虚無監督の真意
序、偉大な監督の末路
現在、アニメ以外では元気がなく。特に国際競争力はほぼ皆無である邦画だが。昔はそうではなかった。
世界的に知られており。
多数のファンがいる監督が実在したのである。
サムライを中心に映画を撮り。世界中に名を知らしめたその監督の事を知らない奴は。映画ファンとしてはモグリだ。
一方で、その監督はド変人として知られていて。
気に入らない監督の家に花火を投げ込んだりと、相当な無茶苦茶をやった人物でもあるらしい。
現在最も知られていて。
クソ映画世界の巨匠とまで言われている高宮葵だが。
その夢は。
最終的にはその映画監督を超える事。
そう決めたのは、幼い頃だった。
侍達が村を野武士から守る映画。
これを見て、本当に凄いと思った。
今では、当時の村というのは無抵抗でもなんでもなく、むしろ非常に強力な武装集団であることを高宮も知っている。
だが、それを知った上でも。
この映画は、今見ても楽しむ事が出来る。
勿論、その映画が好きだとは口が裂けても言わない。
スクールカーストのクソぶりは高宮も散々見て来て育ったし。
今だって、当時の事は思い出したくも無い。
芸大時代だって、気に入らないという理由で低評価をつける教師を散々見て来た高宮である。
本音を口にするつもりはないし。
他人を信用するのには、余程時間を掛けるようにしていた。
今日は、ある老人ホームに足を運ぶ。
尊敬している映画監督ほどでは無いが。
それでも、それなりに知られた映画監督が入院している。
足を運ぶと、まだ若いのに来てくれて嬉しいだの、なんだのと。いきなりお婆さんに絡まれる。
認知症になってしまっているらしく。
孫か何かと勘違いしているらしかった。
看護師が来て、慌てて連れて行く。
高宮は気にしていないと言って、そのまま奧へ。
病床にいるのは。
ひょっとしたら、世界の映画監督になれたかも知れない人物。
その末路だった。
結論から言えば、恐らくは無理だったのだ。
人は器にない場所に行くと潰れる。
それは高宮が、散々見て来た真実だ。
そしてその見本が。
今、高宮の前で。ベッドでふてくされている、頑固そうな老人だった。
その老人は。
高宮が誰かを知っているかのようだった。勿論勘違いなのだが。
「なんだ。 来いと言った覚えはないぞ」
「……私は貴方の娘でも孫でもありませんが。 面会許可を取って来ましたので」
「……誰だ貴様」
「高宮葵。 少し前にアカデミー賞を取りました」
けっと吐き捨てる老人。
この老人は、アカデミー賞を取ってから壊れてしまった。
それまでは面白い映画を撮るいい監督だったのだが。
アカデミー賞を機会に、全てが狂ってしまった。
周囲には意識が高い取り巻きが集まり。
その結果、どんどんつまらない映画を撮るようになっていった。
女房役とも言えたブレーキをしていた副監督を追放すると。
後は完全に独裁になり。
以降は誰が見てもつまらない映画を、傑作と信じながら撮るようになっていった。
やがて客が完全に離れた頃には。
周囲に集っていた取り巻きも、頃合いだろうと判断したのかいなくなり。
何もかも人生を無茶苦茶にされたと悟った老人は。
こうして呆けてしまった、というわけだ。
「アカデミー賞なんか……」
「私の時代でも貴方の時代と変わりませんよ。 もっとも、私の場合は筋金入りの変人として知られていますので、取り巻きは集まってきませんけどね」
「……何者だお前」
「映画の未来を憂うる者」
少しずつ。
呆けてしまっていた老人が、往事の切れ味を取り戻していく様子が分かる。面白い。そうこなくては。
話を少しずつ進めて行く。
「今、貴方のような「潰された」監督を回って話を聞いています。 私もかなり用心深い方なのでね」
「貴様、何を目論んでいる」
「……貴方の所に来た取り巻きを、覚えている限り教えてください」
しばし老人は、自分を取り戻すのに躍起になっている様だった。
そこに、ひょいと顔を出すのは。
少し前に雇い入れた小野寺晴。
今後、高宮の三本の腕のうち。一本をして貰おうと思っている者だ。
まだ高校を出たばかりだが、人間の心理を良く洞察しているというか。他人の尖った心を良く受け止める。
話してみて分かったが、井伊綾音は天才肌の一方。あまりにも尖りすぎている。
そんな井伊が心を許したのはこの小野寺晴一人だけ。
それは、それだけの変人を手なづけられるという事を意味している。
相当な強者である。
だから今後は、こう言う形でサポートをして貰う。
そのまま、話をしてもらう。
高宮は邪魔になるので、その場を後にして、外でしばらく待つ。高宮は自分でも理解しているが、話が得意な方では無い。
話すのが得意な奴にそれはやらせればいい。
世間では勘違いされがちだが。
別に口が上手い奴が、何でも出来るわけではない。
コミュニケーション能力とやらに特化しているなら、他は駄目だと判断するべきである。
会社に有能な人材がいなくなったのはそれが理由だ。
バカみたいな話だが、あの始皇帝もどもりがあるという理由で偉大な理論家韓非子を処刑している。
そういうものだ。人間は古くから、まるで進歩していない。
それなのに人間は変われるとか、好き勝手な言説がまかり通っているのは。
高宮からして見れば、滑稽極まりなかった。
変われる人間はいるだろう。
だが歴史的な偉人クラスでも出来ない人間は出来ない。
そういうものなのだ。
コミュニケーション能力についても同じ。
出来ない奴は何をやっても出来ないし。
それは有能無能とはなんの関係もないのである。
やがて、小野寺は戻ってきた。
10歳も年下の相手だが。
それでも、今は大事な同志だ。いわゆる忘年の交わりと言う奴を結びたい気分である。
「聞いて来ました。 リストになります」
「お疲れ」
「それで、次は何処に?」
「時間があるから、今のうちに日本中を出来るだけ回りたい」
今公開中のアルティメットコメディーシリーズ十二作品目。
正体がまったく分からない存在に襲われ続けるパニックホラーと称するナニカだが。
アカデミー賞効果もあり。
前回の恐ろしく虚無で、見ているだけで眠れるという謎の評判が起爆剤になって。
今までの赤字を全部回収する勢いでヒットしている。
というわけで、高宮は今回は時間を取り。
計画を進めるつもりでいた。
思ったより早く機会が廻ってきた。
これは幸運だと思うべきだろう。
他にもほしい人材はいるのだけれども。
CG担当として、極めて有能な井伊を雇うことが出来たので。以降は井伊を中心としたチームにそれは任せてしまう。
なお働き次第では、井伊の給金は更に倍、もっと倍に上げていくつもりだ。
有能な社員には金を払う。
今の企業が忘れてしまった事だが。
高宮は忘れていない。
「次は高知に行くぞ」
「ちょっと遠いですね。 今検索します」
「んー」
目標としているターゲットは後三人。
そして、小野寺が聞き出した人間のリストは移動中に目を通しておく。
なるほど。
時代ごとに変遷はあるが、ある程度固まっている。
やはりというか。
文化というのはある程度根付くと寄生虫が湧くのだ。それは人間という生物に共通した事だ。
寄生虫は色々な形で湧く。
まずはその文化で、過剰に稼ごうという連中だ。
勿論文化をすることで、食っていくことはとても良い事だと思う。
だが、文化を権威化し。
その権威に自分達がすり寄ることで稼ごうとする連中は、寄生虫と言わざるを得ないだろう。
古くからこの手の連中はいる。
もう一種の寄生虫は、文化そのものを私物化しようとする連中だ。
老害、と言われるファンがそれである。
勝手に文化の定義を決めつけて、自分達で独占し。
それ以外のファンを閉め出そうとする連中がそれだ。
あるロボットアニメがブームになった時。こんなものはSFではないとか抜かして、盛大にディすった阿呆がいた。
以降、SFというジャンルにはこの手の厄介なのが纏わり付くようになり。
SFというジャンル名を使うだけで攻撃を繰り返すようになったため。
今ではSFというジャンル名を、作品につけないと言う事で自衛をする人間がかなり増えている。
これについては、小説、アニメ、映画、全てにおいてそうである。
こういう厄介なのが纏わり付いているジャンルは幾つもある。
SFはその一例だ。
現時点で、高宮の映画にそういうのは纏わり付いていない。
高宮をバカだと思い込んでいる連中が、失笑しながら映画を見ているだけである。
そういう風な映画をわざわざ作っているのだ。
自分が掌の上で踊っていることすら理解出来ていない。
本当にバカなのは自分かも知れないと、考える事すら出来ていない。
つまり客観性がゼロだ。
そんな連中は高宮の眼中にない。
計画を進めるためには、もっと先にさっさと進まなくてはいけない。
高知に到着。
流石にちょっと田舎だ。
老人ホームに急ぐ。
今回は、かなり小さめの老人ホームだ。此処に昔はアカデミー賞を取った監督がいるなんて、誰が信じるだろう。
既に調べてあるが。
今はすっかり人間不信になって、気むずかしい老人になり。
周囲全員に嫌われているそうだ。
だが、そんな風にこの老人をしてしまったのは。
散々しゃぶり尽くすだけしゃぶりつくし。
その後はポイ捨てした連中だ。
文字通りの寄生虫。
人間の恥部どもである。
存在する事すら許しがたい連中だが。それについてははっきりいってどうでもいい。高宮にも早速すりよろうとしている連中がいるようだが。
そもそも高宮が正体不明すぎて。
接触する機会を得られていないようだ。
高宮は自分から使えそうな周囲の人間を選んでいる。客観的に相手の能力を分析もしている。
他の監督のように。
しゃぶりつくされて、金づるにされつくして。
用済みになったら捨てられるような愚を犯すつもりは無い。
既に面会の約束はとってある。
老人ホームに入ると。
枯れ木のような老人が、不愉快そうに周囲をベッドからねめつけていた。
看護師も完全に持て余している様子である。
名前を呼ぶと、眼光はより鋭く。攻撃的になったが。
勿論高宮は気にしない。
「小野寺、後は頼む」
「はい」
外で待つ。
此奴は、どんな相手の側にでもすっとすりより、話を聞いてくる達人だ。
スクールカーストでも、それを上手にこなし続けて。
スクールカーストには一切合切関わらず。
それでいながら、孤立することもなかったという。
一方で話してみて分かったが、スクールカーストというものを心の底から軽蔑しているようで。
スクールカーストとか言うクソみたいな代物を作り、上位に食い込んで悦に入ってる愚劣な連中を心の底から嫌ってもいる。
つまるところ。
高宮にとっては、同志たり得る存在である。
そのまましばらく外で待つ。
高宮はタバコは吸わない。
外でぼんやりベンチに座って空を見ていると。
しばしして、小野寺が戻ってきた。
「聞いて来ました。 リストにまとめてください」
「ん」
頷くと、さっとノートを使って、リストをまとめる。
作業を終えると、すぐに次。
今日中に、もう一箇所老人ホームを回らなければならない。
ある程度の地位までいって。
其処から致命的な転落をした人間は、こういう業界でも。どういう業界でも。珍しくもない。
人間は器に相応しくない場所にいくと壊れる。
或いは簡単に調子に乗ってしまい、その結果落ちる。
それを証明しているかのように。
ボロボロと、カスみたいな寄生虫に食い荒らされた人間は。彼方此方の老人ホームで見つかるのだった。
最後の老人ホームを回り終えると、既に予約していたビジネスホテルに。
そのままビジネスホテルに泊まると、翌日に向けて色々準備をしておく。
翌日どう移動するかのルート確認。
これについてはある程度の余裕を持っているが。もしも早く終わった場合などは前倒しでいけるようにしてあるし。
二時間程度の猶予時間も設けてある。
高宮が本来は彼方此方行くのもおかしいのかも知れないが。
潰されてしまった先達たちの様子を見ておきたかった、というのはある。
ただでさえ、今回はわざと映画撮影開始まで、少し時間を取ってあるのだ。
今のうちに、やれることは全てやっておきたかった。
全ての確認が終わったらねむる。
それから、次に行く。
翌朝も、いつも通りの時間に起きて。
いつも通りの時間にコーヒーの写真をSNSにアップする。
すぐに拡散されていくが。
こんな早朝から、ご苦労なことだと高宮は思った。
まあ、SNSの効果的な使い方を心得ていると思えば。それでいいのだろうとも思うのだけれども。
なお、広告代理店が。
高宮のSNSを管理しようかと一度言ってきたが、
勿論断った。
そんな連中に、無駄な金を出す余裕は無いし。
何よりも広告代理店みたいな寄生虫の権化、高宮がもっともこの世で嫌っている存在だからだ。
きちんと起きてくる小野寺。
よい感じである。
そのままモーニングを食べてから、すぐに老人ホーム巡りをする。
今日で作業を一旦終えて、撮影に入る。
なお、小野寺には映画撮影以外で仕事をして貰うつもりである。
それははっきりいって難しい仕事になるのだが。
それはそれ。
本人もやると言っている。
コミュニケーションとやらは、個人の素質が能力に大きく関わる。やり方を学ぶ事も出来ない。
人たらしの達人と言われたあの豊臣秀吉ですら。
晩年には気むずかしい憶病な老人になり果て。
周囲に対して、若い頃にあった事で何か不快だったら確実に復讐した。
若い頃コミュニケーションとやらの達人であっても、年を取ればそうなるほどなのである。
つまりは学べたりするようなものではない、ということだ。
更に言えば、どんなに陰湿な性格の持ち主であろうと、出来る奴は出来るという事でもある。
コミュニケーションと今の時代もてはやされているものは何なのだろう。
得体が知れない化け物が、一人歩きしているとしか、高宮には思えなかった。
まあそれについては、高宮も同じか。
一件目の老人ホームに着く。
そこそこ豪華な場所だ。
すぐに小野寺と一緒に、潰されてしまった監督を見に行く。
今日中に。
この行脚は終わりにする。
1、計画を進める
アルティメットコメディシリーズ第十三作目。
純愛ラブストーリー。
そういう名目で作っているものは、もはや虚無の産物だ。
なおヒロインには新人俳優を抜擢したが。
一方でこの間目をつけた日野茜には、引き続き脇役で出て貰う。
ただしこの純愛ラブストーリー。
そもそもとして、内容が極めてえげつない代物となっている。
まず全員が、顔を表示していない。
体型も、全員意図的に平らにしている。
以前、立方体に入ったままの状態で演技をするという映画を撮ったことがあるが。それに似てはいる。
近年、ポリコレとやらの蔓延で。
映画にしてもゲームにしても、やたら不自然なデザインが採用されることが増えてきているが。
そういう連中とは関わり合いになりたくないので。
こういった手法を採る。
前衛的な作品であり。
やりようによっては面白くなるのだが。
わざとこのまま撮影し。
更に面白い部分は全て消していく。後から、編集で、である。
そういう意味で、この映画もまた。
俳優の正気度をゴリゴリ削って行くものだとは言える。
ホラーにも出来るのかも知れないが。
そうもしない。
中身があってはいけないのだ。
虚無の映画でなければならない。
そうでなければ、後でがつんと入れる強烈な一撃に。意味が生じてこないから、である。
まあそれについては後回し。兎も角、映画の撮影を淡々と進めていく事になる。
ヒロインに抜擢した俳優は、とても綺麗な子だ。
今までドラマで何度か脇役をやっているが、いずれもあまりいい役ではなかったようだ。金と事務所のコネ、それに枕営業がものを言う世界である。どれだけ演技が出来たって、抜擢されない人間はいる。
高宮がオーディションで拾ってきたのも。
そんな俳優の一人だった。この辺りは、日野茜と似たような感じなのかも知れない。
「はいカット」
「……」
「十分休憩。 それぞれ休憩してね」
そう告げると、高宮もトイレに行く。
トイレでスマホを操作して、井伊に話を聞いておく。
「CGの進捗は?」
「問題なし。 指定通りにつくってる」
「OKOK。 今までは外注でやってたから、どうしても情報漏洩が怖くてね」
「……それはいいのだけれども、やっぱり私一人だとかなり厳しいと思う」
それについては分かっている。
そこで、最繁期には映画の内容にあまり関係がない所だけ、外注を噛ませる予定である。それについては説明してはある。
最繁期のタイミングについては、井伊に申告するようにも言ってある。
同志が出来たのは大きい。
今後ももっと増やしていきたい所ではある。
幾つかの話をした後、トイレを出る。
そして、そのままスタジオに戻った。
すぐに撮影を再開する。
小道具大道具も、それなりにてきぱき動いているが。そもそもとして、それほど大きくない規模の撮影だという事もある。
今までの赤字が帳消しになるくらい稼げているんだから。
それを使って大規模な予算を組んではどうかと会社に……正確にはスポンサーに言われたのだが。
全て断った。
自分にはこのやり方があっている。
下手に予算をつぎ込むと、映画の出来が逆に落ちる可能性がある。
そういって、なんとか説得した。
正確には、社長に事前にそうスポンサーが言ってくることを告げ。
そうやって説得するように頼んだ。
困惑しながらも、現状は配給会社のエースになっている高宮の機嫌を損ねたくはなかったのか。
社長は仕事をしてくれた。
というわけで、今もいつも通りの規模で撮影が出来ている。
喜ばしい話だった。
そのまま、次のシーンを撮影。
顔をCGで消してしまうつもりなので。全員が特徴がない服を着込んで、更に仮面をつけて演技をしている。
仮面での演技というのはたまにジャンルとしてはあるのだけれども。
それはそれ。
今回やっているのは、それよりも遙かに前衛的で。
そして面白さを全て潰している代物だ。
俳優達はゴリゴリ正気度を削られているようだが。そんなことはどうでもいい。むしろ正気なんて投げ捨ててしまえ。
そう内心で、高宮は思っているが。
勿論口にはしない。
「はいカット。 次、シーン67」
慌てて俳優達が脚本を見る中、すぐに動く日野茜。
顔色は蒼白になっているだろうが。
それでも、脚本の中身は全て覚えてきているらしい。他の俳優の台詞なども全て、である。
このプロ意識。
なかなか大したものだと思う。
そのまま、撮影を続ける。
その日の撮影は、木に逆さに吊されたヒロイン役が。
木に歩いて来る主人公に対して。
哲学的な問答を行い。
それに主人公が、哲学的な返答をするシーンで終わった。
落ちると非常に危ないので、このシーンは細心の注意を払って撮影しなければならないのだが。
勿論小道具も大道具もそれは理解していて。
ばっちりセーフティネットを幾つも張り巡らせていた。
それらは全てCGで消す。
撮影は今日も定時で終わりだ。
俳優達は、全員疲れ果てた様子で戻っていくが。
日野茜は、話を聞きに来た。
「高宮監督……」
「どした」
「このシーンなんですが、どうしても理解出来ません」
「自分なりに理解してくれればいいからね」
突き放すと言うよりも、それでいいと思っている。
どんなトンチキ演技をしたとしても。
そもそも今の時代、「自然な演技」とやらを求める監督が多いのである。意識高い系の業界人もそうだ。
だったら全員素人にやらせろよと思うのだが。
それでいながら、アイドルだの芸能人だのお笑い芸人だのを使おうとするのだから意味が分からない。
要は自分達の金儲けのためのシステムに組み込みたいだけだろうに。
それをトンチキな寝言で正当化しようとするから、馬鹿な話が出てくるのである。
「高宮監督、もう少し具体的にお願いします。 みんなその、分からないって話を聞いてくるので」
「なんだ、俳優同士で仲良くやってるんだ」
「……はい」
「違うな。 私が怖いから、皆でまとまってぶるぶる震えてるんだろ」
図星を指摘すると。
びくりと震えた日野茜は。
真っ青に成りながら、こくりと頷いていた。
他の俳優も、高宮には怯えきっているようだ。
それでいい。
舐められるくらいなら、怯えられる方が撮影をするのはやりやすい。
とはいっても、暴力を振るったり言葉で貶めたりするのはNGだ。
そんな風にやっても反発されるだけ。
高宮の場合は。もっと根源的な、深淵からくる恐怖によって、俳優達の心をコントロールしたいのである。
「いいか、此方の意見はいつもかわらない。 プロの俳優しか選んでいないのも、自分なりにプロとして考えてほしいからだ。 というわけで撮影の時はよろしく」
「……分かりました」
肩を落として戻っていく日野茜。
なかなか、面白い逸材だ。
普通、余程の事がない限り高宮には刃向かってこない。
或いは俳優全員が団結したりとか。
そういうケースでは、高宮に訴えをしてくる事はあった。
だが、日野茜はそういうの無しでも刃向かってくる。
中々に面白い。
次の映画でも使おう。
そう決めている。
定時で皆が上がったのを見送ると。高宮も上がる。
自宅に着くと、さっさと風呂に入って、それで夕食。その間に、メールチェックなどをしておく。
内容について特に問題はないと判断したが。
幾つか気になるメールもあった。
今の時点で、小野寺にはSNSの分析と、社内での情報伝達に動いて貰っている。
高宮が抜擢した小野寺は。配給会社のお偉いさんあいてにも十全に渡り合っているが。
これには、背後に高宮がいると言うのも大きい。
背後に高宮がいるから、小野寺の話を聞かなければならない。
それはもう、約束として配給会社の中にはルールとして行き渡っていた。
「専務がちょっと気になる行動をしています。 少し警戒をした方が良いかも知れないですね」
「具体的には」
「どうやら他の役員を集めて、高宮監督への対策を練っているようです。 社内での存在感が大きくなりすぎていると危惧しているようでして」
「ふうん……」
芸のない二代目である今の社長。
それを実質上裏から動かしている専務。
まあ専務だったのか常務なのかどうでもいいが。ともかくそういう間柄だ。
高宮としてはどうでもいい。
社内の政治とかに関わるつもりは無い。
淡々と映画をとっていき。
やがて目的を果たしたい。それだけが、高宮の中にあるからである。
幾つか、具体的な話を聞いた後、指示をしておく。
小野寺は分かりましたと答えて、そのままメールでのやりとりは終わった。
さてさて、次だ。
幾つか、やっておく事がある。
SNSでの動向についても小野寺に調べて貰ってあるが、これについてはまた別の専門家を雇うべきかも知れない。
だが、今の時点ではまだ忙しいが、小野寺にやってもらうとしよう。
そう思ってはいる。
それはそれで、高宮自身もSNSは確認しておく。
たまに、鋭いコメントが飛んでくるからだ。
アカデミー賞を取ってから、意味不明の自己解釈を送ってくるアカウントがたまに出てくるようになった。
コーヒーの写真に対するコメントや。
或いはメッセージを使ってだが。
殆ど全てが的外れで、失笑するしかなかった。
だが。それらの中に。
逸材がいるかも知れない。
というわけで、軽くチェックをする。
さっさとSNSのコメントを高速で流していくが。殆どのコメントは、見た瞬間に興味を失うような代物ばかり。
それらはすぐに無視して次。
更に次へ。
どんどん進めていくが、今日は収穫は無さそうだな。
そう思って、がっかりした。
SNSにもたまに出来る奴がいるものなのだが。
そういうのは例外に過ぎない。
専門家を気取っている奴が、実際にはとんでも無いトンチキ発言を繰り返している何て別に珍しくもない。
それがSNSの実態である。
マスゴミといわれる今のマスメディアは、それにすら劣る。
まあ最果ての時代と言われるのも、当然と言えば当然か。
呆れながら、今日の作業は終える。
そして明日のスケジュールを確認。
撮影現場で、トラブルがあっても柔軟に動けるのは、こうやってスケジュールを完璧に把握しているからである。
それが出来るからこそ、いつも柔軟な撮影順の入れ替えなどが出来るのであって。
そうでなければ、高宮にだって何もできないだろう。
いずれにしても、作業は終わったので寝るとする。
今の時点では、フルスペックの四割くらいしかつかっていないか。
色々もったいないが。
常に全力で動くと、多分壊れてしまうのも早いだろう。
だから、これくらいで今の時点ではいい。
ただ、体をあまり動かさないと、スペックの上限自体がいずれ落ちていくことになるので。
それについては。高宮も気を遣ってはいた。
翌日の撮影の昼休み中。
小野寺から連絡が来る。
例の専務の妙な動きだが。どうやら、課長以上の人間全てを集めて、何やら話をしているようだという事だった。
或いは高宮を首にするつもりかな。
別にかまわない。
というか、今のタイミングだったら全然いい。
アカデミー賞の取得直後という事もある。
もしも新しい会社を設立するなら、今が好機だ。
その後はクソ映画を主体に撮っていく。
海外でも、クソ映画ばかり作っている会社があるくらいで。
要するにそれだけ、クソ映画には需要があると言う事である。
日本でも似たような会社を作っても、別に問題はなかろう。
それが高宮の結論である。
黙々と撮影を続ける。
俳優達は全員が死んだ顔で撮影をしているが。仮面に隠れてそれらは全く当然だが見えない。
無言でそのまま、撮影を続けて。
定時で上がる。
家に戻った後、小野寺に確認。まあ、今後動くとしたら、結構重要な話だったからである。
「それで、昼にあった連絡の件は?」
「どうやら危惧していた、高宮監督を排除する、というようなものではないようです」
「ほう」
「高宮監督の映画のような、つまらない映画を撮ってそういう会社にするのはどうかという提案があったようでして」
あいつ、思ったよりバカだったんだな、と思う。
それで、思わず即座にメールを送り返していた。
「ちょっとテレビ会議に切り替える」
「分かりました」
すぐにテレビ会議に。
小野寺だけでなく、井伊にも出て貰う。
「今の時点で、うちの配給会社には小粒な映画監督しかいない。 それぞれ力量は色々だが、いずれもが真面目に映画を撮っている連中だ」
前提から、話をしておく。
残念ながら、真面目に映画を作っても。どれだけ予算をつぎ込んでも。
面白くなるかは別問題なのだが。
それについては。今は横に置いておく。
問題は、それらの映画監督に、高宮の真似をさせるというのは致命的な結果につながりかねない、という事である。
クソ映画を作れ、といってクソ映画は作れない。
名作を作れといって、名作を作れないのと同じである。
どんな創作物だって同じだ。
そもそも創作者には存在の数だけ個性がある。
それがブームだの何だのに沿って「こう言う作品を作れ」というのは。プロだから云々ではなく。
そもそも創作家の味を生かせない作品を増やすだけである。
何かがブームになると、カスみたいな便乗作品があふれかえるのはそれが故。
何かの真似をするよりも。
作家の持ち味を生かす方がよっぽど良い作品が作れる。
その辺りは、何故かプロだからと言う言葉で誤魔化されるが。
昔から、ずっと変わらない事実だ。
あの専務だか常務だかも、同レベルの存在だったわけか。
人間は本当に金に関わると駄目だなと、呆れてしまう。
米国では、どんな犯罪でも金さえ払えば封殺できるようなシステムが出来てしまっているように。
貨幣経済は偉大な発明であると同時に。
人類を蝕む最悪の癌とも言えた。
比較的出来る方だと思っていたのだが。
その宿痾からは逃れられないらしい。
その現実を突きつけられると、高宮も思わず溜息が出てしまう。
「小野寺、情報を掴んでくれて有難う。 私で止めておく」
「はあ、大丈夫ですか?」
「やらざるをえないだろうさ。 というか、ここでしっかり話をしておかないと、下手をすると会社が潰れる。 そうなると、迷惑を被るのは私だけではないんでな」
テレビ会議を終えると、明日の撮影を中止する連絡を回しておく。
何、スケジュールはまだまだ余裕がたんまりある。
一日くらい休んだところで、得に問題は無い。
俳優達も正気度がかなり危なくなっていただろうし。多少は休みをサービスするのはそれはそれでありだろう。
さて、明日はどう説得するか。
まあ正面から行くしか無いか。
社長に明日緊急で会議を行いたいと連絡を入れる。
メールでの連絡だが。
見ていない、とは言わせない。
一晩ねむる。
なんだかろくでもない夢を見たような気がするが。具体的な内容は、あまり覚えていなかった。
翌朝は、会社に出る。
撮影をやめていきなり会社に出て来たからだろうか。しかも会議を要請しているのである。
何事かと、すぐに会議で重役を集めてくれる社長。
アカデミー賞を取った後、高宮の映画が稼げるようになったのは事実で。
それを鑑みると、高宮の訴えを無碍には出来ないのだ。
専務も出ている事を確認すると。
高宮は会議の場で、いきなり爆弾を投下する。
「なんでも、私の映画のようなつまらん映画を敢えて作ろうという風潮があるようですね」
「え、そ、そうなのか」
「そうでしょう、専務」
「……」
蒼白になる専務。
どこから情報が漏れた、という顔だが。
こんな大して大きくもない会社だ。
重役が全員動いていれば、そりゃあすぐにばれる。そんな事も分からないくらい、耄碌していると言う事か。
呆れてしまう。
これで社会の最前線を支えている人材のつもりなのか。
洞察力も判断力も、人間は年老いれば落ちていく。
当たり前の事だ。
「すぐに止めてください。 そもそもとして、この会社の良い所は皆に好きな映画を撮らせるところだったでしょう」
「それだと、儲からない」
専務が苦言を呈する。
そもそも国からの補助金を貰っている時点で、相当に色々面倒な手続きをしているのだという。
高宮以外の映画監督も補助金を貰っているタイプの監督で。
それらの手間を考えると。
事務の仕事が本当に大変だそうだ。
だからなんだと言いたいが。
言葉を飲み込んで続ける。
「だったら、私が他の人の分まで稼ぎますよ。 とにかく、会社を傾けかねない行為はやめてください」
「し、しかし」
「此方をご覧ください」
さっと、朝刷った報告書を配る。
小野寺に作ってもらったものだ。まあ昨日の日中に指示して、だが。
内容的には、この配給会社に対するイメージの変遷。
現在こそ、高宮の虚無映画が悪い意味でも良い意味でも話題になっているが。
それ以前は、個性的な映画を作る会社として、そこそこにファンからは評価が高かったのである。
小粒ではあっても、だ。
それを見て、呻く専務。
「ブームに後乗りした作品なんて、どれも基本的にゴミですよ。 アニメだろうが小説だろうが映画だろうがドラマだろうがゲームだろうがね。 ましてや、うちにはそこまで力量のある監督はいない。 かなり力量のある監督でも、ブームに沿った作品を作ると駄目作品になりやすい。 ましてや自分の作風を必死に模索しているレベルの監督が、出来ると思いますか?」
「……」
「というわけで、やめてください。 以上」
後は黙って様子を見る。
専務はしばらく黙った後。
皆を見回していた。
「どう思うか、意見を聞きたい」
「確かにこのレポートには説得力があります」
最初にそう言ったのは、営業の部長だかなんだかだ。最近は高宮に媚を売ろうとしているのが露骨だ。
今回の専務の提案も、高宮におべっかを使えると思ったから乗ったのかも知れない。いずれにしても、典型的な小人。
相手にする価値も無いゴミである。
「確かに、個性的な高宮監督の映画を後追いで真似するのは難しいと思います」
他にも重役が言う。
社長が咳払いした。
「確かに、高宮くんはアカデミー賞まで取って、この会社の大黒柱にまでなってくれたんだから、話を信じてみるのも良いかも知れない」
「その話題性が一過性では無いかと心配しています」
「だとしても、だ。 もう少し様子を見てみよう、な」
言い聞かせる社長。
専務の方が実権力が上だと言う事もあるのだろう。
やはり、相当に気を遣っている様子だった。
一応、自分が無能だという自覚はあるのだろう。
これが自覚すらない場合は最悪なのだが。
まあ、無能と言う自覚があるだけマシか。
「高宮君は、今まで通りにやってくれ。 他の監督については、指示を出すのはやはりやめておこう」
「……分かりました」
不満そうに、専務が立ち上がると。
会議は終わった。
やれやれ、無駄な時間を過ごしたな。
そう高宮は思ったが。こういうのも、しっかりこなしておかなければならない事だった。
さて、社内の調整は終わった。
この件を未然に嗅ぎつけてくれた小野寺はやっぱり優秀だ。
このまま経験を積んで貰って、そのまま社内での調整役として活躍してほしい所である。
いずれにしても、同志としては申し分ない。
このまま、更に関係を深めて。
最終的な計画も、信頼出来る段階になったら明かしたい所だった。
2、ろくでもないブーム
後追い、というのはいつでも生じるものだ。
それが如何にろくでもない作品を量産するとしてもだ。
大手の映画配給会社が、まずは高宮のを真似た極めて退屈な映画を繰り出した。そして、興行収入的に大失敗した。
そもそも高宮は意図的に砂を噛むような虚無を作っているのに。
その大手の配給会社は、あからさまに上っ面だけ真似てきた。
その結果出来たのは、見る睡眠導入剤どころか。
見ても、怒りしか沸かない代物だった。
案の定映画は大炎上。
そしてその映画を撮った監督は、「映画を理解出来ない視聴者が未熟」等と抜かして、更なる炎上に燃料を注いだ。
この監督は、あるアニメ映画が世界的に大ヒットしたときにも。「何も映画界に貢献していない」等と称した阿呆であり。
こういう人間が本当の意味でのクソ映画を作るのだなあと。
冷笑しながら高宮は横目で見ていた。
続けて他の配給会社からもやはりブームを後追いしたシュールな作品が出たが。
シュールなだけで、はっきり言って面白くもなんともなく。
かといってつまらなくもなかった。
創作で一番まずいのは、心に残らない、と言う事だ。
勿論怒りを買うのもまずい。
百年の恋も冷めるという奴で。
徹底的な失敗作を作った結果、ブランドが一夜にして凋落した、という現実も幾つか高宮は知っている。
だが、それよりまずいのは印象にすら残らない駄作だ。
そんなものあったっけ。
そういう風に思われると。
やはり、怒りを買うのと同様に、ファンは離れる。
ましてやそれを作り手が意図的に煽ったりすると。
今の時代は大炎上に発展し。
やはりブランドが終わる切っ掛けになってしまう事もある。
そういうものなのだ。
いずれにしても、数作品が高宮の映画を真似て後追いをしたが。
興行的には全てが大爆死という結果になり。
ついでに会社の株まで下げる事になった。
映画の撮影を続けながら、その様子をSNSで確認はしておく。
小野寺には社内の調整を続けさせる。
まあ今回については、簡単だ。
それ見た事か。
その一言だけで充分である。
実際問題、高宮は社長達を会議で説得までした。その結果がこれなので。高宮の社内での発言力は更に大きくなった。
次の映画も稼げれば、もう言う事も無いだろう。
それでいいのである。
SNSでの炎上は、何というか。
蜂の巣を叩いたような有様だった。
「高宮のクソ映画は、見ていて眠くはなるけれど、不愉快にはならないんだよな。 だけどなんか高宮のを真似したクソ映画は、どれもこれも不快感がマックスだわ」
「同感。 見ていて眠れるだけ、高宮の映画の方が何倍もマシだ」
「どうしてだろ。 高宮の映画なんて、はっきり言ってクソ映画の代名詞だと思ってたのにな。 炎上なんてする雰囲気もないよな」
「前作は三分で眠った俺だけど、不思議とそれでブチ切れたりはしなかったんだよ。 それなのに、後追いで大手の映画会社が出してきた映画は何だよあれ。 不快とかそういうレベルじゃねーぞ」
案の定。どこの後追い作品を出した会社のアカウントも大荒れ。
大手映画会社だというのに、アカウント管理を適当な社員に任せた結果。
火に油を注ぐような発言をし。
その結果、社長が公式会見で頭を下げる事になる会社まで出て来ていた。
いずれにしても、こうなることは分かっていたので。
ただ見ているだけでいい。
高宮は自分に出来る事を自分に出来る範囲で行う。
それだけの事である。
昼メシを終えて、映画の撮影に戻る。
ふらっと音も無く戻ってくる高宮を見て、俳優達は怯えるが。他のスタッフは既に慣れたものである。
全く気にしている様子が無い。
まあ、高宮がデビューした頃から仕事をしているから、というのもあるだろう。
高宮の奇行くらい、見慣れていると言う事だ。
「はい、午後の撮影始めるよー。 シーン97からね」
「分かりました」
すぐに俳優達が動く。
この辺りはプロであるからか。
新人とは言え、劇団出身の子を優先的に選んでいることもある。
一応最低限の事は出来ているので。
困惑しながらも、相応にやれている。
これは今までの映画もそうだった。
まあ、最初の頃はそもそも。まともにオーディションに人なんて集まらなかったのだけれども。
淡々と撮影を続けていき。
幾つかのシーンを取り終える。
ラブストーリーだが、勿論キスシーンは愚か濡れ場も無し。
全年齢判定である。
というか、そもそも顔を一切出さないという謎のポリコレ対策をしている作品である。
敢えて醜かったりどう考えても変なキャラクターを出して、ポリコレだの何だのと大喜びしている作品よりも。
いっそのこと、これくらいやってやれば、誰も文句を言いようが無い。
ともかく撮影を続ける。
脚本を、全く理解出来ない。
その苦情は、今回も来ている。
当たり前だ。
理解出来ないように作っているのだから。
それを俳優が四苦八苦しながら演技し、正気度をゴリゴリ削られていく。
見ていて微笑ましいと思う。
これくらい苦労しての映画撮影だ。
みんなもっと苦労して、泣くと良いだろう。
その涙の分だけ。
クソ映画でも、反感を買わない内容になるのだから。
定時で皆に上がって貰う。
今回も囲わせて貰った日野茜は、他の俳優達にアドバイスを求められているようだけれども。
毎回困惑して、四苦八苦しながら答えているようだ。
これは良いなと、横で見ながら思う。
ストレスで潰れないように時々休暇を入れてあげているのだが。
仕事の時は、ものすごい経験を短時間で積めている。
実際。映画撮影の合間に、CMの仕事が来ていたようだが。
そのCMでは抜群の存在感を発揮して。
売り上げのアップに貢献したそうだ。
なおテレビのCMなどではなく。
五月蠅い事で知られる動画サイトのCMだったそうだが。
それでも、ある程度好意的に受け取られたと言う事は。
それなり、ということなのだろう。
全員に上がって貰ってから、軽で家に戻る。
今日もそれなりに時間的には余裕があるので、買い物をしてから戻る。
あんまり上手ではないが。
それなりに自炊はする。
有名になってくると、そういう買い物にもリスクをともなうものなのだけれども。高宮はその心配もない。
どこでもタダの不審者にしか見えない。
どの店でも店員が胡散臭そうに見ている視線だけは感じるが。
別にどうでもいい。
悪い事をしているわけでもないのだから。
そのまま買い物を済ませて、さっさと帰宅。
一応テレビはあるのだが、ゲームのモニタにしかほぼ使っていない。
高宮より下の世代になると、もうテレビを完全に見ない世代も出て来ているという話である。
それはそうだろう。
動画サイトの方が豊富な内容のものを見れるし。
何より客商売というのを余程今のテレビよりは心得ている。
見ていて不快感を煽られるものよりは。
はっきりいって個人作成の動画でもぼんやり見ていた方がマシである。
高宮も最近は殆どゲームをやる時間もなく。
テレビモニタは埃を被っているのが現状だった。
家電売り場に出向くことも無い。
そもそも、スマホで充分と言う事もある。
高宮はあくびをしながら、メールチェックをすませておく。
そうすると、小野寺から連絡が入っていた。
「どうやら、高宮監督を攻撃しようという動きがあるようです」
「社内? 社外?」
「SNSのアカウントを送ります。 現時点では、社外の可能性が高いように思えますが、社内の可能性もあります」
それについては同感だ。
この間、専務に対して余計な恨みをかったのは事実である。
だから、一応備えておかなければならないだろう。
あの専務が、高宮の配給会社を実質上回しているのである。
現時点では、高宮は配給会社に依存はしていない。
だが、もしも変な事をされると。色々面倒である可能性もある。
更には、最近では社内での発言権も増しているし。社員を高宮の推薦で入れたりもしている。
小野寺はそれで大活躍しているし。
あまり目だってはいないが、井伊だってそれは同じだ。
だから、社内について警戒するのは正しい。
小野寺の判断は間違っていないし、高宮もその意見を聞いて満足した。
すぐにSNSを確認する。
「高宮とか言うクソ映画監督、巫山戯てるんじゃねえのか」
「具体的にどんな風に?」
「あいつ、調子こいてインタビューとかも一切受けやがらねえ。 気取りやがって不快なんだよ」
「お前、業界関係者だろ」
騒いでいるアカウントに、辛辣なコメントが寄せられる。
近年、マスコミがマスゴミになり。それどころかパブリックエネミーになっているのは周知の事実である。
昔はテレビ出演というのをちらつかせれば、ホテルに連れ込もうが何だろうが自在だったのは事実だ。
それだけテレビには影響があった。
だが今ではすっかり影響は低下している。
それなのに、自分達は貴族だと勘違いしたマスコミ関係者だけが、世間に対してひたすらわめき散らして有害な記事をばらまいていることもある。
SNSでは特に、マスコミ関係者はゴキブリのように扱われているのが実情だと言える。
見ていると、アカウントの狂乱ぶりに、周囲は冷静だ。
「取材なんて、今時受けたがる奴いないんだよ。 勝手に編集して好き勝手な内容に書き換えやがって。 SNSに上がった動画を無料利用したり好き勝手なこともしてる奴も多いよな。 お前らみたいなのの言う事を、誰かが聞くと思うか?」
「俺はあくまで一般論で……」
「マスコミ様の発言なんて、もう一般論でもなんでもないんだよ。 お前らがどんなことして来たか、誰もが知ってるって事を忘れるなよ下衆」
「高宮の映画がつまらんことなんか誰だって知ってるんだよ。 だけどな、コーヒーの画像しかSNSに上げないし、基本的に一切合切自作について偉そうにも語らない奴が、どう調子に乗ってるんだ。 マスコミ様の取材に応じないのが調子に乗ってるとか、本気でほざいてんのかテメエ」
フルボッコだなと思って、高宮は苦笑する。
なお、高宮のアカウントに連絡を入れてくるメッセージなどもあったが。
今は応じる必要もないだろう。
そのまま様子を見ていると。
どうやら人海戦術を採る気になったらしい。
批判アカウントが増え始めた。
どれもこれも感情的にわめき散らしているアカウントばかりだが。
いずれもが、炎上騒ぎの時に便乗して騒いでいる連中か。
もしくはついさっき開設されたばかりのアカウント。
はっきりいって、露骨過ぎる。
これは、炎上は別に燃え広がらないな。
そう判断して、寝る事にする。
一応、小野寺には礼を言っておいた。
「高宮が調子に乗っている」という方面では、炎上を拡散させるのは不可能だろうと判断するのにも恐らく時間は掛かると見た。
問題は、高宮を攻撃している奴の正体と。
それに今後の戦略だ。
次は恐らく、高宮の映画がつまらない、という方向で攻撃しようとするだろうが。
それも全て、元から誰もが知っていることだ。
誰も相手にしないだろう。
或いはスキャンダルをでっち上げるか。
それもかなり微妙である。
高宮は一応、数少ない露出はしている事はあるにはある。昔は、取材をちょっとだけ受ける事はあったからだ。
ただその頃から、幽霊みたいな長身細身の女、という意見は一致していたようで。
これで枕だのなんだのは無理だろという意見は共通していたようだ。
というわけで、あらゆる意味で高宮は隙を見せていない。
此処から攻撃につなげるのは無意味だ。
寝る前に、一応小野寺に連絡は入れておく。
「何かしら、攻撃者の正体が掴めそうな情報があったら、拾っておいてほしい」
「分かりました。 もう寝る感じですか?」
「そうなる。 明日も早いからな」
「映画の撮影、頑張ってください」
映画の撮影を頑張って、か。
SNSで巫山戯半分にそう口にしている奴は見た事はある。
実際問題、高宮の映画を古くから見ているクソ映画愛好家はいて。
低評価を容赦なくつけながらも。
不快感を煽るクソ映画に対する、強烈な罵倒を浴びせるような事は無く。
いつも困惑しながら、正気度を失っているネット記事をかくのが精一杯だった。
だから小野寺と井伊には感心したのだ。
わざと虚無映画を撮っていると見抜いたのだから。
映画は文化として充分に爛熟してきているが。
故に評価をする人間なども、それなりに増えているし。
何よりも、映画という文化に対する考え方も。歴史が浅いアニメなどに比べると、だいぶ違ってきている。
そういう事もあって、高宮は今まで隙を見せないように注意深く行動してきたし。
それに今後も、隙を見せるつもりはない。
高宮という映画監督は、幽霊でいい。
これは存在感がなく、側にいても気づかれないという意味の言葉だ。
そして幽霊である以上。
殴る事も出来ないし。
何か害を為す事もできないのである。
それでいい。
今の時点では、だ。
幽霊が強烈な呪いで祟りを為すのは、もう少し後になるのだが。
それまでは。幽霊のままでいい。
勿論中傷を受ければ腹もたつけれども。あんな幼稚な上に見え透いている中傷、それこそどうでもいい。
歯を磨いて顔を洗って。
後は、静かに眠る事にする。
高宮にとっては、今は雌伏の時。
しっかり実績を積み重ね続けてから。
一気に畳みかけるまで。そのままでいるべきだった。
翌朝。
炎上はさっぱり燃え広がっていなかった。
幾つかのアカウントが、必死に高宮に対する中傷を続けているが。どれもこれもが何を今更と冷笑されるばかり。
怒りが完全に空回っているばかりだ。
それも、炎上の起爆点もそもそもとして分かりきっている。
もうまとめなども作られているようだ。
コーヒーの写真をSNSに上げると、さっそくそれにも中傷コメントがついたが、一切相手にしない。
むしろコメント欄で、中傷コメントに対して馬鹿にする発言がぶら下がる有様である。
見ていて笑うしかないが。
まあ、放置でいいだろう。
そのまま、小野寺に任せてスタジオに出向く。
会社の方では、高宮に関する炎上なんて気にもしていないのか、それとも気付けてもいないのか。
連絡さえしてこなかった。
或いはいつも高宮の作品は酷評されているので。
それで、誰も気にもしていないのかも知れない。
いつものことである。
そう思っているのだとしたら、ちょっと無能だなと高宮は苦笑いするが。そのくらいの方が。操るには丁度良い。
撮影の前に、機材類などをチェック。
以前嫌がらせをされた事はあったが、基本的にこれは撮影時のトラブルを避けるためであって、用心のためではない。
最初の頃、日野茜が手伝おうかと言ってきたこともあったが。
それに対して断ったのも。
基本的に、高宮の方が機材類のトラブルなどには対処がしやすいからである。
撮影が始まると、スマホの電源も落としてしまうのだが。
その前に、メールが入っていた。
小野寺からだった。
「まだ大丈夫ですか?」
「ん、どうした」
「恐らくですが、炎上の基点を確認できました」
「……今、対策が必要か?」
恐らく大丈夫だろうと言う。
それならば、後回しでいい。
小野寺には、後で話を聞くと言って、スマホの電源を切った。
小道具大道具、音響をはじめとして。スタッフが出勤をしてくる。
俳優もかなり早めに出てくる。
これが大御所芸能人とかだと、社長出勤を当たり前のようにしてきたりするものなのだけれども。
そういうのは使わないので。
此処の職場は、とても治安が良いとは言える。
まあ、俳優の目は死んでいるのだが。
今日も、意味不明な脚本に基づいた、意味不明な撮影を開始する。
必死に俳優達が演技をしているのは分かるのだが。
それももはやシュールな悪夢にしか見えない。
加工次第では充分にギャグに出来るのだが。
それもしない。
ともかく虚無を作る。
虚無を撮る。
それで意識高い業界人が絶賛するように仕向ける。どれだけつまらなく作ろうと、連中にはどうでもいいのだ。
目が節穴なのだから。
撮影を淡々と続けていると。昼メシの時間が来る。
一旦切り上げて、皆に食事にするように指示すると。日野茜が声を掛けて来た。
「その、高宮監督」
「どうしたの」
「なんだか、炎上しているようですけれど」
「ああ、既に対策はしてある。 すぐに収まるよ」
炎上を知っていたか。
日野茜のように、新人俳優になると。社会的な立場が弱いから、炎上が起きてしまうともう泣くしか無い。
如何に理不尽な炎上であっても頭を下げるか。
後は黙って、荒らし……嵐が通り過ぎるしかない。
ただ、高宮は違う。
地力で対処する場合もあるし、今回は小野寺に経験を積ませる意味もある。
いずれにしても、昼食終了後も、スマホの電源は切るように皆に指示。
高宮は、万一に備えて。
基本的に撮影所で、スマホの電源は入れないようにしていた。
自分のミスでカットとなると、はっきりいって洒落にならないので。
それはもう、しっかり対策はしておく。
それが監督という責任のある立場にいる、高宮の義務である。
一通り撮影が終わると、後はいつものように定時で上がって皆も帰らせる。
定時以降にスタジオを使って撮影する連中もいるようだが。
そのメンバーの中に子役がいて。
完全に目が死んでいるのを見て、酷い業界だなと高宮は思った。これも、いずれ改革が必要かも知れない。
ともかく、さっさと戻る事にする。
家に着いてから、スマホの電源を入れる。
詳細についてのメールが、小野寺から来ていた。
「結論から言いますと、今回の炎上を主導したのは……」
それは、後追いで高宮の映画のパクリを作らされた監督だった。
まあ、そうだろうな。
そうとしか言えない。
わざわざ炎上を請け負っている奴に金まで払って、炎上を演出したらしい。
何故分かったかというと、その監督の裏アカウントが既にばれていて。其処で色々と動かぬ証拠が出て来たかららしい。
既にスクリーンショットがとられていて。
ネットで拡散されているようだ。
「この監督は、元々高宮監督のヒットに対して、不快感を抱えていたそうです」
「別にどうでもいいね。 元々誰かを楽しませるための映画を作っているわけじゃあないからね」
「まあ、それは知っています。 それで、今回はそんな状況なのに高宮監督の映画のパクリを作らされて。 更にそれが大炎上するほど酷評されたと言う事で、キレたみたいですね」
「知るか」
本当に、知るか以外の言葉がない。
創作を好む嫌うは勝手だ。
世界的にヒットした児童文学だって、好きだと言った人は半分程度だったという話がある。
世界的にヒットした作品ですらそれなのである。
誰もに好まれる作品なんて、存在し得ない。
それは創作を行う人間なら当然知っている事だし。
何よりも、そんな事すら理解出来ないなら、創作の大御所を気取るべきではない。
ただ、クリエイターは基本的に高宮含めて変人率が高い。
それもあって、不快感が極限まで達した其奴は。
高宮に攻撃したいと判断したのかもしれなかった。
まあ、どうでもいいことだが。
「既にその監督の方が大炎上していて、逆にアカウントを既に閉鎖。 更に会社側が、謝罪文まで出しているようです。 記者会見に発展するかも知れません」
「井伊に連絡。 告訴の準備」
「え、追撃ですか」
「今回のは意図的な中傷だし、はっきりいってタチが悪い。 それにだ……」
今回炎上騒ぎを起こしたのは、経歴ばっかり積み重ねて。今はすっかりヒット作から遠ざかった老害監督だ。
此奴は映画界にいらない。
コネだけで映画を作り。それも原作つきの場合は原作を舐めているような代物を作る輩だ。
はっきりいっていらないと言える。
潰しておくべきだ。
そう高宮は判断した。
すぐに井伊とテレビ会議で連絡をする。CGに関する事は、他の人間に任せ。訴訟の準備を頼みたいと言うと。
井伊は少し考え込んでから、頷いていた。
「実は重要部分のCGはもう出来ている。 だから、其方に回す」
「それは助かる。 訴訟となると、結構面倒だけどやれる?」
「六法全書と近年の判例くらいは丸暗記してる」
「それは凄い」
司法試験は土俵に上がるまで5000時間は最低でも必要という悪夢みたいな代物なのだが。
井伊ならぶっちゃけ、難しくないような気がした。
いずれにしても、社長などにも連絡は入れておく。
相手の配給会社が謝罪を入れたと言うことは、見捨てたという事でもある。
少しばかり、今後のためにも。
今回は厳しい処置をしておきたい。
勿論訴訟関係については、表に出すつもりはない。
さっさと片付けて、それで終わりにしたいが。
無能なくせに、やたらと時間ばかり掛かるのが今の司法の現実だ。
まあ、そう簡単にはいかないだろう。
ただ、一人老害を潰しておけるなら意味がある。
其奴がいなくなれば、一人若手が上にいける。
そういう世界なのだから。
だったら、もう充分に稼いで、老後も困らないだろう監督には退場して貰おう。ただでさえ、まともな感覚も無くしているし。
面白い映画も撮れなくなっているのだから。
3、虚無の真意
訴訟についてはスムーズに話が進み。
一気に事態は先へと進んだ。
会社から見捨てられた炎上もとの監督は、必死にマスコミを使って弁護をしたが。動かぬ証拠が幾らでも挙がっていた。
更に、過去の悪行がボロボロと出て来た。
これもアカウントを辿ったSNSの暇人達や。
更に過去にちょっとだけニュースになって、話題にもならず消えていった出来事が全て掘り返された結果だ。
今の時代は、過去の悪行は忘れ去られない。
思い出された頃に、全てが表に露出し。
順風満帆のつもりの人間を、徹底的に苦しめることになる。
そういうものだ。
いずれにしても、訴訟と言う事になると。
SNSの炎上は、更に過熱したようだった。
「高宮が訴訟するってよ」
「マジか。 公式アカウントは相変わらずコーヒーの写真だけしかアップしていない様子だけど……」
「例の監督のいた会社が、監督を首にすることを公式に発表した」
「あ、そうなると本当だな。 縁を切って被害の拡大を防いだか」
この辺りは、実は高宮が話をつけにいったのだ。
その会社に。
相手側の会社は、高宮が来たという事で非常に驚いたようだが。
ともかく社長が応対に出た。
動かぬ証拠の数々を突きつけると、相手側は困惑し。ただし、と其処で一緒に連れて行った小野寺が交渉をした。
相手の監督を切るなら、此方は会社側に対する訴訟は考えていない、と。
実の所、相手の監督は。
手下にしている配給会社の社員数名を、炎上の工作に参加させていた。
それもあって、訴訟に巻き込まれる事は覚悟していたのだろう。だから、渡りに船とばかりに。相手の社長は話を受けた。
勿論やりとりは全て録音してある。
最悪の場合にはばらまく。
そういうものだ。
ともかくとして、高宮はさっさと相手の退路をこうして断った。
そして訴訟については、井伊に一任した。
「名誉毀損だから、多分最高裁まではいかないと思う。 相手側も妥協すると思うけれど、それでいい?」
「かまわない。 あれを映画界から放り出せればそれでいい」
「分かった。 それなら充分にやれると思う」
「任せる」
井伊は任された、というと。すぐに訴訟に関する諸々の手続きを始めてくれた。
まあ六法全書やら判例やらを丸暗記しているというのは流石だ。
その様子だと、使える弁護士とかも知っているのだろう。
幸い、直近の映画がそれなりにヒットしたこともあって、懐は温かい。今までの赤字が帳消しになるくらいは儲かったので。
補助金制度で貰っていた金も、全て返せるくらいには儲かったのである。
後は、映画を撮る事に専念するだけだ。
ただ。井伊が疑問を持ったのか、聞いてくる。
「それにしてもどうして今回はこんなに厳しい対応を取る。 別に相手の監督は認知症を発症しかけているだけの老人だ」
「私の目的に必要だ、とだけ言っておく」
「……分かった」
「対応は任せる。 いずれにしても、老害を一人この界隈から追放してくれ。 それで充分だ」
井伊に後は任せ。
映画の撮影に戻る。
案の定、炎上の裏側がはっきりした今。
もう、問題は何も起きないといっていい。
相手が勝手に自爆しただけだ。
高宮にはダメージは一切ない。これからは、そのまま映画の撮影を続ければ良い。それに、である。
今回高宮は、訴訟という厳しい処置を執ることにより。
舐めた態度を取ったらどうなるか、示したことになる。
今後高宮がやる事のためには、侮られることは色々と致命的なのである。
だから、今回の仕事は絶対に必要だと言えた。
いずれにしても、業界には激震が走ったようだった。
高宮の徹底的な反撃は、想定外だったのだろう。
相手側の監督としても、完全に豆鉄砲を喰らった鳩状態になっているようで。
どうしたらいいか、分からないようだった。
元々高宮は、スタジオで怒鳴り声を上がるような奴を即座に首にするという事で。知られてはいた。
厳しい所はある、というような意味でだろう。
ホトケの高宮なんて言われているから、何にも甘いと思われてもいたようだが。
そうやって厳しいところもあるという事が分かったと言うことで。
大きな意味が生じる。
こうして高宮は。
文字通り混沌が這い寄り、全てを侵食していくように。少しずつ映画界隈で。クソ映画を撮りながら影響力を高めていく。
最終的な目的を達成するためには。
まだまだこなさなければならないフェーズが幾つもあるけれども。
それはまだ先。
今は、邪魔になるのを一人潰せただけで、可とする。
高宮はそのまま撮影を続ける。
いつも通りに、だ。
だが、やはり昼休みなどには話が聞こえてきていた。
「訴訟!?」
「相手ってあの監督でしょ。 訴訟って……」
「証拠全部抑えられてるみたい。 相手側の配給会社も監督を首にしたって事は、そういう事でしょ」
「ホトケの高宮なんて言われてるけれど、怒ると鬼よりやばいね」
まあ、そう認識してくれていればいい。
ただ此処のスタッフ達では無いなと判断。
高宮が使ってきたスタッフ達は、昔から高宮が容赦の無い裁定を下すことを知っているのである。
だから、今回の件については。
納得して受け入れるだろう。
昼メシを終えると、撮影に戻る。
今日の弁当はなかなか良かった。弁当屋は時々気分で変えて使っているのだけれども。今回のは中々良かったと想うので、次も使いたい所だ。
こう言う福利厚生はしっかりやっておく。
暴君にならないためだ。
一方で、舐めた真似をした相手には徹底的にやる。
高宮の映画を馬鹿にする事は全然かまわない。
そもそもクソ映画を作っているのだから、それが自然だ。
だが、一線を越えた相手には、相応の対応をする。
それが当たり前の話である。
夕方まで撮影を続ける。
今六割という所か。
自宅に戻り、スマホを開く。会社の方には、今回の訴訟の話はとっくにしてある。だが、連絡が来ていた。
小野寺からだった。
「SNSでの動揺が広がっています。 確認だけはしておいてください」
「分かった。 すぐに対応は必要そうか?」
「いえ、大丈夫だと思います」
「そうか、ならいい」
当然、すぐに内容を確認する。
相手側の監督にも、若い頃のいい映画を撮っていた頃のファンはいる。
だが、そういうファンも。
すっかり老害になり果てた今の監督には、擁護しきれないようだった。
「証拠がばっちり出てるとなると、負けは確定だな。 犯罪者にどんだけ寛容な業界とはいっても、これはもう復帰できないだろうな」
「ネット時代にやったことがまずかったな。 それも悪意100%でやってた上に、逆恨みとなると……」
「作る映画が良いんだったら、まだ復活のために嘆願とかが来たかも知れないが、今の状態だとな……」
「はっきりいって高宮の映画の方が、見てて不愉快にならないだけ良いくらいだからな、今の状況だと。 高宮の映画、見ててよく眠れるもん。 無理矢理起きててもなんも頭に入ってこないし、そもそも怒る気にすらなれん。 あいつの映画は承認欲求がダバダバ垂れ流されてて、はっきり言って見るだけで不愉快だ」
相手の監督のファンですらこれだ。
近年の作品が、どう観られていたのか。これだけでよく分かる。
一方、高宮に対しての言葉もみていく。
「ホトケの高宮って言われてるって聞いたが、今回は流石に頭に来たのかな」
「元々現場ではそれなりに厳しいって聞いてたぜ。 俳優を怒鳴るようなスタッフには容赦しなかったって話も聞くし」
「なるほどな。 何というか虎の尾を踏んじまったんだな」
「コーヒーの写真だけアップしているアカウントを見ていると、とてもじゃないけど信じられないよな。 こんな苛烈な一面もあったんだな」
高宮に対する攻撃的なコメントは殆ど見かけない。
これは、むしろ高宮の行動が正しいと判断されたからだろう。
まあSNSはスラムそのものだが。
それでもまともな判断力を持っている奴はいる、ということだろう。
ただ、期待しすぎるのは危険だ。
巨大な井戸端会議のようなものだ。SNSというやつは。
深い闇も潜んでいる。
まあ、高宮自身が、闇そのもののようなものとも言えるのだが。
「それで今後どうなるんだろうな」
「高宮が作る映画がつまらないのは今後も変わらないだろう。 ただ話題性があるからな、或いは化けるかもしれないぜ」
「それは確かにそうかも知れないな。 だけど高宮が邦画の巨匠とかなったら、はっきりいってこの国の邦画終わりなんじゃないか」
「いや、そうとも限らないと思う」
見ていると、議論が面白い方に進んでいる。
高宮はアンチばかりでは無い事を知ってはいたが。
それでもこれは意外だった。
「現状、こんなヤバイ映画作ってる奴がもしもこのまま巨匠とか日本の宝とか時代とかになってみろ。 流石に映画界隈でもヤバイって思う奴が出てくるんじゃないのかな」
「そんな自浄作用働くかなあ……」
「俺が映画監督だったら、何とかしなきゃと思うけどな」
「そんな奴がいればいいけどな」
ふむ、まあこんな所か。
いずれにしても、高宮としてはまだ計画を気づかれる訳にはいかない。だから、これでいい。
どうせSNSにも野生の専門家はいても。
本物と言える程分かっている奴はそうはいない。
特にガチ勢なんて言ってる連中はだいたいが口だけの輩だ。
本職の専門家なんて、そうはいないし。
ましてや評論の分野になってくると。
専門家でも、トンチキな評価を下すことが珍しくもないのである。
さて、そろそろ寝るか。
そう思った時に軽くSNSを流し見して、ちょっと気になる書き込みを見つけた。
「もしもだよ。 高宮がホトケとか言われてるのがあくまで表の顔で、裏のこの苛烈な行動が本性だったらどうするよ……」
「それは、ちょっと面白いかもしれないな」
「或いは本気出したら、面白い映画撮れたりしてな」
「それだったら見てみたいわ」
鼻を鳴らす。
まあ、好きに待っていろ。
それはかなり先の話になってくる。
いずれにしても、今は訴訟で舐めた真似をしてくれた阿呆を潰すのが最優先になってくる。
それに関しては井伊に任せるので。
高宮は、映画の撮影に集中すれば良かった。
翌日も、訴訟関連の話題についてはかなりSNSで盛り上がっているようだった。高宮もコーヒーの写真を上げると、ばっとコメントがつく。
なお、コメントには返信しない。
たまにコメント欄で喧嘩しているのもいるが。
全く高宮が相手にしないからか。いつの間にか、争いが沈静していくのが常になっていた。
奇妙なアカウントだ。
そういう風に拡散している奴もいる。
コーヒーのアカウントは毎回毎朝同じ時間に投稿される。
これは投稿時間を操作するシステムとか使っているのではなく。
単にルーチンでそうして生活しているだけだ。
仮にスタジオに泊まり込みになる事になっても、これは続けるつもりだし。
そもそも泊まり込みになるようなスケジュールで映画を撮影するつもりはない。
これは高宮が例えどんな場所に行っても変わらない事だ。
未来永劫そうするつもりである。
淡々とコーヒーの写真をアップしてから、スタジオに向かう。
車は相変わらず完璧な安全運転。
ただ、スタジオ前にはマスコミが貼っているようだった。はっきりいって鬱陶しいので、さっと避けて通る。
元々素顔とかはほぼ知られていないし。
そもそも嗅ぎつけられるほどとろくもない。
スタジオの周囲には流石に警備員が出ていて、マスコミをシャットアウトしていた。
こんな早朝から出張っていることだけは流石だが。
残念だが、無駄な努力になってもらう。
ささっと車を停めて、スタジオに入る。
正面から入るような事はせず、高宮が知っている裏口からすっと入ってそれでおしまいである。
その後、警備会社に連絡して、マスコミをシャットアウトしてもらう。
これだけこられると流石に迷惑である。
スタジオのチェック開始。
いつものルーチンを終える頃に、小道具や大道具も来る。
流石に警備員に追っ払われたからか、マスコミに足止めを喰らう者はいなかったようだ。
昔はそれなりにスキャンダルなどが話題になったのに。
今ではすっかり誰も信用しなくなった。
それもあるのだろう。
もはやマスコミなど死に体だ。
俳優達も来る。
日野茜も来たので、話を聞いておくが。
完全に青ざめていた。
「その、あの件に関しては事務所から完全に箝口令が出ています。 出来れば何も言わないようにしてください……」
「ああ、余計なことは喋らないようにって」
「SNSのアカウントも一旦停止しました。 しばらくは様子見をするようにと。 私もそれが正解だと思います」
「まあそれでいいかな」
本来は、これくらい出来るのが当たり前だ。
SNSで簡単に炎上が発生し。
場合によっては中堅以上の規模の会社が、一夜にして滅びる。今はそういう時代になっている。
だから、それぞれに自衛が必要だ。
そもそも高宮は自分の世界をSNSに構築する事でそれを壁にしているが。
活動を配信している人間などは、何が問題になるか知れた事では無い。
ある写真を上げた芸能人が、一瞬で居場所を特定されたというのは有名な話であるし。
今の時代は、マスコミなんかよりもSNSの方が余程ハイリスクだ。日野の対応は間違っていない。
「撮影始めるよー」
「そ、その、訴訟とかは」
「専門家に任せてるから問題なし。 これ以上の説明はしないよ」
「……」
こういうことも、余計なことは一切言わない。他の俳優から漏れる可能性があるからである。
ホトケの高宮ではなく、地蔵の高宮になっておき。
不要なことは一切喋らないようにしておく。
日野も言っていた通り、それで正解だ。
黙々と撮影をしていく。
高宮葵という名前は、少しずつ映画界隈で変わりつつある。
前はクソ映画を撮るだけのどうしようもない駄目監督に過ぎなかった。
だが今ではアカデミー賞をとり。
つまらないながらも何故か客が来て。
クソ映画を撮っているにも関わらず不思議とそれを見て怒る客もいない。
しかしながら、舐めた真似をする他の映画監督には徹底的に反撃に出るし。
何よりも、業界人と一般客での評価があまりにも乖離しすぎている。
見ればみるほど、訳が分からない存在になりつつあり。
まさにそのあり方は深淵の邪神に似てきている。
それでいいのだ。
そのまま、計画を進めていく。
カット、と声を掛けて。
撮影の一コマを進める。
頭の中で、まだ撮影していない部分をさっとリストアップして、次をやっていく。問題があっても即座に修正可能だ。
これは高宮の基礎スペックが高いから、というのもあるが。
そのスペックをフル活用して、念入りに事前準備をしているから、というのも勿論ある。
だからこそに、最大限無駄を省いて。
最終的に、予算の圧縮もしていきたいところだ。
ただ、それにはまだ同志がいる。
それについては、今回はっきり認識出来た。
今後CG方面を任せる人員がほしい。
頭脳労働については、井伊に一任したい。
あいつのスペックは高宮に勝るとも劣らない程の高みにあるが。だからこそ、いっそのこと法対策とかそういうのは任せてしまいたいし。
Xデイが来た時に畳みかけるためにも、必要に応じて動いてほしい。
エンジニアが必要だ。
カット、と声をまたかけ、撮影を進める。
仮面を被った、体を平たくしている人型が、哲学的な台詞を発し続ける謎の映画はこうして着実に出来ていく。
これが純愛ラブストーリーだというのだから。
手を恋人繋ぎしながら映画館に入ってきたようなカップルが見たら、それこそ目を回すだろうが。
それこそが狙いである。
どんどん正気度を失え。
勿論悪意でそうしている訳では無い。
今の時代。
「まとも」とされている人間の方が余程狂っている。
それだったら、正気なんて失った方が余程楽だと思うのである。
それは、人間社会の業を散々見て来た高宮が、結論出来る事だった。
撮影も順調。
これなら、来月初頭には余裕で終わる事だろう。
俳優達も、そろそろ個別で休みを出せるはずである。
とはいっても、仮面をつけて演技をしている上に。
実際の映画ではその仮面も顔もCG加工で消してしまう。
ついでに声も加工する予定だ。
それらもあって、そもそも本人でさえ何をしているか分からないだろうし。
最終的には、映画を見て発狂するかも知れないが。
ただ今回もインタビューが俳優に飛ぶ可能性はある。
そのため、それぞれに何を聞かれたらどう答えろと、先に話はしておく予定である。
以前もそれで、一気に評価の流れが変わった。
ただあれは、川の流れを堰き止めて、一気に氾濫させたようなもので。
コントロールしたというよりも。
暴走させたのに近いのだが。
「はい、午前中はここまで。 昼食時はスマホを使ってもいいけれども、昼食後には電源を落とすように。 それでは一旦昼食で解散」
昼になったので、メシで解散をする。
見ると、日野は弁当を自分で作ってきているようだ。
中々ではないか。
今時自炊できる人間はどんどん減ってきている。
これはどういうことかというと、自炊をする精神的肉体的余裕が無くなってきている事を意味する。
日野は弁当を作ってきているが。
これは正気度はともかくとして、体力的に余裕が出来てきた事を意味している。
余裕が出来てきたのは良いことだ。
そのまま、弁当を自前で作るのを続けていれば良いだろう。
高宮自身は、弁当屋が持ってきたのを食べる。
前から採用している弁当屋だが。
調べた所、かなりの老舗らしい。
このスタジオの比較的近所にあるのだが。
最近はすっかり寂れてしまっていて、かなり経営も厳しかったようだ。
だが、高宮が継続的に注文し始めた事で、他のスタジオの関係者も興味を持ち。
実際に美味しいと言う事で、皆が注文し始めた事で、かなり助かっているようである。
或いは此処から口コミで広まるかも知れない。
弁当を持ってくるのは、まだ若い青年だが。
多分彼が殆ど力仕事を全てやっているのだろう。
一礼だけはいつもするようにしている。
こう言うとき、大声で挨拶をしろとかなんとか強制するのがいるが。
高宮は、その手の体育会系が大嫌いなので。
そんな事は一切しない。
小さくあくびをすると。
ぼんやりとして、頭を少し休める。
そういえば幼い頃は。
何も考えていないだとか。
人生楽そうだとか言われた事が多かったっけ。
それでいて、好成績を上げると陰口大会。
そういったのを見て、人間というのは見かけで相手を判断して。一度判断すると絶対に判断を改めないと学習したのだったな。
ふっと笑うと、ぼんやりを続ける。
後は、待つだけだった。
裁判について、相手が上告をしなかった事もあり。
映画の公開が始まった頃には、既に判決は決まっていた。
相手の弁護団が、上告を諦めたのだ。
自分は無罪だなんだとわめき散らしていた監督だが。
しかしながら、上がっている証拠が絶対的過ぎた。
会社からも見捨てられ。
家族からも離縁され。
監督は半ば発狂。
裁判なんて出来る状態ではなくなった、というのも大きかったのだろう。いずれにしても、賠償金が支払われ。
相手の監督は、精神病院送りになった。
多分一生出てこられないだろう。
なお、精神病院でも大暴れしているということで。かなり厳重な監視がつけられているようである。
地獄に落ちた。
そうとも言える。
六道輪廻説によると、この世界は人間道であるようだが。
実際には修羅道か、もしくは地獄そのものでは無いのかと高宮は思う。
戦争はいつだって絶えた試しが無いし。
何よりもどいつもこいつも戦争が好きで好きで仕方が無い。
せっかく平和になったのに、戦争をまたやりたがっているやつのどれだけ多い事か。
それに、大げさにどんどん誇張されていった地獄の概念だが。
それだって何処の宗教でも同じで。
そもそも精神的な規範がなければ野獣よりも邪悪な人間を律するために。
地獄と言う概念を厳しく厳しくしていった結果である。
その地獄の恐ろしさを強調することによって。
ようやく人間は不文律という、明文法と二輪を為す社会の規範を手に入れる事ができたのだ。
宗教は人間社会に問題ばかりもたらしたが。
不文律を作った、という観点では。必要な存在ではあったのだ。
今では勿論、害の方が大きくなってしまっているが。
裁判の件が一段落した所で、高宮は小野寺と井伊を集める。
それで、三人で話をした。
テレビ会議は使わない。
それぞれに直接集まって貰った。それだけ、重要な話をする時だと判断したからだ。
「良く今回は二人とも活躍してくれた。 そろそろ、私の真意を話しておこうと思う」
「はい」
「……」
こくりと井伊は頷く。
元気よく返事をする小野寺。
小野寺は、社会の醜い部分をさっさと見た事で。短時間で急激に大人っぽくなってきている。
高卒で社会人になったとは思えない。
更に貯金もどんどんしているようである。
いい傾向だ。
そのまましっかり貯金を増やしていって、最悪の場合は当面生活出来るようにしておくのが良いだろう。
「現在の映画界隈は腐りきっている。 意識高い連中が賞を決め、一切合切映画が好きな一般ファンと評価が乖離してしまっている。 自分達が特権階級だと思い込んでいる批評家どもが好き勝手な事をほざき、それに迎合した連中がありもしない評価をつけているのが今の業界だ」
厳しい言葉だが。
これらは、映画監督になって見てよく分かった現実だ。
今までアカデミー賞をとった映画は。昔はそれなりに社会に大きな影響を与えたものが選ばれていたが。
今は審査をする意識高い系の連中が。主観で決めつけた代物に決まっている。
その結果、とんでもない映画がアカデミー賞を取るようになってしまっている。
それこそ、高宮の映画がアカデミー賞を取ったのがいい証拠だろう。
「だからこの業界を一度ぶっ壊す。 アカデミー賞なんかを制定している意識高い連中を一度一掃する必要がある」
「……それで、クソ映画を撮るのとどういう関係が?」
「このまま、業界人どもの心を掴みつつ、更なる高みを目指す。 そしてもはや映画業界が私に依存するようになった時。 私は映画の方向性を180°変える」
「!」
その気になれば、高宮は面白い映画を撮る事が出来る。
この二人は恐らくだが、それを知っている。
だから驚いた。まあ、それでいいのだ。
「それで客が驚いたところで、真意を公開する。 後は、この業界そのものが、完全に崩壊する」
腐りきった権威の破壊。
それこそが、高宮の狙いである。
今まで誰にも他人に話さなかった事だが。ついにこれを話すときが来た。
というわけで、まだ同志は足りないが。
それでも同志は出来たのだ。
今後も、この計画は推進していく。
やがてくるXデイに向けて。高宮は、準備を着々と進めていくのである。
4、力尽きて
仕事を続けられなくなった。
黒田恵子は、ぼんやりと映画を見ていた。
刺激が弱いのがいい。
そう思って、ふわりと見る睡眠導入剤だと言われている高宮葵監督の映画を選んだ。
確かに、それくらい頭が駄目になってしまっていた。
連日の過酷な仕事の結果だ。
黒田はCGを作る仕事をしていた。
今の時代、ゲームはCG必須だ。
低予算のインディーズゲームでもない限り、だいたいはCGの世話になる。だから需要はある。
そう判断して、業界の過酷さをロクに調べもせずに業界に入り。
愕然とする事になった。
代わりは幾らでもいる。
人間は使い潰せ。
そういう精神で、凄まじい過重労働が課せられていたのである。
勿論会社が悪かった、というのもあったのだろう。
だけれども、月450時間という異次元の労働時間と。全く休みが取れない毎日が続いた結果。
黒田の体は、二十代半ばでおかしくなってしまった。
自律神経が完全に壊れ。
更には内臓の幾つかが、完全におかしくなっていた。
何度か自殺も考えた。
だけれども、死にきれなかった。
電車に飛び込んだとき、周囲がどんな風に迷惑するか。
家で死んだら、多分腐乱して見つかる。処理をする業者の人は、本当に大変だろうなと思う。
樹海で死ぬ事も考えたが。
樹海の前にある看板。
死ぬなら余所で死ねという心ないものを見て。
黒田は人間の全てに絶望した。
そして月450時間も働いていたのに。
給金は激安。勿論サービス残業だった。だから、貯金だってそこまではなかった。
金を出さず。
命を絞り尽くす。
そういう会社に勤めてしまって、人生を壊してしまった。
黒田はそういう不幸な人間の一人だったが。
黒田自身は、会社を辞めて。
今はどうしようかと考える事も出来ず。ふらふらと歩き回っていた。
今は映画を見ているが。
眠れると噂の映画だったのに。
なんだか作為的なものを感じて、最後まで見てしまった。
そして、映画を見終わった後。
これがラブストーリーとされている事に気付いて。そして、ようやく意識が覚醒してきた。
周囲には肩を寄せ合っているカップルもいるにはいるが。
どっちも爆睡状態である。
一人で見に来ている客の方が圧倒的に多く。
九割が爆睡していて。
残りも殆どが死んだ目をしていた。
それはそうだろう。顔がCGで黒く消されていて。
体も平坦にされて性別も分からない人間が。
シュール極まりない空間で、意味不明の言葉を交わし合うだけ。そして盛り上がりもなにもなく。
最後はバタンと全員が前のめりに倒れて終わり。
それを見て、何か感じ入った黒田は。
自分が何処かおかしくなったのかと思った。
何人か、この映画の監督のファンらしいのが話をしている。
「今回も、寝るのを我慢するのが、本当に大変だった……」
「おつかれ……」
「お前、声が寝てる……」
「ははは、お、お前だって」
何故そんなになりながら見る。そう思ったが、しかしながら考えて見れば。
生活するためのお金を稼ぐためだけに。
黒田だって、もっと無茶苦茶をしていたではないか。
内臓は取り返しがつかない。
病院で話を聞いたが、下手をすると十年単位で治療に掛かると言う。治療が終わった頃には三十を過ぎてしまっているだろう。
そうして考えると、何だか悲しくなってくる。
とりあえず、高宮監督の映画を一通りネット配信で見てみるが。
どれもこれも、噂に聞くみる睡眠導入剤としては意味を成さず。
会社から放り出され。
失業保険も尽き。
貯金を削りながら、体調不良に苦しんでいる黒田が、ねむる役には立たなかった。
だが、何となく興味をもった。
CGの技術についてだったら、ある程度はある。
これでも五年ほど、無茶な労働を続けたのだ。
嫌でもノウハウは身についている。
ちょっとだけこの時は、興味を持っただけだった。
だけれども、黒田の人生は。
高宮監督の映画を見たことで、再起に向けて動き出そうとしていた。
(続)
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