絶滅危惧種到来

 

序、今はもはや本職に人無し

 

高宮は新聞記事をざっと一通り見た。今はマスゴミは全て駄目。クオリティペーパーも例外無し。

それは知っているつもりではあったが。

売り上げが上がってきている以上、高宮の映画についての記事はどうしても出てくる。そのため、内容次第では相応の処置をする必要があり。

故に目を通していたのだ。

一番危ないのは、実際に目を通さずに評価することだ。

今の時代は、全てに目を通すのは難しくなってきている。

故に、一部すらも見ずにものを評価し。

それについて悟ってしまったつもりになる人間が出るようになってきている。

これはとても危険な事だ。

故に例えカスだと分かっていても、全てのレビューに目を通すように高宮はしていた。

そして、はっきり悟る。

もはや。マスゴミに人無しと。

大阪の陣で真田信繁が、東軍にもののふ無しとかうそぶいたとかいう逸話はそれなりに有名だが。

あれはあくまで、徳川家をディするための創作の可能性が極めて高い。

だが、これは違う。

一次資料で、実際にマスゴミの記事の低品質化をこの目で見ているのだ。

論外と、一言で結論出来た。

まず七割方の記事は、概ね業界人の言う事をそのままなぞっている。

こいつらがそもそも意識高い系の問題集団。

そんな連中の評価をそのまま疑問もなく、クオリティペーパーを自称する新聞が載せるか。

思考能力が少しでもあれば、そんな事は恥ずかしくて出来ないだろうに。

そこまでスポンサー様が大事か。

そう面罵してやりたいが。

ともかく七割の新聞はそうだ。

そして残り三割は、ネットの声と称して、SNSでの評価をまんま載せている。

これもまったく思考力に欠ける行動だ。

例えば、全てのデータを集計して、そこから割り出した結論を載せるとかならまだ分かる。

だがこれらの記事は、主観で自分の目についた文言だけを割り出し。

そこから「ネットの声」を意図的に作りあげている。

要するに言論の改ざんである。

論外と言えた。

というわけで、一通り目を通した後。

紙屑を全部シュレッダーに入れる。

トイレットペーパーの方がまだ使い路がある。

こんなもの、シュレッダーのエサにする以外になんの意味もないゴミだ。

呆れ果てた後。

高宮はつづいて、井伊が送ってきたネットブログのアドレスを確認する。

ネットの方での評価はどうか。

それについて調べようと思ったのだ。

その中の一つに。

興味がそそられるものがあった。

「高宮監督の映画、アルティメットコメディシリーズについての考察」。

タイトルはともかく。

中身をみていくと、かなり面白い記事だった。

まず、実際に映画を見に行った人間の発言から全体的なデータをとり、そこから全ての発言を吟味している。

できる限り大量のデータを分析することで、それによる統計の正確性を上げているのである。

これは近年マスゴミがよくやる、千件程度のデータがあればいいという手抜きアンケートとは全く違う。

本物の統計だ。

それだけではない。

映画の内容についても、できる限り分析している。

内容は全く理解出来ないと結論しているが。

それはそれですなおな結論だ。

ただし、主観を徹底的に排除するつもりなのだろう。他の映画と比べながら、何十回も見た事がよく分かる。

新聞の記事にも、記者がまともに映画を見ずに書いた落書きみたいなものが複数確認されたのに、だ。

これはなかなかやるな。

そう思って、高宮は最後まで丁寧に記事を見てしまった。

他の記事は、だいたい主観で面白おかしく読ませるための記事を書いているものばかりだった。

なるほど、井伊も分かったのだろう。

最初にこのブログをもってきたのは。まともな記事が見つかったから。まだ頭が冴えている間に、見てもらおうという意図だったのだ。

いやはや、相変わらずやるな。

そう高宮は素直に感心していた。

すぐに井伊に連絡する。

「この記事書いた奴、何者? 連絡を取りたい」

「此方でも今調べている。 どうも記事の内容からして本職だとは思うが、現役の記者がブログ記事を書くとも思えない。 そうなると、最近退職した記者が該当するのではないかと思う」

「はっきりいうが、今のマスゴミには人無しだ。 この人材を逃したのだとすれば、その無能ぶりはあまりにも酷いね」

「それは同感。 これだけのしっかりした記事を書いてくる記者を逃すなんて、目が節穴どころかブルーホール」

ちょっと面白い事を言われたので、苦笑する。

ブルーホールというのは、珊瑚礁などに存在する、浅瀬にある突然深くなっている地形のことである。カリブ海などにあるものが有名で、だいたいは鍾乳洞などが崩落してできた地形だ。ルスカという超巨大なタコのUMAが住んでいるという噂がある。あくまで噂だ。勿論そんなものの存在は確認されていない。

ただ夢はあるし、クソ映画の題材としては面白い。

故に高宮も知っていた。

さて、井伊は任せてほしいというので、頼む。

映画は新作が少し前に公開したばかり。

「コメディ」と銘打った作品だが。やはり観客はみんな三分くらいで大半が寝てしまうようだ。

それでいながら客入りも好調。

SNSでも、何故か謎の盛り上がりを見せていた。

「内容が何一つ理解出来なかったんだけど、俺だけがおかしいの?」

「いや、大半の奴は開始すぐみんな寝る。 映画がつまらないと騒ぐ素直な子供ですら寝る。 起きて内容を見て理解しようとしただけで凄い」

「相変わらずだな高宮。 もはやコメディどころか、どんなジャンルなのかすらもわからねえよ! あれがどうしたら純粋コメディになるんだよ!」

「ある意味、悪い意味で笑わせに来てるんだよ。 ただ、何故かむかつかないんだよな……」

概ね意図通りの反応。

更に、そもそも全員が体型を平たくして、顔も消しているのである。

ポリコレやフェミニズムと言ったこういうものにケチをつけに来る人権屋も、手出しをしようがない。

事実少し前に、ポリコレの一派が流行り始めている高宮映画から如何に金をむしり取ろうかと画策していたようだが。

内容があまりに前衛的な上に。

そもそも高宮との接触機会が一切無いこともある。

結局、諦めざるを得なかったようだ。

この手のヒットを飛ばすと、どうしてもダニが寄ってくる。

他人を持ち上げて取り入り、ダニのように血を啜る連中の事だ。

そういう連中が高宮には一切つけいる隙が無い。

たまにその手の連中が高宮のネガキャンをやることがあるようだが。

眼に余るものは潰してしまうし。

何よりも、以前ネガキャンをやった映画監督を告訴して社会的に抹殺したことが大きいのだろう。

リスクが高すぎると判断して、近寄ってはこないようである。

いずれにしても、今回の映画も興行収入は順調。

既に今まで出して貰った補助金は返済し終えているし。

会社にも充分な利潤が入っている。

高宮の発言力は大きくなる一方だが。

高宮自身は、ほぼ喋る事はしない。

窓口になっているのは、会社に勤めている小野寺だが。

まだ二十歳になったばかりなのに。

意思疎通という意味での、本来のコミュニケーションの達人である事もある。

重役共もひやひやで。

対応できていない様子だ。

腫れ物と言うよりも。

闇より触手を伸ばしていつでも会社を深淵に引きずり込める邪神に、会社が乗っ取られているようなもので。

もはや配給会社は高宮の敵になり得なかった。

さて、記事を書いた人間の調査と確保は井伊に任せる。

次に高宮がやるのは、当然次の映画の準備である。

映画が公開している内に、俳優のオーディションの告知はしてある。

いわゆる大御所といわれるような俳優までオーディションに来るようになっていた。

コネでのオーディション通過は一切無し。

スポンサーも一切無し。

そういう状態なので、オーディションに来ざるをえないのだ。

大部屋俳優と言われる人も来る。

それぞれ一芸をもっている俳優がそれなりに多いのだが。

どうも高宮の映画の内容について、しっかり勉強してから来ている人間はあまり多くはなく。

オーディションは、どうしても退屈だった。

これからは、芸歴三年以下というしばりでもつけるか。

そう思いながら、才覚がありそうな新人を数名選んで。

オーディションは終了。

どんな大御所俳優でも容赦なく弾いた。

君らは仕事だって別にあるだろう。

苦しい思いをして必死に食っている新人向けのオーディションなんだよこれは。

そう内心で呟きながら。

ただ、そういう風に告知を出していなかった自分のミスでもあるなと思い。次回からはそうすることにする。

何かしらのミスがあったら次で改善する。

それが、プロの仕事だ。

高宮は狂った映画を作っていても。

その辺りのプロ意識は、きちんと持ち合わせていた。

日野茜は今回も使う。

今後、高宮の映画には必ず使うつもりだ。

なお、高宮の映画の撮影以外では、事務所の意向でCMにも出ているようだが。

そういう所では、かなり強いプロ意識を発揮して。

きちんとした存在感を示しながらCMに出ているようだ。

テレビを見る事はしないが。

CM単品は動画サイトで確認はするようにしている。

相手をおちょくるような真似は絶対にしない。

まだ、高宮は自前で日野を雇うほどの準備をしていない。

自前で俳優事務所を開いてからだ。

日野を直接雇うのは。

それまでは、しばらく淡々と稼いでいくしかなかった。

次の映画は、タコ映画だ。

ブルーホールという単語を井伊が出したのも、それが理由だろう。

タコ。

頭足類は、カンブリア期の後から。魚類と海の覇権を争い続けて来た種族である。

直角貝という種族が覇権を握った時期もある。

化石があまり残らないので、今に知られていない超巨大種が過去の海にいた可能性もある。

現在でも足の長さが九メートルを超える(ただし体重そのものはさほどでもない)ミズダコや、誰でも知っているダイオウイカ。更にダイオウイカよりも更に巨大なダイオウホオヅキイカ。ダイオウイカより小ぶりながらも、充分に巨大なニュウドウイカや。足の長さではダイオウイカに迫るがとにかく華奢なミズヒキイカなど。面白い種族がたくさん存在している。

そしてダイオウイカほど巨大ではないものの。

人食いの怪物として知られるアメリカオオアカイカなど、海に住まうモンスターと呼ぶに相応しい生物だ。

勿論人間とは殆どが生息域が異なるため、敵対存在にはなり得ないのだが。

タコは瓶の蓋を開けて中に入ったカニを捕食するほどの知性を持っている上に、陸に上げても匠に動いて海中に戻るなど、対応能力も非常に高い。

人間とは根本的に異なる姿から恐怖を抱く人も多いようで。

西洋では悪魔の一種か何かのように扱われ。

挙げ句の果てに創作神話の主役として扱われてしまう結果にまでいたった。

いずれにしても、アニマルパニックものとしてはそれなりに数が存在しているジャンルであり。

何百メートルもあるようなタコが大暴れする夢のあるものも存在しているが。

高宮が作るのは、相変わらずシュール極まりない映画の予定だ。

CGも面白さを消すために使う。

既にどんな映画を撮るかはスタッフに伝えてあるので。

後は淡々とやっていくだけである。

色々と準備をしている内に、どんどん時間は過ぎていく。

会社の方から連絡がある。

広告会社が声を掛けて来たらしい。

高宮監督の映画を是非宣伝したい、と。

だがあまりに価格が法外なので、どうしたらいいかとも。

井伊に対応して貰う。

どうせ広告会社にアホみたいな金を払っても、役に立たないのは確定だ。

一方井伊が上手に広告戦略をSNSを中心にやっていて。

はっきりいってそれで充分過ぎる程に、高宮の映画の新作が出る事は、世間に周知されている。

今では「何故か頭に来ないクソ映画」「二時間ぐっすり快眠出来る」という不思議な映画として。

高宮映画は、嘲笑も混じってはいるが。

それでも概ね好意的に知名度を増しており。

特に近年では、幼稚園で流したところ寝かせるのに苦労する園児達があっと言う間に寝たとかで。

喜びの声が現役の保育士から届いたりもしていた。

つまり広告会社なんぞ必要ない。

そして、こういうのを捌いていく度に。

高宮の。

会社では高宮と、井伊と小野寺をセットで高宮ファミリーと呼んでいるらしいが。

いずれにしても、その影響力は増していくのだった。

高宮自身が、直接手を下さなくてもだ。

スタジオの予約などが完了。

映画の撮影に入る。

たこ足とかの演出はCGで行う。

今作は海を主体に撮るのだけれども。当然そういうセットも存在している。

海で撮影をすると金が掛かる上に色々と問題も起きやすいので。

今回はなんと海は殆ど合成で撮り。

ほぼ全てをCGとセットで賄う予定だ。

驚きの撮影現場だが。

当然マスコミは出入り禁止にしているので。

高宮映画の撮影風景は、マスコミも出演した俳優に聞く以外に手段が無く。

「ブラックボックス」等と呼ばれて、畏怖されているらしい。

まあどうでもいい。

スタジオの下見を終え。

俳優達と軽く打ち合わせを終える内に。

前回の「アルティメットコメディー」シリーズが、歴代最高の興行収入をたたき出した事を聞く。

また、歴代のシリーズも映画館で放映し。

見に来た物好きや、話題性に惹かれた客を。片っ端から眠りの世界に叩き落としているらしかった。

いずれにしても、昔は映画館が悲鳴を上げていたらしい高宮映画だが。

今ではすっかり、逆にどんどん放映したいという依頼が来ている。

そして何よりも、高宮映画では興奮した客が暴れたりしないこともあって、後片付けなどが滅茶苦茶簡単であるらしい。

そういう不思議な意味でも。

高宮の映画は好評なようだった。

スタジオの下見を終え。

充分だと判断して、引き上げる。

自宅に戻ると。

井伊から連絡が来ていた。

「例の記事を書いた人間、特定した」

「お。 それで何者?」

「やはり新聞社を退社した人間だった。 前からネットでかなり品質の高い記事を書くことで有名な人間だったが、新聞社を退職して、どうするか悩む間に。 貯金を崩して、少しでも好きな記事を書きたいと考えていたようだ」

「接触は出来た?」

出来たと、井伊は言う。

流石である。

この辺り、井伊の能力はずば抜けている。

今、交渉を小野寺に任せているそうだ。

「分かっていると思うけれど、こっちから記事の内容に干渉するようでは何の意味もないからね。 酷評を容赦なくして、それをこっちが容認しているくらいで丁度良い」

「他のスポンサーが聞いたら目を回すような言葉だな」

「それをやる度量がなかったから、マスコミでは無くどこもマスゴミになっていったんだよ。 ついでにどいつもこいつもスポンサーに阿諛追従するようにもね」

「それについては全くの同感だが、それにしても本当に異質だ。 いずれにしても、小野寺にはそう貴方が言うだろうと判断して。 交渉は任せてある。 ただ相手側も警戒していてな」

それはそうだろう。

井伊から軽く経歴を聞きながら、高宮も思った。

石山、というのか。

相手の素性について聞いたが、どうやら今時絶滅危惧種。いや、本当に絶滅していなかったのかと驚かされる、気骨のある新聞記者魂をもつ人間であるようだ。

そのため、既に高校の新聞部のレベルで既に腐っているマスコミの世界には一切合切なじめず。

苦労しながら必死に主観を消して客観で、更には裏取りをした記事を書きながらも。

ほぼ採用されることもなく、限界を感じて新聞社を抜けた人物だそうである。

それでは大変だっただろう。

記者はサラリーマンだなどと抜かして。スポンサー様の言葉通りに現実を歪めるマスゴミの中で仕事をするのは。

それならば用意しよう。

好きかって書いても良い場所を。

そういう記者には、むしろやりたい放題をやらせる方が良い。そう高宮は判断したし。井伊もそう判断するのを読んでいたと言うことだ。

撮影を開始する前に、顔合わせは行いたい。

いずれにしても、事実上抱えの新聞記者を手に入れ。更にそれに好き勝手に評価をさせれば。

更に高宮の計画は、フェーズを進める事が出来る。

それでいいのだと、高宮は考えていた。

 

1、今の時代にはいない記者

 

流石に本職たらんと覚悟を決めていた記者だ。

高宮は石山に直接顔を合わせ。

全く物怖じしていない相手の様子に、感心していた。

高宮は相変わらずのタッパに、眼鏡にマスク。更に室内なのにコートという不審者全開の姿である。

更に喋るのには、面接の時と同じくボイスロイドを使っている。

あまりにも異様な格好。

まあ強いていうなら、「怪人」である。

その怪人を前にして、石山はまるで動じることがない。

むしろ、どんな魔族が出てくるのか心配していたら。

きちんと人間の範疇の存在が出て来たので、安心したという顔をしていた。

石山は中肉中背で、あんまり特徴がない顔をした女だ。

ただ目つきは鋭く、何もかもを観察しようという強烈な意思力を感じさせた。

その意思力。

今の新聞記者には微塵も備わっていないものだ。

昔の新聞記者には備わっていたのだろうか。

それもかなり疑問だが。

少なくとも二次大戦の頃の新聞記者にはもうなかった。

もっと前の新聞記者にだって、あったかは疑わしい。

創作の世界の中にしか、こういう考え方を出来る新聞記者がいないのが、現在の現実というものだ。

新聞記者を神格化した映画が、業界人には絶賛され。一般層からは嘲笑された事があるが。

それはこういう現実が存在していて。

もはや小学生でも、それを知っているからである。

高宮はしばし会話をしたあと。

石山に話を聞く。

「ブログの記事はどれも拝見しましたが、実に素晴らしい。 あれはどのような考えに基づいて書いていますか?」

「まず第一に主観の排除。 第二に客観の担保。 裏取りの実施。 データの可能な限りの収拾。 この四つを軸に、出来るだけ真実に近い情報を見ている人に届けようと考えています」

「それでは新聞社で苦労したでしょう」

「はい。 どうやら今の時代、気骨ある新聞記者なんてものは、現実には存在しないようですので」

客観など記事には必要ない。

高校の新聞部ですら、そんなことを平気でほざく。

ましてやプロはどうか。

考えるまでもない。

そう石山は、少し寂しそうにいった。

だが、それでも視線に籠もる苛烈な光は衰えていない。

「貴方に私の映画の取材を許して。 しかもどのようなことを書いても良いと言ったらどうします?」

「……本当に?」

「ええ、本当に」

「あの見る睡眠導入剤が、どう作られるのかが興味があります。 だから、それを丁寧に取材させていただきたいです」

おもわずふっと素の声で笑ってしまい。

少しだけ、石山も驚いたようだった。

今の時代。

記者が書いているのは、スポンサーの提灯持ちの文字列に過ぎず。

新聞記事などと呼ぶに値しない。

これについては、新聞「社」が出来てからそうなのかも知れないが。

いずれにしても、報道というものはもはや腐りきっており、自浄作用なんてものは微塵もない。

そこには後ろで金を出す人間の意思だけが介在していて。

はっきりいって記事と呼ぶには値しない。

誰でも知っていることだ。

だから事件が起きると、SNSを皆が漁る。

そういうものなのである。

勿論、嘘もSNSには大量に散らばっているが。

それは有料の新聞と同じ。

だから新聞の価値は、下がる一方なのである。

その辺の便所の落書きと、同じレベルの代物なのだから。

「面白い。 採用しましょう」

「採用と言われても」

「さっきの条件の通り。 好き勝手書いて良いですよ。 勿論私の私生活とかに触れるのは流石にアウトですが、撮影については現場入りを許します」

「!」

石山は背を伸ばす。

鋭い目は、どちらかというと何というか、狐か何かを思わせる。

ただ、実際の狐はどちらかというと優しい目をしている。

そういう目では無くて。物語に出てくる、狡猾な狐のものだ。

「基本的に此方にとってマイナスな事も取材して結構です。 ただし撮影を邪魔したり、俳優の休憩を邪魔したりという事は許しません」

「……」

「その上で、貴方を雇って専属記者としてうちの映画の記事を書いて貰いましょう。 また、時間は充分に設けますので、自分の趣味のブログ記事を書くのも自由とします」

「う、うそでしょう……」

慌てる様子の石山。

警戒している。

全力で、である。

そこで契約書を出す。

既に、井伊と相談し。井伊が連れてきた弁護士とも相談して。法的拘束力のあるものとして、書いた契約書だ。

ただ弁護士は内容を見て、目を回していたが。

新聞記者に対して、こんな契約をするのは見た事がないと。

どこの企業も、スポンサーになるときは新聞社や番組製作サイドに容赦なく圧力を掛けるものである。

それが、新聞記者に対して、悪口だろうが何だろうが好きかって書いて良いし。

何なら駄目映画という言葉を使ってもいいというのは異常だと。

逆に高宮は思う。

その程度の度量もないくせに。

ものを売っている方がおかしいのだ。

駄目な商品は、駄目だとはっきり誰かが口にしなければ伝わらない。

それが出来ない時点で、新聞という公的報道の一つが、意味を成していないではないか。

そもそも、駄目な部分があったら改善する。

それが企業のあり方の一つだろう。

いわゆるPDCAサイクルという奴である。

そういうものが提唱されているのに。資格化しても一夜漬けでとれる程度の難易度にしてしまい。

結局誰も具体的な内容について覚えていない。

そんなだから、企業は腐敗する。

駄目な部分を改善するために。

石山の存在は必要だ。

石山が挙手する。

「他の映画の撮影現場の取材についてはどうなりますか」

「!」

「貴方の映画は恐らく、かなり独特な雰囲気で作られていると思います。 それについては見ているだけで分かります。 客観性を担保するために、他の映画の撮影現場も取材させていただきたい。 ただし、この契約書の条件に従った上で、ですが」

「……ふむ」

これは高宮としても予想外の返しだった。

だが。それでいい。

気骨があるじゃないか。

現実にこんな新聞記者が未だに存在していたか。

そして良い意味で野心的だ。

他の新聞記者とは全く違うな。

政治の腐敗を暴くだの、大きなヤマを上げるだの。

そういう「大きな記事で話題になる」事では無く。

身近にある小さな事の真実を届けようとする。

これぞ、本来あるべき新聞記者の姿ではないのか。

どうせ政治関係の新聞記者なんて、官公庁の公式報道を主観で歪めながら記事にするしか能がない連中だ。

或いはスポンサーについている外国の喜ぶように本邦を貶めるだけしか能がない悪口屋である。

そんな中。

映画の撮影という、世界の情勢にも政治にも関係ない部分の記事を打診され。

それについて妥協無く客観性を担保しようと考えている此奴は。

やはり。現実離れしている。

現実の新聞記者には、こんなのはいないし。

だからこそ、新聞社にはなじめなかったのだろう。

「分かりました。 此方の手が回る範囲で、同じ配給会社の映画監督に声を掛けてみましょう」

「ありがとうございます。 彼ら彼女らの映画についても記事を書きたいですが」

「それについては、また部下を介しての交渉になりますね」

「分かっています。 それでも、できる限りの客観性を担保したいんです」

客観性がない。

はっきりと、石山はそう言い切った。

そう、今の新聞にはだ。

新聞記者を神格化して、映画にするようなクソ御輿映画が流行り。それを業界人が絶賛するような時代だ。

業界そのものが腐りきっているのである。

だから、こんな新聞記者が出て来たのは本当に有り難い。

それにしてもこれでは生きづらかっただろう。

苦労について、高宮は心底同情した。

さて。ブログ記事の方で手腕については見せてもらっている。

かなりの毒舌で記事を書いているが、不平等な記事は一切書いていない。

どんなに酷い商品でも客観的に分析し、できる限りデータをとった上で。いい部分についてはきちんと褒めている。

データについても、統計というものをきちんと理解していて。

千程度のデータで満足する阿呆どもと違い。

それこそ専門のツールなども使って徹底的にデータを集め。

それらのデータをいつでも閲覧できるようにまでしている。

これくらいやって、始めて記事が書けるのだろうとも思わせるが。

残念ながら、石山は業界では異常者扱い。

今の新聞業界に。

むかし創作の世界に存在していた、気骨のある記者なんて存在していないのだと。思い知らせる事例だった。

石山との契約を済ませる。

専属記者だが、それでも取材に対する権限は大きく。

ただし、プライベートへの介入など駄目な部分は徹底的に制限もする。

それを明記した契約書に隅々まで目を通し。

写真まで撮った上で。

石山は、契約に応じた。

これで、更に計画は進展することになる。

ネットというのは巨大な井戸端会議だ。だから、そこにいる自称専門家はピンキリである。

ネット記事も同じく出来はピンキリ。

だから、こんな逸材を捕まえる事が出来たのは。

高宮にとっては。

本当に幸運で。そして、未来への道を速める出来事だった。

 

映画の撮影を開始する。

さっそく、石山は撮影の現場に来た。

軽く紹介をすると、俳優達はみんな青ざめた。

それはそうだろう。

高宮の奇人ぶりは周知の事実である。

映画の撮影現場が労働的には極めてホワイトなのと裏腹に、要求される演技が奇怪極まりないことも周知になっている。

既に高宮は「這い寄る混沌」と俳優達に呼ばれているそうである。

実に光栄な渾名である。

日野はある意味、もう何も希望が無いという表情をしていた。

そりゃあそうだろう。

這い寄る混沌にがっつり両手足をホールドされて。目の前で舌なめずりされているのだから。

枕営業を散々強要され。

精神が瓦解した俳優はもっと酷い顔をしているだろうが。

それに近い表情だった。

別の意味で、精神崩壊が近いような有様なので。

休暇はきちんとあげている。

メモをひたすら取っている石山。

撮影の邪魔をしたらゆるさん。

それについてははっきり契約書にある。そして、石山もしっかり契約書に基づいて行動するつもりのようだ。

生真面目で非常に扱いやすい。

なお、休憩時間に取材をするにしても。

休憩時間をオーバーしたり。

俳優が疲れているのに、休みを阻害したりするのも駄目と言ってある。

このため、取材のタイミングは昼休みなどの一部に限られる。

石山にしてみれば、スケジュールがどう動くか最初の撮影の内に見極めて。

それで動かないといけないだろう。

まあそれはそれでいい。

撮影開始。

まずは、海の上……というか船のセットの上で。

日野とあと数人の俳優が、組み体操をするシーンからだ。

組み体操といっても危険なピラミッドは絶対にやらない。

そして高宮映画の名物である組み体操なので。

みんなやる事は最初から覚悟していたらしく。

普段着のままの俳優達が、哲学的な台詞を話しながら組み体操をするのだった。

石山はしばしそれを見て硬直していたが。

やがて。口に何か咥えた。

多分マウスピースの一種だろうと思うが。

撮影現場に声とかが入り込まないようにするためなのだろう。

勿論今の時代、無駄な環境音とかを消す技術は幾らでもあるのだけれども。

それでも、無駄な手間を減らすべく。

自分に出来る事を、全てやっていくというわけだ。

この辺りの対応は感心できる。

前に此処に押しかけてきた記者とは、本当に雲泥の差である。

どうしたらこんな逸材を異常者扱いして、しかも会社から放り出したのか。マジで石山がいた会社の社長の胸ぐら掴んで問いただしてやりたくなったが。

我慢して、撮影を続ける。

そのまま、順番にシーンを撮影していく。

最初の方は、俳優が揃っている場面でのシーンを撮影していくが。

石山が時々、小首を傾げている。

撮影のシーンを告げるときに、一切高宮が迷っていないこと。

更には、トラブルが起きた時にも一切高宮が迷わず対応を指示していること。

それらが気になっているのだろうか。

勿論高宮に話しかけてくることはなく、手元のメモ帳を忙しく動かし続けているが。

取材対象に最大限の敬意を払いつつ。

客観的に観察するべく個を殺す。

新聞部ですら、客観性など記事に必要ないと宣う時代だ。

それなのに、こんな記者がいるとは。

驚かされるばかりである。

更に撮影を続けていき。

定時で撮影を完了する。

皆が片付けをしている邪魔をしないように、石山はマウスピースかなにかを外して、ふうと深呼吸していた。

スポーツドリンクを渡すと、こくりと頷いて飲み始める。

ぐいぐいと飲んでいく様子からして。

相当大変だったのだろう。

「定時後の取材も禁止ね。 これについては契約書通り」

「はい、分かっています。 それにしても本当に独創的な撮影をするスタジオですね」

「まあねえ」

「ガチガチに決めて撮影をするハリウッド式、その場ののりで撮影をする香港式、いずれとも違う。 これは貴方を侮っている映画ファンが見たら、恐らく腰を抜かすでしょうね」

まあ、そうだろうが。

実は以前一度だけ来て出禁にした記者から、ある程度職場の空気については流出している。

そしてそれらの話が一部で出回っているが。

流石に事実だと信じられてはいない様子だ。

今後、石山の記事が出回ったら。

それがひっくり返るかも知れない。

こくりと一礼すると、石山は他の監督の撮影現場に出向く。

ホワイト企業として回しているのは高宮の現場だけで。

この時間から撮影を開始して、十二時間くらいぶっ通しでやる現場も存在はしているのである。

他の監督のやり方にケチをつけるつもりはないし。

興味も無い。

石山を同じ配給会社の他監督に紹介し。

同じ条件で取材の許可を取る仲介はした。

ただ他の監督達は、契約書の内容を見て目を剥いた。

そしてこれを高宮が許可したと聞いて。誰もが驚いたようだった。

高宮はスポンサーになる。

そのスポンサーが、だめな所も容赦なく記事にしろといったのなら。それは驚くのも当然だろう。

だが。そんな度量がない輩は、本来トップに立つべきでは無い。

今は。

普通こそが、異常なのだ。

石山については、無茶をするようならすぐに苦情を出すようにと、他の監督にも伝えてある。

なお今から見にいった監督は、高宮の定時から、翌日の二時まで撮影する予定だそうである。

石山は途中、九時くらいで上がるそうだ。

かなり厳しい日程になるが。

その代わり明日は休むそうである。

この辺りは、新聞記者である以上。相手の動きに合わせなければならないというのがあるからだろうか。

いずれにしても過酷な任務だ。

体を壊さないように注意しろとは言ってあるが。

石山は、その辺りは寂しく笑うばかりだった。

自宅に戻る。

石山はかなりエネルギッシュで、ブログ記事を昨日更新していた。

内容はある和菓子に関するものだが。数万に達するデータ。母集団十数万なので、かなり統計としては正しい。それを提示しながら、その和菓子についての具体的な説明と、味の変遷などについて丁寧に書いていた。

数ヶ月温めて書いた記事らしい。

記事を見に来た人間もコメントを幾つも残している。

石山のブログ記事は下手な新聞記事より参考になる。これは客観的に見ての話だ。高宮もそう思う。

人間は自分に都合がいいものを信じる。

これは新聞記者も同じだ。

だから、我田引水に自分の理論を正当化するために記事を書くような阿呆も存在しているが。

石山は記事を書くとき。

結論ありきの内容で、絶対に記事を書かない。

かならず自分を徹底的に殺して、記事にしている様子だ。

ストイックだなと感心し。

新聞記者ではないなとも思う。

記者ではあるが。

これは新聞記者でもないし。

フリーランスを気取る、文章で他人を痛めつけて楽しんでいる破落戸とも違う。

強いていうならば。

創作の中にしかいない新聞記者。

それが二次元の世界から出て来た。

そうなると、中々に面白い話だと思う。

なお、ブログ記事の最後に記載があった。

「なお、ある会社に就職が決まりました。 その会社では、私がどのような記事を書いても良いし、その記事の内容にも干渉しないという非常に寛大な条件をくれて、驚いています。 プライベートの介入などは流石に許されませんが、それは記者として以前の当然の話なので。 当たり前だと判断します。 ブログ記事も続けますので、お楽しみに」

それに対してのコメントも暖かい。

自分を特権階級と考えて、飛ばし記事を書いても平然と笑っている新聞記者どもに、相当に頭に来ているのだろう。

クオリティペーパーとやらでもそうなのだ。

今の新聞記者に対してのヘイトは、相当に溜まっている事の証左だとも言える。

「おめ」

「相手は聖人みたいな人ですね。 そんな人のいる会社で働きたい」

「頑張って。 次の記事も楽しみにしていますよ」

「がんばえ」

なんか語彙とかが変な人もいるが、或いは年配のファンもいるのかも知れない。

まあそうだろう。

年配の人間ほど、今の新聞が如何にだめかは理解しているのだから。

 

2、記者から見た深淵

 

一日休んだ後。

一日フルパワーで働く。

全身に気力がみなぎっているのを、石山は感じた。

殆ど完璧な条件を提示してくれた客。いや雇い主。

スポンサー様に如何に媚を売るかが大事な現在の記者の世界で。

こんな条件を提示してくれる雇い主なんて、見た事がなかった。

欧州では古くに、王様が自分の悪い所を知るために道化を雇ったという話がある。まあ話半分に聞くべき内容だが。

今の時代には、その「話半分」程度の事を実行できる奴がいない。

とにかくお気持ちの世界だ。

お気持ちというのは、如何に相手の機嫌を損ねないかの話だ。

コミュニケーションという言葉が阿諛追従の別称になってからというもの。

相手に媚を売り。

如何に歓心を買うかが、コミュニケーション。意思疎通という意味の言葉に成り代わってしまった。

だから、あまりにも貴重なのだ。今の宿主は。

まず最初の記事を書くまでは、給金は前の新聞社。

小さかったけれども、それでも手取り月二十万と同じ。

以降。もしも忖度無しの記事を書けることが分かったなら。

手取りを倍にすると、何の躊躇も無くあの監督はいい。

そしてそれを実行することも明らかだった。

やるぞ。

気迫がみなぎる。

一日フルパワーで働くと言う事もある。

だから殆ど休日は何もできないほどに疲れきってしまう。

なお、汚れ仕事をさせるつもりも無い様子で。

他の社の叩き記事を書けとかそういうことはさせないという事まで契約書に盛り込まれていた。

とにかく隙が無い。

ただ。プライベートを暴くような記事は書くのを禁止、というのもあるが。

それについては望むところだ。

そんなものは。伝えるべき真実では無い。

誰にだって心に庭をもっている。

フェチズムは人の数だけ違っている。

誰だって秘密の一つや二つもっている。

それを暴き立てるのは、記者の仕事では無い。はっきり言うが、外道の仕業だ。

人が知りたがるものを提供するのが記者の仕事、と考えている阿呆がいるが、違うと石山は考えている。

それは記者では無く。

ただの願望ライターであり。

はっきりいって、何の価値も無い文字列を生産するだけの愚物にすぎない。

望まれるからと言って提供するというのでは。

相手を堕落させ。

そして自分も堕落するだけだ。

お気持ちで回るようになってしまった今の時代だからこそ。情報を発信する人間がしっかりしていなければならないのに。

誰もがやるべき事をやらず。

お気持ちに殉じるようになった。

その結果が、今のマスゴミとまで言われる情報発信者の腐敗だと、石山は結論づけている。

だからこそ。

自分は絶対にそうはならない。

契約は隅から隅まで目を通していたが。

あらゆる面で、利害が一致していた。

朝一に出勤する。

この間聞かされたのだが、高宮監督は文字通りの朝一からスタジオに出て、点検作業をしているらしい。

その話をしてくれたのは日野茜。

いつも無茶ぶりをされて泣きそうになっている、高宮監督のお気に入りだが。

別に高宮監督が偏執的な感情を向けている様子は無く。

単純に役者としての価値観とか信念が気に入っているようで、自分の映画で今のところ囲っている様子だ。

その日野茜に聞かされた。

高宮監督は、スタジオをまず自分で必ずチェックするのだとか。

この辺りは絶対に止めないらしい。

それでいて。他のスタッフには残業を絶対させない。

俳優として、職場は極めてホワイトだと。

なんだか目が死んでいるながらも、日野茜はそう言い切った。

一方で、撮影で意味不明な事をやらされるのは本当につらいと、切実そうに言ったので。

それはそれで、何だか同情してしまうのだった。

今回は、高宮監督の動きをもう少し観察したい。

手元にあるメモ帳は、もう使い切りそうな勢いだ。

愛用している万年筆も、ペン先がすり減る勢いで使っている。

だが、それで体が疲れるとか。

頭が疲れるとか。

そういう事は無い。

今、記者をしている。

その充実感が、石山を動かしていた。

でかい陰謀を暴くとか。

でかいヤマを上げるとか。

そんな記者の野望みたいなのには興味は無い。

真実を客観的に皆に届ける。

その本質的なあり方だけを、絶対に守りたい。石山は、そう考えているし。その考えを、今では正しいと判断していた。

勿論野心的に考えてもそれはそれでいいだろう。

だが、自分で決めつけた事実に情報を我田引水し。

勝手に真実を創造するようなやり方は絶対に間違っている。

そうだとも、確信もしていた。

朝早くから、電車で出る。

高宮監督は軽を使っているらしいが。この時間だと流石に車道は空いているだろうなと思う。

わくわくがとまらない。

高宮監督と言えばマスゴミキラーとして知られ。

以前はこっぴどく強引にコネを使って取材に来た記者をコテンパンにしたことが語りぐさになっているし。

会見でも一言二言で切り上げてしまうことからも。

色々良くない噂があった。

だが、今では記者の方に問題があったのだと石山は感じ取れる。

勿論高宮監督が筋金入りの変人である事は石山にも分かるし、それは客観的な事実だけれども。

まずいところも遠慮無く記事にして良いと言う度量。

あれははっきり言って。

他の映画監督には真似できない。

特に周囲に持ち上げられて、巨匠になったつもりの連中には、絶対に無理だし。

更に勝手に自分で事実を創造するのが新聞記者だと思い込んでいる連中だって、理解は出来ないだろう。

スタジオに到着。

渡されている取材許可証を守衛に見せて、中に入る。

大手新聞の記者が来ていたが、それを見て不愉快そうに声を張り上げた。

「なんだ彼奴!」

「おい、通せよ! 記者が何で入ってるんだ!」

「知りませんよ。 許可証出てますので」

「警備員如きが巫山戯るなよ! お前なんか、何もかも暴いてネットで晒してやることも……」

大きな咳払い。

高宮監督だった。

普段、温厚な高宮監督が。こんなに威圧感のある咳払いをするとは思わなかった。

びくりと震える記者達。

「修羅場をくぐってきた」と自称して。

実際には記者は何をしても良いと勘違いしているだけの阿呆どもが、すくみ上がる様子は滑稽だった。

「もしもその警備員の悪い噂が出た場合、今後永久に〇〇新聞の取材は許さないから、覚悟しておいてください。 さ、気にせず警備して」

「分かりました。 ありがとうございます高宮監督」

「ちょ、取材を少しでも」

「許可証をとってから来るんですね」

そっぽを向き、そのまんまスタジオに入っていく高宮監督。

警備員は胸を反らして、威圧的な壁を造り。

ささっと石山も中に入れて貰う。

悔しそうなあの顔。

今の時代、もうマスコミ。いやあいつらマスゴミは完全にパブリックエネミー扱いである。

それを連中は察しているから、スクープを上げようと必死だ。

スクープとやらがそんなに大事か。

それは単に承認欲求を満たすだけだし。

何よりも、金を稼ぐための行為だ。

スクープのために、何百人殺してもかまわない。

そう考えるあいつらの事が、はっきり言って石山には理解出来ないし。

理解したいとも思わなかった。

スタジオに入ると。

高宮監督が、黙々と機材のチェックを始めるのを確認。

噂は本当であったのだと確認する。

日野茜の言葉によると、チェックを邪魔すると怒ると言う事なので。邪魔にならないように定距離を保ちメモを素早くとっていく。

スタジオの小道具大道具もしっかりチェックしている様子からして。

そういうものにも知識がある、と言う事なのだろう。

頷きながら、メモをとる。

映画に対して、本当に責任感が強いんだなと分かる。

だとしたら、なんでわざとつまらない映画を撮っている。

それが分からない。

何となくだが。その気になれば高宮監督は面白い映画を撮る事だって出来ると思うのである。

だが、それは何となくだ。

客観的に情報を分析していく。

これが何より大事だろう。

やがて俳優、小道具大道具、照明録音、スタッフが出勤してくる。

スタジオの別の方では、徹夜で撮影をしていたようで。引き揚げて行くスタッフもいるが。

皆顔は疲れきっている様子だ。

無理もない。

俳優達の中で、最初に来るのは日野茜。

少し定時よりも早い程度だが。

それを高宮監督が咎めている様子は一切無い。

メモを取る。

これが一昔前のブラック企業だったら。

どうして早く出てこないのかとか、ぎゃあぎゃあ五月蠅かっただろうけれども。

此処ではそういうのもないと。

自分の主観でものを見るのは記者として最低のあり方だと、再確認する。

高宮監督は謎映画を撮って、何故か映画館が満員になり。客は二時間寝て満足して帰っていくという、不可思議極まりない存在である。

主観的に見れば「意味不明」。

だが、こうして客観的に一つずつ情報を分析していくと。

それは決して、そうでは無い事が分かってくる。

実に面白い。

記者として、生きている実感がある。

石山はうんうんと頷きながら、メモ用紙に愛用の万年筆を高速で走らせる。

そのままどんどん、情報をとっていく。

邪魔にならないように、席を貰っている。

勿論、俳優に無秩序にインタビューなどするつもりはない。

ただ。無茶な脚本に四苦八苦している俳優達と。

シーンのナンバーを言われた瞬間、即時で動いている日野の様子は目立った。

昼休みまで取材を丁寧に続けて。昼休みに日野に軽く話を聞く。

今日の質問については、既に決めてある。

というか、取材の質問内容については、事前に決めていて。

毎日皆の休憩時間を圧迫しない程度にするようにしていた。

更に、五分以内に話が終わるようにもしている。

「五分で話が終わる」と誰かが言いだした場合。絶対終わらないのが現在の社会の常識だが。

石山は、そんな常識はクソくらえだと思っているので。

絶対に五分で終わるように、計算までしっかりしていた。

「今日の撮影を取材させていただいて確認したのですが、日野さんはシーンに対してすぐに動けるようですね」

「劇団時代から、脚本は全て記憶するようにしています」

「脚本を全記憶!?」

「はい。 演じるなら、その演目の全てを理解する事が必須だと思っています。 自分だけ理解しても意味がない。 その演目で何をやろうとしているのか、他の役者がどういう立ち位置なのか。 理解するのは、演技者として最低限の事だと考えていますので」

流石に今の話を聞いた他の俳優達も度肝を抜かれたようである。

素早くメモを走らせながら、他にも幾つか聞いていき。

そして、頷いて五分の砂時計を見せて。ありがとうございましたと頭を下げる。

こうやって頭を下げる事で、取材に対する敬意を示す。

それも記者のあり方だ。

そのまま、午後の撮影をまるごと取材する。

そんなストイックな日野も、正直正気度をゴリゴリ削られているようだが。

何となく理解出来てきた。

日野が、高宮監督に好かれている理由がだ。

恐らくだが。日野のもっている凄まじいストイックさが、高宮監督の琴線をびんびんと刺激するのだろう。

それについては、見ていて分かった。

劇団出身者は、演技者としてプライドを持っていることが結構多い。

劇団出身の子役などは、声優をしてもつぶしが利くことが多いが。

それは演技というものを、多方面から学んでいるからである。

それについては、以前色々研究して理解した。

オタクという差別用語は大嫌いだが。

まあそれに分類されるサブカルチャー愛好家は、まあ確かにアイドル化された声優のキャラクターを好むことも多いが。

それ以上に演技力を重視する派閥の方が強い。

これについては、十年以上前に声優ブームというのがあって。

棒読みの声優だらけになったのが、大きな原因であるようだが。

まあそれについては、専門家に記事を任せたい。

今やるべきは、それではない。

黙々と筆を走らせていき。

やがて高宮監督が、最後のシーンを取り終える。

一人が、タコの触手にさっとさらわれるシーンなのだが。何故か他の俳優が側転しながら哲学的な台詞を喋る。

その有様がとてもシュールだから。

噴き出さないように、マウスピースをしっかり噛みしめなければならなかった。

「はいカット。 今日の撮影は此処までね」

「ありがとうございました!」

「それでは解散。 明日の撮影に備えて、ゆっくり体を休めて。 それと……」

誰々は、三日後に休暇をあげるから、ゆっくり休むようにと俳優に声が掛かる。

それを聞いて、俳優が頷く。

三日後のスケジュールがはっきり頭に入っていると言うことだから、大したものだと思う。

今高宮監督が使っている俳優達は、皆新人ばかりだ。

ただ、基本的に全員それなりに演技が出来ている。

これは恐らくだが、劇団経験者の新人を選んで使っているのだなと、石山は考えている。勿論データが必要なので、今分析中である。

しかしながら、そんな新人俳優達も、正気度をゴリゴリ削られている。

まあ仕方が無いのだろうなと思う。

撮影が終わり、三々五々皆が引き揚げて行く。

高宮監督が、軽く声を掛けて来る。

「契約をしっかり守ってくれていて助かるよ」

「いいえ。 此方も本当に五分でインタビューを終えてくれると言う事で、俳優さん達も皆警戒を少しずつ解いてくれています」

「そういう誠実な態度が、今の記者には足りない。 今朝守ったのも、それが理由だと言う事を忘れないようにね」

「心しておきます」

もし誠実さを失ったら。

即座に契約を撤回する。

そう高宮監督は言っているのだ。

おおこわ。

そうとも思う。

この人は近年、訴訟とかで容赦なく名誉毀損をしてきた別の映画監督を社会から屠った事もあって。

ホトケの高宮という渾名から。

地蔵の高宮という渾名に変わったらしい。

地蔵菩薩は閻魔大王の地獄での姿だという話もあるから。

まあそういう事なのだろう。

ただ、それはそれこれはこれだ。

いずれにしても、石山にしてみれば。本当に興味深い取材対象である。

勿論俳優の休み時間を削る事があってはならないから。

取材の限られた時間は、本当に事前に自分でチェックしなければならないが。

さて、肩に手を置いて回す。

他の監督の撮影現場に出向く。

今日は十一時終わりの予定だ。

帰りはギリギリ終電が間に合う。

同じ配給会社の監督と言う事もあって、高宮監督には頭が上がらないらしいが。

ただ、取材内容の契約書については。かなり難色を示していた。

まだ若い監督だが。

悪口も好きかって書いて良いというのは、流石に驚きだったのだろう。

ただ、それでも許可をくれたし。

あまり無体なことを書くつもりはない。

撮影時に、椅子を貰って。

撮影中には一切其処から動かない事を約束している。

それについては、破らない。

トイレも事前に済ませてある。

黙々と撮影を取材しながら、ペンを走らせていく。

こっちはなんというか、前衛的な高宮監督の映画と違い。非常に生真面目な、悪く言えば意識が高い映画だ。

本格的な社会派サスペンスという感じで。

大まじめな群像劇を、役者達が高い熱量でやっている。

俳優を全部起用しているのも。

難しい役が多いから、なのだろう。

俳優出身のタレントなども、いい仕事をすることはあるのだが。

「大御所」とか「自分は偉い」と勘違いすると、演技をする時に演技指導を受けつけなかったり。

或いは監督に楯突いたりもする。

勿論、監督の言う事を全て聞くのもそれはそれで問題だろう。

だが、何か勘違いしてしまう人間とこういう現場でうまくやるのは難しい。

実際、酷い演技の「大御所」だの「大物タレント」だののせいで、どれだけの映画が台無しにされたかと思うと。

確かに、劇団出身の俳優を使っていくこの配給会社のスタイルは、正しいのだろうと石山は思う。

撮影現場の熱量は高い。

まだ若い男性監督は、時々怒号を張り上げる。

それは叱責とかではなく、そうじゃない違う。こうして欲しいと言う、熱量のぶつけあいだ。

勿論一歩間違えばただのパワハラになってしまうが。

その一歩を、ギリギリ間違えていない。

まだ若いのに、いわゆる昔気質なんだな。

そう思って感心しつつ、メモを取る。

十九時少し前に、食事休憩が入る。そこで、軽く取材を監督自身にする。

五分の砂時計をおくのを見て。

監督も、話をきちんと聞く気になったようだった。

「同じ配給会社でも、高宮監督とは撮影のやり方が全く違いますね。 高い熱量で、俳優と演技のやり方をぶつけ合っている感じですか?」

「高宮監督には、俺たちのあまり稼げない映画の分稼いで貰って、配給会社に貢献して貰っている恩がある。 だけれども、それと映画の撮り方は別だ。 俺は自分の全てを映画にぶつけるし、俳優にもぶつけてほしいと思っている」

「なるほど。 それで……」

幾つか順番に質問をしていく。

誘導質問は絶対にしない。

そもそもあれは、事実があると最初から決めつけて、自分に都合がよい記事を書くためのものだ。

それを何処の新聞の記者も散々やらかしてきたから。

今では取材を受ける側は、自衛のために録音をしておいて。

そして記事が出た後。

ネットで録音した内容を流して、新聞側が大恥を掻くことが増えるようになってきている。

そんな畜生働きをするつもりはない。

「取材を受けていただき、ありがとうございました」

「いや、本当に丁寧な取材、助かる」

「いいえ。 本来記者は特権階級でもなければ偉いわけでもありません。 何か勘違いしてしまって、高給取りの偉い職業だとか思い込む輩が出てしまって、それで狂ってしまったと言う事ですよ」

「……」

頭をぺこりと下げて、そのまま席に戻る。

今回もきっちり五分。

拾える情報はあまり多くは無いが。

それでも、しっかり取材は出来た。

十一時の撮影終了まで、しっかり撮影を取材させてもらう。

ぐったりしている俳優達が戻る様子を見ながら、自身も終電で切り上げる。

帰った後は、全てを使い尽くした事もある。

風呂に入って。

最低限の身繕いだけして。

後は布団にダイブするだけだった。

 

休日は、ここのところ一日おきにとっているが。

毎日かなり厳しいペースでの取材をしているという事もある。

一日寝てしまう、と言う事もある。

だが。今日は起きて。趣味としてのブログ記事を書いていた。

流石に高宮監督が時々見せる、亜音速でのスマホ捌きほどでは無いにしても。それなりの速度でタイピングは出来る。

まあそれは、本職なのだから当然だ。

記事をデータからまとめていると。

やがて、妙な情報が入ってきた。

今はマクロでデータ集計をしているのだけれども。

その時間にSNSで情報をチェックしていたのだ。そうしたら、どうやら石山の事を悪くSNSで言っている奴がいるらしい。

「高宮が鴉を飼ってるらしいぜ」

「鴉って懐くと可愛いらしいな」

「いや、そういう意味じゃない。 なんか記者を飼ってるらしい」

「ふーん」

その時点で、新聞関係者が何かSNSで情報工作をしていると悟ったのだろう。

周囲が一気に冷めていくのが分かった。

ああ、あの時の面罵された記者だな。

そう思って、ニヤニヤしながら顛末を見守る。

石山にして見れば、はっきりいってどうでもいい。同じ記者でも、あれらは同じ生物だとは思っていない。

石山だって、そう高等な人種だと自分を評価しているわけでは無いが。

あれらははっきりいって、ダニ以下だ。

「そもそも、前もなんか偉そうな記者が高宮に取材拒否くらってスタジオ放り出されたんだろ。 高宮にしてみれば、マスゴミなんか本当にどうでもいい存在なんだろうよ。 もし記者をつけているんだとしたら、自分で人材を発掘したんじゃないのかな」

「その可能性はありそうだな。 新聞社から送られてくる記者なんて、はっきり言ってゴミかカスだろ。 マスゴミの事は高宮も嫌ってるみたいだし。 そりゃあ人材を自分で発掘した方が早そうだしな」

「てかお前〇〇新聞の記者だろ。 記事の内容と過去ログが一致してるんだよ」

「あ、本当だ」

一瞬にして正体を暴かれる新聞記者。

噴飯モノの状況だが。

それにしても、SNSは怖いなあと。マクロがまだ終わっていないのを確認しながら石山は苦笑い。

完全に分が悪くなったと判断したアカウントは鍵を掛けて逃走。

だが、やりとりは全てまとめられていて。

そして、晒されたのだった。

ついでに〇〇新聞の過去記事とSNSのアカウントの過去ログとの対比も行われ、それもまとめられた。

これはまずいと判断したか、〇〇新聞は早々にSNSのアカウントで謝罪文を出し。

件の記者を「訓戒処分」にしたと報じた。

これは要するにお叱りをした、というだけの事だ。

更にそれを見たユーザー達が荒れ始める。

これは訓戒じゃすまないなと思ったが、はっきりいってどうでもいい。

マクロの処理が終わったので。

そのまま、ネット記事に切り替える。

今回は、ご飯にかける食べ物の小型化についての統計データだ。

近年は景気の悪化もあって、どんどん食べ物の容量が減っているが。

これを20000商品を調べて分析し。

それらから、実際にどれくらい減っているのか。減りつつ値段がどれくらい上がっているのか。

調べた記事となる。

20000だと少しデータとしては少ないなと石山は思ったのだが。

これも二ヶ月掛けた記事だ。

また、出来るだけ偏りが生じないように。ふりかけやお茶漬け。ほぐし鮭。更にはレトルトカレーまで、様々なジャンルの「ご飯にかける食べ物」を選んで調査をしてみた。

その結果は歴然で。

かなりの容量低下と、値段の上昇がみられた。

ブログ記事には、早速客がかなりつく。

客がつくことよりも。

この記事に対する、反響の方がとても嬉しい。

「1000程度のデータしか集めてないくせに、新聞記者が偉そうに書いてる記事よりもよっぽど正確で草」

「データは強いなやっぱり。 こうやって現実が赤裸々に出て来てしまうもんな」

「ただ、20000だとやっぱりこのブログ主の言う通りまだ未完成な記事だと思うかなあ。 その五倍はほしいね」

「うん。 今後さらに良い記事を書いて欲しいと思う」

そういう激励もある。

激励は褒め言葉より励みになる。

そして、これを仕事の片手間に、趣味としてやれるのが本当に嬉しい。

石山は新聞記者ではなくなったが。

はっきりいって、今は本職の新聞記者なんかよりも。

よっぽど客観的な事実を、読者に届ける記者をやれていた。

それが、誇りであり。

夢でもあり。

そして何よりも。石山の、尊厳となっているのを自覚できていた。

 

3、狂気の映画と

 

撮影が終盤になってくる。

俳優が全員必要なシーンはあらかた取り終えているので、以降はどんどん俳優のスケジュールに余裕が出来てくる。

一番忙しい時期でも基本的に定時で仕事は終わって貰っているのだが。

今回も、それは同じだ。

高宮はカット、と言った後。

黙々とメモ帳に万年筆を走らせている石山を一瞥する。

本当に熱心にメモを取っているなと思う。

そして百日ほどの撮影の内、実に五十日に出て。その全てをメモし。五十回に分けて五分ずつインタビューを行う。

その姿勢は、契約書を作ったときに感じたもの。

記者としての誠実さを保つ。

何よりも、現状の記者の現実への怒り。

その二つから、出ているように思った。

記者を神格化して、ありもしない描写をした映画が賞を取るような時代だ。マスゴミは、まだまだこういう現場では大きな発言力と影響力を持っている。

だから、高宮は準備を幾つもしてきた。

この間も、石山に絡んできた馬鹿な新聞の記者を一瞬で潰してやったが。

あれは恐らくああ動くだろうと判断。

井伊に頼んで、さっさとやって貰ったことだ。

汚れ役は井伊が全部引き受けてくれる。

勿論尻尾なんか出さない。

井伊は現時点で、十六のSNSアカウントを使い分けているらしく。

それら全てで、別の行動をしているらしい。

その一つで、あの新聞記者を潰した。

井伊にとっては完全な余技。

ただ、新聞社側は更に戦慄した様子で。スタジオ周辺から、記者を引き上げさせたようだった。

他の新聞社も、高宮に下手に触ると火傷すると判断したのか。

最近は、配給会社にちょっかいを出す事を、避けるようになりはじめていた。

それでいい。

またフェーズが一つ進んだ事になる。

一方で、意識高い業界人にアプローチして、何とか高宮との取材を取り付けようとしている新聞社もあるようだが。

その手の業界人は、マスコミより自分の方が偉いと思っている。

この手の連中は、自分より下の存在を作る為に本当に血眼になるし。

自分の方が偉いと錯覚した瞬間、その認識を永久に変えない。

だから、マスコミもうまくネゴを進められず。

泥沼の様相のようだ。

まあはっきり言ってどうでも良い話である。

高宮からすれば、順調に映画を公開できれば、それでいいのだから。

さてさて、そろそろラストスパートだ。

明日からは、日野にも長期休暇が入り。二〜三人の俳優が出るだけのシーンを撮っていく事になる。

これらのシーンはそれほど映画的にも重要ではないので。

まあ、ミスがあっても幾らでも取り返しが利くだろう。

それに問題があっても編集でどうにでも後から直せる。

だから別にかまわない。

撮影の合間の休憩時間が増える。

それを見て、余裕があるようならと。石山が動く。インタビューをしている。相手は照明監督だ。

本当に五分でインタビューを終える。

それを聞いているのか。照明監督も比較的軽めにインタビューを受けていたが。

質問内容はかなり鋭いと判断したのか。

すぐに真面目な顔になって、真剣に答えているようだった。

あの記者。石山のことだが。あの記者は、かなり厳しい契約の下で。高宮が直接やとったらしい。

その噂は。このスタジオのスタッフが皆知っている。

そして、それについては他の新聞社も既に掴んでいるようだ。

だから御用記事を書くだろうと、虎視眈々と狙っているようである。

まあそんなものを書かないから、高宮がスカウトしたのだが。

そんな程度の事も分からない人間が、新聞社様の記者をしている。

それが色々と末期的で。

哀れだなと感じる。

ともかく、淡々とやっていく。

昼休みにも、前倒しで石山はインタビューをしている。

俳優に対してのインタビューだ。

前にその俳優に対してもインタビューを何回かしていたが。

いずれもが非常に鋭い質問だったようで。五分の範囲内で受け答えをしっかりしているのは凄い。

口論になったり、相手の感情を大きく揺らして演技に影響が出ないように配慮しているのも偉い。

全てが。

現実の記者にはできない事ばかり。

石山は、二次元の世界から来たのでは無いかと思ってしまう。

定時が来たので、撮影終了。

皆には三々五々上がって貰う。

そして、家に着いた後、スマホを確認。

久々に、社長からメールが来ていた。

小野寺を介せと言ってあるのだけれどなあ。

そうぼやきながら、内容を確認。どうやら小野寺も含めて、テレビ会議をしたいらしい。

まあいいだろう。

さっとテレビ会議に応じる。

久々だなこれも。

最近は井伊と小野寺が両輪として社内での高宮の活動を回してくれるし。

更にはCG作成は黒田が殆ど全部やってくれることもあって。

編集の手間もかなり減っている。

だから、殆どテレビ会議なんか必要なかったのだが。まあやりたいというのならやるだけだ。

「実は高宮君、〇〇新聞から苦情が来てね。 この間記者を一人、懲戒解雇に追い込んだだろう」

「ああ、そうですね。 スタジオに取材許可も出してないのに押しかけてきた挙げ句、うちの社員に絡んできた上恫喝までした礼儀も社会常識もわきまえていない輩でしたからね」

「……その、なんだ。 他の監督に対しても、かなり新聞社が怖がっている様子でね、もう少しフレンドリーに」

「今の時代、新聞というのがどう扱われているかおわかりで?」

ずばりと斬り込む。

小野寺は笑顔のままだ。

社長は青ざめ。専務も黙り込む中。高宮は咳払いした。

「社長、今の時代新聞はもはやパブリックエネミーです。 コネだけはありますけれど、それだけの存在です。 我が社は新聞なんてものからは、そうそうに縁を切るべきかと思います」

「き、君、流石にそれは……」

「幸い、面白い条件で面白い記者を得ています。 以降、うちの記事は彼女に書いて貰えばよいでしょう」

「石山君のブログ記事は私も読んだよ」

冷や汗を拭いながら、社長は言う。

そうか、この芸がない二代目のボンボンにしては立派だ。

この社長は無能だが、悪党ではない。

それだけは良い事だと思う。

映画が好きである。

それも良い事なのだが。会社経営者としては、それはあまり関係がないことでもある。

専務が会社を回していなければ、この弱小配給社はとっくに潰れていただろうし。

高宮という売れっ子が出てこなければ。

とっくの昔に興行的にも忘れられた存在になっていただろう。

だからだろうか。

大新聞様に声を掛けられて、舞い上がってしまうのか。

まさに格好のエジキでは無いか。

「石山君のブログ記事は、なんというか確かに大手新聞の記事よりよほど優れていると思ったよ」

「社長!?」

「いや、専務も同じように言っていただろう」

思わず咎める専務に、社長は冷や汗を拭いながら言う。

慌てて周囲を見る専務。

まあ、大手新聞に声を掛けられているスパイがいてもおかしくはない。

正しい反応ではあるだろう。

「だけれども、石山君には実績がない。 だ、大丈夫なのかね高宮君」

「問題ありませんよ。 というか、既に告知はしてくれていますよね」

「ああ、驚くほど反響が来ている」

三日ほど前。

会社のSNSの公式アカウントで、独自の記事を書くと発表した。

記者は石山である。

次の高宮の映画。

アニマルパニックものの、タコ映画を発表した後。独占取材記事として、大々的に出す予定だ。

勿論新聞社などの嫌がらせもあるだろうから。

ネットを中心に、記事をアップし。無料公開する予定である。

これについても反発があるようだ。

新聞の価値を無為にするのか、と。

とはいっても、今ではいわゆるクオリティーペーパーを自称してふんぞり返っているような新聞社でも、ネット記事を使うのは当たり前である。

何を今更、と言う感じだ。

そして、ネット記事で済ませるという事に対して。

反発しているのは、明らかすぎる程である。

「それに契約内容もみた。 あれなら御用記事にはならないだろう。 だが、新聞社も混乱しているようでね。 石山君について、散々色々な方面から聞かれたよ。 何者なのか、とね」

「まあ本職だと答えておけば良いでしょう」

「それが誰か分からないから彼らは混乱しているんだ」

「勝手に混乱させておけばよろしい」

冷徹な高宮の言い分に。専務ももう言葉が無い様子だ。

だが、それで別にかまわない。

そもそも、何をあんな連中にあわせる必要があるのか。金の為ならどんな記事でもかいていい。

真実は幾らでも都合良くねつ造していい。

その結果何百人死のうが知った事では無い。そんな風に考える連中と、同意できる事など何一つ無い。

だから新聞など使わない。

それだけのことである。

「この話はおしまいです。 もしも嫌がらせをしてくるようなら、此方で対応いたしますので」

「……」

「大手の映画会社に、そろそろうちも追いつきつつあります。 逆に言うと、大手がヒット作を出せていないだけですけれどもね」

「分かった、好きにしてくれ」

若干投げ槍に社長はそういい。

テレビ会議は終わった。

すぐにテレビ会議を行う。井伊と小野寺と、だ。

「さて、現状の動きはどうなってる?」

「今の時点ではSNSなどではうちに対する追い風が大きい。 向かい風はほぼないとみて良い。 ただ一部老人が、新聞側の人間と思われるアカウントにあわせて何か文句を言っている様子」

「ああ、まだ新聞の言う事真に受けるのがいるのか……」

「まあそれはしょうがないかと」

小野寺が苦笑い。

若い子でも、新聞を読んで知性派を気取る人間は減ってきているのが現状だ。

昔はファッション雑誌などに群がった子も、今はそんなものを見向きもしなくなってきている。

それはそうだろう。

自分達を馬鹿にしていることが丸わかりの連中に対して、良い気分なんて抱きようがないのだし。

何よりも今はただで、もっと鮮度が高い情報が手に入るのだから。

「もしも眼に余る動きがあったら対応よろしく」

「分かった。 徹底的に叩く」

「おっと、良いんですか?」

「いい。 風向きが来ているうちに、流れを決めておく」

大人の喧嘩という奴か。

なりふり構わずと言うのをやってくるのなら、対応をさせて貰うだけである。

まあ、はっきり言って新聞なんて今は斜陽産業だ。

思ったほどの力は、もう彼らもないことは自覚している。

大手新聞が、既に幾つか「中小企業」にまで転落している時代である。

まあ、それだけ新聞なんて誰も読まなくなった、と言う事だ。

「それで記者さんはどうですか?」

「まあまあだと思う。 御用記者にするつもりはないし、うちの子飼いだけど好きかってやってくれていいとは太鼓判を押してある。 ただ、プライベートに対する詮索はNGとも釘は刺してあるから、大丈夫だろうね」

「いや、寝返りを心配しているんですが」

「そう思うなら、会ってくるといいよ。 セッティングはしてあげる」

小野寺は頷くと、セッティングを頼んで来た。

高宮としても望むところだ。

テレビ会議はそれで終える。

伸びをして、あくびをした。

さて、そろそろ撮影は終わり。

実はまだ、前作の放映は続いている。かなりのロングランである。時代はクソ映画とまで言われている状況だ。

高宮の見る睡眠導入剤映画が、何故か映画館を救っている。

映画館としても、話題性に乗じ、放映せざるを得ない。

中には何度も高宮の映画を見に来ている強者もいるそうだ。

はっきりいって正気の沙汰では無いと思うが。

まあ、中々の強者であり。

そして正気度はとっくに残っていないのかもしれなかった。

石山に連絡。

そのまま、セッティングについて話をする。

高宮の子飼いである小野寺には、前から興味があったようだ。

すぐに応じてくれた。

ただ、撮影後に話はしてもらう。

丁度良い。

小野寺の目から、石山の記事を見てもらおう。余程まずい表現でもない限り、悪口でも何でもOKという事にしてある。

まあ小野寺は相当な意思疎通上手だ。

しくる事は無いだろう。

さて、此処から更にフェーズを上げていく。

今後、映画界における高宮の存在感を更に大きくしていく。

既に配給会社は、高宮がいないとどうにもならない状態になっている。役員よりも高宮の発言権は大きい。

もはや会社は私物。だからこれについては良いと判断してかまわない。

後は同志を更に増やしたいと思っていたが。

黒田や石山は同志たり得るだろうか。

たり得るとは思う。

だが、確かに見極める必要はある。太鼓持ちなど必要ない。必要なのは、プロフェッショナルなのだ。

 

石山は小野寺という子とミーティングをする事になった。何回か顔はあわせているのだが。信じられないほど若い子だ。

高卒でここに来て、そして既に月収四十万貰っているという驚愕の話を聞かされたけれども。

話してみて分かる。

恐ろしい程話しやすいのだ。

意思疎通という奴が、とんでもなくスムーズなのである。

此処まで話していて困らない相手には、久々に出会った。

少なくとも社会人になってから、こんなに意思が通じる相手とは出会った事がないと断言できる。

勿論小野寺と話すのは初めてではないのだが。

以前はほんの顔合わせしかしていなかったから。今回は実質上本格的に顔をあわせる初めての機会である。

それにしても、これは。

色々考えさせられてしまう。

コミュニケーション云々がどうこうというのが騒がれ始めて久しいが。ビジネス書に書いてあるカスみたいな約束事が増えれば増えるほど、意思疎通は大変になっていく。古い時代の作法よりも、もはや難しい代物になっているだろう。恐らくだが、カスみたいなビジネス書を量産しているマナー講師同士で話をさせたら、恐らく互いのマナー違反を指摘して意味不明な事になるはずだ。

腐れマナーは害にしかならない。そんなものは邪魔なだけだと誰もが気づいているけれども。今の時代は会社の上層部がそれを盲信しているケースが多くて。どうにもならない状況も多い。

そんな中。普通に話していて、とても話せる相手と出会ったのは久しぶりだ。

というか、すんなり心の奥を掴まれるような気がして。むしろ高宮監督よりも脅威度が高いと感じた。

高宮監督は基礎スペックが恐ろしく高い事は、接してみて理解出来た。

だが、この小野寺という子は意思疎通に特化している。ビジネス書に書いてあるような「コミュニケーション能力」などというエセではない。豊臣秀吉がもっていたような才能だ。

記事を見せて欲しいと言われる。

撮影が終わった後、一生懸命まとめている最中だが。まあ何を書いても良いと言われたので見せる。

阿諛追従をするつもりはない。

御用記者になるつもりもない。

客観的に、高宮映画の現場と。どうして不可思議な映画が売れているのかの分析を行っている記事だ。

まだ推敲の途中なのだが。見せてみて、小野寺はしばらく考え込む。

やがて、幾つか指摘をしてきた。

「すごくデータに基づいた理論的な記事ですね。 こんな風な記事が社会人をしている記者から出てくるのは驚きました」

「そう言っていただけると有り難い。 今の新聞記事は太鼓持ちの阿呆が書く提灯でしかありませんので……」

「元新聞記者がそれを言いますか」

「私が異端だったのは事実です」

高校の新聞部の頃から、異端だった。

それについて、説明はする。

小野寺は全て見透かしてきている。

恐らくこの子は。

高宮監督の口であり、目でもあると判断して良いだろう。

頭脳はあの井伊という小柄な子だ。

アレは桁外れの怪物だ。

この間も訴訟関連で見事な動きを見せて、高宮監督のネガキャンをした映画監督を一瞬で社会から葬り去った。

その鮮やかすぎる動きについては、石山も知っている。

正直、敵に回すのは絶対に避けたいと思っていた。

だが、もう一人怪物がいた。

ここにだ。

この小野寺という子、多分だがその気になれば歓楽街とかでテッペンを容易にとる事が出来るだろう。

ルックスはそこそこだが。

とにかく意思疎通能力があまりにも高い。

恐らく簡単に上客をつくってのし上がることが出来る筈だ。

だが、その能力を上手に生かして此方に来た。

それはそれで。

数奇な運命なのだと思う。

「いずれにしてもこの記事は問題ないと判断します。 このまま進めてください。 ただ、最終稿もきちんとみせてください」

「おお、思った以上にフリーハンドですね」

「高宮監督のやり方が私にも伝染していますので」

「ああ、なるほど……」

高宮監督の撮影現場での行動はあまりにもフリーダムだ。それははっきりと、何人かの映画監督の撮影を見て理解出来た。

高宮監督の同僚にあたる他の映画監督は、何十年か前から来たような職人気質の者が多かった。

これは恐らくだが。

好き勝手にやらせるという、配給会社の方針が大きいのだろう。

だからこそ、かなり厳しい現場も存在していたし。

沈黙したままメモを取り続けつつ、石山はこれは厳しいなと何度も思ったものである。

だが。他の配給会社の映画監督だって、それは同じだろうと思う。

流石に此処まで職人気質の者はあまり多く無いだろうが。

それでも、相応に厳しい筈だ。

高宮監督がフリーハンド過ぎるのだ。

それに対して、役者は必死にならざるを得ない。

逆に言うと。

それで駄目でも、高宮監督は敢えてクソ映画を撮っている節があるので。

全く気にする必要がないのだろう。

それでいて、意外にもポテンシャルをフルに引き出すことに成功しているのかも知れない。

小野寺という第二の怪物を見て、それを石山は悟らされていた。

軽く話す。

小野寺は化粧とかすれば相当に綺麗になりそうなのに、その気はさっぱりなさそうである。

むしろ、自分の強みを生かして。

高宮監督のナンバーツーとして、井伊とともに双璧を務めている事を面白がっているようだし。

それによって自分が既に社会の一線級にいることに。

感謝もしているようだった。

普通の会社だったら、こんな風には行かない。

高卒の小野寺なんて、それこそ今頃激安給金でブラック労働をさせられて。使い潰されているだろう。

「なるほど、高宮監督に目をつけられたのは、そんな事があったからなんですね」

「ああ、此処は記事にしないようにお願いします」

「……分かりました。 プライベート関係については一切記事にしないようにと言う契約ですので、それは守ります」

「正直な話をすると、私はまだ貴方の事を信用しきっていません。 今後の行動で、貴方を見極めさせて貰います。 記者なら記事で語ってください。 待っています」

ぺこりと互いに一礼すると。

小野寺とのミーティングを終える。

記者なら記事で語れ、か。

まったくだ。

今の時代は、スポンサー様にケツを差し出す事が記者の仕事になっている。だからカスみたいな提灯記事しか出来ない。

そういうものなのだ。これについては、本邦だけでは無い。どこの国でも、もはや同じだろう。

だが、だからこそ。

理解のあるスポンサーという驚くべき存在がバックにつき。

プライベート関係を漁らないようにと言う縛りはあるにしても、フリーハンドで記事を書いて良いと言われたからには。

それに相応しい行動で返さなければならない。

小野寺も、恐らくだが。

同じように全権を任されて。

それで忠誠心を持ったのだ。

それは忠誠心だって生じるだろう。

お給金も貰え。

更には信頼も貰っている。

忠誠心ってのは、勝手に生じるものではない。

上に立つ者。この場合は高宮監督だが。上に立つ者が、相応の行動をすることで、生じるものだ。

そんな程度の事も理解出来ず。

一方的に忠誠心だけを求め。その忠誠心を貪り尽くして使い捨てる経営者が増えたから、人材はいなくなった。

人材がいないとか喚いている阿呆は、自分で自分の首を絞めたことを理解出来ていないし。

業界そのものを破滅させていることも理解出来ていない。

こんな最果ての時代なのに。

それでも、忠誠心を部下に生じさせる上司が出現したというのは。

石山にとっては驚きだった。

さて、記事を仕上げるか。

自宅に戻ると、記事に入魂する。

石山の記事については、恐らくだが相当な注目が集まっているはずだ。

大手マスコミも、石山の正体については必死に探っているようだけれども。そもそも人相を周囲に示すような事はしていない。

どうせ素人だろと嘲弄する声もあったが。

負け犬の遠吠えにしかなっていないのが実情だった。

そもそもプロがしっかりしていたら。

プロに記事を書くのが任されていたのだから。

数日間、日程はとってある。

これから激やせする事を覚悟の上で、全気力を集中して記事に取りかかる。

石山の未来を変える、文字通り一筆入魂の勢いで作る記事だ。

だから、それによって。

命を削っても、惜しくは無いと思っていた。

 

4、激震走る

 

高宮監督への密着取材記事がネットで無料公開された。

アルティメットコメディーシリーズの最新作。タコ映画の公開と同時に、である。

この映画もさっそく「全く怖くも面白くもないしかし不快では無い見る睡眠導入剤」として話題になり。

何故か変な人気が出て映画館に人が殺到している。

映画館で九割の人が二時間ぐっすりして帰っていくという異様な光景が広がり。

一部の意識高い業界人は相変わらず大絶賛。

九割の人間は、二時間の快眠を得られて千五百円でこれは安いと大満足。

それ以外のクソ映画マニアは、必死の努力で寝ないようにしながら映画を見て。そして内容がさっぱり頭に入ってこないので、正気度をゴリゴリ削られて帰っていくのだった。

そしてとにかく取材に応じないことで有名だった高宮監督に対する密着記事である。

これについては、事前に情報が公開されていたこともある。

配給会社の特別サイトは負荷が掛かりすぎて、初日から回線がパンクしそうになる程人が来た。つまりアクセスがあったが。

殆どの客は、面白半分に見に来て。

そして驚愕したのだった。

「なんだこの記事。 むっちゃくちゃ面白いぞ」

「とにかく要所をデータでガチガチに固めてる。 クオリティペーパーを自称してるような新聞の記事なんかよりずっと読みやすいし説得力もある。 何よりこの記者、統計を理解してるぞ」

「母集団が億超えてるのに、千程度のデータで統計だの何だのほざいてる大手新聞が、これ見たら泡噴くんじゃないか」

「いや、連中はそもそもこの記事がどれだけ凄いかすら理解出来ないだろ」

初日から絶賛の嵐だ。

石山はげっそりした体で、ほくそ笑んでいた。

高宮監督から連絡が来る。

「最終稿通りの記事だと確認したよ。 今後も、お抱えの記者としてよろしくお願いするね」

「有難うございます。 結構容赦の無い事書きましたが、それでも許可して貰って感謝しています」

「眉唾だけれども、欧州の王様は自分の悪い所を直すために道化を置いて自分の真似をさせたって話がある。 私は、その程度の度量はもちたいと思ってる」

「……」

それが出来る人間は、今の時代珍しい。

だがそれを言う事は、阿諛追従になる。

だから、言わない。

ともかく、記事に人が集まっているのは大した物だった。

記事の内容は、ざっとこんな感じだ。

「高宮監督の映画撮影にほぼ密着して内容を見せてもらった。 高宮監督は誰よりも朝早くスタジオに来て全てをチェック。 脚本の内容についても全て頭に入れているようで、柔軟に撮影を回す事により労力を減らし、定時での撮影終了という驚くべき仕事を実現していた。 その一方で脚本の内容は客観的にみても理解不能で、俳優達は皆苦労していたが。 演技についての指導は殆ど行わず、あくまで俳優の解釈に任せているというのが現状だ。 故に、劇団出身者で俳優をかため、演技についての基礎知識と理解がある人間だけを集めていると判断した。 高宮監督の映画ははっきりいって面白くない。 これについてはデータを参照していただきたいが、面白いと答えた人間は例外を除いて存在していない。 一方で高宮監督の映画を不快だと答えた人間もまた存在していない。 面白くはないが、不愉快でもないのだ。 故に、見る睡眠導入剤という言葉の通りに。 客の大半が寝ているという異様な光景が現出しているにもかかわらず。 満員御礼が連日続いているのだろう」

石山はこの状況を確認するために、二百を越える映画館をチェック。

それによる上映九千回以上のデータを集めた。

関係者による聞き込みと、それによる結果だ。

九割の客が寝ていて、映画が終わった後必死に起こして回っていること。

一割のクソ映画マニアが、精魂使い果たした雰囲気で、フラフラと映画館を出て行くこと。

それらが全ての映画館で一致した証言として得られている。

ともかく裏取りをし。

データを集めているから書ける記事である。

「高宮監督の映画ははっきりいって、クソ映画に分類される代物だと断言してかまわないだろう。 だがそれが不愉快かというと違うというのが結論だ。 面白くもないが不愉快でもなく、何も印象が残らず、そしてリピーターを作る。 まるで人の心を捕まえて、深淵に引きずり込む邪神のような映画である。 そしてその邪神が今、世間を席巻していると言える。 社会現象としては不可思議に思えるが。 何もかもが悪い方向に向かっている世情を考えると。 むしろこのような奇怪な社会現象は、必然として出現したのかもしれない」

記事はそう締めくくられている。

コレは勿論概ねの内容だ。

要所にはデータを差し込み。

ついでに裏取りについても資料を徹底的にねじ込んでいる。

記事を書くのに精魂使い果たしたが。

記事を書くために集めたデータも、惜しげ無く公開はしている。

一種の論文に近い代物だが。

これくらいして、やっと記事と言えると石山は思うし。

そもそも、このくらいの記事を書ける記者がゴロゴロいると思っていた時期だってあったのだ。

実際には、世の中に誰もいなかったのだが。

だから、石山がやった。

それだけのことである。

そして、SNSではこの記事が話題沸騰になっていた。

「邪神みたいな映画か。 何というか、本当にこれ以上もないほど的確な表現だと俺も思うわ」

「というか、これ配信会社お抱えの記者による公式記事だろ。 邪神とかいって大丈夫なのか?」

「記事の最後に、許可が出ていることが明記されてる」

「て、高宮これを許可したって事か。 記事のあちこちでけちょんけちょんに言われてるのに、凄い度量だな……」

誰もが驚愕している。

それはそうだろう。

社会人なら、今の時代の不条理と理不尽を誰もが味わっている。味わっていないのは、それは滅茶苦茶幸せな例外の一部だけだ。

また、驚愕される内容は他にもあったようだ。

「映画撮影が定時で終わってる!?」

「だいたいの映画撮影って、もの凄く過酷だって聞いてるぞ。 定時で終わらせて、このペースで映画作ってるのか高宮」

「化け物かよ。 てか脚本全把握して、柔軟に撮影回してるって、スパコンかなんか頭に積んでるのか?」

「ちょっと高宮の事舐めてたかも知れない。 この間舐めたことやらかした別の監督、訴訟で一瞬で潰して怖いと思ったけど。 なんか怪物じみてる。 いや、この記事にそっていうなら邪神か」

概ね、記事は好評だ。

SNSでも拡散され。

アクセス数は数日で一千万を軽く超え。更に伸びに伸びている。

海外からもアクセスが来て。

翻訳されて情報が出回っているようだ。

石山はぐったりしながら、ベッドで横になってスマホでその様子を見ていたが。

高宮監督からメールが来る。

「理想的な結果、反応。 このままでいいので、次回以降もこういう感じで記事を書いてね」

「……」

理想的か。

記事内でけちょんけちょんに言われているのに、平然としていて。

むしろ記事による反響を理想的とまで言い切るか。

すごい怪物に捕まったものだな。

いや、邪神というべきか。

くつくつと笑う。

だけれども、どんな新聞社より自由に記事を書ける環境を手に入れたとも言える。これぞ記者の面目躍如。

新聞がパブリックエネミーと化し。紙屑になった今。

石山のこの立場。

絶対に手放せない。

なお、大手新聞は大困惑している様子だ。

これだけの膨大なデータに裏打ちされた論理的な記事が出てくるとは思わなかったのだろう。

どこの誰がコレを書いたと、大騒ぎになっている様だが。

精々困惑していろ。

ともかく、精根尽き果てた。

てか、体重も六キロ減った。

明日以降は、体重を少しずつ立て直しながら。次の記事に向けて体力を戻さなければならない。

文字通り魂を燃やして書いた記事が評価される。

記者として、これほど嬉しい事は無かったが。

そもそも、普通の記者はそんな風に思わないし。何よりもこういう風に、真実を届けようとも思わず。自分で勝手に真実を創造して、我田引水するか。

苦笑する。

もう石山は、記者では無いのかも知れない。

それはそれで、面白い事かも知れなかった。

 

(続)