曇天

 

序、海外へ

 

流石にやらざるを得ないか。

世界的に権威がある、フランスの映画賞。

それで久々に日本人監督として賞を取った高宮は、壇上に上がると英語でスピーチを開始した。大賞ではなかった。そういう意味では目的の完全達成とはいかなかったが。

フランス語では無く、英語でである。

そして高宮が英語ぺらぺらである事を、驚いた人間も多いだろうなと思いながらも。

大賞に対する感謝を述べ。

短めのスピーチで壇上から降りた。

拍手が響く。

馬鹿馬鹿しい話だな。

敢えてつまらなく作った映画なのに、とうとう国際的な権威のある賞まで取ってしまった。

意識が高くなると、どうしてこう人間は客観性を見事に消失してしまうのか。

それがよく分からない。

いずれにしてもはっきりしているのは。

業界人というのはどこでも同じ。

自分を偉いと思い込むと。

どいつもこいつも徹底的に堕落する。

その事実だけだった。

ともかく立食パーティに出る。英語で話しかけられるが、それに対して丁寧に応じる。海外でも幽霊みたいな容姿だと思われた様子で。流石にぎょっとする者も多かったようだが。それでも話しかけては来る。英語が通じるというだけで、かなり話しかけてくる人間は増えるようだ。

なお、現地メディアは正直で。

幽霊が壇上に上がったとか書いて。

ブーイングを喰らっていた。

この辺り、どこの国もマスゴミは同じだ。

客観性を担保し。出来るだけ真実に迫った記事を書く。

それをやろうとする者は誰もいない。

勝手に真実を先に作り。

主観で歪曲しながら我田引水の文を書く。

それが記者というものの本質であって。

それは新聞というものが出来てから。

全く変わっていないものなのかも知れない。いずれにしても、海外メディアもゴミなのは変わらないようだった。

ホテルで、軽く日本と通信をしておく。

勿論、海外との通信料が危険な事は知っている。

通信料に関しての対策はしてきてある。

まあ最悪の場合でも、特に問題はないのだが。

今の高宮の個人資産は既に十億を超えている。

それだけ稼いでいると言う事だ。

まず連絡を入れたのは小野寺だ。

彼女には、会社の動向を見張って貰っている。

今、一番大事なタイミングだからだ。

「授賞式、フルタイムでテレビ放送されてましたよ。 もっとも殆どの人は動画サイトで見ているようですが」

「そ。 会社の様子は?」

「今の時点では右往左往ですね。 あっちこっちから祝辞が来て、それを捌いている状態です。 ヤクザとかからも祝辞が来ているので、弁護士が対応を協議しているようですね」

「それはよかった。 彼らに任せておいて」

ヤクザが花束を贈ってくると言う事は。

早い話が脅しだ。

今後コネを持つ事を強要し。

そしてつけ込んで金をむしり取る。

海外だと更に露骨で。

居場所を何時でも知っているぞ、という意味になる。

要するにいつでも殺せると脅している、ということだ。

重役などは青ざめるばかりで、何もできていないそうだ。

特に悲惨なのは専務で。

すっかり自信を喪失し、何もできずにぼんやりしているらしい。

小野寺には久々にテレワークでは無く会社に出て貰って様子を確認して貰っている。これは計画には、それだけ重要な転機だからだ。

続けて井伊に連絡する。

此方はもう少し専門的な話になる。

「弁護士達はどう話をしてる?」

「暴力団が動きを隠さなくなってきてる。 配給会社と何が何でも関係を持って、金をむしりとりたいらしい。 今警察と連絡をして、マル暴が動いてる」

「そっか。 それで上手く行きそう?」

「こうなることは分かっていたので、事前に幾つか手を打っておいた。 だから警察はノータイムで動いた」

流石である。

褒めるが、井伊は喜ばなかった。

「私の仕事、私の居場所。 守るために最善を尽くすだけ」

「ありがとう。 そのまま頼むよ」

「ん」

通信を切る。

さて。此処からだ。

受賞関連のアレコレを全て終わらせて。

帰国する。

そうなれば、業界人共が面会を求めてくるはずだ。それらを捌くまでは、ちょっと色々と動けない。

多忙になってしまうが。

まあこればかりは我慢しなければならないだろう。

コレを乗り切れば、最終計画に駒を進められる。

ついに海外での大権威賞を取った。

これによって。

そんなものには何の価値も無いと、照明するための下地がついに整ったのである。

帰路の飛行機に向かう。

空港でテロが起きる事もなかったが。

しかしながら、空港の周辺などではデモが目だった。

どうやら欧州も、色々と情勢が怪しくなってきているらしい。

知ってはいたが。

実際に見てみると、ろくでもない事がよく分かった。

本当にもう、欧州は何でも凄いと考えている人間達の滑稽さよ。

実際に来てみて、その駄目さ加減が良く分かる。

欧州が駄目なのではない。

現在の文明が駄目なのだ。

世界中どこに行ってもこれは同じだろう。

よく日本叩きをしている人がいるが。

それならいい国を挙げれば良い。

その国の人間から、袋だたきを喰らう事になるだろう。

実際に現地を見てみて、高宮はそれを実感できていた。

空港に到着。

幽霊みたいな異様な出で立ちが原因か、二回職質を受けたが。顔を見せると、ある程度理解はしてくれたようだ。

それにペラッペラで英語で応じたので。

それもあったのかも知れない。

いずれにしても帰りの飛行機には予定通り乗る。

空港は見かけだけは綺麗だった。

しかし、システムは雑然としていたし。

何よりも、明らかに悪いのが何人も入り込んでいた。

一目でその辺は分かる。

だから、此処も治安が良いわけではないし。

うっかりうたた寝なんかしたら、それこそ身ぐるみ剥がされるだろうなと、覚悟はしていた。

飛行機に乗ってからも、これは安心は出来ない。

それは当然の事だと思う。

国内便だと寝ていても余程の事がない限り大丈夫だが。

そもそもこれでは、空港の職員そのものが安心できないだろう。

そのまま飛行機に乗り。

無言で帰路を行く。

途中、スマホを触る訳にもいかないので。

窓際の席だったのを良い事に。

そのまま、窓の外をぼんやり見ているしかなかった。

二度、飛行機を乗り継いで。

日本に到着。

運良くと言うべきか。

何とか飛行機で荷物を盗られることはなかった。

それだけで可とするべきだろう。

まあ賞は取った。

これで充分だ。

次の映画で大賞を取ればいい。

今回、海外に高宮映画は。正確には、海外の意識高い連中にも高宮映画は、良さそうに見えると言う事。

そして海外SNSの様子を確認して。

海外SNSでも、高宮映画は「見る睡眠導入剤」「凄まじい虚無」と表現されている事が確認でき。

評論家と一般ファンの間で。

完全に認識が乖離していることが、良く理解出来た。

はっきり言って、どこの国でも人間なんて同じだ。

良く文化が違うとかそういう話があるが。

それは単純に、その地域の治安とかの問題であって。

政治が上手く行っているとか。

もしくはそもそも政治とかの概念がないのだとか。

そういう話なのだとよく分かる。

恐ろしい事に。

これだけ政治家は無能揃いなのに、日本の政治は上手く行っている方なのだろう。

だから比較して安全だし。

比較して人は死なない。

ただそれはあくまで比較しての話だ。

不幸になる奴は幾らでもいるし。

邪悪の権化はなんぼでも闊歩している。

とりあえず、日本最大の空港に到着すると。

スマホの電源を入れて。

同志の皆に連絡を入れておいた。

メールで連絡を入れると。

後はそのまま、返事もまたずに自宅に帰る。

流石に今回ばかりは自家用車で来るわけにもいかなかったので、帰りは電車を使う事になる。

電車の混雑は一時期に比べるとかなり緩和されているが。

それでも業病の感染爆発があったばかりだというのに。

随分と混んでいるように見えた。

馬鹿馬鹿しい話だなと思う。

のど元過ぎれば熱さを忘れるとか言うが。

忘れるのが早すぎるのだ。

鶏は一時期バカの代名詞みたいに扱われていたが。

鶏に失礼だなと、この電車の有様をみて思う。

人間の方が余程問題まみれだ。

高宮は呆れながら。

不審者全開の姿の自分が、何も周囲から言われず。無言で帰宅できたことを、ぼんやり思うのだった。

自宅に着いてから、後はメールを確認。

お疲れ様とか、そういうメールしか来ていない。

要するに重要事は起きていない、ということだ。

そのままシャワーを浴びる。

そういえば、高級ホテルなのに泥みたいな水がでて、海外ではびっくりさせられたっけ。苦笑しながら湯船に浸かって。

落ちそうになるのを我慢して。

そして、何とかベッドに直行した。

 

夢を見た。

随分とはっきりした夢だ。

深淵から這い出た触手の怪物となった高宮。

文字通りの這い寄る混沌だ。

そう噂している奴もいたなあ。

そう思いながら、逃げ惑う人間共を片っ端から喰らっていく。

ばりばりと凄い音がするけれど。

ここまで巨大な邪神に喰われると、恐怖も痛みも一瞬なんだろうなと思うと、ちょっと面白かった。

そのまま大量殺戮を続けながら東京に進撃。

反撃に出て来た米軍も自衛隊もまとめて蹴散らすと、何故か避難もしないで電車出勤しているサラリーマンどもをまとめて食い荒らす。

電車に迫ってやっと逃げようとし出す様子を見て。

随分とのんきなことだなと苦笑するが。

そういえば海外の映画でも。

似たような描写があったのだったか。

そのままバリバリと人を食い荒らし。

東京が無人の野になった辺りで。

天に向かって。いや月に向かって吠えて。

そして目が覚めた。

あまり内容は覚えていない。

強烈な明晰夢だったような気がするのだけれども。どうしてか、内容はさっぱり覚えていなかった。

まあいい。

今日は念のために休みを取っているし。病院にいかなければならない。

海外にいったのだ。

帰宅したなら、一応感染の可能性がある病気の検査は、全てやっておくべきだろう。

そのまま病院に朝一に出向く。

老人がかなり来ていたが。

それはそれで。

そのまま精密検査をきっちりうけ。

狂犬病から何から、病気は貰っていないことを確認。

一日は潰れてしまったが。

それでも自分の安全は確保できたので、可とすることにした。

自宅でテレビ会議をする。

ちゃんと、皆集まる。

そろそろ日野も会議に加えたい所だが。

まあそれはそれでいいだろう。

小野寺が、まずは発言した。

「授賞式、みました。 なんというか、凄く退屈そうだなと思いました」

「ああ、分かるか流石に」

「ええ、それだけが取り柄ですから」

意思疎通の達人である小野寺は、「コミュニケーション」がーとか抜かしているような自称「社会常識がある」人間なんかとは桁外れの理解力と伝達力の持ち主である。これは才能に依存するもので、努力してどうにかなるものでもない。

小野寺には今後も頼りになるだろう。

「やはり海外も同じ状況だ。 意識が高い人間というのは、芸術を簡単に楽しいものから金づるに変えるし。 面白いものを歪んで認識する」

「それが確認できたと」

「ああ。 次は大賞もこの様子なら取れる。 海外向けに調整をするだけだ」

「ふふ、頼もしい」

小野寺の笑顔はそれなりに素敵だ。

相応にもてたというが。

他人の気持ちが嫌になる程よく分かるから、男とつきあうのなんてうんざりだったのだろう。

勿論スクールカースト内での地位確認に必死な同世代の女子なんて、関わるのも馬鹿馬鹿しかっただろう事は容易に想像がつく。

出来すぎるのも大変だなと。

高宮は他人事のように思っていた。

うちはそういう異能持ちばかりなのに。

「井伊はどう思った?」

「どうもなにも、腐臭がぷんぷん」

「まあ、そうだろうね」

「はっきりいって、もう権威は既に地に落ちている」

同感だ。

海外の賞というとありがたがる人間が多いが。

例えば有名なファッションショーなどでも、近年は実用に適する以前の奇怪極まりないものを着たり。

変な組み体操みたいなのをして練り歩いている様子が有名になっている。

化け物行列、という揶揄がされているほどで。

文化が先鋭化しすぎると。

ああなるという良い見本なのだろう。

映画の業界人が、日本の状況と大して変わらない事は今回の賞で確認できた。これで充分である。

ただ。海外にもコネが出来た以上。

最終フェーズへの移行をするのは、最後の最後にしたいところである。

いっきに全世界まとめてひっくり返したいところだ。

腐った権威を。

文字通り深淵に引きずり込んでやる。

全世界の映画ファンの正気度もろともにだ。

邪悪な計画かも知れないが。

これで色々と世界は変わる。

それでいいのである。

先鋭化し。

腐りきったものは、改革が必要になってくる。

娯楽でいいのに。

それを変に勘違いした意識高い者達がねじ曲げ。金のなる木に仕立て上げようとした結果。

人権屋やらの詐欺師がどんどん寄ってくるようになった。

改革はしなければならないだろう。

石山が咳払い。

「七カ国の新聞で今回の受賞について報道していました。 まあ今までも日本人監督の受賞はあったんですが、それでもあまり海外では話題になりませんでしたので」

「ふうん」

「すべて日本語訳しておきました。 送っておくので、目を通しておいてください」

「新聞なんてどうでもいいけどね」

それは分かっていると、石山はいう。

まあそうだろう。そういう事を、石山は先読みしていたはずだ。

「今、SNSなどでの意見をまとめています。 一週間くらいはかかりますので、ちょっとまってくださいね」

「よろしく」

後は軽く色々と話した後、解散とする。

さて、明日はさっそくスタジオの下見だ。

次にとる映画は刑事物である。

まあ、実際には刑事物と称するナニカなのだけれども。それはそれとして、刑事物としておく。

疲れは取れきっていないが、まあいいだろう。

まだまだ計画の執行には遠い。このまま、頑張らなければならなかった。

 

1、触手は世界に伸びる

 

日野茜は今回も俳優として起用。

劇団出身者を中心に俳優を集めて、映画の撮影を開始する。

最近は昔と違って、オーディションに時間を掛けるようにしている。

やはり巧妙に入り込んでこようとする反社と関係がある人間がいるので。

それを弾くために、しっかり調査をしているからだ。

それで多少はお金がかかってしまうけれども。

必要経費だと判断して、我慢はしていた。

そのまま数人を起用。

撮影を開始していた、

今回は刑事物だが。

警察に詳しい人間とかは別に呼ばない。

昔の警察ドラマが、異常に重武装な悪の組織と銃撃戦とかカーチェイスとかをしていたように。

別に刑事物で、リアリティなんて要求されないのである。

海外の刑事物だってそれは同じだ。

散々刑事物は描かれている筈だが。

そこにリアリティはないだろう。

あるのはエンターテイメントだ。

とはいっても、やっぱり意識高い系の人間が撮ると、そういうのはなくなってしまうのだろうが。

そもそも高宮映画には。エンターテイメントそのものが存在しないので。

その辺りは関係がない。

撮影を開始。

今回も新人ばかりを起用。

なお、海外メディアが取材を申し込んできたのだが。

これらについては。井伊が吟味し。

怪しい所は門前払い。

更に、今までにろくでもない記事ばかりを書いている新聞も除外。

ただ、門前払いをそのまんま露骨にするのではない。

今は多忙だから、という理由で断る。

そのまま、後は様子を監視。

もしも記事の内容次第だったら、告訴することをそのまんま念頭に入れる。

海外だと、金があれば裁判には勝てるケースが多い。

この間ちょっと考えた、「文化の違い」という奴だ。

金さえあれば大量殺人だろうが何だろうが無罪になる。

あのアルカポネが良い例である。

そしてそれを誰も疑問に思っていない。

良い弁護士さえ雇えば、大量殺人をしてもその場で射殺さえされなければ、普通に無罪放免。

それが海外の司法というものの「普通」だ。

日本でも事情通を自称するような連中が、それを「進んでいる」と勘違いしているケースが散見されるので。

いずれ日本でもそれが当たり前になるのかも知れない。

文字通り最果ての時代らしい有様だが。

はっきりいって、高宮にはどうでもいい。

人間になんぞ、期待は微塵もしていないのだから。

撮影の最初は、いつも通り組み体操からとっていく。

謎の組み体操シーンがあることは、俳優達も流石に周知だったのだろう。

死んだ目で、淡々と組み体操をやっていく。

危険な組み体操は一切やらせないし。

危険が予想される場合はマットなどを使って、最大限の安全配慮をする。

その辺りの職場環境がホワイトである事も知ってはいたのだろう。

ある程度俳優達も、安心はしているようだった。

撮影を淡々と続けていく。

最初にNGは出さないと言ってある。

だから、その分必死だ。

皆、脚本は徹底的に頭に叩き込んできたのだろう。それは必死な様子で、全く無意味な脚本に沿って泣きそうになりながら演技をしている。

頑張っているなあ。

だが無意味だ。

そう思いながら、高宮は愉悦を隠すのに苦労する。

俳優を虐めている訳では無い。

意識高い系の業界人をまとめて叩き潰すために、協力して貰っているだけである。

によによがマスクで隠れるのは丁度良い。

そのまま、昼休みまで撮影を続け。

昼休みはいつもの弁当屋に頼んで、弁当を配膳して貰った。

高宮が使っていると何処かで話題になったのか、

最近チェーン店が出たそうである。

かなり売り上げが伸びているようだ。

良い事だが。

計画が最終フェーズに移行したとき。

変な影響を受けないか、少しばかり心配である。

昼休みにぼんやりしていると、スマホが鳴る。

昼休み一人でいるとき、短時間だけスマホの電源を入れることがあるが。ピンポイントで来たという事は、同志の誰かだ。

メールを見ると、石山だった。

「海外の映画批評ブログで、気になるものをまとめておきました。 後で確認をしておいてください」

「はいOK」

「それでは」

短くやりとりを終えると、スマホの電源をオフにする。

まあこれでいいだろう。

石山は仕事をきちんとしてくれていて、大変に助かる。

まあ、メールも後で見てくれればいいくらいの感覚で送ってきたのだろうが。事前に分かっているのは、それはそれで有り難い。

午後の撮影を実施。

今回は組み体操に凝るつもりなので、数日は組み体操の撮影だ。

これを散々映画に叩き込んで。

刑事物とは認識出来ないくらいの虚無にしてやるのだ。

そう、虚無である。

映画の業界人どもが絶賛しているのは、虚無だった。

そう後で暴露してやるためにも。

組み体操シーンは、もっともっと入れていかなければならなかっただろう。

「はい今日はここまで。 お疲れさんでした」

「お疲れ様でしたー!」

必死に声を張り上げる俳優達。

既に俳優や、その候補生の間では。高宮は職場こそホワイトだが。俳優を怒鳴るような関係者には情け容赦がないし。何よりも無茶ぶりをすることで、有名になっているらしい。奇しくも這い寄る混沌という渾名がそのまんまついているようで。

それを考えると、高宮という存在は。

もはや俳優にも怖れられているのかも知れない。

それはそれで別にかまわない。

舐められるよりもマシだ。

そのまんま自宅に。

海外では自家用車を使えなくて大変だったなあと、マイペースに運転しながら思う。

家に到着すると、スマホの電源を入れ。

メールが来ていないことを確認してから。

石山が調べてきた、海外の批評ブログをまとめて見る。

一応邦訳もつけてくれたけれど。

ぶっちゃけ英語のはそのまま読めるし。

メジャーな言語のは何となく意味が分かるので、いらない。

まあ石山の苦労を考えて。

邦訳を添えて読む、くらいの感触だ。

そのまま淡々と読んでいく。

なるほどなるほど。

海外のブロガーも、やはり今の新聞には相当な不満があるらしい。

これはまあ、万国共通か。

ただ、相当に口が悪くて。

高宮も流石に苦笑していた。

「ファック! 俺は賞を取った映画を見に行ったんだぞ! そうしたら三分で寝ちまったじゃねえか! でもすげえ快眠だった! ここんとこ味わった事がないくらいのな!」

「日本では見る睡眠導入剤とか言われているらしいが、本当だ。 凄まじい効能だ」

「何というか、最後まで耐えたんだが、本当に意味が分からなかった。 一応訳はついていたんだが、熱出てる時にみたタチが悪い悪夢みたいな代物だった。 だけどどうしてか、見た後不快にならなかったから、鼻息荒くして自称巨匠が撮ってる映画よりはマシかな」

「クソみてえな映画だ! 俺の時間返せ! ……とはいうが、なんか他のクソ映画と違って不快じゃ無いんだよな。 他の奴もこれは言ってるんだが」

だいたいこんな感じだ。

とにかく非常に強烈な罵倒が目立つが。

それらは全て想定通りなのだよーと、教えてやりたい所である。

まあ想定通りでは無いブログ記事もあったが。

「なんだか高度なテクニックを感じる。 異常につまらないのは事実なんだが、普通こういうつまらない映画は見ていて不愉快になるものなんだよ。 ところがこの映画は、どういうわけか全く不愉快にならないんだ。 しかし何も残らない。 まあ、睡眠が取れなくて困っている人は、これを見るのがいいかもな。 監督は思うに、バカじゃないとは思うけれども。 どうしてこんな風に映画をしてしまっているのかは、ちょっと俺には理解出来ないかな」

なかなか鋭い所を突いてくるな。

まあそれはそれでいい。

だいたい見終えたので、石山に礼のメールを送り。

後は休む事にした。

まともな海外メディアは結局。

最後まで取材にはこなかったし。また、訴訟で一瞬で相手を潰した事が何度もあると調べがついていたのだろう。

あまり失礼な記事を書くこともなかったようだった。

 

組み体操の撮影が終わった後。

本格的に撮影は地獄に突入し、血塗られる。

いよいよ始まるのだ。

映画を本格的につまらなくするための行為が。

要するに、哲学的会話シーンである。

俳優達は既に頬がこけている。

それはそうだろう。

演技は任せる。

NGは余程の事がない限り出さない。

その代わり、たくさんの客がその演技を見る事を忘れるな。自己解釈でいいから、一つの演技に入魂しろ。

そんな事を言われたら。

俳優達は、みんな死ぬ。

事実、精神的に色々参っている俳優もいて。日野は質問攻めにあって、泣きそうになっているようだった。

うんうん。

素晴らしい光景だ。

実に甘露甘露。

そのまま撮影を続けて、皆に苦しんで貰う。

淡々と撮影をしていく。とにかく、人数が必要なシーンから撮影していくのはいつもと同じだ。

刑事物だから、今回はそれっぽい服装を皆にしてもらう。

CG加工するのも面倒だから、である。

ただしこの刑事物。

なんと犯人が最初から最後まで出現しない。

足音とかは出るのだが。

それだけである。

まあ一種のギミックではあるのだが。

こういうのを見ると、業界人は芸術的だと大喜びする。

うわっと邪悪な犯人が知能犯とか鬼ごっことか色々やるのを楽しみにしている客は、肩すかしどころか紐無しバンジーで底なし沼に叩き込まれる。

その結果として、虚無が映画を支配する。

全て意図的にやっていることだ。

それによって、高宮映画特有の。虚無が作られるのだ。

まあ編集部分で更に虚無にしていくのだが。

なお、犯人は声だけを入れるが。

この声は、プロの声優に入れて貰う事にした。

既に相当なベテランである。

現在の日本の声優は、演技の技量において安心感がある。

ただ。声優には経歴に染みを作る事になりそうだが。

まあ高宮映画は今、相当な客を集められるものとなっている。そうはならないか。

黙々と撮影を続けていく。

見えない犯人にたいして、どう演技をしていくのか。

俳優達は文字通り四苦八苦。

勿論劇団でやるようなレベルが高い演劇だと、相当に無茶ぶりをされるような事もあるのだが。

それはそれとして、高宮の無茶ぶりは更にレベルが一段階上なのだ。

俳優達が死にそうになっている中。

時々日野が休憩を提案。

高宮も、それを適当に受ける。

日野がスポーツドリンクとかを差し入れしている。スタジオの気温は、寒いくらいに保っているのだが。

それでも、やはり疲労が溜まるのだろう。

皆がごくごくスポーツドリンクを飲み、トイレに行っているのを見て。

高宮は満足。

日野は辛そうにしていた。

スタジオでは出来るだけ話さないようには配慮しているようだ。日野も。

以前色々あったし。

それから助けたのは高宮だ。

今ではフリーランスからの専属契約もしている。

それを考えると、高宮は日野にとっては頭が上がらない相手である。

ただし、そろそろ高宮としては同志に加えたいと思っているし。

うすうす日野も、なにかろくでもない事に巻き込まれそうになっている事は理解しているのだろう。

それでも生真面目なのだ。

だから、高宮に対して反旗を翻そうとかもしないし。

かといって虐げられる俳優達を守ろうとも苦労している。

いい奴なのである。

そしていい奴が損をするのが今だ。

本当にろくでもないな。

そう思いながら。高みは淡々と次に進む。

休憩から戻って来た俳優達に、すぐに演技に取り組ませる。

刑事が仕事をしているはずなのに。

デスクで意味不明の会話を淡々と続けている様子は。小道具大道具なども、新人は見ていて頭がくらくらするらしく。

ダイレクトに正気度をやられた奴が、時々先輩に庇われて休憩所に向かったりしている。

まあどうでもいい。

撮影を続行。

そのまま撮影をしていくと。

今日も定時が来た。

手を叩いて、撮影を切り上げる。

どんなに忙しくても。高宮以外の人間が定時後もスタジオに残る事は許さない。

これは基本則だ。

高宮だってスタジオには残らない。

残業は美徳でもなんでもない。

ただ人の命と時間を削るだけの悪習だ。

高宮自身だって、残業をしないように徹底的にスケジュール管理をしている程なのである。

それがそもそも、残業をするのが美徳みたいに考えられている時点でおかしいと考えている。

だから高宮自身は絶対に自分の職場では残業をさせない。

それだけだ。

前に、残業をしようとして。更に逆らおうとしたバカがいたので、そのまま即座にクビにしたことがある。

そいつの事を惜しむスタッフもいたが。

徹底的にやっている管理に対して、何も言えなくなったのだろう。

それにホワイトな職場であることは理解出来ていたのだろう。

それを敢えてブラックにするのも意味がないことだ。

やがて。反発もなくなった。

撮影が終わった後、自宅に到着すると。

メールが来ていた。

井伊からだ。

「海外の大手メディアからの取材があった。 馬鹿にする目的での記事作成ではなく、それなりに真面目な取材な様子だ。 うけるかどうかは其方で決めてほしい」

「それなら条件を提示で」

「石山とおなじ条件でいいか」

「それでいい」

やりとり終わり。

法的なのとかが関係する場合は、井伊に全て任せてしまう。

海外メディアも、日本と同レベルであることは承知している。

最初の頃に取材を申し込んできたのは、それこそカスみたいな連中ばかりだったから、内容を吟味して即座に取材を断っていたが。

今回はそれなりに本腰を入れてきたと言う事か。

それならば、好きに取材はさせる。

ただし、此方の条件を呑めば、だが。

飲めないならお帰り願う。

それだけの話である。

 

井伊に交渉を任せて、数日。

海外メディアの話が来ない事を考えると、高宮が提示した条件があまりにも厳しすぎると判断したのかも知れない。

或いは背後になにかろくでもない意図や思惑があった可能性もある。

まあ、放置で良いだろう。

そのまんま、撮影を淡々と続ける。

スタジオの外にはマスゴミの記者が彷徨いているが。

高宮はスタジオから出ると、即座に自家用車で帰ってしまうし。

俳優は撮影後にもきちんと警備員が送迎しているので。

隙が無い。

撮影が終わり。伸びをする。

とりあえず今日はここまでだ。

皆に帰るように促すと。

日野が珍しく話しかけて来た。

「高宮監督」

「ん?」

「みんな不安がっています。 いつもの撮影と同じつもりでやっていることは分かっているんですが、少しは皆の不安を取り除いてくれると助かります」

「そんな事はプロなんだから……」

そう言いかけるが。

考えて見れば、どいつもこいつもプロとしてはひよこ同然か。

劇団で揉まれているとはいえ。それでもこの業界で飯を食っていくようになってからはまだ日も浅い。

それならば。ある程度日野の言う事も正論ではある。

少し考えた後に。

一日あげるから、日野から好きなように皆に諭してほしい、という。

まあ前倒しで休日を一日潰すだけだ。

そのくらいのスケジュール管理は難しく無い。

ただ、明日いきなりは無理だ。

数日後にその日を用意すると言うと。

日野は青ざめながらも頷いていた。

まあそれはそれで。

帰宅する。

そうすると、井伊から連絡が来ていた。

今日はちょっと面倒くさいな。そう思いながら、メールの内容を見る。

「相手側が条件交渉に応じない。 なんだか調子に乗ってるんじゃないか的な事を言っている」

「そ。 じゃ、門前払いで」

「了解。 もしも叩き記事を書くようなら、内容次第で告訴?」

「それでよろしく」

後は井伊に任せる。

やはり、か。

いい顔をしてすり寄ってきて。

その結果がこれだ。

やっぱり国を問わずマスコミなんてロクな代物じゃないな。それを良く理解出来たので、高宮は嘆息する。

まあ、そもそもだ。

海外でも、映画の業界人と。

映画関係のメディアはズブズブ。

それについては、石山が集めた情報から確認できた。はっきりいって、もう芸術の本来の意図である「楽しい」や「娯楽」からは。完全に逸脱してしまっている。

高尚な芸術はそれはそれでいいだろう。

だが。最初は娯楽から来ている。

それを忘れてしまった以上。

一度、最初の位置に戻るべきだ。

やはり海外も一緒にこの業界をまとめてひっくり返すべきなんだろうな。そう高宮は思った。

 

2、陥落

 

刑事物の撮影が順調に進む中。

高宮の所に連絡が来る。

国内の何とか言うマイナーな映画賞で、受賞したというのである。そう、とだけ答える。興味が無い。

どうやら新規に創設された賞らしいのだが。

今業界を牛耳っている連中以上に拗らせた連中が審査員をしているもので。

どうやら業界人の派閥抗争の末に誕生した賞らしい。

はっきりいってすこぶるどうでもいい。

とりあえず授賞式には出るが。

それ以上関わるつもりはない。

そうとだけ伝えておいて。

高宮は撮影を続けた。

国内で、混乱が始まっている。

高宮映画が「権威」を得てしまって。それが海外の賞を得たことによって、完全に固定された。

その結果。

高宮の作る「不愉快にならないクソ映画」「見る睡眠導入剤」が、スタンダードの立場を完全に確保してしまったのである。

映画館には以前より確実に人が来るようになった。

だが、映画館は。

快眠のために通う場所、という変な認識が同時に生じつつあった。

中には、高宮映画を連続で流すことで、長時間の快眠を、とうたう場所まで出始めて来ている。

それらに対して。

評価している業界人は、顔を真っ赤にして怒りのコメントを寄せていたが。

もはやそんなものには、誰も興味を見せないし。

高宮は高宮で、毎日コーヒーの写真をSNSに上げているしで。

彼らの怒りはからまわりするばかりだった。

SNSでは嘲笑が渦巻く。

頓珍漢な評価をしている業界人。

国内外、関係無しにだ。

「高宮の映画って、何でこんなに意識高い系の連中に変な評価されるんだ? 確かに不愉快にならないクソ映画っていう変なジャンルだし、たまに見るとすごくよく眠れて寝落ち出来たりして世話になってるけどさ。 そんなに高尚かこれ」

「いちおう作中での会話はそれなりに哲学的なのを盛り込んでるけど、それが余計に退屈さを増す要因になってる」

「そうだな。 退屈というよりも、眠りに一気に引きずり込まれる感じだけど」

「いずれにしても、何というか……業界人の連中、芸術家を気取る割りには何だかおかしいよなあ」

SNSでの評価は散々だが。

これに文学系の人間も加わる。

まあそれもそうだろう。

特に純文学系列は、ここ最近ずっと駄目人間のクズ人生を如何に緻密に書くかに終始しているものが多く。

それが評価される傾向がある。

高宮も一時期「権威ある」純文学賞を取った作品は目を通していたのだが。

はっきりいってうんざりするレベルのクズ人生がオンパレードになっていて。

見ていて溜息しか出なかった。

これは深淵を覗く行為だ。

一番文学が深淵を覗いていたのは、恐らく私小説が流行した頃だろうが。

それに近いか、それと同レベルで「芸術」としては拗らせてしまっている。

結果として、純文学で賞を取る作品は。

如何にクズ人生を描くかを必死に追求したものとなり果てている。

確かに人間はクズだが。

創作でまで、クズのカス人生を如何に緻密に描写するかを競わなくても別に良いと思うし。

それだけが人間を描くことでもないだろうに。

別に人間賛歌を書けとまでは言わないが。

ここまでどうしようもないカス共の人生をそれぞれ見せられると、はっきりいってげんなりする。

似たようなジャンルは幾つもある。

文学でもゲームでも、創作ではなんでも。

そしてそれらのガチ勢を自称する連中は、既にもはや一部の人間しかみていないのにこういうのだ。

「衰退していない」、と。

あらゆるジャンルで見られる光景だ。

明らかに映画はそれになっている。

だから、高宮はひっくり返す事を決めた。

高宮の思惑に気づき始めている人間が少しずつ出て来ている今。

あまりもたついてはいられない。

SNSで、色んなジャンルの人間が。

自分の所にいる「ガチ勢」の醜態を語っているのを横目に。高宮はぼんやり頬杖をついて思惑を巡らせる。

次の目標は二つ。

国内にて、アカデミー賞を三度目の取得。

そして海外にて。

この間大賞を逃したフランスの映画賞で、大賞を取る。

この二つだ。

これらを達成出来れば、既にもう事はなったも同然。

後は全ての手を打ってから。

暴露するだけだ。

それで、権威は全て粉みじんに砕け散る。

やっと映画界隈は。

腐りきった権威から解放される。

それでいいのだ。

本当に権威が、価値のあるものだったら。何があっても守り抜かなければならないだろう。

伝統と一緒に育ってきたものだったのなら。

尊重しなければならないだろう。

だが、今の映画界隈の権威は本当にそうか。

ポリコレ等という思想を掲げた人権屋が食い込み。

芸術を歌いながら、娯楽の本来の目的である楽しさを忘れ。

結果として、楽しさを追求しているアニメ映画や特撮映画が一番稼いでいるのに。

権威に居座っている連中は、それを失笑して回っている始末。

穀潰しが権威に居座り。

自分達の感覚で「素晴らしい映画」を決め。

それでふんぞり返って。

自分達の認めたもの以外は全てゴミと決めつけている。

こんなものは、早々に潰すべきである。

メールが来た。

石山からだった。

「記事が出来ました。 目を通して貰えます?」

「OK」

さっと目を通す。

頼んでおいた記事の幾つかだ。

なお、まだ公開しない。

内容は、業界人の腐敗についてだが。

なるほど、よく調べてある。

資料を彼方此方から取り寄せて、丁寧に調べている様子は、本当に頭が下がる思いである。

最初に真実を決めつけ。

その決めつけた真実を補完するために取材をするのが当たり前になっている今。

石山のやっている事は、本当に異端であり。

誰もやっていないことだ。

だから価値がある。

「うん、これでいい。 資料についても悪くない」

「そう言われると嬉しいです。 ちょっと疲弊が酷いので、温泉にこれから行ってきますね」

「行ってらっしゃい」

さて、これでいい。

今公開中の映画も絶賛放映中で。

どこの映画館でも、高宮映画をどれかしらいつも流している状態だ。

そうすることによって、客が来る。

客は殆どの場合、快眠するために来る。

かくして映画館はすっかり安眠のための施設と化しており。

ついに最近。

高宮映画を四作品、深夜帯に放映するという狂気の沙汰を開始した映画館も存在し。

それによってぐっすり不眠症の人達がねむって。

すっきりするという、狂気の沙汰が始まっていた。

もはや映画とは何なのか。

さっぱり分からない状態だが。

むしろこれが結実というものだろう。

もしもだ。

業界人共がこのままやりたい放題を続けていたら。

娯楽を主体にした映画は、或いは追われる可能性がある。

実際、どれだけ稼いでも。

アニメ映画も特撮映画も、業界人からは鼻で笑われ。賞を取っても嘲笑されるような状態が続いていたのだ。

そういう連中はコネももっているから。

或いは映画館で放映させないとか。

テレビでも放映させないとか。

そういう事をやり始めかねない。

業界人共が推奨する作品を見せて、「愚民を啓蒙する」ためである。

ないとはいえない。

幾つもの創作芸術のジャンルで、実際に起きてきた事である。

その結果、意識が高い連中が好む作品ばかりが並ぶようになり。

うんざりして誰も見なくなり。

やがてジャンルとして衰退していく。

頑なに、「ガチ勢」だけが衰退を認めない。

そんな事態が来てもおかしくは無い。

その滑稽さを示すために。

高宮映画が今どう扱われているかは。はっきりいって、極めて後世にとって重要な資料となるだろう。

今日はもう寝る事にする。

撮影は終盤。

今撮っている映画を公開して、アカデミー賞三回目をとる。

フランスの映画賞の大賞は、次の映画で狙うことになるだろう。

それで、全ての準備が整う事になる。

そのためには、力をしっかり蓄えておく必要がある。

逆にいえば。

それ以外は必要なかった。

 

撮影が終盤にさしかかり。

俳優もまばらに出勤してくるようになった。

高宮の映画は、スケジュール管理をガチガチにやっているから、俳優を長時間拘束しないし。

何よりも休みも柔軟にとる事が出来る。

撮影の順番の流動的で。

脚本の序盤を、最終版の撮影で撮る事もある。

そういうものだ。

スケジュール管理さえしっかり出来ていれば、こういう離れ業も出来る。

勿論俳優には役作りで苦労して貰う事になるが。

それはだからこそ。

劇団経験者の俳優を採用しているのである。

それくらいの無茶ぶりを、しっかりクリア出来て貰わないと困る。

最初にこれを意識したのは。

芸大で自主撮影した映画の時だっただろうか。

芸大には俳優育成科もあったが。

中には芸能界で稼ぐ事しか考えていないようなのもいて。

その手の連中は、とにかく自分を表に出すことだけを意識し。

はっきりいって何もかも舐め腐っていた。

ああいう連中を実際に見ていると。

大御所タレントだの、お笑い芸人だのを映画に起用する神経が理解出来なくなってくる。

そういうのは、タレントやお笑い芸人として活躍するべきであって。

映画に出すべきではない。

今後もこの意見は変わらないだろう。

演技のプロに、演技をやらせればいい。

ただそれだけの話だ。

客寄せになるとかいう滑稽な意見もあるが。

実際には、客寄せなどにはならない。

そんなのを出しても、演技の質が落ちるだけだ。

だれが大根演技を見たいと思うのか。

「はいカット。 それでは五分休憩」

今日は石山は来ていない。

此処の所取材で時々顔を出していたのだが。

以前に取材を頼んだときほど、念入りな取材でスタジオに貼り付いている事はなくなってきた。

まあ温泉休暇中だ。

記事を書くとき、石山は数キロ体重を落とすくらいに入魂する。

だから、温泉休暇はそれはそれでいいだろう。

黙々と撮影を続けていくと。

今日の撮影が終わった俳優が出たので、帰らせる。

定時どころか昼前だが。

後はもう必要ない。

ましてや、演技の勉強が出来る場所でもないし。

「では、今日はここまでね。 お疲れ様」

「はい……」

「ゆっくり休んでね」

俳優がぐったりした様子で行く。

今日も来ていた日野茜が、心配そうに背中を見ていたが。

まあ此方ではどうすることも出来ない。

無言の高宮を見て。

流石に思うところがあったのか、日野はこっちに来る。

「あの、高宮監督」

「なに?」

「もう少し、俳優を大事に扱ってくれませんか?」

「大事に扱ってるよ。 定時で返してるし、今日だって必要もないのに職場に縛り付けたりしてない。 日夜逆転の生活とかを強要させたりもしてないし。 何よりも自主性をこれ以上もなく尊重している」

ぐうの音も出ない正論なのだが。

日野は違う方向から反論してくる。

「そうじゃなくて、メンタルケアやそういう面を……」

「まあ私の映画に出ることで、正気度をゴリゴリ削られるのは事実だけれども。 その辺りのメンタルケアは、主に過重労働で壊れたときに行うべきではないのかなあ。 私は休暇はきっちり出しているんだから、その休暇でプライベートの時間を作って、ゆっくり休むべきだと思うよ」

「若手の俳優に、そんな時間は……」

「なら。 私の作る事務所に勧誘する?」

口をつぐむ日野。

この映画が公開された頃には。

少し計画を前倒しして、事務所を作る。

一期生の一人は日野だ。

他にも、劇団から出たばかりの俳優を、数名囲う予定である。

この事務所では、高宮映画だけではなく。

高宮のいる配給会社の、他の監督の仕事も斡旋する。

そしてスケジュール管理はガチガチに行って。

残業はさせない。

残業なんてものは、無縁の場所にする予定だ。

芸能界とやらでは。残業が美徳の体育会系思想が未だにまかり通っているが。

それと同じにはしない。

「それは……」

「それは?」

「た、高宮監督の映画にずっと出していたら、きっとおかしくなってしまいます!」

「過重労働でずっと心身共に痛めつけ続けた方が、おかしくなると思うけどなあ」

芸能界を見ろ。

カルトにはまる奴。

薬物に手を出す奴。

元々犯罪組織や反社会組織との癒着が強い業界とは言え、あまりにも道を踏み外す奴が多すぎる。

売れている時には睡眠を一日二時間だけ、とかいうような狂ったスケジュールで働かせ。

絞れるだけ金を絞る。

売れなくなったり、スポンサーの機嫌を損ねたら干す。

そんな事をやっている業界だ。

それは人だって壊れるし。

人材だって、変なのばかりが残る。

当たり前の話だろう。

「私の映画で正気度を削られるのは事実かもしれないけれども。 はっきりいって、タコ部屋労働も同然の業界よりはマシだと思うよ」

「それはそうですけれど……」

「さ、撮影撮影。 次のシーンの準備をして」

反論が厳しいと判断したのか。

日野が戻っていく。

マスクで隠しているから、あくびしているのは周囲に見えない。

いずれにしても、ちょっと気が抜けてきているか。

気を付けなければならない。

いずれにしても、この映画も最後までしっかり撮影する。

それで、次に計画が進むのだ。

刑事物とは思えないシーンばかりが撮影され。

俳優達の正気は、一シーンごとにどんどん削り取られていく。

日野が演技を精一杯やっているが。

他の俳優達は、もう息も絶え絶えだ。

定時が来る。

そのまま皆を帰宅させるが。

別の意味で疲労困憊になっていて。その場で倒れそうな俳優もいるので。既にタクシーは呼んである。

それでいいのである。

俳優達を帰らせた後。

高宮も自分の車で戻る。

日野は俳優達を心配していたな。

まあ、それが出来ると言うのは立派だ。

新しく作る事務所で、スターター要員になって貰えるだろう。

そして、逆らえるというのは良い事だ。

高宮に、これ以上もない好待遇で雇われているのに。日野は、きっちり自分の意見を口にする。

それでなければならない。

イエスマンなんかいらない。

日野がしっかりこういう事をしてくれるからこそ、高宮は日野を評価しているのである。

さっきも反論されたけれども。

それを一切合切気にもしていないし。

むしろ心地よいとさえ思っていた。

家に着く。

スマホの電源を入れると。

会社から、連絡が来ていた。社長からのメールである。

どうやら業界人の一人から、らしい。

高宮の映画撮影は順調か、と聞いてきている様子だ。

この様子だと、どうやら映画の内容関係無しにアカデミー賞は内定なのだろう。

反吐が出る話である。

だから、適当に応じておく。

「現在映画の撮影は最終フェーズに入っています。 後は編集作業があるので、もう少しですね」

「そ、そうか。 それは良かった。 君が我が社で一番稼いでくれているからね。 本当に頼むよ」

「分かっていますよ……」

何もかも、流行の廃れが早い今。

とにかく快眠出来るという理由で、高宮の作る映画はどれもロングランを続けているのだけれども。

それは逆に言うと。

はっきりいって、どれも普通の人間にとっては同じ、と言う事も意味している。

それぞれの映画が個性的で、それらを何度も見に行くような人もいるけれども。

高宮の映画は、虚無なのだ。

どれもこれもが。

どれもこれも、一応違うジャンルを扱っているが。

それが全く頭に入らないレベルの代物なのである。

だから快眠用に皆うきうきで見に来て。

すっきりねむって帰っていく。

異例のロングランが続いているのも、それが理由であって。別にそれぞれの映画が魅力的なのでは無い。

その真逆だ。

そんな事も分からず、時代の寵児と持ち上げ。

芸術性が高いだの考え。

挙げ句出してもいない映画にアカデミー賞の内定か。

はっきりいって、潰す事に何の躊躇も無い相手だ。

恩があるとかいう奴もいるかも知れないが。

恩などあるものか。

映画業界をどんどんつまらなくしていっている連中だ。

映画界隈にとっての寄生虫であって。

高宮が駆除しないのであれば。

やがて映画という文化そのものを食い潰すだろう。

隣の国が、今人権屋に映画を食い潰されそうになっているのと同じように。

それをさせてはならないのだ。

「それで、それだけですか?」

「ああ、うん。 それだけだ。 じゃあ、よろしくね……」

「はい」

やりとりを終える。

芸がない二代目が。

虚名に萎縮して、好きかってされているのにこんな態度を取って。はっきりいってどうしようもない。

此奴をクビにするのは、それはそれで駄目だ。

芸がない二代目だが。

一応、飾り物にはなる。

井伊と小野寺が操り人形にしておけば、対外的な社長としては機能するし。

最悪の場合、蜥蜴の尻尾斬りをしてしまえばいい。

そういう意味でも、おいておく価値はある。

さてと。

風呂を沸かしながら考える。

これで、陥落したな、と。

高宮映画、というだけで。

国内では、アカデミー賞が内定するようになった。それも、まだ出てもいない映画が、だ。

これは業界の致命的な腐敗を意味するのと同時に。

高宮が完全に、この業界を乗っ取った事を意味している。

勿論、映画業界そのものを高宮が好きかってできる訳では無いが。

少なくとも、意識高い系の業界人は、もう高宮には逆らえない。

井伊に連絡をしておく。

先の話をすると。

井伊は提案をしてきた。

「そいつを呼んで、晴に対応させる」

「お、潰す準備?」

「そう」

井伊もその辺りは分かっている。

失言を徹底的にさせておいて。

潰すときには、活用するというわけだ。

任せる。

小野寺とも、連絡をきっちりして。綿密に打ち合わせをしておくようにも告げておく。井伊ならしくじることは無いだろうが。

それで万全になる筈だ。

さて、此処からだ。

脚本を漁る。

そして、取りだす。

今撮影している次の映画。フランスの映画賞を考えると更にその次か。

次の次の映画で、いよいよ全てをひっくり返す。

その脚本を取りだす。

今までは、意図的に虚無を撮影してきた。

だが、これは違う。

これはそういう意図で作った映画では無い。

今までの虚無映画で、触手を伸ばしてエサを深淵の巣穴にかき集めて来た。

後は、この最後の映画で。

エサとして集めた人間を、全部まとめてすり潰すのである。

脚本に軽く目を通す。

何度も何度も目を通した脚本だ。

これでも、どうすれば映画が面白くなるかはしっかり心得ている。

だから。その心得通りに映画を作るだけである。

それで、全てが終わりだ。

全てが、陥落する。

 

3、三度目の、そして鉄壁の

 

真面目に映画を撮って、客を楽しませようとしている人もいるのに。

高宮の撮った刑事物は、事前の談合通りアカデミー賞の大賞を取得する。これで三度連続である。

業界人どもがコメントしている。

いずれもが、滑稽極まりない内容だった。

「芸術の何たるかも分かっていない映画が多い昨今、久々に見る芸術性が高い素晴らしい映画だ。 今後も高宮監督には、こういった映画を撮影していってもらいたい」

「まさに時代の寵児と言える。 これこそ、歴史に残る映画として語り継がなければならないだろう」

「アカデミー賞の三回連続受賞も当然の傑作」

「今後映画の規範とすべき作品である」

業界人共には派閥があるのだが。

それでも、このときばかりは連中も結託する。

或いはどこかで自分達と映画を見に来て金を落としていく人間の価値観が、決定的に乖離している事に気付いているのかも知れない。

まあもう手遅れだが。

案の定、アカデミー賞の審査員のコメントは。

SNSでは嘲笑とともに迎えられていた。

「いや、ある意味で映画の歴史に残る作品だとは思うけどさ。 こいつらってオツムどうなってるんだ?」

「意識高い系」

「それは分かってるけど、高宮自身はどう思ってるんだろうな」

「最近少しずつ本人がどういう奴かはわかり始めたけど……さてな」

石山の記事。

それに、幾つかのエピソード。

少しずつ、情報を開示している。

今まで、SNSでコーヒーの写真を毎日同じ時間に投稿するだけの怪人物だった高宮は。

今の時点では、それなりに知名度があり。

少なくとも嫌われてはいないようだ。

地蔵の高宮という渾名は既に定着しており。

それはそれとして。

不可思議な人物として。

映画に関わる人間からは、興味と恐怖が入り交じった視線で見られている。

そんな様子が、少しずつ周囲に漏れる度に。

高宮という存在で遊ぼうとしていたSNSの者達は、皆困惑する。

高宮がアホ丸出しだったら、それはそれで玩具にしていたのだろう。

だが、どうも違うらしいこと。

何よりも、どうしても作る映画が理解不可能なこと。

それに、だ。

どうもやはり、少しずつ皆気づき始めている。

高度な計算のもと。

虚無映画が作られている、ということについてだ。

それに気づいてしまえば、後は恐らくだが。

最終的には、ブレークスルー。いやパラダイムシフトが起きてしまう。

それが起きる前に。

フランスの映画賞で大賞を取って、決めてしまう。

次の映画は、フランスの映画賞で大賞を取るためにとる。

向こうの業界人も、うちの国のと同じ連中だと言う事は、はっきり分かったのだから。それでとれる。

何しろ、向こうの映画雑誌でも。

高宮映画医に対する業界人の評価は。芸術的に優れているだの何だので。

こっちと代わりはしないのだから。

人間なんか、どこの国でも同じだ。

つまるところ、そういう事である。

一応アカデミー賞の授賞式には出て。

無難なスピーチをして。

申し訳程度に立食パーティに出た後。

すぐに帰る。

下戸だと言う事にしてある。

まあ実際酒はあまり強くないのだけれども。

下戸だと言う事にしておけば、今は酒は断りやすくなっている。

まあ一部では、まだ一気のみを強要したりする邪悪な文化が残っている場所もあるようだが。

幸い、授賞式で。

受賞した監督を潰して遊ぶような文化は存在しない様子で。

それだけは安心した。

マスゴミをさっと避け。

用意していたタクシーでささっと帰る。

案の定待ち伏せしていたマスゴミはいたが。

高宮は気配を消して連中を避け。

タクシーに滑り込むことに成功。

あの記者共は、明日には編集長に大目玉を食らうだろうが。そもそも取材許可を出した覚えはない。

スクープをとろうとはりついている記者なんて。

はっきり言ってハエと同じだ。

ハエに配慮する必要なんぞない。

ほろ酔いのまま、自宅に到着。立食パーティで食った物を全部吐いてやりたくなったが。食べ物を無駄にするのは許されない。

我慢して、ソファに転がる。

ぼんやりしていると、メールが来た。

小野寺からだった。

「どうやら大変だったようですね。 授賞式の様子は一応動画で見ました」

「は。 そもそも私が内定していたみたいだし、茶番だね」

「その通りだと思います。 私が応対した業界人の大物という方も、はっきりいってもうまともな思考力や審美眼は持っていないものだと感じました」

中々小野寺も辛辣だ。

この間、内定が決まったと言う事で、そいつが会社に来た。

ひたすら恐縮する社長と一緒に、小野寺が出る。

撮影で忙しいと言う事で、高宮はその場に出無かったが。

不愉快そうになった其奴を、小野寺が驚異的な話術で引き留め。

帰る頃には上機嫌にさせていたという。

流石は意思疎通の達人である。

社長一人では、こうはいかなかっただろう。

そして会話の内容は。

全て録音してある。

一応、本人に見えるように、議事録として録音すると小野寺は説明したようだけれども。

勿論議事録などにつかうつもりはない。

破滅させるために使うのだ。

腐りきったアホ共を。

ただ、今はまだそれは明かさない。

全てが終わる時に。

まとめて明かすのである。

そのための武器は、今はとにかく、一つでも多く準備しておかなければならないし。小野寺もそれは理解している。

「一応聞いておくけれど、懸念事項はある?」

「いえ、特にないと思います。 現時点で高宮監督に多分あの人達は疑問を持っていないようです。 高宮監督は慎ましい方だと感じているみたいですね」

「ふっ……」

「私から見ると、怖い人なんですけどねえ」

小野寺がふふふと笑う。

高宮もふふふと返す。

怖い、か。

まあ業界そのものをぶっつぶそうとしているのだ。

そう感じてもおかしくは無いか。

だが、小野寺は今の仕事を楽しいと感じているようだし。何よりブラック企業に放り込まれて潰されずに済んだことを感謝もしている。

それならば。というわけか。

まあ小野寺は意思疎通の達人だ。

それと同時に、自分を隠す達人でもあるだろう。

ひょっとしたら。

いや、まあそれは無いか。

いずれにしても、高宮も寝首を掻かれるつもりはない。あらゆる事に、今後も備えておくつもりだ。

「じゃ、石山に連絡はしてあるから、連携して動いておいて」

「分かりました。 後、事務所は設立するんでしたね。 こっちで色々な事はやっておきます」

「よろしく」

通話を切ると。

ふうと嘆息した。

後は風呂に入って寝るだけだが。

流石に風呂桶で頭を打ったりとか、風呂場で転んだりとか。そういうのは避けたい所だ。

慎重に風呂に入って。

ゆっくりと疲れを取る。あの腐りきった立食パーティ会場。業界の重鎮やらがゴロゴロいたが。

そいつらが揃いも揃って、高尚な芸術とやらの映画を談合で決め。

一番稼いでいる映画を馬鹿にしている。

救いようが無い。

ともかく、あそこはゴミ箱だった。

それも放置しているから、中にゴキブリやらハエやらが繁殖している、である。

やっぱり吐き戻そうかと思ったが。やめておく。

食べ物に罪は無い。

米粒には七柱の神が宿るなんて言葉があるが。

それはどんな食べ物だって同じの筈だ。

ため息をつくと、風呂から上がる。

そして早々に寝ることにした。

なお、高宮の授賞式は、それなりに視聴率が出たそうだ。ただし、テレビの視聴率は右肩下がりが続いている。

殆どの視聴者は、動画で見たのだろう。

それも当然だ。

いつでも見られるし。利便性も高いのだから。

 

さて。

次の映画はフランスの映画賞向けだ。

フランスの映画賞向けとなると、やはり日本物が良いだろう。

そう判断して、水軍を題材にしたものを出す。

水軍。

日本で言う海賊だ。

とはいっても、欧州の海賊ほど残虐非道ではない。どちらかというと、流動的に縄張りをもつ武士という印象で。

略奪と殺戮で稼いでいた欧州の人面獣心の連中とはだいぶ違っている。

残虐さで言うと桁外れな欧州の海賊とは、流石に比べるのが失礼ではあるが。

それはそれとして、海での撮影が増える。

また、水軍と海賊の違いを本来は説明する必要があるが。

それもまた、色々変えて行く必要があるだろう。

時代考証もきっちり呼ぶ。

今回は村上水軍でも扱おうと思ったが。

流石に村上水軍では色々問題があるかと判断。

架空の水軍を作り。

それに、幾つかの水軍で使われていた戦術や、船などについてレクチュア願った。

専門家はかなり頑固そうな年老いた学者だったが。

専門的な船などの構築については、全権を委任するというとそれで大喜びして。

気むずかしそうな顔がさっと明るくなった。

それはそうだろう。

こういうニッチな専門家は、好きかってやってくれというのが一番全力を引き出す事が出来るのである。

小道具大道具と話して。すぐに道具の作成に取りかかって貰う。

ちょっと今回の映画は撮影に時間が掛かりそうだな。

そう思いつつも。

道具にこだわって貰い。

そして、俳優にも少しずつ意識を変えて貰う。

本当の本番は次だ。

この映画は。あくまで序章に過ぎないのだから。

 

映画の撮影が開始される。

今回から、高宮が開設した事務所に俳優を迎え、その人員で演技を行う。

この俳優には、今までの映画で起用したメンバーと、日野をスターターメンバーとして雇い入れた。

とにかくホワイトな職場というのは間違いなく。

俳優達も皆、異次元の待遇に驚いていたが。

それはそれとして、高宮映画に出ると言う事に気付くと、目が死ぬのだった。

大道具小道具などの製作にそれなりに時間と金が掛かった。後は演技指導なども、である。

何しろ水軍に本格的にこだわったので。

色々と面倒な事になったのだ。

随分と予算も珍しく作った。

木造とはいえ、一から船を作ったのである。まあそれなりに金は掛かるのも当然だ。まあ、問題は。

それだけ手間暇を掛けて、誰が見ても退屈な代物を作るのだが。

ガチ勢を自称している業界人だけキャッキャしていればいい。

最後に現実を叩き込むためのハンマーとしての作品だ。

業界を私物化し。

人権屋を連れ込み。

好き勝手に金を搾り取ってきた連中をまとめて叩き伏せる。

そのための作品。

そのための退屈。

だから、これは仕方が無いと割り振る。

黙々と準備を進めていき。

そして海での撮影のスケジュールも組んでおく。

どうせ組み体操とか色々やるので、危険がないように徹底的に下準備はしておかなければならない。

今回はそういう意味でも。

下準備は徹底的にやらなければならなかった。

丁寧に下ごしらえをした料理が美味しくなるように。

しっかり準備をしておけば。

映画もコントロール下に置ける。

ただ。この場合高宮が殆ど独裁で映画を作っている、というのも大きいだろう。

良く老害監督が、制御が効かなくなって意識高い映画を作るようになり。誰も客がこなくなって。やがて誰からも見向きもされなくなると言うケースがあるが。

まあ高宮の場合は、その時は恐らく映画を作らなくなるだろう。

老害の恐ろしさは嫌と言うほど間近で見て来た。

だからそうなろうとは思わない。

それだけなのだ。

海に出て。

最初のカットを撮る。

とは言っても、時系列的に最初のものではない。

何隻かの船を借りて。作ってきた船を浮かべて。

それで撮影をする本格的なものだ。

なお許可を色々取らなければならなかったので。

時間も相応に掛かった。

現在が舞台なら、場合によっては自衛隊に協力を仰ぐことも出来るのだが。

残念ながら水軍が題材だ。

そういうわけにもいかない。

淡々と撮影を続け、そのままカットを続ける。

役者は今の時点ではまともなシーンが多いと安心しているようだが。

大丈夫。

本番は此処からだ。

なお、船はあらゆる角度から撮影を続けている。

コレは当時の水軍に詳しい時代考察のスタッフに頼んで、色々動かして貰っているためである。

今日は実質上船の撮影であって。

役者はおまけだ。

後で船の映像と役者を合成したりするのである。

以降は主に黒田に頑張って貰う事になる。

なに、これらは恐らく今後色々な素材としても使えるだろう。

最新の研究で復元した戦国時代の船だ。

大河ドラマとかで使用許可とか求められるかも知れない。

ともかく、色々と撮影はしておく。

スタッフも、船の撮影がメインだと言う事は聞かされているから、気を抜く様子はないが。

それでも時々釘は刺す。

たまに、こういう撮影の時。主旨を理解出来ていないスタッフがいるのだ。

だから事前に軽く話はするし。

役者にもそれは話してある。

今回の映画では、合成を主体にして。どうしても船上でしか撮影出来ない部分以外はスタジオで撮影する。

これは単純に安全性のためと。

こういう状況で作ったとは言え。

此処で使う船は、後で博物館行きが決まっているからである。

博物館に収めることで、貴重な復元品となるし。

それが歴史考証の通りきちんと動いていたかも資料としてとれる。

実際、過去の船を最新の説に基づき復元して海に浮かべた結果。

その場で沈んでしまったという例もある。

こうやってきちんと浮かぶことを試しておく理由はある。

また、一時期流行った謎の騎馬隊存在しない論などは、木曽駒などの研究が進んだ結果否定されてきているし。

現在の人間が、実際にこうやって試してみることで。

ちゃんと使えるかどうか、調べる事には大きな意味があるのだ。

映画の撮影だけでは無い。

そういう意義もある撮影なのである。

そして、撮影のために金がとにかく掛かるので。

博物館に寄付して、多少は以降の損失を抑える。

そういう意味もあるのだ。

ちゃっかりしている、とは言えるが。

撮影を続けていき。

役者の分は全て終わり。

後は、あらゆる角度から船を撮影し。色んな波での挙動を見たり。或いは時代考証のスタッフが動かして見て、様子を確認する。

側には海上警備の船も来ている。

もしも事故があったときのための対策だ。

こう言う撮影である。

事故が起きる可能性は充分に考えられるし。

その時、本職が控えていないと死亡事故にまで発展する可能性だってある。

だから公務員は大変だし。

こう言うとき、公務員が機能している方であるこの国は一応有り難い場所ではあると感じる。

海での撮影は三時までで切り上げ。

理由は定時もあるが、天候もある。

海での天候悪化は、尋常で無く危険だ。

だから、夕方から天候が悪化する予報を得て、このスケジュールで組んだ。

勿論必要な分の撮影は全て終わった。

これで可とすべきだろう。

港に引き上げ。

皆を帰した後、博物館の人間を呼んで船を引き渡す。船を感謝しながら運んでいく博物館のスタッフ。

まあこんな貴重なもの。

寄付されたら、それは嬉しいだろう。

実際には、昔だったらこうはいかなかっただろう。

今回の場合、船が出来た後、港で散々撮影し。

更にそれをCG加工できる状態を整え。

その上で海でも撮影し。

その結果、すぐに撮影は終わり。

博物館に引き渡す事が出来た、という状況である。

そのため、船も殆どいたんでおらず。

博物館の人間も、喜ぶ条件が出来ていた。

だからこそ国からも補助金が出たし。

ある程度出費も抑えることが出来た。

全て井伊がしっかり事前に計画を練ってくれたからこそ、出来た事である。これで充分だろう。

一通り終わった後、そのまま高宮も帰宅する。

今日は流石に自家用車とはいかない。

飛行機を使って日帰りするが。

まあこれは他の俳優達も同じだ。

多少は苦労して貰う事になるが。

その代わり出張手当はきちんと出す。

そういう事をやるからこそ。

高宮は、ホワイト職場だと誇ることが出来る。俳優は使い捨て。売れないアイドルはすぐに消える。

そんな風にやっていたから、芸能界はどんどん衰退し。今では面白くもないバラエティ番組で、年老いたスタッフが素人弄りしか出来なくなった。

会社も同じだ。

人材を育てなければ人材などいるわけもないのに、完成品の人材ばかり欲しがり。

挙げ句の果てに会社は親ではない等と言い放つ厚顔無恥ぶり。

今後も人材の流出と消滅は止まらないだろう。

当たり前の話であり。

自業自得だ。

高宮は、そんな連中とは一緒にならない。

それだけは、決めている。

自宅に戻ると、連絡が入っていた。

小野寺からだった。

「海上巡視艇からの指摘事項が来ている。 目を通してほしい」

「了解」

幾つか指摘事項があるので、見ておく。

元々海上の巡視艇は近年色々問題が領海で起きている事もある。

かなりぴりぴりしているようだが。

ただ、文面は比較的柔らかかった。

「安全配慮は十分と感じました。 また、指定の時間通りに作業を終わらせていたのも好感触です。 映画の撮影頑張ってください」

そうかそうか。

それは有り難い話だ。

いつも大変な仕事ばかりしていて、苦労も絶えないだろう。

そう思って、メールを閉じる。

井伊には目を通した旨の連絡を入れて。

それで休む事にする。

流石に飛行機で行き来したのは疲れた。

高宮は身体能力がそこまで高い方でもないし、疲れるものは疲れるのである。石山のようにガッツがあるわけでもないし。

石山みたいに身を削っても平然としていられるわけでもない。しかも石山はジムで体重を戻しているという事なので、はっきりいって凄いと言う言葉しか出無い。

まあ石山は記者という概念を完全に二次元方向に超越しているので。

そういう意味では、あれだけ出来ても不思議ではないのだろう。

高宮はそうではない。

だから、そのまま溶けるようにねむった。

翌日からは、スタジオに出る。

俳優達もきちんと出て来たので、安心した。

まあ、劇団で鍛えられているし大丈夫か。

そのまま、撮影を開始する。

そして、みるみる俳優達の目が死んで行く。

当然だろう。

昨日の撮影はあくまで高宮映画では例外だというのを忘れて貰っては困る。

先輩達に話は聞かされている筈だ。

此処にあるのは。

虚無を撮影する現場なのである。

まずは恒例の組み体操だ。

なお服装は皆ジャージでやってもらう。

水軍風の服装は、CG加工でどうにかする。

今ではそれくらいは、とても簡単にできるようになっているので。別に問題は特にないのである。

ひたすら組み体操を、数日撮影し続ける。

今回は組み体操にも気合いを入れるつもりだ。

途中、面白くなりかねない要素をいれてしまったので。

徹底的につまらなくするための要素にも気合いを入れる。

また、良くいる。

歴史的に見てどうだの。

史実と比べてどうだの言う。本職とは遠く及ばないくせに、設定のケチばかりつけるような連中に対しても、今回高宮は解を用意している。

現在最先端の説で復元した船を撮影に使い。

時代考証に本職を呼んで、演技指導などもしっかりした上で。

つまらなくする。

設定がどんだけ良かろうが。

如何に最新の説に基づいていようが。

話がつまらなければ虚無になる。

それをしっかり見せるつもりである。

勿論、そんなことをインタビューとかで語るつもりは無い。淡々と撮影を続けていき。そしてその結果虚無が出来ればいい。

いずれにしても、意識が高い阿呆どもにきつい仕置きをするために、この映画は作っているし。

今までの映画だって作ってきたのである。

だから、最終目的目前の今も。

それは変わらない。

フランスの映画賞を狙おうが、それは同じだ。

そもそも高宮の目的は。

最初から変わっていないし。

恐らく代わる事も無いだろう。

なお、海上の撮影シーンを取材したいと言って来た奴がいたが。

今まで散々不義理をやらかしている新聞社なので、一切拒否。

マスゴミはもはや完全に蚊帳の外に置かれ。

高宮に近付くことも。

勿論高宮の真意に気づくことすらも出来なかった。

既にブロガーなどの中にも。

高宮の映画が、おかしい事に気づき始めている人間が出始めているというのに。本職がこの有様というのは。

流石に、石山が本職に見切りをつけたのも分かるし。

それに石山が二次元記者と言われるのも、また納得の話だった。

 

撮影を淡々と続けていく。

フランスの映画賞向けだろうがなんだろうが、高宮の撮影スタイルは変わらない。

ただ、石山が時々取材に来る。

これは勿論、許可を出してから来て貰っている。

以前、密着取材をしたという事もあるだろう。

今回はフランスの映画賞向けの映画に対する記事を書くとしても。

撮影現場は今までと同じと伝えてもある。

あまり邪魔にならないように。

頻繁に足を運ぶつもりはないようだった。

それでいい。

本来は記者はそういうものなのだろう。

だが、いつの間にか、スクープをぶっこ抜くのが記者で。

サラリーマンだからスポンサー様の言う事を聞くのが記者だというのが定着した。

だから石山は「異常」だし。

本人もそれを認めている。

ネットでの二次元記者という呼び名も。

石山がどんどん高品質の記事をただで公開していくと。

やがて蔑称から褒め言葉に変わっていくのだった。

そして悲しい事に。

石山の評判を聞いて真似しようとする記者はいたが。

もはや人材をすり潰し尽くした新聞社に、それを真似できる人材など存在せず。

虚しく筆は滑るばかりだった。

ただ、それでも石山は。取材をするとなると、一日スタジオにいて、無言のまま丁寧にメモを取る。

今回は俳優達のコメントを必要としていないようすで。

休憩時間に五分だけ、という感じで取材をするつもりは無い様子だ。

とにかく邪魔にならない場所を最初に指定し。

そこに座って、徹底的に大人しくしている。

このため、傲慢な記者になれている撮影スタッフも、石山に対しては不快感を覚えないらしく。

陰口をたたいたりはしていないようだった。

また彼女が噂の「二次元記者」だという事も知らせていないから。

今時出来た記者もいるものだと、驚いているようだった。

それくらい、特権階級と自身を勘違いして記者が傲慢の限りをつくしてきたということである。

今回の映画は、高宮が作りあげてきた虚無の集大成だ。

そして、これでフランスの映画賞の大賞を取れば。

ついに最終段階に、計画は移行する。

その時こそ、映画業界がひっくり返り。

上層部でふんぞり返っていた、業界人どもは全員その威信を根元から失うのである。

それをやるためには、前時代的なスキャンダルのすっぱ抜きなどでは駄目だ。

どうせ蜥蜴の尻尾斬りで全てが終わる。

だいたい大マスコミがスポンサーと癒着して、その提灯記事しか書かない現在。

そんなスキャンダルは出ようが無いのである。

だから高宮がやる。

全てを終わらせる。

最大限の虚無を。

この映画に込める。

黙々と撮影を続ける高宮だが。ずっと、口元は笑みの形に歪み続けていた。

そのまま、全てを終わらせる。

終焉の映画を、ついに撮っているのだし。

こいつがフランスの映画賞で大賞を取れば。

以降、虚無映画を撮る必要もなくなるのだから。

 

4、おぞましいまでの虚無

 

高宮の映画。

本格水軍映画が公開され、発表される。

客はたくさんくる。

映画館にはたくさんの客が来たが。

なんと中には、枕まで持参している強者もいた。

既にマスコミが何を言おうが、高宮映画の評判は決まっている。

見る睡眠導入剤。

不快にならないクソ映画。

快眠が確約される二時間。

以上である。

水軍なんて、一部の歴史マニア以外はどーでもいいのである。結論から言うと、これがフランスの映画賞狙いでなければ、それこそ水軍もCGで撮影してしまっても良かっただろうと高宮は思っている。

客は水軍の緻密な設定なんて求めていない。

一部の自称マニアは求めているかも知れないが。

そんなものを満たしたところで。

映画は面白くなどならない。

そういう事だ。

それを、高宮が虚無の極限映画を撮る事で、示す。

ほら自称ガチ勢。喜べよ。

お前達が望んだ、最新の説に基づいた水軍の映画だぞ。

そうやって公開してやる。

勿論、それにガチ勢が喜ぶ事は無い。

開始三分で夢の世界に強制連行だからである。

以降は映画が終わるまで、映画館はみんなすやすやの世界であり。

夢魔が存在して、様子を見に来たら。逆に何があったらこうなるかと、人間共の様子を見て困惑してしまうだろう。

一部、必死に起きて映画を見る奴がいても関係無い。

まあクソ映画マニアやクソ映画ブロガーとかだろうが。

そういう強者でさえ。

見ていて全くなんにも頭にも入らないし理解出来ない。

それがこの恐るべき映画の実態だ。

それをありがたがるのが現在の業界人である事もしっかり理解している。

高宮の愉悦が籠もった虚無。

見る深淵の邪神。

それが、この水軍映画なのである。

今回も興行的には大成功だ。

まあそもそも、睡眠障害が国民病になり。

それに対して、未だに偏見がまかり通っている状況である。

睡眠障害を少しでもマシにしようと、高宮映画のDVDを買う人間も激増しているという話で。

増産が追いつかないそうである。

海外でも概ね評価は同じで。

英訳したものが(英訳するのは本当に大変だっただろうなと苦労をしのぶ)既に発売されているそうだが。

散々罵声を浴びせているブロガーも。

映画の内容については一切語れないという不思議な代物で。

むしろ凄くよく眠れたとか。

下手な睡眠導入剤よりもよっぽど効くとか。

好評の方が多い有様である。

邦画としての興行収益は、早速この年のトップを記録。

以降も、ずっと海外の大物映画と渡り合い続けた。

最近は客が来るという事で、どこの映画館も高宮映画を何かしら流しているし。それを見て眠りに来る客もいるので。

誰もが分かっている。

これは虚無であり。

評判は間違っていないと。

今の時代。評判なんて全く宛てにならない。

SNSは当然として。

大新聞が書く情報ですら一切合切宛てにならないのが真実なのだ。

だからこそ、口コミで拡がり。

本当によく眠れる代物だという事が判明した高宮映画は。

それだけで、大きな価値があると認められたし。

こうして、リピーターも多い。

勿論内容なんて、誰ももはや気にもしていないし。

興味すらも持っていない。

また新しい睡眠導入剤が来た。

それくらいにしか思っていないのである。

それでいい。

高宮も、そう思われるようにして、映画を作っている。

国内では、大驀進を続け。

海外版の映画も早めに公開された。

噂は既に海外にも伝播していて。

良くこういう映画では嘲笑とか酷評とかのレビューを上げて調子に乗るブロガーとかが出てくるものだが。

そういう連中さえ困惑していた。

全く何が何だか分からないので、批判のしようがないし。

そもそも開始三分で寝てしまうし。

起きていても内容が全く頭に入らないから。

批判どころではないのである。

ポリコレだのなんだのに搦めて叩こうとしていた連中もいたようだが。

案の定其奴らも、実際に映画を見に行ってみたら開始三分で撃沈され。

以降は何もできずに、呆然と映画館から帰るだけだった。

ふふふ。

まさに計算通りだ。

そして、これがフランスの映画賞をとったら。

最後の計画へと移行する。

全てが終わる。

この腐りきった業界も。

自称ガチ勢が支配する業界のあらゆる利権も。

何もかもがひっくり返る。

長年かけて築かれてきた権威なんてものは、とうに腐敗しきって崩れ落ちている。

だから、高宮がその根元を掘り崩し。

盛大にゴミの山を倒壊させてやるだけだ。

後少し。

笑うな、堪えるんだ。

そう思いながらも。

高宮は、連日の大盛況を見て。

ほくそ笑む自分を抑えるのに、苦労し続けていた。

 

(続)