崩壊の序曲
序、混乱
崩壊が始まった。
高宮は、それを確認してほくそ笑んでいた。
まず映画関連の評価雑誌。今まで権威となっていた幾つかが、完全に分裂したのである。
今までこれらは権威のある意識高い系の評論家達に媚を売るものと、もしくは売り上げだけで判断して雑に高評価をつけるものに二分していたが。
此処にどうして客入りが続いているのかさっぱり分からない高宮映画というものが出現し。
更にどの雑誌よりも高精度のレビューが、高宮。正確には高宮のいる会社のお抱え記者が出してきた事により。
一気に客が減ったのである。
まあそれはそうだろう。
新聞と同じだ。
ネットの記事と同レベルになれば。有料のものなんぞ買う理由が無くなる。
それは誰も買わなくなる。
当たり前の話である。
これが映画関係の雑誌でもおき始めた、と言う事だ。
高宮の計画は、幾つかのフェーズによって実施段階を決めているのだが。
この映画関係のマスコミの崩壊も。
フェーズに含まれていた。
高宮の目的は。
今の映画界隈を、一度徹底的に破壊し尽くす事。
そのためには、権威にへつらうマスコミと。判断能力なんかかけらも無く、客観性ももっていないマスコミは。
どっちも不要だ。
これらが売れなくなるのは高宮にとってはとても良い事である。
実際、分が悪いと判断したのか。
一つの雑誌。
まあある大手新聞の映画評論部だが。
それが廃刊すると。
雪崩を打って、幾つかの雑誌が廃刊していった。
ただし、それによる動揺は一切起きなかった。
それはそうだ。
既にネット記事による映画評価に殆どの客がシフトしていたからである。
これについては新聞と同じ流れ。
同レベルの品質の記事を見るのだったら。
そりゃあ無料のものを選ぶに決まっている。
当たり前の事が、当たり前に起きただけの話だ。
高宮は、石山という逸材を見つけ。
それを加速させた。
この崩壊作業のために、石山を雇ったのである。
古い権威の中には、マスゴミが最大のものとして存在している。
これを根元から破壊する。
それは、今回の計画の重要部分であり。どうしても、達成しなければならないことだった。
石山には、どんどん映画レビューを書いて貰っている。
あくまで高宮のいる配給会社の映画に関するレビューだが。
どれもこれも無料公開のレビューであるにも関わらず。
もはや、どの雑誌の映画レビューも歯が立たない出来になっていた。
石山は業界からもはや失われたのか、最初から存在しなかったのか分からないプロ意識を大まじめに持っていて。
大まじめに記事を書いている。
だからこそ、映画のレビューを書くときは、最低でも十回は通しで見ているようであり。
そのためにレビューは毎日出るまでにはいかなかったが。
それでもその精度の高さは驚かされるものだ。
更に、である。
黒田に協力して貰い、ボイスロイドを使った公式動画まで作成。
これはボイスロイドの販売会社とも契約しての事であり。
エンジニアである黒田は、CGが本職なんだけどとぼやきながらも。繁忙期では無いからと手伝ってくれ。
そして瞬く間に、再生回数五十万をたたき出した。
かくして、映画関係のマスコミの崩壊は始まった。
ここからが、本番だ。
幾つかの記事を見た事で高宮は、石山は信用できると判断。
石山を同志に加える事を決めた。
黒田も真面目に働いてくれている。
故に、今後は同志に加える事を検討する。
いずれにしても、である。
石山も加えて、テレビ会議で話をする。
まず最初に、高宮の最終目標を軽く石山にも共有する。石山は流石に驚いた様子だった。それはそうだろう。
そもそも現状の業界の壊滅が狙いも同然なのである。
映画監督としては驚くべき目標だろうし。
何よりも、今の時代はこういう事を真面目に考える人間もいない。
何かを為そうとする人間は、まず笑われる。そして否定される時代である。
それを乗り越えて何かを為せる人間もいるにはいるが。
だいたいの場合は運かコネがそれには大きく関わってくる。
信念で何かを為した人間なんて、ほぼ実在しないのが今の時代である。
「金持ちは能力が全てにおいて優れている」なんて言説が堂々とまかり通るのも、その現状が理由だろう。
実際にはそんなことは一切無いことは歴史が証明しているのだが。
今は既得権益層があまりにもガチガチにあらゆる全てを固めてしまっている。
故に、そういう言説が出て来てしまう。
そして誰もやる気を無くし。
人材の枯渇は更に加速していく。
それだけである。
ある意味、石山もそういった風潮の犠牲者であるとも言えた。
「記事は、駄目ですよね……」
「流石にこれは駄目。 プライベートにも抵触するからね」
「分かりました。 くう……記者魂がうずく!」
「記事書く度に体重減ってるんでしょ。 少しは静養しなさい」
例の入魂の記事以来。
やはり石山は相当に気合いを入れて記事を書いているらしい。
一切記事に介入してこないスポンサー。
酷評バッチこい。
これだけでも、記者にとっては夢のような相手だろう。
勿論ただの悪口などを書くような記者や。毒舌と暴言を取り違えているような輩だったら、高宮は評価なんてしていない。
そして、記事に対して正当な評価を与え。
給金も約束通りの額にした。
実際問題、高宮の配給会社の株は右肩上がり。給金を出すのも全く問題が無い状態になっている。
さて、此処からだ。
井伊に話を振る。
「人権屋とかの動きは?」
「現状ではなし。 そもそもケチをつけようがない、というのが理由」
「まあ、それもそうだね」
高宮も、俳優のオーディションには気を遣っている。臑に傷ある人間は基本的に使わないし。
そもそも素行も調べてある。
流石に撮影中に犯罪をやられたら困るが。出来ないように精神を疲弊させてもいる。そもそも、高宮の映画に出ている俳優は、みんな生気を使い果たしたかのようだと周囲に言われていて。
過酷なロケをさせられているのでは無いかと一時期噂になったのだが。
あらゆる出演俳優が、ロケが過酷なのでは無かったと断言し。
更に映画の内容を見て、ほぼ全員が理由を悟ったという事もある。
以降、その噂は消えた。
先手先手であらゆるまずい状況が出現する事は潰してある。
それが高宮のやり方だ。
最初は一人でそれをやっていたが。
最近は知的活動を、IQなら自分以上の井伊に任せる事が出来る様になって来ている上に。
ついでに井伊は最近はSPをつけるようになって来ていて。
周囲も、一切手出しが出来ないようになっている。
これでいい。
マスゴミも近年は、何回かの訴訟沙汰もあって。
怖くて扱えないと言う事で、完全に高宮からは距離を置き始めている。
ただ、何かすっぱ抜いてやろうと画策している連中はいるので。
油断は出来なかった。
飛ばし記事を出してきたら即座に告訴してやるつもりではあるが。
それでも、変な飛ばし記事で炎上するケースは今でも珍しく無いし。
炎上で会社が潰れるケースだって珍しくも何ともないのだから。
「いずれにしてもSNSの監視は続行。 何かあったら即応をしてほしい。 忙しい場合は事後報告でOK」
「了解。 必要に応じて叩き潰す」
「それでいい」
井伊の言葉は苛烈だが。
正直それくらいで良いのである。
愚者は感情でわめき散らして、自分の理屈を相手に通そうとするとかいう話を聞いたことがあるが。
その理屈だと、確かに愚者はSNSに多い。
正確には、悪目立ちする連中の多くが愚者であり。
特に悪目立ちする連中は、屁理屈にも長けている、というべきか。
まあどっちにしても。
そんな「愚民」を相手に、大志を潰されるわけにはいかない。
大まじめに大志をかなえようと思っている高宮は。
まだまだ、こんなところで躓けないのだから。
後は地盤としている会社か。
この間、高宮のいる会社はとうとう「中小企業」から、「大企業」へと変化した。
これは資本金で判別されている事なのだが。
要するに資本金の多寡で、「企業」というものの規模を判断する仕組みが存在している。
戦国時代や江戸時代でいう石高で国力を判断するシステムのようなものである。
まあ石高ほど万能で分かりやすい判別法ではないのだが。
それはそれだ。
この大企業は、現在ほぼ高宮の掌中にあり。
事実上支配下にあると言ってもいい。
何回かの事件で、既に高宮に依存する体質が出来ている、といえる。
ここで調子に乗ったら全て終わりだ。
人間は器にない場所に行ってしまうと、壊れるケースがある。
そうならないためにも。
高宮は、気を引き締めなければならない。
「うちの会社の様子は」
「高宮監督に対する悪口は一切聞こえてきませんね。 その代わり、一切合切手綱を握れるとも思っていないようです」
「それでいいかな。 元々、うちの会社は自由に映画を作れる、というのがウリだったっんだよ。 それで中小ながらも、マニアックなファンがつく配給会社だったんだから」
うちの会社にいる若手の映画監督は。
みんな、売り上げ度外視で好き勝手に映画を撮っている。
中には意識が高い映画を撮る者もいるが。
四苦八苦しながら、自分の理想を表現しようとしている監督だって少なくない。
そういう人間に機会が与えられる。
それこそ、健全な競争社会というものだろう。
そして高宮の何故か不快では無いクソ映画という不可思議なものが流行っている事もあるだろう。
うちの会社の他の監督の作品も。
それなりに売り上げは伸びてきているらしい。
あまり世間的には高い評価は得られていないようだが。
それはそれだ。
娯楽作品としてはどうしてもレベルがあまり高くないから。
仕方がない事なのだろう。
「皆には、今後も好き勝手にやれる体制が必要だ。 重役達が変な気を起こさないように、監視を続けてね」
「分かりました」
小野寺がこくりと頷く。
問題はスポンサーか。
スポンサーを名乗り出ている企業が幾つかある。
高宮の映画に関しては、特に多くなってきている。
だが、それでもだ。
そもそも不快では無いクソ映画という妙な代物で。中毒性があって映画館に来てもすぐに寝てしまうのに。
何故か何度も客が来るという尖りすぎた代物だ。
スポンサーも困惑しているらしく。
映画を見た後、出仕を躊躇う会社は多い様子だ。
それで別にかまわないと高宮は考えている。
というのも、スポンサーがつけば。
当然そのスポンサーの意向に沿って色々と映画に口出しはされるのだ。
その結果、ろくでもない映画になってしまうケースはある。
何かしらの要素が原因で、クソ映画が出来てしまうケースは古くから存在していて。それにはスポンサーが余計な事をした、というのも理由としてはメジャーな一つなのである。
勿論堂々と高宮はそれを言うつもりは無いが。
周知の事実だ。
高宮のSNSは、今日も朝にコーヒーの写真をアップしていて。
それに対するコメントをつけている。
それでファンは安心するし。
アンチも何もつけいる隙が無い。
「後は、今年もアカデミー賞を取っておきたい所だけれども」
「今年はどうでしょうね」
「確かにあまり話題性がある映画はなかった」
小野寺と井伊が口々に言う。
二人とも、一応高宮の腹心だ。
ということもあって、映画に関する知識はどうしても増えるようになってきている。
それで映画について調べてもくれているようだが。
確かに今の時点では、話題性のある邦画はあまりない。
シリーズ化しているアニメ映画は今年も順調に高い収益をたたき出しているけれども。
それらはアカデミー賞とはまるで無縁の位置にいる。
映画を作っている側もアカデミー賞には興味が無いし。
意識高い系の連中にとっては。
それこそどれだけ自分達が好きな映画の何倍も稼ぎを上げていても。
ゴミかカスくらいにしか考えていない。
面白い映画ではあることがおおい。
まあ失敗作も少なくはないが。
はっきりいって、邦画を支えているのはもうアニメ映画である。たまに特撮が大ヒットする事もあるが。
それはあくまで国内での話。
国内での評価基準を勝手に決めている意識が高い連中にとっては。
アニメ映画なんて作ってる人間は、それこそ自分とは違う生物、くらいの認識であるのだろう。
いや、そうであることを堂々と口にしているのを聞いたこともあったっけ。
前にアカデミー賞の審査会場にこそっと紛れ込んだときに。
ゲラゲラ笑いながら、業界人どもが口々に馬鹿にしているのを聞いた。
あれは、本当に愚かしいと思ったし。
此奴らは族滅しなければならないとも感じさせられた。
だから今高宮は。
こうして力を蓄えている。
「そうなると、放って置いてもまたアカデミー賞は来るな」
「……三回が、目標だったか」
「うん」
井伊に対して、答えておく。
三回アカデミー賞を取ることで、映画界隈、特に意識高い系の業界人は。高宮にたいする依存度が高くなる。
後は国際的な賞が必要になってくる。
彼方も腐敗が酷い。
見ていても退屈極まりなかったりする「芸術的映画」が、賞を取ることが珍しくもない。
創作の基本は娯楽である。
それを忘れてしまっている。
そっちもちゃぶ台返ししたい所だが。
いずれにしても、まだ少し力が足りないか。
「国際賞に出るのは、アカデミー賞を三回取ってから、の予定だったか」
「そうなる」
「分かった。 此方でも、準備をしておく。 いずれにしても来年か」
井伊は、来年もアカデミー賞を取れると確信しているようだ。
まあ高宮はそこまで楽観的にはなれない。
いずれにしても、もっと業界が高宮に依存するようにしていく。
その結果。
いつの間にか、主従が逆転する。
大望を果たすのはその時だ。
ちゃぶ台をひっくり返して、一気に形勢を変える。
それで高宮の望みはかなう。
今の映画業界にとっては、文字通り大魔王となることだろう高宮は。
いや、破滅の邪神か。
どっちでもいい。
「それで、日野さんはどうします?」
「ふむ」
小野寺が言う。
彼女は笑顔だが。日野も同志に加えられないか、というのである。
ただ日野は、はっきりいって高宮を怖れていても、志を同じくするとは正直思えないのである。
彼女は劇団出身で。そして劇団出身でありながら俳優としてあまり優遇されなかったという不運もある。
業界に対してはあまりいい印象を持っていないだろうが。
それでも映画業界を丸ごとひっくり返す、等という話を聞いて。
それを真に受けるかというと、かなり疑問が残る。
此処にいる面子は、みんな何処かしらねじが外れている。
それに対して、日野はあまりにもまともすぎる。
これについては、此処にいる全員が意識を共有している事だろう。
「日野さんはこんな秘密結社めいた事をやってるわれわれとは、正直相容れないと思いますねえ」
はっきり言う石山。
確かに高宮も同感だ。
小野寺も、分かっていて言った雰囲気がある。
「では、しばらく日野さんについては様子見と言う事で。 後は黒田さんですね」
「黒田は非常に有能。 だけど体が……」
「良い医者を紹介しても、すぐには全回復は無理でしょ?」
「無理。 カルテを見たけれど、十年単位で治療には時間が掛かる」
医療に関する知識もある井伊はそう断言。
では、やむをえないだろう。
「なら、黒田さんについてはしばらく様子見と言う事で。 解散」
テレビ会議を切る。
さて、アカデミー賞はそろそろだ。どうせ茶番とくだらない駆け引きが老害どもの間で行われているのだろう。
その過程には興味も何も無い。
老害共が気がついたときには、既にその手から権威も力も離れ。高宮と力の差が逆転している状況が来ていれば、それでいい。
幾つか。今のうちに高宮も手を打って置く必要があるが。
それは井伊と連携していけばいい。
伸びをして、後は様子見に徹する。次の映画については、既にオーディションなどの手続きも終わり。
撮影の準備の最終段階に入っている。
今は、休むのが。
高宮の仕事だ。
1、静かに動く
映画の撮影を開始する。
次の映画は、ミュージカルである。
今の時代は、ミュージカルというのは少なくとも国内ではあんまりないというか。劇などではあるのだが。少なくともミュージカル映画がヒットする傾向はあまりないというのは事実だ。
ミュージカルそのものはそれほどつまらないとは高宮も思わない。
ミュージカルは幾つか見たことがあるが、どれも基本的に歌と踊りと音楽という、人間が大好きでダイレクトに五感を刺激して楽しくなるものを欲張りセットにしていて。確かに映画としては面白い。
高宮は宇宙から人食い植物が来るミュージカルが大好きだが。
あの作品は白黒時代の映画にも同じものがあって。
そしてその映画とは、結末が真逆だったりもする。
いずれにしても、とにかく楽しく歌って踊るのがミュージカルであり。
劇などではまだまだ需要があるし。
そもそもアニメのOPソングなども、ある意味ミュージカルの一種であるのかも知れない。
国内映画で久々に売れ筋の監督である高宮がミュージカルを手がけると言う事で(分類は「アルティメットコメディー」だが)。それはそれで話題になったようではある。
一応、会社で軽くSNSにて宣伝はして貰ってあるが。
それで即座にSNSは湧いていた。
「高宮の映画でミュージカル?」
「恐ろしい。 相性最悪じゃねーか」
「いや、そもそもだ。 高宮の映画って、ジャンル詐欺の作品ばっかりだから、今回も別に違和感はないと思うぞ」
「ああ、確かにそれは言えてる」
何というか、SNSでもわいわいと盛り上がってはいるが。
毀損するような言葉は殆ど無い。
前に何度か告訴があったから、だろう。
昔は、SNSは文字通りの無法地帯だった。
今も正直言ってスラムだが。
実際に訴訟が発生し。
その結果人生が終わる事態が起きるという事が、何回かあった結果。
少なくとも、訴訟を躊躇無くするような相手には、多少SNSにうごめいている連中も大人しくはなっているようだ。
とはいっても、相変わらず阿呆はたくさんいるし。
スラムであることは代わりは無い。
そもそも、SNSの運営をしている連中が、無差別テロをするような発言をする人間を完全放置するような輩なので。
結局の所は自衛をしなければならない。
それが現実だ。
だから、高宮も自衛には熱心になる。
それだけの話である。
いずれにしても、ミュージカルをやると告知してから。
俳優を集めて。
そして撮影を開始する。
今回は井伊と黒田に先に指示を出して、CGの準備をしてもらってある。
今回のミュージカルは、それなりに独創的なものにする予定である。
まあいつも独創的な映画を作っているつもりではあるが。
それ以上に、だ。
黙々と撮影を開始。
今回も使う俳優は十人ちょっと程度。
いつもは数人である事を考えると、かなり規模が大きい映画と言う事になる。
ミュージカルではバックダンサーなどが重要なので。
バックダンサーなどに人を雇った結果がこれである。
なおバックダンサーは、CGで全て顔とか体型とかを消してしまう。
今の時代は、ダンスが出来る人間は高い需要がある。
というのも、デジタルアイドルにかなり人気が出てきているからで。
ダンスのモーションを、まんま取り込むことがあるからだ。
歌唱力やらダンスの力量やらがほぼ求められないリアルアイドルと違い。デジタルアイドルはどっちも重視される傾向が強い。
というわけで、デジタルアイドルの中の人として、声を当てる人間も。
踊る人間も。
どっちもそれなりに需要が生じている。
今回はかなり実績があるプロのダンサーを雇い。
先にダンスをまとめ取りした。
ただ。ダンスについてはCG加工して、極めてサイケデリックな代物としていく予定である。
ただし客を面白がらせたり、怖がらせたり。要するに感情を揺らしてしまっては、高宮の映画ではなくなる。
このため、CGをフル活用して。
あらゆる面白い部分を全て消していく。
高宮映画は、俳優達の間では。何というか、奇怪極まりない代物として知られている。
完全に高宮に囲われている日野は、目が死んでいる事が話題になっているし。
ダンサーとして雇われた人達も、一体何をさせられるのかと最初戦々恐々としていたようだが。
撮影が終わってみると、ダンスだけ普通にやらされただけだったので。
むしろ拍子抜けした様子で、帰っていった。
さて、問題は此処からだ。
歌とかの収録は、あとでやるとして。
映画の撮影を始める。
そもそも、ストーリーは今回も敢えて意味不明にしてある。
脚本は出来るだけ覚えてくるように。
劇団出身の俳優を集めたから、一応念押しのつもりだったが。
早速撮影に集まった俳優達は、吐きそうな顔をしていた。
日野に助けを求める視線も突き刺さりまくっている。
かの日野が、既にもうこれから何をされるのだろうと。完全に土気色の顔色になっていたが。
まあCG加工するのだから関係無い。
なお、石山は今回の撮影は取材に来ない。
彼女はこれから、別のものを取材してもらう。
「はい、では撮影開始。 シーン19」
一応、俳優達は迅速に動く。
自分の脚本の台詞は最低でも覚えているのが劇団出身者だ。日野みたいに全部丸ごと覚えてくる程プロ意識が高い子はあまりいないが。
それでも立派である。
ともかく演技を淡々とやってもらう。
組み体操は今回もやってもらう。
ミュージカルで組み体操というのは何というか極めて前衛的だが。
高宮の映画は基本的に前衛的なので。
なんら問題はないし。
違和感もない。
組み体操をやるには、当然人数が必要なので。
出演俳優が揃っている最初の方の撮影で、全て済ませてしまうし。
そもそも組み体操でも、危険なタイプのものは一切やらない。
危険な撮影をするときは、徹底的に配慮もする。
それが、高宮のやり方である。
撮影を淡々としていくが。
俳優達の目がどんどん死んで行くのが露骨すぎるほどに分かる。
まあそれはそうだろう。
意味不明の演技と脚本を要求され。
そしてNGが出る訳でも無く。演技指導も完全に野放し。
放し飼い状態。
結果として起きるのは、俳優達も涙目になる程の訳が分からない前衛的な内容の映画撮影。
しかしながら高宮は、休みはきっちり取るし。
事前に入念なスケジュールを練っていることもあって、基本的に皆を定時に上がらせるようにもしている。
一日の撮影終わり。
ミュージカルなのに歌うシーンがないことには、誰も疑問を抱かなかったようだが。
それは後で撮影したり声を入れると聞いて。
今更のように納得していた。
なお、聞いて来たのは日野だ。
多分、俳優達の心を少しでも楽にするためだったのだろう。
身を切って立派なことである。
そして高宮の意見を言わせて貰えれば。
そんな風に身を切らなくても、高宮がフォローはしてあげるので。大丈夫だよと慰めてやりたい。
まあそうすると舐められる恐れがあるので。
絶対にやるつもりは無いが。
定時で撮影が終わり、自宅に。
スマホの電源を入れると、メールが来ていた。
社長からだった。
「アカデミー賞、今年も君に決まったそうだ。 当日はスケジュールを空けておいてほしい」
「分かりました」
「その、多少は愛想良く、ね」
「……努力します」
何が愛想か。
そもそも、意思疎通に愛想が必要という時点で、色々おかしいとは思わないのだろうか。そんな事だから、佞臣が世にはばかるのだ。
はっきりいってどうでもいいと判断したので、適当に応じて後は食事とか家事とかをしていく。
井伊からもメールが来た。
「小野寺から連絡があった。 アカデミー賞に、うちの会社からもう一人候補が挙がっているらしい」
「ほう?」
「いや、大賞は高宮監督で決まり。 他の賞で」
「それでも快挙でしょ」
実際。大手の配給会社でもないのである。
アカデミー賞が、純粋に映画の完成度を評価する賞だったら、色々あり得ない話ではあるのだが。
いずれにしても、今は快挙としておく。
というか、本音では。
はっきりいってどうでもいいのだが。
これでうちの会社の影響力は、更に映画界隈で高まることになる。
その結果、もっとやりやすくなる。
それも事実だった。
権威なんてものは、本当に相応しいならそれでいいのだが。
実際にはろくでもない代物が。
いつの間にか権威化している事が多いし。
人が権威化すると。
器にあわない場所に行ってしまって。
壊れてしまう事だって珍しくもない。
はっきりいって、殆ど客が入らないような映画ばかり作っていた人間が、アカデミー賞のなんか一つでもとったら壊れるのでは無いか心配だが。
それ以上に、まずは今は土台がしっかり固まる事を喜ぶか。
高宮と、配給会社の他の監督の間には、ほとんど接点はない。
というか、交流を高宮がまず持とうとしないからだ。
一応会社で出会った時は挨拶をしたりはするが。
それ止まりである。
他の監督も変わり者揃いなので。これについては、別に不思議な事ではないだろう。
某サムライ映画の大家ほどでは無いが、クリエイターは変わり者揃い。それについては、今も昔も同じだ。
ましてや趣味で映画を撮っている人間なんて、その傾向が強いに決まっている。
だから、高宮は気にしていないし。
相手も恐らく、高宮についてあまり良い感情を抱いていないとしても。それを責めるつもりもなければ。
相手に崇拝を強要したりとか。
上下関係をどうこうとか。
そんなことを言うつもりは無かった。
高宮の稼ぎで、配給会社が大きくなって。他の監督の映画も予算が充実した分くらいは感謝してほしいが。
それ以上の感謝ははっきりいって必要ない。
それが高宮の結論である。
むしろアカデミー賞の何か一つでもとって天狗になり。
壊れないでくれよと、内心でぼやく始末だった。
ともかく。アカデミー賞の授賞式の日は予定を開けておく。
SNSの方は。
いつものコーヒー写真をアップするつもりだが。
それについては、変える気は無い。
そもそもアカデミー賞そのものにあまり興味が無いし。
はっきりいって、どうでもいいからである。
石山は連日、情報集めを徹底的にしていた。
渡されている基礎データがある。
以前、高宮監督が小野寺を連れて回った老人ホーム。其処で。余生を送っていた元アカデミー賞監督の話だ。
別に直接当たらなくても、調べられるデータである。
それらから調べて行くと。
色々とろくでもない事が分かってきた。
現在、高宮監督には殆どといっていいほど取り巻きがいない。
以前からの同志で周囲を固めているし。
そもそも高宮監督自身が露出を全くしないというのが要因ではあるのだけれども。
それにしても、やはり高宮監督が稼ぐ事によって周囲に漏出する富を啜ろうと集まるダニは虎視眈々と狙いを定めている。
実際高宮監督にどうにか接近しようとする奴はそれなりにいるようだし。
なんと俳優のオーディションにまで、その手のが紛れ込もうとしている。
それらを弾くために、石山は今作業を進めているのだが。
それと並行して。
今は人員のリストを作っていた。
結果として今できつつあるのは。
映画界隈の腐敗の歴史。
その一大絵巻である。
映画という文化も、元はそれほど盤石だった訳では無い。
古くの映画は、とにかく低俗な文化とされた。
そういう時代があったのだ。
文化に貴賤無し。
そんな事は当たり前だと思うのだが。映画という文化ですらも、低俗とされていた時代があった。
だが、映画はとにかく巨大な富を産み出した。
それによって、いつの間にか権威が出来。
やがてはそれが肥大化し。
だれもが分からないうちに、富を搾取する構造になっていった。
今石山が調べているのは、それの根幹には迫れないが。
その搾取構造が出来て以降。
どんな風にダニが映画という文化に集り。
生き血を啜り。
人材を駄目にしていったか。
それを絵巻物にしたような、ろくでもない代物だった。
何度か髪の毛を掻き回す。
深淵を覗けば深淵に覗き返される。
そんな事は昔からの当たり前の事実だ。
ただ石山は高宮監督という深淵そのものを覗いてしまった。
はっきりいって、高宮監督の方が、深淵としては度合いが強いと感じる。正直な話、金というものに集っているだけの連中と。一人の狂気的な信念だけでここまで来ている存在とでは。
やはり存在の位階が違うと言うのが印象だ。
いずれにしてもデータ化して見ると。
大御所となった映画監督にも太鼓持ちのダニはいるし。
そうなれなかった監督にも、稼げている間にはダニは集っていた。
それらのダニについては、調べて見ると、ある程度共通点がある事が分かってきていた。
犯罪組織出身のもの。
これはかなり数が多い。
芸能界は古くから犯罪組織とのつながりが多い。
タレントや、タレントの所属事務所などには、もろにヤクザとの癒着がある存在がいるし。
それは俳優も同じだ。
ある俳優が海外から薬物を持ち帰って逮捕されたのは有名な話だし。
何より古くは、男一匹なんて言葉があったとおり役者そのものが賤業で。
結果として犯罪組織と結びつきが強くなる傾向があった。
それにしても、これは酷い。
取り巻きなんてのはクズの集まりだと言う事は分かっている。
だけれども、それにしてもコレは。
調べて見るとでるわですわ。
ある映画監督から吸い尽くした取り巻きは、ある広域暴力団でかなりの出世を後に果たしている。
金を吸い上げるだけ吸い上げて。後はポイ捨てし。
その金を上納して、犯罪組織でのし上がったのだ。
類例はいくらでもある。
金がある所にはこの手の輩が集まり。
そして金を持っている人間に媚態をつくし。
貪り尽くして。
用が済んだら捨てていく。
それが、あまりにも分かりやすく示されていて。
少しばかりうんざりしてしまった。
いずれにしてもデータとしてまとめていく。これはいずれ。業界に巨大な爆弾を投じる事になるだろう。
今までも調べている人間はいた筈だ。
だが。消されてしまったのだろう。
今は、データとして集められる時代になっている。
だがどうして大手新聞社はしないのか。
第四の権力だの何だのと口にするのなら。
こういうことをきっちり記事にし。
犯罪組織を追い詰めろよ。
テロを平気でやるようなカルトに情報を横流ししたあげく、人を死なせるような新聞社が。大手マスコミを平然と気取っている時代だと言う事は分かっている。
だがこれは。
流石に少しばかり、闇が深すぎると言えた。
ため息をつきながら、情報を集めていく。
やがて。ある程度情報が集まった所で、石山は高宮に連絡を入れた。
「高宮監督。 情報の整理がある程度終わりました」
「流石早いね。 連絡を入れてきたと言う事は結構まずい?」
「まずいもなにも……」
警察としっかり連携しないと、死人が多数出る。
それは確定だ。
高宮も石山も殺される可能性が高い。
ヤクザを舐めている人間も多いが、世界的に見て相当な資金力を持つ犯罪組織である。舐めて掛かっていい相手では無い。
近年ではヤクザに対する法が厳しくなったことから。
半グレという下位団体に戦力を移し。
そちらを中心に活動をしている。
そういう連中である。
法があれば隙間を探し。
その隙間から邪悪を働く。
邪悪の権化であり。
邪悪以外の何者でも無い存在だ。滅ぼす以外にはない。そして滅ぼすには、多くの力が必要だ。
一度滅ぼしても、何度でも湧いてくるだろう。
だが、それでもやらなければならない。
そうしなければ、このデータにあるように。
何度でも何度でも。
連中は生き血を啜って肥え太るのだから。
「警察、それもキャリアの上位クラスの協力者が必要なんじゃないですかねコレ。 或いは公安とか」
「流石に現状でそこまでのコネはないかな」
「だとすると、まだ手を出すのは早いですよ」
「分かってる」
そうか、分かっているか。
それは良かった。
今無理に情報を暴きたてたら、文字通り何が起きるか分かったものではない。
ヤクザは今でも相応に邪悪で凶悪な暴力集団だ。
叩き伏せるには相応の準備がいる。
国外では、犯罪組織が国を乗っ取るような例だってある。
メキシコなどは良い例だろう。
そんな風にこの国をするわけにはいかない。
如何に、人々が暮らしづらい国であってもだ。
「ともかく、これからも調査は続けますが、これを公開するタイミングは本当に良く吟味してください」
「分かってる。 私も命は大事だからね」
「お願いしますよ」
「……」
テレビ会議を終える。
ため息をつくと、石山は更に情報を集めていく。
いつの間にか映画界隈の権威に居座っている業界人にも、これらのダニとの癒着が多数ある。
救いがたい話だ。
金が関わると、人間は本当に救いようが無いゴミカスとなる。
それについてはよく分かった。
ただ、それをデータとして暴露するのは時期尚早だ。
悔しいが、そればかりはどうしようもない。
ともかく、一旦データとして形にして。
後は、必要な時にいつでもネット中にばらまけるように、準備をしておく必要がある。
石山は。
本気で何もかも叩き潰そうとしている高宮監督にある意味畏怖したが。
本来マスコミがやるべき事を出来る立場に立った自分にも。
ある意味、戦慄を覚えていた。
だがこれでいい。
政治の腐敗は確かに暴くべきものかも知れない。
しかしながらだ。
聖域化しているものの腐敗は、もっと暴くべきものだし。
犯罪者の金策にも使われている。
例えば人権。
例えば福祉。
例えば自由。
こういったものは、今やもはや悪辣な詐欺師の財源と化している。これらを必要とする人々は虐げられ。
悪辣に利用するモノだけが肥え太っている有様だ。
だから誰かが叩き潰さなければならない。
映画の世界にも、それが波及している。
ならば、今叩くべきは。
石山は、ふうと嘆息すると。黙々と、情報集めに戻るのだった。
2、倒壊
日野が休みを貰って事務所に顔を出すと。
久々にマスコミが取材をしにきていた。
日野が来るのは想定外だったらしく、取材をしたがったが。
近年ではマスコミの取材、それもいきなり許可証も得ずに来るようなものはリスクが高すぎる。
芸能事務所とマスコミは昔はズブズブだったし。
今でも一部はズブズブだが。
それはそれ、これはこれだ。
流石に日野も、いきなり何を聞かれるか分かったものではない取材を受ける勇気はなかったし。
事務所も受けるように強要はしなかった。
しぶしぶマスコミが引き揚げて行く。
事務所にいる上司はむすっとしていた。
「日野くん。 後で会議室に来て欲しい」
「今日は休日ですし、荷物の整理に来ただけなんですけれど……」
「口答えするんじゃない!」
いきなり顔を真っ赤にした上司が怒鳴り散らす。
周囲の俳優達が青ざめたが。
日野はむしろ、むっとした。
どうしてだろう。
もっと恐ろしい高宮監督をいつも目の前にしているからだろうか。顔を真っ赤にして怒りをむき出しにしている。
つまるところ、感情を剥き出しにしてみせれば相手が恐縮すると思い込んでいる輩が。
猿か何かにしか見えなかった。
「怒鳴れば黙ると思っているんですか? これからのやりとりは録音させていただきます」
「お前、恩を知らないのか!」
「恩ですって……!?」
何が恩か。
此奴。上司は営業として、散々日野を彼方此方のオーディションに出したが。
どれもこれもロクな仕事では無かった。
高宮監督の目にとまらなかったら、多分枕営業とかもさせられていた可能性が高いだろうし。
何よりも主体的に何か教えて貰った事何て一つも無い。
高宮監督は確かに怖い。
深淵そのものだし。
はっきりいってホラー映画に出てくるような幽霊なんかよりも、ずっと格上の恐ろしい存在だ。
だけれども、あの現場に出向いて。
色々と今の業界はおかしいのでは無いか、とも思うようになってきた。
今は、殆ど事務所は離れているし。
何よりも、仕事は簡単に来るようになっている。
それが、立場が弱かった頃には見えなかったものを、日野に見せるようになってきていた。
テレビ局でCMの仕事をしているとき。
日野は何度も、おぞましいものを見た。
CMの仕事ですら、である。
隣の控え室から聞こえてくる怒号。
マネージャーがアイドルをぶん殴る様子。
それをニヤニヤしながら見ているテレビのスタッフ。
スポンサーには一転してへこへことカエルのようにへつらう。
挙げ句の果てには、自分を特権階級だと思い込んでいる事を、隠そうともしない有様である。
「テレビに出してやっているんだから感謝しろ」。
そういう態度がバレバレだ。
これではいわゆる素人弄りが蔓延して。
それで視聴率が下がるのも当たり前だろう。
これは終わっているメディアだなと何度も思った。
そして、そんな仕事しかとってこない上司にも、いい加減頭に来ていた。
日野は、高宮に声を掛けられている。
自分の事務所を作るから。其処に移籍しないかと。
声を掛けられたのはこの間だ。
かなり怖かったけれど。
はっきりいって、この事務所に比べればマシだとさえ思う。
この事務所は、スジ者と関係している訳では無い。
ヤクザとつながっている事務所は幾らでもあるし。
そういう事務所にいて、目が死んでいるアイドルと顔を合わせたことがある。話も少し聞いた。
ヤクザが主催するような乱交パーティーに出ることを強要されて。
あからさまにヤバイ薬とかも散々入れている現場を目にして。
もう何もかも頭がおかしくなりそうだと、ぼやいていた。
いずれ日野にも来る運命だ。
邪神に抱きしめられて、一緒に深淵に落ちるのと。
ダニと蛆虫のたまり場に放り込まれて、骨までしゃぶり尽くされるのと。
今後は二者択一になるだろう。
だったら。
深淵に落ちた方が、はっきりいってマシである。
額に青筋を浮かべている上司をもう一度見る。
怖いとは、全く思わなかった。
「お前なんかなあ、その気になれば簡単に干すことが出来るんだぞ! 何だったら……」
「営業部長!」
「……っ」
ちっ。踏みとどまったか。
ヤクザの名前を具体的に出して脅すと、それだけで逮捕が可能なのである。今、日野は録音している。
大慌てで止めに入らなければ、此奴は多分牢屋行きだっただろうが。
寸前で部下の一人が止めたか。
いずれにしても、もう決裂だな。
そう判断して。
大きく日野は咳払いしていた。
「何だったら、なんですか」
「このガキが、調子にのるんじゃねえっ! あんなクソ映画ばっかり作ってるクソ監督に気に入られてるってだけで、何をふんぞり返ってやがるんだ、ああん!?」
「録音されていると分かっている上でそう言っているんですね?」
「……」
そこで、やっと気づいたらしい。
はっと青ざめる上司。
そう。高宮監督のシンパは、今二種類いる。
クソ映画と分かりきった上で、何故か中毒性を受けて映画館に通っているファン達。彼ら彼女らはみんな高宮監督の映画がクソ映画である事なんて分かりきっている。それはそれとして、不愉快ではないクソ映画という不思議な代物を楽しんでいる。
もう一方は、アカデミー賞を高宮監督に渡して、本気で業界の寵児だと思い込んでいる連中である。要するに意識高い系の業界人だ。
此奴らは映画界隈どころか、マスコミにも太いパイプをもっている。
勿論、此奴らを怒らせでもしたら。
当然の事ながら、この上司は終わりだ。
いや、この会社そのものが終わる可能性が高い。
「それでは、この件は高宮監督に相談します。 今の録音テープも引き渡しておきますね」
「ま、待てっ!」
「待ちません。 退職届が必要なら、後で郵送しておきます」
「待てって言ってるんだこのアマぁ!」
手を掴んできたので。
その瞬間。
鍛えていた肺活量をフル活用して。
周囲のビルにも響くほどの、いわゆる事件性がある悲鳴を日野は上げていた。
警察が来て、上司を連れて行く。
完全に青ざめている上司は、暴行未遂の現行犯で逮捕された。
周囲に多数の人間がいたこと。
何より、暴行を直接行ったと言う事。
更には、日野が警官の前でしくしく泣いて見せた事。
そして日野がCMよりもむしろ高宮映画で知られている事が、決め手となった。
警察で聴取を受けたので、録音テープを引き渡す。
恫喝をしているのは明らかすぎる程だったので。警察も流石に看過はできないようだった。
それだけじゃない。
日野が事務所で、上司に襲われかけたと言う事については。既にSNSで拡散されていた。
「日野茜って高宮映画だと変な役ばっかりやらされてるけど、CMだとかなりの存在感があるあの子だよなあ」
「ああ、そうだよ。 結構な逸材だと思う。 きちんと高宮のクソ映画でも文句も言わずに変な役やってるみたいだし、CMでも存在感あるし。 何というか本物のプロだと思うね」
「要は金の卵って訳か。 それを暴行しようとしただあ……?」
「これ、ヤバイんじゃないのかな。 多分大スキャンダルになると思う」
大マスコミは沈黙を決め込んだが。
早速ハイエナを始めた中小の週刊誌。
色々な記事が暴露される。
日野の事務所はそもそも、それほどブラックな職場だという噂はなかったし。事実ヤクザとも関係があるわけではなかったのだが。
そもそも芸能界が、ブラック体質なのだ。
当然の話である。
埃なんか、はたけばなんぼでも出てくる。
むしろ週刊誌よりも、SNSでの暴露が早速多数で始めていた。
「日野茜に暴行未遂した営業部長、前にも何人か俳優を辞めさせてるらしいな。 居酒屋とかで、何人辞めさせてやったとか自慢しているのを聞いてる証言見つけた」
「良く見つけてくるなあ……」
「今本人が聴取中だって事もあって、アカウント荒れ放題見放題だよ。 全部ログ引っこ抜いてまとめが作られてる」
「うわ、これすごいな。 芸能界の闇が凝縮されてるやん。 もしもこれでヤクザとの関係とかあったら数え役満だったんだが、流石にそこまではないのか……」
いや、そうでもない。
日野の事務所そのものはヤクザとの関係はなかったが。
この営業部長本人は別だった。
やがて、証言が出てくる。
「出て来たぞ。 関東にある最大暴力団の三次団体と、この営業部長と関係があるみたいだ」
「おお……何というか終わりだな」
「詳しく情報を見せてくれるか」
「ああ。 これになる」
怪しい証言だとかではない。
写真だ。
その三次団体の人間と、営業部長が笑顔で握手している写真だ。
日野はやっぱり、とは思った。
あの時、営業部長はこいつの名前を出して脅しに掛かろうとした訳だ。
もう警察は動いているようである。
翌日には、その三次団体に家宅捜索が入り。
逮捕者が二十人出た。
芸能界の事務所のスポンサーをしていた訳では無いが。それでもかなりあくどい仕事を斡旋していたらしい。
中にはもっと上位の団体が主催する乱交パーティーの開催について、声を掛けるような事もしていたらしく。
それで更にSNSが過熱する。
「マジであったのか、乱交パーティー……」
「噂だとあるって聞いてたけどな」
「何言ってる。 周知の事実だよ。 アイドルとかがくれば、それは金払いのいい客とか来るしな。 ヤクザとか半グレとかの金もってる奴も、アイドルとヤれば自分のステータスが上がると思って来るからウハウハってやつよ」
「警察がどこまで踏み込むかは分からないが。 こりゃ事務所は終わりだな。 日野茜もかわいそうに」
それが、日野が仕事がなくなるからという意味なのか。
それともこんな事務所にいたから、と言う意味なのか。
日野には両方に思えたが。
SNSの事だ。
本人がどういう意図で発言したのかまでは分からない。
まあいい。
ともかく、様子をそのまんま見守る事にする。
「警察は三次団体を潰して、それで終わりにするみたいだな」
「そうなると、これ以上踏み込むと多分キャリアも関わってることがばれるって判断したんだろうな」
「クソだな。 どうせまた東のあの県警のキャリアだろ」
「西のあっちの府警のキャリアかも知れないぜ」
嘲笑が入る。
いずれにしても、以降警察は黙り。
そして翌日。
株が紙屑になった日野の事務所は。
綺麗に倒産した。
そして、その日のうちに、日野の所に連絡が来る。
高宮監督からだった。
「少し予定が早まったが、仕方が無い。 しばらくはフリーランスとして、私の映画に出てほしい。 契約を更新するから、うちの会社に来てくれるかな」
「分かりました。 でもその後は……」
「次の次の映画くらいから、うちは独自の事務所を建てるつもり」
高宮監督の映画だけではなく。
高宮監督が所属している配給会社にでる俳優を専門で抱える事務所、ということらしい。
日野はそのスターターメンバーの一人として、抜擢するそうだ。
有り難いやら嬉しくないやら。
ただ、はっきりしている事は。
どうやら、骨まで蛆虫とダニに貪り尽くされることはなくなったようだった。
いずれにしても、拒否する理由は無い。
ようやくその頃になって号外が出たが。
今更週刊誌の情報なんて、誰も真に受けない。
号外は虚しく撒かれるだけで。
一部の物好きだけがSNSに情報をアップし。
それで笑われるだけに終わった。
週刊誌は案の定、ヤクザとの対立を怖れたのか。その辺りには深く踏み込むこともしなかったし。
センセーショナルなタイトルで客を引こうとしておきながら。
記事の中身は案の定からっぽ。
謎の人物の談話を紹介して。
分かりきっている事や。既にSNSでとっくに暴露されている事を述べ立てるばかりだった。
これじゃあ売れない。
日野も、石山という記者が書いた記事はみた。
レベルが違い過ぎる。
裏取りをして、可能な限り客観的に、正しい情報を届ける。
それを大まじめにやっている記者なんていないんだなと、はっきり思い知らされた。
石山というあの人は、二次元の世界から来たのかも知れない。
そうとすら思って、何だか情けなくなったが。
ともかく。その日は疲れきったので、眠る事にする。
警察はしばらく、家の周囲を巡回してくれると言う事で。
それだけは安心だったが。
夢は見なかった。
疲れきったから、かも知れない。
それにしても声量を鍛えておいて良かった。
あの悲鳴は、数百人以上が聞いたと後から聞かされている。
実際、警察が踏み込んでくるのも早かった。
鍛えていたことが、自分を救ったのだ。
朝一番に起きると、記者が来る前にさっさと家を出る。朝一番に、何もかもを終えて。高宮監督の会社に向かった。
昔も今もあの人は怖いけれども。
それでも、無惨に蛆虫とダニに貪り尽くされるよりはなんぼかマシである。
事務所で応対してくれたのは、井伊と言う人。
子供みたいな見た目をしているが、話には聞いている。
高宮監督を中傷した映画監督を、一瞬で社会的に屠った人だ。
法律関係のプロフェッショナルだということだが。
単にスペックが段違いに高いと言う事で。
法律だけでなくて、知的活動も相当に出来るという事だった。
まさかな。
SNSでの炎上と過熱は、あまりにも早かった。
それにあの営業部長とヤクザとのつながりの決定的証拠が出てくるのも、である。
この人がじかにやったのか。
それとも、或いはこの人が煽ったのか。
分からない。
ただこの人を怒らせることは。はっきりいって致命的な事に思えてきた。
ぶるっと悪寒が来る。
高宮監督が深淵の邪神だとすれば。
この人は何というか。
その頭脳を司る強大な闇そのもの。
はっきりいって怖いけれども。それでも、尊厳を何もかも食い尽くされるよりはまだマシだと思う。
そのまま話を幾つか聞かされる。
「まず契約についてだけれども、この契約で構わないか目を通してほしい」
「はい。 ……はい、はい……」
目を通しただけで分かった。
なんだこれ。
こんな契約書、見た事がない。
まず仕事の定時での確約。
有給の確保の確約。
給金についても、はっきり明記されている。
今の時代、ブラック企業がどこでも当たり前になっている。どこも搾取してなんぼの時代である。
契約書にこういう事は普通書かない。
それなのに、きっちり書いているのは、あまりにも凄い。
勿論残業が生じた場合にも、「サービス残業」とかいう邪悪な制度を適用はしないと明言までされている。
残業の詳しい金額。
更にはボーナスまで記載されているのを見て。
日野はくらっと来ていた。
「わ、私フリーランス扱いでの契約ですよねこれ……それも、高宮監督の映画には全部出ることだけが条件でこれですか!?」
「本来企業と人との契約というのはこういうもの。 人がいなければ企業なんて動かないし、別に社長が人間的に部下より優れているわけでもない。 だから、本来は労働者と企業とは契約関係に過ぎず、別に偉い人間が偉くない人間を使っているわけでもなんでもない。 それを理解出来ていない阿呆が、ブラック企業なんてものを作った」
井伊の言葉は鋭いが。
概ね同意できる内容でもある。
無言で目を通し終える。
こんな契約は他に見た事がないし、受ける以外にはない。
勿論裏側に好きかって書かれている事も無く。
全て目を通した後、写真を自分でとっておくようにも言われた。
フェアにも程がありすぎる。
驚きである。
勿論。高宮監督の映画に今後ずっと出なければならないというのは、胃に穴が開きそうな話ではある。
だがそれはそれ、これはこれ。
それに、CM等の出演に関しても、OKは出ている。
ただ当面は、その仕事はないだろうが。
テレビ局の方でも嫌がるだろうし。
「け、契約は受けます。 ハンコを此処に捺して、名前を……」
「うん。 それで写真を撮って」
「わ、わかりました」
「じゃあ契約成立。 以降も関係無しで映画の出演をよろしく」
頭を下げる。
明日から、また俳優業だ。
家に帰ると、やっと記者が集まっていたけれども。取材許可証は出ていないので、そのまんま無視。
警官も集まっていて、邪魔だからと記者達を避けてくれた。
外が少し五月蠅いけれども。
これで、芸能界という檻から出ることがで来たのかも知れない。
デジタルアイドルの世界にいけたらな、と思った事は実際に何度かある。
まああっちもそれなりに大変ではあるようだが。
それでも、今の腐りきったリアルアイドルやらの世界よりは、なんぼもマシだろう。
そして今後は邪神に囲われる代わりに。
日野は、それ以外の部分では自由になった。
溜息が何度も出た。
涙も零れる。
うれし涙と一緒に、これはなんだろう。
安堵の涙かもしれなかった。
ふと気づくと、高宮監督からメールが来ている。
内容を確認すると、どうやら次の次の映画が取り終わったら話があるらしい。
そうなると来年くらいか。
いずれにしても、まだ先の話だが。
明日も見えない状態から、そういう話が出てくるようになり。そしてあくまで邪神の配下とは言え。
それでも光明が見えるようになったのは。
日野茜にとっては、本当に格段の進歩であり。運が開け始めたのかもしれなかった。
3、天秤は傾く
高宮監督の映画撮影が、終盤に掛かる。
そこで、石山は記事を出した。
映画界隈の記事はしばらく書かないつもりである。
高宮監督の同志として迎えられてから。その意思を知り。
それに関われることが分かり。
はっきりいって、今は楽しくて仕方が無い。
この間。日野茜のいた事務所を潰すために必要な写真を探し出したのも石山であるけれども。
それを誇るつもりは無い。
しばらくは、趣味としての記事をブログに書いていくつもりだ。
今日の記事は、全国に根付いた外来生物について。
日本という国は変な島国で。
外来生物によって環境は当然荒らされているのだが。
一方で海外で外来生物として環境を壊滅させるような、危険生物も多数存在している。
特にオオスズメバチは良い例だろう。
世界でもトップクラスに危険な雀蜂として知られているし。
何より何処かのバカが持ち出したのか。
実際に海外で出現例が既に報告されているということだ。
他にもタヌキや一部の甲虫。
更にはワカメなどが外来種として海外で暴れているが。
まあそれはそれとして。
実際に日本に根付いた危険な外来生物についてのレポートを、ブログにしてネットにアップする。
勿論情報は足で稼いだ。
各地の保健所にも連絡を入れて情報を提供して貰ったし。
取材は許可を取ってからきちんと行い。
そして取材内容が間違っていないか、取材先に連絡を取って。記事をしっかり見てももらった。
この作業に手間が掛かり。結局記事を出すまでに三ヶ月ほどかかってしまったが。
その代わり、記事そのものは入魂の出来になった。
「アライグマの被害、かなり凄いですねコレ……」
「アリゲーターガー、誰だよこれ川に放流したアホは!」
「カミツキガメもやばいな。 これ子供とかだと、指まるごと全部やられたりとかしないか?」
「良い記事ありがとうございます。 危険な生物の繁殖地域がよく分かりました」
反響もいい。
この記事を無料で出しているのは大きい。
もはや新聞に価値が無くなった時代。
ネットメディアが、今後は世界の情報をリードする。
だったらネットメディアが石山の主戦場だ。
そしてスポンサーが殆ど放し飼いにしてくれている今。
石山は、やるべき事をやっていくだけである。
二次元から来た人みたいだと、この間あった日野に言われた。
ちょっと面白い表現だったので苦笑してしまうが。
その後、慄然ともした。
確かにもう、二次元にしか石山のような記者は普通は存在していないだろう。神格化された偶像は存在し。
それを扱った映画が賞を取ったりもしたが。
あんなものは著しく実態と乖離したエセにすぎない。
それを散々指摘されたのに、賞を受賞し。
監督もマスコミ関係者も大絶賛。
醜悪なプロパガンダそのものだ。
プロパガンダをやるような連中は衰退への道を突き進む事になる。歴史が証明している事だが。
それを誰も生かせていない。
愚かしいし。
悲しい話だった。
入魂の記事を仕上げると、だいたい石山の体重は数キロ落ちる。
ぐったりして、ベッドで栄養剤を飲む。
しばらくはまともに動けないなと思って横になっていたが。メールが来る。内容を確認すると。
高宮監督からだった。
「はいー。 石山れーす」
「疲れきってるみたいだね」
「三ヶ月掛けた記事が仕上がった所でして……」
「毎回本当に命削りながら書いてるね」
苦笑混じりの声。
石山にとっては最高の褒め言葉だ。スポンサーのケツを舐めて金を貰っている他の記者と一緒にして貰っては困る。
政治関係の記者だってそれは同じだ。
官公庁の発表をそのまんま記事にするか。
背後にいる外国や、親外国組織のスポンサーが喜ぶ内容の記事を書いているだけ。
何が政治の腐敗を暴くか。
余所の国が喜ぶように、適当に話をでっち上げているだけでは無いか。
そういう意味では、もはやメディアなんてモノは、権力としてまともに機能していないので。
石山の興味は完全に失せていた。
「日野茜の取材記事を書いてくれる?」
「はあ、かまいませんが。 ただやっぱり時間は掛かりますよ」
「別にかまわない。 それと、分かっていると思うけれど」
「……了解しました」
プライベートの暴露は厳禁。
それでいて、太鼓持ち記事も厳禁。
これらは当たり前として。
客観的に、日野茜という人間の記事を書かなければならないか。
とりあえず、今日は動けない。
それも伝えておくと。
まずは体力を取り戻してと、比較的優しい。だけれども、やっぱり何か背筋を恐怖が走る声で高宮監督は言うのだった。
まず、なんとかベッドから這い出すと。
シャワーをフラフラのまま浴びて、そして顔を洗う。
勿論色々痩せこけていたけれども。
それでも、何とか明日から少しずつ体調を回復させなければならない。
食事もしっかりとった。
目的が出来ると、それはそれで体が動くようになる。
そういう意味では。
石山は、根っからの仕事人間なのか。
それとも、本来の意味での報道が好きなのかも知れない。
とはいっても、報道なんてのは、昔から今と変わらなかったのかも知れないし。
ペンで悪を暴くなんてのは、二次元だけの事だったのかも知れないが。
それでもいい。
二次元から来た人のようだと思われたのなら。
今後は、三次元にも実在するようにしたい。
それが石山の望み。
そうか、それが石山の望みか。
二次元にしかいなかった本物の記者。
それを三次元にも根付かせる。
確かに、石山の夢としては。
大きいのかも知れなかった。
目が覚めてから、きちんと食事を取る。
短時間で激やせすると、リバウンドが激しい。まずは肉を食べて、更にはジムにも出向く。
荒事を想定して、ある程度鍛えておくのだ。
石山の仕事は体力勝負でもある。
だから、あまり運動は得意ではなくても。体力は出来る範囲内で、つけるつもりではあった。
ただ体力というのは。基礎体力がないとどうしようもない。
石山は基礎体力があまりある方ではないので。
ジムは結構しんどかった。
それに記事に取りかかると缶詰になるし、文字通り精根を使い果たしてペンに全てを叩き込む。
そういう意味もあって、ジムの指導員からは。
いつも不思議そうに見られていた。
体が戻るといなくなり。また激やせして戻ってくると。
食生活を改善しろと言われた事もあるが。それについては、もはや乾いた笑みを返すしかなかった。
ジムである程度体を鍛えた後。
幾つかの場所を回って、日野茜の情報を集める。
彼女が昔いた劇団にも足を運ぶ。
記者が何人か来ていたが。
辟易している劇団員の様子が窺えた。
本当に破落戸そのものだな。
そう感じて悲しくなる。
取材許可証を出して、劇団の中に。それを見て、いらだたしそうに他の記者が石山の背中を見ているのだった。
「誰だあいつ……」
「なんだか前にも高宮のいるスタジオにあんなのが入ってったな」
「クソ、何かのコネか!?」
「卑怯な真似しやがって……」
何を好き放題ほざいているのか。
そもそも取材許可をきちんととってから来いというのが本音である。
石山はそうやって来ている。
コネだって使っていない。
きちんと身分を明かした上で、交渉して取材許可を貰った。勿論自分の記事を相手に見せている。
そして、記事を書く際の契約書も作って相手に渡している。
この辺りの手続きは井伊に手伝ってもらったが。
あの子は本当にヤバイ。
本当に手際が良すぎて助かる。
ただ、それ以外の事はしていない。
記事の内容で、石山は取材許可をもぎ取ったのである。
それをコネだなんだと言われるのは心外だし。
そんな風にしか考えられない現役の本職の筈の記者達のレベルの低さには。元記者としては悲しい限りだ。
劇団の中に入ると、まずは挨拶回りから。
軽く挨拶をした後、劇の練習の様子を取材させて貰う。
勿論声を掛けたりはせず。
邪魔にならない場所を教えて貰い。
其処で観察して、メモをひたすらに取ることにした。
練習が終わった後。
古株の劇団員に話を聞く。
勿論、日野茜の事は知っていた。
「ああ、茜か。 なんというか、本当に凄い職人意識の持ち主だったね。 プロになれたのも納得だよ」
「プライベートの情報は必要ありません。 彼女がどういう劇団員だったかだけを教えてください」
「ほう。 他の記者はどんな男とつきあってたとか、そういう事ばっかり聞きたがるのにな」
「性欲が人間の全てを現し全てに勝る理論は、私は信奉していません。 あれはフロイトが現在に残した呪いですよ」
これも本音だ。
まずしっかりプライベート情報などは必要ないことを告げる。
契約書の通りの取材をしているという事を示すためだ。
相手もそれで安心したのか、幾つかエピソードを話してくれる。
取材の後は、丁寧に頭を下げて。
更に録音テープを相手に渡しておく。
最近はテープを物理的に使うのではなく、情報をスマホに送るだけなので楽と言えば楽だ。
これで、取材のフェアネスが保たれる。
よく記者が、警察が違法捜査だ云々を口にするが。
その割りには記者は法に沿っての取材をしようとしない。すっぱ抜きだの飛ばしだの。挙げ句の果てに人を殺してもなんら反省さえしない。
それはフェアではない。
そう石山は判断している。
記者は聖域の存在でも無いし。
特権階級でもない。
それを理解出来ていない人間は、記者になるべきではない。
そう思っているから、こうやって徹底的にフェアに記事を書く。
二次元から来たといわれてもかまわない。
今度は石山のやり方をスタンダードにしてやる。
二人目のベテランに取材をすると、色々と情報が得られた。
「ああ、茜か。 とにかく凄いプロ意識の持ち主だったけれど、周囲からは変人扱いされる事もあったね」
「詳しくお願いします」
「あの子は何というかストイックすぎて、周囲の男とかに全く興味を見せなくてさ。 演劇マシーンとか陰口叩く劇団員もいたよ。 確か誰かベテランをこっぴどく振って、それが原因で孤立して劇団を抜けた事があったとか」
それは本人に聞いた話だ。
だが、此処でも聞けたことに意味がある。
客観性の担保。
それには、できるだけ多面的な情報が必要となるのだ。
「後、出る劇の脚本は全部丸暗記。 あれについては、悪口いってる連中も凄い事を認めてたな」
「劇団時代からやってたんですね」
「む、今もなのか」
「私が取材した限りでは」
まあ、これは別に言っても構わないだろう。
そうか、とベテランの劇団員は言って。
それで大成できるならいいのだけれどとも付け加えた。
まあそれはそうだ。
ストイックに努力を続ければ大成できるというのは大嘘だ。スペックが高かろうが、駄目な人は駄目。
運に恵まれていたりしないと、どうしても無理なものは無理だ。
いいものが必ずしも売れないのと同じ事である。
愚かしい話だが。
「他に何かエピソードは」
「いや、特に思い当たらないな」
「分かりました。 取材有難うございました」
録音のデータを渡しておく。これも必要な事だ。
こうやって幾つかの劇団を回っていく。必ずしも大きな劇団ばかりではないが、わざわざ日野に聞かなくても昔所属していた劇団の割り出しくらいは済んでいる。
劇団にいるのは趣味でやっている人、苦学生、将来俳優を目指している人、様々であるけれども。
学校の演劇部とはレベル違いなのは事実だ。
というか、映画で大根演技を披露するお笑い芸人やら大御所タレントなんかよりも百万倍マシだ。
そう、彼らの練習とプロ意識を見ながら、そう石山は判断した。
確かに高宮監督が劇団出身の俳優を採用するのもその辺が理由なのだろう。ただ、高級な素材を使って猫まんまをわざわざ作っているようにすら思えるが。
ともかく、次。
電車を乗り継いで別の劇団に。
取材を順番に続けていく。
翌日は流石にかなり足がいたくなったが。
これも取材の結果だと思って、諦める。
そのままデータをまとめていく。
劇団といっても、ずっと同じ団員が所属している訳では無い。殆どは別に仕事を持っている事が多い。
余程大きな劇団だと、それだけで食っていけるようなケースもある。
劇場をもっていて、そこで独自の劇を披露して。それで黒字になるような一部の劇団である。
だがそういう場所はコネが結構モノを言うようだし。
色々なドロドロもあるようだ。
日野はそういう大手の劇団には最後まで所属しなかったようだが。
それでも幾つもの劇団を渡り歩いて、貪欲に演技力を上げていったようである。
必ずしも、どこでも歓迎はされなかったようだが。
劇団で取材をして見ると。
かなり嫌そうな顔をされた。
ベテランの劇団員だが。取材許可は取ってあるのだが。
砂時計を置いて、これが終わるまでと条件を言うと。
渋々話はしてくれた。
「あいつは演技は出来るが連帯を考えない奴でな」
「具体的にお願いします」
「自分ばっかり振りかざして、他の団員に迷惑を掛けてたってことだ」
「どのような事があったんですか?」
ひょっとして此奴かと思ったのだが。
案の定そうだった。
正確には少し違ったが。
どうやら、日野にこっぴどく振られた奴の先輩らしい。かなりのベテラン劇団員のようだが。
今でも日野を恨んでいるようだ。
「彼奴が我慢して交際を受けてれば、劇団はスムーズに回ったんだよ。 あの頃は人材も揃っててな、下手をするともっと大きな興業をやって、派手に稼げるかもしれなかったんだ。 劇団のためを考えれば、多少の我慢くらいするべきだろうがよ」
「……その振られた方は」
「暴れて警察沙汰。 それでしばらくは劇団はやりづらくなってな、今でもこんな規模だよ畜生。 立て直すのにどれだけ時間が掛かったと思ってやがる」
「なるほど、有難うございました」
笑顔を保ったまま、砂時計の砂がまだ残っているのに取材を切り上げる。
ふんと鼻を鳴らして大股で去って行くベテランの劇団員。
笑顔を保つのが大変だった。
クソが。
そう背中に吐き捨ててやりたかったが。必死に我慢する。
感情で記事を書くのは最低だ。
客観性を保て。
主観を殺せ。
そう言い聞かせて、ようやく石山は我慢することが出来た。いずれにしても、録音テープで得られた話以上の事を書くつもりはない。
日野に同情したが。
はっきりいって。こういう場所にはまだまだ最悪の意味での体育会系思想が生きていると言える。
というか、たかが劇団のために自分を殺して相手に好きかってさせろという思想は、どこから湧いてくるのか。
例え役者として優れていても、あのベテラン劇団員の劇は興味をそそられない。
いずれにしても、深呼吸を幾つかする。
他にも何人かに話を聞いたが。
日野の所属時代の劇団員はほとんどいなくなっていた。
まあ傷害事件になったのなら、劇団が一度壊滅するのも当然と言えば当然だろうし。
はっきりいって、知った事ではないが。
次の劇団にも行く。
かなりの高齢の劇団員がいたが。意外にも、最近劇団に入った人間だそうである。
定年退職したので、どうせならという事らしいが。
まあそれはそれで面白そうだ。
取材をして、話を聞いておく。
まさか取材を受けるとは思わなかったのか、色々興味深い話をしてくれた。許される範囲内で聞いて録音し。データも渡しておく。
こういう誠意のある取材をしないと。取材とはいえない。
そう、石山は判断していたし。それを容認してくれる環境にいることが出来て、本当に良かったとも思っていた。
データは充分に集まった。
劇団ははっきりいって生臭い場所だった。趣味人が集まっている、と言う割りには体育会系の空気が強く。
それに我が強い人も、劇団への過剰な愛がこじれている人もいた。
日野茜は、そういう場所である意味揉まれたのかも知れないし。
だからこそ、劇団を去ったのかも知れない。
劇団に対して、一元的な見方をするつもりはない。
ただ自己表現の場であると同時に。
体育会系思想が蔓延している場でもあり。
それは行きすぎた部活が、ブラック企業と同じようになっているのと同じ構造なのかも知れず。
同調圧力が、悪い方向で作用している場所なのかも知れず。
劇団によっては趣味人が好きにやれている場所なのかも知れないし。
石山には、なんとも言えなかった。
いずれにしても、劇団をテーマに記事を書きたいとも感じたが。
それをやるには時間が足りない。
ただ、劇団そのものには興味を持ったし。
いずれ、仕事以外のブログ記事で。
記事を書いてみたいとは思った。
それに劇団と言ってもピンキリだった。
本気で演劇が好きな人が集まっているけれど、単に好きなだけで向上心がそこまでない人達の集まりである場所や。
逆にプロ意識は強いけれども、芸能界を意識しすぎて変な方に拗らせてしまっている場所もあった。
スポーツなどでも同じだ。
プロになる事を意識しておかしな方向に拗らせている部活は、幾つでも思い当たる。
石山自身が入部した訳ではないけれども。
それでも学校時代、あまり良くない部活は見聞きしている。
本格的に調べたら、それこそ最悪の意味での体育会系思想が蔓延している部活なんて幾らでもあるだろうし。
昔は虐めによる殺人などをもみ消していたケースだってあっただろう。
複雑な気分だ。
今の子は、やる気が無ければ帰れと言われれば。本気で帰るという話がある。
それを若い子がやる気がなくてどうのこうのと叩きにつなげる老人がいるのだが。
そもそも趣味でやるようなものを。
どうして無茶なトレーニングとかで心身を壊したり。
青春を潰したりしてまでやらなければならないのか。
其処には趣味における最大の要点である「楽しい」が欠けている。
劇団にしてもそう。
みんなで楽しみながら高みを目指す、とかならいいのだろう。
だが、それを出来ている劇団は。
あったにはあったが、小規模なものばかり。
やはりお金が絡んだり、栄達を狙う人間が入ると。
「楽しい」が歪んでしまうのは、どうしても人間の組織構造としてはあるのだろうと。石山は結論せざるを得なかった。
取材が終わって、しばらく考えをまとめる。
データは揃ったので、後はそれを記事にしていくだけだ。
これは仕事だ。
手を抜くつもりはない。
石山自身が楽しいか、はあまり関係無い。
情報を扱う以上、そこに私情は不要。
主観も不要。
あくまで客観的にデータを分析し。
そして記事を書いていく。
それだけである。
SNSを軽く見て、日野茜に対する評判も一応確認はしてある。
データはとれるだけとっておいたが。
それらの情報は、まあまあというところだ。
「日野茜か。 まあ俳優としては、CMとかでは存在感はあるよな。 高宮の映画で起用されているって言われてもぴんと来ないけど」
「まあ最近は顔を隠したりそもそも立方体の中に入ってたりだから、俳優が露出しないってのもあるしな」
「映画のエンドロールで名前を見つけて、ああ今回も高宮のエジキにされてるんだなあって同情することはある」
「良くエンドロールまで耐えられるな。 俺にはとても無理だ。 高宮の映画は、二時間ぐっすり寝るために見に行ってる」
まあ、高宮映画での存在感ははっきりいって厳しい。
日野茜に限らず、登場している俳優全員がそうだ。
ただし、最近は高宮映画は「不愉快では無いクソ映画」「見る睡眠導入剤」として変な人気が出ているし。
興行収入も相応に上げている。
出演した俳優は、日野茜だけではなくそれなりに有名になっているし。
何より無名の劇団出身者ばかり俳優として採用しているという事もあるのだろう。
特撮などに並ぶ新人の登竜門として、高宮映画はそれなりに有名になってきているようである。
もっとも、映画に出ていたと言う事で有名になるのではなく。
スタッフロールにある名前をSNSなどで誰かが調べて、それを拡散し。
その後に皆で調べて、こう言う人なのかと歓心を持ち。
それでやっと知られるようになるという、変な経緯で、のようだが。
資料をマクロでまとめながら、記事をまとめていく。
石山は記事を書いたあと、取材をした人間全員に回すようにしている。
これは記者としての誠意だ。
それできちんと問題が無いかを確認してから発表する。
記者として、他がやらないことをする。
それが石山の記者としてのあり方。
二次元から来たようだといわれるけれども。
そう言われても、別に悔いはない。
今は普通の方がおかしい時代だ。
人間の言う普通は、同調圧力で弱者を痛めつけて悦に入るようなものだから。はっきりいってろくでもない。
古くから、多くの偉人が「常識なんてクソだ」とはっきり断言しているのも。それが故である。
だから、別に普通であろうとは思わないし。
普通である事を自慢にしているような輩は、反吐が出る程嫌いだ。
たまに見かける。
石山の記事は異常だと。
ブログなどでも、最近はたまに見かけるようになって来た。
この間。高宮映画について書いた記事についても、新聞で批判記事が出たので目を通している。
曰くこれは論文に近いもので。
このような労力を掛けて記事を書くことなど出来ない。
これは記事とは呼べない。
スポンサーがいて、サラリーマンである記者は。スポンサーや読者が喜ぶものを書くのが当たり前であって。
こんなものがスタンダードになったら、本職が路頭に迷うと。
その意見については、石山は書いた奴を呼び出して面罵してやりたいと思ったけれども。
言論の自由だ。
好きにしろとしか言えない。
ただ、その新聞記事には凄まじいクレームが殺到して炎上したようである。
まあそれはそうだ。
自分達はスポンサー様のケツを舐めて、真実をねじ曲げて報道しています、という事を隠しもしなかったのだから。
そればかりか、偏向報道を正当化すらもしているとも言える。
真実は自分達が作る情報こそで。
真実なんて、どうでもいい。
自分達が発信する情報を、愚民はまともに信じ込んでいれば良い。
そう言っているも同じだった。
残念ながら、今はSNSにもバカは多いが。それ以上に、こういったマスゴミの不愉快な本音に対して理論的に反論できる存在も多い。
石山は一切反論しなかった。
翌日には、その記事に対しての謝罪文を新聞が掲載したからだ。
まあそれもそうだろう。
不買運動が始まりかねなかったのだから。
それは、あまりにもマスゴミの記事が酷すぎて。石山が書いた記事が、相対的に良くなっていた、というのも理由としてはあったのだろう。
しばらく心を整理して。
己を消して無の境地に入ると。記事を書き始める。
今回も痩せるだろうが、それは別にどうでもいい。
ともかく、日野茜という存在に対して、徹底的に客観的な立場から記事を書いていく。
自身の感情なんてどうでもいい。
体育会系の傾向をもつ劇団についての不快感もどうでもいい。
そんなものは遠くに放り捨てて。
ただひたすらに、客観の権化となって記事を書く。
他にこうやって記事を書いている人間なんて、存在しないとしても。
ここに石山がいる。
例え二次元の住人と言われようと。
すっぱ抜き記事を書かない野心がない腑抜けと罵られようと。
限りなく真相に近い真実を届け。
そして主観という人間がもっている最大の呪いから外れた記事を書くには。
これが一番だとも言えた。
記事を数日かけて書き終える。
ここからが、本番だが。
まず、取材を受けた人間全員に回す。勿論日野茜にも、高宮監督にもだ。
そこで指摘を受けた分を修正し、更に何度も回して許可を得たら記載を行う。
日野茜へのピックアップ記事は、相当に今後の高宮作品で。
正確には、高宮監督の野望にとって重要なものとなるだろう。
だから、石山はこれを任されたことを非常に嬉しいし。
やり遂げたいとも思っていた。
殆ど反発はなかったが、誤字脱字の指摘などは幾つか来た。それについては、修正をしておく。
録音データは相手にも回している。
だから、それに沿っていない内容の記事にはしていない。
すれば即座にばれるから、である。
何度かの修正を経て、記事が完成する。
なお当の日野茜は。
記事に対して、何かを言う事は一切無かった。
こういった記事は、少し間違えると簡単にプロパガンダになる。それだけは絶対に避けなければならない。
そういう意味でも。
記事については、本当に気を遣わなければならなかった。
やがて全OKが出たので、記事を掲載する。
今回も、石山は体重を四キロ落とした。
記事をアップした時には、文字通り口から魂が出かけていたが。
それはそれとして。
満足であることに、代わりは無かった。
4、地獄の扉は開き始める
高宮が所属する配給会社のHP。その特設サイトに、日野茜の特集記事が掲載されることになった。
高宮自身も勿論目を通したが。
相変わらずマスゴミの書く記事とは一線を画している代物である。
あらゆるデータを徹底的に集計し。
そこから理論的に分析している。
しかもぐうの音も出ないレベルでデータを集めており。
文章力でしっかり読ませる作りになっていた。
なるほど、これでは千程度のデータしか集めていないのに、統計だのなんだのとほざくような新聞記者では勝負にならないのも当たり前だ。
石山は新聞記者ではない。
記者ですら無いかも知れない。
情報を正しく発信するという意味で、もはやそういう魔的な存在なのかも知れなかった。
記事を読み終える。
プロパガンダになっていないので、それも安心した。
誰かに対する記事は、個人にしても団体にしてもそうだが。崇拝記事になったりすると最悪だ。
それを真に受けた奴が、そのまま自己神格化へ暴走するケースがいくらでもある。
プロパガンダは最悪の代物だ。
現代でもプロパガンダは色々な場面で健在だが。
あれをやると、組織は一気に転落するし。
個人は一気に闇落ちする。
その点、この石山が書いた記事は非常に丁寧かつ、気を遣って記事に仕上げていると言えるし。
好感が持てた。
高宮は、死んでいるだろう石山に連絡を入れる。
案の定、石山は精魂使い果たした声を出していた。
「はい、石山れす……」
「記事お疲れ様。 後は指示を出すまでゆっくりどうぞ。 ボーナスだすから、温泉でも行って来ては」
「あい……」
「じゃ、ゆっくり休んでね」
どうにも話せる状態ではないと判断。
すぐに連絡は打ち切った。
さて、此処からだ。
小野寺と井伊をテレビ会議で招集。
更には、今回から黒田も招集することにする。
黒田にはエンジニアとしての仕事をして貰っている。
そして、今後は編集作業も手伝って貰う。
黒田は少しずつ体を回復させているようだが、それでもやはり内臓は幾つも酷い事になっている。
何度も死を考えたという黒田は。
この職場に入ったことを感謝してくれているし。
何よりも、ブラック企業を当たり前のように受け入れているこの時代を憎んでもいる様子だ。
それならば。
高宮がやろうとしていることには賛同してくれるだろうと判断。
小野寺から話をしてもらい。
この間、正式に同意を得られた。
勿論そのまんま両手放しに受け入れられる訳では無いので。
しばらく様子を見て。
それで信用できると判断。
今回から、同志に加わって貰う事になったのだった。
「日野茜の特集記事について、意見を聞きたいかな」
「私はいいと思う。 これはプロパガンダではなく、客観的に良く出来ている記事に仕上がっている」
井伊はそう断言。
まあ、井伊ならそう言うだろうと思った。
ちなみに井伊は大手の自称「クオリティーペーパー」も一通り目を通しているそうだけれども。
はっきりいって内容は論外だそうだ。
まあこれについては高宮も同じ意見である。
なお英語の海外新聞も最近は質が落ちる一方だそうで。
マスゴミの質の低下は、日本だけの話ではないらしい。
今後、恐らくマスゴミという言葉は世界中に普遍的に広まるだろうという事を井伊は言っていたが。
まあそれについても同意できる。
「かなり厳しい批評ですね。 日野さん、良くこれを受け入れたなあ」
「厳しいからこそでは……」
小野寺が苦笑い。
そこに黒田がフォローを入れる。
やはり何というか、もの凄くヤバイ場所に足を踏み入れたことは肌で分かるのだろう。
戦々恐々としているのが、何となく分かる。
「日野さんはストイックな人のように見えますし、厳しいけれど客観的に見て正しい事を言われれば、受け入れられると言う事では」
「なるほどねえ」
「いずれにしても変に大御所とかを気取ってしまうと人は駄目になりますし、これでいいのではないかと思います」
舐められたら終わり。
そう考える人間は、最終的に神とかを自称し出す。
それがどれだけ滑稽か、考える能力もその頃には失われているケースが多い。
良い例が、実在した宇宙大将軍という人物だ。
信じられない話だが、そう名乗った人物が実在しているのである。
いずれにしても、同志の間でも記事は客観的と好評だ。
プロパガンダになっているなら、即座に井伊はそう指摘するだろうし。
そうでないということは、高宮の見立ては間違っていなかった。
石山はこの記事を見ても分かるが。
もう記者ではないと思う。
今記者を名乗っているクズ共とは完全に別の生物だと言える。
そしてそれは。
決してバカにされる事ではなく。
褒めるべき事だとも思う。
命を削って記事にしているのだ。
客観なんて必要ない。自分の出した結論に、真実をねじ曲げてしまえば良い。
そう考えている記者が普通である今。
記者である事は、むしろ恥だ。
そんな存在にならなかった事は「異常」かも知れないが。
普通が狂っているのだから、異常である事はむしろ誇りだろう。
「さて、これで手札が揃ったかな。 後は司法関係に協力者がほしいところだけれども」
「今、リストを見繕っている」
「お、手が早いね」
「……任せてほしい」
井伊が言うので。高宮はこくりと頷いて、任せることにした。
全てをひっくり返すなら、何もかもを電撃的にやっていく必要がある。
この腐りきった業界を炎で焼き尽くすために。
高宮は、あらゆる準備を怠らない。
(続)
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