出て暮らしていけるとでも思っているのか? 人間の街までは走っても十日はかかる。 それまでにオーク族などに出会ったら、貴様のことはとっくに周知されている。 その場で撃ち殺されるだけだ。 それに仮に人間の街にたどり着いたところで、得体が知れない人間で、特に芸があるわけでもないお前など誰が雇うと思うか。 この世界の人間が地球よりも先進的な文明を持ち、開放的な文化があるとでも思っているのか? それに地球の知識など、ここでは何の役にも立たない。 そもそもお前の知識は自分で試しもせずに聞きかじった程度のものだ。 それが通用しないことは、お前も知っているのではないのか」

とうとうレットは泣き出した。

なぜか事実を突きつけるとこの手の輩はロジハラとか言って嫌がるらしいが、知るか。

ウッドゴーレムに指示を出して、働かせる。

最初は農具の持ち方からだな。

今はいっていないが、別に娯楽くらいは用意してある。真面目に農業をするようだったら、魔法経由で少しくらいだったら地球のネットとやらにつなぐことも許してやる。

実際、三十年ほど前にここで暴れて取り押さえられた転生者は、真面目に償い続けた結果、最終的には地球の娯楽をある程度解放されて。それでネットとやらにも触れていた。

地球とこの世界の時間の流れは違っているので、おそらく今から二十年後でも、ネットは別に何も変わっていないだろう。

後はウッドゴーレムに任せる。

人間とウッドゴーレムの力の差は一兆倍ほどあるので、逃げられる可能性は皆無だ。

ある程度諦めて働くようになったら、少しずつ娯楽を解放してやる。

ただし、ナーフェに限らず、エルフ族は単純すぎる人間の思考くらい、その場で読み取ることが可能だ。

くだらないことを考えているようだったら、刑期を追加して、甘やかすのも一切なしだが。

作業に戻る。

森の修復は大変だ。

本来百年はかかる木を急速に成長させ、森の環境を修復しなければならないからである。

一瞬で破壊できる木も、そこまで成長するまでに途方もない時間を必要とする。それが、自然だ。

それをひっくり返せる。

だから魔法だ。

しかしそれは無理がある。だから、使うのは細心の注意を払わなければならないのだ。

黙々と仕事をする。

転生者は世界のあちこちに分散して現れるように、神々も調整している。邪神ソク=ウロナに、好き勝手やられた反省だ。

それに。

邪神ソク=ウロナは、レットの末路を見て大笑いしているだろう。

そういう邪神だ。

力を失ってべそを泣いているのを見て、それだけで大満足するようなゲスである。力を失うことまで全て計算済みで遊んでいるのだ。

神々が対策したのさえ計算して遊ぶ。

決して世界を壊し尽くすような転生者が出ないようにも調整している。

そういう意味では、恐ろしい邪神だ。

それからレットは、なんだかんだ文句を言って泣き言を言いつつも。

ウッドゴーレムに見張られながら、畑仕事をやった。

確か地球の言葉でルーチンというのか。

単純作業は別に苦にしていないらしい。

二十年ほどでまっとうに更生したので、地球のネットにアクセスできるようにしてやった。

いずれちょうど良い転生者の女のなれの果てがいたら、見合いをしてやっても良いかもしれない。

ともかく、解放するわけにもいかないけれど。

それでも人を殺さなかった(運良く、だが)から。

罰はこの程度で済んだのだといえた。

 

バルハラントは立派な鹿を担いで、赤牙族の集落に戻った。随分とやられてしまったが、まずは生還の報告をし。

転生者はエルフ族が倒してくれたことを皆に告げて。

それから、鹿を解体し。

換金できるものを売り払う。

ゴブリン族やコボルト族にも、転生者がいなくなったことを告げ。

それでやっと一段落した。

肉も、失ったもの以上にいいものができた。

集落の修復も終わる。

こういうときは、族長も動かなければならない。

当たり前の話だ。

オーク族は死ぬまで成長を続ける。

バルハラントは一番力が強い個体であり、こういうときは力仕事を積極的にするのである。

そうでなければ、誰が族長と認めようか。

オーク族は一番働く者が偉いとされている。

たまに暴力だけで一族を従えようとする者もいるが。

だいたい寝首をかかれてすぐに死ぬことになる。

確か先々代の族長がその手の輩で、それについては教訓として一族に語り継がれていた。

集落の修復が終わってから。

エルフ族の詳細には触れず。

ただ、エルフの賢人……ナーフェのことだが。出会ったことを話す。ただ、バルハラントにはナーフェが男性か女性かすらもわからなかったが。

ともかく今大事なのは。

エルフ族が転生者を倒すために特化した存在であること。転生者をこの世界に呼んでいるのは邪神であること。

転生者の力は邪神由来だから凄まじく。

逆らっても絶対勝てないこと。

だからエルフ族を餌にして、連れて行くこと。

そのときには、とにかく褒めること。

相手にへりくだって、それで良い気分にさせること。

それらを周知した。

この説明には、ゴブリン族とコボルト族も呼ぶ。

転生者を引きつけるための撒き餌。

そうして作られたことはわかっているが。それは話さない。いずれにしても、彼らにも必要な話だからだ。

「そのような誇りを捨てた行動……」

「家族どころか一族まで殺し尽くされるぞ。 転生者の力は、世界の何割も焼き尽くしたりすることがあるほどなのだ」

「……っ」

「実際にエルフ族の賢人と出会ってわかったが、エルフ族は転生者を倒すことができる種族だ。 それに、的確に森に誘導して転生者を倒すことができれば、エルフ族は喜んでくれる。 ただし、くれぐれも失礼がないようにな」

何度も丁寧に言い聞かせる。

若い血の気が多い者は、反発を覚えているようだが。

それでも言い聞かせる。

ここで理解させておかなければ、後が大変なことになるからだ。

時々転生者にめちゃくちゃにされる地方があるらしいが。そういうのは、初期消火に失敗した場合なのだろう。

語り部がいる。

力は弱いが、記憶力がいいオーク族だ。

オーク族は基本的に力強さがもてはやされるのだが、たまに頭の方がいいものも生まれてくる。

そういう者は語り部や、商売の交渉をする。

語り部に、今回の一件と、対応策について、歌にでもするように指示をしておく。

ゴブリン族は頭が良いので、それについては念を押すまでもない。

コボルト族はどちらかというと首長を中心に従順な者が多く、彼らの方は今来ている首長に任せるしかない。

それで皆を解散。

後は、エルフ族の森を、遠目に見に行った。

あのレットとかいう転生者。

邪神ソクの力が抜けてからは、弱々しい者へと落ちていた。

力を振るうのは心底楽しそうだったが。

力を抜けてしまってからは、いつもの本来の姿に戻ったようだった。

地球とやらがどういう世界なのかは知らないし、知りたくもない。

ただ、レットもやはり被害者だったのではないかと、バルハラントは思う。

凄まじい勢いで森が修復されていく。近づいてはいけない。あそこは聖域として機能する場所だからだ。

レットには、結局人は殺されなかった。

それだけでも、今回は転生者の対処としては大成功だった。

一歩間違えれば、レットも躊躇なく人を殺すような精神状態だったし、とんでもない惨劇になっていた。

それを思うと冷や汗が出る。

いずれにしても、敬意を示して、森に礼をする。

オーク族の神にも、戻った後祭壇に礼を言う。

レットはめちゃくちゃな偏見を抱いていたが、オーク族の神はごく温厚な性格とされていて、生け贄など要求しない。

ただ祈りだけがオーク族の神への感謝になる。

祈り、それから日常に戻る。

日常に戻った後は。

毎日を静かに生きながら。

またいつ現れてもおかしくない転生者に備えなければならなかった。

 

4、侵略の形

 

ナーフェが会合に出る。

各地のエルフ族の賢人と、それに人間社会に潜伏している対転生者の特務。今はメイドが主流だが。

それらの一族との会合だ。

ちなみに魔法を使ってやるので、別に直接足を運ぶことはない。

これは地球で神々が見たテクノロジーであるテレビ会議とかいうものを魔法で再現したものである。

「転生者の初期消火に成功。 現地のオーク族の対応が早かったこともあり、森に被害は出たが死者は出なかった」

「さすがだ賢老どの」

「確かそちらではようやく事態の収束が始まったところか」

「ああ。 王室に入り込んでいた「悪役令嬢」を名乗る転生者が、国そのものを自分好みにめちゃくちゃにしてくれたからな。 今、総出で洗脳を解いて回っている。 悪役令嬢そのものは隙を突いて殺したが、非現実的な政策を強引に実行したせいで、国が乱れて、各地で反乱が起きている。 これらの対処は、軍に任せるしかない」

苦々しげにいうのは、ある国で展開しているメイドの組織の長だ。

ちなみに転生者の前に出るときは、神々の力を借りて姿も性別すらも変える。

王宮に入り込んで好き勝手するような転生者は、自分好みのメイドがいると喜ぶ場合もあるが。

その中身は、実は老爺だったりするのだ。

彼らは転生者が何を喜ぶか、神々が地球で調べた「テンプレ」から分析した知識を展開されている。

それ故に、年をとった者ほど、それらに対応できる行動幅が大きくなるのだ。

相手がどれだけ邪神ソク=ウロナから力をもらっているか解析できれば、後はそれを中和して倒すだけ。

能力同士の戦いなんて馬鹿なことはしない。

そもそも言った者勝ちの都合が良い能力を振り回している連中だ。

そんなものにこちらも乗る必要はなく。

足下をひっくり返すだけで十分なのである。

与えられている能力が強力であればあるほど、中身の転生者は心身ともにお粗末なケースが多く。

それは要するに。

どれだけ地球という世界で、抑圧されていたかの鏡のようだと。

こういう場では、怒りとも諦観とも言いがたい言葉が上がるのだった。

「魔王、そちらは」

「最近は自称勇者はほとんどこないな。 テンプレのブームが去ったのかもしれぬ」

魔王。

昔はエルフ族よりも転生者を引きつけた存在だ。

よくわからないが、神々の敵として、魔族なる存在を引き連れているというテンプレがあるらしい。

それでいながら人間好みの若い女の姿をしていたり。

見目麗しい青年の姿をしていたりするというのだからわからない。

神々の敵には普通に邪神ソクがいる。

それに勇者というのなら、転生者は論外である。

そもそもとして借り物の力でイキり散らしている時点で、矛盾だらけなことに気づかないような者達だ。

勇者というのは、そもそもとしてどれだけの悪逆にでも心折れずに立ち向かう存在であるだろうに。

馬鹿みたいな能力を与えられて、暴力を嬉々として振るうような輩が。

どこが勇者なものか。

「ただ、魔王を侍らせてそれで世界に好き勝手をしたいと考える転生者は時々来るな。 そういう連中には、適当に合わせて飽きたところで片付けている」

「面倒な話だな」

「テンプレも地球の流行によって変わるようだからな。 いずれにしてもテンプレとか言う情報の川に流されているだけの意志薄弱な存在を、ソクは喜んでこちらに連れてきているのだろうよ」

魔王が吐き捨てた。

まあ、相当に鬱憤がたまっているのもわかる。

以前はひどいときには毎日のように勇者に殺されたフリをしていたらしい。

魔族の損耗もその頃はひどく。

神々になんとかしてくれと毎日愚痴を言っていたらしいのだから。

今では自称勇者の性欲処理相手にされたりもする。

まあはっきり言って、たまったものではないだろう。

メイド組織の長が咳払い。

「それはそうと、我々の世界の人間の技術力が上がりすぎている。 そろそろ制御した方が良いのではないのか」

「神々は基本的に不干渉だが、それほどか」

「ああ。 転生者の中には、ある程度専門的な知識を持つ者もいてな。 そういうのが考えなしにばらまいた知識が、ろくでもない方向で拡散することが時々ある。 何しろ転生者はたくさん来る。 だから、いびつな形で技術が展開されやすい」

「わかった。 儂から神々へ今度祈りを捧げておこう。 おそらく、ある程度の緩和策をとってくれるはずだ」

神々の緩和策が記憶やらの消去か、それとも天変地異かはわからない。

いずれにしてもソクが作り出した人間は、地球の人間を元にしているらしく。他のどのような種族よりも残忍で獰猛だ。

メイドの一族は、ソクの束縛から解放された一族であるのだが。

だからこそ、人間世界の監視の仕事も担っている。

ちなみに対転生者の仕事をしていない集団もいて。それらは地球の文化に沿って忍者と言われているらしい。

会議に出てきたことがないのであったことはないが。

基本的にダーティーワークしかしない上に、見かけは全く普通の人間と変わらないらしい。

ただ連携はしっかりとれていることもあり。

エルフ族や魔族と衝突することもないようだが。

「では、会議は解散とする。 とにかくこれ以上問題が起こらないと良いのだが」

「テンプレの複雑化に伴って、悪辣な転生者も増えているからな。 昔みたいにせせこましい欲望だけ満たして、すぐに飽きるような輩も多いが」

「それに付き合わされる身としてはたまったものではない……」

「この世界の人間もそうだが、世界は全部人間のものと考えている傲慢さが、全ての問題の元なのであろう」

それぞれ、会議を抜ける。

ナーフェも会議を抜けると、大きくため息をついていた。

またどうせ転生者が現れる。

神々は転生者の出現場所は制御してくれているが。

逆に言うと、鮮やかな対応をした今回の件が評価され、どうせ森が修復されたことにはすぐ次が来るだろう。

この世界は地球とやらよりずっと大きいという話だが、それでもソクの悪意の受け皿としては小さすぎるくらいなのだ。

背伸び。

そして、森の修復の仕事に戻る。

その後には転生者が来るだろう。

油断もなにもできない。

結局、神々のくだらない争いに巻き込まれているのはエルフ族も終わりだ。

できるだけ早く、邪神ソクを倒してほしいものだが。

神々もそれは難しいのだろう。

淡々と仕事をしながら、ふと一瞥。

レットは農作業をきちんとこなしている。きちんと管理された労働とうまい食事、それに娯楽。

それもなかったことがわかる。

まあ、少なくとも一人は救われたか。

ふっと、ナーフェは笑っていた。

それだけだった。

 

(終)